ムーラを、「ムーラム」と勝手に名付けて、「私のムーラ」と呼んでいるほど、この地方都市を、黄紺は気に入っている。初めて、このムーラに入ったのは、アンタルヤから、地中海沿岸を細かく回り、ぼちぼちイスタンブールに戻らねばならないときが近づきつつある日、フェティエから、1日だけ余裕ができたのである。その後訪れることになるダルヤンが、どのようなところかもあまり知らず、近くにはマルマリスもあるしと、ならばマルマリスが常識的なところにもかかわらず、一つには、マルマリスを残しておくことにより、ボドルムと一緒に行くことができると判断したこと、もう一つには、そこに何があるか分からないが、きっと楽しませてもらえるはずだという、黄紺の地方都市に対する思い入れであった。だから、フェティエから、迷わずミニバスに乗り、ムーラに向かった。このあたりは、パムッカレの本拠らしく、ミニバスを、ふんだんに走らせている。
ムーラは、この地域の行政の中心地で、アンタルヤ方向、デニズリ方向、イズミール方向の分岐点になってるので、そのような位置を与えられたのだろう。もちろん超リゾ−ト地マルマリスまでは、小1時間で行ける距離である。従って急にのし上がってきた街ではないので、街が整っている。当時はオトガルが、中心部にあったので、いきなり街中に着く。アタテュルク像のある広場まで、ものの100m程のところにである。木立の整った道など、なかなか落ち着いた雰囲気。遠くに見える山は、見事な岩肌を晒しているという、トルコで、よく見る光景。このあたりまでは、随分整った街という印象だけで終わったろう。件の広場には、こんな規模の町にしては珍しく、インフォメーションがあった(但し、2001年末には姿を消していた)。すると、伝統的家屋が残っているという。町の地図をもらい、その位置を詳細に聞いたのが、驚きの、何もかもの出発点であった。恥ずかしい話ながら、黄紺は、この家屋群のことを、全く知らないで、ムーラに入ったのだった。ここのチャルシュも、なかなかいい。町づくりの計画が行き届いているのか、うまく行政地域と住み分けがなされている。そのなかを抜けて抜けて、いつしか地図から離れて、好き放題に歩き出していた黄紺の目に、なんとも言えない、今まで見たこともない風景が現れだしたのでした。見つけたときですら、これだけ、広範囲に渡ってるとは、思いもしなかった、その家屋群が、黄紺の前に、紛れもなくあったのだった。
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