トラブゾン写真館




 トラブゾンに行くまでは、何某かの憧れのようなものがありました。「黒海沿岸」なんてのもあったでしょうし、「トルコの東北隅」なんてこともあったでしょうし、「ハムシを食べる人たち」と、揶揄される黒海沿岸の人たちにも興味がありました。「トラブゾン・スポル」の存在も大きかった。そういった一般的なものに加え、個人的な情報も、この町には多く寄せられていたがために、いつしか憧れのようなものが生まれてきたのであろう。最初に入ったときは、同時に、カルス方面から戻ってきた黄紺が、職場の同僚を、トラブゾン空港に迎えたときでもあり、また、トラブゾン・スポルの熱狂的なサポーターに圧倒されたときでもありました。実際、街中を歩いていると、この町だけではありませんが、かなり背後の山が海岸に近づいています。黒海沿岸道路から、メイダンまで上がるのも急坂ですし、街は横長だしと、平地のとっても少ない町です。緑も多く、日本に似た環境かな? 夏は、そんなに気温も上がらないしと、住み心地は良さそうという感じの町です。黄紺にとっては、東方教会の跡を辿るにも、いいものが残っていますので、それらを探検する楽しみがある町です。そう言えば、まだ、高校生だった息子を連れて、近郊のスメラにも行きました。あの日は、でも、大変衝撃が走った日でもあったのです。久しぶりに、息子が、日本に電話を入れると思いもしないことが起こっていたのでした。もう、あれから随分と日が経ってしまったものだと思います。

メイダン

トラブゾンの中心部

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. 城壁



城壁界隈
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キリスト教会群

トレビゾント帝国の跡を辿ることができる東方教会が幾つか残っています

チャルシュ  →→→→

海岸通りからメイダンにかけて坂上に広がっています
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 トラブゾン1泊目が、トラブゾン・スポルが、UEFA杯でスロバキアのクラブと対戦した日でした。それが、また、空港に降り立つはずでした同僚を迎えた日と重なります。サッカーに、その人たちは見向きもしてくれませんでしたので、当日は、観戦できなかったのですが、その夜が、もう大変。街中を、試合に勝ったものですから、深夜遅くまで警笛を鳴らして走り回る車に、街中で騒ぎ立てる人たちで、すっかり寝不足に。フェネルバフチェとの一戦で、スタンドでサポーター同士の衝突があったときも、同じマラトンでも、反対側にいたために、事態の大きさに気がつかず、TVを観て、びっくりした思い出も、ここにはあります。そうそう、息子とサッカー観戦もしています。プレシーズンマッチだったのですが、その年は、春にウィーンで、そして、夏にトラブゾンでと、サッカー観戦を、息子としたのでした。新しいオフィシャル・ショップができて、もう、だいぶと経ちますが、2階には、優勝カップ等が展示されています博物館がありますから、お立ち寄りの節には覗いてみて下さい。

トラブゾン・スポル

 貧しいところから豊かなところへと、人は流れます。このトラブゾンでも、それを見ることができます。東へ2時間半ちょっとで、ホパですから、この地域には、旧ソ連系の人たちが、多く入ってきています。なかには、怪しげな商売目的で入ってきている人もいるのだと思います。「ナターシャ」なんてのは、そのいい例かと思います。年が経るなかで、その怪しさも減少傾向にあるのではと思っています、ただ、表向きだけかもしれませんが。トルコ語を上手に操る旧ソ連系の人たちの店が、このルス・パザル。他の黒海沿岸諸都市やワンでも見かけます、この名前を掲げた市場。トラブゾンでは、現在は、アクチャバト方向へのドルムシュが出るガラージ近くにお引っ越しです。ちょっと行きにくいところっていう印象は拭い去ることはできません。

ルス・パザル(ユーラシア・パザル)

以前あった場所



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