2005年 3月26日(土)午前 2時42分
少しずれてしまったことなんだけど、こないだ内、TVで、10周年とかで、随分と取り上げていたこと、黄紺の記憶が消えないようにと、あの日のことを書いておこうと思う。地下鉄サリン事件の日のことだ。
黄紺は、あの日、営団地下鉄日比谷線「神谷町」駅から徒歩2〜3分のホテルで、朝を迎えた。そして、丁度、あの事件が起ころうとしている時間帯に、そのホテルを出ることにしていた。藤沢まで行くつもりだった。ただ、2つの偶然が、黄紺をして、あの事件に遭遇させなかったのだ。その1つ、黄紺は、出る用意をして、点けっぱなしにしていたTVを消そうとしたとき、NHK−TVで、「トメル」で学ぶ人たちを紹介した。イズミルのトメルだったような気がするのだが、記憶は曖昧だが、とにかく「トメル」紹介の番組が、と言ってもニュースの一部だったと思うのだが、10分程続いたような記憶があるが、出がけの黄紺は、軽いコート系の上着を引っかけたまま、それを見続けた。その前に、J子を訪ねて、イズミルに行ったとき、1時間だけだったが、授業に付き合わされ、「トメル」の授業の雰囲気を知っている黄紺にとっては、当然の行為だったが、結果的に、これが、時間のずれを生んだ。要するに、サリンばら撒きの時間帯から、ほぼ「トメル」の放映の時間分、外に出る時間がずれたのであった。これが、1つ目の幸運。
次ぎに、黄紺は、藤沢に向かうために、ホテルから徒歩2〜3分のところにある「神谷町」駅に行かず、ホテルから歩いて10分もかかる「虎ノ門」駅に向かったのだ。「新橋」まで出て、JRに乗り換えようとの魂胆だ。このチョイスが、すごい偶然。「神谷町」駅もだめ、ましてや「霞ヶ関」駅は、とんでもないことになっていた。あの辺りで、唯一、何事もなかった駅、それが、「虎ノ門」だった。「虎ノ門」から「新橋」までの一駅の間に、「只今、丸の内線も日比谷線も止まっております」との車内放送が入ったのを覚えている。要するに、黄紺の乗った銀座線は、「銀座」駅で、日比谷線と丸の内線へ乗り換えられることからの車内放送であったが、そのときは、おかしな放送が入ったなぁ、何があったのかとの思いだけは持ちつつ、藤沢に向かったのだ。結局、黄紺が、事件について知るのは、藤沢から、再び都内に戻ってきて初めてキオスクに並ぶ新聞の見出しを見てからのことだったのであった。
黄紺は、事件・事故への遭遇間近体験、生涯の内、ここまで3度である。1回目が、この事件。2回目が、香港での飛行機墜落事故。あの、マルマラ大地震のあったときの帰りでの出来事だ。そして、3回目が、ついこないだ。あの学校での事件だ。黄紺は、無事だから、遭遇ではなく、間近の事件・事故となるが、何が、この間を分けるのでしょうかね? これだけ、ここ10年の間に遭えば、充分と思いません? それまでの人生で、そのような体験皆無なのに、ここ10年が、酷すぎる。それだけ、事件・事故が増えたからかもしれない。けどね、ちょっと多過ぎや、しません?
|