カルスは、東の果てである。アナトリアの大地というよりは、高原を東に東に向かう。1つの方法としては、その方法である。黄紺も、息子と向かったとき、更に、その思い出を確かめるように、その2年後に、同じように、シワスから真っ直ぐ東に切れ込み、エルジンジャン、エルズルムを抜けて行ったことがある。もうこの道に入ると、ほとんど町や村にお目にかかることもなく、ひたすら東に向かうと行ったところか。バスで、イスタンブールやアンカラ方向から行くのなら、これが最短距離である。だが、黄紺は、最初、この町に入ったのは、このルートではない。黒海沿岸から、グルジア、更にアルメニア国境沿いに、海辺から2000m上るルートであった。それも、大型バスの通るエルズルム方向に一旦向かう道ではなく、シャヴシャット、アルダハン・ルートであった。初めてのルートが、エルズルム・ルートであったなら、それはそれで、それなりの感動があったのだろうが、最初に、このルートを知ってしまうと、基準が変わってしまう。それ程、世界が変わる。そして、カルスに入ると、それはまた、トルコを歩いていて、見たこともない風景に出会うのである。そう、ここは、もうアナトリアと呼ぶには気後れがしてしまう。だって、コーカサスなんだもん、この風景は。スカーフをした女性が歩くには、あまりにも似つかわしくない光景が、ここにはある。木の姿が違う。アルメニア教会もある。が、一方に、トルコ人の顔は溢れ、チャルシュの賑わいがあり、オスマンルの伝統的家屋やハマムも、ちゃんとある。でも、空気が違う気がする。他のトルコと。流れてる風が違う、ここは。だから、息子と行ったとき、まず、ここを見せなきゃと、ひたすら東を目指したのであった。 |
カルスから、東に約40km、アルメニア国境に沿ってあるのが、アニ遺跡だ。川を挟んで、向こう側に国境監視塔らしきものまで見える。現在、トルコ・アルメニア国境は開いていない。ましてや、両国の間には、過去意趣遺恨のあることは、つとに知られた事実である。確かに、1度目のときは、アニへの道は、意図的に穴ぼこだらけにしてあった。万が一、侵攻があった場合、その侵攻の速度を遅らせる手段と見た。2度目に行ったのは、息子と行ったときであるが、アニは、完全に軍の統括するところとなっていた。手荷物のチェックを受け、カメラは取り上げられての入場であった。そもそも、息子と初めて、いや、未だ1度だけであるが、トルコへ行くという話が決まったとき、行くところとして、先ず頭の中をかけたのが、このカルスを始めとした、グルジア・アルメニア国境沿いであった。なかでも、ここだけは、見せておきたい。またいつ来れるか分からない、だから、まず、ここだと考えたところである。11世紀あたりに栄えたと言われているアルメニアの都市遺跡。現在は、その城壁と、幾つかの教会跡が残る。その後、ここを陥れたトルコ人によるジャーミー跡も、1つ残る。それもこれも、全て、シルク・ロードの夢の跡である。真下に流れる川沿いに沿い、雄大な光景を残すこの都市遺跡、規模の大きさからして、その繁栄が伺いしれる。それは、確実に、この地に今も残る教会の数、規模からも知ることができるのである。ここへ来ると、やはり帰りたくなくなる黄紺なのであります。 |
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