2002年 3月14日(木)午前 4時45分
今日は、珍しく「FUTBOL HABERLERI」をパスして、「SON DAKIKA」とこちらに手を染めている。黄紺がHPを立ち上げてから、ほぼ1年になろうとしているが、これは初体験である。サッカー記事は書こうと思えば、「ローマ vs ガラタサライ」一色で、それ以外にないのである。別に、それが気に入らないわけではないが、「トルコにとりこ」に、それは書くつもりだったので、それを除くとないのである。大スポ的レベルのおもろいネタがないのである。これは、ホント珍しい。ま、そんなわけで、珍しい日と相成ったわけである。その珍しい日も、疲労困憊の1日だった。この頃、ここに書けば書いたで、必ず1度、この言葉が出てくる。自分では、そういう感じではなくとも、家へ帰ってきて、PCに向かい、酒などを、ほんの少し口に含むと、もう爆睡一歩手前なのである。
先程からずっと、alem-fmを聴いていて、トルコ音楽を聴きすぎたので、今、ギリシャ・ポップスを聴いている。黄紺は、実は、ギリシャ・ポップスも大好き人間である。独特のサウンドもさりながら、ドラマチックに、さびを効かす曲作りが、気に入っている。そもそも、ギリシャ・ポップスの聴き始めは、ギリシャのセゼンと勝手に言っているハレク・アレウーシスを聴いたのが始まりである。そんな大家だと知らずCDを買い求めたのが始まりである。良くギリシャからトルコへ、またその逆でもいいが、往き来をすると、雰囲気が変わらないと言われる。黄紺は、その体験は、キプロスでしかしていないが、田舎は確かにそうだ。でも都市は違う。音楽を聴いていると、その都市の違いを感じることができるのだ。よく、トルコが、東西の文明の十字路と言われるが、音楽に関して言えば、トルコのハルクな音楽は、十分東に入るし、ポップスこそ、十字路に相応しいのだが、ギリシャ・ポップスは、異質だ。典型的なサウンドは、これは、東っぽいのだ。あくまでも「ぽい」というのが、みそだ。その「ぽい」ところに、魅せられている。黄紺は、古代ギリシャ遺跡を見るためには、敢えてギリシャに行きたいとは、そんなには思わない。関心はあるが、トルコで、それらしきものは、十分見てきたから、それで満足している。でも、ギリシャ文字の踊るところで、こてこてのギリシャ音楽を聴くためには、ギリシャに行ってみたいと考えている。考えてみれば、エディルネやテキルダーから、ちょこっと足を延ばせば、もうすぐギリシャなのだから、1度、ギリシャ田舎旅行兼ギリシャ音楽体感旅行をしてみたい。コス島で買ってきたCDを聴きながら、いつも、こんなことを考えてる黄紺なのであります。
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