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【番外編ヨーロッパの中のトルコ】Jペーチに残るオスマン帝国の影(ハンガリー)

(写真)
ガズィ・カスム・パシャ・ジャーミー(1)ガズィ・カスム・パシャ・ジャーミー(2)ヤコヴァーリ・ハッサン・ジャーミー

 2008年のクリスマスの日に、ブダペストに入り、そこから南下。クロアチアを越え、スロベニアを経てウィーン入りというコースを廻ってきた。ブダペスト東駅から、オシイェクというクロアチアの北東部の拠点都市に抜ける鉄道はダイレクトに通っていた。これだと、国境越えは、容易く行くのだったのでしょうが、その前に、どうしても立ち寄りたい都市があった。ハンガリーのどこを経て、クロアチア入りするかを考えたときに、黄紺の頭を捉えた町があったのです。それが、ペーチという町。この町に、オスマン・トルコ占領時代に造ったジャーミーが残っているからなのです。しかも、街の中心らしき場所に。また、他のジャーミーには、ハンガリー国内で唯一ミナレットの残るジャーミーまであるというのです。毎度お世話になっているガイドブックには、写真まで載っており、これは、どう見ても、トルコ風ジャーミーそのものなのである。これは、そそられました。これが、ハンガリー入りする前に感じていたことなのですが、まず入ったブダペストに入って、じわーっと感じだしたことがあります。確かに、著名なドナウ川沿いの王宮のような立派な歴史的建造物はあるのですが、いずれも、歴史が浅いのです。オーストリアのすぐ横という位置にありながら、中世起源と考えられる歴史的建造物が残っていないということが、気になりだしたのです。古いもので、バロック期のものというのが、気になりだしたのです。となると、答は明らかですね。オスマン・トルコによる破壊というものがあったとしか考えられません。他の地域に行けば、そういったものを発見できるのでしょうが、ことブダペストに限って言うと、まず、そういったことじゃないかとの考えにとらわれた。その上、じゃ、オスマン・トルコが破壊の上に造ったものが遺っているかというと、それも目に入らない。となると、オスマン・トルコを追い出し、そして、トルコ的なものを一掃した上に、今のブダペストがあるということになると、今の風景に納得がいくのです。となってくると、ますます興趣をそそられるペーチと、黄紺の中ではなっていったのでした。
 ペーチは、ブダペストからICが頻発している、クロアチア国境に近い都市。黄紺が、ペーチに入ったのは日曜日だったため、街中のショッピング・センター以外は、人出は少なく、必要以上に町の規模は小さく見えてしまったと思っている。この町は、「世界がっかり遺産」と、黄紺が勝手に名付けてしまったのですが、初期教会跡という世界遺産を持っているからでしょうか、旧市街のレストラシオンが、かなり行き届いている。駅から歩いて、15分くらい歩いたでしょうか、ぼちぼちと旧市街の一角に入っていく。明らかにバロック風というのでしょうか、そういった造りの家々が並びだし、その中を抜け、メーンストリートに出た途端、息を呑みました。街のど真ん中のセーチェニイ広場に面して、お目当ての「ガズィ・カスム・パシャ・ジャーミー」はあったのです。もちろん、現在は教会としての使用に供されており、ミナレットは除去され、そういう形で生き残ってきたのだ。何が感激したかというと、それこそ、形なのです。トルコのどこにでもあるような形をした、また、使われている石材の質感からして、トルコそのものなのです。しかも、その周りがおもしろいのです。周りには、一切、トルコ的なものありません。あるのは、立派なバロック調の建造物、その一角に、ジャーミー教会があるのです。このミスマッチは、すごいです。よくぞこのミスマッチを、ハンガリー人は、居心地悪くなく残したものです。トルコを歩いていると、元キリスト教会が、ジャーミーに転用されているということは、ままあるのですが、ジャーミーが教会に転用された例って、メスキータの例がありますから、もちろんないことではないことは承知していますが、黄紺的には、遭遇経験がなかったものですから、余計に驚いてしまいました。
 ペーチには、もう一つジャーミーが遺っています。セーチェニイ広場から、ジャーミー教会に向かって左方向に向かい、大聖堂も抜けると、まもなく旧城壁のあった位置に出るが、その旧城壁に沿い、坂を下がっていくと、家と家に挟まれ、とってもせせこましくそのジャーミが建っています。これが、ヤコヴァーリ・ハッサン・ジャーミー」で、ハンガリーで、唯一ミナレットの残るジャーミーなのです。こちらも、円屋根の形、壁の造り、更にジャーミーの仕様、全て、トルコ・テイストだったのです。中は、イスラーム関係の博物館になってうろちう情報もあるのですが、黄紺の行った日は、人の気配自体がしない状態でした。まあ、年末の日曜日、街自体が休眠状態でしたから、黄紺自身が、最初から諦めており、深く追求してませんので、このジャーミーが、現在、どのような使われ方をしているのか、しかとは判りません。



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