クサントス写真館






雪深い春先に、寒すぎるアナトリアのど真ん中を、すっと抜けてアンタルヤに出て、あとは暖かい地中海岸を巡ったことがある。春先に、2週間も時間をかけて、トルコを巡ったのは、振り返ってみれば、このときしかないことになる。いわゆるオフというやつで、随分と歩きにくかった思い出がある。このクサントスへ行く前日、パタラに行ったときがそうだった。が、このクサントスは、カシュからフェティエへ行く街道の途中にあるので、アクセスというだけでは、これ程簡単なところはない。そもそも、日本を発つ前は、クサントスの名前は知っていたが、そのアクセス法などは全く知らず、確か、カシュで聞いたか、パタラへ行くためにタクシー化したドルムシュのカプタンに聞いたはずである。それで、フェティエへ行く前に、自前の重い荷物を担いだまま行った記憶がある。それで、荷物に困ったという記憶がないほどの距離であったのだろう。街道から分かれて、左の道を上がると、もうそここは、古代リキヤの夢の跡である。ただ、寒くて逃げてきた甲斐があってか、春先だというのに随分と暑かった思い出がある。海岸線が、古代と比べて後退したとは言えやはり、もうここは、地中海のすぐ側なのである。

アンタルヤ界隈から、本道というよりか、地中海沿いの脇道のような道、そうドルムシュしか通れない道を来たせいか、古代リキヤの史跡には慣れたきていた者にとっても、先ず目に飛び込んでくる、2つの聳え立つ石棺に目を奪われる。恐らく周囲にあったものが崩れ去り、それだけが残ったであろう石棺は、ここにきても特異である。また、その前に広がる瓦礫の山が、その想像を掻き立ててくれる。その前にあったものは、多分、神殿跡なのだろう。地中に深く堀込んだ跡がある。その上には列柱が並んでいたことが想像される。いずれも、規模は、頗る大きい。劇場跡も、規模からして、ここクサントスに、相当規模の権力の存在があったことに思いを馳せるに十分なのである。近くには、パタラ、レトゥーンもある。黄紺は、残念ながらレトゥーンは未見だが、恐らく、地中海を前にした交易都市が、この一体を賑わしていたのであろう。帰りは、元来た道を戻り、街道を走るバスを止めればよいのである。体を張って止めるほどの寂しいところではない。最初の坂道の下には、ちょっとした集落があるから、そこまではしなくても良いのである。







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