忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2007年 11月 11日(日)午前 9時 14分

 日曜日の朝を迎えている。久しぶりに、いつもより多めの睡眠をとれた朝である。歳を取ると、前夜の睡眠時間が最大の関心事となる。その日、いくら楽しいことを用意していても、それが、ホントに楽しく過ごせるかは、この睡眠時間にかかってくるのだから。そういった意味では、今日は、いい日になる予感です。その前に、昨日のことを振り返っておこう。
 土曜日とは言え、行こうかと思う落語会がなく、ならばと立てた計画は、この機会にとばかり、黄紺の好きな民博に行って、特別展「オセアニア大航海展」を観ようだった。時間が許せば、民博の特別展は抑えよう、そして、ついでに好きな常設展、映像資料を観ようとの考えは、いつも持っているので、その機会がめぐってきただけなのである。このテーマは、とっても気になるテーマ。航海の手段としてカヌーなどの展示が、どうしても主流となるだろうが、一番の関心は、誰が、どういった民族系統の人が、大洋を動いたかということ。それの最新の成果を知りたかった、最大の関心事は、これだ。ですから、それを示す展示を期待していたのだった。そして、ほぼ、その期待に応えてくれた特別展だった言えるのです。「オーストロネシア」と呼ばれる民族の一団が、台湾から東南アジアの沿岸部、島嶼部に住まいし、果ては、マダガスカルまで至り、東は、太平洋の島々にまで至ったというところまでは、予め了解事項だったが、問題は、その先だ。具体的には、サモアやトンガまでは、了解なのだ。その辺の予備知識は解ってるつもりだったのだが、その先の地域について、曖昧な書き方をしたものを読んだことがあったので、その先、例えば、イースター島などは、どうなんだということが、黄紺的関心事だった。そしてら、それも含めてOKということだった。タヒチの北東部にあるマルサケス諸島が、キーポイントとなり、そこから、イースター島、ハワイ、ニュージーランドへ渡ったということだ。但し、ここへ至るためには、かなりの遠洋航海になるので、カヌーの発達を待たねばならなかったと説明されていた。特に、ニュージーランドへは大変だったろう、勇気が要っただろうということだった。気候が違い、海が荒く、航海も、上陸後も大変だったろうと、言われてみれば納得の事柄だ。一つだけ、説明ができないのが、南米原産のさつまいもの存在だそうで、これは、ついには、彼らは、太平洋を越えてしまい、南米大陸に至り、そこから、持ち帰ったろうとの見解が記されていました。そら、ここまで来れば、南米と言わず、北米にも行ったことでしょうね。そんあことを、言語学的、生活様式的、生物学的に証明してくれてました。全てが、台湾起源・東南アジア起源を指すようです。彼らの航海の仕方、現在のマダガスカルからイースター島まで、住んでおられる方々の生活の様子まで、楽しかったわぁ。特別展を観終わったあと、常設展で、研究者のお薦めの一品展や、映像資料を観ていたら、あっという間に閉館時間です。
 万博公園から1時間の移動で、夜の鶴橋に着くと、もう、6時を回っていました。丁度頃合いの時間なので、駅前の韓国料理店で、スンドゥプチゲで腹ごしらえ。最近、気に入ってるお店で、この日も満足。鶴橋では、前日も行ったが、講談の1週間連続の続き読みが行われていたのだが、この日が千秋楽だった。南青くんの「塚原卜伝」は、無事に、父親の仇を討つことができました。ただ、金曜日までに、随分と進んでいたらしく、半分ほどが繰り返しになっていました。そして、クライマックスの部分の脚色が弱いですね。これは、南青くんのまだ未熟なところ。時々、感じます。くさくやっていいところは、師匠を見習わなきゃ。南海さんの「不破数右衛門」は、殿中事件の報を聞いて、仙台藩から赤穂まで戻るのが、昨日の話の中心。そして、無事、討ち入りを果たし、切腹までは、とんとのと進み、最後、介錯役には、紀州藩の侍で、その昔、不破が、斬り捨てた侍の息子に務めさせるという話が加わり、これはこれで、大団円。一番冷や冷やものだった南海さんの「八百八狸」。こちらも、お家乗っ取りを企む悪役を、犬神刑部こと大狸の踏ん張りで、最後に、後藤小源太に華を持たせて、小源太も善玉として亡くなり、大団円。いや〜、最後は、いいっすねぇ。次回、如月公演が、楽しみです。席亭夫人の言葉によると、春夏秋冬、雀のおやどでお願いしてると仰ってましたから、楽しみが、一つ増えたことになります。




2007年 11月 10日(土)午前 7時 53分

 土曜日を迎えている。この土曜日は、しっかりと休める土曜日だけど、4時間も寝られないで、覚醒してしまっている。相変わらず寝れない日々が続いている。睡眠障害を起こしてるのかもしれません。1週間前、そんなこともあって、辛い日曜日を過ごし、働きながら体調を整えてきた週だったが、お出掛けすればしたらで、その寝不足からくる体調不良が露呈をしてしまう週だったと言えるのです。この1週間は、「大阪アジアン映画祭」の催しと、雀のおやどでの「毎日亭〜霜月一週間〜」が、きれいにバッティングをした週となったが、希少性ということで、映画の方を優先するということで臨んだのだが、体調不良とも重なり、成果から考えると惨憺たるものとなってしまったのだ。
 日曜日(11/4)は、昼間、法事が入ってたので、午前中にみなみ会館で、中国映画「雲南の少女 ルオマの初恋」を観てから、弟と一緒に、大津に行き、夜は、そごう劇場でのタイ映画「BOA」を観たという日だったが、みなみ会館を出るあたりから、絶不調。チケットを買ってなかったら、タイ映画は止めたかもしれないほどの状態だったが、せこく行ってしまいました。まず、「雲南の少女 ルオマの初恋」は、雲南のハニ族の棚田も美しい恋物語だ。ただ、想像していた純朴なハニ族の社会の中の出来事を描くのかと思っていたら、そうじゃなくって、街に出た働くハニ族の少女が、外部からやってきた写真家に恋をする、そんな設定で、ここでは、ハニ族の村は、観光の対象であったりという姿で出てくるから、伝統的な踊り、風習を示されても、結局、ご当地ものの映画というか、観光PR的な映画という印象しか見えてこない。丁度、インディ系の斬新な中国映画を観てきた目には、陳腐すぎました。一方、「BOA」だけど、密林内部での大蛇パニック映画と、最近、日本でも紹介が進んでいるエンタメ系タイ映画だ。でも、この映画、ちょっと筋立てが荒いです。必然性に欠ける筋立ては、ちょっと好きになれません。パニックをさえ見せればいいかなのあんちょこさが、気になりました。ジャングルの中を大蛇を避けるために逃げるにしても、逃げ道についての必然性っていうのが欲しいな。ただ、やみくもに逃げたり、なんで、人と人とが別れるのかとか、そのへんの必然性がないと、ダメです。でも、この映画の真骨頂の特撮はなかなか見せてくれたからか、終わったあと、前を歩いてたお兄ちゃんが、「なかなか、やってくれるわぁ」と、連れのお姉ちゃんに言ってました。そんなで、自分的そごう劇場初体験は、大蛇ムービーとなりました。
 火曜日から金曜日は、「PLANET+1」でのマレーシア映画、雀のおやどでの「毎日亭〜霜月一週間〜」との振り分けに、結果的にはなった。ホントなら、火曜日だけ、雀のおやどの予定だったのだが、とにかく、今回上映されたマレーシア映画が、肌に合わないということが分かり、金曜日は、予定を変更した次第なのだ。そこで、まず、マレーシア映画だが、月曜日(11/5)が「霧」。実験的色彩が濃く、マレーシア出身の台湾人監督ツァイ・ミンリャンの映画を彷彿させる寡黙な映画だ。「西瓜」のような強烈な場面がないので、ダウンです。水曜日(11/7)は、今回の上映の目玉、ヤスミン・アハマド監督の「ラブン」。どうも、時間の流れについていけない。ゆったりという感じでもなく、どよ〜んとした時間なのだ。これが、肌に合わないと感じ出した原因です。「オーキッド4部作」と言われる連作シリーズの第1作。オーキッドの両親を演じる俳優さんが、いいんだけど、その時間の流れに、この日もダウン。木曜日(11/8)は、2本連続観た。「愛は一切に勝つ」という映画が、1本目。地方からクアラルンプールにやって来た純朴な少女が、ちょっとヤンキー風情のお兄ちゃんと出来上がり、金を工面したり、そして、金を手に入れるために売春までしていくというストーリー。この映画が、釜山やロッテルダムで受賞した理由は、全く分かりません。ただ、この映画もそうなんだけど、マレーシアの普通の街の風景、郊外の密林の風景、いいっすねぇ。ますます、マレーシア好きになっていく黄紺なのです。この冬のマレーシア、今から、わくわくものです。この日の2本目は、「鳥屋」。舞台はマラッカ。最後のシーンで、マレーシアでの華人のアイデンティティを問いかける映画だったと判るんだけど、途中でダウンじゃ、どうしようもありません。一番、時間の流れは、しっくりいってたんだけどね。そんなで、これにて、ギヴアップです、マレーシア映画。
 一方、講談の1週間続き読みだが、番組は、旭堂南青「日本剣豪伝・塚原卜伝」、旭堂南湖「赤穂義士銘々伝・不破数右衛門」、旭堂南海「日本狐狸妖怪伝・八百八狸」となっている。それを聴きに行ったのは、火曜日(11/6)と金曜日(11/9)の2回行った。まず、南青くんから。日曜、月曜と、主人公の塚原卜伝は登場してなかったようで、火曜日が初登場。卜伝という名前は、晩年の名前で、金曜日の時点でも、まだ、塚原小太郎。最終日だけ、卜伝が出てきそうです。火曜日では、剣の修行をする話だったのが、金曜日には、お家騒動の話になっている。どうやら、卜伝は、廃嫡された城主の跡継ぎだったのだ。その辺の、権力闘争が、初回、第2回とで、描かれていたようです。金曜日の時点では、仇佐竹弾正に食い込んでいく当たりまで。結末が楽しみなんだけど、「剣豪」らしさが、話では出てきません。どういうことなんでしょうか? また、南海さんのネタも、お家騒動もの、かぶってしまってるのが、惜しいね。南湖さんの「不破数右衛門」は、赤穂義士のなかでも、最も粗忽で、波瀾万丈のキャリアを持っているとか。確かに、ご主君浅野内匠頭を、2度しくじってるのだから、しかも、2回とも、ご本人の責任が明白なんだから、こういった物語には格好の材料となる。火曜日では、1回目のしくじりを許される部分、金曜日になると、もう、2回目のしくじりをして放浪の身だった。金曜日は、途中から、浅野内匠頭の殿中での刃傷の話になってました。時間繋ぎかな、そんな感じで最終日へ繋がっています。南海さんの「狸」は、お家騒動に、狸が絡み、また、狸が化けても、それを見破ることのできる男後藤小源太の活躍譚だ。火曜日では、その小源太が、なぜ、そのような特異な能力の持ち主かが語られ、金曜日には、今回の話の本体、松山藩のお家騒動に食い込む小源太と、狸のドン犬神刑部らの丁々発止のやりとりへと入っていた。さて、いずれも、本日、大団円を迎えますか? なお、この3人の講釈師さん、来年の2月にも、同じく雀のおやどで、再び、1週間の続き読みを敢行されるということです。
 そんなで、今週は、不調の1週間でした。考えてみると、この前の日曜日のことを考えると、こんなんかなというのが実感です。そこに、タイミング悪く、マレーシア映画が重なったということでしょう。




2007年 11月 4日(日)午前 8時 49分

 今年は、文化の日が土曜日になったので、1日休みを損をしたのですね。3連休になってもいいところだったなんてこと、そんなに前から気付いてなかった黄紺です。一昨日の夕方あたりから、とっても疲れを感じだして、まだ、取れていない状態。遊びながら体力回復は、昨日の時点では、完全に失敗。楽しいはずのお遊びが、その疲労に負けてしまったのが、昨日、土曜日だった。これは、ちょっと辛かったな。
 その土曜日は、朝、昼、晩の3部制をとった。まず、朝11時から始まる「PLANET+1」での映画に行った。先週2回おじゃましたこの映画のためのスペースに、まともに客が入るのを見た初めての機会となった。そういったときに、どこに座れば賢いか、ま、そんなチェックができたというわけです。「大阪アジアン映画祭」の一環として行われたため、入口前の道路上に、それを示す表示が出ている。ちょっと華やかな雰囲気が、ここにも訪れていました。で、観たのは、「あひるを背負った少年」の監督イン・リャンの長編第2作目の「アザーハーフ」だった。こちらの方は、だいぶと退屈な流れだったというか、よく似たテンポだったので、昨日の私には、結構辛い時間が流れたんだけど、最後の台詞で、ジグソーパズルの最後のピースを入れられたっていう感じで、この映画が、何を描こうとしていたか、そして、「アザーハーフ」という題名の意味が判りました。ハッとしました。最後の画面は、暗転、ここで、終わったのか? この映画、何だったんだろうと、ふと思った瞬間、暗転に、台詞がかぶります。主人公の男が、上海から電話をしてきます。その言葉が、最後のピースで、ぱーっと、全体の絵が浮かび上がってきたのです。やっぱ、この監督、すごいわ。中国社会が変わっていく中で、人と人との関係性まで変わっていってることを画面に出したのです。変わっちゃいけないものまで、変わっていく、それを提示したんだね。法律事務所で働く主人公の女。その女には、ぐうたらな男がいる。母親から結婚を勧められても、この男がいるから気のない返事。根負けをして見合いをすると、その男は、現代の成功者で、見合いの場でも、自分の工場を説明するだけという男。彼らの住む町は、こういった成功者の経営する肥料工場、化学工場で持っているが、公害が垂れ流されている雰囲気。主人公の女の友人は、ある日突然、アメリカへ行くと言って出ていくが、数日後、コンテナの中で窒息死体として発見される。密輸の手伝いで、金を手に入れようとしている。何かが、おかしい。それを描き続ける映画だ。その雰囲気を掻き立てるのが、主人公の女の働く法律事務所に訪れる依頼人の言葉。この内容も、金と家族、背景に出稼ぎ、そんな共通項が隠れている。人と人との関係が壊れていっている。その中で、最後に埋まったピースは、主人公の女の男が消え、その男から電話が入る、その内容だった。こういった感性の監督がいるっていうことは、なんでもかんでも、なんでもありという中国観を変えねばなりません。しかし、振り替えれば振り替えるほどに、個々の場面の意味が了解できます。いい監督です。
 午後は、心斎橋へ移動して、韓国映画「サイボーグでも大丈夫」を観に行った。前のことが懲りているので、先にチケットをゲットしてから、お昼ご飯。心斎橋で、ついこないだ、いいラーメン屋さんを見つけてから、食事の機会があれば、そこと決めています。三津寺の真向かいです。ま、それはいいとして、映画そのものなんだけど、この話が、精神病院内で、全てが推移すると知って、ふーっとため息をついたら、睡魔が急に襲ってきました。どんびき気分になったところを、睡魔に狙われてしまったのだ。自分をサイボーグと思うという設定が異様だから、気になりつつあり、でも、そんなだとは思ってなかった、これが原因でしょうね。ま、サイボーグであるための、6つだったかな? その条件をクリアしていこうとするが、彼女が、ご飯を食べないことを救うのが、男の愛情だったという逆転の設定が言いたいことなんだろうけど、そういったあまりに非日常の設定に、黄紺は、レッドカードを出してしまったのです。
 夜は、繁昌亭です。3月に続いて、「柳家三三・桂吉弥 ふたり会」があったのだ。やっぱ、この二人会は外せないでしょう。番組は、、吉の丞「子ほめ」、吉弥「ちりとてちん」、三三「不孝者」、(中入り)、三三「釜どろ」、吉弥「くっしゃみ講釈」だった。三三は、うまいですね。何を言ってくれんだろうという客の気持ちを、上手に転がしてくれます。最初のマクラで、ばっちりです。「今日は、干物も混じってる」は笑っちゃいました。また、この人、若いのだが、「不孝者」の主役親旦さんの落ち着いた雰囲気が、いいです。掛け合いなんかが出てくると、この親旦さんのところで、聴く者を安心させるから、とてもリアリティが出てくる。年増の女の雰囲気が、それに次いでいいです。ただ、仕種が、型を追いすぎている、いや追っていると思わせられるところが、惜しいかな? そんなで、「不孝者」がピカ一の出来。「釜どろ」も、夫婦のやりとりがほのぼの系でいいんだけど、、もっと年配だろう親旦さんが、更に、良かったですね。その陰で、ちょっともっちゃりしてしまったかなというのが、吉弥。ま、これが、大阪の持ち味だと思えば、そうなのだが。黄紺的には、「くっしゃみ講釈」が気になりました。気に入ったのは、覗きカラクリ。時間をたっぷり使ったという印象を与えてくれる、そんな演出を取れた「くっしゃみ」を評価する人です、黄紺は。だって、人が集まり、戻ってきたら、何してたんだと怒られるくらいなんだから、ここはショートカットにしてはダメなところだと思っています。一方、気になったのは、くっしゃみが出る直前の講釈が、えらいスピード。そして、講釈をしながらくっしゃみにもっていくのではなく、それぞれ、声を止め、くっしゃみの方に集中してしまう。この型は初めて。黄紺的には、しっくりこなかったこの型、だから、気に入ったじゃなくて、気になったと書きました。それに、前座で出た吉之丞がいいですね。前座として、いいマクラでした。客を軽く乗せる、うまいです。ただ、本題のネタの後半、実際に、子どもをほめる場面で、ちょっと気張りすぎました。気分が乗ったのかな?
 ということで、連休2日目だ。今日は、午後、家の用事があるので、かなりタイトな日になりそうです。体調と相談しながら動きましょう。




2007年 11月 3日(土)午前 9時 5分

 週末に入り、1週間を振り返ろうとしている。久しぶりに土曜日を休めていますから、ちょっと体を休めれる日かなと思っています。3週間連続、土曜日に出勤してたわけですから、ま、疲労が溜まってないわけはないのだから、土日と連休なのは、とってもありがたい。昨日は、通院の日に当てなければならなかったので、早く帰宅したのだが、晩ご飯の途中、呑んでたロング缶も、全部の見終わらない間に、寝込んでいました。
 ですから、この1週間を振り返ると言っても、月曜日から木曜日ということになるのだが、この1週間で、新たな遊びのスペースを発見をした週でもあった。もちろん、自分的にですよ。そこは、「PLANET+1」という映画を上映するスペースだ。名前は、以前から聞いていたが、実際に、足を運んだのは、ここになって初めてのことだ。この2週間ほど、「中国映画の新世紀」という名前を掲げて、中国のインディー系映画を上映してくれているのだ。先週、七藝を行って、仕入れたネタで、実際に行ってみて、観やすいところで、且つ、いい映画を観れ、更に、新たな映画情報を仕入れることができ、とても有意義なお出掛けとなった。まず、月曜日(10/29)には、ロウ・イエ監督の「ふたりの人魚」を観た。まず、カメラワークが新しい。カメラを持っている人間も、映画の中の登場者という設定なのか、そう言えば、ナレーターは、「私」と言い、「映像による記録を求める人」を募ってると言っているから、その映像に収められたものが、この映画というわけなのかもしれない。そんな設定だから、カメラを持って、登場人物を追いかけるというカメラワークが目立つ。船酔い気分を起こしかけない際どいものだが、やけに臨場感がある。そのカメラを持つ男と同棲している女性が働く職場に現れた男は、その女性を、自分がかつて付き合っていた、しかし、不義理を犯してしまったために、姿を消してしまったため探している、その女性と思いこむのだ。「思いこむ」と書いたが、これは、映画を観る者には、終盤で明らかにされることであり、観ている大部分では、どっちなんだろうという思いにかられるのだ。そいうい設定にしておいて、男の示す純粋な愛情を表現するという趣向だ。それがヒットします。観る者に、ほんわか気分を味あわせます。せかせかとしているような、そして変わりつつある中国、そんななかで、変わらないもの、そんなところへんかな? 狙いつーのは。これにはまって、もう1本行くハメになった。
 木曜日(10/31)には、「あひるを背負った少年」を観に行った。こちらは、イン・リャン監督の作品だ。正直言って、前半を 観ていて、今日は外したかなぁと思い始めていたのです。あまりにも時間がゆっくり流れ、よく似たことをくりかえす、街中ロードムービーって感じだったもので。ましてや、役者さんが、全部、素人って感じで(実際そうみたい)、余計にメリハリ、変化が効かないものだから、そう思ってました。田舎から出てきた17歳の青年が、6年間帰ってこない父親を、金がないので、あひるを2匹だけ籠に入れ、それを背負って街に出ます。その街で探す様子が、街中ロードムービーって感じなのです。青年は、緘黙っぽく、いかにも田舎の男。でも、それを助けるやくざっぽい男、次いで、警官。その警官の世話が長く続く。ところが、この警官は、妻や子どもがいるのだが別れてしまってて、田舎から出てきた青年を、息子のように感じだしているような感じがし出したと き、また、その青年も、父親のように感じだしてるんじゃないかなと思い出したとき、それを見透かしたように、物語は急に動き出します。この緩急に、思わず身を乗り出しました。何が起こるんだ、これって感じで。擬似父子関係であった2人の関係が止まり、替わりに本当の父親の情報が飛び込むという展開へと変えられていくのです、、、。父子ってなんだ、子どもの成長ってなんだってこと、そんなとこの訴えが心地好い映画でした。この映画もはまりました。恐るべし、中国のインディーズ!
 映画を先に書いてしまったので、元に戻るが、火曜日(10/30)は、北区区民センターであった「天満講談会」に行った。前に、行ったが、閉まってたという会だ。この日の番組は、南青「孫六馬の出世」、南湖「不破数右衛門」、左南陵「二条城の会見」、南鱗「幸助餅」だった。だが、この日は不調、南青の口演の後半から、南湖にかけて、ダウンをしちゃいました。特に、南湖のときがどん底でした。左南陵は、この日も、扇を持たないで、釈台を叩くというアクションを見せていました。しかも、常に、テンションが高いもので、ちょっと疲れます。でも、終盤、またしても怪しくなってました。こんなで、なんだ、これはと思うほどの不調。そして、トリが、今までの経験では、最も危ない人南鱗が登場したのですが、峠を越えたのか、それに加えて、落語の中での釈ネタになること、更に、マクラでたっぷり、現在の角界を斬ってくれたものですから、寝ているわけにはいかなかったのです。なんせ、自称「講談もできる相撲解説者」だけあります。落語でもそうだけど、ま、元が講談だから当たり前なんですが、幸助という男、ダメ男ですね、今だったら、こんな男は生きていけないよという感じがしますから、も一つ、乗れない話なんだけど、古風な彩りをもつ南鱗の語り口が、お古い時代のお話として聴かせてくれたものですから、たっぷり感、時間はたっぷりじゃないけど、なんか、重厚な雰囲気を味わった気分にさせてくれました。
 水曜日(10/31)は、今週唯一の落語会、唯一の繁昌亭の日だった。この日は、とってもいい会が揃った日だったのだが、黄紺は、前から、この日の繁昌亭のチケットを買ってたものだから、あとから仕入れた会には行けなくなってしまったのでした。この日、繁昌亭であったのは、「枝三郎ひとり会」だったのだ。前日に、同期の九雀と二人会をしているから、枝三郎が連続の会を持ったうちの2日目に行ったことになった。番組は、咲之輔「平林」、枝三郎「きせる供養」、枝三郎「柳田格之進」、北野たかし「奇術」、枝三郎「本能寺」で、このラインナップにそそられて行ったのだが、ホント、中入り前が、全然ダメで、黄紺がですよ、知らない内に、瞼が落ちているのです。繁昌亭初お目見えの咲之輔までは良かったのですが、ね。情けなさすぎます。後半は、ゆっくり休憩をとったんですね、元気回復でした。怪しげな奇術のあと、「本能寺」。今年は、米左、千朝、そして、枝三郎と、3人が、このネタを取り上げましたが、この日と米左を聴けました。型のメリハリとか、それは、芝居心のところから来るのでしょうね、米左の妙芸が記憶に残っていますので、ちょっと物足りなかったかな。でも、こういったネタが、多く出るっていうのは嬉しいですね。ホント、以前なら、出たというだけで、大変だったのにね。枝三郎は、文枝の残した音源を基に手がけたそうです。お囃子に、文枝は、今は使わないようなものまで入れていたので、その辺の復活に苦労したと言ってました。
 こうやって、振り返ると、よくぞ中国映画のときは、起きてたなぁと思っています。そこで体力を使い果たし、他の日で休養を取っていた? そうなのかもしれません。




2007年 10月 29日(月)午前 4時 39分

 無事、転送ファイルに必要なパスワードなどが判明。継続できることになりました。サーバから連絡があったわけではなく、試しに、幾つか、コード名、パスワード、打ってみたのです、そしたら、その一つが、ヒットしたのです。偶然です。朝、3時間ほどかけて、捜し回るより、こっちの方が早かった。もう、HPを開設して、随分と時間が経っていますから、最近、使ってる数字とか、言葉とかは、使ってないと思っていたので、朝は、端から、この当てずっぽうで打ってみるという方法は、頭から吹っ飛んでしまっていたのですが、その使ってないと思っていたものでした。ほとんど、諦めてたっていう感じだったのですが、運からは、まだ、見放されていません。
 そんなで、昨日の日曜日は、午前中に観に行く予定だった韓国映画が吹っ飛んでしまった。気持ちを切り替え出かけたのが京都文化博物館。特別展「トプカプ宮殿の至宝展」をやってるからだ。実際行ってみて、日曜日の午後というから、かなりの混雑を覚悟していったのだが、観ることに、さほど苦労はしなかった。これは、こういった時間帯を避けたのか、それとも、単純に人気がないのか、その辺は、よく分かりません。ま、そんなに大きな博物館ではありませんから、展示物も小物が中心。目玉は、光り物と、こういった展示では定番。スルタンのターバンの羽根飾りと、黄金のゆりかごが、なかでも超目玉ってところか。でも、それらが、実際のトプカプ宮殿で見るよりか、よく見える。だって、日本では、こういった展示となると、光を落とし、局部的な照明を当てて、きらきら輝かせるもの。それに、丁寧な解説を、日本は付けるから、多くはなくとも、ゆっくり納得しながら見て歩けます。皆さん、わりかし満足して帰れる内容だったと思います。
 阪急烏丸まで、ちょっといい散歩。大丸の地下に入りかけて、地下道に入り、一路、阪急電車で、十三へと向かった。七藝でのタイ映画が、夕方にだけ上映されるからだった。映画は、「レベル・サーティーン」という代物。こないだの天六といい、タイ映画が続く。ともに、アクションだったり、サスペンスだったりと、今まで、観たことないものを観てる感じだ。「レベル・サーティーン」という映画、13の課題を与えられ、それをこなすと、莫大な金をもらえるという劇画タッチの設定と思っていたら、実際そうだった。劇画を元にした映画だそうだ。13も、課題が続くのかと思っていたら、これが、わりかし流れていくのです。変化に富んでるだけではなく、主役の男が壊れていくように、巧みに配列されているように思えるように並べてるのだ。だから、えぐい課題は続くが、納得の配列だ。それさえ、うまくいけば、この映画の着想に拍手だ。別に、舞台がタイでなくてもいい映画なので、リメイク権がハリウッドに行ったということだ。グレードアップして、えげつなさが増すんでしょうね、これでもかっていう感じで。嫌やの。
 そんなで、振り返りました、貴重な日曜日。帰って、TVをつけてると、NHKで、「トルコのクルド人」をやってました。なんか、ロードムービーを観てる雰囲気があった作品でした。犠牲者の家族を撮ったついでに、マスコミのファナティックなまでのPKK叩きを追いかけても欲しかったですね。まずは、こんな番組が流れること自体、歓迎することにしましょう。




2007年 10月 28日(日)午後 0時 27分

 日曜日の朝、昨夜のサッカーの結果をアップしようとしたら、できない。おかしいと思い、FTPソフトをいじっていて、あっと思ったら、接続に必要なパスワード等を消してしまった。それからが大変。調べてみると、なんてことはなく、サーバがメンティナンス中で、接続できないのに、トラブルが生じたと早合点をしたのが、顛末だったんだけど、肝心の、パスワード等の控えが、いくら探しても見つからない。そこで、最後の手段、サーバに問い合わせをしている途中です、只今。果たして、教えてくれるのでしょうか? これを書いても、アップできないままというのも、十分ありうると思い、これを書いている。自分の不注意とはいえ、これで、「黄紺のお部屋」も、一巻の終わりかもしれない。お引っ越しをするほどの、体力、気力は、もう、今の黄紺には残っていません。そんなことを思いつつ、自分の記録として、これからのところは書いておこうと思う。
 月曜日(10/22)は、繁昌亭での「ざこば一門会」に行った。今週は、わりかし繁昌亭に通ったものだ。その番組を記しておこう。ちょうば「刻うどん」、ざこば「ざこばの家族アラカルト」、出丸「替り目」、(中入り)、そうば「桃太郎」、都んぼ「?」だったが、「?」は題名が判らないのだ。以前にも聴いた噺だが、題名を知らないのだ。幽霊となって出てくることを約束して亡くなった女が、ようやく年月を経て現れる。「髪が伸びるのを待ってたんです」という下げの入るやつだ。だが、判らないので「?」としておく。そして、このトリの都んぼの口演が、この日一番の好舞台だった。どういう展開を見せるのだろうということを、ちょっぴり大げさに言えば。固唾を呑んで見守っているという雰囲気が、客席にみなぎっていましたもの。あとは、初心者の客を相手に、皆さん、手の内で転がすように自在に操ってくださいました。「替り目」は、女房に聞かれてしまうところまででした。
 火曜日(10/23)は、幾つか行ってみたい会があったが、最終的には、仕事が延び、京都での会や、6時半に大阪での開演される会は諦めねばならなかった。そこで行ったのが、薬業年金会館であった「旭堂南海の何回続く会?」に行ったのだが、あかんかったね。仕事が遅くなったということは、それだけ、疲労困憊していたってこと。そこへ、「浪花相撲美談・関取千両幟(下)」の1時間半口演はきついものがありました。それと、相撲取りの話ながら、金の工面にどうしたというストーリーにちょっと乗れなくなり、ダウンしてしまいました。1時間半連続は、この日の黄紺には、きつうございました。
 水曜日は(10/24)は、繁昌亭だ。「骨寄せます!桂歌之助独演会」と題する会だったのだが、「骨寄せます!」に引き寄せられたマニアの方々が、多数詰めかけた会となった。先代の工夫を、この日、初めて、現歌之助が演じたわけだ。そのネタは、トリに置くという番組構成は、このコピーでは致し方がないが、それを含めて、この日の番組を記すと、ちょうば「始末の極意」、歌之助「野崎詣り」、海老一鈴娘(太神楽)、歌之助「ねずみ」、(中入り)、歌之助「善光寺骨寄せ」となる。「骨寄せ」は、「お血脈」の改題。五右衛門の骨が揃うときに、模型を使うのだが、先代の使ったものは、頭蓋骨だけで、あとの骨は、今回、新歌之助が制作したものだとか。蛍光塗料を塗ったりして、また、天井から登場させたり、照明を落としたりと、様々な工夫、協力の下に実現されました。嬉しかったです、ただ、それだけです。歌之助のネタでは、「野崎詣り」が秀逸。こごろうの「野崎詣り」と並んで、今、一、二を競う出来だと思った。何がいいんだろう? 明るい春の暖かな陽気を感じさせるまで、登場人物、それぞれに統一された描写の上に、更に、細かな描写がされてるからでしょうね。「野崎詣り」って、こんなに楽しいネタだったんだと思わせてくれました。あまりいい出来だったので、「ねずみ」が霞んでしまいました。太神楽を挟んだとはいえ、ちょっと陽気が残ってしまったようです。シリアスさの上に、子どもの健気さも出てくるんだけど、ちょっと明るさが上回ってしまってました。甚五郎には、ちょっとした朴訥さのようなものも欲しかったな。「骨寄せ」の工夫は、既に書いた通りだったのですが、途中で、師匠の工夫なんかを解説しながら進行する歌之助の口演に、ほろりとして聴き入ってしまってました。見事に、歌之助は、歌之助になりましたよ、ホントに。
 木曜日(10/25)は、再び、繁昌亭だった。この日は、午後9時開演のレイトショーだ。「できちゃったらくご!」があったのだ。6人の同人の内、三風と三金が、この日は進行役で、前説を務めたのだが、トリには、福笑が特別ゲストとして登場し、新作のネタ下ろしをした。そこで、番組は、遊方「方向音痴(仮題)」、たま「ツインズ(仮題)」、南湖「パンダ」、姉様キングス、福笑「アハハ家族」となった。姉様キングスが登場したのは、この土曜日に、さるところで出演依頼が入り、そこで疲労する新ネタをかけるというもので、あやめは、その一人として登場した。相変わらず、裏ネタ、下ネタに、大笑いだ。残りの新作では、福笑を含めて、遊方のそれが、一番。方向音痴そのまんまの登場人物がしでかすドタバタなんだけど、そんなのまでするかとという臭い部分もあるのだが、それがおかしくって。やった者勝ちです、こういった発想は。たまのネタは、可能性を感じさせる着想です。似ていないようで、実は、似ている人が、二組出てくるというネタだけど、本人は自覚がなくても、他の人は、皆、そう言うっていうものにしていったら、ちょっと哲学的、いや、ミステリアスな雰囲気に変化するような予感を感じました。「パンダ」は、歴史的な話なんかが入ったのが、えっと思わせる要素、感じました。不完全燃焼だったのが、福笑のネタ。動物園巡りをしながら、おかしなことをし続ける家族の描写に終始するネタ。そこに、福笑風のうんちくが散りばめられて行くと同時に、くすぐりが入っていくという構成。ちょっと、福笑流スパイスに欠けたのが惜しかったですね。
 金曜日(10/26)は、落語会は、お休み。疲れ切ってるのに、映画「めがね」を観てきました。これは、不思議な映画です。不思議な映画そうだから行ったんだけど、実際、不思議な映画でした。場所、誰が、なんでここに、どういった関係、そんなのを、全て省いた映画です。どこか南の島の宿に、人が集い、たそがれるのを楽しむ。それで、きれいに統一感がとれています。わざとらしい設定にくささも感じつつ、ふっと、この時間の流れの中に、身を委ねてみたくなる不思議な映画です。「かもめ食堂」のスタッフ、キャストというふれこみが効いたのでしょうか、こないな映画なのに、そこそこ、客を集めていました。若い人も多かったしね。ちょっと、力を抜いてみようよという癒しの映画です。
 昨日、土曜日(10/27)は、午前中、仕事。だけど、頑張りました。午後の部、夜の部と、連続で落語会に行ってまいりましたが、疲労が相当なもので、途中で、息切れするところ、ありました。でも、それだけじゃありませんから、気分的にはいいのです。元気をもらってきました。昼間は、高津宮の高津の富亭で、「宵酔落語会」に行きました。繁昌亭でのスペシャルは行ったことがあったのですが、本陣の高津神社での会は初めてです。狭い社務所に一杯の人。前半のフリートークが人気の秘密のよう。いや、黄紺も、それを楽しみに行ってまいりました。最近のニュースを初め、辛口に切りまくるなど痛快なものでした。なお、文華は、仕事の関係で、途中からの参加でした。番組は、遊喬「勘定板」、福車「米揚げいかき」、文華「八五郎坊主」だった。出丸は、この日は、トークだけだった。遊喬の公演中に、客席から「うっそー」という掟破りの声。「勘定板」をしようとしているところに、それはないでしょう。福車は、飛ばしたり、戻ったりと、危うい運転。それまで、超辛口のトークと比べて、しどろもどろになる姿がおかしくて、とても受けていました。「八五郎坊主」は、ますますグレードアップ。ピカ一の出来です。
 夜は、ワッハの7階であった「林家亭10月席〜染左開発計画〜」に行った。地下鉄で一駅移動し、晩ご飯を食べたら、ほぼ開場時間。ただ、この日は、5階が混み合っていて、7階は、客を奪われた感じでした。番組は、呂竹「寄合酒」、染左「牛ほめ」、遊喬「胴斬り」、染左「始末の極意」、(中入り)、染左「小倉船」だった。「始末の極意」はフルヴァージョン。ただ、いつもしないあたりで、臨界点に達してしまいました。「小倉船」の後半でも、瞬間的に記憶が飛んでいます。頑張ったんだけど、越えちゃったんですね。疲れています。3週間連続、土曜日が潰れると、あかんわね。「牛ほめ」で、染左快調と思ってたんで、後半に、そないになって、残念でなりません。遊喬は、「うっそー」が効いたのは、ここでも、「うそですよ」と自分から言ってました。そんなで、気分に浸れただけで、満足としましょう。
 ようやく振り替えれました。でも、アップできる保障は、この段階では、全然ありません。悲しいね。




2007年 10月 22日(月)午前 5時 9分

 涼しくなると、体が動くことをいいことに、体が悲鳴を上げるまで、なかなか疲労感というものを感じなくなっている。これも、年齢のなせる業かと思うが、睡眠をとると、よく解るのだ。睡眠時間が長くなる、起きたときの感じが違う、急に眠りこける、そんなことの指標からすると、この週末は、その疲れが、どーっと出てきた感じだ。それによって、気分的にもめげている黄紺なのです。考えてみれば、金曜日、「ゲキ×シネ」に行く電車のなか、あの異様な眠り、短時間だけど、とっても深い眠りに、電車の中で入ってしまったのだ。あの辺から悲鳴を上げてた、そんなだから、土曜日の午後に、急に、脱力感に襲われたのでしょう。だけど、金曜日は、新感線のインパクトのある舞台、土曜日は、浪曲の魅力に、それぞれ覚醒いたしました。その度に、疲れを感じるのが、一旦停止し、先送りされてしまった気が致しております。だけど、昨日、日曜日は違ったのです。覚醒じゃなくって、眠りを誘発される公演に遭遇してしまったのです。
 昨日は、奈良金春会の定期能を観るために、奈良まで出かけてきた。1年ぶりだ。そして、奈良での演能に接するのは、今年、恐らくこれっきりだろう。時間があればと、いつも思う、奈良に行くときは。殊更、いい季節に行けば行くほど、その感が高まる。昨日も、そうだったが、このタイトな生活を送る黄紺には、それは、無理だね。この日の番組は、能「芭蕉」金春安明、能「項羽」金春穂高、狂言「寝音曲」網谷正美だった。「芭蕉」がいけなかったのです。草木国土悉皆成仏、この仏教理念でだけで作られた金春禅竹の作品は、長くて、長くて、退屈というのが、通り相場。だから、余り出ない。それが、今年、運良く、2度も遭遇できたわけだが、2度とも、退屈だったが、昨日のは、どうしようもなかった。これほどはっきり言えることは珍しいほど、演者のせいだ。舞はともかく、とっても抑揚のない、平板な謡いに、完全に体が拒否反応。また、奈良の能楽堂は、座席がいい気持ち。背もたれが高く、体を少し沈めると、具合がとってもいいのだ。これだけ揃うと、寝るわね。浦田保利師の演じた茫漠たる雰囲気の「芭蕉」が、思い出されます。風に揺れる、破れ破れの芭蕉の葉、葉、葉、、、そういった雰囲気の能、イメージの欠片すら生まれませんでした。それに反し、「項羽」が良かったですね。観世と違い、虞美人は子方が演じます。一畳台から身を投げる体で、正先に降り下居したあと、シテが一畳台に上がって決めてくれたときの大きさ、どうしても、項羽に目がいきます。これが、大人が演じると、どうしても、等分に、いや、虞美人に、目がいってしまいます。そういう意味では、子方が成功かもしれません。更に、金春って、こんなに大きな型が続くのかと思うほど、派手な動きに圧倒されました。金春穂高も、大味な動き、謡いというイメージが払拭できるいい出来でした。狂言は、言うことなし。網谷さんの声だけが、ちょっと聞き苦しかったかな。
 演能が終わると、もう5時半を回っていました。外は真っ暗。行きは、歩いていると、汗をかくくらいの陽気でしたが、帰りの外気は、確実に、秋のものでした。昼間の人気も消えた奈良の町を、そそくさと切り上げ、家路に着いた次第です。




2007年 10月 21日(日)午前 9時 43分

 今週は、落語というよりか、映画中心で推移した週だった。1週間が終わり、涼しいがため感じてなかった疲労というものを、昨日の土曜日の昼頃から感じだし、ちょっとぐったりとしています。土曜日は、丸1日出勤だったものですから、なんか、急に疲労を感じだしました。ま、そういうときって、お昼ご飯を食べたあとなんですよね。昨日も、そうでした。そこで、堰が切れたって感じです。そんな週でしたが、水曜日以後の日々を、ここにまとめておきたいと思います。
 水曜日(10/17)は、今週、当たりの少ない落語会へ。「蒲生四丁目寄席」という小じんまり系の会へ行ってきた。そしたら、驚いたことに、椅子の追加をしなければならないほどの入り。近所の人から、マニア系まで、種々雑多な人たちが現れた会です。ここまで、抑える人が増えてきたことは、すごいものがあります。で、花鱗は、この日もお休み。名前が出ているので、ぼちぼち復帰かと期待していたのですが、、、。そこで、今回は、大喜利を予定したところ、雀五郎が、拒否権行使。とっても、納得。替わりに、その雀五郎が、2席出すこととなった。番組は、その結果、雀五郎「黄金の大黒」、右喬「米揚げいかき」、雀五郎「佐々木裁き」、染弥「読書の時間」となった。「黄金の大黒」は、誰にもらったのでしょうか? 犬や猫を、長屋の連中は食べてしまってました。おかしいね、これ。時間の関係か、最後までは行かず、このわたを食べたところで切りました。右喬は、途中で詰まってしまいました。わりかしかけてるはずだろうに、どうしたんでしょう。ちょっと戻るのにも手間取っていました。その右喬の口演の途中から、居眠りへ突入。「佐々木裁き」は、ほとんど記憶にございません。「読書の時間」には、びっくり。都丸も、新たに、このネタをするようだから、流行の兆しを感じてしまう。「鯛」「宿題」の次は、「読書の時間」と、三枝作品の人気は、演者の方でも絶えません。染弥の新作物も初めてだったが、全然、違和感なしで、思いの外、人に合ったような感じすら持ってしまいました。
 木曜日(10/18)も、落語会。この日も、養蓮寺寄席とは、2日連続、小じんまり系が続いたのだ。今井克紀(独吟)、三四郎「東の旅〜野辺から煮売屋〜」、染弥「辻占茶屋」、福楽「代脈」、仁智「親子酒」。三四郎の口演、煮売り屋に入る前に荒物屋に入りました。「隣じゃ」と言っても「荒物屋」というのは初めてかな? 口上が「おしながき」だったり、どういう流れで三四郎に入ったのかと考えてしまいました。第一、三枝一門で、このネタをする人は珍しいからね。染弥は、2日連続。今度、独演会にかけるネタを試運転っていうところ。前日とは、全く毛色の違うネタを、そつなく演じる。この人、器用です。ちょっと引っ込み思案的なところがクリアされて、いい感じになっています。女の狡さも、男の脳天気さも、雰囲気出てます。思いがけない出逢いで、得した気分です。鬱病だと、仁智に紹介された福楽のこのネタ、えらく長く感じました。ただ、「鬱病→病気→医者」という流れで噺に入るなど、ベテランですねぇ。トリの仁智は、この会ならではの古典を、今回も演じてくれました。仁福が、酒酔いで、なかなか家に帰れなかったエピソードをマクラから、ネタに。うまいですね、この辺は。更に、息子が酔っぱらって、うどん屋を冷やかしていくところで、住吉駕籠風になったり、お金を払うところで、刻うどん風になったりと、遊び心満載。どんどんと、繁昌亭なんかでもかけて欲しいなと思いました。
 金曜日(10/19)は、今週3回目の映画。こんなのがあったと、ごく最近、気が付いたものに行った。「ゲキ×シネ」というやつで、劇団「新感線」の公演を、映画化したものだ。しかも、とっても評判になった舞台「朧の森に棲む鬼」だったものだから、すっ飛んでいったのですが、客の入りの悪いのに、びっくりしました。それは、舞台の上とは、全然違うもので、やはり評判となったものだけある、想像以上のものでした。何よりも、染五郎が素晴らしい。若くて、声のノリの軽いところ、歌舞伎風の重厚なところ、もう、その巧みなこと。体の切れも、素晴らしい。それに絡む阿部サダヲ、古田新太等々、俳優陣の充実、舞台装置の素晴らしさ、あっと驚く滝、放たれる矢、、、そして、脚本、演出と、どれをとっても言うことなし。新感線の舞台を幾つも観てきたが、これ以上のものはないと言えます。あの狭い扇町での公演も懐かしいけれど、松竹と提携し、染五郎を客演で迎えるまでになった劇団の成長も、納得のいくものでした。
 昨日、土曜日は、仕事のあと、トリイ・ホールに向かいました。この日は、「浪曲乙女組」の公演があったのだ。玉川奈々福が、春野恵子に呼び掛け、更に、菊池まどかにも呼び掛け生まれたユニットの初の公演。既に、東京で3公演を済ませ、この日、トリイ・ホールで、昼夜の公演を打ったのだ。客席は、ほぼ満杯。ただ、落語の会よりか、更に、じいさん度が高いですね。そういったなか、3人が、花束の付いたマイクを持って登場。オープニングを替え歌で飾りました。真ん中に組長の、玉川奈々福、両脇に、あとの2人が固めるという布陣。それが終わると、この3人に加え、お手伝いの曲師沢村さくらさんが舞台作りするという光景に、びっくり。これが、浪曲風なのかと、変なところで感心していました。番組は、春野恵子「田宮坊太郎」、菊池まどか「大江戸出世物語」、(中入り)、玉川奈々福「浪曲シンデレラ」だった。奈々福さんは、ネタ出しと違うものを、急遽出しました。「大人も、子どもも楽しめる、こんなの出していいかなぁ〜、浪曲シンデレラ〜〜〜」に、客席は、大きくどよめきました。黄紺も、「そか、こんな手が、あるんや」と、ちょっと考えれば考えつくことなんだけど、何か、堰を越えてない、自分の発想を恥じてしまいました。その分、この浪曲師さんに、とっても関心を持ってしまいました。そりゃ、講談では、ガンダムをシリーズ化している講談師さんがいるわけですから、「浪曲シンデレラ」があっても、全然、不思議じゃないはずです。話が逆になっちゃいましたが、春野恵子は、親の仇討ち物、その前段の幼少期を中心に読んでくれました。これは、春野恵子本人が、師の春野百合子から教わった6番目のネタだと言っていました。菊池まどかのネタは、天竜三郎という大ベテランからもらったものとか。聴き出すと、すぐに判りました。「文七元結」の浪曲版。文七が身投げをするところから始まります。こちらは、お金を与えることに、そんなに悩まないのが、ちょっと気になりましたが、文七が、店に帰り、主人から叱責されるところは、浪曲も、なかなかいいなと思えました。時間の関係か、吉原に迎えを出すところで切り上げました。声では、春野恵子が、可能性を秘めています。3人を聴き比べてみると、菊池まどかは、美声だけど、線が細いということを、今回、知りました。その分、一番アイドル系キャラで、じいさんらのハートを掴んでるようで、客席から声が掛かるのが頭抜けて大きいものがありました。ちんとおっちんして聴くよりか、そういった声が掛かったり、途中で拍手が入ったり、ま、中には聞き辛いものがないわけではないですが、そういった客席の雰囲気を含めて、浪曲の公演も、なかなかおもろいものと思うようになりました。これで、浪曲は、2回目の体験となりました。いずれも、トリイ・ホールでの体験です。講談、文楽、浪曲と、黄紺の守備範囲も、随分と広がりました。
 とまあ、一応、週の半ばから以降のお出掛け記録を認め終わりました。3週間連続の土曜日出勤の半ばです。遊びながら、疲れを癒す、今日も、実践です。




2007年 10月 17日(水)午前 0時 55分

 なかなか仕事が立て込んでていて、厳しい1日だったのですが、そういうときって、まっすぐ家路に着くということ、やらないんですね。別に、今日、行かなくてもいいのだが、気持ちだけは、まっすぐ帰りたくない。一つには、普段、極端に、酒を控え目にするようになった効果かもしれません。何かしてないと、落ち着かないという貧乏症が、根本にあるようなんだけど。
 そんなで、7時20分上映開始という映画で観たいものがあったので、都合が良かった。仕事を多めにしてから出かけられるからだ。健気です。行き先は、天六のホクテン座。シネコンばやりの昨今、大阪でも、この手の映画館は珍しくなってしまった。こういった昔ながらの映画館は、内装が落ち着くように作ってますね。で、観た映画は、タイのアクション映画「ロケットマン」。タイのアクション映画が、日本で密かに観られているということで、狙いを定めていたのだが、今までは都合がつかず、ようやく観ることができたのです。そして、見終わった後味というものが、インド映画を観たときの満足感に、ホント、よく似てる。そんなん、ないやろ、でも、おもろいじゃないか、どんどんやっちゃえ、ええでぇ、ええでぇの、ノリで観れるのだ。大体、ロケットに乗って、敵を襲うということ自体、着想が、ぶっ飛んでいる。CGふんだん、特撮ふんだん、もうやりたい放題。ストーリーも、途中で、屈折させるんだけど、屈折させる前から、この進み具合は、変やぞ、でも、付き合ってやろう、付き合うと、やっぱ無理筋だよなと、屈折させられる。テンポのいいアクション、そんなのが、観ている者を、前のめりにさせ、余計なことを考えることなんてないから、ペースにはめられてしまったのでしょう。そして、農村の風景や、ロケ地、セットが、わりかしいいのだ。インド映画で、田舎の風俗なんかが解るような場面が出てくると嬉しいものだが、そのノリも、この映画にはある。「どろろ」よりかは、自分的には、いい出来と思ってしまいました。そんなで、タイ映画久しぶり体験の巻でした。
 今、SHOW-RADYOで、テオマンの「イスタンブル、秋」が流れていた。この曲が流れ出すと、ホント、その気になっちゃいますね。でも、いい季節の期間が短すぎます。




2007年 10月 16日(火)午前 6時 20分

 眠れない夜が明けようとしている。眠れるかと思うと、もう翌日は、眠れない夜に変わってしまう。こんなのの繰り返しです。余計な疲労が溜まるだけ。今日も、1日、ボーッとした日を過ごさねばなりません。とりあえず、昨夜のお出掛け記録だけ、簡単に記しておく。
 昨日は、仕事が集中的にある日だった。それは前から判っていたことであり、それに見合った夜遊びが用意できていた。映画「トランシルヴァニア」を、京都みなみ会館で観に行ったのだが、運良くというか、この日の上映開始が、午後8時50分。この日が、みなみ会館では最後の上映だったことからか、また、こないな時間には来やすいのか、結構な入りであった。際どい時間に、結構、客が増えていったみたいだ。終わってから、客席が明るくなってびっくりしたほどだった。この映画は、「ガッジョ・ディーロ」の監督が作った最新作ということで、外すわけにはいかなかったのだ。なんせ、ロマをテーマに撮り続けている監督なものだから、見逃せない。だが、とんでもない駄作に当たったものだというのが、正直な感想。男を追いかけてトランシルヴァニアに来たロマの女だったが、呆気なく、ぼろ切れのように捨てられてしまう。我を見失う女。一緒に付いてきた女が、彼女を帰らせようと手配するが、女は、そのもとを去っていく。ここまではいい。捨てられ彷徨する部分は、ロマの祭と絡めて、とっても映画チックで、このあと、どうなるのというわくわく感がいっぱいだったのに。そのあとが、ロード・ムービー化するのだが、知らない内に、ロマの少女と歩いてるかと思うと、突然、その少女が逃げていく。ぽこっと現れた男と、一緒に旅をする。男の正体も、よく判らない。一方で、謎めいたという設定でもない。女は、前の男の子どもを身ごもってるんだけど、臨月近くなって、実際、陣痛が始まると狼狽える男。そこは、村の女が助けて、無事、出産。途端に、消える男。でも、男は彷徨の末、また、戻ってきて、ジ・エンド。なんやねん、この木を鼻で括ったかのようなストーリーは。ダサイ。ただ、いいのは、全編、ロマの音楽が流れると言っていいほど、オリジナル曲ではあるのだが、雰囲気たっぷりなのだ。だったら、音楽ムービーにしてくれた方が、よっぽどいいやというのが、正直な感想です。主役の男、どこかで見たと思ったら、ファーティフ・アクンの映画で見た俳優さんでした。
 楽しみにしてたものに裏切られると、ちょっと情けないね。でも、こればっかは、観ないと判らないものね。黄紺の周りには、今となっては、こんなの観る人、いないからねぇ。




2007年 10月 15日(月)午前 0時 14分

 週末が、1日だけという悲しい週。これが、これから3週間続く。昨夜は、かなり疲れていたが、朝早くから、十三を目指した。腰に、じわーっと重みが走る。涼しくなって、疲労を逆に感じずらくなってるようです。大丈夫だろうかと思ってしまう。体の方が正直ですから、どこかで、どーんと出てきそうな、、、それは、ちょっと困るんだけど、とにかく、この日曜日は、遊びながら疲れを取る、そんな日となりました。
 お出掛けは、朝9時前。七芸で観たい映画が、モーニングショーでしかやってないからだった。その映画は、フランス・イタリア・スイス合作と記されている「そして、デブノーの森へ」だ。舞台は、イタリアのカプリ島から始まり、ジュネーヴに舞台を移し、最後は、ポーランドへと向かうフランス語の映画だ。匿名作家と若きモデルの女性が、カプリ島へと向かうフェリーで出会ったことから、物語が始まる。カプリ島へ着くや、2人は、一夜をともにする。その女性が、作家の義理の息子の新妻だった。そういった関係が続く中で、作家が過去に抱えている秘密が、徐々に暴かれようとしていく。そういったサスペンス・タッチの映画だ。カプリ島を初めとして、ロケ地の雰囲気、それを、後から支えるBGMがいい。その秘密の雰囲気、そして、上流階級の雰囲気も醸し出していってくれる。女が、イディシュ語を喋れるとか、作家が、どうやらポーランド出身ということで、登場人物が、ユダヤ人、それも、ポーランド出身のユダヤ人ということが、それとなく判るようにしてある。このあたりが、謎と関係あるのかと想像させるのだが、、、。謎は、その辺から進まず、他の問題、盗作という点でだけ、止まってしまう。これは、正直、物足りなかったね。ここのところを掘り下げていくと、このちょっとセレブな雰囲気の映画に厚みが加わるのにと思ってしまいました。どういう風に終息させるのかと思っていたら、黄紺的には意外な終わらせ方、びっくりしました。考えてもしなかった終わり方であると同時に、禁じ手じゃないかなとも思ってしまったのです。かなり気分が乗せられ、でも、乗って舞い上がりきれなかったっていうところかな。でも、朝早くから出かけて、そのもとは取ったような気にはさせていただきました。
 映画を見終わったあと、近くのローソンで、文楽と芝居のチケットを買い、昼食を摂って、難波に移動すれば、ほぼ午後の部の時間に。ワッハの7階であった「生喬まるかじりの会」に、久しぶりに行ってきた。日曜日の昼間に開かれるこの会に、なかなかうまく時間が空かなかっただけなのだが、今日は、「吉野狐」も出ることから、最優先で、この会をチョイスしました。番組は、生喬「軽業」、ひろば「子ほめ」、米左「一文笛」、(中入り)、生喬「吉野狐」、対談「みんなでちょいしゃべり」だった。「軽業」は、綱渡りが、綱から落ちて、「頼みの綱が切れました」とサゲを言っての終わり方。「子ほめ」は、伊勢屋の番頭さんに「色男」と言われ、すぐに誉めるのを諦めて家に帰るショートカットの仕方。「一文笛」は、定番。米左は、4年ほど前から手がけてると、後の対談で言ってました。ちょっと引きずるような口演に、ちょっと抵抗感を持ちました。そして、中入り明けのお目当てのネタ。その昔、6代目の口演で、1度だけ聴いたことのある噺です。京都市民寄席で聴いたということだけは、しっかりと覚えている。でも、うどん屋さんの場面があるというくらいを覚えていたが、それ以外は、さすがに覚えてなかった。生喬は、松鶴が残した音源に加えて、「上方はなし」を基に、構成したと言ってました。いきなり身投げから始まって、その男が養子になり、更に、嫁御までもらい、うどん屋を出す。どこで、狐が出てくるのやと思っていたら、最後に、きっちりと出てまいりました。生喬は、「天神山」と似てると言ってましたが、ちょっと無理筋。狐が化けてくるというだけ、似てるのは。「天神山」と比べると、ちょっと物足りないですね、こちらは。うどん屋にした必然性も、サゲに持ってきたかったからでしょう。その辺も、ちょっと無理っぽい感じがする。ま、そんなで、演じ手がなくなっていったのでしょうね。でも、生喬は、よくやってくれます。「殿集め」と言い、「吉野狐」と言い、伝承を続けていってくれます。嬉しい限りです。対談では、「ネタをもらう」話が、結果的にはテーマとなり、聴き手である者には、とても嬉しい情報がもたらされました。書き留めておく。米左は、生喬の師匠松喬から、「尻餅」「禁酒関所」をもらい、ひろばは、三喬から「禁酒関所」をもらった。ひろばは、一門以外では、この三喬からもらったのが、一つだけとか。また、ひろばは、米左から、「書き割り盗人」「七段目」をもらったということです。「書き割り盗人」は、米左も生喬も、先代の歌之助からもらったような感じのことが、ちらっと出てました。こちらも、いい会でした。
 夕方には、家に到着しておりました。久しぶりに、「笑点」を観れました。好楽の真面目キャラが、おかしくて。昇太も、生の方が弾けるタイプですね。




2007年 10月 14日(日)午前 7時 13分

 月曜日は、3連休の最後の日、朝から職場に行って、やり残した仕事をしていた。そして、4時を目途に、職場を出て、映画「パンズ・ラビリンス」に行った。スペイン内戦を背景にしたファンタジーという、ちょっとミスマッチっぽい設定に、そそられたところがある。ただ、ストーリー展開の中で、ファンタジーと、スペイン内戦という重たい問題を結び付けたのを、良しとするのか、無理っぽいと感じるのか、分かれるところだと思います。主役の少女が、たまたまそういった状況下にいたというだけで、実際に起こっている出来事に、深く噛んでるわけではないというのが辛いなぁとは思いました。だけど、何か、てっとり早く、分かりやすい厳しい状況下に設定するのなら、ま、そうかなという、曖昧な判断に戻ってしまってました。最後は、少女に与えられた試練がクリアされ、人としての証を持ちうるという点に収斂していくのだが、ありきたりと言えば、そうで、ちょっとくさいところかとも思ったのですが、黄紺は。
 火曜日(10/9)は、ネット上では天満講談会が開かれてることになってたんだけど、実際に、いつもの会場北区区民センターに行ってみると、会館自体が休館日。何かの手違いがあったみたい。そこで、真っ直ぐ帰ってはと、頭を働かせて、映画「長江哀歌」に間に合うことを思い出した。JRで、慌てて天満から大阪駅に回り茶屋町まで大急ぎ。十分に間に合ったのですが、肝心の映画の時間になると、ダウンしちゃったのです。始まってから、このテンポ、やばいと思ったら、ダメだったです。やっぱ、真っ直ぐ帰るように、この日はできていたのかもしれません。
 翌水曜日(10/10)は、以前から楽しみにしていた「売名高座〜遊方・花丸・かい枝のチャレンジ落語会〜」という会へ行ったのだが、会場は、初めての道頓堀極樂商店街6階にあるゑびす座。ゑびす座は、それなりのいいスペースなんだけど、道頓堀極樂商店街というのは、好きになれなかったなぁ。品のない呼び込み、エレベーター前の品のない客あしらい、そんなので、あまり近づきたくない、そんな印象を持ってしまいました。番組は、呂竹「犬の目」、かい枝「ちりとてちん」、花丸「無いもの買い」、遊方「稲荷車」だった。狙いは、花丸の、このネタだったのに、この日も、のっけからしまいまで、うとうととしてしまっていました。疲労感はないんだけど、いや、涼しいから、疲労感を感じないけど、実際は、疲れが溜まっていて、それが、気が付かない内に出てしまったっていう感じかな。ただ、花丸のネタは、舞台が、天神橋筋を歩くものだったのは覚えております。ただ、その前のかい枝が不快だった。後に出てくる花丸の試みを知っているはずなのに、客を、ジョンに変えてしまい、英語でやりだした。そして、知ってる人は、引くわね、この日のこの位置で、それをすると。受けないと思うと、英語での応対をやめて、名前も喜ぃ公にしてしまってました。ちょっと、ひどい高座。ここは、おいおいと思ったので、しっかりと意識は持っておりました。
 木曜日(10/11)から元気は回復傾向、ま、うとうとしないという意味でですが。この日は、ワッハ上方4階であった「らくご道〜笑福亭生喬と桂こごろうの落語会〜」に、初めておじゃまをしたのです。珍しいネタが揃ったことが、今まで行ったことのない会へ誘われてしまいました。生寿「つる」、生喬「殿集め」、こごろう「子はかすがい」、対談「夕焼け日記」というラインナップだった。生寿は、初めての遭遇。ま、この会へ来れば、遭遇できると思ってはいましたが、、、小柄で、落研で鍛えたって感じの口調。ネタの仕草の中に、師匠の風体を思い出させるのが、初々しい。「殿集め」は、初物、けったいな噺です。サゲに至るまで、なんとでもなるネタです。そして、一挙に、サゲで種明かしが起こる。こんなとりとめもない噺も、伝わってきて、また、伝わったいくのですね。確か、松枝からもらったということです。そうそう、マクラで、松枝からは、「天狗刺し」ももらったとか。但し、これは、松枝から強制的に覚えさせられたネタとか。生喬は、嫌がってましたが、松枝は、このネタを米朝からもらってるんだけどねと思ってしまいました。松葉も、このネタをやってたそうです。知りませんでした。「子はかすがい」は、期待をしていたのですが、物足りませんでした。序盤の、水屋からお茶を出し入れする仕種に感心していたのですが、肝心の会話、対話になると、どうして、あんなに間を置かないのでしょうか? そうじゃない効果を狙うこともあるかもしれませんが、なんか、落ち着かない。こごろうらしからぬ、今までのネタ選びからは、ちょっと似つかわしくない選び方だったので、とっても楽しみにしていただけに、これは、失望でした。ネタは、母親の元にいるヴァージョン。うなぎ屋での場面になると、父親ばかりに喋らせるように作っていたのも気になった。母親の声、子どもの、ちょっとした突っ込み、そんなのが、いい間合いを作るとも思うのですが、この終盤の構成も、?が点っていました。対談は、聴く者には、随分と楽しいものとなった。演者にとっての、扱いにくいネタと、そうじゃないネタ、とちったときの話から、それを、演出として取り込むおもしろさとか、そんなのが話されていた。こごろうの方が、話の主導権を握っていたのが、自分的に意外でした。
 金曜日(10/12)は、仕事の関係で、ほぼ絶望かと思っていた北座の会へ行けました。3連休皆勤の効果が出てまいりました。振り返ってみると、あの3連休皆勤は、この週の夜遊びを保障することに相成っておりました。で、この北座では、毎月定例の「染屋町寄席〜米二の会Vol.44〜」があったのです。番組は、佐ん吉「いらち俥」、米二「時うどん」、こごろう「貧乏神」、米二「栴檀の森」というものでした。雀三郎譲りの佐ん吉のこのネタ、2度目の遭遇でしたが、前回よりか、格段の進歩。とっても、噺が流れる。このネタにとっては、それが真骨頂。短期間で、ここまで持ってくるのは、やっぱ、筋がいいんでしょうね、佐ん吉は。「貧乏神」というネタは、黄紺的には、全く、意味不明のネタ。貧乏神が、なんで、人助けというか、同棲生活をしなきゃならないか、わけが、全く解りません。しかも、小佐田作品の中では、長い方でしょう、うんざりです。こごろうも、なんで、これをチョイスしたのか、、、? 口演としては、とってもいい出来なんですが、ネタが、です。米二の1つめ、「時うどん」は、2人ヴァージョン。引っ張りなのときの、袖の引きなど、ちょっとテンポが悪いのだが、客にバカウケ。暖まりやすい客だったこともあるが、冒頭に、何か拾ったら、どういう風に分けるかという、聴いたことのないものを入れており、そこで、喜ぃ公が、ボケ倒しているのが、完全に効いていたと思いました。さすが、米二、トータルな噺として練り上がっていました。「栴檀の森」は、「ふたなり」のこと。「ふたなり」という題名が、ちょっとえぐいということで、こういったネタ出しをするようになったと、冒頭で、米二からのことわりが入る。実に久しぶりに出会ったネタ。だって、若い人は、見向きもしないようなネタですもの。でも、古風さはいいんですけどね。ただ、出ないのも無理からぬことで、筋立てが、無理っぽいですもの。首吊りを指南するところが変です。また、その前の、金を工面しに行くこと自体が、この人、どこまでお人好しなのと思います。いや、ありえないほどのことです。そして、ようようの体で、おやっさんの懐に女の遺書が入るというわけで、この最後の状態にしたいがための工夫が、このネタを、無理筋にさせてるんですね。うーん、やっぱり、伝統芸継承の精神がないと、残していくのは、ムズいかも? そんな寂しい気持ちになってしまいました。
 ようやく、前日の振り返りまできました。昨日(10/13)は、土曜出勤の日、但し、3時までの仕事。夜遊びまで、時間潰しの必要性があったので、結局、職場で、時間潰しをしていました。そして、出かけたのは、JR塚口駅まで行き、ピッコロ・シアターに、芝居を観に行ってまいりました。兵庫県立ピッコロ劇団の公演を観に行ったのです。県立の劇団が、鄭義信に作品を委嘱し、演出に、南河内万歳一座の座長内藤裕敬を迎えるという飛び切り魅力的な公演を実現させてくれたのだ。それだけ、この劇団が、実力を上げてきているということでしょう。もう、評判も定着していると言っていい劇団だと思います。確かに、観てみて、芸達者な役者さんが揃い、また、内藤裕敬の要求に、立派にこたえていたと思います。集団での大騒ぎという、南河内テイストも、ばっちり再現していました。ちょっと遠いけれど、機会があれば、覗いてみたくなる評判通りの劇団です。まず、舞台装置が、立派で、会場に足を踏み入れた途端、圧倒されます。舞台が広いですから、あれだけ、きっちりと公園を造られると、お金の心配までしちゃいました。遠目で点滅する豆球が、既に夜の設定で、芝居が始まることを示してくれています。開演前から、スタッフらしき男が、照明の準備に、舞台を動いている。それで、既に芝居が始まってることに気付いてない客は、ぺちゃくちゃ、周りは、どんどん気付いてきて、静かになってるのに、判らない人っているですね。開演時間になると、設営された照明が、公園の中で光り出す。あれ、変なところに照明と思うと、それは、実は、映画の撮影現場だったのです。撮る映画は、「モスラ」。そうそう、この芝居の題名は、「モスラを待って」というもの。その撮影スタッフのなかで起こる騒動の数々が活写されていく。監督は、現場を仕切れてないし、完全主義者の女カメラマンに振り回されている、スタッフ同士のカップルが、別れるだの、もう別れただの、助監督と主演女優ができてたり、その主演女優は、もう一人の主演女優と犬猿の仲だったり、エキストラが、大晦日の寒空のもと、「土人」の格好で待機させられ、不満を爆発させたりとするなか、助監督は、寝た切りの父親を抱えている、ま、そんな人間描写に終始する、それがストーリーかな。「人魚伝説」で、下町の人間たちの生活を活写した、あのノリだ。だから、鄭義信の芝居を観ているという気分が充満しています。なんか、この騒動を、ずっと、このまま観ていたいなぁ、そんな気分にさせてくれますが、何度も、かかってきた助監督の父親から助監督への電話で、「あけましておめでとう」という内容の電話がかかっていると判ったとき、この芝居は終息に向かってることを、客は知ります。惜しいな、この雰囲気、もっと浸ってたいな、、、、。メッセージ性の強い芝居っていうわけじゃないんだけど、そんな気分にさせられました。兵庫県まで行って、大正解でした。
 ようやく、1週間を振り替えれました。かなり、朝晩の冷えが強くなってきました。なんか、いい季節は、ほんの僅かで、あっという間に厳しい寒さが訪れそうで、悲しいね。




2007年 10月 8日(月)午前 8時 51分

 3連休最終日の朝を迎えている。朝から、えらい雨が降ったが、短時間で止みかけている。朝立ちって感じだけど、この頃、よく、突然の雨に遭うが、今朝の雨って、そんな感じでした。で、昨日は、3連休の中日、目一杯、朝から動いたって感じでした。
 朝から職場で、またしても仕事、3時間ほどしてから、大阪へ遊びに出かけました。行きがけの駄賃として、仕事をして行ったって感じです。今日も、また、職場に、このあと出かけようかと考えているところです。それはいいとして、昨日の午後は、トリイ・ホールへ行った。「第3回 艶芸サロン 〜東西廓景色(とうざいくるわけしき)〜」と題した柳家紫文と桂米左の会があったのだ。お二人とも、邦楽の専門家であると同時に、寄席芸人という共通項を持って活動されてます。そんなで、この会が生まれたようで、当然、その芸を見せ合うという楽しみが付いているのです。まず、番組を記すと、吉坊「江戸荒物」、米左(小鼓)・紫文(長唄三味線)・吉坊(司会・長唄)「邦楽セッション&トーク」、(中入り)、「粋曲」紫文、「冬の遊び」米左となる。吉坊のこのネタ、以前に聴いてるんだけど、昨日は、どうしたのか、ネタの繰り方が足りなかったのか、そのあとのことが気になるのか、本調子じゃない。飛んだり、言い淀みそうになったりと、普段の吉坊とは違う感じ。「邦楽セッション&トーク」は、セッションのことが心配らしく、どうも歯切れが悪い進行。前段で、楽器説明。説明をしながら、三味線と小鼓を組み立てていってくれる。三味線は、竿がへこんでくるので、古い名器というのはないのに反し、鼓は、年代物があるという話などは、知らなかったなぁ。車に喩えると、この楽器は、この車種に相当と、高級な楽器を、そんな形で紹介をしてくれてましたが、車に縁のない黄紺は、よく分かりませんでした。紫文は、常磐津の専門家だということで、長唄の三味線に不安を隠せない様子。そんな中でのセッションは、まず、「廓丹前」、これを、紫文と米左で。続いて、吉坊の長唄が入り、「吉原すずめ」、この2曲を生でやってくれました。「吉原すずめ」が終わったあと、紫文は、常磐津だったらこうなると、あらためて一部だけでしたが、弾いてくれたり、米左は、小鼓を置いて、太鼓だったらと、いろいろと演奏してくれました。へぇ〜って感じで聴いていた黄紺でしたが、普段聴けないものを聴けただけで、満足していたのでありました。そして、中入り明けは、本業に。紫文は、都々逸を前半に、後半は、得意ネタの「鬼平市中見廻り日記」へ。手を変えますとか言ってしたのは、鬼平そっくりの大岡越前。最後に、忠臣蔵と勧進帳で決めて、本来なら終わるつもりだったんだけど、あとの米左の出囃子が、勧進帳だったので、雰囲気を変えるためにと「片足かっぽれ」を披露。円生以来絶えてたと言ってたけど、誰かで見た記憶があるんだけどなぁ、、思い出せないのです。米左のネタは、初物。米左曰く、米朝が、小文治が東京で演じたことを聴き、そのテープか何かを取り寄せ、保存に努めたネタで、米朝は、まだ、2度しか演じたことはないものだが、自分は、今日は6回目で、ここでは、米朝を越えていると言ってました。書き物では、サゲなど、目にしたことはあったが、実演は初めて。おもしろいネタなんで、もっと手がける人が出てもいいんじゃないかなぁと思ってしまいました。廓の遊び、新町と堂島の関係とか、おもしろい内容が入ってます。終わったら、もう、5時前。3時間近い会でした。
 もっと早いかと思っていたが、時間がだいぶと経っていた。でも、次の場所へ行くには、まだ、早い。そこで、やはり、いつものネットカフェへ。45分間の利用で、昨日のHP更新材料を完成。地下鉄と阪急を乗り継いで、岡町へ行きました。豊中市立伝統芸能館であった「月なみ九雀の日」に行きました。ここは、いいですね。黄紺が行ける最も遠い会場です。でも、落ち着いた会場に魅せられて、ときどきおじゃまします。番組は、呂竹「米揚げいかき」、九雀「無礼なお礼」、さとおがめら(マジック)、九雀「鴻池の犬」でした。「無礼なお礼」は新作だそうです。擬古典的作風、どなたの作品なのでしょうか? なかなか良くできた作品、盗人噺です。「鴻池の犬」は、久しぶりです。演じ手が、最近、少ないですね。もっと、演じ手が出てきて欲しいネタの一つです。ただ、千朝の快演が耳に残っているので、あのけったいなくすぐりが、目の前を走ってくれる、それを払拭するだけで大変。でも、聴き込んでしまういい口演でした。たっぷり感もあり、満足させてもらいました。ところで、さとおがめらって、何者? 検索してみたら、コメディアンでもあり、劇団活動してたりと、けったいな人だということくらいは判りました。舞台の雰囲気と同じでした。
 そんなで、昨日を、振り返りました。ぼちぼち、出かけようかと考えているところです。




2007年 10月 7日(日)午前 8時 20分

 悲しい3連休2日目を迎えている。またしても勝てなかったフェネルバフチェじゃないけど、またしても、仕事に追いかけられている黄紺です。昨日も、12時ちょっと過ぎから、6時前まで、寝ちゃいけないと思いながら、必死のパッチで、パソコンに向かってました。ただ働きです。バッカ、みたいです。
 夕方、締め出しを食らってしまうかもと、大慌てで職場を出ました。丁度、その時間帯が、雀のおやどに行くには、好都合のお時間。5日連続の「林家市楼・桂雀太 ふたり会」の楽日におじゃましました。この5日連続の内、今年は、2日目と、この楽日に行ったことになる。で、昨夜の番組は、市楼「道具屋」、雀太「饅頭怖い」、市楼「猿後家」、雀太「百人坊主」。前座ネタはともかく、大ネタを楽日に並べてくれました。この1年仕入れた大ネタ、これが来るだろうとは思っていたなか、市楼の「猿後家」は意外だったが、最後に、下に降りていくと、5日間の番組が張り出されており、それを見て、なんとなく納得。市楼がトリを取ったのが2日目と4日目。2日目は、鶴瓶が来た関係でしょうね、例の「食堂野球」を持ってきて、4日目に「へっつい幽霊」を出してました。それで、「猿後家」が、こちらに回ったのでしょう。雀太は、初日のトップに「遊山船」を出してました。「替わり目」にこだわりがあるのかな、トリに持ってきたりしてました。なんか、人のこだわりとか考えると、納得の5日間のラインナップでした。この日のネタで印象に残ったのは、市楼の「道具屋」、これ、誰から教わったのでしょうか? 金魚屋を冷やかすんだけど、そこから善さんを教えてもらったり、何だったっけ、普通売らないものが入ってたり、飽きないんですね、雀太のしつこさもないし、これ、ええよ、聴いてみなって薦めたくなる「道具屋」でした。雀太は、「饅頭怖い」ですね。雀三郎テイスト満載、それをなぞるだけでも大変なんだけど、一所懸命尽くしていました。そして、あれだけ、笑いを取れていたということは、それに成功してたと言っていいんじゃないかなぁ。このネタを、楽日の一つ目に取り上げたってことは、やっぱ、雀太自身も、このネタにこだわりをもってんでしょうね。そんなで、今年も、5日連続が終わりました。客も、昨日は、一番の入りじゃなかったのかなぁ。続けることに意味ありです。新たなネタを、どんどん吸収していって、1年間の成果発表の会にしていって欲しいものです。
 そんなで、今日の午前中も、仕事をしに職場に出かけます。なんか、趣味みたいに出かけていきます。変なの。




2007年 10月 6日(土)午前 8時 54分

 世間では、3連休の幕開けだという。黄紺には、悲しい3連休の幕開けだ。仕事が溜まっていて、今日も、このあと、見返りの全くない出勤をするつもり。えぐいなぁ、これって。せめて、夜くらいは、ぱーとじゃないけど、地味に、遊んでおきたいと思っている。
 ここまでの、お遊び記録だが、10月1日(月)は、先日から行きそびれていた医者通いのため、夜遊びは禁止。そうなると、早々とダウンしてしまいます。これは、定番となっているということは、もっと体を休ませろの信号かもしれませぬ。でも、それが過ぎると、相変わらずの夜遊び。
 10月2日(火)は、B1角座であった「はやかぶの会」に、おじゃまをした。もう、彼らも、入門20年目を迎えたそうである。時間の経つのは、早い。それだけのキャリアが、芸にも如実に反映しているグレードの高いグループとして定評のある会だ。その番組は、瓶太「阿弥陀池」、文華「八五郎坊主」、銀瓶「寝床」、(中入り)、わかば「口合小町」、宗助「質屋蔵」だった。銀瓶のネタだけが、ネタ出しなしの「お楽しみ」だったが、これが、なんと「寝床」、これで、3つもの大きなネタが並び、7時開演ということで、帰宅時間が、急に気になってしまいましたが、でも、番組としては、とても重厚なもので、会の充実が判ろうというものであった。その辺を心得て、マクラは短めの瓶汰、でも、なんか、ちょこちょこと飛んでいく。辻褄の合わない個所も出現と、どうも、この出番用の繰り方が不十分なよう。それに尽きます。文華のこのネタは、値打ちもの。最近、あまり出なくなって、ちょっとほっとしている黄紺は、このネタを、好きくないのです。作ったかなの感じがする、そんな気がして、好きくないのです。でも、ちょっと見方が、、、文華のこのネタなら、聴いてみたいなと思わせてくれました。ぶいぶい言わしそうな、昔なら、その辺にいたような兄ちゃん的風情を、再現してくれてるような、そして、そこに、可愛らしさも同居している八五郎を見せてくれました。素晴らしい出来でした。それに反し、期待が、とても高かった銀瓶なんですが、ちょっと期待をかけ過ぎたみたい。この人に、このネタ、合わないんちゃうと思ったあと、居眠りしちゃいました。なんか、長屋を回ったときの報告が、平板なんですね。加速度的テンポの揺らし、欲しいですね。そういったネタに向いてないのではと、思ってしまったのです。そして、この人は、ネタに入り込むと、いい味、ホント出すのですが、「宿題」は、最高の例だと思っていますが、そういったご本人とのシンクロにこそ、真骨頂がある噺家さんなんだけど、ちょっとそれが見れなかったのです。マクラの浄瑠璃を、ちょっとからかいながら紹介するよくある物言いも、もろに借りてきたみたいで、もう、その時点から乗れてない黄紺でした。わかばは、小米伝来の珍しいネタを披露。吉坊も手がけてますね。久しぶりに聴かせてもらって、感謝です。そして、トリの宗助。安定さは抜群のうえ、そこへ、最近、オリジナルのくすぐりが、どんぴしゃのクリーン・ヒットを見せてくれることから、この日の「質屋蔵」も、大変楽しみなものだったのですが、また、期待通りの出来。羽織一つ脱ぐ、その脱ぎ方で、大爆笑を取った人は、この人が初めてです。また、首を、横に振るしぐさが、どんぴしゃで決まって、大爆笑を取ったのも、いないでしょう。うーん、やってくれます。宗助の持ちネタを、もう1度、全部、洗いざらいチェックを入れたい気分です。
 10月3日(水)は、雀のおやどで、5日連続で続けられている「林家市楼 桂雀太 ふたり会」の2日目に行ってきた。昨年に引き続き、2度目のチャレンジ。新しいネタも増えていることでしょうから、そんなのも楽しみに、2人の成長振りを覗きに行ってきました。最後には、サプライズもあり、やっぱ、行って良かったの気分ですが、番組は、雀太「子ほめ」、市楼「ふぐ鍋」、雀太「宿替え」、市楼「食堂野球」、鶴瓶「お母ちゃんの笑顔」と、これでお分かりと思うが、鶴瓶の乱入があったのだ。「子ほめ」は、フルヴァージョン。その部位部位を、細かく検討し、時にはオリジナルなくすぐり、表現を入れていくという雀太テイストがたっぷりなんだけど、これだけ、これでもかってやられると、疲れます。のべつだと疲れるということです。「子ほめ」で、そんな気持ちにさせてはいけません。その辺の、緩急の呼吸を、どこかで覚えて欲しいものです。でも、勉強熱心なのは、とっても買っています。「宿替え」でも、同様。でも、こネタなら、まだ、許容されるでしょう。ネタの重みが異なるからです。でも、この日の体調が限界になったのと、釘を打ってるところから、これは、しつこくなるぞと思ったのとが合わさったのでしょう、ダウンしちゃいました。一方、市楼ですが、「ふぐ鍋」は、まだまだ、なぞった程度の出来。黄紺は、このネタを、しつこくされるのを好まないが、いろいろと味付けはしてほしいと、市楼の口演を聴いていると思ってしまいました。発展途上です。「食堂野球」は、野球のユニフォームで登場と、ようやく出会えた口演。なのに、「宿替え」後半の後遺症を引きずり、そのまま、ダウンです。次回の楽しみと言っても、いつ、出会えるのでしょうと、反省、です。その市楼がサゲを言って、やおらすくっと立ち上がり、名ビラそのものを裏返してしまった。あれ? 変なことをしたぞと思っていたら、お囃子にのって、鶴瓶が登場。30人もいない客席が、大きくどよめく。黄紺も、おーっという声を上げてしまってました。出丸の会、雀五郎の会と、これで、鶴瓶の乱入は、3度目。今までの2度は、何らの兆候があり、あとで、そういうことだったのかと納得したものだが、この日は、全くなし。その分、サプライズ度は最高のものがありました。東京で、「らくだ」の独演会の舞台リハがあり、手伝ってくれた鶴二と一緒に、散髪に行くために戻ってきたということでした。鶴二は、雀のおやどまで同行。鶴瓶の出囃子の太鼓を打っていたそうです。ネタは、定番の私落語。サゲを言ったあと、「明日、昼間、いいともに出ています」と言って降りていきました。
 翌10月4日(木)と5日(金)は、ともに繁昌亭を覗きに行った。とても、おもしろい会が用意されていたのです。木曜日の方は、「東西落語撰〜金馬・三枝 二人会」という、正に、繁昌亭ができたればこその会だ。金馬が、芸人協会の会長のような職をしている関係上、上方落語協会会長職にある三枝との接触が多いとか、具体的な仕事など、対談のところで紹介をしてくれてました。納得です。で、その番組ですが、つく枝「祝のし」、三歩「ゴリラとチンパンジー(仮)」、三枝「涙をこらえて」、(中入り)、対談「金馬&三枝 司会:枝三郎」、金時「千両みかん」、金馬「藪入り」だった。この日は、疲れが溜まっていて、席に着くと、あ〜あ、だめぇ〜って感じで、頭呆然、でも、目が冴えてるのかと思うような、変な感じ。寝ようとしても、寝れないときの感じに似ている。ちょっと堰が切られると、ダウン必至の状態。それが、呆気なく、つく枝のところで出てしまいました。つく枝には悪いんだけど、ここでダウンしておいて、正解。これで、しゃきっとしたのですから。三歩のネタは、初の接触。正式には、何というのでしょうね? 猿ネタは、三歩の風体に合ってるだけに、可笑しかったなぁ。そして、三枝。このネタが、これだったのかというカラオケ入りの爆笑ネタ。歌が上手だから、噺が引き立ちます。やっぱ、何を聴いても、三枝テイストは生きている。作りがうまいです、ホント、うまいわぁ。後半は、対談を挟んで、東京側の出番。金時は、何を思ったのでしょうか、上方由来の、しかも、夏が終わってるのに、このネタ。マクラで季節感がなくなった話をして、外してるのが、可笑しかった。まだ、この時期なら、いいのかな? やはり、緊張があったみたいで、時々噛んでいましたが、のほほんとした若旦那ぶり、それと好対照の番頭。ちょっと、崇徳院の熊五郎風情なのは、ま、いいかと許せる範囲内。どこか、志ん朝の語り口を思い出させるものがありました。そして、金馬。自分的には、落語家としての金馬は、遭遇しておりませんでした、ここまで。年齢的に、大丈夫との心配もしながら臨んだのでしたが、とんでもない、元気、元気。膝の具合が悪いということで、見台を出し、胡座をかいての口演。丁寧に、丁寧に、マクラをふって、ネタへ突入。黄紺は、このネタ、余り好きくないのです。テーマがはっきりしていて、これでもか、これでもかと、同じコンセプトの科白の続くネタだというところがだ。その辺を心得ているのでしょうか、わりかしさらっとした流れ。年齢から来る枯れと、しわがれ声を心得た言い回し、言い換えると、そういった意図を感じさせる好演でした。東京の噺家さんは、大阪でするときには、こういった噺をしたがるのかな? そう言えば、好楽のネタも「藪入り」だったなと、そんなこを考えながら帰路に着きました。
 翌日は、マニアックな会、福笑ならではの会が登場した日だ。「糞尿特選落語会」が、それだが、チラシには、「芸術は、ババだ」とのコピーが踊っているという匂い立つ落語会だった。その注目の番組だが、たま「ぶりぶり」、福笑「矢橋船」、三喬「勘定板」、(中入り)、生喬「ちしゃ医者」、福笑「絶体絶命」というものだった。「ぶりぶり」は、福笑の指示で、たまがつくった新作。以前、聴いたときと、ほぼ変わってなかったかな? 子どもに縛られるのもあったよねと、それを抑えると、そんな風に思いました。よく、こんなこと考えつきますね。着想の妙というか、臭さです。福笑が、古典を、骨格をしっかりと残しつつ演じてくれたのが、「矢橋船」。昔、聴いてるんじゃないかなぁ、でも、「矢橋船」と言えば、まず、思い浮かぶのは、雀松。福笑は、「明石名所」だから、聴いてないのかなぁ。問答の部分って、絶対に、受けると思うのに、最近、手がける人は、たま以外に思い当たらないのが、残念です。骨格のしっかりしたネタを、それを、しっかりと演じる、福笑に、それをやられると、ホント、いいね。この安定感、心地好いものです。三喬は、なんか緊張気味。この会の客に、独特の反応を、演者たちは、感じていたようです。シシババ・ネタに、敏感に反応する客と、そうじゃない客が、入り乱れていたみたい。マクラは、そんな緊張を反映したかのように、神戸の震災のときのシシババ体験、人情噺的糞尿噺と言ってましたが、微妙な緊張を、客席の黄紺は感じていましたよ。黄紺は、その昔、三喬の師松喬で、何度も聴きました。鶴三時代のことですが、そのときの方が汚らしい噺だったかな? 生喬は、自分のネタは、シシババ部分が、最後の方だけと言いながら、不満げにスタート、だからでしょうね、その部分に来ると、えげつなくしていました。このデフォルメに、この会らしさが出てました。そして、トリは、我慢をする福笑の顔が見物の、「絶体絶命」。ネタ下ろしの茶臼山が思い出されます。3mほどの距離で、あの顔をされて、抱腹絶倒、そのときから比べると、ちょっとお上品になってきた感じがしたのですが、それは、黄紺の慣れかもしれません。ガソリン・スタンドの2人目の従業員、出てなかったよなと思うと、この噺、まだまだ、進化していくんだろうかという期待が高まっていきました。もう、堪能。福笑の弁によると、この会の第2回目をしようと思うと言ってました。会場は、大歓迎の拍手の渦でした。あと、シシババ・ネタって、何が残ってるのかな? 「有馬小便」「禁酒関所」「相撲場風景」「軽石屁」、、、?
 このあと、家で仕事をしてから、それを持って、職場へ出かけます。悲しい3連休の幕開け、です。




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