忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2009年 3月 21日(土)午前 1時 31分

 一昨日、昨日と、仕事のため夜遊びには行けずの状態。悲しい現実でした。今日は、一転、三部構成です。昼間の繁昌亭、夜の映画二連発というラインナップでした。まず、繁昌亭は、雀松の初登場の週でしたので外せなかったのです。その繁昌亭の番組は、雀五郎「看板のピン」、阿か枝「延陽伯」、恭瓶「風呂敷」、チョップリン「コント」、春雨「ふぐ鍋」、都「初天神」、(中入り)、朝太郎「マジカル落語」、雀松「マキシム・ド・ゼンザイ」、つく枝「桃太郎」、松枝「寝床」というものでした。雀五郎は、10分丁度に、マクラも入れてまとめました。雀五郎も、繁昌亭昼席初登場ですが、毎日、ネタを変えているようです。大したものです。阿か枝は、マクラで、小学校での公演経験を披露、何度目かになるマクラですが、いつも笑ってしまいます。それに、ネタで勝負する姿勢が嬉しい人です。新たなくすぐりを工夫するというよりか、既成の台詞に工夫を加えてくれます。ますます、阿か枝の口演には、目が離せなくなってきています。延陽伯の名前を言っている間に、お経に変わっていくスピードの変化は、見事でした。恭瓶のネタは、大阪では、あまり演じ手の少ない噺。前半のもったいぶった叱りの言葉からすると、肝心の風呂敷を使って下げに連なる部分が、あまりにも呆気なさ過ぎの噺です。でも、そのわけの分からない叱りの言葉に困る女がおもしろかったですね。恭瓶の好演といえますが、このネタ、間男の噺じゃなかったでしたっけ? なんか、その辺が曖昧になったのは遺憾です。チョップリンって、黄紺も名を知ってるコンビですが、なんか頼りなかったなぁ。どんな味わいがあるのかも掴めませんでした。どうも、この辺から、自分の体内温度が下降気味。春雨の虚弱体質を売りにするマクラに相応しい高座から、またかと思ってしまった「初天神」と続くと、どんどん下降は止まらずでした。その気を変えてくれたのが、朝太郎。持ちネタのパターンを変えたもので、聴く者も気分一新です。そして、お待ちかね雀松。「マキシム、、」に当たるとはラッキーです。黄紺は、なぜか、このネタに当たったことはなく、めっちゃお得な気分になりました。噂どおり、聴いている内に、胸が悪くなってくるとは、よく言ったものと感心しながら聴いておりました。つく枝の「桃太郎」は、えらくテンションの高いものでした。こんなつく枝は、あまり聴いたことはありません。特に、親父さんのテンション、おかみさんは、ネグリジェを着て、夫を待っているという設定。おまけに、パンツまで脱いでいるというもの。これは、過激。珍しいです、こないなつく枝。松枝の「寝床」は、ご近所回りの報告は、カットして始まりましたが、とにかく、最初から最後まで、同じようなテンションで流れる流れる。あまりにも流れ過ぎて、幾つかの節目となる場面転換も、メリハリがつかないほど。これは、あかんでしょう。言葉の洪水を浴びるような感じになっちゃいました。そんなで、今日は、幾つかの山と谷がはっきりとしていたかな、そして、お目当ての雀松、つく枝、阿か枝、雀五郎という噺家さんは、期待通りの結果を残してくれたと思います。
 繁昌亭がはねると、南森町でおなじみのネットカフェで、1時間半あまりの時間調整。夜は、堺筋線・中央線を使って、九条に移動。今、シネヌーヴォで「大阪アジアン映画祭2009協賛企画」として「中国映画の全貌2009」が行われているのです。今日は、香港映画を、2本観ました。まず、1本目は、「パテイシィエの恋」という映画です。香港のイタリア料理店で働く人たち、及び、そこに集う人たちの恋模様が描かれていきますが、主演の二人は、そのお店で働く二人。その二人は、お互い違う相手に恋をしているのですが、それぞれ、ニ岐をかけられているという設定ということからも判るように、かなり奔放な恋模様が描かれていきますが、この設定からして、先が読めてしまいます、簡単に。話が小さいのと、さほど意外性のある展開ではないなか、救いと言えるのは、女優さんが、いいですね。カリーナ・ラムと言います。彼女の雰囲気に、映画のテイストが統一されており、その女優さんのために作られたっていう感じの映画でした。おしゃれな映画を目指そうとして、おしゃれに成りきらなかったっていうところです。
 引き続き2本目の映画「イエスタデー・ワンスモア」を観ました。アンディー・ラウ主演のラヴ・コメディーと言えばいいのでしょうが、途中の肝心なところで、ダウンをしてしまい、そこかしこで、どのように辻褄が合っているのかが解らなくなってしまいました。泥棒夫婦が、分け前のことで、離婚をしてしまい、別れた妻の方は、宝石目当てに一人の男に接近をします。別れた夫も、同様に、同じ宝石を狙っています。また、狙われている宝石を持つ方も、かつては泥棒だったというように、主役級は、全て泥棒だという設定の映画です。そういった泥棒稼業をする中で、二人の関係というのは、決して壊れてしまった関係ではないことが、観る者にわかってくるのですが、双方に、お互いに伝えあってない病気があるという話になるあたりから、ダウンしたためにあやしくなってきます。宝石や金ではないものの大切さというところに収斂はしていきますが、泥棒の勢揃いという設定がおもしろく、二人がじゃれあうように盗り合うなんて場面なんかで楽しませてくれる優れものの映画と看ました。それだけに、途中のダウンが惜しまれる映画でした。




2009年 3月 18日(水)午前 6時 14分

 一昨日は、雀のおやどでの「桂雀三郎独演会」に行くつもりをしていて、すっかり職場を離れるきっかけを待っていましたところ、仕事のトラブル。あえなく断念。雀三郎の「仔猫」を聴きたかったのにと思ってみても、あとの祭りです。
 そして、昨夜は、息子と一緒に、「第176回天満講談席」に行ってまいりました。と言いますのも、丁度、仕事が終わって、会場の北区民センターに向かっているあたりで、息子が、天満から京橋あたりにいるはずだということが判っていましたので、京橋で落ち合って、とりあえずは食事をすることとなり、結局は、一緒に行くことになったのです。
 その番組は、南舟「角屋船の由来」、南湖「赤穂義士銘々伝〜杉野十平次と俵星玄蕃〜」、南北「赤穂義士本伝〜最後の大評定〜」、南華「無心は強い」というものでしたが、3月は、浅野内匠頭が刃傷に及び切腹をした月ということで、「赤穂義士」関係が2つ出ました。いつ聴いても、「赤穂義士伝」は、よくできたお話てんこ盛りです。南舟は、南左右衛門のいい意味でのくささを吸収しだしてきました。プロの目から見ると違うのかもしれませんが、聴く度に、新しい成長を確認できる呑み込みの良さのようなものを感じます。ネタは、明智光秀の信長討ちのあと、堺から三河へと逃げ帰る家康の話。船に積んだ干鰯の下に身を潜めて逃げのびる話です。南湖は、前半が、杉野十平次が、夜泣きそば屋をしながら、吉良邸の者と親しくなり、吉良邸の内部の様子を探る話で、後半は、俵星玄蕃の道場の様子から、二人の交流へと発展していきました。前夜、寝不足でした黄紺は、肝心の俵星玄蕃が出てきたあたりから、うとうとし出したため、話の筋立ては、息子から教えてもらいました。息子は、変化があって、この話が、一番おもしろかったと言っていました。それに反して、次の南北さんのしんみりした話は、いかにも泣かせんかなが働いていて、聴いていて落ち着かなくなってくると言ってました。その話と言いますのは、赤穂城明け渡しを前にして、藩から去らず、変わらない忠義を見せている家臣たちの最後の評定、これが、この話の舞台です。全員白の死に装束での登城を求められたりと、芝居じみた話になっていますが、足軽でした寺坂吉右衛門も義士に加わっていく大元の話なんかも出てきました。南北さんのしみじみした口演が冴えた一席でした。南華さんのはなしも、うとうとで情けないかな、よく覚えておりません。詐欺の話だったような、そうじゃなかったような、、、。
 帰りは、扇町駅から北浜へ出て、淀屋橋まで歩き、淀屋橋始発の快速特急で帰ってまいりました。昨日、実は、息子が、天満〜京橋辺りにいるんじゃないかと思っていましたのは、就職先がはっきりと決まり、その関係で動いておるのを知っていたからです。ですから、帰りの電車の中では、その辺の話を、うだうだとしていましたら、呆気なく京都に到着でした。




2009年 3月 15日(日)午後 6時 32分

 今日も、「大阪アジアン映画祭」に行ってまいりました。こちらの時間の都合で、今日は、タイ映画とインドネシア映画を、各1本ずつ観ることができました。
 まず、1本目が、タイ映画「サイアム・スクエア」で、一種のラヴストーリーで、とても素敵な映画で、最後には、黄紺自身も、涙を流してしまいました。主人公二人の子どもの頃の様子から始まります。一人は、おばあさんとだけの二人暮らしを余儀なくされたミウと呼ばれる高校生、もう一人は、姉が失踪し、失意の内に、家族みんなが引っ越していくのですが、高校生のときにミウと再会する トンという高校生。トンの家では、姉の消息は判らずじまいで、責任を感じた父親はアル中状態。ところが、トンが再会したときのミウは、仲間とバンド活動をしてCDも出すほどになっているのですが、そのバンドのマネージャー役の女性が、失踪したトンの姉にそっくりだということで、母親と相談して、姉になりきるアルバイトを要請します。それにより、快復傾向を見せる父親でもあるのですが、姉役をした女性は、この家族の、お互いを思いやる気持ちの強さを知り、自らは手に入れようもないものを認識していきます。ミウは、一人ぼっちだったところへ、何かと心を許せるトンに友情以上のものを感じだし、それを、オリジナル曲の歌詞に入れるため、トンも心を動かされてしまうのですが、二人でいるところを、トンの母親に見られてしまい、ミウはトンとの付き合いを遮断してしまいます。こういった状況を、どのように納めていくのだろうと思っていますと、マネージャーだった姉似の女に、バンコクを去らせます。でも、彼女は素敵なメッセージを残していきます。それは、トンの家族に勇気と自信を与えるものでした。でも、最後まで、彼女が、実は本人そのものじゃなかったんだろうかと余韻が残ります。監督の上手なところです。トンとミウの関係は、多感な高校生の感情の高ぶりの中で起こった一つのシーンという処理をします。これはこれで、素敵な納め方で、結局は、普通に普通に納まってはいくのだですが、様々な感情を高ぶらせたり、それをコントロールすることを覚えたりと、この世代特有であり、特権とも言える時間を見事にあぶり出していました。こんなので泣くなんてと思ってしまい、でも、こんなだからこそ泣いてしまうのだと思わせられる超素敵な作品でした。監督は、「レベル13」のチューキアット・サックウィーラクン監督だということを、会場に着いてから知り、あまりの才能に、ただただ驚くばかりでした。上映終了後、監督への質疑応答が用意されており、黄紺も、一つ質問しました。なんせ、トンの家族はカソリックという設定だったもので。
 2本目は、インドネシア映画「空を飛びたい盲目のブタ」でした。ただ、この映画、台詞が、かなり抑え気味のうえ、一つのカットの中での俳優さんたちのアクションの持つ意味が、簡単には分からないのです。ましてや、前後のカットとの連関性は尚更で、おまけに、カットの配列が、時系列を壊していますから、とにかく分からない。インドネシア在住華人の地位を扱っているようで、それが、どのように描かれようとしているかが読めないのです。草むらにつながれた豚の意味は、更に解らない。となると、睡魔が襲ってくるわで、ダウンしちゃいました。でも、はっと気を取り直したときに、時系列がごちゃごちゃにしてあることが判り、一挙に目からウロコでした。様々なマイノリティが、インドネシアという国家主義でまとめられる、その象徴が、バドミントンなのですね。でも、マイノリティとして、ときとして重なりながら、インドネシア社会に存在するものは、華人のみならず、キリスト教徒、同性愛者、それらが、紐で繋がれ自由を束縛されたマイノリティなのでしょう。でも、最後には、紐を引きづりながら、豚は草原を下っていきます。それと相前後して、画面には、日本人になりたがってる男(子どものときに華人だということでいじめられていた)が、幼なじみの女(男の子がいじめられたときに一緒にいた)と、華人襲撃のニュース・フィルムをバックにしたカラオケの歌を歌い、その歌は、何度も流れるスティービー・ワンダーの歌が流れ、「何があっても愛してると言う」と歌ったり、同性愛者が街を仲良く歩いたり、、、監督の希望なんでしょうね、そんな感じで終わるのですが、歯医者が解らないのです。キリスト者であったのがイスラームの改宗したりと、この人の存在が解らないのです。ダウンしたこともあるのでしょうね、解らないまま終わっちゃいました。但し、全部観てたからといって理解できたという保障のない難解な映画でした。なお、この作品は、「2009年ロッテルダム国際映画祭国際批評家連盟賞」受賞ということで、来日予定だった監督は来日できず、替わりにプロデューサー兼撮影監督さんが来場されました。




2009年 3月 15日(日)午前 4時 27分

 昨日は、午後から振替なしの出勤。それに出かける前に、韓国映画を1本、DVDで観ました。「小さな恋のステップ」という映画で、「フー・アー・ユー?」や「英語完全征服」「私たちの幸せな時間」のイ・ナヨンと、「トンマッコルへようこそ」「ウェディング・キャンペーン」「正しく生きよう」のチョン・ジェヨンという、とっても魅力的な組み合わせということで、否が応でも期待が膨らむ映画です。チョン・ジェヨンの演じる男は、プロの野球選手で、且つ、悪性腫瘍ということで、余命2ヶ月と宣告された男。なんせチョン・ジェヨン演じる男ですから、真面目で、熱いものを持ちながらも、何かにつけても不器用。この映画は、ラブロマンスですから、そういった方面でもということです。一方、イ・ナヨン演じる女は、そういった男に、中学生の頃から憧れ続け、今も、その気持ちを持ち続けています。この映画、女の方は、そういったキャラだけで描かれ、それ以外の生活が、ほぼ出てこないため、せっかくのイ・ナヨンが、憧れを持つだけの女という感じになってしまってます。筋立ては、なかなか頼りない。余命2ヶ月を宣告された男の一つの生き方を追っているのか、ずっと気づいてくれることを待ってる女との関係が深まることに焦点が絞られているのかが、最後の方まで明確にならずじまいで、なんとなく終わっていくという映画です。いいキャラを、しかも、かなり個性的な俳優を使いながら、それを生かしきってるとは思えない、総体的にも、頼りない作品。最近観た韓国映画にはない質っていうところです。とまあ、辛口にならざるをえません。
 仕事が、考えていた以上に、スムーズに終わり、ほとんど諦めていました「大阪アジアン映画祭」に行くことができました。場所は、新福島駅近くにオープンしましたABCホール。黄紺は、京阪中之島駅から歩いて行ってまいりました。夜の部は、シンガポール映画「ゴーン・ショッピング」。映画の95%以上が、幾つかのショッピング・モールが舞台という映画です。主人公は、はやりのアラフォーの女性。この女が、いろいろとショッピングしまくります。徐々に、病的とも思えるようになってきますが、彼女は、ショッピングに出かけることが、心の空洞を埋める手段化しています。その空洞の基を作っているのは、夫との関係、帰るべきところである家族の喪失、それがあるものと思われます。そんなおり、若かリし頃の知り合いだった男に出会い、女の心は、落ち着きを見いだしていきます。それは、ショッピングが治まるという形で現れてきます。サブ的な主役が、あと二人います。話は別々に進み、3人の出会いもあり、映画は進行していくという形をとっていきます。その内の一人は、マレー系の青年と言っていいのかな、ショッピング・モールに集う人たちを冷ややかに見ていながら、友人の妹に関心を持ってしまうのですが、思いがけずにも、気を入れてしまい、女に軽くかわされていくという役柄。サブの主役の残りの一人は、インド人の女の子。家族と、ショッピング・モールに来たのですが、迷子になっても家族に探してもらえず、モールの中をさまよっています。アラフォーの女は、心をかけた男とシンガポールからの脱出を夢見るのですが、それは叶わず、青年は、女の本当を知り、しかも、その兄には怒られと、散々打ちのめさせられ、インド人の女の子は、警備員の助けを得て、館内放送で、自分の気持ちを流させてもらい、結局は親に連れられ帰っていきます。何かしら、日常が変わったわけではないのですが、その日常を生きていくしかないところに気づきながら、また、日々を、皆は生きているのだということを示してくれていたようです。アラフォーの女性は、華人。華人系の店、インド人の店、それぞれの店員さんや警備員さんの応対とか、それぞれの雰囲気が出ていて、そんなのを見ているだけでも、おもしろい映画でした。




2009年 3月 13日(金)午後 11時 29分

 今夜も、繁昌亭。これで、4日連続となりますが、昨日までの「文枝一門会」と違って、今日は、「第37回東西三人会」。昨日までとは、随分と、客席の雰囲気が違います。笑福亭と文枝一門の違いっていうところでしょうか。それとも、チケットの売り方の違いでしょうか? 番組は、風喬「大安売り」、三喬「墓供養」、小里ん「提灯屋」、(中入り)、松喬「佐々木裁き」、志ん橋「宗aの滝」というものでした。この会は、随分と続いています。今や、東西落語界の中核となった三人に加え、三喬らが聴ける、とってもお得な会です。風喬は、どうやら直前に、ネタの変更を求められた様子。で、お得意のネタ。相撲とりの名前が朝少食とか、プチアレンジが嬉しいですね。三喬は、最近、よくかけている珍品を、今日も出しました。単に、墓供養に来る人の名を帳面につけるだけの噺。毎回、思うのは、吃音の男は笑えないなぁっていうこと。小里んは、上方にはないネタ。ちんどん屋からもらったチラシに、条件をクリアすると提灯を無料で進呈と書かれていたので、次から次へと提灯屋へ押し寄せる噺。前半は、チラシをもらっても、誰も読めないという無筆ものでもあります。中トリにしては、中入り明けの大きめのネタに比べると小ぶりな感じを与えてしまうネタでした。今日は、このネタの後半に、半分ダウン近くまで行っちゃいました。どうも、そんなのが続きかげんです。「佐々木裁き」は、松喬では、初物。ただ、今日の松喬は、なんか調子が、もう一つ。微妙にひっかかり気味。ちょっと珍しい。人物像も、子どもに生彩を欠いていました。ネタの運びも、米朝直伝の味付けが色濃いもので、別段、それはそれで、全然いいのですが、軽く言葉が飛んだり抜けたり、特に下げの回りくどさは、もどかしいものがありました。こないな不満を、松喬に感じたのは、初めてと言っていいと思います。「宗aの滝」は、名人もの。宗三郎の面倒をみる宿屋の主人の心の広さが嬉しい噺。その一方で、宗三郎の脳天気さが気になりました。酒を呑むようになるのも不自然だし、切迫感の薄い男に見えるのも、なんかおもしろくない男です。そう感じるのも、志ん橋の口演に問題があるのかもしれません。最後に、滝について解説を入れなくてもと思いました。そこまで来たら、お伽話にしておいて良かった思ったものです。主役の3人に突っ込みを入れたような書き方になってしまいましたが、次回も、間違いなく行くと思える高レヴェルの会なのです。




2009年 3月 13日(金)午前 6時 29分

 昨夜も、繁昌亭。「五代目桂文枝一門会」の3日目でした。3日連続興行を、全部行ったことになります。だいたい、こういった連続興行は、その内の1日だけチョイスして、その雰囲気だけでも味わおうをポリシーにしているのですが、今回は、気分の問題で3日ともチケットを買ってしまっていたのです。昨日の番組は、三段「賑やか寿司」、つく枝「延陽伯」、文華「軽業講釈」、小枝「水族館」、(中入り)、坊枝「野晒し」、枝光「鹿政談」、文喬「研修医山田一郎」というものでした。ただ、一昨日の夜は寝られず、それが効いたのか、お目当てのつく枝と文華でダウンしてしまいました。つく枝が、めちゃ受けていたのは、よく覚えているのですが、文華の高座で覚えているのは、最後に講釈師が「うるさい」と叫ぶところで、お囃子を止めてもらうず、楽屋口まで這って行って止めてもらったところくらい。情けないです。一門ならではの洒落が効いています。順を追っていきますと、まず、三段が初物。三枝の弟子であり、ネタも三枝作品ながら、しゃべる言葉は東京弁。このあとも、このままでいくのでしょうか、ちょっと気になる人が入ってきました。小枝は、マクラで、次代の文枝・小文枝は誰が継ぐのかというきわどい話をたっぷり。文枝生前のおり、小枝が一字だけもらえばいいと言ったという話も披露してくれました。文枝曰く「よし、やろう」「但し、文小枝」という話です。ネタは、「動物園」を完全に終えたあと、噺が続くというもの。今度は、ラッコのぬいぐるみを着て、水に浮かんでるというもの、そしたら、また、アトラクションが始まるのです。そういった噺なのに、小枝はやりたい放題で、お囃子を入るきっかけを言うものですから、下座の方は大変。「雪」が2回入り、「舟漕ぎ」が1回入りました。会場、大爆笑です。坊枝は、まず、小枝を「上方落語を愚弄してる」となじり、笑いをとり、志ん朝の思い出話を語れるのも師匠のおかげと言って、自分の独演会に出てもらってお願いしたネタということで、「野晒し」へ。枝光は、鼻につくマクラを並べ、ようやくネタへ。どうも、枝光の声質には合いにくいネタをチョイスしたものです。特にお奉行さんが物足りないですね。そして、3日間の大トリは文喬。自身の入院体験に基づいた新作。自分的には、2度目の遭遇。マクラも入れて、35分の熱演。ここまで長いネタだったのかと感心しましたし、はっきりとは言えないのですが、ネタ的にも進化してるんじゃないかな? 専門的な医学用語が飛び交いますから、リアリティ満載、それに加えて、同室の元極道のキャラ作りも傑作で、そういった脇が固まっているせいか、研修医山田一郎の言動に、余計おかしみを感じるのでしょうね。大トリにふさわしい沸きようだったと思います。こうやって終わってみると、どの日も、それなりに充実をしており、文枝一門の質の高さを実感した次第です。




2009年 3月 12日(木)午前 0時 21分

 この間、時間の隙をついて観ていた韓国映画を、ようやく観終えました。それは、かねてから観たかったにも拘わらず、まだ観ていなかったカンヌのグランプリ受賞作「オールドボーイ」です。とにかく、筋立てとしては、長年の間、監禁されていた男が、その後解放されて、どうのこうのとなるくらいしか知らない映画だったのですが、黄紺のお気に入りのカン・ヘジョンが出ていることは、きっちりとマークの入ってる映画でもありました。「トンマッコルへようこそ」や「とかげの可愛い嘘」「恋愛の目的」のカン・ヘジョンです。主役の監禁された男は、「親切なクムジャさん」のチェ・ミンシク、監禁の鍵を握ってるものと思われる男が、「美しき野獣」や「ノートに眠った願いごと」「ファン・ジニ 映画版」のユ・ジテと、確かに著名俳優が揃っています。ポイントは、15年の監禁であり、且つ、15年後の解放に意味があると言えます。いきなり、映画は、一人の男が消えてしまうところから始まり、監禁の様子が続きます。ですから、監禁に至るわけのような物語は、全て解放後に、徐々にわかってくるというものでしたから、監禁が映っている間、この監禁に意味をもたらすならば、それは、人の成長、もちろん、老いも含めての人の変化が、筋立てに関わるのだろうと思っていましたら、わりかし外れではありませんでした。その種明かしを知って、復讐する主体の逆転とかというおもしろい趣向があったり、また、15年間の監禁という事態の異様性を補強するのが目的なんでしょうね、猟奇的な場面を取り入れることをコンセプトにしていたりと、分かり易いと言えば分かり易いのですが、一方で、催眠術で記憶を消したり、行動を制御したり、反則的演出もあり、そないなことを総合的に看てみると、果たして、カンヌでグランプリを取るに値するほどの映画だろうかと思ってしまいました。一つには、かなりの期待があったからかもしれません、そのように思うのは。
 今夜も、昨晩に続き、繁昌亭での「五代目桂文枝一門会」です。今日の番組は、三弥「隣の桜」、かい枝「Eye Doctor」、小軽「鷺取り」、きん枝「お文さん」、(中入り)、文昇「狸賽」、楽珍「色事根問徳之島編」、文太「幾代餅」というもので、きん枝、文太が狙いでした、今日は。終わってみて、前半の暗さ、後半の明るさという好対照の番組編成だったなぁという印象です。前半は、とにかく三弥と小軽がネックな上に、きん枝は、好演ながら、ネタが、陽気なとか、からっとしているとか、軽やかというネタではないために、淀んだ空気を一掃するには至りませんでした。三弥は、「真田小僧」などでは、巧者ぶりを発揮するのですが、このネタはダメですね。花の噺に華がないとは、ホント暗くなります。小軽は、気が滅入りました、正直言って。間に挟まれたかい枝が、よりによって、英語落語を出したものですから、普段のパワーは控えめだったのも響きました。それに反して、後半の3人は、実に楽しかったなぁ。最近、文昇の出来が良くて、ちょっとこだわってみたいなと思っています。軽〜く、ネタを運ぶリズムのようなものが出てきましたし、これまた軽〜いマクラも聴いていて、軽やかな気分にさせてくれます。主人公が、他の噺家さんより1回多くツボをふるときのテンポ、抜群でした。1回多くても、その方が合理的とも思えたノリノリのテンポでした。それに、楽珍の「徳之島編」は、待望の再会。以前、1度だけ、楽珍・小米朝二人会で聴いて以来の再会で、今日も、存分に楽しませてもらいました。盛り上がりを見せたところで、文太の登場は粋だし、しかも、楽珍の高座を受けて、マクラで、散々、楽珍いじりをするものですから、会場のボルテージは、どんどんと上昇。おまけに噺が、廓に関わる艶っぽいものですから、どないな噺やねんオーラが、会場からは、どんどんと盛り上がっていきました。また、文太がリズミカルに進めますから、引き込まれていく感覚が、一層強くなっていきました。ホント、いいトリでした。なんてなことで、さっさと、繁昌亭のこの会のチケットを買ってしまったために、雀のおやどには行けない日々が続いています。




2009年 3月 11日(水)午前 6時 1分

 昨日は、職場を慌ただしく出て、繁昌亭に向かいました。昨日から3日間、繁昌亭では、「五代目桂文枝一門会」が開かれています。文枝が亡くなって4年になります。毎年、その命日の3月12日周辺で、この追善落語会が行われるのです。昨日の番組は、三幸「お忘れもの承り所」、阿か枝「牛ほめ」、こけ枝「ちりとてちん」、文也「はてなの茶碗」、(中入り)、枝曽丸「和歌山弁落語:入院上々」、枝女太「持参金」、文福「同窓会」というもので、開演前から、本日のトリの文福がロビーに現れ、客に、いろいろと世話をやいておりました。
 で、肝心の落語ですが、昨日の秀逸は、枝女太。うまいものです。客席が、どんどんと噺に引き込まれていく空気を感じました。この噺、どないになるんだろうという興味もあり、枝女太の口演に引き込まれ、その種明かしのような部分に来ると、ふーっと空気が緩みます。緊張と緩和っていうやつを味わえました。次にいいなと思ったのが、三幸とこけ枝。「お忘れもの承り所」は、伸縮自在なネタなので、よく演じられます。昨日は、傘を忘れた男以外では、蟹、メガネ、あともう一つ何だか忘れてしまいましたが、もう一人が登場しました。タイムリーなくすぐりを入れつつ進める、達者やなぁと思わせるときの三幸でした。こけ枝は、旦さんが、どっしりしつつも愛嬌があって、前座の頃のこけ枝を思い出していました。つく枝と相成らんで前座で活躍していた頃です。噺の運びがうまく、人の特徴が目立っていたあの頃の姿を、昨日の「ちりとてちん」で見ました。二人の掛け合いの間の変化技が出ると、なかなか楽しめる「ちりとてちん」じゃないかなぁ。それに対して、口舌爽やかな文也の茶金さんに、品格を、もっと付けて欲しいなぁ。茶金さんが出てきて、あっ、こないな人物像なんだと思えると、なんせ、文也の口演は流れますから、瞼に重しが着いてしまいました。期待の阿か枝は、一番下ということで、遠慮しちゃったみたい。はしょりながらの口演だったため、おいしいくすぐりが、ほぼ全部というほどカットというものでした。昨日の色物二人は、ともに和歌山出身。枝曽丸の和歌山のおばちゃんが使う和歌山弁に対する反応が、客によって違うのが、おもしろい。恐らく、和歌山出身の方々なんでしょうね、めちゃ反応されていました。ネイティブ・スピーカー同士が通じあっていたのでしょうね。枝曽丸は、和歌山弁のおばちゃんという武器を持ちつづ、日常の風景をカットしてくれます。立派な新作派と看なさねばならない噺家さんだなぁと思いながら聴いていました。文福は、謎かけ、相撲甚句を披露してからネタへ。文福自身が落語の中に登場してくるというところが、傑作。小品ながら、佳作じゃないかなぁ。ただ、文福らしい過剰サービスがありますから、嫌みなサービスだと思わないように、ボーっとしながら聴くというのが肝要なのでしょう。




2009年 3月 9日(月)午後 10時 36分

 今日は、初めての落語会に行きました。2年ほど前から始まっていたことは知っていたのですが、今まで縁がなかったということなのでしょう。毎回、雀三郎一門が出演する「第12回城北にぎわい亭」という落語会で、京阪関目駅から歩いて行けるところにある「城北市民学習センター」というところで開催されています。どうやら、その施設の自主開催のようで、定員が120名という会場を使っていますから、結構な規模の会となっています。黄紺も、ネット上で申し込み、当選という形で参加することができました。ただ、今月は、雀三郎が、雀のおやどで連続独演会を行っていますから、代役として雀松が登場し、トリをとりました。ネタが、「蔵丁稚」ということで、2月の講談毎日亭と重なり行けなかった雀松の会で出したネタをかけたということで、事前申し込みまでして行ったというわけです。番組は、雀喜「つる」、雀五郎「貧乏花見」、雀太「ふぐ鍋」、雀松「蔵丁稚」というものでした。雀喜は、石段で上がり、まず、雀三郎が出れないわけを言いつつ、きっちりと師匠の会を宣伝。そして、久しぶりに聴く雀喜の前座ネタ。ちょっと滑らかでない口調は、慣れきったはずの前座ネタでも同じでしたが、それが雀喜節として、黄紺の耳には定着してしまっています。今日の楽しみの一つでもあったのが、雀五郎で初遭遇の「貧乏花見」。福団治の口演で、変形版の同じネタを聴いたところでしたので、雀五郎の口演が、春に相応しい明るさを持ち合わせているのに、安心感とか、高揚感なるものを味わうことができました。長屋の連中のおかしな発想なんてのも笑い飛ばせるのも、この明るさや温もりです。桜花舞い散る下での浮かれた気分は、貧富の差あれども分け隔てなく降り注ぎます。そないなことを思い出させる好演でした。ただ、桜宮に出て行ったあたりで、ダウン気味に。雀太の高座で、ほぼ全面的にダウン。雀太のこのネタは、今まで2回ほど聴いているとは言え、3月の声を聞くと、聴けなくなっていくネタなもので、惜しいことをしました。替わりに、期待の雀松のときには、ばっちりでした。雀松は、自分の会で披露するフリートークをした最後にWBCの話題を持ってきて、趣味つながりからきれいにネタに突入。旦さんと定吉のやり取りでのライト感覚から、一転芝居に入り、定吉のキャラが消えていく部分では、雀松が普段見せない顔、重厚さも漂わせながらの芝居を見せてくれるものですから、結構コントラストがおもしろいですし、何よりも芝居に堪能しているのが丸わかりの所作が心憎いですね。なんか、もっと、常に芝居噺を積極的に手がけて欲しいものです。なかなかいい会で、熱気もあるいい客で、そないなことを考えると、これからも、時々はお邪魔したくなった会でした。




2009年 3月 9日(月)午前 6時 14分

 昨日の日曜日は、午前中、珍しく持ち帰り仕事をちょこっとしてから、12時半をメドに、お出かけ。行き先は、梅田シティにある映画館、黄紺は、家方向から、こちらに向かうときは、京橋・福島経由というコースをとりますが、昨日も、それに準じて、人気のない道を歩いていきました。観た映画は、フランスやドイツ資本も入っているようですが、イスラエル映画と言っていいのでしょうね、「シリアの花嫁」という映画です。物語は、とてもデリケートな問題を扱い、且つ、その中に、デリケートな問題に関わる幾つかの問題を放り込んだものですから、ごった煮に終わらないか、前半は、正直ハラハラしながら観てたというところです。が、観終わると、見事に、明確なコンセプトの基に組み立てられていることが判り、観る者に感動を与える映画です。映画は、ゴラン高原のイスラエル占領地区に住むドゥルーズ教徒のシリア人の花嫁が、シリア側に嫁いでいく1日を描いています。父親は、親シリア派で、警察が目を付ける男、長男は、ロシア人女性と結婚して、故郷を捨てたと看なされており、周りの手前、息子が結婚式のために家に戻ってきても、歓待することができない。映画の主人公と言える長女は、親の決めた男と結婚したのですが、自分というものを取り戻そうとしています。また、その娘は、イスラエル寄りの男と付き合っていなど。それらの課題を抱えつつ、町での結婚式は進み、いよいよ「境界線」へと向かいます。この「境界線」を越えると、2度と、村には戻って来れないという今生の別れとなるラインです。ところが、イスラエル側の出国審査で、イスラエルのスタンプが押されたことから、シリア側が入国を拒否。そのトラブル処理のために国連職員が、イスラエルとシリアを行き来しなければならなくなり、花嫁は、もちろんのこと、見送りの人たち、シリア側で待ち構える人たちが、その往来、それぞれの国の係官との交渉を見守るしかありません。ところが、この待たされる時間というのが、素敵な時間になっていきます。再び、一つの家族でありながら、これだけの顔ぶれが揃うことはないかもしれない、そういった中で、まとまりがなくなりかけていたかもしれない家族の絆が深まったり、また、自分を取り戻していく時間になっていきます。これがいいのですが、花嫁の「境界線」越えが、こんなので解決しちゃうのというときに、またもや暗礁に乗り上げたときに、とっても素敵なラストシーンが用意されていました。自立、旅立ち、未来の展望、そのような言葉が、頭の中を駆け巡りました。この映画を、イスラエルが作ったというのも、びっくりですし、こういった映画を作る人がいるというのは、楽観主義ではありながらも、何をさておき、救いです。
 映画が終わると、今度は、梅田シティの表街道を歩き東梅田へ、そこから、南森町乗り換えで、恵美須町に向かいました。昨日は、こちらが本筋で、「in→dependenttheatre 1st」でありました「伏兵コード」という劇団の「誰も寝てはならぬ!」という芝居を観てまいりました。最近、おもしろい芝居探しをしていますが、これも、その一貫です。昨日の芝居の出演者さんが、芝居探しをしているなかで知った達者な役者さんたちだったというのが、探索に向かった理由です。芝居の設定は、先日観た劇団・鹿殺しの芝居に似ているのに、びっくり。こちらは、葬儀所に安置されている父親の遺体を前にして、兄弟(妹)が集い、遺言書を読み上げるのですが、一番下の弟が、遺言書を託されたため、金を使い込んでしまったために起こる兄弟の血なまぐさい争いが続くというもので、兄弟の設定まで、鹿殺しと同じで、二度びっくり。ただ、昨日の芝居は、かなりスプラッター度が高く、それが、最後まで続きます。ただ、落語ではないですが、最後に、すとーんと落とされ、あっと思ったところで終わりました。小劇場系で、流行りの家族が取り上げられるのは、まあ、それはそれでいいとして、スプラッターものというのは、極めて珍しいですね。一つの露悪主義なんでしょうが、この作家さん、どちら系の人なんだろうかなと、そういった関心で、もう一度は観てみたいものです。スプラッター趣味の人だったら、願い下げです、自分的には。
 芝居を観終わったあとは、息子にトルコ語講義。お酒を呑みながらなもので、なかなか進みません。息子の覚えがよろしくないってこともありますが。でも、考えてみると、トルコ語って、最初が難しいし、肝心なんですよね、母音調和ってやつです。黄紺は、初めて1ヶ月後には、なんだったんだ、あの苦しみはと思ったことだけは覚えています。言葉って、うまくできてるんだと感心したものでした。




2009年 3月 8日(日)午前 6時 44分

 昨日は、朝から蛍光灯が壊れてしまい、大変。息子に車を出してもらい、買い物に大忙し。なんせ、昨日は、11時に家を出て、先週に続いて、繁昌亭の昼席に行くことになっていたのです。昨日は、枝雀一門のトップを切って、九雀が、昼席初登場の週だったので、2ヶ月前にチケットを買ってあったのですが、出演者は、えらく地味系が揃いました。その番組は、三四郎「煮売屋」、七福「警察うどん」、わかば「いらち車」、来世楽「津軽三味線」、一蝶「強情」、米輔「悋気の独楽」、(中入り)、幸助・福助「漫才」、九雀「お公家女房」、染弥「癪の合薬」、福団治「長屋の花見」というものとなりました。三四郎は、独自のくすぐりを入れての「煮売屋」、隣りの店でのやりとりが入ったり、煮売屋の親父との掛け合いでも、プチくすぐりを入れたりで、持ち時間10分では、もったいない感じ。七福は初遭遇、なんせ徳島在住ですからね。出囃子も阿波踊り、ですが、ネタは、ちょっとシリアスな味も持つ新作。膨らまして、適度なくすぐりを入れると、おもしろくなりそうな雰囲気を感じましたが、今のままでは、地味です。わかばも、最近、あまり遭遇体験がありません。昔からそうですが、そんなにおどおどしなくて、自分らしさを前に出せば良いのにと、久しぶりの遭遇でも、同じことを感じてしまいました。ネタは、定番ものです。一蝶の変になれなれしいしゃべり方には、昔も今も引いちゃう黄紺。昨日のネタは、そんなに多くない一蝶体験の中では、ベストかもしれません。しっかりした口演でした。米輔は、以前のような淀みは消えた分、流れて流れて睡魔が襲ってきてしまいました。アクセントを付けて欲しいものです。ここまでは、ホントに地味に流れました。後半戦の冒頭が漫才で、気を変え、そのあとに出た九雀は、やはりものが違いました。軽く協会への復帰に触れ、噺家の数が増えたことから、逆に若かリし時分のやもめ時代に経験した栄養失調の思い出話から、きれいにネタに入りました。九雀には、昨日のような番組編成だと華を感じます。染弥も、そういった意味では、昨日の華その2でした。昨日のメンバーで、若手の生きのいい噺家さんは、染弥くらいでしたから、ほっとする感性を味わうことができました。福団治は、この1週間、多くを、このネタで通したみたいです。通常、演じられる持ち寄り的な花見ではなく、大家が呼びかけるという型、「長屋の花見」としたのは、それが理由です。花見をしている中で、「茶柱」が立ったところで切りました。なんか、昼席が、ますます田舎のおっさん、おばはんが占めるところとなっています。笑いが重く、マナーが悪い、これも定番化してきています。土曜日の客はましとの評判は信じないようになってきています。日曜日の方がましですね。
 繁昌亭が終わると、堺筋線経由で、谷町4丁目へ。NHKで、「だんだん」のセット公開をしているというので見に行きました。「ちりとてちん」に続いて、2回目ですが、客の数は、全然違います。「ちりとてちん」のときは、真昼間、昨日は4時半過ぎということも大きかったと思いますが、あまりにもの違いにびっくりしました。公開されているのは、「花むら」だけでした。ま、スペース的には、去年と似たところかな。簡単に見学が終わりましたので、鶴橋のネットカフェでは、小1時間の時間調整となりました。しかも、しっかりと、「大長今」で、晩ご飯まで食べることができました。カルビタンではないカルビスープを食べました。それなりに、とってもおいしいものでした。
 夜の目的地は、雀のおやど。こちらで「桂雀三郎30日間連続落語会」があったのです。雀三郎の口演は、こちらでの月例の会がありますから、改めて聴かなければならないというとっておきのネタがあるわけではありませんので、この連続公演を優先して行こうという気があるわけではありません。昨日は、「けんげしゃ茶屋」を、久しく聴いていませんでしたので行く気になったというわけです。番組は、染太「軽業」、雀三郎「ちしゃ医者」、福笑「油屋金兵衛」、雀三郎「けんげしゃ茶屋」というもので、福笑は、ゲストとだけ発表されており、出囃子で、初めて判った次第。いやぁ、「騒ぎ」が鳴ったときには、びっくりしました。とっても得をした気分です。雀三郎は、「ちしゃ医者」が秀逸。有名な雀三郎の演出、星が流れるあたりも慣れてきたのかなぁ。以前は、土臭い演出こそ、このきちゃないネタには相応しいと思っている黄紺には、なんとも受け入れられなかったのですが、昨日なんかは、こんなのもありかなぁという気分になっていました。そこまで、医者と伴の者がボケ倒すのが決まりに決まっていたからでしょうね、こんな閑話休題的挿入もありかと思ったのだと思います。一方の「けんげしゃ茶屋」は、以前、雀三郎で聴いたときと同じ印象を持ちました。もう終わっちゃう、山に乏しい噺だなぁっていうのが、それです。米朝で聴いたときは、そないな印象を持たなかったでぇと突っ込んでしまってるのです。ゲンの悪いところ、オンパレードなのですが、それを聴いたときの芸妓の反応の振幅の差なんだろうかと思います。先日聴いた「三枚起請」が流れると文句を書きましたが、ちょいとそないな傾向かなと思います。染太の口演が、なかなか楽しいもので、彼の目指す方向が出たような気がしました。分かりやすい落語を心がけていると思える方針を、きっちり計算ができ、そして、それに合理性を、初めてまともに感じました。「軽業」というネタを得たのが、染太にはラッキーだったんだと思います。福笑は、この1週間で3回聴くことができるという信じられないツキを見せた週でした。3日とも同じマクラで異なるネタ。「代脈」が、一番おもしろい仕上がりでした。「はははぁ家族」「油屋金兵衛」は、福笑作品の中では、もう一発と言っていいかなと思ってる作品。「油屋金兵衛」は、「そこや」や「どこや」が笑いのポイントなんでしょうが、かなり無理っぽいと、黄紺は思ってしまうのです。雀のおやどでは、28日連続ということからでしょうか、客の入りは、決していいとは言えません。これだけ長いと、いつでも行けるという気になってしまいますね。




2009年 3月 7日(土)午前 5時 56分

 一昨日は、職場で同室の方が、定年より1年早く退職されるということで、その送別会がありました。黄紺は、帰り道、またしても実態。電車を乗り過ごしてしまいました。久しぶりの飲み会だったのに、この様です。ま、人には迷惑はかけてはいませんが。でも、折り返しの電車にのる悲しさは、普通ではありません。
 で、昨日は、繁昌亭で素敵な会がありました。「繁昌亭夜席〜繁昌亭らいぶシリーズ十巻完成記念〜」というもので、精選された人気の噺家さんが集う好企画です。開演前には、記者会見まであった会だそうです。番組は、たま「ベルゼバブの蠅」、吉弥「短命」、米二「替り目」、(中入り)、都「堪忍袋」、福笑「代脈」というものでした。たまは、冒頭でショート落語を、10連発ほどのサービス。3つほど、初遭遇のものがありました。「ベルゼバブ」は2度目。前回聴いたときは、後半が、ごちゃついた感じがしたのですが、黄紺の慣れなんでしょうか、昨日は、奇天烈な噺とは感じませんでした。助手の男が、突然現れる不自然さは、相変わらず気にはなりました。吉弥は、久しぶりの感じ。ひろばの会にゲスト出演したとき以来じゃないかな。米団治襲名披露での話を、たっぷりとマクラで紹介。国宝の洒落か真か解らないボケた話なんかは、大うけでした。ネタは、予想通りの「短命」、ただ、以前、何度か聴いたときに比べて、だいぶとグレードアップしていました。吉弥には合わないかなと、以前は思っていたのですが、齢を重ねるにつれ、こういったネタを、ちょっとくさく演じれるようになり、且つおかしみが出てきているという感じがしました。米二は、国宝と酒、酒で電車を乗り過ごした話と、時間がある関係か、たっぷりめにマクラをふってから、これも、かなり確率が高いぞと思っていた「替り目」へ。米二の酔い方は軽いのですが、その雰囲気出しちゃいますね。この酔っ払い、とても優しそうな男に見えちゃいました。終わった途端、周りから、「うまいなぁ」の声が上がっていました。都は、とめどない都噺。「今日は、噺の上手な人ばっかしやし、私、どないしようかしら」、これだけで、会場を沸かせる都噺は、絶好調です。そして、やおらやりだした「堪忍袋」で、大失態。かけ慣れたネタにも拘わらず、後先をひっくり返してしまい、若干戻ってのやり直し。でも、これも楽しの都です。おかしかったのは、堪忍袋に叫ぶとき、都自身の家庭の事情を言ってるので、楽屋落ち的可笑しさ満載なのです。ましてや、ご主人は、今は、上方落語協会で働いているので、近くで聴いているかと思うと、余計に可笑しさが出てきます。お見事です。そして、お待ちかね、福笑。先日の出丸の会と同じマクラをふったので、これは、先日と同じネタかと、一瞬危惧したのですが、なんてことはありません、初物の「代脈」。いえいえ、福笑自身も、「初めて」と言っていました。えっと思うチョイスだったですし、ホントかと突っ込みたいネタ選びです。かつては、仁鶴が、よく取り上げていたので、福笑の気質からしてやってなかったかもとは思うのですが、「初めて」には意外感が高まりましたが、聴いてみると、存外そうかもと思ってしまいました。要するに、大受けする場面と、すべる場面が、あまりにもくっきりしていたものですから。大受けするのは、見立てをする後半。もうやりたい放題。病身の娘さんに、胸をはだけさせて、抱きつくは、挙げ句の果てには、乳首まで引っ張ってしまいました。それとのバランスを取るためか、前半、ボケようとするのですが、ちょっと無理矢理感があり、すべるところが幾箇所か出てしまいました。あとは、ボケ方の工夫か、思い切って、幾つかはカットしちゃうことでしょうね。福笑が、新しいネタを仕上げて、それを公開する日を待っているという話は伝わってきてはいましたが、それが、「代脈」なんでしょうか? その辺が判らないところに、期待も出てきてしまいます。「代脈」は、福笑だからできる成功だったような気がします。黄紺の前の席の上品そうなおばさまが、お下品なくすぐりに、肩を振るわせていましたからね。




2009年 3月 5日(木)午前 6時 2分

 一昨日は、久しぶりに家に直行。遊びに行く替わりに、なぜか、トルコ語を覚えたいという息子に、トルコ語の初歩を教えていました。飽きっぽい息子のことですから、続かないと思うのですが、請われればしゃーないという感じで教えだしています。
 昨日は、まず、日本橋の文楽劇場に行き、文楽4月公演のチケットを買いました。文楽4月公演は、「義経千本桜」の通しが出るということで、売れ行きは、今までの比じゃありませんでした。黄紺の目では無理かもと思えるような席しか取ることはできませんでした。6時閉館ということで、文楽劇場を追い出された黄紺は、今度は、地下鉄で、扇町へ回り、東梅田教会に向かいました。昨夜の目的地が、ここだったのです。「第110回まるまる出丸の会」という落語会があったのです。出丸の人柄が、客を引き寄せる会なのです。昨日は、福笑がゲストということもあり、更に、客足は伸びたようです。
 で、昨日の番組は、とま都「つる」、出丸「天王寺詣り」、福笑「はははぁ家族」、出丸「一文笛」というものでした。出丸は、口演中にかみかみになるのが特徴で、その明るい性格とともに、今日は、どのくらいかむんだろう、いや、今日は大丈夫だったというのが、関心の対象となる噺家さんであり、会なのですが、昨日の「天王寺詣り」は、噛み方がほとんどなく、いや、それよりも、出丸の明るい性格が、ネタに、中でも主人公に投影され、出丸ベストと言ってもいい出来でした。「天王寺詣り」というネタは、天王寺境内を案内するというガイドマップ的な落語ですから、下手をすると、単調な繰り返しに終始してしまいますし、逆に、それを意識してか、不自然なアクセントを入れられ、なんか石ころに躓きながら歩く感覚になったりするもので、都丸、雀三郎の口演以外では、好きになれないネタだったのですが、全体的雰囲気を、しまりのない明るさじゃなく、からっとした明るさで描き続けたというのが、出丸の大変大きな成果だと思います。それに対して、「一文笛」は、気の乗った口演で、このネタにふさわしい好演かなと思う一方、これだけ聴きづらい口演では、やっぱりダメやと思います。言葉がスムーズに出てこないで、常にワンテンポずつ遅れて、言葉が出てくる状態は、あまりに聞き苦しいものがあります。その分、気の乗ってる印象を与える部分もあり、落語の難しいところです。昨日の狙いとして行きましたのは、やはりこの人、福笑なんですが、「はははぁ家族」っていうネタを、最近聴いてなかったもので、そして、このネタは、基本的にいい出来とは思っていませんでしたので、なんでということの確認をしたいという意味で、昨日の狙いだったのですが、改めて聴いてみて、なんか違うネタを聴いたみたいっていうほど、今までのネタの印象が薄いものでした。このネタ、不眠症のネタだったんですね。不眠症の主人公が、不眠症を治そうとしても、逆効果のオンパレードっていう噺でした。このネタは、黄紺の中では、福笑のカリスマ性が、ちょっと薄くなる作品と言ってよいと思います。開口一番のとま都が、いいですね。師匠都丸の運びや呼吸、その他諸々を、上手に吸収しています。それを体験できる技を持ち合わせているのが、とま都という噺家です。手と体の身体バランスもいいし、楽しみな人が出てきたものです。




2009年 3月 3日(火)午前 0時 5分

 今日は、職場を、5時半をメドに出て、ワッハの4階を目指しました。今夜は、トリイホールで、講談会があるのですが、そちらはパスしました。NHKの大河ドラマに引っ掛けた企画なのですが、興味がわかず、手頃な落語会がありましたので、そちらを選んだというわけです。そしたら、この落語会の前座が南青くんとなっていて、びっくり。講談づいています。
 今夜の落語会は、「第23回久々の紅雀と阿か枝」というもので、以前は、この二人会に行くときは、紅雀が、どんなネタを出し、それを、どんな風に演じるかが楽しみでしたが、最近は、阿か枝に期待してしまいます。それだけ、阿か枝の進境が著しく、期待が持てるのです。で、今日の番組は、南青「太閤の風流」、紅雀「煮売屋」、阿か枝「猫の忠信」、(中入り)、阿か枝「大安売り」、紅雀「蝦蟇の油」というものでした。とにかく、阿か枝の「猫の忠信」の圧倒的な出来栄えに感服した会です。「猫の忠信」は、人物描写のとても難しいネタ。それを、見事にやってのけたのが、国宝で、国宝の国宝たるゆえんは、ここにありと思ってるネタ。それが、そういった要素を持ち合わせつつ、ここまでミステリアスな雰囲気を醸し出した噺家さんはいなかったんじゃないかと思わせる出来に、大拍手です。阿か枝の抑制した、しかも掛け合いのノリの良さというものが、そういった成果を生み出したものと思われます。欲を言えば、悋気を見せるところの高揚感が、もう少し欲しいなということです。阿か枝は、中入り明けに、気を変えて軽いネタを。先の好演があるものですから、聴く方も、そのノリで聴いてしまうということは、完全に好演の波及効果です。入門から日の浅い噺家さんが、よく演じるネタ。そういった若手の人は、面白そうな笑わせどころで、気張ってしまいますが、阿か枝ほどになると、そういった気張りなどはなく、言葉のおかしさで納得させます。うまい間と、個性のつかみが形となってるからなのでしょうね。小ネタを、キャリアを積んだ噺家さんで聴く楽しさを感じさせてもらいました。それに対し、紅雀のネタ選びには、がっくりです。明るく、楽しく、騒々しいネタ作りをさせれば、ホントいい味を見せる人なんだから、どんどんとネタ開発をして欲しいのですが、肩すかしばかり。しかも、「煮売屋」を、自分の飼っている猫のマクラを入れたにせよ、30分はダメです。やたら繰り返しが多くて、どれだけ時間をかけるんだと思って、終わった途端に、時計を見てしまったほどです。「蝦蟇の油」は、慣れが、ネタの崩れを生んでいるような気がしました。蝦蟇の油売りには似合わない言い回しなんかが、酔っ払ったあとでは出てしまいました。興醒めになるので注意をして欲しいな。そんなですから、むしろ、今日の出来栄えで言えば、南青くんの口演が良かったですね。ネタは、修行中の講釈師さんが覚えるネタ。最近は、南舟が、前講で繰り返し披露をしています。南青くんでは、初遭遇でした。南青くんは、最近、人物の描き分けに、著しい成長を見せていますが、南舟の口演とついつい比較してしまい、ここはこうくるかと、南青くんなりの努力のあとが見えてきて、とてもおもしろく聴くことができたと同時に、南舟の個性も捨てがたい貴重なもののように思えてきました。




2009年 3月 1日(日)午後 6時 27分

 この頃、気温が上がり、オーバーを着るのもどうかと思う陽気。今日は、さすがオーバーを、家に置いてのお出かけとなりました。午前中は、のんびりと、好きな朝風呂につかり、体を休めていたつもりが、かえってたまっていた疲れが表面化の勢い。大阪に向かう電車の中では、座席に体が吸い込まれるような感じがするほど、ぐったりしておりました。今日は、夜、息子と約束事がありましたので、春の陽気の昼下がり、落語会を一つ楽しむだけに留めておきました。
 本日の行き先は、高津神社、こちらで、「文太の会in高津の富亭〜文太の贋作あれこれ〜」があったのです。番組は、大きなネタ、珍しいネタの並ぶ魅力的なものでした。文太の近況報告めいた前説に次いで、文太「坊主の遊び」、文太「天神山」、佐ん吉「おごろもち盗人」、文太「本能寺」が演じられました。「坊主の遊び」は、可朝、八方とつながり、最近では、若手の都んぼあたりしか手がける噺家さんを思い出せないネタ。しかも、今まで聴いて記憶が残っているのは、噺の半ばからだったのですね。これで納得です。いきなり夜中の女郎屋で始まるシテュエーションは、変ですもんね。可朝では、全編聴いた記憶があるのですが、内容は思い出せないので、今日、ようやくフルヴァージョンの中身を確認できた次第です。坊主頭の男が、女郎を坊主にするというおかしさのある噺なので、そこんところを補充した噺にすれば、いいネタになるのにっていう印象を持ちました。「天神山」は、今日の陽気にぴったり。でも、文太の口演を聴きながら、噺の中からは、その陽気がわいてこないのですね。なんでだろうと考えながら聴いていました。インテンポで流れが良くという文太の口演が禍となってるのじゃないかなというのが結論です。この噺を、おとぎ話に仕立てようが、異種婚姻譚の不可思議な噺に仕立てようが、春の陽気が感じられてこそ生きてくると思っているネタです。ですから、冒頭の部分から、流れてはいけないのです。陽気のせいで、おかしくなった男でもいいし、桜の精に呪いをかけられた男でも、とにかく非日常的なことを起こす環境を整えると、ぐーんと引き込まれる噺だと思っています。「本能寺」は、米朝型ではなく、いなごは出てきませんでした。まあ、このネタは、同じ芝居噺でも、「蛸芝居」のように、いろんな芝居の場面を放り込むのではなく、まるまる芝居を舞台ではなく、噺家が高座で真似るというネタですから、あとは下げへ持っていく方法を、どうするかということなのでしょう。ただ、見栄を切ったりするところで、お囃子を、しっかりと入れて欲しかったですね。今日も、この肝心の「本能寺」で、若干ダウンでした。もったいない話です。佐ん吉は、文太一色の会で、しかも、出番が奥ということで、ちょっと萎縮気味。ネタが進むにつれ、調子を上げていきました。盗人が、手を縛られ、脅したり、泣きを入れたりするところが、少し進行の違う型だったことと、女将さんが、いやに艶やかだったのが、印象に残っています。




2009年 2月 28日(土)午後 11時 26分

 今日も、昼は、繁昌亭の昼席です。繁昌亭大賞で、奨励賞をもらった銀瓶が、それを記念して、中トリに出るからというのが、繁昌亭を目指した理由だったのですが、肝心の銀瓶と団朝のところで、それぞれ途中ダウンです。まだまだ、腰の重さから考えますと、疲れは残っていることだけは、間違いありません。
 で、番組ですが、瓶成「いらち俥」、遊喬「鉄砲勇助」、団朝「秘伝書」、そめすけ「ものまね」、文也「京の茶漬」、銀瓶「千早ふる」、(中入り)、菊池まどか「嫁ぐ日」、枝女太「ピッカピカの1年生」、三象「アメリカ人がやってきた」、松喬「二人癖」というものになりました。わりかし小ぶりのネタが続きました。その中でヒットは、最近、枝女太が手がけている三枝作品に出会えたことでした。「ピッカピカの1年生」は、定時制の高校に入ろうとしたオヤジの話だったのですね。しかも、息子は、全日制の同じ学校に通い、親子で同じ教室、同じ机を使用と、この辺が、三枝のうまい味の付け方。ちょうど、そのオヤジ世代の枝女太の口演なものですから、やたらリアリティがありました。枝女太のあとが三象ということで、三枝作品が続きました。後ろに三象の出番が控えていたために、今日は、「ピッカピカの1年生」はないかと思っていたのですが、遭遇するときって、そういうものなのですね。三象との遭遇は、久しぶり。おかしな芸風が、徐々に受け入れられていく姿を見ているのは、おもしろいものです。自分のネタ化しているとはいえ、三象の英語は、達者なものです。松喬も、三象のあとのけったいな雰囲気を見事に、自分のテリトリーに引き寄せまし。特に、師弟関係を説く話には、会場、息を呑んで聴いている雰囲気がありあり。落語家の個性の大切さを説く話に、肝心のため息。師匠に教えられた通りではなく、個性の大切さを説き、それを癖へと転化、ネタに入りました。こうなると、軽めのネタであっても、会場はヒーヒー言わされていました。このように書きますと、中入り後の後半戦ばかりとなりました。色物としての浪曲も言うことなしですからね。前半は、ダウンをしたりしていますので、こういった印象ですかな。だけど、銀瓶は、位置を考えてネタ出ししてほしいものです。せっかくの位置なのですから、やっぱり格っていうものがあると思うのです。銀瓶のときのダウンは、そう思ったからかな? 「京の茶漬」は、先日、京都で文我の好演を聴いたあとでしたので、どうしても辛口になっちゃいます。家の主人を待っているときに、いかにカラリと遊び心でぼやくかが勝負のネタです。その理想型を、先日の文我は見せてくれたような気がしたのでした。そういった意味では、文也の口演では、本気度が高いのかな。瓶成は、出番を忘れていて、直前の楽屋入り。遊喬は、嘘話をたっぷりふってからネタに。ネタは、木曽山中のみ。団朝は、鉄板ネタだなと思ったからでしょうか、ダウンだったのです。土曜日は、おのぼりさんが少ないという噂だったのですが、今日の様子や、前回の様子を見れば、これだったら、日曜日の方がましかな、表で並んでて思いましたが、チケットの売れ方なんてのを見て、噺家さんは、客の瀬踏みをしてるような印象を、今日は持ってしまいました。
 繁昌亭が終わると、夜の部に備えて、南森町のおなじみのネットカフェで、今日は、1時間20分ほど、時間調整。夜の部は、正雀に向かいました。南森町からは、高槻市行きの電車一本で行けます。正雀市民ルームで、「第53回ジャッキー7」という桂雀喜の勉強会があったのです。雀喜によりますと、この会も、今年で10年目になるそうです。最近は、いつ行っても、しっかりと客を確保、ホント続けることの大切さを感じる会です。番組は、染太「勘定板」、雀喜「権助魚」、米二「厄払い」、雀喜「瘤弁慶」というもので、雀喜は「瘤弁慶」に挑戦と、意欲を感じさせる番組となりました。ところが、ここでも、本日の不調を表すかのように、「権助魚」「厄払い」の二つで、中途ダウンを喫してしまいました。なかなかおもしろい番組でしたのに、この始末です。まず、染太のこのネタは、初物。最近、「勘定板」を手がける人が増えてきています。喜んでいいことなんでしょうか? 「権助魚」も珍しい。この前、誰で聴いたか、全く思い出せないほどです。噺としては、「禍は下」に似ています。今日の雀喜は、あまりかつぜつがよろしくありませんでした。権助の田舎言葉が不安定で、これは、おもしろみを減じてしまいます。「厄払い」は、正に季節ネタ、ぴったしの旬のネタです。私は、こういった民俗学的価値を持ったネタ、好きなんですねぇ。そないでありながらのダウン、悲しいです。ましてや、米二の口演だというのに。「瘤弁慶」の前半は、前座ネタとして演じられる「宿屋町」、最近やり手が少なくなりましたが、昔は、これでもかと聴いた噺。ところが、後半に入ると、一転芝居噺めいてきますので、やり手がぐんと減ってしまいます。雀喜も、そこへの不安感があるのでしょうか、なんかかつぜつかいいとは言えませんでした。芝居風身体表現でも、決めのポーズも、ちょっと頼りない。そないな印象を持ってしまいました。あまり、前へせせり出そうとしない雀喜の性格が、こないなところに禍したのかもしれません。下げが変わってました。大名行列に立ちふさがった弁慶の前に現れたのは、肩に、義経の瘤を持つ殿様。思わず、へへぇ〜とひれ伏す弁慶というものでした。正雀からの帰りは遠いです。今日は、幸い電車が、タイミング良く来てくれたので助かりましたが、でも、通ってきた道筋を思い出すと、ちょっと引いちゃいますね。




2009年 2月 28日(土)午前 9時 27分

 昨夜は、最近、機会を見つけて観ようとしている芝居、それも、どこかいい劇団ないだろうかという観点から、芝居を観に行きました。今回、目を付けた劇団は、関学のOBやOGで作られ、関西から東京に本拠を移した「鹿殺し」という劇団です。この東京に、全国的キャリアを積んだ新感線と違って、東京に出てから名を上げようという意味合いが変わってるというので、目を付けたという次第です。場所は、「in→dependent theatre 2nd」で、「ベルゼブブ兄弟」という芝居が上演されました。今回の着眼点は、そういったキャリアと、音楽をどのように使うかは分からなかったのですが、音楽スタッフに専属の人が創立当初から入ってるっていうことは、音響にこだわりを持つ劇団ということでも、気になっていたのでした。昨日の芝居は、これでもかという家族の物語。それは、親が連れ子同士で結婚した4人の兄弟の物語として展開します。土建屋の親父と一緒の仕事をしている男、その実の妹は、喘息持ちで妄想癖がある。東京へ行きバンド活動をしている男、その実の弟は小説家。その4人兄弟の父親は、とんでもない頑固者だが、その父親が亡くなったところから、事実上、物語はスタートします。ところが、その父親の通夜の席に、父親の死因に疑問を持ったところから、話は、混乱が混乱を生んでいきます。土建屋で、ともに働いている男が、父親を殺したのではとの疑いがかかり、兄弟間のいがみ合いへと発展していき、その中で現れてくるのが、子どもの頃から成長していく過程で湧き上がった様々な出来事。その中で、家族の壊れやすさとともに絆が説かれていきます。わからないのは、題名とも関係があるのでしょうね、ハエの一団。それと冒頭と終了間際に出てくる兄弟皆殺しと思しき場面。その辺は難しいところで、題名の由来も調べてみてから考えることにしましょう。あと、音楽は、ヘビメタ系、舞台上でも、役者が何度となく歌っていました。それに、舞台の大道具が良かったですよ。光に当たると透けて、襖の向こうが見える仕掛けがあり、屋外の様子を見せたり、また、透けてない襖として見せることにより、部屋の仕切として使うという手法、また、その襖のある部屋に入る導線が決められており、狭い空間に広さを出す工夫がなされていたり、工夫いっぱいの演出でした。また一つ、マーク付きの劇団が増えました。




2009年 2月 27日(金)午前 4時 34分

 昨日は、一昨日と違って、スムーズに夜遊びに出向くことができました。ま、それが当たり前ですがね。ただ、腰への負荷がかなりかかってきており、随分と疲労感がありますが、やはりお出かけによる気分の溌剌感は格別なものがあります。
 昨夜の行き先は、ワッハの4階、「第365回上方講談を聞く会」があったのです。昨夜は、この講談会だけではなく、かなりそそられる落語会も、複数あったのですが、希少性を重視して、ワッハを選びました。番組は、南青「山内一豊とその妻」、南海「太閤記〜秀吉の初陣〜」、南華「赤穂義士超本伝〜十二段目〜」、南左衛門「細川の黒牛」というものでした。南青くんのネタは、トリイホールでの結婚報告講談会でネタ下ろしをしたもの。あれから、何度か口演の機会を持ったのでしょう、あのときのなんとなく感じさせた不安げな影は、きれいに消えていました。最近、とみに人物の描き分けに磨きがかかってきている南青くんです。南海さんのネタは聴いていそうで、初体験ネタ。南海さんの手に掛かると、ホントにおかしくて楽しいネタに仕上がります。秀吉が、今川義元に仕えていた頃、出世をしたくてたまらないなか、功名心を満たしたようで、結局満たされずに、義元のもとを離れていくというもの。秀吉の気持ちをちゃかしつつ、多少デフォルメしながら、楽しく演じるのは、お得意の南海流です。南華のネタは、呆気にとられるもの。赤穂義士が本懐を遂げ、且つ切腹までしたあとのあの世のお話。序の部分だけでしたが、果たして、あの世でも仇討ちに出かけるのでしょうか? こないなネタがあるということで、赤穂義士の物語が、いかに人気を博したのかが解ります。南左衛門のネタは、牛を担ぎ上げるというとんでもない力技を、細川の殿様の目の前で見せたために足軽に取り立てられた男が、侍とのいざこざで、一旦は死をも覚悟するのですが、そのいざこざを、殿様が城から見ており、逆に、男の毅然たる行動、相変わらずの力技に対して、ご加増されるというお話。南左衛門の口演は、多少大仰に、くさめに演じるのが特徴。これは、場面場面の決まるところを、きっちりと押さえきっているからこそできるもの、昨日は、そのツボの抑え方の巧みさ、それに応じた大仰で、ちょとくさめの口演に酔いました。南左衛門流って、これなんだと思える満足度の高い口演でした。
 夜中に目が覚め、こないな時間に書いています。今、UEFA杯の「ガラタサライ vs ボルドー」戦が行われています。前半が終わったところです。ファナティック紙の速報版を見ると、只今のアリ・サミ・エンは、2度だとか。頑張りますね。監督も、ビュレント・コルクマズに変わったガラタサライですが、ヨーロッパのカップ戦では、調子がいいですので応援しましょう。なんせ、今年のUEFA杯決勝の舞台は、シュクル・サラチオウルですからね。そこで、ガラタサライが決勝を戦ったら、これ、めっちゃおもしろいですから、、、ガラタサライ、頑張れ、です。




2009年 2月 25日(水)午後 11時 48分

 今日は、何とも言えない日でした。電車の人身事故に連続的に遭遇したのですから。仕事がはねて、鶴橋の雀のおやどで落語会がありましたので、移動をしようとしますと、まず、京阪電車が止まってる。楠葉と牧野間での人身事故との説明がありました。ようやく京橋に着き、さっさと鶴橋に移動をしておれば、事故直前に、現場を通過したのでしょうが、迂闊にも京橋で食事をしたのが、運のつき。JR京橋駅が騒然としている。にもかかわらず、改札口を通った黄紺。その直後に、全線不通を知りました。これが、6時20分、慌てて、地下鉄の駅に移動。谷六、谷九と、2度乗り換えて、開演5分前に、雀のおやどに到着しました。そのためか、今日は、客の入りが、かなり落ちました。開演時間になってから、遅らせるということを知らせがてら、雀三郎が出てきて、前説というか、3月の連続独演会の宣伝をして、客の入りを待ちましたが、客は、ほとんど増えませんでした。皆さん、途中で諦めたのか、そないな方もおられたことだと思います。実際に、黄紺も、京橋で帰ろうかと思ったくらいですから。
 で、今日は、雀のおやどでは、「第69回雀三郎つるっぱし亭」があったのです。番組は、雀太「煮売屋」、雀三郎「ストレスの海」、宗助「禍は下」、雀三郎「三枚起請」というもので、雀三郎のネタが、えらく新鮮で、バッティングしたたまの会を捨てて、こちらに行ったわけですが、終わってみると、あとの二人の口演が光った会となりました。雀太は、休んでいた関係もあり、久しぶりの遭遇。「道行」から始めての「煮売屋」でしたが、煮売屋の場面が、こないにも工夫の余地が残っているんだということを示してくれました。雀太は、そういった工夫を取り入れる努力を惜しまない人ですが、何やしら、それらがはまってないぞの感想を持っていたのですが、「煮売屋」は拍手です。噺の大枠を崩してないのが、何よりもいいですね。宗助は得意ネタ。ツボを心得て、アクセントをつける技が冴えます。先日に続き宗助の口演に拍手です。一方の雀三郎、「ストレスの海」は、昇太作品。横浜での二人会の打ち上げで、ネタの交換をする約束をした結果、手がけることに。昇太は、雀三郎のネタは、まだやってないということです。「ストレスの海」は、昇太自身でも聴いたことのあるネタ。描かれる夫婦って、わりかし若いと思うのですが、言葉の軽さのようなものは、昇太は自然体で出せても、雀三郎は、ちょっとしんどかったなの感じです。舟を漕ぎながら、沖合に出るという場面がありますから、おじさんとおばさん風にアレンジしにくいのが、雀三郎には痛いところです。「三枚起請」は、なんか速いのです。ネタをくっているかのような速さなのです。普段の雀三郎のように、緩急自在の間を操らないのです。そういった意味では、どこか試運転モードっていう感じを受けました。下げも、常のものではなく、「そないに言われるんやったら、また、起請を書かんならんやんか」というものでした。客の反応をみたいっていうところで出したっていう感じで、これも、試運転モードでした。今日は、ダウンしませんでしたよ。やっぱ、今日から、仕事が楽になったおかげです。ただ、腰の調子は最悪ですが。




2009年 2月 24日(火)午後 11時 35分

 今日は、ちょっとした、ホント、ちょっとしたもの運びをしてくたびれてしまっています。情けない話なんですが、これが現実です。疲労から、腰がやられていたこともあるのですが、ダメですね。毎日、そないなことを言いながら、夜はお出かけしております。
 今日は、毎月、谷六の薬業年金会館で行われています「第139回旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。南海さん一人で、1時間半読み続けるという凄まじい会なのです。「戦国武将列伝(四)続・真田昌幸〜第一次上田籠城戦〜」と題して行われた今日は、川中島の決戦前史というところのようでした。と言いますのも、今日も、中途ダウンなのです。かなり予想されたことでもあるのですが、それに加えて、着ていたセーターを、途中で脱がねばならないほど、会場が暑かったのです。思い出せる範囲で、あらすじを書きますと、真田の領地が、村上某に奪われ、真田は武田に身を寄せ、今度は、武田の応援を受け、村上某を追放し、元の領地を取り戻す。すると、今度は村上某が、上杉に身を寄せ、応援を要請するということのようです。黄紺が、筋立てと言えるものとして書けるのは、この程度です。どうも、疲れが先行し過ぎています。昨日のように、大過なく落語会などを聴き仰せること自体が少なくなってきています。かなりへばっています。何度か、こないな不調はくぐり抜けてきていますが、明日からは、ちょっと仕事が楽になるはずですから、徐々に回復していってくれることを期待しましょう。




2009年 2月 24日(火)午前 5時 53分

 先週の疲れが取れきらない内に週明けを迎え、昨日も、ハードな肉体労働。へろへろになりながらも、夜遊び敢行です。行き先は、ホントに久しぶりになります京都府立文化芸術会館。ここの和室は、落語会をするには、とてもいいスペースなのです。
 昨日は、こちらで「第65回桂文我上方落語選〜京都編〜」があったのです。ネタ出しなしの会ですが、番組は、次のようになりました。三幸「ふぐ鍋」、文我「応挙の幽霊」、つく枝「十徳」、文我「大仏餅」、(中入り)、文我「京の茶漬」ということで、珍しいネ タが、文我からは出されました。「応挙の幽霊」の前には、この人にしては珍しく、世間話めいた話から、先代文我の話、ごく最近亡くなった知り合いの話など、このままで降りてしまうのではと思うほど、長いマクラをふってから、いきなり「応挙の幽霊」にびっくり。林家の噺家さんが、最近では、よくかけているという印象のあるネタですが、総じて地味で、暗い印象を得てしまってますが、昨日の文我の口演を聴いて、こないに明るく演じることができるんだと、認識を新たにできました。とってもいい出来だったと思います。「大仏餅」は、三遊亭円朝の作品で、三題噺。お題は、「袴着の祝」「新米の盲乞食」「大仏餅」というものだと、マクラで、文我の解説が入りました。ある御店の袴着の祝の日に面倒をみた盲乞食親子が、実は零落した著名な商人だと知り、手厚くもてなし、最後に茶を振る舞おうとするのですが、お茶受けの菓子がないので、お隣からもらった大仏開眼供養の大仏餅を出すと、それを食した盲乞食の目が見えるようになるというもの。同じ三題噺でも、「芝浜」のような奥深さはないのですが、盲乞食と大仏開眼との連想だけで作られたっていう感じのネタでした。東京の噺家さんで聴かないと、円朝の雰囲気はわからないのかもしれませんが、文我の口演では、ちょっとあっさり系で、呆気ない方と言えば、いいかな? そのままだったら、円朝作品にしては、味付け不足のような感想を持っちゃいました。最後の「京の茶漬」は、お時間に合わせてのチョイスかと見ますが、この口演も、なかなか天塩にかけたっていう感じで、上々の出来でした。大阪の男のわざとらしく言う接待の話、嫌みたっぷりなところなのですが、なぜだか、文我が演じると、カラッとしていて、だけど言うことは言ってるっていう雰囲気がいいですね。昨日は、とてもいい文我を聴けたと思っています。そこへさして、申し分のないつく枝の参加。長々と、文我がマクラをふったあとだったものですから、軽めにと意識したネタ選び。その辺の呼吸を心得ています。聴き慣れた「十徳」、何度聴いても、おかしいです。前座役の三幸、ネタ下ろしなのかなと思った「ふぐ鍋」、特に前半が、まだ、口に慣れてなかったですね。ただ、この人、才人だと思わせる片鱗がありました。後半のしつこさを考えて、ふぐが話題になるまでは、さっさと済ませてしまって、前後半のバランスをとっていました。三幸は、こういったことをしてくれますので、どうしても、気になる噺家さんになってしまいます。
 昨日は、絶対、ダウン必至という感じで、会場に到着したのですが、大丈夫でした。いったい、黄紺の体は、何に反応したのでしょうか? 家に帰ってくると、簡単ダウンだったのに、ですよ。




2009年 2月 22日(日)午後 10時 33分

 先週1週間の仕事がハードだったようで、昨日は、せっかくの落語会の途中にダウン。今日も、午前中は、疲れがすっかり表面化してしまい、寝込んでしまってました。2週間連続、日曜日は出勤していましたので、久しぶりの休養の日曜日、寝てばかりはおれません。午後は、かつての落語会のメッカ太融寺での「第62回宗助はんの会」に行ってまいりました。久しぶりの会です。番組は、二乗「四人ぐせ」、宗助「ちしゃ医者」、阿か枝「祝いのし」、宗助「質屋蔵」というもので、お目当ては、久しぶりに、宗助を、じっくり聴くことなのですが、なかでも、こないなネタを持ってたんだと、新たに知った「ちしゃ医者」がお目当てに行きました。ところが、やはり体調が回復してはいませんでした。よりによって、「ちしゃ医者」でダウン。会場は、バカバカ受けていましたから、余計に残念でなりません。でも、そのもとを取って、余りある印象を持ったのが、「質屋蔵」、この「質屋蔵」は、とっても理にかなったもの。ポイントポイントで、ちょっとネタをいじって、決めの言葉やポーズを決めてくれる最近の宗助、そういった観点で、冴え渡った決めを作ってくれてます。熊さんがいいですね、助っ人を頼まれたとき、思いっ切りよく、羽織を脱いだり、化け物の話を持ち出された瞬間、怯えを、首を横に、一度動かすだけで表現したり、もう、熊はんが可愛くて。最近、宗助の高座と触れる機会が減っていますから、もっと接しなければと、強く思わせられました。二乗は、マクラが傑作。「私の癖は、師匠米二をむっとさせること」、これには笑いこけました。先日、米二から配信されてきたメルマガに、困った弟子二乗が書かれていたからです。米二が書いてた話じゃないことを、二乗は、今日言ってましたから、いろいろとあるかと思うと、余計におかしくなってきました。「祝いのし」は、昨日から続きました。基本的に、昨日の文昇と今日の阿か枝は、運びが同じでしたから、文枝系のスタンスは、薄目の演出なのでしょう。でも、自分的には、「与太郎」的部分は残りますので、いい気分にはなれないのです。阿か枝は、3種類ののしの由来を言って、そこで切りました。
 落語会が終わって、外に出ると、既に雨が降っていました。天気予報では、こんなに早く降るって言ってましたっけ? このくらいの雨では、「トルコ人、傘ささない」でとおす黄紺は、雨のなか、時間調整のために、東梅田駅近くのネットカフェに、40数分おりました。夜の部は、梅田シティに行くつもりだったのです。ついこないだ、こちらで映画を観たとき、地下に、わりかし手頃な食堂街があることを知り、少し早めに映画館で、チケットを求め、待ち時間を、その食堂街で晩ご飯といたしました。映画は、ガーデンシネマで観たのノルウェー映画「ホルテンさんのはじめての冒険」です。2008年度アカデミー賞外国語映画賞ということです。「定年を迎えた日の最後の勤務に遅刻した主人公は、それから、何が変わっていきます」、そないな予告編の言葉に惹かれてしまった私ですが、正直裏切られました。遅刻したことは、その後の展開とは、全く関係ありません。映画は、退職後の主人公の行動を、淡々と撮っていきます。今まで楽しんできたヨットを売ります。ここでは、単に今までの生活と縁を切ろうとしてるんだなという程度で、定年という事実を、そのような形に置き換えただけでした。彼の考え方に、何がしかの変化が生まれてきたと思えるのは、今まで通ってきた煙草屋の主人が亡くなっていたこと、その店に、マッチを落としたと、何度もやってきた痴呆老人を見たところから。そして、道路に寝転がった老人との出会い、彼は、弟の経歴を、自分の経歴かのように言う、どこか変な人、精神に病を抱えている人かもしれませんが、その男が主人公を車に乗せたまま、心臓発作でしょうか、急死をしてしまいます。そこから、主人公の「初めての冒険」が始まります。こういった流れを見ていて、正直、陳腐だと思いました。この映画が、どうして日本に紹介されることになったのでしょうか? 賞をもらっただけでしたら、困ったものです。まして、めったに紹介されるなんてことのないノルウェー映画が。その辺は、驚きでしかありません。




2009年 2月 22日(日)午前 8時 30分

 昨日は、まず、吉坊が、繁昌亭大賞の輝き賞をもらったため、それを記念して、中トリ前に出番をもらったということで、繁昌亭の昼席を覗いてみました。ですが、土曜日だというのに、地方からの来訪者が多く、変な雰囲気。反応も鈍いしと、ちょっと居心地が悪い時間となりました。番組は、呂竹「寄合酒」、都んぼ「真田小僧」、枝光「今時のおばちゃん」、ナオユキ「漫談」、吉坊「七段目」、小春団治「職業病」、(中入り)、川上のぼる「腹話術」、枝女太「鹿政談」、蝶六「替り目」、仁智「ハードラック」というもので、やはり、トリと中トリは、それだけの人がとるんだと思わせられる抜けた出来でした。二人とも、自分的には、久しぶりのネタを聴けましたので、運が良かったのでしょう。もちろん、定番ネタですが。吉坊は、得意の芝居噺だったのですが、何か、お囃子との呼吸が、微妙にずれていて気持ちが悪かったな。そして、気に入らなかったのが、階段を上がるときの人形ぶりを省いたこと。あすこで、この芝居噺は、台詞回しのパロディだけではないと見せるところ。それを省いてしまったために、いきなり右足を踏み出す型からになってしまいました。あまりに大きな型なため、目への慣らしが欲しかったな。あまりに小綺麗に演じるものですから、客は、ちょっと引き気味傾向、それは、染雀が、このネタを、繁昌亭で出したときと、同じ反応でした。昨日の客は、一番、こういったネタからは遠い人たちが来ていたとは思いますが。都んぼは、力の入った芸風が、軽い虎ちゃんとは、違うベクトルだったようで、聴いていて、同じネタを、しばしば取り上げている三弥のいたずらっ子のような口演を思い出していました。昨日の繁昌亭では、枝光のところで、塩が引くようにダウンしてしまいました。途切れ途切れに残ってる記憶では、かい枝のネタのぱくりがあったような、、、? 枝女太の「鹿政談」は、2回目だったのですが、いいように変わっていて、めっけもの感があります。奉行に突っ込まれた同心が、小声で、胸の内を語るというもの。その呟き自体が、よくできているからおもしろいのでしょう。蝶六の「替り目」は、人力車ではなく、タクシーを使う型。随分と久しぶりに聴きました。「寄合酒」が、トップで出ていたのですが、酔っ払いというわけではないということなのでしょうか。嫁さんにからんでる途中で、時間の関係なんでしょうね、切り上げました。これらに、今日は、色物が、注目の二人。川上のぼる、実に80歳。舞台に出てきたときの足の運びには、びっくり。相変わらず、バタ臭い格好です。人形は、男の子から女の子に変わっていましたが、まだ、男の子相手の台詞になったりしてました。そないなことを含めて、舞台の運びには、老いを感じましたが、しゃーないですね。森光子、大久保怜と、三人で、ラジオ番組の司会をしていたときの話を聞いたときには、納得の80歳です。ナオユキは、R-1でも評価を得ていたようですね。独特のぼそぼそ喋り、ちょっとウィットの効いた内容が受け入れられたんだと思いながら聴いていますと、こういった芸風って、世間受けするんだと不思議な感じがしました。
 繁昌亭がはねたあと、3月末の旅行のチケットをゲット。あとは、南森町のネットカフェで、ちょうど1時間ほど時間調整です。夜は、谷町線で南下。田辺寄席の夜席に行ってきました。番組は、さろめ「東の旅〜発端、もぎ取り〜」、かい枝「野ざらし」、文太「二番煎じ」、(中入り)、文昇「祝いのし」、枝三郎「げぼう頭」でした。この1週間がハードだったために、今日は不調です。夜の部分では、肝心の文太の口演を、ほぼ無駄にしましたし、ネタ的関心のある枝三郎の口演で、つながらないところが出てくる始末です。さろめの「もぎ取り」は初物ですが、「いたち」と「取ったり見たり」だけでした。かい枝は、まずアメリカ話から。アメリカン・ジョークの紹介は、おもしろいものがありました。そして、いきなり「野ざらし」、これはこれで優れものですから、一人が、高座を二度務めた感じ。かい枝は、ちょっとした間の置き方、台詞回し、どれをとっても、自分の手のひらで、自在に操る術を心得ています。「二番煎じ」では、宗助さんの名前が頻繁に出てきてたようですので、ならばおもしろいかったろうと思うと、ダウンしたのが惜しまれます。文昇が、えらい収穫でした。マクラの物を捨てられない自分の話が傑作で、最後に、「私が捨てられないか心配です」と言って、「祝のし」に。うまいものです。地味な印象のある文昇ですが、認識が変わりますね、このマクラ。そして、ネタに入ってからのテンポの良さも、認識が変わりました。「祝のし」って、上方落語にはいない「与太郎」っぽい噺。喜ィ公は、東京の「与太郎」とは違います。喜ィ公は、アホな男です。「与太郎」は、頭の弱い男です。演じ方によっては、あぶないキャラになるのが、「与太郎」です。その「与太郎」っぽさがあるのが、上方落語では、「祝のし」だと思います。あまりにも愚鈍な男と、逆に聡明な女の組合せって、聴いていて不快になるほどです。現春団治の口演が、そこのところを強調したもので、好きになれないネタです。でも、最近は、その辺を薄めた口演をする人が出てきているようです。でも、おかしいんですよね。あれほど愚鈍な男が、どうして、のしの謂われを覚えられるのでしょう? 落語らしいでは、納得できない黄紺なのです。「げぼう頭」は、米朝のネタだということです。枝三郎は許可を得てするのだが、米朝自身は、3度しか口演をしていないと言ってました。「やかん」的噺で、異様な頭をなめると薬となるということで、、、この辺からが怪しくなっているのです。ただ、「げぼう」の謂われが怪奇的なものなのですが、それは、冒頭でさらりと語られるだけでした。
 家へ帰ってきて、家の郵便受けに、田辺寄席の案内が届いていました。当日に着いちゃ、いけません。びっくりです。




2009年 2月 21日(土)午前 10時 23分

 一昨日は、仕事が延びてしまい、予定していた落語会には行くことができませんでした。仕方がないので、家で、晩酌をしながら食事をとると、判で押したように、宵の口にダウン、夜中にお目覚めです。ちょうど3時に起きたまま、仕事に行きました。また、運の悪いことに、昨日は、今年初めての観能の日だったのです。幽玄の眠りが待っているのかと、かなり覚悟をしていったのですが、ほぼ大丈夫でした。ちょっと頑張ったかな。
 で、行き先は、NHK大阪ホール。昨日は、そちらで、「おおさか・元気・能狂言」があったのです。昨晩と今日の昼に、同じ番組なのですが、行く公演は演者で簡単に決まりました。昨日は、シテが大槻文蔵、狂言が茂山家ということで、決断も何もいらないのです。番組は、千三郎・逸平で、狂言「寝音曲」、能は「安宅〜勧進帳・瀧流〜」で、シテが大槻文蔵、ワキが福王和幸という組み合わせ。公演に先立って、能狂言についての解説があったのですが、そのときの大槻文蔵の声を聞いたときは、さすがに年齢を感じてしまいました。演能は、かつての切れがあるのかと、このときばかりは、一瞬訝しがりましたが、大丈夫でした。義経一行が登場しますと、むつくけき山伏姿の男どもが舞台に並び、ぶっとい声でのユニゾンがホールに響き、それだけで、武士の世界、男どもの世界、そないな雰囲気に圧倒されるはずですが、昨日は、まず、ここで、ちょっとすかされました。やっぱ、千人は入るホールは広すぎますね。音が拡散します。狂言での、逸平の声は別格でしたが、普通の声では、ちょっと頼りない、まず、それが第一印象。幸い、アングルは悪かったのですが、音という意味では、まだましでしたが、地謡方向からは遠くなりましたので、地謡はダメでした。それに、体の切れという意味では申し分ない大槻文蔵ですが、弁慶の持つごっつさのようなものは、いかんともしがたいという部分を持っています。それが物足りないですね。全員が、富樫に迫る場面、手の棒で、それを遮る弁慶には、それなりの重量感というものが欲しいのです。子方は、寺澤家の時代を担う少年、背丈から考えますと、小学校低学年風、なかなかしっかりしています。お父さん(寺澤幸祐)が後見、おじいさんが小鼓(久田舜一郎)と、三代揃う姿が、なんとも微笑ましい。小鼓の後見に付かれていた女性は、お母さん(久田陽春子)ではなかったように見受けました。ひょっとしたらそうだったのでしょうか、そうでいたら、能楽一家総揃いの舞台でした。小書は「瀧流」。曲水の宴の再現というのが、この趣旨でしたっけ? 「安宅」は、15年ぶりの観能でしたので、すっかり小書の内容を忘れてしまってます。「延年之舞」だけは忘れられませんが。曲水の宴を表すのでしょう、目付柱に向かって、男舞の直前、扇を投げます。ですから、男舞は、数珠を持って舞うという特殊なものとなります。そして、男舞を舞い上げる直前に、その扇を拾います。拾い上げて、「鳴るや瀧の水」となります。盃に添えられた短冊を拾い上げる態です。その前、男舞の3段目の後半から、囃子は流しの手となり、シテは、三の松近くまで早足で移動し、舞台方向を見込みます。いい感じのところです。そうそう、昨日は、目付柱を外してました。直面ですから、それでも大丈夫でしょうが、扇を投げるとき目標がなくて大変だったろうなと、そないな余計なことを考えていました。
 最近、能よりは、文楽を観る回数増えています。4ヶ月ぶりくらいかな、観能。昨日、観ていて、音の感触というのが、装飾過多になっている文楽よりも、やっぱ、能が、自分には合うなぁと感じ入っていました。その一方で、複雑怪奇な話の運びを持つ文楽のびっくり箱みたいな展開も捨てがたいなんてこと考えながら観ていました。




2009年 2月 18日(水)午後 11時 47分

 最近、毎日ハードな日が続いていますが、夜遊びは、きっちり予定通り行っております。今日は、久しぶりに玉造駅から徒歩3分くらいのところにあります「さんくすホール」に出かけてまいりました。「第38回猫間川寄席」という落語会があったからです。1年ほど、ご無沙汰の会です。主宰は、桂文我。文我自体の落語も、先日のまん我の会で聴いたくらいで、最近、あまり聴いていませんでした。単なる巡り合わせです。
 番組は、呂竹「近日息子」、そめすけ「手紙無筆」、文我「木挽茶屋」、(中入り)、伯枝「ん廻し」、文我「試し酒」となりましたが、けったいな番組構成となりました。まず、地域寄席では、まあ見ないそめすけの出番があること。しかも、それが、文我の会だということ、とっても、不可解な人選です。次に、前座を卒業したみたいで、最近、とんと落語会で、顔を見なくなっていたのですが、呂竹が、今日は、前座に復帰です。で、始まってみると、心配していたことが的中。「近日息子」の「天ぷら食いたい」のあとで、ダウン。でも、「天ぷら食いたい」が、早く出てきた印象です。それに、たたみかける感じていうのが乏しいぞと思っていたという記憶だけは残っています。そめすけも、マクラで、お得意の物まねを披露していたところでは復活していたのですが、「なんか不幸があったんと違うか」以後は、ダメでした。そめすけは、わりかし間合いとかがいい人なんで、いいネタを持ってると思ってただけに、残念なことですが。期待の「木挽茶屋」は、そないにおもしろい噺ではありませんでした。ある旦さんが、お大尽遊びをしようと、木挽きの男、八百屋、僧侶を、そのお大尽に仕立てて、お茶屋に行くのですが、酒が進むにつれ、本性が現れ、素性がバレてしまうというものです。前半は、木挽きの男を仕立てる話、出かけようとすると、八百屋に次いで、僧侶が入ってきたので、皆をお大尽に仕立てる話が続きます。そして、お茶屋に行って、お大尽として振る舞うエピソードも入らず、たちまち醜態をさらけ出しバレてしまうのです。そんな進行ですから、本当の噺は、もっとしっかりとしたものが控えていて、そのあらすじだけを聴いたんだの印象なのです。ましてや、題名に「木挽き」が使われていますので、てっきり、それで下げが入るのだろうと思っていたところ、僧侶で下げが入ります。ですから、何なのだ、この題名はという、わけのわからなさがあります。聞いたこともないネタでしたので、文我の復活ネタと思われますが、復活するときに、もうちょっと脚色して欲しかったなというところです。「ん廻し」は、古風に演じられるのを、黄紺は好みます。「ん」の付く言葉を探し出す苦労っていうのは大切にして欲しいと思う一方、自分が聴く段になると、昔ながらの型が好みなのです。そういった意味では、伯枝は、工夫派なのですが、今日は、工夫の量も多く、ちょっと前のめりになって聴いてしまいました。年季の入った好演だったと思います。「試し酒」のところで、またしても、朦朧傾向。3升目と4升目で、ダウンを喫してしまいました。だけど、考えてみると、「試し酒」を取り上げる噺家さんが増えたものです。よくできたネタですので、喜ばしい限りです。




2009年 2月 17日(火)午後 11時 47分

 昨日は、久しぶりに家に直行。すると、帰りの電車で、前の職場の同僚と、バッタリ。たまに、まともなことをすると、いいことがあるものです。懐かしいお話をひとしきりいたしておりました。
 そして、今日は、職場の同僚と、浪曲を聴きに行きました。一緒に行った方は、黄紺よりかかなり古くから浪曲に関心を持たれていた方。先日、なんだったのか、はっきりとは覚えてないのですが、確か春野恵子の話になり、じゃ、今日、トリイホールで、新宣組の会があるので、一緒に聴きに行きましょうとなった次第です。「TORII浪曲席〜新星浪曲☆新宣組〜」というのが、正確な会の名前です。新宣組は、浪曲師さん3人と、曲師さん2人のユニット。今日は、浪曲3席の前に、ジェンベという西アフリカ太鼓の演奏があり、浪曲(菊池まどか)とのコラボがありました。ジェンベ奏者は、堀越大二郎と丸岡哲平(中2)さんでした。これから、トリイホールでの新宣組の公演では、こういった試みを行っていくそうです。浪曲の方の番組は、春野恵子「袈裟と盛遠」、菊池まどか「田宮坊太郎」、幸いってん「武蔵坊弁慶」というものでした。春野恵子と菊池まどかの演目は、それぞれ2回目の遭遇。「袈裟と盛遠」は、ますます気の入った春野恵子の熱演に、ただただ圧倒されるとともに、この浪曲の筋立ての凄まじさにも、圧倒されてしまいました。一緒に行った方は、「えげつない話」と。死をもってしての命乞い、いや人の真実を解らせる、いや、そないなことをされないと、横恋慕の凄まじさが解らないのかと思わせられてしまう、文楽的世界と似ています。「田宮坊太郎」は、菊池まどかが、師匠から、初めて習ったネタということで、確かに、ネタは小ぶり。7歳の坊太郎が、機転で、父の仇を、どの侍かを知ることになるのですが、そのときの無礼、いや殿さんは、無礼とせず、無礼と言った侍をビッグマウスだとして、閉門を申し付けられたために、坊太郎に仕返しに来るとして、母親に暇乞いに来る場面を描きます。そこだけの話という感じのネタだけに、ちょっと小ぶりのネタだというわけです。江戸に出てからのエピソードも欲しいところです。すると、ネタに膨らみが出るようなと思ってしまいます。京山幸枝若家には、お家芸が二つあり、その一つは「会津小鉄」で、もう一つはこれですと言って初めたのが、「武蔵坊弁慶」。話は、景清が、近頃、平家と見ては、刀を奪う男がいるので、どやしつけると出ていき、実際、どやしつけ、引き下がっていった弁慶が、腹いせに牛若丸と、五条大橋でやり合うというもの。え〜、こないなところに、景清が出てくると、びっくり、更に、牛若丸との出会いに至る経過も、へぇ〜です。お家芸と言われても、「会津小鉄」の方が、自分的には、圧倒的にいいと思っちゃうのですが。曲師さんは、春野恵子と菊池まどかのときが、沢村さくらさん、幸いってんのときが、一風亭初月さんでしたが、男っぽい話のときって、一風亭初月の三味線が合いますね。その辺を心得ての曲師さんの配置だったのでしょうか? ということで、久しぶりの浪曲席、すっかり楽しみました。同僚も、大満足で帰宅の徒に着きました。一つ残念でしたのは、この間、春野恵子のブログを見ていますと、新ネタ勉強中と出てましたので、今日が、そのおひろめのときかと期待していたのですが、それは外れました。また、いずれ、どこかで聴ける日を楽しみにしておきましょう。




2009年 2月 16日(月)午前 6時 4分

 昨日は、朝から振替なしの出勤。一昨日までの疲れを引きずったまま職場へ。昨日は、日曜日なんです。穏やかで、まるで春が来ちゃったような陽気、たいがいこういった日に、日曜出勤が当たります。前の晩から、韓国映画をDVDで観ましたので、まず、その記録を書いておきます。映画は「フー・アー・ユー」、主演の二人に、魅力的な二人が揃っていますので、観ようという気になったのですが、女の主役が、「英語完全征服」「私たちの幸せな時間」に出ていた美形の女優イ・ナヨン、男の方が、「ラブ・ストーリー」「トカゲの可愛い嘘」「マラソン」のチョ・スンウという具合です。ストーリー展開は、込み入っているわけではないのですが、IT業界に勤め、ゲームソフト開発をするという役柄を、チョ・スンウがしているものですから、関係の用語や、業界の常識的な事柄が飛び交うため、黄紺などには、最初、頭がついてくだろうかと、ちょっと不安な感じで始まってしまうのです。でも、ストーリーの本筋を理解できますと、ゆったりと楽しめました。ゲームソフト会社が新製品のお試し期間のモニター同士が、バーチャルな世界で恋に落ちてしまうのですが、この二人、実は、同じ63ビルで働いているのでした。しかも、男の方は、相手の存在を知っているという設定です。それに加え、女の方は、元著名な水泳選手だったのですが、聴力に障害をきたし、第一線から引退をしたという心の傷を持ち、未だ、その心の傷を引きずったまま生きているという捻りが、人物設定に加えられています。予告編のコピーが良かったですね。「たった二人で三角関係」、必ずしも当たっているとは思わないのですが、おもしろいことを考える人がいるものです。DVDには、特典映像というものがついており、その中に、イ・ナヨンのインタビューが入っていたのですが、映画で見るよりは、ちょっと太めな感じがしたのと、美形のルックスが、普通のお姉さんだったので、ちょっとショックを受けてしまいました。
 で、昨日は、職場を、2時をメドに出て、向かった先は、高津神社です。福車・遊喬・文華・出丸四人の会です。落語会が始まる前の、、「ちょっと長めの座談会」が、この会の名物で、時として、福車の暴走があったり、楽屋話が披露されたりと楽しませてくれます。昨日は、遊喬の失言に、ひやひや。40分に渡る座談会が終わると、落語会の準備のために、中入りがとられ、ようやく落語会へ。番組は、次のようになりました。遊喬「初天神」、出丸「ふぐ鍋」、福車「手紙無筆」、文華「住吉駕籠」というものでした。とにかく、文華の出来が、抜群。表情が豊かで、そのときおりの駕籠屋や、その駕籠屋にからむ人たちの遊び心のようなものを、上手に上手に表してくれます。酔っ払いの繰り返しも、2回目に入ると、僅かにテンポアップしたり、こんなの心憎いですし、3回目となると、駕籠屋が猛スピードで復唱します。その他、原型通りのフルメンバー登場のフルヴァージョンでした。最後には、足がつってしまった文華は、それをもギャグに入れての大熱演に、大拍手でした。遊喬は、ちょっと古めかしいくすぐりが入ったりしました、例えば、人買いなんてもので、虎ちゃんを脅したりしてました。また、虎ちゃんが、向かいのおっさんのところで、話す中身が、ちょっとやりすぎだったりと、遊喬色も出てました。安定はしてましたが、座談会の冷や汗発言もあり、聴く方としては、ノリが乏しかったですね。出丸で、このネタ、何度目かと思いますが、えらいせわしないですね。落ち着いて、こってりと、このネタをされるのも嫌みなのですが、これだけ後ろから押される感じがするまでせわしない口演も、落ち着きの悪いものです。福車は、先日、繁昌亭で聴いたときと同じネタ。ええ加減、ばれてるやろというところまで、しつこくすれのは、ダメなネタだと思います。繁昌亭のときに比べると、ちょっとはあっさり味と言えますが、まだまだ味は濃いですね。とまあ、座談会を聴けて良しとすべきかと思っていましたら、文華の好演に出会えて、大満足で、高津神社をあとにしました。
 落語会がはねますと、ちょっと急ぎ足で、谷町九丁目から本町四丁目乗り換えで、九条に向かい、シネ・ヌーヴォに行きました。落語会の終わる時間が、丁度頃合いで、九条駅近くの松屋で、ゆっくりと晩ご飯を食べることができました。以前は、シネ・ヌーヴォに行ったときの定番化してました宇奈ととでの食事は止めにしています。うなぎには口うるさい黄紺は、もう、ここのうなぎは、論外の烙印を押してしまったのです。ところで、シネ・ヌーヴォで上映されていますのは、レバノン映画「キャラメル」という映画です。「キャラメル」というよりか、「カラメル」とすべきところですが、そうはなっておりません。映画の舞台になっている美容院では、ムダ毛処理をしており、それに使うのが、「キャラメル」というわけです。タイトルは、それだけの意味で、ある美容院で働く女性たち、及び、その美容院に通う人たち、美容院の近くに住む人たちの人生模様が描かれます。結婚している男性と不倫中の女性、結婚式が近づいとはいるのですが、結婚相手の男性が、初めての男性ではないということで、再生手術を受ける女性、映画かテレビのオーディションを受け続ける元女優、痴呆の姉と暮らす老女を慕って訪れるアメリカ人と思われる老紳士、男性っぽい風貌ゆえか、彼女を目当てに、美容院に通うロンゲの美女(ショートカットにした姿は更に美形)、不倫をしている女性を遠目から眺め、ほのかな思いを寄せる警官、とまあ、こういった人たちの織りなす人生模様は、どこにでも転がっているような、取りたてて目新しいものがあるわけではないのですが、ときには、せつなく、ときには、からっと笑えたりと、映画が進むにつれ、胸がほっかほっかとしてきます。大団円なんてものを、最初から期待する映画ではありません。映画を観る客が、あんなことも、こんなことも、人生にはいろいろあったし、これからもいろいろあるだろうなと思い、映画の登場人物のように、それぞれ問題解決してたなぁ、人生っていうのって、そんなだよなぁと思える映画で、そのあたたかな思いが、胸に残る映画です。なかでも、不倫をしている女が、ホテルで密会しよう、誕生日祝いをしようとするのですが、女一人では、レバノンですから泊まれず、結局、娼婦しか女一人では入れてくれないホテルの部屋を借り、そないなところですので、彼女は、朝から部屋に入り、部屋の模様変え(この発想自体がせつなくて気に入りました)をして、手作りのケーキを用意するのですが、男が現れないので、仕方なく、美容院の同僚を、その部屋に喚んでパーティーをするところなんてのがいいですね。せつなくもあり、カラリとしている、そんなのがいいのだろうかと思ってしまいます。レバノンから素敵な映画の上陸です。




2009年 2月 14日(土)午後 10時 46分

 今日は、午前中が、通常の勤務。へとへとになりながら、仕事が終わると、速攻で職場を離れ、日本橋経由で、NGKに向かいました。お昼は、トリイホール前の天丼屋さんです。時間的には大丈夫だったのですが、今日は、えらい暑いので、ラーメン屋さんは止めておきました。本日の午後の部は、「花花寄席」です。「花花寄席」は、これで、会場を移してから、2度目となります。前売りを買えば、1200円ですから、お得な会だということで、これからも利用しようかと考えています。番組は、さろめ「東の旅〜発端〜」、染太「刻うどん」、そめすけ「看板のピン」、おしどり「音曲漫才」、遊方「虚礼困惑騒動」、(中入り)、ロダン「漫才」、つく枝「崇徳院」というものでしたが、染太、そめすけのところでは、完璧にダウン。染太は、マクラもネタも、こういうところでは、こればっかやってんなぁと思ったところまでは覚えているのですが、あとは、さっぱり、それほど、ぐったりしてました。午前中のハードな動きから休みなしじゃ、無理はありません。さろめのときは、大丈夫だったのですが、急激にがっくりときました。さろめは、開口0番という出番、そろそろ他のネタも聴きたいなと思っていましたら、今日は、咬みっぱなし。一度などは、最初からやり直しました。目を覚ましてくれたのは、おしどりの二人。やっぱ、この二人の芸は新鮮でおもしろいです。針金細工では、ペンギンとオバマ大統領が出ました。遊方が出てくると、落語会という雰囲気になってきます。「虚礼、、」に関する作品は、昔聴いた記憶だけあって、筋立ては、全然思い当たりません。同じ作品だとは思うのですが、そないな具合ですので、とても新鮮に聞こえました。絶対においしいとは思えない「豚足饅頭」というのがいいですね。それを、おいしいと言って、べんちゃらをする、落語っぽい味付けが、遊方のセンスで、さすがと思わせるところです。わちゃわちゃ、わーわー感というものが、最近の遊方、冴え渡っています。ロダンは、京大出の漫才師ということで、噂には聞こえた人たちと言っても、相方は、大阪府大出、大市大との合併話が出たところだけに、またタイムリーネタも入り、大受けでした。トリは、狙いのつく枝、ネタは、「崇徳院」ということで、立派なトリネタ。つく枝は、必要以上のくすぐりを、多少カット気味で、噺の本筋を大事にしてくれてました。これは、賛成です。その一方で、冒頭の若旦那の告白には、熊さんは、ちょっと悪のり気味。このあたりのさじ加減は、つく枝のスタンスを表すものですね。何も成果を持たずに戻ってきた熊さんへの歓待ぶりや、せかせるやり方も、セーブ気味でした。なかなか合理的です。とまあ、この会に行った狙いが、功を奏しました。つく枝、遊方、おしどりと、狙い通りだったのです。なお、「崇徳院」の下げは、常の型が採られました。
 花花寄席がはねたあと、今日も、日本橋駅上のネットカフェで、40分余りの時間調整。夜の部は、この1週間に引き続き、雀のおやどにまいりました。今日は、昼夜二部制で「男前寄席」があったのです。これは、同期の南青くんと落語家の三四郎の二人会です。今まで、ワッハの4階で行われていたものが、今回、雀のおやどに移ったのでした。番組は、三四郎「刻うどん」、南青「木村の麻風呂敷」、由瓶「卵お化け(仮題)」、(中入り)、南青「矢の根神社の由来」、三四郎「宿題」というものでした。三四郎の落語を聴くのは、ちょっと間が開きましたが、その間に、ちょっと悪い方にシフトしてしまってました。言葉尻が流れるという癖を、元々持っている人で、それが、随分とましになっていたのですが、なんか元の木阿弥状態。それに、変にデフォルメすることを覚えてしまい、節度がなくなってしまってます。また、うどん屋さんの動きが不安定だったりして、そないなデフォルメをするものですから、全体が下品にすら感じられます。「宿題」は、銀瓶や都丸の好演が、目に焼き付いていますので、言葉が流れるものですから、余計にしまりなく聞こえてしまいました。三四郎は、こうして振り返りますと、随分と波の大きな噺家さんです。黄紺は、三四郎の「子ほめ」を、とても素晴らしいと思っています。安定感、ちょっとした小気味よいくすぐりと、そないないい出来の口演を聴いてるものですから、今日の口演には、辛口にならざるをえません。それに比べて、南青の出来は、同期とは思えません。それぞれ今まで、幾度か聴いたものでしたが、今日は、自分の会だということで、一層の気合いが入ってたのでしょうね、体の中からわいてくるようなリズムに乗ってるかのような見事な口演でした。ちなみに、「木村、、、」は、「太閤記」からでしょうね、加藤清正に仕える男の物語、「矢の根、、」は、「水戸黄門漫遊記」からの抜き読み。舞台は、津軽です。由瓶は、師匠鶴瓶の如き私落語を考えてるのでしょうか? 今日は、小中学生時代の母親の思い出噺でしたが。こちらの会でも、疲れから跳んでる箇所が幾つかあります。夜の部の跳び方は可愛らしいものでしたが、暑いこともあり、今日は、一段と疲労が身に沁みた1日でした。




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