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【番外編ヨーロッパの中のトルコ】Bクロイツベルク(ベルリン)報告

 戦後、西ドイツ政府は、日本同様の高度経済成長を果たした時期、深刻な労働力不足に陥っている。日本の場合、農村から都市への人口移動でもって、この不足分を充当していくが、西ドイツの場合、日本と異なった事情を抱えていた。それは、東西ドイツへの分断という深刻な事態である。アメリカ資本の投入により、戦後復興を着実に果たしていく西ドイツに比べて、後の時代ほどではないが、成長のスピード的に遅れをとった東ドイツからも、その労働力の補充がなされていくが、その事態を深刻に受け止めていく東ドイツ政府は、着実に「ベルリンの壁」設置に象徴される東から西への人の移動を拒否をしていく。結果的に、西ドイツに深刻な労働力不足が現れたわけである。そこで、西ドイツ政府は、政策的に、他の国の余剰労働力呼び込み策を執っていく。政府間交渉という外交的努力により、この事態の打開を図っていくのである。その対象となるのが、ヨーロッパの南の国々、即ち、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガル。これを見ると、さながらヨーロッパの南北問題である。東ヨーロッパからは、旧ユーゴ、それに、北アフリカ諸国、プラス、トルコである。送り出す方は、逆に、仕事のない地域として括ることができよう。
 以上のようなわけであるので、ここで移入してきて、その後帰らなかった人たち、最早、この時点で、「出稼ぎ」ではなく「移民」と呼ばねばならない人たちの居住地は、基本的には、旧西ドイツ政府管轄地域とならないと、辻褄が合わないのである。よく、ベルリンには、ドイツ最大のトルコ人居住地があると、ものの本に出てくる。一般的なガイドブック「地球の歩き方〜ドイツ編〜」には、その紹介も出ており、不親切ではあるのだが、一応、最寄の駅名まで記載されのている。また、高校の「地理」の教科書には、クロイツベルクという名前までは書いていなくとも、ベルリンには最大のトルコ人街があって、ベルリン在住のトルコ人は13万人との記載まである。ここまで書かれると、「ドイツ在住トルコ人探訪の旅」の第1番目として、クロイツベルクを選ばないわけにはいかないのである。
 まず、そのクロイツベルクの位置である。かつて、壁がどのようにあったのか、正直、もう15年の歳月が経過した今、初めてベルリンに立つ者には、よく分からなくなってきているが、浅薄な知識として、少なくとも持っている知識として、ブランデンブルク門が、東西ベルリン分断の象徴的な場所というものがある。そのあたりでは、壁は、南北にあったはずである。ブランデンブルク門から東に伸びる大通りが、ベルリンの栄華の中心ウンターリンデン通りである。その壁が、もう少し南に下がると、東に延びていく。今のUバーン15号線のラインあたりだろうと考えている。それを超えて、都市の中心を意味する「シュタート・ミッテ」駅となると、その上は、もう旧東ベルリンだ。その「シュタート・ミッテ」駅から南へ、途中、Uバーン15号線を超えて3つ目の駅、それが、クロイツベルクの最寄り駅「メーリングダム」だ。この路線が、Uバーン6号線だが、南に延びるこの6号線の東側に、旧東ベルリンのテンペルホフ国際空港がある。ということは、お分かりでしょうか? 壁が、鋭角的に曲がるコーナーに抱かれるようにしてある地域、クロイツベルクの位置は、そのように言うことができるのである。
 実際、「メーリングダム」に降りてみる。全くもって分からない。普通の大通りである。まず、「メッケルンブリュッケ」駅方向に歩いてみる。それらしき光景に行き当たらない。比較的近いので、知らない内に件の駅前に出てしまう。その駅に、明らかにトルコ人経営と見えるドネル屋が1つ。目を駅前に移すと、えらく瀟洒な駅前。文化会館っぽいものが建っている。駅の向こう側には、ちょっと良さげなマンション群も垣間見えている。そこに現れたカパルの女性陣を含むトルコ人一家を乗せた車1台が駅前に駐車。出てきた家族は、駅前の静かなスーパーマーケットに消えていった。これは、きっと、トルコ食材を売る特別なマーケットと期待しながら、彼らの後から入ってみると、そこは、普通の食材を売る大型店。駅の向こうにも、確かにカパルの女性を含むトルコ人が歩いている。ベビーバギーに子どもを乗せたトルコ人女性も。でも、普通のマンション群に、その姿は消えていくだけである。どうも合点がいかない。私の頭の中には、ドネル屋が並び、香辛料屋やチーズ屋があり、コーラ・テュルクを売っているバッカルが並んでいる、そんな光景が待ち構えてるのに、そんなものが見当たらないからである。で、「メーリングダム」駅方向に引き返し、今までと反対側へと歩いてみる。「メーリングダム」駅の南西からだ。歩を進めるにつれ、小奇麗なカフェが、夏のことなので、道端にテーブルを広げている。その小奇麗度さが、徐々に増していく。その中に1軒、店前に、ダンボール箱に入れた果物を入れた八百屋発見。この並べ方、やっと、私のイメージに合うものが出てきた。まちがいなく店の親父の顔は、トルコ人だ。そう思って、その隣の店を見ると、ガラス戸に、トルコ語が記されている。どうやら、生活用具を扱う会社みたいだった。でも、歩を進めると、小奇麗度さは、ますますアップしていく。「メーリングダム」駅を南に歩いて2つ目の大きな通りが、「クロイツベルク通り」だ。これが、文字による確認であり、方角的にはこちらであったんだとという確信は持てたのだが、そして、すれ違う人らが、トルコ語を喋っているという頻度は増えたのだが、視覚的には、まだ確信していない、私は。次に、「クロイツベルク通り」を西に入ってみる。そこで出会ったトルコ的店は、2軒。その内の1軒は、会社っぽかったし、もう1軒は、トルコ食・ドイツ食両用のお店でしかなかった。とってかえして、「クロイツベルク通り」を東に歩く。ここは、次の大通りまで、お洒落度は最高点のスポット。トルコ関係一切なし。替わりに、「シュワルマ」なんて書いて、ドネルじゃなくなっている。だが、次の大通り、ここまでは、「メーリングダム」駅に行く大通りから、12〜3分は歩くのだが、その大通りが、私が歩いてきた道に突き当たっている。その突き当たりに、野菜・果物が、箱に入れて並べてある。一見して、周りのカフェが並ぶお洒落な店構えとは異質である。ただ、その箱の広げ方が、少し遠慮がちなので、少々疑い加減で、店の上を見る。確かに「サトゥジュ」とだけ出ている。間違いなくトルコ・マーケットである。やおら、店の中に入ってみる。間口に比べて、奥行きはかなりのものだが、入り口が小さいものだから、中の様子は、外からはよくは分からなかったが、一歩中に入ると、そこは、間違いなくトルコ食材だけを扱う店だったのだ。ここに始まるが、私は、この後、トルコ人街か否かを、臭いで判断していくようになるが、正に、嗅ぎ慣れた香辛料のそれだった。チーズのような生もの系のみならず、クッキー1つにしろ、すべてトルコの会社の製品のみを扱う純正トルコ食材屋さんである。買い物に来ている人たち、店の人、皆がトルコ人だし、従業員の話している言葉も、トルコ語である。初のトルコ食材屋さんに入った記念に、コーラ・テュルクを1本買って出てきた。
 このマーケットの正面に延びている大通りが、Uバーン7号線「グナイゼナウス通り」駅にまっすぐ至る道である。すぐに目に飛び込んでくるのが、角を曲がったところにある「オズ・テュルク」と、店の上に掲げた看板。店の正面には、看板代わりにもなるドネル・ケバブの機材が置かれ、まだ残ってることを示す肉が、いつでも削がれる状態となっている。ここは、一見して、ドネル・サンドのみかと思えるような店の感じだったが、実際に中に入ると、ターゼ・ファスルエやセブゼ・ケバブのような煮込みから、アダナ・ケバブやシシケバブの串刺しにして用意されたものが、冷蔵庫兼用のガラスケースに置かれているというトルコのロカンタでのおなじみの光景を目にすることができた。これと、同様といえる店が、「グナイゼナウス通り」駅間近に、もう1軒ある。ここは、ドネルとチョルバと書き出したものが、店に入ると、目に飛び込んでくる。この店で、「クロイツベルクは、トルコ人がたくさん住んでると聞いたから来たんだ」と言うと、店の主人、「そうさ、そこに座ってる親父も、あすこのおばさんも、皆、トルコ人さ」という答えが返ってきた。そんなことをトルコ語で話していると、その横にドイツ人が、ドネル・サンドを買って帰っていく。店の親父との会話は、ドイツ語である。この店の斜め前15mほど引き返したあたりに、アンカラなんとかと表記した小ぶりの店が、もう1軒。こちらは、ドネル専門店という感じだった。で、歩き回って見つけたものは、これだけだった。小奇麗な店が並びだしてから、実は、この「グナイゼナウス通り」駅に至るまで、タイ料理の店なり、チベット料理の店なり、いわゆるエスニック系のレストランが結構あり、そういったお店が、お洒落度を高め、若い人たちを引き寄せている、そんな感じの地域と書けば、このあたりの雰囲気を、最も正確に表していると言っていいと思う。そういう中に、「サトゥジュ」という名のトルコ・マーケットだけは異質だが、その他のレストランは、この雰囲気に嵌まり込んでしまう店なのである。数が飛び切り多いわけではない、むしろタイ・レストランの方が、数では勝っているかもしれない。これが、クロイツベルクの表通りから伺えるトルコの様子である。後に見ることとなる、ハノーファーのシュタイントーレのトルコ人街とは、雰囲気が、全然違う。この街を、トルコ人の家族連れが、若者が、親父が、おばさんが歩いている。どうも、考えていたイメージとは違っていた。表面に出てこないこの現象を、どのように考えたらいいのだろうか? まだ、歩き足りないのかもしれない。もっとクロイツベルクについては、詰める必要がある。
 ヒュリエット紙の報道によると、2004年1月9日、ドイツを訪問したエルドーアン首相が、このクロイツベルクを訪問したということである。「小イスタンブル」であるクロイツベルクを初めて訪問したトルコの首相ということである。EU加盟問題で訪独したさいのことである。ある意味では、EU加盟がままならないトルコの地位を示すパフォーマンスかもしれない。それもこれも、クロイツベルクに住むトルコ人の状況によって、その捉え方も変わってくるだろう。どうも、黄紺には混乱が生まれたクロイツベルク探訪であった。ステレオタイプにはいかない、これだけは分かって帰ってきたのである。





【番外編ヨーロッパの中のトルコ】Cトルコ語は国際語(ドイツ)

 今日、インターネットの広まりで、英語が、ますます国際語化しているが、トルコ語も、自分的には、そんな役割をしていると思えるのである。イランを歩くと、テヘラン以西では、トルコ語で行けるとか、そんな話を、Ayさんに教えてもらったことがるが、もちろん、それは、アゼリたちが、その地域では多いということなんだけど、ここで書こうとしているのは、そういったトルコ系民族が多数住んでいるところではなく、ドイツに移民化したトルコ人・クルド人が多いということにより、こんな風に言ってもいいんじゃないという、実体験に基づくお話である。
 ドイツに、ブラウンシュヴァイクというハインリッヒ獅子王ゆかりの中世都市がある。ティル・オイレンシュピーゲルの生まれた町と名乗りを上げているところでもあるので、1度は行ってみたいと、トルコ的関心とは別に、この町に入ったのだが、いかんせん、この町についての情報が少ない。少々、戸惑いながらも、中央駅前から、市庁舎方面へ行くトラムに乗ると、10分もしない内に旧市街の中心部に着く。観光をするなら、この辺りだと、トラムを降り、まずはホテル探しに取り掛かる。1つには、黄紺の見誤りもあったのだが、この町、なかなかホテルが見つからない。ホテル探しをしている間に、本来なら、のんびりとぶらつきたい中世都市のなかに、どんどんと入り込んでいくが、ホテルの看板、そんなのを伺わせるものが出ていない。こういうことが、ときとして起こる。飛び込みでホテルを抑えるのが普通の黄紺にとって、情報がないと、こんなことが起こってしまう。そして、こういうときは、あとから考えても、探し物から外れて外れて歩いているものである。それにしても、目玉があるにもかかわらずホテルの少ない町である。30分以上探して、ようやく1件が見つかるが、レセプションに入り、いくら声を上げても、誰も出てこないという椿事が発生。わけがわからなくなり、また、ふらふらと歩き出す。ん? 目の前に、ドネル屋があるではないか。丁度、店の前まで来ると、また、タイミングよく、店の中から、この店の主人が、ふらふらと出てきた。思わず、「あんた、トルコ語、分かる?」、件の主人、黙ってうなずく。「この辺に、ホテルがあったら、どこにあるか、教えてよ」、すると、「そこの白い建物が、ホテルだよ。横の道に入口があるから、そっから行けば」と教えてくれる。ここまで、全然、見あたらなかったので、慎重になっている黄紺はたたみかけるようにして、「他にもあったら、教えといてよ」と尋ねる。「市庁舎の後側に1件、その近くに、もう1件ある」と言い、そこからの道筋を教えてくれる。「見つからなかったら、また、市庁舎の近くで聞いてみます。ありがとう」と言って別れる。結局、そのドネル屋の前のホテルは、少々お値段が良すぎたため、市庁舎裏のホテルに泊まることになるのだが、これは、有り難かった。感謝の気持ちを伝えたくて、投宿したあと、まずは、お礼方々、ご報告に行き、ついでにウスパナックのピデを食べてきた。
 黄紺は、これに、完全に味をしめてしまった。そして、また、困ったときに、うまい具合にトルコ人の店なり、オフィスに出くわすのである。ま、それだけ、多くのトルコ人たちが、ドイツの街角で、店を構え、オフィスを持っているのである。同じブラウンシュヴァイクで、黄紺は、この町にフュルメールの作品を所蔵しているという美術館、アントン・ウルリッヒ大公博物館に行こうとしたら、どうも観光案内所でもらった地図の読み方を間違ったようで、とんでもない方向に歩いていた。それに、どうもおかしいと気づきだした、丁度そのとき、黄紺の目に飛び込んできたのが、「THY」の文字。トルコ航空の航空券を扱ってますの看板をつけた旅行社のオフィス。これは、間違いなくトルコ人が経営者だと思った黄紺は、オフィスにずかずかと入っていって、「トルコ語で、話していいっすかぁ?」、ちょっと驚く旅行社の人、だけど、黄紺が、「アントン・ウルリッヒ大公博物館へ行く道、教えてください」と言うと、急に表情が和らぐ。にこやかに丁寧に、更に、オフィスの前まで、黄紺を連れだし、もう1度、方向を指さし、「この道をまっすぐ行くと、四つ角があるから、そこを左に曲がり、その次の四つ角を、今度は右に曲がり、、、、」と、とっても分かり易く丁寧で、にこやかに教えてくださった。ところが、歩き出して、黄紺の頭の中で、「?」、、、あっ、そか、今の「四つ角」、トルコ語じゃなくって、ドイツ語だった! 知らない内にチャンポンになていた、但し、一語だけ。
 ますます、味をしめる黄紺。ドイツ語や英語の不得手な黄紺は、これに、味をしめてしまった。こりゃ、困ったときは、トルコ語喋れる人のところへ行けばいいんだ、ましてや、トルコ人らしき人、いくらでもいるんやから、これって楽勝、もう、ドイツ心配なしの気分になってしまったのだ。ブラウンシュヴァイクのホテル探しにまいった黄紺は、情報がある限り、それを基に歩くことに方針変更。行き当たりばったりで動くと、必ずしも満足な結果を得られないと判断、ハノーファーでは、もう、狙いを定めていたホテル探し。ところが、今度は、地図通りに行ってもみつからない。地図通りに行くと、目の前に、またしてもドネル屋が現れた。なんか、こうタイミングがよいと、待ち構えられているみたい。「聞きたいことがあるんだけど、、、」「?」「聞きたいことがあるんだけど、、、」、聞かれた相手は、黄紺が喋ってるのが、即座にトルコ語だと判断していないのが分かる。黄紺は黄紺で、トルコ語の分からないトルコ人が出始めているという知識があるものだから、瞬間、ひるむ。分からないんか、戸惑っているのか、どっちなの、はっきりしてくれ。が、相手の表情が崩れる。ホッとして、「○○ホテルって、どこ?」、分からないらしく同僚に聞いてくれる。彼も分からないらしく、黄紺を、店の前に連れだし、今いる場所の説明をしてくれる。「あすこに、地下鉄の駅があるんだよ」「えっ、なんていう駅?」「シュタイントーレ、あんたの探してるホテル、なんだったっけ?」「○○ホテル」「ごめん、分からないなぁ」「じゃ、自分で探すわぁ」と、目印が分かったので、礼を言って別れる。でも、黄紺が道を尋ねて、聞かれた方が分からなくって、「ごめん」という言葉を使った初めてのトルコ人で、とても印象に残ってしまったのです。そして、この地下鉄駅を教えてもらい、その入口に向かったことが、シュタイントーレとの出会いであり、また、当のホテルへの道を知るきっかけとなったのである。
 ここまで、3つの例を挙げてきた。黄紺が、トルコ語が国際語と言うわけを分かってもらったと思う。トルコ語が分かれば、そのトルコ語を使い、ドイツは縦横無尽に歩き回ることが可能なのである。それだけ多くのトルコ人なり、クルド人が、ドイツで生活をしており、そして、彼らのコミュニティーでは、トルコ語は生きているのである。それを活用させてもらわないわけはないのである。 Bへ戻る







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