トルコでイタリア・オペラを観る、何かミスマッチのような響きがするが、トルコは
AB(EU)への加盟を長年夢見ていることからも分かるように、ヨーロッパの一員と
しての意識が強いことも事実である。従って、政府の文化政策として、また一つの教養
として、西欧風文化は立派に足場を持ち、そのスタンスは西欧各国と軌を一にしている
と言っていいと思う。即ち、オペラやバレエ、オーケストラから演劇まで、国立の運営
組織が整備されており、財政的援助も積極的に行われているのである。僕の場合、トル
コに住むためには、このような音楽会なり、芝居見物なりの楽しみがないと、到底我慢
できないという性分なので、観光地を巡り歩くというよりも、そのあたりを徹底検証す
るために、トルコを歩くという方に、自分のスタンスが移りつつある。
まずは、イスタンブールのシティライフを満喫するために、音楽会などが頻繁に催さ
れているという情報を得たタキシム広場に面するアタテュルク・クルトゥル・メルケ
ジ(アタテュルク文化センター)へ、とにかく出かけてみた。おりしも丁度音楽会が、
その日も開かれているらしく、続々と聴衆が集まりだし、1階のクロークにコートなど
を預けている。なかにはいずまいを正した紳士淑女もいることはいるが、どちちかとい
うと日本の音楽会の雰囲気に近い。その会館自体も、西欧のオペラハウスのような威風
堂々の外観及び内装ではない。とりあえずは一安心である。その日は、他に予定があり、
音楽会に入るつもりはなかったが、思い切って、その辺の係員にチケット売り場を尋ね
る。なんてことはない、そのホールの一番端っこに、全く死角覚になった所に窓口があ
った。そこは、国が主催する音楽会、オペラ、バレエ、近くの国立劇場での公演、また
そのホールで行われる他の公演の前売から当日売りまで、一切合切を取り扱っているの
である。その上、日本では普通だが、トルコでは珍しくも、公演スケジュールのパンフ
レットが用意されており、向こう3ヶ月については、それを見れば大丈夫という具合で
ある。トルコではセゼン・アクスのようなスーパースターのチケット購入は半端ではな
いとの話を聞いたことがあるが、どうやらクラシック音楽のチケット争奪戦は、激しさ
を伴わないようである。これも、西欧風である。余程のスター歌手が揃わない限り、チ
ケットは当日買えるものだと言うが、ここイスタンブールでも、同様なのだろう。僕は、
お目当てのオペラ「アドリアナ・ルクヴルール」のチケットを前日購入したのだが、当
日になっても、チケット売り場に寄ってから会場に入ってくる人たちも多く、それが当
り前なのだと思う。他方、僕の近くでチケットを購入した学生さんらしい女性は、半月
も後のオペラ公演のチケットを買っていた。たまたま近くを通り過ぎたのか、どうして
もこれだけはという思い入れがあったのかもしれない。因みに、彼女の買ったのは「ト
スカ」のチケットだった。なお僕の買ったチケットは、一番良い席で、1OO万トルコリ
ラ、即ち650円であった。いかに政府の援助が大きいかが分かろうというものである。
僕の観たのは、土曜日だったのでマチネーで、午後3時開演だった。平日だったら、午
後8時開演である。オペラだったら、間違いなく11時を過ぎるだろう。これも西欧風で
ある。イスタンブールには、国立オペラという組織はあっても、国立オペラハウスはな
い。先述のアタテュルク・クルトゥル・メルケジは、所謂多目的ホールで、オペラの
ときは、オケピットが作られる仕掛けになっているのだろう。外国での初めてのオペラ
体験だったので、久しぶりに胸わくわくでホールに入っていく。チケットをもぎられて
階段を上がると、右手に少し人集りがある。そこで本日のキャスト・あら筋の入った公
演プログラムが売られている。金20方トルコリラ(130円)也である。ホールの状態は、
機能性を重んじた、逆に言えば装飾の乏しい、どちらかと言えば質素な感じすらする。
今シーズンの案内のポスター、有名歌手のポートレートが飾られている程度である。又
、一隅では、飲み物が販売されている。最近日本のホールでも増えてきたものである。
これも西欧風なのだろう。客席も、何ら特徴があるわけではない。日本の平均的なホー
ルと同じだろう。キャパは、1.2階合わせて、1500〜1800人というところか。トルコ
人にとっても、料金はお手頃なのだろう。席は前から詰まっていっている。2階には、
ほとんど客は入っていなかった。従って客層も様々で、きっちりとした身なりの人たち
や、家族づれから、若い人たちの中には、ジーパン姿の人を何人か目にすることができ
た。だが、舞台上の装置は、随分と大がかりで、明らかにお金を惜しんでいないし。何
がいいと言っても、主役級の歌手の水準の高さである。ときとしてトルコ語で歌うこと
が多いと、日本に帰ってから、トルコ人に教えられたが、その日は、まぎれもなく全編
イタリア語で通された。当日の出演者のなかに、人気の歌手がいたらしく、僕は、その
人はいい出来とは思わなかったのだが、最後のカーテンコールでは、一段と高い拍手を
受けていた。それを除いては、聴衆の反応も地味で、普段街で出会うトルコ人とは、ま
た別の社会のトルコ人に出会った思いがした。3時間余りの夢世界と別れて、ホールか
ら一歩外へ出ると、いくらタキシムとは言え、そこはトルコ。あの喧騒が待っている。
余りにもの落差に、暫し茫然とせざるをえなかったのである。
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(注)この後、モーツァルトの「後宮よりの逃走」を観ている。トルコが舞台のオ
ペラだが、西欧で上演されるときには、太守役はでぶっちょだったりで、少々お
かしさを姿形で表現するが、イスタンブールでの上演の太守役は、すらっと背が
高く、とてもかっこいい歌手が演じていたのが、印象的である。その日は、演目
が、上記の「アドリアナ・ルクヴルール」に比べると馴染みがあるのか、客席は
大入りで、また、トルコ語の字幕が、舞台の更に上に出るようになっていた。夜
の11時半頃に終わって、タキシムからカドゥキョイまで、ドルムシュで帰るのも、
なかなかいいものである。
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