忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2007年 3月 3日(土)午前 10時 35分

 時間がないので、振り返りだけ書いておく。
 日曜日に、前から計画をしていたことを実行に移した。別に、この日だけではなく、これからも、こういった時間があれば、何度もやってみたいことなのだが、ワッハの展示室市長ルームにある音源・映像に触れるということだ。しかも、週末だと、内部の小演芸場で、ミニ演芸会が行われているので、一石二鳥となるわけだ。この日は、福矢が「子ほめ」、文鹿が「はてなの茶碗」を出してくれた。まさか、「はてなの茶碗」のようなネタが出るとは思ってなかったので、めっちゃお得感満載です。文鹿も、上手だったしね。それが終わってから、お時間に合わせて、音源ばかり聴いた。そのラインナップは、6代目松鶴「誉田屋」(1970.3.31 朝日放送)、2代目春団治「明礬丁稚」(不明 日本クラウン)、初代森乃福郎「長持」(1988.7.6 NHK)、3代目染丸「源兵衛玉」(日本ビクター)だ。最後の「源兵衛玉」は、時間の関係で、途中切り上げだった。6代目の若々しい声に、ちょっとした感動で、こんな普通に、口が回ってたんだと、ちょっとジ−ンときてました。ただ、サゲ近くで、落としどころを探ってる感じがあって、6代目らしいと思うと、また、ジーンときてました。2代目春団治ものは、朝日放送が数多く音源を持っているはずだが、これは、そうじゃなさそう。ただ、ノイズがすごくて、聴いてられない状態です。「長持」は、初物中の初物。福郎らしい珍品だが、珍品であるわけがはっきり判りました、おもろない、これに尽きます。よくある話ですが、、、。
 お時間に合わせて出たというのは、この夜の繁昌亭の口演に間に合うようにという意味だ。この日は、「天神寄席」。トリに、「鳥屋坊主」が出るのと、メンバーがいいというのが、この日、繁昌亭へ行った理由。たま「刻うどん」、あやめ「コンパ大作戦」、松喬「寄合酒」、(中入り)、対談「あやめ&里見英子(白山病院副院長)」、団六「鳥屋坊主」が、この日の番組。たまの口演、これは、またしても、やられたの感じ。声の大小の使い分け、徹底したオーバーアクション、ツボが、とてもはまってる。あやめは、得意ネタで、ベリーグッド。それにも増して、この日の秀逸は、松喬。この軽い、聴き慣れたネタで、ここまで湧かせるかと思う絶妙の口演。特に、どもりの男を登場させる型なのか、型でないのか、それも判らないけど、そして、危なげな口演であるにも拘わらず、いいもの聴いたというものが残った。惜しかったのは、最後の団六、この人、こんなだったかなぁと、聴く度に思ってしまう。もっと、覇気を持ってやってほしいな。
 月曜日は、普通の繁昌亭の夜席だ。文太が、昼間、初めてのトリを務めたその日の夜席だ。大ネタを打ってくれるんじゃないかという期待が膨らんでの会となっていた、自分的に。番組は、佐ん吉「狸賽」、銀瓶「宿題」、坊枝「阿弥陀池」、小米朝「くっしゃみ講釈」、(中入り)、米左「ふぐ鍋」、文太「小倉船」だった。やはり、文太は、やってくれました。この賑やかで、変化に富んだ、いかにも上方落語というネタを出してくれました。ましてや、浦島の登場場面で、舞踊を入れるなど、独自の工夫まで入れてである。これだけで、この会に行った値打ちがあった。次に、めっけものは、「宿題」。まさか、古典一筋だった銀瓶が、三枝作品を手がけてるとは、、、。また、出来がいい。坊枝は、ちょっとテンポ落とし目なんだけど、よく受けていた。若旦那のくっしゃみの声と、それ以外の声が違うのがおかしく、米左は、ちょっとしつこめだった。文太は、最後に、金属たわしを投げ入れるというサービスをしていました。ちょっと遅すぎた文太、初トリの日でした。
 翌火曜日は、なんでやねんという「三枝・松枝 二人会」。同門でもなく、同期でもなく、所属先も違う二人の会、繁昌亭ならではのものだ。松五「つる」、松枝「袈裟御前」、三枝「良心」、(中入り)、三若「?」、松枝「三枚起請」、三枝「くもんもん式学習塾」、これが、この日の番組。前半が、競演という感じで、後半が共演という感じかな。松枝の「袈裟御前」は、自分自身で作り上げたというオリジナリティ溢れる古典作品だということからでしょう、この競演イメージ。しかも、客席参加型という三風ばりのことを、両者でやってくれた。「良心」は、客席に問うて、異なった結末が用意されてるのだろうか、気がかりのままなんだけど、、、、。後半は、全く異なった二人のキャラが出たから、おもしろい。ただ、「三枚起請」は、なんか、パターンが同じで、物足りなさがあった。三枝のこのネタ、有名なわりには、初物。この人の着想は、やっぱ、すごいわぁ。学習塾とやくざ、ありえない組合せを、組み合わさるところを洗い出し、それを飾りあげる力は、すごすぎます。
 水曜日も、繁昌亭で、無事5日連続繁昌亭を達成。この日は、「ドミニカへ行くの会」。国境なき芸能団の公演だ。代表が、鶴笑だから、パペット落語を観れるという楽しみのうえ、ドミニカに同行する姉キンが出るということで、これは、楽しみな会だった。まず、幕が上がると、テムズ河畔で、風邪に向かって歩く男の静止パフォーマンスをしている姿を見せ、この会の趣旨を説明。それから、会がスタート。番組は、呂竹「寄合酒」、染雀「金明竹」、あやめ「義理義理コミュニケーション」、(中入り)、鶴笑「紙切り+西遊記」、姉様キングスだった。鶴笑のパペット落語は、10数年前に観たときと、基本的には同じだったが、だけど、アイデア満載で、めっちゃ楽しい。姉キンは、なんかグレードアップした感じ。あやめも短い三味線を持って現れ、実際に弾いていた。バラライカ版は、どうなってんでしょう? このあと、2日も、完売という情報が流れています。3日が完売をして初めて、飛行機代が出るということでした。帰国後には報告会もあるということなんで、それも、楽しみにしておこうと思ってます。
 翌木曜日は、福笑の会のチケットを買えなかったので、替わりに、映画「ルワンダの涙」を、テアトル梅田に行った。ルワンダものは、2つ目だ。あまり、虐殺ものは観たくないと思っていたのだが、去年、「ホテル・ルワンダ」を、招待券で観たのが大きかった。アメリカ映画なんだけど、静かに、大仰ではない描き方に、そそられてしまった。今回も、それを着たいしてたんでしょうね、自分的に。だけど、このイギリス(制作的にはドイツと合作)映画は、その部分では裏切られました。「ホテル」は、こうじゃなかったんだけどなぁと、何度も思いました。だけど、この映画、あんな終わり方をさせる映画だとは思ってませんでした。それが、怖くて、ドキドキしてしまいました。エンディングが、いいリハビリ時間だったんだけど、落ち着いて考えると、やっぱ、ヨーロッパ人によるアフリカ映画だったといわざるを得ません、残念ながら。
 翌金曜日は、仕事でダメかと思っていたのだが、幸い、アフター5の時間が取れ、「TORII講談席〜2007年講談 風・林・火・山〜」に行けた。南青「武田信玄の初陣」、南湖「上杉謙信の塩送り」、南海「山本勘助」、(中入り)、フリートーク「大河ドラマてどうやねん」、南海「川中島大合戦」が、この日の番組。今年の大河が「風林火山」だということで、今年の「TORII講談席」は、これに便乗しようということらしい。3人とも、達者ですね。南海さんも、ちょっと間が空いてましたが、グレード・アップしてますねぇ。皆さん、すごいわぁ。講談を聴くことって、日本史音痴の黄紺には、ちょうどいい豆知識を得られる機会やと思っています。また、こういった機会を生かしたいです。南湖の会は、狙ってはいるのですが、それ以外の講釈師さんの会も、追っかけてみようかな。昨日は、幸い、南海さんの手ぬぐいをもらえました。
 そんなで、週末になりました。これから、また、お出かけです。この土日は、気楽な週末なんで、お出かけ予定で詰まってます。  




2007年 2月 25日(日)午前 9時 31分

 昨日の土曜日が休めたということは、久しぶりの連休ということでもあるのだ。ちょこっとは、持ち帰り仕事をしたものの、わりかし気楽な連休なものだから、遊ぶことばかり考えています。何をして、楽しもうかと、そないなことを考えてると、家の仕事が入ってきたりして、時間が食い破られていきます。昨日も、昼間の2時間ほどは、息子と、その家の仕事をやってました。でも、たまにはと思うのだけど、気楽な土曜日だからこそ、家の仕事もできる。それすらできてこなかった過密日程。思い出すにおぞましい。そないな昼間を終えて、午後以後は、黄紺だけの時間とすることができたので、まず、映画を観に行った。場所は、大阪は九条のシネヌーヴォ。「Oi(オイ)ビシクレッタ」というブラジル映画だ。仕事を求めて3200km、ブラジル北東部からリオを目指してというロードムービーだ。内容はともあれ、これだったら、カーチンガーを、ふんだんに観れるだろうという期待で行ってみた。この日が初日ということで、ブラジルの炭酸飲料とメモ帳サービスを受ける。シネヌーヴォで、こないなことをやってんだと感心、だけど、映画は、内容的にはくだらんかった。細かなエピソード集で、主に長男のアントニオにまつわるエピソード集ばかりで、最後は、その長男に独り立ちを促し、残った家族でリオに着くんだけど、着いて、何かエピソードが用意されてるのかと思ったら、そうでもない。ただ、走っただけや、リオまで自転車で行こうと行った夫であり、父親である男は、これを、どう始末つけるのか、なんもなしで終わってしまう。あちゃ〜、見事な外れ。でも、カーチンガーの風景観れたのは、大満足。ブラジルの地方の風景も観れたしね。ま、初期の目標は達成なんだけど、なんで、この映画が、日本で公開されたんだろうか、それが、分からない。
 映画が終わって、地下鉄で、堺筋本町乗り換えで、南森町へ。繁昌亭の夜席に向かった。食事をしたあと、この日は、指定席だったので、若干、天神橋筋商店街を散策。韓国料理屋1軒と、同じく韓国食材店1軒を発見。今度は、時間を作って、覗いてみなければなるまい。で、繁昌亭の夜席だが、この日は、「桂珍念独演会〜入門20周年記念〜」だった。桂文華とともに、地道に、ネタ下ろしの会を続けてる噺家さんだということで、この記念の会に顔を出したが、チケットを買ってから、この日が、「雀三郎つるっぱし亭」とバッティングしてることが判明で、後の祭りとなってしまった因縁の会。番組は、雀喜「初天神」、珍念「代脈」、宮川花子「脳出血」、珍念「紙入れ」、(中入り)、珍念「親子茶屋」だった。雀喜が前座というのがおかしいと思ったら、雀喜曰く、この日のお囃子の三ノ助、笛の染左は、皆、珍念の作ってる野球チームのメンバーとか。ついでに、「受付には、ヨメさんと娘が座ってます、お茶子は、師匠文珍のお嬢さんと、全部、身内で固めてます」と、開口一番、珍念の言葉。そうそう、ゲストの宮川花子も、ホントは、大助花子で漫才の予定だったんだけど、大助が脳出血で倒れたため、ピンでの出演となったが、その大助の姪だか、従姉妹だかが、珍念の奥さんだということで、こちらも身内の芸人さんと、見事に固めてしまってました。珍念の落語で一貫しているのは、はっきりとしたボケ役を作ってしまうこと、「代脈」なら、代脈に行く男、「紙入れ」なら間男をした男、「親子茶屋」だと、道楽息子という具合だ。だから、重厚な噺も、シリアスな噺も、一定、滑稽噺に転化してしまうという良さというか、まずさというか、これは、両義的要素と言えばいいかもしれないけど、それが持ち味だ。珍念の場合、演じ方の軸がはっきりしてるので、当たるかどうかは、ネタによるということが、一つのポイント、も一つは、その日の客によるということが、二つ目のポイントとなる。そういった意味では、二つ目のポイントは、簡単にクリア。だって、昨日は、とにかく、縁の方々を客に迎えてるんだから。ただ、この人たちの多くは、落語体験の少ない人が多かったんじゃないかなぁ。でも、学習能力はしっかりとあり、珍念の軸は変わらないから、同じノリで、珍念の口演を聴くことができたため、どんどんと客席が弾けていきました。「代脈」のノリと、「紙入れ」のノリは、全然、違うと思うのだけど、それが、「独演会」という縛りで、同じ演者が口演すると、ノリが倍加するからおもしろかった。「親子茶屋」も、親子が鉢合わせするだろうことが読めたときの、客席の新鮮な笑い、それが、この日の客席を示していました。
 それにつけても、花子のパワーは、凄まじい。膝隠しを出して、その前に座って喋るという落語スタイルでの、一人喋り。客席の笑いより先に、もう、次のギャグが飛び出してくるのだから、もう、唖然としました。いや、その唖然としてる内に、もう次のギャグが放たれています。一世風靡した芸人さんのど迫力、凄さ、これは、すごすぎます、グレードが違います。帰りには、出口のところで、なぜか、あんパンサービス。私は、その花子から、直接、あんぱんをいただくことができました。ちょっと小さめだったので、帰りの電車のなかでいただきましたが、あんこが、とってもおいしかった、です。とまあ、この日は、映画でも、落語会でも、物をもらえたいい日でした。




2007年 2月 24日(土)午前 8時 56分

 7週間ぶりに、土曜日が休みだ。土曜日の定番、「旅サラダ」を観て、「朝パラ」を観てということができる、普通の土曜日が、黄紺に返ってまいりました。この1週間を振り返っておきましょう。
 日曜日は、持ち帰り仕事もなく、丸一日、落語三昧に当てた。わりかしいい落語会があったと言われてる日だったが、黄紺は、地味系の会を2つ選んでみた。昼間は、玉造のカタリーナホールと言えば、どんなこじんまりとした、しかし小ぎいれいなところかと思って行ったら、なんてことはない、ちょっとした座敷、そこで行われた「らくごのたまりば」という会、この日の主宰者は、桂三弥。この人も地味。また、この座敷の構造が気の毒で、演者は、客席を通って高座へと行かねばならない。ますます地味系。で、番組だが、呂竹「米揚げいかき」、三弥「けんか長屋(?)」、染太「手水廻し」、三弥「隣の桜」だった。この日は、疲れが残ってたのか、体調が悪く、三弥の一つ目は、ネタ自体、はっきりと分かってない始末なのだ。呂竹は丹精、染太は漫画派、彼の出る高座は、いつも安っぽく見えてしまう。爆笑派を狙うなら、言葉のおかしさを編み出さないとね。三弥は、他の会で「隣の桜」を出していたので、ここでも出すのかと思って、この日、出かけて行ったわけだが、お囃子は録音だったもので、今日はないだろうと思ってたら、なんと、録音のお囃子で、「隣の桜」をやってしまった。これは、無理でしょう。フェードアウトしたり、フェードインしながら、クライマックスに持ち込まねばならないネタを、こんな軽々しくやっちゃ、ダメっす。そんな感じで、ちょっとちびりすぎの会でした。夜は、雀のおやどで、「じゃくったれ〜VOL.9〜」という桂雀太の会に行ってみた。先に、こちらがありきで、玉造の会をつなげたのが、この日のスケジュールだ。いつもながらの席亭夫人の手厚いもてなしに感謝。番組は、さん都「強情灸」、雀太「池田の猪買い」、よね吉「時うどん」、雀太「百人坊主」のはずでした。ここへ来た人は、ネタ的には、「百人坊主」がお目当てだったでしょうね、ところが、それが没になりました。原因は、「池田の猪買い」のマクラで、雀太が、35分間も、四国から自宅までのヒッチハイク物語をしてしまい、その話が、そんなに盛り上がらず、そのため、笑いの多いネタの方が良かろうと、「替わり目」に変えてしまったのです。よね吉がぼやくこと。なんか、空気は、一向に盛り上がらず、ここでもちびった会となってしまいました。
 翌月曜日は、繁昌亭で、「ざこば一門会」へ、お出かけでした。今後、2ヶ月に1度、繁昌亭で、一門会を開いていくと、ざこば本人が申しておりました。この会の面白かったのは、幕が上がると、一門総勢9人が、横一列に並んであいさつがあったこと。自己PRのあと、突然、ざこばが、今日の出番は、じゃいけんで決めようと言い出した。騒然とする場内。その中で、勝ったのが都丸で、なんと前座を取った。2番手になったのは、そうばで、分を心得、2番目をチョイス。次に勝ったのが、ちょうば。周りから「行け、行け」の声で、トリに名乗りを上げる。次に勝ったのが、ざこばで、「トリのちょうばの前で、ぐちゃぐちゃにしたる」と、膝替りを選び、結果的に残った出丸が中トリとなった。結果的に出来上がった番組は、都丸「宿屋町」、そうば「子ほめ」、出丸「不動坊」、(中入り)、ざこば「首提灯」、ちょうば「二人癖」となった。ところが、この日も、絶不調。そうばの前半途中から、「不動坊」の屋根の下まで、ほとんど覚えていません。ぐったりでした。この不調さかげんをなんとかしないといけませんね。そして、この日の、逸品は、やはり、ざこば。「首提灯」を、最後までやってくれました。前半のナンセンスな「上燗屋」から一転する後半の怪異譚的展開も、聴かせてくれました。松喬、都丸くらいでしょうか、手がける人、このネタ。もっとやってほしいですね。どうも、最近のネタは、偏りがあって困ります。ちょうばの「二人癖」は、こないだ聴いたきん枝と同じで、冒頭部のカットヴァージョンでした。なかなか、達者振りを発揮した口演でしたが、トリを取るなら、ネタを選ばないと、あかんよね。
 火曜日は、引き続き、繁昌亭へ行った。この日は、「ラクゴレンジャー」という同期生の会だ。都んぼ、吉弥、文鹿、かい枝、三金という5人の会だが、メンバーを、よく見ると、もう、一家をなそうかという人ばかりになっている。太融寺の第1回の公演で、ゴレンジャーのマスクを付けて出てきて、滑りまくっていた5人とは、えらく違う成長ぶりを観に行ってきた。あの頃は、まず、てらいがあり、厚かましさに躊躇いがあったのが、今や、どうだ、うまくもなり、厚かましさも芸の内と、キャラに取り込んでる5人となっている。この会も、繁昌亭様々の会と言えよう。注目は、当日の番組だったが、結果は、次の通りだ。吉弥「つる」、都んぼ「向こう付け」、かい枝「堪忍袋」で、中入り、膝替わりが、文鹿で「動物園」、三金「ちしゃ医者」。吉弥、都んぼは、さすが達者だ。吉弥がトップで出ると、前の若い女性らが、「今日は、トップなんだ」と、ちょっと不満気。都んぼのオーバー・アクションは、わざとらしさがないのが、いい。なんか、大きなチック症状のよう。かい枝の「堪忍袋」は、人に合ったという言い方が、いいかな? この日一番のネタでした。文鹿は、ゴリラ・ヴァージョンの「動物園」を聴かせてくれました。色物的インパクトで、三金に交替。三金の「ちしゃ医者」は、古典を、オーソドックスに演じるという意味で、安心感は抜群なんだけど、トリに入ったんだから、もちょっと大きなネタを出して欲しかったな。期待の噺家さんばかりなので、この会は、ぜひ、続けて欲しいな、そんな思いにさせられました。
 水曜日は、東梅田教会での、「まるまる出丸の会」に行った。とても、いい会場で、ゆったり気分で聴くことができる。この日の、ラインナップは、二乗「牛ほめ」、出丸「佐々木裁き」、染二「蔵丁稚」、出丸「胴乱の幸助」。この日の出丸は、噛み噛み。ま、いつもながらなんだけど、この日は、特にひどかった。だが、「佐々木裁き」は、出丸ベストかもしれないと思ってしまう出来具合。余計な横道に入るのが、スパイスのように効いて、それの効き具合も上首尾で、とっても、聴き慣れた噺がおもしろく、楽しくなってしまった。一方の「胴乱の幸助」は、その噛み方がひどく、聞き辛いなとも思ってしまったら、舟を漕いでいました。染二の「蔵丁稚」も、先日、宗助の名演を聴いてるため、色褪せて見えてしまいました。ですから、この日の出来は、「佐々木裁き」の出来が良すぎたのかな? そんな感じもします。
 木曜日は、長らく続いた落語会ツアーの最終日。「笑いのタニマチvol.70〜笑福亭仁智の新作落語道場〜」という、仁智が、新作のネタ下ろしをする会へ行ってきた。谷六のビル内にある和室。いつ行っても、サラリーマンが多い。どうしてなんでしょう? 鉄瓶「テープレコーダー」、仁智「草野球バンザイ」、純瓶「平蜘蛛の釜(神崎京一・作)」、仁智「新作」というのが番組だった。鶴瓶門下の2人を従えた仁智、新作ネタが、かなり斬新だった。カフェの客が、新聞を読みながら、マスターに話しかけるというスタイルの落語。登場人物は、2人なんだけど、2人目のマスターは、一切、言葉を発しない。客の一人語りという形をとる。そして、仁智のいつものネタのように、ショート・ショートで噺は展開するという趣向だ。これは、楽しめた。だけど、この日は、異様な暖冬のうえ、人息れで、会場は、大変な暑さ。ましてや、前夜、眠ることのできなかった黄紺は、大幅ダウン。純瓶の口演など、殆ど記憶にない始末でした。
 そして、昨夜は、職場で呑み会がありました。同じ職場に、42年勤務された方のお別れ会を兼ねたものでした。黄紺は、いつ以来でしょうか、アルコールを飲みました。家に帰ると、簡単にダウンをしたものの、また、4時前に、お目覚め。おかげで、ガラタサライが、アリ・サミ・エンで、デニズリ・スポルと引き分けを演じるという試合を聴くことが出来ましたが、目が痛いですね。でも、寝れない。これは、辛いよねぇ。




2007年 2月 18日(日)午前 11時 9分

 ようやくめぐってまいりました日曜日、恒例の1週間の振替りです。
 3連休のなかの唯一の休日の日曜日、落語会のはしごをすることとしたが、一つだけ、困ったことが、それは、そのはしごをしようとかという落語会両方に、桂米二が出ること。その一方では、ネタが公開されていて、他方では公開されていない。更に気がかりなのは、出る位置が同じで、しかも季節柄、出やすいネタを、公開している方で出してるものだから、公開してない方で、それをやられると困るんで、もし、公開されてない方で出されると、2つめの会は、どうしよう、やめようかと、そんなことを考えながら、一つ目の会に向かいました。要するに、一つ目の会が、ネタ非公開だったのです、当日までは。そんなことで行った場所は、JR吹田駅前のサンクス。その名も、「吹田さんくす寄席」と言います。そのまんまです。落語会へ行くために、各地を放浪していると、普段行けないところへ行くから、おもしろいですね。ここも、そのたぐいの場所でした。駅で、お昼ご飯とするパンとおむすびを購入して、会場へ。そこで手渡された番組表には、ネタが書いてた。それを見て、思わずガッツポーズ。二重の喜びだったのです。いや、もっと言うと、四重の喜びだったのです。まず、米二がかぶらない。この日のトリの雀三郎が、聴いてみたかったネタを出してくれている。更に、一番手、二番手に出る雀太と花丸も、この間、出会ってたネタじゃないものを出してくれてます。これは、ついていました。で、番組表を記すと、雀太「煮売屋」、花丸「あくびの稽古」、米二「替り目」、雀三郎「胴乱の幸助」となる。このラインナップに、自分の強運に、ちょっと酔いましたねぇ。だけど、酔いが回ったのか、前夜の寝不足が出たのか、いえいえ最大の原因は、人出が多すぎて、会場が、異様に暑かったため、瞼が重たくなってしまい、完全に聴けたのは、雀三郎の口演だけというお粗末。花丸の、自分流「あくびの稽古」、おもしい趣向だなぁと感心して、こっくりしてるのだから、かなり来ていたんだと、あとから納得してました。「替り目」では、嫁さんに感謝の言葉を、酔っ払いの亭主が言う聴かせどころなんか、全く記憶にないんだから、どうしようもありません。最後の雀三郎のこのネタ、聴きたかったんだよう。今週は、京都の独演会で、これを出すので口慣らしをしたんでしょうね。独演会に行けない黄紺には、あまりにも恵まれた展開でした。もちろん、出来は、言うことなしでした。
 吹田での落語会をはねると宇治に直行しようかとも思ったんだけど、少し早いかと、30分ほど、京都駅前で放浪することとした。と言っても、ちょっとだけ本屋を覗き、CD屋を覗きに行くと、もう、お時間だ。一応、内田樹の本を1冊買って、途中下車した証とした。宇治へは、JR奈良線で30分弱。旧宇治市街は寂しくなる一方だが、案の定、日曜日の夕方、食事場所を見つけられず、昼に次いで、スーパーで買ったパンと抹茶ミルク。でも、これが正解だったのです。この日は、ホントついてる。ちゅうのも、吹田もそうだったんだけど、宇治の落語会も、異様な人出。早く行ったから、席を確保できたが、じゃなかったら、廊下から声だけ聴かなければならなくなった。宇治の会は、尾長猫寄席と言い、喫茶店の3階の座敷を開放して行われるもの。ここのオーナーが、米二の高校の先輩だか、同期だかの方だから、こういった形で、ずっと米二を支えているのです。その高校とは、城南高校という宇治にある高校なんですが、黄紺も、ちょっとした縁のある学校なので、近しい感じがしてしまう。この日は、新歌之助をトリに据えることで、彼の襲名披露も兼ねるという番組つくり。その番組は、雀五郎「初天神」、あさ吉「向う付け」、米二「厄払い」、歌之助「壷算」というものだった。ほとんどエコノミック症候群一歩手前の状況下、雀五郎は、途中で切り上げないで最後まで。あさ吉は、のろけの場面は、さすがにカットしました。米二は、この人の持ち味の丹精さが、珍しく崩れる場面が出たかなという弾けた口演。客の熱気が、そうさせたのでしょう。稀有な体験です。それで、一挙にボルテージの上がった客席を鷲掴みに掴んで、自在に引き釣りまわしたのが、トリの歌之助。いや〜、楽しい「壷算」でしたよ。彼は、このネタで、繁昌亭での襲名披露公演の初日に臨んだのでしたね。なんか、解かる気がします。自信の一品と看ました。心うきうきで、宇治橋を渡り、帰りは京阪電車で、帰路に着きました。
 月曜日は、繁昌亭の普通の夜席に行った。こういった普通の夜席でも、客が入る。器ができるということは、すごいことだ。まず、番組から書いておく。三四郎「お忘れ物承り所」、あさ吉「向こう付け」、三風「農と言える国、日本」、都丸「替わり目」、佳恵(マジック)、春之輔「けつね」。三四郎は、初物。繁昌亭開席以来、楽屋番として活躍してきた三四郎くんが、出番をもらってる。マクラの喋りは、ちょっといただけないが、ネタに入ると、口の端は爽やか。古典も覚えてるようなので、今度は、一度、そちらも拝聴したいものだ。あさ吉、三風は、耳慣れたもの。特に、三風のグレードアップぶりは、繁昌亭に合ってるのか、えらく受けていた。「けつね」も、やったーとは思ったものの、あまりおもしろいというネタではないので、ま、こんなもので、自分的には終わりました。最初の幕は要らないと思うのですがね。この日の秀逸は、やはり、都丸。都丸のとぼけた味が、このネタに、特に合いますね。いいなぁ、あのヨメさんに聞かれるところや、うどん屋の困り。そんなで、都丸を聴けて、満足としましょう。
 火曜日も、繁昌亭。待望の「三枝・きん枝 兄弟会」の日だった。会長としての三枝は、繁昌亭を足場に全開状態。それに、きん枝が加わっての兄弟会。師文枝が生きていたらと思ったのは、黄紺だけではあるまい。この会の前に、既に、第2回目が発表されていたので、きん枝のノリのほんまもんさが、心地よい。ラインナップは、三歩を開口一番に、三枝「読書の時間」、きん枝「不動坊」、ここで中入り、後半は、きん枝「二人ぐせ」、三枝「残りの時間」と続いた。「読書の時間」と「残りの時間」の間合いの違う選択がにくいですね。「残りの時間」のたっぷり感もいいけど、「読書の時間」の単純なおかしさも、腹を抱えて笑える。きん枝の口演は、自分的には、とても好きだ。この人、どうして、もっと若いときにネタを増やしてくれなかったんだと、突っ込みたくなるほど、自分的には、好感を持ってる噺家さんだ。「不動坊」は、残念ながら後半息切れ。屋根の上で、もっといちびったらええのにと思ってしまいました。「二人ぐせ」は、納得の冒頭部のカット。軽妙な噺を正攻法で攻めるきん枝は、本格派の雰囲気が漂います。次回は、なんと「天神山」と「禁酒関所」を出すとか。これは、絶句するほどの期待の会になりそうです。なお、開口一番の三歩は、手慣れた「青い瞳の会長さん」だった。勿体ない開口一番です。
 水曜日は、歯医者に行って、ちょっと休憩日。雀松の会を飛ばさねばならなくなりました。家に、まともに帰って、早々にダウンしてしまってました。遊びすぎの後遺症かな? おかげで、フェネルバフチェのUEFA杯戦を聴けましたが、結局、翌日は、寝不足で、体調はよろしくありませんでした。しかし、1:3で消さなければよかったんだけどね。「また、入った。1分間で2点」、この実況を聴いて、即座に消したのが、まずいね。その2分後に、トゥンジャイが入れてやんの。翌朝、確認して、びっくり、がっくりでした。その寝不足の木曜日は、京都五条の「養蓮寺寄席」へ。仁智が、ずっとお世話をしている会だ。今井克紀さんの仕舞「淡路」から始まったこの会の番組は、卯三郎「ふぐ鍋」、珍念「親子茶屋」、文喬「住吉駕」、仁智「向う付け」となった。卯三郎の覇気のなさが、どこかで化けるとおもしろいと思うのですが、相変わらず弾けてないので、引いて聴いちゃいます。珍念は、こんなところで出さなくても、今度の独演会の練習なんだろうけど、独演会に行く身としては、がっくりでした。ただ、独演会には、師匠文珍も、特別出演するという情報をもらったことで、帳消しには、やっぱできないよ。元気だったのは、ここまで。ここで、前夜の睡眠不足が祟り出す。「住吉駕」は、ほとんど覚えてませんし、肝心の仁智の古典も、必死に起きてました。そして、オチの直前、こくんと寝た私。拍手で、ぱちくりでした。残念な話で、やっぱり落語を聴くためにも、体調が良くないといけません。今週は、こう思うのが2回もあった。
 金曜日は、秘密の会が、いつの間にか、チラシが繁昌亭に置かれてしまってた「たまのゴキブン落語会〜茶臼山ナイショの落語会〜」に、茶臼山舞台へ行った。実質は、遊方とたまの二人会だ。常連さんの大変な支持を受けているので、動員力は、たまのものと言っていいし、遊方も、それを認めてる感じだ。この日のラインナップは、たま「播州巡り(明石名所)」、遊方「ハードボイルド・サザエさん」、二人での「ナイショの話」、ここで、エコノミック症候群を避けるために、中入り。そのあとは、遊方「パンチ・パンチ・パンチ」、たま「愛宕山」だった。遊方のネタは、なんか中途半端な感じがして、捲土重来を帰してもらうことにして、たまの方だが、「播州巡り」とは珍しいものを出してくれたものだ。その昔、師匠の福笑が、随分と出していたものだから、それを継承しているのは分かる話。この日は、人丸神社を越えて、少し「兵庫船」への繋ぎになる部分もやってくれました。かなり修業時代にくったネタなんでしょう、とてもスムーズな口演に拍手です。もう一つの「愛宕山」は、芝居っ気なしを目指し、滑稽さを追求しようという試み。それが、うまくいったかどうかは別として、ネタの可能性を、常に求めようという姿勢、これが、たま人気の秘訣。この日も、そういった意味で、楽しませてもらえました。今度は、「文七元結」を手がけるとか、どういった作り方をするか、今から、楽しみだ。
 そして、ようやく土曜日6週間連続土曜出勤の最後の土曜日になりました。お疲れ〜、その一方で、ストレス溜まりすぎ。だから、遊びっぱなし。このため、この日も、寝不足で、お出かけ。仕事が終わったあと、職場で、1時間寝たんだけど、晩ご飯を食べたあとは、ダメでしたね。ま、その晩ご飯後のことは、後回しにして、午後3時過ぎに、映画「バブルへGO!」を観に行った。つい数日前に、朝日新聞の夕刊で、バブルの時代を、忠実に再現してるって記事を読んで、初めて知って、行きたくなってしまったのだ。TOHOシネマズという難波にできたシネコンだ。ワッハに近いというのが、いいですね、ここ。映画は、単純に楽しめる、飽きさせない、それ以上の贅沢は言うべきでない映画でした。広末の出てるものは、初めてだったけど、いいですね。阿部寛との組合せが、この映画を楽しくさせてる原動力と看ました。それが終わったのが、5時半。6時半からは、ワッハ5階での「文我・宗助 二人会」に行った。番組は、阿か枝「煮売屋」、宗助「替り目」、文我「占い八百屋」、対談「ネタあれこれ」、文我「能狂言」、宗助「蔵丁稚」で、かなり好事家の注目を集めるものとなっている。対談の前に、中入りが入っているという流れだった。残念なのは、中入り前に、どーっと疲れが出ちゃったんですね。もう、ワッハの座席に着いたときからやばいなと思ってたら、2席目でぐったりして、3席目は、噺のストーリーが分からないまでにもなってしまいました。ですから、しっかりとしていたのは、中入り明け後から。その中で、2つ書き残しておく情報。1つは、「占い八百屋」は、東京の「御神酒徳利」の移植版。但し、元の噺が大阪のものだから、3代目小さんの速記帳を元にしたと、文我が言ってたこと。それが、一番、大阪版に近いだろうからということです。2つめは、米朝も、「能狂言」を手がけたことがあり、その音源が残っているということ。そんななか、秀逸の出来は、「蔵丁稚」。このネタのベストかもしれません。それほど、出来が良かった。宗助は、最も米朝に似ていると言われるが、その彼が、絶妙のくすぐり2発を放ったのだ。常連さんから、驚きの笑いというか、絶妙さを支持する笑いが上がっていた。そして、芝居がいい。抜群だ。サゲになると、手を上にかざして拍手する人、多かったのが印象的。黄紺同様の思いで、聴かれてたのでしょうね。
 ようやく、1週間を振り返ることができました。これだけ書くのも、大変でした。




2007年 2月11日(日)午前 9時 17分

 今週は、少し落ち着いたかな? でも、3連休は2日も出勤だし、仕事は落ち着いたといっても、ゆっくりとした自分の時間を持てないでいる。だから、余計にアフター5を生かそうとする。すると、睡眠時間が、自ずと圧迫されてしまうので、眠い毎日を送ってしまう。じゃ、のんびりと帰宅すれば、睡眠時間が確保されるかと言えば、そうではないのが、この歳ですね。結局、どっちにしても寝れないなら、遊ばにゃ、そんそん、だ。そこで、、、、
 日曜日から振り返っておこう。持ち帰り仕事があったものだから、ちょっと自重気味の日曜日。ホントは、昼、夜とはしごで遊び回りたかったんだけど、昼間の落語会だけに留めておいた。で、行先は、高津神社。ここの社務所が、「高津の富亭」と、落語会のあるときには変身するのだ。この日は、「文太の会 in 高津の富亭 〜文太の“贋作あれこれ”〜」という会に行ってきた。以前、日本橋の方でやられていたときには、何度か、お邪魔をしたが、ここ高津神社に移ってからは、初めてである。番組は、文太自身の前説に続いて二席。「親子酒」と「親子茶屋」と、親子揃っての道楽者の噺が続いて、ようやく本来なら前座役の喬若が出て、「道具屋」を一席出して、息継ぎを与えてくれる。そして、再び、文太が出て、贋作シリーズで芝居噺「大江山酒呑童子・鬼切丸の由来」と、文太の奮闘振りが目立ってしゃーない会。年甲斐もなく頑張ってくれる、その上に言わずと知れたことだが、質が高い。そして、幾つ幾十になっても変わらない勉強家、また、機会があったら覗いてみようという気持ちを起こさせてくれた。
 次いで、月曜日。この1週間は、映画の週でもあるのだが、その第2弾、韓国映画「夏物語」を、京都シネマに観に行った。7時台に上映開始時間を設定してくれるありがたい設定のため、こちらで観る。どこかのパンフレットでか、70年前後の軍事政権下で出会った男女が、年を経て、どうなるなどという設定だと知り、今の韓国が、そのようなテーマを、どのように描くかに吸い寄せられて行ってみたくなったのだ。イ・ビョンホンの映画を、1本くらいは観ておこうなどという気持ちもあった。初老を迎えた大学教授が、ずっと独身を通している背景を追う流れと、30数年前に戻った流れと2本が絡み合いながらという筋立てだが、現代での探求は、とっても副次的なもの。本筋は、70年前後の出来事を追いかけるという構造。そのなかで、男女のラヴストーリーが展開するわけだが、はたっと気がついたのだが、男女が接近していく微妙なずれのようなものを意図的に描こうという努力がなされていることに、黄紺の目は釘付けになってしまった。韓国映画のラヴストーリーは、科白のくささや、敢えて「名場面」を造ろうという作為的なものが先行して、あまり観てこなかったんだが、ここで初めて、そのくさい言葉回し、名場面嗜好を納得させるものを、違和感なく見ることができるモティヴェーションのようなものを見つけた気がしたのだった。そういった意味で、ちょっと記念すべき作品となった。
 火曜日は、繁昌亭の平常の夜席だ。番組から書いておこう。たま「看板のピン」、喬若「七度狐」、鶴二「馬の田楽」、猿笑「西行」で中入り。膝替わりが岐代松で「手水廻し」、トリが松枝で、あっと驚く「莨の火」。一瞬、「住吉籠」かと思ったのだが、このネタ。繁昌亭初めてかもしれません、この大きなネタ。松枝も、随分と齢を重ねたものだが、喋りは衰えを知らないどころか、こういったじっくりの噺には相応しい年頃に差し掛かってきている。この日の、もう一つの収穫は、「馬の田楽」を聴けたこと。この古臭い噺、最近、その古さ故にか出ない。昔は、これでもかって感じで出されていたけど、ホント聴かなくなってしまいました。部分的に、忘れてしまってましたが、街の風景なんかが分かる民俗学的ネタなんで、廃れさせないで欲しいなと切に希望します。岐代松の十三のマクラ、何度聴いても、おかしいですね。たまのスリム化落語、このネタでは、ばっちりでした。
 水曜日は、再び、繁昌亭。この日は、「旭荘の会〜あの頃みんな若かった〜」と題し、その昔、住んでいた京橋の文化住宅「旭荘」に縁のある噺家さんの同窓会的会。佐ん吉「つる」、枝三郎「七度狐」、雀松「片棒」、千朝「一文笛」、ここで中入り、そして、米八「曲独楽」、仁福「高津の富」というのが、番組。もちろん、佐ん吉は、前座としての登場。それ以外では、千朝以外が、元住人。それぞれ、手慣れたネタを並べたが、この日の一番は、千朝。この人に、じっくりと語らせたら、ホントいいっすねぇ。3月には、太融寺で、「百年目」を出してくれるので、今から楽しみです。この千朝と雀松が、繁昌亭初登場のはず。その雀松は、客に、変に突っ込まれて、聴いている我々も、ノリが悪くなった。気の効かない客っているものだ。雀松テイストの詰まった「片棒」を、久しぶりに聴けたのに、残念なことをした。「七度狐」は、前日、喬若のものの口直しとなった一方、仁福の口演はいただけなかった。言葉を引っ張る言い方が、ずっと気になっていたが、この日はひどかった。テンポアップの必要な噺になると、ひどくなるきらいがある。雀松らを、繁昌亭で見られるためにも、この会を続けて欲しいな。
 木曜日は、休養日というか、仕事が定時を過ぎても続きそうという予感を持っていたたので、夜遊びは止めようと考えていたのだが、それが、黄紺の思い違い。空いてるじゃないかということで、狙いを付けていた韓国映画「百万長者の初恋」という、題名から、既に、ストーリー展開が読めそうな映画に行った。もう少し待てば、京都でも観れたのだが、こないだの「夏物語」で、韓国の恋愛もの映画のツボを観た気がした黄紺は、少しでも早く観たくなってしまったのです。従来、韓国映画のくさい科白、名場面嗜好が気になり、好んでは観てこなかったのが、ここに来て、俄然、スパークしてしまったのだ。そして、その期待に、十分応えてくれたのが、この映画だった。我が儘な、金満息子が、田舎の高校に入れられ、純な女の子と出会い、変わっていくというお約束のストーリーは、もう題名を見たときから判っている。問題は、主役の二人が、どこから惹かれあってるかなんだけど、それを、汲み取るのは観客に任せられてる感じがして、そして、過剰な科白の中で、あとになって答合わせをさせられる、そんな感じで、ここいらあたりが、韓国映画の核心のような気がしてきていたのを、更に確信させてもらった。いいなぁ、こういった心理描写。実は、二人は、幼なじみだったという仕掛けが用意されていたり、ストーリー的には、謎っぽい登場をさせている主役の女の子が、どういった女性であったかも、その仕掛けで明らかになるという構造になっているなど、工夫はあるが、それは、二人の心理描写を枠から演出するもの。こういった感性に支えられた韓国映画、まだまだ、追いかけてみたい気分だ。
 木曜日の煽りを受けたのが金曜日。木曜日が長い会議ではなく、金曜日だったのだ。おかげで、「島之内寄席」に行き損ねてしまった。「島之内寄席」がダメでも、開演時間の遅いこごろうの会も狙っていたが、こちらも諦めました。可哀相な話です。その鬱憤を晴らしてくれたのが、昨日の繁昌亭。「笑福亭福笑一門会」、待ちに待った会だ。一門会と言っても、師弟の二人会。出番順に番組を書いておこう。たま「くっしゃみ講釈」、福笑「江戸荒物」、たま「船弁慶」、福笑「ミナミの旅」、ここで中入り。そして、最後に、福笑「ちしゃ医者」で、お開きだった。いや〜、すごかったです、まず、この言葉です。特に、福笑がすごすぎる。出てくるだけで、拍手が止まらないんだから、そして、その期待に応えて、おつりをたっぷり出してくれるんだから、やっぱ、すごい。凄まじい熱気、異様な雰囲気に包まれていました、昨日の繁昌亭。特に「ミナミの旅」「ちしゃ医者」は、場内が沸きかえっていました。たまも「くっしゃみ」が、いいですねぇ。そのたまも、福笑の前では、影が薄いのですから、福笑のすごさがすごすぎるのだ。そして、この日の会場は、それこそ常連さんの勢揃いだったんじゃないかなぁ。それほど、注目度が高かったということができるでしょう。
 そんなで、今日は、3連休唯一のお休み日。さて、どうしますか? 有効に使わないと、明日、また、出勤です。いい加減に、この環境から抜け出したいね。




2007年 2月 4日(日)午前 9時 28分

 トルコへ行く前から手がけていたちょっと大変な仕事が、一応、この金曜日に片づいた。まだまだ、後始末的な仕事が残ってはいるのだが、それらは、あくまでも後始末的なもの。で、ちょっと一安心の日曜日だ。マニュアルなしの仕事って、メドというものが判らないから、大変です。常に、何やしら出来きっていないんじゃないかという不安との付き合いをしなきゃならないからね。でも、大過なく過ぎたということは、大きな洩れはなかったってこと、そういった意味でも、一安心だ。今度は、自分が作ったものが、規準となっていくので、来年、実施しやすいものとして残していくということを、これからやっていかねばならないのでしょうね。これは、ちょっと時間をいただくことにして、とりあえずが、しばらくはだら〜り気分でいましょう。そんな気分でいた昨日、きっちりと、土曜出勤。全然、休ませてもらえない。本来は、出勤日じゃないのに、6週間連続土曜出勤は、きつすぎます、黄紺の年齢には。あまりにも、可哀相です。
 そんなことを言いながらも、遊ぶ時間を、しっかりと作っていたのです。まず、1週間前から振り返っておこう。先週の日曜日は、繁昌亭での三代目歌之助襲名披露に行ってきた。繁昌亭初の襲名披露興行、しかも、それが歌之助とくれば、昼席に行かねばなりません。混むことが予想されたので、早めに行ったんだけど、天満宮の境内にまで並びました。当日の番組は、次の通り。佐ん吉「道具屋」、あさ吉「風邪うどん」、梅団治「竹の水仙」、米二「初天神」、五郎兵衛「中村仲蔵」、ここで中入り。口上は、司会が米左、挨拶は、米二、米輔、五郎兵衛。次いで、朝太郎のマジック落語。トリは、もちろん新歌之助で「茶の湯」。このなかで、米朝一門外の梅団治と五郎兵衛のネタ選びが、粋な選択。新歌之助が大津出身だからと「竹の水仙」、このネタをもらった先代正蔵が、よく襲名披露で出してたと「中村仲蔵」。大きなネタが出ると、気分は、余計に高まります。脇を固めた、あさ吉が良かったですね。この人の独特の口調が、ネタに合うようになっています。佐ん吉のお雛さんの落語は、この日の客には、グレードが高かったみたい。で、新歌之助ですが、気が乗った、とてもスムーズな語り口調に、客席が、ぐいぐいと乗っていくのが分かりました。立派に、トリを務め終えました。今後の活躍を見ていかねばなりません。
 月曜日は、翌火曜日の繁昌亭の前売りチケットを買っていたので、2日分の仕事をして、超お疲れの日。もう、背中が痛くて、じっと座れなくなり、ギヴアップ状態で帰ってまいりました。替わりに、火曜日は、繁昌亭へ。でも、着いて、椅子に腰掛けると、さすが、ど〜んと、体が椅子に吸い込まれる感じ。この日は、「桂三枝 はなしの世界」と題した三枝の独演会。開口一番が三金、得意の「ダンシングドクター」、ゲストは里見まさとで、落語「セキュリティーにご用心」、これ、なかなかおもしろい作品。マクラを振ってるときより、ネタに入ったときの方が、里見まさとは、らしさが出てきました。この人の講談も聴いてみたくなりました。メーンの三枝は、「鯛T」「思い出ばらばら」「鯛U」の順番で高座に。三作品の内、後の二つが、この日のネタ下ろしという意欲的な会。先日の「創作落語の会」の「誕生日」もネタ下ろしだったということで、その創作力は衰えを知らない。全てが終わったあと、三枝が言ってました。「誕生日」と「思い出ばらばら」は、60になっても、70になっても出来る噺をと思い作ったものという。ただ、残念だったのは、聴いている黄紺も年嵩を重ねるにつれ、お疲れ。「思い出ばらばら」と「鯛T」は、後半になって息切れ。ボーッとしてしまったました。だけど、「鯛U」はばっちりでしたよ。聴くまで、「鯛T」と、どんな関係にするのか、それに感心が集まっていたが、見事な続編でした。なんか、人情噺でね、胸キュンものでした。大海へと泳いでいくロクに、なんか人生を重ねましたね。そして、見事なオチ。これは、傑作です。
 水・木・金曜日が、手がけてきた仕事の本番。水曜日は、その関係で、夜の出張。守口に行っていました。当然、夜遊びはできませんでした。ところがですね、木曜日は、森ノ宮から桃谷への出張だったが、定時に仕事は終わったので、夜遊びはばっちり。鶴橋からワッハに回りました。そうそう、昼ご飯時に、森ノ宮から桃谷への移動ができたので、鶴橋で、お昼ご飯を摂りました。「アリラン食堂」でユッケジャンでした。で、夜は、4階で「花菱の会」。番組は次の通りだ。壱之輔「手水廻し」、梅団治「餅屋問答」、春雨「植木屋娘」、中入り明けが、福車で「河豚鍋」、蝶六「三枚起請」。この日の秀逸は、梅団治と蝶六。この日の梅団治のテンポの良さは、どうしたんでしょう? 今まで気になっていた噛んで含めるような科白回しが消えると、この人、とってもいい。更にびっくりしたのは、蝶六。実に久しぶりに、お目にかかった。以前は、ちょくちょく聴くことはできたんだけど、ホント、最近は出会えなかった。顔も、随分と変わっていたので、判らなくなってるほど時間が経っていたのだ。それは、姿形だけではなく、落語の質が、ものすごく上がってた。まるで、東京の噺家さんのよう。気っぷが良くて、立て弁が冴える。こんな「三枚起請」があったんだって感じかな。「三枚起請」狙いで行って、その優れものに出会えて、且つ、「餅屋問答」まで付いてきた。お得な会でした。そうそう、春雨の「植木屋娘」のサゲに工夫がありました。「根を選り分けるのが、我々の仕事です」というもので、二人を結婚させて、男女で分ければいいんじゃないかというのを受けてのサゲとなったのです。
 金曜日も、守口に全日出張に出かけていた。ただ、水曜日の守口と違う守口だったこともあり、帰りには、鶴見緑地線に向かった。花博以来の鶴見緑地駅から、蒲生4丁目に行ってきました。典型的な地域寄席「蒲生四丁目寄席」に、目を付けたのでした。自転車置き場の上にある小さな会館。この日の番組は、花鱗「那須与一」、染弥「持参金」、右喬「看板の一」、雀五郎「崇徳院」だった。特段、変化がある会ではなかったが、お得な感じがしたのは、2つ。1つは、花鱗に出会えたこと。初物だ、自分的には。丁度、天童よしみばりの体躯で、訛がある。なかなかユニークなキャラ。喋りとなると、急に、講談師口調になるから、おもしろい。もう1つは、「崇徳院」の演出。最後の、こっち来い、こっち来いの言い方を、途中から、口だけ動かし無言にしたのだ。これは、秀逸。このやりとりに、時間の長さが出ました。果てしなく、2人がやりあう感じが出たのだ。全く、納得の演出に、大拍手だ。更に、噺が進むにつれてのテンポアップは、意識してやってないのかもしれないけど、その度合いが程よく、この聴き慣れた噺にアクセントを付けてくれました。また、時を置いて、雀五郎の「崇徳院」は聴いてみましょう。進化する可能性大の楽しみな口演だった。
 土曜日は、先ほど書いたように出勤日。丸々2日、全日出張だったので、3日ぶりに職場に行くと、土曜日だというのに、やっぱ仕事がある。この間、一つの仕事に専念していたきらいがあるので、全く手つかずの仕事も残っている。それには、結局、ほぼ手が付けられず、持ち帰り仕事となってしまった。休む時間がないのが現状だ。ま、それは、一つには、昨日の夕方、映画なんかを観に行ったからだ。その映画は、「どろろ」。職場の同僚の人で、映画通の方がおられて、推薦をいただいたこと、朝日だったかな、新聞でも紹介されていたので行ったみた。もちろん、手塚作品だし、2人の主演者にも関心があったことも、モティヴェーションになっている。その「どろろ」は、高校生や、若いカップルだらけでした。最近、こんなけ若い層の中で、映画を観たことはありません。また、一番混む土曜の夕方前。3階が入口の映画館に、1階から並びました。ところどころに、おっさんが混じってたので、ちょっとは安心しましたけど、たまらん雰囲気。映画は、無国籍状態にして作っていました。穴蔵酒場に、日本風の武士や町人が集い、舞台では、今風のナイトクラブのショーをやってるって感じ。ロケ先のニュージーランドの風景の向こうに聳える日本風城には、工場風の長い煙突が、その周りに何本か林立している。その城も、石垣がないから、宙に浮いた感じがする。体の部位を、育ての父親が再生するときには、エレキテルが登場するし、フラスコも、試験管もと現代の化学実験室の風情。だけど、魔物との対決のCGは、良くできてました。推薦をいただいた方から、これは伺ったとおり。だけど、魔物を見出すためには、そこに至るストーリーが要るじゃないですか。それは、百鬼丸(妻夫木の役)が、魔物と戦い、勝つことにより部位を獲得していくということを説明する入口の場面はいいんだけど、次なる対決では、ちょっとストーリーが稚拙。あとはストーリーはカットで、アクションだけ見せていた。もう、この辺で、終息への道が見えてくる。だって、残るのは、親父との対決だけですものね。原作を読んでないから、なんとも言えませんが、手塚作品って、こんな単純なのだろうか? 深みがないんだろうかと思えだし、そんなこと、ないよなと、すぐに打ち消していた私。原作を読んでいる方に、尋ねてみたい気持ちです。「父親殺し」や「人となるとは?」とか、重要なプロットが見え隠れしているんだけど、手塚治虫だったら、当然の如く、頭のなかにあって描いてきてるはずというもの。そう思うと、映画の描き方は、かなり稚拙な内容に見えてきて仕方ありませんでした。そんなことで、文句を言いながらなんだけど、今、黄紺が使ってるPCの壁紙には、どろろ役の柴咲コウとなっております。
 ということで、ようやく1週間を振り返ることとなりました。これから、件の持ち帰り仕事をすることとなります。




2007年 1月 28日(日)午前 8時 00分

 ちょっと仕事が立て込んできているのだが、先週に、うまくさばいたというか、メドを付けたというか、そんな感じだったので、この1週間は、わりかし平穏に過ぎていった。思い通りにアフター5を使えたなの印象なのである。ただ、週の半ばから後半は、また、忙しさが復活傾向だ。PCの前に座り込み過ぎているためか、この頃は、背中にまで痛みが回ってきている。背筋も、当然弱ってきているので、余計に、だるい感じが増している。そんなだから、1日憂鬱。嫌な季節です。
 そういうことで、ストレス発散気味に、落語会に通い倒した。特に、今週は、茶臼山舞台が閉鎖されるということで、たまが、1日おきに4回の落語会を組んでいる週なのだ。黄紺は、その内の2回を行くことができた。今回は、評価の高い「ラクゴリラ」の面々を、ゲストに招いている。月曜日の第1回は、ほとんどエコノミー症候群。この日のたまは、「子は鎹」「Myselves」を出し、ゲストのこごろうは「花筏」で頑張ったところを見せてくれた。前座は、南青で「大塩平八郎」だった。この日は、たまの二席が輝きを放った。「Myselves」は、いいアイデア。着想が抜群。10歳おきの自分が現れてくるというSFチックなネタで、同一人物でありながら、世代が変わるところで、そのキャラを出さねばならない難物。まだまだ、進化中と考えたい新鮮度が抜き出た作品だ。もっともっと工夫しながら、いろんな会でかけて欲しいネタです。「子は鎹」は、京都での会以来2度目の遭遇。登場人物が深みを増してきているからか、かなりしんみりさせられた。らしいネタが、らしく仕上がりつつあります。やっぱ、たまは大物やわぁと感服させられた夜でした。
 もう一度は、水曜日の第2回。席を広くしたら広くした分まで客が入らなかったと、笑いをとっていましたが、この日は、ゆっくりと聴くことができました。吉弥の独演会や風喬の受賞記念の会があったせいかもしれません。たまは「七度狐」「替り目」で、とってもオーソドックス・スタイル。この日のゲストは、花丸で、人気の「ちはやふる」を出してくれて、客席のどよめきを誘っていました。福笑に絶賛されたとか。たまによると、花丸のこのネタを聴いて、福笑が、このネタを覚えにかかっているとか。福笑版が、いずれ出てくるのでしょうか? でも、わくわく感が出てくるよね、そんなことしてくれると。前座は、佐ん吉で「道具屋」。頭の抜けるお雛さんの頭動かして、落語をさせるというアイデアは、すごい。客席、大爆笑でした。で、肝心のたまなんだけど、黄紺的には評価は低い。2つとも、ネタをスリム化することを試みたんだけど、むだがあってこそ、引き立つ部分もあると思うんだけど、その遊びの部分を、ばっさりでした。そんなわけで、この日は、花丸が、一段と目立ってしまった日だった。
 谷間の火曜日は、ワッハの4階での「つくしんぼ落語会」だ。人気の桂つく枝の会だけあって、狭い小演芸場は、開場直後から、もうぎゅうぎゅう詰め。そろそろ広い会場を用意して欲しいものだ。この日は、つく枝が、最後に謝っていたが、糞尿譚シリーズ。つく枝「勘定板」「お文さん」、雀喜「軽石屁」、ここまでは、事前に公表されていたが、そこへさして、開口一番の喬若までが、「牛ほめ」を出したものだから、完全にシリーズ化してしまった。こんなのも珍しい。だって、滅多に出ない噺ばかりが並んだ結果が、こないなことになってしまったのですから。ま、「牛ほめ」は外さないといけませんが。「勘定板」は、その昔、まだ、松喬が、鶴三時代、短めの噺なら、こればっかを出していたので、よく耳にしていたが、それ以後は初物かもしれません。ちゅうことは、30年ほど聴いてなかったかもしれません。でも、これは臭ってきますね。糞尿譚では、「ちしゃ医者」とこれが、双璧です。「お文さん」も出ない噺。染丸系の噺だが、つく枝は、文枝からもらっている。先代染丸、文枝を経て、つく枝に至ったということだ。こういった大物の噺を、手のものにしていくつく枝は、頼もしい限りだ。こういった噺でも、語り口はしっかりしており、ますます楽しみになってきている。次回は、「口入屋」だそうだ。
 木曜日は、さすが仕事が溜まってきたので、お休み。遊ぶのが、お休みなのです。で、金曜日は、たまの第3回目があったのですが、この会の発表が遅く、既に、繁昌亭の「落語と色もんの会」の前売り券を買っていたので、そちらに行ってきた。噺家さんのなかで、余芸のある人が、繁昌亭で色物としても活躍しているが、そういった噺家さん、集合という具合だ。それに、超大物ゲストを加えて、大盛り上がりの繁昌亭となりました。番組を記しておきましょう。染太(落語「刻うどん」と津軽三味線)、吉次・文鹿(ダブル南京玉すだれ)、団四郎(百面相)、猿笑(江戸落語「長短」)、特別ゲストは春團治で、なんと「高尾」、中入り後は、朝太郎(マジック落語)、文福(音頭と甚句)。染太の津軽三味線は、短めだったんだけど、なかなか激しいバチさばき、もっとレパートリーを増やして、もっと聴かせて欲しいと思いました。団四郎は、いいですね。亀が最高! 本職よりか、こちらの方で、出番が増えるんじゃないですか。朝太郎も、この日は、長めヴァージョンで、久しぶりにバルーン・ショーも見ました。こうやってくると、盛り上がらないわけがない文福。こういった会には欠かせない顔です。それにつけても、びっくりしたのは、春団治。ゲストなので、軽めのネタで、さっと下がるのかと思いきや、マクラで、やもめのことを言い出した。えーっ、まさか、もう、体が震えました。至芸「高尾」、あと何度、聴けるだろう?
 そして、昨日、6週間連続の土曜出勤の3回目、まだ、半ばです。半ドンなんだけど、めちゃ中途半端、仕事が開ける時間が。ですから、時間調整がてら、結局仕事をしてました。そして、狙いは、奈良の学園前で行われた「らくごらいぶinGM-1」という桂米二の会に行ってまいりました。お目当ては、米二の「たち切れ」。昨年、北座だったかで聴いたときには、どうも声に張りがなく、失望した記憶があって、米二は、こんなじゃないと思い、再度聴きたくなったのだ。そしたら、今回は、とってもいい出来。極上の出来でした。意図的に、メリハリを付けることを意識した科白回し、もともと語り口の安定感は抜群の人ですから、メリハリがつくと、鬼に金棒。奈良まで行ったかいがありました。もう一つは、「道具屋」。旅ネタ以外では、米朝から初めて教えてもらったネタだとか。久しぶりに出すと、逆に緊張すると言ってましたが、このクラスの人が、こういったネタを出すと、値打ちがありますね。経験に裏打ちされた、ちょっとした言葉の抑揚が違う。米朝が、独演会の最初のネタに、「狸賽」なんかを出したときの雰囲気だ。いや〜、いい「道具屋」を聴かせてもらいました。助演は、雀太が開口一番で「ふぐ鍋」、わかばが「いらち俥」。わかばが、この人のイメージを破るネタだし、演じ方だった。ちょっと引き気味だった口演が、前に出てきてます。一皮むけた感じのわかばの噺を、あらためて聴いてみたくなりました。
 ようやく1週間を振り返ることができました。そうそう、昨日、奈良の学園前に行くとき、鶴橋回りで行ったものですから、晩ご飯を鶴橋の韓国料理屋さんで済ませた。「アリラン食堂」近辺に、幾つか出没した韓国料理屋さんの一つ「全州屋」に、初めて行ってみた。注文は、ソルロンタン。もう、韓国のお店、そのまんまでした。コムタンも、メニューに上がっていたので、尋ねました。「ソルロンタンとコムタンは、どう違うのですか?」、するとアジュマは、「同じ」と一言、、、え? だったら、なんで、二つとも上がってるねんと突っ込みたくなりました。おいしかったわぁ。そういうことで、遠いところへ行くにつけても、行きがの駄賃だけは、きっちり押さえている黄紺なのです。




2007年 1月 22日(月)午前 0時 1分

  今日、久しぶりに能を観に行った。今年初めてだ。記録を観ると、昨年の12月3日以来で、奇しくも、そのときの会、梅猶会の定期能に、今回も行った。この頃、「能枯れ」と、自分的には言っているが、そそられる会が、あまりないのだ。去年の秋は、著しい不作、それが、今年に入っても続いている。そして、ちょっとそそられるかと思うと、それらが、同じ日にあるという具合で、バカにすなーと叫びたくなる。今日も、河村能舞台では、「朝長」が出るし、京都の観世会館では、「砧」が出る。そして、最終的には、黄紺がチョイスした大阪能楽会館の梅猶会の公演という具合で、悩ましい限りだ。じゃ、梅猶会を選んだ理由、それは、「現在七面」という超ウルトラ稀曲が出たからである。黄紺の観能記録を観ると、18年前に、大槻文蔵師で観たきりである。その18年間で、関西じゃ、2度くらいしか出てないんじゃないかな? 後シテが、途中で変身するという離れ業に、心躍ったという記憶くらいしかなかったが、もう1度観たかった曲の一つだった。この日の番組を記すと、能「俊成忠度」「楊貴妃」「現在七面」、狂言「空腕」だった。「俊成忠度」は、最近、若手の能楽師さんの修羅物のお稽古として、よく出るようになったが、「忠度」と同工異曲というもの。ならば、「忠度」の方が、遥かにいいね。旅僧が、月明かりの下、はらはらと散る桜花を浴びてまどろむ光景を思い浮かべるだけで、幽玄です。それは、この「俊成忠度」では、ちょっと難しい。でも、若手には、「忠度」はやらせませんね。難しい社会です。
 「楊貴妃」は、眠たくなる能なんだけど、はまれば、愛おしさと寂しさの交差するいい曲です。こんなストーリーです。殺してしまった楊貴妃が心残りの玄宗皇帝は、勅使を派遣して魂のありかを探させます。ようやく、蓬莱の国で見付けた勅使は、見つけてきた証拠にかんざしをもらい、立ち去ろうとしますが、楊貴妃が、夜遊の舞を見せるから待てと言い、件のかんざしをつけて舞を舞います。舞が終わると、再び、かんざしを託すと、勅使は去って行きます。それを見送る楊貴妃、感傷が走るところです。ま、これだけの能です。ちょっと親父の動きになってたので、いい演能とは思いませんでしたが、最後の最後で、いいことやってくれました。普通は、作り物の中で、シオリ止めになるのですが、シオリながら、一旦、下居したあと、立ち上がり作り物を出ることで、トメたのです。これは、どきっとした演出。現世への思いが切々と伝わってきました。これは、良かったなぁ。ちょっと、「楊貴妃」を追いかけてみたい気分です。
 肝心の「現在七面」ですが、見直してみて判ったこと、それは、あまりに宗教臭い内容に、出そうという気が起こらないのかな? でも、能の曲って、そんなこと言ったら、全部そうなんだけど、それが直接的過ぎるのかな? 現代では通用しそうもない中世的な宗教上の確信のようなものがテーマだからだろうか? じゃ、一方で、お伽話的おもしろさで処理したらとも思うのだけど、無理でしょうね。後場の変身のアイデアはおもしろいのですが、そのベースにある主張が馴染めないということでしょうか? 稀曲ということ以外では、押してみたくなる曲というわけでは、確かにないなということを確認したような公演でした。
 このあと、どこで、観能に行けるのでしょうか? ちょっと見通しが立ちません。ホント、枯れてます。そんな中で、行こうとしたら、土日出勤だったりして、、、これが多いんだから、もう。




2007年 1月 21日(日)午前 8時 50分

 お出かけ記録を書いておこう。ちょっと復活気味なのだ。日曜日の夕方まで、背中の痛みに耐えて、持ち帰り仕事をして、夕刻から、繁昌亭へ行ってきた。繁昌亭の昼席は、ずっと月曜日からスタートし、日曜日に、1つのサイクルが終わるように、番組作りがされているが、夜席は、そうじゃないのが普通なんだけれど、この週は違った。昼席並みの固定したメンバーの出演なのだ。しかも、きん枝が主任を務めるという番組作り。せめて1回でも行っておきたいと考えていたのが、働き過ぎの煽りを受けて、ようやく最終日に実現したというわけだ。まず、番組の記録から記しておく。吉之丞「犬の目」、生喬「鰻谷の由来」、染二「宿替え」、枝三郎「ふぐ鍋」、ここが中入り。膝替わりに、予定外の三象が登場、マクラで使う自虐ネタで、散々、笑いをとったあと、日本舞踊。あやめ「アタック難波一番」、きん枝「孝行糖」。このメンバー、わりかし行ってみたくなるメンバー。だから、1回でもいいからの気持ちになってしまったのです。だけど、三象は、強烈。ただでも、異様なキャラに、りぼんは、いけません。客席も、呆気にとられ、楽屋も大受けだったらしい。実は、この登場は、きん枝らが、昼席出演の三象が楽屋に残ってたので、出演を所望したから実現したとか。その煽りを受けたのでしょうか、枝三郎が、えらく薄味の「ふぐ鍋」で引き上げ、あやめも短縮版で切り上げた感じ。ま、しゃーないですか。きん枝は久しぶりでした。数少ないネタの中から、トリとして何をするかと思っていたら、「孝行糖」。手慣れた噺で、うまいと思います、正直。だから、もっともっと、ネタを増やして精進してくれればと思うのは、私だけではないと思うのですが、ね。
 翌月曜日も、落語会へ。この日は、ワッハ4階の「お笑いまん我道場」へ行った。まん我が、芸術祭新人賞を受賞した会だ。受賞のニュースを見たとき、黄紺の頭の中には、「?」が点灯してしまったのです。だって、この人がもら うのなら、もっちょっと長いキャリアで、もらっていい人、いくらでもいますからね。小さな会で参加したことが賢かったということになろうかと思います。達者な噺家さんなので、「?」は、この人は絶対ダメという意味ではありませんから。ただ、この日のまん我の口演は、かなり来てしまいました。まん我のネタは、「餅屋問答」と、なんと「蜆売り」。「餅屋問答」では、印象が変わらなかったんだけど、「蜆売り」が良かった、ホント。これは、快演。正直、聴いていて、ほろりときちゃってたんですね。狂言回し的なキャラの登場人物が、かき回せばかき回すほど、ほろりと来る。このネタの思惑にとらわれてしまいました。この人ゲストは、つく枝で「猿後家」。期待してたんだけど、わりかし平均点、なんでなんでしょうね? 前座は、二乗で「正月丁稚」。この人は、何をしても丁寧で、安定感抜群の前座さんです。
 翌火曜日は、繁昌亭で、「平成創作落語の会」ということで、大変なメンバーが、顔を揃えた。三枝に、福笑、仁智、あやめと揃えば、正に、今の上方落語界の底力を見せつけてくれた。客席も、大変な人出で、この記念すべき会を見守った。ラインナップは、次の通りだ。三金「デブのお肉に恋してる」、あやめ「私はオバサンにならない」、福笑「葬儀屋さん」、ここで中入り、仁智「営業二課・あさだ係長」、トリが、三枝「誕生日」。三金のデブ専ネタに、ようやく遭遇。今週は2つも出会えました。あやめのネタも、よくくれてて、情報的にも新しく、傑作中の傑作と言える。福笑の「葬儀屋さん」、ようやく出会えました。バカバカしさでは、福笑作品では、ベストだろう、このネタ。しかし、福笑を迎える客席が、いいですね。「待ってましたぁ」の声だけではなく、客席の雰囲気自体が、そうなる。神懸かり的なのだ、迎える方も。膝替わりには、この日のメンバーでは一番と言えるポップな仁智。背広姿での登場は、このネタの定番。そして、トリの三枝が出ると、「たっぷり」」と、声が掛かる。ネタも、たっぷり感のある現代版人情噺。このネタの選択が、良かったですね。福笑で、ピークに達した爆笑ネタ。最後は、人情噺系とは、心憎いチョイスでした。いや〜、重厚な会でした。
 翌水曜日は、仕事の関係で行けないだろうと思っていたら、5時頃から、様子が変わってきた。あれ、行けるじゃんということで、「雀喜・三金 二人会」に行ってまいりました。ただ、出がけに会場のメモをとりながら、それを忘れてくるという愚を犯し、もうちょっとで、会場がわからずで帰るところだった。場所は、天満橋MSビルというところ。歳をとって、視野狭窄を起こしているのでしょうね、暗くなると、周りが見えなくなってしまい、こないなことが起こりかけるのです。雀喜「落語で漫才(長坂堅太郎・作)」「初天神」、三金「奥野君の結婚式(奥野武士・作)」「寝床」、前座が、このビルと関係があるのか、染太で「刻うどん」。この日の一番は、三金のデブ専ネタ。三風風の客席参加型+バルーン・ショーという具合で、エンターテイメント系落語に、きれいに仕上がっている。一方、雀喜の新作は、発想がとてもおもしろいんだけど、仕上がりがお粗末。もっと、気合いを入れて取り組むと、不思議なネタになると思うのですが。漫才を、1人でやろうという発想なのだ。古典は、雀喜が「寝床」をすると思って行ったら、逆でした。三金は、前半にカットを入れてしまった。長屋の連中が行けないというところだ。まとめて来れないと言うと、おもしろさが半減してしまう。雀喜の「初天神」は、手をかけてきたキャリアを感じさせるネタだが、もうちょっと大きなものを出して欲しかったな。
 翌木曜日も、前日行けそうと思い、夕方に前売りチケットを買って、繁昌亭に行ってきた。ここにも、福笑出没というのが、そそられたのです。も一人、都丸だ。この人が中トリでのラインナップは、次の通り。松五「手水廻し」、花丸「千早ふる」、勢朝「ハイウエイ歌合戦」、都丸「上燗屋」、都「初天神」、福笑「入院」。この日は、関西TVのクルーが入った。落語は、前座の松五くんの口演だけ録り、あとは、楽屋を録るのが目的だったとかで、出てくる噺家さんのテンションが、とても高い。これが、客席も暖めてくれ、とても楽しい会となりました。花丸の「千早ふる」、以前に、何度か聴いて記憶があるのですが、全然、違うものに仕上がってます。これ、横道に逸れすぎるきらいはあるけど、おもしろければ、許しちゃうという出来です。勢朝のこのネタ、小佐田作品から、随分と変わってしまったような、、、。異様なテンションで進んできた落語会、ちょっと都丸が、落ち着かせたけれど、でも、自分流高め方は、お手の物。中入りに入った途端、若い女の子二人連れが、上ずった声で、「こんなに、おもしろいって、思わなかった」と言い合ってました。ホント、そうですよ、歳をとった私にも、おもしろかったですよ。膝替わりの都が、また、テンションを上げます。そして、福笑。大体、高座に出てくる前に、ビールをひっかけてきて、自分のテンションを上げてくるのだから、もう、頭から飛ばしてくれる。いや〜、楽しめました。こんなメンバーで、定席は、贅沢すぎます。
 金曜日は、今年初めての雀のおやど。この日も、席亭夫人から、コーヒーのサービスどころか、サンドイッチまで、よばれてしまいました。雀三郎「神だのみ筑豊篇」「二番煎じ」、春駒「猿後家」、吉の丞「時うどん」、これが、番組だ。「時うどん」は、この吉朝系の進め方の方が、自分的には好きです。雀三郎のネタは、雀三郎ヴァージョンとしては、初物ばっか。小佐田センセの「筑豊編」、いいネタです。雀三郎以外でも手がけて欲しいなとまで思っちゃいました。「二番煎じ」は、この日一番の狙い。相変わらず、人物の描き分けは上手だから、番屋小屋の広さまで分かってきます。さすがの出来です。
 そして、昨日は、仕事帰りにワッハに直行。数多い落語会から定番の「島之内寄席」へ行ってきました。まず、番組から記すと、智之介「元犬」、たま「Smell」、坊枝「火焔太鼓」、慎悟「二番煎じ」、中入り後に、朝太郎のマジック落語、トリが、仁福で「猿後家」。前日と、ネタがかぶるのが、2つ。しかも、たまの「Smell」も遭遇しすぎで、新味に欠けたのだが、演じ手が違うので、贅沢を言う場合じゃありません。慎吾は、団平時代を含めて、初めて聴きました。団丸の千橘より、いいじゃないですか。もっと、表に出て欲しいですね、この人。たまの「Smell」は、お囃子が入るは、ネタも整ってきてて、臭さを、聴いていても感じられるようになってきています。一層の進化を期待したいものです。「火焔太鼓」のサゲは、「笛を売ると、また、ピーピー言う」という形にしてました。で、良かったのが、智之介の口演。安心して聴けるものでした。落ち着いて聴ける開口一番は、贅沢です。




2007年 1月 14日(日)午前 9時 22分

 トルコから帰ってきたのが、先週の土曜日の夕方5時頃。それから、ホントに帰ってきてから、間髪をおかずというところから、働きづめだ。いや、こうなることが分かっていたので、出かける前の気の重さといったら、半端ではなかったのですが、、、。正直言って、トルコに行っちゃうと、それこそ、仕事のこと、すっかり忘れているのが普通なんだけど、今回ばかりは、半端じゃない仕事量が待っているのが分かっていたものだから、トルコにいたときから、仕事の段取りを考えていたという情けないことをやってました。そんなで、仕事三昧と分かっていながら、帰ってきてから、1週間、その間に2度だけ、落語会に行った。これも、際どいけど、せめて、体安めをしておかないと、肩こりはもちろん、背中にまで、そのこりというのが回ってきて、もう、PCの前に座ってられなくなっちまうのです。ですから、今日は、特段、書くことがないほど働いたので、その2回の落語会の記録だけ記しておく。
 1つ目は、繁昌亭新春公演の最後の日となった1月7日(日)の昼席だった。要するに、帰国した翌日、とにかく繁昌亭の新春公演に間に合ったのだ。当日の番組を、まず、記しておこう。呂竹「煮売屋」、壱之輔「平林」、かい枝「ハル子とカズ子」、豊来家玉之助の太神楽、銀瓶「七段目」、五郎兵衛「鹿政談」、ここで、中入り。つく枝「動物園」、団六「初天神」、内海英華の女放談、トリが春之輔で、「お玉牛」だった。呂竹、壱之輔と、まだ、雰囲気が堅いなか、かい枝が出てくると、急に客席が和む。やはり、この人は業師だ。そして、気が付かない内に、ネタに入ってる。玉之輔の太神楽を経て出てきた銀瓶が、良かった。かなり仕込みがしっかりしていたという感じで、かなりネタが、手の中に入ってる。しかも、若旦那が、2階に上がってから丁稚が上がってくるまでの部分をカットしない長いヴァージョンを、しっかりと聴かせてくれました。この人が、実力者と見なされるわけのようなものを示してくれた思いがしました。で、中トリの、五郎兵衛なんだけど、椅子に腰掛けて演じるようになってから、初めて観ることになった。あのぎとぎとと脂ぎった話しぶりが、さすが影をかなり潜め、聴いている黄紺自身が、衝撃を受けてしまった。時間は争えません。膝替わりのつく枝、相変わらず、いいですね。この人が手がけると、何を聴いても、ほっこりと胸が温かくなる。この日の「動物園」の虎くんも、ぽっちゃりと見えてきて、ますますと憎めなくなってくる。団六の覇気のなさが気になり、内海英華が、時間を気にしてと、ちょっと二人は不調。そして、トリは、春団治門下の定番でお開きとなりました。いいですね、正月から、寄席の雰囲気を味わえるなんて、、、繁昌亭のおかげです。
 もう1回は、昨夜、京都文化芸術会館での桂文我の会。NHKの世界遺産の番組で「イスタンブル」をしているにも拘わらず、こちらを選んだ。ついこの間まで、イスタンブルにいたじゃないというのが、落語会の方を選んだ理由。この会は、月1のペースで開かれており、黄紺は、時間が許せば通っている会だ。しかし、土曜日に、この会が開かれるのは珍しいなと思っていたら、文我は、昨日の昼間、京都の違うところで、親子寄席を開いていたのでした。で、この日の番組を記しておこう。前座が、まん我で「幇間腹」、この人が、えらい賞をもらったが、黄紺には、よく分かりません。ダメというわけではないけど、この人のキャリアで、他にも、もっといるのにと思ってしまうのです。ゲストが、米平で「正月丁稚」。これだろうなと思ってて、そのようになり、そして、大満足の口演。この日、一番じゃなかったかな? こういった民俗学的資料となる噺って、好きだなぁ。文我は、「鼓ヶ滝」「猫の忠信」「七段目」というラインナップ。「鼓ヶ滝」が珍しかった。鶴光以外の演じ手というのを初めて知ったのだが、もっと、手がける人がいてもいいんじゃないかなぁ。あとの二つは、平均点か。
 そんなで、日曜日の朝を迎えている。今日も、家で仕事だ。持ち帰り仕事です。時間があれば、落語会のはしごをしたいんだけど、無理ですね。だから、夜の繁昌亭だけに留めておくつもりです。




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