2006年 12月 23日(土)午前 8時 1分
今夜から、トルコに出かけます。その前に、この1週間を振り返ろうとしています。さすが、2週間ほど、トルコに出かけるためには、忙しい週でした。帰ってきてすぐに、仕事と考えると、このまま、仕事をしていたい気分と、わけのわからないことまで、考える始末。お出かけ前の鬱の特徴です。
日曜日は、落語会と映画のはしごを、大阪でした。実は、この日、金剛定期能が、なかなかいい番組だったのだが、トリイ・ホールで、「たまよねファイナル」があったものだから、「ファイナル」と銘打たれると行かないわけにはいかなかったのだ。それだけ、このコンビが、この2年間、落語という表現手段を、あれこれと触ったということだ。開口一番に呂竹が出て、「江戸荒物」。喬太郎が出るからでもないが、そんなから始まり、終了まで3時間の長丁場となった。たまは、「悋気の独楽」「愛宕山」と古典を並べて、中入り。膝替わりにゲストを置き、これが、喬太郎。「できちゃった」で、南湖が言ってたけど、あの始まり方の強烈さはないでしょう。そして、イデオロギーのようなものを感じさせる、ストーリー展開。落語の枠を外から見る突っ込み、確かに、噂の噺家さんだ。そのあとが、たまの「新作ショート落語」で、更に、そのあとが、新作「蔦屋」と仮に名付けておこう。本来なら、ここで、お開きなんだろうけど、ファイナルということで、ショート落語傑作集が付いた。これで、3時間だったんだけど、最大の原因は、「悋気の独楽」のマクラで、30分に渡る、たまのぼやきがあったのだ。この日の古典の二作は、ともに、遊びの部分を省くという手法を取っていたけれど、今回は、乗れなかった。場の広さとか、気温とか、そんな場の設定に欠くことのできない要素を削っちゃったのだ。そんなで、乗れなかったのだが、試みとして聴くと、ありうる削り方とは思うが、削られたあとが、ちょっと無惨だったということだ。いずれにせよ、この会の評価が高まってきたところでの終了、これも、にくい。マンネリの防止ということだが、今後は、「たまよね祭」と称して、年に1回は、会を持つようだ。
夜は、動物園前に回って、韓国の怪物映画「王の男」を観た。京都で観るつもりだったんだが、出がけにネットで調べると、こちらでの上映を発見。難波から近いこともあり、簡単に変更した。なぜ受けたのかが、関心事なんだけど、イ・ジュンギの美しさに尽きると、黄紺は思った。韓国映画らしく、格好を付けたり、映画らしい表現の仕方を、敢えて用いたり、そういったところが目立つということは、韓国で受ける要素を持っているということだが、ストーリー展開が、特段、おもしろいとは思わなかった。映像の美しさ、古い韓国の様子を見るだけでも、値打ち物。黄紺は、こんなで、むしろいいところ探しに懸命になっていた。
月曜日は、ワッハの4階で、「紅雀と阿か枝の会」へ。常連さんが、客の半分を占めるというすっごい会。二人が、二席ずつ出したのだが、演題を見ると、阿か枝の出すものが、とにかく意欲的。「竹の水仙」と「猫の忠信」というもの。この人、ますます師匠文枝の語り口に似てきてる一方、徐々に、ねばった、絞り出す口調が気にならなくなってきている。それほど、語り口に落ち着きと安定感が出てきた証拠だと思っている。人物の描き分けの難しい「猫の忠信」も、しっくり、じっくりと聴かせてくれ、ますます楽しみになってきた。一方の紅雀だが、ネタは、「池田の猪買い」と「打飼盗人」と、ちょっと寂しくなってしまう、阿か枝に比べると。紅雀は、どうやら枝雀路線を歩むのがコンセプトだと、最近、分かってきたのだが、元来の語り口は、そうじゃなかったようだと考えてるので、いつもにぎやか口調には、抵抗を感じつつ聴いている。そんななか、「池田の猪買い」が良かった。ツボにはまったというか、その路線を、我が身に引き寄せたという感じで、このネタでは、現在ではベストじゃないかと思うのだが、池田に着いてからの、人気のなさとか、寒さとか、そんなの頑張って出るようにして欲しいな。なお、前座は、二乗の「阿弥陀池」。米二のちょっと元気のない「阿弥陀池」そのままの雰囲気だったのが、おかしくって。もっと弾ければ、いいのに、ね。
火曜日は、新装なった太融寺に行った。枝雀一門の若手4人が、「一軍」の南光をゲストに行った会だったのだ。「雀の学校」と名付けた会で、今後も、太融寺で続けるということだ。「一軍」というのは、紅雀を除く枝雀の直弟子のことを言っているのだ。なお、この日の三味線は、かつら枝代さんということで、枝雀一色。まず、開口一番は、まん我で「十徳」。さすが、安心して聴けるが、この人の粘りけのある語り口が、なじめなくって、、、。次の紅雀は、二日連続。「兵庫船」だったが、ここで、この日はダウン、ダウン状態は、雀喜の「崇徳院」まで続き、中入り。2人目、3人目が、どうもいけません。膝替わりが、ゲストの南光で、短くのつもりが、下りてみると30分。同門が集ういい雰囲気のなかで、米朝の最近の舞台ネタで快調に飛ばし、ネタへ、それが、最近では、希少性抜群の「義眼」。これで、私のお目々も、覚醒。トリは、こごろうで「愛宕山」。この人のこのネタ、聴きたかったのです。ちょっと期待をかけすぎたきらいがあるのが、まずかったかな。どうも、がちゃがちゃしすぎててというのは、こごろうの特徴であるのだけど、どうも、このネタに関しては、うまく機能してなかったみたい。旦さんのクールさとか、品格とか、そんなのが欲しいだなぁ。また、間を開けて聴いてみることにしましょう。
水曜日は、茶臼山舞台での、「できちゃった」の公演。「できちゃった」の方は、自分的には初めて。「できちゃった」でも、旧作もしているということを知りました。ここの、アットホームさが、気に入ってしまって、通ってきたが、1月末をもって閉鎖とか。あとは、どうなるのでしょうか? たまがトップバッターで、「Smell」。繁昌亭での「たまよね」で出たネタ。なんか、スリム化して、毒が減った感じで、呆気なかったな、この日は。三金は、「高校野球」ネタの旧作の再演。このあとが、遊方で、新作を出すつもりで用意をしてきたプロットの紹介をして、ごめんなさいと言ったあと、自分の半生を紹介する漫談へ。意外な、大師匠可朝との関係を紹介してくれたのが、新鮮でした。ここで、中入り。三風が、中入り明けで、「九官鳥」ネタ。九官鳥が、口真似をするだけの展開には、まだまだ、これからの感。南湖も、できなかった組。だけど、「落語界の人たち=ゲイ」談は、これこそ、ネタになると思ったのですが、、、。この人の、着想、おもしろいです。トリのあやめも旧作で、珍しく、依頼を受けて創ったものとか。「団塊の世代」を扱ったもので、これは、残して欲しいなぁ。2007年問題があるので、稼げると思うので、残せるチャンスやと思うのですが。最後は、出演者が、取材用に、着物のままで、舞台に勢揃い。落語会の紹介やらしてくれました。オールナイトも行きたいんだけど、トルコからは、無理やね。
木曜日は、仕事人になりました。この1週間、1日だけ、遅くまで働きました。おかげで、1月末にある大きな仕事のメドをつけられました。
金曜日、即ち、昨日ですが、これが、今年最後の落語会。出がけに、2人の人に捉まり、際どかったです。でも、2人の内1人は、「今度、親戚の者が、トルコに行くんですが、いいところ、教えてください」というもの、これ、仕事、ちゃう。でも、これは、痛いところをつかれて、頑張って話しちゃったのです。こんなですから、開演には間に合ったのだけど、晩ご飯は、ワッハの座席で、呂竹の落語を聴きながら食べました。この日は、「島之内寄席」だったのです。その呂竹は、「色事根問」。昔は、開口一番には、「根問」ものが多かったのに、最近、減りましたねぇ。そんなことを考えながら聴いていました。二番目に出てきた三若が、今までとは、ちょっと違った趣き。早口で、内容が、年寄りの多い客席に合わないかなとも思ったんだけど、いえいえ、とても受けてましたよ。ネタに入ると、更に、ヒートアップ。「一人静」という大阪人の自虐ネタ、これは、おもしろい。三番手の米平は、大ネタ「はてなの茶碗」。この日は、ここでダウン。やっぱ、三番手は、やばい。中トリの予定だった春之輔の楽屋入りが遅れるということで、トリの福郎が出て「抜け雀」。大ネタが続いた。この人、随分と、語り口が爽やかになっていた。もっと聴く機会があってもいい噺家さんだ。膝替わりが、枝光だが、まだ、この時点で、春之輔は入ってなかった模様。だから、枝光は、北海道ネタでつなぐが、これが、とってもおもしろく、新鮮。ネタは、ちょっと人に合わない「相撲場風景」。しかも、おにぎりのところで切り上げてしまいました。気の毒な調整役。で、ようやく、春之輔登場。自分的には、今年最後の落語。何をしてくれるんだろうかと思っていると、「今日は、私の好きな噺をやります」、、、(^o^)、、、「ちょっと、この季節は終わってしまいましたがな」で、やったぁ〜でした。「まめだ」だったのです。ちょっといい噺で、今年が終わりました。
まだ、トルコでの行程を考えていません。そんな時間がありませんでした。せっかく行くのに、もったいない話です。飛行機の中で考えることにします。第一、これから荷造りです。めっちゃ、せわしない。大丈夫かしらん?
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