街は、大雑把に言えば、1本の大通りに、90度に交わる大通り、この2つの大通りが、直角に曲がる感じで繁華街が続いている。その角に、この町一番のホテルがあり、その1階の部分には、トルコ航空のオフィスが構えている。そこから、アタテュルク・スタジアム方向に行く大通りの裏通りとして、商店が連なる細めの賑やかなとおりがあるが、ほぼそれだけだと言っていい。あとは、もう1つの大通りから、チャルシュに入る道が、何本もあるという感じか。だから、こちらの方が、かなり古臭い地域である。
ウル・ジャーミーも、そのチャルシュの奧にあるから、どうしても、足は、そっち方向に向いてしまう。こっち方向に入るには、かなり勇気がいる。恐らく、日本人など、よく見てて、TVでくらいだろうこの地の人たちは、とにかく寄ってきて寄ってきて、振り払おうとしても振り払えない。なかでも、子どものしつこさは、尋常ではない。ウル・ジャーミーに着く頃には、まあ、30人はいたでしょうね。まるで、これじゃ、小学校の教師が、どこへやら校外学習に行く風情そのものだ。但し、シールトの場合には、そこに、大の大人が、多数含まれているのである。迂闊に、「中へ入れるんやろか?」などと、声を掛けた日には、オレが、ガイド役に指名されたかのように、徹頭徹尾ミサヒルルックを発揮してくれるが、こちとらは、そこまで依頼してないから、徐々に鬱陶しくなってくる。完全押し売り状態。だから、肝心のウル・ジャーミーも、ゆっくりとは観ることができない。だから、黄紺は、翌朝、ひっそりとしたウル・ジャーミーに、もう1度行くことになる。すると、人だかりで把握できてなかった周囲の様子も、自ずと、目に入る。だけど、扉は閉まったまま、無論、ウル・ジャーミーの。うまくはいかない。黄紺は、人を見に来たわけじゃないのに。
この町は、クルド人の町だということは言うまでもない。ちょっと世間話になると、彼らは、必ずと言っていいくらい、俺たちは、クルド人で、ここは、クルディスタンだと言う。そして、クルド語を知ってるかと聞いてくる。「ノヴェタ・チェア」、、、どーっと来る。黄紺が知っている唯一のクルド語だ。これは、ワンのチャルシュで、小学生に教えてもらったものだ。どーっと来たついでに、チャイハネで、チャイをよばれながら、クルド語を、幾つか仕入れた。今度、東へ行くときのために、頑張ってメモりました。イスタンブルへ戻ると、クルド語の解説書ないか、探すんだけど、まだ、見つけてない黄紺です。ま、探す時間も、あまりないんだけどね。
シールトへ来ると、必ず、アタテュルク・スタジアムへ行く。かつて、シールト・ジェットパが、1部リーグに所属していたときには、フェネルバフチェもガラタサライも、ここで試合をしたのだから。そないなことで、スタジアムの周りをうろついていると、1人の男性と知り合った。お話を伺うと、かつてのシールト・ジェットパにしろ、他の種目のスポーツにせよ、シールトのスポーツ・クラブのなかの組織だと言う。要するに、ヨーロッパ型のスポーツ・クラブが、ここ、シールトでも、完全に根付いていた。説明をしていただいた方は、ボクシング部門の責任者で、且つ、トルコのナショナル・チームのコーチもされている大変な方だった。スポーツ・クラブ全体の様子も見せていただく機会もいただいた。観客席まで付いている屋内コート、プール、年代別に指導が行われているサッカー、テッコンドーや柔道まで。レスリングのコーチも、ナショナル・チームのコーチを務められていた。日本の場合は、こういった青少年の育成は、学校が担ってきたが、まさに、そうじゃないヨーロッパ型の組織が、この東南部のシールトまで伸びているところに、奥深さを感じないわけにはいかなかった。 |