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【トルコ編】[23]クルド人からの伝言

 2001年夏、再び南東部に立った。トルコの中で異質な雰囲気を持つこの地域に魅せられて、毎年のように通うようになった。その中でも、今や、中心的な地位を得たかのようなガジアンテップ。初めて、ここに入ったのが6年前、1995年のことである。もっと奥深い南東部を知った今、まだまだ、ガジアンテップは、南東部の入り口という感じで、ましてや南東部の定番となったクルド語しか聞こえてこない世界というわけではないのである。6年前と4年前のギャップは、とても大きく、これ程までも、町というものが変わるのかとさえ思わせられた町、それがガジアンテップである。今年は、サッカ−を求めて、この都市に入った。なんせ、いまや、ガジアンテップ・スポルは、2年連続リーグ戦3位を誇り、昨季などは、強豪ベシクタシュやトラブゾン・スポルの上にいったのである。01-02シーズン開幕戦として、このガジアンテップで、ガラタサライとの一戦が行われるというので、乗り込んだのである。今回は、ここへ入る目的は、これだけだったはずである。後は、ディヤルバクルに抜けるだけだったはずである。それが、思わぬ経験をすることとなるのである。
 ガジアンテップのオトガルが新しくなった。ま、それでも見がてら、翌日のディヤルバクル行きのバスの様子でも聞きに行こうかと、オトガルに向かった。東南部へ行けば、その都市から東の方へ行くバス会社は、市内に営業所を持ってないことが多く、オトガルに行かないと、バスの様子が分からないのである。バスで行くと、20分ほど、ベーエンディック前からかかったろうか、オトガルに着く。まず、その時点では、バットマン行きがあれば、それに乗ろうと思っていたので、それを探すが、どうもガジアンテップからバットマン・ダイレクトは、夜行か早朝しかないということが分かってくる。そいうなかで、僕の頭の中では、ディヤルバクル乗り換えという方法が浮かんでくるので、次々とディヤルバクル方向へバスを持っていそうなところに、発車時刻を聞いて回る。もちろんバットマン・ダイレクトの時刻も。そうしている内に、あるバス会社の、ディヤルバクルでは有名なさるバス会社の前に立った。ディヤルバクル行きとバットマン行きを聞いたものだから、おまえは、どこへ行くつもりなのかと問われる。「行きたいのは、バットマンだ。でも、バスがなければ、ディヤルバクルで乗り換えるつもりだ」と言うと、「ハサンケイフへ行くのか」と聞いてくる。図星だったので、「そうだ」と応えると、「おい、こっちへ回ってこい」と、裏を回ってカウンターの中へ入れと言ってくる。カウンター内では、5人の職員が、働いているというか、たむろしている。こういうとき決まったように、まあそこに座れ、チャイは呑むかなど、大歓迎の姿は、トルコならではであった。でも、この場合は、この先が違う。1人の年輩の男が、聞き覚えのあるクルド語で一生懸命に喋りだしたのである。周りにいた残りの男たちも、一斉にクルド語で喋り出す。「ちょっと待ってくれ。俺は、クルド語は分からないんだ」。1人を除いて、僕に話しかけてくる言葉だけが、トルコ語となるが、1人の最初にクルド語を喋り出した男だけが、クルド語で話し続ける。この男が話し出すと、横の男がトルコ語に通訳してくれる。そういった環境で、彼らが、僕に訴えたことを要約してみよう。
 まず、ここにいる5人は、全てワンの出身である。それが、何で、遠く離れたガジアンテップで仕事をしているかといえば、自分たちの住んでるところは、全て軍隊により掃討作戦をくらい、住めなくなってしまった。だから、ワンを離れ、ここで働いている。僕が、これから行こうとしている、ハサンケイフだって、俺たちの村と同じで、軍隊にやられた後に、今の姿があるんだ。こういうことを、日本人は知っているか。トルコ全人口7000万、その内4000万はクルド人だ。そのクルド人の村を、軍隊は、次から次へと潰していってるのだ。このことを、日本に帰ったら伝えて欲しい。書いて欲しい。これが、そのときのクルド人の言いたかった主旨である。よく、クルド人の人口は、ひょっとして2000万、いやそれ以上ということは聞いたことがある。しかし、4000万という数字は初めてである。でも、クルドの村に対して、軍が掃討作戦を展開したということも事実である。もちろん、PKK根絶、PKK支持者根絶、これが大義名分である。それに混じり、一般の人たちも、生活の場を奪われ、住み慣れた地から追い立てられたこともあったろうとは、自分の知識としては知っていたつもりだ。学校も破壊の対象になり、教育を受けることが難しくなっているということも聞いたことがある。こういう、知識として持っていたことが、このガジアンテップのオトガルで、次から次へと弾けていく。ただ単に、翌日のバスの運行に関し聞きに来た日本人を、外に向けて、自分たちの思いを発信する手段と見て取ったのだろう。クルド語を知らない僕に対し、クルド語しか話さない男は、丁度話し出し始める直前の子どもが、自分の言おうとすることが伝わらず、もどかしくてもどかしくて自分に癇癪を起こす、あの姿を思い起こさせられた。本来なら、公の目に触れる場に、裏をとらないで、このような情報を流すことの危なさは、十分承知しているつもりだ。でも、彼らの気持ちのようなもの、そのときの物言い、また一般的に言われている南東部についての話にフィットすると判断するので、彼らとの約束を果たしたいと思う。「日本に帰ったら、今、言ったことを書いて欲しい」。これが、クルド人からの伝言である。

【注】私は、ここで聞いたことは、事実だと思っている。このような経験持っているクルド人の話を、直接聞いたのは、初めてである。バットマンでは、「クルド人を、どう思うか。いいと思うか?」「PKKを、どう思うか?」など、答えに窮する問いも受けた。でも、そういった質問より、このような実体験を聞く方が、胸に迫ってくる。





【トルコ編】[24]地方料理を嗜む

 実は、このタイトルで書く確固とした自信があるわけではない。ましてや、全ての地域を網羅しているわけではないので、ごく限られた地域で得たものの話となるのは言うまでもない。ということなので、間違いがあれば、どんどん指摘していただきたいし、更に、これを読んでいただいたことを契機に、トルコの地方料理に話題が及べば、黄紺としては無上の喜びとするところでありまする。だって、ごくありふれたトルコ料理のサイトは、幾つか散見できる今日、今、目は地方料理に向けることにより、真の世界3大料理に数えられるのではないかと思うのであります。
 例えば、地域名・都市名を冠した料理というのがある。「アダナ・ケバブ」、「ウルファ・ケバブ」、更に「アンテップ・ケバブ」なんてものもある。「アダナ・ケバブ」は、最早地方料理に数えることは無理なほど、全国どこでも食べることができる。でも、「ウルファ・ケバブ」や「アンテップ・ケバブ」は、なかでも「アンテップ・ケバブ」は、珍しい。アダナとウルファの違いは、「アジュ(辛い)」か「サーデ(何も入ってないということは辛くないってこと)」かであるというまことに分かり易い説明を受けたことがある。その原因は、「アダナのやつの方が、かっかしやすいからさ」ということであったが、真偽のほどは分からない。で、「アンテップ・ケバブ」だが、未だに「ウルファ・ケバブ」との違いが分からない。これも、要するに「サーデ」であり、アンテップなんかで、こういう風に呼んでいる、らしい。都市名を冠したのに、「イズミール・キョフテ」があるが、これは、キョフテの煮込みだから、敢えてそのように呼ぶわけは知らないし、地方料理には入れがたい。しかし、「マニサ・ケバブ」には、個人的にはこだわりたい気持ち、十分である。「イスケンデルン」と、どう違うのかと説明しても、聞いた人は納得いかないこの逸品。パンの切り方、ソースのかけ方、そのくらいの違いであるが、イズミールあたりでは、これを「マニサ・ケバブ」と呼んでいる。また、これが、うまい。アルサンジャックの特定の店のこのケバブ、わざわざバスマネから食べに行く日々を、黄紺は、イズミールに行くと送ってます。
 これとそれと、どう違うのかの代表選手が、エルズルム料理に数えられる「ジャー・ケバブ」。そのそっくりさんは、おなじみの「ドネル・ケバブ」。ドネルを回転させている串が縦向きになっているのが、ノルマルな「ドネル・ケバブ」。その串が、横を向いているのが、「ジャー・ケバブ」というわけ。だから、皿に盛られて出てきたものを見る限りにおいては、区別が付かない品物。でも、エルズルムへ行くと、この専門店が、幾つもあるから。おもしろい。この串が横になりながら回転しているもので、鶏肉1匹丸ごと焼いているのを見たこと、ありますか。イスタンブールでも、見かけますよね。でも、あれは、元々は、南東部オリジナルな料理だったということです。これは、Ayさんから教えてもらったことなんですが、、、。そういう目で南東部歩くと、アンタクヤ(ハタイ)で、やたらめったら目に付いた。ということは、南東部でも、そのあたりの地方料理ということかと、黄紺は思っています。イスタンブールで見かけるといえば、いや、正確に書くと、見かけたけど、今夏には見かけなかったものに、民俗レストランで、「マントゥ」の実演販売なんてのがある。「マントゥ」は、日本語の「饅頭」と同じ語源で、世界では、日本の「餃子」に相当する料理に使われる用語。韓国料理の「マンドゥ」は、「餃子」そのものだし、トルコの「マントゥ」も、「餃子」系料理である。正にユーラシア大陸を駆け抜けた料理の1つである。それが、トルコでは、なぜか、カイセリの料理となっている。だから件の民俗レストランも、カイセリ地方を意識した風情にしていたようで、「カイセリ・マントゥ」なんて、看板じゃなかったっけ? 前にかかっていたのは。
 さあ、ここからは、東部・南東部の料理の話に入ります。まず、「パチャ・チョルバス」からいこう。チョルバは、以前にも書いたが、スープのことであり、トルコの朝食の定番である。で、「パチャ・チョルバス」は、クズ肉をほぐして、細切れにして煮込んだものなのです。ガジアンテップで食べた「パチャ」は、羊の頭の肉を削ぎながら入れていた。そして、全て削ぎ落とした後の羊の頭骨を、ピラミッド状に積み上げ、店の目印に使っていたが、これは、ちょっとしたインパクトがある。お味は、「イシュケンベ」と似ていると考えてもらえば、いいだろう。ただ、中には、脂がぎとぎと浮いているものもあり、それはそれで、かなり脂っこい感じがしたものである。恐らく、笛吹さんは、この手のものにあたり、お腹やられちゃったのでしょう。この「パチャ」で、めっちゃ豪快なものを見たことがある。それは、ドウベヤジットのさるロカンタ。店のお兄さんに聞くまでは、新種の「ハシュラマ」かと思うような骨付き肉の塊が入った「パチャ」なのです。「パチャ」という言葉、「パルチャ(かけら)」が訛ったものと考えている黄紺にとって、これは考え方を改めねばならないと考え込んだ逸品でした。このパチャ、どこから始まるのかが、興味あるところなのですが、黄紺の把握しているところに寄りますと、メルシンでは、「パチャ」は始まっていました。結構、西の方にシフトしているのに、ちょっぴり驚きでした。では、ここで、煮込みに移りましょう。トルコのどこへ行ってもあり、最も素朴な感じを与える料理に「タシュ・ケバブ」があるが、これは、羊肉の小さな塊とジャガイモ、人参あたりを、トマト味で煮込んだものであり、これに、野菜の種類が豊富になり、肉の占める割合が減ったものを、「セブゼ・ケバブ」と呼んでいるが、このヴァリエーションの中に、実に美味のものがある。まず、東部で会ったクルド人が、自分たちの料理と主張したのに、「サチ・タワ」というのがある。「タワ」名の料理は、BBSにも書きましたが、「タワ」の後ろに人称語尾を付けませんので、トルコ語をご存じの方、気を付けて! ただ、この料理と、「タシュ・ケバブ」の違いが分からない。単に呼び名が違うだけなのか、要するにクルドでは、こう呼ぶとかという類のことなのだろうか。もしそうなら、「サチ・タワ」を置いている店は、クルドの人たちの店になるのか? なんてことを考えてしまっている。というのも、黄紺が、カドゥキョイで、よく利用するロカンタの表に「サチ・タワ」の名前が書かれている。ここには、見た記憶がすぐには出てこない「タウク・タワ(細かくほぐした鶏肉の煮込み、トマト味)」も置いているので、なんか気になっているのである。さて、タワ系で、オスマニエで見かけたのが、「ドマテス・タワ」。トマトをトマト味で煮込むというすごい発想の逸品。総じて、トルコ人・クルド人は、トマト好きだと、つくづく思うが、ここまでやるかというのが、これ。このトマトが、オクラに変われば、噂の「バーミヤン」。このネーミングの由来が分からない、不思議な響きを持つ料理。だが、これがうまい。世の中に、こんなにうまいものが残っていたのかと、生きていることの喜びをかみしめたのが、これ。Ayさん・新宿黄赤さんが、「ディヤルバクルは食い倒れの町」とさる本で書かれてますが、正に、それを象徴する一品です。も一つ、生きてて良かったと思わせてくれたのが、「アラプ・ケバブ」。挽肉とタマネギのみじん切りの煮込み、トマト味。もう、最高、最高、最高!! 今回書いた料理の最高峰が、これ。特に、アンタクヤのオトガル近くのロカンタのこれが、絶品。この店、「タウク(鶏肉)のハシラマ」まで置いていた。残念無念で、「アラプ・ケバブ」、選んじゃいました。タウクというのは、南東部料理に多いというのを、Ayさんから教えられたことがあるが、このハシラマも、そう考えていいのだろうか。先ほどの、「タウク・タワ」ともども、気になってる料理である。最後にとどめの一発は、「ムンバル」。羊の腸にピラフを詰め込み、薄いトマト味で煮込んだもの。サルマ系の料理と思ってもらえばいいだろう。ノルマルなサルマもそうだけど、食べるにつれ、量が多ければ、黄紺には、胸がもたれてくる代物でした。但し、食べるにつれですので、お間違いのないように。
 南東部の豊かな料理にくらくらするほどの感動を覚えるのに対抗する黒海沿岸地域の料理、それが、ハムシ(鰯)料理。まあ、これは有名なこと。書くまでもないか。話題にするのも、からかうのも、ハムシは役に立つ。「へぇ〜、サムスン出身? だったら、ハムシ、好きやろう?」って、使ってやりましょう、ハムシくんを。通常、日本のハムシに比べれば、トルコのハムシはスリムだともっぱらの評判。食べ方は、フライにするか、マリネにするか、この2つが定番かな。トラブゾンあたりで、ハムシを注文すると、皿にてんこ盛りは大げさだけど、ちょっと食べられないほどのハムシが出てくる。これまた、食べるにつれて、胸がもたれてくる。もちろんフライの場合。でも、黒海行ったら、ハムシ食わないわけには、いかないもんなぁ。  ということで、以上私的「地方料理の嗜み」です。冒頭にもお断りしましたが、間違い多々あると思いますが、その場合は、どうかご指摘下さい。そして、おもしろい、おいしい地方料理ご存じの方、どしどし黄紺に教えてやってくださいまし。ホント、よろしくお願いいたします。[23]へ戻る

【2001年9月記すです。この時点で、黄紺の頭に残るものを書きとどめておきます。そして、豊かなトルコ料理・クルド料理を知れば、また改めて書いてみようかなと、思っています。なにせ、おいしいものに出会えるというのは、そこへ行く最大のモチベーションですから、、、。】





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