忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2008年 9月 8日(月)午前 5時 49分

 金曜日と土曜日と、2日連続、まっすぐ帰ることとなりました。この土日に、彦八まつりがあったもので、当日はもちろんのこと、前日の金曜日から、ちょっと落語会は控え気味。体調が、極端に悪かった日とも重なり、いい休養となりました、とまあ、この時間になってからようやく言えることであり、ホント、きつい週末でした。土曜日は、全日勤務。昨日の日曜日も、午後、振替ありの出張で、堺まで出かけねばならないというときに、体調を崩し、ようやく夕方くらいから、本来の姿に戻りつつあります。ようやく、これで、新たな1週間、やっていけるかもの気分です。
 金曜日はラッキーなことに、TVで、米団治襲名を記念してでしょうが、米朝に焦点を当てた番組を観ることができました。吉朝の最後の高座「弱法師」の音声が流れましたが、元気なときに太融寺で聴いたネタであっただけに、沈痛な気持ちとなりました。枝雀、吉朝だけではなく、米朝の弟子には、夭逝した噺家が、他にもいます。先代歌之助、米太郎、孫弟子には、音也、喜丸、、、それぞれ、真面目に、真面目に落語を追求してきた噺家さん、取り上げられなかった噺家さんにも、黄紺は思いを馳せながら観ておりました。
 土曜日は、一旦、仕事が終わったあと、駆け足で彦八まつりに行き、「奉納落語会【夜の部】〜小米朝改メ米団治襲名プレ公演〜」に行こうとしたのですが、黄紺が行ったときには、完売の札が出ていました。そのようなことがあるかもとは思っていたのですが、やっぱりの感、残念至極であるというか、仕事が、こんなところに入ったことを呪うしかありません。
 昨日、日曜日は、午後から堺まで行かねばなりませんでしたが、午前中は空いているということで、心斎橋シネマートで映画を観ました。シンガポール映画「歌え、パパイヤ」という映画を観に行ったのです。で、この映画ですが、地肌を見せたシンガポールっていうところで、黄紺は、とっても気に入りました。陰暦7月には、各地で、「歌台(ケータイ)」という歌謡ショーが開かれる習わしがあるそうです。60年代くらいまでは、伝統的な芝居を演じて、あの世から帰ってきた霊魂を慰めていたのが、時代の流れから、歌謡ショーへと様変わりしたそうです。ま、日本のお盆ですね。その歌台の歌姫になることを夢見た女の子二人と、そのマネージャー役のおばさん、その息子の奮闘物語です。物語は、とってもくさく作ってあります。端から、くさくくさく作ることを旨とした筋がね入りのB級映画です。それを心得てか、字幕では、おばさんのところは、大阪弁で出されていました。やりますね、ホント。それに、何がいいと言って、シンガポール歌謡が、ふんだんに聴けるのが、ホント嬉しいのです。こないな映画、もっともっと日本に紹介してほしいな、そう思いました。
 堺からの帰り、90%はダメやろなの気持ちで、彦八まつりに寄ってみました。「奉納落語会【夜の部】〜つく枝改メ文三襲名プレ公演〜」があったからです。そしたら、予想に反して、簡単に入ることができたのです。どうやら、チケット発売時間帯に、雨が降ったようなのです。それで、売れ行きが伸びず、黄紺は10分前到着なのに、余裕で入ることができたのです。とってもラッキーな話です。前座は、こういった席にも、出番がもらえるようになったのですね、ぽんぽ娘で、「寿限無」、言葉もハキハキ、体の動きにも気づかいがあり、予想以上の出来。一度、テレビで観たときに比べて、格段の進歩です。ちょっと、タイプが、団姫に似た感じに仕上がってきました。二番手に早くも、坊枝で、「文枝が、よくやってました」という言葉を置いて「天王寺詣り」でした。もちろん、マクラでは、お約束の辛口のつく枝評を含めて、襲名について、一言以上のコメント。中トリは、文太で、なんとも珍しい「百人坊主」、文太が、このネタを手がけるのも知りませんでした。行き先は、「お山」と言ってましたから、東京ネタの「大山詣り」からの再移入版なのかもしれません。頭を剃るのも、寝ている熊五郎の知らない内となっていたり、その熊五郎が、籠で一団を追い抜いたりと、常の「百人坊主」と異なる箇所が、幾つかありました。ネタの展開がおもしろいところに、文太の巧者ぶりが発揮されますから、客席がわかないわけはありません。中入り明けに、襲名についての座談会がもたれました。司会が、坊枝で、出席者は、つく枝当人、それに、兄弟子の、文福、小枝で、襲名へのやっかみや、つく枝の人となりで盛り上げ、最後は、目立つことには抜け目のない文福の相撲甚句で、今回の襲名を寿ぎました。そして、トリは、当然、つく枝で、これだけは止めて欲しかった「宿替え」、釘を打つところからでした。私は、この人の爆笑系の噺にはなじめなくて、止めて欲しかったのです。なんでかと言いますと、早口になりすぎる、高めに保たれるテンションのわざとらしさが嫌なんです。坊枝、文太と、大ネタが続いたので、同様のネタを期待したのですが、外されました。終わって、つく枝が引き上げようとすると、ざこばが登場、またぞろ、出演者を呼び集めて、長話しになりそうなところを、文福が、大阪締めを提案して、さらっと終わり、お開きとなりました。




2008年 9月 5日(金)午前 0時 23分

 疲労で、白旗を上げたい気分です。特に、腰に来ているのが辛いですね。横になって起き上がる際にも、態勢を考えながらって、ちょっと情けない話です。そんななか、夜遊びは相変わらず。でも、なかなか厳しいものがあります。
 久しぶりに、雀のおやどでの落語会に行ってまいりました。となると、少し早めに鶴橋に行き、韓国料理で晩ご飯。今夜は、「大長今」というお店で、ユッケジャンを食べました。落語会は、「ルフラン寄席〜Vol.1〜」という会で、大阪の林家市楼と、東京の柳家初花の二人会でした。今回は、初花が、彦八まつりのお手伝いに来たのに合わせてもったものということでした。終わってみると、長い落語会でした。7時開演で、終わったのが、9時35分を回っていました。なんで、こないに長くなったんだろうと考えてみますと、5席出るのに、その前に開演前トークがあったこと。中入りを入れたこと、そんなところですかな? ネタは、トリの初花の出した「竹の水仙」だけというほど、小ネタが続いたのですが。「竹の水仙」は、そんなに冗長という感じはなかったのですが、45分近くかかる口演。実際の時間の経過と、聴いていた当人としての感覚がずれているのです。そのわけはわかりません。かなり疲労を感じていたからなのでしょうね。途中で、ホント体がへにゃへにゃになってました。前座は、瓶成で「いらち の愛宕詣り」、このネタをするときの瓶成は、なんか変。間を意識的にとろうとしているのだと思いますが、流れない、躓くような感じすら持ってしまいます。あまりに露骨なボケをかまし続ける主人公なんですから、演者は、一つ一つに気遣いは不要だと思います。市楼は、 軽いネタばかり。雀太との二人会のときも、そないな傾向がありまし た。今日は、東京から来演の初花に花を持たせたと思いましょう。しかし、中トリに「青空散髪」は、考えものです。もう一つは「看板のピン」でした。楽しみにしていた初花は、昼間に、池田の落語みゅーじあむに行ったからと、「牛ほめ」。与太郎噺。今聴くと、与太郎噺は、アブナいですね。大阪にはない味わいを感じ、最初は、心地よいのですが、徐々にしびれが切れてくる感じがしました。この噺家さん、インテンポなんですね、そして、人物の描き分けも、そんなに明確ではない、与太郎のように定まった型がある場合は、型を押さえるのですが、インテンポなものですから、噺に、山がない、谷がないなんてことになってしまうのです。「竹の水仙」などは、宿屋の女将を除く、男の登場人物4人の描きわけにこだわらず、且つインテンポだと、聴いていて、正直いらつてしまうのです。ちょっと文句が多くなってしまいました。初花は、大阪の噺家さんとの交流が多いようですので、聴く機会も、今後出てくるでしょうから、成長のあとなども確認していきたいと思っています。最後に番組を、再度確認しておきます。初花・市楼「挨拶」、初花「牛ほめ」、市楼「青空散髪」、(中入り)、市楼「看板のピン」、初花「竹の水仙」。




2008年 9月 4日(木)午前 5時 41分

 昨日、帰りの電車の中で携帯を見ると、息子から電話が入っているのに気がつきました。電車の中ですから、電話をするわけにはいかず、メールで用件を尋ねますがレスが来ない。電車の乗り換えの際も、何度か電話を入れても、息子は電話に出ない。その内に、寄り道の場所、近鉄東寺駅に到着。寄り道の場所に行くためには、腹ごしらえをしなければならないので、東寺駅前のマグドナルドに入る。注文をして、席に着いて、もう1度、携帯を見ると、今度は、息子から電話が入っていた。注文をしている間に、電話が入ったみたいなので、こちらから電話を入れる。用件が済むと、息子が、「今、どこにいるの?」「東寺」「あっ、映画、行くのやろ」「何、やってんの?」「シティ・オヴ・メン」「あっ、7時からやったな」「僕も行く」「雨、大丈夫か?」、バイクで来るつもりだと思ったので、「変な天気や、半分、真っ暗で、半分、陽が出てる」「ほな、前で待ってて。駐車場、入れるし」「そやけど、あと、25分もないでぇ」「すぐ、行ける」「駐車場、空いてへんかもしれんので、前で待ってて」と、別に昨夜観なければならないわけでもないので、車を置けないのなら、息子と、お茶でもしよう、すると、息子が電話をしてきた用件が、そこで済んでしまうからと、ハンバーガーを食べ終わって、みなみ会館の前に行くと、もう、息子が待っておりました。電話を切ってから、僅か10分程の早業でした。
 で、息子と一緒に観た映画というのは、ブラジル映画「シティ・オヴ・メン」です。息子は、前作の「シティ・オヴ・ゴッド」も観ているので、この新作も観るのだということですが、黄紺は、何かあったのでしょうね、ブラジル映画を逃すということはありえませんから。そんなことを言うと、息子も納得してました。二人とも、「セントラル・ステーション」にはまったものですから。「シティ・オヴ・メン」ですが、とっても、テンポがいいです。最初は、そのテンポに負けて、ストーリーを追えないのではと思ったほどですが、大丈夫でした。リオのスラム街に育った、父親も判らない2人の青年、18歳の2人の青年の友情物語です。殺伐としたスラム街でのちんぴらの抗争、それに翻弄されながら、精神の健全さを失わない2人、いい俳優をチョイスしています。そして、自分たちのルーツを追い求めていく内に、2人の間に亀裂が、、、。「オイディプス」が、1人の人格なら、友情という深い絆に結ばれた2つの人格が裂かれていきます。ラストは、その亀裂に、ちんぴらの殺し合いとなる抗争が絡んでいきます。最後の台詞がいいです。2人が、その内の1人の息子の手を引きながら、父親となっている男が息子につぶやきます。「俺の知ってること、全部を、おまえに教えるからな」と言って、車が通る道の渡り方を教えます。父親を知らないで育った2人の共通理解は、この子どもには、その悲しみを味あわせてはいけないということでした。暗い映画館のなか、思わず、息子の方をちらっと見てしまいました。いい言葉です。




2008年 9月 2日(火)午後 23時 58分

 なんか、疲れています。疲れるようなことはしていないつもりなのですが、早くも息切れなのでしょうか? ただ、かなりの寝不足。昨夜は、眠りが浅いうえ、睡眠時間も短く、なかなか厳しい1日を送ったからなのでしょう。
 そのようななか、夜遊びは、トリイ・ホールでした。今日のトリイ・ホールは、「第20回TORII講談席〜幕末、篤姫とその時代〜」という定例の会があったのです。本日のテーマに合わせて、全員、ネタおろしをするという会でした。ただ、南青の「坂本龍馬」は、そうかなぁとは思ってしまったのですが、、、。ひょっとしたら、南海さんが、以前出したものを改作したというのが、正確かもしれません。そうすると、南青としては、初演となります。幼少期の姉とのエピソード、成人してのちの勝海舟との出会いが中心になります。南湖は、「井伊直弼〜桜田門外の変」、滋賀県人の南湖に相応しい役割分担かと思いきや、まだ健在な祖母は、水戸の出身とか。前半は、水戸藩そのものと彦根藩の対立話が展開。だけど、そこまでで、ダウンしちゃったのです。南湖の口演時間が、約50分ですから、意識が飛んだ時間は、結構あったみたいです。とにかく、昨夜は、まともに寝ていませんから、どこかでやるとは思っていたのですが、ここでした。まだ、南湖のところだけで済んで、ラッキーと思っているほどです。南華は、「天璋院篤姫」、天璋院と和宮との嫁姑問題に、宮家と武家の対立を絡めた話。もっと、幕末の政争と篤姫を絡めた話を期待していたむきには、ちょっと肩すかし。でも、番組の中に変化を持たせるという意味では、グーなチョイスなんですが、本日のテーマが、「、、、篤姫」となってることを考えると、やっぱり、肩すかしですね。ここで、中入り。中入り明けは、南海さん一席で、お開きという構成。南海さんは、「ええじゃないか!」。「ええじゃないか」が、実際に、大政奉還の直前に、3ヶ月だけ起こったという事実を捉え、倒幕派が仕組んだものとの解釈で、話は構成されていました。その手先になり、実際におかげ札を振らせるのが、後藤一山ということに。周到な資料を得て、資料に現れない隙間を狙っての創作。敢えてハチャメチャな部分も入れて、おもしろおかしくする南海流が、今日も炸裂していました。実際に、会場に、おかげ札を振らせるという趣向も入って、楽しく、ためになる口演でした。




2008年 9月 2日(火)午前 0時 21分

 せっかく涼しい日々が続いていましたのに、日曜日から戻っていますね。暑いです。肉体労働が、老いた体に堪えます。我慢のしどころです、あと少しで、本格的な秋が来てくれることを願っての我慢です。
 そんななか、今日は、繁昌亭に行ってまいりました。「たまvs吉坊 2人会」という企画的には、とってもそそられる会があったのです。たま、吉坊というタイプの全く異なる二人の会だということで、マニア系の落語ファンの関心をかったようです。なんせ、古典全般に造詣の深い吉坊と、新作と古典の斬新な解釈で時代の寵児的なたまの組合せは、大いに落語ファンをくすぐるには十分なのです。先輩のたまの声掛けで実現したようで、しかも、たまが芝居噺を、吉坊が新作を書くという企画も、そそりにそそるのです。で、たまのかけたネタは、今まで聴いたもので、今回、特に変化を示したというところはありませんでした。「蛸芝居」は、頭の三番叟のカット、最後の蛸と旦さんの一騎打ちは、劇画タッチにするという手法に特徴があります。今までに聴いたときは、どうだったか、よく覚えていないのですが、位牌で遊ぶところは、幾つかの位牌で遊ぶのではなく、嫌いな婆の位牌だけで、しかも、その位牌を折ってしまうギャグが入るものでした。ここも、いろんな位牌で遊んでから折って欲しいものです。すると、もっと、どっかーんという笑いが起こる気がします。「高津の富」は、先日、中崎町で聴いたところ。富くじが引かれる前の群集の騒ぎの中で、若干のマイナー・チェンジはありましたが、基本は同じでした。冒頭のホラ話はカット、宿屋の夫婦の会話から始まり、そこで、宿屋に泊まる客の説明がなされます。今日、このパターンを聴く2度目となりましたが、こないだのときは、ホラ話カットはもったいないとだけ思いましたが、実は、ホラ話をする嘘つきの旦さんのキャラの浸透があるんですね、カットされた部分には。だから、富くじが当たりだと知るときや、宿屋に戻り、震えている旦さんの姿がおかしいんだと分かりました。だから、やっぱり冒頭のカットはしんどいです。それが、自分的結論です。一方、吉坊は、たまの「蛸芝居」のあとに、やりにくいと言いながら、出したネタは、「一文笛」。たまの要望に応えた長めのマクラと言い、絶妙のチョイスです。キャラの違いをくっきり、客にも提示するベスト・チョイスです。また、口演も落ち着いたもので、情感が静かに、でも、しっかりと湧いてくる心憎い口演だったと言えます。二つ目は、吉坊自身が書いた新作。内容は、擬古典風な新作となりました。あっ、この手があったんや、なるほどと、簡単に納得。しかも、内容、「はてなの茶碗」の後日談、しかも、二世代あとの後日談というものでした。客が、誰しもとまでは言いませんが、ある程度、多くの客の共通理解の上に作られていますから、どのように料理をするかという楽しみはありました、この方法。ちょっと、ずるい感じもしましたが、とりあえずは、難関クリアというところでしょう。とまあ、話題豊富な落語会、十分、期待には応えたのではないでしょうか? なお、前座は二乗で、「牛ほめ」でしたが、前座の前に、幕前で、主役の二人の自己紹介がてらの、開演前トークがあり、中入り後にも、二人の対談が組まれるという、なかなかサービスの行き届いた会だったと言えるかと思います。最後に、順序を確認できますように、番組を整理し直しておきます。二乗「牛ほめ」、たま「蛸芝居」、吉坊「一文笛」、(中入り)、たま・吉坊「対談」、たま「高津の富」、吉坊「はてなの茶碗後日譚(仮題)」。




2008年 9月 1日(月)午前 5時 23分

 昨晩、久しぶりに、家で夕食を摂り、でも、これも久しぶりにビールを呑み、ついでに好きな日本酒を呑むと、あえなく宵の口に、ダウン。夜中に起き上がり、HP更新作業をしながら、サッカー中継を聴いております。丁度、今、4試合全てが終わったところです。
 昨日は、午前の部と午後の部という組合せで、大阪に出かけてきました。まず、11時上映開始の中国映画「雲南の花嫁」を、心斎橋シネマートで観ました。中国辺境地区を取り上げた映画は観ようとの原則を、自分の中に作っていますので、それを実行しようとしたのです。で、その内容なのですが、雲南のイー族の風習を見せる映画で、その部分を省いちゃうと、たわいない話でした。夫婦ケンカ、そして、その仲直りのお話でした。そのケンカの基に、イー族特有の「帰家」という風習が絡めてあるのです。映像の作り方やストーリーにつけるアクセントは、映画らしい感じがしたのですが、ちょっとステレオ・タイプでした。ですから、雲南の風物を観ているんだと思いながら観ると、有意義だと思いました。
 心斎橋から、御堂筋を南下、途中、ラーメン屋で食事を摂り、地下鉄で谷九に向かい、午後の部の高津神社に行きました、午後の部は、こちらの社務所「高津の富亭」でありました「文太の会in高津の富亭〜文太の贋作あれこれ〜」に行ったのです。昨日の会は、文太が同期の春駒に、「地獄八景亡者戯」をする場を提供したような形になりました。文太は文太で、「寝床」「猫定」を出すという具合で、なかなか大きなネタを二つ並べたのですが、やはり「地獄」のインパクトは大きなものがあります。その上、春駒の「地獄」が、なかなかの優れものでしたので、反応のいい客席は、爆笑に次ぐ爆笑でした。しかも、既成のネタを、ただなぞるというものではなく、待望の新解釈登場だったのです。「地獄」には、主人公がいません。さっきまで、中心的な役割を果たしてたという人物は、どこかへ消えてしまいます。また、次なる人物も同様です。ところが、春駒は、これにメスを入れたのです。サバで死んだ男と、三途の川へ行く途中で会った伊勢屋の隠居の二人が案内役となるのです。案内人が決まると、それには、ちょっと邪魔になるふぐを食べてやってきた地獄ツアーの一団は出てきません。案内人中心に進ませるために、三途の川の渡船賃も、川の前にあるコンビニで買いますから、渡船賃をめぐるダジャレの場面もカットです。元より、ふぐツアーの一団も、渡船賃をめぐるパートをカットしようが、しよまいが、筋には関係ありませんから、全然大丈夫です。黄紺なんか、やってくれたっていう感覚があるもので、わくわくしていました。ただ、この方法の最大の欠陥は、最後まで、案内人が責任を持てないというところです。地獄の閻魔の前までは連れて行けても、裁きが始まると、そこまで、ずっと導いてきた二人が消えてしまうのです。これで良しとするのか、それだったら、元通りでやっても、別にいいのではとなるところでしょう。はめ込まれたギャグに、結構、マニアックなものも入っているのが、いいっすねぇ。これだけうければ、大成功でしょう。文太は、これに、完全にわりを食った感じ。黄紺自身、最高と思ってる「寝床」は、確かにと確認ができました。町内の報告は、やもめが死んだで、全員来れなくしてしまってました。なるほどと思える合理的なカット。代わりに、店の人が不参加になるわけを詳しめに、挙げ句の果てには、犬、猫にも来れない理由がには、傑作です。ただ、逆に言えば、町内の人が来れないはずなのに来てしまう言い訳が、弱くなります。この辺のチョイスっていうのは難しいですね。「猫定」は、猫の恩返し話なんでしょうか、怪談話ととるか、ちょっとした人情噺とみるか、これも難しいところです。文太の姿勢は、どちらなんでしょうね。黄紺自身は、どちらとも言えない中途半端なネタやなぁと思いながら聴いておりました。トップの三金で、「にぎやか寿司」でした。繁昌亭のときと同じマクラに、同じ展開でした。ただ、繁昌亭のときは、途中ダウンだったもので、昨日、ようやく、このネタの全貌が判りました。ただ、三金は、膝が限界に来ています。そろそろ、本気でダイエットしないと、噺家人生に拘わってきます。最後に、番組を再掲です。三金「賑やか寿司」、文太「寝床」、春駒「地獄八景亡者戯」、(中入り)、文太「猫定」。




2008年 8月 31日(日)午前 8時 53分

 涼しいですね、相変わらず。おかげで、昨夜は、久しぶりに、よく眠れました。週明けから、2週間連続での仕事が待っていますから、ありがたいことです。睡眠が、一番、疲労回復に役立つと、この歳になって、つくづくと思っています。こんなに難しいものとはと思うものですから。
 昨日は、午後と夜の2部制で、大阪へ出かけて行きました。まず、昼ですが、久しぶりに、芝居です。場所は、狭い、火事になったらどうしようの「ウイングフィールド」です。南河内万歳一座の鴨鈴女主宰の「鴨リンピック」の公演があったからです。作品は、内藤作品の著名な「青木さん家の奥さんU」です。怪女優、美津乃あわ、渡辺えり子の劇団の看板女優、杉嶋美智子、「売込隊ビーム」の小山茜、この人は、鴨の大学の後輩と紹介されました。そして、南河内万歳一座の鴨鈴女という女優が集まって、アドリブたくさんの芝居が繰り広げられた。演出は、南河内の荒谷清水。芝居自体は、「ゴドーを待ちながら」っぽい芝居です。どの程度まで、内藤裕敬の台本が用意されているのだろうかと思ってしまう作品。今回は、「青木さんちの奥さん」に見せるべく、3人の女優と制作の女性が奮闘するというもの。「青木さんちの奥さん」の名前が出てくるたびに、その特徴は、いろいろと出てきて、いったい何がどうでどうなのかが判らない仕掛け。最後には、誰も知らないということが明らかになります。来るという確証もないのです。物語は、「青木さん家の奥さん」に見せる芝居、即ち、女優たちが演じようとする芝居の台本は用意されているのですが、それは最初だけ。どうやら、自殺志願の女が3人、でも、なぜ自殺するかとか、その方法は、台本には書かれてないので、女優たちと制作の女、4人が、あうでもない、こうでもないと考える、これが、舞 台を前に引っ張っていくというのが、お約束。アドリブも多いのですが、かなり筋立てに約束事が多いように見受けました。そんなですから、4人の女優の個性全開という芝居で、なかでも、「怪女優」のいう形容がされる美津乃あわは、片桐はいりを、初めて見たときのようなインパクトがありました。それにととまらず、鴨以外の女優さんの出る芝居を追いかけてみようかなの気になってきています。鴨は、もちろん南河内の芝居は観ますので、当然ということで。
 夜の部まで、1時間ちょっと、トリイ・ホール近くのネットカフェで、時間調整。こちらも、よく使うネットカフェです。夜は、ワッハの7階でありました「林家亭8月席〜染左開発計画〜」に行ってまいりました。頑張る染左は、この会では、3席出します。1つ目は、前座時代が懐かしい「米揚げいかき」、仕込みの部分で言い忘れがあり、ひやりとさせ、でもすぐに、それに気づき、修正を試みたのですが、それが完璧ではなく、話に、ちょっと齟齬をきたしてしまいましたが、染左にしては、すこぶる珍しい出来事。2つ目、「応挙の幽霊」、演じ手の少ないネタ一つ目です。何が起こるんだろうと、期待をもたすわりに、何も起こらないまま終わる尻すぼみのネタ、そういう意味で、演じにくいだろうなと思ってしまいます。ですから、演じる機会も、あまりないでしょうから、夏の終わりに、ちょっと虫干しっていうところでしょうか? 3席目も珍しい「堀川」、途中のテンポの良いところまでも、演じ手は増えてないような気がしてます。松之助、先代小染と、かつてははまり込んだネタでもあるのですが、最近は、出ませんね。ましてや、最後の浄瑠璃まで入れるとなると、染左と、師匠の染丸だけじゃないでしょうか? 太竿のできる三味線方の確保も必要だしと、なかなか大変です。そんななか、本日一番の仕上がりとなりました。完璧に演じたからというわけではなく、ケンカ極道の男を描くのが、とっても気に入りました。染左最高の出来と思います。染左以外では、三四郎が、ホント良くなっています。「子ほめ」が、こんなにも新鮮に聞こえるなんてという思いなのです。教えてもらう喜ィ公の声のトーンが、いいんだなぁと思いました。与太じゃなく、だからと言って、普通の男じゃない、この辺のさじ加減がいいのです。こんな細やかな人物描写が、こんなに短期間でできるようになるなんて、びっくりです。出始めの頃を知っているだけに、大化けです。ネタを、いろいろと増やしているのも、いいですしね。最後に、番組を記しておきます。三四郎「子ほめ」、染左「米揚げいかき」、紅雀「青菜」、染左「応挙の幽霊」、(中入り)、染左「堀川」。




2008年 8月 30日(土)午前 8時 56分

 トルコから帰ってきて10日ほど、すっかり普段の生活に戻っていますが、トルコで動き回ってきて、体力作りができてきていたと思っていたのですが、早くも、そのストックが尽きかけています。昨日あたりから、ちょっとぐったりしかけています。最大の原因は、帰りの飛行機の中から続く、睡眠不足。それが溜まりに溜まって、あえなく臨界点を越えちゃったみたいです。幸い、涼しいので、まだ助かっておりますが、昨日のように、ちょっと湿っぽくなりますと、急に疲労を感じてしまいます。そのようななか、昨日は、門真の古川橋まで、落語会に行ってまいりました。
 門真のルミエール・ホールの和室を使った恒例の「第63回るみえーる亭〜上方らくごの会〜」に行ってまいりました。昨日は、わりかし魅力的な番組が気に入り、行ってみようという気になりました。ここの会の世話役小春団治のセンスが光るからでしょうか、常に関心を惹く人選にネタ選びがなされている感じがします。まず、トップは、三幸で、「くもんもん式学習塾」を出しました。三枝作品ですが、三枝一門の噺家さんでも、他の噺家さんでは聴かないネタ。貪欲に、いろんなネタに取り組む三幸に好感を持つ一方で、「読書の時間」で見せた切れ味に、なかなか出会えないのも事実の三幸なのですが、昨日のネタも、満足できるものではありませんでした。あまり他の人にはない中途半端な独特のテンションと、根あかなキャラの不思議なブレンドを見せる三幸なんですが、まだまだ、自分がネタにはまらないとダメなみたいで、自分からはまりに向かったり、ネタを自分に引き寄せるには非力な感じを持ってしまいます。結果的に、単調なものになってしまいます。今日は、それに加えて、訛りも気になってしまいました。そんな結果だったのですが、この人には、何かあるという気があるものですから、三幸が出ると知ると行ってみたくなるのです。次が、福矢で、「天災」。聴いてみたかったネタだったんです、この人の、このネタ。でも、結論は、肩すかしを食ってしまいました。この人、言葉を引きずる癖を持っています。キャラ的には、無頼漢の男が合いそうなのですが、この引きずるセリフ回しは、このネタには合いません。無茶者の暴れっぷりには合いません。心学の先生は、福矢には、尚更難しいキャラだと思えました。個人的には、何かあると思わせる噺家さんですから、これは、これとして、黄紺の頭にインプットされます。三番手が、小春団治で、なんと「須磨の浦風」、これは良かたと、はっきりと言えます。工夫があります、才人小春団治テイストがパケージになっています。紀州の殿様を迎えるためのアイデアを募る場面が楽しいです。結果的に、そこそこ重量感のある噺になっていました。独演会に出せる噺にしたというところでしょう。トリは鶴志で、お待ちかね「試し酒」、マクラでは、お約束の松鶴話、それも、ネタに合わせて、お酒ネタ、それからネタへ。1升ずつ5杯、男は飲み干します。1杯目は、呑むことに専念します。一気に呑み干します。2杯目は、楽しみながら呑むことを言われ、ごたくを並べながら呑んでいきます。鶴志のキャラが入ってきますから、大満足です。3杯目は、調子にのり、都々逸を歌いながら呑み干します。色好みネタの都々逸です。聴いてて、恥ずかしくなります。4杯目は、横にいる男が感心しながら眺め、飲み干す様子を描写します。最後5杯目は、最後だからと言って、一気呑みをします。これ、いいですね、めっちゃうまく構成されています。鶴志は、酒が進むにつれて、顔が紅潮していきます。すごいものを見てしまったと思いました。
 前半の若手2人には、期待が大きかった分だけ、不満も出てきますが、後半の2人は、これこそ個性全開の高座となりました。満足度高いです。次回も、染丸が「子は鎹」を出します。黄紺は、既に、京都で出る染丸の「子は鎹」に行きますので、次回はパスをしますが、頑張ってくれます、門真市って感じです。




2008年 8月 29日(金)午前 0時 17分

 今夜は、昨晩に続いて、繁昌亭の「「育っちゃった祭りザンショ! 第2夜」に行ってきました。今夜の繁昌亭は、はるかに昨日の会を上回る盛況であり、また盛り上がりを見せていました。昨日のネタに比べて、派手で陽気なネタが多かったからというのが、一つ。ゲストの彦いちが、奥さんの神田茜に比べて、かなりトークに慣れていたのが、二つ目、三つ目が、昨日のバラエティーの司会だった遊方が、一緒に遊んでしまい、見ていて、いらついてしまったのに比べて、今日の三風はまとめようとするし、出演者も協力的だっだということからだと思います。まず、前半の落語の部は、スポーツ・ネタ特集。ま、そういうテーマだからでしょうか、動きのあるネタで、楽屋のモニターから、落語の途中、全員が消えてしまうという代物ばかり。なかでも、あやめ、遊方は、それこそ、自らの代表作を出したものですから、おもしろくないわけはないのです。そして、今日は、トップに出た三金の役割が大きかったなぁと思います。世間話をするかのような、普段あまり聴かない調子で話しながら、さりげなく定番ネタを差し込みながら、絶妙のマクラ。これは、客席を暖めました。それに加えて、「ビリー・ザ・ブート・キャンプ」のパロディを、立ち姿で演じるものだから、もう楽しくて、おかしくて、これだけ暖められたあとのあやめ・遊方の鉄板ネタですから、盛り上がらないわけはないのです。そして、中トリで、彦いち。新幹線の延着話から始まった自己紹介がてらのマクラは長めに、どんどんと客席を引き込んでいきます。こちらも、スポーツ特集に合わせて、女子柔道の選手の恋を扱ってくれただけではなく、きっちり、彦いち自身も、楽屋のモニターから消えるようなことをやってくれました。そして、中入り後は、バラエティー・ショー。今日は、サイコロ・トーク。全部、彦いちが、サイコロを振り、全て、彦いちが口火を切り、それに、他の出演者が、話をかぶせていくという展開。彦いちが、よくしゃべってくれたので、話がかぶせやすく、とっても楽しいトークになりました。最後は、昨日のクイズ「1位を当ててはいけまテン」で、次回のチケット・プレゼントをして、お開きとなりました。とっても、高い満足感に包まれていますよ
 息子が、さきほどマカオから帰ってまいりました。黄紺は、香港返還のときに香港に行ったついでに行って以来行っていませんから、10年以上の印象しかありませんでしたが、息子の話を聞くと、中国人が多くて、うんざりするほどということです。てかてかに光るカジノ街を見て、マカオは、もういいと思ったと言っております。随分と変わったものです。その変わった光景を確かめに行ってみたくもなります。




2008年 8月 28日(木)午前 5時 26分

 昨夜は、繁昌亭であった「育っちゃった祭りザンショ!」に行ってまいりました。どうも入りが悪く、ゆったりと座れるのはいいのですが、笑いに厚さがないものですから、ちょっと物足りないですね。で、内容は、前半は、いつものメンバーが、手慣れたネタをきっちりと演じました。三風は、三枝原作の結婚式ものを、お得意の客席参加型で演じました。客席参加型の最も成功した例だと思っているネタです。茶臼山では、三風が、このネタを出すということで、あやめが、客席にビールを配ったことがありました。懐かしい思い出です。たまは「NANA」というネタ。このネタの存在は知っていましたが、実際に接するのは、初めて。除霊を、一つのテーマに、一人の男にとり憑いていた女の霊を表現します。一人の人間の中に、二つの人格が存在している姿を表すのが目標と思います。この一人の人間に二つの人格が存在していることの意味づけに、もうちょっと物語を作った方がいいなと思いました。かつての恋人同士なら、その恋物語なり、一つの体に入ってからの物語とか、いろいろと作れるような気がします。たまは、どうも、無駄なことは省く傾向があります。いつも、遊びを省いて欲しくないと思うのです。今回も、同じことを感じてしまいました。南湖の「誕生日」は、いい話です。客席がしまる感じを、空気が知らせてくれることを知るネタです。講談が二つ続き、ゲストの神田茜が、新作の「初恋閻魔」を出しました。枝雀の「茶漬けえんま」に発想を得て作ったと言ってました。要するに、えんまとミスマッチと思えるものをつなぐことを考えたんだということでした。圧死をしてえんまの前に現れ、娑婆と地獄を行き来するおばさんのキャラ作りが、いいですね。あやめの発想に似たものを感じました。女性による女性の観察、そして、女性を女性が演じる、そこんところが、きっちりと作りあげれてるわけです。世間には、いろいろな個性を持った芸人さんが、まだまだいるんですね。これは、嬉しくなりました。中入り後、ゲストの神田茜も交えてのバラエティー。クイズ合戦を客が見守り、勝ちを予想するというものでした。圧倒的少数の支持を得た「三風・南湖」組が勝ち、次回のチケットが当たる抽選になったのですが、黄紺は、その少数派に入れたのですが、外れでした。最後に、番組を記しておきます。三風「またも華々しき華燭の典」、たま「NANA」、南湖「誕生日」、神田茜「初恋閻魔」、(中入り)、バラエティ「1位を当ててはいけまテン」(司会:遊方・三金 あやめ・たま組 vs 三風・南湖)。
 なお、先ほど、フェネルバフチェがチャンピオンズ・リーグ行きを決め、ガラタサライが外れました。この頃、ラジオでのサッカー中継が、大手のラジオ局では聴けなくなってきています。TV同様、ラジオの専門化が進む傾向ですね。今回は、ようやくradyosporで聴くことができました。




2008年 8月 27日(水)午前 5時 42分

 昨夜は、繁昌亭でのきん枝・楽太郎二人会に行ってきた。きん枝が、東西の大物噺家と組む「きん枝のがっぷり寄席 二番勝負」というのが、ちゃんとした名称だ。第1回目は、ざこばとの二人会で、きん枝は、「お文さん」を出したというので、かなり意欲的だと思い、この第2回目に行ってきたのだった。二人会とは言え、それぞれが、長めのネタを一つずつ出し、中入り後、対談で、顔見せをするという内容でした。
 楽太郎は、「藪入り」を出しました。そう言えば、兄弟子の好楽も、繁昌亭では、「藪入り」を出しました。大阪へ来ると、こういうネタになるのでしょうか。ただ、この「藪入り」の途中で、ダウン。亀ちゃんが、家に帰ってきたところから、風呂帰りのところまで飛んでしまいました。一番の親の情愛が示されるところでダウンとは、情けなくて、もったいない話です。ただ、初めて聴いた楽太郎の口演は、思いの外、太い声、それに、細やかな変化技に入らない楽太郎に、こういう人なんだとまでは認識できました。こういったケースというのは、演じ手の雰囲気に呑まれてしまうパターン、逆に退屈な高 座になるかのどっちかなんでしょうが、その判定に入る前にダウンでした。一方のきん枝は、師匠文枝のネタを、今回も手がけてくれました。前回が、「お文さん」だったそうなので、ホントに嬉しい限りです。ネタは、「口入屋」です。まず、冒頭の口入屋の場面での古風な物言いを聴いただけで、師匠の跡を辿る忠実さが伺えて、自分的には、スタンスの確認ができて、満足。ちょっとした間の置き方、台詞回しの巧さ、やっぱり、きん枝はうまいやと、舌なめずりもので聴けました。おなごしの立て弁、詰まってはいないのですが、流れきらない と、気になるものですね。そのあと、店の者を寝かしにかかる番頭の焦りとか、怒りとか、楽しみとか、いろいろまざった気分あたりになってきて、ちょっとペースダウン。ここいらあたりで、ちょっとデフォルメが欲しかったな。していること自体が、助平で、勝手なことをしているのですからね。それが弱かった分、次なる場面が、皆が寝静まった夜中の出来事という雰囲気が弱ったですね。暗闇のなか、ごちゃごちゃが起こるアホらしさを感じさせるためには、とっぷりと時間が経過してくれなくては困りますからね。そういった意味では、後半、若干下り坂でした。中入り後は、開演前に、きん太郎が受けたお題を元にしたトークショー。途中から、酒を引っ掛けたざこば、客として来ていた元阪神の榊原選手も加わり、お題に基づいて、トークが行われました。番組を、きっちりと書いておきます。三金「にぎやか寿司」、楽太郎「藪入り」、きん枝「口入屋」、(中入り)、きん枝・楽太郎「対談」。




2008年 8月 26日(火)午前 0時 33分

 今夜は、中崎町の喫茶店を借りての「たまの小劇場」に行ってきた。笑福亭たま主宰の会だ。今日は、ちょっと入りが悪く、見慣れた常連さんも少なめだったでしょうか? 今日のたまは、「高津の富」をメーンに、前に「書き割り盗人」、後ろに「煮売り屋」を配置しました。問題は、「高津の富」です。いきなり、宿屋の主人とおかみの会話から始まり、客のホラ話はカットされました。話の筋立てからすると、別に問題はなく、ある意味では合理的です、あとの運びからすると。高津神社に舞台が移ると、富くじを待つ群集の大騒ぎは、常より大仰に描かれます。そして、くじの結果を見に来る宿の客、宿の主人、ここでは、常のくさい演出は削がれて、気品よく描かれ、更に、下げに向かっても、エッセンスだけとなります。そんななかて、振り返ってみると、何が残るのかと言うと、言うまでもなく、群集の大騒ぎなのです。となると、途端に、前半のホラ話カットに疑問符が灯ります。序盤は、なんせ、ホラ話で引っ張っていくという話です。そして、あれはホラ話だと種明かしがされ、どないになるんかという不安定な状態を作り出すことにより、話が動いていくわけですから、今日の刈り込みは、ドラマ展開としては、薄っぺらいものだったと言わざるを得ません。「書き割り盗人」の後半から、雀五郎の「短命」の前半まで、ダウンです。従って、「書き割り盗人」については、評論不能です。「短命」の方は、クライマックス前に覚醒しましたので書けそうです。とにかく、雀五郎が「短命」を出すだけで、サプライズです。これほど、キャラに合いそうもないネタ選びはありません。だから、選んだのでしょうね。雀松からもらったと思える仕草がありましたが、結論から言うと、大成功です。やっぱり、雀五郎は、適応力の高い噺家さんです。ドキドキする「短命」のわけを説くクライマックスの掛け合い、十分過ぎる口演でした。雀五郎自身も、紅潮しつつ、実は楽しんでる風情が出てて、良かったなぁ。問題提起の「高津の富」とサプライズの「短命」、この二つが、本日のハイライトでした。たまの3席目は、「煮売屋」、普段、よく高座にかかるものと、微妙に違う「煮売屋」、どういう具合にして、たまに届いたのでしょうか? 下げも、侍が、突如現れて、無理やり下げに持っていくというもの。たまの解説に依りますと、「煮売屋」、本来の下げだそうです。なお、開口一番は、喬介が務め、三喬テイストの詰まった「阿弥陀池」を出しました。番組を書き直すと、喬介「阿弥陀池」、たま「書き割り盗人」、雀五郎「短命」、たま「高津の富」、(中入り)、たま「煮売屋」となります。




2008年 8月 24日(日)午後 11時 54分

 今日は、朝っぱらから、午後1時過ぎまで、振り替えなしのお仕事。毎度のことと言いながら、トルコ帰りの元気な内はいいのですが、そんなに体力はもつものではありませんから、長い目で見ると、不安になります。ただ、ちょっと涼しめなのが、何から何まで助かる今日この頃です。
 午後は、3時開演の「神田松鯉独演会」に行ってまいりました。場所は、ミナミのトリイ・ホール。先日の「神田愛山独演会」同様、東京からの追っかけさんが来ておられました。すごいこだわりです。また、それに応える熱演に、東京の講釈師さんの大物の実力を目の当たりにすることができました。番組は、南海「山内一豊とその妻」、松鯉「清水次郎長と羽黒の勘六」、(中入り)、松鯉・南海「対談」、松鯉「怪談・乳房榎〜発端〜」というものであった。南海さんは、愛山師に続いて前講を任せられるというところに、南海さんに対する目というものを感じてしまいます。その南海さんは、くすぐりたっぷりのネタを出し、下りるときには、「チャリ場で、、、」と謙遜の気持ちを出して、松鯉師にバトンタッチ。でも、確かに、松鯉師の芸風に触れると、あながち謙遜でもないぞの感想、それほど、重厚な語り口に、圧倒されました。上方では聴けない貫禄たっぷりの語り口に、正直、講談の深さに感動のようなものが浮かんできていました。なかでも、「乳房榎」に惚れました。こちらの方が、タイプの異なる人物が出てきて、その描き分けに、黄紺はまいってしまったのです。「清水次郎長」は、関西では出ないネタだけど、登場人物が侠客ばっかだから、人物的変化に乏しいんですよね。楽しみ方は他にあるのでしょうけど、関西人としては、「浪花侠客伝」に出てくるキャラに惹かれてしまいます。対談も良かったです。南海さんが、同業者としてではなく、一ファンの気持ちで聞いてくれたのが、いいっすねぇ。実際、松鯉師を前にしては、そのような気持ちになるでしょうね。噺家の世界と講釈師の世界の、わりかしいけいけになってる話がおもしろかったですね。鶴光師が、釈ネタを、どんどん取り込んでるわけが解ったような気がしました。東京ネタにこそ、クロスオーヴァーが可能なんでしょうね。林家正雀師が、随分と松鯉師からもらってる話は、とっても興味を惹かれました。そもそも、「乳房榎」からして、円朝作品ですものね。
 講談の会がはねたあと、トリイ・ホールのネットカフェで時間調整、晩ご飯までも、難波で食べて、夜の部に向けて大移動。京都のみなみ会館で、映画「おいしいコーヒーの真実」を観に行きました。フェア・トレードの視点で、コーヒー貿易の矛盾を焙り出そうという視点の映画だということで、自分的には期待のドキュメンタリー映画だったのですが、正直言って、辛口にならざるをえません、この映画。切り込みが、弱いのです。コーヒーの世界的産地のエチオピアのコ−ヒー農家の惨状と、欧米の嗜好品としてコーヒーを嗜む人々、コーヒー取引現場という具合に、入口と出口の落差を描いてはくれるのですが、そんなこと判ってるじゃないか、そんな状態だからこそ、この映画創ったんでしょ、、、動機のまま留まっている映画なのです。データの紹介、推測でもいいから、流通経路の問題点を暴いてよ、どのようにすれば、フェアトレードなるものが、可能になるんだ、取材拒否した大手コーヒー会社を、ターゲットにしないで、何を描くんだい、スターバックスのように、フェアトレードを売りにすらしている会社があるじゃないですか、だけど、その契約している村が大変な状況になっているところまで描いて、そこで止まっちゃう。一言で言えば、問題意識だけで、切り込み不足。
 そんなで、今日は、講談とドキュメンタリー映画という組合せになりました。絶賛の記憶と失望の記憶が交叉しておりまする。




2008年 8月 23日(土)午後 11時 59分

 久しぶりの日本での休日だ。明日の日曜日は、朝から昼過ぎまで、振替えなしの出勤が待っているので、今日は、ダブルヘッダーを組んで落語会三昧の日を過ごした。午前中は、これも久しぶりに「瞳」の1週間総集編を観て、この間の話の進み具合を確認。「ちりとてちん」のように、根を詰めて観ているわけではなく、職場で、昼ご飯を食べながら、ほんの少しずつ観ている程度だが、昨日だったかな、クランク・アップしたとのニュースを目にして、頑張って観てみたのだが、最後は、もうお出かけ準備の時間になっていました。
 今日の午後は、福笑がトリで出て、且つ、たまが、繁昌亭大賞の輝き賞受賞のご褒美出演があるということで、2ヶ月前に、繁昌亭昼席のチケットを買ってあったのだ。黄紺の繁昌亭復帰の日でもあったのです。番組から記しておきましょう。瓶成「いらち俥」、阿か枝「金明竹」、出丸「子ほめ」、レツゴー正児「漫談」、たま「ちりとてちん」、文太「抜け蟹」、(中入り)、風喬「大安売り」、仁昇「閑所板」、米八「曲独楽」、福笑「きょうの料理」。瓶成は、大得意のネタながら、完全な刈り込みの失敗で時間切れ。前半の俥夫の足のつかないところのカットはいけません。マクラを振ったために、変なところで切らなければならなくなりました。阿か枝が、本日随一の出来。ネタの、あまりにも絵に描いたようなボケ方から、急なる立て弁の展開に、登場人物に同化してしまうほど、客席も、アホたんな丁稚状態を味あわせてくれました。ネタの力で、それを、最大限に発揮させる個性を抑えたかのような口演に、大拍手です。 逆に、出丸は、明るいキャラで、寄席の雰囲気をがらっと変える力技。こういった展開って、定席ならではですね。レッツゴー正児の強烈な個性に負けてないのが、たま。ショート落語で、もう、掴みはすさまじい。そこへ、ネタに入ると、「子ほめ」とかぶるところを、見事にそれを逆用して、さらに、客のハートを鷲掴み。ところがですね、ここで、黄紺にアクシデントが、、、。急なる、差込みが来て、半ばで退席の憂き身。せっかくのたまでと思っても、黄紺のお腹は、それを許してくれる状態ではありませんでした。短時間で復帰できたとは言え、慙愧に耐えない時間となりました。文太は、マクラを振らないで、替わりに、たまの唾でいっぱいの見台を拭いて、それがマクラ替わり。客席、大爆笑です。そして、ネタが、なんとも珍しい「抜け雀」の変型「抜け蟹」とは、びっくりでした。中入り明けは、風喬、未だに、この人が、NHKで優勝したことを理解してないのですが、「大安売り」あたりでは、手慣れた中に、形がしっかりと受け継がれており、安定感十分。仁昇は、言葉の違いを、たっぷりふるものだから、てっきり「手水廻し」かと思い、またかの感じを持っていたところ、あらま、こないなものをと、ちょっとびっくりでしたど、いずれにしても、こないな位置でする噺じゃないですね。福笑は、どうやら今週は、「きょうの料理」をかけ続けたよう。可能性大だなの予感を持って臨んでいたのですが、なんでか判りました。北京オリンピック記念ということで、中国人シェフ、ルー・チョンキ登場のネタを出したようです。
 いつものように、南森町のネットカフェで、時間調整をしたあと、地下鉄と阪急電車を乗り継いで、正雀までまいりました。正雀市民ホールでありました「ジャッキー7 ねこまつり」に行ったのです。雀喜の会なのですが、この日は、雀のおやどで、師雀三郎の会もあったのですが、バラエティーショーとなるこの会を選ぶという大胆なことをしてしまったのでした。今日の「ジャッキー7」は、まともな古典落語は、ゲストのこごろうの「青菜」だけ。主宰者の雀喜は、「ポイント・カード」という自作の噺だけをして、あとは、こごろうとのユニット、ねこまんまという名前で、漫才2題と、心理学者ジャッキと称して、客のアンケートを元にしたトークを行うという具合で、バラエティーに徹していました。更に、もう一人ゲストとして、ひろばが登場し、怪しげなというよりか、わりかし楽しめるマジックを披露してくれました。ただ、今日は、睡眠不足解消に体が動いている日で、繁昌亭では事なきを得たのですが、正雀ではダメだったのです。前半の落語の中で、かなり強烈なダウンをしてしまいました。「青菜」「ポイントカード」と続いたのですが、「青菜」の半ば以後は記憶がないのです。植木屋さんが、家に帰ってからなどという場面は、完璧に吹っ飛んでいますし、「ポイントカード」が始まったのも覚えておらず、ほぼラスト近くで、ようやく気が付いたのです。ただ「青菜」は、面白いなと思う試みを入れていました。「植木屋はん、植木屋はん」という冒頭の呼びかけの前に、旦さんの家の、そして、お庭の描写を入れたのです。ぱーっと目の前に、情景が広がる巧みな描写でした。試みと言い、描写の巧みさと言い、さすが、こごろうです。ただ、これが、常の台詞に合わないのです。常の落語は、かなりデフォルメされすぎた台詞回しになっているのです。いや、それに気付かされたと言っていいかもしれません。目の前にリアルなお庭が現れてしまうと、そのデフォルメがいやらしく聞こえてしまうのです。落語は想像の芸だと言いますが、描写が行き届き過ぎてしまわない中での台詞展開、想像は、あくまでも想像の世界であって、それに解析度をアップさせる手法は、かえってマイナスになるように、台詞が練られてるということを発見しました。大収穫の「青菜」だったのに、半ばでダウンだったのです。「らくご道」で観たねこまんまは、生きが良く、余芸の域を超えてるっていう感じがあったものですから、この会に、実は来てしまったのですが、今日は、変化がなかったなぁ。突っ込み役の雀喜が、いろいろと喋り、それを、復唱しつつ、こごろうが呆けるの繰り返し。単調になり、そのためか生きの良さのようなものも物足りなくなってたのが、惜しいですね。1日2席のネタ下ろしは、やっぱきついのでしょうね。番組を、きちんと書いておきましょう。心理学者ジャッキ「あなたの悩み解決します」、こごろう「青菜」、雀喜「ポイントカード(長坂堅太郎・作)」、(中入り)、ねこまんま「漫才(北京オリンピック)」、ひろば「マジック」、ねこまんま「漫才(エコロジー)」というものでした。
 正雀からの帰りは、きついです。でも、行っちゃう、このしぶとさです。そして、家にたどり着く直前、雷雨となりました。おかげで、今夜も涼しいです。ありがたいことです。




2008年 8月 23日(土)午前 0時 41分

 昨夜から、えらく涼しくなっている。この時期に、この涼しさ、ちょっとびっくりものです。クーラーいらずの生活をしています。明け方など、風邪をひかないかなんてことを心配するほどですね。
 今夜は、演芸復帰後初の講談会に行ってきました。谷六の薬業年金会館での「神田愛山独演会IN大阪」です。東京の講談師さんの大阪での公演です。会場に入って驚いたのは、お客さんの中に、東京からの追っかけさんがおられたということです、それも、複数。コアな方がおられるのですね。講談初級者の黄紺は、東京の情勢というものを、全然存じません。一度、探検に行かねばと、そんな方を見るにつけ思ってしまいました。それは、神田愛山師の口演を聴いて以後、より強いものとなったと思います。で、番組ですが、前講に南海「寛政力士伝〜小野川と雷電の対決〜」、愛山「白子屋政談・続 髪結新三〜鰹のゆすり」「高校三年生(路地野ぼん子・作)」となりました。そして、世間は広いです、神田愛山の講談を聴いて、そう思いました。まるで、一人芝居を観ているような気分にさせてもらった「髪結新三」。ピカレスク講談というところです。小か大かは、今日の抜き読みの部分では判然とはしませんが、毛色の異なる三人の悪漢の悪党ぶりを、芝居を観ているような雰囲気で聴くことができました。すごい経験をさせてもらったというのを、1席目で、間違いなく確信。一転、2席目は、新作講談「高校三年生」でしたが、この講談の新しい部分は二つ。 一つは、終始一人称で語られるというところ。もう一つは、ま、大衆演芸では扱わない舞台、聾学校が取り上げているのです。聾の高校生に「高校三年生」を歌わせたいと思い、だけど歌わせられるだろうかと悩む教師の語りという形式を取っています。物語が、ちょっと単純だったなというのが、終わってからの感想。もうちょっと、障害児教育や聾学校の現場を取材してから創作に臨んで欲しいなと思いました。でも、「髪結新三」とは、全く異なった語り口とはいえ、やはり一人芝居を観るような気分。この感じ方は、今までの講談体験ではなかったものです。「また、来ます」と言って、講座を降りた愛山師、何を置いても聴いてみたい人ですね。




2008年 8月 22日(金)午前 0時 23分

 トルコから帰ってきて、家の用事なんかがあり、夜遊びができなかったが、今日から復帰を果たしました。京都で、結構、行っている養蓮寺寄席という典型的な地域寄席に行けたのです。世話人が仁智で、且つ、毎回出演してくれるのが、とっても魅力的な会なのが、しばしば足を向ける最大の原因と言えるのです。
 その世話役の仁智は、お馴染みの新作「スタディ・ベースボール」、いつもでしたら、プロ野球おもしろ選手集を、マクラで振り倒し、野球中継の音楽紹介を、たっぷりしてから、ネタに入るのですが、今日は、オリンピックに高校野球を、最初のおもしろ選手話に替えて話していました。仁智の軽さが、最大限に発揮された高座になりました。逆にしっかり感の備わった噺を出してくれたのが、弟弟子の仁嬌、ネタは、「皿屋敷」でした。この人、どっしりしたいい声をしています。わりかし、ドスを効かせておくと、最後のバラしが冴えるというネタの特徴を、しっかりと生かしていました。本日の花◎高座と言っていいでしょう。鶴二も、得意ネタ「稽古屋」を出してくれたのですが、なんか、年令を感じてしまいました。華とか覇気とか、そういったものが枯れてしまう歳では、まだないでしょうに。特に、「稽古屋」というネタだったものですから、余計、目立ったのでしょうね。前 座は、石松で、こればかり見ているっていうネタに、今日も当たりました。ということで、番組を再掲しておきますと、石松「鉄砲勇助」、鶴二「稽古屋」、仁嬌「皿屋敷」、仁智「スタディ・ベースボール」となります。




2008年 7月 27日(日)午後 11時 27分

 今日は、昼間は、お仕事。目一杯、働きました。夜遊びまでには、若干、時間がありましたので、京橋のネットカフェで時間調整をしようとしたところ、満員。ネットカフェで、入れなかったっていうのは、これが初体験です。巡り合わせなんでしょうが、どうしようもありません。仕方がないので、福島まで移動し、駅前のマグドで、晩ご飯を食べがてら、時間調整をするハメに。ちょっと悲しい時間でした。
 今夜は、「第40回記念名探偵ナンコ〜よみがえれ!探偵講談〜」に行きました。これは、福島駅近くというほど近くはないのですが、ま、その辺りで行われる貴重な講談の会なのです。番組は、南舟「木津勘助」、南湖「雷電の初相撲」、南湖「怪の物(黒岩涙香・原作)」、(中入り)、対談「探偵講談と探偵小説あれこれ(ゲスト:芦辺拓)」でした。今日は、トップバッターに、南舟さんが出ました。南湖の入りが遅くなるというので、出番をいただきましたと、南舟さん自身が言ってました。南湖も、びっくりしていましたが、普段の優男が、しっかりと喋り出して、びっくり。手の所作とかは、まだまだですが、そんなのは、場数を踏めば上達するでしょうから、語りの確かさが、これだけあれば、今後が楽しみになります。南湖は、まず、定番の「雷電の初相撲」。こういった定番ネタは、先代南陵譲りなんだろうなと思ってしまいます。とぼけた味を感じれば、ついつい、そのように思ってしまうのです。もう一つは、メーンの探偵講談。これが、南湖オリジナル、この会の華です。その元ネタ、また、南湖自身の脚色といったもので、出来不出来の差は、どうしても出てきてしまうのですが、今日の口演は、最高の成功作じゃないかなと思ってしまうほど、いい出来でした。登場人物の数の上での程良さに加え、それぞれの人物がわかりやすく配置され、それぞれの役割を果たしていく、しかも、ストーリー展開も、予断を許さない作りとなっていると、まあ、聴いていて、興味津々なのです。それに加え、怪奇性というか、猟奇性というか、そういった味付けが施されているので、おもしろみが増すのです。最後にいつもある、作家芦辺拓との対談で、芦辺氏も、出来上がりを褒めていました。トルコ前最後の演芸となりました。最後の落語が、不調で終わったので、ちーとは取り返したかなの気分です。




2008年 7月 27日(日)午前 6時 40分

 睡眠不足が続くと、どこかで揺り戻しが来る。おかげさまで、昨夜が、その揺り戻しが来た夜。ということは、昨日は、睡眠不足で、体が悲鳴をあげていた日だったのです。最近、あまり体を動かす仕事をしていないので、体が臨界点に達しているのに鈍感になっていました。実は、昨日、出かけていった落語会では、超不調だったのです。そんなですが、お出掛け記録を認めておくことにしましょう。
 まず、朝からうめだ花月へ。「花◎花寄席〜梅田花月花形落語寄席〜」2度目の訪問をしました。一つには、様子見です。客の入りは、どうかな? 雰囲気は、どうかな? そういったことの様子見です。落語会の常連さんと思しき方々、何人かの顔を見て、びっくりでした。客の入りは、真ん中の前の4〜5列くらいが埋まる程度。先日、行こうと思った日に、チケットを買えなかったので、週末は入ってるのかなと思っていましたら、以前、GWに行ったときと、そんなに変化のある入りではありませんでした。しかも、その内の2列ですから、約半分の客が、朝、三重を出てきた団体客。ということで、選ばれたネタは、見事な初心者向きのものとなりました。その番組は、染太「動物園」、染雀「子ほめ」、八天「替り目」、(中入り)、のんき「始末の極意」、つく枝「ちりとてちん」となりました。この中で、儲かったと思ったのは、一に、のんきを観れたこと、二に、恐らく普段の会では出さないだろうという染雀の「子ほめ」が聴けたことでしょう。のんきは、松之助とのコンビでする会のチラシそのまんまのヘアス タイル。その風貌とは違って、わりかし繊細な口演。古風なもっちゃり感のあるもので、わりかし好感を持って聴いていました。あとのネタは、適当に刈り込みながら持ち時間に合わせた口演。つく枝が、マクラでしたミニ落語講座が、おもしろかったですね。しょーもないことを言って、自分で自分につっ込みを入れるのが、おかしくて。ネタに入ると、ちょっと調子に乗りすぎ。デフォルメしすぎの口演は、引いてしまうだけです。 反省をして欲しいな。
 朝席が終わったのが、12時10分前。食事を摂ったところは、ほとんど午後の部で行く太融寺というところなのに、ネットカフェに行くために、カッパ横丁近くまで行きました。ちょっとした運動にはなりましたが、異様に暑い。道路からの照り返しが、なんとも強烈でした。太融寺では、「第48回千朝落語を聴く会」があったのです。2階の大広間が、ほぼ満杯となる、大入り。いつから、千朝さんの会が、こないな入りになったのでしょうか、ちょっと間が空いての訪問でしたので、判りかねます。ところが、この太融寺での会は、自分的には、散々な結果となりました。最近ではなかったほどのダウンを喫してしまったのです。4席中、まともに聴けたのは1席という低汰落。初っぱなの吉坊の口演の早い内からダウンなんですから、大変なショック。2席目が千朝で、「夏の医者」、千朝らしいレトロな、そして、これも、千朝らしい噛んで含めたような口演に、ようやく元気になり、その調子と思ってたら、雀三郎の「饅頭怖い」の、嫌いな物の言い合いが始まった頃には、意識が飛んでいました。おやっさんの「怖い話」も、ほぼ記憶にございません。この雀三郎ベストと思ってる噺が、これなんですから、もうサイテーです。最後が、再び、千朝で、「代書」。今年は、米団治襲名イヤーだということで、今回、取り上げてみたと言ってました。確か、千朝による「代書」初演に立ち会って以来ですので、楽しみにしていたのですが、朝鮮人登場直前あたりから、意識が、霞んでるのですが、雀三郎のときほど、ひどくはありませんでした。米朝一門の大どころが出た会で、なんと不謹慎な客なのでしょう。ホント、悔しいよ話です。そんなですが、番組を再掲しておきますと、吉坊「千早ふる」、千朝「夏の医者」、雀三郎「饅頭こわい」、千朝「代書」でした。
 今日は、日曜日ですが、振り替えなしの出勤の日です。少しゆっくりめに出てもいい日ですので、それまでに、トルコ・リーグの08-09シーズンの試合日程をアップしたいのですが、できますでしょうか? トルコに出かける前にしておきたいと思っていたのですが、なんせ、日程発表が、23日のことなものですから、ちょっと焦っています。




2008年 7月 26日(土)午前 5時 1分

 せっかくの週末と言え、夜中に、目が覚め、悶々たる気分。どうして、こないなことが繰り返されるのか、、、、。ま、体に疲労が蓄積しているわけではないので、へたり込むということもないでしょうが、このままでは、翌日が、1日中、目の前が鬱陶しくって、そんなことを考えると、今から気が滅入ります。お酒の力を借りてでも、睡眠を確保するしかないのでしょうか?
 とまあ、ぼやいておりますが、せっかく、お出掛けを楽しみにしていればいるほど、この睡眠不足が気になるのですが、とりあえずは、昨夜のお楽しみ記録を認めておきましょう。昨夜は、文楽「夏休み特別公演」の内、第3部、即ち夜の部に行ってきました。サマーレイトショーと銘打たれ、1年で、この公演だけが、仕事帰りに行けるのです。しかも、金曜日は、開演時間を、通常より、更に30分ずらし、その上、「社会人のための文楽講座」まで付いているのです。ちゅうことは、普段は、社会人、勤め人を対象に公演を打ってないってことです。と怒っていますが、文楽の公演が、年寄りで持っていることは事実ですから、お年寄りを大切にしなければ、そのおこぼれには預かれないのも事実なのです。で、番組は、「国言詢音頭〜大川の段、五人伐の段〜」だったのですが、なんかすごいものを観てしまったっていう感じなのです。ある侍が入れあげた女郎というのが、実は、その侍を嫌い、散々にバカにしてまでいることを、その侍自身が知るところからスタートします。からかい半分に脅した女が逃げ去るときに、恋文を落として行ったり、大川を下る川遊びの船で、散々に侍の悪口を言っているのを聞くという、夏らしい大川の段。それを受けて、その侍が、じんわりとなぶり殺しをしていく五人伐の段。この「じんわり」とか、「なぶり殺し」というのが、ある意味では、見せ場になっています。バカにしくさって〜と、切れて、めった伐りにするのではな いのです。まず、手に入れた恋文を、本人らに、プレゼントを装い渡し、脅しをかける。脅された本人らは、恐怖のあまり、心中まで考える。だが、人に押し止められて、思い留まるのですが、でも、その侍にやられるかと思っていても、侍はやらない。もったいぶるのです。「じんわり」といくわけです。すると、途端に喜び、日常に戻り、安心する二人。そこを襲うのです。もう、ここから、「なぶって」います。また、その殺し方がえぐい。刀を突き刺し、えぐりにえぐり、首をはね、切り口に足を突っ込みねじ込む、刀を一閃すると、胴斬りが決まったり、腕が斬られ、宙を舞ったり、脳天に刀を振り下ろすと、間を置いてから、頭が、真っ二つに割れるという具合で、なんというか、ここまでやるかのオンパレード。ちょっと、今の我々には、決して楽しめるとは言えないパフォーマンス。こういったものを、舞台にかけ、それを、エンターテイメントとして楽しむ文化が、かつての日本にあったということなのですね。かなりのカルチャー・ショックですね。異文化体験の文楽鑑賞となりました。五人伐り段の語りは、住太夫さん、これが良くありません。生々し過ぎます。それだけ、住太夫は、すごい太夫さんだったっていうことなのです。最後に、本水が使われ、雨のなか、侍が傘を差し引き上げるときに、謡いを口ずさみます。住大夫の語りは、不気味ぃ〜。すっごい大夫さんです。正真正銘の人間国宝。間に合って、良かったぁと、つくづく思いました。なお、今日は、開演前に付いていた「社会人のための文楽講座」の解説は、相子太夫さんでした。この人は、しゃべりが達者だから、とっても、楽しめますね。文楽鑑賞会のときも、解説を担当していた方です。ギャグが決まるセンスの良さを持ってる方ですので、話がまずいわけはありません。
 文楽というものを覚えて、なんか、嬉しいのです。落語との関連で知らねばというところからスタートしたのですが、そういった予備的なものでは、もうありません。3ヶ月ごとくらいにある公演が待ち遠しい気分。また、この間隔が、枯渇感を生んでしまうのでしょうね。




2008年 7月 25日(金)午前 6時 11分

 淡々とした日々が過ぎていっている。いつもが、こうであればと思うのですが、なかなか難しいお話。日が暮れるのを待って、この日も、大阪市内へ、落語会を求めて動き出したのです。
 昨日は、ワッハの4階で定期的に行われている「らくご道〜笑福亭生喬と桂こごろうの落語会〜」に行ってきました。生喬とこごろうは、大阪芸大の落研の同期。その二人が、持ちネタを1つずつ披露し、且つ、対談を行って、その日のネタにまつわる話などを紹介してくれる楽しい会。ネタが一つずつということで、それぞれが、ネタに入る前に、たっぷりと近況報告をかねて、マクラをたっぷりとふってくれるのも、お楽しみな会なのです。いつものように、生喬の弟子生寿が開口一番で出て、「つる」。以前のこの会でも聴いたネタですが、随分と成長のあとが伺えました。抑揚がつき、メリハリが付いてきていかす。かなりうまくなっていますが、元々、線の細い噺家さんなので、ここから、どのように積み上げていくかが、しんどいのでしょうね。次が、こごろうで、「延陽伯」。うまい刈り込みと改変が、心地よい、素晴らしい出来上がりに感服です。次は、こういうギャグが入るはず、そして、確かに、その場所で入るのですが、そのギャグを変えてくれる、これは、おかしい、そして、その工夫が嬉しいのです。風呂場の場面での刈り込みは、気持ちが良い。同じトーンのボケ方が繰り返し出てくるのを見て取って、刈り込むというのは、かなり合理的。こごろうのセンスが光ります。こういう部分がありますから、聴き慣れた噺も、こごろうがやれば、一度は聴いてみたくなるのです。なお、マクラでは、大銀座落語祭レポートがありました。生喬は、その大銀座落語祭の話は出てしまったので、自らも実行委員に入ってる「彦八まつり」の裏話を出してくれました。本年の奉納落語会が、「プレ襲名披露」と銘打たれていますが、それが可能になったわけのようなことが紹介され、耳がダンボになってしまってる黄紺でした。ネタは、「日和違い」とは、珍しい。米之助、枝雀、先代文我で聴いた記憶がありますが、そういった大御所亡き後は、初めてでしょうね、黄紺が聴いたのは。こういった噺を積極的に復活してくれる姿勢に感謝です。噺自体は、天気に関しての聞き違いの可笑しさを扱っただけのものなんですが。飄逸とした噺とインプットされてましたが、やはり生喬が演じると、力が入ります。そういったお約束の個性も嬉しい口演でした。ここで、中入り。中入り明けの対談の前に、お手伝いに来ていた雀喜とこごろうで、漫才。この二人は、「ねこまんま」というユニットを組んで、頻繁に漫才をしているそうです。紅雀とこごろうの会では、毎月ネタ下ろしをしているとか。昨日は、夏のスポーツをネタにしたしゃべくり漫才、こごろうの軽さと、雀喜の生真面目な突っ込みの味が、なかなか聴かせます。そのあとの対談「夕焼け日記」でも、この漫才が話題に。かなり本格的に取り組んでる姿勢が、よく解りました。こごろうは、落研時代から同様のことをしていたと、大学時代のエピソードも、生喬から紹介されていました。
 仲の良い二人の噺家さん、プラスワンということで、楽しい気分にさせてもらって、浮き浮き気分での帰宅。帰りの電車の中では、疲れてもいないのに、爆睡しておりました。




2008年 7月 23日(水)午後 11時 56分

 今日、08-09シーズンの試合日程が発表された。こういった日がくると、再び、悔しさが込み上げてくる。今年は、欧州選手権のある年ということで、日程がずれるかもとは思っていたが、ここまでずらすとは、、、予想外の展開。去年は、トルコ滞在時間を多くとれず、辛うじて、開幕戦を、オリンピック・スタジアムで観れたのだが、今年は、トルコ・リーグは、全くダメ。実は、今年は、久しぶりに、ガジアンテップで公式戦を観たいなと思ってたら、この勘はどんぴしゃで、フェネルの開幕戦は、ガジアンテップ・スポルとのアウェー戦。だけど、黄紺は、その頃は、日本で働いておりまする。泣くしか、ありませんと、随分と前から判ってることながら、今もって悔しいのであります。
 今夜は、中崎町であった「たまの小劇場」に行きました。前回同様、開場が、なかなかで、会場上で列を作って待っていると、着物を着た女性が入口を探している。あれ? 春野恵子じゃないのと思ってたら、やはり当たりでした。自身の勉強会の会場探しをしていたところ、たまに、本日の会場を紹介され、様子を見に来たということ。ついでに、前説に駆り出されていました。前回は、ひろばと三幸が駆り出されましたが、いずれも、会場作り、お囃子の打合せで、たま自身の着替えが終わっておらず、その時間繋ぎに駆り出されたものでした。本日のたまは、古典を3席出しました。「鼻ねじ」「遊山船」「子は鎹」でした。秀逸は「遊山船」。「キャー」の音の多用、言葉尻を掴まえる繰り返し技、それの、更に繰り返し。とても見事な場面転換、合理的なカットと、たまの噺の整理が、次から次へと決まっていきました。黄紺的には難しい噺の典型と位置づけている噺に、またしても、ビッグヒットが飛び出しました。たまの刈り込み技、プラス新機軸、そんなのが、一番見事に決まったネタの一つに、間違いなく数えられます。「鼻ねじ」の方は、お囃子に、随分とこった演出を試みていました。単に、距離感だけではなく、人の気の集中の仕方でも、音量は変わってくるはずというところからくる演出でした。その変化を楽しませるため、庭での宴会、それに対する漢学の先生のリアクション、それを長めに取っていました。自分的には、漢学の先生と、番頭は、ほぼ同時に、梯子を上って欲しいと思っています。もったいぶって時間をかけるより、臨場感、緊迫感が違うと思っています。また、今日のたまは、番頭に、手の内をさらけ出す台詞を与えていました。これは、納得できないな、ネタばらしは、やっぱり最後まで引っ張ってもらわないとね。「子は鎹」は、中入り明け。今回は、新作はなし。「ナイト・ヘッド」と、客がかぶるからと、たまは言ってました。「子は鎹」は、春野恵子が来てるので、あとで泣かせどころを教えてもらうそうです。が、自分的には、今、演じられているこのネタで、ほろりと来るのは、気が入ったときのざこばくらい。やはり、短縮形じゃ、ダメでねぇ〜のの気分です。ゲストは、さん都で、「向こう付け」でした。喜ィさんのぼけ方なんか、時間をかけながら深まっていくのでしょうね。後半は、ショートカット版ですが、全体をもらったんでしょうかね、そないなことを聴きながら考えていました。ということで、番組を再掲すると、春野恵子「前説」、たま「鼻ねじ」、さん都「向こう付け」、たま「遊山船」、(中入り)、たま「子は鎹」となります。
 ここ毎日、ずっとクーラーをかけたまま、寝ています。これだけ続けて、そないな感じなのは、珍しいです。今年の夏は、ホント、暑い。また、同じことを書いてしまいました。




2008年 7月 23日(水)午前 1時 40分

 仕事で、ちょっとしたミスばかりを繰り返して、自分に腹を立てながらいらつき、また、ミスをしてしまう。だいぶと反省です。結構、時間を無駄にしているのが、いらつきの最大の原因です。そんな感じの午後を過ごし、夜は、谷町6丁目へとお出掛けしてまいりました。薬業年金会館内の和室で、毎月恒例の「第132回旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。「読切名言講談」と題されたシリーズも、この日で4回目。今回は、坂本龍馬が姉に認めた書簡に書いた言葉として知られる「日本を今一度洗濯いたし申し候」が取り上げられました。
 今日は、途中で、空調が変調をきたし、そのために、室内が、かなり暑くなり、そのためかどうだかわからないのですが、中途ダウン状態となってしまいました。坂本龍馬の生まれた頃の話、塾には、ほとんど行かなかった話、すぐ上の姉とのエピソードから、脱藩する直前まで飛んでしまいました。龍馬って、5人兄弟なんですってね。すぐ上の姉さんに、とてもなついていて、その姉さんも、男気のある人で、小さい頃から、かなり龍馬を鍛え上げたようで、脱藩以後も、自身の様子を、おどけた感じで、その姉に報告がてらに、手紙を送っていたそうです。その手紙の中に、本日の名言がありました。黄紺も、最近知った言葉です、TVを観ていて知ったら、これで、取り上げられたっていうわけです。幕末のことには、ほぼ関心のない黄紺は、今日の講談を聴いて初めて、龍馬っていう人、勝海舟に師事してたってことを知りました。勉強になりました。そして、龍馬が暗殺されたのは、大政奉還後だったんですね。へぇ〜、でした。とまあ、日本史音痴の黄紺が、講談を聴いて、少しずつ知識を増やしております。知らないことばかりだから、おもしろいのだろうなと、正直思っております。
 今夜は、インターネットが、サーバのかげんで繋がりません。夜中にアップできるのですが、サッカー情報ともども、朝になってからしかできません。5時間も繋がらないそうです。それって、長過ぎやしません?




2008年 7月 22日(火)午前 5時 40分

 昨日は、なかなか面白い1日になりました。まず、家を出たときは、全く、国立国際美術館でやってるモジリアニ展に行くつもりだったのです。ところが、天満橋駅を電車が出るかというところで、息子から、「今、天満橋にいます」というメールが入ってるのに、気がついたのです。昨日、息子は、所用があり、朝早くから都島へ行き、早々とそれが終わり、天満橋で、お茶をしていたのです。そこで、淀屋橋で、息子に電話を入れ、黄紺も天満橋に行くことになりました。そして、モジリアニ展に行くのは、またの機会にして、二人で、ジャンジャン横丁で、昼飯がてら呑むことにしたのです。息子と、ジャンジャン横丁で呑むのは、3月以来。とにかく昼間から堂々と呑めるところとなれば、ここが一番でしょう。
 そんなで、昼間から酩酊状態。ですから、黄紺は、かなり酩酊状態で、文楽を見に行ったというわけなのです。そもそも、モジリアニ展に行こうかと考えたのも、文楽に行くだけで、大阪まで行くのはもったいないと、時間の有効活用を考えてのことだったのです。黄紺が行ったのは、「夏休み文楽特別公演」の第2部。番組は、「お夏清十郎五十年忌歌念仏〜笠物狂の段〜」「鑓の権三重帷子〜浜の宮馬場の段、浅香市之進留守宅の段、数寄屋の段、岩木忠太兵衛屋敷の段、伏見京橋妻敵討の段〜」でした。「お夏清十郎」は、春野恵子の浪曲で聴いているので、馴染みのある演目なのですが、8割以上、沈没してました。完全に、酒のせいです。冷めてなかったのです、ここでは。「鑓の権三」では、妻敵討で、覚悟を決めた男女が美しく斬られていく、その美学と、それに見合った演出に、心動かされましたが、どうも、理不尽な、姦通劇に、すっきりしない気分でした。権三は、不義密通なんてしてないのに、妻敵となる。女の方は、夫がありながら、しかも、娘と権三との結婚話を持ちかけながら、権三に迫るのだから、致し方ないのだが、、、。でも、男は理不尽な中で討たれるように、女は、そりゃ仕方ないだろというなかで討たれていくように設定してあるんでしょうね、これは。男は、そういった矛盾を抱えながらも、潔く討たれる、そういったものに、観る者が惹かれたんだと思われます。一方、女は、片手討ちですものね。この扱いの違いが、今の時代に生きる黄紺には、釈然としないのです。ところで、昨日は、一番前の端の席で、字幕は見にくいは、舞台のいいところはずれるはで、席のチョイスに失敗しました。字幕が、あんなに見にくければ、いっそのこと、後ろの方の正面から、舞台全体を見据えられるところで観た方が賢明ですね。
 とっても、蒸し暑い朝が明けようとしています。そして、3連休が終わり、新たな週が始まります。今年の夏の暑さは、尋常じゃないっすね。大丈夫だろうかと、毎朝思いながらの出勤です。




2008年 7月 21日(月)午前 8時 10分

 朝から暑いですね。昨日は、午前中は出勤だったもので、朝から慌ただしい時間を過ごしていましたが、今日は、ゆっくり。しかも、2日眠れなかった反動か、背中が痛くなるくらいの爆睡。ようやく、しゃきっとしたはずなのですが、朝から、こう暑いと、もう一つすっきり感に欠けてしまいます。昨夜は、そんなで、もう8時にはダウン。お酒を呑まないでです。爆睡できたのはいいんだけど、おかげで、NHKスペシャルの「インド」も、トップランナーの「桂吉弥」も見過ごしてしまいました。そんな1日でしたが、昼間は、きっちりとお出掛けしておきました。その記録を書いておくことにします。
 ワッハの7階で行われました「第46回あがき」という桂歌之助の会に行ってまいりました。飛び飛びではありますが、この会は、初期から通っている会でもあります。その頃に比べると、随分と客も増え、最近の歌之助の充実ぶりが判るというものです。前座には、太鼓もできる講釈師南青くんが出て、お馴染みの「木村の麻風呂敷」、空気が張り詰めているのが分かる好演、これで、一人でも、講談ファンが増えたらいいなと願う、すっかり講談サポーターになってる黄紺です。次が、歌之助で、「七段目」と、最近、歌之助が、好んでかけてるネタを出しました。気になっていた、丁稚との芝居のときのスローダウンは、今日に限っては、特に感じませんでした。となると、歌之助の本心は、どこにあるのかが、気になります、もちろん、テンポのことですが。二席が終わったところで、中入りをとるのが、この会の恒例。中入り明けが、ゲストの染弥、この染弥も南青くんも、会主の歌之 助を、ちゃっかりと誉め上げるという義理堅いところを見せていました。で、染弥なんですが、自在に噺を扱えるようになりましたね。達者な噺家さんになったものです。「癪の合薬」なんというネタは、手のひらの上で転がすような達者な芸がないとダメなんでしょうが、染弥は、なんなくクリアです。そして、トリは、歌之助が、「くっしゃみ講釈」を出しました。ということですから、今日の会は、得意なネタの確認の会になりました。からくりを語りに行く前、そして、その最中の表情、リアクションがいいっすね。この辺の楽しさを入れた初めての噺家さんかもしれませんね。レベルが高いです。終わったのが、4時ちょっと前。これを、一つの目安にしていました。この時間ならばと、エレベーターを4階で降りたのでした。
 午後の部しか、この日はありませんでしたが、午後の部後半を、ワッハの資料館の映像・音声資料を視聴することに使ったのでした。まず、DVDで、米朝の「景清」と「鯉舟」、そして、露の五郎の「大丸屋騒動」、こちらは、CDでした。しかし、米朝の「景清」は、巨人の口演ですね。定次郎と甚平さんの描き分け、それを、目でやっちゃうんだから。台詞が出る瞬間前に、目が変わります。これが素晴らしいです。映像資料のいいところは、そんな情景を、至近距離で観ることができることです。杖のつき方も、にわかに目が見えなくなった人と、長年見えない人とでは違う、これは、米朝演出として、よく言われたことです。それも、間近で観ることができます。これ、いいっすねぇ。聴き慣れたネタでも、間近で観ると、どのような変化を見せるか、DVDで、チェックを入れてみたくなりました。「鯉舟」は、「景清」とカップリングされていただけではなく、米朝の実演には接したことなく、いや、黄紺は、この口演機会のごく稀な噺は、亡き喜丸でしか接していませんので、この機会にとばかりに、米朝版を観てみました。米朝って、大ネタもさることながら、こういった小品も、手堅いどころか、ご本人も楽しみながらやってるという感じが伝わってきて、心が軽くなります。「しょーもないこと言いまっせ」という感じでのサゲのところが、いいっすね、その感じが、とっても、よく出ています。露の五郎の「大丸屋騒動」は、38分を越える口演。このネタ、こないに長いものでしたっけ? 帰りしなに調べてましたら、文枝のCDも収蔵されていますので、次回、それを聴いてみようかと考えています。後半の凄惨な場面は、目で見ないとあきませんね。台詞なしで進める場面がありますからね。
 3連休最後の日です。そろそろトルコ行きの準備をしておこうかと思うのですが、まだ、いいかって、つい思ってしまいます。まだ、一働きしなければならないもので、先送りにしてしまうのです。その前に、お出掛けしておきたいところ、多数です。今日も、計画しております。それは、次回、記録として認めます。




2008年 7月 20日(日)午前 6時 5分

 3連休に入ったといっても、今日の午前中は出勤なのですが、朝早く、目が覚め、困っています。昨日は、朝から酒を呑んで、1時間ほど睡眠時間を追加しましたが、今朝は、そんなことができません。2日連続で、こないなことになってしまっているのです。かなり厳しいっす。これが、週明けに影響すると、もっと厳しくなってしまう。とぼやきながら、昨日1日を振り返っておきます。
 昨日は、昼前からお出掛け。目指す場所は、国立民族学博物館。市民対象のゼミナールが開かれる日だったのです。たまたま、民博のHPを眺めていて、そのような催しがあることを知りました。以前は、よくチェックをしていたのですが、最近は、ご無沙汰していたところ、ちょうどいいものを見つけました。昨日のテーマは、「映画で振り返る“民主化前”の韓国」。私が飛びつきそうなテーマが、目に飛び込んできたのでした。民族学の講演ですから、最初は、古い映画を掘り起こし、そこに現れた一昔前の韓国を振り返るのだと思っていたのですが、実際は、そうではなく、90年代以降の映画から、民主化以前を、どのように描いているか、それを検証しようというものでした。ですから、ごく最近、話題となった映画、一般公開され、参加者も、その気があれば、ごく普通に観ることできている映画が取り上げられていました。実際に取り上げられ、一部が会場でも流された映画は、次の6本でした。「われらの歪んだ英雄」「グリーン・フィッシュ」「ペパーミント・キャンディ」「大統領の理髪師」「ユゴー大統領有故」「リメンバー・ミー」。実際の講演ですが、「記憶」という言葉で、民主化以前の抑圧された社会を肯定していこうというものでした。抑圧された社会にも、人としての生がある。現代民族学では、「記憶」という言葉で、抑圧された社会を、抑圧された人たちの言葉で再構成しようという傾向があるそうですが、それに懐疑的な講演者が、生身の人間としての「記憶」こそが、正しい社会分析となるという主張があるようでした。一つには、韓国社会で、「民主化」が、全面的に、肯定的には捉えられていないという側面があるからなのでしょう。「民主化」のあとに、韓国では経済危機を経験しているという事実は、「民主化」が、すべてを良くしたとは思えないとなるようです。そこから、抑圧されていたとされてきた「民主化」前にも、生身の人間生活があったこと、逆に、「民主化」後の疲れた、人の気持ちを苛むような空気を看て取る、そういった映画が現れ、一方、「民主化」以前に生きた庶民が、生き生きと暮らす映画が現れてくると言うのです。最後には、70年代、80年代をしのぶライヴハウス大流行の画像まで紹介していました。ただ、この考え方を敷衍化してしまうと、これだったら、植民地支配下の、更に、連行された日本での生活も、肯定的に描かれかねないと、黄紺は思ってしまったのですが、飛躍していますでしょうか? そんな胡散臭さのようなものを感じてしまったのですが、、、。変に政治的に利用されかねないか、そんな心配をしてしまいました。私は、報告されたような内容があるのが事実として言うならば、むしろ歴史の共有化がなされ、その共有化の作業が完了し、だから、共有化された土台にユーモアや、生きようとした人の生き様を描くことができてるのだろうと思っています。「民主化」を負の面があったからと言って、「民主化」そのものを否定するってことがあったっていいことにはならないという前提で論を立てないとダメなはずです。朴大統領暗殺事件も、長い「民主化」に至るまでのシーンの一つだ、そういった対象化の完了、その上での映画だと、「ユゴ」のような映画を観たときに感じていました。一つの講演を聴いて、こんなけ書いたということは、結構、頭を使って聴いてたってことかな?
 民博から万博公園を抜け、万博公園駅で、モノレールに飛び乗り、一駅で、阪急千里線に乗り換え、そこからラッキーなことに、南森町までは、一本で行くことができました。夜の部は、繁昌亭だったのです。「染二百席練磨〜Lot95〜Lot99 激突!上方落語面長派!2〜」という会があったからなのです。染二は、いろいろと企画を変えては、繁昌亭で会を行ってくれています。上方落語の次代を担う一人であることは、繁昌亭大賞をもらったことからも明らかな噺家さんです。昨日は、ネタおろしとして、「壷算」を、そして、「壷算」は大ネタでないということなんでしょう、トリに、「土橋万歳」をもってきました。いつもは、気張り過ぎて、黄紺などは、染二落語は、なかなかツボにはまらないのですが、今日の二つは、ともに、普段のイメージとは正反対で、その気張りがないのです。更に、切れというか、決めどころというか、外したなとまで思ってしまいました。「壷算」は、壷屋の困りがおかしいんだけど、普段の染二なら、かなりデフォルメしちゃうんでしょうが、この日は、単に流れてしまったっていう感じだったんだな。とぼける切れがないという感じでしょうか? 「土橋万歳」も、斬り殺す場面というのは、暗闇の中に、瞬間、スポットライトが当たるような気分の場面と思っているのですが、それは、日常から切り離された空間となることで、この部分が際立ち、噺の虚構性が出てくると思うのですが、「辻占茶屋」ほどのスポットライトが当たらなかったような気がします。ですから、そのあとの夢から覚めるところで、ぼやけたんでしょうね。客席も、ほとんど沸きませんでしたしね。この場面に、スポットライトが当っていると、夢だったんだと、ざわつくはずです。10年ほど前に、染二の「土橋万歳」を聴いたことがありますが、そのときの方が、だいぶと良かったと思います。九雀の「猫の忠信」は、意外に、まとも。いや、全てに渡って、まとも。変化技が欲しいくらいの、分かりやすい口演でした。さすが、素地となるものの違いを見せ付けた感じでした。本日の秀逸は、染左の「遊山船」。浪速橋の上の二人の会話が、抜群。ボケ役に合った話しぶり、こんなにもリアルになるんだと、染左の話芸で解りました。この噺は、橋の上を行き交う人の賑わいを、どのように出すか、難しいよねと思い続けてきた噺。でも、そうじゃなくったっていいんだと思わしてくれた口演となりました。それは、あまりにも二人の話に、聴く者をして、夢中にさせてくれればいいんだということが解りました。何回か、染左で聴きましたが、そんな感想を持ったことはありませんでした。大化けの感じがしました。前座役の呂竹の「狸賽」も、イーストホテルでの危うさは、影をひせめ、しっかりとした口演。内容は、米朝一門の噺家さんで聴くものそのまんまでした。番組を再掲しておきます。呂竹「狸賽」、染二「壺算」、九雀「猫の忠信」、(中入り)、染左「遊山船」、染二「土橋万歳」。
 ぼちぼち、お出掛け準備に入らねばならない時間帯となってきています。辛いけれど、実際、眠れないのですから、仕方がありません。今日も、暑くなるんでしょうね。出かけていくのが、恐いよ、この状態(~_~)




2008年 7月 19日(土)午前 6時 38分

 3連休に入っています。世間は、そうですが、黄紺は、明日の午前中は、振替の効かない出勤でありますから、実質、2日半のお休みです。ところが、途端に、寝不足の朝。ならば、朝からお酒を呑んで、寝直しなんかを試みようと、丁度、今しがた、呑みだしたところです。昨晩は、アルコールを入れてないので、辻褄は合わしております。もう一つ、困ったことが起きています。トルコ行きが近づいてきていますので、新しい靴を、足に馴染まそうと履きだした途端に、靴擦れ。大概、そういったときは、左足の小指が、悲鳴を上げるのが普通なんですが、今回は、右足の小指が、真っ赤になっております。足に馴染むまで、ちょっときつい日が続きます。
 そのようななか、昨夜は、久しぶりに、コンサートに行ってまいりました。関西フィルハーモニーの第204回定期演奏会を聴きに、シンフォニー・ホールへ行ってまいりました。ブルックナーの3番のシンフォニーが出るということを知り、チケットを握りしめていたのでありました。ブルックナーのシンフォニーの中じゃ、最も、瑞々しくて、清々しさのあるのが3番だと思っている黄紺、でも、出ないですね、コンサートには。黄紺が、今、一番はまってるのは、超癒し系の2番なんだけど、これなどは、もっと出ない。生涯、生では聴かないかもしれません。かくいう3番も、生では初体験です。で、その演奏ですが、自分的には、とっても満足なのであります。第1楽章の立ち上 がりこそ、声に出さずに、ぶつぶつ。ここは、原始雲の中から、じわーっと、「初めに、言葉ありき」の雰囲気でいかなくっちゃ。若々しく若々しく、生命が生まれ出ずるノリなんだよ〜とは言っていたのですが、、、、でも、徐々に、調子が上向いたのか、金管の重奏が、若々しく、且つ美しく決まり出すと、すっかり、ブルックナーの3番モードに。ティンパニーの下支え、特に、金管の重奏の下支えが、通奏低音の如く、安定感を醸し出していました。やっぱ、こういう風に書けるということは、ブルックナーの音楽って、大きなパイプ・オルガンなんですね。ブルックナー以外では、R.シュトラウスの「最後の4つの歌」と、武満の弦楽のためのレクイエムでした。R.シュトラウスのソロは、佐藤美枝子というチャイコフスキー・コンクールでの優勝者でしたが、あまり、こういう曲は歌わないのでしょうか? 声の厚さ、深みというものに物足りなさを感じてしまいました。武満のときは、隣りに座ってる人が、体を前後に揺すり、落ち着かないこと限りなしでした。これはたまらんと思い、少し離れたところに、空席があったもので、そちらに移動し、事なきを得ました。どうやら情緒障害をお持ちの方だったようなので、そのような対応をしました。だけど、横で、その人なりのリズムをとられると、ホント、音楽っていうのは、聴いてられません。
 1度、コンサートに行くと、そこで、また、次の音楽会はという気になってしまって、ダメっすね。昨夜も、黄紺的にそそられるプログラムを掲げてあるコンサートを見つけ、衝動買いをしてしまったのでした。こちらは、トルコ帰りのお楽しみです。




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