2007年 5月 4日(金)午前 8時 46分
昨日、ちょっとした悲劇に襲われた。昨日の「GUNLUK」↓には書いてなかったんだけど、同じことが、5月1日にも起こっている。落語会に行こうとして、実際、その場まで行って入れてもらえなかったのだ。1日の方は、東三国の喫茶店であった吉坊の会。小ぎれいな喫茶店に高座が設えてあったが、なんか、内輪の会の雰囲気だった。あまり入れたくないと思ってるなの印象を持ってしまったので、さっさと引き返した。繁昌亭の昼席が終わったあと、時間まで、南森町のネットカフェで時間潰しをしていたのは、何だったのでしょうとは思ったのですが。東三国の駅前の「Sレストラン」の、決してお世辞にもおいしいとは言えないハンバーク定食を食べたのは、何だったのでしょうね。それと、よく似たことが、昨日も起こった。昨日は、昼間、大江能楽堂で観能をしていた。それが終わると同時に、三条から京阪特急に乗り、京橋経由で鶴橋に向かい、雀のおやどへ行くと、満杯状態で断られてしまった。あすこの、あの会って、予約制だったんだ、知りませんでした。こないだ、雀三郎の「つるっぱし亭」に行ったとき、その辺のことを、席亭さんに確かめようとして、去年も、大丈夫だったから、ま、いいかと思った私が、野ツボほりました。黄紺も、落語会体験長いけれど、東三国で断られたのが、初めて。で、昨日が、2回目、しかも、2連続。なんか、時代が変わっていく感じ。2日とも、日を選んで、ものを選んで行こうとしてるから、ましてや、ダメと判る時間が、直前なもので、替えが効かない。ダメならダメで、予め分かってるのなら、いくらでも替わりに行きたいものがあるのにと思ってしまうのです。それが悔しいし、貴重な時間、昨日なら、京都までの単純往復2時間、1日なら、ネットカフェでの時間潰しを含めると、3時間半ほどが、勿体なくてねぇ。ところが、この2日が、寝付きがよくて、不思議な巡り合わせです。ま、ふて寝というやつですが。
ところで、昨日の観能だが、ほぼ1ヶ月ぶり。観能は、3月の末に行ったきりだ。昨日は、大江能楽堂での大江定期能だった。大江定期能の年間の予定表を見ると、昨日の会が秀逸、番組的に言えばだが。1年に1度は、大江能楽堂には入っておきたいものね。そんなこともあって、昨日の昼間には、生喬のいい会が、ワッハの7階であったのだが、それを捨てて、行ってまいりました。そのいい番組とは、能「梅枝」「舎利」狂言「悪坊」だった。こういった組合せの会って、そうはないんじゃないかなぁ。まず、「梅枝」は、「富士太鼓」と同工異曲だということで、今年は、ちょくちょく出るようだが、普段は、滅多に出ない。「舎利」は、曲として軽んじられてるのかなぁ、出そうとされないという実感。「悪坊」も、こういった普通のお稽古能では、置かないよね。とまあ、そないな感じの番組が、大江能楽堂だと、そそられました。いつも座る2階席は、いい場所と知った人たちが、早々と押さえており、1階の一番右端の出入り口脇に陣取りました。そこからだと、ばっちり幕も見えるいい場所。橋がかりと、舞台とを合わせてみると、かなり遠近感がおもしろい。「梅枝」だが、こちらの方が、複式夢幻能という世阿弥様式定番型、これを取るか、「富士太鼓」の現在能を取るかだけの選択だが、「梅枝」は人気がない。「富士太鼓」と、そんなに異なる印象は、正直持たないが、「富士太鼓」のあっさり感は、呆気なさにも繋がるので、「梅枝」が、もっと上演されてもいいとは思うのですが、、、。大江又三郎のシテは、謡に情感が籠もっており、ドキッとするところが、何カ所かありました。この曲のワキツレの有松遼一さんは、初物でした。次いで、「舎利」はおもしろいねぇ。前場は、ほぼ、正中で下居してるだけ。ま、よくあるパターンかな。それに反して、後場は、一大スペクタルとなります。おもしろいなぁ、ホント、能って。お伽話のような仏教説話が本説。「韋駄天」というのは、「足の速い人」の代名詞になっていますが、その基になったお話。能では、足疾鬼が奪った仏舎利を、韋駄天が、猛スピードで現れ、追っかけ回し、取り返すという物語。「おんどりゃ〜、なに、してけつかるねん」と、早笛で、韋駄天が出てくるところいいっすね。そのあとが、また、能の手法での追っかけ、速く、ぐるぐる追いかけ回すのは、逆にゆったりスピードで表すという独特のもの。だけど、橋がかりを、あっち行ったり、こっち行ったり、すれ違いざまに手を出すんでしょうね、それをかわしたり、天蓋から、どさっと落とされたりと、いろんなことをやってくれます。おもろいわぁ〜。最後は、「これ、返すから、ごめん」てな感じで、韋駄天に、仏舎利を返します。可愛げな仏舎利盗人です。面は、だけど、怪士形のいかついもの、それがやりこめられてしまいます。そして、奪い返した韋駄天は、見得を切るどころか、さっさと戻って行ってしまうという早業、ん、確かに速い。こういった曲が、最後にあると、気も軽やかに家路に着けるのだ。何も、しゃっちょこばったものじゃないのが、能なのです。もう一つ、「悪坊」。あきらが、その無頼漢を演じ、脅される僧を、松本薫という組合せ。三遊亭円朝の人情噺などを、志ん生で聴いていると、この狂言の主人公のような無頼漢が、たくさん出てくる、簡単に、人を殺めたり、傷つけたり、脅したりと、、、そんな男が威張り、最後には、立場が逆転するというもの。そないなぶいぶい言わせる男がいて、眉をひそめる善男善女がいてという世界の物語です。笑い飛ばしたいけど、そんな日常の風景を連想すると、笑うに笑えないですね、これって。
そんなで、どうも、思い通りにはいかないGWです。明日は、また、仕事なんで、今日は、思い通りに事が運びますようにと、念じておきましょう。
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