忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2011年 1月 20日(金)午後 11時 45分

  大阪市内遊歩(119)

 寝不足が続いていたところ、ようやく昨夜は、人並みに眠ることができました。睡眠は、今、普通にできただけで、嬉しいのです。で、今日は、10時僅か前にお出かけ。まず、大阪市内のアーバン・ウォーキング。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「淀屋橋」駅〜せんば心斎橋〜「北久宝寺町3」交差点〜「立売堀1西」交差点〜大渉橋〜大阪本田郵便局〜松島公園〜阪神なんば線「九条」駅〜ハローワーク大阪西〜JR「かんじょう043」橋梁〜大阪市立南市岡小学校〜尻無大橋〜「尻無左1号」鉄扉〜大阪府立大正高校〜泉尾公園・大阪府立泉尾工科高校〜「北恩加島小学校西」交差点〜大阪市立北恩加小学校〜「千島」交差点〜大阪市立泉尾東小学校〜大阪市立大正東中学校〜JR環状線「大正」駅。午後に動楽亭となると、ついつい西区から大正区ないしは港区狙いとなってしまいます。安治川、木津川、尻無川界隈を歩くのが、とっても好きなのです。川のある風景っていうのが、大阪本来の風景じゃないかと思うと、益々関心が高まっていきます。ウォーキングをやりだして、得をしたことの一つです。今日は、尻無川を渡りました。その尻無川を渡ってから、大正区内歩くコースを、お時間に合わせて歩く心づもりだったところ、大きな勘違いをしてしまい、泉尾公園から、更に南方向に向かってしまい、結果的に約10分の超過となってしまいました。あとがあったものですから、かなりの冷や汗ものでした。
 「大正」駅から環状線で、「新今宮」に移動。午後は、「動楽亭昼席」を覗いてみました。今月は、今日だけ、こちらの昼席に行ける日だったのです。その番組は、次のようなものでした。小鯛「口合小町」、ひろば「阿弥陀池」、遊喬「看板のピン」、のんき「饅頭怖い」、(中入り)、豊来家一輝「太神楽」、八方「AKO47」。ウォーキング疲れが出たんでしょうね、それぞれ出演者の皆さんの口演の半分くらいしか聴けてないという情けない状態。その中で、小鯛が、マクラで「口合い」という言葉を出したときにはびっくり。演じ手の少ない「口合小町」が想定できたからです。今、若手で、これをするのは、わかばと吉坊だけでしょう。3人目からは、米朝一門以外の噺家さん。遊喬なんて、米朝一門から一番離れたところにいそうな噺家さん。それが出てくるなんてところがおもしろい。のんきも同様ですが、この人に至っては、遭遇機会すら稀。黄紺も、実際に聴いたのは、今日で2度目でした。ところが、以前聴いたときよりも、はるかにいい仕上がりに、これまたびっくり。ましてや、これが松之助流というのでしょうか、冒頭の「好きなもん」から違う。いきなりキツネに騙された話が入りました。あとも変化が、いろいろとあったことでしょうね、無念です。「太神楽」の一輝は、天井が低いため、座ったままの演技。茶瓶の芸では、さすがやりにくかったのでしょうね、客席に降りて演じてました。八方は、これが出ればと期待していたネタが出て、自分の運の強さに、ここでもびっくり。赤穂浪士の物語と、「AKB48」をひっかけた噺なのですが、去年の独演会に出したもの。ただAKB48のパフォーマンスに赤穂浪士を合わせたちゃっちい噺でしかなく、内容的には期待はずれと言わざるをえません。
 動楽亭がはねると、35分ほどかけて、千日前へ移動。おなじみのネットカフェで時間調整。夜は、ワッハの4階であった「南湖だんご56〜旭堂南湖話術研究会〜」に行ってまいりました。動楽亭といい、夜のワッハといい、今日は厄日なんでしょうか、入りの悪い日でした。番組の方は、次のようなものでした。南湖の完全一人会です。「講釈師銘々伝〜旭堂南北一代記より、茶立虫〜」「赤穂義士銘々伝〜大石内蔵助その7、東下り〜」「無名の碑」。いつものように、冒頭は近況報告。話題は2つ。1つ目は、講釈場建設に向けての話。噂には聞いていたのですが、ほとんど洒落だろうと思っていたのですが、とんでもありません。大まじめな話でした。一番気になっていた資金の話も当てのあることを説明していましたので間違いありません。但しいつになるかは別かなという感じの話ではありますが、南湖の心意気は伝わってきました。「南北一代記」は、「できちゃった」で発表されていたもの。ちょうど黄紺が、2回、「できちゃった」に行かなかったときに発表されていましたから、とってもラッキーな遭遇となりました。ただ、南北さんの日常のエピソードを綴ったもので、「講釈師銘々伝」と銘打たれたもののイメージとは異なる作品です。「東下り」は、「赤穂義士伝」の中でも特に印象に残る話。大石が、いよいよ江戸入りする際、身分を隠して行くのだが、それがばれそうになるという緊迫感のあると同時に、討ち入りを支持する気運が描かれ、爽快感の残る話でもあります。「無名の碑」は、どなたかで聴いたことがあったのですが、改めて聴き直すまで、すっかり忘れていました。伊勢参りの途中、偶発的に人殺しをしていた男が、18年後、その地に戻り、仇を討たれようとするという話に、意外な結末が待っているというもの。南湖さんは、この「無名の碑」と、先の「東下り」で、大阪文化祭を目指すそうです。




2011年 1月 19日(木)午後 11時 45分

 天気予報と違い、かなり寒くなった一日、昼前からは雨となりました。なんか日本で、傘をさして歩くのは、実に久しぶりのこと。夜は、今年初めての繁昌亭。仕事が延びてしまい、開演直前に入ることができました。夕食も、繁昌亭到着後3分で、サンドイッチを掻き込むことができました。今夜は、「熊野復興祈願 文枝一門会」という会が開かれました。お目当ては、文枝が創作に係わったという「熊野詣」。それを含めた番組は、次のようなものでした。ちきん「牛ほめ」、枝曾丸「和歌山弁落語」、三歩「救援家族」、文太「熊野詣」、(中入り)、きん枝・文太・文福・坊枝・枝曾丸「座談会」、文福「紀州・八代将軍吉宗公」。今日は、和歌山の水害支援を目的とする会だったので、文枝一門の中でも、和歌山県出身者が出番をもらいました。それに、前座のちきんと、「熊野詣」を唯一人口演している文太という番組でした。ちきんは、初遭遇。少しはしょりながらの「牛ほめ」。喋り方に、若干文枝テイストを感じましたから、ひょっとしたら文枝の遺した音源から覚えた可能性があります。次ぐ枝曾丸と三歩の高座が、ほぼ吹っ飛んでいます。このところ続く寝不足のせいです。「熊野詣」も、中盤からあやしくなっていくのですが、擬古典と分類できる作品。京都の男が、カラスを可愛がった父親の菩提を弔いたく、カラスが、そのお使いだという熊野権現を訪ねる旅ネタに仕上がっていました。旅の途中に立ち寄る熊野関連の地、そして、和歌山に入ると、名所が紹介されていくという旅ネタのお定まりの道を進んでいっていたのは、頭にあるのですが、やはり熊野に入ってからが思い出せません。空を飛ぶようなシーンもあったような、、、。やはりダウンが、意外と早かったのかもしれません。「座談会」は、文枝一門と熊野の係わり、そして、文枝の筆になる「熊野川」の石碑辺りの水害の様子が、枝曾丸の撮ってきた画像を見ながら紹介されました。想像を越える水害のすごさに、会場も、息をのむ雰囲気。最後は、いつもの文福のパフォーマンスに次いで、「紀州」に入りました。




2011年 1月 18日(水)午後 11時 40分

 なんとなく時差ぼけが続いたまま、仕事が続いています。結果的に寝不足状態が続き、昼間はボーッとしていることが多い今日この頃、夜遊びは欠かすわけではありません。今夜は、船場センタービル地下2階にあるスペース「ジョイ船場50」で開催された「落語と笛の会〜vol.2〜」に行ってまいりました。しん吉と笑助の会で、出囃子が、その主宰者2人の笛という趣向に加え、2人の「笛コーナー」というのまで用意されているちょっと風変わりな会でした。その番組は、次の通りです。しん吉「初天神」、笑助「くっしゃみ講釈」、しん吉・笑助・小鯛「笛コーナー」、しん吉「二番煎じ」。「初天神」はフルヴァージョンで45分の長講。下ネタは、しつこくはやらないが、入れるべきところは外さないというスタンス。しん吉は、ベタな笑いが続くのを照れてるんでしょうか、もう一人自分が、どこかに隠れていそうな印象を持つ口演。くすぐりとか、どんどんとヒットしていくのだけれど、それを見ているもう一人の自分が見えてしまってました。その逆が笑助の「くっしゃみ」。この人が、突然化けてから聴くのが、ホント楽しみ。あぶなくない程度のボケが自然体で、何度も聴いているネタでも楽しくて楽しくて。柔らかいボケっていうのが、この人には合っているのでしょうね。しん吉の2つ目は、さすが45分の口演をしたあとだから、マクラで冬の話をしだしたので、一旦は、完全に「風邪うどん」を決めつけたら、なんと「二番煎じ」にびっくり。見事、長講が3本並びました。夜回りをする人のわちゃわちゃ賑やかに楽しんでいる様子が出ていて好感を持った反面、「宗助はん」がおいしいということで、ちょっと多用しましたね。多用するのだったら、各場面、もうちょい変化を持たさない飽きが来てしまいます。ですから、「多用しちゃった」と感じてしまうのです。意外性のある組み合わせの会でしたが、結果的には、落語にかける心意気を感じるということになった会でした。なお「笛コーナー」は、2人が同時に異なったメロディーを吹き、それを客が当てるというもので、いろいろと楽しませることを考えてくれるものと感心しました。なお、小鯛は、お手伝いに来ていて、笛が吹けるということでの飛び入り参加でした。




2011年 1月 17日(火)午後 11時 31分

 今日は、大変な一日。朝から京都で、メトのライブビューイングを観て、夕方からは大阪で文楽を観るという日だったのです。オペラの方は、暮れにワイマールでも観たグノーの「ファウスト」。なかなかお気に入りのオペラで、これを、こんなに短い間に続けて、異なったプロダクションで観れるとは、とってもありがたいことです。そして、この「ファウスト」ほど、メトのライブビューイングを観て感動したことはなかったというほどの名演。最後の、ファウストが逃亡を呼び掛けるのに対し、ただひたすら神に祈りを続けるマルガリータの歌うメロディだけが転調し上昇音階をきざむところ、全身全霊を神に捧げるマルガリータの祈りが極みに達するところになると、感動でぞくぞくとしだすほど。そして堰を切ったように、「キリストは蘇った」の大合唱になり、救われたマルガリータが天上へとつながっていると思われる階段を上がっていくところまでくると、涙まで滲んできました。とにかく今日は、主役3人が、お見事な歌唱と演技を見せてくれ、その圧倒的迫力に魅了されてしまいました。中でもファウスト役のカウフマンの容姿の素晴らしさは際立ち、現代最高のテノールだということを証明してくれたと思います。ただカウフマンは、声質がやや太く、役柄に制約があるように思えました。マルガリータのポポラフスカヤの前に出る声も素晴らしく、そればかりか、豊かな表情を持っているわけではないのだが、感情の発露を、この上なく表せている姿に大感動。特に、ファウストが姿をくらまし、絶望の度合いが深まっていく演技は、スーパーです。更に絶望を突き抜け、ただひたすら神にすがるマルガリータ、この演技なくして、今日の感動はなかったかもしれません。更に、メフィストフェレス役のルネ・パーペも素晴らしかった。ぶれない安定感というのかなぁ、全能の力を備えているというキャラを支えているのは、正に、これなんでしょうね。アニマル浜口的風貌からおちゃめな要素を削ぎ落とした容姿も、説得力があり、主役の他の二人に負けず劣らずの拍手歓声を受けていました。ついでにというとなんなのだが、シーベルも大拍手もの。これだけの歌手を揃えることができるのは、やはりメトロポリタンならではということでしょう。演出の特徴は、時代設定を大戦間としたこと、ファウストを物理学者とし、そのファウスト博士に、人類を重ね合わせたことが一つ。無防備な科学依存を重ねてきた人類に対する警鐘という明確なコンセプトで作られていたというのは、メトロポリタンのプロダクションでは珍しいかもしれません。両脇に、鉄骨で作った階段と上のスペース。背景は特になく、スクリーンにして映像を映したり、建物の壁を置いたりしていました。
 オペラが終わると、大阪への大移動。午後4時開演の文楽初春公演です。ドイツに行っていた関係で、この1月公演の後半で、昼夜ともに観ることにしたのです。オペラが終わったのが、ちょうど2時くらいだったものですから、これより遅くなっていたら、とっても開演時間には際どくなっていたところ。幸いパンフレットを買い、公演の予習する時間がとれましたので、ベスト・タイミングかな。本日の番組は、次のようなものでした。「七福神宝の入舩」「菅原伝授手習鑑〜茶筅酒の段、喧嘩の段、訴訟の段、桜丸切腹の段」「卅三間堂棟由来〜平太郎住家より木遣り音頭の段〜」。「七福神宝の入舩」はおもしろい、芸尽くしです。実際に、三味線以外にも、琴と胡弓が入りますが、太鼓や琵琶も、三味線で表現します。その上、三味線の曲弾きまで入りました。なかなか盛りだくさんで楽しませてもらいました。「菅原伝授手習鑑」は、今回は「寺子屋」はなく、松王丸、梅王丸、桜丸という三兄弟が、それぞれ仕えた相手先に利害が絡み合うために、その運命を翻弄される前半の一つの山場となるところの「桜丸の切腹」に向けて、番組が組まれました。今日のところでは、もう兄弟はいさかいを起こしており、その原因は、菅丞相の排除の物語。その根本が割愛されていたため、ちょっと焦点がぼけた抜粋の仕方ですが、時間の関係で致し方ないのでしょう。やたら三人兄弟の父親の頑なさの目立つ展開でした。そして、ラストが、上演頻度の高い「卅三間堂棟由来」。黄紺も、既に3度目くらいの遭遇になるのかな。珍しい異類婚姻譚です。ある日、後白河法皇の頭痛治癒が滞っている原因が、法皇の前世の髑髏が、柳の木に取り込まれているから、その柳を伐り、その木で三十三間堂を建設するという宣旨が下ったのが、一つの家族に悲劇をもたらします。母親が、柳の精という家族だったのです。別れた間際、母親は、子どもと夫に、悲しみを訴えます。「安倍の母親は野干だったけれど、私は柳の精、伐り倒されてしまいます」、この言葉は、この物語の悲劇性をよく解らしてくれます。信太の森に帰った狐は、子どもから引き離されたかもしれないけれど、残された夫や子どもには、どこかで生きていてくれるという救いがあるが、私は、伐り倒されたら、二度と会えないのだということですね。明るい木遣りの唄が、悲しみをつのらせます。終わったのが、ちょうど8時。これならばと、帰りは、北浜駅までのミニミニウォーキング。今日は、座りっぱなしの一日でしたから、このくらいはしなくっちゃの気持ちです。




2011年 1月 17日(火)午前 2時 25分

 今日は、思いのほか寒く、右手に障害があるため、手の指が動かなくて困りました。利き手の方のため、ものを書いたりするのには、一々ガスの火で温めてからにしなければなりませんでした。経費節減とかで、こないな被害を受けてしまいました。で、夜は動楽亭での「できちゃった落語」の日。前回、生喬の会を選んだためパスしていますが、自分的にはグレードの高い会。今日の番組を記しておきます。三金「奥野くんの色事根問」、遊方「イタイ」、たま「奥野くんの酔っ払い」「ええ人」、南湖「スティーボー」「崇徳上皇」、(中入り)、あやめ「同棲時代、あけみとまこと」、三風「ベストショット」。三金は、古典の「色事根問」のパロディ。「一見栄」から始まる色事の条件は同じ。それが当たらないのを、でぶの持つ諸要素で示していくというもの。たまは、短い作品を2つ。三金の楽屋入りが、酔っ払い状態だったらというのが、「奥野くんの酔っ払い」。但し、三金は下戸だから、あくまでも想像上の作品。目が覚めたとき、横に知らない人が寝ていたら、しかも、それが死体だったらということで創られたのが「ええ人」。こちらの方を、たまは準備してきて、楽屋入りしたあとに思いついたのが「奥野くん」。南湖の「スティーボー」は、オランダ行きの目的が見えてきた作品。コミカル・スタントマンのバフォーマンスの紹介、「一代記」にしたかったと、南湖は言ってましたが、「崇徳上皇」がしっかりした仕上がりでしたので、それはそうじゃないでしょう。「崇徳天皇」は、保元の乱につながる天皇家の人間関係を、月亭一門になぞらえて読むという趣向が秀逸。マニアックと言えばそうだが、着想の豊かさに感心しきりでした。あやめ作品は、オウムの平田信らの逃避行を、今明らかにされている情報を基に、勝手に再現したもの。テイストはど演歌仕立てにしたというのは、あやめの言い方。三風は、笑顔認証カメラに、笑顔が認証されない男が、カメラ屋に文句を言いに行ったところ、うまくあしらわれる噺。かなり三風の実経験が反映されたものとなりました。今日の一のお気に入りは、南湖作品。遊方の高座だけ、ほぼ覚えておりません。ホント、ここでだけ、きれいにダウンを喫してしまいました。今日は、後半の3人にたっぷり感があり、かなり満足度の高い日に行けたなの印象を持ちました。
 ドイツから帰ってきて、ようやく1週間かというところで、春のドイツ再訪が決まりました。ルール地方を含めた旧西独の表街道を巡るオペラ紀行をする予定です。冬は、イタリア・オペラは、プッチーニ3作だけでしたが、今回は、ヴェルディ中期が目白押し。ま、それがあるので、プッチーニ3作で我慢できたところがあります。飛行機を押さえたので、今後は、チケット手配に動かねばなりません。ラインナップは、冬のオペラ紀行のときに作ってありますので、事務作業に、あとは入るだけです。




2011年 1月 15日(日)午後 11時 39分

 昨日は、ゆっくりと家にいた関係で、オペラのDVDを、しっかりと一本観ることができました。3月の末に狙っている「チャルダーシュの女王」です。カールマンは、すごいですね。ますますはまっていきます。そして、今日は観能の日。大阪能楽会館での観能は久しぶりになりました。今日は、梅猶会の定期能がありました。番組を記しておきます。神歌(シテ:梅若善久)能「嵐山」(シテ:梅若猶義)「源氏供養〜舞入〜」(シテ:井戸和男)狂言「船渡聟」(シテ:善竹隆司)。「嵐山」は久しぶりの遭遇。そのために行ったようなところがあります。吉野から移植された桜を手がかりに、蔵王権現を言祝ぐ脇能。ちょっと珍しいものを出すなと思ってたら、後ツレの勝手明神と子守明神を、梅若の子どもに務めさせたいがためのチョイスと判明しました。この曲は、前場で、あっさりと、シテが正体を告げてしまうところが物足りないですね。間狂言は、三段の舞を舞わねばならず、なかなかのがんばりどころです。体の動くシテは、観ていて気持ちのいいものがあります。「源氏供養〜舞入〜」は、「舞入」の小書が魅力です。舞は中ノ舞が、次第のあとに3段入りました。源氏物語の巻名を織り込んだ舞を見せる前の準備運動的な次第が、中ノ舞の準備運動となるのがを、この小書のようです。ただ、この演能は、シテの謡い、地謡、動き、いずれをとっても生だるく、退屈なものとなりました。眼光鋭く凝視するワキの福王茂十郎師だけが、場違いのような感じがしてしまいました。狂言「船渡聟」は、通常の会では出ない曲。当たればラッキーなはずなのですが、曲としては物足りない。終わった途端、隣のおばさまが、「なんか、あとで起こるのかと思ってたら、何も起こらなかった」と言ってましたが、正にその通り。船上で酒を飲んでしまい、それを舅に見つかるだけの話でした。
 夜は、イスタンブル・コナックでの会食。若干、時間があったので、東梅田のネットカフェで時間調整。今夜の会食は、最近、時々やってるもの。ん十年前の同僚と、昔話に花を咲かせるもの。皆さん、トルコ料理がいいらしく、毎回、イスタンブル・コナックを利用させてもらっています。




2011年 1月 14日(土)午後 9時 58分

  京都市内遊歩(19)

 今日は、まるまる一日、お出かけなしの日。結局のところ、時差ぼけ的状態なため、朝方まで起きていて、昼前まで寝ている。だから、お出かけが億劫になってしまう、それが原因。ウォーキングだけはしようじゃないかということで、実行に移しました。その詳細なコースは、次のようなものとなりました。京阪「丹波橋」駅〜京都教育大学附属桃山小学校〜京都市立呉竹総合支援学校〜桓武天皇柏原陵〜明治天皇桃山御陵〜京都府立桃山高校〜JR奈良線「第一御陵」踏切〜藤森神社〜京都藤森郵便局〜伏見区深草総合庁舎〜京都医療センター〜地福寺〜JR奈良線「坊」踏切&深草十二帝陵〜JR奈良線「第二坊」踏切〜宝塔寺〜JR奈良線「稲荷」駅〜伏見稲荷神社〜京阪「深草」駅。一旦、桃山御陵に行き、南口方向には降りず、参道を元の戻り、北上して稲荷まで歩いたことになります。結構、気温は低かったのですが、桓武天皇陵までが上り坂なため、そこで体が温もり寒さが吹っ飛んでしまい、わりかし快適なウォーキングとなりました。




2011年 1月 14日(土)午前 2時 27分

 ドイツから帰ってきて、すぐに仕事。ようやく週末の3連休に入り、一息をついています。今日は、朝からオペラの日。メトロポリタンのライブビューイングの日だったのです。今日は、最近、いろんな歌劇場で取り上げられる機会の多くなったヘンデル作品。「ロテリンデ」が上映されました。場所は、毎回おなじみのMOVIX京都。でも、メトロポリタンでも、ヘンデルが取り上げられる時代になったのですね。今回のプロダクションも、2004年、2006年の上演に次いで3度目の上演とか。定着するところまで来ているようです。タイトルロールは、メトロポリタンの華の一人であるルネ・フレミング。黄紺は、この人の歌うデズデモーナのDVDを持ってますから、要するに、そういった歌手が出ているプロダクションなのです。バロック・オペラに求められる装飾豊かな技法を駆使し、繰返しの続くメロディを、いかに退屈させないで聴かせるかの工夫が満載のプロダクションなのです。指揮をしたハリー・ビケットが言ってましたが、ヘンデルの最近の隆盛は、歌手の努力と素晴らしい演出によると、インタビューで言ってましたが、今日の上演を観て納得です。「歌える役者」が揃ったと言える舞台で、演出家が変化が出るようにと、アリアを歌っている歌手はもちろん、歌ってない歌手の動かし方が、実に巧みで、繰返しメロディも飽きさせるところがありません。もちろん、要求に、歌手が立派に応えているということです。舞台装置は、横スライドで2面、縦スライド2面となっていました。そのため、前後の奥行きはとれません。ルネ・フレミング以外の歌手を、次に記しておきます。憎まれ役の グリモアルドをジョセフ・カイザー、エドゥイージェがステファニー・ブライズ、ベルタリードが、カウンターテナーのアンドレアス・ショルという具合でした。。また、指揮のハリー・ビケットは、バロックのプロパー。メトロポリタンのオケを、バロック・オーケストラのように響かせていました。黄紺自身、オペラ紀行のために、ドイツ各地の歌劇場を調べているとき、ヘンデルは避けていたのですが、これからは、ちょっと宗旨変えをしなければならなくなりました。
 オペラがはねると、歩いて四条烏丸へ移動。京都シネマで、ちょうどノルウェー映画「クリスマスのその夜に」を上映していたので観に行きました。去年でしたか、もう少し前でしたかに、「ホルテンさんのはじめての冒険」という映画があり、ちょっとだけ評判になっていましたが、その映画と同じ監督が作った映画と聞き、行ってみることにしました。確かに期待通りの出来映え。一種のオムニバス映画だけど、すべて同時進行、クリスマスの夜に。妻に男ができ、家を追い出されたが、なんとか子どもには、クリスマスのプレゼントを渡したい男、その男に、妻とのことの相談受けた男は医者。妻との間が、なんとなくしっくりいっていない。クリスマスの夜も、往診の依頼があると、「金になる」と言い出て行く。その依頼人は、出産のために喚んだのだった。出産に立ち会う医師、無事、出産が終わると尋ねる。「なんで、こんな小屋で」「おれたち逃げて来たんだ」「どこから」「コソボから」「俺はセルビア人、彼女はアルバニア人、故郷にいると殺される」「誰に」「家族に」。医師にとっても、出産に立ち会うことにより、また生きることに必死になっている若いカップルを見ることで、妻とのことを考えてしまったよう。実は、アルバニア人の女は、元狙撃兵だったという落ちがついていて、女自身が、命の重さに納得するくだりで、この映画は終わります。物乞いをしている男が出てきます。彼は、汽車に乗り、どこかへ行こうとしている風情。途中、昔の彼女に出会い、食事をともにします。重いがけない出会いを描いたのだと思っていたら、そうではないのです。お金も、少しはもらったのでしょうか、汽車に乗っている中で亡くなってしまいます。その男が、著名な元サッカー選手だったことは、検死にあたったポリスから明らかにされてます。検死官は、男の持っていたものの中に、物乞いをしていたときのカードを見つけます。「故郷に帰る金を恵んでください」と書かれています。これで、初めて判るシーンが、客の頭を巡ります。それまでに、何度となく、男の帰りを待つ老夫婦の姿が映っていたのです。うまいです。オムニバス風に流れる映像に、解らないものを混ぜておくのです。それが、ずっと後になり、種明かしがされるという仕掛けにもなっているのです。希望を託される若い男女が出てきます。女の子は黒人、男の子は地元の子という組み合わせ。彼らは、同じ夜、屋上に上がり、シリウスを眺めます。それ以上のドラマはありませんが、悲喜こもごもの人生模様をあぶり出したこの映画で、唯一起伏の少ない場面です。穏やかな未来を眺めているかのようでした。一つ一つのエピソードがつながっているわけではありません。でも、クリスマスの夜には、人それぞれ、それなりに凝縮した人生を味わっているのだという感じがしました。淡泊だが、ほんわか気分にさせてくれる佳作です。

 ドイツに行っている間に、PCを買い換え、セッティングを弟に頼んでおいたところ、思いの外手間取り、ようやく木曜日の深夜に、黄紺の手元に届きました。そこで、2日分の「GUNLUK」を、ここに認めておきます。

1月11日(水)

 今日から仕事に復帰。今回は、帰ってきてからの時差ぼけがないありがたい展開。そして、夜遊びも、今夜から復帰。関目にある大阪市城北学習センターで定期的に行われている「城北にぎわい寄席」に行ってまいりました。こちらは、雀三郎一門が出演をする会。今夜の番組は、次のようなものでした。雀五郎「転失気」、雀太「ねずみ」、雀喜「うなぎ屋」、雀三郎「宿屋仇」。もちろん狙いは、雀三郎の「宿屋仇」。もう雀三郎の表情の豊かさがおもしろくてたまりませんでした。特に兵庫の3人連れのおとぼけな表情が、軽くて、おバカで、まるで頭の中でかみしめるなんてできっこなさそうなのが、おかしくって。人物描写においては、最高の技量を発揮する雀三郎ならではの高座でした。もう狙い通りでした。雀喜の「うなぎ屋」は、喜丸からもらったのでしょう。「お2階へ」と、右手を挙げる仕種は、まさに喜丸テイスト。雀喜の描くうなぎ屋のおやっさんの表情も良かったな。解りやすい噺を、更に解りやすくする努力に好感を持ちました。雀太の「ねずみ」は、まだ聴いてなかったので楽しみにしていたのだが、知らない内に意識が遠のいていました。気がつくと、もうねずみ狙いで、多数の客が、宿に詰めかけていました。雀五郎の「転失気」も未遭遇だったはず。雀五郎は、細かな工夫を放り込んでくれるので、それが楽しみなところ。珍念が尋ね回るときに、ちょっとスバイスが効いていました。

1月12日(木)

 せっかく帰ってきた日に、しっかりとした睡眠がとれ、一気に時差ぼけが解消したかと思っていたら、昨夜は、さっぱりと眠れない。酒は慎もうと思っていたにも拘わらず、眠り薬として活用しました。でも、圧倒的な睡眠不足。アブナイなと思いつつ、夜遊びに出かけました。今夜は、ワッハの4階であった「らくご道〜笑福亭生喬と桂こごろうの落語会〜」です。対談で聴ける芸談が人気の会です。その番組は、次のようなものでした。生喬「前説」、こごろう「風邪うどん」、生喬「豊竹屋」、(中入り)、こごろう・生喬「対談:夕焼け日記」。「風邪うどん」は、円都から枝雀、そしてこごろうへと伝わったもの。師匠の南光はやらないそうです。こごろう曰く、「若い頃やったはったかもしれんけど、聞いたことない」。こごろうは、このネタには笑いを求めない。寒さを感じてもらえれば、冬の雰囲気を感じてもらえれば良い。笑かすことはできるけど、雰囲気が消えてしまえば意味がないと。ただ、枝雀は、雰囲気を残しつつ、笑かすことができたと。「風邪うどん」に似た雰囲気ということで、「水屋の富」へ話題が及び、このネタをもらった先代歌之助のネタについて、また、それをテーマにした繁昌亭であった落語会に話が及んでいった。こごろうが、先代歌之助からもらったネタは4つだそうで、「ぞろぞろ」「盗人の仲裁」「水屋の富」「茶の湯」です。繁昌亭の会では、「水屋の富」が回ってきたそうです。「茶の湯」をやりたかったそうですが、歌之助からは「茶の湯」しか、米二はもらっていなかったので、ゆずらざるをえなかった。「豊竹屋」は、染丸から生喬はもらう。「虱茶屋」も同様。この2つのネタは、音曲噺というジャンル。染丸は、義太夫については、太竿を弾いてくれるそうです。また、「虱茶屋」は、挿入歌から稽古に入ったそうです。こうした話が聴けるのが魅力の会です。今日も、とっても有意義だったと思います。




2011年 12月 21日(水)午後 11時 37分

 今日は、今年最後の落語会と楽しみにしていたら、えらく仕事が延びてしまい、遅刻決定と思い込み、買っていたチケットを、行きの電車の中で出して、嬉しいびっくり。考えていたより30分、開演時間が遅かったのです。電車の中でパンまで食べて行って、こないなことに気づいたときは、だいぶとショックでした。で、行き先は繁昌亭。今日も、いい落語会が目白押し。その中でのチョイス。今夜の繁盛亭は「第10回桂歌之助長寿の会」がありました。この会は、毎回ネタ下ろしが入るという会。「初物を食べると寿命が75日延びる」を洒落て、「長寿の会」と名付けています。ちょっと久しぶりになりました。その番組は、次のようなものでした。生寿「狸の鯉」、歌之助「馬の尾」「質屋蔵」、(中入り)、歌之助「壷算」。ネタ下ろしは「馬の尾」ですね、この番組だと。「馬の尾」は珍品中の珍品。黄紺も、生で聴いたのは、今日が初めてになります。馬の尻尾を、テグス用に抜いた男を、わけあり顔で咎めて、酒にありつくという正味で10分ほどのネタ。「質屋蔵」は、「あがき」という歌之助の最初の頃の会に出したのを聴いたような記憶があると思うのですが、定かな記憶ではないのが残念なところ。歌之助は、一つのフレーズを抑揚を付けながら語り、そのフレーズに、様々な装飾をしながら組み合わせていき、一つの噺を作り上げていくのですが、今日の「質屋蔵」は、一つのフレーズが、同じようなペースの繰返しに終始してしまってたなの印象。結果的に単調に終ってしまってました。それだけ息の長いフレーズが続くという特徴が、「質屋蔵」というネタにはあるのでしょうね。ところが、「壷算」は違いました。畳み掛ける勢いが出てました。それだけ多くの口演機会が、このネタにはあるということなのでしょう。「壷算」は、繁昌亭での襲名披露のときに聴いた記念のネタ。なんか勢いだけで言えば、あのときの方があったような気がしますが、台詞いじりやカットなどをしている分だけ進化したなの印象を与えてくれました。壷屋に行く前の買い物の仕方を講釈する場面や壷屋で値段交渉をする場面などです。この会のおもしろ部分は、歌之助が一席目を終えると、舞台に楽屋が設えられ、そこで歌之助が生着替えをしながら、前座とかわすお喋りをします。前座の噺家(今日なら生寿)は、歌之助の脱いだ着物をたたむという仕事をしながら、お喋りに合わせるというものです。今日は、AKB48の話なんかが行われていました。これで、今年の落語会巡りは終わりです。最後が、歌之助の「壷算」というのは恵まれてるんじゃないかな。いよいよ明日、仕事を終えてから、オペラ・ツアーに出かけます。




2011年 12月 21日(水)午前 5時 14分

  大阪府守口市(44)〜大阪市旭区、城東区、都島区

 一昨日は、久しぶりに夜遊びはなし。そして昨日は、午前中、旅行荷物をまとめることに時間を裂きました。背広も靴もバックパックに入れるために、普段の荷物を徹底して減量化。具合が悪ければ、向こうで買うことを旨に減量化を敢行です。ちょっとだけ、旅行用品を買い足さねばなりませんでしたが、ごく僅かのことです。そして、午後1時を回ってからお出かけ。出がけに雨が降りヒヤッとしたのですが、無事、今年最後のウォーキングをすることができました。その詳細なコースは、次の通りです。京阪「土居」駅〜京阪商店街〜実悟上人荼毘所旧跡〜地下鉄「太子今市」駅〜大阪市立太子橋小学校〜太子橋南公園〜城北公園〜「城北公園東」交差点〜大阪市立大宮中学校〜江野公園〜大阪市立大宮西小学校〜東中宮橋〜旭公園・大阪市立旭陽中学校〜関目神社〜関目歩道橋〜関目中央公園〜興勝寺〜大阪市立鯰江小学校〜城東今福西郵便局〜大阪市立聖賢小学校〜京阪「京橋」駅。昨日は、久しぶりに城北公園周辺に行ってみたかったのです。もう1ヶ月早ければ「菊花展」が開かれているのですが、どうも股関節と相談しながらのウォーキングなもので、思った通りの季節になかなか行くことができないのです。城北公園からは、西方向には行かず、昨日は、南、そして、若干東に向かってみました。すると、最近、よく歩く城東区内へ。途中、今まで行ったことのないかもしれない関目神社へ。成育地区は、古い地域で、なかなかそそられる地域。そういった関目地区の発祥の地が、この神社だそうです。蒲生4丁目まで来たときに、鴫野に回るか、それも、今福小学校経由で回るか、新喜多橋をそのまま南下するか、それとも京橋に出るか迷った挙げ句に京橋へ。時間的に最もいいかと思ったのです。長過ぎもなく、短過ぎもなくで、2時間を2分出たところで、「京橋」駅到着です。
 「京橋」からは、定期があるので「北浜」経由で「日本橋」へ。時間調整のために千日前のネットカフェへ。夜は、トリイホールであった「たい平発見伝in TORII HALL」に行ってまいりました。本来なら、南海さんの会に行ってたはずですが、うっかりして落語会の方を選んでしまいました。しかし、今日は、いい会が目白押し。こういった日もあるのですね。で、トリイホールの番組は、完全にたい平だけの会ですから、こないなものになりました。たい平「不動坊」「宿屋の富」(中入り)「藪入り」。とにかく「宿屋の富」に付きまとわれています。この秋、3度、たい平の高座に遭遇できましたが、3度とも「宿屋の富」、、、これ、運のないこと夥しい。しかも、も一つ乗り切れない「宿屋の富」なものですから、余計に、自分の不運を嘆いています。東京の「不動坊」は、夏のネタのはずですが。それらしい言い回しが出てこない。一つだけ、「朝露」という言葉が使われました。「朝露に濡れているから気をつけろ」と、屋根に荷物を上げるときに使われました。でも、「朝露」は秋の季語ですね。ひょっとしたら、こんな季節にするものだから、季節感のある言葉は省いたかもしれません。上方版に比べて、かなり短いものでした。風呂で一人で有頂天になるところと、屋根の上でのおちょけ方が短いですね。幽霊は噺家です。ボケ方が、上方版に比べて大人しいのですが、でもボケの中味っていうのが、東京の噺家さんにやられてみると、とっても上方の濃さがありますね。「藪入り」を聴いていても、やっぱたい平は顔の表情が気になって仕方ありません。表情は豊かですが、小難しい顔をしすぎちゃうんだよなぁと、このネタでも突っ込んでしまいました。たい平の演じた「藪入り」は、亀ちゃんが帰ってきたあと、父親との会話で、父親の病気(肺炎)についてのやり取りに、かなり時間が裂かれました。これは初めてじゃないかな? 亀ちゃんの成長した姿を知るにはいいのですが、「病気」というのは、ちょっと暗いな。また、亀ちゃんが風呂に行ってから、お金の話に入るのが早すぎました。風呂に行くのを、もうちょっとゆっくり見送ってからにして欲しかったなぁ。ということで、「宿屋の富」以来、ちょっと黄紺の中では、たい平を見る目が下がってきています。




2011年 12月 18日(日)午後 11時 38分

 いいお天気の一日でした。穏やかな冬のいいお天気です。こないな日が続けばいいのですが。今日は、ウォーキングを予定していたのですが、も一つ股関節の具合がいいとは言えません。殊に今まで異常のなかった右の方に異常とおぼしきものが出ていますので、旅行前の身を考え、今日は自重しました。今年最後のウォーキングは、火曜日にかけてみたいと思います。それもあくまでも、股関節の状態と相談ですが。で、今日は、12時15分をメドにお出かけ。今日の昼間は、動楽亭での「講談まつり」です。上方講談協会が主催する3つ目の講談会ですが、なかなかスケジュールが合わず、ひょっとしたら1年ぶりくらいになります。その番組は、次のようなものでした。南舟「般若寺の焼討ち」、南青「木津の勘助」、南青・南舟・南斗「座談会:南舟・南斗正式前座お披露目」、(中入り)、南左衛門「水戸黄門漫遊記〜扇の掟〜」、南北「柳田格之進」。南舟、南青とおなじみのネタが続いたあとは、この会の目玉となっていると言っても、そないに丁寧な準備がされているわけではないのですが、、、。今日は、今年、年季明けとなった南舟と南斗に関するもの。司会は、兄弟子の南青くん。途中、「偶然前を通りかかった」南湖も登場。だけど、南舟は口が重い。高座に上がると、なかなかウイットの効いた喋りができるにも拘わらず、トークは苦手みたいです。むしろ南斗の方が、応対は適切でした。中入り明けの南左衛門のネタも、時々出る話。ところが、この南左衛門の高座の後半からダウン気味。南北さんの高座に至っては、高座に上がったことすら思い出せない状態。はっと気がつくと、なんと「柳田格之進」をやってるじゃないですか! びっくりしたら、途端にお目めはぱっちり。ちょうど、番頭が、柳田が怪しいと言っているところでした。そのため、時系列的に、50両の行方を言ったのかは、判らずじまい。ただ、あとの展開を聴いていると、50両の在処については言ってないのじゃないかと思いました。ただネタの進行の確認途中にあると思いますので、どういう形で終息するかは見届けなければならないなとは思っています。金の調達の仕方は、オーソドックスに、娘の身売りでした。また、碁盤をたたっ斬るというのはありませんでした。とまあ、違い探しをしたのですが、そのためには、覚醒してないとダメですね。南湖、南青ご両人の演じるこのネタのルーツが、南北さんじゃないかと思われますので、再度の遭遇を期待するしかありません。
 講談会がはねると、難波に移動。毎度の如く、千日前のネットカフェで時間調整。夜は、丁度1年前、フランス・ドイツ・スイスとご一緒した方と、「イスタンブール・コナック」での食事会。1年前の旅行の思い出話に華が咲きました。決まって出る話が、フランスのスト話。電車の運転手の遅刻話、それに、黄紺の靴が壊れた話、、、今から思えば、楽しい思い出ですが、とにかく、最初に泊まったランスまで、ランスから出るときって、ありえないことの連続だったものですから、どうしても思い出話となると、そこいら辺のことになっちゃいます。そして、いつもの如く、ドイツに入るとホッとしましたなぁで終わります。が、話題は、フランス話に終始します。もう一度行ってみたいところとして一致したのがメス。あすこで、オペラ観たいですなというので一致しました。そうなんです、工業の町というイメージのメスが、行ってみると180度変わったのですからね。




2011年 12月 17日(土)午後 10時 37分

 今年最後の日本での週末。その午後は、民博ゼミナールに行って、お勉強です。このゼミナールは、よくチェックのしわすれでいいものを逃してしまうことが多々あるのですが、今日は大丈夫でした。今日は、「中東のキリスト教〜したたかなマイノリティ〜」(講師:菅瀬晶子国立民族学博物館民族社会研究部助教)というテーマ。このテーマでは、何をさておいても、自分的な関心から言って、まずは行かなければならない最優先な催しでした。講師のフィールドがパレスチナということで、イスラエル、及びその周辺のシリア、レバノンを中心に、ヨルダンやエジプトを含めた地域が話題になっていました。主として、この地域に存在している教会の種類のお話でした。古くは、シリア教会やコプト教会、それにギリシア正教。また東方帰一教会と言われる東方教会から分離し、ローマ・カトリック教会傘下に入った教会なんてのがあるのですね。そう言えば、パレスチナ関係のニュースなんかを見ていると、時たま当地のカトリックの人たちが出てくきますが、それはこの人たちだったんだと合点がいきました。そして、後半は、一神教間の共存の話へ。確かに、カイロに行ったとき、フスタートの瓦礫が連なるオールド・カイロと呼ばれている地域には、コプト教会、ギリシア正教会、モスク、シナゴーグが、見事に共存している風景を見た光景が蘇ってきました。お互いに、宗教的な祝祭行事がある日には、相互に表敬訪問する習わしが、何百年と続いているという話も聞いたことがあります。それが、パレスチナ紛争が続くなか、影を落としている話、といことで、逆に宗教者同士が、スクラムを組み、人権擁護の活動する姿に話が及び、話は締めくくられました。
 民博を出ると、いつものように、歩いて阪急「山田」駅へ。そこから一旦南森町まで行き、おなじみのネットカフェで時間調整。大移動の途中、時間調整するのに一番便利だっただけのことです。そして、夜の部のため「田辺」まで移動。夜は「田辺寄席」に行ってまいりました。今夜は、同期の文太と雀三郎の二人会という番組が組まれました。この大移動が大変なので、躊躇いがあったのですが、昨日、さん喬で「芝浜」を聴いたかげんで、雀三郎の「夢の革財布」を聴いてみたくなったのです。その番組は、次のようなものでした。優々「運廻し」、文太「盗人の仲裁」、雀三郎「風邪うどん」、(中入り)、文太「抜け蟹」、雀三郎「夢の革財布」。優々は、久しぶりの遭遇。前に聴いたよりか、言葉が安定せず、素人っぽく感じました。文太は、まず「盗人の仲裁」。このネタも久しぶりです。やり手が、あまり出てこないことも事実。盗人が、盗みに入った家の夫婦喧嘩を止めに入るという落語ワールド全開の噺ですのにね。文太のもう一つは「抜け蟹」。「抜け雀」と同工異話とていうところ。筋立ては、基本的に同じ。でも、抜け出る雀の方が、動きが大きいから、雀の方がいいですね。このネタは、先だって繁昌亭で聴いたときには、ボヤーッとしてしまったので、今日は、リベンジを果たすことができました。雀三郎は「風邪うどん」から。マクラは物売りの声いろいろ。その流れのままネタに入ります。うどん屋と酔っぱらいとのやり取りが、雀三郎はいいですね。やっぱ楽しい酔っぱらいをやらせれば、右に出る人はいないでしょう。風邪ひきの男は、どうしても吉朝の口演が耳についているので、それが思い出されていけません。そして、「夢の革財布」。聴き直してみて、また昨日のさん喬と比べてみて、まず思ったのは、なんて見事に大阪の噺にしてしまっているという点。おかみさんは、大阪のおばはんだし、亭主は、いきがるなんてしない、単純な怠け者。おかみさんは、、そのため、とってもストレートに怒るし、自分の気持ちを伝えようとします。筋立て的には、序盤の河岸に出かける場面が、全部カットです。家を出ると、次は、戸を叩いているという具合です。勿論、子どもは出てきません。ストレートな感情表現に終始しますが、1ヶ所だけ、そうじゃないところを用意しています。3年後の大晦日に、おかみさんが打ち明けるところで、「腹立つやろ、たたくならたたいて、そやけど別れるというのだけは言わんといて」という台詞です。そう言われて、亭主は頭を下げるばかり、そして、「そんなこと、できるか」と応じると、「そう言うと思うた」と、ストレートな物言いに戻っていました。いや〜、おもしろいものです。べたべたの大阪テイストの口演を聴いてしまうと、今度は、またお江戸テイストの口演を聴いてみたくなりました。贅沢な話です。




2011年 12月 17日(土)午前 7時 30分

 昨日は、落語三昧の黄金日。昼は、繁昌亭の昼席で「忠臣蔵特集」ということで、雀三郎が「淀五郎」を出す日ですし、夜は「さん喬・松喬二人会」がある日なのです。今年最後の大一番の日と言えます。繁昌亭の昼席の番組は、次のようなものでした。石松「商売根問」、喬若「牛ほめ」、仁福「転失気」、鏡味仙志郎「太神楽」、王楽「鼓ヶ滝」、雀三郎「淀五郎」、(中入り)、虹友美「七色三味線」、文福「上燗屋」、瓶吾「犬の目」、雀松「尻餅」。とにかく田舎の年寄りが多数を占めていたようで、重い重い客席。文福高座、「犬の目」のようなネタにしか反応できないという質での重さ。もうそれは、石松の高座から現れていました。何をしに来たのだろう、いや噺家さんの言っていることが、あまり理解できてないのだろうということが、徐々に明らかになっていきました。王楽の場合は、釈ネタという一風変わったネタを出し、雀三郎の場合は、「ヨーデル食べ放題」を歌い、空気を変えようという試みをしていました。そういった中で、やはり枝雀一門の二人が出色の出来栄え。やはりすごいものがあります。「淀五郎」では、尾上民蔵の物言いを、部分的にデフォルメすることで、民蔵の真意を覗かせる一方、淀五郎は、徹底して、線を細く演じます。これは、人物描写に長けた雀三郎の真骨頂と看ました。雀松の「尻餅」は、初めてではないのですが、こないにすごいという印象はなかったのですが、とにかく浮揚感っていうのかなぁ、次から次へと、おやっさんの繰り出す餅つき屋の技に乗せられてしまっている浮揚感が、実に心地好く、臨場感抜群なのです。さすが重かった客席も、この名演に乗せられたのか、また解りやすい噺でもあったためでしょうか、昨日一番の反応を示していたと感じました。それ以外で印象に残ったのは、石松の「商売根問」。松之助テイスト満載の口演をいたく気に入っている黄紺ですが、昨日は、全く聴いたことのないくだりを披露してくれたのです。うどん屋をしてしくじる噺です。「商売根問」に、こないなくだりがあったのですね。瓶吾も良かったんじゃないかなぁ。普段ほとんど遭遇不可能な噺家さん。しかも、「犬の目」という超ベタなネタにも拘わらず、自然な言葉運びになるように細かな補正を意識しながらの口演に好感を持ってしまいました。ということで、昼席で、こないな質の高いものを聴かせてもらい大満足。
 繁昌亭を出ると、南森町のなじみのネットカフェで時間調整。そして、夜の部に向け「西長堀」に移動。こちらにある「大阪市立こども文化センター」が、「第5回さん喬・松喬二人会」の会場でした。夏は、トルコに行っていたため、この会は1年ぶりになります。昨日の番組は、次のようにものでした。右喬「米揚げいかき」、さん喬「徳ちゃん」、松喬「佐々木裁き」、(中入り)、松喬「借金撃退法」、さん喬「芝浜」。さん喬も松喬もともに、一席目のマクラで、談志の思っい出を語ってくれました。主催者からの要請があったのかもしれません。さん喬は、「正論には弱い人」ということを言っていました。「正論が解りすぎるほど解っていたから、それに満足することを嫌がった人」「人間の可能性を求めた人」と言いたかったのだと思います。松喬は、談志から聞いた言葉として、「一流になるには二流の人間からは成れない」「一流に成れるのは三流の芸人」「枝雀は二流だったけど、一度、三流になったから一流になった」を紹介してくれました。肝心の落語ですが、さん喬は「徳ちゃん」が良かったなぁ。吉原に上がった噺家が、安い値段で上がったものだから、散々な扱いをされる噺。時代は大正でした。なかなか遭遇できなかった噺です。明るいドタバタがおかしいネタですが、田舎者が出てくる噺は、「棒鱈」と言い、さん喬の口演は、ともに好印象が続きます。肝心の「芝浜」の印象がパッとしないのです。静かな語り口の中に、激情だの、悲哀だの、人の感情の機微を表してくれるさん喬落語、語り口は変わらないのですが、感情の起伏、揺れのようなものが絵空事のように響いてきたのです。「文七元結」を聴いたときに似た印象です。あのときよりももっと物足りなさを感じてしまいました。夫婦の感情の機微を表すのに、子どもを登場させました。これは初遭遇です。終盤、かみさんからの告白を受けた亭主は、動揺だの、歓喜を表にさほど出さず、子どもをあやします。3年間の夫婦の暮らしの証しとも言える姿です。そういった手法を採ったため、亭主の感情表現をセーヴしたものと思われます。難しいところだと思うのですが、両方とも欲しいのですね、自分的には。夢だと説き伏せるところも、かみさんは、とても暗いです。亭主をなんとかしなければならないという強い意志よりも、亭主を欺す困りが先に出る表現法。ここも、両方とも欲しいのです。そういった要求というのは過剰なことを求めているのでしょうか? 序盤、亭主が河岸に出て行くところで、家を出てすぐに犬に出逢う場面を作っています。菊志んの演出があるので、えらく緊張してしまったのですが、単に久しぶりに河岸に行くということを表す手法だったので、ちょっとホッとしました。そういった流れでしたので、余韻というものが乏しかったというのが、終わった直後の印象でした。松喬の「佐々木裁き」は初物のはず。久しぶりに、流れの良さよりも、たっぷり感を味わえる「佐々木裁き」に出逢えました。お奉行さんの問いかけ一つ一つに区切りがあり、お奉行さんに位があり、しろ吉に13歳という微妙な年頃を感じさせる何かがあるのでしょうね。子どもたちの描き分けも見事で、客席の反応が頗るイキイキとしていました。「借金撃退法」は「掛取り」。松喬の「掛取り」は、狂歌とケンカ好きの男しか出てきません、それ、あかかんやろと前から思っていたのですが、そのため「借金撃退法」なんて題を付けたのでしょう。ケンカ好きの男対策なんて、松喬にとってはお手の物でしょうが、やっぱ、このネタは、浄瑠璃なり、歌舞伎なりを入れないと。演じ手さんスペシャル的な男の登場っていうのを、米朝が出してから定番化していますが、そういった男も出ずでは、、、、。それにつけても、「掛取り」っていうネタは、とっても上方的なのに、オリジナル版は、東京の噺家さんの方が伝えているいうのは如何なものかと、常日頃から思っています。




2011年 12月 16日(金)午前 7時 45分

 昨日は、寒さはちょっとましだったかな。夜遊びをするのには、ありがたいことです。昨夜は、動楽亭であった「佐ん吉・そうばの新作道場」に行ってまいりました。この2人の新作というのが新鮮で行ってみたくなりました。その番組は、次の通りでした。佐ん吉・そうば「オープニング・トーク」、佐ん吉「ノーベル文学賞(仮題)」、そうば「ヤッホー(仮題)」、(中入り)、佐ん吉「三題噺」、そうば「三題噺」、佐ん吉・そうば「反省会」。二人は、FM守口でパーソナリティーを務めているそうで、その放送で、今年の目標として「新作の会をする」と宣言したために開かざるをえなくなった会だそうです。実際、FM守口を聴いてこられたお客さんが4人いました。20人ほどの会でしたので、大きな割合に、主宰者の2人が、誰よりもびっくりしていました。というあたりのことが、オープニング・トークで紹介されたあと、三題噺のお題が取られました。そのお題は、「鬼瓦」「絆」「国宝」の3つでしたが、黄紺の出した「鬼瓦」は、佐ん吉さんが採用してくれました。実は、三題噺があるというので、あらかじめ考えていったものです。時事ネタ、地域ネタ、季節ネタばかりが出る傾向があり、聴いていておもしろさに欠けるので、ちょっと字数が多目の名刺を用意していったのでした。番組的には、中入り前が、二人があらかじめ用意した新作。そうばの新作は、「泣いた赤鬼」の変型版。これを聴いて、やはりストーリーのしっかりしている話は強いなということです。佐ん吉の方は、ノーベル賞授章を心待ちにする作家の一喜一憂を描くのですが、あまりに下世話。噺家の知性が出る中で、下世話なくすぐりが入るとおかしみが出るのだけれど、一貫して下世話だとおもしろくありません。三題噺は、佐ん吉に軍配でしょう。国宝の花瓶を割った寺の小僧が、お住持になんとか言い逃れる工夫をする内容で、ちょっとした落語になってましたから、膨らましてみたらと思ってしまいました。今度は、逆にそうばが、こなすことに力が入り過ぎたかという出来でした。集団見合の場に行き、相手の女性にぶつける質問の中に、お題をねじ込むやり方のため、ストーリーを考える必要がないので、こなすことに力点が入ったかと看ました。終わってみて、次回あるなら行くかなぁどうかなぁという微妙な会だったと思います。




2011年 12月 15日(木)午前 5時 45分

 バタバタとした年末の仕事場、昨日で一つの峠を越えることができました。あとは、ゆっくりと下り坂をたどって行くと、必然的に、道はヨーロッパに繋がっています。昨夜は、落語会も押さえてはいたのですが、映画にしました。七芸であった日本映画「ちづる」です。このあと、あまり日本にいないので、タイトな時間を過ごさねばならず、行くのなら昨日ということで、頑張って十三まで行ってきました。この映画は、監督の実の妹で、自閉症で引きこもりのちづるの日常生活を撮ったもの。同じ自閉症の人たちを怖がるものだから、作業所のようなところには行かずに、家の中で、ずっとお母さんがついて生活をしている。20歳の誕生日を迎える直前から21歳になったちづるが、ラストに出てくるので、その間の記録が撮られています。兄である監督は、今まで妹のことを、人に言うのを憚ってきたことに対するわだかまりが、この映画を撮らせたと言います。父親は、この映画の撮影より4年ほど前に、飲酒運転の車に追突され亡くしてしまってる家族でもあります。監督本人が、母親に問う場を設定する場面も用意されており、障害が判ったときの気持ち、父親とのスタンスの違い、親の会のサポート、将来のことなどか尋ねられます。ちづるとの関わりで、自分の執った行動を、母親自身が解説する部分が多く看られ、それを聴くと、聴く者として「大変だ」とため息が出る一方で、人の親でもある自分に重ねてみると、その関わりが嬉しくもあり楽しくもありで、のめり込みそうな自分の図が思い浮かび上がりました。俗に言う「親なればこそ」の姿を観るにつけ、心が温まる思いがしました。監督自身は、揺れているのでしょうか。障害者施設への就職活動をします。一方で、大学を出ると、家を出ると言っているそうです。ちづるとの、将来における関わり方については語られることはありません。監督にとっては、当たり前のようにあるちづるですから、そないなことは、自明のことなのでしょうか。それとも、自分の就職の方向性同様迷っているのでしょうか。そのあたりについては、監督自身の言葉は出されませんでした。犬(バナナ)との関わりがおもしろいですね。飼う前は、飼うことにより、我慢することを覚えてくれればいいが、ストレス解消に虐待したらと、お母さんは心配してましたが、最後の方では、犬の面倒をみるちづるの姿が写されていました。人との関わりを怖がるちづるですが、犬を飼うことで、自分が世話をするということを学んだようです。最後のところで、急にお母さんが、故郷の福岡への転居を決めてしまいます。監督は、それで、就職やちづるとの関わりをどうしたのでしょう。とっても、気になってしまいました。続編を期待したい気持ちが出てきてるってことは、この映画、大成功なんじゃないかなぁ。犬のバナナも入れた4人の家族の物語を観ているような気になっちゃったんですね、きっと。




2011年 12月 14日(水)午前 6時 22分

  大阪市内遊歩(118)

 もう10日ほどで、日本から離れる予定ですので、一方で、仕事でやり残してないことはないか、他の一方で、旅行準備に怠りがないか気を揉む日々となっています。そないななか、旅行準備の関係があるので、年内のウォーキングは、昨日を含めてあと2日となってきています。あまり股関節の具合が堅調ではないので、昨日などは休むのが妥当なんでしょうが、年内あと2日となると、話は別です。てなことで行ったウォーキングの詳細なコースは、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜「本町3」交差点〜地下鉄「本町」駅〜「北久宝寺町3」交差点〜韓国料理店「ワッソ」〜インド料理店「gautama」〜御津八幡宮〜インド料理店「プルニマ」〜大阪市立難波元町小学校〜鴎町公園〜「旧渡辺道」道標〜浪速南公園〜「北津守4中」交差点〜「津守1」交差点〜南海汐見橋線「津守」駅・大阪府立西成高校〜大阪市津守下水処理場〜大阪市立津守幼稚園・津守神社〜西成中津守郵便局〜梅南集会所松通公園〜松通東公園〜「松」交差点〜西成花園南郵便局〜地下鉄堺筋線「天下茶屋」駅。昨日は、ウォーキングを始める前に、旅行用にユーロを買いたくて、「淀屋橋」をスタートに。また、午後の部が「動楽亭」となる日にウォーキングをしていることが多いため、変化をつけねばなりません。巡検的楽しみも味わうというのも、ウォーキングの一つのコンセプトですから。ということで、久しぶりに「天下茶屋」を終点となるようにコース設定を考えてみました。大阪の秘境的雰囲気のある汐見橋線の「津守」駅の前の道路を北から南へ歩くことを考えていたのですが、地図をあらかじめ見ていたときに間違いそうだと思っていたら、正にそのまんまで間違ってしまい、結局「津守1」交差点を西に入ることで、「津守」駅に至ることになりました。「津守神社前」交差点をまっすぐに西進する道は、よくお世話になります。だいたいの目安として、「天下茶屋」駅に迎えるからです。先ほどの「津守」駅を南から入って行ったことになってしまったので、じゃそのまま北へ迎えば、「動楽亭」にダイレクトに入れると、一瞬頭をよぎったのですが、つい先日歩いたコースに、最後は同じになるということで、予定通りに進むことにしました。
 「天下茶屋」から「動物園」まで移動。午後は、「動楽亭昼席」でした。20日まで興行が延びた恩恵です。先週もそうでしたが、20日間興行になったからか、客脚は落ちています。だけど、「動楽亭昼席」が始まった頃は、こないな具合だったのだから、長い目で見ていきましょう。で、昨日の番組は、次の通りです。そうば「うなぎ屋」、雀太「替り目」、竹丸「千早ふる」、きん枝「悋気の独楽」、(中入り)、学光「荒茶」、福笑「桃太郎」。「講談毎日亭」のときもそうでしたが、ウォーキングをしてから会に行くと、前夜が睡眠不足であろうがなかろうが、全くダメになってきています。それは、ウォーキングをしていても、後半の跳ねるようなリズムが消えてしまっているのと合致しています。また一層の老化が進んだ証拠かもしれません。僅かな記憶に残っていることだけをメモっておきます。「うなぎ屋」とは季節外れかと思いきや、そうばが言うには、「うなぎは冬眠をするので冬に一番身が付いている」「夏は逆にぎすぎすになったうなぎを食べている」、だから、この時期に「うなぎ屋」を出しても、おかしな話ではないということです。きん枝の「悋気の独楽」は、以前から持ちネタとしていたにも拘わらず、今まで遭遇機会のなかったもの。序盤のおたけの語りは省かれていました。マクラが長くふったために割愛したのか、普段からなくしてしまうという演出を採っているのかは判りかねます。福笑は、びっくりのネタ選び。こんなのを高座にかけたことがあるのかすら知りませんでした。勿論、福笑のことですから、通常の「桃太郎」とは違います。子どもがまぜっかえしていくとき、えらく芝居がかりに大仰に演じるというコンセプトだと看たのですが、ここでもダウンしちゃいました。
 動楽亭がはねると、京橋に移動。最近よく利用する京橋のネットカフェで時間調整。夜は、京都への大移動で、「神宮丸太町」から歩いて「京都芸術文化会館和室」であった「第96回桂文我上方落語選〜京都編〜」へ。落語三昧の一日としました。番組は、次のようなものでした。まん我「始末の極意」、文我「殿集め」、宗助「べかこ」、文我「猫定」、(中入り)、文我「らくだ」。まん我は、たっぷりめにケチ小咄をふってからのネタ入り。最後の木にぶらさがるところ、テンポを落として、ゆっくりと決めにいきました。それが、見事に決まるところが、まん我の実力なんでしょう。文我の会ではおなじみの宗助は、珍しい「べかこ」。黄紺も、久しぶりに聴くネタです。あと三喬や染丸がするくらい。これも、落ちがいいですね。この肩透かしを、客に喰らわせるために作られたネタのようで、もっと演じ手が現れても良さそうなネタです。主宰者文我は、昨日も珍しいネタを2つに、大ネタが続きました。「殿集め」は初めてとか。「清水寺が舞台の噺をします」と言われたとき、ピンと来ず、男たちが集まっていることが言われて、「殿集め」と判りましたが、文我はやってないのでしょうね。エッセンスだけまとめて終わりました。下の群集が、もう少しいろいろと妄想を働かせて、好き勝手なことを言わないと、あまりに呆気すぎない噺になってしまってました。「猫定」は、東京ネタの移植版。上方では、あと、文太がするくらい。東京のさん喬で聴いたイメージが強いネタで、えらく陰惨なネタとの印象がこべりついたいますが、文我の口演は、その辺を意識したのか、また文我のキャラ的なところがあるのでしょうか、怪異譚であることはそうですが、かなり柔らかくされており、変わったお話風の仕上がりとなってました。こういったときって大阪弁というのは便利な感じがしました。「らくだ」は、この会で、何年か前に聴いています。時間の関係か、結構はしょり気味。月番に金をもらいに行くところから入り、漬物屋とのやり取りはカット。それ以後も、薄くすることで最後まで。但し、下げは、「火屋」と「冷や」の駄洒落で落とさず、乞食坊主が逃げ帰ろうとする、それをらくだだと思ってますから、前半の脅して物を取ることに引っ掛けて落とすというものでした。




2011年 12月 12日(月)午後 11時 30分

 今日の冷え込みは、かなりのものがあります。右手の動きが悪いものですから、仕事がやりにくくて困っています。その仕事も、ラストスパート。でも時間になると、さっさと仕事を離れるのが、私の習わし。今夜は、ワッハの4階であった「らくご道〜笑福亭生喬と桂こごろうの落語会〜」に行ってまいりました。優先度の高い会。毎月のように行っております。その番組は、次のようなものでした。こごろう「前説」、生喬「掛取り」、こごろう「骨つり」、(中入り)、生喬・こごろう「対談:夕焼け日記」。生喬の「掛取り」が傑作。「宝塚」が入りました。それが始まると、この会に来る客は、生喬が宝塚ファンだということを知っていますから、ボルテージが一挙に上がりました。宝塚のスターの名前を織り込んだ断りの台詞と、「ロミオとジュリエット」に出てくる借金の断りの歌が使われました。撃退の順序は、「狂歌」「宝塚」「喧嘩」でした。生喬は、「宝塚」を、今日の昼間、急きょ思いつき作ったそうです。常は「河内音頭」を入れるとか。そう言われて、生喬の「掛取り」を聴いてなかったことに気がつきました。ちょっと意外な感じがするのですが、「加賀の千代」を聴いているからでしょうね。こごろうの「骨つり」も、初めてのはずです。第一、こごろうが、他の会でも「骨つり」をかけていること自体、ほとんど記憶にありません。ネタとしていることは、随分と以前から承知はしていましたが。対談の中でも話されていましたが、このネタは、米朝師の復活というか、作り上げたようなネタのため、他の一門は手掛けにくいということがあるみたいです。しかも、米朝一門でも、演じ手が多くないということがあるようです。確かに、それは言えてます。ネタにしているこごろう自身も、あまり出さないネタだそうで、現に今年も、「つるっぱし亭」と今日だけだそうです。その理由として、こごろうは、場面転換の多いネタは、演じる立場からすると、「気持ちが疲れる」なんて言い方をしていました。聴き手の方は、頭の中のイメージを入れ替えるだけで済みますが、演じ手は、そういうわけにはいかないということです。対談の後半は、こごろうのパチンコ好きの話に大盛り上がり。いつもいつも楽しい「夕焼け日記」でした。




2011年 12月 12日(月)午前 0時 42分

 昨夜は、日が変わってから帰宅。電車を乗り過ごしたために、そないなことになっちゃいました。酔いが回っていたためか、ぐっすりと眠ることができました。そして、今日は、12時15分をメドにお出かけ。かなり疲労がたまっているということで、今日はウォーキングは控えました。行き先は雀のおやど。「講談毎日亭」の最終日でした。今日のテーマは「真田幸村」。トップが南湖さんで、「幸村の入城」という抜き読みで、よく出る話。時期を待つ間の幸村の阿呆ぶりが聴きもの。次は南青くんで、大坂方を取り囲んだ関東方の陣回りをする家康に、幸村の軍が襲いかかるというもののはず。またまた「はず」と書いてしまいました。理由は、昨日と同じです。南青くんのあとに、東京からと言うか北海道から、神田山陽師が飛び入り。ちょうど大阪に来られているので、出演をお願いされた由。我々にとっては、とってもおいしい飛び入り。大阪で高座に上がることを延々とマクラで喋ったあと、ネタは自作の「マチルダ(?)」、南海さんが、山陽師とネタ交換をして行った会で聴いたもの、その本家の口演を聴くことができました。家庭で使われている便利器具が、擬人化されてお喋りをしていく中で、その家族の様子が見えてくるというもの。この人の卓越したところが、よく判る作品です。山陽師の口演のあとに中入りが入り、大トリの南海さんの高座。真田幸村が主人公というより、秀頼が落ちて行く話が、主に読まれました。家康は、既に後藤又兵衛に討たれたあとで、替え玉が指揮を執っていました。大阪で読まれる「難波戦記」特有のところです。ということで、今回の「講談毎日亭」は終了です。今回は、5日間の皆勤。ご褒美に、席亭さんからお土産をいただき、息子へのいい土産となりました。
 雀のおやどを出ると、直ちに「日本橋」に移動。千日前のネットカフェで時間調整。トルコのサッカー情報を押さえるのには、ちょうどいい時間が取れました。そして、トリイホールへ。今日は、こちらで「浪曲タイフーン」の公演が行われていました。「浪曲タイフーン」というのは、浪曲師の玉川奈々福と春野恵子のユニット名です。大阪では、初公演となりました。その番組は、次のようなものとなりました。あとまわシスターズ「音曲漫才」、春野恵子(一風亭初月)「大坂城落城の淀君」、小染(一風亭初月)「竹の水仙」、玉川奈々福(沢村豊子)「仙台の鬼夫婦」。あとまわシスターズというのは、奈々福と春野恵子の漫才をするときに名前。奈々福は、元本職の三味線を持ち、春野恵子はウクレレを持ち登場しました。「大坂城落城の淀君」は、春野恵子では、なかなか出ないネタじゃないかなぁ。「講談毎日亭」でも聴いてきた「難波戦記」の話です。淀君と千姫の確執も出てくる内容。あまり出ないのは、節の部分で、春野恵子苦手な高音がえらくたくさん出てくるからじゃないかと、勝手に思っていました。小染は、浪曲のできる噺家ということで白羽の矢が立ったようです。東京の公演では市馬が出たという情報は、既に掴んでいました。ネタは「竹の水仙」だったのですが、浪曲的刈り込みが不十分で、ちょっと長い印象。でも、終盤の連続的な節は、なかなかお見事。癖になりそうですね。玉川奈々福の「仙台の鬼夫婦」。「木馬亭」で、既に聴いたことのあるネタ。奈々福は、木村若友からもらったそうです。薙刀の達人の妻の煽りを受け、剣術の達人に成長する夫の物語。それにしても、奈々福の節は、声楽の特別な訓練を受けてきた人という風に聞こえてしまうのですが、、、。
 帰りは、前日同様、息子の家に寄り頼まれ仕事やる。そして、外に出て、またまた二人で呑んで、いい気持ちでの帰還とありました。幸い、今日はまともに帰れました。




2011年 12月 11日(日)午前 8時 52分

  大阪市内遊歩(117)

 昨日は、自分的には、3連休の2日目。今日も、天気は悪くないので、ウォーキングを実行。股関節の心配があるので、こうやって普通にウォーキングができるのが嬉しいですね。今日も、午後は雀のおやどに行きますので、そちらへの移動を考えてのコース設定。昨日と似たコースになりましたが、詳細は、次のようになりました。京阪「野江」駅〜大阪市立成育小学校〜南菫橋〜済生会野江病院〜鯰江東会館〜南今福北公園〜南今福公園〜寝屋川大橋〜大阪市立今津小学校〜大阪市立汎愛高校〜鶴見今津郵便局〜圓通寺〜JR学研都市線「稲田」踏切〜「楠根2丁目」交差点〜「長田東」交差点〜長田東内介公園〜意岐部変電所〜「御厨東」交差点〜東大阪意岐部郵便局〜新田大橋〜近鉄奈良線「八戸ノ里」駅。昨日もそうでしたが、東大阪市内を歩くのは、巡検という観点からすると、ホントにつまらんところです。行けども行けども、中小企業団地が続くのですから。しかも、土曜日ですから、完全に死んでいます。そこを延々と歩くわけですから、あまりに変化が乏しいのです。そうは言っても、昨日は「八戸ノ里」まで行けました。しかも、「八戸ノ里」には東方向から入れたということは、この方面では、最も東方向に行ったことになるんじゃないかな。
 「八戸ノ里」から、近鉄電車一本で、「鶴橋」に移動。昨日の午後は、「雀のおやど」での「講談毎日亭」。昨日のテーマは、「木村長門守重成」。21歳で生涯を閉じた若武者です。「難波戦記」を代表するキャラの一人です。そのため抜き読みされることも多く、南青くんと南湖さんの口演は、正にそういったものでした。南青くんが「木村重成の堪忍袋」、南湖さんのネタは「木村重成の最期」でした。これらは、講談会に足を運べば、頻繁に遭遇するネタ。あれれという感じ。ちょっと肩すかしの雰囲気。南海さんは、「あまり出ないものですが」と断って、「木村重成の初陣」を読まれました。確かに聴いた覚えがない。「鴫野・今福の戦い」を読まれたわけですが、冒頭で、合戦が行われた当時の地形を紹介されていました。したりのことで、あの辺に鴫野川が流れていてということは、実はウォーキングをしていた最中に発見していたのです。鴫野川が無くなり、大和川の付け替えに絡んだものかなと思っていますが、替わりに新田ができた。これはよくある話。新喜多という地名が、あの辺りにありますが、それは、その新田開発に寄与した人の名前を取ったものとの碑文が残っているのを発見していたのです。てなことで、目がランランとしてくるかと思いきや、前日同様、ここでウォーキング疲れが吹き出してしまったのです。昨日会で、一番いいところじゃないかと、あとから判ったのですが、疲れに勝てない浅はかな黄紺でした。
 講談会がはねると、徒歩で千日前まで移動。30分の行程です。時間調整で、オペラのDVDを観るため、確実にDVDを観れる千日前のネットカフェに移動したのです。夜は、息子のところへ行かねばならなかったための時間調整です。息子は、そんなやつじゃないはずなのに、休日出勤をしていたために、夜まで待たねばならなかったのです。息子のところで用事を済ませると、息子と近くで呑みました。お定まりのことです。NHK大阪に近いところで呑んだためでしょうか、お店には、「ウエルかめ」だの、「カーネーション」だののポスターが貼られていました。京都まで戻ると日が替わっていました。こんなの久しぶりです。




2011年 12月 9日(金)午後 10時 51分

  大阪府守口市(43)〜大阪市旭区、城東区〜東大阪市(23)

 一段と冷え込んでいます。冬のヨーロッパ出発まで、2週間を切り、その準備に躍起になっている今日この頃です。今日は、股関節の具合もいいということで、午前中にウォーキングを組みました。当然、午後からの動きに対応できるようにとのコース設定ですが、それは次のようになりました。京阪「守口市」駅〜京阪「土居」駅〜京阪「滝井」駅〜新森中央公園〜「古市3東」交差点〜城東古市三郵便局〜大阪信愛女学院〜大阪市立すみれ小学校〜大阪産業大学付属高校〜インド料理店「SPICE KING」〜地下鉄「今福鶴見」駅〜寝屋川大橋〜阪東大橋〜「諏訪2」交差点〜城東諏訪郵便局〜諏訪神社〜朝陽ヶ丘幼稚園〜「高井田本通6丁目」交差点〜東大阪市立高井田西小学校〜東大阪高井田郵便局〜東大阪長堂郵便局〜「長堂3丁目」交差点〜インド料理店「スパイス王国」〜ハローワーク布施〜近鉄奈良線「河内永和」駅。最初は、「滝井」駅を起点にするつもりで、「守口市」駅で途中下車して、先にお昼を食べたところ、 「守口市」駅で、目の前で電車に出て行かれたので、ならば「守口市」駅スタートにしようじゃないかと、急遽変更。際どい動きで計画を立てると、こないな対応をしなければなりません。とにかく今日は、近鉄奈良線か地下鉄千日前線のいずれかを目指そうとしていたため、最初からスピードを上げて歩き通しました。これまでの経験知が、そうさせたのです。ちょうど、このコースで、2時間ジャストです。久しぶりに阪東大橋を越えました。ストレートに、分かりやすくをモットーにしたコース設定です。にも拘らず、諏訪神社辺りの大阪市と東大阪市の境目を歩いてしまいました。行政の境目が判り、変な道があるのです。前に行ったとき迷いかけ、それ以後は、近くに行っても近寄らないようにしていたところです。今日は、それが解っているので、地図を眺めながら、分かりやすく歩いて正解。スムーズに歩くことができました。
 「河内永和」から近鉄電車一本で「鶴橋」に移動。今日は、「講談毎日亭」が、午後の公演でした。ところが、ウォーキングを、ちょっと頑張り過ぎましたね。もう近鉄電車に乗り、暖房の暖かな空気に触れただけで、ボーッとしていたもので。案の定、雀のおやどに入り、座って待ってるだけで、うとうとくるものですから、講釈師さんの口演が始まると、更にその度合いは増していったため、3人の出演者の方々の口演の内容の詳細が、さっぱりと思い出せないのです。とにかく今日は、「埴団右衛門」の車読み。トップは南青くんで、団右衛門の出自と古狸退治。「難波戦記」のヒーローには、こういった豪傑伝説が付けられていったようです。次が、今日は南湖さん。今日は、初日同様の入門順の出番。団右衛門は、自分の主君に愛想を尽かし、野にくだり浪々の身を送った人物。そのため、逆に生活難に遭遇せざるを得なかったという側面を持っている。南湖さんの口演前半は、ついには辻斬りもどきのことをしでかして、生活の糧を得ようとする始末。ところが、狙った相手がやけに強い。気がつくと、その相手は後藤又兵衛だったという出来すぎのストーリー。こないな感じで、薄田隼人とも遭遇のはず。「はず」というのは、ダウンのせいで不明瞭なところ。とにかくも、3人が出逢ってました。ところが、3人の出逢い方が、初日の口演で読まれた出逢い方と違うのも、講談らしいと言えば講談らしいおおらかさ。そして、3人が別れたあと、団右衛門は「夜討ち」に出向く話に移り、その話が、今日の南湖の高座の後半に当たるのですが、ダウンの度合いが深くなったようで、さっぱり分からないのです。南海さんの口演は、その「夜討ち」を受けて始まったようで、どうやら「夏の陣」に繋がる話か、その序に当たる話かと思われます。南海さんのところで、更に疲労が深く進みます。団右衛門は、紀州攻めを任せられます。その関東方との戦いに加え、同じ陣営内の先陣争いが絡みながら、物語は読み進められていったようです。最期は、蟻通の森での合戦だったそうです。大阪南部であって紀州ではありませんね。出刃って来た関東方と、その地で戦があったということですね。謡蹟でもある「蟻通」に、新たに一つの記憶が加わりました。
 雀のおやどを出ると、京橋に移動。最近よく利用するようになった京橋のネットカフェで時間調整。そして、今日は、京都へ大移動。夜は、京都観世会館であった「市民狂言会」に行ってまいりました。観世会館に行くのも、今年は、夏以後そそられる能の会があっても、行けないというアンラッキーなことが続いたため、久しぶりのこととなりましたし、ましてや「市民狂言会」となると、少なくとも、1年は、間が空いています。今日の番組は、次のようなものでした。「茫々頭」(太郎冠者:網谷正美、主:茂山七五三)「真奪」(太郎冠者:茂山千五郎、主:茂山宗彦、都の者:茂山良暢)「鬼の継子」(鬼:茂山正邦、女:茂山童司)「鬼瓦」(大名茂山逸平:、太郎冠者:茂山あきら)。本来なら、「鬼瓦」がトップにくるところ。配られたパンフレットにも、そのようになっていたが、どなたかの楽屋入りでも遅れたのでしょうか、一番ラストに回りました。今回の番組に並んだ演目は、それぞれ小品ばかり。「茫々頭」と「鬼瓦」は、能の会でも定番の曲、だが、あとの2つは珍しい。「真奪」なんて、この前に観たのはいつだったのでしょうか。調べてみると7年前と20年前の2度しか遭遇したことがないことが判りました。ついでに、「鬼の継子」も調べると、19年前に1度観たきりでした。で、まず、「茫々頭」は、頭に菊の花を挿すという綺麗な趣向が出てくる秋の定番の曲。その風流さと、落語の落ちにも似た最後の言葉が可笑しい曲。「真奪」は、立花に使う真を求めに都に行き、いい真を持った男を見つけ、その真を奪い取るという風流なんだか、無粋なんだか分からない可笑しさのある曲。だが、真を奪ったのに、逆に持っていた太刀を奪われたので、今度は、その太刀を奪い返そうと奮闘するが、ここからは、「太刀奪」と全く同じ。ま、そんなだから、殆ど出る機会がないのでしょうね。第一、真の作り物が要りますからね。「鬼の継子」も、殆ど遭遇機会のないものだが、内容的に言って、もっと出てもいいんじゃないかなぁ。山道を歩いていた女に目を着けた鬼が、女に命を助けるから、自分の妻になれという展開。究極の選択を迫られた女は、「是非に及ばず」と受諾をするが、鬼の隙を見て、子どもを取り返し逃げていくというもの。鬼が、芸をする子どもに惹き付けられあやすところが可笑しい。「鬼瓦」は、先日、奈良で遭遇したばかり、しかも、シテの大名は逸平くん。太郎冠者として、あきらさんが付き合うというのは、「市民狂言会」ならではないかな? 一つ、返す返すも残念なことがあります。この会で、毎回、冒頭の解説を担当されていた千之丞師が亡くなられたため、その替わりを置かないで運営されていました。替わりをできる人がいないわけではないのに、その替わりを置いてないところに、逆に鎮魂の気持ちが表れているようで寂しさがつのりました。




2011年 12月 8日(木)午後 11時 58分

 今日も、仕事が終わると、いそいそと鶴橋へ。少し早かったので、「京橋」から「森ノ宮」までのミニミニ・ウォーキング。今夜の「講談毎日亭」は「後藤又兵衛」の車読み、要するにリレー講談。今日は、トリが南青ということで、トップは南海さん。後藤又兵衛というのは、黒田勘兵衛に、後藤又兵衛の父親が後を託したことから、勘兵衛の息子長政に仕えることになったとか。ところが、長政は、父親と違い、先見の明もなく、また侍大将としての器でもなかったため、又兵衛の方から愛想をつかし、長政の元を去り浪々の身に。そこに目を付けた大坂方が、又兵衛を迎えに使者を出す話が、今日の南湖の出番。乞食に身を変え又兵衛の元にやって来た使者を見破る話と、家康方の見張りを騙して、武装資金を巻き上げる話で、これは抜き読みで出る話。ただ抜き読みだと、最後に、修羅場読み風に、入城の様が読まれるのですが、今日はカット。20分ほどで降りることに。替わりに、トリの南青くんが50分の長講。ところが、昨日同様、3席目で力尽きダウン。冬の陣とその後の通り一変のところが読まれたあと、道明寺に着陣した又兵衛と、関東方との合戦の場面が、きれいに吹っ飛んでしまいました。そのあと、先日の南青くん自身の口演でも聴いたばかりの「平野の地雷火」を手短かに読んで締めました。結局、南青くんの高座では、普段の講談会でも聴けるところでは元気で、そうでないところではダウンしてたという情けない結果になってしまいました。




2011年 12月 7日(水)午後 10時 53分

 今日は、仕事日だったのですが、比較的のんびりとした一日。明日からが、忙しさが増すのですから、こういった日があって、バランスがとれるのでしょう。そして、夜は雀のおやど。今日から、再び「講談毎日亭」が始まりました。今回は変則で、いつもだったら11月のところが12月にずれ込み、且つ1週間ではなく5日興行です。更に、今回は、「難波戦記」で活躍する武者を、毎日一人取り上げ、3人が続き読みするというものです。この「講談毎日亭」も、次回の第20回で終わってしまいます。ですから、何をおいても通わねばならない最優先の会なのです。で、今日は「薄田隼人特集」の日。ただ「薄田隼人」は「岩見重太郎」と同一視されるということが多いそうで、トップの南青と次の南湖は、「岩見重太郎」の物語。「岩見重太郎」と言えば、前々回の「毎日亭」で南湖が取り上げたもの。いつぞや聴いた話が、お二人により、再び読まれた格好になります。南青の読んだのは、摂津の国野里村でのヒヒ退治の物語。怪力無双の岩見重太郎らしい物語です。南湖の方は、昨日の「天満講談席」で出したものに、宮津での仇討ちを完結させたという形になりました。埴団右衛門と後藤又兵衛も駆けつけ、千人斬りをするという、これまた怪力無双の岩見重太郎らしい物語です。今日のトリの南海さんは、いきなり「薄田隼人と岩見重太郎とは違います」「ここまでの1時間は何だったんでしょうね」。薄田隼人の、南海流来歴から始まり、今日の本ネタと言える「大阪夏の陣」において、薄田隼人が道明寺の近くの古市に着陣し、徳川の軍と戦う合戦の様子が読まれたはずです。はずというのは、今日は、ここで力尽きてしまったのです。昨夜の寝不足からすると、よくも終盤までもったものと感心しきりです。




2011年 12月 7日(水)午前 2時 1分

  大阪市内遊歩(116)

 最近、お酒を呑み過ぎだと思い、お酒を呑まない日を作ろうとしています。昨夜も控えたので、これで、1週間に3日も呑まなかったことになります。これで、3ついいことがありました。一つは、お酒を呑まないでおこうとしたら、簡単にそれができたこと。要するに、自分はアル中にはなってなかったなの確認ができたことです。もちろん体には、呑まないにこしたことはありませんから、これが二つ目。もう一つは、睡眠時間が長くなってきています。これは、もう少し長い目で見てから結論は出すべきでしょうが、ここまではそうなのです。ま、そないで睡眠をしっかりとできた今日一日のメニューは盛りだくさん。まず10時5分前をメドにお出かけ。午前中にウォーキングをもってきました。京阪「淀屋橋」駅〜道修町3交差点〜結核予防会大阪府支部・大阪平野町郵便局〜大阪科学技術館〜ネパール料理店「カトマンズ・カフェ」〜大阪西本町郵便局〜阿波座1交差点〜大阪市立明治小学校〜鰹ザ橋北交差点〜新町西公園〜大阪市立西高校〜日吉橋〜大正橋〜尻無左17号鉄扉〜三泉北商店街〜韓国食材店「ソウル・キムチハウス」〜大正区医師会館〜泉尾公園〜泉尾南交差点〜安治川大橋〜北開2交差点〜南海「新今宮」駅〜阪堺電車「南霞町」駅〜動楽亭。今日は、大正橋を通り大正区内に入り、大正区内を歩いたあと、安治川大橋を渡り、「芦原橋」駅か、ダイレクトに動楽亭まで行こうとの計画でスタート。大正橋でが、若干1時間を切る行程であるというのは経験知。残りの1時間を、大正区内とそれ以後に使うという時間の割りふりまで、頭に入った上でのスタート。歩きながら地図を見ていると、「芦原橋」に行くのも、「新今宮」に行くのも、そないに変わらないことが判明。ならば、午後は、動楽亭での会に行くつもりだったので、「芦原橋」に行くことは捨てました。ただ、安治川大橋を渡ってからの所要時間を読み間違っていて、実際には、2時間を10分ちょっとオーバーしてしまいました。やはり川沿いの風景はいいなぁと、しみじみ。
 今日の動楽亭は、通常の昼席。今日は、出演者が目を惹いたのでしょう。開演前の列の長さが、いつもとは違う感じがしました。その番組は、次のようなものでした。小鯛「刻うどん」、吉坊「おごろもち盗人」、よね吉「ふぐ鍋」、九雀「蔵丁稚」、(中入り)、千朝「胆つぶし」、雀三郎「二番煎じ」。今日は、ウォーキングが快調で、足取りも軽かったので、そないに疲労感を感じてなかったのですが、ウォーキングのあと食事を摂り、暖かなところに入るとダメですね。わりかしとびとびになっているところが多いのです。そないな中で、書ける範囲で書いてみると、九雀の丁稚というのが、わりかし可愛くなかったというのが、意外な感じがしました。こまっしゃくれた感じも受けない大味さがあり、普段、感じる印象とは異なるものを感じてしまいました。この冬は、「二番煎じ」の当たり年です。今日は、落語通の人が多かったみたいで、ベタなくすぐりだと、客席は重たかったのですが、「宗助はん」が連呼されると、客席はキャーキャー。また、雀三郎は、「宗助はん」を多用するものだから、大喜びです。まあ、いつもよりたくさん「宗助はん」を使ったわけではないとは思いますが。それに、序盤の触れ回りの趣向がいいですね。ミュージシャン雀三郎は、さすが浄瑠璃にも、謡いにも、源平節にも対応してくれました。「宗助はん」とこの触れ回りで、すっかり客のハートをゲットしてしまったものですから、あとは自由自在という感じでした。そういった通が多かったという感じでしたから、よね吉がぼやいていたのです、「重い」と。だったら、最初の3人のネタの並びは感心しません。よね吉はぼやくくらいだったら、「ふぐ鍋」は避けねばならなかったはずです。
 動楽亭を出ると、文楽劇場へ歩いて移動、30分弱の移動です。1月の公演のチケットを買うためです。日曜日に買うのを失念したために、わざわざこないな時間を作らねばなりませんでした。更に、それから南森町に移動。今度は、繁昌亭で前売りチケットを購入、そして、お馴染みのネットカフェで時間調整。夜は、繁昌亭ではなく、北区民センターでの「天満講談席」に行ってまいりました。今日の番組は、次のようなものでした。南斗「山内一豊と千代」、南湖「岩見重太郎」、南左衛門「淀川名物くらわんか舟」、南北「堀部老人の駆け付け」。「山内一豊と千代」は、南海さんの口演が、あまりにもインパクトが強いので、伝承されている形は、あまりにあっさりしていると感じてしまいます。南湖は、「講談毎日亭」で取り上げたことのある「岩見重太郎」。今日は、仇討ちの発端と、番団右衛門と後藤又兵衛に出逢う山賊退治の話、そして宮津での仇との再会までを、はしょりながら読んでくれました。南左衛門は、 まず1年前の歌舞伎出演の裏話を長々と。ネタの「淀川名物くらわんか舟」は、「難波戦記」の抜き読み。幸村の地雷攻撃を受け、淀川に投げ出され、風前の灯火状態になった秀忠を救った唐崎の百姓に恩賞が与えられるという筋立て。その恩賞が、「くらわんか」という汚い言葉使い勝手次第というわけである。初めて聴く話だが、なかなかおもしろい話でした。そして、今年の大トリで、ようやく出た「赤穂義士伝」。そう今月は義士月なのです。南北さんのしみじみとした語りはいいですね。「堀部老人の駆け付け」は、赤穂義士の最高齢者(76歳)のため、行かせるのを躊躇う大石や娘のこう。その思いを振り切って忠義に生きることを生き甲斐と感じる老武士が描かれます。南北さんで聴くと、いい話が、更にいい話になります。




2011年 12月 6日(火)午前 7時 42分

 今日は、仕事が勤務時間が終いかけたあたりからスパーク。こちらは、落語会のチケットを買ってあったものだから、ひやひやもの。でも辛うじてセーフ。という感じで行ったのは「第3回くいだおれ太郎の道頓堀太郎寄席」。新しく始まった会で、今回で3回目。第1回の文三のときに続いてのおじゃまとなりました。場所は「道頓堀ZAZA」です。生寿「手水廻し」、春蝶「紙入れ」、花丸「太鼓腹」、(中入り)、生喬「豊竹屋」、花丸「幸助餅」。「幸助餅」以外は、聴き慣れたネタ。ただ、「豊竹屋」は、生喬で聴いた記憶が出てこないので、初めてかもしれません。生喬は、浄瑠璃がしっかりしているので、このネタは、とっても聴き応えがありました。春蝶の「紙入れ」は、毎度気持ちの悪くなるような過剰さ。花丸の「太鼓腹」も、遭遇機会の過ぎるもの。ちょっと食傷気味だったのが、一挙に「幸助餅」ではじけてしまいました。花丸の持ちネタでは、異色のネタで、自分的には遭遇機会の稀なもの。2度目だと思います。初めてと思い聴き出したら、花丸風アレンジに出逢い、初めてでないことを思い出しました。ただ、こういった人情噺は語って欲しいな。やはり花丸はサービス精神旺盛なため、見せる場面、過剰な場面を意図的に作り出します。他のネタでは、それは大成功に繋がっていくのですが、このネタでやられると、くさくていけません。くさいどころか、せっかくの噺に竿を差してしまってます。文三のときのトリネタが「莨の火」、花丸が「幸助餅」と、それぞれの大ネタを惜しみなくかけてくれています。それがいいのですが、あまりにもべたなネタが並ぶのが、この会の欠点ですね。勉強会でもなく、道頓堀で、噺家さんがうつ会ではないミニ独演会だから、そのようなことになるのだから、仕方がないと言えば仕方がないのですが、、、。




2011年 12月 4日(日)午後 9時 3分

  大阪市内遊歩(115)

 今日は、1週間ぶりのウォーキングをしてみようという気持ちになりました。昨夜も含めて、しっかりとした睡眠がとれた結果、股関節の違和感も、随分と快復。ウォーキングはしたいは、あとが怖いという恐怖感がとれたのです。今日は、午後のことを考えると、阪神本線のいずれかの駅に到達するのが、なかなかいい手ということで、ならば先日十三で映画を観たあと、35分だけ歩いたコースを逆に辿ることを、コースに組み込んでみました。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「北浜」駅〜西天満3交差点〜トルコ委雑貨店「イスメット・シュケリの店」〜タイ料理店「ムウァンタイ」〜太融寺〜堂山町交差点〜大淀警察署〜インドネシア料理店「BAGUS」〜「うめだ005」橋梁〜富嶋神社〜大阪市立中津小学校〜十三大橋〜大阪府立北野高校〜淀川新北野郵便局〜北野公園〜「塚本駅前」バス停〜柏里2交差点〜大阪市立野里小学校〜大野川遊歩道〜歌島橋〜西淀川郵便局〜大阪市立野里小学校〜阪神「姫島」駅。先日歩いたとき、十三から「梅田」までが35分でしたから、「北浜」駅を起点にすると、十三大橋を渡り終えると、ほぼ1時間かかってしまいました。従って、御幣島方向、千島方向に、もう少し膨らんだ迂回コースをとり、最後は「姫島」を狙っていたのですが、存外歩くことはかないませんでした。今日もそうでしたが、外は、寒いというところまではいかない、過ごし安いお天気。ウォーキングをしていても、気持ちのいいものがありました。
 「姫島」から「福島」まで、阪神電車一本で、呆気なく移動。午後は、ABCホールであったイキウメという東京の劇団の公演「太陽」を観に行きました。この秋は、大阪の劇団を、しっかりとフォローができてなくて、いくつもの公演を逃していることと思います。その中で、うまい具合に逃さなかったのがイキウメ。とにかく外れがなく、毎回達者な役者さんが、いい座付作家のいい台本を、楽しく演じてくれるお薦めの劇団。今日は、人間というものの属性を、2種類に分類し、人類としては、同じだが、異なった性癖・特徴を持つとして、両者の違いが際立つような芝居構成を行い、何をもって、我々は、「人間的」と思い、芝居を観る客は、何を観て、「人間的」と感じとるかを問いかける作品に仕上がっていました。その2つの分解された1つは、理性的で、知的に整理されており、感情のコントロールが行き届いており、肉体的には不老であるというものであるが、太陽のもとでは暮らすことができず、夜の暗闇の中で生活を行っている。また、再生能力が、著しく低下し、もう一つの人類から養子をつのり、自分たちの子どもとして育てている。もう一つの人類は、老いるという習性を持ち、感情的な生き物で、その感情のコントロールをうまくできず、悩んでばかりいる。ただ、感性面で見るべきものを持ち、芸術分野で優れた人材を出すとされていました。日頃、優柔不断でうじうじしている人間も、老いていくことにより外見的にはしまりがない人間が、悩まず、論理明晰にだけ事を運ぼうとする人間を前にすると、なんて愛おしく見えるのでしょう。この芝居、境界の人間を出すことが、なかなかうまいところ。お互いの憧れを口にします。しかし、論理的思考をしない方は、その背景が解らないという悲しさ。人間の属性を二分解しているので、こういった通常の人間では補完し合うことが、こういった境界での衝突として描かれます。それは、まるで、一個の人間に内面での葛藤を表しているようです。そういったことに気付かせる芝居ですから、いろんな思いが観る者の頭の中にへり巡るのでしょうか、終盤では、各所で鼻をすする音に満ちていました。
 芝居がはねると、地下鉄「肥後橋」駅まで歩き、そこから「難波」に移動。夕方までの時間、ワッハの視聴覚ライブラリーを利用しました。ラインナップは、次の通りです。@朝日放送TV「文化財のみつ巴人間国宝らくご会」、小さん「禁酒番屋」、インタビュー(小さん・米朝)、扇橋「田能久」AVTR「桂三枝大全集創作落語125撰」、三枝「君よモーツァルトを聴け」「ワニ」。@は、金比羅宮の金丸座での公演。小さん82歳、米朝人間国宝指定直後の録画です。この番組では、米朝が「はてなの茶碗」、ざこばが「天災」を演じているのですが、聴き慣れたものということで、今回はカットしました。小さんの「禁酒番屋」は、しつこさを一切排した口演。こんなのもいいかなというところです。「田能久」は、大阪でも持っている噺家さんはいるはずですが、黄紺は、亡くなった喜丸で聴いて以来聴いてないんじゃないかなぁ。ま、そういうこともあり、更に、最近、聴いても、何を言ってるのか解らない扇橋のライブを聴けるというのがおいしいところです。Aは、「ワニ」狙いです。ただ、この全集はVTRなので、初めから聴かねばならないという制約があるのが悲しい。「ワニ」は、しっとり系とは知っていたのですが、聴いたことがなかったもので聴いてみました。殺処分の決まったワニと、その飼育主の愛情物語。小道具を使ったり、BGM、バックスクリーンを使った、なかなか凝った造り。更に下げのあとに、MCが入り、後日談のナレーションが入るという異色作。一聴の価値十分のネタです。「モーツァルト」は、三枝作品では、「赤とんぼ」のような蘊蓄もの。三風や三扇で聴いたことはありましたが、蘊蓄ものは、原作者で聴くべきですね。




2011年 12月 4日(日)午前 6時 51分

 一昨夜も、7時間の睡眠がとれました。いったいどうなってんでしょうか? びっくりです。普段、絶対にこれだけの睡眠はとれませんからね。そないなため、遊び回る時間に支障をきたしていますが、そこは睡眠時間確保を最優先。従って、午前中に予定していた韓国映画鑑賞は、あえなく断念。午後の部のみを楽しむということにしました。お出かけは11時をメドに。行き先は、今日も文楽劇場。「師走浪曲名人会」がありました。師走恒例の会ですが、実際に足を運ぶのは、今回が初めて。去年などは、行く気になっていたのですが、襲名披露と銘打たれたため、早々とソールドアウトで行けなかった曰く付きの会です。今日の番組は、次のようなものでした。天中軒雲月(沢村さくら)「男一匹天野屋利兵衛」、天光軒満月(紀之本孝子、美勝勝廣)「昭和立志伝」、三原佐知子(岡本貞子)「お夏清十郎」、(中入り)、松浦四郎若(藤信初子)「相馬大作」、京山小圓嬢(沢村さくら)「愛情乗合舟」、京山幸枝若(岡本貞子、京山幸光)「会津小鉄」。「男一匹天野屋利兵衛」「昭和立志伝」「お夏清十郎」は、わりかし遭遇機会の多いネタ。「天野屋利兵衛」は、息子が火攻めにされるだけのくだりで、とっても呆気ない仕上がり具合。20分ほどで終わっちゃうので、ちょっと呆気ない。「昭和立志伝」のようなネタが、浪曲には、わりかし伝わっています。浪曲が、かつて社会的に、どのような役割を果たしたかが伺いしれます。「お夏清十郎」は、三原佐知子は、きついですね。このネタの序盤と終盤は、お夏が物狂いになっています。可憐な乙女が、更に憔悴しているところです。かなり、それを表すには、芸風が違いますね。幼い子どもになってしまうのです。そんなですから、ハイライトは後半。松浦四郎若の「相馬大作」は初物。南部藩と津軽藩の領地争いの話です。悪者は津軽藩。それに単独で刃向かうのが相馬大作。変装を施して艱難辛苦。ようやく討つかというところで切られてしまいました。京山小圓嬢の「愛情乗合舟」も、お馴染みのネタ。養子に出した娘が、実の父親と兄のもとに戻ってくる日の受け入れ側の心情を表したものです。「会津小鉄」は「山崎向かえ」。会津小鉄と敵対する伏見某というやくざの親分が、会津小鉄に対抗できるものとして、山崎某を探し求めるようにと、九州に派遣された三下やくざの動きを描いたもので、会津小鉄は、全く出てこないで、最後は、これまた出入りが始まろうかというところで切られてしまいました。ま、浪曲の常套手段ですが。浪曲の会がはねたあと、会場で偶然お会いした講談会でお馴染みの海舟氏と、鶴橋に移動して焼き肉で一杯。講談について、いろいろと教えてもらったりで、楽しい時間を持つことができました。




2011年 12月 3日(土)午前 7時 59分

 一昨日は、夜遊びをするにも、いいものがなく、真っ直ぐに帰宅。そして、疲れがたまっていたのでしょうか、爆睡。目が覚めると、朝の6時を回っていましたので、早くしないと、トルコ時間で日が変わってしまうので、大慌てで、一昨日付けのニュースを追いかけました。ちょうど、ラジオでは、ベシクタシュとマッカビ・テルアビブ戰をやっていたので聴いていたら、えらく不快な展開。2点先制したので、楽勝かと思っていたら追いつかれてしまった。最後には、クアレスマが際どい時間に勝ち越し弾を決めて、事なきをえました。そないな実況放送を聴いて、またダウン。合計すると、12時間ほど眠ったみたい。3日分の睡眠です。そして、お昼の12時ぐらいをメドにお出かけ。昼は、文楽劇場での「公演記録鑑賞会」に行ってまいりました。無料で、各国立劇場で行われた公演を鑑賞させてくれます。昨日は、「心中天網島〜北新地河庄の段〜」でした。太夫さんは、中が咲太夫(豊澤富助)、切が住太夫(野澤錦糸)で、主な人形遣いの方は、吉田玉男(紙屋治兵衛)、桐竹紋壽(紀の国屋小春)、吉田文吾(粉屋孫右衛門)、桐竹一暢(江戸屋太兵衛)というものでした。2000年11月の文楽劇場での公演です。ところがなんです。12時間眠っても、まだ眠い。会場の席に着いた時点で、既に瞼が重い。3時間の睡眠のあとに、観に来たっていう感じなのです。いったい、自分の体を、自分で理解できていない状態でした。一つだけ印象に残っていることがあります。吉田玉男さんの遣う人形の動きが、今まで観たことのない動きをしていたことです。遣っている人間が、太夫さんと息をあわせて、人形が動いているのではなく、内面が人形にあるとしか見えないのです。人が生きているように動くというのは、このことなんだと了解しました。簑助さんの遣う人形の美しさに感動を覚えたことがありますが、それとは違った圧倒的な感動を覚えました。だけど、紙屋治兵衛を見ていて、男って単純ですね。二人の女に比べて、猪突型で、人間としての深みに欠けていけません。そういった男が求められた時代なんでしょうか?
 そのあと、いつものように千日前のネットカフェで時間調整。夜は、前の前の職場の同僚と忘年会。毎年恒例のものです。昨日は、枚方市駅前の呑み屋さんで。わりかし酔いが回ったのですが、家の近くまで一緒に帰れる人がいるので安心てなことで、無事に帰還できました。




2011年 11月 30日(水)午後 10時 54分

 バタバタと一日が過ぎてしまい、気がつくと、だいぶと疲労がたまっています。疲れを感じる暇もなく、時間に追ったてられていたということからなのでしょう。でも、夜遊びは健在。いい落語会を二つも捨てて行ったのは、徳徳亭であった「第14回なんせいの講談格闘中!」。ずっと「太平記」が読まれているので、今さら外すわけにはいかないよの気分です。今日は、前半で吉野山の合戦が読まれました。後醍醐天皇の第3皇子護良親王に対し、関東方が攻め寄せてきたとき、親王方が吉野山に立て籠るのですが、多勢に無勢というやつで、親王は自刃を決意するのですが、ここで死なれては、戦自体が持たないと考えた有能な家臣村上親子の活躍となります。父義輝は、親王の身代わりとなり、攻め寄せる敵の眼前で自害し、伜義孝は、雜兵狩りから親王を逃し、頃合いを見て、自害したのです。これにより、親王と随行の侍は、高野山に逃げることができ、話は、ここで一段落。ここから、今日の後半部分に入っていきます。討ち死にしたと、一旦は報じられた楠木正成の立て籠る千早赤阪城攻めに、上州沼田郡から新田義貞が投入されます。新田義貞って、最初から楠木側ではなかったんですね。千早赤阪城を取り囲む陣に到着した新田義貞を見る目には冷たいものがあります。新田義貞が、まだ若すぎたのです。思うようなポジショニンを確保できないでいる新田義貞を見透かしたように、正成は、こっそりと新田義貞を自陣に呼び寄せます。そこで意気投合した二人は、ともに戦う誓い立てます。自陣に戻った新田義貞は、仮病をつかい、上州に帰って行きます。そこで不信に思った鎌倉が、上州に戻っている新田義貞に探りを入れたり、圧力をかけていく中で、新田義貞の運命や如何というところで切られてしまいました。さて、この内容を、2ヶ月先まで覚えてられるでしょうか。「太平記読み」というのは、講談の始まりと言われていますので、たとえ記憶の彼方に吹っ飛んでいようと、また足を運ぶことになるのでしょうね。この会も、昔の釈場の雰囲気があり、常連さんの座る位置は、ほぼ定まっています。




2011年 11月 29日(火)午後 11時 13分

 木々の葉っぱが色づいてきています。それを求めてのウォーキングをしたいのですが、先日から、股関節に違和感が出てきているため、いつものようなウォーキングをするのをびびっています。去年のこの時期は、こんな程度ではなかったので、ま、それに比べるとありがたいのですが、悲しい現実でもあります。今日は、10時半をメドにお出かけ。まず行ったのは七芸。日本映画「沈黙の春を生きて」を観に行きました。枯れ葉剤の問題を追いかけられている坂田雅子監督の作品です。前作「花はどこへ行ったの」に次いで観ることになりました。ベトナムでの枯れ葉剤被害者と、アメリカのベトナム帰還兵を訪ね歩くという形で、映画が進行していきますが、その中で、進行に大きく寄与しているのが、自身は手の指の一部と右脚の膝から下のないアメリカ人の女性。彼女は、ご主人とともに、ベトナムへ飛び、ベトナムの枯れ葉剤被害者と、父親が勤務していた基地を訪ね歩くのを追いかけます。この女性の穏やかで優しい語り口が、観ている者を強く惹き付けます。恐らく、訪問を受けたベトナムの人たちも、そう思ったんじゃないかな。しかし、枯れ葉剤の被害の出方の多様さには驚かされました。四肢に欠損を生じるのは知られたことですが、生殖器や脊髄、皮膚といった今まで知らなかった部分の障害が報告されており、あらためてその犯罪性の凄まじさに言葉をなくすばかりでした。
 映画館を出ると、股関節の違和感が消えていたので、ミニミニウォーキングに移りました。十三大橋、富島神社を経て、「梅田」駅まで35分、ちょっとだけ満足です。そして、難波に移動。夜までの間、千日前のネットカフェで、時間調整をしていました。夜は、ワッハの4階であった「上方亭でまるかじり」です。今日は、主宰者の生喬が、長講「重ね扇」を演じるために用意した会でした。番組は、次のようなものでした。生寿「米揚げいかき」、生喬「寄席の踊り(五段返し、夕暮れ、かっぽれ)」、宗助「猫の忠信」、(中入り)、生喬「重ね扇」。問題の「重ね扇」は、6代目松鶴の作品。実際には、三田純市と桂文紅が手入れをしているそうです。この3月に、生喬が、初めて出したときには、仕事の都合で聴けず、今日は外せないということで、他にいい会もあったのですが、それらを蹴飛ばし、最優先で行ってまいりました。しかし、聴き終わってみると、そんなに頑張って聴くほどの噺でした。弟の乳母(お徳)と深い仲になったため、勘当された尾上菊之助が主人公です。実在の人物が登場し、しかも主役が東京弁をしゃぺるという異色作です。大阪にやってきた菊之助は、最初、大根としか看られていなかったのだが、あとを追ってきたお徳の励ましを受け、腕を上げ、やがて勘当は解かれ、東京に呼び戻されるのだが、お徳と切れることが条件。ここで、噺は3年飛び、お徳は死の床に。そこへ、大阪公演にやってきていた菊之助と、その父親菊五郎が訪れ、お徳の死を看取るという、えらくステレオタイプな噺でした。生喬は、「重ね扇」を出すということで、もう一つは、「寄席の踊り」でという番組。それも、わりかし目当てに行ったところもある会でした。今日は、生喬だけではなく、助演陣が充実。生寿の、工夫の詰まった「米揚げいかき」は、最強の前座と言っていい、出色の出来栄え。噺の自然な流れの中に入れるちょっとした工夫の積み重ねが、とっても楽しい高座を作り上げていました。また、宗助の「猫の忠信」は、正に米朝テイスト満載の口演。人物の描き分けは言うに及ばず、細かな所作に至るまで、登場人物に血が通っています。ちょっとした手の動きとか、目ざとく見つけた客は、満足感を示すクスッという笑いを出していました。考えてみれば、「猫の忠信」は久しぶりになります。と思いながら聴いていると、この難しい噺は、簡単にできるわけがないじゃないかとまぜかえす自分がいました。




2011年 11月 28日(月)午後 10時 26分

 ちょっと暖かくなってきています。数日前だと寒かった格好をしていても、全然平気ですからね。この程度だったらいいんだけどと、寒さのことを考えると、暮れに出かけるヨーロッパがどうなるかが気になります。結構、雪深いところへ行くもんで。ま、それは先のことで、今日も、夜遊びは落語会。今夜は、「蒲生4丁目寄席」におじゃまをしました。1年ぶりぐらいになるかなぁ。黄紺が、時間さえ合えば、行こうという気になる落語会の中では、一番小ぶりな会だと思います。最初は、花鱗も加えて、4人で行われたこの会も、花鱗が講談界を遠ざかってからは、定例メンバーの3人で続けられています。今日の番組は、次のようなものでした。右喬「壺算」、雀五郎「米揚げいかき」、染弥「掛取り」。3人で、1時間15分ちょいという時間でしたが、内容的には、なかなか充実した会。しかも、今日は三味線が付いている。トップに上がった右喬によると、染弥が、ハメもの入りの噺をしたいと、個人で雇ったのだという。ところが、誰も太鼓を持って来なかったため、きっかけが分からないと、三味線さんが大慌てだったとか。まずは、右喬ですが、ひょっとしたら、右喬ベストの口演と言ってもいいような出来栄え。べちゃと押し付けるような喋り方は同じですが、ずる賢い買い方をする男が、そないに小賢しい男に見えないのがいいのかなぁ。ボケたおすもう一人の男と、普段でもつるんでそうな印象を与えるのがいいのだろうなと思えたのです。それは、やはり天然系キャラの右喬だからこそ出せる味わいっていうところでしょう。そして、最後に畳み掛けるところも、なかなかグーで、いい落ちへと導いていってました。ただ惜しむらくは、追い詰められていく壺屋が、しどろもどろになっていくところで、同じ言葉ばかりを発していては、壺屋も賢くないなになってしまいますので、一工夫が必要でしょう。次の雀五郎も、良かったなぁ。テンポ良く、スピード感があり、気持ちのいい口演。長閑で、ニコニコしている男が、楽しく人生生きてんだなぁと思え、聴いているこちらも、ほんわかしてしまってました。この二人に比べて、今日の染弥は、ネタが重たかったと言わざるを得ません。染丸一門ながら、普段は、芝居噺などは手掛けない噺家さんですから、そんなに急に手の内に入るわけはありませんから、これから長い年月をかけて、磨き上げていって欲しいものです。その辺の不安があるからでしょうか、夫婦の会話も、そないに気の効いたものとは思えませんでした。他のネタで見せる巧者ぶりが影をひそめた感じがしたものでした。なお、掛取り撃退の順は、次の通りです。(1)狂歌(2)浄瑠璃(3)歌舞伎(4)喧嘩。




2011年 11月 27日(日)午後 9時 23分

 やはり、昨日のウォーキングのあとに看られた異常は、危険信号でした。腰が変なのです。去年の激痛の前兆とも違いますが、変なのです。単なる筋肉痛ぐらいならいいのですが、股関節自体に炎症が起こっていると、ただでは済まないはずです。たとえ筋肉痛にしても、昨日、今日に、ウォーキングを始めたわけではないのですから、これとても、変な話です。とりあえずは、今日は、おとなしくしておかねばなりません。で、今日は、11時15分をメドにお出かけ。今日は、文楽劇場であった「第56回上方演芸特選会」に行ってまいりました。この会に行くと、浪曲を聴くことができるので、最近、こちらの都合がつく場合には、優先度が高くなっています。本日の番組は、次のようなものでした。雅「鉄砲勇助」、春野美恵子(虹友美)「暗闇の丑松」、かみじょうたけし「漫談」、慎悟「看板のピン」、(中入り)、豊来家板里「太神楽」、宮川青丸・とん子「漫才」、天光軒満月(紀之本孝子・美勝勝広)「父帰る」。期待の浪曲が、馴染みのあるネタで肩透かし。満月は、元々ネタの豊富な人には見えないのですが、春野美恵子のネタは聴いたばかり。確かに春野美恵子の高座に遭遇が続いたので、仕方ないことでしょうか。聴いてみたいなと思う浪曲師だった春野美恵子ですが、詰めて聴くと、こないなことが起こるという良き教訓です。噺家さんでは、雅との遭遇は、ホント久しぶり。しかし、時間というものは恐ろしいもので、噺家さんらしくなってきています。そして、その「鉄砲勇助」が、めっちゃうまい刈り込みで、山賊も猪も、北海道の凍る話の火の凍る話までやりました。マクラを入れて15分で。荒業です。板里とともに、自分的には、この刈り込みが、本日の秀逸。板里は、その太神楽の技だけじゃなく、丁寧で、且つクールな物言いが魅力。ところが、今日の客は、それに合わない。どうやらかみじょうたけしの知り合いみたい。完全に新世界の雰囲気の中で、クールにステージを努めた板里に拍手。連中は、かみじょうたけしのときに騒いだものだから、気の毒だったのは慎悟。「看板のピン」は仕方ありません。知事選、市長選の影響なんでしょうか、この会で、日曜日で、わりかし空席が目立つ会でした。
 文楽劇場を出ると、今日は、久しぶりにワッハの視聴覚ライブラリーにおじゃまをしました。閉館までに2時間余の時間があったので、視聴には頃合いの時間でした。そのラインナップは、次の通りです。@関西TV「おめでとう桂米朝上方落語に捧げた半世紀」、米朝・ざこばの師弟対談、桂米朝の歩み、メッセージ(喜味こいし、イーデス・ハンソン、ハイヒール・リンゴ、やしきたかじん、桂三枝)、米朝「まめだ」A読売TV「平成紅梅亭」、吉朝「崇徳院」。@は、米朝の文化勲章授賞記念番組。お祝いの言葉を、喜味こいしが言ってます。亡くなったのは、授賞のあとだったのですね。米朝とざこばの対談と言っても、「桂米朝の歩み」と交代で現れるものですから、ライヴ感覚の乏しいものとなっているのが惜しまれます。情報的には、新しいことはなかったと思います。過去の映像から出された「まめだ」は、1982年の口演。やはり米朝で聴くと、秋の肌寒い風や、冷たそうな秋雨を感じることになるから、やっぱたいしたものです。Aは、先日、吉朝の7回忌があったところでしたので、まだ視聴してないものをということでチョイス。吉朝の落語に惹かれるのは何かという視点で視聴していて、最大のポイントは、目線を含め、やはりあの表情です。感情をストレートに表すことのできるところだったんだろうなと、あらためて感心も、納得もしました。敢えて過剰なくすぐりを避けているようにすら見受けました。笑わせるところは、もっと他にあるんだという無言のメッセージにも看えました。すごいわぁと、再認識。そして、この「崇徳院」では、基からある下げを採用しているのですが、それを言うのに、他のところではかまないのに、かんでしまい、苦笑いをしながら、高座を下りる吉朝を見ることができます。マニアックなお宝部分です。




2011年 11月 26日(土)午後 11時 44分

  大阪市内遊歩(114)

 今日は、気温は低いけど、とってもいい秋晴れ。こないな日に、ウォーキングをしない手はありません。今日は、午後から動楽亭三昧の一日ですので、それに合わせて、ウォーキングのコースを設定しました。その詳しいコースは、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜地下鉄「肥後橋」駅〜愛媛県大阪事務所〜平松政夫事務所〜靭公園〜阿波座南公園〜台湾料理店「味軒」〜松島橋〜松島公園〜大阪ドーム〜大阪市立九条南小学校〜胞月小公園〜波除公園〜弁天4交差点〜大阪市立弁天小学校〜弁天公園〜磯路3丁目〜音明寺〜磯路公園〜港消防署〜JR環状線「弁天町」駅。昨日よりは暖かく、そして夕方の日没との競争になるような時間帯に比べると、午前中のウォーキングは、爽やかさが違います。とっても気持ちのいい気候だったのですが、夕方にウォーキングをして、明くる日の午前中にウォーキングをするというのは珍しいことではないのですが、今日はきつかったなぁ。特にウォーキング開始1時間後ぐらいが最悪で、かなり顎を出してしまってました。ま、そのあとはだいぶと快復をしはしたのですが、終わったあとの疲労感は、なかなかなものがありました。コース的には、久しぶりに「朝潮橋」近くまで行けました。あとの移動が容易くしようと、「弁天町」駅まで戻らねばならなかったのが惜しまれます。
 「弁天町」から、環状線一本で「新今宮」に移動。今日は、動楽亭の昼と夜の公演に行ってきたのですが、まず昼の部は「第9回兄丸寄席〜け・ケープペンギンの巻〜」です。ざこばの弟子のそうばの勉強会です。第1回目におじゃまして以来の再訪です。どうも他の会とバッティング続きで、再訪が今日になった次第です。今日の番組は、次のようなものでした。あおば「ろくろ首」、そうば「饅頭怖い」、あさ吉「鹿政談」、(中入り)、そうば「天災」。ウォーキングで疲労を感じたまま、落語会に突入したもので、ましてや会場が暖かいものだから、ホントふわふわしながら聴いていました。落語を十分に堪能できなくて無念という感覚よりか、そのふわふわ感が良くて、惜しいとはあまり思いませんでした。一番印象に残っているのは、「饅頭怖い」に先立ちふった長大なマクラ。マクラというよりか、最近あったおもしろい話報告と言えばいいかな。それは、梅団治・小梅親子と行った地方の落語会でのこと。落語会にことかけて、撮り鉄の2人が、鉄道を追いかけるのに付き合わされた話です。すごい場所を探しだし、いい写真を撮ってることは、前々から知ってはいましたが、それに、3日、4日付き合わされたっていうのも、すごい話です。そのそうばが出した「天災」は、ざこば一門の定番ネタですが、「饅頭怖い」は、存外意外な感じがしました。「いろんな性格の方が、世間にはおられるようで」なんていうフレーズが、マクラで出てくると、まずは「饅頭怖い」で間違いないのですが、今日は、そのフレーズを聴いても、まだ半信半疑でした。非常に多くの登場人物を描き分けなければならないという難物のネタをやってみようという気になるのかなぁという印象なのです。実際、聴いてみて、このネタが自分のものになるには、かなり時間が要るなの印象だったのですが、さて、そうばは、どういった方向を向いて、今後進んでいくのでしょうか。前座役のあおばは、「子ほめ」に次ぐ2つ目のネタを聴きました。現代のお兄ちゃん風情のあおばですが、時間というものは恐ろしいもので、噺家らしい口調が、徐々に身に付いてきています。あさ吉は、2日連続で「鹿政談」。高座の用意をするあおばが、見台をさげたのを見て、「あちゃ〜」でした。
 落語会が終わると、夜も動楽亭だったのですが、ずっと新世界界隈にいるわけにもいかず、歩いて千日前まで移動。ウォーキングのあとに40分余歩くのは、なかなかきついものがあります。往復地下鉄に乗るのもバカらしい気がして歩いてみた次第です。千日前では、おなじみのネットカフェで時間調整。そして、戻りは地下鉄で、再び動楽亭へ。夜は、こちらで「“原発のおはなし”〜今あなたに聞いてほしい物語〜」がありました。若い衆は、奈良で仕事があるからと、受付は、なんと南華さん。今日は、もちろん「祝島 原発反対三十年」の改訂版をかけるのが目的で行われたもので、講談の常連さん以外にも聴いてもらいたいとの思いで開いたようですが、足を運んだのは、常連さんばかりとなったようです。南華さんによると、昨日の朝日新聞に、この会のことが載ったようですが、マスコミ的にも、反応は、そのぐらいだったそうです。これは、結構意外な感じがしてしまいました。まず、先に「柳田格之進」が読まれました。南湖が芸術祭で新人賞を取った記念すべきネタです。かなり手を入れてますが、今日、気がついたこととかをメモっておきます。柳田は、一人で生活をしています。娘が身売りをして50両を用立てる話をカットしましたから、娘が登場すると扱いに困ってしまいます。柳田は刀などを売って50両を用立てますから、井筒屋に再会したときには竹光をさしています。一方、井筒屋は、柳田が50両をどのようにして作ったのかと、柳田が姿を消したあと、金の出所を探しだし、刀を売ってであるということを知ります。ということは、その時点で、柳田の無実を知ったはず。この一連の話は、最後に、井筒屋が明かしますが、そのときに、無実を知ったということをフォローする言葉が欲しいなと思いました。また、柳田が刀を売り金を工面しているなら、再会したときの刀は、人を斬れるような代物を持ってないことを解ってたのじゃないかという疑問が涌いてきました。となると、クライマックスの愁嘆場は、いったいなんなのだとなっちゃいます。パスカルの原理じゃないですが、一部をいじると、様々なところに影響が出てきます。肝心の「祝島 原発反対三十年」も手入れがありました。主役3名の元仲良しが、2つに分かれ、祝島の人たちの意見をステレオタイプ的に代表させる手法が踏襲されるのですが、前は、もっと運動の時系列に従って、3人を動かしていた印象だったのですが、今日は、原発反対・賛成意見を述べさせるところが主にクローズアップされるように変わっていたと思います。また、祝島の外部の人間を、3人の中で夫婦になった男女の子どもで表していましたが、前回は、ちょっとごちゃついたと南湖も思ったのでしょうね、なかなか登場しません。省いちゃったのかと思った終盤、町の選挙について、別立てに扱ったところで、ようやく登場。この君の役割って、中国電力社員ですから、とっても重要なんですが、そういった扱いとなっていました。構成面で練り直しがアダになった感じがします。時系列的に筋立てを工夫して、この伜を、その筋立てに嵌め込めないものかな。終盤は、講談というより、南湖自身の訴えというか、呼び掛けになってましたが、こういった講談の一つのあり方かとも思います。決して、総体として、前回より練り上がったとは思えません。改定すると、また新たな問題が出てくるという印象ですので、様々な機会を捉えて高座にかけ、その都度マイナーチェンジを繰り返しながら練り上げを図って欲しいものです。




2011年 11月 26日(土)午前 7時 6分

  大阪市内遊歩(113)

 昨日は、この秋、自分的には最も豪華な日ではないでしょうか。朝からメトロポリタン歌劇場のライプビューイングで、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」を観て、夜は、文楽劇場で「吉朝七回忌追善落語会」ということで、亡き吉朝が、映像でですが、一席やってくれるのですから。で、まず「ドン・ジョヴァンニ」ですが、やはりと言えばやはり、メトロポリタンのプロダクションはオースドックスに絵を描いたような演出に、豪華な歌手に、豪華な衣裳というものでした。うまく考えたなと思ったのは、舞台のセット。真上から見ると、緩やかな楕円状に屋敷の壁が作ってある。そして、その壁が真ん中から開いたり、更にその半分が開いたりする。正面から見ると、壁には、バルコニーが付いており、アパルトマンのようにいくつもの部屋が並んでいるように見え、それぞれにバルコニーが付いているという具合。冒頭、レポレロは、壁の前でボヤいていると、壁にある扉が開き、ドン・ジョヴァンニが逃げ出してくるとなるのです。ドンナ・エルヴィラにレポレロが、ドン・ジョヴァンニの衣裳でセレナーデを唄うときは、ドンナ・エルヴィラが、2階のバルコニーに姿を現すし、ドンナ・エルヴィラが下に下りてきて、レポレロとともに、ドン・ジョヴァンニにどやされ逃げるときには、壁が少し割れ、路地を作るのです。このセットの一番の使い勝手がいいところは、一幕フィナーレで、招待客がやって来たのは、壁の外で演じ、中に招じ入れた途端、壁が割れ、中の宴会場に、実にスムーズに移行できる点。演出面で、目を惹いたのは、ドン・ジョヴァンニが地獄に落ちようかというてきに、勢いよく奈落から本火が、何度も吹き上げたこと。それを背後に、ドン・ジョヴァンニ自身は、奈落に吸い込まれていくという演出でした。配役では、レポレロ役のルカ・ピサローニは、ドン・ジョヴァンニも十分にできる歌唱に姿形。これには、びっくりでした。もちろん、タイトル・ロールのマリウシュ・クヴィエチェンも、十分過ぎるかっこ良さでした。マゼットも、鈍感そうには見えないというか、ツェルリーナとのアンバランスさは感じさせない歌手が演じてました。どの配役も、そういった配慮が行き渡ってるのが、一目瞭然、さすがメトロポリタンです。このライプビューイングの特典は、歌手へのインタビューなどが入るのが、お得なところ。昨日は、その中で、ドンナ・エルヴィラ役のバルバラ・フリットリが、ドンナ・エルヴィラは、既婚者か未亡人、彼女にとっては、最後の男になるかもしれないので、あの必死さが出てくる。ドンナ・アンナ(マリーナ・レベッカ)も、実はドン・ジョヴァンニに惹かれているのだろう。だけど、ドン・オッタービオの手前、それを表に出せない、いやドン・オッタービオを重しにして、コントロールしようとしている女。だから、ドン・オッタービオは、いつもしっかりとついて喪に服していると。こうした意見っていうのを議論できるのも、「ドン・ジョヴァンニ」というオペラの魅力。ドン・オッタービオの態度の頑なさについて、ドン・オッタービオ役のラモン・ヴァルガスは、このオペラは、時間的には、僅か一日だけだからこそ、同じ態度を取り続けられるのだ、取り続けないと変なのだと解説してました。確かに、この時間に関する感覚って抜け易いですね。でも、昨日の「ドン・ジョヴァンニ」の演出は、あまりに刺激がなくてなくて、ちょっとドイツの歌劇場の斬新な演出を、黄紺自身が普通となってしまってるからかもしれないのですが。
 夜は、文楽劇場ですので、「ドン・ジョヴァンニ」が終わると、軽く買い物を済ませると、大移動。そして、大阪に着くと、直ちにウォーキングを開始しました。その詳しいコースは、次のようなものでした。京阪「京橋」駅〜JR城東貨物線「蒲生」踏切〜新喜多大橋〜新喜多橋〜新喜多新田会所跡碑〜新喜多東中央公園〜南新喜多橋〜放出幼稚園〜JR学研都市線「放出」駅〜八幡神社〜東大阪市立森河内小学校〜東大阪市立高井田中学校〜東大阪市立高井田幼稚園〜長堂東公園〜東大阪市教育センター〜JR「」線&近鉄大阪線「河内永和」駅〜東大阪市シルバー人材センター〜東大阪市立荒川小学校〜東大阪市立三ノ瀬小学校〜三ノ瀬公園〜地下鉄千日前線「小路」駅。新喜多大橋の南東部は、どうしたかげんでしょうか、道が斜めに斜めに走っています。天王田地区では、何度と迷ってしまってますが、昨日は、それを逆手にとり、とってもスムーズに「放出」駅に到着。むしろ早く着いてしまったために、逆に見通しがきかなくなり、「河内永和」駅方向に、近鉄大阪線を抜けたときにとってしまい、時間が迫ってきているのに慌て出す始末。「北巽」が終点かという見通しが甘いということに、その辺りになってから気づき、結局、三ノ瀬公園の南側道路が、今日は南の果て。久しぶりに行けるかと思っていた「俊徳道」駅をくぐることはできませんでした。ま、コース取りが違えば行けたでしょうが。
 「小路」から、千日前線で「日本橋」まで移動。「日本橋」駅上のネットカフェで、小1時間の時間調整。夜は、先ほども書いたように、「文楽劇場」であった「桂吉朝七回忌追善落語会」でした。吉朝が亡くなり、丸6年が経ちました。今回は、一門の噺家さんと、映像で、吉朝が参加するという会でした。その番組は、次の通りです。佐ん吉「商売根問」、しん吉「明石飛脚」、よね吉「七段目」、吉弥「不動坊」、あさ吉「鹿政談」、(中入り)、吉朝一門「挨拶」、吉朝「質屋蔵(映像)」。吉朝の「質屋蔵」は、「平成紅梅亭」での収録もの。この映像を見て思ったのは、吉朝の語り口とか表情とかい奥深さのようなものを感じました。抑揚を大きくしたりするのではなくて、ちょっとした溜めとか引きとか、ディテールに納得できるのです。気を乗せるから、それに即応した自然なる表情、口調が生まれ、奥の深いものとなっていくのかなぁ。それぞれの台詞一つにしても、理解度が違うのでしょうね。聴き慣れた「質屋蔵」が、次にはどうなるのだろうの気持ちで聴いてしまいました。弟子たちは、総じてお得意ネタとして知られたものを出していましたが、しん吉の「明石飛脚」と吉弥の「不動坊」は、自分的には珍しい。しん吉は、「私が入門した頃から師匠はよく出すようになってました」と言ってましたが、寡聞にして、黄紺は接触体験はありません。短すぎるので、普段の会ではなかなか出ない代物。昨日は、師匠の思い出を軽く話したあと、15分の持ち時間にしようとすると、程よいネタなんだと思います。小咄集なので、「まだ終わってませんよ」が、いいくすぐりに。そして、終わってるのに、まだ続くと思っている客席に、続けるふりをして「終わりです」は受けます。20分という持ち時間だから、「ちりとてちん」「短命」だろうと思っていた吉弥が、なんと「不動坊」。前半の利吉を中心にしたところはカットして、3人が共謀するところから。この冬空に、お前らなにしとんねんという突っ込みが入れたくなる雰囲気は十分に出てました。突っ込み役の人間の呆れた口調がいいのだと思いながら聴いていました。吉弥ベスト・コレクションに入ってくるなのネタです。一門の噺家さんを見ていて、あさ吉が筆頭というのは、うまいことしたものです。おどおどキャラが、客席にも知れ渡っていますから、ほんわかムードを醸し出します。そしてヒールキャラは、よね吉と決まっていますから、いろんな噺家さんからいじられます。決まって、持ち時間を守らない、ざこばから叱られたは、客席も知っていますから、それがいいくすぐりになります。また、よね吉自身が、それを逆手にとります。文句言いのキャラは、吉坊にも締着しつつあるようです。その吉坊は「咲くやこの花賞」、よね吉は「繁昌亭大賞奨励賞」、それぞれが受賞が決まった直後でした。あそれを、末弟の吉の丞が披露するというのも、ほんわかムードを醸し出します。吉朝は亡くなりましたが、ホントいい弟子を残してくれました。しかし、もっと年嵩を重ねた吉朝を観たかったと思うのは、黄紺だけではないでしょうね。黄紺にとっては、来る日も来る日も、吉朝、千朝、米八が前座を務めていた頃からのお付き合いだったのですから。




2011年 11月 25日(金)午前 7時 30分

 今週は、週2日勤務なのですが、職場に行くと仕事が立て込んでいます。のんびりとマイペースで仕事というわけにはいかないのです。月曜日は、落語会が一つ吹っ飛んでしまいました。昨日も、20分の遅刻で繁盛亭に行くことになりました。悲しいことが続く週となってしまいました。それでも、昨日は主役は外しませんでしたから、ほっと胸を撫で下ろした次第です。昨夜の繁盛亭は、「桂三枝はなしの世界 その十七」がありました。最近は、チケットが押さえにくいということで、ほぼスルー状態だったのですが、今回は、運良く押さえることができたのです。その番組は、次のようなものでした。三枝「ごあいさつ」、三河「How to プレイボーイ」、枝三郎「転宅」、三枝「真心サービスおじタクシー」、三枝一門高座争奪じゃけん、(中入り)、三弥「くもんもん式学習塾」、三枝「にぎやか寿司」。黄紺が入ったのは、三河の口演の途中。談志が亡くなったことが明らかになったのが、前日だったため、三枝のコメントが楽しみだったのですが、それは「ごあいさつ」で言ったものと思われます。遅刻の罰が、こういった形で現れてしまいました。三河の高座は、ロビーのモニターを通して。初遭遇が、変な形になりました。大阪の人じゃないですね、変な大阪弁を喋っていました。「転宅」は、昼席で聴いたところ。やはり、先日と同じ感想を持ってしまいました。「真心サービスおじタクシー」は、三枝の弟子が、よく高座にかけますが、かなりショートカットをします。本家本元で聴くと、浪花節の好きな運転手さんが出ます。これが聴かせどころ。広沢虎蔵風に「森野石松」のくだりを、かなりたっぷりと演じてくれますので、お得感抜群。今更ながら、現在の看板の噺家さんのキャラの深みを看た思いがします。三弥は、「三枝一門高座争奪じゃけん」の勝者。三度なんかが出ていたので、勝ってしまって良かったのか、客席の反応を気にしながらの三弥でしたが、彼の高座を聴いた客は満足したでしょう、しないわけがないという好演でした。三弥は、結構、出来不出来が大きい人ですが、師三枝作の「くもんもん式学習塾」が、こんなに似合うとは思いませんでした。彼の「真田山」とこれは、なかなか聴かせますよ。本日最高の収穫かもしれません。と言いますのは、トリの三枝の出した「にぎやか寿司」は、あまり好きとは言えない作品だからです。「にぎやか」ではない寿司屋の親父だけが「うるさい」ので「にぎやか」の付けられています。「上燗屋」系のネタで、いろいろとすかたんをする客と寿司屋の主人ですが、くすぐりにスムーズさが欠けるように思ってしまうのです。あざといというか、無理筋が見えてしまい、好きになれないネタなのです。




2011年 11月 25日(金)午前 7時 30分

 今週は、週2日勤務なのですが、職場に行くと仕事が立て込んでいます。のんびりとマイペースで仕事というわけにはいかないのです。月曜日は、落語会が一つ吹っ飛んでしまいました。昨日も、20分の遅刻で繁盛亭に行くことになりました。悲しいことが続く週となってしまいました。それでも、昨日は主役は外しませんでしたから、ほっと胸を撫で下ろした次第です。昨夜の繁盛亭は、「桂三枝はなしの世界 その十七」がありました。最近は、チケットが押さえにくいということで、ほぼスルー状態だったのですが、今回は、運良く押さえることができたのです。その番組は、次のようなものでした。三枝「ごあいさつ」、三河「How to プレイボーイ」、枝三郎「転宅」、三枝「真心サービスおじタクシー」、三枝一門高座争奪じゃけん、(中入り)、三弥「くもんもん式学習塾」、三枝「にぎやか寿司」。黄紺が入ったのは、三河の口演の途中。談志が亡くなったことが明らかになったのが、前日だったため、三枝のコメントが楽しみだったのですが、それは「ごあいさつ」で言ったものと思われます。遅刻の罰が、こういった形で現れてしまいました。三河の高座は、ロビーのモニターを通して。初遭遇が、変な形になりました。大阪の人じゃないですね、変な大阪弁を喋っていました。「転宅」は、昼席で聴いたところ。やはり、先日と同じ感想を持ってしまいました。「真心サービスおじタクシー」は、三枝の弟子が、よく高座にかけますが、かなりショートカットをします。本家本元で聴くと、浪花節の好きな運転手さんが出ます。これが聴かせどころ。広沢虎蔵風に「森野石松」のくだりを、かなりたっぷりと演じてくれますので、お得感抜群。今更ながら、現在の看板の噺家さんのキャラの深みを看た思いがします。三弥は、「三枝一門高座争奪じゃけん」の勝者。三度なんかが出ていたので、勝ってしまって良かったのか、客席の反応を気にしながらの三弥でしたが、彼の高座を聴いた客は満足したでしょう、しないわけがないという好演でした。三弥は、結構、出来不出来が大きい人ですが、師三枝作の「くもんもん式学習塾」が、こんなに似合うとは思いませんでした。彼の「真田山」とこれは、なかなか聴かせますよ。本日最高の収穫かもしれません。と言いますのは、トリの三枝の出した「にぎやか寿司」は、あまり好きとは言えない作品だからです。「にぎやか」ではない寿司屋の親父だけが「うるさい」ので「にぎやか」の付けられています。「上燗屋」系のネタで、いろいろとすかたんをする客と寿司屋の主人ですが、くすぐりにスムーズさが欠けるように思ってしまうのです。あざといというか、無理筋が見えてしまい、好きになれないネタなのです。




2011年 11月 24日(木)午前 0時 29分

 もう完全に冬の様相です。このまま、どんどんと寒くなっていくのでしょうね、三寒四温の逆向きで。厚手の上着を羽織ろうか迷った結果、まだ大丈夫と、昨日と厚着の仕方は同じ格好でお出かけ。午前中に買い物をしたかったこともあり、今日は、ウォーキングは休止。最近、股関節の痺れが、またぞろ増してきているので、毎日ウォーキングをするのは避けた方がいいかもしれないなとは思っています。従って、今日は、12時15分をメドにお出かけ。午後は、トリイホールでの「第3回柳家喬太郎独演会」に行ってまいりました。一日二回公演です。演目は同じだということで、黄紺は、夜は別の会を狙っているため、混み合う可能性大の昼の部に行かざるをえませんでした。その番組は、次のようなものでした。佐ん吉「商売根問」、喬太郎「饅頭怖い」、白酒「松曳き」、(中入り)、喬太郎「文七元結」。佐ん吉は、「東京の噺家さんを聴きに来られて、いきなり大阪の噺家が出てきてすみません」と断ってから話し始めました。佐ん吉と一之輔は同期だそうです。「あっちは真打ちになりトリをとります」「私は繁昌亭の前座です」「あっちは真打ち、私は頭打ち」と、東京ネタで、おなじみの前座ネタに入りました。喬太郎は、「何度も大阪に来ていると上方にないネタをしようとすると続かなくなってしまった」と、上方由来のネタを匂わして「饅頭怖い」に。東京版の「饅頭怖い」は、前半の「好きなもの」の尋ね合いはないうえ、おやっさんの「怖い話」もないので、上方版よりだいぶと短い。簡単に、饅頭の話に入ってしまいます。今日は、落語的には、主役の喬太郎より、ゲスト役の白酒の方が光ったという感じ。やはり、白酒は、喬太郎と違い、大阪に慣れてないなの印象は残りました。無難な、大阪と東京の違いというマクラをふってからネタに入りましたが、東京の寄席で聴けるような才走ったマクラではありませんでした。だけど、「松曳き」が素晴らしい出来栄え。粗忽者の殿と家臣の三太夫が、間断なく繰り広げるボケ合い、それが粗忽からくるものですが、それが、実にテンポよくリズミカルに続いていきました。やはり、すっごい逸材です。そして、トリは、まさかの「文七元結」。一番、喬太郎がいじったのが、長兵衛が、文七に金を渡すとき、逡巡を続けるところ。思いっきりよく、あまり後先を考えずに、「死なしちゃならない」ということが、一番大事だと思いっきりよく渡すのではなく、娘のことを考え考えぬいて渡すという演出。今まで聴いた「文七元結」の中では、飛び抜けて躊躇いの長い口演でした。物足りなかったのは、大宮屋の旦那の描き方。噺のまとめ役なんで、もう少し丁寧に描いて欲しかったなぁ。品の良さや自ずと醸し出す貫禄とかが欲しいのです。この旦那には、吉原については知らないような人にして欲しかったなぁ。最後に、長兵衛の家を訪ねていくときも。そういったキャラで押さえようとしていたら、丁寧さが増したように思います。それに、お久と母親は血が繋がっていないとしてました。余計に情愛がこもるというような説明がなされましたが、それでどうかという問題ではないようなきがしたのですが、、、。総体的に、噺の運び、流れというものに、作りすぎという印象で、いじったところが影響しているというより、キャラの作り方、抑揚などで、そういった印象を持ってしまいました。喬太郎に肩すかしを喰った分、白酒で取り返したぞの気分でした。
 トリイホールを出ると、そのすぐ近くにあるネットカフェで時間調整。夜の部は、ワッハの4階であった「第398回上方講談を聞く会」です。この会は、来月は、もう行くことができませんので、今年最後となります。早いものです。この会は、今年の初めの方は、ワッハでできなかったのが、ワッハで、普通にできるというのは、何はさておきホッとする出来事でした。今日の番組は、次のようなものでした。南斗「那須の余一」、南青「平野の地雷火」、南華「野狐三次」、南海「婿引出」。「那須の余一」は、定番ネタ。入門後比較的に早く覚えるもの。南斗は、間の取り方を初めとして、表現のテクニックについて、この3年、頗る付きの進歩を見せました。たいしたものです。「平野の地雷火」は、真田幸村に、平野に陣を張った家康一行が狙い撃ちされるもの。例の便所に入っているときに爆発が起き、そこから家康の逃避行が始まるという大阪方にとり、痛快な物語として、よくかかるもの。南青貫禄の立て弁でした。南華さんの「野狐三次」は、先日、ご自身の会で披露されたもの。「婿引出」は、自分的には初物。家康に、長久手の戦いで、父と兄を殺された池田輝政が、いつもでも家康をつけねらっているので、秀吉が、家康の娘(督姫)と輝政を結婚させるが、輝政は、全く妻を近づけさせない。ある日、野駆けに出た輝政は嫌いな雷に遭い、避難した先が、督姫を住まわせていた場所。そこで初めて督姫と逢った輝政は、督姫を妻と認め、家康を義父と認めるようになっていく。そして、家康の元を訪問した際、かつて長久手で父と兄を殺した侍と逢い、最後の様子を聴き、丁重に武士として扱われたことに感謝し、家康からもらう婿引出を、そのままその侍の石高に加増させるというもの。なかなかおもしろい話でした。南海さんは、また、それをおもしろおかしく聴かしてくれますから、余計におもしろく感じたのでしょう。




2011年 11月 22日(火)午後 10時 51分

  大阪府守口市(42)〜大阪市鶴見区、城東区

 昨日は、予定外の仕事が入り、予定していた落語会が行けずという悲しい日となりました。こないなことは久しぶり、たまたまチケットも買っておらず、予約も入れていないということで被害は出ませんでしたが、夜遊びができないなんてと、仕方なくちょっと呑んでから帰ることになりました。
 今日、明日と、自分的には連休です。ましてや、今日は、気温は低いのですが、絶好の秋晴れ。ということは、絶好のウォーキング日和ということ。先週末は、運悪く時間がとれなかったもので、とても嬉しいウォーキング日和でした。その詳細なコースは、次のようなものとなりました。京阪「守口市」駅〜三和通り商店街〜やるき地蔵〜京進守口寺方校〜南寺方東通3交差点〜守口市立錦中学校〜鶴見緑地〜咲くやこの花館前交差点〜大阪市立茨田西小学校〜横堤4交差点〜大阪鶴見五郵便局〜鶴見神社〜南今福北公園〜新今福中橋〜大阪市立今福小学校〜極楽橋〜JR学研都市線「鴫野」駅。今日の狙いは、秋も深まった鶴見緑地。一番北端の外周道路が、いい銀杏並木です。去年の今頃は、股関節が痛み、怖くてウォーキングができなかった時期ですから、2年ぶりの色づいた銀杏並木に出逢えました。ただ、落葉までは、も少し時間が要るようです。できれば、その時期を見計らって、再訪してみたいものです。その鶴見緑地で時間をとりすぎ、目的地と定めていた「鴫野」駅までの所要時間は、2時間を超えてしまいました。「鴫野」を北から目指すとなると、近道でもあり、またなんとなく気に入っている風景であるということから、極楽橋を通ってしまいます。
 「鴫野」から学研都市線一本で、「大阪天満宮」に移動。今日の午後は、繁昌亭昼席です。時々は、昼席を覗きたいなという程度のモティベーションです。ま、文太と塩鯛が出るというのは魅力であることは間違いありません。今日は、開演前に、竹林と染雀という企画委員の二人が出てきて、「いい夫婦の日プレゼント」を行っていました。プレゼンターは、あやめ、仁勇、三歩という、なかなかの豪華メンバー。肝心の番組は、次のようなものでした。雀五郎「子ほめ」、枝三郎「転宅」、右喬「看板のピン」、蝶美・蝶子「漫才」、鶴松「道具屋」、文太「抜け蟹」、(中入り)、勢朝「南京玉すだれ」、花丸「電話の散財」、吉次「夢八」、塩鯛「試し酒」。わりかし定番ネタが続いた一方、枝三郎が「転宅」を出したり、文太が「抜け蟹」を出したりしています。「電話の散財」も珍しいネタですが、長さが程よいということで、花丸は、繁昌亭でよくかけているようです。その花丸の描く道楽者の親旦さんが最高。無邪気さが、アホさの中にブレンドされてるのがいいんだなぁ。塩鯛の「試し酒」も、先日とは大違いの最高の出来栄え。最後の5合目を呑むとき、客席の空気がはり詰めるのを感じました。果して、全部呑んでしまうのだろうかと、その一点に注目が集まるはり詰めた空気は、そうは味わえるものではないのじゃないかな。「転宅」は、おバカな泥棒の話。東京ではポピュラーなネタですが、上方では、やり手の少ないネタですが、枝三郎は、さすがに豊富なネタの持ち主です。お妾さんに、もう少し艶っぽさが欲しいところです。「抜け蟹」は、通常「抜け雀」として演じられ、格調高く演じられるのですが、くだけた軽めの噺に、文太はしています。吉次は、まともな噺となれば、「夢八」です。もっといろんなネタをかけて欲しいものです。
 繁昌亭が終わると、「日本橋」に移動して、おなじみの千日前のネットカフェで時間調整。そして、谷六まで歩いて移動。夜は、薬業年金会館であった「旭堂南海の何回続く会?」です。この間読まれてきた「南総里見八犬傳」がありました。今日は、前回抜けたところもあったということで、かなりの部分、繰返しがありました。今日の主役は、犬塚信乃と言いたいところですが、悪漢夫婦蟇六と亀篠。この二人が、如何に悪事を企み、それを実行し、信乃や浜路らを困らせていくかが読まれたと言えばいいでしょう。信乃の持つ名刀村雨丸を取り上げたり、浜路を代官のもとへ無理矢理嫁がせようとして、邪魔な信乃を、偽物の村雨丸を持たせたまま、鎌倉の公方の元に送り出したり、信乃の命まで狙おうとしたりと、悪事を重ねるのを、何とか逃げおおせようとするハラハラドキドキで、ストーリーは展開していきます。そういった中で、一人一人、八剣士が明らかになっていくのが痛快なところです。既に、信乃以外では、蟇六の下で働き、信乃の監視役の額蔵が、犬川荘助であることが判っており、信乃と助け合うというポジションにいます。また、既に亡くなってしまってるのですが、蟇六のところの下僕の息子が、八剣士の一人らしいと、信乃と荘助は知っていますが、まだ出逢ってはいません。更に、今日の最後、代官との婚礼が予定されている夜、自害しようとする浜路を救い、そのまま浜路を拉致した網乾左母二郎が、確か、途中、犬山道節と出逢うはずです。更に、信乃と別れ、浜路の様子を確認しに戻ってきた荘助が絡んでくるはずだったと記憶しているのですが、残念ながら、来月は行くことができません。日本にいないのではなく、間違って、他の会のチケットを予約してしまったのです。そないなことが絶えませんね、ホント。




2011年 11月 20日(日)午後 8時 14分

 今日は、久しぶりに観能に当てました。この秋は、今日が、観能という点ではワンチャンスの日です。幾つかピックアップをしていたのですが、行きたいと強く思う気持ちと、他のスケジュールとの兼ね合いで、今日だけとなってしまいました。今春は、随分と稀曲も出て、そそられる会も多かったのですが、秋は、そうじゃないということです。今日は、奈良まで行ってきました。奈良と言えば、金春流の演能です。奈良新公会堂での「奈良金春会演能会」に行ってまいりました。今日の番組は、次のようなものでした。能「通盛」(金春安明・金春憲和)「楊貴妃」(佐藤俊之)狂言「鬼瓦」(茂山逸平)。実は、この間「通盛」を観たくてうずうずしていたのです。稀曲ではないにも拘わらず、演能がなくやきもきしていたところ、今日、奈良で出るということで行ってみたということです。組合せが「楊貴妃」というのも、番組的には気に入りました。「通盛」は、夫婦の情愛を表す能だと言われます。かがり火を付けた舟に乗った男女の登場から、その雰囲気をだだよわせますが、不思議なこと、女は若く、男は尉です。この二人づれが、通盛と小宰相の局の亡霊だと判るのは、ワキの僧が間に尋ねてです。それまで、ワキは、鳴門の海に散った平家一門の弔いをしているのですからね。ですから、夫婦が一の谷の合戦を前に別れる話は、後場で明らかにされていきますが、そこは修羅能。翔は、一の谷の合戦に向かう通盛の姿を表します。そして、最後は、自らの最後を自演します。今日の「両ジテ」は宗家親子。いつ聴いても思うのは、どうしてこうも大味なのということで、この曲の眼目と言える夫婦の情愛ってのは、なかなか伝わらなかったですね。「楊貴妃」は、玄宗皇帝の命令を受けた使者(方士)が、あの世まで、楊貴妃を訪ね、楊貴妃から逢った印(かんざしと二人だけが知っている言葉)をもらって帰るというもの。楊貴妃の衣装を豪華に見せ、かつての華々しい生活を印象づけ、「二人だけが知っている言葉」なんて、なかなかほろりとさせる「愛の印」が洒落ていて、その豪華な生活とラヴロマンスが一体だったことに、華やかさが増していきますが、今は、この世の人でない楊貴妃、この曲の中では触れられませんが、致し方なくであったにせよ、玄宗の命で斬られた楊貴妃、そして、ラヴロマンスも、同時に終わってはしまったのだけれども、あの世からも玄宗を慕っている楊貴妃のもの悲しさとのコントラストが見ものであるのも、この曲のいいところ。あの派手な豪華な衣装が、ラストの場面で、方士を見送るときは、楊貴妃の心中を余計に悲しくさせます。観世流では、「台留」という小書きが付かないと演じない、一畳台の上(小宮が置かれました)で沈み込んだのがトメになりました。ジーンと来るところです。ただ、今日のシテは、序盤の一畳台から降りるのを失敗してしまい、横倒しに。降りるのを怖がり、台の上に残した足に体重をかけ過ぎたために起こったアクシデントでしたが、一度やっちゃうと、気の毒なのですが、その残像がちらついてしまいます。謡いは上手いなぁと思って聴いていたのですが、観る方にとっても、残念なアクシデントでした。終わって外に出ると、5時を20分ほど過ぎていました。昼間と違い、気温が急降下。近鉄「奈良」駅までの足取りが、どうしても速くなってしまいました。




2011年 11月 19日(土)午後 10時 4分

 夜半からの雨、昨日の朝くらいから降りだすなどという天気予報が、かなり後ろにずれてしまいました。ちょっと股関節の痺れが大きくなっていますので、この週末は、ウォーキングは今日だけと考えていら強い雨です。でも、これでは体がなまると思い、雨のなか京阪「出町柳」駅から北野白梅町まで、お出かけついでに歩いてみました。45分かかったのですが、ズボンはぐっしょり、靴も水を含み、靴下は水浸し。で、今日のお出かけは、仁和寺横にある蓮華寺。嵐電「白梅町」駅から3つ目の「妙心寺」駅から歩いて5分余りのところにあります。こちらで、文我がお世話をしている「第32回蓮華寺落語会」があったのです。5年ぶりくらいになりますか、行きにくい場所ですので、今回が2度目のおじゃまとなりました。番組は、次のようなものでした。小鯛「つる」、文我「八五郎出世」、(中入り)、宗助「くっしゃみ講釈」、文我「二番煎じ」、文我・宗助・小鯛「トーク&抽選会」。小鯛に当たり続けています。旬の前座というところなのでしょうね。「つる」のような根問もので、小鯛の描く甚兵衛さんに、いつも表情が欲しいなと思ってしまいます。文我の一席目は、蓮華寺さんの息子さんに赤ちゃんが誕生したのと、小鯛のネタが「つる」だったということで、このネタを選んだとか。東京の「妾馬」です。通常は、赤ちゃんが産まれたからの呼び出しから始まるのですが、今日の文我の口演は、結婚話から入りました。そのため、50分ほどかかる長講となりました。宗助は、またしてもの感のする「くっしゃみ」。遭遇機会の減っている宗助ですが、出逢うと「くっしゃみ」に当たる感じがします。そして、文我の二つ目は、季節ものの「二番煎じ」。この冬場に入り、当たり年になりそうです。もちろん季節ものということもありますが、ゲストが宗助ということでのネタ選びでもありました。落語会を通じて、寒くて寒くて。雨で、かなり体が濡れていたようで、しかも、濡れた靴下を脱いでたため、足下からも冷えてくるわで、かなり聴いているのが大変な思いをした会でした。




2011年 11月 18日(金)午後 11時 58分

 今日は、寝屋川のお気に入りのお店の最終日。午前中、ウォーキングをしてから、そちらへ行くことも考えたのですが、あまりにもの睡眠不足なので、明け方お酒を呑み、寝ることに専念しようとすると大成功。久しぶりにたっぷり感のある睡眠をとることができました。ですから、今日は、寝屋川市駅で降りて、お気に入りのお店に行き、また寝屋川市駅で京阪に乗り、午後の部に向かいました。行き先は、動楽亭。今月から、昼席が20日まで延長されたのです。最初の10日は、米朝一門だけで出番を組み、後半の10日は、他の一門の噺家さんも登場するという番組構成です。で、今日の番組は、次のようなものとなりました。二乗「癪の合藥」、雀五郎「黄金の大黒」、福車「掛取り」、鯉昇「千早ふる」、(中入り)、三喬「墓供養」、呂鶴「植木屋娘」。お目当ては、昨日に続き瀧川鯉昇。三喬曰く、「平日の昼間の落語会というのは秘密倶楽部のようなもの」「鯉昇師匠は、それにふさわしい師匠です」「ええもん聴けたでしょ」、昨日の「刻そば」の「ココナッツ」に次いで、「ナイル川、インダス川、チグリス・ユーフラテス川、竜田川、これ、何だと思う?」「外国人力士だよ」に、会場はヒーヒー言わせられました。ですから、こじきになった千早太夫は、らくだに乗ってモンゴルに現れました。竜田川はモンゴル出身力士だったのです。三喬も聴きもの。「繁昌亭ではやりにくいネタをします」ということで「墓供養」。何度目かの遭遇で、三喬以外では聴いたことのないネタ。墓供養に来た人の芳名録をつけるだけのネタ。ただ、供養に訪れる人の中に、吃音の男が出てくるので、あまり出さないのでしょう。それに、第一、噺が小さいです。その他の噺家さんでは、二乗の「癪の合藥」は、かなりの進歩。かなりくさく、くどく演じることができるようになりました。短いネタなんで、まだ濃くしても大丈夫なんじゃないかな。「黄金の大黒」は、最近出なくなったネタの一つ。なぜなんでしょうね。雀五郎は、長屋の連中が、大家さんの家に上がり、少し呑んだところで切りました。福車の「掛取り」は初もの。このネタを持っているとは知っていたのですが。ただ借金取りは二人だけ。狂歌好きと喧嘩好きだけでした。ひょっとしたらと思っていた通りの口演でした。持ち時間に合わせたのかもしれませんが。でも、このネタをする以上は、芝居好きや浄瑠璃好きを登場させないと、ダメだと思うのは、黄紺だけでしょうか。そして、呂鶴は、予想通り、「植木屋娘」でした。持ちネタが少ないわ、この人。
 動楽亭を出ると、地下鉄「日本橋」駅まで、ミニミニ・ウォーキング。それから、南森町へ移動。こちはのなじみのネットカフェで時間調整。今夜も繁昌亭夜席です。今夜は、「林家市楼・春風亭一之輔ふたり会〜いちいちうるせぇ!〜其の二」がありました。お目当ては、大抜擢を受け真打ちになる一之輔。黄紺自身も、東京で聴いたとき、「この人が二つ目?」と、びっくりしたことがあります。でも、市楼と同期ですから、まだ入門10年目なんですね。すごいわ。で、今夜の番組は、次のようなものでした。小鯛「子ほめ」、市楼「ふぐ鍋」、一之輔「明烏」、(中入り)、一之輔「粗忽の釘」、市楼「へっつい幽霊」。やはり一之輔の口演が、印象に残りました。特に「明烏」が気に入りました。人物の把握がしっかりしているのですね、この人は。ですから、この場面では、こういった態度、素振りや顔つきが、自然と出てくるのでしょう。起伏の大きな抑揚を使うところが決まってくるのも、そこなんでしょう。「粗忽の釘」の方は、ちょっと違和感がありました。粗忽な男以外は、まともな人たちです。ですから、粗忽男に喋らせ過ぎるのが気になりました。このネタの核は、この粗忽男だとばかりに、好き勝手させるような時間を与えすぎてるように思えてなりませんでした。向かいの家の男は、あんなに長く、粗忽男を喋らせはダメだと思いますし、隣の家へ行って、落ち着かせてはいけないでしょう。隣人が、口を挟む暇を与えないほど、どうでもいいことを喋り続けさせないと、隣人も変な人になってしまいます。市楼は、「へっつい幽霊」の方が良かったかな。この人、一番最初聴いたとき、武骨な噺家さんというイメージを持たなかったのですが、最近は武骨さが気になります。「ふぐ鍋」のような遊び心いっぱいのネタが似合わないのです。語り口の自在さが欠けるからだと思っています。言葉としては遊んでいても、語り口としては遊んでいない、そないな感じがしてしまうのです。ですから、どうしても「へっつい幽霊」の方が合ってしまうのです。でも、柔らかいへなへなの作ぼんになると、もっと特徴を掴んでよと思ってしまいます。開会に先立ち、二人の挨拶がてらのトークがありました。それで知ったことですが、繁盛亭では、東京の噺家さんはトリをとれないというマニュアルがあるとか。へぇ〜〜〜です。




2011年 11月 18日(金)午前 6時 58分

 昨夜は、久しぶりの繁昌亭。だけど、だいぶと続く寝不足が、またまた爆発。一昨日の南華さんの会は、無事だったのですが、昨日はダメでした。昨夜の繁昌亭は、東京から瀧川鯉昇を迎えた「鯉昇・塩鯛二人会(お魚二人会)」だっただけに、残念無念です。なお、番組は、次のようなものでした。ちょうば「看板のピン」、塩鯛「読書の時間」、鯉昇「二番煎じ」、(中入り)、鯉昇「刻そば」、塩鯛「寝床」。ちょうばの描くおやっさんは、江戸っ子言葉を使う大阪人。真似をする男の江戸っ子言葉が崩れていくおかしさを見せようとしていましたが、あまり成功していたとは思えませんでした。鯉昇ですが、マクラの変なおかしさが受けていました。怖そうな顔で、なかなか喋り出さず、やおらソフトな声で、ナンセンスな駄洒落を飛ばす、そないな感じです。「二番煎じ」は、宗助さんいじりが決まってはいるのだが、「刻そば」の破天荒さはありません。「刻そば」は、時間を尋ねないで、金の勘定を完成させるというもの。「九つ」が「ココナッツ」で、「五つ」ではなく「三つ」で「蜜」。「お前の好きな甘いものは?」に「ココナッツ」に、会場が、ほんの僅かの間を置いて、異様などよめきを伴う笑いに。お遊びの多いネタになっていて楽しませてもらいました。塩鯛の2つは、ダウンの時間帯が長く、感想を書き留めることができません。




2011年 11月 16日(水)午後 10時 14分

 かなり寒くなりました。ただ天気予報で、だいぶと驚かせられていたので、この程度ならの感じはありますが。そこで、今夜は、天満橋の双馬ビルであった「はたちの会」に行ってまいりました。2ヶ月に1度の旭堂南華の会、おなじみの顔が、客席に並びます。まず、南華さんは、マクラがてら、今後の会の宣伝をされる。中味は、一門の仲良し裏話が満載なので、楽しみにしているところです。「トリイ講談会」のネタ決めのエピソード、「上方講談を聴く会400回記念」の番組構成のエピソード、来年1月の「はたちの会」の会場エピソードなどを話していただけました。ネタは、まず「赤穂義士銘々伝〜大高源吾〜」の中より、討ち入りの前日、吉良邸に煤竹売りに行ったが不調に終わった大高が、帰り道の両国橋だったかの橋の上で宝井其角と会い、俳句を交わす話をされました。「トリイ講談席」の予行演習兼前宣伝のための口演でしたが、其角が、大高の詠んだ句の意味が解らなくて悶々とするところで切られました。そのわけを知りたければ、トリイホールに行かなければならないのですが、当日は、所用があって、これが行けないんだなぁ、残念。もう一つは、「野狐三次〜纏の火あぶり、大げんか〜」でした。だいぶと長くなってきました、このネタ。三次は江戸に戻ってきて、纏持ちとなり働いています。ある日、三次が所用で川崎大師に行っている間に、火事が起こります。ところが、纏を持っている男が三次だと勘違いをした男が、三次に恨みを持つがため、「火をあぶって」三次を殺そうとします。辛うじて、あぶられた男は、崩れた家の中から救い出され、命を救われますが、纏の頭が亡くなっていることが判り、しかも燃えたのではなく、他の組の者が取って行ったことが判ります。ここからけんかが始まり、川崎から戻ってきていた三次が助っ人に入りますが、結局、纏の頭は取り戻せないまま。そのため、三次が、単独で当の組に掛けあいに行くところで切られました。命の保障のない掛け合い、緊迫した場面で切るのが、講談の常套手段とはいえ、今日の2つともが、またいいところで切られたものです。会がはねると、いつもながら後かたづけをお手伝いしてから失礼しました。




2011年 11月 16日(水)午前 4時 35分

  大阪府寝屋川市(38)〜門真市(34)

 今週は、寝屋川のお気に入りのお店が閉じる週ということで、昨日とあと一日、おじゃまをするつもり。そして、おそらく今日が、ずっと続けてきた、そのお店に寄ったあとに始めるウォーキングは、最後になります。なんか慣れ親しんだものがなくなるのは悲しい話です。で、ウォーキングの方は、次のようなコースとなりました。京阪「寝屋川市」駅〜寝屋川市立中木田中学校〜寝屋川市立木田小学校〜南大成町自治会集会所〜萱島東交差点〜岡部川橋〜堀溝墓地〜ふるさとほほえみ通〜河北大神宮〜河北大橋〜弁天池公園〜「島頭」バス停前交差点〜門真市立第二中学校〜大阪府営門真北島住宅〜打越一番橋〜幣原兄弟の碑〜門真市立第三中学校〜柳町東交差点〜門真市立門真小学校〜京阪「門真市」駅。堀溝と弁天池公園経由で門真市に入ってみました。堀溝地区は、やはりクラシックで落ち着きます。そして、寝屋川を渡り、門真市内に入ってくると、街は、どんどんと明るくなっていきます。あとから開発されていったのでしょう。この辺りは、西に進んでも、北へ進んでも、第二京阪とクロスします。毎回、道に迷うところ。今日は、2度とも、そのクロスに成功。特に門真二中のところの抜け方は、通ってみると、間違ったのが不思議なくらいです。ですから、昨日はロスなく、狙い通りのコース。ジャスト2時間で到着できました。
 ちょっと昨日は、ウォーキングで疲れてしまいました。寝不足が最大の原因であることは明らかです。運の悪いことに、昨日は、文楽の日だったのです。まずいぞの気分で、「門真市」駅から、「北浜」経由で「日本橋」へ移動。夜の部に行ってまいりました。夜の部は、今公演の目玉「鬼一法眼三略巻〜鞍馬山の段・播州書写山の段・清盛館の段・菊畑の段・五条橋の段〜」がありました。源義経と弁慶の若かりし時代の物語です。ですから、弁慶なんかは、他の狂言で出てくるいかつい頭ではなく、くりくり眼の可愛い頭を使います。「鞍馬山の段」は、牛若丸が、天狗から剣術指南を受けるところ。「播州書写山の段」は、弁慶が小姓として遣えている屋敷で、アホ凡を装っているところへ、乳母が訪ねてきて、平家方の少年と騒動を起こし、その中で、乳母が亡くなったのをきっかけに、出家を決意するとともに、平家打倒の大意を抱くところまで。「清盛館の段」と「菊畑の段」が、タイトル・ロールの侍が主役となるところ。鬼一法眼は、元源氏の武将だが、今は清盛に仕える身。それは、鬼一法眼の持つ秘伝書が狙いのところから来たもの。清盛も、鬼一法眼を信じているのではない証拠に、源氏に繋がる弁慶、鬼一法眼の弟鬼三太、それに弁慶の乳母の娘婿の行方探しに、鬼一法眼を利用しようとして、湛海を鬼一法眼の屋敷に送り込む。一方、鬼一法眼の屋敷には、牛若丸と鬼三太が、身分を隠して働いている。ある日、鬼一法眼は、二人に疑いを持ち、鬼三太に、牛若丸を打つことを求める。鬼三太ができないで困っていると、なぜできないと迫る鬼一法眼。そこへ現れた鬼一法眼の娘が、場をとりなすのだが、そのあと、牛若丸と鬼三太が話しているところを、その娘に聞かれてしまい、鬼三太が、その娘を斬ろうとするのだが、湛海が、そこに現れ救うのだが、事情を知ってしまった湛海は、清盛のところへ走ろうとして、牛若丸に斬られてしまいます。ことここに至ってはということで、鬼一法眼に全てを話し、秘伝書を貰おうと中に入って行くと、そこにいたのは、牛若丸が教えを受けた天狗だったというすごい展開。鬼一法眼その人が天狗だったという設定なのです。文楽のむちゃもんぶりが、ここに来て登場です。鬼一法眼は、秘伝書を娘に託し、そして娘を牛若丸に託し、自分は自刃して天狗に戻るというのだが、ここがよくわからないところ。最後の「五条橋の段」は、単独でも上演される有名なところ。今回は、ここでも、弁慶の頭として、可愛いどんぐり眼の頭が使われていました。筋立ては、ごく一部を除いて把握はできているのですが、予想通り最悪のコンディションで、休憩時間になると、パンフレットで抜けているところの確認をしていました。




2011年 11月 15日(火)午前 0時 52分

 昨夜は、呑んで帰ったため、帰るやいなやダウン。替わりに5時前にお目覚め。結局、これが堪えて、一日中眠いという情けない状態。にも拘らず、夜は、きっちりとお出かけ。今夜は、八聖亭であった「珍品コレクション〜人がやらないネタ特集〜」に行ってまいりました。染弥が主宰者のようで、同期のかい枝、三若、それに雀太を加えての会です。番組は、次のようなものとなりました。雀太「いもりの黒焼」、三若「お血脈」、(中入り)、かい枝「猫の茶碗」、染弥「坊主茶屋」。「いもりの黒焼」は、ほとんどが「色事根問」。一から十までの色事指南を受けたあと、喜六が、惚れた女がいると言い出し、いもりの黒焼の世話になるという展開。三若は、吉本が、各県一人の芸人を配置するという方針で、現在秋田に在住。高座では、ほとんどその話か脱線だけ。ネタは3分もやっただろうか。元々、あっちうろちょろ、こっちうろちょろする噺で、たいした筋があるわけではないネタですが、あまりの仕打ちに唖然でした。そないな感じで聴いていると、その昔、このネタを、桂三Q(現快楽亭ブラック)で聴いたのを思い出しました。かい枝の「猫の茶碗」は、ネタの構成が、あまり聴かないもの。茶屋の主人は爺さんで、かなり癖のある男。これは、かい枝風味付けかもしれませんが、ならばペケですね。そないな癖のある人物なら、何か企んでそうとなるからです。また、客の骨董屋が、値打ちものの茶碗と見破るのに時間がかかっては、目利きが、どれだけ本物か疑わしくなります。短いネタだから、ちょっとでも引っ張りたい気持ちが解らないことはないのですが、余計なことをすると、ネタ自体が崩れてしまいます。その傾向が、今日のかい枝の口演には看られました。染弥の「坊主茶屋」は、八方から受け継がれたもの。今日で3回目の口演と言っていました。薄汚く、聴いたあとの感じは、お世辞にもいいとは言えないネタ。可朝のように、ぞんざいに演じてくれると、ちょっと離れて聴けるのですが、余計な気の使い方をする口演に出逢うと、気分の悪くなるようなネタです。染弥は、そんなにはぞんざいにはなれなかったですね。普通のネタのようにして、客は、どうして笑えるのやろと、不思議な感じがして聴いてました。そないに笑える噺じゃないでしょと思ってしまうのです。染弥は、見台を出しませんでした。ということは、髪を剃るとき、演者が剃られる女を演じるという型はカットだったということです。楽屋には、途中から、八方も来ていたようですが、舞台には上がってはくれませんでした。




2011年 11月 14日(月)午前 5時 37分

  大阪市内遊歩(112)

 昨日は暖かな一日。ようやく休日を活用して、寝不足解消です。おかげで日曜日の午前中が消えてしまいました。昨日は、だいたい11時をメドにお出かけ。京橋、天王寺経由で、一心寺南会所へ。毎月恒例の「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。先月は、ちょうど東京にいたので、2ヶ月ぶりとなるのとともに、来月は、「講談毎日亭」と正面衝突をしますので、今年最後の本席となります。昨日の番組は、次のようなものでした。春野美恵子(沢村さくら)「樽屋おせん」、春野ココ(沢村さくら)「お伽浪曲舌切雀」、京山幸枝若(岡本貞子・京山幸光)「小田原相撲」、三原佐知子(岡本貞子・鵜川せつ子)「異国の母」。毎回、受付の後ろに、3日分の番組表が貼り出されるのですが、それを見て、日曜日より月曜日の方がいいなぁ、だけど、月曜は仕事だしとため息。昨日のネタは、わりかし聴いているものが並んでしまったのです。まず「樽屋おせん」は、春野恵子で、随分と聴いたもの。だけど春野美恵子では、初めてというもの。春野恵子は、大阪弁に苦労しながらの口演になっていますが、その分、春野美恵子は大丈夫。しっかりとした大阪弁で、台詞もしっかりと決まり、なかなかの出来栄え。ただ「樽屋おせん」を聴くたびに思うことは、旦さんの言動。いくら養子の身の上と謂えども、もうちょっとなんとかならないのかなぁ。春野ココは、今回も「お伽浪曲」シリーズから。ネタが短いということで、漫談的ネタを、マクラ替わりに披露してくれました。「小田原相撲」は、先日の「浅草木馬亭」で、聴いています。東京で聴いたものは、冒頭から谷風に救いを求めてくるもの。それを、雷電に受けさせようとするが、雷電は眠っているという流れで滑稽味のあるもの。ところが、昨日聴いたのが幸枝若に拘わらず、もっとシビア。素人に負け続けるなか、その素人が、実はということで禁じ手で人を殺めているという話が出てくるもので、滑稽味の欠片もないネタになっていました。三原佐知子は、お得意の「異国の母」。在日のオモニが、常磐炭坑の事故で亡くなった人の子どもを親代わりになり育てる物語です。2度目の遭遇でした。後半に入ると、会場では鼻をすする音が充満。琴線を刺激するネタになっています。
 浪曲が終わると、その前から直ちにウォーキングに移行です。最終が5時を回る時間帯に入っているので急がねばなりません。そのコースの詳細は、次のようになりました。一心寺南会所〜清水坂上〜大阪星光学院〜大阪天王寺警察署〜イタリア料理店「ペレネ・ルーナ」〜大阪市立生魂小学校〜大阪市立上町中学校〜上本町3交差点〜地下鉄「玉造」駅〜JR環状線「玉造」駅〜玉津橋〜南中本公園会館〜大阪市立本庄小学校・東中本公園〜大阪市立東中浜小学校〜城運橋〜八劔神社〜JR「かたまち072」橋梁〜極楽橋・大阪市立今福小学校〜南今福橋〜地下鉄鶴見緑地線「今福鶴見」駅。途中で息子に電話をすると、晩ごはんを一緒に食べることになり、終点を待ち合わせに都合のいいところとなり選択肢が広がりました。京橋での待ち合わせになり、どこを終点に持ってきても大丈夫となったお出した。環状線の外に流れていくと、玉津橋や城運橋、極楽橋は、定番のコースになってしまっています。地図を見ながら歩いているのですが、川があるとうまく渡らないと、変に迂回してしまったりしてしまうからです。「今福鶴見」駅に着いたのは、2時間を若干切るところでしたので、駅の周辺をぐるっと一回りして、所要時間を2時間に。ちょっとしたこだわりです。最後の10分での暗くなり方というのがすごかったですね。急に夜になりました。




2011年 11月 12日(土)午後 11時 6分

  今日は、朝から通常の勤務、といっても午前中の勤務。半日勤務とは言え、目覚ましをかけて、慌ただしく出かけるのは、ストレスがたまるものです。そして、勤務が終わると、そそくさと職場を出て塚口へ。ピッコロホールでの「阪神ハートフル寄席」へ、前回に続いておじゃまをしました。こちらは、米二のお世話で行われている会。今日は、最近遭遇機会の減っている塩鯛も出るということで、時間的に、到着が際どくなるかもと、予約を入れるのを躊躇っていたのですが、行くことにしました。実際に行ってみると、半ドンのあと行っても楽勝。そこそこ余裕をもって行くことができました。で、その番組は、次のようなものでした。團治郎「つる」、ひろば「お玉牛」、米二「骨つり」、塩鯛「試し酒」。「つる」は、團治郎では初もの。「つるは名鳥、落語は米朝」とか、聴いたことのない、だからオリジナルなんでしょう、幾つか、そういったくすぐりが入ってました。ひろばの「お玉牛」には驚かされました。意外性があったからです。田舎の男どもという雰囲気はなかったのですが、玉ちゃんの話をする男たちのくったくのなさ、話題はそれしかないんかいというアホらしいほどのくったくなさが出ていて、これはこれでいいよなと思わせるものがあり、ひろばの充実を確認できました。下げも変えてました。「骨つり」は、米二で長く聴いてなかったもので、これもラッキー。序盤に、下ネタのくすぐりが入ったりしていました。そして、塩鯛は「試し酒」。以前は、こればっかりやってた時期があったと思うのですが、最近は、ネタ出しの会で見かけなくなっていたので、ちょっと唐突感がありました。好調なときは、顔色まで変わっていくのですが、今日は、そないな迫力はなく、ちょっと離れたところから演じているという風情でした。ただ、完全寝不足状態が、ここ数日続いている関係で、かなりボヤーッとした状態で聴いていたので、あまり正確に把握しているとは言いがたいのですが。
 落語会が終わると、JRで「大阪」駅に移動。東梅田のネットカフェで時間調整をしたあと、今度は、十三に移動して、夜は、七芸で、日本のドキュメンタリー映画「タケオ〜ダウン症ドラマーの物語〜」を観ました。以前、七芸に行ったとき、予告編で流れたのを観て、記憶に留まってしまったのでした。タケオは、ダウン症の青年で、映画の最後では24歳になっていましたが、そのタケオが、21歳のときに、セネガルでのパーカッションのワークショップに参加した記録が、一本の柱として、この映画を貫いています。そして、その合間合間に、タケオの少年時代から、パーカッションに関心を持ち出し、その練習風景、コンサート風景が挟まっていくという構成になっていました。セネガル・ツアーは、日本で活動するセネガル人のパーカッション奏者がコーディネートしたもので、あと日本人が5人だったか、6人が参加していました。セネガルの海岸で行われる練習風景や現地の人たちとの交流が描かれていきます。もちろん見所は、タケオの演奏風景。お母さんが、体力的に弱いので、それを補強しようということで、パーカッションを学ばせようとしたところ、和太鼓関係には、全部断られたのだが、アフリカのパーカッション教室が受け入れてくれ、また、その先生が太陽のような人だったと言ってられたのが印象に残ります。1年目は、力がなくついていけなかったのですが、パーカッションが気に入ったタケオは、日々練習を続けることで、腕に力が付き、2年目からは、遅れることなく演奏できるようになっている映像は驚きです。映画を観ていて一番印象に残るのは、やはりタケオの演奏風景。様々な学習成果が積み上げられたのだと思うのですが、その即興演奏における発想の豊かさ。ビブラフォンのように、メロディを奏でられる楽器を含め、その演奏スタイルの発想の豊かさは素晴らしいものがあります。そして、24歳になったタケオは、今働きながら、タケオと同じような障害を持った子どものところへ行き、音楽の楽しさを教えています。教えると言っても、施設に行き、様々なパーカッション系の楽器や、楽器となりうる道具を並べておくと、子どもたちが、タケオの奏でる音楽に合わせて、楽器に触れ出す。これはおもしろい。タケオの発信するリズムを、子どもたちが、全身で受け入れているということなのでしょう。




2011年 11月 12日(土)午前 3時 45分

  大阪市内遊歩(111)

 今日は、雨の日との天気予報。確かに夜半から、冷たそうな雨が降っていました。今日は、お昼前から文楽の日。そして、夜には落語会という予定を立てました。今日の午前の部の番組は、次のようなものでした。「恋女房染分手綱〜道中双六の段・重の井子別れの段〜」「伊賀越道中双六〜沼津の段〜」「紅葉狩」。「恋女房染分手綱」は、母と子が、母親の仕えているところの状況から別れを余儀なくされる筋立てなのですが、この2つの段に限って言うなれば、芸尽くものと言えるのじゃないかな。能で言えば「花月」のようなものと言えるということです。「道中双六の段」で双六をしながら東海道の名所を折り込みながら歌い、姫の機嫌をとる。「重の井子別れの段」では、息子が馬子唄を唄うなか母親は去っていきます。「伊賀越道中双六」は、荒木又右衛門の物語がベースになっているとか。ですから、仇討ちものです。その中で、実の親子が再会したら、仇討ち側と、討たれる側に分かれていたことから起こる悲劇を描きます。しかも、親子の名乗りの場面と、父親の死の場面が重なります。うまい設定を考えたものです。そして、このせつなく悲しい場面の大夫さんが住大夫さん。絶品とは、このことを言うのでしょうね。親子の情愛描写、亡くなりつつある父親の刻々たる変化、それを、父親の息づかいだけではなく、物質としての肉体の変化までをも表していたのには、ホントびっくりしました。名人芸という言い方は、この日の住大夫の芸のためにはあるような感じがしました。今日は、切り場担当の源大夫、嶋大夫のお二人が、病気でお休み。ですから、余計に目立つ存在となりました。最後の「紅葉狩」は、能から歌舞伎へ、そして歌舞伎から文楽へと伝わっていったもの。文楽より早く、歌舞伎の方で生まれたそうです。基本的に、能と同じですが、細かなところは違います。維茂は一人で、山中に入ってきたり、維茂に危険を知らせるのが山神だったり、最後、鬼は木に登り逃げ、そこで維茂と睨みあって終わりました。
 文楽が終わると、その前からウォーキングに移行。今日は、あとの都合を考え研都市線のいずれかの駅を目指すことにしました。そのコースは、次のようなものとなりました。文楽劇場〜下寺町3歩道橋〜学園坂〜天王寺郵便局〜大阪けいさつ病院〜大阪市立天王寺商業高校〜大阪市立勝山小学校〜プール学院〜桃谷本通商店街〜桃谷公園〜大阪市立北鶴橋小学校〜千歳橋〜新今里公園〜東橋〜大阪市立深江小学校〜大阪市立宝栄小学校〜地下鉄「深江橋」駅〜坂東小橋〜JR学研都市線「放出」駅。文楽劇場から、「放出」か「徳庵」辺りを目指すなら、最短距離を採ると、時間が余らないかと思い、南方向にスタート。逆に思いのほか、迂回しすぎたかなの感じを、途中からスピードアップ。「新深江橋」辺りを抜けたときには、かなり危ないかと思っていたのですが、終わってみると、2時間を1分だけ超過しただけでした。ロングスパートめに、早めに見通しが持てたことが、成功の基です。今日、雨でムリだろうと思っていたのが、できました。途中、少しだけパラパラときた程度だったのは、ついています。パラパラきだすと、逃げ場所を考えながら歩くのも、鬱陶しいことなのです。
 「放出」から「大阪天満宮」へ移動。南森町ネットカフェで時間調整をしてから、「関目高殿」へ移動。夜は、「城北市民学習センター」であった「城北にぎわい寄席」に行ってまいりました。こちらの寄席は、2ヶ月に1度のペースで、雀三郎一門の出演で行われています。大阪市の関連施設主催の落語会は、こちらと「オーク弁天寄席」の2つですね。今日の番組は、次のようなものでした。雀太「商売根問」、雀喜「看板のピン」、雀三郎「二番煎じ」、雀五郎「三十石」。雀太の「根問」ものが好調です。「わらび売り」の体験から、スムーズに移動。「ウグイス捕り」と「ガタロ捕り」を同じ日にやったというのは、大ヒットのくすぐり。今日は、雀喜のところでダウン。マクラは大丈夫だったはずなのですが、ダウンを喫すると、大丈夫だったはずのマクラの内容が思い出せない。雀三郎の「二番煎じ」が素晴らしい出来栄え。以前に聴いたとき、こんなに良かったかなぁと疑いをかけてしまいました。とにかく宗助いじりを徹底しています。冒頭から宗助いじりの準備が始まるから、めちゃめちゃ意図が解りやすい。その上、突如として、駄洒落が飛び出したりと、これは凄いわ。ぜひ近いうちに再遭遇を狙ってみましょう。あまりにバカ受けの「二番煎じ」のあとは、やりにくかったでしょう。雀五郎の「三十石」は、2回目の遭遇となります。前回は、ネタ下ろしのときだったと思います。そのときの出来栄えが、わりと良かったものですから、再遭遇を楽しみにしてところでした。今日は、師匠の雀三郎のあとという位置は、やっぱ雀五郎にとってはきつかった。更に、掛け合いの間に、もう少し変化があればとか、舟唄にもっと空間的拡がりを感じさせて欲しいとか、考えてしまいました。




2011年 11月 11日(金)午前 0時 48分

 今日は、昨日と全く同じパターンの寝不足。なんで、2日続けて、よく似た時間に目が覚めるのでしょうか。1日目よりか2日目の方が、きついです。当たり前ですが。でも負けないで、夜遊び敢行です。行き先は、久しぶりとなるワッハの4階。今夜は、こちらで「らくご道」がありました。生喬とこごろうという大阪芸大コンビの会です。番組は、次のようなものでした。生喬「前説」、こごろう「佐々木裁き」、生喬「替り目」(中入り)、生喬・こごろう「対談:夕焼け日記」。こごろうの「佐々木裁き」って、ネタ出しをしているのを、あまり見かけたことがないな、だから今日は狙い目という感じを持っていたのが、大正解。本人が、それを認めていました。梅団治から「黄金の大黒」をもらったとき、一緒にもらったものだそうです。「侍の出てくるネタを持っておこうと思ったんやろな」と、仕入れたわけのよりなものを思い出していましたが、米朝一門のこごろうが、同門の噺家さんが、わりかし手掛けている「佐々木裁き」を、梅団治にもらったというのに興味が惹かれました。確かに、梅団治にとっては、襲名のときに出したネタですから、自信作であることには変わりはないのですが。で、その口演は、とってもみずみずしいもので、台詞の明解さ、表情の豊かさ、立体感を演出する技法に長けていました。もっとかけるべきじゃないかなぁと思ういい出来栄えでした。一方の生喬は「替り目」。松枝からもらったものということでした。渡されたテープの裏面が「天狗さし」、一緒に覚えてこいと言われ、短期間で覚えて行ったら、覚えてこいと言ったことを、松枝自身は覚えてなかったという話を紹介してくれました。生喬は、「替り目」は、話の性格上、昼間にはしないことにしているそうで、言われてみると、なるほどと納得してしまいました。また、「途中で切り上げない」というポリシーが、「替り目」を出すときの鉄則にしているそうです。後半に意味がある、好きだと、生喬は言ってました。それに対し、こごろうは、伸縮自在のネタだから、いろんなところでかけやすいと言ってました。また、生喬の出来がいい。台詞の替わりを顔のちょっとした表情の変化で表そうとしたのが冴え渡っていました。生喬のそのような表現方法は観たことがなかったので、これは「替り目」様々かもしれません。とっても気に入ってしまいました。こういった聴き慣れたネタに、新機軸を出されるとのめり込んでしまいます。いずれにせよ、毎度ながらレヴェルの高い会であったことは間違いありません。
 なお、生喬が「猫魔寺」について触れることがあったので、記しておきます。ネタをするにあたり、市楼の許可をとったそうです。ただ、丁度、市楼が「盗人の仲裁」を習いに来ようとしていたので、それとの交換にしてもらったそうです。「猫魔寺」は、二代目染語樓の作品を、小佐田センセが補綴を行ったものを、三代目染語樓がかけていたそうで、黄紺が聴いたことのあったのは、その流れにあったものだったということが判りました。ちなみに、生喬は、「盗人の仲裁」を、先代歌之助からもらったと言っていました。




2011年 11月 10日(木)午前 4時 40分

 昨日は、4時間も眠れないまま出勤。かなりボーッとした一日。それでも、夜遊びは欠かしません。昨日は、「天満講談席」をパス。聴き慣れたネタばかりが並んだ番組案内を頂き、ならばと昨日は、京都文化芸術会館の和室であった「桂文我上方落語選京都編」に行くことにしました。番組は、次のようなものでした。石松「寄合酒」、文我「清水次郎長伝」、生喬「猫魔寺」、文我「猫の茶碗」、(中入り)、文我「一人酒盛」。石松の「寄合酒」は、最近の演者の使わない言い回しが多用されていたので、ひょっとするとと思っていたら、当たりました。松之助直伝だそうで、しっかりと教えてもらった通り演じることの大切さを、あとに上がった文我が説いていましたし、それをやりきった石松を誉めていました。確かに、その通りで、松之助のネタを受け継ごうとしている石松に拍手です。「明石名所」も、そうでしたね。文我は、ならば崩れた噺をということで、廣沢虎造「清水次郎長」をダイジェスト解説をやり出しました。マクラも入れて、45分もやってました。内容は、「森の石松伝」でした。生喬は、びっくりのネタ「猫魔寺」。小佐田センセが、亡くなった染語楼に作った新作。染語楼の口演で、もう一度聴いておきたかったなと思っているネタです。怪談噺という分類に入るネタですが、生喬がすると、爆笑落語に変身。ちょっと騒ぎすぎ。生喬は、先週、ネタおろしをしたところだそうです。文我の二つ目は、「猫」繋がりで「猫の茶碗」。時代設定を現代に置いていました。文我の口から、「バス」「牛乳、ミルク」なんて言葉が飛び出していました。臨機応変に三象ネタなどを放り込んでの進行でした。中入り明けは、「きっちろした噺」をということで「一人酒盛」。黄紺的には、6代目の口演が頭にこべりついているため、塩鯛の口演すらスルーしてしまったもので、このネタ、他の噺家さんではノリが悪くなってしまいます。案の定、ボヤーッとして聴いてしまってました。悪い習性です。
 落語会の間中、お腹が痛んで大変。昔は、胆嚢がおかしいと騒いでいたのですが、どうやらストレスが原因と、経験知が教えてくれています。ですから、痛みさえ終われば、食事もできるし、お酒まで呑んで大丈夫なことも経験から判っています。現に、今日もそうしたのですが、気になるのは、自分にストレスの原因が解らないこと。寝不足から来るものなのか、精神的なものから来るものかが判らないのが、厄介なのです。これが、新たなストレスになる? ひょっとしたら、何をしていても満足できていないのかもしれません。




2011年 11月 8日(火)午後 11時 17分

  大阪府寝屋川市(37)〜交野市(3)〜四条畷市(7)

 昨日は、昔の同僚と、「イスタンブール・コナック」で会食。その内の一人が、先日トルコ旅行から帰国、それに合わせての会食でした。黄紺が、ラクをほどほどに呑み、おねむの状態になったところで、お開きでした。
 そして、いよいよ今日から、今シーズンの「METライビビューティング」が始まります。今シーズンも、いくつかをピックアップしながら、オペラの映画を楽しみたいと思っています。私は、毎回、朝に観ることができるということで、MOVIX京都で観ることにしています。今日は、ドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」でした。上映予定時間が、実に3時間52分。この上演、タイトル・ロールが、アンナ・ネトレプコということですから、メトロポリタンらしく、お金がかかっています。しかし、アンナ・ネトレプコを一目見て、愕然。あのスリムなボディが、とんでもないことになってしまってました。スリムな顔立ちだったからこそ似合った、つんとした尖った表情、変に凄みは出てきたのですが、立ち上がるたびに「どっこいしょ」と声がかかりそうです。もう一人のヒロインのセーモア(ジェーン・シーモア)役の歌手も同型。主役をはれるような歌い手さんは、食事に気を付けて欲しいものです。声は出るようになるとは言いますが。ま、ネトレプコとなると変わりませんが。しかし、素晴らしかったです。声量と言い、声の表情と言い、ナチュラルな演技と言い、現代最高のソプラノであることは、揺るぎない事実です。狂乱の場面は動きにより、その状態を表すのではなく、完全に能面状態で、声もノンビブラートにするという手法をとっていました。カーテンコールは、客席全員総立ち状態でした。リカルドの声が、ちょっと甘すぎたかなと思う以外、どの歌手も充実。さすが、メトロポリタンです。ただ、「アンナ・ボレーナ」は、「アン・ブリーン」ですから、先が解っています。ちょうどインター・ミッションに入る前に、アンナが、リカルドといるところを現認されてしまいますから、あと半分が、処刑に至る道筋ですから、観てるのがしんどいオペラであることは、事実です。もちろん筋書き的にはということですが。
 夜が、今日は繁昌亭でしたので、オペラのあとは大移動です。ただ、いきなり大阪市内に入らず、「香里園」で途中下車。ウォーキングをしてから、繁昌亭へ向かいました。ウォーキングの詳細なコースは、次のようになりました。京阪「香里園」駅〜友呂岐神社〜聖母女学院〜成田不動尊〜三井交差点〜三井東交差点〜三井小学校前交差点〜寝屋川市立第十中学校〜寝屋第3ちびっこ老人憩いの広場〜正法寺〜伝寝屋長者屋敷跡(寝屋第12ちびっこ老人憩いの広場)〜JR学研都市線「東寝屋川」駅〜寝屋川市立明和小学校〜二月堂灯籠〜正縁寺〜国守神社〜JR学研都市線「忍ヶ丘」駅。今日は、久しぶりに巡検という観点からして、大ヒットのコース取りとなりました。一つ目は、寝屋川の秘境と言っていい寝屋地区のメーンストリートを見つけることができたのです。そして、その流れの中で、存在は知ってはいたのですが、場所を知らなかった「伝寝屋長者屋敷跡」を見つけることができたのは大収穫。二つ目が、国守神社に行くことができたことです。これも、存在は知っていたのですが、場所を知らなかったところ。しかも、その近くに行きながら見落としていたところです。かなり荒れてました。社務所なんてのが建ってるのですが、そないな状態でした。先ほどの寝屋地区と並び、伝統的家屋群が、星田地区にも残っています。寝屋川市内は、街角に、歴史的遺物があると、「鉢かつぎ姫伝説」に基づいたキャラ「鉢かつぎちゃん」が立っていて、その史跡の位置を教えてくれますので、その地域に差し掛かると、とっても助かります。最後は、予定の2時間まで10分ほどあったので、ちょっと土地勘のある「忍ヶ丘」駅周辺を歩く機会に恵まれました。私の知っている駅周辺とは、かなりの変わりようではありましたが、ちょっと懐かしかったなぁ。
 「忍ヶ丘」から、学研都市線一本で、「大阪天満宮」まで移動。繁昌亭の開演時間までの間、南森町のネットカフェで時間調整。今夜の繁昌亭では、「セブンエイト」がありました。「福丸研鑽会」と迷った末に、こちらを選びました。今日の出演者は、べ瓶、三幸、三四郎、南青、団姫、ぽんぽ娘、大治朗でした。内容は、順に、「オープニング挨拶」「出演者を隠し撮り」「テーマソングを作ろう」「電話をかけて狙い通りのことを言わせる局」「三幸の落語/草野球」「エンディング」。「テーマソングを作ろう」に時間がかかりすぎ、また、それが、三四郎と団姫、それと司会役のべ瓶とが喋りまくる展開に、口をあんぐり。見ている方も疲れました。今日は、仕切役は、三四郎ではなくべ瓶。大治朗も団姫と結婚ということからでしょうか、メンバーに入ってました。構成作家さんが付いているようなんですが、それをこなせる力が、メンバーの噺家さんらにあるかというと、なかなかしんどいところがあります。三幸の落語はネタ下ろし。草野球をする男とピアニストのカップルを前提に、噺は、その男と監督との掛けあいで進むというものでした。




2011年 11月 7日(月)午前 1時 53分

 この間、4連休になったので、その前3日で、またまた東京プチ旅行。その記録です。

11月3日(木)

 6時台の新幹線に乗り東京へ。いつもより1時間早く出たのは、10時開演の池袋演芸場での「第90回福袋演芸場〜御利益有り皺合わせな人々〜」に行くためです。祝日にだけ、こちらでは、朝席「福袋演芸場」があるのです。開場前約10分というところで到着すると、入口には列ができていました。その番組は、次のようなものでした。馬るこ「ぞろぞろ」、菊六「替り目」、粹歌「人払い神社」、志ん吉「水屋の富」。馬るこは、何度目かの遭遇。今日の4人では、最も達者な喋り。馬桜からもらったという「ぞろぞろ」でしたが、ホントにそうかよと思われる、ちょっとエッチ系のくすぐりを入れてました。鞋屋の娘が願をかけるところです。菊六は、ちょっと菊之丞タイプの噺家さん。上方落語で聴き慣れている「替り目」ですが、若干雰囲気が異なります。かみさんが、酔っ払いの亭主に腹を立ててはいるのですが、さほどわわしくない。菊六の演じるかみさんは、むしろ上品な感じすらする。それはないでしょと突っ込みたくなるほどでした。東京の噺家さんが、そういった演出をしているとは思えませんね。なお、冒頭で、酔っ払いは俥には乗らないという型で、初めて聴くものでした。また、友だちの娘の結婚話は省くという東京の一般的な型でした。粹歌は女流。2度目の遭遇かな。「人払い神社」は新作。アラサーの女が出会いを求めて、神社にお祓いを受けに行くと、その神社が、参拝者がいないため、ぼったくりにかかり、縁切り効果が出てしまうという筋立て。神社の巫女が、バイトの女で、ギャル言葉が飛び交うところがミソ。等身大のなかなかよくできた作品。トリの志ん吉は、上方では、演じ手が、文我とこごろうくらいしか思い出せない「水屋の富」。主役が水屋さんなものだから、マクラで江戸の水事情の講釈をしてくれました。富に当たった水屋が、その当たった金が気になりノイローゼ状態となるというもので、繰返しネタ。繰返しネタは、難しいですね。800両がなくなっても、「あぁ、良かった」とも言わさなければなりませんし。だけど、朝6時頃に起きて行って損をしたとは思えない充実の二つ目さん揃いだったと思います。
 池袋演芸場を出ると、丸ノ内線で「御茶の水」に移動。最近、東京へ来たときの定番、DVD漁りです。こちらには、狙いのお店が2軒あるのです。それから、今度は、半蔵門線で、「清澄白河」に移動。「深川江戸資料館」であった「第14回伝承話芸を聴く会〜小燕枝・藤兵衛平成辛卯霜月の競演〜」に行ってまいりました。この会は、10月に東京に行ったときに見つけ、予約を入れておいたのです。僅かの間を置いて東京に行くとなると、こういった会を細かく把握できるというおいしさがあります。で、その番組は、次のようなものでした。小燕枝「三人旅」、藤兵衛「さんま火事」、小燕枝「猫の災難」、藤兵衛「蒟蒻問答」。昨夜の超睡眠不足が、ここにきて出てしまいました。ボヤーッとした感じに終始し、気がつくと、噺が少しずつ飛んでいる始末。ですから、大まかな噺の流れは掴めてるんだけど、細かなところは不明瞭という始末でした。気になっていた「さんま火事」は、昭和に入ってからの作品だそうです。作者は、初代林家正楽と言ってました。ケチな男の噺で、意固地になりケチを通すので、周りの人間が懲らしめようとすると、余計にケチぶりを発揮するというもの。若干短めのネタということで、藤兵衛は、「始末の極意」のエッセンスをマクラでふってから、本題に入りました。「三人旅」は、上方でよく演じられる馬に乗る部分と、その前に三人がいちびる噺が付いた流れでした。最後の「蒟蒻問答」だけは、しっかりと聴くことができました。藤兵衛の明るく爽快な口演は、聴いていて気持ちのいいものです。じっくりした噺は、どうだか解りかねますが、今日の二つの演目のような滑稽味に重心を置くネタにはうってつけ。東京版「蒟蒻問答」で、寺男として登場するのが権助、これがいいですね。他のネタで、権助のキャラを知ってることが、このネタの支えになっていました。終わったところで、「うまいなぁ」という声を出してしまいました。
 「伝承話芸を聴く会」がはねると、直ちに大江戸線で「上野広小路」に移動。夜は、「上野鈴本」の夜席です。トリがたい平ということで、今回の目玉的な会という位置付けです。前回は、横浜で独演会を聴けましたし、また12月には、大阪での独演会に行くつもりをしていますので、この秋は、かなりたい平にシフトしてしまっています。その番組は、次のようなものとなりました。一力「子ほめ」、歌太郎「金名竹」、アサダ二世「奇術」、ぴっかり「転失気」、伯楽「江戸噺家事情」、ホームラン「漫才」、琴調「大岡政談〜人情さじ加減」、一朝「天災」、(中入り)、和楽社中「太神楽曲芸」、扇遊「浮世床」、小菊「粹曲」、たい平「宿屋の富」。一力は初遭遇。前座らしく元気が良く、習ったことを懸命にこなそうとしている感じだけど、半年ほどして聴けば、吸収力がありそうなので、上達しているのでしょう。歌太郎も、名前はよく見かけるのだが、遭遇は初めてのはず。「金名竹」は、与太郎ものだったことを思い出しました。ぴっかりは、元ぽっぽ。今席が、二つ目昇進記念の出番です。前に観たときは、前座修行中の姿、今日は、全然別人に見えました。伯楽は、さん喬の代演。一朝が聴きものでした。主人公が、けんかぱやい江戸っ子になってました。お見事です。もっと長いネタを聴いてみたいものです。扇遊は、何を聴いてもいいですね。とにかく声が明るく、高座自体が、ネタに入った途端、明るくなります。たい平は、まさかの「宿屋の富」。先月、横浜の独演会で聴いたばかりのネタにがっくり。横浜と比べて、舞台に近い席で観ることができた結果、確認できたことは、空っけつのおやっさんが大ホラをふくときの表情が気に入らないことが判りました。おおらかさの欠片もない表情でホラをふき続けてはいけません。それが、前半の聴かせばですから、ちょっと聴く者としてノリが悪くなっちゃいました。それに、時間を意識したんでしょうね、1等だけが発表されただけだったため、2等が当たると言っていた男のリアクションが省かれてしまいました。せっかく群集の描写を入れながら、そないなことをしてしまったのには合点がいかないですね。今回の東京プチ旅行の目玉にしていたので、ちょっと消化不良でのお開きになってしまいました。

11月4日(金)

 今日は平日の金曜日。午後からの予定に入る前に、午前中は美術館へ。これも、東京に来たときの楽しみ。今朝は、「国立西洋美術館」で行われている「ゴヤ光と影」展に行ってまいりました。「着衣のマヤ」の描かれたポスターが迎えてくれた同美術館の前には、開館前から長蛇の列。ちょうどその列が、入場のために動き出したところで到着。やはり朝一番は、平日の方が混みますね。明日は明日で、別の行き先を考えているので、仕方がありません。展示を観て回るのに要した時間は、ちょうど1時間。予想はしていたのですが、小物中心の展示、要するにエッチングの版画とか、タペストリー用下絵、様々な素描中心なのです。しかし、その全部がゴヤの作品。その多くが、マドリードのプラド美術館から持って来られたもの。おもしろかったのは、いくつかの連作集では、プラドからのものに、西洋美術館や他の日本の美術館収蔵作品が付け加えられ、本場で観るよりは、豪華になっている展示もありました。「マヤ」というのは、人の名前ではなく、ゴヤの当時(18世紀後半〜19世紀初頭)の衣装をまとった普通の女性を指すそうです。長いスカート、肩にかけるショール、こうしたものが、マヤのアイテムだそうです。時間が、大幅に余ったので、小1時間の予定で、常設展を観ました。以前も同じことをしたことがあるのですが、時間が足りなかったので、今日は、初っぱなの聖画像関係はスキップして、19世紀絵画を中心に観て回りました。充実した展示品に圧倒されるばかりです。
 上野から浅草に移動して、午後の部です。「浅草木馬亭」での浪曲席は、月の上旬に、東京に来たときは、必ず足を運ぶスポットです。今日の番組は、次のようなものでした。東家一太郎(佐藤貴美江)「雷電の小田原情け相撲」、玉川奈々福(玉川みね子)「陸奥間違い」、富士鷹雄(伊丹秀敏)「暴れ行灯」、神田紅葉「粗来豆腐」、大利根勝子(玉川みね子)「花売り娘」、(中入り)、三門柳(伊丹秀敏)「瞼の母」、澤孝子(佐藤貴美江)「女人平家蓮華経」。東家一太郎は充実の若手。「雷電の小田原情け相撲」は、素人相撲で、禁じ手を使い殺された男の妻からの申し出で、雷電が、その仇を討ってやるというもの。玉川奈々福を、ようやく木馬亭で聴くことができました。と思ったら、あろうことか、この高座の中程が、すっぽりと抜けているのです。情けないったらありゃしません。話のスタートは、貧乏な侍が、金を用立てて貰おうと、下男を遣わすのですが、その男が、行き先を聞き違い、トラブルが起こるのだが、ハッピーエンドに終わるというもののはずです。三味線は、沢村豊子師匠がお休みでしたので、珍しい組み合わせでした。「暴れ行灯」は、なかなかおもしろい話なんだが、題名からだと、さっぱり内容が判らない。ヤクザの出入りで斬られた男が、最後の頼みとして、斬った男は、父親に金を届けるように依頼する。頼まれた男は、その父親に逢いに来るのだが、父親が息子と思い込み、また男も事実を言いかね、親子として、また事実を告げぬままに、1ヶ月が過ぎたとき、死んだ男の兄弟分が訃報を知らせに来て騒動が持ち上がるというもの。「粗来豆腐」は、ポピュラーなネタ。荻生粗来の貧乏時代に救った豆腐屋と粗来の交流が語られます。この話、赤穂義士の外側にある物語です。大利根勝子は、先月聴いたばかりの「花売り娘」。ちょっとがっくりです。三門柳は、初遭遇のはずなんだけど、前掛けは見たという記憶があるので、2回目かもしれません。三門博の弟子で唯一人残ったと言ってました。「瞼の母」は、長谷川伸作品で、新国劇なんかで演じられてきたもの。ネタがつきっぱなしなのに、こんなの選んじゃいました。親子再会物語ていう点では、「花売り娘」とかぶり、股旅ものという点では、「暴れ行灯」と丸かぶりです。これには、びっくりさせられました。浪曲界の大物中の大物澤孝子に、ようやく巡り会えました。ホント、こちらが木馬亭に行くときは、必ず出番がない状態だったのです。実際見た澤孝子は、そんなに年嵩を経てなかったのが嬉しかったですね。「女人平家蓮華経」は、有名な祇王・祇女姉妹と仏御前の物語。とにかく重厚で、気品が違います。そういった節を聴けただけで、大満足でした。
 浅草から上野経由で、巣鴨に移動。夜の部までには、多少時間があったので、ウォーキングがてらの寄り道。一度見て見たかった「おばあちゃんの原宿」こと「巣鴨地蔵商店街」を、巣鴨駅方向から通り抜け、都電「庚申前」の一つ手前の角を320度ほど回転し、山手線「大塚」駅を通り抜け、池袋まで歩くというものでした。「巣鴨」駅と「大塚」駅が、思いのほか接近してるんですね。途中、「とげ抜き地蔵」に寄ったり、「大塚」駅を出たあと、都電通りから池袋方向に曲がるところを間違い、迷いかけても、1時間かからなかったですね。そんなで、夜は、西池袋のカフェを会場とした「ZOZOI寄席」に行ってまいりました。「ZOZOI」というのは、マレーシア料理店「マレーチャン」のすぐ横っちょにあるカフェの名前です。この会も、10月に東京に来たときに見つけた会です。客が、20人ぐらいの超ミニミニ寄席です。狙いは、とってもべっぴんさんの貞鏡と小柄で愛くるしい噺家小太郎、今日は、それに「妖怪軍談修羅場読み」なんていうとんでもないものまで付いてきました。その番組は、次のようなものでした。貞鏡「小牧山軍記〜又七郎の初陣〜」、小太郎「やかん」、(中入り)、銀冶「妖怪軍団修羅場読み」。貞鏡は、近くで見ると、ときとして少年のような表情になることもあり、16歳の青年剣士を読むのにはうってつけ。「小牧山軍記」のみならず、修羅場の詰まっている軍団読みを、当面の課題としているようで、その会の宣伝もしていましたが、行けないのが悲しいところです。小太郎も絶好調。修羅場読みに挟まれることを意識してでしょうね、実際に講談の修羅場読み口調が入ったり、修羅場読みの感性で、素早いやり取りの求められる「やかん」をチョイスしたのでしょう。基本的に、根問もののネタ。それを、小気味の良い口演で爆笑を生んでいました。狙い通りの高座を披露してくれました。銀冶は、一鶴の弟子で女流。「妖怪軍団修羅場読み」だけでは、時間が余るというからでしょう、一鶴の生涯を語ってくれました。「妖怪軍団修羅場読み」に入ると、妖怪の名前が、ほぼ妖怪の名前が、次から次へと出てくるだけと言うと、誤解を招きそうだが、ほぼそれに近いので、さほど時間のかかるものではありませんでした。だけど、すごいことを考え、またそれを継いでいくものなんですね。正味1時間半余の会でしたが、ホント聴きごたえのある会で、大正解でした。

11月5日(土)

 東京プチ旅行3日目です。今回は、家の事情で、明日の朝には、東京を発たねばなりませんから、今日が、プチ旅行の事実上の最終日となりませ。今日も、午前中は、時間が空いているということで、美術館巡りをすることができました。今日、行ったのはサントリー美術館。前回も行ったところです。今回は、「南蛮美術の光と影館」という特別展がありました。中でも、神戸市立美術館とに分かれてしまっている「泰西王侯騎馬屏風図絵」が同時に展示されるのが目玉の特別展でした。南蛮人の渡来から始まり、やがて禁教、弾圧・殉教と続いていく日本近世のキリスト教の歴史とともに、図柄も変容していきます。最後は、「踏み絵」のような弾圧下の作品、及び西洋風絵画の手法が残る絵画までが展示されていました。ほぼ日本国内の美術館・博物館から集められた絵画などで展示品は占められていましたが、中に異彩をはなったのが、弾圧下の殉教図3点が、イタリアから持ってこられていたのが記憶に留まりました。弾圧で、国外に逃れたキリスト教徒が、殉教の様子を描いたもののようでした。目玉の「泰西王侯騎馬屏風図絵」はともかくも、有名な「ザビエル像」も観ることができ、満足度の高い展示でした。
 「六本木」から「東中野」経由で、ちょっとだけ「高円寺」に寄ったあと、「吉祥寺」に向かいました。この頃、東京に行くと必ず立ち寄るところの一つです。オペラのDVDを買い漁るのが目的です。しかし、ほぼ収穫なしでした。ただ、こちらの店が最後だったら買うのにというものがあったのですが、まだ大どころには行ってなかったもので、じっと我慢をして、店を離れました。そして、下北沢に移動。今日は、芝居三昧の一日なのです。まず、午後は、「駅前劇場」であった「箱庭円舞曲」という劇団の「いつも誰かのせいにする」という芝居の公演です。この劇団は、劇団探しの網に引っ掛かってきていた劇団でしたので、今回、ターゲットにしました。この芝居、前半から半ばまでが退屈で、何度か目をこすってダウンしないように、我慢の連続。筋立ては、映画製作会社で、新たな映画を一本作ろうというところからスタートとする。かなり財政的にきつく、へたすると、会社がつぶれかねない様子。製作にあたり、監督を誰がするかでもめたり、配給先を確保できるのかという話が入ってきたり、俳優売り込みにプロダクションが売り込み来たりという、映画製作に当たってありそうなことが続けられていく。ただ、ちょっと変わった設定として、会社の周辺では、連日「反日デモ」が繰り広げられている。「反日」と言っても、日本国内での「反日」なのである。詳しいことは判らないのですが、日本の体制に不満な人たちがデモってると説明がありました。映画は、ダメかと言われていたのが、題名を「革命」(但し映画の内容は語られない)にしたため、ヒットしそうになり、また裏情報を流すことで、更なる動員が図られることになったところで、芝居は終わります。そして、題名の「いつも誰かのせいにする」が問われるのです。一人のプロデューサーが、本来指揮を執らねばならない人物に、その問題が投げかけられるのだが、それは、その人物だけではないことが、芝居の中でふられているものだから、日本人全体に投げかけられたものと判る仕組みになっていました。その大詰めに来て、ようやく身がのり出たのですが、そこまでが長かったぁ。
 下北沢から、時間があったので、「代々木上原」に移動。しかし、目的は達成できず、そのまま新宿ヘ移動。買い物を済ませ、食事をすれば、夜の部に頃合いの時間。夜も芝居で、新宿の「SPACE雑遊」であった「競泳水着」という劇団の「いと愛し」という芝居を観に行ってきました。「SPACE雑遊」は、50名ほど入れるスペース。新宿末廣亭から歩いて1分ほどのところ。女性3人の芝居でした。ある音楽家の突然死後、その仕事場で、その娘と秘書が出会うところからスタートします。亡くなった音楽家は、家庭を捨て、妻の友人とできてしまい、娘とは、何年も交流がなかったようです。そこへ、当の妻の友人の娘が訪ねてきます。その娘のコンサート用に楽譜を書いていたということで、その楽譜を取りに来たのです。ここで、実の娘と出会ってしまい、そのことから起こるいさかいなどで、ほぼ芝居は終始するのですが、これで終われば、世間でよくある話風に終わっちゃう、つまらんと思っていたら、最後に、きっちりおもしろい設定を用意していてくれ、ほっとしました。一応観たぞの感を、それで持つことができたのですが、昼の芝居と言い、随分と日常に浸った芝居が続いたものというのが感想です。そういう流れなのかな、最近の傾向は。それとも、そういう芝居に、たまたま当たったのかな? ただ、黄紺の網に引っ掛かってくるほどの劇団ですから、それなりの評価を受けている劇団のはずです。ですから、こういったジャンル、こういった芝居が喜ばれるというわけでしょうから、傾向と言っても差し支えないかなというところです。
 「SPACE雑遊」での芝居がはねると、すぐ近くの「新宿末廣亭」の「深夜寄席」に移動です。芝居が75分と短かったものですから、余裕で、「深夜寄席」に行くことができたのですが、外は雨。幸い早く並べたので、末廣亭の軒下に辛うじて、身を置くことができました。今夜の番組は、次のようなものでした。双葉「一眼国」、小痴楽「浮世床」、鯉斗「新聞記事」、月夢「芝浜」。双葉は女流。一見、体育会系の雰囲気だが、喋り出すと、結構優しい声。お酉様、花園神社、見世物小屋と持ってきて、キレイなネタ入り。田舎系でメルヘン系の話っぷりというのが欲しいところです。東京でも、「一眼国」のような噺をする人がいるのですね。小痴楽は、やんちゃ坊主の雰囲気。そのノリの良さが、高座に反映され、とっても小気味良いのだが、やたら巻き舌を使うのが不快でした。今回は、いい「浮世床」に連続して当たりました。鯉斗は、お坊ちゃん風顔立ちなのだが、元暴走族。「新聞記事」に、今回も遭遇です。ただ、「またか」「阿弥陀池の方がいいのに」と、いつも思ってしまいます。そのためか、ネタが判明して間もなく、ダウンしてしまいました。月夢は、他の3人に比べて、キャリアが違いすぎるとか。「キャリアの違いを見せつける」と言って始めたのが、なんと「芝浜」。これはびっくり。「早朝寄席」「深夜寄席」を通じて、最高の大ネタです。ただ、月夢という人は地味。アクセントをつけるために、気を一杯に入れて欲しいところでも、どうしても物足りない。億劫なのかなぁとすら思ってしまいました。序盤の芝の浜に行くところでも、寒さを強調しないと、噺に抑揚がつかないのじゃないのかなぁ等々、いろいろと考えてしまいました。これで、今回の東京はおしまいです。明朝の新幹線で帰らねばなりません。丸々3日というのは、やっぱり物足りない感じがしますね。特に今回は、芝居を2つ押さえたため、落語会が犠牲になってしまいました。その芝居が、ともに弾けたおもしろさに欠けたため、ちょっと不完全燃焼というところかな。

11月6日(日)

 昨夜、テレビで、リビアのベンガジの民衆の動きを追ったドキュメンタリーが、NHKで放映されていて、とってもおもしろい番組だったため夜更かし。お酒の量も、自ずと進んでしまいました。そのため、朝早く目覚めるかと思っていたのが、当てが外れ、念のためにセットしておいた目覚ましが鳴る直前に、目が覚めびっくり。普段、そないなことがないもんで。身仕度を整えて、品川で新幹線に乗ったのは、8時7分、これだったら、十分に午後の予定に入る前に、家でしなければならないことも、しっかりとできます。なんてことで、今回のというか、今年最後の東京プチ旅行はおしまいです。今日の夕方まで東京にいることができれば、いいものがあるんのはあるのですが、それは仕方ありません。早くて、来年の2月末かな、次に来れそうなのは。これも怪しいもので、間違いないのは、4月の末。その間、連休という連休が見つからないのです。そんなですから、連休があるから、東京と韓国の振り分けすらできないのです、来年は。悲しい話です。だから、来年には、死にたくないよね。

 今日は、午後から法事があったのです。そのための帰洛です。あとは、この間、十分遊んだので、おとなしく家で休息。TRTをかければ、「イーイ・バイラム」が飛び交っています。クルバン・バイラムが始まっています。トルコも連休なのですね。黄紺は、時間があるので、この間の「トルコ・サッカー」の記録を補うのは当然のことながら、冬の「オペラ・ツアー」のチケット手配を完了できました。東京に行っている間に売り出しが始まった歌劇場の分が最終手配となりました。あとは、ホテルの手配です。それが済めば、時間を要した準備も完了です。とにかく、これをするのが楽しいんだけど、そのための時間を編み出すのが大変。今回も、チケット平均価格を40EURO以下に抑えることに成功。ただ、ちょっと値段が上がってるなの印象。ですから、席が上に上がっていってます。




2011年 11月 2日(水)午後 11時 37分

 連休前の出勤日。定時に職場を出て、ちょっとご無沙汰の繁昌亭へ。今夜は、繁昌亭主催の「上方落語台本発掘落語会」があったので、逃すことはできませんでした。これは、毎年公募している落語台本の中で、選外になった作品の中から、演者がおもしろいと思った作品を上演しようという試みです。冒頭に、出演者全員で挨拶のあったあと、本題に入っていきましたが、そのラインナップは、次のようになりました。生寿「商店街活性化大作戦」、たま「自衛隊民営化論」、三風「花幽霊」、(中入り)、花丸「USJ(ユニバーサル・シニア・ジャパン)」、学光「先祖供養」。生寿は、新作初体験。ネタは題名の通り。後半がユニーク。活性化のために、商店街をお化け屋敷にするというもの。全体の仕上がりとしては、駄洒落偏向で、も一つ盛り上がりに欠けてしまいました。あとで三風が言ってましたが、「商店街」という風に限られてしまうと、イメージが制限されるので創作が難しくなるようです。「自衛隊民営化論」は、たまらしいチョイス。自衛隊が、持っている機材を使い、防衛費を稼ごうと、いろいろな事業に乗り出すというもの。陸上自衛隊は、ゴルフ場経営に。そこでプレーをすると、仮想戦闘体験をできるというもの。途中途中に、自衛隊関係でのキーワードを放り込むのだが、客席は、あまり解ってない模様。こうした素材に着目し、独自の味付けをできるのは、たましかいないでしょうから、貴重な口演に遭遇できたものと言えます。三風の「花幽霊」は、独特の雰囲気を持つ、幻想的な落語。ミステリアスな面も持つので、残して欲しいなと思える作品。それに、花の幽霊というものを出したのがユニーク。通常幽霊は動物ですからね。ただ花幽霊が出る物語を、も少ししっかりとでっち上げる必要がありますね。三風が、その辺を手直ししたら、立派な持ちネタになる素地が十分にある作品と言えます。本日の最高傑作は、花丸作品。花丸テイスト満載だったため、かなりの原作をいじった模様。USJ(ユニバーサル・シニア・ジャパン)で巡る5つのパビリオンの中味って「軽業」風味。その二番煎じ的造りがあるためか、いろいろといじり倒したものと思われます。「千早ふる」でブレイクした、花丸の強烈な感性でのいじりが、このネタでも冴え渡りました。「先祖供養」という噺は、詐欺っぽいネタ。先祖供養のため、大判振る舞いをすればいいとか言う欺し役の言葉につられて、実際に供養をする。その宴会風景がメーンのネタ。民謡の掛け声を使った言葉遊び、阿波踊りなどが、供養の場面で出てくるパフォーマンス。ほぼそこだけの噺っていうところ。台本の選考委員の福笑に、阿波踊りが使われているということで勧められた徳島出身の学光の口演でした。




2011年 11月 1日(火)午後 11時 2分

 今日は、秋晴れのいいお天気だったのですが、寝屋川のお気に入りのお店が閉店間際だということなので、そちらを優先させました。冬の旅行だけではなく、春の旅行の準備にも、いろいろと手間暇がかかるため、あれもこれもができないのが現状です。第一、明後日からはプチ旅行も控えてますから、益々時間がないのです。自分自身で、オペラ観て回りを企画し、それの手配をするのは、途方もなく楽しい半面、途方もない時間がかかります。特に各歌劇場のスケジュール確認が大変。夏前に、新シーズンのラインナップを、ウエブ上に公開しているところがあるかと思えば、未だ判らない歌劇場があります。そういった歌劇場の中に、わりかし中堅のそそられる歌劇場があるものですから、まことに始末に悪いのです。とまあ、ちょっとぼやいてしまいました。思い通りのことがどきない恨み辛みです。
 で、寝屋川のお気に入りのお店で、お昼を食べたあとは、「萱島」駅までミニウォーキング。多少は歩いておかないとストレスがたまってしまいます。それから京橋経由で、新今宮に移動。今日は、「動楽亭昼席」に行く日だったのです。この昼席ですが、今月から、1日〜20日と、20日興行となり、米朝一門以外の噺家さんも多く出演されるようになりました。一時そういった時期もあったのですが、最近は、米朝一門で固まっていたので、ネタに変化をもたせるのが主旨と聞きましたが、最近の入りが順調で、すっかり定着したなの印象でしたので、こういった拡大路線が可能になったのだと思います。で、今日の番組は、次のようなものでした。そうば「へっつい盗人」、しん吉「道具屋」、こごろう「強情灸」、ざこば「阿弥陀池」、(中入り)、出丸「酒の粕」、米輔「親子茶屋」。そうばの訛りは、噺に引き込まれていくと、いつしか気にならなくなっていくのですが、今日は、逆で、何でこのネタの盛り上がりが上がりきらないのかと考えると、訛りなのです。喜六のアホさも、笑い声を挟みながら、うまく工夫しているなと思うと、次にはすぐに訛りが気になってしまいました。「道具屋」っておもしろいネタです。昔ほどの頻度では出なくなりましたが、楽しいネタです。しん吉は、わりかし淡白に、声の調子も、わりとフラットに演じてましたが、それだからこそ、ネタの可笑しさが出てたのかもしれません。今日は、なぜかこごろうのところで、ダウンまではいかない朦朧状態に。独特感性のマクラが可笑しかっただけに惜しいことをしました。ざこばは、マクラで、孫のぼやき。そして、やおら「阿弥陀池」に。久しぶりに聴きました、ざこばの「阿弥陀池」。昔のようなテンポの良さはなくとも、また、ネタをくってから上がってないでしょうから、細かな間違い、抜け落ちもあるのですが、可笑しいのです。顔つきや間なんでしょうね。客席の笑い声も、アホらしくてしゃーないという笑い声に包まれていました。今更、「阿弥陀池」で、これだけ笑わせてもらったら、上出来です。出丸は、風邪をひいてることのお詫びから。聴き手からすると、そないに言うほどとは思えないのですが、えらく気にしてました。その辺が、ネタ選びにも繋がったのかもしれません。米輔のネタは、これならと期待していたもの、どんぴしゃでした。その昔、出丸の会で聴いて以来のはずです。派手さ、華やかさ、そういったものとは無縁な米輔の高座でした。
 会がはねたのが、4時10分過ぎ。夜の予定はありませんでしたので、帰るには早いと思い、「天満橋」までミニウォーキングをすることにしました。一心寺経由で谷町筋に出て、そのまま北上。ジャスト1時間の行程です。ですから、今日は、合計1時間半のウォーキングをしたことになりました。なかなか優秀です。




2011年 10月 31日(月)午後 11時 28分

 今日は秋晴れの一日だったのですが、自分的には、寝不足でかなり厳しかった一日。夜遊びに出かけようとすると、人身事故とかで、電車は大幅な遅れ。落語会の会場に行くまでには、一つ用事を済ませておかねばならなかったもので、かなり焦りました。せっかく乗れた電車は、迂闊に途中下車すると、あとからの電車に乗れないと、ちょっと工夫をして、用事を済ませることにしました。どうも最近、電車へのダイビングが多くて、こういったことが、しばしば起こります。で、今夜のお出かけ先は、谷町六丁目の薬業年金会館。今日は、こちらで「笑いのタニマチvol.98〜仁智の新作落語道場〜」がありました。ちょっと間が開いたかなとは思うのですが、優先順位の高い落語会です。その番組は、次のようなものでした。笑丸「日本の芸能」、仁智「源さんの腹痛」、三金「奥野君の祭」、仁智「愛しのバッファローズ」。笑丸のネタは、なんか頼りない。誘い合わせて寄席に行くと、怪しげな芸人が出てくるという噺なのだが、出てくる芸人が、四方八方に話が飛ぶ講釈師と、訛りのある浪曲師だけでは物足りない。難波戦記が、急に歌謡曲になったりするのは、工夫があり楽しめるのだが、浪曲が、あまりに下手くそで、ちょっとなあというところです。三金は、「できちゃった」で発表した「奥野君」もの。だが、「奥野君」シリーズは、粒ぞろいなのだが、外れがこれ。今回も、感想は同じ。前半は、「祭」でなくても通用する「謎かけ」は反則技。後半は、重い奥野君を御輿に担ぐだけの展開。メーンの仁智だが、「バッハァローズ」は、近鉄バッハァローズの歴史を紹介するもので、落語ではありません。逆に、質的にかなりグレードが高いのが「源さん」。前半が、医者によりいじられる源さん、中盤が僧により諭される源さん、後半が再びドタバタのばらしという構成。噺の構造がしっかりとしており、中程の諭されるところが、この噺に奥行きを付けています。仁智のポップな落語に、新たな彩りが加わった秀作です。




2011年 10月 30日(日)午後 11時 19分

  大阪市内遊歩(110)

 2週連続での土曜出勤に、体がついていってないのか、昨夜は、軽い晩酌で、あえないダウン。替わりに夜中に目が覚め、二度寝のために、また一人前の酒を呑む、悪いパターンに入ってしまいました。今日は、降水確率が高いということで、お出かけは、傘を持ってのもの。午後から予定を入れていたため、昨日できなかったウォーキングを、昼前から始めました。午後の予定に合わせてのコース設定のつもりだったのですが、京阪「京橋」駅まで来ると、電車が動かなくなり、急遽、予定変更。結果的に、コースは、次のようになりました。京阪「京橋」駅〜シアターBRAVA〜大阪城ホール〜大阪城〜NHK大阪〜地下鉄「谷町四丁目」〜大阪市立南大江小学校〜久宝寺橋〜難波神社〜三木楽器〜金屋橋〜大野記念病院〜住吉橋〜地下鉄「桜川」駅〜韓国料理店「オール・イン」〜立葉交差点〜「かんじょう055」橋梁〜大浪橋〜八坂神社〜大阪市立三軒家東小学校〜JR環状線「大正」駅。とにかく斜め歩きをして、当初予定していた大浪橋越えを実現できました。ただ今日は、大阪マラソンの日。「桜川」駅のある大通りが、そのコースに入っており、向かいに渡るためには、駅の地下道を通らねばなりませんでした。気の毒なのは、自転車の人。自転車をかついで、階段の昇り下り。女性の方のために、係員が配置されていました。心配した雨は、ウォーキングをしていた時間帯はセーフでしたが、傘を持ってのウォーキングとなりました。
 「大正」から「新今宮」に移動。午後は、動楽亭であった「動楽亭三人会〜落語×浪曲〜」に行ってまいりました。6回目にして、ようやく行くことができました。やはり幸枝若が出ると、客の入りが違います。その番組は、次のようなものでした。幸枝若・小染「万両婿」、小染「三十石」、(中入り)、美恵子「暗闇の丑松」、幸枝若「玉川お芳と御所桜」。最初の「万両婿」は、幸枝若・小染ご両人による掛け合いで進むもの。落語と浪曲のコラボと言ってましたが、浪曲により近いもの。小染も浪曲をやってました。「万両婿」は「小間物屋政談」。なお、このコラボは、以前繁昌亭の小染の会で出されたものの再演。小染の「三十石」は久しぶり。以前、どこで聴いたかまで覚えている印象深い口演だったもの。だけど、今日は、こちらでダウンを喫してしまいました。春野美恵子は、侠客もの。事件を起こした丑松が、3年間江戸を離れていて、恋女房会いたさに、江戸に舞い戻ってくると、その女房は、遊女となっていた。丑松が捕まったのを救うために金が要ると言って騙されてしまっていたという、なんとも言えない暗〜いお話。幸枝若は、貫禄のトリ。主人公は、大関に遺恨を持たれ、張り殺された行司の娘と叔父。生きていくことができずに、吉原に身を沈めていた娘を身請けをした叔父が、養子縁組を結び、娘の婿を世話しようとしたときに明らかになったのが、遊女時代に将来を誓いあった御所桜の存在。それが有名になったために、次の事件が起こる。贔屓筋同士の意地のはり比べで、御所桜とライバルの大関を、婚約者の娘の仲介で喚び勝負させることになるのだが、そのライバルの大関こそが、行司だった父親の仇という仕掛けなのです。玉川お芳というのは、女侠客風情の女。最後の方でちょろっと出てきて、事情を知り、御所桜側に立ちます。よく解らないところです。恐らく、長い物語の一部なんでしょう。そして、肝心の勝負は、幸枝若のネタでの常套手段、言わないで終わりました。幸枝若は、滑稽な語りが入ってこそ、その真価を発揮します。正に、今日のネタは、うってつけのものでした。
 「動物園前」から「日本橋」へ移動。5時半開演という中途半端な時間から始まった「第1回道頓堀 太郎寄席」に行ってまいりました。場所は、「道頓堀ZAZA」でした。こちらは、今月から始まった新しい落語会。その第1回目の主任が文三で、今月は、文三の希望で、3日連続で開かれ、今日は、その3日目だったのです。その番組は、次のようなものでした。文三「刻うどん」、南青「木津の勘 助」、文三「桃太郎」、(中入り)、文三「莨の火」。文三の前2席は反則です。「刻うどん」と「桃太郎」を並べてはいけません。ともに、前座ネタ扱いになっているからです。「刻うどん」は、冒頭に都々逸が入る省略なしのパターン。そして、おもしろかったのは、文三の演じ方が、随分と変わったという事実。はしゃいではしゃいで大騒ぎ系が増えている昨今、こないな静かな「刻うどん」は聴いたことのないもの。そうしなくても、二人のキャラ作りがうまいだけではなく、それを、我々客に埋め込む術が解っているため、静かな口演で、笑いをきっちり取れるのでしょう。すごい進化です。「桃太郎」の方は、逆に平凡。おまけに、息子の解説部分を、半ばで切り上げ、常と同様のオチを付けて下りました。「莨の火」が出そうだなとの予想が当たってしまいました。もっと手持ちのネタを聴きたかったというのが、正直なところです。そないなことがあったのでしょうか、途中、うとうと。先日の八方と比較して、気になっていた籠屋に対する物言いは、やはり文三版にはありませんでした。八方オリジナルな台詞が入ったことが判明です。おぼろげに感じたことは、伊八のテンションの高さ。文三は、テンションが上がると、かなりの高音になり聴きづらくなってしまうのですが、ちょっとその傾向。「刻うどん」の抑制された口演がなつかしく思えてしまいました。ゲストは南青くん。おなじみの「木津の勘助」ですが、落語会で聴くのは初めて。落語会を意識してでしょうね、随分とくさく演じてました。営業用の顔ってところなのかな?




2011年 10月 30日(日)午前 3時 51分

 昨日は、午前中は通常勤務。せっかくの秋晴れの土曜日なのに、悲しい話です。勤務が終わると、京都に向かいました。一昨日まで、大阪で行われていた「ブラジル映画祭」が、京都シネマに移動したおかげで、先週の土曜日、急に出勤を余儀なくされ観ることのできなくなった「クリパチ0度C」を観ることができました。この映画は、基本的にクリパチに住む4人の男の物語が個別に進むという、オムニバス形式の映画です。誤って盗難車を仕入れ警察沙汰になり、なんとか金で解決しようとしている車のディーラー、子どもまである女との関係を女の親に認められないでストレスを溜めているとき、偶発的に口論となった男が銃で誤って人を殺してしまい、その関係者ということで会社をクビになったメール便配達人、偶然街角で出会った田舎から出てきた家族に同情して、その家族を自分の家に泊めていたある日、自分の運転するバスお後乗りをした少年を殴り、郊外路線へ左遷されたバスの運転手、貧しくて子どもの病気に、満足に医者になかなか診せられず、診せても薬代のない廃品回収業の男、この4人の物語が語られます。そして、この4人が、同じ雨の降る夜に、人生の転換期を迎えます。この内の2人の男が逢います。廃品回収業の男とディーラーです。ディーラーは、自分の境地を言葉にする機会をもらったことになります。廃品回収業の男は、一つのアクションを断念することになり救われます。あとの二人も出逢わせて欲しかったのですが(出逢わせないのが映画の趣旨には合っていますが)、そうはさせずに、バスの運転手は、路線が変わったことで幸運に出逢います。メール便配達人の方は、自力で一つのアクションを断念します。しんどいことに直面したときの問題解決の様々なパターンを、4人の転換期の迎え方で示してくれています。そういった意味で、ホントに素晴らしい作品です。寒い夜、冷たい雨の降るクリパチでの物語です。いい映画に出逢えました。




進む メイン・ページ 戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送