忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、
黄紺、なのさ。



2015年 10月 22日(木)午後 11時 17分

いよいよ明日、トルコへ出発することになりました。今まで、この時期にトルコに行ったのは1回しかなく、しかも短期間だったもので、荷物のことに頭を痛めています。なんせ、冬支度の要るところへ行こうと思っている一方、既にイズミル国立劇場でのオペラ公演を観ることが決まっていますから、こちらは冬装束はまだ不要でしょうから、ちぐはぐな季節に行くものだと痛感して、頭を抱えているということです。ところで、今日は、しばし離れる日本の最後の夜を、カフェモンタージュで過ごしました。今夜は「Ysaye」と題し、白井圭さんと西尾恵子さんののバイオリン・デュオの演奏会が持たれました。そのプログラムは、次のようなものでした。「ヴィオッテイ デュオ・コンチェルタンテハ長調op.29-3」「ド・ぺリオ コンチェルタンテニ長調op.57-3」「イザイ 2つのバイオリンのためのソナタ op.posth」。バイオリンのデュオ演奏って、生で聴いたのは初めてかもしれません。とってもおもしろいものだと思いました。こないに緊張感のあるものとは思ってもいませんでした。毎度おなじみのオーナー氏の開演前の解説によりますと、今日は、フランコ・ベルギー派の作曲家のバイオリンのデュオ用の曲を集めたそうです。時系列でもって、プログラムが並べてあるとか。従って、モーツァルトと同時代のヴィオッティが最初で、20世紀の作品となるイザイが最後となるわけで、曲の規模から言っても妥当なもの。緊張感が続くのは、いずれかがメーンで、もう一つがサブという構造になっている曲ではないのです、これら3曲は。補完し合い、メーン旋律が入れ替わったり、丁々発止やり合ったり、、、これでは緊張の連続です。イザイは、そういった曲想に加え、バイオリン演奏の技巧の幅を増やしていった人ということで、また時代が20世紀初頭ですから、そういった時代の風潮を受け、ときとしては無調的音の流れすら確認できますから、その緊張も疲れるほどの高度のもので、聴いていて、黄紺自身が逃げたんでしょうね、ぽっかりと空洞が起こることがありました。オーナー氏言われていたように、2本のバイオリン演奏でありながら、弦楽四重奏を聴いてるかのような音楽にもなっていました。また、こういった音楽を聴かせるのに相応しいお二人の演奏。お二人は、神戸市室内合奏団のコンサートマスターを務められる方。しかも、お二人の演奏のスタイルがかなり隔たりのあるものですから、かなりおもしろいものとなったわけです。西尾さんが力強く、ごっつい音、パワーを感じさせるものを持っておられます。その大きな枠内で、白井さんは、とっても整った、切れる演奏をされるという具合に、好対象のスタイルを持っておられるのが、今日のようなバイオリン・デュオには功を奏したのでしょうね。黄紺的には、白井さんは切れ味があって、うまい人だなという印象で、西尾さんはダイナミックな印象で、ともにおもしろかったのですが、次に、いずれの方の演奏を聴いてみたいかと問われたら、躊躇なく西尾さんです。他の楽器との組み合わせで、異なったパターンの室内楽で、この方のスタイルが、どのように変化するのか、しないのか看てみたいなの気持ちになりました。



2015年 10月 21日(水)午後 9時 53分

 今日も繁昌亭に行った日。これで、3日連続となります。繁昌亭は、行きだすと続くというジンクス通りです。但し、今日は昼席。福笑がトリをとり、花丸や吉坊も出るということで行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。鞠輔「兵庫船」、呂竹「桃太郎」、花丸「あくびの稽古」、虹友美「なないろ三味線」、楽珍「芝浜」、仁嬌「崇徳院」、(中入り)、米平「立体紙芝居」、枝女太「持参金」、吉坊「寄合酒」、福笑「入院」。鞠輔は、ひょっとしたら繁昌亭昼席初登場かもしれません。「兵庫船」は、船中での問答まで。それを聴いていて思たのは、この問答を、客席で解らない人が相当数いるのではないかということ。そないな空気を感じていたら、当たっているのではと思わせられることが、そのあとの呂竹の高座でありました。呂竹が、マクラでネズミのマクラをふり、それを説明すると、「あっそうか」と声を上げた客がいたからです。ネズミの小咄でこれですから、「感心な寺の小坊主」なんて解るわけがありませんものね。ということは、そういったことも想定しながら、鞠輔は高座を務めねばならなかったとなりますね。「兵庫船」や「矢橋船」の演じ手が、若手の噺家さんの間で、あまり手がける人が、昔のように多くないのは、その辺を察知しているからでしょうか。呂竹が「桃太郎」を出して嬉しかったのは、これで、福笑の「桃太郎」が消えたこと。黄紺は、どうしてか繁昌亭と動楽亭の昼席で、福笑の「桃太郎」によく当たるものですから。花丸の「あくび」は、あくび指南を受けるまでがおもしろい。様々な稽古屋に通うレポートの部分が、花丸スペシャルで聴かせてくれます。花丸の遊び心が冴え渡ります。楽珍の「芝浜」は、次の仁嬌が表して「卑怯な芝浜」。50両入った財布を拾ったところで、「この続きを知りたい人は私の独演会に来てください」と言って降りたのですがから、仁嬌でなくても「卑怯」と言いたくなります。導入部を、東京弁、大阪弁、徳之島弁と3つのヴァージョンでするものですから、ハラハラして聴いていると、こないな「卑怯」な手を用意していました。中トリの仁嬌も珍しい。なんですが、仁嬌の高座の半ばで、本日唯一の居眠り。そのわけは、枝女太の登場で判りました。師匠の仁鶴似の抑揚のない喋り方をされたからです。いいリズムで、噺が続いたために睡魔を呼び込んでしまいました。米平の「紙芝居」は、本人も言うように、たいした仕掛けがあるわけではないのですが、実際おもしろいし、客席をわかせます。そのちょっとした工夫が微笑ましいのです。枝女太の口演は、噺の巧みさという点では特筆もの。3人の登場人物の描き分け、やもめの家の広さまで見えてきますから、臨場感のとってもある噺となりました。吉坊も巧者です。何度も聴いてる吉坊の「寄合酒」ですが、小気味良いテンポが痛快です。そして福笑、なんと「入院」を出してくれました。実に久しぶりです。福笑ベスト候補には、絶対に入れたい作品。無茶苦茶で、異様で、アホらしさで、群を抜いています。客席も、なんてものを聴いたんだという奇っ怪な笑いに包まれていました。この昼席で、しばらく繁昌亭とはお別れです。でも、最後に、繁昌亭3連続を楽しむことができ、大満足です。



2015年 10月 20日(火)午後 11時 2分

 今日も繁昌亭に行く日。開演時間が、昨日と同じということで、今日は、昨日と全く同じタイム・スケジュールで動くことになりました。1時間弱のミニウォーキングをしたあと、ネットカフェで体を休め、それから繁昌亭に赴くってやつです。で、今夜の繁昌亭は「新治寄席」がありました。露の新治の独演会です。一時、体調を崩し、復帰以後も、なかなか声の調子が良くなかったのですが、最近の口演を聴くと、そないな懸念も吹っ飛び、安心して聴くことができるようになっている新治です。今日は、その絶妙の高座を楽しみに行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。新幸「鉄砲勇助」、新治「紙入れ」、豊来家玉之助「太神楽曲芸」、新治「七段目」、(中入り)、新治「中村仲蔵」。新幸は初遭遇。なかなか口舌爽やかな噺家さん。所作が新治テイストに満ちているのが微笑ましいところですが、それができるということ自体が大変なこと。またまた有望な若い噺家さん見っけです。ゲストの玉之助は、獅子舞いもサービス。奈良で仕入れた振りを、半ばに入れるニューヴァージョンでした。主役の新治は3席。「紙入れ」は、随分と前に聴いたことはあったのですが、あとの2つは新治で初遭遇となるネタでした。順番が難しいですねというか、「紙入れ」が1つ目というのは、かなり濃い印象を持ってしまいます。新治は、冒頭、いつもするマクラで導入を図ったのですが、このマクラは、日常の会話から採ったおもしろ話。そこからいきなり間男の噺は、あまりにもの飛躍に居心地が悪くなってしまいました。なんせ、新治の描く男を引っ張り込むおかみさんが艶っぽいものですから、その居心地の悪さは相当なもの。技が冴えると、こないなことが起こってしまいます。ただ、艶っぽさはあっても、頃加減を、新治は心得ています。この辺も技師です。「七段目」が、渡された番組表に入っていたのが、実は、一番驚きました。新治が、「中村仲蔵」のような芸論ネタはするのは解っていたのですが、芝居の所作が入る典型的な芝居噺をするとは知らなかったからです。部分的にテキストの違う箇所があったのですが、大まかに言って、よく演じられる型に沿っていました。親旦那が倅の失敗談をするときに、人力車を止めた挿話が入ったり、芝居の中で掛けられる掛け声は一切出てこなかったり、定吉がやって来て芝居掛かりになったときの型が少し違ったり、お軽と平右衛門の芝居が少し前から入ったりなど、大きな違いとは言えないものでした。最近、若手の噺家さんのする「七段目」を見なれているためか、動きの切れにまだろっこしいものを感じてしまいましたが、今日、3席聴いて、とにかく女がいいのです。「七段目」では、定吉が演じるお軽がとなりますが。「中村仲蔵」は、師匠の五郎兵衛が十八番にしていたもの。彦六の正蔵にもらったのかな。東京の噺なんで、新治は、仲蔵を、大阪出身の役者として、舞台は江戸で、登場人物も、おかみさん以外は、東京弁を使っていました。やはり、ここでもおかみさんが秀逸で、健気で、冷静、真摯な人柄が、見事に表されていました。仲蔵一人の力ではなく、二人三脚で稀代の定九郎を創り上げたというところです。仲蔵が、浪人と出会う場面も良かったなぁ。その場面は、一幅の絵を、新治がキャンパスに描いてくれているが如く、黄紺の目の前に、浪人、店の中だけではなく、外の雨降りの風景までが見えたように思えました。1つだけ不満だったのは、仲蔵の定九郎を観る客席の描写です。鬼気迫る息を飲む風景とまではいきませんでした。あとが良かっただけに、この場面と比べてしまうからでしょうか。仲蔵は受けているとは思ってないという辺りを考慮したのかもしれないのですが、、、。客席は立ち見まで出る賑わい。実は、新治の会は、動員されているか否かは知る由もありませんが、身内の人で溢れる可能性があるとの認識が、黄紺にあったものですから、前売りを買うことを躊躇したってことがあります。ちょっとした経験知ですが、今回は、ま、いいかってことで行くことにしたのですが、やっぱそうだったの雰囲気だったということです。身内びいき的な反応が嫌いだからなんです、黄紺は。新治は、芸の上では実力者なんだから、そないな環境でないところで聴いてみたいと思うのは、黄紺だけなのでしょうか?



2015年 10月 20日(火)午前 0時 11分

 今日は繁昌亭に行く日。トルコに行くまでは、わりかし繁昌亭に行く機会が多くなっています。今日は「パンダ怒りの鉄拳」があったのですが、これは、雀喜が、自作の落語ばかりを集めて開く会です。雀喜作品は、他には見られない独特の感覚のものですので、日頃から「客寄席熊猫」として開かれている新作限定(もちろん雀喜作品発表の場)の会にも足を運んでいる黄紺なのです。で、今日の番組は、次のようなものでした。鯛蔵「プルルル」、雀喜「四丁目の交差点」、遊方「奇蹟のラッキーカムカム」、雀喜「知ってるつもり」、(中入り)、 雀喜「終活のススメ」。「プルルル」はくまざわ作品。鯛蔵が、ネタ出しをしているのを、何度も見てはいるのですが、自分的には遭遇は初めて。誘拐犯からかかってくる電話を待つ子どもの両親、電話の逆探知をする警察のドタバタが噺の中心。 犯人が捕まるところが呆気なく、せっかく面白い進行にマイナスとなるなと思わせられました。無理して収束させたって印象ですね。ゲスト枠は遊方。雀喜の娘さんのリクエストでのネタ選びになったそうです。もちろん噺の題名を聞いただけのリクエストだったようですが。開運商品を、頑張って買った人たちの、それぞれのその後を、おもしろ可笑しく描きます。黄紺的には初遭遇。遊方作品で、まだ、こないな上質な作品が残ってたのかと思わせられる佳作です。雀喜作品では、「四丁目の交差点」以外は、「客寄席熊猫」で、既に聴いている噺。今日、あらためて聴いた噺も、確実に反応が上がっています。それは、雀喜作品に共感する人たちが、客の数が増えた分多くなり、それが、効果的に他の客にも伝播していったように思えました。例えば、「終活」について共感できる年配の客がいればいるだけ、「終活のススメ」は受けます。繁昌亭という大きな器が、いつもよりか多くの客を飲み込んだために、その分、共感できる人が入ってきたってことでしょう。「四丁目の交差点」は、ちょっとカワイイ怪談噺。四丁目の交差点で、トラックにひかれた3歳の子どもが、怖がりの独身男のところに現れます。雀喜らしいほのぼの系怪談噺に仕上がっていて、なかなか気に入ってしまいました。「知ってるつもり」は、ビートルズ好きの雀喜の蘊蓄が聴ける噺。マクラでも、たっぷりと、師匠雀三郎と一緒に、ポール・マッカートニーのコンサートに行った話をしてくれました。かなり長めのマクラだったので、既に、この段階で、ネタ自体がかなりマニアックになりそうな予感がしたのじゃないでしょうか。ビートルズのナンバーをカバーするライブハウスで、主人公が、まずは連れて行った同僚の女の子に蘊蓄を語り、次いで大学時代の友人と蘊蓄合戦をするというもの。落語の形式を踏みながら、あまり落語を聴いているという雰囲気になれない作品。「終活」は、エンディング・ノートの項目を、夫婦がチャチャを入れながら埋めていくというだけの作品と言えば、あまりにも味気ない書き方ですが、まとめると、その書き方が一番でしょう。項目埋めにボケていくわけですが、エンディング・ノートを落語にしたという着想が、もう勝利でしょう。「客寄席熊猫」で聴いたときには、こないにも受けるとは、正直思いませんでした。客の人生に響く素材選びの大切さを思い知りました。雀喜の新作は、自分の世界に入り込んでしまい、手がつけられないときが、ままあります。それでも、できるだけ聴きに行きたいと思わせられるのは、いずれの作品にも、雀喜の人柄が現れていると感じさせるものがあるのが、大きな要因になっています。今日も、それを十分に感じさせる雀喜らしいいい会になっていました。



2015年 10月 18日(日)午後 6時 1分

 ぼちぼちトルコ行きが近づいています。そのあとに控えているオペラ紀行の、準備が大変なものですから、トルコは行き当たりばったりになりそうだったのですが、トルコでもオペラを観ようと思い、ネットで調べてみると、黄紺のトルコ滞在中に、アンカラとイズミルで、オペラを観ることができることが判り、早速、今のところ1つだけですが、オペラのチケットをゲットしましたから、その1箇所には行かなければならなくなりました。あと2枚手に入れようと計画中ですから、これで、だいぶとコースに制約が加わってしまいました。幸い、1箇所はアンカラですから、これは、先日のテロ現場の視察を考えていましたから、好都合なことと考えています。で、今日は、映画を観る日に当てました。十三の七芸で、シリア映画「それでも僕は帰る〜シリア 若者たちが求め続けたふるさと〜」を観てまいりました。「アラブの春」の嵐が吹き荒れたとき、承知の如く、シリアの市民たちが立ち上がりました。その中で、その先頭に立ってきたのは、中部ホムスの市民たちでしたが、このドキュメンタリー映画は、そのホムス市民の先頭に立ってきたバセットの活動の記録です。バセットは、元サッカー・ユース代表するGKというところから人気があり、運動の先頭に立っていきます。ですが、サダト政権は、大量の軍隊を投入して、ホムスの破壊に向かいます。当初は、平和な運動でのサダト政権の打倒を考えていたバセットらの運動も、闘いの限界を認識して、武器を取り戦うようになります。大量の武器投入に、どんどんと追いつめられていくとともに、多くの仲間が亡くなっていきます。ホムスの街は、完全に破壊された状態です。街に残っているのは、抵抗を続ける反政府勢力と、街を出ていけない貧しい市民たちです。ある日、ホムス郊外にいる反政府勢力から武器の援助を得るため、バセットは、下水口を伝い、街の外に出るのですが、その後に、軍隊が下水口は破壊したために、元に戻れなくなってしまったのですが、他の方法で戻ろうとしたとき、バセットは撃たれてしまうのですが、バセットは、快復すると、再び戻って行きます。このことが、この映画の題名となっています。そして、戻っていくところで、この映画は終わります。その後については、映画では、一切触れてないものですから、とても気になるところでもあります。とにかくホムスの街に、ほとんど人はいなくて、街には乾いた銃声が、いつも響いていることです。そこいらじゅうに狙撃兵が立っているということです。おまけに、黄紺は、シリアがこないなことになる少し前に、このホムスに入っていますから、あまりにも衝撃が大きくて。中心街は、人が多く、大変な賑わいを見せていました。その中心部の近くには、あまりにも古くさい市場があり、こちらも賑わっていました。その市場を出たところに薬局がありました。ちょっと体調を崩していた黄紺は、そこで、ある薬を買いました。幸い、必要な薬を指す語句が、トルコ語とアラビア語が同じだと判断し、薬を特定するところまではいけたのですが、使用法の説明を受けねばなりません。すると、同じ薬局に入っていた母娘づれ(当然全身黒装束)がおられたのですが、その娘さんの方が、とってもきれいな英語で通訳をしていただけました。薬局の主人ともども、暖かな対応に、ただただ感謝でした。ある青年は、ネットカフェの場所を尋ねると、最初会った地点から、15分もかかるネットカフェまで連れて行ってくれました。15分一緒に歩いてくれて、「何やら下心でも?」と思わせられないのが、シリアの人たちです。ホムスで、黄紺が会った人たちは生きているのでしょうか? 少なくともホムスにはおれないでしょうね。そないな悠長な感覚などは、簡単に吹っ飛ぶホムスの姿でした。



2015年 10月 17日(土)午後 8時 4分

 今日は民博ゼミナールに行く日。今日のテーマは「言語の遺伝子をたどる〜ことばの変化と民族移動〜」。お話しをされたのは、同館の准教授である菊澤律子さんでした。菊澤さんのフィールドはオセアニア。そこには、1200もの言語が確認されているそうですが、その系譜図ができあがるところまで研究は進んでいるようで、それが、どのような研究の方法で作ることができたのかということが、お話しの骨子だったように思います。その昔、インド・ヨーロッパ語族のグルーピングが、どのように成し遂げられたのかについて記された本を読んだことがあります。 身体の部位や親族を表す語句は、いずこの人たちも持っているものなので、それらを指標にグルーピングを行うというものだったのですが、今日のお話しは、言語学的アプローチの方法論が使われていました。1つの文を、語句どころか、音声レベルまで分解し、その配列を指標としてグルーピング、また伝播の様子を見つけていこうというものでした。今日は、詳しいお話しはされませんでしたが、文法的な近似性など、そちら方面からのアプローチも、これに加わっていくようです。ただ、こういったお話しをされるための前提となる知識の確認に、かなり時間を取られていました。できるだけ、日本語で解るような事例を出していただき、解り易かった反面、ちょっと黄紺的には、先に進めてよと思いつつも、例えば、日本語の同じ母音とされている音にも、複数の音があることなど、やはり音声学的分類では、触れないで通過するわけにはいきませんものね。講演が終わると、いつものように、民博所蔵の映像資料を観ておりました。そして、これも、いつものように茨木市駅までのミニウォーキング。今日は、膝の具合が芳しくなく、1時間をほんの僅か切るくらいまでの時間を要してしまいました。



2015年 10月 16日(金)午後 11時 50分

 今日は動楽亭三昧の日にしました。当初の予定では、夜の講談会だけのつもりだったのですが、この1週間、落語会とはふ無沙汰なもので、今月1度も行ってなかった動楽亭の昼席に行くことにしました。顔ぶれも、文也がトリで、竹林が中トリと、なかなかしぶ〜いもの。その番組は、次のようなものでした。慶治朗「みかん屋」、雀太「代書屋」、三象「代参」、竹林「一文笛」、(中入り)、達瓶「ちりとてちん」、文也「小言小兵衛」。今日の午後は、どうしたことでしょう、絶不調。昼席に睡眠をとりに行ったようなもの。体調不良から復帰した雀太、きわもの三象、あら珍しき竹林の「一文笛」、風格を感じさせる文也の「小言小兵衛」(上方では演じ手が少ない貴重な高座)など、興味の尽きないラインアップにも拘わらずにでした。残念なことに、動楽亭昼席は、今日が、黄紺的には今年最後になるはずです。あとは、動楽亭昼席がある日は、ほとんど外国にいることになるからです。それにしても、そないな日に、あまりにも悔しい日になったものです。
 動楽亭昼席が終わると、夜の講談会までの時間、天王寺のネットカフェで待機。夜の講談会は「南湖の会」。先月に続いて行くことができました。その番組は鱗林「牛若と弁慶の出逢い、五条の橋」、南湖「孝子の鏡、五郎正宗」「太閤記より、三十六番相撲」というものでした。鱗林さんは初遭遇。昼席が終わり外に出ると、南鱗さんが女性とおられたので、南湖さんの会に来られたと思ったのですが、一緒におられた女性が、その時点ではとなたかは判らなかったのですが、高座に上がられ自己紹介されたところで、一切が判明。名古屋在住の鱗林さんが、お稽古にやって来られ、その足で南湖さんの会に出られたということでした。ネタはおなじみのものですが、口調は文語調だったのが、目新しいところでした。南湖さんのマクラは、今日は長め。と言いますのは、南湖さんが出ずっぱりの映画が、近日中に公開されるからです。黄紺も、一昨日、京都みなみ会館で、その映画のポスターを見たときは、我が目を疑ったくらいのものでした。南湖さんが、ポスターのまん真ん中にいる映画のポスターなんて、信じろという方が無理でしょう。その映画のきっかけ、撮影時のエピソードが語られたわけですから、マクラは長めになって当然のことです。ネタの1つ目は、東京の貞山師にもらわれたもの。ここ数年、恒例となっている東西交流の一環でもらわれたものだそうです。来年の3月に予定されている発表会に向けて、今日がネタ下ろしだそうです。黄紺も初めて聴くネタで、師匠南陵が、かつては持ったいたものの、その後、封印をしてしまったため、現在、旭堂の誰もやらなくなってしまっているということで、今回、貞山師に、南湖さんの方からお願いをしてもらわれたものとか。ネタは、他のプロットも入っていることは入っているのですが、話の骨子は、継子いじめの話です。いじめらわれる方は、命まで狙われても、継母を救おうとするところから「孝子」と着いているのでしょうが、内容的に言って、あまりにも古臭く、師匠のネタを後世に伝えていくという意味では、価値のあることだとは思いますが、一般の講談会で出して喜ばれるかというと、そうとは言えないネタですね。いわゆる商品価値のあるネタとは、黄紺には思えませんでした。もう1つは、前回から始まった秀吉の御前で開かれた相撲大会は実況中継という趣のネタ。一方の毛谷村六助と対戦する武将の経歴、エピソードを読んでいくというのが、このネタの眼目。ちょっと同じパターンが続いてしまうという弱点があるのが、惜しいところです。



2015年 10月 16日(金)午前 6時 31分

 昨日は、兵庫立芸術文化セーターでオペラを観る日。ブルガリアのソフィア国立歌劇場の「イーゴリ公」を観てまいりました。そうは観ることのできない作品ということで、オペラ好きの高校時代の友人2人に、元の職場の同僚も一緒に観ることになりました。わりと長い作品が、午後6時半始まりとされていたものですから、いったい何時に終わるのかと心配しながら会場に着いて渡されたペーパーには、「終演予定9時半」と記されていたため、またびっくり。休憩時間も30分と記されていましたから、いったい進行は、どうなるかが不安になっていきました。まずオペラの上演順ですが、出陣のエピローグ。イーゴリ公のいないことをいいことに暴れるガリツキー公、イーゴリ公が捕らえられ、モンゴルの侵攻に晒される第1幕。このあとに休憩が入ったのですが、ここまでは、多少のカットはあったのですが、進行上変化があったわけではありませんでした。ところが、第2幕以後の組み換えが凄まじく、本来のストーリーが頭に入っていない人には、何が起こっているのか把握するのが大変なことだったでしょう。モンゴルのハンは、かなり端役に追いやられ、出番はかなり削減。ですから、ハンがイーゴリ公に見せる敬意にも似た感情の表現は、かなりあとになってから出てくるため、2幕が始まってから、さほど遠くないところに出る有名な「ダッタン人の踊り」は、なかなか出てきません。ハンによる歓待のシーンも出てこずに、イーゴリ公の妻ヤロスラヴナの嘆きの場面、そして、イーゴリ公の帰還の場面を終わったかと思うと、再び、モンゴル人の野営地。ここで、イーゴリ公の逃亡が語られ、ウラディーミルはどうするのかという問題へと進みます。自ら残ったというものではなく、残されてコンチャコとの祝言へ。ここの祝いの席に、イーゴリ公がハンと並ぶ席を前に「ダッタン人の踊り」となっていきます。アリアやバレエなどの、本来の目的ではない「目的外」使用が、このプロダクションでも看ることができました。これ、ヨーロッパじゃ流行りとまでは言いませんが、時々看られるやり方ですね。思いのほか多くのバレエの方々が来られていたのには驚かされました。振り付けも良かったですしね。その「ダッタン人の踊り」が締めで、ハンとイーゴリ公両人に見守られた盛大な祝宴で終わりました。頭の中に「?」が点りっぱなしでしたが、えらく盛り上がった終わり方であることは認めます。主要な歌手陣は、黄紺的には及第点。歌唱がしっかりとしていると締まります。、コーラスは、男声陣がひ弱。コーラスは出番が多めなため、ちょっと目立ってしまいました。舞台は、平台を八つ橋状に組んだといえばいいでしょうか、それに生垣のような低い塀を組み合わせたものが前半、後半は、平台の数を減らし舞台に配置するという簡素なもの。移動も多く、運搬も大変なことを考えると、こればかりは文句を言えないですね。後にも先にも、「イーゴリ公」というオペラを観る機会は、恐らくはないものと思っています。そういった貴重な機会を経験できました。メトロポリタンでも、数年前に上演があったのですが、こちらもかなりいじったプロダクションでした。ま、このオペラ自体が未完だということがあるのかもしれません。モンゴル側をかなり削ったプロダクションだったのですが、これなどは、このソフィア歌劇場のプロダクションと発想は同じです。せめてもう一度遭遇機会があるようでしたら、そこをきっちりと描いたものを観てみたいですね。



2015年 10月 14日(水)午後 9時 56分

 今日は映画を観る日。久しぶりの「京都みなみ会館」に行ってまいりました。大阪で上映のあったとき観ることのできなかったイギリス映画「ベルファスト71」が、こちらで上映されているのを見つけてあったのです。北アイルランド紛争を素材にした映画です。最近、紛争の話が伝えられなくなってきていますが、かつては武装闘争が、宗教をキーワードに繰り広げられた地域です。なぜ、今、このような映画が制作されたのかということもふくめて、黄紺の関心を刺激してしまいました。主役は、イギリス軍の新米兵士。カトリック系住民の銃所持の捜査をする警察の警護に動員され、現地に向かうのですが、そこで住民たちの想定外の抵抗に遭い、おまけに銃を奪った男を追いかけたイギリス兵の一人は狙撃され即死。もう一人が逃げ出し、物語が、ここから事実上スタートします。最初は、IRA過激派から追われ、なんとか身を隠していると、今度は、逆の立場の武闘派のプロテスタント系組織に拾われるが、彼らが、IRAへの報復の意味での爆弾テロを企画しているところを目にしたと思われ、こちらからの逃亡へと移ると思うと、その準備に当たっているところで爆弾を誤爆させてしまうのですが、兵士は運よく命は失わずに済むのだが負傷して朦朧として歩いているところを、元イギリス軍の衛生兵に救われ、傷の治療を受けます。だが、そうやってイギリス兵を匿ったことが、IRAに知れると、匿った方の命も危ない。そのイギリス兵の運命や如何というところで、クライマックスへと入っていくのですが、それに加えて、IRA内部の穏健派と過激派の対立。過激派組織に入った高校生風の男の動き、IRA穏健派とプロテスタント系組織の繋がり、更に、イギリス軍との密通など、様々な要素が散りばめられてあります。そういった組織活動をする人々と、一般の市民(兵士を助け治療を施した父娘もその範疇)との乖離も、きっちりと描かれています。それだからこそ、主役のイギリス兵は、最後は助かるのですが、それでハッピーエンドにならないのが、この映画の魅力だと思います。物語的に、助かったあとに何かがあるわけではありません。ただ残るのは、暴力の連鎖の傷ましさ、非人間的哀しさだけです。序盤、銃を取られたイギリス兵が、取った男を追いかけます。揉めていると、いきなり一人の男が近づいてきて、至近距離からイギリス兵を撃ちます。即死です。それを見ていた市民、その市民は、暴力で市民を連行しようとする警察、それを警護するイギリス兵に、猛烈な抗議を、投石をしていた人たちでもあるのですが、彼らは、狙撃したIRAの過激派の男に詰め寄ります。「そこまでしなくていいじゃないか」と。この感性は、兵士を匿った元衛生兵の男の持つそれです。更に、兵士が、最後追い詰められ、高校生と思われる男に撃たれようとします。撃つことを求められた男は撃てません。これも、この感性に含まれるものです。人間の中に人間を見ることを落とし、もの化した人間だけを看ているものだけが、いとも簡単に人を殺せるということなんでしょう。それが戦争だと。北アイルランドの紛争は、正に戦争です。映画に映る場面は、市街戦の現場でしかありませんでした。黄紺が、レフコシャの緩衝地帯で見た光景そのままでした。サスペンス・タッチで、一人の男の命を追いかける映画ですが、そこから焙り出されてきたのは、現代の戦争の姿そのものです。もの化した人間しか見ない闘争が、数を競うテロを誘発しているということでしょう。昨今のテロは、全て、この範疇に入るものでしょうね、ですから、そういった人間の見方をしている人たちが、運よく政権についても、政治と言えるものができるはずがありません。1971年のベルファストを描くことで、21世紀の戦争の原型を訴えようとしている映画と看ました。そんなですから、兵士が助かっても、何らハッピーエンドの映画ではないのです。推奨できる映画1本、見っけです。



2015年 10月 14日(水)午前 0時 29分

 今日も、昨日に続いて、カフェモンタージュに行った日。今日は、こちらで、時々出る古楽の演奏会があった日でした。「無伴奏」と題された演奏会は、リュートの蓮見岳人さんのソロ演奏を楽しむもの。演奏曲目は、次のようなものでした。「E.ロイスナー 組曲ト短調」「J.S.バッハ リュート組曲 BWV1006a ヘ長調」「S.L.ヴァイス 組曲ヘ長調」。蓮見さんは、ドイツ在住のリュート奏者。今回は、蓮見さんの方から、昨年のカフェモンタージュでの演奏経験から、日本に行くのでということで、働きかけがあり、急遽実現したコンサートだということでした。バッハ以外は知らない作曲家が並びましたが、蓮見さんのお話しがあり、少なくとも作曲された時代を想定しながら聴くことができました。最初のロイスナーの曲が、黄紺的には最もリュートのイメージに合うもの。吟遊詩人が奏でるようなのんびりと、永遠に時間の流れを意識しないでおれるような曲想。その吟遊詩人と言っても、あくまでもトゥルバドゥールであって、決してトゥルヴェールやミンネジンガーはないという雰囲気を携えています。その雰囲気が、バッハになり一転してしまいます。機能的なリズムを刻む平均率を思わせるような曲想。しかも、ポジションの設定がむずかしくて、ポジションが飛びに飛びまくっていきます。演奏前に、蓮見さんが、「この曲はリュート用に作ったのではない」と言われていた意味が、呆気なく了解できました。半ばにメヌエット(?)が入ると、耳慣れていることもあるのでしょうか、ちょっと気が休まるのですが、相変わらずポジション取りが大変なのは、目に見えてわけですから、聴いていても、とってもスリリングなものを感じました。そのバッハと同時代の作曲家がヴァイス。バッハ的でもあり、そうではないとも言える曲。これまでの2曲に比べて、地味と言えば地味系。と言った意味では、最後に持ってくる曲にしては寂しいものがあります。総じて、音の不安定なところに、ちょっとハラハラしながら聴いていたってところがあるのですが、軽く流れる感じで演奏されているときのリュート音楽の楽しさは極上のものだと実感させてもっら演奏でもありました。貴重な演奏会を提供してもらったこと自体に、まず感謝でした。



2015年 10月 12日(月)午後 10時 59分

カフェモンタージュ"  今日は、二部制の予定を立てていたのですが、家の用事が入り、毎月楽しみにしている「一心寺門前浪曲席」はあきらめる羽目に。さっさと空いている時間を使い、所用を済ませておけば、こないなことにならなかったのにと思っても、後の祭り。今日は、夜のカフェモンタージュのコンサートだけになってしまいました。そのコンサートは、「フランス近代の音楽」と題して行われ、ドビュッシーとラベルのピアノ三重奏曲(演奏順)が演奏されました。演奏は、ピアノが奈良田朋子、バイオリンが谷本華子、 チェロが金子倫太郎でした。渡されたプログラムには、それぞれの曲の作曲年が書かれていたのですが、黄紺の頭には、ちょっとした?が点ります。と言いますのは、ラベルの方は1910年代なのですが、ドビュッシーの方は1880年となっていたからです。早すぎるのです。その答は、あっさりと、冒頭のオーナー氏の解説で明らかになりました。ドビュッシー18歳のときの作品で、長い間、その存在が判らず、楽譜が出版されたのは、今から30年ほど前だそうです。確かに、その存在すら、自分的にもはっきりしてなかったですしね。で、実際に聴いてみると、ドビュッシーと、予め聞いていなかったら、ま、ドビュッシーとは思わないですね。完璧にフォーレだと思ってしまうでしょう。いや、辛辣に書けば、フォーレを、誰かが真似て書いた作品と思ってしまうかもしれません。そんな書き方をしましたが、なかなか耳に残るメロディ・ラインに魅力のある曲です。ただ、習作っぽいなと思わせられたのは、やたらバイオリンとチェロのメロディが重なるところでした。それに対し、ラベルの方は大曲。そして、こちらは明らかに20世紀の香りがします。メロディ的にも、アンサンブル的にもです。全音階のピアノに乗るか乗らぬか、聴きようによっては、どっちにでもとれそうなピアノに対し、がつがつとぶつかり、また接近する2本の弦楽器。そうかと思うと、極小のピアニッシモで際どくバランスをとる2本の弦楽器など、様々な試みが彩を豊かにしていってくれます。この3人は、金子さんが東京に行くまでには、タニマチ・トリオを名乗り、よく演奏をしていたそうです。今回、3年ぶりの共演が実現したそうです。アンコールなしで、替わりに写真撮影をと、金子さんが言い出し、あとのお二人には、打ち合わせなしだったのでしょう、ラベルの緊張が、客席ともども一挙にほぐれました。



2015年 10月 11日(日)午後 7時 45分

 夜半からかなり激しい雨。しかし、お出かけ時間には、どんよりとはしていましたが、雨は止んでいました。従って、予定通り、ミニウォーキングをしてから、少し休憩をとってから芝居に向かうことはしました。今日の芝居は、「伏兵コード」の公演「遠浅」でした。場所は、芝居では定番の「応天院」です。この劇団は、OMS戯曲賞大賞&佳作の受賞経験のある稲田真理の芝居を上演するもの。もう何度目かの観劇になります。最初観始めた頃は、現代社会に生きる人間の生き方、人と人との関係性などを扱い、結構惹かれたために、時間さえ合えば観るようにしていた劇団なのですが、ここ何作かは、作風が、全く変わってしまっています。それで、どこかで見放そうかと思いつつも、かつての作風が得がたいものだという記憶があるために、未だに離れられずにいるといったらいいでしょうか。新しい作風というのは、自分史と言えばいいのか、私芝居と言えばいいのか、自分のアイデンティティの問いかけに重点が移され、過去の自分を掘り下げ、今の自分を対象化する作品を書き続け、そして、自らのプロデュースで、ときには自ら役者でもあることから出演もして上演を続けています。一人の人間の歴史を描くとき、それぞれに固有の属性というものがあります。彼女の場合には、あまり多いとは言えない生い立ちを持っているものですから、求めようなとしているテーマを追いかけ易いという脚本家としての狙いもあるのではと書けば、ちょっと穿った見方になってしまうでしょうか。その半生に含まれているエレメントは、両親の離婚、しかも、母親は娘を棄てる言葉を残して去っていきます。「私の人生には真理はじゃまになる」という言葉がそうです。また、父親は、他に家庭を持つかのか、その辺はよく判らないのですが、真理を、自分の両親に預けてしまいますから、真理は祖父母に育てられていきます。その辺の挿話は、今回、随分と出てきていましたが、今回の芝居の中で、特にポイントを絞られていたのは、真理が、決定的に父親との関係が絶縁状態に入っていくところでした。父親は、定職も持たずパチンコなんかで、日々の時間を過ごす人物。当然、金がない。真理に電話をかけてきては、金の無心をする。あげくの果てには、祖父母が亡くなったあと、真理に、無断で家を売りさばき、金を手に入れてしまう。真理の思い出の品も、祖父母の形見の品も、一切、業者に処分させてしまい、そのことを、真理に、処分後も連絡もしなかった。この話は、今までの作品のプロットとしても出ては来ていましたが、それを、今回は正面から取り上げたということです。この出来事が、かなりの衝撃となり、絶縁となったということで、許せない、帰るところがなくなったと、これも、テキストに何度も現れないきたもの。そこに至る父親の金の無心する姿が、何度も出てきます。行きつく先を、観客は知っているため、黄紺も漠然と予見するものがあったのですが、これが、かなり狂いました。二人が話をしています。普通の親子の会話です。お互いに過剰でもなく、何かしら欠けているような会話をしているわけではありません。会話の最後にくると、必ず父親は娘に金の無心をします。娘は、それに応じます。これの繰り返しでした。不思議な光景でした。ちょっと父親らしい声をかけ、娘は娘として応じている。父親は、金の無心を目的に、親らしい声かけをしているのか、そうも思って、最初は観ていましたが、徐々に、そうではないと思うようになりました。父親は、娘に、気になるから、それらしい言葉を発する。でも、娘が困るようなことを言ってしまう。この混濁した人物を看て取ってしまっている娘は、無心に応じてしまう。同じことを繰返してしまう娘は、一方で混濁状態に応じる応じないの股裂き状態に陥るところから、後悔、嫌悪の繰り返しになっていってると看ました。父親らしさ、娘らしさってなんなのでしょうね? しかし、この芝居では、お互いに求めているものを感じました。しかし、一方で、自らの根源を破壊もしてしまう。「壊れた関係」の中でこそ、現代の家庭、親子といったものに持つ幻想が見えてきた思いでした。個人史を描くことで、世の中を描くと言えばいいでしょうか。役者では、父親を演じた蟷螂襲が、やはり圧倒的な存在。芝居の進め方は、大阪にいる現在の真理と恋人が、真理の家のことを語り合うというか、真理の話を恋人が聴くというもので、一方、それに応じて、過去の真理と父親の会話が演じられるというものでした。



2015年 10月 10日(土)午後 9時 6分

 今日は音楽を聴く日。初めて行くバロックザール(青山音楽記念館)でのコンサート。今日は、こちらで「辻本玲チェロ・リサイクル」がありました。カフェモンタージュに、辻本さんが出演されたおりに聴いたストラディバリウスの音色が忘れられずに、このコンサートがあると知ったとき、直ちにチケットを買い求めてありました。そのプログラムは、次のようなものでした。「J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調」「ブラームス チェロ・ソナタ第2番ヘ長調」「カサド 愛の夢」「ショパン ノクターン第2番」「チャイコフスキー 感傷的なワルツ」「カプースチン ブルレスク」「プロコフィエフ チェロ・ソナタハ長調」。なお、ピアノ伴奏は須関裕子さんでした。前半が、ドイツの大家の2曲、そして後半が、小品を挟んで、プロコフィエフのソナタという布陣。まず、バッハのアインザッツを聴いたところで、本当の目的は達したとの実感。やはり、楽器が鳴ります。それに惹かれてチケットを買った黄紺には、元を取ったぞと、やらしい気持ちになってしまってました。前半は、とにかく疾走感に翻弄されたってところ。休憩明けの小品集が、本日の問題箇所。明らかに駆け抜けることのできないショパンやチャイコフスキーになると、ボロが出てしまいました。トリルがうまくいかなかったり、スライドさせて音を取るときに、ポジションが決まらなかったりと、ちょっとテクニック的なミスが出てくるかと思うと、曲の陰影という点では、全然満足のできるものではありませんでした。それを挽回したのがプロコフィエフ。エモーションナルな要素を強く求められる曲よりか、こうした曲の方がいいのかな? 相変わらず楽器は、最後までよく鳴っていました。アンコールはピアソラの曲から1つ演奏されました。



2015年 10月 10日(土)午前 7時 6分

 今日は繁昌亭三昧の一日。まず昼席からです。今日の昼席は、若手グランプリ優勝準優勝記念ウィークと銘打たれた席。優勝の吉の丞、準優勝のべ瓶の出演だけではなく、記念の口上まであったのですが、今日だけ、べ瓶の師匠鶴瓶が、口上に並ぶとあってチケットを押さえてありました。べ瓶の場合、新聞でも報道がありましたが、一度破門をされていますから、口上には、師匠が並ばないとおもしろくないというわけです。で、その番組は、次のようなものとなりました。ぽんぽ娘「引き出す女」、ちょうば「読書の時間」、純瓶「犬の目」、幸助福助「漫才」、あさ吉「風邪うどん」、春若「三十石」、(中入り)、鶴瓶・あさ吉・べ瓶・吉の丞・春若「口上」、べ瓶「明石飛脚」、吉の丞「仏師屋盗人」、鶴瓶「かんしゃく」。なかなか不思議な感じの番組です。繁昌亭があればこそ遭遇できる番組と言えばいいでしょうか。ぽんぽ娘は、「マクラが中心の噺家です」でしたっけ、そないな自己紹介をしたのに、一人で大爆笑。客席も、いきなり思いがけないものを見せられ、でも戸惑いつつ、ぽんぽ娘ペースに、わりと早くに順応。それに続くちょうばがどうするのかと思いきや、びっくりの三枝作品。「ハンカチ」で、新作に手を染めてきているのは知っていたのですが、三枝作品まで手を伸ばしているとは知りませんでした。ただ、教室での読書を、もったいぶったのか、余分な間を持たせたり、文の読み方を少なくしたものですから、爆発的な笑いを生むところまではいきませんでした。もったいないことをしてしまったなの感じです。純瓶は、今週は口上要員としてのラインナップ。今日は、べ瓶の師匠鶴瓶が出ましたから、口上の方はお役ご免でしたが、他の日は、全て師匠替わりを務めていました。ネタは、主役のべ瓶が控えていることからでしょうか、得意の「いらち俥」は控えたようです。なお、べ瓶に「いらち俥」を教えたのは、この純瓶だということです。あさ吉は、吉朝門下の総領弟子ということでの出演。従って、あさ吉も「師匠に直に教えてもらったネタをします」と断ってからネタに入りました。小便をする子どものあとに酔っぱらいが出てくるヴァージョン。あさ吉のことですから、所作とか台詞回しが決してスムーズではないのですが、なんか冬の街を歩くうどん屋が見えてくるのでしょうね、客席が、とってもネタに順じた自然な反応。一足早く、真冬の雰囲気に浸りました。春若は、毎度おなじみのショート・ジョークで、しっかりと客席を味方につけます。このジョーク、繁昌亭で聞くたびに、ネタが変わっているのが、すごいところです。そして、なんと、ネタは「三十石」。伏見の宿屋から始まり、船出、橋の上からの声かけ、そこから、もう舟唄に進み、あっという間に枚方へ。地元の唄のサービスもあり、「三十石は夢の通い路」で降りました。幕内からの舟唄の具合が、ちょっと変でしたが、静まりかえる客席には、きっと淀川を下る夜船が見えたことでしょう。「口上」を経て、主役の2人の登場。べ瓶の「明石飛脚」には拍子抜け。せっかくの受賞記念なのだから、もっとしっかりとしたネタをすればいいのに、どうしたことでしょう。吉の丞は、自身の会でも聴いたことのある「仏師屋盗人」。あとから出た鶴瓶の話から判ったのですが、このネタの流れは、6代目松鶴→南光(当時べかこ)→吉の丞だそうです。南光が松鶴にもらったとき、その稽古場に鶴瓶がいるのを見た松鶴は、南光を連れて風呂に行ってしまったそうです。吉の丞の「仏師屋盗人」ですが、動楽亭で聴いたときとは違った印象を持ってしまいました。繁昌亭で聴くと、吉の丞の大きな声が、やたらと一本調子に聴こえてしまったのです。動楽亭に比べて器が広い分、台詞回しの調整がうまく伝わりにくいようでした。この辺のテクニックなんてのも必要だということなのでしょう。ムズい話です。鶴瓶のネタは、初めて聴くもの。私落語の中に入れていいのでしょうか? それとも私落語的な新作と言っていいのでしょうか? 情報がないので判断がつきません。内容は、修行時代の鶴瓶と6代目とのやりとりで、最終的には師匠の優しさが滲み出てくるというものでした。マクラでは、南光の稽古のときのエピソードから、同期の噺家のエピソードへと移り、気がつかぬ間にネタに入るという絶妙なものでした。
 昼席が終わると、東通りまで行き、そちらのネットカフェで時間待ち。夜の繁昌亭では、今日は、福笑主宰の「テーマ落語会」がありました。毎年、テーマに沿った新作や古典の改作が並ぶ人気の会。今年のテーマは「こ、こ、これが究極の愛情か!」というものでした。この会は、出演者も固定されていて、福笑一門の2人と、三喬、生喬の兄弟弟子の4人を中心に、番組は構成されています。毎年、松喬門下の2人からは、嘆きの声が上がります。「福笑とたまは、この会で出したネタは他所でも使える」「我々は、この会のためにだけネタを考えなきゃならない」と。その番組は、次のようなものでした。たま「危険な情事」、福笑「晴れ、時々夫婦げんか」、三喬「仏師屋盗人」、(中入り)、生喬「殿集め」、福笑「憧れの甲子園」。たまは、「できちゃった」で発表したもの。過激な夫婦げんかが前半、そして後半は、過激な愛人との逃避行という、かなりブラックな内容。続く福笑も、夫婦関係があやしくなった夫婦を取り上げました。但し、こちらはハッピーエンドとなる噺。ただ、相手の本心を確かめるために、作り事を使うというプロットが、たまとかぶってしまいました。三喬は「仏師屋盗人」をいじった、かなり恥ずかしい仕上がりとなっていました。ただ、今日のテーマで、「仏師屋盗人」をいじったら、こういった展開になると、ちょっと予想していたものでした。盗人が、仏師屋の仕事ぶりを見て、惚れ込んでしまうというもの。男色系の噺になったというわけです。かなり際どい艶笑噺。三喬曰く、「家でネタがくれない」。生喬も、そちら系のもの。但し、男色噺ではありません。黄紺は、殿集めをしたお嬢さんが、ホントにダイビングをして、裾がまくれてなんてところで艶笑噺に持って行く可能性ありと予想を立てていたのですが、こちらは外れました。これも恥ずかしい噺になってましたが、ダイビングする前の群衆の会話の中から、放送禁止用語が連発されていました。会がはねたあと、この生喬と三喬が、送り出しがてら、「今日のことは忘れてください」と叫んでるという代物でした。男女の愛、男男の愛に持っていかなかったのがトリネタ。福笑鉄板ネタの1つです。甲子園で敗退したチームの監督が、そのあとの打ち上げで、選手を前に酒を呑みぼやき続けるというもの。福笑作品の中でも佳作中の佳作の1つと思っています。型は「一人酒盛」です。ししばばネタからスタートして、来年で10周年を迎えるそうです。それを記念して、もう一度、ししばばネタリターンズってものを試みて欲しいななんてことを考えていました。



2015年 10月 9日(金)午前 1時 19分

 今日は、八聖亭で落語を聴いた日。八聖亭へ行くのは、ちょっと間が空いたかなというところ。今夜は、こちらで「四行錯誤の会」という落語会がありました。団治郎に優々という米朝一門の噺家さんに加えて、染吉に三弥が加わってのユニットです。染吉までは、似た世代なもので、このユニットを組むのが解るのですが、三弥が入っているのが、もう一つ謎なのが、ちょっとした魅力になっています。もちろん黄紺的感じ方でだけですが。で、今日の番組は、次のようなものでした。優々「裏向き丁稚」、三弥「茶漬け間男」、染吉「一眼国」、団治郎「小倉船」、全員「大喜利」。今日は、珍品ばかりが並ぶ珍しい番組。若手の噺家さんだけで、これだけの珍品が並ぶのは珍しいことです。但し、「小倉船」を除いては、全てが短めの噺というのが難点。そのために、優々が司会をした「大喜利」を長めにして、時間調整をすることになりました。「裏向き丁稚」は、その中でも珍品中の珍品。丁稚が隠居の肩をもむシーンに記憶があるので、聴いたことはあるようなのですが、誰で聴いたかとか、いつ聴いたかなんてことは、全く記憶には残っていません。優々が言うには、東京には、この噺はなく、上方でもするのは、自分を含めて3人だと言っていました。呂鶴からもらったと言っていましたから、残りの1人は判るというものです。悪たれをつく丁稚が、医者へ使いに出され、また、そこで悪たれをつくのかと思いきや、下げを創るために行かされたようなものでした。優々は、子どもが大好きだと言って始めたネタでしたが、テキストからして、悪たれが過ぎて、あまりこまっしゃくれた可愛げを感じさせるキャラではありませんでした。「茶漬け間男」は、最近流行ってるのかなぁ。時々聴けるようになりました。艶笑噺なので場所を選ぶと言ってから、三弥はスタートを切りました。松茸の小咄をふってからのネタ突入です。瓢逸とした人物が出てくる噺に持ち味を発揮する三弥のことですから、いいネタを手がけたものと思っていたら、案の定、ずっと茶漬けを食べている男がいい感じ。噺の中では虚仮にされますが、憎めない可愛げのある男が感じいいですね。ただ、艶笑噺だから、過剰な描写は良くないとの判断があったからだと思うのですが、あまりにもあっさりしすぎていました。家に入り込むおいしい場面は、そのおいしさを堪能して欲しいと思いました。染吉だけがネタ出しなしだったのですが、全員レアものだと、端から言われていたものですから、何を出すのか楽しみにしていたら、「一眼国」でした。演じ手の少ないなか、五郎兵衛一門が、時々出すネタですね。黄紺も、「一眼国」に遭遇するのは久しぶりで、最近では、団姫で聴いたのを、真っ先に思い出します。六部の静かに語る奇妙な噺に、何があったのかと思わせるのが聴かせどころかなと思っているのですが、染吉の口演では、ちょっとその辺が物足りなかったかな。興行主と、さほど変わらないテンションに聴こえてしまいました。団治郎の「小倉船」は聴かせました、見せました。後半、芝居掛かりになるところが楽しみのこのネタ、この後半部分は、団治郎の師匠である米団治の独壇場と、黄紺は思っているのですが、正に、その米団治の薫頭を受けた効果が出ていたように思います。もちろん米団治の思い切りのある切れた所作には及ぶものではありませんが、時間をかけて、ちょっとでも師匠に近づいて行って欲しいものです。ただ、今日は、最後の下げの直前で噛むという大失態。こちら失態は、あまりにも目立ちましたが、途中、小さな箇所で、何度か噛みかけていたのが気になりました。団治郎には、時間がいっぱいあるのですから、じっくりと練り上げて行って欲しいすね。この世代で、こんなのを見せられるって、長く生きていて良かったです、ホント。



2015年 10月 7日(水)午後 11時 44分

 今日は、カフェモンタージュで、石上真由子さんのバイオリンを聴く日。かなりの人気だってたようで、売り出し後、あまり日を経ず「予定数終了」の文字が、カフェモンタージュのサイトに出ていました。今日の演奏会のタイトルは「LES GRANDES NOUVRES」と題されたもので、実際に演奏されたのは、バルトーク バイオリン・ソナタ第1番」でした。なお、ピアノは船橋美穂さんでした。今日は、バルトーク1曲だということで、そのわけを含めて、冒頭にオーナー氏が、いつもより長めに解説をされました。要するに、他の曲と一緒にしにくい曲だとのお話しでしたが、かなりラベルやドビュッシーを意識しながら作曲していたとか。バルトークと言えば、20世紀に入り、ロマン派の音楽が行きつくところまで行ってしまったなか、相変わらず、その路線を追い求めたR.シュトラウスなどと違い、新たな路線を志向していったわけですが、同じ志を持ちながら、全く手法の異なるラベルやドビュッシーを意識することなど、考えたことはなかったのですが、それがそうではなく、このバイオリン・ソナタにも、ラベルやドビュッシーの使った音型やリズムを忍ばせながら、独自の曲を創り上げていったそうです。と言われても、実際に演奏中に、どの部分が、それに該当するかが、黄紺に解るはずはありません。1楽章と2楽章は、不安定な音の組み合わせに加えて、音の出し方自体も不安定さを求められているよう。一方の3楽章は、バルトークの持つ野性味溢れる音楽へと変わっていきます。全体を通じてバルトークらしさの詰まった感じ。石上さんの演奏は、お若いからでしょうね、3楽章に溌剌としたものを出されていました。1.2楽章では、もう少し音色の変化があると、不安定、混沌たるものを、強く感じさせるものになったかと思いました。ルクー、コルンゴールド、シューベルトと続いた石上さんによる大きな曲(LES GRANDES NOUVRES)の演奏は、ここまでのお約束だったとか。黄紺は、今日とコルンゴールドの出た日に行くことができました。運悪く、他の日は何かとバッティングで行けませんでした。オーナー氏は、新たなオファーを石上さんに出す用意があると言われていましたので、その機会を待つことにしましょう。



2015年 10月 6日(火)午後 11時 39分

 今日は二部制の日。午後は、文楽劇場で「公演記録観賞会」、夜は、高津神社で落語を聴いてまいりました。今日の「公演記録観賞会」は文楽の日。「近江源氏先陣館〜和田兵衛上使の段・盛綱陣屋の段〜」が、その演目です。昭和62年の公演の記録で、「和田兵衛」の方が咲太夫さん、「盛綱陣屋」の方が住太夫さんが、太夫さんを務められるというもの。人形の方は、佐々木盛綱を先代玉男、母微妙を文雀、妻早瀬を紋寿、高綱妻篝火を文昇、北条時政を作十郎、小四郎を清之助(現清十郎)という布陣でした。今日の2つの段で、2時間ちょっとかかりましたが、その内の1時間半ほどは住太夫さんの出番。その最後まで衰えぬスタミナと集中力には、ただただ感服するばかり。「和田兵衛」の方は、今を盛りと太夫さんの頂点に立っておられる咲太夫さんの若きお姿。雰囲気は、さほど変わらないなとの印象でした。ストーリーは、文楽らしいえげつなさのあるもの。忠義とか義理の中で、まだとしわのいかない小四郎に腹を切らせる話が出てきたり、その小四郎は、父高綱を守るために、偽の父親の首を見て、それを父親と信じ込ませるために、自ら腹を切ったりと、すごいものがあります。かなり文楽のストーリー展開には慣れてきている黄紺でも、やはりついていけなくなるものを感じてしまうところです。今日は、全体の3/4ほどは居眠り。幸い首実検のクライマックスは覚醒していたのですが、居眠りの途中、何度も気がつくのですが、画面を観ても、即座にどこをやっているのかが判らないものですから、また、居眠りに入るということを繰り返していました。この観賞会に行く前は、ミニウォーキングと食事を併せると、こないなことになるってことが、よ〜く解りました。
 文楽劇場を出ると、いつものように千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は、高津神社であった「高津落語研究会」です。もうプレミアの会から、2ヶ月が経つのですね。時間の経つのが、あまりにも早い。で、今日の番組は、次のようなものでした。ひろば「しの字丁稚」、南天「へっい盗人」、雀五郎「いらちの愛宕詣り」、たま「次の御用日」、全員「大喜利」。今日は、短めの噺ばかりが並びました。その辺については、雀五郎が、マクラで述懐していました。プレミア落語会のあたりを意識していたら、こないなことになってしていましたと。でも、おもしろい噺が並びました。珍品ありの、滑稽噺ありで、とっても楽しむことができました。「しの字丁稚」は珍しい。最近では、福丸が持っているので聴いたことがあるのですが、その前に聴いたのは、いつとか、誰でとかは、全く思い出せないほどです。ひろばは、「大人の前ではあまりやらないのですが」と断ってからネタに入ったところをみると、解りやすく、落語らしいということで、学校公演なんかで、よく出してるのかなと思いました。ネタは単純で、しの字は縁起が悪いということで、しの字を使わないで喋るというだけの噺です。南天の「へっつい盗人」は、彼の鉄板ネタ。アホが、昨日の文三のアホと同じで、底抜けに明るく、ご陽気なもので、かなりアブナイ男ですが、愛らしくなってしまいます。最後、へっついを持ち上げ縄を通すくだりを、ちょっと長めにとり、「わぁわぁ言うております」で降りました。南天は、前から、このパターンですね。次の雀五郎の「いらちの愛宕詣り」も良かったですね。いらちの男の台詞が、常に前につっかかるような間の取り方でのお喋りが素晴らしい。とっても喋りにくいと思うのですが、雀五郎は、全編、それをやり通すのですから、すごいとしか言いようがありません。そのお喋りの仕方に、テキストの可笑しさが加わるわけですから、笑いが倍加していきました。たまの「次の御用日」を、久しく聴いてないなというのが、今日、この落語会に行ったモティベーションだったのですが、もうこの時点で満腹状態。たまの「次の御用日」は、テキストは、たまらしく描写をいじっていますが、基本的な流れは、通常の進行とは変わるわけではありません。テキストいじりで一番大きいのは、とうさんと常吉の道行きの会話。とうさんが常吉を好きだと、常吉がデフォルメしてからかうのを大きくしてました。真夏の描写を丁寧にするために、物売の声を入れるという演出が定番ですが、たまも短いものでしたが、最低限の量で効果を大きくという感じで入れてました。ただ、前に聴いたときは、そうではなかったのですが、終盤、早口言葉のように「あっ」という叫びを繰り返し入れることを控え気味にしていました。なんでなんかなぁ、おいしいところなのに。最後は定番の「大喜利」。司会は、トップの出番だったひろば。雀五郎が「あざやか」と言われるものを連発にしていました。



2015年 10月 6日(火)午前 0時 4分

 今日は繁昌亭で落語を聴く日。「満腹全席」という桂文三主宰の落語会があったからです。年に4回、月曜日を選んで繁昌亭で行われている会、今日の番組は、次のようなものでした。文三「挨拶」、治門「初天神」、文三「刻うどん」、福矢「崇徳院」、(中入り)、文三「稽古屋」。いつもの如く、文三の愛想のいい挨拶でスタート。でも、今日は、客席がおかしな反応。個人的な知り合いなんかなぁ、ちょっと過剰反応。黄紺的には、あまり歓迎しない雰囲気。あたり構わず、自分たちだけで盛り上がってるのは、逆に全体の雰囲気を盛り上げるとは限りません。治門は、最近、遭遇しなくなっています。一時、前座として、当分重宝される日々が続くと思っていたのですが、そうではない様子。なんでなんかなぁと思っていました。今日の「初天神」も安定しているので、安心のできる前座さんだと思うのですが。文三の一席目は、びっくりの「刻うどん」。今更、自分の会で「刻うどん」はないだろうと思いながら、マクラのお金の話を聴いていたところ、まさかの「刻うどん」でした。ただ、普段はやらない冒頭の冷やかし帰りの箇所は入れてくれました。後段の失敗噺の伏線として、アホさを知らしめるにはいい箇所なんですが。文三の描くアホは、かなり過剰でアブナイ男。黄紺は、アブナイ男に描かれると引いてしまう傾向にあるのですが、文三の描くアホは、あまりにもあっけらかんとしているため、引くまではいかないのです。この辺が、文三の技ってやつでしょう。うどんを食べながらゲップを入れるくすぐりは、今日も大ヒットしていました。残念だったのは、珍しく抜かしてしまった箇所が出たことです。バラシの後半に入ったところで、一人で行っているのに、二人のつもりであることを示さないままに、急に袖を引っ張られる仕草が出たことです。文三は、その仕草に入る前に、抜かしたことに気づいたようですが、そのまま噺を進めました。ゲスト枠は福矢。ネタが長いということでしょうね、福矢の楽しいマクラは、ほとんど聴けなかったのが惜しまれます。ところで、その福矢の「崇徳院」ですが、黄紺的には初遭遇。福矢独特の語間が伸びる調子が、序盤の若旦那の出てくる下りや、それを親旦さんに報告する下りでは、気になって仕方ありませんでした。熊五郎が人探しに出る中盤から、テンポが上がると、その気になるリズムは、徐々に気にならなくなっていきました。福矢の口演で一番気に入ったのは、終盤、歩き疲れた熊五郎が、最後に入ったときの表情。情けなさそうな表情が抜群。そこへ棟梁風の男が入ってくると、更にテンポアップ。いいクライマックスだったのですが、そこへ行くまでが、ちょっと疲れました。中入り明けの文三は、黄紺的には思いがけないネタを出してくれました。文三の師匠の先代文枝は、それこそ音曲噺を得意としたものですが、文三は、そういった音曲噺はしないものだと思っていました。マクラを聴いていて、どうやら「稽古屋」らしいが、ホントにするのって感じで聴いてしまってました。ネタが始まっても、いよいよアホが稽古屋に行っても、八方のような変化技を使うんじゃいないと疑いの目。実際は、そうではありませんでした。師匠と同じ「稽古屋」でした。踊りを教える手もしっかりしているし、長唄の一節も披露と、今まで黄紺の知らなかった文三を見せてもらいました。このネタでも、アホは過剰気味でしたが、「刻うどん」同様、引くことはありませんでした。なお、ネタの入り方ですが、「色事根問」から入り、四芸までやったあと、稽古屋に行く話へと持って行きました。そして、最後の下げまできっちりと。こんなのやるんだったら、文枝の音曲ネタに、どんどんチャレンジして欲しいと思うのは、黄紺だけではないでしょう。



2015年 10月 4日(日)午後 8時 38分

 今日は、トリイホールで落語を聴く日。落語会や講談会が千日亭にシフトするなか、トリイホールに行く機会が減っているのですが、今日は久しぶりのトリイホールとなりました。今日は、こちらで「SOMEZA@TORII染左の会」がありました。毎月、千日亭で行われている染左の会とは別の特別な会が行われたのです。その番組は、次のようなものでした。天使「犬の目」、卯三郎「荒茶の湯」、染左「軽業講釈」、(中入り)、わんだふる佳恵「奇術」、染左「淀五郎」。前座役で登場の天使は、まず染左の紹介がてら、繋がり話をしてくれたのですが、その中で、「染左は鬼軍曹と呼ばれています」「でも軍曹って何か解らなかった」と言ったときには、思わず笑ってしまいました。その天使の「犬の目」に惹かれました。「犬の目」の原型って、こういったテキストだったのだろうということです。たこ焼きのヘラも、A液B液も出てきません。目を乾かすのは陰干しに限るなんてのもない「犬の目」。医者の名前は赤壁周庵だし、助手は宗達ってのが嬉しいところ。師匠の文都が、こういった型を大事にしていたのでしょうね。不必要に改変しなくても、立派に生き続けるネタの強さのようなものを感じさせてくれました。また、そのように感じたのは、天使の口演によると思いました。掛け合いに、リズムがあって、とってもリアリティを感じさせてくれましたからね。これだと、今度は「堕天使の解」におじゃしなくちゃなりません。卯三郎は、釈ネタの「荒茶」。卯三郎は、釈ネタと紹介し、更に南鱗にもらったことまで紹介してからネタに入りました。最近、「荒茶」をする噺家さんが増えてますね。鶴光が始めたのかなと、黄紺は、勝手に了解をしているのですが、随分と前から落語化しているものです。確かに滑稽な内容ですから、噺家さんがやってみたい気持ちは解ります。ほぼ南鱗の口演で聴くものと同じでしたが、茶碗を回す仕草が入ってませんでした。卯三郎が抜いたのでしょうか? それとも、単純に抜かしたのでしょうか? 南鱗で聴くと、いかにも武骨な武将たちは、風雅とは無縁だったのかと思わせるのですが、卯三郎の口演では、単に滑稽な噺という雰囲気でしかありませんでした。その辺が、講談と落語の違いでしょうか? それとも、演者と違いなのか。前者の方かな、ムズいところですね。染左は、まず、「軽業講釈」から。染左の「軽業講釈」と言えば、懐かしい思い出があります。入門10周年を記念した連続の会でも、染左は、このネタを出したのですが、そのとき、お手伝いに来ていた染二が、鳴り物も担当し、軽業の鳴り物を思いっきり大きく叩いたものですから、染左が下座に向かい絶叫したのを思い出すのです。実は、染左の「軽業講釈」を聴くのは、そのとき以来でした。今日は、卯三郎が叩いていたでしょうから、そないなことはなかったのですが、染左は、にも拘らず、絶叫してくれました。その直後、「もう一席できるやろか」と言って、客席の笑いを取っていました。あれから9年が経ちましたが、これが、9年前との違いなんだろうなと思って聴いていました。入門間もない頃から、染左を聴いてきましたが、端正な噺をする噺家さんなので、どこかで弾けたらいいのにと、昔は思っていたのですが、今日は不満でしたが、自在なマクラに、ここぞとばかりの絶叫で、噺に幅があるのが看えてきて、最近は、聴くのがより楽しみになってきています。そないな昔話とともに、今の染左を体感できて、満足度高しの口演でした。わんだふる佳恵を挟んでのトリの一席は、染左では初めてとなる「淀五郎」。今まで聴く機会を逸してきた待望のネタです。芝居噺に精を出す染左らしい一品でもあります。「中村仲蔵」同様の芸談をテーマにしたもの。主要登場人物は、主役の淀五郎に、彼を引き立てた音羽屋、行き詰った淀五郎にアドバイスをする尾上多見蔵となっていて、他の噺家さんの口演とは違うかもしれません。この主要人物の中で、最も共感できたのは尾上多見蔵。慈愛に満ちた雰囲気は説得力を感じましたが、淀五郎の思いつめ方は、もう少し過剰であっても不思議ではないでしょう。だって、死まで腹に据えるのですから。音羽屋は意地悪な師匠ではないはずです。捨て育てまでとは言いませんし、ひょっとしたら尾上多見蔵のような男に頼るということを見通しての言動と看ておいた方が、最後の「できた」と淀五郎に近づく合理性がありますから、かなり懐の深い人物と看るのが妥当でしょう。そういった観点で、染左の口演を振り返ったとき、やっぱ師匠の風格、位が欲しいのですが、果たして十分だっと言えるでしょうか? 「淀五郎」は、どうしても円生の口演なんかが頭をかすめるものですから、黄紺の要求水準が高すぎるのかもしれませんが、捲土重来、またの遭遇を楽しみにしたいものです。



2015年 10月 3日(土)午後 7時 42分

 今日は、びわ湖ホールの小ホールで、田村安祐美さんのバイオリンを聴く日。1年ほどかけて、田村さんは、ベートーベンのバイオリン・ソナタ全曲演奏会を3回に分けて行われている内の第2回目が、今日あったというわけです。前回は御所の横にあるアルティ・ホールであったのですが、今回は、場所を変えての演奏会となりました。今日演奏されたのは、「8番」「7番」「9番クロイツェル」の3つのソナタでした。ピアノは、前回同様というか、カフェモンタージュで、黄紺もすっかりおなじみになってしまっている塩見亮さんでした。少し軽めの8番をトップに据え、一番ドラマチックなクロイツェル・ソナタを最後に持ってきたというプログラム。始まってすぐに、ピアノの異様に響くのにびっくり。ペダルの踏み方の問題なのか、ホールの問題なのか、黄紺には判りませんでしたが、慣れるのに時間がかかるのと同時に、田村さんの方が修正されていたかなと、後半の方になるにつれ思えるようになりました。バイオリン・ソナタとしては、重厚なものか並んだかという曲目ですが、最後に挨拶された塩見さんによりますと、まだ残っている「スプリング」という名を持つソナタを、わざわざ秋にすることはなかろうということで、順番を崩しての選曲になったそうです。少し軽めの8番に先立つ7番は、終楽章を聴くと、もうクロイツェル・ソナタを先取りするかのような激しさ、厚みのあるソナタです。バイオリン・ソナタの後の方の作品と言っても、シンフォニーで言えば、2番や3番を作曲した時期で、正に円熟期に入ってきた時期。バイオリン・ソナタと言っても、あるときには、バイオリンの方が、ピアノに対してオブリガードをつけるようになっていたり、バイオリン・ソナタとしても、進化してきているのが看て取れました。今日、一つ気が付いたことがあります。ベートーベンって勝負メロディーとして、バイオリンとピアノのユニゾンを用いているということの発見です。バイオリンとピアノということではなく、ピアノの両手のメロディーを、1オクターブなり、2オクターブ離して、同じメロディーを持ってきたりしているのですね。確かに、いいアクセントになり、耳に残ってしまいます。田村さんのバイオリンは、今まで聴いたことのなかった力強さを感じさせるもの。その一方で、音の明るさと陰影の振幅が、もう少し欲しいなとも思いました。あと1回で全曲走破です。「春」が残りましたが、結局、次回は春ではなく、6月に予定されているそうです。



2015年 10月 2日(金)午後 11時 55分

 今日は動楽亭で落語を聴く日。今日も、動楽亭に行くまでは、ミニウォーキング。昨日は、昼間が雨だったもので、映画を観たあとに計画していたミニウォーキングはできなかく、あっさり帰宅してしまうと、身体が落ち着かず、結局、夕方からミニウォーキングを始めました。もう6時になると、すっかり暗いのにも拘わらず歩いておりました。幸い、今日はいいお天気なものですから、動楽亭へ行くときの定番、天満橋駅から天王寺まで、松屋町筋経由で歩くことができました。で、夜の落語会は「ご近所落語会」というもの。動楽亭のご近所に住んでいる生寿と小鯛の会です。とっても有望視されている二人の噺家さんの落語とお喋りが聴けるというので、都合がつく限り毎回足を運ぶようにしている会です。その番組は、次のようなものでした。生寿「挨拶」、小鯛「皿屋敷」、生寿「崇徳院」、(中入り)、生寿・小鯛「対談」。この会は、二人が落語を一席ずつに、対談をするというのが基本的な構成。時々、小鯛が新作を創ったときには、試運転という感じで、それを加えて二席することがあるのですが、今日は、それはなし。そのときは、マクラ替わりに「挨拶」が加わります。基本的に近況報告となるのが、この「挨拶」。今日は、、かなりテンションの高い、大爆笑の近況報告となりました。生寿は、ちょっとした話を、おもしろ可笑しくお喋りするのが、めっちゃうまいです。それを楽しみな、ついつい生寿の会に、足が向いてしまいます。小鯛の「皿屋敷」は、いつぞや自身の会で聴いたところ。師匠の塩鯛からもらったものだということが、あとの「対談」で明かされましたが、稽古のときと高座に上がっての口演とは、だいぶと違うとは、本人の弁。なんせ、お菊さんが出てくると絶叫してましたから、そりゃ稽古とは違うでしょう。アイドルと看ているといったことを小鯛は言ってました。前に聴いたときもそうでしたが、やはり小鯛の「皿屋敷」のいいところは、前半の皿屋敷の謂れを聴くところ、半ばの道行きで怖がる男が出てくるところでの、しっかりとした喋りでしょう。終盤で絶叫するような振幅は見せないのですが、おやっさんの話を聴く緊迫感や、道行きの周辺の闇が目に入ってきますもんね。そんなのがあるから、一転したお祭り気分的場面も生きてくるのでしょう。生寿の「崇徳院」も聴きもの。師匠の生喬にもらったということですが、かなりの手入れがされたものです。その手入れというのは、生喬によるものとの説明を聴くまでは、生寿自身の手によるものかと思っていたということは、黄紺自身が、生喬の「崇徳院」を聴いたことがないか、聴いても忘れてしまっているかのいずれかです。特徴は幾つかあります。まず、若旦那が出てきません。親旦さんから熊五郎に、若旦那の状態は告げられるだけ。繰り返しを避けようとする狙いでしょう。ただ、今日は、生寿は痛恨のミスを犯しました。崇徳院の歌が前半だけしか書かれてなかったこと、そしてそのわけを抜かしてしまいました。次に、人探しを頼まれた熊五郎は、親旦さんのところや家に戻るところはカットされていました。これも繰り返しを避けようというものでしょう。ですから、「ここまで見つかりませんでした」「で、5日目の朝」となり、熊五郎の探し方が明らかになりと噺は続いて行きました。逆に付け加えもありました。見つからないことを表すのに、熊五郎は、首から下げたおひつからご飯を食べ、タクアンをかじるとしました。めっちゃグッドなアイデアです。師匠生喬は、「見つからないとどこへ行く?」「神社行くやろ?」「首にかかってるんやから食べなしゃーない」と言ってたそうです。生寿の口演は、一言で言うと、コミック漫画を見ているって感じでした。古典的な物言いと、そうじゃない物言いが混在していることが一つだと思います。熊五郎のキャラ作りが、そのようにされていたこともあります。それに加えて、生寿のかわいい声で、頑張って親旦さんの声を作っているなんてのも入ってきます。ですから、かなり異質な(今まで聴いたことのないという意味で) 口演となりました。「対談」は、ネタ解題から始まり、興味ある脱線へ。「落語の中に潜むウソ」と言えばいいでしょうか、「それを言っちゃ〜おしまいよ」という話に、会場は大爆笑。きっかけは、小鯛が「人探しするんやったら看板かけたらええやん」と言ったのがきっかけ。それに、生寿が、「おごろもち盗人」に潜むウソで応じたものですから、大爆笑となったわけです。なんせ、それを実演入りで説明をしたものですから、ボルテージは上がるばかりでした。でも、これから、「おごろもち盗人」に遭遇するたびに気になって仕方ないでしょうね。



2015年 10月 1日(木)午後 7時 33分

 今日は映画を観る日。十三の第七芸術劇場、通称「七芸」であった日本映画「ギターマダガスカル」を観てまいりました。マダガスカルは、民博の特別展で知ったのですが、台湾から始まる海を渡った民族移動の西の果て。当然、アフリカ大陸が近いですから、そちらの方からも、文化的影響を受けているでしょうから、かなり異質な文化の接点になっているところです。そないな知識が黄紺にあったものですから、この映画の存在に気づいたとき、呆気なく飛びついてしまいました。ところが、昨夜の寝不足が祟り、ほぼ全編半寝状態という情けないこととなってしまいました。そもそも、この映画にストーリーらしきものがあったかどうかすら、断定ですないのです。ただ常に音楽が流れていたようで、且つ時々、マダガスカルの地図が画面上に現れるたびに、登場人物が変わっていましたから、察するところ、マダガスカルの異なった箇所のミュージシャンが登場してきていたのだと思います。それが、4〜5箇所あった(1箇所はパリ在住のマダガスカル人)と思いますから、それに相当するミュージシャンが出ていたのでしょうね。地域が異なると。マダガスカルは、地形の関係で、実に多彩な気候区分が混在しているところですから、風景が、実に多彩な顔を見せてくれます。全編半寝の黄紺にも、異なったミュージシャンが出ていたのが記憶に残っているというのも、実は、この風景がものを言ってくれているのです。音楽の特徴は、やはり漠然と知っているアフリカ音楽の類型に入るのでしょうか。楽器がえらく印象に残っています。メロディー楽器としては、ギターを使っていましたが、通常、我々が使うギターも使うのですが、同じギター系楽器でも、胴の部分を、少し厚めの板で、なおかつ空洞を狭くしてありますから、えらくぺちゃこい音が出ます。その同じ仕組みの楽器で、胴の空洞を調整することで、ぺちゃこさに変化が出ます。そういうギターと、膨らみのある音の出る通常のギターを組み合わせると、聴いたことのないアンサンブルが生まれるというわけで、それに、アフリカ系のリズムが乗ったのが、マダガスカルの音楽と、黄紺にはインプットされはしたのですが、なんせ全編半寝状態ですから、これを信じきってしまっていいかが判定できないのが、悲しいところですが、正直、再チャレンジしたい気持ちもないわけではないほど、記憶に残るマダガスカルの音楽は、捨てがたいという印象もあります。さて、どうしたものでしょうかね。



2015年 10月 1日(木)午前 0時 37分

 今日は落語を聴く日。お出かけまでは、期限切れ間近のKBSオンデマンドで、最近はまりまくっている「1泊2日」を観まくっていました。このテレビ番組を観ていると、韓国の知らなかった顔を観ることができて、また新たに韓国に行きたくなってしまいます。とりあえずは、来年の5月までは、時間の関係で、韓国行きはお預けなのですが、年明けにでも、狙ってみようかとも考えたりしています。で、今日の落語会は、鶴橋の「雀のおやど」であった「ヤタロウノート」という落語会。吉弥門下の弥太郎の勉強会に行ってまいりました。人なつっこい雰囲気を持つ弥太郎の勉強会は、これで3度目のおじゃまになるはずですが、そういった雰囲気に惹かれる方が多いようで、今まではわりかし多くの人が詰めかける会となっていたのですが、今日は、ガクッと入りが落ちてしまいました。どうしたことでしょうね。同じ時間帯には、たまと九雀の会があったくらいなのにです。その番組は、次のようなものでした。弥太郎「佐々木裁き」、歌之助「七段目」、弥太郎「後家の本心」、(中入り)、弥太郎「ふぐ鍋」。今日のネタ出しは「佐々木裁き」だけ。それが冒頭で出ました。弥太郎が、袴を履いて出てきましたから、ひょっとしたらとは思ったのですが、まだその段階では信じてはいなかったのですが、実際には「佐々木裁き」が始まってしまいました。今日のゲストの歌之助にもらったということです。ただあとから出てきた歌之助は、「いらんことを言う」と言ってましたが。これも、ゲストが歌之助だったので、ある程度は想定範囲内のこと。そして、歌之助にもらうということは、まことにもって賢明なもの。人物がくっきりとしていて、奉行所の場面では、心地よい緩急が付いていて、飽きることのないものですものね。じゃ、弥太郎はどうだったのかというと、奉行所の場面のお奉行さんは、かなり位を意識していることが判るもの。気の使い方、入れ方はグーなんだけど、じゃ市井に出たときは、なんか物足りなかったな。四郎吉の家を訪ねる侍は、親父さんの雰囲気と、あまり変わらなかったですしね。この辺の使い分けってムズいと思うのですが、頑張って欲しいものです。 後半のお奉行さんとの対話もムズい。だって、フレーズごとに、お奉行さんの興奮が高まっていかなくっちゃ、最後に面倒をみるという話が出てくることと合致しませんものね。まだまだ課題は多いと思いますが、何度も何度も高座にかけて、練り上げていって欲しいものです。歌之助の「七段目」を聴いたのって、10年ぶりくらいじやないかな? 以前遭遇したときは、所作にぎこちなさのようなものがという記憶があったので、そないなことを思い出しながら聴いていたのですが、今日は、全然違和感がなく観ることができましたし、お軽の台詞回しが、えらく堂に入ったもので、楽しんで聴くことができました。今日の秀逸は、次の「後家の本心」。まず、このネタですが、九雀が、チェーホフの作品を基にして創ったものだそうです。たまたま弥太郎がチェーホフのことを言っていたら、そのことが、九雀の耳に入り、「こんなんがあるのだけど」と言って、台本を渡されたと言っていました。九雀も、東京で一度だけ高座にかけたことがあるという超レアな作品だとの解説が、「ふぐ鍋」で出てきたときに、弥太郎からなされました。妖しげな雰囲気がある、なかなかおもしろい噺だと、黄紺は思いました。亡き夫の借金を取り立てに来た男と、それに応対する後家さんとのやりとりだけで、最後まで進行する噺。その応対から、相手の人柄を看て取った二人の関係が、特に後家さんの雰囲気が妖しくなってくるところがおもしろいし、聴かせどころ。弥太郎って、こういった噺の方が、意外なことに生き生きとしてました。爆笑じゃなくって、客席から妖しげな笑いが出てくればいい感じの噺です。その雰囲気が出てましたよ、弥太郎の口演が、そういった雰囲気を作り出してました。中入り明けは「ふぐ鍋」。吉朝テイストいっぱいのネタです。間とか、ちょっとした表情の変化とか、そういったものが、今の畳みかけて行く口演に、年々歳々加わっていくことでしょう。クサくならない程度に、大事なテキストを大切にしていって欲しいと思いました。「佐々木裁き」で見台を出して高座を務めたり、台詞の言いそこ間違いがあったりとひやりとさせる場面もありましたが、なんか一所懸命の高座って雰囲気が伝わってくるので、こちらも、思わず身を乗り出して聴いてしまいました。気持ちのいい会でした。



2015年 9月 29日(火)午後 11時 34分

 今日は講談を聴く日。毎月、おじゃまをしている「旭堂南海の何回聴く会」に行く日でした。いつものように、谷六の「薬業年金会館」でありました。この頃、読み続けられている「増補難波戦記」から、今日は「『東西の和睦』〜重成血判見届・幸村自至死地〜」というテーマで読まれました。冬の陣の和談が、今日の話の中心。 和談に持ち込みたい家康は、豊臣方がノーと言えない方法を選ぶ。朝廷から和談の提案をしたことにすれば、豊臣も拒否できないはずということです。実際には、戦禍を京都にも拡大させるとの恫喝をかけて、朝廷から使者を出させるのですだが、その和談の内容で、家康と豊臣方の軍師真田幸村との知恵比べとなっていきます。大坂城の堀を埋めるという条件と、紀州と大和郡山を豊臣の領地とするという条件とが、見合う条件として、この和談が合意に至るというわりと有名な話のところです。このところを聴くたびに思うことは、もし、このときに、豊臣方が、淀君を人質に出すという条件の方を呑んでいれば、その後の歴史は変わっただろうかということ。で、和談が成立すると、今度は、血判書を取り交わすというセレモニー。そこで、格好のいい働きをするのが木村長門守重成。幸村の指令を受けて、そのセレモニーの豊臣方の正使として派遣されるのですが、それは、家康方の武将に悪態をついて斬られて来いという凄まじいもの。それを、若干22歳の若武者がやってのけるわけですから、重成人気が高まるはずです。もっとも重成の悪態に向かっ腹を立て、重成に斬りつけるような武将が、家康側に出ていたのなら、有名な和談は成立してないわけですから、幸村の思惑通りには事は運ばなかったということですが、死を覚悟して悪態をつく重成は格好がいいのです。また、南海さんが、悪態をつかれる武将のコメントを、おもしろおかしく挿し挟まれるものですから、余計に重成が格好良く聴こえてしまいました。来月も、この増補版は続くのですが、残念なことに、黄紺はトルコです。



2015年 9月 29日(火)午前 0時 3分

 今日は、シンフォニーホールでのコンサートに行った日。最近、室内楽を聴く機会が増えたのに反し、オケの演奏会に行く機会が減っていますが、この秋は、嬉しいことに、マーラーの3番のシンフォニーと、そして、今日は、ブルックナーの9番のシンフォニーを聴く機会に恵まれるという、黄紺的には、とっても嬉しい秋なのです。今日は、大阪交響楽団の定期演奏会で、そのブルックナーが出ました。指揮は児玉宏でした。なお、ブルックナーに先立ち、リストの交響詩「オルフェウス」、ワーグナーの「ファウスト序曲」の2曲が演奏されました。前半の2曲は聴いたことはあるのですが、全然記憶にないもの。ワーグナーは解らないまま終わりましたが、冒頭のリストは、なかなかユニークな曲。会場に入ったとき、びっくりしました。だって、指揮台の真ん前に、ハープが2台並べて置かれていたものですから。2台のハープのためのコンチェルトといった扱いを受けていました。実際には、そこまでハープのソロが入るわけではないのですが、でもハープが活躍する曲には変わりありません。全体を通じて、映画音楽のようで、ムーディーな素敵な曲を聴くことができました。狙いのブルックナーですが、1楽章は散々な内容で、しかし2楽章で、一転して素晴らしく、3楽章は中の上かなというところですが、3楽章の途中で、ふと思いついたことがあります。いわゆるブルックナー休止で代表されるように、ブルックナーのシンフォニーって、どんどんと曲想が変化をしていきます。その変化の仕方が楽しくて、わくわくしながら聴くことができるのですが、1楽章って、その変化がすごく多く、そういう意味では、この曲の中で、最もブルックナーらしいところかなと思うのですが、それが、うまく決まらなかったのです。アインザッツすら怪しげなところも幾つかありましたしね。練習不足なんて言葉が浮かぶほど。逆に2楽章は、そういった場面が少なく、スケルツォの激しいリズムとの対比が取りやすく、一転して、 ホントにブルックナーの音楽を楽しむことができました。次の3楽章は、1楽章ほど、曲想の転換は激しくありませんから、ほどほどに楽しむことができたというわけです。それに加えて、2楽章と3楽章が、ラハトな気持ちで聴けた大きな要素は、弦の厚い響きです。先日、大フィルでマーラーを聴いたときに比べ、ゆったりと楽しむことができました。そういう風に考えてみると、指揮の児玉宏に問題ありということなんじゃないかな? さほど多くはないのですが、今まで聴いたときには感じたことのない問題を感じてしまったなの思いです。来月だったかな、大阪交響楽団は、マーラーの10番のシンフォニーを定期公演で出すようなんですが、残念ながら日本にいないのです。全くついていません。



2015年 9月 27日(日)午後 10時 43分

 今日は、二部制の一日。昼間は、おもしろい催しに行ってきました。京阪丹波橋駅前にある呉竹文化センターであった六斎念仏の公演です。題して「地域の伝統文化との出会い〜吉祥院六斎念仏踊り〜」というもので、次のようなプログラムで行われました。「講演:吉祥院六斎念仏踊りの歴史を紐解く」「吉祥院六斎保存会による実演」。吉祥院六斎念仏の舞台となる吉祥院天満宮は行ったことはあるのですが、そこの念仏踊りは、画像やニュース映像でしか観たことのないもの。今回、この催しがあることを、市民新聞で偶然に知り、行ってみることにしました。前半が、この念仏踊りの歴史、伝承の今、更に地域起こしの背景が、NPO法人ふれあい吉祥院ネットワーク副理事長の石田房一さんが、お話しになりました。黄紺は、この念仏踊りの発祥は中世に遡るとばかり思っていました。念仏踊りという言葉に引っ張られていたというわけです。確かに、それは、間違っているわけではないのですが、今の形のものが、吉祥院に生まれたのは、そういう六斎念仏が行われている一般的な環境のなかに、新たな要素、獅子踊りという踊り的要素に、社会的要請が加わったからということで、それが、敗残明智軍の死者を弔うということだったようで、となると、発祥は中世ではなく近世となります。また、京都に残る六斎念仏の中で、この吉祥院のものは、能狂言の要素が入り、とっても芸能的要素の強いものだそうです。あとの実演でも、能の演目にある「安達が原」「土蜘蛛」が上演されました。吉祥院でも、各在所が、かつては競い合うように、念仏踊りを、祭りのときには奉納していたそうですが、今は南条地区だけに残っているそうです。当然、奉納をするに当たっては、かなりの差別があったと、講演の中でも触れておられました。そのお話しを伺って、ふと言われなき差別があったから、この地区にだけ残ったのかななんて、想像をしたりしてました。伝承が大変なようですが、今日、出演なさった方々の中には、高校生や大学生の方も多く、また、お若いだけに、太鼓の音もシャープで、非常に頼もしく見えました。なお、この講演の中で、あとから実演があった太鼓についてのプレパフォーマンスと、獅子踊りの衣装なしでのパフォーマンスがありました。これが、かなりアクロバチックなもので、会場の驚きを誘っていました。後半は、この公演のために用意された実演に移りました。ただ、実際の祭りでは、どのような流れで、各パフォーマンスが出てくるかは判りません。我々は、ええとこどりをさせていただいた気分ですが、少なくとも終わった段階では、実際の祭りに行きたくなる素敵なものだったことは確かです。そのプログラムを記しておきます。「大太鼓よせ″」「四つ太鼓、六つ太鼓」「安達が原」「祇園囃」「獅子と土蜘蛛」。「安達が原」は、蛇体が出てくるのかと思いきや、おかめとひょっとこの面を付けた人が出てきて、ひょこひょこ歩くだけというもので、題名からして、鬼女登場はいつかと思っていたのですが、ないままに終わり、黄紺の早とちりかと案じています。「土蜘蛛」の方は、獅子踊りに続いて行われ、獅子を怪物に見立ててのもの。最後には、獅子に対し蜘蛛の糸を投げつけるというもの。あの有名な蜘蛛の糸は、能でも登場したのは幕末だと言われていますから、念仏踊りに採り入れられたのは、それ以後のはず。ま、そうやって変化しながら、今の形があるのでしょう。いずれにせよ、ホント貴重なものを観る機会に触れることができ、感謝です。ただ、祭りの中で、念仏踊りを見ているつもりなんでしょうか、延々と喋り続けるおっさん。カメラ撮影が許可されたため、写メのスタンバイ状態でパフォーマンスを見続ける客多数のため、液晶画面が、完全に目つぶしになり、ラハトな気分で観賞するには、程遠い環境だったことが残念でなりません。
 呉竹文化センターを出ると、三条まで移動。いつものネットカフェで時間調整。そして、夜は、カフェモンタージュでのコンサートへ。今日は、実は、カフェモンタージュは、三部構成の連続コンサートが行われてでたのですが、経済的に余裕のない黄紺は、その内の一つだけ行くことにしました。そもそも三部というのは、バイオリンの三上亮さんとチェロの金子倫太郎さんのそれぞれのソロコンサートと、デュオのコンサートで、3つ用意されたのですが、黄紺は、その中から三上さんのソロコンサートだけをチョイスしたということでした。金子倫太郎さんのコンサートは、今後も、カフェモンタージュのコンサートで聴くことができるはずということで、今日は、じっと我慢の子になりました。で、今日のプログラムは、「イザイ 無伴奏バイオリン・ソナタ第4番」「バルトーク 無伴奏バイオリン・ソナタ」というものでした。アンコール曲は、「J.S.バッハ 無伴奏バイオリン・ソナタ第2番よりアンダンテ」「J.R.バッハ 無伴奏パルティータ第3番よりガボット」でした。 三部とも通しで聴かれる方も多いようで、開場して中に入ると、かなりの席がキープ状態。そないな贅沢ができない黄紺は、指を加えて、その姿を眺めるだけでした。三上さんは、元札幌交響楽団コンサートマスター。カフェモンタージュでも、以前、その演奏に接したことがありますが、関西在住ということではないということで遭遇機会が少ないので、今日の3つの内から選んだというわけです。やはり圧巻はバルトーク。イザイでは、細かな音の動きにちょっと疑問を感じたのですが、音の厚みと朗々たる響きに圧倒されました。今日演奏されたバイオリン・ソナタは、最初、コンチェルトの構想で作曲が始められたとかで、そのせいか息の長い曲想に溢れています。従って、かなりのパワーを求められるのでしょうね。それに応えた素敵な演奏と受け取りました。客席には、Gパン姿で、どこのお兄さんかと思うお姿で、金子さんも聴いておられました。



2015年 9月 26日(土)午後 7時 58分

 今日は、繁昌亭に行く日。もちろん、お目当ては奈々福さん。ですが、奈々福さんの出られる4日間で、今日を選んだのは、それなりのの付加価値があるから。今日は、東京から、もう一人柳家一琴も出るということでのチョイスとなりました。トリが銀瓶というのも、なかなか魅力的な番組。替わりに、今週中トリをとっていた米二は出ないというリスクと引き換えですが、そこは我慢のしどころです。で、その番組は、次のようなものでした。紫「金明竹」、竹丸「ハンカチ」、一琴「松竹梅」、ナオユキ「漫談」、伯枝「刻うどん」、春雨「親子茶屋」、(中入り)、玉川奈々福(沢村さくら)「シンデレラ」、竹林「まめだ」、三象「シルバー・ウェディングベル」、銀瓶「はてなの茶碗」。今週の前座は、ずっと二葉。今日だけ紫。紫の前座ネタでは、鉄板となっている「金明竹」が、今日も出ました。定吉やご寮さんの台詞に、聴くたびにマイナーチェンジが加わっていっています。断りの文句がずれていくおもしろさからずれない範囲に留めておいて欲しいものです。「ハンカチ」が、今日も出ました。ホント、噺家さんに人気がありますね。竹丸も手掛けていたとは知りませんでした。ただ、このネタは、正に緊張と緩和を真骨頂とするネタだと思います。壊れたかのように見せなければならない夫婦関係を表す序盤が、きっちり描かれてないと、告白も生きてきませんし、最後の下げも決まりません。そういった意味で、竹丸口演は、いかがなものだったでしょうか? 緊張に物足りなさがありました。久しぶりの一琴が、なんと遠慮したネタをチョイス。繁昌亭の3番手は、ベテランの位置で、わりかししっかりしたネタを出しても、いいはずですのにね。黄紺は、「松竹梅」と判ったところで、昨夜の寝不足の後遺症が出てしまい、中入りまで続く居眠りの引きがねになってしまいました。伯枝も、よりによって「刻うどん」でしたし、せっかく「ストーリー性のあるものが出てなかった」と、春雨が「親子茶屋」を出してくれたのに、快復しないままでした。そして、いよいよ最大のお目当ての奈々福。幕が引かれると、大きく声がかかりました。黄紺同様、この人の出番を待っていた人がいました。喋りができる奈々福は、自己紹介がてら、大阪ネタで雰囲気作りはばっちり。ホント、噺家さんみたいな喋りです。小鳥の心臓なんて、とんでもありません。開演前にお話ししていたコアな演芸ファン氏から、この繁昌亭は「シンデレラ」で通すようだとの情報を得ていましたが、やはり、そうでした。「浪曲乙女組」の公演で、初めて、奈々福を聴いたとき以来の遭遇です。曲師のさくらさんまで、奈々福の啖呵に笑みを見せられるほどの楽しい口演、客席のどよめき、幕が閉められて以後のざわつきは、半端なものではありませんでした。その様子を見ていて、俺は、ここにいる人たちよりは、少しだけ前からだけど、奈々福の素晴らしさを知ってたんだぞと、ちょっと鼻が高くなりました。その奈々福のあとに出た竹林は大変。おまけに、後ろが三象ですから、今日の竹林の位置はえらいところ。それを、見事に潜り抜けたのが、今日の竹林。自分に引きつけるマクラが絶妙。そして、選んだネタがすごい。「相撲場風景」で行かにゃ仕方がないかもと思っていた環境のなか、「まめだ」を出すという攻めの姿勢に酔わされました。そして、最後は、「まめだ」の雰囲気にしちゃってましたからね。すごいわぁ、竹林! 三象が、いつもに比べて、一段と滑舌が悪くなってました。時々出る咳といい、前から体調が気になっています。でも、それを個性にしてしまうのが三象の魅力でしょう。そして、トリは銀瓶。去年、トリをとったときに聴きに行ったときも、「はてなの茶碗」だったと思います。清水では、油屋さんの威勢がいい、それが、茶金さんの店に入っても続くので、ちょっとだだけ者到来の雰囲気。去年、こんなだったかな? もうちょっと落ち着いていたような雰囲気。茶金さんが出てきて、油屋さんの威勢も下降。この辺から落ち着いて聴けるようになりました。だけど、九条関白が出てくるとアホ声に。これも、今までなかったこと。せっかく落ち着いた空気ががたぴし来てしまいました。銀瓶は、今まで、わりかし静かにことを分けて喋るってのが功を奏してきていたように記憶してましたが、ちょっとお上品さが減りましたね、今回は。この噺って、噺自体に品位があると思っています。そこから、足を踏み出すと、ちょっと引いてしまいます。そういった意味では、今日は、ちょっと引いてたかな。



2015年 9月 25日(金)午後 11時 29分

 今日は、 浪曲のスペシャルな会、天王寺の「オーバルギャラリー」であった「曲師の会〜特別編」に行ってまいりました。「曲師の会」と言えば、沢村さくらさん。最近、とみにそのプロデュース力を発揮されて注目のお方。今日は、さくらさ んに加えて、更に一層のプロデュース力を発揮されて大活躍されている東京の玉川奈々福さんを迎えての会となりました。奈々福さんは、今、繁昌亭に出演中ということで、この会が成立するようになったようです。考えるみれば、お二人は、同門の姉妹弟子になります。今日のお話しでは、同時期に弟子修行をされたそうです。奈々福さんは、その後、曲師から浪曲師へと転出され、今の奈々福さんがあります。さくらさんは、活動の拠点を、東京から大阪に移されたため、共演は極めて珍しくなっていますから、ホント、今日の会は、珍しくも、、そして有難い会となりました。前半は、お二人のトーク。ここでは、奈々福さんも、三味線を持たれ、話の流れの中で、たっぷりと三味線を聴かせていただきました。話のテーマは、この間の「曲師の会」で、再三再四話題となってきた関東節と関西節の違いからスタート。黄紺も、正直言って、ここまでのお話しでは、全く理解できていなかったのですが、今日、ようやく解りかけたかなというところです。 一つは、三味線の高さが違うってこと、もう一つは、関西節というのは、けれん味がたっぷりある、人によれば、くさいということになる節の運びだということが判りました。特に後者については、奈々節さんが、違いが解るように、節を披露して下さったのが、効果てきめんでした。そこからは、三味線の修行の特徴、覚えてどうなるものではないことの難しさ、要するに、浪曲師さんとの掛け合いが大切なようで、言葉にかぶせてはならないとか、浪曲師さんの呼吸をはからねばならないなど、約束ごとがあるので楽譜に表しえないがため、後継者養成が進まないようです。節も大変だけど、台詞(啖呵)の部分の合わせ方も、なかなか難しいなんて話が続くなか、会場に来られていた小円孃師が、「やらな〜しゃ〜ない」と立ち上がり、お手本を見せてくれました。会場は、大歓声、大拍手に包まれました。「壺阪霊験記」の、お里が壺阪寺に急いで駆けつける場は、特殊な手が入る(言い方を忘れてしまった)ということで、さくらさんと見本を見せていただいたということです。これは、想定外の嬉しいおまけ。そして、後半は、本格的に一席、奈々福さんの浪曲で、ネタは「左甚五郎、掛川宿」でした。尾張の殿さんが泊まるというので、一般の客を泊まらせない宿に、無理やりに泊まりこんだ甚五郎と狩野探幽、二人がしでかしたいたずらが、逆に尾張公の目に止まれば、値打ちが発覚。粗末な扱いをした宿屋側が真っ青になるという講談からの移植もの。エッセンスをうまくまとめたいいネタ。奈々福さんの朗々たる声は、いつ聴いてもいいものです。明日、黄紺は、もう一度、繁昌亭で聴くことにしています。なお、今回の奈々福さんの来阪は、繁昌亭出演のため。東京の浪曲師さんの繁昌亭出演第1号です。トークの中で、この出演は、文枝会長の推薦によるものであることが明かされました。



2015年 9月 25日(金)午前 9時 48分

 昨日は、京都で落語を聴く日。最近、京都方面に出かけることが増えているような気がします。昨日の落語会は、よくおじゃまをする「桂文我上方落語選」という落語会です。文我は、ネタ数が多いものですから、何か珍品を聴けるのではの期待が、どうしてもあるものですから、足が向いてしまう落語会です。その番組は、次のようなものでした。染吉「子ほめ」、文我「しびんの花活け」、三歩「世界不思議体験」、文我「ぼうふり虫」、(中入り)、文我「そうめん喰い」。まず、昨日びっくりしたのは、「しびんの花活け」のマクラで、雰囲気作りのお喋りをしている中で、黄紺の名前が出てきたこと。流れ的には、噺家さんの中で、ウェブ上に書かれている落語会の感想を気にしている人たちがいる。自分は普段は見ないが、こんなんがあるということで、黄紺のを見たら的はずれの内容だったというもの。別に的はずれはいいのですが、噺家さんご自身が、まさか、この日記を見ておられる方がいるとは思いもしてなかったものですから、びっくりしました。黄紺自身、自分の日々のメモを残しておかないと、どんどんと記憶から遠ざかっていくばかりなので書いているという事情があります。それに、「黄紺の部屋」というホームページは、トルコのことを書くのが目的ですから、それ以外の関心を持つ人たちは、まあ、ここにはたどり着かないだろうということで、日々接したものの感想を書いていました。個人的に黄紺を知っている方が、時々覗いている程度だろうの気持ちでした。ただ、それでも、落語でしたら、落語で、普段、落語に黄紺ほど接していることはなかろうと、少しでも落語のことを好きになってもらえたらというぐらいの配慮はしていたつもりです。落語についての他のサイトは、「寄席熱目」消滅後は、ほぼ読まないので、どのような書き方がされているか知らないのですが、少なくとも、黄紺の書き方のスタンスは、そのようなものでした。そして、言うまでもなく黄紺が木戸銭を出して足を運ぶ落語会って、その主宰者に関心があるからです。おもしろいとか、上手いなぁとか、センスあるなぁとか、、あくまでも黄紺的に関心があるからです。繁昌亭や動楽亭の昼席に行くときも、番組の中に関心のある噺家さんが出ておられるからです。昨日の落語会でしたら、文我に関心があるということです。ネタ数が多いというのは付加価値で、もちろん、それだけではありません。逆に言えば、ここに出てこない、黄紺の行かない会の主宰者さんには関心がないということでもあります。ただ、不思議なことに、たまが「年間200日も落語会に来るような人たち」と言うマニア系の落語ファン氏と、どうやら好みは合っているなとは感じています。だって、しょっちゅう黄紺が足を運び会でお見掛けしますものね。文我が「的外れ」と言ったことは、それはそうなんだろうなと思っています。だって、出し手と受け手の感じることが一緒だということ自体、変ですものね。素人受け手は、出し手であるプロの技術を把握しているとは限りません。これも、たまの話ですが、いつぞや「間を呼吸でとっている」と言ったのを聞いたことがあります。へぇ〜、これぞプロと正直思いました。しかし、それぞれの噺で、じゃ、たまが、どのような呼吸を使っているか、黄紺には解りません。そんなのが解らないまま、間がいいとか、どうかとかを感じてしまってます。ずれとか、そういったものは起こるという前提で感想を書いています。ただ、出し手の噺家さんに知って欲しいのは、そういったことが解らない受け手が、出し手が送り出した話を、どのように受け取っているか、それは、当然ずれているはずでしょうが、そこんとこは承知の上で、この黄紺の拙文を読むなら読んで欲しいと思います。で、昨日の落語会です。文我のネタは珍品のオンパレード。「しびんの花活け」は、ホント久しぶりの遭遇。先代の歌之助で、よく聴いたものです。現役では、他に生喬が持っているのは知っているのですが、他に、持ちネタにされている方はおられるでしょうか? しびんを知らない侍に、道具屋が花活けとしてしびんを売りつけ、あとで騒動が持ち上がります。そりゃ、しびんが何か知れば怒ります。しびんを花活けと思わせる皮肉な見方って、ホント落語的です。演じ手が、もっと増えてほしいネタです。「ぼうふり虫」や「そうめん喰い」は、文我が、どこかの会でネタ出しをしているのを見たことがあるので、存在は知ってはいたのですが、遭遇は初めて。ぼうふり虫はぼうふらのこと。遊びが過ぎた若旦那は、今や、自分が入れあげた女郎と所帯を持ち、貧乏な生活(ぼうふり虫売りをしている)をしている。偶然会った知り合いが、貧乏長屋を訪れた際、その暮らしぶりに驚き、金をこっそり置いて帰るが、若旦那は、それを良しとせず、金を返したばかりか、その後、身をくらましてしまう。そこで、若旦那の行方はとなる長編かと思いきや、そうとはならず、ぼうふらと蚊の関係を使い、足早に下げになってしまいました。ちょっと梯子段を外された気分。だから、消えて行った噺かもしれませんね。「そうめん喰い」の方も、極めて落語的な噺。超長いそうめんがあったら、食べるのに困るだろうなというだけの噺でした。前座は染吉。染吉が、文我の会に呼ばれたのって、あったのかなぁ? 同門の雀三郎の前座では見かけるのですが。伊勢屋の番頭を省いたショートカット版でした。年齢確認も80歳で切り上げたりと、短縮を試みていました。三歩の「世界不思議体験」も、存在は知っていたのですが、遭遇は初めて。不思議体験というのは、お葬式体験というもの。棺桶に入る父親、それを見送る体験をする子どもたちというもの。そこから起こるドタバタ劇です。この設定だけでヒットです。なお、三歩は、マクラで大桑文化奨励賞受賞話をひとくさりやってくれました。くしゃくしゃになった賞状を筒から出したときには、会場、びっくりの大爆笑。カラーコピーだと知って、ちょっと安堵。黄紺の知り合いに、三歩ファンがいるのですが、最近、とんと連絡がないので、お知らせしたくなりました。



2015年 9月 23日(水)午後 7時 42分

 今日は浪曲を聴く日。寝屋川のエスポワール・ホールであった「京山幸枝若独演会」に行ってまいりました。どのような経緯があるのかは知らないのですが、同ホール(厳密に言うとホールの運営主体)の主催で、今どき浪曲の公演があるなんてと思う公演です。その番組は、次のようなものでした。京山幸太(一風亭初月)「小田原相撲」、京山幸枝若&幸太「トーク」、京山幸枝若(岡本貞子・京山幸光)「アホの大八(仮題)」「歌謡ショー」。主役の幸枝若が、長めのネタを1つと、ゲスト枠の浪曲師が1つに、トークが入り、歌も3曲入りと、終わったら2時間を超えていました。かなりたっぷり感がありました。歌謡ショーまで付いたのは、小円孃師の会以来となりました。東京では、木馬亭の定席でも歌謡曲歌いますから、珍しくもなんともないのですが。ネタの方は、幸太くんのネタは定番のもの。東京の若手の浪曲師さんでも聴いたことがありますが、幸太くんの比ではないですね。上方は、数が少ないのですが、皆さん粒揃いってのがいいところです。幸枝若師のネタは、初遭遇もの。侍と農民とのトラブルを描いていますが、どうやら、ええとこどりをしているようで、設定に疑問なところがあり、終わったあとも、その疑問は解消されたわけではありませんでした。アホを装う庄屋の伜が、なぜアホを装うのか、また、その男が、なぜ剣術の修行をしているのか、そないな話の根幹に関わる設定が不明なままでした。浪曲で、よく看られることで、かつては、それでいけていたのでしょうが、今の私たちにはわからないのでしょう。トークが、なかなか楽しむことができました。幸太くんの経歴を知らなかったものですから、わりかし肩肘はったことをやってきた延長線上に、浪曲師になっていることを知り、とっても好感を持ってしまいました。彼は、音楽をするために、高校を辞め、大検で合格をして関西外大に入るなんてことをしているのですね。そないな話を聞けたのも、この会に行った大きな成果でした。



2015年 9月 23日(水)午前 3時 52分

 昨日は、映画を観る日。2つの映画が候補に上がったのですが、そういうときって、大概社会的背景のある映画を選ぶ傾向にあるのですが、昨日は逆を取りました。それは、日本映画の「わたしたちのハァハァ」(梅田シネリーヴル)。夕張の映画祭で評価されたのが売りで、ならば観てみようの気になったというわけでした。福岡の女子高校生4人が、好きなバンドの東京公演を観るために、自転車で出発というどだい無理なことができ るかのように、ハイテンションで出発するロードムービー。となれば、定番の主人公たちの成長が、様々なエピソードを通じて描かれるものですし、この映画自体も、実際そうでした。挿入されるエピソードも、突飛なものが特段あったわけではありません。来週行われる大事なテストのこと。進路のこと。実際的な話として、自転車では無理と判断したときの、替わりの手段の検討。金欠のこと。実際的な問題の対応で、自ずと現れる考え方の違い。なかでも深刻なのが、自分たちが行こうとしているコンサートに対するスタンスの違い。果ては、好きなバンドに対する思い入れの温度差。こういった設定で映画を製作するなら出てきそうなものは、きっちり出てきてる。そういう意味では、特に目立った映画とは言いがたいと思います。違うのがカメラワークと役者の力。カメラで注目は、度々、役者にカメラを持たせていること。もちろん役者がカメラを持つ必然性の中での演出です。ぶれたり、地面が映るのは折り込み済み。それが、やたらと臨場感を高めます。役者の方は、アドリブふんだんに入りと言っていいんでしょうね。エチュードをやってんのかな。そんなで、こちらも臨場感抜群。若さがはじけるような感じが、見事に出ていました。もちろん役者さん自身の力量は半端なものではないはずです。夕張で支持された感触は捉えることができたつもりです。そして、最後、終わらせ方を、彼女らは、皆、知ってたんでしょうね。だけど、それまで誰も口にしたかったのが、逆に嬉しくなりました。3日間で、自転車で東京まで行こうとした彼女らは終わらせ方は知っていて行こうとしてたってことなんですね。今どきの夢物語ってところから、うまく今の世の中を読んでいます。休日の夕方の上映だということもあったのでしょうが、かなりの入りにびっくり。黄紺の網に引っ掛かるくらいだから、気になる人が多いってことなのでしょうね。人に、ちょっと薦めたくなる映画です。



2015年 9月 21日(月)午後 10時 14分

 今日は、民博の特別展「韓日食博」に行く日。無料で入れる日ということで、最近、黄紺以上に韓国にはまっているアイシェ・ハヌムをお誘いして行ってまいりました。先日のゼミナールで聴いたように、展示は、かなり雑然としたもの。どちらかと言えば、大学祭どころか、高校の文化祭を思わせる装飾にレイアウト。不安定さを求めたというフロア・プロデュースをされた方の言葉通りの雰囲気。展示品は、伝統的な食器などの定番の展示品は覗き穴から眺めるという手法を採用。展示品の中では、そういった展示品よりも、趣向を凝らしたもの、意外性のある展示品に関心が向いてしまいました。前者では、食に関する擬態語の日韓の違いであったり、ハングルのカリグラフィを用いて、食感を表していたのが入ります。アイシェ・ハヌムなどは、カリグラフィを見て、買えるものなら、買って帰りたいと言っておりました。後者では、日食ってやつは、自分的関心からもありがたいもの。韓国人の食生活の習慣の違いからくる1週間のメニュー一覧とか、食品の販売ということで看られる関東と関西の折り込み広告の違いなどを上げることができます。全般的に「韓」に重心を置いた展示で、韓国食の特徴の理解を進めるための「日」の展示という印象。と言いながらも、じゃ韓国食が、その特徴を十分に伝えるようになっていたかと言うと、そうではないような気がしました。韓国の一般的な食卓風景、食堂(シクタン)の風景、韓国風洋食などの展示はありませんでしたから。また、どうしてもキムチにシフトしてしまうのは致し方ないにせよ、それにより、スペースを奪われてしまった企画があったのじゃないかと思うと、ちょっと無念。なんせ、限られたスペースでのことですから、捨てねばならないものはあったでしょうが、一方で外しちゃいけないものってあるように思ったりしてしまいました。



2015年 9月 21日(月)午前 0時 38分

 今日は、カフェモンタージュで、音楽を聴く日。カフェモンタージュへ行ったのは、ちょっと間が開いたかなの印象。こないだいいコンサートがあったときは、何かとバッティングしてしまいダメだったですからね。今日は、佐藤卓史さんの「シューベルト全曲演奏シリーズ」の第4回目の日。次のような作品が演奏されました。「2つのメヌエット D91 (1813)」「メヌエット ホ長調 D335 (1813?)」「12のエコセーズ D299 (1815)」「アダージョ ト長調 D178 (1815) [第2稿・佐藤卓史補筆版]」「メヌエット イ長調 D334 (1815?)」「幻想曲 ハ長調 D605 (1821-23?) [佐藤卓史補筆版]」。今日演奏されたのは、全て短く、そして稀曲ばかり。「」と「」は未完で、演奏者の佐藤さんが補完され演奏されました。そういったこともあり、今日は、ちょっとしたレクチャー・コンサートの雰囲気。一曲ずつ佐藤さんの作品についての解説が入ったあとに、実際の演奏は始まりました。その中で判っきたことは、今日の演奏曲目は、最後の「幻想曲」を除いて、全てシューベルトが10代のときに作曲したもの。従って、曲想というのが、モーツアルトでした。「メヌエット」や「」は舞曲です。シューベルトは、収入面では不遇をかこったようですが、そんななか、唯一オファーを得られたのが舞曲だったとか。未完成交響曲で有名なように、シューベルトは、大家と言われる作曲家の中では、未完作品が、一番多く残っている作曲家だそうです。一つには、性格的なもの、要するに気分屋だったということです。それに加えて、シューベルトが亡くなったとき、シューベルトの能力を評価していた兄が、シューベルトの部屋を封印したため、書きかけの作品が、そのまま残ったということでした。そして、そのカギを開き、シューベルトの評価をしたのがシューマンだったとか。このシリーズは、時間が許せば、全て聴いていく予定をしています。長大なピアノ・ソナタに至るプロセスを確かめてみたいのです。



2015年 9月 20日(日)午前 6時 54分

 今日も二部制の日。連日の二部制で、ちょっと贅沢をしている気分。午後は、民博でのゼミナール、夜はコンサートに行ってまいりました。今日の民博ゼミナールは、現在特別展として行わ れている「」関連イベントでもあり、「博物館は食をどう展示するか」と題して、朝倉敏夫、大野木啓人、キム・ギョンギュン、佐野睦夫の4人の方がお話をされました。講演というよりも、シンポジウムと言えばいいでしょうか。今行われている特別展に係わった4人が、展示で目指そうとしたところ、何をしたかを、お話しされたというところです。まだ、黄紺は展示を観てないので、具体的なものをイメージして聴くことができなかったのですが、お話しを聴いているだけで、かなり斬新な展示が用意されているという印象を持ちました。そもそも食をテーマとすること自体が大胆な話です。展示品を口にすることはできませんし、香りや匂いを嗅ぐことができないわけですから、単に見るだけで食を理解させるのは、無理な話なわけですから、様々な工夫により、それを克服する努力がなされたはずなわけで、今日は、その工夫の専門家の皆さんが、お話しをされたと言えばいいでしょうか。空間のレイアウトを担当された大野木さんは、食を通じて、どのような文化を持っているかを表現したいということで、かなり曖昧模糊としたものを用意されたようで、展示を観てない人に向かい、「観るとびっくりされますよ」と言っておられました。この方とキムさんが芸術畑の方。食に関する擬態語に注目され、それをカリグラフィで表したそうです。先ほどの会場レイアウトともども、実際の製作には、大学生の若い発想を採用されているのも、今回の展示の特徴と言えるようです。また、佐野さんは、ITの世専門家というところからの参画。食べるときの振動を捉えて、食べる実感を体感するコーナーなどを用意されたようです。さて、どないなものなんでしょうか。ということで、今日は、韓国食の話は、一切なしで、展示の仕方についてのお話を伺うことができました。
 ゼミナールが終わると、若干時間にゆとりがあったため、民博の映像資料を観てから、阪急茨木市駅までミニウォーキング。1時間弱の行程でした。ところが、今日は、そこからが大変。阪急が人身事故とかで止まっていました。掲示では、動き出す時間が近づいていたのですが、いつ京都にたどり着くか、わかったものではありませんから、JRで京都に向かうことにしたのですが、こちらも、朝方の人身事故の影響で、まだ、ダイヤは乱れたまま。結局、山陰線の円町駅まで行き、バスで堂本印象美術館に向かうことにしたのですが、こちらも遅れ、コンサートには5分の遅刻。ウォーキングをしたあとのことだったものですから、かなりへばってのコンサートとなりました。今夜は 、こちらで弦楽アンサンブル・ジュネスのコンサートがありました。バイオリンを石上真由子さんが弾かれるということで、狙いを定めていたものです。そのプログラムは、次のようなものです。「フランセ 弦楽三重奏曲」「コダーイ 間奏曲」「ベートーベン セレナード 作品8」。このコンサート、昨年は、桂の教会であることに気づき、そちらの方に行ったのですが、今年は、気が付くと教会コンサートは終わっており、仕方なくと言うか、結果的に初めて美術館コンサートに行くことができました。美術館の展示室を使ったコンサート、教会でのコンサート、ちょっと日本的環境ではないこと。そういった環境で聴けるというのが、何よりも新鮮でありがたいのですが、残念ながら、桂教会とは異なり、こちらの美術館の音響的環境は、決して満足のいくものではありませんでした。同館の関係者や、プロデュースされた森瑤子さんのお話の声がこもって聴きにくいほどでした。ちょうど人の声あたりが、一番音として悪かったみたいで、弦楽器で言えば、中声部担当のビオラが、一番わりを食ったってところでしょうか。ただでも地味なビオラが、更に地味にといったところです。バイオリンは天井が低いからでしょうか、突き抜けてくるようなところが抑えられてしまってました。ちょっとフィルターがかかっていたかな。チェロが、一番得をしていたでしょう。そないな環境の中でのコンサート。黄紺が到着したときには、既に、フランセが始まっていました。ちょっと聴きでは、20世紀のフランス音楽と、直ぐには思わないかもしれない色彩の音楽。いい曲です。緊張感の溢れた演奏、3曲の中で、一番気に入りました。コダーイは、らしさが控えめで、次はどうなるのかと思っていると終わるという短いもの。最後のベートーベンは、作品番号が若いにも拘らず、ロマン派的色彩を発揮する楽章を持っています。曲名を聴いたときには、どないな曲だったか思い出せなかったのですが、黄紺的には、とっても耳に残っているものでした。上にも書いた環境ですから、割り引いて聴かねばならなかったのですが、総体として、音の厚みのようなところで、もうちょっと頑張ってほしかったと思ったのと、どうしても目立っちゃうチェロに、やろうとする意図は見えてくることは見えているのですが、それが果たして十分だったかと言うとそうでもなかったかなと思えました。アンコールに1曲ありましたが、曲名を伝えられた石上さんのお声を聴きとれませんでした。美術館コンサートも捨てがたいのですが、来年は、やっぱ桂の方に行きます。かなり環境的に違いますからね。なお、石上さん以外のメンバーは、細川泉(Va)・山本善哉(Vc)といった方々でした。



2015年 9月 18日(金)午後 11時 26分

 今日は、二部制の一日。最近、この二部制の日が増えています。そのたむ、家でしなければならないことが、あまり進まなくて困っています。オペラ紀行の準備に入らなければならない時期に来ているからです。それもし、お出かけもありでは、他のことが、全然ダメというわけです。おまけにに二部制となると、めっちゃせわしないというわけです。今日は、まず文楽劇場であった「上方演芸特選会」に行ってまいりました。その 番組は、次のような。ものでした。愛染「みかん屋」、五月一秀(沢村さくら)「乃木将軍伊勢参り」、遊方「ゴーイング見合いウェイ」、上淳一郎「サウンドコピー」、(中入り)、ザ・ラッキー「曲芸」、京山倖若(沢村さくら)「竹の水仙」、松枝「替り目」。今席、前座は、愛染と紫。完全に紫狙いだったのですが、外してしまいました。「みかん屋」は、売り方を教えてもらうのは、一度帰ってきあときと、時間の節約をして、きっちり15分にまとめました。今日は、好メンバーが揃ったのですが、浪曲も、その一つ。五月一秀師は、東京で修行を積まれていますから、ネタが楽しみなのですが、今日は乃木将軍ものでした。ホント、乃木将軍ものなんてのが残ってるというのは、講談と浪曲の世界だけでしょう。乃木将軍が伊勢参りをするというので、奥さんに東京から衣服を名古屋まで持って来させたら、待ち合わせ場所の宿でひどい扱いをされ、あとで宿の主人が、大恥じをかくというもの。乃木将軍ものは、判で押したように、乃木将軍の庶民性を出そうというものですね。遊方は鉄板ネタです。今日のような年齢層の高い客席にも大受けでした。上純一は、元トリオ・ザ・ミミックの一人。トリオ・ザ・ミミックの名前を出すだけで、客席にどよめきが起こりました。客席の年齢層を判ろうかというものです。アフリカの動物の物真似がメーンというとっても凝ったネタを披露してくれました。ザ・ラッキーは、上方の太神楽の総元締め的位置。舞さんの単独ステージは観ているのですが、一家総出は初遭遇でした。倖若師は、久しぶりの遭遇。一心寺でも、なかなか遭遇できないものですから、ラッキーなことだったのですが、そういうときの定番の居眠りが出てしまいました。ただ風邪をひかれて、かなり声の調子を落としておられました。松枝は、噺家の平均死亡年齢話などで、かなりマクラで楽しませてくれてからネタへ。爽やかに酔っぱらう親父が主人公という、感じのいい口演。妻に感謝の言葉を言ったのを聞かれてしまうところで、「お時間です」と切りました。東京の噺家さんのようでした。
 文楽劇場を出ると、いつもの千日前のネットワークカフェで時間調整。そして、夜は動物園前まで移動。動楽亭であった「第27回南湖の会」に行ってまいりました。この会は、3ヶ月ほどご無沙汰しておりました。最近は、講談会を最優先にしていませんのでね。今日から新しい続き読みが始まりました。それを含めたプログラムは、次のようなものでした。「真景累ヶ淵〜宗悦殺し〜」「彦山権現誓助剣」。マクラがてら、まず、先日の「できちゃった」で披露した山岳マラソンを走った話。琴梅師に誘われてということですから、琴梅師の話も随分と出てきました。そして、夏も終わりということで、今年最後の怪談を読むということで「宗悦殺し」。南湖さんは、これを東京の貞山師からもらわれてきています。お稽古のとき、「明るい怪談」と言われた口演、「少し怖くなりましたか」と、終わった後に尋ねられていました。そして、新しい続き読みは「彦山権現誓助剣」。話は、秀吉の九州征伐の際、立ち寄った広島での話。臣下の者に、配下の豪傑を出させ、強者の毛谷村の六助と相撲させるというもの。とりあえずは、今日のところで判っていることですが、その一番ごとに、曽呂利新左衛門がよむ狂歌を楽しむというもの。「こういった形で進んでいきます」とは、南湖さんの言葉。あと3回あるのですが、全編、これで行くのでしょうか? だったら、人を食ったようなネタです。



2015年 9月 17日(木)午後 11時 55分

 今日は、フェスティバルホールで、大阪フィルハーモニーの定期演奏会に行く日。大植英次の指揮で、マーラーの3番のシンフォニーが演奏されるということで、この曲が大好きな黄紺は、外すわけにはいかないのです。一つには大曲だということがあります。コントラルトのソロが入るだけではなく、女声合唱団に加えて少年少女合唱団が要ります。もちろんマーラーのシンフォニーですから、オケの編成は半端なものではありません。黄紺は、その目安にホルンの数を、毎度数えるのですが、今日は、ホルンだけで9本も使われていました。演奏時間は、今日の場合で100分でした。ま、そんなですから、簡単には、演奏機会があるわけではありませんから、黄のよねに、出たとなると、チケット代は気にせずに、出かけてしまうなんてことになります。冒頭のホルンの重奏は、目を見張る素晴らしさ。これは、気にせずはいけるの予感がしたのも束の間、指揮の大植さんの体内リズムと各パートの体内リズムが微妙にずれてしまっており、とっても居心地が悪さを感じ出したばかりか、それらが、各パートごとに起こりますから、ちょっと待てよの気分になってしまいました。1学章の後半からは、噛み合い始めた感じがして、音楽に有機的な秩序が生まれてきたように感じ出したのも束の間、今度は、音楽の表情の淡白さが気になり始めました。大植英次って、こないな指揮者者だったっけ、そないな感じがしだしたのです。正直者言って、頼りない淡白さしか出なかったのは、一つには大植さんの指示だったかもしれないなとも思っています。また、指示が出ていても、それについていかないオケがあるのかもしれません。そんななか、指示に応えられない技術の問題となると、それは困った問題です。バイオリンのパワー不足と関係をあるのじゃないかな。そんなで、 ロマン派の極致のような最終楽章には裏切られました。なお、ソリストはナタリー・シュトゥッツマン。コントラルトとしては、もうちょっと太い声が欲しいと思ったのですが、、、。





2015年 9月 17日(木)午前 0時 39分

 今日も講談を聴く日。今週は、あと1回講談会に行きますから、今週は計3回も、講談会に行くことになります。今日は、天満橋の「双馬ビル」であった「南華の会」です。南華さんが、定期的にされている講談会です。番組は、「徳川の姫」と題して行われましたが、実際は、千姫を救出するということに至る大阪城落城に至る大阪夏の陣の最終場面を前半に読まれ、そこで一旦切られたあと、落城寸前のところで、坂崎出羽守に救出される有名なエピソードが読まれました。坂崎出羽守は、ここではヒーローとしての立場を示すのですが、坂崎出羽守の登場の場面から、南華さんが強調されていたのは、大変な醜男だということ。その男が、家康が千姫救出を求めて口走った「救った者には千姫を娶らす」を真に受け、実際救出し、千姫を求めるというところから話がややこしくなっていく。そこまできて居眠り。恐らく、そのあと千姫強奪事件へと発展していったものと思われるのですが、記憶から吹っ飛んでいます。南華さんは、今日は、その場面を読むために、ご自分では、ほぼ読まれることのない戦記物を読まれていたのにと思うと、口惜しいこと夥しいものがあります。次回11月の会はトルコにいるときに行われますから、考えてみれば、今日が、黄紺的には本年の最終会です。ホント、時間の経つのが早い!



2015年 9月 16日(水)午前 4時 55分

 昨日は、落語と講談を聴く二部制の一日。いいお天気だったのですが、屋内で遊ぶことばかりでした。まず、午後は動楽亭の昼席。昨日は、米朝一門以外の噺家さんが中心の日。その番組は、次のようなものでした。米輝「道具屋」、二乗「短命」、花丸「茗荷宿」、枝鶴「くっしゃみ講釈」、(中入り)、文三「刻うどん」、仁福「お見立て」。狙いは、花丸と文三が、同時に動楽亭昼席に出るというところ。だけど、この狙いが、違った意味で外れてしまいました。トップの米輝から花丸まで居眠りをしてしまったのです。特に、花丸は「茗荷宿」などという珍品を出してくれたのですが、空ろな感じでしか聴けなかったのです。文三の方はネタです。文三の「刻うどん」の進化は確認できておもしろく聴けたことは聴けたのですが、ここで出すかと思ってしまいました。昨日の秀逸は枝鶴の「くっしゃみ」。とにかく自然体で、噺の中の時間を感じとることができました。からくりを一段語り時間が経ったと言うけれど、多くの口演では、それだけの時間の経過を感じにくいのですが、枝鶴の口演は違いました。これは大きな収穫。それに反し、久しぶりに聴いた仁福は、あーあ、うーうがうるさくて、台詞の聞き取りに苦労しました。遊び心に満ちた噺が、洒落っけの一片も感じることは難しいというところでした。あんまり無理して、月2回という動楽亭昼席ノルマは続けることはないですね。
 動楽亭を出ると、ミニミニウォーキングがてら、千日前のいつものネットカフェまで、歩いて移動。そして、夜は、更に「松屋町」駅近くまで歩き、「ありす庵」であった「講談deからほり」に行ってまいりました。講釈師の南斗くんの勉強会です。新しい新作を出すとの連絡をいただいたものですから、その出来栄えを見たくて行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。「秀吉と利休」「太陽の塔」「塙団右衛門の狸退治」。「秀吉と利休」は「太閤記」から。太政大臣に上り詰めた秀吉は、指図されることが大嫌いだけど、お茶の作法を利休に学ぼうとするのだが、やはり口うるさく言われて気に食わない。そこで、利休に仕返しをするために策を講ずるという、ちょっと子どもっぽいお話し。「太陽の塔」は新作。「進歩と調和」というテーマに焦点を合わせ、大阪万博への岡本太郎の係わりを描こうというもの。南斗くんの新作は、わりかし言葉がしっかりしているのが特徴で、自分的には、そこに好感を持っています。ただ、それが、万博も万博、そのテーマに焦点を当てたものですから、言葉遣いともども、ちょっとお堅い物語になってしまいました。当時の世相と合わせて、物語を膨らませるとイメージがわきやすいのですが、残念ながら、そこまでは至っていませんでした。社会風俗とテーマを組み合わせると、おもしろい一服の講談ができそうな予感があるのですが、、、。「塙団右衛門」は「難波戦記」から。後藤又兵衛と塙団右衛門の出逢い、これが、後に、塙団右衛門が豊臣方に付くきっかけになるのですが、そこに至るまでの両人の経緯を避けて通るわけには行かず、2人のそれぞれの物語へと入っていきます。後藤又兵衛は、黒田長政を見限り浪々の身、塙団右衛門は、加藤嘉明の元を去り、福島正則のもとに身を寄せながら、ここで狸退治をするわけで、この講談のメーンエベントとなっています。この狸退治の挿話は有名な噺のようですが、聴いた記憶はありませんでした。ただ、その周辺の話は、つとにおもしろおかしく聴いてきた講談定番の物語ばかりというところです。南斗くん、新作をまじえながら、コツコツと勉強会を続けています。船場寄席での勉強会を含め、じわじわと客足も伸びてきています。継続は力なりです。



2015年 9月 15日(火)午前 0時 56分

 今日はいいお天気。最近は、気温が上がると喜んでいます。お出かけは、今日も落語会。8月に、随分と楽しませてもらった「高津落語研究会」の定例の会に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。南天「牛ほめ」、雀五郎「始末の極意」、たま「猿後家」、ひろば「首提灯」、全員「大喜利」。南天は、マクラで、昨年と今年でプレミアム公演で、ネタがかぶらないように配慮した話をして、だけど、この9月の公演のネタのことを考えるのを忘れていたことを言うと、会場は大爆笑。うなされたようなリピーターがいる証拠です。ただ8月のときは、普請ほめのところで切ったようなんですが、今日は最後まですることで、かぶったことをフォローしていました。雀五郎は、マクラで、ひろばの尋ねる人を気にしないでした問いかけで、笑いをとってからネタへ。いつもながらのテンポの良さが、会場を笑いに誘います。たまの「猿後家」が、本日の秀逸。どれもいい口演だったのですが、「猿後家」は、たまのアイデアが、このネタが通常持っている力以上のものにしたような気がしました。後家さんの台詞に入るときには、猿顔を作ったり、べんちゃらをする男が、ダシャレをとばして、後家さんを楽しませようとします。これらって、ネタのおもしろさを補強するもので、感じのいい笑いを誘うもので、とっても気に入りました。ひろばは、ざこば組のお約束ネタ。お酒の噺でもあることで、昨日、呑んだことを長々と。でも、それをきっちりと受ける客席。酒呑みのネタを、他にも持っているひろばですが、今日の酔いっぷりがベストじゃないかな? 台詞だけではなく、ちょっとした顔の表情の変化が効いていました。序盤の上燗屋はグー。中盤の道具屋の場面は、夜の暗がりが出るまでは、残念ながら至りませんでした。ここで暗さが出ていると、猟奇的な場面へと入っていくと、じわっと効いてくるのですが、、、。そうじゃなかったものですから、上燗屋で金を払ったあとが、あまりにもあっさりと終わってしまったって感じになっちゃいました。いつもながらのいい感じの落語会。今日は、一入、「大喜利」が盛り上がった感じがしました。



2015年 9月 13日(日)午後 11時 13分

 今日は、京都で落語を聴く日。ただ、今日は、各地でいい落語会が、同一時間帯に並ぶという凄まじい日だったのですが、黄紺は、場所的にもありがたいということもあり、「京都文化芸能会館」の和室であった「桂米二一門会」をチョイスしました。その番組は、次のようなものでした。米二「青菜」、二葉「蛸芝居」、二乗「禍は下」、(中入り)、米二・二乗・二葉「無礼講トーク」、米二「菊江仏壇」。米二の主宰する会に、久しぶりに行ってみましたが、その集客力の高さにびっくり。元々、地道に地域寄席を積み重ねておられた噺家さんですから、それが実を結んだというところでしょう。お弟子さんの認知度も上がってきていますから、益々発展というところでしょう。まず、米二が石段で登場。ネタの重さからして、トップで登場となったようですが、一門会ならではのことです。「若い人が遊山舟や青菜をするからやる機会がない」「昔は夏には10何回としていたが今年はまだ2回しかしていない」と言ってから、ネタに入りましたが、正に純和風建築を思わせる口演。南天やたまの才ばしった口演もいいのですが、米二の口演も捨てがたいものがあります。二葉は、びっくり仰天の「蛸芝居」。あとのトークで、二葉が言うには、「蛸ちゃんの顔がしたかった」。声に、なかなか変化を着けることに苦労する高音が地声ですが、台詞はしっかり入っているところはあるので、声はそういうものとして聴くしかありません。各所作は、まだまだ発展途上といったところです。でも、怖いもの知らずの勢いを感じました。新しいネタとして、今、団朝のもとで「寄居酒」を稽古しているそうです。二乗の「禍は下」が、なかなかの聴きもの。人物描写は思いの通りに決まってますし、手先にまでテキストの心が行き届いています。これだけの実力を見せつけられると、もっと意欲的に新ネタにチャレンジしていって欲しいと、あらためて思いました。トリネタは、米二の大ネタ「菊江仏壇」。今、これを聴かせてくれるのは、千朝と米二くらいです。マクラで、ネタについてのコメント。「一番難しいネタ」「師匠も晩年はやってなかった」「とっても暗くなるネタ」「若旦那を少しでも救ってみたい(言い方が違ったかもしれない)」と、ハードルを下げるかのように聞こえますが、実際、その通りと認めねばならないことばかりの正論です。冒頭の旦さんの長台詞に、更に、それを返す若旦那の長台詞で、全てが決まってしまうと言ってもいいくらい、序盤がムズイ。次に、若旦那と番頭の駆け引きっぽいやりとりが、また序盤と違った色合いのやり取り。このあとは、酒宴となり、本来はご陽気な場面のはずだけれど、この噺は、ここでのはしゃぎぶりが過ぎれば過ぎるほど陰気に、そして、やりきれなくなっていきますから、益々ムズクなっていきます。そして、お花の死が知らされ陰鬱さは頂点に。なんで、こないな噺ができたのかと、思わず思ってしまうところです。酒宴の場面を、思い切って短縮したらどうなんでしょうかね? 結論は同じでも、ちーとは陰鬱さが軽減されるのではと、米二の口演を聴いていて思ってしまいました。50分の長講となりました。体力と集中力の要る大変な大ネタであることを、再確認した次第です。
 落語会が終わると、直ちにミニウォーキングに移行。丸太町通を天王町まで行き、岡崎に抜けるコース。1時間をほんの僅か切る程度のものでしたが、いい風が吹き、とっても心地よいウォーキング。久しぶりに足がバネのように弾む感じを覚えました。腰や膝の痛みに悩まされながらのウォーキングで、もう長い間忘れていた感触が蘇った感じがしました。



2015年 9月 13日(日)午前 0時 3分

 今日も二部制の日。ちょっとした贅沢です。午後に「一心寺門前浪曲寄席」に行き、夜は、「応天院」で芝居を観てまいりました。「一心寺」は、毎月行われている定席。今日の番組は、次のようなものでした。春野ココ(虹友美)「まちがい婚礼」、京山幸太(岡本貞子)「会津小鉄〜少年時代〜」、春野一(虹友美)「斎藤蔵之介」、三原佐知子(虹友美・鵜川せつ子)「はばたけ千羽鶴」。今日のネタは、既に聴いたものばかりで、目新しさには欠けましたが、元々ネタが少ないというのが、浪曲というものですから、それは想定内のこと。「間違いの婚礼」は、「太閤記」からの抜き読みってやつです。講談で、とってもポピュラーなネタ。ええとこどりっていうのではなく、講談をコンパクトにまとめたもの。そこに、ココさんのアレンジがうまく入ります。さすが元漫才さんです。幸太くんは、高座に上がるなり、「今日はとっても緊張しています」と言いましたが、それは、そうでしょう、なんせ曲師が岡本貞子師なんですから。いつもは一風亭初月さんですからね。入門3年目に入ったところで、大ベテランの曲師さんですから、緊張はやむを得ません。ネタは、小生意気な少年小鉄が聴かせどころです。春野一さんは、百合子師のネタからです。おまけに台飾りも百合子師のものを使われた由、係の方が、浪曲の常連さんに囁いていました。ネタは、明智光秀の敗残兵の逃亡の様子を描いたもの。春野恵子さんで、何度か聴いているものですから、ほぼ居眠りに入ってしまいました。三原佐知子師は、お得意の戦争に関わるネタ。「原爆の子像」の基となったサダ子さんの物語です。会場では、それに合わせて、佐知子師匠が、広島で公演された際預かってこられた千羽鶴が配られていました。今月は、キャリア的に佐知子師匠だけが抜けている番組が組まれたから、ちょっと客足が鈍かったですね。
 「一心寺南会所」を出ると、身体を動かそうとミニミニウォーキング。終点を、千日前のいつものネットカフェと定めてのものでした。休憩がてら時間調整をしてから、久しぶりの芝居。今、「応天院」であったのは、「満月動物園」の公演「ツキシカナイ」でした。劇団創設15周年記念として、過去に公演した「死神シリーズ」を一挙に上演しているこの劇団、わりかし多くの公演を観てきています。特に、このシリーズがおもしろいかな。オムニバスもので、観覧車倒壊という事故のとき、その観覧車に乗り合わせていた人たちの人生を、個々に描くもの。そこに、死神を登場させるという技を持ち込むことで、演劇でしかできないことをやらかしてくれます。「ツキシカナイ」は、観覧車に乗り合わせた人の過去ではなく、未来を描いているのが斬新なところ。それを可能にしたのは、観覧車に乗っていた人の中に、妊婦がいて、お腹の中の子どもの生命と人生を、死神に託すとして、その着想を可能としました。そこの仕掛けが明らかになるのを、できるだけ先延ばしにしているのが、この芝居の上手いところでもあり、ずるいところでもあるのですが、観ている者からすると、引っ張りすぎて仕込みが長すぎます。これは、前に観たときにも感じたこと。仕掛けが判りかけると、急にテンポアップします。そこの境目が、丁度、芝居の半ばでした。仕掛けを隠すのがいいのか、仕掛けを明示して、エピソードを増やす方がいいのか、議論の余地のあるところですね。月並みなコンセプトで芝居が創られていても、特異な設定がおもしろく、作品により若干の良し悪しがあったとしても、毎回、楽しませてもらっています。12月に行われます最終公演が、オペラ紀行のため観れないのが、とっても残念です。



2015年 9月 11日(金)午後 11時 44分

 今日は二部制の日。午後に、兵庫芸文センターのオケの定期演奏会に行き、夜は、3日連続で「動楽亭」での落語会に行ってまいりました。芸文センターのオケの定期演奏会のチケットは、実は人からいただいたもの。おかげで、プラチナ・チケット化している佐渡裕指揮の定期演奏会を聴くことができました。そのプログラムは、次のようなものでした。「ハイドン 交響曲第7番昼」「ベートーベン ピアノ協奏曲第4番(pf.小林愛実)」「ストラビンスキー 春の祭典」。「昼」という名前を持つ交響曲が、演奏会で取り上げられることは、さほど多くないこと。黄紺も、生では初めてだと思います。なかなかおもしろい曲で、トリプル・コンチェルトと言えば、ちょっと大げさになりますが、バイオリン、チェロのソロ演奏が再三あり、3楽章には、なんとコントラバスのソロまでありました。4楽章のフルートのソロも軽やかで、とっても楽しめる曲。ベートーベンの4番のコンチェルトは言わずもがなの名曲。ハイドンを聴いたあとだったからでしょうか、それとも、佐渡裕の棒が求めたからでしょうか。結構、シンフォニックな印象を持ちました。ピアノも、わりかし力強く、19歳の女性というよりは、おっさんがちょっと入ったようなピアノという印象。4番は、コケティッシュな響き、流れってのも欲しいところです。「春の祭典」は、定演なんかでよく出ますね。野性味たっぷりの音楽に惹かれる方も多いからなんでしょうね。黄紺は、一度だけ、読響だったかで聴いています。そのときの音の洪水が印象に残っているため、今日のオケの大編成にしては、音がもっと出てもいいんじゃないと思ってしまいました。野性味を感じさせてくれる大きな要因は、管楽器の響きと粗野なパーカッションの響き、それに何よりも独特のリズム。2拍子と3拍子が交互に現れてくるという壮絶なもの。黄紺は、ウィーン交響楽団からゲストプレーヤーとして来られていたティンパニーの演奏に釘付けになってました。定演では珍しく、ピアノの小林愛実も、更にオケ自体もアンコールをしてくれました。ピアノは、ショパンのマズルカ、オケは、チャイコフスキーの弦楽セレナードでした。
 コンサートが終わると、梅田経由で新今宮に移動。今夜の「動楽亭」では、「小鯛の落語漬け」という塩鯛門下の俊英小鯛の勉強会がありました。その番組は、次のようなものでした。二葉「桃太郎」、小鯛「皿屋敷」、歌之助「蛇含草」、(中入り)、小鯛「平林」「剣道部のなんなん(仮題)」。二葉の前座に、よく遭遇するようになってきています。さほど持ちネタが多くないなずですから、今日は、ネタがかぶるかと思っていると、二葉で初めての「桃太郎」でした。すずめのように、女性に変えてするのでない、通常の運びでした。今日は、「皿屋敷」と「蛇含草」で、半寝状態に。久しぶりの二部制に体力を奪われたのでしょうか。ただ「皿屋敷」は、小鯛の気合いが入ってるという印象が残っているのと、台詞に気が入ってるなの印象が残りました。歌之助は、生寿の会でもゲストに喚ばれてましたから、若手の噺家さんに人気があるということなのでしょう。噺が上手いという安心感があるでしょうしね。ネタ出しをしてなかった方は、どうやら間に合わなかったみたいで、高座に上がるや、小鯛は「短いのを二つやります」と言ってから、「まず平林をやります」に、会場は大爆笑。短いだけではなく、あまりにも前座ネタだったからでしょうね、大爆笑のわけは。黄紺は、幸いにして、小鯛の「平林」って記憶がないものですから、ラッキーだったかもしれません。「一つと八つでトッキッキ」を端から排除する定吉が傑作な「平林」です。「剣道部」は小鯛の新作。「色事根問」的作品と言えばいいでしょう。指南を受けた内容を、自分なりに解釈してデートに向かうボケた姿が、なかなかよくできていて、素直に楽しめる新作でした。今日は、今までのこの会に比べて、入りは、一番良かったのじゃないかな? 世の中、見ている人は見ているのですね。



2015年 9月 10日(木)午後 11時 33分

 台風一過の晴天とはならない変な天気が続いた一日。今日も動楽亭で落語を聴く日。今夜は「できちゃったらくご」のありました。うまく日取りが合わなかったため、「できちゃった」に行くのは、久しぶりという感じ。その番組は、次のようなものでした。あやめ「徹子の部屋腹話術ヴァージョン、美輪明宏編」、遊方「世帯イマジン」、三金「発表会」、南湖「ドキュメント山岳マラソン」、(中入り)、三風「アンドロイドキット前編」、たま「恋に落ちて」。あやめは、「女芸人キャバレーナイト」でだけ発表したことのある全編腹話術を披露。徹子の部屋のゲストが美輪明宏という設定で、最後まで進みました。人形も自作のものでしょうね。美輪明宏そっくりでした。遊方は、古典落語「世帯念仏」のパロディ。トラットリアでイマジンを弾きながら、ピアニストがぼやくというもの。発想のアホらしさがいいですね。南湖は、琴梅師に勧められて挑んだ山岳マラソンの実況中継。三風は、どうやら彦八まつりで、自身が担当した米朝アンドロイドからインスパイアされた新作を創ろうとしたのですが、肝心のアンドロイドキットが完成したところまでしかできなかったようで、アンドロイドの役割を明示できる前に、強制終了にしてしまいました。前半は、退職後、時間をもて余す男と、活発に動く妻の対比をおもしろく描いていましたので、完成したら聴いてみたいと思わせるものでした。たまの新作は、「色事根問」風進行。その方法を指南された男が実践に移ると、お婆さんが出てきてハチャメチャになっていきますが、恐らく実践編のところを、今後、たまのことですから改良を加えていくだろうなと思わせる、ちょっと中途半端な印象を与えた作品でした。久しぶりの「できちゃった」、中途半端に終わるのも、一つの魅力。それも楽しみに行っているところがありますから、バタバタしている方が、「できちゃった」に行ったぞの実感が残ります。今日の黄紺的一番のお気に入りは、アホげな「世帯イマジン」でした。



2015年 9月 10日(木)午前 0時 7分

 今日は、動楽亭で落語を聴く日。台風は、東海地方に上陸したようで、京都では、昼すぎには雨も止んでいました。おかげで、今日もミニウォーキングをすることができました。動楽亭では、今日は「モーレツ落語会」がありました。一昨日から3日連続で行われていた落語会。今回を含めて、初めておじゃまをする会でした。魅力のあるメンバーが揃う会なのですが、動楽亭に来る前は、えらく狭い会場で行われていたため、混み合うのが嫌いな黄紺は、行くのを避けていたというところでした。今日の番組は、次のようなものでした。雀五郎「桃太郎」、南天「蘭方医者」、宗助「算段の平兵衛」、(中入り)、紅雀「茶漬間男」、しん吉「狐芝居」。雀五郎の「桃太郎」は、特段変化なく過ぎたのに対し、南天はやりたい放題。あとから出た宗助が、「非常に卑怯」と表したほど。呪文を唱えるところで、ふんだんにくすぐりを入れるものですから、客席はヒーヒー言ってました。このネタ、先日、ひろばで聴いたところ。珍品を、こうも続いて聴くことができるとは奇遇です。下げは解りにくいからでしょうね。雉を外に出すために「焼鳥屋に連れて行け」という下げを使いました。宗助の「算段の平兵衛」は、初めての遭遇の可能性があります。米朝や可朝で聴いたときのようなど田舎の感じはしなく、そのため平兵衛の隠微な悪党という感じもしなくというところで、ちょっと黄紺のイメージとは異なる「算段の平兵衛」を聴いたといったところです。ただ、ネタの力もあるでしょうが、さすが宗助、しっかりとした語り口はたいしたもので、物語を把握するには極上のものでした。紅雀は、マクラで自身のエロさを申し述べ、ネタの色合いを導く戦略。それが功を奏して、そこまでエロいと思えない不倫ネタを、あっけらかんとしたものではなく、エロい色合いを強めさせ、個性を発揮。いいもの聴けました。3日間の大トリはしん吉。ネタも、そういった位置についてくるもの。このネタは、完全に吉朝一門の十八番化してますね。このネタの真骨頂は、山道に入り、秋の釣瓶落としで、急に日が暮れた暗さと、そこにボヤーッと浮かぶ狐火が見えるかというところでしょう。しん吉の口演では、暗さが足りなかったって感じかな。山道差し掛かる辺りからの語りのメリハリが肝心だということでしょう。芝居の券を「チケット」って言ってしまった後遺症があったかもしれません。芝居も、もう少しもったいぶった重い表現の方が暗さとともに映える狐火が明確に見えたかもしれませんね。文之助が考案したと伝え聞くお団子を置いていく型を採用していました。秋の雰囲気を出すために、お囃子方から虫の音を表す効果音も入れられるというもの。いい口演を大トリに置いたものです。外は、すっかり秋の風情かと思い、外に出ると、台風の後遺症でしょうか、結構な雨に驚かされました。



2015年 9月 9日(水)午前 6時 46分

 台風が近づいているせいか、気温は低いわ、雨がよく降ります。雨が降ると、落語会に行くまでに、毎日やってるミニウォーキングができなくなってしまうため、日々のリズムが変わってしまうので、ストレスがたまってしまいます。今日も、ちょうど昼頃、雨脚が激しくなったのですが、午後2時頃には小降りになったのを捉え出かけることにしました。幸い予定通り、ミニウォーキングをして、ネットカフェで身体を休めてから、夜の落語会に行くことができました。今夜の落語会は、「雀のおやど」であった「かわりべんたん」という落語会。呂好と華紋という二人の若手の有望株と考えられている噺家さんの会です。呂好は呂鶴の弟子で、落語界で、選挙に出たことのある3人の1人と言われている噺家さん。好青年と評判でもあります。華紋は文華の弟子で、学生噺家として実績を残して、プロの世界に入ってきた方。なかなか得難い2人の会ということで、今回が2度目のおじゃまとなりました。その番組は、次のようなものでした。呂好・華紋「トーク」、華紋「二人癖」、呂好「太鼓腹」、(中入り)、呂好「つる」、華紋「悋気の独楽」。この会は、前座を置いてないため、替わりに、冒頭に二人の「トーク」が置かれています。やはり、「トーク」の話題は、終わったばかりの彦八まつり。華紋は、文枝一門の焼きうどん、呂好は、呂鶴がだんじり踊りをしますから、一緒に踊っていたそうです。二人とも、ネタの一つは前座ネタ。二人とも、それぞれが出したネタは初めて聴くものばかりでした。華紋は、口当たりの爽やかさ、いいテンポで進むのですが、なんか流れ過ぎてしまいますね。デフォルメをしすぎて、げっぷが出そうになる口演は困ったものですが、流れ過ぎても噺の印象が薄くなってしまいます。「二人癖」だと、将棋の駒を並べて待っていても、そないに待っていたという感じがしないですし、「悋気の独楽」では、定吉の印象が薄くなり、万年筆が出てくる辺りが、おもしろみに欠けてしまいました。「悋気の独楽」の場合は、流れるとは反対に、力を入れているところが判り、それ以外は流れてしまったってことかな? ご寮人とおたけに集中したためか、それ以外のキャラ付けには執着しなかったかのように看えてしまいました。一方の呂好、「太鼓腹」が目新しいところ。こういった若手の噺家さんが、どのようなネタを手掛けたがるのかっていうのも、黄紺の楽しみ方の一つなんだけど、幇間ものとは、近頃の若手の皆さんが手を着けないところに目を付けたのが目新しい。マクラで幇間の説明に入ったときに、思わず身が前に行きました。今時のものではないから、描き方が難しいから、どうなんでしょう、喬介ぐらいですね、やってんの。喬介は、いちびりの男の描写は、例のハイトーンを一段張り上げるような形で成功してましたが、呂好の落ち着いた語り口が向いているだろうか、直ちに不安がよぎりました。結果は、やっぱ幇間はムズイなと思わせられました。聴いていて、遊びの世界の男たちの会話だとまでは思えなかったのです。「つる」での安定した会話というわけにはいかなかったですね。呂好は、「つる」で出てきたとき、「針を打ってるとき痛さを感じたか」を、客席に問いかけていました。それを聴いて、いい点を突いてるなと思いはしたのですが、そこまでの高みに行くためには、臨場感を醸し出す2人の描き方じゃないのかなとも思ってしまいました。遊び呆けている風情の若旦那、その若旦那によいしょし倒す幇間、呂好の口演では、幇間に神経が行っていたと思いますが、若旦那が落ち着いたおっさん風情では、いくら幇間を頑張っても臨場感が生まれないということじゃないかなと思いました。捲土重来、何度も高座にかけて練り上げていって欲しいものです。呂好にとっては、一種のチャレンジ的なネタのチョイスですから。なお、呂好は、このネタを、華紋の師匠文華からもらったと言っていました。



2015年 9月 8日(火)午前 0時 21分

 今日は繁昌亭の夜席に行く日。台風が近づいているからか、変な天気のなか出かけて行きました。今夜は、「彦八まつりあとの祭り」がありました。ずっと彦八まつりを見ているわけにはいきませんし、ましてや脚腰が普通じゃなくなった今の黄紺には、ありがたい彦八まつりのダイジェスト版です。その番組は、次のようなものでした。遊方・生喬「ご挨拶」、花丸「金明竹」、三風「めざせ、ちょっと岳よ」、あやめ・三風・遊方・生喬・花丸・三金「スライドショー」、(中入り)、三風・三金「お茶子クィーンコンテスト優勝者」、遊方「素人演芸バトル優勝者」、文珍「有限会社旅立ち」、「残り福抽選会」。この会のメーンは「スライドショー」、それに、各コンペの優勝者の紹介。「スライドショー」では、ほぼ時系列的にイベントと、各ブースの紹介が行われました。「お茶子クィーン」は、昨年に続き、ウルトラ別嬪さんの登場に、会場が湧きました。昨年のクィーンは、ミスコンの世界大会に出場ということで、今年の審査員を辞退されたほどの方。「素人演芸」の覇者は高校生で、落語で優勝しました。3分間で「ぜんざい公社」をまとめたことが評価されたようです。落語は3席。三風の「ちょっと岳よ」は、今や鉄板ネタになってるようですね。時間のこともあったのでしょう、半ばで切り上げました。それに反し、花丸の「金明竹」って聴いたことあったっけというのが、正直なところ。兄弟弟子の染雀では、よく聴くのですが、、。ただ、花丸の口演は、言葉を足すというのが特徴、判りやすくという視点が見えてきて、花丸の丁寧さを感じるのですが、かえってまどろこしくって、抵抗を感じてしまいました。実行委員長恒例のトリは、貫録十分の文珍。マクラで、彦八まつりを点描するのですが、さすが切れ味抜群の感性を見せてくれました。特に、兄弟子文枝ネタは、この人しかできないでしょうから、笑いは倍増しました。話っぷりは、まるで東京の大御所の風情を感じました。ネタの方は、小春団治や福笑作品とかぶるところがあり、ちょっとトーンダウンしたことは否めないのですが、繁昌亭では、貴重な文珍の高座に、彦八まつりのおかげで2回も接することができました。抽選会は、早々に大当たり。有馬温泉の炭酸煎餅をゲットしました。



2015年 9月 6日(日)午後 6時 42分

 今日も雨。気温は下がり気味だし、丸で秋雨って言い方が当てはまりそうな感じです。今日は、彦八まつりに行くつもりだったのですが、屋台は、昨日見て回ったし、「米朝追悼」の奉納落語会も、トリの米団治は、繁昌亭昼席で出した「地獄」を出しそうなので止めました。替わりに動楽亭昼席をチョイス。同時間帯に、彦八まつりの落語会、宗助独演会があるので、吉弥が出るけれども狙ってみました。おまけに雨というのが狙い目と思ったら、ドンピシャ。主催者からすると迷惑でしょうが、混み合うのが嫌いな黄紺にはありがたいことでした。その番組は、次のようなものでした。そうば「普請ほめ」、ひろば「看板のピン」、団朝「秘伝書」、吉弥「お玉牛」、(中入り)、米左「菅原息子」、文之助「星野家」。そうば、ひろば合わせて、遭遇機会の多かった週だったため、あまり期待してなかったら、その通りになってしまいました。おまけに団朝までもが、繁昌亭昼席で出したネタ。ただ今日は、お伽噺小咄の替わりに、マクラで彦八まつり裏話をしてくれました。今日一番の受けを取りました。吉弥は、今日は家族サービスの日とかで、家族が動物園で待つなかの高座だと言っていました。吉弥では、久しぶりの「お玉牛」。吉弥が、このネタをすると、だいぶと土の匂いが減じますね。「菅原息子」はレアなネタ。米左以外の演じ手は知りません。2回目の遭遇なのですが、その貴重な2回とも居眠り。浄瑠璃狂いの息子が出てきて、「七段目」の雰囲気を感じたところで、記憶が飛んでしまっています。文之助は「星野屋」。なんとなくそないな感じがしていたら、こちらも予想が当たってしまいました。



2015年 9月 5日(土)午後 7時 23分

 今日は、文楽劇場で「公演記録鑑賞会」に行く日。会場の近くに、生国魂神社で行われていましたから、文楽劇場の行き帰りに寄ってみました。「公演記録鑑賞会」の方は、今日は文楽で「源平布引滝〜竹生島遊覧の段、九郎助住下の段〜」(H2.7上演)が上映されました。天満橋から生国魂神社までミニミニ・ウォーキングということで歩いて行き、彦八まつりを見て歩きをしてから行ったものですから、文楽劇場小ホールの座席に着いた途端、ほっこりしてしまいました。ほぼ全編熟睡。丸で昼寝のために行ったってところです。時々目覚めたときに聴こえてくる若い織太夫(源太夫)さんや生では知らない呂太夫さんの生き生きとしたお声に、また呂太夫さんと組まれた錦弥(錦糸)さんの伸びのある三味線の音には、はっとはするのですが、完全に目覚めるには至りませんでした。なお人形の方では、実盛を、先代の玉男さんが遣われていました。
彦八まつりでは、行きのときは、舞台では、笑丸がウクレレ漫談のようなことを、帰りの方では、高津の富の抽選会が、鶴二のメーン司会に、呂竹・呂好の兄弟弟子がサブについて行われていました。屋台の買い物は、生喬が、高座からうまいと自慢するものだから、松喬一門のカレーと、これまた、高座から散々聴かされた塩鯛焼きを食べてみました。こちらの方は、高座からのレポート通り、修行を積んできたという鯛蔵と小鯛の二人が焼き役を、売り子に、わかばとあおばが立っていました。米朝事務所を離れてから、あおばを見たのは初めてじゃないかなぁ。松喬一門カレーのお店の方は、喬若と喬介という兄弟弟子コンビが店番をしていました。どうも脚や腰の具合が良くないものですから、長い間、舞台を眺めていることが難しいだろうと、一旦、梅田で所用を済ませたあと、戻るつもりだったのですが諦めました。替わりに、明日、また覗いてみようかなと思っています。



2015年 9月 4日(金)午後 11時 33分

 今日は浪曲を聴く日。「浪花亭友歌勉強会」が、阿倍野の「オーパルギャラリー」でありました。曲師は、3番ともに沢村さくらさんでしたが、番組は、次のようなものでした。浪花亭友歌「神田松」、天中軒涼月「発明王豊田佐吉」、(中入り)、浪花亭友歌「藤吉郎の初陣」。福井在住の友歌さん、東京の東家浦太郎の弟子ですが、活動範囲のことを考えてか、大阪では、天中軒雲月師の預りとなっています。雲月師は、名古屋在住ですが、この会には、毎回、顔を出されています。ゲストが涼月さんでしたから、この会は、丸で雲月一門会的な色彩。雲月師は、明日、角座での「暁輝雄追悼」を銘打った会にも出るということもあったのでしょうね。暁輝雄師との縁について、涼月さんが興味あることを言われていました。涼月という名前は、輝雄師からもらわれたそうです。輝雄師の奥さん(えっ? そないなはずが、、)が、天中軒鏡月という名の浪曲師だったそうで、その名前をもらうことを、東京の東家浦太郎師から出たのを受けて、雲月師が、輝雄師に話をされたそうなのですが、鏡月の替わりに涼月をもらったということだそうです。これは、おもしろい情報でした。主役の友歌さんのネタの一つ目は「神田松」。春野恵子さんなどは、「神田松五郎」というフルネームを使われているものですが、お話は、親を知らないで育った松五郎を育てようという夫婦が出てくるところから、松五郎が、近所の子どもらとトラブルを起こすところまで。そのトラブルの原因が判るクライマックスのところで、うとっと来てしまい、判らずじまいとなりました。このネタも、「野狐三次」のような長編のごく一部なんでしょうね。「神田松」と聞けば、誰しもが、おおよその話が思い浮かぶ時代のネタなんでしょうが、それを知らないで聴いて、こないな切り取りって、おもしろいと思えるものではないと思うのですが。「藤吉郎の初陣」は、もちろん「太閤記」の一部。講談のええとこ取りです。藤吉郎のキャラを描く序盤、半ばでは、抜け駆け的に、敵の大将を討ちます。その功績を評価しない今川義元を見限り、信長の元へ向かう終盤と、実に構成がしっかりしていました。涼月さんは、またかと思う「豊田佐吉」。このネタ、日本における黎明期の近代文明周辺を描いていて、おもしろいですね。相変わらず、キャラが転換する父親にはついていけませんが。織機に見る男文化と女文化、水浴びして技術の開発を祈る母親。古い感性とクロスするのが、とってもおもしろいのです。



2015年 9月 4日(金)午前 5時 42分

 最近、ホント、雨がよく降ります。雷雨的な雨だけではないので、なんか変な気候だと思ってしまいます。今日も雨が降りました。今日は二部制の日。午後が繁昌亭昼席で、夜は、いずみホールであったレクチャー・コンサートに行ってまいりました。繁昌亭昼席は、今週は「染左ダブル受賞記念」として行われた興行。その番組は、次のようなものでした。団治郎「動物園」、べ瓶「いらち俥」、鶴二「ハンカチ」、ミスター・スキン「マジック」、三扇「じいちゃんホスト」、小染「上燗屋」、(中入り)、団朝「秘伝書」、染左「茶の湯」、喜味家たまご「三味線放談」、米団治「地獄八景亡者戯」。団治郎の「動物園」から笑いが起こる、とっても素直な客席。素直に楽しもうとするおばちゃんたちに、今日は学生さんたちも詰めかけ、感じのいい雰囲気。べ瓶の「いらち俥」が、だいぶと様変わりをしていました。病み上がりの車夫が力が足りず、かじ棒が持ち上がらないところは、なんとカット。元気な車夫になると、市電とすれ違う場面に焦点を合わせてしまって、すれ違う直前の車夫、客、市電の運転手の顔をスローで描いたりしていました。車夫と客の動きも小さくしていましたから、以前に比べて、パワーが落ちたなという印象。今日の高座を見て、若手噺家グランプリで、吉の丞に勝てなかったわけが判ったような気がします。鶴二は、客席の空気を読んだのか、「ハンカチ」をチョイス。主人公二人の台詞にうなずきながら聴く客席のおばちゃんたち。完全にストライク、ツボにはまっていました。三扇も、専業主婦とキャリアの女性を出すことで、ツボを捉えました。共感を覚えるネタのチョイスが、三扇に味方。あとは、思いがけないホストの登場で、客席ヒーヒー言ってました。こういった流れに唯一乗りきれなかったのが小染。すっかり客席の味方になっていた黄紺は、そう感じた途端、居眠りに入ってしまいました。団朝はいい膝替わり。お伽噺からの小咄を連発して、掴みはOK。ネタの「秘伝書」は、かいつまんでって感じで、しつこくやらない。この辺の呼吸は見事です。しかも、マクラで、しっかりと本日の顔になる染左の紹介までやっちゃいました。染左の出前に、見台が下げられたもので、目先を変えた芝居噺をするのだと思いました。また、いいタイミングです。目先を変えて、客席をびっくりさせて喜ばせることができますからね。でも、染左のチョイスは、微妙な「茶の湯」。変なお茶の作法をしても、微妙に受けるという感じ。微妙に、客席を読み間違ったって感じかな。そして、喜味家たまごを挟んでの米団治がすごかった。下げを言ったとき、客席は、スンディングオーヴェーションをしかねない盛り上がりぶり。なんて多くの人が、手を上にあげて拍手をしていたことか! そして、黄紺も、これだけ畳みかけるようにテンポが良く、くすぐりを浴びせかける米団治は、かつて観たことはなかったですね。船賃ところは省かれ、寄席小屋で米朝が出てきたところで、米団治は「明くん」になり、あの世の米朝と言葉を交わす中で下げへというもの。時間は30分でまとめました。当然、閻魔大王などは出てこない「地獄」でした。今週は、この「地獄」で通す雰囲気です。金曜日がワンチャンスです。とってもお薦めです。
 繁昌亭を出ると、天満橋経由京橋へ。元同僚と落ち合っていずみホールへ行ってまいりました。今夜、こちらで「モーツァルト〜未来へ飛翔する精神 関連企画 ″モーツァルトの歳の取り方を考える”」というコンサートがありました。この3年、いずみホールの主催公演として、モーツァルトの作品を、時系列で紹介するコンサートが行われているのですが、そのシーズン開幕前に、毎年、レクチャー・コンサートが行われ、それが、今日、あったというわけです。そのプログラムは、次の通りです。全て、モーツァルト作品です。第1部「もののあはれを知る」の巻。「ロンド イ短調 K.511」「歌曲《夕べの想い》K.523」「歌曲《クローエに》」「歌曲《春への憧れ》K.596」「ピアノ・ソナタ K.523より第1楽章」。第2部「青空に飛翔する」の巻。「ピアノ・ソナタ ハ長調 K.545」「グラスハーモニカのためのアダージョ ハ長調 K.356(617a)」「アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618(オルガン編曲)」「小カンタータ《無限の宇宙の創造者を讃えるあなた方が》K.619」。今年の守備範囲は、モーツァルトの最後の5年間。それに合わせてプログラムが組まれたのですが、昨年同様、ピアノの久元祐子さんが、オルガンまで弾く大活躍。そして、特別ゲストに、テノール歌手の鈴木准さん、そして、お話は、このホールの音楽ディレクターを務める礒山雅氏という布陣で進行。これだけの顔触れで進行していこうとなると、自ずと限られるなか、おもしろい作品を出してくれました。お話と合わせて、「ピアノ・ソナタ K.523」に関する演奏、お話に耳がダンボになりました。モーツァルトが、ヘンデルの「メサイア」を編曲していることは、昔から知っていたのですが、これほど鮮やかにヘンデル、更にバッハを想起させるフーガの技法が込められている作品なのですね。自分の曲の中に、明らかに読み取れる痕跡を残すとは、言われてみて初めて気が着いた次第です。歌曲は男声で聴く機会が少ないはず、「グラスハーモニカのためのアダージョ」に至っては、「グラスハーモニカ」という楽器自体が判らない、一般的には。その音を、パイプオルガンの操作で聴かせてもらえました。このグラスハーモニカの曲も珍しいが、「小カンタータ《無限の宇宙の創造者を讃えるあなた方が》K.619」は、更に珍しいかもしれませんね。かつて、音源を手に入れるのに苦労した作品です。そないなことも思い出しながら聴いておりました。



2015年 9月 3日(木)午前 7時 4分

 昨日は、トリイホールであった「夏だ、ツアーだ、ぴっかり☆らくご!」に行ってまいりました。主役の春風亭ぴっかりは、東京の噺家さんで、カワイイ系ナンバーワンの噺家さん。そんなで「湯屋番」なんて落語を、おもしろく聴かせることのできる実力者。東京で目をつけてきた噺家さんが、去年に次いで、大阪にやってきました。その番組は、次のようなものでした。二葉「雑俳」、ぴっかり「ちりとてちん」「徂徠豆腐」、(中入り)、ぴっかり「百面相」、二葉「書き割り盗人」、ぴっかり「悋気の独楽」。二葉を前座+ゲスト扱いでのぴっかり独演会。昨年は、新作を並べて、えらく気合いが入ってるなと思うと同時に、古典をじっくりと聴いて、ぴっかりを見極めたいと思った記憶があります。今年は、それに対し、がっつりと古典で固めてくれました。3席の中で、気に入った順に記すと、「徂徠豆腐」「ちりとてちん」「悋気の独楽」となるのは異論ないでしょう。ぴっかりは、ルックスからしては相反するのですが、おっさんがいいということが、ここにきてはっきりしたなと思います。語り口がしっかりしている上に、テンポに自在性がありということに、おっさんがいいというのが加わると、やはり気になる噺家さんであることに変わりはありません。その中で、徂徠と豆腐屋のやりとりか、一番聴かせたなと思いました。逆に、子どもや女性の出てくる噺になると、おっさんの出番を押し込んでいくということで、自分的評価は下がりました。「ちりとてちん」は、「酢豆腐」という言い方はしなくなったのでしょうか? ぴっかりの口演を聴いていると、上方版との違いがくっきり。やっぱ、上方は、おもしろいところは追及しますね。追及しすぎるケースが多いですが。「徂徠豆腐」は、言うまでもなく釈ネタ。これを、噺家さんが持ちネタにしているというケースは、上方にはないでしょう。ぴっかりの口演を聴いていると、テキスト的には南華さんのそれに酷似。ですから、出所は琴調師か、その周辺ってことでしょうね。「悋気の独楽」は、旦那の浮気、奥方の悋気、丁稚の活躍、独楽が2人の女の立ち位置を弄ぶという基本設定は、上方版と同じですが。東京版は、冒頭が「権助魚」かと思う出だし。丁稚を使い、旦那のあとを着けさせるのが序盤。お妾さん宅でのやり取りが中盤。ここでは、あとを着けてきた丁稚が旦那側に寝返っている。奥方が、帰ってきた丁稚を手玉にとり、独楽の一件まで晴れてしまう終盤と、きれいに3等分という構成。家の中で、奥方が奉公人に遊ばれるというくだりなどはない。従って、家の中でのやり取りは少な目。「ちりとてちん」同様、東西の味付けの仕方の違いがくっきりしました。それにつけても、会場はおっさんばっかり。ここまで、男女比率が偏った落語会も珍しい。ごく一部に、ぴっかりを目指して来たと思しきおっさんがいたように思えましたが、コアな落語ファンの姿もほとんど見ませんでしたし、いったい何者が集まったのかと、ちょっと気色の悪くなるような会場でした。



2015年 9月 1日(火)午後 11時 45分

 最近、雨がよく降ります。そのためか、気温があまり上がりません。夜になると、完全に秋です。気温が下がり過ぎて、風邪をひかないか心配をするくらいです。今日は「提法寺寄席」のある日。ざこば門下のひろばとそうばの二人会。3ヶ月ごとに年4回開かれています。今年は、日程的に折り合いが悪く、今日が初めてとなりました。その番組は、次のようなものでした。ひろば&そうば「トーク」、ひろば「蘭方医者」、そうば「植木屋娘」、ひろば「崇徳院」。呼び物は、冒頭のトーク。前回からの3ヶ月の間に起こったことを主に言い合うのですが、そうばの話した博物館のイアホンガイドの話は、なかなか貴重。「肉筆による浮世絵」のイアホンガイドの仕事ですから、これはすごい話。ひろばは、「高津落語研究会」で、目標を達成したということで食べたフカヒレスープの話から派生した中華料理の話がおもしろいものでした。そのひろばですが、「高津落語研究会」のことを考慮したネタ選びをしてくれました。「蘭方医者」にはびっくり。文我が「外科本道」という名で出しているネタです。小咄に毛が生えた程度の長さ。けったいな噺です。病気の原因を憑き物として表し、それを退治するとして、次から次へと天敵をあてがっていくというだけの噺。そうばの「植木屋娘」は初物。幸右衛門の下卑た感じはよく出ていると思うのですが、和尚も伝七も、それと大した違いを感じえないというのはいかがなものか、、、。更に、びっくりしたのは、お光のお腹を大きくしたのが伝七と判明したところで、噺を切ってしまったのです。下げが嫌だからということでしょうが、そのあとの和尚へのねじ込みも省いてしまっては、噺が収まらないのではないのかな? これは再考を要する刈込です。ひろばのもう一席も、「高津」で出してないもの。「高津」では、誰が「崇徳院」を出すか注目していたのですが、もう誰も出さないと判った大トリで南天が出しました。ひろばは、この日のために取っておいたのかもしれませんね。流れも、くすぐりも、とってもオーソドックスなものでした。



2015年 8月 31日(月)午後 11時 38分

 夜半からの雨、やみかけては降っていました。今日は繁昌亭に行く日。今日、明日と、まだ「高津落語研究会」の余韻の中で、落語会に行くことになっています。今日がたまの会で、明日は明日で、ひろばの会に行くことになっています。今日は、繁昌亭で、たまが毎月開いている「月刊笑福亭たま」でした。その番組は、次のようなものでした。紫「大安売り」、喬介「饅頭怖い」、たま「胎児」「夢八」、(中入り)、塩鯛「くっしゃみ講釈」、たま「新作ショート落語」「怒り心頭」。補助席も出る盛況。すっかりたま人気が定着した模様です。今日は、助演陣にそそられ、たまのネタにもそそられ、この会をチョイスした次第。紫は、今や最強の前座の一人。「大安売り」をするときは、都部屋のマクラが付きます。喬介の「饅頭怖い」は聴かせます。好きなもの、嫌いなものを言い合うところで、客席に染み入る喬介落語。三喬の教えがいいのか、人物像がくっきりしていて笑えるところと、もののおもしろさで笑わせるところの兼ね合いが上手い。上等な饅頭が出てきて、実際に光ぁんが食べるところがいいですね。饅頭の特徴を捉え、おいしそうに食べ分けてくれます。紫、喬介と、いい下地ができて、本日の主役たまの登場です。高津でも言っていた花丸ネタで、たまも暖めに暖めて、懐かしい「胎児」へ。たまよね作と、プログラムに記されているだけで、嬉しくなったのは黄紺だけじゃないでしょう。たまのいい新作が出ても、この「胎児」は記念碑的作品と思っています。逆立ちをしながら落語が進むのが、また、それに必然性があるだけに、おもしろい。「10年前に創った」と言って、ネタに入りました。初めて、このネタを聴かれた方は、さぞや驚かれたでしょうね。落語の可能性を拡げた逸品です。それに対して、「夢八」は退化気味。ネタ下ろしのときに聴いて以来なのですが、そう思いました。むしろ、ネタ下ろしの際は、八兵衛の夢を常に見ているところを補強するアイデアがあったのですが、今日の口演では、「夢」見という肝心のポイントが、えらく薄くなってしまってました。今日の口演では、全てが実際の出来事としか思えないのですが、、、。塩鯛が登場したのは、8時半を回っていましたから、大ネタは出しにくかろうと思っていたら「くっしゃみ」にびっくり。塩鯛が下りたあと、5分間、たまが出てきませんでしたから、「本日の新作」が間に合わないということで、塩鯛に長講をお願いしたのじゃないかなと思いました。たまの新作は、「できちゃった」で出したものの焼き直しとか。昨日の高津では、「まだできていない」と言っていましたから、ギヴアップ・ヴァージョンかもしれません。切れやすい男の姿を描くのが前半。後半は、それを直そうと永平寺にやって来るというもの。永平寺の方が聴くと、揶揄しすぎもいいところなので、まずいんじゃないかなって内容でした。でも、聴く分ではおもしろいのですがね。終演は9時半を回っていました。たまの会の拙い点です。終演が遅い、これが、またしても起こってしまいました。



2015年 8月 30日(日)午後 11時 8分

 今日は、講談会と落語会の二部制の日。昼間の講談会は、京都の五条烏丸界隈にあるカフェで行われた「御中席」。南青くんの会です。その番組は、次のようなものでした。「木津の勘助」「名優 中村歌右衛門(男の花道)」。御中というお店は、町家をそのまま使ったカフェ。その和室に椅子を並べ、釈場が設えられてありました。とっても贅沢な空間で、講談を楽しむことができました。「木津の勘助」は、旭堂の方々には、とってもポピュラーなもの。あまり回数を重ねてない会では使えます。金持ちの商人と百姓の交流という設定が、話を、それだけでおもしろくします。「男の花道」、南青くんは、なぜか、この題名を使わず、「名優 中村歌右衛門」としていました。帰り際に、南青くんに伺ったところ、松鯉師からもらったそうです。旅の途中、目を患った歌右衛門と、それを救った医師との強い絆の物語です。テキスト的に難しいと、かねてから思っているのは、冷静なキャラできた医師が、無頼漢の侍に腹を立てて、歌右衛門を喚ぶ書状を書くところ。一気にぶち切れると、それまでのキャラとは分裂してしまいます。でも、歌右衛門を喚びに動かないと、この話は成立しません。今日の松鯉版は、侍に、一旦引かせる態度をとらせます。かなりいたぶったという度合いが、逆に増すところがミソで、これは、なかなかいい展開、合理性が高まったと看ました。南青くんの緊張感のある口演も素敵で、この会をチョイスして、大正解でした。
 講談会が終わると、京阪四条まで徒歩で移動。そして、大阪までの大移動。夜の部までは時間があったので、今日も、千日前のネットカフェで時間調整。夜は、今日が最終回の「高津落語研究会」でした。その番組は、次のようなものでした。雀五郎「世帯念仏」、たま「陰陽師」、ひろば「替り目」、南天「崇徳院」、全員「大喜利」。13日連続の落語会、12日目までは一つもネタがかぶらないで来ていました。ルールとしては、演者が異なれば良しとするということで始められていますが、結果的には、かぶせるということはなかったのです。となると、一番手の雀五郎が言ってたのですが、最終回になってかぶせるわけにいかなくなってしまいました。雀五郎は、前座ネタとして「転失気」を持っていて、まだ出ていなかったものですから、それかなとも思ったりしていたのですが、マクラで陰陽の話をしだしたものですから、「世帯念仏」と判明。冒頭で、念仏を唱えながら虫を殺すシーンを持ってきて、これを幾度か挟みました。ときには見台を叩いて殺す仕草を入れ、変化をもたせていましたが、これがいいアクセント、間になって、とってもいい仕上がり具合。たまは、自分の出る他の落語会のことも考えてのネタ選びで四苦八苦してきたと言い、「陰陽師」を、今日はチョイスしたということですが、「さっきぐつぐつも行けることに気がつきました」「やってもええのですが」と言いながらも、「陰陽師」を敢行。黄紺的には、「陰陽師」は聴いていることは聴いているのですが、随分と時間が経っているので、ラッキーな話。終盤、手拭いを使い、悪霊が、人の体内から出入りする様子を表現。このアイデアは傑作。たまの思いつきに、またしても感心させられました。ひろばは「替り目」。南天も持っていますが、まだ出ていなかったですからね。ほぼ通常のテキストで、ヨメさんが、関東煮を買いに出る前で下りました。そして大トリに「崇徳院」が出ました。たま以外は持ちネタにしているので、誰が出すか気になっていたのですが、大トリで、南天が出しましたが、これがスーパーな出来栄え。南天ベスト高座に数えることができるでしょう。勢い、テンポ、スピード感、独特の感性で放り込まれるくすぐりが、ホントにいいタイミングで繰り出す力量、何をとってもピカ一。今回、気になっていたハイテンションから来る力任せのくすぐり、こだわりから来る過剰な物言い、そんなのは、今日の高座では、微塵もありませんでした。正に大トリに相応しい見事な口演でした。下げは、ちょっといじりはしましたが、通常の下げを採用していました。8月に13回も行なわれた落語会、メンバーたちも、生活の中心になっていたようで、南天などは、「明日からどうしていこ」なんて言って、笑いをとっていました。今年の目標、1回で80人動員が、最終回で実現。ひろばは、目標達成ならフカヒレスープを食べに行くことができるようになったと喜んでいました。来年は、90人で燕の巣にするそうです。とにかく噺家さん、客席が、実に熱い落語会に酔うことができました。



2015年 8月 30日(日)午前 3時 50分

 一昨日は、高校時代の友人と呑み会。黄紺は、この時期に、日本にいたことが少なく、久しぶりの再会となりました。おかげで、15年ぶりくらいで、カラオケにも行くことになりました。
 そして、昨日は落語三昧の一日。昼は動楽亭、夜は千日亭のはしごをしてまいりました。ただ、前夜、睡眠が、十分にとれていなかったため、困ったことが起こりました。昼の動楽亭は、「吉の丞進学塾」です。その番組は、次のようなものでした。呂好「色事根問」、吉の丞「仔猫」、(中入り)、ひろば「佐野山」、吉の丞「除夜の雪/遊山舟」。会主の吉の丞は、ネタ出しが「仔猫」、だけど、ネタ下ろしは、この「仔猫」。吉朝の「仔猫」を、19歳のときに聴いたのが入門のきっかけという話は、以前聞いたことがあったので、期待の一番。でも、そういったネタとなると居眠りが定番の黄紺。ここでも、やっちゃいました。えらくしっかりと、落ち着いた語り口だったことは覚えているのですが、それまでです。もう一つは、「除夜の雪」のつもりだったようで、実際に始めたのですが、流れを間違い頓挫。「止めます」「替わりにリクエストを募ります」となってしまいました。吉の丞の「除夜の雪」は初めてだったので、がっくりとなっちゃいました。リクエストは3つ出ました。「胴斬り」「遊山舟」「七度狐」です。だけど、季節がら喋りなれているのか、「遊山舟」となりました。以前聴いたのに比べ、だいぶと手を入れていました。吉の丞テイストが、吉朝テイストと、うまく絡みながらいい仕上がり具合。「仔猫」と合わせて、しっかりとした吉の丞の地力を認識したことになりました。ゲスト枠はひろば。ひろばは、後輩から好かれてるのかなぁ。ゲスト枠で、よく見かけるようになりました。「佐野山」は、「高津落語研究会」で出たときは日本にいなかったときですから、その埋め合わせになり、とってもラッキー。元来、講談の「谷風の人情相撲」ですが、落語会にも定着気味のネタです。谷風ではなく、小野川が片方の主役になっていました。それで判ったのですが、出所が南光でしょう。ただ、小野川から、新町に場所設定をしてまでも、人情相撲を持ちかける設定に違和感を感じてしまいました。また、地噺風でなかったことは要メモです。前座は呂好。前半は、崩した分、おもしろくはあったのですが、中途から息切れってところ。コンペで優勝したからでしょうか、かなりの混み具合。前回が、受賞直後で、あまり入りが良くなかったといいますが、今回に、受賞効果が出たということでしょう。
 動楽亭を出ると、徒歩で千日前に移動。いつものネットカフェで、短時間の時間調整。そして、夜は、千日亭であった「染左千日快方」に行ってまいりました。「高津落語研究会」もあったのですが、こちらの会をチョイスです。その番組は、次のようなものでした。染左「桃太郎」、福丸「雨乞い源兵衛」、染左「写真の仇討ち」、(中入り)、染左「蛸芝居」。「桃太郎」の前半が、なかなかおもしろい。突っ込みを入れる子どもの言葉遣いが、あとから出た福丸も突っ込んでいましたが、染左らしい物言い。それが、後半も続いてくれれば良かったのですが、後半は普通でした。ゲスト枠の福丸は、持ち主の少ない「雨乞い源兵衛」。この会のように、会主が百席を目指そうというわけですから、まことに好都合なネタです。この会の目玉は、あとの2つ。「写真の仇討ち」は珍しい。松五が持っているのかな、そのくらいしか思いつきません。遊女に惚れた男が、弄ばれたことをぼやくのに対し、中国の故事を持ち出し諌めるところが、この噺の山か。そこで居眠り。またしたも、目玉のところで居眠りです。「蛸芝居」が良かったなぁ。舞台が狭いので心配していたのですが、舞台自身はしっかりと固定されていたので、心配には及びませんでした。動きが細かく、そしてかっちりしているものですから、観ていて気持ちがいいですね。芝居噺に年季が入ってきたなの印象です。お囃子を福丸がやってたのでしょうが、僅かにずれたり、抜かしたりしたところがみられたのが惜しいですね。それに、笛が入らなかったのも、せっかくの染左の好演があったために惜しいところ。格安の会で、三味線が入るだけでも良しとしないといけないのでしょうが。
 帰りも淀屋橋まで、ウォーミング替わりに歩きました。もう夜になると秋ですね。今年は、真夏の苦しい夜は、韓国に行っていたこともあるでしょうが少なかったので、ホント助かりました。と過去形で書きましたが、揺り戻しがないことだけ願っておきましょう。



2015年 8月 27日(木)午後 11時 19分

 今日は、夜に家の用事があるので、昼間に行ける落語会に行ってみました。月末の穴を埋める落語会、それが、「角座」で行われている「日中落語会」。初めて行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。寅之輔「狸賽」、生寿「道具屋」、福丸「刻うどん」、喬若「長短」、(中入り)、石松「動物園」、右喬「まめだ」。寅之輔は2度目くらいの遭遇。まだまだ噺と身体の動きのバランスがとれていません。次いで、生寿、福丸と俊才が続いたのですが、今日は、ここで居眠り。いいところで居眠りをしてしまうというジンクスは、今日も生きていました。喬若の「長短」は2度目となります。人の性格の話をマクラでしていると、今日も、優しいお兄さんとして、あさ吉と雀喜の名前が上がりました。この喬若のところでというか、それ以前は居眠りをしていたので、よく判らないのですが、とにかく喬若のところで、すっかりと客席と仲良しになっており、団体さんが多く満席となった客席がわいていました。いい雰囲気の客席に、黄紺も楽しい空気に浸ることができました。中入り明けの石松のところでも同じ空気感。この「動物園」では、園長さんが河村はんで、アホに仕事を紹介したのが長谷川はんで、文枝一門を示唆するものが出ていましたが、一体、誰にもらったのでしょうね。型的には、とってもオーソドックスなものでした。そして、お目当て、トリをとる右喬です。定番の秘密兵器ぶりを発揮するマクラに、あまり乗らない客席。喬若は石松の方に笑いがシフトしたということは、健康的な笑い志向と看ました。ですから、そういった笑いへの対比として、右喬的高座が生きてくるはずなんですが、今日の客席は、あまりに健康的だったということでしょう。ネタは、まだ早いよという「まめだ」。これも、ちょっといい噺だが短い。今日の客席には、長めの本格的な噺ってやつを聴かせてあげたかったな。きっと受け止める感性があったと思いますから。ま、それを感じ入るトリではないのが残念です。



2015年 8月 27日(木)午前 6時 57分

 昨日は、珍しく阪急茨木市駅近くでの落語会に行ってまいりました。唯敬寺であった「平成雀の会」です。枝雀一門会の復活というコンセプトを持つということで、「雀の会」の名前を使っているようです。その番組は、次のようなものでした。優々「阿弥陀池」、雀五郎「手水廻し」、南天「青菜」、文之助「住吉駕籠」、雀三郎「船弁慶」。会場は、100人ほど入る広さはあるのですが、後方の椅子席はともかくも、前の座布団席は、あまりにも窮屈。剥離骨折を経験した黄紺の足には、最早ムリと判断した会場でした。ですから、今回1回限りになると思いながら聴いていたのですが、さすがに枝雀一門の落語会。素晴らしい落語会となりました。優々は、先日の動楽亭と同じ「阿弥陀池」。お兄さん方に言われたのかなぁ、リズムにかなり神経が行ってるなと思える口演。雀五郎は、「高津落語研究会」で出したときには行ってないネタで、とってもラッキー。大阪に出てきてからは、ひっぱらないというのがいいですね。山は一つで良く、そこで掴めばOKという方針が気に入りました。南天は、「高津」で出してない「青菜」が聴けてガッツポーズ。冒頭に、植木屋さんの剪定場面が入るのが、黄紺のお気に入り。やはり、南天、テンション上がってる感じがしてしまいました。「ちりとてちん」から、その気配が看られます。今日は、そのため旦さんが、えらく荒くなってしまいました。テキストで、旦さんと判るくらいにまでになっていました。文之助は、この場所が初舞台だったとか。この「住吉駕籠」も良かったなぁ。ライト感覚の喋りが冴え渡りました。なかでも頼りない駕籠かきが、ちょっとアブナイ系が入る無邪気な男に仕上がっています。これは、文之助スペシャル以外のなにものでもありません。酔っぱらいの繰り返しも、ライトな喋り。胸やけのしそうな口演の対極にあります。いいもの聴かせてもらえました。前半に手尽くしの値段交渉が入り、酔っぱらいのところまででした。雀三郎の「船弁慶」は、今夏、繁昌亭昼席に次いで2度目の遭遇。しかし、昨日の「船弁慶」は、神がかり的絶品でした。流れる流れる、実に快調。その流れの中に、笑いのツボが、見事に噛み合いながら嵌まってしまってました。いい思い出ができました。かつての「雀の会」にも行ったことがなかったものですから、ホント、一期一会、そないな会で、スーパーな口演に出逢ったものです。



2015年 8月 25日(火)午後 11時 31分

 今日は講談を聴く日。毎月、谷六の「薬業年金会館」で行われている「旭堂南海の何回聴く会」に行ってまいりました。今日は、南海さんが、東京の琴調師からお稽古をつけてもらわれる日ということで、その琴調師をメーンにした普通の講談会として開催されました。ただ、そのことを、すっかり失念していたばかりか、開演時間も変わっていたことを抜かしていたものですから、もう大変。トップの南湖さんは終わり、もう私服に着替えられていましたし、30分ほどの口演をされたという南海さんの口演の最後の5分も聴けたでしょうか。せっかくの会なのに、もったいないことをしたものです。番組は、次のようなものでした。南湖「さじ加減」、南海「水戸黄門漫遊記〜湊川神社の由来〜」、南鱗「太閤記〜秀吉と易者〜」、(中入り)、南華「徂徠豆腐」、琴調「四谷怪談〜お岩の誕生〜」。南海さん以前に、琴調師からお稽古を受けている南華さんと南湖さんは、その琴調師からもらわれたネタを披露。実際には、南湖さんの口演は聴けていないのですが、琴調師からのネタということで「さじ加減」のはずだと理解しています。南華さんの方は、南湖さんがダメ出しされている姿を見てきたからでしょうか、いつになく肩に力の入った口演。「クサいぞ」との指摘が、琴調師から出ているかもと、余計なことを考えてしまいました。南海さんは、何をもらっているのでしょうか? 今日は、まだお稽古の途中なようですので判らずじまいなのですが。そんなで、南海さんは「水戸黄門」からの抜き読みでした。南鱗さんは予定外の出演。お稽古を見に来られたのか、はたまた東京の兄さん方とは懇意にされている由、伺ったことがありますので、介添え役のようにしての高座だということでしょうか。そういった役割は、南左衛門さんではなく南鱗さんというのが、脇から見ているとおもしろいですね。「秀吉と易者」は、ひょっとしたら南鱗さんでは初めてかもしれません。2人の出逢いの1度目は矢作橋、2度目は中国攻めのときと、あまりにも話が出来上がりすぎています。そして、お待ちかね琴調師は、「納涼ということで怪談を」「私の顔では怪談に向かない」「頭の禿げた人なんてのがいい」なんて言うものですから、怪談ものに入るのかやきもきしました。でも、「禿げた人」と「怪談」で、客席から反応が、ほぼなかったのには、ちょっと引いてしまいました。それが判ってかどうかは知りませんが、琴調師、若いころ、貞水師に着いて余興に行った話をしてくれました。ケガの功名かもしれません。「四谷怪談」は、その発端の部分でしょう。お岩さんの母親からして、病がもとで人目を憚る顔になっていたところ、下郎の伝助とふとしたことで間違いが起こり、結果的に深い仲に。お岩を孕むことになります。ここまでは、さほどえぐい話ではないのですが、生きていくため、伝助が飯炊き奉公をするところから、一挙に猟奇的になります。首なし死体を担いで、家の押入れに隠したり、お岩の産み落しのきっかけは、その死体を見たことでとか、、、。一方の主役田宮伊右衛門も出てこない部分の口演でした。さすが、琴調師、聴きごたえがありました。台詞が、ぴしりぴしりと決まっていく緊張感を常にはらんでいます。東西交流がきっかけとなり、東京の講釈師さんを聴けるきっかけが増えたのが、何よりも嬉しいこと。ただ、上方の講釈師さんに人気のある東京の講釈師さんというのも判ってきました。その好みが、黄紺のそれに合致すればいいのですが、必ずしもそうではないのが、玉にキズです。受ける受けないの問題があるのかもしれませんね。神田派の重鎮松鯉師なんかは、このプロジェクトに加わりにくいのでしょうか? 愛山師にオファーが行かないのは解らないものではありませんが。貞心師にオファーが行かないのは、黄紺には解らないところです。



2015年 8月 24日(月)午後 11時 49分

 今日も、「高津落語研究会」に行ってまいりました。この会は、今日を入れて、あと3回行われるのですが、あとの2回は、ほぼ行けない、行かないと思いますから、今日が最後のつもりで行ってきました。その番組は、次のようなものでした。ひろば「ろくろ首」、南天「ちりとてちん」、雀五郎「禍は下」、たま「桑名船」、全員「大喜利」。今日は、昨日と違い、ネタは短くても、一人一人の高座が長めの一日。ひろばは、マクラでダイエット話。確かに以前に比べスリムになっている。これが大受け。ネタの「ろくろ首」は、ざこば組定番の前座ネタ。ひろばにとっては、昨日の「狸の化寺」とともに、今年初めて、高座にかけるネタだそうです。とってもテンポと間が良くて、今まで聴いたひろばの口演では最高のものだったと思いました。次の南天が、「ちりとてちん」で30分かかりました。ふんだんにくすぐりを散りばめた結果なのですが、腐った豆腐が出てくるまでは、ちょっと過剰なくすぐりも快適だったのですが、腐った豆腐の臭いのひどさの描写が、えげつなく過剰。その辺の加減には如才ないはずの南天が、どうしたのでしょう。雀五郎は、やり手の少ない「禍は下」を出しました。東京の「権助魚」ですが、東京では、前座噺の定番なのですが、上方では、ホント少ない。若手では、最近、二乗が持ちネタにしているようですが、それと、この雀五郎しかいないのではないかと思います。今日の雀五郎は、ちょっとリズムが一本調子で、ネタを繰っているような口演になってしまったのが惜しまれます。後半は、珍しい噺が続きました。その辺の話を、たまがマクラでしてくれました。噺の速記本とかは残ってないそうで、東京の「岸流島」と同じと書いた書き物が残っているのと、ハメものの記録が残っているので、上方で、「桑名船」を持ちネタにしている文太と文我は、それらをヒントに創ったものということでした。たまの場合は、文太は、もう稽古をつけてないので、文太の使っているアイデアを活かす許可を得て、自分で創ったものと言ってました。はっきりとは覚えてないのですが、前半の問答に、入れる入れないかも含めて差異があるような記憶なのですが、この記憶ばかりは当てになるものではありません。今日は、スーパーな入りまではいきませんでしたが、11回目ということを考えると、とんでもない動員力です。



2015年 8月 23日(日)午後 11時 17分

 今日は、再び「高津落語研究会」に行く日。5回までは、1回行くごとに木戸銭が安くなっていくシステム。たまが考案したシステムらしいのですが、このメンバーでかと思うと、足が向いてしまいます。今日の番組は、次のようなものでした。南天「つる」、雀五郎「くやみ」、たま「危険な情事」、ひろば「狸の化寺」、全員「大喜利」。今日は、えらく進行がスムーズ。トリのひろばが長めのネタを用意しているがための配慮かなと思っていたところ、「狸の化寺」で、これも外れで、結局、大喜利を入れても、8時半過ぎには終わっていました。前座役の南天は、枝雀独演会で前座を務めていた頃、ほとんど「動物園」しかやらせてもらえなかった話をしてくれました。枝雀一門の前座としての心得を含め、有名な話ですが、この話は、何度聴いてもおもしろい。ですから、南天曰く「他の前座ネタを覚えてもやらせてもらえなかったので、今日はそれをやらせてもらいます」と言ってから、「つる」を始めました。雀五郎は、マクラで、今日お手伝いに来ていた染吉の方向音痴ぶりの話。仲間内では、染吉の方向音痴ぶりは、かなり有名らしいですね。で、「くやみ」が良かったですね。やはりテンポがいいものですから、ちょっとした間を用いるだけで、心情表現がスパッと決まります。また、そのタイミングが絶妙。雀五郎のセンスの良さを感じます。たまは、ここずっと新作ばかりをかけています。今日のネタは初耳のもの。たまのツイッターを見て、初めて題名を知りました。仲の悪い夫婦の様子をデフォルメして見せるのが前半。その夫が、間違いを犯し、散々な目に遭うのが後半。全編、かなりブラックな色合いの作品です。トリのひろば、進行を考えると、まさかのネタ選び。「狸の化寺」は、たまも持っていますが、ざこば組を前にしては出しにくいでしょうから、ひろばが出すのだろうとは思っていましたが、そないに長いネタではないので、トリじゃないときに出すのだろうと思っていたものですから、わりかしびっくりさせられました。この会は、あと3回残っています。全部に行くことができないのが、ちょっと残念なところです。



2015年 8月 22日(土)午後 6時 47分

 今日は観能の日。秋から冬にかけては、日本を離れることが多いため、今日が、今年後半の唯一の観能日になる可能性があります。今日は、「嘉祥閣」であった「同研能」に行ってまいりました。京都観世流井上家のお稽古能で、唯一無料で、狂言一番、能一番を観ることができる貴重な会。能になじみ始めてから、とっても重宝させてもらっている会です。今日の番組は、狂言「舟船」(増田裕紀)、能「橋弁慶」(吉田篤史)でした。「舟船」は、「ふな」「ふね」という言い方を、古歌から引っ張り出し合い、主が太郎冠者にやり込められるもの。下人の太郎冠者が古歌だてをすらすらやっちゃうところがすごい。能の会では定番の狂言。「橋弁慶」は、有名な五条大橋での弁慶と牛若の出逢いを描いたもの。能では、牛若が五条大橋で斬りつけているという噂を聞き、弁慶が様子見に出かけるとなっています。前場で、弁慶が噂を聞きつけ五条大橋に向かうことを決断する。後橋が五条大橋の場面。二人の斬り組を観ることができますが、弁慶が斬り捨てられるという話ではありませんから、仏壇返しするなんていう大技はありません。弁慶が直面のシテ、牛若が子方が演じ、ワキはなしという極めて珍しい構成になっています。間狂言が二人で演じるというのも、あまり多くないパターン。オモ(茂山茂)が、五条大橋から逃げてきた男で、この男の話で、五条大橋で何が進行していますのか、具体的に判るという仕掛けになっている。アド(松本薫)がその聞き役だが、相手の男が大変な怖がりだと知り、最後は怖がらせながら幕へ追い込んで、役割を終えることになります。今日の子方は、寺澤家の後継者拓海くん(母親は小鼓方久田家)。とっても高い声ですが、しっかりとした謡いに立ち居振舞い。久しぶりに、しっかりとした子方に遭遇です。このくんで、「烏帽子折」なんて、観てみたいものです。冒頭に、浅井通昭さんの解説を入れても、全公演時間は1時間15分。ちょっと呆気なさすぎました。帰りは、買い物がてら、昨日に続き、京都市中のミニウォーキングをしてから帰ることになりました。



2015年 8月 21日(金)午後 11時 27分

 今日は二部制をとることにしました。昼間に、大阪で見落としてしまった映画が、「京都シネマ」で上映していることを知ったからです。それは、イラン映画の「サイの季節」です。イラン革命で離れ離れとなった一組の夫婦の愛の物語と言えばいいでしょうか。過去と現在がクロスしながらの進行。そうなると筋立てを追うのに苦労する黄紺。二人の運命を狂わしたアクバルの所業が明らかになっていくなかで、この映画の進み方を飲み込むことができました。過去の物語は、革命前の姿、革命により不当な逮捕、夫サヘルの30年間の拘禁、力を持ったアクバルのやりたい放題、サヘルは死んだと知らされる妻ミナと進んでいきます。現在は、30年後出所したサヘルがミナ探しにイスタンブルに現れます。そして、調査の協力者から、ミナの居場所を知り、同時にミナに子ども(双子で父親はアクバル)がいることを知るため、家の近くに行っても会わない、いや会えないでいると、偶然、若い女に出会う。その二人の女がミナの子どもであるが、女たちは、知り合った男か知る由もない。でも、この女の肌に刺青が彫られており、それが、サヘル自身が書いた詩であることが判るのですが、その頃合いに、サヘルがアクバルの居場所を知るところから、ラストへと向かっていきます。監督バフマン・ゴバディはイラン系クルド人。「酔っぱらった馬の時間」の監督です。現在、亡命生活が続いているということで、この映画は、全編トルコで撮られています。ミナの家は、ボスポラス沿いに設定されていました。
 京都シネマを出るとミニウォーキングに移行。久しぶりに、京都の中心部を歩くウォーキングをすることになりました。今日の時間調整は、時間が、たっぷりとあったので、自宅でお昼寝です。そして、夜はカフェモンタージュへ。今夜は「フランス近代音楽」と題して、谷本華子さんのバイオリン・リサイクルがありました。ピアノは、こちらではおなじみの塩見亮さんでした。演奏されたのは、「フォーレ バイオリン・ソナタ第1番」「オベール バイオリン・ソナタ」でした。フォーレの方は、最近家で本を読むときなどに、よくかけている曲。そういうのって、演奏スタイルが耳にしみこんでいますから、今日のようにライブを楽しもうかというときには、ときには邪魔になるときが出てきます。塩見さん、そこ、そんなにペダル踏んじゃダメよとか、谷本さん、そこは、もうちょっと伸びのある音を出してとか、その一方で、くすんだ弱音を求めたりと、何がいいのか以前の事柄に拘泥しがち。そこへ行くと、オベールは珍しい。オベールが、バイオリン・ソナタなるものを書いていることすら知りませんでした。珍しく、演奏後に、オーナー氏が、「この曲、聴かれたことのある方、おられますか」と聞かれるほど。「ひょっとしたら日本初演かも」とまで言われていました。ただ聴いてみて、びっくりの逸品。中低音域を多用した音に惹かれ、ピアノも合わせスケールを大きくを狙ったと思える作品。これも、オーナー氏曰く、「交響詩のよう」。正に、そういった表現に見合うものでした。むしろ陽の目を見なかったのが不思議なくらいのものでした。



2015年 8月 20日(木)午後 7時 24分

 今日は、動楽亭の昼席に行く日。今月は、月の頭に韓国に行っていたため、動楽亭の昼席に行く日をうまく取れず、ようやく8月の昼席の最終日に行くことになりました。いくら、毎月、自分へのノルマのように、動楽亭の昼席に行くことを決めていても、やはり番組を見て、二の足を踏む日も多々あります。特に後半の番組に、よくあることですね。ま、それだけ米朝一門は粒揃いということになります。で、今日をピックアップしたのは、ざこばはさておき、トリが文太、その前に銀瓶が出るとなると、目が行ってしまいました。黄紺的には、この二人を動楽亭で聴くのは初めてという点も、その気にさせた要因です。その番組は、次のようなものでした。優々「阿弥陀池」、ひろば「禁酒関所」、右喬「平の陰」、ざこば「貧乏神」、(中入り)、銀瓶「天災」、文太「松島心中」。ざこばが出るからでしょうね、結構な入り。優々の「阿弥陀池」は初めて。テンポとリズムが持ち味のネタ。果たして十分だったでしょうか。最近、くすぐりをいじる傾向が進んでいますが、いじることで、リズムが乱れ、テンポが悪くなってはいないか、優々の口演を聴きながら、そないなことを考えてしまいました。ひろばは静養中の雀太の代演。昨夜と同じ着物のうえ、昨夜同様袴を着けて出てきたものですから、ひょっとしたらと思ったら、ドンピシャ。「連日か!」と思った途端に、居眠りへ。昨夜の睡眠不足には、いい引き金になってしまいました。右喬は、自らの秘密兵器ぶりを披露するマクラは、動楽亭でも、生命力抜群でした。その勢いがネタの方にしみこんできているから、なかなか右喬落語がおもしろくなってきています。ざこばの「貧乏神」は初遭遇。そう言えば、どこかで出してたなという程度の情報しか持っていませんでした。小佐田作品、枝雀落語というカテゴリーに入るネタですが、そないなネタを、ざこばが持ちネタにするのは初めてじゃないかな。そして、そのチョイスは大ヒットじゃないでしょうか。弱々しい貧乏神のキャラが、単に弱々しいだけじゃなくて、情けないキャラになっているのが最高。会場、大受けでした。銀瓶は、この位置だったら、「天災」か「宿題」かと思っていたところ、こちらもドンピシャ。ざこばのあとに出番があったものですから、「天災」の方は出しにくいかもと思ってはいたのですが、あまり関係ないみたいですね。文太は、東京の「品川心中」の移植版「松島心中」。上方で、「品川心中」の移植版をする噺家さんというのは、文太だけじゃないかなぁ。噺の流れは「品川心中」のままで改変はないと言っていいでしょう。海に飛び込んだ男が駆け込んできたところでのドタバタまで演じてくれました。マクラでは、大阪の花街の違いを示す小咄を入れるのが、このネタをするときの定番ですね。わりかしきちゃない話ばかりですが。



2015年 8月 19日(水)午後 11時 28分

 今日も、一日空きましたが、高津神社での「高津落語研究会」に行く日。いつもよりは、少し遅めに出かけたのですが、ミニミニウォーキングをして、千日前のネットカフェで身体を休めてから高津神社へ。今夜の番組は、次のようなものでした。雀五郎「刻うどん」、たま「お伽噺殺人事件」、ひろば「禁酒関所」、南天「幸助餅」、全員「大喜利」。雀五郎は、この会の会計係とか。その大変さをマクラで。吉弥からもらったのかなぁと思えるフレーズが入るかと思うと、福笑&たまテイストのくすぐりがあったりと多彩。たまの「お伽噺」は久しぶり。ネタ下ろしのときからグレードの高かったものが、一層の充実を図ったというところでしょう。お伽噺の主人公が、続々と出てきますが、民話の主人公にまで拡げた登場人物の多彩さは、やはりたまならではの素養の大きさが成せる技でしょう。ひろばは、マクラでししばばネタをいじっておきながら、ネタは「禁酒関所」に、勘のいい客に受けていました。たまに焦点を合わせ、ネタの中にたま的くすぐりを入れたりと、今までほとんど見せたことのない融通というものを見せてくれました。順番では、今日は、南天がトップの日だったのですが、仕事の関係で、かなり入りが遅かったみたい。結果的に、昨日に続きトリに。昨日は「天神山」を出したようですが、今日は「幸助餅」でした。自分的には、南天の「幸助餅」は3度目だと思うのですが、はっきりと覚えているのは、「東京独演会」で出したとき。よもや、1回目があって、2回目の保障がない独演会で出すとは思ってもいなかったものですから、強烈に印象に残っています。そのときの口演と比べて、ための度合いといい、人物描写の掘りの深さといい、数段の上をいってると看ました。それでも、幸助という人間が、あまりにだらしないために好きになれない噺なもので、どこか冷めたまま聴いておりました。噺の進め方は上方での定石通り。下げは、雷がもらった餅を下に落とすが土つかずで、めでたしめでたしでしたが、わざとらしくて、余計にしらけてしまいました。今日は、「大喜利」のあと抽選会のあった日。豪華ですね、この会の抽選会は。黄紺的にはかすりもしませんでしたが。



2015年 8月 18日(火)午後 11時 56分

 今日は、繁昌亭の夜席に行く日。「アゼルバイジャンに行って来ました」という一風変わった落語会がありました。三味線の寺西美紀さんのブッキング(寺西さんの知人が在アゼルバイジャン日本大使館勤務)で、アゼルバイジャンのシルクロード音楽祭に、噺家さんたちが住吉踊りなど寄席の踊りを披露しに行ってきたのですが、それに参加された噺家さんたちによる現地報告を含めた落語会があったのです。参加された噺家さんは、次の面々です。三金、染左、歌之助、愛染、石松(今日は欠席)、喬介、板里、はやしや(寺西)美紀。で、今日の会の番組は、次のようなものでした。出演者全員「スライドショー」、愛染「うなぎ屋」、歌之助「青菜」、(中入り)、豊来家板里「太神楽」、三金「禁酒関所」、出演者全員「住吉踊り」「抽選会」。繁昌亭に入ると、正面に「チョック・サー・オルン」の文字が。その下には、参加賞としてもらってこられたトロフィー。そこには、「イペッキ・ヨル・フェスティバリ」の文字がと、もうこれだけでも、アゼルバイジャン・モード。その横には、会場の宮殿の写真、打ち上げをトルコの音楽団と一緒にされたというキャラバンサライの絵が飾られていたり、ちょっとアゼルバイジャンの空気を感じる繁昌亭でしたが、世間の人たちには、アゼルバイジャンってなじみがないのでしょうね。入りは寂しいものがありました。「スライドショー」は、予想通り喬介の制作。公演の様子や打ち上げの様子は、よく判ったのですが、アゼルバイジャンの雰囲気を、もう少し詳しく触れて欲しいものがありましたね。マクラで、出番をもらった噺家さんは、アゼルバイジャン話をやってくれるだろうと期待していたのですが、知らない内に、愛染はタイ話に、三金はアフガン話になったりと、アゼルバイジャンが浮かんでは消えてしまってました。ここまで、歌之助と染左の会で、今回の遠征について詳細なレポートがありましたが、皆が寄ってみると、まとまりが、あまりないものになってしまってました。落語は3席。今日は、落語が本題にあらずと、大きめのネタを出したのは三金だけ。三金で、久しぶりに古典を聴くことができました。オーソドックスにテンポのいい口演。流れるように持っていかないと、三金の場合、足が持ちませんからね。抽選会は、各自が持ちよったお土産、そして、目玉は、在アゼルバイジャン日本大使館の館員さん提供のワインでした。こんなのが出ただけで、今回の訪問団が、いかにフォーマルなものだったかが、よく判りました。皆さんの口ぶりでは、来年も行かれるようですね。



2015年 8月 18日(火)午前 0時 10分

 今日は、昨日と全く同じ動き。高津神社であった「高津落語研究会」に行ってまいりました。今日の番組は、次のようなものでした。たま「いらち俥」、ひろば「強情」、南天「壺算」、雀五郎「鴻池の犬」、全員「大喜利」。たまは、万引きをネタに、マクラをふるものですから、盗人ネタに入るのかと思うと、本人も「崇禅寺馬場に入ればいいんでしょうが、明日以後に回します」と言ってから、「いらち俥」に入りました。「いらち俥」は、先週、繁昌亭の「親子ウイーク」に、解りやすい噺として出したようです。たま自身も、「久しぶりです」と言ってましたが、黄紺も、確かにたまの「いらち俥」は、久しく聴いていませんでした。箕面まで行っての戻りで、市電にぶつかるという斬新なものでした。ひろばは、ざこば組の定番「強情」。他の3人はやらないので、どこかで出すだろうと思っていたら、今日でした。南天は、今日は、随分とハイテンション。そういったときに聴く「壺算」はスパークしまくりの大爆笑ものとなります。徳さんが値切るとき、他の店を引き合いに出すくすぐりが、南天スペシャル。ユニクロ、赤福、船場吉兆が出てきました。ただ惜しいのは、下げに至る過程を改変。七輪を買いに来る人を、しつこく出すことで混乱状態を演出しようとしていましたが、これはいかがなものか。だって、混乱は、壺を買う男により生まれているわけですから、蛇足もいいところじゃないかなぁ。トリの雀五郎は、この人で、初めて聴くことになった「鴻池の犬」。雀五郎は、ホント、ここまでの地道な精進が、実を結んでいます。大ネタが並びますし、キャラ作りも支持を得るものになっています。「鴻池の犬」では、成長して後のクロがビカイチ。最初の登場場面だけで、客席がドッと来るのですから、その自力は半端じゃないものがあります。ここまでの番組表は、会場後方に貼り出されています。ここまでネタは、一つもかぶっていません。南天やたまという上の2人は、ネタがかぶらないようにとの配慮を持って、ネタ選びをしているように見受けられます。この状態が、最後まで続くのでしょうか。それはそれで楽しみなのですが、その一方で、既に雀五郎が出している「青菜」を、南天やたまでも聴いてみたいと思ってしまうのですが。



2015年 8月 17日(月)午前 6時 14分

 今日は落語を聴く日。夏枯れのなか、谷間を埋めてくれる落語会「高津落語研究会」に行ってまいりました。8月という落語会が枯れる季節に集中的に高津神社で開かれているこの会には、前回と言っても1週間ほど経っていますが、黄紺的には2度目となります。今日の番組は、次のようなものとなりました。ひろば「寿限無」、南天「向う付け」、雀五郎「千両みかん」、たま「シザーズハンズ」、全員「大喜利&抽選会」。今日は、昼間、サンケイ・ブリーゼで、「米朝追善落語会」のあった日。そのため、一門の3人は、昼間に使った黒紋付きで登場。関係のないたままでもが、3人に合わせて、黒紋付きで登場。姿だけを見ると、えらく重い落語会でしたが、もちろん中味は、いつもと同じ。ひろばは、今日の落語会があるのを、昼間の疲れで失念、危ないところを、南天からのメールで携帯が鳴り、きわどくセーフだったとか。それが、ネタ選びに影響したのでしょうか。学校公演で慣れているネタ選びでした。オーソドックスに、友だちが誘いに来て下げとなりました。南天は、得意の「向う付け」。危ないネタの1つですが、テキストでの変化をつけるわけではないのですが、台詞廻しでは、危なさを軽くしています。表情の取り方も、ポイントを決めて、強めの性格描写を入れるというもの。この辺の力の抜き方、バランスの良さは、ホント、南天の良さです。会葬者に、この会のメンバー全員を出し、一人一人にコメントを入れる大サービス。雀五郎の「千両みかん」は、今日は、居眠りしないで聴くことができました。南天の人物描写でも言っていましたが、雀五郎はテンポがいいと。珍しく、そのテンポに若干ほころびがあったとは言え、いいもの持っています。たまは、トリネタに新作を持ってきました。理由は、高座をごみだらけにしてしまうから。高座から雪を降らすということで、細かな紙切れを撒き散らすというところがあるのです。久しぶりに「シザーズハンズ」を聴きましたが、進化の痕が看られ、ちょっとした演芸落語化していました。手がハサミだということで、紙切り芸を見せたり、木を刈り取ってできたティラノサウルスを、手拭いで作ったりと、アイデアの多才さに感服です。「抽選会」では、あと少しで、サンケイ・ブリーゼでの米朝一門会のチケットが当たるところでした。残念。



2015年 8月 16日(日)午前 0時 19分

 今日も、昨日同様、午後は民博、夜はカフェモンタージュという動きです。民博の方はゼミナールにあった日で、その後、若干の時間調整もあり、常設展に入り、資料映像を観ていました。ゼミナールの方は、「オセアニアの戦争と文化」というテーマで、丹羽典生さんが講演をされました。オセアニアという地域の説明から、3つのネシアの違い、民族移動により住民の発生といったオセアニアの基本情報から始まり、戦争の暴力性についての最近の研究動向を踏まえたあと、時代とともに変わったオセアニアでの戦争、武器から見るオセアニアの戦争文化、そして、現在、オセアニアの抱えている紛争の特徴の分類、現代に伝わる戦士文化の紹介と続きました。あまり武器の話などには関心のない黄紺にとっておもしろかったのは、戦争というものは、現代での戦争ほど暴力的であるかの検証。でも、これは、オセアニアだけに当てはまるものではありません。現代の紛争の紹介が、そういった意味でも関心を惹き、且つ講演者のフィールドがフィジーだと判ったとき、フィジー人と印僑との対立について伺えると喜んだのですが、ここで居眠り。また時間の配分を考えても、時間は裂かれてないようなので、いずれにしても落胆に終わっていたことになります。そういった意味で、ちょっと満足度は高いものとは言えませんでした。
民博を出ると、茨木市駅経由で京都に移動。夜は、カフェモンタージュでの上森翔平さんの「バッハ 無伴奏チェロ組曲」連続演奏2日目に行ってまいりました。今日は、1、4、6番が演奏されたのですが、今日も、各曲の前に小品が付いていました。それらもメモっておきましょう。「ヒューム 愛よさらば」「デュディユー SACHERの名による3つのストロフ第1楽章”少しためらって“」「ブリテン 無伴奏チェロ組曲第1番より”第1の歌“」。今日は、1番と4番が演奏されている間、きつくて、なんでなのでしょうね。1番なんて、とっても耳慣れたメロディが並ぶわけにも拘わらずです。昨日今日と、結果的には頑張って歩いたからということなんでしょうね。カフェモンタージュに行くのにも、また烏丸駅から歩きましたからね。6番だけが、ほぼまともに聴けたというところですが、6番って、随分と曲想が違いますね。1番や2番なんかとは。結局、有名な1番なんかの曲想に、頭が固まってしまっているということなのでしょうね。上森さんの演奏というのは、昨日に比べ、一層の瑞々しさを発揮していたと言えばいいでしょうか。楽器を変えられたのではと思うほど、今日は、よく鳴っていました。あとは、好みの問題ですね。



2015年 8月 15日(土)午前 6時 41分

 昨日は、昼間は、京都で家の用事を済ませてから、民博へ。今日も、民博へ行き、ゼミナールを聴いたついでに、常設展を観ようかと思っているのですが、時間的に制約があるため、昼間にゆとりのある昨日、リニューアルされた東南アジア&南アジア、少し前にリニューアルされた東アジアの展示を中心に観たあとは、資料映像をたっぷり観ようと考え行ってまいりました。ただリニューアルされた展示場が、先祖帰りでもしたかのような展示の仕方になっていたのは、どうしたことでしょうか。現代の生活を切り取るような展示の仕方にシフトしていたと思っていたところ、倉庫にしまいこんであった、かつての伝統社会の生活アイテムを展示するという流れへと変わってしまってました。ですから、展示室を歩いていて、生活者の姿は消えてしまった、そないな印象を持ってしまいました。
 そして、夜は、カフェモンタージュでのコンサート。昨日今日と2日連続で、上森翔平さんのリサイタルで、2日に分けて、「バッハ 無伴奏チェロ組曲」が演奏されました。昨日は、2、3、5番が演奏されたのですが、それだけでも、カフェモンタージュでのコンサートは1時間という枠を超えてしまうのですが、バッハの曲の前に、主として現代の作品をくっ付けて演奏されました。それもメモっておきます。「リゲティ 無伴奏チェロ・ソナタよりディアローゴ」「クルターク ピリンスキ・ヤーノシュ“ジェラール・ド・ネルヴァル”」「フランショーム 12のカプリス作品7より第9番」。これらの内、フランショームだけが現代作曲家ではないそうです。そうですというのは、初めて聴く名前だからです。この現代の作品を前にくっ付けて演奏するというスタイルですが、やはりチェロの無伴奏曲を作るとなると、バッハにインスパイアされてないわけはないということなのでしょう。そうでなくとも、バッハの作品は、現代にも通ずる何かを持っているとのメッセージなのでしょう。上森さんのチェロ、いろんな形で聴かせてもらいましたが、いつものイメージとはかなり違ったんじゃないかな。声で言えばハスキーと言えばいいのかと思っていたことが崩れ、音色的には、最大公約数の人たちの支持を受けやすいものだったと言えばいいでしょうか? それはそれで十分聴きごたえはあるのですが、ふところの深さという観点では、多少満足ばかりしてられないと思いました。もう少し、表現の幅、余裕というものが欲しいと思ったのです。そういった意味では、テンポのいい感じで押していける3番が、昨日のベストと看ました。バッハの無伴奏はまどろみながら聴く、これが、昔からの黄紺の聴くときのスタイル。今日、もう一日、それを楽しむことができます。常温の日本酒なんかを呑みながら聴いていたいのですがね。



2015年 8月 14日(金)午前 3時 55分

 昨日は、動楽亭で落語を聴くつもりだった日。現在6年目になる噺家さんたちの同期会「らくご大福」が開かれたのです。しかし、動楽亭に着いて愕然。長蛇の列だったのです。その人かげから見えた貼り紙には、「予約で完売のため、当日券はなし」と書かれていました。もう、すごすごと帰るしかありませんでした。この会で、二葉が、なんと「蛸芝居」を出すというので、この会に狙いを定めていたのですが。原因は、黄紺は、おまけのつもりだったのですが、この同期会には三度がいて、この会のトリをとるというのが考えられますね。ですから、昨日は、天満橋から天王寺経由で動楽亭までのミニウォーキングをしただけの日となりました。他にも候補があっただけに、おまけに消えていった有力候補には、こないな心配はなかっただけに悔やまれますね。20年近く、お盆を日本で過ごしてなかった黄紺には強烈な一撃でした。



2015年 8月 12日(水)午後 10時 57分

 今日は落語三昧の一日。昼は繁昌亭の昼席、夜は守口での落語会に行ってまいりました。今週の繁昌亭の昼席は「夏休み親子ウィーク」と称し、番組的には鶴笑がトリをとるという初めての試みが気になり行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。三四郎「色事根問」、たま「鰻屋」、文華「落語解説」、ハッピーはるや「ジャグリング」、三若「カルシウム不足」、松枝「七度狐」、(中入り)、マグナム小林「バイオリン漫談」、花団治「饅頭怖い」、笑丸「金明竹」、鶴笑「刻うどん、ゴジラ対モスラを観ながら」。三四郎と三若は東京から参戦。お盆らしく里帰りというところでしょうか。三若の方は、以前同様というネタでしたが、三四郎は、大崩しはせずに、「色事根問」を自分流にアレンジして、子どもらからも笑いをとっていました。たまは、このウィークでも通用する「ショート落語」を、いつもより多めに連発。ネタは、たまでは、まだ聴いてなかった「鰻屋」とはラッキーな話。最後、冷やかしの二人が、鰻屋のおやっさんに付いていくというもの。それで行き先を尋ねて下げになりました。文華の役割は、学校公演で実際にやってんだろうなと思える「落語解説」。ウィークの企画は丁寧ですね。ハッピーはるやは笑丸の息子。「ジャグリング」の技の多才さに驚きの声が上がっていました。松枝はネタ出しで、1週間、「七度狐」で通します。ネタに入る前に、フリップを使いながら「恐怖の小咄」をたっぷりめに。もう、この段階から照明を落とし、背後は大黒にするなど、演出もこったもの。幽霊のところでは、弟子の縁が幽霊になり、客席を巡るサービスまで。ただ黄紺は、松枝の口演の多くを居眠り。なんてもったいないことをしたのでしょう。マグナム小林は東京からの来演。上方にはいないタイプの芸人さんです。黄紺にとっては、東京のホール落語で、わりかし当たりやすい色物さんです。花団治が、この大きな扱いの位置に出るのは初めてかもしれません。自力を見せつける「饅頭怖い」に満足。子どもも楽しめるネタのチョイスにも拍手。好きなもん尽くしに、ホモセクシュアル系のくすぐりを入れたのが斬新。しかも、一瞬のスパイスにセンスの良さを看ました。笑丸の「金明竹」が大受け。言葉をゆっくり丁寧に、しかもムダを省きの試みが成功したからでしょう。最後の長台詞のところは軽く、一つずつずれていく可笑しさを追求。いい感性をしています。トリは鶴笑、初めてのことです。前半が紙切り。似顔絵の技に、客席はどよめきました。後半はパペット落語というコンビネーション。だけど、このパペット落語が傑作。「刻うどん」については、冒頭に下げまで紹介されます。そして、いきなり通常の「刻うどん」のバラシの冒頭から始まりました。ところが、うどん屋のテレビでは、「ゴジラ対モスラ」の映画をやってたということで、映画の場面に。この二つが、交互に演じられます。そして、いざ下げになったところで、ようやく、こないな変なコンビネーションにしたかが判明。もう客席、ヒートアップも天井知らず。グレート鶴笑です。
 繁昌亭を出ると、天満橋経由で京橋に移動。駅前のネットカフェで、時間調整をして、夜は守口市の文化ホールの地下であった「とびっきり寄席」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。慶治朗「子ほめ」、ちょうば「皿屋敷」、雀五郎「千両みかん」、佐ん吉「猫とサイコロ」。前座役の慶治朗はともかく、大ネタが並びました。この落語会はお囃子が入らないのですが、「皿屋敷」では、笛と太鼓だけは入れていました。おやっさんの家に若い者が来るところからスタート。皿屋敷へ行く途中、恐がりの男のやりとりも後半をカット。スリム化に努めたのは、なかなか評価できるなぁと思っていたら、そのわけが判りました。人が集まるようになったところの描写を、えらくデフォルメしてしまいました。ちょうばって、そないなことをやらない噺家さんだと思っていたのですが。ここを、通常の姿でやってれば、いい刈り込みになっていたのですが。序盤のおやっさんの語りが、さすがと言えるしっとりとした語り口だっただけに、もったいないことをしました。昼間の繁昌亭といい、こちらでも居眠りタイムができてしまいました。雀五郎の「千両みかん」がそうでした。佐ん吉のネタに、落語ファンは大きな反応。帰りがけに、お見送りをしてくれている佐ん吉に質問攻め。南海さんからもらったネタだということですから釈ネタとなります。ただ聴いていて、釈ネタとは思えないもの。東京のネタに、もっと凄惨だけど、似た進行の噺があったように思いながら聴いていました。これは、あとで調べてみたいと思っています。ある博打打ちが可愛がった猫に、不思議な力を持つと知ると、博打打ちは、その力を借りて博打に勝つが、それが恨みをかい、その博打打ちは殺されてしまう。その一部始終を見ていた猫が、博打打ちの仇を、侍に魔力をかけて斬らせるという流れ。こうやってまとめてみても、かなり陰惨な噺。それが、そうでもないように聴こえたのは、佐ん吉の持つ爽やかさなんでしょうね。しかし、芸域を広めようとする試みは大切。そのやる気が、好事家を引き寄せます。



2015年 8月 12日(水)午前 0時 7分

 今日は繁昌亭の夜席に行く日。この時期に日本にいるのは久しぶりということで、普段は行けてなかった落語会なんかに行けているのですが、今日が正にそれ。「`15彦八まつりにいらっしゃ〜い! 彦八まつりが数倍楽しくなる生ガイドブック」という会があったので、繁昌亭へ行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。出演者全員「今年の彦八まつりについて」、生喬「遊山舟」、三風・瓶太・三金「お茶子クイーン・コンテスト」、小春団治「アーバン紙芝居」、(中入り)、染雀・生喬・あやめ・文昇・三金・仁勇「住吉踊り・奴さん・かっぽれ」、小春団治・遊方「素人演芸バトル」、文珍「花見酒」。黄紺は、毎年、この時期には、トルコにいたものですから、この彦八まつりのプレ企画には行ったことがなく、今回が初めてとなりました。ただ今日の会の雰囲気はいまいちで、帰り道一緒になったコアな落語ファン氏にお聞きすると、今までと雰囲気が違ったとか。察するに、客席の反応が、普段の落語会とは異な感じがしていたこと、もう一つは、実行委員長(文珍)が大物すぎて、噺家さんたちが萎縮した結果かもしれません。進行は、彦八まつりの各イベントの去年の覇者ないしは印象に残った出演者を招いたり、また今年の傾向と対策が語られる合間に、落語が3席出ました。生喬の「遊山舟」は、2人の掛け合いが、実に自然。生喬も、ここまで来たかと、生意気にも思うほどの話術を披露してくれたのですが、客席は関心のなさそうな反応。小春団治の出した「紙芝居」は、最近聴いてなかったという、本人も、あまり出してなかったんじゃないかなぁ。懐かしい紙芝居の話を聴いた客席は、ここでは的確な反応。これが、文珍のときとなると過剰反応。となると、文珍ファンが多数を占めたのか、単に繁昌亭ビギナーが、テレビで知ってる人見っけで、過剰反応をしたに過ぎないのかもしれません。ネタ的には、文珍自身は、時間を考えて選んだのでしょうが、黄紺的にはありがたいもの。文珍のネタ一覧のようなもので見たけど、内容が判らなかった「花見酒」だったわけですから。二人で酒を売りに行き、結局は、二人で飲み尽くしてしまうというもの。短い噺なもので、中途でギリシア経済の話を入れながらの進行。繁昌亭には、ほとんど顔を出してなかった文珍。「あとのまつり」にも出てくれるようです。この機会を使い、文珍落語の聴きだめをしておくことにしましょう。



2015年 8月 10日(月)午後 11時 41分

 今日は、カフェモンタージュでのコンサートに行く日。韓国に行っている間に行きたいコンサートが複数あったのですが、もちろん行けないということで、カフェモンタージュ自体も、ちょっとご無沙汰していました。今日は、関西弦楽四重奏団によるベートーベンの連続演奏会があった日でした。今日は、3番と14番の2曲が演奏されました。初期の曲と後期の曲という組合せ。3番はハイドンを思わせるような愛らしい曲。4つの楽器が有機的に機能した素晴らしい演奏と看ました。黄紺が聴いた関西弦楽四重奏団の最上位の演奏じゃないでしょうか。この3番だけでも30分弱もかかる曲。14番は、更に長大で40分を超える演奏時間。7つの楽章に分かれているのですが、曲想が変わるので、楽章の切れ目は判ることは判るのですが、演奏スタイルとしては、切ることを求められておらず、40分を続けて演奏しなければならない大変な曲。冒頭はフーガから始まり、中間部に長大なヴァリエーションが入る。また3番の終楽章のようなタラントゥラが入ったりと、ベートーベン渾身の作品と思える変化に富んだ一曲。ただ緩叙楽章のようなところを、目をつむって聴いていると、残念ながら、音の厚さに物足りなさ、また音の振幅の幅が大きさに物足りなさを感じてしまいました。ベートーベンの後期の作品の難しさを思い知った気分でした。今日は、田村さんが第1バイオリンを受け持たれました。田村さんの透き通ったキレイなバイオリンの音色に、自己主張が明確な林さんの第2バイオリンが、総体として緊張感があり、今日の曲目では、功を奏したかなの印象。難しい役回りはチェロの上森さん。3番では、和声を付けたりリズムを刻んだりと、専ら縁の下の力持ち。でも、お付き合い的な演奏になると、全体の低下を招きかねない難しい役回り。14番は、チェロと他の楽器が向き合うことが、わりかし目立つところ。ここで、いかほどの個性を出すかは、また思案のしどころ。すごく気にしながらの演奏だと解るところが、役回りの難しさを知らしめました。次回は、運良く、黄紺が、トルコから帰ってきて、ドイツに向かう僅かの待機期間中に予定されています。「大フーガ」と13番が演奏されるそうです。



2015年 8月 9日(日)午後 10時 58分

 今日は、予定では、落語会に行くことになっていたのですが、日曜日の夜に落語会とは珍しいので調べ直すと、日にち間違いがあっさりと判明。急遽、映画を観に行くことに変更。時々、映画情報は仕入れてあるので、2つの映画が候補に上がったのですが、時間の関係で、「シネリーヴル梅田」のアルゼンチン映画「人生スイッチ」をチョイス。ま、日本で公開されるアルゼンチン映画に外れはないとの魂胆も作用したチョイスとなりました。この映画、オムニバス映画です。そして、一つ一つの話には連感性は、全くありません。ただコンセプトは共通しています。連鎖的に不幸が訪れるという点が、それです。但し、結末が不幸な話ばかりかというとそうではなく、ハッピーエンドに終わる話が2つありました。爆発物のビル解体業の技術者は、違法駐車でレッカーの移動されるは、違反金を払いに行って文句を言っても相手にされず、ようやく車を取り返して、家に着いたら、娘の誕生パーティは終わりかけだし、、、という具合に、不幸が連鎖していくというのが、この映画共通のコンセプト。どの話が、一番印象に残ったかなぁ。「エンスト」と題された単純な話は、壮絶な殺し合いにまで発展していきます。これは、単純明快過ぎて印象に残りやすい話。飛行機の同乗者全員が知り合いだったというのは、なかなかブラック度は高いものでした。「愚息」と題された事故を起こした息子を庇う父親、それに群がる弁護士、検察官、替え玉。途中で攻守が逆転したりして。で、ようやく話がまとまり、犯人となった替え玉(ちらっとそう見えた)が外に出されたところで、ブラックな結末が用意されていました。「ハッピーウェディング」と題された話は、人の動き、それを躍動的に追うカメラワークが見事な逸品。結婚式の参列者の中に、花嫁が見たのは花婿の浮気相手と思える女。そこから、結婚式そっちのけで、二人の衝突が始まる。この衝突のエスカレートが凄まじい。だけど、これ、ハッピーエンドなんだなぁ。そして、これが、最後の挿話でした。ブラックな話の連続、だけど、最後はハッピーエンドにしてありました。挿話の一つ一つに凸凹がないのが嬉しい映画。アカデミー賞の外国映画部門にノミネートされた映画だとか。アカデミー賞も、なかなか洒落っけがあるなと思える作品です。



2015年 8月 8日(土)午後 8時 39分

 韓国に行くまでと帰ってからの暑さが違い、ちょっとまいっています。ま、これが、本格的な真夏というやつでしょうが。今日は浪曲を聴く日。毎月恒例の「一心寺門前浪曲寄席」に行く日に当てました。その番組は、次のようなものでした。泉敏栄(藤初雪)「無筆の出世」、真山隼人(真山幸美)「山本五十六」、天中軒涼月(沢村さくら)「発明王豊田佐吉」、京山幸枝若(岡本貞子、京山幸光)「河内十人斬り(前編)」。「無筆の出世」は講談ネタ。家来の奴を、試し斬り用に差し向ける旗本。奴は無筆だから、持たされた書状の内容が解らない。たまたま水に濡れた書状を乾かしているとき、書状を目にした僧侶に教えられ、そのときから字の勉強して出世するというもの。忠僕ネタは、主従が思いやる姿が描かれ、爽快感が残るのですが、このネタばかりは、後味が悪すぎます。また、講談ではどうだったか忘れたのですが、結末も嫌ですね。件の旗本の娘と結婚するというものでした。「山本五十六」は、題を聞 いただけでぎょっとしてしまいましたが、隼人くんは、「この季節になるとよくやってます」どというので、どのような魂胆と関心が高まったのですが、よりによって聴くぞの気にな っているときに限り、居眠りをしてしまいます。結局、ネタのコンセプトは判らずじまいでした。「豊田佐吉」は、同じ地域出身だということで、涼月さんがよく出されるネタ。ベタな頭の固い父親、間でおろおろとする母親というお約束の構図から出発。だけど、このネタ、両親のキャラが、中途からがらりと変わります。母親は、強く佐吉を後押し。どこに、そないな強さがあったんだと、それまでとの違いにびっくり。父親も終盤になると、えらく物分かりがいい。同一人物とは思えないのが難。でも、涼月さんの高音が突き抜けるように伸びるものですから、ごぢゃごぢゃ言っている場合ではありません。しまいには、うるるんと来てました。「河内十人斬り」は、前にも、一心寺で出たときには、前編だけしか聴けなかった記憶があります。今日の前編は、十人斬りに至る発端的なところ。ただ、その内容というのは、地の群れの中の下世話な話。間男する男もやくざだし、される方も、博奕三昧で、1ヶ月も家を開けてる男だから、あまりに下世話過ぎます。そこへ、間男された男の弟分という男が出所してくるところから、出入りへと発展しそうなところで、打ち切られてしまいました。今日は、大変な暑さのなか、年配者が客席には多いものですから、さほど混まないかと思っていたのですが、最近の年寄りは元気です。思いの外の混みように、びっくりするというか、えらく戸惑ってしまいました。



2015年 8月 7日(金)午後 11時 15分

 昨夜遅く、日が変わろうかという時間帯に帰ってくることができました。昨日は、井邑を、朝に出て、12時ちょっと過ぎにソウルに到着。2時間ほど、時間があったので、ヨイドに行きKBSの前で写真を撮り、ノリャンジンの水産物市場を歩くと、もうおしまい。昨日は、インチョン19時15分発という遅い時間の飛行機で帰ってまいりました。そして、今日から、早速日常生活に戻り、早くも二部制。午後は、文楽劇場であった「公演記録鑑賞会」へ。今日は歌舞伎で「宿無団七時雨傘」がありました。題名は聞いたことはあるということは、知られた演目。でも歌舞伎を観ない黄紺にとっては新鮮なもの。主役の団七(先代扇雀、現坂田藤十郎)は、家宝の刀、折紙を取られ、他家に預けられ、今は放蕩の過ぎる身の上。その失せ物のありかを知ることになり、団七の協力者として動くのが治助(富十郎)。治助は、団七と恋仲であるお富(澤村藤十郎)との間も取り持とうとするのですが、このお富に目を着ける数右衛門(市蔵)が敵役で、刀を折紙を盗った人物でもあるということで、治助はお富の協力を得て取り戻そうとするのだが、そこのところが解っていない団七は向かっ腹を立て、破滅に向かう、なんとも言えない後味の爽やかでない筋立てです。文楽を観るときに感じる同様の感覚です。出演者は、黄紺でも解る優れ者。中でも、二代目鴈治郎が並木正三で出ていたのですが、貫禄というか、存在感というか、科白回しのリアリティというか、これほど偉大な役者だったのだと、今日は、これを観ることができただけでも、万々歳です。特に、治助が百両を借りるときの富十郎とのやり取りは最高。親父さんが優れ過ぎると、息子の扇雀は型通りを辿っているようにしか見えないものですから、この親子共演では、息子は損な立場でした。
 文楽劇場を出ると、いつもの千日前のネットカフェで時間調整。夜は、高津神社であった「高津落語研究会」に行ってみました。仕事の少ない8月に、会のメンバー4人のスケジュールの空いている日を全部落語会をするという試み。去年から始まったものですが、去年は、トルコにいたものですから、今年初めて、様子見をすることができました。その番組は、次のようなものでした。雀五郎「黄金の大黒」、たま「チェ・ゲバラ」、ひろば「竹の水仙」、南天「住吉駕篭」、全員「大喜利&抽選会」。雀五郎とひろばのネタは、本人で何度か耳にしているもの。新しさでは、たまの「チェ・ゲバラ」。たまの新作の中で、まだ遭遇機会のなかったものに、ここで出逢うことができました。ダジャレばかりを連発するガイドとともに南米旅行。ペルーを旅行している間は観光旅行なのですが、ボリビアに入ると、ゲリラに囲まれてしまうというもの。この手の噺は、ホントたまオリジナルです。もう一つのめっけものは、南天の「住吉駕篭」。昔に聴いているのかもしれないのですが、聴いた記憶がないのです。かなり原型に近いものじゃないかなぁ。もちろん南天らしい改変はあるのですが。酔っぱらいの出てくる前に、値段交渉で駕篭屋をからかうのが入りました。内容は、「三人旅」で出てくるものと同じでしたが。そして、二人乗りをする堂島の相場師が出てきて、通常の下げまでやってくれました。いじったのは、酔っぱらいのいなし方。茶店に追いやって難を逃れるとしていました。更に酔っぱらいの繰り返しに変化をもたせるというのは、さすが南天の感性は素晴らしい。酔い方に変化をもたせるだけではなく、テキストにも変化を持たせました。但し、繰り返しの可笑しさを外さない見事な手法です。今日が、13回公演の内の4回目で、初めて抽選のある日だったからでしょうか、4回の内で最高の入りだったようで、4回連続で来ている人が多いそうです。



2015年 7月 31日(金)午後 11時 26分

 今日は、再び文楽を観る日。今日は、第3部ということで、「生写朝顔話」が完了します。あと「きぬたと大文字」も上演されたのですが、それだけの時間的余裕があるのなら、少しでも、「生写朝顔話」をフルヴァージョンに近づけて欲しかったなと思います。今日は、最近にない睡眠不足の日で、かなりストレスを抱えたまま文楽劇場へ。だけど、運がいいのか、居眠りなしで完全制覇できました。替わりに、大阪へ向かう電車の中では爆睡。これが良かったのかもしれません。「きぬたと大文字」は、四季を題材にした舞踊と言えばいいかな。「大文字」は夏で、「きぬた」は秋ですね。「大文字」は、賀茂の河原で、大文字を見ながら、二人の舞妓が戯れるという無邪気なもの。「きぬた」は、言わずと知れた能「砧」のぱくり。砧の音に乗せ、帰らね男に気持ちを伝えようというもの。肝心の「生写朝顔話」は、居眠りしなかったから言うわけではないのですが、「嶋田宿笑い薬の段」のチャリ場があり〜の、韓流的文楽の決定版的なすれ違いの場となる「宿屋の段」があり〜ので、見応え抜群。しびれ薬を飲ませ、阿曽次郎を殺めようなどと奸計を図る萩の祐仙は、笑い薬にすり替えられた茶を飲み、笑い転げるというもの。この萩の祐仙を遣われたのは勘十郎さん。「女殺油地獄」同様、スーパーな動きを求められるものは、勘十郎さんの役割のようです。主遣い、左手もさりながら、この役の足遣いは半端ではありません。玉男さんの遣われる阿曽次郎は出番は多くても、動きを多いわけではないのですが、盲目になった深雪の琴を聴きながら、穏やかならざる内面を表したり、侍としての位を出さねばならないという役割だったと言えばいいでしょうか。その深雪を遣われたのは紋寿さん。これで、深雪は、3人の方が遣われたことになります。一輔、簑助、紋寿の順です。前半で活躍した浅香は、今日の後半では、もう亡くなっていました。ですから、和生さんの出番は、今日はありませんでした。浅香の替わりに、最後に、浅香の実父だと判る徳右衛門が活躍。こちらは、勘寿さんが遣われました。太夫さんでは、咲太夫さんが「宿屋の段」を受け持たれ、貫禄を示されたのですが、楽日が近いからでしょうか、珍しく声に疲れを感じました。目立ったのは、やはりチャリ場を受け持たれた文字久太夫さん。勘十郎さんとの呼吸も見事なものを見せていただけたと思います。ほぼ通しでの公演だったのですが、実は、本公演の最終場面では、阿曽次郎と深雪は、すれ違いこそすれ、再会を果たしたとは言えないところです。阿曽次郎は大井川を渡り、深雪は川止めを食らったままで終わったわけですから。目だけは見えるようになったのですが、それではあかんやろと、やっぱり、今日も突っ込んでしまいました。



2015年 7月 31日(金)午前 0時 26分

 今日は、午前中に韓国旅行の準備。カメラの電源コードをなくしたかと、慌ててしまったのですが、幸い自分の意識からは吹っ飛んだところにしまってあり胸をなで下ろしました。今日は落語を聴く日。玉造の「サンクスホール」で、毎月開かれている「猫間川寄席」に行ってまいりました。番組や出演者を見て、年に何回かのぞく落語会です。文我がブッキング担当ですから、珍しいネタを聴かせてもらえる良さがあります。その番組は、次のようなものでした。福丸「エコはじめ」、文我「螢の探偵」、正雀「幸助餅」、正雀&文我「東西対談」、(中入り)、文我「占い八百屋」。今日の目玉は、東京から来演の正雀。毎年、この時期に、「猫間川寄席」に来ていたのは知ってはいたのですが、実際に、そのときの「猫間川」に行くのは初めて。毎年、この時期は、トルコに行ってますからね。その正雀は、上方でも演じ手が増えている「幸助餅」。正雀は、ネタに入る前に、浪花千栄子の出ていた映画やドラマの話を、次から次へと披露。年輩の方が多かった客席の反応は頗る良いものが。浪花千栄子は、元渋谷天外の奥さん。そこから松竹新喜劇、幸助餅となるわけです。上方の型と違うのは、幸助が入れあげるのは梅ヶ谷なのですが、その梅ヶ谷は、幸助からもらった金を、ずっと自分でキープしている点。上方では、もらった金が、迂回してから幸助に戻り(但し幸助はそれを知らない)、それが、幸助餅の運転資金になります。これは、上方の方がいいですね。でないと、幸助に、同じ人間が、100両も、一度に用立てることになりますからね。ま、いずれにしても、黄紺は好きになれないネタ。幸助が、あまりにもあかんたれ過ぎます。正雀の口演でも、2回目の運転資金をもらっても、ただ何をしていいのかうろたえるだけの男でした。ま、それだからこそ、こないな追い込まれても、それが理解できてないのでしょうが。だから、黄紺は好きになれないのです。会主の文我は、小咄のような珍品と長講2席。「螢の探偵」は、「米朝ばなし」にも出てくるので、存在と、螢の明かりが、何かを探す探偵と間違われるというくらいは知っていた のですが、実際の口演に接するのは初めてです。「占い八百屋」は、東京の「御神酒徳利」。文我以外にも、染丸らも持ちネタにしていますが、上方のネタなのかどうかは、残念ながら知りません。「東西対談」の中で、入船亭扇橋が亡くなったと言ってましたが、黄紺には、扇橋が真打昇進披露公演のときに出した思い出のあるネタ。さすが長いので、扇橋は旅立つ前で切りましたが。ごく簡単なマクラを入れて、50分の大長講となりました。前座役は福丸。2日続きの遭遇です。どこかから、エコ落語をやってくれとの依頼があって創ったんじゃないかなぁ。地球温暖化の解説が入ったりしましたから。「東西対談」は、正雀が、明後日、芝雀とする公演、鹿芝居のエピソード、師匠彦六のエピソードなどが話され、来年は、文我の依頼があり、「男の花道」をすることを、正雀は受け入れ、対談を終わったのですが、正雀は、踊り「富士の裾野」も披露して、大サービスでした。曽我兄弟の仇討ちを踊りに仕立てたものですが、染雀だったかなぁ、誰か上方の噺家さんの踊りでも観たことのあるものでした。とっても盛りだくさんな内容、6時半開演で、終演が9時40分。3時間を超える長丁場となりました。



2015年 7月 30日(木)午前 8時 51分

 暑い日が続きます。この暑いなか、韓国に行って大丈夫かと思うのですが、徐々に出発日が近づいてきています。お出かけは、出発直まで詰まっています。その一方で、冬のオペラ紀行の準備も進めています。現時点で買える歌劇場のチケットの手配は完了しています。あとは、夏が過ぎた頃に、売り出しが始まるのでしょう。で、昨日は二部制の日。文楽と落語会に行ってまいりました。文楽は、「夏休み特別公演」の第2部です。今回の公演では、第2部と第3部を通して、「生写朝顔話」の通し(完全ではない)がかかっています。文楽の中で、一番韓流ドラマの雰囲気を出す演目。夏という季節限定ものですから、前に観たときも、この7月公演だったと記憶しています。今日は、その内の「宇治川蛍狩の段/真葛が原茶店の段/岡崎隠れ家の段/明石浦船別れの段/薬売りの段/浜松小屋の段」を観ることができました。ただ文楽劇場まで、暑いなか天満橋から歩いて行き、そのまま観る態勢に入ったため、前半で居眠り。最初の有名な「宇治川蛍狩の段」での途中でダウンしたため、かなり疲れてしまってたのだと思います。この物語は、阿曽次郎と深雪という男女が、「宇治川蛍狩の段」で逢い、将来を誓い合うのですが、別れ、遭遇、遭遇しても、偶然の出来事が、二人を裂いてしまったり、深雪が目が見えなくなっているために、すれ違いが起こったりと、その辺が韓流ドラマっぽいのですが、その二人の関係が縦軸として一本貫いています。それに絡んでいくのがお家騒動。それにより、物語に膨らみが出ていくという仕掛けになっています。ちょうどお家騒動絡みのところで、居眠りに入ったようで、その顛末が、全く把握できていません。「浜松小屋の段」からは、いよいよ深雪が盲になって登場。ここまでの深雪は、吉田一輔さんが遣われていましたが、「浜松小屋の段」では、簑助さんが深雪を遣われました。「宇治川蛍狩の段」は、華やかで軽やかな明るい場面ですが、深刻度が増してくる「浜松小屋の段」が、やはり第2部の、聴かせどころ、見せどころと言えばいいでしょうか。だから簑助さん登場なんでしょう。この「宇治川蛍狩の段」で、重い働きをするのが乳母の浅香。浅香を遣われたのは吉田和生さん。となれば、阿曽次郎は吉田玉男さんということでした。切太夫さんが、咲太夫さん一人しかいない現状で、「浜松小屋の段」を務められたのは呂勢太夫さんでした。
 文楽劇場を出ると、日本橋駅上のネットカフェで、短時間の時間調整。そして、堺筋線を使い「動物園前」へ。夜は、動楽亭であった「ショウゴイズム」に行ってまいりました。笑福亭松五が、定期的に開いている勉強会です。その番組は、次のようなものでした。松五「東の旅〜発端〜」、福丸「雨乞い源兵衛」、松五「二人ぐせ」、(中入り)、松五「宇治の柴舟」。久しぶりにつばなれをしなかった落語会に行くことになりました。松五は、「よせぴに連絡を入れるのを抜かしました」と分析。それが当たっているかどうかは判りませんが、もうちょっと入るのかとは思って行ったのでしたが。「発端」は、角座で、「東の旅」をリレーで上演しようという企画が生まれたとき、松五に依頼が来たため、稽古のために、この会で出すことを考えたそうですが、企画自体が消えてしまったそうで、だからでしょうか、気が抜けたのでしょう、詰まることがしばしば。笑福亭では、初めてのネタとして習わないようで、松五は、5年ほど前に、染丸にもらいに行ったそうです。「二人ぐせ」で居眠り。これで、昼夜ともに居眠りしてしまいました。最近ではなかったことです。「宇治の柴舟」は、この会の目玉のネタ。「珍しいネタをやってみたくなるんです」と、松五が言ってたように、指折り数えられるくらいの噺家さんしか持ってないネタですね。松五の口調からして、梅団治にもらったのかなと思いましたが、当たっているでしょうか。船場の伏せっている部屋から、宇治へと一挙に風景が変わるところの描き方がしっかりしていたのが印象的。宇治川の増水した風景は、目の前に浮かんだのですが、若旦那が舟を操り、宇治川を下る光景は、ちょっと物足りなかったな。その辺で、「あ〜」「う〜」が入っちゃうと、どうしても、そうなりますね。ゲスト枠は福丸。先輩の会に喚ばれました。ネタは、随分と前に下ろしている「雨乞い源兵衛」。小佐田作品です。米朝一門以外では、福丸だけじゃないかな、持ちネタにしているのは。福丸の口演で、一番気に入ったのは、雨の中の二人の百姓の会話と、畦道を歩くお庄屋さんの描写、二人の百姓との会話でした。日照りよりか、こちらの3人の方が、圧倒的に困っているように見えましたから。総じて、田舎の雰囲気はばっちり。そないな口演を聴くと、もっと噺家さんの間で、人気があってもいいように思ったのですが。



2015年 7月 29日(水)午前 0時 35分

 今日は講談を聴く日。お出かけ前にやらねばならなかったのは、迫ってきている韓国旅行の資料打ち出し。小型パソコンを持たない黄紺にとって、旅行前の必須事項になっています。あとは、現地に行ってからのぶらぶら歩きでの発見にかけます。夜の講談会は、毎月恒例の「薬業年金会館」である「旭堂南海の何回続く会?」です。先月は、高校時代の友人が集まり行けていません。そないなことがない限り、日本にいるときは最優先にしている会の一つです。今回も、少し前から「増補難波戦記」ということで、普段、あまり耳にしない読み物を聴くことができました。舞台は、冬の陣の博労ヶ淵の戦い。ここを守護していたの二人を武将一人が薄田隼人。その薄田隼人が、中之島に陣を張っていた織田右楽斎親子に呼び出される。その北に陣を張る徳川方からの攻撃が、いつ始まるか、びびってしまい、薄田隼人に嘘の手紙を送り呼び寄せ、そして酒を呑ませ薄田隼人の軍勢をキープしようとの魂胆。だが、これは博労ヶ淵が手薄になったということでもあり、運悪く博労ヶ淵への攻撃が、このタイミングで起こってしまう。織田右楽斎親子の思惑に、薄田隼人が気づき、博労ヶ淵に戻ろうとしたとき、中之島の陣への攻撃も始まり、しかし、薄田隼人は、博労ヶ淵方向から上がる火の手を見て、博労ヶ淵に戻るも、戦いは既に終わっており、責任を感じた薄田隼人は自害をしようとするところ、幸村が送り込んだ荒川熊蔵に諭されるというものが、今日の読み物の本筋。それに、博労ヶ淵を攻める徳川方の武将のお家の事情、また、その攻め方の戦略、中之島の陣を攻める徳川方の武将のお家の事情、実際の動きなどが加わり、本日の読み物が出来上がっていました。もちろん、今までに聴いたこともない読み物です。さすが南海さん。いや南海さんしかできないことですね。



2015年 7月 28日(火)午前 0時 50分

 今日は、朝から頑張りました。1つは、まもなく出発の韓国旅行の最終的な情報収集。次いで、冬のオペラ紀行の飛行機は、先日押さえたので、チケットの購入に入っています。去年あたりから、足早に動いた方が賢明かと思い、7月の後半から動き出すことにしています。かなり頑張ったため、かなり朦朧としながらのお出かけ。お昼ご飯も、出がけに食べたので、もう3時になっていました。そして、今日は繁昌亭に行く日。今夜は、「満腹全席」という桂文三の会がありました。その番組は、次のようなものでした。文三「挨拶」、紫「大安売り」、文三「京の茶漬」、よね吉「七段目」、(中入り)、文三「仔猫」。助演陣が好メンバーが揃い、なかなか得難い会の雰囲気。紫は、文三により「華やか」とハードルを上げられたのですが、ネタは相撲ネタ。女性の噺家さんで聴いたことがないのじゃないかな。妹弟子の棗や陽という名前こそ出さなかったのですが、都一門は都部屋になっているとのマクラをふってからネタに入りました。やはり、紫って、芝居心があるのかなぁ。台詞の持っていきようや、間の取り方で、リアルなドラマに仕上げようという心意気が通っています。文三の「京の茶漬」も好演。お愛想の文三の笑い声が響くだけで、もう及第点を超えてしまいます。それだからこそ、しつこくはしない。申し分のない感性です。よね吉は、まさかと思っていた「七段目」。いろんなところで出し過ぎているから、今日は出さないだろという読みは、完全に外れ。あまりゲストに喚ばれる機会が多いと言えないよね吉だから、手慣れた得意ネタを出したということなのでしょうか。文三の「仔猫」が、本日の秀逸。お店の人たち同士の気持ちの通いあいが、とてもよく伝わり、がために、おなべの不思議な行動に悲哀が漂いました。最後のおなべの必死の頼みに切迫感が出てきたり、今まで聴いてきた「仔猫」には感じなかった感情が湧いてきました。単に恐い噺、不思議な噺というレベルを超えたものが、文三の口演にはありました。マクラで、文三は、師匠が古い型を守る人だったという話をしたため、期待して下げを待っていたところ、その期待に応えてくれました。おなべの郷里を尋ね、「芸州」と応じると、「そやから猫かじってたんか」というもので、実際の口演では初めて聴くものでした。マクラも含めて35分の口演でした。



2015年 7月 26日(日)午後 9時 23分

 今日は、兵庫芸文センターのオペラ「椿姫」本番を観る日。先日のリハーサルと違い、観に行く方も緊張が走ります。今日の本番を観て、一番印象に残ったのは、佐渡裕の指揮。リハーサルのときは、ヴェルディ特有のリズムの刻みを煽るように振るものですから、えらく下品に聴こえていました。とにかくヴェルディのオペラを振るのが初めてと言っていましたから、ちょっと諦め気分だったのですが、今日聴いて、あれはリハーサルで流す用だったことが判りました。普段、ヴェルディを聴いていて聴かないようなテヌートを付けた音が出てきて、ドキッとさせられたり、カンタービレって言葉がありますが、リズムだけを刻むところは、なかなか難しいでしょうが、歌手だけではなく、オケを歌わそう歌わそうという気分で振っていました。ヴェルディなんて振ってないなどと言わないで、もっと聴かせて欲しいという率直な気持ちになりました。歌手的には、観客の拍手がそうだったように、パパジェルモンを歌った高田智宏が、安心して聴くことができました。ただ声質的に、もう少し重いといいのですが。ヴィオレッタを歌ったテオナ・ドヴァリ、1幕は失望。2幕以降は、逆転しました。1幕は、コロラトゥーラの技巧と声量が求められるところです。この辺は、一緒に行った元同僚とも話してたのですが、詰めたスケジュールの最終公演で、かなり声を消耗しているのかもしれないのですが、悲愴な印象すら持つ歌唱に納得できなかったのですが、2幕のパパジェルモンとのデュエットになると、心理描写が眼目になってくると、実力を発揮という感じで、パパジェルモンが安定していることもあり、かなり緊張感に富んだ舞台となりました。問題はアルフレートのチャド・シェルトン。声が割れるほど不安定な歌唱。中低音になると、声を抜いてしまい、全然響かない。去年の「コジ」で聴いているはずの方。こないな歌唱はしてなかったと思うのですが。既にリハーサルのときに、演出面の特徴は把握していたため、今日は、どうしても歌手に目や耳がいってしまいました。カーテンコールの最後は、千秋楽ということで、大スクリーンに花火が打ち上げられました。上からは紙吹雪が舞うというド派手な演出。大スクリーンには、出演者のお国を表す、それぞれの言語で「ありがとう」の文字が流れました。その中で、一段と異彩を放ったのがグルジア文字。ヴィオレッタを歌ったテオナ・ドヴァリはグルジア人だったのです。来年は、ブリテンの「夏の夜の夢」だそうで、佐渡裕らしいチョイス。ま、ヴェルディは、今後あるかどうか判らないなとは思っていたのですが、まさかまさかの選曲です。楽しみというよりか、とりあえずは戸惑いが先に立ちます。



2015年 7月 25日(土)午後 11時 6分

 夜半が涼しいからか、睡眠はしっかり。起き上がっても、まだ眠たいくらい。今日は二部制の日、落語三昧の一日でした。まず昼は動楽亭へ。「それ行け團治郎」に行ってまいりました。前回と合わせて2度目となりました。その番組は、次のようなものでした。南天・團治郎「対談」、團治郎「狸賽」「桜の宮」、南天「遊山舟」、(中入り)、團治郎「悋気の独楽」。睡眠を十分にとれていたはずなのに、大阪に向かう電車の中で、やたら眠いので、まずいなぁと思っていたら、まともに聴けたのは、冒頭の「対談」だけという低汰落。團治郎が、季節外れながらネタ下ろしをした「桜の宮」が最悪の居眠り状態。芝居の打ち合わせをしていたところだけが記憶に残っていることから、ネタが判った次第。南天の賑やかな「遊山舟」で居眠りですから救いようがありません。ただ、冒頭の「対談」は、南天が、米朝と枝雀の違い的な話をしてくれたので、とっても印象に残るものとなりました。具体的には、前座のするマクラと「動物園」というネタについてでした。そんなで、ちょっと情けない会となってしまいました。
 動楽亭を出ると千日前へ移動。いつものネットカフェで、短時間でしたが時間待ち。そして夜は、千日亭であった「染左、千日快方」です。毎月、こちらで行われている林家染左の会。自分的には、優先度の高い会となっています。今日も、石松の助演を得ての3席、その番組は、次のようなものでした。染左「平林」、石松「転宅」、染左「縄文さん」、(中入り)、染左「応挙の幽霊」。毎回、公演直前に、染左から案内のメールをいただくのですが、今回は、そのメールを見てびっくり。口演予定のネタに「縄文さん」が入っていたからです。この新作ものは、九雀が、知り合いの埋蔵文化を研究されている方からもらい、自身で改訂を重ね、上演に耐えるものに仕上げてきたもの。そのことは知っていたため、そのネタをもらおうという発想自体が想定外だったのです。でも、染左がもらってみると、このネタを自分のものにできる、またもらっても納得がいく噺家さんって、染左しかいないんですよね。元考古学の研究員だったという染左だからできるということです。実際には、10日前に、九雀からテキストをもらったところと言い、そのあと自分に合うようにテキストのチェックをしているなかで、とりあえず高座にかけようとなったようです。染左曰く「熱のある内に」となります。発掘した縄文人が息を吹き返すというのが、なんとも言えない斬新な着想。余計な小ギャグを削ぎ落としスリム化する作業を続けて欲しいものです。今日の口演でピカ一は「応挙の幽霊」。染左で、このネタは聴いているはずですが、今日の口演のようなインパクトはなかったと思います。とにかく幽霊の描き方が素晴らしい。何故、幽霊になったかという来歴までは、ともかくも普通に描き、そのあとのアホげな幽霊が笑っちゃうのです。単に酒でぐずぐずになっていくというだけではなく、こないなボーッとしたというか、しまりがないというか、こないな女なら、男は逃げるって起こりうると思わせるものがあるのです。その上、大酒喰らいで、酔うと手がつけられない、これは笑えます。「応挙の幽霊」ベストと言ってもいい素晴らしい口演に遭遇できました。「平林」は、染左の前座時代に、何度か遭遇しているはず。その頃の記憶は定かではないのですが、今日の口演でうまいなと思ったのは、定吉が記憶を吹っ飛ばすきっかけを用意したこと。信号を間違って渡り、お巡りさんに注意され、そこで記憶が吹っ飛ばすとしてありました。元々、定吉はアホたんだから、容易く物忘れをするというのも、とっても落語的なのですが、そこに合理性を入れるとすると、こないになるのかと感嘆しきりでした。ゲスト枠は石松。染左が、一緒にアゼルバイジャンに行った仲ということで、アゼルバイジャン話を譲ったのですが、無防備に登場。経由地のドーハの話が多かったような、、。石松の「転宅」は2度目の遭遇のはず。3度目かもしれません。スリム化したなの印象と、おこうが、随分といい感じになってるという印象。ばらしの部分は、おいしいところなので、もう少しひっぱっても嫌味じゃないなと思ったのですが。帰りは、ミニミニウォーキングということで、淀屋橋まで歩いてみました。天神祭からの帰りの客でごった返すかと思っていたところ、淀屋橋は安全地帯なんですね。ホッとしました。



2015年 7月 25日(土)午前 8時 43分

 一昨日は、息子夫婦とコナックで会食。二人が結婚してから、この時期にコナックに行くのが慣例化しつつあります。ラクの酔いで熟睡。起き抜けから、韓国のバラエティ番組「1泊2日」の中でも、うなされるようなインパクトの強いものを観て、茫然。そして、ちょっと間を開けてあった「オペラ紀行」の下調べ。ようやく年内出発のスケジュールを固められたかと思い、飛行機の予約に入ると難航。何が起こってるのでしょうか。でも、不十分ながら確保はできました。夜はカフェモンタージュでの「関西弦楽四重奏団」の「ベートーベン連続演奏会」に行ってまいりました。昨日は、1番と16番が演奏されました。最初と最後の弦楽四重奏曲を並べるというおもしろいプログラム。1番は、第1バイオリンが独奏楽器のような役割を担っていたりする部分があり、初期の特徴を表しているかと思うとともに、ベートーベンの小技の多彩さに翻弄されるなんてところも披露してくれます。16番は、後期の作品としては、初期の6曲のような長さなのですが、小技・大技が、更に一層冴えていきます。オーナー氏は、第3楽章はマーラーの先取りとまで言ってたので、そのつもりで聴いてみると、確かに前半は、そのように聴こえてきました。そういった多彩な音楽を紡いだにも拘わらず、第4楽章は、何をそんなに急いだのか尋ねてみたくなる淡白さ。初期の6曲のどこかに挟んで演奏すると、きれいに紛れ込むのも可能と思われる音楽です。演奏が終わったあと、簡単な挨拶をされた小峰さんは、その現象を指して「先祖がえり」と言われていました。演奏は、2曲とも林さんが第1バイオリンを務められました。従って、田村さんが第2バイオリン。その林さんのバイオリンの生き生きとした音色が、昨夜の牽引役。ベートーベンの弦楽四重奏曲の楽しさを再認識をさせてもらったコンサートでした。



2015年 7月 22日(水)午後 9時 3分

 夜半からの雨。雨が降ると気温が下がります。とってもありがたいこと。今日は、お出かけまでに、アイシェ・ハヌムから借りているサヘル・ローズのルーツ探しの旅を追いかけた番組を観ていました。借りるときに、ちょろっと講釈を受けてはいたのですが、すごい人生ですね。サヘル・ローズの人生もすごいけど、母親の人生はすごすぎる。サヘルのために、自分の人生を投げ捨てるわけですから。サヘルが会話をかわすイラン人が素敵な人ばかりで、うるるんときてしまってました。
 お出かけは11時がメド。今日は繁昌亭の昼席です。値上がりをする前に、堪能するほどに行っておきます。今日は、東京のさん喬が出るということでのチョイス。その番組は、次のようなものでした。三語「二人ぐせ」、吉の丞「上燗屋」、仁福「子ほめ」、田渕岩夫「漫談」、出丸「酒の粕」、染二「幽霊の辻」、(中入り)、めおと楽団ジキジキ「音曲漫才」、さん喬「抜け雀」、きん太郎「鯛」、福団治「くっしゃみ講釈」。三語は、文枝一門定番の古典。現文枝が、弟子につける古典って他にあるのでしょうか。吉の丞は、様々な落語会の会場について話し続け、ネタは短く短くってところ。「上燗屋」ではしょってましたから。仁福は、実に久しぶりの遭遇。もとより繁昌亭でしか遭遇機会はないのですが、それにしても当たらない。当たったと思ったら「子ほめ」にあんぐり。もっと自虐マクラを聴きたかったな。出丸は、酒の噺が出ているのに、まさかの「酒の粕」。染二も「幽霊の辻」をしたのですね。ひょっとしたら、前から持っていたのかもしれないのですが、最近、「幽霊の辻」を手がける噺家さんが増えています。最後の辻の場面に、再び最初のおばんが現れました。「ちょっとお知らせに」というのが下げになっていたのですが、おばんが幽霊だという雰囲気を漂わさずに終わりました。ジキジキとさん喬と、中入り明けは東京組が、続いて高座に。さん喬は、よもやの「抜け雀」。宿屋の主人が、衝立で金儲けをするところは、言わずもがなということで、そのために時間を割かないという合理的な選択が、まず印象に残りました。絵師親子の風格、宿屋の主人の抜けたキャラと、やはり人物の捉え方は的確。えらいプレミアの付いた昼席となりました。きん太郎は「鯛」で、いい色変わりに。福団治は十八番のはずの「くっしゃみ」でしたが、加齢のせいかパワーが落ちたという印象は拭えませんでした。



2015年 7月 22日(水)午前 0時 7分

 今日は、朝から文楽。夏休み公演の第1部を観に行ってまいりました。8時40分をメドに出かけるなんて、最近の生活のリズムからすると、ありえないこと。でも、そないな時間の電車に乗ったおかげで、昔の同僚と、電車の中で会うことができました。で、肝心の文楽の番組は、次のようなものでした。「ふしぎな豆の木」「ぶんらくってなあに」「東海道中膝栗毛〜赤坂並木から古寺の段〜」。第1部は、毎度「文楽親子教室」と称して、子どもにも解りやすい演目が組まれ、また文楽についての解説が入ります。普段観ることのない演目を楽しみに、この時間帯に、頑張って出かけたというわけです。「ふしぎな豆」は、「ジャックと豆の木」の翻案もの。ですから、「ジャック」は、その音が入る「本若丸」となっていました。竹田真砂子さんの新作だそうです。振り付けなんかの演出面は勘十郎さんが、また節付けは鶴澤清介さんが担当されました。豆の木が一晩で大きく伸びる、その豆の木をジャックが登って行く、そして雲の上の世界が現れるというスペクタクルな顔を持つ物語ですから、言葉が多少解らなくても、何が起こってるかが把握しやすい、それも、思いっきり解りやすい。そういった意味で、翻案という形で、新作を作るという場合には、まことにもって都合のいい素材を選んだものです。雲の上(天上界)に上がると、そこには拐われた姉が囚われており、悪い龍馬姥との対決となっていきます。隣の子どもが、龍馬姥が出てくると、お母さんに「最強?」と尋ねていました。小学校に行ってるかなと思われる子どもが尋ねていたということは、もうそれだけで、この公演は成功でしょう。最強キャラ以外にも、なかなかよくできたモンスターが出てきたり、そうかと思うと、モンスターを懐かしいチャンバラ・トリオを彷彿させる張り扇で倒したり、風船で作られたモンスターは、おもちゃのトンカチで木っ端微塵になったりと、笑かしてくれる場面まで用意されているので、黄紺も楽しんじゃいました。節付けもよくできており、文楽三味線や琴、胡弓も、従来の文楽の枠を超えた自由な発想で演奏されたものですから、とっても楽しいものとなりました。願わくは、装置の整理、終盤の台本の整理がされたら、一層楽しいものになるのじゃないかな。再演を重ねて練り上げていって欲しいものです。「文楽解説」は、吉田文哉さんによる人形解説だけ。太夫さんの方は、あの名コンビが消滅したあとは、やろうという人はいないのでしょうか? 「東海道中膝栗毛」は、一般公演でも出して欲しい代物。弥次さんが突っ込み役で、喜多さんがボケ役ってところかな。前半は、弥次さんが喜多さんを、狐が化かす体でからかう場面。だが、これが仕込みになっていて、後半は、和尚に化けた狐に、まんまと二人ともが化かされるというもの。見ものは、寺が野原に変わる場面。その前には、和尚の後ろから大きな尻尾がいたずらをする。件の子どもは、それに気づき、一所懸命にお母さんに報告してました。なかなか利発な小せがれでした。



2015年 7月 20日(月)午後 11時 55分

 昨日は、息子に車を出してもらって、ちょっとしたお買いものをしただけでおしまい。今日は、一層に暑くなりました。35度を上回るというのは、今日のような暑さなんでしょう。お出かけは、予定を変更して動楽亭へ。自分内ルールの「月2回の動楽亭昼席」を実行に移すことにしました。その番組は、次のようなものでした。二乗「強情灸」、ひろば「真田小僧」、三ノ助「寿限無」、福笑「桃太郎」、(中入り)、福楽「遊山舟」、ざこば「笠碁」。ざこばと福笑といった大看板二人が休日に出るという番組に恐れをなし、外そうと思っていたのですが行ってしまいました。昨日も、二人が出て札止め。今日は、そこまではいきませんでしたが大入りでした。その二人に加えて、福楽も出たわけですから、ひろばは上がるなり、「今日は後の3人が濃いですからね、、」と、その話題だけで笑いを取っていました。前座役の二乗は、ざこば組からもらったと思える「強情灸」。「関口のご隠居」という言葉が出てきます。一見、二乗に似合わないかと思われるネタですが、やはり二乗は自分のものにしますね。ひろばは、マクラで難波探検クルーズ話。他にも乗っている噺家さんはいますが、ひろばぐらいしか話さなくなってきています。ひろばの話が断然おもしろいということもあるのでしょうか。ネタは、ひろばで時々聴くことのできる「真田小僧」。途中からうとうとと居眠り。その居眠りは三ノ助のときにも。三ノ助で、もう20年だそうです。口調とか、昔と変わらないですね。だから眠たくなっちゃう。福笑が上がる前に見台が下げられたもので、「桃太郎」じゃないかと思ったら、ドンピシャ。こないだ繁昌亭で聴いたばっかだったため、ちょっとしょんぼり。芝居に入るところの勢いは顕在。だけど、うまく尺に合わせての口演。今日は、福笑の細かな腕に感心してしまいました。福楽は、後半の3人の違いを解説。的を得ているだけに傑作。福楽は、福笑やざこばと一緒に括られて上機嫌ってところでしょうか。ネタは、ちょっと細かな跳びが入るかと思うと、しょうもないくすぐりを入れて、流れは崩さずに進行。でも、福楽の落語って、何年ぶりでしょうか。福楽のマクラを受け、ざこばも、同様のマクラをふるものですから大受け。そして、米朝の臨終時のことも紹介してくれました。ネタは、前回も「笠碁」でしたから、連続となりました。どんどんと爆笑ネタへと移行しています。先代小さんのコジャレた雰囲気とは真逆になっていってます。ですから、雨、笠というものが、噺のポイントから乖離してしまってます。ですから、碁盤に滴が垂れる描写は入っても、それが下げにはなりません。「碁敵は憎し、、」という言い種を入れて、切り上げるというものでした。





2015年 7月 18日(土)午後 11時 36分

 台風が、黄紺のすぐ近くを通過していきました。携帯に入る「緊急避難情報」が3回なりました。その内2回は、昨日、呑み会からの帰りの電車。行政区分が変わる際どいところを通過しているときに、相次いで2回鳴りました。電車の中で、そこかしこで携帯が鳴っていたのですが、黄紺の連れの携帯は鳴らずじまい。もう1回は夜中に鳴ったのですが、指定地域からは離れているから、ま、いいかと、あっさりと横になりました。だけど、強い雨は朝まで降っていました。今回は、台風圏内に入ってる時間が長かったですね。台風一過は、お約束の蒸し暑さ復活です。
そして、今日は民博ゼミナールの日。先月に続き行ってまいりました。行きは門真から、帰りは茨木回りを選びました。そのテーマは「大陸中央の末端へ―パキスタンの山奥で言語を探す」。講師は吉岡乾さんでした。北パキスタンに散在する言語採集のお話。そういったフィールドワークをしている研究者がいるということは知ってはいたのですが、具体的に活動の実態、成果について聴くなんてことは初めてのことでした。この研究者は、東京外大でウルドゥ語を学んだ方。パキスタンは、多民族国家ということもあり、国民言語としてウルドゥ語の教育を徹底しているということが、フィールドワークにはラッキーなようで、ウルドゥ語を頼りに、フィールドとなる地域に入り、採集したい言語の採集が可能となるようで、そこから地域でメジャーな言語を覚えていくと、更にマイナーな言語の調査、発見が可能となっていくようです。新たな言語の発見ということが、こうしたフィールドワークの醍醐味のようで、知らないものの発見というものは予測がつくものではありませんから、どこで手繰り寄せる糸口を見つけるかは、それこそ研究者のセンスに因るという印象を受けてしまいました。そういった言語分布に社会的なステータスが絡んでくると、発見の邪魔をすることに繋がってしまいます。よりメジャーな言語を使うことで、出自を隠すことが可能となるわけです。となると、よりマイナーな言語の運命は明らかで、消滅の道を歩んでいくわけです。ま、そうして幾多の言語が、歴史の中で消滅していったということなんでしょう。テーマにあった「世界の果て」は、「果て」となる障害物があるわけで、この場合は、「世界の屋根」と言われるヒマラヤなどの山脈群。それが、インド・ヨーロッパ系言語の果てを作ったということだったのだと思います。ただ講演内容は、北パキスタンの小数言語の特徴に終始したため、後半は居眠りをしてしまいました。せっかく来たのにと思うのは、目覚めてからで、こうしたときの居眠りっていうのは、耐えに耐えてのものじゃないですね。気がつくと居眠りしてしまってるというパターンと決まっています。



2015年 7月 17日(金)午後 11時 25分

 今日は、台風一過の一日。おかげで、家に閉じこもる時間が、余計だと思えるほどできたということで、最近はまっている韓国のロード・バラエティ「1泊2日」を観まくりました。おかかげで、目がボーっとしています。そして、夕刻からは、元同僚と年に1回の呑み会。時間が経つのが、とっても早い一日でした。



2015年 7月 17日(金)午前 0時 7分

 台風が来てるのかなぁ。変な天気です。夜半は、かなり気温が下がるわ、おかしな風が吹くわ、です。でも、お出かけは予定通り。傘を持ちながらのミニウォーキングも、いつも通り。ただ、再び腰に不安が出てきているので、不安なことは不安ですが、予定通りの行動を実施。かなりの寝不足での不安を抱えたまま、夜は、動楽亭であった「生寿成熟の会」に行ってまいりました。今夜は、「カフェモンタージュ」で、小峰航一さんのコンサートがあったのですが、あっさりと、こちらを優先させました。その番組は、次のようなものでした。華紋「牛ほめ」、生寿「仮名手本天神祭」、雀喜「エンディング・ノート」、(中入り)、生寿「金釣り」。生寿は上がるなり、天気が悪いということで、「今日は早く終わります」と言いながら、長いマクラをふり、ネタも合わせて45分喋ってしまいました。そのマクラも、自分の出演するミュージカルや、今後の落語会の予定という宣伝話。ま、そんなのを聴くのが、一番の楽しみであるわけですが、それが、2つ目のネタに業をしてしまいました。中入り明けで、生寿が高座に上がったのは8時40分。さすがに予定していた「崇徳院」をするのを躊躇った生寿は、「こんな天気なので民意を問いたいと思います」と言って、「崇徳院」か「金釣り」で挙手を求めました。「崇徳院」は長い、聴きなれているのに対し、「金釣り」と言われると、そないなネタってあったっけとなり、ほぼ全員が「金釣り」を支持。結果的に、9時前に終演となりました。「天神祭」は、繁昌亭台本募集の第1回で大賞を取った作品。それを、たまが改作、更に生寿が手入れをして、今日のネタ下ろしとなったものです。吉良と大石が、天神祭に現れたらという設定が斬新だったことで、大賞受賞となったと記憶していますが、今日の口演では、「忠臣蔵」を題材にしたショート落語を並べたあと、天神祭で、二人が名を伏せて出会う場面を描き、次には、呆気なく討ち入り当日へとワープさせ、二人を再会させ、お互いの氏素性を知るというだけのネタになっていました。元の作品は、二人の語らいの場面が、随分と続いたように思いますが、たま流刈り込み術にかかると、残るのはこれだけかというほど、スリムになっていました。「金釣り」の方は、題名を聞いただけでは判らなくても、ディープな落語ファンなら、どこかで聴いたことありそうなもの。繁昌亭で生寿が出したときに、題名が思い浮かんだものですから、どこで聴いたことがあるのか気になっていたのですが、今日、生寿が言ったことで判りました。生寿は、このネタを団朝からもらったそうですが、その団朝は、修業中に、米朝から「こんな噺があると教えてもらった」ネタだと言ってたということです。それで判ったのは、米朝も団朝も、一つの落語としてやるのではなく、けちな男の噺をするときのマクラとして、この噺の核心部を使っていたのを聴いたことがあるということです。生寿曰く「正味8分で終わります」。おかげで9時前の終演となったわけです。ゲスト枠は雀喜。雀喜のマクラも長かった。今はなき「生野弁天寄席」の名物は、主宰者の生喬が、当日のゲストを、自宅に招いて、お手製の料理をふるまうというもの。そのときにしこたま呑んだ失敗談。てなことで酒の出てくる噺へ。「エンディング・ノート」は、雀喜の新作。「客寄席熊猫」という雀喜主宰の落語会で聴いたことがあります。エンディング・ノートを認めるきっかけが、酔っぱらって帰宅したことででした。出演された噺家さんの言葉で、今日のおかしな風、空模様が台風に因るものだと確認できました。おかげで電車はすいているしと、知らないことは怖いことも多いようですが、今日は福に転じました。



2015年 7月 16日(木)午前 0時 49分

 今日も真夏日、、まぁ、もう当たり前でしょうが。でもウォーキングをしていると、僅かでも風があれば、心地よいものです。今日は講談を聴く日。運の悪いことに、「天満講談席」とかち合ってしまったのですが、まよわず「南華はたちの会」をチョイス。2ヶ月に1度、天満橋の「双馬ビル」で、旭堂南華さんが開かれている会です。いつものように、近況報告を兼ねたマクラに続いて読まれたのは、「真景塁ヶ淵〜豊志賀の死〜」と「水戸黄門漫遊記〜小町剣客の恋〜」でした。真夏だからと怪談を用意されました。案内葉書には、小泉八雲から採ってくると書かれていたのですが、南華さん曰く、「怪談にしては怖くないので止めました」。替わりは持ちネタから「真景塁ヶ淵」。落語でおなじみの円朝作品。釈ネタと言って、講談から落語になったネタは多いのですが、逆移植は極めて稀。新吉がお久を殺すところまで読まれたました。このネタは、東西交流の中でもらって来られたものと思っていたのですが、帰り際に南華さんに確認をしたところ、そうではない回路でもらわれたネタだそうです。「水戸黄門」は、以前にどなたかで聴いたことはある(ひょっとしたら南華さんかもしれない)ネタですが、あまり出ないもの。黄門さんの東北への旅は、助さんと格さんは出てこないで、物書きとおぼしき男が付いてくるだけ。だから山賊に襲われても、自分らでは対処できない。通りがかった侍に助けられる。その侍の身の上話を聞いて、それを助けるというのが基本線。もう一本の線が、その侍の恋ばな。惚れた女と結婚したいと申し出るが、女の父親は、剣客である娘との勝負に勝てば許そうと言う。だが勝負となると、女の相手には到底ならないへなちょこ。その侍に惚れていた女の方も、あんまりと思い、わざと負けるのも止め、当の侍の願いは叶わず、修行の旅に出ている途中に、黄門さまと会ったというわけ。もちろん最後は、お約束のハッピーエンド。南華さんは、同じ水戸黄門ものでも、助さん格さんの出てくる武闘派路線ではなく、世話もの系のネタをチョイスで納得です。



2015年 7月 14日(火)午後 11時 31分

 昨夜が、ちょっと気温が下がりめだったので、睡眠がとりやすかったのですが、今日の昼間の気温上昇は半端じゃありませんでした。今日は落語を聴く日。鶴橋の「雀のおやど」であった「かわりべんたん」という呂好と華紋二人の勉強会に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。呂好・華紋「トーク」、呂好「色事根問」、華紋「仔猫」、(中入り)、華紋「狸賽」、呂好「青菜」。前座を置かないため、客席を温めるためか、冒頭に、二人のトークが入ります。噺家になってからやった珍しい仕事を言い合ってくれました。呂好は、丹精に噺を進め、その語り口の確かさに信頼を得ていると思っていたのですが、自信がそうさせるのでしょうか、少しずついじり出してきたなの印象。「色事根問」は、それだけ高座にかけてきたのでしょう。「青菜」の方は、中ほどで居眠りをしてしまったのですが、意識のあるところでは、極めてオーソドックスなものだったと認識しています。華紋の大ネタは初めて。季節にあった「仔猫」がそれです。華紋の口演は、多くは、目だけで上下を流れに流れます。もちろんいい意味で、心地よいものがあります。その一方、流れるがために、人物描写が薄くなってしまいます。「仔猫」でしたら、ご寮人、番頭、旦さんと、アクセントを着けねばならないところでも、流れてしまうことが看られました。ただセンスのいいオリジナルなくすぐりが入ったり、合理性のある台詞が入ったりと、そういった意味でも大物です。前者では、おなべに洗濯してもらったふんどりが汚れているわけは、夜中におなべの不可思議な姿を見て、便所から尻を拭かないで出てきたというものが入ります。後者では、初めておなべがやって来たときの台詞を、着物改めのときに入れる工夫が入るでしょう。「狸賽」が、本日 のネタ下ろしだったそうです。これは、あとから上がった呂好が明かしてくれました。ただ、この「狸賽」も、流れに流れて、省かれたものはないのに、えらく短いもののような感じがしました。



2015年 7月 14日(火)午前 0時 49分

 今日も芸文センター通い。「椿姫」の公演が、明日から始まるということで、その関連企画が、今日も行われたのです。今日は、「ワークショップ」と称し、製作に携わった人たちのトークやバックステージ・ツアーなどがありました。演出のロッコ・モルテッリーティ、装置のイタロ・グラッシ、照明のルチアーノ・ノヴェッリ、衣装のカルメラ・ラチェレンツァと、オペラ製作の四役に加え、佐渡裕も登場してのトークが繰り広げられました。やはり時代設定は跳ばさないということを条件に、演出のロッコ・モルテッリーティにオファーを出し、またロッコ・モルテッリーティも、「椿姫」の物語は、19世紀の物語として意味をなすということで、両者の意図が一致したようです。また、今回のプロダクションは、可動式のLEDの壁を7枚使い、映像で場面の様子を表すというのが大きな特徴ですが、どうやら、それもオファーを出す側からの提案だったように聞こえました。そうなると、装置が大変。動く映像と音楽、歌手陣の動きの調整に、かなり苦しんだようで、実際に、LEDの壁を設置できるのが、かなり押しつまってからになるということで、余計に大変だったようです。LEDの壁と照明プランの作成の苦労話も伺いたかったのですが、司会者が、ちょっとふられたようだったのですが、的を得た回答にならなかったのが、残念なところでした。衣装は、ヴィオレッタは3着、フローラは2着用意されています。ヴィオレッタの衣装の色合いが、徐々に濃くなっていくのが特徴。2幕2場の雰囲気、映像、照明を考慮したもののようで、フローラの方が、見た目には派手に作られていたように思います。佐渡裕の話も終わると、カバーのお二人、アシスタント指揮者による「乾杯の歌」、そして、期待のバックステージ・ツアー。ただ、大きな装置は、LEDの壁だけ。ベッドや鏡といった小道具は、サイド・ステージに展示してくれていました。使われているLEDの細かな粒の確認のあとは、係りの方に、芸術文センターの舞台の特徴、広さ、照明機材の配置など質問攻めにして、ちょっと、こちらの舞台について知るところとなりました。表に出ると、前の広場では、前夜祭が始まっていました。明日からの公演で、オケなんかはお休みのなか、佐渡裕は参加。芸術監督は、なかなか大変です。
 前夜祭はそこそこに、梅田経由で天王寺へ。今夜は、阿倍野の交差点近くの「風作」という居酒屋さんを使い、「曲師の会」が行われたのです。主宰は、沢村さくらさんと藤初雪さん、それに、浪曲師の五月一秀さんが加わった公演、2月に1度行われていますので、今回が2度目となる公演です。前半は、お二人で、「さわぎ」や「勧進帳」などを、三味線解説を入れながらの演奏。今日初めて、「二上がり」「三下がり」という三味線で使う糸合わせの意味を知りました。「二」とか「三」というのは「二の糸」「三の糸」を意味するのですね。前半の後半は、「関東節」「関西節」を知ってもらおうと、五月一秀さんが加わり、著名な浪曲師の口真似を披露されました。酒井雲、酒井雲坊(村田英雄)、二代目東家浦太郎が披露されました。酒井雲坊は、「無法松の一生」でした。そして、後半は、五月一秀さんの口演。ネタは「神戸長吉」。「一心寺門前浪曲寄席」の初日に、一秀さんが出されていて気になっていたもの。ご本人曰く、「一心寺のリベンジをします」。一心寺の口演を聴かれている方から、帰り道、お聞きしたところによると、「今日の方が良かった」と言われていましたから、リベンジがなったようです。神戸長吉は、清水次郎長一家の渡世人。自分の縄張り問題で、間に入った吉良仁吉が殺され、長吉だけ無傷で生き残ったため、世間の風当たりが強い。病気見舞いに、故郷の母親も息子をつまはじき。ようやく誰にも言わなかった吉良仁吉との間で交わされた話を聞かせて、母親は納得。一気に息子に対する気持ちが溢れます。このネタは、小圓嬢師からもらわれたそうです。一心寺では、出番が一緒。今日は今日で、小圓嬢師や三原佐知子師が聴いている中での口演という厳しい中でこそ、成果が上がるというものです。しかし、お若い曲師さんの会に、大御所お二人が観に来られる、ただただ頭が下がります。



2015年 7月 12日(日)午後 10時 14分

 梅雨明けですね。後戻りしない真夏に突入です。今日は浪曲を楽しむ日。他にもいい落語会があったのですが、浪曲を聴ける機会が少ないものですから、そういった落語会は、あっさり断念。おなじみの「一心寺南会所」であった「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。五月一秀(沢村さくら)「名月松阪城」、真山誠太郎(真山裕子)「風雲赤城山」、京山小圓嬢(沢村さくら)「亀甲縞」、京山幸枝司(岡本貞子)「小緑長吉」。「名月松阪城」は、講談でのおなじみのネタ。酔っぱらった蒲生氏郷が、家臣に無理難題。堅物の家来が、ついには相撲で投げ飛ばし、そして逐電となっていました。講談では、戦場での手柄を横取りしてしまう氏郷を諌めるとなっています。でも、ええとこ取りの仕方がうまく、一席の講談分の値打ちがあるような仕上げになっています。このネタは一秀さんの師匠五月一朗師の映像が残っていますね。真山誠太郎さんは、上方ではあまり出ない国定忠治を出しました。「赤城の山も今宵限り」という名台詞が入るところです。関八州の追っ手に包囲されての台詞ですが、そこに至るまでは、子分の浅太郎の勇み足の物語。名台詞に至る流れは、国定忠治の物語を知らない者からすると、「?」が点ったまま。誰もが、国定忠治を知っていた時代のネタということなんでしょう。小圓嬢師は、芸術祭大賞受章対象となった「亀甲縞」。受章記念の会で聴いて以来です。津藩の経済危機を救う物語。消費意欲を掻き立てる策が功を奏します。侍の位、アイデアを出す若い農民の出のブレーンの気概、さすが小圓嬢師です。幸枝司師の「小緑長吉」は、力士阿武松の物語。たらふく食う阿武松に面食らうところまでは覚えているのですが、一番前で居眠りをしてしまいました。浪曲席がはねると、時間調整を兼ねて、京橋駅までミニウォーキング。息子と会わなければならない用事があったためですが、ノンストップで、1時間20分余を歩くことができました。



2015年 7月 12日(日)午前 2時 9分

 今日は、兵庫県立芸術文化センター恒例の「佐渡裕プロデュース・オペラ公演」の「公開リハーサル」のあった日。本公演で観るキャストでない裏キャストのリハーサルを、元同僚が確保してくれたおかげで観に行くことができました。日本のオペラ公演は、ヨーロッパと異なり、カバーを置かず、ダブルキャストにするのが通例。そのため観ることのできないキャストがあるということで、裏キャストを公開リハーサルで観ようというわけです。その主だったキャストは、ヴィオレッタ(森麻季)、アルフレード(ルチアーノ・ガンチ)、ジョルジュ・ジェルモン(マーク・S・ドス)というものでした。本公演のチケットを買うとき、何度か聴いている森麻季を避けて買ったということです。マーク・S・ドスは、佐渡裕が、トリノでブリテンの「ねじの回転」で一緒になった縁で招請したと伝えられている歌手です。森麻季の知名度と合わせて考えると、プロデュースする側からすると、こちらの方が表キャストというつもりかもしれません。演出のロッコ・モルテッリーティは映画畑の出身ということで、LEDの壁に映像を映し、装置は小物以外はなしという、特徴がはっきりしたもの。LEDを使っていますから、貼りつけた壁を分離したり、傾けたりすることも可能ですし、映像を分離したり、分離した壁を移動するようにも映し出すこともできるという代物です。お金がかかるのでしょうか、今まで観たこともない仕掛けでした。こちらのプロダクションは、時代や場所を跳ばさないということがポリシーにされてますが、そういった鉄則を守っていることを表すことができたのは、この壁に映される映像で判るというものでした。1幕や2幕2場の舞踏会の場面は、雰囲気を出す映像が流れるのは当然として、一番この壁が威力を発揮したのは2幕1場でした。ちょっと立派すぎる邸宅に周辺の風景は当然でしょうが、ストーリーを補完する役割を、映像が担っていました。この手法を採用するのだったら、他の場面でも使って欲しかったですね。特に1幕で、ヴィオレッタとアルフレードがお互いの気持ちを確認する場面や3幕は全部、壁に映像を映さなかったのですから。アイデアはおもしろい、話題性がある、だけど使いこなしていたかというと、ノーでしょう。演出家のアイデアの限界、映像クリエーターのイマジネーションの足りなさじゃないでしょうか。流れ的にはオーソドックスなもので、唯一どきっとしたのは、ラスト、ヴィオレッタは「生きられるんだわぁ」と言って倒れるはずが、倒れなかった、要するに立ったまま、手を広げたまま、幕となったことです。今日は、知り合い5人と、最後に合流したのですが、「あれは死んだの」という考えで、なんとなく収まりました。歌手では、リハーサルということを考えるということはなしで書くと、ルチアーノ・ガンチが抜けています。とってもいいテノールを探してきたぞというところです。マーク・S・ドスは、ヴェルディ・バリトンとしては、声質的に厚さが足りないという印象。かすれるような感じすらしました。森麻季は、予想通りパワー不足。だから本公演は外したのですが、その思惑がドンピシャでした。1幕が終わったところで、本公演のチケットを、既に買っている高校時代の友人に電話を入れ、このことを報告すると、「そう思って裏キャストの方を買った」と言っていました。



2015年 7月 11日(土)午前 0時 48分

 しばらく涼しい日が続いていたのですが、真夏に戻ってしまいました。これからは、こないな暑さが続くのでしょうね。じっと耐える日々が続きます。今日は落語会に行く日。高津神社であった「微笑落語会」に行ってまいりました。たまが、新ネタを、主に披露する会です。その番組は、次のようなものでした。華紋「商売根問」、たま「ちしゃ医者」、たま「花筏」、(中入り)、呂竹「崇徳院」、たま「らくだ」。華紋は安心以上を与えてくれる前座さん。たまの一つ目は「ちしゃ医者」だったのですが、福笑ネタですから、修行時代に覚えた可能性があります。基本的に、福笑の言いつけもあり、師匠のネタを持ちネタの核には据えてないはずです。内容的にも、糞尿が散らばるきちゃないものですから、その点からしても、修行時代の産物でしょう。「花筏」は、筋道からしていじりにくいネタですから、たまスペシャル的ないじりはありませんでした。導入部をスリム化した程度のものとなりました。そうしてみられると、こうした噺も聴かせる力を、たまは持っているという証明となる口演でした。そして、たまは、注目の一番「らくだ」です。いきなり六代目の口真似をして笑いをとり、「らくだ」の大ネタぶりを印象付けながら、マクラでは、もう大ネタ扱いする時代じゃないと言い、自分でハードルを上げたり下げたりしてからネタへ。基本的に流れは外さずオーソドックスに下げまでやってくれました。ただ紙くず屋の酒を呑むシーンを重く扱い、ぐずぐずになっていく様子に、たまスペシャル的な改編、更に膨らましを看ることができたのに対し、火屋に持って行く準備からはしょり出し、ダイジェストで進行を看るような流れにしてありました。酔うところでおもしろかったのは、肴に手を出さず、ひたすら酒ばかりを呑みます。酒でしくじった男を表す手段に、そういった方法を採ったのは、見事な見識です。肴は、死んでるらくだに投げつけるなんていう場面まで用意していました。傑作なくすぐりがありました。らくだに、季節外れの河豚を売りつけるように、魚屋に言ったのが紙くず屋だというのがそれです。この着想には、ぶっ飛んだ発想というものを看た思いがして、たまの並外れたタレントを思い知った次第です。全体を通じて、「らくだ」は、かなり温めていたなの印象です。と同時に、笑福亭の自負のようなものを感じさせてくれました。ゲスト枠は呂竹。自分的には、呂竹の大ネタは初めて。あまりネタを増やすのに熱心だったとは言えない呂竹は、自分の会を持って自分を追い込むことをしないものですから、前座として多くの出番をもらっていたときのようには、遭遇できなくなっています。で、出来は、ちょっと厳しいですね。噛みすぎです。前座ネタをしていたときには考えられない噛み方でした。実践不足じゃないでしょうか。今日は、特別出演がありました。開演時間前に、笑子が、オーストラリアから緊急帰国しているということで、華紋の出番の前に出て、腹話術落語を披露してくれました。そないなことで、とってもたくさんの具の詰まった落語会になりました。



2015年 7月 9日(木)午後 10時 38分

 今日は、今週唯一の二部制の日。昼は落語、夜はコンサートという組み合わせ。まず昼ですが繁昌亭の昼席に、一之輔が出るということで行ってまいりました。一之輔は、夜席で、吉坊と二人会をするということで、昼席にも出演依頼が入ったのでしょう。その番組は、次のようなものでした。八斗「犬の目」、福丸「煮売屋」、遊方「ゴーイング見合いウエイ」、南陽「那須の余市」、こけ枝「始末の極意」、都「堪忍袋」、(中入り)、千田やすし「腹話術」、一之輔「堀之内」、吉次「禁酒関所」、福笑「桃太郎」。八斗はさらっとやればいいのに肉付けをした「犬の目」を。前座の心得を、きっちり守った方が、印象は良くなるのにと思ってしまいました。福丸が、早くも二番手で登場。この1週間、この位置はひろばの出番のところ代演扱いでの出番のようです。ただ代演にしては、3日も出番をもらっています。「野辺」の下りから叩きをしながら「煮売屋」へ。やり過ぎ感のないいいボケ方で、客席にえらく受け入れられていました。ただ言い間違いをして調子を狂わしたのでしょうか、煮物の下りには入らず、品書きがらみから酒へ直行。これもミスったのか。10分ほどで下りてしまいました。いい感じだっただけに、「?」が点ってしまいました。遊方は、マクラからおかんネタで全開。ネタは鉄板ネタですから、全開状態で一気に下げまで進んでいきました。これだけヒーヒー言わすと、もう三番手の位置では、あとから出る噺家さん大変です。色物枠は講談で、南湖さんとで、出番を分け合うという出番割りになっています。南陵組は聴かないので、南陽は久しぶりの遭遇となりましたが、えらく太られていました。うまく刈り取って時間内に収めた「那須の余市」でした。こけ枝は、ホント、繁昌亭の昼席でしか見ないようになっていますね。紙と扇の使い方から、時間を考えてでしょう、いきなり極意の噺へと持っていきました。都は綱渡りの口演。序盤の夫婦喧嘩の場面が支離滅裂状態。気がついて言い直そうとしても、噺が前後したり、同じ噺が、後ろで出てきたりで、もう大変だったのですが、徐々に混乱は収束。堪忍袋に文句を入れるときには、自分ところの夫婦喧嘩を再現してました。中入り後は、お目当ての一之輔、それに、トリ福笑が半端じゃない受け方をしていました。一之輔は、前回は「初天神」でしたが、今日は「堀之内」。東京の寄席では、最もポピュラーなネタの一つ。上方の「いらちの愛宕詣り」。とってもアブナイネタです。一之輔は、「落語にはほとんど病気って言っていいのが出てきます」と言ってから始めました。ですから、アブナイネタを笑わせる仕掛けを施しました。そこまではいないやろというスパイスを徹底させていました。自分の子どもの名前すら言えない、それも、いろんな名前で呼ぶという形で表したり、またお題目もまともに唱えられないなんて男にしていました。その男が通ると、周りにスペースが生まれ、男は歩きやすいと言って喜ぶとなっていました。これはすごい、一之輔はすごいと思わせるものを看た思いです。吉次のところで、疲れたのか居眠り。福笑では居眠りをしている場合ではありません。「桃太郎」がえらくパワーアップ。倅が語って聞かせる桃太郎話は芝居がかり。父親、その話にうっとりに、客席はヒーヒー。いやぁ、すごい盛り上がりのなか終わりました。
 繁昌亭を出ると、少し時間があったので、京阪電車の始発に乗ろうということで淀屋橋へ移動。そして枚方まで移動してから、昔の同僚二人と合流。夜は、「メセナ枚方」であった「クラシックはいとをかし」というコンサートに行ってまいりました。今年中に4回計画されているコンサート・シリーズの第2回目となるコンサート。前回は二人で行ったのですが、評判を耳にした元同僚夫妻が加わりました。そのプログラムは、次のようなものでした。「ルロイ・アンダーソン 舞踏会の美女」「ラフマニノフ 弦楽四重奏曲第1番より第1楽章"ロマンス"」「ボロディン 弦楽四重奏曲第2番」「チャイコフスキー 弦楽四重奏曲第1番」。ロシアの室内楽の名曲が並びました。演奏は、第1バイオリン(杉江洋子)、第2バイオリン(長谷川真弓)、ビオラ(金本洋子)、チェロ(近藤浩志)というメンバーで、チェロの近藤さんだけが大フィルの方で、あとの3人は京響の方です。今日のテーマは恋ということで、このような曲がチョイスされたのですが、偶然、いずれもがロシアもの。ラフマニノフの室内楽は、なかなか珍しいもの。この1番は、解説によると習作のようで、遭遇機会がなかったわけが判りましたが、ミュートを着け、なかなかロマンスの名に恥じない雰囲気のある曲。ボロディンは、1楽章も耳に残りやすいメロディを含みますが、なんと言っても3楽章のノクターンが知られた名曲。チェロからバイオリンへと移っていく甘美なメロディが、本日のお題にびったりというところでしょうか。スラーの付いたメロディを、もう少し丁寧に弾いて欲しかったなとの不満は残りましたが、有名曲のわりには演奏機会が多いとは言えませんので、しっかりと耳に刻み込んでおきました。チャイコフスキーは、2楽章が、有名なアンダンテ・カンタービレ。こちらも、このメロディの美しさから、今日のお題に相応しいとなったのでしょうが、チャイコフスキーは同性愛者ですから、彼が、本日のお題のようなことをイメージしながら、このメロディを書いたとしたなら、ちょっと話がややこしいことになってしまいます。同じリズムを、4つの楽器が刻みながらのアンサンブルに、緊張感があり、かなりの迫力。前回に比べて、2つのバイオリンがパワーアップした演奏でもありましたから、このチャイコフスキーは、今まで黄紺の趣味からは外れていた曲だったのですが、考えが変わるきっかけを与えてもらったような気がしました。このコンサート、秋に2回用意されており、選曲が気に入っています。本格的に室内楽の楽しさを伝える渋味もある選曲で、行きたいのですが、運悪くトルコ行きとバッティング。残念です。来年も続くことを祈るしかありません。なお、アンコールでは、ピアソラの曲が演奏されました。



2015年 7月 9日(木)午前 0時 13分

 梅雨空が続きます。幸い、気温がひどく上がらないので救われています。まだ寝やすい環境なのに、睡眠が取りにくくなってきており、久しぶりに、そっち方面のストレスがたまってきています。今日は落語会の日。動楽亭であった「生喬百席」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。生喬「ちしゃ医者」、市楼「夢の革財布」、(中入り)、生喬「質屋蔵」。今日は、長講が、後ろに2つ控えているからでしょうか、いつものような長めのマクラは控えめ。「ちしゃ医者」は呂鶴からもらったものとか。ただ呂鶴の「ちしゃ医者」が思い浮かばないもので、いつもの生喬とは違う雰囲気の「ちしゃ医者」でしたが、それが、呂鶴テイストなのか、はたまた「ちしゃ医者」という特有のきちゃない噺だからでしょうか、やたらと笑いを求めにいく口演になっていました。そういった臨み方って、呂鶴風だったかなとも思いますので、不思議な、でもおもしろい口演を聴かしてもらったなの印象を持ちました。「質屋蔵」は、生喬の初演のときに聴いて以来だと思います。とっても緻密な喋りっぷりに、生喬の気合いを感じました。特に難しいとされている冒頭の旦さんの長台詞が素晴らしい。もうこれで勝負ありでした。三番蔵を前にしたときには、さすがにがなるような声が出てしまいましたが、まあ、仕方がないかな。生喬ベスト候補に十分入るものだと思いました。ゲスト枠は市楼。市楼の落語会には行かないものですから、久しぶりの遭遇でしたし、最近、どのようなネタを仕入れているか知らなかったところに、「夢の革財布」が現れたものですから、とにかくびっくりでした。東京の「芝浜」ですから、そないな人情噺をする噺家さんになってたんですね。ただ聴いていて、総じてテキストに捕らわれ過ぎという感じで、情景や感情に対するイマジネーションに問題を感じてしまいました。時間をかけて深めていってもらいたいものです。



2015年 7月 8日(水)午前 4時 30分

 昨日は、朝から家に缶詰になって、韓国のバラエティ番組「一泊二日」を見続けていました。雨の日には、こういったこともいいのですが、おもしろいので、ずっと観ていると、完全に目を悪くしますね。8月に予定している韓国旅行で、黄紺が行こうしているところに、このロード・バラエティ番組が行っているということで、オンデマンドのパック商品を買ったら、2週間で10本を見なければならなくなりました。ということで、お出かけはいつもよりは遅く、下校時刻にバッティングかと思いきや、うまくかいくぐったみたいでセーフ。雨も小止みになったので、ミニウォーキングなどをしてから、夜は繁昌亭に。昨夜は「長寿の会」がありました。歌之助が、繁昌亭で定期的に行っている会で、必ずネタ下ろしをするというのを売りにしている会です。その番組は、次のようなものでした。生寿「金釣り」、歌之助「刻うどん」「世界漫遊記」、(中入り)、歌之助「口入屋」。ネタ出しの中に、「世界漫遊記」と出ていて、何ごとかというのが、最大の関心事だったのですが、なんてことはありません。アゼルバイジャンであった「シルクロード音楽祭」の参加報告でした。歌之助が、この訪問団のメンバーであることを失念していただけではなく、この訪問が、既に終わっているとは思っていなかったものですから、このタイトルで、アゼルバイジャン話を聞けるとは、全く考えてもいなかったのです。3日に帰ってきたと言ってましたから、一番早い報告会になったのではないでしょうか。フェスティバルのタイトルには「Ipek Yolu」の文字が。それを見て、間違いなくアゼルバイジャンに行ってきたのだということを確認させていただきました。もう一つのネタ出しは「口入屋」。この大きなネタを、歌之助は若い頃から手がけていましたから、何度目かになる遭遇です。気に入った箇所が2ヶ所。1つ目は、ドガチャカの場面。周りを眺め回してから筆を動かす仕草。番頭の腹黒さがクリアになりました。2つ目は真夜中の場面。暗さがあります、歌之助の口演には。ご寮人が持つ手燭に浮かび上がる番頭らの薄ぼんやりとした顔が見えたように思えました。好演です。ネタ出しなしが「刻うどん」。一応、この会の主旨からすると、これがネタ下ろしになるはずです。確かに、歌之助の「刻うどん」って聴いたことがなかったような気がします。でも、今更、「刻うどん」をネタにする心が解りません。ネタ自体は、極めてオーソドックスな「刻うどん」でした。前座役の生寿は、小咄に毛の生えたようなのを出しました。喚ばれた会で、長めのマクラをふるものですから、どうしたのかと思っていたら、こないなことでした。



2015年 7月 7日(火)午前 0時 21分

 今日は、コベントガーデンのライブ・ビューイングを観る日。コベントガーデンの場合は、観ることができるのは一日だけですから、全てを、この日に合わさねばなりません。しかも、今回は京都での上映がないため、「ブルク梅田」にお出かけです。今回も、これを観るためにだけ、福井在住の高校時代の友人が駆けつけてきました。演目は、ロッシーニの最後の作品「ウィリアム・テル」。黄紺も、一度、ニュルンベルクで観る機会を失ない、それ以後、観る機会に恵まれていない作品。有名なわりには出ない作品の一つ。いろんな理由があるかもしれませんが、ワーグナー作品のような長さがジャマをしていることが察せられます。それに加えて、軽いテノールで高音が出せる歌手探しに苦労するからでしょうね。今回の上演は、ダミアーノ・ミキエレットによる新しいプロダクションです。指揮のパッパーノはCDにも録音しているので、得意にしているものとは、友人の言葉。そのパッパーノの作る音楽が、テキストに合った音の作りばかりか、オペラ全体を見通した素晴らしいもの。3幕、4幕の興奮度はただものではなく、終演後、別れ際に友人は、「ちゃんと眠れるかな」と言ってたほどでした。歌手も実に粒揃い。問題のテノールはジョン・オズボーンを起用、この人なら大丈夫。MC氏によると、High-Cが実に17回、Cisが2回ある役だそうですが、楽々と出しちゃうものだから、「これじゃありがたみがなくなるな」と、二人で言い合っておりました。タイトル・ロールのジェラルド・フィンリーもしっかりとした声で、安定感がありました。マティルデを歌ったマリン・ビストレムも気に入りました。どうもメゾにいい歌手出過ぎです。声だけではないのが嬉しいところです。また目の感じが、人気のアンジャ・ハルステロス似なので、余計に印象に残りました。舞台は、最近流行りの、三方を壁で囲み、時代設定は現代で、大道具なしのパターンが1幕。このパターンで、最後まで行くのかと思っていたら、2幕以後は、大木のオブジェを寝かせる形で出し、回転舞台に、それを乗せ、前後に小物を置いて、場面転換をするのにも使っていました。大木は、もちろんスイスの森を表していることは間違いありません。湖の畔に、ウィリアム・テルらの反乱軍のキャンプがあるという場面設定で、湖が筋立てと係わってくるのですが、湖は出さずじまい。なくとも筋を追うことは可能ですが、キーとなるトポスですから、オブジェとしてでも出して欲しかったなというのは、黄紺の趣味かもしれません。このプロダクション、幾つか判らないところがあります。ウィリアム・テルの息子(ソフィア・フォミーナ)が、ウィリアム・テルの物語の漫画本を持ち歩いていること。そこに描かれていることが、舞台に現れる趣向。それを、息子自身が読んでいるという形になります。結末に繋がる湖上での出来事は、スクリーンが下りてきて、漫画のその場面が展開していきます。その漫画に登場するウィリアム・テル自身でしょうか、登場人物の中で、一人だけ現代の衣装じゃない衣装を着けている人物が出てきます。歌いません。ですから、演出の中で出てきた登場人物ですが、なかなか大きな役割をしていきます。敵役のオーストリア軍をやっつけるのは、この男ですし、ウィリアム・テルに最後の矢を渡すのも、この男です。デウス・マキーナのような活躍ぶりと、全能の力を持っています。全くフィクションなのだということを言いたいのでしょうか、それとも、合わせ鏡状態にして、その辺を曖昧にしようとしているのか、黄紺には判らないまま推移してしまいました。そんなわけで、微妙な部分を残しつつも、音楽は、最早ベルカント・オペラと分類されるようなものではなく、ロマン派の深い森に足を踏み入れた立派なグランド・オペラの出で立ちをしていました。それには、言うまでもなく、パッパーノが大きく貢献していたことは言うまでもありません。



2015年 7月 5日(日)午後 7時 43分

 鬱陶しいお天気が続きます。今日は落語を聴く日。高津神社であった「文太噺の世界in高津の富亭」に行ってまいりました。毎月、月初めの日曜日に開かれている会ですが、今年は2回目になるはずです。ネタを睨みながら、また他の会との兼ね合いを考えながら覗くことにしています。その番組は、次のようなものでした。文太「坊主の遊び」「平兵衛夜盜伝奇」、真「みかん屋」、文太「くっしゃみ講釈」。「くっしゃみ講釈」だけがネタ出しなし。となると、あとの2つの文太のネタは珍しいものばかり。そういったときのジンクス、居眠りをしてしまったのです、今日は。原因ははっきりしていて、昨夜の不安定な睡眠。大阪に向かう電車の中で、既に予感があったのですが、当たって欲しくない予感が当たりました。「坊主の遊び」の終盤から朦朧としていましたから、どうしようもないですね。その「坊主の遊び」ですが、可朝、八方と流れている伝承では、前半をやらないですね。替わりに、場末の廓の雰囲気を漂わすのに成功していると思っています。ちょっとどぎつさがありますが、なかなかのものと思っています。米紫も、この系譜にあります。ところが、文太は前半を入れますから、噺のコンセプトからして違います。歳をとっても廓遊びが止められない男が主人公です。ですから、頭が禿げ上がり、女郎にもからかいの対象になっているのが坊主頭だというわけで、今日しも、女郎に逃げられたところが、件の女郎が酔っぱらって、あろうことか戻ってきたというより、迷いこんできたので、いたずら心を起こすとなるわけです。ちょっと同工異曲の雰囲気すらする口演でした。「平兵衛夜盜伝奇」は、文太が「贋作」と称しているものの1つですから、東京の噺の移植であったり、何やらの改作であったりするのでしょうから、その正体を見抜きたかったのですが、ダウンをしていては、それどころではありませんでした。芝居噺だというくらいしか記憶にない情けないお話です。「くっしゃみ」は、くっしゃみに迫力がなかったのだけ覚えています。柔な柔な雰囲気で、聴き手を丸め込むような口演に特徴があると思っている文太、その雰囲気が、もちろん心地よいから聴きに行くわけですが、そういった口演に、以前のようなメリハリが減退してきているように感じ出しています。加齢の成せる業であることは間違いないでしょうが、そないなところが、くっしゃみの場面で出たのかもしれません。「坊主の遊び」でも、ちょっとそないな雰囲気ありましたしね。この会は、前座クラスの噺家さんがゲスト。真は、黄紺が行きたくて行けなかった「都一門会」の様子を、ちょっとだけでしたが、マクラで紹介してくれました。これは感謝でした。



2015年 7月 4日(土)午後 11時 51分

 今日は講談を聴く日というより、お勉強をする日。南海さんによる「講談セミナー」が、天満橋の「ドーンセンター」であったのです。題して「続き読みお披露目セミナー」という催し。講談をご存知ない方用のものかとも思ったのですが、こうした催し自体が珍しいですし、ちょっとした付加価値があるというので、覗いてみることにしたのでした。少し早めに出て、梅田でお買い物をしてから、天満橋に回ったのですが、これが、本日のミニウォーキングとなりました。セミナーは、明日から始まるFMうめだの番宣を兼ねたもの。こちらのFMで、南海さんが、39連続の「難波戦記」の続き読みをされるというのです。そのために、まず「講座とは?」から始まり、「難波戦記」で読まれる内容、具体的な南海さんによる実演というものでした。で、こうした番組にせよ、また番宣用にしても、セミナーをするのに動かれている方たちが、どのような方なのかが気になっていたのですが、行ってびっくりでした。二代目南陵のお孫さんたちでした。三代目は叔父さんに当たるそうです。このセミナーは番宣だったかもしれませんが、そういった方がかまれているということは、ホント、大きな感動でした。そういった自己紹介もあり、その気で、お顔を拝見すると、顔の下半分が、三代目に似ておられ、またまた嬉しくなってしまいました。なお、南海さんが実演として読まれたのは、時間のこともありますから、多少ははしょりながらでしたが、次のようなものでした。「木村重成の堪忍袋」「大助、駿府の使者」「木村重成の最期」「くらわんか舟の由来」。このセミナー、当初、午後にだけ計画されていたところ、申込み多数ということで、黄紺の行った夜の部は追加公演でした。普段の講談会で見かける顔はほとんどないなか、集まった人たちっていうのは、いったいどのような人たちなのか、とっても気になってしまいました。



2015年 7月 3日(金)午後 8時 25分

 今日は映画の日。苦し紛れに映画の日にしたと言えば、いいでしょうか。ホントは、今日に動楽亭の昼席を入れることができれば良かったのですが、気乗りがしなかったのです。映画は、「心斎橋シネマート」であった中国映画「君の香り」を選びました。この映画、中国映画だったのですね。てっきりパク・シフが主演という点が強調された宣伝がされているために、ずっと韓国映画だと思っていたところ、映画館に行ってから、そうじゃないことを知りました。韓国人男性(パク・シフ)が、自分の前から突然姿を消した恋人を探しに上海へ。そこで、偶然、カップルのトラブルに出逢い、止めに入った件の韓国人が、結果的にカップルの女性(チェン・ラン)の方にケガをさせ、その世話をするということで、不思議な同居生活が始まります。この辺は、かなり強引で、とにかく縁のない男女二人を、同じマンションの部屋に住まわせてしまうという筋立て。この辺の女性の言動は、「猟奇的な彼女」が入ってます。となると、お決まりのディスコース。縁のなかった二人ができあがっていくという筋立ては、もう観なくても判るお約束の展開。最後、ちょっとひねられ、お口あんぐりになりますが、想定されたお約束は守られました。ですから、ホント、なんてことない映画です。上海見物がてら、というほど、名所を追ってるわけではないのですが、今の上海には、ちょっとは触れられるかな。それと、同じシナリオを、韓国側が制作すれば、こうはならないと思うのが、中国人登場人物のキャラ。わわしい、声がでかい、我が我がと前に出てきたがるキャラばかり。主演の女性が、そのようなキャラが、徐々に薄れ消えていくことで、ハートに火が点る様子を表しているようにも看えました。そうした演出が歓迎されるのでしょうね。おかげで中国に触れたと感じることができました。チェン・ランが、誰かに似ていると思って観ていたのですが、ようやく判りました。曲師の藤初雪さんでした。この映画は、パク・シフのファンのための映画ということなのでしょうね。



2015年 7月 2日(木)午後 11時 46分

 今日は、昨日に続き二部制の一日。二部制の日は、いつも慌ただしくなります。まず、午後は、文楽劇場の「公演記録観賞会」です。今日は、文楽の日で「心中天網島〜北新地河庄の段〜」の上演がありました。紙屋治兵衛が先代玉男、小春が簑助という組み合わせ。更に、孫右衛門は文雀と、当時はどうだったか知りませんが、3人とも人間国宝になった方。文雀さんが、まだ若く、今の動きとは随分と違うのが嬉しいところ。太夫さんも、千歳太夫のあとを受けて、切り場を住太夫でした。声が若い。やはり若いというのは、何よりも強い武器です。年配の功なり名を遂げた人たちを持ち上げるため、様々な物語が作られますが、若さから来る動きの軽さ、鋭さ、声の艷、こういったものには、年齢は勝てませんからね。今日は、寝不足で危険だと思っていたら、嫌な予感が的中。前半は居眠り。ですから、細かなところではなく、一瞥で判ることだけが印象に残った次第。しかし、思うことは、遊女が男の妻に義理立てするってのは、自分で自分を否定する行為やと思うのですが、文楽には、解らないことが多すぎます。
 文楽劇場を出ると、おなじみの千日前のネットカフェで時間待ち。そして、夜は、松屋町駅近くの「和文化伝承協会ありす庵」であった「第5回旭堂南斗講談deからほり」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。「難波戦記・発端」「グレート東郷物語」「赤穂義士外伝・忠僕直助」。「難波戦記」と「忠僕直助」は、南斗くんお得意のネタで、幾度か耳にしてきたネタ。特に「忠僕直助」は、東西交流の中で、東京の貞花さんからもらってきた南斗くん代表的な持ちネタと言っていいもの。実は、狙いは、そういったおなじみのネタではなく、自作の「プロレス講談」。今日がネタ下ろしだったようで、「グレート東郷」は、「グレート・カブキ」に次ぐ2作目となりましす。扱っているプロレスラーから判るように、南斗くんの関心は、レトロなプロレス。日本プロレス華やかなりし頃から、日本プロレスが分裂していったり、他団体が生まれてくるあたりが、彼の関心の対象のよう。恐らく師匠あたりから、特色を作り、アピールをしていけという指令でも出たのかなと思っているのですが、同じ時期に、南舟くんも「高校野球講談」(実際には創っていない)を言い出したので、そう思っているのですが、南斗くんはマニアだけに、おもしろいところを突いてきているのですが、一般人には、さっぱり解らないという題材になってしまってます。力道山や馬場、猪木といったヒーローを取り上げないところに、マニア的こだわりを看るのですが、逆に世間的には解らない、解りにくいとなるでしょう。個人的には、次作は、誰を取り上げてくれるかが関心の的なんですがね。



2015年 7月 2日(木)午前 0時 7分

 昨日の午後からの雨は、夜半から朝にかけて、かなり強く降りました。その雨が止みかけたところで、お出かけ。今日は、落語会とコンサートに行く日でした。まず、午後は動楽亭の昼席です。今月は、前半の米朝一門だけの時期に、2回行ってみようかと考えています。どうしても、出演者の顔ぶれと、こちらの都合を突き合わせて、スケジュールを組むものですから、ちょっと変則になるときが出てきます。今日の番組は、次のようなものでした。そうば「青菜」、雀太「商売根問」、よね吉「お公家女房」、米団治「淀の鯉」、(中入り)、紅雀「親子酒」、吉弥「蛸芝居」。吉弥がトリをとるということで、大変な入り。サイドの障子を取り払い客席にするという措置を、久しぶりに見ました。それが予想されたものですから、他の日にしようかと、だいぶと思案したのですが、いい日を、結果的に見つけることができませんでした。そうばの「青菜」から、がんがんと反応があるいい客席。雀太の「商売根問」は、鉄板ネタですから、ヒートアップする一方。だけど、ウグイス獲りとガタロ釣りを同じ日にしているというのは、何度聴いても可笑しい。「お公家女房」は、九雀による「延陽伯」の改編版。最後に、宮内庁御用達のぼてふりの八百屋が登場します。よね吉が、若い頃にやっていたネタですが、ホントに久しぶりの遭遇となりました。米団治は、マクラで米朝事務所の株主総会の風景を紹介して大受け。ネタは待望の米朝作品。米団治が持ちネタ化していたのは知っていたのですが、遭遇は初めてでした。前半は、船嫌いの板前を、好きな酒でつって船に乗せてしまう噺。その板前が酔いつぶれている間に船出をしてしまいます。仕方なく、釣り上げた魚の料理をすることになったところで、急に、川中の釣られる側の鯉の世界が出てきます。いや噺の中心がそちらに移ってしまい、船の上での展開が薄くなり、前半の噺は何だったと感じてしまいます。ちょっとアンバランス。そないなことで、お蔵入りになってたのかもしれないですね。紅雀は、楽屋入りしないので、吉弥により電話で起こされたとか。息子が、うどん屋をひやかす箇所が薄めの「親子酒」でした。時間を考えてなのか、まだ完全に目が覚めていなかったのかは判りませんが。吉弥は、米朝宅での修行時代のエピソードを、ちょっとだけ喋ってからネタへ。遠目から観ていたこともあるのだと思うのですが、太った体が重くて、芝居の型を決めるのに邪魔をしていました。体型自体は、さほど変わってないと思えるのに、そのように感じたのは、体調不十分だったのか、加齢の成せる業でしょう。ということで、本日一の収穫は、言うまでもなく、「淀の鯉」との遭遇でしょう。
 動楽亭を出ると、大阪で軽い私用を済ませ、京都への大移動。夜は、昨日に続いて、カフェモンタージュでのコンサート。今夜は、「SILVER or WOOD or IVOLY or GLASS ....or SILVER」と題して、伊藤公一さんと、ピッツバーグ交響楽団首席フルート奏者であるローナ・マギーさんとのフルート・デュオを聴くことができました。このコンサートも、昨日のモーツァルト同様、異様な人気で、予約が、瞬く間に完売になったコンサートでした。そのプログラムは、次のようなものでした。「タクタキシュヴィリ フルートとピアノのためのソナタ」「ドップラー アンダンテとロンド」「マルティヌー フルートとピアノのためのソナタ」「ヴィターリ シャコンヌ」。タクタキシュヴィリが伊藤さんのソロ。ドップラーが2人の共演。残りの2曲が、マギーさんのソロでした。タクタキシュヴィリは、名前も聞いたことのない作曲家。名前からして、グルジアの作曲家だろうというぐらいは検討がつきました。1960年代の作曲のようですが、現代音楽っぽい無調で始まったかと思うと、民族音楽的メロディ、リズムを刻むという代物。フルート演奏者には、なじみの曲なんでしょうが、さほどフルートの曲を追求してない者には縁の薄い曲。プログラムで発表された曲目では、ドップラーだけでしたが、アンコールで演奏されたブラームスやメンデルスゾーンを含めて言えることは、フルートのデュオは、限りなく美しいということ。掛け合いではなく、同じリズムで和音を保ちながらのデュオは、天上の響きがごときです。マギーさんのソロでは、マルティヌーが圧巻。この人の演奏って、懐が深いというか、スケールの大きさを感じさせました。本日の秀逸は、間違いなくマルティヌー。それに対し、ヴィターリは、元来バイオリン曲ですし、4弦が並ぶバイオリンと違い、フルートは、倍音以外は、一つしか音が出せないものですから、もう超絶技巧を要求されます。ということは、それを見せる曲だということですからを、マルティヌーと同じにするわけにはいきません。ということは、この2曲を並べられたことは、正にプログラミングの妙で、持ち味の違う曲を並べ、ご自分の技を紹介しようということなのだということが判りましたが、黄紺的には、マルティヌーが勝ったなの印象を持ってしまいました。アンコールは、全部で4曲。大サービスで、会場は大盛り上がりでした。



2015年 6月 30日(火)午後 11時 15分

 今日と明日は、連続で「カフェモンタージュ」で音楽を聴く日。今日は、知ってる人は知っている名曲「モーツァルトの弦楽三重奏のためのディベルティメント」が演奏されました。組み合わせの関係で、名曲ながら演奏機会の少ない曲。ですから、今日のコンサートも、早くから予約満席になった人気のコンサートとなりました。アンサンブルの組み合わせは、バイオリンが白井圭、ビオラが小峰航一、チェロが辻本玲でした。小峰さんは、京響メンバーということもあり、カフェモンタージュでは、おなじみのソリストなんですが、白井圭さんは初登場とか。また、辻本玲さんは、お姿を拝見して、以前、こちらでのコンサートでお見かけしていることを思い出しはしたのですが、どのコンサートだったかが思い出せないままなのですが、要するに記憶には、そのくらいしか残ってなかったのですが、今日の演奏には、正直、目を見張りました。単純に言って、カフェモンタージュで聴いたどのチェリストよりも音が出ます。楽器だけの問題ではないでしょう(楽器はストラディヴァリウスです)。とにかく大きな武器であることは間違いありません。それに、大味傾向なところもあるのですが、音の掴みに鋭いものを感じました。その音の傾向が、白井さんにもあり、モーツァルトの音楽に相応しいかどうかは別にして、カフェモンタージュでは、アンサンブル大事の演奏を聴いてきた耳には、かなり刺激的な音楽が繰り広げられました。これは、かなり目新しいというところで、記憶に残るだろうコンサートとなりました。但し、バイオリンとチェロが、ちょっとぶつかるような感じも、一方でありましたから、必ずしも満足できた人たちばかりだったろうとは思えなかったところもあり、そういった意味では、スリリングな演奏だったということができるのではないかな。てなことで、明日もまた、カフェモンタージュに行くことになっています。



2015年 6月 29日(月)午後 10時 44分

 昨夜は冷え込みました。が、朝になると、ぐんぐんと気温は上昇。呆気なく真夏の気温に戻りましたが、寒暖の差が大きく、風邪をひいてないか心配。どうしても、咳喘息傾向なんで。で、今日は落語を聴く日。「守口文化センター」であった「とびっきり寄席」に行ってまいりました。米朝一門の若手噺家さんを中心にした落語会。FM-HANAKOに流れる音源の収録を目的とした落語会です。その番組は、次のようなものでした。鞠輔「兵庫船」、雀五郎「鴻池の犬」、佐ん吉「蛇含草」、ちょうば「持参金」。鞠輔の落語を聴くのは久しぶり。師匠に習った通りにするものですから、女性の噺家さんにやられると、なんか変なところも、そのままでした。そう言えばユニークなんだけど、やっぱり変ですね。雀五郎は、出番が二番手だったもので、もっと軽い噺をするのかと思っていたら、「鴻池の犬」が出てきて、びっくり。鴻池にもらわれて以後のクロの風格がたまりません。ここまで、ごっついキャラに仕上げたのは、雀五郎が初めてでしょう。そして、極めて妥当と言えます。今日は、そのキャラを聴けただけでも満足できたでしょう。とにかく、雀五郎は、ツボを掴まえるのが上手いのでしょうね。いずれの持ちネタでも、外れがないですもんね。佐ん吉の「蛇含草」、続いて当たってる実感があります。ま、季節のネタですから、やむを得ないのですが。相変わらず、曲喰いをするところで、引っ張るのに抵抗を感じてしまいました。ちょうばが、考えてもいなかったネタを披露してくれました。展開に妙があり、それをしっかり語れる喋りの力がないと、なかなかうまくいかない噺かと思っています。そないなことだからでしょうか、最近の若い噺家さんが、あまり手を着けなくなっているネタかなと思っているのですが、しっかり語り、それが入るネタを好んで手がけているように思えるちょうばに出されてみると、この手があったのかという感じで、納得できてしまいました。丁寧な語り口は申し分なく、また丁寧なテキストの補いも妥当で、これまた、今日のいいもの見っけに数えることができます。終わってみると、この3人が組むと強力だということの確認を、またまたしてしまったというところでした。





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