忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


「黄紺のお部屋〜紀行編〜」



2014年 3月 2日(日)午前 6時 30分

 昨日は、全日勤務日。ただ黄紺には、午後からはあまり仕事はなかったので、休暇をとり大阪市内へ。なんせ、世間は土曜日ですからね。まず行き先は「動楽亭」。今日から始まる昼席に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。小鯛「平林」、吉の丞「化物使い」、南天「いらち俥」、米左「愛宕山」、(中入り)、米二「始末の極意」、文之助「一文笛」。行く前から予想していたことが的中してしまいました。一昨夜の睡眠時間が3時間半ほど、おまけに午前中の仕事は立ちんぼの仕事。眠りこけてしまいました。どうやらいびきまでかいてしまったようで、隣に座っていた方から睨まれてしまいました。もうサイテーです。完全にまともに聴けたのは「一文笛」だけ。その「一文笛」がヒット作なのです。文之助の「一文笛」って、ピンと来ないのです。最初、マクラで泥棒ネタをふるものですから、何をすのが判らなくて、そしたら一転してスリに絞ったものですから、頭の中が大混乱。文之助と「一文笛」が結びつかなかったからです。聴かせていって聴かせていって、最後にストーンと、ほぼきれいに落ちたんじゃないかな。ほぼというのは、文之助の軽いタッチの口調が、ちょっと、子どもの身投げ話のところで、災いとなったかなと思われたからです。あとはまともに聴けてないのですが、吉の丞の「化物使い」は惜しいことをしました。今、このネタをする噺家さんが、とっても少ないものですから、ネタの復習をするに、いい機会だったのですが、半ば以後は、意識が飛んでしまってます。「化物使い」を、一番最近聴いたのも吉の丞でしたね、確か。なお、南天は雀喜の代演。雀喜がインフルエンザでダウンしたからだそうです。
 動楽亭を出ると、外は雨。歩いての移動を考えていたのですが、雨では仕方ありません。御堂筋線で「難波」に向かい、昨日も、千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は「応天院」であった「満月動物園」の公演「ash Melody 〜遺灰の歌〜」を観てまいりました。新たに劇団員として、二人が加入したこともあり、10年前の初期の作品の再演だそうです。10年前と言われても、10年前には、この劇団の欠片も知りませんでしたから、自分的には新しい作品を観るのと、全く変わりはありませんでした。ただ幾つか、この劇団の公演を観てきていますが、明らかにタッチの違う芝居だったものですから、新鮮であったことは間違いありません。舞台は、背後に箱を置いて、一段高い部分が、左右対称に作られているだけというシンプルなもの。但し、全面白い布で被っているのが特徴。その白い布に、プロジェクターを用いて、CG映像と文字を投影するという手法を多用するのが、大きな特徴と言えます。ただちょっと使いすぎ、しかも同じパターンが多く、あまり好意的には観ることはできなかったな。舞台設定は、架空の世界。色んな国があり戦争が絶えない世界。その世界に生きる2人のウタビトが主人公となっていますが、もう一人加えてもいいんじゃないかな。一人は、突然姿を消した父親を探し求める女、次の一人は、ギター弾きの弟とともに広場で、毎日歌を歌う女、そして、もう一人は、各国の王のもとを巡り歌を歌い歓迎されたが、突然、若くして姿を消した女が、交わる一つの国、一つの町のクリーニング屋が舞台。それぞれの過去が明らかになるにつれ、各自が係わってきた戦争の影が明らかになってくるという仕掛けとなっていました。その一方で、「言葉」について発信する台詞が各所で出てきました。それとの関連が判らないのです。基本的には反戦の意識を感じさせる佳作です。そういった意味でいい台詞がありました。何度か繰り返される中で、ようやく終盤、共感しあえる反戦の意味合いが理解できたところで、そのいい台詞が入ってきました。哀しみの怒り、怒りを否定し、哀しみを推す台詞が、ここまで下がってもいいのかとさえ思わせられる優れものの言葉。哀しみには哀しみの歌をウタビトは歌おう。怒りを哀しみに転化させるような哀しみの歌を歌おう。怒りの連鎖、憎しみの連鎖からは、何も生まれるものではないとの強いメッセージを感じました。消極性が積極性を生む力となりうるということなのでしょう。こういった発想からくる言葉に出逢ったのは、初めての経験と言えます。




2014年 2月 28日(金)午後 11時 55分

  大阪府守口市(70)〜大阪市旭区、東淀川区〜吹田市(7)

   今日は、雨があがりました。だけど、あまりいいお天気ではありませんでした。そないななか、午後1時をメドにお出かけ。まずはウォーキングです。夜の行き先を視野に入れてのコースの選択は、淀川を越えるコースとなりました。そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「守口市」駅〜守口市立第三中学校〜梅園歩道橋〜守口市立滝井小学校〜地下鉄「太子橋今市」駅〜大阪市立太子橋小学校〜太子橋南公園〜城北公園〜菅原城北大橋〜大阪市立新東淀中学校〜大阪府立北淀高校〜阪急「上新庄」駅〜新庄歩道橋〜もみの木保育園〜高浜橋〜吹田大橋〜明治東洋医学院専門学校〜阪急千里線架橋(下新庄4丁目)〜阪急「下新庄」駅〜JR「じょうとう034」架橋〜アジア図書館〜阪急「淡路」駅。淀川を越える前に、少し多めに歩いてみました。それは、黄紺の見通しの甘さで、川を渡ってから時間をもて余すかもと考えてしまったのです。もちろん実際に歩くと、全くの取り越し苦労だと判るのですが。菅原城北大橋くらいになると、渡るだけで、大変な時期を要するのですが、気がついた時点では手遅れです。しかも「上新庄」駅方向に向かってしまったために、余計に時間がなくなってしまいました。これだたら、高浜橋か吹田大橋を渡り、未だウォーキングでは未踏の地である「江坂」に抜けるのだったと、ちょっと反省。気がつくと、結局、「下新庄」から線路沿いに歩かねばならなくなっていました。なんか前にも同じようなコースを歩いたなと思っても、最後ですから、お手上げ状態でした。でも、「淡路」駅っていいですね。阪急電車には似つかわしくない薄汚れた駅舎、しかし昭和の香りがするようで、大変なお気に入りなのです。
 「淡路」から「十三」に移動。駅前のネットカフェで、時間調整というよりか、完全に休養に当てました。なんか、今日のウォーキング、歩いているときはそうではなかったのですが、ネットカフェに入ると、起きてられなくて。だいぶと眠ったのじゃないでしょうか。こんなの、ホントに久しぶりのことでした。そして、夜は、阪急電車で「伊丹」に移動。「AI-HALL」での「空の驛舎」の公演「ライトハウス」を観てまいりました。教育問題を中心とした社会問題をテーマに掲げた芝居を演じ続けている、なかなか硬派の劇団です。今日の芝居でもそうでしたが、作家さんか劇団の中に、恐らく教育現場に立っている方がいるんじゃないかと思われる作劇法が特徴と言えます。ただ、今回の芝居は、教育問題ではなく、老人問題が正面から取り上げられました。あまりにもの直球に、たじろいでしまうほどの芝居でした。徘徊も始まっている父親をめぐり、その父親と、どのように向き合うか、介護はどうするのか、三人の兄弟に加え、ケアマネージャー、ヘルパーさん、近所の人も交え考えていく芝居になっていました。そこには、ケアマネージャーやヘルパーのあり方の問題も投げ入れられていたため、ちょっと総花的な印象を受けたということは否定できないところがあります。主役の三人の兄、妹、弟の態度とか、考えの深化に、手間をかけた方がいいのではなかったのかな? でも、そうすると周辺の諸問題が描く余裕がなくなるというジレンマがあったのでしょうね。痛し痒しのところですね。更に欲張りな点がありました。介護に当たることにより得られるものというプロットを入れたことです。ヘルパーの一人に、緘黙系の男を登場させたことです。この男の変化を通じて、誰しもが頭の中に入れておいて欲しいことを訴えていると看えました。立場に関係なく求めたいこと、それを感じとることができました。ですから欲張りというよりか、これがメーンだから、他のプロットの深化を省いたとも取れなくもありません。もしそうだったら、作劇のテクニックはかなりのものと認めねばならないと思います。そう言えば、この劇団の雑付き作者は、昨年度のOMS戯曲賞を受賞したのです。ま、そのせいでしょうね、以前、この劇団の芝居を観たときに比べ、集客力が随分と伸びていました。役者では、父親役の方が存在感抜群で、この芝居を見事に引き締めていました。




2014年 2月 28日(金)午前 4時 17分

 一昨日の水曜日は、真っ直ぐに帰宅。今週は、わりかし堅実な過ごし方。そして、昨日は、暖かで雨の一日。仕事も、年度末の大詰めに近づいてきました。おかげで、猛烈な肩こりにうんざりの日々となっています。夜は「動楽亭」へ。昨夜は「上方講談を聞く会」がありました。上方講談協会の定例の会です。その番組は、次のようなものでした。南舟「猫餅の由来」、山緑「荒木又右衛門〜俸書試合〜」、南湖「真田大助駿府の使者」、南北「間違いの婚礼」、南左衛門「大石順教尼・カナリヤの教えに導かれ」。「猫餅の由来」は久しぶり。南舟くんは、最近、初期に覚えたネタを虫干しをするかのように、どんどんと出してきています。山緑さんは、東京からの来演。これも、交流の一貫で、南左衛門についているとか。「荒木又右衛門」は、仇討ち話ではなく、道場を開き流儀の看板を掲げたところ、それにクレームがつき、もめ出したところまでは大丈夫だったのですが、そこでダウン。貴重な東京のネタを聴き通すことができませんでした。「真田大助駿府の使者」は、確か貞山師からもらったもののはず。上方でもよく出るネタですが、随分と印象が違う。大助が家康のもとに行ってから、その真意を確かめようとする本多佐渡守の活躍が大きく描かれていますし、家康の前に通されたときの部屋が、やたら大きいですね。ただ、大助が刀を持って家康に向かって行ったところで切ってしまいました。講談らしいと言えばらしいのですが、この切れ方は、ホントに残念な気になってしまいました。それほど、いい構成だし、南湖さんの口演も力が入ってました。力の入った南湖さんに対し、南北さんの力を抜いた洒脱な語り口は、とっても妙なる組合せ。「間違いの婚礼」は、藤吉郎とねねの馴れ初めを扱ったもの。前田犬千代との結婚話を、深謀遠慮から辞退するねねを助けたことから生まれた結婚という筋立てです。南左衛門の「大石順教尼・カナリヤの教えに導かれ」は新作もの。4部作だそうで、今回のネタは、その第一作目だそうです。真田幸村ゆかりの九度山が、大石順教尼ともゆかりがあるということで、創作を求められたと言ってました。育ての親の乱心の結果、両腕を斬られた女性が、後に出家をして、障害者運動に関わっていく生涯を描いたものです。今回は、発端となる腕を失うという凄惨なところ。その事件のところまでは大丈夫だったのですが、またまたそこでダウン。昨日は、いいところで二度もダウンを喫してしまいました。




2014年 2月 25日(火)午後 10時 43分

  大阪市内遊歩(188)

 昨日は、家に直行。行きたい落語会もあったのですが、珍しく自重。そして、今日は、春の陽気を感じられる日となりました。2日前の夜の寒さは何だったのだろうという温もりを感じられます。ありがたい話です。今日は、非勤務日ということで、のんびりと午前中は三度寝をしたり、オペラのDVDを観たりで、呆気なく時間は過ぎていきました。そして、お出かけは午後1時がメド。まずはウォーキングです。そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「北浜」駅〜インド料理店「タージ」〜韓国語教室「オセヨ」〜タイ料理店「TAWAN THAI」〜トルコ・カフェ「SAZ CAFE」〜大阪市立南小学校〜地下鉄「心斎橋」駅〜パキスタン・アラブ料理店「アリーズキッチン」〜住吉橋〜浪速公園〜鴎町公園・折口信夫生誕の碑〜大国町北公園〜大国町南公園〜JR「かんさい076」橋梁〜大阪市立長橋第五保育所〜鶴見橋第一商店街〜韓国料理店「味家」〜大阪市立天下茶屋中学校〜地下鉄「天下茶屋」駅。今日は、ひたすら天下茶屋をめざす行程。先日、天下茶屋から歩き出したとき、永らく北の方から、一方通行のように南へ歩いてないことを思い出し、今日は、それの実践に及んだというわけです。ですから、一つ一つの道に新鮮味があるとは言えないところ。道頓堀川を渡った辺りで、1時間だったかな。最後は、少し時間が余るという感じだったので、天下茶屋中学校の方に向かい迂回してからの到着となりました。
 「天下茶屋」から堺筋線で「日本橋」に移動。今日も、千日前のネットカフェで、身体休めと時間調整です。そして、夜は、歩いて谷六へ移動。「薬業年金会館」であった「旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。今日は、南海さんの高座の間に挟まる形で、神田阿久鯉さんの高座が組まれていました。これは、今、講談界で行われている東西交流の一つで、阿久鯉さんが、南海さんに稽古をつけてもらいに、来阪されているのに合わせて組まれたものでした。ちなみに南海さん自身は、阿久鯉さんの師匠である松鯉さんに稽古をつけてもらわれているそうで、ちょっと不思議な関係が生まれています。今は、何をもらってるのかは、阿久鯉さんは言わなかったのですが、去年は「木村重成の最期」をもらったと言われていました。東西で、筋立てが全然違うのだそうです。ところで、本日のネタは、南海さんが「大河ドラマ乗っかり講談(三)『荒木村重』」、阿久鯉さんが「赤垣源蔵、徳利の別れ」でした。南海さんは、今、「戦国の武将列伝」を、毎回一人取り上げて読まれている最中。来月からは、それに「茶道」という切り口を入れて読まれるとのことですが、今日の「荒木村重」は、戦国武将の中でも、ヒールのイメージの強い人のようで、「五悪」と呼ばれているそうで、まず、その五悪の説明から入られました。今日は、その内の二つが具体的な口演となりました。一つは、信長に攻められ、家来や家族を残し、ごく少数の者、及び大事にしている茶器や壷を持って逃亡を図った話。その城が、なんと伊丹の有岡城、そうです、JR「伊丹」駅前に一部が残る城です。そして、横っちょの川から猪名川に入り、尼崎にあった城に逃げたそうです。二つ目が、本能寺の変のあと、かつて戦ったことのある秀吉の配下に入り、堺のお伽衆になった話でした。どうやら、この人、何でもありの人のようです。義に生き、忠に生きた時代に、何でもありで生きれば、「悪」の文字をもらうわね。でも、そうした人だからこそ、講談のネタになるのでしょう。阿久鯉さんの「赤垣源蔵」はおなじみネタ。旭堂の構成とほぼ変わりのないもの。何で、こないなネタを出されたのでしょうね。やはり阿久鯉さんだったら、白浪ものを聴きたかったなぁとぼやきたくもなりました。ただ、今日は風邪でもひかれてたのかな。よく伸びるはずの声に精彩がありませんでした。




2014年 2月 23日(日)午後 9時 35分

 今日は、ちょっと寝過ぎたため、午前中に予定していたウォーキングは中止。眠れる日、眠れない日があるため、満足に予定をこなすことができません。お出かけは、結局12時半がメド。まず行き先は応天院。今日は、こちらで「伏兵コード」の公演「留鳥の根」がありました。知り合いのやっている劇団「壱劇屋」からも客演。小劇場界では知られた劇団への客演とは、とってもすごいこと。その嬉しさもあり、また、本公演の作品は、「第19回OMS戯曲賞大賞」に輝いたものということもあり、行ってみることにしました。初演時に観たはずと思って行ったのですが、全く記憶にない作品だったので、外した作品だったのですね。一つの小さな町の物語です。町の皆さんに役に立つことを心がけ、よく生きることを目指すおまわりさん、養殖事業がうまくいかず、その日の食料にも事欠く夫婦、町会議員に立候補している政治家、その政治家の愛人で、その男との関係に悩み、自殺をも辞さない女、登場人物は、この5人だけ。舞台は、右サイドに交番、左サイドに議員事務所、中央に夫婦の家、左奥には、海を見下ろせる丘という配置。簡略化したものとは言え、具象的な装置を用意したため、非常に間口の広い舞台になってしまってました。客席のいずれの位置からも、死角まではいかないにしても、観にくい部分というのが出てきているのは、ちょっと考えもの。プロットして、よく生きることというテーマから連想できる様々なものが用意されていることは買うのですが、政治家が俗悪で、票集めしか考えてないという設定や、政治家は女を囲い、ぼろ切れのように、女を捨てていくような設定なんてのは、あまりにステレオ・タイプ、しかも使い古されたもの、その設定は。個別の困った問題は、どのように解決していくかということと、よく生きるということは、表裏の関係。それを個人に帰して考えていこうというコンセプト。個々人に何ができるのか、それは政治の仕事と片付けるのも俗悪だし、政治の仕事にすればすれで、政治家は俗悪だし、、、。この芝居に出てくるおまわりさんは、公務員であるとともに、個人でも何ができるか悩む人だが、公私の弁別が解っているのか、解っていないのか、いや解っているのでしょう、でも、悩めば悩むほど、公私の区別が付かなくなっていく、、、。じゃ、政治家にとなっても、政治家はとなってしまう。おまわりさんは、その袋小路から抜け出せないまま、あらぬ方向へ行きかけてしまいます。最後の台詞が聞き取れなくって、それでどうなったというのが解らずじあいなのが残念。夫婦は、少なくとも政治家の俗悪性の告発をしてくれます。でも、その先が見えてきません。いや、見えるものではないのかもしれませんね。この芝居、見終わったときの感じは、何をいまさらという言葉が、頭をかすめました。でも、近頃ない芝居であることも事実ですが、あまり残らない芝居だなということも、正直なところでした。
 応天院を出ると、千日前のおなじみのネットカフェで時間調整。そして、夜は梅田へ移動。「梅田ガーデンシネマ」で、かねてから狙いのアルゼンチン映画「ブエノスアイレス恋愛事情」を観てまいりました。筋立ては、男女一人ずつの物語が、別立てで進んでいきます。男の方は、おたく系で、人間関係を結ぶのが上手くない。ましてや、女に犬一匹を残し去られてからは、ちょっと引きこもり気味。一方、女の方は、4年間続いた男との関係を清算したあとは、その傷で対人恐怖症気味。その二人の別々の物語が、秋から冬、そして春へと続いていきます。冬は、正に二人の生きざまでも冬状態で、鬱っぽい状態に拍車がかかっていきます。当然、映画を観ている者には、やがて、この二人が出会い恋に落ちなきゃおさまらないという予想のもとで観ているわけなのですが、それがなかなか始まらない。むしろ傷ついていくエピソードばかりが流れる一方で、両者がそうなると匂わすカットが放り込まれます。だから待つのですが、それがままならない。そしてようやく始まったかなと思った途端に、映画は終わります。二人の間に恋の予感が生まれたときに、この映画は終わるのです。ですから、この映画は、主人公二人の恋模様を描く映画ではなく、そこに至るまでの、失意を、自分の手で手なずけ、再生に向かっていくプロセスを描いた映画と言えばいいでしょうか。そのような映画として、今振り返ってみて、おもしろかったかと問い返して、残念ながらイエスとは言えませんね。失望の方が大きあったですね。とまあ、芝居といい、映画といい、イマイチ収穫に乏しかった一日となりました。週末が2日という上に、その2日で観た映画なり、芝居に満足できなかったというのは、哀しいですね、ホント。




2014年 2月 23日(日)午前 7時 8分

  京都市内遊歩(46)

 昨日は、珍しく家で昼寝をしてしまいました。おかげで、午後に予定していたことが潰れてしまいました。お出かけも、従って、お出かけは午後3時をだいぶと回ってから。急がないとウォーキングをしても、終わり頃には真っ暗になってしまうという時間帯。そんな時間になってしまってたのです。起点を出たのは、3時42分。そのコースは、次のようになりました。京阪「稲荷」駅〜インド料理店「ナマステ・タージマハール」〜京都市立伏見工業高校〜勧進橋〜御霊児童公園〜南烏丸児童公園〜韓国料理店「トミヤ」〜伏見稲荷大社御旅所〜しゅ芸種智院跡〜JR「とうかい104」橋梁〜西本願寺・龍谷大学本部・京都本派本願寺郵便局〜龍谷大学付属平安高校〜知真保育園〜西新屋敷児童公園〜島原西門跡・住吉神社〜石坪児童公園〜「西大路花屋町」交差点〜稲住神社〜JR「とうかい107」橋梁〜京都市立八条中学校〜光徳幼稚園〜東寺〜京都みなみ会館。前回のウォーキングは、同じ駅から東北方向へ歩いたのに対し、今日は西北方向。あまり歩いたことのない裏道を求めて歩いてみました。よく通るところは避け、且つ表通りは空気が悪いと避けると、なかなか難しい。おまけに、この辺りは、JR越えに気を遣うところ。うまく越えられればいいが、下手すると線路沿いに歩かねばならない事態が待っています。最後は、東寺方面と決めてのウォーキングだったもので、西大路花屋町を果てにして、ここからは南方向へと歩くものでした。
 そして、直でみなみ会館へ。夜は、中国映画「ゴールデン・スパイ」を観てきました。アンディ・ラウ主演作ということで、久しぶりに香港系作品を観てみたいと思ったのです。でも、B級映画ですね、内容的には。B級映画なら、それなりのおもしろさがあるのですが、それもいまいちというところ。中国と台湾の両故宮博物館に分かれて所蔵されている水墨画が、一ヶ所に集めて展示されるのを機に、それを盗んでしまおうという盗賊団(ボスは日本人山本)とバイヤー(ドバイ在住のイギリス人)、その仲介者(女帝と呼ばれる中国人)、それに対抗するのが、香港警察から派遣されたアンディ・ラウとなるわけです。アンディ・ラウと台湾のリン・チーリンとの共演というのが売りのようですが、リン・チーリンの整いすぎた美しさよりか、黄紺的には、愛くるしいチャン・ジンチュー(アンディ・ラウの妻役)の方が気に入っちゃいました。舞台は、杭州、ドバイ、東京(と言ってもほとんど実写はなし)。あまりにステレオタイプ的な装置や撮影地選びにげんなり。ただ、すごいおもいしろいテンポの良さ。それも、1つ1つの事件を、とことん掘り下げないで、ちゃっちゃと次のプロットに移っていくのには、呆気がとられるほど。でも、ちょっと興味が惹かれました。子どもが誘拐され、それと引き替えに件の水墨画が盗られるのですが、もう次の場面では、子どもを抱えて家に帰っていると続きます。ややこしい手続きなしで結論だけ映すというポリシーですから、プロットが多い。ということで、ちょっとはいいことあったかなというところです。




2014年 2月 21日(金)午後 11時 19分

 2月も終わりにさしかかってきました。ということは、春のオペラ紀行が近づいてきたということです。今、時間を見つけては、懸命に予習をしているところです。春は、冬と違い、遭遇機会の少ないものに遭遇できるということで、嬉しいことは嬉しいのですが、その代わり、よく中身を知らないという副作用があります。そんなで事前学習が欠かせないのです。でも、この事前学習が楽しいのです。ところで、今日の夜遊びは繁昌亭。これで、今週3回目となります。毎度のことながら、繁昌亭は行きだすと続きます。今夜は「」がありました。久しぶりに大賞が出たということで、楽しみにして出かけて行きました。その番組は、次のようなものでした。「表彰式」、かい枝「同窓会」、生喬「コールセンター山田」、雀三郎「ぼっかぶり」、(中入り)、仁智「かぐや姫の婚活」、八方「ミス納豆」。「表彰式」は、司会が福笑、プレゼンテーターが文枝という豪華布陣。トップのかい枝は大失態。ネタを忘れてしまい、横から台本を渡される始末。渡されてからも台本を読むという状態に。「同窓会」というのは、県予選決勝戦で敗退して以来20年の、元野球部員の同窓会。その中に、決勝戦でエラーを冒した部員がいる。それで負けたことから、逆に他の部員が気をつかい、そのことに触れないようにするのだけど、触れてしまう可笑しさを追究する噺。生喬の新作というのは宝塚限定ですので、とても珍しいもの。コールセンターにかかってくるわけのわからない電話に対し応対する可笑しさ追究。中には、人生相談的なものまで出てくるのだが、近藤さんという人は、コールセンターの山田と話すのを楽しみに頻繁に電話をかけてくる女性のよう。ようというのは、そのあとの展開が思い出せないのです。恐らく短時間眠った可能性があります。雀三郎の「ぼっかぶり」が、一番落語らしい姿を持ったものと思いました。ぼっかぶり(ごきぶり)とほっかぶりを聞き違えたことから起こる可笑しさだけと言えばそれだけの噺なんで、小さいことは小さい噺だけど、その着想だけで1本持ち続けることのできる作品。雀三郎の口演と合わせ、大賞はこれだの感じがしています。「かぐや姫の婚活」は、メルヘンの登場人物ばかりが出てきて同窓会をしようというもの。口演は仁智は仁智テイストに仕上げるから、いいともダメとも言えないところで、適任者は誰かなぁ、、、花丸って、どうでしょうか? 「ミス納豆」は、久しぶりの大賞だからということで楽しみにしていたのですが、自分的には外れです。八方の好演様々っていう印象を持っただけでした。結婚していながらミス婚に出たいため離婚をしようという女が実家に戻り、それを報告しているところへ、夫が離婚届を持って現れると、、、という噺。噺が小さいし、口演者に頼っているという印象が強く、作品自体の強さをほとんど感じませんでした。総体として、噺が小さいですね。設定も、規模も小ぶりです。そんななかで大賞出して良かったのかな? 「ハンカチ」で出さなかったのだったら、これで出しちゃダメですよ。




2014年 2月 21日(金)午前 4時 14分

 一昨夜も、またまた睡眠を十分にとれないままに出勤。週の半ばに、これが続くと、仕事があるのできついものがあります。そして、夜はシンフォニー・ホールへ。昨夜は、大阪フィルハーモニーの定期演奏会のあった日。今月の定期では、マーラーの4番のシンフォニーが出るというので、前からチケットを買ってあったのです。でも、こないに睡眠不足ばかりだと、行く前はかなりびびりました。マーラーの前には、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から第一幕への前奏曲とイゾルデの愛と死が演奏されました。よくあることですが、演奏の冒頭は、ちょっとアインザッツが合いにくい。深い哀しみに満ちたメロディが、ちょっと足が地につかない感じがしたのですが、徐々に改善。でも音の厚さというか、いやもっと単純にパワーが欲しいなと思ったときは、このときでした。「愛と死」のソリストは、ポーランド人ソプラノのマグダレーナ・アンナ・ホフマン。声的には、ワグナー歌いなんだろうかとは思ってしまったのですが、もうちょっと軽い声をレパートリーにしている人かなの印象。20分弱で、あえなく休憩。後半はマーラー。指揮者ガエタノ・デスピノーサは、インテンポというわけでないにしても、聴いていて、とっても淡泊な印象。起伏の多い1楽章と2楽章では、あまりおもしろくないというのが、正直な印象。ところが、アダージョとなると、雰囲気がごろっと変わりました。まどろめました。ゆったりと、じわっと来る変化への対応が、心地よい音楽を作ってくれました。なんか今どきの人じゃないのんびり系の音楽作りに長けた指揮者だなぁというのが結論です。4楽章には、ソプラノが入り変化が出ますが、音楽としての流れは3楽章を引き継いでいる。独唱は、ワグナーのときと同じマグダレーナ・アンナ・ホフマン。パイプオルガン前にそっと現れたようで、黄紺の座っていた位置からは、それが判らず、歌唱が始まる間際になっても視角に入ってこないから冷や冷やもの。そしたら、急に声が聞こえてびっくり。舞台の後ろに立っていましたから、正面の後ろの座席では、どのように聞こえたのでしょうか。サイドの席は、音のバランスが皆目判りませんが、音の強さでは、ときとしてお得なところがあります。3楽章以後、寝ることなくまどろみながら聴けるという気分の良さ。狙いは達したぞの感じが残りました。大成功です。




2014年 2月 20日(木)午前 0時 46分

 昨夜は、また眠れませんでした。3時をちょっと過ぎたところで、目が覚め、そのまま仕事に行くことになりました。ですから、午後になると眠たくて。でも、夜は繁昌亭のチケットを持っていた日でしたので、気が重いながらにも繁昌亭に行ってまいりました。そしたら、ラッキーなことに、ダウンすることなく、最後まで大丈夫だったのですから分からないものです。今夜の繁昌亭では「佐ん吉のひと月遅れの新年会」がありました。他にも行きたい落語会があったのですが、繁昌亭を選んだ決め手は、主宰者の佐ん吉ではなく、ゲストの萬橘でした。その番組は、次のようなものでした。小鯛「米揚げいかき」、佐ん吉「桃太郎」、萬橘「棒鱈」、佐ん吉「花筏(3分間ヴァージョン)」「けん玉舞踊」、(中入り)、佐ん吉・萬橘「トーク」、佐ん吉「狐芝居」。小鯛が、ますます快調。流れるような台詞運びにほれぼれ。客席も、それが判るのでしょうね、適切な反応、笑いが起こっていました。佐ん吉の一つ目は、前座ネタの「桃太郎」でした。子どもが解説をするところからは常の型でしたが、そこまではオリジナルなくすぐりを、随所に入れてくれました。萬橘は、マクラで各地の人らの性癖話をしてから、自然と訛りに入り、ここまでくると、すんなりとネタに突入です。「棒鱈」は、どうしてもさん喬や左龍の名演が耳に残ってしまってますが、萬橘の場合は、おもしろい人物を登場させました。江戸っ子二人の座敷に、訛りの強烈な芸者がやってきて、そのまま居座っているという風にしてしまったのです。薩摩弁の男も可笑しいけど、この芸者もヒット。二部屋で大騒ぎという雰囲気が、とっても出ていました。これは、一聴の価値のある口演です。3分間花筏は、吉朝一門のお遊びから生まれたもの。長いネタを超短縮したり、小咄を膨らませたりして遊んでるんだそうです。けん玉舞踊は、けん玉が不自然なうえ、失敗ばかりで、それがおかしいほど成功しませんでした。佐ん吉のトリネタは、なんと吉朝一門が好んで取り上げる芝居噺。ただし小佐田作品。吉坊で聴いたときほど、山の中の暗さ、芝居のたっぷり感はありませんでした。替わりに、冒頭のくさい芝居は見事でした。最後は、餅を置いていく型。これって、確か、現文の助のやった型だと聞いています。しかし、「狐芝居」は虚を突かれたって感じでした。




2014年 2月 18日(火)午後 11時 32分

  京都市内遊歩(45)

 今日は、ゆったりとした一日。大阪方向に出ないだけで、だいぶと時間を稼げます。すると、春のオペラ紀行のための事前学習をしっかりとできます。ただ、そうすると朝から酒量が増えてしまいます。痛し痒しです。今日は、まずウォーキングから。2時半には出発しようとの計画を立てていました。そのウォーキングのコースは、以下のようになりました。京阪「伏見稲荷」駅〜伏見稲荷大社〜伏見稲荷郵便局〜東福寺〜愛友保育園〜新熊野神社〜宮ノ内公園〜京阪「七条」駅〜正面橋〜稚松公園〜東本願寺〜京都市立醒泉小学校・揚梅幼稚園〜京都市立洛央小学校〜野口家住宅〜本能寺跡碑〜京都市立堀川音楽高校〜京都二条油小路郵便局〜スペイン料理店「Antonio」〜京都寺町二条郵便局〜インド料理店「ムガール」〜地下鉄東西線「京都市役所前」駅。なんとなく稲荷駅で降りてのウォーキング。そないなつもりもなく東福寺へ。外国人も含めて、この時期にも観光客はいます。さすが東福寺です。東福寺から東山通を歩くのは毎度のことと思い、東海道線に沿って西へ。京阪の七条駅でトイレを借りたために、流れで正面通に。枳殻邸にぶつかるのを避けようとしたら、東本願寺にぶつかりました。なかなか難しいところです。最終的には油小路を北上。国際ホテルのところで、二条駅方向ではなく、東に向かったコースです。最後は、ジャスト2時間をめざし、京都ホテルの周囲を迂回して終点に到着でした。
 ウォーキングのあとは、身体を休めるということで、近くのネットカフェへ。そして、夜は京都府立文化芸術会館であった「」へ行ってまいりました。ですから、今日は、丸一日京都で過ごしたことになります。で、その番組は、次のようなものでした。吉の丞「胴斬り」、文我「錦の袈裟」、まん我「紙入れ」、文我「尻餅」、(中入り)、米平「常太夫義太夫」「軽石屁」、文我「猫の災難」。吉の丞の「胴斬り」は初遭遇。なんか合ってますね、この噺が。ところどころにオリジナルなくすぐりを入れ、わりかし陰気さを消していたのが特徴かな。噺の猟奇性を意識し過ぎかもしれませんが。文我は、あまりマクラを振らないでネタへ。「胴斬り」は、元来艶笑噺だと説明して、その繋がりで、廓噺というか、下ネタ系のネタをチョイス。「錦の袈裟」は、若い頃の円三の名演が忘れられないところですが、現在聴けるのは、あとは松枝くらいでしょうか。落語らしいバカバカしい噺です。艶笑繋がりで、まん我は「紙入れ」。「下ネタが出たら夜這いの噺をしなしゃーありません」、これは、ネタに入る前に言ったまん我の言葉。大仰な間男のびびり方がいいですね。文我の二席目も艶笑繋がりを続行。おかげで、季節外れの「尻餅」を聴くことができました。寒々とした家の中、だけどなんか微笑ましくて、ほっこりとくる温もりを感じることができました。ここまで概ねマクラが超短め、なんかおかしいなと思っていたら、そのわけが中入り明けに判明しました。番組表になかった米平の出番があったからです。ですから、米平は、その申し開きから始めました。「この週末に、文我兄さんが名古屋で東の旅ばかりを集めた会を開きます」「私は、その中で2本もネタ下ろしをしなければなりません」「皆さんは実験台です」、ネタ下ろしの前のお稽古というところです。やはり客の前でやってみないと不安なのでしょう。おかげで珍しいネタを聴けました。「常太夫義太夫」は、存在は知っていましたが、聴くのは初めて。ちょっとしたダジャレがポイントの噺。「軽石屁」は、九雀や雀喜が持ちネタとしてはいますが、これも珍しい噺。軽石を口に含むと屁が出るというのがポイント、それを使った悪戯噺です。そして、最後は酒の噺。酔い方がうまいなと思いました、さすがです。酒量により酔い方を変えるというのは容易いことではありません。ただ、1升呑む間の台詞の豊かさが欲しいところです。かなり満腹感のある番組。なんか連鎖反応でなってしまったようです。おまけに米平が出るということで、どの高座でもほぼマクラなしの状態も、濃くなった原因でしょう。




2014年 2月 18日(火)午前 0時 1分

 一昨日の夜、あまり睡眠をとれなかったためか、昨夜は、長い時間ではないのですが、すごい熟睡間のある睡眠をとれたのはいいのですが、仕事に出かけるまでに、HPをアップできないまま。パソコンのトラブルで、毎日の更新が滞ったことは、今までもあったけれど、熟睡のためにできなかったというのは、これが初めてのこと。ですから、今日の分との2日分の一挙アップとなります。で、今夜のお出かけは繁昌亭。今夜は「」がありました。その番組は、次のようなものでした。桂三金「当たる男」、桂三風 「え×5」、月亭遊方「公園の幼児ん坊」、笑福亭たま「豪華客船」、(中入り)、旭堂南湖 「AKB」、桂あやめ 「リアルゴールドな黄昏に」。今回は、ネタ出しをしていたにも拘わらず、開幕前に出番決めのジャンケン。終わってから、各自のネタと比べてみると、わりと順当な出番となりました。三金は、「当たる」という言葉を網羅するようにして構成されていました。ギャンブルに当たる、車に当たる、八卦が当たる、という具合に、「当たる」という言葉から連想できるものをかき集めたというもの。なかなか斬新な発想。三風が大受け。一つの問いかけに、常に「えっ」と答えるため話が前へ進めない風景が繰り返されます。これだけと言えばこれだけだけど、それで十分、単純なバカバカしさがありました。「公園の幼児ん坊」は、存在は知っていたのですが、初めての遭遇。公園で子どもを遊ばせる母親二人、でも、その子どもが生意気な遊びをしているというもの。これも佳作。たまは「旅ネタです」と断ってから船旅に出かけました。世界の地名や歴史などを盛り込みダジャレのオンパレードというもの。南湖の「AKB」は「暗黒舞踊」の頭文字。転校生が、文化祭で、毎年恒例の「暗黒舞踊」を行うと聞いてびっくりするのだけれど、それを一緒にやっていくというだけの話だけど、AKBの表示のインパクトが大きいということを思い知らされました。あやめは、じゃんけんのとき「トリネタじゃないけど、、」と言ってましたが、とんでもありません、充分トリネタです。ヴァレンタイン・デイ限定の季節ネタ。季節ネタは1年で何回も使えない替わりに、長持ちするなんてことをマクラでふってからネタへ。あやめが時々使うゲイ・ネタです。妻子ある会社の部長が、チョコを憧れの部下に渡したくて作るなんてのが、なさそうだけど、すごく純な気持ちが表現されてて、えらくリアルになっちゃいました。もらった部下もゲイだったというオチに、更にもう一段オチが用意されていました。いいネタが並びました。そして個性が違うのがいいですね。




2014年 2月 17日(月)午前 5時 41分

  大阪市内遊歩(187)

 昨日はいいお天気。久しぶりです。11時過ぎをメドにお出かけ。大阪でお昼を食べてから、目的地に行こうとしたら、思い通りに行かずあたふた。目的地は、「天下茶屋」から歩いて5分ほどの「can tutku」。最近、こちらでの芝居の公演が増えています。今日は、こちらで「fabricant fin 」の公演がありました。初めての遭遇となる劇団ですが、関西の小劇場ではおなじみの役者さんが出ているということで、ちょっとした劇団探しの気分で行ってみました。芝居自体は、1時間ほどの短いもの。芝居の中味は、友人招待して行う生前葬の様子が描かれます。自分史を語り、書くというのが、そのメーンの行事。妻も知らないようなエピソード集を用意して、友人や家族に人となりを知ってもらおうとの趣向。そして終盤に入り、こういった生前葬を開こうとしたわけが主宰者が語りだし、更に最後にどんでん返しが用意されているというもの。小劇場でも、最近流行りの家族ものの一つに入るのでしょう、この芝居も。ただ黄紺的には、映画でも、このジャンルの映画は捨ててかかる傾向にあるので、あまりより好んで観るというものではないので、どうしとも小さいなと思ってしまいます。ということで、なんせ天下茶屋まで行ったわけですから、もうちょっと得るものが欲しかったなの印象です。
 芝居が終わると、直ちにウォーキングを開始。金曜日に、予定しながら、雪と雨のために中止したときに予定していたコースの逆っぽいコースを歩いてみることにしました。そのコースの詳細は、次のようになりました。南海・地下鉄「天下茶屋」駅〜天下茶屋公園〜天神森天満宮〜阪堺線踏切(岸里東2丁目)〜阿部野神社〜大阪府立住吉高校〜阪堺線「北畠」駅〜晴明丘中央公園〜大阪市立阪南中学校〜大阪市立阪南小学校〜長池幼稚園〜阿倍野長池郵便局〜桃ヶ池「」〜桃ヶ池公園〜文の里幼稚園〜大阪府立天王寺高校〜近鉄「阿部野」駅〜動楽亭〜地下鉄「動物園前」駅。実に久しぶりに岸里方面を歩くことにないました。北の方から、ずんずん南に下がってきて、一度だけ岸里を終点にしたことがありましたが、あれはいつのことだったのでしょう? 天下茶屋まで来ても、更に南へ行くことはめったにないものですから、昨日のような日はチャンスなのです。阿倍野神社も久しぶり。住宅地の中にあるものですから、こちらと住吉高校は知らない間に通り過ぎたこともありました。一つの目安として桃ヶ池を考えていました。今日は、「桃ヶ池公園市民活動センター」では「田辺寄席」の真っ最中でしたから、会館の表には番組表が架かっていました。同じように、最後の最後に通過した「動楽亭」も昼席の真っ只中。こちらは、なぜか番組表が手書きになっていました。
 「動物園前」から地下鉄で「日本橋」へ移動。昨日も、一昨日に続いて駅上のネットカフェで時間調整。そして、夜は「ウイングフィールド 」へ。昨夜は、こちらで待望の東京の劇団「カムヰヤッセン」の公演「新説・とりかへばや物語」がありました。「カムヰヤッセン」は、東京の劇団探しの中で、早くから引っかかってきていながら、まだ観ることができてなかったもの。それが、まさかのまさかで大阪公演に行くことができました。古典の「とりかえばや物語」にインスパイアーされた作品では、男の世界の噺家の世界に、女性の弟子を取ろうとする一人の噺家の奮闘を描く。そのアピールのために、一つの噺を作ります。かつては、噺家の世界は全てが女性の世界だった。そこに風穴を開けたのが、女装した、いや妹と替わって女になった男の噺家。一方、算術など学問の得意な女は、男装して学問所へ。この噺の世界の物語と、現実社会(昭和30年頃とされた)の物語がシンクロしながら物語は進みます。物語の世界では、やがて女歌舞伎、女義太夫についで、女による噺の禁令が出され、男が替わる機会が生まれ、また、男装した女は学問所の男との間で懐胎してしまうことで、それぞれの異装が解かれていくことで、話は終盤へ。過去の世界、そして現実社会が最終的には結びつくことで、現実社会では、女の噺家がきつく禁止されるという物語となり、また、それを解いていく契機となる人物も、また過去との因縁があるという仕掛けになっていました。そこでは、現実社会の人物と噺の中の世界の人物との対話もあり、、一瞬、合わせ鏡的な展開かとも思ったのですが、そないな大層なことでもなく、単に話のおもしろさ的な手法とだけだったようで、それは難しくはならずに済みましたが、そのおもしろさという点では、筋立ての工夫もさりながら、舞台の工夫もなかなかのものがありました。舞台の3面を障子が仕切、役者は全てその背後に控えており、登場の必要が出てくると、その障子を開け、舞台へと登場してくる仕掛け。この障子がなかなかよくて、日本の風情をよく出しており、効果音も全て生の拍子木だったり銅鑼だったりと、こちらも風情の出るものでした。とにかく、観ておもしろい芝居を目ざす、そないな感じの劇団ですね。悪くはないけど、さりとて強烈な個性集団とまではいかないかな? ま、もうちょっと観てみないと分かりませんが、、、。




2014年 2月 16日(日)午前 0時 11分

  大阪府吹田市(6)〜摂津市(5)〜大阪市東淀川区

   今日は、雪ではなく雨模様。気温はちょっとましになっていました。空も鬱陶しいのですが、昨夜は眠れなくて猛烈に不快な一日。心配ながら予定していたことを、そのまま実行に移す。意外と寝不足の影響が出ず、思いがけない嬉しい結果に。今日は、まず民族学博物館であった「民博ゼミナール」という名で行われている講演会に。民博大好きな黄紺は、スケジュールさえ合えば行こうとしていますが、それが、なかなか難しい。今回は、「ベトナムの黒タイのうた、おはなし」というテーマで、準教授の樫永真佐夫氏のお話を聴くことができました。「黒タイ」という表現が何を意味するのかも判らず、ただベトナムの少数民族の生活の様子を伺うことができるという程度で行ったのですが、ベトナム在住のタイ族が、その扱われた対象だったのですから、嬉しい誤算。雲南方向から南下してきた民族タイ族、もちろんタイという国を建てている民族ですが、彼らが、ベトナムやラオスの多く住んでいるとは知りませんでしたが、考えてみたらタイに連なる地域ですから、このインドシナ北部に分散していったとしても、全然不思議じゃないはずです。国境というものは、こういったとき変な先入観となります。ベトナムって、認定されているだけで54の少数民族がいるんだって、まず冒頭からびっくりです。通常ベトナム人と言われているのはキン族というそうで、平野部に多く住み、結果的にベトナム経済を動かしているということなのでしょう。ところが、一旦山岳地域に入っていくと、その標高に応じて、異なった民族が住んでいる多住民族国家の様相を一挙に表してくるそうです。そういった中で、ベトナム北西部からラオスにかけて、タイ族が集住しているそうです。そこに住む人たちの伝統的文化の紹介が、今日の講演の本題でした。ご多聞に漏れず、この地域もグローバル化が進み、伝統的文化は意識して保存の対象にしなければならないものになっているようで、その保存用の記録映像なんかを使った紹介もありました。中国の雲南に住むタイ族の映像は、民博所蔵の映像で観たことはあったのですが、インドシナのタイ以外ぬ住むタイ族についてのお話を聴けたのは、自分的にはとっても有り難く嬉しいことでした。
 講演が終わると、直ちにウォーキングに移行。断続的に雨が降るなか、最後までウォーキングをすることができました。そのコースの詳細は、次のようなものでした。民族学博物館〜万博記念公園〜大阪モノレール「万博記念公園」駅〜大阪府立山田高校〜吹田市立山田東中学校〜吹田市立山田第一小学校〜伊射奈岐神社〜昭和橋〜吹田市立山田第三小学校〜亥の子谷北公園〜吹田山田西郵便局〜「岸部中5丁目」交差点〜JR東海道線「岸部」駅〜大阪学院大学〜阪急「東村」踏切〜東正雀会館〜南正雀ふれあい公園〜安威川歩道橋〜別府歩道橋〜こみち幼稚園〜大阪市立東井高野小学校・井高野中学校〜地下鉄今里筋線「井高野」駅。細い雨だったのですが、かなり濡れてしまうほどの降り。幸か不幸か、逃げ場所がなく続けざるをえず、続けていると雨が止み、また続けると降るというイタチゴッコ。しかも、普段あまりウォーキングをしない地域なため、いい地図を用意してないものだから、途中で手持ちの地図が途切れてしまい、とにかく14号線に出れば、また違う地図をでフォローできると、ひたすら14号線を歩いた時間帯があったのですが、結局、それが最短距離であったようで、バカに早く「岸部」駅に着けてびっくり。当初は、「岸部」が終点候補だったのですが、ここで、まだ1時間20分しか経っていませんでした。で、俄然色気を出し、まだ通ったことのない正雀と井高野の間を越えることに。今まで井高野を歩いた経験で、別府の方に出ると道が判らなくなる可能性があること、またうまく道を見つけなければ、地下鉄「井高野」駅には余計な迂回をしてしまう可能性があったところ、正雀側から入ったところが、ほとんど井高野という別府にあってラッキー。そして、東井高野小学校の前の道も変な道だけど無事に入れ、ドンピシャの2時間の行程となりました。
 「井高野」から「今里」経由で「日本橋」へ移動。駅上のネットカフェで時間調整。そして、夜は、更に「動物園前」まで行き、「動楽亭」であった「SEIJU SEVEN YEARS OLD〜笑福亭生寿入門日落語会〜」に行ってまいりました。相変わらずおっさんばっかりが集う会です。その番組は、次のようなものでした。生寿「つる」、福丸「しの字丁稚」、生寿「宝塚詣り」、(中入り)、生寿「蔵丁稚」。福丸が、急にかい枝から仕事(山本能楽堂での英語落語)を頼まれ、最初に生寿が上がったときには、楽屋入りしてない状態。となると、生寿お得意のマクラを喋り放題。これが、この会の特徴でもあるので、客席は大喝采。亡くなった松喬の形見分けがあったようで、そのレポートでした。ネタの「つる」は、「犬の目」「平林」に次いで、師匠につけてもらったネタということで、入門記念の会では、そうしたネタを、まず出すことにしているとか。生寿の「つる」は、自分的には久しぶり。なんかベテラン噺家のする前座ネタの雰囲気でした。有機的な身体の動き、それが、とっても合理的になっているものだから、聴き慣れたネタでも引き込まれてしまいました。ひょっとしたら生寿ベストと言ってもいいかもしれない出来栄えでした。福丸は、とっても珍しいネタを披露。随分と久しぶりに聴くものですから、序盤では、何だったか解りませんでした。基本的には、亭主と丁稚との口合いもの。「し」抜きの言葉の応酬が聴かせどころです。生寿の二つ目は宝塚落語。これは、4月だかにある繁昌亭の「宝塚落語」に備えて、生寿が「天王寺詣り」のパロデイとして創ったもの。宝塚の駅を降りて、大劇場までを点描します。そして、最後に舞台に目を向けさせ、宝塚の舞台を再現するというものでした。生寿にとっては、去年の「ヅカ丁稚」に次ぐ宝塚落語の新作です。その「ヅカ丁稚」は、古典の「蔵丁稚」のパロデイ。「ヅカ丁稚」をやり過ぎると、肝心の「蔵丁稚」がやれなくなったので、只今「蔵丁稚」の再生中だそうだ。この「蔵丁稚」の方は、ちょっと気負い過ぎたかな。生寿の芝居噺は、だいたい、この気負いが先行する傾向にあります。まだ若いのだからやむを得ないかなと思っています。ということで、総じてますます充実の生寿というところを確認できた会でした。




2014年 2月 14日(金)午後 11時 57分

 昨日は、まっすぐに帰宅。晩酌を2合も呑めば、沈没しないわけはありません。夜中に起きて、パソコンをいじっておりました。そして、今日は、大雪情報が、テレビで盛んに流されていると思えば、大阪にも雪が降りました。ホントに雪が降ることが少ない大阪に、雪が降ったのですから、ほんまものの大雪です。片町線が、雪のための倒木で不通になったとか。でも、お出かけは止めないのが、黄紺の貪欲なところ。11時半をメドにお出かけ。まず、「文楽劇場」へ。今日は、こちらで「公演記録鑑賞会」がありました。毎月開かれるのですが、なかなかスケジュールが合わなくて、半年ぶりくらいになります。今日は「新薄雪物語〜園部兵衛屋敷の段、鍛冶屋の段〜」がありました。存在も知らなかった作品です。仇討ちもので、園部兵衛屋敷の段では、仇から逆に命を狙われている左衛門と薄雪の脱出劇となりますが、主役は、それを助ける園部兵衛、吉田玉男さんが遣っておられました。人形遣いは黒子と同じですが、これほどまでに表情を殺した人形遣いの方を見たことがありません。鍛冶屋の段は一転して鍛冶屋が舞台。刀鍛冶の特別な技術が、事情ありげな形で伝えられます。どうやら後継ぎになるべき息子が、放蕩三昧の挙げ句、悪事に加担している模様。解りやすく人形からして違います。かなり強引な手段で、その息子を父親は諌めます。この強引さが楽らしいところです。諌められた息子は、最後に改心、ここのところで、前の段の仇討ち話に解決の灯が点るという仕掛けでした。園部兵衛屋敷の段の太夫さんが、織太夫時代の源太夫さん。節回しは同じでも元気さが全然違いました。三味線は清治さん。お二人はコンビだったのですね。鍛冶屋の段の方は伊達太夫さん。知らなかった太夫さんですが、三味線の野沢喜左衛門さんって、清治さんともども、いいもの聴かせてもらったという印象です。
 文楽劇場を出ると、雪は止んでいましたが、いつ降りだしてもおかしくないお天気。家を出るときは、記録映像鑑賞会の開演時間を間違っていたため、終演後はウォーキングをするつもりでいたのですが、4時を回ってからの終演では、まだウォーキングは無理なので、いつもの千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は「徳徳亭」へ。今夜は、こちらで「第8回『南湖の会』徳徳亭連続講談席〜これが難波戦記〜」がありました。月一で開かれている会で、日本にいるときには、優先的に行っている会の一つです。今日の番組は、「赤穂義士銘々伝〜矢頭右衛門七〜」「難波戦記」「宗悦殺し」。「矢頭右衛門七」は、抜き読みでは定番のネタ。南湖さんでも、何度か聴いているもの。いつもそうだったか、確かな記憶はないのですが、刃傷の場面から始まりました。矢頭右衛門七の話になるのは、全員切腹をしようというところこから。17歳の右衛門七が加えてもらうエピソード、大阪での貧乏暮らし、そして討ち入り直前の詫び状認め話へと移っていきます。緩〜い雰囲気があり、いかにも先代南陵から伝わってきたネタだの印象が強いものがあります。「難波戦記」は、幸村が阿呆の真似をしているところから始まり、、、あれれれ? それって、前回やったじゃない、しかも、そのネタ、とっても普段の会でも出るもの。そんなで集中力が途切れてしまいました。となると、知らない内に居眠り。幸村は大阪城に入っているは、後藤又兵衛も入っているし、話は長宗我部の入城話になっていました。藤堂虎をコケにして武器などを集めての入城です。その後、武将の入城に紛れて入っている間者のエピソードになり、元武田に仕えていた武士の経歴話の中に信玄没のエピソードが入ったりと、まことにもって自由自在。関連ある話を、どんどんと放り込んできます。と思うと、今度は真田家で家康に仕えた幸村の叔父のエピソード、となると、大助が駿府に使者として派遣されるエピソード、こちらは、家康暗殺計画です。具体的なエピソードに入る前で切られましたが、これも、実は抜き読みでよく出るもの。本来は、ここで終わるはずだったところ、中入りを入れて、明日の予行演習。明日は、東京で、東西交流の発表会の日だということでのもの。「宗悦殺し」は、口演機会を増やしたいと、前回も披露されているもので、今日は、マクラからの予行演習。前回に比べて、貞山テイストが消えていたことが大きな進歩だなと思い、聴いていました。時間があれば、東京まで行きたい講談会の大イベントです。ちょっとだけ、そのお裾分けをいただいた感じでした。




2014年 2月 12日(水)午後 11時 19分

 今日も、とっても寒い一日。水曜日と木曜日は、ちょっとましになるという天気予報だったので期待していたのですが、外されました。休み時間には、春にドイツに行く人がいるので、その方の相談に。そして、夜は「動楽亭」へ。今夜は「鯛安吉日」という落語会が、こちらでありました。塩鯛門下の鯛蔵の勉強会です。その番組は、次のようなものでした。染吉「阿弥陀池」、鯛蔵「初天神」、ひろば「尻餅」、鯛蔵「猫の忠信」。かなりディープな落語ファンが多数顔を見せている会とあって、「阿弥陀池」あたりはなかなか受けないのが定番。ただ林家の噺家さんで聴ける機械は、決して多いとは言えませんから、微妙に違うくすぐりや言い回しが出てきます。柔道から十三ではなく、柔術から牛乳であったり重曹だったりしますし、あい口からがま口となり魚シリーズにならなかったり、心臓から連想の動物シリーズはカットされたりします。ネタの進化の過程で枝分かれしていったのでしょうが、それが楽しみ方の一つのコツというやつでしょう。鯛蔵の「初天神」は、以前聴いて、とっても感心してしまって逸品。テンポが実に快調で、しかも鯛蔵の特徴と言える、母音を引っ張るときに生まれるウェーブが、心地好い間を作っていきますが、このネタには、とってもマッチしているように見受けられるからです。今日は、自分の会ということもあり、凧上げまできっちりとやってくれました。ただ、この辺りで、既にいっぱいいっぱいになった黄紺は、肝心の凧上げに入るところでダウン。やはり体力の消耗が激しい水曜日は、こうなることが多いですね。ひろばがゲスト枠で出演というのは、初めての経験かもしれません。同じ一門の繋がりということでしょう。ネタは、最早季節外れ感の強い「尻餅」。とっても賞味期限の短いネタということを再認識。2月半ばで、そう感じるのですから。そのような違和感が、それにひろばの口演に、も一つ楽しみながら演じているという印象を受けなかったためが、聴くのりが落ちてしまいました。尻を叩いて音を出す前に、またまたダウンでした。3月の「提法寺寄席」も、この分だと、これが出そうな予感がしてしまい、行くのを躊躇し始めています。噺の中で、「竹内さんですか?」なんて台詞が出てきたということは、笑福亭の誰からか、このネタをひろばはもらったことになります。誰なんでしょうね。かなり気になっているところです。そして、トリは大ネタ「猫の忠信」。先日の金比羅の会で、鯛蔵は、これを出しているので、今日はこれだろうと思って行ったらドンピシャ。鯛蔵が、この大ネタに、どのように取り組むかが、最大の関心事なのに、ここで一番長いダウン。僅かに残る記憶では、テンポが「初天神」と同じではまずかろうという点。また、無限旋律のように、口舌爽やか過ぎても、印象に残りにくいという弱点を持ってきます。この辺りに、このネタが簡単なものじゃないということが、聴いていても、なんとなく解る気がします。最後、芝居がかりになったところ、猫の手を押さえると、鯛蔵は猫に目を剥かせました。これ、やったの、初めてじゃないかな? 眠っていたわりには、いいお土産をいただきました。




2014年 2月 12日(水)午前 3時 41分

 非勤務日に祝日が当たるという、昨日はアンラッキーな日。いいお天気のなか大津まで出かけてきました。「びわ湖ホール」で、オッフェンバッハのオペラ「ホフマン物語」があったからです。このホールは、公共のホールとしては、唯一「びわ湖ホール声楽アンサンブル」というレジデンツの合唱団を持っています。そのアンサンブルの人たちを中心にした公演です。ただ、主役のホフマンには、フジワラ歌劇団から村上敏明が迎えられていました。これは、3月に予定されている「死の都」の公演との関連で、キャスト変更が起こった結果だそうです。結果論ですが、このホフマンが良かったため、とってもしまりました。そして、場所が大ホールではなく、中ホールでの公演というのがミソ。もっとも中ホールといっても、ここの中ホールはでかい。1000人は入るでしょう。ですから、ドイツの中小都市の歌劇場くらいのキャパは十分ありますから、全然、オペラを観るのに違和感がないというお得なホール。オケピットも付いているのでオペラ公演には支障がないれれど、ひょっとしたら、舞台が狭いのかもしれませんし、回り舞台とか、そないな便利な機能がないのかもしれません。いずれにせよ、装置がホントにコンパクトにできており、大金をかけてたいそうな装置を造るばかりが値打ちじゃないと思いしらされました。舞台は、上下二段に分かれ、10段あまりの階段で繋がれています。1階部分の奥の壁は開くようになっており、有名なバルコローレでは、この壁が開きゴンドラの作り物が出るという仕掛け。特徴は上から大きな鏡が架かっていること。斜めにかけられており、鏡面が当然客席に向かっている。ジュリエッタの物語でホフマンの影が取られるので、それを表現するところからの連想で、この鏡が登場したのでしょうが、これが、全場面で舞台をコンパクトに見せる大変な効果を持っており、本日の秀逸。物語の配置は、オランピアから始まり、アントニア、ジュリエッタの順番でした。話のヘビーさではアントニアがラストでしょうが、ジュリエッタのところで、人を殺めてしまうので、これが妥当かなと、黄紺は思っています。やはりオランピアの人形ぶりはおいしい役柄、しかも超絶技巧のコロラトゥーラですから、ますますおいしい。Esを出すかなと期待はしたのですが、Cにも届いてなかったのじゃないかな? 3度くらい、いやそれ以上は低かったでしょう。アントニアの場面は、ホントきれいなメロディーが続きます。オッフェンバッハは、このオペラのバルコローレとか突出した名曲を生みますが、とんでもありません、他にもいっぱいいいメロディが目白押しです。声楽アンサンブルの皆さん、それぞれ課題は感じましたが、去年の「ポッペイアの戴冠」に続き大健闘。ドイツにもご一緒した方と二人で行ってきたのですが、帰り道、「これで十分」と二人で語り合っていました。「こんなのができるようになったんだぁ」と、これも一致。チケットを見て、値段を確認したほど、お値段もリーズナブルすぎるもの。こういった質の公演が、各所で活発に行われると、絶対に、日本のオペラ・シーンも変わることは間違いないと思えるほど、満足感大なるものでした。なお、オケはザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団、指揮は大勝秀也、そして、好演出は中村敬一でした。




2014年 2月 10日(月)午後 11時 16分

 今日あたりから、年度末の忙しさが、ぼちぼちと始まり出しました。なんか落ち着いて仕事をしているというよりは、何かにおったてられて、仕事をこなしているという実感。せわしなくて嫌な季節ですが、これも、今年と来年でおしまいです。でも、楽しみたくはないですね。消耗が激しいですからね。今夜は、京都で芝居を観る日、久しぶりに「アトリエ劇研」に行ってまいりました。「Quiet.Quiet 」という劇団の旗揚げ公演で、三島の「近代能楽集」の内より「卒塔婆小町」が取り上げられたのです。「近代能楽集」に関心があるのと、関西小劇場界で知られた役者さんが出ているということで、ヘタをうつことはなかろうということで行ってまいりました。終わってからの感想は、まず、これはこれでおもしろいのだけれど、三島にインスパイアされた作品ということで、決して元の台本をなぞるという模様ではないのですが、これの、どこに三島テイストがあるのか解りませんでした。ただ三島作品の奈辺に三島のテイストがあるのか自体に理解ができているわけではないのですが。「葵上」のように、舞台を現代に移し変えただけじゃないかと突っ込みたくなるものもありますからね。3つのカップルが登場します。1つは、正に小町と深草少将の百夜通いを再現します。深草少将を思わせる男は、百夜直前に、百夜が達成したあとのこと、例えば二人の老いの問題を懸念して、百夜が達成されること自体に不安感を覚えています。百夜通い自体が目的化しているように見えます。あとの2組のカップルは関係性があります。100日ほどの余命を言われている女性と、その女性に懸命に尽くす男という組合せ。その女性は、他の男性に憧れを抱き、なんとかつながりを持ちたいと考えています。残りの1組の男が、その憧れを抱かれている男。だが、この男はデリヘル嬢を喚び、性的満足を得ようとしている。だが、初めて喚んだデリヘル嬢との間で心の通いが生まれてくる。女は、男のメモ帳を見てしまうと、残り少ない命を生きる女の存在を知り、その女の病室近くまで訪ねてみる。二人の間に、本当の愛らしきものが芽生えたかのように思えた次の場面では、その女を拒む男の姿でした。と同時に、その男自身も、命が残り少ないということを、女が知った直後のことでした。そして、次の場面、デリヘル嬢のカップルが話し出します。でも、その内容は、絡まなかった男女の会話でした。まるで、百夜通いで実現しなかった小町と深草少将が語り合っているような場面と感じました。百夜通いを、一つのモチーフに、老いた小町も、一つのモチーフに、イマジネーションを作家が膨らませた作品。様々な愛の形というところでしょうか。芝居は、約70分で終わり、外に出ると、さすが北大路通、小雪が舞っていました。




2014年 2月 9日(日)午後 8時 24分

 昨日は、関東地方で大雪だったとか。東京は、ホントに雪と地震が多いですね。でも、昨日は、大阪でもちょこっとだけ雪が降りました。夜は、さすがに冷え込みました。黄紺は、夜中寒くて目が覚めると、お酒を呑んで、寒いのを分からなくさせます。でも、なぜか風邪をひきません。周りで風邪をひいて困っている人がたくさんいても、風邪らしき症状は、この冬、一度も出ていません。強いのか鈍いのか分からないところです。今日は、ちょっと寒さが落ち着きました。お出かけは12時半が目安。今日は、迷いに迷ったあげく、「吹田サンクス寄席」を選びました。もう1つの候補は、奈良での生寿の会。「質屋芝居」は、生寿で聴いているので、さほどこだわりはなかったのですが、ゲストが染左というのが気になって仕方がなかったのです。生寿と染左と言えば、ともに芸熱心な噺家の代表格。この二人の接点が判らない、気になるということで、迷いに迷ったあげく、諦めました。ネタ出しなしの雀三郎に惹かれてしまったのです。その番組は、次のようなものでした。雀太「日和違い」、染太「堪忍袋」、竹林「死神」、雀三郎「哀愁列車」。ところが、今日も昨日と同じことが起こってしまいました。またまた眠りこけてしまいました。雀太の「日和違い」は、前に遭遇したときもダウンした記憶があります。珍しい噺だけに、出たときにはしっかりと聴いておきたいのですが、今回もダメでした。染太は、メキシコ帰りだそうで、スペイン語落語にも、手を拡げている模様。その辺を、マクラでしていた記憶にはあるのですが、その後半でダウンしたのか、ネタに入ってからなのかが定かではありません。染太では、前座噺や新作以外では、確かまともなネタを聴いた記憶がないので、せっかくの機会を逸してしまったというところです。竹林と雀三郎のネタは予想通り。中でも、雀三郎は、先日の動楽亭昼席で、このネタを出したと、ディープな落語ファンからお聞きしていたので、そうだと決めてかかっていたのです。だって、雀三郎は、最近、このネタを出していませんでしたからね。ですから、自分的にも久しぶりに聴いたことになります。哀愁列車のつもりが哀愁でなくなるおかしさがあります。竹林の「死神」は、さほど長くなく、存在感を見せることができるという、竹林にとっては重宝なもの。最後は、くしゃみで火を消してしまうというもので、鳴り物も予想外だったのでしょうか、一瞬、太鼓が入るのがずれました。というわけで、この土日は、フラストレーションがたまる結果となってしまいました。帰りは、随分と日没が遅くなったことを活用し、JR「吹田」駅から京阪「土居」駅まで歩いてみることにしました。一昨日のウォーキングのコースの逆を辿ればいいという安心感もあり、容易く決断。自分で最短コースじゃないかと思う道を歩き、所要時間52分で歩くことができました。1時間はかかると思ってましたから、これは大発見です。往きは、JRを使って行ったもので、大変な運賃がかかってしまったところが、帰りは定期券があるためゼロ。この彼我の違いは大きい。




2014年 2月 9日(日)午前 0時 23分

 今日は、雪のち雨です。昨夜は、この冬で一番の冷え込みじゃなかったかな。そないななか、予定にしていたことを消化。まず午後の「一心寺浪曲門前寄席」に行ってまいりました。2ヶ月行けなかったので、久しぶりという感じでした。今日の番組は、次のようなものでした。春野一(沢村さくら)「千両幟」、五月一秀(沢村さくら)「乃木さんの伊勢参り」、天光軒新月(虹友美)「美しき罪」、春野恵子(一風亭初月)「両国夫婦花火」。今月は、キャリアの浅い人や復帰組の人が出るということで、3日とも恵子さんがトリ。ということで、他の3人の方は、自分でも遭遇機会の少ない浪曲師さんだったのですが、見事に、その3人の方の高座でダウンをしてしまいました。自分でも眠たいというサインを、ほぼ感じない中でのダウン。眠たくもないのに、目がなんとなくかゆくなり、目をこすったときがヤバイですね。全く意識が、知らない間に飛んでしまう前兆だということが、最近判ってきました。ですから、今日もヤバイとは思ったことは覚えてはいるのですが、もう、そのあとは覚えていません。五月一秀さんと新月さんは、前に立っておられたことだけしか覚えてない始末です。ようやく恵子さんのところで覚醒。毎回、3日間の出し物は、会場に行けば発表されているのですが、恵子さんの3日間だけが空白。そないなこともあったからでしょうか、冒頭に、最初の2日間について話がありました。それは、外国公演にひっかけてでお話しされたのですが、要するに、この2日間で、外国公演用のネタをしようというわけなのです。明日出される「番町皿屋敷」は英語で口演するので、それも披露するかもしれないと言われていました。今日出された「両国夫婦花火」は、外国でも日本語での公演になるそうです。本来の響きも伝えたいからと言われていました。外国では字幕付になるようですが、その操作要員に、幸枝若師の新弟子くんも帯同されることになった由。確か、その新人くんは外大出と聞いていますから、ベストな選択です。なお、外国遠征資金が、思いの外集まったそうで、当初予定されていたニューヨーク公演以外に、アモイ公演とベルリン公演が追加されたそうです。
 浪曲が終わったら、直ちにウォーキングに移る予定にしていたところ、外は雨。そないに強い雨ではなかったのですが、どないな降りになるか分からないので、とにかく中止。仕方ないので、千日前まで行き、いつものネットカフェで時間調整。そして、夜は「南森町」に移動して繁昌亭へ。今夜は、「桂かい枝・林家彦いちのふたり≪情熱≫あるき」がありました。ここのところ、彦いちを聴いてなかったもので、行きたくなったのです。かい枝も、最近聴いてなかったので、いいタイミングです。その番組は、鞠輔「始末の極意」、かい枝「胴乱の幸助」「明石飛脚」、(中入り)、彦いち「権助魚」「スーザン・ボイル(仮題)」、彦いち・かい枝「映像解説」。今日は、東京が大雪。しかも、彦いちが番組を抱えているために、ゆとりをもって東京を出ることができない。ということで、まだ開演時間には米原にいたそうです。そこで、かい枝が引っぱりつつ、自分の出番を中入り前に固めてしまいました。中入り明けにも、まだ、名ビラがかい枝になっていたので、どっとくる客席。でも、それはウケ狙いのようで、彦いちが出てきて安堵感が走りました。そのため、2人ともに、1時間ほど、高座に出続けていた勘定になります。かい枝の場合には、一旦引っ込んでから出囃子にのって出直しましたが、彦いちの場合には、全く高座に座ったままで、1時間続けました。それぞれ2本の口演の内、優れものの方は明確で、かい枝の場合は「胴乱の幸助」、彦いちの場合は新作の方でした。かい枝の「胴乱の幸助」の良かったのは、このネタの強さを、かい枝自身がよく認識していたこと。下手すると、くさすぎる演出に走るイメージがつきまとってしまうかい枝にとっては、きっとやりたいことが多々あったのじゃないかな、でも、ほどを心得ていました。一緒に、このネタを楽しんでる風情が顔を出してる感じすらしました。ですから、何度も聴いているネタなのに、初めて聴く人の気持ちで、次が楽しみになるのです。そして、それに見事に応えるネタの強さは素晴らしい。待ち遠しくさせてくれたのが、かい枝の口演だったと思います。彦いちの新作は、うそつき男の逆転が起こり出す筋立てが秀逸。それに、徹底的にうそに反感を持っているヨメさんが、ウソにのるという発想が逆転の始まり。なんか、その辺りから民話的雰囲気になっていきます。それが秀逸と感じさせるエネルギーかもしれません。スーザン・ボイルを出したのも、ウソっぽいが、ひょっとしたらの気を起こさせる効果があり、着想がいいですね。それに対し、「権助魚」は騒ぎすぎで、ちょっとハイテンション過ぎて、ちょっとマイナス効果。「明石飛脚」は、テンポにリズムが物足りなかったですね。最後の「映像」は、この会では、毎回、二人が旅行して、それを映像に収め紹介するというもの。そう言えば、この会に以前来たときに、そんなのを観たことがあったことを思い出しました。今回は、汐留にある料理教室に体験入学するというものでした。




2014年 2月 8日(土)午前 0時 23分

  大阪府守口市(69)〜大阪市旭区、東淀川区〜吹田市(5)

   昨日は、まっすぐに帰宅。まっすぐ帰ったわりには、夜から朝にかけて時間を有効に使えた珍しい日でした。そして、今日は、真冬の寒い一日。でも快晴。先月は、あまり時間的にゆとりがなく、ウォーキングをする機会が持てなかったもので、俄然ウォーキングをしたくて仕方なく、今日は、午後の予定に入る前にウォーキングを設定。午後からの動きを考え、守口から淀川を渡るコースを設定してみました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。京阪「土居」駅〜地下鉄「太子橋今市」駅〜豊里大橋〜大阪市立大道南小学校〜能条東公園〜東淀川大桐郵便局〜大阪市立豊新小学校〜春日神社〜こすも公園〜韓国食材店「郷村」〜高浜橋〜吹田市有川面墓地〜泉殿宮御旅所〜浜屋敷(吹田歴史文化まちづくりセンター)〜高浜神社御旅所〜新京阪橋〜阪急「相川」駅〜阪急電車神崎川鉄橋〜大阪成蹊女子短大〜大阪高校〜相川南遊園〜小松橋〜大阪市立小松小学校〜松山神社〜小松公園〜風の子保育園〜阪急「上新庄」駅。豊里大橋を渡った辺りは、よく通るということで、大道南小学校経由にして、ちょっと変化技。そして、「上新庄」駅の南側から西側に回り込み、最後に通る道とかぶらない工夫。ただ残念だったのは、吹田市内に入ってから。時間を気にして、あまりゆっくりと時間を取らなかったこと。おまけに以前歩いた浜屋敷のところに出てしまい、いい道なのだがかぶってしまいました。あまり歩く機会のないところですから、残念なのです。でも、吹田市内の神崎川よりは、古い地区で、また、その古いものを残そうとしてくれているのが嬉しいですね。新京阪橋を渡ってからは、逆に時間に余裕ができ、時計を睨みながらの迂回コース。ところが、最後の最後で迷子に。「上新庄」より、知らない間に南側に行ってしまってました。
 阪急「上新庄」から「十三」へ移動。休息と時間調整のためにネットカフェへ。午後からは、芝居三昧の一日。阪急で「伊丹」まで移動し、まずは、「AI-HALL」であった「桃園会」の公演「のにさくはな」を観てまいりました。「桃園会」は、関西小劇場界の老舗劇団の一つ。前回の公演が、唐作品のリメイクということで、初めて観たのですが、その実力は長年培ったものらしく、とってもおもしろく楽しむことができたもので、本公演を観たくなってしまったのです。この公演は、シェイクスピアの「タイタス・アンドロニカス」を翻案したものということが知らされており、それを基に、全く異なる芝居を創りあげたのかとか、筋立てに新機軸となる解釈を付け加えたものなのかとの情報なしで観ることになりました。おまけに、事前に登場人物の相関図が渡され、それぞれが、シェイクスピアの原作では、誰に当たるかが書かれていましたので、かなり不安な境地に追い込まれていきました。そして、案の定、芝居が始まると解らない。自分的に、一番苦手な、登場人物が多くて、その相関関係が解らないというやつです。ですから、事前に相関図なんかを渡されるとびびってしまうのです。解らないと眠たくなるという悪循環。でも、今日は解ったのです。この芝居、東日本大震災の被害者に縁のある人たちの心情を、シェイクスピアを借りて表現していたのです。「タイタス・アンドロニカス」は、どうやらローマとゴートが殺し合う、あの5世紀初頭の出来事を素材とされているようで、多くの人が相次いで死んでいく様からの連想から使われたようです。そのシェイクスピアの芝居も、テレビ番組で、何度も繰返し出てきます。但し、テレビ番組はそれしかやってなかったり、近々行われる祭りの稽古で鳴っている太鼓かと、最初はそう思わせておいて、徐々に不規則に鳴らされていったりしている内に、何やら胸騒ぎがしてきます。それまでは、団地に住まいする幾つかの家族に日常的に起こってることが点描されているかに見えるように作られています。中には、幕開き当初から、家族に電話を入れても繋がらなくて困っている人が出てきます。そのシーンが繰り返されていく中で、勘のいい人には、どんな芝居だか判っていたのでしょうね。でも黄紺には、ダメでしたね。多くの袋に収納された遺体とおぼしきものが出てくる殆ど直前と言っていいタイミングまで判りませんでした。昔、「赤い鳥逃げた」という離風霊船の芝居で、突然に死を迎えねばならなかった人たちが、自分たちの死という現実を受け入れられない無念さを描き、深い鎮魂の気持ちに満ちた芝居を発表してくれましたが、今日の芝居は、亡くなった人ではなくて、縁ある人たちを突然に亡くした人たちの、どのように自分の気持ちを表していいか、いやその以前にある、どのようにして受け入れられるのか、その動揺、言葉にならない動揺から描くことで、深い哀しみを表そうとしたと看ました。ただ、そのあとが長かった。解らない人に、これでもかというほどメッセージを投げ続けたのには、正直逃げ出したい気分。要するに、送り手側からの過剰な拘束ってやつをやらかしてくれました。その辺のセンスには疑問を感じたのは事実ですが、それは蛇足として看たら、そこまでは良かったですね。ヘビーだけど、いい芝居を観たくという 充実感がありました。
 AI-HALLを出ると、直ちに「大阪」経由で「天満」に移動。駅前のネットカフェで、本日2度目の時間調整。そして夜は、「天六」経由で「千林大宮」に行き、「大阪芸術創造館」であった「コトリ会議」の公演「こりす池のともぞう」に行ってまいりました。この劇団は、自分的に、時間さえ合えば、観続けている劇団の一つです。以前に観た芝居っていうのを、よく覚えていないので、間違ったことを書いてしまうかもしれないのですが、なんか全然違う劇団を観ているようで。今回の芝居は、ファンタジー風民話っていうところかな。舞台は、1820年代の日本。その日本を舞台に、土俗的な村の物語に、タイム・パトロールが絡んでくるというもの。前半は、善玉悪玉が明確で、勧善懲悪的な解りやすさがあったのですが、後半に入ると、ぶれていくというか、未来の感覚と称して、境目が曖昧にしていくものだから、ファンタジー系に必要な論理の通ったでっち上げに翳りが見えだし、迫力が落ちていきました。でも、関西小劇場界の知られた役者さんの演技は楽しませてくれましたし、演出の手際よさが際だった後味のいい公演。芸術創造館のスペースはかなりあるということで、舞台は、そのスペースの真ん中に配置。両脇に客席が据えられているスタイル。今まで、こちらで観てなかったのが不思議なくらい、それができるスペースが、こちらにはあります。




2014年 2月 5日(水)午後 11時 59分

 今日は、大失敗の日。仕事が終わって、夜の行き先である繁昌亭に向かい電車に乗ったのはいいのですが、カバンにチケットが入ってなかったのです。毎朝、夜に行くところを考えて荷造りをするのですが、今朝は何も考えないで、荷物を整理したようで、他にちょっと重いものを入れなくてはならなかったもので、カバンの中を整理した際、何も考えないで外に出してしまったようです。どうするか、虚しい電車の中で考えた結果、わりとあっさりと決断。取りに帰ろう、これで決まりです。ですから、京橋まで行ってから、また京都に逆戻り。結局、開演時間(6時半)くらいに、京都の自宅を再出発することになりました。こないなことは2度目です。前のときは、もう少し早く気づいたので、もう少し早く繁昌亭に着けたのですが、今日は、全然ダメでした。ま、ゼロよりはいいかの感覚で、取りに戻ったというところです。水曜日は、わりかし仕事のきつい日なもので、余計な疲労が溜まったのが嫌でしたね。結局、繁昌亭到着は7時20分となり、中入り前に入ることができました。ところで、肝心の繁昌亭での落語会ですが、よりによって「福笑一門会」でした。聴けたのは、福笑「世帯念仏」、(中入り)、たま「壷算」、福笑「アイスクリーム殺人事件」でした。「世帯念仏」は、当然頭から聴けたわけはなく、ネタの後半に入り、自在に周りにある生臭い系ネタなんかを放り込んでいくところでした。大学生の娘の名前に「愛ちゃん」を使ってましたが、確か福笑自身の娘さんの名前がそうだったはずです。その名前を使って、「パンツ、見えてる」って言うのですから、余計におかしくて、、。福笑が「世帯念仏」をするときに、定番の陰陽のマクラをふったのでしょうね、たまは「壷算」とは、全然関係ないながらも、陰陽を噺家に当てはめたものですから大受け。東京の噺家さんの名前や宗教にまで、話題が広がっていきました。トリで福笑が出てきたときに言ってたのですが、今日は、二人で四席なんだけど、9時前まで持たそうという申し合わせで臨んでいるので、どうしてもマクラが長くなります。実は、ネタもさることながら、二人のマクラを聴けるのが、この会の大きな楽しみ。ですから、たまのマクラも、その辺を意識したものなんでしょう。「壷算」は、序盤の壷が割れた経緯は刈り込まれ、終盤のやり取りを膨らませれというもの。困りをしつこく描くのではなく、店の者に種明かしまでしてやるのだが、またまた混乱してしまうという部分を付け加えてました。ちょっとしつこいかなとは思わないでもないのですが、同じことの繰返しではないので、オーケーじゃないかな。「壷算」は、さほど大きないじりというわけではありませんでした。「アイスクリーム殺人事件」は初もの。福笑は、推理小説マニアだということで、本に関するオモシロ話がマクラで。噺は、推理ドラマよろしく、殺人現場に集まった警察官の会話、容疑者への尋問という形で推移していったはずと思っています。はずというのも、途中から居眠りをしてしまったようで、よく覚えていないのです。せっかくたどり着きながら、大阪と京都との往復で、かなり体力を消耗してしまったようです。




2014年 2月 4日(火)午後 11時 20分

  大阪府門真市(48)〜大阪市鶴見区〜守口市(68)〜東大阪市(44)

   昨日は、まっすぐ帰宅。夜は、同じような服を着ていると暑くって、、、。ところが、今日は、また冬に逆戻りです。昨夜は、家の中にいるとわからなかったのですが、外に出てみてびっくり。空気が違いました。天気は、お出かけまでは、概ね曇り空。でも大阪へ移動中に晴れてきました。寒々としたなかウォーキングを敢行。今日は、鶴見緑地に寄るということで、コースを組んでみました。そのコースの詳細は、次のようなものでした。京阪「門真市」駅〜韓国料理店「チョアチョア」〜門真新橋郵便局〜奄美大島・沖縄料理店「しまんちゅう」〜大阪市立焼野小学校〜鶴見緑地〜俊英館保育園〜「茨田浜」交差点〜のぎく保育園〜東三荘橋〜寝屋川・古川合流地点〜徳庵橋〜比枝神社〜金吾郎橋〜JR東おおさか線「松之町」踏切〜地下鉄「高井田」駅。鶴見緑地へは、東北端から入り、東南端の出口から出るという、ちょっと効率の悪い設定。どうしても、旧花博の各国庭園跡を廻ろうとすると、そうなってしまいます。陽射し明るいのですが、鶴見緑地は全くの冬景色。バラ園などは、剪定が済んでいたため、えらく惨めな姿になっていました。鶴見緑地を出てからは、徳庵方向を目指すコース。JRを越えるのに、毎回苦労するところです。適当に越えると、南側は道が細かく複雑なうえ、川があるため、道が曲がりくねってる。それを避けようとしたつもりが、今日は、JRを越えてから迷ってしまいました。頭の中では、おおさか東線に沿って南下すれば、自ずと「高井田」に着くはずだと判っているのに、どの鉄道が、目指す線路なのかが判りませんでした。結局2度、道を尋ねて行くことになりました。これで、所要2時間5分の行程ですが、この行程は、今までの経験で、かなりスピードアップしなければならないとインプットされていましたので、そのようにしても2時間を超えてしまいました。
 「高井田」から「堺筋本町」乗り換えで「日本橋」へ移動。千日前のおなじみのネットカフェで時間調整後、徒歩で「泰聖寺」に移動。今夜は、こちらで「」がありました。最近、講談会に行く機会が、またしても増えてきています。番組は次のようなものでした。南青・南舟「挨拶」、南青・南鷹・南舟・南斗「(車読み)三方原戦記」、南斗「細川の福の神」、南舟「源平盛衰記〜名誉の扇の的〜」、南鷹「官兵衛と信長」、南青「太平記〜赤松家再興、神璽奪回事」。この会は、南左衛門一門の弟子だけの会。毎月開かれてはいるのですが、師匠は、隔月にしか出ないということになっていて、今月は出ない方に当たりました。南斗・南舟のお二人は、聴き慣れたネタの復習っていうところ。南鷹さんは自作。本能寺の変から山崎合戦の前まで。南青くんは、先日の会は半ばで終わった作品を、最後まで仕上げました。明日が、肝心の発表の日だそうで、5時半出発で吉野に向かうと言ってました。南北朝のあとの南朝がテーマです。今日は、座った席が高座の真ん前、演者さんと2mも離れてない席。なんか目が合うとバツが悪い位置なもんで、目をつむって聴いていたら半寝状態になってしまいました。なんか耳に残っているようで、残ってないようで、、、。




2014年 2月 2日(日)午後 11時 48分

 呆気なく3連休の最終日です。相変わらず気温は下がらず、春の雰囲気。午前中にちょっとだけ、持ち帰り仕事をして、春のオペラ紀行で観ることを予定している「バラの騎士」を、その予習のために、DVDで鑑賞。毎回、「バラの騎士」を観ては泣いています。年齢とともに、このオペラに思い入れが深くなります。そしてお出かけは、12時までにということで、今日は、慌てずにゆとりを持って出かけることができました。当初は、京都である「米二一門会」に行くつもりをしていたのですが、2〜3日前に、急に気が変わり行く気がしなくなり、急遽「動楽亭昼席」に行くことにしました。出丸がトリというのが気に入ってしまいました。「まるまる出丸の会」は、随分と無沙汰をしているため、出丸の長講を長らく聴いてなかったもので聴いてみたくなったのです。よね吉の中トリ、千朝の膝変わりも気になりますからね。ましてや、このメンバーなら、日曜日でも混雑しないやろの気持ちもあったことは事実です。そしたら、動楽亭の入口で並ぶと、前に見慣れたお人がいるので、びっくり。スーツ姿の出丸が、客の列について中に入ろうとしていたのです。ちょっと出丸と声をかわし、手ずから落語会のチラシをいただいたりしました。どうやらHPに載せる写真を、客席で撮るのが目的だったようです。で、番組は、次のようなものでした。小鯛「米揚げいかき」、ちょうば「月並丁稚」、あさ吉「風邪うどん」、よね吉「子は鎹」、(中入り)、千朝「蛸芝居」、出丸「不動坊」。あさ吉までは、平穏なというか、平板なというか、月並みな落語会という感じで進行。小鯛では「米揚げいかき」って聴いたことあったっけなんて考えていたら、あさ吉の「風邪うどん」で「親子酒」に行ってしまうのかという感じのところが出てきたのが、ちょっと変わったところぐらいだったのが、よね吉からヒートアップ、大ネタが続きました。中でも大ヒットは「子は鎹」。よね吉が、最近、頻繁にかけているという情報は掴んではいたので、どこかで聴いてみたいと思っていたところ、それがドンピシャで当たったのですから、めっちゃラッキーです。子どもが母親についているヴァージョンでした。導入部で、夫婦別れをする場面を入れ、そして時間を飛ばして、真面目に働いている熊五郎となるのが、ちょっと目新しいかなという程度で、あとは、このヴァージョンの通常の進行でした。人物では、母親の控えめさが良かったかな。以前、東京で「帯久」を聴いたときもそうだったのですが、よね吉の人物描写が、ちょっと大味になってきている点。若い頃の方が繊細だったような気がしてしまうのです。次の千朝が芝居について、マクラで話し出したのにはびっくり。「子は鎹」が、かなりの長講で、よね吉が降りた時点で3時半だったこともあり、ちょっとびびったのですが、ま、「蛸芝居」は大層なわりには、時間がかからないということもあったのでしょうか。ここで「蛸芝居」が聴けると思ってなかったので、これはめっけものでした。そして、トリの出丸は、期待通りの「不動坊」。冬で、トリでとなると、これだろうと思っていたら、ドンピシャでした。今日は、ちょっと暖かだったので、ちょっと具合が悪かったかもしれないのですが、この冬は、「不動坊」にほぼ遭遇してなかったもので、ついつい期待してしまったのです。下げが変わってたかな。井戸にはまった軽田道斎が、講釈師を名乗り、「芸人ですから、上がったり下がったりの水ものです」というものでした。賛同を得られなかったと、出丸は看たのでしょうか、下げを言ったあと、ちょっと小首をかしげてから、高座を下りました。このあたりの、素直で正直な人柄が、好事家の皆さんに好かれるところでしょう。動楽亭の昼席は、今日のような優れものの番組が、ちょいちょい出ます。噺家さんからすると、鍛練の場になりますし、客席にいる者からすると、比較的容易く大ネタに出逢えるので、ホントに嬉しい限りです。
 動楽亭を出ると、すぐさま御堂筋線で梅田に移動し、ネットカフェで時間調整。夜は、「梅田シネリーヴル」でやってます韓国映画「新世界」を観てまいりました。時々、韓国の娯楽映画を観たくなります。うまい具合に、やくざ映画と言った方がいいですね、この映画。警察ものと言った方がいいのですかね、ま、どっちでもいいですが、やくざ組織を壊滅させるために送り込んだ捜査官イ・ジャソン(イ・ジョンジェ)の活躍を描いたものです。やくざの会長が死に、その跡目相続をきっかけに、内部抗争を起こさせ、組織自体を壊滅させようというのが、警察の狙い。中国系韓国人ということで、イ・ジャソンは兄貴分のチョン・チョン(ファン・ジョンミン)とウマが合うというのが、むごい殺し合いのやくざ映画の中で、ストーリーに重要な役割を果たしていきます。ファン・ジョンミンのチンピラ上がりのやくざの雰囲気が魅力的ですし、対抗勢力のイ・ジュング(パク・ソンウン)の童顔の中に見える野蛮な残虐さを出す演技も、なかなかの見せ場になっていました。でも演技派と言えばカン・ヒョンチョル課長役のチェ・ミンシクにトドメをさします。暖かそうな人柄に見えながら冷徹さを秘めているカン・ヒョンチョル課長を好演。という具合に、著名俳優が出ている中で、やっぱ、自分的には、「イル・マーレ」でチョン・ジヒョンと共演したイ・ジョンジェが懐かしい。「イル・マーレ」だけでなく、「黒水仙」「タイフーン」でも強い印象を与えてくれたことが懐かしかったです。エリート役が似合う彼が、この映画でも、またまた似た役柄だったのが嬉しいのですが、結末は違いましたね。この3連休、梅田シティでナチスものを観て始まりましたが、終わりも同じ梅田シティ、でも、帰り道の足の重いこと! 連休が終わったのですから。




2014年 2月 1日(土)午後 11時 36分

  大阪府門真市(47)〜大東市(18)〜東大阪市(43)

   今日は、のんびりとした予定を立てたつもり。でも、そういったときに限り、段取りが悪く、時間に追われてしまう傾向があるのですが、今日は、正にそれの典型。のんびりと二度寝をしていると、急に慌ただしくなってしまいました。お出かけの目安は2時にも拘わらず、こないなことですから、だいぶと時間の感覚がずれてきているかもしれません。先ず、今日はウォーキングから。2日連続のウォーキングになりますが、これを常態化したいほど。その詳細は、次のようなものとなりまし立てた。京阪「大和田」駅〜だいわ幼稚園〜「野口東」交差点〜弁天池公園〜岸和田産土神社〜門真市岸和田北部区画整理事業記念碑〜「門真団地入口」交差点〜大阪府営門真下馬伏住宅〜御領みのり公園〜御領せせらぎ水路〜御領橋〜西福寺〜菅原神社〜南郷公園〜大東市立西部図書館〜太子田大神社〜聖徳太子堂〜聖心保育園〜諸福墓地〜西諸福子安地蔵〜鴻池橋〜東大阪西鴻池郵便局〜JR学研都市線「鴻池新田」駅。先日、「古川橋」を起点にしたコースと似たコース。でもトルコ料理店の近くでクロスはしましたが、コースは全く別物。総じて今までに通ってない道を歩いたねではないでしょうか。門真から大東、東大阪方面への地図は、あまり細かなものを用意してないものですから、迷うことが頻繁。特に下馬伏に入ってからは、団地を抜けようとしたため、その後の足取りが、さっぱり地図で確認ができかくなり、ほぼ勘で歩いてました。で、気がつくとトルコ料理店近くの交差点に出ていてほっとした次第。今日は、巡検的に見っけものが二つ。一つは、御領地区の保存地域に行けたこと。これも、実は偶然の産物。伝統的家屋が残っていて、とってもいい雰囲気のところ。前にも一度、迷い込んだことがあったのですが、そのときも偶然。地図で、どの辺りか分からなくなっていたので、自分で目指しては行けないでしょうね。二つ目は、寝屋川の右岸の自然堤防が、とっても判りやすい形で残っていることが発見できたことです。先日、同じ道のごく一部だけは通っているのですが、そのときは、全く気づいていなかったのですが、同じ道を長く歩いたことと、微高地になっているところをうまい具合に歩けたことが大きく、もう自然堤防しかないとの認識に立てました。というわけで、こないな収穫があると楽しいですね。おまけに暖かだったもので、今日、このコースを歩けたことは大正解でした。
 「鴻池新田」から「大阪天満宮」へ、JR一本で移動。駅の上にあるネットカフェで、今日は時間調整。夜は、2日連続で繁昌亭。今夜は「復活!?“アルカリ落語の会”」がありました。さすがに、この会は、補助席が出るほどの盛況。たまたま迷い込んだ人もいたでしょうが、今日は、コアな落語ファンが集まったのではないでしょうか。80年代の後半から7年続いた伝説の落語会の一夜だけの復活の会だったのですから。黄紺は、この会が行われていたのは、もちろん知ってはいたのですが、なぜか一度も行ってないのです。なぜか、今、考えても、そなわけは思い出せません。ただ職場が、大阪市内に出にくいところだった関係で、落語会自体から遠ざかっていた時期であったことが関係しているかもしれません。ま、それはいいとして、今日の番組は、次のようなものでした。雀喜「大阪環状線双六ゲーム」、鶴笑「茨木童子」、あやめ「京阪神日常事変」、映画(弁士:雀三郎)「アルカリ・キッド〜豚で火に入る夏のブタ〜」、(中入り)、雀三郎・あやめ・小佐田定雄他「対談」、テント「漫談」、雀三郎「雨月荘の惨劇」。雀喜は、「アルカリ落語」が終わった年の入門とか。でも、「アルカリ落語」とは重なってないそうです。ネタは、「客寄席熊猫」で出していたもの。今日の方が、圧倒的に受けていました。雀喜の趣味と合う人が多かったみたいです。「京阪神日常事変」は、かつてあやめが、「アルカリ落語」で出したものとか。かつては、随分と出していたのを見たことはあったのですが、最近は見もしないようになっていたので、ここでの遭遇は、まことにラッキー。大阪、神戸、京都の違いがテーマです。対談では、この会が、春輔の会を引き継ぐような形で始まったことや、生まれたネタなど、興味の尽きないことが語られました。そして、幻の芸人テントの高座。テント・マニアと思しき人たちに、異様な受け方。芸人もケアの芸風ですが、そのファンも尋常ではないですね。雀三郎は、アルカリで生まれた最大のネタということで「雨月荘」を出しました。まじめに聴いていると腹が立ってくるというネタですが、それが、アルカリ・テイストということなのでしょうね。今も、雀三郎は、これを落語会で出しています。そう言うと、今、実験的な会ってないですね。それを考えると、このアルカリの偉大さを再確認です。




2014年 2月 1日(土)午前 6時 18分

  大阪市内遊歩(186)

 昨日は、一昨日から一転して、とってもいいお天気。おまけに暖か、絶好のウォーキング日和。うまい具合に、そういった日が非勤務日に当たりました。昨日は、ウォーキングを始める前に、一本映画を観ました。オーストラリア・ドイツ映画「さよならアドルフ」です。ナチスものですが、今までに、恐らくあまり取り上げられなかったテーマを扱っているということで、狙いの映画。翌日からは朝だけの上映になるということで、慌てて行ってまいりました。そしたら、黄紺同様、昨日が非勤務日の同僚に会ったばかりか、入りがえらく多い。恐らくテーマに惹かれたのじゃないかなと思ってはいるのですが、確かなことは判りかねます。扱ったのは、ナチス親衛隊の家族のその後が扱われたのです。父親の詳しい来歴は触れること自体、あまり意味のないことということで、親衛隊らしい、少なくとも親派であることは間違いありません。母親も出頭を求められ、姉妹二人、双子の男の子、それに乳飲み子5人の逃避行が始まります。台詞の中に、シュヴァルツヴァルドからハンブルクまでと出てきますから、大変な逃避行です。ハンブルクにいる祖母の家に向かうとなっていました。そないな移動をしていく映画という設定だとは、映画が始まって初めて知りました。要するにロードムービーなのです。食糧を求めるのに苦労したり、橋が破壊されているので、川を渡るのに苦労したり、米英仏ソの管理地区を越えて移動しなければならないので、その苦労などというエピソードが、各所に散りばめられ、それに直面し乗り越えて前に進むという典型的なロードムービーのパターンにはまる映画で、共通したコンセプトが、親衛隊の子どもたちが、それまでの価値観が否定された中で、そういった障害を、どのようにクリアしていくかに焦点化された作品でしたが、その中で、一番年長の女の子に、価値観の転換が起こってくるのが最大の見せ場と言えると思います。エピソードの中で、一番重たく、一番長く扱われるものですが、途中から、ユダヤ人の身分証を持った青年が同行するようになります。トマスという名の青年ですが、身分証自体が本物かどうかも、結局よく判らないのですが、またトマスが、なぜ5人に関心を持つようになったのかも不明のまま進行していくのですが、最年長の女の子はユダヤ人だと思っています。そして、その女の子の中で、トマスと行動することで、最終的に価値観が変わっていきます。それを描けば、あとの細かな設定はアバウトな方がいいという作り方をしていると言えばいいでしょうか。そんなで、ちょっとロードムービーの変化技的に捉えてしまったということもあったからでしょうか、そないに大きな満足感を得られたという映画ではなかったかな、、というところです。
 映画が終わると、直ちに梅田シティを起点にウォーキング開始。久しぶりに西淀川区内に入ることにしました。あとのことを考え、とにかく「御幣島」駅を終点と定め歩き始めました。そのコースの詳細は、次のようなものでした。梅田シティ〜「大淀中5」交差点〜JR「とうかい229」橋梁〜海老江上公園〜八坂神社〜阪神「淀川」駅〜大阪市立下水道科学館〜大阪市立此花中学校〜伝法北公園〜大阪市立伝法小学校〜阪神「淀川東岸」踏切〜伝法大橋〜西淀川福郵便局〜大阪市立環境局西淀工場〜大阪市立西淀川特別支援学校〜大和田中央公園・大阪市立大和田小学校〜大阪市立大和田保育所〜千船大橋〜阪神「千船」駅〜大阪市立西淀川区老人福祉センター〜佃幼稚園〜新佃公園〜神埼大橋〜JR東西線「御幣島」駅。西淀川区内のウォーキングが久しぶりのうえ、伝法大橋を渡って西淀川区に入るのは、もっと久しぶりだったと思います。結構、淀川左岸に沿って歩くのは時間がかかるもので、伝法大橋を渡るまでに、既に1時間を超過。渡り終わった時点では、40分ほどしかありませんでした。ですので、阪神なんば線の西側に行くことは止めることにしました。それで正解。神崎川を越えることで調整することができ、どんぴしゃ2時間で、目標と定めた「御幣島」駅に到着できました。
 「御幣島」からJR東西線一本で「大阪天満宮」に移動。駅を上がったところで、また、突然、知り合いに遭遇。昨日、2回目のことにびっくり。時間調整は「扇町」のネットカフェでして、夜は繁昌亭であった「あやめ★はんせいき〜桂あやめ独演会〜」に行ってまいりました。番組は、次ののようなものでした。喬介「刻うどん」、あやめ「上がる前体操(仮題)」、れ・みぜらぶるず「音曲漫才」、あやめ「立ち切れ」、(中入り)、マグナム小林「ヴァイオリン漫談」、あやめ「立ち切れ〜小糸編〜」。あやめの1つ目は、ずっと続けている等身大の現在進行形のもの。いよいよ50代に入ったということで、今回は真正面から更年期を取り上げました。キーワードは「上がる」。これをテーマにした初の落語でしょう、恐らく。すごいです、そのリアリティ。完全に脱帽です。そして、、今回の売りは、「立ち切れ」本編と、あやめ作の「立ち切れ」の外伝と言える「小糸編」。この作品は、以前、25周年のとき5日連続落語会を、この繁昌亭で、確か繁昌亭のできた年か、その翌年に発表したもの。当時は、まだ「本編」の方は、ネタ下ろしをしてなかったので、「本編」は、ミスター若旦那こと、当時の小米朝にやってもらったあとに出したと記憶しています。「小糸編」は、「本編」が解ってないとダメということで、あやめは「小糸編」を出すときは、必ず「本編」のあとに出すようにいているということです。たまの「続編:三味線アリ」は、それだけで出していますが、あやめは、そこにこだわります。初演のときには、それを聴いた当時の小米朝に、「これ、嫌いや」と言われたもの。確かに、「若旦那の立ち切れました」で終わるわけですから、好き嫌いが分かれる作品。という曰く付きの作品と本編の、あやめ本人による連続口演、これが、今回の独演会の売りとなりました。黄紺は、初演時にも聴いていますが、2度目だからでしょうか、いや、かなり噺が落ち着いた内容になったからでしょうか、いや、よりリアルになったからでしょうか、前のときほど違和感がなくなりました。100日間の蔵住まいが終わり、難波新地に駆けつける若旦那、そのときにまかれてしまう定吉が、若旦那を探すというところからスタートしたこと、また、定吉が、若旦那が蔵住まいしていたときに、街で会った雛菊という芸者を通じて、その旨を小糸に伝えていた、でも、会えない苦しみで、小糸が焦がれ死ぬとしたこと、えらくリアリティーが出るようになってました。そんなで、違和感が薄れたのだと思います。「小糸編」が終わると、舞台は暗転。あっという間に黒のドレスに着替えたあやめは、シャンソン風の歌を歌い、自分の半生を振り返りました。それも生演奏で。それを狙ったためかは判りませんが、ゲストは2組とも音曲系色物ばかりでした。マグナム小林なんか、東京から喚んだのですから、こちらの方も、気合いが入っていました。




2014年 1月 30日(木)午後 11時 27分

 昨夜は、1時間ほど眠ったあと目が覚めてしまい、そのあと、延々と眠れず、結局朝までに、計2時間ほどの睡眠で仕事にお出かけ。ですから眠いったらありゃしないという一日。それが、夜の落語会でも、もろに出てしまいました。その落語会とは、天満橋の「常盤漢方薬局」であった「客寄席熊猫」という雀喜のやってる落語会。自身の新作を発表する会で、毎回、雀三郎の幻の一番弟子又三郎さんが、お手伝いに来られるという会でもあります。今日の番組は、次のようなものでしたが、よりによって雀喜の二席で、きれいにダウンしてしまいました。それぞれが、ほぼ全滅という低汰落なことなのですが、逆に文三の高座では、見事に覚醒していたのです。なんか、これでは、雀喜の口演では、おかしなガスが出ていたかのようです。雀喜「ノラえもん」、文三「内助の富」、雀喜「受験前夜」。文三のネタは、くまざわ作品。ひょっとしたら、京都文化芸術会館で生まれた作品かもしれないなと思いながら聴いておりました。何も知らないで聴けば、古典と間違ってしまいそうな仕上がりぶり。夫のへそくりを、夫に黙って富くじを買うのに使ってしまった女房に、前後策を相談された家主が、替わりに、その話を夫に伝えることを引き受けてしまうが、、、その中で起こるドタバタを描いた作品。一番厄介なのが、買った富くじが、千両の当たりくじだというのが、この噺のミソ。でも、噺の起伏が、そないに大きなものではないため、もう一つ面白味に欠ける作品でした。書けるのは、このくらいという情けない結果で、さすが後味が悪いですね。




2014年 1月 29日(水)午後 11時 34分

 今日も、わりかし暖かでした。こないな感じでいてくれたらいいのですが、まだまだ1月の末ですから、簡単にはいかないのでしょうね。今夜は講談会の日。初めて行く「千林伝楽亭」です。今夜は、こちらで「旭堂南左衛門一門講談会」があったのです。情報は、あまり流れてなかったのですが、先日泰聖寺の会に行ったおかげで、情報を掴むことができました。その番組は、次のようなものでした。南斗「名月松阪城」、南舟「堀部弥兵衛の駆け付け」、貞寿「亀甲縞の大売出し」、南鷹「霧隠才蔵」、南左衛門「寛永三馬術〜梅花の誉れ〜」。南斗くんの「名月松阪城」は初遭遇。我が儘な主君に楯突いた家臣、それに腹を立て主君のもとを去るのだが、日が経つにつれ主君に楯突いたこと恥じ、主君に詫びを入れるのだが、この筋立てに膨らみを付けなければ、あまり情感が深まらず、主君の理不尽さばかりが目についてくるネタ。今日の南斗くんの口演は、ちょっとその傾向。名月が映えて、それに映し出される晴れ晴れとした主従関係が出るような工夫が、このネタの身上なのでしょうね。解りやすいネタなんだけど、味わいネタにするには、手がかかる厄介なネタです。南舟くんのネタは、3回続けて「秀吉と易者」だったもので、開演前に、南舟くんが、「今日は違いますから」と耳打ちしてくれました。そのネタは「堀部弥兵衛の駆け付け」だったのですが、南舟くんで聴いた記憶がなかったので、ひょっとしたらネタ下ろしかと尋ねたら、「3年ほど前に覚えて、あまりやってなかった」のだそうで、最近聴いた記憶がなかったはずです。内容は、赤穂義士最高齢の堀部弥兵衛を討ち入りに駆け付けるまでが前半、後半は討ち入りのときでの堀部弥兵衛の動きを追うものなのだが、時間の関係が、後半の半ばで切り上げてしまいました。貞寿は、東西の交流で、今年も南左衛門からネタをもらいます。そのお稽古に来ていたのでしょうね。「亀甲縞の大売出し」を聴かせてくれました。東京で聴いたことがありますね。誰の口演であったかが思い出せないのですが。今で言う消費意欲を掻き立てる販売方法を考え出した男の物語と言えばいいでしょうか。南鷹は、前名太平洋。現南陵の元弟子で、数年前に、旭堂を返上し独立。そのときに、ネタも全部返上したとかで、南左衛門によると、新作でやってたとか。古典もやろうということで、また、耳に挟んだ話だと、東京で仕事をしようとしても、旭堂を名乗ってないと使いにくいということで、南左衛門一門に入ったとか。「霧隠才蔵」も、従って新作。石川五右衛門は義賊だとの設定で、しかも処刑後、命を取り戻し、霧隠才蔵を名乗るという荒唐無稽なもの。語り口は、さすが経験を感じさせるものがあるのですが、この展開には、ちょっと引いてしまいました。南左衛門は、おなじみの「寛永三馬術〜梅花の誉れ〜」。160何段かの階段を上る話です。これも家光の気まぐれから出た話。「寛永三馬術」からは、このくらいしか大阪ではやらないかな? 残念なところです。




2014年 1月 28日(火)午後 10時 33分

  大阪市内遊歩(185)

 ちょっとこの間、ウォーキングができてなかったもので、今日は、午後のお遊びは慎み、ウォーキングに当てました。午前中は、春のオペラ紀行の準備に当てなければならなかったものですから。この時期にしては、暖かめの日が続いていますから、ウォーキングにはいい日和。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「淀屋橋」駅〜「南船場3北」交差点〜韓国料理店「ハナ」〜「新町1南」交差点〜松島橋〜松島公園〜スリランカ料理店「アジアン・キッチン」〜地下鉄「九条」駅〜大阪市立九条北小学校〜九条北公園〜JR「かんじょう041」橋梁〜大阪市立南市岡小学校〜南市岡公園〜尻無大橋〜昭和幼稚園〜大阪市バス「大正橋」停留所。おなじみの九条から大正区内に入るもの。今日は、ちょっと九条で大回りをしてから尻無川を渡りました。渡り終わったときには、もうあと20分。大正駅方向に向かうしかありませんでした。
 「大正橋」から「難波」に移動。いつもの千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は谷六に移動。「薬業年金会館」であった「旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。日本にいるときには、最優先で行く会の一つです。今日は、「竹中半兵衛重治」が読まれました。12月は、ドイツにいたために行けてないうえ、勝手連的な南海さんのHPも見て行かなかったため、常連さんに演題を教えていただく始末。「紀伊國屋文左衛門」が終わったあとは、新たな続き読みは停止をして、戦国武将を1回ずつピックアップをして、読み続けられていく模様です。で、今日は、人気の軍師竹中半兵衛ということで、それを知ってか知らずでかは判らないのですが、今日は、最近見られなかった入り。半兵衛が仕えていた美濃の斎藤の殿さんが凡庸だということで、城の乗っ取りをしてみせるのが、本日の前半。結局、軍師になることには魅力を感じている半兵衛も、城の主になることには関心がなく、結局、城は斎藤に返し、隠遁生活を始めます。が、その能力は広く知れ渡り、軍師に迎え入れたい城主が出てくる。信長が藤吉郎を使い迎え入れようとするのだが、その迎え入れ方も、軍師さながらの藤吉郎ということで、そのエピソードが後半に読まれました。結局、その軍師ぶりに、半兵衛も感ずるところとなり、信長のもとの客分となるとともに、藤吉郎の軍師となっていくところで、お時間となってしまいました。今日は、居眠りなしで、しっかりと聴くことができました。やっぱ、そうでないといけません。帰り道の爽快感が違います。




2014年 1月 28日(火)午前 0時 12分

 今日は、寒くなると言われながらも、週末のような具合になり、とってもありがたい一日。最近、やたらと寒さが堪えて困っているものですから。ただ昨夜、爆睡したにも拘わらす、眠気を払いながら仕事をするのに、かなり頑張った一日でもありました。そして、夜は繁昌亭。今夜も滝川鯉朝狙いです。「新作対決」という落語会が繁昌亭であったのです。番組は、次のようなものでした。小鯛「ヒーロー」、三弥「商店街野球部(仮題)」、鯉朝「よるのてんやもの」、(中入り)、たま「カケ酒」、三金「奥野君の同窓会」、三風「ハンカチ」。小鯛は、自身の会で新作を披露したのを聴いたことはあったのですが、今日は、そのとき以来。ネタも同じネタ。いわゆる繰返しネタ。ヒーローものの番組を製作するために、部下にアイデアを出させるのだが、変なものばかりが出てくるというもの。しょうもないアイデアが続くので飽きることはありませんでした。三弥の新作は初めて。活気のない商店街活性化のために野球部を作ろうとして、メンバー探しをするところが聴かせどころ。商売に引っ掛けてポジションが決まっていくというもの。ホントに三弥が創ったのかと思うほどの巧みさでした。中トリが鯉朝。今日も西成ネタをマクラでふってからネタへ。ネタ出しをしていたのですが、噺がどんなだか判らずじまいだったのですが、いざネタに入ると判りました。以前、繁昌亭かどこかで聴いたことのあるもの。親が出かけてしまい、寂しくなった二人の小学生が、冒険心を起こして、てんやものを取ったら思いがけないものが届いてしまうというもの。鯉朝らしい、ちょっと尋常じゃない雰囲気の漂う噺に仕上がっています。中入り明けはできちゃったのメンバー。ネタの色合いを考えて、たまを間にはさんだのでしょう。三金は、懐かしい奥野君シリーズの最初の方の作品じゃないかな。でぶネタに頼る感じは、この作品にはないですからね。むしろ私落語の雰囲気を感じさせます。たまは「カケ酒」。このネタは、時々は聴いてみたくなるネタ。だって、その都度進化していますからね。ということは、それだけかける機会が増えているということなのかもしれません。今日も、ママに抱きつく仕種が入ってたり、ラインで嫁さんと話してたりしていました。「ハンカチ」は、手がける噺家さんが増えていますが、元祖は三風です。台本コンクールの入選作品発表会で口演したのは三風なんですからね。マクラを聴いている間は、くつろいで深々と椅子に腰かけていると、不覚にも居眠り。昨夜は爆睡したわりには、朝から眠気が出てかなわなかったのですが、こないなところでも出てしまいました。気がつくと半ば過ぎまで進んでいましたので、不覚も、ちょっと度が過ぎてしまってました。ま、「ハンカチ」は、またどこかで聴けるだろうの諦め気分でした。総じていい演者、いいネタ、でも客席は極めて淋しい、なんとも勿体ない落語会でした。




2014年 1月 26日(日)午後 8時 35分

 今日も、朝8時半をメドに、お出かけ準備。久しぶりに繁昌亭朝席に行ってまいりました。時々覗く「あされん」に、滝川鯉朝が出るということで行ってみたのですが、子どもを連れたどこかの団体が入っており、完全に子どもシフト、落語初心者シフトの番組となりました。その番組は、次のようなものでした。三弥「落語解説」、三弥「桃太郎」、鯉朝「やかん」、三風「動物園」。「落語解説」は、上下の振り方、小道具の使い方、お囃子といった上方落語定番の解説でしたが、それを、三弥が仕切るのがおかしいのですが、これは三弥の会。お囃子のお手伝いは、小梅くんと三味線の佐々木千華さん。千華さんのお顔を見たのは初めて。お若くて、別嬪さんです。「桃太郎」は、時間を気にして要領よくコンパクトに。この会一番の過激さを発揮したのは、期待の鯉朝。西成ウオッチャーとしてのレポートは、東京から来た人だから、赤裸々に言えるのでしょう。一門のしくじり話ともども楽しむことができました。三風ともども、古典をチョイスしたのは、一面納得。やっぱ、無難さを選んだということでしょう。三風の「動物園」のアホは、ヤンキーのお兄ちゃんでした。そして、ちょっとだけ客席参加型でした。
 繁昌亭を出ると、扇町のネットカフェで時間調整。そのあと「鶴橋」に移動。午後は、「雀のおやど」であった「なんか、はたちの会」に行ってまいりました。南華さんが、ご自分のお誕生日に合わせて開かれる独演会です。その番組は、次のようなものでした。南華「挨拶」、南舟「秀吉と易者」、南華「野口英世と母」、達瓶「ふぐ鍋」、南華「大高源吾、両国橋の出会い」。まず、南華さんが高座に上がり、挨拶と近況報告。客席を暖めると、南舟くんにバトンタッチ。ここ3回連続で同じネタはいけません。そして、南華さんの1席目のネタは、随分と前に、当の南華さんから聴いたことがあります。二代目南陵の作品だそうです。野口英世と言えば、どうしても火傷の話が出てきます。ちょっと聴き辛いところです。聴いていて新しいなと思ったのは、英世の書いた作文を、クラスの生徒に読ませるところ。二代目の時代に、この着想は斬新な感じがしました。ゲスト枠は達瓶。師匠宅での修行時代の話をマクラでしてくれましたが長すぎます。主役じゃないのですから。ネタは季節もの。達瓶は、達瓶は、南華さんより先輩に当たるそうです。そして、南華さんの2つ目は「大高源吾」。先日、南湖さんで聴いたばかりのネタ。その南湖さんはよく出すので、何度か聴いているのですが、南華さんでは初めてかもしれません。其角と両国橋で会った大高は、それとなく句でもって別れを言うのですが、其角には、それが解らない。ここで其角が解るようだったら、話が壊れてしまううえ、大高が討ち入りをもらした話になってしまうので解らないままでないとダメなのだが、其角の扱いが軽いのが、いつも気になってしまいます。でも、討ち入りのときに二人が会うところがいいですね。南華さんは、二人が別れようとするときにも、句をかわす場面を入れておられました。ちょっとくさめ、でも妙なる口演にじーんとくるものがありました。




2014年 1月 26日(日)午前 3時 9分

 週末は3連休なのに、何やらせわしなく動いています。朝のお出かけ時間が早いというのが最大の要因のようです。今日は、まず文楽劇場であった「上方演芸特撰会場」に向かいました。当初は、芝居の2連発を考えていたのですが、節約を考え、こちらに行くことにしました。ちょっとせこいかもしれません。2本の芝居の内からもお値段の安い方を選びましたからね。で、番組の方は、次のようなものでした。二乗「癪の合薬」、浪花亭友歌(一風亭初月)「男の花道」、帰天斎正紅「曲独楽」、仁福「寝床」、(中入り)、京山倖若(一風亭初月)「谷風の情け相撲」、喜味家たまご「女道楽」、ラッパ・ハッパ「漫才」。二乗は、またしても「癪の合薬」、マクラは、相変わらず串カツ屋ネタ。いい加減にしないとダメですね。ただ、季節を春に変えていました。1月だからでしょうか。次の浪曲から仁福まで、見事にダウン。この頃、二人目でのダウンが目立ちます。浪花亭友歌は、久しぶりに聴けるということで楽しみにしていたのですが、哀れな様です。「男の花道」は講釈ネタ。これを、大阪の浪曲師さんでする人はいましたっけ? 聴いたことがなかったので、惜しいものを逃しました。曲独楽の高座が最悪で、お皿に小さな独楽を並べての演技をされていたのだけ覚えています。仁福を、特に聴きたいとは思わないのですが、久しく聴いてなかったので、ちょっと悔しいですね。京山倖若さんが、一心寺でなかなか遭遇できなかったので、具合でも悪いのかと思ったりしてなかったのですが、全然お元気。お家の滑稽浪曲が冴え渡りました。谷風と佐野山のやり取りは、八百長の相談を描かないという手法を採っているのがユニークなところです。喜味家たまごは、喜味こいしの実子。随分と、舞台姿が堂々とされてきました。そしてトリは、昔ながらの音曲漫才の雰囲気を残すお二人。めっちゃギターが美味いのが、売りのお二人です。今日も、存分に腕前を披露してくれました。
 文楽劇場を出ると、日本橋駅上のネットカフェで、短時間の時間調整。そして、徒歩で「in→dependent theatre 2nd」へ。この週末、こちらで「遊気舎」の公演「剥製の猿/征服」がありました。「剥製の猿」シリーズ5部作の内第4部に当たるということです。前の作品を観ていませんので、この作品の位置づけは解らないのですが、この作品だけで完結することは完結していると言えるもの。ばらしが、なかなか始まらないので、どのような設定で動いているのかがまとまらず、一方で、仕掛けが用意されているのが見え隠れしてくるものですから、辻褄が合わないところが出てくる。そないなため、やきもきさせられる展開。どうやら、離島に取り残された人たちの現実と夢の中の世界が交差しながら展開しているようだと、徐々に判ってきます。で、それで何を表したかったのかが、自分の目には浮かび上がってこないのが、悲しいところです。夢の中の世界は、高校時代の風景が多かったかな。それらの夢を、皆が共有しているという点が語られますが、この辺りは理解できない、いや補充的説明が欠けるところとなっています。「剥製の猿」という題名は、「猿の惑星」を文字ったものと、最後の挨拶の中で代表の久保田浩が言ってました。となると、離島に取り残された人たちというのが、地球に帰還してしまった人たちと同様の人たちに相当するということ? その人たちの語った台詞で、一番印象に残ったのが、日々、変わらぬ生活を送っているが、一日一日を懸命に生きるしか生きる道はないということ。その人たちが、共通の夢を見ているというのが、判らないところです。次回が、この連作を最終回だと言ってました。何かばらしがあるのでしょうか。連作全作品を観てないと、この作品の位置が判らないというものなのでしょうか? ちょっと迷路に入ってしまっています。




2014年 1月 24日(金)午後 11時 46分

  大阪府門真市(46)〜大東市(17)〜東大阪市(42)

   今日は快晴。おまけに気温がましだった一日。朝からお出かけ。門真の「ルミエール・ホール」で、ちょっとした知り合いのやってる劇団「壱劇屋」の公演「ルミエール・ダンジョン」があったからです。ちょっとした知り合いがやってるからだけで行くのではなく、今、関西でおもしろい劇団の最上位に入れたい劇団の一つに成長してきているのです。その証拠に、今回の公演は、ホール側からの働きかけた公演だと漏れ聞いています。ただルミエール・ホールは広い。それが、劇団を悩ませたよう。そのため、まずロビーに迷路が作られ、かなり狭い仕切られた場所で待っていると、二人の役者さんが現れ、案内するところから芝居がかり。ホール内を歩き回り、最終的に案内された場所は舞台の上に設えられた客席。そこから芝居が始まりました。ですから、役者さんが動き回るのは客席と舞台の一部といった具合が前半。それは、ルミエール・ホールがダンジョンになっており、その奥に何やら秘密があるらしいという感じで推移。やがて、そのダンジョンに入ることを求められ、客は客席に移動、舞台がホントの舞台に、ここでようやくなりました。ルミエールから光を連想し、舞台には、上からぶら下がる多くの電球。ストーリーも、その光が何やらダンジョンと関わりがあるようなんですが、解らなかったのです。ストーリー展開を終えない情けなさを味わってしまいました。ひょっとしたら、気が付かないで眠っていたのかもしれません。なんせ、そないなことが、最近、多いですから。
 芝居がはねると、食事をとったあと、直ちにウォーキングに移行。今日は、夜のことを考え、学研都市線を終点にできるように努めてコースを設定しました。その詳細なコースは、次のようなものでした。京阪「古川橋」駅〜門真大橋〜うちこし保育所〜東打越公園〜門真市立五月田小学校〜門真市民プラザ〜門真市立脇田小学校〜門真市立砂子小学校〜「御領西」交差点〜トルコ料理店「アラプスン」〜大東御領郵便局〜西諸福子安地蔵〜鴻池橋〜鴻池本町公園〜鴻池せせらぎ遊歩道〜JR学研都市線「鴻池新田」駅。京阪沿線から真南方向に進めばいいのですが、それでは単調と、少しずつ東に着れこんだり、また逆に西に戻ったりでも、わりかし余裕がある行程です。ところで、脇田小学校の前で、ポイントだということで写真を撮っていると、警備に当たっていた私服に職務質問をされました。ちょうど下校時だったこともあるのでしょうか? 「何かあったのですか」と逆に尋ねると、「下校時ですから」との返事。砂子小学校でも警官が立っていましたから、何か不審な臭いがしてしまいました。今日は、一つの発見がありました。トルコ料理店です。今まで何度か歩いたことのある道を、ちょっと逸れたところにありました。表通りは避ける傾向にあるので、逆に今まで見つからなかったのだと思います。しかもメニューの中に「サチ・タワ」があったのにはのけぞりました。もっと近いところにあれば、ぶらりと覗きに行くのですが。結局、「鴻池新田」駅には、予定より15分以上前に着きそうになってしまったので、最後は駅を大きく迂回してから入ることになりました。従って所要時間は、ジャスト2時間の行程でした。
 「鴻池新田」からは、学研都市線一本で「大阪天満宮」へ。繁昌亭で前売りチケットを買い扇町へ。最近よく利用するネットカフェで時間調整。ウォーキング疲れからか、いびきをかいて寝てしまいました。ですから、いい休憩になったということです。そして、夜は「福島」まで行き、「シンフォニーホール」であった「大阪交響楽団定期演奏会」に行ってまいりました。今日は、前半にシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲、後半にズッペの喜歌劇の序曲集という、なんとも洒落たプログラムが気に入り行ってみようの気になってしまったのです。そうなんです、「ウィーン尽くし」のプログラムなのです。ただプログラムを読むと、ヴァイオリン協奏曲は、シェーンベルクがアメリカに行ってからの作品だそうですが、シェーンベルクがウィーンで活躍した作曲家であることは間違いありませんから、大した問題ではありません。新ウィーン楽派のヴァイオリン協奏曲と言えば、まずベルクのものが思い浮かびますが、シェーンベルクものを聴いて判りました。ベルクものの方が、厚い音を巧みに使い、なんか体の奥底に入ってきそうなインパクトの強さを感じます。12音技法の曲とはいえ、目をつむり、ちょっと半寝気分で聴いていると、意外と心地好いものがありました。ヴァイオリンのソロは、チャイコフスキー・コンクールで1位なしの最高位を獲得した川久保摩季。ちょっと乾いた音が気になりました。後半のズッペは、「ウィーンの朝・昼・晩」「快盗団」「美しいガラテア」「スペードの女王」の4曲がプログラムに載っていたのですが、シェーンベルクと併せても、ちょっと軽量プログラムに首を捻っていたら、定期演奏会には珍しいアンコール曲が用意されていました。指揮の下野竜也が客席に向かい新年の挨拶をしたあと、「今年は午年です」と言って振り替えると「軽騎兵」序曲が始まりました。アインザッツを聴いて、ドッとくる客席。確かに馬が出てきてます。いずれの曲をとっても楽しいものばかり。期待に違わないいいプログラム構成でした。




2014年 1月 24日(金)午前 5時 38分

 一昨日は、ちょっと呑む機会があったっため、演芸や芝居はお休み。ただ、スケジュールが明確になったため、春のオペラ紀行用に、飛行機を押さえました。円高で心配していた飛行機代ですが、杞憂に終わり、ラッキーです。早速、オペラのチケットの手配などをしていると、目が冴えてきて、結果は超寝不足。昨日は、正直、仕事にならないほどの寝不足でした。だけど、夜遊びを外すわけにはいきません。今夜は、「高津神社」であった「たまの微笑落語会」に行ってまいりました。たまが、一挙に2つもの古典をネタ下ろしをしました。その番組は、次のようなものでした。呂好「米揚げいかき」、たま「手水廻し」「餅屋問答」、佐ん吉「代書屋」、(中入り)、たま「親子茶屋」。呂好は、師匠呂鶴に対するしくじり話をマクラな。幕内では有名なしくじりらしく、他の噺家さんのマクラでも聴いたことのあるもの。ネタの方は、呂好の柔らかい喋り口が新鮮。ちょっと噛むのが多かったですが。たまの「手水廻し」も珍しいので、これもネタ下ろしかと思っていたのですが、10年ぶりくらいだとのこと。納得です。修行時代に師匠から教わりましたと言っていました。繁昌亭でするのに手頃なネタということで、再び手がける気になったとか。序盤簡潔にまとめて、足早な展開になっていましたが、中盤から「餅屋問答」にかけて、心配していた寝不足の影響が出てしまい、その間の記憶は、ほぼ飛んでしまっています。佐ん吉の「代書屋」にも、まだ影響は、若干残ってたかな。佐ん吉は、行政書士さんの会で、このネタは下ろしたそうで、有名な川柳そのままでしたと言うと、客席に大受け。春団治ヴァージョンの「代書屋」でした。「親子茶屋」の出囃子は「野崎」。どっと沸く客席。「親子茶屋」「野崎」とくれば、当然「春団治」。どうやら春団治のDVDを観て、このネタを覚えたばかりか、たまテイストのいじりをできなかったということが、このようなお遊びになったのでしょう。三味線も和女さんだったので、こうしたお遊びは、簡単にまとまるでしょうしね。そんなで、たまは、マクラで、春団治に稽古をつけてもらった「お玉牛」の思い出をお喋りしてから、ネタに入りました。確かに大きないじりはなく、たまが言うていたように、まずは春団治の口演をなぞるといった感じでした。若旦那を、ちょっとだだけ者的に作っていたのは、たま的わかりやすさを追求したものでしょう。その辺の目は、怠りがありません。そのため、普通の「親子茶屋」のえらく達者な口演を聴いたというのが、終わったあとの感想となります。普通にやって上手いのですから、更に付加価値が大きいのですから、そら人気が出るはずです。




2014年 1月 21日(火)午後 11時 17分

 今日は、まず、文楽鑑賞の日。第1部の方が、今日の予定。第1部の番組は、次のようなものでした。「二人禿」「源平布引滝〜九郎助住家の段〜」「傾城恋飛脚〜新口村の段〜」。「二人禿」は、10分ほどのもの。廓の門前と思しき書き割りの前で戯れる禿というもの。「源平布引滝」は実盛物語。それも、おもしろい構成。能「実盛」は、老成した実盛が白髪を黒く染めて戦い、死亡。その首実検は、白髪であるかどうかの確認。その末期の実盛をイメージして、彼の首を落とす手塚太郎光盛との出会い、それは、光盛が少年時代。源氏方の武士と平家方の武士の相克の中で、両者は出会い、そして将来の様子を実盛が仕方噺のように演じて別れていくというユニークな展開。「傾城恋飛脚」は、「新口村の段」がやたらめったに出ます。今まで、一番観ているものです。この段の前には封印切りなんて場面があるのですが、やらないですね。だからと言って「新口村の段」が悪いわけじゃない。梅川忠兵衛が、使用人の家に身を潜め、外を通る村人を眺める場面が大好きなんです。父親との別れより、哀れを感じます。今日も、同じでした。ということで、文楽名曲シリーズだと、黄紺が勝手に言っていた1月公演が終わりました。
 文楽が、予想より早く終わったので、予定していなかったウォーキングに出発。だけど歩き始めると間なしに雨。仕方ないので引き返すと、雨が上がる。気を取り直して歩き出すと、安居神社で激しい降りになり中止を決断。そのわりには、しばらくするとあがってしまったのですが、一度激しい降りを経験すると、再開するのが怖くなり、結局ウォーキングは断念でしたが、ありこち歩いていた時間は1時間を超え、時間だけで言えば、ミニウォーキング以上のものとなりました。そんなで、千日前のネットカフェに移動して、3時間の時間調整をするハメになってしまいました。そして夜は、すぐ近くの「徳徳亭」であった「第27回なんせいの講談格闘中!」へ。最近、講談を聴く機会が増えています。今夜の番組は、次のようなものでした。南青「黒田官兵衞〜三木城攻め〜」、南斗「赤垣源蔵の婿入り」、(中入り)、南青「吉野の神野谷」「柳田格之進」。今日の南青くんは、依頼された講談が待ち構えており、その披露の場として、この会を活用しました。講釈師さんは、地元の謂れや有名人に関する講談の依頼が多いようで、どうやら、この時期、それが重なったうえに、貞水師から稽古日を設定され、ますます四苦八苦する事態に直面したようです。依頼された講談が、既成のものであるなら台本がありますから覚えるという作業だけですが、台本がないと台本作りから始めねばならないわけですから、その仕事のハードさは半端じゃないはずです。「黒田官兵衞」は、大河ドラマのおかげで、今が旬。ただ「三木城攻め」は珍しいだけではなく、複雑であるがため、台本作りは並大抵じゃないようですが、全く三木も知らないし、官兵衞も知らない者でも、人となりから、三木城攻めの背景、人の動きがよく判る、なかなか優れものに仕上がっていました。織田勢が勢力を拡大するなかで、従来のように毛利に着こうという勢力とやり合う官兵衞の物語というところで、間に立つ小藩の苦しみが、よく解りました。それに反し、「吉野」は製作途中を報告したという感じでした。一旦統合が進んだ南北朝、しかし、それを謀られたと看た旧南朝方の一部の人たちが、再び吉野にこもるという話のようでした。そんなで中途半端なネタを出してしまったと思った南青くんは、「お詫びに手慣れたネタを聴いてもらいます」と言って出したのが、なんと「柳田格之進」だったのにはびっくり。今回で、南青くんの「柳田格之進」は3回目の遭遇になるはず。最初は、金のありかを時系列で出して、ちょっとびっくりしたりしたのですが、前回からは、落語家さんが出すときと同じような運びになり、聴いていてしっくりとくるように思っています。今日、感じたのは、柳田格之進と井筒屋との信頼関係が大きな軸になる話なので、南青くんの場合は、命を助けたという点が二人をつなぐ大きな接点になっているのですが、碁を打ち交わしている内に生まれた人間としてのお互いの信頼に重点を置いた方が、話に深みが出ていくように思いました。よく聴く展開と違ったのは一点だけ。きぬさんと番頭の結婚話がなかったことです。選択は難しいところかもしれませんね。結婚すると、あまりにも話をまとめ過ぎという印象が出てきますもんね。




2014年 1月 21日(火)午前 6時 36分

 3月の仕事の予定が、なかなか固まりません。オペラ紀行として、観に行くオペラのスケジュール自体固まっているのですが、肝心の休暇を取れる日が確定しないのです。去年は、このくらいで飛行機を押さえたはずと思うと、ちょっと焦り気味です。と言いながら、仕事は普通にこなし、夜は繁昌亭です。でも、もや〜っと気になることがあるというのは、よろしくありません。昨夜の繁昌亭は、「第8回繁昌亭大賞受賞記念落語会」のあった日です。表彰と受賞記念の高座がありました。その番組は、次のようなものでした。二乗「癪の合薬」、右喬「平の陰」、染弥「幸助餅」、(中入り)、授賞式(授与者:文枝、司会:三金)、三扇「シルバー・ウエディングベル」、生喬「替り目」。例年、授賞式は冒頭に行われているのですが、生喬が間に合わないということで中入り明けに。ですから、何の前触れもなく普通に始まりました。だけど、さすがに会の性格からして不自然でやりにくかったのでしょう、二乗は、冒頭で受賞のお礼を述べたりしていました。でも、相変わらず串カツ屋のマクラをふってしまった二乗です。「阿弥陀池」くらいかなと思っていたら「癪の合薬」。流れの中で、オリジナルなくすぐりを入れたり、同じくすぐりの繰返しを避けたりと、以前よりかかなり整理されてきていました。それが如実に笑いに反映されていました。次なる右喬が、今回の繁昌亭大賞の最も意外性の高かった選出。右喬の場合、天然だというところが受けているわけなので、ちょっとアブナイ選出と思ったのは、黄紺だけではないはず。右喬も心得たもので、天然系のおもしろ系マクラを、たっぷりとふっていました。この右喬の高座の後半から、次の染弥の高座が、本日の野ツボ状態。ダウンしてしまいました。染弥の出した「幸助餅」はあまり好きにはなれないネタなんで、「あれれ」と思っている間にダウンを喫してしまってました。染弥も菊丸襲名を意識してのことでしょうか、こうしたネタを手がけているのですね。でも、染弥が「幸助餅」を持ちネタにしていることすら知りませんでした。表彰式は、春之輔が授与者という触れ込みであったのですが、文枝が登場。司会をしている三金の緊張ぶりが伝わってきました。三扇の受賞も物議のあるもの。自身では新作を作らないで、三枝作品を、女流風にアレンジしている点が、「創作」の名に届くと判断された由。そんなに無理してまでも賞を出さないでもいいと思うのですが。三扇も、その辺は解っているので、自身でも、その辺を強烈に意識したギャグを入れていました。「シルバー・ウエディング」は、三象のよく出すネタですね。そして、大賞の生喬、何を出すのかなと思っていたら、未だ生喬では聴いたことのなかった「替り目」、めちゃラッキーです。生喬の大賞は、落語会に翌通う者には当然のもの。今、一番勢いがあり、乗ってる噺家さん。それが、世間に知られるということは、まことに結構なこと。「替り目」の序盤は、生喬のごっつい声で酔っぱらいが元気なので大丈夫かとも思わせられたのですが、さすが生喬、酔っぱらいの酔い方にも変化を計算づくで用意しています。その中に身を置けるかどうかでしょうね。黄紺的には、後半の酔いぶりを聴いてから、序盤のちょっと荒っぽい酔い方が気に入りました。酔っぱらいにも、その酔い方に物語があるのだと解らせてくれた逸品、やっぱ生喬、やってくれました。




2014年 1月 19日(日)午後 10時 50分

 昨日、民博からの帰り道、散髪に行ったり、弟の家に寄ったりで、結局、いつもとさほど変わらない時間に帰宅。おまけに爆睡気味。呆気なく週末の一日は過ぎてしまいました。日曜日の朝もせわしない。午前11時開演の芝居に間に合わせるためには、京都在住者には、なかなか厳しいものがあるのです。芝居は、「in→dependent theatre 1st」であった「茶ばしら」の「レンアイ罪」です。「茶ばしら」は、以前に一度だけ観たことはあるという記憶とともに、関西の達者な役者さんを集めて行われるプロデュース公演だから、安心して観ることができるという印象が残っていました。今日の台本は、終わってみれば、ちょっと子どもぽっかったかな。1人の女性の失踪から話はスタートします。彼女を捜そうと懸命になる同僚の女子。懸命だけど、寄り道ばかりしながら話は展開、終わってみれば、その寄り道が、観ていて、一番おもしろかったかな。彼女の男性関係が現れたり、また、三つ叉の男性関係が現れたりと、複雑に展開していきそうで、恋愛サスペンスと銘打った看板通りに進行していくのだけど、なんか唐突なバラシが出てきてしまい、な〜んだの雰囲気。そのバラシの唐突さと、バラシの中身、バラされてしまうと、なんかそこまで楽しんでいた寄り道が、急に時間稼ぎ的に見えてきてしまい、お口あんぐりになってしまいました。関西の知られた役者を集めたわりには、ちょっと台本で躓いたかなの印象。ということで、次回を楽しみにしましょう。前回、わりと後味が良かったんだけどなと呟きながら、日本橋の裏通りを歩いてました。
 芝居がはねると、歩いて千日前へ移動。いつものネットカフェで時間調整。そして夕刻からは文楽劇場へ。「文楽1月公演」の第二部の方を観てまいりました。番組は、次のようなもので、最近の傾向通り、名曲シリーズといったところです。「面売り」「近頃河原の達引〜四条河原の段・堀川猿廻しの段〜」「壇浦兜軍記〜阿古屋琴責の段〜」。「面売り」は祝言的色彩の濃い演目。案山子と呼ばれる大道芸人が出て来ますが、芸尽くしをしてみせるのは、通りかかった女の方。「近頃河原の達引」は、つい近年出たはずなのに、見所が大きいということでの再演と思われます。落語好きにはたまらない演目で、「堀川」っていう噺の本説をなす演目です。悪人官左衛門を、伝兵衞が斬ってしまうのが四条河原の段。その伝兵衞が、なじみの遊女おしゅんが逃げてきている実家を訪ねて来るのが堀川猿廻しの段。この堀川猿廻しの段が、落語「堀川」にヒントを与えています。おしゅんの兄与次郎は親孝行者、そして妹思いの真っ正直な男。伝兵衞に愛想つかしを、妹にさせないと災いが降り注ぐと、妹に退き状を書かせますが、無筆の与次郎や、目の見えない母には、何が書かれているか解りません。案の定、伝兵衞が訪ねて来るので、それを見せ諦めようとさせるのですが、中身は、切々たる伝兵衞に対する思いが認められていました。それを知った兄と母は、二人に仮祝言をあげさせ逃避行を助けるというもの。その仮祝言で、猿曳きの与次郎が、猿を操りながら祝言唄を唄うのですが、その中で、2匹の猿の内が寝ころんでしまい、なかなか起き上がらない場面があるのです。そこがヒントですね。落語「堀川」で出てくるケンカ極道の男を、朝、母親が起こすのに苦労します。すると、最後には、長屋に住む猿曳きの男が出てきて、太夫さん(猿のこと)と唄を唄いながら起こしにかかる下りで浄瑠璃が入るのですが、それが、この仮祝言の場面のパロディになっています。誰でもが、この浄瑠璃を知っていた時代だからこそ生まれた噺なんでしょうね。「壇浦兜軍記」は、歌舞伎でも有名な阿古屋の芸尽くしで知られた演目。景清の愛娼阿古屋に、景清の居所を吐かせようとするのですが、巌然として吐かない阿古屋。更にきつい拷問を主張する岩永左衛門に対し、阿古屋の心情の深さを探ろうと、畠山重忠は、阿古屋得意の芸尽くし(琴・三味線・二胡)所望します。で、見せ所、聴かせ所が生まれるわけです。歌舞伎では、阿古屋役の役者さんが、全て一人で弾きわけてしまうというのですが、人形もそうです。三味線弾きの横に、それ専門の人が出てきて弾きわけます。人形は大変。それに、見事に手が合わされます。それは、人形遣いの方には大役なのでしょう。主使いばかりか、左手、足使いに至るまで、3人とも顔出しでした。主使いの勘十郎さんは上下まで着けていました。重い演目ということでしょう。ということで、有名演目目白押しです。4月は、なんと「菅原伝習手習鑑」の通しです。ま、それはいいとしても、おかげでいろんな演目を観る機会が減っているのは困ったものです。




2014年 1月 18日(土)午後 11時 25分

今週末は、昨日働いたので、今週末は2連休。休みが2日だと、ホント呆気なく時間が過ぎていく感じがします。おまけに、今日の午前中は、持ち帰り仕事をしていたため、あまり休みという実感が乏しい。で、午後は民博へ。今日は、ゼミナールのある日で「熱狂!エチオシャズ」というおもしろげなテーマなため、前々から行くことを計画していたのですが、行きの阪急電車の中から、やたら体調が普通じゃない。猛烈に眠く、電車の中で完オチ状態。「茨木市」駅で降りる際も、辛うじて目が覚め、セーフといった具合。ですから、講演が始まると、最初の挨拶と、あとは途中数度目が覚めたところだけが記憶にある程度。講演終了後の質問の出方が、いつもと違い活発で、やはり内容が刺激的だったのでしょうね。聴きに来ていた人も、いつもと違い、明らかに若い方たちが多かったですからね。というわけで、今日は、失意の土曜日。予定はこれだけで、行きたい落語会があったにも拘わらず、こちらを選んで、この様じゃダメですね。




2014年 1月 18日(土)午前 0時 31分

 今日は、半日だけでしたが、非勤務日なのに働いてきました。そして、午後からはオペラの映画を観に心斎橋へ。そごう劇場から名前を変えた「心斎橋劇場」であった「仮面舞踏会」を観てまいりました。パルマのプロダクションです。「ヴェルディ・フェスティバル」と銘打たれた公演を収録したもので、「仮面舞踏会」のほか、ヴェルディの有名作品を中心に収録が進んでいるようです。近日、大阪でも、それらの公開があるようで、会場では前売券が売られていたのですが、運悪く、黄紺はお金の持ち合わせがなく買うことができませんでした。肝心のオペラですが、一番の特徴は、手の込んだ衣裳と、時代設定そのままの装置に目が惹かれたことかな。衣裳は、特段時代設定を意識したというものではないのですが、華やかさ、豪華さを旨にした贅沢なもの。一方、装置は、18世紀の絵画から取ってきたようなもので、そのあたりの美を意識したものとなっていました。「仮面舞踏会」の場合は、上演の度に気になるのは設定の問題、即ちスウェーデンにするのか、アメリカにするのかという問題ですが、このプロダクションではアメリカになっていました。これをスウェーデンにしたら、これ以上の華やかさを持ってこれるだろうかというものでもありました。もちろん第二幕は、場面自体が華やかさとは縁のないものですが、教会の墓場にしていました。傾いた十字架などを配し、これも、どこやらの絵画から取ってきたという雰囲気。てな具合で、このプロダクションの一の特徴は、ヴィジュアル的な部分ということになります。歌唱的には、パルマですから落ちるということはないのですが、満足できたかというと、いろいろと不満なところが目につきました。リッカルドのフランチェスコ・メーリは、リッカルドを歌うにしては、声が微妙に軽く、また高音になると、頭に抜けるという声質にならないのが耳障りで、これは、難役アメーリアを歌ったクリスティアン・ルイスにも言えたポイント。特に前半が気になったということは、リッカルドとのやり取りや、レナートとのやり取りがあるところですから、ちょっと厳しかったな。おいしい役オスカルを歌ったセレーナ・ガンベローニはズボン役ですが、あまりにも女性的な体つきに抵抗を感じましたが、客席からは一番の支持を受けていましたが。バリトンの大役レナート(ウラディミール・ストヤノフ)が、過不足のなさでは、この公演のベストかなとも思ったのですが、意思の強さや、憎しみを含む凄さという点ではイマイチかな。声の凄みでは、ウルリカ(エリザベッタ・フィオリッロ)が、かなり物足りなさを感じさせる歌唱。指揮はジャンルイージ・ジェルメッティ。久しぶりに聞きました、この人のお名前。パルマに深く関わっているみたい。他のプロダクションでも、お名前を幾つか拝見しましたが、彩りとか、アクセントとか、もうちょっと楽しませてくれなくっちゃの雰囲気。ちょっと流れることが多かったですね。ただ、この映画、決して録音状態が芳しくなく、中でも弦の音が遠くで聴こえる感じに悩まされました。これも、ちょっと音を絞り気味の再生のせいという雰囲気もなきにしもあらずでしたが。そないな具合だったものですから、あとの作品を、無理してまでも観に行かなくってもいいかなとは、ちょっと思っているところです。
 今日は、ここで帰るつもりをしていたのですが、オペラが終わったのが6時20分にもなってなかったため、予定外の行動です。行けないと思っていたため、予約も入れてなかったのですが、「徳徳亭」での「第8回『南湖の会』徳徳亭連続講談席〜これが難波戦記〜」に間に合ったのです。快楽亭ぶらっくの会ではつばなれしなかったのですが、今日は、倍は入ってました。講談ファンは、新しいものに弱いみたいですね。この会のラインナップは、「大高源吾〜両国橋の出会い」「難波戦記」というもので、マクラもあまりなしでの1時間半の長講となりました。「大高源吾」の「東下り」の部分は年末に読まれたようで、今日は江戸入り後の有名な其角との両国橋での偶然の出会いにまつわる物語が読まれました。出会った日が、討ち入り前日だったための意味深の句を残して去った源吾、その心情を量りかねる其角というパターンの物語。「難波戦記」は、かなりダウンしてしまっているので正確さを欠きますが、幾つかの抜き読みを連ねた口演だったことは間違いないはずです。「後藤又兵衛の入場」「霧隠才蔵」「真田幸村の入城」「真田大助の入城」なんて形で個別に読まれることの多いものを、今日は続けて読んだというものでした。であるならば、今まで、南湖さんの口演で聴いたものばかり。だったら、慌てて行かずとも良かったのですが、ネタ出しが不十分なときは、これが起こってしまいます。




2014年 1月 17日(金)午前 0時 5分

 今週は、月曜日がお休みだった替わりに、明日の金曜日に仕事が入りました。午前中なので、ちょっと気は楽なのですが、朝が辛いですね。という3連続勤務日半ばの夜、行き先は動楽亭。今晩は、こちらで「第8回生寿成熟の会」がありました。今夜は落語会でした。その番組は、次のようなものでした。天使「刻うどん」、生寿「軽業」、染雀「淀五郎」、(中入り)、生寿「悋気の独楽」。天使の「刻うどん」は、久しぶりに聴いた一人ヴァージョン。吉朝的テイストもあり〜の、またなし〜ので、誰からもらったかが気になってしまいました。この一人ヴァージョンの笑いのツボで、天使は確実に笑いが取れるようになってきています。大きな成長ぶりです。生寿の会に詰めかけるマニア的な落語ファンを前に、確かに笑いを取れるようになってきたのですから。生寿は、師匠同様、マクラを喋り倒したいタイプ。ところが、今日は、ネタが長めということで、「マクラは2席目にします」と言って、喋りかけながらも、自分で強制終了していました。そんなのも、生寿人気を支えています。「野辺」の部分から始めたので、「煮売屋」から「七度狐」に行くものと思っていたら「軽業」に行っちゃいました。生寿流フェイントかもしれません。ただ「とったりみたり」でダウンしてしまいました。染雀の「淀五郎」は生寿からのリクエストとか。ひょっとしたら、自分の会で「淀五郎」をやってもらって、あとでもらいたい意思表示をするつもりなんだろうかと勘ぐってしまいました。ところが「淀五郎」も、冒頭の抜擢されるところから、尾上民蔵から教えを乞うてるところまでが、ほとんど跳んでしまいました。貴重な染雀の「淀五郎」なのに、とんでもない話です。「悋気の独楽」は、だいたいは大丈夫だったと言えます。悋気し〜のご寮さんが良かったですね。女中の方も、登場してきたあたりは、いい感じのデフォルメが効いていて良かったのですが、時間が経つにつれ、ちょっと不安定になっていきました。最初のデフォルメが強烈で長持ちしなかったというところかな。なお、このネタは、枝女太からもらったと言っていました。今日は、この会の入りとしては最高じゃないかな。開口一番、生寿は「僕って、こんなに人気者でしたっけ」と言ってました。そう言わずとも、若手有望株ナンバーワンは間違いないのだから。




2014年 1月 15日(水)午後 10時 25分

 今日から、仕事再開です。相変わらずの睡眠不足で、仕事をしていても眠たくて、なかなか仕事にならない状態。ドイツでも、この睡眠不足に、散々悩まされたわけですが、また同じことが繰り返されています。というわけで、危ないなとは思いながら、ここまで2回行った関係上、最後まで行かなくっちゃの気持ちで「徳徳亭」へ。南湖さんの「初代快楽亭ブラック没後90年特別企画」の会の最終回が、今晩あったのです。今日は、まず一昨日に読んだ「真田の入城」の修羅場を、もう一度やらせてくれと、その修羅場だけを読まれました。修羅場は調子、リズムの問題という部分があるので、客を前に、高座をどれだけ数をこなすかにかかっているらしいのです。「5分ほどですから」と言ってから始められました。南湖さんが言うには、上方講談には、修羅場読みがほとんどないので、東京の先生からもらわれているようですが、考えてみれば、先代の南陵師は、どう考えても、修羅場読みに適した口調ではありませんでしたし、声質もそう言えると思いますから、旭堂に伝わっているわけはないところを、こうやって修羅場を増やす努力をされているところに南湖さんらしさが出ているように思えました。左南陵師が、東京におられた関係で、修羅場の入ったものをお持ちなので、伝承して次世代に伝えるということもやって欲しいところです。二席目は「応挙の幽霊画」でした。拐かされた娘が幽霊画となり両親のもとに返ってくる悲しい物語。南湖さんは、力が入ってしまうと、声質からして、声が割れてしまうという課題を持っていますが、割れてもいい話もありますが、こうした世話もので割れてしまうと、力みに聴こえてしまいます。どうしても娘だと判る辺りで、演じ手自身も高揚してくるのは解るのですが。そしてブラック作品。このネタ、「双子の犯罪」という題がついたものだということが、今日になって判りました。今日の演題は「大団円・テムズ川の悲劇」。「双子のトリック」というのは、捨てられた男が金貸しの勉強をして成長してのち、残った双子の兄弟を、自分の身代わりに仕立て殺すというものでした。双子の母親を捨てフランスに戻った貴族は、フランスでも結婚して、娘を一人得ますが、その娘が、犯罪を犯す双子の一人から、強請などの対象となるという仕掛けでした。トリックは、ごく単純なものですから、読み物として読むと、ほとんど印象には残らない作品かもしれません。推理小説という観点で言えばですが。だからと言って、1880年代には、ガストン・ル・ルーが登場しているからと言って、彼の小説を講談化されても解らないだけでしょう。読み返しが効きませんから、複雑な展開、描写は聴きづらいだけだと思えるのです。となると、探偵講談としては、このくらいがほど良いのかもしれません。もっとも、口演にあたっては、ブラック作品をそのままかけるのではなく、南湖さんが手直しをされているでしょうから、構成や描写には南湖テイストがこめられていることは、十分考えられるとは思ってはいるのですが、、、。




2014年 1月 14日(火)午後 11時 31分

  大阪府守口市(67)〜大阪市旭区、都島区、北区

   いよいよ自分的5連休の最終日。今日は、朝からメトロポリタン・ライブビューイングへ。ジェームス・レヴァイン復帰を記念した「ファルスタッフ」が上映されました。今季の目玉的な演目ということもあり、「ファルスタッフ」は、メトロポリタンとしては、1964年以来の新しいプロダクションという気合いの入れよう。しかも演出をロバート・カーセンを迎えて、イギリスのコベントガーデンとの共同制作と、ルネ・フレミングの話として語られていたのですが、帰ってきてからネットで調べると、スカラ座もカナダ・オペラ、ネーデルランド・オペラも共同だそうです。これって、すごいプロダクションです。メトに限って言うと、、1964年以来とはすごい。こないだも、ハンブルクの「胡桃割り人形」が、1972年以来続く歴史あるプロダクションだと知り、感慨にふけったばかりか、伝統の持つ由緒あるプロダクションを観れた嬉しさに浸ってきたところでしたが、そういう伝統のあるプロダクションに替えての新しいプロダクションとなれば、それなりの決意のみならず、実体が伴わないと批判に晒されるというものですが、今回のロバート・カーセン演出のプロダクションは、見事に成功を納めたのではないでしょうか。この間、「ファルスタッフ」をドイツで3度観る機会(ワイマール、デュッセルドルフ、シュトゥットガルト)を得ました。その中で学習したのは、このオペラ、設定を変えても、時代や場所を飛ばしても、スピード感とごちゃごちゃ感て言うのかなぁ、エネルギッシュと言い換えてもいいかもしれませんが、それがないと、設定をいじってる場合じゃないという発見です。ワイマールで「ファルスタッフ」を観たときに、スピード感に満たされていました。そのときの発見でした。その同じことが、ロバート・カーセンが、インタビューで言ってたので、なんか嬉しくなっちゃいました。そして、正に、それが実現できていた舞台だったと言えると思います。設定は、1950年台のアメリカ。MCを務めたルネ・フレミングは、この設定を「貴族社会が崩れていく時代」と言ってました。そのあたりのアメリカ社会の変化というのが、黄紺にはよく解らないのですが、であるとするならば、そういう社会の変化というものを、ファルスタッフがいじられることで表しているということになるのでしょう。舞台装置で一番その雰囲気が、自分でも解ったのは、フォード家のリビング。いかにもというシステム・キッチンが並んでいたために、黄紺でも、時代設定についてのメドが立ちました。クイックリー夫人がファルスタッフを訪ねていくのは、冒頭のガーター亭とは異なる装置を使ってましたから、ファルスタッフの邸宅と考えたのですが、それはそれで、クラシックな作りにしてあったので、騎士としての品格を与えていましたから、ルネ・フレミングの言い方の妥当性を確認できたような気になっていました。歌手陣の充実は、メトロポリタンのことですから申し分のないもの。タイトル・ロールは、この役のためにいるかのようなアンブロージョ・マエストリ。この日が202回目のファルスタッフ役だと、インタビューで言ってました。フォード夫人アリーチェのアンジェラ・ミードとクイックリー夫人のステファニー・ブライズの体躯は超メガトン級。メグ(ジェニファー・ジョンソン・キャーノ)やナンネッタ(リゼット・オロペーサ)は、メトの若手育成システムからの起用とのことでした。
 オペラが終わると、京阪電車で「守口市」駅まで移動。この5連休の間、全く時間に余裕がなくてできなかったウォーキングを、ついにやれる時間が生まれました。今年初めてのウォーキングにもなります。そのコースは、次のようなものでした。京阪「守口市」駅〜大枝神社〜大宮中央公園〜西郷通4丁目児童公園〜守口市立第二中学校〜八幡大神宮〜北清水公民館〜浄願寺〜「今市1」交差点〜大阪市立大宮小学校〜大阪市立大宮中学校〜大阪市立生江小学校〜香蘭橋〜JR「じょうとう019」橋梁〜大阪市立御幸保育所〜地下鉄「都島」駅〜大阪市立綜合医療センター〜都島橋〜地下鉄「天神橋六丁目」駅〜JR環状線「天満」駅。夜は天満駅前に行けば良かったもので、できるだけそちらに向いて歩こうとの魂胆。ただ、「守口市」駅から旭区に入って行くコースは、随分と経験しているので、ちょっとフェイントを作ってみました。一旦東方向に向かい、それから南下。161号線くらいまっに、その南下を留めておき、清水方向に向かう。東から西に向かうコースを採ったのです。すると、似たコースを通っても、方向違いに入ることが可能ではの考え方からくるものです。大宮小学校辺りを通ると、必ず寄っていた城北公園に行くのは、今日は、断念。時間的に、変なところで打ち上げねばならなくなるかもと思ったからです。時間的には、「天六」で終わらねばならなかったのですが、地下鉄を一駅だけ乗るほどの距離でもなしと、結局「天満」駅まで歩くことにしました。
 ウォーキングが終わったあと、夜の部までは時間があったので、調整のためにネットカフェへ。そして、夜は、「北区民センター」で、毎月行われている「天満講談席」に行って来ました。講談の定席に行く機会が減ってきています。やはりネタに限りがあるからです。その番組は、次のようなものでした。南舟「秀吉と易者」、南青「本能寺の変」、南華「山岡覚兵衛の妻」、南北「夜もすがら検校」。今日も、前の3つは、いずれも何度か遭遇しているものばかり。となると、お目当ては南北さんのネタ。講談会の常連さんから、「夜もすがら検校」についての予備知識を、タイミング良く仕入れることができました。南北さん自身の口からも、「長谷川伸の原作講談にしてみました」と伝えられました。琵琶の名手の検校が、江戸公演の帰り道、伴の男に裏切られ、命をも危なくなったところを救った若蔵という百姓との心の交流を描いたもの。世話物としていい仕上がり具合。35分もかかる長講となりました。南舟くんのネタは、先日の一門会で出たところ。ちょっと使い回しは反則です。今日は、南青くんのところでダウン。最近、講談会の2席目がアブナイ時間帯です。「山岡覚兵衛」は、南華さんだけしかやってないんじゃないかなぁ。四十七士に入るはずだった侍の急死に伴う悲しい物語です。いつ聴いても瞼が熱くなります。会場は狭いところですが、満席に近い入り。サラリーマン風情の方も混じられ、この会だけの客層というものがあるようです。




2014年 1月 13日(月)午後 11時 58分

 昨夜も、なかなか眠たくならず、明け方の5時頃まで起きていました。これはいけないと、早めに起きたため、昼間、眠たくて仕方ありません。今日は、12時半をメドにしてのお出かけ。一昨日に次いで、「徳徳亭」で行われています「初代快楽亭ブラック没後90年特別企画」に行ってまいりました。これで、講談を3日連続で聴くことになります。実は、予定では5日連続で講談会に行くつもりをしていますから、今日が、その中日になります。今日の南湖さんは、まず「三方原軍記〜信玄伝法の由来〜」を読まれたあと、続きもののブラック作品「佳境・男爵と娘の結婚」を読まれたのですが、今日は、そのあとサービスということで、「真田の入城」を付け加えられました。一昨日、「ちょっと早く終わりましたから」ということでした。「信玄」は、初めて聴くネタ。このネタは、どうやら「真田の入城」同様、東京の琴梅師からもらわれたようです。「三方原軍記」を、上方で高座にかける方は、まあおられませんから納得です。信玄の死にまつわる逸話なのか、創作なのか、黄紺には判断ができませんが。敵を攻めているときに、覚悟を決めた敵陣で、最期の宴会が開かれるなか、得もいわれぬ笛の音が聴こえてきたのにつられて外に出て行ったために討たれたという流れで、文人信玄を表したものと看られます。ブラック作品の方は、序盤、ほぼ前回の流れを復唱されるような展開になったため、ちょっと気を抜いたのが仇になりました。気がつくと、話はフランスが舞台になっていました。フランスからイギリスにやって来て、またフランスに帰ってしまった男爵の双子が、フランスにやって来てました。その内の一人が、目を付けた貴族の令嬢、この女性をそそのかして、金にしようと目論んでいる、なんてことになっていました。双子のもう一人は、どうしたのでしょうか、完全に吹っ飛んでいます。でも、お約束の通り、異母兄妹が、お互いを知らないで絡んできました。雀のおやどでの口演を、すっかり忘れてしまっていますので、このあと陰惨な事件が起こるのか、単なるバラシで、平穏に大団円になるのか、気になってきました。「真田の入城」は、上方の講釈師さんには、定番中の定番ネタ。南湖さん自身も手がけてきていたはず。それを、敢えて琴梅師からもらったのは、東京には修羅場読みが入るということからのよう。確かに上方講談には、修羅場が少ないですからね。南湖さんは、その辺りが気になるらしく、以前も、修羅場の入ったネタをもらわれていたはずです。旭堂に伝わる「真田の入城」は、序盤、かなり笑いが多いもの。その辺りを取り込み、東京ものとミックスして、新たな「真田の入城」を作っていきたいようでした。なお、この東京風「真田の入城」は、今日がネタ下ろしと言われてました。
 講談会が終わると、すぐ近くのネットカフェで時間調整。いつものネットカフェです。そして、夜は、歩いて「ウィングフィールド」に移動。今夜は、こちらで、「万博設計」という劇団の「見参!リバーサイド犬」という公演があったのです。「万博設計」の主宰者橋本匡は、元「尼崎ロマンポルノ」という劇団をやっていたお方。「万博設計」になってからは、初めて観る機会を得ました。今日の芝居は、ドッグパークの管理者、犬の飼い手、そして犬の3人の会話劇。犬の飼い手は、工場のラインでの仕事に誇りも何も持てず、安い給料で日々の時間が、ただただ過ぎていくのを眺めているだけという没個性的な生活を送っている男、生活も苦しいため、飼い犬を処分しようとドッグパークに犬を連れてくる。ドッグパークの管理者は、父親が、バブルの時代、ドッグパークを作ったが長持ちをせず、経営が悪化して、最後は首を吊ってしまったという女性。残された犬を見捨てられずに、犬の死を見届けようとしている。持ち込まれる犬とともに、犬の安楽死を図っているというのが実情だ。焦点は、飼い主と管理者のやりとりかというと、そうじゃない。犬が喋るという芝居なのです。そこで、犬を媒体として、人と人との、また人と犬との交流が描かれていきます。このまま平易に終わるのかなぁと思っていたところで、芝居が、冒頭に戻るという仕掛けが用意されているとともに、ドッグパークの管理者に疑惑が出てきてサスペンス調に入ったかと思わせる場面が用意されていたのですが、物語は、人の再生物語という平易な終末に向かいました。そのはらっとさせてもらったことで、次回も行くことになるでしょうね。でも、テーマが小さくて、、、。と言っても、それが、今という時代なのかもしれませんね。そんなのを見極めるのが、芝居を観る楽しみです。




2014年 1月 12日(日)午後 10時 11分

 差ぼけが、なんかひどくなっていってる感じがしています。自分的には5連休なもので、強制的に直す機会もなく、ずるずるときているからでしょう。昨夜は、午前1時頃に眠れたと思ったら、僅か30分ちょいで目が覚めてしまい、そのあとは眠れない。更に、すかたんをしたのは、このときHPの更新は済んだものと勘違い。結果的に、昼前に起きたときに、なんか変なんで調べてみたら、まだだったということが判ったときは、手遅れのお時間。アップだけすればいいところまでしておきながら、この様です。この間、2回目となります。自分に腹立つばかりです。ところで、今日のお出かけも講談会。この連休期間は、講談会ばやりです。今日は、四天王寺の近くであった「第30回柳谷観音・泰聖寺講談会〜講談と落語を楽しむ会〜」。街中ウォーキングで前を通り、場所は知っていたのですが、こちらでの講談会へ行くのは初めて。結構な回数を重ねてられるようです。その番組は、次のようなものでした。南斗「藤吉郎の子守奉公」、南舟「太閤と易者」、南青「金龍縄張問答」、九雀「風呂敷」、南左衞門「桃山風流」。わりかしと耳慣れたネタが並んでいたなか、南左衞門さんのネタが「桃山風流」となっていたのが珍しい。そこで、確か南青くんの会にお手伝いに来ていた南斗くんに、「太閤の風流やと聴いたことがあるんやけど」と尋ねたところ、「そのあとがある」との回答。それならばと、南左衞門さんのネタを楽しみにして申し込んだ会。ところが、「太閤の風流」のあとというのは、通常「秀吉と利休」として出されるものでした。要するに「歌道」と「茶道」で併せて「桃山風流」となっただけでした。あと「金龍縄張問答」が思い出せない。ということは、一番前の正面に座りながら、居眠りをしていたことになります。ひどいことをしてしまってますが、そのあとに出た九雀さんが、空気の入れ換えを求めたほど、室内気温は上がり、二酸化炭素が充満状態だったことは確かですので、無理のないところかもしれません。「子守奉公」と「易者」は、いずれも、お二人が前座修行中から手がけてきていたネタ。今日は、「太閤記特集」をうたっていたため、手慣れのネタを出したのでしょう。会場は、30人も入れば満杯感が出るところ。普段の講談会ならば、それでも十分なのでしょうが、この会だからでしょうか、また南左衞門さん自身が、固定客をお持ちなのかどうかは知りませんが、もう満杯もいいところ。次回は、吉坊がゲストだそうで、「いっぱいになりそうですな」と、講談会の常連さんと言葉をかわして、会場をあとにしました。




2014年 1月 11日(土)午後 10時 32分

 時差ぼけが、全然直る気配がありません。毎日、3時までは確実に起きています。更に、寝不足が解消してきているのはいいとして、今日も、目が覚めてびっくり。午前中の時間が、どんどんと奪われてしまい、今までと生活のリズムが変わってしまい、だいぶと混乱しています。ということの5連休2日目、お出かけは12時半がメド。まず今日は、「徳徳亭」であった「初代快楽亭ブラック没後90年特別企画〜徳徳亭連続講談席〜」へ行ってまいりました。3日間連続ではありませんが、南湖さんが、初代快楽亭ブラックの作品を読まれます。久しぶりの試み、懐かしい試み(雀のおやどの続き読みの会で読まれたことがある)だということもあり、3日とも聴きに行く予定。今日の「発端・フランス革命で巴里脱出」の前に、「真景累ヶ淵」が読まれました。このネタは、今、文化庁の助成で進む「東西交流」で、南湖さんが東京の貞山師からもらったものということです。この交流で、東京の講釈師さんから、南湖さんがもらうのは初めてではないからでしょうね、どうやら貞山師にリクエストを出した模様。上方講談には、怪談ものが少ないですからと言ってられました。この長い円朝作品の冒頭部「宗悦殺し」の場面でした。南湖さんの口演を聴いた東京の講釈師さんが、「南湖さんの新左衛門は明るいですね」と言ったとか。だからでしょうか、いつもと違う口調を感じたのは。更に、そこに、貞山師の言葉の出し方から口調がかんで来てますから、いつもの南湖節ではないものを感じさせる口演となりました。いっそのことなら、「宗悦殺し」以後も、順次チャレンジしていって欲しいものです。一方のブラックものは、3日間をかけて読む続きもの。ブラック自身が、オーストリア出身ということで、ヨーロッパものを翻案したもの(代表作は「試し酒」だそうです)や、ヨーロッパに舞台を置く創作が中心だそうです。南湖さん曰く、「円朝と同じ時代に多くの優れた作品を残した人だから、もっと評価されていいはず」。今回の「発端・フランス革命で巴里脱出」は、フランス革命から逃れイギリスに亡命した貴族が主人公。今日は、イギリスに亡命したあとナポレオンが登場してきたため故国フランスに戻っていく貴族。ナポレオンが出てきたから貴族が帰れたには、思わず突っ込みたくなりましたが、まあ帰った。ところが、この貴族、イギリス時代に、一人暮らしの寂しさからか、貧しい農民の娘をめとってはいたが、フランスには連れて帰らなかった。ところが、帰ったあとに、イギリス妻が双子を出産。が、貧しさのあまり、二人とも育てることは難しいと、イギリス妻の母親が川に棄てる。ところが運良く助かり、その双子が別々の人生を歩いていくということになるということで、ドラマが待っているということなのでしょう。おまけに、遺棄した当の母親、双子の母親、更に、フランスに戻った貴族はもちろん知らないという事態になっています。時代は、ナポレオンからどの時代まで引っ張っていくのでしょうか。「雀のおやど」での口演内容は、一切覚えていない悲しさ、おかげで今後の展開が楽しみにすることができるはずです。
 「徳徳亭」を出ると、毎度お世話になる近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は梅田に移動。「梅田シネ・リーブル」で、サウジアラビア映画「少女は自転車に乗って」を観てまいりました。「おじいちゃんの里帰り」を観たかったのですが、上映時間が合いませんでしたが、こサウジアラビア映画は素晴らしい映画です。だいたい強固なイスラームの習慣を残す国では、映画作りはなかなか難しいのが常ですが、サウジアラビアは、映画の上映自体が、法で禁止されているようです。偶像崇拝に繋がるからでしょうね。そういった中で、女性監督ハイファ・アル・マンスールが、女性の問題を描いたわけですから、画期的なことでしょうね。黄紺も、サウジアラビア映画を観ること自体、これが初めてとなりました。少女ワジダは、目に留まった自転車が欲しく、手作りのミサンガを学校で売ったり、ラヴレターの仲介などをして小遣いを稼いでいるが、全然足りないところから、学校で行われるコーランの暗唱コンクールに応募する。これが縦糸。それに、ワジダが仲良くする男の子との関係から見えてくる、子どもの頃からの男女の扱いの違い、また女の子しか産んでいない母親と実父との関係から見えてくる夫婦間の男女の扱いの違い、学校での男女の違いを醸成していくエピソードといった具合に、女性に視点を当て、サウジ社会の持っている特性が表されていきます。徐々にコンクールの日が迫ってきます。それは、同時に両親の関係性についての結論が出ていく日でした。ワジダは優勝します。校長先生に尋ねられます。「優勝賞金はどうするの?」、 正直に答えるワジダ、ここから始まるラストが感動的です。泣いちゃったなぁ、、、、。希望のある映画です。希望を託す映画と言えばいいでしょうか。アメリカでの生活経験のある監督のようですが、撮影を、全てサウジで行ったということが凄い話です。ホント、いい映画に出逢えました。




2014年 1月 11日(土)午前 1時 56分

 ドイツから帰ってきて、所用もあり落語会通いは自粛。ドイツ滞在中は、とにかく睡眠障害を起こしたかのように眠れなかったのですが、ようやく昨夜、爆睡することができました。あまりにもの睡眠不足に、身体が悲鳴をあげたのでしょう。疲労感はないのですが、とにかく目が痛いほどの睡眠不足から、これで、ちょっとは逃れることができたのならありがたいことですが、おかげで、日本にいない間にあったトルコ・サッカーの試合結果などフォローしたものも含め、HPの更新準備が整っていながら、昨夜は、アップ直前にダウン。目が覚めると、ちょうどお出かけ時間になっていたためできないままとなりました。なんか爆睡が良かったのやら、でも体調を考えるとことにしておきます。で、お出かけ先は繁昌亭。今年一発目の落語会は、繁昌亭昼席となりました。正月早々に福笑の出番があったのです。その番組は、次のようなものでした。八斗「刻うどん」、瓶二「動物園」、そめすけ「通天閣に灯がともる」、リッキー・アイ「マジック」、七福「猫の茶碗」、米二「替り目」、(中入り)、菊池まどか(西原和恵)「嫁ぐ日」、三風「引き出物」、あさ吉「蛸芝居」、福笑「さらば13年」。八斗は、格好を売りにしようとするので、あまり好きな噺家さんではないので、流す感じ。「刻うどん」も、間がうまくとれてないようで、くすぐりが生きてきませんでした。瓶二は、確か普段は東京にいるはずですよね。いい感じの「動物園」。小さな噺でも、身体全体が、有機的に機能していると、噺にリアリティが高まります。そめすけは、人情噺にこっていますが、「通天閣に灯がともる」は、その代表作。七福もなかなか聴けない噺家さん。徳島在住で、繁昌亭に出番があるときには、徳島からの通いだとか。「猫の茶碗」の舞台も、従って四国にしていました。米二は、かなり予想的中の「替り目」。女房に感謝の言葉を聴かれる半ばで切り上げました。菊池まどかも、東京に行ってからは、聴ける機会が激減。久しぶりの遭遇。更に、曲師の西原和恵さんは、全く初めてお聞きするお名前。また「嫁ぐ日」は、今まで聴いたことのないヴァージョン。民謡的節が入り、曲師の合いの手も入りました。三風の「引き出物」は三枝作品。結婚式にもらわれた引き出物の鰹節が仕舞われた戸棚の中の物語が大半を占めました。ものがしゃべるというパターンです。現山陽や小春団治に同様の作品がありますが、いずれが先鞭をつけたかは知りません。あさ吉の「蛸芝居」は初めて。ちょっと型が不安定で、吉朝が生きてれば、猛烈な突っ込みが入ったことでしょう。福笑は「さらば13年」というマクラ集のようなネタ。こういった題をつけた新作を高座にかけているというのは把握していたのですが、まさか今日、遭遇できるとは思っていませんでした。普段の高座から、時事ネタをマクラで扱う福笑ですが、それらをかき集めたかのような作品でした。今日は、十日戎当日。近くに堀川戎があるにも拘わらず、天満宮でも戎っさんを始めていたのにはびっくり。早速、高座でも話題にされていました。
 繁昌亭を出ると、天満駅近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は、扇町から天六経由で関目高殿へ移動。「城北市民学習センター」であった「城北にぎわい亭」に行ってまいりました。定期的に開かれている雀三郎一門会です。その番組は、次のようなものでした。雀太「天災」、雀五郎「厄払い」、雀喜「七段目」、雀三郎「けんげしゃ茶屋」。雀太は、ネタに入る前に、ざこばからもらったことを明らかにして、「そういうわけで言葉が少々荒くなります」と言って会場に大ウケ。確かにざこばの「天災」の特徴が随所に看られました。但し、ざこばと違い、人を殴るときは右利きでしたが。ざこばテイストをうまく受け継ぐ力が、雀太にはありますから、いいネタをもらったのじゃないかな。今日は、雀五郎の高座でダウン。結構、会場が暑かったこともあります。「厄払い」のような季節ネタは、一度ダウンしちゃうと、また一年経たないと聴けない可能性があるので要注意なのですが、ダメでした。雀喜の「七段目」は、繁昌亭のあさ吉と同じで、型が定まらない。「本能寺」を聴いたときもそうだったなぁなんてことを思い出してしまいました。雀三郎は「けんげしゃ茶屋」。こちらも季節限定のネタ。そないなこともあり、またちょっと古くさい感じがするのか、若手の噺家さんが、なかなか手がけてくれません。前に、このネタを聴いたのも雀三郎じゃなかったでしょうか? 正月にゲンの悪いことばかりをして楽しむ村上の旦さんは愛すべき洒落男です。ここまで冗談が過ぎるというのは傑作。存分に楽しむことができました。ところで、城北学習センターが、大阪市の粛清に遭いました。弁天町とこちらの2つが廃止だとか。係の人に聞くのはまずいかとも思いつつ、「他のは残るのですか」と伺うと、「残る」ということ。「なんで、城北と弁天町なんですか」「両方とも落語会やってくれてるところばっかですよね」と聞いても答が返ってこないと解っていながら言いました。「難波が、最初噂に上がっていたのですが、、、」、聞けたのはこれだけでした。言いにくいことを聞いて申し訳ありませんでした。城北の活動は、この「にぎわい亭」に行くたびに垣間見てきていますが、ホントによくやられていたと思っていたのに、この様です。ひどい話です。文化が、どんどんと切って落とされていきます。先日までいたドイツとの違いが、あまりにも大きいので、こないな無理な質問をしてしまいました。政治的な力が働いて、城北が切り捨てられたのなら許せないですね。おかげで、「にぎわい亭」は次回の3月公演で自然消滅です。今日も2回公演で、夜の部は100人を超える動員力。地域に根ざしているということで、雀三郎一門は、場所を探して、この関目辺りで会を継続していく意向と伺いました。ここまで続けてこられたセンターの方とともに一門の皆さんに、敬意を表したいと思います。




2013年 12月 17日(火)午後 11時 15分

 今日が、旅行前最後のゆとりのある日、朝から、ちょっとだけ、旅行のために時間を使えばお出かけ時間。最後のゆとりのある日となれば、イコール、今年最後の演芸を楽しむ日ということなわけです。実は、お出かけ前にギリギリすべり込めたのです。繁昌亭での「文之助襲名披露興行」に。もうワンチャンス、今日だけしか行けないのです。やはり文之助復活は大きい。ましてや雀松による襲名ですから、興趣が高まるというものです。その番組は、次のようなものとなりました。二乗「普請ほめ」、雀五郎「転失気」、米左「ふぐ鍋」、内海英華「女道楽」、九雀「短命」、福笑「もう一つの日本」、(中入り)、福笑・松枝・福郎・米左・文之助「口上」、松枝「袈裟御前」、福郎「手水廻し」、文之助「三枚起請」。襲名披露興行は、主役の一門が多数を占めるの慣例通り、米朝一門が多数を占め、それに、文之助の名跡に縁のある(福松が先代の実子)福郎、それに協会幹部が並ぶという見事な番組です。こんな番組ができるというのは、ホントに定席の利点です。トップの二乗は、最早、前座の位置を飛び越えた実力を見せつけてくれました。聴き慣れたマクラではあるのですが、そこから惹き付ける力が違いました。雀五郎は、この1週間、よく出逢います。でも、この雀五郎の途中から米左にかけてダウン。最近、このパターンが多くて困っています。英華は、祝言的な唄で、比較的軽めにしておりました。この辺りから、それとなく短めの高座が続きます。そのわけはトリで判明します。九雀の「短命」は珍しいのじゃないかな。枝雀一門からは唯一の出番ということで、文之助の得意ネタで、エールを送ったということでしょうか。福笑が中トリで出るというのは、こういった襲名披露興行のときだけでしょう。「もう一つの日本」は、長い間聴いてなかったので、フルヴァージョンで聴きたかったのですが、半ばで下りました。「口上」のメンバーが傑作。まず米朝一門からは、司会役の米左だけというのは、全く異例。あとは、全員が笑福亭。中でも松枝は、昔話で笑いをとり、福笑は得意の毒舌で口上に替えていました。松枝は、地噺系のネタ「袈裟御前」。袈裟御前に横恋慕した盛遠の物語を落語化したもので、他にはやり手はいないでしょう。福郎の古典は、久しぶりに聴いた気がします。今日の立場を考えてのことでしょうね。そして、文之助は、なんとなんと「三枚起請」。びっくり仰天。40分の長講でした。終わったあと、ディープな落語ファンにお会いしたので、お話を伺うと、昨日は、「らくだ」だったそうで、どうやら、この1週間は大ネタを続けるつもりだろうと言われてました。「へっつい幽霊」「天神山」「住吉駕籠」「口入屋」「景清」なんてのが続くのでしょうか、すごい襲名披露興行になりそうです。今日も、平日だというのに、立ち見が出てましたから、集客力という意味でも、間違いなく大看板です。
 繁昌亭を出ると、「天満」駅近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は「九条」まで行き、「シネヌーヴォ」で、マレー人監督リム・カーワイ監督の作った映画「恋するミナミ」。大阪のミナミを舞台に、香港人雑誌編集者(女)と日本人カメラマン、韓国人スチュワーデスと在日韓国人男性(コリアタウンで韓国グッズ販売)、この二組のカップルの恋の行方を追いかけます。映画終了後、監督挨拶があったのですが、描いたのは「すれ違い」だと言ってましたが、主役の4人の、実際の街中でのすれ違い、心のすれ違いを描いていきます。その筋立てが、特段おもしろいとは思わなかったのですが、マレー人監督の見るミナミの雰囲気が、とっても興味深いものでした。自分が、外国人だったら、ミナミって歩くのは怖いだろうなと思ったことがあります。音、人の流れ、ド派手な電飾、、、引きっぱなしだと思うのです。そのどぎつさが、ミナミたる所以だと思うのですが、それが解るのは大阪人だけじゃないかなと。そのこてこて色のミナミが、この映画ではソフトなのです。見慣れた光景が、随分と出てきましたが、それらがソフトだし、ロマンチックですらあるのです。月亭太遊演じる桃太郎という芸人まで出し〜の、道頓堀のこてこてネオンも出し〜の、、、で、そないな感じを受けてしまったのです。それが一番楽しめたかな、いえいえ、もう一つありました。香港の編集者役のマレー人女優シェリーン・ウォンの別嬪さぶりには、たじたじでした。




2013年 12月 16日(月)午後 10時 1分

 今日の夕方、携帯を見ると、旅行社から電話が入ってる。この時期に、旅行社から電話って、あまり気分のいいものではない。慌てて電話を入れると「飛行機のスケジュールの変更です」と言われ真っ青。着いた夜からオペラを観る予定だったために真っ青になったのですが、聞いてみると30分の違いだとか。ふーっと、思わず体の力が抜けました。特に電話をかけたのが、落語会に行くのに、時間を間違えていたのに気づき、気持ちがかなり動揺していたために、二の矢を射ぬかれた感じで、動揺が瞬間的に倍増した状態になりました。そんなで慌てて駆けつけたのは、守口の「エナジーホール」の和室を使った「とびきり寄席」。前回に続いて寄せていただきました。その番組は、次のようなものでした。鞠輔「道具屋」、雀五郎「不精の代参」、ちょうば「元犬」、佐ん吉「饅頭怖い」。会場に着いたのは、「道具屋」の半ば。場所の割りふりをしてもらっているところでした。鞠輔は米輔の弟子で女流。古くさい言葉を上手に使うのですが、リズムが単調で抑揚に乏しい感じを与えます。ポイントとなるくすぐりの間隔が、常に同じような印象を与えてしまいます。雀五郎とちょうばの二人が、あまり若手の噺家さんが手をつけようとしないネタを披露してくれたのは嬉しい限り。「不精の代参」は古くさいという印象を与えてしまうからでしょうか、それとも、不精な男のパターンが終始同じなところが嫌われるからでしょうか、出る機会自体激減してますし、ましてや若手はやらないですね。雀五郎は、不精の極致の男を描くには最適かもしれません。緘黙系で、頼りなさそうでと、主人公のキャラに近しいイメージがありますから、頼りなげな不精男を演じるのが、とっても自然な感じがしてしまうのは、このネタを演じるには、まことに好都合。「元犬」の方には、ちょうばらしいくすぐりが入っている目新しさがありました。人間になっても犬の癖が残る男の習性を、一つのフリで繰り返し表すのが、その典型。ただ、笑いを取るポイントが、それだけという点が嫌われるのかもしれないなの印象を持たせてもらえたなというところです。トリは佐ん吉。「饅頭怖い」を持ちネタにしているとは知りませんでした。そう言えば、自身の勉強会を開かないで、ネタを増やしているなという感じがします。その口演は、平凡にうまいなの印象。次に、何かをやってくれるかもという期待感、わくわく感で口演が進んでいったというわけではないけれど、人物の描き分けの難しい「饅頭怖い」という観点で言えば及第点かなの印象。ただ、佐ん吉自身、いくら達者だと言っても、年齢的には若いですから、それなりの限界を感じざるをえない部分もありました。久しぶりに聴いた寝小便のおやっさんの年嵩がは出るの、もうちょっと時間を待ちましょう。終演は8時頃。落語会が終わるのには、ちょっと早いですね。




2013年 12月 15日(日)午後 9時 52分

 今日は、朝から旅行準備。真冬グッズのリニューアルに買い物に行っていたりすると、お出かけ時間が間近に。今日のお出かけは、昨日と同じ「イズミホール」、今日は「大阪コレギウム・ムジクム演奏会」の公演で、バッハの大曲「ロ短調ミサ」が出るというので行ってまいりました。バッハの宗教曲の大曲を生で聴くのは、その昔、NHKホールで「マタイ受難曲」を聴いて以来。「ロ短調ミサ」は、オーソドックスなミサの形式を踏んでおり、キリエから始まり、グロリアが終わった段階で、一旦休憩を取りました。この段階で、はや55分以上を経過。後半は、クレドーから始まり、サンクトゥス、ホザンナ、ベネディクトゥス、アニュス・デイ、普通は、これで終わるのですが、そのあとにドナ・ノービス・パーチェムというまとめの曲が付いていました。形式的には、通常の型を踏んではいるのですが、グロリアとクレドーがやたらと長いという特徴があります。ホザンナの叫びともとれる歌詞が出てくると、曲は終息に向かいます。合唱とソロが交互に出てくるというわけではないのですが、この変化が、この曲を魅力的なものに仕上げています。今では、バッハの最後の作品とされているようです。今日はというより、今日も、昨日同様、悪い席が少ないイズミホールの中でも、悪いとしが言いようのないお席。昨日は、2階の舞台の横手だったもので、字幕が見えなかった。今日は、1階最前列。目の前のソプラノがやたらと聞こえるのですが、合唱のバランスなどは全然判りませんでした。その目の前のソプラノは、ちょっと力みの見える歌唱で、バッハを聴いているという感じが、なかなかしなかったな。ソリストは、合唱団からの選抜メンバー。ばらつきもあり、逆に後ろだったら聞こえてるだろうかという声量の方もおられました。どうも、昨日の「イドメネオ」の合唱やソリストに基準が合ってしまっているようで辛口です。それに対して、オケの軟らかい響きに好感。指揮は、この団体の主宰者当間修一。もう一度、全体を見渡せるいい席で聴かないといけませね。




2013年 12月 15日(日)午前 0時 9分

 今日は、お昼過ぎまで、家でうだうだとオペラのDVDを観て過ごしていました。あと少しに迫ったオペラ紀行の予習です。そして、夕方から始まる音楽会にお出かけ。行き先は「イズミホール」。今日は、こちらで演奏会形式の「イドメネオ」がありました。こちらのホールで企画されているモーツァルトのシリーズの一つとして、このオペラ・セリアの逸品が取り上げられたということです。このモーツァルトのシリーズは、ポスト・ホルンが出たとき以来で、全部で5つのコンサートの内、これで2つ行ったことになります。舞台正面奥に歌手陣が並び、舞台左奥に合唱団20人が配置されていました。ギリシアの神話から取材したというか、ギリシア神話もどきに仕立てた、そのどちらの言い方をした方がいいか、自分自身では判断しかねますが、このオペラの背景には、トロヤとギリシアの対立があり、その対立があるからこそ、物語が仕立てられます。対立している同士が愛し合うというお定まりの構図。その対立を乗り越えようとする健気な若い男女。このオペラは、それだけではない深みを持っています。タイトルロールのイドメネオは、若い男女の内イダマンテの父にしてギリシアの王。それが、とんでもない約束を海神ポセイドンと交わしてしまいます。命を助けてもらう身代わりを設定してしまいます。それが、結果的に実の息子イダマンテになったから大変。相手は神なわけですから、逃れようとして逃れられない。ごまかそうとしてごまかされるわけがない。てなわけで、やむを得ず息子を生け贄に。しかし寸でのところで救われます。海神ポセイドンも、健気な自己犠牲による愛には弱いようで、主張を引っ込めてくれてるというわけです。イダマンテを男がするか、ズボン役と言われるメゾがするかは、大きなチョイス。今日は、女声の林美智子が務めたのですが、舞台衣装は、黒のパンタロン・スーツ、普段からかもしれないのですが、髪はショートカンットという具合で、ヴィジュアル的にも、男らしい出で立ちに好感。歌唱も、この人が、一番のお気に入り。イリアを歌った幸田浩子をお目当ての客が多いのではというのは、一緒に行った方の弁。ただ、イリアは、もっと透明感のある声の方がいいかなという感想を持ちました。声の質で言うと、決してベスト・チョイスとは言えない布陣。エレットラの並河寿美は、逆に透明感があり、エレットラの意志の強さを語るには、ちょっと物足りない。イドメネオの福井敬は、なんか、こないな曲を歌う声とは全然異質。一方、指揮の大勝秀也の統率力が、総じて目立った印象。まだまだ知らない指揮者が、日本にいるんだと思いました。




2013年 12月 13日(金)午後 11時 15分

  京都市内遊歩(44)

 仕事のない日は、二度寝ができるので、うまくいけば睡眠不足を回復できます。昨日、落語会でダウンしてしまったのも、前夜3時間も眠ってなかったから。絶対に仕事が終わってほっこりとすると、知らない内に眠ってしまいます。今日は、おかげで二度寝から目が覚めると、ちょうど頃合いのお昼となっていました。今日は、夜に昔の職場の同僚と呑み会だけがある日でしたので、他に支障はなし。昼間はウォーキングをして、夜に備えました。そのコースは、次のようなものでした。京阪「東福寺」駅〜東山橋〜北岩木児童公園〜京都市立山王小学校〜京都駅〜京都駅八条口郵便局〜京都市立梅逕中学校〜梅小路公園〜京都中央卸売市場〜石ケ坪児童公園〜石ケ坪橋〜名倉公園〜「五条西小路」交差点〜追分児童公園〜阪急「松原通」踏切〜野々宮神社〜京都市立四条中学校〜西小路橋〜花園大学〜中国東北料理店「伯楽家常菜」〜JR山陰本線「円町」駅〜地下鉄「西大路御池」駅。今日は、特にどこを狙って歩いたというものではなく、とにかく「東福寺」駅から西方向に歩き、一応西大路通辺りをメドに北に向かおうという程度の構想。表通りを歩くと空気が悪いので、それを避けて歩くのが、迷ってないときの鉄則。京都駅の西側の油小路通でガードレールをくぐったときに、線路沿いに西に向かったのも、そこからきた発想。そしたら向こうに緑が見えている。それにつられて行ったら梅小路公園の南東端に。その端っこの場所は判っていたのですが、それが線路沿いだったことを失念していました。となると、せっかくだからと中を抜ける。すると今度は島原に続く道になるので、それを避けてじぐざぐと細い道を歩いていたら、自分で気づかぬ内に西大路通を越えてしまってました。もうちょっと気がつかないようでしたら、かなり西の方まで行っていたかもしれません。一応、四条中学校前のバス停で確認。西院は、西行きのバスの行き先には書いてありませんでした。夜の呑み会のことを考えると、三条河原町近くのネットカフェで時間調整をした方がいいと判断したため、終点を地下鉄のいずれかの駅か、バス移動の容易いところを考えていたのですが、四条中学校辺りで、あと30分を若干切ったところだったもので、「西大路御池」駅狙いに。そのため、一旦丸太町通まで出て、「円町」から南下するコースを採ることにしました。これで、2時間を1〜2分超えるコースとなりました。




2013年 12月 12日(木)午後 11時 32分

 この冬一番の寒さです。オペラ紀行の前に、絶対に一度は経験させられる寒さです。で、一旦行くのが嫌になるほど億劫になってしまいます。今年も来たかと呟いてしまう寒さです。でも、今年は、去年に比べると、寒さには強いなの感じがしていますが、実際はもっと寒いのでしょうね。あ〜、やだやだ。ところで、今夜はというか、今夜も落語会です。今日は、「京都府立文化芸術会館」の和室で毎月行われている「桂文我上方落語選」に行ってまいりました。先月に続いて行くことになりました。その番組は、次のようなものでした。小鯛「いらち俥」、文我「ふぐ鍋」、文三「食通夜」、文我「牡丹燈記」、(中入り)、文我「権助提灯」。先月のこの会同様のことが起こってしまいました。前夜の睡眠不足が、ここにきて一挙に吹き出してしまいました。「ふぐ鍋」の途中から「牡丹燈記」までダウンです。その中に大切なネタが詰まっていました。一つは、言うまでもなく「牡丹燈記」。「牡丹灯籠」の元ネタだそうで、中国古典の翻案ものだとかで、その中国古典から構成されたものの口演ということのようでした。「猫間川寄席」に、文我が出したことがあったので、マークはしていたのですが、この様でした。前回は、「菊江仏壇」でやっちゃいましたから、サイテーです。「食通夜」も聴きたかったネタの一つ。小佐田作品なのですが、うまくすり抜けられていたネタ、それが、今日も情けないかたちですり抜けてしまいました。こんなだもので、まともに聴けたのは、「いらち俥」と「権助提灯」だけ。小鯛の「いらち俥」は初物だったのですが、息づかいの荒さに比べると大胆さに欠けるきらいがありました。「権助提灯」は東京ネ東京では頻繁に出るのですが、上方では珍しい。こないなところも文我らしい。権助のへらず口がポイントのネタですが、そういった観点では花○だったでしょう。やはりポイントを心得ています。




2013年 12月 11日(水)午後 11時 52分

 押しつまってきました。年末の仕事に、今日、メドをつけました。出発まで1週間前近くになってくると、冬は夏と違って、なんとなく気が重いのです。寒いだろうなとか、雪は大丈夫だろうかなんてことを、ついつい考えてしまいます。昨年、ドイツ・オペラ紀行をともにした同僚が、そないなことを言っていると、早速調べてくれました。今のところ、冷え込んでいるようですが、雪は大丈夫だそうです。てなことで、オペラ紀行直前のお定まりのことを、今年も繰返しています。となると、今年は、あと何回落語を聴けるかというカウントダウンに入っるということです。今日は、迷いに迷って「高津神社」であった「高津落語研究会」に行ってまいりました。八聖亭で「たけくらべの会」があったもので迷いに迷ったのでした。高津神社の会の番組は、次のようなものでした。ひろば「兵庫船」、南天「おごろもち盗人」、たま「明石名所」、雀五郎「猫の忠信」、全員「大喜利」。おもしろい番組構成になりました。トリネタは大ネタですし、「西の旅」が2つに分割され、しかも、順序が逆に出されました。出番の関係なんでしょうか、珍しいことです。珍しいと言えば、「明石名所」が出ること自体が、まあありませんし、第一、このネタを、最近高座にかけたことのある噺家さんは、たま以外では、石松しか覚えがありません。たまは師匠の福笑から、石松は松之助から受け継いだものですが、この二人の師匠連が高座にかけることはないでしょうから、正にたまの口演は稀有な体験なのです。またたまの場合は、「兵庫船」につなぐギリギリのところまでやってくれます。福笑が前座として、このネタをやっていたのは、いわゆる「明石名所」のところだけで、はっきりとは覚えてはいませんが、入水をしようとして助けられるエピソードまでだったんじゃないかな。ですから、ひょっとしたら、たまは、後半部分については、円都の音源が残っているので、それで覚えた可能性があるなと思っています。典型的な道案内もので、喜ぃ公が軽口を言ってボケたおすという進行の繰返しです。だから使えないネタってことで、やり手が極端に減ったってことでしょうね。しかも、和歌がたくさん、しかも似たフレーズの和歌が、たくさん仕込まれてますから、演じ手に人気が薄いものと考えられます。長いこともあり、付き合うにはかなり疲れることも事実ですが、やはりたまです。間合いとか、抑揚など、修行時代に叩き込まれたのでしょうね、長い時間を持たせることに成功していたのじゃないかな。ひろばの「兵庫船」もおもしろい出来栄えでした。ちょっとせかせかした進行でしたが、独自のくすぐりの大きなものが一発決まると得ですね。どうしても次なる一発を期待しちゃいます。南天の「おごろもち盗人」が初めてだということに気がつきました。聴いたことのなかった南天流変化に遭遇したために、そのように思うのかもしれません。盗人が、両手ともに縛られてしまうという傑作な演出にびっくりしました。雀五郎の「猫の忠信」も初もの。人物描写のディテールが難しい噺というのは、誰しも認めるところでしょう。最初から最後まで出ているのは、駿河屋の次郎吉だけ。わりかしまともに人のいいやつだけど、ちょっとおせっかい。大物ではなく、完全な小物。吉野屋の常吉の兄貴分的な風格は、次郎吉とは違う。問題解決能力をしっかりと持っている。冒頭に出てきて状況設営をする男は、どうやらけむたい存在のようで、偏屈な男なのかもしれません。にせ常吉は魔性のもの。お静さんとおとわの区別は分かりやすい替わりに、はっきりとつけないと受け入れられないときています。雀五郎の口演は、その辺を、しっかりと把握はしていることは解りました。ところが、雀五郎の引き気味の性格が邪魔をするのでしょうね、大きな変化を、これみよがしにする表現法を控えてしまいます。その分、興趣が落ちているような気がするのですが、こればかりは丹念に口演を繰り返していくことでしょうね。それを期待していい噺家さんだと思っています。この会は、なぜか蛇足的な大喜利付き。今日の司会はひろば。兄さん方に遠慮がちなもので、突っ込まれまくりでした。




2013年 12月 10日(火)午後 9時 15分

  京都市内遊歩(43)

 今日は、映画館で「メト・ライブビューイング」を観る日。ちょうど「トスカ」だったので、冬のオペラ紀行の予習となるということで楽しみにしていたもの。「トスカ」は観れば観るほど惹かれていきます。上演回数も最上位に入るんじゃないかなぁ。1幕の「テ・デウム」、そして2幕のやりとりが最高。なかでもトスカのアリア「歌に生き、恋に生き」の入る絶妙のタイミングにほざされています。愛した男が政治的な振る舞いをとったばかりに、大状況に翻弄されてしまうトスカ。なのに、切々と個人的なことを並べていくトスカ、全体に吸い込まれていく個体の悲劇を、これほどまでに端的に表した歌はありません。「いいぞいいぞ、トスカ」と拍手したくなるのです。そのトスカを、今日はパトリシア・ラセットが歌い、相手のカヴァラドッシを人気テノールのロベルト・アラーニャが歌いました。カヴァラドッシを歌うには、かなり甘い声質、ま、これは予想されたこと。パトリシア・ラセットの方は、MC役のルネ・フレミングが絶賛していましたが、黄紺は、この間、「トスカ」のDVDを、ゲオルギュー&カウフマン版で観ていたもので、ついつい比較してしまっています。ロベルト・アラーニャの元妻であるゲオルギューの美貌に、ついついうっとりしちゃってたもので、これが絶対だぁなんて決めつけているのです。声質的には、パトリシア・ラセットが「トスカ」には、もちろん合っているとは思うのですが。スカルピアのジョージ・ギャグニッザは、声は申し分ないのだけど、ヒールはヒールとして、もっと憎まれ役であっても良かったのではないかな。演出は、とってもオーソドックス。演出家天国なんて言葉は、どこ吹く風というオーソドックスさに、半ば唖然としたほど。冒頭と最後にスタントを使ったくらいじゃないかな、目新しいと言えば。このプロダクションは、歌手陣の内トスカとカヴァラドッシの2人がダブル編成。今日、ライブビューイングとして流されたものは、11月9日収録もの。12月いっぱい、このプロダクションは、歌手が変わって上演されるようです。黄紺の知人が、その1つを観に行きます。オケピットの真ん前の席を取ったと言ってました。羨ましいなぁと言いながら、黄紺も、この冬、2回も「トスカ」を観てきます。
 「トスカ」が終わると、直ちにウォーキングに移行。久しぶりに京都でのウォーキング。観光客を避けながら、でも観光客に出逢ってしまいます。本格的な冬を前に、秋の残り香を求めての観光客は、やはり京都です。でも、ちょっと外れると減ります。銀閣寺は、観光客だらけだけど、哲学の道に入るとガクッと減る。更に法然院にまで行くと、また減るという感じです。結局ベタな銀閣寺や清水寺の人気と、それ以外では、随分と差があるようですね。コースの詳細は、次のようになりました。MOVIX京都〜インド料理店「ムガール」〜二条大橋ー夷川水力発電所〜熊野橋〜御辰稲荷神社〜京都市立錦林小学校〜京都市錦林児童館〜金戒光明寺・会津墓地〜真如堂〜冷泉天皇櫻本陵〜法然院〜銀閣寺〜吉田山三角点・集祖神社・吉田神社〜京都大学〜京都市バス「京大正門前」停留所。墓参りがてら黒谷さんをめざし、講談のおかげで、そちらに会津墓地があることを知っていたので探してみました。「八重の桜」のおかげでしょうか。解りやすく案内板が出ていたので、容易く発見。「ここは会津藩の聖地です」との、ご住職の書き付けにぎょっとしてしまいましたが、数の多さにも驚きました。もう墓地のすぐ近くは真如堂でしたから、以前、白川通から入ったことを思い出し、そちらに抜けると法然院の近く。ということで、流れで銀閣寺に出てしまいました。今出川を西進して「出町柳」駅くらいを終点にしようと考えていたところ、目の前に「吉田山」への登り口が目に入り、ウォーキングだけでは鍛えられない脚の筋肉強化のためにはアップダウンが大切と思い山越えをしておしまいにすることにしました。




2013年 12月 8日(日)午後 18時 39分

 昨日に比べると、ちょっと気温はましでした。代わりに、お天気はどんよりとした一日。なかなかうまくいきません。今日は、3ヶ月ぶりになる「一心寺門前浪曲寄席」の日でした。東京に行っていたりして行けてなかったのです。都合で、来月も行けないものですから、今日は、当初観能を考えていたのですが、2日連続にもなるということで、こちらに切り替えたというわけでもあります。今日の番組は、次のようなものでした。春野美恵子(沢村さくら)「高田の馬場」、真山一郎(真山幸美)「俵星玄番」、天中軒雲月(沢村さくら)「哀れ孤児」、天光軒満月(紀ノ本孝子)「空海」。番組を見てというよりか、行く前から判っていたことなのですが、そして、実際に行ってみて大当たりだったのが、いつもと変わらぬ番組だということ。やはり浪曲はネタが少ない。中でも満月さんは、ネタがいつも同じという感じ。真山系の歌謡浪曲も、三味線ではなく音が要るからでしょうね、これまたネタに限りがある。昔の浪曲師が、弟子にすらネタを譲ろうとしなかったわけが、よく解ります。今日は、顔ぶれを見て、特にえぐいだろうと思っていたら案の定だし、そんなだからでしょうか、日曜日なのに、いつになく客の入りが悪いでしたね。「高田馬場」は、「赤穂義士」の中でも特に有名な話。中山安兵衛の仇討ち、それに加えて、堀部弥兵衛の妻と娘との偶然の遭遇話が入ります。春野美恵子さん、冒頭の安兵衛が叔父からの手紙を読むくだりがいいですね。そのあとに起こるただならぬ出来事を予感させる切迫感がありました。真山一郎師のところでダウン。浪曲を聴きながら眠るというのは、余程眠たかったということになります。なんせ大音響ですからね。雲月さんは、珍しく昭和初期を舞台にしたネタでした。貧しい孤児が、自分を育ててくれた男の病気を助けるために、当たり屋になったところ、車に乗っていた人がいい人で、事情を察し力になるというもので、ちょっと筋立てが単純すぎやしないかという代物。唯一ネタに期待していた雲月さんだけに、落胆は大きいものがありました。そして満月師は、今回も、「父帰る」と「空海」を出しておられます。3つ目のネタには、なかなか当たりません。最後は、いつものように「空海」の歌謡曲、トリだということで、「直江兼続」という曲も歌ってお開きになりました。
 終わったのが3時20分。この時間から通常のウォーキングをすると、真っ暗になってしまうので断念。家に帰るには早すぎるので、昨日同様、ミニウォーキングに。途中、文楽劇場により、1月の文楽公演のチケットを購入。今回から昼夜ともに買った場合の割引がなくなりました。原因はあれでしょう。とんでもない迷惑です。ミニウォーキングの終点は天満橋駅。所要時間は1時間でした。




2013年 12月 8日(日)午前 6時 4分

 昨日は、この秋1回だけとなる観能の日。京都観世会館であった「井上定期能」に行ってまいりました。どうも、この秋は、月並みな曲しか出ないものですから、今日だけとなりました。今年の春は、脇能でおもしろそうな曲が並んだのですが、そういつも続くものではないということでしょう。今日の番組は、次のようなものでした。能「柏崎」(井上裕久)、狂言「柑子」(茂山良暢)、能「殺生石-白頭-」(吉浪寿晃)。今日は、「柏崎」がお目当てなのですが、あまりおもしろいとは言えない作品。だから、あまり出ない。そんなで出ると行く。でも、やっぱりおもしろかったとは言えないの繰返し。こういった曲が幾つかある。ぱっと思い付くので言えば、「梅枝」「道明寺」なんてとこかな。勤務地で夫が亡くなり、息子は飛び出したという知らせが妻のもとに入ってくるところからスタート。話を聞いた妻が落胆して引っ込むところで前場は終わる。この能は現在能だから、その妻が虚しくなって亡霊となって出てくるという能ではなく、後場は、夫と子どもを一挙になくし、気が動転した女として登場してくる。そうです、「隅田川」「百万」のような物狂い能なのです。笹をかついで「翔」という短い舞を舞うのは、物狂い能の定番。女は、故郷を離れ善光寺に詣り、そこで夫の形見を身につけ夫を思い起こします。すると、そこへ僧が現れ、この小坊主こそがおまえの子どもだと教え大団円となります。この突如として息子だと言われても、なんで判ったのか不思議になるのですが、そのまま終わっていきます。善光寺の霊験を述べたものなのでしょうか。この能は、一つ変わったところがあります。前場と後場で、ワキが交替しちゃうのです。後場の方をワキツレが演じますが、ツレでは少なくともありません。ただ、出番が前場の方が多いので、そちらをワキが演じるのでしょう。「殺生石」の方は、5番目もので上演回数トップ候補かもしれませんね。石に近づくだけで鳥が落ちるという、凄まじい魔力。玉藻前という女性が、実は二尾あるいは九尾の狐が化けたという魔性の女だったという物語。射殺されて石になったが、それでもなお魔性の力を発揮し、飛ぶ鳥を落とすという力を持っていたという凄い物語。5番目ものは、鬼だの魔性のものが出てきておもしろい。「白頭」という小書付きでの上演。石を出さない演出が「白頭」にはあるのですが、ちゃんと出してくれました。この曲のポイント「石」を出さないではおもしろくありませんからね。おまけに射殺されるところを再現するところでは、橋がかり三の松で後ろにそのまま倒れるというスーパーな所作も。「殺生石」では、初めて観る演出でした。「柏崎」の井上裕久師は、お若いときに観た「班女」の立ち姿がきれいで、京都の能の世界では、自分的には最も関心のあるお方。ちょっと退屈目の「柏崎」のクセの舞は、とっても満足させてくれるメリハリのついた動きに感服。「殺生石」の吉浪寿晃師は井上家の中堅。お若い頃から声のいいので要マークだった方。このお年頃の方が、普段は若手が多い「殺生石」をやってくれると嬉しいですね。動きに魂が入っている感じがします。教えられた通りしているのではない何かです。それが、普段でない型を出そうという意欲にもなったのでしょうね。お二人とも、実に好演、満足でした。




2013年 12月 6日(金)午後 10時 55分

 今日は、午前中にウォーキングと決めていたのですが、旅行準備が、まだ整っていないため、それ用に時間を使いました。限界があるわけではありませんが、まだ十分とは言えないのが悲しいところ。あと2週間後には日本にいないのに、この様です。いくら黄紺でも焦ります。それと、今日は二度寝をしっかりできたのが嬉しいところ。ウォーキングをしないで、家で旅行準備をしていたからできたことですが、おかげで準備が十分にできなかったということにもなります。お出かけは、午後1時半がメド。今日は、芝居を2本観る日。まず1本目は、「野江」の「アトリエS-pace」であった「突撃金魚」の公演「夜に埋める」です。「アトリエS-pace」で芝居を観るのは初めて。あないなところに、芝居ができるスペースがあったのですね。「突撃金魚」は、前回の公演が、ちょっとミソをつけた感じがしましたが、ここ数年、ずっと続けて追っかけている劇団。サリngROCKの書く台本が、最近の劇団にはないエスプリが利いたものと思えるからです。今日も、ちょっと変わった芝居。おどおどとしたしゃべり方をしている女、その同僚の男、その二人は、最後まで、何の仕事をしているのかは判らずじまいでしたが、それに浮浪者が一人、この男は、人の弁当を盗みに入るぐらあなにも拘わらず、大事に父親の骨壷を持っている。話が動くのは、その3人が、近くのビル建設現場で恐竜の骨が出たというので、発掘をしているのを見に行ってから。骨壷の骨を基に体を再現できるという男に会い、骨を預けたところから、この男に異変が始まります。おどおどした女は、妹に会ってしまいます。妹は、親の法事に帰ってきてくれたと喜びます。その女は、単なる対人恐怖症なのか、特定の人との関係を結べないのかは、最後まで判らずじまいなのですが、妹が距離を縮め、姉を、家族を大事にする言葉を吐けば吐くほど、女は閉じていく感じで、最後は叫びながら逃げていくしか、執る行動は持っていませんでした。彼女が、らしさを発揮できるのは、意志を示すことができるのは、逃げるという行動だけ、それも肯定しようじゃないかという声が聞こえてきそうです。一方の骨壷の男には、父親の亡霊が出てきます。亡霊は、やたらと明るく軽い。これに戸惑う浮浪者。また、それに毒づく亡霊の父親。ある意味では、父親像を大事に持ち続けていることのみにアイデンティティを持っていた男を打ち砕いていきます。それを、へなちょこ男に扱ってないような眼差しが、この芝居があるのじゃないかなということを、もう一人の主役である浮浪者の扱いを観て思ってしまいました。いつものように、発想の豊かさ、ユニークさが際立ちます。ただ一つだけ不満だったのは舞台装置。広くない舞台に、岩場を模した装置は大き過ぎますね。それに加えて、各場のモチーフとなる墓石やトイレを置いたものですから、余計に狭くなっちゃいました。役者の出入りも、選択肢が狭くなるしと、具合の悪いことが続出でした。役者としては、スクエアの一人山本禎顕が、珍しいことに客演、やはり存在感がありますね。
 1本目の芝居が終わると「京橋」へ。こちらでお買いものをしてから、おなじみの千日前のネットカフェへ、「北浜」経由で移動。あとから考えると、この経路は不経済。ま、それは後の祭りということで、夜は、更に「花園町」の「CanTutku」に行き、「コンブリ団」の公演「」を観てまいりました。「コンブリ団」は、1年ほど前だったかなぁ、京都で1度だけ公演を観たことがありました。さほど印象に残ったというわけでもなかったのですが、すぐさまちゃらにするのは躊躇われるという感じだったもので、今回の公演に目をつけたというわけです。線をモチーフに、線も、実は粒子の集まりだというアンビバレントな存在だということを一つプロットに、芝居の各所に、「線で仕切られた二項」が出てきました。「二項」を対立的にだけ捉えるだけではなく、境界を超えて往き来をする存在や、境界そのものにいる存在、最新の物理学を援用して、「二項」的設定どころか多項的設定をも視野に入れた脚本となっていましたが、言葉としては出てきても、それを芝居の中に生かせたかは別の問題だったと言わざるをえませんでしたが、今や、そのような哲学的芝居が、ほぼ影を潜めている現状を考えると、確かに貴重な劇団だという認識を持つことができたということは、大きな成果だったと思います。縦糸は、旅行中に、突然死に直面する夫婦の物語。それが縦糸だったと判る、いや自分的にと付け加えると書かねばならないかもしれないのですが、終盤になってきてから。「生死の境界」イメージから、町を包囲されたサラエボの場面が出てきたり、死にきれないと言えばいいのでしょうか、境界世界を表したかったと思うのですが、ゾンビの世界と生身の人間の世界に境界を引いた場面が出てきたりするものですから、なかなか縦糸が判らなかったというのは、ひょっとしたら言い訳になるかもしれません。表現法としては、ゾンビをあっちの世界とする生身の人間の世界を表す場面が、人間がラインに乗せられ画一化していることを示すために、無機的な動きを出そうとするあまりに、観念的な言葉が、ひたすら役者により流されるという場面が、わりかし長く流されるのがきつかたなぁ。睡眠がしっかりととれていたおかげで大丈夫だったのですが、昨日だったら、完落ちだったでしょう。縦糸は、結局、人間の思いなしの世界だというところに落ち着きます。だから気の問題だということになります。だけど、結論を、そないな矮小化してしまっていいのかなという不安は、正直言ってありますね。それだけ重厚感のある芝居でした。途中、サラエボに話が飛んだときには、芝居のメタファーまで登場。確かに「舞台と客席」という解りやすい「二項対立」ですから。なんか寺山修司のメタ演劇を思い出してしまってました。




2013年 12月 6日(金)午前 0時 10分

 ちょっと仕事を根を詰めて頑張った見返りは猛烈な肩こり。年末最後の山ですから仕方ありません。それでも、なんとか時間をつくり落語へ。今夜は動楽亭であった「第4回ご近所落語会」に行ってまいりました。要するに動楽亭界隈に住んでいる噺家さんの会なのです。生寿が染吉と組んでやっていたらしいのですが、染吉が引っ越しをしてしまい中断をしていたところ、小鯛が引っ越ししてきたので、新しい相棒ができたというわけです。その番組は、次のようなものでした。生寿・染吉「挨拶」、小鯛「口上」、染吉「ふぐ鍋」、小鯛「最後の晩餐」、生寿「鹿政談」、(中入り)、全員「トーク」。引き継ぎのような感じで、今日だけ染吉も登場。今は豊中に行ってしまったようです。小鯛は、師匠塩鯛宅のある茨木から寺田町に引っ越してきたとか。岡山出身の小鯛は、ディープな大阪に住むことも勉強ということでのお引っ越しの由。最後のトークで、遊びながらにもネタの話をしてくれました。それぞれやり始めのネタばかりを並べてくれました。「ふぐ鍋」は、師匠染丸に多くの噺家が習いにくるので、修行時代に覚えてしまってはいたのを、今回改めて師匠に看てもらったものとか。うさぎと一緒に習いに行ったと言ってました。ところが、染吉は、「この噺、悪い人ばかりが出てくるから好きじゃない」とか。確かにと言える内容です。「家の芸やから」というのも納得。どうしても未だに、「ふぐ鍋」と言えば、先代染丸の顔がオーバーラップしてきますからね。そないな気持ちが、染吉にはあるからでしょうね、極めて淡白な「ふぐ鍋」を演じてくれました。今日が2度目の口演だそうです。小鯛は新作のネタ下ろし。歌之助が呑むと、「最後の晩餐に何を食べたい」と聞いてくるので、それを聞かれたときに言いたくなることを並べたと言っていました。ただ噺の後半は、落語のネタに変化、人生最後のネタを尋ねるという落語ネタへと変化してしまっていました。今日がネタ下ろしとか。小鯛は、幾つか新作を作ってはいるようですが、自分的には遭遇機会が少ないですね。生寿は、上がるなり、「ネタの方にマクラが長いのでお喋りはあまりしません」と断ったのですが、何をするのか判りませんでしたが、「三都の違い」で判明。ま、それが、長い定番のマクラの入口なんですが。正にフルヴァージョンで演じました。米平からもらったと言ってましたから、米朝直伝のものをもらったことになります。二度目の口演だそうですが、奈良出身の噺家としてのこだわりでしょう。ですから生寿のこだわりは半端ではありません。大仏のお身丈までも、より正確でないと気が済まないようですね。ところが、肝心のお奉行さんが頑張るところでダウン。正直、そこまでは体力がもたなかったってところでしょう。客の入りは30あるかなしかですが、ディープな落語ファンがびっしりでした。生寿に小鯛には、そういった吸引力があるようですね。




2013年 12月 4日(水)午後 11時 23分

 一昨日の爆睡の反動がきて、昨夜は、完全に寝不足。仕事に悪影響。明日までに間に合わせねばならない仕事に四苦八苦。勤務時間内に、無事収めることができ、気分よく繁昌亭へ。今夜の繁昌亭は、「丸十年〜特別記念公演〜」という落語会がありました。入門10年目となる噺家さんユニットが、普段は動楽亭で開いている会を、10年という節目に繁昌亭に持ってきました。4人の内3人が、繁昌亭大賞輝き賞を取っていると、キャリアを眺めると、たいへんなユニット。ここまでの評価を想定した人は、ぶっちゃけいなかったんじゃないかな。その成長の跡を披露する会となりました。その番組は、次のようなものでした。石松「軽業」、松五「腕喰い」、(中入り)、全員「口上」、二乗「景清」、鯛蔵「壷算」。同期には、あと3人いたそうです。きょとすけ、「り」の字を忘れてしまってる松り、もう一人は聞いたことのない名前でした。石松は、「軽業」も松之助からもらったのでしょうか。今では聴かない古風なくすぐりが満載でした。特に冒頭部は、全面カットが普通になっているので、逆にめっちゃ新鮮。そう言えば、昔は、いきなり村祭りから始まってなかったなぁと思い出しても、今日の石松の口演のようなものだったかまでは覚えてはいません。もぎ取りのところで、「孔雀」に入ったはずが、何か違うことを言い出したのはご愛敬。ただ間違った内容が耳新しいことだったので、間違いは残念なことになりました。松五は勉強熱心。「腕喰い」は誰からもらったのか気になるところです。林家の噺と思われがちですが、六代目も持ちネタにしていましたから、笑福亭の流れから入ったとなったら興味津々。でも、今、笑福亭で「腕喰い」を持ちネタにしている人が思いつかないのです。松喬がやってましたっけ。二乗の「景清」が、なかなかの聴きものでした。前座ネタから大ネタに移っていくときに、さほど違和感のなかった噺家さん。定次郎と甚兵衛とのやりとり、定次郎と女のやりとり、そういった二人ずつの会話がしっかりと構築されているのが強みです。前座噺に変な工夫をし出した頃に、ちょっと煙たくなりましたが、余計なことを考えずに、二人の会話をじっくりと仕上げる力は、根問いものの会話がしっかりとしていたことが、そのまま生きているなと思えました。唄に、もうちょっと味があればいいのですが。トリに鯛蔵を持ってきたのは、輝き賞を一番最初にもらったからでしょうか。そう考えると、二番目の松五が中トリ、もらってない石松がトップになっていたので、理屈は通っています。ただ今日の鯛蔵は、やたらテンポがいいのですが、上へ上へ滑っていくような感じがして、聴いているのが逆にしんどいなの気分。それが睡眠不足を刺激。店に入ったあたりから記憶にありません。単に、体力の限界を超えただけかもしれませんが。4人が4人とも充実のときを迎えてきています。これから一層の活躍が期待されます。




2013年 12月 3日(火)午後 10時 40分

 昨日は、夜遊びに行こうというところがなく、まっすぐに帰宅。そして、年に1度あるかないかの大爆睡。そして、今日は、暖かで明るい一日。絶好のウォーキング日和でしたが、1年に1度あるかないかの大爆睡。10時過ぎにかけていた目覚ましで起きる始末。疲れはとれたようですが、ウォーキングに行く時間が無くなってしまいました。今日は、久しぶりに昼夜ともに落語三昧にした一日。午後は繁昌亭の昼席。文太が中トリ、銀瓶がトリという番組に惹かれ行ってまいりました。繁昌亭の昼席は、最近では、襲名披露か、福笑が出るときと相場が決まっていたので、ちょっと異例のチョイスかな。その番組は、次のようなものでした。雅「初天神」、阿か枝「子ほめ」、出丸「上燗屋」、Mr.オクチ「マジック」、岐代松「手水廻し」、文太「口入屋」、(中入り)、団四郎「百面相」、竹丸「童謡批評」、染雀「音曲風呂」、銀瓶「はてなの茶碗」。雅は、今日だけの代演。今週は、喬介が前座を務めています。雅には悪いですが、この差は大きいのですが、他の出演者を考えると仕方ありません。阿か枝あたりの「子ほめ」は、だいぶとぜいたく感が出てきます。年季の経った噺家さんが演じる前座噺を聴くのは楽しいことです。今日は、出丸のところでダウン。昨夜、爆睡しているのにです。岐代松は、繁昌亭では「手水廻し」ばかりを聴きます。ただ、めちゃめちゃくさくなっていました。今日の客席は、団体客なんかが入っていたのを見越してのことでしょう。文太は、「口入屋」を冒頭からたっぷりと。文太の軽い口調が、このネタには合っています。登場人物が軽いですから、そういった語りが合っているのでしょう。竹丸は、東京の竹丸。米丸の弟子だそうです。ところが、小学校6年までは、守口の寺方に住んでいたそうです。これには、思わず笑ってしまいました。ずっと漫談調の高座。後半になり、童謡の歌詞をつつくというものになりましたが、東京の噺家さんにしては、えらく客席との距離を近くにとっていました。染雀は、位置を心得た小咄「音曲風呂」、終わったあとは「奴さん」を踊ってくれました。珍しかったのは、「奴さん」の女性ヴァージョンも踊ってくれたことでした。踊りの心得を持った方かどうかは知りませんが、後ろの客席にいたおばさん二人が、「うまいわぁ」としきりに感心していました。そして、トリの銀瓶。銀瓶の高座に遭遇するのは久しぶり。あまりネタを増やしてないので、敢えて銀瓶の会には行ってなかったからです。でも、「はてなの茶碗」はノーマークのネタでした。銀瓶は、語り口がしっかりしているのを再確認。人物では、油屋さんが秀逸。下品にならず、しかも下世話な金儲けには目がない庶民性に共感を持ちながらの口演なのでしょう。自然な気の入り方が素晴らしかった。「はてなの茶碗」は聴き過ぎてきたために、結構聴いていてだれてくることが多いのですが、銀瓶の高座には、心地よい緊張感があり、次の展開が楽しくなってくる、そういったわくわく感なるものを持ちながら聴くことができました。やっぱり、銀瓶はうまいなぁ、聴きごたえがあったというのが、終わったあとの実感でした。
 繁昌亭を出ると、最近時々お世話になる扇町のネットカフェで時間調整。夜は、そこから更に歩いて移動して「提法寺寄席」へ。ざこば門下のひろばとそうばという兄弟弟子が、3ヶ月に1回開いている会ですが、うまい具合に、他の会とのバッティングすることが少なく、行く機会の多い会です。その番組は、次のようになりました。ひろば・そうば「トーク」、そうば「ちりとてちん」、ひろば「狸の化け寺」、そうば「天災」。今日の受付には、主宰者お二人が座ってられたので、まずびっくり。そのわけは、冒頭の「トーク」で明らかにされました。「トーク」は、前回からの3ヶ月間にあったことを、二人が話すもので、この「トーク」がわりかし人気。今日は、ひろばは、引っ越し話と、人恋しくて呑み友だちを探した話。そうばは、灯油を漏らしてしまい、大事なお米をダメにした話と、不良バリカンの払戻金を受けた話が主だったものでした。「ちりとてちん」は、一時落語会でよく出ていたのですが、最近はご無沙汰。テレビドラマが終わって随分経ちますからね。そうばは、このネタを、吉弥かよね吉からもらったかの雰囲気でした。「狸の化け寺」は珍しいネタ。黄紺は、このネタを、最近はひろばでしか聴いてない気がします。今日の会は、お囃子なしの会なもので、お囃子が入るところでは、擬音を出して、らしい雰囲気にしていました。トリのそうばは、ざこば組お得意の「天災」。とってもざこばの口演を感じさせるものでした。むやみに人を殴るときのやり方が、ざこば風だったからです。但し、ざこばはレフティーですが、、、。




2013年 12月 1日(日)午後 10時 00分

  大阪府守口市(66)〜大阪市旭区、鶴見区、城東区、東成区

   今日も、昨日に続いて、暖かで穏やかなお天気。絶好のウォーキング日和でした。お出かけの目安は、11時から11時半の間。電車の中でおむすびをほうばり、時間の節約。今日は、もう一度だけ鶴見緑地の落葉を見ておこうということで、つい先日歩いたのと似たコース設定をしてみました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。京阪「土居」駅〜土居公園〜大阪市立清水小学校〜大阪市立旭東幼稚園〜旭新森六郵便局〜鶴見緑地〜地下鉄「鶴見緑地」駅〜鶴見緑地球技場〜大阪市立茨田中学校〜諸口中公園〜今津橋〜今津公園〜JR「放出街道」踏切〜諏訪神社〜大阪府立成城高校〜地下鉄「深江橋」駅。先日、鶴見緑地に行ったときは、どんよりとした曇天。それに比べて、今日は、とってもいいお天気。もうそれだけで、葉っぱの色づき方も違って見えます。おまけに暖かな日曜日とあって、人出一つをとっても違いました。ですから、嬉しくなって、いつもよりか、多いめに公園内を歩いてしまいました。落葉の方は、まだまだ大丈夫ですから、1週間先でも大丈夫かなと、もう一度年内の早い内に行ってみようかなの気持ちになりました。あとは、一応、近鉄「今里」駅を目標にしていたのですが、ちょっと無理な相談で、「深江橋」の改札口で、ちょうど2時間。終わったら、うっすらと汗をかいていました。こういったくらいが一番いいですね。
 「深江橋」から「堺筋本町」乗り換えで「日本橋」に移動。駅上のネットカフェで時間調整。それから「」まで歩いて移動。午後4時開演と、えらく中途半端な時間から始まった「時間堂」の公演「森の別の場所」に行ってまいりました。「時間堂」は東京の劇団。東京で芝居を観るときのためにピックアップしてあったのですが、運悪くまだ遭遇機会がなかったのですが、今回、大阪で公演があるということで、逃す手はありません。この劇団が、普段からそうなのかは、寡聞にして知らないのですが、今日の芝居は翻訳もの。リリアン・ヘルマンというアメリカ人の作家で、今日の作品は1946年の作品。この作家の作品が、どのような傾向を持つもので、また戦後間もなくの作品でもあるので、そういった時代背景があるのかとか、またアメリカ演劇の中での位置付けとかは、全く判らないままに観たことになります。舞台は、南北戦争直後の南部の大金持ちの家族。家父長支配が強く、しかも、家族に有無を言わせない支配権力を握る父親は、かなりあくどい方法で金を儲けたようである。娘は、逆に没落家族の戦争バカ的な男と恋仲だが、父親は許しそうもない。長男は、父親の事業を助けてはいるが、未だに自分独自に身動きできない状態にうんざりしている。次男は、売春婦に入れあげ、その女と都会に出ることに憧れている。妻は、夫に支配されているのか、丸で自分というものが看られない人物に描かれている。それが、ずっと南北戦争時の南部の女って、こういった扱いだったのかと、勝手判断で思っていたところ、そこに仕掛けが施されていました。3人の子どもが、自分の思い通りに、ことが運ばなくなり、且つ男兄弟二人は、父親からも放逐されようとなったところで、長男が母親の異変のわけに思い至る。その辺りの手際がよく、終盤に来て、一挙に思いがけない方向に話が展開していきます。この緊張感が、頗るいい感じ。ただ翻訳ものの常と言っていいか、若干躊躇われるのだけれど、言葉が過剰過ぎるため、観ていて、かなりいらついてしまいました。アフタートークで、劇団の主宰者にして、演出に翻訳まで担当した黒沢世莉によると、だいぶとカットしたみたい。小田島雄志が、この芝居の翻訳をしているらしいのですが、そちらは、かなり逐語訳だそうで、かなり短縮したと言っていました。狭い会場の客席部分にも舞台をせり出したりと工夫が詰まった演出。役者も充実。黄紺の劇団捜しの網にかかってくるだけはありました。




2013年 11月 30日(土)午後 11時 57分

 持ち帰り仕事が遅々として、なかなか進みません。睡眠がしっかりとれているからか、単にどんくさいのかが、よく解りません。結果だけを見ると進んでないのです。と言いながら、予定の時間がくればお出かけ。今日は、その時間を間違いかけて、危なくも午後の予定がおじゃんになるところでした。まず、久しぶりに「太融寺」での落語会に行ってまいりました。新装なってからは、この落語会しか行ってないのではと思う「第77回千朝落語を聴く会」があったからです。いろんな落語会などとバッティングすることの多い落語会で、この会自体も、1年ぶりくらいになるのではないでしょうか。その番組は、次のようなものでした。小鯛「やかん」、千朝「宿替え」、三喬「仏師屋盗人」、千朝「三枚起請」。「やかん」は、上方ではほとんど出ないネタ。東京ネタなんでしょうね。根問いものだけど、終盤に講談調が入るのがミソ。千朝の一つ目は「宿替え」。枝雀の口演が、どうしても耳から離れませんが、千朝のそれは緩〜い雰囲気に終始。それが千朝テイストというやつでしょう。家に着いた当りで、なぜかうとっときてしまったのは、不覚としか言いようがありません。レトロな驚き具合なんてのは、千朝の独壇場です。ゲストの三喬は得意の盗人ネタ。わりかしマジメな盗人が可愛く、いとおしくさえ感じられます。千朝の二つ目は「三枚起請」。大ネタです。こちらも、千朝の思いがけない反応にしびれます。レトロな応対が顔を出すのが楽しみなだけではなく、ここぞというときに使ってくれる大仰な表現が冴えます。太融寺の大広間を満杯にする集客力は衰えを知りません。楽屋の前に席をとっていたのですが、千朝さんのマクラやくすぐりに、楽屋の中からも反応が出ていました。三喬によると、小佐田センセも詰めていたようで、くまざわさんは、いつもお手伝いに来られていますので、ご夫婦で中におられたことになります。そのあたりなのか、どのあたりなのかは定かではありませんが、なんかほのぼの感があっていいですね。
 太融寺を出ると、夜の部まで時間があったので千日前まで歩くことにしました。ミニウォーキングのつもりです。さりとてフルでウォーキングを始めるには、時間が遅かったのです。冬は、これが困ります。そして、いつもの千日前のネットカフェで時間調整。夜は、「九条」に移動して、「シネ・ヌーヴォX」へ。日本映画「新大久保物語」を観てまいりました。韓国の5人組のアイドル・グループ「MYNAME」が主役で、東京の新大久保で、アイドルとしてデビューを目指していくというちょっとしたサクセス・ストーリーです。舞台が新大久保というのが気に入って観に行ったら、「X」の方ではありえない客層にびっくり。ほとんどが若い女性。男は、おっさんも若いお兄ちゃんも、ほとんどいない。ひょっとしたら、黄紺以外は、男は一人だったんじゃないかな。そないな映画と思っていなかったもので、ちょっとひるんでしまいました。ということは、主演のアイドル・グループっていうのが、既に日本で人気が定着した人たちということになるのですね。日本語がさほど達者ではないということを見越して、個々のエピソードは、深く追求しないスタイル。そうすると、5人に公平にエピソードをふることができるというメリットが出てきます。これは、彼らを目当てに来ている客にすると、なかなかおいしいところ。確かにエピソードの掘り下げが浅いのはかなわないことなのですが、その辺が見えてきて、そういった造りになってるのだとの前提で観ると、わりかし楽しむことができました。そして、韓国映画を意識したのか、最後に思いがけない結末が待っていました。一挙に会場に鼻をすする音が流れました。ツボを心得た台本に、主役の5人がリラックスしながら真摯に演じてくれてることに好感が持てました。




2013年 11月 29日(金)午後 10時 29分

  大阪市内遊歩(184)

 完全に真冬の様相。でも、お天気がいいとウォーキングの気持ちが高まります。今日は、1時半をメドにお出かけしてウォーキングに向かいました。午前中は、睡眠不足の解消に努めた結果、3度寝までできたのはいいのですが、持ち帰り仕事の進み具合は、イマイチというところでした。で、ウォーキングのコースの詳細は、次のようなものとなりました。京阪「淀屋橋」駅〜北御堂〜地下鉄「本町」駅〜地下鉄「阿波座」駅〜大阪西郵便局〜木津川大橋〜西税務署〜喫茶「トスカ」〜大阪南安治川郵便局〜安治川トンネル〜安治川橋〜JR「さくらじま006」橋梁〜朝日神明社〜春日出商店街〜大阪市立梅香中学校〜北港新橋〜四貫島商店街〜阪神なんば線「千鳥橋」駅〜朝日橋〜JR環状線「西九条」駅。久しぶりに此花区に入ると、あとの行動に差し支えないということで、九条まで行き、安治川トンネルではなく、安治川大橋の方を渡り、此花区内へと入ることにしました。九条に入るのも中央大通を越えるという道も久しぶり。安治川トンネルから安治川左岸沿いを歩くのも久しぶりと、ご無沙汰の道を選んでのコース。此花区内に入るまでは、こちらの想定通りの早さで行けたのはいいのですが、此花区内に入ってから、距離感を見誤りました。梅香中学校までは良かったのですが、そこからちょっと欲張りコースを取ってしまいました。まっすぐに「千鳥橋」駅に向かわねばならなかったのですが、それでは時間が余ってしまい、余計な迂回コースを、最後に取らねばならないと思ってしまったのです。そのため、「千鳥橋」駅前通過時点で、1時間58分経過。最初から「西九条」駅を終点と決めていたもので、そのあとの10分余というのが、丸々超過時間となってしまいました。
 「西九条」から環状線で「天満」に移動。駅近くのネットカフェで時間調整。そして夜は、そこから20分ほど歩いて、「常磐漢方薬局」であった「第26回客寄席熊猫」へ。雀喜が新作を発表している会で、わりかし欠かさず行っている会の一つです。今日は、受付に米紫が座っていました。普段は、雀三郎の幻の一番弟子の元又三郎さんが座っているのですが、今日は、本業が忙しかったようで、開演直前に到着されてました。プログラムも、元又三郎さんが作られているようで、着いてすぐに、ご自身で、客に一人一人に配っておられました。今日の番組は、次のようなものでした。雀喜「大阪環状双六ゲーム」、米紫「猫」、雀喜「天野ジャック」。「大阪環状双六ゲーム」は、題を見たときには、実際に環状線に乗りながら、噺が展開するものと決めつけていたら、そうではなく、そういった名のボードゲームをするというもの。サイコロを振りながら進んだ駅に、その駅にちなんだギャグが書かれているというもので、対戦している二人が、同じ駅には停まらないようにとの工夫がなされていました。米紫の「猫」は小佐田作品。存在は知っていたのですが、遭遇は初めてです。なかなかよくできた作品で、話す猫と飼い主の対話だけで進行。猫が「話す」ということにこだわった作品で、下げまで一貫しています。最後は、ちょっとブラックな落ちで、そこまでの真実は何だっのかという余韻が残る佳作です。雀喜のもう一つ「天野ジャック」は、初老の男が再就職。頑固で融通が効かず、人と交わろうとしない天の邪鬼ぶりを発揮。その男をギャフンと言わせたのが、より強烈な天の邪鬼ぶりを発揮した会長だったというもの。仕込みとバラシという構成にもなっているのですが、バラシの内容がちょっとヤワかなという出来栄えでした。




2013年 11月 28日(木)午後 11時 34分

 寒いです。朝と夕方と、全然違います。夕方からの冷たさは、ドイツの寒さを思い出してしまいました。今夜は、その寒いなか「京都府立文化芸術会館」へ行ってまいりました。今夜は、こちらの和室で「桂文我上方落語選〜京都編〜」がありました。文我落語を二夜連続で聴く機会となりました。三重県在住の文我は、こちらに出てきたときに、精力的に会を開くのです。その番組は、次のようなものとなりました。生寿「つる」、文我「蛸坊主」、生喬「ピカソ」、文我「菊江仏壇」、(中入り)、文我「五段目」。文我らしい出る機会の少ないネタが並び、そこに生喬師弟がかむというなかなか優れものの番組。生寿は、何度も出してもらってるので、出すネタがなくなったので、元に戻りますと言ってからの高座。練り上げた「つる」という感じ。なんか中堅以上の噺家さんが、前座噺を手がけている雰囲気すら漂っていました。生喬の方は、なんと「ピカソ」。美術を大学で専攻した生喬らしく、蘊蓄が入る地噺風の「ピカソ」。ネタに入ると、マチスとピカソが大阪弁で喋っている、そんなご愛敬が入りつつ、結局はふざけた展開のネタです。主役の文我のネタはそそられるものばかり。ところが、今日の披露が、文我の高座で出てしまい、「五段目」を除いて、よく覚えていないのです。「蛸坊主」のマクラでは、落語の生い立ちを話していて、そのまま大道芸人が出てきたような、そうでないような、、、。そこへ生臭坊主が出てきてだったような、、、? 大ネタ「菊江仏壇」は、ホントに久しぶりの遭遇。笑えない展開だけに、手がける人の少ない大ネタ。冒頭に、難しい独白があります。なんか絶望的な語りでもあります。文我の描く若旦那は、感覚が狂っちゃった男、やるせないなぁと思ったところでダウン。「五段目」は、今まで出逢えそうで出逢えてなかったネタ。「忠臣蔵」の「五段目」を扱った素人芝居を地噺風にするネタだったのですね。ですから、芝居ネタだけど、噺家が芝居をしてみせるという芝居噺ではありませんでした。とまあ、疲労が睡眠を誘発するという悪循環、今日も、それが繰り返されてしまいました。




2013年 11月 27日(水)午後 11時 52分

 今日も、目一杯の仕事。ウォーキングを、日に2回はしただろうの雰囲気です。最近疲れると、すぐに眠たくなるので、いろいろと差し支えが出てきます。夜遊びに行くのが、かなりきつくなってきているのです。でも出かけて行くのは、一つの性なのでしょうか。今夜は、玉造の「サンクス・ホール」であった「猫間川寄席」に行ってまいりました。文我プロデュースの会で、珍品を聴ける楽しみのある会です。その番組は、次のようなものでした。紫「刀屋丁稚」、生喬「茶目八」、文我「算段の平兵衛」、(中入り)、三歩「新口入屋」、文我「追炊」。紫は、文我夫妻と会ったのが、今日初めてとか。「刀屋丁稚」という珍品をネタにしていることで、声がかかったのでしょう。「刀屋丁稚」は、五郎兵衛の音源が残っているようで、それで覚えたと言ってました。「平林」に似た噺。丁稚が判らなくなかるのが、刀の呼び方みたい。みたいと書かねばならない判りにくさがあるのです。ま、「平林」が残るわけです。生喬は、今朝の新聞で報道されていましたが、今年の繁昌亭大賞を受賞。確かに、今一番のってる噺家さん。とっても妥当な選考でしょう。「茶目八」は、最近聴く機会が、ホントに少ない。演じ手が少ないということでしょう。幇間ものですが、盗み癖を逆手にとるという噺の性格から嫌われるのでしょうか。文我の一つ目は「算段の平兵衛」。ところが、ネタに入ったあたりでダウン。今日の疲れからすると、よくぞここだけで済んだものですが、ネタの後半をするか、興味があっただけに残念なこととなりました。三歩の「新口入屋」は落語ではありませんでした。三歩が得意としている口にものを入れる芸を、このように名付けただけでした。文我の二つ目「追炊」は、その存在すら知らなかった珍品。ご飯が足りなくなったため追炊を求める主人に対し、寒い冬のことゆえ、追炊をしぶる飯炊きの権助との、「炊く」「炊かない」のやり取りだけと言うとまとめ過ぎかもしれませんが、一宿一飯を求める男が飛び込んできたところから、短い芝居噺となり、将門が何人もの幻となるところから、追炊の大変さをぼやく権助の言葉で下げとなるというものでした。構造が単純な噺だったもので、珍品を聴いたなという程度の印象だけが残りました。落語会の途中から、かなりの激しい雨。見事に天気予報が大当りでした。




2013年 11月 26日(火)午後 10時 28分

  大阪府寝屋川市(42)〜門真市(45)

 今日は、昨日までに比べて冷え込んだのだが、いいお天気。午前中は持ち帰り仕事をしたり、冬の旅行の準備。1日24時間では、とてもじゃないが足りない慌ただしさ。気がつくと飛行機の中でしょう。午後2時をメドにお出かけ。ウォーキングを始めるぎりぎりの時間です。今日は、久しぶりに寝屋川市内を出発地に選んでみました。そのコースの詳細は、次のようなものでした。京阪「香里園」駅〜寝屋川市立西北体育館〜寝屋川市立北小学校〜寝屋川寿郵便局〜宮前橋〜若宮八幡宮〜寝屋川石津南郵便局〜池田1号公園〜寝屋川市立池田小学校〜寝屋川市立エスポアール・ホール〜寝屋川市立成美小学校〜寝屋川清水郵便局〜神田保育園〜神田天満宮〜寝屋川市立第五中学校〜寝屋川神田郵便局〜大阪国際学園〜京阪「大和田」駅〜京阪「古川橋」駅。京阪沿線からあまり離れないようにしたコースです。「寝屋川市」駅からだと、わりと時間の感覚が解るのですが、一駅違うだけで、いっぺんにずれてしまいます。特に、この間は長いので時間をうまく読めないのです。おまけに、あやしげな地図しかなく、しかも道がやたらと複雑。間違いやすくというマイナス点もあり、いつも悩みながら歩くことが多いという記憶から、でくるだけ無難な道をチョイス。気がつくと、えらく「寝屋川市」駅に近いところを歩いていました。さりとて大日方向に向かい歩いていくのは、無謀なように思え、「神田天満宮」の東側の道を南進すると「萱島」駅にぶつかる道でした。確かに初めて通る道で、これで、この辺りの距離感が出てきました。あとは、今までウォーキングで一番歩いた道かもしれない「大阪国際学園」の前の道を歩き、「大和田」駅へ、更に時間があったので、少し迂回しながら「古川橋」駅へ向かいました。
 「古川橋」から「京橋」に移動。今日は、こちらで時間調整。場所的には便利なのですが、こちらのネットカフェのパソコンは、わりかしくたびれているので、できたら他の場所にしたいのですが、あとのことを考えると仕方ありません。そして夜は、「天満橋」経由で「谷六」に移動。「薬業記念会館」で毎月続いている「旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。「紀伊国屋文左衛門(大団円)〜一期の栄華は夢の如し〜」というのが、今月の副題です。来月は、オペラ紀行の真っ最中ですのでお休み。ということは、今日で、この会は、自分的には今年最後となりました。ちょうどうまい具合に、この間読み続けられてきた「紀伊国屋文左衛門」も、今日が最終回。グッドタイミングです。ですが、序盤に明暦の大火で、紀伊国屋が儲ける話が、ちょこっと出てはきましたが、それとて、番頭が伊達家の奉行(上位の家老)の原田甲斐と出会うきっかけを得るための前説的エピソードといった感じ。「原田甲斐」って、どこかで聴いた名前と思っていたら、進行に伴って、黄紺にも判ってきました。「伊達騒動」の主役です。ですから、今日は「伊達騒動」の顛末が読まれたと言っても、決して過言ではありません。伊達家三代の伊達某が、吉原の傾城高尾にうつつをぬかし、高尾は高尾で島田十三郎に操を立てるということで、伊達家三代はご乱心という筋書き。それを見透かしたように、原田甲斐がお家乗っ取りを企むというもの。その話の狂言回しとして、紀伊国屋の関係者が顔を出すというもの。文左衛門は、最後は、儲けた金をばら蒔き、生国に下っていき、家族、昔の仲間と再会するというもので、今日の最終回は、正直言って、「紀伊国屋文左衛門」の物語としては、別になかっても、いいところ。南海さんが言うには、登場人物や実際の事件も、時代がバラバラだとか。一つの物語が作られるときに、おもしろおかしく繋ぎあわせられたようです。ということで、やはりおもしろいのは、有名なところだということが、よ〜く解りました。




2013年 11月 25日(月)午後 11時 38分

 過密な月曜日。詰めて詰めて働いて、ウォーキングを日に2回したくらいのお疲れ。勤務時間が終わると、そのままごろっと、その場に横になりたい気分。ぼちぼち頃合いの時期に来てしまってるのかもしれません。そないに疲れているのに、今夜は繁昌亭。今夜は「天神寄席」の日。毎月25日は、その名で繁昌亭主催の落語会が行われています。今日は「秋に聴くアキないのネタ!!アキないヘタネタ特集」という副題が付いていたのですが、その意味は理解できていないのですが、とにかく「百年目」が出るということで行ってまいりました。演者の米団治は、襲名披露で、このネタを出していますので、一度は聴いておきたいと思っていたのが、運良く遭遇機会が訪れたというわけです。その番組は、次のようなものでした。ちきん「煮売屋」、ちょうば「猫の茶碗」、枝三郎「夢の皮財布」、(中入り)、うさぎ「みかん屋」、米団治「百年目」。ちきんの落語を聴くのは初めて。きん枝の弟子です。ということで、やはり先代の音源から覚えたなの口調があり、ちょっと懐かしい気持ち。洒落言葉のところから入りました。ちょうばの「猫の茶碗」は初めて。四国の寺に道具を道行った帰りに、バス停の前の茶店で、件の茶碗に出逢うとなっていました。この流れが定番なのでしょうか。最近は、東京でよく聴くので、設定が混乱しています。「夢の皮財布」は、東京の「芝浜」の移植。「芝」という地名を、大阪に移すと使えないので「夢の皮財布」を使うことが多いようです。枝三郎は、客席の反応が鈍いので、いろいろといじり倒すのですが、どうも外ればかり。落語のマニアックないじりをしようとするものですから解らないし、「芝浜」の雰囲気を削いでしまってました。そないに思ったまでは覚えてはいるのですが、気がつくとダウンしてました。今日の体調を考えると、ここだけというのは、なかなか優れものです。こないな言い方をして申し訳ないのですが、うさぎには期待してたわけではなかったのですが、聴きやすく解りやすくって感じで、ちょっと客席もほぐれた感じがしました。米団治は、マクラで米朝話。これができるのが強み。肝心の「百年目」は、登場人物が誰も彼も若い。旦さん自身まで若い。ようやく最後の諭す場面で落ち着きました。実際の米団治の年齢からすると、なんでこないに若い「百年目」ができるのかが不思議に思えてきました。喜怒哀楽が大きく、身体も動く、やはり若いのです。そういった意味でこってり系の口演。あっさり系の口演も聴いてみたくなりました。




2013年 11月 24日(日)午後 10時 28分

  大阪府守口市(65)〜大阪市旭区、東淀川区

   今日は、とってもいい秋晴れ。絶好のウォーキング日和でした。ですから、昼間に落語会に行っている場合ではありません。今日は、午後1時をメドにお出かけ。まずウォーキングです。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。京阪「滝井」駅〜今市公園〜大阪市立大宮小学校〜大宮ふれあい公園〜城北公園〜菅原城北大橋〜北淀公園〜大阪府立北淀高校〜豊里三角公園〜大阪市立豊新小学校〜春日神社〜新庄公園〜吹田大阪祭典〜阪急「下新庄」駅〜大阪市立下新庄小学校〜阪急「北陽」踏切〜東淀川菅原七郵便局〜JR「じょうとう033」橋梁〜阪急「淡路」駅〜柴島浄水場〜阪急「学童」踏切〜阪急「柴島」駅。今日の狙いは城北公園。毎年、この時期に、公園内で「菊花展」が開かれているので、城北公園に行くことにしています。そのために組んだ今日のコースだったのですが、行ってみて愕然。入口に「終了」の看板が掛かっていました。ちょっと遅かったみたい。まだ入口の前には、菊が据えられていましたから。毎年見ていたのが途絶えてしまいました。気を取り直して菅原城北大橋を渡り、東淀川区内へ。今日は、「上新庄」駅から「下新庄」駅に回り、そこからは南下。できれば「柴島」駅、無理なら「淡路」駅へ行こうと定めていました。更に時間が余るようだったら「崇禅寺」駅を大回りをして「柴島」駅へ向かうことまで考えていたのですが、そこまでの余裕は生まれませんでした。「崇禅寺」駅だけは、あとのことを考えると終点にすることはできなかったのです。今、「淡路」から「柴島」へ向かう線路は高架にするようで、工事中で道が分かりにくくなっています。そういうときは歩いている人に聞くに限ります。そんなで無事に「柴島」に到着。計ったようにジャスト2時間のウォーキングでした。
 「柴島」から二駅移動して「扇町」へ。駅近くのネットカフェで、今日は時間調整。時々使うネットカフェです。そして夜は繁昌亭へ。今夜は「笑福亭笑助独演会」がありました。笑瓶唯一の弟子で、もう17年になると言ってましたが、笑瓶自身は落語をしませんし、笑助自身も、最初は落語をするために弟子入りしたという感じではなかったはずが、10年近く経ってから落語を本格的に始めたという変わり種。始めた頃を覚えていますが、形になりえていなかったのが、その後の上達が心地よく、まともな落語を聴くのが楽しみになってきていたところへ、今回の独演会ということで、早々とチケットを買ってありました。その番組は、次のようなものでした。三語「桃太郎」、笑助「寄合酒」、豊来家玉之助「太神楽」、笑助「金閣寺」、(中入り)、小枝「くっしゃみ講釈」、笑助「尻餅」。前座の三語を、今日も気に入ってしまいました。体育会系宴会係的であり、且つす語り口がいいのです。独演会の一席目は、挨拶がてら自己PR、雰囲気作りが肝心。笑助は、初めての独演会ということで緊張気味。客席も、変な感じの客ばっかで、恐らく実家の関係で来ていそうな人ばかりという感じだったもので、本人さんは、余計に緊張したのでしょうね。なんか、わけの分からないマクラを喋っていました。こんなの明日の東京でやったら、客席、どんびきです。聴いていて、ネタに入ってくれてホッとしました。ところが、心地良いリズムに接すると、「寄合酒」の後半はうとうと。ウォーキング疲れが取れてなかったようです。玉之助は獅子舞までサービス。笑助の二席目は、自作の「金閣寺」。袴をはいて出てきたわりには、軽い地噺。金閣寺を美の極致として、いろいろとつつくというもの。そんなにむりしなくてもいいのにというのが正直なところ。色合いの変わった古典を聴かせて欲しかったなというのが正直なところ。ゲストは小枝。でも、「くっしゃみ」でした。以前に比べて流暢になりすぎたため、前のめり感が出てしまいました。そして、講釈場には米朝・米団治親子がいました。これは、小枝スペシャル。笑助の最後は「尻餅」。季節ネタなため久しぶりに聴けましたが、大阪らしい大ネタです。芸達者なおやっさんをばっちり、笑助はやりおえました。これだけの力があるのだから、ホント余計なことしない方が、より良かったですね。




2013年 11月 24日(日)午前 6時 53分

  大阪市内遊歩(183)

 この3連休は、この土日にウォーキングを入れようと、昨日は、ちょっと朝から入れ込みがち。9時をメドにお出かけして、早速にウォーキングを敢行。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。京阪「京橋」駅〜北橋〜大阪ビジネスパーク〜大阪城公園〜大阪城ホール〜広小路公園〜大阪市立聴覚特別支援学校〜大阪府立清水谷高校〜大阪市立高津中学校〜大阪南郵便局城南寺町分室〜東高津公園〜天王寺石ヶ辻郵便局〜石ヶ辻公園・清風学園〜上宮学園〜大阪警察病院〜久保神社〜寺田町公園〜河堀稲生神社〜大道北公園〜稲生公園〜天王寺幼稚園〜大阪教育大学天王寺キャンパス〜日本キリスト教団大阪大道教会〜JR環状線「寺田町」駅〜「源ヶ崎」交差点〜高松公園・大阪市立高松小学校〜「かんじょう070」橋梁〜地下鉄「天王寺」駅。振り返っても、このコースで2時間かかるとはびっくりです。やはり、こってりではないのですが、大阪城公園に入ると、自ずと時間がかかってしまうみたい。それ以外は、時間のかかる要素は見当たりません。ただ、「寺田町」駅に出るときにミスをおかし、気がつくと「天王寺」駅方向に出ていました。狙いは、「寺田町」駅を越え生野区内をぐるぐる回ろうというものだけだっただけに、完全に見込み違い。最後は、「源ヶ崎」交差点から「高松」交差点に回り、環状線づたいに「天王寺」駅に着くと、ジャスト2時間でした。
 「天王寺」から「難波」に移動。いつもとは違う千日前のネットカフェで時間調整。いつものネットカフェには、このあとにお世話になります。時間調整のあと行ったのは「徳徳亭」。今日の午後は、こちらで「第26回なんせいの講談格闘中!」があったのです。その番組は次のようなものでした。南斗「名月松阪城」、南青「山崎合戦」。「名月松阪城」は、演者に人気ネタなのか、扱う人の多いもの。南斗くんも、こないなネタをするようになったのかと思うと感慨無量。南青くんは「山崎合戦」と題して、本能寺の変から山崎合戦、明智光秀の死までを読んでくれました。ところが、せっかくに講談を聴く前にネットカフェで休息をとったにも拘わらず、居眠りが出てしまい、記憶は飛び飛び。どうやらウォーキング疲れというよりは、睡眠時間3時間では、どうしようもなかったみたいです。ですから、その中で覚えていることを、若干だけ記しておきます。本能寺の変は、有名な蘭丸による打擲から始まりました。山崎合戦は先陣争いが中心、そして、光秀の死をもたらした小栗栖の男が褒美をもらいに行くと、それを哀れんだ秀吉が、その男を斬り捨てるというもの。この最後の展開は初めてかな? 合戦も、戦いそのものをやって欲しかったなの気がしました。でも、そう思ったのは、黄紺の知らない間に通り過ぎてしまってたかもしれませんが。そんなで自分的に悔いがいっぱいの会でした。
 「徳徳亭」を出ると、今度はいつものネットカフェで時間調整。夜は、久しぶりに「イスタンブール・コナック」でアイシェ・ハヌムと会食。わりかしラクを呑んだみたいで、帰りの電車で熟睡をしてしまい、帰宅すると携帯がない。すっかり酔いが覚めてしまいました。幸い電車の中に落ちていたのが見つかり大事には至りませんでした。




2013年 11月 22日(金)午後 11時 53分

 昨日は、まっすぐ帰宅。そして、今日は浪曲の日。午後1時開演の「上方演芸特選会」に行くため、午前中のお出かけは自重。持ち帰り仕事なんかをやっていました。そして、11時半をメドにお出かけ。「上方演芸特選会」は国立文楽劇場で定期的に行われている会。「一心寺門前浪曲寄席」以外で定期的に浪曲に接することのできる貴重な場です。今日は、小円嬢が出るということでしたので外せません。天使「子ほめ」、真山誠太郎(真山裕子)「刃傷松の廊下」、南北「鼓ヶ滝」、上純一「サウンドコピー」、(中入り)、文昇「大安売り」、京山小円嬢(岡本貞子)「壺阪霊元記」、暁照雄・光雄「漫才」。今席は、天使と治門が交代で、前座と鳴り物を担当。「子ほめ」は、伊勢屋の番頭カットの短縮版でした。真山誠太郎「刃傷松の廊下」ということでがっくり。よく出会うネタだったからです。南北さんは、営業ヴァージョンじゃないかと思うくらい、たっぷりと笑いの入った「鼓ヶ滝」。噺家さんの中にも、講談から拝借してネタにしている人もいますが、そんなのよりか遥かに笑いを追求したものになっていました。上純一って、名前が全く判りませんでした。ですが、中トリという重い扱いに、頭が混乱していたのですが、「トリオ・ザ・ミミック」の生き残りでした。そりゃ扱いが大きいはずです。従って、「サウンドコピー」というのは「物まね」。冒頭で、「トリオ・ザ・ミミック」を思い出してもらうために、財津一郎をやってくれました。めっちゃ懐かしいパフォーマンスです。文昇は、ひょうひょうといつもながらマイペースのマクラ。この人のマクラは、ちょっと枯れた感じで、わりかし好きな黄紺です。マクラが長かった分、ネタは短めの「大安売り」。決まり手に、内がけの外がけかけ返しが出てこないで替わりのものが用意されていたのですが、思い出せない、、、。京山小円嬢も「壺阪霊元記」と、最近聴いたばかりで外れでした。ま、浪曲は、ネタの数そのものが少ないものですから、どうしても、こうしたことが起こっちゃいます。そして、トリは暁照雄・光雄の漫才。暁照雄が、えらく小ぶりに見えてしまいました。ひょっとしたら、光雄が大きくなったからかもしれませんが。昨年だか一昨年だかに、この会で聴いていますので2回目となるのかな。以前に聴いているかもしれないのですが。中入りに、東京から来られていた社会人講釈師の方からお声をかけていただき、ちょうど横を通られた大阪の演芸通の方と3人で立ち話。お二人は、今夜は「南鱗独演会」に行くと言われてました。
 文楽劇場では、文楽解説をされている海舟氏にご挨拶。先日の金曜日に文楽劇場に行ったときもお見かけしたのですが、そのときは、第一部終了直後だったもので、お仕事の真っ最中だったため、お声がけしないで失礼したのですが、「演芸会」終了後には展示室に寄られる方はまれなもので、今日は、ちょこっとお話しすることができました。劇場を出てからは、ちょっとだけ買い物をしてから、いつもの千日前のネットカフェで時間調整。そして夜は、すぐ近くの「トリイホール」であった「浪花ぶしの会」に行ってまいりました。これは、「幸いってん本格的舞台復帰」と銘打った記念の会。やはり幸いってんの復帰ということで、支援者が多数詰めかけました。恐らくそうなるだろうと、ぎりぎりに入場。その番組は、次のようなものでした。幸いってん・京山幸枝若「挨拶」、京山幸枝若(一風亭初月)「掛川宿、甚五郎と狩野探幽」、春野恵子(一風亭初月)「両国夫婦花火」、幸いってん(沢村さくら・藤初雪)「会津の小鉄〜文治の京帰り〜」。幸枝若がトップと知って、びっくり。だけど、ちょっと考えて納得。やはり主役はいってんですから、その前に、幸枝若で湧かせられてしまうとやりにくかろうという配慮でしょう。とまあ、そないなことが解ると納得です。案の定、幸枝若はもう全開状態。ネタは、素性を隠しての旅物語でおもしろい甚五郎に加えて、もう一人、同じような人物(探幽)が出てくるものだから、倍以上のおもしろさになっちゃいました。春野恵子は友情出演。「両国夫婦花火」は、恵子さんの持ちネタでは好きなもの。玉屋の娘と恋仲になり結婚しながら、放蕩を繰り返し家を飛び出した鍵屋の跡取り。心を入れ替え大玉の花火を抱えて戻ってくるところから始まります。それを認めるに認められない鍵屋の主人。その間を取り持つのが、跡取りの嫁であり玉屋の娘。そして、恐らく蓄電中に技術の手ほどきまでしただろう玉屋の懐の深さ。今まで何度か聴いていたのですが、玉屋のキャラを変えていました。落ち着いたキャラというより、陽性の物わかりの良さげなキャラとなっていました。落ち着いたキャラは、確かに玉屋の大きさを出すのですが、ちょっと嫌味になると考えたのかな、恵子さん。主役のいってんは、沢村さくら&藤初雪の二丁三味線で、「京山幸枝家のお家芸」と断り「会津の小鉄」。ここで、「会津の小鉄」を出すというのは、訴えるものがあります。いってんの最高の心意気です。ところが、いってんのいい口演にも拘わらず、ネタの進行に伴い、黄紺の頭には「?」が点灯。基本的に、侠客もの好きですが、「仁義」という言葉からずれた進行は「侠客」とは言い難くなります。今回の主役文治は、会津の小鉄の仲介で死罪を逃れながら、嫁を奪ったのが小鉄一家の男だからといって、小鉄そのものに恨みが向かうのか解らないのです。しかも、小鉄は、問題の男を一家に留めたのも文治を考えてのもの。侠客ものがおもしろいのは、その辺の筋にこだわるところ。それにこだわらなければ、今どきのヤクザと同じです。今まで、何度か「会津の小鉄」は聴いてきたのですが、こないな感想を持ったのは初めて。最初は、いってんが間違ったのではないかと思うほどの展開でした。でも、そうじゃなかった。




2013年 11月 20日(水)午後 11時 17分

 昨夜は、あまり眠れなくて、夜中に、オペラのDVD(ワルキューレ)を観ていると、ますます眠れなくなってしまい、今日は、朝から目がしょぼつくは、痛いやらで、なかなか苦労の多い一日。その仕上げは、天満橋の「常磐漢方薬局」であった「第14回かつらふくまる研鑽会」。わりかし行き続けている会の一つです。その番組は、次のようなものでした。寅之輔「転失気」、福丸「雨乞い源兵衞」、「実験コーナー」、雀五郎「肝つぶし」、(中入り)、福丸「稽古屋」。寅之輔は、表情も顔も固く、まだまだこれからというところ。とりあえずは、体の力を抜いて、アンバランスな体の動きをしないところからです。そのあとの番組が、わりかしユニークな並びました。「雨乞い源兵衞」は小佐田作品。枝雀用に書いたものということで、他の一門は手掛けなくいのか、福丸で持ちネタにしている噺家を知りません。もっとも米朝一門でも少ないのですが。福丸の口演は、「猫間川寄席」以来の遭遇でした。長閑な空気感が出ていて、福丸にとってはめっけもののネタじゃないかなぁ。「肝つぶし」も演じ手がなかなか増えないネタ。そないな中で、雀五郎が名乗りを上げてくれました。「動楽亭昼席」で出したのだったかなぁ? 「高津落語研究会」で出すので聴きに行こうと思っていたところ、その直前に出たので、あとになった「高津落語研究会」を止めた記憶があります。長い夢を見る頼りなさげな雰囲気が、何やしら雀五郎のキャラにかぶるようで、なかなかグー。夢の話を聞かされる男の興奮のボルテージが上がるのがおかしいですね。終盤に緊張感が更に高まると、より心地よい下げが待っているはずです。福丸の二席目は「稽古屋」。「色事根問」は「四芸」の、しかも、「ホタル踊り」だけが残されていました。すぐに稽古屋に赴き、アホたんなやり取りをしたあと、「芸は指南の他でおますがな」でおとすやり方。このネタでは、一番短いヴァージョンど言えるもの。ただ、稽古屋に行ってからのやりとりになったあたりでダウン。お囃子とのやりとりが、最上級の難しさを要求されるだけに、きっちりと聴いておきたかったのですが、あえなくパスしちゃいました。今日は、落語を聴くには最悪のコンディションだっただけは間違いありませんでした。




2013年 11月 19日(火)午後 11時 17分

  大阪府門真市(44)〜守口市(64)〜大阪市鶴見区、城東区、都島区

   昨夜から冷え込みがきつくなりました。と言っても、この間が、ちょっと暖か過ぎましたね。その昨夜は、まっすぐ帰宅。夜遊びなしの日でした。今日も、午後に予定していたことをカット。替わりに、午前中に時間を確保して、持ち帰り仕事をしたり、オペラのDVDを観て過ごしていました。そして、お出かけは1時半までにということで、ウォーキングに向かいました。夜は予定通り、落語会に行くつもりをしていたので、出発点を、「門真市」駅と定め、秋深まる「鶴見緑地」を目指すことにしました。そのコースの詳細は、次のようなものでした。京阪「門真市」駅〜京阪バス「東郷通」停留所〜鶴見緑地〜大阪鶴見五郵便局〜だんじり会館〜今福北橋〜鯰江公園〜城東消防署〜大阪府なにわ東府税事務所〜城東年金事務所〜琉球食堂「magara」〜韓国料理店「韓non」〜大阪市立聖賢小学校〜京阪「京橋」駅。かなり紅葉が進んでいました。一番きれいに色づいてると思ったのは、「カナダ・オンタリオ州」庭園と「ロシア」庭園辺りかな。もっとも一部しか回っていませんから、銀杏の多いところなんかは、もっと色づいているかもしれません。ただ、鶴見緑地の手前で雨が降り、すぐには止んだのですが、鶴見緑地を歩いているあたりは、どんよりとした色合いだったものですから、色づいた葉っぱも、あまり冴えた色合いに見えなかったのが惜しまれます。鶴見緑地を出たのが、歩き始めてちょうど1時間を経過したあたり。今日は、そのあとは西を目指しました。野江駅を目指して一直線のつもりだったのが、城北川で挫折。ちょっとぎざぎざに歩き聖賢小学校へ。あとは、勝手知ったる道を京橋に向かい、ジャスト2時間で到着しました。
 「京橋」から「北浜」経由で「日本橋」へ移動。今日も、おなじみの千日前のネットカフェで時間調整。ウォーキングで、今日はかなり疲れてしまい、ぐったり状態。いい休憩時間となりました。そして、夜は、道頓堀の「ZAZA」であった「太郎寄席」に行ってまいりました。今日の主役は文三ということで、文三の落語は、ちょっと間が開いたかなということで、楽しみにして出かけて行きました。その番組は、次のようなものでした。三語「色事根問」、文三「親子酒」、(中入り)、文三「みかん屋」「はてなの茶碗」。三語は初めての遭遇。亀田興毅似のサッカー小僧。現文枝門下で「色事根問」をするのは珍しいのじゃないかな。ましてや、彼くらいのキャリアで。まだまだ荒削りだけど、アホが、とっても可愛い。先が楽しみと看ました。主役の文三は三席。「太郎寄席」で、主役が三席ってあったかなぁの感じです。文三曰く、「自分がやりたい噺を三席やらせてもらいます」「師匠も、晩年まで独演会で三席やってました」、自分の意志での三席と言いたかったようです。一番軽い噺の「みかん屋」を中入り明けに持ってきたのはいいのですが、この噺、わりかし長い。トリには、何を持ってくるのかと思っていたら、「はてなの茶碗」で納得。立派なトリネタだけど、そんなには長くないからです。どれもこれも出来栄えとしては、超一流と思ったので、気に入った順を書くとすると、出たとは逆の順かな。散々聴いたネタの中でも、最近は「はてなの茶碗」が出ると、「またか」と思い、そのちょっと当て外れ感のまま、時間が過ぎて行ってしまうことがほとんどですが、今日は違いました。とにかく茶金さんがいいのでしょうね。品格とか違った、いや品格があるから出てくる慈愛のある優しい眼差しというものが、文三の描く茶金さんにはあるのでしょうね。ですから、「みかん屋」のアホのように、油屋がはしゃいではしゃいでしても、嫌な感じがしないところが、そんなのも多い尽くす何か、それを、慈愛とか優しさと書いてしまいましたが、そんなのがあるのが良かったのだと思います。「みかん屋」のアホと「親子酒」の息子とを比べた場合、それぞれの独り言の場面の違いに、自分的好みが出てしまったと思います。独り言になると、その周辺で使われている言葉使いと違ったテイストになってしまっていると感じました。いやむしろ文三的演出が出たところでもあり、もっと言えば、文三自身が出てしまったところと看ました。一つの考え方で、否定するつもりはないのですが、かなりの練り上げの必要性を感じてしまったことは事実です。ですから、ひょっとしたら、数年先に、この二つのネタを聴けば、進化の可能性はかなりあるなの予感がするところです。文三落語を、これだけたっぷりと聴いたのは、久しぶりだけだったうえ、いずれもハイレベルの口演に大満足させてもらえました。また、ネットカフェでの休息が功を奏し、ゆったりと聴けたのも大正解でした。




2013年 11月 17日(日)午後 11時 28分

  大阪市内遊歩(182)

 自分的3連休の最終日、最近、週3日勤務が、3日だけにきつく持ち帰り仕事も多く、日曜日を迎えると、朝からブルー。でも、いいお天気なので気を取り直して、12時をメドにお出かけ。まず、昨日に続いてのウォーキング。やっぱ、ウォーキングを続けることで、ここまで体調維持してきたことを思い、最優先順位を付けるようになっています。そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜インド料理店「chachu」〜坐摩神社〜韓国料理店「家族亭」〜新町西公園〜西区役所〜土佐稲荷神社〜大阪市立西高校〜日吉公園〜日吉橋〜大正橋〜岩崎橋〜大阪府立市岡高校・大阪市立市岡東中学校〜市岡元町公園〜三社神社〜磯路中央公園〜大阪港郵便局〜みなと幼稚園〜大阪市立市岡小学校〜尻無大橋〜大阪市立中泉尾小学校〜大阪市立泉尾北小学校〜イズオ商店街〜泉尾上公園〜大阪市バス「三軒屋」停留所。想定通り、「大正橋」までが、ほぼ1時間。それから、今日は港区の方に入りました。午後の予定を考えると、「難波」に出なければならないということで、移動がスムーズな大正区に戻ってきた方が賢明と、「弁天町」駅に出る手前で引き返す準備。「三社神社」に、前回行ったのは、夏祭りをやってるときじゃないかと思い行ったときだから、4ヶ月前になります。そのあと、「イスタンブール・コナック」に行き、入籍前の息子夫婦と食事をともにしたので、よく覚えています。そう言えば、この秋は、ウォーキング中に秋祭りとは、一度も遭遇していません。ウォーキングを始めた頃は、いいお天気だったのが、時間の経過とともに曇り空に。でも、今日は暖かな一日でした。おかげで、かなり汗をかいてしまいました。尻無川を越えると、今日は、じくざぐの最短距離を歩いて「大正」駅方向を目指しました。途中「三軒屋」のバス停に、すぐにバスが来そうだったので終了。所要時間1時間57分のウォーキングでした。
 ウォーキングが終わると、大阪市バスで「難波」に移動。今日も、千日前のネットカフェで時間調整をしていました。ウォーキングの心地よい疲れが、あまりとれないまま「文楽劇場」へ。今日は、一昨日観た「伊賀越道中双六」の後半「藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳、竹藪の段、岡崎の段、伏見北国屋の段、伊賀上野敵討の段」を観ました。「忠臣蔵」もそうですが、こうした「仇討ち」ものは、目的に向かって進んでいく経過を辿るのではなく、この狂言だったら、「仇の在処探し」というプロットを、幾つかの角度から切り取ったエピソード集から成り立っていると言えば、いいのかな。そのエピソードを、いかにおもしろく紡ぎ出せるかが、ヒットをするか否かの分かれ道なのでしょうね。前半の剣術指南役をめぐる政右衛門と桜田林左衛門との確執は、あとの両者の因縁の下地にもなるエピソードですし、「沼津里の段」の、平作と十兵衞親子の悲しい別れのエピソードは、中でも白眉ですが、「伏見北国屋の段」の下地にもなっています。この後半の目玉は「岡崎の段」、実に2時間以上を要する段。この段も「仇の在処探し」のプロットなのですが、主役の2人(政右衛門・志津馬)が、名前を偽って出てきたり、政右衛門が旧師と再会したり、政右衛門の女房お谷が訪ねてきたりと、小ネタのてんこ盛り。そして出ました。文楽らしく、呆気なく父親が息子を手にかけます。このエピソードにもってくるまでにネタふりも十分。お袖と志津馬との出会いも、その一つですが、これが、チャリ場っぽい。お袖が茶店で働いているということで、様々な「茶尽くし」が行き届いている。「藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳」です。「茶の種類」からの「茶尽くし」から始まり、「お茶屋」に「茶」が入るからと「お茶屋」の名前を並べるかと思うと、「茶柱」が縁起がいいからと、三河万歳は「寿柱立」とし、「柱尽くし」をすることで「茶」を意識させている。言葉遊びいっぱい。そんなのもあり〜で、文楽って生きてきたのだなということを実感できました。そして、最後は、呆気なく仇討ち場面。これも定番ですね。この場面を観るのではなく、この場面にインスパイアされたエピソード集ってところですね。しかも、通しで観ると、ネタふりなんかも見えてきておもしろいんだな、これが。




2013年 11月 16日(土)午後 10時 33分

  大阪府吹田市(4)〜摂津市(4)〜茨木市(3)

 今日は、長閑で暖かないい日和です。お出かけは11時が目安。国立民族学博物館での講演会「民博ゼミナール」に行ってまいりました。今日は、いつもの茨木市駅経由ではなく門真市駅経由で行ってみました。自分的には、こちらの方が、運賃的にはお安くなるのですが、時間がかかり過ぎ。やっぱ茨木経由に戻すことになるのでしょうね。で、今日のテーマは「台湾平埔族の歴史と文化」でした。前回、ゼミナールに来たときに、常設展に入ったのですが、ちょうど今、常設展の一部に設置されている企画展として同名の展示が行われていました。ですから、今日のゼミナールも、この企画展に合わせて開かれたものでした。ところが、最近ダメですね。講演を聴いていて、知らない間に居眠り。ですから、冒頭の、台湾在住の諸民族の分類くらいしか記憶には残ってないのですが、これが、わりかし大切なこと。それと、企画展を観たときの記憶とを結んでメモっておきたいと思います。台湾在住の民族は、4つのグループに分類され、オーストロネシア系に入るどころか、そのルーツとされる「原住民族」、この人たちは、台湾土着の人たちである。それに、本来は漢民族に入る人たちだが、中国大陸から渡って来た人たちである「びん南人(福建)」と「客家人(福建から広東)」、それに、戦後、国民党とともに台湾に入った「外省人」との4グループとなる。この分類の中で、講師の野林厚志氏は、「原住民族」がオーストロネシアのルーツとすることについては、自分は異論があると言われていたこと。数年前には、海を渡った民とかなんとかというテーマで、民博で特別展が組まれたときには、この問題が大きく取り上げられていたこともあり、今や定説化したものと思っていたのですが、そうではなかったのですね。ところで4グループの中には、肝心の「平埔族」が出てきません。「平埔族」というのは、「」の中で漢化が著しく進んでしまった人たちのことを言うようです。民族らしさというものが稀薄だということで、分類からも外されてしまった人たち。企画展では、「分類からも外されている」ことを実証的に示すために、オランダ時代の史料や日本統治時代の史料を使っていました。恐らく、黄紺が居眠りをしている間に、その辺りの話もあったのでしょうね。ところが、1980年代になり、彼らが民族性を取り戻す運動が高まり、一躍注目されるようになったということも、企画展で仕入れた知識。実は、ここが一番そそられたところで、なぜ、この時期に、そうした復権運動が高まったのか、民族性が稀薄だとされてきた「平埔族」の意識の変化、いやもっと気になるのは、「稀薄だ」とされてきたこと事態に、なにやら背景があるのか、ないのか、そないなところを知れる楽しみで行ったわけでしたが、結果は、あまりに無残なこととなってしまいました。
 「民博ゼミナール」が終わると、民博の前から直ちにウォーキングに移行。わりかし暖かく、いいウォーキング日和でした。そのコースの詳細は、次のようになりました。国立民族学博物館〜万博記念公園〜モノレール「万博記念公園」駅〜伊射奈岐神社〜吹田山田郵便局〜「山田市場」交差点〜下大神木橋〜インド・ネパール・チベット料理店「マナカマナ」〜JR東海道線「千里丘」駅〜摂津市立三宅スポーツセンター〜井於神社〜長曽橋〜大阪府立摂津高校〜摂津市立第三中学校〜モノレール「摂津」駅。今日は、万博記念公園が無料開放デイ。それに気がついたのが、公園東口前の看板を見たとき。そこで気がつくなら、民博の前で気がついておれば、もっと簡単に万博関係から離れられたのにと思っても後の祭り。おかげで普段通ったことのない公園内部を歩くことができました。今日は、山田の古い集落を抜けたら「千里丘」を目指そうという試み。存外、名神高速道路の下を潜ってから時間はかからず、狙いのモノレール駅に向かうことができました。井於神社なんて行くと遠回りになるのですが、これもクリア。普段歩かない地域のわりには、狙い通りのコース取りができ、とっても満足です。
 ウォーキングの終点「摂津」から「門真市」経由で「京橋」に移動。こちらのネットカフェで、今日は時間調整。そして、夜は「大阪芸術創造館」で「ピンク地底人」の公演「家電の王子さま」を観てまいりました。「ピンク地底人」は、以前、京都で公演を観たことがあり、わりかし好印象を持った劇団。その再会が、今度は大阪でとなりました。ところが、今日は、見事に裏切られてしまいました。最初に、今日の芝居を観ていたとしたら、まあ、2度目は行かなかったでしょうね、という出来でした。変な設定でした。舞台には家電製品が、あちこちに置かれています。そして、それらの家電製品が喋るのです。それぞれの家電製品にスピーカーが仕込まれており、家電製品が喋るようにしてあるところは目新しいのですが、筋立てからして、なんで家電製品に喋らせなければならないのかが解らないのです。子どもの成長というわりかし普通のテーマを表すために、子どもの母親を冷蔵庫にし、街には人がいなくて家電製品ばかりという設定にしてるだけというもの。奇をてらえばいいってものじゃないという典型例じゃないかなぁ。




2013年 11月 16日(土)午前 0時 21分

 今日は、夜半から雨。傘を持ってのお出かけ。但し、今日は、時間の都合で、ウォーキングは予定してなかったので助かりました。で、お出かけ先は「文楽劇場」。この週末は、11月の文楽公演の両方を観ようとの魂胆です。今月は、「伊賀越道中双六」通しが出ているのです。今日は、その前半部分。「和田行家屋敷の段、円覚寺の段、唐木政右衛門屋敷の段、誉田家大広間の段、沼津里の段、平作内の段、千本松原の段」が出ました。「伊賀越道中双六」は、三大仇討ちの一つ、荒木又右衛門の物語。劇中では、荒木又右衛門は唐木政右衛門と出てきます。悪役は、和田行家を殺し、和田家伝来の名刀を狙う沢井股五郎。それを仇と狙う和田志津馬、そして、それを助けることになる行家の娘の駆け落ち相手の唐木政右衛門。ただ、すんなりと話が進まないのがおもしろいところで、いろいろと仕掛けが施してある。志津馬が酔って刀を奪われたり、悪漢に襲われ重傷を負ったり、その傷を治すための秘薬を手に入れるための物語が用意されていたり、唐木政右衛門が妻お谷のために助太刀するための口実を作るために、お谷以外の女性を嫁に迎えたりと、手が込んでいます。抜き出しで上演頻度の高い「沼津里の段」は、志津馬の傷を治す秘薬を手に入れる話と股五郎の居場所を探り出す話がかんだ部分ですが、それに平作の生き別れの息子との再会と別れが絡む、とっても涙腺を刺激するエピソードとなっています。誉田大内記の絡む場面も、なかなかいい場面で、唐木政右衛門が仇討ちをするために、主君の元を辞去する場面ですが、それとは知らない五右衛門が、唐木政右衛門を剣術指南役に推挙することによる混乱が描かれますが、大内記はよくした主君、これだけ視野の行き届いた人物って爽やかですし、唐木政右衛門の意気込みが強調される仕掛けになっています。今日は、あまり文楽を鑑賞するには体調がよくなく、かなりの居眠り。でも、住太夫さんの圧巻の浄瑠璃に大感銘。なんか若返られた感じで、とてもじゃないけど、ほとんど90歳とは思えませんでした。涙腺刺激の犯人は、間違いなく住太夫さんです。
 文楽が終わると、ちょっとお買い物をしてから、いつもの千日前のネットカフェで時間調整。そして夜は、近くの「徳徳亭」へ。今夜は、こちらで「南湖の会〜これが難波戦記〜」がありました。会を開くのを子育てのために控え目な南湖さんの貴重な会です。その番組は、次のようなものでした。南湖「前説」、南斗「那須与一」、南湖「円山応挙」「難波戦記」。いつもは、南湖さんの一人舞台なのだが、毎回お手伝いに来てくれる南斗くんに出番を与えたと、南湖さんは言うのですが、なぜか出番は二つ目。自分で客席を暖めてから、南斗くんにバトンタッチ。冒頭の南湖さんの「前説」は、琴梅師に出番をもらって新潟まで行ってきた話と、滋賀県の小学校で講談を教えている話がされました。南斗くんのネタは、定番中の定番ネタなので割愛して、南湖さんの一つ目の「円山応挙」は、先日の「天満講談席」で出たところ。本当ならアンラッキーなところなのだが、あのときは40分ほどかかった口演のほとんどを寝てしまっていたので、再会は、かえってラッキーなところ。でも、読まれた筋立て、表現のおおまかなところは、南左衛門師のものと同じでした。もちろん口演者が違うところから生まれる味わい風味の違いはありますが。遊郭で偶然見かけた病気の花魁から親探しを頼まれ、その姿を絵に残す応挙。京都に戻ってきて、馴染みの居酒屋が借金で困ってると知り、客寄せに、その絵を基に幽霊画を提供。それがヒットして屋台骨が蘇る居酒屋。その居酒屋の主人夫婦の娘が絵姿に納められていた花魁だったということが判明するというもの。「難波戦記」の方は、どうしたのでしょうか、南湖さん。抜き読みで知られた話を繋ぎあわせて、とりとめもなく進んだという感じがしました。中には、「難波戦記」と無関係なネタを、「難波戦記」の登場人物に置き換えてのエピソードに仕上げたものがあり、これは、完全にイエローカードものです。「将棋大名」の将棋を囲碁に移し、大名を福島正典にしていました。あと思い当たる話は、後藤又兵衞が、女郎お蘭に頼まれ、仇討ち支援をするというものと、結城秀康の毒殺話が、すぐに記憶から出てきます。てなことで、バラバラ感が強く、誰の話をしているのか、なぜ、エピソード間の連関性がどうなっているのかがさっぱり解らなかったのです。後藤又兵衛の話かと思えば、塙団右衛門に、次には福島正典、徳川家康方面にも話が及び、今日は、片桐且元のことだったはずなんだがと、聴いていて目が白黒となりました。抜き読みの繋ぎだったら、会に足を運ばないのだからと、思わず突っ込みたくなっちゃいました。




2013年 11月 14日(木)午後 11時 6分

 昨日は、まっすぐの帰宅。今までだったら、南華さんの会があった日だったのですがなくなってしまったものですから、ぽっかりと空いてしまいました。
 そして、今日は、寒さが少し和らいだ一日。大助かりです。昨日、寒さで震えながら帰ったもので、今日は、一枚上着を余計にはおってのお出かけ。今から、こないな厚着をしていていいのかと思うのですが、寒いと、そうするしかありません。夜は、ちょっと間の開いた繁昌亭。今夜は「米二・染二ふたり会」がありました。珍しい組み合わせのうえ、珍しいネタも出るということで、早々と前売りチケットを買い求めてありました。その番組は、次のようなものでした。米二・染二「トークショー」、染二「手水廻し」、米二「牛ほめ」、染二「天下一浮かれの屑より」、(中入り)、米二「出歯吉」。珍しい二人の組み合わせは、ひょっとしたらと思っていた「二の会」の縁のよう。もう一人鶴二が、「二の会」ではいるのですが、こうした会は組まないのでしょうね。今日の二人は、結構落語に熱い思いを持ち続けている二人なので、こうした会が実現したものと推察しています。米二が4歳年長で、キャリア的には、米二が8年先輩だそうです。キャリアの差の割りには、年齢はさほど変わらないのではと思っていたのですが、当たっていました。今日は、客席に、新潟県から来た小学生のグループがいた関係で、先に出た染二は、落語解説を込めたマクラをふってくれました。そのため時間を使ったの意識が働いたのでしょうね、ちょっとせわしない「手水廻し」となりました。次の「牛ほめ」も、米二にしては、珍しく噛んだり、言い淀みがありました。やはり久しぶりに出す「出歯吉」に神経を使い過ぎてるの雰囲気。「紙屑屋」は、染丸一門お得意の演目。噺は単純なもので、紙屑よりのアルバイトをすることになった居候くんは、遊び人の若旦那の成れの果て。それでも、遊び人の雰囲気を忘れてないから落語になる。紙屑の山から出てくる手紙や本を手に、唄ったり踊ったり。ハメもの一杯、その上、座布団の上に座っているだけではない超落語。今日の染二は、近所の人が源兵衞を呼びに行くときの動きが、やたら小回りでした。こういった型もあるのだという感じで観ておりました。小学生たちは、中入りで帰りました。明日の出立が早いのだそうです。それでホッとしたのが米二。「出歯吉」が廓噺だったからです。米二によると、まだ、3、4回しか出したことがないと言ってましたが、黄紺は、米二で2回聴いていますから、かなり追いかけています。なんせ、このネタをするのは、知る限りでは米二と文我だけですから。久しぶりに聴いてみて、筋立てがおもしろいのです。意外性とアホらしさが同居しています。なんで、この噺が広まらないのか、不思議な気分がしました。同じ、女との心中噺は、「星野屋」とか「辻占茶屋」なんてのがあるなか、遜色はないと思うのですが、、、。そないなことを確認できたような気がしました。




2013年 11月 13日(水)午前 3時 40分

  大阪市内遊歩(181)

 昨日は、中国映画三昧の日。今、十三の「七芸」で気になる中国映画特集「リー・ユー × ファン・ビンビン II 」をやってます。それを、たまたま見つけたもので、最近観てなかった午前中の映画、それを観に、休みにも拘わらず、目覚ましをかけてのお出かけです。ただ一昨日眠くて仕方なかったにも拘わらず、睡眠がとれないままのお出かけになってしまいました。まず1本目は「ブッダ・マウンテン」。2本を観終わったあと、制作年代順に観るべきだったと、ちょっと後悔。この2本は、ともにリー・ユー監督、ファン・ビンビン主演という映画なもので、ファン・ビンビンが主演する映画を、1本目を作ったあとに、こういった映画を作りたいと感じたのだろうなと思う雰囲気なのです。わけありの若者3人がルームシェアをしているのだが、部屋を追い出されるところから始まります。新しく探し出したのが、4人目の主人公。元京劇の女優だが、何かいわくありげ。そのいわくが明らかになっていくところから、その家主である元女優と3人の距離がぐっと縮まっていきます。その距離が縮まっていく中で、4人は四川地震の被害地に向かいます。この動機付けが不明なままなのですが、そこでの崩れた観音堂の再建を手伝うことで「孤独は永遠じゃない」ということを、4人がそれぞれ見出していく心の彷徨を描いたと言えばいいでしょうか。3人の若い男女の描き方、映像の中の立ち位置とか、動きとか、3人のはまり方のディテールまでこだわった映像作りに関心が向かいました。カメラも、とっても接写を続けます。そういった撮り方に、ファン・ビンビンが、すっごくはまっています。いや、そういったファン・ビンビンを撮りたかったから、この映画を作ったのじゃないかとすら思ってしまうのです。こだわりのカメラ・ワークに比べて、筋立てを、敢えてと思えるような粗さがあるからです。四川地震への関心が突如として出てきたり、観音堂の再建も唐突さがあるうえ、そもそも、なんで3人がルームシェしているかしているかすらも明らかにされていないのです。ファン・ビンビン扮する女と、3人の内のイケメンのお兄ちゃんとの恋話も唐突です。これだけ揃うと、敢えてそうしているとしか思えないのです。3人の内のもう一人のでぶっちょの男もいいですね。大家の亡くなった息子の元彼女に対する淡い思い、先行きはそうなるのでしょうね? これも描ききっていません。第一、ラストも唐突感があります。やはり敢えてなんです、この描き方。それが不思議であればあるほど、映像の中でのファン・ビンビンが引き立っていくような気がします。確かに、彼女はいい。
 引き続き「七芸」で中国映画「ロスト・イン・北京」を観ました。従って、お昼ご飯は、ちょっとした休憩時間を使いかっこんだというところです。こちらは、韓国映画のコメディーを観ている雰囲気、中国素材を使ってというタッチの映画で、中国にも、こないな映画があるんだという、そういった経験をさせてもらいました。発端は、ファン・ビンビン扮する女が酔った結果、自身が働くマッサージ屋の社長と関係をもってしまうのだが、それを、ビルの窓ふきの仕事をしている夫が目撃してしまうこと。しかも、その後、ファン・ビンビン扮する女が妊娠をするものだから、どちらの子どもかが判らなくなり、一つの不思議な契約が成立します。この辺からは、もうファン・ビンビンの魅力を全面に出した映画という趣は消えていき、契約を巡るドタバタが全面に出ていく映画です。一言で言えば、とっても中国テイストの詰まった拝金主義であり、子ども、しかも男子偏重主義の滑稽さを突いていきます。進行につれて、邦題の「ロスト」は、誰が、何で、どのように「ロスト」になるのだろうと気になっていったのですが、結局、主役の4人、ファン・ビンビン扮する女の夫婦、問題の社長夫婦、皆がロスト状態になっていくという物語でした。題に納得でした。序盤は、ファン・ビンビンがギンギンにキャラを炸裂させます。でも、筋立てのおもしろさを追い出すと、そのキャラは影を潜めていきます。そこで、「ブッダ・マウンテン」のような映画を作りたくなったんじゃないかと勘ぐってしまったのです。2本合わせて観ると、この監督(女性)と女優の良さを体感することができ、大満足の時間を過ごすことができました。
 2本の映画が終わると、「七芸」の前から直ちにウォーキング開始です。今日は、夜に予定を入れてなかったため、帰りやすいようにと、京阪沿線を目指して歩くことにしました。十三から京阪沿線を目指すのは、初めてのコース取りです。そのコースの詳細は、次のようになりました。第七芸術劇場〜阪急「十三」駅〜阪急「中島小橋」踏切〜・英真学園高校〜大阪市立十三中学校〜木川北公園〜大阪市立西中島小学校〜JR「とうかい204」橋梁〜東淀川東中島郵便局〜阪急「飛鳥橋」踏切〜大阪府立柴島高校・柴島浄水場〜長柄橋〜大阪天神橋八郵便局〜大阪市立豊仁小学校・長柄公園〜鶯塚〜大阪市立豊崎東小学校〜大阪淀川リバーサイド郵便局〜鶴満寺〜都島橋〜大阪市立総合医療センター〜都島神社〜地下鉄「都島」駅〜大阪府都島警察署〜大阪市立内代小学校・内代公園〜JR「じょうとう016」橋梁〜大阪市立高殿小学校・大阪府立旭高校〜大阪市立旭屋内プール〜古市橋〜京阪「森小路」駅。予定では、十三から三国辺りまで行ってから引き返してこようなんて呑気なコースを考えていたのですが、少し歩いてみて、それは無謀と判断、新大阪駅にすら行かないで、南方の北側を東へ向かい、崇禅寺馬場駅の手前を淀川方向に入り、長柄橋を渡るということにしました。長柄橋から都島橋までが思いの外かからず、想定外の森小路まで行くことができました。このコースで、所要時間は2時間5分というところでした。




2013年 11月 11日(月)午後 11時 58分

 夕方になり急に寒くなりました。完璧に冬の寒さになりました。短い秋が終わろうとしています。週末は、わりかし睡眠が取れた方だったのに、今日はやたら疲れやすい日。最近、疲れてくると眠ってしまいます。ウォーキングのあとと同じです。ですから、昼休みをつぶして仕事をしていると、知らぬ間に眠ってしまってました。でも予定していた夜遊びは外すわけにはいきません。今夜は、「北区民センター」であった「天満講談席」のあった日でした。その番組は、次のようなものでした。南舟「牛盗人」、南湖「円山応挙」、左南陵「俵星玄蕃」、南海「黒田官兵衞」。昼間の疲労、それが眠気につながる、その方程式が、全編に渡って出てしまいました。話の輪郭が解っているのは、なんと「牛盗人」だけ。それも終盤はダウンしてしまっています。めっちゃもったいない話です。今回の案内役は南青くん。その南青くんが出番を間違えたようで、案内の葉書には、南青の名前と演目が出てました。その演目は「本能寺の変」。それを受けて、トリの南海さんは、軍記ものがかぶってはいけないということで、「岩本栄之助」を用意されていた由。ところが、実際の出番は違い、本来の出番の南湖さんは、軍記ものではなく世話ものを出したということで、今日の番組から軍記ものが消えてしまったため、ネタを差し替えられました。それが「黒田官兵衞」。南海さんお得意の「難波戦記」からの抜き読みとなりました。ま、今日はダウンしたとしても、来年の大河ドラマは「黒田官兵衞」なので、また聴ける機会があるかなというのが、せめてもの慰みです。




2013年 11月 10日(日)午後 10時 30分

 朝からの雨は、昼前には上がり、傘なしでのお出かけ。今日は、尼崎の「アルカイック・ホール」まで出向き、関西二期会の公演「魔笛」を観てまいりました。実は、このモーツァルトの有名オペラを生で観るのは、初めてのこと。ドイツでオペラ紀行を続けていると、頻繁に「魔笛」の公演に遭遇しますが、その頻度があまりにも高いため、いつでも観れるの気分になりパスをしてしまっていました。この冬は、今まで行きたくても行けていなかった町で「魔笛」を観れるということで、今日は、その予行演習のつもりもあり、遠い尼崎まで足を運んでみました。「魔笛」を純粋なおとぎ話と扱うかどうかは、幕開きで判るというものなのですが、今日は、序曲の最中に、幕が開いてしまった。どうやら登場人物のお披露目だったよう。ザラストロと夜の女王を、2度も対置して、二項対立の物語であることを強調してましたが、これは要ったかなぉ。序曲中の幕開けは、もっと他のことに使ってほしいなぁ。で、注目の序曲終了後では、怪獣を出しませんでした。ですから、タミーノがうずくまってるわけが判りにくいですが、台詞をきっちり押さえてないから、こないなことを言うのかもしれませんが、ま、おとぎ話ではない雰囲気。それはそれで、よくあること。演出はネリー・ダンカーという女性演出家で、ドイツ人と日本人のハーフので、ドイツ生まれのドイツ在住という人。経歴や顔写真を見る限り、まださほど多くの演出をこなされている風には見えませんでした。日本を意識したのでしょうか、3人侍女の衣裳は着物風だったり、場面転換の多いこのオペラに、障子や襖を連想させるパーテーションをデザイン化したものが用いられてました。ただ、そのパーテーションが小ぶりで、広い舞台の中では余った空間が多く、なんとも焦点が合いにくいもの。小劇場の演出のようで、空間配置の感性に疑問を感じてしまいました。黄紺は、ピンスポットを多用する演出というのは、もう過去のものだと思っています。空間の支配に曖昧さがあり、演出し切れてない証拠とも捉えるという傾向にあります。正に、この演出がそうであり、広い舞台を使い切れてないのです。そういった場合は、舞台を小さくする工夫、ザラストロの神殿だけは広く見える工夫、せめて、それはして欲しかったなぁ。ですから、特に前半、つかみ所がなくて、眠気が何度も襲いかかってくるので、それを振り払うのに苦労。でも、3人の侍女の歌唱がいいものですから、前半は、よくおじゃま虫のように出てくるので、それはそれで助かりました。モノスタトスとパミーナのやりとりの場面も、シテュエーションが掴みにくいったら、、、。ザラストロは、バスなのに低音があやしいし、でも、威厳は与える演出だけど、それと対置してると見せたはずの夜の女王の扱いが小さいんじゃないかなぁ。と書き出すと、わりかし不満が充満。昨年観た「カルメン」「コジ・ファン・トゥッテ」って、もっと楽しめたし、歌手も充実してたはず、そないなことばっかが残っちゃいました。指揮は北原幸男、オケはザ・カレッジオペラハウス管弦楽団でした。




2013年 11月 10日(日)午前 0時 18分

 今日は、我々兄弟の次の世代から初めて結婚する者が生まれた日でした。午前中は、上賀茂神社で挙式。重要文化財の拝殿でのものだけに、多くのギャラリーに囲まれてしまいました。おまけに、京都各地の農業組合が、前の馬場で多くの出店を出しているものだから、人手が半端じゃない中の挙式。新婦や新婦の母親にまで声をかけてくる余計なギャラリーもいました。お昼からは場所を移しての披露宴。北山界隈のおしゃれなレストランでは、挙式も含めての披露宴のコーディネートまでやってくれるところが、結構あるとか。その一つで行われました。次は、うちの息子の番です。




2013年 11月 9日(土)午前 4時 21分

  大阪府守口市(63)〜大阪市旭区、城東区、鶴見区〜東大阪市(41)

   暖かな11月です。来週は寒くなるということなので、最後のぽかぽか陽気かもしれません。水曜日(11/6)と木曜日(117)は夜遊びはお休み。家で自重の2日間。そして、週末の3連休へ。その週末で、ウォーキングが確実にできるのが昨日だけということで、朝からのお天気はうれしい限り。午前中は、冬のオペラ紀行の準備(早割切符の購入など)をして過ごす。そして、午後が待望のウォーキング。先日の「大和田〜八戸ノ里」と似たコース設定。但し、「鶴見緑地」には入らないヴァージョン。それが、思わぬ収穫を生みました。コースは、次の通りです。京阪「滝井」駅〜千寿幼稚園〜新森中央公園〜城東古市三郵便局〜大阪信愛女学院〜鶴見だんじり収納庫・大阪市立鶴見小学校〜地下鉄「横堤」駅〜鶴見横堤郵便局〜横堤八幡宮〜今津橋〜今津南公園〜JR「今津」踏切〜稲田八幡宮〜大阪市立楠根小学校・新楠根大橋〜川俣水みらいセンター〜西堤神社〜西堤幼稚園〜渡シ地蔵〜長栄寺〜鴨高田神社〜近鉄「河内永和」駅。「収獲その@」は、「横堤」の昔ながらの商店街を発見したことです。それで、ようやく「横堤八幡宮」の位置に納得がいきました。「横堤本通り」というのが昔ながらの商店街。いつも、その西側の新しい道ばかりを通っていました。そして、「八幡宮」は、その古い商店街の一番端っこにありました。一番寝屋川よりでもあるので、集落の外れ、でもメーンストリートの外れでもある位置でした。「収穫そのA」は、「徳庵」駅の南東方向に広がる「稲田」地区は、今まで迷走を繰り返した鬼門の地。それで用意しておいた新しい地図を使い、その難しい地区をクリアできるようになりました。「収穫その3」は、大和川の付替えに関わる情報が得られたこと。付替え跡は、全て新田になったと思っていたのですが、その本流跡として「長瀬川」が残っていることを知りました。ホント、今は狭い川ですが、でもかつての「大和川」の名残を知っただけでも大収獲。その「長瀬川」の西側に広がる地域が「西堤」。そう「堤」なんです。これは、古い街並みが残っているかと考え、「西堤神社」の裏側に、地図で見ると、いかにも古道を想像させる道があったので歩いてみました。確かに神社の近くには伝統的家屋が少しだけは残っていますが、あとは駄目だったですね。きれいに建て変わっていました。「西堤」の東に広がる「新喜多」地区は「新喜多新田」だったそうですから、昔は川底だったということですね。いやぁ〜、おもしろい。歴史のお勉強ができたぞと思っていたら、ダメ押しが「鴨高田神社」、「延喜式」に記述のある、とっても由緒のある神社でした。裏手の「長栄寺」も、いい仏像を持っているそうですよ。奥の深い東大阪市です。
 そして、「河内永和」から近鉄電車一本で「日本橋」へ移動。おなじみの千日前のネットカフェで、身体を休め、時間調整。夜は、「in→dependent theatre 1st」へ。こちらで、「ミジンコターボ」の公演「毒入りのマカロン」があったのです。「ミジンコターボ」は、ファンタジー系が売り物の劇団なのですが、今回は「ホラー」がテーマ。しかも、2人の座付作者である竜崎だいちと片岡百萬両が、それぞれオムニバス形式の芝居を用意、しかも、その2本が交互に進むどころか、2本の芝居の間に、ショートコントが挟まるものだから、2本の芝居が流れていることすら勘の鈍い黄紺には、芝居の終盤になるまで判らない始末。2本の内1本は、交通事故の顛末が描かれているのだけれども、これが解りにくかった。あとから思い出そうとしても、中盤にどのようなエピソードが入ったのかも解らないのです。話が流れていることすら、中盤のところでは理解できてなかったのです。こちらが、片岡百萬両が作ったのじゃないかな。作劇的に慣れている竜崎だいちが、こういう構造の芝居を作るときの配慮があると看るからです。その配慮というのは、常に同じシテューエーションの話を進めていたところ。全ての場面で、全ての登場人物が同じで、しかも同じ役割でという具合だったので、流れていることが実感できるのである。こちらは、ホラー話をする会の会合という設定で、その中で超常現象が起こり、筋立てにクレッシェンドを見せ、且つどんでん返しも用意していました。とってもホラーらしいどんでん返しです。解りにくかったもう1本は、最後に来て一挙にヒートアップ。スプラッターっぽいホラーとなっていました。正直言って、途中、構造が解っていなかったときは、「ミジンコターボ」もここまでかと思うほどのつまらない気分で観ていましたが、ようやく構造が看えてきた終盤、一挙に逆転。となると、中盤で引っぱる力を持って欲しい芝居だったということになります。ということで、見限るということはなしということで、、、。




2013年 11月 6日(水)午前 3時 33分

  京都市内遊歩(42)

   あえなく自分的5連休最終日となりました。今日は、いよいよ始まった「メトロポリタン・ライブビューイング」を観る第1回目。今季は、9/10を観る予定。その第1回目は、今季のオープニング・プログラムそのままだそうで、歌手がすごい。アンナ・ネトレプコ(タチヤーナ)、マリウシュ・クヴィエチェン(エフゲニー・オネーギン)、ピョートル・ベチャワ(レンスキー)の3人が揃いました。プーシキン原作のものを、チャイコフスキーが曲をつけたもの。有名な大ポロネーズは手紙のアリアだけではなく、冒頭の森の中のタチアナとオリガのデュエットからして抒情的でうっとり。指揮のゲルギエフ曰く、「作曲家が、作ったとき冴えてたんじゃない?」と言うほど、素敵なメロディが続きます。それに、19世紀ロシア文学のテイストを、見事に音楽化しています。身分も金もあり、退屈がそのまま生きている男オネーギン、クヴィエチェンが演じるとなんかかなり悪い人間に見えます。思わせぶりで、純な女の心を誘い、友人をからかい、ついには決闘にまでなり殺してしまう。それぞれが退屈しのぎとまで言うと、さすが言い過ぎかと思うのですが、今まで、「オネーギン」の実際に観たり、DVDで観たりしたときには感じなかったオネーギンが描かれていたように思いました。それにクヴィエチェンが合ったということでしょうか。今まで持っていたオネーギン像というのは、働く必要がないわけですから、そういった意味では退屈なんでしょうが、そういった中で自分なりの生き方を模索し、彷徨している人物という印象を持っていたものですから、えらくストレートだなの印象。ネトレプコは動ける歌手の最右翼の一人にも拘わらず、抑制した動きに徹してました。田舎のお嬢様とペテルブルクの社交界の花、この二つのキャラを、見事に演じ分けていました。レンスキーのピョートル・ベチャワは、もったいないほどの配役。なんせ、主役ではないうえ、決闘で亡くなってしまいますから、それ以後は出番なしというもの。ピョートル・ベチャワは、声に力がありますから、今まであまり経験してないレンスキーとなりました。決闘の前の辞世の歌が、なかなか聴かせました。演出的に記録しておきたいことが幾つかあります。第1幕は、屋内が舞台となっています。窓のカーテンを開けるとガラス窓になっており、その向こうに森が見えるという仕掛け。村人も屋内に入ってきますし、2組のカップルのやりとりも屋内。ただ同じ部屋に2組が居るのはちょっといただけないなと思いました。手紙のレスも、従って屋内になりました。それには、かなりの抵抗を感じましたね。こういった話って、人が往き来する可能性のあるところではやらないよなという突っ込みを入れたくなりました。ここまでを屋内のセットを組んだまま進行させました。ちょっとした賭ですが、セット自体が悪いわけではありませんが、進行上不具合を感じざるをえないものがありました。田舎の舞踏会、ペテルブルクの舞踏会、ともにダンシング・チームをあまり出さないという方針。ダンスに目が行き、芝居の本筋に影響があればということで控えめにしたり、舞台の奥の方にダンスを持っていったりしたのですね。最大でも男女ペアが6組だったんじゃないかなぁ。ラストがびっくり。屋外の設定です。雪の降るなか、二人の詰めが始まります。この屋外という設定は初めてです。そして、大詰め。タチヤーナが「永遠の別れ」を告げ走り去り、オネーギンの慟哭のラストになる間、音楽が止まります。すると、タチヤーナがオネーギンを見据えオネーギンにキスをします。濃いめのキスです。さっと唇を合わすというものではないというキスです。それから、タチヤーナが走り去ります。走り去るのを待ってから、慟哭のラストの下降旋律でした。これが、演出上の最大の目玉でした。あと、細かな点では、決闘は猟銃を持ち、向かい合ってお互いに歩み寄ってから撃つというもの。実際に引き金を引くのはオネーギンの方だけでした。オネーギンだけが撃つという演出は、よくありますね。クプレを歌うフランス人は、田舎にしては垢抜けた人物とする傾向がありますが、普通の爺さん家庭教師でした。足を引きずっての登場。演出なのか、実際に歌手が足を傷めていたのかの判断はつきかねています。今回の上演は新演出だそうです。「オネーギン」だけは、ライプチヒのプロダクションを観ている以上、少々の変化技があっても驚くものではありません。ですから、この程度の変化技ではおとなしめのものだったと言えばいいでしょうか。
 オペラが終わると、直ちにウォーキングに移行。京都市内でのウォーキングは、地図も持たないで、ときには方針も立てないで歩くということにしています。今日なんかは、まさにそれ。余計な交通費を使わないようにと、最後は京阪の駅に入るということだけで動きました。そのコースの詳細は、次のようなものです。MOVIX京都〜京都文化博物館〜京都衣棚夷川郵便局〜夷川児童公園〜京都市立上京中学校〜上長者町橋〜京都中立売堀川郵便局〜ハローワーク西陣〜「中立売智恵光院」交差点〜インド料理店「ナマステ・タージマハル」〜辰巳公園〜中村児童公園〜二条城〜夷川橋〜「此付近本能寺址」碑〜インド料理店「ゴータマ」〜重要文化財「杉本家住宅」〜大原神社〜神明神社〜台湾料理店「台湾城」〜フランス料理店「nico」〜仏光寺〜「夕顔之墳」碑〜新善光寺〜「源融河原院跡作」碑〜五条大橋〜京阪「五条」駅。歴史、文学がらみのところに偶然遭遇しています。「源氏物語」なった関連が3つ。夷川児童公園が、光源氏の住居「二条院」の候補となっている「陽成院」跡だそうです。「夕顔」は断る必要のないもの。「源融」は、能「融」の主人公であるとともに、光源氏のモデルと人物と、偶然にしては出来すぎです。「本能寺址」の表示にもびっくり。もちろん今の本能寺とは違うという知識は持ってはいましたし、この辺かという漠然とした知識も持ってはいたのですが、ピンポイントで遭遇にびっくりでした。重要文化財の表示にもびっくり。とっても街中に、こないなものが、よく残ったものですね。「源融河原院跡作」碑を見つけたということは、「五条楽園」の中を歩いたということです。それらしい光景を足早に探してみたのですが、「お茶屋」の表示を1軒見つけただけ。建て付け的に言って、らしいかなと思う程度の建物は数軒、そんなですから、もうちょっと丁寧に歩く必要があるということなんでしょうね。




2013年 11月 4日(月)午後 11時 22分

  大阪市内遊歩(180)

 今日は、午後にいろいろと落語会や芝居を予定していたのですが、5連休ともなると、運動不足に酒の呑みすぎとなってきていたので、予定を取り止めウォーキングをすることにしました。ただ午前中はいいお天気だったのですが、出かけようとすると雨模様。実際歩き始めは、雨が降っていましたが、歩き続ける内に止んでくれました。おかげで2時間のウォーキングをやり遂げることができました。そのコースの詳細は、次のようなものでした。京阪「北浜」駅〜沖縄料理店「赤瓦本町店」〜船場丼池ストリート〜済州特産品販売場〜大阪市立南幼稚園〜ハワイ・ストアー「Hula」〜阿弥陀池公園〜幸西橋〜地下鉄「桜川」駅〜JR「かんじょう059橋梁」〜南海汐見橋線「芦原町」駅〜芦原自動車教習所〜白木神社〜南海汐見橋線「木津川」駅〜北津守東公園〜木津川大橋〜大阪市立泉尾東小学校〜千林橋公園〜大阪市立大正北中学校〜北村南公園〜大阪市バス「南泉尾」停留場。前半は、大阪のど真ん中をじくざぐに南下。やがて阿弥陀筋に出ると、「芦原橋」駅の北側を西に入り、そこからは「陸の孤島」と言っていいような「木津川」駅探しに。ホント探さないと、この駅だけは判らない。今回は、一旦失敗したかと思ったのですが、無事発見。ホント、すごいところにあります。駅から出るのもスムーズに行け、今日の手順すら間違わなければ、駅探しなどと言うことはなくなります。スムーズに行けたということは、木津川を容易く越えることができたということ。いつも大正区に入ると、「大正」駅を目指すのですが、最終的に「難波」に出るなら、「難波」行きのバスの通り道に向かえばいいのだと考えると、「大正区」が一挙に広く感じられるようになり。それを実践させてもらいました。そして、夜のことを考え、「難波」に移動し、ネットカフェで時間調整。夜は、昔の職場仲間にその奥さんをまじえての食事会。場所は「イスタンブールコナック」。この食事会は、先日、昔の同僚と動楽亭で偶然会ったのが発端。最初2人で「コナック」へと言っていたのですが、夫婦でエチオピアへ行っていたはずの方が帰ってきているということで、これはぜひにと声をかけてもらいました。最初に会った方も、ラオスから帰ってこられたばかり。ラオスの織物が、古い型を残しているのだそうで、それを訪ねての旅だったそうです。なんか、頭がくらくらする話が多くて、いい食事会となりました。




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