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もっともっと充実できるはずとの印象を受ける博物館の収納品。そこの館員の方に案内を受け、2階に上がり、しばらく見せてもらっていて、何気なくふっと窓の外を見て、声を上げずにはおれなかった。「隣にあるのは?」「キリセ(教会)だ」。そんなことは見れば分かっている。「入れるんですか?」と聞いてみる。「もちろん」。この感激は、どのように伝えればいいだろうか! ロマネスク調の教会が、これだけ見事に残っているとは。ただ、ただ、、、感動ものである。聖ママス教会という名を持つこの教会、内部には、東方教会として使われていた跡が、恐らく南北分断以前は、ギリシャ系住民が使っていただろうことは、簡単に推測できる跡が、たっぷりと残っている。イコンはもちろんのこと、更に何よりか嬉しいのは、至聖所と通常呼ばれ、非信者は入ることができないところへは入り放題。そりゃ、現在は博物館扱いなもので、入り放題は当然。祭祀を行う聖職者の使っていた祭服は、衣紋掛けに吊されたままになっている。最初に訪れたときも既に、ここだけは整備が進んでいたが、5年後に再訪したしたときは、更に整備が進み、当の博物館の真正面に、ギルネに向かう新設道路が通り、それに沿ったプロムナードもできていた。そのときは、休憩に入りたそうだった館員に対し、「ギリシャ側から来たんだ。時間がないから、すぐに見せて」なんておねだりして、教会内部を見せてもらった。やはり、ここは、いい。こんなところで、この手の教会に出会えるなんて、やっぱ、キプロスです。来たかいというものがあります。
1回目訪問に戻ろう。博物館で、ソリへ行くバス乗り場を聞く。聞いたままを、途中で不安になったら、道端の人に聞きながら歩いた道、それが、後から考えると、この町のメイン・ストリート。淀んだ風に感じた原因は、この町へは、タイムトンネルを抜けてきたかのような、10年ほど、全く時間が止まっていたのではと思わせるものがあったからだろうと思う。だから、気持ちのなかでは、早くオトガルへ、オトガルへの気持ちが働いていた。でも、今となっては、それが、なんともはや、懐かしい。再訪をしたとき、南からの越境だったので、レフコシャから離れた場合には、時間に慎重になっていたので、ゆっくりと歩き回ることはできなかったが、街並みは、残念というか、時の流れで致し方ないんだろうが、ごく普通のトルコの地方都市化していた。街の明るさ同様に、雰囲気も明るく、それも、トルコの地方都市化していた。北キプロス政府は、トルコ政府の協力を得て、この町も、また周辺地域にも、若干急ごしらえ感の残る整備を進めているように見える。考えてみれば、この町は、細長く横長の領土の、西方の拠点的位置だから、当然の如く「美しい祖国(ギュゼルユルトゥ)」作りには欠かせないポイントとなるはずですもの、ね。
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