カルス写真館




カルス2007年版へ




カルスは、東の果てである。アナトリアの大地というよりは、高原を東に東に向かう。1つの方法としては、その方法である。黄紺も、息子と向かったとき、更に、その思い出を確かめるように、その2年後に、同じように、シワスから真っ直ぐ東に切れ込み、エルジンジャンエルズルムを抜けて行ったことがある。もうこの道に入ると、ほとんど町や村にお目にかかることもなく、ひたすら東に向かうと行ったところか。バスで、イスタンブールやアンカラ方向から行くのなら、これが最短距離である。だが、黄紺は、最初、この町に入ったのは、このルートではない。黒海沿岸から、グルジア、更にアルメニア国境沿いに、海辺から2000m上るルートであった。それも、大型バスの通るエルズルム方向に一旦向かう道ではなく、シャヴシャット、アルダハン・ルートであった。初めてのルートが、エルズルム・ルートであったなら、それはそれで、それなりの感動があったのだろうが、最初に、このルートを知ってしまうと、基準が変わってしまう。それ程、世界が変わる。そして、カルスに入ると、それはまた、トルコを歩いていて、見たこともない風景に出会うのである。そう、ここは、もうアナトリアと呼ぶには気後れがしてしまう。だって、コーカサスなんだもん、この風景は。スカーフをした女性が歩くには、あまりにも似つかわしくない光景が、ここにはある。木の姿が違う。アルメニア教会もある。が、一方に、トルコ人の顔は溢れ、チャルシュの賑わいがあり、オスマンルの伝統的家屋やハマムも、ちゃんとある。でも、空気が違う気がする。他のトルコと。流れてる風が違う、ここは。だから、息子と行ったとき、まず、ここを見せなきゃと、ひたすら東を目指したのであった。



この町にも、例外なく、町はずれにカレ(城塞)がある。これだけの規模の、伝統的都市では当たり前のことである。が、ここのカレは、完全に周りの風景を取り込んでいる。それだけが、過去の遺物として威容を残しているというものではない。カレ自体の規模の大きさもさることながら、それに呼応したかのように、眼下にハマムが生きており、伝統的家屋が、時間が止まったかのように、そのまま生きている。もちろんその演出には、アルメニア教会が、すっぽりとはまってることを見逃すわけにはいかない。いつからか時間は止まっている。そして、それが周りの環境からして、異空間という印象を与えないのがカルスだ。3度目に訪れたある日、ロシア風の建築物の目に付く道端から、比較的高度では、そんなに変わらない位置で、カレを見れることを発見した。それも、不思議と違和感がない。ここまで、様々な文化が流れ流れたであろう地として、それは、まったき当然のことかもしれないが、それは同時に、コーカサスへ、更にユーラシアにつながってることを意識させられるに十分なことであった。このカレから、街並みに戻る道がいい。そこに聳える木立がいい。ちょっとした小川がいい。そして、この町には、町の匂いがある。それもいい。決して心地よい匂いではないが、、、。



アニ遺跡

カルスから、東に約40km、アルメニア国境に沿ってあるのが、アニ遺跡だ。川を挟んで、向こう側に国境監視塔らしきものまで見える。現在、トルコ・アルメニア国境は開いていない。ましてや、両国の間には、過去意趣遺恨のあることは、つとに知られた事実である。確かに、1度目のときは、アニへの道は、意図的に穴ぼこだらけにしてあった。万が一、侵攻があった場合、その侵攻の速度を遅らせる手段と見た。2度目に行ったのは、息子と行ったときであるが、アニは、完全に軍の統括するところとなっていた。手荷物のチェックを受け、カメラは取り上げられての入場であった。そもそも、息子と初めて、いや、未だ1度だけであるが、トルコへ行くという話が決まったとき、行くところとして、先ず頭の中をかけたのが、このカルスを始めとした、グルジア・アルメニア国境沿いであった。なかでも、ここだけは、見せておきたい。またいつ来れるか分からない、だから、まず、ここだと考えたところである。11世紀あたりに栄えたと言われているアルメニアの都市遺跡。現在は、その城壁と、幾つかの教会跡が残る。その後、ここを陥れたトルコ人によるジャーミー跡も、1つ残る。それもこれも、全て、シルク・ロードの夢の跡である。真下に流れる川沿いに沿い、雄大な光景を残すこの都市遺跡、規模の大きさからして、その繁栄が伺いしれる。それは、確実に、この地に今も残る教会の数、規模からも知ることができるのである。ここへ来ると、やはり帰りたくなくなる黄紺なのであります。






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