忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


黄紺のお部屋〜紀行編〜



2011年 3月 12日(月)午前 4時 35分

 昨日は、天気がいいので、これはウォーキングをと意気込んだのですが、腰に筋肉痛が出ている。一昨日、病院に行くのに、ミニウォーキングがてら歩いては行ったのですが、筋肉痛を起こすほどは歩いていない。とにかく、1年半ほど前に、股関節が痛み出す前って、これに似ていたなの記憶が甦り、通常のウォーキングは断念。ま、実際には、ウォーキングをしようかという時間帯には雨が降って、やる気になったとは思わないのですが、準備段階で断念ということです。
 とりあえずは、月に1度の楽しみ「一心寺門前浪曲寄席」へ行ってまいりました。昨日の番組は、次のようなものでした。松浦四郎若(岡本貞子)「藤堂高虎」、真山誠太郎(真山裕子)「刃傷松の廊下」、泉敏栄(岡本貞子)「無筆の出世」、三原佐知子(岡本貞子)「ああ残留孤児」。前の3人は講釈ネタ。「藤堂高虎」には「出世の白餅」という題もついています。泉敏栄さんは、初遭遇の浪曲師さん。とてもよく伸びる声を持っておられ、節はなかなか聴かせてくれます。ただ語りが弱いな。それが残念なところ。「無筆の出世」の発端はえげつない話。こいつは無学無知だから、試し切りに使ってくれという書状を持って使いに出された下人が、たまたまその書状の内容を知るところから始まります。そこから文字を覚え出世をしていくとなるわけです。「残留孤児」は2回目かな、遭遇は。現在と過去がオーバーラップしながらの進行。残留孤児が来日しての肉親捜し、そのテレビ画面を見つめる肉親という設定に、現在はなっている。この話の議論を呼ぶかもしれないのは、その二人を会わせないところ。母親が再婚し、血の通わない子どもらの世話になっているとなっているからなのです。浪曲の常として、複雑な話は似合わないので、それ以上は突っ込まない構造になっているのが、なんとももどかしい。これは、前回も同じことを感じた記憶があります。
 一心寺から歩いてワッハに移動。せっかく大阪に出たので、まっすぐに帰るのはもったいないとばかりに、視聴覚ライブラリーを利用して帰ることにしました。その視聴ラインナップは次の通りです。@「特選!米朝落語全集(23)」、米朝「ふたなり」A「講談と評話〜伝統話芸の比較研究〜」(シンポジウム「日中両国の伝統話芸、日中友好講談大会」)、(1)講談入門、神田陽子・神田京子「鉢の木」、神田陽子「加賀の千代」から、(2)中国講談、袁小良・王瑾・王池良・南左衛門「対談」、王池良「三国志」より長坂橋の戦い、袁小良・王瑾「水滸伝」より潘金蓮。@は、先日枝雀で同じネタを聴いて、序盤をカットをしていたので、その確認用に聴いてみました。結構カット部分が長かったはずという記憶だったのですが、その通りで、10両という金が要るようになったというくだりが語られます。それが至ってバカバカしく、枚方の宿で廓に居続けた経緯が語られます。Aは、「牛の丸薬」を聴きたくて、「牛」で検索したらひっかかってきてびっくり。中国講談の口演が記録されていたこと自体、大ヒットです。映像資料は、黄紺も実際に現場にいたワッハでの公演のもの。「三国志」は、曹操の大軍を迎え撃つ張飛の豪傑ぶりを描き、「水滸伝」は滑稽もので、ある醜男の弟が虎退治のヒーローで美男、またその醜男の妻は美人、美男美女が出会ってどうかなる話のようですが、この口演では出会いが、楽器入り、また2人の掛け合いで演じられました。馬の描写がリアルで記憶に残っていたのですが、それは「三国志」の方でした。Aの映像資料には、「日本の講談」というパートも用意されていますので、それは次回の楽しみです。松鯉や琴梅、南左衛門らが収録されていますので、とっても楽しみな資料です。「牛」で検索したら出てくるということを覚えておかねばなりません。
 昨日、検査の結果、短期間で仕事に復帰できることが判明できたので、ワッハを5時半あたりで切り上げ、文楽劇場へ。4月公演のチケットを買わないでいたので、買いに行きました。普通の生活に制約を加えなければならなくなって、あらためて普通の生活ができる喜びを感じるってやつです。4月は、「講談毎日亭」最終シリーズのあることですので、また手術の時期を避けてチケットを購入。「帯屋」が出るんですよね、4月公演では。楽しみやわぁ。




2011年 3月 11日(日)午前 6時 44分

 日は、朝から気になる検査の日。体調不良の原因が明らかになった日でした。結果は、自分的には、最良のもので、こないな都合のいいことは、さすがにないだろうと思っていたものです。まだまだ運には見放されてはいないようです。一時は、ほぼ諦めかけていた3月の末に予定していた旅行は復活、これが何よりも嬉しい話です。但し、帰国後すぐに手術を受けねばならないのですが。ま、これは想定済みのこと。ということで、機嫌よく、夜は繁昌亭にお出かけ。今夜は、「風一門会」がありました。このチケットは、先日の「できちゃった」でのチケット・プレゼントで、三風さんからいただいたもの。行くような気分になるかは別にして、昨夜は空けてあったのでいただいておいたところ、どんぴしゃで役に立ちました。番組は、次のようなものでした。三風・風喬・風車「対談」、風喬「金名竹」、風車「太鼓腹」、三風「道頓堀川(?)」、(中入り)、風車「お見立て」、風喬「堪忍袋」。この会の会主は風喬ですが、その風喬の出来栄えはバッとしたものではありませんでした。「金名竹」の丁稚さん、アホげな可愛いらしさが持ち味なんでしょうが、もう一つ物足りない、「堪忍袋」の方は、話をはしょったのがまずいなぁ。夫婦喧嘩のお互いの言い分の可笑しさを、もっと楽しませてくれなきゃ。冒頭の雄叫びのような喧嘩が生きてきません。トリなんだから、もっと大ネタを用意しているのかとも思っていたのですが、ちょっと外された気分でもありました。三風のネタは、道頓堀川に棲息する亀の言葉で、エコを語るというもの。「できちゃった」で「師匠の作品をするつもり」と言っていたので、三枝の作品リストを調べたのですが、よく判らなかったもので仮題として書いておきます。聴いたことのないネタでした。風車は初遭遇。東京の二つ目さんです。痩躯で、声がべちゃとした、そないな特徴のある噺家さん。番組に変化をつけるネタ選びに拍手。東京の太鼓腹は、実際に針を刺すところになると噺は終わりへ、その前の若旦那と幇間の会話を楽しむもの。「お見立て」は、黄紺の好きな噺。我が儘な花魁に翻弄される田舎のお大尽。仲を取り持つ使いっ走りの男の困りも可笑しい。やはり、この人、声で損をしています。表現の幅を狭くしてしまっています。ということで、ちょっと付録のような時間、何はともあれ、こういった長閑な時間を持てたことに感謝です。




2011年 3月 10日(土)午前 1時 12分

 今日は、一日朝から雨。鬱陶しいんだけど、雨が降るたびに、少しずつ暖かくなっていってる感じがします。今夜は、雨のなか京都観世会館であった「第225回市民狂言会」に行ってまいりました。前回に行ったときに、ちゃっちゃと今回のチケットを買っておいたのです。前回に続き、小ぶりの曲を、若い人たちが演じるという番組作り。千之丞師も亡くなり、こういったところにも、時の移ろいを感じますが、その番組は、次のようなものでした。「花折」(茂山童司)「鞍馬参り」(茂山あきら)、(中入り)、「左近三郎」(茂山逸平)「長光」(松本薫)。「花折」は、桜の木の下での宴会風景がいいです。立衆の謡が、新発地の舞が、雰囲気を作ります。立頭は茂山茂が務めました。「鞍馬参り」は珍しい。横着な太郎冠者は、参詣に行き、主の前に座ります。呆気にとられて、どよめくような笑いが起こります。いきなりおかしなことをするものです。終盤は、福渡しというおかしなことをします。ご霊夢で福を授かった太郎冠者が、その福を譲ると言って、主を弄ぶ話です。2人で演じる曲なので、もっと出てもいい曲だと思いました。アドの主は丸石さんでした。「左近三郎」は、明治以降の作品とか。狩人と僧という組合せだけで、話の筋が見えてくる。でも、それだけでは終わらないのがミソ。殺生をする狩人が、仏教に詳しいのである。これが、可笑しいですね。なおシテは、七五三さんの予定だったのですが、体調不良ということで、息子の逸平くんが務めました。アドは千三郎。千三郎も齢を重ねてしまいました。その分、からかわれて困る僧がいい感じ。「長光」は「太刀奪」と酷似した曲。市場の場面なんて同じですね。松本薫がスッパで、田舎者を正邦、目代を良暢が務めました。




2011年 3月 8日(木)午後 10時 47分

 昨日は、久しぶりにまっすぐ帰宅。夜中に、気になる腹痛。不安が、再び大きくなってしまったのですが、今日は、出勤日で、だいぶと気が紛れ、ラッキーな一日。ただ暖かくなり、眠気を誘われてしまいましたが。夜は、ワッハの4階であった「らくご道〜笑福亭生喬と桂こごろうの落語会〜」でした。最近は、毎月通っているお気に入りの会です。番組は、次のようなものでした。生喬「前説」、こごろう「向う付け」、生喬「三人兄弟」、(中入り)、生喬・こごろう「対談:夕焼け日記」。こごろうの「向う付け」は、「くやみ」の部分が一切なし。弔問客は、次から次へと名前を書かされる人と、最後の下げにつながる人だけだったために、僅か15分の高座。びっくりしたのは客席だけではなく、生喬もだったようで、上がるなり「落語って目方で測るものではないとは言え」と口走っていました。こごろうは、このネタを、塩鯛からもらったそうで、随分と早くから手がけていたという記憶があります。「向う付け」は、「祝いのし」同様、アブナイ人間が出てくるので、匙加減に目配りが要るネタですが、こごろうは、その辺はしっかりしています。程よいところで止めながらの口演に好感を持つことができました。生喬の出した「三人兄弟」は、めったに出ない噺。松喬・呂鶴・塩鯛が持っているとは、あとの対談で触れられていましたが、自分的には、その3人が出したという記録さえ見たことはありません。唯一、生喬が出すときに聴けないネタだと思っています。極道者の3人兄弟が、2階住まいをさせられ、3人ともが銘々抜け出してしまう噺なのですが、聴かせどころは、兄2人が抜け出したのを気づかない末弟の吉松が、茶屋遊びをしている妄想を膨らませるところ。古風な物言いが、寝床で妄想を膨らませている吉松の様子だけではなく、その部屋の様子、果ては新町の廓の様子までもが浮かんできました。更に、こごろうべた誉めの、冒頭にあった3人の出で立ちの描写が素晴らしい。これも、かなり古風な描写を使ったので、全部を理解できるわけではないのですが、これから始まる物語の雰囲気(こごろうは「額縁」と言いました)を表しており、抜群の効果。「上方はなし」で覚えたと、生喬は言ってましたが、正に伝承芸の面目躍如の感がしました。恐らく生喬ベストと言っていい口演だったと思います。「対談」では、2つのネタ解題的な話とは別に、こごろうの南天襲名に関する話も、たっぷり聴かせてもらえました。今は、マスコミ各社、米朝事務所関係、師匠連などへの挨拶回りの時期とか。そう言えば、今日、お昼ご飯を食べに入った食堂で読んだサンケイ・スポーツには、師匠南光と並んで写るこごろうの姿がありました。挨拶回りというのは、こういった効果が期待できるんだと、納得しきりの黄紺でした。




2011年 3月 6日(火)午後 11時 2分

  大阪市内遊歩(127)

 今日は、朝方が雨だったもので、ウォーキングはダメかと思っていたら、外が明るくなってくるので、天気予報を確かめると、雨は大丈夫なみたいということで、急遽ウォーキングに出かけることに。準備も満足にできてもいなかったのですが、日曜日に計画した地図が、そのままになっていたので、そのコースを歩くことにしました。但し、午後のことを考え、後半は修正しましたが。その詳細なコースは、次のようなものとなりました。京阪「京橋」駅〜大阪市立都島中学校〜JR「かんじょう118」橋梁〜都島休日急病診療所〜大阪市立都島小学校〜大阪府都島警察署〜高倉幼稚園〜高倉三公園〜〜JR「かんじょう021」橋梁〜「高殿5」交差点〜西中宮橋〜大阪府旭警察署〜城北公園〜淀川左岸〜(JR「じょうとう029」橋梁)(毛馬閘門)〜長柄橋〜ユウラク座・ホクテンザ〜地下鉄「天神橋六丁目」駅〜JR「かんじょう128」橋梁〜北区市民センター〜地下鉄「扇町」駅。城北公園までが、先日組んでいたコース。一度、「京橋」から城北公園を目指してみたかったのです。いつも、逆ばかりですからね。その城北公園までが、ジャスト1時間。あとは、午後の行き先を考え、地下鉄堺筋線を終点と定め歩いていきました。城北公園から毛馬までが、存外遠いとインプットされていたのですが、川端にある表示では2キロでした。これで、一挙に目的地を「扇町」駅と定めることができました。夜には、こちらへ戻ってこなきゃならないのですが、仕方ありませんでした。
 「扇町」から堺筋線で「動物園前」へ移動。午後は、「動楽亭昼席」でした。ところが、ウォーキング直後ですからダウンの連続。このパターンは止めないとダメですね。一応、今日の番組を記しておきます。そうば「うなぎ屋」、雀五郎「転失気」、千朝「替り目」、九雀「?」、(中入り)、雀三郎「八五郎坊主」、よね吉「天神山」。九雀のネタに至っては判らない始末。終わったあと、出口に張り出された番組表を見てくるのも忘れてしまいました。千朝の「替り目」が、いろいろとお遊びがあっておもしろいんだけど、しかも、部分的に記憶に残っているところではグレードアップしてたので、まことにもって惜しいことをしました。後半は覚醒。雀三郎が、この位置で、「八五郎坊主」を出してくれたのは、ラッキーの一言に尽きます。春を思わせる陽気だったのが、こないなネタのチョイスをさせたのかもしれません。終盤、八五郎の新しい名前であまり遊ばず、簡単に落としたのには、びっくりはしましたが、納得の演出と思ったのも事実です。横着者の八五郎の生態を描いたようなネタですが、名前の話って、急に重箱の隅をつつくようになり好きではないのです、自分的には。よね吉の「天神山」は、10年以上前に聴いたきり。どこで聴いたかも覚えているほどの名演の記憶が残っています。ところが、今日は、よね吉のコンディションが悪かった。花粉症か風邪引きかは知りませんが、お鼻ずるずる状態。何度も何度も噺を途切れさせねばなりませんでした。聴いていて、この人、彫りの深い人物の描き分けができたとき、それは、造作なくやっちゃうように聴こえてしまいますが、それにはまったとき、よね吉は光ってるように思えました。今日の口演でも、その断片が垣間見えたのですが、如何せんコンディションが悪すぎました。
 動楽亭がはねると、来た道を戻り「南森町」に移動。おなじみのネットカフェで時間調整。お時間が来ると、更に「北区市民センター」まで歩いて移動。夜は「天満講談席」でした。その番組は、次のようなものでした。南舟「那須余一」、南湖「幸村と大助」、南北「東玉と伯円」、南左衛門「赤穂義士外伝〜天野屋利兵衛〜」。南湖の「幸村と大助」は、貞水師直伝のもの。文化庁の事業で実現した企画での口演の先行お披露目。9日に、そのお披露目があるのですが、他に予定が入っていて行けないので、とってもラッキーな話。この南湖さんの終盤と南北さんの口演がダウン。今日は、ダウンが、昼夜ともに多すぎます。「東玉と伯円」は、初代神田伯龍の二人の弟子の物語ということだけ、記憶に残っています。「天野屋利兵衛」の前半部を聴いたのは初めてじゃないかなぁ。浪曲はもとより、講談でも、後半の拷問の場面しか聴いたことはなかったのです。前半は、当然、天野屋に容疑がかかっていく経緯が読まれていきます。天野屋が武器を発注した男からバレていくわけですが、いいかげんな男で、天野屋の義に篤い態度とバランスが悪すぎ。ちょっとイラつくキャラ設定ですね。




2011年 3月 6日(火)午前 7時 12分

 今日は雨。仕事は、ひたすらデスクに向かってのもの。肩がこってる暇もないほど、根をつめてしまいました。そして、夜は動楽亭へ。昨夜は、「できちゃったらくご」のあった日でした。その番組は、次のようなものでした。あやめ「結婚いろは」、三金「花筏エピソード2」、三風「待つわ」、たま「シザーハンズ」、(中入り)、遊方「すったもんだ校争」、南湖「ジャズ講談ラサーン・ローランド・カーク伝」。「結婚いろは」は、募集台本の受賞作品で、繁昌亭で、既に口演済みのもの。従ってトップバッターを引き受けることになりました。「花筏エピソード2」は、古典の「花筏」から20年後、再び、徳さんが、花筏の替わりを頼まれ高砂に乗り込むというもの。「待つわ」は、20年ほど前の自作の掘り起こし。リクローおじさんのチーズケーキを買いに列を作ってると割り込んで来た婆さんと、周りの人たちの会話噺となっていました。「シザーハンズ」は、「シネマ落語」と銘打ち、名作映画を落語で再現する試み。ハサミとなった手の表現が傑作。ハサミがらみの遊び言葉、もうちょっとないのかなぁ。遊方は、自作「スクールバスターズ」用に集めたプロットで、使わなかったものだけを集めて、学校ものを、もう一つ作ったと言って始めました。終演後、遊方曰く「今日受けたところは、スクールバスターズに生かせたい」と、やはり本命は、「スクールバスターズ」。南湖の「ジャズ講談」は、ジャズとのコラボとかというのではなく、ジャズ音楽を鳴らしながら、伝記を読むというもの。総じて、自分的には、これが気に入ったという作品はなかったのですが、平均点的な出来栄えだったかなの印象の会でした。




2011年 3月 5日(月)午前 5時 38分

 昨日は、朝は晴れていたのですが、昼前にはどんよりとした天気に。まだ大丈夫だろうというので、ウォーキングを考え、京阪「京橋」駅から歩き出そうとすると雨。途中からは覚悟をしていたのですが、のっけから降っているようでは断念です。そこで、急遽予定を変更。ワッハの視聴覚ライブラリーを利用して、ウォーキングの替わりとしました。昨日のラインナップは、次のようになりました。@特選米朝落語全集(3)、米朝「たちぎれ線香」A朝日放送TV「枝雀寄席」、1)対談ゲスト:ダイマル・ラケット、2)枝雀「ふたなり」。@は、かねてから聴いてみたかったもの。実際の口演より、解説として記してあった口演のポイントが、とってもタメになります。米朝の口演を聴いて、ポイントを掴むのは至難の技ですからね。Aは、続いて米朝で「ふたなり」を聴こうと検索をしたところ、枝雀ものも、検索で出てきたので、先にこちらを聴こうということでのチョイスです。「枝雀寄席」の記録でしたので、以前に聴いている可能性があります。お金が必要になる経緯ははしょっています。怖がりながらとりに行き、入れ替わるおかしさのおいしいところ取りとなっていました。
 ワッハから高津神社に徒歩で移動。午後は「文太噺の世界in高津の富亭〜文太の贋作あれこれ〜」に行ってまいりました。2ヶ月連続となります。昨日の番組は、次のようなものでした。文太「兵庫船」「七段目」、真「忍法医者」、文太「百人坊主」。いつものように、開演前に、文太が高座に上がり、自身で前説。「田辺寄席」での「開口0番」です。昨日のテーマは、落語の中の早口言葉。「寿限無」「延陽伯」「ん廻し」の実演をしてくれました。「兵庫船」は、何か古い型を、文太ならやるんではと期待したのですが、普通の型でした。「七段目」「忍法医者」で、朝早く目が覚めたのが裏目に出てダウン。「忍法医者」は、新作か古典なのかという得体知れずのままです。文太のもう一つは「百人坊主」。但し「贋作」と付いていました。「贋作」と付けて、文太が演じる場合の多くは、東京ネタの移植もの。「百人坊主」というネタは、上方でも、実際に演じられていますが、文太の場合は、上方から東京に行ったものを、更に上方版にしたものと思われます。だから番組に「贋作」と付けているのでしょう。上方の本来の姿は、お伊勢参りに行く一団の噺。東京の「大山まいり」は、お伊勢参りにするわけには行かないので行先を変えた。それを、文太は踏襲して、「山頂参り」「頂上参り」と言っていました。あとの噺の構造には、変わったところがあったようには思えませんでした。
 高津神社での会が終わると、谷町線で南森町へ移動。いつものネットカフェで、時間調整をしたあと、繁昌亭の夜席に行ってきました。昨夜は、「上方笑女隊〜山澤由江さん追善落語会〜」があったので外すわけにはいきませんでした。その番組は、次のようなものでした。紫「兵庫船」、三扇「メルチュ一家」、あやめ「アタックナンバ一番」、都「眼鏡屋盗人」、内海英華「踊り:五段返し」、染丸「蛸芝居」、(中入り)、シャミセニスト「お囃子春夏秋冬」、染丸・都・英華・あやめ・染雀・シャミセニスト「想い出ばなし」。中入り前が落語、後は、山澤さん追悼一色になりました。前半の落語も、三味線の入る噺、いや入らなくても、無理やり入れるという趣向。「メルチュ一家」なんて落語には、着メロ話を入れ、都々逸を着メロにということにして、無理やり放り込んでいました。あやめも、「紙屑屋」の所作の入る自作をという具合。トップに出た紫にはびっくり。低音の太めの声質が抜群。語り口のしっかりした女流は団姫に並ぶんじゃないかな。楽しみな人が出てきたものです。内海英華は、三味線を持たないで繁盛亭の舞台に上がるのは初めてとか。いきなり流暢な「子ほめ」を始めたものだから、びっくり。これはシャレ。踊りも珍しい。珍しいと言えば、染丸が台詞を抜かしかけた。丁稚二人が、掃除をする場面でです。後半は、山澤さん追悼番組。シャミセニストが主役です。なかでも、昨日は、山澤さんの弟子だったということで、はやしや香穂さんが立て三味線の役割を担っていました。山澤さんて、最初は、薬剤師をしながら三味線を弾いていた時期があったそうです。まだまだこれからというときにお亡くなりになりました。あらためてご冥福をお祈りしたいと思います。




2011年 3月 3日(土)午後 10時 52分

 今日は、穏やかな晴れの一日。その晴れ間を利用して、職場の同僚、元同僚5人で連れもって、宇治のぶらぶら歩き。朝9時半、京阪「宇治」駅集合と、まことに健康的なウォーキング。リニューアルなった平等院、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアムを回ると、もういいお昼時。予定通り、「普茶料理」でお昼を食べ、解散。そのまま電車で北浜まで行き、ちょっと歩いて東梅田のネットカフェへ。ここで時間調整をして、夜の部に備えました。
 その夜の部は、更にJRを使い「伊丹」まで移動。AIホールであった「A級MissingLink」の公演「悲惨な戦争」に行ってまいりました。これは、竹内銃一郎の作品。このホールが行っている「現代演劇レトロスペクティヴ」の一貫の演目として行われたものです。自分的には、竹内作品に興味があるというよりは、劇団の方に関心があるということでのチョイスです。79年に発表された作品ということで、作品自体が、大変おもしろいもので、それを、今の時代に合わせて生き返らせた演出にも感服した公演でした。舞台は、ある家庭のダイニングキッチン、そこに、夫婦と、妻の父親が住んでいますが、見えない敵に攻撃を受けているというのです。BGMとして、ずっと銃声が響いています。そこへ、その様子を取材にきた日本テレビのディレクターが加わり、また夫の上司と同僚が見舞いにやってきて、更に夫婦が、捕虜にしていると言っている男ラッシー(番犬として首輪を付けられている)が加わり、それらの人間が、不条理な敵に攻撃を受け続けていき、次から次へと亡くなっていきます。そして、最後にラッシーだけが残るというのが原作だそうです。戦争の不条理さ、不条理にも、突然日常が途絶えていく様を描くのが主眼でしょう、元は。終了後のトークで、竹内氏は、連合赤軍以後、爆破事件やハイジャックが続き、戦争が身近な時代だったと言って、不条理な相手についてのコメントを出していました。今回の公演では、一人生き残ったラッシーが、亡くなった男から鍵を取り出し、首輪を外し、次に防御服を身に付けていき、不条理な相手というのが、原発、放射能だとしていました。竹内氏からは、演出に対し、テキスト自体はいじらないでとの注文があったそうで、現代にもってくる齟齬はあるのですが、そこはそれ、十分に演出意図は伝わってきました。これもあとで言っていたことですが、決め台詞についてのこだわりや、真面目に聞いていれば、単なる言葉遊びだったりと、時代を感じさせられる部分も目についたのですが、それが却って楽しく、伊丹まで出かけて行ったかいというものがありました。




2011年 3月 3日(土)午前 5時 10分

 昨日は、朝から腹部エコーの検査。結果は、あまり喜ばしいものではなく、新たな検査を受けねばならなくなってしまいました。やっぱり加齢とともに、パーツに不具合が出てくるものなんですね。かなり意気消沈。でも、たいそうなことになったとき用に、かなり準備をしてきたじゃないと思うと、ま、慌てることもないやの気持ちに、簡単になってしまうのが、黄紺の特性でもあります。もっともたいそうなことになると決め付けるのは、早計もいいところなんですが。
 てなことで、午後は、いつものような心持ちでお出かけ。行き先は動楽亭。月が変わったので、こちらの「昼席」が始まりました。やはり米朝一門だけのときの入りは良く、完全に定着しています。特に昨日は、南光が出たからでしょうか、かなりの入りでした。その番組は、次のようなものでした。二乗「強情灸」、ひろば「狸の化け寺」、こごろう「ちりとてちん」、紅雀「始末の極意」、(中入り)、南光「義眼」、米二「替り目」。ひろばから紅雀までが、半寝のお時間。雨だったので、ウォーキングはお休みにしたのですが。早く目覚め過ぎたからかもしれません。紅雀は、ネタに入る前に、延々となCM出演話をしていました。二乗の高座は大丈夫だったので書きたいことを書いておきます。二乗の「強情灸」は初遭遇なんですが、このネタを、二乗がやり出しているという情報をキャッチしたとき、「癪の合薬」の二の舞になるのではと思ったものです。似合わないネタばかりを選んでるという印象を持ってしまったのです。丹精で丁寧な話っぷりの二乗には、ざこば組の気で進めていく噺は似合わないと思えたのです。ところが、どうでしょう、うまい間の取り方、困りの表情がどんぴしゃで、二乗ベストと言ってもいい出来栄えに感服。一皮剥けたぞの印象です。南光は、珍しい「義眼」。今、このネタをする人いるかなぁ。可能性としては、米紫がやってたかなぁというところで、あとは可能性すら思いつきません。噺の前半、義眼を呑み込む場面って、廓だったんですね。自分的にも、久しぶりだったんで、そないなことを確認しながら聴いていました。米二の「替り目」は、わりかし遭遇機会が多いのですが、昨日の口演は出色の出来栄え。特に後半、うどん屋を呼び込んでからが素晴らしい。顔が、完全に紅潮していましたから、まるで酔っ払いが目の前にいるようでした。もうへべれけで帰宅してくるのですから、最初から、こうでなくっちゃと突っ込みたくはなりますが、そこで、エンジンふかして、うどん屋が出てきてから、全開したっていうところでしょう。こんなの聴かせられると、「米二の総ざらえ再び」をしたくなっちゃいます。
 動楽亭を出て、ミニウォーキングがてら、千日前まで歩いて移動。おなじみのネットカフェで時間調整後、トリイホールへ。今夜は、こちらで「第38回TORII講談席〜恒例便乗企画・講談で聴く平清盛〜」がありました。その番組は、次のようなものでした。南舟「般若寺の焼き討ち」、南湖「保元の乱・崇徳院」、南華「清盛と白拍子〜我ラモ終二ハ仏ナリ〜」、(中入り)、南海「平大相国清盛の大夢」。南舟は、「今日は清盛特集ですが、難波戦記をやりますと言って始めて、笑いを誘っていました。南湖さんは、保元の乱関係の天皇家を、旭堂一門になぞらえて表現。これは、傑作、快作。その話の中核に崇徳上皇を据えたものですから「崇徳院」と洒落てみたっていうことです。旭堂一門では、讃岐で怨みを残して亡くなる崇徳上皇は、南青くんとなっていました。鳥羽上皇の跡取りとなった兄弟が3人、南左右衛門一門が3人という、うまい符合になっているところが話のミソでした。南華さんは、祇王・祇女姉妹と仏御前の物語。先日、東京で春水で聴いたばかりのネタです。しかも、話の構成が、春水とほぼ一致していたのにびっくり。同じネタでも味付けが異なってくるものですが、ここまで同じ進行なのは、逆に珍しい感じがしました。中入りを挟んで、南海さんは、清盛の「福原遷都」を取り上げました。晩年の後白河上皇との相克が描かれていきます。福原の都の位置は特定できてないそうです。長田神社辺りというのも一つの説としてあるようで、そうなるとだいぶと西になります。そういった講釈が入りつつ進行するのが、南海さんらしいです。昨日の番組で取り上げられたネタは、清盛の生涯、前史の一部。もう一度くらい、このテーマで講談会を作り上げられそうなんですが、、、。




2011年 3月 1日(木)午前 5時 32分

 仕事に復帰。年度末の仕事が待ち構えています。忙しくなるのは今日から。昨日は、ちょっとウォーミングアップ。ちょうど定時に、思惑通りの仕事が終わり、夜は繁昌亭。昨夜は、繁昌亭で大きな会がありました。「仁智100本目の新作〜笑いのタニマチvol.100 in 繁昌亭〜」です。その番組は、次のようなものでした。たま「猿之助歌舞伎」、遊方「絶叫ドライブ彼女を乗せて」、仁智「恐怖の民宿百物語」、(中入り)、仁智・遊方・たま「座談会」、仁智「育爺(仮)」。仁智が助演に選んだのは、「笑いのタニマチに最多出場」の遊方と、「笑いのタニマチに最多お手伝い」のたまという布陣。記念の会に相応しい勢いのある二人が華を添えました。二人とも、得意の自作を引っ提げての登場となりました。仁智の一つ目は、「百作目」の「百」に引っ掛けてのネタ選び。久しぶりです。なかなか聴けない噺ですので、とってもラッキー。ライト感覚なネタ運びに加え、ホラー的テイストが効いた佳作です。昨日も、ロウソクの火だけを使った恐怖物語を楽しませてくれました。「百作目」は、人気のキャラを登場させてくれました。「源太と兄貴」シリーズの「兄貴」に孫がいるという設定です。そして、育児に携わる姿を描くというもの。仁侠に生きた「兄貴」による躾は、どうしても、そちらの世界の価値観、言葉使いで動いてしまうというのが、噺のポイントでした。最後に、仁智は、今後も、「笑いのタニマチ」の公演を、時には繁昌亭で行うと言っていたのは、これはこれで、楽しみが増えました。ざっくばらんな谷六の会は会で楽しみなんですが、ちょっとした緊張感を持って臨まれた繁昌亭での会は会で、独特の雰囲気を醸し出していたので、朗報と受けとめました。




2011年 2月 28日(火)午後 11時 23分

 今日は、朝6時にホテルを出て、東京を引き揚げてきました。特に、東京には用事がなかったこともあるのですが、午前中に、京都で医者に行っておきたかったからです。1週間ほど前、気になっていたことがあったため、医者に行ったところ、血液検査をしておきましょうということで、その結果を聞きに行きたかったのです。急を要することがあれば連絡しますと言っていただいてたのですが、そないなこともなく、気楽な気持ちで行ったら、そのまんま気楽な結果でした。検査を受けた日、朝からオペラのDVDを観ながら呑んでたのですが、それが災いすることもなく、普通の数値が出ておりました。ただ、ついでに、消化器系も、気になることがあるので、今度の金曜日にエコー検査も受けてみることにしました。なんせ、最近、毎夜、晩酌を意図的に避けているというか、避けないと体調が良くないものですから。まあ、単に若くないのに呑みすぎてるだけだとは思うのですが、ホントに具合が悪ければ洒落になりませんからね。
 夕方になってお出かけです。今日は、「第175回旭堂南海の何回続く会?」のある日だったのです。まあ、これがあるから、今日の昼間の東京での活動を止めて帰ってきたのです。もちろを「南総里見八犬伝」の続きです。今日の発端は、芳流閣で闘った犬塚信乃と犬飼源八が流されてきたところ、犬田小文吾親子に助けられるところから。ですから、だいぶと前回と重複。出会ったのはいいが、信乃は破傷風にかかり、源八は、その薬を求めに行ってしまったところで、信乃の追っ手をさばく小文吾の活躍が描かれました。主たる話の柱は、小文吾と、その妹ぬいの亭主山林房八の対立が絡み、信乃の追及が進むという構造。結局、山林房八は、小文吾に討たれることを狙って、わざと小文吾に突っかかっていっていたということになります。そして、信乃の替わりを務め、また信乃の破傷風が癒えることになります。その徳が積んだということでしょう、山林房八の倅の手が開き、中から「仁」の文字の入った珠が出てきました。この倅が犬江親兵衛です。また、金碗大輔ことゝ大法師が、初めて八剣士たちと会う場面でもありました。これで、八剣士の内、犬塚信乃、犬飼現八、犬田小文吾、犬川荘助、犬江親兵衛が出てきたことになります。黄紺が行けてないときに、犬山同節が出ている可能性があります。信乃の許嫁の浜路の物語が、どこまで進んでいるかに拠りますが。今日のところの最後で、信乃、現八、小文吾の3人が、大塚にいるはずの荘助に会いに行くというところで切られましたから、ひょっとしたらこのあとかもしれませんが。ところで、この会を聴きに帰ってきて、やっぱり大正解。「八犬伝」は、事の外おもしろくできています。




2011年 2月 22日(水)午後 11時 36分

 休みの日、仕事のある日を問わず、ここ数日、朝の5時を僅かに過ぎたところでのお目覚め。今朝は、「ワルキューレ」のDVDを観て、目覚ましが鳴るのを待っていました。となると、昼間、夜と、何かにつけ、睡魔との闘いが待っているのですが、今日は、不思議と大丈夫でした。そないなこともあるのですね。夜は、天満橋の「常盤漢方薬局ビル」の5階であった「第6回かつらふくまる研鑽会」に行ってまいりました。会場の器は小さいのですが、福丸は、それを確実にいっぱいにしています。この会に行くのは、今日で3度目となり、自分的にはわりかし優先度を高くしています。福丸の成長が、わりと判りやすいものですから、足が向いてしまいます。その番組は、次のようなものでした。治門「真田小僧」、福丸「月宮殿星都」、鶴二「高津の富」、(中入り)、福丸・はやしや香穂「実験コーナー:太神楽のお囃子」、福丸「猫の災難」。治門は、遭遇経験2度目かな? ちょっと声の調子の一本調子かな。今日の福丸は、びっくりのネタ選び。やり手の少ない噺を2つ出しました。「月宮殿」は、あまりおもしろくないというのが原因でしょう。仕掛けは大仰でも、造りが単純だからです。ですから、福丸には、取り上げたわけを語って欲しかったな。ひょっとしたら、おもしろくできそうと思ったのかな。駄洒落に終始する部分にテコ入れ可能と看たように思えました。なお、天へ上ったのは、うなぎウァージョンでした。「猫の災難」は難しいから、やり手が少ないのでしょう。事実上の一人酒盛ってことになるネタ、冒頭から既に酔っぱらっています。更に、酒をぐびぐび呑んでいきます。この辺の酔い方の区分けが難しいですね。福丸は、その辺を十分に認識していることが判る口演でしたが、そこはそこ、難しい。捲土重来、次回の公演を期待しましょう。この「猫の災難」は、鶴二からもらったもの。鶴二からは「寝床」に次ぐネタだそうです。鶴二は呂鶴からもらったと言ってました。そないな関係で、鶴二がゲストということでしょう。鶴二の高座って、ホントに久しぶり。繁盛亭の昼席でも当たらない不思議さです。ちょっと古風な話しぶり、聴いていて6代目を思い出していました。6代目の口演い装飾を豊かにしたってとこかなという感じがちょっとしました。




2011年 2月 21日(火)午後 11時 53分

  大阪市内遊歩(126)

 今日は、まず医者通い。左胸の上が、のべつ痛むので、心臓にでも異常が生じたのではと、この間ずっと気になっていたものですから、念のために医者通いをしてみました。心電図と胸部レントゲン検査をしてもらったのですが異常なし。でも痺れるような痛みが、のべつ起こってくるので、えらく気持ちが悪い。一応血液検査もしてもらうということになってはいるのですが、結果によっては、いろいろと考えねばなりません。ま、それはいいとして、医者に行った関係上、昼前に出かけ、もうその足で、ウォーキングに向かいました。今日、環状線の東外側を巡ってみました。最近、ちょっとご無沙汰の京橋より北方向も組み込み、野江から東に回り込み南下するコースを設定しました。その詳細なコースは、次のようなものでした。京阪「京橋」駅〜JR「かんじょう114」橋梁〜「都島中通3」交差点〜都島公園〜大阪市立都島小学校〜大阪市立東都島小学校〜野江水神社〜JR「上等010」橋梁〜成育歩道橋〜南関目公園〜奄美料理店「花岬」〜鯰江公園〜大阪市立鯰江中学校〜今福中橋〜南今福公園〜放出大橋〜河遅速雄神社〜JR「放出街道」踏切〜新田橋〜諏訪神社〜満座〜地下鉄「深江橋」駅。歩き始めて10分もしない内に、早くも道に迷うということになり、かなりロスが大きくなっちゃいました。ですから、当初、「布施」駅辺りを終点にしようという思惑が、完全に狂ってしまいました。更に、最後も微調整に失敗し、気がつくと「深江橋」と「高井田」のほぼ真ん中を歩いている始末。それも、わざわざそういった道になるように、わざと歩いているのだから、始末が悪いのです。従って、所要時間は、2時間を5分超えてしまいました。
 「深江橋」から「日本橋」へ移動。夜までの間、おなじみの千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は、すぐ近くの「ZAZA」であった「第5回くいだおれ太郎の道頓堀太郎寄席」へ。3度目となりますが、今日は満員。ようやく、この会も定着してきたということでしょうか。今日は、たまが2席演じる日。助演の噺家さんも素晴らしく、かなりグレードの高い会になりました。その番組は、次のようなものでした。小鯛「口合小町」、生喬「辻占茶屋」、たま「山寺瓢吉」、(中入り)、遊方「憧れの一人暮らし」、たま「芝浜」。小鯛の「口合小町」は、2度目となりますが、大進歩。前半のおかみさんが、早口でまくしたてるところが素晴らしく、2回ほどはさむ大声も、実に効果的。一方の聞き役に回る甚兵衛さんの落ち着きも的を得ており、お見事な口演となりました。二番手の生喬は、まさかの「辻占茶屋」。マクラを聞いていて、半信半疑になりました。このネタを出すということは、この寄席にかける気持ちとか、この寄席のメンバーに選ばれた自負のようなものが現れているように思えました。逆に、今日の主役のたまにも刺激になるようなネタだったと思います。たまは、気を変えるように「山寺瓢吉」。「辻占茶屋」のあとに「山寺瓢吉」は絶妙です。たま自身も、新作と古典を使い分けすることにもなるので、そういった意味でも、ベストなチョイスです。遊方の「憧れの一人暮らし」って聴いたことあったかなぁ。ないような気がしてます。こないな傑作ネタを聴いてなかったってことがあったとしたら、今日は、なんてラッキーなことなんでしょう。一人暮らしの妄想を膨らます部分と、不動産屋のボケ倒しの噺かと思って聴いていたら、主人公の父親が現れるという思わない展開。たまは、昨日春先のネタをかけたので、もう春にしてるかと思っていたら、真逆の真冬の噺。「芝浜」を、最近、落語会で出さなくなってるんじゃないかって、ちょっと気にしていたら、そうではありませんでした。「夢の革財布」と違うのは、魚河岸に行き財布を拾う部分を入れる、大家に相談に行く部分を入れる。自分的には前者は賛成、後者は反対です。この噺の主役の一つである財布を拾い上げるところは欲しいと思いますし、大家との相談事は、最後まで隠しておいた方が効果が上がると思うのですが。「芝浜」という題名を使うのは、「芝浜」という響きが好きなこと、替わりのいい浜が見つからなかったと、たまは説明してました。それにつけても、いい会でした。メンバーが良く、ネタもいい、言うことなしです。




2011年 2月 21日(火)午前 5時 34分

 ちょっと気温が上がりました。寒さが堪えるようになったため、気温の動きに、一喜一憂しています。昨夜は、緊急召集的に開かれた落語会「デジタルヘッド〜たま笑子二人会」に行ってまいりました。笑子さんが、オーストラリアから帰ってきてから、そうでなくても、帰ってくる直前あたりで、開くことが決まったんじゃないかなぁ、そないな感じです。場所は、最近、たまが自身の会を開くようになっている「デジタル・カフェ」、難波の盛り場のど真中です。その番組は、次のようなものでした。呂好「寄合酒」、笑子「七度狐」、たま「隣の桜」、(中入り)、たま・笑子・呂好「座談会」、笑子「パペット落語:化物使い」、たま「兵庫船」。呂好は初遭遇。師匠の呂鶴から2つ目に教わったネタを披露。かなり古いタイプの台詞回し。呂鶴がすると様になるが、若い呂好がすると違和感が大きい。だけど、なかなか達者な台詞回しにびっくり。先が楽しみな噺家さんが、また一人出てきました。笑子さんの一つ目は、なんと「七度狐」、オーソドックスに演じつつ、お得意の腹話術が入りました。登場人物の本音を、腹話術で表そうという趣向です。何か違うことを考えてくれるのが嬉しいですね。たまの「隣の桜」は久しぶり。たまが難しい鳴り物を要求するので、幕内が大変なネタ。やはり昨日も進化の跡が看られ、お囃子にストップ・モーションを要求していました。お囃子に強弱を細かくつけるのは、前からやっていたことですが。最後、鼻ねじを喰らわすと、漢学の先生は梯子から転がり落ちました。それだけ強く、鼻をねじったことになります。その姿を上から見下ろしての返歌となりました。「座談会」は、三象ネタが、たまのマクラに次いで話題に。そして、おもしろかったのは、呂好に関してのもの。但し、これはオフレコです。笑子さんの「パペット落語」は、腹話術の複雑化したもの。鶴笑のように、体全身を使うというものではありません。一つ目小僧、のっぺらぼう、大入道の作り物が出ました。中でも見ものは大入道、うまく考えるものです。そして、最後は「兵庫船」。もう始まった時点で9時を回っていたからでしょうか、謎かけのところははしょって、9時半になる前に終わりました。出しなに笑子さんが、他の客としゃべってるのが耳に入りました。今度帰ってくるのは9月だそうです。




2011年 2月 19日(日)午後 10時 18分

 今日も、いいお天気なんだけど、3日連続のウォーキングは自重。やはり股関節と相談しながらのウォーキングというスタンスは変えることには恐怖感が伴います。そこで、今日は12時をメドにお出かけ。まず行ったのは環状線「寺田町」駅から歩いて約15分のところにある成恩寺での落語会「第67回生野弁天寄席」に行ってまいりました。バッティングが続き、ほぼ1年ぶりくらいじゃないかなぁ。生喬のネタ下ろしの会で、好事家の集まる会です、しかも、おっさんばかりが集まるという定評のある会です。その番組は、次のようなものでした。治門「黄金の大黒」、生喬「天狗刺し」、(中入り)、由瓶「足袋と帯」、生喬「堀川」。今日は、ウォーキングのあとではないにも拘わらず、半分近く眠りこけてしまいました。お出かけまで、水割り片手に、オペラのDVDを観ていたため、それが残っていたみたいです。治門と「堀川」がダメでした。治門は初遭遇でしたし、「堀川」は、今日の目玉だったのにです。「堀川」は、完全ヴァージョンで、最後の浄瑠璃も、きっちりと演じられました。さすが生喬というところです。染丸から直でもらったと言ってました。「天狗刺し」も演じ手の少ないネタ。米朝による再現ものですが、米朝一門の若手でやる人って、簡単に思いつかないほど。笑福亭では、松枝が、米朝からもらっているので、やり手がいるということでしょう。短めだけど、無茶苦茶な噺だからおもしろいと思うのですが。生喬は、そのアホらしさを最大限に発揮してくれたのじゃないかな。大拍手です。「足袋と帯」は、一品としてみると、優れものの新作。落語界の裏側を描いているだけあって、演じ手である由瓶の生の声らしく感じられるのが、より一層、この噺を際立たせているのでしょう。
 成恩寺での落語会が終わると、そのままJRで、京橋経由で大阪天満宮に移動。昨日と同じネットカフェで時間調整をしてから繁昌亭へ。今夜は「いとこの笑福亭」がありました。珍しい噺家さんを聴きに行こうがコンセプトです。鶴光の東京でとった弟子は、大阪では、なかなか聴く機会がないですからね。その番組は、次のようなものでした。べ瓶「いらち俥」、風喬「金明竹」、里光「ラーメン屋」、(中入り)、里光・風喬・べ瓶「座談会」、べ瓶「ねずみ」。もう昼間のようなことはないと意気込んで行った繁昌亭。ところが、同じことが繰り返されました。こないなことが繰り返されほどの睡眠不足ではなし、お酒を引っかけて出てきたとは言え、そこまでの量を呑んできたわけでもなくということで、自分の体調がよく解りません。中入り前の前半がダメだったのです。後半の「座談会」も含めて、記憶に留めおきたいことをメモっておきます。里光は西宮出身で、鶴光が大阪に戻ってきているときを狙って弟子入り志願。まもなく真打昇進を控えており、真打になると、東京で上方落語の師匠から生まれた初の真打になるとか。最初聴き始めのところでは、しゃきっとした感じはせず、華奢な印象を、体躯だけではなく、語り口でも持ってしまうのだけれども、聴き進んで行くと、東京の落語界で育った人だなの印象が増していきました。いわゆるもっちゃり感が乏しく、大阪弁なんだけど、もっちゃりテイストの薄い、従ってわりかし爽やかさを感じていく噺家さんと思えていきました。ネタの、「ラーメン屋」は、今度、鶴光も京都で出す予定になっているので、気にはなっていたネタですが、金語楼が、今輔用に書いた作品だそうです。もちろん里光は、鶴光からもらったものと言ってました。あとべ瓶の婚約報告が、あとの2人から行われ、フィアンセも、ちょろっとだけ、舞台に顔を出したのがハプニングかな。そのべ瓶の「ねずみ」がなかなか聴かせるもの。ただ聴かせんかなの意識も見えてきたのも事実で、ま、それは歳とともに和らいでいくことは確実でしょうから、その辺を割り引いて考えると、登場人物の人柄までが透けて見えてくるようで、なかなかいい雰囲気でした。いつも、このネタを聴いていて難しいなと思うのは、ねずみ屋のおやじが、店を乗っ取られた話をするところ。分銅屋が語るところも、ねずみ屋のおやじが、実際には語っているわけで、そこがごっちゃになると、話がバラけるという印象が出てきてしまいます。べ瓶の口演を聴いていて、ちょうばの「ねずみ」が評価されるのは、ここなんだなということが判った気がしました。この会の3人は、三者三様の個性があり、おもしろい組合せの会だなの印象で、次回も行きたくなった会ですね。




2011年 2月 19日(日)午前 5時 20分

  大阪市内遊歩(125)

 天気予報では、気温的には、昨日が底とか。それを信じて防寒具を整えての外出。まず、お昼前からのウォーキングからスタート。午後からの予定を考えてのコース設定は、いつもの通り。昨日は、アーバン・ウォーキング中のアーバン・ウォーキングを企画。繁華街を、東から西に向かい、また少し南北にずらし西から東というコースを考案してみました。実際には、その思惑からずれてしまい、九条地区を回り、時間切れになってしまいました。起点を、「天満橋」駅に置いたため、「松島橋」で、既に悠々1時間を超過してしまっており、そこで、そのまま引き返すような形で、当初の予定を実施するか、「九条」駅を終点にして、それに合わせたコース設定をするか、それを考えた結果、後者を選択しました。その詳細なコースは、次のようになりました。京阪「天満橋」駅〜韓国料理店「ベジテジや」〜インド料理店「アルナーチャラム」〜中大江公園〜南大江公園・朝日神社跡碑〜安堂寺橋〜イタリア料理店「COLOSSEO」〜大阪市立南幼稚園〜ハワイアン・ショップ「Hula」〜「新町1南」交差点〜「新町3南」交差点〜松島橋〜松島公園〜「川口3」交差点〜「4人展Merhaba」〜「国津橋」交差点〜九条東公園〜大阪市立九条南小学校〜九条南公園〜大阪ドーム〜大阪市立西中学校〜九条公園〜九条モール〜地下鉄「九条」駅。「国津橋」交差点近くで、興味あるギャラリーを発見しました。看板に「四人の会Merhaba」と書かれた個展です。オープン時間がまだだったため、中には入れなかったのですが、外から一部内部の展示品が見えました。すると、トルコの風景を描いたスケッチが展示されていたものですから、ポストにメッセージを投函することにしました。「私は前を通りかかった者です。閉まっていたので入ることを諦めました。残念です」と。不審者と思われてはと思い、トルコ語で書いておいたのですが、余計に不審だったかなとは、投函後の感想です。
 「九条」から、地下鉄2駅で「本町」に移動。午後は、御霊神社であった「第5回超古典落語の会〜最終回〜」に行ってまいりました。小佐田センセと荻田清氏が組み、埋もれた古典を発掘し再生させようとの試みの会です。各回、大変な人気だったのですが、残念ながら、今回で第1期が終わりました。今回の番組は、次のようなものでした。なお、「明礬丁稚」は、純粋な古典で、今回の前座としての役割を果たしました。小梅「明礬丁稚」、阿か枝(くまざわあかね脚色)「お供狐」、花丸(小佐田定雄脚色)「うぬぼれ屋」、梅団治(荻田清脚色)「洗濯屋裁判」、九雀(小佐田定雄脚色)「いいわけ藤兵衛」、(中入り)、小佐田定雄・荻田清・くまざわあかね・出演者「対談」。ウォーキングのあと、そのまま落語会に行って大丈夫かという不安が的中。あまり覚えてないのです。覚えていることだけメモっておくことにします。「明礬丁稚」はともかくとして、「お供狐」は、化け方のへたくそなため、顔は狐のままという変な噺。「洗濯屋裁判」は、洗濯屋に、蚤や虱、蚊が訴えられるという、落語ならではの噺。「いいわけ藤兵衛」は、大晦日に、借金取りに「いいわけ」する噺で、「掛け取り」の原型かもしれないとは、あとの対談でのお話し。こないなところです、もったいないわ、情けないわで、がっくりです。
 会が終わると、歩いて南森町へ移動。時間調整のためネットカフェを利用。こうなると夜は繁盛亭。今夜は、「福笑一門会〜たった二人の一門会〜」、大変な入りでした。その番組は、たま「猿之助芝居」、福笑「桃太郎」、(中入り)、たま「宿屋仇」、福笑「浪曲やくざ」。この番組で、一番の関心は「浪曲やくざ」、ようやく出逢えた福笑作品。かつては頻繁に出ていたのだが、最近は出たのを見たことがないもので諦めていたところ、ようやく昨日、聴くことができました。仁智の「源太と兄貴」い出てくるやくざと似通ったキャラの2人、それに福笑テイストの強烈さが加わってきているところへ、3人目のヤクザとして登場するのが浪曲好きの男。間違いなく秀作グループに入る一品です。「桃太郎」は当たりすぎ。避けようとしているのに、ネタの方からぶつかってくる感じです。「浪曲やくざ」と間逆の位置にいます。たまの方は、「猿之助芝居」は好きになれない噺です。筋立て、設定が無理っぽく、受け狙い的過ぎて好きになれないのです。「宿屋仇」は、たまベスト候補に数えることのできるネタと思っています。




2011年 2月 18日(土)午前 5時 46分

  大阪市内遊歩(124)

 天気予報ほどは冷え込まなかった昨日、お昼前からお出かけ。まずワッハの視聴覚ライブラリーにおじゃまをしました。それまでに、お酒を呑みながら、オペラのDVD鑑賞。朝から一杯やりながらオペラを観るというのは癖になります。ワッハでの視聴ラインナップは、次のようなものとなりました。@文珍独演会第10夜、文珍「ヘイマスター」「百年目」A読売放送TV「米朝ばなし(12)播州めぐり」。文珍の「ヘイマスター」は、全編英語で進められるという新作もの。「刻うどん」のパロディ的なところを、一部放り込んだりしてあるので、黄紺が聞いても解るような仕上がりになっており、文珍の非凡さが際立つ代物です。それに対し、「百年目」は極めてオーソドックスにを心がけての口演。両極端な組合せとなっているスペシャルな番組です。「米朝ばなし」は、あと30分ほどで切り上げようかというときに見続けて、昨日で、シリーズ12回を、全部走破できました。落語の「西の旅」に出てくるスポットを巡ったものとなっています。
 ワッハのライブラリー利用は、1時間40分ほど、外に出ると、すぐにウォーキングを開始。環状線を出たり入ったりしながら、西側3分の2くらいは回るコースとなりましたが、その詳細は、次のようになりました。NGK〜「難波中」交差点〜浪速郵便局〜難波八坂神社〜鴎町公園〜大国町北公園〜浪速玉姫公園〜浪速北公園〜芦原自動車教習所〜大阪府立芦原高等技術専門校〜芦原公園〜大浪橋〜久昌寺〜大阪市立三軒家西幼稚園〜大阪市立三軒家西小学校〜岩崎橋〜「辰巳橋」交差点〜大阪市立九条北小学校〜安治川トンネル〜「中央市場西門前」交差点〜大阪市立野田小学校〜「上船津橋北詰」交差点〜下福島公園〜大阪厚生年金病院〜JR東西線「新福島」駅。最終的には、京橋に行かねばならなかったため、あまり途中で寄り道をしていると、ウォーキングが終わってからの移動に無駄な時間を使わねばならなかったため、西成区内、大正区内、此花区内と通りながら、昨日は、ホントにかするように歩き回っただけというコース。一つの地域にターゲットをしぼり、巡検的気分で歩くときもあれば、こういったときもあればで、更にウォーキングが楽しくなります。最後は、京阪「中之島」駅を終点にするか迷いながら歩いていました。僅かな距離の違いを実感できる場所でもあったので、「新福島」をチョイス。そしたら、ドンピシャで2時間で到着できました。従って「福島」駅まで行く時間はなかったということです。
 「新福島」から東西線一本で「京橋」に移動。そして、京橋のネットカフェで、時間調整がてら、体を休め、夜の落語会に備えました。昨夜は、守口市文化センター(エナジーホール)であった「第27回とびっきり寄席」におじゃまをしました。毎回、米朝一門の4人の噺家さんを固定メンバーとして行われているこの会におじゃまするのは、2回目となります。その番組は、次のようなものでした。雀太「壷算」、雀五郎「転失気」、佐ん吉「道具屋」、ちょうば「強情」。いきなりトップで「壷算」が出たものですから、ネタに期待したのですが、あとは小ぶりのネタに終始。だったら雀太にトリを回せよと突っ込みたくなるような番組となってしまいました。一つには、生のお囃子を入れてないため、ネタに限りがあるからでしょうね。「転失気」「道具屋」は、このお二人で、よく耳にしてきたもの。あとの2つは、昨日の演者では、初めてとなります。雀太の「壷算」はいじり過ぎ。このネタだけは、筋立てに集中しないとダメと思っています。奇抜なアイデアを、まず聞かせないと。余計なくすぐりを入れると、よくできた展開がぼやける危険性があります。雀太は、いろいろと演出を考える意欲をかいますが、このネタばかりは、おとなしくしておいて欲しかったな。ちょうばの「強情」はみっけものの好演。ざこば組にも拘わらず、らしきネタよりも、人情噺系を好んで取り上げる傾向のちょうばが、らしきネタを好演してくれました。ぶっきらぼうな物言いが決まってました。幅が広くなってきています、この人。「咲くやこの花賞」の実力を看た思いがしました。なお、開演に先立ち後半の2人による前説がありました。話題は「動楽亭寄席」。最低観客記録4人が出た当日に出演していた佐ん吉が、当日の様子をリポート、ちょうばが、その話題を突っ込みまくるという展開。仁勇が、おまけに出演依頼を受けてなかったというおまけ付き。そのときの呂鶴の格好良さなんかが語られました。そして最後に、佐ん吉の文化庁芸術祭新人賞受賞の報告がありました。繁昌亭大賞関係では外され続けた佐ん吉に陽が当たったことに大拍手です。が、受賞対象の「佐ん吉大一番」の出来は、黄紺的にはスーパーなものとは思わなかったのですがと、ちょっと突っ込んでおきます。恐らく、それまでの活躍を総合してということだと思います。それならば、双手を上げての歓迎です。




2011年 2月 17日(金)午前 5時 21分

 また寒くなりつつあります。この週末が、大変な寒さだと、天気予報では言っています。木曜日は、仕事が長引くことが多いのですが、昨日も、ちょっとその傾向。でも、繁昌亭の夜席に際どくなるということはなく、少しは余裕をもって到着することができました。昨夜は、「繁昌亭爆笑賞受賞記念 三象の会」が行われました。繁昌亭大賞爆笑賞受賞記念ということですが、この受賞自体は、遅すぎた受賞と言えるものです。その番組は、次のようなものでした。生寿「つる」、花丸「あくびの稽古」、三象「読書の時間」、(中入り)、枝女太「持参金」、三象「三象踊り」。生寿が、珍しく大きなトチりをしてしまいました。つるの謂れを吹聴しに行く1回目、間違わないで言ってしまったにも拘わらず、間違ったというわけで尋ねに帰ってしまったのです。客席は、ぽかーんです。何を大騒ぎをしているかが判らないまま下げまで行ってしまいました。花丸の「あくびの稽古」は、ちょっと聴いてない内に進化していました。稽古事の経験を語るところに、新しいくすぐりが入っていました。浄瑠璃のお師匠さん、隣町で、稽古屋を再オープンしていたのですね。ついて行かされた男は、その日、くっしゃみの稽古に行く日だったそうです。もうおかしくておかしくて。三象の一つ目は、もうマクラだけで終わるかと思うほど、ここまで築き上げてきたマクラの在庫一掃という感じでした。もう客席は、笑い疲れるほど。そして、ようやく日本語の話に入っていったので、ネタが見えてきました。三象は器用な人ではないので、一つは「読書の時間」を出すだろうと思ってました。だって、昼席は、これで通してますからね。枝女太がゲストというのは、へぇ〜っていう感じ。そつのない達者な噺家さんです。で、三象の2つ目、興味津々だったのですが、この手を使ったかというところ。今日は、落語を2つと決めてかかっていたので、やられたというところです。確かに、繁昌亭では二足のわらじをはいている三象ですから、考えてみたら、繁昌亭の会に相応しいネタ選びかもしれません。特別に2曲披露してくれました。客席は大入りの盛況。だけど、ディープな落語ファンの姿は、欠片も見ませんでした。不思議な会でした。客席には、吉本新喜劇時代からの深い絆があるのでしょうか、白木みのるの姿がありましたし、ロビーには、島田一之介から花輪が届いていました。




2011年 2月 15日(水)午後 10時 20分

 2月の末に、プチ旅行を計画していたのですが、実際行けたらということで企画をしていたところ、運良く行けることになりました。ところが、企画はしていたが、実際には、ホテルの手配一つができているわけではなく、なかなか大変な作業に取り掛かったのが、月曜日の深夜。それが尾を引いたまま、今日の勤務日を迎えました。年度末が近づいている分、やらねばならないことも控えており、ちょっと慌ただしい一日。そして、夜は、「天満講談席」があったので、北区民センターへ。今日は、天満橋から、行きは歩いてみました。今日の番組は、次のようなものでした。南斗「孝行の妙薬」、南青「石田梅岩」、南華「野口英世」、南鱗「御坊主稲川」。今日は、パーフェクトにダウンを喫してしまいました。記憶に残っているのは、南斗のマクラと、南鱗さんの相撲話だけという凄まじいダウン。一番前の席だったため、演者さんを睨み付けるようにして聴いてるのも何かと思い、目をつむったりして聴いていると、完全に吹っ飛んでいました。時々、我に返るのですが、聴こえてくる言葉が、全く理解できない始末、日本語が流れてきているのは解っているのですが、何を言ってるのか理解できないのです。ダウンを喫したときに起こる症状です。そのときは、頭の中で、これは覚醒しないぞと感じている自分があります。しかし、情けないねぇ。




2011年 2月 15日(水)午前 5時 33分

 一昨夜は夜更かし。今月の末に、プチ旅行に行けることが、一昨日になって判ったため、その準備に大わらわ。行けたらということで、準備はしてあったのですが、宿の予約とかは、全くできてなかったもので、ホント大変。あきらめかかったのですが、うまくしたもので、辛うじてセーフ。おかげで、興奮状態で、いざ横になると、うまく寝ることができず、結局、やっちゃいけないお酒のお世話になりました。睡眠時間は、従って十分とは言えないまま、雨のなかお出かけ。昨日は、久しぶりに繁昌亭の昼席におじゃましました。その番頭は、次のようなものでした。笑子「寿限無」、扇平「閑所板」、うさぎ「みかん屋」、キタノ大地「マジック」、雀喜「看板のピン」、三象「読書の時間」、(中入り)、菊池まどか(沢村さくら)「嫁ぐ日」、福郎「ホームメイド正子」、文福「相撲甚句など」、右喬「犬の目」、福笑「桃太郎」。昨日の昼席は、団体さんが入り、大入り満員。そのためか、圧倒的にベタで軽めのネタのオンパレード。繁昌亭大賞で爆笑賞受賞記念の三象が、その関係で中トリの位置に入ってました。どうやら、この1週間は「読書の時間」に決めているようです。持ち時間が長い関係か、地方に喚ばれたときの話も、マクラにしっかりと入れてくれました。前半で目についたのは扇平。繁昌亭の昼席でしか遭遇機会のない噺家さんですが、かつて漫才で脚光を浴びた達者な喋りは健在。器用なところを見せていました。笑子さんが、えらく普通の噺家さん口調になってきました。そんはそれでいいのですが、そうじゃなくてバタ臭いノリが薄れるのももったいない気がしました。雀喜が、こういった日に、自作をかければいいのですが、なかなか優等生です。昨日は、色物は2人出ているのですが、色物っぽい噺家さんが、笑子に文福と賑やか。文福は、本来出番が組まれてない週なのですが、地元和歌山から団体さんが入るということで、特別出演。相変わらずサービス精神旺盛な方です。菊池まどかを聴くのは久しぶり。繁昌亭以外を含めても久しぶりです。期待の福笑は、動楽亭でも出した改作の「桃太郎」。いくら福笑テイストを詰めこんでも、「桃太郎」は「桃太郎」ですから、きれいに肩透かしを喰らった気分。一昨日は、「浪曲やくざ」を出していたので、何が出るか楽しみにしてたのですが、、、。なお、作日はバレンタインデーということで、男性客に、チョコレートが、企画委員の噺家さん(あやめ・遊方・内海英華・三歩・たま・鞠輔・太遊)からふるまわれました。
 繁昌亭を出ると、近くのネットカフェで時間調整。そして、頃合いを見計らって、京都への大移動。夜は、京都文化芸術会館であった「桂文我上方落語選〜京都編〜」に行ってまいりました。従って、昨日は、落語漬けの一日というまことに結構な日となりました。京都の会の番組は、次のようなものでした。二乗「阿弥陀池」、文我「転宅」、三歩「相部屋」、文我「八五郎出世」、(中入り)、文我「能狂言」。二乗の「阿弥陀池」は、久しぶりに聴いたフルヴァージョン。最近、なかなか聴けなくなっている「毎日便所で新聞を読んでる」話を入れての口演となりました。「転宅」は、数年前、この会で、文我自身が出したのを覚えてますから、その辺は、あまりこの会ではこだわってないみたいです。そう言えば、「らくだ」も、この会では2回聴いています。「転宅」は、うつけた盗人が主人公。おもしろいネタなのに、上方では演じ手の少ないネタです。「相部屋」は、三枝作品。比較的最近創られたネタのはずです。病気見舞いに来た男が、帰りしなに階段から転倒し、相部屋になる話をひねり、同じ2人が、もう一度相部屋になる工夫がされている噺。このネタも、三枝作品らしく、そつがなく、うまくまとまっています。「八五郎出世」は、数ヶ月前だったと思うのですが、確か「蓮華寺寄席」で、文我は出しています。同じ京都の会なものですから、配慮が欲しかったかな。これは、東京の「妾馬」の移植版です。ちょっと八五郎がおちょけ過ぎかな? これも、文我テイストです。そして、最後は、珍品に入るでしょうね、「能狂言」でした。元々上方ネタだそうです。演じ手が、染丸と文我の2人だけです。東京にも演じ手がいるので東京ネタかと思っていたら、そうじゃないと、文我は言ってました。以前にも、1度だけ文我で聴いたことのあるネタですが、他愛のない噺で、「能」「狂言」を知らない田舎の藩の長閑な噺でした。




2011年 2月 13日(月)午後 11時 52分

 今日は、午後から雨、だからといって気温が下がったわけではありません。これは助かります。そして、夜は、雨にうたれてワッハへ。今日は、4階で「らくご道〜笑福亭生喬と桂こごろうの落語会〜」がありました。予定が、わりかし早く発表されていることもあり、日本に居さえすれば行っているという感じの会になっています。ネタに関係なく、後半の対談は外れがないものだから、最優先の会の一つになっています。元々多くの人を集める気を持ってないお二人なもので、月曜日の夜とか、平日の夜に行われるのも、行きやすい要因となっています。今日の番組は、次のようなものでした。生喬「猫魔寺」、こごろう「口入屋」、(中入り)、生喬・こごろう「対談:夕焼け日記」。今日は、この会3ヶ月に1度行われるお囃子付きのネタが出る日。3ヶ月の収入をプールしておいて、こういったシステムをとっているのです。その2つが、最高度に盛り上がりました。「猫魔寺」は、3代目染語楼がプロットとなる小さな噺を作っていたものを、小佐田センセが長い噺に仕立てたとか。それを、4代目の染語楼が演じていたとか。という話を聞くまでは、小佐田センセのオリジナルと思っていました。4代目では、2度聴いた記憶がありますが、飛び飛びのうえ、聴いてから日にちが経っているので、よくは覚えていませんでした。猫が手招きをすると、婆さんが飛び出てくるシーンだけは鮮明に覚えているのですが。そんなですから、生喬が、小佐田作品を、だいぶといじったと言っても、どの辺の話かが掴めませんでした。なお、この噺は、「盗人の仲裁」(先代歌之助からもらう)と交換で、市楼からもらったそうです。「口入屋」は、陽気に、賑やかに、行儀の悪いいちびりの満載する噺です。船場の大店で、奉公人たちが、新しく雇われたおなごしに夜這いをかける噺です。こごろうは、これは、枝雀の音源に、米朝の口演を参考にして仕上げたと言っていました。こごろうオリジナルの大きなものが2つありました。1つは、新しいおなごしが、自分の特技を並べるところに、落語ができると言い、ネタを並べていくというものです。たまの意見を受け入れやりだしたと言ってました。最初は、落語ファンの多い会でやっていたが、そうでない人の前でやっても受けるフレーズだと言ってました。たまの名前が出てきてびっくりしたのですが、たまの「口入屋」と同じくすぐりが、他の箇所にもありました。番頭が、おなごしに格好をつけて喋る稽古をしているときに、「番頭です」と二枚目口調で言うくだりです。「口入屋」の演出で、意見交換をしている間柄なようですので、そのいけいけの関係の中で生まれたか、交換しあったことは間違いなさそうです。こごろうオリジナルのもう1つは、夜、寝静まったときの奉公人の様子を描いたところです。寝相と、寝ないで喋る男たちが描かれますが、内容的には、「仔猫」からの援用というところでしょうか。ということで、客席は、大爆笑の連続。それを、高々40人ほどで楽しめるなんて、なんて贅沢なんでしょうね。




2011年 2月 13日(月)午前 5時 39分

 最近、ウォーキングに疲労を感じるようになったなと思っていたら、それに呼応して、ウォーキングをした日の睡眠時間が伸びています。たかが2時間、ウォーキングをしたからと言って疲労を感じるのがいいか悪いかは別にして、ウォーキングをした日には、体が正直に反応する、これはありがたいこととして、受け入れねばならないことです。そして、昨日は、一昨日同様というお出かけ時間。京橋で、軽く買い物をしてから、天王寺経由で一心寺へ。昨日は、「一心寺門前浪曲寄席」の日だったのです。その番組は、次のようなものでした。春野恵子(一風亭初月)「お菊と播磨」、京山幸枝司(岡本貞子)「武蔵屋新造」、春野美恵子(虹友美)「お夏清十郎」、京山小圓嬢(岡本貞子)「祐天吉松」。どうも昨日は、おなじみネタが続き過ぎました。浪曲のネタ自体が少ないということなのでしょうか? 唯一初物だったのがで「武蔵屋新造」。だけど、前の春野恵子の口演から、とっても心地よくなりうとうと。話の一部しか思い出せないのです。侠客もので、親分の金を取りに行き、それをごまかして、どうのこうのという記憶です。ちょっと情けない。「お夏清十郎」は、春野美恵子では初めて。春野恵子と三原佐知子では聴いているネタですが、これは、いつ聴いても物足りない。清十郎が処刑されたあと、我を見失ってしまうお夏が描かれます。京山小圓嬢の「祐天吉松」は、得意ネタとはいえ当たり過ぎと思いつつ、名調子にほざされてしまいます。だからこそ他のネタも聴いてみたくなるのです。昨日は、全体的にネタが短め。終わると、まだ3時にもなっていませんでした。
 一心寺南会所を出ると、予定通り、息子のところで、パソコンを借り、春のドイツ旅行の準備。今回初めて、ドイツ鉄道の早割を利用することとしていたため、息子のパソコンを借り、確実に予約することにしたのでした。一応、自分のパソコンで予行演習をしてはいったのですが、最後の一歩でつまずいてしまい、あれやこれやと時間が経つばかり。最終的にはなんてことはなかったのですが、落とし穴って、いろんなところに待ち受けているっていうことを思い知らされてしまいました。




2011年 2月 11日(土)午後 11時 11分

  大阪府門真市(35)〜守口市(47)〜大阪市旭区

 昨夜は、夜中に何度も目が覚めながら、その都度新たに眠ることができ、気がついてみると、結構な睡眠時間を確保。朝からは、お酒をたしなみながら、オペラのDVDを観るという、まことに結構な週末の時間でした。そして、昼前にお出かけ。今日も、まずウォーキングからスタート。午後の予定を睨みながらのコース設定。詳細は、次のようになりました。京阪「大和田」駅〜常称寺町東公園〜門真市立古川橋小学校〜大一温泉〜大日イオン・ショッピングモール〜モノレール「大日」駅〜守口市立八雲東小学校〜大阪市水道局庭窪浄水場〜守口八雲西郵便局〜下島公園・守口市立下島小学校〜淀川左岸〜守口市立第一中学校・大阪府立淀川工科高校〜旭通商店街〜地下鉄「太子橋今市」駅〜「今市」交差点〜今市商店街〜日本基督教団森小路教会〜千林商店街〜京阪「千林」駅。寝屋川の方から歩いてきて、よく歩いたコース、今日は、大和田から入ってみました。一番困ったのは、大日で、モノレールを東から西へ、なかなか越えられないこと。うかっと南に行き、横断歩道を探したものだから、往復10分はロスをしたのじゃないかな。淀川沿いを、この辺りで歩くのも久しぶり。一度、川沿いを歩いてしまうと、正確な位置を失念してしまうことがしばしば。とにかく川沿いを離れてから、地図とにらめっこです。時間があれば、城北公園も視野に入れていたのですが、無理でした。最後は、できれば京阪沿線にと、頑張って歩きました。所要時間は、2時間を3分ほど超過で済みました。
 「千林」から天満橋乗り換えで「谷町九丁目」に移動。午後は、鷹天院であった「満月動物園」の公演「ツキノウタ」を観に行ってまいりました。何度か、狙っていながら観ることのできなかった劇団。今回が、初遭遇です。設定の思いつきがヒットであることは認めざるをえない芝居。でも、その設定が生ききっていたかとなると、万全ではなかったかもしれません。その設定というのは、主人公が乗っていた観覧車が倒れ、今正に命が尽きようとしている僅か数秒間を舞台に表そうとしているというもの。その時間に現れる走馬灯を、舞台上に表そうとしたもの。自在に時空間を飛ばすということで、超自然的存在を登場させました。あんちょこと言えばあんちょこです。が、設定として、何かの仕掛けが必要なところでしょうが、「死神」はあんちょこです。「死神」を出したついでに、「疫病神」「貧乏神」を出したけど、機能していたとは言い難かったですね。走馬灯の核心部は、母親との関係、その描き方ですが、自在に時を動かすことで深みは出たかなと思う反面、プロセスの描き方が希薄だったため、不満は残ってしまいました。「死神」以下の神が出てきたときは、これまでかと思ったのですが、時空間を自在に飛ばすようになってきてからは、ちょっと取り戻したかの感じだったのですが、設定を崩す飛ばし方をされたころで、ちょっと引いてしまったかな。もう一度くらいは観てもいいかなの印象でした。
 芝居が終わると、その足で、南森町に移動。夜は、3日連続の繁昌亭。繁昌亭は、行き出すと続くというジンクスは生きています。今夜は、「この四人の会」がありました。土曜日の夜だったからでしょうか、補助席も出る盛況。その番組は、次のようなものでした。華紋「色事根問」、喬若「いらち俥」、南海「女侠客・奴の小萬」、(中入り)、文華「七段目」、雀太「夢の革財布」。華紋は、文句なしに大器。今日も、そう感じました。喬若の「いらち俥」は、箕面のあと伊丹空港に行き、飛行機とニアミスを繰返します。そんなのやってるって知らなくて、びっくりさせられました。南海さんは、あまり出ない「奴の小萬」を。女侠客としてできることを進める格好良さが決まります。南海さん、繁昌亭でアウェー気分だったのでしょうか、珍しく落ち着きの悪い高座姿を見てしまいました。文華の口演として、芝居噺を初めて聴きました。恐らく「七段目」が、初めての芝居噺じゃないかな。残念ながら芝居慣れしていませんでした。そないなこともあるのでしょうか、定吉が2階に上がってきたところでの立ち回りはカットされていました。雀太が「夢の革財布」でトリ。キャリアに関係なく、ネタでトリとなったのでしょう。「芝浜」の移植版ですが、大阪テイスト満載の仕上がり具合。師匠雀三郎より、その点では進化しているとすら感じます。3年後は、経済的にも安定しているのだから、もう少し落ち着いても良かったかな。でも人物の特徴の掴み方のうまい雀太ですから、ぐいぐいと引き寄せられる力を感じました。どういう関係で生まれた4人かは知らないのですが、落語に真摯に取り組んでいる4人が結集した会は、やはり値打ちがありますね。聴き応え十分でした。




2011年 2月 10日(金)午後 10時 51分

  大阪府守口市(46)〜大阪市旭区、城東区、鶴見区〜東大阪市(25)

 寒いけど、とってもいいお天気の一日。明け方に目が覚め、だけどお酒の世話にならないで二度寝ができた幸せな朝、爽快な気分で、ウォーキングからスタート。昼からの予定を考えてのコース設定。先日、「守口市」駅スタートのコースを組んだところだったので、途中クロスはしたのですが、重ならないようにと組んだコースは、次のようなものとなりました。京阪「滝井」駅〜千寿幼稚園〜新森中央公園〜城東古市三郵便局〜大阪信愛女学院〜大阪市立すみれ小学校〜大阪産業大附属高校〜大阪信愛修道院〜大阪市立緑中学校〜大阪市立鶴見小学校〜「横堤1」交差点〜横堤八幡宮〜大阪市立茨田南小学校〜今津諸口橋〜比枝神社〜JR「稲田」踏切〜さわらび幼稚園〜「稲田交番前」交差点〜沖縄料理店「かじまる」〜東大阪長田郵便局〜楠根橋〜東大阪御厨郵便局〜インド料理店「binbu」〜近鉄「河内小阪」駅。新森中央公園から「横堤1」辺りは、よくウォーキングで通る道筋。その「横堤1」交差点で、先日のコースとクロス。今日は、ここから南東方向に向かい、JR「徳庵」駅の西側から高井田と長田の間を抜け、近鉄沿線に向かいました。そんなに度々行くところではないので、時間的目安を失念しており、最初は長く、最後は短く見積りながら歩いてしまいました。「徳庵」からだと「河内小阪」までのほぼ最短距離を歩いたと思っています。
 「河内小阪」から近鉄電車一本で「日本橋」に移動。文楽劇場であった「公演記録鑑賞会」に行ってまいりました。月一で行われているこの会、今日は文楽で「加賀見山旧錦絵〜廊下の段、長局の段、奥庭の段〜」(H7公演)が上映されました。この演目は、4月公演の演目でもあるということで、ちょうどいい予習になるかと思っていたら、とんでもこざいません。暖かな場内、ウォーキングの心地好い疲れが重なり、見事なダウン。尾上を、玉男さんが使っていたのですが、「長局の段」のあとで自害してしまいます。「奥庭の段」では、尾上の亡骸だけしか出てきませんから、玉男さんの姿は、ほとんど記憶にないほどのダウンを喫してしまってたようなのです。「奥庭の段」は、かなり大丈夫でしたので、尾上の亡骸を見ておののくお初の大仰な動きは、しっかりと目に刻むことができました。お初を使ったのは簑助さんでした。今日の3つの段で、切り場扱いになっていたのは「長局の段」。こちらの太夫さんは、現源太夫の織太夫さん。やはり若いというのはいいことです。この太夫さんの凄さというものに、初めて接することができました。筋立ての基本は、後宮での、勢力争い。それも、攻めるばかりの岩藤、文楽の登場人物中、悪女列伝のトップを飾ろうかという女に攻められる尾上という構造。そして、尾上の仇を討つのがお初という話です。岩藤による尾上打擲場面は、今回はなく、その場面は、4月のお楽しみとなりました。
 文楽劇場を出ると、毎度おなじみの千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は、南森町に移動して繁昌亭へ。今夜は、ビックな会がありました。「南光・塩鯛二人会」です。南光を、繁昌亭で観るのは久しぶりです。その番組は、次のようなものでした。小鯛の「刻うどん」、塩鯛「へっつい盗人」、南光「ねずみ穴」、(中入り)、塩鯛「愛宕山」。小鯛の「刻うどん」は初遭遇。オーソドックスに2人型を演じてくれました。客層を知るのに、程よい前座です。塩鯛の1つ目は「へっつい盗人」。本日のナンバーワンは、文句なしにこれでしょう。喜ぃ公が最高。盗人をするのが楽しいらしく、現場に着くと走り回ります。もう最高の聴かせどころに大笑いでした。南光の「ねずみ穴」は、自分的には初物の可能性があります。聴いていたとしても、1回しかないと思います。福団治が始めてから、そんなに離れてなかったと記憶していますから、単に、今まで縁がなかっただけだと思います。南光の口演を聴いていて、噺に起伏はあっても、南光の語り口に起伏が少ないのに、痺れがきれていきました。間の取り方もくさくないのです。これも痺れがきれてしまいました。噺が長いだけに、一旦痺れがきれ出すと、痺れたところばかりに気が入ってしまいます。先日聴いた「子は鎹」でも似た感想を持ったことを思い出していました。問題は声なんでしょうね。ちょっと淋しい感じがしました。塩鯛の「愛宕山」は珍しい。ネタ下ろしかと思ったくらいです。内情に詳しい方でしょうか、隣に座っていたお二人の会話が耳に入りました。「富山でやったそうですよ」「だから4〜5回じゃないかな」と。真偽は判りませんが、感覚的には、そないな感じでしょう。今までやってこなかったということは、合ってないという意識があったからでしょうね、ニンに合わないというやつでしょうが、聴く前から、そういった感じがしていたので、天の邪鬼じゃないですが聴いてみたかったのですが、実際聴いてみると、やはりの感が拭えないです。若旦那もの、お茶屋遊び、粋な小判撒き、このあたりが、どうも塩鯛的じゃないと思ってしまうのです。そないなことを、塩鯛自身も感じているのでしょうか、山登りの場面は、動きが大きいのですが、土器投げ、小判撒きになると、なんか萎縮したように動きを小さくしていました。これに集約されたかのように、春の陽気とか、温もりのようなもの、澄んだ空気なんてものからは、ちょっと遠かったな。




2011年 2月 10日(金)午前 6時 15分

 一昨日は、大学時代の友人たちが、大阪に集結。徳島料理の店で、懐かしい時間を過ごしました。ただ仕事の続く水曜日というところになってしまったため、ちょっと心配していところ、元気に、仕事は乗りきったのですが、寝不足は避けられませんでした。そして、昨夜は繁昌亭。今夜は、「デブサミット〜肉(29)の日に〜」がありました。東京から歌武蔵が来るというので、この会は欠かさず行っているかなというところです。その番組は、次のようなものでした。石松「商売根問」、染太「ふぐ鍋」、米平「けんげしゃ茶屋」、(中入り)、三金「奥野くんの幽霊」、歌武蔵「強情灸」、出演者全員(司会:三金)「デブ大喜利」。石松と染太はおなじみネタ。石松の「商売根問」は、今日も気に入ってしまいました。松之助テイストの「商売根問」です。昨日出たネタでは、待望ものは「けんげしゃ茶屋」、だけど、ここでダウン。真ん中の村上の旦さんが、悪ふざけで縁起の悪いことを連発するところはダメでした。滅多に出ない噺だけに、聴き落としたのは残念無念です。三金は軽く自作を披露したあと、歌武蔵にバトンタッチ。定番の相撲ネタを続けるので、これで下りるのかと思っていたら、「様々な性格の人がいるようで」と言い出したので、これは「長短」かと思ったら違いました。風呂屋に入って行く男が、帯を解きながら歩く仕種や、熱い湯につかるときの仕種、百草をほぐす仕種、こういったものが、若干オーバー気味に、だけどツボを押さえた仕種だけに、見事なアクセントになり、そこに加えて江戸っ子口調が決まるものだから、とっても解りやすく楽しい高座となりました。歌武蔵の実力、再確認です。大喜利は、一番先輩である歌武蔵に対し、一番下の石松に失礼なことを言わせる構成に大爆笑。三金の説明によると、繁盛亭の出番を組んだ人の仕業か、ひろば、三金、米平が、相次ぐ出番があったことがヒントになって生まれたのが「デブサミット」とか。更に念の入ったことに、「デブサミット」を企画した夜席のある日に、歌武蔵が昼席に出ているという偶然で、出演を依頼したところ快諾されたことの縁で、交流が続いているとか。おかげで、大阪で歌武蔵を聴ける機会があるということで、且つ、大喜利が毎回笑えるんで、行っちゃう会なのです。昨日の、例えば、「犬が太ると読めなくなる」(米平)、「引き籠もりが太ると出不精」(歌武蔵)は、めっちゃ名作です。




2011年 2月 7日(火)午後 10時 59分

 今日は、朝から家の用事。かなりうつけたことばかりをしていますので、必要以上に些細なことで、動かねばならないのが現状。くだらないお金も使わねばならないしね。無精なことに加え、ボーッとしている代償っていうのは小さくはありません。せっかくの非勤務日が、おかげで台無しです。こういうのを、世間では、身から出た錆というのでしょうが、黄紺と同じような人って、世間には、わんさかいそうな気がするのですが。
 で、午後からは「動楽亭昼席」へ。今月2回目です今日は、まだ米朝一門だけで、番組が組まれている日です。その番組は、次のようなものでした。二乗「普請ほめ」、しん吉「犬の目」、米団治「稽古屋」、ざこば「肝つぶし」、(中入り)、出丸「花筏」、米二「風の神送り」。二乗、しん吉は、あとの出番の噺家さんに遠慮がちなネタ選び。そりゃそうです、随分なネタが並んだものです。こないなラインナップを、一門で組まれると、しかもぶっつけの寄席で組まれると、もう米朝一門やなぁと唸らざるをえません。米団治は、踊りのところにくると、ええもん見せてくれます。身のこなしが、全然違うのです。「肝つぶし」はミステリーっぽいのがいいですね。このネタも、吉朝一門の噺家さんがする程度ですね、若手じゃ。ざこばの静かな語りが、雰囲気を作っていました。出丸は、相撲の話をマクラでふり始めたので、まさかと思ったら、そのまさかの「花筏」でした。その段階で、3時35分だったもので、びっくりした次第です。また、この「花筏」が、えらく気の入ったもので、出丸の口演では出色のものと思いました。米二は、最近聴いてなかったので、どこかで出してくれないかという「風の神送り」。今やと言っても、元々演じ手がいないと言えるネタ。自分的にも、米朝と米二でしか聴いたことがありません。確かに聴き直してみて、おもしろい噺とは言えないですね。風の神送りという風習自体が消えていますし、噺の中味は、風の神送りをするために、町内の若い衆が、芳賀帳を持って回る部分が大半を占めるというもの。時間も35分もかかりました。ま、たまに聴く噺ですね。だけど、満腹感のある昼席でした。
 動楽亭を出ると、御堂筋線で梅田へ。時間調整は、東梅田のネットカフェです。そして、夜は、シネリーブル梅田で、フランス映画「サラの鍵」を観ました。前から狙っていて、ようやく行くことができました。第2次世界大戦中のフランスにおけるユダヤ人狩りが、この映画の根底にあります。ナチス協力政権のヴィシー政権下での出来事と思われます。フランス警察によるユダヤ人狩り、最終的には、収容所に送られ殺されるのですが、問題は、一つの家族が連行されるとき、姉のサラが、弟を納戸に入れ鍵をかけ、連行を防ぐのですが、仮収容所に連れられて行ってしまうため、弟を出すことができないでいるということの物語が、一つ続きます。そして、もう一本というか、最終的には、こちらの方が本筋になるのですが、サラの住んでた家に引っ越すことになった(それは夫が育った家だった)女性ジャーナリストが、フランス警察によるユダヤ人狩りを調べている内に、引っ越し先が、ユダヤ人の住んでたところで、サラ一家が連行されたあとに、夫の家族が移り住んだことを知り、サラやその両親の行く末を探すことになります。前段の問題は、中ほどで結末を迎えます。ですから、そこからは、女性ジャーナリストの活動、それは、夫の家族を詮索することにもなるのですが、サラ一家の連行に係わる人たちを探す旅となります。ここでは、サラの問題が、世代を越えて、どのように伝わっていっているか、いかに大きくのし掛かっていっているかが描かれています。ただ、女性ジャーナリストの夫との係わり、娘との係わりは、ちょっと欲張ったかなという印象は残りました。仮収容所の場所として、ボーヌが出てきました。ブルゴーニュの中世都市という関心でだけ行ったことのある町ですが、こういった歴史も持った町だったのですね。知らないということはと、この映画でも出てきたテーマでもあります。




2011年 2月 7日(火)午前 4時 53分

 昨日は、天気予報が言ってたほどではないにせよ、気温は高め。こないな日が、これで3日は続いたことになります。ありがたいことです。そして、夜は、徳徳亭での「連続講談席〜新鋭四人会〜」。一昨夜と連続の会だったのですが、昨夜は、息子とコナックに行ったためにお休み。昨日だけ、おじゃまをすることになりました。番組は、次のようなものでした。南斗「山内一豊とその妻千代」、南舟「難波戦記〜山本久兵衛(霧隠才蔵)〜」、南青「沖田総司〜日野三兄弟」、南湖「大岡政談〜鉄砲勇助〜」。「山内一豊」はおなじみネタ。南海さんのこのネタ、久しく聴いていません。擬人化された馬が大活躍します。それが耳にこびりついているため、他の誰のこのネタを聴いても、平板に聴こえてしまいます。「山本久兵衛」の前段部分はよく出るネタ。真田父子が、高野山に蟄居して、幸村が阿呆の格好をする話。今日のネタは、家康に、幸村を討つことを求められた久兵衛が、幸村側に捕まり、逆に幸村側に寝返る話で、「霧隠才蔵」という名が知られているわりには、あまり出ないネタです。「沖田総司」は、沖田をつけ狙う日野三兄弟との駆け引きの話ですが、聴いていて、これって、別に沖田でなくても、また新撰組でなくても済む話。但し、終盤に入るまではの話で、ボーッとしてしまったあたりで、展開が変わったかもしれません。「大岡政談」は、大阪では、通常聴けないネタ。東京ものです。でも、そのあたりをやっちゃうのが、研究熱心な南湖さんらしいところ。ましてや、副題が「鉄砲勇助」となっている。落語のネタに引っ掛けてるのですが、中味は、全然関係がない。嘘ばかりをついて楽しんでる男が、くだらない嘘をついたばかりに、殺人の嫌疑をかけられるというもの。もちろん「大岡政談」ですから、最後は、すかっとした大岡裁きで締め括られました。4人で2時間の会、終わってみると、わりかしたっぷり感があり、客4人だけで聴くには、あまりにももったいない会だと思いました。




2011年 2月 5日(日)午後 11時 27分

  大阪府守口市(45)〜大阪市鶴見区、城東区、中央区

 一昨日の夜あたりから寒さが回復。外に出るのに苦痛じゃないのって、ホント助かります。今日は、まず昼前からウォーキングをスタート。その詳細なコースは、次のようなものとなりました。京阪「守口市」駅〜大枝公園〜守口市立第二中学校〜極楽寺〜守口市立南小学校〜鶴見緑地〜「緑地橋」交差点〜「横堤1」交差点〜鶴見神社〜南今福北公園〜新今福中橋〜城東区子ども・子育てプラザ〜新喜多橋〜城東新喜多東郵便局〜JR「かたまち077」橋梁〜鴫野会館〜大阪ビジネスパーク〜地下鉄「大阪ビジネスパーク」駅。当初、鶴見緑地には寄らないで、環状線の枠内を目指していたのですが、鶴見緑地をかするようなコースを取るならと、予定を変更させることにしました。すると、こういうことってあるのですね。旧花博のパビリオンで行ってなかったところを発見。ナイジェリア館なんてのが、そうなんです。これは、思わぬ副産物ということで、満足、満足。鶴見緑地を出ると、ひたすら環状線内へ入れるようにと、最短距離を辿ったつもり。最後は、森之宮に回るか、大阪ビジネスパークに行くか迷ったのですが、タイトな予定を組んでいたため、安全策を採りました。
 「大阪ビジネスパーク」から、谷六経由で「谷町九丁目」へ移動。午後は、高津神社であった「文太・噺の世界in高津の富亭〜文太の贋作あれこれ〜」におじゃましました。毎月、こちらで行われているこの会、久しぶりのおじゃまです。日曜日の昼間に行われる会なもので、いろいろとバッティングをして、なかなかおじゃますることができないのです。番組は、次のようなものでした。文太「八度狸金玉仇討」「初天神」、眞「元犬」、文太「居残り左平次」。今日も、ウォーキングのあとは疲れが知らない内に出てしまいました。最初の3席の中ほどで、いずれもダウン。「八度狸金玉仇討」という文太スペシャルのネタだけは惜しいことをしてしまいました。しかし、「居残り左平次」はばっちり。左平次の要領の良さが、軽くて軽くて抜群。これを聴けただけでも、ここまでのダウンのリベンジを果たせた感じ。東京ネタだけあって、その軽快さが、文太の口演は、その辺を心がけてることがしっかりと伝わってくるもので、とっても素晴らしいものを聴けたという感じでした。
 その高津神社で開演を待っていると、息子から電話が入り、イスタンブル・コナックに行くことになりました。コナックで、息子と食事をするのは、半年ぶり、いやそれ以上になるかな? モロッコとチュニジアと比べて、なんてトルコはと思ったと言ってました。これは、黄紺が、カイロからイスタンブルに入ったときに感じたそのまんま。ぶつぶつ言いながらも、仕事は順調みたい。普通のことを普通に聴いて、ホッとしている黄紺なのです。




2011年 2月 5日(日)午前 0時 6分

 昨夜は、簡単に寝つけたにも拘わらず、2時間程で目が覚めてしまい、二度寝がなかなか叶わず、仕方なく明け方に、お酒のお世話になりました。これだけは止めておこうとしたことを、またしてもの感覚です。おかげで二度寝はできたのですが、、、。そして、12時を回ってからお出かけ。今日は、まずトリイホールでの「第13回柳亭市馬・柳家喬太郎 二人会」へ。相変わらず大入り満員の会です。完全に、お二人の人気は、大阪で定着です。その番組は、次のようなものでした。鯛蔵「代脈」、市馬「普段の袴」、喬太郎「任侠流山動物園」、(中入り)、喬太郎「寿限無」、市馬「風邪うどん」。市馬の一つ目は、軽くという感じだなと思っていたら、なんか全部が全部軽めのネタに終始し、びっくり。「普段の袴」は、全く初めて聴くネタ。侍が、煙管で煙草を吸う姿を真似て、予想通り失敗する噺。こないな噺があるんだなという程度のネタでした。次の喬太郎のネタにも、びっくり。「流山動物園」という言葉が発せられても半信半疑。ようやく「ブタ次」という主人公の名前が出てきて、間違いないことを確認。このネタ、白鳥の作品。それを、喬太郎がやるってことだったので、びっくりだったというわけです。この作品は、連作になっており、幾つかあるのですが、今日の口演は発端の部分でした。中入り明けのネタにも、びっくり。こないな二人会で、「寿限無」は反則でしょう。ただ、寿限無自身が、自分の子どもに名を付けるという話が加わりはしましたが。最後の「風邪うどん」にも、びっくり。だって、一つ目が軽い噺だったんですもの。いくら季節ものとはいえ。ということで、かなり満足度の低い会となってしまいました。
 トリイホールから出ると、すぐ近くのネットカフェで時間調整。いつも使っているネットカフェです。そして、そこから夜の部は、西大橋駅の近くまで、歩いて移動。夜は、「堀江アルテ」であった「松喬一門会」におじゃまをしました。堀江で落語会に行ったことってなかったんじゃないかな。とにかく初めての会場でした。その番組は、次のようなものでした。喬介「みかん屋」、風喬「金明竹」、遊喬「鬼の面」、(中入り)、生喬「辻占茶屋」、三喬「抜け雀」。開演時間は6時半だったのですが、二番太鼓が、えらく早く打たれたため、客席から、「6時半からやったんちゃうん」の声。ところが、そのあとに打たれた出囃子を聴いて、会場にどよめきが走りそました。病気休演という告知の出ていた松喬の出囃子だったからです。単に病気休演というのではなく、病気自体を知っている人たちからのどよめきだったのです。黄紺自身も、一番気になっていたこと。まさかご本人が登場され、私服とは言え、病気のことさえ知らなければ、全くいつもと変わらない様子。とにかくほっとしました。病気の報告、そして、心構えを話されました。一番脂ののったところでの発病だけに、快復を願うばかりです。松喬の率直な報告に、会場は温もりに温もったという感じで、喬介の高座から、無茶苦茶反応のいい客席。天然系の喬介は、「みかん屋」の主人公とかぶるものだから、もう何を言っても可笑しいという雰囲気。風喬の「金明竹」は初遭遇。「金明竹」をする噺家さんが増えました。短い噺だけど、とんちんかんな丁稚の取り違えが可笑しいからでしょうね。最後には、丁稚ばかりか、ご寮さんにも解らないという変化が出てくるからでしょう。「鬼の面」は久しぶりです。釈ネタで、落語家さんの演じるものをおもしろいと感じたことがなかったというネタです。小さな人情噺風に演じるというのが、今まで聴いてきた口演だったと思います。そうなると、なんか中途半端な感じがしてしまったというのが、正直な感想。今日、遊喬の口演を聴いて、落語になってると思えました。遊喬は、そんなに繊細な描写を試みる人ではないのが良かったんじゃないかな? しょうもないことしーの旦さんがいて、アホなことしたために、可哀想なことになってしもたんやのノリなのです。お節は、噺の主人公だけど、ホントの主人公を旦さんにしてしまったという感じなのです。これは、いいもの聴かせてもらったと思います。生喬は、会場が堀江で、四ツ橋のすぐ近くだからということでのネタ選び。生喬らしい心遣いです。四ツ橋でのやり取りで、夜の暗さが出ていたので、大成功だと思います。すでに、ここまでで終わっても、満足度の高さに酔わせてもらえたと思うのですが、トリの三喬が、念押しをするグレードの高さ。「養子」という言葉の繰返し効果は抜群だし、間合いに変化をもたせる目が素晴らしい。しかも正攻法で進めていきます。こんなに、じっくりと語って聴かせる三喬は見たことありません。いや〜、松喬一門の実力というのは、半端なものではないことを思い知らされた会だったと思います。




2011年 2月 4日(土)午前 0時 35分

  大阪市内遊歩(123)

 寒さは変わらないですねぇ。今日までという天気予報を信じないと我慢できないほどの寒さです。でも、お天気は、すこぶるいい。ウォーキング日和なのです。で、今日は、昼前からウォーキングを始め、その足で、午後の部に向かうといういつものパターンです。その詳細なコースは、次のようになりました。京阪「天満橋」駅〜あい粂旅館〜北大江公園〜台湾料理店「華庭」〜インド料理店「ラジャ」〜インド料理店「チャンダン」〜大阪市立南大江小学校〜銅座公園〜空堀通商店街〜大阪市立上町中学校〜地下鉄「谷町九丁目」駅〜天王寺上汐郵便局〜大阪市立魂小学校〜上汐公園〜イタリア料理店「ペレネ・ルーナ」〜天王寺郵便局〜天王寺警察署〜大阪市立大江小学校〜四天王寺〜関帝廟〜久保神社〜寺田町公園〜河堀口稲生神社〜JR環状線「寺田町」駅〜大阪市立高松小学校〜JR「はんわ」橋梁〜地下鉄御堂筋線「昭和町」駅。天王寺方向に向かうと、環状線内だけで時間がかかってしまいます。環状線を寺田町で抜けて、河堀口や美章園辺りへ回り込もうとすると、これも時間がかかります。当初は、この経路で、桃ヶ池公園の傍らを抜けられないかと考えていたのですが、そのためには、谷町筋などを直進しないとダメですね。今日の成果は、関帝廟に入ったことかな。前を、何度か通っているはずなのに、中に入ったのは初めてでした。神戸の関帝廟には行ったことがあったのですがね。
 「昭和町」から御堂筋線一本で「動物園前」に移動。昼は、「動楽亭寄席」に行ってまいりました。米朝一門だけが出る日は、相変わらず、コンスタントな入りです。その番組は、次のようなものでした。吉の丞「米揚げいかき」、雀五郎「黄金の大黒」、こごろう「壷算」、雀喜「天狗」、(中入り)、団朝「魚の狂句」、南光「子は鎹」。どうもウォーキングあと、食事あとの動楽亭は鬼門です。いい気持ちでダウンしてしまうのです。吉の丞を聴いてから中入りまでが最悪のコンディション。雀五郎とこごろうの口演は、最近聴いているので、まあ自分を許せるのですが、雀喜の「天狗裁き」って、わりかし意外な感じがしてしまうので聴きたかったなぁ。替わりに、中入り明けはばっちりでした。団朝は、十八番の新世界ネタの中で、飛田ネタを出し、その流れで、珍品「魚の狂句」へ。ネタが終わっても高座を降りなかった団朝は、現代版の「魚の狂句」を披露してくれました。そして南光のネタは、まさかの「子は鎹」。南光が、このネタを手がけているという情報は押さえていたのですが、まさか今日聴けるとは思っていなかったもので、びっくり仰天でした。夫婦別れをするところからスタート。寅ちゃんは、母親が引き取る型でした。別れ際にげんのうをもらう場面が入っているのが、なかなかグーな演出です。最後のうなぎ屋の場面は短めに。すぐに元夫婦が再会を果してしまいます。黄紺は、ここで引っ張って欲しいと、かねてから考えています。ためらいを描くことで、再会のボルテージが上がるんじゃないかな? それと、寅ちゃんの描き方にデリケートになって欲しいな。子どもっぽさが物足りなくて。ですから、全体としては、薄味系と言えばいいでしょう。40分を超えたかなという長講でした。
 「動物園前」から「難波」まで移動。今日は地下鉄を使いました。夜の部までの間、今日も、千日前のネットカフェで時間調整。時間が来ると、歩いて「恵美須町」駅裏の「in→dependent theatre 1st」に移動。こちらであった「baghdad cafe」という劇団の芝居「男子」を観てまいりました。脚本がしっかりしているので、わりかし頑張って行こうとしている劇団の一つです。今日の出演者は女性ばかり。それで、一人の男の内面を分散させて描いていきます。全員が、一人の男の分身です。問いかける自分と問いかけられている自分を、役者が次から次へと交替しながら演じていきます。その台詞は、言葉遊びっぽい言葉が並ぶかと思うと、抽象的な言葉が飛び出してきたりと変幻自在。久しぶりに、風のように言葉を浴びながら聴くという芝居に遭遇しました。こういった芝居は、言葉を浴びながら、自分の頭の中に形作られていくイメージが、どのように出来上がっていくかを楽しむものと決めつけています。迂闊に言葉にこだわると、自分の中で芝居は止まってしまいます。こだわる言葉は、単に言葉遊び的に発せられた駄洒落であったり、意味のない、調子をつけるためだけのリフレインかもしれません。要するに外国語を聴き取るときの要領です。そして描かれたのは、現代の社会で、つながりを持てず、孤独に苛まされている個人の内面を、問いつつ問われつつ洗い出していきます。キーワードは「孤独」。問いかけは、不安に苛まされ考えることを止めようとするところまで行きます。でも、不安を感じている自分を捉えているではないか、そこに希望を見出そうとしています。「孤独を感じている自分」を自覚している以上、自己認識ができている、それが希望の綱であるとのメッセージなのでしょうが、「Cogito ergo sum」が、ここまでか細くなってしまっているのが現代の、なかでも「男子」に看て取ることができるということだと思い観ておりました。完全な群像劇、関西の小劇場界の有名劇団の女優陣が集まり好演を見せてくれています。




2011年 2月 3日(金)午前 8時 42分

 一昨日、PCを起動させた途端、トラブルが発生。完全にクラッシュ、、、と言っても、買いたてのPC、マシーン自体がクラッシュしたのではなく、変則的な使い方をしていたOSが機能しなくなりました。Windowsの7上でXPを使っていたのですが、XPがダメになってしまい、XP上で使っていたファイル探しで四苦八苦。結局、見つからずで、只今、修理に出しています。一番真っ青だったのは、春のドイツ・オペラ紀行のチケットとホテル手配のシート。辛うじて、他の場所で見つけることができて胸を撫で下ろしています。HP関係は、事情があって、古いPCに同期化してあったので、完全無傷であったのは助かりました。てなことで、一昨日のHP更新はギヴアップ。こちらも、一昨日分と昨日の分を、一挙に書いておきたいと思います。

 2月1日(水)

 今日は、年に一度のお楽しみ、繁昌亭で「第4回上方落語台本入選作発表会」があった日。去年は行けなかったのかな、でも、最優先にしている会の一つです。まず、落語家さんによる授賞作品の口演に先立ち、授賞式と講評がありました。授賞式の司会は三金、プレゼンテイターは八方でした。講評は福笑です。場面転換をはかること。根問もので、時間を持たせることは、かなり難しい。くすぐりを入れるタイミングというものがあるなど、創作派としてのクォリティの高い話を披露してくれました。その後の番組は、次の通りでした。花丸「容疑者田中」、三風「面接」、あやめ「結婚いろは」、(中入り)、三枝「カ霊ライス」。「容疑者田中」は、太刀魚をナイフ、竹輪を爆弾と間違えられ、銀行強盗扱いされる男のドタバタ噺。取り間違えにしては、度が過ぎるのですが、銀行を取り巻くテレビ中継がおかしい作品。「面接」は、京大出の応募者の面接官が、何を聞いていいのか解らず、逆に質問したり、通りいっぺんの志望動機を尋ねたら、その内容が把握できずに、面接官が内容について質問攻めにしたりと、入社試験時ではありえないドタバタを描きました。「結婚いろは」が傑作。同窓会で、前から憧れていた女性に交際を申し込んだら、語り出しました恋の遍歴の「いろは」。「い」から始まり「ゑひもせす」まで、それぞれの文字に対応した男性とつきあっていたいたというもの。これが、大変な労作。更に、その後の以外な展開もおもしろく、なかなか気に入りました。覚えるのも大変な作品を、またそつなく演じてくれたあやめにも拍手です。「カ霊ライス」は、日常の風景をおかしく描写するところからスタート。かなり受けていたのですが、これは、かなり三枝のなせる技。作品に、えっと思わせられるのは、展開の妙。日常風景を、小拍子一つで、全く違った風景へと飛ばしました。見事な展開でした。家族愛を描くとともに、大阪のおばちゃんの可笑しさで笑いをとるというなかなかの佳作でした。全体として、今まで聴いてきた中で最上の成果のあった年かなと思いました。

 2月2日(木)

 今日は、この冬一番の寒い一日。ドイツ含めても一番寒いんじゃないかな? エアフルトの寒さと比べても、寒いでしょう。外に出るのが億劫になってしまいます。と言いながら、既に予約していたこともあり、今夜は、「第328回上新庄えきまえ寄席〜たま・三幸二人会〜」(上新庄・春日神社集会所2階)へ行ってまいりました。毎月、プロデュースの変わるこの会、今月の月当番は三幸でした。そう言えば、この会、去年の三幸の会以来じゃないかな? そうそう、去年の3月は、春場所がなかったので、皮肉な相撲ネタの会がありました。文我のお世話だったと思います。今日は、最近、三幸の会を見かけないので、飛び付いた次第です。ましてや、たまとの二人会ですから、かなりそそられてしまいました。その番組は、次のようなものでした。太遊「寿限無」、三幸「みかん屋」、たま「口入屋」、(中入り)、たま「三味線アリ」、三幸「?(三枝作)」。太遊は2回目。「大ネタをやります」と言ってから始めたのが「寿限無」。この人は、やはり舞台経験を持つだけに、喋りが様になっています。滑稽ネタ以外にも挑戦した姿を見たいものです。三幸は、「愛媛はみかん」と言ってから「みかん屋」に。通常、「紀州のみかん」と言うところを、全部「愛媛」と言い替えて演じていました。たまの「口入屋」は、初遭遇のはずです。序盤の、丁稚が口入屋で、おなごしを探すところはカット。番頭がおなごしに話しかける前の助走部分と実際に話しかける部分を、程よくデフォルメと、とってもいい整理をしていました。「番頭です」という言葉を決め言葉に、このネタの焦点をクリアにすることに成功。とってもいい仕上がり具合。大拍手です。そして、2つ目は、新作持ってきました。「立ち切れ」のパロディを軸に、幾つかのネタをパロディ化するばかりか、有名噺家を登場させるというサービスぶり。しばらく聴いてない内に、幕内との掛け合いが入っていました。トリの三幸は、聴いたことのない三枝作品。流しの医者、屋台の医者、コンビニ風病院とか、世の中にある医者や病院とを結びつけて、おかしな医者や病院を次から次へと登場させるもの。その発想の豊かさに目を丸くするばかりです。三枝の発想の豊かさにびっくりです。おもしろい噺にも拘わらず、あまり知られていないネタを照会してくれて、三幸に感謝です。




2011年 1月 31日(火)午後 10時 10分

  大阪府枚方市(12)〜寝屋川市(39)

 昨日、ミュンヘンからコンサートのチケットが届いて、これで、春のドイツ・オペラ紀行のチケット手配は完了。それに伴い、ミュンヘンのホテルの手配も、今日の午前中に手配を完了。今回も、チケットは平均40ユーロ未満を達成。ホテル代も4均0ユーロ代を達成です。あとは、DBの早割チケットを、今回は買おうかなと考えています。背広と靴の件も、扱いは定番化したのと同様、チケット、ホテルの手配も、完全にマニュアル化できました。弟には、「旅行社ができる」と言われています。そないなことだけではなく、ホテルの地図や歌劇場の地図作りに、午前中を費やし、家の用事も、ちょっとはして、今日は、2時をメドにお出かけ。まずはウォーキング。今日は、久しぶりに枚方市内を歩いてみました。その詳細なコースは、次のようになりました。京阪「枚方公園」駅〜「菊丘」交差点〜菊丘公園〜枚方市立走谷保育所〜京阪「走谷」踏切〜「伊加賀緑町南」交差点〜出口ふれあい公園〜枚方市立伊加賀小学校〜枚方市立伊加賀スポーツセンター〜大寿会病院〜光善寺〜「中振」交差点〜枚方市立さだ中学校〜総合老人福祉施設うぐいすの里〜鞆呂岐神社〜木屋横断歩道橋〜ひまわり保育園〜京阪「香里園」駅。初めて「枚方公園」駅を起点にしてみました。一旦香里団地方向に歩き出し、枚方公園を迂回してから、京阪を横切り、淀川方向に出るというもの。この辺りも、何度か歩いているのですが、久しぶりのこと。そこで蛇行しながら、こってりと歩いてみました。光善寺という蓮如上人創建の寺に行ったのも久しぶり。その周辺は、伝統的家屋も残るなかなかいい雰囲気。その地域を抜けたところで道に迷ってしまい気がつくと、「中振」の交差点で国道に出てしまい、今度は、気を取り直してさだ中学校へ。この中学校から南へ半地下道を抜けると、一挙に田園地帯が広がります。地道の中を抜けていくと、ようやく鞆呂岐神社の木立が見え、道が間違ってなかったことが判り、ほっとした瞬間でした。この鞆呂岐神社からは、思いのほか京阪「香里園」駅は近く、最後は、2時間を切るということで、駅を遠目に迂回しながら、2時間ジャストで終点に到着しました。ほとんど農道というところを歩いているときは、若干の不安があったのですが、最近のコースでは出色のもの。時間をうまく使い、淀川の河川敷も加えると、一段とグレードアップしそうです。
 「香里園」から、京阪一本で「京橋」に移動。ウォーキングのあとの体休めも兼ね、京橋のネットカフェで時間調整。夜は、更に天満橋まで行き、常盤漢方薬局ビルの「第15回客寄席熊猫(客寄せパンダ)」に行ってまいりました。こちらの会は、桂雀喜が、定期的に新作を発表している会。わりかし行っていたみたいなのですが、プログラムに書かれていた過去の会一覧を見ると、おじゃまをするのは半年ぶりのことでした。今日の番組は、次のようなものでした。雀喜「京橋第三小学校」、紅雀「のぞき穴」、雀喜「USJ巡り」。今日は、恐らく新作を発表したことのないと思われる紅雀の登場が目につくところ。今日は、睡眠たっぷり、ウォーキングのあと体休めの時間をとっているから大丈夫と思っていたのですが、マクラの後半から記憶が飛んでしまってます。ゴルフのマクラだったからでしょうか、ネタに入ったのが分からないのです。ただ途中から覚醒したので、噺の部分は解っています。夢の噺なのですが、どれが夢で、どれが現実で、いや全部が夢で、いや全部が現実かもしれないという、怪奇的な不思議な構成になっていました。枠組みとしては、そうなのですが、その展開が妥当だったかは、ダウンしていたため、迂闊なことは言えません。雀喜の「京橋」は、旧作で、わりと雀喜が、いろいろな会で出しているもの。でも、黄紺は、ようやく初遭遇なのです。小学生の会話が中心の噺で、親父キャラがおもしろいのですが、終盤、校長先生が不倫をしているというくだりが出てきてからは、子どもの世界から離れていってしまいました。それの評価は分かれるんじゃないかな? 一貫性を取るか、多様性を取るかで。「USJ巡り」は、今回のネタ下ろし。自身が、家族とともに行ったUSJ体験に基づき創ったものとか。噺の進行は、「天王寺詣り」の要領。様々な乗り物、アトラクションを、USJに行ったことのない者に、名所案内を、喜六&清八風の2人の男が案内してくれました。




2011年 1月 30日(月)午後 11時 48分

 仕事のある日になると、寒くなるみたいで今日も冷えきった手に悩まされた一日。夜は、ABCホールでの落語会「朝日落語会〜こごろうの挑戦状〜」に行ってまいりました。南天襲名を4月に控えているこごろうを、朝日新聞社や朝日放送が支援した会。なかなかないことです。その番組は、次のようなものでした。雀五郎「みかん屋」、こごろう「茶の湯」、たい平「幾代餅」、(中入り)、こごろう「愛宕山」。今日は、昨夜の不規則な寝方のため、落語を聴くには、かなりの悪条件。それが、肝心の「茶の湯」の半ばで出てしまいました。ご近所の方を、茶の湯に招待するくだりが吹っ飛んでしまいました。これは、先代歌之助から、こごろうはもらっているはずです。もう一つは、「不動坊」の可能性が、季節柄極めて高いかなと予想をしていたところ、こごろうが袴をはいて出てきたところで、あえなく外れ。「春の噺を」と冒頭で切り出すこごろう。それで、「愛宕山」で決まりでした。「小判」「おばん」が出てきたので、吉朝からもらったものと思えます。自分的には、こごろうの「愛宕山」って評価の高くなかったネタ。ですから「愛宕山」と判ったときは、ちょっとノリが悪くなったかなというところでしたが、今日聴いてみると、とんでもございません。序盤の春の野の描写は丁寧だし、一方で、京都と大阪の比較は刈り込んだりと技師ぶりを見せ、山登りは、少し長すぎたかなとは思いもするのだが、疲れを段階的にきれいに表したので、逆に、長さにも合理性が出てきました。かわらけ投げは、どうでしょう、オーソドックスな小粋さがいいのか、粋さを抜き、スポーツ的感覚で、達成感を素直に表現するのがいいのか、好みの現れるところだと思います。いずれにせよ、細部の描写に、こごろう的こだわりが満載で、こごろうの「愛宕山」に対する印象が、大きく変わりました。たい平は「幾代餅」。しっとりと聴かせるちょっといい噺系の仕上がりにするのではなく、常に笑いをとることを伺っているというスタンスを持った「幾代餅」だったので、今まで聴いてきた「幾代餅」とはだいぶと違ったものとなりました。これはこれでいいのであり、めでたい噺なんだから、明るく笑いながら聴くのもありかなという気持ちになりました。なお、落語に入る前に、舞台で、こごろうがたい平を呼び込んでのトークがありました。名古屋での「志ん朝・南光(枝雀の代演)二人会」で一緒になり、目の前で聴いたたい平の高座に驚いたことがあったので、今回来てもらったと、こごろうは言ってました。




2011年 1月 29日(日)午後 9時 0分

 少し寒さは和らいだかなという日曜日、昼間に雀のおやどに行ってまいりました。今日は、年に一度の南華さんの独演会のある日。去年は、予定が詰まっており失礼したので、今年はという気で寄せていただきました。番組は、次のようなものでした。南華「水戸黄門漫遊記〜女小町剣客の恋〜@」、南湖「旭堂南北一代記」、南華「水戸黄門漫遊記〜女小町剣客の恋〜A」、勢朝「ハイウェイ歌合戦」、(中入り)、南華「赤穂義士銘々伝〜山岡覚兵衛の妻〜」。「水戸黄門」は、黄門さんとの関係が解らずじまいで終わってしまいました。責任は、ポイントで、こくんと眠ってしまった自分にあるのですが、少なくとも、@では、黄門さんは、冒頭で、ちょろっと出ただけで、つなぎを理解できないなかで、一つの武家カップルの話が延々と続きました。中味は、東京の浪曲師さんの口演で聴いた「〜の鬼夫婦」にそっくり。「〜」は思い出せないのですが、剣術の腕が未熟と見抜いた女性が、その男と結婚したいのだが、男に腕を上げてもらいため、剣術の試合で男をうちのめし修行に出す話。その話が、どうして黄門さんと関わりがあるか解らずじまいだったというわけです。気がつくと、黄門さんが感謝されていました。「山岡覚兵衛」は、南華さんの勉強会で出されたときに聴いているもの。他の講釈師さんでは聴いたことのないネタです。仇討ちの気持ちを持ちながら、急死した夫の意志を知った妻が、大石に夫の意志を継ぎたいと申し出て、協力者に加えられる話。これも、ほろりとさせられるいい話です。ゲスト組は、勢朝は色物扱いというのは、南華さんの弁。「ハイウェイ歌合戦」は、民主党ヴージョンが、一層のグレードアップしていました。「南北一代記」は、先日聴いたのとは違うもの。このネタは、2つ創ったと、南湖さん自身の口から聞いたことがあるので、これで、「できちゃった」をさぼったときに出した「南北一代記」を制覇したことになりました。今日のお出かけは、これだけ。講談会がはねると、そそくさと京都に戻り、床屋に行きました。




2011年 1月 29日(日)午前 5時 50分

  大阪市内遊歩(122)

 いいお天気が続きます。気温も、ちょっとはましになったので、超厚着は控えてのお出かけ。昨日は、まずご無沙汰だったワッハの視聴覚ライブラリーに、今年初めてのおじゃまをしました。そのラインナップは、次の通りです。@松之助DVD、松之助「後家殺し」(2007平成紅梅亭)「兵庫渡海鱶の魅入れ」(2002NHK上方演芸ホール)A関西TV「トナリのトナリ〜夏休みスペシャル米朝一門会(サンケイホール開館40周年記念)〜」、米朝ほか「口上」、米朝「祝いの壺」。@は、松之助のDVD全集に収録されたもの。「後家殺し」は、今、文我しか手がけてない珍しいネタ。「後家殺し」という掛け声と、本当に後家を殺すというのが引っ掛けて下げを言いたいだけのようなネタ。松之助は、最後のところで、浄瑠璃を一節うなっていましたが、なかなかいいものを聴かせていました。「兵庫渡海鱶の魅入れ」は「兵庫船」です。こちらの方も、なかなか貴重な口演。船に乗り込み、船頭が漕ぎ出す場面はないのだが、船の中で、時間つぶし的に遊び出す前というのが、松之助スペシャルなのか、このネタの本来の姿なのかは判断つかないのですが、全く聴いたことのないフレーズが続きました。宿の弁当に、ハモでなくフカで作った蒲鉾が入っていたり、沖合いに蜃気楼が浮かんでいたり、客の中に講釈師がいて、「楠木正成」を読んだりします。そういったところに時間を使ったからでしょうか、客たちがかわす謎かけはありませんでした。Aは、5日間連続で放映されたものの1日目のもの。残りの4日分が、ワッハに収容されているかは確認できていません。公演自体は、夏の「米朝独演会」に替わり、サンケイホールで行われたもの。このDVDには、ざこばの「うなぎ屋」も入っているのですが、聴き慣れたものなので割愛しました。なお、枝雀は「皿屋敷」を出したことが、番組の予告で判りました。
 ワッハの視聴覚ライブラリーを、1時間半ちょいほどで切り上げ、天気がいいので、一昨日に続きウォーキングに移りました。夜のことを考え、北に向かうことを旨にコースを考えました。そのコースは、次のようなものとなりました。NGK〜黒門市場〜源聖寺坂〜銀山寺〜菩提寺〜地下鉄「谷町九丁目」駅〜「谷町8」交差点〜東平南公園〜東高津公園〜真田山公園〜第二明の守たまつ保育園〜平戸橋〜平戸公園〜東成区役所〜東成警察署〜暗越奈良街道碑〜八王子神社御旅所〜熊野太神宮御旅所〜「東今里2東」交差点〜永田大橋〜大阪市立城東中学校〜大阪市放出下水処理場〜阪東大橋〜JR学研都市線「放出」駅。最初、「今福鶴見」駅まで行けるかと分電盤いたのですが、「放出」駅が近づいてきたとき、無理無理感が出てきて、南から阪東大橋を渡ってから「放出」駅に向かうことにして正解。「今福鶴見」にしていたら、10分は超過したんじゃないかな? 天気は、徐々に曇ってきたのですが、気温は低くなく、一昨日同様、うっすらと汗まで出てくる具合。手袋や帽子も邪魔に感じる具合。いちいちカバンにしまうのも邪魔くさく、そんなのも影響して、必要以上に暖かく感じたのかもしれません。
 「放出」から「大阪天満宮」まで移動。駅上のおなじみのネットカフェで、時間調整をしながら、夜に備えました。夜は、天神橋近くの「アートギャラリー・フジハラ」であった「フジハラ亭落語会〜vol.30〜」という落語会に行ってまいりました。しん吉が続けている落語会で、意外なことですが、おじゃまをしたのは、昨日が初めて。次回から不定期の会にするとかで、なんか節目の会に、偶然おじゃまをしちゅったというところです。その番組は、次のようなものでした。優々「四人ぐせ」、しん吉「萱島」、鶴笑「西遊記」、(中入り)、しん吉「不動坊」。優々の前座としての出番が増えています。まだまだ思いっきりの悪いところが気になりますが、慣れていけば、どんどんと変わっていくのでしょうね。それを見守るのも、また楽しみです。鶴笑は、どこに行っても、自分の空気にしてしまいます。すごいです。空中で闘う悟空と赤鬼の人形が新しくなっていました。しん吉の1つ目は、鉄道落語。「萱島」は、京阪電車の「萱島」駅。この駅の駅舎を貫いて聳える楠が主人公。駅舎改築の際、伐られかけた楠が、神木だということで、その木に宿る神が現れ、伐採を止めようとするが、神だと信じてもらえないので、神力を示すため、注文に応じて、いろんなものを出してみせるが、それが、全部、鉄ちゃん的聞き違えになるというもの。「不動坊」は、上方では、冬のネタの代表格。それが、なんと今頃になって、この冬初めての遭遇なんです。しん吉の「不動坊」はあっさり系。でも、よそいき感がなく、3人の内の1人のボケ方がおかしく、いい感じの仕上がり具合。先日聴いた「二番煎じ」よりか、こちらに一票だななんて思いながら聴いていました。帰りしなに、和菓子を一ついただきました。これが恒例となっているようで、皆さん、それをご存じなようで、終演後立ち上がらない方が多数でした。




2011年 1月 27日(金)午後 10時 56分

  大阪市内遊歩(121)

 今日は、ようやく先日からの狙いのアルゼンチン映画「瞳は静かに」を観ることにしました。場所は、梅田シティにある梅田ガーデンシネマです。年輩の方を中心に、こういった映画でも、そこそこ入るものです。ところが、情けない話で、眠ってしまい、全く筋が追えないまま終わってしまいました。日本で公開されるアルゼンチン映画はおもしろいという頭があるので楽しみにしていたのですが、とんでもないことになりました。かなりの落胆。昨夜は、しっかりと睡眠がとれていたにも拘わらずでの出来事でした。
 そこで気を取り直し、映画館の下からウォーキングに臨みました。その詳細なコースは、次のようになりました。梅田シティ〜八阪神社〜浦江公園〜「とうかい227」橋梁〜大阪市立八阪中学校〜台湾料理店「高雄」〜海老江上公園〜八坂神社〜阪神「淀川」駅〜フローラルタウン〜大阪市立高見町保育所〜大阪市立此花中学校〜鴉宮〜森巣橋〜森巣橋筋〜四貫島中央通商店街〜住吉神社〜西貫島架道橋〜安治川大橋〜大阪市立市岡商業高校〜大阪府立港高校〜インド・ネパール料理店「ビシャル」〜阪神なんば線「九条」駅。梅田シティから西へ西へと進みと言っても、淀川が南へずれてきますので、西へ向かう道も、どうしても南に下がっていきます。フローラルタウンの西端を南下。もうこの辺りでは此花区に入っています。最終的には安治川大阪を渡るつもりをしていたのと、前回、「千鳥橋」駅を終点にしたので、かぶらないようにと、此花中学校まで西に行き、森巣橋を渡ることにしました。安治川大橋を渡ったところで、ちょうど1時間半を経過。一応、「九条」駅を終点にと考えていたため、少々時間が余りそうだったため、市岡商業を経由することにより程よい時間にすることができました。所要時間は、どんぴしゃの2時間でした。このコースは、自分的には、ご満悦のもの。出発が梅田で、淀川沿いを歩き、此花区東部を縦断、安治川大橋を渡れ、弁天町から九条ですから、とっても変化に富んでいるのが、ご満悦の原因です。地域を回るのではないコース設定の妙味です。
 「九条」から「難波」に移動。阪神電車様々です。そして、千日前のネットカフェで時間調整。夜は、トリイホールであった「第2回上方演芸盛り合わせ 三種盛り〜落語と講談と浪曲〜」に行ってまいりました。落語、講談、浪曲という異なったジャンルで、同じテーマを扱うという主旨の会です。今日のテーマは「忠臣蔵」。講談と浪曲は楽勝のテーマですが、落語は、芝居噺ができれば問題ないが、そうでなければ大変。三金は、そうでない噺家さんですから、結局、今日のために、新作を一つ創ることになりました。その番組は、次のようなものでした。春野恵子(一風亭初月)「高田馬場」、旭堂南湖「刃傷松の廊下〜浅野内匠頭切腹〜矢頭右衛門七」、(中入り)、三金「忠臣蔵」。実は「高田馬場」がお目当てだったのですが、わりかし変化に富んでいて、全体としても楽しい会だったなの印象。「高田馬場」は、中山安兵衛18人斬りがクライマックスになりました。スタートは、安兵衛が手紙を受けとるところから。駆けつける途中、堀部母娘と会い、しごきをもらう話も、しっかりと挿入されていました。南湖の講談は、前半はダイジェスト編。そして、ネタ的には、「矢頭右衛門七」。おなじみのネタです。三金の新作は、無茶を言う会社の上司と部下を、吉良と浅野になぞらえてのもの。討ち入りは「家入り」で、部下の送り込んだデブ男が、デブ特有の生活スタイルで、吉良部長に復讐するというもの。残して欲しい作品と思いました。「忠臣蔵」特有の言葉遣いをだじゃれにしてしまう技が聴きものでした。




2011年 1月 27日(金)午前 8時 8分

 寒い日が続きます。手が冷たくて仕事になりません。でも仕事です。仕方のないこととは言え、かなり厳しい話です。そして、夜は講談会。昨日は、徳徳亭であった「第15回南青の講談格闘中!」に行ってまいりました。繁昌亭で、たまさんの会があったのですが、講談の続き読みとなると外せません。この会では、ずっと「太平記」が読み続けられています。2ヶ月に1度いてさ館いて館館きなので、前にどこで切られているか、講談が始まってからでないと、なかなか思い出せません。昨日は、南青くんが、演出上でしょうか、鎌倉方で北条高時が、夢で、鎌倉にはむかう男の夢を見たなんてのを冒頭に入れて、その後の展開の下地を作ったものですから、なかなか前回とのつなぎができませんでした。ようやく本題に入り、鎌倉方にはむかったのが新田義貞だと判り、前回とつながりました。前回切れ場として新田義貞の名前を出して終わったのでした。日本史が苦手な黄紺でも、「太平記」の主役の一人が新田義貞だというくらいは解るものですから、こういうもったいぶった演出をとろうとしたんだと納得でした。あとは、新田義貞が、鎌倉の防備の裏をかく攻撃をみせ、鎌倉を攻め成功するという展開でした。
 終演後、講談会の常連さんと南青くんを囲み、一献傾けました。久しぶりです。黒生なんてのを呑むのも久しぶりでした。噺家さんを囲んでという気にはならないのですが、講談師さんとはとなると、コア過ぎる方々が集うのと、講談がもっとポピュラーにならないかという気持ちがあるので、ときには加わってみたくなるのです。いいお酒で、帰りの電車は熟睡できました。ほろ酔いのなか、帰ってから、問題のシュトゥットガルト歌劇場のチケットその1をゲットできました。今回はゲットできているかの確認済みです。一安心です。これで、目玉の「ノルマ」を観ることができます。




2011年 1月 25日(水)午後 11時 56分

 今日は、とっても寒い日。朝、半時間近く、屋外での仕事があるので、今一番暖かい格好をしていったのですが、足元からの冷えにネを上げました。明日も同様の仕事が待っているので、一段とガードする手立てを考えているところです。で、今夜は、京都文化芸術会館であった「五笑会」の公演に行ってまいりました。「三笑会」が役目を終えたということで幕を閉じたのに替わり、茂山家の若手狂言師さんの会が発足したのです。自分的には、発足後初めておじゃますることになりました。その番組は、次のようなものでした。小舞「桑の弓」(島田洋海)「うさぎ」(鈴木実)狂言「伊文字」(増田浩紀)「魚説教」(鈴木実)「梟」(島田洋海)。冒頭に、小舞が2つ。「うさぎ」は、地謡が「う〜さ〜ぎ」と謡うだけという人を喰ったようなもの。そのあとに、鈴木さんによる狂言3番についての解説が入りました。1つ目の「伊文字」は、なかなか遭遇機会のない曲。登場する狂言師さんは3人だけど、登場人物は4人という珍しい狂言。1人が2役をするのですが、基本は妻乞いの狂言。清水のご霊夢で、妻を得るが、妻の居場所を聴いた太郎冠者に対し、お妻様は歌で返した。それを、しっかりと太郎冠者が聞き取れなかったため、道通りの人を止め、歌の続きを考えさせるという無茶な内容。その無茶ぶりが楽しい曲です。「魚説教」は、ポピュラーな曲で、能の会で頻繁に出されます。漁師から坊主にでもなろうかということで坊主になったが、説教を頼まれても、何も言えないので、知ってる魚の名を並べるというまことに生臭い話。「梟」は、人間に憑いた梟を、祈祷で追い払おうとして、まずは、兄にも憑き、ついには祈祷をする山伏にまでも、梟が憑いてしまうという、世間外れしたけったいな話。能「葵上」のパロディだそうです。この会、三笑会のときと違い、大変な入り。当日券で入ろうとしたら、はじかれそうでした。辛うじて入れてはもらえましたが、、、。




2011年 1月 24日(火)午後 10時 28分

 昨夜も、また眠くならず、結果的に夜更かし。春の旅行準備が整ったのはいいですが、睡眠薬替わりの酒は止めにしようとの決意にも拘わらず、さすがにお世話になってしまいました。おかげで、熟睡はできたのですが、いかんせん睡眠時間が短くて、、、。とまあ、今日は文楽の日だったものですから、始まる前は心配していたのですが、確かにアブナイ場面もあることはあったのですが、睡眠時間を考えると、上出来上出来で、文楽をしっかりと楽しむことができました。その番組は、次のようなものでした。「義経千本桜〜道行初音旅・河連法眼館の段〜」「壺坂観音霊験記〜土佐町松原の段・沢市内の段・山の段」。今月は、文楽名曲シリーズと言える作品が並びました。しかも、今日の番組などは、つい先年出たものばかり。いい作品ばかりとは言え、もう少し工夫の欲しいところです。「義経千本桜」は、狐忠信がらみの名場面特集というところ。静御前を、今やお姫様遣いと言えばこの人という感じになってきた豊松清十郎、狐忠信は桐竹勘十郎と、大向こうが喝采を上げる組合せ。狐から忠信へ、また、その逆への早変わり、それは、勘十郎さんご自身の早変わりでもある趣向でもあります。そして、思わぬところから、鼓の音に合わせて、狐が飛び出てきたりと、見せどころいっぱい。トドメは、最後の宙乗り。狐忠信は、鼓をもらい、天空に舞い上がっていきました。「壺坂観音霊験記」も名文句の極めつけが含まれています。「三つ違いの兄さんの」、こういった文句を、かつては街角で、ちょっとした世間話の中に織り込みながら遊んでた時代があったのですね。どうしても、そないな作品なもので親しみがわいてしまいます。また、庶民の間で、観音信仰が、いかにポピュラーであったかを解らしてくれる作品でもあります。観音自身も登場するサービス満点の作品です。また、文楽に多い複雑怪奇な話でもなく、単線の物語なものですから、そないな解りやすさも、人気作品となったのでしょう。ところで、文楽に行くと、よく知り合いに会います。今日は、前回に続いて、アマチュア講談師の海舟氏会いました。
 文楽が終わったのが、午後3時前。それから、夜まで、たっぷりとネットカフェで時間調整。ワッハの資料室に行くことや、ミニウォーキングも考えたのですが、先日から観始めていた「ワルキューレ」のDVDの続きを観たくて、ネットカフェにこもることにしました。そして、夜は、谷六まで歩いて移動。薬業年金会館であった「第174回旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。もちろん解題は「南総里見八犬傳」。今日は、その7として「侠者身殺シテ仁ヲ得タリ」〜犬田と山林の戦い〜」という副題が付いていました。。先月は、ドイツにいたためお休み。この痛手は大きいかなと心配をしていたのですが、幸い「八犬伝」は、ちーとくらいは下地があるので大丈夫です。おまけに、今日は、南海さんが、模造紙に、ここまでと、今日の登場人物の系図を書いてきて、冒頭、復習も込めて、筋立てを説明していただけたので、ばっちりでした。今日は、信乃と源八の、なんとか閣での対決、その結果、二人はもろともに利根川に浮かぶ船に転がり落ち流されてしまい、小文吾の父親に助けられ、ここに、8剣士の内3名が揃います。しかし、信乃と源八の捜査が続き、また、信乃は破傷風にかかり死の淵をさ迷い、そのため、源八が、薬を求めに行っている間に、追手は、小文吾の父親を捕らえるところまで行くわ、小文吾は、義弟の房八との遺恨で奔走するわで、大混乱。刻限を切られ、信乃を差し出さねば父親を殺すと脅された小文吾が、対処の方策を思い付かず、悶々とした夜を過ごしていると、急に、房八の実母が、房八が、小文吾の妹を離縁すると言うので、妹を連れてきたと言いやってきます。離縁状として渡されたのは、信乃の手配書。当の房八も入ってきて、信乃の詮議を言い出します。力ずくめでの詮議となり、はずみで、小文吾の妹、即ち離縁した女房を、房八は斬ってしまいます。それで動転した房八は、自ら腹に刀を突き刺し、死に際に、何やら語り出す、ここで切られてしまいました。この房八なのですが、性根の悪い男として描かれているので、ヒールかなという印象を与えるのですが、信乃の手配書の人相書が房八にそっくりだったり、小文吾との遺恨があるため、子分がトラプルを起こしても、自身は出て来なかったり、その一方で、さしで小文吾にケンカをうったりします。結局は、八剣士に助け船を出しているように見えるのです。そのような見方を思い付いたのは、名前です。「房八」をひっくり返すと、「八房」になるものですから。残念ながら種明かしまで、1ヶ月待たねばなりません。




2011年 1月 23日(月)午後 11時 44分

 昨夜は眠れなくて、痛い目をひっさげての出勤。週の3分の2は、こないな感じの出勤。同僚に話すと、通院を勧められてしまいました。そうだろうな、ずっとですから。ちょっと他にも気になることが出てきているので、どこかで、時間を作って、医者に行ってみようかと思い始めています。お酒の呑みすぎもあり、消化器系もくたびれてきているという実感もあるので、ぼちぼちそういったときかなと。となると、ハッスルするのが夜遊び。元気な内は、無理してでも、遊ばなくっちゃの精神です。今夜は繁昌亭でした。今夜は、「天満の銀座〜16丁目〜銀瓶・福矢ふたり会」があり、主宰者の銀瓶はともかく、自分の会などは行わないため、遭遇機会に、最近恵まれていない福矢聴きたさに、この会を、迷わずチョイスです。その番組は、次のようなものでした。銀瓶「阿弥陀池」、福矢「軒付け」、(中入り)、福矢「笠碁」、銀瓶「花筏」。今日一番の聴きものと思ったのは、そうなるとは予想だにしていなかった「笠碁」。福矢は、鶴志からもらったのでしょうが、正直言って、わちゃわちゃかき回すような男が出てくるわけはなし、ボケ倒す男が出てくるわけはない噺って、福矢のイメージから遠かったため、そのように思っていました。ところが、主人公二人が、ちょっと若すぎるきらいは致し方ないにしても、意地を張り合ったり、また相手を待ち焦がれたりという子どものような言動となると、なんか腹の底から出てくる声として聴こえてきて、やってくれるやないかの気分で聴くことができました。それは、台詞の調子だけではなく、トータルな身体表現として、全てが有機的に動いてたからだと思います。これは、ホント目っけ物感いっぱいの出来栄えでした。それに対し、「軒付け」は、まだまだ仕上がり途中の感じでした。幾人かで動いているわけですから、全員のキャラを描き分けるのがベストかもしれないけど、キーパーソンを決めて進行すると、全員を描き分けることを省くことができるはず。それもなしで、全体的に、ちょっと平板でしたね。「うなぎの茶漬け」も、アクセントにもなっていませんでした。ということは、それだけムズい噺ということでしょう。銀瓶は、ドラマを観ているような台詞回しの巧みさは、お見事と言えるもの。伊達に繁昌亭大賞を取ってないと言える口演に、まずもって感心。更に、時局にあったくすぐりなど、ネタに拘わらず入り、それもグーということが言えるのです。2つのネタでは、「阿弥陀池」に軍配。昔に、銀瓶で聴いた記憶がありますが、表現の豊かさに、大変な進歩を確認できました。「花筏」は、父親に千鳥ヶ浜が諭されるところが淡泊なのと、クライマックスで釣り合いの悪い現代語を使ったのが気に入らなく、評価は下がりました。徳さんの描き方なんて、くさくもなく、甘くもなく、頃合いだったのですが、終盤、若干失速気味でした。銀瓶は、さほどネタ数が多くないので、程よく間を開けて聴くようにしていますが、今日の口演を聴くと、間を開けていることにもったいない感じがしてしまいました。でも、マイペースで観察していくことにします。




2011年 1月 22日(日)午後 11時 33分

  大阪市内遊歩(120)

 今日は、「上方講談を聴く会」の400記念の会が、3部に渡って行われる日。丸一日、講談づけの一日。その時間まで、ウォーキングの時間を取りました。一日中座りっぱなしですから、その詳細なコースは、次のようになりました。京阪「北浜」駅〜史跡緒方洪庵旧宅及塾(適塾)〜地下鉄「肥後橋」駅〜「土佐堀1」交差点〜薩摩藩中屋敷跡碑〜「土佐堀3」交差点〜木津川橋〜安治川橋之碑〜安治川トンネル〜西九条神社〜西條寺〜西野田労働基準監督署〜朝日橋〜大阪市立咲くやこの花高校〜梅香公園・大阪市立梅香小学校〜大阪市立春日出小学校〜朝日神明社〜此花郵便局〜大阪市立四貫島小学校〜四貫島中央通商店街〜阪神なんば線「千鳥橋」駅。今日のコースは、木津川を越え九条地区に入り、安治川トンネルを抜け、此花区に入ろうというもの。安治川トンネルを抜け、西九条方向に出たところで、57分が経過。残りの半分を此花区に使ったのですが、西九条神社経由、朝日橋南詰経由、扇町高校横で、六軒家川を渡ったりしていたため、あまり西側には行けませんでした。でも、今日もまた、大阪の川のある風景を楽しみながらのウォーキングとなりました。
 「千鳥橋」から阪神なんば線で、難波に移動。午後から夜にかけて、ずっとワッハに入りびたりでした。「上方講談を聴く会400記念」の「第1部」は、講釈師さんの余芸の会が行われました。その番組は、次の通りです。南湖「南京玉すだれ」、南左衛門・南華・南舟・南斗・南青「大喜利」、南海「書生節」、左南陵(一風亭初月)「浪曲:俵星玄藩」、(中入り)、南鱗「がまの油」、南北「バナナのたたき売り」。南湖は、小南湖と登場。南湖の玉すだれより、客席は、完全に小南湖に、目が行ってました。「大喜利」にびっくり。南左衛門と南華さん元夫婦が、舞台に並んだものですから、目のやり場に困りました。4番目のおいしい席は、その席に座ったことでおかしい南舟。まともに答えれば突っ込まれ、ボケると突っ込まれのおいしい位置を務めました。あとは、プロの技。「書生節」は、今日は、南海さん一人で。呼び物は、左南陵師の浪曲。語りの部分が左南陵節で、浪曲でやられるとくさい感じがするもので、やはり浪曲には浪曲の語りってのがあるのだと納得。「バナナのたたき売り」は、南北さんが作ったのでしょうか、台湾からバナナが日本市場にやってくる様、そして、値下げをしていくときの符丁を歌で表していきます。これは、第1部随一の聴きものでした。もちろん、珍しいということを含めて。
 引き続き第2部、夜の第3部とともに、通常の講談会です。まず第2部の番組は、次の通りでした。南斗「細川の福の神」、南舟「猫餅の由来」、南華「無心は強い」、(中入り)、南青「楠木の泣き男」、左南陵「勧進帳」。それぞれ持ちネタより、かぶらないように調節されただろうことが推察されるネタ選び。「福の神」は、大名の出世物語。「猫餅」は、左甚五郎もの。「無心」は剣豪もの。「泣き男」は「太平記」からの抜き読み。「勧進帳」は源平ものと、きれいに整理されていました。呼び物は「勧進帳」。左南陵に、これをやらせるために、第2部のトリにもってきたのでしょう。総領弟子でもありますからね。
 第3部は、ベテラン勢中心の布陣。「トリで、南湖が長講の人情噺をすると言っている」と、先に上がる人が短めにまとめて下りていくという態勢。その番組は、次のようなものでした。南海「湊川神社の由来」、南北「男の花道」、南鱗「越ノ海勇蔵」、(中入り)、南左衛門「くらわんか舟の由来」、南湖「無名の碑」こちらも、きれいにネタの整理がなされていました。「湊川神社」は水戸黄門もの、「男の花道」は医者&芸道もの、「越ノ海」は寛政力士伝からの抜き読み、「くらわんか舟」は太閤記外伝的なネタ。こう続くと、南湖さんは、てっきり赤穂義士伝からと思っていたところ、外されました。一昨日の「南湖だんご」でフライングした2つの内どちらかだろうとは思っていたのですが、「大石の東下り」の方ではありませんでした。「無名の碑」の収束の仕方に、一昨日も違和感を覚えたのですが、今日も同じところで、違和感を感じました。討たれよう、討つと言っていた二人が、一緒に伊勢参りに行き、神前で水に流すという提案をするのが、討たれようと言っていた方が言い出すからでしょうね。これは、誰か仲介者が言うべきなのでしょうね。それを、両者が受け入れるというような流れだと、自然な光景になったと思います。南湖さんの口演では、更に、無名の碑建立も、討たれようと言っていた方からの提案です。先に、伊勢参りの提案を、仲介者からのものだったら解るのですが、そうでない場合は、こちらも違和感が残ります。そうそう、時間が制限されたために、なんと「男の花道」が、途中で打ち切られてしまいました。半井先生が、歌右衛門にヘルプの手紙を書く前で切っちゃいました。えらいところで切ったものです。それだけ、後輩に花を持たせようという気を感じた会でもありました。400回を機に、この会のお世話役が、南湖から南舟に替わるということで、南湖が大トリを、自分で決めた会だということでした。第1部の開演が午後2時、そして第3部の終演が午後9時過ぎ。途中、交替時間、中入りがありましたが、さすがに、肩や背中の張り具合は半端ではありません。おまけに、堅い椅子に長時間座ってられない黄紺にとっては、苦痛との勝負でもありましたが、講談三昧に浸れることは、ホントにありがたいことです。




2011年 1月 21日(土)午後 10時 48分

 昨夜は、3月のオペラ紀行のチケット手配、ホテル手配のため、かなりの夜更かし。チケット手配は、まだ発売されていない歌劇場を除き完了。発売されていないという歌劇場が、問題のシュトゥットガルト。こないだ、恐ろしいことが起こってしまったため、今回は外そうかと考えたのですが、いいプログラムを組んでるものですから、外すことができないのです。ただ、同じようなことが起こってないかのチェックはできるので、ダメならダメで対処しようじゃないかの心づもりで予定を組むことにしました。あとは、出たとこ勝負で考えることにして、昨夜は、突貫工場的に、パソコンとにらめっこをしていました。結果的に夜更かし。今日の予定は、若干変更。幸い雨降りだったので、ウォーキングは省けて正解。観る予定だった映画は、他の日とトレード。他の日に観る予定だった映画を、今日観ることにしました。しかし、肩がこるけれども、ラクを呑みながら、トルコ・サッカーの中継を聴き、そして、オペラの手配をしてるなんて、自分的には、至福の時間でした。で、観に行ったのは、カナダ映画「灼熱の魂」。中東系カナダ人のルーツに関わる映画だということのみならず、アカデミー賞の外国映画賞部門ノミネートという肩書きを持つということにそそられ行ってまいりました。冒頭は、母親の臨終の場面からです。そして遺言書が2通残されます。兄と父親に対してです。それを残された双子の姉弟が渡しに行くというもの。最初は、姉だけが、中東に渡ります。その故郷の国では、紛争が絶えず、母親も、それに関わっていたのです。その紛争は、キリスト教徒とイスラーム教徒の対立、キリスト教右派の過激な行動という程度の扱い。紛争自体に重点を置いていないというスタンスでしょうが、キリスト教右派なんてのが出てきたり、難民を嫌うキリスト教徒なんてところを見ると、レバノンを想定すればいいかなと思いながら観ていました。やがて、母親はテロリストとなり、13年間拘束されますが、全ての謎は、その拘束中にあるという仕掛けでした。なかなか凄いストーリー展開を考えるものです。評判を生んでるのでしょう、間違いなく。日曜日の昼間とは言え、満員の盛況でした。
 映画館を出て、夜の会場の太融寺近くのネットカフェで時間調整。久しぶりに、太融寺の落語会に行くことになりました。ですから、今日は、一日、梅田で過ごすということになり、これも、最近では、極めて珍しい日となりました。その落語会というのは「」。こごろうは、4月に、南天襲名を控え、正に旬の噺家さん。今日の番組は、次のようなものでした。染吉「金明竹」、こごろう「花筏」、塩鯛「ぬか喜び」、(中入り)、こごろう「質屋蔵」。染吉の、しかも米朝一門の会での前座は珍しい。「金明竹」は、次から次へと、丁稚が、あり得ない言い間違いをしていくところが聴かせどころ。間抜けなようで、こまっしゃくれている、そしてちょっと小生意気というところが欲しいキャラ。そういった意味では、ちょっと平板でしたね。こごろうの一つ目は、ネタ出しなし。何か新しい、ちょっと短めのネタを用意しているのかと思っていたら、師匠南光直伝の「花筏」。初期の段階から、こごろうが手掛けてきたネタ。でも、、「今日、一つ思いついた」ということで、急に挿入をしたとか。こういった工夫を、常に試みようとしているのが、こごろうの人気の秘密。父親に諭された千鳥ヶ浦が、出るのを止めるという情報が、提灯屋の徳さんの耳に入り、徳さんはぬか喜びをしたが、実際には、千鳥ヶ浦がが土俵に上がってしまうので狼狽えるというものでした。二人が土俵に上がると、こごろうは、「この結末を知っているのは、私と落語ファンだけ」「だけど、今日の結末を知っているのは私だけ」と言い、喝采を浴びていたのですが、全くもって、オーソドックスな展開に下げでした。塩鯛は、高座に上がるなり、「あんなこと言うから、どうするんかと聴いていたのですが」と、こちらも楽屋で注目していたみたいで外されてしまいました。「ぬか喜び」は、小佐田作品。おめでたい夢を見たと勘違いして祝宴を催す噺。酒呑み登場ネタですから、塩鯛にはうってつけ。「質屋蔵」の方はネタ出し。こごろうの描く人物って、ホント、表情が豊かです。序盤の旦さんの長物語も、長さを持たせる旦さんの品格と、話上手が肝要ですが、ともにばっちり。熊はんが出てくると、番頭とともに、豊かな表情がはじけます。聴き慣れたネタでも、次の展開を心待ちにさせてくれるものが、こごろうの落語にはあります。帰りは、淀屋橋に回り京阪で。そしたら、車両故障だとかで、また電車が遅れていて、うんざり。まいりました。




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