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【トルコ編】Pトルコ音楽事情

 トルコヘ行ったとき、自分への土産にするものと言えば、どこの国へ行ってもそうな のだが、音楽テープを買って帰ることである。特に、トルコの場合は、僕の場合、情報 が豊富にあるものだから、1度に15本前後のデープを買って帰る。そこで先ず、トルコ 音楽について、少し講釈をしよう。
 日本にも様々な音楽のジャンルがあるように、トルコの場合も、同様である。一方の 極に、伝統音楽のスタイルがあり、また一方の極に、全世界どこの国のものか判別不能 のスタイルがある。そしてその間に、クロスオーバーした様々なジャンルが生まれてい る。要するに両極のスタイルが、どの程度の割合で混ざっているかによって、雰囲気が 変わってくると言っていいだろう。先ず伝統音楽に欠かせない楽器というのが、サズで ある。トルコ風ギターと言えぱいいだろう。これの弾き語りは、それだけで一つのしっ かりとしたジャンルを築き上げており、若い人たちにも、大きな支持を得ており、街中 を歩いていても、店先からよく流れてくるものの一つである。またサズと根本的には同 じ構造で、低音を出す、要するにサズよりは、少し大振りの楽器がウードである。管楽 器では、日本のチャルメラに似た音を出すズルナというのがある。これなどは、我々に とっては、かなり異国情緒豊かなものである。ピアノ状の弦を独特の撥で叩きながらメ ロディーを奏てるのが、カヌーン。なかなか素敵な音がする。今、上げたような楽器を 中心として、オーケストラが編成されていく。これらだけだと、伝統音楽の演秦となる が、これに、西洋音楽の楽器が加わっていくと、ごく普通のポピュラー音楽となってい く。日本の演歌のバックバンドに、三味線や尺八が入ってくる図を想像してもらえぱ、 十分である。但し、トルコの方が、伝統楽器が占める割合は、かなり高い。それこそポ ップな曲の中にも、堂々と入り込んでくるし、こぶしを回すような、まるで日本の演歌 のような歌い方が入り込んでくる。その入り込み方が最も強いジャンルを、アラベスク と言う。そのまま訳せば・「アラビア風」ということになる。これは、実に濃い。最も 我々が、異質性を感じてしまうものであり、そのため最も興味を引かれてしまうもので ある。トルコ旅行中に・このジャンルの代表的歌手(全てと言ってもいいが、アテペス クの歌手は、髭をはやしている)イブラヒム・タトゥルセスのライブ、それもイスタン イブラヒム・タトゥルセス(左)とマフスン・クル
ムズギュル(右) ブールの古城跡でのライフを、テレビが流しているのを見たことがあるが、観客が総立 ちで乗りまくっており、しかも若い人たちが圧倒的に多い様子を見て、驚いたことがあ る。また、このアラベスク音楽というのが、街の店先から流れてることが、最も多いこ とを考えると、多くの人たちに根強い人気をもっていると考えていいだろう。最近元々 このジャンルの歌手ではないが、こちらへの接近を見せてきたとの評判があるのが、ト ルコ音楽の女王様、セゼン・アクスである。「ミニ・セルチェク(小さな雀)」との愛 称がある彼女の歌を一度、ぜひ聴いてみてください。歌がうまくて、歌に風格がありで、 毎年夏のアナトール・ヒサール(イスタンブールのアジア側の城)でのコンサートは、 一度でいいから行ってみたい。もっともトルコでも、プラチナチケットなので、僕なん かに、そうは簡単に手に入るわけはないのだが。
 では、音楽情報の収集は、どのようにするかである。一つは、トルコ通の友人間の情 報交換である。次に、トルコヘ行くと、毎朝7時台から8時台のアニメ、それもほとん ど日本のアニメが流れるまでの間は、多くの局でビデオ・クリップを流している。それ を聴いていて、いい物をメモしておく。もっとも、その機会を逃しても、1日中ビデオ ・クリップばかりを流している局もあるので、そこでチェックをすれば十分である。も う一つは、コンサート情報を記してある雑誌や新聞記事から、ピックアップできる。但 し、こちらの場合は、現物を聴いてないので、当り外れがあることを覚悟の上だが。そ して最後に、前回トルコに来て買って帰ったものから、良いと思ったものをチョイスし て、同じ歌手の古いアルバムや最新のアルバムを買い揃える方法である。最後の方法を 採り出すと、必然的に1回のトルコ旅行で買うカセットの数は、どんどん増えるばかり である。先に上げた二人の歌手のCDなどは、日本盤も出ていたり、輸入盤も置いてあっ たりするのだが、やはり値段が違い過ぎるので、どうしてもトルコで買ってしまう。ト ルコでは、世界の多くの国がそうであるように、音楽ソフトは、カセットテープが主流 である。CDはあることはあるのだが、まだまだイスタンブールのような大都市でないと 売られていない。売られていたとしても、カセットと両方置かれている。まして中小都 市では、間口の狭い、そして店の壁全てに、カセットが陳列されている狭い店で買うか、 路上の屋台の上に並べられているカセットを買うか、屋台にも並べられておらず、路上 に並べられてあるものを買うかである。路上に並べられてあるものは、最初バッタ物か と心配していたが、別段他の店のものと変わらないので、値が安いこともあるので、欲 しいもの、探しているものがあれぱ、そういう場所で買うことも結構ある。但し、種類 が少ないので、こちらの思うとおりにはなかなかいかない。また、買いたくても旅行期 間の初期に大量に買ってしまうと、荷物が重くなる一方なので、諦めてイスタンブール までとっておくことが、しばしぱある。これだけは、仕方がない。なんせカセットだけ ではなく、旅行期間中に買った新聞も、全部持って帰ろうとするものだから。だから、 イスタンブールに戻ってくると、必ずヨーロッパ側の新市街にある目抜き通りイスティ クラル通りに、カセットを求めこ繰り出す。このあたりの店は、立派な店になる程、共 通した特徴を持っている。即ち、本屋と音楽ソフト屋が、同じ一つの店なのである。専 門書ばかりを扱っているABC(「アーべ一ジェ」と読んで下さい)という本屋などは、 さすが音楽ソフトは置いてないが、一般書中心の本屋は、ことごとく兼ねているのであ る。もちろん、ここいらへんは、CDも置いてくれている。
 トルコの音楽業界で言われ出していることだが、ヒット曲の息が、以前にも増して短 くなってきていることは、事実だと思う。ミルケラムの「ヘル・ゲジェ(毎晩)」のよ うなスーパーヒットが出ても、今や、1年も歌い続けられるということはないだろう。 そうは言っても、日本のこの業界と比べれば、まだまだ息が長いことは間違いない。そ こで僕の楽しみが、一つ生まれてくる。情報を掻き集めるとき、これからヒットしそう な曲に狙いを定めるのである。もちろん自分が気に入らなければ除外するが、そのよう なカセットを買い求め、次回トルコヘ行ったとき、それがどの程度トルコで受け入れら れているか、それを見届けるのである。まことにマニアックな楽しみ方かもしれないが、 これも、今の僕にとっては、トルコヘ行くことの、大きな喜びとなっているのである。
  (注)「ヘル・ゲジェ」が出てくるので、95年に書いたのだろうか? ちょっと自
   信がない。セゼン・アクスの様子も、その頃かな?と思う。カセットからCDへも
   随分とシフトしてきたかと思う。最近、イスティクラルでカセットを買うという
   ことは、ほとんどない。「高い」からである。なお、音楽事情については、Ayさ
   んのサイトに、詳細にわたってレポートされてますので、そちらをご覧下さい。   





【トルコ編】Qトルコでイタリア・オペラを観る

 トルコでイタリア・オペラを観る、何かミスマッチのような響きがするが、トルコは AB(EU)への加盟を長年夢見ていることからも分かるように、ヨーロッパの一員と しての意識が強いことも事実である。従って、政府の文化政策として、また一つの教養 として、西欧風文化は立派に足場を持ち、そのスタンスは西欧各国と軌を一にしている と言っていいと思う。即ち、オペラやバレエ、オーケストラから演劇まで、国立の運営 組織が整備されており、財政的援助も積極的に行われているのである。僕の場合、トル コに住むためには、このような音楽会なり、芝居見物なりの楽しみがないと、到底我慢 できないという性分なので、観光地を巡り歩くというよりも、そのあたりを徹底検証す るために、トルコを歩くという方に、自分のスタンスが移りつつある。
 まずは、イスタンブールのシティライフを満喫するために、音楽会などが頻繁に催さ れているという情報を得たタキシム広場に面するアタテュルク・クルトゥル・メルケ ジ(アタテュルク文化センター)へ、とにかく出かけてみた。おりしも丁度音楽会が、 その日も開かれているらしく、続々と聴衆が集まりだし、1階のクロークにコートなど を預けている。なかにはいずまいを正した紳士淑女もいることはいるが、どちちかとい うと日本の音楽会の雰囲気に近い。その会館自体も、西欧のオペラハウスのような威風 堂々の外観及び内装ではない。とりあえずは一安心である。その日は、他に予定があり、 音楽会に入るつもりはなかったが、思い切って、その辺の係員にチケット売り場を尋ね る。なんてことはない、そのホールの一番端っこに、全く死角覚になった所に窓口があ った。そこは、国が主催する音楽会、オペラ、バレエ、近くの国立劇場での公演、また そのホールで行われる他の公演の前売から当日売りまで、一切合切を取り扱っているの である。その上、日本では普通だが、トルコでは珍しくも、公演スケジュールのパンフ レットが用意されており、向こう3ヶ月については、それを見れば大丈夫という具合で ある。トルコではセゼン・アクスのようなスーパースターのチケット購入は半端ではな いとの話を聞いたことがあるが、どうやらクラシック音楽のチケット争奪戦は、激しさ を伴わないようである。これも、西欧風である。余程のスター歌手が揃わない限り、チ ケットは当日買えるものだと言うが、ここイスタンブールでも、同様なのだろう。僕は、 お目当てのオペラ「アドリアナ・ルクヴルール」のチケットを前日購入したのだが、当 日になっても、チケット売り場に寄ってから会場に入ってくる人たちも多く、それが当 り前なのだと思う。他方、僕の近くでチケットを購入した学生さんらしい女性は、半月 も後のオペラ公演のチケットを買っていた。たまたま近くを通り過ぎたのか、どうして もこれだけはという思い入れがあったのかもしれない。因みに、彼女の買ったのは「ト スカ」のチケットだった。なお僕の買ったチケットは、一番良い席で、1OO万トルコリ ラ、即ち650円であった。いかに政府の援助が大きいかが分かろうというものである。 僕の観たのは、土曜日だったのでマチネーで、午後3時開演だった。平日だったら、午 後8時開演である。オペラだったら、間違いなく11時を過ぎるだろう。これも西欧風で ある。イスタンブールには、国立オペラという組織はあっても、国立オペラハウスはな い。先述のアタテュルク・クルトゥル・メルケジは、所謂多目的ホールで、オペラの ときは、オケピットが作られる仕掛けになっているのだろう。外国での初めてのオペラ 体験だったので、久しぶりに胸わくわくでホールに入っていく。チケットをもぎられて 階段を上がると、右手に少し人集りがある。そこで本日のキャスト・あら筋の入った公 演プログラムが売られている。金20方トルコリラ(130円)也である。ホールの状態は、 機能性を重んじた、逆に言えば装飾の乏しい、どちらかと言えば質素な感じすらする。 今シーズンの案内のポスター、有名歌手のポートレートが飾られている程度である。又 、一隅では、飲み物が販売されている。最近日本のホールでも増えてきたものである。 これも西欧風なのだろう。客席も、何ら特徴があるわけではない。日本の平均的なホー ルと同じだろう。キャパは、1.2階合わせて、1500〜1800人というところか。トルコ 人にとっても、料金はお手頃なのだろう。席は前から詰まっていっている。2階には、 ほとんど客は入っていなかった。従って客層も様々で、きっちりとした身なりの人たち や、家族づれから、若い人たちの中には、ジーパン姿の人を何人か目にすることができ た。だが、舞台上の装置は、随分と大がかりで、明らかにお金を惜しんでいないし。何 がいいと言っても、主役級の歌手の水準の高さである。ときとしてトルコ語で歌うこと が多いと、日本に帰ってから、トルコ人に教えられたが、その日は、まぎれもなく全編 イタリア語で通された。当日の出演者のなかに、人気の歌手がいたらしく、僕は、その 人はいい出来とは思わなかったのだが、最後のカーテンコールでは、一段と高い拍手を 受けていた。それを除いては、聴衆の反応も地味で、普段街で出会うトルコ人とは、ま た別の社会のトルコ人に出会った思いがした。3時間余りの夢世界と別れて、ホールか ら一歩外へ出ると、いくらタキシムとは言え、そこはトルコ。あの喧騒が待っている。 余りにもの落差に、暫し茫然とせざるをえなかったのである。 Pへ戻る
  (注)この後、モーツァルトの「後宮よりの逃走」を観ている。トルコが舞台のオ
   ペラだが、西欧で上演されるときには、太守役はでぶっちょだったりで、少々お
      かしさを姿形で表現するが、イスタンブールでの上演の太守役は、すらっと背が
   高く、とてもかっこいい歌手が演じていたのが、印象的である。その日は、演目
   が、上記の「アドリアナ・ルクヴルール」に比べると馴染みがあるのか、客席は
   大入りで、また、トルコ語の字幕が、舞台の更に上に出るようになっていた。夜
   の11時半頃に終わって、タキシムからカドゥキョイまで、ドルムシュで帰るのも、
   なかなかいいものである。







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