2001年夏、再び南東部に立った。トルコの中で異質な雰囲気を持つこの地域に魅せられて、毎年のように通うようになった。その中でも、今や、中心的な地位を得たかのようなガジアンテップ。初めて、ここに入ったのが6年前、1995年のことである。もっと奥深い南東部を知った今、まだまだ、ガジアンテップは、南東部の入り口という感じで、ましてや南東部の定番となったクルド語しか聞こえてこない世界というわけではないのである。6年前と4年前のギャップは、とても大きく、これ程までも、町というものが変わるのかとさえ思わせられた町、それがガジアンテップである。今年は、サッカ−を求めて、この都市に入った。なんせ、いまや、ガジアンテップ・スポルは、2年連続リーグ戦3位を誇り、昨季などは、強豪ベシクタシュやトラブゾン・スポルの上にいったのである。01-02シーズン開幕戦として、このガジアンテップで、ガラタサライとの一戦が行われるというので、乗り込んだのである。今回は、ここへ入る目的は、これだけだったはずである。後は、ディヤルバクルに抜けるだけだったはずである。それが、思わぬ経験をすることとなるのである。
ガジアンテップのオトガルが新しくなった。ま、それでも見がてら、翌日のディヤルバクル行きのバスの様子でも聞きに行こうかと、オトガルに向かった。東南部へ行けば、その都市から東の方へ行くバス会社は、市内に営業所を持ってないことが多く、オトガルに行かないと、バスの様子が分からないのである。バスで行くと、20分ほど、ベーエンディック前からかかったろうか、オトガルに着く。まず、その時点では、バットマン行きがあれば、それに乗ろうと思っていたので、それを探すが、どうもガジアンテップからバットマン・ダイレクトは、夜行か早朝しかないということが分かってくる。そいうなかで、僕の頭の中では、ディヤルバクル乗り換えという方法が浮かんでくるので、次々とディヤルバクル方向へバスを持っていそうなところに、発車時刻を聞いて回る。もちろんバットマン・ダイレクトの時刻も。そうしている内に、あるバス会社の、ディヤルバクルでは有名なさるバス会社の前に立った。ディヤルバクル行きとバットマン行きを聞いたものだから、おまえは、どこへ行くつもりなのかと問われる。「行きたいのは、バットマンだ。でも、バスがなければ、ディヤルバクルで乗り換えるつもりだ」と言うと、「ハサンケイフへ行くのか」と聞いてくる。図星だったので、「そうだ」と応えると、「おい、こっちへ回ってこい」と、裏を回ってカウンターの中へ入れと言ってくる。カウンター内では、5人の職員が、働いているというか、たむろしている。こういうとき決まったように、まあそこに座れ、チャイは呑むかなど、大歓迎の姿は、トルコならではであった。でも、この場合は、この先が違う。1人の年輩の男が、聞き覚えのあるクルド語で一生懸命に喋りだしたのである。周りにいた残りの男たちも、一斉にクルド語で喋り出す。「ちょっと待ってくれ。俺は、クルド語は分からないんだ」。1人を除いて、僕に話しかけてくる言葉だけが、トルコ語となるが、1人の最初にクルド語を喋り出した男だけが、クルド語で話し続ける。この男が話し出すと、横の男がトルコ語に通訳してくれる。そういった環境で、彼らが、僕に訴えたことを要約してみよう。
まず、ここにいる5人は、全てワンの出身である。それが、何で、遠く離れたガジアンテップで仕事をしているかといえば、自分たちの住んでるところは、全て軍隊により掃討作戦をくらい、住めなくなってしまった。だから、ワンを離れ、ここで働いている。僕が、これから行こうとしている、ハサンケイフだって、俺たちの村と同じで、軍隊にやられた後に、今の姿があるんだ。こういうことを、日本人は知っているか。トルコ全人口7000万、その内4000万はクルド人だ。そのクルド人の村を、軍隊は、次から次へと潰していってるのだ。このことを、日本に帰ったら伝えて欲しい。書いて欲しい。これが、そのときのクルド人の言いたかった主旨である。よく、クルド人の人口は、ひょっとして2000万、いやそれ以上ということは聞いたことがある。しかし、4000万という数字は初めてである。でも、クルドの村に対して、軍が掃討作戦を展開したということも事実である。もちろん、PKK根絶、PKK支持者根絶、これが大義名分である。それに混じり、一般の人たちも、生活の場を奪われ、住み慣れた地から追い立てられたこともあったろうとは、自分の知識としては知っていたつもりだ。学校も破壊の対象になり、教育を受けることが難しくなっているということも聞いたことがある。こういう、知識として持っていたことが、このガジアンテップのオトガルで、次から次へと弾けていく。ただ単に、翌日のバスの運行に関し聞きに来た日本人を、外に向けて、自分たちの思いを発信する手段と見て取ったのだろう。クルド語を知らない僕に対し、クルド語しか話さない男は、丁度話し出し始める直前の子どもが、自分の言おうとすることが伝わらず、もどかしくてもどかしくて自分に癇癪を起こす、あの姿を思い起こさせられた。本来なら、公の目に触れる場に、裏をとらないで、このような情報を流すことの危なさは、十分承知しているつもりだ。でも、彼らの気持ちのようなもの、そのときの物言い、また一般的に言われている南東部についての話にフィットすると判断するので、彼らとの約束を果たしたいと思う。「日本に帰ったら、今、言ったことを書いて欲しい」。これが、クルド人からの伝言である。
【注】私は、ここで聞いたことは、事実だと思っている。このような経験持っているクルド人の話を、直接聞いたのは、初めてである。バットマンでは、「クルド人を、どう思うか。いいと思うか?」「PKKを、どう思うか?」など、答えに窮する問いも受けた。でも、そういった質問より、このような実体験を聞く方が、胸に迫ってくる。
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