2007年 10月 1日(月)午前 5時 46分
日曜日なのにせわしなく終わろうとしている。朝から職場にし残してる仕事をしに行き、ある程度の見通しができたと思い、午後から遊びに出かけてきた。その記録を書いておきたいと思う。
軽井沢亭という落語をするために整えられた場所がある。ざこばの実家で、普段は、ざこばの修行中の弟子が寝泊まりする場所に供されている。場所は、「動物園前」駅からすぐで、じゃんじゃん横丁への入口までもすぐのところだ。なかなかグレートなところにある。一度は、覗いてみなければと思いつつ、今まで、その機会がなかったのだが、今日、それが実現した。入口は、かつての勝手口。そこから直接2階に上がる。靴箱は、2階に用意されており、階段の上がったところに木戸口も設えてあった。普通の家の改造だから、そんなに広くないが、部屋の周辺部には、木のベンチ状の椅子まで用意されており、ざっと土間に置かれている座布団の数も含めて、40人は入れる。となると、茶臼山より僅かに広いことになる。ただ、肝心なところに、細いものだが柱があるのが難点。で、今日の会は、「ちょうばのちょ」ということで、桂ちょうばの会だった。このクラスの噺家さんの会と言えば、雀五郎、雀太、二乗くらいか。この会は、4回目というから、頑張ってると言っていいと思います。内容が伴うかが問われることとなると思いますが。番組は、ちょうば「米揚げいかき」、市楼「青空散髪」、ちょうば「おごろもち盗人」、(中入り)、ちょうば「世帯念仏」だ。「米揚げいかき」は、サゲを変えてしまってました。「たらたらと下がる」という部分を省いてしまってのサゲです。ここを省くと、あの最後のテンポ良く続く景気のいい話が物足りない。落語って、うまく作るもんだなぁと感心している間もなく落とされてしまうので、せわしなくってね。ちょっと、よく分からない持って行き方でしたが、でも、珍しくはないので、どういった了見か、聞いてみたいですね。「おごろもち盗人」は、いいネタに目を付けたものです。小心な盗人、この人の得意とする丁稚さんと言い、合ってますよ。「昭和任侠伝」と言い、「世帯念仏」とは、びっくりさせてくれる噺家さんだ。素人時代のネタを、お許しをもらって演じていると考えていいのやろか?
終わってから、ちょっと時間があったので、軽井沢亭からじゃんじゃん横丁への入口がすぐだったこともあり、新世界を歩いてみた。恥ずかしながら、黄紺は、新世界も、通天閣も初めてだった。すぐ近くまでは、何度か行ったことはあるのだが、まともに中に入るのは初めてだった。とっても観光化されてしまったようで、串カツ屋ばかりが軒を連ねていた。JRの線路下で店が出てたところは、さすがの雰囲気だったが、それ以外では、危なさが消えているという噂は、今の状態しか知らない黄紺だが、その通りかなと思いました。
夜の部は、繁昌亭だ。「松喬門弟会」と銘打たれた夜席に行ったのだ。異様に人が多く、繁昌亭の係員に食って掛かってる場面を、何度も見た。トラブルの原因は、なんなんだろうか? ま、それはいいとして、番組を記そう。喬介「道具屋」、風喬「犬の目」、右喬「二人癖」、遊喬「花筏」、(中入り)、喬楽「始末の極意」、三喬「打飼盗人」。喬介は、三喬テイスト一杯のネタを小気味よく、声の軽いのが生きていた。風喬は、どうしてもNHKの優勝者という目で見てしまうが、まだ、そのわけが分からないのです。ごっつい風体で、ごっつい声でいわす噺がはまるといいのかなぁ程度なのだ、今のところ。右喬は、やっぱ、松喬一門の秘密兵器だ。マクラに、勘当されてた話、親元でのバイトの話と、まともな話なのだが、この人がするとしんみり感が薄れてしまう。得な人です。遊喬は、びっくりの大ネタ。地の部分の多い、難しい噺、ということを再認識。間合いとか、対話になる部分での変化とか、何度もかけていく内に、どんどん磨かれていくのでしょう。喬楽は、師匠について舞台に出るマクラ、ここで、この夜の谷間。昼の部では、市楼のときだった。そして、大笑いの三喬、お得意の盗人ネタは、心地好い。手堅く爆笑を取るネタを選んだという感じかな、これから、師匠松喬の出ない一門会を続けていくようですから。
5時開演だった関係で、帰宅は、いつもよりか早かったんだけど、「お笑い米軍基地」の放送を観てしまった関係で、昨日の記録を明け方アップすることになってしまいました。
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