マニサ写真館




 黄紺にとって、マニサは、お気に入りの町の一つである。最初は、単に、イズミル近郊の町としての認識しかなかった。そのため、ぶらりと行ってみた町。そのぶらりが、大正解。全く、この町については情報がないなか歩いてみる。ジャーミーに名前ぐらいは判っていたかもしれません。イズミルから小1時間で着いたオトガルから、人の流れに着いていった記憶があります。すると、しばらく行くと、街の中心と思しき公園に至る。更に、その周辺をぶらついていると、えらく整ったジャーミーの姿が飛び込んでくる。まず、その一つ目の前にたむろする小学生たち。導かれるままに入ると、どうやら、コーランの学習をする子どもたちと判る。ホジャと、彼らが言う男性に、招かれるようにしてジャーミーの中に入る。このジャーミーの先に、いやに威風堂々としたジャーミーがある。見るからに形が整っている。それが、ミマル・シナン作というムラディエ・ジャーミーだった。素人の目にも、重量感、窓の多さが、只者ではない雰囲気を感じてしまう逸品だ。小ぶりだが、形が整っているのだ。まさか、まさかの出逢いであった。更に驚きは続く。そのジャーミーの背後が、急勾配の坂になっている。取り立てて、獲物を見つけるつもりで上がったわけではなかったのだが、引き寄せられるように坂を上がっていくと、最後は、道があやしくなっていった、当時。だけど、何やらあるようとの感覚が、どんぴしゃ。その上に、歴史的には、どう見ても一番古いとしか言いようのないウル・ジャーミーがあったのだ。平板な屋根、従って、柱が幾つも林立するジャーミー。ひょっとすると、キリスト教会からの転用も伺わせる古風なジャーミーがあったのだ。また、その周辺には、決して豊かとは言えない古臭い家々、また、その高台から振り返るマニサの街が一望できることから、黄紺は、一挙に、マニサという街のグレードが上がってしまったのだ。このとき、一つの宿題ができてしまった。こちらに、博物館あるものが存在していたのだが、月曜日だったこともあり、入れなかったのだ。但し、今から思い起こせば、当時、開館していたか定かではないという雰囲気があったのだが、それを口実に、再訪できるじゃんの考えを持ちつつ、イズミルに戻ったのだった。

チャルシュ&オトガル横のパザル

 2回目も、イズミルに滞在しながら訪れたものだった。前回、訪ねたところの確認と、博物館へ入るのが目的だったのだが、なんともうつけた話で、その日も、月曜日だったのだ。それを、博物館の前に来て、初めて気が付く低駄落。そんなで、本当に、単純な再訪の域を出るものではなかった。3回目は、その記憶が強烈に残ってることもあり、且つ、この町を基点に、サルデスの訪問などを考えていたために、この町に留まることを企図した。以前来たときに、目を付けたいたオトガル横のホテルは消え、それに替わるホテルは、オトガル近くには見つけられず、街中に入っていくと、わりかしホテル探しが厄介な町である。しかし、それをしている間に、どんどんと、それまで知らなかったマニサが、目に飛び込んでくる。しかし、近年、急成長した町ではないことは明らか、町としての機能が、適当にバランスがとれている。行政ゾーン、チャルシュ・ゾーン、うまい具合の調整がとれている。フェネルバフチェのオフィシャル・ショップまで揃っている町らしい顔も持っていてくれるのだ。そんなことを感じつつ、地図を広げると納得なのである。イズミル方向は、もちろんのこと、バルケシル、アラシェヒル、また、ウシャク方向へと、道が、交差する重要なポイントの位置を占めているのが、ここマニサなのだ。

歴史的建造物

↑サルハン・ベイ墓↓

→スルタン・ジャーミー

ミマル・シナン像

→ムラディエ・ジャーミー

→ウル・ジャーミー

アリ・ベイ・ジャーミー





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