忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。






2001年6月4日(月)午前0時12分

 水曜日のことであるが、それも、ここ2週間続けての水曜日のことであるが、日本トルコ文化協会の特別授業で、各講師の先生が用意をしたスペシャル・メニューが組まれている。また、その授業を、他の講師の先生も参加をして、授業のやり方等を、お互いに批評しようという試みもなされているという、えらく大胆なことが行われているのだ。その一つに、ドクトル・今松氏が、専門のイスラム神秘主義を引き下げて登場とあいなったのである。黄紺は、前にも書いたように、水曜日は出張の日。確かに、出張で大阪市内にまで行かなければならないが、出張さえ済めば、後は家へ帰るだけである。速攻で京都に向かい、その替わり楽しみにしていた「アリラン食堂」は諦めないとだめだが、それに見合う楽しみが待っている。というわけで、先週と先々週が、ともに出張だったので覗いてみた。先々週は、欲張って谷町9丁目角のお気に入り韓国料理店で、カルビ・クッパを食べてから行っても、セーフ。が、こないだの水曜日は、移動の車中で、パンをぱくついて行っても、殆ど20分近い遅刻。でも、行くぞと思う気持ちが湧いてくるほど、おもしろかったのだ。初めて読むユムス・エムレの詩を通して見えてくる、私の知らないムスリムの数々、それだけでも気持ち昂揚、それに加えて、トルコ人のB氏や、お馴染みK氏のつっこみが入り、それも、詩の読み方について、トルコ人感覚での発言が入り、随分とヒート・アップ。この構成は、普段なら絶対期待できない贅沢なもの。さすがスペシャル・メニュー。これは、おもろかったでぇ。私のかつての同級生M氏やT氏も参加。M氏は帰られたが、講師を囲んでということで、後段は、打ち上げに直行という具合である。先週の水曜日などは、ドクトル氏、フェネルバフチェ優勝記念ムードで、着ているものまで、フェネルバフチェのロゴが入った懲りよう。これで、きっちりK氏をいたぶっておりました、2人して。B氏は、一応白黒サポーターということだが、K氏ほどのサッカー狂では、ないみたい。日々の仕事に追われ、そんな中で閑話休題、でも帰りが遅くなり、また家へ帰ってからPC遊びをするものだから、この日以外は、最近、実によく眠る。そのためか、更新が雑になってることは、これまた事実。ま、ムキにならないで、気楽にやってくことですね、ほんと。




2001年5月29日(火)午前4時24分

 ここ1週間、仕事が立て込んでいて、昔なら、この時期ほっと一休みできたんだが、最近はそんなわけにはいかないので、結局いつも通り、いやそれ以上に立て込んでいたので、まるまる1週間ぶりの書き込みである。実は、もう一つ理由がある。こんなけ忙しいにもかかわらず、柏崎に行っちゃったんです。金曜日の夜、正確には土曜日の午前0時1分京都発急行「きたぐに」に乗り、柏崎トルコ文化村に行って来たのである。
 黄紺、柏崎は2度目である。もう5年ほど前に行ったが、とにかくそのときは時間をもてあました記憶がある。今回もそのつもりで、帰りも「きたぐに」に乗るつもりをしていたので、残りの時間をどのように過ごすかの計画を行く前から考えていた。が、その苦労も、半分正解、半分嬉しい誤算となった。噂には聞いていたが、前行ったときに比べ、敷地が倍以上になっていた。第2パークなるものができており、そこに、ノアの箱船(この中に噂のワン・キャットが)、ジャーミーを模したセンター・ドーム(何とこの中でベリー・ダンス、ジャーミー形の建物の中でベリー・ダンスはのけぞったぞ!)、古代のテアートロ、トロイの木馬(ホンマものみたい)なんかができており、大拡張。なかには、休業中だが、空飛ぶ絨毯や、なんでと思う釣り堀、これがと思わせてくれるオリエント急行もあったぞ。第2パークには、イズミール・レストランができ、これで第1パークの青のレストランに次いで2つ目のレストランとなっていた。もう一つお食事どころは、センター・ドーム内にファースト・フードのお店が。私は、まずこのファースト・フード店で、ラフマジュンを1ヶ。青のレストランで、タシュ・ケバブを食べてみた。ところが、タシュ・ケバブを注文すると、「シチューですね」という近所のおばさんパート風の女性が、きつーい一言。カックン。タシュ・ケバブとシチューはちゃうねんよー、とおなかの中で叫んでも、所詮通じそうもない近所のおばさんパート風女性。ラクもついでに頼んだら、水差しだけが来たので、「あっ、氷」と言いながら、件の水差しの蓋を開けると、中に蓋もやっと閉めたかというばかりに、氷のてんこ盛り。「あっ、出しとくんでしたか」の高校生アルバイト風の女性に言われたので、「いや、自分で出します」と幼気な黄紺。でも、ラクはホンマもの、当たり前か! 2杯もシチューとともに呑みました。いやぁ、うめぇ。シチューじゃないよ。このぶんじゃ、イズミール・レストランのイズミール・キョフテも、ハンバークの煮込みかと思ってしまったぞ。でも、ファースト・フード店のラフマジュンは、全くそのまんま。生地が、ホンマもの中のホンマもの。これは、絶対おすすめ、です。
 ショーは2つ。1つは先に書いたように、ベリー・ダンス。しかし、ちょっと露出度少な目。もう1つは、民族舞踊。都合3回も見てしまった。1回目は、屋外広場(塔のある広場)で、ホントに見るつもりで。2回目は、青のレストランでガラス越しに。3回目は、帰ろうとしていたら、踊り手さんと話し込んでしまい、見るはめに。でも、3回目は、先の2回と異なり、屋内の洞窟ホールで。踊りも少し違ったし、見て大正解。でも、黄紺は、ラクの酔いで、ちょっぴし眠りながら。でも、黒海地方の踊りの勇壮さと、アシュク・マーシュクのばかばかしさは、いつ見ても楽しい、よ。そうそう、土産物屋で見つけたいいもの、それはね、ウルケルのお菓子。めっちゃ、ウレピーの黄紺です。1個だけ包んだビスケットに、異様に興奮した黄紺でした。だって、トルコでバスに乗ると出てくる定番のお菓子だもん、んーん。また、興奮気味。全パディシャ・ポスターも、飛びついちゃった自分への土産。あっ、そうそう、エラズー産のシャラップも買ってきたよ。
 余った時間は、結局小千谷で、時間つぶし。何もすることなし、行くとこなしで、信濃川を見ていました、まじまじ。で、最後は、長岡から再び「きたぐに」。帰りは、往きの中段じゃなくって、下段だから、めっちゃ快適。もっと寝てたいのに、あっと言う間に京都でした。でも、あんなけ寝たのに、しんどいよ。遊び疲れ、です。でもね、一つ告白。カンガル犬のアシュク・マーシュク、見るの、忘れたの、サイテー!




2001年5月21日(月)午前6時44分

 ついにtotoが的中した。しかも、1試合はずれの2等である。試合結果が全部分かって、まさかと思っていた結果に歓喜、歓喜の黄紺。が、すぐにはネット上のtotoの公式HPにアクセスしても、当選金は出ていない。コンピューターで一括管理しているはずだから、販売締め切り後には、予想配当金ぐらい公示してもおかしくないのに、すぐには当選金も流していない。でも、当選したんだからいいんだ気分で、睡魔に負けて簡単に寝入ってしまう。でも、でも、まさか2等で793円だなんて。私は、これを当てるため、ダブルを3通り買ったので、2の3乗、そう8通り、ちゅうことは800円を投資したんだよ。2等が当たって、元も取れないなんて、、、! これは、びっくりしたなーもう。ま、考えてみれば、自分が当たるくらいだから、皆も当たるわなぁと、納得しなしゃーない、よ。でも、愚痴を一つ言うと、新潟と京都の一戦、最後の最後でPKだって。京都が勝ったことは歓迎するけど、しかし、これで引き分けが吹っ飛んだんだから、許せない。私は、この試合だけ、引き分けを買ってたんだよー。そしたら、そしたら、まあ、もう10倍はいくよねぇ。toto泣き笑い狂想曲であった。なんか、793円もらいに行くの、恥ずかしいなと思っていたら、息子が換金に行ってやろうというので、頼んだ。まあ、全部息子に取られそうだけど、まあ、いいや。




2001年5月17日(木)午前4時12分

 もう月曜日のことになるが、Nさんのお仕事に付き合って、高槻に行って来た。今から20年以上も前に、最初に仕事に就いた場所が、高槻だった。京都から近いわりには、住んでる沿線が、全然違う方向なので、それまで全く行ったことがなかった。その高槻に8年、それから後は、ずっと北河内の方面に勤めているので、考えてみれば、あっち方向に係わったのは、実はその8年だけである。3月31日の最後近くの新幹線に飛び乗り、翌4月1日、朝8時半には、その高槻の職場に入ってたときの、何とも言えない悔しさとか、虚しさとか、そんなものを、かつて毎日のように通っていた頃には、どこかに吹っ飛んでいた、最初に高槻に足を踏み入れたときの気持ちを、今、こうやってたまに訪れる高槻に行けば、不思議と思い出してしまう。まさか帰ってくるとは思ってなかった、その思いが強く、ここは自分のいる場所じゃないとの思いで包まれていた自分を思い出すのである。いっそのこと、それまで借りていたアパートを、そのまま借り続け、長期休暇に入ると、ずっとそこで暮らそうかとも考えたこともあった。なんか、自分だけの居場所のようなものを、初めて見いだしたような若き日々の思い出の詰まった、何ものにも替えがたい場所。今から考えれば、ほんのちょっとした勇気というか、大胆さが欠けていただけなのかもしれない。最初に感じた居心地の悪さというもの、それは、自分の仕事に対するのりの悪さから来ているのかもしれない。だから、居心地のいい逃避場を、直感的に求めたのかもしれない。なんか、自分の1番いい季節が終わったのを思い知らされたのが、高槻であったのかもしれないなぁ、今から振り返れば。その高槻を懐かしく思う。歳を重ね、苦い思いでも、いつしか薄れていきつ、また戻りつと、そして、また齢を重ねていくのだろう。




2001年5月13日(日)午前9時01分

 週1度のトルコ語の授業に復活してから、1週間が経つのが早く感じるようになった。一応予習と言えるほどのものではないが、それらしきものをやったり、どうせ毎回打ち上げをしてくるので、家に帰ってからだと寝るだけなんで、それまでにネット巡りをしたりと、時間がいくらあっても足りない。そんな土曜日だから、仕事があると、そりゃもう、K会館に着いた頃になると、疲労満杯の状態は毎回のこと。でも、まあ、日本人の前でトルコ語を話す緊張感が加わり、どうも気が引けていけない。それに、中途参加者だから、ちょっとだけど遠慮もある。昨日は、夜6時からということで、終わって、K氏お奨めの某メイハネへ直行。K氏の彼女も、遅れて参加。私的には初めてのお目見え。場所は、K氏お奨めだけあって、なかなか小綺麗なお店。ちょっと入るのに後込みしてしまいそうな小綺麗さ。食べて食べて、卵づくしで食べて、満杯。Tさんが、GW中に行って来たトルコ旅行の写真を見せてもらった。ディヴリに行って来たというので、黄紺は、色めきたってるのに、トルコ人のK氏も、アイシェ・ハヌムも、「それ、どこ?」。シワスから行くんですよ、シワスから。シワスのエスキ・ガラジからミニバスが、なんとカンガル経由で行くんですって。但し、2時間半、片道。世界遺産に指定されているウル・ジャーミーとメドゥレセがあるくらいで、あとは田舎。写真を見せてもらった限りでは、「行かなくっちゃ」モードに入っている。昨夏、シワスに立ち寄ったとき、行くつもりだったのが、エルズルムでのサッカーに間に合いたいばかりに、そそくさとシワスからエルズルムに向かっただけに、残念至極である。まあ、知ってて行かなかったんだから仕方あるまい。Tさんの話によると、最近、ディヴリを訪れる日本人が増えているとか。前は、全然来なかったそうだ。となると、こりゃ、当地を某誌に紹介したOくんの功績大、ということになるだろう。
 昨日は、この会に行く前に、夏のトルコ行きの飛行機を抑えようと、某社に電話をした日でもあった。数日前、もうこの頃は、この2社から選ぶと決め込んでいる当の旅行社に電話を入れて、今夏は、冬のキプロス行きとは異なる方の旅行社を選んだ。時期さえ合えば、1度エジプト航空で、カイロ経由で行ってみたいと思っているが、8月も中旬近くなってくると、もう金額的には手が出ない。だから、このチョイスは、来年に残しておくとしよう。今年は、シンガポール航空にした。今のところ、8月8日出発、8月27日早朝帰国というやつを選んだ。帰国後、そのまま職場へ直行である。シンガポール航空の帰国便のシンガポールでの乗り継ぎが、めちゃ悪くなっている。早朝着いて、その日の夜行便しか乗り継げなくなっているのである。一応、飛行機は4便ともゲットできている。このままで行ければいいのだが、あとは、8日に出発できるかどうかである。この心配も、今年限りかと思うと、正直ほっとする。今年は、アンタクヤ、オスマニエ、イスケンデルン、サマンダーなんかを細かく回ってみるつもりだ。そして最後は、またディヤルバクルにするか、久しぶりにアダナから飛ぶか、ただいま思案中である。




2001年5月9日(水)午後9時41分

 掲示板にも既に書いたが、今年は、水曜日の真っ昼間に、大阪市内に出かける出張が多い。それも、む、む、む、む。鶴橋近辺である。もう、この出張が決まり、なおかつ、場所が、この辺だと分かったとき、心の中でガッツ・ポーズしちゃいましたね、私。大体、出張は、5時頃にお開きになるので、ぶらぶらと鶴橋方向に歩き、更に、そこから、朝鮮市場を抜けて、そう、目指すは「アリラン食堂」。今、知る限りでは、最も韓国のシクタン(食堂)似の韓国料理店。鶴橋で、一番と思ってるから、恐らく日本で一番韓国そのまんまの店である。メニューがそのまんまだし、店の中で流れるTVは、韓国のそれだし、出てくる料理には、必ず小皿が5皿程度付いてくる。こんな店は、ないよ、日本では。韓国料理店を名乗ってる店数多い中で、ここまで、そのまんまの店はない。今日の注文は、オジンゴ・ポックム(イカの炒め物)である。これを置いている店を、私は、日本で、他に知らない。この店は、カムジャタンやポリパップまであるから、もうここまでくると、韓国へ行く気が失せてしまうほど、何でもある。これを、何度も出張帰りに味わえるなんて、なんて幸せな出張なのだろう。むふふ。独りでに、笑いがこみ上げてくる。
 今日は、隙間を見つけて、夏の旅行計画を立てる第1歩の日でもあった。連休明けに、幾つかの旅行社に電話をして、航空券のお値段を聞くということをやるその第1日である。聞いてみると、この間円安が進んだ関係か、ちょっと高め。今年も、恐らくハイエスト・シーズンにしか行けない黄紺は、主に8月上旬から中旬にかけて聞いてみる。今のところ、エジプト航空に狙いを定めてみようかと考えているが、二の足を踏むようだと、シンガポールかな、というところだ。「恨み節」のキャセイは、どういうわけか、えらくお高い。今年こそは、ようやく憎っくきキャセイと縁が切れそうである。ほっ。




2001年5月5日(土)午後11時25分

 GWの後半の4連休に入っている。前半の3連休と違い、全く静の構えである。今日で、4連休も3日目に入るが、買い物以外で外に出たのは、弟の家と、嫁さんの実家に、韓国土産を持っていったことと、さっきまでトルコ語の教室に参加して、打ち上げをしてきただけである。世間では、見たい映画があるというのに、また、Jリーグの試合があるというのに、何もしないで、ただ目が覚めれば、酒を飲み、何かを食い、また寝るという生活である。そして、起きてれば、PCに向かうという、全くおたく系の生活を続けている。あまりにも、同じ格好で、座っては呑んでる生活を続けているため、足の方が、悲鳴を上げてるという状態である。とにかく韓国以来、よく眠る。今までの疲れを、全て、今癒してるように、よく眠る。そして、今まで、時間が、自分の時間がなさ過ぎて、かえって自分の時間を作ろうと躍起になっていたが、いざ時間ができすぎてしまうと、全くの放心状態というところか? GW後半の4連休も後1日。今日は、シュクル・サラチオ−ルで盛りに盛り上がるフェネルとガラタサライの一戦である。実にタイミングよく、この試合が組まれたことだ。もう既に、発砲事件が起きてる由、新聞で目にしている。こういうときにカドゥキョイにいられればと思うのだが、、、。GWの最後の1日、この試合結果を楽しみに、また、もう1日、同じことを繰り返しますか。あっ、そうそう、totoも買ってあるので、Jリーグの結果を見るのを忘れないようにしなくっちゃ。




2001年5月3日(木)午前7時23分

 今回の韓国旅行で、おもしろい2人連れにあった。雨の強かった日曜日、海南(ヘナム)の近郊の大興寺(テフンサ)の入山口で、お寺までバスがあるそうですよと声を掛けられた。そこまでは分かったのだが、それ以上、韓国語で喋られると、さっぱり分からない。「韓国語、よく分からないんですよ」と言うと、「えっ、日本人ですか?」と、いやに流暢な日本語、だが日本ネイティヴの日本語ではない。後で分かったのだが、かつて北大に留学経験のある方ということだった。そして、どういう事情かは聞かなかったが、現在シドニー在住ということだった。シドニーからソウルに入り、すぐに、この遠く離れた海南まで来られたとか。お連れさんは、木浦(モッポ)の某銀行の支店長氏、この方は、日本語をご存知ない。シドニーから来られたKさんの通訳でお話しすることができた。銀行マンのYさんは、明るく冗談好きのお人。お寺のさる坊の横にあるトイレを指して、いかにも坊の解説をするふりをして、「あすこは、君の心配事を解決するところだ」とおっしゃる。そのまま通訳してくれたKさん、それが、トイレのことだと分かると、顔を真っ赤にして、かつがれたまま私に通訳してしまったことを詫びておられました。
 そのKさんに誘われて、ある僧坊に入ると、1人の尼さんが迎えてくれた。すると、その尼さん、お祈りをしてあげましょうと、名前と住所を書くお札を、1枚私に差し出した。ひょっとしたらと思いつつ、言われたとおりに書くと、蓮の花をかたどった作り物に、そのお札をぶら下げてくれる。が、次の瞬間、きっちり3万ウォン請求されてしまいました。通訳をしながら恐縮しまくるKさん。いやいや、信心ものだからと、無宗教の私と雖も、返してくれとは言えなかった、です。GWに韓国に行くと、丁度旧暦の花祭りの時期に相当する。だから、そのための飾り付けなどでいつもと違うお寺だが、その飾り物の1つに、私の名前もぶら下がったというわけである。無病息災、家内安全、この際、いっぱい祈っておいてもらおう。当の尼さんを加え、4人で喋っていると、Kさん、何やら口ごもっている。私の聞き取れた韓国語だと、Yさんと尼さんが、大興寺も秀吉の侵略について話している風情なのである。どうやら、今話題の「侵略」という言葉を通訳しようとして、Kさん、口ごもったのである。「あっ、秀吉の侵略のことですか?」と、私。ぱっと明るくなるKさんの顔。またKさんが通訳をすると、いっぺんに話が弾む。「だって、韓国のお寺、ほとんど山の中にあるじゃないですか。そんな山の中のお寺が、秀吉軍に、ぜーんぶつぶされてるでしょ。で、これが、侵略でなくて、なんなのですか?」と応える私。これは、本当に、そう思ってるし、日本の人たちに、1人でも多く知ってほしい事実である。こんな山の中まで、といつも思ってしまうからである。ほとんどの韓国のお寺は、それ以前のもので残っているのは、石で作られたものだけなんだから。みーんな、焼き払ったって、こと。Kさんのおかげで、そんな話もする機会を与えられた。感謝、である。
 旅行中、昼ご飯を省く習慣のある私は、お昼の誘いを辞退しなければならなかったのは残念なことだが、ご一緒できたらできたで、また新たな機会を持てたのかもしれないが、これにより(↓)のピンチをも、経験できたのも事実である。最後は、友達らとの昼食会場に向かわれるお二人の呼ばれたタクシーに同乗させてもらい、海南のバス・ターミナルでお別れした。最近、あまり使わない「カムサハムニダ」を、少し背筋を伸ばして、心を込めて言うことができた。うーん、いい人たちに出会うことができた。




2001年5月2日(水)午前3時59分

 GW恒例の韓国旅行。今年は、何とか順調に行って帰ってこれた。ま、こんな書き方ができるのは、ちょっと久しぶり。ちょっとしたピンチがあったというわけである。それは、後から書くことにして、順を追って、行程を押さえてみると、今回は、とにもかくにも康津(カンジン)をベースにして、その周囲に足を向けるという構想である。康津は、南西部の隅っこ、韓国人にも、知ってる?と聞いたくらいの地方都市である。都市というのは、ちょっとばかし無理があるかもしれない。それほど小規模である。釜山からだと、順天(スンチョン)まで高速、それからは地道を1時間半ちょい、である。計、4時間40分のバスの旅である。
まず、車窓からの眺めが、いい。宝城(ポソン)を過ぎると、懐かしい一昔前の韓国を思い出させる光景が現れる。伝統的家屋が、ときどき目の前に現れる、棚田が生きている、道の両脇に木立がある、そんなところは、ほんとに韓国で、少なくなっている。その数少ない風景に出会えるところである。その康津に泊まりながら行こうとしたのは、珍島(チンド)を旅の果てにしたかったからである。釜山からダイレクトに行くと、6時間くらいかかる。そして、珍島までいきなり行ってしまうと、後の身動きがとれなくなる。そういう意味では、康津は格好の場所にある。珍島に行く目的は、行く前は、本土との間にかかる珍島大橋を渡ること、これである。あとは、珍島犬の生を見れればいいぐらいであった。珍島の資料なんて、全く持ち合わせていないので、韓国版時刻表を見ると、民俗博物館なるものがあると書いてあるので、とりあえずそこへ行こうかと、あてもなく町中をぶらついていると、行政区画に出くわした。なぜか、その一隅に、インフォメーションがある。おそらく行政サービス用なのだろうが、日曜日にもかかわらず、窓口に人の良さそうなおじさんが1人座ってる。それまで、町を歩くことを楽しんでいたので、件の博物館の場所を聞いてなかった。チャンスとばかり聞くと、わざわざ中へ入れてくれて、親切に話に乗ってくれる。このおじさんの、めっちゃたどたどしい日本語と、同じくめっちゃたどたどしい私の韓国語で、何とか意志疎通ができる。すると、民俗博物館は、改築中で12月まで閉鎖であること、南道石城(ナムドソクソン)が、いいとこらしいということが分かった。南道石城へは、バス・ターミナルから、3時にバスがあることも教えられる。帰りは、5時50分だということで、随分と躊躇したが、そのおじさんの、康津までは、まだその時間だったら、バスがありますよの一言で、行くことを決心。その南道石城へ行くにも、アクシデントがあったが、着いたら着いたで、この城壁に感心しきりの黄紺。なんせ、(恐らく昔は)海に面したところに位置していたであろうこの高麗時代から李氏朝鮮時代の城壁が、ほぼ昔通りに残り、城壁内でも、家は改築されてはいるが、石積みをした囲いに囲まれた家々は、かつての面影を連想させるに十分な代物。完全に、私の、「韓国ブックマーク」入り。
 ここまではよかったが、帰りのバスが、5時50分に来ないのである。時間に正確な韓国のバスが来ないのである。夕方、もし来ないのなら、15分歩いて、幹線道路に出てヒッチハイクをしなければならない。来ないのなら、待てば待つほど、夕闇が迫っていく。えーいとばかりに、6時10分になると歩き出した黄紺。ピンチ! が、歩き出して10分余。向こうから、バスの轟音。思わず頭の中は計算機状態。あっ、5時50分は、バス・ターミナルを出る時間だ! 納得。やはり、時間に正確な韓国のバスだった。で、拾ってくれたバスが、珍島バスターミナルに着いたのが、6時50分。急いで、康津行きのバスのチケットを求めようとすると、おねえさんの強烈な一言、「今日の康津行きは、ないよ」。「えーっ」、絶句。あわてて、「海南(ヘナム)行きは、あります?」「7時出発です」。海南経由光州行きにそそくさと乗り込む黄紺。7時50分に海南着。またもやあわてて、切符売り場へ。「康津行き、1枚」「今日は、ありません」「えーっ」、またも、絶句。「ないの?」「7時30分が、最終です」。がっくり。仕方ないんで、タクシーに飛び乗りました。W14.700の無駄な出費でした。(つづく)




2001年4月28日(土)午前3時42分

 目覚ましは、午前4時30分に合わせてある。この分じゃ、寝る前に、目覚ましがなってしまうことになる。既に、4時間近く寝ているから、ま、いいかってところである。今日は、落ち着くまで、電車、飛行機、バスと乗り継いで、康津(カンジン)まで移動するだけなのだから。GWに、韓国に行くのは2年ぶりである。去年の天王寺の悲劇は忘れられない。あれで、数年間続いていた、GWは韓国でという習慣が途絶えてしまったのだから。今年は、絶対そのようなことがないよう、酒は特に慎んで、体調を整えるんだという決意は、もろくも崩れ去ってしまった。半アル中の黄紺は、ビール1本なら大丈夫と、自分に言い聞かせて、呑んでしまった。日が変わってからは、呑んでいないという久しぶりのことをしているので、自分的には、大丈夫と思っている。
 康津は、全くの地方都市。何があるわけではない。何もない。去年の夏、たまたま移動に便利と思い、宿を取っただけである。あの薄暗いバス・ターミナル、何か消えていく韓国を見た思いがした。そして、そこで出会った1人の老人。ちょっとの時間を見つけてトイレに行った私を待ちかまえて、バスの出発時刻が迫ってることを教えてくれたあのお年寄り、その2つが忘れられないので、気に入ったのである。それに、珍島(チンド)に近いし、海南(ヘナム)にも近いし、とまあ交通の要所にあるという利便性もある。前回終いかけていた市場も、ゆっくり見てみたい。何か書き出すと、結構出てくるが、先ず何よりも、最初の2つである。これで、韓国は、確か27回目である。今年も、あと、夏休みに、トルコに行く前にもう1度行くであろうから、年2〜3回のペースは維持される予定である。早く、ソウルの新空港も見たいし、、、。となると、釜山からソウルに抜けるから、5日間とらなっくちゃ。ああ、もう4時だから、このまま起きておこうーっと。 




2001年4月26日(木)午前3時45分

 ついにtotoを買うことができた。息子のおかげである。最初、どこそこに売ってるとこがあるというので、楽しみにしていたところ、そこは、払い戻し専門のところで、販売をしてないと聞かされ、がっくり。で、今度は、ネットで調べてくれた。自分のことは、いい加減にしかしない息子だが、人のことには親切なやつだから、きっちり調べておいてくれる変なやつ。そしたら、あるはあるは、、、、。ごくごく近所に見っけ、である。息子は、近所で買い、私は、仕事の帰りに、途中下車してゲット。これで、1億円の夢が。こないだも、息子と、1億円当たったら、どうするか考えていた。考えたら、バカな親子。簡単に当たるわけ、ないやろ! 息子が買った予想を聞くと、それが、実に堅実な勝敗予想。そんな予想では、1億円どころか、100万も、無理でしょ。そんなこと言い合いながら、今日、自分が買った勝敗予想を見て、愕然。金、儲けようという予想じゃーない。120万は、無理でしょ、というやつ。だけど、息子より、ちょっぴり大胆な自分に満足。だけど、こんなことで、息子をライヴァル視して、どうするねんと、自分で突っ込んでる黄紺です。
 職場で、toto買いたいんですー、なんて言ったことあるんですが、その反応が、意外。「我々のような仕事をするものが、、、、?」と、最後に「?」が付くのである。なんで、なんで? 元々、ヨーロッパ志向の黄紺にとって、totoなんて、日常生活の枠内で当たり前のこと。疑問にすら感じたこともなかった。ドイツ在住経験のあるIさんが、そのように言ったことが、自分的には、最も意外だった。そんなものかな? 私って、野放図なんだろうか? 息子と、きゃーきゃー言って楽しんでるって、変なのかな? 




2001年4月24日(火)午前4時25分

 どうもぱっとしない日が続いている。この1週間ほど振り返ってみると、楽しいこと、嬉しいことと、嫌 なこと、ちょっと鬱陶しいこと比は、2:8ぐらいか。いや、もっと悪い方にシフトしているかもしれない。 まあ、楽しかったことだけを、頭に置いて今週を乗り切りましょう。この週末は、韓国なんだから、鬱陶し いことを残していたら、韓国がおもしろくない。楽しかったことの一つだけ記しておこう。土曜日、日本ト ルコ文化協会主催の「トプカプさろん」があった。羊々舎の管理人さんも、鎌倉からお出でになるとの連絡 を受け、また、その旨を、かつてトルコ移住計画推進のため、羊々舎氏のご経験を伺いに、遠く鎌倉まで出 向かれたことのあるM氏に連絡すると、M氏も参加された。私は、羊々舎氏とは初対面だったので、M氏か ら紹介してもらい、お話をする機会をもてた。翻って考えてみれば、ネット上で知り合った方とお会いする のは、初めての経験で、嬉しいやら、ちょっぴり緊張やらで、いい時間をもてた。そもそも、羊々舎氏のこ とは、ご本を出されていることから、以前よりお名前を存じてもいましたし、また書かれているものからお 人柄が伺えていたところ、以前、日本トルコ文化協会のHPに、私が、ドイツ社会に生きるトルコ人社会を ゲイの視点で描いた映画の紹介の書き込みをしたところ、それに反応していただいたため、私のHP開設に 当たって、URLをお知らせした次第だった。普通は、1度の書き込みに対して、そこまでの反応を、私自身し ないのだが、あの映画の出来はともかく、あの映画の素材に反応していただいたことが、とても嬉しかった のである。
 「トプカプさろん」では、その他、講演者のドクトル・今松氏はもちろん、久しぶりの人では、akkedi氏、 それに同業者のS氏に会うことができた。Sさんは、カドゥキョイに居を構えてしまった人である。今、そ の一部屋に、ドクトル氏の友人が住んでおり、その彼も、今、日本語を勉強するために、日本に来ており、 その彼も見えていた。Yくんという名前だが、彼から、その住まいの場所を詳しく聞いたたので、カドゥキ ョイへ行けば、ぜひ訪ねて行かねばなるまい。彼は、私の、カドゥキョイでの定宿というか、住まいという か、そのホテルのことを、よく知っていた。前の経営者は悪いやつでねぇにびっくり。「いい人ばかりだ よ」と言うと、「今は、ね」ということだったので、一安心。てなことで、Sarhos oldum.





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