忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2007年 12月 16日(日)午前 8時 35分

 木曜日の夕方あたりから、腰のだるさがひどくなり、かなり疲れが溜まっているなの実感があったのですが、気温が低いと、それ相応の疲労と感じない傾向があります。ですから、実感以上に疲れてて、どこかで悲鳴が上がってしまいます。どうやら、それが昨日だったような気がします。落語会に行っても、ボーッとしてる、挙げ句の果てには、こっくりきちゃう、夜は、呆気なくダウンという具合です。そんな土曜日、昼、夜と、落語会に足を運んだ。
 昼の部は、伝統の田辺寄席だ。半年ほど無沙汰をしていました。いい番組だから、行こうかなと思うと、更に、気になる会があったりで、無沙汰をしてしまったというわけだ。番組は、三四郎「犬の目」、文華「打飼盗人」、文太「444号笑呆亭〜江戸荒物〜」、(中入り)、春野恵子「お夏清十郎」、あやめ「OH!舞妓(マイガール)」だった。もちろん、恒例の開口0番として登場した文太は、この日は、「騒ぎ」と題して、自らの出囃子「騒ぎ」にちなんで、出囃子解説。たまの「長崎騒ぎ」も、歌入りで紹介されましたが、歌入り出囃子の是非の件も話題にされてました。文太の「騒ぎ」は、東京では、小朝が「吉原騒ぎ」という題で使ってるということでした。若い頃は、20〜30くらい出囃子が打てれば、驚かれたが、最近は、数が多くて、若手は大変だと言ってました。同じ手が使えないということでしょうが、その代表的な手のパターンも紹介されていました。短かったが、とてもためになるお話でした。上にも書いたように、三四郎の口演の後半当たりから、やばいぞと思い出し、文華、文太の二人の巧者の口演は、ほぼダウン状態。もたいないこと、この上ない。三四郎は、ますます、噺家らしくなり、安心して聴いてられる口調となったと完了形で書いていいと思います。ネタの方も、いろいろとくすぐりを放り込んだりして、逆に、前座なんだから、さらりとした方が、いいんじゃないかと思ったくらい工夫が入ってました。後半は、女性二人。この辺は、あやめも話題にしてました。丁度、女性が多く出る繁昌亭の昼席から駆け付けただけに、臨場感がある。「美人のピークですと言っては、女流の会では、皆、降りてくる」「最後が、都さんで、どっかーんやからね」には、大笑いです。ただ、ちょっと、お二人とも、風邪をひいてるのか、声の調子は、本調子ではありませんでした。あやめは、舞台上でも咳き込むほどでした。春野恵子も、なんか疲れた声。高温が、元々弱いということもあるが、声の伸び、張り、艶、いずれも、こんな調子じゃないでしょという感じでした。ましてや、会場の音響が悪いこともあり、拡散しますから、余計に、こういった印象を持ってしまったのでしょう。この人の会場入りが、丁度、我々が入場時。列を掻き分け、曲師の沢村さくらさんと入って来られたが、やっぱ、そのときの雰囲気は、女優さんです。その辺で見かける女性じゃありません。そんな印象があったからでしょうか、会がはねて、外に出てきますと、今度は、軽くセーターなんかを引っ掛けた春野恵子がお見送りにロビーに出たはりましたが、そのときは、女優のオーラを脱ぎ捨てた隣のお姉さんでした。ネタも、ホントは、もっと長いんでしょうね。ストーリーも呆気なく、ちょっと物足りませんでした。あやめのこのネタは、初体験。あやめ襲名披露用に書いた新作だということです。襲名披露用には、最初、「小倉船」なんかを考えてて、師匠に相談したら、あやめらしいものを勧められ、結局、ハメ物入りのこのネタを書いたということでした。昨年来、久しぶりにかけだしてるということでした。田辺寄席は、中入りも、すっごいです。世話人の方々に、頭が下がります。この日は、大根汁が振る舞われました。
 夜の部は、繁昌亭。田辺寄席がはねて、まっすぐに行って、丁度、開場直後。大根汁のおかげで、晩ご飯は食べずに入れました。この夜は、毎月開催の「あほの会」。これで、3度目になるでしょうか。あほのメンバー直々、受付をされておりました。この雰囲気、いいですね。で、この日の番組は、前半、中入りまでが、「しょっちゅう聞く噺」で、由瓶「狸さい」、勢朝「大安売り」、染太「いらち俥」というラインナップ。後半が、「めったに聞けない話」で、右喬「疝気の虫」、笑丸「虱茶屋」、仁福「住吉詣り」、最後に、あほ全員(仁嬌を除く)で、南京玉すだれ、総踊り形式だった。「狸さい」は、変形版。これが、未だ聴いたことのない九雀版「狸のさいころ」なのでしょうか? 「1」は両目をつぶって口、「4」は、三目小僧に化けて口を開けるなどなど、変型が目立つが、とっても人間世界に歩み寄った狸だった。こういった中に入ると、勢朝は格が違いますね。これ以上の「大安売り」はないでしょう。右喬は、大爆笑のマクラで、ネタに入るとシーン。これを、予告してるんだから、おかしいね。ただ、ネタの運びがおかしい。結末をばらすようなことを、予め言っちゃいけませんな。笑丸のぼそぼそ喋りが、後半の、踊りの部分との対比が生まれ、おもしろいものがあるのですが、まだまだ、型を押さえてるって感じで、流れているとは言い難いなって感じですから、今後の発展を期待しましょう。なんせ、フィジカルの優れた方ですから。で、問題のネタです。「せむし」の旦さんが、住吉さんに「卯の日詣り」をしたいんだけど、自分の姿を見たら、お茶屋に寄っても、誰もよりつかないと嘆いていると、出入 りの磯八という男が、いいアイデアがありますと。「かったい」の変装をします。糊を使って、顔に綿や何やらを貼り付けて変装するのです。住吉さんに詣ると、みんな、「せむし」の旦さんよりか、「かったい」の磯八の方ばかりに気をとられます。要するに、嫌がります。「乞食」までも、「せむし」より、「かったい」を嫌がリます。「放し鳥」で、物乞いをするという風物が入ります、ここで。そして、参詣の帰りに、お茶屋に寄ります。仲居やら何やら、店 の者は、「せむし」の旦さんの周りばかりに集まります。「かったい」の磯八は、思惑が当たるのですが、意地悪をしようとして、仲居にくっつきに行きます。すると、仲居は嫌なものですから、ついには箸で、磯八を傷つけてしまいますので、さすが、磯八も怒って、顔の変装を解きます。すると、豹変をした仲居は、「せむし」の旦さんも変装だと思い、「そこの旦さんも、はよ、背中のいかきを取りなはれ」、、、これが、サゲです。すごいネタです。かつて、米之助1周忌を記念した追善の会で、ざこばが、米之助ゆかりのネタということで、口演をしたときには、ネット上で、出すこと自体、随分と議論となりました。いや、議論というよりか、否定的なところから、意見は出ていました。今、そのサイトが閉鎖されたなかで、そういった議論の場があるのかもしれませんが、世間の考えは別にしても、この内容からして、黄紺は、否定的な意見を持ってしまいます。ましてや、昨夜の席のように、一見さんが、多いことが予想される中で、これは無理です。「かったい」どころか、「せむし」という言葉も解らない人、多数でしょう。知り合いに、「かったい」という言葉が解るかと聞くと、かなりの教養のある人なのに、わからないということでしたから、無理です。もう、学術的な場、ないしは、落語のことをよく解ってる好事家の集まる会以外では、あかんでしょう、このネタは。
 そんなで、日曜日の朝です。今日は、朝から忙しいのです、もちろん、遊びにです。




2007年 12月 15日(土)午前 11時 2分

 週末を迎え、また、この1週間を振り返ろうとしているが、今週は、大阪韓国文化院主催を行われた「2007 大阪韓国映画週間」を中心に動いた。既に、落語会のチケットを買ってあったものもあったので、先週の土曜日の1本を入れて、この期間に上映される映画8本(短編集を除く)の半分を観ることができた。午前中と夜という日に2回の上映ペースで行われたものだから、結果的に、このようなものとなった。
 その中で、最高の作品と、これは、太鼓判で一押しと言える作品が、月曜日(12/10)にあった「妻の愛人に会う」だ。丁度この日は、上映後、キム・テシク監督も参加されたティーチインもあり、その制作意図も聞け、とてもお得感を味わった。しかも、監督は、今村昌平主宰の日本映画学校の出身者ということで、日本語も堪能、とても、楽しく、有意義な時間をいただいた。映画は、妻を寝とられた男が、寝とった男の女を寝とり返す映画。そこには、女側の論理は登場させず、敢えて男側の論理だけで押し通し、男の身勝手さの可笑しさを引き立たせます。秀逸な発想、秀逸な脚本です。寝取られた男は、ヤンヤンのターミナルからバスに乗ります。寝取った男は、タクシー・ドライバーで、ソウルの男。ヤンヤンからソウルに向かい、自分の家のある洛山(ナクサン)までの旅。その旅が地道を走るものだから、景色の変化が豊かだから、そのおりおりの気分を、おもしろおかしく描かれる。それが、前半の見せ所で、ある意味では、後半の仕込み部分。後半は逆転の発想で、映画が進む。とにかく、寝取られ男のキャラが最高、俳優が、更に、最高。キャラのおかしさ、行動のおかしさで、くすくす笑い多数の映画です。映画が終わったあと、監督が登場。監督によると、寝とった男も、寝とられた男も、実は、これは、男の持っている二面性を表してるんだと言っていました。なるほどと思わせられ、この映画の深さのようなものが見えた思いがしたものです。一般公開される可能性もあるそうですから、要マークの映画です。いや、ぜひそうして欲しいな。
 2番目に推すもの、3番目に推すものの差はありません。先週の土曜日に観た「眩しい日」と、火曜日(12/11)に観た「ソウル・ウェディング 花嫁はギャング・スター」です。花嫁役は、香港の女優で、カンフーの達人、そののちに花嫁となる女は、香港マフィアのお嬢様というわけで、実母が韓国人という設定。身を隠す目的兼母親探しを兼ねて来韓。そのお世話をするのが、とんまなちんぴらやくざ。間に立つ通訳女の変貌ぶりは、香港から来た女の達人ぶりが判ってくるのに比例している。そこの頓珍漢な通訳ぶりが、一番、笑いが生まれたところ。ちょっとしたドタバタ劇に、カンフー・アクションが加わるという映画です。ちんぴらコメディーなんだけど、私が観た4本の内3本が、このジャンル。韓国映画の全容は解ってない黄紺ですから、この割合、人気の出る映画が、この辺が多いのか、その辺、どうなってるのでしょうね?
 4番目の評価をしたのが、これまたやくざ映画「優雅な世界」。こちらは、木曜日(12/13)に行った。一人のやくざが、極道な生活を送るものだから、妻や娘は、あいそつかしをしていくが、そのやくざは、家族のため、いい生活をさせようと、やくざ稼業を続けていく。最後は、一人ぼっちになってしまって、離れていった家族のビデオを、超大型モニターの前で、インスタント・ラーメンをすすりながら観ていて、己に癇癪を立てて、丼ぶり鉢を投げ捨て、そして、それが割れても、結局、自分自身で片付けなければならないという物悲しいシーンで終わっていくといきます。ちょっとベタな映画でした。
 あとの2日は、落語会で満足でしたが、その内の1つは、水曜日(12/12)。B1角座であった「はやかぶの会」に行った。その前に、文楽劇場に行って、1月の文楽公演のチケットを買ってまいりました。こちらは、6時までに入らなくてはならないので、ちょっとだけ、角座の前で並んで時間潰しでした。で、番組は、文華「時うどん」、わかば「片棒」、瓶太「馬の田楽」、宗助「禍は下」、銀瓶「どうらんの幸助」だった。わりかし、この演者、このネタって感じのラインナップです。結構、疲れが溜まっていたようで、「時うどん」、「片棒」の途中でダウンとは、情けない話です。「馬の田楽」は、若い人、手を付けないですね。古臭いんかなぁ。お目当ては、銀瓶でした。このネタを、どうするんやろという関心ですが、最初の、「立ってんねん」「立って、何してんねん」で、くしゃ。ちょっとまともやったですね。胴乱の幸助の風格は、いいんだけど、最初の二人の男のボケ方が弱いから、くっきりとしてこない。稽古屋でのやりとりも、集まってくる人、ちょっとインテリっぽい。だから、ここでも同じ。そんなで、登場人物を楽しむというには物足りない感じがしてしまったが、やっぱ、このネタ、良くできています。ホント落語らしいネタです。宗助は、また、何やら新味を見せるかと期待したのですが、残り少なくなった「今年」を、「髪の毛」と言い換えて受けたところだけ。しかも、マクラでしたので、ネタでは、普通のものでした。
 もう1日は、昨日の金曜日(12/14)の繁昌亭。「染二プラスONE 年忘れ特別編〜伊達競染米噺〜」と題された林家染二の会だった。番組は、染二・米左「地獄八景亡者戯〜(染二)発端から三途川船中の場、(米左)六道の辻から大詰〜」、小米朝「胴乱の幸助」、(中入り)、染左「蔵丁稚」、染二「一文笛」。小米朝と染二のトリネタは、公表されてなかったが、これだけ並ぶと、これは、重厚、すごい落語会となった。なんせ、いきなり「地獄」です。ま、旅ネタだから、この位置でも、いいんだけど、この位置に置いたものだから、それとのバランスをとると、こないになってしまうのでしょう。まず、「地獄」だが、初めて聴きました、「軽業」から入る導入。ただ、こちらから入ると、すぐに三途の川まで行ってしまうので、時間はかかってるのだが、なにか物足りない感じがしてしまう。船中の場まで終わって30分を、ほんの僅か切れる時間。ここで、普通の交替をして、米左の登場。この米左も、ほんの僅かマクラをふってと、普通の入り方。同期の二人だけど、芸風は違う。自在に、ネタを転がすところが、後半部分に多いということもあり、米左の奔放さが、目立った口演だった。これは、米左にとっては、財産になるでしょうね。それを引き出した染二に感服、大拍手です。今年、何回か聴いた「地獄」では、1票を投じたい出来でした。「胴乱の幸助」には、正直、びっくりしましたが、この日も、銀瓶で感じたと同様の感想、持ちました。やっぱ、前段のあほの2人のの喧嘩、これが、ポイントなんですね、このネタ。ここで、温めて温めて、、、これができてると、意外な展開が、どよめきを生むんですね。今週は、それを見極めた週となりました。染左の「蔵丁稚」も、まだまだ時間が要ります。何が物足りないのでしょうか、熟練度からくる間合いとか、声の調子とか、その辺なんでしょうね。だから、これは、時間をかけてかけて練り上げねばなりません。見守っていきたいと思います。「一文笛」は、出されてみれば納得。米左を喚び、米朝系を締めようという気合いです。それには、このネタ、心意気です。しんみり系じゃないけど、明るくされると、余計に、もの悲しさ、増しますね。かなりヘビーな会だったので、週の最後で聴くと、結構、お疲れでした。
 ということで、「ちりとてちん」の1週間まとめて再放送を観ながら書いています。これだけ、続けて観ると、脚本、落語のこと、よく分かった人が書いてます。ちょっと、噂で、どういう人が書いてるかを耳にしたもので、納得しています。そんなで、もう、土曜日の昼前です。




2007年 12月 9日(日)午後 8時 36分

 昨日、土曜日は、朝早くから、お遊びモード。大急ぎで、こちらへの書込を終えて、すぐに外出。大阪まで向かいました。昨日は、朝・昼・晩の3部制をとったのでした。
 まず、朝の部は、心斎橋シネマートで行われている「大阪韓国映画週間」狙い。1週間、朝と夜に、韓国映画が上映されます。初上映ものが並びます。となると、またまた、おばさん集団が詰めかけることが予想されます。遅れませながら、前売り券を買ったら、「99番」という整理番号。「95番からあとは立ち見になるかもしれません」とありました。半ば諦め気味に、心斎橋へ。だけど、前から5列目に座れました。これは、ほぼベストの座席です、黄紺的には。ま、それはいいとして、観た映画は「眩しい日に」。韓国版ツォッツィだ。ちんぴらヤクザのところへ、実の娘が送り届けられる。それまで、施設に入れられていた子どもが、海外へ養子へ送られるので、その前に会わせたい、ともに生活させたいという触れ込みだ。そこから、はちゃめちゃな親子生活が始まる。徐々に、子どもを子どもと思い始めるちんぴら。となると、子どもは、それ以上に慕っている。そこへさして起こる、お待たせの、子どもとちんぴらへの不孝。それぞれが、相手を思い、慈しみという、これまたお約束の涙に、黄紺の目も包まれてしまう。やられたぁ、、じゃなくって、やられに行くのです。最後に、ちょっと小細工をします、この映画。「家族って、何だろう?」っていうメッセージも流れます。主演のちんぴら役のパク・シニャンが、いかにもそれらしくって、いいですね。子どもは、ぽっちゃりしすぎてたかな? これは、観た人なら、分かってもらえるとは思うのですが。朝から、いいスタートです。いい映画観ました。
 心斎橋から、お昼ご飯の関係で、四つ橋線経由で、梅田に移動。久しぶりに梅田シティに行きました。中庭では、「ドイツ クリスマス・マーケット」を謳い、建物まで、そのまんま、生誕物語のミニチュアまで作ってある。冬の風物詩再現というところか。これには、びっくりで、思わず写真を撮ってしまいました。梅田シティのシネ・リーヴル梅田で、噂のハンガリー映画「君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956」が上映されてるから行ったのでした。かつて、「ハンガリー動乱」と言われたソ連につぶされたハンガリー革命を扱ったものだ。まるで、ソ連軍が、一旦引き上げ、そして、再び、侵攻して革命を潰していくまでを、市井の人々、革命に身を投じた女子大学生と、その恋人の水球選手の背丈で、この事態の進行を表していく。 そういった意味では、ドキュメンタリー・タッチの映画といいでしょうが、この映画の優れた部分は、その水球選手が、五輪選手だということだ。メルボルン五輪に出場する時期と、ソ連軍の再侵攻が重なることから、この水球選手を登場させたことが、この映画に深みを出したと言えよう。 こういった映画に行くと、年配の方が多いですね。黄紺も、その一人ですが、こういった映画が、今まで、ハンガリーにあったかどうかさえ知らない黄紺に言えるものというのがあるわけではないが、最近、日本でも観れる映画に、今の社会、もう一つ前の社会、そういったものを総括していこうという雰囲気が、東欧の国々にも出てきているのだろうかと思ってしまうのだ。ハンガリーの革命も、市民の目線から描けるような時代に入り、対象化されだしていると把握していいのでしょうか?
 夜は、JRで、千里山という、今まで降りたことのない駅から歩いて10分ほどのところへ。摂津市民文化センターであった「桂雀々独演会」に行ってきた。全く、初めての駅、初めての会場だ。ときたま、独演会が開かれている会場ということは、頭にインプットされてはいたのだが、不便なこと限りなしのところでしたので、今回、初めてということに相成った。この日は、普通の雀々の会じゃない。「地獄」の出る独演会だったのだ。地域の人らが、自転車に乗って来るような独演会、また、会場が、落語会にぴったりのキャパ。で、番組は、歌之助「子ほめ」、雀々「地獄八景亡者戯」、(中入り)、ざこば「お玉牛」、雀々「一文笛」だった。朝から3部制の疲れからか、はたまた、前日の睡眠不足がたたったのか、「子ほめ」の終盤から、「地獄」の序盤の記憶が薄いのです。バカですね、こんないい会に行っておきながら。そんななか、肝心の「地獄」の目に付いたところ、渡船場の前の「正塚婆」のくだりはカット。三途の川を渡ると「観光案内所」があり、そこで、地獄の様子が語られるが、あまり得意じゃないのかな、歌舞伎や落語会のところは流し気味。念仏屋も軽め。いろんな宗教対応があることを、ちょっと膨らませた程度。ちょっと不満、この辺は。閻魔大王の顔は、笑顔でと、雰囲気が、ちょっと違う。カットできるところはカットして、膨らませるところは膨らませようとの判断みたい。渡船賃なんかを延ばしてました。一芸は、ヘッドフォンを使っての物真似。それで、計67分を要する熱演でした。今年聴いた中では、最もオリジナリティのある高座でした。
 昨日は、3部制と頑張ったので、今日は、ちょっと控え目、2部制にしました。ただ、昨日、今日とも、朝、出勤とまではいかなくても、朝早くのお出掛けは、特に2日ともだったため、きついものでしたが、いざ、その場に行くと、元気になるものだから不思議、不思議なのである。まず、繁昌亭の朝席に行った。「桂三風の早起き寄席」が、その朝席だ。番組は、しん吉「鷺取り」、三風「時うどん」、そめすけ「人生相談」、三風「君よモーツァルトを聞け!」、三喬「月は群雲」だった。狙いは、三風の「モーツァルト」。ピアノ付きということなので、そういう風に扱うのかと、それが楽しみでした。そういったことでは、期待外れ。でも、古典落語の手法を踏襲した佳品。クラシック音楽を愛好する医師と魚屋の会話が前半の仕込み。そして、後半では、この仕込みを生かした魚屋と、その女房の会話。バラシの部分という具合だが、せっかくの生演奏を入れたのだから、こういった定番じゃないこと、考えて欲しかったのです。出来としては水準以上なんだけど、生を入れるならと思ってしまうのです。「時うどん」の方は、抑え気味。前半の仕込みの部分も、そんなにふらない。鉢が欠けてるとか、出汁の味がどうかとか、そんなに細かくふらない。それで、十分、おもしろい。そうなんですよね、最近、盛り込みすぎなんですよ。そんなこと考えさせてもらいました。「鷺取り」は、いきなり鷺取りの話から、俄の部分はカット。「月は群雲」は、やっぱり優れ物。こないだ、雀松独演会で、も一つ冴えなかったのは、客のせいでしょうか?
 午後の部は、難波八坂神社での「なんせいのお昼の講談会」に行った。第1回のときは、5人でスタートした会も、20人は越えていたのではないでしょうか? なかには、若い女性の姿も。結論を、先に書くようですが、とっても充実した会にたじろぐばかりです。主宰者の南青くんのやる気満々なのに、ゲストのたまも、お釣りがくるくらいの頑張り。上々の会でした。番組は、南青「天守閣物語〜塚原卜伝」、たま「不動坊」、(中入り)、南青「太平記〜楠木正成の最期〜」でした。3人で、間の中入りは10分で、計2時間20分とは、すごすぎる。「天守閣物語」は、東京のリッツカールトンでするはずだったものが、時間がおしてできなかったからと、冒頭に付け足した。塚原卜伝とは、宮本武蔵つながりということで、ここに付けてしまった。「楠木正成の最期」は、続き読みにときは、トルコにいたので、めっちゃラッキー。お腹の中で、ガッツポ−ズをとりました。「桜井の別れ」も入っていました。小さい頃、祖母に、「青葉茂れる桜井の、、、」と教えてもらったことを思い出して、感無量です。そう言えば、その昔、仕事の関係で、桜井の駅のほん近くまで行ったことがあるなと、そんなことを思い出していました。時間ができるようになったら、1度、千早赤坂村を訪ねてみましょう。たまの「不動坊」は、黄紺がとっても評価する作品。以前聴いたときよりも、グレードアップ。たまは、止まらない、どんどんグレードアップしてる。冬の寒さを、意識的に盛り込んでくれてました。そうなんです、これ、大切なことに気付いてくれました。これを、しっかりと入れてくれると、バカバカしさ、可笑しさが増してくるのです。直接的に笑わせなくとも、笑いが取れるのです。それが、落語の深いところです。ホント、いい出来でした。もう、最高級の味が出てきています。
 てなことで、週末の遊びまくりメモを終わります。もう、あと数時間で、仕事が待ってると思うと、気が重いですなぁ。




2007年 12月 8日(土)午前 8時 32分

 週末に入っている。金曜日なのに、寝れない黄紺。完全に、睡眠障害に捕らわれています。だけど、負けてられません。へにゃっとなるのは簡単です。根性で、でも、ダメならダメでいいやの気分で、遊ぶのです。自分の時間は少ない、もう、そういったお年頃なのですから。そんなで、1週間を振り返ります。
 日曜日は、3部構成。土曜日が、繁昌亭だけだった元をとったような形だ。朝の部は、心斎橋シネマートで、韓国映画「ノートに眠った願いごと」を観た。情報を仕入れてから、待ち望んだ映画だ。そのストーリーと言うよりか、韓国名所が盛り込まれていることに興味津々だったのだ。その韓国名所というのは、数年前に、実際に会ったデパート崩壊事故で亡くなった恋人の残した1冊のノート、それは、2人の新婚旅行の行程表だった。それに沿って歩く内に、いつも出会う女性が出てくる。その謎の女性は、なぜ、そのノートに記されていることを知っているのか、ここが、この映画の筋立ての巧みなところだ。ここに至って、物語はクライマックスを迎えていく。その道程で、この2人が立ち寄るところは、ホントに、黄紺と言えども、感服するディープな韓国。ウイド(牛耳島)というところを、初めて知りました。冒頭と途中に、2度出てきますが、あの砂丘の高みから見える静かな海岸が、いいっすねぇ。ここへは、一度、ぜひ行ってみたくなりました。逆に行ったところも、2箇所ほど。行きにくかったプリョンサ(仏影寺)の、「仏影」の意味が判りました。大雪で困った、でも、とっても素敵なウォルジョンサ(月精寺)もなつかしかったです。それに加えて、BGMが全てクラシック音楽を使ってます。それが、モチーフにもなっており、モーツァルトのクラリネット協奏曲の第2楽章が、安らぎを示していました。最後の並木道で、長回しで、この曲が流れてましたが、いかにも韓国映画らしい名場面好きを示していましたが、黄紺も、とってもお気に入りのシーンとなりました。
 午後の部は、最近、気に入っている三ッ寺前のラーメン屋で昼食を摂ってから、ワッハの7階に行って、「たまのフレンドリー寄席α」です。なんか、久しぶりのワッハでの公演です。もちろん、たまの落語会ですが。番組は、たま「住吉駕籠」、都「都噺」、たま「蛸芝居」、(中入り)、まん我「しじみ売り」、たま「胎児(たまよね・作)」だった。変則的な番組は、都が、息子さんの結婚式が、後に控えているため。しかし、それも都噺に取り込む、すっごいパワーに圧倒されました。たま曰く、「都師匠は、素で、なんの用意もしないで、あれだけのことを喋って、笑いをとらはる。すっごい人です」。鶴瓶なんかは、おもしろいことを、ノートにメモってるそうです。その鶴瓶が、都に、「おもしろいこと、どんどんノートに書いていったええねん」と勧めているそうです。ま、それが、鶴瓶の場合には、私落語と言う形で、結実するわけなんだけど、都自身は、「書くとあかん。たまちゃん、どうしたら、ええねん?」と尋ねられるそうです。なんて、話を、たまは、「蛸芝居」の頭で言ってました。たまのネタでは、やまよね作が、図抜けた出来。お腹の中にいる胎児を、しかも、双子の胎児を主人公としたというのが、大ヒット。発想がいいから、高座で逆立ちを使用が、全然、驚かない。発想の奇抜さからすると、そないなこと、平気で受け入れられるから、不思議なもの。これは、最高傑作の一つじゃないかなぁ、新作物としても。「蛸芝居」は、三番叟部分をカット。黄紺は、これに意義あり。丁稚の掃除の場面も幕開きだから、それでいいのかもしれないけれど、祝言として、三番叟が付いていると思えば、これも、立派な芝居のパロディ。抜かしてほしくなかったなぁ。蛸に当てられた部分は、大げさに。たまらしいところです。全般に言えることは、「質屋芝居」のレベルで言うと、この「蛸芝居」は、芝居の部分が荒いかな? これから、どのどん練りあがっていくことでしょう。「住吉籠」は、後半部分カット。酔っ払いのえずきのえぐいのを入れるところが、三喬風? 下げは、小染からいただいたということで、「伝承芸」を強調していたたまでした。まん我のこのネタは、2度目です。あの狭い4階で聴いたからでしょうか、1回目は。あのときのしんみり度が、この日は、ちょっと拡散した感じがしてしまいました。場所だけなんだろうか? この辺が、黄紺には、判断つきかねています。しじみ売りの子どもの思いつめ度を、ちょっと軽くしてしまってたのでしょうか? もう一つ、自分の感じたものを言葉で表せきれていません。
 そして、夜は繁昌亭。「東西噺の華咲き競う〜第2回染丸・権太楼 二人会〜」に行きました。昨年、「文七元結」が出て、大阪の客を唸らせた権太楼の再登場だ。番組は、ごん坊「牛ほめ」、染二「片棒」、権太楼「井戸の茶碗」、(中入り)、米八「曲独楽」、染丸「浮かれの掛取り」だった。「井戸の茶碗」は、大熱演。くず屋さんが、目いっぱい活躍する。大阪版と、そこが違う。くず屋の人体検めをしているという情報を交換するところが、とっても大きく扱われる。三者三様の主人公ではなく、完全に、くず屋さんが主人公。また、それが、にぎやかに、そして、愛情深く、権太楼が描いてくれました。最高の盛り上がり、最高の口演を聴けた至福感に浸れました。一方の染丸も、らしい最高の出来。このネタの本来ヴァージョンをやらせれば、やっぱ素養が違います。芝居、浄瑠璃、この素養の深さを、このネタに重厚味を与えます。露払い役も、色物も、輝きに輝いていました。もう、極上の落語会とは、まさにこの夜の会でしょう。
 月曜日(12/3)も、繁昌亭の夜席。この日は、「また!銀瓶・つく枝 二人会」という人気の噺家さんの二人会。お二人は、同い年だが、キャリアは、銀瓶の方が、3年上だとか。昨年は、行けなかったんですよね、この会。残念な気持ち、まだ、覚えてますよ。今年の番組は、対談(銀瓶&つく枝)、つく枝「道具屋」、銀瓶「不動坊」、(中入り)、銀瓶「宿題」、つく枝「井戸の茶碗」という具合で、「井戸の茶碗」が、2日続きに。そして、そのネタが、最高の味を出してくれました。前日の鮮烈な権太楼と同じネタを聴いているところに、つく枝を聴くと、また、とても新鮮に聞こえたのです。そうなんです、スタンスが、全然違う。静かに静かに、三者に同格的役割を与えていく。三者三様の正直さが、静かに語られる。それを慈愛普く、演者が見守る。こういった形で、演者の愛情が注入される。これも、いいねぇ。いなせで、粋でと言えば、東京落語だが、このネタに関しては逆だね。また、いい演者が、このネタに付いたものです。同じくつく枝の「道具屋」が傑作。店を開く前に、夜店を回って見せ、そして、買い食いをするわするわで、お腹一杯。さすが、つく枝の噺になってしまってる。そういう意味では、「宿題」も、手の内に入ってしまっている。三枝作品のおもしろさを、十二分に伝えてくれてます。一方の「不動坊」はダウンしてしまいました。惜しいことをしてしまいました。この会も、いい会です。今から、来年が楽しみです。
 火曜日(12/4)は、新しいパスポートを取りに行く日と決めてましたので、夜遊びはお休み。久しぶりに、家で、晩ご飯。京都旅券事務所で、不快なことがあった日でもあります。前のパスポートが返される際、「査証」と書いてないところに、入国のスタンプが押されていたことに、文句を言われたことです。黄紺が押すのなら、気をつけますとなるのでしょうが、黄紺には、どうしようもないことを言われても、ホントどうしようもない。それを言っても、同じことを繰り返すだけ。嫌味、いじめ、そないな言葉が思い浮かびました。法務省の傲慢な対応、これが、入管の体質なんでしょう。ホントに、それがダメなら、その国に抗議すればいいだろと言っても、その意味が解らないバカなお役所です。
 水曜日(12/5)は、予定していた仕事が、思いのほか早く仕上がったので、早めに職場を出て、このときとばかりに、映画を2本観ました。まるで、週末のようなことをしました。1本目は、シネヌーヴォでロシア映画「牡牛座」です。これは。「太陽」がヒットしたソクーロフ監督の作品。今回は、レーニンが扱われています。ただ、この映画、とっても静か。開始5分程で、目がくしゃくしゃになってしまってました。でも、筋立ては、外していません。最晩年のレーニンです。体調をこわし、特別な邸宅に、妻と妹ともに住んでいます。しかし、それは、最早軟禁状態と言っていいほどの警備状態。それも、解っていないようなレーニン。ある日、スターリンが訪れます。噛みあうようで噛みあわない会話。既に、権力を掌握しているようなスターリンと、そないな会話を交わすスターリン。権力を握ったかと思うと、あっという間に、その座から去った男の孤独を追い求めたと言っていいかと思います、この映画。シネヌーヴォには、多くの客が詰めかけていましたが、皆さん、この静かな映画を、どのように感じられたのでしょうか?
 西九条で見つけたうなぎ屋さんで晩ご飯を食べて、日本橋に移動。ネットカフェで時間潰しをしてから、8時半から始める台湾映画「花蓮の夏」を、心斎橋まで観に行く。黄紺は、台湾映画を、あまり観てない。トレンディーっぽい映画なんてのも、これが初めて。まず、それが、とっても新鮮。BGMも、ピアノ中心で、それも、青春映画に合って、清々しい感じだ。テーマは、同性愛。小学校から同じくラスで、1人はクラスの優等生、もう1人は問題児。優等生に、問題児の世話を頼む担任の先生。よくある話だ。そういった関係で始まった2人の高校時代から、その直後の時代が、この映画の時間的設定。その2人に、女の転校生が絡む。三角関係っぽくって、そうでじゃない、でも、そうだという不思議な関係が、3人の間に出来上がる。その関係から、徐々に、2人の男子の関係へと収斂していく。ストーリー的には斬新なところはない。この映画が記憶に残るのは、画面に現れる人の配置がこっていること、そして、海岸線のような長いラインが画面に現れると、その配置を、いろいろと工夫してくれること。その楽しみがあるため、ストーリー的斬新性が欠けても、楽しく観れる映画だ。こういった見方ができる映画ってあるんですね。
 木曜日(12/6)は、前の職場で、一緒に働いた人が集まる日。今回は、6人が集まりました。なんか、ホッとする時間。分かりあってる人たちなんで、昔話だけではなく、今の職場の話をしても、話してる人の目線が、よく解るから、全然、異なった空間で起こってることとは思えなくなっていきます。この内のお一人が、この3月で定年を迎えられるので、その3月に、特別版の呑み会を設定しました。
 金曜日(12/7)は、今の職場の忘年会の日。だが、黄紺は、途中で抜け出し、ワンチャンスのトルコ映画「イラク-狼の谷-」を、京都みなみ会館で観ました。まず、えらく客が入っていたのに、びっくりです。北イラクに進攻しているアメリカ軍が、トルコ人、クルド人、アラブ人の分断を図ろうと、悪逆の限りを尽くすという映画。その悪逆非道の行為というのが、米軍が、各地でしでかしたという噂の部分も含めて、あったこと、あったらしいことを踏まえているから、ありそな話として観れるという仕掛けになっています。捕虜いじめがあったり、首切りのテロ集団、だけど、それを止めるイスラムのイマーム、テロ集団が混じっているとして結婚式を襲う米軍、捕虜から臓器を取りだし、それを売買する米軍所属の医師などなど、悪いのです、アメリカは。そして、家族を殺された男の自爆テロ。また、自爆テロをしようとする女を止め、自爆テロの悪質さを説くイスラムのイマーム。イスラムは、平和を望む、それが本来の姿であり、テロリストや自爆テロは、イスラムの教えに反すると いう姿勢が徹底しています。最後の方で、主人公のトルコ人3人組が、アメリカ軍から逃れて、ある村に立ち寄ります。1人の老人が、イスラムであることの穏やかさを説きます。おるおる、あんな爺さん、あの辺にはという爺さんです、そこへ、米軍が襲撃します。イスラムの持つ穏やかさが、あっという間に、米軍の暴力でつぶされてしまいます。そんな映画です。そうそう、そんな米軍に立ち向かうトルコ人3人組、そんなにスーパー・ヒーローではありません。主役は、むしろ、ヒールのアメリカ人です。こちらが、スーパーな悪役です。主役のトルコ人を地味に描くことで、ヒール役が際立ちます。この描き方、この映画の一の優れたところです。この映画、どこで撮影したのかなというのが、関心事です。ガジアンテップとシャンルウルファの間から、南に行ったシリア国境の町なのかなと思ったりしています。あの辺で見られる天井が平板な、白壁の家が、たくさん映っていました。物語では、北イラクですから、ね。正直、観るまでは、際物映画かと想像してたのですが、黄紺は、そんな感じがしませんでした。もっと多くの人に観てもらいたい映画です。
 そんなで、1週間を振り返りました。終わってみると、早いですね。徐々に、知らない間に、年の瀬が迫ってきてます。あと2週間、頑張らないと、それが、なかなかきついんだけど、ね。




2007年 12月 2日(日)午前 8時 46分

 昨日の土曜日、午前中は、こちらの書き込みに時間を取られ、もう終わった頃には、お出掛け準備。昨日は、久しぶりに繁昌亭の昼席に行ってまいりました。ときには、昼席に覗こうと、福笑がトリをとるときを狙って行ってまいりました。すると、充実、充実、特に、土曜日がいいという噺家さんからの評判があるだけに、楽しみにしていったら、正に、その通りだった。一番いいのは、団体さんがいない。この確率が高いから、演じ手側からすると、客層が違うということなんでしょうか? 確かに、雰囲気的に違いました。それは、そういうことなんだろうと、黄紺も思います。
 番組を記しておこう。三四郎「東の旅〜野辺、煮売屋〜」、喬若「へっつい盗人」、文昇「はてなの茶碗」、勢朝「南京玉すだれ」、歌之助「佐々木裁き」、都丸「読書の時間」、(中入り)、かい枝「ハル子とカズ子」、仁嬌「替わり目」、田渕岩夫「ものまね」、福笑「絶体絶命」というすごい内容となった。ホント、素晴らしいラインナップ。この充実ぶり、本格的寄席の番組、涙がちょちょぎれる程の充実ぶりだ。もう、黄紺は、それだけで、興奮状態でした。その中でも、一押しの高座を見せたのが、歌之助。手がけだした頃のこの人のこのネタは聴いていたが、この高座はすごかった。客席が、どんどんと昂揚していくのが、手に取るほど分かるほどの高座だった。この人、若干オーヴァー気味だが、体の動きが、とっても有機的なのだ。それを見ていると、やたら存在感、リアリティに魅せられていくのだ。まるで、我々は、お白州を遠巻きに観てるウィットネス的立場に置いてくれるのだ。だから、子どもの一言一句にどよめいていくって感じだった。素晴らしい。都丸のこのネタは、独演会でも出した、三枝作品3作目で、且つ、最新作。それを、ここで出してくれるなんて、もう、ガッツポーズものでした。先生がいいっすね、親父さんも、いいなぁ。これから、更にグレードアップしていくでしょうから、再会を楽しみにしておきます。それに加えて、三四郎、喬若の若手2人の充実ぶりが、もう、たまらない。三四郎も噺家らしく、どんどんと成長しています。繁昌亭の申し子的な人だから、こういった舞台を、繁昌亭で確認すると嬉しくなります。喬若、なんか、化けたなぁの感じです。後半は、ちょっと息切れしましたが、照れとか、そんなのが消えてきました。この人の、他のネタではどうか、聴いてみたくなりました。色物の2人が、良かったなぁ。物真似でありながら、ほぼ漫談だった田渕岩夫も、脂がのりきっていますね。かい枝、福笑は、お得意のネタで、言うことなしです。仁嬌の落ち着きも、アクセントとなっていました。ちゅうことで、ホント、いい会でした。
 夜は、息子に付き合ってもらって、携帯を買い換えました。なんか、明らかに、爺さん、婆さんようのものを買ってしまったなぁとと、あとで、息子と笑いあっていました。そんなで、自分的には、ワイン呑みすぎの夜でした。




2007年 12月 1日(土)午前 10時 27分

 慌ただしい1週間が過ぎていった。今週は、いい落語会が、目白押しだったものですから、夜遊びがびっしり。そうなると、仕事を切り上げる時間に制約が出てしまうものですから、かなりタイトな動きを要求され、途中、程よい休憩を取れず、かなり厳しい時間が過ぎていった。そんななか遊び回った記録を、ここに記しておこう。
 3連休の最後、11/25(日)は、朝・昼・晩の3部制をとった。まず、朝の部は、シネ・ヌーヴォで、中国映画「北京の恋」を観た。中国に渡り、北京伝影学院に入り、中国で活躍したという経歴を持つ前田知恵主演ということで、話題性に富んだ作品。京劇を学びに中国にやってきた日本人女性が、お世話になる中国人家族との間には、実は、日中戦争時に深い縁があったのだという過去の問題を、現代の日中友好に、いかに繋げるかをテーマにした映画だ。若干、ステレオ・タイプ的だと感じざるをえない部分があるが、それを越えてもなお、この映画の持つ意味合いがある。この映画に出てくる(実際にはメールだけ)かつての加害責任を深く心に刻む老人が、その謝罪の気持ちを表すとして、孫娘を、縁のある中国人の家族に送るということが明らかになっていきます。日中戦争での加害者を、謝罪する人間として、中国映画が描いている、これが、とっても目新しいのです。それと、北京の古い、そして、重厚な家屋が印象に残る映画です。そして、ここから始まらないとあかんのやと思わせられた映画でした。
 午後の部は、そごう劇場の「桂雀松独演会」に行った。ここの劇場が、米朝一門の本場所化しつつあるように思える。で、番組は、佐ん吉「子ほめ」だったはず、雀松「短命」、三喬「月に群雲」、雀松「地獄八景亡者戯(前)」、(中入り)、雀松「地獄八景亡者戯(後)」というもので、お目当ては、雀松の「地獄」。この日は、枝雀スタイルで、前後半に分けての公演だった。「月に群雲」が、なんか、パワー不足と感じたのは、2度目だからだろうか? バカバカしさが、少しパワー不足と感じました。三喬自身に、しょーもないこと言ってるということをからかうようなタッチ不足のような感じがしました。肝心の「地獄」だが、予想通り、三途の川を渡ったところで、中入り。全編、頭っちゃんのフリートークのペースが覆ったと思えば、この日の口演を表しているだろう。ライト感覚の雀松ペースに終始。閻魔の顔を演じても、ライト。中入りを入れたから、余計にライトになっちゃったという感じです。中入りがなかった方が、特に、雀松の場合は良かったかな? これでもかこれでもかとたたみかけるうねりのようなものは、切って欲しくないな。想像の芸と言いながら、現実に引き戻す手はないなと思ってしまいました。
 夜の部は、福島の本遇寺であった定例の「名探偵ナンコ〜よみがえれ!探偵講談〜」に顔を出した。この日は、つばなれする客の入り。と言っても、1人か2人か越えただけだけど、南湖、一所懸命の高座でした。番組は、南湖「赤穂義士銘々伝・不破数右衛門」「探偵講談・シャーロック・ホームズ 入院患者」、芦辺拓&南湖「対談・あれこれ」で、演者は、もちろん、南湖だけ。「不破数右衛門」は、雀のおやどでの続き読みのダイジェスト版。聴いてなかった部分もあったので、ここで、全編繋がりました。そのため、1時間15分くらいかかる口演でした。それは、どうやら、「シャーロック・ホームズ」のネタが短いということがあったのだと思います。そして、これは、あかんかったですね。元本が悪いのか、アレンジ不足だったのかは、黄紺には判りませんが、これは、口演する値打ちのない作品です。最後の対談も、いつもよりか、短め。この対談を聴くと、講談の世界は、今や、学者さんの世界です。
 月曜日(11/26)は、繁昌亭での「繁昌亭でまるかじり」、笑福亭生喬の会に行った。この日が、生喬の誕生日ということで、これから、毎年、繁昌亭で、この会を開いていきたいということだった。番組は、生寿「つる」、まん我「ちりとてちん」、生喬「蛸芝居」、(中入り)、花丸「電話の散在」、生喬「鴻池の犬」だった。まん我の「ちりとてちん」、2度目だが、前回は、大満足。あの賑やかな雰囲気が良かったんだけど、今回は、それが鼻につく。どうやら、旦さんの軽さが、気になったのだった。どこが、どう違うのでしょうか? まん我、うまいなぁと思わせられたネタだけに、その違った感じ方が、不思議なものでした。ゲストの花丸が良かったですね。この脳天気な旦さん、最初の一声から、客席、大爆笑。これで、鷲掴みにされた客席は、もう、花丸の手の平で転がされっぱなし。これは、いい出来です。更に、生喬の出来が、抜群。特に、「蛸芝居」の蛸が、いい。顔の表情、体の動き。芝居の型を堪能させてもらったあとに、更に、メーンディッシュに、極上のものが出てきたってところですか。しかも、この日のお囃子が、見事すぎる。生喬の口演を、最高の雰囲気に盛り上げてくれてました。「鴻池の犬」も、良かったですよ。兄弟が再開し、別れたあとの話をするところなど、ホント、ほろっとさせました。いい噺、いい語り、ホント、いい会でした。
 火曜日(11/27)も、繁昌亭で、「繁昌亭大賞 受賞記念発表会」に行った。表彰式に現れた三枝会長の言によると、大阪には、真打ち制度というものがないから、それに替わるものをと考えて、この賞を制定したとか。ということで、受賞者と、この日の演目を併せて記しておく。三幸「立候補」、歌之助(輝き賞)「阿弥陀池」、かい枝(爆笑賞)「ハル子とカズ子」、あやめ(奨励賞)「ちりとてちん」、(中入り)、表彰式、三風(創作賞)「振り込め!」、三喬(大賞)「仏師屋盗人」。受賞者の皆さん、それぞれ、妥当な顔ぶれ、そして、この日に相応しい得意ネタを疲労したと言って、いいかな。あやめは、ちょっと意外でしたが、、、。着物の色合いなんかで、でも、納得です。その中で、歌之助のこのネタ、久しぶりに聴いた。かつて、先代が、「鬼薊」を出したときの前座で、このネタを出し、先代を嘆かせた思い出が蘇ります。「来るとき、子ほめをするゆうとたんですが、、、」と、かぶったネタを、急にしてしまった弟子を、揶揄していたのを思い出します。それから、10年近く経ったでしょうか、現歌之助は、立派な「阿弥陀池」を見せてくれました。体の動きが、計算され尽くしています。そして、その行動表を基にしたものが、完全に、体に染みついている。自分の芸となり、商品となるまで仕上げた現歌之助を讃えたいと思います。三風の「振り込め!」は、初めての遭遇。ようやく出逢えましたが、これは、三風作では、抜群の最高傑作です。三風らしいハートフルな要素もあり、これは、この賞に相応し過ぎます。存外、良かったぞの気になったのが、明らかな「おまけ」と言って、笑わせていた三幸。このネタは、竹丸の超名演に、今年、接したばかりだが、三幸も、口舌爽やか。この人、友だち喋りが失せてくると、結構、いいじゃんと思わせてくれる。三枝作品のほのぼの感が、この人、出せるんだなぁ。ちょっとマークを付けました。
 水曜日(11/28)は、山本能楽堂であった「吉坊ノ会」に、前回に続いて覗いてみた。毎年というわけではないが、山本能楽堂での会は、3回目だそうだ。ご本人曰く、珍しい噺が並びましたと言う番組は、佐ん吉「手水廻し」、吉坊「焼き塩」、吉坊「猫の忠信」、(中入り)、花丸「電話の散在」、吉坊「蛸芝居」ということで、後半は、生喬の会とかぶってしまいました。その分、吉坊は、損をしてしまいました。いや、そんな行き方をした黄紺が、悪いのかな? しかも、吉坊のマクラが、長いうえ、会場は、畳にべちゃ座り、暖房が、改築されたからでしょうか、よく効く、そこへさして、肩がこりこりで、聴いているのが、徐々に辛くなってきたのは、事実でした。辛いというのは、疲れてきたっていう意味。「猫の忠信」や「蛸芝居」の終盤は、半落ち状態となっておりました。花丸の口演も、あの旦さんの登場部でも、受けが、繁昌亭とは違い、えらくにぶいものがありました。あのような芸風に慣れてない一見さんクラスの客が多かったようです。「焼き塩」は初めての遭遇。去年は、「口合小町」を出したはずですから、米朝系の珍品コレクションを続けるのでしょうか? そうそう、去年は、「除夜の雪」までやってましたね、吉坊。確かに、ネタ選びが、童顔の吉坊は、苦労するのかな? 「猫の忠信」でも、ぬくい造りを食べてるとされた男の表現とか、やっぱ、苦しんでるものね。
 木曜日(11/29)は、再び、繁昌亭。この日は、3夜連続の「桂都丸独演会〜噺家生活30周年記念〜」の第1日目があったのだ。それぞれ、特徴のある番組の中で、「帯久」の出る日を選んだ。その番組は、雀五郎「子ほめ」、DVD上映「桂都丸の三十年」、都丸「強情灸」、南光「千両みかん」、(中入り)、「帯久」だった。雀五郎が引っ込むと、スクリーンが下がり、DVD上映。入門秘話とか、マスコミに出て走り回ってた頃、そして、これからに向けてと、コンパクトな内容。どうやら、これが、3日分、用意されてるみたい。「強情灸」は、定番。「帯久」は、都丸では初物。しっとりと聴きたいこのネタなんだけど、ちょっと噛みすぎ、詰まりすぎ。サゲを言ったあと、まず、都丸は、「詰まりすぎました、これが、ざこば一門の芸」と言ったが、これはいけません。でこぼこ道じゃないのに、躓いて躓いてって感じで、じっくり聴かせなければならない噺を、居心地の悪いものにしてました。ほとんど不満を感じたことのない都丸に、今回は、ブーイングです。南光も、正直、肩すかし。こちらは、流れすぎ。ふっと息を抜く間がなく、ちょっと聴いてる方として、たじたじ感にとらわれました。で、なんで、この時期に、このネタ? 都丸のリクエストだったんでしょうか?
 金曜日(11/30)は、中崎町のECCアーティストカレッジ梅田校・7階芸能ホールであった「中川兄弟 落語かれっじVol.2〜落語と解説〜」に行った。前座の三四郎「犬の目」、のあと、この会の売り物、「宿屋仇」を徹底研究ということで、染左と、その兄中川桂氏の対談、それから、染左による「宿屋仇」の口演というものであった。今回は、第1回目の反省ということで、研究の部分を、少々、短めに。また、客層を考えて、マニアックになるということで、客席からの質問を受けないということにしたと、三四郎の前に、染左が、前節がてら出てきて説明してました。ま、それも、行き方かと思うのですが、今回のように、マニア系の客が増えてきていたときに、これが適切であったかどうかは、疑問の残るところでした。その対談の中で、おもしろかったのは、宿屋「紀州屋源介」、そして、林家ヴァージョンの宿屋「河内屋太郎兵衛」、ともに、実際にあったものとか。「河内屋」の方が、あとからの使われるようになったものだろうということです。「紀州屋」が判らなくなり、「河内屋」から、「河太郎」=「がたろ」のギャグを使うために変えられていったのだろうということだった。また、「小柳彦九郎」も、近松の浄瑠璃「堀川波鼓」、更に、その基があり、実説「月見堂見聞集」に出ているということだった。勉強になるわぁ。更に、謡曲「善知鳥」の文句が、入っているということも言っておられた。そんなで、こういった話、やっぱ、もっと徹底して欲しいなぁ。
 ようやく、1週間を振り返ることができました。かなり、疲労が溜まっています。ゆっくりと休養をとりながら、疲れをとるということをしないのが、黄紺です。今日も、明日も、遊びながら疲労を軽減していくというやり方です。




2007年 11月 25日(日)午前 6時 15分

 連休最後の朝を迎えようとしている。連休に入った途端、眠れなくなってしまっている。ま、あまり体を使っていないので大丈夫だけど、ちょっと危険信号だ。長く続くと、週明けから大変です。そんなことを考え出すと、せっかくの連休がブルーになってしまいます。ま、それは置いておいて、昨日は、午後から出勤。午前中は、家で、HPをいじっておりました。おかげで、「ホパ写真館」をアップすることができました。
 ですから、お遊びは、休日と言いながら、夜だけ。それも、際どかった。コンビニで、晩ご飯を買って駆け込みました。行ったのは、高津神社であった「第62回 地盤珍華の会」。こちらの会は、珍念と文華が、自身のネタ下ろしの会ということで続けてるものだ。今回から、前座を置き、また、ゲストを招いて、主宰者の2人は、ネタ下ろしに専念するという方法を採ることになったということだった。それで、番組は、喬介「寄合酒」、文華「崇徳院」、(中入り)、珍念「ん廻し」、うさぎ「寝床」。ところが、まともなのは、文華だけ。あとの3人は、客席から、とにかく間が合わない。客席の感性をずれてしまってるのだ。それはそれで、おかしいのですが、段々、腰が引けていく感じ。喬介は、所作にも自信のなさが現れ、ぎこちない、そこへさして、松喬の吃音の男を出すものだから、なんか、余計にぎこちない。まず、ノーマルな「寄合酒」を仕上げることです。それから、吃音ぶりを勉強して下さい。珍念は、たこ焼き屋での「ん廻し」。でも、たこ焼きの出てきたのは、最初だけ。オリジナルな「ん廻し」も入るけど、なんか、はちゃめちゃな喋りっぷり。練れてなかったんでしょうね。文珍組の話とか、貴重な話を、マクラや、前説でしてくれたこと、そして、マル秘のお話に、客席、どん引きでした。その文珍組の一人が、うさぎ。あとは、こないだも聞いた市楼に八天だそうだ。文珍一門を除くとということで言えばだ。米左も、文珍独演会で、だんじりを出したときには招かれたということで、幕外では気付かない人間関係を知ることができました。うさぎも、なんか変。今に始まったわけではないが、この人、舞台では、おとなしすぎるのでしょうね。また、本人は、それが分かってるので、何とかしようとしするんだけど、すべる、はまらない、そんなで、客席は引いていく。昨日も、最初は、ずれてることがおもろいんだけど、マクラを引っ張れば引っ張るほど、腰が引けました。そんなで、引かせてくれた3人衆に対し、文華が、本格派ぶりを見せつけたのが、「崇徳院」。それを、高津神社でネタ下ろしをするあたりが、文華のセンスの良さだ。途中、高津さんを呪う言葉が入るときなど、まず、詫びを入れてから、その台詞を言ってました。そういったセンスの良さは、熊五郎の脳天気な明るさに、たっぷりと表れていました。文華の秀逸「八五郎坊主」の主人公と、この熊五郎がかぶりました。今年は、ざこば、雀五郎、そして、文華と、記憶に残る「崇徳院」を、3つも聴くことができました。
 そんなで、連休最終日も明けたようです。黄紺は、寝不足ですから、これから、一寝できたらしようかと考えています。行動開始は、それからです。




2007年 11月 24日(土)午前 5時 49分

 3連休に入っている。黄紺の3連休は、真ん中の土曜日が出勤日なので、お遊びは、両脇の2日間となっている。もう、この時点で、呆気なく、その初日が終わってしまっている。これが、寂しい限りだが、終わったものは終わったもの、そんなところで、初日の記録も含めて、この1週間弱を振り返っておこうと思う。
 この前の日曜日(11/18)は、昼間と夜の2部制をとった。昼間は、ワッハの7階で、桂歌之助の「第42回 あがき」に行った。初期の頃から覗いている会で、この日は、少々、入りは少な目。若手の実力者という評価が定着しつつある歌之助のことだから、もうちょっと入って欲しいな。来ない人は、損してるよって言いたくなります。番組は、呂竹「牛ほめ」、歌之助「宗論」、(中入り)、まん我「ちりとてちん」、歌之助「質屋蔵」だった。トリに、「質屋蔵」が控えるという番組に、来て良かったの気持ちになりました。呂竹のこのネタ、米朝系の噺と微妙に違う。木戸で頭をぶつける部分はなかったり、細部で微妙に違うのだ。呂竹も、随分とねれてきたようで、口演に余裕を感じだしてきました。「宗論」は、歌之助でとなると、ちょっと違和感。案の定、倅の宣教師口調のくささに、物足りなさが残る。真面目さが、全面に出てしまうキャラが損をしている感じがしてしまった。まん我は、やっぱ、この人、達者だわと思わせてくれる口演。知ったかぶりをする竹さんが、憎めないのである。嫌味なやつだけでは終わらないキャラが出てるのだ。賑やかで、知ったかぶりをしても、みえみえで、すぐに背後で、誰かが、白い歯を出して笑ってる罪のなさみたいなのが、明確なのだ。誰しもがすなる「ちりとてちん」の中でも秀でた出来であろう。そして、「質屋蔵」。語りの部分が多く難しいネタ。天神さんの顔の作りなんかで、工夫が観れたが、黄紺は、前段の旦那の長い語り、中盤の熊さんの語りが、ともにインテンポでやられちゃったもので、うとっときてしまったのです。このあたりから不調なのが、もろに出たこともあるが、原因は、黄紺だけではないでしょう。熊さんの狼藉ぶりにとゆや柱なんかが出てきて、びっくりなんてところもあって、いいんだけどね。ちょっと、贅沢言わせてもらいました。なお、歌之助は、今回、久しぶりに、客と共同作業の新作に手を付けるということ。「噺家入門」として結実したネタの再来を考えている様子。これで、楽しみが、一つできました。なお、歌之助は、NHKのコンクールで本戦入りしたのは、唯一、この新作だったとか。日曜日は、ワッハが終わって、4階に寄ると、なんと資料館が無料。予定変更で、急遽、音声・映像資料を観に入りました。6代目松鶴の「三人兄弟」全部と、米朝の「本能寺」のマクラの途中までを鑑賞できました。
 夜の部は、一転、京都に戻って、ドイツ映画「4分間のピアニスト」を観ました。ドイツ映画は、予想通り、観る者を楽しませてくれます。殺人犯として収容されている女性に、ピアノの才能を見い出した老ピアノ教師と、その殺人犯人との交流物語です。その中で、徐々に心を開いていく収容者。一方で、そのピアノ教師も、ナチス時代に、忘れられない思い出を抱えたまま生きてきたということが、もう一本の柱として用意されています。そんな二つの柱が、最後には出会うという構造の映画でした。老教師役の女優さんが、いかにも堅物のドイツ人の老婆ちゅう感じで、見応えがありました。その彼女の発する「(私の愛し、そして処刑をされた)女性は、才能も、何もかも生かす前に処刑されてしまった」「あなたのように、才能がありながら、自ら閉ざしてしまうなんて、、、」、この言葉のために、この映画はありました。やっぱ、ドイツ映画は、やってくれます。
 月曜日(11/19)は、「繁昌亭夜席〜大阪大学同窓落語会〜」に行ってまいりました。阪大出身者として、染左の兄も加わり、更に、娘さんが阪大大学院に籍を置く福笑が、特別ゲストで出るという興味の尽きない会。番組は、染左「みかん屋」、染雀「掛取り」、南海「赤穂義士銘々伝〜矢頭右衛門七」、(中入り)、座談会:司会・中川桂、南海、染雀、福笑「葬儀屋さん」だった。染左はしっかりと、普段の「出身は阪大です、アホですねぇ」というマクラを使えないと言いながら、そんなこと言いながら言ってました。せっかく、こんな会をしながら、なんで、染左に、前座役を与えるのでしょう? 主役の一人じゃないかと思うのですがね。賑やかな染雀のネタのところで、なぜかダウン。寒くなってきたので、なかなか感じなくなってきたのでしょうか、突然、思いがけないところで、疲労を感じてしまいます。圧倒的迫力だったのが、南海。ネタに入る前から、あんた、噺家さんじゃないよと突っ込みたくなるほど、客席を沸かせる。このときとばかりに、卒論を講釈師になったということで通してもらったエピソード。一つには、阪大出身者の方が、結構、客席に詰めかけているようで、裏ネタっぽい受け方もしていました。そして、座談会では、阪大出身者として得をしたこと、逆にマイナスだったこと、阪大出でありながら、なぜ、こういった世界に入ってきたかなどが語られていました。全員、文学部。中川桂さんと染雀は、美学科で、この世界に入る前からも知り合いだったとか。南海が国文学科、染左は日本史学科だったそうです。そして、最後は、お待ちかね福笑。場違いに出番があると言って、それで笑いをとる。何をするのかと思っていたら、「葬儀屋さん」でした。福笑的くすぐりが、最も生きた作品の一つと、黄紺は思ってる作品。何度聴いても、おかしい、です。なお、この日の会は、繁昌亭の支配人さんの着想で、繁昌亭主催の公演だということでした。
 火曜日(11/20)は、「天満講談席」に行ってまいりました。多少の落語会があっても、こちらをチョイスするようになってます。ワッハでの会は、なかなか行けないのですが、こちらは、わりかし熱心に行ってますが、この日も、体調不良。それを感じないで、ダウンして初めて、そうなんやというのが続いている。夜は、わりかし寝れてたから大丈夫と思っていたのですが、土曜日の南河内を観に行ったあたりから、それが続いている。とにかく、番組は記しておく。南青「難波戦記〜荒川熊蔵の大力〜」、南海「関取千両幟」、南左衛門「寛政力士伝〜小野川と雷電〜」、南鱗「千両の富くじ」。この中で、まともに起きてたのが、南青くんの口演だけ。そして、これが、あっさりとした内容で終わったものだから、終わってみると、内容的には、けちょんけちょんでした。自分が悪いのです、これは。
 水曜日(11/21)は、京都シネマで、ロシア映画「この道は母へとつづく」を観た。ロシアの孤児院で生活する少年が、養子としてイタリアへ行くことが決まったあとのある日、すでに養子として引き取られた子の母親が突然現れたことで、自分を産んでくれた母親の存在を意識し始め、ついには、それを探そうと行動を開始するというお話。その少年を演じる子役が、とってもいいのです。とっても可愛くて、知的で、そういった役柄を、健気に、素直に演じる姿に、まず惚れ込んでしまった。そして、出てくる人が、結局、捨てたもんじゃないぞと思わせるものがありで、観た後の感じが、いいのです。イルカという女の子、孤児院の院長氏、前の孤児院の人、そして、最後に逃してくれる男と、この人たちの存在が、ほっこりとさせてくれる。更に、孤児院を逃げてきてるんで、追い掛けられているという設定なんで、はらはらさせられるところもありで、終わったあとの感じが、いいのです。とても、ハート・ウォーミングな映画に仕上がっている。それを目標にしながら、嫌味を感じさせない花◎のお奨め品です。実話に基づいた筋立てだそうです。
 木曜日(11/22)は、3連休前日ということで、気持ちよく「雀三郎つるっぱし亭」へと行ってまいりました。やはり、そう思われた方も多いようで、雀のおやどは満員の盛況でした。3連休前だけではなく、この日の番組の妙に、いや、けったいさに引かれて来られた方、多数じゃないでしょうか。雀太「池田の猪買い」、雀三郎「シャトル一平太初めての冒険(魔人ハンターミツルギ・作)」、染二「立切れ」、雀三郎「雨月荘の惨劇(小佐田定雄・作)」というものだった。雀太の口演、池田へ行くまでが、とても明るくて、男の脳天気さが、その雰囲気の中で出ていて、好感を持っちゃいました。池田に着くと、急に寒々する、田舎の方へ来たなぁ的雰囲気、これは、同じトーンで演じちゃうと、うまくいきません。その辺が、捲土重来、修正部分かと思いました。染二は、あほらしい新作が並ぶなかで、雀三郎が、古典の神髄を見せてもらおうということでリクエストしたとか。染二は上がるなり、「シャトル一平太は、私がやった方がいいですねぇ」と、そのキャラを売り込み、大爆笑。でも、気合いの入った逸品でしたよ。前段の番頭、後段の女将の低音で聴かせる重奏低音のような深みのある語りに、この染二の成功はあるように思います。若旦那の軽さを前段で出し、後段では、若旦那の狼狽ぶりを、際立たせる役割を果たしていました。これは、今年聴いた「立ち切り」の中では、銀瓶と並ぶ出来と看ました。肝心の雀三郎のネタ、ただ、口を開けて、あははははと笑ってられるアホらしいネタ。これって、心地好いですね。「シャトル一平太」は、コントチックだと、雀三郎は言いつつ、これが落語になってるんですとも言いながら始めました。劇団を持っている作者の台本は、「第2回やぐら杯」の優勝したものだということです。創作脚本のコンペです。表から飛び込んできた男が、「私、宇宙人ですぅ」にはやられました。「雨月荘の惨劇」は、ようやく出会えました。けったいだけでは、ありません。黄紺的には、駄作です。「貧乏神」と双璧と思う駄作です。ま、どこかで聴かねばならなかったネタですから、ここで聴けたということで、十分かと思います。
 昨日の3連休初日(11/23)は、昼前から、「大阪ヨーロッパ映画祭」へと、リサイタル・ホールに行っておりました。いい映画が、朝から3本続くということで、もう外に出たら、とっぷりと暮れておりました。学生ヴォランティアを大量に動員した催しで、運営面で、とっても素人くさくて、それ、あかんやろという手際の悪さも目立ったものでした。第14回ということですから、その辺のノウハウのええかげんさが、ちょっとなと思ってしまいましたが、さりとて、一所懸命動いてくれてる学生さんに、辛く当たることもなんなんで、黙って我慢してましたが、指示で動いている学生さんも、困ってたんじゃないかなぁ。ずさんさは、指示を受けてる彼らが、一番解ってたと思います。リサイタル・ホールに目一杯入った客の多さは、驚くほどのものでした。随分と待たされてる間、そこいら辺で、映画ファンらが語らってる声が聞こえてきました。やはり、大手映画館で上映されるアメリカ映画に対し、こういった質の高い映画を観れない不満を述べ合ってる姿が印象的でした。まずの狙いは、トルコ映画「うつろいの季節」。これは、筋立ては、目新しいものはありません。いきなり、男女の乾いた関係を、映像に満ち満ちさせてくれます。かなりインパクトのある映像です。女と別れる男、昔の女と再会し、よりを戻す男、そして、別れた女の消息を聞き、東に向かい女と再会、もう戻れないかと思うのですが、そうで もないようだということで終わります。映像の力と、俳優の力で、とても、せつない映画です。そして、男の身勝手さのようなものが看えてきます。この映画、トルコの風景がいいです。前段は、ペルゲだと思いますが、その手の遺跡が飛び込んできます。後段は、アールからドウベヤジット、イサク・パシャと出てきます。しかも、冬の風景です。あの雪、移動のことを考えると、ぞっとしますが、でも、そそられてしまいます。
 2本目のイタリア映画「あたたかな場所」も、なかなかでした。同性愛と密航者、来日して、この日の上映に臨んだ監督の言葉によると、この2つが、今、一番、イタリアでヴィヴィッドな問題だということでした。チュニジア旅行から戻ってきた同性愛者のカップルの車の中に、密航者が潜んでるということから、スタートします。密航者に対して、同性愛者のカップルの1人が、密航者を、何とか救ってやろうとします。そして、そのために、3人の不思議な同居生活が始まります。カップルのもう1人の女が父の死とともに、この関係を破綻に導く行動をとります。密航者を匿うことを考えた女が、最後にぽつりと言います。「(密航者に対して)ただ、できることをしてやろうと思っただけなのに」と。マイノリティ同士が助け合おうとしたが、結局、密航者は、逃げまどう生活だけが残り、絆だけを信じて生きるはずの同性愛者の関係が崩れていく、マイノリティにとっての「あたたかな場所」って、、などというメッセージが見えてきます。これも、秀作です。
 最後のスイス映画「クロスロード」に、私は、一番いい評価を与えました。食堂で働く旧ユーゴの人たち。それが、セルビア人であったり、クロアチア人、ボスニア人というのに、まず、目が停まります。今は、スイスで懸命に働く彼らは、多かれ少なかれ、デラシネ的状況にいることは間違いありません。ただ、それを、自覚したり、自らのアイデンティティとして認めるか否かでの分かれ道もあります。そんな彼らは、移民世代。ドイツで言うガストアルバイターとしてやって来た人たち。そこへ、ユーゴ紛争を経験してきたボスニア人の若い女性が流れてきた。その女性が入ってくることで、どこかにしまい込んできた自らのアイデンティティが呼び覚まされていく姿を描いていきます。そして、まるで、妖精であったかのように、様々な旧ユーゴの人たちに、ほっこりとした気持ちを与えたボスニア人の女性は、他の町に去っていきます。まるで、その役目を終えたかのように、自らの病(白血病)には一人で向き合うかのように。ドイツ語に、旧ユーゴの言語(セルビア・モンテネグロ語か、クロアチア語か、はたまたボスニア語かは、私には判定できませんでした)のみで推移する映画で、町を出て行こうとする女は、手に「ジュネーヴ」と書いた紙を持ちヒッチハイクで出て行こうとするのでした。これは、きちゃったなぁ。彼女は、なぜ、出て行くんだろう? また、彼女の、ボスニアでの原体験は、どんなだろう? その辺は語られません。世代の上の人が問うてくれないのです。いえ、ちょっとはつつこうともするのですが、つつきかねてしまうのです。この感性が、黄紺にとっては、把握し切れません。その分、映画の焦点は定まりますが、果たして、そういった効果だけを期待してのものなんでしょうか? とても、気になります。旧ユーゴ人の世代間ギャップが映画になる、これは目から鱗です。
 そんなで、今日も週末のお約束、こちらでの振り返りをしてみました。今日は、3連休の中日です。でも、出勤(>_<)




2007年 11月 18日(日)午前 10時 24分

 瞬く間に、1週間が過ぎてしまいました。今週は、わりかし体がしっかりとしていたので、それも、コンスタントに睡眠時間を取れたので、土曜日も出勤日だったが、持ち堪えることができました。週の半ばに、土曜日の振り替えを取り、パスポートの更新に行ったあと、時間が思いのほか余り、散髪に行ったり、休養を取ったりできたのが良かったのかもしれません。こんなことに、一喜一憂している黄紺なのであります。ということで、この1週間を振り返っておこう。
 もう1週間前になるんだけど、先週の日曜日(11/11)は、昼前から始まった文楽11月公演に行ってきた。年に数回ある国立文楽劇場で行われる公演を、1回は観ようということを決めてから、2度目のお出掛けだ。この11月公演は、「吉田玉男一周忌追善狂言」と銘打たれ、吉田玉男の得意演目を並べた番組になっているが、黄紺は、「曽根崎心中」を避けて、昼の部を選んだ。番組は、「近江源 氏先陣館〜和田兵衛上使の段、盛綱陣屋の段〜」、「艶容女舞衣〜酒屋の段〜」、「面売り」というものだった。「面売り」はともかく、文楽については、あまりよく知らない黄紺でも知っている演目が並ぶ人気演目が、こちらも並んだ。「近江源氏先陣館」は、兄弟が敵味方に分かれて戦うという悲劇を表す。母親の嘆き、悲しみ、兄弟愛、そんな熱い情に支えられた演目で、首実検の場の迫真性は、観る者の胸を打つ。何よりも、まさか、こうはこないだろと思った展開が、実際に繰り広げられる。これは、緊張度が極度に高まる。それを煽るように、大夫さんが語ります。千歳大夫の迫力は、凄まじいものがあった。いきなり切り場から始まるという難役、感動しましたよ。米朝師が、浄瑠璃は大袈裟だと言ってネタにする、笑い方が、出てきました。米朝師のまんまの笑い方に、一人喜んでいました。「艶容女舞衣」には、黄紺も知っている文句が出てきました。「今頃、半七っつぁんは、、、」「去年の秋の患いに、いっそ死んで、、、」、これを、黄昏時なんでしょうね、行灯に火を入れ、その傍らでやられると、ほろっと来ちゃいますね。そんなで、またまた、文楽の虜になっちゃった黄紺であります。今度は、1月の初春公演です。
 そのあと、映画を観ることも考えていたのですが、京都にとって返して、「狩野永徳展」に行ってまいりました。京都国立博物館に着くと、4時40分。5時を過ぎてから入りたかったのですが、早く来れてしまい、「40分待ち」の宣告。でも、実際は、20分弱だったかな? 最初にして最後の展示という報道にのせられて行ったのですが、それだけの値打ちはあったと思います。日本絵画の値打ちを分かってない黄紺の目には、どこやらで見た記憶のあるものに当たると、素直に喜んでいるという程度の鑑賞なんだけど、幾つか気になることを見つけました。なんで、松の枝は、あんなにポキポキに描かれるのか? 岩場の岩は、なんで、あんなにとげとげに描かれるのだろうか? 「洛中洛外図」のように、鳥瞰図っぽいものなら理解できる雲の存在が、近景を描いてる絵にもあるのは、なぜなんだろう? 狩野永徳になると、父親の絵などと比べて、遠近感を弱くしてるのは、なぜなんだろう? そんなことを考えて、1時間。ふすま絵などという作品自体が大きいので、そないな時間で、見終えることができました。そんなで、丸1日、日本文化の1日でした。
 翌月曜日(11/12)は、無沙汰の落語会。この日は、ワッハの4階であった「林家亭11月席〜イチローの攻撃 八回の表〜」に行った。次回が9階表になるので、繁昌亭でするとか。それが最後のような口調のように聞いてしまったのですが、市楼は、自分の会をどうするのでしょうか? とりあえず、番組は、吉の丞「犬の目」、市楼「江戸荒物」、瓶太「池田の猪買い」、市楼「食堂野球」となったが、大きなネタと言えば、それも、敢えて書けば瓶太のネタ。ま、「食堂野球」は、雀太との会用に下ろしたようだが、このネタの時間とか考えると、前の位置で出ても使えるんだから、こういった自分の会では、もうそっと大きなネタをやってほしいな。吉の丞のこのネタは何度目かだけど、いつもと違う。結構、弾けている。で、思ったのは、この人、型どおりにした方が、味があるっていうこと。語り口がしっかりしていて、悪ガキが、辛うじて踏みとどまってるっていうキャラが乗っかってくるから、余計な小細工を、今はしない方が、いいっすね、この人。原石としては、とてもいいもの持ってるっていう感じなのです。瓶太がいいですね。明るくって、お茶目な人柄が、程よく歳を経たって感じが、この人の味を深めています。この聴き慣れたネタが、瓶太キャラが乗り移って、輝きを持って聞こえました。市楼のネタは、取り立てて書き留める要はないと思います。ネタの運びとして、「江戸荒物」は、炭屋の旦那をきっちり出してることだけを記しておきます。ただ、新しいネタを仕込む暇もない忙しさだということも記憶に残っています。染語樓からのつながりで、文珍のツアーに、お囃子として、全国を巡ってるようなのです。市楼の収入の源なんでしょうが、年に、そんなに多くするわけではない自分の会なんだから、ネタ選びに注意して欲しいものです。
 翌火曜日(11/13)は、京都シネマで、スペイン映画「サルバドールの朝」を観た。フランコ将軍時代末期の弾圧事件を素材にしているという触れ込みの映画だったので行ったのですが、これは、映画を楽しむという筋合いのものではありません。処刑当日の、処刑に至るまでの数時間を、大きく描く映画です。処刑される学生が、自由を求めて活動していたということは解るんだけど、その手法という点で、この描き方で、客の納得を得ることができるのでしょうか? もちろん、一番大元に、フランコの独裁があるのですから、それが、全ての出発点だということは解ってでの話です。そんなことを考えると、最後の1日が始まるのが、この映画の終了予定時間の1時間前から。まいりました。もっと、サルバトーレの思想性なるものを描かないなんて、これ、映画じゃないとまで思ってしまいました。
 水曜日(11/14)は、午後からパスポート書き替えに行った日。そして、写真がダメと言われて借り受け付けとなりました。もう、ええかげんな写真屋にまいりました。で、夜は、「狩野永徳展」の帰りに予約をしていった落語会「こころ坂楽々落語会」に行った。こちらは、七条川端東入るの酒屋さんの持っているフリースペースで、定期的に開かれている会で、米二が世話役引き受けているものだ。番組は、二乗「阿弥陀池」、米二「まめだ」、よね吉「天災」、米二「代書」だった。久しぶりに、フルヴァージョンの「代書屋」を聴きに行こうとしたのだった。二乗のこのネタが、段々、板に付いてきた感じ。考えてみたら、しょーもなー・ネタが散りばめられてるネタなもので、照れる部分があった二乗に、それが消えてきました。これから、磨きがかかっていくことでしょう。米二は、「まめだ」をする前に、短いネタということが頭にあったのか、長〜いマクラ。TV出演のことやら、「米吉」名のことやら。ところが、ネタに入ると、3日目のとこおrで、携帯が鳴りました。秋の噺のいいところにさしかかったときの出来事です。気が付かないのか、白を切ろうとしたのか、ひどい客があったものです。よね吉は、「米吉」名に関し、ちょっと文句を垂れてました。この人、よく、マクラで、こないなことをします。「天災」は、今度の独演会でもかけるんですね。そして、最後の「代書」だけど、前段の弾け方が弱い、いや、弱くても味の出る米二なんだけど、単に元気がないだけみたい。ちょっと、前のネタで、体力を使いすぎたみたいでした。そのわりに、朝鮮人の部分が気にならなかったのです。そして、あっさりと過ぎていきました。なんでか、もっと、聴く機会があれば、考えられるんでしょうが、、、。
 木曜日(11/15)は、まっすぐ帰る日。その日に、タイミング良く、息子からお誘いがかかり、お寿司で、一杯、引っ掛けた夜です。そして、金曜日(11/16)は、久しぶりの繁昌亭で、「育っちゃったらくご」の日だった。どうも、繁昌亭では、この会を目指して来る人ばかりじゃないので、どうも空気がなじめない。挙げ句の果てに、終演を待ち構えたように帰る客。抽選会をしながら、おもしろ話を聴く雰囲気をつぶしてしまう。勿体ないです。で、番組は、遊方「うなぎや」、たま「厩火事」、あやめ「てなもんや左近ショー」、 南湖「探偵講談・魔術師」、三風「下町の散髪屋さん」、三金「饅頭怖い」。その日、その日で、出来不出来が出てくるのが、このグループのおもしろいところ。そんななかで、特に、目立ったのが、遊方とあやめ。「うなぎや」は、おもしろかったですね、ホント。舞台を転がったり、舞台袖にまで引き下がり、また出てくるという縦横無尽の動きを出してくれました。あやめのネタは、8年ぶりに出すものとか。おもしろいのは、全く2つの異なる話が、同時並行的にし進行するという試み。そして、それが、合体するときが出てくるという趣向。この発想に感服ですが、途中で、その合体が読めてくるのが、ちょっと惜しいかな? 三風の「散髪屋」も、髪から、相撲取りの断髪式という風に、髪つながりを思いついたところに成功の秘訣があります。と、それぞれ、新作物は、とってもいい出来でした。たまは、ちょっとマイルドになってきました。女房の謀若無人さが緩和された印象を持ちました。完成に近づいているという予感です。残りの、南湖、三金は、半寝になっちゃったのです。だから、コメントは控えます。三金は、夢の話をカットして、ちょっと常よりかは短めに仕上げていました。
 いよいよ、昨日、土曜日(11/17)の記録です。午前中、働いたあと、大阪城ホールの倉庫へ。ウルトラ・マーケットと名付けられて、芝居小屋に変身するのである。この日は、南河内万歳一座の公演があったのだ。疲れから、ちょっと台詞を飛ばしてることもあり、自信はないのだが、最近の、様々な事件等を踏まえて、またぞろ、既成の価値観が崩れだしてる、そのことを踏まえて、価値たるものはという、普遍的なテーマに迫ろうという試みのように見受けた。鉄格子を多用し、それにより仕切られたウチとソト。ウチがソトになり、また、ソトがウチになりという、以前流行ったポスト・モダン的手法が駆使される。再演ものなので、今日のような状況下で書かれたものではないかもしれない。でも、かつては、価値の相対性が唱えられたのに対し、昨今は、絶対性のようなものが唱えられることが多いような状況下、再び、このテーマを取り上げる源のようなものが見えてくるような感じがしたのだが、、、。どうなんでしょう、内藤裕敬の頭の中は?
 そして、夜は、ワッハ4階での「林家亭11月席〜染雀珍品堂〜」に行った。染雀が言うには、この日が最終回とか。そこで、市楼の言葉を思い出してました。林家亭自体が、ワッハから引き上げることを考えてるのではと思い出したのです。実際は、どうなんでしょうか? ただ、この日は、会が一杯の日。楽屋には、ゲストの文華しかいない状態。しかも、鳴り物が大変なものですから、文華がぼやく、ぼやく。そこへさして、5階の雀三郎の会にゲストとして行ってるあやめから、染雀への声の出演の依頼を伝えに、あやめの弟子が来たとか。そのお弟子さんが、最後は、お手伝いをしていたようですが、めっちゃ楽屋内はスリム、舞台は盛りだくさんな会になりました。番組は、染雀「位牌丁稚」、文華「高宮川天狗酒盛」、染雀「綿屋家事」、(中入り)、染雀「染替桜姫雀文章」という具合で、珍品揃い。存在も知らないものまで出ました。「位牌丁稚」は、染雀に言わせると、グロの噺。主人のケチさが、えげつなすぎて、グロだということで、段々、引いていく感じがしてしまいました。文華の旅の噺も、手がける人は極端に少ない。ちょっと、卑怯な終わり方でしたが、もっともっと出てもおかしくないネタじゃないでしょうか? そして、「糞尿落語会」には、使えるいいネタだぁと、そんなことを考えていました。「綿屋家事」は、先代染丸が残しているもので、いわゆる、バレ噺。艶笑噺だ。普通の落語会でかけるものではなく、お座敷とかで、先代染丸は出してたそうです。「にせ金は、逆さ張り付け」という落ちに、どーっと客席からは、声が上がりました。これで、金の出てくる噺が、2つ続きました。「染替桜姫雀文章」は、元々は、「桜姫東文章」という歌舞伎ネタを、あやめが、「桜姫花菖蒲文章」として落語化したもの。それを、染雀が、自分に合うように書き替えたものだということです。まず、噺に入る前に、「五段返し」を謡い、且つ、舞って見せてくれました。もう、やりたいことを、全部、やっちゃおうの精神、いいっすねぇ。そして、百均で買ってきた小道具を使い、噺を進めていくというもの。噺自体が、荒唐無稽な感じで進みます。お家騒動、仇討ち、男と女、金を工面に女が身売り等々、定番の物語。心配されたお囃子も、無事にいったようで、盛りだくさんの会も、上々のお開きとなりました。
 1週間を振り返るのは、大変です。静かにしておれば、ここまで書き留める材料はないのでしょうが、それでは、つまりません。ま、これが、休日の午前中の、黄紺の仕事化しております。




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