エルジンジャン写真館





 最初に、この町に入ったのは、息子と、初めてトルコを旅したときだった。中部アナトリアを細かく回ったあと、いきなり東に向かってまっしぐら。しかも、シワスから乗ったバスというのが、ドルムシュと呼んだ方が判り易い代物。車の上に、家財道具を積むわ、狭い車の中に、正に身動きすら叶わないほどの狭い空間に、そのままの体勢で、数時間過ごさねばならなかったものだから、高校生の息子にとって、しかも、初のトルコということで、強烈な印象を残したようだった。シワスを出ると、ほぼ草のない風景。そのなかを、延々と東に進んでいく。息子は、それまで、見たことのない風景、乗ってる車が、ましてやそんなだから、さぞや不安だったろうと思う。その風景のなかに、とても不似合いな姿で新しい町が登場する。そう、ここは、有名な地震地帯。町全体が崩壊をして、新しくなってる、それが、エルジンジャンなのです。


 息子には、その話をしてなかったんです。地震で、大きな被害を受けたところだと。少し、2人で待ちをぶらついたあと、この町おかしいと思わないかと言って、地震の話をしました。びっくりしてたなぁ、そんなとこに連れてきてと文句まで言っておりました。翌朝には、博物館に行くと、地震の際の写真の展示室があるというので、見せていただきました。まだ、神戸の震災から、時間が、そうは経っていなかったので、余計に生々しい印象を持った記憶が残っています。でも、今回、同じところを訪ねてみたんだけど、博物館自体閉じていたものだから、ましてや、その写真展示室へは入ることはできませんでした。
 息子と行ったとき、もう1つ貴重な思い出がある。博物館と並んで、当市の文化センターがあるが、丁度、黄紺たちが、この町に入った日が、この文化センターの柿落としの当日。文化大臣の列席のもと、記念コンサートがあり、誰でも入れるということだったので、息子ともども聴きに行ったという場所でもあるのです。休憩時間には、偶然、その文化大臣氏とすれちがい、言葉をかけていただき、それを、テレビ・カメラに追いかけられるなんて、思い出があるところなのです。
 そんな思い出のある町、前回は、エルズルムへ入る前に滞在したんだけど、今回は、ギュムシュハネとバイブルトに入るために入りました。どこかに、昔の古いエルジンジャンが残ってないか、街中を歩いてみました。オガトルと中心の交差点との点対称の位置に、僅かだが残っている。植え込みに囲まれた家並みが、おそらく街路沿いに、そういった光景があったのでしょうね。周りには、小ぶりのチャルシュもあります。ということで、丁度、交通の要所に位置することから、これからも、東に向けて歩を進めていくときに、たびたび訪れることになるだろう。南に行くと、トゥンジェリ、エラズーへ抜けられるんだから。東に行くと、カルス、アルダハン、アルトヴィン、ウードゥルへ行けるのですから。






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