忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


「黄紺のお部屋〜紀行編〜」



2013年 5月 26日(日)午前 0時 47分

  大阪府守口市(56)〜大阪市鶴見区、城東区

 今日も、明るくいいお天気。但し、気温は相変わらず夏と変わらないほど。この週末は、控え気味だったウォーキングに精を出そうなんて考えているのです。ぴりっとくる脹ら脛の痛みがおさまっているのでね。まず午前中に、ウォーキングをする時間を作りました。今日は、夏のような陽気になってから初めてとなる鶴見緑地を狙ってみました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。京阪「守口市」駅〜インド・ネパール料理店「レスンガ」〜方廣寺〜極楽寺〜守口市立南小学校〜鶴見緑地〜大阪市立鶴見商業高校〜鶴見北中央公園〜鶴見幼稚園〜鶴見菊水幼稚園〜南今福公園〜大阪市立今福小学校〜極楽橋〜地下鉄今里筋線「鴫野」駅。今日は、鶴見緑地をめざして正解。バラ園の様々なバラが、いずれも満開。ちょうど週末に当たりますから、これをめざして来た人たちなんでしょうね。カメラで接写をしたり、写生をしている方もおられました。そないな風景を見てから、今が、鶴見緑地のベストシーズンの一つだということを思い出しました。何度も、ウォーキングで立ち寄りながらです。うつけた話です。大風車の前のサルビアは、ちょっと峠を過ぎたかなという具合でした。そして大風車ですが、順天のガーデン・エクスポにあるのより大きいことを、確かに自分の目で確認しました。それでどうだという問題ではないのですが。そして、鶴見緑地を西側へ出て、「蒲生四丁目」ないしは「鴫野」を目指すのが、本日のコース設定。あわよくば「緑橋」までと考えていたのですが、それは欲張った考えでした。
 「鴫野」から「今里」経由で「日本橋」に移動。千日前の、いつもと違うネットカフェで休息。最近のことを考え、昼の部に行く前に、身体を休める時間を作りました。少し眠ったみたいで、この時間が大正解。このあとの講談会ではダウンすることはありませんでした。その講談会は、「徳徳亭」であった「」です。公演が、昼間に移ってからは初めてとなります。ちょっと廻り合わせが悪かっただけです。その番組は、次のようなものでした。南舟「荒浜藤蔵」、南青「婿引出」、(中入り)、南青「高橋お伝」。「荒浜藤蔵」は「水戸黄門」もの。居丈高な男が、手下を連れて、好みの人妻にちょっかいを出そうとするのを、黄門様が懲らしめるというもので、話が小さいので、あまり好きではないネタです。やっぱ、黄門様は、巨悪を懲らしめてくれる方が痛快です。「婿引出」は、徳川に父と兄を討たれた池田某に徳川との仲をとりもつために、家康の娘徳姫との結婚が整うが、池田某は、徳姫を見向きもしないところ、ある日野駆けに出かけた池田某は、急なる雷雨に遇い、逃げ込んだ先が徳姫の屋敷。ここで初めて夫婦が顔を合わせたところから、両者のわだかまりが氷解していくというもの。なかなかおもしろいネタです。もちろん「太閤記」からの一席。普段、あまり出ない方の部類に入るネタです。「高橋お伝」は、以前、「講談毎日亭」で、南青くんが、1週間続き読みをしたもの。それを45分くらいだったかな、そのくらいにまとめただけに、どうしても無理が出ます。ガマ半こと広瀬半右衛門が、伝の実父であるくだり、及び伝が実父殺しに至る背景の部分に、南青くんの勢力が注がれてしまいました。伝の抱える恨みを描くのに、時間が注がれました。そのため、その恨みを果すに至る実父殺しの場面が、ちょっと軽くなってしまいました。この辺が難しいですね。
 講談会が終わると、今度は、近くのおなじみのネットカフェへ。2時間ほどの時間調整ののち、四ツ橋線で「肥後橋」へ。ちょっと歩いて、夜は、「ABCホール」であった「スクエア」の公演「楽園ジゴク」に行ってまいりました。スクエアという劇団名で判るように、元々男4人のユニット。そこへ新人4人が入り、今回は、更に女優2人をゲストに迎えての公演。いきなり首吊りの現場からスタート。そこへ、借金を借りに来る男。ともに絶望状態。それを救ったのが隣室の女。自分の過去を語り、自分を救ってくれた「楽農の園」と呼ばれる集団生活をして農業を生業としているグループの家。一種の疑似家族として、太陽を敬い、集団としての規律を守りながら生活している人たち。絶望状態の2人は、そこに住むことになるのだが、その内の一人が違和感を感じだし、この集団からの決別を言い出します。その男の違和感から見えてくるもの、即ち、主体性を忘却し集団のなすがままに暮らす快適さとともに、主体性の欠如による可能性の否定を描きます。心に傷を負い、考えることに疲れた人たちには、前者は快適に写ります。しかし、主体的に生きようという芽が出てきたときには、手枷足枷となっていき、自ら可能性の芽をも摘み取ってしまうことになるのです。そないなことを、集団生活をする人々の言動を通じて描こうとしています。この集団、軟らかい、ソフトタッチな縛りで終始しています。主体性を放棄することで安寧を得ている人たちを描こうとしているからでしょうが、これがハードな縛りとなってくると、テーマは一挙にファシズムとなってしまうのでしょうね。でも、この芝居は、そないなところまで言っていないで、現代人の病理的世界を舞台化したっていうことでしょう。ただ、ソフトタッチの拘束こそがテーマだとしたから、漫画チックになってしまってました。陳腐な感じも持ちました。役者陣は、相変わらず達者そのものですが、今回は、山本禎顕と上田一軒が引き気味の位置取り。北村 守主演、森澤匡晴助演という役回りでの進行でした。




2013年 5月 25日(土)午前 6時 51分

  大阪市内遊歩(165)

 昨日は、また夏のような一日。週末の3連休が始まりました。その一発目は、先日から追いかけていたインド映画の最後の作品「きっとうまくいく」を観に、「梅田ガーデンシネマ」に行ってまいりました。このあと心斎橋でも上映があるのですが、待ちきれなくて梅田の方を選んだのですが、結構な入りにびっくり。しかも、インド映画には無縁だと思っていたおばさま族がえらく詰めかけていました。時の移り変わりなんてものを、肌で感じてしまいました。そのわけは、観てから判りました。とにかくおもしろいのです。口コミで広がってるのでしょうか。平日の昼間にしては、本当に結構な入りでした。インド映画ですから判り易いです。話は、3人の男プラスαの青春グラフィティです。大学の寮で同室になった3人。一人は、カメラマンになりたかったのだが、親の意向で理系大学へ。もう一人は、家が貧しいなか大学に入るが、成績が良くない。おまけに、自分の弱さに向き合わず、常に神頼みでそこそこの努力しかしないという性格の持ち主。3人目が主人公の男で、権威主義、点取り主義に反感を前面に出し、いつも学長と対立している。その3人と点取り主義者で出世ばかりを考えている男4人が、大学卒業後10年での再会を約束していた、その10年目の日一日の物語が、この映画。約束した男たちが会いに集まってくるが、主人公が来ないので、それを探しつつ、10年前の学生生活がフラッシュバックしながら、映画は進行していきます。が、途中で、大変な秘密が明らかになっていきます。来なかった男の居場所には、名前は同じだが別人がいたのです。あの男は一体誰で、今、どうしているのかも含めて、大学生活後半の出来事へと、フラッシュバックしている物語もクライマックスにと入っていきます。主人公の男が恋をしたら、その相手が、敵役の学長の娘だったり、その娘が医者と役柄設定であることが、いろんなところに関わってきたり、その彼女の姉が妊娠中だったり、一番の点取り主義者の男が、10年後には成功を収め、ちょうど約束していた場所にも、仕事での出張がてら寄って行ったりと、小さなプロットが、全てと言ってもいいと思いますが、筋立てに活かされています。他愛のない人間の生き方を問いかける筋立てですが、そういった構成が素晴らしいものだから、心に響いてしまうのでしょうね。笑って泣いて、時間が経つのが惜しいほど惚れこんじゃいました。お薦めの一品です。
 映画が終わると、もうその足でウォーキングをスタート。夜の部まであまり時間のないタイトななかのウォーキングでした。昨日は、梅田シティから歩けるということで、淀川区から西淀川区へ回り、夜は繁昌亭でしたので、終点は東西線の「御幣島」駅と決めて、それに合わせたコース設定としました。その詳細は次のようなものになりました。梅田シティ〜新十三大橋〜大阪府立北野高校〜大阪市立新北野中学校〜JR「三津屋街道」踏切〜三津屋公園〜大阪ガス神崎川供給所〜大阪市立美津島中学校〜神崎川左岸〜香具波志神社・かぐはし保育園〜加島北公園〜韓国食材店「竹山商店」〜JR「とうかい236」橋梁〜竹島南公園〜大阪市立香簑小学校〜西淀川警察署〜JR東西線「御幣島」駅。歩き出しの梅田シティから新十三橋は、10分ばかりで行けますから、「御幣島」へは、淀川を渡ってからすぐに左折して、姫島とか福を目ざして時計回りに迂回して入るか、そして、実際に歩いたように、神崎川を目ざし、神崎川が蛇行するのに沿って、即ち時計回りとは逆回りで向かうかの選択でした。加島方向は、行く機会がさほど多くはないということで、そちらのコースを選択することにしたのですが、神崎川の堤防の上を走る道には、結局出られず終い。とんでもない迂回をしなければならない道に出てしまったり、時計を見て無茶になるかと思い諦めたりと、どうも縁がありませんでした。ようやく最後、神崎大橋の袂で入ったのですが、時既に遅しでした。気温は高かったのですが、日本らしくない乾いた空気のため、汗でぐっしょりということもなく爽やかなウォーキングとなりました。
 「御幣島」駅からは、東西線一本で「大阪天満宮」駅へ。もう休憩する間もなく繁昌亭へ直行。昨夜は、「第2回はなしか宝塚ファン倶楽部」がありました。昨年、大きな反響と支持を得た会が戻って来たのです。その番組は、次のようなものでした。染雀「もぎ取り」、花丸「宗論」、生寿「ヅカ丁稚」、あやめ「男装エレジー」、生喬「ヘビーヅカテーション」、(中入り)、花詩歌グランドロマン「ベルサイユのバラ名場面集」。前半は、仕方なくというか、ま、義務的に落語のお時間。でも、それらが、全て宝塚にかんでいるというのがミソ。そうじゃないはずの染雀までもが、宝塚を入れたので大喝采。もぎ取りの中で、「タカラジェンヌ」を入れたのでした。花丸の「宗論」は、事実上の新作。神職の家に生まれた息子がキリスト教徒というぶっ飛んだもの。その中で、当然、宝塚風歌唱が入ってきます、当然。生寿が奥深いところの出番をもらったと思うと、そのネタ、もちろん新作ですが、「蔵丁稚」のパロディ。生寿は、「蔵歌劇」という題を付けてやっていたそうですが、あやめに「ヅカ丁稚」に変えられ、これからは「ヅカ丁稚」で行きますと言っていました。この辺りが、あやめと生寿のセンスの違いでしょう。納得です。もちろん歌舞伎好きの丁稚ではなく、宝塚好きの丁稚がしくじる噺です。あやめの新作は、男役の元タカラジェンヌが、再就職をして箒屋の倉庫担当になるというもの。タカラジェンヌから連想されるイメージをうまく使ったネタに仕上がっていました。さすがです。あやめは、このネタを聴いていて、やっぱイマジネーションが豊かだということです。タカラジェンヌの持つイメージをピックアップをして、次に、そのピックアップ要素から生まれるイメージをイメージするという2段階のイマジネーションが決まるということなのでしょう。生喬は、大晦日恒例の会で披露する生喬にしては珍しい新作の再演。黄紺は、大晦日は日本にいないので、去年の「ヅカタツ」に続いて、この会で初遭遇なのです。今回は、噺家入門にまつわるありそうでなさそうな噺。もちろんありそうなのは、生喬の門を叩いた場合ということでしょうが。宝塚のメニューをこなさないといけない弟子修行を描きました。そして、後半がメイン。この日の噺家さんがやりたく、客が待っている舞台。衣裳はあやめの担当、それがまたよくできている。お囃子のはやしや香穂さんも加わりのお舞台。だけど、やっぱ宝塚は女性が似合います。あやめ、香穂さんのお姿が、一番決まってました。単に、お二人がスリムだったからだけかもしれまえんが、生寿の体型でも不似合いでしたから、やっぱ女の園なんでしょう。大まじめな生喬、テレの入る花丸、目元が妖しい染雀、強烈な個性を堪能できる会でした。




2013年 5月 23日(木)午後 11時 14分

 今週に入って、ここまでずっと夜遊びなしの生活。晩酌をしながら食べ過ぎたようで、ちょっとの間に太ってしまった感じ。僅かな変化も気になる今日このごろ、今日は、しっかりと夜遊び復活です。行き先は「應天院」。今夜は、こちらで「カンセイの法則」の公演「田舎に住む人たちR」を観てまいりました。以前一度だけ、この劇団のアトリエ公演を観に行ったことはあるのですが、本公演に行くのは初めてという劇団でした。芝居のスケールが違うのを、これで2回観たことになりましたが、印象は同じものでした。とっても達者な役者さんたち。台本は、日常のスケッチを描くことで、人々の心情のおかしさ、強さ、弱さ、感動、そういったものを導き出そうというポリシーと看えました。ただ取り上げる素材が、あまりに小さなものであったり、ステレオタイプ的な処理というきらいがあるなの印象です。今回も、仕事がなく暇をもて余している村の観光課が舞台。やり手の町長により事業仕分けの対象になり、廃止の運命に。ところが、のんびりとした観光課は、村民の憩いの場でもあったために、廃止の撤回を求める運動が盛り上がる。ちょうどその頃、休暇で釣りにきた男二人が、この騒動に遭遇し、村民らの素朴な心根に触れ、その観光課廃止を撤回させるべく、村の観光地作りに協力していくというもの。その中で、その東京から来た二人の男が、「人間、何のために働くのか」を自問し続けるという、ちょっとしたメッセージを込めながら、ストーリーは展開していきました。その辺が、かなり陳腐なもので、観ていて結構恥ずかしくなりました。松竹家庭劇の現代版を観ているようと言えば、松竹家庭劇には失礼かもしれません。客演陣も個性的なんだけど、めざしているところに付いていけない劇団は、わりかしあることはあるのですが、この劇団も、その仲間入りだなと、ちょっと見切りをつけたい気分。役者陣が上手なだけに、劇団のコンセプト自体に課題ありというところでしょうか。




2013年 5月 22日(水)午前 4時 2分

  京都市内遊歩(39)

 一昨日の月曜日は、迷ったあげく家へ直行。夜遊びに迷ったときは、帰るという選択をするようになってきました。
 昨日は、朝からメトロポリタン・ライヴ・ビューイングを観てきました。今シーズンのラストで、ヘンデルの「ジュリアス・シーザー」が出ました。バロック・オペラの上演が増えてきていますが、メトでも、昨年の「ロザリンデ」に次いで2度目となります。この「ジュリアス・シーザー」は、メトでは新演出となっていますが、グラインドボーンのプロダクションをメトに持ってきたもの。かなりの評判のプロダクションだったようで、出演の歌手も、そのようなことを言っていましたし、DVDになっているプロダクションだとか。確認しましたら、確かにありました。評価も、かなり高そうです。確かに観ていて楽しいのです。バロック音楽が、まるでポップな音楽に聞こえてくるような演出になっています。クレオパトラのナタリー・デセイなんか、コロラトゥーラのアリアを歌いながら、ブロードウエイばりのダンスをしたり、ニレーノというコルネーリア(ポンペイウスの妻)の侍従のダンスなんか、おかまちゃんテイストのダンスになっています。この2つのダンスは、3人で踊るのですが、歌手と2人のダンサーなんでしょうか、いや歌手、いや役者、とにかく芝居ができ、そして踊るのですから、ダンスの時も表情豊かで。ニレーノをファニーなおかまちゃん風役柄にしていますから、あとの2人も、その演技、ダンスを要求され、それに見事に応えるのですから、すごいです。また、バロック・オペラは繰り返しが多いのが特徴です。歌手のインタビューを聞いていると、装飾音の付け方で変化をもたせているとか、となれば、演出面でも工夫は、当然の如く行われます。アリアを歌う歌手というよりか、周りに歌わない歌手を残し、そういった歌わない人を動かします。オペラを観ていて、いいプロダクションかどうかの目安の一つは、この歌わない人を、どれだけ動かせるかだと思っている黄紺は、このプロダクションには大拍手です。そして、ダンスの振り付けが、ちょっとインド映画の振り付けを思い出させるもの。それにより、エキゾティズムが出てきます。このプロダクションは、時代設定を、植民地時代に移してはいるので、「古代エジプト」のイメージから解放されているために、そういった手法が可能になっているのでしょうね。計算し尽くされた舞台、ただならぬものを観ているぞの雰囲気が、徐々に出てきました。大胆な演出に欠け、とっても保守的なイメージの強いメトで観た最高のプロダクションと言っても過言ではありません。歌手もナタリー・デセイはもとより充実。カウンター・テノールが3人も出ます。デイヴィッド・ダニエルズ(シーザー)、クリストフ・デュモー(トロメーオ)、ラヒド・ベン・アブデスラム(ニレーノ)です。アリス・クート(セスト)がズボン役、パトリシア・バードン(コルネリア)の気の入った歌唱も魅力的でした。
 「ジュリアス・シーザー」が終わって外に出ると、ほとんど5時間経っていました。予定では、夜に映画を京都で観ることにしていたのですが、さすが映画疲れをしてしまい、この段階でギヴアップ。ウォーキングをして、まっすぐ家に帰ることにしました。そのウォーキングのコースは、次のようなものになりました。MOVIX京都〜京都市立高倉小学校〜御射山公園〜京都東洞院仏光寺郵便局〜京都市立下京中学校〜左女牛井之跡碑〜聞法会館〜島原〜京都市中央卸売市場〜梅小路蒸気機関車館〜梅小路公園〜京都水族館〜芹根水の碑〜京都市立安寧小学校〜「烏丸七条」交差点〜七条大橋〜京阪「七条」駅。コースの中での大ヒットは、島原へ行けたこと。京都に住んでいながら、島原に行ったのは、これが初めてです。噂には、僅かしか残っていないとは聞いてはいましたが、その一つも見てなかったのです。ですから、島原大門まで何mという表示を見たときには。確かにあまり残っていません。お茶屋として保存されているのは、「角屋」と「輪違屋」だけでしょう。それらしきものはあることはあるのですが、看板が上がってないもので判断に悩みます。角屋なんかの構えとは違いますから。西門は礎石だけでした。島原からあとが大変。七条通に出たのはいいのですが、そこから東福寺を目ざそうと、すんなり大宮通へ行けば良かったのですが、新千本通に入ったために、どんどんと西大路通へと向かってしまうため、それではタイムオーバーになってしまうので慌ててしまいました。仕方なく、七条通に戻るという前提で歩かざるを得ませんでした。ま、うまく立ち回れば、それからでも東福寺まで行けたかと思うのですが、ちょっとうろが来てしまいました。鉄道があると、なかなか難しいということの再確認ができました。




2013年 5月 19日(日)午後 7時 34分

 この1週間の音楽会シリーズの最終日、雨のなか「びわこホール」まで行ってまいりました。マーラーのシンファニーの2番「復活」が出たのです。4月に大阪で出たときには、東京へ行ってたためダメだったので、待望の音楽会だったというわけです。指揮の篠ア靖男が滋賀に縁があるということで、毎年行われているコンサートで、問題の「復活」が出たというわけです。大合唱団、エキストラで、パーカッションや金管から木管楽器、何から何まで補強しなければなりません。ティンパニーは実に3台、コントラバスで11だったかなぁ、ホルンは角度が悪く、正確に数をチェックできませんでしたが8つはあったはずです。更にバックステージにも、金管だけではなくティンパニーまで置かれていたからびっくりです。コーラスも、ざっと眺めた目分量で180人と看ました。ひょっとしたら、それ以上だったかもしれません。舞台上には、300人を超えてたのじゃないかな。オケピットを蓋をしても、いっぱいいっぱいでした。最終楽章にはオルガンも入りますから、2台並んだハーブの横に用意されていました。1楽章冒頭のチェロのトレモロが、曲の行方を左右する重要な場面。これをよく鳴らすと、またオケもよく鳴ると、一気に客に好かれます。掴みの大きな曲。今日は、ここだけではなく、京響がよく鳴ってるなの印象を持ちました。マーラーの曲には、レントラーがよく用いられます。1番しかり、9番しかり、この「復活」もそうで、曲想に豊かさをもたらします。その柔らかな、明るさのあるメロディーが、厳しい音の続くこの曲に彩りを添えてくれます。今日も、こちらでまどろみを覚えましたから、なかなか良かったんじゃないでしょうか。4楽章に入ると、メゾソプラノのソロが入ります。今日は、松本美和子の娘アンナ・クオが担当。スープレット役が天下一品だったお母さんとは違い、こちらはメゾソプラノ。でも、「復活」のこちらの楽章は、アルトっぽい方がいいですね。5楽章の冒頭で、バックステージからティンパニーを加えて金管が鳴ると、アカペラでコーラスが始まります。いよいよ壮大な終楽章。「復活」が起こるというわけです。舞台上の300人が、一斉に指揮者の下、気を合わさねばならないところ、、、。今日は、壮大な曲に魅せられる一方で、合唱の粒の粗さが気になり出しました。更に300人が動くのは、いかに大変なことかと思わせられる状態へ。そんなですから、300人のパワーにならないのです。ちょっと最後に来て、ぐらっと来てしまいました。でも、「復活」は、簡単には聴けないのです。聴けた嬉しさの方が勝ちました。




2013年 5月 19日(日)午前 5時 56分

  大阪市内遊歩(164)

 この2日ほどは、気温は落ち着いていたのですが、昨日は、また夏になってしまいました。まず、昨日は、「文楽劇場」であった「浪曲錬成会」に行ってまいりました。チケット入手に苦労した会です。その番組は、次のようなものでした。真山隼人(真山幸美)「大塩平八郎」、春野恵子(一風亭初月)「お夏清十郎」、幸いってん(沢村さくら)「清水の小政少年時代」、菊地まどか(岡本貞子)「壺阪霊験記」。関西の若手4人が揃うと壮観です。真山隼人くんは、昨年に次いで2度目とか。「大塩平八郎」は、浪曲では初めて。貧民を救うところ、そして米倉を襲い、自らお縄になるところと、前後半にぶち切れてしまうまずい構成は、浪曲の宿命とは言え、なんとかならないものか。恵子さんの「お夏清十郎」は久しぶり。これも、前後半ぶち切れヴァージョンが、前から気になっているところ。乳母からお夏の兄が、清十郎とのことを聞き出すくだりと、清十郎処刑後のお夏の狂いのくだりにぶち切れているのです。しかも、特に狂いの部分に、恵子さんの苦手な高音がたくさん出てくる。昨日は、あまり調子が良くなく、いつも以上に高音に苦労されてました。幸いってんは、得意の師匠譲りの滑稽ネタ。ただ、こちらはぶち切れてない分、余りに単調ネタになってしまってます。石松と旅の途中に出会った孝行ものの子ども、これが少年時代の小政。将来の夢を尋ねられ、次郎長の子分になることと、本人の前で答えてしまうということだけの話、まとめてしまうと。ただ、少年小政と次郎長との滑稽なやり取りが楽しい。幸いってんが復帰して、こうしたネタを伝えていってもらえのが、何よりも嬉しい。菊地まどかは、やはり声の伸びが群を抜いています。真山隼人くんの声が、いくら優れていようが、やはり菊地まどかには及びません。「壺阪霊験記」は、師匠小圓嬢の得意ネタ。浪曲特有のおいしいところ取りネタです。沢市が身投げの覚悟を決め、嘘をついてお里を家に帰すところからクライマックスへと入っていきますが、このネタは、おいしいところ取りに、とっても向いているネタと言えます。この会は二部制ですが、浪曲はネタが多くないので、またどこかでかぶってしまうことが予想されるため、第一部が終わったところで引き上げることにしました。
 文楽劇場を出ると、そのままウォーキングに移行。久しぶりのウォーキング。夏の雰囲気たっぷりでしたので、着替え持参としました。この季節のウォーキングが、殊の外好きな黄紺なのです。そのコースは、次のようなものでした。国立文楽劇場〜南海「難波」駅〜中国東北料理店「東北食堂」〜大阪市立浪速スポーツセンター〜長尾谷高校ナンバキャンパス〜韓国料理店「BINGO」〜大阪市立大国保育所〜大阪市立大国小学校〜JR「かんさい076」橋梁〜韓国料理店「青屋根」〜大阪市立梅南小学校〜大阪市立梅南中学校〜大阪市津守下水処理場〜南海汐見橋線「津守」駅〜大阪府立西成高校〜木津川水門〜木津川橋〜大浪橋〜JR「かんじょう050」橋梁〜岩松橋〜大阪ドーム岩崎港〜岩崎橋〜大阪市バス「大正橋」」停留所。脹ら脛の筋肉に異常が出るのが最近の常。それにびびりながらのウォーキング。大正区を目ざし、再度難波に戻ってこようということで考えたコースは。わりかし慣れた道筋。ですから、少しずつずらすことを考えても、また知っている道に入ってしまう。ま、それだけウォーキングの回数が増えたということでしょう。ところが、それにつけても道に迷いかけていまいました。木津川橋の渡り口に入る道は、随分と慣れているはずなのに、川縁の道に入ってしまい、引き返さねばならなくなってしまいました。最後は、時間が余ってしまい、岩松橋から岩崎橋へと回ってから大正駅前へと出ることになりました。
 「大正橋」から、バスで「難波」に移動。昨日も、千日前のネットカフェで時間調整をして、その後、歩いて10分ばかりのところにある「ウィングフィールド」であった「dracom」の公演「たんじょうかい」に行ってまいりました。関西小劇場界の著名な作家の短編を、この劇団の主宰者筒井潤が演出をするという試み。まず「突撃金魚」の座付作家サリngROCKの作品「スカートにバター」。若い夫婦のすれ違いを描いた作品。自分の世界にばかり目を向け家事に精を出さないにしては、拘束されていると感じている妻、せめてもの最低限の家事を求める夫との間のすれ違いを描きます。内容が単調と看たのでしょうか、棒読み台詞や漫画チックなアクションを求めたりで、かなりの演出側のテコ入れを感じてしまいました。サリngROCKの作品、平易に平凡になったなの印象を持ってしまってます、最近。次いで、「空の驛舎」の座付き作者中村賢司の作品「床の新聞」。亡くなった母親の家の処分を前に、荷物整理にやって来た兄弟夫婦のすれ違いを描きます。そのすれ違いを描く手法が秀逸。お互いの台詞をかぶせるという手法。観ている方からすると聞き取りにくいので、かなりストレスが溜まっていきます。それが、登場人物の抱えるストレスなんでしょうね。そういった意味では、芝居としては成功です。ただ、作家の指示なんでしょうか、その台詞法。それとも演出の判断なのでしょうか。演出家の判断なら、芝居としては、あまりに平凡です。ここまでで、正直、観ている方として、かなりしんどくなってきていました、正直言って。期待のわりには平凡な台本、演出の妙と言っても、かなり技をわざとらしく披露していると感じたからです。案の定、次の桃園会主宰の深津篤史の作品「コイナカデアル。」が、風呂桶の中で生活するというなんてので始まったときに臨界点に達したようで、居眠りをしてしまいました。うーん、きつかったなぁ。こないなこともあるってことですか、、、。




2013年 5月 17日(金)午後 11時 36分

 危ないかと思っていたのですが、今日は既定通り非勤務日。予定通り、久し振りの民族学博物館に行くことできました。今、民博では「マダガスカル 霧の森のくらし」という特別展が行われているのです。近年、マダガスカルはオーストロネシアの西の到達点とされていることで、とっても気になっていたところ。それが、こないな特別展で知ることができるとは、まことにありがたいことです。民博様々です。「霧の森」と銘打たれたのは、マダガスカルの東部は、貿易風の影響を受け、雨がよく降るのですが、中部の山岳地帯は、その残りの水分が霧となるということで、その山岳地帯に住む「ザフィマニリ」という民族の生態を、今回はテーマとしたということで、そないな副題が付いたようです。展示の主たるものは、彼らの工芸品。但し、家屋も含めての工芸品でした。中でも、目玉となったのは、世界無形遺産にも登録されている扉の木彫作品。初めての国外展示だそうです。木彫の中で驚いたのは、大きなナタ一つで、小ぶりの腰かけを作る技術。製作実演もありましたが、日本人の方でしょうか、「私はできません」と、ノミを使っておられました。そういった伝統的な技の紹介とともに、観光との両立というのも、今や民族学のテーマのようで、木彫作品に使われているデザインが、観光化が進む中で変容していってることの指摘、展示もありました。この民族、水田を、しかも見事な棚田を持っています。山岳地帯に住む人たちですから、ありうる話であるわけですが、これは、アジアから流れてきた証拠かと色めき立ったのですが、残念ながら、これは20世紀になってからのようで、基本は焼畑だそうです。焼畑は男の作業、種蒔きは女の作業のようです。その間に踏み耕という耕し方をするのが、これまた伝統的手法とか。土を踏んでいくことが耕すという作業だそうで、これは初耳のことで、本日のびっくりでした。ということで、貴重なものを観ることができたのですが、オーストロネシアに入るというのは、1ヶ所、それについてのパネルが用意されていただけで、今回の展示の主旨はそこにあらずという点は、自分的には、ちょっと外された感じを受けたのですが、それはあくまでも、勝手な思いなしですから致し方ありません。
 いつものように、民博を出ると、阪急「山田」駅までミニウォーキング。今日は、最近頻発している脹ら脛の異常に悩まされながらも歩くことはできたのですが、さすがに30分では歩くことができませんでした。そして、一気に「日本橋」まで移動。千日前のおなじみのネットカフェで、今日も時間調整。夜は、更に「恵美須町」駅近くまで歩き、カフェ「イルミタイ」であった「イルミタイ講談会」に行ってまいりました。南湖さんがやっておられる講談会で、今日、初めて行くことになりました。「猫騒動」ものを読まれているので、以前、「講談毎日亭」で読まれたことがあったものですから、ちょっと避けていたのですが、こちらでの講談会が、カフェの閉鎖とともにできなくなるということですので、一度覗いてみたくなったのでした。番組は、「太閤記〜大徳寺焼香場〜」「鍋島猫騒動」の二席でした。「大徳寺焼香場」は、最近、南湖さんが、いろんなところでかけられているもの。6月の「トリイ講談席」は、これをメーンに据えた番組が組まれているので、それまでは当たりたくなかったのですが、当たってしまいました。信長の葬式での焼香順をめぐり、信長の遺子同士、また家来同士が、腹の探りあいをするなか、信長の長男の遺子を担いで、まんまと秀吉が、一番に焼香をしてしまうというもの。ただ、このネタは、修羅場読みになっているため、侍、坊主らの名前、官位、出で立ちなどが並ぶため、とっても難解。だから、やり手が少ない旨を断ってから、南湖さんは口演に臨まれました。確かに解りにくい。一方の「鍋島騒動」は、南湖さんがあらすじを振り返ってくれたものですから、以前聴いた内容を、僅かながらも思い出すことができました。話は、鍋島藩の内部にまで、怨みが乗り移った猫が入り込んでいました。今日は、乗り移った方、疑いを持った方、その両者のやりとりのところでした。ということは、化け猫に追っ手が迫りつつあるということなのでしょう。終盤に入ってきていますが、次回以降は行けそうもないのが惜しいところです。




2013年 5月 17日(金)午前 7時 54分

 今日は勤務日ではないのですが、実は仕事が間に合わず、出て行かねばならないのかという心配と、この間、ずっと向き合って仕事をしていたところ、昨日、ぎりぎりで完成。非勤務日でも、珍しく持ち帰りまでしていたのは、なんとか余計な日に出て行かないでもいいようにということ。そのため、この間、ウォーキングを控え、DVDを観るのも控えるという禁欲的な生活。すっかり疲れてしまいました。そのため、夜遊びに影響が出てしまい、それに苦しんだ日々でもありました。
 昨夜は、その臨界点に達したような日だったのですが、出かけたのはシンフォニーホール。日本センチュリー交響楽団の定期演奏会。メンデルスゾーン:劇付随音楽「真夏の夜の夢」全曲が出るということで、チケットを買ってあったのです。それに、前半にモーツァルトの31番のシンフォニー「パリ」が付くというプログラムで、指揮は、この度、リューベック歌劇場の音楽監督就任が報じられた沼尻 竜典。「パリ」は、20分ほどでおしまい。それで、休憩に入ってしまったのですが、こういった付け合わせ的に出るモーツァルトやハイドンのシンフォニーって嬉しいんだよねと思いながら聴いてたら、呆気なく時間は過ぎていきました。注目の「真夏の夜の夢」は、劇付随音楽ですから、どないにして上演するかが関心の的。ソプラノ:幸田 浩子、メゾ・ソプラノ:林 美智子、ナレーション:檀 ふみ、合唱:ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団と発表されていましたから、オケの音楽だけをするというのではないということは判っていたのですが、実際には、この日の公演のために、台本をわざわざ作ったという手の込んだもの。妖精パックらの登場人物の科白を、全てナレーターとして登場した檀 ふみが、声色を使い分け演じるという、但し声だけですが、そういった趣向で、そのための台本をわざわざとこしらえたというわけです。そして、声楽の入る部分も丁寧に上演するために、歌手とコーラスも喚んじゃったという、コンサートとしては、考え得る最上の形を体験することができたというわけです。その台本も、楽譜をしっかりと読み込んだもので、中にはオケとの掛け合いとなるところまで用意されており、かなりの優れもの。昨日は、とにかくシンフォニーホールに着いた段階で、かなり体力的にきつくなっており、始まるまでの間、ロビーのソファーに体を沈めぐったり状態だったものですから、なんとか眠らないようにと必死の戦いの時間を送りましたから、あんましゆったりと聴いてないもので、感想も何もあったものじゃありません。とにかく貴重なコンサートに行ったぞの記録にだけ留めておきたいと思います。
 案の定、安心したのか、昨夜は熟睡、爆睡。韓国疲れも、今頃になり吹き出したのかもしれません。とにかく、昨日の夕方からのきつさは、半端じゃありませんでした。




2013年 5月 15日(水)午後 11時 37分

 水曜日は、毎週のことながら、体力の消耗がとっても激しい日。疲れはてると、目がしょぼついてきます。そないな日に当てたのが、「いずみホール」であった「東京カルテット」のラストコンサート。日本を代表する弦楽四重奏団なんだけど、今まで生で聴いたことがなかったもので、今日こそはの気持ちでチケットを買ってありました。メンバー交代が進んだことも、ここまで触手が伸びなかった原因でもあるのですが、考えてみれば、たとえ交代があっても、いいものならいいという考えに立ってればと、実際に聴いてみて後悔が先に立ってしまいました。プログラムは、まず、ハイドンの第83番、作品103のカルテット、次いで中に引かずに、すぐにドビュッシー、休憩を挟んで、ベートーベンの14番という構成でした。アンコールは、モーツァルトとハイドンが一曲ずつ演奏されました。正直言って、最初のハイドンとドビュッシーの前半は不満を持って聴いていました。ハイドンの一体感の欠如、チェロが通奏的低音的扱いとも違う浮き方に、しっくり来ず、ドビュッシーでは、特有の音の煌めきのようなものが出ずという印象を持ってしまったのですが、後半からがらりと変わりました。一体感、それに緻密な演出、そないなものに魅了されていきました。メンバーも異なり、年齢も違う音源を聴いた限りでは、シャープで、音の強さのようなものを感じ、そういった印象でもって、今日のコンサートに臨んだからでしょうか、かなりそういった雰囲気とは違ったため、頭がついていかなかったようです。徐々に惹かれ出してきたところでのベートーベン。ちょっとしたテンポのゆらし、抑揚、全てが計算し尽くされていました。そんなで、ラストコンサートは終わりました。今日は、知り合いに、会場で結構会った日。講談会でおなじみの二組のご夫妻、更に帰り際に呼び止めてくれたのは、昔の同僚。よくぞ目に留めてくれました。そして、初めて知ったのですが、この元同僚は、東京カルテットのメンバーと縁戚関係に当たるとか。いや〜、会えただけでも驚きなのに、そないなことってあるのか、まだ半信半疑。でも、そうなんです。もう驚きの連続でした。




2013年 5月 15日(水)午前 5時 45分

 昨日も、夏のように気温は上昇。非勤務日の一日、インド映画三昧の日に当てました。先日から始まっている「心斎橋シネマート」でのインド映画4本の上映分の内、昨日は2本観る日に当てました。なんせインド映画は長いですから、2本連続で観るだけで、なかなか根性が要ります。昨日は、廻り合わせでシャールク・カーンものを2本観ることになりました。まず1本目は「闇の帝王DON〜ベルリン強奪作戦〜」です。シャールク・カーンが、裏世界のボスになって登場。始まっていきなり警察に捕まってしまうという意外な展開。だけど、これが、この映画の伏線。刑務所に入ってる男と一緒に脱獄することで、これからやらかそうという大仕事の仲間集めであるとともに、このドンは、単に裏世界を仕切っているからだけではなく、かなりの知能犯であることを、客に解らせてくれるという役割も果たしてくれました。そして、彼の狙いは、ユーロの原版。原版は、フランクフルトの欧州中央銀行にはないんかと突っ込んではみたくなりましたが、映画ではベルリンの中央銀行の地下に眠っているということになっていました。そういった国際的に活躍する男ですから、世界各地でロケが行われています。フランス(コートダジュール)、タイ、マレーシア(クアラルンプル)、スイス(チューリヒ)、そしてドイツ(もちろんベルリン)です。地下金庫への潜入は、エレベーターの箱の上を使ったり、監視カメラの遠隔操作、爆薬での爆破というわりかし古典的なものも多かったのですが、そこはそれ、シャールク・カーンが手際よくスピーディーに事を運んでくれるので、楽しんで観ることができました。筋立てでおもしろかったのは、ドンの計画が途中で頓挫してからあと。脚本の腕の冴えが看られたところです。正確に言えば、三重のどんでん返しと言えばいいかな。相手役の女優さんと言える女性の大役がいないというのも、この映画の特徴と言えるのではないかな。ドンを追い詰めることを生きがいのようにしている女刑事が、一番の役なのですが、相手役と呼ぶには、位が低いかな。そして、インド映画の定番、突然入る歌とダンス、それが少ない。らしき総踊りは、インターバル前に、一つあるくらいでした。
 引き続きインド映画「命ある限り」を観ました。映画が変わっても、インド映画上映中は、開始時間を揃えたのですね。次の映画が始まるまで、35分も待たされました。この映画もシャールク・カーンもの。しかも、前半は全て、また後半も、半分くらいは、ロンドンが舞台になったもの。残りはカシミール地方となっていましたので、この間観たインド映画では、ほぼ普通のインドの風景を観ないままとなりました。この映画はラブストーリーなのですが、神との関係というものが、恋愛に映り出されていて、特にラスト間際で、頭がついていかなくなりました。ロンドンで出会った貧しいインド人青年と、裕福な家庭に育った女(モナ)との恋物語。ところが、順調だった二人ですが、ある日男の方は、交通事故に遭います。女は、男が助かれように、神に祈ります。彼の命が助かったら、私は彼と会わなくてもいいと。イギリス生まれの彼女ということで、彼女の祈る神はキリスト教の神です。とっても信心深い彼女は、男が蘇生したあと、神との約束を守ると言って、男の元を去っていきます。神との「契約」が、それほど大切ならと考えた男は、インドに戻り、紛争地域に設えられている爆弾処理係となり命のやりとりをするようになります。男が言うには、神が命を守るはずだから、俺は死なない、、、確かに、男は爆弾処理のエキスパートになります。その姿を、ジャーナリストを目ざす若い女アキラが目に留め、取材を始めます。とっても軽い、今時の女の子であるアキラは、いい映像を撮るとともに、偶然、男の過去を知ることになり、そういったひたむきさに惹かれ出します。その映像がTV関係者の目に止まり、アキラが本採用になろうとします。その条件として、映像に撮られた男本人をロンドンに招請することを求められ困惑するアキラ。だが、男は、アキラの映像にかける気持ちを察し、過去を曲げてロンドンにやってきます。10年ぶりのロンドンです。ところが、アキラと会ったばかりのところで、再び交通事故。ここからが、韓国映画みたいになっていきます。10年前までも記憶はあるのですが、その後の10年間の記憶が欠落してしまいます。アキラが判らない、モナの名前ばかり呼ぶ男。記憶を取り戻させるためにアキラは、モナを連れてきます。モナは、父親の進めた結婚をしないでいました。モナは、5年前に二人は結婚していたと言ってしまいます。二人で過ごせば、記憶が戻るかもと思ったのですが無理でした。頃合いをみて、今度はアキラと会いますが、アキラも思い出しません。そんなある日、電車に爆薬が仕掛けられ退避勧告の出ているホームに、偶然居合わせた男は、その処理に当たり失っていた記憶が蘇ります。となると、不自然なモナとの生活。ここでハッピーエンドかと思ったら、男は、モナの信仰と自分の位置へのクレーム。ここがさっぱり解らない。しかも、男はカシミールに戻ってしまうのです。あれ〜〜。ま、エンディングは近いのですが、最後のまとめも、解らなかったなぁ。




2013年 5月 13日(月)午後 9時 42分

 新しい週が明け、気温の上昇も激しく、夏に急速に近づいてきました。夜は、繁昌亭です。昨夜は「育っちゃったらくご〜師匠の十八番に挑む〜」がありました。不定期に行われているこの会、昨夜は、各自の師匠の持ちネタを披露するというものでした。あやめを除いて、あとは新作ものが揃うということになりました。ネタ出しをしていたので、予め狙いを定めて行けたのですが、最大のお目当ては、やはり三代目南陵作の「原始人ダー」。それを含めて、番組は次のようなものでした。たま「交渉人山寺瓢吉」、遊方「最終電車」、南湖「原始人ダー」、三風「花嫁御寮」、(中入り)、三金「宿題」、あやめ「船弁慶」。「山寺瓢吉」は福笑作品。これは、福笑もたまも時々出すので、師弟ともどもの口演は聴いたことがありました。昨日は、わざわざたまが「交渉人」とすると言ったので、何か仕掛けがと思っていると、下げに関係がありました。人質事件を起こした犯人と「交渉」に赴いた山寺瓢吉が、バイオレンスな対応を見せるところが聴かせどころとなっています。「最終電車」は八方作品。遊方が言うには、以前よく出していて、自分も素人時代に聴いたことがあると言ってました。酔っぱいが最終電車で見せる醜態を描写するというものです。そして、問題の「原始人ダー」。三代目がネタとして出したという記録を、リアルタイムで見た記憶はあるのですが、実際の遭遇は初めて。台詞は「ダー」だけで、日々の原始人の生活を表そうとしたものです。記録なんて残ってたのだろうかと思う反面、どういったネタかさえ判っていれば、なんとでもなる作品だということも判りました。本日最高のアバンギャルド発揮の作品でした。「花嫁御寮」は三枝(文枝)作品。娘を結婚させるために、両親が口裏を合わせ仮病を使う噺。幕開きの挨拶では、もうそっと大きそうな噺というイメージができてしまっていたのですが、さほどのネタではありませんでした。三枝のHPで調べると1994年作品です。単線的な構成だったため、比較的早いものかとは思ったのですが、微妙な時期の作品でした。「花嫁御寮」は、出る機会が、三金の出した「宿題」に比べると少ないもの。いや「宿題」がかかりすぎかもしれません。それほどの名作だと思います。算数を文章題に四苦八苦する父親の姿が、また、父親の的を外した突っ込みが可笑しい作品。ただ、昨日の三金は、手垢が付いたような口演でイエローカードです。「もう、皆さん、分かってるでしょ」的口演と聞こえたのです。押しが弱い、いや躊躇っているという感じかなぁ。あやめは、他の噺家さんが、師匠の新作ばかりを並べたので、先代文枝の書いた「熊野詣」を出そうかと考えたそうですが、十八番中の十八番を選びました。男が女を演じて聴かせるナンバー1の、更に、その十八番をするという大胆な試み。以前、聴いたときは、あやめの正攻法が、存外すんなりと入ってきたのですが、昨日は拒否反応が出てしまいました。ちょっとはしゃぎすぎたっていう感じかな。余計な声のトーンや動きが入ってしまい、かなりげんなり。久しぶりに、昔の冴えない花枝時代のあやめを思い出してしまいました。はしゃがないで、落ち着いて、先代文枝の口演を思い浮かべながら慎重に行ったかつての口演で成果を上げたと思っていたのになぁ。なんか、後半の二人に文句を書いてしまいました。こんなはずじゃないのにという気持ちが根底にあります。ということで、秀逸は「原始人ダー」、これに尽きました。




2013年 5月 12日(日)午後 9時 42分

 3連休の3日目。今日も、朝から持ち帰り仕事をしてからのお出かけ。GWに遊び過ぎると、この様です。で、お出かけは、9時半がメド。11時開演の芝居を観に行こうとしていたのです。場所は「應天院」。今日は、こちらで「ミジンコ・ターボ」の公演「ゼクシーナンシーモーニングララバイ」があったのです。今回は、主たる座付き作者の竜崎だいちではなく、いつも主役をはる片岡百萬両の作品でした。今日の芝居の特徴は、一組の男女の子ども時代から成人、結婚、子どもの誕生、そして老いから死、更にあの世での再会まで描いたということが一つ、そして、一つ一つの時代で一つの話がまとまるというオムニバス形式になっているということでしょう。それに加えて手が込んでいるのは、男の方は、片岡百萬両が通すのですが、女の方は、時代が変わると、役者が変わるというのがユニーク。意図的にそうしたのか、ユニークさを狙ったのかは判らないのですが。ただ一つ一つのエピソードは、いわゆるステレオ・タイプでおもしろいものではありません。一貫しているのは、頼りなげな男、威張る男、それに対して、常に献身的な女ということで、これまた、ステレオ・タイプの日本的カップル。これも、意図的なのか、そういうカップルしか描けない作者なのかは判断はできないのですが、女の死に直面したときに、胸が詰まってきました。周りでは、鼻をすする音があちこちで起こっていました。だから、何がそうさせるのかが、考えてしまいました。やはり献身的な女の態度なのでしょう。決してまともに生きてきたわけではない女なのです。父親には早く死に別れ、がために、母親は働き詰め、それもいつも海外で仕事をしていて、仕送りは滞ることはないのですが、手紙が年単位で来ないことも当たり前。だから篤い愛情を注がれたという記憶が少ないなか、男の傍らにいる献身性を持っている。そういった女に惹かれたのでしょうね。また、その雰囲気に持っていく演出も手慣れています。ファンタジー系芝居が売りの劇団ですから、おもしろく芝居を見せるテクニックには長けているということでしょう。
 芝居が終わると、昨日同様、千日前のネットカフェで時間調整。いつものペースが完全復活です。そして、午後は、「心斎橋シネマート」で、インド映画「タイガー 伝説のスパイ」を観てきました。話はスパイものです。それも、インドらしく、インドとパキスタンの諜報機関に所属する男女のスパイが愛し合い、両国の機関から追われ、そしてお約束のハッピーエンドが待ち受けていますから、見事に逃げおおせるというものです。二人が、お互いに敵国のスパイだと解り合うまでがインターバル直前。そして、男が女の方向に向かって銃弾を発射させたところでインターバルの文字が浮かび上がります。その弾が女に向けて発射されていたら、映画は終わってしまうのですが、ちょっとハラハラ。後半は、二人の逃避行となるというわけです。この映画は、ほぼ全編外国ロケで撮られています。イラク北部、アイルランド、トルコ(イスタンブル)、カザフスタン(アルマトイ空港)、キューバです。二人が出会うのがアイルランド。二人が再会し、逃避行を開始するのがイスタンブルです。そして、フェイントをかけた逃亡先がカザフスタン、実際に逃げ込んでいたのがキューバというわけでした。主役のタイガーに、黄紺名前くらい知っているサルマーン・カーン、相手役のゾヤという女性にはカトリーナ・カイフ。ともに、インド人らしくないと言ったら変かもしれませんが、普遍的な美形の男女です。インド映画と言えば、ダンス・シーンなのですが、前後半に1回ずつは、ちょっと寂しい。外国ロケで、外国人スタッフを使ってのダンスシーンは、難しいということでしょうか。それとも、時間が短めだったので、カットされているかもしれません。ダンスシーンで傑作なのが、前半のそれ。アイリッシュの人たちが、インド風振り付けで踊っていました。アクション・シーンも見物で、ダブリンのトラムを破壊してしまってました。変だったのは、イスタンブルで「皇帝円舞曲」にのって二人の踊るシーンがあったこと。とっても単純で、解りやすく楽しめる映画でした。




2013年 5月 11日(土)午後 11時 53分

 この週末は、お出かけの予定を組んではいるのですが、それ以外の時間は、持ち帰り仕事用に使っているため、ウォーキングをしたり、ゆったりとDVDを観たりする時間が取れず、わりかしフラストレーションがたまっています。ま、遊んでばかりはおれないということです。でも、時間が来ればお出かけ。今日は、雨模様のなか、まずは「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。毎月恒例の会です。その番組は、次のようなものでした。泉敏栄(藤初雪)「無筆の出世」、真山隼人(真山幸美)「俵屋玄蕃」、浪花亭友歌(沢村さくら)「太閤記〜日吉と小六〜」、京山幸枝若(岡本貞子・藤信初子・京山幸光)「左甚五郎〜天王寺の眠り猫〜」。泉敏栄さんは、キャリアは浅いはずですが、幸枝若に言わせると、本日の最年長とか。「無筆の出世」は無惨な話です。終わり良ければ全て良しでもあるでしょうが、無学無知だからと言って、自らの中元を試し斬り用に遣わすのですから。しかも、その旨を記した手紙を持たせてであるから、余計にひどい話です。字が読めないという前提で、本人に手紙を持たせるのですから。たまたま手紙を水に濡らしてしまい干していると、それを読んだ出家が知らせてくれ命拾いをしたところから猛勉強が始まるというわけです。真山隼人は「俵屋玄蕃」。この人の師匠では聴いたことはあるのですが、隼人くんでは初めて。俵屋玄蕃は、討ち入りを傍らで助けたということで、外伝の中では有名人。ただ浪曲になると、構成的にゆびつなところが出てしまいました。蕎麦屋に身を変えた杉野某との出会いと、討ち入りを補強する話がぶち切れで繋ぎ合わされました。時間的に制約のある浪曲でよく起こる問題です。また、今日の口演では、俵屋玄蕃は、吉良邸の門に張り付き、吉良への援軍を阻止するという仕事に就いていました。両国橋でしたか、橋に立ちはだかるというのは聴いたことがあったのですが、門にというのは初めてでした。浪花亭友歌は、東京の東家浦太郎の弟子、この度、大阪の浪曲親友協会に籍を置くことになり、今日が、そのお披露目の高座。若くて美形の浪曲師が入りました。東京の若手では、とっても声に落ち着きがある人。低い声もしっかりと出るところが嬉しいですね。「日吉と小六」は、もちろん日吉丸と蜂須賀小六の出会いから義元に仕えるところまで、日吉丸の頭の良さ、機転が働く話が描かれます。そして、やはりこの人、京山幸枝若が素晴らしい舞台を見せてくれました。しかも、岡本貞子と藤信初子の二丁弾きにギターの京山幸光まで加わる豪華版。「天王寺の眠り猫」は、一旦、天王寺の普請を任されながら、腕利きの大工がいるということで、腕比べで、請け負いが決まるということになったため、それを知った甚五郎が、世話になった大工の倅を助けて眠り猫を掘るというもの。軽妙なおもしろ浪曲に加え、クライマックスになると一気呵成に畳み掛ける幸枝若の節に酔わされました。
 一心寺南会所を出ると、歩いて千日前まで移動。時間調整を、おなじみのネットカフェでしたあと、堺筋線で「南森町」に移動。夜は繁昌亭でした。今夜は「第7回 江戸上方の粋な噺〜柳家小里ん 笑福亭生喬 二人会〜」があったのですが、その番組は、次のようなものでした。生喬「三人旅(前半)」、小里ん「三人旅(後半)」、生喬「三人兄弟」、(中入り)、小里ん「おせつ徳三郎」。ネタ出しは後半の二つだけ。「三人旅」がリレーになったのは、生喬が「三人旅」を出すことを知った小里んが、後半の「尼買い」の部分をやろうということになったもの。前半は、よく出る馬子を拾うところ。「尼買い」は、宿屋町に着いて、馬子に教えられた宿を探すところから始まりました。東京の方でも、お伊勢詣りに行く途中の噺としてやっているようです。東京の「三人旅」も聴いたことはあったのですが、設定のところまで言及したのを聴いたのは初めてでした。「三人兄弟」は、笑福亭のネタという印象が強いのですが、演じ手が極めて少ないネタ。文我はさておき、生喬以外手がけている噺家さんていましたっけ? 極道トリオの三兄弟の中で一の無頼漢が三男坊。しかし、いっぱい喰らわせられるのが、この男というのが洒落ている。そして、この男の一人語りが聴かせどころ。誰もいないにも拘わらず一人喋りをして悦に入っている三男坊、その雰囲気、さすが生喬です。トリは小里んでした。繁昌亭の掟破りの番組編成、こうでなくては落ち着きません。「おせつ徳三郎」は、恥ずかしながら初めての遭遇。前段は、旦那と丁稚との滑稽味たっぷりの掛け合い、後半は刀屋と徳三郎とのシリアスな対話。そして、ラストの木場の場面へとなだれ込みます。小里んの口演って、普段、冗談一つ言わなさそうな御仁が、ぼそっとはすっぱなことを言うおかしさがついて回ります。ですから、後半の方が自分的には好きですね。身投げをするときのお題目が妙法蓮華経では合わないなと思っていたら、下げへの伏線でした。ですから、演者としては難しいところですね。陽で陰の心持ちを表さねばならないのですから。ちょうど50分の口演でした。




2013年 5月 11日(土)午前 5時 49分

 一昨日で、GWを挟んだ一連の流れが終わった感じ。最後は、遊び疲れに、仕事疲れが重なり、だいぶと顎を出してたかな。ですから、木曜日はまっすぐ帰宅。そして、昨日からは週末の3連休。持ち帰り仕事を、午前中にちょこっと手を着け、頃合いを見てお出かけ。まずは、「動楽亭昼席」。今月は、この1回だけ行けそうということで、あとに大移動が待っているので、見合わせることも考えたのですが、頑張って行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。吉の丞「米揚げいかき」、まん我「応挙の幽霊」、あさ吉「あくびの稽古」、米平「天狗裁き」、(中入り)、出丸「青菜」、雀松「星野屋」。今日も、座椅子のせいでしょうね、吉の丞とまん我のところでダウン。客13人というところで眠っちゃ、演者さんに悪いね。でも、動楽亭の座椅子は、気持ち良くなるのです。吉の丞は、天満に行く道を尋ねるところはカットしてました。これはいけないと座り直したところで、あさ吉登場。これが、また、タイミング良く傑作なマクラをふるものだから、覚醒することができたのです。まず師弟関係の話をしたくて、師匠の吉朝に生寿司を自ら作ってふるまったことを話して、やおら「今日は、あくびの稽古をするので稽古の話をします」と言ったもので、客席がどっときました。今までの話は、マクラじゃなかったと聞こえてしまったからです。そして、その稽古の話がおもしろい。笛の名手として知られるあさ吉には、笛の仕事ばかりが舞い込んできているようで、ビッグな会の名前を挙げていました。また若手25人ほどに笛の稽古をつけているとか。「笛を教えてくれというのは多いけど、誰も落語を教えてとは言わない」には、会場は大爆笑。あさ吉の笛の腕は、完全に抜けた存在だと、幕内で言われていることは事実なのです。ところで、「あくびの稽古」が存外良かったのです。様々なあくびを上手にしてみせないようにしています。あさ吉に上手にしてみせろというのも似合わない、ということは、このやり方がはまっているということ。できるだけ、勿体を付けることに重点を置いた方が、アホげでおかしいのです。なかなかおもしろいコンセプトの口演でした。「天狗裁き」が出ると、またかというほど、演者さんには人気作品。でも、米平の口演を聴いていて、「またか」を後悔しだしました。それほど人の描き分けが、うまく出来上がっている上に、日常の平易な大阪弁が心地良かったのです。出丸も良かったなぁ。師匠ざこばに付いてた頃の失敗話などの長いうだうだ話のあと、ようやく「青菜」へ。ところが、この「青菜」が、オーソドックスで通すなか、しっかりと出丸流のくすぐりが入っており、なかなかいい出来。一番良かったのは、旦さんと植木屋さんの距離感かな。がさつだが、旦さんの前だからと、ちょっと背伸びをしているといった風情の植木屋さん。決して下品な人物とは言えない風情を感じさせるものでした。ここのさじ加減がムズいのですが、出丸は、その辺を心得ています。雀松は「星野屋」でした。ちょっと我儘な女、しかも若い女を演じさせたら、デフォルメも含め、雀松にかなう人はいません。雀松の「星野屋」は、後ろで女を動かすお母ちゃんも出てきます。ま、こちらがノーマルなんでしょうし、雀松のように、若い女をうまく演じられる人には、こうした違ったキャラの女が出ると、より噺に拡がりが出てきてグーですね。下げも、そのしたたかなお母ちゃんが、にやりと言って、二重のどんでん返しになっています。13人で聴くにはもったいない口演でした。
 動楽亭を出ると、「北浜」「三条」経由で、京都の北にある「アトリエ劇研」に大移動。昨夜は、こちらであった「下鴨車窓」の公演「建築家M」に行ってまいりました。途中、三条で軽い食事を摂っただけで、ちょうど芝居の開演時間にうまく間に合うという大移動でした。ところで、「下鴨車窓」の芝居を観るのは2回目なのですが、ともにテイスト的には似た芝居でした。だからと言って、この劇団が、このような芝居ばかりを上演しているというのも、早計に過ぎるとは思うのですが、その似た感じの芝居というのは、文化人類学なんかでよく使われる「ウチ」と「ソト」という二項対立を、強く意識させられてしまうのです。村長の家に二人の男が招かれます。一人は建築家で、村長の新しい公邸の設計を依頼されます。もう一人は、村長家族、いや村人の結束の中心であった飼い犬、その飼い犬は村長の家から逃げてしまい行方が判らなくなかっているので、それを探すプロ、犬ハンターです。「ウチ」なる中心たる犬、それを核に「ウチ」なる社会が存在しえているという設定なのです。従って「ウチ」の純粋モデル型として、かなりヴァナキュラーな村というものに設えられています。そして、「ソト」からやって来る「マレビト」が二人の男というわけです。だが、この「マレビト」は、「ウチ」なる村に変化をもたらすことを期待されながら、その期待に応えられません。犬ハンターは、本当かどうかは判らず終いだったのですが、犬を追い詰めていると言いながら犬の捕獲はできないままです。いや、ハンターとして振る舞い続けることにより、「ウチ」なる村で存在感を見せているだけかもしれません。一方の建築家は、村長の娘といい仲になり、その娘にとっては、見事な「マレビト」ぶりを発揮するのですが、いざ、公邸の設計となると、図面を描くたびにクレームが付き、完成に至るのかさえ不安が募っていきます。そんなある日、村長の娘が、村長の家の前で犬が死んでいると駆け込んできますが、皆が見に行くと、その姿は消えています。そのため、この話も、娘が建築家と村を出るために嘘をついたかもしれないとの疑問が残ったままになります。建築家は、犬の姿を知っている者(村人)と知らない者(マレビト)がいるから図面は完成しないのだと言い、娘とともに、深い森に犬を探しに行きます。村長の秘書や妻は、そないなことをすると、犬ハンターの仕事を脅かすから諍いが起こるかもと押しとどめようとしますが、建築家は出かけます。そして、犬ハンターに出会う前に、何者かに殺されてしまいます。誰にというのは、明かされないまま終演を迎えます。この芝居、不気味な存在が2つあります。犬と村人です。犬はゴドー的存在で、語られながら実態が見えてこないものですが、不気味なのは、ほぼ語られないながら居ないわけがない村人です。「ウチ」なる村で、犬を核に存在しているはずの村人です。この寓話的な物語、ヴァナキュラーな世界を構成しながら、何らの現代社会のメタファーと看ないわけにはいきません。ですから、その見えない、そして物言わない大衆の保守性、マレビトをも抹殺しかねない、また同化させてしまう保守性、それがテーマじゃないかと思ったのですが、、、? 当たっているのかどうかすら、見当が付きません。昨今の右寄り政権、極右とすらマスコミに表現される維新の躍進、そないな情勢に見合うということでの再上演かなと勘ぐってみたのですが、、、?




2013年 5月 9日(木)午前 5時 34分

 GWが明け、早速仕事に復帰です。世間的には、一昨日で、既にGWは明けていますから、贅沢を言ってはいけません。でも、まだなんとなく韓国で過ごしたゆるい時間が、体に残っていて、普段の時間になじめないままの一日を過ごしてしまってました。そのままの雰囲気で、早速夜遊びにもお出かけ。昨夜は、「南華はたちの会」が、天満橋の「双馬ビル」であったのです。今日の南華さんは、「秋色桜」と「野狐三次」の二席を口演されました。いつものように、マクラで近況報告。但し、今回は講談界の裏話的な話はあまり出ず、高々南湖さんと南北さんが相次いで、インドに行かれた話程度でした。話の中心は、GW期間中にあった貝塚でのイベントの話。貝塚出身の南華さんには、地元からの仕事依頼があるようです。ネタの方では、「秋色桜」は初遭遇のネタ。題名だけは、どこかで出ているのを見たことがあるのですが、聴いたことのなかったネタです。南華さんによると、季節ネタの代表格のようなもので、頻繁に出されているような口振りでした。「(時期的には)もう終わりなので」と言いながら、ネタについておしゃべり。こうした演者さんが語られるネタあれこれって聴くのが好きなんだなぁ。ついでに、ネタの偏りの話もされていました。自分は軍談ものが合わないので、一旦そう思うと、ネタが、どんどんと世話ものにシフトしていく。また世話ものは、制約が少ないので、かける場所とか時期を気にしなくてもいいのが多いと言われてましたが、この6月(「トリイ講談席」のこと)には、軍談ものとして有名な「中国大返し」を出すことになり、今格闘中だそうです。ところで「秋色桜」は孝行もの。其角の弟子となり、ぐんぐんと力つけた秋という女の子が、高位の方に、その作品が目に留まり、そうした方々の屋敷に出入りするようになるのだが、父親がお屋敷の庭を見たいというので、自分の供と称して連れていくのだが、それを恥じて、父親と入れ替わり、父親を駕籠に乗せたという美談が、また秋の評価を高めるというもの。「秋色」というのは秋の俳号であり、「桜」とは、秋が俳諧を記した短冊を掛けた木が桜だったからのネーミングです。かつては、こういった孝行ものが、講談として受けたのでしょうね。「野狐三次」の方は、最終回と思っていました。三次が、ついに義父の仇を知り、それを討つ話だと判っていたからです。前回、目からウロコ的に判らないことが判ってきて、ニヤリとしてたのですが、、、。確かに、一つの大団円ではあったのですが、南華さん曰く、「ここで終わったら野狐の謂われが出てきません」「実夫の話が出てきません」、なるほど、肝心なところが、さっぱり話が進んでいないことに気づかされ、この話の展開の妙に、思わず「おもしろいなぁ」と呟いてしまいました。南華さんが、続き読みとして取り上げてみようという気になられるだけあって、よくできた話です。まだまだ続く「野狐三次」、楽しみが続きます。




2013年 5月 1日(水)午後 11時 0分

 GWの谷間っていいですね、のんびりとした一日、ゆったりとお仕事。明日の夜、韓国に向かいますが、一応、昨日、東京から帰ってきて、仕事に出るまでの2時間ほどで準備ができているので、今日は、安心して遊べるということで、束の間の夜遊びにお出かけ。でも寒い。明日、出かけるときには、厚着の用意をしなければなりません。でも寒いのは、明日までらしいので、そのあとは、お荷物になってしまいそうです。ところで、今夜のお出かけは「雀のおやど」。今夜は、こちらで「弥太郎をしごく会」がありました。米朝一門の兄弟子米紫の企画で実現した会。一門の兄弟子吉の丞やひろばが舞台番を務める微笑ましい姿も見られたほんわかムードの会となりました。その番組は、次のようなものでした。米紫「子ほめ」、弥太郎「七段目」、佐ん吉「田楽喰い」、弥太郎「向こう付け」、(中入り)、弥太郎「寿限無」。米紫はトップに出て、この会についての説明、そして、前座ネタの「子ほめ」を披露。もう米紫のキャリアになると、実際高座にかけることは極めて稀と思われるネタですが、やはりこのくらいのキャリアの噺家さんがする「子ほめ」は、普段前座さんで聴くのとは、全然違います。登場人物が、三次元で見えてくる感じがしました。身体表現としての落語というのが形になっているということなのでしょう。ただ、今日も、気が乗ってくると、米紫の口演は、どうやしても力が入ってしまうので、聴いていて肩がこっちゃいました。弥太郎の一つ目は、「今日の午前中にあがった」と言う「七段目」。緊張しているのでしょうね、マクラでは、やたらと「あー」が入っていたのですが、ネタに入ると、「七段目」だけではなく、とっても早口になっていました。タメというものがない状態ですから、自ずと人物の描き分けもあやしくなっていきます。特に「七段目」は芝居噺ですから、所作に大きなものが入ってきます。そちらに神経がいっちゃうと、台詞回しが甘くなる、早口になるという具合でしたが、これから口演の機会が増えていくことにより、少しずつ是正されていくことでしょう。若手の噺家を見るのは、それが変わっていくのを見続けていく楽しみというのがあります。ゲスト枠の佐ん吉は、彼の前座ネタのベストを、「道具屋」と競う「田楽喰い」を出してくれました。佐ん吉自体も久しぶりだったのですが、彼の「田楽喰い」は、もっと久しぶりの遭遇でした。弥太郎の二席目は「向こう付け」。声がかかりやすいということで、「冠婚葬祭ネタの弥太郎をめざす」と言ってからネタに入りました。やはり、アブナイ系のキャラは、まだまだ控え目な弥太郎には荷が重いなとは思いましたが、これも、慣れなんでしょうね。噺家として、いい意味での厚かましさのようなものが出てくる頃になると、登場人物の個性的なキャラも深まりを見せるようになるのでしょう。中入り後は、「普段のネタを聴いてもらいます」と、今の自分のポジションで演じているネタを持ってきました。今日の「動楽亭昼席」ではかみまくったので、カラオケ屋で稽古をしてきたそうです。常の「寿限無」のように、長い名前を繰り返すことで笑いをとるのではなく、長い名前であるがために起こったトラブル集的な展開に持っていくもので、恐らく聴いたことのないヴァージョンだと思います。誰の改変なのか知りたいものです。




2013年 4月 26日(金)午前 5時 45分

 事をしていると、知らない間にうとっときていて、はっと我に返ると、身体が重〜い。疲れがたまっているというか、寝不足がたまっているというか、こういうときに嬉しいGWが、今日から始まります。今年も、間には仕事が入り、前半を東京で、後半を韓国で過ごす予定。そのGW前最後の夜遊びは、「動楽亭」であった「第415回上方講談を聞く会」でした。その番組は、次のようなものでした。南舟「伊達の御殿場」、南湖「板倉昇進録」、左南陵「宇治川先陣争い」、南華「出世の葵〜保科正之〜」。終わってみて、予想されたこととはいえ、今日は惨敗でした。動楽亭の座椅子は、睡眠不足の身体には禁断の椅子となりました。南舟くんだけ、まともに聴けて、あとはダメだったのです。「伊達の御殿場」は「伽羅先代萩」。浅岡(政岡)が、亀千代を守っているが、女だけだと、力づくで奪いに来られるとこころもとないと、なんちゃら鉄之助を派遣してもらったのだが、男に慣れていない亀千代がなつかないのが、慕うようになるまでというもの。「伊達騒動」ものを、講談で聴くのは初めて。もし全体像を捉えたものがあるなら、ぜひ聴いてみたいものです。南湖は、久しぶりと思っていたら、インドに行っていたそうです。南湖さんの帰国と入れ替えに、今、南北さんが、インドにいるそうです。「板倉昇進録」は、江戸町奉行から京都所司代に任ぜられた板倉某の物語というところまでしか判りません。左南陵は、珍しく原稿用紙を持って登場。「宇治川先陣争い」は、講談では珍しく、「平家物語」から。修羅場なんかがあったりしたのですが、左南陵さんが構成したものなんでしょうか? 南華さんの「出世の葵」は3回連続。「トリイ講談席」「はたちの会」に次ぐ遭遇でした。今日は、えらく進行が早く、南湖さんが終わったところで、開始40分しか経たずというもの。南華さんが頑張って30分以上の高座を務め、たっぷり感が出るというものでした。黄紺は、たっぷりと寝ちゃっただけですが。




2013年 4月 24日(水)午後 11時 43分

 今日は雨の一日。午後から雨足が強くなりました。水曜日は慌ただしい上に、検診が入り、余計にせわしなくなってしまいました。夜は「雀のおやど」、今夜は、「第19回じゃくったれ〜桂雀太落語会〜」がありました。雀三郎の三番弟子雀太の勉強会です。その番組は、次のようなものでした。二乗「阿弥陀池」、雀太「粗忽長屋」、ひろば「厩火事」、雀太「日和違い」。二乗の「阿弥陀池」は、自分なりの小細工をしたり、ギャグを跳ばしたりしています。それが、必ずしも成功していないのが痛いところ。ということは、オーソドックスなボケが、いかに積み上げられてきたものかが解ります。二乗の「阿弥陀池」を聴くたびに思うことです。でも、言葉の強さ、鋭さには、一段と磨きがかかったなの実感を持ちました。雀太の一つ目は「粗忽長屋」。今日は、こちらだけネタ出し。黄紺は、雀太の「粗忽長屋」が、わりと好きなもので、ネタ出しをしていない方に外されても、これで許せるの気持ちで、この会をチョイスしたということがあります。行き倒れの人間を、その本人が確認するという、落語でないとありえない噺ですから、まともな人物は出てきません。まともな人間は、ギャラリーとしての目しか出しません。ですから、明後日の方向を見てそうな人間を登場させることができないと、噺自体が可笑しくなくなります。先日聴いた米紫が、正に、その典型。今日の雀太の口演で、口直しをすることができました。ひろばは、マクラで嫁のボヤき。この人のボヤきは、マジなのか、洒落なのかの区別がつかないところが、ちょっと寒いですね。茶碗を割って、亭主に気づかいを見せられたときの言葉は「愛してます」でした。こうした芝居がかった方が、やけに臨場感が出たのですからおもしろいものです。そして、雀太の二つ目は、なんと「日和違い」。雀太は、「百人坊主」「天狗刺し」「粗忽長屋」などという、演じ手の少ないネタを、時には手がけてみようという顔があります。かなりあくが強く、しかもアホな男を登場させていました。こだわりの強い男でもあるので、周りにいると嫌だなぁと思ってしまいそうです。そないなことを考えながら聴いていると、途中から記憶が飛んでいます。せっかくの遭遇にしては、情けないことになってしまいました。でも、「日和違い」を、雀太が持っているということがわかったのだけでも大収穫でした。




2013年 4月 23日(火)午後 11時 37分

 昨日は、いい落語会があったことはあったのですが、また、他の機会でも聴けるということで、まっすぐ帰宅することを選択。ふっと、そういった方を選びたいときもあるというものです。
 そして、今日は少し暖かくなったかな。昨日までの冷え方に比べるとましというところです。こういうときっていうのは、出かけるときに着て行くものに困ります。今日は、11時をメドにお出かけ。昼間は、繁昌亭の昼席に行ってまいりました。今週は、笑福亭たまの「繁昌亭大賞爆笑賞授章記念ウィーク」ということで、たまが中トリをとっている週。おまけに大トリが、師匠の福笑ときているものですから、外せないのです。その番組は、次のようなものでした。団姫「刻うどん」、三弥「くもんもん式学習塾」、福楽「野崎詣り」、ナオユキ「漫談」、福若「居酒屋」、たま「鴻池の茶碗」、(中入り)、チョップリン「コント」、仁嬌「風呂屋番」、文鹿「半分垢」、福笑「便利屋さん」。今日は、住吉高校の芸能科の生徒が来ていて、何か違った雰囲気。他にも団体さんが入ってたこともあり、立ち見も出たほどの大入り。いい反応を示す客席は、団姫の「刻うどん」から大受け。三弥も、会場の雰囲気を見透かしたように、意外性のある設定が効くネタのチョイスがグー。福楽は完全復活で、胸を撫で下ろすことができました。序盤の「きばる」ところの可笑しさは、どの世代にも効果抜群です。今日は、「福」の付く人は皆さん危険人物。中でも、それを高座で売りにかかるのが福若。ハスキーな声になると、一挙に福団治そっくりになるのが微笑ましい。たまは、福若の雰囲気を覆すすために、ショート落語を連発。ネタは、まさかのネタ。今日みたいな日に、このネタを出す心はどこにあるのでしょうね。東住吉高校生ということがあるのかな。仁嬌のネタは、通常「湯屋番」とされるもの。繁昌亭の前に貼り出されたものでは「風呂屋番」、ま、同じことですが。文鹿は、分を心得たネタ選び。そして、ようやく福笑の「便利屋さん」に出逢えたのですが、前半は優秀作品、後半は外されました。前半の健康オタクを揶揄するところが、とっても可笑しいのですが、後半のお化け屋敷のところになると奇声で笑いをとるようになっていていかがなものでしょうか。でも、前半は、福笑の腕が冴え渡っていました。
 繁昌亭を出ると「日本橋」へ移動。今日も、千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は谷町6丁目まで移動し、「薬業年金会館」に行き「旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。この会は、アクシデントがなく関西にいると、必ず最優先で行くもの。でも、ちょっと間が開きました。今日は、変則的な進行。東京の神田鯉風さんが、大阪に来られているということで、その鯉風さんを間に挟んで、その前後に、南海さんが高座に上がられました。南海さんは、続き読みの「会津の小鉄」、鯉風さんは「夫婦餅の由来」を読まれました。「夫婦餅の由来」は「幸助餅」です。筋立てはほぼ同じ。名前も幸助です。ただ和菓子問屋の主人とし、餅屋への移行をスムーズにしてました。ただ、この話は嫌いです。幸助の情けないこと、夥しいからです。気持ち悪いくらいのダメ男です。それを、また最後に持ち上げるものですから、嫌さが増します。その持ち上げ方が半端じゃないのが、今日の口演でした。「会津の小鉄」は、復習はさておき、本日のメーンは、小鉄が、水戸から京都に移り、京都守護職の配下に入り動き出すところ。芹沢鴨らの浪士が傲慢な動きをするのに対し、水戸時代から警戒をしていた小鉄が、近藤勇に、その旨を進言するのだが聞き入れてもらうなかったところ、ついに浪士一党は、大阪の相撲取りとの間で悶着を起こしたために、小鉄が事態の収拾に当たる部分が、今日のメーン。剛毅な小鉄の人柄が、くっきりと描かれていました。その後は、芹沢鴨の暗殺が簡単に読まれ、次回の予告的に、池田屋騒動などに触れておしまいでした。会津の小鉄って、単なる侠客だと思っていたのですが、そうじゃないのですね。そないなことが判ってきて、ちょっとお勉強しているしている気分になっています。




2013年 4月 21日(日)午後 11時 52分

  大阪市内遊歩(163)

 昨夜からの雨は、明け方に止みました。そこで、今日は、ウォーキングを組み込んだスケジュールを組み上げました。まず午前中は、大阪駅上の「ステーション・シネマ」で、「パリ・オペラ座」のライブビューイングを観てきました。ライブビューイングは、これで、メトロポリタンに次いで2つ目となります。実は、「パリ・オペラ座」の方は、全く知らなかったところ、先日、いずみホールでのコンサートに行き、そこに置かれていた音楽関係のミニコミ紙で知り、急遽予定に組み込んだのでした。今日は「カルメン」でした。この1年で、「カルメン」は、尼崎、エアフルトに次いで3度目となります。シュトゥットガルトの唖然呆然の「カルメン」の毒消しみたいな気持ちです。舞台は、屋根が崩壊し、野ざらし状態になってるという感じの倉庫跡。それが、1〜4幕まで、全て使われるので、そこに何かを持ち込むことで、場面作りが行われていきます。舞台は、ずっと開けたままだったのじゃないかな。ということは、客の目の前で、ものが持ち込まれるというもの。2幕と33幕の間に、休憩がとられたようですが、その場合も、間奏曲とともに、設営が始まっていました。その中で、おもしろかったのは2幕で、大きなトレーラーを引っ張り出し、後部の高台とで酒場を作り出していました。照明効果も駆使していくと、人がたむろする雰囲気が出るから不思議なものです。3幕は、そもそも幕開きで、密輸団が荷物を持って現れるわけですから、それをちょっと前倒ししただけ。市が立ったんじゃないかと思うほどの荷物と人が集まれば、もうアジトの雰囲気は充分というところ。ですから、あとから考えると、1幕が似つかわしくないなという感じがしました。壊れていても屋根があるという点にひっかかってしまいました。4幕は、闘牛場の外側と思わせれば事足りるので、さほど違和感はなかったな。議論を呼ぶのは、カルメンの姿形。黒髪ではなく金髪。しかもヘアスタイルや、ノースリーブの衣裳から得るイメージは、正にマリリン・モンロー。そう思って観ていたら、幕間の演出家イヴ・ボーネンへのインタビューで、「マリリン・モンローもケネディ兄弟の間で揺れたことだし」と、カルメンの心情を、そのように説明していましたから、図星でした。あとの出演者では、華のあると言えるエスカミリオも、他の登場人物と異なる現代的風情の衣裳。目立つ女と男には、更に目立つようにするというコンセプトと看ました。歌手的には、カルメンのアンナ・カテリーナ・アントナッチは、もっと毒気が欲しいな、濃〜いものを期待しています。ニコライ・シューコフのドン・ホセは世間知らずのお兄さんという感じは、よく出てはいましたが、ちょっと大人しいかな。アンナ・カテリーナ・アントナッチの歌ったエスカミリオは、歌は満点の威力を発揮しましたが、カルメンが惚れ込むのですから、もそっとカッコ良くないと。ミカエラ(フランソワ・リス)は、若いのか、そうじゃないのかが不明。でも一番大きな拍手をもらっていました。バスチーユ劇場での公演でしたが、上演は10年ぶりだったそうです。
 映画館を出ると、その足でウォーキングをスタート。つい先日歩いたのとは、逆コースに近いコースをとってみました。但し、今日も、1時間余りのところで、脚にぴりりと来るものがあり、肝を冷やしてしまいました。念のために、脹ら脛の筋肉を伸ばしておいたのですが、前回傷めた脚に気を遣ったのでしょうか、今日は、逆の左脚に来てしまいました。踵に重心を置くことで、今日は乗り切ることができ大事に至らなかったのはラッキーとしか言いようがありません。もっと準備運動をしないといけないという教訓が残りました。そのコースの詳細は、次のようなものです。JR「大阪」駅〜「梅田ランプ西」交差点〜シンフォニーホール〜金蘭会高校・中学校〜JR「とうかい225」橋梁〜鷺洲上公園〜海老江上公園〜八坂神社〜海老江中公園〜阪神本線「淀川」駅〜大阪市海老江下水処理場〜大阪市立新家保育所〜西九条公園〜大阪市立西九条小学校・西九条西公園・クレオ大阪西〜JR「さくらじま001」橋梁〜春日出橋〜安治川大橋〜波除公園〜安治川保育園〜抱月小公園〜抱月公園〜大阪府立港高校〜南境川児童遊園地〜大阪ドーム〜岩崎橋〜大阪市バス「大正橋」停留所。
 大正駅前から、バスで「難波」に移動。夜に備えて、千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は、「味園ビル」内の中にあるカフェ&バーであった「笑福亭たまプラセボひとり会〜その2〜」へ。完全にたまの一人舞台です。その番組は、次のようなものでした。たま「伝説の組長」「池田の猪飼い」「アダルト文楽・SMの1シーンを浄瑠璃で語る」「ミナミの怪談」。「伝説の組長」は、久々の口演とか。確かに、最近聴いていません。肝心なところを抜かして話す前半と、夢が繰り返される後半とに分かれます。どっちをとっても可笑しい、よくできた作品。「池田の猪飼い」は、最近演じ手が減っていると、たまは言ってました。古くさいからというのが理由とかたまの手入れの部分というのは、喜六が紅卯の関係者だったり、道を尋ねるときのしつこさもだし、雪の中馬を引いていたのが六太夫だったりと、工夫に溢れています。「アダルト文楽」は、床本を、たまが作り、アダルト系内容を語るというもの。「ミナミの怪談」は、今回の新作。若い者が集まって怖い話をするという「饅頭怖い」に似せた作品。終盤では、幽霊に会いに行くのですが、出てきた幽霊は漫談家の幽霊で、めっちゃ軽いというもの。なかなかバカバカしい佳作です。




2013年 4月 21日(日)午前 3時 38分

 昨日の土曜日は、朝はいいお天気だったのに、夕方には雨が降っていました。幸い、昨日は、夜の予定を入れてなかったので、雨が強く降る前には帰宅。最近は、朝、昼、晩の3部制は入れないことにしているので、昨日は夕方には自宅に引き上げていました。その朝、「シネ・ヌーヴォ」でドキュメンタリー映画「プッチーニに挑む 岡村喬生のオペラ人生」を観てきました。日本に誕生した本格的なバス歌手岡村喬生を取り上げた映画ということで関心をそそりました。「蝶々夫人」にある日本誤認を正すなんてことも、映画の紹介には記されていましたが、あまりそちらには関心があったわけではありません。ですが、映画自体は、それが本体ですので、イタリアでの上演記録へとシフトしていきます。そのイタリアでの上演というのが、トーレ・デル・ラーゴでの「プッチーニ・フェスティバル」だというのは、映画を観て、初めて判明。ここでの「蝶々夫人」と言えば、DVDにもなり、また日本への引っ越し公演も行われた奇妙奇天烈なプロダクションが想起されます。DVDではドミンゴが指揮(!?)しています。ダニエラ・デッシー夫妻の出演というものです。おいおい、そんなところでやったんかよと、まず驚いたのですが、前半では、フェスティバル側が、日本側と契約を交わし丸投げをするような制作かと思われるように進行します。そないなことってあるのかいと突っ込みつつ、このフェスティバルってなんなのという疑問が湧いてきます。一方、岡村喬生側が、どうのようにしてこういった契約に持ち込めたのか疑問が湧いてきます。映画は、そないなことは一切触れていません。ただ、日本誤認の部分を修正するプロダクションの行方を追いかけるというスタンスだけです。1ヶ月前に現地に乗り込みます。オペラ上演の裏側を知るわけではないので、こういった時間の設定が妥当なのか、また資金の問題も気になります。ただ上演に当たって練習風景、そこで発生するトラブルをカメラが追いかけます。その中で、一番解らないのが、プッチーニの孫娘に著作権があるということ。プッチーニは、調べてみると1924年に亡くなっています。死後90年目です、今年は。著作権を、ここまで継承できるものなんですか、そいで、そうならば、世界で上演されているプッチーニの作品の上演に当たり、孫娘に一々許可を取っているということなのでしょうか? それとも、このフェスティバルの上演に関してはということなのだろうかと、色々とイマジネーションを働かせてみたのですが、、、。とにかく、この映画では、孫娘の拒絶で改訂版の上演はボツです。その他、上演に当たっての基本的な部分でトラぶります。イタリアでの上演っていうのは、こないなことなんだと思わせるものです。ま、それだけじゃないでしょうけどね。最後は、来季の契約も依頼されたということで、一応、プロダクションとしては成功したようでしたが、ネットで見たところによると、来季の上演は白紙になったということです。岡村喬生自身の文で公開されていました。イタリアの経済事情によると記されていました。実際に上演された「蝶々夫人」は、時間の問題もあるので、当然一部しか流れませんが、一つだけ、おもしろい演出がありました。蝶々夫人の自害のあと、スズキも後追い自害するというもので、これは目からウロコです。説得力あります。スズキという人物の解釈に因るのでしょう。
 映画館を出ると、「九条」から阪神電車で「難波」に移動。千日前のネットカフェで時間調整後、すぐ近くの「トリイ・ホール」へ。ホントに久しぶりに「島之内寄席」に行ってまいりました。ワッハから、こちらに会場が移ってからは初めてとなります。昨日は、「繁昌亭大賞 受賞者の会」と銘打って行われました。その番組は、次のようなものでした。弥太郎「子ほめ」、松五「餅屋問答」、たま「船徳」、生喬「隣の桜」、(中入り)、そめすけ「めがね橋」、団朝「風呂敷」。松五は、メリハリの効いたしっかりとした噺をしてくれました。「輝き賞」をもらってもいいと認めざるをえませんでした。特に、修行僧にアクセントをつけていたのが、うまくいった原因でしょう。たまは、勝手が違うと思ったのでしょうか、そめすけのお腹が弱い話をふり、ショート落語も披露していました。ネタが、「猫魔川寄席」とかぶったのが惜しまれます。生喬は、用意していたネタが、ネタ帳をくると使えず、また、この会は7月までネタが決まっているので、将来のことまで考えながらネタを決めねばならないとぼやき、ぎりぎりセーフかなという「隣の桜」へ。そめすけは、「大阪人情落語24区」シリーズから、公式ブログでは「大正区」に分類されています「めがね橋」。この橋、西成区との間にかかっている橋なんで分類上は「大正区」ということです。その橋と下を行く渡し船をうまく使った噺なんですが、これは、そめすけの創作ではないですね。作家さんが書いたものでした。そめすけは、元々語り口がしっかりしていた人ですので、こういった企画を思いつくという方向性が良かったということでしょう。昨日も、橋の上でのおっちゃんと子どもの対話が光っていました。時間が長くなってもいいのなら、もうちょっと無駄な部分がないと、展開が唐突すぎます。団朝も、「動楽亭」以外では、ホント久しぶりです。また、演じての少ない「風呂敷」も久しぶりです。間男を救い出す元来東京ネタというか、東京での上方ネタの改作の上方移植版です。聴き直して思ったのは、時間を引き延ばすために、不要な繰り返しが幾つかあることです。さっさと救出に行けばいいのに、家でごちゃごちゃしている。ここは、単なる無駄です。終わってみて、番組編成の妙として、やっぱたまを中入り明けに持ってくるべきでしょうね。色変わり的な華やかさが、たまにはありますからね。でも、そう考えると、たまって、ちょっと突き抜けた噺家への階段を上がっているような気になりますね。




2013年 4月 20日(土)午前 6時 18分

 一昨日に比べて、だいぶと気温が下がりました。薄めの上着を羽織ってのお出かけ、時間は、9時半をメドにしていました。昨日はまず文楽の残り半分を観ました。その番組は、次のようなものでした。「伽羅先代萩〜竹の間の段、御殿の段、政岡忠義の段、床下の段〜」「新版歌祭文〜野崎村の段〜」「釣女」。「伽羅先代萩」は、ダメでした。朝早めに目が覚めたために、二度寝をしようと呑んだお酒が、行きの電車のなか、そして文楽劇場に来てから現れてしまったのです。家にいるときは、目が冴えてたにも拘わらず、もう横にはなれないという時間帯になると、効果が現れる。なんと理不尽なことでしょう。「伽羅先代萩」は、あまり出ない「竹の間の段」「床下の段」が付いているというのが、今公演の売りだと、こないだ文楽劇場でお会いした海舟氏が言われていました。「竹の間の段」の方は、そのあとの展開に関わるというものなのですが、「床下の段」は、鶴喜代を床下から守っているというつながりだけで、大ネズミに化けていた男は何なのと、はっきりと「?」が点灯しました。それをうっちゃっておくと、完全にマンガの世界。人形じゃなくて、人間が大ネズミを演じ、それを人形が踏みつけるという稀有な演出を観ることはできたのですが、相変わらず「?」は灯ったままです。人に聞くと、お家騒動ものの本番が、ここから始まるということでした。「新版歌祭文」の方は、お染・久松で知られた物語。4月公演で一番のビッグネームが集まった演目。お染を簑助さん、おみつを勘十郎さん、久助を玉女さん、太夫さんに住太夫さんという具合です。この段は、おみつがかわいそうですね。久作もかわいそうです。これで、お染・久松が、心中を思いとどまるならまだしもというところなのでしょうが。ただ、この段の一番解りにくいところは、おみつの決断力。門からお染が家内をうかがうのを邪見にしながら、それも再三再四なのにも拘わらずです。唯一義父久作の気っ風の良さを受け継いだのかと思えるのが救いですが。最後は、連れ弾きがあります。これが、この演目の楽しみなところ。春団治の出囃子「野崎」の元になったメロディです。「釣女」の方は、狂言から採られた演目。歌舞伎にもあるので、昔から伝わってるのかと思っていたら、戦後の創作だそうです。歌舞伎のスタイルも参照してということだそうです。舞台も、能舞台の設えを使い、台詞回し、人形の動きも、狂言のままと言ってもいい部分がかなり多かったんじゃないかな。能がかり、狂言がかりの作品は幾つか観てきましたが、これが、一番元の型に近いでしょう。
 文楽劇場を出ると、千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は、南森町に移動して繁昌亭へ。昨夜は「桂しん吉春の祭典’13〜今年もちょい『鉄』〜」がありました。その番組は、次のようなものでした。しん吉「親子酒」「親の旅行」、由瓶「転宅」、ぐんきち「元祖お囃子カントリー」、(中入り)、しん吉「決戦、日本シリーズ」。しん吉は、この会では、毎年やりたいことをやるということにしていると、何年か前のこの会で言ってました。きっちりした古典落語の方は、「秋の祭典」の方です。やりたいことの一番が、自分の鉄ちゃんぶりを表現すること。それが、鉄ちゃん落語と、ぐんきち。「親の旅行」の方は、息子3人が、父親孝行として、旅の案を練るというものだが、どれもこれもマニアックで、自分の趣味だけを考えて、結局、親をコケにしているというもので、「片棒」的発想と言えばいいでしょうか。3人兄弟が、米団治兄弟の名前を使っているので、マニアックな落語ファンがドッときてました。こちらは、しん吉自身の作品。「日本シリーズ」の方は、作家さんに依頼して、しん吉自身が手入れをしたと言ってから口演がスタート。自分が手入れをしたということの意味がつかめてなかったのですが、始まると氷解。野球の話であって、それは、実は電鉄会社の話でもあるという仕掛け。「阪急ブレーブス vs 阪神タイガース」の日本シリーズを想定して、それを電鉄会社の死闘と置き換えたもの。鉄のテイストが入り、なかなかの出来栄え。これらに比べると、「親子酒」はちょっと寂しい出来。ま、酒の噺は難しいということが、よく解りました。雀三郎ヴァージョンじゃなかいな? ボケ・ツッコミの指導が入るものでしたから、、、。由瓶は、丹波出身ということで、たっぷりと笑いをとってからネタへ。「転宅」で、お菊が東京弁で通す理由が判らないのが気になりました。前に聴いたときも同様の疑問がわき出ました。下げに向かおうとしたところで、演者に声をかけるバカな客が出ました。過剰に丹波出身で笑いをとったためなんだけど、その辺が解らない客が入っていたのですが、一部笑いが入り、その一方で、しらーっとした空気が流れたのですが、おバカには、それも解らなかったでしょうね。




2013年 4月 18日(木)午後 11時 11分

 暖かくなりました。昼間は、窓を開けねばならなくなりました。暖かさは、このくらいで止まってくれればいいのですが。そして、夜は、シンフォニー・ホールへ。今夜は、大フィルの定期演奏会で、ブルックナーの9番のシンフォニーが出たのです。今年は、どうやら運がよく、ブルックナー後期の3大シンフォニーを聴けるようです。バブル期にはあったことですが、最近は、なかなかチャンスに恵まれていませんでした。というか、アベノミクスでバブルに向かう兆候なのでしょうか。今日の指揮は、当初ヴォルフ・ディーター・ハウシルトの名が出ていたのですが、体調不良とやらでカール・アントン・リッケンバッヒャーが振りました。まず前半は、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」。ワーグナーが、妻コジマの誕生日プレゼントとして、こっそりと作り、誕生日当日、楽団の忍びいれ演奏させたという曲。この曲を聴くと、その逸話と重ねて聴いてしまいます。冒頭は、「神々の黄昏」の「ジークフリートの旅立ち」のメロディでしょうか。コジマが眠りから醒めようとしているところに、このメロディが流れるなんて、なんと素敵なプレゼントなんでしょうか。大フィルの弦って、いつもちょっと疑問が残ることがあるのですが、この「ジークフリート」では深いうねりを丁寧に描いてくれました。拍手です。椅子に深く腰を入れ聴きいる気持ちの良さがありました。ブルックナーの方は、正直、スイッチが入ったなと思ったのは2楽章から。なんか1楽章は、ブルックナー休止が効いてなくて、ただ音が流れているという感じ。ましてやアインザッツが悪く、ホルンは音をひっくり返すわ、弦のパワーはないわだったのです。1楽章を聴いていて、スケルツォの大音響が出るのかと思っていたら、望みうるだけのパワー、強いリズムが出たのです。実は、その前の木管の合奏部分は、まだバランスシが悪く、不安が続いていたのですが、一挙に解消、完全スイッチオンとなりました。ここからはパワー充分。ですが、3楽章に入ってもパワーは溢れたまんま。今度は、美しいアダージェットの起伏が弱くなってしまいました。ボリュームがコントロール外になってしまい、微調整しか効かなくなってしまったってところかな。ということで、久しぶりの生9番だったのですが、雨のち晴れ、その後どんよりお天気というところでした。やっぱ、これは、指揮者の責任かな? 大植時代が終わって初めての大フィルの定期でした。2日連続パンパン状態に客席をした大植時代に比べ、客席には空席が目立ちました。ブルックナーのせいかもしれませんが、おかげで、大きく空いていた2階正面の席に移り、ブルックナーを聴くことができました。最近、シンフォニー・ホールに行くと、新たなコンサートのチケットを衝動買いしてしまってるのですが、今日もやっちゃいました。今度は、大植英次の振る大フィルを聴きたくなってしまったのです。大フィルを去っても、1年に1回くらいは振るみたいですね。




2013年 4月 18日(木)午前 0時 23分

 今日は、なんかせわしなく目一杯以上に働いたなぁという感じの一日。疲れたぁなんて呟きすら言うのを忘れてました。それでも夜遊びは敢行。予約を入れているので、すかすわけにはいかないというところもあります。行き先は、玉造のサンクスホール。こちらで毎月行われている「サンクス寄席」、文我がブッキング担当ですから、2日連続で文我を聴くことになりました。その番組は、次のようなものでした。生寿「胴切り」、たま「船徳」、文我「貝野村」、(中入り)、米紫「粗忽長屋」、文我「辻占茶屋」。生寿の「胴切り」は、まだ修行中に「らくご道」の前座に出たときに出したときに聴いて以来。懐かしいのは、たまの「船徳」も同様。たま自身、5年ぶりと言ってました。以前は、随分と頻繁にかけていたのですが、最近はさっぱり遭遇してなかったので、お楽しみのネタでした。期待に違わぬもので、マクラから客席をわかし続けるたまは、最近とみに一層のパワーアップをみせています。たまの「船徳」は、前半が、「黄金の大黒」の笑いのパターン、招集がかかったとき、なんで招集されたのかを言い合う可笑しさの部分と、船頭経験の乏しい若旦那が、無茶な船を操る可笑しさの部分からできてます。文我の「貝野村」が、本日の目玉。この噺の後半は「手水廻し」ですから、とってもポピュラーなものなのですが、前半は、生喬と文我しかしないということで貴重なのですが。黄紺も、随分と昔、小南でしたかで聴いたきりのネタです。「手水廻し」に入るまでと、入ってからは違う噺と考えていいという記憶は、しっかりと残っていましたから、今日、文我が、前半だけで下げをつけて切り上げたのは、全く妥当。前半は恋物語でした。ただ、今日は、ここの途中、一番肝心なところでダウンしてしまい、「手水廻し」への繋ぎが解らなくなってしまいました。「粗忽長屋」も、「船徳」同様、東京ネタ。行き倒れの男を、その本人とされた男が確認をするというすっとぼけた噺。東京の寄席で、よく出るネタです。ところが、このすっとぼけネタを、米紫は、汗だくになり力いっぱい演じます。ミスマッチもいいところで、米紫は、自分らしく演じたのでしょうが、だったら、このネタを手がけようとすることからミスってると言わざるを得ないですね。「辻占茶屋」は、今や演じる噺家さんが増え遭遇機会が増えましたが、以前は、ホントなかった。ですから、初遭遇のときの喜びは、今でもしっかりと覚えています。序盤、梅野の本性を暴露する部分はカットしてました。確かに手かなとは思いました。早々と、噺の行く末が見透せるというのは得策でないとの判断でしょう。納得のいくカットだと思いました。下げも変えてました。飛び込んだ川の水と水に流すだったっけ、とにかく水の地口オチで下げにしていました。東京では「辰己の辻占」となり、一挙に風情が消えてしまう移植ミスが起こったと思っているネタの一つです。昨日、今日と2日連続で、文我を聴きましたが、文我に、喋り過ぎ病が出ています。今日の2席ともに、長大なマクラをふりました。東京の噺家さんの思い出なんかは楽しめるのですが、長くなってくると、ぐったりしてきます。今日は、ちょっとぐったりしすぎでした。




2013年 4月 17日(水)午前 0時 22分

 今日は、朝から忙しい。というか、朝から予定を入れると忙しいのです。その予定というのは、「メトロポリタン・ライブビューイング」の日。今週は、珍しいザンドナーイの「フランチェスカ・ダ・リミニ」でした。黄紺も、初めて観るオペラ。メトロポリタンでも、27年ぶりだそうです。ということは、DVDで出ているドミンゴ、スコットでの公演以来ということで、同じプロダクションということになります。これだけの期間を開けての再演ですから、そういったケースの舞台裏が、特別映像として流された裏方さんへのインタビューで明らかになりました。道具や衣裳は残してあるそうです。1回1回壊しているなんて話を、以前聞いたような気もしているのですが、倉庫の場所まで、具体的に言ってましたから間違いありません。衣裳なんかは、特別発注で、その話を聞いていると、それはそれで、一つの文化財という感じがしました。27年前の、しかもメトロポリタンのプロダクションですから、舞台となっている13世紀のイタリアの建物、インテリアが、着実に再現されています。ですが、ザンドナーイの音楽は、プッチーニというかベリスモ調であったり、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスであったりと、かなり濃厚。そこで演じられるのは、濃密なラヴ・トライアングル。夫の弟を愛した女、それがタイトル・ロールのフランチェスカ・ダ・リミニ。そして、このメロ・ドラマを27年ぶりに上演できたのは、そのタイトル・ロールを歌ったエヴァ・マリア・ヴェストブルックがいたればこそと言われているそうです。「仮面舞踏会」のアメリアのような熱烈な感情表現が求められるかと思うと、ワーグナー的大サウンドを突き抜けるパワーも要求されるというような難役です。カーテンコールでは、耳の肥えたメトロポリタンの観客に熱狂的に迎えられていたのも首肯できる素晴らしい出来栄えでした。フランチェスカが恋に落ちるパオロは、さほどたいそうな役柄とは、タイトル・ロールに比べて思っちゃいます。パオロはマルチェッロ・ジョルダーニ。むしろ印象が強いのが、夫のジョバンニを歌ったマーク・デラヴァンと、マラテスティーノを歌ったロバート・ブルーベイカー。個性が明確な役柄ですから、歌いやすいと言えば歌いやすいのですが、立派に、その任に応えてました。「メトロポリタン・ライブビューイング」は、今季は、残すところはあと一つなり、早くも来季のラインナップが発表されました。黄紺も、来季の予定を拾い出してますから、もう、そういった季節に入ったということです。時が経つのは早いわぁ。
 オペラが終わると、映画館の前からウォーキングを開始。ところが、今日は50分後にアクシデントが発生。右脚脹ら脛にピリッと来てしまったのです。時たま起こることなのですが、いつもでしたら、踵に重心を移したりして歩くと治まるのですが、今日はダメでした。どんどんと歩幅を小さくして、ようやく歩ける状態が続いたために、そこでウォーキングは断念。それからが大変。場所が府庁裏という嫌なところだったもので、バス停まで、地下鉄の駅まで遠い上に、自分の判断ミスで、烏丸今出川まで歩いたために、かなりの時間がかかりましたが、大事をとって歩いたため、烏丸今出川に着いた頃には、踵に重心を置いてさえすれば、ほぼ普通のスピードで歩けるようにはなっていましたが、一時は、明日からの仕事、更にはGWの旅行の行方まで案じていました。仕方なく三条河原町まで戻り、近くのネットカフェで、夜まで時間調整。そして、夜は、京都文化芸術会館の和室であった「桂文我上方落語選〜京都編〜」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。生寿「色事根問」、文我「湯文字誉め」、紅雀「向こう付け」、文我「五両残し(星野屋)」、(中入り)、文我「寝床」。文我は、まず先代の文我からもらった噺をしますと言ってから、たっぷりと先代ネタをしてくれました。特に先代が倒れたところから告別式までの話が秀逸で、記憶に留めておかねばならないものです。枝雀の話も、随分と出てきましたからね。「湯文字誉め」は、そう言えば、そういった名前の噺があったかな程度の知識しかないネタ。腰巻き収集の男は、その腰巻きに細工をしている。文我は、その細工を季節の柄でまとめ、最後は、艶笑ネタで落としました。通常「星野屋」で通っているネタを、文我は、下げを活用したネーミングでかけているそうです。文珍、雀松という流れで演じられている場合と違うのは、旦さんを欺す手だてを、お手かけさんの母親の考案としているところ。これは、あとで出てきたときの文我自身の述懐。どぎつさを回避したということでしょう。そして、最後は「寝床」。紅雀に「一つは普通のネタをした方がいい」とのアドバイスを受けたからと、文我は言ってました。時間のことを考えたのでしょうか、通常より若干短め。借家から出て行けと言われてしぶしぶでやって来る町内の連中の言い訳部分はカットしてました。助演は紅雀。この人の「向こう付け」は売りなんでしょうが、こう何度も出されると引いてしまいます。基本的に、紅雀は頑張ってネタを増やすべしと、かねてから思っていることを、今日もまた思ってしまいました。生寿は、オーソドックスに「色事根問」。「ほーたる踊り」のような強烈な、濃厚なギャグは、生寿には向いていませんね。声のトーン、顔つき、個性、いずれをとっても、生寿は健康的だからなんでしょうね。最後は、「十評判」まで行ったあと、「このあと首の仕替えか、稽古屋に分かれていきます」と言ってから切り上げました。やっぱ、この人、実直だわ。実直に落語を愛しているということが伝わってくるので、好事家の人気を、師匠の生喬から受け継ぐことができてるんですね。いや、だからこそ、生喬に弟子入りしたのでしょうね。期待が、頗る大の若手噺家さんです。




2013年 4月 16日(火)午前 7時 24分

 一昨夜は、宵の内に眠ってしまい、今度は、夜中に目が冴えてしまい、結局、トータルの睡眠時間というのが、3時間半ほどということで、昨日は厳しい一日でした。幸い今日は非勤務日で助かります。また、昨日は、せわしなく動いた日だったので、余計にストレスがたまってしまいました。夜は、それでも予定していたイタリア映画「海と大陸」を観てきました。場所は「シネリーブル梅田」、夜はひっそりしてますね。黄紺は、ヨーロッパ映画の移民もの、難民ものは、気がついたら観るようにしていますが、この映画は、そのジャンルの映画。舞台は、地中海の小島。夏の2ヶ月ほどは、リゾートにやってくる観光客相手に賑わい、収入もあるが、それ以外は、寂れた漁師町でしかなく、主人公一家も、夏の間は、自宅をペンションとして使い、自分たちはガレージに仮住まいする有り様。経済力がいっぺんに判るシテュエーションでした。主人公は、フィリッポという20歳の青年、母親ジュリエッタ、そして爺さんという3人家族。ジュリエッタが、爺さんに、船を処分して、それを資金に何か仕事を始めないと食ってはいけないと説教するところからスタート。一方で、夏のペンションの用意。するとうまい具合に、3人の若者を客として掴まえることに成功。ところが、その直後、フィリッポが爺さんと漁に出ているときに、難民を発見。海に飛び込んだ男女を助けるのだが、それが警察に耳に入り、嫌がらせのように、船を差し押さえられてしまいます。これは、後々の大きな伏線となっていくのですが、救助した難民の中から臨月の女だけは自宅に匿い、まもなく出産の時を迎えます。出産が済んだら、すぐにでも追い出さんかなの勢いだったジュリエッタも、次第に心を開いていきます。息子のフィリッポが、よく描かれた作品で、20歳なんですが、言動も子どもじみていたり、軽く我が儘を言ったりで、まだまだ子どもっぽさがのこるキャラ。上手な役者さんで、すっごく感じが出てます。そのキャラが、キーとなる映画ですからね。町は、観光客で潤う部分もありますから、迂闊に難民が押し寄せる島だとイメージダウンになるというので、そんなで儲けている人たちは、難民追い出すのが当然の考えですから、溺れかけている難民を助け、処分を喰らったフィリッポの爺さんには冷たいのですが、昔ながらの漁師気質の古老たちは、共助の精神を説くといった風に、新旧の考えの違いなども描かれています。そういったなか、フィリッポが、客の一人の女の子を、夜の海クルーズに誘います。沖合に出て二人で喋っていると、難民たちが押し寄せてきました。処分を受けたことが頭にあったからでしょうか、フィリッポはオールを使い、船にしがみつく難民を打擲し逃げ帰ります。翌日、難民たちが浜に打ち上げられます。ここで、大変なことをしでかしたと気づくフィリッポ。気持ちが頗る荒れます。だが、この荒れでフィリッポは変わります。それがラストです。いつまでも匿えない難民の女を、家族で逃がそうとします。人の車を借り、その中に女と子どもを隠し、大陸に渡ろうとするのですが、難民が押し寄せたということで、大陸に渡るフェリーに対する警察のチェックが頗る厳しくなっているのです。危険と考え、引き返す爺さん。だが、ここでフィリッポが動きます。ちゃらついていたフィリッポが、「確固たる信念」を発揮した瞬間です。ですから、この映画は、難民問題を通じて、一人の幼さが残る青年が大きく階段を上る成長の物語でもあるのです。迷いもなく突き進む「確固たる信念」、これが大人への門をくぐったフィリッポを表すキーワードと看ました。ラストシーンは、大海原を小舟が進みます。どんどんとフェードアウトしていくカメラから見ると、海はひたすら大きく、舟はどんどんと小さくなっていきます。フィリッポが、これから進んでいく人生を表しているように見えました。でも、その舟が頼もしく見えました。そこには、フィリッポの揺るぎなき気持ちが詰まっているのですから。とっても良質の作品で、お薦めの一品と言えます。




2013年 4月 14日(日)午後 5時 41分

 週末の3連休の最終日。今日が、一番暖かだったかな。昨夜は、なかなか寝つけず、しかも、今日は、日曜日に拘わらず、目覚ましをかけて、早めの起床なものだから、結局、寝不足再発。今日は、繁昌亭の朝席のチケットを持っていたものですから、いつまでも寝てられなかったのです。朝席は、久しぶりです。今日は、三弥が主宰している「あされん」がありました。繁昌亭オープン以来続く、今や老舗となった会です。その番組は、次のようなものでした。華紋「普請ほめ」、小鯛「俺のヒーロー(仮題)」、世界地図「漫才」、三弥「悋気の独楽」、文三「ちりとてちん」。華紋は、入門3年目で、ましてや年季明けもしていないにも拘わらず、この1週間、繁昌亭の出番をもらっているという異例の扱い。それだけの逸材と認められてのことでしょう。黄紺も、同様に考えている噺家さんで、遭遇を楽しみにできる人。「普請ほめ」で笑わせてもらえるのですから、たいしたものです。特にばらしより、仕込みのところが可笑しいのですから、これは、華紋の実力以外の何物でもありません。小鯛も逸材との評価のある噺家さん。でも、今日はけったいな新作を出しました。自身の作品でしょうか? 繰返しネタで、映画監督が、作家にアイデアを持ってこさせるのですが、それが変なのばかりというだけのものです。ただ、下げをなんとかしないと、収まりが悪いですね。世界地図は、全く予告なしの登場。繁昌亭には珍しい、吉本の若手漫才師さんでした。三弥は、マクラと子どもネタはいいのですが、船場の噺なんかになると弱いですね。我を知って、ネタ選びをすればいいのにと、毎回思っちゃいます。文三がトリというのは、この会の売りなんだけれど、文三が上がったときには、もう11時13分、これじゃと思ったら、ドンピシャ。文三の「ちりとてちん」は、散々聴いたのですが、最近はちょっとご無沙汰。その間に進化していました。よりどぎつく、濃厚になっていました。かなり食傷気味に、以前からなっていたのですが、久しぶりだったために、最初はおもしろく聴いていたのですが、次第にゲップが出る状態に。やはりものには、ほどほどということが大切です。昨日、一心寺でお会いした演芸ファン氏も来ておられて、今日のご予定を伺うと、今日は、朝から夜まで繁昌亭に缶詰とか。いや〜、コアな方の底は抜けてます。
 繁昌亭を出ると、おなじみの南森町駅上のネットカフェで時間調整。それから、堺筋線と阪急電車を乗り継いで「吹田」に移動。午後は、「吹田サンクス寄席」に行ってまいりました。ところが、この移動中に事件発生。「南森町」駅で、電車に飛び乗ったときに、カード入れを落とし真っ青。同じ車両に乗っておられた中国人とおぼしき男性が、片言の日本語で、どなたかが届けようとされていたと教えていただき、南森町にとって返し、事なきを得ました。カード入れを持ったまま走ったのですが、手にマヒがある者がやってはいけないことだと思い知りました。ところで、肝心の寄席の番組は、次のようなものでした。團治郎「いらち俥」、雀喜「七度狐」、梅團治「青菜」、雀三郎「天神山」。團治郎の「いらち俥」は初めて。やはり、この人もうまいですね。テンポとリズムが命の噺を、きっちり自分のものにしていました。数年前のたま、更に数年前の文華と、このネタを得意にしていた噺家さんの顔が思い浮かぶいい出来栄え。雀喜は出てくるなり、團治郎が運んだ見台を拭く仕種。口演中、凄く汗をかいていた團治郎をネタにするあたりは、さすが先輩噺家の風格。「七度狐」は、「煮売屋」の後半から。すり鉢を投げ捨てるのに根拠を持たせます。雀喜のほのぼのとした口演がいいですね。なんか日本昔ばなしを聴いている雰囲気です。一つおもしろかった演出、川わたりをしたあと、着物を着る仕種のところで、ふんどしを落としていることに気づきます。いかにも、狐に騙されそうな間抜けぶりが出ていて、とってもグー。梅團治は、お約束の鉄ちゃんマクラ。撮り鉄ですから、写真を撮ったら時間はいくらでもあるから、地方地方で温泉に入ったり、買い物をしたりするという話から、自然と季節の山菜話に持っていく。うまいものです。「青菜」は、夏の噺ですが、こうした季節感を意識させてもらえると、「青菜」がすんなりと入って来るというものです。梅團治の植木屋さんは、敢えて下卑た風情を持たせていました。一つの見識かとは思いますが、自分的には好きなパターンではありません。旦さんとのコントラストを明確にするか、旦さんに合わせようとしているかで、演じ方は分かれます。「天神山」が良かったです。ほんわかほんわかで、胸がいっぱいになってきました。そういった感じで涙腺に刺激を受けたことってなかったんじゃないかなぁ。春爛漫の中のメルヘン風演じ方が一つあると思います。よね吉の口演が、その演出のベストと思っています。今日の雀三郎は、徹底的に二人の男のディテールにこだわります。へんちきの源助は、言ってること、やってること、全てがアブナイ系ですが、雀三郎は、とってもかわいい男に演じました。これほど、へんちきの源助をいとおしく演じた噺家さんはいなかったんじゃないかなぁ。胴乱の安兵衛も変わった男です。なんせ幽霊の女房を、自分も欲しいと思うだけではなく、行動に移すのですから。でも、この男、とっても優しい男です。その優しさが伝わったから、狐は押し掛け女房になったのだろうと思わせるものを、雀三郎の口演を聴いていて感じたので、涙腺が刺激されちゃったのだと思います。二人のいとおしくなる人柄が、くっきりはっきりと表されれば、これだけの感動を得られるものなのですね。そういったなかから、空気のぬくもりに、あとから気がつきました。いい落語会でした。




2013年 4月 13日(土)午後 11時 59分

 今朝5時33分に地震がありました。携帯に地震速報が入った直後でした。「西播磨」という文字と「時間」を見て、更に「揺れ」を感じて、あの「阪神大震災」を思い出してしまいました。あのときは、既に起きていましたが、今日は、そのように感じながらも、すぐに爆睡。ちょうど身体が、睡眠を求めるサイクルに入っていたようです。
 今日のお出かけは、11時をメドに。地震のため、電車に影響が出ているというので、多少早めにお出かけ。京阪電車は、既に通常通りの運行が行われていました。行き先は「一心寺南会所」。「一心寺門前浪曲寄席」の初日でした。一心寺に着く直前に、コアな演芸ファン氏と速報。お手には文楽劇場のチケット・ホルダー。発売開始2時間で完売したという「浪曲錬成会」のチケットを、今、買ったばかりだと言われて、びっくり。浪曲親友協会の事務局が、チケットをキープされていて、本日の会場で販売されていたのです。おかげで、黄紺もチケットをゲットできました。で、今日の番組は、次のようなものでした。春野ココ(沢村さくら)「間違いの婚礼」、幸いってん(一風亭初月)「任侠吉良港 吉良仁吉」、春野恵子(一風亭初月)「斎藤蔵之助」、真山一郎(真山幸美)「番場忠太郎」。ココさんは、滑稽浪曲が持ち味。元漫才師の面目躍如です。「間違いの婚礼」は、前回に続いての遭遇。前田利家との婚約話をつぶすことを頼まれた木下藤吉郎は、自身が婚約者と名乗り、うまく運ぼうとするのですが、それが、いつしか本当の結婚に至るというもの。「吉良仁吉」は、仁吉の兄弟分永吉が、仁吉の妻の兄に、その縄張り荒神山を奪われたがため、自らの女房を離縁し、相手の本拠桑名に乗り込みに行くまで。次郎長一家も駆けつける出入りになるのですが、そういったクライマックスは、直前で切り上げるのが、浪曲の常。「斎藤蔵之助」は、恵子さんのネタでは、久しぶりの遭遇。恵子さん自身も、「久しぶりの口演」と言っておられました斎藤蔵之助は、明智の家臣で、落ちて行く途中の物語。堅田に住む乳母のもとに身を寄せようと、街道を行く馬子を斬り馬を奪っていったところ、その馬子が、乳母の息大輔だったというから、心が痛みます。「番場の忠太郎」は、言うまでもなく「瞼の母」。50〜60年前には、誰しもが知っていたお涙ちょうだい物語。探し求めていた母親にようやく会えたと思ったら、今の事情により母と名乗ってもらえず、引き下がる忠太郎。そこで有名なセリフ、それを有名と知っている黄紺の年令が知れようものですが、「瞼を閉じると母のおもかげが、、、」と、瞼の中にだけ母がいると言い、涙する忠太郎のところに来ると、鼻をすする音が会場に響きます。やはり、浪曲の客席の年令層は、ただ者ではありません。
 一心寺を出ると、一旦家に帰り、休憩がてら時間調整。そして夜は、京都の北大路にある「アトリエ劇研」であった名古屋の劇団「オイスターズ」の公演「ドレミの歌」を観てきました。全く知らなかった劇団でしたが、以前、アトリエ劇研で芝居を観たときにもらったチラシを見て、その気になってしまったのですが、北村想の芝居を上演していた、しかも名古屋でとか、幾つか座付作家が授章経験を持つということで、気になったのだと思います。半分博打みたいな劇団探しだったのですが、近年観た芝居の中じゃ、ピカ一でしょう、間違いなく。舞台には、ロープが張られ正方形の辺を、丸で廊下を歩くように設えてあるだけというシンプルな構造。この芝居は、共学をうたいながら、女子生徒が目に入らず男子ばかりがいる、いや男子生徒は少なくともそう思っている高校のなか。時間帯は、下校時刻が過ぎて校内に残っていたために、罰として、校内に閉じ込められている1時間の出来事。その時間で、男子高校生6人が「青春」を擬似体験するという物語と言えばいいでしょうか? いや擬似体験させることを見せる芝居と言えばいいでしょうか? 主役の生徒がいるところからは、学校が塀で囲まれていて、彼らにとっては、あたかも、その向こうに女子生徒がいるみたいに思えます。丸で、高校生が漠然と持つ将来への期待と、女子生徒と会話を交わしたことのない生徒にとっては、同時に、まだ見ぬ者への不安を表しているようです。帰れない時間、彼らは歌い出します。コーラス部を作るんだと言い出します。ドレミの歌を、一人一音で歌うには、6人では一人足りません。そこで、休みの日ながら学校に来ていた教師、彼も閉じこめられ帰れないのでうろうろしているのですが、その教師を捉まえ部員になれだの、顧問になれだのと言います。生徒以外には、この教師と、教材屋の女が出てきます。彼女も、校内で迷っている間に、彼らと出会ってしまったのです。大切な人物です。青春には共感者が必要だからです。青春を送る人物以外に。そのことをわきまえている台本に拍手です。やがて、彼らは、教師を部員として招き入れることに成功し、と同時に、彼らには禁止されている上の階に、教材屋の女の部屋探しに付いて行きながら上がっていき、屋上にまで上がってしまいます。そして、壁の外を見るという仕掛けです。そこには、女子生徒がいるのはたいした問題ではなく、壁の向こうが、普通の風景だということの方が大事に描かれています。そうなると女子生徒がいるのは普通の風景ですから、どうでもいいのでしょう。そういった扱いも気に入りました。高校生が経験する青春の向こうにある世界、青春の中で見ようとしている世界を描いてくれたような気がしました。彼らは、そういった意味で、青春を謳歌したのでしょう。その結果が、「天国と地獄」の一人一音によるコーラスです。聴きものでした。ですが、それが終わり、校門閉鎖が終わり生徒が帰ったあと、教師が呟く言葉が素敵です。「なんか、こう、いいんだなぁ」というような言葉を発しました。発刺とした青春を送った者に立ち会えた喜び、青春真っ只中を生きる人間像を描いただけではなく、総体としての青春を描いた佳作です。すっごい才能と、それを表す、素晴らしい役者陣です。いい劇団、見っけです。




2013年 4月 13日(土)午前 0時 53分

  大阪市内遊歩(162)

 今日も、いいお天気だけれども、やはり気温は低め。3連休の初日となった今日のお出かけは11時をメドに。行き先は文楽劇場。毎月行われている「公演記録鑑賞会」があったのです。なかなかうまくかちあっえって行けない会なのですが、今日はばっちり。今日の演目は「壇浦兜軍記 一幕 阿古屋の琴責」。歌舞伎は観たし、されど高しということで、観る機会は、こうした無料の会だけですから、自分的には貴重な時間となりました。ましてや往年の名人上手の舞台に接することができますので、ありがたい限りです。「阿古屋の琴責」は、景清追求に関わる物語。阿古屋は、景清と深い契りを交わした遊女。そのため、追手が阿古屋に、その行方を尋ねに来るが、阿古屋は、実際に知らないため「知らない」としか答えられないが、相手は、阿古屋を拷問にかけても居場所を吐かすと言うが、その拷問が洒落ている。肉体的苦痛を与える拷問ではなく、歌舞音曲にて申し開きをせよというもの。あとで、その種明かしがされるのだが、かねでられる音や唄には、本当は知っていて嘘をついているのならば、変化が現れるはずというのです。これは、まことに芸術至上主義的発想。これに打たれました。実際に、舞台上の阿古屋役の役者(歌右衛門)が、三味線、琴、二胡を演奏します。そういった設定で演奏するのですから、なんと難しいことなのでしょう。単に弾くというのではないですからね。いいものを観ることができました。感謝です。歌右衛門以外も、役者が揃っており、阿古屋の詮議に当たる秩父庄司重忠が、先日亡くなった海老蔵時代の団十郎、岩永左衛門致連が富十郎。富十郎の役は、人形ぶりなのかなぁ、最後まで、それで通されました。清元連の演奏や唄に合わせての動きだけだったということです。人形ぶりと、普通の動きが、同時並行で進むということもあるのですね。
 文楽劇場を出ると、直ちにウォーキングに移行。今日は、夜が繁昌亭でしたので、そちらへの移動が、最後にはしやすいようにと、「海老江」駅を終点に定め歩き出しました。木津川を目指し、それを越えたら、九条には入らず、木津川沿いを北上。中之島の西端を越えたら、まだまだ時間的に余裕があるということで、西に向かい歩き出し、西九条まで行くには無理があるので、福山通運の東側に沿って歩き、わりかし時間があったので、迂回コースをとりながら、「海老江」駅に向かいました。その詳細なコースは、次のようなものでした。文楽劇場〜下大和橋〜韓国料理店「オニャン}〜韓国食材店「亜細亜」〜道仁公園〜韓国食材店{安東チムタル」〜韓国料理店「チデロ」・PCバン〜御津八幡宮〜ORANGE STREET〜「中央図書館前」交差点〜千代崎橋〜松島公園〜大阪市立本田小学校〜日本聖公会川口基督教会〜端建蔵橋〜船津橋〜JR「かんじょう017」橋梁〜新家公園〜大阪府立西野田工科高校〜海老江西公園〜海老江中公園〜八坂神社〜大阪市立海老江保育園〜JR東西線「海老江」駅。文楽劇場の北側は、異国人街となりつつあります。中国東北部出身者を連想させる店が並ぶ一方、韓国系の店が増殖しています。今日は、ついに「PCバン」の表示を見つけてしまいました。鶴橋のような長年日本に住まわれている方の追いところでは見られず、百人町のようにニューカマーの多いところしか見つけてなかった表示を、ついに大阪で見つけました。近くには、「チジュ・キンパプ」を売っている店もありますから、正に現代韓国の縮図となりつつあります。
 「海老江」から、東西線で「大阪天満宮」に移動。夜は、予定通り繁昌亭。今夜は、「第5回繁昌亭でまるかじり〜繁昌亭大賞奨励賞受賞記念〜」がありました。これは、繁昌亭側が、生喬に声をかけて実現したもの。客席には、コアな落語ファンが詰めかけました。今、そういったコアな落語ファンに大きな支持を得ている噺家の代表格が、生喬であり、ゲストの南天なのです。その番組は、次のようなものでした。生寿「東の旅〜野辺・煮売屋〜」、生喬「応挙の幽霊」、南天「壺算」、(中入り)、生喬「植木屋娘」、生喬・生寿「寄席の踊り」。ますます好調の生喬。寄席では、上演頻度のさほど高くないネタを二つ。それが、ともみに首肯できる出来栄えに満足。幽霊が出てきたときの驚きに、微妙な変化をつけていくところなんか、こだわりが見えてくるだけに嬉しいのです。結局はアホらしい噺なのですが、幽霊の出てくる噺のお約束の怖がったり、落語らしく、それを楽しんだりのツボを心得てくれているのです。なんか、以前に聴いたときよりも、その辺の気遣いが格段の進化を遂げているところが素晴らしい。「植木屋娘」は、「五代目松鶴→五代目文枝→春若→生喬」と伝わってきたもの。そういった話をマクラで紹介してくれるのも生喬らしいところ。伝承芸の大きなうねりの中の一証人になれた気分です。これも、幸右衛門のキャラの強さが特徴的。そなはしゃぎぶり、自己流的論理展開が横行する噺にドンぴしゃのキャラ作りに拍手です。寺の坊さんと幸右衛門は、叔父甥の関係だと触れたのは新しいところ。内気なお光に伝吉との婚約話を進める可否を尋ねるときの幸右衛門は、下からお光の顔を覗きます。これも、やり過ぎではなくうまい表現だと思いました。そういった工夫が生きた口演でしたが、さすがラストは、生喬も困ってしまった。この幸右衛門、物わかりが良くなってしまいました。伝吉との結婚話は諦めたのでしょうか? 生まれてくる子どもを通じて跡取りを決める話へと持って行ってしまいました。伝吉は、どうするのでしょう。そう言えば、最後の場面には、伝吉は出さず終いでした。でも、ここは誰しもが悩むところ、いい答が見つからないところです。南光の「 壷算」もおもしろいものでした。中でも値切るところ。「ユニ屋クロ兵衛」なんてのも出てきて、壷屋に話をふっかけていきます。こういった工夫は、南天の売り。しかも、それが独創的で可笑しいものだから、支持を得ていくのでしょうね。今日も、その一端を見せてもらえました。ホント、この二人の、この一年の延び代は大変なものがあります。




2013年 4月 11日(木)午後 10時 41分

 昨日は、まっすぐ帰宅。すると夜半に呑み、夜中にお目覚めのパターン。そして、夜中に酒を呑んで、二度寝をしようとする。眠ることはできても、分割して寝るのは、翌日に堪えます。
 今日は、午後のちょっと遅めから出張。ありがたいことに、場所は天満橋。というのも、夜には、「いずみホール」でのコンサートに行くことになっていたのですから。今夜は、こちらで「長原幸太 with フレンズ」という室内楽のコンサートがあったのです。長原幸太というのは、元大フィルのコンサート・マスター。若いヴァイオリニストで、その彼が、演奏仲間を集めて、室内楽を披露するコンサートだったのです。声をかけられた奏者の中には、在京オーケストラに所属、しかもトップで弾く人も含まれており、かなりグレードの高い演奏が期待できるものでした。プログラムは、前半が、モーツァルトのK.563のディベルティメント、後半は、6人が顔を揃えての、シェーンベルクの「浄夜」でした。モーツァルトは、弦楽三重奏という珍しい編成で演奏されるために、わりと知られた曲のわりには、生では容易くは聴けない代物。黄紺は、二つの内、こちらの方が狙い撃ちだったのですが、弦楽三重奏ってのは、アンサンブルを紡ぎ出すのが難しいものだということを思い出知りました。その上、このホールの特徴でしょうか、高音が抜けるようになってしまい、なかなか音の凝縮に向かわない、そういった経験をしました。自分の手で、空気が抜けかげんのバレーボールを鷲掴みにして、中心に向かって力を入れて押し付けたいもどかしさに捕らわれていました。4楽章以後は、かなり変わったかなの印象を持ちましたが、ちょっと気分よくまどろむというところまではいかなかったかな。それに反して、シェーンベルクの心地好さは、なかなかのものがありました。自分的には、音厚さが、深い感情の揺れ、ざわめき、ただれ、そないなものを表すに必要だと思い、室内楽版よりもオーケストラ版の方を好むので、そないに期待をしていなかったのですが、今日の演奏では、音の厚さではなく、一瞬の音の切れ味で、そないな感情の変化を表そうとしていたのが判り、この方法だと、室内楽版の生きる道があるじゃないかと、目から鱗の気分になり、素晴らしい演奏に遭遇できたことに感謝です。アンコールには、トランペットとヴァイオリンの特別ゲストが、イントロダクションを務める、ブラームスのハンガリアン・ダンスの5番でした。会場では、長原幸太の名前を出して、いつもよく大フィルについて語ってくださるお坊様ご夫妻とばったり。絶対に、こちらのご夫妻に会うことになるだろうと思っていたら、会場入りしてすぐに会っちゃいました。




2013年 4月 9日(火)午後 11時 41分

  大阪市内遊歩(161)

 今日は、春のいいお天気。こんなのが、ずっと続いて欲しいものです。ということで、ウォーキングをしないなんて手はありません。久しぶりのウォーキングです。となると、好きな大阪の川の風景を求めながら歩いてみました。まず中ノ島。大江橋を渡り、中ノ島の西端まで行き、川口から九条、市岡を抜け、尻無川を渡り大正区へ。もうこの時点で、残り時間は、30分を切っていましたから、迂回しながら「大正」駅に向かうことを諦め、泉尾高校の傍らの道を通り、直で駅に向かうことにして正解。そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜京阪「大江橋」駅〜大阪ビジネスカレッジ専門学校〜ABCホール〜関西電力病院〜下福島公園〜船津橋〜端建蔵橋〜大阪東郵便局〜大阪市立九条幼稚園〜九条東公園〜JR「かんじょう044」橋梁〜大阪市立南市岡小学校〜尻無川〜泉尾中公園〜大阪府立泉尾高校〜泉尾神社〜昭和幼稚園〜JR環状線「大正」駅。
 「大正」から環状線で「新今宮」に移動。午後は「動楽亭昼席」です。ただウォーキングをした直後ということで、ダウン覚悟の落語会。それを折り込みずみで行くと、やはり予想通りだったのですが、それにしては、わりかし大丈夫だったかなの印象。その番組は、次のようなものでした。鯛蔵「みかん屋」、まん我「お玉牛」、わかば「いらち俥」、雀三郎「はてなの茶碗」、(中入り)、米左「千早ふる」、塩鯛「質屋蔵」。鯛蔵は、おなじみの前座ネタ。紙を取りに行くときに、「高野山」と間違うエピソードはカット。替わりに、どこの家か判らなくなり、手当たり次第に紙を求めて歩くというものになっていましたが、なかなかのアイデア。だけど、それを止めるのが、便所の中の男では、ちょっと不自然かな。まん我は、春団治からネタをもらったときのエピソードをマクラで。初回に菓子折を持っていくと、そんなのは不用だと言ったあと、「我々は仲間なんだから」と言ってもらい感激したと言ってました。春団治なら言いそうな言葉使いですね。わかばは、相変わらずネタの広がりのないままです。雀三郎は「はてなの茶碗」。最近は、このネタが出ると、たまの「鴻池の茶碗」がオーバーラップしてきます。それだけ、たまの新作のインパクトが強いのでしょうね。米左は、言葉を引っ張る癖を直してくれないと、聴き苦しくて仕方ありません。塩鯛に「質屋蔵」を出されてみて納得。どうやら最近手掛け出したようで、いろんなところでかけているからです。でも、酒の噺に比べると、インパクトが弱いのは、塩鯛といえども、オールマイティーではないということでしょう。45分かかる長講でした。
 「動楽亭」を出ると、御堂筋線で「難波」に移動。久しぶりに千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は、「心斎橋シネマート」で、韓国映画「恋は命がけ」を観てきました。韓国映画を詰めて観なくなり、数年が経ちましたが、それは満腹状態になったからなのですが、時々は、韓国の街の風景を観たくなり、また、韓国映画が、どのようなテイストになっているかを確認したくなるのです。この映画は、ラブコメですから、そのジャンルとなると、更に久しぶりとなるんじゃないかな。この映画のひねりは、主役の女ヨリが、霊感が強く幽霊を見ることばかりか、その彼女に縁が深い者にも、幽霊がとり憑いてしまうため、彼女は、一人で孤独な生活をしているという点。もう一つのひねりが、彼女にとり憑いている幽霊というのが、彼女の過去と関係があるというもの。ですから、彼女は、いつも表情が暗いということで、それに目をつけたマジシャン、チョグが、彼女を使い、ホラー・イリュージョンを考案するところから、主役の男女の恋物語がスタートします。ところが、進行にあまりひねりがない、取り立てて何かがあるということのないというのが、この映画の弱さかな。とり憑く幽霊も、最初は限定なしだったはずだったのに、途中から絞られてくるしと、ちょっと一貫性に欠けます。ただ、そうしないと話が前へ進まないことも事実ですが。一応、ラストに向けてだけは、マジシャンがらみに仕立てていますが、総体としてみれば平凡かな。わりかし韓国映画らしい気の利いた演出はあるのはあるのですが、それは脚本自体のおもしろさがあってこそのものでしょう。ラストは、お約束の空港シーン。ヨリを、「私の頭の中の消しゴム」のソン・イェジンだったのがおいしいところ。あの頃と、そんなに変わらないですね。だから、この映画のような役どころができるのでしょうか。チョグはイ・ミンギ。自分的には初遭遇、韓国映画らしい美形の俳優さんです。




2013年 4月 8日(月)午後 11時 7分

 年度初めの仕事が本格化してきました。でも、まだ時差ぼけが治っていない。昨夜などは、1時間半も寝ていません。明け方の5時過ぎにようやく眠りにつけたのですから。目が、一日中、痛いまま。これは辛い。こないな危ないなか、今日は、繁昌亭でビッグな会があったものですから、結構な衝撃。その会は、「〜文化庁芸術祭大賞受賞記念〜平成の女道楽内海英華でございますin繁昌亭」。番組は、次のようなものでした。内海英華他「上方寄席囃子あらかると」、阿か枝「七度狐」、枝女太「四人癖」、内海英華「女道楽」、(中入り)、宗清洋と粋〜てすとサウンド「お囃子ジャズ」。「上方寄席囃子」はお囃子紹介。内海英華以外の出演者は、吉崎律子(三味線)、喬若(笛)、阿か枝(太鼓)、福矢・枝女太(他の鳴り物)。演奏されたのは、@一番太鼓A二番太鼓B石段CだんじりDじんじろ(雀三郎)E野崎(春団治)Fかっこ(米朝)G小鍛冶(呂鶴)でした。「七度狐」は、お囃子陣が舞台に出たままの状態での口演。お囃子を聴かせるのが目的なためか、「野辺」のところから入りました。但し、「煮売屋」はカットです。「女道楽」では、こうしたハレの舞台に欠かせません、「たぬき」でしめ、踊りを二つ。1つ目はメモの取り忘れ。2つ目は「蝙蝠」。江戸からやってきた団十郎人気を表した躍りです。そして、後半が、アロージャズオーケストラからた4人のプレイヤーを迎え、お囃子で使う楽器とのコラボでした。寄席囃子からの出演は、内海英華(三味線・ヴォーカル)、喬若・阿か枝(笛)、枝女太(太鼓)。演奏された曲目は、@イン・ザ・ムーンAどんと節Bダイヤモンド・ヘッドC深川Dセンチメンタル・ジャーニーEシング・シング・シングFおてもやん。繁昌亭は、規定で落語中心の小屋ですが、今日だけは別格。芸術祭大賞受賞の看板が特例を生んだとか。中入り明けは、すっかりライヴホールの雰囲気になっていました。




2013年 4月 7日(日)午後 10時 25分

 まだ時差ぼけが治っていないのか、普通の時間には眠たくならない日々。替わりに昼前まで寝てしまうので、予定が狂ってしまい、ちょっと困っています。今日も、午前中に行う予定だったウォーキングは断念。今日は、午後にいい落語会が複数あったのですが、夕方から始まる文楽に支障が出てはと断念。毎年、4月は予定が定まらないため、文楽に行く日をどこに入れるか悩み、結局、安全を考え、日曜日に入れ、犠牲が出てしまいます。で、文楽ですが、今日は「心中天網島〜北新地河庄の段、天満紙屋内より大和屋の段、道行名残りの橋づくし〜」でした。つい2〜3年前に出たところなのに、また出ました。最近、有名演目が並び過ぎるという傾向があります。これも、その一つです。「心中天網島」は、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件ですが、北新地河庄の段が始まった段階では、既に二人は、かなり追い詰められていて、いつ心中に走ってもおかしくない状況。死なせてはいけないと奔走する治兵衛の兄孫右衛門と、治兵衛の女房おさんが痛々しい。中でも見所は、おさんと小春が見せる女の意地。嫉妬なんてレベルでの意地ではなく、お互いに命を助ける目的からの意地ですから、観る者のハートを掴みます。これを創造した近松は、やはり凄いと思います。が、それにつけても、治兵衛は泣くだけしかできない、二人の女の意思力に比べ、ひ弱さが目立ちます。終演後、前に座ってらしたおば様が、隣のお友だちに、「私、やっぱり治兵衛を好きになれないわ」、「やっぱり」が付いてましたから、前々から、そう思ってらしたのでしょう。黄紺同様、今回観てみて再確認をなさったのでしょう。小春は勘十郎さん、治兵衛を玉女さん、おさんは清十郎さんが遣われていました。勘十郎さんは、昼の部では、「新版歌祭文」ではおみつを遣われており、大車輪の活躍です。最近、こうした人形の役割が組まれるのが常態化しているようです。太夫さんの方は、「河庄」の切を嶋太夫さん、「天満紙屋内、、、」の切を咲太夫さんが務められました。文楽を観に行くと、知り合いに会うことが多いのですが、今日は、アマチュア講釈師の海舟氏と演芸マニアのU氏とお会いしました。但し、U氏は、通りかかりに演芸会情報収集に立ち寄られただけでしたが。そんなで、このジンクスが、今日も生きていました。




2013年 4月 6日(土)午後 10時 23分

 暖かさが定着してきています。このくらいが、ちょうどいいのですが。今日は、朝から雨だったのですが、そないななか、お昼は観能に当てました。烏丸丸太町近くに「嘉祥閣」という能楽堂があります。観世流職分家である井上家のホームグランドです。こちらで、年に数回、無料で能の公演が行われているのですが、なかなか一般には情報が出回らず、行く機会に恵まれないのですが、今日は、どこで公演情報を得たのかは忘れてしまったのですが、うまい具合にキャッチできたのでした。その番組は、次のようなものでした。狂言「清水」(山下守之)、能「船橋」(吉浪壽晃)。「清水」は、最も上演に接する機会の多い曲でしょうね。今日は、茂山家の若手二人が出演の機会に恵まれました。特に「同研能」では、茂山家以外の狂言師さんがシテをする数少ない場です。山下さん、小柄なため、鬼になるところでは、大きく見せようと、声や身体の動きを上手く使っておられたのに拍手です。後見を、網谷さんが務められていたのも、微笑ましいものを感じました。「船橋」は、稀曲ではないのですが、余り出ない曲。でも、派手というほどではないのですが、解りやすい動きが上手く表現されているので、わりかし好きな曲なんです。万葉集に入っている歌をヒントに、愛し合う二人が、夜半、人目を忍んで逢っているのを良しとしない親(どちらの親とも出てこないが女の方でしょう)が、橋板を外したがため、男は川に落ち亡くなります。先ほどまで川向こうに見えていた男の姿が見えなくなったため、訝しく思った女も橋を渡り、同じく空しくなってしまいます。そりゃ、この世に未練が残りますわね。妄執を絶ちがたく、亡霊となって現れた男女に、ワキの山伏が読経を約束するというもの。見所は、後場で、橋向こうで女の影を見つけ、気が高ぶり橋を渡るところを再現するところ。シテは、橋掛まで行き距離感を出し、扇で気持ちの高ぶりを表し、急いで橋を渡る、落ちるところは、身体を沈める前に、飛び上がって一回転します。もんどりうって落ちたという感じです。こういった解りやすい表現、気の利いた演出に惹かれます。シテの吉浪師は、大きく切れのいい動きで好演、たっぷりと楽しませていただきました。
 能楽堂を出ると、歩いて三条河原町上がるまで移動。ネットカフェで時間調整をして、再び歩いて四条烏丸まで移動し、夜は、「京都シネマ」で、ウクライナ映画「故郷よ」を観てまいりました。大阪で観ることができなかったのを京都でフォローです。チェルノブイリ原発事故前夜から当日、そして、その10年後のプリピャチを追いかけます。漠然とではなく、そこに生きた2つの家族、なかでも2人の男女の物語。1人は、事故当日に結婚式を迎えた女性アーニャ。夫になるはずだった男は、事故当日消化作業に当たったようで、猛烈な被爆をして亡くなります。10年後のアーニャは、チェルノブイリ・ツアーのフランス語ガイドをしています。もう一人は、事故前夜に、リンゴの木を、父親とともにリンゴの木を植えたヴァレリー。父親は、原発職員だったため、いち早く事態を飲み込み、妻子を避難させ、自らはプリピャチに留まり、家族は離散。10年後、ヴァレリーは母親とともに、事故後初めてプリピャチを訪れる。アーニャのガイドを受けてだが、この2人が交わる話ではない。ヴァレリーは、立入禁止区域に入り、父親の面影を追いかける。実は、父親は生きており、父親も、今や停まるはずもないプリピャチ駅を目ざしているのだが、残念ながら、映画の中では、夫婦、親子再会は果たされない。映画として、どうでもいいのかもしれないのです、再会どうのこうのは。プリピャチへの、故郷の、事故という未曾有の経験をした故郷への慈しみ、こだわりを描くのが、この映画の目的なのですから。個々の人の生き方を、決定的に捉えて離さない事故、そういったことを描こうとしてると看ました。映画として、特段、斬新な筋立てが用意されていたとは思いませんが、事故前夜・当日の動きを、静かに、一般市民の目線で描いているのが素晴らしいです。10年後よりも、この部分に惹かれた映画でしたが、10年後を描くところで、プリピャチの現在の風景を観れたことは大収穫です。プリピャチは、福島にとってのケーススタディとなったはずでした。実際、事故後に、プリピャチの様子は、TVで報道されていましたから、それの記憶がある者には、福島後の報道のありかたも含めて、あまりにも見せない、情報を開示しないということが、日本を上げて行われたと言っても過言ではないでしょう。そないなことを、この映画は再確認させてくれました。




2013年 4月 5日(金)午後 11時 16分

 今日は勤務日ではないのですが、昨日と振り替えて出勤。今週は、一日交替で、勤務日と非勤務日となりました。これって、なかなかいいですね。身体の楽さから考えると、今の自分には、一番ありがたいのですが、現実には、年間を通しては組めないのです。で、夜は、芝居を観る日でした。ABCホールであった「伊藤えん魔プロデュース」公演「オズの魔法使い」を観てきました。あの有名な映画の翻案ものです。今日は、関西小劇場界の名だたる役者を揃えたブラック・ヴァージョンが上演されました。伊藤えん魔の脚本・演出ということでしたので、筋立ていじりなんかを大胆にしてしまうのかと予想していたのですが、概ね、そういった印象を持てませんでした。黄紺自身、あの有名な映画を観てから、随分な時間が経っていますので、しかとした筋立てを覚えているわけではありません。でも、途中で止めようという気が起こらず、画面に釘付けにされた独特の雰囲気に魅せられたという記憶はあります。芝居にすると、テンポが求められます。笑いを入れようとします。かなり小賢しい笑いを放り込もうとします。個々のエピソードがちゃっちいものになっていきます。同じような波でエピソードが展開していきます。もうのっけから、子どもミュージカルを観ている雰囲気に陥っていたものですから、こうなれば、退屈気分が先行し、眠たくなっちゃいました。「伊藤えん魔プロデュース」作品は、結構観てきたのですが、観ていて、次回はどうしようなんて考えたことは初めてでした。「オズの魔法使い」なんてものをするってところで、警戒しなければならなかったのでしょう。大切な記憶にも影響しかねませんでした。




2013年 4月 4日(木)午後 11時 1分

 かなり暖かくなってきました。春を感じています。今日は、本来なら勤務日ですが、明日、出勤する方が効率がいいので、今日と振り替え、今日は休むことにしました。そこで、ゆっくりと朝寝をして、午後からはお出かけ。その気が出てきた分、体調は快復傾向だということです。今日は、「動楽亭昼席」にまず行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。二乗「天狗刺し」、しん吉「七度狐」、雀喜「中学生ブルース」、米二「はてなの茶碗」、(中入り)、出丸「寄合酒」、雀三郎「胴乱の幸助」。ウォーキングをしないで動楽亭に行ったにも拘わらず、またしても眠ってしまいました。座椅子のせいでしょうか、朝寝をしたと言っても4時間余りしか眠ってないせいでしょうか、食事をしたあとからだったせいでしょうか。それらが重なったのでしょう。前半がひどい状態でした。出丸は、花粉症がひどいという言い訳をしてからマクラに入りましたが、この時期になると、出丸から花粉症について聞くようになったのは、いつ頃からでしょうか。随分と時期が経ったように思います。それにつけても、出丸の出番に当たるのは久しぶり。万年青年だと思っていた出丸も、そうじゃなくなってきましたね。噺の勢いとかは変わらないのが嬉しいことでした。雀三郎は、わりかし最近手がけることの多い「胴乱の幸助」。頼りなげな男たちのケンカに至る場面、そして、何よりも浄瑠璃がうまいのが目玉となっています。今日、気がついた目新しい点は、胴乱の幸助を、雀三郎は、小柄な男と言い、それを、具体的に目線で表現しているところ。これは、誰の口演でも聴いたことのない演出。やられたというのが第一感です。大柄な男だったら、体格で威嚇できるので、仲裁を趣味というのには違和感が出てきます。小柄な男が仲裁に入るというのだから、それが愉快と思えるという論理でしょう。これは、素晴らしい発見です。ブラボーの声かけが要る、お見事な着想です。ところで、今日、動楽亭に着いて、一つ驚いたことが。表に掲げられた出番表に、「雀三郎」ではなく「雀五郎」と出てた。それも、トリの位置に「雀五郎」と出てたので、受付の方に言うと、あおばくんがすっ飛んで直しに行きました。洒落になる間違いなだけに、おかしくって、思わず笑っちゃいました。
 動楽亭を出ると、御堂筋線で梅田へ移動。夜の部までの間、梅田のネットカフェで時間調整。そして、夜は、シネリーブル梅田であったアイルランド・イギリス映画「シャドーダンサー」を観てきました。IRAのテロ活動に対峙するイギリス諜報部が、テロ容疑で拘束した女をスパイに仕立て、密告させるという作戦を立てる。密告の対象は、女の兄弟の動き。女が、スパイとして役に立つのか、その辺の攻防は序の口。実際にテロが起こり、それが際どく防がれるために生まれてくるIRA内部の調査、それにIRA内部の路線対立が絡んでくる。更に、イギリス諜報部内部の方針をめぐる対立が現れ、女自身の命が危機に晒されていく。一方で、路線対立のために、新たなスパイが、彼女の周辺に送り込まれるために、一層危なくなる女の周辺。女を送り込んだイギリス諜報部の担当者は、孤立無援で、女を助けようとする。IRA内部の過激派でも、スパイ探しに躍起になり、確実に女の周辺に手が延びてきている。とまあ、ハラハラの連続。大きな緊張感を強いられる見事なハード・サスペンスに仕上がっています。最後は、三重のドンデン返しが用意されています。女の真意は、どこにあったのか、これが気になるところですが、間違いなく言えるのは、子どもを守ること、守れれば、それだけどで良かったのか、そうじゃないはずとのメッセージを幾度となく出していたのですが、結末と結びつけて、もうちょっと考えてみたいと思っています。アイルランド問題を下地にした映画は、幾つが観ましたが、いつもやるせなく重い気持ちになりましすが、本作品も、やはりそういった重さは拭うことなく伝えてくれています。その上での、一つの娯楽作品にも仕上がっている佳作です。お薦めの逸品です。




2013年 4月 4日(木)午前 1時 49分

 イツから帰ってきてから、調子が良くないのです。真冬の寒さが堪えたのか、後半、風邪気味だったのは間違いないのだが、黄紺は、風邪をひいても熱などはあまり出ない方で、お腹にすぐにきてしまう。確か12月にも同じようなことがありました。迂闊に外出するのも億劫になってしまうほどで、昨日などは勤務でなかったため、一日中、自宅でゴロゴロ。旅行中、あれほど寝不足が続いたにも拘わらず、朝昼関係なく眠りこけたら、逆に寝過ぎで、昨夜は眠れないから、今日は、朝から目が痛いのです。その中で、今夜は、繁昌亭への復帰の日です。今日は、あやめプロデュースで際ものの会がありました。題して「東西名人ゲイ」、いえいえ「東西名人芸」です。文治と染雀を二人並べた会が開かれました。その番組は、次のようなものでした。あやめ「挨拶」、染雀「蛙芝居」、ナジャ・グランディーバ「中外ポン」、文治「立ちきり」、(中入り)、姉様キングス「音曲漫才」、文治「鈴ヶ森」、染雀「堀川」。番組は、「タチ」「掘る」など、今日の公演のコンセプトに沿ったネタを依頼したところ、生まれた番組とか。「蛙芝居」は、東京の「蛙茶番」なので、その線に沿っており、「鈴ヶ森」だけは違うと思っていたら、文治版「鈴ヶ森」には、藪の中で筍が刺さるというものが入っており、全部網羅したことになりました。染雀は、「蛙芝居」を、この日のために下ろした模様。とにかく初演だと言っていました。素人芝居の中で、蛙役と舞台番が、主役になるわけは、下げで判るという仕掛け。いわゆる艶笑噺の一つ。「堀川」は、染雀では初めてのはず。林家の噺なのですが、終盤の浄瑠璃は、染雀にとってはお手のものなのですが、やはりケンカ極道と酒呑みは、キャラに合いにくい。文治はと言えば、声が大きいなということで、語り口が大味過ぎる傾向がある。もう「立ちきり」の冒頭の若旦那と丁稚のやり取りからがそれで、一挙に聴いているのが辛くなり、うとうと。ですから、跳んでいるところもあり、外した書き方になるかもしれないのですが、大まかな展開は、上方版とは違わないのですが、若旦那がお茶屋に行ったところで、朋輩衆は現れないままでした。そして、「雪」ではなく「黒髪」が使われ、三味線だけの演奏。地唄がしっとりと歌われるという雰囲気のところはなし、あえなく線香が立ち切れてしまうため、余韻の乏しいものがあったのは致し方のないところかもしれないのですが、「黒髪」は風情のある曲で、気に入っちゃいました。やはり文治は、「鈴ヶ森」のような滑稽噺向きです。与太っぽい新米盗人が呆け倒すのには、アホ声張り上げるってとこで、大声が似合います。春之輔幹事長に目をつけられたという会、無事に終わりました。際ものという匂いがある一方、非常に大ネタの並んだ貴重な会でもありました。




2013年 3月 19日(火)午前 0時 10分

 昨日は、今の職場のOBの合流して方々に呑み会。飛田の「鯛よし百番」という元遊郭の料理屋さんで呑む機会を持てました。
 そして、今日は、仕事が目一杯。年度末の仕事もゴールが目の前です。今日は、仕事が伸び、晩ご飯は、駅のホームでサンドイッチをパクつき、予定していた落語会には、10分以上の遅刻をしてしまいました。その落語会とは、「動楽亭」であった「できちゃった落語」。今日は、最近の「できちゃった」にしては上々の入り。その番組は、次のようになりました。たま「鴻池の茶碗」、三金「○□」、南湖「インド漫遊記」、遊方「闘う女たち」、(中入り)、三風「目ざせちょっと岳」、あやめ「白雪姫物語」。受付でお金を払っていると、場内から、たまさんの声で、「はてなの茶碗」が聴こえてくるので、受付の南斗くんに尋ねると、「はてなの茶碗の改作です」。確かに中に入る頃には変わってました。鴻池に買い取られた「はてなの茶碗」が、数代ののち、再び帝に見せることになり、献上の準備をしていたら割れてしまうということで、なんとかごまかそうとする。それがごまかし終えたときに、、、。「三味線アリ」に続く、古典落語のフォローアップ版落語でした。三金は、「長短」の改作版と言えばいいでしょう。きっちりした人間とアバウトな人間の対比です。南湖さんは、来週からインド旅行。それにさきがけて「天皇陛下漫遊旅行」の一環か。西成とインドの相似形が現れます。遊方は、珍しく女性だけが出てくる噺。会社内で、女子を取り込もうとする男と、取り込まれようとする女子の駆け引き物語でした。三風は、山ガールをテーマなんだけど、一ひねり、ガールは大阪のおばさんでした。おばさんものとしては、なかなか秀逸。あやめは、先日の「笑女隊」公演のミュージカル部分を一人でやりきるというもの。白雪・姫はアイドル。悪徳プロダクション所属。社長が、悪役王妃。あやめのネタのお遊び部分には、ちょっとゲイとクスリ話が多すぎるのが、玉に瑕です。




2013年 3月 17日(日)午前 4時 50分

 昨日は、午前中のちょっとした時間を使い、旅行の準備。準備の半分以上はできました。あとは、今日、時間的には融通がきくようにしていますので、十分大丈夫でしょう。そして、11時前にお出かけ。今日は、まず「シネリーブル梅田」で、インド映画「恋する輪廻」を観に行きました。これから4月にかけて、インド映画が幾つか上映されますが、その第一発目です。この映画は、旅行の関係で観ることができるのは昨日だけというワンチャンス。シャールク・カーン主演で、2007年発表のものです。今回のシャールク・カーンは、ボリウッドの脇役俳優、売れてないと付ければいいでしょうか。その男が、スター女優に憧れ、ついに顔を合わす機会まで持ってしまうので、この二人の軽〜い恋物語かなと思い始めた途端に、話が急転回します。女の隠れた一面が表されたかと思うと、なんと主役二人が亡くなってしまうのです。で、ここからが、この映画の本番なのです。題名に「輪廻」と書かれているわけが、この辺りから判ってくるという仕掛けです。いや、この映画は、この仕掛け一つで持ってるような映画です。あとは、二人を死に至らしめた者に対する復讐劇となるわけです。この映画の自分的な最大の見所は、シャールク・カーンの相手役を務めるディピカー・パドゥコーンのあまりにもの美しさです。今まで観てきたインド映画のヒロインと言えば、ベビーフェイスなんだけど、ちょっと太いという言葉を使わなければならない体型というのに、相場は決まっていたのですが、ディピカー・パドゥコーンは、とんでもございません。伝統的なインド美人の範疇には入らないかもしれないのですが、ワールド基準で言えば、ウルトラが付く美人です。そないなことを含めて、久しぶりの歌って躍ってのインド映画を堪能できました。
 映画が終わると、梅田シティから天満駅まで歩いてみました。夜の行動を考え、且つミニミニ・ウォーキングと思い、近場のネットカフェを避け、夜の会場に移動するのに支障ない場所ということで、天満駅近くをチョイスです。結局、一昨日と同じネットカフェでの時間調整となりました。そして、夜は、中崎町駅近くへ移動、「イロリムラプチホール」であった「ともにょ企画」の公演「ハッピー!ハッピー、ユートピア」を観てまいりました。会場も初めてだし、劇団も初めてということで、ちょっと不安な気持ちで会場入り。こちらのスペースは、「べに天」という落語会が行われているので、名前は知っていたのですが、実際行ってみると、落語会を開くには、40人は入れることができるでしょうから、程よいスペースなんでしょうが、芝居となると狭い。この公演も、座席は20ほどでした。でも、芝居は良かった。広さは関係ありません。非常に豊富な言葉を駆使する本格的なテキストに、上手な役者さんと、惚れ込む要素を備えています。芝居は「夢」がテーマです。食事のことに端を発しケンカを続ける新婚夫婦、これは、甘い結婚生活の夢です。仕事に追われるサラリーマンは、社会的地位を得て、そして家を建て、、、などという夢が、仕事を懸命に続ければ続けるほどに夢から遠ざかり、気がつくと「夢など持ちえない」と考えているホームレスの相似形になっている、さほど人通りの多くないところで路上ライブを続ける男、武道館ライヴを夢見ているが、自分から売り込むのではなく、見出され、人から必要とされることを夢見ている、夢を持ってないという男が出てきます、その男は、ポイントカードのポイントを貯めるのだけが楽しみだという風情、死ぬことが夢だという男、現状を固定化することができるからだと言います。きれいにパターン化されています。きれいすぎるのが玉に瑕ですが、分類の手際よさ、その男、女に語らせる言葉がにぎにぎしいのです。関西の小劇場界で言葉の豊富さでは最右翼の一つになるでしょう。そこんとこが気に入りました。喧嘩ばかりしていた夫婦に、鏡面世界のような夫婦を対峙させます。些細な違いで感情のすれ違いを言葉の力で解消できる姿を見せる一方、言葉の力に頼ると感情のすれ違いを表現できないことも見せてくれます。「離婚」という言葉が夫婦を変えます。子どもが生まれます。その子どもに、登場人物の描いてきた夢全てが託されていきます。やっぱ、そうなるのかぁという気分と、ここまで、この芝居を観てきた納得の気分が、一瞬ないまぜにされ、次の瞬間には、納得の気分が勝っていきました。いい芝居でした。お薦めの一品です。




2013年 3月 16日(土)午前 8時 7分

  大阪府守口市(55)〜大阪市東淀川区〜摂津市(3)

  昨日は、朝方は真冬の寒さ。だけど午後になると、完全に春の陽気。こう寒暖の差が大きいと、ホントたまったものではありません。おまけに昨日は、非勤務日なのに、午前中はお仕事。午後からは、ウォーキングに当てました。昨日の狙いは井高野地区。これが2回目となりますから、距離感覚が判っているものですから、豊里大橋を渡ったあと、直で井高野方向に向かわず、東淀川区内を大回りをしながらの散策。頃合いを計って、江口橋を渡り、井高野地区へ。前回と同じではおもしろくないと、摂津市に入ってみることにしました。ただ残り30分というところでしたので、無茶をしないようにを考えながらのコース取り。ただ行政の境目を歩くときに起こることが、ここでもありました。幹線道路を通るときはいいのですが、裏道を歩こうとすると、途端に抜けられなくなります。昨日は、地図通りに歩こうとして、いきなりそのトラップに引っ掛かりましたが、幸いその後は、うまく大阪市に戻ることができました。最後は、前回と逆方向から井高野車庫に到着でした。なお詳細なコースは、次のようになります。京阪「守口市」駅〜インド・ネパール料理店「レスンガ」〜守口市立第3中学校〜松下看護専門学校〜守口車庫〜太子橋中公園〜豊里大橋〜教應寺〜野村公園〜東淀川豊里郵便局〜豊里郷土資料館〜大阪市立東淀川中学校〜日本メディカル福祉専門学校〜大阪経済大学〜地下鉄「瑞光4丁目」駅〜大阪市立瑞光中学校〜東海道新幹線神崎川架橋〜江口橋〜別府公園〜「別府」交差点〜摂津市消防署味生出張所〜井高野フットサル〜大阪市立東井高野小学校〜井高野車庫。
 「井高野車庫」からバスで「天神橋五丁目」まで移動。近くのネットカフェで時間調整ののち、「天満」から「福島」へ移動。夜は、先週に次いで、シンフォニーホールで、ブルックナーを聴きに行ってまいりました。昨日は、関西フィルの定期で3番が出ました。指揮の飯守泰次郎が、10年計画で、ブルックナーの交響曲全曲を振ろうという考えだそうです。昨日の3番ですが、普段演奏されるものとは異なり、第1稿が演奏されました。この第1稿は、1時間15分もかかる長大なもの。長すぎるということで、刈り込みが行われた結果、改訂版が生まれていったそうです。それが、具体的に増えているのが、第3楽章と第4楽章。第3楽章は、変化が聴いていて判らなかったのですが、黄紺の耳でも、第4楽章の方は違ってるのが判りました。その刈り込まれなかったところの演奏経験というのは、ほぼ皆無ということが想定されるからでしょう、練習を集中的にやったんじゃないかなぁ。それまでとの音の違いにびっくりしました。溌剌とした透明感のある清々しさのある音色で聴くと、聴く者のハートに食い込んでくるという経験から、どうしても、そのような音色を求めてしまう曲なのですが、第2楽章までは、気が入ってない、音だけが出てるって感じで、音色以前の問題だなという感じで聴いていたところに、あっという間の変身に驚くことしかできませんでした。ただ、いわゆる「ブルックナー休止」は、音楽の流れを変え、気を変え、空気を変え、そして、新しき何かが始まる、そういった役割を与えられていると思うのですが、「休止」が浅かったりして、ちょっと役割を果たしているとは言いがたい箇所が見受けられたのは惜しまれます。が、後半良ければ全て良しって感じで、3番の魅力を味わせてもらえました。なお、この演奏会の前半は、モーツァルトの24番のピアノ協奏曲。独奏は小菅優。ソリストの演奏では、第1楽章のカデンツァが気に入りました。厚手の柔ら系マットの上で弾いているような音色と高揚感があり、ただ、それはモーツァルトのそれとは違って、もっと時代が下ってからの音色だなとは思いましたが、前のめりにさせてもらえて、ラッキーだったかな。




2013年 3月 14日(木)午後 11時 55分

 今週は、今日だけが丸一日休める日。それも、非勤務日だった昨日に働いた分の振替。明日も、非勤務日なのですが、出勤しなければならないのです。その貴重なお休みの日に、辛うじて「メト・ライブビューイング」に行くことができました。今週は、いいメンバーが揃った「リゴレット」の、しかも新演出の舞台を観ることができるのです。タイトル・ロールにセルビア人歌手ルキッチ、現代最高のリゴレット歌いの一人であることは間違いないこと。娘ジルダは、DVDにもなっているドレスデンのプロダクションでは、ルキッチと組んでいるドイツ人歌手ディアナ・ダムラウ、アルマヴィーヴァ伯爵には、ポーランド人歌手ピョートル・ペチョワとまあ、なんとも贅沢な布陣。豪家な歌手陣に加え、演出が、なかなかメトロポリタンでは観ることができない時代設定を変えるという趣向がいいですねぇ。オーソドックスな舞台が定番のメトで、新感覚の演出をもたらしたのは、ブロードウェイの演出家マイケル・メイヤー。時代を1960年代のラスベガスに移すことを、メトロポリタンの総裁に持って行ったら、テキストを変えず、全く異なった話にしなければいいとの回答を得たとか。ならば、今後、そないなスタンスの舞台に遭遇できる可能性があるってことですね。1960年代のラスベガスって、渦巻く欲望、裏切り、復讐といった「リゴレット」で描かれている世界に似ているという感性での飛ばし方が行われたようです。アメリカ人には、解りやすい演出だったのでしょう。フランク・シナトラを取り巻くマフィアを想定してのものだったようで、ラット・パックの具体的な有名人を想定しての役作りも行われているとか。装置も、ラスベガスのクラブを再現するもので、派手にネオンを使っていました。特に第三幕は、そのネオンが嵐を表すようにセッティングされているのが、なかなかの工夫で、悲劇に至る緊迫感を作り上げていました。また死体運搬用に設えられたのがキャデラック。スパラフチレは、ジルダを刺したあと、その体を荷台に放り込みます。これも、なかなかの工夫。そないな中で物足りなかったのが、ジルダ誘拐などがあるリゴレットの家。1幕前半のクラブを転換することなく、照明を落とし、舞台前方に、椅子などを出して、それらしくしただけで、リゴレットの住処は、ビルの上で、エレベーターで行き来するとなっていました。誘拐の仕方も、単に力ずくでかっさらって行くという、あとの凝り方からすると、あっさりしたものでした。ルネ・フレミングが、今回のMC役だったのですが、そのインタビューの中で出てきたおもしろ情報。ルキッチとディアナ・ダムラウは、かつてフランクフルト歌劇場に、同じ時期に所属していたそうです。ちょっとした耳より情報でした。いずれにせよ、これだけのメンバーなので、ノーマルな演出を観たかったと思う反面、斬新な演出を観ることのできた満足に大きいものがありました。
 映画館を出ると、旅行前に行くことが多い散髪へ。髪が伸びてきていて、そのまま旅行に行ってしまうと、気になっても簡単には行けないもので、そのようにしています。そして、携帯を家に忘れてままだったので、一旦家に戻り、時間調整。夕方5時をメドに、再びお出かけ。行き先は繁昌亭。今夜は「第48回 東西三人会」がありました。その番組は、次のようなものでした。風喬「寄合酒」、三喬「一文笛」、小里ん「殿様の将棋」、(中入り)、松喬「天王寺詣り」、志ん橋「厩火事」。昨年は、松喬の入院で、大阪ではできなかったそうなんですが、東京では続けていたようですが、今回は、松喬の具合を推し測りたく、発表されていたネタにも拘わらず行こうという気になりました。小里んの「殿様の将棋」は、「大名将棋」と上方では呼んでいるもの。東京での呼び名もそうだと思っていたのですが、、、。これは釈ネタで、上方では、とっても珍しいネタ。文我以外には、仁鶴、小春団治ぐらいしかやらないんじゃないかなぁ。噺の運びは、講談も含めて同じです。わがままな殿さんが、わがまま言い放題で、将棋に勝っては、家来を鉄扇で叩くので、爺が出てきて諫めるというもの。松喬は、声の張りは、以前同様の張りをキープしているのですが、所作が小さくなっているのと、噛みすぎというのが気になってしまいました。ま、高座の数が極端に減っているからでしょうか。まさか病気の進行と関係があるということではないと思うのですが。内容的にはオーソドックスな「天王寺詣り」でした。志ん橋の「厩火事」が長くて。なかなか孔子の話が出てこない。孔子の話が出たあと、女が躊躇う場面が出てくると、またかの気分。亭主に怒り、だけど亭主から離れられないのフレーズが繰り返され続けるのです。繰り返され続けたあとに、本丸の喩え話が出てくるので、ちょっときつい仕上がり。先代文楽が、このネタを整理しようとしたワケが解ったようか気がしました。露払い役の風喬は、松喬一門の「寄合酒」の特徴である吃音の男を出しかけて止めちゃいました。三喬も「一文笛」をやってるのですね。滑稽ネタに実力を発揮する三喬には珍しいぞの印象。実際聴いてみて、なんとなく落ち着きが悪い。どこかでとぼけたことを言ってくれるのでは、知らずの内に期待してしまっているのですね。でも、そないな噺じゃなしで、最後まで、そのままでした。




2013年 3月 14日(木)午前 7時 25分

 昨日は、午後からお天気は下り坂。職場を出る頃には、たっぷり系の雨。夜のお出かけ先は天満橋の「双馬ビル」。「旭堂南華 はたちの講談会」が、2ヶ月に1度の割合で開かれているのです。昨日は雨だからでしょうか、客足が伸びず、結局つばなれしませんでした。その番組は、次のようなものでした。南華「出世の葵」「野狐三次」。昨日の南華さんは、花粉症が喉にきたようで、徐々に声が出にくくなる気の毒な状態。以前に丸札にされたことがありましたが、昨日は、そこまでには至りませんでした。「出世の葵」は、先日の「トリイ講談席」用に下ろされたもの。あのときは、ちょうど南華さんの高座のところでダウンしてしまったので、昨日出たのは、却って好都合。ただ、このネタは長いので、ネタに入る前に話される近況報告を兼ねたマクラを、あまり聴けなかったのは残念。短いながらにもお話しになったのは、この1週間出番のある繁昌亭の楽屋噺。講釈師の経験もある下座の内海英華さんとのやり取りがおもしろかったですね。ときがときなら姉妹弟子として、お二人は活躍されてたのですからね。「出世の葵」は、会津潘祖となった保科正之の物語。二代将軍英忠のご落胤であったために、将軍家から遠ざけられ命まで狙われた男が、家光により、その存在を知られるようになった下りから、その後の出世が読まれました。家光とついに兄弟対面をするところなど、声が出にくくなった南華さんが、声を落としながら読まれたため、一層の感情移入ができ、なかなかほろりとくる読み物で良かったなぁ。「野狐三次」は、大団円間近。今までの話が、いきなり収斂しました。大阪から三次を追いかけてきていたお糸が出てきたことで、実父の死を、三次は知ることとなり、また、三次が、なぜ相撲とりの応援に躍起になってきていたのも、筋立てとして氷解です。最後は、三次による仇討ちの話に収斂し、既に再会を果たしている実妹のお花が養父の情報をもたらしてくれてますから、正に仇を討ち、お花をも救ってやれたら、実にきれいな大団円となります。恐らく、次の5月の会で終幕となることでしょう。会がはねると、いつものように、舞台をはじめとした会場撤収のお手伝いをしてから帰りました。




2013年 3月 12日(火)午後 11時 58分

 今週は、週に44日の勤務。しかも、こちらの非出勤日に出勤しなければならなかったりと振り回されています。でも、こないなことが済めば、オペラ紀行が待っています。ですから、今は耐える時期です。夜は、きっちりと予定通り、ワッハの4階へ。慣れ親しんだワッハとも、今日でお別れです。その最後のワッハは「生寿成熟の会」でした。その番組は、次のようなものでした。紫「延陽伯」、生寿「牛ほめ」、鉄瓶「卒業式」、(中入り)、生寿「幽霊の辻」。紫が、前座でよく登場するようになってきています。先輩方の受けがいいのでしょうね、更に実力が認められているからでしょうね。声が低めであるということと、表情が豊かであるということ、ぶっきらぼうな台詞回しがもててる理由でしょう。生寿は、まずワッハの思い出話から。そりゃそうでしょうね、師匠生喬の会である「らくご道」で、毎回前座を務めていたわけですから。その内の1回で、舞台上で「生寿」の名前をもらったわけですから。思い入れの強い話を聴くと、ほろりとしてしまいます。「牛ほめ」は、師匠生喬からつけてもらったそうですが、教えたあと、生喬は、「このネタはもうやらん」と言ったそうで、そう言えば、若い頃から生喬で「牛ほめ」を聴いた記憶がありません。最後のところで、牛はむさいものをするのではなく、おならをするとなっていました。鉄瓶は、聴きに行こうとしないというのが、最大の原因なことは解っているのですが、実に久しぶりの遭遇。その間に、一人よがり的な運びは、随分と緩和しました。佐ん吉との二人会に、ぼちぼち行ってみてもいいかなの気分になってきています。鉄瓶は古典を聴いて、お手並み拝見といきたかったのですが、残念ながら師匠並みに私落語でした。生寿の二つ目は、なんと小佐田作品。九雀からもらい、小佐田センセには電話で挨拶を入れたと言っていました。若手では、佐ん吉が同じネタを、福丸が「雨乞い源兵衛」を持ちネタにしています。その一つでもあるわけですが、生寿は「一文笛」もネタにしてますから、笑福亭では風変わりなネタを手がけているとなります。佐ん吉と比べると、リアルに描こうとしすぎです。怖い噺ながら、笑いを誘うように作られているため、どこか漫画チックに描くことが必要という難しいところがあるネタ、その点では、佐ん吉に一日の長があります。その辺は、生寿のことですから容易く解るでしょうから、今後のネタの成長が楽しみです。




2013年 3月 11日(月)午後 10時 39分

 昨夜は、真冬の寒さだったもので、今朝は完全に冬仕度で仕事に。そしたら誰しもが、思いの外寒くならなかったの感想。真冬の格好は、決して邪魔ではないというのは、まだまだ寒い証拠か。でも、陽射しは、間違いなく春のそれになっていました。そして、夜は繁昌亭。今夜は「大阪市民寄席―何だコンナン、頑張れ落語会」がありました。福笑・たまの師弟が、期待のネタを出すというので行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。染八「道具屋」、たま「猿後家」、小染「胴乱の幸助」、(中入り)、朝太郎「マジック」、福笑「大統領の陰謀」。今日は、福笑一門と小染一門が、顔を揃えました。いずれも一門と言っても二人だけ。小染と染八は、実の親子。噺家染八よりも、叔母に当たるあやめの手伝いをしていた姿になじみがあります。「道具屋」は、時間を考えて短縮版。木刀で切り上げました。たまの「猿後家」はお目当ての一つ。まだ聴いていませんでした。太兵衛がべんちゃらを言いにやってくるところからスタート。そこからは、基本的に同じだが、猿顔の女将さんが出てくる冒頭だけ猿顔を見せるという工夫が、たまの見せどころ。もちろん細かなオリジナルなくすぐりも入っているが、基本的な流れをいじらないというスタンスで流れていましたが、このネタも、だまの発想の豊かさに感服です。小染の「胴乱の幸助」は、確かネタ下ろしのときに聴いているはず。あやめとの二人会で下ろしという記憶があるのですが、完全な記憶ではありません。総じて遊びの少ないものでした。序盤の二人のケンカもあっさりしすぎているし、おやっさんに止められたあと、もう普通に喋っていてはダメでしょう。という具合で物足りない口演ではあったのですが、作品の威力は、十二分に客席に伝わっていたと看ました。「大統領の陰謀」は、聴いた記憶はあるのですが、内容が思い出せずにいたものですから、再会を狙っていたネタです。原発立国を目指す南太平洋の小国が舞台。そこの大統領が、原発をたくさん造り、電気の輸出をして、国造りを図る計画。その顛末が話の筋になっていました。今日は「3.11」。それで、このネタを福笑にやらせようということで企画されたもののようでした。




2013年 3月 10日(日)午後 8時 38分

 今日は、昨日から一転して、気温が急降下。おまけに雨。気まぐれな春先のお天気です。今日のお出かけは、12時30分頃をメドに。ちょっと寄り道をしてから、上町筋にある「大阪国際交流センター」へ。今日は、こちらで「関西二期会」の公演があり、ドニゼッティのオペラ「愛の妙薬」を観ることができました。とってもとってもとりとめない筋立てなものですから、ドイツでオペラ紀行をしているときでも、他に替わるものがあれば、そちらに乗り替えてしまうという作品。日本では、お手頃な価格でオペラを観る機会が少ないものですから、観に行っちゃいました。この間、2度ほど関西二期会の公演を観に行く機会があったのですが、歌手陣がなかなか充実をしていたものですから、今回も抵抗なく行ってみようかの気になったのですが、今日はきつかった。やはりテノールの人材不足は厳しいものがあります。それにドゥルカマーラに適任な風貌を持った人はいなかったのでしょうか。風貌はともかくも、もう少し年嵩のバリトンはいなかったのかな? 若くて、風貌も良いドゥルカマーラって、イメージ狂っちゃうなぁ。ということなのですが、この公演の最大の売りは、やはり小劇場では知られたウォーリー木下の演出でしょう。特徴は、背景の替わりに置かれた大きな4枚のスクリーンと、舞台向かって左に置かれた小ぶりのスクリーン。この計5枚のスクリーンに、日本語字幕が写ります。それが、場面や歌詞の内容に応じて、簡単なアニメーションを伴っていたり、フォントを変えたり、文字がはねたりします。テキストの表現の仕方で、ストーリーを補完するどころか、引っ張っても行きます。斬新な発想に、演出家の面目躍如たるものを看ることができたのですが、スクリーンへの投射のかげんもあるのでしょうね、舞台上の人の動くスペースを極端に制限してしまいました。そこを見えなくする手法と考えればいいと思うのですが、オケを完全に舞台上に上げてしまいました。村人たちとなる合唱も6人とし、全て女声でした。ですから、観ようによっては、ちょっと手の込んだ演奏会形式のオペラ公演という感じに見えなくもありません。スクリーンを使ったために起こる功罪相半ばというところでしょうか。筋立ては、恥ずかしくなるようなとりとめないものですが、一応メルヘンタッチなコンセプトで貫こうというもので、風船の多用なんかで、その辺を表しているように思いました。今度、生でオペラを観るのは10日先です。そのときには、仕事から開放されています。それを楽しみに、明日からラストスパートです。




2013年 3月 10日(日)午前 0時 36分

  大阪市内遊歩(160)

 暖かな日が続きます。昨日もワンランク涼しげな格好で出かけたのですが暑かったので、今日は、も一つワンランク下げたのですが、まだ暑かったですね。この1週間の変化はすごすぎます。今日のお出かけは11時がメドに。今日は、まず「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。毎月、楽しみにしている会、今日の番組は、次のようなものでした。春野美恵子(藤初雪)「藤十郎の恋」、京山倖若(藤信初子)「奥州奴」、京山小圓嬢(岡本貞子)「権太栗毛」、松浦四郎若(藤信初子)「太閤記」。「藤十郎の恋」は、久しぶりの遭遇。芸談ものと言えばいいのでしょうか、それにしては、あまりにも悲しい物語。近松に書き下ろしを、藤十郎が依頼をしたら、出来上がってきたのが「おさん茂兵衛」。道ならぬ恋を扱った作品、それを実生活で体験して芸に生かそうとする藤十郎。相手の女はたまったものではありません。京山倖若さんは、最近見てなかったもので、体調を心配していたところ、当たってました。だけど快復なさってお元気な姿を見せてくれました。「奥州奴」は、久しぶりに手がけるネタとか。チャリネタ得意の倖若さんには、ドンピシャのネタ。「奥州奴」とは、若き谷風のこと。街の無頼漢を懲らしめ、相撲とりを巻き込むところから、谷風入門話へと発展するそうですが、今日は、四海波部屋の親方がいきり立つところまで。今日は、次の小圓嬢さんのところでダウン。これで、2回連続です。「権太栗毛」は、以前聴いているはずなので、それを確認しておきたかったのですが、、、。松浦四郎若師の「太閤記」は、「金竜縄張城絵図面問答」という、講談でも聴いたことのないもの。安土城を造るにあたり、明智光秀が絵図面を描くのだが、光秀に張り合っている秀吉が、その絵図面に難癖をつけ、光秀をそしりにかかるというもの。最終的な対決の場面は、浪曲の常で触れないで終わるというものでした。四郎若師、絶好調の高座でした。
 浪曲席がはねると、その会場一心寺南会所前から、ウォーキングをスタート。今日は、東をめざし、JR学研都市線のいずれかの駅に着ければと歩き出しました。これは、夜の部への移動をスムーズにするための配慮。その詳細なコースは、次のようになりました。一心寺南会所〜地下鉄「四天王寺夕陽丘」駅〜クレオ大阪中央〜上宮高校〜天王寺図書館〜「細工谷」交差点〜大阪市立中央授産場〜第二明の守たまつ保育園〜平戸橋〜平戸公園〜東成大今里西郵便局〜南中本公園〜朋愛病院〜東成郵便局〜「東今里2東」交差点〜永田大橋〜大阪市立城東中学校〜「諏訪2」交差点〜阪東大橋〜阿遅速雄神社〜JR学研都市線「放出」駅。今日は、ウォーキングをするには、自分の格好が、あまりに似つかわしくないのにまいりました。気温が高過ぎたのです。脱ぐと荷物になるので着たままのウォーキングは、ちょっと無謀だったかな。ウォーキングが終わったあとの疲労感は、かなり大きなものがありました。とにかく鶴橋まで行き、その辺りで、環状線の外に抜け、裏通りをすり抜けながら東成区役所へ。そこから、毎度道に迷う長堀通を越えてからの道、案の定迷いかけたのですが、最小限のミスで終わりました。第二寝屋川を阪東大橋で越えることだけ決め、越えたところで、鴫野に向かうか、放出に向かうかを決めるつもりで歩いていたのですが、鴫野に向かうには時間的余裕がないことが判り、最後は、放出駅を迂回しながら時間をかけて駅に入りました。
 「放出」から「大阪天満宮」まで学研都市線で移動。駅近くのネットカフェで時間調整後、天神橋1丁目のカフェ「無果汁」であった「大阪書生節協会」の公演に向かいました。南海さんと宮村群時さんのユニットの、こちらでの公演は、はや12回目を数えます。時間の合うときには、必ず覗くようにしている会の一つです。会場には、普段、講談会でお見かけする顔もちらほら。ご挨拶をして、前回に続き、最前列の端っこの席に。今日は、「添田唖蝉坊特集」。添田唖蝉坊とは、書生節の元祖と呼ばれている方だそうです。内容は、かなり反社会的というか、社会批判のスパイスがきついものを持っているようですが、後半生は、大政翼賛会を賛美する文を、陸軍の要請を受け書いていたり、落語の「秘伝書」のごとき香具師的な行わないをやっていたようで、南海さんや群時さんに言わせると、「結局、金になることをしてたんでしょうね」となります。従って、内容は統一感のあるというものでないのが、むしろ添田唖蝉坊らしいとなるようです。歌われた書生節も、今日ばかりは、「皇紀2600年」の替歌以外は、全て添田唖蝉坊の作品でした。披露された曲目の題名を控えるということを失念してしまい、残念なことをしてしまいました。とにかく「大阪書生節協会」の公演は、学者の学会発表という雰囲気を持つ会でもあります。文献から掘り起こし、それを実演にまで持って行くのですから、そのように思ってしまいます。




2013年 3月 8日(金)午後 11時 1分

 今日は、ウォーキングにはいい日和だったのですが、時間の調整が下手で断念。お出かけは1時20分をメドに準備。平日の午後だったのですが、芝居を観に行くことができました。場所は、自分的には、とっても行きにくい「吹田メイシアター」。こちらで、当劇場のプロデュース公演「舞姫」がありました。無論、有名な鴎外の作品ですが、それを、「スイス銀行」の座付作者である桝野幸広が翻案し、関西小劇場界の役者を集めた公演です。黄紺自身は、鴎外の原作は読んでないのですが、だいたいの様子は知っていたつもり。ですから、結論をいじらなけばで観ていれば、次第にきつくなってくるのは致し方のない作品なのですが、ですから、そこへとの持って行き方をどのようにしているのかが、一番の関心事。主人公豊太郎を、外務省のエリート官僚だが、社会人として主体的に生きるという点では物足りなさの残る気弱な人物として描くことで、別れ話を勧めるのは、彼自身ではなく、友人で交渉のプロ逢沢が勧めていく、その交渉の推移により、自身の考えが揺れ動く存在になっていきます。別れ話の当事者がそうですから、第三者が、いろいろと口を挟む余地ができてくるところから、この芝居が成立していってるように看えました。桝野幸広のうまい作劇の手法だと思いました。その第三者というのは、エリスの踊る劇場関係者。結論は、豊太郎が残るか、帰るかという二者択一ですから、舞台の中ほどに、テーブルや椅子を配置し、きっちりと境界を作り、二者択一を解りやすく見せ、且つ悩んだ挙げ句?、考え方を変える者は、そこを越境するという具合にして、解りやすく、おもしろく見せていました。ということで、行きにくいメイシアターに行き、正解だったと言えると思いますが、このメイシアターの小ホールは、小劇場系の芝居を観るには、とってもいい感じ。もっと街中にあればいいのですが、、、。落語会をするにも、いいところだなぁなんて思いながら観ていました。
 芝居がはねると、阪急電車で、梅団に移動。駅近くのネットカフェで時間調整後、「シネリーブル梅田」に行き、スペイン映画「悪人に平穏なし」を観てまいりました。スペインで数年前にあったテロ事件をヒントに作られたと思われるサスペンス映画です。冒頭で、いきなり警察官による無鉄砲な殺人事件が発生します。ところが、その男が、証拠隠滅のために持ち去った監視カメラの記録ディスクの中に、犯罪を臭わす映像が入っていたものだから、男は、一人で独自捜査を始める。一方で、殺人事件が発生したわけだから、警察の方も捜査に着手する。その指揮を執るのが、「判事」と字幕には出ていたが、なわけはないので、「検察官」と考えられる女性。この両者の捜査が、交互に画面に現れ、次第に、その両者が近づいていくのが、この映画の見所か。ニアミスをおかしたりしながら、この二つが交わったところで、映画は一挙に結末へと向かうという仕掛けとなっている。両者の捜査の交わる事件というのが、ターミナルビル、駅、交通機関を狙ったイスラム過激派のテロということなのです。殺人を犯す警察官のバックボーンが、両者が交わったところで、ちょろっと出てくるのですが、その内容が判りにくく、また言葉足らずであったり、また、その男の枕元に、家族写真らしきものが置かれているにも拘わらず、それに触れることはなくで、判りにくいままで終わってしまうのが、気になるところなのですが、それを除くと、両者の接近を上手に配置されているために、とってもおもしろく仕上がっていました。お薦めの一品です。




2013年 3月 8日(金)午前 6時 57分

 昨日も、頑張って年度末の仕事。既に新年度に向けた仕事も、目に入ってきています。相変わらず慌ただしい一日でした。で、夜遊びの方は、久しぶりに大阪でコンサートに。「シンフォニーホール」であった「日本センチュリー交響楽団」の定期演奏会で、ブルックナーのシンフォニーの7番が出たのです。このオケの常任の小泉和裕の指揮でした。ブルックナーの前には、なんと今井信子をソリストに迎え、ウォルトンのビオラ協奏曲が付きました。これが、とってもお得で、恐らく、これをお目当てに来られた方も多かったのではないかと思います。自分的には、今まで聴いた今井信子のビオラは当たりが悪かったのでしょうか、かさつく音を出す人と考え、全然聴きに行こうとしなかったのですが、昨日で、完全に変わりました。やはり世界的評価を受けているのはこれだと、実に大きく、豊かな表情を持っているのかと、見方がひっくり返りました。また、そういった技を披露するには、ウォルトンはドンピシャです。ウォルトンのビオラ協奏曲とはと、聴くまでは、すっかり忘れていましたが、1楽章に聴き慣れた旋律が出てきて思い出しました。終わるや否や、ブラボーマン大活躍。納得のブラボーでした。ブルックナーに入るとき、ステージ上に、ヴァイオリンが2人増えただけ。元々二管編成という規模のオケなものですから、かなりのエキストラを必要とするだろうとの予測が外れたのですが、作日は、1階の前から2列目の位置だったもので、バランスはともかくも、ブルックナーを聴くパワーという点では、物足りないなんてことは、一切なし。ただパワーは受けていても、力の配分は、全く解らない端っこの位置。その昔、同じくブルックナーの8番やショスタコービッチの7番を、似たような位置で聴いたときのようには、頭上を音が通りすぎているという感じがしなかったなぁ。流れる音を、横で眺めているという風情かな。だから、結局バランスを掴めてないため、2楽章の繰返しが、またかの感じになってしまうのです。この7番は、弦の分厚い音が要求され、また、それが、この曲の良さなんでしょうが、前の席のため、弦のディテールが、よく解るものだから、そういった意味では、音につやなんてものに、物足りなさがあったことは事実です。でも、総体としては、スケールの大きさ、緩急の変化、ブルックナーを聴いてるぞの雰囲気満載でした。
 1度、コンサートに行くと、また新たなコンサートのチケットを購入し、コンサートに行き続けるということをやっちゃいますが、昨日は、1枚新たなコンサートのチケットを買うつもりで行ったところ、あと2つもいいのを見つけちゃったものですから、衝動買いを含めて3枚もチケットを買ってしまいました。その内2回がブルックナーがらみです。こないなおじさんがいるから、ブルックナーがわりかし出るのかな?




2013年 3月 6日(水)午後 11時 48分

  京都市内遊歩(38)

 今日は、先日の金曜日と似た予定を立てました。午前中に京都でウォーキングを済ませ、それから大阪に移動し「動楽亭昼席」に行くというものです。前回は失敗しましたが、移動中の電車の中で、身体を休めようというものです。ウォーキングの方は、前回同様、伏見区内から上鳥羽折り返しコースです。最近思うことですが、ウォーキングで歩く距離が短くなってきているような気がしてなりません。今日も、そうなんだなぁ。そのわりには、ウォーキング後の疲労は増しているように思えるのです。ま、加齢による結果でしょうが。肝心のウォーキングのコースは、次のようになりました。近鉄「伏見」駅〜醍醐田橋〜田中宮公園〜近衛天皇安楽寿院南陵陵〜安楽寿院〜鳥羽天皇安楽寿院陵〜内畑児童公園〜イタリア料理店「アルフォルノ」〜大宮大橋〜上鳥羽自治会館〜京都市立上鳥羽小学校〜鳥羽大橋〜城南宮〜「赤池」交差点〜下鳥羽公園〜西丹波橋〜丹波橋〜「天明義民柴屋伊兵衛墓所」碑(勝念寺)〜京阪「丹波橋」駅。今日は、予めコースを定めることなく、そのときの気分で歩いていて、前に見慣れない塔が見えたため行ってみると、それが近衛陵であり、鳥羽陵でした。そう言えば、一度通ったことがあるなの記憶。位置関係が分かってなくて出逢った偶然の産物でした。そのちょっと先に、光照寺がありましたから、だいたいの位置は、これでインプットできたはずです。戻りの道は1号線を南下。鳥羽大橋は風情があります。ちょうど名神の南インターのところになります。あとはジグザグに歩いていて、油小路に出たところが、丹波橋通のすぐ近くで、ラッキーな展開に。いいお天気、気温は、最後の方では15度を超えていたでしょう。
 今日は、動楽亭三昧の日。これは、今までなかったこと。ワッハが、この3月で閉鎖となりますから、今後、動楽亭の重要度は、一層増すはずですから、こないなことは、これからわりと起こってきそうな気配です。今日は、ざこばに吉弥が出るということからでしょうね、すごい入り。びっくりでした。その番組は、次のようなものでした。そうば「刻うどん」、雀五郎「初天神」、吉弥「東の旅〜発端・野辺・煮売屋〜」、ざこば「七度狐」、(中入り)、塩鯛「強情」、宗助「らくだ」。そうば、雀五郎という二枚の露払いを受け、まず吉弥が登場。出囃子の「真室川音頭」を歌うという定番のマクラのあと、「今日は普段やらない噺を」と言ってから、たたきについて解説。要するに「東の旅」の「発端」をする準備に入りました。あとのざこばのネタを考えると、二人で「リレー落語」を敢行したということでした。たたきの解説のところで、「発端」の冒頭を、本題に入ってからも「発端」の途中から入りました。ざこばは、負けず嫌いですから、上がるなり、たたきをして見せました。それからはしょるところなく下げまで続けてくれました。ですから、久しぶりに山道を歩く場面を丁寧に聴くことができました。塩鯛も、上がるなり、たたきをしてみせ、ざこば一門で、たたきをできる人、できない人の分類を始めました。直弟子でできるのは、塩鯛とあおば、だけども、塩鯛は「発端」をできないそうです。ただ塩鯛一門は、米二に頼んで、たたきの稽古をつけてもらっているそうです。トリの宗助が上がったのは、ちょうど4時。そこから、まさかの「らくだ」でした。ところが、ここまでほぼ好調だったにも拘わらず、体力が尽きてしまいました。確か、宗助の「らくだ」は初めてだったのですが。記憶に残っている感じで言うと、説明しようとしている宗助が垣間見えてしまったという感じかな。棺桶を担いで出かけるところで、最後は切りました。所要38分でした。
 「動楽亭昼席」が終わると、天王寺のネットカフェへ行き時間調整。夜は、再び動楽亭に戻るのですが、動楽亭の近くのお店でお買い物。自宅近くで買うよりは、圧倒的に安いものですから、動楽亭に行くと、お買い物をして帰るのが常態化しつつあります。夜の動楽亭は、「」という落語会がありました。同期の噺家さん4人で続けている会。初めておじゃましました。その番組は、次のようなものでした。染吉「十徳」、石松「軽業」、二乗「鹿政談」、(中入り)、松五「真田山」、鯛蔵「桜の宮」。染吉の「十徳」は3連続。新しく仕入れたネタかもしれませんね。石松は、わりかし松之助からネタをもらっている貴重な噺家さん。この「軽業」も、間違いなくそうでしょう。おかげで「軽業」の古い形が浮かび上がりました。いきなり神社に入ってくる不自然さが、まずは解決しました。道行的場面があったということが、これで判りました。道端のお百姓と言葉を交わす場面を見せてくれました。ごんぼを作っているお百姓に、はばかり(葉ばかり)を聞いて怒られたりします。次に、もぎ取りのところは、次の4つが出ました。順番通りに記しておきます。「いたち」→「糸細工、貝細工」→「孔雀」→「竹の化け物」というところでした。「軽業」に入ったところでも、口上の男の気合いの入れ方が違ったり、口上のテキストも違いました。いや〜、興味の尽きない「軽業」でした。二乗の「鹿政談」は、基本的な噺の流れなどは従来型。ただ地噺ですから、二乗テイストが入るようにしていました。「真田山」は珍しい噺。聴いたことがあるようなないような怪しい記憶というものです。あばさんの幽霊が出ます。真田の埋蔵金への心残りかと色めかせながら、ダジャレですかされるというもの。そのすかし方が受け入れがたいということかな、出ないのは。「桜の宮」が出る季節になりました。鯛蔵は、やっぱ、この人、素晴らしいです。素晴らしいテンポです。ノリのいいテンポです。序盤は、もうちょっと落とした方が、後半へのクレッシェンドが生きるとは思うのですが、それは贅沢過ぎるかもしれません。鯛蔵が出てくるまでに、既に、この同期生の成長に目を見張っていたのですが、鯛蔵が出てきて、更に上の位置にいるなの印象を持ってしまいました。




2013年 3月 6日(水)午前 6時 26分

 昨日は、一日中、一所懸命のデスクワーク。ほのかに春の旅行が見えてきました。あと半月ほどで出発ですから、仕事の呪縛から早く離れたいのですが、なかなか許してもらえません。だけど、夜遊びは堅実に続けています。昨夜は、混雑の予想される「らくご道ファイナル」を避け「提法寺寄席」に行ってまいりました。普段は、中崎町から行くのですが、昨今日は中津から行ってみると、案の定道に迷ってしまいました。大事には至りませんでしたが、方向音痴には困ったものです。この落語会は、ひろばとそうばというざこば一門の兄弟弟子が、3ヶ月に1度開いている会。その番組は、次のようなものでした。ひろば・そうば「トーク」、ひろば「看板のピン」、そうば「?」、ひろば「七段目」。「トーク」の時間が30分、これは、毎回の定番。そして落語が3席で50分ということで、かなり「トーク」にシフトしてしまいました。その「トーク」の中心は、師匠に付いて行った海外旅行。テレビ会社に予算がしっかりとついていた時代には、3人も弟子が付いて行けたそうです。落語の部は、2人が交代で2席を担当します。「看板のピン」は、先日の「動楽亭昼席」で聴いたばかり。ひろばのマクラがおかしいですね。可愛い博打ネタと言えばいいでしょうか。ひろばの「看板のピン」は、ムダがないというか、テンポがいいというのか、とにかくとっとことっとこ進んで行きます。呆気ないと思うほどの展開。これは、「七段目」にも言えましたが、「看板のピン」の方が、速く感じてしまいます。この会は、経費節減ということでしょう、鳴り物が入りませんが、時々、ハメもの入りのネタが出ます。以前、「狸の化寺」が出たときは間が持たないと思ったのですが、「七段目」が存外持つのです。但し、ハメものが入るところを、ひろばが口で補っていたということがありますが。なんか、稽古に立ち会っている雰囲気でした。そして、そうばの高座は、ほぼダウンをしてました。新作だったのですが、記憶もないうえ、さわりだけでは見当もつかないものでした。ということで、熟睡シリーズ継続中です。生活のリズム自体が狂ってしまってるのでしょう。毎日、3時起きでは持たないですね。

※ 後日、そうばのネタが「必殺仕分人」と判明しました。




2013年 3月 4日(月)午後 7時 20分

 今日は、通常の出勤日ですが、午後からは休暇をとり、京都府立文化芸術会館へ。こちらで、今日は文楽公演があったのです。2月と3月は地方公演の時期。今年は、「桂川連理柵〜六角堂の段、帯屋の段、道行朧の桂川〜」が演目の一つに入っています。中でも「帯屋」を、今をときめく咲太夫さんが語られるとあって、飛びついてしまったのですが、咲太夫さんが語ったのは、チャリ場ではなく奥の方で、チャリ場語りは、呂勢太夫さんの担当でした。「桂川連理柵」は、落語「胴乱の幸助」の本説となる演目。そないなこともあり、またおもしろい演目なので、飛びついてしまいます。今日の発見は、「道行」で見せるお半のギャルぶりです。今まで、お半は、ただただ「長様、長様」で、長右衛門命というひたむきさ一辺倒の女だと思っていたのですが、今日観ていて感じたのは、単にひたむきと言っても、結構自己主張するわ、そう言える自分が嬉しくはしゃぐ仕草まで見せているのです。その仕草は、なんせ14歳ですから、直接的で、甘えながらの仕草にも見えたのです。ま、これをギャルぶりと書いたまでなのですが、そういったことまで連想させる幅の広さを持った使い方をされているのですね。やっぱ、文楽はすごいわ。この「道行」で、お半担当が咲甫太夫さん。次代のエースの高音が、本日の秀逸でもありました。なお、開演前には、ほとんどスタンダップ・コメディばりの解説を相子太夫さんがされるという、まことに贅沢な付録が付きました。




2013年 3月 4日(月)午前 5時 42分

  大阪市内遊歩(159)

 昨日は、久しぶりに朝からお出かけ。繁昌亭の朝席に、気になった会があったためです。朝席の常連「あされん」があったのですが、副題に「女流落語に出稽古の巻」とあったのです。会の主宰者は三弥なのですが、出稽古に行ったと思われるあやめとの接点が思い浮かばず、ならば直に聴こうじゃないかというわけでした。結果は、そういった大げさな話ではなく、出演者が、三弥以外は、全員女性の噺家だというだけでした。その番組は、次のようなものでした。鞠輔「子ほめ」、ぽんぽ娘「半分垢」、ラッキー舞「太神楽」、三弥「初天神」、あやめ「義理義理コミュニケーション」。鞠輔は、久しぶりの遭遇。今回も「子ほめ」でした。それも、師匠の米輔の言葉づかい、顎の動かし方までそっくりなんで驚きます。一つ珍しいところを見せたところがあったのですが、伊勢屋の番頭が、自分ところの旦さんが幸せ者であることを、しつこく言うところがそうです。そのため喜ぃさんが、べんちゃらを言いにくくなるというもの。こないな型、ありましたっけ? 米輔の弟子に、そんなのをやられると考え込んでしまいます。ぽんぽ娘を観るのは、出産後初めてとなります。だいぶと前に復帰していたと思っていたのですが、最近だとか。これは、三弥が言ってました。だから、まだ仕事が少ないと。相変わらずマクラは、抜群におもしろいものがあります。女流で、相撲ネタは珍しいなと思ってたら、「半分垢」はかみさんがボケをかますというおいしさがあるのでしたね。ラッキー舞は、存在すら知らなかった芸人さん。これも、三弥の紹介なのですが、お父さんと二人で出ていたのが、最近ピンでするようになったということです。何がいいと言って、若い女の芸人さんで、身体がキレるところ。ましてや、包丁の芸を持っているというのは大きいのじゃないかな。「恩田支配人にアピールしてもらい繁昌亭の出番をもらえればと思い、今日出てもらったのに、支配人はお休みです」とは、三弥の弁。主宰者の三弥は、時間を気にしながらの口演。朝席は、11時半を過ぎると超過料金が発生するとか。それだからかは判りませんが、虎ちゃんが、飴を飲み込んでしまうところで切り上げました。ここで、既に11時15分。あやめに15分で下りろというのは無茶な話。あやめは、マイペースで、しっかりと自分の空気作りから高座を務めました。さすがの風格です。朝席のお値段で、それが聴ければもったいない話です。
 「繁昌亭」を出ると、今度はウォーキングに移行。あとのことを考え、昨日は、淀川区から西淀川区を目指しました。その詳細なコースは、次のようになりました。繁昌亭〜地下鉄「扇町」駅〜北区役所〜JR「かんじょう129」架橋〜本庄南公園〜本庄公園〜JR「とうかい209」架橋〜豊崎北公園〜淀川左岸〜新十三大橋〜大阪府立北野高校〜新北野公園〜塚本幼稚園〜大阪市立塚本小学校〜大和温泉〜JR「とうかい234」架橋〜江崎グリコ〜歌島公園〜JR「とうかい236」架橋〜JR東西線「加島」駅。今日は、淀川を新十三橋を渡るつもりでコース設定をして歩き出しました。また、橋を渡るまでは河川敷や淀川堤を歩かないつもりだったのですが、豊崎北公園へ着いたとき、公園名が地図に載ってないということで、標識を探しに周囲を歩いたところ、一番淀川堤寄りにあったもので、もう予定のコースに戻る気がしなくなり、そのまま土手を上がることにしました。思いの外、時間がかかるもので、当初は「御幣島」駅方向に迂回しながら「加島」に向かうことを想定していたのですが、新北野公園で無理と判断。地図を睨みながら、できるだけ効率よく、且つ鉄道の線路を無理なくクリアできる方法を考えながら歩いた結果、ドンピシャ2時間で歩くことができました。「歌島公園」から、思いの外、時間がかからなかったのが助かりました。
 「加島」から、JRで「伊丹」に移動。今日の午後は、「AI-HALL」であったA級MissingLinkの公演「或いは魂の止まり木」を観てまいりました。関西の小劇場探しの網にかかり、実際に観てみて、万人にお奨めできるかなと思っている劇団の一つです。舞台上には白っぽいテーブルが一つ、周りに4つの椅子だけが置かれているというシンプルなもの。そこで、一つの家族の物語が紡がれていきます。アルバムに残る一枚の家族写真、その写真撮影を最後に、その家族は離散が始まります。病で亡くなる者、失踪してしまった者から自死した者、もっと単純に都会の大学に入り去って行った者らも。その中で生き残った兄と妹、その母親、亡くなった兄の恋人4人が、去って行った人たちの動向、去るに至ったわけを考えることにより、今の自分を形成しているものを見つめます。「我々の帰ってくるところ」と表現された家族全員が揃っていた家。そこにアイデンティティを探る芝居と言えばいいのでしょうが、ある意味では、そういったテーマ設定は、いかにも陳腐だとの了解の上で、おもしろい存在を提出します。家族が去った家に最後まで残っていた母親が、娘や息子が戻ってきたときに、再婚を発表します。しかも、どう見ても年下の男性と。客席もどよめくびっくりの展開でした。新しい夫は、新妻の元夫、即ち疾走した男の行方捜索にも協力します。過去の姿に、自分たちのアイデンティティを探すというテーマとともに、そこから生きる意欲、生きる活力を探り出そうという試みの象徴として、母親の生き方を焙り出しているように思えました。各自の生きてきた跡の設定はおもしろかったと思いますが、やっぱウォーキング直後の感激は覚悟が要ります。その覚悟をもって臨んだつもりだったのですが、意識が飛ぶところ数箇所。抜け落ちがありますが、テーマそのものは捉まえたつもりです。終演は午後4時半。この時間帯でも、太陽の威力が違ってきています。春まで、もう少しです。




2013年 3月 2日(土)午後 11時 49分

 今日は、朝から、年度末の仕事が間に合わないと思い、自主的に職場へ。そしたら、休日だということで、トイレの改修工事をやってる。はつる音にいらつきながらのお仕事。でも、自分的に設けていた本日の目標は達成。それに気を良くして、さっさと職場をあとにして向かったのは「トリイホール」。今日の午後は、「トリイ講談席〜"八重の桜"サイドストーリー講談〜」があったのです。毎年、この時期は、大河ドラマに絡めてのネタが出されるということで、今年は「八重の桜」に係わる話が用意されたのです。その番組は、次のようなものでした。南青「鉄砲造りの神様 国友一貫斎」、南華「会津藩祖・出生の葵 保科正之」、(中入り)、南湖「幕末の侠客 会津の小鉄」、南海「都を護るのはどっちか 会津藩と新撰組」。今日は、朝から働いたためか、前半がダメ。南華さんの高座など、欠片も記憶がないのです。30分以上の高座でこれですから、かなり強烈なダウン。「鉄砲造りの神様」の方は、日本へ鉄砲が入った後の系譜についての解説は記憶にあるのですが、考えたら、それはマクラ。ということは、前半のダウンの仕方が尋常ではありません。「会津の小鉄」は、生まれと少年時代。少年時代と言っても、立派に侠客としての資質を発揮している。だから、講談の種になるのですね。だけど、この辺の話は、南海さんの続き読みで聴いたような、、、。南海さんは、京都守護職を担当する会津藩が、その仕事を全うできるためにはというところから始まり、人足などを動かせる裏世界に通じる者の存在を伺わせ、新撰組の台頭も、そういった現実世界の中でこそ生まれたことであり、結局、会津藩もその存在を認め、且つ活用していくハメになっていく局面を描いてくれました。幕末の歴史に暗い黄紺には、なかなか頭がついていかない世界ですが、頑張って聴くと、ちょっとだけ解ってきたかな?
 トリイホールを出ると、すぐ近くにあるネットカフェへ。2日連続となります。時間調整をして、夜はワッハの7階へ。「染左開発計画 FINAL」があったのですが、「ファイナル」と謳われています。染左が、年季明け以後開いてきたこの会も、この地をさらなくてはならなくなりました。もちろん、ワッハの閉場絡みです。で、今日の番組は、次のようなものでした。染吉「十徳」、染左「宿屋仇」、卯三郎「風邪うどん」、染左「愛宕山」。染左は、ワッハで最後ということで、大ネタ二つを持ってきました。その内、「愛宕山」の方はネタ下ろしです。「宿屋仇」が40分、「愛宕山」が30分余りということで、染左自身も、マクラを十分ふる時間がありません。あとの二人も同様という進行でした。その前座とゲスト枠も、ファイナル仕様で林家一門で固めました。染吉の「十徳」は、聴き慣れた型とは異なる点がありました。この噺は、数字遊びの噺ですから、それに慣れてもらおうという配慮からか、「十三里」「一八銀行」の謂れを、噺の本筋に入る前にふります。また、十徳を見せるところでは、相手の男を動かすというのもありました。特に数字遊びを入れるという気の効かし方は、新しいやり方と思えますので、誰ぞがやってるのでしょうね。卯三郎の「風邪うどん」は、この間2度聴いた雀三郎の口演と寸分違わぬものでした。テキストも所作もです。帰りしなスレ違いざまに声をかわした常連さんも、それが気になったようで「雀三郎からもらったのかなぁ」と言ってられました。確かに林家で「風邪うどん」が出たのは、あまり記憶がありません。あとで頭をよぎったのは、雀三郎から染二、そこから卯三郎へという流れはありうるかもしれません。頭を床にごっつんと打ち付けるのまで、卯三郎はやってのけたので、枝雀系であることは間違いありません。染左は、まず「宿屋仇」から。確か、このネタを、この会でネタ下ろしをしたときに聴いた記憶があります。兵庫の3人連れの傍若無人ぶりが光る口演で、染左に、初期の頃には観ることのできなかった弾ける口演が、目の当たりにすることができ、大きな成長ぶりを確認することができました。ここで弾けると、侍の存在感が増すうえ、デフォルメなしで存在感が出てくると思うのです。一方の「愛宕山」ですが、春の風景描写がカットされ、かなりがっかり。替わりに、山登りに割かれる割合が増えます。ここを聴かせる噺じゃないと思うのですが。休憩に入ると、お弁当を食べる前に、土器投げを始めます。なんかせわしない。時間を減らすために、染左自身がいじったのか、それとも、そういった演出ものをもらったのか、その辺は判然としません。どうも、黄紺の気に入らない方へと、噺は持って行かれたような不満が残ります。また、いつぞや聴く機会はあるはずだと思いますので、変化の跡を辿れればいいのかなとも思っています。




2013年 3月 2日(土)午前 0時 46分

  京都市内遊歩(37)

 引き続き暖かな一日。このままを維持してくれたらいいのですが、、、。今日は、午前中に京都でウォーキング。旧伏見市内の中心部とその周辺を歩きました。まずは、くねくねした疎水の西側に沿い歩き、伏見区役所の通りを西に。今日は、鴨川すら越えることはせず、阪神高速の少し西側を北上。気がつくと城南宮の入口に立っていました。参道で、椿餅を売ってたので買おうという衝動に駈られたのですが、ぐっと我慢。名神高速道路の南側にあるラブホテル街を抜け、あとはジグザグに京阪の駅を目刺しました。ま、終点が「丹波橋」駅というの場合は、順当なところでしょう。詳細なポイントを記した本日のコースは、次のようになりました。近鉄「伏見」駅〜津知橋〜東住吉橋・京都市立住吉小学校〜顕正寺〜「薩摩島津伏見屋敷跡」碑〜鞍馬湯〜大信寺・大信寺橋〜伏見警察署〜須釜児童公園〜下鳥羽公園〜堀端児童公園〜城南宮〜田中殿公園〜「史跡鳥羽離宮田中殿之跡」碑〜光照寺〜内畑児童公園〜近鉄「竹田第一号」踏切〜京料理老舗「二口屋」〜新門丈2号橋〜伏見郵便局〜近鉄電車架橋(両替町14丁目)〜住吉保育園〜京阪「丹波橋」駅。
 「丹波橋」から「京橋」経由で「天王寺」に移動。ちょっとだけ「てんのじ村」の散策。巡検に向けて、ちょっとでも、この地域を知っておこうとの魂胆です。そして、「動楽亭昼席」へ。今日から、3月席が始まりました。その番組は、次のようなものでした。弥太郎「子ほめ」、ちょうば「ぜんざい公社」、わかば「いらち俥」、九雀「深山隠れ」、(中入り)、よね吉「狸賽」、雀三郎「風邪うどん」。九雀と雀三郎という期待の二人が、よりによって、ごく最近行った二人の会で出たところのネタというアンラッキー。今まで運良くこないなことは、あまり起こっていなかったのですが、、、。今日は、見事にやられました。更に、遭遇機会の少ないよね吉が「狸賽」ではあきません。ちょうばにしても、わかばにしても、定番ネタでお茶を濁された感じ。ということで、肩透かしもいいところだったのですが、そないな中から唯一の収穫と言えるのは、わかばがマクラで喋ってくれた「ざこばご一行ケニアの旅」です。明日放映予定の番組収録用に、ケニア旅行してきたとかで、ナイロビでは、日本大使館で落語会もやってきたそうです。傑作だったのは、番組スタッフが用意した野球のボール、手荷物チェックで引っ掛かった話。確かに世界的にはメジャーでない野球のボールを、初めて見た係官はびびったでしょうね。でも、収穫が、この程度とは寂しすぎます。
 動楽亭を出ると、かなり強い雨。傘というものを用意してなかったものですから、地下鉄の入口まで猛ダッシュ。落語会のご常連の方と顔を合わせたのですが、立ち止まる余裕がないほどのひどい降りでした。そんなで仕方なく、地下鉄で「難波」まで移動。夜の部までの時間調整を、千日前のネットカフェでしてました。夜の部が遅かったもので、たっぷりと「イドメネオ」のDVDを楽しむことができました。そして、夜は、歩いて「心斎橋シネマート」に移動。タイ映画「ゴースト・フライト407便」を観てまいりました。久しぶりのタイ映画です。しかもホラー映画。タイB級映画の香りを嗅ぎ付けると、放っておけなくなるのです。ストーリーはいたって解りやすい。題名にもなっている飛行機には、なぜだか説明はなされないのですが、幽霊が住み着いていて、以前にも一度、幽霊怖さに、乗客同士が殺し合いを演じたという曰く付きの飛行機。そのとき生き残った唯一の客室乗務員が、この飛行機に乗ったのが原因かどうかは判らないままなのですが、また同様のことが繰り返されるというもの。前半は、ホラーですよという感じで、頑張って幽霊を出してるなの感じだったのですが、機内の状況が、どないな方向に進みつつあるのかが判り出してからは、ホラー度が、随分と高まっていき、わりかし満足度が上がっていきました。ただ一つだけ、設定を判らなくして終わろうとしています。主役の一人、前回の惨劇で唯一生き残ったとされていた客室乗務員は、どこで命を落としたのかということが判らないままなのです。既に、前回の事故で死んでいた。下の荷物室で作業中に酸欠で亡くなっていた。最後、父娘が操縦席にいたとき、駆けつけてくる前に、実は誰かに殺されていた、この内のどれかかなと思うのですが、、、。ただ映画としては、B級なんだなぁ。ストーリー展開が躓き過ぎってところが、そうですね。機内のセットも、リアリティに欠けるところがB級っぽいのです。なんて言いながら、楽しんできてしまいました。




2013年 2月 28日(木)午後 11時 48分

 随分と暖かになりました。つい一昨日くらいは寒くてたまらなかったのにです。しかし、もう部屋に閉じこもったままのデスクワークに、肩はこりこり。目は痛いわで、さんざんなコンディションに。そないななか、夜遊びは繁昌亭。今夜は、「天満天神繁昌亭恩田支配人プロデュース "上方落語初の染丸・染二師弟リレー 子別れ上・中・下通し” 」がありました。恩田支配人プロデュースとありましたから、夜席に空きがあったので、繁昌亭の企画で生まれた公演でしょう。これがなかなかいい会があるのです。で、今日の番組は、次のようなものでした。染吉「兵庫船」、しん吉「七段目」、内海英華「女放談」、染二「子別れ(上・中)」、(中入り)、染丸「子別れ(下)」。今日の出番は、繁昌亭主宰らしいこだわりが見受けられます。皆さん、染丸縁の演者さんばかりを集めたのです。染二と染吉は染丸一門の噺家さんですが、しん吉は、東住吉高校で染丸先生の指導を受けているのです。吉朝門下では、あと吉坊と佐ん吉がそうですね。また内海英華は、染丸の勧めで、女放談を始めたと言ってました。そのため、今日は、染丸が歌詞を書いた「京都弁さのさ」「河内弁さのさ」を披露してくれました。こだわりのラインナップのトップ染吉は、あまり前座としては、遭遇機会の少ない噺家さん。謎かけのところで切り上げて下りました。しん吉の「七段目」は初めてじゃないかなぁ。なんでも器用にこなすしん吉ですから、できて当たり前の雰囲気のあるなか、芝居の台詞回しがいいですね。それに対し、所作の切れ味が今一つだったのが惜しいですね。特に人形ぶりが気になりました。そして、今日のメーンエベント、「子別れ」へ。上方では、確か他にはやり手のいない「上・中」を、染二が持ちネタにしたことから、今回の企画が実現したものと思われます。リレー落語の間に中入りが入るという変則形ですが、「子別れ」の場合、繋がりはもちろんあるのだけど、丸で別々の噺っていうか、雰囲気的には異なるものを持っているので、違和感は全くなし。前半は、嫁さんを追い出すところまで。後半は、その3年後、家族の再生譚となります。前半は、飲んだくれでどうしようもない熊五郎ですが、後半では改心して現れるわけですから、なにがしか、後半の再生につながる要素を残しておかないと、あまりに取って付けた噺になってしまいます。ところが、今日の染二の口演では、前半の熊五郎に、あまりにもどうしようのなさを感じてしまうのです。へたれのどうしようもなさを、染二は演じてしまったもので、聴いているのが辛いなと思うと、急に記憶が飛んでしまっています。それに対し、染丸の台詞回しは天下一品。更に襟を一ついじるだけで、客席の空気が変わるほどの説得力があります。ただ、構成の問題として、鰻屋の場面が、あまりにも薄味なのです。もうちょっと勿体をつけてから、元夫婦の再会があった方が、むしろ自然でしょうね。この薄味系の演出を聴く度に、突っ込んでしまいます。やはり企画がいいからでしょうか、客足がとっても伸びた会でした。




2013年 2月 27日(水)午後 11時 46分

  京都市内遊歩(36)

  昨夜から雨、朝になっても雨ということで、計画していたウォーキングはダメかと思っていたら、徐々に止んでいった。ならばということで、午後からウォーキングを敢行。お昼ご飯を、都合でモロッコ料理店で食べた関係で、起点は四条河原町に置いてスタート。今日は南に七条通まで下がり、それから、七条通を大宮通まで行き、今度は西へと、まあボックス型にコースをとり歩いたということです。七条通、大宮通と表通りばかりだとおもしろくないということで、西に向かうときは猪熊通というのだったかな、初めて知った通の名前ですが、だから、また新鮮で、その通を西に姉小路まで、そして東側へと、とっても分かりやすいコースです。目印となるポイントを加えて、コースを整理しておきましょう。四条河原町〜モロッコ料理店「La Baraka」〜神明神社〜京都東洞院仏光寺郵便局〜京都東本願寺前郵便局〜東本願寺〜興正寺〜京都本派本願寺郵便局〜龍谷大学大宮キャンパス〜京都市立淳風小学校〜妙恵会総墓所〜癜g子太神宮〜天道神社〜イタリア料理店「彩々屋こたん」〜中京区役所〜高松神明神社〜ベトナム料理店「la papaye vete」〜イタリア料理店「Corno Rosso」〜「三条東殿遺祉」碑〜京都万華鏡ミュージアム〜京都市立洛風中学校〜京都文化博物館〜総本家河道屋〜京都市役所〜御池大橋〜京阪「三条」駅。
 「三条」から、またしても大移動。昼間に、京都でウォーキングをして、大阪へ移動すると、京阪特急の中は、ちょうどいい身体を休める時間。今日は、電車に乗って早々に爆睡。京橋直前まで寝てしまいました。少し時間が早かったため、鶴橋駅前のネットカフェで時間調整。夜は、「雀のおやど」であった「第116回雀三郎つるっぱし亭」に行ってまいりました。今日は、これと、「ラクゴリラ」派か、講談あくまで追求派かに分かれる日。そんなで、「つるっぱし亭」にしては、客足がもう一つでした。番組の方は、次の通りです。米輝「子ほめ」、雀三郎「立ち切れ線香」、たま「三味線あり」、雀三郎「風邪うどん」。米輝は団治郎の代演。団治郎はインフルエンザだそうです。米輝は初遭遇。入門して、そないに日にちが経ってないときに、大きなネタを手がけていたので、相応の力量の持ち主かと期待していたのですが、その予想は大当たり。言葉一つ一つに、気がこもっているものですから、聴き慣れた「子ほめ」がおもしろくて。ネタの強さを、見事に引き出していました。あとから上がった雀三郎が、慣れてきて余計なことをしだすと、こないにおもしろくなくなりますと、米輝に釘をさしましたが、言い得て妙です。雀三郎の一つ目は、実はネタ出しなしでした。「お楽しみ」というやつで、これが出されていると、何やしらネタ下ろしが期待できます。ましてやもう一つのネタは、ネタ出しされていて、さほど長くない「風邪うどん」なものですから、かなりの大ネタを期待していました。自分的予想は「菊江仏壇」だったのですが、なんと「立ち切れ」でした。雀三郎が「立ち切れをします」と言ったときには、客席からどよめきが上がりました。人物描写では右に出る者がない雀三郎、この「立ち切れ」では、前半の番頭、後半の木ノ庄の女将が際立ちました。落ち着き、風格、愛情といったものが感じられました。それがきっちり描かれると、若旦那の若さ、軽さ、ひたむきさが際立っていきます。これは、大変な「立ち切れ」を聴いてしまったぞの感じがしました。その「立ち切れ」のあとに上がるというのは大変なこと。たまは、マクラで、そないなことを言いながら、米団治の「立ち切れ」失敗名作集から始まり、高座の失敗話で、空気を変えるのに努めてはいたのですが、実は、たまのネタに仕掛けが施されていたのです。「三味線あり」は「立ち切れ」のパロディ噺ですから、雀三郎は「立ち切れ」を出すつもりで、たまを呼び、「三味線あり」をリクエストしておいたのです。そこからの読みを働かせば、雀三郎のネタが読みきれたはずですが、分からなかったですねぇ。小糸の三味線探しで、繁昌亭に問合せに行くところで、普段は出さない雀三郎や雀喜を出して、それを下げに活用するという雀三郎一門ヴージョンになっていたのが、スペシャル・サービスとなりました。だけど、お囃子の三味線さんにとっては大変なネタです。ですから、通常は、呼ばれて出た会では出さないもの。それがネタ出しされていることの不自然さに、早くに気づくべきでした。「立ち切れ」とは、完全に違った高いテンションに上げて、たまが下りると、今度は、再び雀三郎が、自分の空気に引き戻そうとする。今日は、この緊張感がすごく、一期一会の会っていうのは、こういうものを言うのだと思うと、その場におれた幸せを感じずにはおれませんでした。「風邪うどん」の冒頭はというか、マクラで物売りの声を披露するのが、枝雀の定番でしたが、雀三郎は、それを再現。そして、禿げた頭を床に落としたところで、「これは、うちのお家芸です」と、枝雀を強烈に意識させてくれました。この枝雀テイストで、たまの下りたあとの空気を、見事に変えるのですから、すごいものがあります。雀三郎の場合、酔っ払いが絶品ですから、序盤で鷲掴みにされてしまうネタです。もうそれで十分なところですが、雀三郎は、うどん屋の売り声一つで、寒さを表すのですから、すごいものです。前座の米輝を含めて、なんとグレードの高い会だったのでしょうか? 驚きのグレードの高さを感じました。




2013年 2月 27日(火)午前 5時 41分

 年度末の仕事に追いたてられています。来週の月曜日の午後に、ちょっと仕事を休んで遊びに行こうなんて計画を立てたのが運のつきで、とってもきつくなってきたので、この土曜日、誰もいないなか仕事をしようかと考え出しています。かなり鬱陶しいんだけど、ちょっと自業自得と自嘲気味です。ということで、昨日も、定刻を若干過ぎたところで職場をあとにして、玉造へ。今夜は、「第86回猫間川寄席」に行ってまいりました。文我主宰で、毎月玉造で行われている会です。その番組は、次のようになりました。石松「中風小便」、しん吉「鶴満寺」、文我「強欲五右衛門」、(中入り)、福楽「二人旅」、文我「芝居風呂」。この会は、ここまでネタが一切かぶっていません。累計が400席を超えているので、珍品にばかり出逢えるというメリットがあります。「中風小便」は珍しいんだけど、先代福郎の持っていた珍品として知られたネタ。それを、孫弟子の石松が受け継いでいるということが、何よりも嬉しい。ただ「中風」という言葉がキーワードになっていたり、シシババネタに入るものだけに、通常は出ない、出さないネタ。基本は根問もの。その中で、シシの音が本題になってくる小品です。「鶴満寺」は、まだ出る方のネタ。花の名所鶴満寺を舞台に、花見禁制が敷かれたということで、それを破る男たち、袖の下をもらい花見客を入れる寺男の物語です。元来は染丸系の噺ですが、しん吉は誰からもらったのかな? 米朝一門だったら雀々というところなんでしょうが。「二人旅」は、「東の旅・発端」の「野辺」の部分をはしょりながら喋るところからスタート、「煮売屋」までながら、間に、普段カットするところが入りました。都々逸や川柳のやり取りをしていました。ところが、福楽の口演は、「煮売屋」のところが、通常と似ていながら違うのに加え、福楽オリジナルと看られるスパイスが効いていて、これが傑作。まさか「煮売屋」で腹抱えるまで笑うとは思いませんでした。文我と福楽は同期だったということを、昨日初めて知りました。数ヶ月、文我の方が古いようです。福楽復帰祝いということでしょうか。何よりも、福楽が普通の人に戻っただけではなく、不思議な味を持って復帰してくれたのが嬉しいですね。文我の二つのネタは珍品中の珍品。「強欲五右衛門」は、文我がやり始めて、そないなネタがあることを知ったというもの。水に流された長持ちを引き上げるところから、噺はスタート。引き上げると中からは婆さんがという展開。強欲な男と実直な男との対応の違いが、噺を前に進めていきます。「芝居風呂」は、江戸噺の翻案ものらしいネタ。東京で何というのか、自分の知識ではお手上げ。しっかりと聴けば判るだろうと思っていたら、今日は、ここで息切れ。あ〜あ、お粗末。




2013年 2月 26日(火)午前 5時 41分

 寒い日が続きます。もう3月が目の前に来ているのに、この寒さです。手が冷えて冷えてたまりません。仕事も年度末に入り慌ただしさが増してきています。勤務日だけで、仕事を全部こなせるか、だいぶと不安になってきています。でも夜遊びを、まだ欠かしていません。こないなことをしていると、休日に出ていかねばならなくなるかもしれません。が、昨夜もお出かけ。行き先は「動楽亭」。昨夜は、「月刊笑福亭たま」がありました。少し前から始まった笑福亭たまの会。昨日が、初めてとなりました。その番組は、次のようなものでした。治門「つる」、たま「花ねじ」「火焔太鼓」、鶴笑「義経千本桜」、(中入り)、たま「ショート落語」「愛娘」。大変な入りにびっくり。一つには、朝日新聞が紹介したということがあるみたいと、たまは言ってましたが、100人近い入りだったんじゃないかな。客層はつかめないというのは、たまの分析。確かに、マニア風な客は少ないのだが、落語ビギナーはいなさそうという雰囲気。ま、動楽亭まで来るんだからね。会の内容も、客席の熱気に呼応するかのように、とっても充実したもの。治門に、よくあたるようになりました。人なつこそうなキャラが、先輩噺家さんの目に止まるのじゃないかな。「つる」は、前回遭遇したときに続いてのもの。落ち着きを感じました。ゲストの鶴笑は、うだうだ噺から、客席はどよめきっぱなし。義経は、最後、宙乗りを見せてくれます。メーンのたまは、まず「花ねじ」。春を前に、早くも2度目の遭遇。定吉の聞き違えの口上が、よくできています。漢学の先生が、鼻ねじを喰らわされて、梯子ごと倒れる図は劇画タッチ。細かな鳴り物操作と合わせて、たまテイスト満載のネタに変貌を遂げました。「火焔太鼓」のたまヴァージョンも、聴き慣れてくるとしっくりくるようになりました。今日は、結構はしょりすぎてんなぁの印象。序盤、店には丁稚さんが出てきません。お屋敷に参上してからも、三太夫さんとのやりとりが圧縮されています。わりかしおいしいところをはしょっています。「愛娘」は、この日の新作。これがなかなか手のかかった作品。筋立ては、さして複雑ではないのだけど、手が込んだ作品。たまは「大作です」と言っていましたが、そういった部分はある。前半、3歳の娘が、向かいの男の子と、自分の兄の家に出かけると言い、いろいろと妄想を拡げるところが、手が込んでいるのです。「タッチ」が解れば、おもしろさは一入なんでしょうが、、、。その妄想の繰り返しネタ的要素が大きいので、大まかな筋立て自体は単純。後半は、その15年後。実際に、娘に結婚相手ができたときの話となります。一貫しているのは、父親が娘に向ける愛情。そこに、いろいろとデフォルメが施された作品と言えばいいでしょうか。新作ネタ下ろしで、たまの場合、ここまでの完成度の高さを持った作品はなかったかもしれません。




2013年 2月 25日(月)午前 4時 39分

  京都市内遊歩(35)

 昨日も、芝居にうつつをぬかす日と思い、朝9時半をメドにお出かけ。目指したのは、京都の北の果てにある「アトリエ劇研」。ところが、いざ行ってみると、違う公演をやっていた。確かめてみると、黄紺の完全なミス。どうしたのか、日にちを間違っていました。そこで、直ちにウォーキングに切り替え。芝居がはねたあとに考えていたものを前倒しです。京都市内北部でウォーキングができるまたとないチャンスだったので、かねてから狙いの船岡山を目指し、あとはお時間に合わせてのコース設定となりました。その詳細は、次のようになりました。「アトリエ劇研」〜北大路橋〜地下鉄「北大路駅〜大谷大学〜立命館小学校〜日本聖公会京都復活教会〜船岡山〜ライトハウス〜京都市立楽只小学校〜「千本鞍馬口」交差点〜京都小山中溝郵便局〜地下鉄「鞍馬口」駅〜猿田彦神社〜御霊神社〜鶴山児童公園〜「織田信長公本廟」碑(阿弥陀寺)〜出町商店街〜インド・ネパール料理店「タージマハール エベレスト」〜京都府立医科大学附属病院〜京都府立文化芸術会館〜京阪「神宮丸太町」駅。船岡山は、いろんなところから登れるみたいですが、様子が分からないので、一番初めに見つけた東側から入って行きました。あっという間に上に上がってしまいます。「山」とついていますが、地べたのニキビみたいなところですから。でも、一番高いところには、三角点がありました。下るときには左大文字を正面に見ながら歩いたつもりが、案の定分からなくなり、大きな通りに出ればということで出てみると、千本通でした。結果オーライです。あとは、千本鞍馬口から東へ進み烏丸通りまで行き、あとはジグザグに「丸太町」を目指したというものでした。
 ウォーキングが終わると、一旦家に戻りうだうだと。そして、夜を待って大阪へ。「in→dependent theatre 2nd」であった「悪い芝居」の公演「キャッチャーインザ闇」に行ってきました。京都発の人気劇団になりつつある「悪い芝居」の公演を、初めて観ることになりました。今まで、何かとバッティングし観に行けてなかったのです。芝居の筋立ては、3本の違ったグループの話が、同時平行的に進んでいきます。それさえ了解できれば、1本ずつは複雑な展開ではないものですから、頭はついていきます。1つ目は、視力を初めて持った女性が、夫と、妻が視力を持たないことをいいことに家に入れていた愛人とともに、視力を手に入れる直前に見た美しい風景探しをします。2つ目のグループは、養護施設から、施設長の暴力を嫌がり脱走を試みる2人なのだが、その内の一人は、やたらと記憶力が落ちる人間と描かれます。3つ目は、女子短距離で、スピードを追求する選手とコーチ、カメラマンのグループ。共通点は、過去よりより良き未来を求める人たちということ。そこまではいいのですが、追求して追求して、それを続けて立ち止まったところに対し、共通点というものを見出だすことが、自分的にできかねるのです。視力を獲得した女性は、自分の家に戻り、そこが探していた風景だと言います。養護施設から逃げた男は、施設長に見つかります。記憶の悪い男は、施設に連れ戻され、連れて逃げていた男は、記憶の悪い男と別れます。暴力を受けた記憶の悪い男の姿を見て、施設から逃げようとしたのです。3つ目は、速くなることを止めます。そして、止めた際に発した言葉が、よく理解できないまま芝居は進んでいきました。こうやって書いてみると、いずれもが、未来志向で、今後がよくなることを信じ動き倒し、最後には、その動きを止め、止めていることの温もりのようなものを感じています。進歩とか、救済とか、直線的な時間の概念の行き着く先、そないなものの相対化を試みたのでしょうか? 確かめること、それは、きっちり科白の理解が行われてなければならないのですが、しっかりと、それができているという自信がないものですから、想像の域を超えないのが残念です。でも、そういった可能性を感じさせるなら、ちょっと半端じゃないものを感じてしまう芝居です。役者も、とってもシャープな動きを求められ、独特の一体感をもって進行していきます。やはり、この劇団、注目されるだけのことはあるんじゃないでしょうか。
 夜の芝居を観る前、会場に置かれているチラシを見て愕然。朝、京都で観に行こうとしていた芝居の日にちを間違ったわけが判りました。東京公演の日にちを、京都公演の日にちと取り違えて予約を入れてしまっていたのです。Webから予約を入れたのですが、再度見てみると、言い訳じゃないけど、間違いが出やすい構造になっていました。でも、きっちり画面のテキストを読んでいれば大丈夫だったのですが、、、。大丈夫だというのは、京都公演の画面ではないということは、少なくとも判ったはず。じゃ、京都公演の予約フォームは、、、? それが見つけにくい仕掛けになっているのです。ですから、錯覚しちゃったのです。間違いの原因が判り、すっきりした気持ちで、お詫びのメールを送りました。




2013年 2月 24日(日)午前 1時 53分

  大阪市内遊歩(158)

 今週は、週末が2日だけ。それだけで慌ただしい感じがしてしまいます。この週末は、芝居三昧で過ごします。まず、今日は、午後に「in→dependent theatre 1st」であった「パプリカンポップ」の公演「薔薇にポケット」に行ってまいりました。前にも観たのではないかと思っていたのですが、パンフレットを見ていて、今回が初めてだろうと思っています。この劇団の役者さんが、いろいろと客演されているので、そのような錯覚を持ったのかもしれません。筋立ては、黄金色をした薔薇の花を探しに行くというもの。メルヘンタッチとか、ファンタジーというジャンル分けのできる芝居なんでしょうが、登場人物のキャラや展開の妙味という観点から言うと、そんなにいいものではなく、小中校生に見せるような毒気のないものと言えばいいでしょう。後ろの書き割りに、小道具を貼りつけていくことで、場面転換を図っていく手法や、細かな演技に定番的振り付けを多用したりしていたのには見るべきものはあったのですが、それはあくまでも二次的要素にしか過ぎないと思うので、どうしても、どのような芝居を創るかというコンセプトの部分に、抵抗を感じてしまいました。この劇団、次はどうするかな? 可愛い女の子がいるから、もう一回は行くかなってところかな。
 一つ目の芝居がはねると、劇場の前からウォーキングをスタートです。今日は、3月に予定している知人らとの巡検の下見を兼ねてのウォーキング。前半は、その場所として予定している飛田界隈を、行きつ戻りする行程。それから大正区に向かいました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。「in→dependent theatre 1st」〜JR環状線「新今宮」駅〜「紀州街道」碑〜大阪市立萩之茶屋小学校〜阪堺線「今池」駅〜新開筋中央商店街〜飛田〜てんのじ村〜飛田〜阪堺線踏切(天下茶屋北1丁目)〜大阪市立弘治小学校〜地下鉄御堂筋線「花園町」駅〜梅南2公園〜大阪市立松之宮小学校〜大阪市立鶴見橋中学校〜出城西公園〜木津川大橋〜大阪市立大正東中学校〜大浪橋〜JR「かんじょう051」橋梁〜桜川公園〜阪神「桜川」駅。飛田は、その昔、「松虫」の謠蹟探しに行ったときに、道を尋ねに入った写真屋さんが、謠蹟だけではなく、ついでに案内していただいたもので覚えたところ。遊廓跡を、そのままに使っている「百番」も、その写真屋さんが、「今度、宴会を予定しているので下見させて下さい」と言って、中まで案内してくれました。その後、ウォーキングの途中で寄ったりしていたのですが、今度は「巡検」の名の下に歩こうと企画しているので、周辺地域、中でも「てんのじ村」の位置、愛隣地区との位置関係を確かめながら歩いてみました。東と南方向は、しっかりと壁でガードされています。また北は商店街が境目になっていますが、西だけは境目となるものがないことに気がつきました。今日行くまでは、高速道路が境目かと思っていたのですが、高速道路の西側にも、その関係のお店が並んでいました。ですから、動楽亭の南側のアーケード付きの商店街が境目と言えばいいのかもしれません。下見と言っても、遊廓そのままのような店の前をうろつくものですから、やはり声をかけられます。それが鬱陶しいんだよね。飛田を出ると、分かりやすい道を選び、ひたすら大正区へ入れる道へ。今日は、大正区はかすった程度かな。最後は、大阪ドーム方向に向かうか、桜川方向に向かうか迷ったあげく、時間を読める桜川にしました。
 「大正」駅前からバスで難波に移動。いつもの千日前のネットカフェで時間調整。夜は、「ウイングフィールド」まで移動して、「空の驛舎」の公演「ライオンのいる場所」を観てきました。なかなかヘビーな芝居、日本の、いや大阪の、なかでも大阪市の教育現場を舞台にした芝居でした。台本作家ご本人か、作家の近しい方に学校関係の方がおられるのかと思えるほど、生々しさを感じさせる芝居でした。舞台は支援学校、そこでの教員の風景をオムニバス的に描いていきますが、各場面が微妙につながるように作られています。学習発表会のときにビデオゾーンからはみ出した親に対し注意喚起した教員が、モンスターな親にクレームをつけられる話、評価育成システムが教員の中から捨て石作りを呼び起こしている話、監査を前にして慌ただしく動く事務と教員、報告書を求め、何かというと上を気にする発言を続ける教頭、障害を持つ子どもを持つ親と教員の会話、、、。そのような中から、教育の閉塞感を教員の問題にあると焦点化されていったように思えました。自らの留まっている位置を、更にどこに向かおうとしているのか問いかけられる教員、いずれにも答えないのか、答えられないのか、いや答えることを摘み取られてしまっているのか、答えられない教師たち。その教員たちは従順です。人と人との関係性を口にすると、「甘やかし」などという言葉で教頭に一蹴されてしまう教員は従順なのです。組織の人間だから、公務員だから従順に、決められたルールの下に動かねばならないと教頭は言います。そういった教頭の言葉に、観ているものは無味乾燥に聞こえるのですが、舞台の教員は、一切逆らいません。それが異様な感じを与えていきます。観ている者に不快感を与えていきます。外部講師を招いた研修の場面があります。研修計画を出せだのと小うるさい教頭に対し、講師は詰めていきます。「誰が求めているのか」「上って、誰?」と。ここで1度だけ、教育委員会と言ったあと、更に詰められて、教頭が「市長?」と答えます。あやふやな回答をしてしまったかという不安な顔を一瞬のぞかせる教頭。ここで読めた感じがしました。教員の問題性の根源に、そうしむけている力が存在していることを指摘したいのではないかと。ですから、従順な教員を描いているのでしょう。教員にはイマジネーションの豊かさを求めます。関係性を築き、それを見つめる目を求めます。でも、それらを求めようとすればするほど、力との対決が生まれることは容易に察しがつくのですが、それは描きません。描かないという手法を採っているところが、幾つか見うけられます。そうすればするほど気になってくる。そうなんでしょうね、それが、この芝居の狙いなんでしょうね。かなり手の込んだ仕掛けを埋め込んだものです。




2013年 2月 23日(土)午前 6時 10分

 昨日は勤務日ではないのですが、午後から出勤。これで、ようやく1週間毎日の出勤が終わりました。身体が、こうした勤務になじんでないもので、なかなか負担が大きくて。幸い、睡眠時間を確保できた方だったので、無事に乗りきれました。そして、今日の夜遊びは大遠征。「豊中伝統芸能館」での「いきなり(^o^)九雀の日」に行ってまいりました。最低2回は、交通機関を乗り換えねばならない、自分的には、とっても行きにくいところ。でも、「深山隠れ」が出るということで、頑張って行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。治門「つる」、九雀「めざせ落語家作家」、壱之輔「竹の水仙」、(中入り)、九雀「深山隠れ」。九雀のネタ二つは、ともにネタ下ろしだそうです。「めざせ落語作家」は、繁昌亭台本募集の応募作品で、受賞には至らなかったもの。遊方でしたか、受賞には至らなかった作品の中から発掘作業をしているとか言ってましたから、ひょっとしたら、その中で目に止まったものかもしれません。そういった作品だということを、開演前に出てきた九雀が、挨拶がてらに話していたので、楽しみにしていたのですが、昨日は、この高座が跡形もなく吹っ飛んでいます。15分足らずの短いネタだったようです。も一つの「深山隠れ」も、結構後半部分があやしくなりました。結局、山賊退治の噺なんですね、このネタは。ということの確認ができたということで良しとしましょう。主宰者の九雀のところにあやしいところが出てしましたのに対し、他の二人のところは元気と、何か主客転倒です。治門は、おいしいマクラを振りすぎ。オリジナリティーに欠けると、長持ちしません。変な癖を付けないようにしないとあきません。つるの謂れを語るとき、定番の物言いでない言い方をしていたのが気になりました。誰にもらったのでしょうか。下げも聴いたことのないもの。「メスは、今日は、飛んで来なかった」というもので、こんなの言う人いましたっけ? 壱之輔は、前の二人が、早めに下りたので、15分近く、マクラをしゃべっていました。だいぶと、客との距離感を縮める技を身につけたなぁの印象。なんせ壱之輔を聴くのは、実に久しぶりなんですから。ましてや中トリで、大ネタを聴くのは初めて。この人独特の丁寧な喋りは、だいぶと受け入れることができるようになったとは言え、やはり現実離れしている。そこへ、梅団治からもらったのだろうと推測できるフレーズが出てくると、ちょっと引いちゃいました。でも、夫婦ケンカも、宿屋の主人と甚五郎との会話もしつこさがなかったのには、好感を持つことができたのは正解でした。でも、壱之輔で16年目だそうです。それから考えると、こうした大ネタを、どんどんかけていっても、全然おかしくないんですよね。




2013年 2月 22日(金)午前 3時 39分

 昨日も寒かった。手の動きが、ますます悪くなってきているので、この寒さは一段と堪えています。ひどいときには、電車の中でも手袋をしています。職場から最寄り駅まで15分ほど歩くので、手袋をしていても堪えてしまいます。そんなで、夜はワッハの4階。昨夜は、「第413回上方講談を聞く会」がありました。番組は、次のようなものでした。南舟「赤穂義士外伝〜松浦壱岐守〜」、山緑「宮本武蔵〜狼退治〜」、南湖「出世の纏」、南北「大石主税と名刀」、南左衛門「沢村才八郎」。「松浦壱岐守」は、討ち入り当日の話。吉良の隣家の松浦家は、吉良の屋敷を抜け出し、上杉に走ろうとする侍を留め置き、討ち入りを側面支援をします。次の三緑さんは、この2月の1ヶ月間は、大阪で武者修行だそうです。「天満講談席」に続いての出番です。「宮本武蔵」は、神田派では「三方原合戦」に続いて習うネタだそうです。「狼退治」は、南湖さんが、時々出すネタ。武蔵が、新たな剣豪と出会う話です。「出世の纏」も、南湖さんがよく出すネタ。大名お抱えの纏持ちが、仲間の裏切りに遭い、すんでのところでお手討ちになるところを助けられ、逆に侍に取り立てられます。南北さんのところで、今日は、ちょっとあやしくなりました。前半は、主税が2歳のときの話。浅野の殿さんが国入りするのを迎える父内蔵助、それを見に連れて行かれた主税が騒ぎ出す話。その話と刀の話の結びつきが解りません。南北さんの名調子は、睡魔をよく呼び込んでしまいます。「沢村才八郎」は、細川藩初代藩主、二代藩主の時代の話。黒牛を担いで、殿さんの通る道を作った百姓が、足軽に取り立てられ、その男が、、道普請をしているときに、馬で駆け回り食事をしづらくさせるむちゃ侍がいるので、それを懲らしめると逆ギレに遭い、罰せられかけたところ、藩主が城郭より、この様子を遠めがねで見ていて救われるというもの。全く聴いたことのなかった話です。南左衛門は、やはりネタが豊富です。ということで、ワッハが閉まるので、この会も、4月から動楽亭へお引っ越し。難波に行く機会が、かなり減りそうな雰囲気です。




2013年 2月 20日(水)午後 10時 8分

 今日は、いつもより早く出勤しなければならない日。勤務日ではないのに、この仕打ち。朝早いのが、最近、辛くて。でも、早く職場を出れるのは出れるのですが、今夜は、7時開演の落語会。結局、ネットカフェで時間調整。で、夜は、「雀のおやど」での「第18回じゃくったれ」。桂雀太の勉強会です。随分と前におじゃましたきりで、久しぶりになりました。あくの強い噺家雀太、ときに避け、ときに様子見をしたくなる噺家さんです。今夜の番組は、次のようなものでした。紋四郎「千早ふる」、雀太「くやみ」、由瓶「天満奇談」、雀太「猫の災難」。紋四郎は、現春蝶の弟子、なかなか遭遇できなかったのですが、ようやく当たりました。そしたら、この人、とって楽しみな人だということが判明。近頃では、華紋を初めて聴いたときの驚きに似ています。雀太の一つ目は、ネタ出しで「くやみ」。炭屋の大将、別嬪のおなごし、のろけを言う又はんが出てきました。伸縮自在のネタなんで、前の二人が、よくカットされたり縮められたりしますが、今日は、しっかりとやってくれました。次が由瓶。この人がゲストだと、会自体に行くのを躊躇ってしまいます。今日は、雀太の会に無沙汰だったので、躊躇いながらも行ったのですが、ここだけは後悔。ましてや、最も引いてしまう展開になったもので、居心地が悪かったのです。やはり一人よがりのうえ、ただただやかましいのです。叫び倒されると、どん引きです。雀太のネタ下ろしは「猫の災難」。米朝一門では演じ手が少なく、笑福亭の噺という印象の強いネタ。米朝一門では、先代の歌之助はやってましたね。ざこばのネタ下ろしは聴いていますが、その後はやってるのかな? 酒の噺の得意な雀三郎、塩鯛はやってるのかな? そんなですから、雀太が、誰からもらったのかが気になっています。既に登場したときから酔っている主人公。そこから一升酒をやらかすんですから、時間をかけて欲しかったし、酔いの深まりも、丁寧に描いて欲しかったなと思います。でも、雀太のキャリアくらいで、まともに酒の噺をできる人がいないなか、期待するところは大きいですので、じっくりとネタを育てていって欲しいものです。繁昌亭である「あほの会」で、雀太が「猫の災難」を出すとのチラシを、開演前に見ていて、「今日が、このネタのネタ下ろしだったらいいんだけどな」と思っていたところ、正に現実のものとなりました。




2013年 2月 19日(火)午後 11時 3分

 今日は、思いっきり寒かった。おまけに1週間の内、まだ2日目。夜に、ゆっくりとくつろげないのが嫌ですね。ま、夜遊びをしてからゆっくりというのは無理なことを言ってるのでしょうが。今夜は繁昌亭。「繁昌亭デブサミット」があったからです。その番組は、次のようなものでした。石松「鉄砲勇助」、染太「魁!学習塾」、歌武蔵「不精床」、(中入り)、米平「筍」、三金「大安売り」、米平・歌武蔵・染太・石松・三金「デブ大喜利」。東京から歌武蔵を招き、上方を代表するデブ噺家を集めた三金プロデュースの会。歌武蔵を聴けるのと、毎回趣向をこらした「デブ大喜利」がおもしろく、わりかし欠かさず行っている会。お客さんが、もっと入ってもいいのではと、毎回思ってしまう楽しめる会なのです。落語の方は、いずれも軽いものが並ぶのは承知の上。いや軽いネタに真骨頂を発揮するのが歌武蔵。今日は「不精床」を出してくれました。歌武蔵ものでは初遭遇だけに、バンザーイものでした。不精な床屋のオヤジが、何かにつけものぐさで、客は滅多に来ないわ、来ても無愛想に扱い、減らず口まで叩く始末。こうしたネタが、ホントに性に合ってて上手いものです、歌武蔵は。もう大満足。あとは、米平で聴いたのが初めてとなる「筍」が新鮮だったくらい。もう小咄と言っていいくらいの短いネタ。そのため、「筍」に初めて繋がらないような小咄まで、マクラで振っていました。残りの3人は、各自のお定まりのネタ。肝心の「大喜利」は、「白木屋メニューからカロリーの高いものベスト2選び」「某焼肉店7000円メニュー」とまあ、デブネタでのクイズ合戦となりました。てな感じで、遊び心満載の会、表では、二子山部屋のちゃんこがふるまわれていました。




2013年 2月 19日(火)午前 0時 18分

 雨の一日が、1週間の幕開けです。今週は、ほぼフルで働かねばならない1週間。きついんだけど、久しぶりなんで、気を引き締めねばいきません。昨夜は、そのため断酒しました。と言っても、昼間、かなり呑んだからなんですが。で、今夜は、京都で落語会。文化芸術会館の和室であった「第109回桂文我上方落語選〜京都編〜」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。二乗「強情灸」、文我「外科本道」、三歩「悲しみよありがとう」、文我「小間物屋政談」、(中入り)、文我「鷹奴」。今日は、昼間いっぱいいっぱい働いたためか、完全にダウン漬け。最後の変わった噺「鷹奴」を除いて、完璧に聴けた噺はありませんでした。ですから記憶に留まっている範囲でのことをメモることにします。二乗は、最近よく「強情灸」を出します。ちょっとニンに合わない噺ですが、健闘しているのではないかな。関口の隠居が出てきますので、ざこば一門の誰かからもらったのでしょうが、誰なんだろうと、こないだから気になっています。三歩のネタは、恩師のお通夜の席に集まった昔の同級生たちが、にわか同窓会を繰り広げるというもの。マクラで、三歩は、「文枝襲名披露興行」に自分の名前が入ってることを自慢気に話したり、そのプログラムに、自分の名前が入ってるのを見せたりと、これだけでで、たっぷりと笑わせてくれました。相変わらずサービス精神旺盛です。文我は珍品ばかり。「小間物屋政談」は、そないな中でも、大ネタ中の大ネタ。人違いから起こる混乱が描かれます。それに対し、「鷹奴」は、プロットだけが残っているのを再現したのでしょうね。鷹の言葉や、丹頂の言葉が頻発です。結局、鷹匠、水練に長けた男の話になるのですが、それまでの時間稼ぎ的に、擬人化された鳥が登場するという仕掛けです。どうも変な噺です。




2013年 2月 17日(日)午後 11時 45分

 今日は、お昼に息子の婚約者と初めて会いました。京都の老舗料理店で会ったのですが、生涯一回きりの出来事かと思うと、わりかしそわそわ。気がつくと2時間半、喋りっ放しでした。それから、大阪に大移動。時間調整のために、千日前のネットカフェで過ごしたあと、その近くの「トリイホール」へ。今夜は、こちらで「第15回柳亭市馬・柳家喬太郎 二人会」がありました。その番組は、次のようなものでした。ひろば「狸の化け寺」、市馬「薮医者」、喬太郎「彫り師マリリン」、(中入り)、喬太郎「館林」、市馬「妾馬」。珍しい噺が並びました。にも拘らず、最後は「妾馬」、最近、大ネタとなれば、なぜか「妾馬」にばかり遭遇している感じ。市馬の「妾馬」は、おつるの方が「兄八五郎に会いたい」と言ったのが発端になり、八五郎にお呼び出しがかかるといったもの。このお呼び出しの原因は、今まで聴いたものは、全部ぼやかしていました。「お世継ぎを産んだ」からお呼び出しがかかったとだけ言って、それ以上に突っ込んだのは、市馬が初めてでした。ですから、お城に行ったときに、おつるが見えるんですね、すぐに、地の説明がなくても。えらい効果です。となると、入れて良かったのかどうかということが、議論の対象になるのでしょうか。トップはひろば、前座を務めるにはキャリアがあるので、ちょっとびっくり。しかも、東京の二人とは絶対に合わない「狸の化け寺」を持ってくるとは、、。「薮医者」は、聴いたことがありそうで、でもないですね。流行らない薮医者が、患者集めをするために、下働きの権助と芝居をうつ噺。権助が、軽いボケをかまし倒す軽〜い噺です。「彫り師」は、刺青師が後継者を育てるというのが、大きな柱となる噺なのですが、その育てられるのがマリリン。それがヤンキーの空っぽのお姉ちゃんだけど、腕は滅法いいという設定なため、むちゃくちゃな台詞の言い回しが続くという喬太郎テイスト満載の新作。喬太郎作品の中に、刺青を扱う作品があるのは知ってはいたのですが、うまい具合に遭遇できました。「館林」も古典なんでしょうね。勝てさえすればいいと、剣術の稽古をしている八五郎に、正当な剣術指南を行ったところ、それをそのまま応用した八五郎が、ひどいことになる噺。ちょっと猟奇的な噺です。相変わらず、大盛況の会。だから、入るのに並ぶのがかったるいので、皆さんが入り終わった頃に行くのが、この会への対処法。できるだけ、狭い空間に長居はしたくないという方針で、この会には臨んでいます。




2013年 2月 17日(日)午前 6時 37分

 一昨日の金曜日は、昼間は所用がありお遊びは封印。夜も、その流れで出そびれてしまい、結局、どこも行かずの一日。とっても珍しい日となりました。
 昨日は、朝から観能記録の整理。珍しいことをやり出したのは、午後に観に行く能の小本を出そうとして、この1年分くらいが未整理だと気づいたから。結局、整理しきれずにお出かけ。昨日は、京都観世会館での「片山定期能」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。能「絵馬」(味方玄)、狂言「口真似」(小笠原匡)、能「藤戸」(片山幽雪)。狙いは「絵馬」。そこまでの稀曲ではないのですが、生で「絵馬」を観たのは、実に25年ぶりになります。歌舞伎風に言えばケレン味たっぷりの脇能は、出演者も多いということもあり、上演機会に恵まれないもの。「絵馬」の場合は、間として、蓬莱の鬼が出るのですが、狂言方が4人要ります。後ツレだけに2人要ります。後シテは中ノ舞という軽めの舞を舞うのに対し、後ツレの一人は神楽を舞い、もう一人は急ノ舞で神舞を舞います。能の言い方で言うと、風流能と言いますが、こういった見所てんこ盛りこてこての能が、脇能には幾つもあるのですが、神さんの能なんでおもしろくないということも手伝って、なかなか出ないのです、殊に関西では。そないなことで、昨日観に行ったのですが、昨日は、シテを務めた味方玄師もよく、なかなかの見ものとなったのですが、よりによって貴重な間狂言の最中にうとっときてしまいました。間の前半が立ちシャベリというもので、かなり時間調整的なところでボヤーッとしてしまい、肝心の卷属鬼が出てきたところが、あまり記憶にない有り様。次に出逢うのが25年後では生きてられません。「藤戸」は、「絵馬」のお付き合いで観るにしては、ビッグネームが連なりました。シテの片山幽雪師と、小鼓の曽和博朗師は人間国宝。それに、大鼓は、名古屋から河村総一郎師、笛は、甘い音色が魅力の杉市和師、脇方は、脇ツレを含めて、3人も、東京から下宝生の方を迎えるという、贅を尽くした布陣。黄紺は、基本的に、ビッグネームであろうが、おじいちゃんの演能は避けるようにしています。ところが、昨日は、それが幸いして、特に前シテの見せる母親の慟哭が真に迫り、付録的扱いをしていた自分を恥じる気持ちになりました。だけど、話は無茶な話です。馬でも渡れる浅瀬を、土地の人間に聞き出し、そのあと、それが敵にバレてはと、その土地の男を殺すんですからね。母親の慟哭は理解できるというものです。昨日は、幽雪師が出るというからでしょうか、見所は満員の盛況でした。
 観世会館を出ると、歩いて三条河原町へ移動。こちらで、今日は、ネットカフェに入り時間調整。それから、バスで「洛北高校前」まで行き、近くの「アトリエ劇研」で、「ピンク地底人」の公演「散歩する侵略者」を観てきました。「ピンク地底人」は、以前から目を着けていた劇団。同志社大学の演劇部OB・OGで作った劇団のようです。目を付けたきっかけは覚えていません。だいぶと前のことですから。今回、たまたま「下鴨車窓」の公演を「アトリエ劇研」に観に行ったときに、昨日の公演を知り、観世会館のあとに行きやすいと考えっというわけです。「散歩する侵略者」は、「イキウメ」の前川知大の作品。初めての外部作品だそうです。以前、「イキウメ」の公演で観ているので、思い出しながら観ておりました。確実に筋立てが読めたということは、印象に強く残されている公演だったということです。宇宙人が調査のために地球に降り立ちます。そして、地球人から「概念」をもらっていきます。「姉」なんていう具体的なものから、「違い」という抽象的なものまで。「概念」を吸い取られた人間は、その概念を失うという設定なので、人間関係に混乱をきたし人間性に疑いをかけられていきます。一方、「概念」をもらった宇宙人は人間らしくなっていきます。そして、最後に「愛」の「概念」のやりとりで終わるという心憎い作品です。もちろん、「人間って?」という問いかけをはらんだ作品です。既成作品ですし、作品自体が上質なものですから、ちとは知られた劇団なわけですから、やはり演出が、役者が、一番気になるところです。いずれをとっても、次回公演を見に行きたくなるもので、目を付けたかいがある劇団だという印象です。斬新なのは、芝居をしている数人以外、手空きの役者は、壁にへばりついた位置取りで、声で効果音を入れます。その他大勢の雰囲気を出します。効果音を入れるために、壁際に、何本もマイクがぶら下がっています。場面転換を考え、その他大勢の役者が動くので、照明の切り替え一つで、瞬時に場面転換が起こります。人の動きが適切であったかは、若干疑問の残るところもありましたが、発想の豊かさが気に入りました。役者の数が多めだったので、外部の役者も入っていましたが、それぞれがうまいのです。皆さん、20代の半ばから後半でしょうか、京都で、こないに粒ぞろいの人たちがいたのですね。元々の台本がいいのですから、申し分のない公演。いいもの観たぞの感じで帰路につけました。




2013年 2月 15日(金)午前 6時 1分

 今週は、週2日の勤務。ちょうどこのくらいがいいですね。昨夜は、行くのも帰るのも大変な「第339回上新庄えきまえ寄席〜三幸・遊方 二人会〜」。ちょうど1年ぶりにおじゃますることになったんじゃないかな。三幸の当番のときに行けるというパターンが、これで3年続くことになりました。今年は、三幸の一人会ではなく、遊方との二人会となり、えらくそそられるものとなりました。その番組は、次のようなものでした。あおば「強情灸」、三幸「How to プレイボーイ」、遊方「クレーマー・クレーマー」、(中入り)、遊方「憧れの一人暮らし」、三幸「ゴルゴ13(仮題)」。あおばの「子ほめ」以外のネタは初めて。一所懸命さが伝わってきて好感が持てました。マクラの話しっぷりが、まだ噺家口調に成りきっていません。三幸は、去年もそうだったのですが、自分が中心であることを忘れたかのようなネタ選び。もう11年目だと言ってましたが、前座噺っぽい扱いネタで終始するのはいかがなものでしょうか。「プレイボーイ」の方は三枝作品、「ゴルゴ13」は自作。センスの光る三幸テイストが錆び付いた感じがしました。最近、三幸を聴く機会が減っているので、よく解らないのですが、新作は作り続けているのかな? 「ゴルゴ13」では短すぎるし、起承転結がなさすぎじゃないかな。一方の遊方のパワーはすさまじい。ただ本人も言ってましたが、なじみのネタがですぎています。「今度の田辺寄席で封印します」。この日曜日にある田辺寄席でもそうだと言うので、せっかく「割引券を渡します」と言ってたのですが、いただかないで帰りました。確かに「憧れの一人暮らし」は聴きすぎています。




2013年 2月 13日(水)午後 11時 15分

  京都市内遊歩(34)

 今日は、午前中に、「メトロポリタン・ライブビューイング」で、ドニゼッティのオペラ「マリア・ステュアルダ」を観てまいりました。メトでは初演だそうです。黄紺も、個人的にリンツで観るはずだったのが、劇場の都合で、一方的に「ボエーム」に変えられてしましたいわくつきの演目。タイトルのマリア・ステュアルダは、エリザベス女王の対抗馬に担ぎ出され、最後には処刑された「ブラッド・メアリー」のこと。シラー原作ものをオペラ化したものなのですが、既にマリア・ステュアルダは、捕らえられているところから、話は始まってしまいます。ですから、マリア・ステュアルダの身柄の扱いが主たるテーマ。また、その扱いが、自由にする話から処刑までと、めっちゃ幅が広いときている。ちょっと付き合いきれない設定。更に、マリア・ステュアルダとエリザベス女王が、レスター伯を巡っての恋敵という設定が加わってくるので、もうくらくらしてしまいます。ですから、自分的には、無理筋と映ってしまい、あまり触手の動かない演目なのですが、二人の女性を、そういった設定にしてしまったものだから、能で言うと、両シテ的なオペラになっています。それが聴きものだから聴いてしまうという演目なのです。今日は、マリア・ステュアルダを、美人歌手ジョイス・ディドナートが歌い、エリザベス女王を、南アフリカの若手歌手エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー(名前からするとオランダ系ですね)が歌いました。これは、聞き応えがありました。メトロポリタン歌劇場は、テューダー朝三部作を、相次いで舞台化するそうです。既に、「アンナ・ボレーナ」は、ネトレプコをタイトル・ロールに据え済んでいますから、来年あたり舞台化される可能性があります。タイトル・ロールだけではなく、こちらにも登場するエリザベス女王は、誰が歌うのでしょうね。大きな楽しみができました。
 オペラが終わると、映画館の前から直ちにウォーキングに移行。今日は、四条烏丸辺りで買い物がしたかったので、まずそちらに回り、そこから五条を迂回してから祇園を通り抜けてなんてことを考えていたところ、東洞院通を南下していると、急に気が変わり、西に向かいたくなり、松原通を西に向かい、ほぼ1時間後に、違う道を折り返すことにしました。果ては、五条七本松下るで、帰りは、高辻通を東に向かい、祇園を抜け三条駅に向かいました。その詳細なコースは、次のようになりました。MOVIX京都〜生祥児童公園〜京都市立生祥幼稚園〜ベトナム料理店「コムゴン」〜スペイン料理店「フィゲラス」〜京都東洞院仏光寺郵便局〜新玉津島神社〜「丹波国亀山藩京屋敷跡」碑〜「親鸞聖人御入滅之地」碑〜五条天神宮〜京都大宮松原郵便局〜京都市立松原中学校〜京都産業大学付属中学校・高校〜京都市立光徳小学校〜光徳公園〜京都市立朱雀第三小学校〜五条七本松交差点〜京都市中央卸売市場第一市場〜JR山陰線「丹波口」駅〜京都中堂寺坊城郵便局〜インド料理店「RAJU」〜松原幼稚園〜「道元禅師示寂之地」碑〜菅大臣神社〜繁昌社〜仏光寺〜タイ料理店「仏沙羅館」〜仏光寺公園〜団栗橋〜ウインズ京都〜祇園甲部歌舞練場〜京都祇園郵便局〜京阪「三条」駅。京都の街中を歩いていると、思わぬものに出逢う機会が多いのは、歴史の深さが示す通りですが、松原通というところは多い方じゃないかな? そういった意味では、今日のウォーキングは、いい巡検になったということです。最後、わざと団栗橋を渡り、祇園方向に足を進めてみました。外国人が、こないな季節なのに、多いですねぇ。さすが祇園です。
 「三条」からは、大移動で「京橋」へ。ネットカフェで時間調整をしたあと「天満橋」へ移動。夜は、「常盤漢方薬局」であった「第11回かつらふくまる研鑽会」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。飛梅「子ほめ」、福丸「寿限無」、染弥・福丸「対談」、(中入り)、染弥「おごろもち盗人」、福丸「代書屋」。飛梅は、落ち着いて喋ると、なかなか達者な喋りができます。今日のようなキャパで、研鑽を積み上げることなんでしょうね。それに、細かなギャグを入れるのはいいのですが、精査を忘れないようにして欲しいものです。福丸は、まず「寿限無」。ネタに入ると、通常の進行なんですが、マクラの出来が良くて、あとから出てきた染弥に、お褒めの言葉をいただいていました。番組表には、中トリに染弥と出てたのですが、急遽変更で、中トリの位置に「対談」が入りました。福丸によると、「実験コーナー」の替わりだそうです。ま、染弥と言えば、楽屋噺のトークでは、右に出る者はいないというのが、今や幕内だけではなく、広く落語ファンに知られているので、どうぞどうぞの反応。その内容は、さすが書くわけにはいかないものだけど、やはり可笑しい、大受けでした。楽屋も受けてたもんなぁ。ここに「対談」が入ったため、染弥の高座自体は、中入り明けに。染弥では、「おごろもち盗人」は初めてでしょう。くすぐりに、楽屋噺を入れるサービス精神旺盛な染弥です。福丸の二席目は「代書屋」。春団治一門だからやらないとという気持ちでやったのか、それとも、ニンに合わないネタへのチャレンジ精神で選んだのか判りませんが、外しました、すべりました。代書屋の落ち着きも、田中彦次郎さんも、ともにわざとらしいキャラにしか見えず、正直聴いているのが、きつくなっていきました。「猫の災難」のハズレに次ぐハズレになりました。船場ものなんかにこそチャレンジすれば、まずは大きく外すような噺家さんじゃないと思うのですが、むちゃもん的キャラの出てくるネタに、手を着けようとします。確かに、今は仕込みの時間だから、これでいいのだとも思うのですが、、、。




2013年 2月 12日(火)午後 11時 38分

 今週は、1日勤務日が少ないだけでにっこり。だけど、年度末に近づくにつれ、仕事が慌ただしくなっていきます。でも終わった途端に、オペラ紀行に出発だから、それを楽しみに頑張りましょう。今夜は、ワッハの4階であった「らくご道〜笑福亭生喬と桂南天の落語会〜」に行ってまいりました。もう、この会も、あと3月だけとなりました。今日の番組は、次のようなものでした。生喬「前説」、南天「夢八」、生喬「天王寺詣り」、(中入り)、生喬・南天「対談;夕焼け日記」。生喬は、「前説」で、自分が受けた様々な検査の報告。松喬から、「早期発見、早期治療」を徹底されているかはらとか。ま、松喬に言われると堪えるでしょう。今日のネタは、ともに鳴り物入り。3ヶ月に1度の割合で行われてきたものも、今回が最終となりました。南天は「夢八」でした。変わった話です。のべつ夢を見る男が主人公です。そんな男に、首吊り自殺をした死体の番をさせるというもの。ですから、南天は、本題に入る前に、夢を見て失敗した話を入れます。主人公の失敗談としてです。その話が唐突で傑作です。植木屋の梯子持ちの仕事をしていて、そのまま夢を見てしまい、夢の中で、山羊に突進されたので思わず身をかわした、そしたら身をかわしたのだけが現実で、梯子を横にふっていたというもの。よくも、こないな間抜けな話を考えつくものです。これがあるので、ネタを普通に演じるだけで可笑しいのですから、効果抜群でした。生喬の「天王寺詣り」も、とってもいい出来栄え。へたすると、ガイドツアー落語なもので、単調な繰返しに終始してしまう恐い噺。生喬の良かったのは、アホな男に付き合い、天王寺へ連れていった甚平衛さんの落ち着き。変におさまって、同じテンポで応答する甚平衛さんじゃないのが、生喬の腕ってやつです。ディープな落語ファンに圧倒的支持を受けるお二人の会が終わるのは、とっても悲しいこと。あくまでも会場の都合での終了なのですから、再会は時間の問題と信じてはいるのですが。




2013年 2月 11日(月)午後 10時 32分

  大阪府枚方市(13)〜寝屋川市(41)

 今日も、とってもいいお天気。昨夜から若干気温はましになってきたかなの雰囲気。今日は、昨日予定していながらできなかったウォーキングを、午前中にもってきました。午後の予定を考え、9時前にはお出かけ。今日は、久しぶりに枚方市内を中心に歩いてみました。その詳細なコースは、次のようになりました。京阪「枚方市」駅〜カトリック枚方教会〜枚方市立枚方小学校〜枚方市立枚方幼稚園〜鷹塚山保育園〜枚方市立枚方中学校〜枚方香里ヶ丘五郵便局〜枚方市立五常小学校〜以楽公園〜枚方第四中学校〜山田神社〜枚方市立南部生涯学習センター〜枚方市立開成小学校〜五本松交差点〜香里の森公園〜京阪「香里園」駅。まず、京阪電車が「枚方市」駅から出て「枚方公園」駅に着くまでの間、左方向に見える丘に向かいました。この辺りは、古い枚方が残るところですが、滅多に通らないところ。住んでる人は別でしょうが、駅近にありながら通らないところなのです。そうだからでしょうか、古い街の雰囲気が残っているのです。そこを抜け1号線を越えようとしたら、とんでもありません。下をくぐるトンネルを期待していたのですが、見事にハズレ。恐い側道を歩き、ようやく横断歩道を発見。枚方公園から伸びる道を歩き、今度は山田神社へ。実は、そのあと郡津方向に入ろうとしていたのですが、山田神社に上がったところで、もう1時間近くかかっていたため、念のために断念。午後の予定が、後に迫っていたので、用心をしました。となると、あとは香里ヶ丘の高級住宅街を抜け「香里園」駅を目指すだけという、あまり楽しくないコースとなりました。「香里園」駅には10分ほど早く着いたので、最後は、駅を大きく迂回してから駅に入ることになりました。
 「香里園」から「天満橋」に移動。そして歩いて「繁昌亭」に移動。今日の午後は、「繁昌亭昼席」でした。狙いは「戸板返し」。米朝一門の若手総出の会で披露したものが、繁昌亭の色物として採用されたのです。その1週間で、今日だけが、銀瓶がトリをとるというので行くことにしたのでした。それらを含めての番組は、次のようなものでした。佐ん吉「犬の目」、ひろば「看板のピン」、岐代松「ん廻し」、絵馬「紙切り」、瓶吾「桃太郎」、文喬「住吉駕籠」、(中入り)、ひろば・佐ん吉「戸板返し」、福郎「ホームメイド正子」、一蝶「昭和任侠伝」、銀瓶「持参金」。佐ん吉は、もう前座の喋りではありません。余裕があり、幾つも医者の小咄をふってからネタに入りました。今日は、ひろばのところだけ、半分ほど意識が跳びました。ウォーキングのあとにしたら優秀です。博打のマクラをふったので、てっきり「狸賽」だと思ったら、「看板のピン」でした。岐代松は、更に余裕の高座。定番の十三ネタで暖めに暖めて「ん廻し」へ。最近はやらない原型で、ほぼ通してくれたのが、嬉しかったですね。絵馬は、東京からの来演。女流でした。美術の心得のある人と看ました。ちょっとしたアクセントを入れるのが憎いですね。瓶吾、文喬と、レトロな雰囲気。後半も、福郎、一蝶と、似た雰囲気が続きました。才走った感じはないけど、ゆるい雰囲気が、存外いいものです。「戸板返し」は、戸板に見立てた板の前後で入れ替わりながら踊るというものだけど、そのままやると面白味に欠けるということで、ひろばがボケ役に回り、自分が前に出たときは、踊らないで他のことをするという趣向。何か変なんで、二人一緒に踊ると、しどろもどろになるという仕掛け。トリの銀瓶は「持参金」でした。かなり台詞が増えていました。それはそれで面白いのですが、言葉づかいに統一性を維持して欲しいなとは思いました。しかし、銀瓶クラスがトリで出てくると爽やかなものですね。
 繁昌亭を出ると、天満駅近くのネットカフェで時間調整。そして、歩いて「テアトル梅田」まで行き、夜は、ドイツ映画「東ベルリンから来た女」を観ました。これがなかなかいい映画で、目を着けておいて大正解。話は、1980年の東ドイツの地方都市の病院が舞台。バルバラと女性医師がベルリンからやってくる。ベルリンから来るというのは、左遷を意味し、そのわけは西側への出国申請したからのようだということが判ってきます。バルバラは、それでも諦めず、恋人の外国人(西ドイツの男かもしれません)の手配により密出国を試みようとしています。一方で、医師としての責任感も並々ならぬ人物であるため、気になる患者の面倒見が頗るよく、また見立てもなかなかのもので、医師としての腕も確かなのです。そのバルバラの同僚に、赤ひげのような医師がいます。バルバラとは、医師としての才覚は認めあう間柄になっていくとともに、男の方は、ほんのりと恋心を抱いているようになっていきます。クライマックスは、いよいよ密出国の手配が知らされ、決行の日になります。が、その日は、目をかけていた患者の手術の日。そないなときに、過酷な労働に耐えられずに作業所から逃げてきたステラという女の子が、バルバラに助けを求めに転がり込んできます。さて、バルバラはどうしたのか、それが、この映画の結末です。もう一度書きます。いい映画です。ドイツは、現代史の中で、特異な経験をしてきた国です。ですから、豊富な枠組みを、映画作りに提供してくれます。ですから、その分、ドイツ映画って、面白いのでしょうね。




2013年 2月 10日(日)午後 11時 29分

 今日も寒いけど、いいお天気。予定では、午前中にウォーキングをしてから落語会に行くつもりをしていたのですが、朝からぐずぐずとしていたもので、あえなく時間切れ。できた時間は、DVDで「ローエングリン」を観ていました。きっちり、春のオペラ紀行の予習ができました。そして、今日の午後は、久しぶりに「サンクス寄席」に行ってまいりました。なかなか「サンクス寄席」の情報が入らないものですから、かれこれ3年ぶりくらいじゃないかなぁ。なかなか好メンバーが揃う会なんで、もっと頻繁に行きたい会なのですが、、、。今日の番組は、次のようなものでした。雀太「色事根問」、たま「みかん屋」、染二「質屋芝居」、千朝「一文笛」。番組表を見たとき、わりかし聴き慣れたネタが並んだなの印象。雀太は、前座で上がると、よく「色事根問」を出しているような気がします。たまの「みかん屋」は、最近出すようになったもの。甚平衛さんとの対話を、1回分減らす納得の刈り込みが冴えます。たまベストの中に入れてもおかしくない上出来の高座でした。「質屋芝居」は、この番組の中では、最もヘビーなもの。こうしたネタが、このような地域寄席にすっーと入り込んでくるのが嬉しいですね。昔と違うところです。定吉が芝居を始めるところだけを子ども言葉を使うといった心づかいが、染二の細やかなところ。期待の千朝さんは、またしてもかと思う「一文笛」。どうも、最近「一文笛」が、いろんなところで出すぎ。ということは、「一文笛」に当たる確率が高いということを意味しているのでしょうが、、、。だから、今日は、千朝さんがマクラで言ったアンパンマンの話をありがたくいただいておこうと思いました。わりかし短めのネタが並んだ関係で、2時開演、3時40分には会場から出ていました。
 落語会が終わると、阪急「吹田」駅まで歩き、そこから「日本橋」へ移動。いつもの千日前のネットカフェで時間調整をしたあと、歩いて「ウィングフィールド」へ。今夜は、こちらであった「南船北馬」の公演「ワタシのジダイ〜昭和生まれ編〜」に行ってまいりました。この劇団は、前々からチェックを入れてながら、実際に観るのは初体験でした。舞台は、スペースに廊下状に設えてあり、客席は両サイドにあるという変わったレイアウト。芝居自体が、「終活ツアー」に参加した人たちが、迷路を進んでいくものなので、廊下状の舞台が、その迷路となっているのです。そして、その廊下状舞台の突き当たり2ヶ所にスクリーンが設えられていて、そこに二択の問いが映し出されるという仕掛けになっていました。それが、迷路を先に進む各所にあるという設定なのです。序盤の二択は、戦後史を復習するようなもので、全員一致で迷路を進んでいくのですが、徐々に意見が分かれていくようなものが用意されていきます。人生観を、個々の参加者が表さなければならない問いかけから、ゲーム感覚的な問いかけまで、統一性があるわけではありませんし、実際、芝居の終わりにゴールに達するというものではないのです。迷路ツアー継続中で芝居は終わるのです。用するに、各設問に対し、各自が意見表明する中で、個々の歩いてきた道、またこれから歩んでいこうとしている道が見えてくることを狙った芝居だったのです。更に面白かったのは、各設問での、皆の判断が固まり、更に歩を進める前に、一人ずつが、「12年後の自分」に宛てた手紙を読むという場面が用意されていました。いいアクセントとなるとともに、ぼやーっと、そこまで印象づけられてきていた人物像が、よりクリアになるところで、芝居が締まる時間帯となりました。その手紙には、役者さん(役者専門の人は2/7かな?)の個人的体験を脚色したものと思われます。ちょっと直接的過ぎる芝居なので、決して両手を挙げて好きにはなれない芝居なのですが、昨今、この手の芝居が少ないものですから、逆に新鮮で。年配の方ばかりの出演で、単に演じるだけではない台本との対話の上に成り立った芝居なのかと思うと、いいもの見せてもらえたなの印象が残りました。




2013年 2月 10日(日)午前 7時 18分

  大阪市内遊歩(157)

 昨日も、一昨日に続き寒い一日。お出かけは11時がメド。まずは、「一心寺南会所」へ。今年初めての「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。そのの番組は、次のようなものでした。真山誠太郎(真山裕子)「長兵衛男の花道」、三原佐知子(岡本貞子)「亀甲組木辻の廓」、天光軒満月(紀之本孝子・美勝勝廣)「父帰る」、天中軒雲月(沢村さくら)「徳川家康人質から成長迄」。昨日は、この浪曲席がダメでした。どうも昼間がダメみたいです。真山誠太郎のネタは、播随院長兵衛が、水野の屋敷に出向き殺される話。この話、陰惨なものなので好きじゃないなと思って聴いていたところまでは記憶があるのですが。長兵衛が女将さんに、殺されるかもしれないが、水野屋敷に行かないと町が大騒動になるから行かなければならないと話してるところまででした。長兵衛が匿っている白井権八の物語は、浪曲はもちろん、講談でも聴いたことがありません。実はダウンをするなら、満月さんのところだといいなと思っていました。満月さんは、ネタが少ないからでしょね、「父帰る」ばかりに当たるものですから。そしたら最悪だったのが、三原佐知子さんのところ。戦争ものではなかったのですが、昨日のネタ、幸い以前に聴いていました。トリの雲月さんは、大阪ではあまり出ないでしょうからと、徳川家康もの。竹千代時代から元服後の時期に、2回人質になり2回とも生還した話です。そないに山のあるネタでなく、淡々と進みました。口演後、ご自身がCDにして発売されている歌2曲の披露がありました。その内1曲は「雪の南部坂」でした。
 浪曲寄席が終わると直ちにウォーキングに移行。あとの予定を考え、JR東西線のいずれかの駅に達するようにと歩いたコースの詳細は、次のようなものとなりました。一心寺〜地下鉄「恵美須町」駅〜大阪市立恵美小学校〜大阪市立木津中学校〜大阪市立大国保育所〜浪速大国郵便局〜JR環状線「芦原橋」駅〜大浪橋〜三軒家中央商店街〜大正三軒家郵便局〜JR「かんじょう046」橋梁〜岩崎橋〜大阪ドーム〜「辰巳橋」交差点〜大阪市立九条北小学校〜安治川トンネル〜此花スポーツセンター〜西九条西公園〜大阪市立西九条小学校〜大阪市立新家保育所〜大阪福島新家郵便局〜大阪府立西野田工科高校〜「松下幸之助創業の地」記念碑〜海老江公園〜JR東西線「海老江」駅。一心寺から西へ西へ向かい、環状線に沿い北上し大浪橋を渡り大正区に入り、大阪ドームの西に沿って北上、安治川トンネルから此花区へ。最後は、お時間に合わせて、大回りをしながら「海老江」駅到着というもの。わりかしウォーキングでは、よく通るところなんだけど、実は、この地域を歩くのは、今年になって初めてのことでした。寒さ厳しい中でのウォーキングでしたが、体はほかほか。着ていたジャンパーの前は、チャックを途中から下ろしたままのウォーキングとなりました。
 「海老江」から「大阪天満宮前」まで、JRで移動。駅上のおなじみのネットカフェで時間調整。今夜も、夜は繁昌亭でした。今夜は「笑福亭福笑一門会vol.7」があったため、繁昌亭は外せなかったのです。その番組は、次のようなものでした。たま「話し方教室」、福笑「六尺棒」、(中入り)、たま「百年目」、福笑「狼の挽歌」。たまの「百年目」と福笑の「六尺棒」は、自分的には初物。「六尺棒」は、東京ネタ。福笑が、このネタをするというのは、この会のチラシで、初めて知りました。若い頃にやっていたという記憶もないので、ひょっとしたら最近手がけるようになった新ネタかもしれません。ただ意外や、福笑の手が色濃く入ったものではありませんでした。ですから、どのようなかげんで手がけたのかが謎のままです。「百年目」は、たまが、自身の会「微笑落語会」で下ろしたもの。そのときも、そうだったし、それ以後も出たときには行けないを繰返していたもの。米朝の思い入れや同一門の稽古話を聴くにつけ、五代目松鶴の記録で覚え直したそうです。どうも重厚な「百年目」を聴き慣れているためか、たまの口演にはなじめません。番頭が軽く感じるのが、最大の原因でしょう。冒頭、店の者に意見をするところの重さがあってこそ、そのあとの花見との対比のおもしろさが出てきます。終盤、旦さんが締めますが、その前にいる番頭が軽すぎても、旦さんが調べた内容と辻褄が合いません。内なる軽さと外面の重さを出さないと番頭にならないと思うのです、この番頭は。だから難しいのでしょうね。終盤の旦さんの語りでもそうですが、いきなり旦那の謂われが始まったように、カットが過ぎたんじゃないかな。無用の用的な部分、即ち登場人物像の補強になっているようなところが刈り込みされすぎたような気がしてなりません。「話し方教室」は、たまの新作の中で傑作の一つ。後半の展開の意外性が気に入っています。その意外な展開に合うように、前半部分でネタふりがされているのが、これまたすごいところ。「狼の挽歌」は、言わずと知れた福笑作品の名作。出入りをしてきたヤクザ2人がタクシーで逃走する中でのドタバタが傑作中の傑作。最後は、警官隊との銃撃戦になりますが、そこで「らくだ」的な逆転が起こるのがミソです。この会の人気は凄まじく、立ち見まで、毎回出ます。そして、2人で、中入りを入れて2時間半ヒーヒー言わせるんだから、とでもない一門会なのです。




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