忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。




2005年 3月26日(土)午前 2時42分

 少しずれてしまったことなんだけど、こないだ内、TVで、10周年とかで、随分と取り上げていたこと、黄紺の記憶が消えないようにと、あの日のことを書いておこうと思う。地下鉄サリン事件の日のことだ。
 黄紺は、あの日、営団地下鉄日比谷線「神谷町」駅から徒歩2〜3分のホテルで、朝を迎えた。そして、丁度、あの事件が起ころうとしている時間帯に、そのホテルを出ることにしていた。藤沢まで行くつもりだった。ただ、2つの偶然が、黄紺をして、あの事件に遭遇させなかったのだ。その1つ、黄紺は、出る用意をして、点けっぱなしにしていたTVを消そうとしたとき、NHK−TVで、「トメル」で学ぶ人たちを紹介した。イズミルのトメルだったような気がするのだが、記憶は曖昧だが、とにかく「トメル」紹介の番組が、と言ってもニュースの一部だったと思うのだが、10分程続いたような記憶があるが、出がけの黄紺は、軽いコート系の上着を引っかけたまま、それを見続けた。その前に、J子を訪ねて、イズミルに行ったとき、1時間だけだったが、授業に付き合わされ、「トメル」の授業の雰囲気を知っている黄紺にとっては、当然の行為だったが、結果的に、これが、時間のずれを生んだ。要するに、サリンばら撒きの時間帯から、ほぼ「トメル」の放映の時間分、外に出る時間がずれたのであった。これが、1つ目の幸運。
 次ぎに、黄紺は、藤沢に向かうために、ホテルから徒歩2〜3分のところにある「神谷町」駅に行かず、ホテルから歩いて10分もかかる「虎ノ門」駅に向かったのだ。「新橋」まで出て、JRに乗り換えようとの魂胆だ。このチョイスが、すごい偶然。「神谷町」駅もだめ、ましてや「霞ヶ関」駅は、とんでもないことになっていた。あの辺りで、唯一、何事もなかった駅、それが、「虎ノ門」だった。「虎ノ門」から「新橋」までの一駅の間に、「只今、丸の内線も日比谷線も止まっております」との車内放送が入ったのを覚えている。要するに、黄紺の乗った銀座線は、「銀座」駅で、日比谷線と丸の内線へ乗り換えられることからの車内放送であったが、そのときは、おかしな放送が入ったなぁ、何があったのかとの思いだけは持ちつつ、藤沢に向かったのだ。結局、黄紺が、事件について知るのは、藤沢から、再び都内に戻ってきて初めてキオスクに並ぶ新聞の見出しを見てからのことだったのであった。
 黄紺は、事件・事故への遭遇間近体験、生涯の内、ここまで3度である。1回目が、この事件。2回目が、香港での飛行機墜落事故。あの、マルマラ大地震のあったときの帰りでの出来事だ。そして、3回目が、ついこないだ。あの学校での事件だ。黄紺は、無事だから、遭遇ではなく、間近の事件・事故となるが、何が、この間を分けるのでしょうかね? これだけ、ここ10年の間に遭えば、充分と思いません? それまでの人生で、そのような体験皆無なのに、ここ10年が、酷すぎる。それだけ、事件・事故が増えたからかもしれない。けどね、ちょっと多過ぎや、しません?




2005年 3月18日(金)午前 4時49分

 もう何年になるのだろう? 黄紺が、このHPを開設してから。というのも、年度末の、この超多忙の日々を思い出すと、このことを思い出す。ましてや、当時、黄紺の仕事量は、現在のそれとは比べものにならないほどのものだった。そのときに、家に帰れば、HP制作に勤しんでいたのだった。こういったものは、自分に負荷のようにして、時期設定という縛りをかけて、初めて開設できるものと決めてかかっていたものだから、そんなことをしてたんだと思う。コンテンツそのものは、それまでに、書き留めていたものがあったので、揃いはしていたのだが、それを、どのように思い通りにレイアウトしていくかとなると、全く別物だった。その後、仕事の関係でも、若干なりともHP制作を担当したりして、それまで使ったことのなかった手法も使いはしてるのだが、この「黄紺のお部屋」では、新たに覚えたことは、あまり使わないようにしている。それは、ここを開設したときの素朴と言えば聞こえはいいかもしれないけれど、正確には粗雑なんでしょうね、そのテイストのまんまにしておき、開設した当時の気分を持ち続けたいなぁと思っているのでである。
 当時、ドクトル今松氏のHPのみが、トルコ・サッカーに関するHPだった。ただ、それも、開設以来、更新がなされていないという現実があり、誰かが、それをしなきゃなんて話が、ごく一部トルコ仲間の間で上がっていたことは確かである。あるとき、同じ憂いをもつ某ガラタサライ・サポーターから、そのような計画があると聞かされ、それが、ガラタサライであろうが、ベシクタシュであろうが、日本語のHPとして、トルコ・サッカーをメーンのコンテンツとして出されるものを、諸手を上げて歓迎したものだった。が、である。3ヶ月待っても、4ヶ月待ってもと、結局、半年経っても、開設されなかったので、よっしゃーと、簡単に思ったわけではなかったのだが、ある日、そうや、自分にでもできると思ったことが、この空白を埋める決意を生んだのでした。
 ある日、息子が、HPを作ってると言い出した、これがきっかけであった。息子は、ネット上にある簡易HPを借りて、日記形式のもの、要するに、ここにこのテキストを当てはめれば、また、幾つかネット上に用意されている素材をチョイスすれば、お仕着せの様式でHPを作ってくれるものを活用してHPを作っているというのだった。ただ、そのHPでは、簡単なタグ打ちもできるというので、目に前のPCを使って、デモンストレーションをしてくれた。見せてくれたのは、なんでもない「改行」タグを打ち、それが、実際に「改行」して現れるのを見せてくれたのだった。そのとき、黄紺は、「なんや、これ、これだったら、僕にもできるやん」と、PCおたくでもなんでもない黄紺が思ったのが、このHP開設のきっかけであった。そんなきっかけで始めたHPが、2002W杯のため、ちーとは、世間に知られるようになってしまいました。黄紺は、新たなテクニックを覚えても、あくまでも手打ちというやり方を採っています。それは、この最初のきっかけ、息子が「改行」タグを教えてくれたときの感覚が、頗る心地よかったから、新鮮だったから、理由は、それしかありません。ただ、その頃の体力は、今の黄紺には、もうないと言っていいでしょうから、先細りをしていくかもしれないんだけど、でも、サッカー関係だけは、いつまでも外せないよなぁ、これだけは、肝に銘じているのであります。




2005年 3月12日(土)午前 3時 4分

韓国からBBSに書き込んだものを、こちらにまとめて掲載しておきます。

公州から 1 投稿者:s_lacivert  投稿日: 3月 3日(木)21時17分8秒

 韓国の古都の1つ、公州にいます。21年前に、初めて来てから3度目となります。21年前の姿は、すっかりと影を潜めています。前回、4、5年前に来たときに比べても、様子が変わっています。普通の地方都市化してしまっています。21年前には、白い民族服を来たおじいさんが、これまた黒い帽子をかぶって街を歩いていたのが、この公州でした。昔のバスターミナルの位置が、どこだったか思い出そうとしても、今の街の姿からすると、もう無理だと悟りました。韓国の豊かさを知るとともに、画一化にがっくりきてしまいます。この町、この前に来たときから、食堂が少なめなのが気になります。若い人たちの入り安そうなインテリア、お値段、そういったお店はあるのですが、ごく普通のシクタン(食堂)が少なめです。一方で、高級志向という傾向のある「カルビ」屋さんが多い。うーん、見えてきますね、この先の韓国が。でも、この町だけかもしれませんが、、、。ですから、勝手な推量として読んでください。明日は、晴れてくれることを待ち望んでいます。前回、雨にたたられて実行できなかったことをするために、3度目の来訪なのですから。ただ、山歩きするだけなんですが、、、。

公州から 2 投稿者:s_lacivert  投稿日: 3月 4日(金)20時25分21秒

 昨日に引き続き、公州からです。昨日、公州に入ってから、肝心の百済関連の史跡には、全く行っていませんし、この時間帯になると、もう行けるものではありません。今回の目的は、そういったところにあるのではなく、簡単な山歩きのまねでもしようかというものです。但し、黄紺の格好といえば、普段、街中を歩くものですから、ちょっと真剣さに欠けるかもしれません。コースは、公州から東鶴寺(トガクサ)までバスで行き、そこから甲寺(カプサ)まで山の上り下りをして、また、バスで甲寺から公州へ戻って来るというものです。1番高いところで、770m程度のものですから、というか、韓国には、そんなに高い山はありませんから、これで、十分山登りなのです。でも、普段、酒浸りの運動不足の体には、とっても堪えました。ただ、この程度の高さでも気候が違うからでしょうね、風景は、信州のそれでした。気分は爽快、特に突起物のような岩の先端に上がった気分は、なかなかのものでした。なお、このあたり一帯は、鶏竜山(ケリョンサン)国立公園となっています。
 TVを観ていると、日本も韓国も、雪に見舞われています。江陵(カンヌン)や束草(ソクチョ)という北東部の町は、かなり雪に埋もれています。同じ寒気が、日本海を渡り、日本にも雪をもたらしているのでしょう。先ほど届いた息子のメールを読みますと、東京にも雪が降ったとか、、、、。明日は、西日本にも雪がとか、そんなことを、NHKの衛星で観ました。金2万ウォン也の旅館で、NHKに中国の国際放送、CNNまで観れてしまってます。なんともお得な公州です。

Kunsan kara 投稿者:s_lacivert  投稿日: 3月 5日(土)20時23分8秒

 Kyou wa Nihon-go ga yomezu kakenai PC-ban kara desu. Konju kara Kunsan ni idou shite imasu. Kunsan wa saikin yoku kuru machi de tugou 3dome to nari masu.
 Konkai hajimete wakatta koto ikutsu ka arimasu. "8gatsu no Christmas" no satsuei-basho kakunin deki mashita. Kore wa saikin no "Kanryu" no okage to omotte imasu. Tsugi wa Changhang to iu taigan no machi e iku watasi-bune o mitsuketa to iu koto desu. Kunsan wa Kumugan to iu kawa ni sotte aru minato-machi desu. Osoraku chousekiten ni dekita minato nano deshou. To iu koto wa taigan ni mo machi ga aru hazu desho? Sou twin-city nano desu. Sore ga Changhang desu. 3tsume no hakken wa Nihon kaoku no takusan nokotte iru tokoro e iketa koto desu. Saitei chiku-60nen wa tatte iru koto deshou kara hozon o nado to wa yahari muri deshou. Kazu dake de wa Moppo yori ooi no de wa nai deshou ka. Sinrayku no ato ga kono you ni mo nokotte imasu.
 Nihon mo kanpa ga kite iru you desu ga Kankoku wa hokutou-bu ga taihen mitai desu. Tonghea ya Samchok de wa sekisetsu 70cm nado to iu houdou o mimashita. Saiwai Soul wa 1cm to keta ga chigai mashita node anshin shite imasu ga koko Kunsan demo wazuka no aida deshita ga yuki ga mai mashita. Tottemo samui desu yo. Koko kara kaeru no ni soto e deru no ga kowai kurai no samusa desu.

 (以下は、日本語変換したものです)
 今日は、日本語が読めず、書けないPCバンからです。公州から群山に移動しています。群山は、最近、よく来る町で、都合3度目となります。
 今回初めて分かったこと、幾つかあります。「8月のクリスマス」の撮影場所、確認できました。これは、最近の「韓流」のおかげと思っています。次は、長項という対岸の町へ行く渡し船を見つけたということです。群山は、錦江という川に沿ってある港町です。恐らく、潮汐点にできた港なのでしょう。ということは、対岸にも町があるはずでしょ? そうツイン・シティなのです。それが、長項です。3つ目の発見は、日本家屋のたくさん残っているところへ行けたことです。最低、築60年は経っていることでしょうから、保存をなどとは、やはり無理でしょう。数だけでは、木浦より多いのではないでしょうか? 侵略の跡が、このようにも残っています。
 日本も、寒波が来ているようですが、韓国は、北東部が大変みたいです。東海や三渉では、積雪量70cmなどという報道を観ました。幸いソウルは1cmと、桁が違いましたので安心していますが、ここ群山でも、僅かの間でしたが、雪が舞いました。とっても寒いですよ。ここから帰るのに、外に出るのが恐いくらいの寒さです。

仁川空港から 投稿者:s_lacivert  投稿日: 3月 6日(日)18時18分40秒

 帰り間近の仁川です。群山からソウルまでの移動は、高速バスで、3時間をちょっと切った距離。ソウルでは、出発までの3時間、外したところが、1ヶ所。考えてみたら、今日は、日曜日、学生街はひっそりしているのは、あたり前。めっけものは、中国の朝鮮族が、韓国に来て、集住しているところ。なかなか見つからず、ちょっと苦労したのですが、最後には、ばっちり。「羊肉串焼」などの漢字の看板に、感激。で、お昼ご飯は、水餃子。「ムル・マンドゥ」と言い返されて、納得。でも、出てきたものは、中国のそれ。「狗肉」の看板も上がっていました。分かりやすい、です。でも、そのお店も、日曜日でか、お休みでした。最後に、異国の中の異国のようなものかなと思えるところへ行けて、ちょっとハイの気分です。心配された雪は、ソウル、仁川辺りでは、関係ないみたいです。釜山も凄かったみたいですね。よくぞ、釜山アウトにしなくて正解と思っています。




2005年 2月27日(土)午後 6時 6分

 只今、黄紺は、大阪は心斎橋のネット・カフェで、これを書いている。アップは、家へ帰ってからすることになるので、これからしようとして書くことは、アップした時点で終わっていることを、予め断っておく。今、実は、ちょっと時間つぶしに、ネット・カフェに寄り、本日の「FUTBOL HABELERI」用の記事を用意したうえ、なおかつ、まだ時間があるので、これを書こうとしているわけだ。
 一昨日、職場に、前の職場の同僚から、NHK大阪ホールで行われる能の公演のチケットが余ってるからとお誘いを受けた。最初、金曜日もということだったが、さすが、その日に聞いて、その日に行くということができず、お断りをしたのだが、今日なら、ひょっとしたら自分からチケットを買ったかもしれない公演だったので、ご一緒しましょうということになった。舞台は、人間国宝が3人も集う、言い換えたらおじいちゃん大集合の会だった。でも、おじいちゃんと孫という組み合わせの狂言、動きに、かつての美しさが影を潜めたおじいちゃん国宝のシテ方と、最近、とみにリズム感が気になるおじいちゃん国宝の鼓、でも、隅田川の子方の小学生の姿、謡が締めてくれました。ま、そんなで、能の公演を終わったあと、ご一緒した方と別れ、黄紺1人で、心斎橋にまいったのであります。
 実は、このあと、イスタンブール・コナックで、ほぼ月1で行っている食事会があるのです。この前、ここで、食事会をしたときには、トルコに嫁に行ったトルコ友だちが、旦那さんと、一緒に里帰りをしてきていたなと思うと、時が経つのが、とっても早い。今日は、ガラタサライが負けた翌日、、、ということは、お馴染みK氏と会うのが、楽しみよん。この間、日程的に、ガラタサライの試合が先にあり、また、ガラタサライが勝つものだから、1日だけ、フェネルバフチェをさしおいて、首位に立っていたのも、昨日の敗戦で、それもおじゃん。やったねという感じで、コナック乗り込みましょう。先日、こういったときのお世話役をしているアイシェ・ハヌムから連絡入りました。参加予定者が、次から次へと、風邪でダウンとか。一体、今日は、じゃ、誰が残るのと言いたいくらい、ごく少数での食事会となりそう。黄紺は、昼は昼で、能をご一緒した方と、久しぶりなので、イタリア飯でワインなど、それもシチリア・ワインなど飲んじゃいましたので、勢いついてます。今日も、ラク飲んで、寝てしまったら、食事会の人数少なそうなんで、しらけてしまいそう。ということで、ぼちぼち行って、先に、ラクでも空けておこうかと思い始めておるのであります。




2005年 2月26日(土)午後 5時47分

 週末の夕刻、イスタンブル・コナックでの食事会の連絡をもらっていながら、何を間違ったのか、今日だと思い込み、それに向けての予定を組んでいたところ、お昼過ぎに、それが、とんでもない日にち違いと分かり、なんか、ぼやーっとした時間を過ごしている。家への持ち帰り仕事も、まあ、結果として、時間が出来たこともあり、途中まで仕上げて、そのあとは、手つかずのまましている。これが、いけないことは、重々知っているつもりなんだけど、やっちゃうんですね。時間の見通しというものが、歳とともに狂ってきているので、いざ、肝心のことをし出すと、読みが狂ってることを、手をつけ出してから知るのである。こんなこと、今に始まったわけではないが、同じことを繰り返してしまう、言い換えれば、学習効果が上がらないというのも、老化の特徴だろう。分かっちゃいるけど、だめなんですねぇ、これが。
 ところで、木曜日に、フェネルバフチェが、UEFA杯敗退して、今季の、トルコ・サッカーのヨーロッパでの戦いが終わった。つい数年前までは、ヨーロッパでの戦いが、年を越すか越さないかで、やきもきしていた。そして、年を越すと、インターヴァルを含めるので、自動的に2ヶ月ほど、楽しみが延び、それが大満足を生み出してくれていた。それが、今や、年を越すのが当たり前となり、こうやって年越し初戦でもって、ヨーロッパの戦いが終わると、なんともはや不満足感にとらわれてしまう。それだけ、トルコ・サッカーが登り詰めてきた証拠だと思う反面、その登り詰めた状態が維持されてないことに、不満を感じてしまうのである。確かに、登り詰めるときのスピードは速すぎた。だけど、あのときとは、明らかに違ってる。この1年ほどの代表の戦績、そしてクラブの戦績、気になるのである。
 例えば、フェネルバフチェは、ヨーロッパで勝てない。昨年も、そうだった。ベシクタシュも、今季はそうだったが、補強に、問題あるんじゃないかなぁ。FWばっかり集めて、どうするのか。弱点と言われた左サイドバックは、結局、ウミト・オザトを置くということになった。じゃ、昨季、後半に入って、大躍進を見せた原因として、まず上げられたウミト・オザトをボランチに、ときとしてサイドで起用したこと、どうなったのと思ってしまう。1番良かったところを保持しないで、それを崩してまで戦いに入って、トルコで持って、ヨーロッパでも持つという判断だったのでしょうね。中盤のディフェンス専門は、アウレリオだけで、あとは、オフェンス志向のMFばかり、トゥンジャイ、セルハト、アレックス。トマスを放出したあとは、トマスからレギュラーの取れなかったセルヴェト。そこへ、またしてもアネルカの獲得。また、FW、ありえない、補強。FWを獲得したら獲得したで使わないとで、使う。だからってんで、サラゴサとのアウェーで、トゥンジャイを引っ込めた。替わりがセルチュク。ホームでの試合で、アウレリオの替わりにボランチを務め、不評をかこってしまってたセルチュクの再起用。あまりしたことないことを、急にするとダメの喩えの如く、呆気ない失点。なんか、対処療法そのもので、どうもクラブの方針、分からない。なんか、これって、オルテガ取ったときと同じじゃんと、苦い思い出が思い出される。
 代表も心配です。ディフェンス陣が、気になるのです。ビュレント・コルクマズが、もうダメだと思い出したあたり、1対1で置いてけぼりをくらうような姿を見てから、そのまま、トルコのディフェンダーが、置いてけぼりをくらってしまったような気がしてしまうのです。セルヴェトには、強靱さがあっても、目の前をすり抜ける選手を追いかける動体視力からはじまり、細かなフットワーク、物足りないのです。だと、今、勝てないよ。セルヴェト、トルガが、代表のストッパーを担うんだろうけど、ボランチとの連携含めて、結果は残せてないことは事実。これから、唯一の希望は、コライの使い方、オンデル・トゥラジュやイブラヒム・トラマンという若手を、ぜひ代表のストッパーとして試して欲しい。何かしないと、W杯、しんどいよ。規制の実績主義でいくと、しんどい感じがします。




2005年 2月23日(水)午前 4時 6分

 昨日、わけあって映画「自転車に乗って」を観た。公開されたときには、新聞の紹介欄で読んだことがあった映画である。「映画評」ではなく、「紹介」という形を採っていたような気がする。ドキュメンタリー映画なので、それが妥当なのかもしれない。大阪の生野に住む当時20歳の情緒障害の青年プーミョンを追いかけたものである。名前からして、また、場所が生野ということでお分かりのとおり、在日の青年である。でも、それが、テーマとなったものではない。そのプーミョンは、生野の作業所の、一応「営業」担当をしています。街中の作業所、そこで働く若い指導員、主人公の青年よりかは、遥かに重度の知的障害者、それをとりまく街の人の日常が流れます。その日常を描くことにより、街中で生きる障害者、街に溶け込んだ障害者を描こうとするものです。映画のなかで退屈な時間が流れてるならば、それは、ごく平凡な時間が流れている、そうなんです、街の中に溶け込んでしまってる時間なんだと思えば、この映画の価値が、とても大きなもののように思えてくるのです。情緒障害者ですから、極端なこだわり癖、言い出したら聞かない、同じことの繰り返しなど特異な言動が、随所に出てきます。ですから、映画が進むに連れて、最初はおもろいやつやなぁと思っていてても、徐々に、付き合うのんきついでぇ、しんどいでぇと思わしてくれます。映画のプーミョンは、大日本印刷で使われているフォークリフトに、とっても関心を持っています。運転したくて仕方ありません。また、なんでか知らないけど、街中で立ち寄る喫茶店があります。たこ焼きやさんも立ち寄り場所です。パンクしたと言って、修理をしてくれる自転車屋さんは、障害者用の様々な自転車を、自分で工夫しながら制作なんかをする方です。街を疾走するプーミョンを、暖かく見守る心暖かな人たちです。でも、この人たちは、ずっと時間をともにする人ではありませんし、そんなことを求める人でもありません。プーミョンが働いている作業所だけではなく、子どもの頃通った学童の保育所に、頻繁に顔を出すんだけど、そこの作業所の若い指導員も、素敵です。これから、自分の将来を考えようとする人たちのなかで、彼らの仕事ぶりを見ると、触発されて、私もやってみたいと思うんじゃないかなぁ。そんなこんなで、見終わったあとの感じが、とても爽やかなのです。なんでなんだろうか、自分の中でも、うまくまとまってない何かが、まだまだ残ります。ちょっと、お薦めです。
 黄紺は、もう20年も前に、障害児者と常に接する職場に勤務したことがあるのです。僅か2年だけだったので、偉そうなことは言えないながら、敢えて書いてみると、障害児者って付き合ってみないと分からないこと、いっぱーいということです。付き合ってみて、楽しいこともたくさんあるけど、腹立つこともいっぱいだったのです。なんで、そんな勝手なことするの? ええかげんにせんかい、それ、いじめちゃうんかい、バスの中では、騒ぐな、他のお客さんに迷惑やろがと、そんなことで、腹を立ててたこと、多数なのです。知的障害者だから、言っても分からない、だから言うのは止めておこう、ためらってしまう、そんなの嫌いなのです。だって、人間としてやっちゃいけないこと、あるのじゃないかって思うのです。いじめをしたら、あかん、そんな公理のようなもの、看過するわけにはいかないじゃないですか! ホントに、本気で腹を立ててる自分が見えてくるのです。障害児者に、手をさしのべてる自分じゃなくて、自分そのものが見えてくるのです。これって、付き合ってみないと分からないというなかでの、最大の発見です。上に書いた映画、これ、表現してくれてるんです。エンディングが、正に、それです。もちろん象徴的表現ですが、、、。これから、観るかもしれない方に、敢えてそのシーンは書かないでおきます。映画づいてる黄紺、なんか観てみたいと思う前に、仕事として観なければならないかもしれません。この義務で観るというの、辛いね。




2005年 2月19日(土)午後10時21分

 先ほど、NHKのBSでやってた日韓スーパー・ライヴなる番組を観ていた。ハングルで、「スーパー・ライヴ・イン・ソウル」と出ていたので、韓国では、そう呼ばれていたのだろう。日韓条約締結40周年記念のイヴェントだとの解説的ナレーションが入った。1965年から40年経ったということだ。その記念の年に、こういった日本の大衆文化の紹介ともなる企画が、韓国で行われ、しかも政府肝いりの企画であるというところに、思いっ切り時の流れを感じる。ここ10年ほどの間、多いときで年3回、韓国に赴いていた黄紺にとって、日本の大衆文化が、韓国で受け容れられているのは、当たり前のことだった。例えば、街中を歩いていると、レンタル・ビデオ屋さんではなく、普通の電器屋さんの店先に置いてあるTVに、ビデオ・デッキが繋がれているのだろう、そのTVから流れるのが、日本のアニメであったり、90年代も終わりに近づいた頃から、韓国に急激に増えた、中高生の女の子が喜びそうな小物屋さんに入ってみると、実は、これ、入るの、おじさんにとっては、結構勇気が要るんだけど、今書いたように、なにせ、急激に増えたお店なものだから、好奇心の旺盛な黄紺は、入ってしまうのです。するとですね、一時、ホントに多かったのが、「クレヨンしんちゃん」グッズ。もう、黄紺の頭の中は、「?」マークのオンパレードでした。だから、海賊的に入ってたのは分かってんだけど、だから、知られてることは当たり前だったんだけど、でもね、政府肝いりの「日韓スーパー・ライヴ」などというものが、日本のTV、しかもNHKなんかに流れると、時代は変わったんだなぁと思ってしまうのであります。ましてや、明らかに韓国人の若い子が、「ケミストリー」などという書き物を持って声援を送ってるのを見ると、パニックってしまいます。
 でも、考えたら、韓国人のウエブ・サイトに、Jリーグ・サポーターのものがあるというのも聞きますし、韓国で活躍する日本人女優や、トーク番組に出没する日本人とかの存在も、知っている人は知っている。まあ、考えてみたら、あゆさんが、トルコのTV界、演劇界で活躍されているどころか、スターにインタビュー的な番組に出演されているのも、黄紺は、トルコで観たことがありますから、韓国に、韓国版あゆさんがいても、全然不思議じゃないし、むしろ、韓国TV界に出没する日本人の方が、トルコに出没する日本人よりか、地域限定的価値では、大きいと思うので、いても全然不思議ではない。もう、そういった時代に入ってるとうことを前提にして、日韓関係って、今、成り立ってるって考えないと、取り残されてしまうばかりだと思えば、取り残されてないかもしれないね。
 今度、韓国に行ったら、群山(クンサン)に行ってこようかと思っています。これが、こないだ「地球の歩き方〜韓国編〜」を買った成果でした。ただ、どこと組み合わせるかだけ、頭を使っていますが、なかなか、これが難しくってね。とまあ、最近書くと、韓国ネタになってしまってます。




2005年 2月13日(日)午後 8時36分

 待望の「パッチギ」を観てきて、興奮、未だ醒めやらずの黄紺だ。観賞後のメモのようなものを読んでいると、暴力シーンに、非難が集まる傾向があるということが分かっていたことから、その辺を織り込み済みで観たことも、なかなか大きかったが、それより以上に、日朝の関係、在日の問題を、暴力、なかでも高校生間にあった対立をベースにした暴力を切り口に、切り込んでいったことが、何よりも痛快だし、悲しくもあり、苦しくもある物語を、笑い飛ばそうとしつつ、個々の人物が、現実に起こる諸課題を受け容れつつ、逞しく生きていくところに、えらくリアリティがあったのが、なかなかの興奮状態に追い込まれていった原因と見る。ときとして、横隔膜が引きつるようになったかと思うほど笑ったかと思うと、自分の目に涙が滲んでるのに気が付く。そうかと思うと、また、ちょっとしたくすぐりが、随所に用意されていて、声を出して笑いそうになる。はっと気が付いて、映画を観ながら、自分の目に、どうして涙が滲んでくるのだろうと、そんなことが頭を過ぎったりした。あーいったことが繰り返されて、繰り返されて、今があるのでしょうね。暴力でいがみ合い、差別をする日本人、決して、そんな日本人を許せないと考えたる、特に1世の人たち。それを、また違った目で眺めてる2世たち。まさに、映画に出てくる在日の高校生たちは、1世たちと異なった感性を持っている。客観的にものごとを眺めつつ、新しい感性の中で位置づけようとする若い人たち、オダギリ・ジョー演じる、同志社大卒の酒屋の若主人なんか、ある意味では、全共闘世代の一姿だ。そうかと思うと、一所懸命に、在日の人たちの立場を理解しようという日本人がいる。どうしようもなく、越すに越せない日朝の壁に立ち尽くす日本人、、、、そういった群像を見ていて、なんか、そういった様々の人間の存在があって、今があるという、そして、その今を、今に至るまで、どれほど様々な人が、思い悩み、悲しみ、苦しみ、一方で、生きてる喜びを噛みしめてきたか、知った上で、生きていこうじゃないか、そんなメッセージが、背後で流れているような気がした。
 舞台が京都なだけに、いくつか見覚えのある場所が出てきた。東九条は、やっぱ使ってたのでしょうね。あの川沿いの劣悪な家々は、集住地域の象徴的な姿だったはず。白梅町駅は、60年代の面影を、充分に残しているところとして、当然のチョイスか。最後の喧嘩の場面は、出町柳の合流地点と見た。フォーク・クルセイダースの曲は、「イムジン河」「悲しくてやりきれない」、そして、「あの素晴らしい愛を、もう1度」が、エンディング音楽として使われていた。こういった映画を観に集まってきていた客は、若い人3/4、残りが、中年、いやそれ以上の男女だ。60年代に生きていた者には、聞き流してしまうようなくすぐりも、1つ1つ、今の意味はと引っ掛かるのではと心配するような「歴史的な」出来事に分類できるようなネタなのなかと、ちょっと心配してしまいました。
 とにかく、下品な言葉、ちょっとエロいシーン、それぞれ、それなりの意味を持つものとして、看過できるなどいわず、どうぞ闊歩してくださいと思ってしまう。エンディングは、お約束のという感じがしないわけではないが、でも、涙が出てしまう。そのエンディングに至までのプロセスが、そうさせるのだろう。この手の映画が、エンターテイメントとして楽しめ、且つ、考えさせられる、なんか時代は変わってるという、それを印象づけることのできる作品を提供できる環境も、変わっている。それを読み解き、且つ、リードしていく提供者に脱帽である。




2005年 2月12日(土)午前 8時41分

 3連休の中日の朝である。昨日は、大江能楽堂で、大江定期能という能を観た。旧金剛能楽堂が、危険ということで潰されてから、一般の公演が可能な能楽堂では、関西随一の古さを誇るところとなった。ここでは、一般に公開される能の会は、年間10回を越すか越さないかだろう、行く度に、だから、メンティナンスの大変さに思いを馳せてしまう。ましてや、基礎の補強等、数年前、この貴重な建造物維持のための工事がなされたということである。思わず資金のことまで考えてしまった。ここは、旧金剛能楽堂にはなかった脇正面に2階席まで付いている。だから、余計に、いつまでも残してもらいたいと思ってしまう。ちょっと床の響きが悪く、足拍子を踏むと、床板が響く音がしてしまうということも、1つの特徴とみましょう。旧金剛能楽堂も、床の響きが悪いどころが、踏んだ足を痛めないかと思うほど、堅い音がしていたから、やっぱ、特徴と見た方が、興が増す。それよりか、大鼓の響き、笛の響きが、とても繊細に聴こえるかと思うと、小鼓は、随分と響き渡る。なかなかおもしろいところは、気になるところを、簡単に忘れさせてくれます。とまあ、黄紺は、わりかし能好きなのである。
 帰りに、最近流行の、シネコンに寄った。実は、先日、所用で大阪に出たついでに、帰りに、梅田のシネコンに寄って、噂の「パッチギ」を観ようとした。ところが、あっさり断念。7階にある上映館に行くまでもなく、エレベーター乗り場に「空席情報」が出てる。なんと、「パッチギ満席」と出てたのには、びっくりだった。井筒監督の、TVへの露出度が大きい成果が出てると考えてよいだろう。正直、この手の題材を扱った映画が「満席」、黄紺の頭の中では、「ありえな〜い」が点りました。ネットで見る映画評は、賛否両論あれども、「賛」の方が、かなり勝ってる模様。そんなわけで、昨日は見るつもりはないんだけど、前売りを買っておこうという魂胆で、シネコンに寄ったのであります。でも、こないだうちから、一旦、映画館へ行って、そんな状態になってから、余計に見たくなり、見る気分、満々の黄紺になっています。というのも、知らない内に、鼻歌で、ときには歌詞も入れて、「イムジン河」を口ずさんでいるのですもの。そう言えば、「我が祖国、南の地」が、問題になったんだぁなんて古い話、思い出したりして、「パッチギ」を見る準備態勢、万端の黄紺なのです。
 昨日、帰りに、本屋にも寄ってきた。数冊の本を買ってきたが、その1冊が、「フランス・ロマネスク教会なんとか」という本。これは、冬の復習用。ぱらぱらと立ち読みをしていたら、いきなりオータンの「イヴの誘惑」の大きな写真。思わず、ドキッ! あのイヴと、目が遭うと、あきません。もう、これだけで、その本、買っちゃいました。それに、買ったのは、地球の歩き方「韓国編」。「トルコ編」が出たところなのに、それは買わずに(Ayさん、ごめん)、いや、トルコにはすぐに行けないんで買わなかっただけなんだけど、「韓国編」は、きっちり買いました。ちゅうことは、行こうとしています。BBSに、「ちょっと休みます、4日ほど」と出てましたら、行ってしまったと思っておいて下さい。で、その「韓国編」、韓流ドラマ関係に、結構なスペース割いていました。さすがです。ちょっとした保存版になりそうな、04-05版です。久しぶりに、春川(チュンチョン)に行ってみようかな? そんなことも、ちらっと考えてしまいました。




2005年 1月21日(金)午前 3時27分

 死ぬまでに行っておきたいところ、そんなことを考え出したのは、いつ頃からだったのだろうか? 今となっては定かではないが、振り返ってみて、これは、間違いなく2つの節目と関係があったであろうことを思い浮かべてしまう。その2つの節目というのは、自分の体力、体調、それと深く関係があるというか、そういった観点で、格段に踏み外したと思える時期があるからである。1つは、30台の前半であった。初めての転勤で、それまでとは全く異なった環境で働くようになった黄紺は、これほどまでに自分の体力が落ちているかと思わせられたのである。ホント、体力勝負の仕事だった。朝、出勤と同時にジャージに着替え、また、帰るときに通勤時の服装に戻る。車で通勤している人、家が近くの人などは、ジャージ姿で出勤してきていた。それを予想しての転勤だったし、また、自らが希望して、その希望が生かされた転勤でもあった。でも、自己イメージと、実際の自分は違いすぎた。単純に、「もう若くはない」を意識するどころか、自分の人生を、逆算すらするようになった、そんな体験を持つ。結局、今から考えると、その体力的に無理があるところからくるストレスが原因だったんだろうと思っているのですが、体調をこわし、その職場をしくじったと思っている黄紺なのです。
 2つ目は、91年7月、もう13年半になるが、黄紺は、13時間に及ぶ手術を受けている。医者によると、50万人に1人の確率で起こる病気だそうである。その手術の過程で、脊髄を切開しなければならなかったため、大きな後遺症が残った。ま、それよりか、術後、黄紺には言われてなかったことを、医者は、家族に言っていたそうである。「車椅子で出てくるかもしれません」と。術後24時間続く後遺症より、この言葉が堪えた。再発の可能性もある。以後9年間、検査を受け続かねばならなかったくらいだったから、いつ、再発しても不思議ではないと思われていた。だったら、また、同じ可能性を持ちつつ、手術を受けねばならない。だったら、その前にと考えたのです。車椅子になっても、今のバリアフリーが進みつつある時代なら、なんとか国内は行けるかもしれないが、外はそうじゃないだろう。どこと、ここと、行かねばならないところが、俺にはあるんだと、思いっ切り自覚させられたのでした。
 ところが、凝り性の黄紺は、韓国や、もちろんトルコが気になり出すと、そればっかりにのめり込んでしまう。気が付くと、死ぬまでに行っておかねばと考えていた多くのところ、その欠片も行ってないことに気づき出したというわけなのです。去年の夏、またしても、階段を3段ほど踏み外すほどの衰えを感じてしまった。もう、これを、最後通告のように感じだしている。黄紺は、元々は、キリスト教会史をかじっていたものだから、ヨーロッパ系の人間である。それに加えて、長く生きてきたなかで、こんなことしてみたい、こんなところ行ってみたいとまあ思い出したことが、てんこ盛りなのだ。フュルメールの絵を追いかけたいなんてのは、新しく加わったものだが、だったら、デルフトへ行って、ついでにポルダーを疾走してみたい、これは、最新の興味だ。だから、増殖もしているから、全てが適えられるとは、残念だけど思ってはいないのだが、だけど、残すのは少ないことに越したことがない。そんなことを書きつつ、既に、今年のクリスマスの過ごし方を考え始めている黄紺なのです。




2004年12月13日(月)午後 11時41分

 前に書いたのが、転勤直後のことだから、それから随分と時間の経過があったものだが、もうこのくらいの歳になると、いいのか悪いのか分からないが、時間の経過というものを、数字で確認するほど経過しているとは思えないものである。もう年の暮れなんだから、ついこないだ、ドイツのトルコ人を訪ねるとか言って、久しぶりにドイツに行って来たところという感じがしているのに、とまあそんな感じである。黄紺は、この2.3日体調を崩し、ひたすら睡眠に明け暮れていたが、とにかく体力の衰え、急ピッチである。夏のときも、そうだった。ドイツのトルコ人の様子を見に行くんだぁと設定した手前、毎日、トルコ料理を食べていた、ドイツで。しかも、毎日のようにビールを呑んでである。黄紺は、旅行中は、アルコール類は御法度にしていたのを、忘れてしまったかのように呑んでいた。但し、量は呑めないので、日々口にしていたという程度なのだが、それにしても、今までにはあまりないことだった。そして、変調も起こらなかったのである。ところが、どうだ。トルコに入って、それと同様の生活を送ると、見事なダウンを味わってしまったのだ。同じように、トルコ料理を食し(当たり前だ、ここは、トルコなんだから!)、ビールを呑みという生活をしていたら、1週間持たなかった。今から思うと、久しぶりのドイツで、ちょっと張り切りすぎたのかもしれない。要するに、疲労が溜まった頃にトルコ入りした、そんなところだろうとは思っている。でも、これで、黄紺は、毎年、1段ずつ降りていた体力の衰えというものを、3段くらい踏み落とした感じになってしまったのだ。これは、極めて重要な経験である。
 黄紺には、死ぬまでに行っておきたいところが、わんさかある。それを、この3段踏み外しで思いだした。トルコにどっぷり浸かりたい、冬は、冬に行くところがあり〜の、オペラやバレエを鑑賞し〜ので、冬の楽しみを持っている黄紺だが、それだけに留まっていると、その死ぬまでに行きたいところへ行けないと、また、せっかちにも考え出してしまったのだ。黄紺は、そんなことを考えながら、この秋、突如として「オランダおたく」になってしまった時期がある。時期があるというのは、最近は、ちーとは落ち着いた感じがあるので、せっかちに、どこで、何をしてとか焦っても始まらないと思っているが、こんな風に、行ってみたいところが、今も尚、増殖中である。そんなこんなで、若かりし頃よりか、こうやって溜めに溜めたものがある。そこへ行っておかないと、気が付くと体がついてかないなんてことになるのではという、そういう強迫観念のようなものに捕らわれだしてしまったのだ。老いを感じるということは、黄紺の場合は、この時間のなさを感じるときに、最も強烈なインパクトを持って迫ってくる。この時間との勝負、自分の時間の限界は、自分には分からない上で、時間と勝負している感覚、ここに1番の老いを感じてしまっている。行きたいところをリストアップしてないところに、我ながら多少なりともの余裕を見ているが、それがそうではなくなる日は、そう遠くはないだろう。それは、自分の記憶力との競争でもあるよな気がしているからである。
 さて、黄紺は、まず第一に、どこをリストアップしたのであろうか。それは、黄紺が、学生時代、志半ばで閉じてしまった場所であったのだ。今、追いかけて、どうなるものではないが、追いかけると言えば、昔の自分を追いかけるに過ぎないかもしれないが、行って、どう思うかが大切なのではなく、行ってみたいという自分を納得させること、それが大切なものと考えている。また、何らかの形でレポートできるかもしれないなとは思っておりまする。




2004年 4月14日(水)午前 1時54分

 いつも久しぶりになっている、こちらへの書き込み。今回は、転勤報告である。黄紺は、大阪の枚方というところで、9年間働いていたが、今回、寝屋川へと配置転換となってしまった。と言っても、不慣れな土地ではなく、かつては、この寝屋川で、今とは違うところ2ヶ所に、12年間勤務したことがあるから、逆に勝手知ったる土地である。いや、そういう場所であるからして、気が重いのである。京都から通ってる身の黄紺にとっては、枚方と寝屋川では、大違いである。かつて、寝屋川まで勤務していた頃、いつかは枚方へ、いや最後でいいから枚方へ、一旦枚方まで辿り着くと、決してここからは離れないぞ、そんなことを考えていたのが、全て水泡に帰してしまった。はっきり言って、年齢がかさむに連れて、体力勝負になってくる。それが、年々歳々分かってくれば、もう後戻りは効かない。右も左も分からない土地に行くならともかくも、分かってるだけに新鮮味に欠けるはで、おもしろくないのである。それに、考えてみても始まらないことであるけれども、なんで、転勤先がここなのという、その理由ってやつに、誰も答えてくれない。通勤距離が近くなれば、おーなかなか、考えてくれるじゃないかってことになるんだけれど、その逆の場合、嫌がらせ?じゃなければ、どうしても、なんで?と考えてしまう。なんでと考えてしまう場合、古いところには要らないという要素と、新しいところに必要という要素があるはずである。それらがなければ、適当な駒動かしでしか過ぎない。いや、駒を動かすことのアナウンス効果もあるぞ、そんなうがった見方も、人によってはあるなと思ってしまう。黄紺の今回の場合は、どうなんでしょうかねぇ? 駒としての自覚のある黄紺は、ここまで考えて止めてしまう。どうせ答は、知らせてもらえないからと、簡単に諦めてしまう、とっても都合の良い人間なのです。
 新しいところへ行くと、再会ということが起こる。どこかで、ご一緒しましたなというほど、黄紺はぼけてないが、なんと25年ぶりの再会を果たした方がおられた。四半世紀ぶりの再会と言えば、恐ろしい話である。22年ぶりの再会もあった。この人は、うちの息子の名前まで覚えていた。そう言えば、この方に、子どもさんが生まれたとき、お宅までお祝い届けたっけと、思い出話が尽きない。なんか、22年前が、昨日であったかのように喋れる不思議さよで、思わず話し込んでしまいました。こういった再会もあれば、当然、前の職場の方との別れがあった。あっさりしたものである。昨日まで、冗談言い合って働いていた人たちと、何らの意志を持って会うしか、もうそういった時間を持てないというわけだ。「お世話になりました」の言葉で、そこに至るまでの全ての時間がリセットされてしまう。4月1日に、今年は、桜が満開だった。ましてや、その後の花冷えで、桜は、葉が出かけるまで残った。新しい職場に、今を盛りと咲き誇る桜を見るたびに、この行き交う人のなかに紛れ込んだ自分を思い出すのかと、今まで以上に、今回の転勤に思い入れをしてしまった。黄紺にとっては、年齢からして、これが、恐らく最後の転勤のはずだからである。







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