忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2007年 10月 1日(月)午前 5時 46分

 日曜日なのにせわしなく終わろうとしている。朝から職場にし残してる仕事をしに行き、ある程度の見通しができたと思い、午後から遊びに出かけてきた。その記録を書いておきたいと思う。
 軽井沢亭という落語をするために整えられた場所がある。ざこばの実家で、普段は、ざこばの修行中の弟子が寝泊まりする場所に供されている。場所は、「動物園前」駅からすぐで、じゃんじゃん横丁への入口までもすぐのところだ。なかなかグレートなところにある。一度は、覗いてみなければと思いつつ、今まで、その機会がなかったのだが、今日、それが実現した。入口は、かつての勝手口。そこから直接2階に上がる。靴箱は、2階に用意されており、階段の上がったところに木戸口も設えてあった。普通の家の改造だから、そんなに広くないが、部屋の周辺部には、木のベンチ状の椅子まで用意されており、ざっと土間に置かれている座布団の数も含めて、40人は入れる。となると、茶臼山より僅かに広いことになる。ただ、肝心なところに、細いものだが柱があるのが難点。で、今日の会は、「ちょうばのちょ」ということで、桂ちょうばの会だった。このクラスの噺家さんの会と言えば、雀五郎、雀太、二乗くらいか。この会は、4回目というから、頑張ってると言っていいと思います。内容が伴うかが問われることとなると思いますが。番組は、ちょうば「米揚げいかき」、市楼「青空散髪」、ちょうば「おごろもち盗人」、(中入り)、ちょうば「世帯念仏」だ。「米揚げいかき」は、サゲを変えてしまってました。「たらたらと下がる」という部分を省いてしまってのサゲです。ここを省くと、あの最後のテンポ良く続く景気のいい話が物足りない。落語って、うまく作るもんだなぁと感心している間もなく落とされてしまうので、せわしなくってね。ちょっと、よく分からない持って行き方でしたが、でも、珍しくはないので、どういった了見か、聞いてみたいですね。「おごろもち盗人」は、いいネタに目を付けたものです。小心な盗人、この人の得意とする丁稚さんと言い、合ってますよ。「昭和任侠伝」と言い、「世帯念仏」とは、びっくりさせてくれる噺家さんだ。素人時代のネタを、お許しをもらって演じていると考えていいのやろか? 
 終わってから、ちょっと時間があったので、軽井沢亭からじゃんじゃん横丁への入口がすぐだったこともあり、新世界を歩いてみた。恥ずかしながら、黄紺は、新世界も、通天閣も初めてだった。すぐ近くまでは、何度か行ったことはあるのだが、まともに中に入るのは初めてだった。とっても観光化されてしまったようで、串カツ屋ばかりが軒を連ねていた。JRの線路下で店が出てたところは、さすがの雰囲気だったが、それ以外では、危なさが消えているという噂は、今の状態しか知らない黄紺だが、その通りかなと思いました。
 夜の部は、繁昌亭だ。「松喬門弟会」と銘打たれた夜席に行ったのだ。異様に人が多く、繁昌亭の係員に食って掛かってる場面を、何度も見た。トラブルの原因は、なんなんだろうか? ま、それはいいとして、番組を記そう。喬介「道具屋」、風喬「犬の目」、右喬「二人癖」、遊喬「花筏」、(中入り)、喬楽「始末の極意」、三喬「打飼盗人」。喬介は、三喬テイスト一杯のネタを小気味よく、声の軽いのが生きていた。風喬は、どうしてもNHKの優勝者という目で見てしまうが、まだ、そのわけが分からないのです。ごっつい風体で、ごっつい声でいわす噺がはまるといいのかなぁ程度なのだ、今のところ。右喬は、やっぱ、松喬一門の秘密兵器だ。マクラに、勘当されてた話、親元でのバイトの話と、まともな話なのだが、この人がするとしんみり感が薄れてしまう。得な人です。遊喬は、びっくりの大ネタ。地の部分の多い、難しい噺、ということを再認識。間合いとか、対話になる部分での変化とか、何度もかけていく内に、どんどん磨かれていくのでしょう。喬楽は、師匠について舞台に出るマクラ、ここで、この夜の谷間。昼の部では、市楼のときだった。そして、大笑いの三喬、お得意の盗人ネタは、心地好い。手堅く爆笑を取るネタを選んだという感じかな、これから、師匠松喬の出ない一門会を続けていくようですから。
 5時開演だった関係で、帰宅は、いつもよりか早かったんだけど、「お笑い米軍基地」の放送を観てしまった関係で、昨日の記録を明け方アップすることになってしまいました。




2007年 9月 30日(日)午前 7時 30分

 急激に涼しくなってきた。金曜日には、職場で、クーラーが入っていたことが、嘘のように思われる涼しさだ。昨晩から降り続く雨は、朝になっても降り続いている。まだまだ、気温は下がるのだろうか。体調に気をつけないといけない季節です。そんな、土曜日、昼過ぎから、お出掛け。夜と合わせて、お遊び記録を認めておこう。
 まず、午後の部は、大槻能楽堂へ行った。こちらの自主公演で、観世宗家が復曲した「箱崎」が出たからだ。神功皇后がシテということなので、今どきじゃないとは思いながら、世阿弥自筆本のなかにあるという代物なので、観ておこうかの気分で行ったというのが正直なところだ。現に、去年だったか、神戸で、「箱崎」が出たときには、何はさておいてもと思い出かけなかったくらいだ。井沢元彦氏の講演は、マクラだけでダウン。欠片すら記憶にないほど、眠ってしまった。ちょっと引っ掛けてから出かけたのが、まずかったみたいだ。最近、こんなふしだらなことはしてなかったのですが、しちゃいました。すると、途端に、その効果が出てしまい、反省しきりです。この日のシテは、観世宗家、主後見は、大江又三郎と、初演時のまま。笛:赤井啓三 小鼓:久田舜一郎と入ったお囃子が秀逸。特に、赤井啓三の充実は、目を見張らせる。久田舜一郎の小鼓も安定感抜群。そんなで、前場は、ツレの赤松禎英が、うまくツレの位を保っていたのが目に付く程度で推移していったが、後場に入って、これだけ、興奮するとは思いもしませんでした。その最大の要因は、シテの演技。そして、それを支えた、復曲に当たって工夫された演出だ。前場は、少々大味に感じていたシテだったが、後場のぶれない、体全体が有機的に動く自然体、だからこそ出せる、体から滲み出る緊張、神々しさ、やがて、それが、顔の表情まで感じさせてしまいました。能の醍醐味です。装束も考えたのでしょう、女性であり、且つ、武人、皇族であるという、だからこそ、既成の面では表しがたいとして、専用面を付けての登場、考え抜かれている。既成のイロエじゃない、これも工夫てんこ盛りの代物、目付柱手前で、一旦、立ち止まり、清めに入るのだが、その立ち止まった姿の、緊迫感が素晴らしい、聖なる行為に入ろうというその緊迫感に溢れている。これが、位と、能の世界で言われるものなのでしょう。ぴーんと張りつめる舞台、それを支えるお囃子も冴え渡る。天女之舞に入ると、変化が用意されている。この舞の中で、ワキへ経文を渡し、ワキも経文を読む。クライマックスだ、観ている者にも興奮が高まっていく、その昂揚感を、更に刺激するかのように、舞の段が進むにつれ、まず、調子を上げバンシキへと変わり、そして、急之舞へ、更に、急々之舞へと変わっていく。急之舞へ入る手前に、三の松まで行き、正先に出された箱崎の松を見込むところがあるが、あの憧憬をも感じさせる穏やかな表情に、ドキリとしました。そこまでのなかで見せていた表情じゃないように見えたのです。いや〜、素晴らしい舞台に出会えたものです。ぜひ、再演に継ぐ再演を続けて、残していって欲しい曲と看ました。
 夜の部は、ワッハの7階だ。そこまで時間が、1時間ちょいあったので、最近、見つけた、大十の上のネットカフェで時間潰し。ラーメン屋に立ち寄って、腹ごしらえをしてワッハ入り。「林家亭9月席〜花ちゃんの会〜」があったのだ。主宰者は、林家花丸だ。番組は、三四郎「大安売り」、花丸「お父っつぁんは魔法使い」、染左「借家借り」、花丸「太鼓腹」だった。最後の花丸のネタだけは、ネタ出しなしで開かれた落語会、まず、トップバッターの三四郎。ネタが短いので、マクラは長め。聴いたことのない人体模型話も入ったりしていたが、目に触れるたびに上達が著しい。テンポアップが心地好くなってきた。小佐田作品で、まず、花丸の一発目。お囃子を使うのは巧みで、おもしろい演出だけど、噺の設定とか、お遊びの部分とか、そんなのが乗れないなというところが、聴き終わったときの第一感だ。擬古典的にしている設定、落語的魔法、そんなのが、一人よがり的に聞こえてしまったのだ。小佐田センセ、ちょっと悪のりだよ、これって感じでした。染左のネタは、前段の部分の、大家が、長屋をぼやいて歩く部分は、ときたま出されるものだが、後半、芝居がかってくるとは、びっくり、こないな噺やったんやと驚いておりました。長いと判断したからでしょうか、染左は、サゲまでしないで、切ってしまいました。終わってみると、この日一番のネタだったんで、余計に惜しまれました。出来も、とってもよく、大家の強欲さっぽいところや、長屋の雰囲気も出てて、ホント良かったですよ。そして、トリの花丸。何か、他に用意してなかったのでしょうか? それとも、出し慣れてるものをネタ出しではと思って出してなかったのでしょうか? 後者だったら、困りものです。ただ、昨日の「太鼓腹」には、若干の新しい工夫が入っていました。殺してしまった猫に墓を作った話や、針が抜けなくなったときに、冥界に入りかけてるという意味で、「たま〜」と叫ばせてみたり、それはそれで、おもしろかったんだけど、ネタ出しに、抵抗を感じてしまいました。
 まだまだ、雨が降っています。今日は、出勤じゃないんだけれど、職場に出かけて雑用をしようかと健気なことを考えています。それの進捗具合で、お遊びの方を組み立てようかなと考えているところです。




2007年 9月 29日(土)午前 9時 20分

 月曜日が休みだったので、ちょっと短めの1週間、わりかし、元気に過ごせたが、睡眠不足は、相変わらず継続中です。昨夜は、こうこうこれだけ寝られたというのによって、朝の気分は変わってきます。そんなで、この週明けから、ここまでを振り返っておく。
 25日(火)は、いろいろと迷った挙げ句、京都府立文化芸術会館の和室であった「桂文我上方落語選〜京都編〜」に行った。「第50回記念」と銘打たれた会だったので、ここ数回、疎遠になっていたので、チョイスした次第だったのですが、結論は、外れとなりました。その「第50回記念」の中味が、予め50席を呈示してのリクエスト落語会ということだったのだ。そんなで、選ばれた文我演じる3席は、順に「七段目」「崇徳院」「寝床」。これが外れと言い切る原因です。だって、文我には文我独特のネタがあり、それが楽しみで行くのだが、リクエストを取ると、こういった人気のネタしか出なく、結果として、独特のネタが吹っ飛んでしまうことになるのだ。「崇徳院」は知ってるぞ、おもしろいネタだぞ、だから入れる程度の判断しかできない、それが、リクエスト落語のときの常だ。「七段目」は短縮形、「崇徳院」は練り上げが進んでいます、「寝床」は、旦さんに機嫌を直してもらうところがショートカット。ま、これだけのネタが揃うと、時間を気にしなければダメですから、演出的意図でのカットだったのかどうかは、分かりかねます。この日の前座は、呂竹で「犬の目」、ゲストは、伯枝で「運廻し」だった。
 26日(水)から3連続で、繁昌亭通いです。まず、この日は、「育っちゃったらくご」の日。茶臼山を離れて、すっかり繁昌亭に定着です。この日の番組は、南湖「風林火山」、三風「米揚げ笊」、三金「読書の時間(桂三枝・作)」、たま「宿屋仇」、(中入り)、遊方「隣人(ネイバーズ)」、あやめ「桜姫花菖蒲文章」だった。ちょっと睡眠不足が堪えたひで、この1週間で、一番ピンチだったのが、この会の時間帯でした。この日の秀逸は、とにかくたまの「宿屋仇」。たま落語の傑作中の傑作に数えていいと思います。刈り込みが、これほど決まったのはないでしょう。「眠たりたい侍」「寝させない兵庫の三人連れ」の対比に、焦点化されきってるのだ。侍に、目を押さえさせ、「眠りたい」状況を、更に、焦点化されてる巧みな演出。伊八の影は、その替わりに、ちょっと薄くなりますが、それは致し方ないこと。南湖は、ラジオの仕事とかで、トップの出番。塩の使者の物語。三風は、びっくりのネタ。いかきを売り歩く男が、子どもっぽいという一風変わった演出。三金は、ネタのおもしろさをたっぷりと出してくれました。エロ本を読むところが、なんか、三金の実体験ぽく聞こえました。遊方は、おかしな人、大集合という感じ。膝替わりに、ぴったりです。そして、最後のあやめ。なぜか、噛み噛み。2度目の、このネタでしたが、2回とも、後半にダウン。捲土重来、3度目の正直を目指します。「育っちゃった」にしては、古典が多く、ちょっと寂し目、でした。
 27日(木)は、「旭荘寄席」。この日の責任者仁福が、「旭荘の会」から、名前を変えてしまったとか。もちろん、適当に。仕事が長引き、開演後入場。でも、客足が伸びず、とってもいい席で聴くことができました。仁福らしく、しっかりとPRしないものだから、前売りは、24枚しか売れてなかった結果だとか。これは、枝三郎の弁。その枝三郎の入りが遅れる可能性があるということで組まれていた番組が、早めに入れたということで、入門順に配慮した番組に変えられましたが、その番組は、三幸「子ほめ」、枝三郎「虱茶屋」、南左衛門「西行鼓ヶ滝」、千朝「まめだ」、(中入り)、米八「悋気の独楽」、仁福「住吉駕籠」だった。この中で、一番印象に残ったのは、南左衛門の昔語り。千朝率いる高津の富ツアーが、谷なおみ鑑賞に寄り道した話は、もう、青春してるって感じで、最高。その千朝を、南左衛門は、ポルトガル人みたいと言ってました。新しい情報を伝来した人だそうです。もちろん、旭荘に。米八は、この日が、落語では、繁昌亭初登場の日となりました。枝三郎は、ちょっと書けない裏ネタ披露。客席から、低いどよめきが上がってました。仁福は、雑音が抜けて、聴きやすくなってました。この日は、酔っ払いまでで、サゲとなりました。そして、前座の三幸ですが、伊勢屋の番頭を飛ばす方法は、うまかったです。この会、ネタに関係なく、通い続けることに決めました。思い出噺を聴くと、共感しちゃうんですね。旭荘じゃないけど、中井で過ごした日々がシンクロしちゃうんですね、彼らの話を聴いていると。
 そして、昨日、金曜日は、「たまのフレンドリー寄席β(ベータ)」だ。「江戸輸入版特集・大井川を越えてやって来た!お江戸でござる」という副題が付いていました。たまも、ゲストも、全員、東京落語の移植版を披露してくれました。番組は、たま「船徳」、まん我「井戸の茶碗」、たま「厩火事」、文太「明烏」、(中入り)、たま「子別れ」だった。たまでは、「子別れ」にたっぷり感が出て、最高の出来。このネタ、大きな噺の最後の部分の抜き読み的なものなんで、情感が薄れるきらいがあったあったと思ってたのを修正してくれました。刈り込みではなく、遊びの部分、結果的に、情感を補強する部分が出てきたのだ。それが、たっぷり感につながってきました。まだ、膨らましても、いいんじゃないでしょうか? 「船徳」は、不慣れな男の船頭体験ってうだけなら、楽しい噺です。若旦那の放蕩ぶりっていうのがあったら、よりおもしろいですけどね。「厩火事」は、わあわあわめく迷惑な女という感じに主人公をしちゃいました。夫婦の情愛なんていうしんみりしたものは飛んでしまう演出。女がやかましいだけの、しょーもない女になってるからです。カシミヤで聴いたときの、くさい演技風の演出は、今回は消えていました。ゲストでは、まん我がすごかったです。緩急といい、間といい、受賞対象となったネタであることに納得です。よね吉の「愛宕山」を聴いたときの感動に近いものがあります。文太は、マクラからサゲまで、ずっとマイペース。地で話すときのペースでサゲまで行っちゃいました。それに尽きますね。ちゅうことで、内容の濃い会だったといえます。お客さんも入り、たまの集客力には、びっくりです。
 ということで、振り返ってみました。今週も、幸い土日を休めます。遊んでばっかはいられないけど、やっぱ、遊びつつ、仕事も、休みに拘わらずやらんとね。週明けから困るから。こんなのありかなぁ、、、?




2007年 9月 24日(月)午後 10時 58分

 連休最後の日だ。今日は、昨日の失敗を取り返そうと、ちょっと気張った予定も考えたことは考えたが、今、持ち帰り仕事をしておいた方が、先々、賢明だと考えたもので、結局、3時まで、家に留まり、背中が痛くなるまでその持ち帰り仕事なるものをしていました。それから、当初の予定通り、十三に向かいました。今日も、第七芸術劇場で、韓国のアート系映画を観ることにしたのだ。さすが、今日は、おばさん族はがた減り、異なった種族が集まっていました。ま、この間、上映される映画は、心斎橋で上映されたものとは、全然違う映画なのだから。土曜日は、迷い込んだおばさん族が、うじゃついていましたが、今日は、完全排除されてました。
 今日は、夕方から夜にかけて2本観たのだが、まず、1本目は、「不機嫌な男たち」だったが、これが、このシリーズで観たものとしては、頭抜けた映画となりました。「映画館の恋」は、画面に流れる事象は平易なのに、終わってみたら、さっぱりわからないという映画でした。だけど、「不機嫌な男たち」に出会えたのは、大ヒット。主役は、30代の男2人、そして、その世代の男性の課題を、見事に表現しました。自分にできること、できないことが見えてきた年齢、できる力があっても、実現できなかったり、で、私生活で女を作って、それで、満足できるんかい、できない? ならば、いったい、何をしたいねん、したいことがあるんかい、いや、ないんじゃないの、なのに、不満だけ高めている。一方で、若いときのことに固執したままの男、一方で、日常に媚び入ってるにも拘わらず、若き日々を幻影として追い続ける燃えかすにのようなエネルギーのある世代。そんな男に、ダブル不倫の相手の女は、凄まじい言葉を浴びせかけます。「愛し合っていても、分かり合っていても、二人で分かち合えることは、ほんの僅かなのよ!」、もう、名台詞です。それで、日常に引き戻される男、じゃなくって絶望に打ちひしがれる男、ここも1つの分かれ道。さて、映画で描かれた男2人は、どっちだったのでしょうか? それは、ご覧になってくださいね。
 「映画館の恋」は、帰りの電車の中で、映画のパンフを読んでて、やっと気が付きました。1部で描かれてる世界は、死の床にある監督の作った映画なんです。あちゃ〜、こんな基本的なことが解らず、分からないと言っていた自分を、まず、恥じ入りました。でも、分からないなぁ、監督と、後半の主役の男性との対面の場面、主役の男性の独白的部分は、真実なんだろうか? その方が、彼の行動は辻褄が合うから、そうなんでしょうねとは思うのだが、確証がないから、不安になってしまう。で、テーマは何なんだろう? 生への執着? 生の肯定? 生きることの意味? その素晴らしさ? どの辺なんだろう? ワカラナイ。そんなで、最後は完全燃焼的気分と、不完全燃焼的部分を持ち、家路に着きました。
 また、雨にやられました。行きに、早々と洗礼を受け、また、帰りに、あとちょっとのところで、また、雨。昨日から、やられっぱなしです。




2007年 9月 24日(月)午前 8時 35分

 世間では、3連休、黄紺的には、2連休半。この「半」というのは、午前中働いたからだけど、土曜日に、定時に出勤するというのは、「半」以上働いた感じがあるから、限りなく、2連休に近いと思っているのだが、その1日目は、アクシデントに見舞われて、鬱屈とした夜を過ごすことになった。この日は、午後の部と夜の部に分けて、2つの催しに行こうとしていたのが、昼の部で終わってしまったのだ。原因は、びっくりするような雨。呆然と立ち尽くすしかなかった雨です。傘の用意は、家を出るときの様子を考えると、無理じゃないかな? 事実、黄紺同様という方が、いっぱい周りに、うじゃうじゃでしたから、ま、自然に負けたというところです。従って、夜に行く予定をしてました「名探偵ナンコ〜よみがえれ!探偵講談」には行けなかったということです。2日連続の講談を避けて組んだこの連休の予定を、根本から覆す自体となったのです。ちょっと、ショックが大きかったなぁ。
 気を取り直して、昼の部の記録を書いておく。「第287回市民寄席〜50周年記念〜」に行ったのだ。黄紺も高校生の頃からお世話になった思いで多き会だ。落語好きの黄紺を育ててくれた大切な会が、記念の会を迎えたというので、外せませんでした。そして、この会は、第1回の会を再現するというコンセプトのもと開かれました。ですから、会場は、レトロな祇園甲部歌舞練場、パンフの中に第1回の番組表が、そのまま織り込まれてる、そして、番組自体が、第1回のものを基本ベースに作られていたのだ。その番組は、吉弥(福郎)「東の旅の発端〜煮売屋」、小米朝(米朝)「崇徳院」、松喬(枝鶴、のちの6代目松鶴)「高津の富」、染丸(小文枝、のちの5代目文枝)「稽古屋」、福団治(先代染丸)「景清」と並んだのです。( )内は、第1回のときの演者です。第1回のときは、これに、あと2席(玉団治「高尾」、現3代目春団治の福団治「いかけ屋」)あったそうですが、昨日は、太神楽の海老一鈴娘が出て、それに、50周年記念の口上(口上:福團治、染丸、松喬、司会・小米朝)があったのです。ヘビーな演目に、重厚な出演者、豪華という言葉が、また、会場に相応しい。この豪華な番組で、一の楽しみは、実は、海老一鈴娘との遭遇。もう、彼女がデビューして10年は、だいぶと越えていながら、1度も遭遇したことがなかったのだ。とても可愛くて、でも、刃物の芸で冷や冷やさせると評判のお姿、、、拝見できたのですが、なんせ、黄紺の席が遠くって、雰囲気だけしか分かりませんでした。肝心の落語では、実は、小米朝が、この日の秀逸なのです。前に聴いたとき、熊五郎が出てくると、トーンを変えるんですよね。ときどき、急に気張る箇所が出てくるのが気になる人だったんだけど、この日は、それがない。記念の大きな会ということで、気が乗ってるのでしょうか、部署部署のレヴェル調整が決まってるのだ。芝居の音響でレベル取りに失敗するというのが、小米朝の特徴だと思ってたのが、それがないということだ。これは、広い会場のぴったりのノリを生み出してくれた。この噺、がさつな熊五郎が浮かなければ、小米朝は、人でいけるお得な噺。それが、大ホームランを生んだと言えばいいでしょう。広い会場にそぐわなかったのが、この日一番期待していた福団治。しみじみと聴かして欲しかった、それができる噺家さんの、ましてや「景清」、とっても期待してました。ところが、声のトーンの抑揚を付けすぎました。福団治は、ときとして、声が裏返るようなところがあるが、静かな口調、そして、誇張にならない声の変化、それが、また情緒を醸し出す人だけど、会場を意識しすぎました。変化が大きすぎると、しみじみ感まで吹っ飛んでしまいます。こないだ、米左は、最後、甚平さんが出てきて、手を引いて歩くところを短くして、すぐに雨を降らせましたが、福団治は、常の型でやってくれました。しみじみとお囃子が入ります。あれがあって、雨、雷は、一層引き立ちます。ただ、先の小米朝といい、福団治といい、単なるお目出た噺ということで、サゲを省きました。ま、一つの演出かと思いますが、黄紺的には、サゲは、くだらないと思うようなものでも、サゲは入れて欲しいのです。くだらないと思えば、新しいのを考えて欲しいのです。サゲを入れることによって、夢から覚まして欲しい、噺の世界から目覚めさせて欲しいと思うのです。そういった意味では、染丸は、本来のサゲまで持って行ってくれました。これも、ちょっと無理やりなサゲです。サゲを言うために作った場面です。でも、色事根問の部分とのバランスという意味で、あってもいいかなとも思うのです。少なくとも省くよりは、黄紺は好きです。松喬は、もう、定番。黄紺の「高津の富」は、6代目を除くと、この人のものが基準となってしまってます。吉弥は、やっぱ、こないなときに起用されるのですね。大ネタを一つ任せてもいいくらいの人なのに、その噺家さんを、トップに持ってこれる、これが、市民寄席の贅沢なところです。その昔、小米時代の枝雀が、市民寄席のトップに出て、「軽業」を出してたのを思いだしてました。35年ほど前のことでしょうか?
 市民寄席が終わったのが、5時8分。速攻で、下に降りました。辛うじて、福島まで行けるかと思ったからです。そして、レトロな通路まで出て、茫然自失。凄まじい雨が降っていたのです。そういえば、開演直後、屋根をすごい音で雨が叩きつけてたのを思いだしてました。ただ、ただ、立ち尽くすだけでした。日傘を持ってきていても、雨傘の人は、ほんの僅か。黄紺同様、出口の古風な佇まいのなか、多くの客が、呆然としていました。これで、終わりました。あとは、すごすごと家路に着くだけでした。悲しいわ。




2007年 9月 23日(日)午前 10時 23分

 ここまでの日々の遊びを振り返っておこうと思う。18日(火)は、ワッハの4階に出かけ、「復活!the左らくご」に行った。この日は、仕事が長引くことが分かっていたので、でも、長引いたけれど、こちらの思惑通りの時間に出ることも出来たので、こちらの会に、無事、間に合い、開演直前まで、コンビニ食品を詰め込んでおりました。桂米左の会なのだが、これが、なかなか味わい深い会で、とても満足度が高い会となった。番組は、二乗「ろくろ首」、米左「竹の水仙」、福矢「天災」、米左「景清」で、なかなか好ラインナップ。米左の2席の間にはさまれて、福矢の出番があるのも、いい。そして、当日まで伏せてあったネタが、「竹の水仙」と判り、正直、ガッツポーズであった。「竹の水仙」はネタ下ろしの模様。案内を作ったときには、まだ、仕上がってなかったからと言ってましたから。そして、このネタが浪曲から移植ネタであり、それを手がけたのが、枝鶴であり、その弟子の小つるの名前も出ていたので、まあ、そちらからいただいたのでしょう。米朝一門じゃ、他に、演じ手はいないんじゃないでしょうか? 正直言って、米左は、大味な語り口になるきらいがあるのだが、その雰囲気が出たのが、序盤だけだったのが、何よりもホッとしたところ。この人が、大味になっちゃうと、宿屋の亭主も左甚五郎も、判らなくなっちまう。ただ、甚五郎に、すっとぼけたというか、ちょっと煙に巻きそうな雰囲気と言う意味ではとか、両者の掛け合いの間の微妙ないじり方とか、まだまだ満足の判を押せないけれど、大槻玄蕃と宿屋の亭主とのやりとりなど、なかなか引き込まれました。一方、「景清」の方は、定次郎のぞんざいさが良かったですね。投げやりになりつつも、希望を棄て切ってはいない男の悲哀が出てたと思います。しみじみ、たっぷりという人情噺としての形容詞が、終わった段階で、黄紺の頭の中を流れて生きました。いいものを聴かせてもらった感じです。その間を取り持ったのが、福矢。おなじみの、思い出多き同棲生活で笑わせ、これでもかと、自らのキャラをアピールすれば、このネタに入れば、もう、やりたい放題って感じ。ホント、福矢に合ったネタ。聴きながら、福矢に合う、これほど合うネタあるだろうかと考えてしまいました。また、ネタ並びもいいですね。だから、ますます、米左も福矢も光っちゃいました。更に、前座の二乗まで、いい出来。このネタを持ってることは知ってたのだが、初の出会い、ま、こういったライト感覚の落語的面白話、二乗が、丁寧に描けば描くほど、心が軽やかになります。
 翌水曜日(9/19)は、繁昌亭での待望の二人会。「月亭遊方・三遊亭白鳥二人会」があったのだ。東京で、新作で活躍する白鳥を、大阪で聴けるというのは、ホント、ありがたいこと。繁昌亭様々だ。まず、番組を書いておくと、たま「兵庫船」、白鳥「戦え・おばさん部隊」、遊方「たとえばこんな誕生日」、(中入り)、白鳥「刻そば〜白鳥版〜」、遊方「わすれうた」だった。「兵庫船」は、最近出なくなりましたが、たまがきっちりとおもしろさを伝えてくれました。「矢橋船」といい、ボケ役の描き方がうまいですね。そして、いよいよ白鳥の登場。「おばさん」は、おばさんを自衛隊に入れてしまう、更に、イラクまで行かせちゃうというすごいもの。おばはんのおもしろ噺は、数多いけど、ここまで行っちゃう過激さ、これが白鳥テイストと看ました。ここまで行っちゃうと、引くか、のめり込むか、どっちかだもんね。黄紺は、のめり込む口です。その上を行く過激さ、素材ではなく、噺の運びで、びっくりしたのが、「刻そば」。前半は、ごく普通の流れ。でも、後半に入るとやりたい放題。ついには、座っていた座布団を手に取り、そばを打つマネまでやっちゃった。小さん・志ん朝二人会の前座でも、これやりましたに、会場は大どよめき。遊方に言わせると、このネタは、白鳥の鉄板ネタだとか。やっぱ、噂どおりの噺家さんです。一方、遊方のネタは、「誕生日」が、自分的には大化け。この噺、こんなにおもしろかっただろうかと思うほど、笑っちゃいました。救急車の中のハッピーバースデイは、最高です。白鳥のアナーキーさに、このネタは、完全にシンクロしていました。もう一つの「わすれうた」は、過激にはなってなかったです。ここまで、過激なネタが連なったからでしょうか、このネタが、最もまとも。かなり、寝不足だったためか、ここで、ダウン傾向でした。
 木曜日は、医者通いの日。1軒は、予約があったので、その指定された時間に行ったのですが、もう1軒は、同じ日に固めようと思っていったところ、木曜日の午後は休診でした。また、どこかで、いい日を探さねばなりません。
 翌金曜日(9/21)は、TORII HALLに行った日。「雀三郎みなみ亭 第2回雀三郎十八番」の3日目を覗いた次第だ。今回のこのシリーズは、久しぶりの「小倉船」をターゲットに、この日だけをチョイスしました。で、番組は、雀喜「牛ほめ」、雀三郎「明るい悩み相談室」、染丸「辻占茶屋」、雀三郎「高津の富」《中入り》、雀三郎「小倉船」というものでした。この日は、「高津の富」で、びっくりのハプニング。高津神社での籤が引かれる前に、群衆が勝手なことを言う最後の当たりで、雀三郎が絶句。どうやら、思いついたくすぐりを入れてしまったため、どこまで行ったかが分からなくなってしまったよう。この人でも、こないなことがあるのかと思うような事件でした。出来は、中島らも作品が秀逸。前に聴いたときも思ったこと。もう一人、相談に来る人がいたらええのにと、これは、おもしろいネタだから、ついつい思ってしまう贅沢な注文なのです。でも、中島らもは死んじゃったから、無理だよね。「高津の富」は、雀三郎にしては、平板な印象。嘘つきの旦さんも、恰幅がいいのか、単なる田舎者なのか、その辺の姿が、あまり思い浮かばない、これって、雀三郎のネタでは、極めて珍しい。しつこくされる「高津の富」が嫌な黄紺にとっては、この方がいいのだが、だけど、雀三郎的テイストがないと、これも、また寂しいのです。「小倉船」は、雀三郎の手がける唯一と言っていいくらいの芝居掛かりのネタ。海に入ってからの切れという意味で、不満が残りました。非日常の世界に入ったところなのに、日常のうだうだ噺調だったんだなぁ。もう、10年ほど前に、同じホールで聴いたときは、そうじゃなかったのにと、ちょっと年齢を感じてしまいました。雀三郎の場合、ネタによって、最近、これを感じるときが出てきています。「小倉船」は、その中に入ってしまいました。ゲストの染丸は、お得意のネタ。やっぱ、このネタ、好きになれないなぁ。
 昨日の土曜日は、勤務日。午前中だけの勤務でしたので、午後からお出掛けです。まず、十三の第七芸術劇場へ向かい、韓国映画「キムチを売る女」を観ました。先日まで、心斎橋で行われていた韓国映画フェスティヴァルと違って、こちらは、エンターテイメント映画じゃない。にも、拘わらず、おばさんも来てます。終わったとき、同じ調子で来てたら、しんどかったやろな、そう思わせる映画です。この映画、珍しく中国の朝鮮族の世界が舞台です。従って、科白も、ほとんどが中国語です。そのようななかで、道端でキムチを売る32歳の、なにやら曰くありげな子持ち女の物語です。静かな、科白を抑えた映画です。カメラのアングルも固定されていることが多く、絵画的画面が多く、視覚的に違和感を覚えるように作ってあります。主人公の女が、同じ朝鮮族の男と関係を持ちながら、その男の家族にばれると、最後は娼婦扱いされたり、関心を寄せる中国人警官より関係を求められたり、一緒に住んでいた5歳の子どもも、原因は判らないけど、突然、亡くなってしまうという具合に、孤独と絶望の淵に追い込まれていきます。その絶望感は分かります。パンフを読んでいたり、公式HPを読んでいたりして、書いてあることの内。ですから、絶対的な絶望、孤独、それが描かれている、そこは同意できます。また、中国での朝鮮族のアイデンティティと結びつけて、この絶望感を、考えていいと思います。ですが、最後の****の行為、それのあと、ラストシーンなんだけど、彼女が、家を出て、すぐ近くの駅まで急ぎ足で歩くところを、カメラが、ずっと追いかけていきます。そして、駅舎をホームの方から入り、駅を出ると、ここはこうだったんかという広い麦畑(だそうです、HPによると)が広がり、終わります。そこで出てくる駅舎は、そこまで、列車に乗る人がホームに入るところとしてだけ出てきていますから、外が、どんな風景か、ここで初めて判るという仕掛けです。しかも、駅舎に入る客は、SARSの体温チェックを受けねばならない、そういった光景が3度ほど出てきています。ですから、駅舎の方向に入っていくことは、管理された社会に入ることを意味しているように見えます。で、逆方向に歩くことを、解放を意味するなら意味するとして、それって、日本の文学が、映画が、既に、30年ほど前に扱ったテーマじゃないのって、突っ込んでしまったものだから、今さらと思い、自分的には受入がたく、ちょっと困惑してしまいました。でも、パンフを読んだり、HPを見たりすると、「解放」と考えてるよう。うーん、新しくない。藤山直美主演で話題になった映画「顔」なんか、もっと先を行っている。絶望的状況にあることすら認識してない女(藤山直美)が、突然、人を殺す。一瞬にして、絶望を感じざるをえなくなってしまう。そこから、初めて、時間をかけて、己を見つめることを知るようになっていく、言い換えると「顔」を持って行くということです。ですから、「キムチ、、、」は、朝鮮族の物語として、ローカルネタにとどめるなら興味のある作品ですが、女性とか、人間とかという枠を広げてしまうと、そんなにドキッとするところは、自分的にはなかったものです。こんなところで思いだした「顔」は、ですから、とんでもない秀作だと思っています。エンディングは、浮き輪を付けて海を泳ぐシーンです、あのときの藤山直美の嬉々とした顔、「解放」された姿が想い出されます。ちょっと余計なことまで書いてしまいましたが、映像の新鮮さは認めますが、そして、朝鮮族を描いてくれたことの値打ちは認めますが、黄紺的には、そこまでと思った映画でした。
 その映画が終わって、速攻で難波に移動、この頃、よく行くようになったネットカフェで、小1時間、時間潰しをして、5人しか入れない天丼の店に寄ってから、ワッハ上方4階に回りました。「林家亭9月席〜竹丸は落語ですべらナイト〜」に行ったのです。先日、竹丸の「鹿政談」を聴いて、その位の高さが気に入り、覗いてみようという気に駆られてしまいました。すると、存外おもしろそうな番組に出会え、しかも、とんでもなくいい口演に出会え、大満足だったのです。まず、会が始まる前に、竹丸が、本日の演者を紹介するコーナーから始まったのですが、気を使ってるのか、とても年長者に、いや、それはそうなんだけど、キャリアの深い噺家さんに見えてしまいました。呂竹は、6年目に入ったところで、大のロッテ・ファンだとか、壱之輔は、この日、3つ目の会とかで、売れっ子ぶりを強調したり、こういったコーナーって、普段聴けない話を聴けて、グーですね。肝心の番組は、呂竹「江戸荒物」、竹丸「無筆の手紙」、壱之輔「禁酒関所」、(中入り)、竹丸「立候補(三枝作)」だった。「無筆の手紙」は、この日も、大平は出ないで、お膳の下とされてしまいました。「平の陰」の方が、古臭くていいな。だって、識字率が低くないと、このネタは成立しないのだから。「立候補(三枝作)」は、素晴らしい出来でした。日本人の平均的価値感を、見事にくすぐる三枝テイストと、元NHK記者だからこそできた麻生太郎風演説をでっち上げる見事な技が、絶妙のハーモニーを見せた素晴らしい出来上がりだったのです。いいネタに仕上がったものです。時間も、30分を要し、たっぷり感もあり、いいトリネタでした。失望だったのは、壱之輔。初めて、大きなネタを聴きましたが、素人さんが、頑張って、おもしろくしようとしているっていう感じすらしました。こういう所作、科白をとれば、おもしろくなるだろうと思って入れてるんでしょううが、なんか、ずれてる感じがしてしまったのです。ですから、まず、きっちりと演じる必要があるのでしょう。そして、間とか、科白の深みとかを、きっちり抑える必要があるのでしょう。実は、冒頭に出てくる松本の旦さんの位がいいので、最初は、期待したんですよ。でも、関所にいるのが、侍だということを忘れてしまってからは、ぼろつきました。捲土重来、鍛え直して欲しいな。
 ということで、暑い最中、夜遊びを続行いたしました。今週は、フェネルバフチェが、インテルに勝った週でもあります。終了間際になると、ラジオに聴き入っていたのも、この1週間でした。なかなか、寝不足も伴い、きつい週でしたね。ゆっくりと休みましょうか。




2007年 9月 17日(月)午後 11時 39分

 3連休最後の日は、朝・昼・晩の3部構成とした。幸い、昨夜は熟睡度が高かったので、わりかしと爽やかな朝を迎えられた。日々このようであればいいのだが、そんな普通のことが難しい今日この頃である。
 まず、午前中の部は、家を、朝8時半に出て繁盛亭に向かった。「朝染二〜プレ独演会・染二誕生日公演〜」と題して、このあと、東京、大阪と続けて行われる独演会と同じネタを、ここで披露しようという試みだ。熱い染二を応援する人たちが、これまた、熱気むんむんで、繁盛亭に詰め掛ける事態となった。およそ、まだ、10時とは思えない熱い空気が、この日は繁盛亭に漂っていた。番組は、染二「いらち俥」、しん吉「鷺とり」、染二「富久」、(中入り)、染二「蛸芝居」だった。恐らく、独演会では、これに前座をつけて、2時間の構成になるものと思われる。しん吉は、東住吉高校時代、染丸の代行できた染二に教えを受けたと言っていました。言われてみれば納得。おまけに、芝居噺を組んでるとなると、一石二鳥、いつにない心地よい笛の音を聴くことができました、染二は、いい教え子を持って、お得な人です。染二の三席だが、「いらち俥」を、どうして老人設定にしたのでしょう。少なくとも、そうしたら、この老車夫を病み上がりにしてはいけません。ちょっと考えたようで、考えてない演出となりました。市電とぶつかりそうになる行きの場面で切り上げました。ひょっとしたら、独演会では帰りまで入れるのかもしれません。「富久」は、受賞歴があったのかな、ちょっと自信がありませんけど、聴いてみて、これはこれでいいんだけど、最後の、娘や妻と暮らそうと決心する伏線が欲しいな、それも含めて、骨ばっかって感じで、余計な贅肉のない構成にしてるので、遊びを少し入れたり、情感を出す工夫とかがあったりすると、たっぷり感が出ていい味出ると思うのですが。「蛸芝居」が、一番満足かな。お囃子との打ち合わせが心地よいですね。見事に決まってました。気に入ったというか、ちょっとした驚きだったのが、蛸の退場に早笛なるお囃子を使ったところ、能だったらシテなどの入りの場面に使うのですが、退場に持ってきて、えらく位の高い場面にしてました。太鼓は誰がたたいていたのでしょうか? 染丸? 笛はしん吉でしょうから、太鼓と合わせて、びっくりするうまさでした。それに対応できる染二の噺にも位があったと思います。もちろん、最後だけじゃないですよ。米朝のような、ちょっともったいぶるような感じも欲しいと思ったのですが、そこまで言うと、贅沢すぎるかな?
 昼の部に備えて、いつもの南森町のネットカフェで、時間を潰したあと、テアトル梅田に回り、映画を観た。ところが、階段を下りるところの掲示で、あちゃ〜です。こないだ内から、散々、やられていた立ち見のみの貼りだし。今日は、夜も出かける予定だったので、確実にHP更新作業のできるところとして、南森町のネットカフェを選んだのが、裏目に出てしまったのだ。こういったハリウッド映画を上映しない映画館に、人が足を運ぶ、映画自体の人気が上がっているのか、シネコン系の人気が落ちているのか、私が知ってるわけはありませんが、こんなこと、前にはなかったよなと思ってしまうのです。前口上はいいとして、ここで観たイタリア映画「題名のない子守歌」は、「ツォツィ」以来の感動作品です。サスペンス・タッチなどと言わず、サスペンス映画です。テンポが目まぐるしく動くので、最初は、頭が付いていくか心配だったのですが、流れは外さないように作ってあるからか、その流れを掴みさえすれば、急に、そのテンポが落ち着いてくるのだ。そのようななか、何かが起ころうとしていることは解るが、何がは、映画の中で解明されるまで判らなかった。極めて、今っぽい、ヨーロッパの課題だろうにだ。死んだはずの人間が生きていたりと、若干、不自然さを感じてしまう部分もあったが、確信の謎の部分が解明されたときには、どうでもよくなるほど、納得の謎の部分なのだ。主人公の女性がウクライナ人という設定を、なにやらしっくりこないと思いつつも、それ以上想像を向けなかった自分を恥じる思いだ。ラストシーンでは、涙が流れてしまった。流すに足る映画だと思う。イタリア・アカデミー賞、この映画を観て、その賞の値打ちを見た思いがした。立ち見だったが、実際は、床に座っての鑑賞。そんな態勢で、こんないい映画を観て、記憶が深くなるばかりです。
 そして、夜は、鶴橋に回り、食事会。同じ職場に2度一緒になったことのある方からのお誘い、歳を重ねると、こういった機会が増えていくのでしょうね。お馴染みのアリラン食堂で、腹一杯の韓国料理を食べ、トンドン酒を呑み、楽しい宵を過ごしました。




2007年 9月 17日(月)午前 7時 33分

 昨日の日曜日も、昼と夜の2部制を取った。まず、繁昌亭の昼席に行った。9月16日ということは、繁昌亭1周年の翌日ということになる。この日も、それを記念した特別興行として、いつもより1人多い11人の演者が出演、しかも、大看板が3人出演と、ノーマル料金で、えらく勉強してくれた。昼席に行くときっていうのは、ちょっとわけあり。大したことではないのだが、福笑がトリで出るというだけの理由だ。同じような考え方をする常連さんを、少なくとも3人は見かけた。やはり、福笑人気は、只者ではない。ただ、明日からの1週間は、全部、福笑がトリだから、あせることはなかったっていうことは、あとから分かったことでしたが、ま、それはそれで、いいやの気分です。
 この日の番組を記しておく。呂竹「寄合酒」、猿笑「ラヴレター」、しん吉「道具屋」、チキチキジョニー「漫才」、八天「千早ふる」、呂鶴「青菜」、(中入り)、恭瓶「転失気」、遊方「絶叫ドライブ、彼女を乗せて」、春之輔「まめだ」、鶴笑「パペット落語 侍出世物語」、福笑「延陽伯」だったが、目新しさのないネタが並んだ。福笑は、日曜日の繁昌亭は、このネタに決めているのかと思うほど、続いてしまってます。平日は、新作を並べてるようなんですが。ちょっと、その辺を考えて、これからは追いかけてみようと思う。おもしろかったのは、八天が代演とはいえ、兄弟弟子の遊方と同じ日に、繁昌亭に出てること。恭瓶の静かな口演が、下手するとくさくなるこのネタの本当の楽しみ方を示してくれて、快演と言えると思ったことが、とても気に入ったことくらいが、書き残すことか。そして、漫才のチキチキジョニーは初物。大教大出身の女性2人の漫才とは知らなかったけど、そのキャリアを、上手く取り込んだネタに、感心しとりました。尻取りも、なかなか用意周到なネタで、とても好印象を持ってしまいました。
 夜の部は、ワッハの4階だ。ここまでの時間は、いつものように、南森町のネットカフェで過ごす。昨日は、簡単に、HP更新用記事は完成。そんなで、ワッハ4階での落語会は、「福楽の底力」。この会は、情報として、全く流れておらず、黄紺も、先日、同じワッハの4階であった他の会に行ったとき、1枚だけ、この日の会のチラシが貼ってあって知った次第だ。だから、客は少な目。これ以上少ないと、勘弁してもらいたい、ぎりぎりの数か。番組は、鉄瓶「平林」、福楽「京の茶漬け」、岐代松「手水廻し」、福楽「首提灯」だった。鉄瓶は、2度目の遭遇。愛くるしい喋り方は、好感が持てる。どんどん、落語に挑戦して欲しいもの。岐代松は、退院後、初めて拝見。医者から、正座は15分までと制限されているとかで、お得意のネタ。でも、まだ、リハビリ期間か、以前はなかった噛み噛みの口演。冷や冷やしながら、でも、それを楽しみに聴いている意地悪な客なのです、私たちは。福楽は、悪い癖です。ぞんざいな部分がでてしまいました。それがおかしさになる人なのだが、昨日は、本当にじゃまくさそう。ちょっと嫌な感じです。以前の、悪い印象が蘇りました。「京の茶漬け」は、露骨に飯食わせろ的な科白はダメなんだけど、入れてしまってます。それさえなければ、あまり演じ手のない噺だけに、貴重な演じ手になるんだけどなぁと思いながら聴いていました。惜しいです。「首提灯」の前段、酔っ払いと言うより、変な親父の顔が出てしまってました。もうちょっと丁寧に演じて欲しい。後段も、なんか急ぎすぎ。急展開して、客席から軽い悲鳴まで上がってるのだから、ちょっとそこを煽るようにもったいぶってもいいと思いました。猟奇的であって、落語的な終盤を楽しませてよと思ってしまいました。1時間20分でお開きです。いろいろと楽しい話のできる人なんだから、ましてや、自分の会なんだから、もうちょっと楽しませて欲しかったなと、その辺で、ぞんざいさを感じてしまったのです。
 3連休最後の朝を迎えています。今日も、遊ぶぞの勢いです。でも、暑いですね。なんとかならないかな、朝晩は涼しいんだけど、そのあとの気温急上昇が、余計にしんどくさせています。でも、頑張って遊びます。




2007年 9月 16日(日)午前 5時 7分

 不眠系の日々を、この1週間ほど続けてしまってる。その一番ひどい夜になってしまった。連休のどまんなかで、これは、悲しすぎる現実です。しゃーないんで、SHOW-RADYOにアクセスすると、最近、つながらなかったのにつながった。でも、サッカー中継をしていません。どうしたのでしょうか? そんなで、ちょっとやるせない気持ちで、昨日の2部構成のお出掛け記録を認めてみます。
 まず、1ヶ月ぶりの観能だ。京都観世会館であった京都観世会主宰の「京都観世蛍雪会」に行った。客の入りが悪いわりに、外国人客の目立つ日だった。番組は、能「小督」「井筒」「錦木」狂言「口真似」というもので、秋らしくと言っても、外は残暑厳しいなかでの、秋の能が並んだ。好ラインナップだ。「小督」を観るのは、記録を見ると16年ぶりになっていた。この能は、最初に観た山本能楽堂での記憶が、やたら高い。芝垣を斜めに、舞台に敷くという構成が、斬新だったことがあると思う。小品だが、秋の佳品という印象も残っている。身を嵯峨野に隠した小督を、月明かりのもと、琴の音を頼りに探すという風情が、いい。実際は、音は、虫の音に紛れて聞こえてきただろう、そんなことを思うと、興趣は、嫌が応にも増していく。昨日の公演では、間狂言とツレとの問答で、なにやしら不具合があったようで、垣戸が、閉まってるはずのものが開け放たれた状態となり、後見が閉めに出てくるなんてことが起こってしまった。何だったんだろう、そんなことを考えてると、だいぶと、興趣が減退。ちょっとしたことが、風情を損なってしまうものだ。「井筒」は、長かった。黄紺は、観能をするとき、必ず時間計測をする。それによると、この日の「井筒」は、なんと、1時間49分を要した。非常に、謡の上手なおシテだったが、情緒たっぷりは、冗長に通じてしまった。謳いに神経を集中して、肝心の、茫漠たる東屋の雰囲気は伝わってきませんでした。「錦木」は、陸奥の民俗的習慣を取り扱った作品。恋い焦がれて、それが実現しなかった男の物語でもある。そして、鬼になった男に舞を舞わせることを主眼としたもの。おシテの主張は、後シテの使った面を見て、くっきりとなりました。普通の怪士系の面ではない、でも、怪士系と、ぱっと見で判断しちゃうというもの。普通の怪士系を用いる曲とは異なる熱い思いを、胸に秘めているという主張が汲み取れました。細長く、人間的な温もりを感じさせはするが、一見して、その異様さにたじろがせる迫力のある面に、見入ってしまいました。地謡が、とてもおシテに協力的で、黄鐘早舞に至る地謡の迫力は特筆ものです。おシテの力強い謡や動きに、見事に調和していて、総合力を感じさせてもらいました。この日一番で出来でした。トメの足拍子が終わり、お囃子も終わったら、5時15分、焦りました。だって、夜の部が、大阪で、7時開演だったものですから。
 夜の部は、雀のおやどでの「雀三郎つるっぱし亭」だったもので、うまくいけば、晩ご飯は、鶴橋で韓国料理と考えていたのですが、見事、外されました。昼も晩も、コンビニのパンとおむすびと、悲しい1日となったのでした。で、番組は、吉の丞「桃太郎」、雀三郎「時うどん」、つく枝「嬶違い」、雀三郎「地獄八景亡者戯」だった。「地獄」は、公表されてなかったものですから、それが、雀三郎の口から伝えられると、客席から、ほーっと言う声が上がり、拍手まで出ました。黄紺は、可能性を感じていましたが、まさかと思いつつ、でも、軽い噺が続くなと、そんな感じでいたところへ、「地獄」と言われ、拍手をしたくちです。こないだの吹田も独演会用のネタをお試ししていたので、可能性を感じていたのでした。これで、結局、雀三郎の独演会を飛ばすことができるようになりました。所要時間は、丁度1時間、雀三郎によると、もうちょっと刈り込みたいらしい。聴いた感じでは、刈り込まないで欲しいな。三途の川を渡った亡者が、地獄のメーンストリートを歩く部分が、どうしても、物足りないものですから。こないだの小米朝の口演でも感じたと同じことを感じていました。もうちょっとしょうもないくすぐりを、ここで入れて欲しいのと、一芸披露で、一曲歌って欲しかったなぁ。これで刈り込みたいとなると、時間的には、6割以上を占めた後半の閻魔の庁前以後なんでしょうが、雀三郎のも、小米朝のも、ようやくここまで来たっていう感じがしなかったのだ、それだけ、筋立てにこだわった演出になってる感じがしました。遊びだらけ、いや、全編ギャグなんだから、ここから、噺が動き出すぞという前を大事にして欲しい、変化を持たして欲しいと思ってしまうのです。ストーリー性を大事にしちゃうと、「地獄」が普通の噺化してしまうんだよね。残りのネタでは、「嬶違い」が珍しい。黄紺も、昔は、何度か聴いたんだけどなぁって感じで聴いておりました。誰で聴いたんでしょう? 呂鶴かな? 鶴三時代の松喬かな? その辺だったかと記憶しています。文枝がやってたという記憶はありませんでしたが、つく枝は、文枝の持っていたテープで覚えたと言ってました。これも、新しい発見です。床にねぎが生えてる部分は、やたら生々しくて、よく覚えてます。全体としては、単純な取り違えネタ。でも、つく枝は、いろんな噺に手を付けてくれてます。嬉しい限りです。「時うどん」は、「引っ張りな」ヴァージョン。たまも真っ青な欲張り男が登場します。やっぱ、聴き終わると、うまいなぁと感嘆の言葉を吐いてしまうのが、雀三郎の会です。
 そんなで、振り返ったところで、5時を回ってしまいました。いいかげん、寝ないと、今日のお遊びに支障となります。




2007年 9月 15日(土)午前 9時 30分

 3連休に入っている。ようやくという感じだ。涼しくなってきたからだろうか、昼間の暑さが耐えきれないのだ。クーラーが満足に効いていないと、体がぐったりしてしまい、昨日などは、かなりきつい勤務だった。それも、何とか潜り抜け、3連休です。率直に嬉しいのです。そこで、この1週間を振り返っておこう。
 先週の日曜日(9/9)は、昼と夜の2部制をとった。昼は、最初は、「岡町落語ランド」に行くつもりをしていたのだが、夜の予定のことを考えて、「吹田さんくす寄席」に変更した。開演時間と場所を考えてのことだ。もちろん、この2つは迷った挙げ句の洗濯だったもので、吹田の会に不満があるわけではない。番組は、石松「動物園」、三幸「四人癖」、染二「稽古屋」、雀三郎「悋気の独楽」だったが、当初、開口一番に名を連ねていた林家央二は、師匠の染二によると、破門をしたとか。一瞬、どよめきが起こる会場、黄紺も、びっくり。正式入門後半年の惨劇だ。何があったのでしょうか? その染二のこのネタ、ちょっとミスマッチかと思えるのだが、これがおもしろい。このネタの粋さのような顔じゃなくって、爆笑部分をクローズアップすると、こうなるのかと思わせられました。このネタは、どうしても、文枝の口演が耳に残るものだから、規範となってしまってる。それを覆すパワーを持つ口演に拍手だ。雀三郎の「悋気の独楽」、これもそぐわない。そもそも、持ちネタだったことも知らなくて、今度の独演会で出すと知って驚いていたところだった。で、聴いてみて、合わないなぁの感想、ごりょんさん、丁稚、これが合わない。おなべだけ合ってもなぁ、そんなで、ネタ選びがどうかという最初の疑問に戻ってしまいました。
 落語会が終わると、JRに飛び乗り、大阪駅経由で心斎橋へ。この日も、韓国映画を観ようと馳せ参じたのだ。吹田からだと、岡町と違って、映画を2本観れるという判断をしたのでした。1本目が「恋愛の目的」、どの映画だったかなぁ、雰囲気が気に入っていたカン・ヘジョンが主演の映画だ。いきなり体の関係を求める話から入ってくる。それを受け流すでもなく、聞いてるでもなくというカン・ヘジョンの演技が光るが、そういったいきなりの入り方なものだから、先が読めてしまうけど、学校内内での男女関係という設定を使い、アッという終息が予定され、そして、お約束の、先を読めた終わり方をしてくれる。それが、恋愛の目的なんでしょう。2本目は、「ウォンタクの天使」。事故で亡くなった父親が、天使により、息子ウォンタクの同級生として、期間限定で生き返させられるという設定。そして、生き残った妻と息子、亡くなった父親3人の家族が再生されていくという筋立て。だが、家族が再生されれば、それだけ、別れが待っていることの悲しさが増してくるものだから、分かっちゃいるけど、悲しみが増す。涙です、涙、涙の映画です。たっぷりと泣きました。あまりに出来すぎの、臭い設定を、とやかく言いますまい、それが、韓流なんだから。
 月曜日(9/10)は、繁昌亭夜席の一周年記念特別興行「あやめ・坊枝 姉弟会」に行った。1年違いの同門、2人が会をするのは初めてとか。番組は、大ネタを文枝縁のもので占め、お互いの得意ネタを出してくれた。番組は、三幸「牛ほめ」、あやめ「コンパ大作戦」、坊枝「天王寺詣り」、(中入り)、対談「あやめ&坊枝+文福」、坊枝「ちりとてちん」、あやめ「船弁慶」だったが、自分的には、ようやく出会えたあやめのトリネタと、対談が良かった。あとの高座は、もう十分に聴いてきたということで、こんな書き方をしています。「船弁慶」は、かつて、あやめ本人が、文枝が演じたと基本的には、そのまま踏襲したという、正に、そのまんまの本格的なもの。女流が古典を演じるとき、工夫をしたり、設定を自体を変えたりするのが多いが、それをしないで、そして、違和感のない口演って、そうはないもの。男が演じる女を女が演じ、また、男を女が演じ、ここまでしっくり入ってくる、これは、大変な技量だ。新作を始める前のあやめを知る者として、この技量的向上は、驚嘆に値する。対談は、両者の近さを知る者、また、楽屋裏でのお遊び的交流、文枝一門の結束の強さを知るいい機会を与えてもらいました。殊に、文福は、邪魔やと思いつつ、その暖かさを伝えるメッセンジャーのような感じがしました。とっても、いい対談でしたよ。
 火曜日(9/11)は、JR天満駅近くの北区民センターであった「天満講談席」に行った。繁昌亭の「呂鶴・呂竹親子会」、ワッハ4階の米二の会を蹴って、講談の会に行った。徐々に、自分のなかで、講談の占める位置が高くなってきている。でも、この日は、途中でダウン。情けないね。全滅かと思うくらい疲れてたので、良しとしましょう。番具には、南青「三河屋幸吉」、南湖「堀部安兵衛の生い立ち」、南華「大塩平八郎」、南北「大石の東下り」だった。前の2つしか記憶にないのです。南華の口演を聴いていて、聴いているのに、筋が追えなくなってしまっていました。そんなで、前の2つの記録です。南青のネタは、「寛政力士伝」の内、谷風の七善行の1つだった。単純な話で、ちょっと物足りなかったかな? それに比べて、南湖のネタは、当然、赤穂義士伝からの抜き読み。話が進んで行くに連れて、なんで、これが誕生秘話ってなってくるのが、いい。こういった手の込んだ話がいいけど、体調との相談だね、あくまで、それは。
 水曜日(9/12)は、僅か1時間の振り替えの休暇を取り、心斎橋へ。今回の韓国映画フェスティヴァルの最後の1本を観ようとの試みだった。しかし、おばはんパワーはすごすぎる。危うく、返り討ちに遭うところでした。この日観たのは、「サム」という刑事びんびんもの。それに一味加わっている。デジャヴにより、次なる出来事が想像されてしまうという味付けがされている。ただ、そのデジャヴが、なぜ起こるのか、何があったのかが、明確でない。そんなことはいいじゃないか、おもしろければということかな? ま、いいかなとも思うのですが、、、。そんなで、韓流映画にこだわり、そして、何を観ても楽しませてくれるものだから、また、こだわってしまいます。韓国語の言い回しも、ちーとは覚えるしと、いいこと尽くめです。
 翌木曜日(9/13)には、ワッハの4階であった「つくしんぼ落語会」に行った。同5階の千朝独演会の開演時間と比べて遅い方を選んだのだ。この会は、人気があります。落語通の方々も、顔を揃えています。番組は、雀五郎「みかん屋」、つく枝「後家馬子」、福矢「お玉牛」、(中入り)、つく枝「高津の富」で、お目当ては、珍しい「後家馬子」だ。このネタは、珍しい。そして、聴いてみて、かけにくい内容が含まれている。また、難しい。前半の井戸端会議に比べて、後半の身投げ話など暗すぎて、対比が難しい。そういった意味では、つく枝は得な人だ。前半のにぎやか雰囲気は、そのキャラからして、お手の元。それが出れば出るほど、後半が生きてくる。何が起こるんだろうという「首提灯」を聴くときの雰囲気に似ている。貴重な噺を手がけてくれたものです。ぜひ、磨き上げて欲しいものです。一方、「高津の富」は、からっけしのおやっさんのキャラを、くっきりと出したものだからか、籤の発表のあるあたりは、むしろあっさりめの仕上げが心地好い。ただ、ちょっと平板かな? 高津神社の場面で、あっさりめに、そして、そこに集う人々のキャラに工夫があれば、もう一段グレードが上がるのではと思いました。つく枝いじりで、客席を、ぎゃーぎゃー言わせたのが、福矢。この人の、こういったいじり話、放蕩的話に、彼女ネタは、いつ聴いてもおもしろい。また、「お玉牛」が、人に合ってます。とっても、得をした気分です。前座の雀五郎も、お気に入りに噺家さんなので、この会は、大満足でした。
 金曜日(9/14)は、京都北座ビルであった「北座 染屋町寄席〜桂三枝創作落語の会〜」に行った。番組が気に入り、繁昌亭の「花丸・染雀二人会」を捨てて、こちらに回ったのだ。で、その番組は、三四郎「二人ぐせ」、三金「読書の時間」、都丸「鯛」、三歩「鯛U」で、「鯛」を、2つとも、異なった演者で連続で演じるという試みがそそってくれたのだった。三枝創作落語を謳うんだったら、どうして、三四郎も、三枝作品にしなかったのでしょうか? 三枝直伝の古典落語という触れ込みだったが、三四郎の持ちネタに、三枝作品があるのだからと思ってしまいました。「読書の時間」は、父親の読んでる本を学校に持って行ったら、その本が、実は、エロい小説だったという話。学校で、朗読を求められた息子が、本を開けたときの反応がいいですね、三金。相変わらず、達者な筋立て、それに見合う演者です。都丸のこのネタ、3度目くらいでしょうか? マクラで、彦八まつりの実行委員長として企画した落語会の報告や、三枝にネタをもらってから、三枝が弟子にも、許可を出さないと三枝作品は口演できなくなった話とか、いずれも興味津々の話で、客席を暖めて、暖めてで、「鯛」に入るときは、もう、何を言っても、おかしくってという状態にもっていってました。「鯛Tにも、細部でくすぐりをいれたりと、かなり手のものになっていました。さすが、都丸当たりが練り上げていくと、とってもいい感じになります。「宿題」以外も、もっと三枝作品テーラーになって欲しいと思ってしまいました。それを受けての「鯛U」、三歩は、トリだということで、ちょっと緊張気味なんでしょうね、いつも以上の媚び笑いをして、会場に溶け込もうとしてました。ただ、肝心の六が、太平洋を目指して泳いでいくところをカット。これが、致命的。あすこで、BGMが鳴って、これからどないなるんだろうと思わせられるんだけど、あれ、省いちゃったから、急に、薄っぺらな噺になってしまいました。三歩によると、三枝は、今、「鯛」のエピソード編として、若きぎんぎろはん物語を創ってるとか。このネタ、どこまで広がるんでしょうと言ってました。これは、ホント楽しみな情報でした。
 そんなで、ようやく1週間を振り替えれました。さ、これから、3連休です。嬉しいです。遊びながら、体調を整えます。




2007年 9月 9日(日)午前 5時 3分

 全くフリーの土曜日、午後と夜の2部制で遊ぶことを企画した。結構、考えて組んだのだが、その最初で、いきなり躓く。心斎橋で、またしても挫折、いや、一度挫折を経験をしているから、返り討ちにあったというのが正解かもしれない。例の「韓流シネマ・フェスティバル」に、またもや入れなかったのだ。恐るべし、韓流、いやいや、おばはん族だ。土曜日なんで、危険が付きまとうと思い、上映開始2時間前に行って、ソールド・アウト。映画館の人、「今日は、プレゼントがありましたから、朝からいっぱいで、、、」なんてことを言ってました。隣のチケット売り場で、そのプレゼントをもらってるおばはんがいたんだけど、そのプレゼントというのは、俳優のカード。おいおい、それ、ガキのプレゼントやんけと、せめてもの鬱憤晴らし、そんなことを、口に出さないで囁いていました。でも、これが起こることは織り込み済み。第2弾、第3弾を用意しておいたのだ。即、地下鉄に乗って梅田に移動。OS名画座で、イラン映画「オフサイド・ガールズ」をやっていたのだ。新聞紙上などで、その存在は知っていたが、本来は、今日、観るのではなく、他の日にと考えていたのだが、この機会にと選んでおいたのだ。幸い、こちらは、楽々、チケットをゲット。ただ、悲しいことに、OS劇場は、近々、なくなるそうで、名画座の方は、これが、最初で最後になりそうです。いい劇場です、広さと言い、インテリアと言い、残念です。
 映画「オフサイド・ガールズ」は、サッカー・スタジアムに、女性が入ることを禁止しているイランの法律にチャレンジする作品と、簡単に言うと、そうなる。実際の撮影は、イランが、W杯出場を決めた「イラン vs バーレーン」戦にカメラを持ち込み撮影している。ただ、上のような法律の存在があるため、厳しい制約があるので、場面の展開、変化を用意するのは困難である。それを救うのは、スタジアムに潜り込もうとした女性たちを拘束し、監視する兵士たちの言説。トルコの田舎の、更に田舎のそれなのだ。彼らが語る法律擁護の言説が、その田舎の田舎の言説と調和しているのがおもしろい。いや、そういった計算の上での科白だろう。やがて、彼女らと、スタジアムに爆竹を持ち込んだ男が一緒に、護送車に乗せられる。その中で、イランのW杯出場決定が伝えられる。そこで、1人の女性のよるショッキングな独白がある。護送車の外は、箱乗りに始まり、W杯を祝う人たちの歓喜の渦が広がっている。当然、護送車内も、大騒ぎ。心に沁みる感動が湧いてきた。そして、イランの出場を、映画を観ている私自体が、喜んでいるのだ。そういった感動なのだ。撮影に制約があるために、映画としては、結果的に単調な時間が流れるきらいがあるが、そのなかで、こういった終盤のシーンを観る目が、自然と養われていたように考える。監督は、キアロスタミ監督の助監督をした経験があるそうだ。なんか、同質の感動なんです、その感動が。
 映画が終わると、夜の部の繁昌亭近くへ。お馴染みのネットカフェで、時間潰し。ざっと、トルコ・サッカーの情報をゲットしたのみならず、HP更新材料も完成です。そして、繁昌亭へ。今晩は、「小里ん・生喬 二人会〜江戸・上方の粋な噺」という珍しい組合せの会だ。というのは、2人のキャリアが違いすぎるからだ。ま、プロデュースする人がいないと実現はしないでしょう。番組は、生喬「遊山船」、吉坊「七段目」、小里ん「棒鱈」、(中入り)、生喬「辻占茶屋」、小里ん「居残り佐平次」で、「棒鱈」と「遊山船」は、ネタ出しがなされていなかった。橋の上からの観察がクリアだった「遊山船」で、生喬の口演を聴いていて、はっと気付いたことがあった。浪速橋から喜六が帰ってきたら、もう、街中は真っ暗じゃないかな? そんななかでの、ヨメはんとのやりとり、天窓から、「さっても、、、、」、これは、どないに考えればいいのでしょう? 夕涼みの場面が、あまりにもクリアに描かれたので、そこでの光、明かりを感じてしまった黄紺が、あれれ、家に帰ると、明かりは、どないになるんだと考え始めてしまったのだ。やっぱ、この噺、ムズいです。こないだ、中川兄弟の会のときに、演出まで話題にして欲しかったなぁと、そんなことを思いだしていました。吉坊は、もうちょっと体が欲しいなと、力士に対する要望のようなことを書いています。ちょっとパワー不足を感じるところがありました。体力も芸の内、見栄を切っても、重心移動を感じさせる重さがないと、物足りなさを感じてしまいます。小里んが、マクラで、お酒の話をし出したとき、「棒鱈」だったらと期待したら、なんとその通りになりました。でも、さん喬のウルトラ名演が耳に残る黄紺には物足りなかったのです。キーは、田舎侍の相手をする女の粋さなんでしょうね。しゅっとしたところなんでしょうね。そこが明確になると、田舎侍の可笑しさが際立つのでしょうね。そんな構造だという分析にお役立ちの高座となりました。この高座も含めて、小里んは、以前、松喬などとの三人会で聴いたときに比べて、ちょっと老けたという感じです。小粋さが影を潜めてしまってました。本日一の出来は、「辻占茶屋」。正直言って、このネタは、生喬には合ってないだろうと考えていた。ごっつい声、体が、この廓噺にそぐわないと感じてしまっていたのだ。でも、今となっては、そのごっつさが成功したと言えるかもしれないのだ。どうしても、このネタは、文枝、染丸という、女の艶っぽさを出させれば、抜きん出てる噺家さんにこそ合うものと思いこんでいた。実際には、まぶがいるため、主人公の男など相手にしてない女は、確かに色街の女だから、それなりの色気が要るとは思うが、一方で、この噺の中では、かなり狡いし、男を見下してるという部分を持っている、そんなに色気むんむんという印象を、却って低める言動なのだ。そう考えると、生喬のごっつさで、思いっ切りがさつに描くのも、一つの演出法かと思うのだ。そういった可能性を、生喬の口演は気付かせてくれました。トリの「居残り佐平次」は、あまり好きになれない噺だけど、ま、東京の落語らしい落語だと思っている。この日の口演は、40分弱の口演だった。佐平次を、どのように描くかに尽きると思ってしまうのですが、全体としては、おとなしめの表現。幇間のようなキャラを乗り移らせても、いいかなとも思ってしまうほどなのだが、ちょっと控え目かな? そこへさして、スムーズな口演とは言いにくい箇所が幾つかありました。
 そんなで呆気なく、土曜日が終わりました。この辺まで書いて、アップ直前にダウン。できれば、夜中に起きて、日本の五輪代表の試合をテレビで、そして、耳は、トルコ代表のマルタ戦を聴こうと考えていたのだが、ともに終わってからのお目覚め。日本は、サウジと敵地で引き分けて良かったという感じだが、トルコ代表の方は、よりよってマルタと引き分けてる。しかも、常に追いかける展開だったみたい。こちらは、敵地で引き分けたって、それは負けに等しいこと。あっちゃーの夜になってしまった。




2007年 9月 8日(土)午前 8時 55分

 土日を休める週末を迎えている。ちょっと変化のあった夜遊びをメモっておくことにする。
 9月2日(日)は、前日、たっぷりと彦八まつりを堪能したので、期待の、マニアックな講談会に行った。いや、その会に行くために、この週末の計画を練ったというのが、正直なところだ。その講談会というのは、旭堂南海が企画をしている「TORII 講談席」のことだ。副題がいい。「不幸なること後藤一山の如し」となっている。落語「くっしゃみ講釈」のいじられヒーロー後藤一山をめぐる話を、南海さんが創作したのだ。その番組を記すと、南青「我輩ガ後藤一山デアル」、こごろう「くっしゃみ講釈」、南華「後藤一山の逆襲」、(中入り)、ゲストトーク:小佐田定雄&南海「講談の明日を語る」、南海「帰ってきた後藤一山」。という具合だ。元ネタ「くっしゃみ講釈」を、本職であり、上方落語協会非会員のこごろうが演じ、そこに至るまでの来歴を南青が語り、そして、こごろうの舞台となる。そのあと、南華が、くっしゃみのトラウマに悩む後藤一山が、復讐も出来ずに東京に去るまで。正直、ここでの中入りは惜しかった。実に上手に、元ネタにマッチしているのだ。後藤一山は、どうなるのか、わくわくだった。だけど、最後の南海さんの口演で、ちょっと肩透かし。外伝的な話に終始したのだ。後藤一山でなくとも、いい話を繋げては、あきません。10年後に、大阪に戻ってきた後藤一山が、殺人事件に巻き込まれる、それまでの話との連関性がないではないか。ちょっと失望。期待を持たせておいてしぼむというのも、講談の手法か?
 夜は、心斎橋シネマートに回った。時間調整は、今回も、ネットカフェだ。難波で、ようやく落ち着けそうなネットカフェを見つけたって感じだ。韓流シネフェスタで観たのは、「公共の敵2 あらたなる闘い」だった。もう、検事びんびん物語っていう感じで、そんなんないやろと思うような展開が随所にあるが、ただただ検事が、悪を正す意気に燃えて突き進む姿を追う。主役の検事役の俳優、誰だったか、すぐに思い出せなかったのですが、「力道山」の主役を演じたソル・ギョングだった。気持ちは熱いが、表情は、いつも静かという刑事役を、いい感じで描いてくれている。確かに、存在感のある俳優だ。臭さとしては、なかなか韓国映画らしくて、、、そのらしさに満足するのです。帰りは、遅くなっちゃいましたが、気分は、爽快です。
 3日(月)は、珍しくまっすぐ帰宅。歯医者に行く日だったから、しゃーないわね。おかげで、鶴瓶が寛平と同時に顔を揃える番組を観ることができました。翌4日(火)は、中書島で待ち合わせをして、高校時代の友人が集まった。黄桜のお店で呑むことにしたのだ。福井在住の男が、京都に来ると集まる機会を持っている。黄紺がトルコに行ってるかどうか、こちらのBBSを確認してから連絡をくれたそうだ。大阪から来るものもおり、特急の停まるようになった中書島は格好の出逢いの場所となった。最近、夏になると、ザルツブルクへ出かけている男、リタイアする時期の遅い男は、体が持つかと冷やかされと、久しぶりの語らいとなりました。
 5日(水)は、先週の土曜日に働いた分の振り替えで、午後に休暇をとり、心斎橋に向かった。韓国映画を、頑張って観ようという魂胆だ。2本観た。まず、「卑劣な街」というヤクザ映画だが、今回の集中上映で、最も上映機会の多かったもので、実際、大変な人気で、黄紺が入れなかったときも、1つには、この映画が噛んでいたのであり、この日も、おばはん族の洪水に見舞われてしまった。主役のチョ・インソン人気が原因のようだが、グッズも売り切れるわということで、人気の火のついたスターの凄さというものを見た思いがしました。映画自体は、1人のちんぴらのサクセス・ストーリーであるとともに、失意の結末物語というところだが、この映画のおもしろいところは、ヒール役が見えてこないところだ。もちろん、ヤクザ映画だから、出てくる者は、一部を除いて、ワルばかりなのだが、主人公の対極にいるヒール役が、誰なのかが見えてこないのだ、候補者はいるのだが、それが、ホントのヒールなのか、単なる思わせぶりなのか、その曖昧さが、新鮮な映画でした。もう1つの映画は、夜の部で、間に1本飛ばした、既に観た映画だったからだ。おかげで、ゆっくりと晩ご飯を食べることができた。映画は、「愛するときに話すこと」で、あの「8月のクリスマス」や「シュリ」のハン・ソッキョが主役の映画だ。黄紺は、「8月のクリスマス」しか観てないけど、あの映画の人のいい男の雰囲気、そのまんまで、今度や、薬局の主人に扮していた。そこに現れる女とのラヴストーリー。ただ、2人とも、それぞれ結婚したくともできない事情を抱えている。男は、智恵遅れの兄、女は、父親の残した借金という具合だ。そんな男女の街の片隅でひっそりと進行する愛を、地味に、静かに追いかけるという映画。ここには、韓国映画らしい臭さとは縁遠い作りになっている。だから、ラヴストーリー自体にはそそられることはなかったが、何気ない韓国の街角、そして、ハン・ソッキョの相手役を務めた女優キム・ジスの持つ雰囲気が気に入りました。こんな大スターを使い、なんともはや地味な映画を作ったものです。その勇気に1票です。
 6日(木)は、繁昌亭に復帰だ。この夜は、「新世紀落語の会〜8周年記念公演〜」だった。記念の会ということで、東京から昇太を迎えた会となった。まず、開演前に、ざこばが乱入。既に、酩酊状態。昼席に出て、そこへ、東京の円蔵が、ひょっこり現れたために、呑んでたようです。そして、高座で、ざこばが胡座をかいて喋っていると、横から携帯で写真を撮る手が。気が付いたざこばが、手を引っ張ると、それは、キッチュの松尾貴史だった。そして、しばし、2人でのトーク。おもしろかったのは、結構、有名人が、繁昌亭の客席に入ってるということ。沢田研二や石川さゆりの名前が出てました。隣を見たら、えっでは、緊張しちゃうだろうなと、妄想を働かせていました。番組は、しん吉「長尾さん」、蝶六「娘の結婚」、春風亭昇太「人生が二度あれば」、(中入り)、福楽「ベース漫談」、雀松「マキシム・ド・ゼンザイ」だった。しん吉のこのネタは、吉朝のネタとは言え、もう吉朝の演じた回数を超え、なんか、しん吉スペシャル的な噺になってきた。ネタに入るとき、背広を脱ぐという趣向も、気に入りました。夏だけではなく、飲み屋に入ってくるところだから、冬場でも脱いでいいんじゃないかな? 蝶六の噺は、アコースティックな生ギターがBGMが入るという試み。ただ、ギターが入る必然性はない。だけど、主人公が、スナックに入るたびに弾かれる音楽、そして、主人公が独白を始めるときに弾かれるギターは心地好い、また、ペーソスも生まれる。もうちょっと蝶六の語り口からもっちゃり度が取れた方が、このネタに合うでしょうね。昇太は、相変わらずタイムリーな噺を盛り込むマクラが、心地好い。この日は、前説に現れたざこば情報と、新幹線を止めてしまってる台風情報。もちろん、ネタもおもしろかったですよ。中入り後の福楽も、まず、ざこば情報から、そしてとりとめない話が続く。「ギター漫談」というネタではなく、ベースギターを片手に漫談をするというもの、これは、新作じゃないよ、色物です。この福楽は、昇太と同い年だそうです。そして、トリが、上方落語協会非会員の雀松の得意ネタ。これ、まだ、聴いてなかったんだよね。とにかく聴き終わると、口の中が甘ったるくなると評判の小佐田作品、噂に偽りはございませんでした。おもしろいネタです。ライト感覚のネタなんで、ちょっとトリってものではありませんが、新作の華と言える作品です。
 昨日、金曜日の夜も、繁昌亭に行った。「染丸ワイワイ一座〜芝居噺特集〜」があったからだ。だが、この日は、仕事が忙しく、更に、終わった途端、職場を飛び出してきたものだから、繁昌亭に着いたら、ここが、ようやく手に入れたくつろぎの場所になってしまった。だから、肝心の染丸の2席、完全には記憶がないという醜態を演じてしまったのです。ま、とにかく、番組を書いておきましょう。卯三郎「延陽伯、染丸のおもしろ落語講座「落語と歌舞伎」、染雀「寄席のをどり・五段返し」、小米朝「七段目」、染丸「本能寺」、(中入り)、染二・花丸「軽口・新町橋」、染丸「昆布巻芝居」。染雀の踊りは、3代目の得意技とか、そう言えば、踊り始めの所作を、なんとなく覚えています。小米朝は、気分が乗っていたからでしょうか、団十郎の声色まで、ネタの中に盛り込みながらの口演、この挿入は、とってもグーで、おもしろいものです。軽口は、以前、ワッハの林家亭で見せてもたっらもの、あのときは、ぎこちなさだけが目立っていたが、演じ手も変わったのかな、とにかく、なんか色物でいけそうなノリだった。染丸の2席は、上に書いた状態でしたので、書くのを止めておきます。かえすがえすも、もったいない。
 そんなで、土曜日の朝を迎えています。相変わらず暑い朝ですが、今朝は、台風の影響があるのでしょうか? その辺のかげんは分かりませんが、多少、ましですね。でも、これが、1日中もつわけないだろというのが、最近の天気ですね。ちゅうことで、今日も、たっぷりと遊ぶことにしましょう。




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