忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。




2003年 1月 8日(水)午前 4時22分

 今年の元旦は、江陵(カンヌン)という韓国北東部の中心的都市で迎えた。黄紺は、暮れの押し詰まったときまで、また新年早々に、韓国にいたことがあるが、元旦そのものに、韓国にいたことがない。今回、その韓国元旦体験をするのが、1つの大きな目的であった。今まで、外国で新年を迎えて、最大のピンチは、スペインのビルバオというバスクの中心都市であった。本当は、ヴィクトリアというもう1つもバスクの中心都市で、元旦を迎える予定をしていたのが、1日には、移動のためのバスが一切ストップしたために、結局、ビルバオに留まったのであった。しかも、食事ができないのではという危機にまで瀕し、辛うじて夕方に店を開けたマグドナルドに助けられたのであった。あれ以来、黄紺は、マグドナルドには足を向けては寝られないと思っている。まあ、そんな体験があるものだから、恐いもの見たさで、外国で元旦体験をしたがる傾向がある。
 まず、これは、TVで知ったことであるが、ということは、黄紺の周辺では確認できてないことなんだけど、大晦日のカウントダウン、ソウルではやってるようである。TV番組は普通で、さしたる特番を組んでるようには見えない。これは、年が変わっても同様だった。ごく普通の主婦向け通常番組が流れている。なーんだ、でも、朝飯は、簡単に食えないだろうと思っていた。黄紺は、この江陵に入ると、江陵駅近く、言い換えれば旧の市外バスターミナルの横の旅館に投宿する。特に今回は、この朝食べられるだろうかという気持ちがあったので、駅の近くの方が安全だろうという心理が働いた。そこには、まちがいなく食堂が数件あり、朝の汽車に会わせて、店を開けているだろうからである。ところがどうだ。その駅に直接行かず、ちょっと違った道を取った目の前の食堂が開いていた。「今、食事、ありますか?」などと尋ねてみると、あるに決まってるじゃないかって応答。なーんだというくらい簡単に朝食はゲット。この日は、朝から、トックマンドゥ・クックというトック(米の餅)入り水餃子を食べちゃいました。
 この日は、水原(スウォン)までの大移動に当てていた。まず離れた場所にある市外バスターミナルまでバスに乗ろうとする。東部市場というバスが結構通るであろうところで待っていたが、バスが来ない。この辺で、これこれ、これが元旦てやつさなどと思いながら待っていても来ない。そこで教訓、地方都市の市内バスは、大幅に間引き運転をしている、もちろん元旦は。仕方がないので、水原行きのバスの発車時刻も調べてあったので、タクシーで、市外バスターミナルに着いて、唖然、茫然、半パニック状態。大混雑なのである。頭を駆けめぐるのは、思い通りのバスに乗れないのではないかということ。仕方がないので、切符売り場に並ぶ。水原という、ソウルを外したバスに乗ろうとしたからか、思い通りのバスをゲット。そこで教訓その2、元旦は、大移動の日である。だから、余裕を持ってターミナルに行かないとダメ。もしくは、予約の切符を買っておく。で、当のバスが発車をする。高速の入口近くにあるので、すぐに高速道路に入る。が、ものの20分で、大渋滞に巻き込まれる。進まない。このままソウル方向が、こんな状態じゃ、その日の内に目的地に着ける保障すらない。幸い、運転手が機転を利かし、地道に降りること2度。これが功を奏して、予定より1時間半ほどの遅れで、水原に着いた。そこで教訓その3、元旦のバス移動、それもソウル方向は、避けるべし。これが、1番印象に残った韓国の元旦風景だった。




2003年 1月 4日(土)午前 4時 6分

 今、NHKのBSで、モーツァルトの「フィガロ」を聴きながら書いている。チューリッヒ歌劇場の公演であるが、伯爵夫人とスザンナの「手紙の二重唱」が、素敵にきれいな響きだった。今日は、これを見ながら、夜中に、PC遊びをするぞと思っていたのだが、いつもの如く、忘れてしまってた。丁度思い出し、TVをつけて、最初に飛び込んできたのが、「手紙の二重唱」で、思わず聴き込んでしまった。衣装も、時代を超えた普遍性を感じさせるもので、つい見とれてしまう。最近、オペラ関係は無沙汰をしているので、しかとしたことは分からないが、評判の演出なのだろう。結婚式の場面も、とっても人の動きを計算した優れものと、黄紺は見た。
 ま、それはそれとして、昨日の続きを書こう。今回の韓国行きで、初めてPCバンなるところへ行った。ネット・カフェである。韓国語で、「バン」は「部屋」であるからして、「パソコン・ルーム」が、PCバンの直訳である。トルコでもそうだが、まず、日本語を書ける環境作りは、基本的には無理と諦めているが、せめて読みたいし、第一、緊急のメールが入ってれば、読まねばならないので、日本語を読む環境作りをしなけれならない。黄紺は、yahooのフリーメールを、外国へ行ったときには使うので、「yahoo Japan」にアクセスしようとすると、日本語フォントのダウンロードを始めようとしてくれるので、それに同意をするだけでいい。ところが、OSの関係なのか、同じことをしても、読めるときとそうじゃないときがある。トルコでも、去年の夏から、その傾向が出始めていて、韓国でも気にしていたが、まさにその不安が的中した。同じように、日本語フォントをダウンロードしても、日本語を読めるときと読めないときがある。ただ、日本語フォントのダウンロードは、さすがブロードバンドの普及がすごい韓国ならではで、ほんとにあっという間である。トルコでは、こうはいかない。で、読めるときは、このダウンロードで完了である。ところが、読めない上に、自分のフリーメールすら開けないのである。これは、トルコでもなかったこと。そこで、いろいろと試してみて覚えたこと。それは、PCを騙すこと。文字コードを「韓国語」にすると、もちろん文字化けをするが、普段使ってるサイトだと、どこに何があるか分かっているから、画面さえ表示されると、どんどん中に入っていける。その入っていく方策が、「韓国語使ってますよ」という振りをすると、どうだ、PCは、その気になって、パスワードを受け容れて、メールボックスにアクセスできたのである。「韓国語モード」にしても、アルファベットは、そのまま表示されるので、メールを、ローマ字で書いて送ってもらうと読めるし、こちらからもローマ字表示で、メールを送れるのである。PCの操作は、ハングル表記を読み、あとは自分のイマジネーションで、何と書いているのか考えるのである。これでばっちり。1度、この方法を会得すると、もうPCバンに浸るわ浸るわで、慣れちゃいました。あとは、PCバンに入っていって、「インターネットしたい」「何番?」と言えればOK、終われば「おいくら?」でおしまい。黄紺の韓国語でもOKという代物。1時間が1000ウォンが、大体相場か? ということは、1時間で、100円余りという、まことに結構なお遊び。周りの韓国人は、TVゲームをしている男の若い人たちばかりと言って、いい。黄紺のようなおじさんは、まず、PCバンには見かけなかったし、女性も少なかったようだ。水原(スウォン)というソウル近郊の町で入ったPCバンでは、同じ店、同じフロアで、ビリヤード場があった。そこも、若い男性たちが遊んでいたから、顧客層は、その辺をターゲットにしていると考えて良い。トルコでは、表通りに面して、でかでかとネット・カフェの看板が上がってることは、まあ少ないが、韓国では、そうではない。繁華街のなかに、表通りに、PCバンの看板が上がっている。同様に、「ビデオ・バン」「DVDバン」の看板も、同じような場所にあるので、そういったところの店を開いてもやっていけるし、また、ゲームセンター(韓国では「娯楽室」という)感覚で、韓国社会では受け容れられているのだろうという感じたのである。それに対し、トルコでは、一定知的な層が利用しているという感じがある。だから、皆の娯楽ではない。だから、裏通りでも十分であり、知ってるものが知ってればいい位置づけになっていくのだと思った。日本の場合、東京では、このネットカフェが、マンガ喫茶やビデオ喫茶とドッキングして、繁華街に立派に生きている。そういう意味では、韓国風だ。でも、黄紺の住む関西では、この傾向が見られない。いや、知らないだけかもしれないが、1つの文化とは、この国ではなってないようだ。なんか、今日は、ネット・カフェから見える文化のような文章になってしまった。(つづく)




2003年 1月 3日(金)午前 8時46分

 久しぶりに、こちらに書くことにする。いや、忙しすぎて、ここまで手が回らなくなり、1度さぼると、完全にさぼり癖が付いてしまう。人間って、どうして、こう低きに流れるようにできてるのでしょうか。いやいや、人間なんて一般化しちゃだめですね、私がと言わなきゃ。
 ところで、今回、こちらに書こうかという気になった動機は、韓国旅行の記録を残そうという魂胆である。黄紺は、最初、12月25日出発で、ドバイ経由イスタンブール入りを企てていた。エミレーツ航空就航記念に、今まで飛行機で空港だけ立ち寄ったことのあるドバイで、少し遊んで、トルコ入りしようなどと考えていたのである。だが、25日に仕事が入り、1ヶ月ほど前に予約の変更、これじゃ飛行機取れない。ひどいところに、仕事を放り込むものである。で、万が一取れなかったらと、電話一本で予約が可能な韓国への飛行機を抑えておいたのである。これで、なんとかお正月を外国で過ごせると。そうすると、ぎりぎりになって、旅行社も、なんとか稼がなくてはならないので、アムス経由の飛行機を用意してきた。でも、お値段が、こちらが予定していたものより、約3万高い。3万ぐらいいいじゃないかと思うことは思ったのだけど、25日の仕事のことを考えると、3日ほど、イスタンブールでPCに向かって書類を作らねばならないこと になりそうだったので、そこまでして高い料金払う必要ないやって感じで、この冬のトルコ入りを諦めた次第である。で、結局、韓国を、久しぶりにゆっくりと回ることになったのだ。
 もう、かれこれ韓国は30回ほどになる。まだ東海岸をずっと駆け上がったことがない。そこで、蔚山(ウルサン)あたりから束草(ソクチョ)まで、東海岸べったりで行こうかとも考えた。だが、こういう時間のあるときでないと行けないところも行きたい。もちろん先程書いたルートもそうなのだが、気になっていた栄州(ヨンジュ)近郊の浮石寺(プソクサ)に、この際行ってみたくなったのだ。となると、海岸沿いに行くわけには行かない。それに、もう1つ、是非とも行きたいところがある。それは、久しぶりの束草。ここにおもしろい渡しがあるのだ。それが、今、どうなってるのか見ておきたかったのだ。で、結局、考え出したルートは、「釜山ー安東(アンドン)ー栄州ー蔚珍(ウルジン)ー束草ー江陵(カンヌン)ー太白(テーベク)ー仁川(インチョン)」というものだった。手持ちの航空券の関係で、釜山入りは仕方なく、そして、新しい仁川空港も見たくて、このルートを選んだ。最終的には、太白は山中過ぎて、帰る日にこの町を出発をして、仁川から帰るのは危険と判断して、なんせ束草や江陵では、雪が溶けそうな状況じゃなかったもので、そう判断して、替わりに、少しでも仁川の近くをと思い水原(スウォン)に泊まることとした。
 今回の韓国旅行、最大の思い出は、とにかく寒かったこと。これは、丁度10年前に、同じような寒さを経験しているが、まさにそれを彷彿とさせるに十分な寒さだった。昨日朝の水原駅前の電光掲示板に、「最高気温0度、最低気温−8度」と出ていた。これに比べると、ホント日本の寒さは可愛らしい。黄紺は、10年前の経験から、冬の韓国は、パッチ持参の重装備を心がけているが、今回、慌ただしく準備をしたために、すっかり忘れていた。出発直前に思い出しはしたが、もうダメって感じで見切り発車。おかげで凍え上がりました。ようやく束草で、手袋やマフラーまで買い求めて、事なきを得たが、あらためて韓国が、大陸の端っこに位置していることを思い知らされました。(つづく)




2002年 4月19日(金)午前 3時38分

 今から2時間前、Show-Radyoを聞いていたところ、定時じゃない時間帯にニュースが入った。日本で言えば、臨時ニュースに相当するのだろう。おかしいなと思いながら、さりとて聞き耳を立てるわけでもなく、PCいじりをしていると、「binaya carpti」という言葉が、またしても飛び込んできた。あのときと同じだ。「エッ」と言葉を呑み込んで、あわててTVをつける。こういうときは、NHKに限る。すると、これまた、あのときと同じだ。TV画面に映ってるのは、煙が上がっているビルの姿だった。今、これを書いている時点だと、TVでは、事故らしいと言っているが、果たしてどうか? 今し方TVをつけたのも、ヒュリエット紙の「最新見出し」には、早々と、この事件(?)についてのことが書かれており、それによると、ツーリストを乗せた飛行機と出ていたからだった。この時点での情報によると、日本の報道とトルコの報道は、一致している。更に、NHKを見ていると、どうやらミラノ中央駅の近くだということだ。すると、黄紺も、ミラノ駅前にホテルを取ったことがあるので、どのような光景か知っている。確かに駅前の大通りは、大きなビルが並んでいた記憶がある。それ以外は、腹立たしい記憶しかないが。飛行機には、操縦士1人しか乗ってなかったらしいという情報もありーの、ビルに突入する寸前には、既を噴いていたなんて情報も流れている。だから、事故の可能性大ということらしい。
 これで、またぞろ新しいネタができたと言えば、それまでなのだが、テロでないことだけは祈りたい。なんか、今の世の中、特異なことが一般化され、それが、あたかも一般的なことのように取り扱われている。きわめてレアーな事柄が、メジャーであるかのよう取り扱いを受けているのが、黄紺は、腹立たしいのである。これじゃ、「一事が万事」という誤りをする者に対する批判をすることが、非常に窮屈になってきている。少数者の意見に耳を傾けるのが、民主主義ではなかったのかと思う。しかし、その少数者が、圧倒的な反感をかうようなことをやらかしたとき、民主主義になれた我々は、民意を否定する行為として、民主主義に対する抵抗であると規定する。そして、その他大勢の少数者を忌避する。これは、民主主義が狂気に負けた瞬間である。なんて書きながら、今日の事件は、あくまで事故であるのなら、ここまで黄紺の書いたことは、即刻忘れてもらいたい。あくまでも、最悪を想定して書いたつもりだから。




2002年 4月14日(日)午後 4時07分

 日曜日になると、時間が早く経つと感じるようになって、どのくらいが経つだろうか? 今日も今日とて、もうこんな時間かと思いつつ、ここに、何かを認めようとしている。ますます時間がなくなることが分かっていながら。そう、今、思い起こすと、歳のせいか、夜中に目が覚めるようになってからのことかと思う。いつからか、夜中に目が覚めて、ものの20分も寝られないと、寝られない時間を無駄だと思い始めたのである。だから、起きてPCなりをいじり出す。これが、平日であれば、疲労を考えて、睡眠時間を確保しようと、むりやり明け方酒を呑んで、眠りにつこうとするし、実際、それは効果的で、確実に1時間であっても、睡眠時間を確保できるのである。ところが、日曜日のような休日であれば、出勤時間に起きなくてもよいから、そのまま朝を迎えるのが、普通になってしまった。夕べも、10時過ぎから寝てしまい、珍しく朝の4時半まで熟睡したのはいいが、それから寝れそうもないと判断したら、あっさりと寝ようとする努力を放棄。それから、延々とPCいじりを、朝の8時半過ぎまでやり、やっと、ここで、昨晩は、酒らしきものを呑んでないことに気づき、その補いをと、餃子でいっぱいやり出したのである。黄紺にとっては、この時間帯は、朝ではなく、まだ夜なのだ。だから、ちょっと口を湿らすのではなく、きっちり2合呑んだ。家で、これだけ呑むと、間違いなく寝る。とっても安上がりの酒だ。で、予想通り寝ると、今度は、目が覚めると、昼を回っている。それから、家の仕事を一頻りして、買い物行って、遅い昼飯食うと、当然の如く、軽くビールなどを呑み出すと、それだけでは済まない。なんてこと書いていると、やっぱ、黄紺の日曜日が短いのは、単にアル中だからの一言で済みそうだということが、書いてみて分かったのであります。
 ところで、この日曜日は、姪っ子の大学入学祝いに、一緒に食事をしようと思い空けていたのだが、来週回しになったこともあり、のんびりと朝を、夜扱いして、酒を呑んでいることができるのである。10種類ほどの各国料理を上げて、「いいもの食べよ」ってメール送ったら、姪っ子から来た返事が、イタリア料理かドイツ料理という回答。これは、あまりに変化が乏しいので、「そんなの、いつでも食べられるでしょ」って書いて、「インドネシア料理に、勝手に決めたぞ」と押し売りメールを送りつけた。実は、これって、息子が、大学で第2外国語としてインドネシア語を選択したのに引っかけたのだが、「カレー味はわけあってだめ」の、またまたお返事メール。そこで、まだ決まってないのだけど、もう黄紺の腹は、「チベット料理」に決まりつつある。これで、思いっきしエスニックさせて、黄紺の仲間を増やそうかと思っている。また、この「姪っ子、入学記念食事会」は、いずれ、ここで報告させてもらいます。あーあ、日曜日は、ますます残り少なくなっていく。




2002年 4月13日(土)午前 7時53分

 先日、念願の「FUTBOL」のコーナーに、トルコ代表のページを加えることができた。HPを公開してから、1つは、黄紺の視点で、トルコを伝えるということが、大きなテーマとしてあったが、そのなかでも、トルコ・サッカーに関する日本語によるサイトの充実ということがあった。もう、かれこれ5年にはなるだろうか。日本語のサイトとして、もちろんトルコ・サッカーの関してであるが、ドクトル今松のHPが公開された。黄紺のトルコ語の先生でもあり、且つ、黄紺と同じくフェネッリのドクトルに、更新をお願いしていたが、お忙しいこともあり、それも適わず、誰かやってくんないかなぁと思っているときに、新宿黄赤さんが、その意向を持っているということを、本人から、しかと聞き届けていたのですが、こちらもお忙氏であるがため、もう人任せにはしないぞなどと不届きなことを考えた黄紺が、立ち上げたのが、1年余前のことでした。この1年、とにかくリーグ戦の様子、ヨーロッパでのカップ戦の様子を、せめてもお伝えしようと躍起になっていた。ところが、この1年、仕事が、超お忙しかった黄紺には、とてもじゃないが最初に作ったものをいじるのが、殆どできなかった。いろいろな企画は、頭に浮かぶのだが、それを実現する時間的余裕がない、ま、そういうことだった。その実現していない企画に、どんなものがあるか、1.2紹介すると、1つは、「シュクル・サラチオールへの道」。カドゥキョイのイスケレ(船着き場)からスタジアムへ、このような光景を見ていけばたどり着けることができるというフェネルバフチェのサポーターしか喜ばない企画。次は、「我が街・カドゥキョイ」。黄紺が、イスタンブールにいるとき滞在するカドゥキョイの徹底解剖、なんてしようかな、なんて考えて、準備だけはしているんだけど、、、、。極めつけは、「アイシェ閉じこめの部屋」企画。「黄紺のお部屋」のどこかに、要するにどこからアクセスしていいか分からないところに、そのような部屋を作り、アイシェ・ハヌム秘蔵のトルコ関連の何かを、もちろん黄紺にはできない何かを公開してもらおうという企画、である。で、実は、その公開するブツは、一部、アイシェ・ハヌムから送ってはもらっているんだけど、未だ、実現はしていない。(今、Balins FMを聴きながら書いているが、またしてもアイドゥンの曲がかかっている。これって、他の局も、そうなんだよなぁ。アイドゥン人気、ますます好調の印か?! 黄紺は、あのおかま言葉が、おもしろくって仕方ない!!)。それを、「閉じこめ、、、」と際どい表現で、探してもらおうという企画である。もちろん、アイシェ・ハヌムの全面的協力があってこそ実現する企画である。が、まだ作ってない。
 HPを作り出して、つくづく思うのは、自分に、上に書いたような企画が思い浮かんでも、それを、ヴィジュアル的に、いかに上手にお示しできるかという点に関して、ダメだということである。同じレイアウトを作るにしても、配色で、随分と雰囲気が変わって来るというものである。それが、できないのである。気持ちはあるので、色々いじっては見るのだが、出来栄えは、余りにもみすぼらしい。それが分かっているのだが、できないのだ。そして、自分が作ったものが、もう1つであることだけが分かるのである。これは、辛い。かけた時間、かけた努力と比例しないことは、実に辛いし、おのが力の限界を思い知らされるのである。だから、そんなことは、横に置いておいて、要するに無理なものは無理だから、なんて居直って、情報だけは、一所懸命に流そうとしている。そんなことを考えながら、「黄紺のお部屋」を作っていますので、今後とも、よろしくお願いいたしまする。




2002年 4月10日(水)午前 2時42分

 今日は、alem-fmをかけながら、これを書いているが、先程から、ラファエット・ロマンの曲ばかりがかかっている。彼の、黄紺が、「バタ臭い」と評した懐かしい曲も、どんどん流れてる。こんな特集、大好きだ。しかし、「バタ臭い」とは、古い表現だ。だが、今、聴いても、この表現がぴったりと思ってしまう。ところで、黄紺は、4月からは、「憧れの窓際ライフ」などと呼び、気楽に仕事ができる、いや遊びながら、趣味で仕事するという環境が、整いつつあると思っていたが、実は、そうでもないのである。今日も、がっくりすることが2点。1つは、なんと職場の親睦会の幹事長の仕事が、転がり込んできた。これは、予想外のことだったが、同僚の1人は、「危ないと思ってたよ」の一言。あーあ、だったら、部署の代表にするのを止めてくれればよかったのにと思っても、後の祭り。黄紺は、社交性が、普通の人よりないので、こんな仕事を苦手としている。PCなどに向かって、このようなことを書いている場合はいいが、どうも対面恐怖じゃないが、対面苦手症の傾向がある。去年の親睦会の会計をした人は、歓送迎会と忘年会という親睦会2大行事を、金の世話はしたようだが、来なかったというすごい話もあるが、そのような大胆なこともできない小心者なのだ。それをまして、人を楽しませるなどということは苦手だし、そのようなことをしている自分に違和感を覚え、要するにできないのにしている自分に違和感を覚え、挫けてしまうのである。それが、よりによって幹事長とは、きついなぁ。人を相手にしないで、PCに向かうだけの仕事なら、少々きつくっても引き受けるのになぁと思ってみても、今さら始まらない。
 今、alem-fmは、定時のニュースに変わっているが、そのニュースで、ヨーロッパ人権裁判所のシンポジウム(トルコでの開催)に、スカーフをかぶった学生たちが参加して、実情を訴えたと言っていた。世俗主義(政教分離)をモットーにするトルコ共和国において、公務員に対してや、公的場所(大学のような)では、たとえ篤い信仰を持っていたとしても、スカーフをかぶることが禁止されている。それが、信教の自由を侵すという主張を、学生たちがしているのである。いわゆる「公共の福祉」の問題と「個人の自由」の問題の関係が、取り上げられているのである。ところが、日本で、同様の問題が取り上げられたときと、立場が逆転しているのにお気づきだろうか? 「公共の福祉」という言葉で抑えられようとしているのが、全く逆なのである。トルコで抑えられようとしているのが、「世俗主義(政教分離)」であり、日本では、「世俗主義(政教分離)」を守るために、「公共の福祉」を問題視するのである。そして、常に侵されるとされるのは、「個人の自由」。こういった逆転が、黄紺には、たまらないのである。トルコを見ながら、日本に住んでいると、このような基軸が変わることを経験させてもらえるのである。これは、おもろいと思ったのが、とどのつまり「トルコやみつき」になった土台なんだと、ラジオを聴いていて思い出して、急にこんなことを書いてしまった。
 なんか、今日は、バラバラなことを書いているが、この度、この「黄紺のお部屋」が、gooの「W杯特集」なんちゃらで、出場国紹介HPのリンク集に、なんと加わることになりました。「地球の歩き方〜トルコ編〜」に次いで、えらい有名どころで紹介されることになってしまいました。昔の黄紺だったら、気恥ずかしいので、お断りをしていたかもしれませんが、1人でも、黄紺のHPを読んでいただいて、トルコに、なかでもトルコ・サッカーに興味を持っていただければと思い快諾しました。なんか、黄紺には、承諾する義務感のようなものが、いつごろか芽生えているのです。そういう意味では、トルコに係わりだして、ちょっと人間が変わったかもしれません。




2002年 4月 7日(日)午前10時20分

 RADYO-VIVAで、テオマンを聴きながら書き出している。トルコは、この時間帯なら、7日早朝になろうかという時間帯である。どのラジオ局も、この時間帯に入れば、DJはなくなり、ただ音楽が流れているだけである。日本時間の深夜から早朝にかけて起きていることの多い黄紺だが、昨晩は、早く寝て、目が覚めた後も起きてられたので、そのままPC遊びを続けていたのだが、週末の楽しみであるサッカー中継が流れてない。あわてて、ファナティック紙にアクセスすると、イスタンブールの3強の試合のない日。全くのアンラッキー。一瞬、週を間違えたかと思ったのでした。だって、フェネルとベシクタシュの大事な一戦が近づいてるのだから。これだと、必然的に、週末の実況中継が1つ減ってしまうので。でも、よく試合予定を眺めてみると、ベシクタシュは、今日、マラテヤでの試合。ここは、常に昼間のはず。だから、このような日程になったよう。TVは、中継するようだが、ラジオは夜だけだから、今週の生中継は2つだけ。SHOW−FMも、そのような放送予定になっていた。これは、先程確かめたばかりである。
 フェネルとベシクタシュの一戦で、2強が決まるだろう。そして、もし、この試合が引き分けに終わるようだと、今季のガラタサライの優勝は、ほぼ決まるだろう。そういうところまで、今季リーグ戦は来ている。降格争いは、インパシュ・ヨズガットとアンタルヤ・スポルは、ほぼ決定で、あと1つが気になるところ。チャイクル・リゼには残ってほしいと思うが、サムスンが落ちるのもあんましだしと、勝手に気をもんでいる。マラテヤが落ちるのが当たり前と思っていたのが、後半になって随分と変わったものだ。逆に昇格争いも気になるところ。今のところ、アルタイ、エラズー・スポルに、びっくりイズミール・スポルが名乗りを上げている。これじゃ、一挙にイズミールのチームが3つになってしまう。さて、こちらは、大混戦のようなので、まだまだどうなるかは分からないが、アルタイには戻ってほしいな。同じイズミールのチームのなかでも、アルタイがいないと、やっぱ落ち着きが悪い。
 なんてことを考えてる内に、新年度は、待ったなしで始まっている。リタイアを既にしたはずの黄紺だが、前年度の仕事を、まだ引きずっている。早く、こないだまでいた部屋を引き上げたいのだが、デスクの整理すら満足にできないでいる。なんか、最も人目に付くところに、去年までのデスクがあるので、早く引き上げたいのだが、なかなかそうさせてもらえない。これが、今の一番のストレス。昨日も、殆ど人影のなくなった部屋で、一人もくもくと片付け作業をしている我が姿の虚しさったら、あったものじゃなかった。こんな時間帯にしかできない虚しさである。だから、帰りしなにアルコール補給をしてしまうのだろう。「残務整理僅か中瓶1本の満足かな」字余りである。




2002年 4月 6日(土)午前 6時49分

 出勤前のひとときである。昨年までだと、この時期、もうあたふたと出かけようとしていたのだが、年度が替わって、ちょっとのんびりと出かけるようになってきた。黄紺の3年間が終わったことを、こんなことで実感している。でも、年度始めの忙しさは相変わらずで、年度末から、ノンストップで続いている。その合間をぬって、貪欲に遊んでいる。一昨日は、民族博物館で行われている「李さん一家の〜〜」、あれっ?何だったっけ? 「〜〜」が分からない。ソウルの李さん一家の家財道具全てを、ホント丸ごと持ってきて展示をするという試みである。新たな都市民俗学の成果と言っていい企画である。従来型の民俗学の、生活の部分部分を分析するのではなく、それこそ丸ごとを抱え込み、その部分を、総体を見据えながら分析をしていくという手法なのであろう。例えば、台所は、家人が、先程まで、調理をしていたところ、ストップをかけた状態である。茶の間に相当する部屋も、先程までTVを見ながら、くつろいでいたところに、ストップをかけたという感じである。冷蔵庫のなかも、そのまま持ってきている。なかを開けると、あらなつかしや、韓国の臭いが、そのまんまする。2階から見ると、タンスの上には、埃がたまったままである。タンスを開けると、衣紋かけに服が一杯。風呂場には、洗濯物が干してある。下着まで、そのままぶら下がっている。噂には聞いていたが、これはすごい。李さん一家、丸ごと着ぐるみ剥がれて、生活の全てを剥がれて、野中に放り出されてしまった状態である。この企画立てた方もすごいが、これに協力した李さん一家も、すごすぎるぞ。よく協力したなと思っていると、会場のTVに、李さんのインタビューが流されているし、略歴も掲示されている。んーん、それを見て、納得。李さん夫婦、ともに、大学時代、民俗学を専攻されている。更に、日韓新時代を作ろうという並々ならぬ意欲を持っておられる。これだけの意欲、情熱、学問的バックボーン、それらが揃ってこそ、協力者になりうるのだと、このすごすぎる一家に敬意を感じずにはいられなかった。
 なんか、日本と韓国、いろいろあったから、いろいろと語られる機会が多い。特に、今年は、W杯の年だから、例年以上に語られているようだけど、何か、初めにイメージありきで語られているようでならない。それに合うように、素材がチョイスされている。そんな従前の手法を、根本的にひっくり返した企画だ。なんか、都市民俗学が、日韓の関係性を考えるに、新たな可能性を運んできたかのように受け取った。李さん一家の生活品が展示されている周りには、街中から、そのままパチってきたんではと思わせるような、看板類が展示されている。そんなの見ると嬉しくて嬉しくて、またぞろ、韓国に行きたくなってきた。GWまで、我慢できるだろうかなんて思うほど、気分爽快だった。年度当初の、たまゆらの休みに、同僚と行った、ちょっとした気休めの1日でした。




2002年 3月31日(日)午前10時47分

 昨日で、旧年度は終わった、事実上。黄紺は、1つの仕事を降りるので、その残務整理にお忙氏になっていた。もう、殆ど後任者に渡しているのだが、旧年度のことは、黄紺がしないわけにはいかない。だから、昨日は、その残務整理に半日以上追い立てまくられた。黄紺が、3年前、前任者から、仕事を受け継いだとき、もう、この時期には、その前任者氏は、落ち着いておられた。それを、夢見ていた3年間だったが、3年前と、今では、状勢が全然違う。終わらせてくれないのである。前年度の責任者が、後始末を完全に終えられるのが、第1段階が4月5日かな? 第2段階が、4月14日かな? 第3段階が、4月26日かな? というところである。これって、あんまりにもなめてはいませんか? 最後の指示を出している連中の精神状態にまで、黄紺は疑問を感じています。でなければ、よほど仕事できない人なんでしょう。黄紺は、どんな人かは知りませんが。同じ仕事をして、27年を終えようとしてますが、これ程の理不尽を聞いたことはありません。考え方の違いなら、それは、どこまで行っても平行線でしょう。が、これは、そうではない。単なる事務処理の問題だ。それに、何度、混乱をもたらせば、気が済むのだろうか。常人じゃない。マスコミをも巻き込んで、何、する気や? はっきり言って、危ないやつに、この仕事させてて、いいんかい!?
 この頃怒っても仕方ないと思ってる黄紺は、少しばかり楽になったと思ってる仕事の間を見て、遊びに余念がない。金土と連続して、落語会に行ったし、土曜日に落語会に行く前には、東京での、「カンダハル」以来、久し振りの映画「私が女になったとき」を見た。が、随分と寝てしまった。これじゃ、韓国映画祭に行った方が、目が覚めていたかと思うと、誠に残念だ。原因は、映画自体がぱっとしなかったこともあるが、とことんおもしろかったら、経験上、絶対に寝ないから、やっぱ、いまいちどころではなかったのだろう。年度末の処理も、しかも時間外勤務で、あくせくしてからあわてて駆けつけたら、寝てしまっても仕方ないかと、あっさり1800円也を諦めた黄紺でした。その替わりと言ってはなんだけど、落語会は、元気だった。いや出演している人たちのはつらつさ加減に煽られて、聴いている黄紺も元気をもらったのである。毎年、黄紺は、GWに韓国へ行く。どんなに疲れていても、初日は、5時前にでも起きて、韓国に行く。行く前は、ホントにしんどいし、帰ってからのことを考えると、行くこと自体に躊躇うことが多い。でも、黄紺は、行く。だって、韓国行って、韓国のシジャン(市場)歩いてると、絶対、元気もらうもの。その元気もらって、夏まで、働こうかって気持ちになるもの。だから、今年のGWも韓国なんです。恐らく日本のGW中は、韓国では花祭りに相当するので、また康津(カンジン)行きます。この時期の夜の康津、他ではない雰囲気あるんだから、、、、。1ヶ月先の、このこと思い浮かべながら、また来週から、働こうっと。




2002年 3月27日(水)午前 4時55分

 黄紺の3年間が終わろうとしている。若干残務整理的なことは残っているが、ほぼ終わったと思っている。この3年間は、不幸なことに、トルコ関係をセーブしてきたし、また息子の受験期と、ぴったりと符合してしまった。もっとも息子の受験は、あくまでも息子のことであり、黄紺は、傍らで見ているだけだが、今思えば、せめてゆったりとした気分で見ていたかったと思う。世の父親、黄紺の3年間のようなものと言ってしまえば、それまでだが、そうじゃなくってもよかったわけだから、悔やまれてならない。その息子も、丁度黄紺の3年間が終わるのを見透かしたように、大学に合格してしまった。4月1日に入学式だということである。「おまえ、行くつもり?」って聞くと、「えっ?」と言う。「行くのかって、聞いてんの」って言うと、言いたいことが分かったらしく、また大学ってところが、ちょっと分かったらしく、「そうか。行かなくっても、良かったんや。そやけど、おじいちゃんが行く言うてるんで、行くわ」ということだった。大学の入学案内を見ると、入学式の直後に保護者会って書いてあった。黄紺は、これを見落としてたのだ。逆に、おじいちゃんは、目敏く、これを見つけてしまったというわけだ。
 黄紺は、こんな風に書いても、実は、入学式に出席したし、親父も、わざわざ東京まで来た。確か、4月16日だったような記憶がある。4月にしては大雪だった。下宿の大家さんが、寒いからと言って、わざわざパッチまで用意してくれたのを覚えているから、かなりの冷え込みだったのだろう。ただ、そのようにして行った入学式は、くだらなかった。どこかの知らない人が、式辞を述べて、1時間ほどで終わったような気がする。そしてその後、大学と駅を挟んだ反対側の寿司屋に、親父と入ったように思う。親父と2人だけで店入ったっていうのは、東京でだけだった。ひょっとしたら、このときが初めてかもしれない。黄紺は、東京で、6年間大学生活を送っているが、その6年間だけ、そんなことをした記憶がある。いい思い出だと思っている。今度は、自分が父親の立場で、それをしたかったが、幸か不幸か、息子は、京都の大学に通うことになった。だから、この構想は、あえなくボツ。そして、今までのようなことが、まだまだ続けることができるかと思えば、ちょっと心穏やかなのである。結局、子離れの機会を、黄紺は失ってしまうかもしれない。いつまでも保育園時代の息子の残像を、今の息子にだぶらせながら見ていくことから、離れられないままに。
 少しはましになったとはいえ、年度末から新年度になだれ込むのは、変わらないだろう。GWの韓国行きも、飛行機取れたことだし、取り敢えずは、それを励みに生きていきますか!




2002年 3月23日(土)午前 8時14分

 昨日は、朝から、分刻みのような仕事をこなしてしまった。あれほど、時計とにらめっこになりながら、いろんなこと、それぞれ異なったことをしたのも珍しいのではないだろうか? それにつけても、PCは、我が儘だ。ウチの職場のPCは、皆が使い倒すので、Aドライブが、完全におかしくなっている。フロッピーを入れて、なんの反応もしないことなんて、いつものこと。普通に動くと、「今日は、機嫌がいいみたいです」というのが、挨拶替わりになっている。下手すると、しばらく動いているかのような感じを与えておいて、いきなり、「このディスクは、フォーマットされてません。すぐにフォーマットしますか?」と聞いてくる。恐ろしい状態になっている。迂闊に、「はい」なんて応えると、あっという間にパーになってしまう、大事なものが。ま、と言っても、フォーマットしようとしたところで、90%くらいできないのである。でも、時々してくれるから、恐いのである。昨日は、その10%にかけたのだが、やはり無理だった。その代わり、「フォーマットできません」の表示が出るまで、えらく時間がかかる。おかげで、貴重な時間を奪ってくれた。
 2つ目の腹立ちは、PCに向けるより、PCを使っている黄紺の思いこみに基づくものだ。人のノートを借りて、情報を打ち込む仕事をしなければならなかった。そして打ち込んだ情報をプリントアウトして、すぐに確認して、確認したものから1つの判断をして、一定時間内に回答しなければならない仕事が回ってきた。その中の、プリントアウトが不調なのである。目の前で、プリンターにつないであるPCを借りたのだから、当然の如く、そのプリンターに設定してあるものとの思いこみからスタートした。だが、実際打ち出そうとすると、プリンターが反応してくれない。当たり前の話で、設定が違うのだから反応するわけはないのである。歳くってくると、ほんと、この思い込みってやつが、ほんと危ない。柔軟にものを考えることができない。なんとか、指定された時間に間に合ったからいいものを、ここでも冷や汗かいてしまった。
 最後が、1番大変。5時過ぎに、あと少しというところまできていた仕事。一緒に仕事をしていたAさんは、小さな子どもさんを持ってられるので、あとの段取りを聞いて、帰ってもらった。ほんと、あとちょっとまで来ていたから。Iさんと、大丈夫という気持ちだった。そしたら、途端にウイルス・バスターが働きだした。定刻のウイルス・バスターだ。いつもなら15分くらいで終わるので、ま、このくらいは、我慢と思っていたら、15分たっても、まだ半分くらいしか終わっていない。そして、そのスピードが、極端に落ちているので、このウイルス・バスターの入ってないPCに移る。だが、情報量が多すぎるのか、エクセルのソートがかからない。かかったかと思うと、1部資料が動いてないことを発見。エクセルなんて、まともに使ったことのない黄紺は、その癖らしきものを把握していない。すると、Iさん、大ヒット。その動いてない資料の共通性を発見。同じ列内で、値複写をしたにもかかわらず、要するに、変な動きをしないように、関数を外したにもかかわらず、打ち直した分だけ、きっちりとソートがかからないのでした。だから、新しい列を挿入して、そこに変な動きをする列を、もう1度値複写をしてからソートをかけると、動いてくれるPCを発見して、無事解決。結局、最初のウイルス・バスターのかかったPCで、それができました。早い話が、ウイルス・バスターが、なぜか1時間半ほどかかって、そこへ戻って、やっとできたという次第です。あーあ、作業終わったの、8時やった。Iさん、お疲れ。やっぱ、やり慣れないことすると、ダメです。PCが、どこまで動くかを織り込んでやらないとダメなのに、やり慣れないことすると、これが読めないのです。結局、この日も、お疲れでした。




2002年 3月21日(木)午後 4時53分

 昨日、初めて、息子と、「コナック」へ行った。1つには、大学が決まったら、1度、行こうと言っていたことを実行しただけのことなのだが、もう1つには、3年半前に、一緒に行ったトルコ旅行の思い出に浸れるからである。当時、高校2年生だった息子が、夏休み前になって、急に行きたいと言いだして、あわてて航空券を手に入れた思い出がある。黄紺は、マレーシア航空で、一足先にイスタンブールに入り、トルコ航空で、ダイレクトにイスタンブール入りした息子を迎え入れたのである。そして、20日間、果てはカルス、更にアニまで行って、トルコ・アルメニア国境に立った数少ない高校生となった。ま、そんなことで、今まで、東京で2度、トルコ料理店に行ってはいたのだが、大阪では、初めてのことであった。
 予約を入れたとき、本日のスペシャル・メニューとして、ハムシをリクエストした。これは、1つには、カドゥキョイ・ライフを1週間ほど送っていたとき、もちろん息子とだが、珍しくハイダルパシャ駅構内のレストランで、夕食を済まそうとしたとき、中に入ると、あにはからんや、そこは仕事帰りの人たちが、一杯引っかける場と化していた。我々が食べていると、酔客が寄ってきて、故郷自慢なんかをやりだした。その酔客が、自分たちの注文したものを食べろときかず、そこで口にしたのが、酢漬けというか、マリネ風のハムシであった。黄紺は、ハムシの丸ごとフライは食べたことがあったが、確かマリネ風は初めてであったので、随分と記憶に残っている。で、これを注文したが、さすが、フライなら大丈夫というのが、「コナック」のお返事だったので、トラブゾンやリゼ記念にもなるかと思い、それでお願いした。あたふたとトラブゾンを立たねばならなかったので、かえっていいかなんて考えてお願いした。それで、昨日のメニューは、ファスルエとパトゥルジャンのメゼに、ここで早速、息子が、白チーズを食べたいと、早くも別注文を出している。酒は、ラクをあまり嗜まず、エフェスにヤクトにドルージアと、ラクの後、チャンポンのしまくり。黄紺は、じっくりラク派。メゼの後は、マントゥ、クイマル・ピデ、そして待望のハムシ。ピデを食べると、当然の如く、エルジンジャンの思い出話。エルジンジャンやエルズルムという名前が、自然に出てくるえらいディープな親子。最後に、ピラフの上にドネルを乗せてもらおうとすると、ピラフがきれたのかダメとのお返事だったのを幸いに、息子が、イスケンデルンに乗り気。そうそう、息子がイスタンブール入りして、初めて食べたのが、これだったんだよね。カラキョイで、ヴァプル待ちをしている時間帯に、腹ごしらえをしたんだった。着いたその夜に、いきなり夜行列車に乗って、アンカラまで移動した、その直前、これ食べたんだ。話は、アンカラから移動したチョルムの話まで広がった。チョルムの記憶は、2人の記憶がずれている。2人の思い出を合わせると、思い出が大きくなった。そうそう、さっき書いたハイダルパシャ駅構内のところも大きくなったぞ。この後、デザートに食べたストゥラッチのところでは、エルズルムの思い出が大きくなった。息子とトルコ料理店行くと、これがあるんだよね。昨日は、ひときわそのことが大きかった至福の時間帯だった。ここまで超過密で疲労の極致にあった黄紺にとって、何よりもの癒しの時間となった。帰りの電車、また帰ってからも、ずっと熟睡しっぱなしの黄紺なのです、だから。少しは、腰のだるさ、ましになったみたい、かな?




2002年 3月20日(水)午前 4時57分

 チャンピオンズ・リーグの「ガラタサライ vs バルセロナ」戦を聴きながら、書いている。リーグ戦を、今まで、alem-fmとSHOW-RADYOが生中継をしていたのは知っていたが、チャンピオンズ・リーグをしているとは、つい昨日まで知らなかった。たまたま、SHOW-RADYOのHPを開けてみて、放送予定が書いてあって知った次第である。今までも、そうであったのか、その辺は、そうじゃなかったんではと思うのだが、情報収集が雑な黄紺なもので、もう1つ自信がない。アナウンサー氏の実況中継の背後から聞こえてくるサポーターの熱気は、尋常ではない。こないだのローマ戦が荒れたことを考えると、何事もなければと、そんな冷ややかな一面を持ちながら聴いている。でも、午前4時45分開始は、辛い。今日も、最初から諦めている。半分眠気さましに、このGUNLUKを書いている。今、横になりながら、実況中継を聴くと、すぐに睡魔に負けること受けあいだ。
 今日、日本トルコ文化協会から、おもしろいメールをもらった。大阪在住の元Jリーグ選手が、トルコでサッカーを続けたいとので教えてほしいと言ってきたというものである。早速、ドクトル・今松氏と羊々舎のご主人、そして黄紺を紹介しようと思うのだが、いいですかというものだった。もちろん、その元Jリーガーが誰かは知らないが、純粋に、その気持ちがあるのなら、全面支援したいと思ったので、日本トルコ文化協会の事務局には、その旨返答しておいた。その元Jリーガー氏、W杯に出場するトルコ・サッカーの実力はご存知だったようで、それを承知の上での、チャレンジだと見た。ならば、尚更である。ただ、日本との貨幣価値が違うので、金にはならないことは言わねばなるまい。しかしながら、周辺の旧ソ連諸国やイラン、東欧諸国よりは、経済的に裕福だから、それらのチームへの移籍へのステップにしようとしたら、きついことも言わねばなるまい。そのわりには、ヨーロッパの各クラブの注目度は、細やかではないことも事実だ。確かに、ここ2〜3年のガラタサライの活躍で注目度が上がったとしても、アフリカの特定国に、ヨーロッパの各クラブが情報網を張っているということは、黄紺の感触では、極めて小さい。むしろ東欧諸国に対する目の方が、厚い気がする。だって、ガラタサライのベルカントや、フェネルバフチェのセルハトなんかは、グルベッチなんですよ。目の下にいるスター候補生を、トルコ人というだけで、関心の埒外に持っていったヨーロッパの各クラブが、トルコのクラブに目を向けてるわけがない。ま、そんな話をしなければならないと考えている。報道によると、アンカラ・グジュだの、ゲンチだのに、要するに、黄紺の記憶には、アンカラのチームに、日本人練習生がいたということがある。それ以外は知らない。ましてや、Jリーグに所属したとなると、実力的には、その練習生とは違うだろう。ひょっとしたら、イスタンブールの有力チームではなく、地方のチームから這い上がっていく心意気があるのなら、120%応援をしたい。問題は、年齢だ。どれだけの時間的余裕があるかで、この辺は、随分と変わってくる。でも、こんな話が舞い込んでくるとは、黄紺にとって、嬉しいこと、この上ない。ちょっとエキサイト気味。でも、寝なっくっちゃ。







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