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【トルコ編】Cジュース(特にリモナタ)、アイラン、水

 前回のトルコの飲み物の続きを、書いてみよう。「チャイ(紅茶)」の他によく飲んだ 飲み物というのは、まずもって、リモナタ(レモン・ジュース)である。日本でも、時 々見かける姿であるが、店先にジュースを噴水のように見せている販売機があるが、ト ルコでは、その機械を店先に置いている所が結構ある。船乗り場の売店であったり、ロ カンタ(食堂)であったり、パン屋であったりと、様々な店で、この機械を見かける。最 初は、どのようなものか分からなかったので、買おうとしなかったが、あまりにもの喉 の渇きで、また毎度毎度コーラやファンタでは飽きてしまうし、ましてや炭酸ばかりと いうのは避けたい気持ちもあるので、イスタンブールのヨーロッパ側の船着き場のエミ ノニュの売店で、初めて飲んでみた。炭酸系を飲み飽きた口からすると、すこぶるうま いのである。おまけに日本円に直して言うと、コーラなんかが45円するのに対して、こ のリモナタは、その半額ときている。それからは、見つけるたぴに飲んでしまうのであ る。で、どのような昧か、飲んだことのない人に説明するのに、どうしようかと思って いたところ、帰国後飲んだ「ハチミツ・レモン」が、結構近い味であることに気が付い た。「ハチミツ・レモン」より、もう少し味が薄く、本物のハチミツの味がすると言っ たら、一番いいかも知れない。とにかく、これには随分お世話になったものである。通 常、サクランボ。ジュースも、並んで売っていたが、こっちの方は、何か癖があるよう な感じがして、1度欽んだきり2度目は飲まなかった。
コップの中の白い飲み物、それがアイラ
ン  実は、売店でもう一つ売られているものがある。それが、トルコを代表するヨーグル ト飲料「アイラン」である。日本で言う「飲むヨーグルト」と思えばいい。但し、日本 のものとは味が随分と異なる。日本のものは甘みがあるが、トルコのそれは、酸味が随 分ときつい。店によっては、酸味が押さえられたものもあるらしいが、僕が今回欽んだ ものは、そうではなかった。おまけに、ヨーグルトであるからして、少々とろみがある ので、喉の渇きが本当に癒えるのか心配だったので、あんまり飲まなかった。いやそれ 以上に心配だったのは、「アイラン」のようなヨーグルト系を口にすると、下痢につな がるという不安があったからである。半年前の超下痢ピーは、新鮮すぎるヨーグルトだ ったと思い込んでいるし、今回の最初の下痢ピーも、最初に「アイラン」を飲んだ翌日 だったからである。ついでに言えば、リモナタの飲み過ぎも、おなかには決していい影 響は与えてないはずである。なんせ生水を使っているのは、目に見えているからである。 そういうふうに書けば、最後に絶対必婁な飲み物と言えば、お金を出して買う「水」で ある。多くの外国でと同じく、トルコでもやはり、飲むための「水」は、お金を出して 買わねばならない。500m1で、円に直して30円である。真夏のトルコでは、手持ちの鞄 の中に、「水」を潜ませていることが、何ら珍しいことではない。電車の中で、鞄から 「水」を取り出して飲む姿は、ごく普通である。やはり「水」なくしては、人間は生き ていけないのである。僕も、トルコ到着後、早速この風習を真似、パッグの中にはいつ も「水」を潜ませ、寝る前には、必ず「水」を、ベツドの脇に置いておくようになった のである。
 (注)今、この文を読むと実に懐かしい。というのも、アイランは、今の自分にとっ
  てはなくてはならない物になっているし、リモナタの味を、何とか日本での飲み物
  に楡えようとしているからである。これを書いた、94年の夏は、異常な暑さだった
  ことは確かであり、それ故、異様に水分をとらざるをえず、お腹の調子を崩したこ
  とも、懐かしい思い出である。





【トルコ編】D日本(人)への反応

 トルコで、僕を見て、トルコ人はどのような反応を示しただろうか? まあ、有名な観 光地なら、今の時代、どこにでも日本人は観光に訪れているので、「ジャポン(日本人)」 と声を掛けられ、更に日本語ですら買い物の勧誘に来られることも、別段珍しいことで もない。だから、このような所で日本人と見られても仕方がないが、同じイスタンブー ルでも、あまり観光客が行かない所を歩いていても、周りから「ジャポン」という声が 聞こえてきたり、およそ日本人なんかが来そうもない、ジハンペイリ(コンヤからアン カラ方向へバスで1時間)のような田舎町でも、僕を見て、やはり日本人なのである。 時たま「チン(中国人)jとい声が聞こえたことがあったが、非常に稀なことであったし、 「コレ(韓国・朝鮮人〉」と言われたのも、日本人・中国人と並べて、どれかと言われ た一度だけである。それほど、僕の顔を見て、「日本人」と決めてかかるのである。
 よく、トルコでは、日本に対して好感を持っていると言われることがあるが、では、 彼らが「日本」ないしは「日本人」と聞いて、いったい何を連想するかで、検証してみ よう。まず第一に、「空手」である。8〜9割が、このイメージである.そして、彼らは、 必ず僕に聞くのである。おまえは、空手をできるかと。それに対して、僕はこのように 答える。「自分は、空手など知らない。日本人が必ずしも、空手を知っているわけでは ない」と。彼らは、「ふ一ん」と半信半疑なのである。余りにも「空手」のイメージが 強いわけが、エーイルディール(ウードゥル近郊)という町で明かになった。ロカンタ (食堂)にたむろするお兄ちゃんたちが、新聞を持ってきて、映画の広告欄を見せなが ら、「空手jについて聞いたからである。どうやら日本の空手家が活躍する映画らしい。 そう言えば、トルコ人たちは、「空手を知っているか」という前に「○○を知っている か」と、その空手家の名前を、まず僕に聞いていたようなのである。
 二つ目の日本のイメージは「原爆」である。正直言って、この話は、僕にとって意外 だった。彼らは、大阪や京都を知らなくても、東京と広島・長崎を知っているのである。 ほとんどが、この二つのイメージである、それ以外で言われたのが、「日本は金持ちだ」 が1回、そして「ゲイシヤ・ガール」についての質問を受けたのが、1回こっきりである。 前者は、夜行列車で隣り合わせた学校の先生に、後者は、アンカラの◎◎工科大学出身で、 ブルサのフランス系クラッチ会社に勤める超エリートに言われたことである。後者の人の 質問には、正直言って戸惑った。この人との会議は英語でのもので、僕の頼りない英語に 付き合ってくれたなかでのものだが、「えっ、この知的な人でして、このイメージなのか」 と樗然とした思い出がある。Cへ戻る
 
 (注)その後、すごい間違いにいろいろと遭遇している。例えば、フィリピン人と言わ
  れたときは、まだアジアだから許せたが、アゼルバイジャン人と言われたり、ドイツ
  人、イギリス人と言われたときには、ただただ唖然、呆然であった。




【トルコ編】E交通手段、バス、オトガル

アンタルヤの旧オトガル アンタルヤの旧オトガル  今回は、トルコの交通手段について書いてみようと思う。日本の場合だと、遠出をす るとき、車を降くとJRを利用するのが常であろう。また、それに応えるかのように、都 市間はきめ細かく線路網が、行き渡っているし、新幹線網も随分と拡がった。基本的に 日本は、列車・電車社会なのである。それに対してトルコは、列車の路線は、国土の広 さに比して極端に少なく、列車の本数も少ない。かの有名な「オリエント急行」の終点 となるイスタンブールのヨーロッパ側のシルケジ駅や、また、第1次大戦前のドイツの 東方侵略の象徴、バグダッド鉄道の基点となるイスタンブールのアジア側のハイダルパ シャ駅というような、世界的に有名な駅があるから、ついつい誤解してしまいそうであ るが、基本的にはトルコは、バス社会なのである。
トルコでバスターミナルのことを、「オトガル」と呼ぶ。このオトガルの風景は、大 阪の梅田駅前のバスターミナルなんてものではない。どでかいターミナルビルがあり、 その中には食堂・土産物売り場・売店、果ては理髪店まである。そして、いろんなパス 会社の受付カウンターが並び、お互いに客引き合戦をしている。日本の感覚だと、行き 先が同じなら、受付カウンターは同じだと思ってしまうが、とんでもない。バス会社ご とにカウンターがあるものだから、へたをすると、出発時間の遅いバスや値段の高いバ スのチケットを買わされてしまうはめになる。大きな都市になればなるほど、このオト ガルの規模は大きく、従って客の争奪戦は激しい。ただ僕の場合、外国人だと思ってく れたのか分からないが、客引きの人たちがお互いに相談をして、できるだけ早いパスに 乗せてくれていたようであり、1回を除き非常にスムーズにパスに乗ることができた。
 その1度の例外というのは、ウシャックという町での出来事である。僕は、ここでキ ュタフヤ行きのパスに乗り替えるつもりだったのだが、丁度この町のオトガルに着いた とき、キュタフヤ行きのパスが出ようとしていたので、トイレヘ行く間待っててくれと 言ったにもかかわらず、出発時刻を過ぎていたためか、トイレから戻るわずかの時間の 間に、パスは出ていってしまった。そこで、次のパスの時間を聞いて、真っ青。なんと、 7時間後だというのである。あまりにものことで、すっとんきょうな声を出した僕の周り に、事情を察したトルコ人が集まるわ集まるわ。「どうしたんだ」「そりや、大変だ」 という感じなのである。その中から一人のトルコ人が、僕をタクシーに乗せ、その上、 そのオトガルを通らないで、キュタフヤヘ行くパスの停留場まで行くように、タクシー の運転手に指示を出してくれた。おかげで1時間後のパスに乗ることができ、キュタフヤ には、無事夕刻には着くことができたのである。新たなパスを待っているときに出会っ た少年の、ほんとに細やかな親切と共に、オトガルで僕の周りに集まってくれたトルコ 人たちを、僕は決して忘れることはないだろう。「チョック・テシェキュールエデリム (大へん、有り難う)」。Cへ戻る

  (注)パスの思い出は、数がぎりなくある。上述のものが、最初の大きな驚きであ
   るが、オトガルに寄らないパス、郊外のオトガルヘ行くためのサーピスパス、街
   中のパス会社のオフイスの有効利用と、トルコのパスを乗りこなすには、奥深い
   経験が必要である。







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