忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。





2001年12月12日(水)午前 4時30分

 先週の金曜日の午後から、出張で、東京に行って来た。だいたい、東京へ出張というと、空いた時間を徹底活用しようと、しゃかりきになって動き回る。拠点は、黄紺にとって思い入れ深い目黒だ。要するに見れるだけの芝居だの、美術館通いとか、もちろん寄席通いとかをやりまくるのである。今回は、金曜日と土曜日の夜、そして日曜日の昼間と時間を確保した。そして作ったプラン、及び+αはと言えば、次のように結果的になった。まず、金曜日の夜、池袋のサンシャイン劇場で、キャラメル・ボックスの芝居を見た。キャラメル・ボックスも、考えてみれば久し振りだが、サンシャイン劇場は、もう一つ久し振りだ。確か、この前、ここで芝居を見たのが、山崎正和の「世阿弥」だったと記憶する。恐らく1人では見ない芝居を、友人と一緒に見た記憶がある。もう、かれこれ15年は前だろう。それにつけても、キャラメル・ボックスもメジャーになったものだ。これだけのキャパのあるところで、ロングランを打てるようになったのだから。新宿のキャパが150くらいのところでやっていた頃が、誠に懐かしい。でも、芝居のスタンスは、変わらない。いつ行っても、安心して水準を保つ、楽しい舞台を見せてくれる。成井豊の筆力に脱帽である。芝居好きの職場の同僚たちは、さすがキャラメル・ボックスは知っており、見て来れたことを、ちょっと自慢の黄紺なのでありまする。
 土曜日は、朝1番から、夕方まで仕事。但し、これは、期待外れ、はっきり言って。だから、ますます、アフター5に精を出す黄紺なのであったのですが、その土曜日の夜のターゲットは、池袋演芸場。寄席好きの黄紺だが、また東京在住経験のある黄紺だが、この寄席に足を踏み入れたのは、初めてである。で、今回、別に池袋づいてるわけではないけれど、ここへ行ったのは、喝采を上げたい企画を、池袋演芸場が立てたからであった。そもそも最近の寄席は、主任といえども、持ち時間は、せいぜい20分がところが、いいところ。それを、12月上席10日間、主任の柳家さん喬が、連日、演目を替えて長講(目途は1時間)ネタをかけるというのである。企画もすごいが、それに乗ったさん喬が、1番凄い。ネタの確認だけでも、大変なことと思う。客席には、これをお目当てに、毎日通ってる客もいるようで、更に土曜日ということもあり、満席。マクラを聞いて、ドキドキしながら演目を探ろうとしていると、さん喬の方から、「そのような方もいらっしゃいますでしょうが、今日は、柳田格之進です」とあっさり告白。でも、黄紺は、お腹のなかで、ガッツ・ポーズ。しみじみと、萬屋と柳田格之進、双方が、“生涯の友と決められたそうです”と、語りの部分で言うさん喬の言葉に、胸がぐっと来て、この噺は、決して悲劇には終わらないぞと確信を持たしてもらいました。いい出来だった、いい噺だった、そして黄紺の至福のひとときだった。
 日曜日は、まず、朝1番に、東京庭園美術館の噂の「カラヴァッジオ展」。白金迎賓館が、知らない間に東京庭園美術館に変わっていた。1年間、バスの車窓から眺め続けた風景が、行かねばならないところだとは、行くまで分からなかった。黄紺の好きなカラヴァッジオをテーマにした美術展が、日本で開催され、また、多くの人が足を運ぶ。これは、誠に嬉しい限り。ただ、今回来ているカラヴァッジオは、正直言って、もっといいのあるんじゃない?というところか。アシジのフランチェスコだけが、唯一目を止めたものか。でも、カラヴァッジオと銘打った展覧会があるだけで。それが終わると、調布に向かい、東京スタジアムでの「FC東京 vs 横浜FC」戦の観戦。天皇杯の試合である。柏にも気が向いたのだが、やっぱ、ここは東京スタジアムでの試合ということで、こちらを選びました。おかげで、懐かしい八幡山も通過していけました。でも、いいスタジアムですね。観客席が、全て同じ高さまであるというのは、日本じゃ、ここだけじゃないのかな? 歓声の渦巻き方が、全然違う。なんか、その雰囲気味わうために行ったみたい。途中で、ビール飲んで、こっくりしてて、目が開いた途端、FC東京が、決勝点入れてました。
 それが終わると、京王線、JR戦を乗り継いで、東京駅へ直行。あの古い駅舎にステーション・ギャラリーなんてものが、できてるんですね。そこでは、「シエナ美術展」。シエナ縁の作家ばかり集めた美術展。イタリア年がらみの企画か、こんなものまで、東京じゃ見れるんだーというのりで、急遽追加で行ってきました。作家名は忘れたが、マニエリスムに分類しなきゃならないピエタ画に感動。シエナの有名な競馬を初めとしたマルクト広場(すみません、ドイツ風言い方で)の風景画も、シエナの雰囲気味わえて、グーだったっす。もう、ここから出ると、残り僅か、時間が。これまた、久し振りに、東京駅から銀座まで歩きました。そしたら、銀座1丁目に消えたはずの、思い出たっぷりのレストランが復活していた。でも、完全今風。30年前に、一昔、いや二昔前と感じた雰囲気ではなかったので、入るのを止めました。帰りの新幹線で、酒をあおって、熟睡。よく寝たぞと思ったけど、週明けは、仕事にならないよ、、、しんどい、遊び疲れ。




2001年12月 6日(木)午前 4時42分

 12月4日、この日、キプロスで思いがけないことが起こった。この日は、北キプロス大統領デンクタシュとキプロス大統領クレリデスが、直接会談をする日。これは、前から決まっていた。その場で、仲介役の国連のアルヴァロ・デ・ソトに対し、デンクタシュが、「(あんたとの食事会に)良かったら、クレリデスを連れてきて、くれへん」と言ったところ、横で聞いていたクレリデスが、「おい、まじかよ」と応じ、デンクタシュが「そうさ」と応えたということだ。で、今から1〜2時間前に、その食事会が終わったというのである。これで、クレリデスが、26年ぶりに、北に入ったというのである。思いがけないと思ったのは、このニュースを聞いた我々であって、この話は、誰かがセットしたのかもしれない。セットしたのなら、デ・ソトだろうが、よりによって北でやったということが、ニュース性抜群である。逆はおもしろくない。劇場的効果満点の手法だ。どうせ、会うだけなんだろ、なんて思っていた黄紺にとっては、とってもインパクトがあった。先程のやりとりだけど、通訳を介しないで、ぱっぱと進んだ方が、演出度は増す。また、それが可能な2人だからと、このニュ−スを聞いたものは思うから、余計に効果があるのだ。だって、この2人は、ケンブリッジかオックスフォードの同窓で同期だもの。
 そんなこんなで、キプロスに、黄紺の目は、この間釘付けである。グリーン・ラインを3度越えてから、もうじき1年がやってくる。あまりにもリゾートしている南から行くと北は、やぼったい。時計の針が戻ったというよりか、やぼったいのだ。新しい町づくりがされているところの方が、かえって違いが際だつ。そんな違いのあるところに入っていったクレリデスの目に、北は、どのように映ったであろうか。勝利を感じたのか、空虚さが残ったのか? 南の玄関ラルナカからレフコシャまで、サービス・タクシーで1時間。そのレフコシャから、北の玄関ギルネまで、ドルムシュで30分。こんな小さな島で、戦争があり、多くの行方不明者が出たままになっている。北のレフコシャの南の端に立てば、北では見られない垢抜けた町の喧噪が聞こえてくる。壁の向こうから。その間は、27年前の市街戦のまんま。本当に、EU加盟がプレッシャーになって、和解が進むのか。何度裏切られてきたか分からない交渉が、また緒についた。同窓・同期のこの2人の時代に、和解が進まなければ、もう無理とまでいわれたキプロス。2人の握手する写真を見ると、2人とも老いが避けられない。殊に、クレリデスの老けぶりが気になる。だから、レドラ・パレスを越えたのだろうか。「Ciddi misin ?」と、クレリデスは問い返したと、トルコの新聞には書いてあった。「ほんまに、まじ、なんだよね?」と、問い返してみたくなるのは、黄紺1人ではないだろう。




2001年12月 1日(土)午前 4時07分

 alem−fmで、「ガラタサライ vs イスタンブール・スポル」戦を聞きながら、これを書いている。アリ・サミ・エンからの生中継を、日本で聞きながらなんて、考えられないことが、今、インター・ネットなるものでできるのである。でも、この試合、おもろない。イスタンブール・スポルにレッド・カード、出まくり。今、後半に入ったところだが、アリフが、ヘディングで2点目を決めてしまった。実況中継をしているアナウンサーの背後から、サポーターたちの熱狂している声も、十二分に聞こえてきて、雰囲気満点である。今日は、アリフとセルカンのツートップである。ウミト・カランは出ていない。そう言えば、今日の新聞見ていたら、ベルカントが、ブルサ・スポルへの、今季末までのレンタル移籍に合意したという記事が載っていた。贅沢やなぁ、ガラタサライ。ベルカントまで、レンタルに出してしまうのだから。ところで試合だが、ハサン・シャーシュの名前よりか、ペレスの名前がよく出てくる。右サイドが起点になっている。それも、アイハンの名前よりか、ペレスの名前。ホント、ガラタサライの今季の成功は、地味目の補強が利いているというのが、正直なところだ。このフランス人、ケガ持ちだが、カポネ並みの活躍。ここでまた、点が入った。今度は、セルカンのゴールだ。セルカンも、2年前の得点王だもんね。サムスンから来て、サムスンのようにはいかないように見えてて、段々なじんできて、出るチャンスをもらうと、結果出すようになったもんな。これも、スーパー・サブ的地位は、完全に手に入れている。だから、ベルカントのレンタルも可能になり、替わりにブルサからムラトを獲得できるという構造。それから、ウルグアイ人のフレールクィンがいい。ボランチとして、更に、DFケガまみれのときには、ストッパーまでこなした。いや、ホントにこなした。ボランチには、スアトも控えているし、若いビュレント・アクンの成長を補うに十分である。そして目立たないのが、左のヴィクトリア。ハカン・ウンサルを休ませるに、本当に適度な役割を果たしている。特に、ケガづいているハカンだから、これは貴重なことである。アイハンの移籍も、この時期になって重要になってきている。なんか、測ったようにウミト・ダヴァラが、イタリアへ行ってしまった。最初、評価の低かった、ベシクタシュの立派なレギュラーが、ガラタサライでは評価が低かったのが、いつの間にか、先発メンバーに名を連ねるようになってきた。タイミングが良すぎる。そして、最後に控えるのが、セルゲンだろう。この問題男を、休ませながら、ルチェスクが巧みに使っている。そして、ポイントで、期待通りの活躍をするのだから、この人は、別格的存在。去年、エルズルムで見たぶよぶよのセルゲンとは、大違いだ。あーあ、ガラタサライ、金がないなんて言いながら、うまくはまる選手を見つけてきている。今度、ガジアンテップから、左のスペシャリスト、バティスタを獲得した。これは、ガラタサライで注目させて、高くヨーロッパのクラブに高く売りつける戦略か、それとも、ハサン・シャーシュやハカン・ウンサルを売るための布石か? なんか、こう書いてみると、ガラタサライの強い秘訣なんてものになってしまったわい。このガラタサライともう一騎打ち状態のフェネルバフチェ、2連覇に向けて、頑張って、よ〜〜。




2001年11月29日(木)午前 3時53分

 今回の韓国旅行で、初めて犬を食べた。前から狙っていて、店を見つけたときは、食事時ではなく、いざ食事時になると見つからずを繰り返していたのだが、まあ、その内に出会えるだろうと、いつしか気にしなくなっていたところ、今回、偶然が幸運を呼び込んだ。康津(カンジン)でのこと、前回から目を付けている、そしておいしかったという印象のある「コムタン」の看板の出ている店。その店の看板には、「羅州(ナジュ)コムタン」と出ている。その看板にそそられて入ったのが前回。そのとき、コムタンを食べに入りながら、それを食べようか、どうしようかとっても迷った記憶があった。でも、コムタンと何の選択に迷ったか、今回、この店に再訪問するまで、全く失念していた。で、行ってみて、「あっ」と絶句。そうなんです、ここに「ポシンタン」があったのでした。だから、迷いに迷って、初心貫徹、コムタンを食べたのが、前回だったのでした。
 出てくるまで、正直言って、初物なので不安だった。もし、自分の口に合わなかったら、どうしよう。なんて考えて待っていると、やって来ましたポシンタン。まず、第一印象は、韓国料理特有の煮込みなんだけど、今まで食べたことのある煮込みと違って、まず、お汁の上にたっぷり、ニラと薬草と思しき野菜が、千切り状態で乗っかっている。「うーん、噂に聞いてたけど、やはり臭みがあるのか。これは、手強いかも」、これが、初見の感想である。でも、食べてみると、全然、牛と変わった感じたところはない。まあ、マトンを食べても、全然変わったところがないじゃーん、なんて考えてる黄紺なので、一般人と感じ方は違うかもしれないが。でも、そうと分かると、食べるは食べる。うまかった。お味の方も、基本的に、コチュジャンを使ったもの。黄紺は、コチュジャン、少ないよなんて考えて、付いてきたコチュジャンを足しちゃいました。すると、このひりひり感覚が、ますます、犬なのか、牛なのかを忘れさせてくれる。念のために書いておくと、豚肉の感覚ではなく、明らかに牛感覚である。なかなかの美味である。これなら、知らない人には、犬と言わなくても、犬とばれることはない。
 韓国から帰ると、アイシェ・ハヌムから、このポシンタンに関する紹介記事が送られてきていた。どうやら、黄紺の韓国旅行の間に、朝日新聞が、韓国の犬食慣行について、記事にしていたようだ。オリンピックのときに起こったと同じことが、またぞろW杯を前にして起こりそうだということだ。でも、これを読むにつけ思うこと、暫し。だって、こんなこと気にしていたら、中国、どうするんだろ?なんて、考えてしまう。よく言ったもので、中国は、机以外の四つ足のものは、何でも食べてしまうというお国柄。だったら、北京五輪を前にして、中国で、暴動起こっちゃうよ〜〜。もう、いっそのことなら、「犬、売ってる市場!」なんて、宣伝すればいいのに。だって、ポシンタン、美味しいもの。そこで、公開しちゃいます。韓国で、食肉用犬、それも、生きたやつ売ってるところ。黄紺の知ってるところは、2カ所。1つは、ソウルの新堂市場(シンダンシジャン)と光州(クワンジュ)の良洞市場(ヤンダンシジャン)です。「ケゴギ(犬肉)」の看板見たければ、水原(スウォン)の南門(八達門)界隈の市場へ行けば見ることができまする。関心のある人、ぜひ行ってみてください。




2001年11月25日(日)午後 4時30分

 今から、小1時間前に、韓国から帰ってきた。天気は上々、おまけに暖かく、格段の旅行日和。実は、昨日から、韓国では、急激に冷え込んできている。明日の、ソウルの最低気温などは、零下1度である。ところが、幸い釜山は、日本と同様と言っていい気温なのである。だから、昨日の朝の唐津(カンジン)の冷え込み以外は、ぽかぽか気分で、最初着こんでいったトレーナーのお世話には、ほとんどならなかった。
 ところで、今回の行程を先ず記しておこう。まず、関空からJALで、釜山に入った。黄紺は、釜山の往復は、時間を最も有効に使えるJALの往復に決めている。機内の食事には目をつむって、ただただ時間のことを考えて、JALなのである。その釜山から、バスで、4時間45分かけて康津へ入った。全羅南道づいている黄紺は、この康津という町がお気に入りである。小さな地方都市で、何にもなく、ちょっとレトロで、伝統家屋も、少しは残っていて、ただ、交通の要所で、光州(クァンジュ)、木浦(モッポ)、順天(スンチョン)、莞島(ワンド)、珍島(チンド)への基点となるところなのだ。これは便利だ。ということで、この町を発見して以来というものは、めっちゃ気に入っている。去年の夏発見して以来、これで、3度目である。ここから、今回は、北にバスで30分のところにある霊岩(ヨガン)に足を延ばし、そこから木浦方向に行くとある、王仁博士の生誕地、また、その近くから歩いて、3.2kmのところにある道岬寺(トガンサ)まで行き、月出山(ウォルチュルサン)のさわりだけでも登ってきた。道岬寺は、名刹とともに月出山への登山口というわけだ。黄紺は、実は、1週間ほど前までは、この道岬寺というのを知らず、同僚が、とある韓国フェアに行ってもらってきたパンフレットに、その名前を見つけて、ひょっとしたら、ここも月出山への登山口かと思い出したのだった。それまでは、無為寺(ムイサ)や天皇寺(チョンファンサ)から行かねばならないと思っていたのである。更に、王仁博士のところと、実際に行ってみて、とっても近いので、その場で、行ってみようと急遽決めたのだった。道岬寺は、正直言って、ヴィジュアル的に特徴があるわけではなかったが、この月出山が良かった。登りだしたのが午後1時だったこともあり、更に水を持ってくるのを忘れたこともあり、結局、尾根に出たところで引き返したが、そこが、ススキの群生地で、また季節が、どんぴしゃ。私の韓国ベスト5に入れちゃおうかしらんと思うほどである。あと、何が入るかって? 河回村(ハフェマウル)、雲住寺(ウンジュサ)は、絶対当確。その他候補地は、丹陽(タニャン)、束草(ソクチョ)、楽安(ナガン)、陵谷(ノンガク)などか、そうそう雪岳山(ソラクサン)も入れておかなくっちゃ。河東(ハドン)と求礼(クレ)間の桜は、別格か! 話がそれてしまったが、完璧に、秋を満喫してきました。その代償として、昨日はましだった、足の筋肉痛が、今日になって、ただものじゃない。階段降りるのも、大変なのでありまする。
 もう1つ思い出に残ることがあった。韓国料理がおいしいのは言うまでもないが、ここまで、黄紺を韓国リピーターに仕上げた要因が、2つあるが、その1つが、まちがいなく食事がうまいことだ。だが、今回、韓国行きだして以来、サイテーにまずいものに当たってしまった。康津のとあるシクタン(食堂)、半年前に行ったとき、確かなかったはず、だが、豊富なメニューの書き出しに引かれて入って、「オジンゴ・トッパプ」を注文。イカの炒め物で、黄紺お薦めの韓国料理の1つだが、これが、この店のこれが、まずかった。なんたる、不幸。これは、逆に忘れられない思い出。どこに入っても、おいしい韓国のシクタン。たまには、外れもあるのですね。だから、この後食べたものが、どれだけおいしいと感じたことか。
 康津から宝城(ポソン)は、まだまだ伝統的家屋が残ってる土地である。道端に、土饅頭の墓地も散見できる。黄紺の目に焼き付いている韓国の原風景、即ち道沿いに並ぶ木立、それも、まだ立派に存在している。このような場所は、黄紺の知る限りでは、ここと、あともう1カ所だけである。やはり、康津がではなく、康津の周り全部が、黄紺は気に入っているのだ。そこから、釜山までは、帰りは4時間15分だった。釜山にだって、黄紺の目には、18年前の姿と重なる姿を探す。でも、西面(ソミョン)の変貌ぶりには、声をなくす。渋谷の西武じゃないが、この街をも変えてしまったロッテを呪わざるを得ない。でも、それは、時の流れなのだろう。地下鉄ができる前の、大渋滞が、今となっては、あまりにも懐かしいと、感傷に浸る時間もないくらい、韓国は変わっていく、、、、。




2001年11月21日(水)午前 3時15分

 ようやく冬の予定が決まりそうだ。実は、この冬は、クリスマスに先駆けて、休暇が取れそうだったので、大体そういう場合は、「クリスマスはヨーロッパで」の鉄則、もちろん自己流鉄則でもって、まず、カトリックの多いところで、クリスマスを過ごし、あとはトルコなりなんなりへと出かけるパターンを行ってきたので、今回も、クリスマスをフランスで過ごし、その後、トルコに入るつもりをしていた。しかも、黄紺としては、珍しく旅程のアウトラインまで作り上げて。それが、9月11日をもってして、全部パーになってしまったのである。で、とりあえずは、その幻の思惑を聞いてやって下さい。トルコ航空でイスタンブールに入り、あわよくば今年最後のサッカーを、イスタンブールで観戦して、あたふたとリヨンに入る。そこから、クレルモン・フェランに入り、ロマネスク教会の元でクリスマスを迎え、あとは、ちょこっとリヨンで、ちょっとはマコンまで行って、それからあとはトルコで、正月を迎え、またイスタンブールのアタテュルク文化センター(AKM)で、冬の定番、オペラやバレエを見るという、そんな思惑でいたのであった。
 正直言って、迷いました、冬に海外行くのを。でも、アメリカが制空権取ってから、行く気になりました。ところが、飛行機が取れない。だからいろいろの可能性を試したいのに、それに応えてくれない旅行社。今まで何度か利用していた旅行社なのに、仕事のできない担当者に当たり、黄紺、カンカン。電話で問い合わせても、今はできないと断られたの、黄紺は、初めて。「おまえとこ、PC置いてないんかー!」って、叫びそうになりました。「あとで、メール送りますから」なんて、その場をしのいだのはいいが、全く梨のつぶて。これが、1度ではない。こんなやつに頼んでおいて大丈夫かしらん、なんて考え出すと堪忍袋の緒が切れました、さすがに。それで、あわてて他の所へ。すると、余計な時間が経ってしまい、ますます取れない。ヨーロッパ系航空会社は、めっちゃ高いし、トルコ航空は、関空から撤退するし、アシアナ航空は航空券扱ってないと言われるし、恨みのキャセイは、生意気にヨーロッパ系並みの値段つけている。マレーシア航空は、1月以降、イスタンブール便撤退だし、となると残りはシンガポール航空のみ。だから混む。「シンガポール・関空」間が取れそうもないということだ。となると、どうしても、外に出たくなる。どうやら東南アジアが、混み混みで、ヨーロッパ系の航空会社が法外な値段つけ、恨みのキャセイは論外となると、残るは大韓航空。藁をもすがる気分で、リクエストを出すと、ナントOK。但し、パリ便、フランクフルト便。黄紺が第1希望に出したチューリッヒ便は撤退とか。で、今のところ、トルコへ行けなかった場合、フランスへ行ってクリスマスを迎え、あと、その辺りぶらぶらしようかなと思っている。そして黄紺にとって、1番の楽しみ。どの町でクリスマスを迎えるかについては、今のところ、ランスを考えている。もし、フランスでのクリスマスが実現したら、これで、イタリア(アッシジ)、スペイン(サンチャゴ・デ・コンポステラ)、ベルギ−(アントワープ)に次いで、ヨーロッパの主だったカトリック国のクリスマスを体験することとなる。でも、これは最低限であって、機会があれば、アイルランドやクロアチア、南ドイツでもと思っている。とにかく今年は、フランスでと考えてきたので、トルコがダメな場合は、フランスだ。あと1ヶ月。それまで、忘れ去ってしまっているフランス語、ちょっと勉強しとこなんて考えて、少しは長閑になってる多忙な黄紺でありまする。




2001年11月18日(日)午前 8時41分

 先週は、忙しかった。追い立てられてる感じが、まる1週間抜けなかった。会議が、びしーっと詰まってたわけではないが、この追い立てられる感は、どうもいただけない。だから、体は、そんなに疲れてないはずなんだけどと思いつつ帰宅しても、寝るは寝るはで、こちらも、まる1週間のご無沙汰である。
 この1週間で、アフガン情勢も、大きく変わった。先程、TVを見ていたら、北部同盟のラバニ大統領が、いよいよカブール入りしたとの報道が、映像付きで流れていた。肉声も流れていたので、見入っていると、評議会を意味する「シュラ」や、招待するを意味する「ダーヴェット」という単語が耳に残る。ほんの10秒くらい流れたラバニの会見のなかで、なんと2つも分かる言葉が耳に残ったのである。「シュラ」も「ダーヴェット」も、アラビア語起源の言葉である。黄紺が分かるということは、トルコ語のなかにも、同じような意味で使われている言葉があるからである。そう言えば、先日も、TVで、北部同盟の最前線を取材していた日本のジャーナリストが送ってきた映像のなかにも、最前線の兵士と最初に交わす言葉は、「セラーム・アライコン」である。いきなり、これだから、なんか北部同盟の連中が喋ってる言葉が、何でも分かるような気分にさせられてしまう。ドスタム将軍は、ウズベク系だったっけ? だったら、こういったアラビア語系の言葉だけではなく、もっと違った単語も耳に入ってくるだろう。この辺、トルコ語を知ってる者の快感だ。その他、こんな楽しみもある。最近、結構人気のイラン映画を見ると、どれだけ知ってる言葉が飛び出してくるか、これを数え上げる楽しみというやつがある。要するに、ペルシャ語からトルコ語に入ったものを、今度は数え上げる楽しみである。まあ、この辺は、予想をもって臨むことができたが、黄紺をびっくりさせたのが、インド映画。但し、タミル語など南部の映画はダメ。北インドで制作されたヒンディー語のそれである。なかに、トルコ語と同じものが出てくるのである。そりゃ、歴史的に見れば、結構長い間、トルコ系の人たちが、北インドを支配していたことがあるものだから、当然といえば当然なんだけど、、、、。
 これも、先程TVを見ていたら、やっていたことなんだが、ラマザンが始まったがため、最近の「イスラム・ブーム」を受けて、東京在住の某イスラム教徒の1日を取材していた。ご丁寧に、レポーターの女性にも、1日ラマザン体験をさせて。マスコミの取り上げ方の一片として、「あーあ、またか」という感じで見てしまうが、なんせ、本屋へ行けば、「イスラム・コ−ナー」まで設けられているご時世なもので、この手のものは何ら珍しいことではないのだが、そういう番組に出てくるイスラム・コミュニティの存在に、正直驚いてしまう。東京ジャーミーのような立派なものではなく、それこそ住宅を改造しただけのものも、結構多いのではないかと思わせられてしまう。そういった実態の一端に触れる機会だと思えば、単なる知的好奇心の塊的なものにとっては、有り難い限りである。




2001年11月10日(土)午後11時12分

 日本のJリーグが大詰めを迎えている。現段階では、セレッソの降格と、サンガの昇格が決まっている。セレッソは、西沢が抜けた後、その補強をレッズで出番の少なくなった選手を迎え入れていたので、まずいぞと思っていたら、その通りになったが、しかし降格までとは思ってなかった。レッズだけではなく、どうも1軍半的な、ないしはJ2までは行かないけれど的選手ばかり補強していた。だが、このチームは惜しまれる。森島が、西谷がではない、このセレッソというチーム、ガンバに比べたら、大阪の地に着いてる感じがするのである。ガンバの試合に行くと、先ず子どもが多い。そして若い人が多い。素材的に優れているのに引かれたって感じで、ちょっとサッカー知ってそうな若い人が多い。スマートだ、だいぶとセレッソよりか。それに対し、セレッソの試合に来る人の年齢層は、ちょっとばかり高そうな感じがする。コップに入ったビールを片手に、1人で、じっと試合を追いかける会社帰りのサラリーマン風情の人。娘さんを連れた初老の男性なんかにお目にかかるのは、長居でだ。そして、何より、叱咤激励する蛮声が飛ぶ。激しいときは、「これって、近鉄ファンののりやでぇ」と、唖然としてしまう程である。なんか、大阪らしいし、腹の底から蛮声浴びせられるチームになってるセレッソに、「ええで、ええで、ええ感じやで」エールを送りたくなる。あのユニフォームはいただけないが。自分的には、チームとしての魅力は、ガンバの方が遥かにあるが、スタンドの雰囲気は、おもしろいものがあるのだ。負けが込んできたとき、何かしなけりゃと、監督の首を切ったが、スタッフの揃え方まで監督の責任とするならすればいいが、どうもかっこつけただけで、やっちゃったって感じ。ノ・ジュンユンの首を切ったのも解せない。そう言えば、かつて松木監督を放り出したのも、このチームだった。別に内情を知るわけではないので、単なるぐだぐだだけであるが、、、、。
 サンガも、分からないチームだ。オフトも呼んだし、加茂さんも呼んだし、カズも呼んだ。そして、皆、解雇された。平野も望月も取ったが、J1残留がならなかった。この何年間、応急措置ばかり見てきたような気がする。DFにワールド・ユース準優勝メンバー2人、FWにJ2得点王争いのできる人材、韓国勢2人に、地元出身の期待の松井と、これらの人材を根本に据えたカラーのあるチームを、地元の人間として、1度、見たいよ。固定されたメンバーに応援し続けることのできる体制を組んでこそ、Jリーグ発足時の理念が生きてくるように思えるのだが。その理念こそ、Jリーグが誕生したとき、新たなプロ・スポーツの誕生を実感させてくれるものだったはずだ。だから、ジャイアンツばかりか、ヴェルディをも私物化しようとした、バカ・オーナーのチームに、サッカー・ファンは、そっぽを向いたんじゃーなかったっけ? そのヴェルディが、降格の危機にある。川崎を捨てたり、2つ目のジャイアンツを作ろうとしたり、思い通りにならなかったら、脅しなど朝飯前的なやり方を、サッカー好きの者が、いかに冷ややかに見ていたことか。それに降参しなきゃならない頃には、降格の危機です。
 そんなこんなで、1シーズンが終わろうといています。でも、F.マリノスが落ちて、山形が上がるなんてことが、あるのだろうか?




2001年11月 9日(金)午前 2時49分

 この頃、指折り数えながら、1日1日が過ぎていくことを楽しみにしている自分がある。例えば、今週、水曜日と木曜日に、人前で喋らなければならないことがあった。それが、嫌なのである。特に昨日のものは、気が重かったものだから、指折り数えていた。で、それが過ぎた。すると、もう次の嫌なこと考えている。今週末にこれをしようなんて、遊ぶこと考える前に、もう次の嫌なこと考えている。完全に鬱傾向。人間、人それぞれに、感情の起伏というものがあるだろう。黄紺の場合は、常に鬱傾向といったらよい。ただ、自分で救われてるなあと思うのは、諦めることができるからだと思ってる。これはダメだと思ったら、ないしは、人間関係において、こいつは、ダメだと思った、諦めることができるのである。若い頃は、そんな考えだったろうかなんて、ときどき考えることがある。いや、そうじゃなかった。言わなければならないことがあると、言わないとダメだと思っていた。100%、こちらに分があっても、周りはそうは思ってないとき、言わねばならないと思っていた。だが、最近は、いくら言っても、分からないやつは分からない、人には、能力というものがある。そういう意味で、分からない人というのがいることを認めねばならないと思えるようになった。そのときは、素直に諦める。この素直さというのは、自分としては、なかなか認めがたいものであったが、そう思うと、多くの問題が氷解していった、自分の前から。
 このように書けば、全くもって傲慢だと読まれてしまうかもしれない。そうなのかもしれない。コミュニケーションを執らないわけではないが、明らかに人によって、言い方を変えてしまうから、そうなのかもしれない。これ以上言ってはダメ、理解してもらえないと思うと控えてしまう。例えば、トルコの話をして、全く関心を示してもらわなければ、トルコの話をする気は失せてしまう。でも、何とか聞いてもらおうとして、一所懸命に、再び話す人もいるだろうが、黄紺は、止める。その見極めは、早いかもしれない(今、TGRTを聴きながら書いているが、ここで喜多郎のシルクロードのテーマがかかった)。だから、常に悲観的に考える癖の持ち主ながら、ここまで、何とか生きて来れたのだろう。だから、息子の呑気さを見るにつけ、なんとも羨ましい。息子は息子なりに考えてるのかもしれないが、黄紺の目から見て、長閑なのである。ちょっとくらい踏んづけても、長閑なのである。親がこんなだのに、いい性格してる。母親にも似たわけでもないから、どこから来てるのやら?
 その息子が、何かの拍子に、「いっぺん、北キプロス連れて行ってやろか?」なんて言ったら、興味を示しておった。ギルネは、1度連れて行きたいと思ってるところなので、受験が終われば連れて行こうなんて、考え出している。本人は、去年、受験が終われば、オランダへ行くなどと、おばあちゃんを掴まえて言っていたそうである。で、それは、ボツになってしまった。要するに、受験を失敗したのである。でも、20歳になって、父親が、「一緒に行くか?」と言うと、その気になってくれるというのは、そのまま、黄紺は喜んでいる。子離れ・親離れをしてないんじゃーなくて、そういう親子関係があるんだと、ちょっと胸を張りたい気持ちなのだ。いや、子離れをしていない父親というのは、あるかもしれないが、、、、?




2001年11月 5日(月)午前 4時33分

 あっけなく連休が終わろうとしている。この2日間で予定していたことの1つは、(↓)に書いたように、雨で脆くも思惑が消えた。もう1つは、こればかりは雨では止められないもので、きっちりと実行した。でも、そんな書き方すれば、まずいか。というのは、昨日は、父親の骨を分骨して埋葬している北白川教会の共同墓地の合同慰霊祭があったからだ。毎年、文化の日前後に行われる。黄紺の父親は、クリスチャンで、4年前の夏に亡くなった。8月16日、京都は、大文字の日、その日に、しかも北白川であるから、大文字を眺める人が溢れかえっている場所で、前夜式をしたので、その日は忘れない。教会で告別式をしながら、大文字があったということから覚えている。ちょっとしたミスマッチだから、忘れないのだろう。
 黄紺の父親は、黄紺と同職業だった。あまり、父親がそうだったということは、自分とは関係ないとは思っているが、まあそうだった。その父は、学生時代受洗をしてクリスチャンになった。無教会派の流れをも汲む北白川教会に入っていたということは、黄紺は、小さい頃から知っていた。ただ、父の世代に、よくあることだが、結核を患い、黄紺が物心ついたときには、ずっとサナトリウム生活を送っていたので、初めて父と接したのが小学校に入った頃と記憶している。だから、教会との関係は、ずっと続いていたわけではないが、父の書斎にはキリスト教関連の書籍に溢れていたし、食事をする前にお祈りをする姿を見てきた。教会にも、時々は足を運んでいたと記憶する。ところが、少なくとも、その後、足を運ぶということがなくなっていった。その辺のところは聞いてないので、もう分からないが、しかし、信仰から遠ざかったとは、黄紺は思っていない。その父が、63歳で、最初の脳出血に見舞われ、そして3度目の死につながる出血までの間、その間が18年ほどあるが、その間に、再びこの教会に通いだしたのである。脳出血というもの、当たり前のことだが脳に異常を来すものだから、運動機能だけではなく、性格的なものにまで変容を見せるものだと、そのとき初めて知ったものだが、父の場合、物事を非常に積極的にこなすようになった時期がある。その頃である。最晩年には、ほぼ寝たきり状態になったが、そこに至るまで、教会に通おうとしたのである。そのために東京方面にまで、不自由な体をおして出ていったこともあったようだ。だから、ブランクは、ひょっとしたら40年近くに及ぶかもしれない。そのブランクがあるにもかかわらず、教会は受け入れてくださったし、また父からすれば戻っていく場所を、見出したのかもしれないと思うと、ある意味では羨ましくも思う。
 そんなわけで、この日は、弟と毎年出かけていく日である。琵琶湖を眺める見晴らしのいいところにある。弟とも言っていたのだが、なぜか、この日は、晴れる。そして、感傷に浸る日となってしまう。




2001年11月 3日(土)午後 6時54分

 今日、明日と連休である。今週、この連休を楽しみに働いてきたが、実際、休みに入ると、やることがない。朝から、雨が降っているので、今日行われている「東九条マダン」に行くことは、早々と断念。この催し自体、職場の同僚にして、ご近所のMさんから、明日ですよと教えられ、行く気になったものである。「東九条マダン」は、京都の在日朝鮮人の集住地域で、毎年秋に、民族舞踊などのイベントを行っているものである。大阪の猪飼野で行われているものは、息子を連れて行ったりして、覗いたことがあったが、地元の京都のものは、あることは知っていたが、まだ行ったことがなかったので、この機会にと思ってたのだが、雨で、断念。そしたら、家で、昼のNHKのニュースを見ていたら、場所を屋内に移してやってる様子を流していた。「あっ、しまった」と思っても、もう遅かった。黄紺は、早くも酔っぱらいになっていたのでした。これじゃー行けないというくらいそこそこ朝から飲んべえになっていたのである。実は、これに行く楽しみは、好きな朝鮮料理を食べられるからである。最近忙しくって、韓国料理店には、とんとご無沙汰してるもんで、チャンスと思ってたのだ。まあ、なんでも後悔先に立たずだ。
 昨日、この話を、Mさんから聞いたとき、10年ほど前に息子と行った「猪飼野文化祭」のことを思い出した。丁度、在日の知人が、模擬店を出していたときである。そこの店を見つけたのはいいが、もうそこかしこの店で食べていたので、ちょっとだけ売り物をご馳走してもらったことぐらいは覚えているが、肝心の催しに関しては、残念ながら記憶にない。覚えているのは、帰りに、息子を連れて、せっかくここまで来たのだからと、鶴橋駅前の朝鮮市場に、息子を連れて行った。規模は全然違うが、韓国の市場の雰囲気、黄紺が韓国にぞっこんになったきっかけだった市場の雰囲気を味わえるからと、ここへ連れて行ったのだ。細い道に連なる店の奥に、絶対見せようという店があった。そう、ブタの頭が真るっぽ置いてる店が、まだ、当時あったのだ。思わずひるむ息子、その姿を見ようというのが、黄紺の狙いで、正にその通りになった。一通り見て回り、いつものように、いつもの店で、「シリトック」という韓国のおもちを買って帰った。そして、家に着き、家人に、どこに行ってきたのと問われた息子は、ただ一言、「ブタの頭」。「猪飼野文化祭」も何もあったものじゃない。ただ一言、それだけだった。そんな思い出のある、在日の人たちの文化祭。久し振りに覗いてみようと思ったのが、雨と酒で、もろくも潰れてしまった。ちょっと、情けない。







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