シリフケ写真館





 シリフケには、今まで、2度入ったことがある。1度目は、北キプロスからシーバスに乗り、タシュジュに着いたあと、この町に投宿したときだった。夏だっこともあり、カラカラに乾いた気候のなか、川沿いに緑がある、それだけで、気分が随分と癒されたものだった。そのときは、北キプロスのギルネ港で会った同業者と一緒に渡り、この町まで来て別れたが、道すがら、旅の上級者であった方だったので、興味あるお話を伺った思い出が残っている。また、そのとき投宿したホテルでは、文筆活動をされている方ともお会いして、一緒に食事などをしたところでもある。こんなところに日本人が泊まってるというので、ホテルの方を通じて、お声をかけていただいたことがきっかけであった。夕食を、ご一緒しているとき、アラブ人のご一行様が、車で横付けされたときの光景は驚くべきものだった。召使いと思しき人たちを連れての旅すがらで、小お大尽という感じで、あの横柄と言うか、威張り散らした振る舞いに、黄紺などは、目が点になったが、横にいた文筆家の方は、また、ご自分の経験から、こういった光景を解説もしていただいたことは、今でも、はっきりと記憶に残っている。
 そのときは若かったんでしょうね、まだ。シリフケ城も上ったしと書いちゃえば簡単なことだが、ここのカレは、見上げると手近く感じてしまうのだが、なかなかアクセスが大変で、いざ、上ってみると、見晴らしは抜群なのだが、上ったメリットは、そのくらいで、上は瓦礫の山だ。でも、そんなことを試みたり、また、傑作な話だが、博物館に行って、アヤ・テクラへの道を尋ねると、目の前の小高い山を越えて行けと言われ、半信半疑ながら、途中の道に、ときどきある家の家人に尋ねると、道は間違っておらず、だけど、不安で不安で、でも、1時間後には、本当に到着できたなんていうすごい思い出がある。よくぞ、人の言葉を信じて、あのような道を歩いたものだと、振り返ってみると、自分の向こう見ずさを考えないわけにはいかない。
 シリフケを出る朝、ホテルで食事をしているとき、この辺でガイドをしているという方から、ウズンジャ・ブルチの存在を告げられ、ぜひお勧めしますというお言葉をいただいた。ドルムシュの乗り場まで教えていただいたのだが、その方が、そんな話をしたあと、今日は日曜日だからだめだわぁと言ったので、予定を1日延ばすことを、そのときは選ばず、次回のお楽しみとして、メルシン行きのバスに乗り、1度目は、この町を離れたのだった。

ウズンジャブルチ

 ヘレニズム時代の都市遺跡です。神殿跡、都市門、劇場跡、墓場跡など、見るべきもの、多数です。

 2度目は、メルシン方向から入った。中型バスが、メルシンとの間には、1時間に1本は走っている。わりかし街の作りを鮮明に覚えているので、シリフケが近づいてくると、「タシュ・キョプル(石橋)で降ろして」と言う。10年前は、町外れにあるオトガルから出たバスは、メルシン方向へ行く場合でも、多少遠回りになるのだが、このタシュ・キョプルで、客を拾ってから郊外へと出かけていたからである。だが、実際に、降ろされたのは、タシュ・キョプルより1つオトガルよりの橋のたもと。訝しがる黄紺に、「あの人が行くから、お前も一緒に行け」とのお言葉。なんてことはない、早くも、到着早々、この街を縦断する川沿い散策をしてしまったのだ。こう言っちゃなんだが、10年前は、とってもとっても田舎町だったシリフケが、そうじゃなくなっている。殊に、カレに向かって右岸地域の新しさが、目を惹く。ちょっとお洒落をしているのだ。川沿いには、チャイ・バフチェシなども作られている。そうそう、タシュジュから着いたとき、そのドルムシュ乗り場付近で、喧嘩が始まったよな、喧嘩を止めるときの言葉、そんとき覚えたよなという思い出のある場所も、きれいに整備されてしまっていて、なんか居心地が悪い。これが、カレに向かっての左岸。こちらの方が、街の中心で、まだ、古い佇まいが残っているが、かつて、文筆家氏らと食事をした場所など、もう、どこかすら判らないほど、普通の街になっていた。どんどんと、トルコの町のどこへ行っても、同じような風景が展開してきているが、ここシリフケも、それに、完全に組み込まれてきている。
 ウズンジャブルチに行くドルムシュ乗り場、10年前に教えてもらったところを覚えていたので、その辺まで言って尋ねると、どんぴしゃ、変わってなかった。あとは時刻を待つだけ。相変わらず、地方のドルムシュは、「ちょっと荷物があるだに、俺んとこさ、寄っちょくれや」の世界で、やけに時間がかかるけれど、地域の人たちの生活ぶりが伺い知れる絶好のチャンスだ。そして、ようやく帰りよりかは15分から20分余計にかかって当地に到着。遺跡の側に、村があるので、定期的にドルムシュが走ってる模様。また、お目当ての遺跡も、目の前というこの上ないロケーション。とてもコンパクトにまとまっているので、見学が随分と楽だし、内容も、とても満足のいくもの。一回りして帰ってくると、日本人と思しき女性が、地元の人と話してる。どうも、シリフケというところ、よくよく日本人と会うところらしい。東南部の遺跡巡りをしているというこの方と、ドルムシュ待ちの間、しばし談笑。ついでに、情報交換。なかなかディープなところを回っておられるので、黄紺も、それに見合う情報を提供。ひょっとしたら同業者かなと感じつつも、そこには触れず、シリフケの街に戻ったところで、旅の無事を祈ってお別れ。黄紺が、地方都市で、日本人と会う確率の高い町として、ここシリフケは、ワンと並んで、1.2位を競っておりまする。

アヤ・テクラ (古代キリスト教遺跡)

 翌朝、アヤ・テクラ再訪を実現した。もう、道はというか、どういった見当で、歩いていけば近道かは判っているので、その方向に歩いていくと、やがて表示が出ていたので、アクセスは楽勝。実は、この道を覚えたのにもわけがある。10年前、帰り道、ほんの少し歩き出したところで、壊れかけたバイクに乗った1人の青年に会い、そのバイクの後ろに乗せてもらい、町の近くまで帰ってきたんで、近道というか、ノーマルな道を覚えたのだ。もう1度、山越えなどは、およびもつかない黄紺は、記憶のみを頼りに歩き出したら、どんぴしゃの大正解だった。ただ、バイクの後ろ乗りのときも、かなりの急坂だったのは覚えていたが、今度は、逆に登る身。なかなかの急勾配だが、なんせ、距離はしれたものだから、到着をしてみれば、そんなに苦になるものではないだろう。ところで、アヤ・テクラは、原始キリスト教時代の貴重な遺跡。地上を見ている分には、その立派さが分からないが、地下に入ると、地上の荒野も合わせて、ここにかつて住んだ信徒らの信仰の深さに思いを馳せてしまう。ただ、その篤信性を感じる黄紺にとって、まあ、毎度、訪れるのが真夏だからだろうが、もう、暑くて、暑くて、その暑さにまいってしまうのが、アヤ・テクラでもあるのだ。



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