アンタクヤ写真館



アンタクヤ2008年版へ


 アンタクヤ、古名アンチオキア。この名前には、古代の大都市の響きがる。セレウコス朝シリアの創始者セレウコス将軍の手になる都市、また、聖パウロが、その活動拠点とした町。初めて、この町に入ったときに、この町の地理的な特性に感嘆した。東地中海沿いに建設されたアレキサンドリア(現イスケンデルン)より山を越したオロンテス川沿いに現れたこの町は、無味乾燥な岩肌を露わにした殺伐としたなかに、ほんの僅かなる緑を従えていた。町に並ぶ家々も、砂色をしているようで、完全に、周りの色合いに同化をしており、この場所でこそ、集住地を作り得たと、逆に納得をさせられたものであった。また、街中に見るアラビア文字、アラビア語らしき言葉に、現在の、この町の地理的な位置も知ることができた。確かに、オトガルでバスを降りると、真っ先に聞こえた言葉が、「アレッポ、アレッポ」「ダマスカス、ダマスカス」であった。外国人相手には、シャムと言わずに、ダマスカスと言ってくれているということを、その後知ることになるが、この町は、シリアへ向かうバスが出ている、国境に1番近い大都市である。シリアの地図によると、このアンタクヤは、シリア領になってることからも分かるように、トルコ・シリア関係が、決して良好でない大元となっている町でもある。ちなみに、隊商都市として、古代において、その名を馳せたアレッポまで、バスで、僅か3時間のところにある。
 2度目の訪問は、それから6年を経てのものだった。町の背後に広がっていた岩肌に、少しばかりの緑が広がっていた。砂色に満ちていた町の彩りも、多彩になったような感触を持った。6年前と同じ夏の日であったが、何やら生気のようなものを、そんなところから感じ取っていた。最初、この町に降り立ったとき感じた、若干ひるむような違和感は消え失せ、確実にトルコの一地方都市化の雰囲気が漂いだしていた。寂しくもあり、寂しくもあり、である。



モザイク博物館
街中、さまざま、、、、


チャルシュ

 アンタクヤを2つに分かつオロンテス川の右岸、それも、真ん中の橋からオトガルにかけて広がるチャルシュは、実に広い。道端に広がる雑貨屋から、商店街っぽい店が連なるかと思うと、狭い路地に古くさくて小さな店が並ぶ。チャルシュのなかに、ちょっとした広場があると、遮光のために、広場の上を、木の枝や蔓で這わせてある。その中にある、ジャーミーに足を踏み入れ、ふっと、今入ってきた入口を振り返る。そこから目に入る光景は、何百年1日、時間が止まったようでもある。






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