2007年 11月 11日(日)午前 9時 14分
日曜日の朝を迎えている。久しぶりに、いつもより多めの睡眠をとれた朝である。歳を取ると、前夜の睡眠時間が最大の関心事となる。その日、いくら楽しいことを用意していても、それが、ホントに楽しく過ごせるかは、この睡眠時間にかかってくるのだから。そういった意味では、今日は、いい日になる予感です。その前に、昨日のことを振り返っておこう。
土曜日とは言え、行こうかと思う落語会がなく、ならばと立てた計画は、この機会にとばかり、黄紺の好きな民博に行って、特別展「オセアニア大航海展」を観ようだった。時間が許せば、民博の特別展は抑えよう、そして、ついでに好きな常設展、映像資料を観ようとの考えは、いつも持っているので、その機会がめぐってきただけなのである。このテーマは、とっても気になるテーマ。航海の手段としてカヌーなどの展示が、どうしても主流となるだろうが、一番の関心は、誰が、どういった民族系統の人が、大洋を動いたかということ。それの最新の成果を知りたかった、最大の関心事は、これだ。ですから、それを示す展示を期待していたのだった。そして、ほぼ、その期待に応えてくれた特別展だった言えるのです。「オーストロネシア」と呼ばれる民族の一団が、台湾から東南アジアの沿岸部、島嶼部に住まいし、果ては、マダガスカルまで至り、東は、太平洋の島々にまで至ったというところまでは、予め了解事項だったが、問題は、その先だ。具体的には、サモアやトンガまでは、了解なのだ。その辺の予備知識は解ってるつもりだったのだが、その先の地域について、曖昧な書き方をしたものを読んだことがあったので、その先、例えば、イースター島などは、どうなんだということが、黄紺的関心事だった。そしてら、それも含めてOKということだった。タヒチの北東部にあるマルサケス諸島が、キーポイントとなり、そこから、イースター島、ハワイ、ニュージーランドへ渡ったということだ。但し、ここへ至るためには、かなりの遠洋航海になるので、カヌーの発達を待たねばならなかったと説明されていた。特に、ニュージーランドへは大変だったろう、勇気が要っただろうということだった。気候が違い、海が荒く、航海も、上陸後も大変だったろうと、言われてみれば納得の事柄だ。一つだけ、説明ができないのが、南米原産のさつまいもの存在だそうで、これは、ついには、彼らは、太平洋を越えてしまい、南米大陸に至り、そこから、持ち帰ったろうとの見解が記されていました。そら、ここまで来れば、南米と言わず、北米にも行ったことでしょうね。そんあことを、言語学的、生活様式的、生物学的に証明してくれてました。全てが、台湾起源・東南アジア起源を指すようです。彼らの航海の仕方、現在のマダガスカルからイースター島まで、住んでおられる方々の生活の様子まで、楽しかったわぁ。特別展を観終わったあと、常設展で、研究者のお薦めの一品展や、映像資料を観ていたら、あっという間に閉館時間です。
万博公園から1時間の移動で、夜の鶴橋に着くと、もう、6時を回っていました。丁度頃合いの時間なので、駅前の韓国料理店で、スンドゥプチゲで腹ごしらえ。最近、気に入ってるお店で、この日も満足。鶴橋では、前日も行ったが、講談の1週間連続の続き読みが行われていたのだが、この日が千秋楽だった。南青くんの「塚原卜伝」は、無事に、父親の仇を討つことができました。ただ、金曜日までに、随分と進んでいたらしく、半分ほどが繰り返しになっていました。そして、クライマックスの部分の脚色が弱いですね。これは、南青くんのまだ未熟なところ。時々、感じます。くさくやっていいところは、師匠を見習わなきゃ。南海さんの「不破数右衛門」は、殿中事件の報を聞いて、仙台藩から赤穂まで戻るのが、昨日の話の中心。そして、無事、討ち入りを果たし、切腹までは、とんとのと進み、最後、介錯役には、紀州藩の侍で、その昔、不破が、斬り捨てた侍の息子に務めさせるという話が加わり、これはこれで、大団円。一番冷や冷やものだった南海さんの「八百八狸」。こちらも、お家乗っ取りを企む悪役を、犬神刑部こと大狸の踏ん張りで、最後に、後藤小源太に華を持たせて、小源太も善玉として亡くなり、大団円。いや〜、最後は、いいっすねぇ。次回、如月公演が、楽しみです。席亭夫人の言葉によると、春夏秋冬、雀のおやどでお願いしてると仰ってましたから、楽しみが、一つ増えたことになります。
|