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【トルコ編】[31]植生が変わる

 以前、「グルジア国境で」ということで書いたこと、そこを少し深めてみたいと思う。黄紺が、シャヴシャットからアルダハンへ抜ける道(もちろん逆でもいいが)を、サルプの国境検問所で教えられ、その直後に通って以来、今まで2度、その道を通っている。計3回となるわけだが、あとの2回は、坂を下る、即ちアルダハンからシャヴシャットに下るということを経験している。時間をかけて、この類い希なる道を通るなら、やはりシャヴシャットからアルダハンに向かう方が、興趣をそそられることは間違いない。黄紺の知り合いで、この道について話したことがある方は、2人おられる。お一人は、羊々舎のご主人、もう一人は写真家のE氏である。ともに、異口同音に、感動を述べておられる。羊々舎のご主人など、シャヴシャットにお泊まりになったことすらあると聞いております。余程お気に召したのだと判断しておりまする。
 03年夏、黄紺は、その3回目を経験した。とりわけアルダハンの朝が、素敵だった。手持ちの資料によると、アルダハンは、標高1800mとなっている。そのアルダハンのホテルから窓を開けると、8月上旬と言えども、朝はひいやりと冷気を感じる。特に、今年は気温が低い上に、前日アルダハンにも雨が降ったので、一段と冷気を感じた。空は真っ青で晴れ渡っていた。そのアルダハンの町の周りを、いや正確に書くと、目の高さで言うと、明らかに目の位置より低い位置に雲がかかっている。ドーナツ状に町を取り囲むように雲がかかっているので、まるでアルダハン全体が、雲の上に浮かんでいるように見えるとっても幻想的な光景である。黄紺は、初めてシャヴシャットから上ってきて、アルダハンが目に入ったとき、アルダハンを「天空に浮かぶ町」と思った。本当に、そのように見えたのである。遠目に見えるアルダハンの周りが霞んで見えたことが、黄紺をして、そのように感じさせたのだと思うが、今度は、町本体にいて、その自分がいる町が、雲の上にふわふわと浮いている感じを持ったのである。1800mのアルダハンを浮かんだように見せる雲だから、その雲は、標高1500〜1700m辺りにたなびいていたと考えられる。
 そんな光景に出会った朝9時のバスに乗って、黄紺は、アルダハンを発った。もちろんシャヴシャットへの坂下りをして、一気に海抜0mのホパをめざしたのである。アルダハンを出ると、ミニバスは、徐々に坂を上り出す。恐らく標高は2000mを越えて上っていくのだろう。1番高いところで、約270度ほど回りながら進んで、いよいよ坂を下り出す。その下り際に、「ヤズハーネ」、即ち牧童たちが、夏の間だけ過ごすホンマものの「夏の家」の密集地がある。その前を通り過ぎると、坂の勾配が、一挙に激しいものとなる。それに伴い、ミニバスのスピードも一段と落ちる。上りの場合は、もうあえぎあえぎミニバスが上っていくところである。するとどうだ、この道を進み、標高がどんどん下がっていく、まさにそのなかで、我々の乗ったバスは、アルダハンを浮かばせていた雲の中に突入をしていく格好となるのだ。これは、もう感動感動の嵐なのだ。それにつれて、私の目には、木が見えてくる。最初は、灌木が疎らに生えている、その木の密生度が、また木の高さが変わっていく。そして、いつしか我々の乗っているバスは、ごく普通の、日本で普通に見ることのできると同じ森の中を走っているのである。高原で、木がなく、草しか生えてないアルダハンから、森に囲まれているシャヴシャットまで、50分かかったろうか? いやもっと細かく言うと、植生が変わりだして変わりきってしまうまで、10分もかからないのである。こんな話を、日本に帰ってきてから、やはり黄紺にとっては感動が大きかったものだから、何人かの人にしてみた。すると、その内の1人の方が、とっても興味のある解説をしてくださった。とっても合理的に、黄紺の見てきた光景を説明してくださったのだ。それを、ご紹介しようと思う。
 まず黒海沿岸の風景というのは、日本のそれに似ている。雨が、1年中コンスタントに降るからである。それを受けて名産(リゼのお茶、サムスンの煙草、オルドゥのフンドゥック)もあり、トルコの中でも豊かなところである。その一方で、カラダーという山脈が、黒海沿岸まで迫っている。トラブゾンですら、人口が30万もないことは、これに発している。だから、海で熱せられ上昇した水蒸気が、海からの風で、陸に吹き付けられるのだが、すぐにカラダーに当たり、山に沿って水蒸気が上昇する。ところが、その山脈が険しく急に上昇するので、また実際、上の方は気温が、かなり落ち込む、そのため大気中で飽和状態となる高度が、比較的低い。そして、そこに雲がよく発生をする。雲ができれば雨が降る。だから、その高さまでは木が生えることが出きる。まさに黄紺が雲に突入した地点が、その境目である。それより高いところは、雲ができないから木が生えるには無理がある。だが、雲にたまった水分が、海からの風に乗って、雲ができるより高い地点までは運ばれる。雲のおこぼれのような水分が運ばれる。この水分は雨を降らせることはないが、草ぐらいが生えるには、なんとかなる量である場合がある。アルダハンに草が生えているというのは、これなのである。でも、木はないのも分かる説明であった。
 黄紺は、このとても合理的な説明を聞いて、またぞろ、このルートを辿りたくなってきている。実際、このアルダハンという辺境の町にまで、開発の波は押し寄せてきている。でも、ここは、自然が一杯である。とりわけ、アルダハンとシャヴシャット間の「植生が変わる」光景というものは、何事にも替えがたい魅力を持っている。やはり、黄紺は、ここへ行くためにトルコに引き寄せられたのかもしれない、いっとう最初感じた感動は、今でも黄紺の中には生き続けているのである。(2003年秋)





【トルコ編】[32]トルコのサッカー・その3「地方のスタジアム」〜ガジアンテップ・エルズルム編〜

日付場所カード
99. 8.15ガジアンテップガジアンテップ ・スポルvsアンタルヤ・スポル
00. 8.12エルズルムエルズルム・スポルvsトラブゾン・スポル
01. 8.12ガジアンテップガジアンテップ・スポルvsガラタサライ
02. 8.17エラズーエラズー・スポル vs トラブゾン・スポル
03. 8.10リゼチャイクル・リゼ vs アンカラ・グジュ
04. 8. 8カイセリカイセリ・スポル vs トラブゾン・スポル
 「地方のスタジアム」、それは、4大クラブ(フェネルバフチェ、ガラタサライ、ベシクタシュ、トラブゾン・スポル)のスタジアム、及び、アンカラの5月19日スタジアム以外でのサッカー観戦について書いてみようという試みである。黄紺は、今まで、右表に記した地方のスタジアムで、観戦経験をもつ。ガジアンテップでの観戦を除くと、それぞれ新シーズンを迎えて、1部昇格を果たしたクラブを訪ねているという点が、1つの特徴である。エラズー・スポルや、カイセリ・スポル(本体はルジエス・スポルなので)のように、1部初昇格の クラブも含まれている。さあ、それでは、おらがくにさのスタジアムの雰囲気を伝えられたらとは思うのですが、さて如何なものでしょうか?
 さて、それでは、5つの都市でのサッカー観戦体験を書き綴っておこう。まず、ガジアンテップである。近年のガジアンテップ・スポルの躍進は著しいものがあり、いずれか南東部のクラブで、いや、4大クラブ以外で、トルコ・リーグを制覇するところが出るようだと、それは、ガジアンテップ・スポルだという点では、衆目の認めるところである。確かに、若手の優秀な人材の輩出、最近では、イブラヒム・トラマン(ベシクタシュ)争奪戦が注目されたが、そういった育成面のみならず、外国人選手も、いい素材を安値で得てきて、高値で放出するという、なかなか選手を揃えるのが上手なクラブである。確かに、町の位置づけも、なかなかその背景にありそうな気がする。南東部の戸口に位置するという地理的な特性、従って開発の拠点化している意味合いもあり、ある意味では、ガジアンテップ・スポルの活躍は、南東部への意気込みを知る指針のようなイメージを持つ。ディヤルバクルほどの濃さがないところが、また、そういった意味を増幅させている。黄紺が、初めて入ったときに比べ、2回目に入ったときは、正に、そういった雰囲気を、嫌が応にも感じさせられた。南東部最大という街中の公園、あの公園により、どれほど多くのスラム化した家並みが消えたことだろうかと想像するだけでも、イメージアップである。カレから、ベーエンディックへの道の整備、それと90度交差するメーンストリートの角に、ガジアンテップ・スポルのスタジアムはある。大都会のオアシス的な広大な公園の一角を占め、その大都会の都会的風景を立派に構成するそういったスタジアムになっている。南東部躍進のシンボル的位置を与えられていると感じるのは、黄紺ばかりじゃないだろう。とっても穏やかな観戦態度、試合がはねたあと、都会的風景を背に家路につく、あの光景、黄紺は、頗る好きである。
 ここで、黄紺は、ルチェスク就任間近のガラタサライとの試合を観た。この試合は、ウミト・ダヴァラ(現ヴェルダー・ブレーメン)が、トルコを去る最後の試合であった。ファーティフ・テリムに見出され、そしてファーティフ・テリムのあとを追ってイタリアへ向かう直前のウミト・ダヴァラだった。また、この試合で、ガラタサライに戻ったセルゲン(現ベシクタシュ)を観た。前年、エルズルムで観たセルゲン(当時トラブゾン・スポル)は、試合に出なかったが、あまりにものだぼついた体に驚いたものだったが、ここガジアンテップで観たセルゲンの動きを観て、「いよっ、春団治」と声を掛けたくなりました。一瞬の切れが、すごかった。
 そのセルゲンが、試合途中、ピッチの端っこでアップをしていたのが、エルズルムだった。エルズルムに行ったのは、その前年、1部に昇格したこと、息子と行ったことのある地方都市で、そのような悦ばしいことがあったこと、それが、行ってみようというモティヴェーションだった。エルズルム駅方向から見れば、ミグロスを経て中心街方向のホテルに投宿した黄紺は、ホテルのギャルソンに、聞いてみる。「エルズルムへは、サッカーの試合を見に来たんだけどぉ、、、」、もうこの段階で、件のギャルソンくん、にやりと来る。「チケット、どこで手に入るの?」「スタジアムで」「いつから売ってるの」「いやぁ、試合の日に買えば、いいじゃん」「じゃ、そのスタジアムには、どう行ったらいいの」「ドルムシュで」「どこで、乗るんだよ」と、一々聞かねばならないのは、全くトルコ・テイスト。「前で」「?、、、ホテルの前で?」「ああ、そうさ。マッチャ、マッチャって言ってるから」。確かに、言うとおりだった。黄紺の泊まっていたホテルの前が、ドルムシュ乗り場で、客待ちのためにしばらく停まってる間中、ドルムシュの中から、「マッチャ、マッチャ(試合へ)」と叫び続けている。いや、ドルムシュが動き出しても、この「マッチャ、マッチャ」は続く。で、気が付いた。このドルムシュ、スタジアム行臨時便だった。だから、スタジアムまで、できるだけ多くの客をひらおうという魂胆なのである。スタジアムの場所は、中心街から博物館方向にあるロータリーを、そのまま直進した先にある。街中から、歩いて歩けない距離では、全然ない。現に、試合がはねたあと、家路に向かう多くの市民は、バスやドルムシュが混雑するので、歩いて戻っていたくらいの距離である。
 スタジアムは、野中の1軒屋ではないが、市街地のなかではない。試合開始1時間前に到着して、ヌマラル(正面指定席)は売り切れていたが、正面の端っこの席は、容易くゲット。その入口を探しているとき、珍しいのか、TVカメラに追っかけられたのも懐かしい思い出である。スタンドで隣り合わせた方が、この町のお医者さんだったと言われていた記憶がある。1週間前には、シーズン前のセレモニーがスタジアムであって、イブラヒム・エルカルが来たんだよ。だって、彼は、この町の出身なんだよ、で、君の好きな歌手はなどと聞かれた ところまで、覚えている。さて、誰と答えたんだろうか? 今の私には、謎である。あんた、そんな歌手知ってるんかという反応をされたようだった。サッカー関係では、エルズルムは、お金がないから、安い選手しか獲れないんだ、イランの選手なんか安いんだよ。でも、あの選手だけは、違うんだ。ドイツ人選手なんだ。この選手の名前、忘れちゃいました。背が高く、ポイントを作れるんだけど、足下が弱い選手。でも、トラブゾン・スポルが欲しがって、実際に移籍したけど、途中でとんずらしてしまったと言えば、ご存知の方なら、名前を思い出されるかもしれません。ここのスタジアムは、長い間1部所属クラブを持たなかった町とは思えない程よい恰幅のあるものでした。冬には零下20度も当たり前であるがため、1番暖かい時間帯を選んで試合をしなければならないにもかかわらず、照明設備は十分に設えてありました。あのドルムシュの「マッチャ、マッチャ」の呼び声が、ホント、懐かしい。今や、残念なことながら、エルズルム・スポルにとっては、1部は遥か遠くにありて思うものとなっています。 [31]へ戻る





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