忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、
黄紺、なのさ。


2014年 3月 3日(火)午後 10時 48分

 リタイアしたら、こういった日々が続くだろうなと思える一日。午後2時をメドにお出かけにしたのですが、外はうっすらと雨。でも傘を持たないでお出かけ。ウォーキングをしたいのですが、先日の腰痛で怖くてできません。ショート・ヴァージョンだったらいいかなということで、京阪「天満橋」から、おなじみの千日前のネットカフェまで歩いてみました。とにかくは、オペラ紀行に出向くまでは、こないな感じでやらないと怖いですね。でも、腰痛が復活気味になってしまいました。ネットカフェでは、休憩がてら時間調整をするのは、いつものこと。そして、夜は、昨日と同じく「千日亭」へ。今日は、終了が決まっている「まちの寺子屋」がありました。本日の口演は南海さんで、先日に引き継いで、「関取千両幟」の後半が読まれました。死にかけていた千田川が生還し、千田川が危ないということを知りながら、花相撲の手付けをもらい岩国に向かった親方の稲川を追いかけます。ここで間に合わなかったら、話は、ここで終わってしまいますから、千田川は間に合い、約束通りの花相撲を行い、迷惑をかけたということで、金ももらわず大坂に引き上げます。大坂の花相撲は、それ以前にキャンセルしていたため、ここでも無償の花相撲。いつまでも松吉を受け出す金ができません。そこで、稲川は八百長相撲に応じることになりますが、故郷の人たちの声援を耳にすると、金をもらっていながら勝ちを譲らないということをしたため、金を払った方からは恨まれるばかりか、八百長が露見したということで、奉行所の調べを受けてしまいます。これは、幸い金を出した方が遁走したため、容疑が固まらず助かるのですが、恨みを受けたことは残ってしまいます。金の方は、それを聞いた船場辺りの旦那衆が援助してくれ急場はしのぎます。そのときに贈られた祝儀が千両幟とか。江戸への帰り道、大坂の親方から長浜での花相撲を頼まれます。その途中、稲川は、八百長で恨みをかった男(大坂相撲の大関鉄石)に殺されてしまいます。千田川は喪に服するということで、長浜での花相撲は辞退。ただ勧進元は金の回収のために、素人相撲の興行を打ちたいので、それに素人として出ることを要請。千田川も、これは断れない。その土俵で対戦したのが、地元に身を寄せていた鉄石。千田川は、相撲にかこつけて鉄石を殺そうとするのだが、それを咎めたのが実母。突如、母親が出てきました。強制終了のためでしょう。前回、千田川は千葉の出と、南海さんは、美濃の関ヶ原の出に変え、強制終了を敢行しました。ここで、千田川が江戸に出て角界に入ろうとした動機が明かされ、故郷に錦を飾ることになり、もう一本の千両幟を贈られることとなります。今日、全然出てこなかった松吉は、いつの間にか船場の谷町に受け出され、先回りをして千田川の実母の元に身を寄せていました。一応、これで、全ての辻褄が合ったところで、大団円となりました。なんか、もう一度、フルヴァージョンで聴いてみたくなったのは、黄紺だけではないでしょう。2日間、たっぷりと楽しませてもらいました。



2014年 3月 2日(月)午後 11時 39分

 3月に入っています。仕事は終わりだと思う間もなく、旅行準備に時間がなく焦っています。でも、夜遊びは、きっちりと実行。今夜は、「千日亭」であった「トリイ講談会」に行ってまいりました。毎年、大河ドラマに合わせた特集が組まれますが、今日がその日。今年は「吉田松陰と幕末ものがたり特集」ということで行われました。そして、番組は、次のようなものでした。南海「佐久間象山」、南華「金子重輔」、南北「桂小五郎と幾松」、(中入り)、南湖「英国密航」、南海「井上聞多の遭難」。今日は、前座役の若手の噺家さんも南青くんもいないらしく、南海さんがトリと前座役を務めるという布陣。「佐久間象山」はネタとしてあるのかな。南海さんが創り出したものかもしれません。吉田松陰の先生ということで、トップに配置。人となりを中心にした読み物となっていました。そして、終盤に松陰との出会いが用意されていまし。南華さんの「金子重輔」はレアもの。吉田松陰の一番弟子という位置づけで登場するのですが、松陰と密航を企てたが果たせず、その後自首したあと、長州に搬送され獄死するという男です。このような内容ですから、恐らくこの会のために用意されたものかなと思います。南北さんは、この会には珍しい。ネタも、わりかし有名な素材。恐らく南北さんの持ちネタなんでしょう。今日の特集に合わせてオファーが出されたものと思われます。京都守護職が会津藩に移り、肩身の狭くなった長州藩、更に蛤御門の変が起こり、更に長州にはきつくなるなか、京都に残った桂小五郎の身辺を窺う者、匿う幾松という、わりかし知られた構図で展開していきました。「英国密航」も読み切りものとして出来上がっているもの。ただ、南湖さんが手がけたことがあったようでなかったようで、、。井上聞多や伊藤博文が、毛利公の命を承り密航を果たすのだが、実際に読まれたのは、密航を仲介してくれたイギリス人らとのやり取りを中心にしてでした。「井上聞多の遭難」は、南鱗さんが得意にされているネタ。幕府による長州征伐を前にして、抗戦かいなかで、長州は二分されてしまう中で起こった井上聞多暗殺未遂事件。このネタのおもしろい点は、一命をとりとめた井上が、明治になり権勢をふるうようになってから、斬りつけた本人と再会するところ。血なまぐさい話ですが、テロ行為も、ちょっとした青春グラフィティに見えてきます。これは、南海さんが読まれるから、そう感じるのではなく、ネタの構成が、よくできているからでしょうね。南海さんが、師匠からもらったネタをかけられるのは、あまり遭遇機会が多いわけではないので、逆に嬉しくなっちゃいました。この会は、一定集客力があるのに、狭い「千日亭」に下ろされてしまったので、会場は、えらく窮屈になりました。ゆったりとした「トリイホール」に戻してほしいものです。



2014年 3月 2日(月)午前 2時 14分

 昨日は、朝から雨の一日。朝からずっと、オペラ紀行が迫ってきていますので、滞在する都市の情報収集に頑張りました。そして、夕方の4時から始まるコンサートにお出かけ。行き先は、久しぶりに「フェニックス・ホール」。ホントに久しぶりです。昨日は、こちらで「工藤重典 フルート・ライブ・セッション with the String Trio」というコンサートがありました。主役の工藤重典さんによると、毎年、この時期にフルートを中心にしたコンサートをやってきたそうです。そう言われれば、そのようなチラシを見た記憶はありますが、実際に関心を持ったのは、今回が初めてのようで、今回の場合は、弦楽器とのアンサンブル(Vn:小栗まち絵、Va:馬淵昌子、Vc:上村昇)をするというので、黄紺の目に留まったのだと思います。そのプログラムは、次のようなものでした。ルーセル「フルート三重奏曲(Fl、Va、Vc)」、ライヒャ「もし踊りたいならの主題による18の変奏曲と幻想曲(Fl、Vn、Vc)」、ベートーベン「セレナード 二長調(Fl、Vn、Va)」、モーツァルト「フルート四重奏曲第1番(Fl、Vn、Va、Vc)」。楽器編成上、このプログラムっていうのは致し方ないかなとは思うのですが、ルーセルのトップはきつかった。あとの曲が、全て古典派の曲が並んだため、あからさまに浮いてしまいました。更に演奏者も困ったんじゃないかな。それぞれがウォーミングアップ不足って感じで、まとまりってものを欠きました。元来、和声を楽しむなんて曲ではないはずですが、不思議な音の空気感のようなものを楽しむものと考えてはいるのですが、同じ空気の中にいるとは思えませんでした。中でも上村さんのチェロには抵抗を感じてしまいました。ライヒャになって、一転して、まことにもって微笑ましい音楽を楽しむことができました。このコンサートの本体はここからだぞの雰囲気がありあり。工藤さんのフルートは、あくまでも軽快に。その弾み方に、最高に気分が乗ります。弦楽器が、バイオリンとチェロというメロディ楽器が並んでも、フルートに一枚上の役割を与えられていますから、折り合いがつきやすくなると、今度は、上村さんのチェロが効いてきました。アンサンブル的には、4曲の中で随一だったのではないかな。後半はベートーベンから。背後の壁が上がり、黄昏どきの御堂筋界隈のビル群が、コンサートの借景になります。ベートーベンの曲も機会音楽になりますから、これ以上ない設定。今度は、チェロがない分、ベートーベンも頭をひねった模様。中には、ビオラがメロディを奏で、フルートがオブリガード調の伴奏に回る場面も。そして、最後は、フルートと弦楽器の極めつけとしてのモーツァルト。やっぱ工藤さんは、名の知れたフルート奏者であるということを解らせてくれる頃かげんのゆらしが、実に心地よい演奏。聴きに行って良かったですね、ホント。アンコールは、フルート四重奏曲の2番にも数えられるオーボエ四重奏曲の終楽章でした。フェニックス・ホールという、室内楽を聴くにはいいホールで、いい音楽、楽しさに満ちた演奏に満足。やっぱ室内楽って、いいですね。



2014年 2月 28日(土)午後 8時 18分

 今日は、浪曲を聴く日。うまい具合に、文楽劇場であった「浪曲名人会」のチケットを手にいれることができました。その番組は、次のようなものでした。京山小圓嬢(沢村さくら)「サイコロ夫婦旅」、天中軒雲月(沢村さくら)「中山安兵衛婿入り」、京山幸枝若(藤信初子・岡本貞子、京山幸光)「玉川お芳」、真山隼人・天中軒涼月・浪花亭友歌・京山幸太・春野恵子「お楽しみ座談会〜関西浪曲界の新星揃い踏み〜」、(中入り)、三原佐知子(虹友美、鵜川せつ子)「母恋あいや節」、春野恵子(一風亭初月)「番町皿屋敷お菊と播磨」、松浦四郎若(虹友美)「勧進帳」。おなじみネタ、お久し振りネタ、初めてのネタと、バランスよく並んでくれました。小圓嬢師は「サイコロ夫婦旅」、身投げをしようとする女を助ける半次郎、病に倒れた女が、半次郎にサイコロの刺青を入れることを求める、女に孝行したくて賭場荒し的なことをして追いかけられているところを助けられる、この3つの場面が、きれいに分かれて、1つのネタになっています。何か元ネタがあるのでしょうね。雲月師の「安兵衛」は、講談でもおなじみのネタ。浪曲では、この雲月師が、よく出されますね。高田馬場の仇討ちの直後の話になります。幸枝若の「玉川お芳」は聴いているはずなのですが、内容は覚えてなかったもの。これも元ネタがあるようで、表題に使われている玉川お芳は、最後の方でちょこっと出てくるだけなもので、そう思わざるをえません。行司の父親が、力士になぶり殺された女は身を売るしか生きていく術を知らなかったところ、実の叔父が、それを知り身請けをして、実の娘と育てることにするのだが、その叔父の知り合いが、力士の贔屓自慢をしていたところ、それがケンカへと発展していき、ついには当の力士を呼んで勝負をさせ、決着をつけようということになる。そこで、吉原時代に言い交わした仲となっている御所桜という力士に口をきいてくれとなり、ここで、2つの話が結びつく。それに応じて勝負へと発展していこうかというところで、いきなり玉川お芳が出てくるのですが、黄紺には、何者か判らずじまいでした。そして、勝敗については触れないで終わるという常套手段が使われるので、結局、このネタの全体像は判らずじまい。浪曲では、時々ある台本の拙さというやつです。三原佐知子師の「母恋あいや節」も聴いているはずのネタですが、覚えていないのです。聴き終わってみて、なるほど頭に残らないはずとの結論。勝手極まりない父親が、幼い子どもに、雪のなか酒を買いに行かせるのだが、雪は深く、子どもは道を見失ってしまいます。際どいところで父親が迎えに来て、子どもは助かり、父親も改心するという、小バカにしたような単純なストーリー。おバカな設定の父親と言い、びっくりするような台本。ただ、このネタに、2つとってもいいところがあります。ストーリーがそんなですから、テキストは論外でとなると、節がいいのがあるのです。虹友美を起用したくなる難しい三味線の手とリズム、また半音階を巧みに使った独特の節、これはマークです。もう一つは、表題にあるように、民謡が一部挿入されているということで、とっても色変わりがするのです。春野恵子は、おなじみの「番町皿屋敷」。いつもと違ったのは、一節だけ、英語でやってくれたこと。トリは四郎若師。聴いたことのないはずの「勧進帳」だったのに、ここに来てダウン。勧進帳を読むことを求められるところから酒宴までという台本だったくらいは解るのですが、あとはさっぱりです。せっかくのトリネタが、これでは悲しすぎます。しかし、6席は、のなかなかヘビーでしたが、年に1回ビッグな会。こんなにもの浪曲ファンがいるのだと確認する日でもありました。



2014年 2月 27日(金)午後 11時 25分

 いよいよ完全リタイアまで秒読みに入ってきました。この日常が、大きく変わるという不安が、頭をもたげてきています。来週は、息子に車を出してもらい、主な荷物を引き上げる段取りになっています。今日は、まず繁昌亭の昼席へ。行く道の途中で、向かい側で黄紺を待ち受けている男の人がいるので、訝しげに見ると大学時代の友人でした。更に、繁昌亭の前で並びかけると、今度は、昔の職場の同僚が着物姿で立っていました。何と、普段会わない人に、短時間の間に2人も会うという離れ業に、びっくりするしかありませんでした。ところで、今週の繁昌亭昼席は、露の紫の繁昌亭大賞耀き賞受賞記念ウィーク。繁昌亭のスタッフによると、連日の大入りだそうです。やはり紫人気は高いものがあります。その番組は、次のようなものでした。鞠輔「兵庫船」、三金「奥野くんの幽霊」、生喬「虱茶屋」、米輔・米左・都・紫・生喬(司会)「口上」、紫「眼鏡屋盗人」、米輔「佐々木裁き」、(中入り)、由瓶「阿弥陀池」、米左「七段目」、円馬「うなぎ屋」、都「ハルちゃん」。鞠輔の「兵庫船」は、乗るところから言葉遊びまで。謎かけに素直に反応され、鞠輔が戸惑う場面があったりで、なかなかいいお客。三金も、それに乗りデブネタで沸かしてくれました。生喬は、そこまでの3人の体型をあげ、紫の企みと言って、掴みはOK。そないなことを言いながら、余裕いっぱいの生喬。風格すら感じさせました。ネタのチョイスもベストじゃないかな。口上に並んだ都以外は、司会の生喬を含めて、紫を指導した繁昌亭の落語入門講座の講師の面々。最後には、口上の常識を破り、紫の挨拶も入りました。先日の菊丸襲名にも、同様のことがありました。紫と、一つ上の姉弟子真とは、一回り12歳も違うということを、初めて知りました。当の紫は、手慣れた「眼鏡屋盗人」。1週間の内、どこかでは出すだろうとは思っていたのですが、大当りでした。紫が前座で出たときに、一番聴いたネタだったもので、これだけは避けたかったのですが。米輔は「佐々木裁き」。米輔で聴くのは初めてだと思います。ただ、ここで、前半の体力が尽きたようで、軽い眠りに入ってしまいました。後半の冒頭は由瓶。由瓶と紫の組み合わせは、よく判らないので、多分、お任せ枠じゃないかな。ネタは、由瓶の鉄板ネタ「阿弥陀池」でした。ただ時間の関係でしょう、米政のパートに入った半で切り上げました。異様にテンション上げたまま、由瓶が高座を下りたものですから、あとの米左は、それを打ち消すことから作業開始。でも、歌舞伎の描け声を、マクラで振りだすと、またぞろテンションが上がってしまいました。米左は、語尾を引っ張るので、自分的には、聴きにくい噺家さんの1人です。この週末は、東京の噺家さん・講釈師さんが動楽亭で会を開く関係で、日替わりで繁昌亭に登場。円馬も、その1人。東京の「うなぎ屋」は、序盤に、こってりとうなぎの背ぶみをする場面がありません。そして、うなぎ裂き職人がいないから、主人が困るとなっていました。トリは、紫の師匠都。「ハルちゃん」を、先日、ようやく聴けたと思ったら、2度目がすぐにやってきました。
 「南森町」から「日本橋」に移動。今日は、いつもと違う千日前のネットカフェで時間調整。割引券があったからにすぎません。そして、夜は「千日亭」であった「まちの寺子屋」に行ってまいりました。不入りが原因でしょうか、このシリーズ、閉鎖の憂き目に遭うようです。トリイの社長、業を煮やしたようです。講談を支援するなら、もうちょっと長い目で見ないとダメだと思うのですが。今日の南海さんですら、つ離れしたかなの入りなんですから。今日の出し物は「関取千両幟」。かつて、南海さんのご自身の会で、続き読みをされたものを、今回は、2回に分けて読まれるという企画です。まず、関取稲川の誕生の背景ということで、父親の故郷猪名川での事業の失敗、それを取り戻すために、父親が江戸に行き、偶然人を助けたことから再建が叶い、家族を江戸に呼び寄せます。稲川本人が、江戸で、境川親方にスカウトされる環境が整い、話は進んでいきます。稲川は、やがて大関に昇りつめ弟子を取る身に。入ってきたのが千田川。ここからストーリーは、本格的に展開していきます。千田川には、何やら秘めたることがあるようなのですが、南海さんは、敢えて、次回まで引っ張って、それには明かさないという悪さをしてくれました。やがて、千田川は、その実力、マスクともにいいということで、人気が上昇。そういった中で、京大坂での花相撲話が舞い込み、稲川は受諾。稲川は、千田川や江戸相撲の力士を帯同し京へ。その京で、千田川は、祇園の芸子松吉と出会い、将来を約束する間柄になります。大坂での花相撲の前日、千田川は急病になり、それがため、大坂での花相撲には出場できず、花相撲自体も、途中で中止に。その損害補償に苦慮する稲川。そこへ、タイミングよく岩国から花相撲の誘い。その手金を使い損害金に当てはしたが、今度は、岩国へは、千田川が行けない。死を覚悟して、単独で岩国に乗り込む稲川。残された千田川は、松吉の献身などにより、一命をとりとめ、そこで初めて岩国の一件を知る千田川。慌てて岩国に向かう千田川。岩国では、死を求められた稲川。果して千田川は間に合うのかというところで、次回となりました。いや〜、おもしろい。



2014年 2月 27日(金)午前 0時 40分

 せっかく暖かくなっていたところ、また寒くなってしまいました。防寒グッズを持たないで出かけるようになってからの揺り戻しは困ります。夜は「カフェモンタージュ」の日。今日は「Humoresque」というお題が付いていました。チェロの金子倫太郎さんとバイオリンの三上亮さんのデュオを聴くことができました。この珍しいチェロとバイオリンのデュオという組み合わせのコンサート、プログラムは、次のようなものでした。へンデル「パッサカリア」、ラベル「バイオリンとチェロのためのソナタ」、ストラビンスキー「イタリア組曲」、ドボルザーク「ユモレスク」、ピアソラ「カフェ1930」、ギス「God Save the Kingによる華麗なる協奏的変奏曲」。全曲、バイオリンとチェロのデュオでした。この組み合わせで書かれた曲って、そないにあるわけではないと思っていましたから、最初もらったプログラムに書かれていたラベルのソナタって、完全にバイオリン用のものと思っていて、交代で弾くものも含めてデュオ演奏会なのかと考えたのですが、それも、ピアノの人は用意されていなかったわけですから、変なことを考えていたことになります。作品で解説が入ったのが、ストラビンスキーの作品。原曲は「ブルチネラ」で、最初、ハイフェッツが、ストラビンスキーに依頼して、バイオリンとピアノ用に編曲してもらった。すると、今度は、ピアティゴルスキからも同様の依頼が入り、今度は、チェロとピアノ用に編曲された。その2つの編曲版を持ちより、今度は、ハイフェッツとピアティゴルスキ用の編曲が出来上がり、その楽譜が、図書館に保存されていたものを写真に撮った人がいた。その楽譜から、更に推敲を経たものを演奏するということでした。この2つの楽器だけというのは、なかなかおもしろい組み合わせだということが徐々に判ってきました。3つ目、4つ目の楽器がありませんから、2つの楽器がしのぎ合うような形になってしまいます。チェロを通奏低音として使うのなら、似た音色じゃないチェンバロのような楽器を選んだ方が、主役楽器が生きてきますから、そないな使い方は、当初から省かれているはず。となると、しのぎ合う方法は、同時にかずらすか。メロディ楽器の宿命です。ヘンデル的真正面からのけずり合いもいいけど、ラベルの、ロマン派を突き抜けた、独特の音の開きが、やたらと緊張感を煽っていきます。いい曲みっけの雰囲気で、聴き惚れていました。「ユモレスク」は、「三上さんの素晴らしさを知って欲しいから」と言って、金子さんが入れた曲とか。ここから一挙に、こちらのカフェでは珍しい「名曲コンサート」や「ファミリー・コンサート」の雰囲気に、金子さんが持っていきました。当初、プログラムには入ってなかったピアソラの曲が入ったり、ギスの曲などは、2人の奏者のテクニックを披露しようかというもの。金子さん曰く、「2人が苦しんでいる姿を見てください」と言ってから、演奏を始めたほどでした。アンコール曲は2曲も。既に予定の時間を大幅に超過していたのですが、「やらして」って感じで、演奏者中心に進んでいきました。1曲目は、「ハンガリー舞曲風津軽海峡冬景色など」、2曲目は、「バッハの無伴奏チェロ組曲に乗ったグノーのアヴェマリア」という具合に、ノリノリ的雰囲気に終始。とっても和やかで寛げたコンサートとなりました。



2014年 2月 26日(木)午前 0時 5分

 今日は、コベンガーデンのライヴビューイングのある日。メトロポリタンやパリ・オペラ座のライヴビューイングと違い、こちらの上映は1日限定ということで、絶対に空けておかねばなりません。今日は、他に行きたいものが複数あるなか、このライヴビューイングに行ってまいりました。今日は、ブリュン・ターフェルがタイトル・ロールを歌う「さまよえるオランダ人」のあった日だったのです。今、聴いてみたい歌手には必ず入ると言っていいウェールズ人歌手ブリュン・ターフェル以外には、ゼルダがアドリアンヌ・ビエチェンカ、ダーラントにはピーター・ローズ、エーリケにミヒャエル・ケーニヒが顔を揃えました。ティム・オルベリーの演出は、焦点を奈辺に置いているのかが、いまいち不明確な印象を持ちました。舞台には、ずっと船の甲板を思わせる緩やかなU字形の大板、もちろん、これは前に向かい傾いている。その先端には水溜まりが用意されていました。そこで大きな動きが出ると、下のオケピットに、水がぴちゃぴちゃ落ちそうなところに、水溜まりは用意されていました。背後には、船体を思わせる黒い大板、これが基本で、照明で、それら大板を見せないようにして、上から製縫工場を思わせるミシン群が降りてくるゼルダ登場の場面、単に椅子2つを置き、上から電灯を吊るしただけのダーラントの家、下敷きの大板の真ん中あたりが持ち上がり、その下を利用した最後の合唱場面という具合に、基本構造に、上から吊るし、下から持ち上げること、及び照明の当て方で、場面返還をしていくというものでした。まだまだナンバーオペラの形を残しているとはいえ、ワーグナーの音楽は途切れないものですから、このような仕掛けが用意されていたのでしょう。冒頭、まずダーラントの船の船乗りが大綱を惹いてきます。これは、着岸の用意でしょうが、次にオランダ人が、同じく大綱を持って現れると、今度は、業の深さのようなものを考えてしまいます。こういった少し民話風始まり方をしているのに対応しているのが、ゼルダのバラード。夢見ると言っていいのか、ちょっと表現に困るゼルダのキャラに対応していくと思うのですが、だから、コントラストを際立たせては、相互に浮いてしまうと思うのですが、実際に現れたのは、ずらっと並んだミシン群の中でミシンを踏むゼルダ。物語に語られるか、語るかのマージナルな位置に置いておかないと、ゼルダのキャラが生きて来ないと思うのですが、そうはさせないぞの意志すら感じるプロダクションとなっていました。衣裳も、同じようなコンセプトで進んでいるようでした。オランダ人が去ったあとも、貞節を誓うゼルダを突き動かすものはいったい何なんでしょうか? また、それによりオランダ人の救いはあったのでしょうか。むしろ、ゼルダを突き放してまでも出港したオランダ人にこそ、救いがあってもいいものかと思ってしまいました。



2014年 2月 24日(火)午後 11時 6分

 昨日は、予定していた落語会に予約を入れることを断念し、予め医者に行くつもりで行動。仕方ありません。痛くて、どうしようもなかったのですから。そして、今日は非勤務日ながら、勤務をしなければならなかった一日。これで、今週は、4日連続の勤務となります。腰の具合を気にしながらの勤務ですが、痛み止めも、少しは効いているのか、昨日よりは、だいぶと痛みはましになったかなという雰囲気です。前回のときと、よく似た展開にはなっていますが、前回は痛み止めには頼らずに、痛みは治まっていったという経緯があります。一方、夜遊びは継続中ということで、今夜は、谷六の「薬業年金会館」であった「第211回旭堂南海何回続く回?」に行ってまいりました。日本にいなかったり、オペラとバッティングしたりで、3ヶ月は行けてなかった会。テーマも「増補・難波戦記」となり、今日は、その第2回目で「今福・鶴見の合戦〜木村重成の初陣〜」が読まれた日でした。この戦いについては、今までも、南海さんの口演で聴いてはいるのですが、ここに当たると、どうもダウンしてしまう傾向があったため、どのようなものかが解っていなかったのですが、今日はばっちりです。南海さん以外でも聴いたことがあるなという記憶もあったのですが、それも納得できました。抜き読むで、時々出される「木村重成の初陣」が、この合戦には含まれているのです。先日の南湖さんの会では、重成は亡くなってしまいましたが、こちらでは、初々しい21歳の重成の初陣話が、終盤出てきました。徳川側に戦禁止令が出ているなかで、鴫野の先陣に配置されている佐竹陣が、豊臣側の挑発にのり兵を動かしてしまいます。武将の功名心を求める気持ち、それを利用した家康の巧妙な陣営配置、一方、幸村のクレバーな兵法が、南海さんにより細かく描かれます。それ以上語られてしまうと、こちらの頭がついていかないぞという、正に寸止め的な巧妙な語り、これが南海さん的読み物です。この佐竹の動きの対象になる大坂方の鴫野陣営は、ある意味では捨て駒的もの。功名を煽られた徳川方の武将たちが、バラバラに攻め出し、総攻撃に至らせないというのが、幸村の作戦のようです。ただ、個々の戦いでは、徳川方に有利に進むため、大坂方には、陣を捨て退散するものまで出てくる始末。今福に陣を張っていた上杉も、佐竹陣の上首尾に刺激され動き出します。そこで動きを始めたのが、木村重成の陣営。上杉に当たるかと見せ掛け、それをすかして、一定役割を果たしたと考えていた佐竹軍に対し成果をあげ、次いで上杉軍に対峙し、また、こちらでも戦果をあげます。このあたりの戦については、各陣営の戦法、また、それをすかす戦法の解説が入り、臨場感が、一層高まっていきます。その上杉との合戦の中で、重成は、大坂方より、石もて終われた片桐且元の密偵から書状を受け取ります。で、その書状に書かれていることを言いかけて、今日は終わってしまいました。あ〜、悲しい、来月は行けないから、書状の中味は判らずじまいになってしまいます。コアな講談ファンの方に、ヘルプを出すことにします。1時間半余り、もう緊張の連続。いや〜、おもしろかったです。



2014年 2月 22日(日)午後 10時 31分

 まだまだ腰の痛みは続いています。いったいどうなるのでしょうか。前の経験では、ぼちぼち峠を越えようかの時期なんですが。痛みがあるにも関わらず、今日もお出かけ。午前中には、メトロポリタンのライブ・ビューイングに行ってきました。この1週間は「メリー・ウィドウ」が上映されます。主役のハンナを、ルネ・フレミングが歌うというので、話題のニュープロダクションです。それだけではなく、ブロードウェイの大物演出家兼振付師(スーザン・ストローマン)の起用、同じくブロードウェイのスター歌手(ダニロのネイサン・ガン、ヴァラシエンヌのケリー・オハラ)の起用、これらに加えて、ヴァラシエンヌの夫で、ポンテヴェッロ公国フランス大使館を仕切るツェータ男爵に、なんとトマス・アレン、ニェグシュには、ブロードウェイの道化役カーソン・エルロッドと、どこを取ってみても、大物ばかりを集めた超ゴージャスなプロダクションとなりました。装置も衣装も、メトロポリタンでしか考えられない豪華さ。1幕の大使館は、シックな装いにベルエポックの重厚さを感じさせ、2幕は、ハンナの私邸のお庭という設定。民族衣装で艶やかでした。その2幕から、ノンストップで、3幕のマキシムに移行するというのが、このプロダクションの最大の見せ場でしょう。ブロードウェイの踊り子さんが、カンカン風の踊りを折り込みながら、ときにはアクロバチックな動きを見せている間に、装置の転換が進みます。スーザン・ストローマンが演出のポイントと答えていたのは、ブロードウェイのように、オペラではマイクを使わないから、歌手に対する過剰なダンスなどの動きを求めないということ。ですが、歌手やコーラスに、ダンスが求められていました。ヴァラシエンヌがダンスに加わるマキシムの場面でも、先ほどの鉄則を守っての振付。MC役のジョイス・ドナートが、大物、大物と言います。また、そういった触れ込みであることは、黄紺も、事前に承知していましたので、天の邪鬼の気分になり、これを、無名の歌手らが、このプロダクションで演じたらどうなるだろう、なんてことを考えてしまいました。歌唱力の問題はおいておいての話です。となると、1幕の、ハンナやダニロの登場は、あまりにも平板。ヴァラシエンヌの捉え方は地味にすら看えました。ダンスや衣装に対するこだわりからくる華やかさと、こだわりをあまり見せない地味さかないまぜになっているのですが、このキャストでやられると華やかさが先行してしまうということなのかなというところでした。指揮はアンドリュー・デイビス。すごく楽しそうに振っている姿が印象的。そりゃそうでしょう、これだけのゴージャスなプロダクションにおつきあいできるのですから。
 オペラが終わると、一旦帰宅。自宅での時間調整。昼も夜も、今日は、京都で行動を執っていたことになります。夜のお出かけ先は「カフェ・モンタージュ」。珍しく日曜日に公演があり、しかも開演時間が午後6時と、普段の公演とは異なる設定となりました。今日は、「20+1世紀音楽祭」の一貫で、しかも、それらしい雰囲気の漂う「ピエール・ブーレーズ」が、テーマに掲げられていました。オーナー氏の説明によると、今回の音楽祭は、まず、今日のコンサートが決まったことが発端で、企画を思いついたそうです。演奏者の木川貴幸さんは、ニューヨーク在住のピアニスト。「ブーレーズ生誕90周年を記念して、コンサートを企画しませんか」という、木川さん側からのアプローチがきっかけで、今日のコンサートが実現したそうです。演奏された曲目は、ブーレーズのピアノ作品全曲です。その演奏順は、次の通りです。「アンシーズ」「ピアノ・ソナタ第3番」「ピアノ・ソナタ第1番」「12のノタシオン」「天体暦の1ページ」「ピアノ・ソナタ第2番」。正直言って、ブーレーズの作品を生で聴くなんて、この機会を逃したら、生涯ブーレーズ作品に触れることはなかろうの気持ちで行ったのですが、ダメでしたねぇ。何を楽しんでいいのかが見えてこないのです。異空間へとはね飛ばされそうな音楽でもない。12音技法で書かれた作品と言っても、こちらの変化もあるのでしょうが、絶対拒否的な感情も起こらない。拒否しないからと言って、決してなじんでいるわけではない。で、思いついたのは、感覚に訴えかけるような音楽ではなく、音楽理論で解明しながら音を耳にするということかなということでした。となると、音楽史の中での位置付け、また脱構築的な音楽を作っているのなら、その理論的な礎のもと聴き直さねばならないということになります。要するに、ブーレーズを聴くには勉強不足だったということを、自覚させられたコンサートだったということになりました。



2014年 2月 22日(日)午前 0時 6分

 腰の痛みは変わりありません。静止状態から動き出すときの痛みなどは半端ではないのですが、3年ほど前に経験したときのことを考えると、まだまだましだということで、あのときと同様、今がピークと耐えています。とにかくオペラ紀行に障りがないことを願うばかりです。家にいても動くと同じだということで、今日もお出かけ。動き出すときは激痛が走りますが、歩けることは歩けますので、こないな呑気なことをやってられるのです。午後の行き先は民博。今日は、「みんぱくゼミナール」のあった日。今日のテーマは「遊牧の起源―バングラデシュの豚と人のかかわり」。講演は池谷和信さん。バングラディシュと豚、全くミスマッチの組み合わせに惹かれました。まず、広く動物と人間との関わりという視点のお話から始まりました。その中にはペットの問題も包摂されます。ところが分類の難しいものもあるようで、アマゾンでは、昼間だけ人間に近づき、ペットとして可愛がられるが、夜になると野生に戻り、また朝になるとやってくるというのですが、最後は人間が食べてしまうそうです。会場がどっときました。牧畜や遊牧は、当館の先人たちの中でも、大物の学者が手がけてきたテーマ。そういった人たちの言葉を活用したりして、牧畜など関係する用語の定義付けをしてもらったことは、もっと前に聴いておれば、活用する場面もあったのにと悔やまれます。遊牧のセンターは3ヶ所、世界にはあるそうです。1つは、リャマ、アルパカの南米、2つ目は、乾燥地帯に生まれたヤギ、羊、牛なとを飼った西アジア、それに加えて、湿潤な農耕地帯に、3つ目のセンターがあるというのです。場所は東南アジア。水や草を求めて移動するのが遊牧なら、乾燥地帯で発生するというので合点です。ところが、東南アジアはそうではありません。でも形態的にはそうで、ただ目的が違うそうで、肉を手に入れることではなく、宗教的儀礼に必要な豚を確保するためだそうで、それが、東南アジアをセンターに、中国やインド方向へと拡散して行ったとか。また、西アジアをセンターとした遊牧もインド方向へと拡散してきますから、バングラディシュは、どちらの影響下で遊牧が行われているかとなるわけです。結論的には西ア ジア系と言われていました。講演のあとの質疑応答の中で、豚の調査をした専門家からの猪との関連についての質問がありました。豚は猪が家畜化した動物ですから、センターが2つあり、ともに豚を遊牧しているのなら、その進化に違いがあるかもしれないのです。生物学的な、いわゆる遺伝子工学からのアプローチも合わせて、この豚の遊牧問題が解決していくことを教えてもらいました。まだまだ端緒に着いたばかりの研究で、日本の文化人類学が、この問題では世界をリードしているそうです。そういった中で、豚の遺伝子工学的な質問に答えるのを控えられたということは、正にそのあたりの実証までは行ってないほど、新しいテーマなのでしょう。
 民博を出ると、「万博公園東口」からモノレールで「門真市」へ移動後、「京橋」に移動。駅前のネットカフェで時間調整後、「天満橋」の「ドーンセンター」へ。今日は、こちらで「浪曲からパンソリへ、パンソリから浪曲へ」がありました。つい数日前、コアな演芸ファン氏から奈々福さんが、関西ツアーをなさることを教えてもらい、今日の公演を選んだというわけです。そりゃ、安聖民さんのパンソリも併せて聴けるのですから、選ばない手はありません。実は、このお二人の公演が、東京では、既に行われたことがあるという情報は掴んでいながら、今回の公演は、直前まで知らなかったのです。で、今日の番組は、次のようなものでした。安聖民(趙倫子)「沈学奎、開眼の場(沈清歌より)」、姜信子・玉川奈々福・安聖民「鼎談」、玉川奈々福(沢村豊子)「金魚夢幻」。安聖民さんのパンソリを聴くのは2回目となります。日本に、本格的なパンソリができる人がいると知ったときは、ホントに驚きましたし、そして、この上もない嬉しいことでした。今日も、安聖民さんの背後には、字幕が用意されての口演。内容は、娘を死なせてしまったと思っている目の見えないシム某が、皇后になっている娘の力で目が見えるようになるというくだり。安聖民さんの、ちょっとハスキーで張りのある声は健在でした。最初、その声を聴いたとく、あまりにも本格的な声だったので、ホントにびっくりしたものでした。一方の奈々福さんのネタは、待望の「金魚」の再会。奈々福さん自身の新作で、筋立てがおもしろく、また荒唐無稽なプロットも入りと、わくわくしながら聴いていました。このお二人のジョイントは、奈々福&姜の二人の出会いから始まったということを、今日、姜さんからお聞きすることができました。姜さんと安聖民さんがお知り合いでもなかったそうで、浪曲とパンソリの組み合わせの話が浮かんだときに、人を介して出会ったそうです。しかも、この公演、東京と大阪だけではなく、既に、新潟、松山でも行われ、来月には九州での公演が予定されているとか。えらいことです。帰り道、この会を教えていただいた方とは違う、コアな演芸ファン女史とお会いしたところ、パンソリは初めてだったけど、すごかったと言われていました。聞けばいいのだけど、そうやって知らないままの芸能って、まだまだあるのでしょうね。いや〜、満足させてもらいました。



2014年 2月 21日(土)午前 8時 5分

 一昨日から続く右腰痛は、勢いを増しています。右の奥歯も痛み、身体の右側が散々な状態です。歩行にも困難が出てきています。そないなな動楽亭の昼席へ。番組は、次のようなものでした。弥太郎「狸賽」、佐ん吉「稽古屋」、由瓶「じゅうじゅう亭の弁当」、塩鯛「住吉駕籠」、(中入り)、そめすけ「通天閣に火が灯る」、福笑「蓮の池クリニック」。動楽亭昼席の2月席の最終日。この3日間は、福笑がトリを取るということで、あとのメンバーで一番そそられるのが、ラッキーなことに、黄紺の非勤務日に当たりました。塩鯛や佐ん吉が出るというのがありがたいのです。弥太郎は、最近遭遇してなかったので、嬉しい遭遇。「狸賽」は、何度目かな。佐ん吉の「稽古屋」にびっくり。こちらの昼席で出してくれるとは思っていなかったものですから。持っていることは知っていたのですが、遭遇は初めてです。先代文枝や米団治で聴き慣れている「稽古屋」とは、ちょっと違う。芋の出てくるところです。躍りを躍っている途中でなく、喋っている中で、芋の指摘がありました。三味線と合わせるのが難しいのでしょうか。由瓶は異様なテンション。単に、新大阪駅でじゅうじゅう亭の弁当を買ったら、ご飯が入ってなかったことだけで、新大阪駅と京都駅間の16分を描きました。これは、なかなかいい新作です。中トリの塩鯛は、得意の酒ネタ。最近、ポピュラーな酒ネタの「住吉駕籠」に出逢ってなかったのですねぇ。ベテランの噺家さんは、よく手がけても、やはりお酒のネタを、若い噺家さんが、あまり取り組まないからでしょうね。取り上げても、「替り目」や「猫の災難」だったりしますからね。そめすけは、定番の「通天閣」。グッドタイミングの場所でもあります。そして福笑。冒頭、宗教の話をし出したので、「宗教ウォーズ」でも出すのかとも思ったのですが、実際は、自分的には、聴いた福笑作品の中で、一番新しいものに当たりました。寺の土地に病院建てたことから起こる混乱を描きます。僧侶は、今度は葬式会場をも建てようとする、ハチャメチャな設定がおかしな噺なのですが、設定がおかし過ぎると、なかなか他の処理に困ってしまいますね。
 昼席がはねると天王寺のネットカフェへ。夜も動楽亭だったもので、近くの天王寺で、時間を調整したというわけですが、今、腰が不調なもので、この往復すら、なかなか厳しい。夜の動楽亭では、「第20回 南湖の会」がありました。最近、こちらの会に行けてなかったので、今日は、最優先とし、他のコンサートなどは涙をぬぐうことになりました。その番組は、次のようなものでした。「山本勘助〜川中嶋の合戦〜」「冬中夏草」「難波戦記〜大阪夏の陣〜」。南湖さんの「川中嶋」は初めてじゃないかなぁ。修羅場読みが入ったので、これも、東京でもらってこられたのかもしれません。勘助の作戦が深い霧と、煮炊きをする煙の多さから、攻撃を読まれてしまい、武田軍が負ける話でした。「川中嶋」は、南海さんで何度か聴いていながら、頭に入ってないのです。「冬中夏草」は、先日の「できちゃった」で出されたもの。「やってみたくなりました」「こんな話をする講釈師はいないでしょう」と、わりかし自信、自負、自慢がないまぜになった言葉を、南湖さんは吐いてました。メーンの「難波戦記」は、大坂夏の陣で、大坂方の負けていく様子を、四天王の行方を中心に読まれました。「難波戦記」では、真田幸村と後藤又兵衛は生き延びます。幸村の首実験をした男は、実は影武者しか知らなかった。後藤又兵衛の首実験をした男は、大事に至らないだろうと情けをかけた、これで、二人は生き延び、薩摩落ちへと、「難波戦記」は続きます。南湖さんによると、次回が大団円だそうです。



2014年 2月 20日(金)午前 0時 12分

 朝から右腰に派手な痛み。徐々に痛みが激しくなってきて思い出したのは、胆嚢除去手術をした数ヶ月前のこと。同じような痛みで、歩行まで困難になったこと。内臓の具合の悪さと腰の痛み、当時は考えもしなかったことですが、今は関連性ありと考えています。だとすれば、この痛みは、内臓疾患を示すもの? 春のオペラ紀行を前に嫌なことが起こりました。でも、夜遊びは予定通りに。行き先は動楽亭。今夜は「新世界南天の会」がありました。開場時間くらいに行くと、はや開場は済んでいました。中は人のやま。南天、えらい人気です。たまの落語会同様、若い女性の姿が目立ちました。で、番組は、次のようなものでした。米輝「小倉船」、南天「書割盗人」、銀瓶「持参金」、南天「らくだ」。「らくだ」を目当てに行ったのは当然のこと。ネタ出しは、これと、銀瓶の「天災」だったのですが、番組表には「お楽しみ」となっていたので、何だろうと思っていたところ、案の定、「天災」ではなくなっていました。前座役は米輝。「小倉船」は、全体をもらっているようですが、前座で、後半や、ましてやフルでするわけにはいかず、問答のところだけで下りました。前座で「小倉船」をする人は、今まで観たことはなかったもので、とっても新鮮でした。南天の一つ目は「書割盗人」。ネタに入る前のマクラが傑作。あとに「らくだ」が控えてるのにと気になるほど長いものでしたが、とにかく傑作。ある落語会で見つけた南天ファンの特異な行動を報告してくれました。「書割盗人」は、前半の講釈に、南天の蘊蓄が入ったのかな。それを、しっかりと聴かせておいて、バラシに入るとテンポアップ。もう南天の手の中で転がらされている感じでした。銀瓶が、今日の会のようにゲストとして出てきたのは、いつ以来でしょうか。「はやかぶの会」という同期会をしている頃は、よく見かけたという記憶なのですが。だいたいゲストで出ると、主宰者とのエピソードを喋るものですが、今日の銀瓶は、文時(のちの文春、既に故人)をこごろう(現南天)と思い込み、文時が先輩なのに後輩扱いをしてしまった話をしてくれました。そう言われてみると、スリムな体つきは、文時、こごろう共通です。「持参金」は、「らくだ」に配慮した手頃な長さですね。そして「らくだ」、南天は、マクラでハードルを下げるため、「軽いらくだですよ〜」と軽く言ってから始めました。もうちょっとひ弱そうな方が、あとの振幅に役立つかなとは、ちらっと思いましたが、紙屑屋と熊五郎の前半の対話が良かったなぁ。言葉で応対する紙屑屋に対し、恫喝と暴力でしか対峙することしかできない熊五郎。恫喝されるまでは、真っ正直に正論を言います。そんなにひ弱じゃないのが、そういった紙屑屋に合っている感じで、それにぐいぐいと引っ張られてしまいました。酒の呑みっぷりもいいですね。一つだけ、不満を感じたのは、酔い方が急だったこと。3合もの酒を、1合ずつ一気に呑もうかという男にしては、酔いが急に過ぎるなの印象。米朝の編み出した箸の使い方の変化も、踏襲しようとしながら、完璧ではありませんでした。最後に、手で肴を掴むというやり方は、えらく大きな反応が出てはいましたが。その頃になると、紙屑屋さん、叫ぶような感じになってしまっていました。そんなで、この辺りにきて、問題が大きくなってしまいました。ちょっとしたギアの入れ違いが、あとあとに影響する、やっぱ、「らくだ」はただの噺ではありません。最後は、火屋に向かいかけたので、下げまで行くのかと思ったのですが、そこで切りました。最初から、そこで切り上げるつもりだったのでしょうか。それとも、その場の判断で切りあげたのかは、残念ながら判りません。鶴志や生喬のごっつい声系じゃない噺家さんが、「らくだ」を手がけることの難しさが、よく解りました。そういったなかで、間違いなく大きな希望を抱かせる口演だったことは間違いないでしょう。コアな落語ファンを除いて、「高津落語研究会」を通じて、たまのファンと南天のファンが相互乗り入れをしているなの印象を持った会場の雰囲気でした。



2014年 2月 18日(水)午後 11時 18分

 年度末が近づいてきましたが、残る仕事はカウントできる段階まで来てしまっているので、のんびり気分で仕事やってます。定時に職場を離れ、今日は「千日亭」へ。今日は、こちらで「まちの寺子屋」がありました。今日の担当は南青くん。取り上げた読み物は、「浪花侠客伝」「薮井玄意」でした。「浪花侠客伝」は、前回が三好屋四郎右衛門、今日は違袖音吉が読まれました。両者ともに、いわゆる男伊達となっていく来歴が読まれるという形になりました。三好屋は武士の出であるのに対し、音吉は河漁師の倅。宇建つの上がらない父親を見て育った音吉が、12歳で男を上げ、且つ京橋口の魚市場で暴漢ぶりを発揮している男を制していく姿が描かれました。南青くんによると、大川の上下で勢力を張った二人が、やがてやりあうそうです。南海さんは、三好屋を落ち着きのある間口の広い親分肌の男に、音吉を、意気のいい、若さを感じさせる男に描いていきますが、南青くんの描く音吉は、まだまだ子どもというところから抜けていません。三好屋は、もうちょっとお兄ちゃんかなというもので、ともにやんちゃな男というキャラになっています。その違いがおもしろくて、ひょっとしたら、前回聴いたあとも、同じことを書いたかもしれません。「薮井玄意」は、南湖さんが、自分の会で続き読みをしたのを聴いているので、筋立ては見通しを持ちながら聴くことができます。疫れいが蔓延するのを防ごうとする玄意、名誉欲にのみ捕らわれている息子との葛藤を縦軸に、玄意から薬の処方を伝授された宿屋夫婦が、京の町衆を疫れいから救っていく痛快さが心地よい。ついには帝の病気の治癒にも貢献する玄意だが、それを自分たちの成果だと主張するご殿医との医学問答と、用意されている場面は豊富。最後には、親子の和解まで用意されていました。なかなかの内容。構成も見事なものでした。



2014年 2月 18日(水)午前 4時 58分

  大阪府守口市(84)〜大阪市鶴見区〜東大阪市(48)

   朝方は雨、結構な雨足だったので、今日のウォーキングはダメかと思っていたら、わりかしと早めに雨は上がったのですが、昼すぎまでどんよりとした空のまま。でも、ウォーキングを始めようとした時間帯には、陽が射してきました。とってもラッキーな展開。ウォーキングは、前回、急に心変わりがして止めてしまった鶴見緑地方向に向かうことにしました。そのコースの詳細は、次のようなものでした。京阪「守口市」駅〜大枝公園〜南寺方西公園〜旭新森六郵便局〜鶴見緑地〜「茨田浜」交差点〜のぎく保育園〜古川大橋〜大阪市立茨田小学校〜万代橋〜JR「稲田」踏切〜比枝神社〜JR学研都市線「徳庵」駅。久しぶりに鶴見緑地に北西方向から入ったもので、周りの風景がピンと来ないため、道行く人に、鶴見緑地かどうかを尋ねてしまいました。旧花博の庭園にたどり着くためには、結構な時間がかかります。今は、鶴見緑地に行っても楽しめるものはない季節。オランダ庭園では、球根が植えられ、霜除けでしょうか、藁が敷き詰められていましたし、バラ園は、可哀想なほどの剪定が施されていました。鶴見緑地を出たのは、スタートしてから、まだ1時間も経っていないところ。終点を「徳庵」駅と定めていましたので、少し遠回りをしてみました。茨田小学校が、コースに入っているのは、そういったわけです。それでも、終点までは思いの外、時間はかからず、最後は駅の周囲を歩くことになりました。
 「徳庵」から「天満」まで移動。駅前のネットカフェで、休憩がてら時間調整。かなり眠ることになっちゃいました。そして、夜は繁昌亭です。今夜は「佐ん吉大一番」がありました。その番組は、次のようなものでした。あおば「秘伝書」、佐ん吉「犬の目」、佐ん吉・あおば「楽屋風景」、佐ん吉「星野屋」、(中入り)、米左「本能寺」、佐ん吉「火事場盗人」。今日の番組で、まず目を引くのは、主宰者佐ん吉の「星野屋」もさることながら、ゲスト枠の米左の「本能寺」。芝居噺の中でも大ネタ感の強いもの。ゲストで喚ばれた方から「本能寺」を出したいと言うことは、通常考えられないことですから、これは、佐ん吉がやりたいから、米左におねだりしたなと思っていたら、案の定、米左自身も同じことを言ってました。「映像も撮っていることだし、ぞの内に稽古に来るのでしょう」と。少なくとも、マクラで、ことわりを言っておかないと、ゲストとしてはやりにくいでしょうから。「星野屋」の方は、文珍から直にもらったそうです。文之助とどっちからなのか気になっていた答を、生着替えの「楽屋風景」で、あおばの質問に答えて、稽古風景も合わせて話してくれました。お花の母親のキャラがよく、一気に噺の幅が拡がった感じ。身投げのところで、テンポか落ちかけて、落ちきらない内に新たな展開に行き、我々の頭の中に混乱を巻き起こしたり、下げに向かって一気呵成にギアチェンジをしたりと、したたかな技が冴えました。トリネタとなった「火事場盗人」は、初遭遇なのですが、くまざわさんの作品だったでしょうか。間違っているかもしれませんが。火事場で、盗人が預かったのは、赤子の入ったつづらだった、この着想がいいですね。見事な人情噺です。30分ほどの噺ですが、18年後に、いきなり誓願寺に行かなくてもいいのにと、黄紺は、更なる長編への成長を期待します。子どもが、自身の身の上を知ってしまうという展開に、正直ホッとしました。収め方も素晴らしい感性です。「犬の目」もおもしろかったなぁ。まっさんのエリーを、突如登場させ、それを、登場人物にたしなめさせたりして、びっくりさせたり、笑わせたりと、技の冴えが光りました。やはり、佐ん吉は、実力と感性面の冴えを持っています。3席を3席とも満足させてくれるのですから。



2014年 2月 17日(火)午前 5時 24分

 帰り道、職場から外に出ると、陽の高さ、明るさを見ていると、もう春の雰囲気が漂い出しています。黄紺の完全リタイアまで、1ヶ月ちょいになってきました。終わった途端に、オペラ紀行出発ですから、あと少しの仕事の時間を楽しむことにしましょう。で、今週は、なかなか賑やかな彩り豊かな予定になっています。昨日は、動楽亭であった「できちゃったらくご!」のあった日。日本にいないやら、所用とバッティングなんてことで、2〜3回抜けてしまってます。いつものように、開演前にジャンケンで出番決め。その結果、次のような番組となりました。三河「悲しき誕生日」、あやめ「ザリガニ」、南湖「冬虫夏草」、三金「影武者」、(中入り)、遊方「復活Gパン刑事」、たま「スミヨシバー」。昨日は、三風が出られないということで、弟弟子の三河が替わりに出演。その三河と、あやめ、南湖の3人が、ネタ下ろしではなかったため、残りの3人でジャンケンをしてから、ネタ下ろしではない3人が、残った出番を取り合うジャンケンをするというものでした。三河は、黄紺としても初遭遇。どういった噺をするかも知らない噺家さんでした。誕生日なのに周りの人に祝ってもらえない人ばかりを集めたイベント。噺のプロット自体も小さく、流れ的にもインパクトが大きなものとは言えませんでしたが、確実にパソコン世代の着想。そういった意味では新しいのですが。あやめは、先日、繁昌亭であった募集台本の会で聴いたばかりのもの。従って、あやめ作品ではありません。聴き直してみて、なかなかいい作品という印象が強くなってきました。ザリガニが芸をするという奇抜な発想と子どもの成長を追うという視点が新鮮です。前に比べて、母親の騒ぎ方が抑制されていたのが好材料。男の噺家さんがすると、どういった雰囲気が生まれるのでしょうか。ちょっと聴いてみたい衝動があります。「冬虫夏草」は、不気味な噺。ただ内容を思い出せないのです。急激に、一時的だけと睡魔に襲われてしまい、変な噺だというのは覚えていても、それ以上のことを思い出せないのです。「影武者」は、会社の命令で、社長の替え玉に指名された奥野くん、そのために太らねばならないというのが、今までになかった新しい発想。こういったことができるのですね、三金の柔らかい発想に感服。最後は、「動物園」的な落ちになっていました。そして、この会の白眉は遊方作品。松田優作の思い出を語ったあと、やおら、「太陽にほえろ」のシーンを再現。Gパン刑事が亡くなるところの再現なのですが、いくら撃たれても死ななくて、倒れる度に起き上がりギャグを言っていくというパターンの繰り返しに、客席はヒーヒー言わされました。たまは、自作の「カケ酒」とよく似た展開。ただ、設定は高級バーとなっていました。「カケ酒」には看られなかった、その場の拡がりにもポイントが置かれていたところが、新しい。ただ仕上げる時間がなかったようで、たま作品にしては、ちょっとおとなしめの作品。ま、それは、遊方作品のあとというポジションだったからかもしれません。それほど遊方作品のインパクトが強かったということでしょう。後ろの3人が、やっつけ仕事的なことを言いながらも、一定以上の質を保ち、そこへさして、既成作品が加わったわけですから、総体としては、いい落語会に行ったぞの満足の生まれた会でした。ハチャメチャになるのも、「できちゃった」の魅力ですが、ものが揃うというところは、さすが「できちゃった」の自力を見せつけられたということでしょう。



2014年 2月 16日(月)午前 0時 8分

  大阪市内遊歩(224)

 昨夜は眠れず、眠りに入っても、すぐに目が覚めるということで、合計で3時間寝たかなという具合。そうなると、気分は、どんどんと沈んでいきます。急に思い立ち、春のオペラ紀行のキャストの洗いだし作業をやり出したのですが、これが面倒だし、ついつい慣れないドイツ語を読むと、またまたストレスが溜まる。だから長続きをしない。でも、これやっとかないと、重いパンフレットを買わねばならないので、黄紺がグレードが高いという歌劇場だけ、下調べをして行こうと考えているのです。今回は、ロランド・ビリャソンを聴けるのが、最大の目玉になっています。午後に予定していた落語会も行く気がなくなってしまいました。本日のお出かけの狙いは、夜の落語会だったもので、それまでに、このストレスを晴らすには、身体を動かすことが一番と、フルタイムのウォーキングをすることにしました。最近、時間が取れなくて、できてなかった2時間かけてのウォーキングこそが、今の自分にとっては、ピッタリと判断したのですが、オペラ紀行から帰ってきたら、こういったことが頻発するのかと思うと、またまた気持ちが沈んでいきます。ま、そんなで実施したウォーキング、そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。京阪「京橋」駅〜大阪ビジネスパーク円形ホール〜新鴫野橋〜大阪城梅林公園〜NHK大阪〜大阪医療センター〜南大江公園〜安堂寺橋〜大阪市立南高校〜大阪市立南中学校〜道頓堀〜文楽劇場〜日本橋公園〜大阪市立日本橋中学校〜関谷町公園〜難波年金事務所〜難波中公園〜大阪府立体育館〜地下鉄「難波」駅。今まで、何度となく歩いたおなじみの道筋。当初は、もっと西にシフトして、北から千日前に入るつもりだったのですが、途中トイレに行きたくなり、最初は高津神社に行こうと考えたところ、あっさりと道を間違え、結局、トイレを借りたのは文楽劇場。ということで、ほとんど南北方向を意識したコースとなりました。ところで、大阪城がえらい賑わい。暑さ寒さに関係なく多い外国人観光客に加え、今日は、梅林散策を楽しむ人で賑わいを見せていたのです。黄紺も、カメラにばっちり納めることができました。
 ウォーキングの終点は千日前。いつものネットカフェで、静養がてら時間調整。そして、夜は、「動物園前」まで移動。動楽亭であった「SEIJU EIGHT YEARS OLD !! 〜笑福亭生寿 入門日落語会」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。生寿「刻うどん」、呂好「天狗裁き」、生寿「花伊歌大」、(中入り)、生寿「蛇含草」。今日は、年に1本発表する宝塚落語のネタ下ろしの日。毎年5月にある「噺家宝塚ファン倶楽部」に向けての新作を発表する日でもあったのです。そのためか、同じ会場で開いている生寿の勉強会に比べるといい入り。新作は「花筏」のパロディ。古典の「花筏」は、体の大きな提灯屋の徳さんが、病気の大関花筏の替わりをするというもの。「花伊歌大」の方は、宝塚のトップスターの妹が病気になったため、双子の兄うどん屋の徳さんが、妹の替わりをするというもの。ただ5月の会では、時間の制限があるということで、10分ほどの作品。だから単に妹の替わりで舞台に立つというだけの噺になっていて、「花筏」のような厚みのある噺になっていませんでした。生寿自身も、膨らみが足りないと言ってはいたのですが、やはり時間の制約考えると、宝塚キャグを増やし、「花筏」カラーを削ぐ程度の噺になるのじゃないかな。生寿の出した古典では、ダンチの差で「蛇含草」に軍配。「刻うどん」は、稽古で、師匠の生喬から、一言も言ってもらえず、なかなかかける勇気が出て来なかった曰く付きのネタだそうですが、確かに、今日聴いても、普段の生寿の口演の持つ勢いを感じられません。なんか変なんです。で、気がつきました。全体のリズムがあるとは言えないことに気がついたのです。うどんが食べる仕種もリズミカルじゃないですし、変に小細工したような間が、大切なリズムを崩しているように看ました。それに対して、「蛇含草」がいいですね。生寿ベストの中に入れていいでしょう。夏の暑さを表すのに、砂糖のどんごろすが出てきたのは、初めて聴きました。これが、最後に、再度くすぐりとして使われます。すごいおもしろいアイデアです。そして、こちらは、逆にいいリズムでした。ですから、通常だと早口に聴こえそうな箇所でも、リズムがいいので、すごく引き込んでいくんだなぁ、これが。餅が仏像にくっついたりと、細かなセンスのいいくすぐりも光ります。このくすぐりって、誰の発案か、とっても気になっています。ゲストの呂好は、お手伝いに来ていた小鯛に「サイテー」と言われるマクラをふってからネタへ突入しました。ま、言われても仕方のないところでしょう。「天狗裁き」は、華紋との二人会で、既に聴いています。柔らかい口ぶりに、僅かながらの変化をつけていくことに成功している話は、前にも書きましたね。最後、9年目に入った抱負として、生寿は「笑福亭だから酒の噺をしてみたい」と言っていましたが、やっぱ酒のネタがないことを意識してたんだと、胸を撫で下ろしました。若手の噺家さんが、怖がってか、なかなか酒のネタをやらない現状が気になっていたものですから、嬉しい限りです。何がいいかなと、帰りの電車の中で考えた結果、黄紺は「首提灯」がいいかと思ったのですが。



2014年 2月 14日(土)午後 8時 38分

今日は、「びわ湖ホール プロデュースオペラ 歌劇『オテロ』 プレトーク・マチネ 〜『オテロ』の魅力を再発見〜」のあった日。3月にあるオペラ公演のプレイヴェントです。ドイツでも、プレミエを前に、歌劇場のホワイエを使い行われています。ドイツのように公的援助が多いと言えない日本で、このような催しをしてくれていること自体、嬉しいこと。ドイツでは、各公演に先立ち、20分くらいかな、「本日の公演について」というレクチャーが、毎回行われています。それに比べると、まだまだですが、今日のようなイヴェントは、まことにもって嬉しいことです。プログラムの前半は、岡田暁生(京都大学教授)氏と沼尻竜典(びわ湖ホール芸術監督)氏による、「オテロ」についてのお話。「オテロ」は、ワーグナーの影響が濃いこと、オテロの破滅の分析など、興味深いお話を伺うことができました。沼尻氏は、既に東京で始まっている稽古の中を抜けての参加だったとのこと。逆に、演出の粟国淳氏は、稽古に立ち会う必要から不参加でしたが、オーソドックスな演出であることが、司会者の方や沼尻氏から報告されました。後半は、「オテロ」の2つのアリア、1つのデュエットが、同ホールの声楽アンサンブルの歌手(松下美奈子〔s〕、二塚直紀〔t〕、岡本佐紀子〔pf〕)の方々が披露。そして、最後に、休憩時間に回収された質問に応えてお開きとなりました。黄紺が書いた質問も取り上げていただき、ちょっと嬉しかったな。なかには「オテロ」と関係ない質問も。「オペラのヒロインで誰が好きか」という質問がおもしろかったなぁ。黄紺などは、思いもつかない質問なんだけど、答えが始まると傑作。沼尻氏はワグナーの描く女性と言い、次にリューの名を出すと、他のパネラーから「深層心理が見えた」と突っ込まれ、逆に岡田氏が、「R.シュトラウスの描く女性」なんて、迂闊に言ってしまうと、沼尻氏から「サロメですか」と、お返しの強烈な突っ込みが入ると、会場は大爆笑。とにかく、沼尻氏のトークが最高にいい。一つ一つのフレーズごとに、受けようが受けよまいが、くすぐりを入れていきます。噺家さんで、そこまで臨機応変に、その都度くすぐりなんて入れられないよと言いたくなるほど、タイミングよくすぐりが入ってました。ドイツの当世オペラ事情の話もおもしろかったなぁ。演出家天国という言葉は使いませんでしたが、内容的には、その言葉に匹敵することを言われていました。せっかく日本で「オテロ」を振るので、リューベックでもやらないかと持ち掛けたら、数年前にやったとかで受け入れられなかったけど、そのプロダクションの内容を聞いて、自分からも諦めが簡単についたと言ってました。ボクシングのリングが舞台で、登場人物はボクサーだったとか。こういったトークがおかしくって。「オテロ」のお勉強というよりか、その他のオペラをネタにしたトークを楽しんできたって感じでした。



2014年 2月 14日(土)午前 5時 44分

 昨日は、昼間、ちょっと家の用事で区役所へ。近くに、弟の家があるので、お喋りでもして行こうと思っていたら留守。思いがけず、早くに大阪に向かうことになりました。ミニミニウォーキングを40分ちょっとだけして、千日前のネットカフェで時間待ち。夜は、高津神社であった「高津落語研究会」に行ってまいりました。しばらく行ってない内に、人気が上がり、通常「高津の富亭」とされている社務所に収容できなくなり、今まで落語会には使われていなかった広間を使うことになっていました。たまの、他の会で、この件について聴いていたため、迷わずに行くことができましたが、そうじゃなければ迷子になった恐れがあります。で、その番組は、次のようなものでした。雀五郎「手水廻し」、ひろば「色事根問」、南天「七段目」、たま「立ち切れ」、全員「大喜利」。人気を喚ぶだけに、客席の反応が、頗るいい。以前と、随分と様変わりしたなの雰囲気を感じました。また噺家さんも、会の人気を受けて、マクラから全開。ますます、この分じゃ、集客力が上がっていきそうな予感がしました。雀五郎の「手水廻し」って、何度も聴いていますが、進歩の跡を、何度も確認することができました。仕種に、ほんのちょっと躊躇いを付けたり、タメを作ることで、表現に幅を持たせていました。ですから、台詞のないところで笑いが起こったりと、えらく腕を上げてきています。「色事根問」は、普通の展開。でも、きっちりしていると、わりかし時間を食っていきます。ですから、「四芸」まではきっちり、あとは流すという展開となりました。集客力を上げるためには、ひろばと雀五郎が頑張らないとダメと、たまに言われていると、ひろばは言ってましたが、その意気込みは、二人のマクラに、見事に現れていました。爆発的に受けたものですから、通常の「色事根問」でも、客席の反応が違いました。そういった中で、南天のマクラの爆発力は、更にグレードが上がりました。そこへ持ってきての「七段目」、南天より芝居の台詞回しや所作のうまい噺家さんは、少なからずいるでしょうが、芝居を道具として使いながら、噺のうまい人はいないのではと思わせられる好演。今、落語へのやる気がみなぎっている時期に入ってるそうですから、そのエネルギーが、前に出てきたという感じでした。そして、たまの「立ち切れ」。やはり、狙いは、この高座。「微笑落語会」でのネタ下ろし以来の遭遇です。もうそろそろ、いじって、変わり「立ち切れ」を聴けるのではというので、狙いに定めたのですが、結果はどうであれ、狙いは当たりました。若旦那が木ノ庄を訪ねるところから始まりました。ですから、蔵住まいを出てすぐに駆けつけた、言い換えると、小糸の三七日のことになります。ですから、若旦那とお母はんとの会話として、小糸の最期、そこに至る流れが語られ、また蔵住まいのことが明かされるという展開になります。ですから、通常の「立ち切れ」の後半だけが、実際の進行として語られ、そこまでの経緯を振り返るという構造になっていました。確かにコンパクトになってはいるのですが、小糸はどうなっているのかという謎解き的楽しみや、親族会議のおかしさなどはカットの憂き目に遭っています。朋輩集が、三七日に来ることは来るのですが、化粧のやり直し話はなしで、また咳をきっかけに、三味線が鳴るのではなく、仏前で酒を呑み出すと鳴り出し、且つ「雪」ではなく、「待つ」という言葉が出てくる唄になっていたりで、大幅な改変。慣れてないせいか、自分の中では、かなりの抵抗があります。刈り込むのが、決していいことばかりを生むわけではないということになろうかと思います。下げを言うと、そこまでの口演を、フリップを使い、宇多田ヒカルの曲に乗せて、復習にかかりました。フリップには、人物名や出来事だけが書かれており、客に想像させるというもの。こういったアイデアは、ホント、たまはすごいものがあります。「立ち切れ」のあとに、フリップがあり、大喜利があるという構成は、ま、たまが出る会ぐらいでしょう。大喜利は雀五郎の司会。謎かけで、ひろばにスーパーな答えが出て、会場が騒然となりました。総体として、これだけヒーヒー言わせた会は、そうはないというもの。そりゃ、客が入るわの印象でした。



2014年 2月 13日(金)午前 2時 46分

 昨日が祝日で、今週は勤務日は2日。これは、気分的に、体力的にありがたい。こんなだったら、もう少し働いてみたいと、ふっとそないな考えが浮かびます。お天気の方は、先週に比べると暖かいのが嬉しいですね。そして、夜は、久しぶりに「八聖亭」へ。今夜は、こちらで「四行錯誤」という落語会がありました。4人の固定メンバーで始まった会、先月は、客が2人だったということで、今日は、出演者の縁者が、かなりおられたようで、ちょっと通常の落語会とは、雰囲気が違いました。で、番組は、次のようなものでした。染吉「東の旅〜発端、野辺、煮売屋〜」、三弥「ぜんざい公社」、團治郎「悋気の独楽」、優々「不動坊」、全員「大喜利」。今日の狙いは、米朝門下の2人。有望な噺家さんの大ネタを聴いたことがなかったもので、ぜひにとの思いで、他にいい会があるなか、こちらを選んだというわけです。まず、その2人ですが、優々は、時間を考えてか、マクラなしで、いきなりネタに突入。その意気込みというか、前のめりの状態で推移。落ち着かない口演で、聴いていて、とっても居心地の悪さがありました。一方の團治郎の声量は、半端じゃない。それが、やっぱ、じゃましたなの印象。定吉とのやり取りなど、ご寮人も策士ぶりを見せてくれますが、やっぱトーンを絞ってほしいところ。もうちょっと繊細な感性を持ってほしいというところです。でも、優々に比べると、落ち着いて聴くことができましたが、この2人に対する期待が大きかった分、こないなはずではなかったぞの印象を持ってしまいました。あとの2人の内、三弥はネタ下ろし。この会は、必ず1人がネタ下ろしをするという約束があるそうで、今回は三弥の番だったというわけです。ただ、この「ぜんざい公社」には賛同できませんでした。ぜんざいを食べに来た男が、常に怒ってる状態。これは、いかがなものか。それも口汚く怒るものですから、聴いていて気分のいいものではありませんでした。この先、どうなるかという読みを刺激するものがあって、文句を言いつつ、興味もわいてくるから、普通に怒ってはいけません。その辺のデリカシー、持って欲しかったな。キャリアが2番目の染吉は、入門時に習ったのであろうというネタで、きちっとした前座役を務めてくれました。もう少しグレードが高いかなと思って行ったのですが、それほどでもなかったという感じ。でも、この4人の接点って、どこにあったのでしょうね。そして、三弥が、若手の噺家さんのお世話をするという構図が謎です。そないな関心もあって行ってみた会でした。



2014年 2月 12日(木)午前 0時 23分

 今日は休みの日ですが、職場に行って、身の回りの整理整頓。シュレッダーに書類をかけるだけで、わりかし体力を消耗。情けないのか、そういうものか、よく分かりません。結局、午後いっぱいを使ってしまいました。そして、夜は、「カフェ・モンタージュ」でのコンサート。今日は、「果てしない眠り」と題して、ヴァイオリン(佐藤一紀)とチェロ(上森翔平)とピアノ(塩見亮)でのピアノ・トリオの演奏会がありました。演奏されたのは、ラベルとフォーレのピアノ・トリオ。フォーレはまだしも、ラベルにピアノ・トリオって、あったっけの認識。ただ聴いてみると、1楽章に出てきたメロディは聴いたことがありました。3楽章までは多彩な音楽が展開されますが、4楽章になると、急にせわしなくなる。そこを、うまくオーナー氏より、予め情報を入れておいていただきました。ラベルは、第1次世界大戦に参戦することに、かなり意欲的で、参戦直前に、この曲を書き上げたそうで、結果的に、それが4楽章に現れたということでしょう。フォーレは、ヴァイオリンとチェロが、同じメロディを、一定の和音を保ちつつ、延々と重奏を続けます。それに身を浸していると、ロッキングチェアに揺られながら、半寝で聴いていたら気持ちいいなの雰囲気です。そこを、触れたり離れたりしながら、泳いでいるようなピアノ。そういった音楽を演奏するには、ちょっとヴァイオリンが、線が細いなの雰囲気。万能ピアニスト塩見さんの音色に、一層のきらびやかさ、輝きと表現できるものがあればとは思いましたが、いやいや、言い過ぎかもしれません。キャンセル待ちの客も出るほどの人気。せっかくのコンサートも、帰りの三条駅での出来事がわやくちゃに。だだけ者に出会った身の不幸を噛みしめています。



2014年 2月 11日(水)午前 0時 9分

 今日の午後は空いていたこともあり、一日前倒しにして、職場からの引き上げ準備に入ることにしました。ま、時間のかかることですし、最終的には、息子に車を出してもらい運んでもらわねばならないわけで、仕事の忙しい息子との間で、その日取りを、既に決めてしまってますから、それまでの間で空いている日を、有効活用しなければならないのです。そして、夜は、迷った挙げ句、天満橋の「常盤漢方薬局」であった「桂福丸研鑽会」に行ってまいりました。今日は、「生喬百席」があった日ですが、聴き慣れたネタでしたので、他の会を探していたところ、この会が引っ掛かってきたのです。「天満講談席」もあったのですが、こちらも、同様の理由で却下です。で、この会の番組は、次のようなものでした。真「強情灸」、福丸「天災」、あさ吉「世帯念仏」、(中入り)、はやしや香穂「三味線指南」、福丸「軒付け」。真の落語は久しぶり。関口の旦さんが出てきたので、ざこば一門の誰かからもらったのでしょう。男くさい噺という雰囲気を出そうとしているのは判るのですが、だったら、それに合わない動きとか喋りは避けなきゃ。努力が、いっぺんに壊れる恐れがあります。福丸の一つ目も、ざこば一味系の噺でしたが、なんとなくテイストが違うなということを考えながら聴いていたのは覚えているのですが、この会で、一番眠くなったところがここだったもので、具体的には思い出せないのです。ゲスト枠のあさ吉は、長大なマクラ。ポトフとぬか漬けについて蘊蓄を語ったあと、入門に至るまでと内弟子修行時代の話と、あさ吉得意にしているマクラとなりました。従って、ネタは小ぶりなものとなりました。あさ吉の「世帯念仏」を聴くと、お念仏が上ずって聴こえてしまうのは、何も、今日初めてではありません。長嶺さんが、舞台に上がり三味線を弾くというのが、この会の特徴。今日は、端唄「四季」より、染弥&菊丸の出囃子、かっぽれを弾いてくれました。そして、トリの福丸のネタに、びっくり。「軒付け」なんてネタ、近頃の若い噺家さん、手を着けない。いい大人が、5人も、6人も寄って、わいわいやってる雰囲気、難しいです。浄瑠璃もさわりはやらないといけない。滑稽ネタなんだけど、わいわい感、ムズイです。「ウナギの茶漬け」がいい小ネタ、繰り返しの小ネタなんだけど、あれがおもしろいのは、わいわい感の中でこそ光るもの。福丸の声質とか考えて、無謀かと思ったのですが、そう思ったネタほど、彼はクリアします。「八五郎坊主」のときも、そうでした。福丸カラーにそぐわないものを選んでと思ったのですが、自分にないものに対しては、はじけてくれました。結果、頗るいい出来となりました。今まで使ってなかっただみ声が功を奏し、軒付けをする集団が見えてきました。天さんが、まるで文楽人形状態になってる姿が浮かんできました。そうなってくると、いじりがなくとも、通常のテキストに命が通います。成功です。この成功は、10年未満の噺家の中で突出してしまったかもしれません。



2014年 2月 10日(火)午前 3時 29分

 あと少しの仕事をする日々。その最後の山を登ろうとして、あっさりと頂上が見えるところまで来てしまいました。職場に置いてある私物整理に、ぼちぼち取りかかろうかと考えています。水曜日の祝日なんかを利用して、そないなことを考えています。で、昨日は、珍しい浪曲の曲師さんの会に行ってまいりました。阿部野橋の居酒屋「風作」を使った「曲師の会」です。沢村さくらさんと藤初雪さんが主催で、浪曲師さんでは五月一秀さんが登場されました。内容は、前半が、一秀さんを呼び込み、有名浪曲師の節真似。これは、おもしろく、勉強になりました。披露されたのは、次のようなものでした。もちろん一節だけなんだけど、浪曲史上に名を連ねる名人上手のようなんです。黄紺は、まだまだ浪曲には不案内なものですから、勉強になったというわけです。(国友忠)「銭形平次」、(吉田一若)「雪の夜話、大高源吾」、(篠田実)「紺屋高尾」、「壺阪霊験記」、「天保水滸伝、平手御酒の最期」。「壺阪」以後は、客席からのリクエストに応えて、一秀さんとさくらさんで、即興でやられたもの。それぞれを得意ネタにされていた浪曲師さんの節真似をされていたのでしょうが、黄紺には判る術もありません。最初の3つは、さくらさんから一秀さんに出されたリクエストだったようで、一秀さん曰く、「息の使い方なんかは勉強になった」ということで、名人上手の素晴らしさを言われていました。黄紺的に気になったのは、2番目に出された「雪の夜話」。息の長い叙情的な節に魅せられてしまいました。これは、初雪さんが弾かれましたが、ネタを聴いて、すぐに対応されるさくらの凄さにもびっくり。そして、この進行にしても、なかなか優れたプロデュース力を発揮されています。喋られる言葉も、自然と大阪弁が混じるようになり、関東節、関西節双方に対応できる貴重な曲師さんの地位を築き上げられることでしょう。最後は、一秀さんの持ちネタを、二丁三味線で披露されました。一秀さんにとっては、師匠五月一朗を、初めて聴いたときの記念すべきネタだとか。乃木将軍ものって、講談でもそうですが、一定のジャンルを占めていたのでしょう。こうしたところで出てくる乃木将軍というのは、軍神として、皆の尊敬を集めている、だから偉くて雲の上の存在、でも人柄は温厚で、庶民の気持ちを理解する、ま、時代劇に出てくるヒーローと同じです。このネタでは、軍事演習視察を奈良で終えた乃木将軍が、帰路、伊勢参りをしようと考えたため、妻に東京から替えの服を、名古屋まで持って来させるのだが、飾り気のない乃木将軍の妻が、粗末な扱いをされてしまうというプロットって、水戸黄門のノリですが、そのネタばれになって以後が、よく解りませんでした。ダウンしたわけじゃないのに、日本語が聞き取れなくなったと言えばいいでしょうか。せっかくのトリネタなのに、情けない話です。時間的には、1時間10分ほどの会でしたが、すっごく楽しませてもらったという濃い時間を過ごさせてもらえました。



2014年 2月 8日(日)午後 9時 33分

 今日は落語会の日。この週末は多彩なものに接することができました。落語会は「吹田サンクス寄席」。雀三郎師がブッキングのお世話をしている会です。その番組は、次のようなものでした。染八「浮世床」、阿か枝「初天神」、仁智「めざせ甲子園」、雀三郎「百年目」。今日は、開演前から眠くて仕方なく、案の定、前の二人でダウン。朝方4時半に起きたままのうえ、午前中、オペラの事前学習を水割りを呑みながらしたのが、業をしたみたいです。雀三郎の同期仁智を、こちらの会で観るのは初めて。久しぶりの「めざせ甲子園」ににんまり。ただ仁智は、度々「暑い」を連発。それで、ダウンが早々に起こったわけが、自己責任だけではないことが判りました。この噺って、「大安売り」と同じパターンの噺ですね。雀三郎の「百年目」にはびっくり。まさか、こちらで「百年目」が聴けるとは思ってもいなかったからです。来週のある落語会で、雀三郎が「百年目」を出すというので、久しぶりに聴いてみようかと思っていたところだったもので、結果的に、その会に予約を入れるのを躊躇っていたことが、正解となりました。自分の予定を決めきることを躊躇していたことが幸いしました。この噺の変化は半端ではありません。序盤の番頭の小言。次が番頭の遊興です。それも、酔いがまわるにつれ、番頭の行動も変わっていきます。挙げ句の果てに旦さんと遭遇です。次いで、番頭の一人芝居的な妄想。最後は、旦さんの一人語りと説諭です。今日聴いた雀三郎で、前回聴いたときと、明らかに違うなと思ったのは、番頭の軽さ。もちろん破廉恥なものではないのですが、今まで、「百年目」の番頭って、隠れ遊びはするけれども、旦さん思いで、お店思いの人物だと考えてきました。ある意味では、米朝が作り出した、この噺の全体像がそうだったのでしょう。ところが、今日の番頭の軽さは、その辺に揺さぶりをかけられたなの印象です。ちょっとだけですが、この番頭の頭の中には、まずは身の保全がありきじゃないかと思わせるものがありました。それは、斬新な印象を持ちはしたのですが、正直、その方向性って嫌だなとも思いました。あまりにも米朝的彩りに浸っている自分は解るのですが、なんか好きになれないもって行き方と感じてしまいました。そういった意味では問題作かもしれませんね。また、期日を置いて、雀三郎の「百年目」は聴く値打ちは大きいですね。
 落語会が終わると、夜は予定が入ってないということで、「守口市」駅まで歩いて帰ることにしました。1時間ちょいで到着できました。風が強く、豊里大橋を渡るのは、なかなか感じのいいものではありませんが、程よいミニウォーキングにはなりました。



2014年 2月 8日(日)午前 5時 7分

 変化に富んだこの週末、昨日は、浪曲と芝居に当てました。まず浪曲です。と言っても、毎月定例の「一心寺門前浪曲寄席」です。3月と4月は、都合で行けないと思っていますので、自分的には貴重な会。その番組は、次のようなものでした。京山幸太(藤初雪)「小田原相撲」、天中軒涼月(沢村さくら)「若き日の小村寿太郎」、真山誠太郎(真山裕子)「片割れ月」、京山小圓嬢(沢村さくら)「名刀鴉荷丸」。京山幸太の「小田原相撲」は2度目のはず。東京の若手の浪曲師さんでも聴いたことがあるので、入門後間もなくに習うネタなんでしょう。谷風ものです。天狗になっているばかりか性悪の素人相撲の力士を懲らしめるというもの。曲師は、幸太くんは、普段組んでるんだろうかという初雪さん。どうも彼女の三味線の音が、前から気になっているのですが。他の曲師さんのような響きにならないのです。次の涼月さんのところでダウン。「若き日の小村寿太郎」で、この前もダウンした記憶。相性が悪いのでしょうか。その次の「片割れ月」は、初物だったのですが、なんと珍しいキリシタンもの。構成がいいのでしょうね、バラシの部分で逆転が起こります。倅を殺された男が、その仇に出会ったとき、全てが明かされます。被害者と印象付けられていた男が、大変なヒールで、仇とされていた男が、裁きの役人で、そのため妹をキリシタンとして処罰しなければならなかった人物と判明していきました。浪曲の持ち味を最大限に発揮させるのは、構成の優れた台本が必要不可欠だということを、小圓嬢師の「名刀鴉荷丸」も示してくれました。これも初遭遇のネタ。ですが、なんてことはありません、講談の名作と、黄紺が考えている「赤穂義士外伝〜忠僕直助〜」でした。主人の刀がみすぼらしいと、衆目の中で、主人が小バカにされたことを知った下僕の直助が、刀鍛冶になり名を上げ、やがて主人に名刀をプレゼントするというもの。講談では時系列的に読まれ、30分を超える長講となります。ですから、そのまま浪曲化すると、軽くタイムオーバーとなりますから、刈り込みや構成の妙が要るのです。大胆にも、宮中からの注文の品の相槌を、直助が立候補するところから、ほぼ始まったと言えばいいでしょう。いいものができあがります。師匠がワケを質すと、直助が赤穂の下僕だった時代の話をして、全てが判明するという仕掛けになっていました。衰えを知らない小圓嬢師、迫力満点の高座を務めてくれました。
 一心寺南会所を出ると、1時間30分前後の予定でミニウォーキング。時計とにらめっこしながら、折り返し点を、南海汐見橋線「木津川」駅と定め歩くことになりました。ちょっとでも自由になる時間を求めて、ウォーキングを、なかなかゆったりとはできません。とりあえずは千日前のネットカフェで、時間調整がてらオペラの予習。そうなんです、春のオペラ紀行に向け、この事前学習用の時間が取れず、四苦八苦しているのです。そして、夜は、「応天院」であった「伏兵コード」の公演「我が行路」を観てまいりました。「伏兵コード」という劇団は、稲田真理という作家兼役者さんが、自身の作品を上演するために作ったもの。最近少なくなった自分探し的な芝居や、人間存在に関わるような骨太の作品を書くということで観始めたのですが、最近は、自分の依って立つべきものの点検を書き出しています。この日の作品も、その路線に沿ったもの。舞台は、作者の故郷宇和島。そこに集う3兄弟。父親の49日当日の出来事を追います。大阪に住む長兄は、家の処分と、宇和島に住む弟に大阪に来ることを求めます。妹も、それに同調。そういったところに、四国遍路の旅をする夫婦の、お接待をすることに。ところが、その妻の方が、火事が原因で、両親と家を失い、精神的には不安定な状態を垣間見せます。帰りたくても帰れない場所を持つことになってしまった人物を登場させ、3人兄弟の議論に膨らみを持たせるという手法。そればかりではありません。支えとなるべきものを持ちたいと思っても持てない人という観点からのアプローチを重ねます。具体的には、妊活をしても、なかなか成果を得られない女性を登場させます。3人兄弟の長男の嫁、3人兄弟の真ん中になる女性の議論を入れていきます。帰れる場所を持つ人、持たない人、依って立つべきものを持てない人、こういった人たちが、アイデンティティの意味合いを問いかけていると言えばいいでしょうか。やがて宇和島の得意な状況が提示されます。美方原発、米軍の行路下にあるということです。ただ、帰るべきものを持つことの大切さ、素敵さを語るということは省かれています。舞台装置となる座敷は、異様に高く作られていますが、その床の下には、ヒアシンスの水栽培のごとき根が広がるというもの。その根っことなるものが大地に根ざすことはありません。アイデンディティを持つことの大切さを訴えているようで、そういったものの否定すら見せようとしているのか、、、。いや、持ちたくとも持てなくされてしまうことの悲しさを訴えているようです。作者の個人的体験と重なるところだということが、それは、パンフレットから知ることができました。芝居では、兄弟の議論には結論を出すことなく終わったとおもいましたが、、。東日本大震災も視野に入れた佳作です。



2014年 2月 7日(土)午前 0時 18分

 昨日は、夜遊びなしで家に直行。そして、この週末は、変化に富んだメニューを用意。今日はコンサート三昧の一日。まず、午後は「びわ湖ホール」へ。こちらのレジデンツのコーラス(びわ湖ホール声楽アンサンブル)によるバッハの「ヨハネ受難曲」の演奏会がありました。このコーラス、えらい人気で、今日は追加公演でした。共観福音書と違い、構成が異なることで、同じバッハの作品でも、劇的な要素が多いとされている「ヨハネ受難曲」、黄紺は、生で遭遇するのは、これが初めての機会。ということで、以前から楽しみにしていたコンサートでもありました。イエスの捕縛のところから始まりました。ソリストとして、常時待機しているのは、福音史家(清水徹太郎)とイエス(津國直樹)の二人。このお二人は、こちらのアンサンブルのソロ登録と、プログラムには記されていました。確かOBのOG方たちと認識しているのですが、、。あとのソリストは、例えばピラトが出てくると、アンサンブルの中から出てきて歌うという具合で、その他の場面では。コーラスの一員として歌うというシステムで動いていました。なんせ、このアンサンブルは16人で成り立っていますからね。正味2時間ちょうどという長丁場。前半が短めで、捕縛されたイエスが、ユダヤ側からローマ側に渡されるところまでで休憩に入りました。総じてゆったりとしたペース。冒頭が、一番緊迫感があったかな。とにかく音楽の流れに身を委ねていると心地好いのです。正面に大きく字幕が出ますから、ちょっとだけでも聖書物語を知っていると、長丁場の奈辺にいるのかが、よく判ります。その字幕に合わせて、歌詞を聴き取ろうとするのですが、アンサンブルの歌詞は、全くと言って、聴き取ることはできなかったのに対し、ソリストの方の歌詞の方は、多少は聴き取りながら聴いていたのですが、指揮をしていたマティアス・ユングさん(オケは京都フィル室内合奏団)には、どちらが正調ヨハネ受難曲に聴こえていたのでしょうか。今日の追加公演も満席。これってすごいことです。黄紺はバッハから始まったようなところがあるので、ぼちぼちバッハ回帰に入ろうかというお年頃になってきていますので、こうした公演は、ホントにありがたいこと。ロ短調ミサも、ここ3年で2回も遭遇できたしと、ありがたいと同時に、どうなっていることやらと、ちょっと気色が悪いですね。いつかは、カンタータを全曲取り揃えて、バッハ三昧をと考えていたこと、ぼちぼち実行に移しますか。
 午後のコンサートが終わると、京阪の大津線を乗り継いで、京都市内へ。暫しの間、市役所近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は「カフェモンタージュ」へ。今夜は、「ノスタルジア」と題して、上森翔平(チェロ)さんと大井浩明(ピアノ)さんのデュオ・コンサートがあったのです。このコンサートは、この間、こちらで行われている「20+1世紀音楽祭」の一貫に入っているコンサート。いろいろな会とバッティングしていて、黄紺はあまり行けないのですが、こちらのカフェの目の付けどころは半端じゃありません。で、今日演奏されたのは「ミャスコフスキー チェロ・ソナタ1番&2番」でしたが、黄紺は、寡聞にして、ミャスコフスキーの名前は聞いたことはありませんでした。現代ロシアの作曲家だろうから、聴いてみようかという気持ちだけで行ってみたのですが、これがとんでもない。いい作曲家を教えてもらったというところです。オーナー氏から、今日も説明がありましたが、プロコフィエフの友人だけど、その音楽はロマン派そのもの。そないな音楽が聴けるとは思っていなかったこともあり、メロディはきれいだし、チェロとピアノの掛け合いは、時には競い合いだし、時には調和であったりと、とっても聴いていておもしろいのです。だから、演奏者にとっては、難しいだろうし、でも楽しいだろうなと思いながら聴いていました。競い合いって雰囲気は、1番の方が強烈で、2番は、バランスが最初から取れている曲だなと思っていると、最終楽章になると、一転丁々発止。スケルツォでもあり、盛り上がりは抜群。1番の方で、ちょっと大井さんのペダルの踏み方にクレームをつけたくなるところがありましたが、競い合いはスリリングで、とっても楽しませてもらいました。2曲合わせて50分弱ということで、アンコール曲が用意されていました。上森さんから、「現代の日本の作品から」とだけコメントがありましたが、黄紺には日本か外国の曲かは区別できるものではありませんでした。



2014年 2月 4日(水)午後 11時 21分

 今日は、真冬から解放された日。朝方に屋外の仕事が待っている日ですので助かります。そして、夜は「千日亭」へ。今夜は、「まちの寺子屋」があった日です。ちょっと南青くんの講談を聴くのは、久しぶりとなります。今日はの番組、次のようなものでした。南舟「杉野孫七と広瀬武夫」、南青「浪花侠客伝」「赤穂義士外伝〜忠僕元助」が読まれました。南舟くんのネタは日露戦争もの。彼は、この辺りを扱ったものが好きならしく、乃木希典ものとかも持ちネタにしています。話は、旅順攻略時のエピソード。「杉野は何処」と、ロシア側の攻撃を受け、退避しなければならないのに探し回る広瀬の物語と、その後の広瀬の妻の行く末を描いていました。南青くんが、「浪花侠客伝」に取り組みだしたというので、気になっていたのが、そもそも福笑一門会を捨ててまでも、この会を選んだ最大の原因。「浪花侠客伝」と言えば、南海さんの専売特許のようになっていて、黄紺の持つ主役3人のキャラも、南海さんの作り出したそれになっています。ですから、余計に、南青くんなら、どんなキャラを作り出すか、そそられるところです。今日は、三好屋四郎右衛門の来歴が読まれました。発端は、「難波戦記」の秀頼薩摩落ち。そして、三好屋が根津甚八を祖と仰ぐとなっていました。傷を負った根津甚八が、備前の下津井で船を降りたのが祖だというわけです。その5代あとが四郎右衛門で、下津井から大坂に出る契機、及び町人として生きていこうとする契機が読まれました。ここで初めて、根津から三好屋を名乗るようになったとされていました。キャラ的には、南海さんでは、大きくどっしりとした、風格を感じさせるキャラになっていますが、南青くんの場合は、真田十勇士の根津甚八を祖としたこともあり、若々しく、敏捷性のある動きを感じさせるものとなっていました。「忠僕元助」は、以前から、南青が手掛けていたもの。南青くんの描く元助は、純朴そのもの。主人に当たる大高源吾右衛門の困りも、率直で解りやすい。討ち入りを、関係者以外に、唯一打ち明ける話です。



2014年 2月 3日(火)午後 8時 7分

 今日は非勤務日ということで、朝から春の旅行の鉄道のチケットを買うことにしました。ネットの早割を買うと、とっても安いのです。ところが、今日も、手持ちのパソコンは不調。お出かけ時間間際に不調のサインが出だしたので、慌ててシャットダウン。ということで、まだまだ、この作業は続きます。お出かけは、11時45分をメドに。途中、買い物をしながら動楽亭へ。毎月の営みのように、動楽亭の昼席に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。鯛蔵「つる」、ちょうば「京の茶漬」、南天「ちりとてちん」、出丸「不動坊」、(中入り)、宗助「禍は下」、南光「小言幸兵衛」。最近、落語会などでの居眠りが減るという傾向にあったのですが、今日は、久しぶりにダメでした。前半が全滅でした。辛うじてネタだけは解っているという爆睡系です。昨夜は、5時間ほどは寝ているので、ここまでの爆睡は、意外と言えば意外。南天の「ちりとてちん」が、異様な盛り上がりを見せていたようだったのですが、、。出丸の「不動坊」は、約1年前に、出丸が、こちらでトリをとって以来の遭遇だったのですが、ま、1年前に聴いているから、まだ許せる感じですね。後半からは覚醒。こういったときは、中入りはありがたいですね。敢えて席を立ち、トイレのために並ぶということが、こういったときには肝要です。後半の内、南光の「小言幸兵衛」は、こちらでも聴いたことのある南光の鉄板ネタの一つですが、「禍は下」は珍しいし、生で聴いたのは、実に久しぶりじゃないかな。東京に行くと「権助魚」となり、寄席で頻繁に出るネタですし、現に土曜日につくしで聴いたところ。ところが、「禍の下」を持ちネタにしている噺家さん自体が、上方では極端に少ないのです。宗助、すずめ(三林京子)、春若くらいしか、黄紺には思い浮かびません。ひょっとしたら由瓶が持っていたかもしれませんが。そんなで、ホントありがたいことでした。「禍は下」では、バカバカしい魚ネタから、最後は、着物のたたみ方に噺が移るところから題名が生まれています。「小言幸兵衛」の方は、長い噺ですが、噺が小さい。ひたすら家主が、口かさなく小言を言うだけの噺と言えば噺ですからね。確か染左が下げまでやってたようですが、終盤の展開は忘れました。このネタも、上方では、南光、染左以外では、米二が持っている程度です。こちらも、演じ手の少ないネタです。終演は、ジャスト4時半。黄紺は、火曜日が非勤務日のため、火曜日に動楽亭昼席に行くことが多いのですが、どうやら、その火曜日の昼間は、南光にとっては空きがある日のようで、よくこちらの昼席で、南光に遭遇します。南光が出ると混むので、避けたいのですが、避けると動楽亭昼席が行きにくくなるので、やっぱり行っちゃう。すると詰め込まれてしまうの繰返しです。今日は、少し混み具合はましかなというところだったのですが、それでも70くらいは入ったでしょうね。



2014年 2月 3日(火)午前 0時 20分

 完全リタイアまで、残すところ、1ヶ月半となってきました。今は、そのあとに出かけるオペラ紀行で、頭がいっぱいですが、日本に帰ってきたときに、初めて実感がわいてくるのでしょうね。で、今日は繁昌亭。繁昌亭は続くと続きます。今日は「第7回上方落語台本入選作発表落語会」があった日。毎年、外さないようにしている日ですが、前々から日にちが公表されてないのが痛いところ。今日の番組、次のようなものでした。文枝・福笑・あやめ「表彰式」、三扇「陰膳」、あやめ「ザリガニ」、福笑「蓮の池クリニック」、(中入り)、松枝「顔だまし」、文枝「人魚の贈りもの」。三扇は、この会には初登場。ネタに合った、とってもいい演者の選択。「陰膳」は擬古典の作品。呪いがテーマだからということで、その選択はベストでしょうが、設定を変えたりすれば、時代はいつにしても使えそう。ひょっとしたら、現代ものにすると、却ってバカバカしさが出るかもと思いながら聴いていました。ウソの呪いを教えてからかおうとしたところ、その噂が広まり、結果的に願いが叶うという噺。「ザリガニ」は、ザリガニをペットとして飼うことで、一人の少年が成長していく噺と言えばいいでしょうか。結構な長編落語でした。この噺、男性の噺家さんもできる内容なんで、誰が合っているか考えながら聴いていました。花丸かなという結論に達しました。「蓮の池」は、寺の敷地内に病院を造ったら、こないなドタバタが生まれるだろうという内容。福笑と作者の会話でも明らかなように、明らかに福笑を想定しての作品。こないな設定を笑い飛ばせるキャラは、福笑が一番でしょうからね。「顔だまし」は、古典落語のパロディがオンパレード。ただ筋立てにオリジナリティがあるとして選出されたのでしょう。食当たりからのっぺらぼうの男の顔に、他人の顔を描き金儲けを企もうとするもの。古典落語のプロットをつなぎ合わせていき、筋立てを成り立たせたというマニア系作品。たまが創りそうな噺と言えばいいでしょうか。「人魚」は、漂流中の船に、波に乗って人魚が飛び込んでくるという奇想天外な着想の勝利。更に、その人魚が、痴呆老人の人魚という展開に、客席は沸きました。文枝が、終演後、元の題名(入れ歯)を明かし、客席は、もう一度大爆笑して、お開きとなりました。今回の作品の質は、今までで一番じゃないかなぁ。それほど、趣が違い、且つ濃い内容のものが揃ったように思います。「陰膳」とか「蓮の池」などは、明日から、早速、普通の高座にかけることができるのじゃないかな。あとの3つは、出す場所を選ぶでしょうし、刈り込みや手直しをしながら完成品となっていくのかなと思いました。



2014年 2月 1日(日)午後 8時 25分

 今日も、朝からホテルを押さえていました。町によっては、少し日にちをずらして泊まろうとすると、宿泊代が随分と変わっているところがありました。春は見本市の季節だからというのが、頭に入ってる理由なのですが、それだけではないようで、じゃなんなのかが判らないもどかしさがあります。ま、そないなことがあり、ひたすら時間がかかってしまうのですが、今日は、そないな内に、一つ古いパソコンが不調に陥り断念。お出かけは11時をメドにしていたところ、またまた携帯を持って出るのを忘れたため、引き返した分、ゆっくりとお昼を食べる時間がなくなっちゃいました。今日のお出かけ先は、繁昌亭の昼席。めったに行かない日曜日の昼席に行ってまいりました。「菊丸襲名披露興行」があったからです。その番組は、次のようなものでした。愛染「動物園」、卯三郎「ふぐ鍋」、小染「禁酒関所」、英華「女放談」、春蝶「クラゲのクラノスケ(仮題)」、仁智「スタディ・ベースボール」、(中入り)、染丸・仁智・小春団治・菊丸・小染「口上」、小春団治「断捨離ウォーズ」、こけ枝「手水廻し」、菊丸「貢ぐ女」。今席の前座は愛染と染八。林家の若手二人に振り分けてあります。二番手は染左と卯三郎。そして、林家の芸という色彩の濃い「ふぐ鍋」が、ここで出ました。必然的に、小染はお酒のネタに。でも、今日は、この小染のところとこけ枝のところが抜けてしまっています。ここで、ちょっと鋭気を養ってお目覚めという感じでした。色物枠は英華姉さん。随分と、空気が和みます。その辺りが、彼女の腕というところです。最後に、「かっぽれ」を踊ってくれたのは、動楽亭の1月席と同じでした。春蝶は同期生枠。満20年経った同期組には、吉弥、三金、かい枝、米紫ら好メンバーが揃います。彼らが、日替わりで、出番をもらっているのです。ネタは新作もの。波で打ち上げられた子どものクラゲと、遠足のバスが瞬間的にすれ違ったときに起こる偶然を巧みに物語化した佳作。ねばりっけのある春蝶の芸が、客席に大ウケでした。仁智は、出番の時間を間違っていて、大慌てで楽屋入りしたとか。噛んだりするのも、それのせいにしたり、なんでもを笑いに変えるところは、さすがです。ネタは定番のもの。今日は中トリということで、ネタに入る前の野球解説者で遊んだりする長いマクラははしょり気味でした。「口上」には、菊丸の師匠染丸も登場。ただ言語中枢をやられたようで、なかなか喋りにくそう。ただむ雀とは違い、言葉は聞き取れるので、稽古をつけたりできるでしょうから、それは。運命の悪戯がいいように作用したと考えておきましょう。やはり染丸の持っている情報量は大変なものがありますから、上方落語界にとっても、セーフでしたね。小春団治は、春蝶、仁智と新作が続いたので、ちょっとフェイントをかけて古典を出したりするかもと思ったのですが、今一番かけている鉄板ネタを持ってきました。今回聴き直してみると、細かな目配りが行き届いた佳作。客席のおばさんたちに大ウケでした。それだけ身近な描写が続いた証拠でしょう。こけ枝で、先ほど書いたようにダウン。大阪に場面が移ってからが、本格的ダウンでした。菊丸の「貢ぐ女」は初めて。菊丸曰く、「仁智、小春団治という新作派のお二人が出られるので新作に揃えた」。ということで、春蝶も新作で揃えたのかも。3人の男女の、貢ぎ、貢がれる関係が描かれます。その内の2人の関係が明らかになったところで下げに向かい進みだしますが、ちょっとネタばれが早く起こってしまうのが難ですね。しかし、襲名披露興行というのは、華やかさがありいいものですね。これも繁昌亭のおかげです。



2014年 2月 1日(日)午前 4時 29分

 昨日も、朝から春のオペラ紀行に向けてホテルを押さえておりました。一番新しいパソコンよりか、一つ古めのパソコンの方が使い勝手が、こういった場合にはいいと気づきはしたのですが、なんせ、このパソコンが、いつストライキを起こすか分からない代物。幸い、お時間までは大丈夫だったので、胸を撫で下ろしました。そして、11時半過ぎを、お出かけの目安に。昨日の午後は、トリイホールの下にある「千日亭」であった「川柳つくし落語会」に行ってまいりました。ちょっと早く出かけたのは、千日亭までの間、ミニミニウォーキングをしてみようと思ったからです。ホテル押さえのときは、家にこもらねばならない関係上、身体がなまってしまいますからね。で、落語会の番組は、次のようなものでした。「新春小咄」「権助魚」「歌のおばさん(仮題)」、(中入り)、「十低の男」「健康診断(仮題)」「歌謡ショー」「ウクレレ漫談」。つくしは、新作専門の噺家さん。天丼なんかと一緒に真打ちになって、まだ1年くらいじゃないかな。粋歌とともに、うまくいけば、あやめのような噺家さんになってくれるのではと、仄かな期待を抱いている噺家さん。女性の視点で、同世代の女性を斬ることができるという観点からの話です。更に、なじみのないはずの大阪で、どのようなアピールをするかということも観てみたかったのです。冒頭は、得意のウクレレを弾いての小咄集。だが、オリジナルなものだけではなかったため、客席は暖まりきらずの感じ。ただ客席には、コアな落語ファンの顔を見ることができなかったため、同じ客席に座っていて、こちらも手探り状態。1つ目は、なんと古典を持ってきました。終わったあとの言い訳は、「川柳の弟子が古典をするとは思ってられなかったのでは」「今日、初めて落語を聴かれる方もおられるかと思って」と言っていました。でも、東京の席でも、このネタを出したのを聴いた記憶があります。2つ目からは、新作の3連発。但し、3つ目は予定外のもの。トリイホールのサイトに出ていた終了予定時刻に合わせて、追加したもの。でも、これが、一番良かったのじゃないかな。健康診断に行こうとしない母親を、娘と夫が、その健康診断に連れて行こうとして起こる騒動を描いたものですが、下ネタ風エピソードなんかが入り、ちょっとつくしのイメージが変わりました。等身大って印象が深まり、あやめへの道が、ちょっと見えたかなというところです。「歌のおばさん」は、テレビ番組の収録で、急に歌のお姉さんが病気で来れなくなり、替わりにおっさんが女装して代役を務めるドタバタ。東京の噺家さんらしいと言えば、らしいですね。「十低男」は婚活物語。何かにつけ「高い」男を求めると、思いがけない「高い」男が現れるというもの。聴いたことはなかったのですが、つくしがウクレレ漫談なるものをしているのは知ってはいたのですが、コミックソングまで作り、弾き語り風に歌っているというのは、昨日初めて知りました。内容的にも多岐に渡っており、これは、なかなかおもしろかったなぁ。川柳の弟子が、円生ソングを歌う摩訶不思議さも体験させてもらいました。東京じゃレアものみたいなことを、チラッと口にしましたが、そりゃそうでしょうね。ということで、知ってるつくしだけではなく、知らないつくしも観ることができました。彼女の芸は、爆発的に受けるものではなく、生ぬるく反応するようなものですから、そういった意味では、十分に、その片鱗を味わえたかなの雰囲気でした。
 千日亭を出ると、近くのネットカフェで時間調整。それから京都への大移動。通常は、移動先で時間調整をするようにしているのですが、京都のネットカフェは割高なもので、昨日は、こういった方法を採りました。夜の行き先は「カフェモンタージュ」。昨夜は、「巨匠の時代」と称し、フルートの伊藤公一さんと、ピアノの水野久美さんのコンサートが行われました。演奏曲目は、次のようなものでした。「クーラウ: 序奏とロンド Op.98」「ゴーベール: フルートソナタ 第2番」「ベーム:エレジー Op.47」「サン=サーンス:ロマンス Op.37」「タファネル:フランチェスカ・ダ・リミニ″による幻想曲」。そして、タファネルとアーンの短い曲のアンコール。伊藤公一さんは、元京響のフルートの首席奏者。黄紺が、そのお名前を知ったのは、随分と前のこと。それだけ京都の音楽界では知られた大物音楽家。ということが、昨日のタイトルに繋がるということが、まずオーナー氏からお話しがありました。そして、プログラムに上がったゴーベールやベームは、フルートの歴史にとっては欠かせない「巨匠」だとのお話もありました。その中で判ったことが、オーナー氏は、フルートの成立について、かつて研究をされていたこと。昨日も、いきなり「今日はドゥヴィエンヌの誕生日です」と言われ、こちらはポカーン。ドゥヴィエンヌという名前くらいは知っているだけでもすごいぞと思っていては、ポカーンのままです。フルートの発展史に重要な作曲家だそうで、そういったコンテキストで看なきゃならないということ、プログラムに並んだゴーベールの名も、同様に名前くらいは知っていても、フルートの歴史で押さえなきゃならないなんてことなどを教えていただきました。そうしたことを伺ってから、昨日のプログラムを見直してみると、フルートという楽器を知り尽くした「巨匠」の曲が並んだということになるようです。水野さんのピアノの響きが良く、1905年製のヴェーゼンドルファーが輝きを発するいい伴奏に添えて、中低音城の柔らかさは格別。大物音楽家が出られるということで、どうやらかなりの関係者が来られていたのではないかな。こちらでは、なかなかフルートの会が珍しいものですから、これからも出演して欲しいですね。黄紺的には、サンサーンスのなんともくつろげるモチーフに魅せられてしまっていました。



2014年 1月 31日(土)午前 6時 29分

 昨日は、朝から雨ということで、春のオペラ紀行用のホテルを押さえていました。途中から、一番新しくて信頼のおけるパソコンが不調になり、そこでギヴアップ。なかなか時間のかかるものです。というのは、冬に行った町でも、ホテルの宿泊代が、随分と変わっているため、また新たにホテル探しをしなければならないのです。ということで、半分もいかないところでギヴアップとなりました。あとはお昼寝。そして、夕方からお出かけ。昨夜は、コベントガーデンのライブビューイングがあったのです。こちらのライブビューイングは、一夜だけですので、この日を外すと観ることが叶わないという代物。ましてや、昨日は、当代きってのテノール歌手ヨナス・カウフマンが、「アンドルア・シェニエ」を歌うということで、外すわけにはいかなかったのです。そして、重要で、且つ、このオペラでは、最も難しい役と言えるジェラールを歌ったのがジェリコ・ルチッチ。もう一つの大役マッダレーナはエヴァ・マリア・ヴェストブルックという強力な布陣。デイヴィッド・マクヴィカーの演出は極めてオーソドックス。装置も衣装も、フランス革命時を彷彿とさせるもの。衣装などは、再現ものは再現ものでも、ヴイジュアル的な再現を試みただけではなく、オリジナルな作りになっているとのことでした。カウフマンが、靴を履くだけで5分かかると言っていました。装置の構造的な特徴は、舞台後部に、仕切りとなる壁が3〜4枚あるのですが、その間を通して、2幕のカフェの場面だと、外側の道が見えるようになり、4幕の監獄の場面では、処刑場に運ぶ車が到着するといった具合に、物語を補完するのに、有効に活用してありました。このオペラ、1幕は、革命前夜の貴族の館。2幕になると、国王の処刑後、まだジロンドが仇と言われている時代ですから、1793年の5月末以前となります。ここで、一転してアンドルア・シェニエは、反革命分子として追われる身となっています。ここで、初めてアンドルア・シェニエは、マッダレーナの気持ちを知り、自らもマッダレーナに引かれていきます。もう、ここからは、二人は一直線に、最後まで突き進みます。この一直線の気持ちを、より表現する機会があるのがマッダレーナ。スカルピアになるのかと思わせられながら、真逆の行動をとる、ある意味では苦悩の中で、一途さを表すのが、3幕のジェラール。このジェラールの複雑な気持ちとマッダレーナの一途さが絡む3幕は、正に、このオペラの聴かせどころ。4幕になると、最早、ジェラールは、マッダレーナの良き理解者として現れてきます。ですが、その落ち着きの中に看ることができる、ジェラールの真摯な動きに対し、アンドルア・シェニエとマッダレーナは、最後の愛の言葉を熱くかわしあいます。これが、また聴かせどころ。こうして考えると、後半に、実に聴かせどころという場面がほとばしっています。それに、見事に応えた主役3人の歌唱も秀逸。オーソドックスな演出に加え、実力者の見事な歌唱は、このオペラの定番となりうるもの。ぜひDVD化をして欲しいものです。指揮者のパッパーノが歌手を指導する稽古風景が映っていましたが、歌唱の合間のブレスの大切さを訴えていました。ブレスにも感情を乗せろとの要求は、目から鱗です。広く言えば、歌ってない時の演技、それが歌手が成功するかの鍵だということなのでしょう。いつもながら、パッパーノの解説は論理的です。コベントガーデンでは、なんと、このヴェリスモ・オペラの傑作の上演は30年ぶりということです。それだけ厄介な作品ということなのでしょう。タイトル・ロールを歌えるテノール1人を集めるだけでも大変なところへ、同格のあと2人を集めるというのが、更に大変なことなのでしょうか。昨日は、オペラ愛好家の高校時代の友人も、福井から「アンドルア・シェニエ」のためにだけ京都入りしてましたが、「3幕以後にしびれた」と、満足感に浸っていました。パッパーノのツボを押さえた指揮が、観る者にやたらと感情移入を誘ってましたしね。いいものに出逢うことができたものです。



2014年 1月 30日(金)午前 0時 38分

 昨日は、松五の会に行きたかったのですが、ゲストが好みではなく、その時間が苦痛と思い中止。こんなで判断する噺家さんが、少なくともあと2人います。ご本人の会には行きませんが、ゲストで出ても、松五のように主宰者は気に入っていても行かないと決めています。ところで、先々週にひいた風邪の後遺症というか、夏と同じで咳が取れません。むしろ熱っぽかったときよりか、咳はひどくなっています。夏には医者に行ったのですが、そのときに咳喘息などという聞き慣れない病名を言われたのですが、どうやら、その可能性があるかと思い出しています。で、明日にでも医者に行こうかと、、。今日は、夜中の1時半に目が覚めたまま出勤。もう仕事になりませんでした。そして、夜は繁昌亭。ご無沙汰感があります。今日は、「カレンダーボーイズ落語会」がありました。イケメン独身(但し40歳未満)噺家カレンダーのモデルに起用された噺家さんの出る落語会。幾つか同企画の落語会があったのですが、今日は、たまがトリを取るので、行ってみることにしました。その番組は、次のようなものでした。慶治朗「桃太郎」、あおば「秘伝書」、紋四郎「色事根問」、都「ハルちゃん」、(中入り)、愛染「蛸芝居」、喬介「ぜんざい公社」、たま「漫談家の幽霊」。モデルに選ばれただけではなく、噺家としての有望株が並んだ好番組。慶治朗は、落語の上手が揃う米団治門下の3番弟子。かなりの有望株。オリジナルな「桃太郎」に、無理なく入る独自のくすぐりが新鮮で心地好いものがありました。あおばの「秘伝書」は、動楽亭昼席に次いで2度目。今回は、慶治朗がほぐしたあとの2番目の位置に上がったこともあり、かなり受けていました。客席との距離の取り方なんかを強く意識した口演を見るにつけ、あまり急がない方がいいのにと思っていたところ、あおばが、米朝事務所を出て吉本に移ることを知り納得です。一転して、紋四郎は、マクラなしでネタに突入。紋四郎は、正攻法に噺をして、その噺をしっかりと聴かせることのできる、この人も有望株。一から十までを、しっかりと喋ってくれ、彼の語り口の確かさを再確認。そして、中トリは大物ゲスト枠ということで、今日は都が登場。久しぶりの都噺が楽しくて! 体調が悪かったようですが、口の方は、全くその気配を感じさせませんでした。おまけに未だ聴いたことのなかった「ハルちゃん」を聴けて、大ラッキーでした。おばあさんの酔っ払いネタで、こればかりは都しかできない領域です。今日のメンバーの中で、センスが悪かったのが愛染。なんで、こないな会で、こないな出番で、「蛸芝居」なんて大ネタをするのでしょうか。時間的に無理がなければいいものではありません。芝居の型も台詞回しも十分とは言えない中でですから、余計に気になりました。なお、子守りの場面とだんまりの場面は省略されていました。時間の関係でしょう。逆に喬介は心得たもの。三喬直伝の「ぜんざい公社」。三喬のものを聴いたことがなかったので、喬介を通じて三喬テイスト満載の「ぜんざい公社」を聴けました。たまは、「桑名船」と「漫談家の幽霊」を考えていたと言ってましたから、火曜日の文我の会でも、この2つを用意していたと考えられます。幸い、別々のネタに当たることができました。自分的には、「漫談家の幽霊」は久しぶり。恐い話をしあってるだけの噺と言えば、それだけの噺なのですが、一つ一つがうまくできていて、口演もうまいからでしょうね、全体としておもしろいのでしょうね。20〜30年後、この顔ぶれで会が持たれれば、「名人会」と銘打たれてもおかしくないものと言えば、大げさでしょうか。でも、こうやって有望株が、続々と出てくることっては、まことに嬉しい限りですね。



2014年 1月 28日(水)午前 0時 54分

 昨夜からの雨、天気予報では、明け方には止むと言っていたはずなのですが、午後になっても降ったり止んだりの繰返し。おかげで、予定が少し狂ってしまいました。午前中は、「メト・ライブビューイング」を観る日でした。今日は、実際には、昨年の11月に上演された「セビリアの理髪師」が流されました。今季の楽しみの一つの演目です。と言うのも、ロジーナを歌ったイザベル・レナードが、大変な別嬪さんで、歌唱も素晴らしいとの情報が、高校時代の友人から寄せられていたのです。しかも、昨年末に、この「ライブビューイング」で流された「フィガロの結婚」のケルビーノを歌い、既に、その片鱗を見せていたのです。ケルビーノは少年役ですが、今回のロジーナは、まともな娘役ですから、嫌が応にも期待が高まりました。そして、その期待に、見事に応えてくれたと思います。「セビリアの理髪師」はブッフォですから、全体的にコミカルな雰囲気で流れますが、あまりにも別嬪過ぎて、なんかイザベル・レナードのところだけは、違った空気が流れているようで、、、。声質的には、アルトに近いとまでは言いませんが、顔立ちに似合わず、低くて太めの声を出せます。ケルビーノのときには違和感はありませんでしたから、それだけ声域が広いということでしょう。この「セビリアの理髪師」は、世界を駆けめぐるわけですから、少なくとも、この一本で、世界中のオペラファンのハートを鷲掴みにしたことでしょう。イザベル・レナードにばかり目が行ってしまいましたが、周りも達者な歌手が揃っていましたが、中でも著名なのが、伯爵を歌ったローレンス・ブラウンリー。彼は、エレナ・ガランチャが「ラ・チェネレントラ」を歌ったとき、相手役となる王子役を歌った人。軽い声で、ロッシーニの超絶技巧歌唱ができるということで貴重な存在。今日は、長大な幕切れのアリアを、立派に歌ってくれましたが、期待の超高音は、ハイCが辛うじて1つ入ったかなというものでした。でも、客席の喜びようは半端ではないものがありました。黄紺が、もう一人記憶に残ったのが、フィガロのクリストファー・モルトマン。まずカッコいいフィガロなんだなぁ、これが。ロジーナが、伯爵じゃなくてフィガロに惚れるんじゃないかと思うほどのカッコ良さ。機転が利いて見える機敏さがあるものだから、余計に目立っていました。装置の特徴は、張り出し舞台を使ったこと。メトでは、ほとんど記憶にありませんね。オケの前で歌う場面は、客席に近く、かなり迫力はあるでしょうね。舞台上の装置は、ドアが幾つか用意され、場面により、それを動かすだけというのが基本構造。ときには上下に組み立てて、場面に対応していましたが、個々の場面には対応できていたとは思うのですが、こういった消エネ的装置っていうのは、メトでは珍しいですね。このバートレット・シャーのプロダクション、歌手の動きもそうですが、支持はしたいのですが、花◎まではいかないのです。うまくやってるなと思っても、楽しくて仕方がないというものではありませんでした。気になったのは、指揮のミケーレ・マリオッティ。あまりにもあからさまなテンポの揺らしに、黄紺的には引き気味でした。装飾音がたっぷり入るフレーズの始まりで、極端にテンポを落とすというのが、あまりに目にあまりました。
 オペラが終わると、ウォーキングに移る予定が、外は雨。そこで、昨日、職場に忘れて帰った携帯を取りに行くことにしました。やはり携帯のない生活は、落ち着きが悪いもので、雨ということで取りに行くことにしたのです。そこで、また京都に戻ってくると、変な天気なのだが、雨が止んでいるので、1時間半と時間を縮めて、ミニ・ウォーキングを実施。京阪「中書島」駅から、ほぼ最短距離を歩いて1時間32分かかりました。夜遊びのこと考えて、時間を短縮したウォーキングにしたのでした。そして、三条のネットカフェで休憩をしてから「京都府立文化芸術会館」での「第129回桂文我上方落語選京都編」に行ってまいりました。南海さんの会に替わるものとして、急遽行くことにした会ですが、京都市内で毎度行ってる会です。替わりとしては贅沢なものがあったものです。その番組は、次のようなものでした。吉の丞「仏師屋盗人」、文我「寄合酒」、たま「桑名船」、文我「千早ふる」、(中入り)、文我「時うどん」。今日は、文我がびっくりのほぼ前座ネタを3つ並べました。普段と真逆のことをやって、洒落てみようという文我の腹が見えてきます。この3つで、文我が、普段から取り上げることの多い順は、「時うどん」「千早ふる」「寄合酒」の順でしょう。ポンポンと行った方が気持ちのいいところで、くどくなるのが、普段からやってない証拠とみました。どうしても、口へのなじみが少なくなると、テンポが悪くなってしまい、くどい感じを持ってしまいます。「時うどん」は、通常の二人ヴァージョン。「千早ふる」は、序盤がもたつきましたが、いよいよ和歌の解説に入ると、快テンポになりました。「寄合酒」では、聴いたことのないテキストが幾つか。ねぎではなく大根だったり、家の裏にヘチマが植わっていたり、更に、そのヘチマを使い、「寄合酒」に下げが付きました。文我にやられると、本当の下げかと思ってしまうのですが。真偽は、黄紺には判りかねます。前座役の吉の丞は、盗人の噺をし出したので、てっきり「打飼盗人」かと思いました。最近、よく出してますので。ただ、吉の丞の「仏師屋盗人」は、初めてだったもので、嬉しい誤算でした。実は、このネタを持っていることも知らなかったのです。ただ吉の丞の場合は、三喬と違い、盗人ネタならどのネタも似合うとは思えないのです。たまは、マクラで、明日、繁昌亭である自身の会にゲストとして喚んでいる都、まん我、智六のおもしろネタを紹介。「ネタは、新作の方が安定しているのですが」「2回目となるネタをします」「文我師匠もやられてますので、書かれたものを参考にさせてもらいました」と、やたら前講釈をしてから、ネタに入りました。本音は、やり始めたばかりの「桑名船」を、数少ない演じ手の文我に聴いてもらい、アドバイスをもらいたいということでしょう。黄紺は、先日のネタ下ろし(微笑落語会)を聴いてはいるのですが、居眠りをしてしまい、大筋を外してしまっていたため、めっちゃラッキーな遭遇。名古屋弁の男は大活躍でした。前半の問答、後半は、我が儘侍を懲らしめる噺。基本的な構造には変化はないのでしょうが、最後の展開って、どうだったのか調べてみなければと思っています。



2014年 1月 27日(火)午前 0時 44分

 今日は、時間休を取り文楽第2部を観に行った日。あと少しで、仕事を辞めるので、有給休暇を有効活用しなくてはと、比較的すいていた千秋楽の月曜日のチケットを買っておいたところ、なんと南海さんの定例会が、よりによって今日に回ってきてしまい、どうしようもなくなってしまいました。アンラッキーこの上ない話です。で、第2部の番組は、次のようなものでした。「日吉丸稚桜〜駒木山城中の段〜」「冥途の飛脚〜淡路町の段/封印切の段/道行相合かご〜」。職場の同僚で、「日吉丸稚桜」を観た人が、「おもしろくないよ」と言ってましたが、黄紺も、眠たいやらおもしろくないやらで、結局、眠ってしまいました。登場人物が多くて、人間関係が判りにくいうえ、実は、この人はこうだったパターン尽くしって感じで、前に観たことはあっても、記憶には観たとだけインプットされていたもの。おもしろくなくさせているのは、登場人物が多い上に、動きが少ないからでしょうね。にも拘わらず、筋立てが複雑ということです。秀吉が信長に仕え、斎藤道三と戦っている時代の物語です。それに対し、同僚も、「冥途の飛脚」が良かったと言ってましたが、黄紺も同感。「傾城恋飛脚」と同工異曲ですね。「傾城恋飛脚」の方は、特に「新口村」が頻繁に出ますが、「冥途の飛脚」は、ここしばらくは出ていなかったもの。「淡路町の段」は、物語の枠組みを教えてくれるイントロ的パート。女中の言動や、八右衛門の書く書状の文面は、若干チャリが入ります。その後の悲劇を盛り上げる甘味の隠し味の塩の役割を果たし秀逸。「封印切の段」は、言わずと知れた忠兵衛が公金に手を出す場面がハイライトのところ。「道行相合かご」は、新口村さして、2人が落ちて行くところ。これを書いちゃおしまいだと思うのですが、やっぱ忠兵衛はアホです。「女殺油地獄」の主人公の身勝手さも目に余りますが、忠兵衛も極め付きのアホです。身の程をわきまえない、自己制御の効かないダメ男です。そういう意味で、この男も究極の身勝手な男です。梅川は、2人きりになって、初めて忠兵衛から真実を知らされるのですから、梅川もたまったものではないはずです。ダメ男に女が着いていく、しかも分別ある女が着いていくケースが、ままありますが、正に、そのケース。ダメ男ほど可愛いのでしょうか。そういった男っぷりというのは、忠兵衛にはあるのでしょうが、それは、単なる空威張りです。それに対して、八右衛門は常識人で、世話焼きです。忠兵衛が、八右衛門に金を投げつけますが、完全に逆恨み。母親の手前、調子を合わせてくれた八右衛門に感じなければならない恩義の欠片でも持っていれば、取れない行動を採るバカ男です。気の毒に、八右衛門は、最後は、忠兵衛の嘘を信じ、騙されたまま帰ってしまいます。あとの八右衛門の怒りは想像できます。忠兵衛は、今度玉男を襲名する玉女さんが、梅川は勘十郎さんが遣いました。玉女さんは、侍のがっちりした威風堂々の動きをさせたら素晴らしいことは認めますが、忠兵衛は町人です。侍の剛毅な動き、身体の硬さは不要だと思うのですが。一方の、勘十郎さんの使う梅川は、なんか異次元の動きを見せていました。静止場面でも、梅川の若い女性としての柔な肉体までも感じさせるもの、そこに様々な感情が注入されていきますから、もう異次元となったのだと思います。蓑助さん相手だと男の人形を遣ってられた勘十郎さんの、世話物の男役を、もう一度観てみたいと思いました。玉女さんは、軍記ものスペシャリストして存在感を発揮してもらい、世話物の男は勘十郎さん、女役は、和生さんや清十郎さんに任せてもらうと、いい世話物が観れそうなんだけどなぁ。大夫さんでは、「封印切」が嶋太夫さんだったのですが、なんか寂しいのですが、一層、お歳を召された感じがしました。ここ3年で、急激に老化を感じてしまいます。全盛期を知っているだけに残念でなりません。「道行相合かご」を、三輪大夫さんの梅川、咲甫大夫さんの忠兵衛という組み合わせが、とっても余韻が残り楽しませてもらいました。大夫さんも、人形遣いさんも、技芸員の世代交代の時期に入っていますね。大夫さんは、嶋太夫さんの力の衰えが明らかになってきていますので、新たな切語りを登用して欲しいなと思いつつも、誰となると、二の足を踏んでしまう現状。一挙に、咲甫大夫を起用せよと言いたいのですが、、、。他方、三味線は燕三さんが光っているのが心強いですね。



2014年 1月 25日(日)午後 8時 17分

 今日は、明るくて、ホッとする暖かな一日。二度寝がうまくいき、睡眠不足にはならなかった良き日。お昼前後に息子に会ってから大阪へ。動楽亭であった「吉の丞進学塾」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。二葉「雑俳」、吉の丞「天災」「動物園」、(中入り)、出丸「替り目」、吉の丞「天神山」。今日は、久しぶりに居眠りに捕まってしまいました。しかも、全般的にという情けないことに。ですから、部分的に、記憶に残っていることだけ、書き留めておきたいと思います。二葉の「雑俳」は、2度目の遭遇。古典を踏まえた新作の趣き。二葉自身の手が入ったものか、その他の人の手が入ったものか、まだ掴んでいません。ゲスト枠の出丸は、こういった会の時間の流れについて講釈。というのは、その前の吉の丞が55分も喋っていたため。その一つの原因は、客席に子どもがいるのを見た吉の丞が、「天災」は解りにくかったろうと気を効かせて「動物園」を追加したことにあります。「天災」は、今日、ネタ出しをしていたもので、「ほか一席」が「天神山」でしたが、「天神山」は、この会の第1回で、ネタ下ろしをしたはずですから、「天災」が、新ネタということになるのでしょうか。吉の丞らしいネタなんで、新ネタと言われてもピンときませんが。その「天災」のマクラで、初めてトビ時代のことを語ってくれました。「コワイ人」を語るということで、繋がったというわけです。バイト感覚だったようですが、1年続けたと言ってましたか、話の節々に感じられたのは、泉州地域の独特の雰囲気。そないなことを聴いていると、よくぞ吉朝さんと出会ってくれたなということ。出丸も言ってましたが、この10年で、ホントに、吉の丞の顔つきが変わりましたもんね。よくぞ落語と出会ってくれたものです。そして、当時の吉の丞が、吉朝の落語に響くものを持っていたというのが、すごいことですね。「天神山」は、「ある春の日の出来事」として切り上げました。



2014年 1月 25日(日)午前 4時 50分

 昨日の午前中は、春のオペラ紀行のチケット手配に四苦八苦。自動発券システムでトラブルがあったのが、幾つかの歌劇場で、システム変更、言い換えると逆戻り的な旧いシステムになっているところがあります。ですから、とっても手間隙がかかってしまいます。そればかりではつまらないと、あとはDVDを観て過ごすという時間に当てました。そして、午後からは、「兵庫県立芸術文化センター」であった「大ブルックナー展」というコンサートへ。これは、大阪フィルの首席指揮者になった井上道義の指揮で、ブルックナーの大曲を3回に分けて行うというもの。1回目が8番、次回が7番、そうくれば、最後は9番、間違っても5番と思うところが、なんと4番。「ロマンチック」なんて名前が付いているだけで、第3の椅子を射たというところでしょうが、なんか先細りの企画ですね。黄紺も、この間、7番と9番は聴く機会があったのですが、8番は、ホントに久しぶり。バブルの頃は、外国のオケが来て、8番などをガンガン弾いていったのですが、時代が違います。同じ大編成ものが出ても、ブルックナーの8番には遭遇しないという日々です。その8番の演奏ですが、テンポをゆっくりめにとり、そのテンポを、できるだけ揺らさないで、重たく重たく、そして大きくをモットーに演奏されていました。1楽章を聴いていて、8番って、こないに陰鬱な曲だったかと思うほど。アダージョも重しが着いているようで、官能的とか、まどろみとかという言葉とは対極の流れ。4楽章に入り、この演奏に相応しい言葉を思いつきました。カッコつけ過ぎ。大きくなりそうで大きくなりきってないわざとらしさのようなものを感じたからです。こういった演奏をするのが、巨匠ってやつのスタイルだみたいな、そないな顔が見えてしまったようなのでした。ホルンを9本も使った大編成。バイオリンも、13ないしは14人ずついたかもしれません。芸文センターは、各パートの音の分解がよく判り、その上でアンサンブルを楽しむことができます。そういった意味では、よく統率のとれた無難な演奏。それだけに演奏のスタイルに目がいってしまったということでしょうか。終わってから、6月のチケットを引き取ろうとしたら、大変な行列。一昨日、友の会向け先行予約が始まり、昨日、引き取りに来た人たちが、わんさかいたということです。黄紺は、友の会に入っている方に、一緒にチケットを買ってもらい、替わりに引き取り役をかって出たということです。実は、昨夜、久しぶりにトルコ語教室の同窓会があったため、あまりにもの長蛇の列にびっくりしたのですが、幸い、30分ほどで順番が回ってきて、同窓会には、しっかりと間に合いホッとした次第です。



2014年 1月 24日(土)午前 0時 26分

 昨日、腰を強打したため歩くと響きます。そないなことで、今日は、一日中、家でごろごろ。弛緩していると、睡眠がよくとれます。ということは、黄紺の睡眠不足の原因は、ストレスからくる緊張が、ゆっくりとした睡眠を妨げているのかもしれません。今日は、その時間を利用して、春のオペラ紀行に備えた飛行機を押さえ、オペラのチケットも一部押さえることができました。そして、夕刻になってからお出かけ。今日は、「カフェモンタージュ」でのコンサートに予約を入れていたのです。今日のテーマは「“アマデウス・モーツァルト”― 弦楽五重奏」、モーツァルトの弦楽五重奏が、2曲(2番K.406/516bと4番K.516)演奏されたのです。黄紺は、ドイツから戻ってきてから予約を入れたのですが、その時点で、補助席の表示。カルテットとかクインテットが出るときは、皆さん、注目されているようです。また、客席で聞いたのは、「モーツァルトがあまり出ない」ということ。ですから、2つの要素が、皆さんのハートを掴んだみたいです。演奏は、ビオラの小峰航一さんをリーダーにした京都市交響楽団の皆さん(Vn:泉原隆志・山本美帆、Va:小峰航一・高村明代、Vc:辻本玲)。とにかく曲もいいし、アンサンブルもいいしと、願ったり叶ったりの演奏に、黄紺的には大満足。もっと大きなスペースで聴くと、音のバランスが違って聴こえたかもしれませんが、あのスペースでは、極上に響きました。気になったのは3箇所だけ。2番の冒頭の不安定さ。これは仕方ありません。いくら稽古を積んでも、どうしても探ってしまいます。むしろ回復の早さに敬服。2つ目は、4番の2楽章、もうちょっとまどろまして欲しかったなということ。3つ目は、4番の最終楽章、ここまで頑張ってきた第1バイオリンに、ちょっと疲れが看られ、運指でドキッとしたことがあったくらい。とにかく安定感を感じるときの第1バイオリンのいい感じだったことか。中声部は、なかなか目立たないのですが、ときおりハッとする音の響き。逆に低声部のチェロは目立ちます。その音が若々しくて、気に入ってしまいました。「カフェモンタージュ」では、基本的にアンコールはないのですが、そういった中で、4回も呼び出されたのは、初めてじゃないかなぁ。いい曲に、いい演奏、黄紺も、十二分に楽しませてもらいました。



2014年 1月 22日(木)午後 11時 5分

 昨日は、職場で回転椅子に座り損ない、したたかに腰を打ちました。すぐには痛くて立ち上がれない状態。まもなく痛みは和らいだので、普通に歩けるようにはなったのですが、その直後、1時間半以上の会議に出て、座ったままの状態にいたのがまずく、もう歩くたびに、強く腰に響きます。最近、家ではバランスを崩して、よく倒れたりするのですが、随分と前に受けた手術の後遺症は消えてはいないことを、強く感じさせられています。夜遊びも躊躇はしたのですが、エイヤーの気分で中止することなく敢行。我ながら勇気があります。行先は動楽亭。今夜は、こちらで「上方講談を聞く会」がありました。その番組は、次のようなものでした。南斗「青木民部と千姫」、南湖「天野屋利兵衛」、左南陵「南部坂涙の別れ」、南海「鰐屋宗伴」。今日は、義士月(12月)でもないのに、「赤穂義士伝」が並びました。これは、単に出演者の皆さんが、ネタの調整をしてない証拠。南湖さんの「天野屋利兵衛」は、「外伝」の中でも、特によく出るもの。討ち入りグッズを密かに買い求め、義士に送る役割を果たしたのですが、その疑いをかけられて、取り調べ、拷問を受けるが、一切口を開かなかった気骨の商人が主人公。真ん中辺りで、うとっときてしまったため、子どもを拷問にかけるシーンが入っていたのか、それが判らないのですが、奥さんが呼び出され、奥さんがしゃべってしまうというものでした。但し、言いかけたところで、奉行が、それを制ししゃべらせないというものでした。この辺の演出が、南左衛門さんとは違うので、南湖さんは、これを東京でもらってきた可能性があります。左南陵さんは、「南部坂」を「雪」ではなく「涙」で出しました。これは、「涙の出るようなネタをお願いします」という依頼を受け、これをすることにしたからと、まことに左南陵らしい理由でした。まず、大石に対し、戸田局が会い、陽成院も会うのですが、不快感を表し奥へ引き込みます。そこで戸田局に血判状を渡し辞去します。寺坂吉右衛門の報告(左南陵さんらしく修羅場読みになっています)を聞いてから、血判状を開くという流れでした。南海さんの「鰐屋宗伴」は、「トリイ講談席」の「赤穂義士伝珍品集」で、南海さんが出されたのが、一番最初だったはずです。とってもいい話なので、南海さんが、いろんな会で出されているのを見かけます。刃傷以前に、赤穂藩から逐電していた侍が、特技を生かして骨董屋で名を上げていたところ、刃傷をネタにした芝居を見たこと、また身を変えて吉良の屋敷を探る義士の面々の姿に気づいたことから、骨董屋の立場を利用して、吉良邸の絵図面を作り、それを義士に捧げることで協力するというもの。「外伝」の一つですが、こないないい話が埋もれていたことの不思議を感じました。ただ、南海さんの掘り起こし、脚色がいいからこそ、これだけいい話になった可能性は、大きいと思えます。前座役の南斗くんは、「難波戦記」からのもの。大阪城落城前に、千姫を連れ出す命を、家康から受けていた民部を、逆に利用して、家康に刺客を派遣する幸村という構図。あまり出ないネタですが、展開のおもしろさから、もっと出てもいいネタですね。こうやって3連続義士ものを聴いてみると、ホントに、「赤穂義士伝」の各物語は、よくできています。



2014年 1月 21日(水)午後 11時 5分

 4日連続勤務の3日目です。昨日は、そないに長い間働いたわけではなかったのと、朝は、ちょっとゆっくりめに職場に入ったこともあり、あまり負担感がないのが嬉しいところ。そして、今夜は、天満橋の双馬ビルの一室で行われた「」に行ってまいりました。今年から再び、奇数月に開かれることになりました。今日は、珍しく近況報告をしないで、いきなりネタに直結するマクラからスタートしました。1つ目は「中江藤樹」でした。このネタは、ここ数年、恒例となっている東西交流で、宝井琴星師からもらわれたネタだということです。話は、中江藤樹10歳のときの物語。母親のもとを離れ、祖父の家で武芸や学問を学ぶ少年藤樹が、母親のアカギレの薬を持って、祖父に断らないで一人で、母親のいる家に戻るのだけど、母親は、志を全うせずに帰ってきたことを良しとせず、家にもあげないで追い返すというもの。訪ねていく途中、深い雪の中に藤樹が倒れてしまうシーンが印象的な読み物です。でも、話がありきたりな感じがしてしまい、東京まで行かれるのなら、もうちょっと違うネタをもらわれた方がいいのにと思いました。でも、もらう方からはリクエストできないんですよね。近況報告がなかったので、2つ目に入る前にされるのかなとも考えていたのですが、それもなく、2つ目の「黒雲のお辰」に入りました。ジャンル的に言えば、女白浪ものと言えばいいでしょう。白浪ものや侠客ものは、ほとんどやられない南華さんからすると、珍しいネタとなります。でも、上方の講釈師さんで、他にはやられる方はありませんから貴重なネタです。終盤、この話の主人公2人が再会するのがいいですね。ネタ的には、圧倒的に「黒雲のお辰」に乗ります、黄紺は。



2014年 1月 21日(水)午前 0時 15分

 今日は、非勤務日にも拘わらず、仕事の入った日。でも、既に繁昌亭の昼席のチケットが買ってあったため、黄紺がいないとダメな時間帯だけ職場に行き、その時間が過ぎると、さっさと職場をあとにしました。今日の昼席は、1週間にわたり文太がトリをとる日。これ自体、全然なかったわけではないのですが、ごく数回のことだったということで、行くことを決めたのでした。おまけに、中トリが文之助ですしね。その番組は、次のようなものでした。三四郎「看板のピン」、阿か枝「延陽伯」、竹林「平の陰」、坂本頼光「無声映画」、楽珍「夏の医者」、文之助「片棒」、(中入り)、米平「立体紙芝居:西遊記」、福郎「風小町」、よね吉「芝居道楽」、文太「崇徳院」。三四郎は、東京に本拠を移してしまっているので、遭遇は久しぶり。阿か枝の「延陽伯」は、定番ネタ。前座噺として、よく取り上げるもの。長い名前に当惑するところで切り上げました。竹林は、笑福亭の十八番ネタの「平の陰」。「お膳の陰に隠れてた」が下げでした。楽珍は、季節外れの「夏の医者」。しかも、出身地の南の島を連想させるものとなっていました。文之助は、鉄板ネタの「片棒」。これは、仕方ありません。米平の「立体紙芝居」、「西遊記」以外にもネタを幾つも持っているはずだのに、当たるのは、いつも「西遊記」。福郎の「風小町」は、擬古典の新作もの。「風」で「おなら」を表しています。太閤さん主催の茶会で放屁をしてしまったお嬢さんを慰める話があるかと思うと、その放屁についての噂に尾ひれが着いていき、ついには太閤さんの前で、件のお嬢さんが放屁をしてみせなければならなくなっていくという展開。ちょっとお下品な新作です。一瞬、福郎の口演ということで、先代が持っていた珍品の一つかと色めき立ったのですが、新作ものでした。よね吉は、予想通り「芝居道楽」。ここまで、全く芝居の欠片も出てませんでしたからね。文太は「崇徳院」。マクラで、指の持つ意味について喋り、どの指に持っていくのかと思っていると、「小指」のネタでした。ちょっと定番ネタが多い日に当たってしまったようです。ま、こういった日もあるってことですね。
 繁昌亭を出ると、京都まで大移動。三条河原町近くのネットカフェで時間調整をしたあと、今夜も「カフェ・モンタージュ」へ。今夜は、「共鳴」と題して、バロックフルート(鶴田洋子)とバロックバイオリン(鷲見明香)とのジョイントのコンサートがありました。「カフェ・モンタージュ」では、19世紀後半以後のプログラムに加えて、古楽の演奏も、しばしば行われるというが、黄紺的には、とっても嬉しいところです。今日のプログラムは、次のようなものでしたが、テレマンがわりかし演奏されたことが、更に嬉しいところでした。「オトテール:エコー」「オトテール:組曲 第1番 作品4 ロ短調」「ボワモルティエ:ソナタ ト長調 作品51-1」「バッハ:カノン ト短調」「テレマン:カノン風ソナタ 第2番 ト短調」「テレマン:フルートのためのファンタジア 第11番 ホ長調」「テレマン:ヴァイオリンのためのファンタジア 第12番 イ短調」「C.P.E.バッハ: デュエット ホ短調 Wq.140」。「共鳴」というタイトルは、初っぱなの「エコー」という曲から採ったものと、カフェのオーナー氏から説明がありましたが、2つの楽器が、対等に響き合うという意味では、曲の構造上、その曲がそれに該当するのでしょうが、バイオリンの演奏スタイルを見ていると、最後のC.P.E.バッハを除くと、バイオリンは、通奏低音に近い扱いと言えば言い過ぎでしょうか。C.P.E.バッハの曲は、感情移入しやすいメロディ・ラインになっているため、それに呼応した演奏となっていました。でも、演奏されたお二人は若い。昨日の武澤さんもそうでしたが、若い世代に古楽プロパーが増え、層が厚くなるのは、まことにもって頼もしい限りです。



2014年 1月 20日(火)午前 0時 15分

 風邪をひいてしまいました。滅多に風邪をひかないというのが、ちょっとした自慢だったのですが、この1年で2回目となります。歳のせいでしょうか、それとも不摂生の結果なのでしょうか。勤務日だったのですが、休もうかとすら考えたほど、朝はきつかった。幸い、市販の薬が効き、夕刻には随分と楽になりました。おかげで予定していた「カフェ・モンタージュ」のコンサートに行くことができました。今夜は、「チェロ音楽の源流〜18世紀 ヴェネツィア、ボローニャ〜」というテーマで、プログラムが組まれました。演奏は、バロック・チェロが武澤秀平さん、チェンバロは山縣万里さんでした。武澤さんは、元新日フィルでチェロを弾いていて、その後、バロック・チェロに転じたそうです。使われているチェロの高い弦2本はガット弦を使い、低い2本の弦は、ガット弦に金属を巻き付けたものだそうで、この低音の2本が、大きな発見だったようで、音色の大きな変化を生んだようです。チェロが独奏楽器として作曲されたものと、現時点でされているのは、ガブリエッリの曲ということで、これが、今日のコンサートでは、2曲目として演奏されました。1曲目じゃないというのがおもしろいところで、1曲目に演奏されたヤッキーニの曲の方が、独奏楽器としてのチェロが、まだ熟成してないかなと思いましたから、そないな演奏順になったのでしょう。実は、今日演奏された曲の作曲家は、ホント、ヴィヴァルディしか知りませんでした。でも、いずれもバッハに繋がる雰囲気を感じさせるものと看ました。今日は、演奏の最中に咳が出てはいけないと、風邪薬を飲んでから「カフェ・モンタージュ」に行ったものですから、居眠りはしないまでも、夢うつつの状態で聴いておりました。そういった状態で聴くには、まことにもって贅沢な時間を過ごすことができたかなと、満足しています。なお、プログラムは、次のようなものでした。@ヤッキーニ:ソナタ変ロ長調AD.ガブリエッリ:リチェルカ−レBG.G.ボーニ:ソナタ第9番ト短調CF.ラウレンティ:ソナタ第4番ト長調DG.ボノンチーニ:ソナタ ハ長調第2番ニ短調EG.プラッティ:ソナタ第6番 へ長調FA.ヴィヴァルディ:ソナタ変ロ長調RV.46。



2014年 1月 19日(月)午前 0時 15分

 今日もコンサートに行く日。しかも、月曜日に次いで「びわ湖ホール」。今日は、こちらの小ホールで、「長原幸太with friends」という弦楽六重奏のコンサートがありました。メンバーは、今、長原幸太が、読売日響のコンサートマスターをしている関係で、同じ読響のメンバー何人かに、プラスαってところでした。演奏されたのは、前半にブラームスの1番、後半が、チャイコフスキーの「フィレンツェの思い出」というものでした。だいたい弦楽六重奏のコンサート自体が珍しいのですが、それに加えて、チャイコフスキーのこの曲は演奏機会の少ないもの。こないな室内楽のコンサートを逃す手はありません。演奏としては、インテンポで終始弾かれたブラームスよりは、チャイコフスキーの方がインパクトの強いものとなりました。チャイコフスキーのこの曲って、こないに華やかな曲だったんだと、再認識させてもらった演奏でした。わりかし多くの部分が、第1バイオリンを除いて、同じリズムでの合奏を繰り返すという特徴を持つ曲ですが、特に1楽章などは、その同じリズムの合奏に支えられたバイオリンのコンチェルトみたいな曲です。2楽章になると、一転メランコリックなバイオリンのソロに加えて、チェロが、それを引き継いでいきます。さすが、メロディ・メーカーのチャイコフスキーです。とっても印象に残っていきます。長原幸太のバイオリンで1箇所だけ不満を感じたのは、このソロの際の出だしの中音域。なんか知らない間に音を出しちゃったという気のない音だったことかな。あとは、ノリノリのバイオリン、ブラームスの厳格さに比べると、まことにもって奔放。ソロになったときの2人のビオラ(柳瀬 省太、鈴木 康浩)も、いい音を出していました。驚いたのは、チェロの上森祥平。この方は京都在住ということで、「カフェモンタージュ」の常連さん。何度となく、その演奏に接してきたのですが、やはり広いところで聴くと、音が拡散し、音が抜けると俗に言いますが、正に、その状態。彩りが豊かになり、響きが、実に大きく聴こえたように思いました。音っておもしろいですね。演奏スタイルに、演奏される場所で、大きく変わってくるのですから。彩り豊かに耳に入ってくると、より表現の幅が大きくなり、聴く者のイマジネーションをより掻き立てていくものです。アンコールは2曲。ハンガリアン・ダンスの5番と、ヨハン・シュトラウスの「雷鳴と稲妻」でした。



2014年 1月 18日(日)午前 1時 40分

 今日も、お出かけ際に失敗をしでかしました。昨日と同じ失敗です。そのため、大阪へ行く途中に、ちょっとだけ息子に会う段取りをつけていたのに、おじゃんになってしまいました。で、午後のお出かけ先は「いずみホール」。今日は、こちらで「モーツァルト〜未来へ飛翔する精神 充溢/ウィーンT 鈴木秀美×オーケストラ・リベラ・クラシカvol.4 妻と捧げる祈り」というコンサートがあったのです。3年だったかな、モーツァルトの生涯を、時系列的に分け、各時代に作曲された曲を演奏していくというコンサート。モーツァルトの曲の中で、わりと演奏機会の少ないものが出るということで、また演奏者に関心があり行ってみました。このシリーズは、黄紺の関心をピンポイントでくすぐるようなものが出るときには行くようにしているのです。11月には、ありそうでなかなかないモーツァルトのリートのコンサートに行ったところでした。今日は、「グラン・パルティータ」と称される「13の管楽器のためのセレナード」が出たのです。編成上めったに生で聴く機会のない曲ですが、モーツァルトのディベルティメント、セレナードといった食卓音楽では、一のお気に入りの曲なのです。それに加えて、後半は、ハ短調のミサが出るという、まことに素敵なプログラムでした。演奏は、鈴木秀美の指揮するオーケストラ・リベラ・クラシカとコーロ・リベロ・クラシコ。素晴らしかったのは「ハ短調ミサ」。古楽の演奏でシャープなものがもてはやされるなか、正に、そういった要請に応えるようなもの。細かくボウイングまでの指示は、確実に出ているなと思える指揮者の強い統率力を感じたと同時に、そのスタイルに納得できるものばかり。コーラスやソリストのノンビブラートの歌唱も、指揮者からの徹底を感じ取れるもの。ここまでいいものを聴かせてもらえるなんて、とっても感激でした。「13の管楽器」の方は、演奏スタイルに共通のものを感じました。少ない編成なのにシンフォニックな印象。ただクラリネットやオーボエのソロに長閑さが欲しかったな。特にクラリネットに求めるたかったですね。こんなにいい演奏だというのに、残念ながら空席が目立ちました。こういったプログラムはダメなんでしょうかね、それともお高いからなんでしょうか。
 コンサートが終わると、地下鉄で日本橋に移動。時間調整なしで、「トリイホール」に直行しました。今夜は、こちらで「第44回お笑いまん我道場 大阪編 特番 〜桂まん我ひとり会〜」があったのです。まん我の会へ行くのは久しぶりじゃないかな。ワッハがなくなってからは初めてかもしれません。その番組は、次のようなものでした。小鯛「商売根問」、まん我「壺算」、(中入り)、まん我「吉野狐」「豊竹屋」。ゲストを置かず、替わりにまん我が3席演じるという構成。以前ワッハでやっていたときに比べると、確実に活気のない客席。ワッハの舞台が身近であった会場が懐かしくなるほど、まん我の高座が遠く感じてしまいました。まん我の喋り方、意図的に距離を縮めようとしているのが解るフレンドリーな喋り方をすればするほど、距離が拡がっていく感じがしてしまいました。もう、それは、小鯛の高座からして気になり出していました。小鯛の「商売根問」って、前座としては花○の高座のはずが、ずーっとめっちゃ重い雰囲気のまま。それが、最後まで続いたと言えばいいでしょうか。まん我は、「壺算」の前に、近況報告的なマクラをふっていました。独演会の形式とか、そないな話が、近況報告の発展的延長線上で語られていました。噺家さんに人気のネタ「壺算」を、まん我も手がけていました。水壺が割れた経緯を入れたのはいいのですが、えらく回りくどく、ちょっとイエローカード。古手屋の喩え話で、テンポが戻り、ホッとした次第。まん我とあろう者がと思ってしまいました。印象に残ったのは、そのくらいで、あとは通常の「壺算」でした。「吉野狐」は珍しい。文我以外では、まん我、生喬くらいしかやらないんじゃないかな。久しぶりだったので、狐が化けた吉野が出て来るまで判りませんでした。時期的に、この時期のネタでもあるのですね。まん我って人、もうちょっと濃い目に描くのじゃなかったかなと思いながら聴いていました。人情噺に実績を上げているまん我は、前半のうどん屋との会話なんてのをやりたかったのでしょうね。「豊竹屋」は、一旦下りて、羽織を変えて登場してからのもの。マクラで浄瑠璃の話をしだしたので、「寝床」「胴乱の幸助」かとも思ったのですが、長めのネタを、既に2つ出してたので、無難なところ、「豊竹屋」だろうと思っていたら、ドンピシャ。熱い湯が上がってくる前から、既に節右衛門は、湯船で浄瑠璃を語っていました。聴かないパターンですね。ということで、ちょっと湿った印象を受けてしまった会でしたね。実力者まん我だけに、残念な思いでいます。



2014年 1月 17日(土)午前 0時 9分

 今日は、落語三昧の日にするはずが、冒頭から大変なアクシデントに遭遇。まず、京阪電車が人身事故とやらで、大幅遅れのうえ、その遅れた電車を待っている間に、忘れ物に気づき、一旦自宅に逆戻り。もう他の行動をとろうかと思いながらも大阪に向かいました。ところが、動き出した京阪電車が思いの外スムーズに動いたこともあり、開演時間はかなり過ぎていたのですが、当初の予定通り動楽亭昼席に向かいました。到着すると雀五郎の高座の途中。でも、これで、落語三昧は放棄せずに済みました。その番組は、次のようなものでした。米輝「動物園」、雀五郎「黄金の大黒」、小染「ふぐ鍋」、団六「へっつい盗人」、(中入り)、内海英華「女放談」、塩鯛「三十石」。雀五郎のときに入ったので、米輝は聴いていません。これが「つる」だったら、昨日と同じなんで溜飲が下がるところなんですが、そこまでうまくはいきません。雀五郎の「黄金の大黒」は、この位置では定番ネタ。演じ手が少なくなってしまったネタなんで嬉しいですね。小染は、林家定番のネタ。出されてみたら文句は言えません。先代小染テイストを感じさせてもらえるというところが、嬉しいところ。団六は、ホントに久しぶり。マクラで、神戸の震災のことを話してくれました。しんどい話を、素直に心に残る語りの巧さ、センスの良さを感じました。障害を持ったお兄さんの話やボケの入ったお母さんの話など、いい話を聴かせてもらえました。ネタは「へっつい盗人」、久しぶりだったので、この人、十八番のネタだったことを思い出しました。中入り明けの英華さんが、今日の狙いの一つ。上方の唄を、いくつか紹介してくれました。「愛宕山」に入る「愛宕山坂」のフルヴァージョンや「らくだ」の「カンカンのキューレンス」のフルヴァージョンなどが入り、黄紺は大喜び。最後は、「かっぽれ」を踊るサービスまで。「かっぽれ」が始まった途端、三味線の豊田さんにダメ出しをする一幕も。テンポが遅すぎたようです。もう一つの狙いの塩鯛は、びっくりの「三十石」。だって、この人が「三十石」を出した記録すら記憶がなかったからです。ひょっとしたら、最近、手がけ出したのかもしれません。京見物は、塩鯛が解説をするというダイジェスト版を採用。伏見街道は、伏見人形にちょっとだけ触れただけで、中書島の浜から本格的に喋り出しました。あとは、通常の展開。舟唄を歌い終わると、「三十石は夢の通い路」で切り上げるという型でした。この人、「地獄八景」に相撲甚句を入れたりしていたように、唄を安心して聴けるのがいいですね。ということで、開演時間に、大幅に遅れたにも拘わらず、満足度の高い昼席でした。
 動楽亭を出ると、西成をちょっと歩いたあと、南森町に移動。駅近くのネットカフェで時間調整をしたあと、繁昌亭の夜席に行ってまいりました。今年になって初めての繁昌亭です。今夜は「第52回なにわ芸術祭新人賞選出 新進落語家競演会」(司会:銀瓶)がありました。この会は、出演者が多いため開演時間が早いということで、今までで行きたくても行けなかったのですが、今年は、運よく非勤務日に当たり行くことができました。その番組は、次のようになりました(出番は抽選で決定)。鯛蔵「ふぐ鍋」、呂竹「始末の極意」、石松「転宅」、雀太「代書」、吉の丞「ガマの油」、(中入り)、二乗「癪の合薬」、三幸「その川の向こうで」、べ瓶「真田小僧」。各自、持ち時間は12分。その中で、マクラからネタをやり遂げねばならないという厳しい条件。有利な抽選番号を引いた噺家さんは、後ろの出番から取っていきました。後ろの出番の方が有利だというのは、コンペでは言い尽くされたこと。結果は、やはりそれを証明してしまいました。でも、これだけの好メンバーのコンペは、ちょっとした前の出番、緊張、12分という時間に合わせる刈り込みの狂いが、受賞を遠のけさせます。黄紺の目で、えらく落ち着きを感じさせ、ネタの強さも味方に着けた二乗、独自の人物描写にくすぐりが冴えたうえ、朗らかすぎる相手に対し、微動だにしなかった男を好演した雀太が最有力かと看ました。その次に位置すると思ったのが、出番が最悪となった鯛蔵、逆に出番を味方に着けることのできるべ瓶、新作で異彩を放った三幸かと思いました。ネタの爆発力に欠ける呂竹、コンペで酒の噺はダメと言いたい吉の丞、個人的には、普段の口演からすると新鮮味抜群だったけど、その良さは解ってはもらえないと思った石松は、選外と看てました。案の定、中入り明けの出番を得た二乗が最優秀賞、べ瓶が奨励賞をもらいました。審査員に対する傾向と対策は、三幸のような明確な新作には目がいくが、古典を正攻法で演じるのが、一番高く評価されるということ、古典を、独自の感性でいじると評価が低いということでしょうか。そういったなかで、出番という運を得た者が、受賞の資格を持つことになると思えました。これで、二乗は、昨年度の繁昌亭大賞輝き賞に続く受賞です。師匠の米二が、どのようなコメントを出すか、これが楽しみになってきました。



2014年 1月 16日(金)午前 0時 21分

 ドイツから帰ってきて、早くも1週間が過ぎました。1月も半ばということで、早くも1年の1/24が過ぎました。早いものです。昨日は、夜遊びはなく家に直行。今日は、ゆったりと仕事ができたあとは、迷った挙げ句に高津神社の「微笑落語会」に行ってまいりました。笑福亭たまがネタ下ろしをする会です。たまを聴く機会が減っているということで、この会だけは行こうとしています。その番組は、次のようなものでした。米輝「つる」、たま「花色木綿」、喬介「元犬」、たま「桑名船」、(中入り)、たま「ぐつぐつ」。米輝は、関大落研出身の噺家さん。とっても達者な喋りのできる人とインプットされています。終盤、ちょっと調子に乗りすぎたのか、しつこくなりましたが、そこまでは程よいデフォルメが心地好い仕上がりぶり。たまの一つ目は、今更ながらの感がある「花色木綿」。でも、こういった前座ネタも、自分の持ちネタとして増やしている傾向が、最近のたまに見受けられるのも、事実です。今日の「花色木綿」は、盗人は、先に出さず、やもめが勝手に言いたい放題をするのにだけ登場しました。それと、盗られたものとして、牛一頭、5歳の娘なんてのが出てきてました。喬介がゲスト枠。そういった年頃になってきたのですね。ネタは、やり手が少ない「元犬」。人間になってからの言動が、あまりにベタなんで、やり手が少ないのでしょうか。奉公に出る辺りから、急激に体力の限界に。ほぼ覚えてない状態に。それを、たまの「桑名船」にまで続いてしまいました。たまの登場で持ち直したかと思ったのですが、たまが、フリップに描いた伊勢湾周辺地図を持ち出したところで、再びダウンしてしまいました。「桑名船」は、旅ネタの中で上演頻度が、かなり低いもの。ちょうど息巻く侍に対し、これを諌める侍が、船を岸に着けることを求めるクライマックスに差し掛かるところで、運よく覚醒。でも、前半の乗り合い客同士が、戯れに問答をしたりする箇所はダメでした。たまは、その乗り合い客の中に、名古屋弁の人物を登場させるという工夫をしたようです。中入り明けは柳家小ゑん作品。黄紺は、東京の寄席で、若手の噺家(ろべえと記憶しています)が、このネタをするのを聴いたことがあります。オムニバス形式で、おでんの具材同士が交わす会話で進むというユニークな噺。「大阪の人にも楽しんでもらえば」ということで、たまが、小ゑんから直にもらえたネタだそうです。久しぶりに覗いたたまの会ですが、たまの会にしては、珍しく9時前に終わりました。全体的に、若干小ぶりなネタが続いたからでしょうか。



2014年 1月 13日(火)午後 11時 53分

 今日は、文楽を観る日。定番となっている1月公演の第1部の方を観る日でした。その番組は、次のようなものでした。「花競四季寿〜万才・海女・関寺小町・鷺娘〜」「彦山権現誓助剣〜杉坂墓所の段/毛谷村の段〜」「義経千本桜〜道行初音旅〜」。「花競四季寿」は、正月公演特有の祝言的な出し物。四季に合わせた4つのパートから成り立っています。最後の「義経千本桜」は、祝言的なものではありませんが、桜満開の下での静御前と狐忠信との道行だけですから、華やかさを味わうということで、正月公演のこのポジションで、よく出る(いや出過ぎ)出し物です。従って、今回の第1部で、物語性のあるものと言えば、「彦山権現誓助剣」だけとなります。「雪が積もった」なんて文句がありますから、冬の演目というから入ってきたのでしょうが、今回の上演の箇所では、冬でなければならないというところはありませんでした。ストーリーは仇討ちものです。上演されたのは、仇討ちを助ける母親を亡くし、一人になった毛谷の六助の周りに、続々と関係者が集まってきます。その中で、六助は、恩師を殺されたことを知り、妻となる女、姑と出会い、家族を作っていきます。また、この六助が好人物。それを知ってか知らずか、仇となる侍は、その人の良さを利用します。「毛谷村の段」の最後で、対立グループが明確になります。確かに、物語としてのおもしろさというのは、今回上演されたところだとは思うのですが、ここまできたら、悪者をやっつける場面を観たくなります。でも、この六助って男は、文楽の演目に出て来る人物で、一番いいって感じで、爽やかな印象が残りました。
 文楽が終わると、1時間を目標にミニウォーキング。ちょっとでも身体を動かそうという魂胆です。それから、千日前のネットカフェで時間調整をしたあと、鶴橋の「雀のおやど」へ。今夜は、こちらで「かわりべんたん」と名付けられた呂好と華紋二人の落語会がありました。呂好が2年先輩という関係ですが、文枝一門と笑福亭一門ということですので、お二人の関係は判りかねますが、お二人とも有望な若手の噺家さんであることには間違いありませんから、覗いてみることにしました。番組は、次のようなものとなりました。呂好・華紋「挨拶」、華紋「犬の目」、呂好「天狗裁き」、(中入り)、呂好「寿限無」、華紋「打飼盗人」。華紋は、大学生の落語選手権で優勝経験のある噺家さん。実家の周辺に、大病院ができたことから起こった生活の変化を、マクラでこってりとしてから「犬の目」へ。二人のキャリアからして、2つの内1つは前座ネタになることは致し方ないことです。呂好の「寿限無」が、それに相当。呂好の場合は、「天狗裁き」では、ゆっくりとマクラをふるゆとりはなく、この「寿限無」に先立ち、おかしな噺家さんネタで楽しませてくれました。呂好の「天狗裁き」は春若からもらったものとか。この噺を聴いて、噺家になる決意をしたという思い入れのあるネタだそうです。この人、とっても繊細な人だなと、この「天狗裁き」を聴いて思いました。この人、とっても滑舌がいいものですから、その幅が広いということを、十分に活用する自力をつけてきているなの印象を持ちました。一方の華紋の「打飼盗人」は、師匠の文華の得意ネタ。その印象が強いものですから、どうしても文華の口演と比べてしまいました。やっぱ、「へてから」と言って、何度も盗人におねだりするところは、華紋には照れがあるのかなぉ。逆に、ここで笑いを取らないとという気負いがあるのかなぉ。おもしろさのクレッシェンドは看ることは、残念ながらありませんでした。しかし、この人の口演は流れます。自然なスムーズさがあります。これからは、大ネタに取り組んでいくでしょうから、ホントに楽しみです。



2014年 1月 13日(火)午前 1時 51分

 今日は、「びわこホール」で、オペラを観る日でした。明日も含めた自分的4連休、それぞれ彩りの異なるメニューを用意してあります。今日のオペラは、こちらのホールのレジデンツのコーラスの皆さんが演じる「天国と地獄」。去年、同じ企画で、「ホフマン物語」を観たのですが、こじんまりしたプロダクションながら、かなり楽しませてもらったものですから、今年も外せないの気持ちで行ってまいりました。くしくも同じオッフェンバッハものが並んだことになります。まじめに観るとバカバカしい「天国と地獄」は、「オルフェウスとエウリディーチェ」の物語のパロディ・オペラじゃなくて、オペレッタですね。黄紺は、今まで、アヴィニョン、エアフルト、オズナブリュックと、独仏問わず、地方の中小都市でばかり観ています。今回のプロダクション(中村敬一演出)は、滋賀県内の合唱団や、滋賀県内にキャンパスを持つ大学(成安造形大学)との共同作業。従って、それらの関係者が、客席に詰めるという、ちょっと環境の違う中で始まりました。舞台は、正面に凱旋門状の大きな装置、これにCGを駆使した画像や映像が投影されるというもので、それ以外は、1幕だったら、街角風景を表す簡易装置が置かれたり、3幕だったら、門番が寝そべるベンチがあったりする程度の装置でした。ですから、CGが大きな役割を果たし、それを製作したのが、県内の大学生だというわけです。1幕終盤では、凱旋門が、一挙に崩れ落ちたり、2幕の最後、天国から地獄へ向かう神々ご一行様は、ジェットコースターに乗って行くという風景を表したりして、効果は抜群のものを見せていました。特段、設定を変えたりするものではないプロダクション。でも素人さんが多く出ているコーラスの皆さんを、うまく動かしていました。1幕の道を行き交うパリ市民、神々、これらは、全てコーラスの皆さんです。40名以上の方が舞台に上がられたと、開演前に、演出の中村敬一さんから説明がありましたが、楽譜を読み込んだ巧みな動きに、うまく対応されていました。ジェットコースターの場面などは、集団がまとまった動きを見せないとおもしろくありませんが、そんなのも見事なもので、かなりの稽古を積まれたことでしょう。3幕の地獄の場面で、ゼウスが、キューピッドの助けを求めて、エウリディーチェの居場所を探すところでは、キューピッドが警察隊を召集しますが、これも県内の子どもコーラス(合唱団「輝らりキッズ」)。この歌唱にも振り付けが入ります。これが非常にきれいに揃うものだから、会場から大拍手。内容は、極めてバカバカしいものですし、真剣に観ているとおバカになるようなものですが、演出による工夫で、また真剣に演じてこそ、おバカな内容を、ホントに楽しく観ることができるものなんだという典型的なプロダクションでした。歌手的には、去年の「ホフマン」では、あまり感じなかった心細さを、随所に感じました。全体的にパワー不足ですし、エウリディーチェはコロラトゥーラだったのと言いたくなるような感じだったしと、色々と問題を感じたことは事実です。そういったなか、オルフェウスが、自身でバイオリンを演奏したことにはびっくり。ごく一部は、コンマスが弾きましたが、1幕だけではなく、2幕以後も、バイオリンを持って登場して、例えばグルックのメロディをパロディ化するところなども、オルフェウスが弾いていました。オズナブリュックで観たときに、これが出てびっくりしたのですが、よもや2回目があるとは思っていませんでしたから、これには驚かされました。それだけ弾くだけあって、また上手いものですから、尚更びっくりでした。こうした取り組みができるというのは、ひとえにレジデンツのコーラスを持っているからこそ。正にびわこホール・スペシャルです。黄紺も、一緒に行った同僚父娘さんも、やっぱ、去年の「ホフマン」がおもしろかったから、今回、こうやって大津まで足を運びました。こないな取り組みで、確実に文化って育っていくものなんでしょうね。このプロダクション、出演された県内のコーラス団の方たちの地元でも、既に公演が行われたそうです。滋賀県頑張ってます。それに引き換え、大阪のダメなこと! 兵庫へ行くと、兵庫でも、兵庫頑張ってるやんと思います。京都には、市立のオケがあり、毎回「完売御礼」がかかります。大阪、ダメやね惨めやね、これでは。なお、今回の公演のオケは、大勝秀也の指揮するザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団でした。来年度は、「ルサルカ」と「フィガロ」が出る予定だそうで、今から楽しみにしています。そのためには生きてないと行けません。



2014年 1月 12日(月)午前 1時 55分

  大阪市内遊歩(224)(写真なし)

   まだ、時差調整がうまくいっていません。夕べは、夜半に3時間眠れたところまでは良かったのですが、なんせ目がさめたのが、まだ日が変わってない時間帯。そして、それから明け方まで眠れなかったのです。ということで、お出かけ時間の関係で、中途半端な二度寝。目が痛いまま、日曜日に出かけるなんて、ありえないことです。今日は、月一で浪曲を聴ける日。「一心寺門前浪曲寄席」がある日だったのです。1月は日替りメンバーで、好きな日を選べば良かったのですが、昨日と明日は行けないため、今日、行くことになりました。その番組は、次のようなものでした。真山誠太郎(真山裕子)「長兵衛 男の花道」、天光軒満月(紀之本孝子、美勝勝廣)「父帰る」、京山倖若(沢村さくら)「谷風の情相撲」、松浦四郎若(藤初雪)「藤堂高虎」。「長兵衛 男の花道」は、幡随院長兵衛が、水野の屋敷で惨殺されるお約束の物語。幡随院長兵衛ものって、上方では、これしか出ないから、幡随院長兵衛のかっこ良さみたいなのが伝わって来ないのです。そないなことを説明しなくても、誰しもが知っていた時代の産物なんでしょうね。満月さんは、またしても「父帰る」。「父帰る」は、菊池寛作品だそうですが、物語の全体像が語られないままの「父帰る」ですから、どう考えればいいのでしょうか。倖若師は、来年、喜寿だそうです。瓢逸たる味わいは格別なるものがあります。「谷風の情相撲」は、谷風が、親孝行ものの佐野山に負けてやるというもの。東京では、落語になっていて「佐野山」という地語りの噺になっています。「藤堂高虎」は、講談の「出世の白餅」。無銭で泊まってしまった宿屋の主人に丁重な扱いを受け、出世を期待された藤堂高虎は、連れの侍と出世競争を約し別れたあと、城主まで上りつめたあと、件の侍とともに、かつての宿屋の亭主を訪れます。藤堂高虎関連の釈ネタは多いですね。浪曲に転用されているかは別にして。それだけ個性的な人物だったってことでしょうか。1月公演は、出番が1回ずつということからでしょうか、皆さん、お得意のネタを出されたようでした。
 浪曲が終わると、会場前から、直ちにウォーキングに移行。今日は、天王寺公園が無料開放でしたので、中を抜けて、「天王寺」駅へ向かうことができたのですが、そのコースは、次のようなものとなりました。一心寺南会所〜茶臼山・天王寺公園〜JR「天王寺」駅〜大阪市立大学医学部〜飛田新地〜JR&南海「新今宮」駅〜戎南公園〜南海「今宮戎」駅〜今宮戎神社露天街〜廣田神社〜日本橋電器屋街〜千日前〜相合橋〜大阪市立南小学校〜難波神社〜坐摩神社〜地下鉄「本町」駅〜大阪府結核予防会〜京阪「淀屋橋」駅。今日は、夜に予定が入っていなかったため、最後は、京阪線に戻ることを念頭に考えたコース。飛田の南端まで行き、残り福を求めて賑わう今宮戎神社界隈を抜け、「淀屋橋」駅を目指してみました。今宮戎は、大変な賑わい。神社本体に近づくと、時間ばかりが食うと、屋体の並ぶ通りだけを抜けたのですが、運悪く、そこから雨に遭ってしまいました。雨雲をかすりながら、うまく抜けたときもあったのですが、大体は降ってました。ひどい雨ではなかったので、結局、最後まで歩くことに。真っ直ぐ北上すると、2時間かからないということで、最後は、四つ橋筋まで迂回して「淀屋橋」駅に入ることになりました。



2014年 1月 11日(日)午前 1時 7分

 今日から、自分的4連休がスタートしました。ところが、時差調整がうまくいっていない状態が続いているのか、せっかく12時前に眠ったのに、僅か30分で目が覚めてしまったため、結果的に夜更かし。今度は、目が覚めると、お出かけ準備に入らねばならない時間。食事も十分に取らないで出かけなければならない羽目になってしまいました。お出かけ先は、「兵庫県立芸文センター」。貴国後、早速音階会に復帰です。今日は、こちらの小ホールで、「ドロテー・ミールズ、ソプラノ・リサイタル」がありました。実際のプログラムは、チームを組んでいる4人のジョイント・コンサートの色合いの濃いものでしたが、かなりの腕のある人たちのチームで、やはりバロック音楽のコンサートは、稀少性が高いものですから、余計に嬉しくなっていきます。ただ黄紺がけちり、バックステージのサイドの席を選んでしまったため、特に声楽とチェンバロを聴くにはダメだったですね。別に歌詞を聴いて、その内容を理解できるわけではありませんが、大げさに書けば音の塊に、声楽の場合は聴こえますし、チェンバロはいかにもか細くにしか聴こえません。これには反省しきりです。シンフォニーホールでは、いくら安くても、バックステージは避けていますが、こちらの小ホールも同様の扱いにすべしと、黄紺の頭にインプットされました。それにしても、ドロテー・ミールズの声の調子は尻上がりとしか言いようがないほど、冒頭のテレマンとモンテクレールは、気に入りませんでした。5度くらい跳んで上がる高音になると、ポンと上がらない(この傾向は最後まで微妙に続きました)、それに加えて、バロック・リートらしいピュアなノンビブラートな発声になってないという具合で、これは外したぞというのが、序盤の感想。ところが、尻上がりに改善。絶好調に入ったのは、最後のヘンデルから。アンコール2曲がピークでしょう。それって遅いよ。でも、絶好調に入ると、ノンビブラートでクレッシェンドに入ったときは、この世のものでない極上の響き。このソプラノの自力を看た思いでした。最後良ければ全て良しってのは、正に今日のようなコンサートのことを言うのでしょうね。序盤、外したかなと思っていた間、黄紺を興奮させていたのは、フルート・トラヴェルソを吹いていたパトリック・ビュークルス。フルート・トラヴェルソのくすんだ音色に楽しさを乗せてくれたって言えばいいでしょうか。ふっと微笑まざるをえない音楽心なんてものを感じてしまいました。聴いていて、声にはならない声で、「この人、めっちゃうまいやん」と呟いていました。バロックチォロ(ハルム・ヤン・シュヴィッテル)とチェンバロ(三和睦子)は、どうしても、アンサンブルとなると、通奏低音という役割を担わねばなりませんから、引き気味に演奏するのは致し方ないこと。バロックチォロのソロになったときの疾走感と、チェンバロ・ソロで見せた不思議なアクセントに、黄紺的には関心がいきました。常に、この4人がチームを組んで活動しているのかも知らないで、ただただバロック・リートが聴きたくて行ったコンサートでしたが、やっぱ、この手のコンサートはいいなというのが、正直なところ。黄紺は、音楽に関心を持ち出した頃、まず大きく惹かれたのが、バロックの声楽曲だったものでしたが、実際に生で、そのような音楽を聴ける機会などは、ほぼ皆無だったため、このようなコンサートに出会えることは、本当に喜びとなります。終わり良ければ全て良しで、満足できるコンサートでした。なお、プログラムは、次のようなものでした。@テレマン「わが喜びは、あなたとともに」Aモンテクレール「カンタータ第8番エウロペ”」BJ.S.バッハ「ファンタジーとフーガ」CJ.S.バッハ「復活祭オラトリオより魂よ、あなたの香油は”」Dヘンデル「ラ・ビアンカ・ローザ」Eヘンデル「フルート・ソナタ ロ短調」Fヴィヴァルディ「チェロ・ソナタ イ短調」Gヘンデル「オラトリオ快活の人、沈思の人、温和の人”よりスウィート・バード”」。



2014年 1月 9日(金)午後 10時 23分

 今日は、非勤務日ですが、仕事が入り、午前中だけですが、出勤してきました。そして、午後からは、当初より予定していた動楽亭昼席へ。1月席の米朝一門だけの公演に、ぎりぎり間に合いました。その番組は、次のようなものでした。優々「ん廻し」、吉の丞「上燗屋」、しん吉「社長誘拐事件」、文之助「親子茶屋」、(中入り)、蓬莱家玉之助「太神楽」、九雀「転宅」。時差調整ができてないなか、危険がいっぱいと思い出かけたのですが、見事に予想が当たってしまいました。もう始まる前から、目がしょぼついていましたから。そのため前半は、ほぼ全滅状態。ただ、しん吉を除いて、よく遭遇してきたネタが並んだことで、ちょっとほっとしてはいますが、しん吉の高座の時間帯が、一番ダウンが進んでしまったため、全く見当のつかないのが悲しいところです。優々と吉の丞は、動楽亭昼席での遭遇機会が多いのですが、同じネタばかり当たります。吉の丞に至っては、もうマクラから完全に動楽亭仕様の「上燗屋」ができ上がっています。後半になって覚醒。この1月席には、色物さんを配置しているという特徴が、番組にあります。正月らしくていいですね。玉之助は、久しぶりの遭遇。最近、巡り合わせでしょうが、繁昌亭の昼席で、なかなか巡り合わないのです。ただ動楽亭は、繁昌亭と違い、なかなかスペース的に厳しく、ネタを小さくしなければならないため、「新ネタみたいなもの」と口走りながら、玉之助は技を披露していました。トリの九雀も、動楽亭昼席では、遭遇機会の少ない方。台詞を、ちょっと今風に変えるという九雀らしい口演。盗人は、昼どきに再訪するのではなく、朝、やって来るように促されるというのは、初めて聴きました。4時半ちょっと手前ではねたので、外に出ると強い雨。全く予想をしてなかったので、かなりひるみましたが、幸い瞬間的な出来事であったようで、ホントに助かりました。



2014年 1月 9日(金)午前 0時 8分

 今日から、早速、仕事と夜遊びが復活です。でも眠たい。昨夜は、1時間しか眠れなかったですから。夜遊びは、動楽亭であった「生寿成熟の会」に行ってまいりました。わりかし客層が取り合いになりそうな「高津落語研究会」があったものですから、入りは、いつもよりか、ちょっと少なめ。その番組は、次のようなものでした。あおば「秘伝書」、生寿「みかん屋」、文鹿「瘤弁慶」、(中入り)、生寿「壺算」。生寿は、まず大晦日から新年にかけての様子を報告。大師匠の松喬が亡くなる前との比較もしてみせてくれました。ネタの方は、2つともネタ下ろしという触れ込み。正確に言うと、「みかん屋」は全くの初演、「壺算」は3回目の口演だそうです。ともに喬楽からもらったそうです。松喬のネタを、喬楽が多く持っているそうです。「壺算」は、さすが眠気が出てしまい、しっかりと聴けたというわけではありませんでしたが、へっついが割れるくだりが入ったものでした。「みかん屋」も、特段、変化があったわけではありません。「壺算」は、最近の噺家さんには人気のネタですので、取り上げようっの気になるのは理解できるのですが、「みかん屋」は、このくらいのキャリアになってから、なぜだろうの疑問が出ました。ただ松喬のネタの継承というのでしたら、とっても理解できるのですが。前座役はあおば。「刻うどん」で成果を上げてきたなの印象が出てきているあおばだったので期待を持ったのですが、あとから上がった生寿が言ってた通りで、繰り返しネタは、すべり出すとすべり続けます。そして客席を見て、ネタを選べるようにならねばならないという、とっても大切なことを言ってました。あおばは、マクラで、自分の師匠ざこばネタが受け、これだったら行けると思ってネタに入ったのでしょうが、「秘伝書」と判ると、やっぱ気持ちが引きますね。今日の会のように、マニア的落語ファンが集う会では、こういったベタなネタ、よほどのことがない限り、演者の空回り的な進行になってしまいます。文鹿は、久しぶりの遭遇。後輩の勉強会に喚ばれたというのを、見たことがないと言っても、あながち間違いじゃないでしょう。生寿との縁は、同じ奈良市出身だということです。ということで、奈良の県民性からのマクラ、そして、生寿の松喬一門新年会報告に合わせてか、文枝一門の新年会風景を語ってくれました。長いマクラだったもので、「瘤弁慶」に入ったとき、前半の「宿屋町」で切り上げるなんてことがないようにと思っていたら、きっちりと最後までやってくれました。久しぶりですね、最後まで聴いたのは。この前、このネタを最後まで聴いたのは雀喜の口演だったと覚えてたくらいです。文鹿の語り口はしっかりとしたもの。ただ、この人、県民性からか地味な印象は、残念ながら拭いきれませんね。



2014年 12月 17日(木)午前0時 6分

 今日は寒い。冬で一番寒いのは、このくらいだと解らせてもらったような寒さです。これくらいの寒さを経験しておけば、ドイツでももちこたることができるでしょう。ということで、今夜は、日本最後の夜です。もちろん今年の。最後の落語会に行ける日でした。それに相応しい落語会がありました。「動楽亭」で「生喬百席」のあった日だったのです。その番組は、次のようなものでした。生喬「殿集め」、紫「厩火事」、(中入り)、生喬「掛取り」。生喬は、まずマクラで、喬楽、風喬と、兄弟弟子3人で行った小豆島旅行報告。更に、喬楽と右喬という一門の独身噺家の結婚させようという話。後者は、珍品「殿集め」の導入となっていました。自分的には、このネタは、生喬でしか聴いたことはありません。笑福亭の噺として、かなり存在だけは知っていたのですが、六代目でも聴くことは叶わなかったネタです。噺は、とっても単純なもの。清水寺から飛び降りるとのガセネタを風潮し、興味本位に集まった男の中からいい男はいないかと探るというもの。噺のほとんどは、集まった男どもが勝手な憶測を述べ合うというもの。紫は、アマチュア時代、繁昌亭主催の落語教室に通い、当時講師だった生喬に教えを受けたという間柄。雅、真と同時に修行を積んだときのマクラが傑作。マクラからして上手いという紫らしい高座の始まりでした。「厩火事」は、ちょっと予想していました。実は、紫の持ちネタでは、大きめのネタは、これと「皿屋敷」しか知らないものですから。むしろ聴いたことのないネタを期待していたのですが、そういった意味では、ちょっと外された感じがしますが、キャリアからすると、仕方のないことかもしれません。兄貴と呼ばれる男の低い声がいいですね。やはり、低音での台詞回しがいいのが、紫の評価が高い要因だと思います。そして、今年最後の落語は、まことにもって最後に相応しい「掛取り」が当たりました。生喬の「掛取り」は、個性溢れるもので、狂歌、河内音頭、タカラヅカ、けんかという順で進みました。師匠の松喬からもらったそうですが、松喬は、「借金撃退法」という名で、狂歌とけんかだけしかやってませんでしたから、大きな様変わりです。生喬は、タカラヅカの部分は、最近になって入れたことになります。タカラヅカで、散々歌ったあと、「ホントはここで気持ちよく終わりたいんですが」と言って、大爆笑をとっていました。さすが、けんかの部分をカットしちゃうと、師匠に顔向けできないでしょうしね。最後に、珍しく「抽選会をやります」というので、どういった心境の変化と思ってたら、なんてことはない、上方落語協会から協会員全員に送られたカレンダーでした。このカレンダーは、くすぐりによく使われるもの。若手噺家さんの写真が載っているので、家で掛けようがないようですね。



2014年 12月 16日(火)午後11時 27分

 今日は、旅行前最後の非勤務日。ほとんどの旅行準備は、週末に済ませてあったので、軽いチェックをして、足りないものの買い物などをしたら、もうお出かけ時間。今日は、まず十三の「シアターセブン」であった「春野恵子が京山幸太を可愛がる会」に行ってまいりました。この間、4回にわたり行われている会ですが、その存在を知ったのは、先日の一心寺の会でだったため、間に合うのは今日だけでした。「シアターセブン」っていうのは、七芸の1階下にある小じんまりとしたホール。詰めに詰めて50人は厳しいかもというスペース。今日の会は、つばなれをちょっとしたくらいの客だったもので、5つほどテーブルが置かれ、ドリンクを置いたりしながら、のんびりとしながら、ちょっと贅沢な気分になりながら鑑賞できました。番組は、次のようなものでした。春野恵子・京山幸太「トーク」、春野恵子(一風亭初月)「斎藤蔵之助」、京山幸太(一風亭初月)「五条橋の弁慶」。「トーク」は、今日は、幸太くんが仕切るということで、進めていったのが、ちょっとした芸談。春野百合子師の教え方なんてのが聞け、大正解でした。その中で判ってきた大切な情報がありました。百合子師のネタ数が17だということです。となると、恵子さんは、ひょっとしたら、全部を制覇しているかもしれません。で、この会では、普段、あまり出さないネタを出すようにしているとか。次回も「梶川与惣兵衛の粗忽」を出すと言っていました。今日の「斎藤蔵之助」は、講談でも、時々出るネタ。本能寺の変の後日談的な話。斎藤は明智光秀の家臣です。落ちていくときに、堅田に住む乳母を訪ねるのですが、その途中、乳兄弟に当たる乳母の息子を斬るというもの。落ちていくために馬が要るという理由で。能「藤戸」を想起させる物語です。むごいとしか言いようのない話なんで、自分的には好きになれないネタです。逆に、このネタが生き残ってきた心性のようなものを知りたくなります、このネタに遭遇するたびに。幸太くんの高座になり、どうも、彼の台詞が聞き取りにくくなっていき、「つまらんな」と思っていたら、記憶が跳んでしまっています。この会、ワン・ドリンクのサービス付なもので、止せばいいのに、ハイボールを呑んでしまったからだと思います。でも、テーブルが置いてあり、ゆったりと鑑賞できるという雰囲気に、アルコールを注文したくなってちゃいます。自業自得でもありますが。
 「シアターセブン」を出ると、夜まで、十三駅前のネットカフェで待機していました。そして、夜は、「梅田」経由で、「鶴橋」に移動。「雀のおやど」であった「雀五郎体力強化の会」に行ってきました。かなりご無沙汰の会です。入りは20人ほどでしょうか。実力は十分ある人なもので、好事家中心の客席でした。その番組は、次のようなものでした。小梅「大安売り」、雀五郎「正月丁稚」、風喬「試し酒」、雀五郎「三十石」。小梅が、前座で使われるのを、あまり見たことはないのですが、この小梅と言い、ゲスト枠の風喬と言い、やはり繁昌亭効果なんでしょうね、雀五郎の会に呼ばれるというのは。小梅は、手慣れたネタのはずなのに、序盤で詰まるなんてことがありました。雀五郎の一つ目は「正月丁稚」。このネタ、好きなんです。昔の船場の正月風景が出てくるもので、聴いていてわくわくしてしまいます。チラシには「お楽しみ」になっていたので、ネタ下ろしかもしれません。若手の噺家さんが、あまり手を着けないネタだけに嬉しいかぎりです。風喬の「試し酒」は2度目の遭遇。今日の口演で、風喬はおもしろいことをやってくれました。九蔵が、外に出て戻ってきたとき、風喬は酔ってみせたのです。これは理屈で、既に、この時点で、九蔵は5升の酒を呑んでいますから、酔っているのが普通です。いや5升くらいの酒では酔わないのが九蔵だという考えもあるでしょうが。ほろ酔い気分で戻ってきたという状態に、風喬はやってのけたのです。ただ、これをしてしまったときに、ネタバレをしてしまう可能性があるというのだけが、気にはなります。新たに5升呑みますから、量が進むにつれ、酔い方が変わっていきます。その辺の酔い方で言えば、2升まではいいのですが、そのあとが間が持たなくなっていきます、徐々に。その辺が精進のしどころなんでしょうね。でも、新しい試みを聴かせてくれたりしていますから、今後の「試し酒」の変化に期待しましょう。雀五郎の「三十石」は、ネタ下ろしのとき以来。ネタ下ろしのときは、流れ自体が気になったのですが、今日は、とってもスムーズ。ただ、舟唄になると、時間の経過や、川の流れなんかを感じることは、難しかったですね。「三十石」は、それだけ難しいネタということなんでしょうね。なお、スタートは、伏見街道からでした。



2014年 12月 16日(火)午前0時 5分

 年末の仕事が峠を越え、もう頭は、すっかり旅行気分。夜は夜で、今年最後の「カフェモンタージュ」。どころが、「カフェモンタージュ」に、ちょっとした異変が起こりました。いつも「カフェモンタージュ」に行くときは、開演時間が遅いので、1時間以上、河原町三条近くのネットカフェで時間調整をしているのですが、今日も、そちらでメールを開けると、「急なお知らせ」が届いていました。今日、出演を予定されていたビオラの小峰航一さんが急病で出演できなくなり、急遽プログラム変更となっていました。でも、行くつもりでしたし、特に今年最後ということもあり、迷うことなく行ってまいりました。受付では、オーナー氏が恐縮して待ち構えておられたので、黄紺もちょっと恐縮。開演前のオーナー氏の説明によると、小峰さんが無理だと判ったのが夕刻になってからだそうで、そこで、急遽代演のできる人探しを、ブラームスのクラリネット三重奏曲に変更することを前提にしたところ、以前、「カフェモンタージュ」での演奏経験のある佐藤禎さんを思い出し、急遽オファーを出したということです。佐藤禎は、京響へ、今日のクラリネットを吹かれた小谷口直子さんと同期入団の間柄だそうです。ピアノの塩見亮さんともども、お三人とも、以前に演奏経験があるとはいえ、三人で合わす時間が、2時間もなかったようですが、やっぱプロって、すごいですね。クラリネット奏者にとっては、最重要曲の一つでしょうから、今までにじっくりと取り組まれたこともあるでしょうが、ピアノやチェロの奏者にとっては、そういったものではないでしょうから、大変なこと。チェロの佐藤さんの運指なんかは、客席から丸見えなので、もう驚くしかありません。もちろんブラームスですから、運指がしっかりしているだけで済むわけではありませんから、ホントに大変なコンサートに接することができたと思っています。クラリネット三重奏曲は、なかなか大きな曲。30分をかるく超えました。オーナー氏の解説によると、ブラームスは、晩年、クラリネットに可能性を見いだし、クラリネット関係の曲は、全部、この時期に作曲されたとか。確かに、クラリネット五重奏曲は言うに及ばず、2つのクラリネット・ソナタも、なかなか味わい深いいい曲です。その替わりに難しい。3つの楽器のバランス一つを取ってみてもそうです。やはり、その辺には、時間が要りますから、また音を聴いての、演奏者のノリにも影響してきます。そういった意味では、アンコールとして演奏された第2楽章の充実度が、一番印象に残りました。でも、一期一会の演奏って、こういうことなんでしょうね。ホント、究極のライブに遭遇できたことになります。



2014年 12月 14日(日)午後9時 19分

 今日は、朝から旅行準備に時間を使い、午後からコンサートという一日。旅行間近の最後の日曜日ということで、余裕を持たせてあった日であったところに、10日ほど前に、知り合いのお嬢さんがコンサートを開かれることを知り、また頃合いの時間にあるということで、行ってみることにしました。場所は「島之内教会」。昔、「島之内寄席」があったあの教会です。コンサートには、「フランスと日本の響き 日本/金沢の響き-藤本始と金澤攝-」という副題が付いていました。演奏は、フルートとビアノで行われました。金澤攝さんが企画され、ナンシー市と金沢市との友好を謳ったのが、今日のコンサートであったことが、金澤さん自身の解説で判明しました。黄紺の知り合いのお嬢さんというのは、その金澤さんと共演されたフルーティストでした。知り合いの紹介に寄ると、お二人は、お嬢さんの遊学先のベルギーでお知り合いになられたということで、今回のコンサートが、大阪だけではなく、金沢や東京でも実現したようです。両市の友好ということで、両市出身の作曲家が取り上げられました。昨日は、ナンシー市出身のジョセフ・ギィ・ロバルツを、そして今日は、金沢市出身の藤本始と金澤ご自身の作品が演奏されました。金澤さんの作品も、藤本始にインスパイアされて作られたピースでしたから、主役は藤本始が占めていたプログラムでした。解説によると、金澤さんのお母様がダンスの先生で、そのお母様が、ダンス用に委嘱された作品があることを知り、金澤さん自身が掘り出してきた作曲家のようです。ですので、演奏に当たっては、楽譜が、途中消失をしていたり、楽譜が残っていない替わりに、音源だけは残っていたため、音源から採譜して演奏できるようにしたものもあったそうで、かなり、金澤さん自身の手が入り、演奏にこぎ着けたようです。そのプログラムは、次のようなものです。「藤本始 日本童謡集 フルートとピアノのための編曲〜どこかで春が、めだかの学校、雨、茶摘み、森の小人、叱られて、俵はごろごろ、七つの子〜」「藤本始 ねずみの嫁入り」「金澤攝 フルートとピアノのための二つのロマンス」「金澤攝(藤本始原曲) 日本民謡集 フルートとピアノのための創作的編曲」「金澤攝 ゆきわりそう(フルートとピアノのためのアラベスク)」。耳慣れた日本の歌が、どちらかというとピアノの方に彩りの豊かさを与えた編曲でした。藤本始って作曲家は、ピアノに連続的にトレモロを使うのが好きなようで、何度かお目にかかりました。そんなですから、ピアノは伴奏の枠どころか、主旋律はフルートに任せ、編曲の妙味をピアノに求めるという作曲法が特徴のように見えました。でも、耳慣れたメロディを、フルートに奏でると、うっとりしちゃいます。半寝状態で、まどろみながら聴くには絶好の音楽だなと思い、聴いておりました。特にフルートの低音部が、やたらキレイに響くものですから、ますます、そういった気持ちが高まりました。



2014年 12月 13日(土)午後11時 28分

 昨日は、オペラ紀行用情報招集で四苦八苦。そして、夜は、昔の職場の同僚と呑み会。気がつくと、11時になっていました。そして、今日は、メトロポリタンのライブ・ビューイングを観る日。来週の火曜日に観る予定にしていたのですが、旅行準備を、少しでも後ろにずらそうと、週末にあげました。今日は、アニータ・ラチヴェリシュヴィリがタイトル・ロールを歌う「カルメン」でした。このグルジア生まれのメゾは、このライブ・ビューイングでは、MCに起用されたりもしています。まだ30歳くらいですから、この先楽しみな歌手です。リチャード・エアのプロダクションということで、前回の「フィガロ」と連続になります。装置は、舞台舞台を使ったもの。闘牛場の外壁を表す石の壁、それが回転すると、崩れかけた城跡の風情になり、3幕の密輸団のアジトに、うまい具合になるという仕掛け。困るのは、2幕の酒場。後ろの照明を落とし、石壁風の装置を見えなくして、前に椅子やテーブル、更に低い円形舞台を置き、上から木板を組み合わせた天井を下ろすと、場末の小汚ない酒場に見せていました。休憩が、2幕と3幕の間にしか取られませんから、幕間の場面転換に、ちょっと時間を取られていましたが、インターヴァルのときに映し出された舞台転換の様子を観ていると、半端じゃない規模でした。演出は、解りやすく丁寧、念を押すような丁寧なもの。更に、間奏曲が2つありますが、そのときは、バレエ(パ・ドゥ・ドゥのよう)が入るという贅沢さ。となると、酒場の場面でのダンスはスパニッシュの濃いものが入り、歌手にまで踊らせる徹底ぶり。アニータ・ラチヴェリシュヴィリが若いのがいいですね。結構な体躯の人ですが、このダンスの要求に、身体の切れの良さを見せていました。単なるデブとは違います。3幕にもダンスが入り、ここでも、アニータ・ラチヴェリシュヴィリは踊ってました。すごいです。歌唱的には、さすがメトロポリタンです、いい歌手を揃えてきます。アニータ・ラチヴェリシュヴィリは、以前にも聴いていますから、その実力は、よく判っていたのですが、エスかミーリオに、前回のライブ・ビューイングの「フィガロ」のタイトル・ロールを歌ったイルダール・アブドラサコフが歌ってました。この人、昨季は、「イーゴリ公」のタイトル・ロールですから、これだけども期待の大きさが判ります。ドン・ホセのアレクサンドロス・アントネンコはラトビアのテノール。ちょっと強い声だなと思っていたら、普段はオテロなんかをレパートリーにしているようです。これは、MCのジョイス・ディトナートとのやり取りで明らかになりました。そして、カーテン・コールでただならぬ歓呼を受けていたのが、ミカエラを歌ったルーマニア人歌手アニータ・ハーディング。この人はいい。本日の最大の収穫。ほっそりと、そして清楚の雰囲気から、声には、その体躯と反しパワーがあります。ミミを聴いてみたいなと思っていたら、これも、ジョイス・ディトナートの口から、既にメトロポリタンですぞミミを歌ってるそうで、それが、メトロポリタンへのデビューだそうで、更に、ライブ・ビューイングへのデビューが、このミカエラだということでした。なお、指揮はパブロ・エラス・カサドでした。
 オペラが終わると、大阪への大移動。ウォーキングをするには時間が足りないので、50分程度のミニウォーキングをしました。今日は、ちょっと寒さがましなのに、厚着をしていたため、50分近く歩くと、かなり体が暖まりました。気分は爽快です。そして、扇町のネットカフェで、休憩がてら時間調整。夜は、従って繁昌亭。今年最後の繁昌亭となりました。今夜は、「『鉄』の世界〜梅団治・しん吉二人会〜」が開かれたのですが、落語ファンともども、多くの鉄ちゃんが詰めかけ、立ち見まで出る大盛況。黄紺は、今まで、この会はパスしていたので、こないに人気のある会だとは知りませんでした。考えてみれば、二人の新作鉄道落語が本にまでなっていることを考えれば、この会の人気というものが想像がついたはずですね。その番組は、次のようなものでした。石松「つる」、梅団治「荒大名の茶の湯」、しん吉「二番煎じ」、(中入り)、しん吉「鉄道エレキテル(仮題)」、梅団治「鉄の師匠(仮題)」、梅団治・しん吉・小梅・石松「鉄道スライドショー&抽選会」。石松は、今年、梅団治のブッキングで、2週間、新潟で仕事をしたそうで、そのときの梅団治の鉄ちゃんぶりを、マクラで紹介できるのは、この会ならでは。石松と言えば、松之助テイストの古典なんですが、今日の「つる」は普通でした。前座役の石松が下りると、「趣味の落語」と表記された普通の古典落語の部に入りました。「荒茶」は講談ネタ。梅団治が演じると角がとれ、かなり落語っぽくなったなの印象です。しん吉の「二番煎じ」は、かなり以前に聴いた記憶が残っており、落語界のいじられキャラ宗助はんの扱いに満足できなかったという記憶も残っています。今回は、宗助はんを除く登場人物が鍋を囲み、酒を呑むわちゃわちゃ感が感じよく、でも、やはり宗助はんの居場所が不明瞭だったり、宗助はんはいじられるわりには、その人からが見えてきませんでした。またの遭遇機会に期待しましょう。中入り明けは、「本気の鉄」と表記されたお待ちかねの鉄道落語のネタ下ろし。しん吉は、廃止される鉄道の廃止を求めた誘拐事件と鉄ちゃんを癒すカフェをミックスさせたもの。なかなかよくできた新作ですが、旬を外すとできないのではと、しん吉は心配していました。一方の梅団治は、自身をモデルにした噺家で撮り鉄の師匠を主人公としたもので、「寝床」をヒントにした作品。鉄道写真の作品展示会を強要する男のおかしさを描きました。この梅団治の高座が終わると、バレ太鼓が鳴りお開き。ですが、再びお囃子が鳴り、幕が上がり、「おまけ」が始まりました。この「おまけ」が、この会の売り。乗り鉄だったしん吉も、撮り鉄の様相を呈してきたものですから、写真が揃います。二人のスライドが終わると抽選会で、お開きとなりました。



2014年 12月 11日(木)午後11時 42分

 今日も、寝不足のまま出勤。なかなか仕事にはならなかったのですが、一応、年度内の仕事にはメドをつけることができ、あとはオペラ紀行に、全力を注げるようになりました。ただ、それが、なかなか大変なことなんですが。夜は、今日も落語会。「雀のおやど」であった「紅雀の」という落語会です。紅雀の落語会に行くのは、ホントに久しぶり。昔、阿か枝と二人でやっていた勉強会には、よく行ったのですが、「紅雀の」という変な題を着けた会を始めてからは、初めてとなります。今日は、「三枚起請」を出すということで、覗いてみることにしました。その番組は、次のようなものでした。そうば「十徳」、紅雀「風邪うどん」、二乗「天狗刺し」、紅雀「三枚起請」。今日は、よくキャリアの似た二人が、前座とゲスト枠に分かれました。「十徳」は、そうばが前座として、よく出すもの。前半の大婚約者の謂れがおもしろく、これで、自分の世界に引き込むのがうまい噺です。肝心の十徳の部分では、テンポを上げ軽快に決めていきます。二乗の方は、「茶の湯」とか「植木屋娘」あたりを出すのかと思っていたら、前座で出たときにも出す「天狗刺し」に、肩透かしを食らわされた感じ。やはりキャリアのことを気にしたのでしょうね。でも、マクラで、散々「チャレンジ」という言葉を使い、「そのチャレンジを許してくださるお兄さん」とまで言って、「天狗刺し」はダメでしょう。確か「動楽亭昼席」にトップで出て出したネタです。紅雀の1つ目は、季節ものの「風邪うどん」。この冬は、いつも以上に遭遇機会が多いのじゃないかな。テンションが上がると、加速度が増す紅雀ですが、今日は、このあとの「三枚起請」もそうでしたが、セーフと言える口演で、でも、冒頭の酔っぱらいが出てきて、「パパリコチャンチャン」と言い出したときには、ハイテンションに入ってしまわないか、ちょっと肝を冷やしました。子どもの小便の場面をカットして、賭場の場面へ。情景描写はいいのですが、ここでも、親分肌の男が、うどんを食べている間に喋りすぎました。ここも、ヒヤリとしましたが、他に影響せず胸を撫で下ろしました。こういった際どさが、紅雀の持ち味で、決まると「不動坊」のような快演を生みます。が、一線を越えたと感じたときは、逃げ出したくなる過剰さとなってしまいます。「三枚起請」も、喜六にこだわり過ぎ、アブナサを感じてしまいました。おもしろいキャラとなると、どんどんと際立たせようとしてしまいます。このしつこさがなかったら、今日の好演が成り立ったかどうかは、実際にはそうではなかったもので分かりかねますが、聴いていて、もうちょっと噺の力を信じてよの気持ちになりました。その踏み外し気味の部分を除き、清八の影が薄かったのを除けば、見事なキャラ作りでした。中でもこてるが抜群。度胸の座ったしたたかな女に、見事に仕上がっていました。下げは、意味合いは同じ下げを使いながら、「三千世界」という語句を使うのを避けました。雰囲気の出る言葉なんで、今風じゃないからと省かないで欲しいと、黄紺には思えました。客席には20人ほど。いつも、こないに少ないかどうかは知りませんが、今日の高座の充実度からすると、まことに勿体ない入りでした。



2014年 12月 10日(水)午後11時 14分

 今日は勤務日。昨夜、3時間ほどしか眠れず、あまり仕事になりませんでした。夜は繁昌亭でした。今夜は「米紫独演会」がありました。入門20年を記念して、大師匠のざこばをゲストに迎えた豪華な会となりました。その番組は、次のようなものでした。あおば「刻うどん」、米紫「転失気」「帯久」、(中入り)、ざこば「肝つぶし」、米紫「掛取り」。睡眠不足の影響が出ないかという不安を抱えての繁昌亭でしたが、「帯久」の半ばが消えている程度で済みました。ただ「帯久」は、今日がネタ下ろしの大ネタということで、最大の売りは売りだったのですが、なんか、今日の場合は、力が尽きたというところでした。前座役のあおばが、なかなかいいですね。天然系のアホが出てくる噺が、はしゃぎすぎず、でもいっぱいいっぱい遊んでる感じが出ています。この系列の噺を追求して欲しいものです。米紫の1つ目は、前座としてよく出していたネタ。珍念が、医者宅に行くまでに寄る家の応対が、微妙に常と異なる。そういったネタの流れがあるというよりは、米紫による軽いいじりと思われます。なんか「転失気」と同じ空気感で、「帯久」に突入したっていう印象。聴く前から、米紫の口調が、「帯久」のようなネタに合うのか懸念されていたことが、現実に起こったということです。お奉行さんの場面でも、同様の印象。もう少し、米紫が歳を重ねてから、もう一度聴くことにしましょう。ざこばは、時間を考えて、いいネタのチョイス。夢の中の女に惚れるという構成が判るところでの客席の反応が良かったなぁ。ホントに、客席全体が、落語の世界に吸い込まれているという感じでした。ざこばの腕がそうさせたのでしょうが。トリの「掛取り」は10年ほど前に聴いて、かなり印象が強かったものの再会。噺家尽くしが入るというのが売りの「掛取り」です。その噺家尽くしと、芝居道楽の2つで、3つ目はしなかったのですが、芝居の台詞廻しに、格段の進歩を看ることができました。こないな台詞廻しができるのなら、もっと多くの芝居噺にチャレンジして欲しいものです。



2014年12月 10日(水)午前 3時 49分

 昨日は非勤務日。となれば、最近のお定まり、旅行の下調べ。スマホを持たないので、ガイドブックなどには載ってない町なんかを狙うと、それ相応の準備が要ります。ゆっくりと時間をかけ、毎回、準備をしていたのですが、今回ばかりは時間がなかった。夜遊びやウォーキングの時間を、普段から少しずつ削っておけば、こないに直近になってから慌てなくて済むのですが。ま、今から愚痴を言っても仕方ありません。あと町調べとオペラの硬概作りが残っています。この週末が勝負です。そして、昨日のお出かけはなんですが、これも削れば、旅行準備の方は楽になるのですが、そうはしないのが黄紺です。いずれもが、今年最後かと思うと、むずむずしてしまったのです。そこで午後は、今年最後の「動楽亭昼席」です。今のところでは、年が明けても、1月には行けそうもないなと思うと、むずむずしてしまいます。今日の番組は、次のようなものでした。優々「田楽喰い」、吉の丞「上燗屋」、南光「あくびの稽古」、米二「厄払い」、(中入り)、米紫「宗論」、南天「宿替え」。南光が出るというので、大変な入り。前もそうだったので警戒はしていたのですが、昨日は、出番が三番目だからと甘く見ていたのが失敗のもと。曜日を、あまり選べない黄紺は、なかなか避けようがありません。年配の男性が多い客席でしたが、わりと反応がいい。自分から進んで聴きに来たぞの雰囲気が充満しているのがいいですね。これで、優々も、初っぱなか受けていましたからね。吉の丞になると、一挙にボルテージが上がりました。米朝の認めた額をネタに爆笑をとり、一挙に吉の丞ペースになりました。吉の丞の酒呑みネタは、まだ時間がかかるかと思っていたのですが、大変化を遂げていました。いつの間にか、きばらずに酔った口演をするようになっていました。「らくだ」を年末におろしますが、俄然楽しみになったのですが、残念ながら日本にはいません。南光は、定番の「あくびの稽古」、またかと思ったら居眠りに入ってしまいました。それが、次の米二にまでも影響してしまいました。せっかく「厄払い」でしたに、半ばが抜けました。一つには、会場内の温度上昇が、覚醒を妨げてしまったようです。年末と節分が重なっていたということで、季節ネタとして出されました。米紫の「宗論」は初もののはず。落語会でネタ出しをしていたのは判っていたので、唐突感はありませんでしたが、「宗論」なんかに手を出すんだと思って見ていたところ、遭遇してしまいました。本筋としては、通常演じられているものと同じで、小ギャグと振りでもって、差別化を試みるものでした。トリの南天は「宿替え」。でも、この「宿替え」には賛成できませんでした。枝雀テイスト満載な上に、南天がオリジナリティを出そう7と頑張るものだから、ゲップの出そうな展開になりました。この辺の加減については、センスが抜群な南天のはずなのに、「宿替え」でた、そうではありませんでした。南天の行き方に対し、異議を唱えたくなったのは、初めてじゃないかな。昨日の番組を振り返ると、客が多いからでしょうね、極めてオーソドックスな構成となりました。
 動楽亭を出ると「扇町」に移動。駅近くのネットカフェで時間調整をしたあと、すぐ近くにある「北区民センター」であった「天満講談会」に行ってまいりました。こちらも、これが今年最後の「天満講談会」となりました。昨日の狙いは、南湖さんの「匙加減」。東京の琴調師にもらわれたもの。この19日の自身の会で出す手筈なんでしょうが、黄紺は、既に日本を離れていますので、昨日の番組に入ってたのを幸いに、この会にターゲットを絞ったというわけです。それを含んだ昨日の番組は、次のようなものでした。南斗「岡野金右衛門」、南湖「人情匙加減」、南左衛門「三村の薪割り」、南北「堀部弥兵衛の駆け付け」。今月は、義士月ということで、4人の内3人が、「赤穂義士伝」からのネタとなりました。よくできたネタが多い「赤穂義士伝」を聴けるのは、とっても嬉しいことで、更に、3つのネタの並びがいいですね。南斗くんと南左衛門さんは、討ち入りまでの苦心話を描き、そしてラストを、討ち入り当日で締めるという読み物。それに対し、南北さんは、討ち入り当日の動きを追ったものと、きれいに時系列に沿った番組構成になっていました。最近、南斗くんが、頻繁に「岡野金右衛門」を出していると思ったら、南斗くんは、このネタを、東京の貞心師にもらい、3月の東西交流の会で、発表会があるということが、南斗くん自身の口から明らかにされました。話は、町人に身を変えている岡野金右衛門に好意を寄せる女を通じて、吉良邸の絵図面を手に入れるというもの。女との間に、本当の恋が芽生えるというところに救いがあります。「三村の薪割り」は、南左衛門さんが、よく出されるもの。浪人をしながら吉良邸を探る三村次郎右衛門は、薪割りという職業を隠れみのにしていたが、その薪割り仕事で知り合った刀鍛冶との交流を描いたもの。討ち入り直前に、三村は、その名人気質の刀鍛冶から、討ち入りに使う刀を磨きあげてもらいます。「堀部弥兵衛の駆け付け」は、討ち入り当日の様子を時系列で描くばかりか、義士最高齢の堀部弥兵衛に対する労りと、その労りは無用とばかりに、老骨にムチ打って、吉良邸に駆け付ける堀部弥兵衛の気概を描くもの。いずれも、よくできた話です。これだから、「赤穂義士」の物語はくせになってしまいます。南湖さんの「匙加減」は、上方にはない「大岡政談」もの。黄紺は、琴調師で、2回、鈴本で聴いています。南湖さんの口演を聴いていると、琴調テイストのくすぐりが入ってくるのですが、同じくすぐりでも、口演者により、受ける印象は異なってきます。徐々に南湖テイストのネタに変えていけばいいのでしょうね。それが、琴調師の売りのネタをもらった責務というやつでしょう。



2014年12月 9日(火)午前 4時 29分

 いよいよ今年も最終コーナーを回りかけています。今週を乗りきれば、ほぼ先が見えてくるかなというところです。昨夜は、「カフェモンタージュ」で音楽を聴いて帰る日となりました。昨日は、「チェロソナタ」と題し、素敵なチェロ・ソナタが2曲演奏されました。演奏は、10月にも、こちらで聴いたことのあるエフゲニー・オーソーキンさん。ロシア人で、日本人のバイオリニストと結婚され、現在京都にお住まいのチェリストです。プログラムは、ブラームスの1番のソナタと、プロコフィエフのソナタでした。ブラームスの1番が聴けるということで、先日から、ジャクリーヌ・デュ・プレとバレンボイムの演奏を聴いて予習。つくづくいい曲だと思う一方、その演奏スタイルに染まってしまう危うい部分が出てきます。まぉ、これは痛し痒しですね。プロコフィエフのチェロ・ソナタって、聴いたことはあるのでしょうが、さっぱり覚えてない曲だったのですが、聴いてみるといい曲ですね。伸びやかで、変化のある構成に惹かれてしまいました。演奏としては、プロコフィエフのりかな。伸びやかな音を求められプロコフィエフの音色が気に入ったのと、ブラームスは、ちと粗削りに過ぎるなの印象とともに、音楽を、どのように進めたいのかが見えてこなかったのです。ただ2楽章にははっとさせるものがあったのは、大きな収穫。A-B-A形式のBの部分に、はっとさせられました。ピアノがついてこれるのかと思うほど、テンポを揺らす、それまでには看られなかった気分が乗った演奏にわくわく。AとBの部分の対比が著しい部分だけに、やたらと目立っちゃいました。その気分が乗りすぎたのが3楽章。あとのプロコフィエフで、この人、こんなにきれいな音を出せるのだと思ったほど、音色にはちょっと不満が残りました。ピアノの鈴木華重子さんは、伴奏者の域に留まったままでした。ブラームスなんか、どんどんと自己主張をして欲しいものですね。



2014年12月 7日(日)午後 8時 25分

 ちょっと寒さが和らいだ雰囲気です。ところが、朝3時過ぎに、目が覚めてしまった時間帯の寒さは、半端じゃないものがありました。幸い、しっかりと二度寝ができたため、今度、目が覚めたときには、めっちゃ慌ただしい。とにかく昨日行けなかったので、「一心寺門前浪曲寄席」に待ちあわないといけません。お年寄りの出足が早いので、こちらも早めに出かける癖のついているこの寄席ですが、今日は、そないなわけにはいきませんでした。今日の番組は、次のようなものでした。浪花亭友歌(沢村さくら)「葱坊主の浅太郎」、天光軒新月(虹友美)「父帰る」、松浦四郎若(沢村さくら)「夢の財布」、真山一郎(真山幸美)「冥土の早駕籠」。今日のラインナップで、新鮮なネタは真山一郎師の出されたもので、あとの3つは、この間、何らの形で耳にしてきたもの。友歌さんのネタは、先日、ご自身の会で2つ目のネタで出されたもの。ただ半寝の状態で聴いていたもので、よく理解してなかったなということで、ラッキーかなとは思ったのですが、半寝のわりには内容を把握しておりました。野菜を擬人化しただけと言えば言い過ぎかもしれないのですが、村のやくざが、村の女にイタズラしようとするのを、義侠心に富む葱の浅太郎が懲らしめるという単純なものでした。「父帰る」は、「天光軒の十八番」と、あとから出た四郎若師は言われましたが、こう何度も当たると、正直イエテル状態。今日は、満月師と違い、ほとんどお目にかかる機会の薄い新月師といえど、ネタに変わりなしと、途端に体が反応。見事に寝てしまいました。そして、四郎若師が出てこられるとシャキッとしましたから、原因ははっきりしています。四郎若師の「夢の財布」は、落語の「芝浜」を堺に場所を移したもので、四郎若師の口演で2回目となります。筋立ては崩さずにサゲまできっちりと入れてくれました。ま、季節ものですから、このネタが出ても仕方はありません。真山一郎師は、今席は「忠臣蔵」で通されるという情報は、昨夜、繁昌亭でお会いしたディープな演芸ファン氏からお聞きしていました。昨日は、よく出される「松の廊下」を出されたとお聞きしていたもので、それが外れると期待が膨らんでいたところへ、ドンピシャ、あまり出されていないはずの萱野三平ものが出て、ガッツポーズ。明日は「俵星玄蕃」で、こちらも既に聴いているので、一番ラッキーな日に行ったことになります。3日のネタの並びは、きれいに時系列通りに並んでますね。3日連続で通う強者向け配慮ってやつですね。お芝居での扱いは別にして、萱野三平がらみは、エピソードが2つあります。いずれも重い内容ですが、今日の浪曲は、その2つ両方を取り込んだ贅沢編成。冒頭で、京都に向かう大石と三平の別れの場面を持ってきて、三平は父のもとを訪れると、父は仕官を勧める。三平は、血判を押してますから、その話を聞きながら苦渋の表情。そこで回顧シーンとなり、表題になっている早駕籠に至るところがおさらいされて、いよいよ早駕籠が出発し赤穂へ。宿の名を連ねて行くところが聴かせどころ。藩士たちが去っていくことを数字で表し、残った三平らがいかに忠義者かが説かれてから、現実の場面に戻り、再び父の説教。それを受けて、忠と孝の間に立ち自害を選ぶ三平となります。2つのエピソードを、初めて聴くぞという人たちには、ちょっときついかなとは思うのですが、逆に知っている者からすると、手際のよさに拍手ものです。一つには、気を変えると言えばいいでしょうか、真山一郎師の技が光ったところだと思います。



2014年12月 6日(土)午後 11時 48分

   今日は、朝っぱらから、所用があり息子の家へ。そしたら、指先の傷からバイ菌が入ったとかで、2回も指先にメスを入れられ、術後の痛みで悶絶していました。指先だけに、麻酔注射されるだけで、かなりの痛みがあるようですが、軽い逆剥けだったのが、措置が遅れたために、えらい目に遭っていました。で、午後からは、西宮北口へ。「兵庫県立芸術文化センター」であった「ミラノ大聖堂聖歌隊クリスマス・コンサート」に行ってまいりました。キリスト教音楽に魅せられたのが、音楽に対する目を開かせられた黄紺にとっては、願ってもないコンサート。そのプログラムは、前半がアンブロジオ聖歌、要するにグレゴリウス聖歌なのですが、さすがミラノのドゥオモの聖歌隊ですから、アンブロジオ、ラテン語ではアンブロシウスですが、その名を冠しているのでしょう。プログラムには「単旋律」と記されていましたが、最後の3曲は、ちょっと様子が違いました。ホモフォニーの曲が入っていました。プログラムを見ると、民衆音楽を取り込んだ教会音楽となっていました。成立年代も、それまでの曲と違い、後になるのでしょう。メロディ・ラインも新しさを感じましたから。今回来日しているメンバーは18人、やはり教会の中だと、残響がたっぷりありますから、これだけの人数であれば、たっぷりと響くのでしょうが、芸文センターでは、そういうわけにはいきません。ヨーロッパの教会で行われるミサで聴く雰囲気には、足りないなというのが、正直な感想ですが、こればかりは無いものねだりとなってしまいます。後半は、「近現代の教会音楽」というテーマ。モーツァルトまでがアカペラ。そのあとの3曲はオルガンの独奏。20世紀の音楽でした。ここで、だいぶと雰囲気が変わりました。それに加えて、メンバーが18人ですから、まともにオルガンに対抗してはかないません。聖歌隊の皆さんも、その辺を意識しての調整はさすがで、第1部でも、その調整を見せてくれましたし、オルガンが入ってからも見せてくれました。そして、最後は「」。クリスマスのミサを覗くと、黄紺が行ったどの教会でも聴くことができました。一応、これが入ると、看板に偽りはなしとなりますね。しかし、入りには驚きました。大ホールに9分以上の入り。グレゴリウス聖歌が売りで、これはないでしょうという入りです。客筋が解らない。古楽や教会音楽に来るような客筋かなぁと思ってしまう人たちが溢れていました。「ミラノ大聖堂」「クリスマス」というコピーに誘われて来た人たちなんでしょうか。演奏に対する反応も鈍くて、よく解りません。
 コンサートが終わると、直ちに「梅田」に移動。東通りのネットカフェで時間調整後、繁昌亭へ。今夜は、「花丸・染雀二人会」がありました。繁昌亭ができてから、この兄弟会は何度か開かれているのですが、実際におじゃまをするのは初めてのこと。二人とも個性豊かな噺家さんですから、おじゃまをするのが遅いくらいです。その番組は、次のようなものでした。染吉「ふぐ鍋」、染雀「七度狐」、花丸「蔵丁稚」、(中入り)、花丸「いらちの愛宕詣り」、染雀「百年目」。前座で「ふぐ鍋」は重たいかもしれないのですが、いよいよ林家の会が始まるという雰囲気作りにはいいですね。染雀は、花丸と同時に習ったという「七度狐」を一つ目に出しました。この噺、怖いおもしろいが落語らしくていいのですが、染雀の口演がしっかりしているのと、「ねんねんよ」などを、きっちりとしたメロディで歌うため、その怖いおもしろいにマイナスって感じがして仕方ありませんでした。それと、口演が流れすぎる傾向にあるのも、何やら教師が生徒に答をやたら早く教え過ぎてるっていう雰囲気。想像を膨らます、ちょっとした間が欲しいのです。今まで、随分と染雀の高座に遭遇してきましたが、そないな風には感じてなかったのですが、あとの「百年目」でも、同じような印象を持ってしまいました。その「百年目」ですが、全体として重みが不足しているようで、ちょっと落ち着かない高座。言葉では、番頭は困っていると言い、また状況から困っているはずなのに、軽い困り方というか、番頭自身の軽さが目立つように聴こえてしまいました。この番頭、軽くはないはずと思えますし、ずる賢くもない人物と思っています。普通の若者が遊びたいことを、普通にしているのだけれど、主のある身としては、やってはいけないことと堅く信じている、そういう意味では実直な男と思います。黄紺は、黄紺で、自分のイメージを作り、それを尺度に、噺を聴きますから、そういう視点で言うと物足りなさを感じてしまったということです。一方の花丸ですが、「蔵丁稚」は、林家でありながら、意外なネタ選びと感じさせてしまいます。普段、芝居噺をしない噺家さんだからです。それがいいのです。芝居になるところを、子どもの声のまま演じたのは、今まで聴いたことがありませんでした。そのままで、芝居をやっちゃう。これは、見事だったなぁ。そして、芝居自体も聴かせるものでしたから、これは、大変なものを聴いてしまったぞというところです。もう一つの「いらちの愛宕詣り」は、端から花丸のイメージに合うネタって感じで聴くことになるもので、期待を裏切らない出来栄え。度が過ぎて、アブナイ系の男を、笑える範囲内の寸止め的には演じてくれました。



2014年12月 5日(金)午後 11時 48分

   ようやく落ち着いて、オペラ紀行の準備に入れました。今日はいいお天気でしたが、閉じこもってパソコンとにらめっこでした。そして、午後1時半までにはお出かけと準備。今日は、まず「一心寺シアター」へ。今、こちらで「南河内万歳一座」の公演「ジャングル」が行われているのです。ジャングルの中のあずまやに入り込んだ数人の男女、その中心に花嫁が座り、これから結婚式が始まろうという風情。だけど、肝心の花婿が来てない。ずっと最後まで待ち続けるのだが、なかなか現れない。途中からあずまやに、それ以外の人たちも詰めかけ、あずまやの壁が取り払われたりするのだけど、その辺のわけが解らない。居眠りをしてしまったようです。繰り返し現れてきた台詞に、「ありあまるほどある中で、でも足りないもの」。象徴的に、ありあまるほど祝福を受けている花嫁に足りないもの、それは花婿という具合で、足りないと、そのもの自体が成り立たないほど、キーとなる要素を意味しています。今の社会を、そのように表しているのでしょうか。いや、表しているのでしょう。一人変わった女が登場人物にいます。脈絡もなく、いやうまくはまったとは思えないのだけど、人が困っていると、「歌を歌いましょう」「ダンスをしましょう」と言い出す女です。花婿は来ません。花嫁は探すと言います。最後、他の男が、その女に言います。「歌って」「踊って」と言うと、「歌を忘れたカナリヤ」が流れ、皆が踊り出した体で、芝居は終わりました。教育問題と、カテゴリーを限定してのメッセージであるのか、もっと広く問題を拡げているのかを判断するには、やはり眠ってしまってはダメですね。
 芝居がはねると、新世界を抜け、動楽亭へ。今夜は、こちらで、宝井琴梅師を招請して、「講談の神髄」という会がありました。プロデュースは南湖さんです。その番組は、次のようなものでした。南斗「グレートカブキ」、南湖「伊達政宗の堪忍袋」、南海「山内一豊とその妻」、南華「徂徠豆腐」、琴梅・南湖「対談」、(中入り)、琴梅「夜もすがら検校」。南華さん、南海さん、南湖さんは、それぞれの持ちネタの中からおなじみネタを出されたのですが、南斗くんにはびっくり。自分の好きなプロレスを講談にしました。しかも、チョイスしたレスラーがグレートカブキとは心憎い。客の年齢に合わせた頃かげんのレスラーを選んでからです。話題もありそうですからね。琴梅さんの「夜もすがら検校」は、東京で聴いたことのあるネタ。長谷川伸の作品だそうです。あまりよく覚えていなかったのですが、従者の男が、検校を裏切るくだりで、はっきりと思い出しました。前は、途中で寝てしまったんじゃないかな。検校の風格は、さすがに素晴らしいものがありました。中でも、雪のなか死にかけても、検校の風格が出るのには感心するばかりでした。対談は、主宰者である南湖さんとのもの。本牧亭の客の様子なんか、貴重な話じゃないかな。琴梅さんの入門前のことも得難く、最後は、新潟県に持つ梅桜亭の話まで、30分くらいだったかな、とっても貴重な機会に遭遇でき、感謝です。また、今日は、入りがすごい。南海さんの会に、ときとして会社帰りのサラリーマンが、背広姿で詰めかけますが、その手の客が詰めかけていたのが特徴かな。中には若そうな人もいたりと、この企画は大ヒットと言えるでしょう。



2014年12月 5日(金)午前 0時 2分

   週末に職場まで出かけねばならないかもと思っていたのですが、懸案の仕事を、今日中に仕上げることができ、バンザーイです。ホントにほっとしました。でも寝不足。今朝も、ちょっと早く目が覚めたので、少しだけでもという気持ちが先に立ったほど、時間を捻り出すのに、四苦八苦していましたから。ようやく追い込まれた気持ちから解放されて、夜遊びに赴くことができました。今夜の行き先は京都府立文化芸術会館、こちらの和室であった「桂文我上方落語選京都編」に行ってまいりました。毎月開かれる会なのですが、今年はわりと行けたのじゃないかな。ひょっとしたら、半分くらいは行ったかもしれません。今日の番組は、次のようなものでした。真「いらち俥」、文我「鍬盗人」、ひろば「へっつい幽霊」、文我「けんげしゃ茶屋」、(中入り)、文我「蛙茶番」。寝不足が続いているわりには、完璧ではありませんが、自分的にはわりと続いたという自負を持った夜。それなりに魅力的な番組でもありました。文我は、相変わらず変化のあるネタを並べました。「鍬盗人」は、文我が、他の落語会で出していたので、存在は知っていたネタ。主人と権助の噛み合わない対話の中での駄洒落を聞かせるだけの短いネタ。季節もののネタ、でも滅多に聴けないネタの「けんげしゃ茶屋」を、一昨日に続いて聴くことができました。これは、もう運がいいとしか言いようがありません。兄弟弟子だけあって、一昨日の雀三郎と、空気感が似た口演。村上の旦さんの洒落もの的雰囲気、雀三郎に一日の長ありってところでしょうか。そして、今年最後となる口演は、よりによってと言いたくなるということで、洒落として「蛙茶番」。文我曰く、「元は大阪ネタだったんでしょうが」「東京のネタを大阪に移して」というこを断ってから、ネタに入りました。まず、半ちゃんがすねてしまった舞台番というものが、大阪の芝居にはないそうです。すねる理由は、役者を引き当てた連中のからかいとしていました。このことを初め、えげつなさのトーンは低め。もっちゃり感は出てきて、上方っぽくなってると看ましたが、そうなるとそれで、このネタのアホらしさが、かなり摘まれたぞという感じでした。下半身をむき出しにしたときの反応、文我は「やめときなはれ」「えらいこっちゃ」、これが東京へ行くと「いよ、出ましたねぇ」という声となる。ですから、東京のテイストまでを移植するのって、なかなか難しいことです。



2014年12月 3日(水)午後 10時 12分

 寝不足が続いています。でも、朝早く目が覚めてしまいます。そういうときって、たいがいオペラのDVDを観ているのですが、今日は、持ち帰り仕事をしていました。それほど時間がないのです。今の予想では、非勤務日にも出ていかねばならないのでしょうね。夕方に、猛烈に睡魔が襲ってきました。今日は、南華さんの会があるので、家に向かわず「天満橋」へ。「双馬ビル」である「はたちの会」に行ってきました。来年からは、二十歳だなんて言ってる場合じゃないので、名称を変えられたのですが、一度では覚えられない長ったらしいもの。今日は、ほぼマクラなしで、いきなり室温を聞かれて、ネタに突入。このビル、午後8時になると、空調が切れるということで、ネタが長めだと、ゆっくりマクラを喋ってる場合じゃないのです。確かに、今日も、終わったのが8時20分くらいだったので、そうなると、最後は寒くなってくるわ、冷えてトイレが近くなるしと、かなり環境が変わりました。ネタは、前半が「白穏禅師」。何の話か、さっぱり解らず、ただただただ、禅宗の僧侶の物語とだけしか、頭に残ってないほど、眠ってしまってたようです。後半に移るときも、ほぼマクラなし。ネタは、予想通り、昨日と同じ「寺坂吉右衛門」。こちらは、しっかりと聴けました。なんだか、あっちゃこっちゃもいいところです。



2014年12月 2日(火)午後 11時 43分

 今日も、非勤務日ながら午前中は持ち帰り仕事。非勤務日に出勤するというバカげたことは避けようとしているのですが、きわどいですね。いいお天気なのに、ウォーキングなどは夢のまた夢です。とりあえず、午後からはお出かけ。今日は、まず「動楽亭昼席」に行きたかったのです。今年、最後になることと思い、頑張って行こうとしたのでした。その番組は、次のようなものでした。鯛蔵「ふぐ鍋」、まん我「寝床」、よね吉「芝居道楽」、文之助「鶴満寺」、(中入り)、あさ吉「かぜうどん」、雀三郎「けんげしゃ茶屋」。今日も、わりかし眠ってしまいました。家では、あまり眠れないのに、落語を聴いていると、知らない間に寝てしまってます。この3日間続いている睡眠不足が出てしまいました。「鶴満寺」は、春満開の噺ですから、びっくりのチョイスだったのですが、気がついていながら、目が覚めませんでした。中入り時間もぐったり。でも、そのぐったりが良かったみたいで、中入り明けには快復。あさ吉のマクラが傑作。様々な異文化体験を紹介してくれました。英語落語ができるということで、海外公演の話はもちろんのこと、三輝(サンシャイン)に稽古をつけた話なんかは大爆笑でした。ネタは、関係があるものをするのかと思いきや、「ネタはかぜうどんですけどね」と断ったから、また大爆笑。でも、このマクラが効いたのか、ぼくとつたる口演がわりかし受けていたのが、またおかしいところでした。雀三郎は、12月ということで、超期間限定ネタをやってくれました。これは、万歳気分です。やり手が少ないうえに、期間限定、おまけに縁起の悪いだじゃれの連発ですから、リズムが要るのでムズい。なんてことで、ホント出してくれるのは、雀三郎か米二ぐらいですからね。これを聴けただけでもめっけもんです。
 「動物園前」から「日本橋」に移動。いつもの千日前のネットカフェで時間調整。先日の繁昌亭に次いで、今日も、開演時間を間違っていて、肝を冷やしました。幸い、30分前に気がついて、今日は事なきをえました。夜は「トリイホール」であった「トリイ講談席」に行ってまいりました。3ヶ月に1回のペースで開かれ、南海さんがプロデュースをする会。毎回、テーマ作りに苦労されているようですが、12月だけは例外。今回は、「年末恒例!?赤穂義士珍品集第2弾」というテーマでした。その番組は、次のようなものでした。南斗「八百屋甚兵衛」、南海「潮田又之丞(上)」、南華「寺坂吉右衛門」、(中入り)、南湖「梶川の屏風廻し」、南海「潮田又之丞(下)」。「八百屋甚兵衛」は、前座役の南斗くんの高座ですから、もちろん珍品ではありません。討ち入りに気づけば、上杉に走ることを求められた甚兵衛さん、呆気なく義士の面々に捕縛されてしまいます。「外伝」の1つで、前座ネタって扱いで、時々出るネタです。「寺坂吉右衛門」と聞けば、討ち入りの様子を陽成院にレポートするものや、身分が低いので、切腹から外れ義士の菩提を弔うものを思い浮かべるのですが、今日、南華さんが出したのは、吉田忠左衛門家に仕えていたときに、同じく仕えていた女との関係がバレ、2人ともに吉田家を放逐される話で、討ち入り関連の話は一切出てこないものでした。確かに珍品でしたが、も一つ頼りないネタですね。だから普段は出ないのでしょう。南湖さんの「梶川の屏風廻し」は珍品ではありません。浅野の殿さんが刃傷に及んだとき、後ろから抱き止めた梶川は、武士の情けに欠けると、加増を受けたため挨拶回りに訪れた梶川を、曽我兄弟の仇討ちを描いた屏風を使い、老中が示しあわせて意見するというもの。南湖さんは、このネタで、御所五郎丸が仇の居場所を教える修羅場読み風のところをやりたかったのでしょうが、やはり、このネタは、「珍品特集」には違反です。南海さんは、「潮田又之丞」を2回に分けての口演。ネタが長いということと、この会の常連の南青くんが出演できないためらしい。「潮田又之丞」は、タイトルロールの父親の物語。父親が、赤穂藩に仕官し、倅が産まれるに至る結婚が成立する背景が読まれました。「上」では、父親を下男の仇討ちの助太刀をする話。父親は、3人の侍を斬ってしまったため自害しようとするが、それを防いだ元侍のその後を読んだのが「下」。これを、仇討ち話に直結するものではないだけに、なんとなく頼りない。「銘々伝」っていうのは、こないなものが多いのでしょうね。よく読まれるものはおもしろおかしく仕上がっていることは認めますが、限られたネタを繰り返し聴くよりは、こないなものも聴いてみることができるのは、とってもありがたいことです。



2014年12月 1日(月)午後 11時 27分

 12月に入りました。あと少しで、冬のオペラ紀行が待っているのですが、それまでが、なかなか手強い。思いの外ヘビーなことが舞い込んできて、ヒーヒー言ってます。寝不足が続いているもので、更にきつくなっています。でも、夜はカフェモンタージュに行っちゃいました。ちょっとだけですが、ご無沙汰です。こちらも、今日を入れて、あと3回で、今年はおしまいとなります。今宵は、田村安祐美さんのバイオリン(ピアノ:柿木朋子さん)で、素敵なフランスのソナタを聴くことができました。今日の括りは「最後のソナタ」となっていました。そのプログラムは、次のようなものでした。「フォーレ:ロマンスop.28」「ドビュッシー:バイオリン・ソナタ」「ラベル:バイオリン・ソナタ」。客の入りに、まずはびっくり。開場から5分を過ぎてから到着しても、表に人の列が。今までの田村さんの演奏会では、こないには入ってなかったので、いぶかしがっていると、それを見透かしたように、オーナー氏からお二人の紹介がありました。お二人は、堀川高校の同級生のこと。関係者の方々が混じっておられることが判ったのですが、演奏会終了後の様子を眺めていると、その影響があることは確認はできました。が、それだけでは、客が多すぎる。となると、プログラムです。カフェモンタージュに行きだしてから、なんとなく気づいていたこと、19世紀後半から20世紀の音楽が、プログラムに入ることが多いこと、中でも人気は、フランス音楽にバルトーク。こうしたことから、客筋の好みを反映したプログラムが多いのではと思っていたのでした。そういった客筋からすると、ドビュッシーとラベルのバイオリン・ソナタって、客を喚ぶのでしょう。黄紺の経験知からすると、ドビュッシーは出ても、ラベルの出方は少ないとなっています。ともに、第一次大戦後の作品。ドビュッシーが、自身最後の演奏となったということが、今日の表題になったということです。オーナー氏によると、戦争後、かなりナショナリストに、ドビュッシーはなっていたようで、それを表現しようというのがバイオリン・ソナタ。確かに、冒頭のアンニュイなメロディに、明確に現れているように思えます。一方のラベルは、バイオリンがソナタ(1927年作)を作曲したあと、アメリカに渡るということが、オーナー氏から紹介されました。それを先取りしたかのような第2楽章のスイングするようなメロディがあるかと思うと、流れるわ流れるわ、彩りはお好きなように着け放題という感じで流れる音のうねり。フランスのエスプリというものを求める仕掛けが、いろいろと用意されています。そういった意味では、その彩り的部分では、フォーレの小品を含めて物足りない演奏だったかなと思いますが、流れるわ流れるわというラベルの音楽には圧倒されました。特に中低音がいい感じでした。



2014年11月 30日(日)午後 10時 26分

 今日も、午前中は持ち帰り仕事。二度寝をしそこなうほどの時間をかけても、出来上がりは僅か。これでは、週明けが恐怖です。お出かけは落語三昧の一日。午後は、動楽亭であった「兄丸寄席」。ざこばの弟子そうばの会です。月初めの「提法寺寄席」に行けないということで、「宵酔落語会」と迷った挙げ句のチョイス。その番組は、次のようなものでした。二葉「新雑俳(仮題)」、そうば「ぞろぞろ」、ひろば「竹の水仙」、(中入り)、そうば「」。二葉のネタは初もの。新作なんでしょうが、えらく整っている。根問の形式のネタですが、うまく四季の俳句を折り込んでありました。アホな女の子をすると、二葉は板についてました。ゲストは、提法寺寄席の盟友ひろば。加古川のラジオ局、テレビ局でしている二人の番組の紹介を、マクラでたっぷりと。ひろばの「竹の水仙」は、2度目の遭遇。明らかに梅団治テイストが入っているのが判るフレーズがあるものだから、よく覚えている。長閑な地方の噺という雰囲気が削ぎ落とされています。主役のそうばは、まず「ぞろぞろ」から。赤手拭稲荷の話をマクラで話だしたので、最初、ネタが思い付かなかったほど、上方では、このネタをする噺家さんは少ない。また一つ、珍しいネタをする人が出ました。そういう噺探しが、ちょっと流行ってますね。差別化を図る努力と、黄紺は好意的に受けとめています。もう一つは「茶の湯」でした。さほどデフォレメしなくとも、茶道に通じている方には、傑作なネタなようで、今日も、少ない客のなか、異様に受けている方がおられました。この「茶の湯」が、なかなか良かったんだな。お茶をするということで、ご隠居、定吉が居住まいを正そうとするのだけれど、そないにたいそうな正し方ではなく、言葉としてだけ「風流」を繰り返しているというのが、逆に自然で良かったのです。そして、何よりも、全体が明るいのが強みだったと思います。もうちょっと入ってもいい会じゃないのかな。特に、今日の出来栄えを目の当たりにすると、思ってしまいます。
 動楽亭を出ると、堺筋線で「扇町」に移動。駅近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は、繁昌亭であった「創作落語の会」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。染太「魁!学習塾」、三若「探偵の不文律」、仁智「EBI」、(中入り)、団朝「座長の涙」、文枝「恋敵」。ところが、時間を間違ってしまいました。30分遅いと思って到着すると、入口に「公演中」の看板。もう染太は下りていて、舞台には三若が出ていました。繁昌亭は、高座が替わるところでしか入場できないですから、ロビーでモニターを見ていると、ロビーにいる人の喋り声で聞こえない。ですから、モニターの下にへばりついて聴いていました。「探偵の不文律」は、探偵小説の常道を壊すとして書いた作家と、外国人の対話で進行。なぜ聞き手が外国人なのかは、黄紺が聞き出す前に、導入部が終わっていたからです。三若自身が書いたものかも判らないのですが、一定、探偵小説、推理小説に関心がないと書けない代物。出尽くしたプロット、ありえないプロットなんかを弁別する台詞が頻発していましたから。三若が書いたものなら、意外性抜群です。仁智は、染太のネタとつくということで、発表していたネタを撤回。「EBI」は「海老」。いろんな海老が出てきて、カニ道楽との戎橋での決闘へと進んでいきます。ハメモの入りの大作。最後は、水掛不動が出てきて仲裁をします。団朝のネタは、今や団朝の看板の一つ。自身も大衆演劇好き、奥さんは大衆演劇畑の方ということで、小佐田センセが、団朝用に書いた作品。何度目かの遭遇になります。文枝作品は、今回もお年寄りネタ。施設に入った老いた男性が、同じ施設に入っている年上(この辺がうまい)の女性に恋する噺。出会いの場面に、与謝野晶子の歌を持ってくるあたりは、他者の追随を許さない文枝の面目躍如たるところ。最後に、逆転劇を用意するなど、噺の着想のみならず、構成力にも脱帽です。なかなかの佳作でした。3ヶ月連続で、この会に行ったのかな。夏前にも3回ほど行ってますから、この辺でお休みにすることにします。繁昌亭では、同じ会を連続的には行かないことにしていますから。



2014年11月 30日(日)午前 1時 14分

 今日は、午前中は雨模様。今日も、朝から予定外の持ち帰り仕事。お酒を呑みながらでもやらにゃ、やってられません。そして、昼前に弟の家に寄ってから、直で大阪へ。今日は落語三昧の一日でした。午後は、久しぶりに「太融寺」へ。「千朝落語を聴く会」に行ってまいりました。久しぶりにおじゃましました。今日の番組は、次のようなものでした。慶治朗「つる」、千朝「かけとり」、花丸「猫の災難」、千朝「質屋蔵」。慶治朗は米団治の三番弟子。米団治一門は、誰を見ても噺がうまい。「つるは名鳥」「落語は米朝」「そして千朝」にどっときてました。オリジナルなくすぐりは、これだけっていうのが、分を心得ている。噺がうまいだけではなく、そないなところも気に入りました。ゲストは花丸。2日連続での遭遇だったのですが、今日は、この花丸以後がダウン気味。どうも昼間がダメです。せっかく花丸の手がけ出したネタに遭遇でき、喜んでいたら、この様です。大体、目玉と思っている高座で、失態を演じることが多すぎます。千朝は、まず「かけとり」。千朝の「かけ とり」は初遭遇と思っていたのですが、聴いてみるとそうではありませんでした。「動物尽くし」「芝居」「ケンカ」の3パターンだったのですが、冒頭の「動物尽くし」で、初めてじゃないことに気づいた次第です。「質屋蔵」は、前半がダメで、後半は快復したのですが、ちょっと遅きに失しました。相変わらずもったいないことをしています。
 太融寺の会が終わると、近くの東通りにあるネットカフェで時間調整。こちらのネットカフェを利用するのは、ホントに久しぶり。そして夜は、「扇町」から「動物園前」まで移動して「動楽亭」へ。今夜は、こちらで「鯛安吉日」という落語会がありました。桂鯛蔵の勉強会です。その番組は、次のようなものでしたが、。米輝「煮売屋」、鯛蔵「短命」、阿か枝「厩火事」、鯛蔵「花筏」。米輝は、昼前に聴いた慶治朗の兄弟子。もう入門後3年ちょい経つそうです。いよいよ各落語会で、前座で重用されていく時期になっていくのでしょう。この人も、間がいいのでしょうね。そして、ちょっとした言葉の抑揚に長けているのでしょうね。聴き慣れた「煮売屋」が新鮮に聴こえます。ゲストの阿か枝は、ホントに久しぶりの遭遇。明石在住だからでしょうか、なかなか落語会で出会えない噺家さんになってしまってます。以前は、そうじゃなかったのですが。マイペースで、着実にネタを増やしていた噺家さんなので、もっと遭遇機会が多ければ嬉しい噺家さんです。そんなですから、阿か枝の「厩火事」は初遭遇。きめ細かな感情表現に磨きがかかっていました。鯛蔵は、「花筏」がネタ下ろしのよう。それもあるのでしょうか、圧倒的に「短命」が良かったですね。「短命」は艶笑噺に分類されるでしょうから、どうしても、鯛蔵向きじゃないなと思ってしまってたのですが、雀五郎のときもそうだったのですが、アホな男の鈍さに焦点を合わせた流れを見せると、むしろ鯛蔵向きでした。実にテンポがいいものだから、変に艶笑的部分が際立たず、際立つのは、男のアホさばかりというのがいいのです。それに対して、「花筏」ばかりは、テンポや勢いなんてところで押していけないものだからしんどい。恐らく、そないなことを承知でネタ選びをしているのだと思います。会話だけでは進まない、いわゆる地噺的要素があるかと思うと、半ば以後に、それまでとガラリと雰囲気が変わってしまう場面、即ち千鳥ヶ浜親子の会話が入ります。高砂の街中から離れた海辺の家を感じさせなければなりません。親子の会話で、その雰囲気を出さねばならないわけですから、かなりの難物。語って聴かせる的要素が求められてきます。今までに手がけてきたネタにはないものを求めての口演だと思いますので、時間をかけてじっくりと熟成していって欲しいものです。チャレンジの口演と看ました。「花筏」をこなしていくと、ネタの幅が拡がりますからね。



2014年11月 28日(金)午後 10時 43分

 韓国から帰ってくると、急に慌ただしくなってきています。想定外のことが起こり、週末もゆっくりできない状態。しばらくは、時間さえあれば、家でも仕事をしてにきゃならないみたいでしす。しかし、良くないことって繰り返すものです。でも、お出かけは守ろうと思っています。それ以外の時間を、極力切り詰めようということです。で、今日のお出かけは、まず天満橋の「ドーンセンター」へ。今日は、こちらで「十色会第13回文楽若手自主公演」がありました。配られたプログラムを見て、人形遣いさんの主宰公演と看ました。その番組は、次のようなものでした。「傾城阿波の鳴門〜巡礼歌の段〜」「仮名手本忠臣蔵〜二ツ玉の段、身売の段、勘平腹切の段〜」。ともに有名な演目ながら、「傾城阿波の鳴門」は、近年、文楽劇場の本公演で出ていないものですから、黄紺的には初遭遇となりました。「巡礼にご報謝」「して、ととさんの名は」なんてフレーズ、この浄瑠璃を知らなくても知っています。ちょっと昔は、世間の会話の中に、ちょっとした浄瑠璃の文句を挟んで、普段の会話を楽しんでいたということなのでしょう。そこは、しっかりと聴くことができたのですが、実母が、巡礼の娘に対し、母であることを躊躇う辺りまでは大丈夫だったのですが、そこでダウン。結局、何かあるはずのいわく因縁は判らずじまいという情けないことになってしまいました。「仮名手本忠臣蔵」の方は、五段目と六段目。「文楽鑑賞教室」なんかでも、よく取り上げるポピュラーな演目。落語の題材にも登場するので、筋立てはばっちりなんですが、やっぱ勘平が痛々しくて、観ているのがしんどくなるものなので、積極的に観たいとは思わない演目。四段目の判官さんの切腹のあとに来るのが、暗い山崎街道を持ってくる作者の着想に頭が下がります。三段目の返しで、お軽と勘平を振っておいて、ここで、勘平に腹を切らせ、赤穂浪士の忸怩たる環境を表し、一方、生き残り、勘平の遺志を継ぐお軽は、七段目で、遊興生活を送る大石内蔵助と出会う。そして、ここで、内蔵助の討ち入りの意志が明かされる。ホントに、よくできた構成です。大ヒット作となるに当然の構成力が、この「忠臣蔵」にはあります。ネタふりとバラシが、実に巧みです。「勘平腹切り」は、若手のエース咲甫太夫さん。やったねと思っていたら、またまた肝心なところで眠ってしまいました。今日は、3時間しか睡眠時間が取れなかった日だったもので、端から覚悟していたので、さほど悔しさはありません。
 この週末は、あまり身体を動かす時間が取れないだろうということで、敢えて扇町のネットカフェまで歩き時間調整。夜も天満橋だったもので、往復で50分歩けたことになります。で、夜は、「常磐漢方薬局」であった「客寄席熊猫」に行ってまいりました。桂雀喜の新作落語会です。時間が合えば、行くことにしている会ですが、今日の番組は、次のようなものでした。雀喜「くまのプータロー」、花丸「平成宗論」、雀喜「終活のススメ」。「くまのプータロー」は、以前、この会で聴いています。就活もの。繰り返しネタで、頼りない主人公が失敗を繰り返していきます。繰り返しの冒頭に、携帯を使いBGMを流すのも、このネタの特徴。一つ一つの笑いが爆発的でないのが、雀喜らしいのも微笑ましい。一方の「終活」は、依頼を受けて、今日がネタ下ろしのようです。エンディングノートの各項目に突っ込みを入れたり、ボケたりしながら進む、今までの雀喜作品の持つテイストを、ほぼ感じさせない正攻法な新作。こないなネタを作ってたら、繁昌亭大賞の創作賞は、呆気なくゲットできるだろうにと思うのですが、それじゃ雀喜の新作ファンは減りますね。それにつけても、文鹿の創作賞はひどい。賞の重みを落としました。ゲストは花丸。こちらは、今年の繁昌亭大賞受賞者。この受賞には、誰も異論はないでしょう。ネタは、花丸テイスト満載の「平成宗論」。神社の跡取り息子が、キリスト者というのが傑作。久しぶりに聴きました、このネタ。もっともっと、この手のネタ、発表して欲しいな。これって、コアな落語ファンの声ってやつでしょう。



2014年11月 28日(金)午前 2時 34分

 夜遊びに復帰です。今夜は、コベントガーデンのライブビューイングのあった日。こればかりは、一日だけしかありませんから、他のものを、全て犠牲にしなければなりません。ただ、このライブビューイング、情報の流し方が悪く、好メンバーが揃うにも拘わらず、観客動員に問題ありという特徴があります。今日は、ドニゼッティの「愛の妙薬」がありました。当初は、京都で観るつもりをしていたのですが、今日は、午後に出張が入った関係で、「TOHOシネマなんば」で観ることにしました。舞台は、イタリアの田舎、でも、今日のプロダクション(ロラン・ペリー演出)は、時代設定を1950年代に置き、それに合わせた装置がなかなか素晴らしく、またプレスリーなんかを連想させる動きも目立ち、このプロダクションを、楽しく、ユニークなものにしていました。「」の演出は、とにかく楽譜を、よく読みこなし、それを歌手の動きに的確に反映する技は、見事の言葉に尽きます。グラインドボーンの「ジュリアス・シーザー」のコンセプトを継承したってところかな。歌手は、やはり、ネモリーノを歌ったグリゴーロと、ドゥルカマーラのブリュン・ターフェルが凄いものがあります。グリゴーロのステップばかりか、ブリュン・ターフェルまでが、巨体を揺すりながらステップを踏む姿は、もうそれだけで絵になっていました。この二人が凄すぎるということで、煽りを食った形になったのが、アディーレを歌ったルシー・クロウ。コロラトゥーラの真骨頂にならなければならない高音の伸びにかけ、中音域に透明感を欠いてしまってました。そのルシー・クロウが、インタビューでおもしろいことを言ってました。ハッピーエンドで終わる女性たちの多くは、何らの犠牲の上に、いい結果を得ているが、このアディーレは、そういった犠牲は払わず、更に男を手玉に取るような感じで、幸せを手に入れていく。ドニゼッティが作ったときには、変わり者の女性だったかもしれないけど、この女性ほど、現代の社会では共感を生む女性はいないのではないかと言うのです。もちろん自分も共感できるという気持ちで、ルシー・クロウは語ってくれているのですが、確かに言われてみれば、その通り。今まで、話が軽すぎる、たわいなさすぎると思い、あまり積極的に、このオペラを見てこなかった傾向のある黄紺にとっては、目からうろこ的なお言葉。そんなインタビューを聴いてからは、各メロディが、とっても身近に感じられるようになったから不思議です。終わると10時を回っていました。10時を過ぎてから、京都に帰るのは、正直言ってきついものがあります。



2014年11月 20日(木)午後 10時 49分

 明日から自分的5連休が始まります。この秋、3回、同じような5連休がありましたが、1回は、夏のトルコで体調を崩して帰ってきたために、準備をする気力が失せて断念、もう1回は、オペラを観るために断念と、ちょっとここ数年ではなかったこと。このまま閉じてしまうかもと思いつつ、一方でまだまだの気分があり、今回の5連休は、ちょっとした試金石の旅行にと考えていたら、週明けに案の定首を締められるかもしれない事態が発生。やっぱ、こういうことかでした。でも、これは仕事上のことですから、仕事をしなくなれば起こらないことと、自分を納得させています。で、今夜は、明日出発にも拘わらず、夜遊びを敢行。今夜も講談会でした。「千日亭」であった「町の寺子屋」という公演で、南青くんの講談を聴くことができたのです。その番組は、次のようなものでした。「河内騒動」「誉れの刀」。「河内騒動」という名乗りで、新ネタかと思っていたら、そうではありませんでした。冒頭に、河内の地勢し出した南青くん。河内に残る史蹟を基に、それぞれの土地に関わる講談ネタを披露してくれたはずです。はずですというのは、途中で居眠りをしてしまったからなのです。前半は大丈夫で、そこで読まれたのは木村重成。でも、聴いたことのないエピソードでした。長門守木村重成という謂れでした。しかも、歌詠みの巧者として、木村重成は登場しました。後半は、南青くん得意の太平記からの抜き読みというところだったはずです。泣き男が出てくる話をしていましたから、抜き読みの定番ネタを出していたのかもしれません。中入りをとってからの読み物は「赤穂義士外伝」から。「誉れの刀」とは、南青くんの言い方なのですが、通常、「忠僕直助」という題で読まれるネタです。南青くんが、結構東京弁を使っていたので、東京の師匠からもらったものじゃないかな。そないな話を、昨日の南斗くんの会でもお会いしたコアな落語ファンと、帰り道、していたら、貞山師か貞心師からもらったんじゃないかなと言われていました。話は、下僕が、刀鍛冶になって、刀を創り、元の主人に献上するというもの。なかなかいい話です。



2014年11月 20日(木)午前 4時 44分

 昨日は、目一杯の仕事。最近、そないな感じが続いています。夕方になると、昼間の寒さが、ちょっと和らいだ感じ。夜は、「船場寄席」であった「南斗講談拳」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。南斗「三河屋幸吉」、卯三郎「ガマの油」、南斗・卯三郎「対談」、南斗「後藤と埴の出会い」。もう10回目を数えるそうです。早いものです。毎回、落語家さんをゲストに招き、主宰者の南斗が2席、そして、ゲストとの対談が入るというスタイルは当初から。黄紺は、南斗くんのネタが聴き倒しているもののときや、あんまり聴きたくないゲストだったりする場合は避けていますが、そうではないときは、行こうかなの気になるものです。南斗くんのネタの一つ目は、ちょっと最近ごぶさた気味だったもので、思い出すまで時間がかかってしまいました。ただ思い出してしまうと、あまり好きな話じゃないことがバレてしまい、聴く前から、気が萎えていました。三河屋幸吉ってのは、わからんのダメ人間の、やからです。それを、谷風が諭していくといういい人谷風の善行を扱ったものなのですが、なんで、こないな性根の腐ったやつをと思うぐらいのやからなもので、聴いていて不快になるという点があります。ですから、昨日も、谷風に対して、幸吉がやからぶりを発揮し出そうとすると、身体が勝手に反応し、ホント気づかぬまま居眠りをしてしまいました。ま、単に疲れていただけでしょうが。「後藤と埴」は、おかしなストーリー。前半は、後藤又兵衛が、黒田長政の元を離れ、大坂入りして片桐且元に、東西手切れの際には参戦を約し、その後、京都で埴と再会するまでが描かれ、ここで、後藤又兵衛の物語は終わり、ここからは埴の物語が始まります。福島正典に抱えられた埴ですが、昔からのなじみということで、ため口でしゃべっていく。やがて、この2人のシテュエーションから「大名将棋」の変型ヴァージョンへと展開していきます。ですから、異なった2本分が1本になったネタってところです。ゲストに卯三郎っていうのは、実に珍しい。卯三郎という噺家さんが、こういった形で喚ばれるというのを、あまり見知らないのです。ですから、林家の会ぐらいでしか遭遇機会がないのですが、そういった会でも、自身の獣医師経験を語っているのを聴いた記憶がなかったのですが、昨日は、結構しゃべってくれました。岡山で、公務員としてのキャリアを積んでるってことでした。ネタは、ひょっとしたら「夢の革財布」かと、コアな落語ファン氏が言われていました。「つるっぱし亭」で、雀三郎の卒業試験を受けることになってることから、そういった観測が生まれたのですが、そんなのにすりかわっちゃうのと突っ込むようなネタとなりました。



2014年11月 19日(水)午前 0時 17分

  大阪府守口市(83)〜大阪市鶴見区、城東区

   今日は、「メト・ライブビューイング」で「フィガロの結婚」のニユー・プロダクションを観る日。日程の関係で、今日しか観る日がなく、寝過ごさないよう注意していました。リチャード・エア演出もので、メトロポリタンでは、3作目だそうで、今までの2作の内1つが、次回のライブビューイングで予定されている「カルメン」だそうです。とにかく芸達者で動ける人ばかりを集めたプロダクション。いや、そういった歌手を集めないと、演出の指示に応えられないだろうというプロダクションです。特徴は、連続して上演された1、2幕を、回転舞台を使い、場面転換をスムーズにしたこと。インタビューに答えたリチャード・エアは、特に1幕の切り換えに、気を配ったようでした。確か、回転舞台を4区分していましたから、少し狭めということから、舞台そのものを狭く見せる工夫がなされていました。3幕は、宴会場にほぼ固定。4幕は、3幕のまま照明を落とし、舞台前で、すぐにバルバリーナが歌い出し、照明が落ちている後部の回転舞台が回り、庭のあずまやとなる仕掛け。やはり、ここでもスムーズな移行が、強く意識されていました。次の特徴が、時代設定を1930年代前半に持ってきたこと。まだ階級意識の残ってた時代だからと、リチャード・エアは言っていましたが、舞台を観る限りでは、時代設定を変える積極的な意味のようなものを見いだせたとは言えませんでした。黄紺が知っているという歌手は、昨季メトの「イーゴリ公」でタイトル・ロールを歌ったイルダール・アブドラザコフぐらい。ケルビーノのイザベル・レナードで、ボーイッシュな風貌は、正にケルビーノにうってつけ、今季のメト・ライブビューイングで、「セビリヤの理髪師」でロジーナを歌うことになっているようなんで、とっても楽しみです。動きでおもしろかったのは、スザンナが使ったヘアピンの動きを明確にしたこと。4幕の冒頭で、バルバリーナが探しているわけを明確にしたことは秀逸。今まで観たどのプロダクションも、これが判らなかったものですから、大拍手を送りたい気分なのです。全体的に、初めてこのオペラを観たときの楽しさを感じるほどの優れものです。動ける歌手に、それをうまく動かす演出家というのが、素晴らしいプロダクションを生み出したと思います。しばらくは、メトロポリタンの定番のプロダクションになるのじゃないかな。フィガロとケルビーノ以外の主な歌手は、次のような顔ぶれでした。ペーター・マッテイ(伯爵)、マルリース・ペーターセン(スザンナ)、アマンダ・マジェスキー(伯爵夫人)。
 オペラが済むと、直ちに大阪へ移動。古川橋からのウォーキングを予定していたのですが、急遽、守口市からに変更。ほんの僅かでも、時間の節約になるかとの配慮です。出発時間は、暗くなってしまうことを覚悟の上の午後3時。そのコースは、次のようになりました。京阪「守口市」駅〜大阪電通大高校〜守口西郷郵便局〜西郷南町会集会所〜錦野町公園〜鶴見緑地〜こぐま園〜大阪鶴見五郵便局〜大阪市立鶴見小学校〜鶴見北公園〜つるみ保育園〜今福下水処理場〜南今福橋〜大阪市立今福小学校〜極楽橋〜JR学研都市線「鴫野」駅。今日の目的は、秋の終わりの鶴見緑地に行くこと。でも、お天気のもっといい昼間、ないしは午前中に行く方が、紅葉も色がはえますね。という意味では、お天気判断が誤りました。あとは、夜のことを考えて「鴫野」を目指しました。ただ、鶴見緑地を出て、「緑地橋」交差点に立ったのが、あと50分というところ。あすこから、50分で「鴫野」は大丈夫かと思っていると、存外かかり、2時間を2分超過してしまいました。これは、すぐに忘れてしまう情報。よく使うコースだけに、大切な情報です。
 「鴫野」から「京橋」経由で「天満」へ移動。駅近くのネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、夜は、久方ぶりの繁昌亭。今夜は「長寿の会」がありました。歌之助が、一応、ネタ下ろしをするという会です。前回に次いでおじゃましました。その番組は、次のようなものでした。そうば「ろくろ首」、歌之助「道具屋」、歌之助・そうば「楽屋トーク」、歌之助「平家物語」、(中入り)、歌之助「ふぐ鍋」。そうばの「ろくろ首」が程よく進化。行きすぎないオリジナルなくすぐりが心地好いものがあります。「道具屋」で、歌之助は、マクラに近況報告をしてくれました。仕事を兼ねたハワイ旅行の話でしたが、お酒の話なんか、黄紺の知らないアメリカの様子が聞けて、なかなかおもしろいものがありました。「平家物語」は、吉川英治の作品を、歌之助テイストで紹介してくれるもの。もう11回目になるそうです。前回、この「平家物語」が、知ってる話にせよ、知らない話にせよ、歌之助の語りが、しっかりしているからでしょうね、おもしろかったもので、続けて行こうという気になったのです。今日は、頼朝と義経の確執、義経と静、そして八島の戦い、中でも「扇の的」のエピソードが、詳しく紹介され、今回も、満足度の高いものでした。「今回はネタ下ろし」と言ってましたから、意外にも「ふぐ鍋」。このネタは、この秋初めての遭遇となりましたが、気温の低さから遅いくらいの初遭遇となりました。歌之助は、乞食を出したくなかったのでしょうね。まず、犬で試すのですが、そないなことをしたら、最後はどうなるのか、ハラハラしていたら、旦さんに、ふぐを売った魚屋が訊ねてきて、落としてくれました。ふぐをさばく特別な免許についての講釈が入ったりと、かなり歌之助カラーが色濃く出ていました。



2014年11月 18日(火)午前 0時 1分

 この週末に、日本を離れるため、逆に自分を苦しめていることに気づき出しています。時間が足りなくなってきてしまっているのです。そないで、仕事の方も忙しなく、でも夜遊びも、きっちり入れてあるため、更に忙しなくなってしまってます。今日も、慌ただしく職場をあとにして、一路伊丹へ。伊丹と聞いただけで、気が遠くなりそうですが、それをおしても行こうかというコンサートが、伊丹の「アイフォニックホール」であったのです。関西フィルの音楽監督をしているオーギュスタン・デュメイが、関西フィルのピックアップメンバーと、室内楽を演奏するというコンサートがあったのです。オーギュスタン・デュメイが、そういった地位に就いてからは、いつでも行けるという気分で、彼が振る定期演奏会には、まだ行ったことがないのですが、室内楽となると、話は別です。また、プログラムがそそるものだけに、伊丹まで行く苦労は吹っ飛んでしまいました。そのプログラムは、次のようなものでした。「関西フィルのメンバーによるピアノ四重奏」と題された「モーツァルト ピアノ四重奏曲第2番」、次が「デュメイが奏でるブラームス」と題され「バイオリン・ソナタ第2番」と「F.A.Eソナタより第3楽章」、そして最後が、「デュメイと関西フィルのメンバーが奏でる黄金のアンサンブル」と題され「ブラームス ピアノ五重奏曲」で締めくくられました。なお、ピアノは、全曲上田晴子さんが務められました。まず、初めてのアイフォニックホールは、かなり残響が押さえられたって感じでというか、弦楽器には、ちょっと厳しいのじゃないかという響き。一方のピアノはそうじゃなくて、クリアにストレートに、音が伝わってくる感じ。だいぶと慣れるのに苦労しました。一曲が終わり、また次の曲が始まると、慣れることに時間が要るといった感じでした。モーツァルトのピアノ四重奏曲が演奏されることって、あまりないのじゃないかな。黄紺も、生で聴くのは、初めてのはずです。やはり、モーツァルトのピアノ・トリオの演奏機会が、極めて少ないのと、理由は同じでしょう。チェロが、通奏低音の域を脱出していないのです。ピアノと弦楽器とのやり取りというよりか、ピアノ協奏曲的な音楽になっているのです。ですが、そこはモーツァルト、独奏楽器っぽいピアノのメロディが、さすがモーツァルトでいいのです。デュメイが出てくると、音楽が一変した感じ。もう体内に音楽が出来上がっており、それが勝手に腕や手を動かしているって感じ。でないと、あれだけ微妙な溜めや畳み掛けるような連続的な上昇音って出るかなっていう感じ。ブラームスのピアノ五重奏曲となると、その空気感が、全員に伝染したってところで、素晴らしいアンサンブルを聴くことができました。やっぱ、この曲は、音は厚く、音楽は熱くってところでしょうか。いいプログラムにいい演奏。ピアノの上田さんが大きく貢献されていたように思います。引くところ、頑張るところ、弾くところ、その色分けのタイミングを心得ておられました。自分的には、モーツァルトの弾くところの音色が、一番耳には残りました。



2014年11月 17日(月)午前 6時 1分

  大阪市内遊歩(223)

   昨日は、とってもいい秋晴れ。朝から、自分的5連休のときにする旅行準備。そして、午後からは、浪曲を聴きにお出かけ。「オーパル・ギャラリー」であった「浪花亭友歌勉強会」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。全員「挨拶」、国本はる乃(沢村さくら)「孝子の訴人」、真山隼人「落城の舞」、浪花亭友歌(沢村さくら)「山内一豊の妻」。6月に次いで、第2回目を迎えた友歌さんの会。普段聴く機会が少ないとあって、生喬の会を蹴飛ばして行ってきました。友歌さんだけではなく、東西の若手2人も、ゲストで出演。新しい息吹きの会となりました。中でも、東京からやって来られた国本はる乃さんを聴けたことは、ホントにラッキーなこと。上方は、若手の浪曲師の数=質なのですが、東京は、残念ながら、そうとは思えないのです。頭数は揃ってはいてもという現実があるのですが、はる乃さんが出てきて、そして、一太郎がいれば大丈夫でしょう。それほど、良かったですね。18歳というのが信じられません。ネタは、水戸黄門もの。生活のために、牛を盗んだ父親を訴えたのは、実の倅。訴人が出れば報償があるということで、倅が訴えた。でも、これは孝行のゆえ。報償として、父親の解放を求めたのですから。隼人くんが、登場してきたときから、ちょっとくさくなってきました。そないな感じを持ち出していたら、昨日のネタは、更に一層くささが進行していました。秀吉に攻められ、いよいよ最期を迎えた勝家とお市の方との愛情を描いたもの。内容が内容だけに、ま、くさくなりやすいですしね。主役の友歌さんのネタは、南海さんがやられるようなところではなく、掛川宿の出来事。小田原攻めのあとの話とまでは聴いた覚えがあるのですが、そのあとがぶち切れている。なんとまあ、主役の高座で眠ってしまいました。これはネタ下ろしで、しかも委嘱作品ということで、気合いが入ってただけに、情けないったらありゃしません。
 浪曲が終わると、直ちにウォーキングに移行。午後3時を回っていたので、かなり躊躇したのですが、せっかく時間を取れるのだからとチャレンジ。ですが、懸念は大当たり。もう4時半を過ぎると、暗くなってきますから、見通しがどんどんと悪くなってくるものですから、楽しくないですね。おまけに、今日は、行き当たりばったりの歩き方をしたものですから、不安が増しました。猪飼野当たりまできて、ようやく判ってきたのですが、もうそのあたりでは、かなり暗くなっていました。コリアタウンの門は、カメラのおかげで写っていますが、見た目ほど明るくはありません。もう、そのあとは写真を撮ること自体諦めて歩いていました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。OVAL THEATER〜大阪市立阿倍野防災センター〜西成今池郵便局〜末広温泉〜東大谷高校〜望之門保育園〜マナ乳児保育園〜大阪市立常盤小学校〜常盤公園〜大阪市立文の里中学校〜大阪府立天王寺高校〜明浄学園高校〜天明湯〜榎神社〜「桑津3北」交差点〜林寺温泉〜生野本通中央商店街〜大阪市立生野工業高校〜大阪府立桃谷高校〜大阪市立勝山中学校〜大阪市立東桃谷小学校〜東桃谷幼児の園〜コリアタウン〜地下鉄「今里」駅。



2014年11月 15日(土)午後 11時 50分

  大阪市内遊歩(222)

   この週末は、来週の自分的5連休に合わせて、日本を離れるため、その準備に当てるため、ウォーキングは今日だけと決めていたら、正にウォーキング日和。寒さも、ちょっとは和らいだ感じで、絶好と言っていいでしょう。そして、久方ぶりの大阪市内ウォーキング。そのコースは、次のようになりました。京阪「なにわ橋」駅〜中之島公会堂〜京阪「大江橋」駅〜京阪「渡辺橋」駅〜大阪市立科学館〜筑前橋〜イタリア料理店「TAVERN」〜「中天游邸跡」碑〜地下鉄「阿波座」駅〜松島橋〜松島公園〜ナインモール九条〜大阪ドーム〜大阪境川郵便局〜西消防署〜文化幼稚園〜大阪府立市岡高校〜大阪市バス「市岡元町」停留所〜繁栄商店街〜尻無大橋〜泉尾公園〜「千島北」交差点〜大阪市立泉尾東小学校〜カトリックなみはや教会〜大阪市バス「大正橋」停留所。最近、北浜までの定期券を持っていれば、なにわ橋駅でも降りることができると知って、早速活用してみました。なにわ橋駅の一番西の出口って、中之島公会堂の真ん前に出るということも、おかげで知ることができました。せっかくですから、しばらくは中之島ウォーク。そして、今日は、地図を持たずに、九条から尻無川を渡って大正区に入るという定番のコース。冒頭に変化が入ったというものでした。
 「大正橋」から、バスで「難波」に移動。いつもの千日前のネットカフェで、時間調整がてら休憩。ただ、この休憩が不十分だったみたいで、次の落語で居眠りをしてしまいました。その落語とは、「トリイDE志ん輔」というもので、もちろん、会場は「トリイホール」。以前に、2度ほど行ったことのある会ですが、土日に開催されますので、バッティングが多く、なかなか縁のない会なのですが、志ん輔の瓢逸たる雰囲気が、自分の好みに合っていて、時間が合えば、行こうかなと思う会です。冒頭に、いつものように、トリイの社長がお喋り。びっくりしたのは、三味線の方を押さえるのを忘れていたという話。東京の噺には、通常、お囃子が入りませんから、経費削減をするときは、三味線を省くときがありますが、今日のネタには、三味線入りがあるということが、志ん輔到着後判ったみたい。そのため、志ん輔のつもりでは、1つ目に出すネタを出せなくなり、順番を入れ替えたようです。その番組は、次のようになりました。志ん輔「ふぜいや」、小辰「代脈」、志ん輔「稽古屋」、(中入り)、志ん輔「刀屋」。三味線が要ったのは「稽古屋」。上方版との違いを確認したかったのですが、その前の小辰の高座から起きてられなくなってしまい、せっかくの機会を失ってしまいました。「ふぜいや」は、小佐田作品。昨年、ネタ下ろしをしたとか。おじいさんと孫の散歩中の会話で進み、時空を超えてしまいます。失われた昭和の風景が蘇ります。静かな噺です。小佐田センセが東京落語を意識して創った作品ってところです。「刀屋」というネタって、その題名すら聞いたことないなと思って楽しみにしていたら、なんてことはない、「お節徳三郎」でした。志ん輔は、滅多にしない噺と言っていました。「刀屋」と付いたのは、お節に裏切られたと思った徳三郎が、お節と乳母を殺そうと刀屋に行った先で、主人に諭される場面が、主要な場面になっているからでしょうか。刀屋が、職人気質の堅物かと思っていたら、わりかしそうじゃない、その辺りの雰囲気、空気感が、志ん輔らしい持ち味になっていました。思いがけない噺を聴かせてもらえました。
 落語会がはねると、再び千日前のネットカフェに逆戻り。夜の部までの時間待ちが必要だったのです。夜は、「梅田」に移動して「シネリーブル梅田」で、タイ映画「愛しのゴースト」を観てまいりました。タイで、大ヒットしたというのが売り文句に入ってたこともあり、飛びついてはしまったのですが、見事なB級娯楽作品でした。幽霊と生身の人間との恋って、どこかの映画にあったよなと思いつつも、タイ的テイストを目にしてみたいという欲求が、足を運ばせてしまったのですが、こんなにも、ドタバタでやかましい映画とは思ってもいませんでした。インド映画を観ていると、主人公の横には、決まってトリックスター的な役柄が添えれていますが、そういった男が5人集まるのだから、やかましくないわけがありません。そないななか、この映画のミソは、誰が幽霊なのかが、明らかにされてないところ。戦争で死んだのではなかったのか、出産のときに命を失ったのではないか、もう、それは冒頭に提示されており、しかも、戦争で亡くなったとしたら、何人なのとまで考えさせられる仕掛けになっているのが、一番の見所か。いずれにせよ、とにかくやかましい、うんこネタも複数回出てくるしと、これが、タイ風エンターテイメントかというところでした。



2014年11月 15日(土)午前 0時 9分

 昨日の夕方から冷え込み、真冬の様相です。こないに寒くなると、いよいよ冬のオペラ紀行が迫ってきたのを実感できます。あと1ヶ月ちょいで、日本を離れます。今日は文楽の日。先日は、2部を観ましたので、今日は1部を観る日でした。出し物は「双蝶々曲輪日記〜堀江相撲場の段/大宝寺町米屋の段/難波裏喧嘩の段/橋本の段/八幡里引窓の段〜」です。歌舞伎でもおなじみの濡髪長五郎の出るお話です。世話物というのは、この人は、実は、こういった有名人だったというのがないので、頭が混乱しないので、そういった意味では、安心して観ることができるます。なんせ筋立てを追うのが苦手なもので。濡髪長五郎は相撲取り。贔屓筋との持ちつ持たれつの関係なんでしょうね、山崎の金持ち与五郎の口利きをしたり、ときには用心棒的な用事も回ってきたよう。遊女を身請けしようという与五郎に、横恋慕を入れたのが侍。金が足らないとなると、刀と身分に物言わせようとするものだから、長五郎の出番が回ってくる。相手も、相撲取り(放駒長吉)を使い、この方面にも手を張っている。前半は、長五郎と長吉のやり合い、やがて二人は和解し、手を結んで与五郎を守りに入る。二人の「長」が絡むということで、「双蝶々」と言うということは、今回初めて知ったこと。と言いながら、今回の公演では、長吉の方は、出番は前半だけ。ちょっと看板に偽りあり。後半に入ると、切り語りのお二人が登場する大どころ。まず「橋本の段」は嶋太夫さん。この段は、長五郎が、件の悪役を斬ってしまったため、与五郎が惚れた遊女を連れて、女房が戻っている実家のある橋本にやって来た。その二人を助けてやりたい与五郎の父親と、与五郎の妻の父親、更に、遊女の父親までが出てきて、二人を助けようとするのだが、それぞれの義理が立たずに、ときには、子どもらに辛くあたり、また親同士がいがみ合うというところ。それぞれの義理は、なかなか共感しにくいところではあるのですが、それなりの理屈を並べ、その緻密さには驚かされました。そして、「八幡里引窓の段」(咲太夫さん)は、舞台を八幡に移し、逃亡中の長五郎が、生みの母親に会いに来る場面です。ところが、この母親は再婚していて、夫の連れ子がいる身。それも知っての帰還ですが、その義理の弟が、長五郎探しをする任務を負う役人になっているというのがミソ。ここも、皆が助けたいと思う一方、義理堅く動こうとする気づかいをするものだから、物語が生まれます。引窓の開閉で、時間のまやかしを生ませたり、暗闇で見えなくしたりと、心憎い演出が光り、歌舞伎でもおなじみの場面です。登場人物のキャラでは、やっぱあかんたれは与五郎。こいつさえいなければというか、シャキッとしていたら、問題は起こらないというあかんたれキャラ。ボンボンもいいところ。「橋本の段」って、なんか、このあかんたれを、どうして、そこまでして助けるのだと、腹が立ってくるほどでした。この狂言の場面が嬉しいですね。与五郎の郷が山崎で、長五郎の実母が住むのが八幡。八幡の家の背後には藪の大道具が設えてありました。そこから、長五郎探しに向かうとしたのが楠葉。また、与五郎の妻の実家は橋本。こちらのセットは、背後の八幡の山ではなく、前の淀川を意識してか、開けた雰囲気のものになっていました。しかし、なんとまあ、大坂と京都の真ん中辺の地名が並んだことでしょう。終わってから、いつものように展示室を覗いてみたのですが、先日同様、海舟氏のお姿は見かけませんでした。しばらくお顔を見てないので、ちょっと心配になってきています。替わりに、ディープな落語ファン氏にお会いしました。今日一日で、1部と2部を、両方とも観ると言われていました。いやはゆ、その体力には脱帽するしかありません。
 文楽劇場を出ると、いつものように、千日前のネットカフェで時間調節。ウォーキングをすると、陽が落ちてからも続けねばならない時間になっていたので、今日は断念。そして、夜は「花園町」に移動して、「can tutku」であった「カラ/フル」の公演「屈折のアカリ」を観てきました。初めてのことになるのですが、なぜ、この劇団に目をつけたのか、イマイチ、自分でも不明確なまま、予約を入れてました。知った劇団の役者が客演しているならば、覗いてみようかとなるケースが多いのですが。芝居は、ちょっとしんどいもの。架空の国では戦争状態。そこに住む姉と弟の物語。何やら、弟に異常があるかのように振る舞う姉や叔母。家の周りを捜し物をするかのように動くこじき。やがて、二人の母親が登場することで、この姉と弟の父親が出征して、行方不明になっているらしい、母親は、それを気にやんでいることが明らかになってくるのだが、それに対し、姉が執った異常行動を嗅ぎ付け、こじきがかぎまわっていることも判ってくる。しかも、弟が異常とされていることも、父親の失踪と関係があることも判ってくるのだが、判ってみてな〜んだの気分。要するに、この芝居、客に何を楽しませようとしたのかが見えてこないのです。ミステリアスな姉と弟の行動の謎を追求するなら、こないな謎では承服しかねますし、姉の猟奇的な異様な行動を楽しませようとするのなら、もっと、そこをえぐるような掘り下げも欲しいしと、よく解らない芝居でした。こじきの存在も、よく解りませんでしたしね。かなり外したかなの気分ですが、どれもこれもいいわけがあるわけではありませんから、芝居を観るということっていうのは、こんなのも含んでというところでしょうか。



2014年11月 13日(木)午後 11時 49分

 今日は、退勤時間が近づいたあたりで、仕事が舞い込んできて、大慌て。バタバタと、ミスをしないか心配しながら動いていたのですが、明日、黄紺が行かない日に混乱が起きているかもしれません。最後は、ケセラセラの気分で職場をあとにしてきました。幸い、今日は、「カフェモンタージュ」でのコンサートに行くことになっていましたから、多少の時間の遅れはノープロブレムでした。「カフェモンタージュ」の今夜のテーマは「甘い悩み」。珍しく、ルネサンスやバロック期のリートのコンサートでした。そのプログラムは、次のようなものでした。モンテヴェルディ「あの高慢な眼差し」、フレスコバルディ「そよ風が吹くと」、モンテヴェルディ「苦しみが甘美なものなれば」、フレスコバルディ「パッサカリア形式による100のパルティータより」、ガスパリーニ「カンタータ"いとしい絆"」、ボノンチーニ「カンタータ"すでに愛の季節がやってきた"」、スカルラッティ「サルヴェリジーナ」より「幸いなるかな、お后かまよ〜あなたに向かって叫びます〜あなたに向かって仰ぎ望み〜いざ、私たちに代わり祈ってくださる方よ〜また、祝福されたイエスを〜おお寛容、おお慈悲」、J.S.バッハ「カンタータBWV.168より第3曲"心よ、財神の鎖を断ち切れ"」「カンタータBWV.4より第3曲"誰も死に打ち勝つことはできなかった"」「カンタータBWV.78より第2曲"我らは急ぐ、弱けれど弛まぬ足取りで"」。この中で、4曲目のフレスコバルディの曲だけが、チェンバロの独奏で、あとは、全て歌唱付というものでした。2つのモンテヴェルディとガスパリーニのカンタータは、ソプラノ(緋田芳江)のソロ。一方、「そよ風が吹くと」とボノンチーニのカンタータは、カウンターテノール(中嶋俊晴)のソロ。残りの曲は、二人のデュエットでした。なんせ、「バロック・リート」のコンサートなんて、そないにあるものではありません。ましてや、日本人の歌手で、なおかつ日本人カウンターテノールの出るコンサートって、記憶を辿っても出てきません。また、このカウンターテノールがいい。ホントにいいのです。カウンターテノールで、ここまで中低音がしっかりしている歌手なんて、そうはいないのではないかな。コントラルトを聴いている雰囲気にさせてくれます。とっても素敵な歌手に遭遇することができました。それに対し、ソプラノの緋田さんは、ちょっと音程が不安定なうえ、ノンビブラートの歌唱に問題ありでした。ただ、デュエットになると、安定感も増し、聴いている者には極上の響きとなりました。伴奏は、スピネットチェンバロの野澤知子さん。とっても小型のチェンバロで、音色的には、通常のチェンバロと変わらないのですが、音が細かく、小さめだったため、カフェモンタージュのような会場には、とっても合ってるなの印象を持ちました。でも、つくづく思いました。このような狭い空間で、チェンバロを聴けるなんて、もうそれだけで舞い上がってしまってました。



2014年11月 12日(水)午後 11時 18分

 今日は、ちょっと間が空いたって感じで、「動楽亭」に行ってまいりました。最近、音楽会中心の生活が進んでおり、落語会が飛び飛びになっています。週末は、芝居に行くことが増えているのも関係しているように思えます。今夜は、「生喬百席」があった日。先月は、飛ばしてしまったので、続けて外すわけにはいなかいのです。その番組は、次のようなものでした。生喬「池田の猪買い」、鯛蔵「仏師屋盗人」、(中入り)、生喬「辻占茶屋」。やはり水曜日は厳しい。危ないなと思い、開演前、座椅子に体を沈め、少しでも体を休めようとはしていたのですが、虚しい努力でした。「池田の猪買い」の、六太夫さんの家に行ってから、「仏師屋盗人」の、盗人が入ってきて家人との間で、金のやり取りが始まった辺りからダメでしたから、「仏師屋盗人」の方は、かなり重傷でした。が、幸い、鯛蔵の「仏師屋盗人」は、既に鯛蔵自身の会で聴いているのが救いです。ひょっとしたら、自分の無意識の内に、「これなら、ついこないだ聴いたから、いいや」の意識が働いたのかもしれません。わりかし深い眠りに入ったようで、その直後の中入りの時間に快復するのに、かなり大変でしたから。生喬の「池田の猪買い」は、出したというのを見たり聞いたりしたことがないなと思っていたら、生喬自身も、そのようにプログラムに書いていました。師匠から習った7本目のネタで、修行中だったもので、かける機会が少なく、疎遠になり気味とか。なるほどと理解できる話。「辻占茶屋」もそうですが、生喬の表現が細やかになっていますね。「猪買い」の冒頭の甚兵衛さんと主役の男の会話も、以前だったら、もうそっと叫ぶような感じで、アホを言う男をはしゃがせていたのじゃないかな。必然的に、ごっつい声が気になってしまうパターンだったと思うのですが、パンフレットに書いているように、間でもっておかしな掛け合いのおもしろさを出してくれてるのでしょう。「辻占茶屋」でも、四ツ橋でのやり取りも同様じゃないかな。同じく辻占をするところって、一人で掛け合いをしなくちゃならない。相手は、顔の見えない隣の稽古屋。稽古屋は、意識的に三味線を弾いているわけじゃないから、余計にムズい。うまいなと思ったのは、この場面で、生喬は体の動きを大きくし、間合いを変えているなと思えたところ。四ツ橋では、暗さよりか、静けさが感じられる口演でした。来月の「生喬百席」が、今年の黄紺的落語納めになるはずです。



2014年11月 11日(火)午後 11時 8分

  京都市内遊歩(80)

 今日は、一日、京都から出なかった日。最近、そういった日が増えてきているのです。ちょっと気持ちの問題として、そのような傾向が看られるので、あまりいい傾向じゃないなと気がつき出しています。今までが、出過ぎだったのですが、それで自分のペースができあがっていたものですから、気にはしているということです。そんなで、ウォーキングも京都ばかりが、何回か続いてしまっているのです。今日のコースは、次のようなものとなりました。京阪「丹波橋」駅〜京阪「高田図子」踏切〜高田橋〜京都市立藤森中学校〜京都市深草児童館〜京都市立竹田小学校〜竹田東部会館〜城南宮〜掘端児童公園〜下鳥羽公園〜須釜児童公園〜伏見警察署〜大信寺橋〜阿波橋〜「世界鷹」酒倉〜京橋〜京阪「中書島」駅。とりたてて変わったコースというものではなく、ちょっと渦巻き状のコースを取ってみただけというもの。今日は暖かく、でも、もう汗をかくということは、まあないですね。2時間を、同じようなペースで、しかもかなり速いペースでのウォーキングですが、日によって調子に波があるのは、自分の体調のせいなんでしょうね。今日は、ウォーキングの最中は、きついとか、そないな感じはなかったのですが、ウォーキングを終えて、家に戻ると、ぐったり。しばし、横になってしまいました。
 今夜は、久しぶりに「京都コンサートホール」に行ってきました。しかも、小ホールでしたから、確か2度目にしかならないはずと思います。「ラビッシュ・アンサンブル」と名乗る京響のピックアップ・メンバーによる室内楽のコンサートがあったのです。実は、このコンサートも、カフェモンタージュ効果で、コンサートに行った際に、紹介されていたことで、知るようになったコンサートです。このアンサンブルには、カフェモンタージュで演奏を聴かせてもらっているバイオリンの田村安祐美、ビオラの小峰航一という方々が、名を連ねておられるので、親しみを感じると同時に安心感があるのが大きいですね。そのプログラムは、オール・シューベルト・プロで、前半が「死と乙女」の、後半が「八重奏曲」でした。そもそも、このアンサンブルは、「八重奏曲」を演奏するために集まったとかで、第1回の演奏会で、実際に演奏し、そのとき「10年後にもう一度」を約束したことを、今日実現したということでした。これは、休憩前に、代表の方がお話になったことです。「八重奏曲」は、編成からして容易には聴けない曲。その昔、「ウィーン八重奏団」という、これまた、この曲を想定されたアンサンブルが来日したおり聴いたことがあるくらい。実に久しぶりに生で接した感想は、なかなかおもしろい曲であると同時に、シューベルトによくありがちな冗長さもあわせて感じてしまいました。おもしろい点は、コントラバスが入ることで、バイオリンがえらくかわいく聴こえるということ、弦楽器5つをもってしても、管楽器3つに対抗するのは、パワー的には、なかなかしんどいので、かえっておもしろい、普段聴かないバランスの音楽を楽しむことができること、ということは、バランスを調節すると、室内オーケストラ風サウンドにも変身してしまうことなど、冒頭から興味津々。でも、パターンが出尽くしてしまうと、程よく矛を収めればという長い曲でした。ちょうど1時間かかったんじゃないかな。演奏的には、この曲の楽しみ方を心得た、要するにバランスを心得たいい演奏がでした。一方の「死と乙女」は、弦楽四重奏のコンサートの定番中の定番。激しい音使いに、2楽章のヴァリエーションのテーマとなるメロディが知られたもの(題名の基)ということで、定番となっているのでしょう。一時、こればかりが出るので、この曲がプログラムに入っているコンサートは避けていたなんて時期がありました。ちょっと贅沢なことかもしれないのですが、バイオリン2丁に、もうちょいパワーが欲しかったなというところです。この「死と乙女」では、チェロのリズムが心地良かったなぁ。シューベルトの大曲が2つというヘビーなプログラム。さすが終演は9時を回ってしまいました。日本だと、それが気になってしまうから不思議なものです。



2014年11月 11日(火)午前 6時 51分

 昨日は、少し暖かめの一日。明日の水曜日から寒くなるそうです。夜遊びは、昨夜も「カフェモンタージュ」のお世話になりました。今週は、木曜日にも行くことになっています。今や、「カフェモンタージュ」で室内楽を聴いて帰るということが、夜遊びの定番となっています。昨日は「詩曲」と題し、フランスのバイオリン曲が演奏されました。曲は、ショーソンの「詩曲」と、フランクの「バイオリン・ソナタ」でした。演奏は谷本華子さん、ビアノは塩見亮さん。谷本さんは、長岡京室内アンサンブルのメンバーで、こちらでは、おなじみのバイオリニストです。「詩曲」と題されたコンサートですが、メーンは、やはりフランク。昨日の2曲は、カフェのオーナー氏の説明によると、イザイ繋がりだそうです。「詩曲」は、イザイの勧めで書かれたもので、フランクの方は、イザイの誕生日祝いとかで、作曲後は、自筆原稿を、イザイが保管し、イザイが亡くなる前に、クライスラーに託され、更にクライスラーが亡くなるときに、ニューヨークの図書館に寄贈されたということで、大バイオリニストのイザイ繋がりというプログラムだということで、黄紺には、思いつかないことでした。「詩曲」は、なかなか聴く機会の少ない曲ですが、フランクは、バイオリン・ソナタの中のバイオリン・ソナタって感じで、名曲中の名曲。昨夜は、開場直前に、会場に着いたので、最前列で聴くことになったのですが、バイオリンのまん前で聴くと、フランクは半端じゃない迫力。たたみかけるような音の流れには、無類の腕前を発揮する谷本さんのバイオリンが唸るは唸るはで、その迫力に圧倒されました。その一方で、冒頭のアンニュイな音の運びは、今回も生真面目でした。前回のブラームスは、その生真面目さが色濃く出ちゃったことを思い出していました。ショーソンも、その傾向が、序盤に現れていました。もうそっと遊んでもらいたいなの雰囲気です。フランクがおもしろいのは、ノンビブラートとビブラートの音を使い分けるところ。ノンビブラートで始まる音に、いつしかビブラートがかかる。これにしびれますね。もちろん、昨夜の演奏では、ばっちりと、その辺を意識したものでした。わりかしフランス近代音楽が出ることが多く、12月には、ラヴェルとドビュッシーのバイオリン・ソナタも用意されています。生で、これだけ詰めて聴く機会など、今までなかったこと。ホント、ありがたいことです。なんか、日本の音楽シーンが変わりつつある実感があります。



2014年11月 9日(日)午後 8時 4分

 今日は、朝から雨。そういった天気予報に合った行動をとろうとしていながら、昨日は、ウォーキングをする時間を取れないままに終わりました。で、今日は、仕方なく午後に入ってからお出かけ。「東福寺」「京都」経由で「吹田」に移動。「吹田サンクス寄席」に行くためには、手間暇がかかります。昨日、「一心寺門前浪曲寄席」でお会いしたコアな演芸ファンの方に、今日の「サンクス寄席」には、雀三郎師は出られない(繁昌亭の出番があるため)ことを教えられ、自分の不注意を恥じたのですが、替わりに千朝師が出られることが判り、ならば十分とばかり、覗いてみることにしました。その番組は、次のようなものとなりました。染吉「みかん屋」、雀太「替り目」、小春団治「断捨離ウォーズ」、千朝「猫の忠信」。今日は、ずっと居眠り状態。一番前で、それをやっちゃったので、演者の方に申し訳なくて、、、。記憶に残っているのは、雀太が、客入りが悪いわけを解説してくれたことぐらいかな。あとは、噺が飛び飛びにしか頭に残っていないのです。客入りに関しては、今までは、半分ほどが招待券で来ていた人たちだそうで、今回からは、それを止めにして、替わりに、客には500円のキャッシュバックがあるというもの。但し、地元の人は、金券を好きなときに使えますが、黄紺のような者には、残念ながら使いようがありません。会が終わってから、食事をしようにも、中途半端な時間帯だし、買い物をして帰ろうにも、ダイエーでは使えないしと、結局、使うのは諦めました。小春団治のネタは、最近の作品で聴いたことがなかったものですから、ラッキーな巡り合わせと喜んでいたのですが、ダメでしたね。千朝の「猫の忠信」も、久しく聴いてなかったので、しっかりと聴きたかったのですが、中途半端にしか聴くことができませんでした。会が終わると、雨が止んでいたので、その場合にはと考えていた「守口市」駅までのミニウォーキングをしました。約1時間のコースだということは、経験的に判っていますので、暗くなりすぎない内に到着できるだろうの読み通りになりました。ただ、途中、霧雨のような雨が降りましたが、ま、それは想定範囲内のことで、大事には至りませんでした。



2014年11月 8日(土)午後 11時 33分

 今日は、朝から半分仕事という感じで、「枚方」にお出かけ。それは、1時間ほどのことだったため、すぐに「京橋」へ。いずみホールに、予約してあったチケットを引き取ったあと、「天王寺」経由で「一心寺南会所」へ。今月の「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。今日の番組は、次のようなものでした。春野冨美代(沢村さくら)「両国夫婦花火」、真山隼人(真山幸美)「維新の歌」、天中軒雲月(沢村さくら)「小村寿三郎」、京山幸枝若(岡本貞子・藤信初子、京山幸光)「安珍清姫」。今日は、朝が早かったためでしょうね、お昼ご飯でお腹も膨れ、タイミングよく睡魔がやってきました。冒頭が「両国夫婦花火」だったのも影響してしまいました。何度も、春野恵子さんで聴いてきたため、「またか」の気分になってしまったのでしょうか。前半の途中から記憶が飛んでいます。気がつくと、もう花火はうち上がったあとでした。真山隼人くんの口演も、前半がダメ。でも、後半から前半を類推することができました。幕府方の家に生まれた女と倒幕方の侍の恋に、「宮さん」の歌の製作が絡むストーリー展開とし看ました。ちょっとした「ロミオとジュリエット」ですが、結末は極めて日本的。義理の世界となります。「小村寿三郎」は、明治の政治家がタイトルになっていますが、話は「徂徠豆腐」と同じ展開でした。有名人が、世に出る前、それを支えた人との交流を描きます。二番煎じどころじゃないネタです。「安珍清姫」は、能「道成寺」ネタ。今日のMCを務められた幸枝司師によると、浪曲では珍しいネタと言われていました。時代設定は奈良時代。言い交わした女が、宮廷で、他の男に狙われていると知った後の安珍が、知り合いの家に女を宿下がりをさせ、自分も頃合いを計り、その家を訪ねるのだが、その安珍の姿を見たその家の娘清姫に見初められてとなっていました。今日は、この寄席としては、黄紺の知る中でも、一二を争う入り。床に座蒲団を敷いて聴く客までの入りにびっくりです。それだけ、年輩の人たちが出やすかった気候ということなんでしょうね、今日は。
 浪曲が終わると、徒歩で千日前へ移動。いつものネットカフェで時間調整後、「in→dependent theatre 1st」に移動。夜は、「ガバメンツ」の公演「LAUGH DRAFT」を観てまいりました。これが、近ごろ観た芝居の中では、頭抜けたいい芝居、おもしろい芝居でした。舞台は、兵役についている8人の男たちと、その教官の物語。長い兵役についている男たちは、女性に対し、様々な妄想を抱くだろうという前提で、その前提を巧みに活用し、自在に、作家さん自身が想像力たくましく、個々の男たちのキャラ、人生、そして、作家さん自身の反戦の気分を表現していました。傑作なのは、男たちが、二次元の世界の女性に憧れるというプロット。一人の男が持ち込んだカタログ雑誌に書かれている女性の体験的コピーに、女性の様々な姿態を想像する男たち。更に傑作なのは、8人の男たちが、皆、同じ女性に惹かれてしまうという点。妄想が始まると、妄想の中の女性が登場し、その妄想がヴィジュアル化されます。ここで、各人の個性ある人生が語られるという仕掛けになっています。芝居だからできる表現方法です。芝居が進むにつれ、兵役期間が減っていきます。この減っていくということを、わりかし意識させるように作っています。とってもうまいところで、この減っていくということを意識させられると、客は、除隊後のことがどのようにというところでまとめにいくのだろうと考え出すのでしょうが、結末は、そのような方向をとりません。ここがうまいところで、シリアスな場面を、最後の最後に用意していました。この場面に至るために、男たちに人生を語らしていたのだと気づかされました。作劇だけではなく、演出が、実にうまい。椅子を叩いてのリズムを作ったり、役者の個性にかなう動かし方を取ったり、マドンナとなるおばさんのキャラ作りに、その動かし方を含めて、ホントに楽しい舞台を見せてもらえました。



2014年11月 7日(金)午後 10時 23分

  京都市内遊歩(79)

 今日は、ちょっとした家の用事を済ませてからウォーキングを開始。せっかく京都の中心部からウォーキングをできるということで、今日は北を目指しました。御所や府庁に当たらないように歩くコース。必然的に西にシフトしてしまいます。気がつくと、大徳寺に、真南からぶち当たっていました。そして、大徳寺を抜け今宮神社へ。元祖と本家のあぶり餅屋が向かい合う東側から入るのがコツ。あとは、夜のことを考え、西大路通へ出た方が賢いと、ちょっと大回りに衣笠地区を歩いてみました。そのコースの詳細は、次のようになりました。大丸〜紫織庵(川崎住宅)〜夷川児童公園〜椹木町橋〜「堀川下立売」交差点〜京料理老舗「萬亀楼」〜Kyotn international School〜西陣児童公園〜岩上神社〜雨宝院(西陣聖天宮)〜明治湯〜大徳寺〜今宮神社〜今宮幼稚園〜仏教大学〜楽只児童公園〜わら天神宮。
 「わら天神」から「西院」経由で「長岡天神」に移動。夜は、長岡京中央公民館であった「キオスクコンサート」に行ってまいりました。長岡京室内アンサンブルが行っている地域コンサートです。今回は、「作陽ヌーベルNAGAOKAKYO」と題し、岡山の作陽音大関係の演奏者が中心となったカルテットの演奏がありました。プログラムは、モーツァルトの6番のカルテット、ハイドンのトリオ(Hob.V-21)、そして、ドボルザークの「アメリカ」でした。前回の桂での教会コンサートが頭にあったのですが、それとは違い、かなり広めのホール。そこに、長岡京室内アンサンブルが、長岡京市内で、小学校でワークショップのようなことをやられた関係からか、やたら小学生連れの女性が多いという環境。そう言えば、長岡京室内アンサンブルの演奏を、長岡京市内で聴きに行ったときはそうだったということを、その様子を見て思い出しても手遅れ。別に、小学生が騒ぐわけでもなんでもないのだけれど、落ち着きが悪いもの。日本で地域での演奏会を展開をしようとすると、やはり、こないになってしまうものかと、ちょっと落胆。一方で、黄紺には反省点があります。ウォーキングのあと休憩もとらずに、満員バスに満員電車に乗り移動したあかつきのコンサートは、絶対にダメです。今日、ぐずぐずしていて、家をなかなか出なかったために、ゆとりを持った移動ができなかったのです。小ぶりのかわいらしい音色で、モーツァルトやハイドンが続くと、そないな状況じゃ眠たくなります。いろんな意味で、失敗の巻きでした。



2014年11月 7日(金)午前 7時 24分

 3日連続勤務が終わり、ホッと一息の木曜日。気持ちよく、夜遊びに向かうことができました。昨夜は、「カフェ・モンタージュ」で、バッハの「フーガの技法」を聴くことができました。但し、この演奏が、通常のハープシコードではなく、クラヴィコードでの演奏(大井浩明)。ライプチヒの楽器博物館には、数多くの鍵盤楽器が展示されていましたから、このクラヴィコードも展示されていたはずと思われますが、視聴できたのは限られた楽器だけ。冒頭の音を聴いただけで、容易く聴いたことのない音だと判るほどの音色でした。まず小さいのです。今日ほど、こちらの会場で聴けて良かったと思ったことはなかったと言えるほど、小さい音なのです。オーナー氏が解説に立たれて、この楽器の音の出方を講釈。鍵盤を押すと、張ってある弦を、下から持ち上げた状態になり、そして、持ち上げられた弦が、元に戻ろうとするときに震えるときに出す音だとか。終演後、間近にクラヴィコードを見に行くと、確かに、そのような構造になっていました。このような着想で音が出る楽器というのは初めてだったもので、値打ちものというか、マニアックというか、とっても貴重なコンサート に立ち会えたことになります。クラヴィコードの音色はおもしろく、弦をはじくハープシコード風音が出るかと思えば、ピアノのような鍵盤を叩くかのような音も出ていました。ただ、弦を叩くことで出る音と違い、持ち上げて離したときに出る振動音であり、また一つ一つの弦が短いため、振動が長続きをしないものですから長い音符になると、音が途切れて聴こえるという特徴があります。逆に短い音符が連なると、常にスラーが付いているように流れるようなメロディになります。フーガが複雑になっていくと、左手の低声部の音に、右手の音がまとわりつくようになっていきます。元々、そないな感じに曲はなっているのですが、このクラヴィコードで聴いていると、それが、実に細かにまとわりついていきますから、なんともはや心地好いものがあります。もとより、3日連続をした身には、最早麻薬のごとき雰囲気を与えてくれたものですから、眠るとも眠らないとも、いやその境目を、ずっと漂流していたようでした。クラヴィコードは、こちらのカフェに常設されているもの。終演後、ワインを飲みながら、カフェの中を歩いていると、横に片してあった陳列ケースには、ブロックフレーテやフルート・トラヴェルソが、パーツに分解して並べてありました。いったい、こちらのオーナー氏って、何者なんでしょうか。またしても、謎が深まってしまいました。



2014年11月 5日(水)午後 11時 23分

 昨夜は、ホント、眠れませんでした。その前の夜も、十分に睡眠が取れたわけではなかったため、眠れないのが不思議なのです。冬のオペラ紀行の最後のチケットを手配したのが昨夜。これが、うまくいかなかったのが、業をなしたのかもしれません。眠れないうえ、眠ると、簡単に目が覚めるという苦しみ。経験した者でないと、なかなか分かるものではないでしょう。そのいなときに限り、仕事が詰まってくるもの。でも、夜遊びにはお出かけ。予約を入れてありましたから。「トリイホール」であった「第27回桂米二MINAMI出張所」が、その落語会。考えてみると、この1週間は、音楽関係にばかり出かけていましたので、落語会は、先週の「創作落語の会」以来。これだけ落語会が開いたのは、この間、なかったことです。単なる巡り合わせなんですが。で、今日の会は、米二主催の落語会。これも、久しく行ってなかったもの。今日は、恐らく米二が手がけてなかっただろうというネタが出るということで、狙いをつけていました。それを含めての番組は、次のようなものでした。二葉「桃太郎」、米二「雁風呂」、雀喜「アンドロイドJ」、米二「口入屋」。狙いは「雁風呂」。予想通り、米二の新ネタでした。「米朝全集」の校訂に携わり、今まで米朝が手がけていたことがありながら、活字化されたものが出てきたことを知っている米二は、これで、「向う付け」に続く新ネタとなります。「向う付け」は、米朝が手がけていたと聞いただけでびっくりしたものでしたが、「雁風呂」は、口演頻度はが超レアというものですが、米朝が手がけていたと言われてみても違和感がないのです。というのも、このネタの存在は、はるか昔、先代歌之助が太融寺で行っていた勉強会で出したことを覚えているからで、米朝から出たものだろうの推測は、容易につくからです。米朝の音源は一つ残っているそうです。「米朝全集」には、それから掘り起こされたものが載っているのでしょう。黄紺は、実は、歌之助の口演を聴いた記憶はありません。実演に遭遇できたのは、今まで1回だけ。染雀の口演だけです。水戸黄門やら淀屋という実在の人物が出てくることで、容易く釈ネタだと判ります。同じ釈ネタでも、「荒茶」のような可笑しさがないものですから、あとに続く噺家さんって出るのか心配なところがあります。心配していた居眠りは、肝心の「雁風呂」ではセーフ。立派にセーフでした。ここで、気が緩んだのでしょうか、雀喜の出番が、さっぱりダメ。アンドロイドのネタをするということで、マクラで、米朝アンドロイドの話をしていたのは覚えがあるのですが、どの時点で眠ったのかすら判りません。「口入屋」も、ごく一部が飛んでいます。早い話が、「雁風呂」が終わりホッとし〜の、「口入屋」で快復しはしたが、力尽き〜のだったのでしょう。二葉との遭遇は頻繁なものではないだけに、成長が、よく判ります。マクラも、二葉自身の人柄が出たいいものでした。素人ぼさ、ひたむきさ、その辺が、客席には好評のようで、笑いが起きると、皆さん明るくなりますね。不思議な雰囲気なのは変わりませんね。



2014年11月 4日(火)午後 11時 54分

 今日は火曜日で、通常は非出勤日なのですが、臨時の出勤日。でも、そのことを、1週間前まで失念していた黄紺は、既に文楽のチケットを買っていたため真っ青。ところが、ラッキーなことに、時間休をとれば、仕事にも文楽にも障りがないことが判り、ホッとしたのは良かったのですが、なんせ、バタバタで文楽劇場に行かねばならないということで、途中でダウンしないか心配したのですが、その割には、うまく切り抜けたかなというところでした。今日の演目は「奥州安達原〜朱雀堤の段、環の宮明御殿の段、道行千里の岩田帯、一つ家の段、谷底の段〜」。能の「安達原(黒塚)」を基にしたということが、容易に判りますから、以前から観たいと思っていたのが、ようやく遭遇できたというもの。でも、能の題材になっている安達原の鬼伝説の物語に当たる「一つ家の段」は、久しぶりの上演で、通常は、それまでの段が上演されるものだそうです。確かに、今日のような流れで観ていると、安達原の場面は、頑張って放り込んだなの印象が強いですね。話の本題は、源義家により平定された奥州で、逆襲を狙う安部一族の陰謀というか活動に、源平の対立を絡めて進行するというもの。舞台に、当然、奥州を持って来なければならないわけで、じゃ奥州と言えば、安達原があるじゃないかと、近松半二の頭に閃きが走ったという感じの作りになっていました。文楽の演目はとして、バラしの場面が多用されます。芝居の中では、多くの場面で演じられたのは仮の姿で、実は、こういった有名人だったのだというやつです。この演目は、これが多用され過ぎて、かなり何でもありの姿をさらけ出しています。しかも、究極のバラシが出てきます。女性だった人物が男だったというのが出てきて、唖然呆然を通り過ぎてしまいました。人形使いの3人が、くるりと一回転したときに人形を持ち変えます。すると、それまでの人形とはスケールの違う人形が現れたものですから、これはあかんやろと突っ込んでしまいました。しかし、「一つ家の段」は凄惨です。「油殺女地獄」は、凄惨さの極致かと思ってうたのですが、あちらは油とアイテムを使うことで、ちょっとした美学があります。あの主役の男が、どうしようもない男なのが、美学を消すという業をしてしまいはしますが。今日の「一つ家の段」は、残酷なだけという印象。妊婦の腹を裂き、お腹の中の嬰児を取り出し、その血を使い薬を作る、その目的のために、女を殺す。しかも、殺し方はなぶり殺すといった類いのもの。観ていて気持ちの悪くなるような場面です。実は、薬は、天子さまを担ぎ出し、自らに正当性を持たせようとした安部一族のゴッドマザー岩手(老婆の本当の姿)が、天子さまの病を治そうとしたものと判ったり、殺された女は、実は岩手の実の娘が判ったり、殺しの場面だけではなく、このバラしの場面でも、気持ちの悪さが増していきます。「トロヴァトーレ」のアズチェーナも、ありえない狂気を持っていますが、それ以上の狂気を感じました。あんまり観たくはないですね、正直言って。「一つ家の段」の上演機会が少なく、それまでの上演はあるというわけは、観ていてようく理解できました。住太夫さんが引退されたのに次いで、ようやく源太夫さんも引退され、切語りをされる方が、一挙に半分になりました。そのお二人は、お二人ともが第一部に登場。そのため、第二部には、切語りがゼロという事態になっていました。だけど、次に、どなたを切語りに上げるのでしょうか。今の状態では、どなたが上がられても、ちょっときついなの印象です。英太夫さんや千歳太夫さんなどは、もう下り坂に入ってられますしね。



2014年11月 3日(月)午後 8時 49分

  京都市内遊歩(78)

 自分的4連休も呆気なく最終日。特に昨日の日曜日は、家の用事が、前から決まっていたため、遊ぶというの意味では、1日が欠けてしまったので、実質は普段の週末と同じになってしまいました。今日は、秋晴れの一日ということで、朝に、早々とウォーキング。そのコースは、次のようになりました。京阪「丹波橋」駅〜近鉄踏切道「丹波橋第一号」〜御香橋〜京都府立桃山高校〜桃山御陵〜世光保育園〜京阪「観月橋」駅〜京阪「柿ノ木坂」踏切・京都市立伏見南浜小学校〜月桂冠大倉記念館〜鳥せい本店〜大手筋〜京都府歯科医師会伏見会館〜竹中鷹匠公園〜みどり保育園〜京都市伏見中学校〜枡形橋〜第二あけぼの保育園〜上板橋〜大正湯〜近鉄踏切道「伏見第一号」〜京阪「上板橋」踏切〜京都市桃山中学校〜京都教育大学〜宝湯〜京阪「藤森」駅。一旦、桓武陵から桃山御陵までの森の中を歩いたあと、明治天皇陵には行かず、近鉄の桃山御陵駅方向には行かずに、また、JRの桃山駅にも行かずに、外環に出るというコース取り。旧伏見市街に入ると、、その中を外れずに北上。そのまま真っ直ぐに行くと、こないだも歩いたところの近鉄伏見駅に出てしまうので、再び24号線の東側を歩くことに。あとは、時間を考えながら終点を藤森駅と定めて歩いてみました。
 午後はコンサートを予定していたため、少なくとも靴の履き替えが必要なため、一旦帰宅。午後の行先は「いずみホール」。先週の水曜日に行ったところですが、今日は、同ホール主催の「モ−ツァルト 未来へ飛翔する精神」シリーズの1つ「フリーメースンの神秘」がありました。「フリーメーソン」をテーマに掲げたコンサート自体、東京はいざ知らず、大阪では極めて珍しいもの。また、いりそうでないのが、モーツァルトのリートを集めたコンサート。それも楽しめるということで、目をつけたということです。このシリーズとカフェモンタージュのおかげで、この秋は、モーツァルトの稀曲を、生で聴くことができています。そのプログラムは、次のようなものでした。「すみれ K.476」「春の初めに K.597」「ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき K.520」「ラウラに寄せる夕べの思いK.523」「魔術師(魅惑者)KV.472」「老婆 K.517」「3つのフリー・メーソンの歌曲」「レチタチーヴォとアリア“あわれなものよ、おお夢よ目覚めよ”〜“まわりにそよぐ微風”KV425b」「《フィガロの結婚》より“愛の神よ、照覧あれ”」「《イドメネオ》より“私には言葉では言えません”」と、1曲だけサリエリで「《嫉妬の学校》より“既に私のため息が”」。このコンサートは、ソプラノ歌手の中嶋彰子さんの進行で進められました。中嶋さんは、ウィーン在住で、モーツァルトの住んでいた家で唯一現存しているものを博物館に転用した「モーツァルトハウス」でミュージック・アドバイザーを務めてられるとか。その関係でか、ピアノのニルス・ムースやテノールのライナー・トロストだけではなく、同ハウスの館長ゲルハルト・ヴィテック氏に、モーツァルト研究家のルドルフ・アンガーミュラー氏もお話をされました。軽いレクチャー・コンサートの雰囲気でした。同ハウスには、地下のワイン・セラーを改造して、小さなコンサートができるようにしていると言われてましたので、ひょっとしたら、今日のコンサートのような雰囲気で、コンサートが行われているのかもしれません。ウィーンへ行く機会があれば、覗いてみなければならないところができました。とにかく「フリーメーソンのための音楽」と名づけられた3曲を、生で聴ける機会は、そうはありませんから、解説も印象に残っています。但し、現在のオーストリア国歌の元曲になっている「K.623a」となっている曲は、モーツァルトの曲ではないとされているそうです。「K.468」は、フリーメーソンの誰しもが歌えるように、伴奏のピアノに、必ずメロディ・ラインが出ていたのに対し、「K.619」の方は、プロ用ということで、そうではありませんでした。こないなことは、言われてみて初めて気の行くところ。ちょっとしたレクチャーが入ることの利点です。モーツァルト以外では、1曲だけ、サリエリの曲が演奏されました。プログラムに載ってるのとは違う曲が、実は演奏されたのですが、ピアノ伴奏をされたニルス・ムースさんが発掘された曲とかで、楽譜も出版されていないそうで、中嶋さんも、ニルス・ムースさん手書きの楽譜を見ながらの歌唱。こういったコンサートって、演奏の質とか好みなどを楽しむのとは趣を異にした楽しみがあります。最後は、今日のテーマから外れて、モーツァルトのオペラから2曲。アンコールは、フリーメーソンいっぱいの「魔笛」から、パパゲーノとタミーナのデュエットでした。ライナー・トロストさんはテノールなんだけど、パパゲーノを歌ってくれました。



2014年11月 1日(土)午後 11時 56分

 今日から、今シーズンの「メト・ライブビューイング」が始まりました。先日の、「ロイヤル・オペラ」に次いで開幕となれば、いよいよオペラ・シーズンも本格化します。黄紺も、昨日発売開始の歌劇場のチケットをゲット。今年の大晦日から元旦にかけての居場所が、これで確定しました。あと2日分がまだで、今日、その内の1枚ゲットで、あとはもう1ヶ月待たねばなりません。で、今日の「メト・ライブビューイング」は、実は、来週の金曜日に行く手はずをしていたのですが、その日があやしくなったので、今日の動楽亭昼席に行くのをやめて、昨夜、急遽変更しました。開幕の演目は「マクベス」。いよいよヴェルディ進出のネトレプコが、昨シーズンのザルツブルクやベルリンで手掛けた「イル・トロヴァトーレ」に次いで選んだのが、この「マクベス」のはずです。できるだけベルカント的歌唱が活かせそうな演目を選んでいるのが、よく判ります。このプロダクションは、メトロポリタンならではの豪華な顔ぶれ。タイトル・ロールがルチッチ、そして、ヴァンコーにルネ・パペ。このセレクトにはびっくりです。なんせ、ヴァンコーは、途中で殺されてしまい、このオペラの後半には出番がないのです。ただ、このプロダクションでは、ヴァンコーの亡霊を出し、出番を作ってはいましたが、もとより歌う箇所はありません。黄紺などは、ルネ・パペの名前が出てるだけで飛び付いてしまうだろうビッグネーム、それを、主役ではない役に当てるのですから、メトロポリタンの贅沢編成にも呆れてしまいますから。マクダフを歌ったジョセフ・カレーヤも、黄紺は知らない歌手なんですが、MCのラチヴェリシュヴィリの言い方を聞いていると、かなり著名な歌手のよう。こちらも贅沢編成の一つのようでした。そして、指揮は、今、一番いいんじゃないかと思うファビオ・ルイージ。ダイナミックな音楽作りは、このオペラでも発揮してくれ、こちらも贅を尽くしたセレクトです。これだけ顔が揃っても、ネトレプコが目立ちます。まず、今まで歌ってこなかったジャンルの曲に、見事に取り組んでいます。ついこないだまで、若い女性を歌っていたのが信じられない力強い歌唱に驚くばかりです。年齢的にきつくなってきての転向でしょうが、およそ、そのようなことを連想させないもの。それに加えて、ネトレプコと言えば、役になりきる素晴らしい素質を持っています。狂乱の場のみならず、怖じ気づくマクベスを叱咤する気合いの入った演技と言い、この調子で、ヴェルディ作品の重たい役に、どんどんと挑んでいってほしいものです。ルチッチもはまり役。歌唱のみならず、やはりこの人は、顔がものを言います。インタビューで、ヴェルディ・バリトンとして、15の役がレパートリーだと言ってました。リゴレットやマクベス、ナブッコはいけるでしょうが、15も持ってるのだったり、ロドリーゴも入ってるのかと考えてしまいました。装置は、大道具は、さほど使わず、簡易な道具、木立程度のものと、ホリゾンドに映されるCGで対応中心のものでした。場面転換を考えてのことでしょう。このオペラを、久しぶりに観て、これはコーラスが大変です。魔女、宮廷の貴族、難民なんかを演じ歌わねばなりません。ただ、そういった歌手やコーラスの動きで見せるというプロダクションではなく、やはりスター・システムで揃った歌手ばかりが、強く印象に残ったなというのが、この公演でした。ところで、この「メト・ライブビューイング」の入場を待っていると、福井にいるはずの高校時代の友人に声をかけられ、びっくり。大阪で、何ヵ月か前に起こったことの再現です。今日は、このためにだけ、昨日仕事が終わってから、夜10時に京都入りしたとか。せっかくですので、オペラの終了後、お茶をしながら、主にオペラ談義。コヴェントガーデンのライブビューイングの日程などを仕入れて帰りましたから、またぞろ、どこかで会いそうです。
 高校時代の友人と別れると、大阪へ移動。夜の予定を考えて、いつもの千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は、歩いて「imdipendent-1」に移動。「月曜劇団」の久しぶりの公演「ちゃんとしてる沼」に行ってまいりました。「月曜劇団」は、以前に1度だけ観たことがあるのですが、あまりいい印象が残ってないのですが、こちらの2枚看板の代表兼座付作者(西川さやか)と演出(上原日呂)は、関西小劇場界では、よく見かける顔なため、今回、久しぶりの公演ということもあり、覗いてみたのですが、やはり前回同様の印象。またしてもハチャメチャな展開になってしまい、どうしても台本の弱さを感じてしまいました。テーマは、いろんな人がいて、いろんな考え方、感じ方をする人がいるのだという、よく言われるテーマであることは判ったのですが、よくあるテーマだけに、それを伝える方法が問われ、且つ、その方法として架空の世界を創り上げたのなら、全てのプロットが有機的に絡まっていないと、おもしろくないという芝居を創るときの公理のようなものにほころびが出ると、かなり目を当てられない状態になってしまうと思っています。この芝居でも、人間とは似ているのだが、微妙に違う存在として「沼人」という架空の存在を登場させるのですが、それが何なのかを語りきってはいないし、「沼人」取締り官を登場させても、なぜ取締っているのかとか、その必要性が語られたとは思えませんでした。その辺のでっちあげが十分だったとは言えませんでした。終盤はハチャメチャ。追いかける側と追いかけられる側が混乱したり、正体の判らないヒールが出てきたりと、ちょっと引いてしまいました。仕込みがされていたと思って聞いていると、バラシが消えてしまったり、バラシになってなかったり、そないな感じでしたが、ひょっとしたら、そのようなハチャメチャな混乱を狙った作品かもしれないなとは思っています。



2014年11月 1日(土)午前 5時 7分

  京都市内遊歩(77)

 昨日から、自分的4連休が始まりました。つい数日前まで、5連休だと思っていたら、来週の火曜日が非勤務日にも拘わらず、仕事が入ってたことに気がつき、1日減ってしまい、大慌てをしてしまいました。幸い、旅行の予定を入れていなくて、正解でした。で、昨日はウォーキングをしておかないと、あとは雨のようなので、絶対するにはいいスケジュール。夜の「カフェモンタージュ」以外に、何も入るってなかったので、ゆったりとウォーキングをすることができました。そのコースは、次のようなものでした。京阪「東福寺」駅〜瀧尾神社〜泉湯〜京都本町郵便局・京都市立東山小中学校〜JR「とうかい98」橋梁〜塩小路橋〜京都駅〜伏見稲荷大社御旅所〜京都みなみ会館〜比永城公園〜京都市立九条塔南小学校〜南青少年活動センター〜京都市市民防災センター〜上調子児童公園〜京都上鳥羽郵便局〜京都市立上鳥羽小学校〜恋塚浄禅寺〜鳥羽大橋〜城南宮〜竹田児童公園〜近鉄「伏見」駅。わりかし似たコースを、何度か歩いています。ですから、変化をつけながら歩いているつもりでも、すぐに戻ってしまうということが続きます。それを繰り返していたのですが、上鳥羽小学校の前の道を、かなり真っ直ぐに南方向に歩いたところ、鳥羽大橋のたもとに出たときに、とんだ方向音痴を発揮してしまいました。真逆の方向に、鳥羽大橋が現れたときには、正直びっくりしました。その鳥羽大橋を渡ったところで、残りの時間30分を紀っていたので、「藤森」駅か「伏見」駅かで迷ったところ、「伏見」駅の近くで行かねばならなかったところがあったことを思い出し、そちらをチョイスしました。そしたら余裕で到着でき、大正解でした。
 夜は「カフェモンタージュ」で、「関西弦楽四重奏団」の演奏を聴いてまいりました。ヴァイオリンは、京響の田村安祐美と大阪響の林七奈、ヴィオラは京響の小峰航一、そして、チェロは上森祥平という好メンバーが揃いました。演奏された曲目は、モーツァルトの14番「春」とバルトークの3番でした。ヴァイオリンは、モーツァルトが田村さんが、バルトークは林さんが、第一ヴァイオリンを務められました。田村さんは、以前、カフェモンタージュのコンサートで聴いたとき、透明感のある音色で、モーツァルトのような曲には合っているのではと、期待していたのですが、なんか、最初、不安定で伸びが足りず、「こないだとえらく違うんだ」と思ってしまってました。特に「春」の1楽章と2楽章は、第一ヴァイオリンは、コンチェルトのソロみたいな役割をするものですから、えらく気になったものでした。だけど3楽章から、アンサンブルに調和と厚みが出てきたため、気になっていたことは吹っ飛んでしまいました。「春」では、チェロの的確なリズムが、とても心地よく、この演奏一番の貢献。内声部もしっかりしてました。一方のバルトーク、緊張感、様々な音色の試みが素晴らしく、いいもの聴かせてもらいました。演奏会で、何度かバルトークの弦楽四重奏曲を聴いたことはありますが、あの至近距離で聴くバルトークは半端ではありませんでした。カフェモンタージュのコンサートで、黄紺が聴いた中では、一番の喝采を浴びていました。



2014年10月31日(金)午前 7時 7分

 やはり日に日に疲労のたまり方がひどくなってきています。一昨夜のコンサートも、かなりきついなか行ったということになります。少なくとも水曜日は、もう夜遊びは控えた方がいいですね。翌日が仕事ですから、寝不足で、一日中、眠たいんだなぁ。てなわけで、それが、木曜日の夜遊びを、快適なものにはしなくなるというパターンです。よっこいしょと重たい腰をあげるようなお出かけになっちゃいました。お出かけ先は繁昌亭。昨晩は「創作落語の会がありました」。その番組は、次のようになりました。三語「ぴえろ」、そうば「必殺仕分人」、鶴瓶「chinge」、(中入り)、あさ吉「夢組」、文枝「優しい言葉」。「ぴえろ」は、家の近くにやってきたサーカスが気になり、様子を見に行った少年が、ぴえろを名乗る男に出会い、親しみを感じ、翌日サーカスを見に行ったのだが、件の男はぴえろではなく、他の仕事をしている人だと判り、、、あとの処理が物足りなかったな。「必殺仕分人」「chinge」は、存在は知ってはいたのですが、聴いたのは初めてとなります。「必殺仕分人」は、サラリーマンが、後輩を誘い自宅で呑み直そうとするのだが、家族の姿が見当たらない。この時点で、家族の物語なのかと思ったら、これは下げの伏線。噺の中心は、呑み直した二人の会話。世の中にあっていいものとそうではないものの仕分けが続きます。これが、わりかしセンスが良く、受けもなかなかのもの。そうばのサラリーマン時代の経験が生きていると言えそうな作品。「chinge」は、鶴瓶の話を聞いたくまざわあかねさんが、落語に仕立てたものだそうです。chingeというあだ名を持つ鶴瓶の昔の友人と鶴瓶の偶然の再会を描いたものですが、その友人が、家族に鶴瓶のサインを求めていたという仕込みがされていて、再会後、その仕込みが下げに繋がるという構成。chingeという変なあだ名が、下げに生きていきます。「夢組」は、確か2度目の遭遇。夢を持った生徒ばかりが集まったクラスの授業風景を描きます。その夢というのが、歌舞伎役者であったり、女優であったりして、そのなりきり気分で、先生に応対するというのが聴かせどころ。前に聴いたときに比べ、あさ吉は、照れのようなものを押さていた分、良くなったんじゃないでしょうか。登場人物も豊かになったんじゃないかな。そして文枝。今日は小さめの噺。夫婦でケンカばかりしている喫茶店主。妻の応対を愚痴るために、近くの呑み屋に来ています。そこで、呑み屋の主人から「優しい言葉」をかけることを勧められるのが前半から半ばまで。後半は、教えられたことを実践するバラしのパートとなります。夫婦関のやり取りのおかしさが中心の噺でした。



2014年10月29日(水)午後11時 12分

 一挙に、昨日の夕方から気温が下がりました。ちょっとした厚着で出勤。帰りしなは、さほど気温は下がらず助かりました。夜遊びは、「いずみホール」へ。音楽関係が4日連続となりました。今日は、昨年結成された「関西フィル合唱団」の演奏会。大好きな「ロ短調ミサ(J.S.Bach)」が出るというので、だいぶと前に、チケットを買ってありました。関西フィル合唱団は、今まで、関西フィルの定期演奏会で披露された「ドイツ・レクイエム」と「ドボルザークのレクイエム」とを聴いています。別段、その2つの演奏会を聴いて、行きたくなったということではありません。男女バランスが悪く、いくら男声が頑張っても、数の違いはいかんともしがたいという印象と、数の少ない男声は、わりかしかなりの経験者が多いような発声をされるのに対し、女声、なかでもソプラノは有象無象が集まっているという印象でした。で、今日はどうだったかというと、その印象が良くない方に、ことごとく深化したなの印象でした。男声の落ち込みが著しく、ソプラノの音程の不安定さ、発声に、前2回の残像をみて、覇気のないというか、パワー自体が乏しいアルトとなると、かなりしんどい演奏会となりました。まだフォルテの部分は、迫力で惑わされ、細かなところは気にならないのですが、ピアノになると、根本的な発声に問題があるのではないかと思ってしまいました。ソリストは、出番の少ないテノールの畑儀文(指揮兼任)が、やはり頭抜けて良く、ソフトで、でも言葉の明瞭な歌唱は、レベルが違い過ぎました。来年の関西フィルの定期では、待望のメンデルスゾーンのオラトリオが演奏されるのですが、正直、ちょっと気がそがれてしまいました。黄紺が、メンデルスゾーンのオラトリオで、そういった考え方をするというのは、たいがいだからです。なお、残りの3人のソリストは「ソプラノ:富山みずえ、アルト:福永圭子、バス:篠部信宏」でした。そして、オケは、もちろん関西フィルのピックアップ・メンバーでした。



2014年10月28日(火)

  京都市内遊歩(76)

 今日は非勤務日だったので、自宅で、午前中、パソコンをいじっていてびっくり。なんの気なしに、「ロイヤル・オペラ ライブ」で検索すると、ヒットしたのが今夜の上映予定。今夜は、南海さんの会がある日だったので、かなり迷ったのですが、なんせ「二人のフォスカリ」というのに負けてしまいました。ということで、既に考えていた行動予定を急遽変更。一日中、京都を出ない一日となりました。ウォーキングも、従って京都市内で実施。そのコースは、次のようになりました。近鉄「伏見」駅〜京都市藤森竹田児童館〜京都市立竹田小学校〜近鉄&地下鉄「竹田」駅〜内畑児童公園〜イタリア料理店「アルフォルノ」〜小枝橋〜上河原橋〜久我橋東詰〜桂川左岸〜久我橋東詰〜京川橋〜高瀬橋〜京都市改進保育所〜京阪「墨染」駅。このコースは、完全な失敗の巻。久我橋まで行ったのは良かったのですが、橋を渡らないで、桂川の左岸を歩いてみようと考えたのがダメでした。なかなか橋がない。次第に外環状道路が近づいてきます。そこまで行けば橋があるだろうの予測で、更に足を進めたのですが、天神川なのか、既に天神川と合流を済ませた鴨川なのかは知らないのですが、とにかく桂川左岸は、合流点に向かっただけで行き止まりになってしまってたのです。確かに、その先には「三栖」という地名がありますから、それは、この合流点を指していたのだと、変なところで感心。久我橋からは、片道15分ちょいかかりますから、久我橋に戻った時点で、ジャスト30分。以前、ここから「丹波橋」駅に向かい、時間超過したことがあったのを思い出し、「墨染」駅に向かったのですが、こちらも30分では無理でした。5分も超えなかったのですが、あすこからは京阪沿線までは、30分では無理ということです。しかしもって悔しさだけが残るウォーキングとなったものです。
 ウォーキングが終わると、今日は、自宅で静養。ウォーキングで焦り、かなり頑張って歩いたからでしょうね。軽く居眠りをしてしまいました。そして、夜は、件の「コベントガーデン」で、昨日上演されたばかりのの「二人のフォスカリ」を、「京都駅」前の「Tジョイ」で観てまいりました。「コベントガーデン」では20年ぶりの上演だそうです。上演が希なヴェルディ初期の作品群に属するもので、なかなかヘビーな内容なため、頻繁に観てみたいとは思わないのですが、ここまでレアにしていいとは思わない作品です。ちなみに、黄紺も、生では観ていない作品です。MCの人のアナウンスなんかから判断すると、今回の上演は、プラシード・ドミンゴのバリトンへの転向に伴うもののようです。声質的には、決してバリトンのそれではないのですが、テノールとしては、年齢的にきつくなってきてしまってますから、近年は、バリトンの大役を歌い出して、黄紺の知る限りでは3つ目になります。ミラノ、コベントガーデン、メトロポリタンで歌った「シモン・ボッカネグラ」のタイトルロール、ザルツブルク、ベルリンで歌った「イル・トロヴァトーレ」のルナ伯爵に次ぐものです。ベルリンのルナ伯爵がDVDになっていますので、買い求めて視聴したところなんですが、指揮のバレンボイムが困ったんじゃないかなという出来栄だったので、ちょっと心配だったのですが、今回は大丈夫でした。ま、90歳という役柄ですから、ルナ伯爵の小気味良いテンポに晒される心配はありませんからね。だけど、このオペラは暗い。息子のフォスカリ(フランチェスコ・メーリ)など、最初から囚われの身。拷問を受け、流刑になってしまう。こないな惨めなテノールってないんじゃないかな。その妻ルクレツィア(マリア・アグレスタ)の気の強さ、頑張りは尋常ではありません。こないなところに、キャラ作りに浅薄な感じがしないわけではありません。問題は、ヴォネチア総督のパパ・フォスカリが、公的立場から法の順守、私的立場からは息子を救いたい、こうした公私の板挟み。解決の先が見えない問題が突きつけられたうえ、最後には、問題設定すら意味のなかったことが判るのだが、そのときには、息子は亡くなっており、パパ・フォスカリが守ろうとした法も、誤った事実からの適用だったことが明かされ、更に、総督の地位からも放逐されるという、明るいところなど、探しても見つけようもない暗さ。このプロダクションでは、ラスト、絶望のあまり、ルクレツィアは息子に手をかけるという演出となっていました。演出的には、とってもヴォネチアを意識したものになっていました。水の都を表す木橋や、カーニバルの風景にこだわりを見ることができました。フランチェスコ・メーリとマリア・アグレスタの実力は、もっと違ったキャラを観てみたいなと思いました。このオペラのキャラは、あまりに狭いように思えるものですから。



2014年10月27日(月)

朝方まで暖かなお天気が、昼頃から曇り出すとともに、どんどんと冷えだしました。夜遊びも厳しくなってきています。今日、「カフェ・モンタージュ」で室内楽を聴いて帰る日。「三人の交響楽」と名付けられ、今夜は、ブラームスのピアノ・トリオの2番と3番の2曲が演奏されました。演奏者は、ピアノが塩見亮、ヴァイオリンが佐藤一紀、チェロが上森祥平といった3人でした。演奏の順番は、書かれた順ではなく、3番が先に演奏されました。終わり方とか、曲の有名度を考慮したとの説明が、毎度の如く、カフェのオーナー氏から説明がありました。演奏は、明らかにと言っていいほど、あとに演奏された3番に軍配を上げたいと思います。一つには、練習を積んでも、客が入ると、アンサンブルの具合や個々のパワーの具合など、演奏者のイメージは、どうしても勝手が狂ってきて、本当でしょう。ましてや、今日は、せっかくのブラームスのピアノ・トリオだからと、予習をしていきました。偶然なのですが、CDを探していると、容易く3番を、ギーゼキングらが弾いたものが見つかったもので、それを聴いていったもので、黄紺に、ちょっとしたイメージが植え付けられてしまってました。塩見さんのピアノが、鍵盤の下には、鉛の塊でも付けられているように聴こえてしまったのです。上森さんのチェロは、おまけにガンガンと弾きまくるタイプではありませんし、結果的にパワー不足気味、佐藤さんは、先日の「浄夜」でも目立ったように、とっても繊細な音が持ち味の方。そのために、やはりパワー的には弱いのです。そうしたところへ、鉛付きの鍵盤でやられたものですから、ホント、アインザッツでびっくりというところです。今日は、慣れに、わりかし時間を要したと思います。もちろん、演奏者の皆さんの修正もあったと思います。でもね、上森さんのチェロには、最後までなじめませんでした。「浄夜」のときも気になっていたことです。「カフェ・モンタージュ」に行くようになる前から、そのお名前を知っていたのですが、なかなかなじめないのが、チェロの音色なんです。でも、2番は、終盤にかけて良かったなぁ。やはり、2番は、後回しで正解でした。




2014年10月26日(日)

 今日は、3週連続の「兵庫県立芸術文化センター」詣での3週目。2週間前は、台風のさかな「ポッペイアの戴冠」を観たものでした。この冬、オペラ紀行の中で、、その「ポッペイア」を観ることもあり、万難を排して行ったものでした。そして、今日もオペラ。「関西二期会」の公演「トン・カルロス」を観る日だったのです。「異端審問の場」という大層な場を含んでいるため、それ相応の覚悟がないと、上演が難しいというヴェルディの最高傑作(と黄紺は思っている)。今まで、日本では観たことはなく、メンヘングラートバッハで、1度だけ観たことのある作品。歌手陣も大変で、ドン・カルロス(松本薫平)、エリザベッタ(平野雅世)という主役2人に加え、メゾの大役エボリ公妃(西村薫)、ウルトラ級バスが2人もいる(フィリッポ2世(セルゲイ・ウズン)、異端審問官(フルヴィオ・ヴァレンティ))、ヴェルディ・バリトンのロドリーゴ(晴雅彦)、これだけの一級の歌手を揃えねばなりません。合唱も多様だし、コーラスの人だけでは無理なので、異端審問の場では、エキストラを用意しなければならずと、簡単に上演ができるものではないということで、西宮で行ってまいりました。しかし、「ドン・カルロス」となると、やはり歌手も大変。たとえ声が出ても、らしい声でなければ興醒めとなります。個性の強い登場人物ばかりですから、キャラ作りも簡単にできるわけがありません。パワー的には、エボリ公妃があったのかもしれませんが、華やかさと同時に陰のある女ですから、そんなに簡単にこなせるものではありません。ドン・カルロスが、黄紺的には、一番気には入ったのですが、ドン・カルロスの声じゃないな、甘すぎます。エリザベッタは、金属音的な声質が混じり、ちょっと聴き苦しさがありませんねぇした。ロドリーゴは、声にムラがあり、鍛えた声なのかなと思ってしまいました。主役級では一番のれない声でした。フィリッポ2世は、低音が不安定なのと、もう少しパワーが欲しかったな。異端審問官は90歳じゃありませんでしたと、文句ばっか書いています。演出(デ・ルチア)も、人を動かさないのです。動かすことはよろしくないとまで思ってるんじゃないかとすら思いました。これじゃ能楽だと、しかも宝生の能だと、休み時間に、一人で呟いていました。異端審問の場も、群集を2箇所に分け、固定したまま。途中、時間埋めの関係もあるのか、人を増やすということをしたのですが、同じルートを交互に歩かせるだけという具合で、群集がいるということが判れば良しで、これだけおれば、叫んだり動き回るのもおるだろうから、勝手に想像しなという感じなのかなと思ってしまいました。その他の場面でも、総じて動きは少なく、また小さくというスタンスが貫かれていました。最初は、古すぎると思っていたのですが、異端審問の場にきて、これは尋常じゃないと思い始め、そないなことなのかなぁと考えてみました。装置は、土手のような高めの台と階段の組合せが基本で、フィリッポ2世の部屋のときは、土手と階段を隠し、調度品を置き、あとは照明だけで部屋になっていましたし、ドン・カルロスが囚われている牢屋も、照明だけで、それと判るような工夫がなされていました。オケは、ダニエーレ・アジマン指揮の関西フィル。先日、びわこで観たときの日本センチュリーとえらく違い、生気のない演奏でした。来年は、関西二期会では、「アンドレア・シェニエ」を出すそうです。大丈夫かなぁ。




2014年10月25日(土)

昨日、午前中出勤の日。毎週末の3連休が崩れるときついものがあります。朝、二度寝ができないため、どうしても寝不足になります。今日も、その典型例の一日。でも勤務時間が終わると、すぐに「谷町九丁目」駅近くの「大倫寺」へ。今日の午後は、こちらで「第4回紫雲の会〜むらさき落語勉強会」がありました。その番組は、次のようなものでした。華紋「道具屋」、紫「金明竹」、小鯛「竹の水仙」、(中入り)、紫「皿屋敷」。この会は、紫の芸術祭参加をうたったもの。それだからでしょうか、前座、ゲストが、紫とよく似た世代の噺家さんの中のスーパーな実力を持つお二人。華紋の達者さは、初めて遭遇したときに、目ん玉をひんむかれた驚きがありました。年季明け早々に、繁昌亭で出番をもらった逸材。学生時代、関学の落研で学生チャンピオンになった人と、紫はパンフレットに書いていました。掛け合いの間などは、聴いていて、初めて聴いたときの一之輔を思い出してしまいました。小鯛も逸材であるのは、好事家が認めるところ。しかし、昨日の「竹の水仙」は、今までの見方を突き抜けてしまうような一層スーパーな出来栄えでした。ここぞと入れ込んでくるタイミング、そのときのエネルギー、全体の疾走感、それらに圧倒されました。今までも、大した若手と思っていた小鯛が、数段も一挙にステップアップしたように思えました。若いっていいなと思わせられた口演でした。会主の紫の「金明竹」で、昨日はダウン。どこで、これが起きるかは別にして、どこかで起こるというのは折り込み済みでしたから、諦めるもつくというものです。そして、メーンは「皿屋敷」。大師匠の五郎兵衛が残した昭和50年の口演に感動して、自分もやってみたくなったという解説が入りました。その言い方を聞いていると、五郎兵衛が手がけた怪談噺を、自分もやってみたいという意向のように聞こえました。紫は、男仕様の落語というものを、その仕様のまま演じることのできる可能性を持つ、恐らく上方落語界始まって以来の逸材と思っています。ですから、今後、そういった意思を持っているなら、新たな楽しみが増えました。ただ、昨日の「皿屋敷」は、ちょっと荒さが出てしまったなの印象。特に終盤の噺が明るくなるところ、気負いがあったのかなぁ、はしゃぎ過ぎたなの印象。前半のおやっさんの話も、紫の魅力である低音を響かせきらなかったのと、若い衆が集まり騒ぐところも、過剰になり、声が割れたりと、ちょっと興醒めでしたね。照明も巧みに使い、効果をあげようと考えていたのでしょうが、照明を落としているときに、過剰な物言いになるとアンバランスですね。ということで、捲土重来に期待しましょう。  落語会が終わると、歩いて千日前へ移動。いつものネットカフェで時間調整。そして、夜は、「恵美須町」まで歩き、「in→dependent theatre 1st」であった「時間堂」の公演「衝突と分裂、あるいは融合」を観てまいりました。「時間堂」は東京の劇団。以前、一度、東京だか大阪だかで観たことはあるのですが、芝居内容については、全く覚えていないのですが、出演なさっていた役者さんは、よく覚えているのです。昨日の芝居も、原発問題を扱ったもの。2日連続となってしまいました。話の構成は、年老いた老学者の振り返りというもの。1963年、創成期の原発に携わる研究者たち。些細な個人的ないさかいから、大事故を発生させてしまいます。その自体収拾のためにした操作の結果、放射能を大気圏内に放出してしまいます。その事態についての報告を、どのようにするか、それを、話し合う研究者たち。視察に訪れた議員や、原発啓発の芝居製作をする教師も、それに加わり、エネルギー問題も含めて、原発問題についての議論が戦わされる。隠蔽に動く流れに、理想を求めて、核融合の研究を続けることを宣言したのが、件の老学者の若いときの姿だということが判ってくる。その爺さんが、社会的に、どのような扱いを受けていたのかが、観ていて判らなかったのが、と言っても、それは黄紺だけかもしれないのですが、急にこの辺りになり解りにくくなりました。人為的ミス、隠蔽体質といった過去の日本の原発問題を、戯画化して芝居にしてくれました。この公演は、各地を巡演するもの。そして、その地の役者を起用するというもの。件の爺さんだけは、大阪の役者を使うという試み。問題を、東北に限定しないということだと、座付作者さんは言ってました。なかなか豊富な言葉の台本に達者な男優さんが印象に残る劇団です。





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