忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2008年 11月 1日(土)午前 9時 45分

 昨日は、芝居デイとなってしまいました。仕事関係で、1本芝居を観た上に、気が付けば、その同じ日に、黄紺自身が、芝居のチケットを買っていたのでした。昼間の芝居は、劇団往来の芝居です。社会問題をテーマにした芝居を演じ続けている大阪の大手の劇団です。「赤いハートと蒼い月」という芝居で、視覚障害者の日本人が、中国で日本語指導員として活躍されている姿を芝居化したもので、日中の様々な問題が込められている芝居です。とても平易で、且つ、音楽劇という様式をとっていますので、随分とインパクトがあり、演劇初心者にも、芝居の良さなんかに目が行く作品かと思いました。黄紺は、こういったテーマ性のためにあるような芝居は、個人的には好まないというか、自前で身銭を切って観には行かない芝居です。送り手が、受け手に対して、拘束度の高いものは、そういった芝居の存在を否定するわけではありませんが、受け手の自由度の高くない芝居は好まないというだけです。そんな芝居を昼間観て、夜は、そうじゃないだろ、いや、そうじゃないかもなという思いで、こちらは、身銭を切って、芝居を観に行ったのでした。
 売り込み隊ビームという大阪芸術大学の出身者で作る劇団の公演を観に行ってきたのでした。「森のゴムドン スペシャル・エディション」という芝居で、場所は、地下鉄恵比須町駅上にあるインディペンデント・シアター1stです。以前、桂しん吉が落語会を開いたことがありますので、初めての場所ではないのですが、本来は、小劇場で、芝居をするスペースで、芝居を観るのは初めてとなります。座席は、50はいってるだろう程度の規模です。芝居は、森にさまよい込んだ人間に、妖精や豹などの生き物が話しかけていき、とんちんかんな会話が進んでいきますが、人間の男は、一緒にきた女が、一人で森の違った場所に入っていったので、行方を聞こうとしますが、とんちんかんな会話しか進みませんから、なかなか拉致があきません。そんなやりとりが、かなり進んだところで、今度は、最初、女を探していた男を探す男が現れ、またしても、妖精らとのとんちんかんな会話に戸惑いますが、その内に、自分が探し求める男が、半妖精化して現れます。探していた彼女が死んだことを知り、その記憶に耐えながら生きていくくらいなら、森の中の生活を求め、妖精の仲間入りしていたのです。必死に元に戻そうとする男、だが、それは難しいのです。ゴムドンという妖精の発した呪文で、妖精化した男は、絶命します。やがて、森の支配権を握ったうさぎ上がりのホワイトは、農業の知識を生かして、森の開拓を進めるのですが、その収穫に喜ぶ歌の中で、ゴムドンが、死に至る呪文を唱えてしまい、森の支配者についていた者たちは亡くなり、当のゴムドンは、「やっちゃった」みたいな感じで終わりました。自然、人間という解りやすい二項対立の設定に見えるのですが、自然界の生き物の間に、支配者がいたり、選挙があったりと、人間の論理がまかり通っていたり、挙げ句には、森の開拓に乗り出したりと、その二項対立が浸食しあってるような描き方があります。人間が、森の中を彷徨い、人間の論理で、自然を守ろうというのも、そういった意味では、浸食の例なんでしょう。だけど、最後は、ゴムドンの、意図しない、何気なく言ってしまった呪文が、そういった人間の論理、人間の論理を謳った生き物を死なせてしまう。そして、妖精ゴムドンが見栄を切る。自然って、こんなだよっていう見栄だって見えました。という芝居だなと思ったのですが、観ていて、おもしろいと素直に思えたかというと、ちょっと物足りなかったですね。
 土曜日の朝、明日、明後日が休みじゃないため、ゆっくりしすぎたのか、寝過ごしてしまってます。ま、夜中に目が覚め、酒を呑んで寝ようとしたら、今度は、寝過ぎてしまいました。ちょっと、今日の予定は狂ったのですが、睡眠をとれたことは喜ばないとね。




2008年 10月 31日(金)午前 5時 40分

 前日に続いて、仕事が延びてしまい、辛うじて振り切るようにして職場を出て、夜遊びに出かけることができました。そんなですから、コンビニで食い物を買い込み、休憩時間に、その半分を頬張り、残りの半分は、帰りの電車の中で食べ、飢えを凌ぐなんてことをしていました。そんなにまでして行った行き先は、ワッハの4階。「映像で楽しむ上方講談の世界」というマニア向けの会が行われていました。黄紺は、悩みに悩んだ末、韓国映画を、一つ飛ばしてまでも、こちらに馳せ参じた次第です。主宰は、旭堂南湖です。
 文化庁主催の芸術祭参加を考えて、ワッハの会場を押さえていて、向こうからも参加の打診も受けていたのだが、9月末に、日にち変更を求めてこられたがため、芸術祭参加を断念してしまった南湖が企画したのは、講談をしないで、過去の講談の、ないしは講談師を映した 映像資料を公開すること。芸術祭参加公演の委員さんは、昨日は、繁昌亭に行って、吉弥の会に行ってるそうです。もう、最初から出来レースみたいですよとは、南湖の弁。で、本日の内容は、まず、会場に着くと、機材の調整がてら、平成紅梅亭での南湖の出演画面。ネタは、「さやま遊園」。以前聴いて知っているネタなのですが、南湖の初めての新作講談だとか。その辺の説明と、この日の会の生まれたわけの説明のあとに、ちょっとだけ、大学の落研時代の高座ぶりが流されました。体つきが、今の半分くらい。映されたのは、「道具屋」のマクラ。次が、南青くんの修行の様子が、10分ほどの長さ。そのなかで、南青くんが、前座卒業ということのために課せられたネタに苦闘する姿が撮られていましたが、二ッ目、真打ちの制度は、大阪にはないとのコメントが、終わってから、南湖から出されました。南北まで、真打ち披露の会が持たれたそうですが、それは、あくまでも、一つのイベントとして行われたものであり、上方講談協会として、そういった制度は、東京のようにはないというものでした。次が、この日の呼び物、南海さんの修行風景、18年ほど前の映像です。奥さんや、こどもさんを亡くした老講釈師(3代目南陵)に仕え、時間が止まってしまったかのような生活をしている二人の生活が、和んだ空気を伝えてくれます。撮影をしたプロデューサーは、シナリオを作らず、ありのままを撮ろうとしていたと、中入り後に出てきた南海さんが、当事者としての挨拶をするとともに、補足説明をしてくれました。トリは、先代南陵で、ネタは、「天野屋利兵衛」でした。これを出す前に、南湖は、「般若寺の焼き討ち」と、2つ用意しているのだが、どちらを希望されますかと、客に挙手を求めた結果を受けての上映でした。黄紺は、3代目南陵で、確か、「天野屋利兵衛」を聴いたことがあるなとの、めっちゃくちゃ不確かな記憶だったのですが、そないなものがあったものですから、そちらに手を挙げました。聴いた記憶があると言っても、もう30年は経っているでしょう。へたすると、もう40年前なんてことかもしれません。黄紺が、3代目南陵を聴いたのは、京都市民寄席でだけです。噺家さんの間に入り登場される南陵師の関心があったわけではありませんし、ましてや、その口演の味が解らず、なんや、ぐだぐだ話のように聴いていた記憶がありますが、あらためて聴き直してみると、飄逸とした味が素敵で、そう思えるのは、黄紺自身が齢を重ねてきて、そういった味にも関心を持てるようになった結果だと自覚しました。現在、活躍されている講釈師さんが、どことなく受け継がれてる味だなとも思えてくると、ますます、南陵師を、もっと聴いておけばの気持ちにさせられました。「家康をののしる会」の存在を知りながら、一度も足を運んでいないことを悔いました、正直。南湖が、客に挙手を求めました。「南陵を聴いたことのない方?」、ほとんど手が挙がりました。思わず、「エーッ」って声が出てしまいました。幸い、映像資料等残ってるようですので、この会、またの機会を見つけて続けて欲しいものです。




2008年 10月 30日(木)午前 5時 46分

 昨日は、仕事が延び、ほとんど諦めの境地だったのですが、運良く際どく出ることができ、インド映画を観に行くことができました。今回の「ボリウッド・ベスト」で上映される映画は3本、昨日が、その3本目の日だったのです。昨日も、シャールク・カーン主演の映画です。「ドン 過去を消された男」という映画で、今回の3本の中で、入りは一番だったかもしれません。パリから始まり、クアラルンプルに、もちろんインドと、この映画も、国際的。
 基本的に、ギャング映画なのですが、いろいろと仕掛けが施してあります。基本的には、取り違え劇と言えばいいのでしょうが、どんでん返しのようなものが、二つ用意されています。一つ目は、インターミッションの直前、その可能性はあるなと思っていたことが、ここで明らかにされたので、ちょっとはおかしいな、早過ぎやしないかとは思ったのですが、、、。インターミッション後、その流れでいくのかなと思っていたら、最後の最後に、大きなどんでん返しが用意されていました。なかなか、ハラハラと同時に、おもしろい展開でした。今回観た3本の映画では、ちょっと抜けたおもしろさがありました。シャールク・カーンの相手役の女優さんが、とっても美形で、且つ、スリムとまでは言い難いのですが、他の女優さんに比べると、そんな言い方ができるのかなと思えました。クアラルンプルを始めとしたマレーシアの風景がふんだんに出てきたとまでは言えないのですが、でも、そこでの撮影というだけで、大歓迎。ツインタワーは、しばしばっていう感じで、びっくりシーンは、ツインタワーの上の橋を渡って逃げるというのには、高所恐怖症の者には、きついものがありましたが、えらいことを考える人がいるものです。ただ、そういったなかで、ラストシーンは、どこで撮ったのでしょうか、ロープウェイ完備の山、なかなか素敵でしたよ。どこかが判ったならば、早速にも行ってみたい気分です。これで、今回のインド映画特集は終わります。昨日も、帰りが遅くなってしまいました。淀屋橋駅発10時30分の特急でした。まだ、なんとかもっているのが不思議なくらいの3日間でした。




2008年 10月 29日(水)午前 6時 6分

 今日は、出張で野江に行き、そのまま、仕事は終わりということで、夜の活動までの間、時間調整のため、トリイホール近くのネットカフェに行っておりました。そして、頃合いをみて、本日も、心斎橋シネマートでありましたインド映画「家族の四季」を観に行きました。シャールク・カーン主演の映画です。シャールク・カーンは、名家の御曹司役、だけども、当主とは、血がつながっていません。その男が、次代の当主と期待されながら、旧市街の格の違う娘に恋をし、勘当されるまでのいきさつが、インターミッションまで。弟が、別れた家族を取り戻すと決意するところで、前半は終わります。そして、インターミッションのあとは、弟が主演的役割で動いていきます。いなくなった兄の居場所は、ロンドン、シャールク・カーンの映画で、ロンドン・ロケのものがあるっていう情報は持っていたのですが、この映画だったんですね。弟の登場、また、シャールク・カーン演じる弟の義妹が、それを助けるということになりますので、この二人のキャラ作りっていう場面が続き、家族の再結集というところへ、なかなか入り込みません。この映画が、やたらと長いのは、ここんところに、大きな原因があります。だけど、ハッピーエンドになるのが、インド映画のお約束ですから、そういった意味では、この映画の結末は、家族の再結集しかないのですから、テンポアップが欲しかったなと思いません。なんせ、上映時間が、3時間45分は、いかにも長いです。だけど、その分、インド映画の、あの無関係に現れるダンス・シーンを、他の映画よりかは、たくさん楽しめましたから、許しましょう。そもそも、シャールク・カーン主演の映画で、このストーリー展開はいけるでぇと思ったのが、ほぼないと言えるのは、なぜなんでしょうね? 帰りは、幸い、淀屋橋駅11時ジャスト発の京阪特急に乗ることができました。この電車は、ほぼ絶望だと思ってましたから、ホント助かりました。




2008年 10月 28日(火)午前 0時 18分

 新しい週が始まり、この1週間余りは、映画三昧の日々を過ごしそうなのですが、今日は、心斎橋シネマートで始まっている「ボリウッド・ベスト」に行き、インド映画を観てきました。シャールク・カーン主演の映画を、連続上映しているのです。今日は、全編ニューヨーク・ロケの「たとえ明日が来なくとも」でした。まず、ニューヨークの街中で、アメリカ人のダンサーを使ったダンス・シーンが嬉しいですね。音楽は、さすがインド・テイストいっぱいというわけではありませんでしたが。この映画、日曜日に、家で観た韓国映画「君に捧げる初恋」に似た構造です。コンセプトは、全く同じで、韓国映画の方は、結末をいじっていますが、インド映画の方は、いじりなしの素直な終わり方っていうところです。これだけ、基本的なコンセプトが同じなら、ぱくりの臭いがしてしまいます。ま、それは置いといて、そういったコンセプトだと、突如、インターミッション直前に判りかけたのには、ウッソーです。なんなのだ、この振り方はと、ただただ唖然、呆然です。アメリカ人が、ほとんどかまないし、また、ストーリー展開的に、アメリカにする必要性っていうのを感じなければならないものではありませんが、シャールク・カーン演じる男が、ニューヨークにやってくる理由を、ムンバイやニューデリーではなく、ニューヨークにした方が、話は大仰になることはなります。登場人物には、ほんの端役に、アメリカ人が出てくる程度で、そういった意味でも、 舞台を、アメリカ、ニューヨークにする必然性もありません。シャールク・カーンのステイタスですね、ニューヨーク・ロケっていうのは。シャールク・カーンの相手の女優さんは、最初、メガネをかけて出てくるため、ちょっとアンジェラ・アキ風で、スリムな印象を持ちます。が、メガネを外し、上着を脱いで踊り出すと、スタイルが、一転してしまい、インド人女優特有の体型に見えてきて、なぜだかホッとしました。しばし、インド映画の傾向に変化が生まれたのかと思いました。しかし、ニューヨークの風景に、早口のヒンディー語が響くだけで、観る者をうきうきさせます。それだけで、もうニューヨーク・ロケは成功なんでしょうね。終映が、10時15分、これは、体に堪えそうです。インターミッション10分を入れて、3時間15分の上映時間でした間ま、インド映画は、これだけの長時間に、腹をくくってないと観れたものではありません。そして、終わってから、1日の疲労を味わいます。でも、おもしろいので、たまんないのです。




2008年 10月 26日(日)午後 11時 38分

 今日は、午前中、ゆっくり起きて、DVDで、韓国映画「君に捧げる初恋」を観ていました。「猟奇的な彼女」のチャ・テヒョン主演ということが、借りようとした最大の動機です。すると、相手役の女優が、あれって感じになりましたので、ネットで調べてみますと、「私の頭の中の消しゴム」のソン・イェジンだったのです。「消しゴム」ほど、個性の光る役柄ではありませんが、落ち着いた美しさのある女優さんです。ストーリーは、幼なじみの二人、その内チャ・テヒョン演じる男は、一途に女を慕い続けているのですが、とってもごんたくれ。女の親が、高校の担任でもあるのですが、娘が欲しければと難題を出していきますが、それを徐々にクリアしていき、まともな人間になっていきます。一途な気持ちは続くのですが、どうやら女の方に男ができたようです。ストーカーとなる男、それを嫌う女、しかし、その背後には、一つの仕掛けが用意されていました。いかにも、韓国映画という仕掛け、ちょっと大げさなラストと、良くも悪しくも、韓国映画の王道でしょうが、果たして、この映画で、まだ韓国国内は喜ぶのだろうかとも思いました。
 そして、12時半頃に家を出て、同志社大寒梅館内ハーディーホールでの林家染丸独演会に行きました。同志社のこの建物に入るのは初体験。千人近く入るかもしれないホールです。番組は、染左「大安売り」、染丸「子別れ」、(中入り)、染弥「おごろもち盗人」、染丸「三十石」でした。染左は、ネタが短い関係からか、マクラを長いめに、相撲ネタ、噺家の修行との違いとか、わりかしベタなネタをふっていました。「大安売り」は、繰り返しネタですから、パターンがわかっ てくると、笑いが落ち込むことが多いのですが、さすが、染左です、その辺を心得ての、緩急、表現の工夫でクリアしていきました。現に笑いが増えていきましたものね。「子別れ」は、絶品と言っていいでしょう。子どもは、母親のところにいるヴァージョンでした。冒頭は、夫婦別れから入り、廓からの見受け話に、その女が出ていく話も、簡単に入れるサービス版。そして、父親と子どもの再会、母親に言うところに比重を置き、うなぎ屋の場面は、さらりと描くというように、演者が、何をしたいのかが、極めて明確になった構成。序盤の部分を入れることにより、3人のシテュエーションが明確になります。これは、気になっていたところで、その解答のようなものを提示してくれたような気がします。上手に刈り込んで状況設定をしてくれました。それに、うなぎ屋の場面の扱いも、染丸の主張を感じました。必要以上となるもの、情に入り浸る感じの演出を避けようというものでしょう。これは、おもしろい主張だと、素直に思いました。中入りを挟んで、染弥、こういったネタもするんですね。盗人のすっとぼけた間抜けさが、ちょっと物足りないかな、それは、一つに、夜なべをしながら仕事をしている旦那とかみさんの会話に問題があるのかな、夜の暗さとか、夜更けという感じが、あまりしなかったということと関係があるのでしょうね。「三十石」は、久しぶりに、伏見街道の部分から聴けました。替わりに、お女中への妄想部分は、途中で切り上げ、バランスを取りました。そして、何よりも、素晴らしかったのは、舟唄。単に声がいいだけではなく、節回しの良さは追随を許しません。最後は、枚方まではいかずに、舟唄の途中で、「お時間になりました」で降りました。とにかく、それぞれの場面が明確なんです。くっきりと、何の曇りもなく情景が浮かぶという感じで、吉弥が、このネタを、染丸からもらったのが解る気がしまました。
 一旦、家に戻り、晩ご飯も食べてからのお出かけです。夜の部は、京都みなみ会館で、韓国映画「後悔なんかしない」という同性愛者の映画を観ました。観に行く前は、韓国のエンターテイメント系の軽やかなゲイの物語かと思っていましたが、とんでもございません、かなりハードなゲイの世界を描いていました。舞台も、ゲイ売春をしているクラブに働く男が、一方の主人公ですから、そのハードさを理解していただけると思います。そういった設定にしてあるのは、この映画の、もう一つのコンセプトに、社会的格差の問題があるからなのです。そのクラブで働く男は、施設の出身で、18歳になると働かねばなりませんから、手っ取り早く金が稼げるところへ行くという具合なのです。他方、その男のお相手になる男は、大金持ちの御曹司。ちょっと、設定がステレオタイプなのは、気になりますし、こういった設定になると、地位とか、名誉とか、そういった社会的評価の高い要素と、愛とが対価となる、そういった方向に進んでいくのは、こういった設定となると、お約束。金持ちの男には、性的嗜好を知りつつ結婚話を進める親、それに抗えないでいる息子、それを見て、裏切りと感じる相手の男、それが、ラストで事件を起こしてしまうのです。とまあ、流れは新味に欠けることは欠けていますが、儒教道徳が色濃く残る韓国で作られたことに、まず、意味があるのでしょうね。それと、この映画、とっても表現が直接的なのです。性的な問題については、随分とおおらかさを感じる韓国のことですから、そういった表現方法が出てくるのかなと、一人で考えていました。当たっているかどうかは分かりませんが。とまあ、普段観る韓国映画とは、一味も、二味も違うものを観てしまったという感じです。




2008年 10月 26日(日)午前 9時 18分

 昨日は、午前中勤務の日。たっぷりと働いて、仕事が終わると、そそくさとお出かけです。午後は、シネマ歌舞伎と称される歌舞伎の映画を観ました。山田洋次監督ということです。どこがとは思いましたが、そうだそうです。夜の繁昌亭までの時間調整ということもあり、梅田ピカデリーという、黄紺てきにはあまり行かない映画館で観ることになりましたが、なんせ、目一杯仕事をしてから、急いで駆けつけたために、いすに腰掛けると、気持ちが良くて、完全にダウンの態勢。そんなですから、結構、うとうととやっちゃいましたが、なんせ、元ネタが落語ですから、どこで、目を覚ましても、ストーリーは解るというやつでした。勘三郎が主演の長兵衛さんという江戸っ子、おかみさんが、なかなか激しい演技で見せ場を作ってくれた扇雀、文七を勘太郎という役回りでした。舞台構成は、@長兵衛の家(娘が吉原に行き金をつくったと聞く)A吉原の廓(長兵衛が出向き50両を受け取る)B大川の畔(長兵衛が文七を助け50両をくれてやる)C長兵衛の 家(金をやったなんてことを信じてもらえないところへ文七とその主人が、酒を「肴」をもってお礼に来るところ)となっていました。文七が、お店に帰り、主人から金が忘れてあったことを聞かされる場はカットです。まあ、縮めるなら、ここでしょうが。で、この芝居、勘三郎を観る芝居です。それに絡む扇雀が滑稽味を出してくれています。幕が下りるとスタンディング・オーヴェーションでした。「研ぎ辰」だったら、こちらも立ち上がりたいけれど、「文七」で、そうなんだと思いました。江戸っ子の粋さとか、身投げの場面の緊迫感っていうのは、やっぱ、落語で聴くべきですね、こればっかは。一人芸の落語の凄さを、あらためて認識した次第です。
 東梅田から、南森町までは一駅、あっという間の移動です。いつものネットカフェで、時間調整。晩ご飯を食べようと、商店街を歩いていると、「宇奈とと」を確認。安いうなぎ丼を食べれるお店。いよいよ、南森町出現で、にんまり。昨日は、だるま堂のうどんにしましたが、次回からは、ここと決めました。夜の部は、繁昌亭。レイトショーも含めて、二つの公演を覗いてきました。最後は、11時10分を回っても抽選をしてましたので、さすが終演以前に出ました。まず、天神寄席、9時から「できちゃった」があるもので、その前の、こちらの方にも、行ってみたのでした。昨日は、メンバーが揃っているためか、えらい賑わい。びっくりです。2階席しか座れませんでした。番組は、喬介「犬の目」、阿か枝「金明竹」、蝶六「豊竹屋」、松喬「首提灯」、(中入り)、珍念「限界集落」、仁福「転失気」、きん枝「孝行糖」というものでした。喬介は、とぼけた感じがあって、有望株ですね。「犬の目」で、そないな印象を持たせる噺家さんは、そうはいないでしょう。師匠の芸風を継承しそうです。阿か枝は、いいネタを、自分のものにしました。演じ手の少ないネタですから、ホント、貴重です。蝶六は、もう一つの顔、狂言師の顔を、マクラで見せて、古典繋がりで、浄瑠璃へ。義太夫節が、かなり上手です。いい「豊竹屋」です。染丸に次ぐ聴きものと看ました。松喬は、定番ネタ。やはり、このネタは、前半と後半の描き分けが、しっかりしてないと、ダメですね。再確認です。珍念は、三枝作品。珍念の三枝作品は、初めて聴きました。照れないで、しっかりと、ネタのまんまを演じればいいのにと、やはり、今日も思いました。仁福は、この位置だからでしょうか、小ネタで降りました。ほんわかと、長閑な雰囲気で、好感を持ちました。トリのきん枝は、どうやら、可朝のビンチヒッターっていう感じのようです。久しぶりに、「孝行糖」を聴けました。やはり、うまいです。語り口の安定感、その正攻法の語り口に拍手です。
 終わって外に出ますと、「できちゃった」のメンバーが、配布するパンフレットの準備をしていました。「できちゃった」は、いつものように、じゃいけんで出番を決めたのですが、今回は、純粋なネタ下ろし組みと、若干そうではない組で、分かれてじゃいけんをしました。その結果の出番は、次の通りです。但し、題名は、仮のもの、正式のもの、混在です。三金「奥野くんの選挙」、あやめ「漢詩の二海先 生」、遊方「ヘビメタ小僧」、南湖「ゾンビ」、三風「アマチュア野球」、たま「まら奇談」。三金、あやめが、2度目の口演、遊方は、今回できずに、困ったときの地噺でした。三金のネタは、今まで、マクラで使ってきたデブ・ネタを集め、それに、新たなデブ・ネタを加えたもの。メタボ党から立候補した奥野くんの選挙演説が、大半を占めるネタ。あやめは、漢詩の先生の傘寿の祝いに依頼されたときに作ったものとか。「春眠不覚暁」のパロディ作品。「春眠」は、春団治の弟子というのが、大受けでした。遊方のネタは、以前も、茶臼山時代に、新作ができずに、替わりに出したときに聴いています。主に高校時代の実体験を基にしたものでした。南湖は、ずるいことをしました。手慣れた「赤穂義士伝」の登場人物をゾンビに仕立て上げて話したりしていました。三風は、中学生の野球の試合を観ながら、一人、悶えたり、悲しんだり、喜んだりと、一人で暴れてる変な男が主人公。三風には、珍しくも、下ネタを使っていました。たまの前半は、90代の親と60台の息子との世代間ギャップがおもしろい。後半に入り、ボーっとしてくて、よく解らなくなってしまいました。たまも下ネタとなりました。「できちゃった」が、会場を移すといってながら、まだまだ、繁昌亭でするようです。今年いっぱいかな? その辺のくだけたトークなんかも、茶臼山だったら伝わってきたのにと思うと、さっさと、他所へ行けばいいのにと思ってしまう黄紺なのです。




2008年 10月 25日(土)午前 6時 31分

 昨日は、息子の就職が決まり、ちょっといい日でした。夕方、会議中に、黄紺の携帯が鳴り、もちろん、そのときには出ることができなかったのですが、おりかえし電話を入れると、その朗報が待っていました。早速、祝杯をということで、以前、待ち合わせたことのある京阪電車伏見桃山駅で待ち合わせ、駅の近くで呑むことにしました。息子は、変なことを言っていました。今年は決まりそうだと思っていたけれど、そうなると、ダメだった場合にしようと思っていたことが、事実上できなくなるのが惜しいと。自分の就職に、若干軌道修正をしたいというようなことを考えていたけれど、それができなくなってしまったというのです。親の目から見ると、ようやく決まってくれて、ホッとしているところへ、怪しげなことを言い出すもので、ちょっとたしなめておきました。「お前の決まったところは、なりたくてもなれない人もいるんやから」と。確かに、今、「臨時」で、同じような仕事に行っているのですが、同じ職場に、息子と同じ「臨時」で来ていた人が、ダメだったと言ってました。ですから、昨日、職場で、就職が決まったことを祝福されたときも、大喜びするのはダメなんだと言ってたくらいです。ですから、贅沢なことを言っているのです。「ホッとした」と言っても、「まだ、わからへんで」と返してくるものですから、親の心配は尽きません。
 その一方で、いろんな人に、決まったことを電話している息子です。一緒に呑んでるときも、大学時代の先生から電話が入りました。卒業してから3年経っているのですが、そうやって、自分から電話を入れ、また、折り返し電話をもらえる。同様に、友人からも1件、電話が入りました。そうやって、就職が決まったことを電話できる相手が、それだけいるってことに、とっても嬉しく思えました。これが、息子の社会的な力と思えたからです。黄紺自身に、そんな力は乏しいと思えたからです。いろんな人に支えられて、ここまできたんでしょうね、親は、そんなことを全部知ってるわけはありませんから、こういった機会に垣間見て、傍らで微笑んでいるのです。




2008年 10月 24日(金)午前 5時 39分

 寝不足が続いています。週の前半は、かなり苦労しました。これが、夏の最中でしたら朦朧としていたかもしれないほど、睡眠時間が確保できませんでした。1時半に起きたままなんてこともありました。2週間連続勤務、今週も、土曜日は出勤ですから、ただでも疲労が溜まるときですのに、こんなときに、睡眠障害が出ます。ホント、厳しいです。
 そんなで、大丈夫だろうかと思いつつ、昨日は、ワッハの4階でありました「第361回上方講談を聞く会 ワッハ亭」に行ってまいりました。毎月定期的に開かれている講談の会は、このワッハでの会よりは、天満講談席の方が、他の会とのバッティングが少なく、よくおじゃましています。黄紺が会場に着いたのは開演よりは、15分ほど前だったのですが、既に、番組にはなかった南舟が前講を行っていました。ネタは、先日も聴いた「太閤の風流」でした。毎回、語り口調がしっかりとしていきます。で、本チャンの番組は、南青「忠僕元助」、南湖「弥次喜多膝栗毛」、南北「秀吉と易者」、南左衛門「蛤の吸い物(小夜衣草紙)」でした。南青のネタは、「赤穂義士外伝」からでしょうね。わりかし定番ネタで、確か、以前、南海さんで聴いたような記憶があります。南青は、こういった定番ネタは、ますます安定感が増しています。言葉の表情、ちょっとした間、緊張から緩和を生むしょーもないくすぐりと、どんどんと巧みになっていきます。こういった定番ネタを聴くと、その辺が、よく分かります。南湖は、これから開かれる講談会の紹介がてら、南青の結婚話へ。だけど、今日は、調子に乗って、下ネタへ。材料にされた南青が、思わず引き幕を開けて、「こら〜」、お互いの仲の良さが分かります。ネタは、ちょっと急ごしらえの感じ。今後、紐解いていくつもりのネタの序と捉えておきましょう。ただ、今日は、三十石舟の中での糞尿ネタでした。南北さんのおっとりとした語り口調、いいですね。今日は、比較的初心者ネタですが、当時実際にはなかった矢作橋が出てくるたびに、そのことを、再三再四触れる。こういった繰り返し技で、きっちりと和ませるのは、やっぱ、うまいですね。そして、トリの南左衛門は、先日の道頓堀極楽商店街での会と同じネタ。秋の怪談話ということで、珍しい話を、2度も聴けたことに、感謝です。南左衛門は、日中講談会のあと、打ち上げも途中で切り上げ、夜の10時半の新幹線に乗り、名古屋に向かい、翌朝6時の新幹線で、小田原に向かい、そこから、箱根である10時からの会に向かったということです。中曽根元首相に喚ばれて、講談をしてきたとか。へぇ〜でした。
 南湖が言っていました。最近、会の客の数が増えているそうです。確かにそうです。以前は、つばなれして喜んでいたが、記念の会のときは、60名を越え大入りだったそうで、それが、常の会に戻っても、30名を越えているということで、「講談ブーム」が来ていると言ってました。南青は、熱いファンレターをもらうことがあると言い、但し、おじさまばかりですがと付け足し、笑いをもらっていました。南海さんが続き読みを始め、それに、南湖・南青が加わり、その続き読みが、雀のおやどの協力で定例化されたことが大きいと思っています。黄紺の行けなかった8月の続き読みで、客を増えたと聞きました。この3人に加えたベテラン陣も、とにかく技の面では、ホント充実しています。一度聴けば、はまって当然という芸能だと思っている黄紺なのですが、それが、歩みは遅いですが、染み込みだした感じがしてきています。




2008年 10月 23日(木)午前 0時 38分

 天満橋駅構内のマグドで、晩ご飯を食べて、本日の落語会の会場中崎町に向かいました。「たまの小劇場」というのが、本日の落語会です。開演時間が、7時半ということで、時間調整のために、マグドに入ったっていう感じです。これは、時間的に余裕があったという ことです。で、本日の番組は、市楼「普請ほめ」、たま「寝床」、風喬「ちはやふる」、(中入り)、たま「佐々木裁き」となりました。市楼と風喬が、たまの会に出たっていう記憶、お手伝いに来ていたという記憶、ともにありません。判明したのは、風喬は、たまと同期という縁だということです。今日は、完全無欠の寝不足の日。最初の二席は、ホント、起きてられませんでした。ほぼ、最初の二人の口演の記憶はないという状態です。風喬は、マクラで、結婚後の生活の変化や、同期のたまのことを話したあと、京大出身の噺家の話に入り、「世間にはけったいな人が多いようで」で、ネタに入ったものですから、あまりに無理筋で、逆に大受け。その雰囲気が、でも、ネタに反映され、また、ネタ自体にも、結構、オリジナルな改作というのではないくすぐりが放り込まれており、聴いていて、次は何が出てくるかなの楽しみを秘めた仕上がりになっており、風喬って、こないなことできるんやと思わせられました。ただ、オリジナルないじりが、若干尻すぼみな印象を与えるのが惜しいですね。たまの「佐々木裁き」は初めてですし、これを、たまが、どのように料理するかが、本日のお目当て。そして、その期待に、見事に応えてくれました。「佐々木裁き」というネタは、二つの要素があります。子どものとんちが、奉行を上 回る楽しさと、佐々木信濃守が、腐敗した役人の世界にメスを入れる、この二つの要素です。そして、そのどちらの美味しさも、両方ともいただこうというのが、常の「佐々木裁き」ですが、たまは、完全に腐敗浄化に焦点を合わせて作っていました。例えば、子どもたちの行っている裁きの場面で、饅頭の賄賂を渡す子どもを登場させたり、とんちの場面を減らし、子どもが、奉行の横に座ると、いきなり星の数に入り、早々と天保銭をもらうように持っていきます。ということで、コンセプトが明確なだけに、カットされて惜しいと思う気持ちが抑えられます。たまの古典見直しの中で、最も成功した例の一つと言えるでしょう。
 帰りは、行きの逆コース、天満橋まで戻ってくると、森小路駅で人身事故との構内放送。相当乱れているとの内容でしたので、天満橋駅に停車している準急に乗りました。たまの会が終わったのが、9時45分のうえ、これですから、ちょっとどころではない困りです。寝不足解消は、いつになるのでしょうか!




2008年 10月 22日(水)午前 3時 10分

 昨日、今日と、家に直行している。夜遊びをしていないということです。予定は、ともにあったのですが直行なのです。昨日(10/20 月曜日)は、繁昌亭に行くつもりだったのです。チケットも購入していたのですが、仕事が、異様に遅くなり、途中からでもすら行けませんでした。大変ショックです。年に1回くらい、こないなことが巡ってきます。今日も、京都で映画に行こうかと考えてはいたのですが、最近、随分と睡眠障害に陥っていて、特に、昨晩はひどく、夜中の1時20分に目が覚めてから、朝までに、うとっとできたかなという自覚があるのは30分くらいということで出勤をしたものですから、完全に、夜遊びの気がそがれてしまったのです。前売り券でも持っていたら、それでも出かけていったのでしょうが、そんなものはありませんから休養を優先させました。でも、宵の口は、さすがお酒を呑むとあえなくダウンしてしまったのですが、またもや、夜中の2時に目が覚めてしまい、こないなことをしています。疲労が、腰に蓄積して、かなり苦痛です。腰にくると、体全体の倦怠感が、全く違います。
 昨晩、眠れない時間帯に、途中まで観ていた韓国映画「ピアノを弾く大統領」を観てしまいました。途中からは、熱燗をつけて観ていたのですが、映画が終わっても眠たくなりませんでした。ホント、まいりましたが、ま、それは置いておいて、映画は、アン・ソンギが大統領、その娘の担任にして、大統領の恋人となるのが、チェ・ジウとい う組み合わせの映画です。奔放な教師チェ・ジウのクラスは、なかなか手ごわい女の子揃い。なかでも、厄介なのが、大統領の娘。その娘に指導を入れ、家庭の協力を求めるということで、父親に連絡をとったのが、二人が知り合うきっかけ。大統領ではなく、父親として接する担任をおもしく思い、また、気さくな大統領に惹かれていくという流れで、ハッピーエンドには、その前には、ちょっとした山が用意されていました。この映画は、韓国の人が抱く、こんな大統領がいたらいいなの気分が出てるようでもありますね。それを、アン・ソンギが演じるものですから、大統領に重しが効いてますし、大統領が、こっそりと護衛官を振り切って、居酒屋に入っても許せますし、また、カッコがつくなんて印象を与えてくれます。そして、チェ・ジウっていう女優さん、こんなにまで、かわいい系の女優さんだったっけというほど、チャーミングです。ちょっとおきゃんで、突っ張るようなところがある、そないなキャラに、ぴったし。ですから、この映画は、アン・ソンギとチェ・ジウという主演の二人を観る映画だと言えばいいかな。筋立てでは、二人を会わすきっかけとなる大統領の娘を、もう少し上手に、狂言回しに使ってよとは思いましたが、二人を見れれば、ま、いいかの気分になりました。映画を観ていて、チェ・ジウって、誰かに似ているという感じがしてきましたが、なかなか焦点が合わなかったのですが、判りました。キャンディーズ時代の伊藤蘭です。また、古いところの話になってしまいましたが、そのため、なかなか思い出せなかったみたいですね。




2008年 10月 20日(月)午前 6時 8分

 昨日は、午前中、お仕事。全く、この週末は、お休みなしです。腰が、かなりまいっています。それだけ、疲れが溜まっているということでしょうが、遊ぶ予定が詰まりきっていました。
 まず午後は、久しぶりのそごう劇場で、「桂雀松独演会」に行きました。去年の、この会では、「地獄八景」を、師匠の枝雀同様、前後半に分けて演じてくれました。今年の番組は、雀五郎「子ほめ」、雀松「たいこ腹」、こごろう「書割盗人」、雀松「天神山」、(中入り)、雀松「小倉船」でした。前半は、疲れからか、ぐったりしながら聴いておりました。ちょうど、それが、ライト感覚の雀松落語を聴くのに、いいスタイルかもしれません。「たいこ腹」で、気分が良くなり過ぎて、「天神山」で、ほんまものの半寝状態に突入は、少々行き過ぎ。でも、お目当ては、トリの「小倉船」ですから、ま、自分を許せる気分です。雀松の「天神山」は、まともに聴くぞのスタイルをとっても、聴き流しそうですから。期待の「小倉船」、雀松には、珍しい芝居噺テイストのネタ、ま、それだからこそ聴きに行ったっていう感じです。その結果は、やはり珍しいだけあるなっていうところです。前半の軽やかさは、竜宮城に着くまでは、とってもいい感じ。ところが、そこから芝居がかってくると、物足りないのです。残念ながら。体の切れとか、決めどころが、特段見えてこないというところでした。もっと、芝居噺を、普段から手がけるなかで、このネタにも取り組んで欲しかったなというところです。「子ほめ」は、伊勢屋の番頭が、一瞬出てきて、子ほめに回りました。こごろうは、絵を描いてもらうときの蘊蓄が高い。そんなに高いのに、なんで、そんなにもののない生活をしてるのと、突っ込みたくなりました。下げは、ちょっと変えて、盗人に逃げられてから落とすというものでした。常の型では、つもり尽くしの最後で落とすんですけどね。
 そごう劇場を出たあと、時間的に、ちょっと早かったのですが、晩ご飯にしました。5時前の晩ご飯、場所は、三津寺前のラーメン屋さんです。晩ご飯を済ませたあと、シネマート心斎橋で、韓国映画を、2本観ました。1本目は、「正しく生きよう」という映画で、これは、傑作。映画を観てて、こんなにも笑い声が上がったのも、珍しい。ホントに、おもしろい映画でした。新任の警察署長が、銀行強盗の実戦訓練をすることにより、住民への治安維持のアピールしようということになる。強盗役に、密かに、署長から指名を受けた警官、めちゃ凝り性で、ホントの強盗なら、こうするだろうというところを、徹底的に実行していくものだから、本当に、実戦さながらの訓練になっていくおかしさが、最高に出ていました。これは、お勧めの映画です。
 2本目は、「ファム・ファタール」という映画で、スリ・グループと刑事たちの追いかけ合いと言えば、追いかけ合いの映画。そのスリ・グループのリーダー、超美人で、若いとなってますから、色恋が付いてきます。そのお相手が、熱くて、腕のいい刑事という設定。しかも、その刑事の母親が、腕ききのスリで、ムショ帰りという、ちょっと苦しい設定。元の仲間からは、スリの仕事は誘われるは、また、息子の手前、二度と戻らないと誓った手前、戻れない。そういった中での屈折した親子関係が、大きなテーマになってきます。そんなで、今日の2本は、とにかく圧倒的に、「正しく生きよう」のおもしろさに酔った日となりました。あとは、どないな映画がきても、影は薄れます。それだけ、おもしろかったのです。映画が終わったのが、9時半ジャスト。かなり厳しいですね、この時間に終わると。
 この週末に、韓国映画を、DVDで借りて1本観ました。「美しき野獣」という映画で、原題は「野獣」です。「美しき」は、日本的感性です。ふざけたことをしてくれるものです。ストーリーは、真面目なエリート検事と、やさぐれた、そして、すぐに熱くなる刑事がタッグを組み、やくざであり、且つ政界入りを目指す男集団との戦いです。ただ、この争いには、政界が噛んでいるということで、捜査にブレーキがかかるばかりか、検事、刑事ともに、失職をしますが、あとは、「野獣」と化した二人による成敗劇となるというものです。刑事役が、クォン・サンウで、ちんぴら風刑事を好演です。検事役は、ユ・ジテ、こちらも好演です。




2008年 10月 18日(土)午後 11時 44分

 今日は、12時から4時までが勤務時間と設定された変な日。黄紺は、それを聞き間違えて、1日勤務だと思い込み、朝の9時半に入り、大損です。無駄な時間を、職場で費やしてしまいました。バッカみたいです。明け方の3時半に目が覚め、寝れなくて困っていたのですから、もっとゆっくりと行ってもいいのなら、眠れたかもしれません。寝れないんで、韓国映画「オアシス」を、DVDで観ておりました。こないだ観た「女教授」のムン・ソリが出てるというだけで、それ以上の情報は持たずに借りた映画が、実は、大変な代物でした。相手役は、名作「ペパーミント・キャンディ」のソル・ギヒョン。「力道山」のと言った方が分かりやすいかもしれませんが。「ペパーミント・キャンディ」でも、この二人は、共演していたのですね。黄紺は、ソル・ギヒョンは覚えていても、ムン・ソリは、全く飛んでいました。「オアシス」は、筋立て自体は解りやすいものなんですが、よくぞ、こないな企画を立てたものと、びっくりです。その成果が、ヴェネチア映画祭等での受賞に繋がるんでしょうね。それも、納得です。とにかく、ムン・ソリが、脳性マヒの女性を演じるのですが、その迫真性というものが、只者ではないのです。そして、ソル・ギヒョンの演じるはみ出しものの男が、また、素晴らしい演技力。この二人の演技力に、ただただ、目が行くのと、脳性マヒの女性とはみ出しものの男の恋という、企画の俎上に乗せても、映画化を躊躇いそうな内容に、真摯に取り組んでる姿が、観る者の心を捉えます。これを、一所懸命に観てしまったために、眠れなくなってしまったのかもしれません。黄紺推奨の映画です。
 夜は、ワッハに行きました。4時までということでしたので、早めに職場を出て、トリイホール近くのネットカフェで、時間調整。晩ご飯は、おなじみの天丼屋さんです。ワッハの5階で、蘇州講談の講談師さん3人を迎えての日中友好講談大会があったのです。総合司会は、南海さん。役には、うってつけです。番組は、南青「講談の紹介」、南湖「難波戦記:般若寺の焼討ち」、南左衛門「赤穂義士外伝:徂来豆腐」、左南陵・南北・南華・南舟・南鱗「大喜利」、(中入り)、対談「中国の講談・日本の講談について」(中国の3人、南左衛門)、王池良「三国志:長坂橋の戦い」、袁小良・王瑾「水滸伝:潘金蓮」というものだったのですが、3時半に起きたままでしたので、日本組の2人の口演は、ダウン。南湖の高座の方は、まだ、ぐだぐだとギャグを飛ばすマクラは大丈夫だったのですが、南左衛門の方は、完全と言っていいほどのダウンでした。大喜利は、仕込みをして、南舟の天然で受けをとろうとするのではと看ていたのですが、準備不足でした。そないなことだったため、楽しみは、必然的に中国講談に。対談のときから、マイクも要らないほどのいい声に、期待は高まるばかり。去年、中国に行き、実際に、講談を聴いてきた南湖が言っていたのは、ホントにホントでした。素晴らし過ぎです。この公演を目当てに、中国に行ってみたくなりました。「三国志」は、一人芸、但し、立っての口演ですから、動きが大きく、変化を出せる、そこへさして、色々な声色を使うものですから、更に、変化が大きくなります。中国語は、声の高低の振幅が大きい言葉なものだから、更なる変化が出る。もう、打ちのめされるほどの感激です。「水滸伝」は、二人の掛け合いという、日本の講談にはない形式。ただ、役柄は固定されておらず、随時変化していきます。おまけに、楽器を持ち、弾き語りとなる部分が出てきます。琵琶と爪弾く二胡と言えばいいでしょうか、これも、街角の小屋でやってんだったら聞きに行きたいと思いました。
 正直言いまして、大変な芸能に触れたぞの実感です。これを機会に、来日公演を、定期的にでも行って欲しいなと思っています。世界に目を向けると、まだまだ、目を仰天させるものって隠れているんでしょうね。




2008年 10月 18日(土)午前 4時 39分

 木曜日の夜は、寿司屋で、息子とお喋り。時たま行く近くの寿司屋です。車で行きますから、お酒を呑むのは、黄紺だけ。そんなで、家に戻ると、あえなくダウン。替わりに、夜明け前に、お目覚め。金曜日は、その影響か、午後から、かなり眠たくなっていましたが、そこはそれ、午後5時半以降は元気回復でした。
 そこで、昨夜(10/17)は、ワッハの4階でありました「らくご道〜笑福亭生喬と桂こごろうの落語会〜」に行ってまいりました。大学の同期の二人のいい雰囲気の会です。生寿「軽業」、こごろう「七段目」、生喬「吉野狐」、(中入り)、対談「夕焼け日記」というのが、昨夜の番組。「軽業」は、前半のだまし小屋はなし。軽業小屋だけを演じてくれました。師匠生喬らしい口ぶりが看られるのは、初々しさを感じさせてくれ、いいですね。こごろうの「七段目」は、吉朝からもらったものというのは、前にも聞いたような記憶がありますが、昨日、ご本人が言ってました。生喬の「吉野狐」は、5代目松鶴の速記本、及び、6代目の音源から起こしたものと言います。春之輔や現染丸も、手がけたことがあるとか。今は、この二人はやってないそうです。このネタや、「幸助餅」「高津の富」が、松竹新喜劇に取り入れられてるそうです。そう言われてみると、そうです。ただ、松竹新喜劇の台本となると、感情の起伏を、大きく描いているため、落語の演出上の参考には、通常はしにくいという考えで、二人は一致してました。落語にはなじまないという考えのようです。但し、花丸の「幸助餅」は、講釈からの移植ではなく、松竹新喜劇の台本から起こしたもので、他の人の手がける「幸助餅」と、趣が違うということでした。黄紺は、「吉野狐」は、35年ほど前に、6代目松鶴で聴いて以来、生喬の口演で、今日を含めて2回聴いただけという珍しいネタ。「天神山」とかぶるようなネタなのですたれたのではと、二人は言ってました。昨夜、この会場に詰めかけたコアな落語ファンは、他にもいい会があるなか詰めかけたのは、特に、このネタが、お目当てだったのでしょうね。こごろうの「七段目」が付いてくると、これは外せませんね。生喬は、今、東京の小里んのもとに通い、「笠碁」を習ってるところだと言ってました。柳家のネタという印象こってりのネタに挑 む心意気に、すごいものがあります。これだけ間を開けるネタは、上方にはなく、そこんとこに苦労しているとか。上方落語では、「風邪うどん」の間が長いけれど、だけど、雰囲気は違うしと言ってました。こういった話を、マクラで振ってくれたり、また、中入り明けの対談で、ネタのあれこれを語ってくれるのが、いい会です。
 今夜も、昨夜同様、夜中に、お目覚めです。昨日より、30分早く、目が覚めたのが口惜しいです。今日は、土曜日だというのに、仕事なんですよね。日曜日も、午前中、出勤だから、体は大丈夫かねと思ってしまいます。




2008年 10月 15日(水)午後 11時 35分

 今夜は、鶴橋の雀のおやどへ、久しぶりにおじゃまをしました。ここが、久しぶりだということは、韓国料理も、ご無沙汰をしているということになりますので、晩ご飯に、時間的ゆとりをみて職場を出てまいりました。「大長今」という、正にぱくり以外の何者でもない名前を持つお店を目指しましたが、鶴橋の朝鮮市場界隈は、閉まるのが早い。周りは閉まっていても、ここは晩ご飯が食べれたはずですのに、今日は、シャッターから降りていました。そこで、慌てて駅前の「崔おばさんのキムチ」店の奥にある食堂へ。ユッケジャンを食べました。小皿は、白菜キムチだけとしょぼこいけれど、ここのユッケジャンは、美味しい、その上、いつでも開いてる安心感があるので行ってみました。卵を入れるユッケジャンは、美味しくなる、その典型です。
 雀のおやどでは、今日から、連続5日間、「同級生〜落語ライブ5Days〜」という名の落語会が行われます。林家市楼を中心に、佐ん吉、鉄瓶とちょうばが絡んでくる会です。この4人は、同期の噺家さんだということで、ネーミングが決まったようです。佐ん吉は、5日間とも助演。あとの二人は、3日間、1日だけと、スケジュールに合わせての助演です。昨年までは、市楼が、雀太と組んで行ってきた会。雀太が療養中ということで、こういう会になったようです。番組は、鉄瓶「四人癖」、市楼「牛ほめ」、佐ん吉「おごろもち盗人」、市楼「青空散髪」でした。このラインナップで分かりますように、小ぶりのネタばかり。助演者は、大ネタは、主宰者に譲るとしても、主宰者の市楼のネタは、いけません。「青空散髪」は、市楼家にとって、由緒ある噺かもしれませんが、トリをとるネタではありません。市楼の会のネタ選びでは、えてして、こういったことが起こります。ひいては、こないなことが続きますと、客の動員に、明確に現れてくるでしょうね。「牛ほめ」は、初高座のときのネタだそうです。文珍が、その会に飛び入りしたと言ってましたから、黄紺が、初めて市楼を聴いたときではないようです。その入門したての市楼というのは、とっても印象深いものがありましたが、体が丸くなるにつれ、単線的になっていきます。才走ったという噺家さんではありませんから、気の利いたくすぐりが出るわけでなく、なんか、まだまだ若いのに、尻すぼみの印象があります。そして、そこから、新たなスタートを切ったという感じで、「牛ほめ」には、若干の起伏、タメのようなものが見られ出してきました。佐ん吉は、やたら声の大きな噺家さんになってしまってます。なんか、そのために、夜中の話っていう感じが、えらく薄くなってしまってました。鉄瓶のこのネタは、豊中から連続。目のこすり方が、ちょっと雑になってます、これは、いけません。鼻のこすり方が、小さいです。これは、豊中で聴いたときから気になっていたことです。そんなで、ちょっと不満の残る会、体は、敏感に反応し、うつらうるら傾向でした。




2008年 10月 15日(水)午前 4時 2分

 昨日は、まっすぐに帰宅。そうなると、晩酌をしながら寝込むというパターンなのですが、昨夜は、ちょっと辛抱。お酒を辛抱ではなく、お酒を呑んでダウンするのを、辛抱。と言いますのも、10時から、NHKで、プロフェッショナルという番組で、柳家小三治が取り上げられていたからです。今、名人扱いされてる噺家さん、まずもって、この方。東京では、小三治しか聴かないと人たちがいるという噂が流れてるくらい名人扱いをされてます。NHKも、正に、そういった扱いで取り上げたのでした。ですが、11時までは持ちませんでした。半ば過ぎで、残念ながらダウンしてしまいました。部分部分でしたが、「野ざらし」「転宅」「百川」、その辺を流してくれてたのは観れました。
 日曜日から月曜日にかけて、借りてきたDVDで、韓国映画「ブラザー・フッド」を観ました。兄をチャン・ドンゴン、弟をウォンビンが演じるという評判の韓国映画です。ようやく観たという感じです。朝鮮戦争で、引き裂かれた兄弟の物語、その引き裂かれた方が、北と南 らしい、そのくらいの予備知識を持って、見始めました。ウェブサイトでも、そのくらいは、ネタばれにならないという範囲として書かれていますから、黄紺も知っていたというわけです。そこで、黄紺は、勘違いをしてしまいました。この映画の一貫したテーマがそうなんだと。ところが、この映画は、朝鮮戦争に、無理やり動員された兄弟という大枠は、最初から最後まで、全編そうなんですが、基本的には、オムニバス形式で進行します。一つのエピソードの目鼻が立つと、異なったエピソードへと移行していく。それが、朝鮮戦争の時系列を追って構成されています。ただ、我々は、朝鮮戦争の展開を知っています。どこかで、アメリカ軍による仁川上陸があり、また、中国軍の参戦があり、北が反撃に転じると。ですから、そこで起こるエピソードの枠が想像されるきらいがあります。前半、半分以上は、兄が武勲を立てることにより、弟を除隊させようと考えるパートです。こないな感じで、この映画が推移していくのかなぁと考えていたときに、それは、朝鮮戦争全体の展開からしても、あまりに意外なと、その場で思える事態が発生します。兄の嫁が、保導連盟事件で、「アカ」容疑で検挙されるのです。それは、ちょうど弟が、北に向かう行軍の途中、実家の近くを通ったため、家に立ち寄ったときです。兄も、弟の行動を知り後を追いかけ、この検挙劇に巻き込まれ、悲劇を目撃します。その悲劇を救えなかったあたりから、兄弟関係が怪しくなりますが、兄は、自分の行動は、常に弟を戦場から離すことという目的意識でとっているものという確信を持っています。しかし、弟は、その一つ一つの行動には納得がいかなくなっていきます。いつ、北と南に分かれてしまうんだと思い始める時間帯です。と思ってると、きっちりと用 意されていました。一つの誤解が、兄を北に追いやってしまいます。明らかなる誤解だと知った弟は、脱走までして兄に会いに行きます。というところで、ラストの壮絶なシーンへと入っていくというわけです。この映画で貫かれている思想と言えばいいかな、国の論理、イデオロギーという視点より、明確に、個人、この場合は、兄弟という個人的な関係が、何よりも優先しているという点です。兄は、それが過剰で、人間の論理まで踏み出してしまう人物です。そのときは、きっちりと弟が反発します。そういったバランスをとる映画です。そして、全ての行動規範が、兄弟愛だということです。タイトルそのものなんですね。生々しい戦争シーンが、話題を喚んだようですが、正直、目を背けるようなシーンも用意されています。そういったなかで展開する、人生を、戦争のために翻弄される兄弟の物語です。
 小三治を観ながらダウンして、またぞろ、夜中に目が覚めてしまいました。困ったことです。あと、せめて1時間でいいですから、睡眠時間を確保したいのですが、、、。




2008年 10月 13日(月)午後 11時 9分

 今日は、お昼ご飯を、四条大橋近くの「すき家」で、高菜マヨ牛丼豚汁付きという、おなじみメニューで済ませ、十三に向かいました。「第40回十三寄席 噺のにぎわい」という落語会があったからです。この会の存在は、以前から知っていたのですが、実際に行くのは、初めてです。月亭八天が、お世話をしている会でもあり、毎回、八天が、2席と、ゲスト、2〜3人という番組構成となっています。今日は、ゲストに、雀三郎というのも、魅力の一つで行こうという気になったのでした。事実上の主宰は、十三信用金庫です。地元の商店街と連携して、こういった催しを行っているそうです。番組は、松五「天狗さし」、八天「蛸芝居」、雀三郎「親子酒」、(中入り)、恭瓶「町内の若い衆」、八天「二階ぞめき」でした。40回記念ということで、本日は、大楽新僑飯店という中華料理店の大宴会場での公演。七芸の下4階にある中華料理店さんです。ただ、集客力は、すごい。300人ではきかない入りでした。が、自分的には、ちょっと不調。やたら眠たくて、寝不足じゃないのに、眠たくて。松五がネタに入ったあたりから、目を必死に開けようとしていました。「天狗さし」は、下げ直前に、気がつく始末。「蛸芝居」まで、ちょっと危ないところが出てくる始末。最近、「蛸芝居」は、たまの口演ばかりに出会っていますので、正しい「蛸芝居」の行き方を確認しようと頑張っていたはずなんですが。若干のダウンでは済みましたので、目的は達成し、そのポイントを、いくつか確認できました。冒頭の三番叟、位牌は、3つ目で芝居に移る、魚屋は、鯛をさばきながら、腑を見て、切腹の芝居をする、こないなところを、たまはカットしてました。「蛸芝居」は、そないに長い噺ではありませんから、八天の口演を聴いていて、なんかもったいないの気分です。もちろん、カットがです。八天の「蛸芝居」ですが、自分自身が、ボーっとしていたためかもしれませんが、切れ味とか、ちょっとくさめに演じるところを作ったり、また作らなかったりの臨機応変さというものができる人のはずという思い込みがあるためか、ちょっと物足りない出来でした。会場の広さからくるぼやけかなとも、「蛸芝居」が終わった段階では考えていたのですが、「二階ぞめき」を聴いて、いや、やっぱり出来具合に関係していると考えるようになりました。雀三郎のネタは、世話役の八天がリクエストをしたのでしょう、十八番ネタでした。これだけが、ネタ出しがされてませんでした上に、酒のネタがなかったもので、「替り目」かどっちかだろうと考えていたのですが、大当たりでした。鶴瓶一門は、好青年揃いというのが、専らの評判。恭瓶も、しっかりと、その一角を担ってる雰囲気たっぷりの温和な口調。その辺を意識しているのでしょうか、おさきさんのキャラが、あまり笑えない性悪女になってしまいました。そういった意味では、頑張ったのでしょうが、ちょっと方向が歪んだのかもしれません。滑稽とか、笑える厚かましさとか、ましてや、お腹の大きな女という感じではなくなっていました。元々、東京ネタですから、大阪では演じ手は、他には知らないネタ。頑張って、軽く、笑えるネタにして欲しいと思いました。今日の白眉は、八天のトリネタ。噺の存在は知っており、且つ、八天の持ちネタということも知ってはいるのですが、遭遇は初めて。いや〜〜不思議で、難しいネタです。一人で、ぞめいて(ひやかして)、郭の雰囲気を出さねばならないというネタ。不思議な噺が考え出されたものです。二階に上がってからの一人遊びが、いいですね。若旦那が動いていくにつれ、スポットが追いかけていくような感じがしました。親旦さん、そのくらいの仕掛けを、倅のためにしそうな感じがしたものです。いいネタを、いい口演で聴けたものです。これと、雀三郎の極めつけの「親子酒」に出会えただけで、十三にまで行ったかいというものがありました。終わると、40回記念で、抽選会があり、それも全て終わると、4時40分。阪急電車に乗り、京都に戻りました。そして、烏丸から地下鉄へ。めったに降りない九条駅まで乗り、京都みなみ会館に回ったのでした。
 遅ればせながら、映画「アフタースクール」を観に行ったのでした。以前、シネ・コンで上映されていたときに、1度観に行って入れなかった経験のある映画です。お値段も、少々安めに設定されているということで、今夜、観に行ってまいりました。みなみ会館に行くには、ちょっと早めでしたので、今夜の晩ご飯は、近鉄東寺駅前のマグド。仕方ないことです。一番、時間調整がしやすいもので、そういったときに、マグドは利用しておりますが、やっぱ、カロリーが気になってしまうメタボ気味の黄紺です。「アフタースクール」は、なるほど、評判になる出来栄えですが、推理小説の分類で言いますと、倒叙推理というジャンルに入る典型的な作品です。要するに、観客に与える情報は、決して嘘ではないのですが、全ての情報が与えられなかったり、誤解が生じやすいように、情報が並べられる、そんな手法で、前半を構成し、後半は、その情報を再構成することにより、真実の流れの中で、それまでに与えられた情報を位置付けていく。ま、これが、倒叙推理というものです。推理小説のトリックや殺人プロットは出尽くしたと言われる中で、まだまだ可能性が残るジャンルだと言われています。「アフタースクール」で言えば、前半、同級生だと偽って、体育教師と、チンピラが、逃げたと考えられた男を探そうとするパートが、観客に、情報を与えるんだけど、間違いの構成をさせる部分です。映画ですから、台詞のない画面操作で、簡単に、誤解が生まれます。冒頭、常盤貴子が出産をします。それに先立ち、逃げたとされる男が出勤します。観る者は、そういった場面を用意されれば、この二 人が夫婦と了解し、二人の子どもと考えますわね。そういった手法が、散りばめられているのです。更に冒頭の中学時代の場面、下足室でのやりとり、途中でカットしてるなんてことやってるものだから、観ている者は、カット前の情報で、物事を判断してしまいます。そして、事実と違うことが、他人の思いなしとして出てきます。第三者が、どう判断しようが、事実と異なっていても、それは、あくまでも第三者の判断です。でも、それが重なっていきますと、その第三者の判断が、真実のように擦り込まれていきます。その辺が、この映画のテクニックです。確かに、評判になるだけあって、その辺のテクニックが、巧みに、奔放に、駆使されています。てなことで、とっても、いい気分にさせていただきました。ということで、連休は、おしまいです。さ、またぞろ、2週間連続勤務が、明日から始まります。




2008年 10月 13日(月)午前 8時 12分

 3連休に入っています。もう、3日目に入っています。黄紺は、1日目(10/11)の昼間は、出勤。その後、遊ぶこと、いろいろと考えたのでしたが、帰りしなに、韓国映画のDVDを借りてきて観ることに決定。ですが、そういったときって、決まったかのように、お酒を、ちょっと多めに呑みながら、DVDを観てしまうものですから、簡単にダウン。しかも、これが、普段の寝不足を取り返すかのように、寝るわ、寝るわで、ようやく、朝、起きてから、残りを観て、ようやく1本を観終わりました。ムン・ソリ、チ・ジニ主演の「女教授」という映画です。今年でしたか、去年でしたか、心斎橋シネマートで行われました「韓流シネフェスタ」で上映されたもので、観ることができなかったということで観ようとしたものですが、正直言って、おもしろみが、よく解らなかった映画でした。環境問題に熱心な染色家の教授が、ムン・ソリ。環境問題で出演したTVプロデューサーと熱愛中。そこへ、漫画科の教授としてやって来るのがチ・ジニ。女教授のとりまきの男どもは、その男がやってきて、ヤキモチを焼き出す。男がいそうだと感じていたとりまきの男どもは、その相手が、漫画科の新任の教授と思い込み、その男を調べ出すと、ある秘密が出てくる。そして、女教授の過去も現れてくる。でも、その秘密は、映画の冒頭で出ていますので、観ている者には秘密ではないのです。なんだか、頼りない、観ていて。ですから、終わってみると、なんだか、ムン・ソリのナイスな肢体を見せるのが目的だったのと思わせられるだけって感じでした。「韓流シネフェスタ」で上映される映画は、経験的に、頭抜けていいと思わなくとも、常に平均点以上はキープしているものと思いこんでいた黄紺からして、ちょっと残念な経験となりました。
 昨日のお出かけは、昼頃となりました。昼間は、高津神社での落語会「第17回三人寄れば何とかなる会」に行ってまいりました。番組は、吉の丞「米揚げ笊」、壱之輔「地獄の穴」、染左「しびんの花活け」、阿か枝「悋気の独楽」というものでした。この会は、前から、こちらで行われていたことは知っていたのですが、実際に行ったのは、初めて。染左がかんでる会ですから、簡単に見過ごすわけにはいきませんから、ま、巡り合わせが悪かったのでしょう。吉之丞は、随分と、自分のものにしてきたなの印象。ただ、今日も、笊を買ってもらい、米相場の旦さんが怒り出す前で切りました。これ、なんでなんでしょうか? おもしろいところなんですが、、、。壱之輔は新作。地獄への入口に滑り落ちた男が、現世に戻るためには、閻魔に直訴しなければならないのですが、その閻魔に会うためには、地獄の様々な試練が待ち構えているという趣向。その試練が、受験地獄、IT地獄という仕掛けなのですが、その試練が、ちゃっちい。おまけに、壱之輔の口演って、もとから起伏が乏しい。それに加えて、ワンパターンの応答が多く、ますます単調に。台本としては膨らみのある噺の展開を、平べったくしてしまった感は拭えません。染左の、このネタ、なかなか出会えなくて、昨日、ようやく実現。今、このネタを、誰がするのでしょう? 現歌之助は、先代から受け継いだようなんですが、まだ、聴いていません。生喬も手がけてるはずです。どうしても、このネタは、先代歌之助を思い出してしまいますが、黄紺は、主役の侍は、年配の男だと、ずっと思っていたところ、染左は、若い侍と言ったので、びっくり。ただ、その若さは、ちょっと出てなかったと思いますが、しっかりとした侍の位が、意識的に出されていたのが、本日の秀逸。最初、買い物をするときも、しびんが、何か知るときも、最後に怒り、刀に手をかけるときも、それに応じた侍の位を感じさせてくれました。阿か枝は、聴くたびに勉強家だなと思います。いろいろなネタに取り組んでくれますし、それぞれの出来栄えがいいですものね。この人は、声に特徴があります。文枝似の声ながら、かなり絞り出すような発声は、気になると言えば気になります。悋気のご寮さん、阿か枝が、どのように料理するか、関心がありました。声の特徴を掴み、大きくはしゃべらず、何か、心の奥に、どんよりとたまったものを感じさせる暗い雰囲気の女にまとめていました。好演です。わわしいお竹に、ひとしきりしゃべらせたあと、一言、「あんた、ようしゃべるな」、これは効きました。普通は入れないで、お竹の立て弁を競う傾向があります。ここが聴かせどころとばかりに。だけど、声質からして競えないと考えたのか、この一声、お見事です。一番大きい声は、「嫌い」を言うまで、とっておきました。その計算も、お見事です。阿か枝の巧者ぶりに感服しました。
 谷九から日本橋に回り、文楽劇場へ。11月公演のチケット発売が、昨日からだったのです。それから、日本橋駅上にあるネットカフェで、時間調整。夜は、東梅田に出て、阪急宝塚線に乗り換え、岡町まで行ってまいりました。黄紺が行く最も遠い落語会場の一つ。豊中市伝統芸能館に行ってきたのでした。昨日は、こちらで、「第71回月なみ(^o^)九雀の日」があったのです。番組は、鉄瓶「四人癖」、九雀「江戸荒物」、竹丸「立候補」、(中入り)、九雀「皿屋敷」でした。鉄瓶、本日も快調。初めて聴いたときは、かなり高座口調からは遠いものだったなぁと、進歩すればするほど思ってしまいます。鼻の下をこする動きを。もう少しデフォルメした方がいいでしょうね。くったくのない会話が、仲間内の話という雰囲気を出して、とっても気に入りました。九雀の一つ目は、息子さんからのリクエスト。いろんな噺家がするのに、お父さんはしないのということだったらしい。確かに、最近、若い噺家さんが、いろいろと手がけています。九雀曰く、「このネタの世界が古くなりすぎたから」。5代目松鶴の残した「上方はなし」の中で、もう、このネタは古いと書かれているくらいだそうです。だから、古くなりすぎたことに意味ありということになります。対象化しやすくなったということでしょう。そのためには、言葉の判らないものが多すぎるとして、まず九雀は、フリップを用意して、言葉の解説をしてから、ネタに入るという九雀らしい趣向。九雀の口演には、たどん屋が出てきませんでした。竹丸は、6年ぶり2度目の登場だそうです。ネタは、時節柄、しばらく、またまたこれでやっていけそうな「立候補」。三枝作品を、がっちりと、自分のものにしました。なんせ、臨機応変に、登場人物のキャラをいじれ、それ相応の演説内容をでっち上げることなんて、この人にしかできないことなんですから、ホント、いいネタをもらったものです。今日は、対抗馬の生徒の名前は、麻生くんと小沢くんになっていました。九雀の二つ目は、九雀版と言っていい「皿屋敷」。常のおやっさんが、車屋敷の説明をするところは、芝居仕立てで、本ネタを見せるという趣向。そして、皆で、車屋敷に行くところから、常の形に戻しました。戻してからは、そのままの型で、下げまで進んでいきました。明るく怖がる、そのカラッとした雰囲気がいいですね。その雰囲気が、客にも了解されると、もう完全に、九雀の手の内に、我々は入ってしまい、なすがままに笑い転げていました。いや〜、楽しい「皿屋敷」でした。




2008年 10月 11日(土)午前 2時 3分

 昨夜(10/9)は、息子と、京阪桃山駅改札口横「座和民」で呑んでおりました。普通の「和民」と違って、かなりインテリアにこっていて、落ち着いた雰囲気にしてあります。「座和民」という名前をつけてあるお店は、全部、そういったコンセプトにしてあり、普通の「和民」と違うんやと、息子は言ってました。息子と呑みに行くと、食べる量がすごくて、めっちゃお金がかかります。「座和民」が、特段、お値段が高いわけではなく、我々が食べ過ぎなのです。
 今日は、仕事をたっぷりめにして、そそくさと九条まで行ってまいりました。もちろん、シネヌーヴォへお出かけですが、九条と言えば、「宇奈とと」が付いてまいります。お約束のうな重で、晩ご飯です。肝心の、シネヌーヴォでは、ペドロ・コスタ監督の「コロッサル・ユース」という映画が上映されていました。リスボン郊外のある地区に多く住むアフリカのカーボ・ヴェルデ出身の移民を描いた作品です。現在のヨーロッパで多く取り上げられる移民をテーマにした映画です。7時40分に始まって、終わったのが、10時20分という長編。とってもゆっくりとしたペースで、妻に逃げられた老いた男を中心として、娘や近所の男などとの世間話が続く作品。そのペースが眠たくて、 随分と、うとうときちゃいました。妻へのラヴレターのような文言を、友人に作ってもらい、それを、主人公の男は繰り返しつぶやきます。それが、最後に出てきたときは、しっかりと聞いていましたし、それを聞いたときに、ドキッとしました。カーボ・ヴェルデから出てきて、こんな生活を送った男がいたことを覚えておいて欲しい、ちょっと付け足して書くと、こないなことになります。ですから、娘の家に行き、娘から出産のときの話を聞かされたり、孫娘の世話をするのも、男、男を取り巻く人たちの証言となっていくのです。そないな作業をすることにより、ポルトガルへのカーボ・ヴェルデからの移民を記憶に留めておこうという試みとみました。ときあたかも、開発の波が、移民の居住区にも押し寄せていたのでした。ですから、可及的速やかに、その作業の必要性に突き動かされたという構成になっています。ポルトガルも旧植民地からの移民を抱えている国の一つです。カーボ・ヴェルデが、正に、その一つであることは間違いありません。ただ、この映画が、どこまでが、ドキュメンタリーで、どこからが違うのか、どこまでが、創作なのか、その辺が判れば、よりおもしろいのでしょうが、、、。
 遅く帰ってきて、なかなか寝ないで、こないなことをしています。暑い夜です。早く寝ないと、明日は、出勤なのですが、こないなことをしています。寝ようと思って、熱燗をつけたら、益々暑くなってきました。




2008年 10月 8日(水)午後 11時 45分

 今夜は、久しぶりに繁昌亭に行ってまいりました。どうも、繁昌亭での公演、そそられるものが少なくなって来ているような感じがしてなりません、最近。そんなで、ちょっとご無沙汰。でも、今日は外せないの気分。笑福亭福笑主宰の「テーマ落語会〜過激特集〜」という会があったのです。昨年は、「糞尿落語特集」などという極めつきのマニアックな会が、福笑主宰で開かれましたが、今年も、やってくれたっていうところで、外せないのです。
 たま「蛸芝居」、福笑「入院」、三喬「蛇含草」、(中入り)、生喬「須磨の浦風」、福笑「脂肪遊戯」という内容です。福笑が出るだけでも過激なのに、このネタですから、ホントのホントの「過激特集」です。たまは、ショート落語過激編を、いくつか披露してから、ネタに。いきなりの芝居ネタを置くところが、まず過激。そして、お約束のパンチ多数のだんまりの場。福笑の「入院」は、外科の患者、マミーのようになっている患者を引きずって階下に避難をする過激な場面があります。いろんなところで、喜べるネタですが、今日は、前半の医者と患者のアホらしい会話に惚れ込みました。中トリは、三喬。「蛇含草」の持つグロテスクな下げが、ここに入ってきた理由なんでしょう。三喬の演出が、取り立てて、今日の会のテーマに沿った演出を持っているわけではありません。ただ、今日の会に合わすんだと前置きして、三喬は、餅箱も食べさせようとしてましたが。生喬の「須磨の浦風」は、ネタ下ろしのときから付き合っているネタ。この間、小春団治の口演を聴いている関係からか、なんか、骨だけのネタのように聴こえてしまいました。例えば、序盤の、紀州公をもてなすアイデア募集のところで、もっと遊んだり、呆気なく須磨に行き、浦風を詰め、戻りに入るのではない、何やしらエピソードを入れたりと、もったいぶって欲しかったな。骨だけの噺になってしまった上に、テーマに合わさなくっちゃの頭があるものですから、紀州公の前で、長持ちの蓋を開けるところだけをクローズアップさせてしまいました。そういった演出には、どうもなじめない黄紺です。「脂肪遊戯」は、やっぱり今日も、乗れないネタでした。屍体趣味に通じるような感じがして、自分は、そうじゃないよなんて反応をしてしまう、要するに、体が受け付けないネタなのです。今日の番組では、中トリに、小春団治の「須磨の浦風」を置いて、膝がわりには、何がいいかな、「明るい悩み相談室」なんてのがいいなと思ったり、、、。そんなで、雀三郎をよんでくるのも、変かな? あやめの「練炭炊いたらサヨウナラ」なんてのも、いいなと思ったり。全然、発想を変えて、「腕喰い」なんて猟奇的なネタを入れたり、大ネタで、「大丸屋騒動」なんて、めちゃくちゃ過激なんだけどな。ネタでなくて、染二に、ハイテンション落語をしてもらうのも、十分、テーマに合ってるよな感じがしますが。さて、来年は、何をしでかしてくれるのでしょうか、今から、心待ちにしておきます。




2008年 10月 8日(水)午前 6時 45分

 昨夜は、職場を定時に出て、淀屋橋駅横で、キーマ・カレーを食べて、心斎橋へ。自分的「タイ映画祭」最終日です。「セルラー・シンドローム」というのが、昨日観た映画です。サイコ・スリラーもので す。タイ映画では、「レベル・サーティーン」という、その筋の映画では、レベルの高いものを観たことがあるのですが、それに比べると、仕掛けが判ってきたときに感じるたっぷり感に欠けてしまったなというのが感想です。時間からしても、80分しかありませんでしたが、その分、単線的ストーリーになってしまってました。ただ、個別の場面を捉えると、それはそれで、ハラハラドキドキ感があり、展開が待たれるのですが、なんせ単線的ですから、先が読めるきらいがありました。学園物でもあり、サイバー物でもありという感じの映画です。主役の女の子が、日本人とのハーフという設定です。確かに、日本人顔しています。実際は、どうなんでしょう。こんな美少女系の女の子を、よく探してきますね。タイ映画を観ていて、美形の女が出てくるたびに、そう思ってしまいます。今回、タイ映画を、5本観たことになりますが、一番残ったのが、これ。なんか、抜けた美形が出てくるということです。そして、ゆる〜い雰囲気、その感じでの明るさがあります。これは、これで、一つのキャラクターなんでしょうね。今日、明日は、息子と呑む話があったりで無理なんだけど、金曜日には、まだ、タイ映画の上映は続いており、まだ観てないものが上映される予定になっていますので、このゆる〜い明るさを体感しに、観に行くかもしれません。ただ、仕事との相談はありますが。




2008年 10月 6日(月)午後 11時 25分

 今夜は、久しぶりにクラッシックの音楽会に行ってまいりました。シンフォニー・ホールで、「第63回文化庁芸術祭主催公演」として、「アジア オーケストラ ウィーク 2008」も大阪公演として、韓国のプサン・フィルハーモニーの演奏会があったのです。
 シンフォニー・ホールに行く前に、福島駅前の「街かど屋」というお店で、晩ご飯。なんか、お腹がすいてないので、王将やマグドに入る気になれなかったので、結局、定食屋さんで、ミニ鶏唐揚げ丼付きざるそばにしました。昨日から、唐揚げの食べ過ぎです。好きではないのに、ちょっとした巡り合わせです。あっさりと、そばでもと思いながら、唐揚げ丼を付けてしまい、あとで後悔でした。おまけに、美味しいとは思えませんでした。そばは、美味かったのにね。
 プサン・フィルハーモニーのプログラムは、次の通りです。キム・オクソン「豊年歌」、バーバー「ヴァイオリン協奏曲」、ショスタコービッチ「交響曲第5番」。まず、どのプログラムを見ても、今回の公演は、トップには、自国の作曲家を置いていますが、オープニングとしては、とってもいい曲。寄席で言う、客席を暖める前座さんの役目を、きっちりと果たしてくれました。曲も、そういった役割を果たしただけではなく、オケの持ち味を見せてくれたと思えたからです。次のバーバーの曲は聴いてないわけはないのですが、全く記憶にございません。いきなり、ピアノ付きで、びっくりさせられますが、聴き進めるにつれ、とっても心地よいメロディーが流れていきます。3楽章のスケルツォは別ですが、あとは映画音楽を聴いているようでした。ソリストは、現在ソウル・フィルハーモニーのコンサート・マスターをしているデニス・キム。中高音域に、ちょっと甘い伸びやかな音を出してくれます。オケに、随分と似た色合いの音を出してくれるなの印象。ただ、中低音域に、幅が足りない感じで、その辺の充実が図れれば、より豊かな色合いが出そうな感じを持ちました。最後のショスタコービッチは、さすがの大編成。第2ヴァイオリンが、18人もいました。第1ヴァイオリンは、10人でしたから、こういう編成にするものなのでしょうか? 以前、生で聴いたのが、いつだったか思い出せないほどですので、オケの編成まで、残念ながら覚えておりません。だけど、これだけの編成で、きれいに揃ったビアニッシモは、聴き応えがありますし、金管が、いかに頑張ろうとも、常に対応できますから、この心地良さっていうのは、替えがたいものがありました。演奏のスタイルは、感情を押し殺したような正確に刻まれるリズムが印象的です。インテンポで、それを続けられると、第1楽章の無機質さが際立ちました。なんか、人間性を否定されてるほどの無機質さを感じてしまいました。それを、あとに続く楽章でも追求しようとしたのか、各パートの音の捉え方の鋭さに対し、音楽全体としては、音の連関性に乏しい部分が顔を出してきて、緊迫感という点では、十全だったとは言えませんでした。だけど、大編成の大迫力や、音の運びでコンセプトらしきものが見えてきて、満足しているのであります。とにかく、レベルの高いのに、びっくりです。今、これだけ統一した音色を、オケとして持ってるところが、大阪のオケにあるだろうかと、ホント、そないなことも考えながら聴いておりますた。なお、指揮は、ベラルーシ人のアレクサンドル・アシモフでした。




2008年 10月 6日(月)午前 5時 58分

 昨日は、映画三昧の日。昼前から3本の映画を観ました。昨日は、一昨日のようなこともなく、しっかりと予定通りに動けました。まず、映画を観る前に、十三の食堂で腹ごしらえ。とっても、量の多い、だけど、お味はもう二つくらいの店なんですが、十三に行くと、最近は、このお店ばっかです。作日は、ハンバークと唐揚げ定食でした。
 十三と言えば、第七芸術劇場。そこでで観た日本映画「バックドロップ、クルディスタン」は、日本で、難民申請したクルド人一家と知り合うことによって、クルド問題を知った製作者、まず、父親と長男が、強制退去になり、その後、他の家族が、第三国への出国をさせられてしまうところまでを追いかけてくれます。それが、小泉元首相のトルコ訪問と重なるとの指摘をしたあと、自ら、問題の所在を探るべく、トルコを訪問をします。イスタンブルから、アンタルヤへ行き、そこにいるトルコ人、クルド人にインタビュー。問題の所在が解らなくなっている西部の様子を伝え、次に、ディヤルバクルへ。そこでは、一転して異なる反応。DTPのディヤルバクルの代表からもインタビューをとっています。そして、最後に、アンテップに行きます。父親 は、第三国に、既に出ており、他の家族との合流も果たしていますが、長男は、アスケリに入り、その後、出国の許可が、まだ降りず、故郷の親戚のところに身を寄せていました。郊外の故郷の村にも、足を運びます。撮影を意識しているのか、建て前と思えるようなことを言うかと思うと、EUに入るために、EUから言われて、以前の措置に改善が見られてるだけと言い放つ人、いろいろです。爺さんも、兄弟も出てきます。難民認定を求めたお父さんは、クルド人としての自由を求め、この国にはおれなくなったとのコメント。そういった精神の自由 には、温度差があり、そういった温度差をも包み込む自由さというものが、この国には、少なくともないとの指摘です。国連が難民認定をした家族すら国外退去処分にする日本など、論外ですね。政治の道具にしたり、それに話を合わすかのような一部マスコミの報道にも、目を向けさせてくれました。最後は、家族全員が揃ったニュージーランドに行きます。長男と撮影者の最後の対話がいいですね。この問題に触れることにより、視野の広がったという日本人に対し、クルド人に生まれ、いろんな人たちの悲しみや苦しみに思いをはせられる豊かな人間になったという長男の言葉は、ここまで、この映画を観た者に、ご褒美となりました。
 昼過ぎからは、心斎橋に回り、タイ映画を2本観ました。そのタイ映画の1本目は、「シチズン・ドッグ」、ちょっとけったいな映画で あり、且つ、難解な映画でした。地方から、バンコクに出てきた男が、様々な変てこりんな人たちと出会っていきます。読めもしないのに、ずっと外国語の本を広げている女、指を切ってしまったという指友達の同僚、子どもの姿をした22歳の女、その女が連れているぬいぐるみの熊、空から降ってきたヘルメットに当たって死んだ幽霊のバイクタクシーの運転手など、ホント変な人たちばかり。本筋は、田舎出の男と本を読む女のラブストーリー。で、これらの人たちに共通なところでは、都会の孤独に身を置いているというところ。ですから、何かをしていることにより、その孤独と向き合っていないのです。また、何かをしているから、誰かとの関係が、なかなか生まれないのです。そういった中で、本を読む女は、その本は、環境問題について記したものと思い込み、自ら運動に噛みだし、ペットボトルの回収に努め出します。最初は、家の中に置いてあったペットボトルですが、いっぱいになりますと、今度は、家の前に積み上げていきます。まるで、都会人の孤独が、山積みされているようです。やがて、読めなかった本の内容が判明し、女の夢が覚め、今まで見えなかったものが、女の視界に入ってきます。田舎出の男の愛です。その愛の告白、言葉のやり取りは、今や、どの山よりも高くなったペットボトルの頂で行われます。とまあ、こないな展開ですが、観る者には、ちょっとつらかったなぁ。とってつけたような変な人が現れ出すのと、テーマ、展開が読めたものですから、さっさと先に進めてよの気分となり、何度か、うとっときたものですから、自分を鼓舞せざるをえませんでした。
 連続して、タイ映画を観るということで、束の間のインターバルを利用して、コンビニ食で、晩ご飯をとりました。2本目は、「ミー・マイセルフ」です。「メモリー」に次ぐ記憶喪失物です。イベント会社でキャリアを積む女が、それまで、一緒に住んでいた男が出ていったため、荒れた気分が直らないまま、車の運転をしていると、男を跳ねてしまいます。その男が、記憶喪失で、何も覚えてないため、自分の家に預かることになります。その女は、甥っ子を育てていますので、奇妙な3人暮らしが始まります。キャリアのある女の激しさに対し、穏やかな男、それに、うまく甥っ子がからみ、いい感じの一つの家族の雰囲気が出始めます。そういった雰囲気になったあたりで、お約束の記憶が戻らざるをえなくなり、ついに男の素性が明かされます。なんか、タイ映画だと、変にリアリティのある秘密です。思い悩む男と女。やがて、男は女のもとを去ります。さて、どうもっていくのか、何かの兆しがないかと待ってますと、女の上司から、ある話が出てきて、結末が読めました。だけど、タイ映画は、この辺で引っ張りますねぇ。ラストで、いい言葉がありました。「自分が望む自分であるか、他人が望む自分であるか、そのときおり、選ぶ自由があるのが、人間だ」、この言葉は残りますね。この言葉を聞けただけで、この映画の値打ちがあります。




2008年 10月 5日(日)午前 8時 9分

 この週末は、完全に休めますので、映画の日にしようかと計画しています。昨日は、心斎橋シネマートで、一昨日に引き続き、タイ映画を1本、韓国映画を1本観てきました。ホントなら、タイ映画を観る前に、もう1本、他の映画を、他の映画館で観るつもりをしていたのですが、前夜、4時に目が覚め、寝るために、お酒を呑んだところ、昼の12時半まで寝てしまい、結局、2本になってしまったというところです。
 まず、タイ映画ですが、「ヌーヒン」というコメディ。髪型から、ちびまる子ちゃん似の女の子、その女の子の名前がヌーヒンというのですが、東北タイの田舎からバンコクに出てきて、メイドとして働いていくのですが、そのドタバタを描いたものです。メイドとして働いたのは、めちゃくちゃな豪邸。その家には、とっても美形の姉妹がいるのですが、その二人を、ヌーヒンが、きっとこの人たちならと、独断で、二人の写真とプロフィールを送りつけてしまいます。そのコンテストで、ジバンニー(ジバンシーを文字ったもの)のスタッフの目に止まり、今度は、スーパーモデルとしての扱いを受け始めたために起こる妬みからアクションへ。とにかく、全てが、漫画的な言動で楽しませてくれるヌーヒンが、最後には、その漫画チックな活躍で、悪者を封じ込めるというもの。原作が、コミックということで、全編、そういったタッチで描かれ、とっても楽しめる映画です。とにかく、主役のちびまる子ちゃんのヌーヒンが芸達者なのが大きいですね。また、ミルクという美形姉妹の一人、最後にスーパーモデルとして扱われる女優は、めちゃ美形です。どこから見つけてくるのと思うような美形でした。
 韓国映画が始まるまで、1時間ほどありましたので、ちょうどいい食事時間。お定まりのラーメン屋さんを、まず狙います。三津寺さん前のラーメン屋さんです。食事どきに行くと、満席のことが多く、替わりのラーメン屋さんまで用意して、この気に入っているラーメン屋さんに行っております。で、韓国映画ですが、「宿命」という映画です。チンピラ役のとても似合うクォン・サンウとソン・スンホンとの共演が売りと思ってたのです、映画の宣伝を見たりして。ですから、 この二人が、最初は、仲間で、やがて「宿命」と言える抗争を展開していくものと、映画を観る前から、そう思ってましたし、始まってからも、その二人に、意識を集中して観ておりました。が、それがそうじゃなくって、最初、盗みをする4人の男たちがベースの仲間となる4人であり、その4人が、最後まで絡み合ったままな映画なのです。これは、余計な先入観があったため、ただでも、登場人物が増えてくると、筋立てを追いかける力が、急激に落ちてしまう黄紺にとっては、大変なハンデを背負いこむことになってしまいました。そんなで、かなり粗くしか展開を押さえれてないのかと思います。顔形の似通った俳優さんを起用されると、更に、黄紺にとっては、ハードルが上がります。4人の男たちの内、2人の区別がつきにくかったし、重要な役割を果たす女優さん二人の区別もつかなかったしと、サイテーです。その辺を割り引いても、この結末はわからないですね。なんで、あないなことになるって。ちょっと必然性に欠ける展開っていうのは、反則です。意外性だけ追えばいいというのは、ちょっと賢くありません。だけど、クォン・サンウが、よくなりましたね。チンピラ風味を、たっぷり残し、シマを預かるお兄ぃさんて役どころが、ぴったりになっていました。ますます楽しみな存在です。このあと、心斎橋シネマートでは、韓国、インド、台湾の映画特集が組まれています。また、11月には、恒例の「大阪ヨーロッパ映画祭」がありますし、その映画祭の関連イベントとして、ロシア・東欧の映画も用意されています。演芸だけではなく、映画の方でも多忙な黄紺であります。




2008年 10月 4日(土)午前 7時 14分

 月末から、トリイホール通いをしていました。東京落語から上方落語、浪曲から講談へ、そのラインナップの最終日は、ちょっとそそられる講談会がありました。木曜日(10/2)も、勤務時間が終わると、そそくさとお出かけ。この時間が、丁度いいのです。行きがけに、晩ご飯を食べ、早過ぎもせず、遅過ぎもせずというタイミングなのです。この夜は、前日閉まっていました向かいの天丼屋で、晩ご飯。こちらの存在を知ったのは、トリイホールに出た米朝が、この店の話をしたのがきっかけ。そのとき言ってた値段が、500円でした。今は、100円値上がりです。赤だしを付けて、650円也の晩ご飯です。
 この日は、「第21回TORII講談席〜東西講談会 南海・山陽、夢の相互乗り入れ/旭堂南海・神田山陽〜」という会があったのです。南湖「三国志:長坂橋の戦い」、南海「赤穂義士外伝:忠僕元助」、山陽「地球汚染の番人、宮本武蔵狼退治」、(中入り)、山陽「水戸黄門漫遊記:湊川神社の由来」、南海「レモン」という番組。「夢の相互乗り入れ」というのが、この会のコピーですが、中入り明けの2席が、お互いの交換ネタとなりました。南海の出したネタは、古典中の古典ですが、山陽の出したネタは、新作中の新作、擬古典でない正真正銘の新作なのです。「夢の」というコピーは、確かに、そう言える東西二人の講談師さんの共演、いや競演です。南湖は、漫談風講談、少し講談を話して、山陽との思い出話をしたり、今度来演する中国の講談師の話をするという漫談風となりました。南海さんの持ちネタとして出されたのは、赤穂義士外伝。初耳のネタでした。忠義の下男に、他の義士にアドヴァイスされたこともあり、討ち入りを漏らす話です。山陽は、マクラで、北海道に戻り、小学校に通っている話などをしたあと、やおら、アンケート。新作がいいか、古典がいいかというもの。客席からは、明らかに、新作支持の方が多い。黄紺も、新作に拍手。で、山陽のチョイスは、新作をしてから古典もするという傑作なもの。本人の弁によると、この順序は、言葉遣いが難しいとか。現代語に、口が慣れてしまうので、思いがけないミスが出ることがあるそうです。最初は、懐古趣味の親父と家族のギャップを描いてるのかと思っていましたら、とんでもございません。話のスケールが壮大で、意外性に富んでいます。家の由来の話が出てきたときは、ぶったまげました。古典の方で、顕著になったのは、この人、かなり早口だということ。それをかまずに進んじゃうものですから、気持ちがいい。「狼退治」などの立て弁は、見事につきます。相互乗り入れは、あとに出番のあった南海さんの言葉に依りますと、中盤を、かなり山陽風アレンジをしたようです。その手法に、感服してました、南海さん。今度は、言葉を選ぶように、しっかりとした口演。ネタにより選び分けのする話しぶりに、感服です。一方の南海さんが受けたネタは、およそ普段の南海さんからすると、びっくりするような話。不要となった台所用品同士の会話という、奇想天外なネタですが、この手法は、小春団治創作の「冷蔵庫哀詩」と同じもの。それが思い出されたものですから、ましてや、常人が知らないようなマニアックな台所用品を出してくるものですから、これって、講談よりか落語向きだと思ってしまいました。歴史物の中に、くだけた落語風くすぐりをかますのが得意な南海さんといえど、全編、落語風ネタに、悪戦苦闘です。そういった姿を見るのも、こういった会の楽しいところです。でも、思いました。こういった会を設定することにより、南海さん、山陽の新作ネタを、自分でもやってみたかったんだろうなと思って聴いていました。
 昨夜の金曜日は、自分的「タイ映画フェスティバル」のスタートの日です。と言いますのも、この週明けから、心斎橋シネマートで、「タイ式シネマ☆パラダイス」という催しが行われているのです。昨夜は、「メモリー」という映画が上映されました。「メモリー」とは、ズバリ「記憶」。「記憶」を失ったスーパースターが迷い込んだのは、山あいの村。そこで出会った杣人の素朴さにうたれ、徐々に、その村の生活になじんでいく男。一方、そのスーパースターのパパラッチとして登場してくるのが、相手となる女性。いい写真を見つけようと追いかけている内に、事故に遭い、「記憶」をなくしてしまった男と遭遇。最初は、パパラッチ気分で近づいていくのですが、この女も、村の素朴な生活、杣人の心根にうたれ、今や、杣人と変わらなくなってしまっているスーパースターと恋に落ちてしまいます。すると、女は決意をして、男に真実を教えなくてはと考え、ついに、かつての姿を映している証拠写真を目に触れさせてしまう。自暴自棄になった男は、自殺のような振る舞いを起こし、命も絶望かというところで、杣人の秘薬で、一命を取り留め、「記憶」が戻るが、今度は、杣人としての「記憶」が消え、女とのことも、「記憶」から消えてしまいます。となれば、最後は悲劇のままに終わるか、それとも、再び「記憶」が戻って、ハッピーエンドに終わるかの二者択一しかないのですが、この映画は、そこまでの雰囲気、例えば、杣人をデフォルメして描いたり、下ネタなんかも使ったりしているところから、お約束のハッピーエンドで終わりました。村の家は、セットでしょうが、その周辺の光景として出てくる風景が、私のタイのイメージからかけ離れているのです。村での生活は、寒いという前提での風景ですし、木枯らしっぽい風が吹く、日本の秋の風景のようなのです。これは、びっくり。まるで、信州でロケをしたっていう風景と書けば、解っていただけるんじゃないかな。ネットで調べてみますと、チェンマイから、まだ、4時間山奥に入ったところで、ロケが行われたそうです。それに、主役の男女が、めちゃイケ面。男の方は、華人系なんでしょうか、まるで韓流スターのようでした。それに加えていいのが、チャーと呼ばれる役の女優さん。欧米系の血が入ってんじゃないかっていう感じの美形。これも、調べてみますと、ポ−ラ・テイラーというタイの人気女優。美形で有名な女優さんだそうです。そして、恋する二人のシーンが最高。相手の男優がしゃべっているときの、ポーラ・テイラーのリアクションの表情が、とっても気に入りました。そんなで、タイのライト感覚の恋愛映画っていうところでしたが、ネットで調べたついでに、オークッションに、この映画のDVDが出てましたので、早速、購入の意志を伝えました。ポーラ・テイラー、最高! ネットの写真を見ていると、純粋のタイ人女性です。タイは、奥深いです。




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