2009年 1月 12日(月)午後 11時 37分
祝日の午前中、韓国映画「友へ、チング」を観た。韓国で、大変な観客動員を記録したなんていう触れ込みは承知していたし、また、「ブラザーフッド」「タイフーン」のチャン・ドンゴンの出ていることも知っていたのだけど、なぜだか、真っ先に観ようかという気が起こってこなかった映画でもあるのです。それは、考えるに、先が読めてしまいそうな、しかも、先にあるのが、幼なじみたちの和解とかという平和的な方向に流れていくのではなく、幼なじみの友情を引き裂くかのような、胸の苦しくなるような結末が待っている、そないな予感がしたからでしょう。そして、実際観てみて、考えていた通りの展開が待っていました。子ども期、高校時代、ヤクザの世界に入る者・大学生の時代、ここからは、ヤクザの世界に入ったユ・オソン演じる男を基軸に、そして、やがて、その男と対立するグループに入りのし上がっていくチャン・ドンゴン演じる男との危うい関係へと話は焦点化してい
き、悲しい結末を迎えてしまうのです。「トンケの蒼い空」なんかも、時系列を階段を上がるような進行を持たせていき、お互いの人間関係の進展を描いていきますが、それが、男の友人同士、しかも、ヤクザが絡むという設定なのですが、なんか、このパターン、何度か観たよなの感じにとらわれてしまいました。なお、ユ・オソンは、「角砂糖」で、主人公の相談役になっていたあの落ち着いた感じの俳優さんであると判り感激です。見事な変貌ぶりです。
ちょうどお昼頃に、弟の家に行き、ちょっとおしゃべり。先日の旅行の写真を見ながらのものでした。そして、今日も大阪にお出かけ。行き先は、九条のシネ・ヌーヴォ。アルゼンチン映画「オリンダのリストランテ」を観に行ってきました。そして、アルゼンチン映画に、またしても泣かされてしまいました。いい映画です。ブエノスアイレスで、レストランを営むオリンダ、彼女は、若い男を一人雇い、結構広いレストランを経営し、且つ、自ら厨房に立っていた。その店に、アルゼンチンにいるはずの彼女を探しに、一人のドイツ人の若者が転がり込んできたときから、初老のオリンダの中が、少しずつ変わり出します。ドイツ人の青年の一途に人を探す気持ち、また、久しぶりに聞く外国語、彼女は、イタリア移民のアルゼンチン人だったのです。自ら行動に移すことを自覚したオリンダには、どうしても、故郷のイタリアの町を訪れたかったのです。更に、オリンダの周りにいるおなじみさんの中に、日々通ってくる初老の紳士にも、影響は与えていきます。オリンダともども、お互いかけがえのない存在になっているにもかかわらず、年齢のこともあり触れないことを良しとしていたのですが、そのままにしておいてはいけないと考え始めるのです。イタリアに行っても帰ってきて欲しいという気持ちを伝えるところで、どうしようもなく、涙が出てきました。結局、ドイツ人の青年は、探し人を偶然見つけます。が、最早、そのときには、彼女は、青年が探していた彼女ではありませんてした。アルゼンチンにいる意味のなくなった青年は、ドイツに帰ると言いますが、オリンダがイタリアにいる間は、少なくとも、オリンダのレストランを切り盛りしてました。この映画は、イタリアからのカードが、ドイツ人の青年の手を通じて彼女を待っている初老の紳士に渡されるところで終わります。人と人の出会いが、一人一人に新たな可能性を与える、ある意味では、随分と使われたテーマかと思いますが、描かれる人物の魅力、また、それを演じきる俳優さんの力量で、見事な感動を与えるものとなるものです。昨年に続いて、またしても、アルゼンチン映画にやられました。ホント、いい映画です。
九条から、とってもすんなり南森町に移動。30分ほど時間がとれそうでしたので、おなじみの南森町のネットカフェで、時間調整。夜の部は、繁昌亭だったのです。今夜の繁昌亭は、「新春 林家一門顔見世興行」があったのです。昨日と今日の2日連続の公演でしたが、その内おじゃまをしたのは、2日目となります。実は、文楽に、ここで1回は行こうとしたため、この林家の会の出演者を見て決めた次第です。染左、染雀、花丸と並ぶと、迷いはないですね。番組は、染吉「阿弥陀池」、卯三郎「湯屋番」、染左「壷算」、うさぎ「ふぐ鍋」、染二「寝床」、(中入り)、染雀「宗論」、花丸「太鼓腹」、染丸(小鼓)染二(小鼓)うさぎ(大鼓)染雀(三味線)染左(小鼓)林家和女(三味線)山澤由江(胡弓)「三曲万歳」となりましたが、各噺家さんの鉄板ネタが、えらく並びましたので、それは置いておいて、注目は、卯三郎と染左。卯三郎が、今までの控えめな高座からすると、ネタのチョイスとしては、ありえないもの。まず、そのチャレンジ精神に拍手ですし、また、その意欲が、立派に口演に生きていたと思います。番台の上で、好き放題の若旦那の青白さも見えてきそうな好演でした。この世代の層が、厚くなっていきますね。染左は、どんどん大阪的泥臭さを深めていっています。へっついを買ってもらう男のボケ倒しがいいし、それを、マジ切れで突っ込む徳さん、もっと知的な男と思ってたぞと、染左が演じると、自分の持っているイメージが相対化されます。最近、染左の落語を聴いていると、よく体験させられます。「寝床」は、誰も聴いてくれないということが判るところまで。染雀の「宗論」を聴いて、いつも思うこと。「宗論は、どちらが負けても釈迦の恥」というフレーズを使う
のなら、キリスト教徒を出すのは無意味だと思います。マクラの陰陽の話も、同様です。染雀ともあろう人が、なんで、こないなことをしているのでしょうか? なお、このネタは、染語楼からもらったということでした。花丸のネタ、少しずつ進化していってます。ホントにうまいものです。本日の売りは、最後の「三曲万歳」。「忠臣蔵」を、三味線などの楽器に乗せて辿ろうというもの。胡弓が入るだけで、随分と音楽的幅が出てくるから不思議だし、三味線が染雀とのツレ弾きということで厚みを持ち、きっちりと胡弓の独特の音色を受け止めている。途中に、「質屋芝居」「小倉船」のフレーズも入り、従って、掛け合い、所作も入り、この音曲万歳のハイライト的部分を作り上げていました。こういったことをするときって、ホント、染雀の存在は大きいですね。三味線が弾け、芝居、しかもおやまができるということで、欠かせない存在です。
そんなで、3連休ではなく2.5連休という中途半端な休みでしたが、終わってみると呆気ないですね。とまあ、いつものフレーズが出てしまいました。
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