2001年9月27日(水)午前 3時50分
今晩も、また、サッカーの結果を追いかけたくって、こんな時間に起きている。でも、ちょっと、早く起きすぎてしまったので、寝なきゃなるまいと思っている。だいたい、サッカーの結果が気になるときというのは、宵のうちに、酒をぐびぐびと呑んで、先ず寝ることにしている。そして、夜中に起きて、PC遊びをしつつ、時間が来るのを待つのである。それが、今日は、早く起きすぎてしまったというわけである。そして、その時間が来るのを待つ友が、トルコ、ないしは北キプロスのラジオ放送というわけである。まだ、この時点では、ナントもガラタサライも、点を入れていない。
さて、「メルハバとるこ」の話を続けよう。最後の簡単な打ち上げのとき、写真家のE氏から、場所をお借りした国際交流会館の方が、「ボランティアが、これだけ多く来られるとは驚きです」と言ってられたということを聞かされたが、ほんと、各部署では、人がだぶつくのではと思うほどの、ボランティアであった。なかには、「羊々舎」のオーナーのA氏のように、関東方面から来られた方も数人おられた。初日の講演会場に入っていくと、いきなりA氏がおられ、「いやぁ、黄紺さん、久し振り」と声を掛けられたときは、正直驚いた。と同時に、氏のトルコにかける思い入れをあらためて知ることとなった。その後の3日間、ほぼご一緒させていただいたが、トルコに関する質問に応えられる氏の人柄に魅せられた素敵な時間でもあった。現事務局のSさんの前任者Tさんとも、一緒に仕事をさせてもらった。いつぞや、おなじみトルコ人のK氏の自宅でやった料理会でご一緒して、その際、黄紺も紹介されたが、まさかTさんの方に、覚えていただいてるとは、ホント恐縮しました。そして、店番をしながら、彼女の日常の活動のお話、そこには若干、黄紺の本職の経験も挟みながら、していると、この方、大変な活動家。元気な、頑張る女性を、仕事柄、多く見てきたが、この方、その中に入っても、超弩級の元気な方。思わず、お話に吸い込まれるように聞いてしまいました。何か、黄紺で、お役に立てることがあればと、正直考えています。大学で教鞭を執られているS氏は、ユニークなキャラクターだ。風貌から、アイシェ・ハヌムが人違いをしてしまったようであるが、彼と一緒になると、必ずイラン映画の話になる。大学でも、学生にキアロスタミの映画などを見せ、学生の目を点にしている。彼は、1日だけのボランティアと、最初言ってなかったっけ? 結局、4日とも、来てくれていた。それに、トルコ航空のM氏まで、同じ売り場に座ってくださった。これは、正直、びっくり。授業仲間のTさんと、「Mさんに、こんなところに、座ってもらって、いいのかな?」って、マジで話してました。彼なら、こんなイベントの場合、立派に、その肩書きを使って、メインを張ってもおかしくない御仁。黄紺なんかより、随分と年下の方なんだけど、これには、恐縮しっぱなしでした、ホント。
考えてみれば、写真家のE氏も、3連休といえば、撮影会なんかで、稼ぎ時なんだけど、完全にこのためにあけておられた。「この日は、あけておいてください」と言われたんですよ、と簡単に言われる氏の、なんか、これも、トルコにかける思いを感じた気がした。E氏とは、イスタンブールで呑んで以来、よく言葉を交わすようになったが、彼の撮るトルコの子どもたちを見つめる眼差しというのは、確実に、人柄を表してるなぁと思えるようになりました。今回も、E氏にとっては、最もベーシックになる写真を展示されており、見させていただいたが、その感を強くしました。まだまだ書きたいことがあるのですが、今回も、続きということで、次回に譲ることとします。最後に、1つ、私的ニュース。先ほど、「地球の歩き方」編集部からメールが届き、黄紺のHPが、“トルコ関係のHP”の1つとして載せることを求められました。編集者が、「彼ら」であること、だから、もちろん快諾しました。
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