忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2008年 5月 10日(土)午前 5時 36分

 今週は、水曜日(5/7)と木曜日(5/8)と、2日も、まっすぐ帰宅したが、その2日とも、夜中に目がさめ、更に、その目が覚めるまでに、少なくとも4時間は寝ていたので、今度は眠れなくなり、いくらなんでも、夜中の1時や2時に起きたままで仕事に行くわけにはいかず、結局のところ、ワインを呑むことによって、眠気を誘発させるという、あまり誉められ方法ではないことをやってしまった。おかげで、きっちりワインが1本以上、空になってしまいました。おまけに、金曜日の朝は、職場での検診の日、やばいよね、これ。黄紺は、先日、胃カメラを飲んでいるので、胃検診はパスなのですが、血液検査とか、明け方まで呑んでて、どないになるのですかね?
 昨日、金曜日は、ワッハの4階であった「南湖だんご39〜旭堂南湖話術研究会〜」に行った。この間続けられている「堀部安兵衛」ものの「其の四 高田馬場駆け付け」がメーンだが、その前に、近況報告的前説、「講談紙芝居・原子怪物ガニラ2」、後ろに「谷風の人情相撲」が置かれた。計1時間50分近くの会となった。「ガニラ」は初体験。1度、どんなものか見たかったのですが、ホンマものの紙芝居だったのですね。「堀部安兵衛」は、2回前に聴いたときと、あまり変化してなかったような。いよいよ、次回に18人斬りが出てくるとか、、、。でも、前にも。同じような言い方を聞いたような。「谷風、、、」は、「寛政力士伝」からの抜き読み。南湖は、いろんなところで、これをかけているのは、彼のHPで知っていたのですが、黄紺的には初めてのものでした。ちょっといい話です。
 昨夜は、一応、まともには寝れたよう。全く、アルコール抜きです。睡眠時間は、さして多いわけではないのですが、熟睡感はあるのが、救いかな? でも、今日は、午前中、普通の出勤日です。今回は、振替が効くので、夏のトルコ行きに活用はさせてもらいますが、土曜日働くのはきついです、辛いです。外は、雨です。とっても冷えた夜でした。こないな時期に、ストーブつけています。




2008年 5月 8日(木)午前 3時 5分

 GW明け早々、夜中に目が覚め眠れなくなってしまっている。まっすぐ家に帰ってきたときの常として、宵の口にダウン、そして、夜中に目が覚めるというパターンなのだ。まだまだ、週の半ば。今週は、土曜日も通常の出勤だから、ちょっと先が不安になってくる。そんなことを言いながらも、ここ2日を振り返っておこう。
 GWの最終日は、時間が経つにつれて、前日のウォーキングの筋肉痛に悩まされる事態に。仕事が始まり、職場のなかをうろつくのに大丈夫だろうかというのが、本音である。そんななか、午後と夜との2部制で出かけてきた。午後の部は、ワッハ7階での「第45回あがき〜一、余力を残すこと〜」に行った。これが、いい会で、充実の歌之助に加えて、おもしろい趣向があり、よくできたゲストがありと、なかなか素敵な会となった。番組は、鉄瓶「ん廻し」、歌之助「初期育成制度」、(中入り)、歌之助「祝いのし」、しん吉「遊山船」、歌之助「へっついの幽霊」と、もりだくさん。鉄瓶が、聴くたびに噺家らしくなってきた。言葉遣い、ちょっとした愛くるしい言い回し、程よい間の取り方、軽いくすぐりと、楽しみな人が、また登場ってところです。歌之助の新作は、みんなで作る新作落語として銘打たれて行われているもの。この日が完結編でした。そして、お題をつけるのが、この日の客に任された課題。「へっつい幽霊」に先立つまくらの部分で、歌之助自身から発表されたものが、表記のものである。前半の落語に関する薀蓄をなんとかすれば、いい噺に仕上がっていくと思いました。「祝いのし」は、歌之助ベストをあげると、「野崎詣り」とこれは外せないと思ってしまう逸品。春団治的喜ィーさんにならないで描いていくところが、いいですね。「へっつい幽霊」は、「折鶴」が出てきたので雀松仕様のものと思われる。が、そう思うと、雀松の口演が頭から離れない。特に、作ぼんのところになると思い出してしまう。ということは、雀松とは異なったキャラの創造には至ってないということ。とんでもない高いハードルを書いてしまってますが、何か、他にはないものを生み出して欲しいという期待なのです。良かったのが、しん吉。橋の上で、あれだけほたえ倒したのは、しん吉以外はないのじゃないなかぁ。おまえら、よくもそないなしょーもないこと言い合って遊べるなぁという周りの人間の視線を、痛い程感じました。こういった形で、橋の上の人を感じさせる手があったのですね。「遊山船」は、奥が深いです。
 御堂筋線、阪急神戸線で、十三に移動。時間待ちのために、この日は、十三で、ほほ1時間のネットカフェ暮らし。で、行ったのが、七芸でのアルゼンチン映画「今夜、列車は走る」でした。もう、言葉では言い表せないくらいの感動を覚えた素晴らしい映画です。路線廃止を口実に、解雇された鉄道員それぞれの絶望を描いていきます。そこに至るまでの過程と、その絶望の局地に発生した事件が進行中に起こる出来事が、映画の中で並行して流されていきます。TVに出演して、鉄道員の絶望を訴える男、それとは別に、3人の若者が、映画の当初から走っています。それらが誰であるか判るまで、相当な時間を要しますし、彼らが、そんな大切な役割を果たすとは、ほとんどラストが近づくまで解らないのですが、彼らの行為こそが、この映画の希望であり、若者に、その希望を託する意志が見えてきます。父親たちの絶望を真摯に受け止め、自分たちができることは何かを考え抜き、そして、その絶望に、親の世代に、そして、何よりも自身に希望を抱くことになっていきます。彼らは、何をするのだろう、そう思えてから、体の震えが止まりませんでした。そして、彼らの実行したことに、ただただ、感動の涙が流れました。ホント、これだけの素晴らしい映画は、めったにないと言ってもいいんじゃないでしょうか! なんか、もう一度、観てみたいと思う映画です。時間が、複相的に流れていますで、理解しきれてないところが、結構あるんじゃないかなとか、結論を知った中で、そこに至るまで、誰が、どんなときに、どんなことを言ったり、しているかを見てみたいなと思ってしまうのです。3人が走っているときにかぶさる言葉も、検証しなきゃならないよなと思ってしまうのです。
 最近、昼の気温上昇と夜の低下の差が大きすぎて、風邪を引かなければいいがなと思いつつ、こんこんと咳が出始めている自分に気付き、ちょっとがっくりです。明らかに、アレルギーっぽいところから出ているものではありませんから、気にしています。それよりか、まずは、眠らなくっちゃね。寝たいのですが、まだ、寝れないでしょうね。困ったものです。




2008年 5月 6日(火)午前 10時 48分

 井手町写真集

 GW最終日を、昨日に続き、「ちりとてちん総集編」を観ながら書いてます。常打ち小屋のところまで、もう来ています。黄紺は、フランスに行ってたため、ぼちぼち観てないところに入りかけています。息子に、録画を頼んでおいたのですが、すっかり抜かしてしまったので、初めて観るところが出てくるのです。ここまで書いて、見入ってしまいました。昨日に続き、筋立ては判ってるのに、また、泣いてしまいました。
 昨日は、ウォーキングの日と定めていました。4連休の3日目、いい設定なのですが、いかんせん、天気が悪い。傘を持ってのお出かけでした。替わりに、それまでの高温から、一気に気温が低下。歩いていて楽なことは楽なのですが、木立のなかを歩くと、昼なお暗い状態となり、誰もいないところを歩いていましたので、ちょっと気色が悪かったのです。しかも、あとから考えると単調な道だったのですが、行き先表示が少なく、山中を歩いていると心細くなるものだから、余計に不安感を煽られちゃいました。が、とっても、いいところで、また、機会を見つけて行ったみたいなと思ってしまったのです。で、行き先は、京都府井手町。JR奈良線の山城多賀駅から、次の駅の山城玉水駅まで、「山吹の道」として設定されているコースを歩いてみたのでした。案内板には、全長12kmとありましたが、自分の歩いている速度、また、数少ない道路標示を合算すると、13km以上と思われるコースでした。途中、横道に逸れたりしていますので、黄紺の実際に歩いた距離は、それ以上と思われます。
 山城多賀駅は、びっくりの駅です。城陽駅を出て、急に田園地帯の開ける奈良線ですが、この駅は、まいったなぁ。確かに、横っちょには、多賀地区が控えてはいるが、その集落から、この駅へ行けと言われたら、絶対に行けない。それほど、駅のある雰囲気じゃないのです。ま、ウォーキングをする身にとっては、却って喜ばしいことだったのですが、なんせ、駅前で、お昼ご飯でも調達しようなどと呑気なことを考えてた黄紺は、水分すら手に入れられない始末。まいりました。駅から30分程で、展望台のある山への登り口に差し掛かります。ここで、竜王の滝へ、更に、大正池へ行ける道と分かれるのですが、道路標識の関係で躊躇してしまいます。展望台へ行く道との関連が判らず、結局、滝から大正池へ行くコースを断念、展望台へ。もう一つの道は、どないなものかは判らないのですが、展望台は、大正解。田辺の背後は八幡や枚方方面へ抜ける山が控えています。その間をゆっくりと流れる木津川が眼下に流れ、真っ正面に田辺の町が連なります。ここで、初めて、田辺と井手の位置関係を了解。とっても、いい景色で、大満足。そして、今度は、大正池の表示が出ているので、それに沿って、小1時間。でも、こちらの道からでは入れませんでした。先ほど分かれた道か、下に降りてから迂回する方法しかないみたいでした。ところが、山から下りてきたつもりになっていた黄紺にとって、そこからが長かった。山の上り口は、多賀から入ったときとは比べものにならないくらい里から離れていたのです。尾根が重なって重なって、なかなか切れず、小1時間歩いて、ようやく里に出ました。更に、そこから、1.5km弱で、ようやく玉水の駅へ。橘諸兄の言い伝えが残っていることを、玉川に関する表示板で知りました。そう言えば、旭堂南海さんが、菅原道真の都落ちの講談をされたときに、この辺の話が出てきたことを思い出し、納得です。一言で言ってしまえば、京都南部の田舎ですが、緑が多く、ほんと生き返る心地のする素敵なところです。
 夜は、山城玉水から東福寺まで直行、京阪に乗り換え、四条へ。息子、弟親子と待ち合わせて呑みました。4月初旬にしたことの再現です。そんなで、GW3日目は、とっても盛りだくさんな日となりました。




2008年 5月 5日(月)午前 10時 32分

 GWの後半3日目の朝、「ちりとてちん総集編前半」を観ながら書いている。黄紺は、前半を、あんまし観てないので、丁度、いいのです。これを観てから、今日の行動を起こすことにしましょう。今日、「総集編」のあることを、すっかり忘れていたのですが、偶然、NHKをかけたら、懐かしいオープニングの画面が出てきて、びっくりでした。ここで、正太郎さんの死の床の場面です。
 昨日は、朝から出かけて、落語会のはしごをした。まず、朝の部は、1度は、覗いておこうと考えていたうめだ花月での「花◎花寄席」。繁昌亭の繁盛ぶりを見て、吉本が始めた寄席なのだ。そこで、1度観ておこうと、前から考えていたことを、実行に移したのだ。普段は、平日にしかやってないので行くことができなかったのを、GW特別興行ということで、休みの日にも行けるので行ったということだ。番組は、三四郎「刻うどん」、たま「いらち俥」、つく枝「ちりとてちん」、(中入り)、仁昇「壷算」、三風「客席参加型動物園」だった。客席は、落語会をするには、いいスペースのところへ、60人ほどの入り。若い人も、結構、入っています。でも、なんか、温もりがない。それを、演者も、感じてるらしく、何とかしようとしてくれる人、自分のペースを守る人と、変化はあるのだが、客席は、同じような感じ。つく枝のときだけ、ちょっとデブキャラということで、客席が沸いたくらいの雰囲気。ちょっと寂しい感じで終始してしまいました。三四郎のこのネタは、初めて。まだ、手がけてから日が経ってないのか、うどんの食べ方も、ちょっと気になりました。これからですね。三風は、普通の「動物園」を、ヤンキーの兄ちゃんに置き換えたくらいの変型。1度、この変型を聴いてみたかったのだが、聴いてみると、あんまし変化ありませんでした。
 梅田からJRに乗り、今度は、寺田町に行くのだが、鶴橋で下車。お昼ご飯を、韓国料理でと考えたのだ。環状線下の大通りに面したところに、新しくできたお店に入りました。表に「コムタン」の表示が出ていたのが、きっかけ。ホントは、表通りからちょっと入ったお店に入ろうかと考えていたのですが、変更です。ちょっと濃いめのスープの「コムタン」、塩で軽く味付けをして、ご飯を、お椀の中に入れて食べるという定番の方法です。これは、コムタンのときに採る方法。小皿も、4皿出て、700円は、この辺りでは、一番お安いお値段ですね。「くね」という名のお店です。
 寺田町の会と言っても、駅からは徒歩15分もかかる、とっても遠い。でも、出かけていきます。それだけの値打ちの会と考えているのです。「第53回生野弁天寄席〜成恩寺落語会〜」という笑福亭生喬の勉強会だ。番組は、松五「八五郎坊主」、生喬「隣の桜」、(中入り)、三金「読書の時間」、生喬「加賀の千代」ということで、「加賀の千代」が、ネタ下ろし。前半が、「掛取り」や「睨み返し」と同じなので、まさか、こんなネタとは思いもしませんでした。超珍しいネタ。黄紺も、円都師で、確か聴いてるはず。もう、35〜40年前のこと。それが、咄嗟に思い浮かんだのだが、しばらくしてから、先代歌之助も持ってたかな、聴いたことあったかなとは思ったのですが、それくらい、珍しい代物。文我もするかなとすら思ってしまいます。音源は、円都のものが残っているので、再現しようとすると、簡単にできるのに、演じ手のいない噺です。生喬は、「殿集め」「須磨の浦風」「吉野狐」という6代目系の音源からの復活ネタ、そして、今回は、円都師の音源からと、貴重な噺を、頑張って演じるようにしてくれてます。感謝、感激です。「隣の桜」も、良かったしね。梯子を上がるわくわく感、最高でした。そんなで、いい会です。たくさん歩いて行って、大正解です。
 昨日は、ここでおしまい。帰りしなに、京橋のデパ地下で、ちょっと買い物をして帰りました。これで、4連休の2日目は、呆気なく終わりましたね。




2008年 5月 4日(日)午前 6時 59分

 自分的に、ようやく訪れた本格的なGW。世間様に乗り遅れないように、頑張っています。その4連休の初日は、繁昌亭三昧の日を過ごしました。きっかけは、GW特別興行が行われている繁昌亭の定席に、月亭可朝が初登場するというので、これは外せないと、まず、夜の部(18:00開演)を押さえ、じゃ、ついでならば、昼の部(14:30開演)も押さえようかと考えた次第です。昼には、トリとしてきん枝が、中トリには都丸が出るということだったからです。
 そこで、2回の番組を、まず記しておこう。昼の部は、石松「鉄砲勇助」、よね吉「七段目」、染二「手水廻し」、都丸「替り目」、(中入り)、三若「カルシウム不足夫婦」、吉次「がまの油」、きん枝「狸賽」で、夜の部は、松五「十徳」、都んぼ「四人癖」、小つる「禁酒関所」、文福「相撲甚句&小咄」、(中入り)、花丸「太鼓腹」、鶴笑「紙切り」、可朝「秘伝書」だった。まず、月亭可朝の繁昌亭定席初登場ですが、長〜いマクラのあと、「秘伝書」という短い噺でした。マクラの最後に、昔の日本の風景を賛美し、屋台の話をしだしたので、一瞬、「近江八景」かと色めき立ったのですが、残念ながら、「秘伝書」の方でした。でも、振り返ってみると、マクラは、全部計算づくで組み立てられていたように思え、可朝の恐るべき力量を看た思いがしました。なお、登場は、昨夏の繁昌亭登場のときと同じカンカン帽姿でした。最初、やっぱ、そうだったかでしたが、可朝の姿って、この姿以外は、もう、忘れてしまっています。この可朝がお目当てだったのでしょうね、もう、繁昌亭は、落語会の常連さんが、いっぱい詰めかけておられました。夜席で言うと、もう一人のお目当ては、当然、鶴笑。この日は、パペット落語ではなく、紙切りで登場。お客さんの似顔絵を切り取り、大喝采を浴びていました。そして、小つるもお目当ての一人。普段、なかなかお目にかかれませんもの。若干古い言い回しを盛り込みながら、口演してくれました。この上方落語のもっちゃり感が、なんとも言えない心地よさがあります。この人などは、繁昌亭で、トリをとるだけの力を備えた噺家さんだと思うし、しかも、キャリアは十分な人だと思うのですがね。文福は、色物扱いすればいいのにと思います、毎回。中トリの芸をできる人を聴きたかったというのが、正直なところ。都んぼ、花丸とくれば、鬼に金棒的ラインナップです。思いの外、松五の上達が、気に留まりました。もうちょっとはっきりと喋り、前に向かって喋る感覚で口演をすれば、楽しみになってきますよ。昼の部は、きん枝がまくらを喋りすぎて、落語をする時間が、大幅減に。博打の話をし出したので、てっきり「看板のぴん」だと思ってたら、あれれ、こっちもするんでしたね。この会の白眉は、やっぱ、都丸。久しぶりに「替り目」のフルヴァージョン。それを、繁昌亭の舞台で聴けたのですから、結構な話です。都丸の酔い方は、ホントに上手です。聴いてる黄紺も、お酒のお相手をしたくなっちゃいました。三若は、ツアーから帰ってきてからでは、初の遭遇。相変わらず、早口の小ギャグ連発マクラ、黄紺は、あまり好きくないのです。自己満足的に過ぎると思うのですが、満足してないのは、黄紺だけ? よね吉は、鉄板ネタ。「七段目」のお芝居が出てこない「七段目」でした。NHK版にしては、13分かかってました。染二は、テンションが合わないのか、若干すべりかげん。ネタでは、盛り返していましたが。
 そんなで、2日目の朝を迎えています。朝4時に、こんなGWのさなかなのに、目が覚めてしまいました。これは、辛い朝です。お遊びに支障をきたさなければ、いいのですが。




2008年 5月 3日(土)午前 5時 48分

 GWの後半に入っている。黄紺の場合、29日は出勤をしたし、また、事実上お休み日だった1日も出勤をしたので、GWの恩恵を被るのは、今日からの4連休だけだ。黄紺は、夏にはトルコに行くのが恒例となっているので、仕事を頼まれれば、GWはご奉仕することにしている結果が、このような事態を招いているのだ。そこへさして、このGWの谷間が、とってもハードワークが続いています。今朝などは、それが、腰に響いて、なかなか起き上がれない始末。職場での同室の方も、ハードワークがたたって、お休みの日は、一歩も外に出られず、なんのためのGWとこぼしておられました。全く同感です。特に、昨日のハードさは、半端ではなく、起き上がれない黄紺は、横に置いてあるワインの瓶を引き寄せ、暫し腰の下に置くと、ようやく起き上がることができました。70kg余の体重が、ワイン・ボトルにかかりますので、ちょっと割れはしまいか恐くなり止めましたが、腰のだるさをとるには効果抜群でしたよ。
 いつもでしたら、そんななか、夜遊び快調というところなのですが、さすが、昨夜はその元気なく、まっすぐ帰宅。そして、9時前には、あえなくダウンしておりました。ま、早く帰ってきたときの常ですが、さすがに、昨夜は、それでも、よく持ち堪えたと思っております。もう、8時くらいにダウンしても、全然、不思議じゃない状態でした。実は、一昨日(5/1)も、まっすぐ帰宅しているのであります。一つには、職場を出る時間が遅くなることが予想され、夜遊びに間に合わないということもあったのですが、それほどそそられるものもなかったということもあり、まっすぐ帰宅、早めのダウンと、お決まりのコースを辿ってしまっていました。そないな生活が、これで、2日続いたことになります。
 そんなでしたが、1日のことで書き留めておきたいことがあります。去年、職場の胃検診で、要再検となり胃カメラを飲んだ黄紺は、幸い異常がなかったのですが、また、同じように、職場での検診でバリウムを飲むと、要再検となるので、直で、再検を受けたところで検査を受けてくれと言われたいたので、この日は出かけやすかったということもあり、予め予約を取り検査場所へ出かけていきました。黄紺は、この時点で、バリウムを飲むものだと考えていたのですが、受付で、「胃カメラ」のカードを渡されて、びっくり。尋ねてみると、「去年のデータで、胃カメラと判断させていただきました」「バリウムでもいいですが、もう一度胃カメラということになれば、また、来て頂かなくてはなりません」、そんなに言われると胃カメラ検査を受けねばなりません。これは、心の準備が要ります。昨年、かつて、アレルギーっぽいのが出たことがあると言うと、弛緩剤の注射を控えられてしまい、えらく苦しんだものですから、心の準備が要るのです。そこで、えいやーと、今年は弛緩剤を打ってもらおうということで検査室へ。どうも、やりとりの通じにくい看護師さんにあたり不安だったのですが、最後は、担当の医師と相談をして打ってもらうことにしました。そしたら、ものの2〜3分したところで、急に、動悸がし咳き込む黄紺。一瞬、後悔しました。目先の苦しみに負け、えらいことになってしまったと思ったのですが、当の看護師さんは涼しい顔、一応、医師に伝えたあとの涼しい顔だったので、こいつーとは思いはしませんでしたが、なんとか言ってくれよの気落ち。でも、その副作用は、ものの1、2分で収まり、無事、検査を受けることができました。また、検査をする医者が、なんか、お水系の喋り方をする人で、愛想はいいんだけど、良すぎて、ちょっと不安だったのですが、なんせ弛緩剤を、今年は打ってるという安心感から、なんとか、無事に終わりました。これだったら、心の準備は、さほど要らないやの気分にさせてもらいました。今年は、幸い、これで済み、その検査結果も、異常なしで終わり、ほっとしたところであります。黄紺は、あと3年は大丈夫なはずですから、予定通りと言えばいいでしょうか? 但し、3年後は覚悟をしておりますが。




2008年 5月 1日(木)午前 5時 34分

 GWの谷間、仕事が、ハードにハードに設定されています。朝の出勤、電車の混み方も穏やかになってきているのに、このハードな設定、なんとかならないのですかえ。疲れを癒すためにだけ、GWがあるような気がして困っています。職場で同室の方も、29日の休みは、家を一歩も出れなかったと、体の疲れを口にされておりました。
 そんななか、夜遊びは、かなり厳しかったです。徐々に時間が経つにつれ、ダウン気味。昨夜行ったのは、谷町6丁目の薬業年金会館でありました「笑いのタニマチvol.77〜仁智の新作落語道場〜」です。日頃から、サラリーマンの数が多いのが、この会の特徴なんですが、昨日は、いろんな方が入り乱れて、超満員。予約もせず行った黄紺が、もそっと遅くに行ったら入れてもらえたかどうか、そんなことまで心配しなければならない入りでした。疲れから不調だったこともあり、結果的には、あまり健やかな感じでは帰れませんでした。とりあえず番組を記しておきましょう。南湖「ウエスタン」、仁智「大阪の歩き方」、そめすけ「?」、仁智「糞尿の夢(仮題)」。健やかでなかったのは、仁智の覇気のなさに起因するところもあったかもしれません。「大阪の歩き方」は、以前、繁昌亭の会で披露した、スケッチブックに項目を記しながら、大阪案内をするというもの。あのときのバカバカしさがトーンダウン気味、そう感じたのは、なぜなんだろう? ギャグの濃さに乏しかったような気がするのですが、、、。新作の方は、糞尿譚。ま、それはいいのですが、夢の中の話が、好きになれないのです。劇画タッチの部分に入り、「こんなの好きくない」と思ったら、うとうととしていました。そめすけの口演も、前半、お得意の物真似をしているところしか、あとからは思い出せない始末。どうも、不調ですね。南湖の新作ネタ、またしても、あのお方が悪役として登場致しました。そんなで不調なだけではなく、ノリが肝心な仁智の会で、ノリも悪かったのです。
 HP更新に時間が要ると考え、早起きですが、あかんね、早すぎました。これでは、今日、いろんなところで居眠りしてしまいそうです。ので、ここで、ちょっと横になっておきます。




2008年 4月 29日(火)午後 11時 43分

 GWに突入です。も一つ実感が湧いてはいませんが、暦の上では間違いないようです。
 日曜日は、昼と夜の2部制をとったが、その第2部は、大阪へ行く途中の電車の中で呼んだ毎日新聞で、大きく変わることになった。ま、それは、後回しにして、昼の部から記そう。
 繁昌亭の昼席に行った。米二が、初トリということで行こうとしたのですが、繁昌亭輝き賞を取った歌之助には、後ろから3つ目という、通常、歌之助のキャリアではありえない位置で出るというのも、今日、昼席に行くことの動機であった。番組は、ひろば「寿限無」、由瓶「強情灸」、八天「七度狐」、タグリィー・マロン「マジック」、伯鶴「相撲場風景」、小米朝「壷算」、(中入り)、三金「奥野君のデート」、歌之助「七段目」、菊地まどか「浪曲:嫁ぐ日」、米二「天狗裁き」ということで、かなり質の高いものであった。由瓶は、いい噺をもらったものです。「看板のピン」に続く値打ちものの仕上がり具合です。関口の隠居が出てきましたから、ざこば系の誰かからもらったのでしょう。「七度狐」は、時間の関係からか、べちょたれ雑炊も、おさよ後家の幽霊も出てきませんでしたが、エッセンスを、うまくチョイスはしてくれてました。伯鶴は、さすが笑福亭、荒っぽい口調で、可笑しさ倍増です。小米朝は、後ろの歌之助とのネタの調整が気になっていたのですが、こんなの出してきたって感じで、ちょっと期待してながら、実際に出てみると、こんなの出してくれるって思ってしまいました。三金は、鉄板ネタで、がっちりと仕切り直しの時間帯を押さえてくれました。歌之助が出てくると、後ろにいらした、歌之助贔屓の茨木の通おばさまが、「待ってました!」の掛け声、やってくれますが、黄紺は、これを、この人、1週間続けたんじゃなかろかと心配してしまいました。小米朝が、譲ったのでしょうか、歌之助に「七段目」が回ってきました。「七段目」の後半、定吉との掛け合いの部分、敢えて、テンポを落とし気味。歌舞伎の上演テンポが、こんなのかなと、歌之助がするならばと、そんなことを考えていました。米二は、さすがの芸達者です。夢を聴き出そうとする者どもの描き分けがきれいですね。とまあ、充実のラインナップでした。
  夜の部は、当初、中国映画「王妃の紋章」を観るつもりをしていたのですが、繁盛亭へ行く電車のなか、毎日新聞を読んでいると、「人」欄のようなところに、広河隆一が取り上げられていて、彼が監督した映画のことについて紹介されている記事を読み、急に、乗り換える気分に。以前、シネヌーヴォに行ったときに、この映画のことは告知されていたので知ってはいたのですが、あまりそそられませんでした。映画が専門じゃない人の映画ということだったんだと思います、自分的に。それが一変したのは、新聞で、そのような紹介記事が出るくらいの評価がされているものとの認識を持てるようになり、ならば、行ってみようかの気になったのだ。言うまでもなく、黄紺は、広河隆一の活動については、断片的にだが知っており、その取材姿勢、視点の確かさは信頼していますので、映画としての値打ちのようなものが出てくれば、それは、突き動かされるようにして行きたくなってしまったのでした。正確に書くと、「パレスチナ1948 NAKBA」という題名の映画だ。まず、広河隆一のパレスチナへのこだわりの原点が紹介される。キブツで生活した経験が紹介されると同時に、そのキブツのあった場所が、実は、かつて、1948年のパレスチナ人の「NAKBA(虐殺)=民族浄化」の場所だったと知ったことがスタートだったということだ。そのような村が、数十、いや、数百、イスラエルに存在しているということだ。その村の生き残りの人たちを訪ね、その証言を得ようという試みが、大きなこの映画の柱だ。また、かつてのキブツの仲間、更に、インティファーダに反対するユダヤ人のグル−プの仲間を訪ね、ユダヤ人側の良心を表現してくれると同時に、かつての彼らの活動、そして、今の活動を紹介してくれる。更に、ユダヤ人歴史家が、その歴史的探求から、NAKBAを検証しようとしているという活動も紹介してくれる。黄紺の知らないことばかりだが、人としての良心に生きる人たちに、静かな感動を覚える。また、広河隆一は、レバノンでのシーア派民兵組織による虐殺を、世界にいち早く知らせた報道カメラマンでもある関係で、レバノンにも頻繁に訪れている。そのなかで、1組の姉妹、そして、その家族を追いかけた写真、映像を流してくれる。ですから、NAKBAで「消えた村」を探求するだけではなく、パレスチナ問題を複線的に捉えてくれるので、そこから生まれる膨らみが、そこに生きる人間のぬくもり、また、そのぬくもりを消し去ろうという人間の所為をしっかりと解らせてくれます。ホント、これは、素晴らしい映画です。ぜひ、世界に発信して欲しい映画だと思いました。
 月曜日(4/28)は、まっすぐ家に帰り、大人しくしておくつもりだったのですが、得てしてこういったときは、偶然が生まれるものです。朝の通勤電車のなかで、前の職場での同僚とばったり。「今日、暇ですか?」「はい」「だったら、コンサート、行きません?」というお誘い。なんだか、知人を誘おうとしていたところ、連絡がつかず、チケットが余ってるとのこと。ならば、行きましょうと行ったのが、「デジレ・ランカトーレ  ソプラノ・リサイタル」というもの。場所は、シンフォニー・ホールでした。最近のオペラ歌手を抑えてない黄紺は、名前を聞いてもわからず、でも、現物を聴いて、ただならぬ歌手だということを認識してしまい、もう終わってから、このコンサートにお誘いいただき、感謝、感謝の雨あられでした。ベルカントのコロラトゥーラ・ソプラノ歌手です。パンフを見ると、「超絶技巧」の文字が大きく踊ってますし、番組構成も、正に、それを売りにするかのような構成に、びっくりすると同時に、終わってみると、至極納得の状態になっておりました。とにかく初っ端が、「魔笛」のパミーナの誠実なアリア。その次が、なんと「リゴレット」の「慕わしい人の名を」というコロラトゥーラの業が求められる難曲が配置されている。これにびっくりしてると、前半の終わりには、ロッシーニの超絶技巧曲「結婚手形」のアリアが置かれていて、また、これがお見事ときてました。後半は、パイジェルロで始まり、ドニゼッティが出ても、「愛の妙薬」と温和しめに留め、やがて、ベルリーニの長大なアリアへと、しかも、2つへと繋げていってくれた。「キャピュレット家とモンタギュー家」からと、「夢遊病の女」からだった。そして、アンコールの1曲目が、圧巻。バーンスタインの「キャンディード」から、これぞこれぞという超絶技巧のアリアに、場内騒然となってしまいました。黄紺は、その昔、NHKホールでのコンサートで、スタンディング・オベーションを経験しましたが、大阪では初めてでした。いや〜、こんな素敵なコンサート、記憶に残ります。
 本日(4/29)は、祝日ながら、午前中は、振り替えなしの出勤。そして、午後は、トリイ・ホールへ直行。「新星☆浪曲新宣組」の公演があったのです。「新宣組」とは、幸いってん、菊池まどか、春野恵子という若い3人の浪曲師が組んだユニット。「新宣組」と称しての会は初めてだけど、何度か、この3人の浪曲は聴いてきた黄紺なのです。今年は、ネタ下ろしの会にするとかで、ジャイケンで決めた出番で記すと、春野恵子「長短槍試合」、菊池まどか「赤垣源蔵」、幸いってん「天王寺の眠り猫」となるのだが、全て、講談ネタとして存在するもの。「眠り猫」も、そうですよね? 甚五郎ものですから、そう信じてます。「長短槍試合」は、関東節での挑戦。春野百合子師のネタばかりするのもどうかということで、こういった挑戦をしてるのだとのコメントがありました。節の部分が少なく、軽いタッチの語り中心のネタでした。でも、節の部分のために、講談的軽妙さを、かなりショートカットしたものでした。「赤垣源蔵」は、エッセンスは、ここですよと、クライマックスを節に乗せられると、涙が滲みます。これは、浪曲のお得な部分ですね。「眠り猫」は、時間の関係で、甚五郎が彫り上げる前に終わってしまったのが、ホント、残念。幸いってんの手だれた節回しが、あまり合わないと思っていたのが、このネタで変わりました。くすぐりが、間髪を入れず入れていくのは、幸いってんお得意ですね。3人が終わると、曲師の一風亭初月も交えて、質疑応答コーナー。その中で、メンバーの曲師沢村さくらさんが出産されたことが披露されていました。次回公演は、9月だそうです。
 夜は、天満に回り、月一の「天満講談席」に行ってまいりました。今回は和室。会が進むにつれて、額に汗が滲んできました。覚悟の上の和室です。で、番組は、南青「那須余一」、南海「柳生石舟斎」、南鱗「貧乏業平」、南左衛門「幸助餅」となったが、南青が、今頃、「那須余一」?と思ったのですが、以前手がけたネタの再演なのでしょうね。あかんたれ男のネタが、後ろの2つ。「貧乏業平」の道具屋と、「幸助餅」の幸助さん。道具屋さんは、注意義務を怠る御仁、幸助さんは、男だと威張るなと、話の中で、もうそとぎゃふんと言わせたいですね。なお、「貧乏業平」は、紀伊国屋文左衛門ネタの序に当たるそうです。南海さんのネタは、柳生石舟斎が脇役で、主役は、もっと他の剣豪。そんなだから、今回、最も印象の薄い口演となってしまいました。
 そんなで、振り替えりは終わりました。ここまで書いたことを読み返してみると、随分と変化に富んだGWを過ごしている。これに、サッカーでも組み合わせることができると、申し分ないのだが、なかなか難しいです。そんなで、また、明日は仕事です。




2008年 4月 27日(日)午前 8時 40分

 GWに突入しています。でも、その合間に、かなりハードな仕事が待ち受けていますから、かなり糠喜びもいいところなんですが、GWという響きだけで、気持ちが浮かれてしまってます。昨日は、いいお天気のもと、阪急京都線茨木周辺部で過ごすことになった。
 実は、昨日は、ほとんど出張が入ると思っていたところ、それをかいくぐることができた関係上、昼間には予定を入れてなかったもので、ならばと、こういったすっぽりと空く日を待っていた企画を実行に移したのです。黄紺は、民博にはまっています。世界に類を見ない民俗学的資料に魅せられているのです。常設展だけでも、ゆっくりと観に行く値打ちのあるところへ加えて、年に2回、特別展が企画されます。ですから、その機会に、常設展も観て、映像資料を観ることにしています。この間は、特別展「深奥的中国─少数民族の暮らしと工芸」という、かなりそそられる展示が行われていました。展示の中心は、広西省のチワン族、トン族の生活の様子が中心。タイ族やミャウ族の様子も、展示されています。目玉は、入口を入った途端、目に入ってくる高床式住居の住居空間の再現です。そのまんま、持ってきたっていう感じのものです。かつて、「ソウル・スタイル」として、ソウル市民の生活を、そのまんま展示してしまったあの感覚です。その家屋の周辺には、冠婚葬祭や伝統芸の操り人形の展示などがされ、2階では、周辺部の諸民族の服飾展示などが行われていました。住居の再現が目を引いたので、それに合うような展示も欲しかったですね。中秋祭グッズの展示だけではなく、そのときの村や町の一角を再現展示するなど、また、写真の展示も細分化されすぎてましたから、その場所に立ってない者にとっては、イマジネーションの働く空間は、どうしても狭くなってしまいます。ま、それは、贅沢な要求として、、、後半は、常設展の映像資料。やっぱ、ここでも、せっかくだと思い、チワン族とトン族関連のものを観ました。なんか、行ってみたくなりましたね。そのあとは、前々回の特別展で行われたサン・チャゴ・デ・コンポステーラ関連の映像を観ていましたが、量が多く、まだまだ、序の口の段階で時間切れとなりました。このおかげで、モワサックの聖ピエール修道院教会と再開できました。だけど、この映像資料には、「サン・ジルの道」の表記が入っていませんでした。アルル基点の道はあるんだけど、そこには、サン・ジルは省かれていました。どういうことなんでしょうか?
 黄紺は、民博へ行くときは、特に特別なことがなければ、往きは、阪急茨木駅からバスで「日本庭園前」まで行き、あとは歩くという方法、帰りは、モノレールの「万博公園」駅まで歩くという方法を取っています。昨日は、そのルートを取りましたので、茨木駅前のコンビニで、パンなどを買い、万博公園を外から眺めながらお昼をいただきました。これ、いいお天気のとき、最高です。冬場になると、一気に寒々とした風景になってしまうんだけど、この季節はいいですね。夜の部を、昨日は、正雀で予定してたものですから、モノレールで南茨木まで移動して、呆気なく正雀到着です。時間潰しなきゃならないくらいでした。で、正雀でですが、正雀市民ルームで行われています「第49回ジャッキー7」があったからです。こういった、大阪の中心部でないところで、噺家さんが、ご自分の会を続けられているという数少ないものの一つです。番組は、さん都「強情灸」、雀喜「もと犬」、団朝「座長の涙」、雀喜「軒づけ」で、なかなかおもしろい番組となった。さん都は、このネタをするときの定番、電車ネタでマクラ。「もと犬」に入る前に、雀喜は、八天の子どもと、自身の子どもが、同じクラスになり、自分の子どもが、「八天・雀喜二人会」を企画している話を披露。そう言えば、「できちゃった」の行ったとき、繁昌亭に入る辻で、米二らの赤い顔を見たときに、そう言えば、雀喜もいたような記憶が蘇ってきました。ま、それはいいとして、「もと犬」は、最後の部分を、雀喜風にしていました。日本語の解らない犬まで登場しました。団朝の助演は、この日の白眉。自身の演劇体験をマクラに、小佐田センセのネタに。このネタ、確か、京都府立文化芸術会館で下ろされたネタのはず。そのネタ下ろしに立ち会ったときには、なんか、ごちゃごちゃしたネタだという印象だけが残っていました。ところが、昨日、聴いてみると、そんな印象は全くありません。淘汰されていったんでしょうね。となると、ホントに、団朝キャラに合ったいい話だなと思えました。この日のお目当ては、「軒付け」。これが、わりとと言うと失礼なんだけど、いいんですね。以前の雀喜だったら考えられなかった小ギャグをいれてくれます。そのギャグの質が均一なところが、いいのでしょうね。ですから、昔からのギャグ「鰻の茶漬け、、、」も、生き生きとはまっていきます。そんなで、市井のよくあった風景を、バカバカしく描いてくれたなの感じで、好印象を得てしまいました。
 今日は、以前から予定していたことの実行です。というほど、たいそうなことではないのですが、今日も、お遊び予定に邁進です。そして、本日は、今季の優勝を左右する大一番のある日。昨夜、またしても、シワス・スポルが勝ってるのが、なんとも不気味ですね。今日、万が一、ガラタサライが勝ってしまって、来週、シワスが、そのガラタサライが勝つと、えらいことが起こります。でも、フェネルバフチェが、今日勝つと、そないな心配も不要かな?




2008年 4月 26日(土)午前 8時 54分

 GWが始まったと言っていいのかな? 黄紺も、29日には出勤しなきゃなりませんが、今のところ、あとは休めそうです。まだまだ、ぬか喜びかもしれませんが。ということで、週後半のお遊び記録です。
 木曜日(4/24)は、今週2回目の講談会。定期的に開かれている講談会では、わりかし縁の薄いワッハの4階で行われている会「第355回上方講談を聞く会」に行けたのである。受付は、先日の南海さんの会と同様、南左衛門に入門した南舟さん。“「海」と「湖」を越えて渡ろうということで命名されたんです”と、先日の南海さんの会で言われていた小ギャグを、一緒に受付にいた南青くんが、入ってきた客に披露していました。何はともあれ、講談会に明るいニュースです。で、番組を記すと、南青「秀吉と利休」、南湖「喧嘩安兵衛」、左南陵「真田の入城」、南北「長短槍試合」となるが、南湖のネタ以外は、全て、秀吉関係物。左南陵のネタは、秀頼の代になるから、より正確に記すと豊臣物となる。それだけ、ネタが、その関係では多いというか、調整をしていないというか、ま、どっちでもいいです、おもしろかったので。なかでも秀逸だったのが、左南陵。上方講談では少ないと言われている修羅場を読んでくれたのである。と言っても、合戦場面ではなく、幸村が大坂城へ入るところでしたが、やっぱ、修羅場読み口調というのは、これぞ、講談という感じがして酔ってしまいます。左南陵は、左手で扇子を使わず、パンと見台を叩く癖があります。それが、この修羅場口調では、見事なリズムをとるための小道具になっており、いい間を与えていました。左南陵自身も、立て弁に対するリズムと間を取っているようでした。とまあ、一番気に入ったところから書きましたが、この日の会では、南北さん以外は、全員、南青くんのTV出演を話題にしていました。それも、前回の、この会にTVカメラが入ったとかで、いろいろといじられていました。その南青は、利休が、秀吉及びその家来を言い負かす賢明で居丈夫な利休の姿を表してくれました。最終的には、利休切腹に至る長い話の序の部分かもしれません。南湖は、この間、自分の会で続けている中山安兵衛物。高田馬場18人斬りに至る、これも前の場面。さわりが続きましたが、いつに変わらぬ名調子です。ちょっと声を潰しがちかな、南湖は。以前は、さほど気にならなかった声枯れが気になります、最近。マクラでは、南青ネタだけではなく、先日まで行ってきたラオス話もしてくれました。これは、「できちゃった」ででも、「ラオス紀行」で出して欲しいものです。南北さん、その好々爺的語り口にはまっています。真面目に聴いていると、しょーもないことを言って外してくれます。情の厚い話をしてくれると、ほろっとさせてくれます。この安心感は、ホント得がたいキャラです。そういう観点で言えば、ちょっと軽めのネタではありましたが、「長短槍試合」は、なかなか南北さんらしさの出るいい話でした。
 昨夜は、繁昌亭でのレイトショー「できちゃったらくご!」に行った。なんせ、開演が9時だから、職場に、いつまでも残って時間潰しをするのも腹立たしいので、南森町のネットカフェでくつろぐ。くつろいでるつもりが、PCの画面を追い続けでした。で、「できちゃった」の番組は、遊方以外は、じゃんけんで決定。と言いますのも、ラオス帰りの南湖はMC、遊方の方は、出番がありながら、できなかった口。そのため、トップバッターが義務づけられたのでした。じゃんけんの結果、次のような番組となった次第です。遊方「マジ喰う? マッシュルーム」、三金「メタボリンピック」、三風「親孝行体験講座」、あやめ「私は、おじさんにならない」、たま「よもぎまんじゅう」。三金は、一番じゃんけんで勝ったのに、2番手を選択。ネタに自信があったのでしょうね。お得意のデブ・ネタ。それに、オリンピックを合わせた噺にしたものだから、会場、大喜びでした。ただ、上下を切るという落語らしさが乏しかったのが惜しまれますね。着想抜群ですから、練り上げて欲しいですね。三風も、着想抜群、でも、呆気ない終わり方、簡単に言っちゃえば、そんな感じ。親不孝をしていて自責の念に駆られている人たちを対象にした体験講座、この着想は、三風らしさもあり、グーなんだけど、実際に講座が始まると、出逢いのところぐらいが描かれるだけで、呆気なく終わったしまったのです。時間切れというところかもしれません。あやめが、この日の秀逸。6月の独演会用に用意したもののネタ下ろしです。独演会にも行くつもりですので、どのような変化を遂げるかを見届けるのも楽しみですが、そのような意気込みがあるからでしょうか、かなりの完成度。おばさんネタから、おっさんネタへ、これが、女性の歳の取り方とばかりに、その変化の様相ウォッチングは、さすがのものです。これは、商品に、既になってると言えるでしょう。すごいわぁ。たまは、人情噺的、いや、ホームドラマ的作品。ただ、結婚を承諾しない親、それが、承服するという単線構造なのが、不満。肉付けが欲しいな、そんなことを考えると、こちらも、時間切れだったのでしょう。でも、よもぎの葉っぱと、トリカブトの葉っぱの形が似てることを上手に使っていましたね。後先になりましたが、遊方のネタも、なかなかいいものと、黄紺なんかは思ったのですが、最後に出てきた悲観症の遊方は、失敗したと思ってたみたい。笑い茸を食べてしまった2人の男が、笑いながらすかたんなことをするというネタなんだけど、舞台を転げ回って、すかたんをするというの、自分的には好きなんだけどな。そんなで終わったのですが、最後が、後味悪かったです。変なおっさんが、わけの分からない質問を、舞台に向かって大声で発するという、嫌なことがありました。歳を取って、場の空気まで解らなくなるなんてことなりたくないなと思いました。それと、もう一つ、次回か次々回で、「できちゃった」の繁昌亭版は終わるそうです。またかの感です。何かの圧力があったのか、いや、その空気を察知して、早めに閉じたのか、はたまた、「できちゃった」の客層が、繁昌亭ではダメと判断したのか、どの辺りが本音か、また、繁昌亭を離れたときに、このメンバーなら紹介してくれそうです。それまで、待ちましょう。茶臼山のときのような、アヴァンギャルド性に富んだ舞台、企画を期待しましょう。
 GWの幸先は、決して、いいものではありません。最近、感覚マヒが進行してるのでは思うことがあるのです。普段は、全然、大丈夫なんだけど、横になるとダメなんですね。今朝も、明け方に寝てられなくなり、そんなので強制起床です。これ、辛いですよ、、、と言っても、常人には想像すらできないでしょうが。この暗さを、遊ぶことで吹き飛ばしましょう。GW初日です。




2008年 4月 23日(水)午後 11時 35分

 週半ば、ちょっと気楽な日を送れました。ま、1年に1回でしょうが、GWの谷間が、結構。忙しそうなんで、気休めにはなりました。そこで、昨日、今日の、お出掛け記録を書き留めておきます。
 火曜日(4/22)は、谷町6丁目の薬業年金会館で、毎月行われている「第129回旭堂南海の何回続く会?」に行った。こちらでは、続き読みが行われてきたのですが、今回から新企画「講談で聴く、あの名言・名ゼリフ」と題して、毎回読みきり形式で行われることになった。今回は、「其の一」として「敵は本能寺にあり(発言者:明智光秀)」が出された。そして、話の展開としては、「そのとき、歴史は動いた」の形式を踏むということで、一つのエピソードが終わると、「あと何日」という言い方で、興趣を盛り上げるという、南海さんならではのおもしろい手法が取り入れられていました。黄紺は、最終盤に入ろうかというところで、南海さんが、何をしゃべってるのかが解らなくなり、、、、これは、ダウン直前の現象、しかも、本人が、危ないという自覚がないときの現象。せっかくの好演が、仕事疲れで、儚くも途絶えてしまったのが惜しまれます。なんか、最近、そこそこの落語会があっても、この会は優先してしまってる黄紺なのです。
 そして、今日は、繁昌亭。「福笑と異常な仲間たち〜Vol.1〜」があったのだ。番組は、たま「ドーベルマン刑事」、福笑「宿屋ばばあ」、松元ヒロ「漫談」、(中入り)、福笑「入院」、松元ヒロ「漫談」という具合で、福笑2席、松元ヒロ2席で、福笑が、松元ヒロにトリを譲った。プレッシャーを、松元ヒロにかけた方が、より楽しい舞台が期待できるという福笑の考えからだそうだ。実は、黄紺は、松元ヒロという芸人さんを知らなかったのですが、福笑が呼んだのなら、きっと変わった芸人さんだろうの期待を持って行ったことは行ったのですが、とんでもございません。すっごい面白い芸人さん。分類で言えば、パントマイムができる漫談家と言えば、いいかな? 皇族ネタをするから、マスコミでは、全く相手にされないようなんですが、そんなのは関係ありません。とにかく、危ないんだけど、不快感を、一切感じさせない遊び心満載の芸人さんです。なかでも、宮内庁民営化ネタは笑ったなぁ、更に、たまに、ごく普通のニュースを読ませ、それに合わせて、パントマイムをするというのが、傑作。繁昌亭が、あんなに、どっか〜んと来るのは、そうはないでしょう。こんな、すごい芸人さんを観れたのも、ホント、繁昌亭のおかげ、そして、この人を、大阪に紹介したいと思って呼んでくれた福笑のおかげです。福笑の定番ネタもさることながら、今日ばかりは、松元ヒロに、正直、圧倒され興奮冷めやらぬ状態で、繁昌亭をあとにしました。
 こないなことで、今週は、久しぶりに、濃密な演芸の週となっています。まだまだ、続きますよ、これ、(^-^)v




2008年 4月 22日(火)午前 6時 26分

 年寄りらしく、朝、早く目が覚めてしまい、こちらに書き込もうとしています。どうも睡眠時間を取れない日々が続いていたのですが、この2日は、ま、それなりに寝れてるのですが、きっちり、朝は早く目が覚めてるのです。そんなで、2日間のお遊び記録を認めておく。
 日曜日(4/20)は、息子と文楽公演夜の部に行くことになっていましたので、その前に、映画でも観れないかと思い探してみると、いいのがというよりか、前から目をつけていたものが、グッドタイミングでありました。ベルリン映画祭で金熊賞を取った中国映画「トゥヤーの結婚」です。最近、中国の辺境地域に住む民族を主人公に扱った映画が増えてきているような印象を持っているのですが、この映画は、内モンゴルのモンゴル人家族の物語です。この映画は、始まりが終わりであって、最後に、もう一度、そのシーンへと戻ってくる、要するに、なぜに、そのような状況が生まれてきたのかを、映画の中で展開してくれるというわけなのです。井戸を掘るために、発破を使ったことにより障害者となった夫を連れての再婚を考えるトゥヤーのいう名の女性が、それを成し遂げ、その結婚式の場面が、最初であり最後となるという仕掛けです。この着想が奇抜なことと、舞台となっている内モンゴルの雄大な風景を、見事にカメラに収めていること、そして、トゥヤーに扮する女性の逞しくもあり、可憐でもあり、素朴な姿に打たれてしまう映画です。ストーリー展開的には、着想の面白さ以上のものはないのですが、ベルリンで受賞の対象となったのは、その辺だろうと思えました。
 心斎橋で、その映画を観たあと、ちょっと早めに、息子と待ち合わせの日本橋へ。時間があったので、ローソンを探し、南河内万歳一座のチケットを買ったり、文楽が終わったあと、息子と呑みに行く場所を探したりしておりました。この日の公演は、「競伊勢物語〜玉水渕の段、春日村の段〜」「勧進帳」でした。「競伊勢物語」が、あまり出ない狂言だそうで、そのせいか、1週間前の「桂川連理柵」のときに比べて、客足が伸びておりました。そもそも、息子を誘ったのは、「胴乱の幸助」からみで、「桂川連理柵」を観せてやろうと思ったのがきっかけだったのですが、息子の指定してきた日は、昨日ということで、このあまり上演機会のない狂言の出る日となりました。「競伊勢物語」が、あまり出ないのも、なんとなく解りました。動きが少なく、目先をくらますような場面が少ない、ストーリーが、「結局、業平と井筒姫の替わりとなる首欲しさに、親と名乗りを上げ、育ての親から引き離す」という、ちょっと受け入れがたい内容だということからじゃないかと思います。そんなで、初文楽体験の息子は、きっと寝てるだろうと思いきや、これが、反応がいいのです。「おもしろかった」「筋が、おもしろかった」と、ちょっと無理筋かと思えるような展開、ま、文楽は、たいがいそうですが、それが気に入ったみたい。殊に、息子は、イヤホン・ガイドを借りてましたから、その適切な解説で、興趣が増したみたいでした。「首を切るときの文句の出てくる鳥のこととか解説してくれて、良かったぁ」なんて言ってましたから。その「鳥」というのは、「善知鳥」のこと、能「善知鳥」の文句が挿入されてるのでした。「勧進帳」は、さすが近代に入ってからの脚色、節付け、三味線音楽です。派手で、見場がいっぱいの演出で、息子と、「おもろかったなぁ」と思わず言い合っていました。始まりは、全く、能「安宅」そのまんま。富樫の名乗りが終わると、笛が、一声の囃子を奏でるなんて、そのまんま。徐々に、文楽に変わっていきます。勧進帳は、太夫さんと三味線の一騎打ちの様相。三味線には、曲弾きと言っていいような弾き方まで入ります。思わず、能「道成寺」の、シテと小鼓方の一騎打ちを連想してしまったほどです。鶴澤清治さんだったかな、お見事、人間国宝です。そんなで、大満足の夜でした。はねたあとは、日本橋の駅上で、時間にせかされながら呑んでおりました。息子も、だいぶと仕事に慣れてきたみたいです。さすが、体力派です。気のいい男なんで、職場でも重宝がられるでしょうが、問題は、おつむの方で、皆さんに、ご迷惑かけないかが心配なのです。
 昨日(4/21)は、繁昌亭での「桂ざこば一門会」に行ってまいりました。この会は、ホント、いっぱいにお客が詰めかけます。でも、常連さんは見かけません。これ、行くと、そう感じます。ぼちぼち値上げをするそうですから、私も、そろそろ遠慮しようかなと考え出しています。で、番組は、いつものように、舞台に勢揃いをして、出番を決めた結果、都んぼ「筍」、ひろば「七段目」、さん都「つる」、(中入り)、都丸「阿弥陀池」、ざこば「子は鎹」でした。出番決めは、新聞を細長く切って、各自が、その新聞の中から見つけた数字を比べ合うというもの。その昔、可朝と博打をするのに使ったと、ざこばは言ってました。ざこばは、4番目の籤を引いたのですが、トリをとってないなぁということで、自ら、トリをとりました。そして、なんと、「子は鎹」。ざこばの「子は鎹」は、4度目に、確かなると思うんだけど、昨日の出来は良かったです、ホントに。淀みなく、情感が、程よくたっぷりで、だから、これだけ聴いてても、とっても新鮮で、いいものを聴かせてもらったていう感じでした。都丸の「阿弥陀池」は、確か初物ですが、さすがです。流れがいいんでしょうね、ちょっとした間の取り方とか、これだけ聴いたネタでも、笑わせてもらえるんだから。若い噺家さんも、よく取り上げるけれど、なんか、お手本にして欲しいような口演でした。ひろばの「七段目」は、米左に教えられたものとのことは、以前、聞いたことがありましたが、米左が、しっかりと、手取り、足取り教えたんだろうなと、聴きながら、そないなことを考えていました。もっと、合わないんじゃないかと思っていたのですが、旦さんの落ち着き、番頭の律儀さ、丁稚のこまっしゃくれた感じとか、もっと精進を続けて欲しいとは思いましたが、考えていた以上の出来に、米左の頑張りとともに、ひろばの精進ぶりも垣間見えた気がしました。さん都は、この位置に出るのなら、それに合うネタをもってこないと、あかんわね。文句は、それだけです。この人、いいです。聴く度に、そう思えます。だから、前座ネタ以外も聴いてみたくなるのです。都んぼは、さらっと、贅沢な前座です。というわけで、満足度高しの会。充実のざこば一門です。
 ということで、無事、振り返りが終わりました。ぼちぼち、お出掛け準備です。




2008年 4月 20日(日)午前 7時 7分

 4日連続、夜中の2時〜4時の間に、目が覚めるという日々を送っています。そんなですから、仕事で疲れた体を、せっかく、この土日は、まともに休ませることができるはずにも拘わらず、楽になったという実感がもてないのです。辛い話です。金曜日などは、まともに帰ってきたものだから、もう、8時半になるまでに、ダウン。まっすぐ帰宅すると、これは、よくあることだが、目が覚めてしまったの、2時ですよ。睡眠時間は、6時間近く確保できてるので、ま、いいとしなきゃならないのですが、夜中の2時に起きると、辛いものがあります。腰に溜まった疲れが、ホント、とれない。腰を捻ったりすると、いい気持ちなんだけど、それはそれで、疲労が溜まってる証拠。そんなものですから、どうも昼間、ぼーっとしてるっていうのが、正直な状態。なかなか厳しい話です。
 お出掛け記録は、金曜日はなしということで、昨日の、落語会のはしごの様子を認めておく。まず、午後の部から。昨日は、「島之内寄席」狙いだったんだけど、田辺寄席の抽選に当たり、招待券をいただいたものですから、そちらにおじゃましました。「第456回田辺寄席・卯月席・昼席〜いちもん会」ということで、番組は、文太「開口0番」、三ノ助「英才教育」、文鹿「馬の田楽」、文太「十三の渡し綺談」、(中入り)、豊来家玉之助「太神楽」、文也「天神山」だった。ただ、席に着くとやばいと思っていましたら、案の定、「開口0番」のあと、ダウン、見事なダウン。文鹿の口演は、しっかりしてるなぁという印象くらいしか、残っていません。面目ないっす。「十三の渡し綺談」は、「佃祭」の移植もの。上手に、上方風のがちゃがちゃした部分を放り込み、断然、成功を言いたい仕上がり具合。甚兵衛さんの住まいを、特定した方がいいんじゃなかいかなぁ。具体的な地名が出たときは、曖昧にした部分を残しておくのは、バランスを欠いてしまいます。もう一つの大ネタ「天神山」も、大したものです。マクラで、こんなに、この人、客の掴みがうまかったっけと思うほど、入れ食い状態のマクラをふってくれ、とってもうきうき気分にさせてくれ、且つ、文枝テイストを感じさせてもらえる文也風「天神山」を味あわせてもらえて、満足の会でした。「天神山」のラストは、再び、天神山にやって来て、角右衛門と出逢うと、角右衛門が狸を狙ってるという設定でしたが、ちょっとやりすぎの感は否めませんでした。
 夜の部は、繁昌亭。2つの間は、1時間半。この間に、ネットカフェに行き、晩ご飯まで、きっちりいただけました。座席指定は、嬉しいです。時間を使えますもの。で、繁昌亭ですが、「染二百席練磨〜Lot95〜Lot99」という会に行ったのでした。染二がネタ下ろしをしていく会なのですが、なかなかそそられる出演者に、そそられる番組、これは外せません。番組は、たま「兵庫船」、染二「辻占茶屋」、雀々「鼻ねじ」、(中入り)、ワンダフル佳恵「奇術」、染二「死神」となれば、分かってもらえるかな? 雀々も言ってましたが、たま、染二、雀々と続くと、客がもつかなぁという面子、贅沢すぎます。また、たまの「兵庫船」が、いい。ボケ男のキャラ造りのうまさは、天下一品。あのボケ男来そうやな、そこで、お定まりのボケ声を出すだけで、客席が、わー、わー言います。これ、すごいです。「矢橋船」を初めて聴いたときの感動と同じです。手ぬぐいを使った波も良かったし、この「兵庫船」は、お薦めです。ゲストの雀々は、最初は、ローテンションからと言いながら、四天王+枝雀の物真似なんてのを、マクラでやるものだから、客席は、ヒーヒー言ってました。やっぱ、この3人が並ぶと、すっごいです。ネタに入ると、もう、丁稚に口移しのところから、全開状態。雀々の凄さを観た思いです。ラストは、珍しい演出。漢学の先生は、一旦、宴席を眺めます。そのあとに、サゲに連なる行為となるというもの。同時に、梯子を上がるというものではありませんでした。緊迫感は、同時に上がる方なんですがね。染二は、「辻占茶屋」が初演だとは、意外でした。そんなにきばらず、いい感じで終始しました。「死神」は、死神自身が、ちょっと漫画的。ま、存在そのものがそうだと言ってしまえば、そうなんだけど、うひゃうひゃ笑いだけは、止めて欲しいですね。頑張って笑わそうという根性が見えて、却ってマイナスじゃないですかな? ラストに近づいてくると、照明を落とし、視覚的にも演出をこらしてくれました。終わると、さっと引き上げ、口直しというところでしょうか、かっぽれを踊り、お開きとなりました。とっても、質の高い、いい会だったのではないでしょうか。毎月、行われるこの会、いい番組と思ったところは、頑張っていくという行こうという気になりました。
 日曜日の朝です。今日は、昨日とは、一味違った遊び方を考えています。




2008年 4月 18日(金)午前 5時 42分

 またぞろ、朝早くという時間帯に起き上がってしまっている。こんなことが続きすぎで、相変わらず腰に疲れが溜まったまま、また、翌日の仕事に出かけるという具合だ。これは、なかなかきつい話。そんななか、お出掛け記録を認めておく。
 火曜日(4/15)は、今度、息子と一緒に、文楽を観に行くので、その予習ということで、息子に、今公演のパンフレットを渡す。ついでに、息子と、寿司屋で、いっぱい。と言っても、飲めるのは、黄紺だけ。だって、息子は運転手なもので。
 水曜日(4/16)は、繁昌亭での「桂しん吉春の祭典’08」に行った。繁昌亭開設期のように、繁昌亭手打ちの会が、ほとんどなくなった今、毎日ある会の中から、黄紺自身がセレクトして行っているが、この会は、躊躇することなく選んだもの。今までのこの会は、繁昌亭以外で行われていたが、それらに行った経験上、毎回、しん吉のアイデアが展開するので、とっても印象に残っているものなのです。自身が、鉄道マニアであることも前面に出した様々な企画に、コアなファンも付いていると言っていいでしょう。まだまだ、繁昌亭での会は、「ましな方だった」(しん吉の言葉)と言っていいかもしれません。ま、それはいいとして、番組を記そう。しん吉「三人旅」、しん吉「茶漬間男」(バンジョー&ギター付き+笛入り)、スライド上映、しん吉「猫の忠信」、元祖お囃子カントリーぐんきち「ぷちミニライブ」、(中入り)、しん吉「鶴満寺」。幕が上がると、しん吉の字で認められたスライドが流れる。もう、マクラに入ってる感じ。「三人旅」が終わると、通常のお囃子が止まり、ギターが流れる。何とか言うセッション用の曲だと、前にも聞いたんだけど、名前は忘れてしまいました。それに合わせてマクラをふり、ネタに入る。ギターにバンジョーも加わっていく。噺の途中には、しん吉自身が、得意の笛を吹く演出も取り入れられていた。着替え待ちの時間、吉之丞のインタビューで、しん吉が答え、また、間に、夫婦コント(しん吉+吉之丞)が入る映像が流される。しん吉曰く「情熱大陸を意識しました」とのこと。「猫の忠信」は、音羽さんに悋気される常吉の威圧感が、もちょっと欲しいですね。そしたら、音羽さんの悋気に抑揚が付くような感じがしました。お囃子ライヴは、「盲腸線サバイバー」という鉄ちゃんらしいオリジナル曲。かと思うと、長唄の古典「安宅の松」。最初は、しん吉が、笛で。そのあとは、「急須の水笛+雪平鍋ヴァイオリン」で、「安宅の松」という具合で、遊び心満載のライヴでした。「鶴満寺」が、この日最高の出来と看ました。酒飲みの噺って、しん吉、やってなかったんじゃないかなぁと思うと、評価が、一段と高くなりました。芸域を広げる心意気に、1票です。最後に、もう一度、繁昌亭の壁に、しん吉文字が浮かび上がり、お開きとなりました。
 昨夜(4/17)は、大雨のなか、京都の地域寄席へ。京都だからということで、帰りが楽なものですから、黄紺が、よくおじゃまをする会なのです。「第79回養蓮寺寄席」というもので、笑福亭仁智が、ずっとお世話しているということも、魅力の一つで、そそられてしまうのです。で、その番組は、今井克紀「仕舞:杜若」、笑丸「花色木綿」、文昇「餅屋問答」、小春団治「アーバン紙芝居」、仁智「兄貴と源太〜純情編〜」でした。笑丸は、何度聴いても、この人が、賞をもらったりするわけが解りません。この日、一番の出来とみたのは、文昇。何よりも、お寺さんで、このネタを、うっかり出してしまったというのが、いい。文昇だと、うっかりという感じがぴったりだし、また、それをネタにしていくのが、心憎い。手に入ったネタという感じで、快調、快調。同じく、よく出されるのが、続く、2人の重鎮のネタ。だけど、小春団治のこのネタは、あまりに作為が見えてきて、黄紺は好まないネタ、それが、最近、小春団治と遭遇すれば、こればっかというの、勘弁して下さい。仁智は、なんか、ノリが、いつものそれじゃないのです。客の反応も、鈍い感じがして、せっかくのネタなのに、黄紺は、100%良かったの気分になれなかったのですと、贅沢なことを書いています。大雨も、終演時にはマシになってるだろうと思いきや、とんでもございません。傘を持っていかず、買いそびれた黄紺は、びしょぬれで帰ってまいりました。「トルコ人、傘、ささない」と、強がりの言葉をつぶやきながら、、、。




2008年 4月 15日(火)午前 4時 10分

 また新しい1週間が始まった。先週の疲れから、果たして、土日で疲れが取れたのか、不安な気持ちで、新たな週に臨んだが、それが、存外、元気なのです。おかしなくらい、しゃんとしているのです。日曜出勤なんてのを経験していながら、です。ま、いいことですが、あまりにもしゃんとしていると、却って気持ち悪かったりして。あにはからんや、またしても、夜中に目が覚め、やばいことになっています。
 昨夜は、なくなるかもしれないというワッハに行った。ワッハの職員の方が、署名活動をされていた。17日に、藤本義一が同行して館長と、その署名を持って陳情に行くと説明されていたので、黄紺も、署名をしてきた。で、ワッハに行ったのは、「立川談春独演会」が、自著の出版記念と銘打って行われたからだ。黄紺は、立川談春の噂は聞けど、生の噺を聴くのは初めてである。繁昌亭での公演は、あっという間に完売してしまったので行けなかったのでね。そして、公演は、7時から始まって、終わったのが、9時10分。それで、談志噺を含めて、2席。番組を記すと、小春「ちはやふる」、談春「談志噺〜粗忽の使者」、(中入り)、談春「ねずみ穴」だったが、2席目が、なんと「ねずみ穴」で、正直、びっくり。高座に上がるや、「ねずみ穴やります」と言って、いきなり始めるものだから、呆気にとられてしまいました。ほぼ1時間の口演。自分的には、この「ねずみ穴」よりか、滑稽噺の「粗忽の使者」の方が、感銘を受けました。「ねずみ穴」で、例えば、夢だと判る場面、もっと、ほっとしていいんだよね、良かったって、そんな気持ちで引き込まさせられて、いいところのはず。そのアクセントが感じられなかったのです。早い話が、ドラマ性という視点で言うと、ここで決めなきゃ、いや、決めてよというところで、肩すかしを食った感じ。そう言えば、敢えて起伏を拒否したかのような表現でもありました。そんなのくさいよという談春の声が聞こえてきそうですが、、、、。いずれにせよ、今、旬の江戸前落語を聴けて、大満足でした(^-^)ワッハも、満員になってました。完売でした。でも、遅れて入ってくる客、多数です。あまりにもの非常識、怒るよりか、びっくりです。これだけの客、ひょっとしたら、東京組も混じっていたかもしれません。繁昌亭で、二夜連続で会を持ったときは、そうだったというレポートを読んだことがあります。そうそう、繁昌亭は、談春のために、鶴瓶が押さえてくれたと、談春は言っていました。
 繁昌亭という器ができたからでしょうか、東京の噺家さんも聴ける機会が、ぐんと増えたような気がします。何よりのことで、黄紺も、手持ちのチケットの中にも、まだまだ、控えてくれてます。そんなで、落語は、これくらいにして、、、そろそろ、夏のトルコのことを考え出しています。今夏は、ちょこっと、シリアなどを覗いてこようかなんてことを考えているもので、お勉強を始めかけています。




2008年 4月 14日(月)午前 6時 5分

 昨日は、日曜出勤で、振り替えなしという可哀相な日。但し、2時半すぎに職場を出ることができ、その足で、国立文楽劇場に向かいました。4月は、文楽公演のある月。2部制をとる公演の1つを観ようというものです。もう一つの公演は、後日、息子と一緒に観に行くことになっております。一応、息子に、行こうかと話を持ちかけたら、まさかと思っていたのですが、行ってみたいということになり、行くことになりました。どういった反応を見せるか、今から楽しみです。
 そんなで、昨日行ったのは、夜の部。年配の方で混み合う日曜日の昼の部を避けて、夜の部狙いが、まんまと功を奏し、ベストの席をゲットすることができました。首に弱点を持つ黄紺にとって、字幕を読むのに、ちょっときつかったかもしれませんが、この上ないお席でありました。で、肝心の番組は、「日吉丸稚桜〜駒木山城中の段〜」「桂川連理柵〜石部宿屋の段、六角堂の段、帯屋の段、道行朧の桂川〜」で、もちろん、狙いは、落語「胴乱の幸助」の基になった後者。2月には、「帯屋の段、道行朧の桂川」を、NHKホールで観ることができたが、今回は、「石部宿屋の段、六角堂の段」が付いているのが魅力。確かに、「帯屋の段」は、この狂言のクライマックスだが、前の2つが付いてこそ、「帯屋の段」の情感が引き立つと思えました。やっぱ、お半長は、発端がないとね。宿屋の一室に逃げ込むお半、それを、かくまう長右衛門。あの障子のなかで間違いが起こってるというのは、なんとも艶めかしい。しかも、お半は、助けを求めて、分別盛りのはずの長右衛門の部屋に逃げ込んで来るという、全くの小娘。それと、懇ろになる、また、それを覗き込み、仰天してしまう丁稚と、この発端があってこそ、後段の場面が引き立ちます。だけど、一言で言うと、あかんでぇの場面ですね。そして、お半は子どもだけど、男を知った女の一途さが、最後は、長右衛門を動かしてしまいます。長右衛門は、遊び人と言ってはいけないんでしょうね、商家の旦那としては、ごく普通の茶屋通いをし〜のまではいいんだけど、1度は、心中未遂を起こしてる男、やっぱ、この男、女にルーズな部分も持ってると、今の感覚で言うと、なってしまうんでしょうね。そして、長右衛門にも死ななきゃならない理由というのがあるのが、悔しいところですね。それもこれも、お半と懇ろになったため、ちゅうことは、身から出た錆。だけど、貞女の鏡お絹さんや、仏の繁斎さんは、どうなるんでしょうね。分別盛りの長右衛門さん、やっぱり、分別がなかったということに尽きますね。そんなで、この話は、いろいろと考えさせられることが豊富です。NHKで、このお半長を観たとき、切りの部分がしんどかったんだけど、とんでもありません。情の深い部分が、 しっかりと描かれている聴かせどころでした。ちゅうことは、NHKのときは、体調が悪かったということでしょう。いや〜、ホント、文楽の世界を楽しんだというのが、昨夜の実感です。一方、「日吉丸稚桜」は、木下藤吉郎もので、僅かの人間関係の中に、これでもかと、義理人情の世界を、濃く濃く詰め込んでありました。びっくりするほどの濃さでした。形式主義満載です。それ程悲しむなら、娘の首をはねるな。元を辿ると、結局、義理の息子の大恩人を、てめえが手にかけたことに由来するだけじゃないかと、突っ込みたくなります。誰にも彼にも、顔を立てるために、自らも命を絶ち、娘の首をはねる、、、こんなのを、凝縮した人間関係の中に詰め込む、この濃さにたじろぐばかりでした。
 まだ、朝になっても、昨夜の余韻が残っています。目が覚めて、サッカーの結果を見たら、まさか、まさかの結果。フェネルが引き分け試合を演じてました。もう、今季は楽勝かと思っていたのですが、、、。ということで、また、新しい週の始まりです。




2008年 4月 13日(日)午前 4時 18分

 昨日の日曜日は、1日、ごろごろといていたと言えばいいでしょうか? 夕方になってやおら起きだし、近所であった落語会に行く。結構な話だ。まるで、リタイア生活を送ってるようで、、、。一つには、年度初めの慌ただしさのなか、かなり疲れも溜まっていたこともあり、また、出て行こうかという、黄紺の心根をくすぐるようなものが、外ではなかったと言えばいいのかもしれない。そこへうまい具合に、ご近所で落語会がある、行くならこれといういい会があったのだ。実は、同じ京都で、も一ついい落語会があった。掛け持ちは、ちょっと無理な距離、なんせ、一方は、御室、片方は、竹田ですから、同じ京都ではくくれない場所。だったら、ご近所の方を選ぼうじゃないか、この辺が、年寄り臭いが、でも、結構、正解だったと言える会でした。
 その会は、「第8回落語会〜花まつり〜」という会で、近鉄竹田駅から徒歩5分ほどのところにある光照寺というお寺で、年1回行われている会です。黄紺は、この会は、全く初めて。ご近所の方、檀家の方を集めて行われている典型的な地域寄席。こないな近くで、チェックできていませんでした。先日、気楽堂さんであった団朝の会で、チラシが配られ知った次第です。昨日は、米朝一門の若手を集めて行われました。その番組は、さん都「子ほめ」、雀太「天狗刺し」、歌之助「野崎詣り」、紅雀「始末の極意」だった。さん都のこのネタは、初めてかも? 「みかん屋」か「ろくろ首」ばっかですもの、最近。だけど、今、一番いい前座さんかも? 成長著しいとは、この人のことです。「天狗刺し」は、最後の部分をいじったのか? 「天麩羅にするのが、ええ」「もう、ころもが着いてる」が、オチでした。歌之助は、お囃子なしで演じました。このネタのベストかもと、前に書きましたが、再確認です。紅雀は、またしても、このネタでトリ。口演は、生きが良くて、素晴らしいものなんだけど、このネタでトリは、ダメでしょう。出番を替えるくらいの配慮が欲しいですね。お囃子は、生ではありませんでしたが、この4人が揃うと、ホント、活気のある、生き生きとした素晴らしい高座が続きました。いい会でしたよ。それが、こないな近くでというのが、ホントに嬉しいお話でした。
 そんなで、こんな時間に、こちらにこんなことを書きましたが、こんな時間に書いてるっちゅうのは、またしても、眠れないのです。夜中に目が覚め、起き上がる、またしてもです。これから、暑くなっていくでしょうに、果たして、大丈夫でしょうか? 今日も、日曜出勤だというのに、、、(~_~)




2008年 4月 12日(土)午前 9時 10分

 前日の寝不足の反動か、週末の夜は、熟睡でした。でも、疲労が溜まってるのでしょうね、ストレッチのようなことをすると、腰がきついですね、更に、座っていても、足の裏が、じんじんときています。足裏マッサージなるものがあると聞くが、今、やってもらったら、悲鳴というか、絶叫しなきゃならないでしょうね。
 昨夜は、連続で、繁昌亭に行った。「談じます・語ります〜南左衛門・三喬ふたり会〜」という、珍しい組合せの会があったものですから、早々とチケットを買っていたのでした。繁昌亭に行ってみて判ったのですが、この会は、三喬の後援者が主催する会で、南左衛門との 二人会を、三喬の発案で持ったということでした。番組を記すと、喬介「犬の目」、三喬「看板のピン」、南左衛門「鼓ヶ滝」、(中入り)、三喬「貧乏花見」、南左衛門「幸助餅」となる。三喬は、聴き慣れた噺も、自分色に染め上げてくれる楽しみがありますし、また、そういった期待通りの口演でした。「貧乏花見」は、えてすて古臭い噺となってしまうのですが、三喬の口演を聴くと、その辺に、長屋があり、こういった人たちが、今でも住んでるんじゃと思わせられるほど、リアルタイムの噺になっちゃいます。それほど、描かれる人物が生き生きとしてるのでしょうね。一方、南左衛門の起伏に富んだ語り口は、ときとしてはくさいと表現されますが、昨日は、客席を微塵も動じさせないほど、集中させてくれました。ただ、トリの「幸助餅」では、常に、たっぷりと起伏に富んだ口演なものですから、逆に、山が霞んでしまったという印象を持ってしまいました。その点、「鼓ヶ滝」では、3人が若を修正していく部分が、くっきりとアクセント深く描かれ、こちらの方が楽しめたかなの印象です。ただ、この辺は、ホントに難しいところですが、こないなことを考えながら聴いていると、、聴いている者には、実に楽しいひと時です(^-^) ただ、三喬の「看板のピン」の後半では、眠ってしまいました。でも、そこだけでした。行く前は、寝不足な日だったもので、心配してたけどね。
 週末に入り、休養をとっておかないと、来週の夜遊びに支障をきたすからね。と言いながら、明日は、振り替えなしの出勤です。どこまで、働けばいいのでしょうか?




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