忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。




2004年 2月 5日(木)午前 4時 5分

 ベシクタシュのイルハン・マンスズが、ヴィッセル神戸に入団するのではないかというニュースが流れている。ヴィッセル神戸のスポンサーが替わり、お金も出せる状態になったこともあるだろうし、また、そのアピールにもなるだろうし、イメージアップにつながるということで、イルハン・マンスズ狙いになったこともあろう。このニュースは、まず日本側から流れた。オファーが出されていると。一方で、トルコ側の報道は、冷ややかなものだった。W杯のあと、ヨーロッパへの移籍が、随分と囁かれた時期の取り上げ方とは、明らかに違う。報道すらしてないところすらある。たとえ、報道していても、日本からオファーが来てるんだって、そのくらいのものであった。かつて、日本から、イルハン・マンスズを求めてツアー客が、練習グランドまで押し寄せている、日本の女性たちに大人気と書き立てていた記憶があるものだから、本当にオファーが来てしまうと、またぞろ人気取りの、金持ちの日本が、その辺のやっかみが、その冷ややかな扱いに隠れているような気がしてならない。ましてや、サッカーでは、確実に上だと、自分たちを見ているはずだから、28歳の、一番働き盛りのイルハン・マンスズが、行くわけないだろのノリも見えてくるような気もしてならない。そう言えば、アストン・ヴィラから放逐されたような格好になってしまっていたアルパイのKリーグ入りも、いつになく小さな扱いだった。あれが、ガラタサライ入りが決まるなんてものだったら、全然違ったはずだ。ディフェンスの要として、トルコ代表を支えてきた名ディフェンダーの扱いにしては、冷ややかすぎた。明らかに、サッカーに関しては、ヨーロッパ志向なのである。なんで、極東まで? そりゃ、金さ、そんなのが見え隠れする。
 イルハン・マンスズの神戸入りが、でもここにきて、俄然マジになりだしてきたような気がする。それは、例えば、日本サイドで言えば、朝日新聞あたりが、大きく報道したようであり、また、トルコ側報道としても、日本の発行部数第2位の大新聞が、それを伝えているという報道があるかと思えば、何よりも、ベシクタシュ側が、それを認めたということが、大きかった。マジかよぅ、なんで?のノリが見え隠れする。確かに、ケガがちで、かつて得点王になったときのような切れはないかもしれないが、イケ面だけで行くには、勿体ないものが、イルハン・マンスズにはある。ルチェなどは、新加入のイリエをベンチに置き、イルハン・マンスズを使っているし、アフメット・ドゥルスンよりは、常に上の評価をしている。そういったことが頭にある黄紺も、今、来なくってもという思いはあるが、イケ面度が高いということで来るのなら、今なのでしょう。一見スムーズに決まりそうだったこの話、恐らくJリーグの開幕に合わせての動きだったんだろうけれども、今の時点で、雲行きが怪しくなってきている。ベシクタシュのユニフォームとヴィッセルのユニは、そっくりなので、トルコでの姿見れるから、いいか、そんなことも考えていた黄紺なのですが、正直言って、イルハン・マンスズは、やっぱトルコで見たいなぁ。トルコ人の熱狂の中で、イルハン・マンスズのゴール後のパフォーマンス見たいな。でも、日本に来たら、神戸に、足を運ぶだろうな。そんなことを考えているのです。




2004年 2月 3日(火)午前 3時12分

 少し旧聞に属するが、記録のために、書き残しておこうと思うことがある。それは、先週の水曜日、28日に、黄紺の勤める職場で、「トルコ3大文明展」ツアーを組んだところ、黄紺も含めて、6名の参加者を得たのである。その内のお一人は、第2部の「イスタンブル・コナック」での食事会だけだったが、平日の午後を、トルコ漬けの時間を過ごすことが出来たのであった。平日にも拘わらず、もうチケット販売所で、混雑を予告される始末。NHKが、あすこまでスポットを流せば、それも当然のことかもしれないが、「トルコ」という言葉にそそられて、出向かれた方も、さぞや多かったことであろう。
 「3大文明展」とは、「ヒッタイト帝国」「ビザンツ帝国」「オスマン帝国」を指している。電車の駅に貼られているポスターなどには、エメラルドの大粒が嵌め込まれた有名な短剣が刷られているので、オスマン朝のものが中心かと思いきや、決してそうではない。トプカプ宮殿所蔵の陶器やカリグラフィー、実際のトプカプ宮殿で拝見したものも多く、確かに目を引くものが多いが、アンカラのアナトリア文明博物館所蔵品も小物ではあるが、その数は、かなり多い。やはり、ヒッタイト関係を展示しようとすると欠かせない博物館である。黄紺は、この展覧会へ行くまでは、その3つの帝国を網羅するといっても、そのアナトリア文明博物館、トプカプ宮殿、イスタンブル考古学博物館からチョイスして持ってくるのだろう、もちろんそれだけでも十分値打ちものなんだけど、それ以外へ、手を広げることなど考えてもいなかった。でも、それが、そうではなかったのだ。展示品を提供している博物館の多さに、正直言って、この展示に、かなりリキが入ってる、その意気込みみたいなものを感じたのであった。ヒッタイト関係は、カイセリ、チョルム、カスタモヌ、コンヤなどの博物館からもも来ていた。これらの展示品を見て、黄紺は、チョルム再訪を決意したほどである。黄紺が、今から5年半前、高校生の息子とともに、チョルムに入ったときには、博物館はなかった。県庁の観光課で、チョルムの案内パンフレットをいただいたとき、ヒッタイト関係のものを、多数保有していることは知っていた。そりゃ、スングルルに近いんだもん、出てこない方がおかしいのですから。でも、もう公開しのているのではとの期待を持たされてしまいました。ヘレニズム時代を代表して、アレクサンドロスの頭像が来ているのは知ってはいたが、エフェスから、アルテミス像が来ていたのには、正直驚いた。もちろん有名なやつではないが、それにしても、よくぞ出してくれたものです。ローマのものは、アンタルヤ博物館から来ていた。これも、ツボである。この辺が、とってもにくい。更に、イスラム化する以前のトルコ人の様子を知る手がかりになるセルチュク時代の遺品、また、今度は、イスラム化して間のない木造ジャーミーの一部とか、芸が細かい。こんなところを抑えてくれると、嬉しくなっちゃって、一緒に行った人を掴まえては、解説をしていた黄紺なのでした。
 この展示の企画者、また趣旨を尊重し、展示品を提供してくれたトルコ側の関係者に、心より敬意を表したいと、見終わった後、正直思いました。こんな展示が、日本で見られるとは、感無量です。




2004年 1月24日(土)午後 5時16分

 この頃、急に暇になっている。仕事量が、急激に減っているのである。そうなると、正直な私は、ぼーっとしてるのじゃなくって、態度で、その状態を表してしまう。自分のことに、一所懸命になるという習性を発揮してしまうのである。例えば、HPの更新に出きるだけ時間を割こうとしたり、できるだけ時間をかけて、ネタ探しに奔走したりする。ですから、この10日間ほど、HPの更新が、普段と変わらないように見えても、実は、かけてる時間は、いつもの倍ほどの時間をかけているのです。もう一つ、黄紺は、元々アフター5に時間をかけるのを信条としているので、当然のように、お気に入りの落語会だの、映画だのを探してみるのだが、これが、ない。たまに仕事で、時間的拘束を受けるときに限って、お気に入りのものがある。逆らわれること、夥しい。だから、自ずと、足は、自宅に向かわざるを得ない。これって、悲しい。ここ数年、毎日、何かに、時間的に拘束される日々が続いていたために、予め、芝居なり、コンサートの前売り券というものを買うという生活を送っていなかった。要するに、買っておいてボツになる可能性が、とっても大きかったからである。だから、こんなこともある。いい出物があるなと思い、行ってみようかと思う前に、行っても、黄紺が行きたいと思うくらいだから、きっと他の人も、そう思うに違いない、ということは、たとえ飛び込みで行っても、あればいいんだけどと考えてしまうということは、ないんじゃないだろうかと考えてることになってしまいます。で、結局、行かないで、家に帰る。そんな不完全燃焼の日々を過ごしているのです。
 家に帰ると、その帰る時間が、これまでよりかは、圧倒的に早い。ときとして、晩ご飯を食べる前に、ビールに手をつける時間すらある。また、晩ご飯を食べるに要する時間はたっぷりあるからして、ゆっくり見たくもないTVをつけて、横目で眺めながら、雑誌を読んでいる。そんなことをしていると、いつまで経っても食事は終わらない。普通で、1時間半、ときには、2時間もかけて、晩ご飯を食べている。ということは、必然的に酒量が増えてしまう。ま、こんなぐうたらな生活、たまりません。若い頃って、思い出してみると、結構、こんな生活を送っていたように思える。1つには、時間が空いても、その時間の貴重さを考えないで、だらだらと時間が過ぎていったような気がするが、今は、こういう時間を久しく摂っていなかったため、リラクシゼーションのためには必要なのではと、そういった時間を肯定的に考えている部分がある。これって、結局、広く言えば、時間に追い立てられていることの裏返しではと思ってしまうのだが、このくびきからは離してもらえないことも事実なのだろう。これも、齢を重ねていくということかもしれないのである。




2004年 1月15日(木)午前 3時16分

 昨日、職場を4時頃に出て、まっすぐに家に帰ってきた。一昨日は、5時に職場を出て、映画「ジョゼと虎と魚たち」を観に行った。こんな風に2日も続けて、余裕ができたのは、いつ以来だろうかと、そんな感慨に耽ってしまう。こんな機会に、他に見ようかなと思う映画はないか、落語会はないか、コンサートはないかと、ネット検索をするのだが、こんなときに限って、「ジョゼ虎」以外には行き当たらない。能や狂言は、土日しか、まあやってないから家に帰るしか手がないのである。で、時間があれば、何かするのかというと、それがしないのである。するのは、ぐずぐず、ぼーっとしているだけなのが、情けない。普段見たいと思わないTVをつけてはいるのだが、さして見たいと思わないし、見ていてもつまらないんだけど、ぐずぐずつけている。気がつくと、晩ご飯に、2時間もかかっている。当然、その間、酒を呑んでいるものだから、必然的に酒量が増える。と言っても、黄紺の場合、呑むと簡単に眠たくなるので、たいした量ではないが、いつもよりは増えてしまう。そして、あっけなくダウン。それで、朝まで寝られればいいのだが、それがそうはいかないのが、この頃。1度寝をして、こうやって、またぐずぐずしている。すると、いいことが1つあった。偶然、落語関係のサイトを見ていたら、この深夜に、「平成紅梅亭」を、TVでやっている。これは、今、関西地方で見ることのできる最高の寄席番組。2時間も連続で落語中心の番組を流すという考えられない番組。いつもは、新聞の番組欄で、出演者を目にするくらいだが、厳選されたメンバーに、毎回目を見張らせるものがある。今日は、主任が文珍、その前が八方、色物の三遊亭小円歌を挟んで、柳家花禄と露の都というラインナップ。都がトップだから、たいそうな顔ぶれである。全部見ていては、明日の仕事に差し支えがあると思いつつ、もう八方のところまで来てしまっている。
 せっかくここに書いたついでに、「ジョゼ虎」の感想を書いておこうと思う。簡単に。まず見てみようという気が起こったのは、障害者の女の子の純愛物といっても、その「純愛物」というところが売りになっている映画であったのが気になったところ。なんか新しいセンスでもってアプローチをしたものかという期待を持ってしまったのが、その気になったわけである。若い子らに人気が出ているらしいということは、うちの息子が、映画は見てないのだけれど、映画のサウンドトラックのCDを持っているなんてところからも伺い知れていたものだから、余計に気になっていた。で、実際見てどうかというと、1つの大きなテーマとして、障害者の自立の映画だった。それが全面に出てしまってる映画だった。実は、黄紺は、そんな期待で見てなかったので、なーんだで、ちょっと失望。田辺聖子の原作だもんなと言ってしまえば、それだけかもしれない。そんな斬新なものが出てくるわけないのに、期待してしまった私がまずかったのかもしれない。その古典的な障害者の描き方に対して、映画に出てくる若い人たちは、やけに新しい。その描き方は、コミカルで、リアルでおもしろいのだけど、障害者である主人公の女性の描き方が、そのリアルさから程遠いのである。結局、人気の妻夫木聡人気に支えられた映画だったのかっもしれない。映画館は、夜興行を見たからかもしれないが、ほぼ満席。何が、これだけの人を呼ぶのか、正直、聞いてみたくなった次第であった。




2003年 4月27日(日)午前 8時14分

 なんか、こちらへ、黄紺自身が訪れること自体が、週末でしかなくなってきている。新年度に入り、猛烈な忙しさというものからは解放されたので、本来なら、別段時間がないわけではないはずなのだが、段々歳をとるにつれて、どうも時間の使い方の効率が悪くなってきている。だから、時間があるはずなのに、それ相応のことができてないという自覚があるのである。これが老化という現象は、他にもある。目の見え方、これが、どうもいけない。いわゆる老眼ってやつの進行が、半端じゃない。去年の夏から、この現象が、急激に進行してきている。それまで、職場などで、同年齢、いやそこそこ若い人でも、眼鏡の買い換えを話題にしたりしているのを聞くにつけ、自分の大丈夫さに、結構満足していた方であった。ところがである。去年の夏、トルコに行く前に、エジプトのカイロによって行ったときであった。カイロの地下鉄に、ドアが閉まりそうだったので、黄紺は、地下鉄車両に飛び乗った。ところが、前が詰まっていたために、そこにいた人の肩に、眼鏡の右端が当たった。その瞬間から、目の見え方が変わった。急に、両目の焦点がずれだし、目の前がぼーっとし出したのである。目の調子がおかしくなったのが、こんなだったものだから、これは一過性のもので、その内元に戻るだろうと、その頃は考えていた。ところが、それが戻らないのだ。少しはマシになったかもと思いつつ、それにもまして不調なことが増えていくのである。細かな字が、徐々に見えにくくなり出し、ついには、眼鏡を外してみるということが、どんなに楽なのかということを知るようになってしまっているのである。




2003年 4月19日(土)午前 7時56分

 黄紺の本職での「金曜日の出張」が、また軌道に乗りだした。先週は、若干セレモニー的に、新年度を迎えた顔合わせ程度の内容だったもので、本格的に始動したのは、昨日が初めてであった。それと同時に、黄紺に確実に保障される「アフター5」の日が始まったと言える。だから、黄紺のニーズにあった催し物がある場合には、そちらに足を運び、トルコ友だちからお呼びがかかると、「コナック」で、トルコ料理を肴に、ラクを呑み、何もなければ、鶴橋にまで足を延ばし、大概は「アリラン食堂」で韓国料理を嗜んで帰るということになるのである。今年は、昨年度までとは異なり、普段は、そんなに拘束されることもないだろうから、そこまできっちりと「アフター5」を抑えなくともと思うのだが、それはそれ、時間の有効活用というやつで、大阪市の中心部に出かけるだけで、ほぼ1時間ほどのところで働いてる関係上、使っちゃおうという気になってしまう。
 で、昨日は、難波まで出かけて、ワッハの7Fのレッスンルームであった「島之内寄席」に出向いた。不幸な(「弟子が不幸な」という意味で)師匠を持った笑福亭小つるの「竹の水仙」、笑福亭松喬の「仏師屋盗人」、新作に活路を見出している桂小春団治の「探偵物語」が出るということで行ってみた。殊に、「竹の水仙」は、今でこそ、演じ手が増えたものだが、元を質せば小つるが、講談ネタから落語へ移植したものと聞く。それを知りながら、小つるで聴いた記憶がなかった。それが、最大のモチベーションである。そもそも、「島之内寄席」は、随分と思い出深いものがある。一等最初は、島之内教会で始まったというが、その始まったことは知っていても、実際にそこへ行く前に、場所を移した。それが、黄紺がよく通ったダイエー京橋店である。大店法に引っ掛かり建物は造ったが、最上階で開店できない状態を利用して開かれた「島之内寄席」、実に懐かしい。6代目松鶴自身が、主任に出てきて、舞台を降りて直ぐ、下足の手伝いをするという、めっちゃ恐縮するという図が懐かしい。昨日の主任を務めた松喬が、まだ鶴三と言った時代で、「勘定板」という汚い話を、よくやっていた記憶がある。そう言えば、松喬を名乗ってからは、そのネタを聴いたことがない。やはり沽券に拘わるのだろう。昨日は、6代目直伝の「仏師屋盗人」だった。盗人の頼りなさ、こんな話して、実際にはないでぇというアホらしさが、全く6代目直伝なのである。
 黄紺は、能といい落語といい、こういった伝承芸好きである。ホント、時間さえあれば、きっと文楽や講談にも凝っていたろうと思う。そうそう、昨晩遅く、BSで、モーツアルトの歌劇「魔笛」をやっていた。パリ・オペラ座の2000年の公演だった。贅を尽くした豪華な舞台だったし、演出に見るべきものがあり、随分と楽しめた。殊に「夜の女王」の性格付けがおもしろく、また、その演出に応えた歌手の歌唱力・演技力に感服。そうや、黄紺も、オペラのCDにLP、たくさんあるんや。それ聴く時間あったらいいのに、これも、結局、時間の問題で放置状態である。これだけの犠牲を払って、時間を費やして、それに呼応するだけのことができてるのかというと、黄紺は自信がない。だったら、ミーイズムに走る方がいいのではという囁きにとらわれることもある。そう、それにとらわれていれば、また違った人生を歩んでいたかもしれない。でも、現実はそうでないところが、悲しいのか、それとも、、、、?なのであろう。




2003年 4月11日(金)午後11時41分

 年度当初の1週間が終わったところである。TVでは、連日、イラク戦争が報道され、バグダッドが陥落し、更に先程、臨時ニュースとして、ホワイトハウスが、フセイン政権の崩壊を発表したと流していた。北部のクルド人の動向によっては、トルコ軍が、イラク領内に越境しかねない状勢である。一方、東アジアでは、SARS流行で、緊迫した状況になっている。先日、同僚の南アフリカ人が、休暇を利用して、広州・香港を回ってきた。大騒ぎの最中にである。ところが、彼女、1日、職場に来て、その次の日、体調不良とかで休んでしまったから、ちょっとした騒ぎになってしまった。一番、大げさな同僚は、関空に電話を入れて、事情を説明して、善後策の指示を仰ごうとしたそうである。この話を聞いた、黄紺は、相手が関空と聞いて、のけぞるしかなかった。だって、関空では、もう日本に入れてしまったのだから、聞かれても困るだろうなと思うだけであったからだ。でも、電話をした人は、まちがいなく大真面目なのであろう。
 黄紺は黄紺で、このSARSのおかげと言えば、不謹慎極まりないのだが、でも、おかげだと思ってるから、そう書くのだが、そのおかげで、GWの韓国行きの往復飛行機、大楽勝でゲットできたのだった。いつも、GWの韓国行きのためには、遅くとも3月中には、飛行機会社に電話を入れて、抑えにかかるんだけど、今年は、すっかり電話をするのを忘れていた。忙しかったことが、最大の原因だが、気がついたら、もう4月に入っていた。もうほとんど、キャンセル待ちにもかからないだろなと電話をしたのだが、あにはからんや、簡単に取れてしまったのだ。それも、GW後半の3連休の初日の飛行機を。しかも、航空会社の人、どっちにしますか?と尋ねてきた。1日2便ある航空会社だったのだが、GW初日に、両方とも、しかも、この時期に、満席になってないとは、厳しいねぇ、これ。でも、おかげさまなのだ。ぼーっとしていても、SARSが、私の韓国行きを助けてくれた。
 毎度のことながら、飛行機をゲットしたからといって、即座に、行き先を探すという作業には、まだ入っていない。頭の中では、井州(チョンジュ)、間違わないように井邑(チョングップ)とも言うが、そこで2泊して、内蔵山(ネジャンサン)へ行ってみるかと考えたり、これには、もちろん光州(クワンジュ)などが、もう1泊として付いてくる。それとか、冬に断念した太白(テーベク)も行ってみたいし、丹陽(タニャン)という韓国で最も美しい町へも行ってみたいと考えてる。今回は、4日目の夜の飛行機までゲットできてるので、3泊目は、ソウル、仁川(インチョン)から遠く離れてても、帰りは大丈夫なのである。ま、そんなで、コース作りの幅が広がってるものだから、出発までの楽しみは、まだまだ残っている。でも、GWまで、まだ、3週間もある。それまで、結構、忙しいんだよな。まあ、しゃないかと思いつつ、またぞろ、韓国で、寝続けるのだけは、よしにしたいと切に願ってる黄紺なのです。




2003年 4月 2日(火)午前 2時43分

 今、alem-fmを聴きながら、これを書いている。テオマンのニュー・アルバムからの曲であろう。今まで聴いたことのないテオマンの曲が流れているから、そう思っているのである。もう、いつだったか覚えていないが、ネットで、トルコのラジオを聴くことができると知ったが、最初は、北キプロスのなんて言う局だったっけ? そこばっかり聴いていた。やがて、トルコの各地のラジオ局が、大挙して放送していることを知り、なかでも、このalem-fmは、サッカー中継をしているということが、アイシェ・ハヌムより知らされ、はまりこんでいた時期があった。このサッカー中継を聴くことができるという話は、黄紺にとっては衝撃だったのを記憶している。但し、放送時間帯が、時差の関係で、深夜に及ぶが、これまた、それが、黄紺の生活時間帯に合ってるものだから、もうはまりこんだといったら、そう、はまりこんだのである。これは、もちろん今も続く、黄紺の週末の楽しみなのである。今は、サッカー中継は、SHOW-RADYOを聴く機会が増えたが、最初は、絶叫調のSHOW-RADYOよりか、落ち着いて聴けるalem-fmを愛用していたから、四六時中alem-fmだった。接続状態も考え、また、その局が流す音楽傾向なんかを考えていくと、やがて、Radyo-Vivaという局を見つける。SHOW-RADYO系列だと思うのだが、詳細は知らない。この局が、黄紺的は、トルコ・ポップス最前線を把握するに、最もいいのではないかと思っている。もちろん接続状態も考慮に入れての上での話だ。ISTANBUL−FMも、なかなかだと思っているが、接続状態がもう1つなのである。ところが、最近、肝心のSHOW-RADYOとRadyo-Vivaの接続が、かなり困難に陥っている。接続一覧サイトからは、双方とも削除されているので、当該局のHPにアクセスして、そこからの接続を試みるのだが、こちらは、以前から、接続状態が不良なものだから、期待はできないのが分かっていながら、試してみるのだがダメなものはダメって感じで、あまり良好な状態ではない。ま、そんなで、alem-fmにお戻り状態である。
 いつもの如く、そんなことをしている間に、年度が変わってしまった。黄紺は、年度をまたがった仕事をしている(内容的には新年度のもの)ものだから、年度の切れ目も感じてる間もなかったが、年度が変わると、やはり人事の関係で、今までいた人が消え、新たな人がやって来る。そう言えば、去年もそうだったなぁなんて、ふと感慨に耽る。そして、来た早々から、この黄紺が年度またがりでしている仕事に回されてきた人がいたっけ。今年も、そうだった。辞令交付に職場に来て、いきなり仕事途中に放り込まれる人も気の毒なものである。でも、去年の人は、最初から馴染んでいたなぁ。1ヶ月もしない内に、その人の声が、大部屋に轟いていた。黄紺は、性格的に人見知りする方だから、自分にないものを持っている人を見ると、羨ましくて仕方がない。そんな感慨に耽りつつ、恒例の年度またがりの仕事をしているが、その仕事も、明日で、一段落の予定である。これで、3年+1年、計4年間を終えることができる。せめて、1日2日オフをもらっても、いいだろうな。




2003年 3月30日(日)午後15時27分

 3月も末になっている。この前書いてから、丁度3週間経ったことになる。この3週間がただものではなかった。頗る付きの忙しさに翻弄され、気がつけば、ここまで来てしまっていたという感じである。仕事は、年度末に入り、黄紺の職場は、もう一息ついている状態である。多くの職場では、この週末、休日出勤を強いられたのではないかと思う。黄紺も、人事の関係で、机を移動というか、机のなかを整理しなければならないのだが、そこまでは、まだやれてない。時間をかけねばならない仕事を継続中だからである。でも、先日までしていたものに比べれば、気の重さは比べるべくもないので、のんびりとした気分だけ、束の間楽しんでおこうと思っている。もう1週間もすれば、またぞろ新年度の喧噪のなかにいるはずだから。
 そのくそ忙しい最中に、黄紺は、3週間連続、週末には、能の会に出かけていった。すべて観世流だが、観たものを列挙しておこう。第1週目は、能「敦盛」「百万」「熊坂-替之型-」狂言「伯母ヶ酒」、第2週が、能「頼政」「西行桜-杖之舞-」「葵上」狂言「土筆」、第3週が、能「田村-替装束-」「海士」狂言「土筆」のラインナップである。「土筆」が続いたのは、季節柄致し方ないが、こうやって列挙してみると、毎回、修羅能が初番に置かれている。修羅能というのは、2番目ものと言われるくらいだから、この位置に入るのは、全然不思議ではないのであるが、なんせ種類の少ないジャンルである上、難易を意識して演じられる分野であるがため、3週連続で、異なった修羅能を観られるのは、ラッキーなことと言えるだろう。ま、そんなで番組にも、そこそこ恵まれ、そして能というもの、1度行くと、中毒性のものなので、行き続けてしまう。黄紺は、以前、能を見続けたことがあった。そんなに前のことではないのだが、ここ数年、能の会から遠ざかっていた。ある程度見尽くしたということがあった。それに観れば観るほど、演じ手の上手下手、動きを追いかけてるだけではないか、能の演劇性を意識してるのだろうかなどと、生意気なことを考え出し、どうもそのニーズに応えてもらえるような演能に出会える機会が、どんどん減っていったというのが、正直なところであった。仕事もきつくなり、土日に出かけるのが、どうしても億劫になる。絶対的な時間がない、そう1日は24時間しかないという辛い現実に直面してしまうのである。そんなこんなで、足が遠のいていたのだが、年明けくらいから、わけは分からないのだけれど、能を観たいという衝動に駆られるのだが、どうしても時間的に難しいとなると、余計に行きたくなるを繰り返していた。それが、この超多忙に実現するとは思っていなかった。でも、眠かった。これを、黄紺は、幽玄の眠りと呼んでいるが、ふーっと目頭が重くなってくる。でも、能のテンポでは、もちろん全てが、そうであるわけはないのだが、ストーリー展開が、余り前へ進んでいないので、頭がついていくのである。だから、うとうとしながら、中世の雰囲気に浸ることができる。音を風のように浴びるといえばいいだろうか。そんなので癒されると、もう中毒である。また、時が経てば経ったで当たり前だが、若い人たちが、どんどん成長を続けてきているのも、頼もしい限りである。観世の宗家が、「胡蝶」を舞うために、森英恵に衣装注文する時代である、若い人たちにも、進取の気分で、約束事の多い世界にありながらも、何か新風を吹き込んで欲しいものだと思っている。
 その噂の「胡蝶」を、今度大阪で舞うという。今、能楽堂ではないところでの演能なので、行くべきかどうか、迷ってる最中である。




2003年 3月 9日(日)午前 9時54分

 久しぶりに、こちらに書くことになる。最近、めちゃくちゃ忙しくて、こちらに書くってこともできないでいた。今日は、エア・ポケットみたいな日である。だから、書いていると言えばいいのかな? いや、遊ぶこともないからと言えば、あまりにもぞんざいか? 決して、このコーナーを忘れているわけではない。
 昨晩、「イスタンブール・コナック」へ行った。土曜日のおなじみK氏のクラスの人たち+αが集まった。以前、コナックのオーナー氏からいただいていたインターナショナル・パーティへ行くべしとして、人が集まっていたのだ。丁度、私が、東大阪経由で着くと、K氏が、コナックを出ていくときだった。某所でトルコ語を教えに出かけるときだった。私の顔を見ると、やおらカバンを開けたK氏は、そこからガラタサライ色の毛糸のキャップを出してきた。あとから聞いたところによると、T田くんがK氏にお土産として買ってきた代物だということである。ま、それはいいとして、昨晩は、アリ・サミ・エンで、ガラタサライと我がフェネルバフチェのダービー・マッチがあったのだ。今季は、ベシクタシュが絶好調で、フェネルバフチェは、そこから大きく離されているため、ほとんど諦め気分なんだけど、でも、相手がガラタサライだと、気になって仕方がない。特に今季のガラタサライは、ファーティフ・テリム監督が、メンバーを固定するわけではなく、なんか負けるべくして負けてるときがあるって感じなので、いくら今季のフェネルバフチェとは言え、負けられないのである。ガラタサライはと言えば、まだまだベシクタシュに追いつくことが可能なほどの離され方なもので、K氏の力が入ろうというものである。
 コナックに入ると、今度は、ここで働くOさんと、サッカー話。彼は、ベシクタシュ応援派だと言う。昨日まで知らなかった。そんなことをしている間に、顔ぶれが揃う。黄紺とアイシェ・ハヌム以外は、インターナショナル・パーティへ行くまでの時間調整。トルコ人のB氏も1人でやって来た。彼も、そのパーティに行くつもりなのだ。待ってる間、アイシェ・ハヌムの子分も来るはずだったので、パトゥルジャン・ドルマスを用意してもらっていたのだが、結局、JRの事故で来れないということで、結局、待機中の人たちにも出してもらう。なかなかグーな仕上がり。日本のなすは、トルコのそれと違って小振りなのは、仕方がないことか。でも、美味しかった。そういったものを食べている間の四方山話。Tさんが、仕事を辞めて、トルコへ移住する話を告白。アイシェ・ハヌムを介して、この話は聞いていたものの、直接伺うのは初めて。ちょっとした偶然が、いい結果を生んだようである。イズミルに住むことになるとか。そのイズミルには、思い出がある。なかなか帰ってこないトルコ語教室の同級生の探索に行った町である。だから、町に特別の感傷がある。その町に、また1人の知り合いができそうである。こういった機会を生かして、自分が変わるということなど、もうありえないお年頃になった黄紺にとっては、決して若くはないけど、まだその若さが残っているTさんが、やはり羨ましい。
 コナックでのラクが、だいぶと効いたようである。家に帰ってきて、すぐにダウン。目が覚めると、もう午前4時を回っていた。フェネルは、ウミト・カランの2発を浴びて、撃沈されていた。SHOW-TVのダイジェストを見ていると、リュシュトゥが好セーブを見せていたもの、あの2点目は防げない。ウミト・カランの判断力のすばらしさを見た思いがした。これで、フェネルバフチェ、今季、絶望だ。




2003年 2月 9日(日)午後 4時38分

 イスタンブールが、またしても大雪に見舞われている。ザマン紙だったか、ちょろっとサッカ−のいい写真探しに覗いてみたら、雪にかすむアヤ・ソフィアだか、ブルー・モスクの写真が載っていた。あのアングルで、あのかすみかた、かなりの雪である。あーいった写真を見ると、黄紺は、2つの光景を思い出す。ともに雪での苦い思い出。1つは、もちろん、昨年1月のイスタンブールの大雪。イスタンブールっ子に言わせると、14年ぶりの大雪。アジア側からヨーロッパ側に渡れない体験。ボスポラス大橋閉鎖とか、もう大雪でありったけの経験を、イスタンブールでしてしまったこと、思い出すなと言われても思い出します。もう1つは、ミラノでのお話し。ミラノは危ないぞ、危ないぞと言われていたら、本当にそうなっちゃった経験。(今、これを書きながら、SHOW-RADYOを聴いてるんだけど、ナント皮肉にも、「雪が降る〜SHOW-RADYO9位〜」がかかってる。この曲、流行ってるんだよね。最近、とってもよくかかる)。あれはまいったっす。出発前に、泊まっていたミラノ中央駅近くのホテルから、ドゥオモを見に行ったら、前の広場の反対側からは、ドゥオモがかすんで見えていた。丁度、今日、ザマン紙で見たアヤ・ソフィアだかの写真と同じ。そういった悪夢が蘇ります。ミラノのときは、飛行機が飛ばず、どうしても日本に帰らねばならなかった黄紺は、ミラノからローマに移動して、飛行機に乗りました。ミラノ空港のチケッティング・カウンターお姉さんが、ここからローマまで、鉄道じゃ5時間もかかりますよって驚かれたのを、やけに覚えている。そのときの凄まじい記憶があるものだから、去年のイスタンブールの大雪は、縮上がったなぁ。トルコの場合、イスタンブールがダメなら、とにかくトルコを出られないということと等しいもんね。アンカラへ行ってもしゃーないし、あとは諦めるだけというところだから。無事、1時間遅れで、イスタンブールから飛び立ち、シンガポールに着いたとき、あまりにもの気候の違いに、一瞬、夢の中にいるような気になりました。もう、あれから、1年以上が経ちました。
 トルコ、雪と聞くと、どうしても書いてしまうこと書いてしまいました。ところで、ここ京都は、今日、イスタンブールの雪とは違い、春を思わせる暖かさ。先程から、ビールを呑みながら、これを書いているので、黄紺の体内も、ぬくぬく。目の前にある、電器ストーブもいらないくらいの暖かさである。そうそう、黄紺は、昨日の土曜日、能の会に行ってきました。去年の9月の末に行ったきりで、この間、土日に、持ち帰り仕事をしていたものだから行けたものではなかったのが、祝日がある関係上、少し時間にゆとりができ、行ってみることにした。京都の職分家井上家のお稽古能をのぞいてみた。町屋のなかに能舞台があるという秘密クラブ的な能の会。お客も20人ほど。以前は、能が2番か3番、それに狂言1番という能の会の定式を踏んでいたが、現在は、能1番、仕舞3つで終わりと、えらくあっさりした会になっていた。昨日の番組は、「葛城」。冬の鬘物の定番である。いつでも見られると思っていたのか、黄紺の観能記録によると、実に16年ぶりに観たことになる。実際観ていると、そんな気は全然しなかったが、そうなのである。なかなか舞姿が決まってるおシテであったが、立ち姿との統一性があまりなく、まだまだ発展途上と見た。いすれにせよ、能を観たという実感に満足度大である。でも、疲れている。疲れているときは、心から楽しめない。だから、観たという事実だけは、記憶に残しておこうと思ってしまう。ま、そんな屁理屈こねても、身体から簡単に、この疲労感は抜けてはくれないが。
 と書くと、もうこれからの1週間の気の重さが、頭を占める。まあ、明後日が休みだからっていうのを、ちょっとした励みにでもしますか、、、、。




2003年 1月21日(火)午前 2時54分

 またぞろ、新しい週が始まってしまったが、日曜日のこと、書いておこうと思う。この頃、持ち帰り仕事に追われている黄紺だが、それらを、PCに向かっていじっているのだが、そういうときって、大概トルコのラジオをかけている。最近は、Radyo v!vaばかりかける傾向がある。ま、それはよいとして、そのとき、偶然、滅多につけないTVをつけた。するといきなり「スンチョン」の音。思わず、PC画面から、目はTV画面に移る。まちがいなく「順天」なのである。韓国の南東部の町、順天が映っている。しばらく見ていると、去年の7月に、中国の日本領事館に亡命を求めてきた一家の落ち着き先を尋ね、今、あの家族が、どのようにされているかを追った番組だった。正直、そんな問題を扱ったものだったとは知らず、思わず画面を眺めてみた。まだあの事件から、半年ほどで、生々しすぎて、以前では考えられなかったことである。この家族のような人たちを、「脱北者」というのだそうである。でも、画面には、黄紺が見てみたい、順天の街並みは出てこない。街並み見たさに待っているのだが、この家族の日常生活が追われていき、屋内の風景しか出てこない。その内に、この家族の子どもが、やたら可愛いのが、気になっていく。TVも、この子どもの変化のようなものを抑えようというきらいがある。子どもに笑顔が出てくるのに時間がかかった、今でも、夜中に飛び起きる子ども、初めてのクリスマス、友だちができた、北では考えられなかった子どものおやつなどなど、子どもに焦点を当てようとしているのが分かる。「脱北者」が珍しくなくなった今、生活費の、政府からの援助は少ない。自分の力で生きていかなければならない。そういったことを、淡々と描いてくれていた。むすろ、順天という地方都市を、この脱北者が選んだことからも、そういった意志の堅固な家族だろうと推測される。
 結局、順天の街の風景を追いかけることは、最後までできなかった。それは、若干悔しい思い出あったが、今まで知らなかった最近の脱北者の様子を知ることができて、なかなか考え上げさせられるものだった。




2003年 1月18日(土)午前 8時02分

 黄紺は、最近、週1回ないしは2回のペースで、大阪市内への出張で、大忙しである。なかなか気分の重いものがあるので、これを、なんとか気分の良いものに変えようと、そんなことを考え、今週の2回の出張後の使い方を工夫してみた。出張というのは、きっちり定時に終わってくれる、普段、職場にいれば、そういうわけにはいかない。仕事が残っていると、どうしてもだらだらと、遅くまでしてしまう。だから、普段は、なかなか仕事の帰りしなに、どこそこへ行くという時間がないというか、もうこの頃は、体力がないと言った方が当たっているが、そんなことで、すごすごと家路につく。でも、出張で、外へ出ると、まず、先程書いたように、時間にゆとりがある。更に、既に、外へ出ている、うまくいけば盛り場に近いところまで、既に出ている。そう、これは活用しない手はないと思い出したのである。
 15日水曜日は、また、うまい具合に、アイシェ・ハヌムから、結構なお誘いをいただいた。T森やTさん、Nちゃんと一緒に、年末に神戸にできたトルコ・レストラン「チャイダチュラ」に行くが、黄紺も行かないかというものであった。なんで、京都で働くTさんが、週の半ばで、神戸まで行く気になったか聞かなかったが、また、うまい具合に、黄紺の時間が使える日に、予定を立てたものだと思い、1度は、あまりにも遠いので躊躇いはしたのだが、こんな機会はないと思い決断した。出張先の寝屋川から、電車の乗り換えを失敗しなければ、三宮まで、1時間15分では行ける。駅からは、北野方向へ歩くこと3分くらいの、とってもいい場所に、「チャイダチュラ」はあった。もうアイシェ・ハヌムとT森は来ていたので、すぐに始める。オーナーのAさん、直々の手作りである。1つ1つの料理の量は少な目だけど、なかなかいける。特に、メネメンがいける。京都の「イスタンブール・サライ」といい、2軒続けて、メネメンのうまい店というか、そのまんまのものを出してくれる店が出てきたものだ。メネメンというもの、ロカンタで、まあ置いてない代物、黄紺も、イズミールのバスマネの小汚いロカンタで食べたきりである。そのときのそのまんまというのが、しかも器までもが、そのまんまというのが、「チャイダチュラ」のそれであった。食べ慣れているシガラ・ボレーイもOKだし、ウズガラ・キョフテもグーだった。こううまいと、ラクが弾む。でも、この日は、疲労が濃い黄紺は、普段の2/3くらいで、早くも睡眠状態。周りから、「黄紺さん、今日は、寝るのが早いよ」と突っ込まれようが、もう起きてられないのである。結局、9時に、1人で店を出て帰りました。JRで帰ると言うと、心配されたとおり、京都では目が覚めず、大津駅発車直前に気がつき、新快速に乗っていた加減で、石山まで行ってしまいました。情けない情けない、である。
 昨日も、出張であった。今度は、久しく行ってなかった鶴橋の「アリラン食堂」へ行ってみることにした。ところが、あるはずの場所に行っても、当の食堂はない。何やら韓国食材を売る店に変わっている。1人の女性が店内にいたので、聞いてみると、すぐ近くですよと言いながら案内してくれた。場所が変わり、新装開店である。レイアウトは一緒なのだが、新しすぎて、なんか落ち着きが悪い。韓国の雑踏の中の食堂という雰囲気があった前の店からは変わったが、店内に集う人、ここで飛び交う言葉、全て韓国である。スンドゥプを食べた。豆腐のチゲである。以前に比べると、随分とお味が濃くなった気がした。店の変化とともに、味も変わってしまったのか、他の品々も食べに、これからちょっと詰めて通ってみようかと思う。ただ、トンドンジュの注文を巡って、店の方とトラブッたのは残念だった。恐らく韓国から来て日の浅い人がアルバイトをしているのだろう。日本的感覚と違う応対をされたのも、この店ならではと思うと、それも楽しい経験をしたと思った。
 来週は、水曜日と金曜日、また週2回の出張である。また、どこぞへ行ってみようと考えている。さて、狙いは、どこにしようか。最近、落語会もご無沙汰なので、いいものあればとはと思ってるのだが、、、、。




2003年 1月11日(土)午前 8時36分

 韓国から帰ってきて、もう早いもので1週間以上が過ぎてしまった。3日ほど前であったが、えらく寒い日があり、マフラー、手袋完全着用で、大阪界隈では、1年に、1回あるかという寒い日があった。でも、黄紺は、決したパッチをはく必要は感じず、またコートに付いているフードを被るという必要性を感じなかった。これが、韓国と日本の寒さの違いかと思った。いや、黄紺の住むところよりか、もっと北国に住んでおられる方からすると、何言ってるんだってことになるかもしれないが、標準的関西人の感性と思い、読んでいただきたい。でも、職場で、この間の休みの日に、韓国行ってきたと言うと、まず、「トルコではないんですか?」と念を押されたあと、必ずと言っていいほど、「寒くなかったですか?」と、この話である。黄紺が、「やっぱり、韓国は、大陸の端っこです」なんて付け加えようものなら、したり顔で聞いてもらえるのである。
 ところで、1週間以上たった今、韓国で何したと、自分に問いかけると、1番先に思い出されるのは、とにかくよく眠ったことである。日本にいるときでは考えられないほど、眠るのである。夜、外から帰ってきて、オンドル部屋に、ごろっと横になると、もう時間の問題である。それから、延々と寝るのである。ただ、オンドル部屋は、床が堅いので、夜中、何度も目が覚めるが、そのたびに、すぐに寝てしまう。日本では、こうはいかないのである。1度目が覚めて、ものの5分ほど寝られないと、まあ、寝ることはできない。だから起きる。なかなか睡魔が襲ってこない。となると、朝方まで、なにやらしている。そのまま職場へ行くこともあれば、仮眠をとろうとすることもある。いずれにせよ、睡眠時間は、極めて少ない。なんか、その辺の極めて少ない分を、今回の旅行で取り戻したようでした。これは、正直有り難かった。どうも、黄紺は、年に2度、3度と韓国へ行くが、毎回、そういった事態に陥る。まるで、韓国睡眠ツアーの様相である。そう、日本にいるときと、まったく異なった生活時間を送っているのである。それがまた、いいから行くのであるが、でも、毎回同じようなことが起こってるなあと、もう1つ思うことがある。今回もそうであったのだが、韓国での最後の夜を、黄紺は、水原(スウォン)という京畿道(キョンギドウ)の道庁のある町で過ごしたのだが、要するに、明日の夜は、もう日本だという夜、なんと、もう睡眠時間というのが、きっちり日本のパターンに戻ってしまうのである。時間は減る、夜中に1度目が覚めると、もう寝られない、このパターンである。これは、驚きました。身体が、見事に帰国してしまったのだ。こうなると、出発までの残り時間が、とっても愛おしくなった。気持ちの上は、なんとか韓国に踏みとどまろうとする、心身分離状態になってしまったのである。何やら、とっても悲しい時間帯を、最後、黄紺は、久しぶりのソウルで送ったのでした。







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