忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。




2002年 3月14日(木)午前 4時45分

 今日は、珍しく「FUTBOL HABERLERI」をパスして、「SON DAKIKA」とこちらに手を染めている。黄紺がHPを立ち上げてから、ほぼ1年になろうとしているが、これは初体験である。サッカー記事は書こうと思えば、「ローマ vs ガラタサライ」一色で、それ以外にないのである。別に、それが気に入らないわけではないが、「トルコにとりこ」に、それは書くつもりだったので、それを除くとないのである。大スポ的レベルのおもろいネタがないのである。これは、ホント珍しい。ま、そんなわけで、珍しい日と相成ったわけである。その珍しい日も、疲労困憊の1日だった。この頃、ここに書けば書いたで、必ず1度、この言葉が出てくる。自分では、そういう感じではなくとも、家へ帰ってきて、PCに向かい、酒などを、ほんの少し口に含むと、もう爆睡一歩手前なのである。
 先程からずっと、alem-fmを聴いていて、トルコ音楽を聴きすぎたので、今、ギリシャ・ポップスを聴いている。黄紺は、実は、ギリシャ・ポップスも大好き人間である。独特のサウンドもさりながら、ドラマチックに、さびを効かす曲作りが、気に入っている。そもそも、ギリシャ・ポップスの聴き始めは、ギリシャのセゼンと勝手に言っているハレク・アレウーシスを聴いたのが始まりである。そんな大家だと知らずCDを買い求めたのが始まりである。良くギリシャからトルコへ、またその逆でもいいが、往き来をすると、雰囲気が変わらないと言われる。黄紺は、その体験は、キプロスでしかしていないが、田舎は確かにそうだ。でも都市は違う。音楽を聴いていると、その都市の違いを感じることができるのだ。よく、トルコが、東西の文明の十字路と言われるが、音楽に関して言えば、トルコのハルクな音楽は、十分東に入るし、ポップスこそ、十字路に相応しいのだが、ギリシャ・ポップスは、異質だ。典型的なサウンドは、これは、東っぽいのだ。あくまでも「ぽい」というのが、みそだ。その「ぽい」ところに、魅せられている。黄紺は、古代ギリシャ遺跡を見るためには、敢えてギリシャに行きたいとは、そんなには思わない。関心はあるが、トルコで、それらしきものは、十分見てきたから、それで満足している。でも、ギリシャ文字の踊るところで、こてこてのギリシャ音楽を聴くためには、ギリシャに行ってみたいと考えている。考えてみれば、エディルネやテキルダーから、ちょこっと足を延ばせば、もうすぐギリシャなのだから、1度、ギリシャ田舎旅行兼ギリシャ音楽体感旅行をしてみたい。コス島で買ってきたCDを聴きながら、いつも、こんなことを考えてる黄紺なのであります。




2002年 3月10日(日)午前 8時 5分

 昨晩は、実によく寝た。この頃、爆睡する期間が、短くなってきている。疲労が蓄積し蓄積しても、眠られない期間を経て、やっと爆睡するときが来るというのが、恒例であったが、最近は眠られない期間がなくて、爆睡できる。これは、同じ疲れた身体にとっては、有り難いことだが、でも、それだけ、身体がギヴアップしている証拠なのかもしれない。とにかく、腰から布団にめり込むように眠りこけている。ま、これは、早い話が、疲れが必ず腰にでてくる黄紺にとっては、まさに、身体が悲鳴を上げている証拠なのだ。腰は、身体の要、そこが悲鳴を上げて、寝ても寝ても、腰の悲鳴が収まらないときに起こる現象だ。でも、今週は、ますます過酷になるので、今日の日曜日は、おとなしく横にもなってよか、なんて考えてます。
 疲れてる疲れてると言いながら、ここまで来てるで兆候は、土曜日の会食のときから現れていた。この日、結局、3人での会食と相成ったわけだが、その3人であるにもかかわらず、その日のスペシャル・メニューは、タウク・ドルマス。鳥1匹丸ごとの中に、イチ・ピラウを詰めたもの。「コナック」では、パーティのときの定番メニューらしいが、黄紺は、「コナック」のパーティーのときは、必ずと言っていいほど、トルコにいるので、この豪快料理に出会っていない。ましてや、トルコでは、地鶏が出てきて堅くって、歯がたまらないので、タウク料理は敬遠しがちなので、食べたことがない。で、当のタウク・ドルマス、最初は意気込んで食べていたのだが、もうすぐにお腹一杯状態。まだまだ残っている状態なので、いつもの黄紺なら、意地汚く、このときとばかりお腹に詰め込むのだが、だめ、全くだめだったのです。タウクが大好物と、ジュン松氏は、どんどん食べ続けてるし、小食を絵に描いたようなアイシェ・ハヌムまでもが、どんどん食べている。「あーあ、俺、調子、悪いんだ」と、思いっ切り自覚。更に、ラクが呑めない。いや呑んでるんだけど、いつもの量まで、とてもじゃないけど、呑めない。そして、眠たくって、どうしようもない。先週、別段、身体を動かして、動き回って、疲労困憊なんてことではなかったのに、、、。替わりに、めっちゃ神経使うこと、あったもので、これだけの疲労が来たのでしょう。でも、この腰のだるさ、辛い。、、
 心機一転、昨日は、実に久し振りに、落語会へ行った。ホントに久し振りだ。アフター5は、完全に潰れだったので、土曜日の午後、門真まで行って来ました。「立ち切り線香」と「天神山」の2つが同時にかかるという豪華番組編成。後者は、黄紺が上方落語にのめり込むきっかけとなった噺。前者は、上方落語の最高傑作。いやぁ、良かったっす。その落語会から帰ってきて、すぐに呑みながら食事を摂ってから、もうその後覚えていません。夜の7時過ぎから、爆睡をしていたのでした。丁度、「ガラタサライ vs ベシクタシュ」の今季を占う大試合の開始30分前に、一旦目が覚めて、「ラッキー!」とは思ったのですが、結局、その実況中継は、黄紺の子守歌になってしまったのでした。でも、なぜか、ガラタサライが、「1:0」で勝ったのだけ、インプットされていたのが、不思議? 爆睡に次ぐ爆睡、でも、腰、だるすぎ。まだまだ、疲れ取れてないんだ、よ。これって、辛すぎ〜〜〜。




2002年 3月 7日(木)午前 4時28分

 明日、金曜日は、黄紺も含め、年末からついこないだまでの間に、かつてのトルコ語教室の同級生が、トルコに滞在したので、ということで、「コナック」に集まるときだ。この1週間は、この日を楽しみに生きてきた。そしたら、昨晩帰ってくると、T森は欠席とのこと、 なんじゃ、それ。欠席の理由をみて、笑ってしまった。仕方ないと言えば、仕方ないが、T森らしくって。でも、ワールドに入ると、私、知らないの気分だ。この辺も、きっと、ネタになって、金曜日の夜は盛り上がることだろう。今、アイシェ・ハヌムに、メールを送って、替わりと言えばなんだが、M・ハヌムに声を掛けたらと、黄紺のリクエストを出しておいた。
 アイシェ・ハヌム、T森は、職場の同僚。この2人は、行く相手が、他にいないためか、よく2人で、トルコに行っている。お互い、虚弱体質の2人が、切りつめた日程で、トルコ歩きをして、大丈夫だろうかと思うのだが、今回も、無事、ディヤルバクルを制覇して帰ってきた。ハサンケイフまで行ってきたのには、びっくりしたが、やはり虚弱体質は避けられず、あすこのカレに上がってこなかったそうである。勿体ないと思うのは、黄紺1人ではないと思うのだが、でも、あの2人なら納得できる。なんせ、エユップのジャーミーから、ピエール・ロティまでが、大変な距離と感じる、訳分からんないお2人だもので、、、、。この間、アイシェ・ハヌムとは会う機会があったので、そちらの方の感想は聞けたのだが、T森の反応も、ぜひ聞きたかったもので、来れないというのは、大変残念なことである。ところで、もう1人の参加者、重要人物ジュン松氏のことが、後になってしまった。ジュン松氏が、今回、1番長くトルコに滞在されている。詳しくは聞いてないのだが、確か、11月後半に、日本を発たれ、思い出の地ドイツで、しばらく逗留された後、トルコに入られたはずである。先日、お会いした折り伺ったのだが、黄紺が、イズミール滞在中に、同じイズミールに、長期逗留されていたということだ。お孫さんたちと、楽しい日々を送られたと伺っている。黄紺が悩まされたイスタンブールの大雪、その後にイスタンブールに入ったと言われていたから、珍しいイズミールの雪を堪能されたことだろう。
 トルコ語教室には、様々な思いで、参加されていた人たちがいた。そのなかで、いろんな思惑が交差して、集まれる人は、ごく僅かになってしまった。多くは、一時のトルコ熱が冷めて、止めていったし、所詮語学なのだから、そういう勉強に向かないと判断した人もいただろう。そのようななか、金曜日に集まるはずだった4人は、その規模は別にして、トルコに係わり、トルコを発信している4人である。その集まりは、黄紺にとっては、無償で、無上の喜びとするところである。だから、金曜日が、楽しみの1つになっているのである。ルザさんは、帰ってるのだろうか? 帰っていたら、最新のお話も聞けるのだが、、、、。また、この会の報告は、ここに書くことにして、今日は、とりあえずは、寝ないと、、、、。




2002年 3月 3日(日)午後 2時42分

 3月に入り、年度末本番である。相変わらずお疲れ気味の黄紺は、土曜日に始まったJリーグに行くべく、計画を練っていた。土曜日の午後には、現在黄紺はリタイア中のトルコ語講座から、最近参加者が少ないのでお助けコールが来ていたが、時間的には、少し詰めれば行けないことはなかったのだが、どうも頭を使うこと自体、身体が拒否しそうだったので、お断りして、Jリーグの試合を見に行くことを考えていたのだ。西野監督初お目見えのガンバの試合を見に行って、その後、まだ元気が残っていたら、「コナック」で、当の授業が行われてる日なので、その後の食事会に合流しようと、金曜日までは考えていた。だが、土曜日の朝刊を見て、唖然。なんと、開幕は、鹿島と磐田がらみの試合だけが組まれ、それ以外は、日曜日ということが判明。疑り深い黄紺は、職場に着くとすぐに、インター・ネットで確かめたが、変わるわけではない。黄紺としては、ここまで、時間の流れの中で、「コナック」へ流れ込もうかと考えていたのだが、途端に計画が狂ってしまった。ましてや、金曜日の夜から、どうも疲労がピークに達しかけており、一度、家に帰ると、出る勇気がなくなるのではと思い、その旨、アイシェ・ハヌムに、メールを打っておいた。
 で、1度、家へ帰ってくる。帰路の電車も。きっちり乗り過ごすほどのお疲れ。家で、フェネルバフチェのリゼ戦を、「FUTBOL HABERLERI」にアップするだけで、一杯一杯。横になれば、寝てしまいそう。だから、昼間から、酒呑んだら、とってもいい気持ちなんだろなと思うほどの、最悪コンディション。でも、「コナック」行きた〜〜い病、トルコ料理食べた〜〜い病の方が、勝っちゃいました。這ってでも行くなんていう言い方があるが、正に、その状態。のべつ取り止めもなく喋るトルコ話、これが、結局、黄紺のストレス回復策ナンバー・ワンなのだと、改めて確認できました。「コナック」に行くと、今日は参加者が少なかったとかで、おなじみトルコ人K氏と、アイシェ・ハヌムに、Tさんの3人だけだったため、歓迎されちゃいました。でも、我々両脇のテーブルに座ってられた方々、いずれも、日本トルコ文化協会の関係者の人たち。なんか、ちょっぴり変な感じ。ひとしきり、K氏と会うとするサッカー談義をすると、1度K氏に会ったら聞こうと思っていた、「Sov」とか「Sovmen」という言葉の使い方、教えてもらいました。Mehmet Ali Eribilは、代表的な「Sovmen」だということで、彼の話や、そうそうBeyazの名前も、Cem Yilmazの名前も出てくるネタ。なかなかおもしろい話しだった。一方、Hande Yenerの曲が出てきたついでに、なぜかDeniz Sekiの名前も登場。「Sovmen」の話しでは、最近、トルコのTV業界で活躍する名前にもついてきていたK氏だが、ポップス・ネタは、「トルコ人じゃねぇ」攻撃を受けていました。すると、その反撃は、「モーニング娘」や「SMAP」の名前全部言え、なんて言いながら逆襲をしておりました。でも、黄紺は、「SMAP」全部言えたもんねぇ〜。
 そのK氏が、結婚式をあげます。京都か大阪でと、イスタンブールで。GSクラブでするそうです。黄紺は入れてもらえねえよと突っ込まれてましたが、行きます。場所は、レヴェントだそうです。あちゃ〜〜です。だいたい、夏にトルコ行くときって、半パンにズックの靴だもの。レヴェントで、K氏の関係者と言えば、それはそれは、とんでもないです。夏だから、上着は許してもらっても、まともなズボン1本、ま、これは、余計に長ズボン持っていくとして、問題は靴、どうしよう? また、黄紺にとっては、中途半端な日程。東の方へ行って、一旦、イスタンブールに戻って来なきゃならない。そして、また、東にとんぼ返り。でも、K氏の一生に1度の晴れ姿。やっぱ、その計画で臨むことにしよう。Tさんも、その日に合わせて、トルコ入りすると言ってました。きっと、トルコ語でのスピーチが回ってくるぞと、行けないと思ってるアイシェ・ハヌムは、やっかみ半分のつっこみを入れてくれてました。う〜〜ん、それは、、、、。でも、行くもんね。これで、夏のトルコ行きに、すごい付加価値がついてしまった、ぞ。楽しみにしとこっと。




2002年 3月 1日(金)午前 5時 1分

 今、AyさんのところのBBSを眺めてきたところだ。そしたら、テオマンやベンデニズとともに、ナザン・オンジェルが話題になっていた。なんか、そんな話題になると、弾かれたように書き込んでしまった。かなり不謹慎なことを。でも、○○寺あたりって、多いよなぁ。黄紺は、落語好きなものだから、地域寄席の本場の○○寺って、よく行くんですよね。そしたら、必ずと言っていいほど、立ってらっしゃる。ちょっと怪しげな日本語を駆使して。でも、そこを通らなければ、梅田方向へ行けないものだから、通らざるを得ない。なんてことを書いていたら、自ずと、そのトルコ・ヴァージョンに思いが馳せてしまう。トルコには、公娼制度がある。あっ、そか、これって、「なんでもトルコ」のネタになりますね。そんなことは、今、横に置いといて書き続けると、あるのである。昔、最初のトルコ語の先生だったNピー は、イスタンブールとディヤルバクルの2カ所にあるといっていた。黄紺は、ディヤルバクルの方は、どこかは知らないけど、イスタンブールは、偶然の産物として、どこにあるかを知っている。そして、中に紛れ込んだことがある。念のために言っておくが、1番中には、入っていない。さて、それは、、、、。
 恐らく、このことは、日本語のサイトでは、話題にされたことはないことに、足を踏み入れようとしている。でも、これも、トルコだと思うので、書いてみよう。イスタンブールのガラタ塔は、皆さん、ご存知だろう。そこから、少し坂を、カラキョイ方向に下ると、左側に入るソカックが、やけに賑わっている。そこの坂を下っていくと、ガラタ塔方向から言えば、右側に、その入り口はある。前に、ポリスが立っており、キムリック(身分証明書)のチェックをしている。それを掲示すれば、中に入れる。その入り口には、18歳未満お断りの看板があるので、キムリックの検査は、年齢調査とみた。黄紺が、1番中は知らないと書いたのは、ここから中へは入ってないからである。帰国後、この話をすると、Nピー先生は、「なんだ、男の人だったら入れるでしょうのに。冷やかしてくれば、良かったのに」という言葉をもらった記憶がある。
 こういった公娼とは別に、トルコには、ナターシャさんの問題がある。正に、上に書いた、○○寺界隈が、日本のナターシャさんの本場と言うことができるのであろうが、トルコの場合は、「ナターシャ」というネーミングから分かるとおり、旧ソ連系の女性が、仕事をなさってるのである。となれば、お分かりと思うが、彼女たちの活動場所は、自ずと黒海沿岸のグルジア、アルメニアに近いところとなる。トラブゾンやリゼには、ルス・パザールがあることから分かるように、あのあたりは、旧ソ連系の人が、とにかく多い。もちろん、その人たちが、全て、そのような仕事をしているとは言えないが、多いことは事実だ。トラブゾンの安ホテルに泊まると、商売中なのかどうかは知らないけど、出くわす。黄紺は、1度、トラブゾンで、廊下を下着姿で闊歩する女性にびっくりしたことがある。なんか、この話し書いたら、まだまだ、続きそう。絶対、「なんでもトルコ」に書かなくっちゃ、ってところで、ここは、この辺にしておこう。ちょっと、中途半端。続きは、他のところで、ということで、ぼちぼち寝よう、か!




2002年 2月27日(水)午前 3時59分

 なんか、こちらに書き込むのが、ちょっと遠ざかったなと思うと、1週間近く経っている。こちらを覗くたびに、時間の経つのは早いと思えるのだが、いざ、職場に行くと、年度末の仕事に追われ、辟易状態で、早く経ってほしいと思うかと思えば、ある時は時間がなくって、時間よ止まってくれと思うのである。その間隙をぬって、週末は、トルコ漬けの日を送ることができた。
 金曜日に、アイシェ・ハヌムお帰りモードで、いや狙いは、その手にあるデニズ・セキのカセットで、コナックへ行った。黄紺は、ダビングをしたものをもらおうかと思っていたら、この前、トルコへ行ったとき、イブラヒム・サドゥリのカセットの新盤が出たところだったので、彼にぞっこんのアイシェ・ハヌムを思い出し、そのカセットを買ってきて渡したところ、思いがけないお返しとして、本体そのものをいただいた。但し、自分用は、ちゃっかりダビングした後。でも、予想外のことが起こると嬉しいもので、小躍り気分である。一緒にもらったと言っても、こちらは、ダビングしたものだが、ギョクタンの新盤を回してもらった。が、その中で、1番流行ってますよという注釈でいただいた「Sen」という曲、なんと、黄紺が期待を込めて買ったトゥアルの「Pencere」と同じ曲。これには驚いた。いずれ、Ayさんのところに書くつもりのネタだ。これって、どういう背景があるのだろう。黄紺は、聞き慣れたということを差し引いても、泣きの入り具合など、明らかにトゥアルが上だ。にもかかわらず、アイシェ・ハヌムの言に拠ると、ギョクタンが、めっちゃ流行りということだ。どうも、よく分かんないトルコ・ポップス事情だ。ところで、肝心のデニズ・セキだが、自分的には、余りにも、前のが良すぎた。トラブゾンで正月を迎えたとき、これはええでぇのノリで買ったのが、デニズ・セキ。そして、その夏行ったら、めっちゃめっちゃブレイク。大感激の思い出のあるデニズ・セキ。あの年の夏は、すっごかった。デニズ・セキにハンデ・イエネル、ナランと、たまらん大ヒットの夏だった。そんなこんなで、1人盛り上がり気味のトルコ・ポップスなんだけど、その日の、コナックの黄紺スペシャル・メニューは、ラハナ・サルマスお肉ヴァージョン。これは、コナック定番メニュー外のものとしては、最高のお味でした。今まで、いろいろメニュー外注文を出して迷惑きわまりない黄紺だが、これは、最高の一品。第2位が、バーミヤンか? 今度行くときは、ラハナ・サルマスのピリンチ・ヴァージョンか、ウスパナックルのピデ。後者は、できますよのお返事を、既に頂いてるのだ、ぞ。あい変わらず、迷惑かけ放題。
 翌土曜日は、日本トルコ文化協会の「トプカプさろん」。この日のテーマは、「最近のトルコ政治情勢」。これは、頭の中に入れとかなきゃ。だって、黄紺も、枚方の講座で、このネタで、少しは話すつもりなので、どのようなまとめ方をされるか、自分的注目の的。そうすると、このネタに引かれたのかジュン松氏も“羊々舎”のご主人も来られているではないか。おまけにミーハー的にわかトルコ・ファンは来てない。最高の会。かのお二人も二次会に残られたので、喜んで黄紺も参加。酒量も重なりました。ジュン松氏も、1ヶ月以上のトルコ滞在、黄紺も同時期にトルコ滞在、アイシェ・ハヌムが帰国早々とくれば、集まらない手はないと考えてます。いつでもいいから、こういうときのコーディネーター役のアイシェ殿、いつでもいいから、早くセッティング、してよ。黄紺は、「トプカプさろん」で、イズミールの話し、ジュン松氏からたっぷり伺ってんだから、一番聞きたいのは、おたくのはず、ですよ。




2002年 2月21日(木)午前 4時37分

 この頃、サービス残業もいいところだ。何かしのこしてるという強迫観念のようなものがあることはあるが、実際、そうなのかなとも思ってみるが、実際、たくさん残ってるのである。だから、うつろになってるわけではない。ま、後1ヶ月あまりすれば、そういったことから解放されるのだから、それだけを夢見て、日々を過ごすことにしている。
 ところで、黄紺は、5月から、大阪の枚方の某所で、「トルコにとりこ」という題を付けて、計5回の講座を持つことになっている。トルコについて何らのことを喋らせてもらえるということで、快くお引き受けした。但し、その第5回目は、打ち上げをかねて、「コナック」を借り切って、講座参加者のみならず、この講座を支えてくださる方とともに、トルコ料理についての講座を持とうと考えている。先日も、「コナック」へ行ったとき、その旨、Nくんとも話していたのだが、40名なら楽々OK、50名でも大丈夫ですよとのことだったので、かなり乗り気になっている。で、講座の残りの4回である。さて、何をするかで、頭を悩ましている。今日も今日とて、その講座のチラシを作るので、(今、alem-fmで“Her gece”が流れ出した。めっちゃ、なつかしい)メモ書いてくれという文書が来ていた。このくそ忙しいところへ、こんな文書回してくるなと思いつつ、それが気になって、肝心の仕事に、気はそぞろの黄紺なのでありまする。2/4は、B級ネタ に当てたいなぁ。B級ネタって? 決まってるじゃーないっすか。サッカ−とトルコ・ポップス、それに、TV−CM。サッカーの話しをするときは、当然、フェネルバフチェの応援歌をかけ、フェネルバフチェのユニフォームを着て、するつもりなのよ〜〜! 場合によったら、講義的講座は4回あるので、4回とも、衣装変えようかしらん? じゃ−、4回は、どこのチーム? エルズルム・スポルなんて、いいなぁ。色合い、いいもんなぁ。後の2/4は、歴史とか現在の政治状況なんてことになるのかな、なんて考えている。北キプロスのことも触れたいなぁ。でも、まずもって、トルコのこと、全くと言っていいほど知らない人がくるわけだから、どんなことをとっかかりにすれば、いいのだろ? 一定の了解事項のないところで話すって、結構難しそう。ネタは、「なんでもトルコ」に書いてることがふんだんにあるので困らないが、そのなかから、何をチョイスするかだろう。写真なんかも、たくさん使いたいな。クルド人からの伝言も、ここで披露したいな、なんてなんて考えてるんです。なんか、トルコに係わって、こんな機会があれば、話さねばならないと思っている黄紺なのであります。いつからか義務感のようなものが芽生えたのです。でも、そう言いながら、とっても楽しんでる自分があるのです。お近くの方、聞きに来ていただいても結構ですよ。メールいただければ、案内チラシ送らせていただきまーす。




2002年 2月20日(水)午前 5時24分

 これから1時間ほど寝てから、仕事に行く、そのほんの僅かな時間、眠るための酒を呑みながらの時間、なんか、黄紺にとって、この頃、この時間を持てるかで、1日の気分が違ってるような気がする。今も、alem-fmをかけながら、仕事のことを忘れ、ときにはトルコに思いを馳せ、ときには息子のことを考え、ときには、、、と、何やら思いを巡らす時間なのである。そう言えば、アイシェ・ハヌムが、デニズ・セキやら、新しいカセットを手に入れてきてるはずだ。あれを、早くゲットしなくっちゃ、黄紺が、こないだ買ってきたカセット・コレクションも、まだ、全部渡す前に、トルコ行っちゃったんで、これと交換に、新しいのを借りよう。でも、こないだ電話では、エゲなんて、ちょっとお古い新カセットも言っておった。エゲのクリップならゲットしたいんだけど、ま、いいか、借りれるものなら、なんでも借りてみよう。そう、エゲのクリップが、いいんだよねぇ。CG大流行のなかでも、これは優れもの請け合います。それを知ってか知らでか、買ってきたそうなんで、その辺の心も聞いてみたい気もしてます。
 ところで、うちの息子が、京都を離れるかどうか、今、迷ってるわけではないのですが、その分かれ道にいます。本人は、東京方面に行くことを考えてるようです。家を離れて、東京なんかへ行くチャンスは、今しかないと考えてるようです。それは、確かに当たってます。いろいろと家の事情を考えると。だから、黄紺は、そうさせてやりたいんだけど、後々、今、もう1つ合格している大学を捨てることを後悔しないか、それを懸念しています。ちょっと進学情報を知る者からすると、明らかにもう1つの大学の方を奨めます。それを捨ててまで、東京へ行きたいと言っている。なんか、30年前の黄紺と重なります。黄紺は、6年間、学生生活を東京で送った経験を持ちます。黄紺の行った大学がどこであれ、黄紺は、若かりし頃に、東京体験を持ったことを、また、そうさしてくれた親や弟に感謝しています。弟は、自分も東京へ来たくって、実際に受験し、しかも合格し、黄紺が東京にいるので、自分は、それを断念したものですから。そして、文化の一局集中の東京で、随分と知的欲求を満たしてもらったと思っています。それがあるので、息子が、そうしたいと言われると、めっちゃ弱いのです。ヨメさんや、その他の人たちを丸め込んでも、行かしてやりたいと思ってしまうのです。息子も、それが分かってるので、この話は、黄紺、全面頼りです。でも、息子がいなくなると、寂しいなぁ。週に1度、肩ももんでもらえないしなぁ。なんか、股裂きの気分です。「父さん、ケンカ遊び、しよか」と、保育園から帰ってきたのを迎えると言っていたやつが、いつもいるのが当たり前だったやつがいなくなるのは、とってもとっても寂しいのです。でも、今まで、2年間の猶予を与えてもらった、、、、。それに、焦りを感じてたのも事実です。だから、ここは、しゃーないのか? でもな、、、。あーあ、やな季節だ。




2002年 2月17日(日)午前 3時15分

 またまた、alem-fmを聴きながら、書いている。でも、今日は、特別。カドゥキョイでのガラタサライ戦である。アナウンサー氏も言ってたけど、この試合に負ければ、フェネルバフチェの今季は終わったと言っていい。だから、大変な試合だ、フェネルにとっては。さっき、ミリエット紙を読んでいたら、朝から、シュクル・サラチオール・スタジアム周辺500m以内は、立入禁止ということだ。そしたら、あの近所の人たちは、いったいどうしてんだろ、なんて考えてしまった。今、後半に入って、10分あまりしたところであるが、前半に、レヴィヴォのコーナーキックから、ラパイッチが決めて、フェネルバフチェが1点先制している。アナウンサー氏の背後から聞こえてくる声援が、いつもとは違い、一段と高いようだ。そうそう、アイシェ・ハヌムとT森が、今、イスタンブールに滞在しているのだ。やつらは、タキシム派だから、カドゥキョイのこの歓声は聞いてないだろうな? でも、カドゥキョイにいなくとも分かるトルコきってのダービー・マッチ。さぞや、その熱気の風にでも当たっているだろう。海の潮風とともに。今、ガラタサライのエムレ・アシュクに、2枚目のイエロー・カードが出て、ガラタサライが10人になった。これでは、負けられないぞ。
 今日は、この試合の生中継を聴くために、晩ご飯のとき、酒をしっかり呑んで、早い内に寝て、夜中に起きようと計画したら、見事成功で聴けている。これが、東京から帰ってきて3日ほどだったらできなかっただろう。なんか、リズムが狂うと、しんどいときは、きつい。もう、2月も半ばを過ぎ、年度末の待ったなしに入ってしまっているので、正直、きつい。去年は、3月の声を聞いたあたりから、ノンストップになったが、今年は、もうトップ・ギアに入っている。今日も、予定をしていた仕事ができず、早い話が、職場へ行けば、こちらの想定していない仕事が、次から次へと入ってくる。結局、半ドンにもかかわらず、3時半頃まで、サービス残業をしてしまった。要するに、週明けまで残すと、他のことができないから、自分を、よりしんどくしないためにだけ、仕事をしたきただけだ。だからなんです、なんか、楽しみを、自分的な楽しみを設定しておかないと持たないのだ。でも、それも、あと1ヶ月半で、おしまい。指折り数えている。今、ガラタサライのバティスタ、ハサン・シャシュの2人に、レッド・カードが出た。これで、ガラタサライは、8人になった。前代未聞だ。11人対8人の試合となってしまった。「Olayla mac」と言ってるぞ、アナウンサー氏。そりゃそうだろ。TVじゃないから、どんな反則がなされたか、目で確認できないが、、、と、ここまで書いたら、また、ガラタサライに退場者が出た。今度は、ビュレント・コルクマズだ。ガラタサライ、4人目の退場だ。今は、もう、ガラタサライの選手は、ピッチには7人しか残っていない。「Inanilmaz bir mac」と、今度は、アナウンサー氏は言っている。ガラタサライのサポーター席は、「gergin」と言っている。そりゃそうだろ、言うまでもないだろう。それでも、スコアは、1:0。今、オクタイが、2回続けて、モンドラゴンと1対1になったが、抑えられてしまった、2回とも。「Cok gergin bir mac」とも言ってる。当たり前じゃ、こんな試合。こんなけ荒い試合やられた日にゃ。もう、88分まで来たので、試合最後まで、これを書いていよう。今日の試合、ラパイッチを、久し振りに使ったのがヒットしたようじゃないかな。前に、アンデションとセルハト、その後にレヴィヴォとラパイッチを控えさせる、これをやってくれたのだ、ロラント監督。黄紺が念力を送っても、決してデニズリ監督が、今季、選ぼうとしなかった組み合わせ。これが、功を奏してる雰囲気、ありありだ。でも、まだ、1点。相手は、7人。おい、なんとかせー! ちょっと、黄紺も、荒れている。実は、今日、試合が始まる前に、シマオが出られないというニュースが流れ、びっくりしていたのが、嘘のような感じがある。まさか、こんな試合になるなんて、、、誰も、考えはしないよな。今、試合は、終わった。後味、悪いよ、こりゃ、あんましだ。




2002年 2月15日(金)午前 5時50分

 この間、こちらを随分と無沙汰をしていた。1つは、3連休を使って、東京へ行っていたこと、そして、今に始まったわけではないが、仕事が、ここにきて、また一段ときつくなったためである。ただ、黄紺の常として、仕事がきつくなっても、全然体力的に大丈夫ってときと、やはり臨界点を越えてしまうときがあるのである。実は、東京へ行く前は、その臨界点ってやつが、東京で来るだろう、だから、東京で眠りこけるだろうと思っていた。が、それが、思惑が外れてしまった。それが過ぎて、帰ってきてから、いざ、仕事再開ってところで来てしまった。自分の身体って、持ち主の気持ちに沿ってくれないのである。だから、この3日間ほど、連続5〜6時間眠りこけても、まだ、身体がいうことを効いてくれなかった。こんなときは、ほんとに辛い。HPの更新も、ままならないからである。
 ところで、東京であるが、これは、東京へ受験に行った息子の陣中見舞いだった。一緒に、美味しいものを食べるためにだけ、東京へ、2泊3日で行ってきた。だから、ちょっとしたものを一緒に食べた。記憶に残すために書いておこう。1日目は、銀座で焼き肉。なぜか、いいもの食べよって言うと、うちの息子は、焼き肉をあげる。銀座へ来てるんだから、他のものないかって、つっこんだら、他のものでいいよって言うから、昔、東京に住んでた頃の思い出のレストランなんかを言うと、それはダメだと言う。じゃー、探そうかって言って、歩きながら見つけたスペイン料理屋も、ダメと言う。めっちゃ、我が儘。そうこうする内に、結局、焼き肉屋の前に立っていたのでした。2日目は、2人とも、池袋にいたので、池袋で待ち合わせをして、待ってる間に見つけた、マレーシア料理の店に入った。これは、前日の焼き肉に付き合ったので、素直に付いてきた。黄紺は、マレーシア大好き人間になってるので、大歓迎。珍しく、息子と一致した、食の好み。息子も、おいしがっていたぞ。でも、ここは、マレー料理じゃなくって、マレーシアの華人料理屋って感じかな。ちょっとは、インド料理も入れてるし、マレーシアらしきなんでもあり屋さんにはなっていたけど、基本は、なんて言うんでしたっけ? 華人と結婚したマレー人の料理。その雰囲気でした。そして、3日目、息子を待ってる間、映画「カンダハル」を、新宿で見ていた関係で、新宿アルタ前という、あまりにもベタな場所で待ち合わせ。これまた思い出のうなぎ屋とかトルコ料理店は、あっさり、前行ったで、却下。結局、寿司屋で、腹一杯。そう言えば、前も、東京で、一緒に寿司食ったなと、ちょっと思い出に浸りながら食べてました。その息子が、昨日、浪人2年目にして初めて、合格通知をもらいました。電話の向こうで、息子の嬉しそうな声が高鳴っていました。これで、一安心です。ヨメさんも、久し振りに神妙でした。さ、今度は、東京で、合格が出るか? 東京で住むなら、下宿先は、この辺に、父さんが決めてると言ったら、こないだ新宿で怒っておりました。でも、それで、けんかができたら、いいね。本当に!







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