忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2007年 9月 2日(日)午前 11時 43分

 この1週間を、先週の日曜日から振り返っておこう。この前の日曜日は、午後、出勤の日、振替の効かない日曜出勤って、そんなのありかなぁ? でも、現実は、そうなんです。そこで、夜遊びを、日曜日の夜にしました。前日、入れなかった心斎橋シネマートの韓国映画を観に行ったのだ。映画は、「レストレス〜中天〜」だ。中天とは、死者が、死後49日間、留まる場所という設定で、そこで出会う男女の物語を描いている。CGを駆使した迫力ある映像はいいのだが、中天というものを設定したならば、その設定を明確にし、それが分からなくなる、設定は、どうだったんだろうということを考えさせちゃ、あかんね。人間界との違いとか、そこんところが明確になってないと、ストーリー展開も分からなくなってくる。なんで、こうなるのと突っ込みたくなるところが、この映画にはあるということだ。ただ、この映画は、絵コンテなんかをしっかり描き、監督の描いたものを、スタッフが頑張って描こうとしたという、そういった美術面での成功というのが、黄紺が、最も気に入ったところだ。
 27日(月)は、太融寺本坊で行われた「こごろうの会〜その12〜」に行った。太融寺は、落語会のホ−ムグランドだったが、改装されてから、その機会は、極端に減っ ているので、久しぶりだ。今回、初めて知ったのだが、太融寺は改装されてから、パーテーションを使って、広さを調節できるのだ。今回は、一番狭くしての公演、次回は、その倍にするので、友人を連れてきての呼びかけを、こごろうさんはなさっていた。で、番組だが、雀太「道具屋」、こごろう「牛ほめ」、米平「はてなの茶碗」、(中入り)、こごろう「口入屋」だったが、当然のごとく、お目当ては、ネタ下ろしの「口入屋」だ。そんなトリの噺を聴く前の2つは、実は、あまり覚えてないのです。「牛ほめ」では、1つずらすくすぐりを入れ、笑いを誘い、成功だったようだが、これも、記憶にございません。「はてなの茶碗」もダメだったしと、どうも、寝不足がたたっています。ですから、感想は、2つだけ。雀太のこのネタ、前にも思ったこと、オリジナルなくすぐりを入れるときは、かげんというものを知らないと、マイナス効果となるぁ。店出しに現れたときの、周囲の店の描写は、とてもいいアイデアだと思うのですが、どうして、あんなにまで金魚すくいをにこだわるのか? やっぱ、かげんです。メーンは、そのあとなんだからと思ってしまいます。ヒッチハイク話を思いだしてしまいます。よね吉に、あんなに言われてるのに、、、。それに反し、「口入屋」のアイデア、そして、かげん、タイミング、ホント、こごろうのセンスは、抜群だ。まず、口入屋で待つ女たちの描写、ありそうありそうと、とっても納得、そこへ、丁稚さんが入ってくるという趣向は、他の噺家さんにも取り入れて欲しいと思うくらいのアイデアです。そして、スマッシュ・ヒットが、採用されたおなごしさんが、自分の得意技を言うところで、常連さん、大爆笑のくすぐりを入れてくれました。ネタ下ろしのため、若干、スムーズさに欠ける部分もあったが、これから練り上げられていくと、いい売りとなるんじゃないかな。
 翌28日(火)と29日(水)は、谷町6丁目の薬業年金会館で開かれた講談の会と落語の会に行った。28日は、「旭堂南海の何回続く会?」であった。毎回、お一人で、1時間半、読んでいくという大変な会である。この日は、「特別読切企画第2弾・上杉VS武田 川中島大合戦」と題して行われたが、2日続けてダウンしてしまうという低汰落。講談だけは、途中からでは、皆目分かりかねます。29日は、2ヶ月に1度開かれている「笑いのタニマチvol.73〜笑福亭仁智の新作落語道場〜」だ。仁智が、新作のネタ下ろしをしていく会だ。新作だから、出来不出来はあるが、その辺が、新作ならではのおもしろさだ。この日の番組は、風喬「その後の大安売り」、仁智「健康居酒屋DHA(仮題)」、遊方「わすれうた」、仁智「ハードラック」で、2つ目が、仁智の新作らしい。まず、風喬の手がけた作品は、三金の作で、三金は、2度ばかり演じて棄ててしまったものを、受け継いでいるということだ。大安売りが親方になって、ダイエットに取り組むが、結果的には太るばかりという、元ネタの負けばかりから、太ってばかりに変わってるという、なかなかおもしろい趣向。捨てないで、残して欲しいです。遊方のネタは、メロディの一部だけは覚えていて、題名を思い出せない男が、CD屋の店員の協力を得て、あっちいったりこっちいったりで、落ちで思い出すというもの。最後は、この辺だろうという見えてしまう部分があるので、どこまで、その中で呆けられるかのアイデア勝負のネタ、今度の白鳥との二人会で、グレードアップをするとか、楽しみにします。で、仁智のネタは、2つとも、仁智ならではのポップな味の濃い、優れもの。「健康居酒屋DHA(仮題)」は、健康をコンセプトに、メニューを組んでいる居酒屋に入り込んだ酔っぱらいが、こけたおす噺。更に、それだけに終わらず、裏メニューまで用意されている。「ハードラック」の方は、とにかくついてない男が、身をはかなんで自殺しようとするが、それが、全て、ありえないことが起こり救われてしまう。なので、今度は前向きに起用とすると、、、場面は、一転、電気椅子に座っている。生きようとして、酒を飲みに入って、人を殺してしまったとの説明が入る。そして、死刑執行直前の主人公と執行人のオムニバス風対話となっていく。仁智のネタで、よくあるパターンだ。これが、バカバカしくて、傑作だ。ちょっとブラックな設定だが、パターンが2つにされることにより、おもしろさが、3倍にも4倍にもなった感じ。これは、ホント、満足度の高い落語会だった。
 30日(木)は、大阪国際交流センターであった「メヴレヴィー教団のセマーの儀式 大阪公演」に行った。K氏から、ご連絡をいただき、実際に観ることができる格好の機会だと考えたからだ。黄紺は、トルコでだったと思うが、大晦日の日に、ユーロヴィジョンで、「行く年来る年」的な番組を観たときに、トルコからは、アヤ・ソフィアでセマーをするという映像を観たことがあったが、実物は初めてだった。トルコ大使館からの挨拶、文化省制作のトルコのプロモーション映画、そして、アンカラ大学の先生による公演、そして、セマーと続いた。楽団も、一緒に来演。1/4音まで出す未経験の声に感動です。セマーゼンは、結構、太ッちょと人もいたり、年配の人がいたりと、随分とイメージが変わりました。始まりから終わりまで、1時間くらいだったでしょうか、タイム・スリップしたような時間を過ごすことができました。終わってからは、久しぶりにお会いしたKさんご夫婦と、上六で呑む機会を持ちました。そんなに呑んでなかったつもりだが、天満橋から淀屋橋に戻り特急に乗ったのだが、目が覚めたら、出町柳、、、単に乗り過ごしただけなんだけど、何を思ったのか、ここを淀屋橋と思ったものだから、辻褄が合わなくて、大慌て。ましてや乗ってるのが、特急車両の準急だから、大混乱。酔っぱらいは、あきません。
 31日(金)は、ルミエールホール・3階和室であった「るみえーる亭〜上方らくごの会〜」に行った。59回を数えるこの会は、北河内に続く貴重な地域寄席だ。お世話は、小春団治で、毎回出演している。その番組は、智之介「元犬」、生喬「応挙の幽霊」、小春團治「アルカトラズ病院」、春駒「宿屋仇」だった。「応挙の幽霊」は、ごっつい生喬が演じる幽霊が、やけに色っぽい。これにつきます。そんなに大きな展開がありそで、なさそなネタに、決めを付けてくれました。「アルカトラズ病院」は、ようやく出会えたネタだけど、ちょっと物足りないかな。翌日ともども、小春団治の、自分的には乗れないネタだと言えます。ちょっとすかされた、そんな気分を一転させたのが、「宿屋仇」。これは、良かった。伊八の変化、侍の苛立ちの変化、これが、これだけ微妙に変化させた口演って、ほぼ記憶がない。この2人の変化があるだけで、旅の3人のはしゃぎぶりも、おかしさが増していく。ベテランの味が、しっかりと、こんなところに出ていました。大詰めの恐がり、逆転、ここに、もう少し鋭敏さがあれば、完璧感を持ったことでしょう。
 1日(土)は、勤務日。3時に職場を出て、彦八まつりに行った。どうも、この時期、仕事の関係で、なかなか行けず、生国魂神社は久しぶりだった。こないだの養蓮寺寄席で当たった招待券を、この日の夜の部の会で使おうという考えもあり、少し早めに行ってみた。土曜日の午後だからでしょうか、想像していたよりは、人では少なかったかな? ま、暑かったから、噺家さんも、大変、客も大変、そんなで、あの人出は、優れものと言わないとあかんね。舞台では、丁度、遊方さんが、富くじの司会をしてはりました。暑いので、飲み物を呑みたいけど、あとの落語会を考えて控えて、仁智さんのお店で、たこ焼きだけを買いました。お店は、随分と整理された印象を持ってしまいました。前は、もっと雑然としていたような、、、。暑いこともあって参集殿前で待っていると、こけ枝さんが案内係で、ギャグを飛ばしながら夜の部を告げられてました。入口の真ん前、トイレの隣が、福笑さんの店。道具屋みたいで、気の毒。ここまで客が回ってこない、いや、回ってきても、他の店も、同じようなものを売っているので、売れ行きは大丈夫なんだろうかと思ってしまいました。たまさんも、店の中で、ちょっと退屈そうでした。参集殿前に集まる人も少なく、「奉納落語会〜初日・夜の部〜」の入りは、ちょっと少な目かな。その番組は、呂竹「煮売屋」、仁勇「動物園」、枝女太「持参金」、(中入り)、小春團治「祇園舞妓自動車教習所」、智之介(マジック)、都丸「なずみ」だったが、これは、実行委員長の都丸が、入門30周年ということで、同期のピックアップ・メンバーで会を持ったということだ。というのに、「動物園」はいただけませんでした。主役の1人がという、自分の役割を考えて欲しいものです。「持参金」というネタ、最近、このネタに出会うと、わりかし満足なのである。3人の登場人物で、その噺の中での役割っていうのは、筋道に沿って語ればはっきりしているから、細かなことを言わないで、話に乗ればいいので、演じやすいのかな、そんなで、枝女太の口演は、おつりがくるほど分かりやすく、落語らしいありえなさを笑い飛ばすに、十分もので、満足です。中入りには、酔っぱらったざこばが乱入、ホントに久しぶりに、動物いじめの、「ねこ」と「きりん」をやってくれました。こんなのが、いいね、彦八まつり。小春団治のこのネタは、↑に書いたとおりです。舞妓から連想できることを、もっと増やすか、展開の意外性を持て来ないと、乗れません。そして、トリの都丸は、何をしてくれるかと思っていたら、丁度、あんたのこのネタ聴きたかったんやと声を上げたくなるネタを出してくれました。都丸は、仙台ヴァージョンだと思っていましたら、備前ものでした。あれ? そうだったっけ? じっくり聴かせ、最後に、すとんと落とす、いいです、いいです。もうちょっと、子どもに、幼気なさがあるといいんでしょうが、ま、それは、次回の楽しみと致しましょう。
 落語会がはねたのが、7時20分。南湖さんからビールを買って、外のステージに行くと、ヒロポンズ・ハイが終わったところ、あれ〜と思っていると、アンコールに登場、1曲だけですが聴くことができました。このあと、ライヴが続くということだったので、慌てて、食い物調達へ、小染さんの店で、チジミを買いました。ステージでは、文福一座が登場、一座には、三馬枝、千田やすし、弟子のまめだ、ぽんぽ娘が入っています。完全に余芸ではなく、本芸を見せていただきました。最後は、お決まりの河内音頭で、それが終わると、枝三郎が司会で登場し、三枝会長、都丸実行委員長の挨拶になりました。そのあとが、お目当て、雀三郎 with まんぷくブラザースの登場です。来賓の紹介に、ちょっと困り顔の雀三郎、第1曲目は、「焼き肉食べ放題」から。途中に入った、「我が青春の上方落語」は、ぐっと来ちゃいました。隣のおじさんも、ちょっと大きく息を吸い込んで、聴き入ったはりました。9時までに、音を出すイヴェントは終わらないとあかんそうですが、雀三郎組が終わったのが、8時45分、終わったと同時に、阿波踊りの鉦が鳴り出しました。あと、どうなったのでしょうか? 黄紺は、その阿波踊りの人たちとすれ違いながら、帰途につきました。




2007年 8月 26日(日)午前 9時 25分

 昨日は、遊ぶぞの感覚で、3部制を試みた。結果的には、3部制をこなしたことになるが、その第1部で、大きく躓いたのだった。というのも、昨日から、心斎橋シネマートで、「韓流シネマ・フェスティヴァル」を謳い、一挙に、3週間ほどかけて、韓国映画を20数本上映するという企画がスタートしたのだ。最近、韓国映画フリーク化している黄紺は、夜の部に先がけて、まずは、1本韓国映画を観ようと行ったところ、30分前にして、立ち見しかなしと言われてしまったのです。それも、ほぼ同時刻に、2本の映画が上映されるのに、その両方もが、そうだと言われたとき、これぞ、恐るべし韓国映画と、ただ、たじろくだけであった。仕方がないので、映画館の中で、始まるまでに食べようと思っていたパンを、アメリカ村のベンチに座り、その後の身の処し方を、しばし考えました。全く想定外だったものですから、食べながら必死になって、ない知恵を絞りました。自分の動き易さとかも考えながら、結論は、ひらめきで決まりました。国立国際美術館に行こうが結論なのです。
 アメリカ村からだと、四つ橋駅から肥後橋は、あっという間、更に、その後、回るつもりだった南森町は、新福島から、JRで簡単、なんともいいことを思いついたものだった。同美術館では、「ロシア皇帝の至宝展」が開かれており、かなり、歴史の流れに沿って展示がされているという情報を掴んでいたため、できれば行きたいなの気持ちを持っていたのだった。それにしても、うまく思い出したものだった。そして、情報どおりの配列。ま、早くても、モスクワ大公国ができたのは、1480年だから、かなり精巧なものが展示されているというのは、承知の上だから、そのつもりで行った。すると、最も古いものは、「タタールのくびき」が生まれる直前、ルーシーは、賢明にも自らの宝物を地中に埋め、その埋めたものが、傷つくことなく、今から20年弱前、発見されたというのだが、それが展示されていた。そこから始まって、次は、その「タタールのくびき」が解かれ、モスクワ大公国成立、いよいよロシアの歩みが始まる、イワン4世、ボリス・ゴドノフと続き、ミハイル・ロマノフになると肖像画が出てくる。ピョートル大帝になると、西欧との交流を示す遺物が出てくる、そして、どこやらで見慣れたエカテリーナ2世の肖像画に出会うと、来て良かったと思わせられるのだ。これらと並行して、黄紺お目当てのイコンも、当然展示されている。教会関係では、府主教(と書いてました)と呼ばれる高位の聖職者の法服、装飾品、地位を示す笏や杖、聖書飾り、うーん、たまりません。そして、19世紀の著名な皇帝の遺物が並び、最後にニコライ2世となると、目玉のクレムリン・エッグが、1つ、堂々の展示です。夏の博物館は、この土曜日でも楽勝です。主要な客である年配の教養人は、暑さに弱いらしく、こないだのペルシアの展示と言い、このロシアの展示といい、入りが良くなく、観る者には、ホント、楽勝なのです。思わぬ大正解でした。もちろん、思わぬというのは、予定してなかったことと読んでくださいね。帰りしなに、新たな美術展の情報をゲットしました。去年の夏、バーゼルで観て、わりかし気に入ってしまったシャガールの展覧会が、この秋、奈良であるそうです。でも、秋じゃ、混むでしょうね。
 しばし、いつものように、南森町のネットカフェで時間潰しをして、第2部に。繁昌亭の午後5時から始まる「天神寄席」に行った。実は、これは、このあとの第3部が、更に遅く始まるので、ちょっと時間調整の意味でチョイスしたもの。同じような考えの落語通の方が数名、場内をうろうろされていました。番組を書いておこう。佐ん吉「いらち俥」、花丸「阿弥陀池」、千橘「真景累ヶ淵〜宗悦殺し〜」、(中入り)、対談(天神橋筋商店連合会 土居年樹理事長×花丸)、仁智「源太と兄貴」ということで、仁智のネタだけが、予め公表されていた。「いらち俥」は、雀三郎伝来のもの、仕上がりを耳にし、まだ出会ってなかったもの。ちょっと一本調子かな? ま、これから、自分の間とかを練り上げていくのでしょう。花丸のネタは、ちょっと肩すかし。出演者が少ないんだから、もうちょっと重いネタを出しても、いいのじゃないでしょうか? 1回目の呆け倒しは、ちょっと薄目に、「匕首」の呆けはなし、「なかなかぬかりがない」も呆けずで、デフォルメ得意の花丸にしては、薄味のコンセプトで、これも不満でした。千橘は、出されてみれば納得なんだけど、軽いネタに業を煮やしたって印象を持ってしまいました。最後の仁智はネタ出しだったからね。千橘、久しぶりだけど、この人、枯れて、いい味出てきてます。怪談噺にしては、凄味の欲しいところで、それは薄味だけど、静かに、丁寧に語る姿勢に、好感を持っちゃいました。定席で、このネタが聴けるなんて、ホント、めっけもの。そして、次の対談が、良かったですね。ゲストがいい。商店街を愛し、繁昌亭も、その一員として愛しって、そんな心持ちが伝わる方です。こういった地元の方々の心根に繁昌亭が支えられていることも分かり、ヒット企画です。そして、お待たせ、定番の爆笑ネタで、仁智の登場。短いネタということで、いつものように野球ネタで、温和しめの客席も、爆笑に次ぐ爆笑でした。
 5時に始まり7時に終わった「天神寄席」。第3部の繁昌亭レイトショーは、午後9時始まり。2時間ある。息子が、この9時からの繁昌亭に来る予定で、その待ち合わせ時間まで、1時間半。この時間の有効活用は、天神橋筋に見つけていた韓国料理店で、夕食を摂ること。ここは、外に、メニューの一部が出ていたので、ここなら大丈夫とふんで入ってみた。表に出ていた、プデチゲとカムジャタンは、さすが、1人前では言いにくい設定。そんなのがあるくらいだから、煮込み料理はばっちり。黄紺が注文したのは、スンドゥプチゲ。出汁の味がしたり、小皿なしの、ご飯は別途注文と、ちょっと違和感もありましたが、これは、これでおいしい味。日本酒の熱燗なども、注文しちゃいました。そして、息子が来るまで、再び、ネットカフェで時間潰しをしていると、携帯が鳴り続けました。約束の時間より15分も早く着いた息子と、時間待ちに、繁昌亭前の居酒屋で、ちょっとだけひっかけました。
 そして、第3部は、「できちゃったらくご」、レイトショーは、入りは少な目だけど、土曜の夜ならば、この時間になっても欠かすことはできません。上方落語で、最もアヴァンギャルドな会ですもの。この日は、たまと南湖は、MCということで、前説とお茶子さんをしていましたが、揃いのTシャツと短パン姿で、ぼさぼさと現れてするお茶子さんは、ちょっと異様でおもしろい。題名は発表されてないので、仮題として付けて、出演順に整理すると、遊方「牛乳」、三風「ある夏の日の出来事」、三金「デブーズブータキャンプ」、あやめ「黒と白」。遊方は、私落語。母親とのエピソードをマクラで言ってたものを、落語化したものとか。ただ、サゲが読める、ちょっと複雑化した方が、、、。三風は、これも私落語かと思わせる、地方へ行った噺家の悲惨な体験談。まだ、制作途中というところか。三風の新作、ここ3作連続不作中。三金以後が、この日の秀逸。三金は、アヴァンギャルドさでは、一番。流行の「ビリーズブートキャンプ」を逆手にとって、太らせていこうという趣向。三金は、「ビリーズブートキャンプ」の音楽が鳴り出すと、立ち上がって、自らが手本を示します。さすが、ダンス得意の三金らしい。これは、育てていって欲しい。特に、今が旬だから、どんどんかけていって磨き上げて欲しいです。あやめは、いろいろと差し障りが出るかもしれない際物落語。犬の肉を使ってる串カツ屋、三角公園の野犬は、実は、その肉を供給する放牧場、そこにたむろするホームレスは、牧童という設定。この発想に、ひっくり返る。そして、その牧童上がりの成功者が、その店を応援するという。この際どいところが、いや、もう一線を越えてしまってるのが、この会の持つアングラ性。茶臼山だと、蜂の巣をつついたような雰囲気間違いなしの逸品だ。最後に、アンケートを集めて、次回の「育っちゃった」のチケットが当たる抽選があって、お開き。今回は、抽選漏れでした。
 終わったのが、11時5分前。さすが、息子と、寄り道をせず、最終特急に乗って帰路に着きました。ま、アクシデントもありましたが、遊びまくった土曜日、その反動です、今日は、午後から出勤なのであります。




2007年 8月 25日(土)午前 9時 50分

 今日も、この1週間を振り返ってみようと思う。今週は、週明けの月曜日から水曜日までは、夜遊び自重の日になるはずだった。でも、実際に、まっすぐに家に帰り、そのまま大人しくしていたのは、火曜日だけ。その火曜日も、歯医者と左足の痛みのための医者通い。いや、その通院というのがあるために、家にまっすぐ帰らざるをえなかったというのが、結果から書くと、そうなってしまうのだ。そもそも、夜遊び自重ということは、ぜひにもと行こうという落語会がなかっただけで、なかったから、その間にできることをしようということになったのだ。月曜日は、息子が、東京まで就職関係の試験を受けに行って帰ってきたので、その様子を肴に、2人で、酒を呑みに行ったのだ。京都では、ちょっと知られた学生さんが行く飲み屋さんだ。黄紺も、昔、行き、また、息子も、友人たちと通っているというところ。水曜日は、フィンランドの名匠と形容されるアキ・カウリスマキ監督の最新作「街のあかり」を、京都みなみ会館に観に行った。大阪で上映されたときから気になっていたのだが、行く機会を得ず、今回、この空いた時間を活用した次第だ。一言で、不思議な映画だ。遊びの部分、飾りの部分、そういったものが、全部と言っていいほど、削ぎ落としてある。観ながら、ふと、カンヌでグランプリを獲った「フランドル」という映画を思いだしていた。両者とも、なかなか科白に、感情を押し殺したような場面の連続なものだから、なかなか慣れにくい映画だが、最後の場面の科白、アクションだけが違う。それも、とっても平易な科白でありアクションなのだが、それに、万感の思いが込められる。この「街のあかり」は、テーマは、ずばり「孤独」だ。それが、分かりやすい、でも、科白回し、カット割り、動き、どれをとっても、上に書いたようなものなのだ。でも、最後の場面を観ると、何やしら胸の中に熱いものが上がってくるのだ。うーん、気になります。みなみ会館では、「街のあかり」公開を記念して、カウリスマキ監督の作品を、もう少ししたら上映してくれるそうだ。時間的な問題があるので、全てを見切れるというわけではないだろうが、ちょっと追っかけてみたい気分だ。
 23日(木)に、落語会復帰だ。この日は、先週、少年王者館の芝居を観に行った精華小劇場で行われた「雀さんフェスタin精華〜落語・東と西〜」だ。この会は、去年から、雀三郎が始めた会だが、去年は、8月の上旬だったために、トルコにいたため行けなかった。従って、今年が初めて。少年王者館のときよりは、かなり客席を大きく取ったレイアウト。場所がいい関係か、客足が、とっても早い。2日連続で開かれるこの会の1日目は、東京から春風亭昇太を迎えての二人会。その番組は、対談(雀三郎・昇太)、雀太「煮売屋」、雀三郎「親子酒」、昇太「ストレスの海」、(中入り)、昇太「ちりとてちん」、雀三郎「G&G」だった。「親子酒」は、うどん屋に、ぼけと突っ込みを教えるくだりは、ホント笑っちゃう。「G&G」は、自分的には久しぶり。こんな噺だったんだと、そんな頼りないことで聴いていた。平成の音曲噺ということだが、この噺は、こういったネタが並ぶときのトリには格好のネタ。替え歌で、会場が波打っていました。明るく笑ってのお開き。いいね、この雰囲気。一方、昇太は、新作が傑作。無茶苦茶な奥さんがいたものです。よく、考えつくなと思います。その辺が才走ってるのでしょう。昇太は、高座で、その日の出演者の特徴を掴まえたり、地元ネタを入れたりするが、その分析が、いや、もっと前の掴みが、ホント、うまい。雀三郎と志ん朝の汗の拭き方、自由軒というカレー屋さん、もう、おもしろく、おかしくて。「ちりとてちん」は、東京では「酢豆腐」だが、大阪風題名を出した。やはり、古典をすると、奔放さは、かなり消える。致し方はないのかもしれないけれど、聴いていて、ちょっと不安感を覚えたのは、新作のときのような歯切れの良さがなかったためでしょう。終わって、表に出ると、難波のど真ん中。この劇場は、全くの異空間だと、再認識してました。
 24日(金)は、待望の落語会。いろいろといい落語会があったが、黄紺は、迷わずこの会をチョイス。中崎町駅近くのECCアーティストカレッジ梅田校・7階芸能ホールであった「中川兄弟 落語かれっじVol.1」だ。中川兄弟とは、林家染左と、その実兄中川桂(芸能史研究者)氏のこと、この2人が組んで、1つのネタを、しっかりと掘り下げてみようという試み。この日は、「遊山船」が取り上げられた。まず、最初の20秒ほどに出てくる浪速橋の上の風景を、しっかりと解説してもらえた。浪速橋から見える風景なんて、言われてみるまで考えていませんでした。橋の上の賑わいばっか考えて、そこから見える遠景、うーん、これ、とっても嬉しかったです。そして、橋の上に出てくる物売り、「枇杷葉湯売り」って、話題にされるまで、頭の片隅にも残ってなくて、こういった情報をもらえて、大満足でした。ただ、お兄さんの解説が中心のもので、弟の染左の演者の立場からのコメントがなかったのが、とっても惜しい。解説に時間がかかりすぎたことを、お二人は、気にされていましたが、この会は、それがメーンなんだから、この演出法についても加えて、たっぷりとやって欲しいな。最後の客席からの質問も、かなり質の高いものであり、これからも、第1回の質を維持しつつ、継続していって欲しい会だ。なお、この日は、まず、染左が前説で出て、あいさつをしたあと、前座として、瓶成が出て「つる」。染左に「いらち俥」を封印されたとかで、「つる」になったとか。そのあとに、中川兄弟の解説、そして、最後に、染左の「遊山船」が出された。
 今日は、土曜日、夏ばてのなか、ゆっくり寝れる日のはずなのだが、下半身に感覚障害のある黄紺は、苦しい夜をおくった。ときどき、こういう日があるんだけど、よりによって、ゆっくり睡眠のとれるはずの日に当たるとは、全くついていません。で、明日は出勤なので、今日は、たっぷり遊びたい日。ちょっと夏ばての体との相談もあるけどね。




2007年 8月 19日(日)午後 10時 57分

 今日の日曜日、暑い午後から、お出掛け。まず、遅ればせながら、弟の家に、トルコ・マレーシア土産を持って行き、その足で、大阪に向かった。目的地は、大阪歴史博物館。「ペルシア文明展」をやってるからで、前から行きたいとは思っていたが、時間がなく、ようやく日曜日の午後にとれた。とれたのはいいが、日曜日の午後、ごった返すのではと心配しながら、ひょっとしたら、この暑さが、外出を控えさせるのではとの期待も持って出た。すると、それが大当たり。日曜日で、この入りでは、平日は大丈夫だろかと思う入り。でも、暑いんでしょ、皆さん。展示物は、前3000年紀からササン朝まで。でも、小物ばっか。これが、入りの悪さの原因かとも、入ってからは思いました。展示物の多い博物館ならば、確実に流されてしまいそうな小物ばっか。その辺を、主宰者はわきまえたのか、各展示物に、一通りの説明書きが施してある。ま、読むとおもしろいので読んでしまうので、人の流れは淀む。でも、淀んでも、多少のものなら大丈夫っていう感じの入りなのだ。その中で、目玉は、アケメネス朝の金細工。彫金という技術は、素晴らしいと思わせる逸品ぞろい。これは、素材が金だということだけではない。平面のでこぼこに、ものをくっつけ、途中から2次元が3次元に変身する作品には、その自由さに圧倒されました。次にいいのが、土器。彩文土器の変型が、これ程豊かだったとは知りませんでした。動物文様に、動物の形の土器、へぇぇぇぇ〜だ。でも、これら、逸品も、残念ながら小物なのだ。元々、そんなに大きな博物館ではないので、ほぼ1時間の鑑賞。急いで、南森町に移動。次の部まで、いつものネットカフェで、HP更新材料の制作をしておりました。
 夜の部は、繁昌亭。夜席に、「染二プラスONE〜最終回・林家お家芸!〜」という名の、林家染二独演会があったのだ。番組は、市楼「ふぐ鍋」、染左「浮かれの屑より」、染二「雨の古沼」、花丸「電話の散在」、染二「稽古屋」。「ふぐ鍋」は、原型は、こんなだったろうなと思わせてもらいました。「紙屑屋」は、昨日のリベンジ。わりかしこっくりいってなかったようで、ツボの所を外してました。動きが激しくなっていくところは、やっぱ、繁昌亭の舞台で観ないとね、ただ、文枝師の動きの大きさが、ふっと頭をかすめてしまいました。まだまだ、研鑽中の染左です。だけど、まだ、11年目でこれとは、恐れ入ります。怪談噺は、「生きている小平次」の翻案物だと、染二自身の独白。創作系の怪談噺は、話を振るとか、遊びが入っているとか、そういったものがなくて好きじゃない。ま、時間の制約ということを考えちゃうんだろうけれど、この染二翻案物も、その傾向。舞台を大黒にしたり、照明を駆使しようとしたり、その気は解るんだけど、だったら、もちょっと使おうよ。そんなで、不完全燃焼。花丸が、この夜の一番。2代目染丸の十八番だったとか。花丸の描く遊び人の旦さんが、いいねぇ。変幻自在、花丸の手にかかると、噺から登場人物まで、手の平で転がすだけで人が変わっていきます。いい噺家さんです。「稽古屋」は、前半の色事根問を省略。「四芸」の所だけ言って「稽古屋」に移っていきました。稽古屋さんのお師匠さんに色気を期待しても、染二の場合は致し方ないけど、一二三さんの可笑しさは、そら、染二ならではのあくの強さで、ばっちりでした。5時半から始まった会は、終わると、まだ、8時前でした。




2007年 8月 19日(日)午前 11時 58分

 トルコから帰ってきてから、ほぼ1週間経った。帰ってきてからすぐに、夜遊びには復帰している。それらを、こちらに、書き残しておこうと思う。
 8月13日(月)、この日の早朝に、マレーシア経由でトルコから帰ってきた。その夜には、もう繁昌亭に行っていた。「お盆特別興行・小米朝の“地獄”〜」と題した会があったからである。小米朝が2席出す特別興行だが、まず、番組を記すと、三四郎「二人癖」、瓶成「いらち俥」、小米朝「青菜」、川上じゅん「腹話術」、宗助「くっしゃみ講釈」、(中入り)、小米朝「地獄八景亡者戯」。小米朝以外は、定番の自信のネタが並んだ。宗助は、この日が、繁昌亭初登場のはず。次の日の特別興行では、すずめが、同じく繁昌亭初登場だった。自分的には、川上じゅんは初物。キャンパスが喋るというネタは、とっても新鮮。人形よりかインパクトが大きいので、こちらをもっと時間をかければいいのにと思ってしまいました。で、肝心の「地獄」。丁度1時間のネタと言って始めて、正にその通り。1時間となると、たっぷり感十分なんだけど、一芸披露はカットだった。まあ、やってもやらなくても、ストーリー展開には関係ないけど、最近は、入れるのが定番化してるだけに、ちょっと肩すかし。この日は、昼席でもトリを取り、この夜席では2席目となり、閻魔が出てくるあたりになって、声が枯れてしまってました、若旦那。途中、ヒヤッとしたかと思うと、すんなりと流れたり、腰をどっかりと構えてというわけには、残念ながらいかなかったかな、、、。
 14日(火)から、仕事を再開。お盆真っ只中だから、職場は閑散としている。黄紺は、トルコに行っていた間、後れを取っている仕事を、静かな職場で頑張っておりました。そして、定刻になると、丁度いいお出掛け時刻。この日は、北区民センターであった天満講談席へ行った。番組は、南青「大塩平八郎」、南湖「大蛇美人」、左南陵「正則と秀家(豊臣家の人々)」、南北「寛政力士伝:雷電の初相撲」だったが、最初の2人の講談で瞼が落ちてきて、どうもしっかりと覚えていない。時差になれてない影響と思われる。その目をしっかりと開けさせてくれたのが、左南陵。ぐいぐいと引き込む力感溢れる語りに、呆然とするほどのめり込んでしまいました。しかも内容が、関ヶ原のあと八丈島に流された武将と偶然再会するものですから、更に引っ張る。いや〜、いい講談を聴かせてもらいました。南北さんは、定番のネタ。好々爺然たる南北さんが、69代の横綱全部言ってくれました。何か、爺さんから昔話を聞かされてる孫の気分です。南左衛門の滑稽味たっぷりの語りとは、また違うもので、南北テイストで聴かせていただきました。
 15日(水)は、雀のおやどでの「雀三郎つるっぱし亭」へ行った。あの講談の続き読み以来となる。お盆の真っ只中とは言え、常連さん大集合の感、小佐田センセまで来ていた。これは、あとで分かったことだが、この日のネタに、小佐田作品が入ってたので、小佐田センセ自ら覗きに来たということだった。その番組は、雀太「ちしゃ医者」、対談「雀三郎&小佐田定雄」、雀三郎「幽霊の辻」、雀喜「がまの油」、雀三郎「胴乱の幸助」だったが、最後のネタは「お楽しみ」と記されており、今回は、マクラをふるまで分からないという仕掛けになっていた。対談は、小佐田センセが覗きに来たので、15分前に決まったとか。「幽霊の辻」は、枝雀に献呈された初作品だということだった。そういう因縁があったのですね、この対談にも、また、小佐田センセがやって来たのも。小佐田センセにとっては、擬古典ものから幅広い新作を書くきっかけになった作品とか、、、なるほど、ますます、意味のある作品だったことになる。そんなことを知っての番組作りだ。だから、このあと、雀三郎は、登場の際、「ひるまま」を使っていました。なんか、ほろっと来ちゃいました。自分的には初物でしたが、短いが逆転の発想があり、おもしろい作品です。サゲのあとが気になっちゃいました。「胴乱の幸助」は、今年2度目、もち雀三郎で。そして、今回の方が格段と、聴いていて聴き心地が良かった。黄紺の体調の問題かもしれません。前に吹田で聴いたときは、最初の喧嘩の部分がまどろこしくて困った記憶があります。
 16日(木)は、河原町通りの四条と五条の間の喫茶店で、息子の相手をして、その後、養蓮寺寄席へ。仁智のお世話する会だ。番組を記すと、智之介「米揚げいかき」、三象「真心サービスおじんタクシー」、三喬「借家怪談」、仁智「寝床」だったが、仁智は、この日も古典を出した。智之介は、聴く度に手堅さが増している。そろそろ大きな噺も聴いてみたくなってきました。三象は、この日も傑作マクラ。そのマクラから、最もスムーズに入れるネタが、このネタ。おじんネタは、似合います。三喬を、この日は、真横かげんから観てましたが、なんかえらく不気味な体型。それが災いしたか、聴いてる者のノリを悪くさせました。そう思って聴いてると、いつも喜ばせてもらってるくすぐりに、歯が浮く感じがしてきました。「寝床」というネタ自体に、びっくりでした。全く正攻法。何でも来いの万全たる風格です。
 17日(金)は、難波の精華小学校跡に作られた精華劇場で、少年王者館の芝居「シフォン」を観た。17、8年前だったでしょうか、この名古屋の劇団を新宿のタイニイ・アリスという狭い劇場で観た記憶は鮮烈に覚えている。レトロな舞台装置のみならず、動き、科白と、その雰囲気に合っている。最後は、とんでもない数のビー玉が流れてきた。その記憶は強烈だ。その後、大阪公演もしてることは知っていたが、日程が合わず、ようやくこの日、観ることができた。舞台装置に、役者の動き、科白回し、これ、これ、これって感じ。天野天街も健在だった。いや、彼がいてこその劇団だからいないと困る。でも、ストーリーは図りかねた。初めが終わりにつながり、終わりが初めにとなれば、インドの世界観を思わせられるが、それが、一体どうしたのでしょう? 分からないまま、終わってしまいました。
 18日(土)は、昼と夜の2部制となった。午後は、大槻能楽堂で、「大槻同門会能」に行った。京都観世会館にも、行ってみたい能の会があったが、夜のことを考えると、大槻に行かざるを得なかった。番組は、能「梅枝」「女郎花」狂言「口真似」素謡「葵上」舞囃子「邯鄲」だった。あれだけ出なかった「梅枝」が、この2年で3回。いずれも観たが、富士太鼓の出方とバランスが悪すぎると、つくづく思う。夢幻能と現在能の違いだけじゃないかと思うのですが。この日は、「女郎花」を見直しました。と言っても、これは稀曲ではないけど、なかなか当たらなくて、17年ぶり。だからでしょう、気が付いたと言えばいいでしょう。前場のキリまで、女郎花の言われについては、一言も出てこない。それまで、石清水八幡宮の参詣話であって、その帰りの道すがら、女郎花についてふいと話が出る。この出方がいい。そこで、あっという間に、シテは幕入り、怪訝に思うから、所の者に聞く。そりゃそうです、唐突なんだから。そして、後場になり、哀れな最期を遂げる2人の幽霊が現れ、悲恋を物語る。なんか、観てて、悲しいのだ、哀れなのだ。かなり気に入ったぞ、この曲。それに、素謡が良かったなぁ。大体、素謡が出ると、半寝で聴いてるんだけど、とても心地好く、この日一番の謡でした。
 夜の部は、難波に回ってワッハの7階へ行ってまいりました。「林家亭8月席〜染左開発計画〜」に行ってきた。番組は、石松「鉄砲勇助」、染左「青空散髪」、染雀「宗論」、染左「浮かれの屑より」、(中入り)、染左「皿屋敷」だったが、「青空散髪」に惹かれ、ゲストの魅力もあって、この会をチョイスした次第だ。期待の「青空散髪」は、場所を大阪城公園に移したり、ネットも楽しめるというギャグが入ったりと、アレンジの妙が冴える。今後、改変を試みて練り上げていって欲しいものです。「浮かれの屑より」で、なぜか瞼が重たくなりました。前半が、もっちゃりしたからかなぁと思っていますが、前夜の寝不足が効いたのかもしれません。「皿屋敷」も、染左のチョイスがおもしろいと思って、期待の作品でした。3代目から教わったと言ってましたが、染左テイストが出てましたよ。前座の頃の端正な噺から、徐々に、様々な噺を手がけることによって、確実に変化を遂げています。そうなんです、ちょっとヤンキーな男たちが、皿屋敷を訪ねるまでとか、肝心のお菊さん、この人に合うやろかと、ついつい思ってしまってたのですが、なんでもやっちゃいます。お菊さんも、いい味出てました。
 ようやく、振り返ることができました。今日は、日曜日、また、異なった2部制を考えています。明日から、本格的に仕事再開ですから、たっぷり、今日中に遊んでおきまする。




2007年 7月 27日(木)午前 5時 50分

 いよいよ、今日からトルコである。仕事は、昨日で切り上げ、トルコ帰りの仕事も、目鼻を付けて出てきた。ここまでの仕事疲れと、ここ数日の寝不足を、そんなものを、全て癒してもらうかのように、出かけようとしています。実は、まだ、行程に関して迷っています。これは、毎度のことで、最後の最後まで迷います。行きしなの飛行機の中で、最終決断をするのが、定番になっている。今回も、いろんな案を検討して、迷って、飛行機の中まで持ち込むのである。それも、楽しいものだが、同時に、迷う要素があるのだ。それがなければ、考えることもないのだが、そこがそれ、トルコでしたいこと、行っておきたいところが、いろいろとあるものだから調整が大変というところです。また、トルコのネット・カフェから、うちのBBSに、日々の旅日記めいたものを書くことになると思いますので、読んだやってくださいまし。
 そんな直前の日にも拘わらず、昨夜も繁昌亭へ行ってきた。トルコ前に相応しい嬉しい会だった。おまけに、お土産までいただいてしまったのだ。「できちゃったまつり!」があったのだ。普段の会+鹿芝居+人生ゲームという豪華な企画、さすが、天神祭の時期に、この「まつり」をぶつけてきただけの豪華版だった。まず、番組は、たま「新旧ショート落語」、三金「もぎとり ユニバーサルバージョン」、三風「船渡御今昔“生”中継」、、遊方「素顔のままで」、あやめ「アタック!ナンバ一番」、コント「手水廻し」、(中入り)、噺家人生ゲーム(優勝は南湖)というものだった。落語は、ちょっと短めの、そして、あとは趣向で楽しもうというのが、この日のコンセプト。なんか、このお遊びが、茶臼山の雰囲気を醸し出していたのが、何より、嬉しかった。初めて、落語を聴くという人が半数以上を占める客席にも拘わらず、ノリが再現されたようにも思えた、もちろん、完全ではないが、ここまで、ちょっと余所行きだった雰囲気が、ちょっと変わったというのが、印象なのだ。三風の「実況中継」落語は、天神祭や大阪の街について、よく押さえてると思うと同時に、その煽りとして、くすぐりの入れ込み方に、ちょっと不満を感じてしまいましたが、貴重な噺ですから、ちょっとした商品として育てて欲しいなと思いました。三金のパロディ落語、前後を脚色して、1本のネタに持って行く構えが欲しかったな。着想は、おもしろいのだから、ぜひ、今後育てて欲しいネタかと思いました。この日の、秀逸作品は、「素顔のままで」だったろう。顔の表情で、噺を前に進めるパワーは、なかなかのもので、とても受けが良かったと思います。そういった手法、そのアイデアに、プロだなぁと感心しておりました。コントは、準備も、わりかしされていたようで、スムーズに進む。客(三風)、旦さん(あやめ)、喜助(遊方)、女中(三金)という役回りだ。手水を飲む場面では、ムースの入った水の中に、遊方が、そして、あやめが、顔と突っ込まれていました。人生ゲームは、双六。時間が気になったのですが、最後は、南湖が、ぴたりと国宝になりました。黄紺は、南湖の優勝を予想しており、おかげで、次回の「できちゃった」のチケットをいただきました。
 とまあ、昨夜のことを振り返ったところで、トルコに出かけます。




2007年 7月 26日(木)午前 1時 13分

 ちょっと間が空いた、こちらへ来るのが。ようやく、3週間連続の勤務が終わり、遊び中心の日々へと戻ってきている。1日、ぐっすり寝ると、思いのほか、疲れが消えていったことが、とても助かった。もちろん、お出かけに。ちゅうことで、16日〜18日は、替わりに3連休。十分とお出かけができました。
 16日(月)は、さすが朝方は、体を休めることに集中。おかげで、昼からは、十分に楽しむことができました。昼は、まず、雀のおやどで、「講談 文月毎日亭」におじゃま。それが終わってから、鶴橋のネットカフェで、時間調整をして、難波経由で、シネマート心斎橋へ。ここは韓流のメッカ的映画館になってきている。この日も、「私たちに残された時間」を観た。死刑囚と、その男を慰問する女との淡い恋を描いたものだ。死刑囚の殺した女の母親の赦し、慰問する主人公の女性の秘められた過去に拘わる母親への赦し、そして、恋をすることにより、ホントの意味の悔改めをしていく死刑囚、、、とても、キリスト教臭いのだ。だから、泣ききれない黄紺、会場は、涙、涙だったんだけど。一つには、どう工夫をしようが、結末は判っている、そういった気持ちが、泣ききれなかった要因の一つだろう。そう思っていて、翌日の映画を観て、愕然とするのだ。
 翌17日(火)は、朝・昼・夜の3部制。朝一番で、梅田まで出かけ、ナビオTOHOプレックスに行き、スペイン映画「ボルベール(帰郷)」を観たのだ。女だけの映画であると同時に、これも、救いを求める女の物語だ。だけど、キリスト教大国スペインの映画を観て、同じ赦しをテーマにしたかのように看える映画なのに、こちらは、地縁という、土の香りのする極めて土俗的な人間関係から来る赦しが描かれていると看て取ってしまった。この違いの驚きといい、スペインの風土濃い映像、音楽に魅せられてしまいました。
 梅田の地下街を急いでいると、知らなかった場所に、お気に入りの店「豚晴」を見つけて、迷わず入ってしまいました。これはついてるの感覚で繁昌亭に行って、不愉快、不愉快、サイテーなことを味わいました。自分の席が、人に盗られたのです。これ、席泥棒です。2回目です。ですから、とっても気分の悪い思いで、この日の、普通の昼席を迎えました。番組を書くと、桂ひろば「動物園」、三扇「つる」、伯枝「ん廻し」、桂三金(バルーンショー)、枝三郎「宿屋町」、福郎「閻魔の悩み」、中入り、南左衛門「雷電の初相撲」、かい枝「ハル子とカズ子」、田渕岩夫「声帯模写」、春之輔「もう半分」だった。三扇は、子どもと母親とのやりとり。「つる」の謂れを教えるのが、甚兵衛さんという組み合わせ。甚兵衛さんは、ちょっと苦しい。枝三郎は、大津からの団体客が多いということでのチョイス。福郎の新作は、もう3発くらい。新作って、自分がわくわくするよな感性がないと、駄作になっちゃいますね。作家さんに、そのわくわく感あったんだろうかと思ってしまいました。南左衛門は、安定感抜群、かい枝に、この位置を与える英断に拍手です。そうなんです、思い切った番組作りを望んでいます。この日のみっけもの、それは、トリのネタ。夏にふさわしいけど、上燗屋のやりようって、後味、悪いっすね。
 ちょっとの間、いつもの南森町のネットカフェで時間つぶしをしたあと、いつもとは逆方向への歩みを取りました。枚方市民会館であった芝居を観に行ったのです。劇団は懐かしや、離風霊船の「ゴジラ」。枚方市民会館という大舞台で、扇町での舞台が再現できるかとの楽しみがあったのですが、ばっちりでした。小劇場の打ち立てた金字塔を、道具類を大きくし、当時のテイストを残しつつ、2007年に見合うようにリニューアルされており、とても楽しい舞台に出来上がっていました。ただ、ゴジラの姿を影で映すことが多くなってました。それだけ、舞台が広くなったということでしょう。これは、いい夜でしたよ。
 翌18日(水)は、昼と夜の2部制。但し、京都と大阪を移動というスケジュール。ただ、昼の部まで、時間があり、散発に行ったり、足の治療に行ったりと、時間の有効活用ができました。で、昼の部は、京都シネマで、パレスチナ映画「パラダイス・ナウ」を観た。とても、真摯に、自爆テロに向かう2人の幼なじみを追いかける。そして、自爆テロの背景を考えさせ、しかしながら、テロを思いとどまる男、いや、決行する男、この2人を対させつつ、問題提起をして終わるというもの。この映画に、問題提起という終わらせ方が、かえって重みを増させている気がした。どちらかだけにすると、逆に薄っぺらくなったかもしれません。しかも、根っこには、2人の篤い友情も歌われている。そして、嬉しかったのは、テロを指示する組織が、組織の論理で動かないというスタンスを持続したことにより、2人のテロリストの問題が、よりクリアになったかと思う。いい映画だ、これも。
 夜は、鶴橋に移動して、3連休2度目の雀のおやど。続きもののおもしろさ、堪能だ。
 翌18日(木)と19日(金)も、雀のおやどで、講談続き読み。「浪花侠客伝」が横道にそれて行ってます。本筋の方が、おもしろいです。「赤穂義士伝」も、その傾向。聴く者も急がず騒がず、じっくり聴けばいいんだけど、時間がないと、ついついあせってしまいます。そして、この日が最後でしょう。あとは、他の予定が、びっしりです。
 20日は、「島之内寄席」に行ってまいりました。ワッハの5階大ホールです。この会に、目玉があったのです。夏らしく、「怪談特集」。ま、そんなのを手がかりに「島之内寄席」です。三幸「四人癖」、吉弥「遊山船」、団六「辛子医者」、春駒「持参金」、(中入り)、団四郎「納涼怪談噺 累草子親不知の湯」が番組だが、わりかし珍しいものが並んだという感じ。「二人癖」は出ても、「四人癖」が出にくい最近の傾向。医者物は出ても、「辛子医者」は出ない。そして、五郎兵衛系の怪談噺という具合だ。三幸は、最初、聴きにくい話し方と、ま、噺家さんとして、普通のしゃべり方をされてもなという意味でだが、だけど、慣れてくると慣れるのです。また、すこしずつ噺家さんらしくもなってきたので、こちらも歩み寄れるようになってきた。吉弥は、この難しい噺(黄紺はそう思ってる)のベストかもしれない。橋に上にいる2人の対話で、いかにして橋の上の賑わいを出すかは至難と思ってるのだが、周りの音を消すかのような春若流の手法、それに対し、吉弥は、思いっきりアホをやらせて、周りを巻き込むという手法を採ってくれた。これは、すごいやり方で、この噺のベストに押させてもらいます。「持参金」は、良くできた落語ちっくな噺やなぁと思わせてもらいました。春駒の好演があったからでしょう。そして、トリの怪談噺。このネタは、2度目かな、ひょっとしたら、3回目かもというもの。以前聴いた印象では、短いし、ちょっと無理して仕上げた感じがして、あまりいい印象を持ってなかったが、こうやってする以上、何か工夫があってしかるべしと思っていったのだった。そして、団四郎がするというのが、いいからね。で、やっぱ、短かったし、筋立てに無理はないのかもしれないけど、深み、そういった意味での面白味に欠けるネタだ。だけど、照明を使ったり、書割を出したり、早代わりをしたり、幽霊を出したりするお遊びが、嬉しかったな。それだけで、満足でした。  21日(土)も、昼と夜の2部制だ。それも、かなりずれた2部制である。昼は、トルコ前最後の観能。京都観世会館に、実に久しぶりに行ってきた。この日は、京都観世蛍雪会があった。能「松虫」「三輪」「善知鳥」狂言「因幡堂」というのが、番組だった。この日、一番気に入ったのが、「三輪」だった。あまりに宗教的、神話的に過ぎて、あまり興味をそそられない能だったのだが、神楽の後半から神楽後の激しさが、憑依状態を表している感じがして、目が覚めた感じ。そういった気にさせてくれた演者に感謝だ。「松虫」は、「松虫の音に耳を傾け、友を偲ぶ」風情が欲しいな。「善知鳥」の、キリの責め苦のところのえげつなさは解ったが、なんで立山なの、なんで、外の濱なのという暗さ、惨めさ、「賎」とされる所以のようなものを見せて欲しかったです。
 夜は、繁昌亭でのレイトショー。「たまよねリターンズ」のあった日です。9時からというのは、客足を遠のかせてしまう要素ということが判りました。少なめだったのだ。三四郎「犬の目」、たま「いらち俥」、里見まさと「講談」、たま「皿屋敷」、着替え中を使ったスライドショー、たま「ぶりぶり」、たま&米井敬二「対談」で、11時2分でお開き。とにかく時計の気になる盛りだくさんの会でした。「いらち俥」は、後ろに体を倒しこむ大熱演、これで、ちょっと、たまは声を出しすぎて、枯れてしまいました。「皿屋敷」は、正攻法でばっちり。「ぶりぶり」は、秋に予定されている福笑プロデュースの「スカトロ落語会」用に、師匠から作れと言われた作品の初公開。もう、まみれて、まみれての糞尿譚です。ただ、この日も、繁昌亭に、どあほな男が紛れ込みました。演者に、茶々を入れるのです。楽屋で、随分と話題になってたようで、同時に止められていたようですが、たまがついに爆発、そうです、そう言われねば解らないかもしれないどのあほさ、でした。どこかのブログを見てたら、その茶々を「気にならなかった」と書いていました。こいつも、アホたんです。自分のことしかわからないのですから。演者の立場を考えられないおばかな人です。最近、どこへ行ってもそうだけど、家で、テレビを観てる感覚な連中が、目に付きます。お茶でもすすりながら、家族の談論の場にテレビがある。突っ込みを入れたりしながら、テレビを観るつうのを、劇場でやらかす。それが、変やとすら気づいてない。おかしなことになってきました。ま、能の会は、昔から、そうやったとは思うのだが、情けないです。迷惑です。
 22日(日)は、堺への終日出張。夜の7時20分頃に、「三国ヶ丘」駅前に佇んでる自分に、ちょっと可哀想になりました。さすが、お腹が減り、京橋で、たまらず、軽く晩ご飯。家にたどり着いたら、9時を、しっかりと回っていました。せめて、この日は、帰りに、「名探偵ナンコ〜よみがえれ!探偵講談〜」に寄りたかったんだけど、叶いませんでした。
 23日(月)は、ワッハの4階に出没。「お笑いまん我道場〜大阪編〜」に行った。丁度、同時刻に、師匠の文我が、京都で会を開いていたので、奇しくも師弟競演となってしまったが、黄紺は、弟子の方を取った。それは、ネタ出しされてるものに惹かれてしまったのだ。三幸「初恋」、まん我「寄合酒」、花丸「腕喰い」、まん我「鍬潟」、これが、この日の番組だった。狙いは、後ろの二つ。芸の幅を、自らの開拓精神で、どーんと広げつつある花丸の本格的な林家の芸。いいですね。満喫です。それに反して、「鍬潟」は、舟を漕いでしまったのです。最近の寝不足が、ついに最後にきて、幅を利かせてしまいました。もったいないと思いつつ、断片的に覚えてるものを考えると、やっぱ、あまり演じられないわけも見えたような気がした。
 24日(火)は、落語会・講談会を断ち切って、ついに文楽を観に行った。チケットを買って、文楽を観に行くというのは、これが、全く初めてだ。長年の夢というか、逆に、手を出すと、はまりそうなのが分かってるので、ここにだけは、手を出さないでおこうと思っていたのだが、出してしまいました。「夏休み文楽特別公演」と銘打たれた3部制の公演の内、「第3部 サマーレイトショー」というものを観に行ったのだ。落語を楽しむものには、必須科目の文楽、但し、予備知識があるわけではないので、演目名は分かっていても、その内容は分からない。ま、字幕が出されるという噂も聞いていたので、ま、観ながら理解しようという野放図な行き方をした。「契情倭荘子〜蝶の道行〜」「伊勢音頭恋寝刃〜古市油屋の段、奥庭十人斬りの段〜」、この2番が、この部のメニューだった。「契情倭荘子」、蝶になった男女の道行きを描いたもの。舞踊劇と言えば、いいかな? 「伊勢音頭恋寝刃」の方は、「斬り組」があるだろうから、分かりやすくていいだろうという意味で、この部のチケットをげっとしたのだった。有名な太夫さん、三味線弾きの方々が出ておられた。鶴澤寛治、吉田蓑助、豊竹咲大夫、豊竹咲甫太夫(「TOP RUNNER」に出た人)などという人が出ていた。何よりも、度肝を抜いたのは、人間国宝竹本住大夫。「伊勢音頭恋寝刃〜古市油屋の段」に出てきたのだが、その情感のこもった、細やかで、どきりとさせられる義太夫に、一目惚れです。ただ、この話、あまりにも凄惨。血糊に、足をとられるほどになった廊下、わけもなく殺めていくことの意味がわからない。落語「大丸屋騒動」を思い出していました。基となる話は異なるようなんですが、凄惨な状況は、同じ。調べてみると、「大丸屋騒動」は、「伊勢音頭恋寝刃」のパロディとして作られたそう。陰惨で壮絶、血しぶきが舞う、こういったストーリーを持つ芝居や落語が、どうして生まれ、生き残っていったのか、随分と気になってしまった。ま、いきなり落語と向き合うような芝居に出会えたのも、何らの縁を感じてしまいました。幸い、文楽は、日程的には、飛び飛びで公演がもたれる。ならば、追いかけても、そんなにこりはしないだろうと、11月公演も狙おうという気に、すっかりなってしまってる黄紺なのだ。
 そして、昨夜、25日(水)の夜、天神祭で賑わっている繁昌亭に行ってきた。正確に書くと、繁昌亭の外が賑わっていたのであり、内側は、特別興行と銘打たれていたが、ちょっと寂しい入り。しかし、いつもと違うのは、途中から入ってくる人が、わりかしいたのだ。これは、天神祭効果だろう。黄紺が行こうと思ったのは、トリが福笑だったからだ。で、番組は、石松「動物園」、染左「豊竹屋」、そめすけ「青菜」、福楽「代書屋」、(中入り)、八天「遊山船」、団四郎(百面相)、福笑「延陽伯」だった。わりかし、馴染みの噺ばっかで、ちょっと新味には乏しいラインナップか。但し、黄紺が到着したのは、「動物園」の最後の方。仕事が入らないと思ってたので、5時開演を承知で行こうとしたら、もろに仕事とバッティング。それが原因でした。染左の浄瑠璃がいいっすね。売り物になるネタです。そめすけの語り口、グッドです。いつもそう思います。ですから、滑稽噺なんか、どしどしネタを増やして欲しいなと、いつ聴いても思ってしまいます。「青菜」と「遊山船」を並べるという、ルール違犯のようなことを、八天がしてくれ、それをギャグに使うしたたかさに、脱帽。福楽と福笑は定番の持ちネタ。福笑のこのネタ、こんなに整理されてましたっけ? いい整理の仕方ちゃうかなぁと、何をやっても、福笑はトップ張る噺家さんです。そんなで、ようやく、ここまでこぎつけました。




2007年 7月 14日(土)午後 8時 48分

 今週は、ウルトラ忙しい週なんだけど、遅くとも、午後6時には解放されるので、できるだけ「第2回講談 文月毎日亭」に通おうとしている。場所は、かって知ったる雀のおやど。丸々1ヶ月の長丁場、こちらの席亭ご夫妻が、かいがいしくお世話をされている姿を拝見するにつき、ホントに、頭の下がる思いだ。
 で、水曜日の進行具合を記しておこう。「太平記」は、「日野資朝の斬罪」というか、それに伴う、息子熊若の物語と言っていいかと思う。「正中の変」の後日談なのだが、こういった風に、横道にそれながら、しかも、倅を出すことで、視点が変わっていく、そんな展開を見せることが、自分的にはおもしろいと思えた。横道にそれることで、倒幕物語が、一挙に、父子の情愛物語に変身するわけだ。「太平記」に続いては、本来なら、南湖の番なのだが、ラジオ出演の関係で、南海さんが、先に上がり「浪速侠客伝」。三好屋四郎衛門編が続いているのだが、橋脚下で、小魚を売った男が、実は、近頃、売り出し中の違袖音吉だったことから、この音吉が、12歳でもって、河岸を従えるに至った経緯が語られた。これは、痛快な物語で、才覚がある少年を見抜く婆さんの迫力も、またすごい。それを、緩急自在の南海節が炸裂するものだから、話の展開に、会場が、笑いで包まれるという素晴らしい口演となりました。その口演が終わる1分前に到着(本人の弁)して高座に上がってきたのが、この日のトリの南湖。「赤穂義士伝」は、「刃傷」後の吉良のうろたえぶりから始まったということは、前日の繰り返しが多いのではと思わせられたが、黄紺は、前日は聴いてないので、これは、あくまでも想像。そこから、「匠頭の切腹」直前まで、片岡源吾衛門らが、最後のお目通りを求めて許可が出るところまで。「切腹」の話に移った後半の後半あたりで、正直、力が尽きました。限界を超えたようでした。要するに、疲れで。
 木曜日は、環状線が、阪和線の事故の影響とかで、大幅に遅れてしまい、鶴橋駅到着が、開演5分前というきわどいことになりました。超ハードななか、雀のおやどに行ってるので、開演前に、ちょっとは休憩したいのですが、それができず、この日は、かなり途切れ途切れになってしまいました。「太平記」は、前日の口演部分と、2/3くらいがかぶっていました。熊若の逃亡をもったいぶって終わったわりには、あとは、あまり続かず、後醍醐天皇の方に話が行ってしまい、ちょっと入っただけで終わってしまいました。「赤穂義士伝」は、「切腹」そのものを仕上げ、「刃傷」後のもう一筋の話、即ち、国許への知らせる話へと変わったところで、明日に持ち越されました。だけど、この「切腹」の正念場が、飛んで飛んでしてしまってるのです。山場だというのに、残念なこと、この上ありません。「浪花侠客伝」は、違袖音吉にはめられることを嫌って、結果的には、無理やり持たされてしまった「せいろ」を、ガタロの伊之助を使って、返しに行かせようとするが、相手が、なかなか特定できない様が描かれました。その中で「橋尽くし」を、南海さんは披露してくれました。さすが、大阪、八百八橋、見事な挿入でした。そして、いろいろと、違袖音吉と特定され、ガタロに返しに行かせます。ガタロが、件の音吉の家に乗り込んだところで、続きとなってしまいました。いいところで、切りすぎ。講談の続き読みの醍醐味です。
 3日連続となる金曜日は、台風の影響もあり、かなりの雨の日。そのためか、客足が伸びず、ちょっと寂しい入り。席亭夫人によると、ここまで、平均は14人とか。この日は、「つ」離れをしませんでした。「太平記」は、この日から楠木正成が、本格的に登場。そのため、受付には、「正成、本日より出ず」との張り紙が。南青くんによると、これが、旧習とか。要するに、「太平記」の続き読みでは、なかなか出てこないのだそうだ。この日が、13日目だから、半ばまで出てこないということで、客足が引いていったためとの解説が、南青くんから行なわれました。日野兄弟が殺されて以後、手を変えて倒幕を試みるというか、いよいよ自らが、その前面に立とうとする後醍醐天皇の霊夢に基づき、楠木正成が招請され、両者の対面が実現する。それが、この日の山か。終盤、ちょっとダウンしてしまいましたが、これからが、本格化する「太平記」というところです。「赤穂義士伝」は、前日の焼き直し。前日は、ダウン気味だったので良かったのは良かったが、内容は繰り返し。「浪速侠客伝」が、この日も盛り上がった。たわいない話がおもしろいのだ。まだまだ、ガタロの伊之助は、せいろを持ってうろついている。川尽くしがひろうされたあと、いよいよ、ガタロが、違袖音吉のところへ行き、最後は、音吉自身に厚遇され、調子に乗ったガタロが酔いつぶれてしまったため、放駒という相撲とりにかつがせ連れて帰ろうとしたとき、帰りが遅いので、濡髪長五郎らが、これを迎えに行き、誤解から抗争が始まろうかというところで、切られてしまいました。うーん、残念。
 ということで、丸1日働いて、疲れ切って、どこへも行けずに、帰っている土曜日です。台風が、近づきつつある。雨は、若干、小康状態だけど、帰り道は、大変な降りだった。ま、それもあって、おとなしく帰ってきて、正解かもしれません。いよいよ3週間連続勤務のゴール間近だ。




2007年 7月 10日(火)午後 10時 10分

 週末は、たっぷりと働かさせていただいた。この歳になると、尋常じゃない堪え方をしているが、どこまでも続きます、3週間連続の第3週目に入っています。その週末は、土曜日の夜だけ、お出かけしました。日曜日の夜などは、アジア・カップの「オーストラリア vs オマーン」戦の後半開始まもなくで、もう寝てしまってました。目が覚めたら、トラブゾンが、インタートト・カップで大勝してました。
 そんなで、土曜日の夜ですが、中津であった「笑福亭たまのカシミヤ100%〜七夕Special〜」に行ってきた。この日は、月亭遊方をゲストに迎えての会、仲の良い二人のトークが、後半に控えているという番組つくり。その中入り前の前半のラインナップは、たま「ドーベルマン刑事」、遊方「たとえばこんな誕生日」、たま「延陽伯」だった。たまの新作ネタは、自分的には初めて。犬に導かれて、本物の刑事が手柄を立てていく噺。終盤に入って、何か、目玉となる事件解決などを用意すると、噺に盛り上がりというものが生まれるのにと、このままでと止まってもらっては困ると思わせられたネタでした。遊方のところで、この日は、目の前が分からなくなりました。こんなのが、1日1回くる、疲れてます。たまのもう一つの「延陽伯」は、最後の落ちまできっちりとと筋立ては追いつつ、デフォルメ部分を作り、好仕上がりの印象。後半のトークは、短冊にお題を募集してのもの。遊方の猫好きの話、月亭の由来など、話は遊方にシフトしたものでしたが、わきあいあいで、楽しいものとなりました。
 週末に休みなく働いた関係か、日曜日の夜、熟睡したわりには、月曜日一日中、体調が悪いままだった。パソコンの前に座ると、瞼が重くなるわ、立って仕事をしようとすると、どーんときている腰の重み、明らかに疲労の蓄積と思える重みが堪える、そんな1日の最後は、やはり夜遊びと、雀のおやどへ行ってまいりました。この7月ずっと、雀のおやどでは、「第2回『講談 文月毎日亭』〜一ヶ月続き読みの会〜」が行われているのだ。その会に、ようやく9日目にして行くことができました。それがラッキーなことに、「刃傷」の日と重なったからたまらない。ということで、この日の番組は、南青「太平記〜正中の変〜」、南湖「赤穂義士伝〜刃傷一太刀まで〜」、南海「浪花侠客伝〜三好四郎右衛門〜」というもので、「刃傷」だけではなく、南青クンの「正中の変」も重なったからラッキーと言わざるを得ない。これが、40分にもなる口演。普段は、その半分くらいの時間だとは、あとから出てきた南海さんの弁。日本史の苦手な黄紺にとっては、いい勉強にもなります。南湖さんの出す「赤穂義士伝」は、いわゆる本伝で、あまり出ないものとか、ましてや「刃傷」に至る直前の部分が読まれたのが、この日だった。吉良っていうのは憎いやつだねと、そう思わせるに十分な語りでした。そういう風に、歴史物が続くと、「侠客伝」をされても、気が乗らない、すみません、南海さん。せっかくの名調子に、体力も尽き果て、且つ、そないな気乗り薄で、気が緩みました。後半は、黄紺の意識が遠のいていってました。でも、満足でした。行ける範囲で、今後も行ってみたいものと考えています。
 そして、今日火曜日だが、北区区民センターである講談の会に行こうかとも考えたのだが、ここ1ヶ月ほど、ずっと左足の親指の爪の下が痛んでいるので、しかも、最近、その痛みが増してるような感じがして、しかも×2、すぐにではないが、7月中には、トルコに向けて旅立つので、それに備えて、医者に行っておこうと思い、遊ぶことを諦めた日となった。整形外科に行こうか、皮膚科に行こうか迷ったのだが、結局、整形外科に行ったのだが、黄紺の爪を見るなり、医者は、「爪の水虫」と言った。爪が分厚くなって、爪の下の肉を圧迫することが、よくあるという見立てだった。ちょっと考えてもみてなかったことだったので、おとなしく、その見立てに従いました。トルコに行く前に、ちょっとは治療を開始できると思います。その通りだと信じ、とりあえずは、その治療を受けてみることにしました。/h4>




2007年 7月 7日(土)午前 8時 18分

 3週間連続お仕事の2週間目の週末だ。もちろん、この週末も、お仕事。今日は、幸い、ちょっと遅めに出かけてもいいので、こちらに書こうとしています。と言うのは、昨夜も、繁昌亭に出かけ楽しい思いをしてきたので、その記録も兼ねて、こちらに書こうとしているのだ。今、たまたまNHKをつけて書いていたら、8時前から繁昌亭界隈を映すそうだ。その予告の映像で、三風さんのどアップが出て、思わず何が起こったんだろうと見入ってしまいました。
 さて、昨日の繁昌亭夜席は、「染丸ワイワイ一座〜艶笑噺大会〜」と銘打った染丸師匠プロデュースの会だ。講座もあり、毎月1回、おもしろい試みをかけてくれている会だ。この日は、「艶笑噺」と来たことは来たが、繁昌亭でする会なので、そこはそこ、そっち系の内容を持った噺を並べるという趣向、でも、その内容は、とてもマイルド。ハードにしようと思うなら、それは、客の想像の中といったところだ。で、その番組だが、卯三郎「阿弥陀池」、米平「お玉牛」、染丸「おもしろ落語講座〜寄席の踊り・館山〜」、春若「有馬小便」、(中入り)、姉さまキングス「音曲漫才」、染丸「辻占茶屋」という具合で、姉キンが出てきて、「わりかしまともな会」と言ってましたから、そういった会なのだ。この姉キンの言葉だけど、実は、あやめが、直前まで東大阪で仕事をしていて、会の雰囲気が分からず、相方の染雀に聞いたときの答だったそうだ。実は、この姉キンの舞台が、飛び抜けて過激、原語連発の凄まじいものとなった。しかし、姉キンは、成長を続けます。天井知らずのように成長を続けています。それは置いておいて、肝心の落語だが、卯三郎のあっさり路線、なんか、繁昌亭のような空間で聴くと、まだまだ、不十分ながらおもしろいのだ。こってりと呆けまくるのは、笑いが跳ね返り合う狭い空間の方が合うみたい。福笑のような実力者だと、その反響し合う空間が広いということなのでしょう。米平の後半から、この日の疲労が出てきたのか、一番、ぐったりした時間。でも、合わないんかなと思っていた米平に、逆に合っていそうな口演だったと、意識が戻ったときには感じてたのですが、果たして全体像として、そのように言えるか、全然、しかとしたことは言えません。今、「有馬小便」を、高座にかけているのは、春若以外いるでしょうか。梅団治もするはずだけど、あまり聞かないから、貴重な機会と言える、この日の口演だ。しかも、噺の途中に、春団治師匠の稽古の付け方、更に、それを米朝師の場合と比較して進めるという趣向がおもしろい。以前、聴いたときと比べて、かなりグレードアップだ。そして、「辻占茶屋」。以前は、文枝師しか聴けなかったこのネタを、最近、よく聴けるようになったのはありがたいけれど、辻占の場面だけで、十分。なんか、毎回、この場面が、筋立てに生きない入り方をしているため、いつも終盤に入るといらつく。ここは、どうすればいいのでしょうね? 染丸師の口演を聴いても、同様の感じのまま、答を見つけられないまま、サゲになってしまった。
 疲労が溜まってるはずなのに、平日同様のお目覚め、これ、悔しいね。年嵩が増えていっただけのことと言えば、それだけかもしれないけれど、実際に、それが起こるときついね。




2007年 7月 6日(金)午前 6時 24分

 3週間連続で働かねばならない半ばの週に入っています。完全に体力勝負。また、季節が悪いが、幸い、月曜日の朝からは、ちょっとは気温が低めで推移していることがありがたい。適当に休息を取りつつ、夜遊びを楽しみに、日々過ごしている。月曜日の夜も、コンビニで、サンドイッチとおむすび、お茶を買って、ワッハの4階にくりだした。20回目となる「紅雀と阿か枝の会」があったのだ。このあと会場押さえを怠っていたため、この会は、この日が本年最後とか、パンフレットの最後に、「皆様、いいお年を、、、、」と書かれていました。傑作です。パンフレットは、毎回、37部ずつ用意するそうです。それは、35人以上入らないのが、今までのこと。残りの2部は、2人の記念のために印刷するそうです。それが、この日は、完全にその「定員」オーバー、どうしたんでしょうか? 他にいい会がなかったかも、でも、この2人なら、満足感を持って帰れるはずだから、決して、他の会とぶつかっても、簡単には負けないと思うのですが。そんなことを書きながら、他の会に行くことありの黄紺なのです。
 で、肝心の番組だが、阿か枝が意欲的で、いいネタを出してくれた。紅雀も、珍しいものを出したが、そんなに大きなネタを出したわけじゃないんだから、「いらち、、、」はないですよ、ホント。吉の丞「米揚げいかき」、紅雀「夏の医者」、阿か枝「ねずみ」、(中入り)、阿か枝「軽業講釈」、紅雀「いらちの愛宕参り」というのが、この日の番組だ。「夏の医者」は、紅雀がすると、なんか落ち着かない。うわばみの中に入ってからはいいとして、それまで、くそ田舎の雰囲気、浮世離れをした村人の雰囲気、これが、落ち着かないのだ。なんか、小米のなまりのある高座が懐かしくなってしまった。「ねずみ」は、舞台を岡山に移しての口演。阿か枝ならではの演出。途中1箇所、岡山弁で問答をするところを入れたりと、工夫をしてくれる。ただ、子どものキャラ作りが、ちょっと物足りなかった。文枝声でのまんまの子ども、こまっしゃくれてるのか、可愛らしいのか、その辺がはっきりしなかった。甚五郎のキャラも、もうちょっと作って欲しいな。そういったちょっとした不満もあったが、そんなのは、口演を重ねていけばなんとでもなるという範囲内のこと。一方、「軽業講釈」の弾け方は、すごかった。染左と言い、この阿か枝と言い、なんか演じ手のキャラを変えるに足るパワーを持つネタになっている。ホント、楽しいネタだ。
 翌火曜日も、ワッハの4階だ。そして、2日連続、コンビニで、おむすびとサンドイッチ、お茶を買って、駅のホームで、パンをぱくついたり、実際に、ワッハに着いてからそれらを食したりと、とにかく時間がないのだ。そして、辛うじて夜遊びを続けている次第だ。「つくしんぼ落語会」が、こちらであったのだ。この会は、早く行かないと、とんでもないことになるという記憶が、食事を、そのような形で摂っている原因だ。確かに、この日も満杯状態。人気は、確実に定着をしているつく枝だ。で、この日の番組は、鉄瓶「平林」、つく枝「芋俵」、三金「奥野君のコンパ」、(中入り)、つく枝「青菜」だったが、「芋俵」には、びっくり。ネタを公表されてなかったばかりか、パンフレットにも書かれてなかったので、このネタが始まったときには、びっくり。だって、このネタは、東京ネタで、大阪で手がけてるのは、遊喬だけのはずだからだ。でも、間抜けな盗人は、つく枝の手にかかると、ホント、余計に間抜けで、可愛くなるからたまらない。俵の中に入り、さかとんぼりで耐える姿を連想して、それが、つく枝の体型に重なると、また、おかしさが増すのだ。そんなのに対し、「青菜」は乗れなかった。相変わらず、食べる姿は絶品なのだが、大家の旦さんの前に出た植木屋は、もうそっと品を持ってもらわないと、あかんわね。でも、俄か作りの品なものだから、そこにおかしさが生まれてくる、これが、このネタの身上だと思います。そんなで、はっきりと不満でした。その他、鉄瓶は初物。マクラの持って行き方では、漫談家かと思わせられるのだが、ちょっと不安な面もあったが、普通の落語でした。三金は、言うことなし。デブ専ネタで、入ってくるところから、デブをアピールする芸の細かさを見せていました。こういったセンスが、いいっすね。
 翌水曜日も、なかなか厳しいなか、仕事を振り切って繁昌亭へ駆けつけました。そしたら、この日は指定席。ゆっくり来れば良かったのにね。この日は、「平成創作落語の会」があり、仁智と福笑が出番に入っていましたので、駆けつけた次第だ。その番組は、歌之助「はなしか入門」、そめすけ「人生相談」、仁智「大阪の歩き方」、(中入り)、三風「下町通り商店街の人々」、福笑「瀞満峡」だった。歌之助のこのネタのマニア度を楽しむには、この日の客は、ちょっと熟してない感じだが、そめすけ的ネタは受けるという客層。ジャグリングをしたり、機械を使ったり、物まねが入ったりと、この手のものの方が受け易いということだ。仁智のネタは、自分的には初物。客を、大阪見物に誘うという一種の客席参加落語。手には、スケッチブックを持ち、そこに、キーワードが書かれており、それを基に、仁智のレクチャーを受けるという感じだったが、これが、傑作だった。大阪人に、大阪の面白さを伝えるという逆転の発想がヒットです。で、黄紺的には、この日は、ここまでだった。中入りあたりから、お腹が痛み出し、中入り後は、更に、疲労から、飛び飛びにしか記憶にないのです。一番前の席で、福笑を、間近に見ながら、この低汰落。もったいない話です。
 そして、木曜日。週半ばに呑み会です。しかも、年1回の呑み会、それは、今やなくなってしまった前の職場の元同僚たちが、七夕の日前後に集まる日。今年は、30人もの元同僚が集まり、失われし日々に思いを馳せてました。黄紺にとって、極上の夜となりました。3週間連続の勤務の半ばとはいえ、その疲れも、暫し忘れることができました。




2007年 7月 1日(日)午後 11時 42分

 金曜日の深夜から明け方にかけて、もう大変な体調不良。どうやら、熱帯夜で、クーラーをつけたまま寝てしまって、そんなことが起こってしまったみたいです。職場にすら、まともに行けるかと思っていた土曜日は、勤務日。だけど、朝風呂に入って、お腹が温まったのが正解。そこを境目に治っていてくれたみたいです。凍り付いたお腹を解凍したってことですかな?
 そんなで、夜は、ワッハの4階に出かけてきました。全日勤務が終わったあと、コンビニのサンドイッチとおむすびを手に、ワッハの4階に駆けつけました。すると、入口前には、大変な行列。そう、人気なんですね、黄紺が出向いた落語会、「林家亭6月席〜染雀花舞台〜」が、それだ。入口では、受付を、たまさん+1と染左さんがやっておられた。黄紺は、丸椅子を取って、通路に座ってましたが、ここの丸椅子は要注意。かつての手術の後遺症で、堅い椅子は禁物の黄紺にとって、禁物中の一物。正直言って、中入りまで大変でした。お尻を横にずらしたり、お尻の下に手を差し込み、禁物の椅子とお尻がすれないようにしていました。ま、そんな苦労した甲斐のあった極上の落語会であった。ゲストの生喬の言い方を借りると、主宰者の染雀が、好きなネタ、やってみたいネタを並べ、そして気分良くなるという会。ですから、結構、おもしろいネタが並ぶので、楽しみな会であることは間違いない。肝心の番組は、染雀「七度狐」、生喬「ちしゃ医者」、染雀「雁風呂」、(中入り)、染雀「天下一浮かれの屑より」と、よくもまあというネタ並びだ。「七度狐」の尼さんの色気漂う物言いに、ハラハラしたり、笑ったり、生喬は、そういったネタ並びを察知してか、思いっきりきちゃない「ちしゃ医者」を持ってくるというところが、心憎い。「雁風呂」は珍しい。黄紺は、昔々、先代の歌之助で聴いたような記憶があるんだけど、内容に至っては、皆目記憶がない。そもそも、聴いたというのも、アヤシイものである。で、ネタは、「釈ネタ」というそうだが、講釈を基にして作られたもののようである。噺のなかでは格の高いものとされたようで、その辺のエピソードが、演者から、マクラとして語られた。水戸黄門の話なんです、このネタ。松と雁という画材としては不自然な組み合わせに黄門様が疑問を抱いたところからスタートする、なるほど、へぇ〜っていう感じで進んでいく。たっぷりと、その辺を染雀が聴かせてくれました。耳の日曜日になりました。そして、染雀らしい「紙屑屋」に。芝居好きらしく、一つ一つのエピソードの変化があります。もう、十分に堪能させてもらいました。言うことなしです。
 翌日曜日は、朝から映画を観て、午後から仕事。土日途切れなく仕事というのが悲しい。前売り券を買っていたものだから、その映画館でだけでしか観れないという悲しいことに。おまけに、映画館の都合か、「約束の土地」を、一度も夜にはやってくれずおしまいになってしまうという悲しいめぐり合わせ。それは、とりあえず息子にプレゼントすることにして、この朝は、中国映画「孔雀」を観ておくことにした。中国の市井の人々の日常生活が描かれているという空気を感じとったために行こうとしたのだ。70年代後半と言えば、文革直後世代、だけど、その欠片すら口の端には上らない。それが却って新鮮。描かれるのは、いつも食卓を囲んでいた夫婦子ども3人の風景。それを、子どもを1人1人順番に取り上げ、同じ時間で描くというおもしろい試み。後から描かれる兄弟の物語の中で、先に描かれた者のエピソードの結末が判るという仕掛けが入っていたりで、とてもおもしろい。ベルリンで銀熊賞をもらっただけはある。ただ、終盤が弱い。そして、それぞれの何年後がおもしろくないのだ。これは、軽く見たのだろうか? いや、アイデアが尽きたと見るべきでしょうね、惜しい作品です。そして、描かれている光景は、一昔前の中国の地方都市、映画のもつ丹念さと合わせて、独特の情緒が漂っている。これにはしびれました。
 映画が終わってから、この日も出勤。体は、ぼろぼろに近い。そういったときこそ、夜遊びで、一人盛り上がり。この夜は、繁昌亭の「可朝・福団治 二人会」というすごいもの。可朝は、弟子の八方をして連絡取れずと言わせたお方。幻化していた可朝が、繁昌亭の舞台に上がる、これは行かねばなりません。福団治からのアプローチでしょうが、こういった企画が観れるのも、繁昌亭様々というところだ。肝心の番組は、福丸「東の旅 発端〜煮売り屋」、都んぼ「みかん屋」、福團治「藪入り」、(中入り)、福楽「代書屋」、可朝「住吉駕」であった。福丸は繁昌亭初登場。都んぼは、今日もまた、登場するだけで大爆笑。福団治のこのネタ、風呂から息子が帰ってくるところまでやって、てんぱってる親父が受け入れられるところだと思ってるので、その前で終わっちゃうと、わざとらしい親父、作られた親父という感じになってしまいます。ちょっと不満。福楽の「代書屋」はおもしろいネタとなります。依頼人が、アホからアブナイおじさんにシフトしているのが、いいですね。そうそうこれこれと、以前聴いたときも、同様のことを感じてたのを想い出していました。そして、お待ちかねの可朝。トリで登場してきて、際物のマクラをふって、ひょっとしたら落語をやらないかと思わせておいて、きっちり落語へと持ってい きました。演目は、「住吉籠」という大きなネタ。可朝曰く、「何十年ぶりに落語やりました」。大味な出来上がり具合だったが、これを聴けただけで感激でした。更に、可朝は、サゲを言って、深く一礼をしたあと、拍手を制し、前座にギターを持って来させ、「ちかんの歌」を、弾き語りしました。可朝のギターは、もちろん初めてじゃないんだけど、こんなに上手だったかなと思うほどのものでした。このあと、私が、トルコに行ってる間に、第2回の「可朝・福団治の会」が予定されています。こういったペースで開いてくれると、嬉しい限りです。




2007年 6月 29日(金)午後 11時 47分

 日曜日は、昼、夜と繁昌亭三昧で過ごした。朝の部まで行くと、全日となるのだが、そこまでの元気はない。まず、昼席の番組を書いておくと、桂吉の丞「つる」、笑福亭仁福「バナナのたたき売り」、桂福車「看板のピン」、笑福亭由瓶「稲荷俥」、笑福亭仁扇「青菜」、笑福亭福笑「葬儀屋さん」、(中入り)、林家染雀「七段目」、笑福亭鶴志「長短」、豊来家玉之助「太神楽」、桂文太 「寝床」となる。福笑目当てで、この昼席の前売り券をゲットしていたのだが、その期待に違わぬ客席の湧き方は、凄まじいものがあった。殊に、ネタがネタだったものだから、どこにでもありそな、ちょっとデフォルメした噺だから、誰しもが平等に解り合える。もう、上を下へとひっくり返したような湧き方だった。もう、これ以上の燃え方は、いくらなんでもないやろと思っていたら、最後の最後の文太が、思わず身を前に乗り出すという「寝床」を演じてくれた。先代歌之助で湧きかえった血が、また違った形で湧きかえった「寝床」だった。もう、流れる流れる、素晴らしい口演に加えて、犬も鎖を引きちぎり、猫もいなくなり、金魚はとどめ色に変色し、カラスは絶滅したには、やられたぁの悲鳴を上げてしまいました。最近、随分と「寝床」を聴く機会があったけれど、正統派の下げはきっちりと守り、この口演とくれば、もう、最高傑作、太鼓判だ。次いで、注目は、染雀の「七段目」のうまさ。ここまで、芝居の部分をうまくやられると、かえって引いてしまうよな雰囲気を醸し出していましたから、難しいね、芝居噺って。仁福は、テレがあるのか、気が乗らないのか、肝心の口上はさらりと済ませ、あとはバナナ・プレゼントになっていました。あとは、定番ネタ。楽しい午後のひと時でした。
 夜は、「一蝶・小染 二人会」だった。いっそのことなら、鶴志も加えて、仲良し三人会にすればとは思ったのですが。で、番組は、二乗「子ほめ」、小染「狼講釈」、一蝶「猫の忠信」、(中入り)、小染「猫の災難」、一蝶「昭和任侠伝」というもので、中入り前が、二人ともネタ下ろし。一蝶は、意外なことに、「昭和任侠伝」も初めてだったらしい。そんななか、この会の秀逸は、一蝶が、自分には合わないと控えていたという「昭和任侠伝」。やはり、この人、軽いネタをやらせると、培ってきたものを発揮してくれます。ネタなのか、本人生き写しか判らないようなキャラが出てくると、ホント、力を発揮するのだ。「猫の忠信」も、存外いいと言うと失礼なのだが、軽いキャラを出しちゃダメなところで、どうしても出てしまいます。業のようなものです。小染は、「狼講釈」が良かった。噺家が、アトランダムにしゃべり出すところで、演者の顔を出させる。そして、噺の脈絡のなさが快調、いい噺を手に入れたものでした。それに反し、得意ネタのはずの「猫の災難」が、一本調子になったきらいがあった。もちろん酔っ払いの調子がだ。だから、小染については、1勝1敗、一蝶については、1勝1分というところか。思いの外と言ったら失礼だが、いい会だなぁと思わせられました。ぜひ、第2回も試みて欲しいと思いました、正直。
 次の月曜日、寄席は外して、映画「きさらぎ」が評判いいので行こうとかと、かなりのところ考えていたのですが、NHKの「家族に乾杯」をしばらく観てないので、それとの比較で、鶴瓶の方を取ってしまい、大人しく家路につきました。だいたい、そういったときの常、この頃、早く帰ると、9時前後にダウンちゃんなのです。この日も、例に漏れないこととなってしまったのです。
 火曜日は、大阪市の南の外れの方まで出張、しかも、その仕事が、5時過ぎからというもので、予定通り済めば、帰りしなに講談会に行こうと決めていたが、その5時が、5時半になっても始まらない。ようやく5時35分も過ぎたあたりから始まり、呆気なく、相手さんの都合で、6時に終わった。ま、肝心な用件は達成したかなというお仕事、そんなもので、喜び勇んで、コンビニで晩ご飯を仕入れ、谷町六丁目へ急ぎました。薬業年金会館5階和室であった「旭堂南海の何回続く会?」の10周年の会におじゃまをしました。実は、この会は初めて、でも、記念の会に行けて、とってもラッキーでした。この日は、十周年記念第一弾特別読切「悪七兵衛景清」が出されたのだ。ただ、景清については、平家物語には、「那須与一」に続いてある「錣引き」だけだそうで、あとは、「源平盛衰記」からの再構成だということを、南海さんは言ってたように記憶しています。そのため、「悪」と付く由来が語られる前半が過ぎると、源平の合戦に沿ってのエピソード集になっていき、そこなかに、景清の挿話が挟まれていく。そして、最後は、平家滅亡後、源家を執拗に狙う景清のエピソードとなっていき、その最後に、頼朝の前に引き出された景清が、「目が見えなければ源家への恨みも落ち着くだろう」と言って、目をくりぬくとなって終わる。その後、日向に行ったという話もありますと、南海さんは結んでいました。もちろん、両眼は、清水寺へ奉納された話も入れられていました。それを、1時間半かけて読まれました。最初、ちょっと、大阪城のラジオ体操の話なんかもされてましたが、だけど、1時間半、息もつかせぬ語りに、酔いしれました。すっごい会です、この会。ところで、「景清」ネタは、能楽、落語と取られています。能「景清」は、日向に隠棲してから娘が尋ねてくる話、落語は、奉納された清水寺の目を貸し与える話と、全て、後日談となっています。この両眼くりぬきというのが、やはりインパクトが強かったのでしょう。能では、「源家の天下は見たくない」と言って、くりぬいたとあります。そんなで、ちょっとした勉強になった日でもありました。
 翌水曜日は、東梅田教会であった「まるまる出丸の会」だ。常連さんと言われる人たちと演者との距離が近くて、アットホームな雰囲気が、いつも漂う会だ。この日も、二番囃子が鳴り終わると拍手が起こる。出丸が笛を吹いてると思った人たちが、出来が良かったので拍手をした模様。その雰囲気を察知した出丸が、すぐに現れ、「今のは二乗くん」と言って、笑いを取る、そういった感じのいい会だ。で、肝心の番組は、二乗「動物園」、出丸「蛇含草」、文華「船弁慶」、出丸「一文笛」だった。二乗の噺って、何をしても爽やかさがついてくる、得な性分だ。出丸は、「蛇含草」の雨風のところでとちる。ちょっと慌てるが、こういった突っ張ったり、餅の食べ方で遊んだりといちびるネタって、出丸のやんちゃな子ども風情に合っている。いい感じだった。「一文笛」は、一点変わって人情噺風にじっくり聴かせるが、噛み噛みではないのだが、何やしら言い淀むかな、あ〜あ大丈夫だったの繰り返しで、流れようとして流れないかなと思わせて流れているというのは、ちょっと落ち着かない面も。でも、及第点に近い出来でした。それよか、この日一番の出来は、「船弁慶」。これ、いいっすよ。最高の出来と言って、いいでしょう。雀のお松のリフレインが、工夫のしどころで、見事な大ヒットだ、そして、大ヒットにならしめる文華の口演に大拍手です。最後は、しばらくぶりの抽選。トランプが当たりましたが、置き所に困っています。
 翌木曜日は、ちょっとハラハラした日。先日、職場で行ったバリウムを飲んでの検診で、「要再検」の支持をもらい、それに行くと、「精密検査」の支持と同時に、「検査材料」を採取されてしまったのでした。その結果を聞きに行かねばならなかった日。ちょっと、緊張の1日。でも、無罪放免。腫瘍体質発揮なことは発揮だけれど、16年前に次いで、無罪放免。そのための通院が、時間的に大変だと言われていたので、午後から職場を出て、そのまま、「笑いのタニマチvol.72〜笑福亭仁智の新作落語道場〜」に行くつもりだったのだが、時間があるので、仕事をしようなどと、もう一度、職場に戻ってしまったら、今度は出れなくなり、時間の遅い「二乗の上々の会」に、雀のおやどに行った。二乗初の自分の会ということもあり、雀のおやどの温度は上がりっぱなし、息苦しさまで感じてしまう熱くて暑い夜だった。喬介「花色木綿」、二乗「牛ほめ」、よね吉「七段目」、二乗「茶の湯」が番組だった。喬介は初物。繁昌亭なんかで、お手伝いしている姿は、しばしば見ているが、口演に接するのは初物でした。ま、二乗が、前座として呼ぶ人となると、当然、限られてくる。軽い感じの話し振りに、初々しさが感じられた。そして、この日の主役、二乗が、羽織を着て登場。そう言えば、前座でありながら、前日の出丸の会で、羽織姿を見て、一瞬と惑ってしまったことを思い出してました。それで、マクラは、入門秘話というほどではないけど、米二の門をたたくまで、芝居上がりの人とは知っていたが、いろいろと経験を積んでの29歳、ようく分かりました。そして、初回のゲストが、よね吉のわけも分かりました。「牛ほめ」は定番、安心して聴けました。よね吉の方からも、祝辞っぽいマクラもあり、「七段目をやります」と言って、この芝居噺へと入っていった。これが、二乗が、この世界に入るきっかけとなった噺。二乗は、嬉しいでしょうね。前に観たとき同様、人形ぶりの切れに物足りなさを感じましたが、もちろん及第点のいい出来。三味線の寺西美紀の唄と言っていいのでしょうか、これが、いい声ですね。ほれぼれ、です。そして、この日のハイライト「茶の湯」というところで、前日の寝不足が出てしまい、噺が飛び飛びになっちゃいました。とっても、残念なことをしてしまいました。
 そないなことで、ここまでの数日を振り返ったが、職場で、軽い肉体労働をして、顎を出しています。背筋から、脚の様々な筋力まで、もう、余計なお肉ばっかりで、ちょっと動くと、簡単にダウンしてしまいます。おまけに、夜は、職場仲間との呑み会、この頃、お酒を呑んでない黄紺には、堪えました。もう、眠たいなかでアップします。




2007年 6月 24日(日)午前 0時 20分

 昨日は、昼と夜の2本立て。昼は、楽しみにしていた観能。大槻能楽堂での復曲能の公演があったのだ。数年前から各地で公演されていたことは知っていたのだが、実演に接する機会を持ててなくて、今回、ようやく実現したのだ。何はさておいても、ここへ行こうということで、いい講談の会なんかもあったんだけど、こちら最優先で臨んだ。復曲能は再演してこそ、値打ちがあるもので、いいものはいいものとして伝えていってもらわないといけないので、こういった公演は、そういった意味でも、とても重要なものとの認識を持っている。で、今回の能は、「菅丞相」。菅原道真が主人公の能だ。でも、それは、現行曲に「雷電」というのがある。この曲については、能書をたれねばならないことがあるが、それは、今はいいとして、内容は、それと同工異曲、いや、どちらかが淘汰された、ないしは整理されて消えていった、そんな関係にあるように思えた。公演に先立って行なわれた解説で居眠りをしてしまったため、両者の関係を聞き落としているので、はっきりしたことは言えないが、曲想としては、そうだ。そう見ると、「雷電」が魅力的に見えてくるのだ。「雷電」を知る者からすると、この「菅丞相」は、完全に「間延び」状態。式楽化していくなかで、このように改変されたのかしらと思ってしまいました。エッセンスだけ残して、怒り、恨みを象徴的に表した「雷電」のスピーディさ、無駄のなさ、これが、ものごっつぅ魅力的に思えてきたのだ。なんか、引き立て役って感じになってしまてました。ま、そんな曲だということが判ったことが、この日の収穫だったと言っていいかな? いずれにせよ、ずっと気になっていた曲なものだから、この日に観なくとも、いずれは、どこかで。必ず触れねばならなかったものだから、不満を言ってはいけないけど、でも、ね、漏らしたくもなっちゃいます。
 これが終わったのが、4時10分過ぎってところか。夜の部は、7時半から。ですから、また、繁昌亭近くのネットカフェ時間つぶし。土日の定番になりました。ですから、谷町4丁目から、南森町経由で、次なる長堀橋に行ったことになります。なんか、わけのわからないことしています。ウィング・フィールドへ、芝居を観に行ったのだ。ウィング・フィールドは、扇町なきあとの小劇場を支えてきた劇場だが、自分的には初めて。ビルの4階が受付。そこから非常階段を上がって劇場に入るというすごい怪しい雰囲気。そして、狭い。これって、新宿の、なんて言ったっけ? 小さな劇場、そこに似通っている、その雰囲気が気に入ったんだけど、最初は、なぜか高校生が、制服のまま、どんどんと入り、前の席を占めてしまった。黄紺は、職場の同僚から、招待券ってやつをいただいたので来ようと思ったのだが、大阪新撰組って、ターゲットをこないなところに絞ってたのかと、ちょっと失敗感に捕らわれてしまいました。ところが、芝居は、高校生が観て、おもしろいと思える芝居じゃない、ということは、あの一団は、いったい何だったんだろうと、未だすっきりと致しませぬ。そして、その芝居は、高校生が観てもおもしろくない、黄紺のような親父が観ても、おもしろくない。いったい、どんな層が、興味を持つのだろうという日常的な心理劇と言えばいいだろうか。男3人のグループ、女2人連れ、男女のカップルという3組が、鞍馬詣りをして一緒になり、話している内に、2年前の交通事故に、偶然居合わせた3組と分かる中で、自分自身を看ていくという筋立て。なんで、こういったものを、人に見せるという発想が出てくるのか、役者の稚掘さもあって、なんで、こないなことでハイテンションになれ、ハイテンションを維持できるのか、その辺の合理性、必然性を、全く感じないお芝居。大阪の老舗の劇団なのに、なんだ、これはと落胆しきりであった。貴重な落語会を、1つでも削っての芝居見物が、これでは、あまりにも嘆かわしい。
 そういった中で、唯一の収穫。芝居の公演を案内するパンフレットの中に、「少年王者館」の名前を見つけたのだ。その昔、大阪での公演をしてなかったこの名古屋の劇団を、東京で、わざわざ観て、そのおもしろ舞台に、ちょっと感動したが、その後、大阪での公演をし出しても、黄紺の日程と合わないで観れてなかった黄紺的幻の劇団なのだ。トルコ帰りの黄紺を待ち受けてくれてる、そないなスケジュールで、公演を、大阪でやってくれるという情報をゲットできたのだ。これが、ウィング・フィールドへ行った、唯一の収穫と言えようか、、、。




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