息子には、その話をしてなかったんです。地震で、大きな被害を受けたところだと。少し、2人で待ちをぶらついたあと、この町おかしいと思わないかと言って、地震の話をしました。びっくりしてたなぁ、そんなとこに連れてきてと文句まで言っておりました。翌朝には、博物館に行くと、地震の際の写真の展示室があるというので、見せていただきました。まだ、神戸の震災から、時間が、そうは経っていなかったので、余計に生々しい印象を持った記憶が残っています。でも、今回、同じところを訪ねてみたんだけど、博物館自体閉じていたものだから、ましてや、その写真展示室へは入ることはできませんでした。
息子と行ったとき、もう1つ貴重な思い出がある。博物館と並んで、当市の文化センターがあるが、丁度、黄紺たちが、この町に入った日が、この文化センターの柿落としの当日。文化大臣の列席のもと、記念コンサートがあり、誰でも入れるということだったので、息子ともども聴きに行ったという場所でもあるのです。休憩時間には、偶然、その文化大臣氏とすれちがい、言葉をかけていただき、それを、テレビ・カメラに追いかけられるなんて、思い出があるところなのです。
そんな思い出のある町、前回は、エルズルムへ入る前に滞在したんだけど、今回は、ギュムシュハネとバイブルトに入るために入りました。どこかに、昔の古いエルジンジャンが残ってないか、街中を歩いてみました。オガトルと中心の交差点との点対称の位置に、僅かだが残っている。植え込みに囲まれた家並みが、おそらく街路沿いに、そういった光景があったのでしょうね。周りには、小ぶりのチャルシュもあります。ということで、丁度、交通の要所に位置することから、これからも、東に向けて歩を進めていくときに、たびたび訪れることになるだろう。南に行くと、トゥンジェリ、エラズーへ抜けられるんだから。東に行くと、カルス、アルダハン、アルトヴィン、ウードゥルへ行けるのですから。 |