東部への憧れ、その第1関門として、エルズルムが、自分の前に立ちはだかっていた時期がある。初めて、東部に入ったとき、アルトヴィンからカルス方向に流れたが、アルトヴィンからエルズルム行きが目の前にあるにも拘わらず、行かなかったときがある。やはり東部の中心的な町との印象が強かったがため、好ましい情報が、つい数年前まで流れてこなかったからである。にもかかわらず、初めてのエルズルム入りが、息子を帯同してのものだった。懸念が払拭されると、急に大胆になるのが、黄紺の特色だが、正直言って、エルズルムに入る前に、シワスからエルジンジャン方向に入る前の夜は、頭で分かっていても、息子の顔を見ると、尻込みしている自分があった。自分1人だったら考えないようなことを考える黄紺も、まともな父親の顔を持ってしまう。非合理なことを考えてる黄紺なのでした。この後、いつ、息子とトルコへ行けるか分からない、ひょっとしたら、これが最初にして最後の息子とのトルコ旅行かもしれないと思い、理性に従うことにした。あわよくば、一緒にドウベヤズィット、ワンを、息子と行きたかったのだった。でも、全く偶発事故で、そちら方向へは適わなかったけれど、理性に従って、誤りはもちろんなかったのである。
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