写真集へ 初のフランス編の登場である。しかも、ブルゴーニュという地域限定のフランス編である。これから書く内容は、恐らくフランス全体に当てはまるのではと、黄紺は予想はしているが、なにせ知っているのは、正にブルゴーニュ界隈だけなので、地域限定型レポートとさせていただく。念のために書いておくと、「ブルゴーニュ界隈」としたのは、リヨン、ラングレ、サン・テチエンヌは、僅かながらではあるが、ブルゴーニュの外になるからである。 ヨーロッパを歩くと、ヨーロッパに住むトルコ人が、どんな風なのか、また、できれば、その地域でのトルコ料理店が、どのようなトルコ料理を、もちろん「トルコ」を看板に掲げて出しているか、そんなことが気になって仕方がない。従って、その関係のものを発見すると、まず、カメラに収め、できれば暖簾をくぐるじゃないけど、どんなものを出しているか食べてみたくなる。で、ブルゴーニュ界隈では、どうか? 見事に、ドネルジはあっても、煮込みなどを出してくれる生粋のトルコ料理店とは、出会わなかったのである。ドネルジの詳細については、あとで記すことにして、シャロン・シュル・ソーヌというディジョン=リヨン間では、最も大きな町で、1軒のドネルジ(写真集「シャロン・シュル・ソーヌ(2)」の前に置かれている看板に、「イスケンデルン」と書いてあったので、ここまで、ずっとドネルジは見たけれど、こういった食材を、ついぞ見ていなかったので、夕飯時に飛び込んで、「イスケンデルンが欲しい」とトルコ語で言うと、店主は、こちらの意図を見透かしたように、「トルコのとは、違うよ」「えっ? じゃ、どんなの?」「パンに挟んで出すんだ」。とまあ、こんな具合で、もろくも黄紺の生粋トルコ食ゲットは、失敗してしまった。だから、リヨンからの帰りに拠ったウィーンで、きっちりイスケンデルンを食べたのでありました だから、ブルゴーニュ界隈のトルコ料理店は、見事に画一化されたドネルジである。看板も、写真集でご確認いただきたいが、それを知らせるものとして、「KEBAB」が使われている。そして、画一化した図柄の「ドネル」が看板として掲げられている。また、これは、フランスのレストランやホテルの習慣であるが(というか、法的に義務づけられてるんじゃないかと推量していますが)、表に、必ず料金表が出ている。ラングレ(2)は、実際に撮ってきたものである。また、マコン(3)をご覧いただければお分かりのように、日本の食堂のメニュー模型まではいかずとも、メニューが「写真入り+お値段入り」で、表に出されている。これは、普通のレストランでも、メニューがお値段入りで、表に出されており、客は、それを眺めながら、入る店を決めているから、全然、違和感のない光景である。メニューは、大きく分けて、2系統である。1つは、ドネルやキョフテをパンに挟む系統と、もう1つが、「アシレット」系である。ちょっと見にくいが、写真集リヨン(2)の上段が、パンに挟む系統、下段が「アシレット」系だ。パンに挟む系を頼むと、必ず「ソースは、何にしますか?」と聞いてくる。マヨネーズと、ケチャップと、チリソースが用意されている。一方、件の、シャロン・シュル・ソーヌのドネルジで、「アシレットって、何?」と聞くと、「タバクや」と言ってました。お皿に盛りつけて出てくるものという意味である。「典型的なアシレット」は、ドネルとサラダ、それにフライドポテトが盛られて出てくる。そのシャロンでは、メニューにはないんだけど、「スジュックがあるよ」との店主の言葉に飛びついた次第で、思わず別れしなに、その店主に、「フランスで、スジュックをを食べられて、とっても嬉しいあるよ」と感謝の言葉をたれてしまいました。肝心のお値段は、ランゲレ(2)で、分かっていただけると思う。他の普通のレストランに入るより、エコノミーなのである。ホント、ドネルジは、「安くて、美味しくて、おまけに量が多い」のである。だから、場所さえ悪くなければ、繁盛している。売れ筋ファーストフードのお店となっている、そんな印象を持ったし、黄紺自身も、これに随分と助けられた。普通のレストラン入って、コーヒーとグラスワインぐらいつけると、もうそれで、15〜20ユーロはいっちゃうんだから、それを考えると、ホント助かりました。 次ぎに、ドネルジで働く人たちは、どんな人だろう。シャロンで、スジュックを出してくれたドネルジとは、ちょっとばかし世間話をする時間があったが、彼の場合は、フランスへ来て3年と言っていた。それまでイズミルにいたんだけど、結婚してシャロンに来たと言っていた。彼は、店に来る客に、トルコ人だと確証がなくとも、そうだと思えば、さりげなく客が出て行きしなに、感謝の言葉と別れの挨拶を、トルコ語で言っていた。ディジョン(6)では、用事もないトルコ人が溜まっていた。だといって、全ての店でそうかというと、むしろ溜まってる方が、少ないような印象すら持っている。トルコ人も来るし、フランス人も来る、店の者は、誰がトルコ人で、誰が、そうではないかを心得ているようで、トルコ人客が入ってくると、トルコ語で応対をするという感じだった。マコン(3)は、場所がいいこともあり、とっても流行っていた店だったが、まさにそういう感じだったが、黄紺が、トルコ語で注文出しても、それに馴染んでくれなかった。言ったことには応対してくれるが、返事を返してくれないのである。ここだけは、掴みかねている、その心を。また、ディジョン(4)の右側の店など、全くフランス語しかだめだった。黄紺は、トルコ語で話しかけているのに、応答は、全てフランス語。それも、黄紺の言うトルコ語の単語だけを捉えての反応だった。顔は、どう見てもトルコ人としか思えない少年だった。その一方で、リヨン(3)で働くドネルジは、どう見てもフランス人。オーナーは、どう見てもトルコ人という風情。あまりいい場所ではなかったが、この店、えらく流行っていた。そのどう見てもフランス人の彼との応対がおもしろい。「ドネル、欲しいんだけど」「ポテトも付けてよ」「飲み物はコーラがいいな」、一応、これ、全部トルコ語での注文なのである。ま、簡単なトルコ語だからということもあるからかもしれないが、全部、通じている。その都度、彼は、「ウィー、ムッシュ」だの「メルシー・ムッシュ」と繰り返していた。あとから考えると、摩訶不思議な応対をしていたものだ。 とにかく、美味しいものだから、フランスを離れる日が近づくと、フランス料理も食べなきゃならないわ、ドネルジに行かなければならないわで、もう大変。考えてみれば、世界の3大料理とか言われてるもののなかでのチョイスを迫られてるんだから、この葛藤は、正に故ある葛藤だったのかもしれませぬ。
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