2007年 12月 16日(日)午前 8時 35分
木曜日の夕方あたりから、腰のだるさがひどくなり、かなり疲れが溜まっているなの実感があったのですが、気温が低いと、それ相応の疲労と感じない傾向があります。ですから、実感以上に疲れてて、どこかで悲鳴が上がってしまいます。どうやら、それが昨日だったような気がします。落語会に行っても、ボーッとしてる、挙げ句の果てには、こっくりきちゃう、夜は、呆気なくダウンという具合です。そんな土曜日、昼、夜と、落語会に足を運んだ。
昼の部は、伝統の田辺寄席だ。半年ほど無沙汰をしていました。いい番組だから、行こうかなと思うと、更に、気になる会があったりで、無沙汰をしてしまったというわけだ。番組は、三四郎「犬の目」、文華「打飼盗人」、文太「444号笑呆亭〜江戸荒物〜」、(中入り)、春野恵子「お夏清十郎」、あやめ「OH!舞妓(マイガール)」だった。もちろん、恒例の開口0番として登場した文太は、この日は、「騒ぎ」と題して、自らの出囃子「騒ぎ」にちなんで、出囃子解説。たまの「長崎騒ぎ」も、歌入りで紹介されましたが、歌入り出囃子の是非の件も話題にされてました。文太の「騒ぎ」は、東京では、小朝が「吉原騒ぎ」という題で使ってるということでした。若い頃は、20〜30くらい出囃子が打てれば、驚かれたが、最近は、数が多くて、若手は大変だと言ってました。同じ手が使えないということでしょうが、その代表的な手のパターンも紹介されていました。短かったが、とてもためになるお話でした。上にも書いたように、三四郎の口演の後半当たりから、やばいぞと思い出し、文華、文太の二人の巧者の口演は、ほぼダウン状態。もたいないこと、この上ない。三四郎は、ますます、噺家らしくなり、安心して聴いてられる口調となったと完了形で書いていいと思います。ネタの方も、いろいろとくすぐりを放り込んだりして、逆に、前座なんだから、さらりとした方が、いいんじゃないかと思ったくらい工夫が入ってました。後半は、女性二人。この辺は、あやめも話題にしてました。丁度、女性が多く出る繁昌亭の昼席から駆け付けただけに、臨場感がある。「美人のピークですと言っては、女流の会では、皆、降りてくる」「最後が、都さんで、どっかーんやからね」には、大笑いです。ただ、ちょっと、お二人とも、風邪をひいてるのか、声の調子は、本調子ではありませんでした。あやめは、舞台上でも咳き込むほどでした。春野恵子も、なんか疲れた声。高温が、元々弱いということもあるが、声の伸び、張り、艶、いずれも、こんな調子じゃないでしょという感じでした。ましてや、会場の音響が悪いこともあり、拡散しますから、余計に、こういった印象を持ってしまったのでしょう。この人の会場入りが、丁度、我々が入場時。列を掻き分け、曲師の沢村さくらさんと入って来られたが、やっぱ、そのときの雰囲気は、女優さんです。その辺で見かける女性じゃありません。そんな印象があったからでしょうか、会がはねて、外に出てきますと、今度は、軽くセーターなんかを引っ掛けた春野恵子がお見送りにロビーに出たはりましたが、そのときは、女優のオーラを脱ぎ捨てた隣のお姉さんでした。ネタも、ホントは、もっと長いんでしょうね。ストーリーも呆気なく、ちょっと物足りませんでした。あやめのこのネタは、初体験。あやめ襲名披露用に書いた新作だということです。襲名披露用には、最初、「小倉船」なんかを考えてて、師匠に相談したら、あやめらしいものを勧められ、結局、ハメ物入りのこのネタを書いたということでした。昨年来、久しぶりにかけだしてるということでした。田辺寄席は、中入りも、すっごいです。世話人の方々に、頭が下がります。この日は、大根汁が振る舞われました。
夜の部は、繁昌亭。田辺寄席がはねて、まっすぐに行って、丁度、開場直後。大根汁のおかげで、晩ご飯は食べずに入れました。この夜は、毎月開催の「あほの会」。これで、3度目になるでしょうか。あほのメンバー直々、受付をされておりました。この雰囲気、いいですね。で、この日の番組は、前半、中入りまでが、「しょっちゅう聞く噺」で、由瓶「狸さい」、勢朝「大安売り」、染太「いらち俥」というラインナップ。後半が、「めったに聞けない話」で、右喬「疝気の虫」、笑丸「虱茶屋」、仁福「住吉詣り」、最後に、あほ全員(仁嬌を除く)で、南京玉すだれ、総踊り形式だった。「狸さい」は、変形版。これが、未だ聴いたことのない九雀版「狸のさいころ」なのでしょうか? 「1」は両目をつぶって口、「4」は、三目小僧に化けて口を開けるなどなど、変型が目立つが、とっても人間世界に歩み寄った狸だった。こういった中に入ると、勢朝は格が違いますね。これ以上の「大安売り」はないでしょう。右喬は、大爆笑のマクラで、ネタに入るとシーン。これを、予告してるんだから、おかしいね。ただ、ネタの運びがおかしい。結末をばらすようなことを、予め言っちゃいけませんな。笑丸のぼそぼそ喋りが、後半の、踊りの部分との対比が生まれ、おもしろいものがあるのですが、まだまだ、型を押さえてるって感じで、流れているとは言い難いなって感じですから、今後の発展を期待しましょう。なんせ、フィジカルの優れた方ですから。で、問題のネタです。「せむし」の旦さんが、住吉さんに「卯の日詣り」をしたいんだけど、自分の姿を見たら、お茶屋に寄っても、誰もよりつかないと嘆いていると、出入
りの磯八という男が、いいアイデアがありますと。「かったい」の変装をします。糊を使って、顔に綿や何やらを貼り付けて変装するのです。住吉さんに詣ると、みんな、「せむし」の旦さんよりか、「かったい」の磯八の方ばかりに気をとられます。要するに、嫌がります。「乞食」までも、「せむし」より、「かったい」を嫌がリます。「放し鳥」で、物乞いをするという風物が入ります、ここで。そして、参詣の帰りに、お茶屋に寄ります。仲居やら何やら、店
の者は、「せむし」の旦さんの周りばかりに集まります。「かったい」の磯八は、思惑が当たるのですが、意地悪をしようとして、仲居にくっつきに行きます。すると、仲居は嫌なものですから、ついには箸で、磯八を傷つけてしまいますので、さすが、磯八も怒って、顔の変装を解きます。すると、豹変をした仲居は、「せむし」の旦さんも変装だと思い、「そこの旦さんも、はよ、背中のいかきを取りなはれ」、、、これが、サゲです。すごいネタです。かつて、米之助1周忌を記念した追善の会で、ざこばが、米之助ゆかりのネタということで、口演をしたときには、ネット上で、出すこと自体、随分と議論となりました。いや、議論というよりか、否定的なところから、意見は出ていました。今、そのサイトが閉鎖されたなかで、そういった議論の場があるのかもしれませんが、世間の考えは別にしても、この内容からして、黄紺は、否定的な意見を持ってしまいます。ましてや、昨夜の席のように、一見さんが、多いことが予想される中で、これは無理です。「かったい」どころか、「せむし」という言葉も解らない人、多数でしょう。知り合いに、「かったい」という言葉が解るかと聞くと、かなりの教養のある人なのに、わからないということでしたから、無理です。もう、学術的な場、ないしは、落語のことをよく解ってる好事家の集まる会以外では、あかんでしょう、このネタは。
そんなで、日曜日の朝です。今日は、朝から忙しいのです、もちろん、遊びにです。
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