忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2008年 10月 2日(木)午前 0時 37分

 一時の寒いくらいの涼しさを脱し、普通の気候に戻ると、昼間は、結構暑いですね。黄紺のいる部屋には、コンピューターのサーバが入っているために、他の部屋に比べて暑いので、昨日の昼過ぎ、久しぶりにクーラーが入っていました。でも、また、明日は気温が下がるようです。変化の大きいのは、黄紺の体に堪えます。体調の維持にも、気をつけないと風邪をひきそうです。
 今夜は、トリイホールへ連続で出かけてきました。「第169回TORII寄席〜東西落語会〜」があったのです。手を変え品を変え、トリイホールで、黄紺好みの企画があるもので、毎日のように通っています。今夜は、向かいの天丼屋さんで晩ご飯と決めていたのですが、水曜日は定休日だったのですね。急遽、近くのラーメン屋さんで済ませました。このラーメン屋さんは、白菜を入れたスープが美味しいお店。但し、黄紺は、おろしニンニクと豆板醤を入れて、自分好みのスープ味にして、初めて美味しくなると思っているお店です。ま、それはいいとして、さん都「動物園」、歌之助「阿弥陀池」、千朝「まめだ」、(中入り)、米朝・小米朝「対談」、翁屋勝丸「太神楽」、志ん橋「抜け雀」が、本日の番組でした。小米朝として最後となる米朝との対談を組んでいるばかりか、東京から、志ん橋らを喚んだというのが売りの落語会。そんなものですから、中入り前は、多少軽めに推移。千朝が終わったところで、まだ、開演後55分でした。また、いずれも、定番のネタですが、いろんな噺家さんが手がけるネタなもんで、前半の二番に対する客席の反応は、すこぶる重い。ようやく、千朝のところで、落語会らしい雰囲気になってきましたが、ちょっとした人情噺なもので、それ相応の反応。この秋初めての「まめだ」。手がける噺家さんは限られているとはいえ、このネタの出る季節になったのですね。対談は、その「まめだ」を受けて、三田純市の話から。次いで、東京時代の話へ。目白で二階借りをしていた話から、正岡容の話へ。となると、そこからは、必然的に米団治話へと移行し、小米朝の襲名へとつながっていき、対談としては、大成功。印象に残った話は、「まめだ」は、三田純市の全くのオリジナルなものではなく、イギリスの民話か何か、その辺のところにルーツがあるという話が、一つ。米団 治に入門したのは、二代目春団治にも、五代目松鶴には、それぞれ実子が後継者としていたからという点があったということを、米朝自身が認めていました。要するに、米団治には、後継者となる実子がいなかったから、誰かが継がねばの気持ちがあったということです。翁屋勝丸は、上方では見ることのできない籠を使ったボールの芸を見せてくれました。ちょっと馬にも似てるかという剣玉のような籠です。トリは、出演者が頑張って時間を与えたっていう感じの志ん橋。その志ん橋の出したネタは、「抜け雀」。宿屋の親父さんのキャラと、侍親子の描き分けが見事。そうなんだけど、徐々に、この親父の話を聴いていると、イライラきちゃいました。なんか、親父の台詞が長いのです。終わってみて、時計を見ると、45分はかかっていました。長すぎます。だいたい、若侍に金の催促に行くまでの夫婦の会話が長い。金 の請求に行ってこいというだけのところで、無駄が多いなと思いました。ですから、言葉の刈り込みをして、テンポを上げてもらわなくっちゃっていうところです。これでは、くっきりとした人物描写がもったいないと思ったのでした。




2008年 10月 1日(水)午前 5時 54分

 最近、よくトリイ・ホールに行きます。逆に、繁昌亭は。、ご無沙汰状態。このあとも、トリイ・ホールへのお出かけは、手持ちが幾つかあります。最近は、日本橋から歩くことが多く、晩ご飯の場所を開拓中。トリイ・ホール向かいの天丼屋さんばっかに行くわけには行きませんからね。昨日は、道頓堀まで行くと、吉野家で晩ご飯。ところが、ここの吉野家のメニューがしょぼこい。ですから、久しぶりに、豚あいがけカレーなんてもので間に合わせました。ま、時間がないから、簡単に食べれるところを探しているところです。
 昨日は、浪曲を聴きに、トリイ・ホールに行ってまいりました。そのトリイホールでの浪曲の会は、新宣組の公演でした。新宣組というのは、浪曲師の幸いってん、菊池まどか、春野恵子、曲師の一風亭初月、沢村さくらという5人のユニット名です。この会では、ネタおろしをするというお約束で、浪曲師の方は臨んでいます。出番も、ジャンケンで決めました。その結果、番組は、春野恵子「梅川忠兵衛」(沢村さくら)、幸いってん「会津の小鉄〜文治殺し〜」(一風亭初月)、菊池まどか「村松三太夫」となりました。「梅川忠兵衛」が、この1月に、文楽と歌舞伎で相次いで出たので、観に行き、その報告を師匠春野百合子にすると、稽古をするようになったということでした。前段がなく、いきなり封印切りの話に入っていくので、かなり難しいネタ。むしろ、本題は、二口村の場面で、親子の情愛、男女の情愛が描かれます。その原因を特定するということで、封印切りを添えた感じの構成。節回しも、かなり難しそう。後半の低音部で、いくつか不安定なところがありましたが、逆に、春野恵子の声質では難題と思えた高音域が、とっても改善。すごい進展でした。梅川を通して見えてくる親子の情愛がたまんないですね。次の幸いってんが、本日の秀逸。侠客物で、啖呵をきったり、すわ出入りだとなると、節の中で、啖呵を切るような感じ、ど迫力でした。パッと扇を持ち替えたり、右手で、タイミングよく、手でテーブルを叩いたりと、様々な盛り上げ方を披露してくれました。お話は、事件を起こし、会津の小鉄に助けられ、京都を空けていた男が、京都に帰って、女房をとられていることを知り、仕返しをしようとして、逆に半殺しに合い、最後に頼った育ての親を訪ね、その直後になくなってしまうというのが、大まかな流れ。なんか、最後は、救いのないような感じとなります。文治が、なぜ、会津の小鉄を敵と思うようになるのでしょうか? わからなかったなぁ。そういう無理っぽいのか、黄紺には解りにくかったのか、その辺は定かではありませんが、それはいいとして、出入りなんかの侠客ものらしいところの処理が良く、更に勢いがあって、良かったですよ。菊池まどかは、爺さんの描写が巧みで、こちらの想像力を掻き立てる力を持つので、ほろりと来てたのですが、筋立てが単純過ぎやしません? なんか、突如、クライマックスがやってきて、そのあと何が起こるのかと、ついつい思ってしまいます。でも、今生の別れが待っているだけって、物語としては物足りないのです。ましてや、忠臣蔵討ち入りがらみだから、聴く者は、ストーリーを知ってるんだから、何か一ひねりの要るネタかなと思いました。なお、一風亭初月さんが、大阪文化祭賞奨励賞を受賞されました。お目でたいことと同時に、そういったことがあると、浪曲の露出度が増すことが嬉しいのです。




2008年 9月 30日(火)午前 0時 38分

 随分と涼しくなってきました。いや、涼しいというのを通り越したくらいですものね。先週の金曜日には、クーラーをつけてる時間帯があったくらいですのに、今夜は、ちょっと炬燵にスイッチ入れてしまってます。熱燗が、うまいです。もう日が変わってしまってますが、今夜は、道頓堀極樂商店街にあるゑびす座に行ってまいりました。
 「第17回旭堂南左衛門講談会〜歴史って、こんなに面白いの会!〜」があったのです。毎月1回、講談会が、ここで開かれているのですが、黄紺は、こちらへは、確か2度目です。いや、3回目かな? ま、そんなところです。今日は、南左衛門一門会です。会場の入口に着くと、なんと、南左衛門本人が受付に座ってるじゃありませんか。丁寧な応対に、逆に恐縮してしまいました。黄昏亭もみじ「前講:太閤の風流」、南舟「楠木と泣き男」、南青「三日普請」、南左衛門「大名将棋」、南左衛門「小夜衣草紙」が、今日の番組。わりかしポピュラーなネタが並んだのですが、このように並ぶと、そりゃ、南左衛門のトリネタが、お目当て。もみじは、和歌山で介護士の仕事をしながら、隔週で、南左衛門のもとを訪ね、他の弟子同様の稽古をつけてもらっている女流講談師さん。自分の仕事を持っている、ま、要するにセミプロ扱いだということで、旭堂の名前は与えることはできないと、南左衛門から紹介がありました。入門半年ということで、本日が初舞台。プログラムには、前講と記されていました。まだまだ、声が出ていません。普通のおばさんじゃない口調のところが、きっちりと指導を受けてるところやなと思いながら聴いていました。それに比べると、南舟の語り口の確かさは、たいしたものです。今日はマクラで、「今日は、ベスト体重です」などと、何を言い出すんだと言うような意外性のあることを喋り出し、びっくり。秘密兵器的雰囲気が増してきています。緩急をつけようという場面、スピードアップするところでばかり、かんでしまってました。これからの課題でしょうが、今までより大きな緩急をかけようとして、躓いてしまった感じでしたので、着実にステップアップしてることを確認できました。南青までくると、ホント、安心してしまいます。それで、聴く私も、ホッとしたのでしょうか、途中でダウンです。藤吉郎が、普請を受けあうところまでは覚えているのですが。またしても、もったいないことをしてしまいました。南左衛門は、最後に連続2席。滑稽講談という触れ込みで、「大名将棋」。落語では、仁鶴の口演を聴いたことがあると言っておりました。自身で、滑稽講談本から作りなおしたものだそう。今まで、南左衛門直伝でしょう、南青くんでは、3度ほど聴いていますが、南左衛門で聴くと、随分と大仰なネタに聞こえました。「小夜衣草紙」は怪談。捨てられた花魁が、捨てた男の婚礼の夜に現れ復讐をするという話。南左衛門の手にかかると、ドラマチックに、そして、くさくなります。なんか、聴いていて、鳴り物が欲しいなと思ってしまいました。講談で、実際に幽霊の出てくる話は初めてなもんで、落語的手法で処理して欲しいなと思いました。ですから、噺家さんの口演に、容易く変換できそうな話だなっていうネタと看ました。




2008年 9月 28日(日)午後 11時 25分

 今日は、朝から出勤。いつもの時間に出て、ほぼ12時というところで、職場をあとにすることができました。ちょっと早めに、千日前に到着。今日の昼は、トリイ・ホールでの「柳亭市馬独演会」に向かったのです。ちょっとした時間調整に、今日もまた、トリイホール近くのネットカフェへ。トラフゾン・スポルが首位に立ったので、トラフゾン・スポルの公式HPを覗くと、エルスン・ヤナルに肩を抱かれた日本人女性の写真が、でかでかと。なんじゃこらと思いながら、30分ほど、時間調整をしておりました。市丸「転失気」、市馬「目黒の秋刀魚」、雀三郎「天王寺詣り」、(中入り)、市馬「ねずみ穴」が、番組でした。一切のネタ出しなしの会だったですが、秋の二題が、それぞれ色合いの違う噺ですが、もう最高の出来でした。久しぶりに聴いた「目黒の秋刀魚」は、目黒の紅葉した雑木林が見え、そこに、脂の滴る秋刀魚の匂いを体感できました。殿さんのおおらかで、でも、家来思いで、だけど、庶民のものではあるはずの秋刀魚への絶ち難い気持ちが、たいそうにではなく、軽やかに演じられ、もう堪能です。それに輪をかけて、びっくりするようないい出来だったのが、「天王寺詣り」。雀三郎ベスト・コレクションは、これで、「親子酒」「替り目」「花筏」「饅頭恐い」に、この「天王寺詣り」が付け加わります。何がいいと言ったって、進行役の二人の会話がいいのです。とってもリアル。思わず、アホなことを言い、それに突っ込み倒されていると いう二人の会話がおもしろいので、耳がダンボになってる横を歩いている人の気分になりました。「こう言うてますと、境内には二人しかいんように思えますが、、、」という科白があり、そこから、境内の店の描写に入りますが、ハッと気がついたら、天王寺さんの境内に入っていて、周りは店が一杯という感じなのです。それ程までに、二人の会話に気が入っていたっていう、そういった雰囲気を味あわせてくれる雀三郎の口演です。ですから、先ほどの科白は、客に対する説明的ト書きではなく、二人のおもしろ会話にばかり気をとられていたら、そのまんま境内を素通りしてしまいそうだからって感じで入ってるんだと思えたのです。名人上手の手にかかると、こういったト書きまで、落語には必要なんだと思わせてくれました。なぜ、雀三郎の口演には、そないな印象を持ったのかと言いますと、聞き手に回った方が、相手に話を聞いているのです。そして、素直な反応を、そのままの表現で返そうとしているからなのです。雀三郎を聴きに行ったわけじゃない日に、こういった出会いが待っていました。めっけものです。中入りをはさんで、「ねずみ穴」、マクラは、ちょろっとお金の話をするようなことを言い、そして、冬の噺とことわって、「竹次郎、、、」で、ホーッとため息です。東京の噺家さんが大阪へ来て、よくす る噺、「井戸の茶碗」「妾馬」、それに、この「ねずみ穴」。ちょうど、滑稽系の「目黒の秋刀魚」のあとしては、いいチョイスかも。ただ、「目黒の秋刀魚」が良すぎた目で、こちらを見てしまいました。あまりにもハードルが高くなってしまいました。序盤の兄弟の再会、そして、ひどい仕打ち、この辺が、まず、起承転結の「起」になるのですから、兄の複雑な心境、いや、ここは単に意地悪でいいのかもしれませんが、そないな風情、弟の悔しがりようと一念発起の感情移入も、ちょっと鮮明に出して欲しいものです。でも、双方ともに、物足りなかったなぁ。中ほどの展開部は、ペースダウンしていいところで、噺の展開を客に印象付けてもらえればいいわけですので、今日の感じで十分。そして、終盤の緊張から緩和へと持っていくところで、気 分の高揚を、兄弟それぞれで描いてほしかったですが、終盤は、高揚感の色分けも欲しい気がしました。そんなで、物足りなさが残ってしまいました。「ねずみ穴」が終わると、今度は歌謡ショーに早変わり。南春夫の「俵星玄藩」を最後に、その前には、自らのCDデビュー曲も披露してくれました。いや〜、結構な、大満足の会でした。
 夜の部への時間調整は、日本橋駅上のネットカフェ。そこから、南森町経由で、新福島にまいりました。目指す場所は、福島の本遇寺さん。「第42回名探偵ナンコ〜よみがえれ!探偵講談〜」があったのです。南湖一人が出演し、受付も手がける会。今日は、お手伝いの南舟も奥さんも来られてませんでした。番組は、古典講談「無筆の出世」、(中入り・料金徴収)、探偵講談「鬼坊主」、対談「芦辺拓&南湖:探偵講談と探偵小説あれこれ」というもので、基本となるラインナップは、いつもと同じでした。「無筆の出世」は、わりかし演じられる機会の多いネタ。酒癖の悪い御家人に仕えた忠元が、無筆のために殺されに行くところを救われ、新たに仕えた主人のもと文字を覚え、出世をしていく話。律儀な男が、自らの欲なしで、命を守るために覚えようとした字で、出世をしていくちょっといい話。主人公の忠元の素朴さ、律儀さが出るほどに、しんみりと聴き入ってしまいます。本日の探偵講談は、実録物。殺人事件に至る背景が長く、後の展開の伏線らしいのですが、ようやく殺人が起ころうかというところで、ダウン。寝不足が、最後の最後で出てしまいました。なんともはや、もったいない話です。対談での話を聞いていると、この会は、講談好きだけではなく、古書マニア、探偵小説マニアも来られてるそうです。奥の深い話です。




2008年 9月 28日(日)午前 4時 51分

 昨日は、午前中、みっちりと仕事。昨日の仕事は、振り替えありなのですが、もう、土曜日に働くというのは、体が許してくれません。ましてや、今日も、出勤なものですから、体をいたわりながらの勤務です。とにかく、仕事が終われば、速攻で、お出かけです。昨日は、お昼ご飯からずっと難波界隈を徘徊でした。と言いますのも、昨日は、午後と夜、ともに、ワッハの7階での落語会に行ったからなのです。
 午後の部は、「第47回あがき」です。桂歌之助が、こちらで、長く続けている勉強会です。二乗「ろくろ首」、歌之助「阿弥陀池」、(中入り)、団朝「短命」、歌之助「口入屋」が、この日の番組で、主宰者の歌之助は、当日のプログラムで、初めてネタを発表。ゲストの二人は、プログラムにも、ネタ出しなしの「お楽しみ」となっていました。二乗のこのネタは、初めて。持っているのは知っていましたが、遭遇するのは、初めてです。二乗は、自信を、どんどんと膨らませていってる感じがします。言葉が明瞭で、節目となる部分を心得ていますから、巧みにアクセントを入れていってくれます。極上の前座役 です。いいなぁと思いながら聴いていましたら、うとうと。もったいない話です。歌之助は、まず、「阿弥陀池」に入る前に、イタリアで、イタリア語で落語をした話を紹介してくれました。ネタは、「動物園」だったそうです。その様子は、繁昌亭での独演会で、映像を交えて紹介されるそうですが、黄紺は、行けるか、はっきりしない日なんで、気になって仕方ありません。歌之助の落語の気に入っている部分は、毎度書いているようですが、それは、身体的表現としての落語。口演に対する体のバランスが、実に理に叶っています。それを、全て演出上の手法として意識してるのが、いいなと思うのです。体のバランスが、そうだと話が流れるんですね。「阿弥陀池」は、その定番のような持ちネタです。「口入屋」は、繁昌亭で聴いて以来で、歌之助では、2度目となります。こちらも、身体表現としての落語の深化を観ることができたと思います。昨日は、疲れがたまっていたのでしょうね、おなごしが得意技を語る立て弁に入る前には、ダウンでした。ここでも、また、もったいないことを経験、本日、それが、2回ありました。3週間前に、出番を頼まれたという団朝は、奥さんの在籍する松竹新喜劇の話や、この出番のあと行かねばならないところのことを、松竹新喜劇がらみで紹介し、最後は、定番の師匠親子の話を、マクラでしてくれました。この人のマクラは、自然体で、いつ聴いても楽しい。ネタも、この人くらいのキャリアを積んでから手がけると、自然体になりますね、「短命」は。最近、雀五郎が手がけ、かなり楽しめると言いましても、年齢に相応しいネタってあるんだって、ま、そんなのは当然なのでしょうが、それを実証する素晴らしい口演でした。何よりも、教え手の落ち着きが、いいですね。
 歌之助の会が終わったあと、芝居のチケットを1枚買って、最近、時間調整によく使うトリイ・ホール近くのネットカフェへ。夜も、昼に続いて、ワッハに戻るには、手頃な場所にあります。昨夜の7階では、最近、行われる頻度が落ちている林家亭ですが、その林家亭が、「花ちゃんの会」と称して行われた林家花丸の会があったのです。二乗「ふぐ鍋」、花丸「寄合酒」、たま「舟弁慶」、花丸「夏の医者」というのが、この会の番組です。花丸自身の会っていうの、ホント、久しぶりじゃないかなぁ。奔放に、自分の解釈を放り込み、それも、中には即興性に富んだものがあるようで、常に、何かやってくれる予感のようなものがあり、人気の高い花丸。「寄合酒」などは、そのあとに出たたまに言わせると、高座に上がる前には、噺の筋立てだけ書いて、それだけを頭の中に入れていったんじゃないかと言わしめました。たまに拠りますと、それほど、即興で、おもしろいギャグを飛ばしたり、ボケをかませる人ということなのです。なかなか、その通りで、前半の持ち寄りの部分は、流れはオーソドックスだけど、酒屋から、酒を多めにとるとき、歌を口ずさんだり、犬と、鯛を取り合うのに、ちょっとした心理戦があったりと、ホント楽しい。調理の場面では、流れは、奔放にいじられていました。タイのウロコ落としをしながら口ずさむ歌が楽しいとか、とにかくサービス精神旺盛なのです。「夏の医者」も、同様のスタンス。序盤の父親が倒れるところはカットして、医者を訪ねるところからスタートしました。なかなか、無精な医者で、それを行く気にさせるところが可笑しい。花丸を聴きに行って、これだけ、サービス精神旺盛なところを見せつけられると、大満足です。ゲストも、良かったなぁ。聴くのが2度目となる二乗の「ふぐ鍋」、師匠の米二も持ってるけれど、むしろ、吉朝系の演出になっていました。前回聴いたときは、こういった前座ネタを越えたネタに入ると、さすがの二乗も、こなし切るには時間がかかるなと思ったのですが、それから、さほど時間が経っていないにもか変わらず、もう自分のものにしていました。序盤のべんちゃらが生きています。そこを、どこまでしつこくならない程度に入れておくかで、ふぐのやりとりの可笑しさが変わってきますが、もう、十分に、その辺も心得ていました。昼も夜も、二乗に感心です。もう一人のゲストは、たま。能掛かりになるところだけを割愛した形に落ち着いているようです。騒々しくて賑やかな「舟弁慶」です。文枝の粘り着くよな日本特有の夏、ちょっと涼まないとおれないような夏とは違って、たまの「舟弁慶」は、カラッとした夏を感じさせます。ギラギラと、思いっ切り明るい夏ですが、暑いというよりか、その中を乗り切っている思いっ切り元気な庶民が見えてきます。先日の生喬の会といい、たまの扱いが大きく、噺家さん仲間での評価の高さのようなものを感じました。
 そないで、日曜日の朝を迎えていますが、4時半に、目が覚めてしまい、昨夜の書きかけを補充しております。今日は、平常の時間に出勤なのです。ちゅうことで、世間は、秋本番を迎えようと言いますのに、この土日は、休みなしなのです。




2008年 9月 27日(土)午前 5時 34分

 昨夜は、ワッハの4階であった桂つく枝の落語会に行くということを、随分と前から決めていたのですが、「中国インディペンデント映画祭」(於:中崎町、プラネットプラスワン)が始まってから、黄紺は、その存在を見つけたものですから、やりくりに困っちゃいました。そのために、希少性を、まず、優先しようじゃないかとの観点から、そのつく枝の会を外してまで、中国映画を観ることにしたのです。昨年観たときに、中国のインディー系の映画の質の高さ、また、制作者の良心を看た思いをしたものですから、この機会を逃してはいけないという気持ちが働いたのです。幸い、ネタ出しをしていなかったつく枝の会で、何が出たのかを、落語ファンのブログで拝見すると、小ぶりの、しかも口演機会の多いネタ出しを、実際にはされていたようですので、黄紺の選択は、落胆を誘うものではなかったことで、ホッとしております。
 で、昨日、観てきた中国映画は、「塵より出ずる」というものでした。この題名は、キリスト教の天地創造、アダムの誕生を意味しています。これは、映画の終盤で、台詞の中に現れてきますから、間違いのないことです。ですから、この題名は、「人間そのもの」を表しているのです。そして、こういった題名を付けていることからも解りますように、この映画の主人公は、中国社会の中に住む、絶対的マイノリティのキリスト教徒なのです。主人公は、病気の夫を入院させ、その入院代も、更に、子どもの授業料も払えない貧しさです。でも、教会には通い、また、教会の結婚式のための楽隊の練習にも参加するまじめな信者です。普段は、自転車を使っての運び屋をして、病院に通うということを繰り返しています。ただ、気になるのは、夫のベッドの置かれている位置です。どうやら、入院代が払えないため、廊下の隅に置かれているのです。病院側は、でも、患者が、そういった場所に置かれていても、病院内のことですから、まがりなりもの治療はしています。こういった扱いに、「同じ人間に生まれて」といったメッセージが見えてきます。やがて、結婚式当日がやってきますと、主人公は、楽隊の一員としての役割を果たします。その帰り、教会を出て行こうとする主人公を、信者仲間が呼び止め、お金に困ってるだろうからと、仲間で集めたお金を渡します。主人公は、早速、病院に支払いをし、また、学校にも、滞納分ばかりか、一つの学期分の前納までします。この前納する気持ちは、病院から、支払いを済ませたあと、夫を、自分の自転車に付けている荷台に乗せて連れて帰るのですが、そのときの心理に通じるものがあると看ました。主人公は、ほぼ、自らの感情を表しませんが、夫を連れ帰るときに、初めてと言っていいほど、はっきりとした感情の発露を表す映像となります。若いとき、夫が元気に、自転車をこぎ、主人公の女は、自転車につないである荷台で、この世の春とばかりに、満面の笑みをたたえているのです。夫も、自転車をこぎながら、笑顔で妻を振り返ります。その映像が、夫を荷台に乗せて、病院を出ていくシーンのあとに置くのです。自転車をこぐ立場は、逆になりましたが、二人だけの世界が戻ってきたからでしょうね。病院を出ることが、彼女をして、過去の幸せな時期を想起させているということなのでしょう。ですが、連れて帰るという行為は、夫の体には無謀としか言えない行動だったようで、夫は亡くなります。それでも、主人公は、前と変わらない生活をしています。最後の場面は、娘との家での食事の場面となります。食卓に置かれた食材が、以前と比べて、ちょっとだけ大きくはなっていましたが、夫の亡くなった分っていうのは、僅かそれだけの豊かさをもたらしただけで、同じような時間が、相変わらず流れています。同じような貧しい生活が続いています、「同じ人間に生まれた」のに。正直言って、観ている者として、淡々と時間が流れていきますので、寝不足の黄紺は、必死に目をしばたたかせながら、映像を追いかけねばなりませんでした。その黄紺が、思わず乗り出したのが、結婚式の帰り、お金をもらってからでした。確実に、この映画が動くと感じたからです。この映画のスタンス、観終わってみると、正に、黄紺が期待した通りの中国の良心が見えてくる映画でした。昨夜で、この映画祭は終わりましたが、観ることのできなかった映画が残りました。2度あることは3度ある。再々上映会なんてあることを祈ります。




2008年 9月 26日(金)午前 1時 24分

 8月の末に、南河内万歳一座の鴨鈴女が行った特別公演「鴨リンピック」を観たとき、芝居って、やっぱり楽しいなと思い、そのときにもらったパンフレットから、1つの芝居を選びました。「鴨リンピック」に出ていた小山茜という役者が、客演する劇団の公演を観に行こうとしたのです。芝居を観るのは、年に2回くらいになっていた黄紺は、全く若い劇団の情報を持っていませんから、こういった形で糸口を見出そうとしたのでした。最近、観た劇団で、新しいものといえば「シベリア少女鉄道」だったもので、新たに開拓しようという意気込みが、久しぶりに沸いてきたのです。そういった気持ちで選んだ劇団の公演が、今夜あったのです。
 Hep HallであったSundayという劇団の「ニューデリーの恋人たち」という芝居を観に行ってまいりました。ところが、開演が、15分も遅れるという、ちょっと常識では考えられない始まり方。しかも、上演時間が、2時間20分と、とっても長いものでした。しかし、終わってみると、それだけ長い時間を要したのかと思えるようになっていました。ですが、前半は、苦痛とまではいかなかったのですが、全く知らない劇団だったものですから、これは、自己満足的というか、一人よがりというか、そないな臭いがしていました。それというのも、台詞が短く、それも、台詞を飲み込むような感じなのです。客に解らせないことを狙うときのパターンなのです。あちゃー、そういう劇団だったのかと、失敗感を感じ出していたのですが、それが、芝居が進行するにつれ、気にならなくなっていったのでした。寡黙な芝居というほどではないのですが、だけど、それが嫌みではなくなっていったのでした。そのわけは、幾つかのユニットで芝居を進めていくのですが、どういった役割を果たしたのか、終わってみても、判然とはしないのですが、寡黙ではないユニットを動き出させたこと、そして、引っ張ってはいたのですが、種明かしっぽいシーンを、タイミングよく放り込んだことかなと思います。その辺から、えらくうまく計算して台本を書いてるなの雰囲気が、黄紺の中に浮かび上がってきたのでした。芝居の最後に、「ニューデリーは、生きている者と死んでいる者とが行き交うところ」というセリフが、主役の女性に言わせています。そうなんです。生きている者と死んでいる者とが、同じ舞台に登場し、且つ、主役の女と、その恋人は、幼年期と成人期との二つの役者が、同時に出てくるという、こった構造になっていたのでした。ですから、そのあたりの仕掛けに抵触しそうになると、言葉を飲み込ませていたものなんだろうと思いますと、ぐぐっと芝居が面白くなりました。結局、誰が、生きている者なのか、死んでいる者なのかが、今でもってよく分かりません。分かる人には分かるのでしょうが、黄紺には、よく分かりませんでした。その辺の確認などというのは、必要じゃないのかなとも思いました。すれ違いばかりを起こしている2人、追い求めることにこそ愛があるとでも、言いたいのかなと感じていました。ただ、どちらが生きていて、死んでいるのか、そういった問題と重ねますと、記憶の問題ともなっていきます。結局、十分に理解しないまま終わったみたいです。役者は、黄紺が狙いすました小山茜という役者におんぶに抱っこの感じでした。客演であった彼女がいない場合の劇団を考えると、急に寂しくなってしまいます。でも、次の公演も観てみたいなの気持ちが残りました。




2008年 9月 24日(火)午後 11時 53分

 今日は、随分と悩ましい日でした。一人の落語ファンとしてのことなんですが、お初天神では、桂こごろうの会があり、中崎町では、たまの小劇場がある、東梅田では、桂出丸の会があると、とっても悩ましい夜なのです。まず、こごろうが、「子は鎹」を出すというので、いったん、こごろうの会に行くと決めていたのですが、そのあと入ってきた出丸の会の情報では、福笑がゲストで、出丸の出すネタも、「首提灯」と「百人坊主」と、なんともはやそそられてしまうものだったもので、あっけなく乗り換えてしまいました。そんなですから、今日は、たまの会が、一番煽りを受けたんじゃないかなと思っています。黄紺などは、たまの小劇場の開演時間が遅いだけで、一歩引いちゃいますから。
 「第106回まるまる出丸の会」という落語会が、黄紺の行ったものです。場所は、東梅田教会という扇町方向にあるところです。雀五郎「短命」、出丸「首提灯」、福笑「大道易者」、出丸「百人坊主」というのが、本日の番組。なかなか、こういった番組は、組まれないのに組まれたっていうことは、他の落語会を意識してるのかなというのが、黄紺の直感です。まず、雀五郎ですが、今日の満足度でいくと、この雀五郎が、一番かもしれません。これで、雀五郎による「短命」 は、2度目になりますが、最初の初々しい照れのようなものは、影を潜めましたが、アホたんな男が、「短命」の意味が、なかなか解らないときの間の置き方、自在な間の取り方が、ホントに安定した笑いを取れてました。ある意味では、解らない男っていうのは、ありえない鈍さなわけですから、それを可笑しさに変えるには、2人のやり取りのタイミングが全てだと思いますから、それができる雀五郎の力量は、ただものではないということです。鈍いやり取りが、この噺の山だと、雀五郎は心得ているのですね。家に帰ってからのやり取りは、存外に簡単に終えてしまうセンスの良さにも感服しました。雀松テイストの凝縮した「つん」と、相手を突っつく仕草も入れてくれました。そのあとの出丸が、本日の問題の高座です。前半の上燗屋の酔い方も、わざとらしいなという目で見ていたところ、猟奇的な部分に移行するときの転換点で飛ばしたのかなぁ、いきなり斬る話に飛んでしまい、なんじゃ、これっていう状態。だいたい、道具屋とのやり取り辺りから、スムーズさに欠けるようになっていましたから、猟奇的場面への移行が、うまくいかなかったのかな? この会を選んだのがまずかったかなの思いが出始めると、急にノリが悪くなります。福笑のネタは、全くの初物。前半は、「天王寺詣り」を想起させる構成。境内を歩き、店の様子を示していきます。そこで、大道易者に焦点が絞られ、易者の大ボケのギャグのオンパレードが始まり、終盤は、ダイビングをしようとする女性が登場し、易者が、その女性にかんでいきます。全編、ダジャレ、しょーもないこと言いに終始しますが、それがはまるときと、そうじゃないときの落差が、随分と大きなネタです。珍しく、福笑の口演で、うとっときてしまいました。どうやら、くすぐりがヒットしてないところの山が来てしまったのです。トリの出丸、噛み噛みで進行しました。噛むのが、売りのようにもなっていますが、今日のノリの悪さで、噛むのが、居心地の悪さのようなものを感じさせていました。うーん、せっかく選んだのに、ちょっと不満。




2008年 9月 24日(火)午前 4時 49分

 秋に入りかけているのかと思うと、いやまだ、夏のままかという昼の蒸し暑さ、1日の寒暖の差が、とても著しい時期に入っています。昨夜、落語会から戻ってきて、あえなくダウンをしてしまったために、3時半過ぎに起き上がり、こないなことをしています。とりあえず、昨日の落語会のはしごをした記録を記しておきます。
 まず、午後の部からです。「帝塚山DEらくごパラダイス〜銀瓶・都んぼ 二人会〜」という会に行ったのですが、場所が、無学です。ようやく行こうという気になりました。1度は行かないとと思っていた場所。6代目松鶴の実家を、鶴瓶が買い取り、落語会ができる会場としたところだからです。狭いと聞いていたために、その先入観があるからか、実際に入ってみると、60人以上のキャパがあるからでしょうか、わりかしいい空間じゃないかと思ってしまいました。会自体は、銀瓶主宰で、毎回ゲストをよんで、二人会をするというもの。銀瓶「ちはやふる」、都んぼ「崇徳院」、(中入り)、都んぼ「四人くせ」、銀瓶「立ち切れ線香」が、番組でした。最近、銀瓶の会が続いたため、心配していたネタのかぶりが起こりましたが、それが、なんと「立ち切れ」とは、びっくりするだけではなく、得した気分です。「ちはやふる」は、銀瓶の若かリし頃に、何度か聴いた記憶がありますが、当然のことながら、口演には、したたかなくすぐりを、いい感じで入れてくれていました。相撲関係は、今、話題が豊富ですから、それを上手に生かしていました。一番、感心したのは、豆腐屋尽くしで、 豆腐屋になるところに入ったところです。大ヒットですね、これ。都んぼの「崇徳院」は、初物。力がありあまる程、たっぷりと気合いが詰まった口演。だけど、都んぼは、逆に、こうでなくっちゃ、おもしろくないのです。気合いが乗り、その中での、人物の描き分けが、きっちり行われるので、力みが、いい個性になってるのが、都んぼです。大熱演を前面に出して受け入れられるおもしろい個性です。対談では、修行時代のおもしろ話、弟弟子の失敗たんなんかが紹介されました。「崇徳院」は、二人とも、ざこばからもらったそうです。それに引っ掛け、ざこばの指導ぶりも紹介されてました。「四人ぐせ」は、都んぼでしか聴かなくなったと言えば、いいすぎでしょうか? 文昇も持ってたかもしれません。出始めのところでは、各自のくせをデファルメして演じてくれるのはいいのですが、途中から、ほぼ割愛してしまうのはどうかと思ってしまいました。これは、このネタを聴くときに、毎回感じること。銀瓶の「立ち切れ」は、10日前に聴いたところ。三味線のきっかけは、10日前と同じなんですが、そこでのしゃべり過ぎは抑えてありました。安心感が、ここでは起こりました。だけど、昨日の銀瓶は、お茶屋の女将の台詞のところで、体でリズムを自然ととってしまったようで、前後に体が揺れ動いたのと、その辺のクライマックスの台詞で、語尾に向かうたびに早口になっていくのが、とても気になってしまいました。う〜ん、やっぱり難しいわ、このネ タは。微調整をして、いいものに仕上げていって欲しいものです。時間は、ちょうど40分で、前と同じでした。
 無学からは、南海本線の粉浜駅から難波に出て、トリイ・ホール近くのネットカフェで時間調整後、昨日もラーメン屋で夕食。その後、トリイ・ホールに向かいました。言うまでもなく、「第6次雀三郎みなみ亭〜第3回雀三郎十八番六日間連続〜」の最終日があったからです。雀喜「うなぎ屋」、雀三郎「池田の猪買い」、あやめ「私はおじさんにならない」、雀三郎「百年目」、(中入り)、雀三郎「替り目」が、最終日の番組でした。今回、一番行きたかった番組です。と言いますのも、雀のおやどで、「百年目」が出たときには、何かがあって行けなかったからです。その肝心の「百年目」ですが、春の花見の華やかさ、空気の温もりに欠けました。これは、ちょっと予想はしていたことでもあるのです。「天神山」を聴いたとき、登場人物の異色性、そして、なんせ、人物の描き分けの卓越な噺家さんですから、そういったアプローチからの、春の演出が可能なのです、「天神山」は。ところが、異色な人物、濃いキャラ作りのしにくいネタである「百年目」は、ちょっと持て余した感じ。花見に行った番頭が舟から上がって遊び出しても、空気が明るくならないのです。番頭が、徐々にくだけきる前に、旦さんの方に、スイッチが入ってしまいました。花見という非日常空間に、日常の空気を持つ二人、でも、周囲は、花見で浮かれ騒いでいる空気が出てこないのです。米朝の「百年目」は、ここがいいんだけど、昨日は、ここで、あれっと思ってしまうと、そのあとの番頭の困りにも、共感ができないままでした。店の外に出てからの番頭の変化が十分じゃなかったことが、一つ。お囃子が、どうしたのでしょう、やけに重いし、不揃いでした。これは、大きい、実際。その上、船場物には合いにくい、雀三郎の声質が重なったということでしょう。人物の描き分けについて、雀三郎に不満を持った珍しい例になりました。手がけるのが遅かったことも関係しているかもしれません。一転して、特上の出来とみたのが、「替り目」。はじける酔っ払いです。そして、何よりもテンポが、いいですね。無駄に酔ってますよのポーズを取らないから、テンポがいいのです。それで、十分に、酔っ払いを表現できる極上の力量が、雀三郎にあるのです。もう一つの「池田の猪買い」は、最初と最後だけしか記憶にないという低汰落、もったいないことをしました。でも、今日は、昼夜通じて、ダウンしたのは、このときだけ。なぜ、ここでダウンなのか、自分でも解りません。前座は、雀喜、喜丸からもらったんだろうなと思える「うなぎ屋」。遠慮しないで、喜丸テイストを前に出せばいいのにと思ってしまいました。あやめは、小浜の落語で町おこしの話から、帯の柄の紹介、エジンバラ報告から、可朝ネタに入り、可朝出演情報を流していました。ソウル落語だと言って始めたネタ、この日も、とっても受けていました。終わってみて、覗いてみた「十八番」2日間では、雀三郎の出来で言うと、ベストは、迷うことなく「初天神」です。次が、「替り目」でした。もちろん、自分的にはですが。




2008年 9月 23日(火)午前 5時 55分

 せっかくの休日というのに、目が覚めたのは、4時半。4時間余しか眠れなかったので、それならば、まだ、夜の続きとばかりに、熱燗をひっかけながら、書き出しています。気温は、随分と下がりました。風邪のひきやすい季節です。ま、それは、いいとして、昨夜は、トリイ・ホールで行われています「第6次雀三郎みなみ亭〜第3回雀三郎十八番六日間連続〜」の第5日目に行ってきました。黄紺は、連日の独演会が開かれたときには、その内の1度だけ覗きに行くようにしているのですが、今回は、2回行きます。ネタ出しをされていますから、それを見て、どうしても1回に絞れなかったのです。
 雀五郎「子ほめ」、雀三郎「初天神」、福笑「もう一つの日本」、雀三郎「天神山」、(中入り)、雀三郎「淀五郎」というのが、今日の番組でした。今日の雀三郎は、今まで聴いてきた中でも、ベストの出来の一つじゃないでしょうか。得意の人物の描き分けが冴え渡り、どないなキャラの人物が出てくるっていうのがわかっていても、雀三郎の手にかかってしまいますと、我々の想像以上の、期待以上の、でも、それを、オーバーアクションで表現することなく表してくれます。イマジネーションの力量が、聴き手の誰よりも凌駕してしまってるのです。特に、一発目のおもしろキャラ、「初天神」の向かいのおやっさんで、びしっと決まったものですから、登場してくる人物が、もうおもしろくて、仕方ありませんでした。同じ「初天神」で、やかましい虎ちゃんをどやしつけるおやっさんも、おかしかったなぁ。「天神山」では、へんちきの源助が、墓の前で遊ぶときのダジャレが、なんかこの男に、少しおもしろいキャラを与えたように思えましたし、胴乱の安兵衛のしゃべりっぷりがおかしかったです。定番のところなんでしょうが、雀三郎の手にかかりますと、こいつ、いっつも、こないなやつで、周りの人を困られたり、おもしろがられたりしとんねんと、普段の生活ぶりにまでも、聴く者のイメージが広がります。キャラのおもしろさ、変化の豊かさで、噺のおかしさが膨らんでいきますから、テンポの良さが、早口というよりも、とっても心地よいスピード感と捉えることができました。こういった捉え方を、雀三郎に感じたのは、実は、初めての経験で、ベスト高座の一つだと思えたのでした。そして、最後に持ってきたのが、「芝居噺」でもあり、「人情噺」とも言える「淀五郎」とは、ホント、心憎い番組です。若手の役者に、大御所の二人の役者、もちろん描き分けは申し分なく、しっかりと、若手の役者を、違った仕方で育てようの心根が滲んでいました。なお、「初天神」は、祝々亭舶伝からもらったものだそうです。舶伝の家や家族を見たくて、稽古を頼んだら、扇町公園で、ベンチに横並びに座りながらの稽古になったと言ってました。「初天神」を、先に出し、それをもらった稀代の変人噺家のマクラをふり、「天神山」に入りました。しかも、「天神」繋がりです。とっても凝ったことを披露してくれたのでした。ゲストは、そないな雀三郎に、今日ばかりは押され気味。日本通で、日本語を話すアメリカ人との営業面での交渉を舞台に、日本のことわざまで精通しているアメリカ人がおかしいのですが、雀三郎の落語の色変わりっていう立場を越ええなかったこの日の福笑でした。前座役の雀五郎は、自分流の工夫を入れることはなく、また、噺の流れにも緩急を意識させることなく、その役目を果たしました。雀三郎の前座は、ネタをするというスタンス通りの高座だったと言えると思います。




2008年 9月 22日(月)午前 6時 36分

 昨日の日曜日は、随分と鬱陶しい天気、でも、前日の蒸し暑さが嘘のように、涼しい1日でした。その日曜日、少し遅めのお出かけで、落語会と映画に行ってまいりました。
 まず、玉造駅前のカタリーナ・ホールへ。結構な名前を持っていますが、20畳もない和室です。そこでありました「らくごのたまりば〜100回記念スペシャル〜」に行ってきました。黄紺は、100回の内2回しか行っておりませんが、昨日は、行こうかという落語会が少ないなか、久しぶりに覗いてみようかの気持ちになったのでした。三弥「動物園」、三金「ふぐ鍋」、(中入り)、三弥「真田小僧」三金「悋気の独楽」というのが番組です。昨日は、三金・三弥の兄弟弟子による二人会でした。「動物園」は、とっても普通の型、自分流の変形技は、こちらに通われている客好みのものに。常連さんや身内の人が、客に多いよう。三金の妹さん夫婦も来られてました。見慣れているお母さんは、今日は見ませんでした。三弥は、声が悪いのが、ちょっとマイナスです。「ふぐ鍋」は、とっても安定した出来栄え。小気味良くくすぐりが決まっていきます。ふぐが大丈夫と判って、二人が食べるときは、しつこいヴァージョンでしたが、嫌味には感じませんでした。それほど、小気味良くくすぐりが決まっていたのでしょう。「真田小僧」は、前に聴いたのが、いつだったかすらも覚えていないネタです。前半のくだりは記憶にありますから、もちろん全くの初物というわけではありません。三弥も、誰からもらったのでしょうか、そないなことを気にしながら聴いておりました。これを聴けたのが、本日の最大の収穫。この会に行って、正解です。また、前半の子どものませた雰囲気が良くて、自分的三弥のベスト口演です。三金のラストは、二つのネタから、リクエストを取りました。1票差で負けたのが、「デブのお肉に恋してる」でした。私は、負けた方に、手を上げました。「悋気の独楽」は、染丸から教わったとか。立て弁のところとかで、意味は合ってるのですが、言い回しがふさわしくないのが、いくつか。それを気にしながら聴いていると、他でもいくつか。三金の古典で、ときとして顔を出すタメ口は出ないで、今日は大丈夫でした。丁稚のこましゃくれた感じ、お竹どんのアクの強さ、ごりょんさんの悋気、それぞれ、もうちょっと色合いが濃い方がおもしろかったかなの感じです。さすが、染丸からもらっただけあり、骨格がしっかりしており、また、それを維持しようという三金の意志が出てました。あとは、このネタの場数といったところでしょう。
 玉造から、地下鉄で、長堀橋経由で、日本橋に移動。トリイ・ホール近くのネットカフェで、前日に次いで、時間調整。昨日は、南海難波駅横のラーメン屋で晩ご飯。店は違うもですが、2日続いて、ラーメンでは芸がありません。前日同様、、「第5回スペイン・ラテンアメリカ映画祭」に行ったのです。昨日観たのは、ウルグアイ映画で、「法王のトイレット」という映画。ここまで、この映画祭で、3本観ましたが、一番お気に入りの映画です。ウルグアイの辺境の町が、物語の舞台。主人公らは、とにかく貧しい。その彼らの生業は、ブラジルの町まで行って、物を仕入れてくる運び屋の仕事。国境警備隊の目を盗んでの危険な仕事。そういった町に、教皇ヨハネ・パウロ2世が来ることになったものだから、臨時の店を出して、日頃の補いをなそうと考えるようになります。特に、ブラジルとの国境が近いものですから、ブラジル人が大挙して押し寄せてくることを夢想してしまうのです。主人公は、トイレ屋を考え、自宅前に、トイレを作ろうとするのですが、そのための資金がないものですから、国境警備隊長の違法行為を助けることにより、臨時収入を得ることになります。順調に、トイレも完成間近、だが、まだ、便器がない。教皇が来る前日に、件の警備隊長から金をもらい、便器を運ぶつもりだった男に狂い生じます。金をもらう時間が、予定の時間からずれてしまうのです。この時間的な狂いから、家族に金の出どころがばれてしまい、苦しんだ挙げ句、金を受け取らないで便器を運ぼうとするのですが、その内に、教皇も到着してしまいます。自転車で必死に運ぶ男の横を、件の警備隊長が通りかかり、町まで運んでやろうと言うのですが、それを拒んだ男は、自転車を奪われたため、自力で担ぎながら、町へ戻ってくるのですが、あっけなく挨拶を終えた教皇は去っていきます。帰ろうとする人混みに逆らうように、町に帰って来る男。トイレを呼びかけても、応じる者もいない。実は、他の店も同様で、教皇グッズは売れ、ヴァチカンは儲けたかもしれないのですが、立ち寄り先は、貧困に輪をかけただけだったということになります。事実に基づく物語です。主人公の男のおっちょこちょいぶりがいいし、そういった生活から抜け出し、ジャーナリストになりたいという夢を持つ娘の目がいいですね。ちょっと小バカにしつつ、親の手の内から抜けきっていないという微妙な感じが出ていて、好演。その娘が、テレビ画面に、人混みの中に、便器を抱えて右往左往する父親を見て、一筋の涙を流します。「脳みそまで腐ってなかった」父親に共感できるものを見いだしたのでしょうね。いい映画でした。今回の映画祭で、「トニー・ミネイロ」の主人公役の男優が、主演男優賞をもらったとか、黄紺なら、昨日の映画の主役の俳優さんにあげたいです。それから、ウルグアイの平原と田舎町が、気に入っちゃいました。行ってみたいななんて考えながら観ておりました。




2008年 9月 21日(日)午前 9時 52分

 日曜日の朝は、雨です。台風は、もう終わったはずですのに、早くも雨です。台風一過ということで、全然、天気予報を見てなかったものですから、びっくりしています。でも、昨日の蒸し暑さが取れていきそうです。程よい雨でしたら、ありがたい雨です。そんな蒸し暑い土曜日でしたが、午後から大阪へ出かけてきました。お帰りは、日が変わるまでの長〜いお出掛けとなりました。
 まず、午後の部は、「第471回田辺寄席・長月席・昼席〜いちもん会〜」に行ってまいりました。さん都「宿屋町」、文太「嬶違い」、小米朝「はてやの茶碗」、(中入り)、八天「足上り」、南鱗「善悪二筋道」というのが、この会の番組。小米朝が出るということで、客が入るは入るは、、、びっくりするほど、人が詰めかけました。先日、「宿屋町」が、最近出ないと書いたのですが、昨日、呆気なく遭遇。さん都にとっては、師匠都丸から初めてつけてもらったネタとか。都丸は、米朝からだそうです。はきはきとした口調が、さん都はいいですね。古臭いダジャレなんかは、現代風になっていました。文太は、円都から文枝に継がれたものを受け継いだとか。こんな噺だったかなと思う呆気ない噺。最近、これも出ない噺ですから忘れてしまいます。間違いが発覚することのおかしさだけという噺です。そのあとの収拾に困ってしまったかのようなネタです。昨日は、小米朝のところで、ダウン。だから、うつらうつらで聴いていた限りでなのですが、もうちょっと、茶金さんに品格とか、油屋さんに粗野さがないものかなと思ってました。もっとも、半寝の状態での感想ですが。「足上り」も、出ない出ないと思ってたら、この夏は、少々見かけました。聴き 直してみると、呆気ない噺です。芝居をと意気込んでも、芝居をするには、あまりに短い。そういった頼りなさみたいなのが、演者には不人気なのかもしれません。今日の八天は、凝り性だったこと、それが、成長に従って変わっていった話など、ちょっと長く振りすぎです、マクラを。そして、芝居で気合いを入れた途端に終わってしまう。わりに合いません、やっぱり。南鱗のネタは、正直者が、あくまでも正直に生き、最後に思わぬ出会いが待っているという話。こういう人物を、南鱗は、うまく表しますね。訥々とした口ぶりが、主人公にぴったりなんでしょう。
 田辺寄席がはねると、いつも、谷町線で移動です。そういった巡り合わせなのでしょうが、昨日は、天王寺乗り換えで、難波に向かいました。目的地は、初めて行くなんばパークスシネマでした。映画館は、えらく奥まったところにあるのですね。ま、滅多に行くことはないですから、大した問題ではありませんが。ここで、この週末から、「第5回スペイン・ラテンアメリカ映画祭」が開催されているのです。その情報を得たのが、ごく最近。急に、この週末が慌ただしくなった原因です。台湾映画「言えない秘密」を、金曜日に観に行ったのも、この映画祭関連です。昨日観ましたのは、スペイン映画「タイム・クライムス」とチリ映画「トニー・マネロ」の2つです。午後7時と午後9時上映開始ということで、帰宅が12時を過ぎたということです。「タイム・クライムス」は、数時間前にタイム・スリップした男が、タイム・スリップする以前の男を邪魔者として攻撃していくということを前提に、違う時間を生きている同一人物同士の攻防戦という構想の映画。これが、途中から、何が何で、何回、タイム・スリップした男かが判らなくなってきます。同じ場面が、何度も現れ、その場面が、どのような経緯で生まれかの辻褄合わせが楽しいんだけど、どんどんと進んでいくにつれ、頭は混乱するばかり。終わり方も終わったようで終わってない感じという気持ち悪さが残りましたが、観ていて、時間が経つのが、めちゃくちゃ早い映画でした。サスペンスっていうのは、そんなものです。もう一つの「トニー・マネロ」、9時上映開始ということで、自分的には、ちょっときつかったです。就寝時間に近づいてくると、瞼が落ちてきます。先ほどのスペイン映画のような緊張を強いられるということはありませんから。いえいえ、スペイン映画で緊張して、疲れてしまったのかもしれません。映画は、ジョン・トラボルタの演じたトニー・マネロに憧れ、その振り付けを真似る、ないしは、そのテイストの振り付けをすることにより、自らのアイデンティティを確認する男、一方で、ピカレスク的要素を多分に持ち、トニー・マネロになるためには、犯罪的行為にも、躊躇いというものを見せない。最後に、テレビの物真似番組に出て、トニー・マネロの真似で勝てないで終わります。時代は、ピノチェト時代、あからさまな批判的言行が出てくるわけではありませんが、こういった主人公を生み出すこと自体で、立派にピノチェトの時代を、批判的に描いている雰囲気にとれます。行き先の見えない軍事政権が生み出した一個の人物に見えました。




2008年 9月 20日(土)午前 8時 4分

 昨日は、事情があり、急に午後2時過ぎをもって、ばたっと仕事が絶えてしまいました。そりゃ、先を見越した仕事は、たくさんあるのですが、そんなにも前倒しをしなくてもいいやと思い、2時間の時間休を取り、映画を2本観てまいりました。普通の勤務のときも、昨夜は、映画を観に行くつもりでしたので、1本増えたということです。ちょっとした観にくい映画が、この時期に集中的に公開されることを知り、1本でも多く観たかったということがベースにありますが、昨日のような偶然が、こういった機会を与えてくれました。
 結局、梅田及び中崎町で、映画を1本ずつ観てまいりました。まず、1本目は、土曜日に観ることを考えていたもので、先ほど書いた理由で、観に行くことを、急遽決めた映画。場所は、テアトル梅田、観たのは、台湾映画「言えない秘密」。前半は、あまりにもたわいのない恋愛物、いいかげん、そういった感じで、失敗感・失望感が募っていった頃に、あれ?っと思うようなことが起こり出します。常識では辻褄の合わない事象が、顔を出し始めるのです。それもそのはず、この映画は、SF的な要素が散りばめられていたのです。ですから、前半のクサすぎる恋愛劇は、むしろ、その張り巡らしに気が付かないように、周到に構築されていたものでした。そないなわけで、なかなかエンターテイメントとしては、いい仕上がりぶり。最後は、どんな風に持っていくのか、仕掛けが見えだしてからは、それが気になって仕方ありませんでしたが、そこについても、冒頭場面に、伏線がちゃんと用意されていました。そんなで、いい映画を観たぞっていうところで、いい気分になって、中崎町へ移動。途中、お定まりの大東洋前の「すき家」で、晩ご飯。中崎町では、プラネットプラスワンで、「中国インディペンデント映画祭」が行われているのです。昨年、同じプラネットプラスワンで観た「あひるを背負った少年」に脱帽というか、中国の良心を観た黄紺は、中国のインディー系映画に目がなくなってしまったのです。で、昨日は「草芥(そうかい)」を観ました。正直言いまして、観ている途中まで、題名の意味が解りませんでした。「芥」は、「塵芥」の「芥」なんですね。それに、「草」が付けば、これは、同じような意味合いが加わりますから、「取るに足らないもの」ということになるのでしょう。じゃ、それは、いったい、何か。「人」ですね、「都会の人」とか、「田舎から都会へ出てきた人」でしょう。都会へ行けば、なんとかなる、都会の繁栄のおこぼれにあずかって、自分も、ちーとはましな生活でもと考えていても、現実には、どないにもならない。残るのは、鬱屈した気持ちのみ。すさんだ生活、すさんだ心、自分は、いったい、何をしているのか、こういったアイデンティティの喪失を描き、それにもがく人間を描いています。国家管理をされている普通の中国映画では扱えないテーマです。だからこそ、こういったインディー系の映画が異彩を放ち、そこに、中国の真の姿、本音、また、良心を看ることができるのだと思っています。じゃ、この映画の主人公のもがき方というのは、気に入った女を執拗に追いかけること。そうしていることによってだけ、自分の存在を実感しているかのようなのです。日本にも、70年代には、随分と流行ったテーマかと思います。そういった日本の映画と比べてみると、中国の映画には明るさと軽さに欠けます。映画の質の問題なんてところの話ではなく、日本と中国の社会的状況の違いなんてところの話になるのでしょうね。日本の場合は、苦しくても、まだ、何とかなるだろうという楽観的な要素があったのかなぁなんて考えてしまいました。この映画は、台詞が少ないというものではないのですが、静かで、静かで、そんなものですから、途中、ほんの僅かですが、うとうとときちゃいました。
 台風も、東へ行ってしまいました。黄紺は、朝から熱燗を呑みながら、これを書きました。なんか、久しぶりのお酒みたいです。先ほど、TVで、パルミラが流れていました。やっぱ、来年、もう一度シリアかな、そんなことを考えてしまってる黄紺ですが、パルミラの映像の背後に、シリアのスイーツも浮かんできました。たまんないんだよね、シリアのタトゥル(^_-)




2008年 9月 19日(金)午前 6時 16分

 台風が来そうで来ない。天気に左右される仕事でもあるので、天気予報を、最近は気にかけどうしであるのだが、なかなか動いてくれません。昨日も、職場を出るときは、これから、どれだけ雨が降るのかの雰囲気があったのですが、簡単に止んでしまいました。おかげで、傘を持ちっぱなしだった黄紺は、帰りの電車の中に、傘を忘れてしまいました。もちろんあ、まっすぐ帰る電車じゃありませんよ。繁昌亭へ寄っての帰りだったのです。
 最近、頻繁に繁昌亭に行っているが、昨日は、「第37回新世紀落語の会〜9周年記念公演〜」があったのだ。この「新世紀落語会」は、小春団治が係わる新作落語の会。今日は、全て、自分的には初遭遇のネタばかりという新鮮な会でした。壱之輔は、舞台を、未来に設定して、現在の食生活を振り返るという内容。メタボの原因となるような食材を全部禁止しているという設定のなか、そういった食材の話をするため、そういった食材を知ってなければ、話が進まないという矛盾を、カルト集団を出すことによりクリアしようとしていました。次いで登場の三若、大人になれない男が、おもちゃを買ってもらいたいのだが、親に、ホントに買ってもらうために、死ぬふりをして遺書を書く。その遺書に書かれているバカバカしいことに突っ込みを入れながら、ストーリーは展開。それだけと言っていいネタなんで、短いもの。三若にとれば、自分流の長いマクラを振ってから軽く入るのには、程よいネタっていう感じ。それにしても、早口のマクラは、自己満足的で、相変わらず好きになれない。白鳥は、貧乏たれの学生二人と、同じく貧乏たれの知り合いの中国人が、呑み逃げを前提に、パブに行き、ヤクザや上海マフィアに間違われるドタバタ劇。途中に用意されているプロットは、全て、最後のドタバタ劇を演出するネタとして用意されている。東京ネタや、マニアネタが散りばめられているのが、とても心地よい。小春団治のネタは、約1時15分に渡る長大な3部作+下げを言うためのコーダが付いている。小春団治を含め、3人の作家が、1つのテーマで書いたオムニバス落語。という触れ込みだったのだが、聴いてみて、びっくり。作風は違えど、ストーリーの基本的トーンに違和感のない優れものの3部作。だから、どれがいいとかという問題ではありません。「地球防衛軍」に入るか、「前頭3枚目」に軟着陸するか、「300万円を稼ぐ」か、どの話をおもしろいと思うか、最早、個人の問題に着せられる仕上がりぶりでした。自分的には、昆虫や牛になって、金を稼ぐ解決策のアイデアに非凡さを感じざるを得ませんでした。




2008年 9月 18日(木)午前 0時 21分

 台風が近づいているそうだ。これにより、週末に予定していたことに行けるのか行けないのか、ちょっと微妙なことになりかけてきている。とまあ、水曜日の夜ともなれば、早くも週末のことを考えている呑気な黄紺です。火曜日は、高校時代の友人と1年ぶりの再会。京都で呑んでおりました。そして、今日ですが、つい数日前まで、京都の落語会に行こうかと考えていたのですが、それも、1時間の時間休をとってまでも考えていたのですが、ハッと気がつくと、仕事が立て込んでいるのに気がつき、そのような呑気なことができないことが判明。じゃ、京都は諦めて、繁昌亭に気がかりな会があるので、一旦、それに行こうと考えたのです。チケットも売り切れてないようだというのも、なんとなく解っていたものですから。そんなこんなのとき、ふっと見つけたのが、中国のインディ系の映画。このジャンルに、中国の良心を見る思いのある黄紺は、これだと決め、繁昌亭に行くよりも、そちらを優先する判断をしたのです。が、昨日、再度、その中国映画を確認すると、上映される作品を思い違いをしていたことに気付いたのです。外そうと思っていた映画が、今日の夜の上映だったのです。慌てて、昨日、呑んで帰る際に、コンビニで、今日の繁昌亭のチケットをゲット。それが、まんまとゲットできたものですから、今夜は、繁昌亭へ行ってまいった次第です。
 本日の繁昌亭は、「第9回銀瓶・一琴・文華 三人会」があったのです。まず、番組を書いておきましょう。さん都「みかん屋」、銀瓶「寝床」、銀瓶・一琴・文華「対談」、(中入り)、文華「住吉駕籠」、一琴「ねずみ穴」。同期の3人の会で、10年ほど前から続いているもので、黄紺は、太融寺時代から、わりかし覗いている会の一つです。まず、銀瓶のこのネタ、以前聴いたときに比べて、大変化。以前聴いたときは、登場人物の多いネタにも拘わらず、えらく平板な印象を受けたため、銀瓶が、このネタを出すならと、この三人会は飛ばそうかとさえ考えていたために、どうしても優先してなかったのですが、実際、聴いてみると、大変身。かみ加減だったのは、ちょっとご愛嬌ですが、台詞回しに、ツボを押さえた抑揚が、タイミング良く決まっていく起伏に富んだ表現力に、どんどんと引き込まれていきました。かなり高座にかけてきたのでしょうね、決めのタイミング、ツボというものを掴む巧みな嗅覚のようなものを感じました。ただ、その決めのところで、更に変化を持たせるために、ちょっと現代的なタメ口を使っていました。一つの演出方法かとも思うのですが、そないなことまでしなくても、十分に楽しめましたよと言いたい気分でした。むしろ、違和感の方が強かったかな、銀瓶の犯すフライングが出ました。でも、出来は、花○その1です。花○その2が、文華。やっぱり、この人は、うまいです。顔の表情一つとってみても、台詞の言い回しのスピードの変化といい、この人は、うまい。最近、気になっていた、声が割れるという癖や、だからでしょうね、声の大小により変化をつけるのに苦労したりしているのですが、そんなのが、やたら気になっていたのですが、今日のような高座を観ますと、そないなことは忘れてしまいます。ちょっと目を向いて、体を半身に乗り出す仕草なんて、ホント、バランスがいいものですから、聴いといる者のイメージ領域が広がっていきます。それに反し、今日の一琴は、物足りなさだけが残りました。あとの二人よりも、声のトーンが高く、江戸っ子の気っ風の良さなんかには、随分とお得な印象を持ってしまうのですが、「ねずみ穴」に合っていたかというと、話は別でしょう。ハイトーンをキープされちゃいますと、聴き手には、なかなか厳しいものがあるということです。特に、しんみりと聴かせる人情噺系のネタに、向い ているとは言い難いですね。そないな具合なため、兄弟が再会したときの落ち着いた雰囲気とか、そういったトーンを落として欲しいところなどで、荒い部分が出てしまいました。この会は、今後も、ずっと続いていくでしょうから、キープし続けるべき会だと、再確認しました。結果として良かったというのが、帰り道、感じ入っていたことでした。




2008年 9月 15日(月)午後 11時 57分

 3連休が終わろうとしているにも拘わらず、疲労が回復したとは言えず、腰に、その疲れが溜まりきってるって感じ。その元には、やはり睡眠不足が、基本的には解消してないからでしょうね。これはまずいぞと思いつつも、横になってるわけにもいかず、だったら、遊びに行こうという、いつもの癖が出ました。
 お昼ご飯どきを考えながら、民博へ。狙いは、特別展「アジアとヨーロッパの肖像」なのですが、一度、あすこのレストランに行ってみようと、お昼ご飯どきを狙ったのでした。それなりにおいしいのですが、ちょっと高いですね。ナシゴレンが、900円じゃ、なかなか行けません。で、肝心の展示なんですが、アジアとヨーロッパの交流以前の独自のタッチによる肖像画、交流前に考えていた「異界」、交流が始まって、お互いを描き始めた絵画、更に、お互いの技法を借りて、また、描く素材を借りての創作と、展示の構成は納得のもの。展示品も、借りてきている美術館が限られているというのが惜しまれるのですが、コーナー分けに応じた品揃え。ですが、その分析がないのです。観る者が考えよということなのかもしれませんが、これは、厳しいものがあります。それが惜しまれます。交流前の「異界」コーナーは、観たことも、聞いたこともないような資料があり、楽しめました。資料の偏りという点では、ヨーロッパ代表として、大英博物館所蔵のイギリス関連ならば、イギリスのアジアでの植民地だった国からの資料が欲しかったですね。今日は、この特別展の招待券を持って行ったのにもかかわらず、全館入場無料の日。これが、一番の悔しい出来事でした。特別展が終わると、常設展の映像資料へと行くのが、定番のコース。ただ、特別展に、結構、時間がかかり、映像資料を見る時間は、1時間しかありませんでした。更に、かなり眠気に襲われてしまい、映像資料の中でも、ファドや、トルコ音楽の資料を流しながら、半分居眠りをしていました。これらの音楽関係の映像資料は、新しく入ったものです。他にも、南インドの宗教儀礼に関わる資料のつまみ食いをしていたら、呆気なく時間切れとなりました。やっぱり、睡眠不足は解消していません。展示を見ていても、映像資料を眺めているだけで、眠気が襲ってきます。腰もひどいし、何をするにも、まずは体調ですね。
 万博公園から、モノレール、阪急、地下鉄を使って、南森町に移動。繁昌亭の夜席までの間、いつものネットカフェで、時間調整。今日は、繁昌亭2周年記念日。それを記念した落語会が、朝から3部制で行われていたのですが、黄紺は、夜の部だけ覗いてみたのです。番組は、つく枝「十徳」、銀瓶「宿題」、三喬「墓供養」、米八「曲独楽」、福団治「薮入り」、(中入り)、きん枝「狸賽」、鶴笑「紙切り」、鶴瓶「青木先生」という大変なメンバー。まず、来春に、文三を襲名するつく枝が、石段で登場とは、なんとも贅を尽くした番組。おかげで、若かりしつく枝で、随分と聴いたネタを聴けました。銀瓶は、えらい気合いが入ってました。人に合ったネタを手に入れたものと、その感性に、まず拍手です。「墓供養」は、繁昌亭では出しにくいだろうと思っていましたら、出てしまいました。短めのネタとしては便利でしょうが、ちょっと問題です、これは。福団治は、ネタにびっくりですが、こういった変化技こそ、寄席小屋ならではと、納得です。えらく丁寧に運んでるなと思ってたら、亀ちゃんが、風呂に行ったところで、切ってしまいました。時間でしゃーないところです。きん枝は、鶴瓶に「らくだコール」を送って、自らは、あっさりと切り上げる趣向。鶴笑も、その流れでか、パペット落語はせずに、「紙切り」だけで切り上げました。そして、いよいよ鶴瓶登場という前に、場内の照明が落とされたものですから、「死神」を期待してしまったのですが、それは関係なく、「らくだは、1時間20分かかりますから無理です」「繁昌亭で初めてやったネタを」「5年前、落語をやり出したとき、やれるかなと思ったネタを」とことわって、自分的には、ようやく出会えた「青木先生」。青春グラフィティの、ちょっといい話っていう感じで、素直におもしろい噺です。自分たちの学生生活の楽しかった雰囲気が、聴いていて、ふっと蘇らせる力までもついい噺ですね。さすが、記念興行です。若手から、大看板まで、精選メンバー。堪能させていただきました。




2008年 9月 15日(月)午前 6時 49分

 昨日は、朝は、平日と同じ時間に出勤。12時半過ぎに職場を出ることになりました。連休に入るまでの疲労は、こないなことをしていると取れたものではありません。週明けには、かなりハードな仕事が待っています。連休は、あと1日、果たして大丈夫でしょうか? とっても、気になっていながら。仕事が終わると、気になる落語会のはしごをしてしまいました。
 午後の部は、寺田町駅から歩いて15分弱のところにあります成恩寺というお寺であります「第54回生野弁天寄席〜成恩寺落語会〜」に行ってまいりました。この会は、笑福亭生喬の主宰する会で、毎回、ネタ下ろしをするという意欲的な会。普段は、秘密倶楽部的な会なのですが、今日は、異様な人の出。ネタの関係か、ゲストの関係か、そないな分析を、生喬自身はしておりました。その生喬ですが、珍しい噺「花の都」を、開口一番の位置で出しました。中味は、能勢の妙見さんから、不思議な力を持つ扇2つをもらった男の金儲けの噺。小南師の口演の記録から興したものとか。小佐田センセの書いたものに、枝雀が、このネタをアレンジして出したことがあるとの記述があるそうです。たわいない、でも落語的なお伽話っていうところかな。そして、今回のネタ下ろしは、まだだったのっていう感じの「初天神」。も う、わざわざ生喬がネタにしなくても、多くの噺家さんがやるじゃないと思ってしまいました。ごっつい生喬の声は、やっぱり心配した通り、なかなかネタに合わないのですが、そこは、生喬、カバーをかなりできてたかなというところと、かなりスリム化というか、大きなデフォルメなしで演じてくれたのに、好感を持てました。すっきりして、こういったものの方が、いいですね。これでもかっていう感じの口演が多いですからね。ゲストの一人花丸は、「あくびの稽古」。ようやく出会えました。花丸の落語改造は、インテンポでいくか、破壊まで行ってしまうか、見通しがあることが、いいです。ネタの身の丈にあった改造、破壊だと思っています。このネタは、そういった意味では、インテンポ・カテゴリー。しかも、ネタ自体に、キャパが広いものですから、結構いじってくれました。「ガオー」のくだりは、笑かしてくれます、何度も。この「何度も」というのが、花丸の見通しなんでしょうね。その辺の測定力を持っているのが、強みです。もう一人のゲストは、たまで、かけたネタは「厩火事」。このネタは固まってきたみたいっていうところかな。確かめたい、でも、それは怖いという、女の心理だけに焦点を合わせての工夫、くさいとわかっていて も、客との了解があるという環境では、大丈夫っていう感じになってきました。番組を書いておきます。生喬「花の都」、花丸「あくびの稽古」、(中入り)、たま「厩火事」、生喬「初天神」となります。生喬自身が、開口一番を務めたわけは、花丸とたまを、同じ日にゲストとして呼んで、キャリアの浅いたまなのですが、開口一番には置けないという、生喬の気遣いだそうです。
 寺田町から京橋経由で大阪天満宮駅へ。いつものネットカフェで、30分程時間調整をして、夕飯を食べると、もう、繁昌亭の夜席。今日は、「師弟真剣勝負〜三賞の会〜」と称した松喬一門の3人の噺家さんの受賞を記念した会があったのです。チケットの売れ行きは早かったようで、黄紺の席は、2階正面ととなりました。終わってみると、2時間半近くかかった重量級落語会。なんせ、本日の主役は、3人いますから、その3人は、それぞれ大ネタを演じますから、そりゃ、このくらいかかります。まず、喬若が「船弁慶」。喬若は、久しぶりに聴くのですが、とっても、物怖じしない、堂々とした噺家さんへと変身していました。これは、拍手です。経験から生まれてきた自信が、そうさせたんでしょうね。元々、口当たりの爽やかな噺家さんですから、メンタル面が強くなれば、いい高座を披露できる人だということを証明するような舞台でした。また、自分的には、久しぶりの「船弁慶」の完全版。となると、演者さんは、謡いで苦労します。いかにも、大変だと、さすが、このときは、顔に出てしまいました。それと、扇子で涼をとる所作は、ちょっと反省材料ですね。喬若の師匠の三喬は、「鴻池の犬」。初物ですし、これも、三喬、持ってたなと思い出させてくれました。かなり、堂々とした語り口、しっかり、しゃっきり度では、他のネタでは聴いたことのない確かさ。三喬なりの意気込み、緊張だったのでしょうか? 犬をもらったときの、鴻池のぼんの 喜びようを、枝雀ヴァージョンでやって見せたりと、相変わらずサービス精神は旺盛だけど、聴いていて、三喬だったら、もっと何かやるはずと思い聴いている者からすると、わりかし型を押さえることに邁進してるなの印象。三喬の師匠松喬は「一人酒盛」、三喬に稽古をつけて以来だそうです。5年ぶりくらいと言っていました。意外な感じがしますが、松喬が言うには、難しいネタのわりには、客の受けが、もう一つなので、出すことに抵抗感があるとか。また、客の反応を知るメルクマールのような箇所があるらしく、しかも、その箇所が、ネタの早い内にあるがため、やりにくいとも言ってました。松鶴から、最後に教えてもらったネタで、松鶴没前半年のことだそうです。正直、聴いていると、やたら酒を呑みたくなりました。最近、雀々、都丸と、このネタを聴いていますが、ともにしっくりこなかったのです。ようやく、これたかなの感じですが、何が、そう思わせてるのか、自分的に分析できないでいます。前座は、喬介で「牛ほめ」、中入り明けに、内海英華が出で。色を添えました。




2008年 9月 14日(日)午前 5時 42分

 3連休と言いましても、今日は、午前中、出勤の日。そのため、昨夜、あえなくダウンをしてしまいましたので、明け方に起きてHPの更新をしております。この間の疲労が、ずっしりと腰に溜まり、また、睡眠が、相変わらず足りないためか、昼間は、常に眠いという、せっかくの休日も、決していい気分でおれるというわけではありません。そんななか、昨日は、午後から慌ただしく、2つの落語会に行ってまいりました。
 午後の部は、中崎町にありますECCアーティストカレッジ梅田校の7階芸能ホールでありました「中川兄弟 落語かれっじVol.5〜落語と解説〜」に行ってまいりました。染左と兄中川桂氏による会だ。この日は、瓶成を前座に置き、「瘤弁慶」が取り上げられました。最近は、この噺の前半の「宿屋町」を手がける若手も、極端に減りましたから、とっても久しぶりに聴いた感じです。ましてや、フルヴァージョンっていうのは、いつ以来でしょうか? 口演の前に、定番の解説。分かりにくいダジャレや、言い回しが、予め説明されましたので、昔からあるくすぐりに、とってもいい反応を示していた客席。その説明の中で、一番肝心なのが、なぜ、この噺が旅ネタの一つかということ。要するに、なぜ、大津なのかという問題です。キーワードは、大津絵、その図柄に、釣鐘弁慶のような、弁慶物があるというところからの連想、それに加えて、当時、架空の絵師浮世又平の描く絵からは、描かれた素材が抜け出てくるという話があったことも、結びついてるよう。確かに、台詞の中に、壁に絵を描いたのは、その浮世又平というものがありました。今まで聞き流してたような事柄が明らかになり、そういったところから、なぜ、大津なのか、なぜ、弁慶なのか、なぜ、後半の荒唐無稽な展開になるかが、よく判りました。また、染左の口演が、よくなってきてますね。はじけたっていう感じで、無茶者の表現や、田舎者の表現、かつては考えられなかったような屈託のない人物が出てくるようになっています。前座の瓶成は、汗をかきながら、冬を先取りして「ふぐ鍋」。旦さんと大橋さんの親しい間柄がわかる部分が薄いところに、大橋さんがため口をきくものだから、変な会話が続きます。土台の人間関係が、しっかりと描かれてないと、噺自体が、聴いていてしくりきません。これからです。
 移動時間は、45分余、中崎町から南森町経由で日本橋、夕食を食べている時間は、当然ありませんでした。目指す会場は、トリイ・ホール。「トリギンVol.1〜笑福亭銀瓶奮闘会〜」の夜の部に行ったのでした。今日は、銀瓶が主役で、午後には、独演会をして、夕方からは、三喬との二人会と、大車輪の活躍の日でした。この日の会が、トリイ・ホール側からのアクションなのか、松竹芸能側からの企画かどうかは把握していません。二人会は、まず、銀瓶の「七度狐」で幕開け。昔、太融寺で、自身の会を持っていた頃の、習ったネタを端正になぞるという、そういった時代の銀瓶を、今一度聴いてみたいなの気分が、ちょっと起こりかけました。オリジナルなくすぐりが入り、外れた場合もあり、ヒットした場合もありなのですが、端正で、古風な味わいが、一方で薄まったような気がしたからです。最大の例は、べちょたれ雑炊を食べ続ける喜六です。このくすぐりは、おもしろいのです。他の場面と不都合は生じないか、ひやひやしましたが、サゲまでこだわられると、山寺の恐怖体験が薄れてしまってることに気がつきました。これは、部分的にはヒットしても、後半部のお笑い恐怖体験が、お笑いではなくて、恐怖に重点が置かれてないとおもしろくない噺としては、感心しません。このくすぐり、1回でいいのです。「立ち切れ線香」で、あれほど、全体の空気を大切にする演じ方をしたにもかかわらず、「七度狐」は、そこに、疑問符です。ついでに「立ち切れ線香」を書きますと、角座で聴いたときと、基本的スタンスは、同じでした。静かに、静かに、感情の起伏を描いてくれます。このネタを聴くと、銀瓶の体の硬さはいずこへと思ってしまいます。ただ、大きな改変をしました。三味線が鳴り出すきっかけは、酒をむせる音という定番の型ではなく、お酒を、一口呑み、若旦那が口にする悔恨の言葉。ですから、「雪」に乗せて語る悔恨の言葉と、2度出てくることになります。また、「雪」に乗せるところでは、100日間、小糸のことを思わなかった日はなかったとの言葉を挟みますが、ここまで、グーッと来ていた感情の高ぶりに、水を差された感じがしました。若旦那の気持ちは「小糸、生涯、妻を持たない」、これ以上の言葉はないわけですから、同様の言葉を、こんなに入れちゃうと、しつこすぎるのです。「七度狐」で、べちょたれ雑炊を食べ続ける喜ィ公同様、過ぎたるは及ばざるがごとしの例となるでしょう。一方、三喬の「次の御用日」は、夏の日差しを、あまり感じなかったなぁというのが、第一印象。お裁きの一本調子気味が、後半の笑いを減らしてました。「あっ」という奇声に変化を持たしたり、長台詞の中で、奇声の回数を増やしたりとしてほしいものです。何か物足りないのです。「墓供養」は初物。何なんだろう、このネタ? 「向こう付け」のようなネタ。墓供養に訪れる人らの受付をする男の応対を描くだけのネタでした。落ちに繋がる吃音の男の登場があるため、聴けなかったネタかもしれませんが、、、。2人が2席ずつの会でしたが、それに、2人の対談が入りました。松竹芸能の先輩後輩の関係ですから、若い頃の角座での大喜利の思い出なんかが入り、聴いている者には嬉しい話。更に、松喬一門と鶴瓶一門の秘密兵器の話へ。秘密兵器にも、いろいろとあるものです。最後に、番組を記しておきます。銀瓶「七度狐」、三喬「次の御用日」、(中入り)、三喬・銀瓶「対談」、三喬「墓供養」、銀瓶「立ち切れ線香」。




2008年 9月 13日(土)午前 6時 16分

 2週間連続勤務が終わり、残ったのは、異常な腰の疲れ。またぞろ、体を横にしないと起き上がれないのではと思うほど、腰の悪化を心配している始末です。木曜日は、休養のため、アフター5は、お休み。で、3連休に入ると言いましても、明日の日曜日の午前中は、またしても振り替えなしの勤務が待っております。こんなの、世間であるかなぁ。そんな文句を言いつつ、2週間連続勤務のご褒美のような形で、シンフォニー・ホールでの音楽会に出向いてまいりました。ブルックナーの滅多に生では聴けないシンフォニーが演奏されたからです。
.  大阪シンフォニーカー交響楽団の第128回定期演奏会に行ってきたのです。いつものように、3階の、舞台に向かって右側の席。今回は、席割りの関係か、もう舞台の横の席。避けねばならないのに、買ってしまったから仕方ありません。ここに座ると、チェロが響かないんです。で、1つ目の曲は、モーツァルトの協奏交響曲、弦の方です。目玉は、ビオラを、今井信子が弾くというところ。ヴァイオリンも、ロン・ティボーを、6年前に16歳で制したという山田晃子。今井信子の方は、確か3度目の遭遇なんだけど、正直、この人が、世界に知られたあの人なのかと、印象は、よくなかったのです。ところが、今日は、そのわけが判りました。とっても機能性重視のモダニズム演奏なのです。楽器の持つ美しさや、力強さ、繊細さを、曲想に合わせて弾き出そうという回路で演奏してるんだと思いました。そういう理解で聴くと、ビオラという地味系の楽器が、なんとシャープで、音が流れ、瑞々しい音が出てるかってことが理解できました。独奏楽器が二つというのが、今日のモーツァルト。ヴァイオリンが、そのスタンスに付いていってるのかというと、付いていこうとしてたと、それは、そうだと思いました。いわゆる意志の統一はなされていました。が、じゃ、ビオラのレベルにヴァイオリンがあったかというと、これは、違います。基本的に線が細い演奏で、モーツァルトだからでしょうか、かなり不満足。シンフォニー・ホールですから、そこを意識しないと、細くなっちゃいます。そんなですから、おもしろい演奏かと問われると、残念ながら、そうではありませんでした。これが、モーツァルトなのかと、聴く方は、そういった聴き方をしてしまいますものね。二つ目の曲は、お目当てのブルックナーの第1番のシンフォニー。2番からあとは、自分の中で、しっかりと収まっているのですが、0番は、後のブルックナーを予感させる響きを持ちながらも、余りにも蒼い曲。2番は、緩叙楽章を冒頭に持ってくるなど、まだまだ試行錯誤の部分はあるのだけれど、パイプオルガンのオーケストラ化と言われる金管大活躍のブルックナー・サウンドが固まっていっています。そういった流れで言いますと、1番は、もっと試行錯誤という要素の強い作品と言えます。2楽章の終わりあたりから、格段のオケの演奏レベルも上がったということもあるのでしょうが、そこまでは、全然おもしろくない。メロディー・ラインがきれいなわけもなし、金管の突然の登場も、後の作品に比べて、バランスがよろしくない。3楽章では、東方趣味じゃないかともとれる主題が繰り返されます。なんだか、ブルックナーじゃないみたい。パンフレットに、レントラー風味と書かれていましたが、懐疑的です、黄紺的には。4楽章は、練習に、かなりの時間を裂いたんじゃかなというのが伝わってきました。アンサンブルがいいし、金管とのバランスが、とってもお気に入りです。それは、ひとえにヴァイオリンの頑張りだと思いました。そして、この日一番の出来のコントラ・バスが、しっかりと下支えしていました。まぁ、そんなで、貴重なものを聴かせていただいたという気分だけが残った演奏会かな? 児玉宏によるブルックナー・シリーズは続いていくようです。来年は、6番だとか。こういった定番に近い曲で、音の作りを判断させてもらおうかな、というところです。




2008年 9月 10日(水)午後 11時 39分

 今夜は、繁昌亭であった「銀の花瓶に菊之情」と名付けられた笑福亭銀瓶と古今亭菊之丞の二人会に行ってきました。両者は、個人的交流があるわけではなく、全くのプロデュース公演だということが、高座でのご両人の言葉で明らかになりました。プロデューサーが、東西で有望と見た2人の噺家のジョイントをプロデュースした公演だったのです。ちょっと異なったタイプの噺家さんで、それが、しかも、東京、大阪という異なった場を地盤にしているので、ま、それを楽しませてもらったと言えるでしょう。番組は、ちょうば「いらち俥」、銀瓶「天災」、菊之丞「妾馬」、(中入り)、菊之丞「紙入れ」、銀瓶「胴乱の幸助」となりました。銀瓶の一つ目の「天災」は、ざこばから、10年ほど前にもらったものと言い、最初の日の稽古風景も紹介。ざこば曰く、「気が大事や」と、導入部を徹底されたと言ってから、その導入部へ。この入り方は、すごい。ざこばの気までついてきました。無茶男の無謀さが、とってもおかしい、それが自然に入ってくる、なかなかの好演。かみさんと母親を、吊し上げたうえに、どつく無茶男、心学の先生の家から戻ってきても、まだ、二人は吊されたままという具合に、なかなかグーな工夫も入れてくれてます。ひょっとしたら、今、一番いい「天災」かもしれません。銀瓶の口演というのは、体の堅い人の屈伸運動、柔軟運動を見ているような感じがします。細かな性格描写を期待して、それに応えるだけの縦横無尽の技を発揮するというものではありません。場の雰囲気作り、その中の登場人物の性格づけに目がいく、それに、なんせ、性格がまっすぐな、正義感の強い人ですから、それが、噺に現れてくる魅力みたいなものがある噺家さんです。そういう意味では、「天災」は成功なのに対し、「胴乱の幸助」は物足りないという評価になってしまいます。「胴乱の幸助」は、やっぱり、前半の二人のやり取りが弱い。もっと、すっとぼけた、アホな雰囲気出さないと、あかんのでしょうね。こんなアホたんな二人に酒を飲ませるくらいだから、犬のケンカも止めに入るのだろう、だからこそ、当時、大流行の浄瑠璃一つ知らないおっさんおるかも、いや〜、おらんやろ、だけど、おったらおもろいでぇとなるのと違うかな? やっぱり、体の硬さを感じてしまいました。「寝床」を、銀瓶で感じたものを「胴乱の幸助」でも感じてしまったのです。一方、菊之丞ですが、テクニック過剰タイプ。だけど、突き抜けてしまう若さとか、気っ風、脳天気さ、そないなものに、物足りなさを感じます。「妾馬」で言えば、八五郎がカゴにでも入って、殿さんの屋敷に入っていっているようで、一人騒ぎに終わってて、周りの人たちの戸惑いや、和みとか、台詞で、それらしき内容が出てきて、あっ、そうなんだっていう感じかな、八五郎が騒いでいるのを眺める周囲の人たちの眼差しが見えてこないのです。でも、八五郎の一人騒ぎとしてだけ見ると、確かにうまくまとめています。「紙入れ」で言うと、亭主が、夜半に帰ってきたときの混乱は、一調子トーンを変える勇気が欲しいのです。銀瓶よりは若いはずなので、あまりにも若年寄りに見えてしまうのです。なんか、登場の様子から、座布団に座る仕草とか、大御所コピーのような雰囲気を漂わせる若年寄って感じかな? 前座役のちょうば、うまく作った大阪ネタのマクラの快調さからすると、ネタはトーンダウン。かつての文華、そして、現在のたまや瓶成の同じネタを見ているがため、どうしても、古風で、若さが足りないなどと感じてしまいました。




2008年 9月 10日(水)午前 0時 4分

 2週間連続勤務の後半戦2日目、昨日の帰りが遅くなってしまった関係で、なかなか厳しい日でしたが、結構、さわやかな天候で、大助かりです。今、この時間帯になってきますと、外からは、冷気と言っていい涼しい空気が入ってきます。これ、いいですね。なんとか、週末まで、この調子で、いって欲しいものです。
 今日は、JR天満駅近くの北区民センターで定期的に開かれています「第173回天満講談席」に行ってまいりました。で、その講談会ですが、会場に着いたあたりが、きつかったですね。ちょっと、ゆっくりしたいな、体を休めてから講談を聴きたいなと思っていましたら、開演15分前に、南舟による前講が始まってしまいました。「太閤の風流」というネタで、よく見かけるネタのわりには、自分的には、初めてのものでした。南舟は、口調がしっかりとしていますから、何度も経験を積むことにより、落ち着きも出てくるのでしょう。前講だったからでしょうか、10分で降りました。10分で終わるネタなのか、10分に合わしたのか、黄紺には判りません。これで、体を休めなくなったのか、南青、左南陵の高座はダウンでした。殊に、南青の高座は、ほぼダウン状態で、最初の方は聴いていたはずなんですが、全然思い出せない低汰落です。「塙団右衛門」というネタでした。次は、番組表では、三番手になっていた左南陵が登場、名古屋に帰るためのことなのか、その辺は解りませんが、ネタは「秀吉山崎へ」を出しました。中途からは、ちゃんと聴けてますし、ネタの内容自体は、黄紺でも知ったものでしたから、容易く、筋立てを理解できました。毛利を攻めているときに、明智光秀の謀反の知らせが入り、毛利側と停戦を約し、光秀追討に駆けつける秀吉が描かれました。途中に、修羅場読みの手法を入れ、左南陵特有の熱気のある語り口もあり、随分と盛り上がりを見せてくれました。南湖は、「安兵衛の仇討ち」と題しはしたものの、叔父が惨殺されるところ、及び、安兵衛が高田馬場に駆けつけるまでの騒動が読まれました。これって、ワッハの4階で、2ヶ月前に聴いたものじゃないかと突っ込んでも、あとの祭りでしたが、この部分、おもしろいのです。来週の金曜日には、そのワッハの4階で、今日の続きが聴けるはずです。そして、本日のトリは、南鱗で、「石塚久四郎」、秀吉に仕える大名の、そのまた家来が、タイトルロールの侍。ちょっと頑固な侍石塚が、主君に竿を差し、そのため、自ら脱藩をして、数年後に、主君のもとに戻るまでを描く、ほのぼの主従物語です。南鱗のネタはネタでおもしろいものでしたが、一番の本領発揮は、相撲評論家を僣称する南鱗が語る「相撲界秘話」。殊更、賑やかな話題に事欠かない相撲界ですから、楽しい話を堪能させていただきました。、
 今日は、まともな時間に帰れました。淀屋橋駅発21時ちょうどの特急でした。これで帰れると、ホント安心です。Show-Radyoを聴いていて、ラマザンに入っていることを知りました。そう言えば、数日前からも、そないなこと言ってたなと、ちょっと抜けています。ザマン紙を覗くと、きっちりと、サフルとイフタールの時間が、都市ごとで検索できるようになっていました。ワンとエディルネで、サフルとイフタールの時間は、丁度1時間のずれがありますね。ワンなんか、明日のサフルは、4時10分、これは、きついです。この時期のオルチの時間は、14時間半近く、これは、更に厳しい。これを続けたら、そら、達成感、あるでしょうね。ザマン紙の他のところを眺めてましたら、ナマズの時間も検索できるのを発見。これは、世界各地の時間をチェックできます。日本も、細かく都市に分けてくれています。すっごいです。ザマン紙の、ラマザン特集でおもしろい記事を見つけました。「ラマザン期間は、血糖値が下がるため、イフタールで、スイーツを、たくさん食べてしまう傾向があるので、皆さん、食後、就寝前には、必ず歯磨きをしましょう」というもの。とっても説得力がある記事です。




2008年 9月 9日(火)午前 0時 27分

 今朝、ようやくまともに起き上がることができるようになり、腰の痛みが回復傾向にあったかと思ったのですが、週明け早々のハードワークで、再び、危険な兆候にあります。大丈夫だろうか、先週の後半のハードさが蘇るのか、とっても気にしているにも拘わらず、落語会に出かけてきましたが、この会の終演が、なんと10時を回ってしまい、家に帰ると、もう11時半間近。なんせ、7時半開演なもので、体調のことを考えると、とってもデンジャラス。とりあえずの方針としては、この会と同じ日に、それなりの落語会があれば、そちらの方に行くようにします。でないと、体がダメになってしまいます。
 で、その会は、中崎町のカフェであった「たまの小劇場」です。最近、短い間隔で、矢継ぎ早に行われている会です。今日の会は、前座が松五で「餅屋問答」、松五で聴く、初めての大きなネタです。ただ、だいぶとましにはなりましたが、この人には、花がないです。語尾が消え入るようになったり、いい意味の厚かましさがないのです。それに加えて、今日は、肝心のクライマックスの問答の箇所で間違えてしまいました。花がないというのは、つきがないということでもあるのでしょうか? ゲストは、春野恵子の浪曲。曲師は、一風亭初月。演題は、「お菊と播磨(番町皿屋敷)」で、直後のたまの「皿屋敷」とリンクさせるという企画。これは、なかなかおもしろいものです。浪曲版「皿屋敷」は、二人の男女、青山播磨とお菊の純愛ゆえに起こる悲劇です。播磨の愛を疑い、皿を割り、愛の確認に走るお菊、一方、それを、お菊の単なるミスと思い、あっさりと、愛ゆえに許す播磨、だが、わざと割ったと言うお菊の言葉を咎めて、事実を知り、自らの愛を疑われたことに耐え難い思いから、お菊を斬ってしまう播磨、これはおもしろい仕立てになっています。また、こういった展開には、ドラマのある語りに、節を持つ春野恵子にはぴったりのネタでした。他方、会の主宰者たまは、今日も3席。最初が、「延陽伯」、風呂屋の場面を省いた以外は、極めてまともな「延陽伯」。そうなると、生のたまの自力が発揮されます。セリフ回しに、ちょっとした起伏作り、ホントにうまい。そういったポイントを見る目、また、ポイントを見つけると、確実に、それに色合いを付ける術を持っている、そないな技量があるからこそ、古典の大胆な刈り込みや、新演出に、衆目を集めてしまうほどの実力を発揮できるんだということが判りました。今日は、あとの「皿屋敷」も「米揚げいかき」も、ともに忠実に、古典をなぞるという内容でしたので、余計に、たまの技量を知ることができました。特に、「米揚げいかき」は、寸分違わぬ演じ方でした。「皿屋敷」は、春野恵子のあとだったものですから、最初に、落語版「皿屋敷」の筋の説明、これは、おやっさんの語りとして入れ、それが終わると、車屋敷に行こうとなり、行く道の怖がり方はカット、いきなり井戸端に飛ばし、あとは、常と同じというものでした。普段、たまが、「皿屋敷」を出すときは、どういった形を取っているのかは、残念ながら知りませんが、そんなのも知ってみたいなと思わせる出来栄えでした。最後に、番組の確認です。松五「餅屋問答」、たま「延陽伯」、春野恵子「お菊と播磨」、たま「皿屋敷」、(中入り)、たま「米揚げいかき」。




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