2001年7月 19日(木)午前 1時51分
結局、月曜日は、Ayさんとアイシェ・ハヌムと3人で呑むこととなった。ラクを呑めるいつものところである。黄紺が、仕事の関係で遅れて行くとアイシェ・ハヌムが、1人ぽつねんといる。「あれっ」と思うと同時に、「やった、かな?」という黄紺の不安が、頭をもたげる。案の定、その辺を、アイシェ・ハヌムに見透かされて、お小言をいただく。自分に非があることが分かってる黄紺は、ボルテージ上げ加減のお小言にも、えらく神妙。だって、Ayさんと約束したこと、おぼろげにしか憶えてないんだも〜ん。なんせ呑んでたもんで、約束したはずだ、皆に連絡とらなきゃ、だったはずで、動いてたもので、Ayさんが現れない現実を前にして、お小言をいただいても仕方がない。「ごめんなさい」「すいません」の連発。店の人にまで、「すいません。約束したのが呑んでたときなもんで、、、」って、むっちゃ失礼な言い訳、いや言い訳になってない。が、「あっ、来た」の一言で、アイシェ・ハヌムの顔が、一辺に晴れる。「約束したのは、憶えてたんですが、、、時間は憶えてなくて、、、場所が分からなくて、、、」と言っても、なんでも許しちゃうアイシェ・ハヌム。久し振りの再会に、ほころびっぱなし。「おい、おばはん、セッティングしたのん、俺だぞ」と、口には出さず、突っ込む。だって、あまりにもうろ覚えで、自身がないもので、、、。酒は、怖いよ。特に、最近は、憶えてないこと、電車乗り過ごすこと、多すぎだから、酒が絡むと、ついつい弱気になってしまう黄紺なのです。
でも、おもろかったぞ。イラン・ネタは、3人で笑い転げながら、話したぞ。そのときの楽しさは、アイシェ・ハヌムが、早速AyさんのHPにカキコしてるので、分かってもらえるだろう。イランに、そんなにたくさんトルコ語分かるやついるって、Ayさんに聞くまで、ほんと想像もしてなかった。これで、“3年の刑期”のような仕事が終わる来春以降、イランへ行くぞ、片言の英語とトルコ語で、イラン行っちゃうよと、今は、本気で思っている。そう、手始めは、テヘランに入って、イスファハンとタブリースは、最低限寄って、トルコに抜けよう。そして、ドウベヤジットで、新宿黄赤くん推奨の「焼き肉屋」へ行こう。その店、自分で焼きながら食べるんだって! だから、「焼き肉屋」なのさ。でも、黄紺は、ドウベヤジット行ったとき、そんな店、目に入らなかったけどなぁって、Ayさんに言うと、「でかでかと書いてあるそうですよ」と言う。んーん、分からないけど、行ってみよう。あすこのパチャ、完全に引いてしまった黄紺、今度こそは、そのパチャ、食べるぞ! そんな話をしてると、店には、黄紺のお気に入りの曲がかかる。自然と踊ってしまう。のりのりの気分。当然、Ayさんの仕事の話も、おもしろかったなぁ。だけど、これは、オフレコ。特に、トルコ関係者には、オフレコ。でも、その職場のあたりは、よく知ってるぞ。だって、2年間通ったところの、ほん近くだもん。30年ほど前に。J子噂は、この3人で、途切れてしまうんだよなぁ。我がクラスメートで、1番早く、トルコ語を喋れるようになったJ子、果たして日本にいるのか、生きているのか。トルコで生きるAyさん、トルコにひっかかり続けてるあとの2人。さてさて、またの機会は、いつになりますやら、、、。とりあえずは、再会を祝して、ここでも、乾杯!! あっ、また、呑みすぎて、忘れてしまいそう。
|