忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2009年 2月 14日(土)午前 6時 7分

 いよいよ、昨日は、「講談毎日亭」の千秋楽の日でした。それを記念して、いつもより、10分だけ、職場を早く出て、「大長今」で晩ご飯を食べました。昨夜は、ユッケジャンでした。このお店では、ユッケジャンしか食べたことがないのです。ユッケジャンが、おいしいものですから、そればかりを食べています。テグタンが、メニューに入っていますから、今度は、それを狙いましょう。
 ところで、昨夜の講談ですが、「高橋於伝」は、後藤吉三の妾になった於伝に対し、酔っ払ったガマ半が、過去の話を喋り出し、悪事が明るみに出るということで、父親殺しへと発展するものでした。何か、そこに至るに仕掛けがあるのかと期待していましたが、それは外れました。殺したあとは、処刑の描写があり終了となりました。実父と交わり、そして、その実父を手にかけるがゆえに、「毒婦」と言われる高橋於伝ですが、「毒婦」という言葉で引っ張られる部分が、かなりありましたが、そこには、これほどまでに、悲しい物語があるとは思いもしませんでした。ただ、1週間の続き読みにするには、ちょっとネタが少なかったかもしれませんね。今から考えてみますと、於伝と浪之助が、江戸に上るときの、途中であった寺の挿話は、南青くんが、時間の関係で放り込んだものかもしれませんね。「双子の犯罪」の全貌が、昨日、初めて判りました。なんせ、南湖の口演になると、ダウンという構図が続いていましたから。丈治が、次郎吉を殺し、次郎吉になりすますのは、替え玉殺人だったことが判りました。最初は、素行不良の次郎吉にそそのかされて、ちょいワルをしていた丈治ですが、徐々に、店の金を使い込み、どうしようもなくなり、その罪を次郎吉になすりつけ、且つ、自分は死んだことにしようというものでした。また、フランスで、お類に目を付け、丈治は、我が者にしようということで、その夫英三郎が、お類を裏切っているという芝居を打って、お類に英三郎を殺させようとするのですが、お類が、結局、それができずに、一切の話を英三郎にしたところから、丈治の悪事がばれ、イギリスに逃げ帰ったところで、替え玉殺人もばれていて、簿縛され、死刑判決が下ります。その処刑の3日前、沢辺男爵(お類の父親でもある)が、丈治に呼ばれ、監獄に行くと、男爵の実子だと告白されます。双子の母親お千が丈治に面会に来て、その話を、丈治に伝えていたのです。丈治が、男爵を喚んだわけは、身よりのなくなるお千の行く末を、男爵に頼むということでした。ここで、ようやく3人の親子が、お互いを確かめあいますが、それは、丈治の処刑3日前であり、且つ、丈治の罪状は、双子の兄弟を殺した罪でだったというわけで、こうやって全貌が判りますと、実によくできた話だということが、良く解りました。最後は、人情噺めいた部分も含んでいて、南湖が、よくできた話というわけが解りました。黄門様は、三十石の中で、自分に対する悪評を聞きます。と言っても、かなりこじつけっぽいものです。本当は、とっても、気の毒な人がいて、なんとかならないかと思ってるときに、黄門様が、大坂を通るという噂が流れたのだが、全然つかまらないために出た悪評だったのです。昨日の口演は、むしろ、気の毒な人の様子を、ご老公に語る部分が主眼で、聞き終わると、黄門様が、いきなり「三十石船を大坂に戻せ、私は水戸黄門だ」と言うものですから、偽黄門として、突き出されそうになりますが、大坂城代が、黄門様と認知すると、あとは、黄門様によるお裁きとなります。肝心の、気の毒な話と言いますのは、善意の医者が、女郎屋がさじを投げた病身の女郎を、治療をして回復させると、再び女郎屋に連れ戻してしまうという話です。南海さんの「水戸黄門関西漫遊」は、結局、奈良も京都にも行かずに終わりましたが、悪のりの黄門様がおかしくて、そして、大坂城代になぞらえて、橋下知事を、けちょんけちょんに言うのがおかしくて、ホントに楽しい講談でした。今回は、3人のネタに変化があり、そして、山が最後の方にあるネタでもありましたから、ホント、毎日、楽しい思いをさせていただきました。次回は、5月です。




2009年 2月 12日(木)午後 11時 15分

 今日も、雀のおやどでありました「講談毎日亭」に行ってまいりました。1週間の続き読みも、今日で6日目となりました。トップの南青くんは、決まりきった客の顔ぶれを見て、「これが、講釈小屋っていう雰囲気ですね」「僕、お客さんの名前、全部言えますよ」と言うと、ようやくつばなれした客席は、大爆笑。開演前、席亭夫人とお話ししていたのですが、「今日は、雀松さんの会がありますからね」と、いい落語会があると、もろに、こちらの講談会にも打撃を与えます。私も、すんでのところで、雀松さんの会の予約をしてしまうところでした。こちらの続き読みは、とっても貴重な会ですので、今のところ、最優先にしようた考えていますので、バッティングを恐れて、予約を手控えたのが功を奏しました。
 肝心の講談ですが、南青くんの「高橋於伝」のクライマックスは、千秋楽に持ち越しです。今日は、中宿で、於伝の客となったガマ半(薬問屋の主後藤吉三となっています)が、於伝を気に入り、自分の妾にしようと考え、手の者を用いて、於伝の夫浪之助を殺し、それにうろたえる於伝に近づき、ヘルプを出してやります。於伝も行く宛もない身となってしまったため、生きていくために、ガマ半、いや実父の女となるため、薬問屋となっているガマ半の屋敷に赴くところで、今日は終わりました。今回の南青くんの展開は、筋の運びが自然で、一番いい仕上がり具合じゃないかな。口演は、ちょっとかみかみですが。南湖のネタは、黄紺が寝ている間に、大変なことになっていました。双子の丈治の方が、次郎吉を殺し、しかも、殺した次郎吉に化けて、フランスに逃げてしまってました。昨日の最後の方で出てきた英三郎という男は、パリ・コミック座の役者で、それに熱を上げているお類に、丈治は、目をつけてしまいます。道ならぬ恋に、二人は落ちてると考え、ゆすろうと考えたのです。偽の電報を打ち、英三郎を田舎に行かせ、お類を脅す丈治。だが、お類が言うには、二人は夫婦だと言います。今日は、ここでダウンです。やっぱり、今日も、南湖の口演でダウンでした。南湖の口演が、私の体に安らぎを与えてくれるのでしょうか? ただ、このお類は、沢辺男爵が、フランスに戻ってからもうけた子どもなのだそうです。ちゅうことは、丈治とお類は、兄妹ということになります。丈治がフランスに渡ったと聞いたとき、これは、沢辺男爵と、どこかで繋がるぞの予感がしましたが、こないな繋がり方をしました。これは、南湖が言うように、よくできた作品ですと思うわりには、ダウンが続き過ぎています。南海さんの黄門様は、今日は漫遊をするのではなく、腹違いの兄に関する話が、ほとんどでした。大坂の裏長屋で育てられた虎公が、実は、黄門さまの実父のご落胤だったという話です。長ずるに及んでは、水戸の家督を次男の黄門様に譲り、自らは、高松藩を継いだから、自分は、水戸を継げたと、黄門様が、長々と話すという形をとりました。そして、今日の最後に、再び、三十石船の中へと入り、最後の話になるみたいです。




2009年 2月 12日(木)午前 6時 7分

 最近、休みの日の定番化しています韓国映画鑑賞、昨日も、お出かけ前に堪能しました。昨日、観ましたのは、先日観た「ダンサーの純情」に主演をしてましたムン・グニョンつながりで、「愛なんていらない」という映画です。相手役は、キム・ジュヒョクで、ナンバーワン・ホスト役。が、この男、大変な借金を抱えており、その金を、1ヶ月以内に返さないと、殺すと脅されている。ところが、そこへ、偶然、交通事故死したホスト仲間の携帯を持っていると、その死んだ男が、巨額の金を相続したとの連絡が入ったものですから、その亡くなった男になりすまして、金をせしめようと企みます。そして、乗り込んで行った大邸宅には、幼い頃生き別れた妹が、盲目になって待っていたのです。その妹役が、ムン・グニョンです。ムン・グニョンに合っている役柄です。一応、男は、兄妹の関係を演じなければなりませんので、そのようにふるまっている内に、兄妹愛とも、男女の愛とも思える心の通い合いが生まれていきます。ホストと、希望というものを持っていない盲目のお嬢さんという、ちょっとステレオ・タイブ的な設定ではあるのですが、それだけ、とっても分かりやすいものがあります。韓国映画は、愛の語らいに、ホタルをよく用いますが、この映画では、見えないはずのホタルが、1匹だけ飛びます。見えないはずのものを見てしまうのが、目の見える男の方です。男の心情が、ぐっと女に近づき、そして、男の言葉に誠を看てとるということを表す心憎い演出です。静かに、心が通う、なかなか優れものの作品でした。
 昨日は、ちょうど12時をメドに家を出て、せっかく雀のおやどに行くのだったらと、お昼ご飯を韓国料理にしました。最近、こっています「大長今」というお店は、定休日、ならばと、おなじみの「アリラン食堂」で、テンジャン・チゲを食べました。昨日の「講談毎日亭」は、休日ですが、客の数は、15人に、辛うじて達しませんでした。今のところ、最大集客日は初日で、25人くらいでしたかな? 昨日の講談ですが、まず、出番が変わりました。南海さんが、二番手に上がり、南湖がトリをとったのです。一昨日、天満講談席でもらった「講談毎日亭5月席」のチラシには、南湖が一番大きく書かれていましたのでおかしいなと思っていたのですが、これも、南湖が1週間トリをとるからということです。先輩の南海さんからの行き届いた配慮ということだそうです。ということで、南湖の出番が変わったのですが、昨日も、南湖のところでダウンをしてしまいました。なんか、相性が悪い、そんなことはないはずなんですが、昨日のダウンは、音も聞こえていませんでしたから、完落ちです。で、まず、南青くんですが、一昨日、聞いてないところで、於伝の夫となる男浪之助という男が出てきていました。これは、月曜日の最後聴きましたが、於伝がならず者の手にかかろうとしたところを助けるという形での登場だったようです。ほぼ同時期に、育ての親高橋九右衛門が病死しています。身寄りのなくなった於伝は、これで、浪之助とともに、江戸に向かうことになります。そこで、挿話的に、法伝寺というところで危ない目に遭う短いものが入り、江戸に到着です。しかし、浪之助が体をこわし、稼ぎのなくなったことから、於伝は、近所の女の紹介で中宿で働くことになります。体を売ることで稼ぎを得ようということなのですが、その初めての客として現れるのが、実父のガマ半というわけです。「毒婦」という形容が付く所以の話へと、いよいよ展開していくのでしょう。南海さんは、一昨日、どのような話をしたのか、昨日の話を聞いては解りませんでした。まあ、この「漫遊記」は、その辺が、どうでもいいというのがいいですね。追いはぎに捕まり、大楠公の墓がなおざりされている話は、一昨日はしてなかったのかな? ま、とにかく、昨日は、読みきり講談としても、しばしば取り上げられる、黄門様による大楠公の墓の再建、湊川神社の創建に至る話です。街道を通る大名から金を集める話がおもしろいところです。そして、昨日は、そのあと、大坂を経て三十石に乗り込み、ちょっとした事件が勃発するところまででした。「双子の犯罪」は、上に書いた状況ですので曖昧な内容しかかけません。金貸しのところで番頭として働いていた丈治は、ある日、「次郎吉」と呼び止められます。それは、なんと、丈治を、テムズ川から放り投げたお千の母親、丈治の祖母に当たる人でした。そういったところから、双子の兄弟次郎吉と遇うのですが、どうも次郎吉は素行が良くないようで、金をせびったり、挙句の果てには、丈治を巻き込んで、人から金を巻き上げるということを起こしてしまいます。いや、そういった話だったんだと思います。最後の方で、英三郎という男が出てきていましたが、さっぱり、どのような人物かは、とんと理解できていません。確認は、今日の毎日亭でのこととなります。
 夜の部まで、時間が、結構ありましたので、ちょっとだけ、鶴橋駅界隈を歩いてみました。「鶴一」方面の韓国料理店は、基本的には行きませんので、こういった機会を使ったわけです。こちら側は、やっぱ基本的には「焼肉屋」と考えていて大丈夫ですね。サンゲ タンやテグタンを置いているお店もありますが、ついでといった感じです。それが済みますと、近鉄電車で日本橋へ。昨日も、千日前のネットカフェで、2時間ほど時間調整をしました。夜の部は、ワッハの4階でありました「らくご道〜笑福亭生喬と桂こごろうの落語会〜」という落語会です。番組は、こごろう「風邪うどん」、生喬「ざこ八」、(中入り)、こごろう「不動坊」、こごろう・生喬「夕焼け対談」というものでしたが、昨日は、いつも開口一番を務める生寿が、他に仕事が入ったのでしょうか、欠席でしたので、その分、替わりに、こごろうが二席口演をしました。「不動坊」を、この冬に、1回しか出す機会がなく、そのときにしくじったものですから、もう一度高座にかけておきたかったそうです。3月の声を聞くと、もう、このネタは出しにくいですからね。この辺のやりとりは、最後の対談で披露されたものです。「風邪うどん」は、こごろうによりますと、博打場で、普段入れないうどん屋の丁寧な仕草を入れてみたり、街角に猫を走らせてみたりしたそうです。稽古をしているときには、博打場に、猫が入り込んだりするそうです。こういった街のありふれた光景を忍び込ませたり、風を吹かしてみたり、入れられてみると、一挙に視界が広がっていきます。その入れるタイミング、入れるものが、ホントに的を得ていますから、くどい状況描写を割愛までできてしまいます。こごろうの才覚の優れたところです。風邪引きの男のところで、もう少しトーンを落とした方がいいかな。博打場のトーンダウンが前振りになっていることを、聴き手に意識させて欲しいところでした。「不動坊」も良かったですね。前半の利吉のはしゃぎようがうまくいっているかどうかの目安を、黄紺は、鉄瓶を下げて風呂屋に行こうとしたり、内側から閂をかけるところが、噺の流れの中に収まっているかどうかだと思っています。伝承されてるからというだけで、何も考えないで入れると、わざとらしい台詞であることが、まともに出てしまう難しいところです。いかに、利吉の気持ちで、一緒に浮かれてないと、聴き手は違和感を味わうものです。が、こごろうはばっちり及第点。屋根の上でのはしゃぎ様も、肝心なところ。寒空の中でのバカバカしさは、こごろうの場合は、梯子を蹴ってしまい、降りるときに大変と思わしてくれたり、雪だるまを作る者が出てきたり、傑作でした。最高なのは、幽霊が吊されると、くるくる回り出したり、右に左に揺れたりと、おかしくて、でも納得してしまうくそリアリズムが、こごろうの持ち味です。一方、生喬は、ネタに入ってから語りの部分が終わるまでは、笑いが入ると、噺がつぶれてしまうので、マクラも短く、ネタに入っていきました。下げは、「先の仏」を受けて、「今の仏を、、、」とできる部分を過ぎても、噺が続いたのには、びっくり。夫婦がお互いに意地をはるところでオチになりましたが、元の噺は、料理を持ってこさせる話がエスカレートするそうです。前・中・後の3部構成になっています。違う話のような感じになります。前半は、救いようのないような噺でもあるのでしょうか、演じ手が少ないのが、納得できる気がしました。とまあ、3席ですが、かなり濃密な時間を過ごすことできたグレードの高い会でした。




2009年 2月 11日(水)午前 4時 36分

 昨日、自分自身の手術のことを書いてしまってましたが、どうも、最近、その後遺症に悩まされています。今、こないな真夜中に起き上がってしまったことも、その例なのです。横になって寝るという行為が苦しいのです。その苦しさと睡魔との勝負ですが、今日は、その苦しみの方が勝っちゃいました。腰が痺れて横になってられない、、、、これは、きついですよ。眠気が勝つと、この痺れも忘れられているのですが、今晩はダメですね。幸い、祝日で、仕事はありません。それが、辛うじての救いです。
 さて、昨日は、この間続けられています講談毎日亭は、昼間に行われました。それは、夜に、恒例の天満講談席が予定されていたからです。ダブルヘッダーの方もおられたようですが、黄紺は、仕事のある身ですから、もちろん天満講談席のみ、おじゃまをしました。場所は、おなじみの北区民センター、JR天満駅すぐ近くという便利なところです。今回の講談毎日亭の入りは、客の動員という点では、ちょっと頭打ちっていう感じなのですが、昨夜の天満講談席は、用意された椅子では足りず、新たに追加するほどの数の客が詰めかけました。定席で、ここまで客が入ったのは、初めてじゃないかなぁ。数にして、40名近く入ったかもしれません。番組は、南舟「木津の勘助」、南青「将棋大名」、南海「赤穂義士外伝〜井上太夫郎〜」、左南陵「難波戦記〜二条城の清正〜」、南鱗「井上公袖付橋の遭難」というものでした。南舟の高座は、前講というもので、黄紺が会場に入ったときには、結婚話が出てきたところまで進行してました。南舟は、ますます成長です。話が大きくなっていってます。それと、まだ、ちょっと遠慮している部分が残り、初々しさがあるのが、余計にいいですね。南青くんのネタは、彼の持ちネタでは、一番多く聴いてるかな、ま、毎日、ネタおろしをしているところですから、こういったネタ出しは、致し方ありませんが、ネタが、とってもこなれてきて、変幻自在になってきています。となれば、南海さんは、すごいのか、それとも、手慣れたネタなのか? 自分的には、全く初めて聴くネタなうえ、もちろん、南海さんで聴くのは、初めてとなりますから、判断はできません。そういうと、南海さんからは、赤穂義士関係って、今まで、そんなにたくさん聴いてないなと思います。このネタは、中山安兵衛の介錯をした男の苦悩です。大物安兵衛の介錯をする者がいないため、身分の低い井上が抜擢をされますが、いざ腹を切ろうとする安兵衛に、身分を聞かれた井上は、我が身分では、安兵衛の介錯をするにはふさわしくないと考え、とっさに身分を偽り、介錯を行ってしまったことを悔いる話です。赤穂義士には、その周りにも、ちょっといい話が満載です。昨日も、南海さんの口演を聴いて、再認識です。左南陵は、難波戦記からの抜き読み。大阪の陣に入る前の話と思われます。秀吉亡きあと、あとを託したと思っている家康が、秀頼を軽視しているのを、清正が談判する話と思われます。思われますと書きましたのは、二人が会うかというところで、ダウンしちゃいました。せっかくの左南陵の口演というのに、残念な話です。南鱗は、彼にしては珍しい幕末物。井上聞多こと、後の井上馨が、毛利藩内部の対立のなか、テロに遭い、九死に一生を得るというもの。最後は、還暦を迎えようという井上馨が出てきて、そのテロリストと再会を果たして終わります。もう、時代は明治に入ってるという珍しい講談でした。




2009年 2月 9日(月)午後 11時 48分

 今日は、とってもハードな1日。ヘロヘロになりながら、夜は雀のおやどに向かいました。その講談会で、よくお会いする方が、昨日、取材に来られていた朝日新聞の記者さんとお話しになっていたことを小耳に挟んで、びっくり。黄紺とほぼ同時期に、正確に書きますと、僅か1ヶ月違いで、全く同じ手術を受けたということを話しておられたのです。黄紺は、手術をするときに、主治医から、50万人に一人と言われていましたので、早速お声をかけさせていただきました。術後の様態などは、黄紺などより、かなり重い後遺症を残しておられ、また、手術前の症状も、かなりな様子だったことを伺い、黄紺は、これでも、ラッキーな部類に入るのだということを知った次第です。手術をして、既に17年半という時間が経ちました。それだけ経って、初めて、同じ経験をした方と出会ったことになります。
 ところで、肝心の講談ですが、今日のハードさから、よくもっているなと思っていましたら、南海さんの口演が始まりますと、あれっ、昨日の続きという感じではないぞ、そないな感じになってきますと、黄門様ご一行は明石に入り、落語の「播州巡り〜明石名所〜」に似た話だなぁと感じ出した辺りから、急に記憶が消えています。寝てしまいそうという自覚なしに、急激に昏倒したかのようなダウンを喫してしまいました。疲労の限界点を、ここで越えてしまったみたいです。飛び飛びにある記憶ですと、明石を経てから舞子に入り、昨日の最後に出ていた駕篭屋に遭遇するということのようでした。順序が逆になってしまいましたが、南青くんの講談、高橋於伝の誕生は同時に、両親がともに、ガマ半の出世欲から殺されてしまうという悲劇が待ち構えていました。この話は、後の展開の伏線になるのかどうかは、まだ全く判ってはいませんが、とにかく高橋九右衛門が育てることになります。そして、話は、ポーンと17年飛びました。勝ち気な女に成長した於伝を、手込めにしようかという男が現れ、於伝が危険な目に遭いそうなところで、今日は切られてしまいました。南湖のネタは、3日目にして初めて、まともに聴くことになりました。やはり、とんでもない聞き違いをしていました。お千は、村娘で、沢辺男爵が、散歩中、水をもらいに行って知り合ったということでした。また、沢辺男爵は、ナポレオンの時代になったので、フランスに戻ってきても大丈夫という手紙をもらったあと、お千には、何も言わないで、一人で、フランスに戻ってしまいます。あとに残されたお千と母親は困ってしまいます。しかも、そのあとに、お千は双子を産むのです。そこで、母親が、お千には里子に出すと言って、双子の一人をロンドンに連れて行き、テムズ川の橋から捨ててしまいます。そういった形で間引きをしてしまうのですが、たまたま、橋の下で漁をしていた総三郎が、これを助け、子どもがいなかったこともあり、夫婦で、この子を育てることを決意します。子どもの名前は、丈治と名付けられ、14歳のときから、金貸しの文兵衛のところへ奉公に出され、6年が経ち、丈治が20歳になったある日、町で、ある婆さんから、「次郎吉」と呼びかけられるのです。さて、この婆さんは、というところで終わりました。こうやって、まともに南湖のネタも聴いてみると、なかなかおもしろそうです。南湖自身から、探偵講談ではいい出来のものとの話を聞いていますから、おもしろいに違いないはずです。




2009年 2月 8日(日)午後 7時 48分

 韓国映画「ラブストーリー」を観たあと、一緒に借りてきていた韓国映画「ダンサーの純情」を、これも、飛び飛びですが、観ました。どこかの国の映画同様、社交ダンスを核にした映画です。同じく韓国映画で、社交ダンスを核にした映画「風の伝説」では、男のダンサーは、ジゴロだという見方があるという前提で作られていましたが、この映画は、プロのダンサーたちの競技会で、優勝を目指すために、女性ダンサーを奪ってしまうという男がヒールとして出てくる物語で、華やかなダンス大会と言い、起用されている女優と言い、「風の伝説」の制作時期との違いを感じてしまいます。と思って調べてみると、僅か1年でした。よく解りません。でも、そないな風に思わせてくれる女優ムン・グニョンが、お目当てなのです。「韓国国民の妹」っていう感じの女優さん、よくもまあ、こないに可愛いいのを探してきたなって思ってしまいます。その女の子が、北のなまりのある韓国語を喋る。と言いますのは、この女の子は、中国の朝鮮族という設定なのです。いい相手役探しをしているなか、中国の朝鮮族にいい女を見つけ、韓国人のダンサーと偽装結婚をさせて、韓国に連れてはきたのですが、実際に来たのは、その女の妹、即ち、ムン・グニョン扮する女となるわけです。そして、その女の子と偽装結婚をすることになるのが、パク・コニョンという俳優さんで、プロのダンサー、ダンス・トレーナーと言った方がいいかな。そないな素人の女の子が来てしまったために、一から教え込むことになるのですが、女の純情さ、男のダンスにかける思いに、お互いが触れ合い、惹かれあっていくのですが、やがて競技会が近づくと、女の子がいいダンサーに成長したということで、横取りされてしまいます、それも、暴力的に。そないななか、競技会では、奪った方の男と組んで踊った女の子は、見事優勝を飾るのですが、気持ち的には、ダンスを続ける気持ちが起こらず、中国に帰る決心をします。ここから、ラストに入っていきます。わりかし、いい感じで、できれば一気に観てしまいたい映画ですが、何がいいかと言えば、やはりムン・グニョンの初々しさと、切れのあるダンスシーンです。中国の朝鮮族という設定がうまいところで、らしい雰囲気、ダンスにひたむきな雰囲気、そんなのをよく盛り立てていました。
 ところで、今日は、平日同様という時間に、職場に赴き、午前中いっぱい振り替えなしの仕事の日。週末にさしかかったあたりから、体が悲鳴を上げており、夜、家でも簡単にダウン。わりかししっかりと睡眠時間はとれているのが、ちょっと嬉しいことかな。でも、そういうときに回ってくるのが、休日出勤、来週の日曜日も、同じことの繰り返しになっています。大丈夫やろかと思っています。で、午後からは、鶴橋の雀のおやどへ。今日は、講談続き読みの2日目です。昨日は、ほぼ2時間もかかる会となりましたが、今日は、お開きとなったあと、営業か、何かがあるらしく、終演を、3時半までにということで、口演が続けらるました。3人が、一人30分弱ずつと、同じくらいの長さの口演でした。「高橋於伝」は、お春が、ガマ半から放逐されたため、自ら命を絶とうとしているところ、高橋勘左衛門に助けられ、高橋宅に身を寄せるのですが、既に、このときには、ガマ半の子を身ごもっています。それを承知で、嫁にしようとする高橋は、ガマ半に話を通しに行くと、かえって余計なことを知る者ということで、手の者に高橋を討たせます。そのちょうど同じ日に、お春は、出産をします。勘左衛門の留守を預かっていたのが、勘左衛門の弟九右衛門です。この人が、於伝の育ての親になるようです。南湖のところで、今日もおかしな具合に。南湖の声は入ってきているのですが、意味のない音にしか聞こえてない状態でした。理解できてるところで、メモっておきますと、フランス革命から逃れてきたのは、沢辺男爵、ロンドンの下宿屋に身を潜め、フランス語教室で生計を立てています。その教室に通う女なのか、散歩の途中で知り合ったのかは、記憶で定かではないのですが、お千という女と知り合ったようなのですが、あとは、完全に飛んでいます。今日の最後の方で、フランスから沢辺男爵を呼び戻す知らせが届いており、戻る気にはなっているよう。そういった時期に、お千が、双子を産み落とします。この双子が、タイトルにある双子だそうで、2日目の最後に、ようやく登場です。南海さんは、今日の午前中に入っていた余興の紹介をマクラで。宮本武蔵の生地とされている3ヶ所の一つ、高砂から宮本武蔵についての講談を依頼されたと言ってました。肝心の続き読みは、ほとんど、昨日の西大寺の出来事の収拾編となりました。今回、南海さんの描く黄門様は、とってもひょうきん。やたら、「水隠梅里」を表したくて仕方がないいちびりの爺さんです。ですから、悪を懲らしめるときも、タイミングをずらしてしまったり、そんなで、騒々しい漫遊記となっています。西大寺を後にした黄門様ご一行は、舞子で駕篭に乗るのですが、目的地の須磨へは行かず、山中へと入って行き、3人ともが、駕篭屋に縛り上げられたところで終わりました。
 今日は、お出かけは、ここまでで、あとは、まっすぐ京都に戻り、散髪屋に行く日としました。そしたら、運の悪いことに、1時間半以上も待つハメに、でも、行く日がないので、我慢の子でした。




2009年 2月 7日(土)午後 11時 23分

 3日前に半分ほど観ていました韓国映画「ラヴストーリー」を、今日のお出かけ前に観終えることができました。かなり人気の映画ですのに、今まで観ていなかったのです。この映画は、一つの母娘の恋物語、30年を隔てて、並列的に進行します。母娘は、同じ女優さんが演じます。「私の頭の消しゴム」の「ファム・ファタール」ソン・イェジンです。可憐なとか、薄幸なとかというコンセプトの似合う女優さんです。母親の恋物語の相手役が、「とかげの可愛い嘘」で、カン・ヘジョンの相手役を務め、また、「マラソン」に出ているチョ・スンウです。そして、娘の恋物語の相手役が、なんと、「マドレーヌ」「ラブ・インポッシブル 〜恋の統一戦線〜」「卑劣な街」のチョ・インソンでした。素朴な気持ちのやりとりに加え、叙情的な画面に強く惹かれます。ずっと観ていて、終盤が訪れかけても、この両者は交じりあいません。単なる母娘の恋物語かなと思わせられるところで、交じりを用意しているのです。それは、ひょっとしたらと思わせられるのが、ラストから一つ前のシーン。そして、それに答えを出してくれるのが、ラストシーンと、随分とこっています。このあたりは、いかにもという韓国映画らしいところです。田園風景が、ホント絵になるところを、選びに選んでくれています。訪ね歩きたい衝動に駆られます。なかなか評判通りの作品でしたよ。
 さて、今日から待望の講談続き読みの2月席「講談毎日亭如月1週間」が始まりました。場所は、もちろん雀のおやどです。これから1週間、鶴橋通いが続きます。落語会は、暫しのお休みです。今回の続き読みは、南青「毒婦高橋於伝」、南湖「初代ブラック探偵講談〜双子の犯罪〜」、南海「水戸黄門関西漫遊」となっています。「高橋於伝」は、父親と母親の出会いの話から。高橋於伝っていう人、私は、明治の人だと思っていたのですが、生まれは、嘉永6年ということでした。上州の人です。沼田藩に仕える広瀬半右衛門(通称ガマ半)が、女中のお春と仲が良くなり、でも、城主からの勧めで、野田城主の娘との結婚となるため、お春は放逐されてしまいます。今日は、そのあたりまで。南湖は、本遇寺で聴いたもの。まあ、そうだろうとは思っていましたが、実際にそうだと判ると、完全ダウンです。昼の部は、なぜだか、ここだけダウン。南海さんになると大丈夫ということで、何が何だかわかりません。南海さんは、水戸黄門について、講談での扱いを紹介しつつ、始まって以来の、テレビの水戸黄門についての蘊蓄をたっぷりと。講談の黄門様は、蝦夷地はもとより、琉球から上海まで漫遊するそうですし、東京版と大阪版では、名乗る身分が違ったり、お付きの者も違うという具合です。今回は、四国漫遊の帰り道に相当する「関西漫遊」が読まれます。発端は、四国から船出をして、福山の鞆の浦に着き、岡山の西大寺の宿に入るところからでした。西大寺のはだか祭りの10日後に出くわし、侍による町人いじめを懲らしめる話のようです。一つの宿で1日分かと思っていましたら、テレビなら印籠が出そうなところで切られてしまいました。
 鶴橋からは、JRでの移動で、繁昌亭へ。夜の部の「笑福亭福笑一門会Vol.3〜たった二人の一門会〜」に行くつもりだったのですが、時間がありましたから、南森町のネットカフェで、1時間余りの時間調整。余裕を持って、繁昌亭に入ることができました。たま「ベルゼバブの蠅」、福笑「油屋金兵衛」、(中入り)、たま「高津の富」、福笑「大道易者」というのが、今回の番組でしたが、あろうことか、福笑のネタのところで、全てダメになってしまったのです。ダウンしたというよりか、音としての落語は、耳から入ってきてるのですが、その内の半分以上は理解できてない状態となりました。福笑の落語で、そないになるというのは、かつてなかったことです。一つは、繁昌亭の中が暑かったこともあるのですが、体調が良くないみたいです。たまの方はバッチリでしたので、福笑の時間帯までは、体力がもたなかったという見方もできます。たまの方ですが、「ベルゼバブ」は、ようやく出会えた作品、サスペンス調であり、且つぶっ飛んだ内容。そのまま、シリアスに進行すれば、おもしろいのでしょうが、漫画の世界に、後半は入ってしまいました。次に出てきた福笑が、マクラをふりつつ、「ようやく、普段の落語会の雰囲気になってきましたな」というほどの内容でした。「高津の富」は、たまヴァージョンに慣れてきたのか、また、自身のヴァージョンのツボを、たま自らが把握したのか、とても耳障りが良くなったなの印象です。富くじの番号を読むくだりに、古典的なくすぐりを復活させたり、それに、軽くプラスアルファが加わっていたり、二番くじの番号が、一部燃えてたりと、楽しさが増えました。前半のカットはともかくも、最後は、ちょっと増やさないと、いきなりオチという印象が拭えません。そないなわけで、師弟ともどもではなく、今日は、たまの方だけ聴く夜になってしまいました。




2009年 2月 7日(土)午前 7時 14分

 週末に入りかけて、自覚している以上に、体が悲鳴を上げています。ちょっと休憩をとっていると、居眠りまでしてしまっています。昼間まで、これではかなりのことですが、こりない黄紺は、週末をいいことに、昨夜は、遠出の落語会、一番遠出の岡町での「第75回月なみ九雀の日」に行ってまいりました。遠出となりますので、他に気になる会がありましたら、そちらを優先するのでしょうが、最近、この会があるときは、うまい具合に行けてしまってます。帰りも、気が遠くなる遠さだものですから、できたら避けたい気持ちはあるのですが、落語は聴きたいものですから、足は向いてしまいます。
 で、昨夜の番組は、雅「運廻し」、九雀「狸のさいころ」、雀五郎「宿替え」、(中入り)、九雀「くっしゃみ講釈」というものでした。雅は、初物、まだまだしゃべり慣れてない感じ。教わったものを懸命になぞろうとしているのが、客席でも解りますので、暖かな眼差しを受けての高座となりました。後から出てきた九雀によりますと、雅の師匠都は、男の噺家に稽古をつけてもらう方針だそうで、九雀も、この雅と、すぐ下の眞に稽古をつけるのを頼まれてるとか。雅とは、来週の月曜日から始めるそうで、その見本を、家での稽古の前に、ここで見せますと言って始めたのが、「狸のさいころ」。九雀ヴァージョンが、わりかし可愛い狸が出てくるという話は聞いたことはありましたが、実は、遭遇するのは初めて。ま、軽いネタなので、敢えて探し出して聴きに行こうという気が起こらなかったので、今頃になって、初遭遇ということになりました。確かに、さいころの目の出し方や、子狸だから、夜遅くなってはダメだとか、可愛い系で統一されているのがいいですね。評判がいいわけというものを認識できました。それに何よりも、噺の雰囲気が、からっと明るいというのは、このネタでは、新鮮です。雀五郎は、自分的には、意外なネタに、手を出しました。この大師匠枝雀の得意ネタを、枝雀テイスト満載で繰り広げてくれましたが、結果は、惨敗でした。雀五郎の意外性のあるネタ「短命」は成功しましたから、「えっ、こんなのをして大丈夫?」と思いつつ、期待を持って聴いたのですが、残念な結果です。まず、まずかったのは、ネタ繰りをしているかのように、間を気にせず、猛烈にすっ飛ばしたことです。特に前半、風呂敷に荷物を詰めるところには、びっくり。どうして、そんなに急いだのでしょう? 動きで笑いをとったり、とぼけたくすぐりなんかが満載のところなのに。くすぐったぞの確認もとらないで前のめり状態でした。引っ越し先に行ってからは、多少はましになりましたが、いつも見せてくれる雀五郎独自の工夫もなしというところで、ちょっと寂しい高座でした。期待の人だけに、残念な気持ちは、自然と大きくなってしまいます。雀五郎が終わって、中入りにも、びっくり。早く終わりすぎるのを避けたっていうところです。私は、この中入りを境にして、黄紺は、調子が急下降。「くっしゃみ」は、ほぼダウンしてしまいました。ただ、客席は、えらく受けてたのだけは、記憶に残っています。悔しいですね、せっかく岡町まで行きながらですからね。




2009年 2月 6日(金)午後 10時 31分

 この文は、昨夜に書き上げながら、その直後にダウンしたために、1日遅れのアップとなります。従いまして、以下の文中の「今夜」は、「2月5日(木)」を意味しています。

 今夜は、慌ただしく職場を出て、更に、慌ただしく南森町の松屋で、晩ご飯をかき込み、繁昌亭に行ってまいりました。幸い、席の確保に躍起にならなくていい「育っちゃったらくご〜人情特集〜」の日だったので、ちょっとは気楽に行くことはできましたが、かなりせわしない思いをしました。そのためか、まだ前半の中入り前は大丈夫だったのですが、中入り後は、きつい時間が続きました。番組は、遊方「ハードボイルドサザエさん」、南湖「刃傷松の廊下」、あやめ「練炭焚いたらサヨウナラ」、三風「せんたく」、(中入り)、三金「鯛T&鯛U」、たま「芝浜」というのが、本日の番組でした。今日の中では、一番気に入った出来は、遊方。確か、茶臼山で聴いたときは、後半になると、パターン化されたギャグが繰り返されたためか、また、新作ができなかったときのつなぎのような感じで出されたためか、あまりいい印象を持っていなかったのですが、今日は、十二分に最後までもちました。結構、序盤のやりとり、ギャグにはまったからでしょうね。照明も、舞台上の遊方に、スポットを当てたというのも、ヒットなのでしょう。南湖のネタは、講談では定番過ぎます。新作ものの中からチョイスはできなかったのかな? エンディングでは、遊方から、「誕生日を出さへんかってんな」と突っ込まれていました。「練炭」は、あやめ作品ながら、あやめで聴いたのは初めて。前に聴いたのは、茶臼山で、たまとあやめが、持ちネタを交換したときに、たまが演じたもの。あのとき、たまは、「かなり手を入れた」「だけど、最後のところは、手の施しようがなかった」と言っていたのを思い出しました。そのわけは、今日、判りました。自殺志願者3人が、主人公ですから、暗いのです。なんかリアル過ぎると思えて、結構おもしろいくすぐりが入っても笑えないのです。最後も、暑さを強調すると、リアルになります。ですから、下品だけど、たまのように、臭いの方を前に出すべきでしょうね。三風のネタは、茶臼山でネタ下ろしのときに聴いて以来。親子の情愛を描いたもの。最初、聴いたときは、ふくらみは小さく、単調な流れだったと記憶に入ってました。ですが、今日聴いた「せんたく」は、パートのしゃべりのおばさんを登場させ、素性を喋らせたりしました。この回り道が、大進歩。噺の性格上、こないな喋りの人に、息子の秘密を喋らせるのではない工夫が欲しいところです。「鯛」の連続公演、なかなかない試み、でも、「U」に入るや、急にしんどくなってしまい、半寝の状態。勿体ないことをしました。「U」は、三枝の初演のとき、ライトとBGMを使いましたが、あれでやって欲しいですね。あれがあってこそ、ごろっと変わってとなるのと違うかなぁ。「芝浜」は、本日で最も気に入らなかった口演。なんで、ネタバレのことを、先に出しちゃうんでしょう。噺が、随分と薄っぺらなものになります。そして、たまの口演が、気を変えるところがなくて、女房の告白の前と後ろが連続しているように聞こえてしまいました。どうしたのでしょう、たまにしては、稚屈としか言いようがありません。以前聴いたときには、こんなにも叙情性に欠けるという印象は持ちませんでした。そんなで、たまの高座が終わったのが、ジャスト9時半。ここで、3時間経過。その後に、チケットプレゼントがありましたから、更に10分遅くなりました。長く落語を楽しめるのはいいのですが、帰りが辛いものがあります。




2009年 2月 4日(水)午後 11時 46分

 昨日の火曜日は、まっすぐ家に帰り、晩酌をすると、あっという間にダウンというお約束のコースを辿っていました。そのお約束コースには、夜中にお目覚めというのまで付いています。それも、きっちりと辿ってしまいました。そのため、韓国映画を観ていたのですが、まだ、半分くらいしか観ていませんので、全部観てから、こちらに書くことにします。
 そして、今日は、勤務地からは、とっても行きにくい上新庄まで出かけてまいりました。距離的には近いと思うのですが。また、帰りも大変な上新庄です。こちらでは、随分と前から、「第294回上新庄えきまえ寄席〜桂三幸の三幸にしてください!〜」という落語会が、月一のペースで開かれています。三幸「平林」、さん都「ろくろ首」、三幸「お忘れ物承り所」、三風「三年一組同窓会」、(中入り)、三幸「お酒の呑めない力士(仮題)」というものでした。今日は、三幸の独演会という形式だったのです。ですから、一つくらいは、軽い噺が入るだろうと思っていましたが、二つ入ってしまいました。いや、三つ目も、そう言っても、いいかな。でも、三枝作品の「お忘れ物」のフルヴァージョンを聴けたので、許しましょう。コントラバスを忘れたなんていう人が混じってるんですね。びっくりでした。「平林」は、終盤まで、常の型で推移。最後に、教えてもらった名前を、節を付けて全部並べ立てるところでは、何かの歌の替え歌にしてしまいました。お遊びとして聴いておきましょう。トリの新作は、谷六だったか、狭い町屋の2階で、自分の会を持ったときに披露したナンセンス噺。親から漁師になれと言われながら、力士になった男、親が、「力士になって優勝したら、大盃で酒を呑まないとあかんけれど、酒を呑めないお前は困るぞ」と言われながら、力士になり、優勝してしまう男の困りを描くという、どこから、そないなことを考えつくのだろうという噺。そういう奇想に属することは、おもしろいと思うか、その逆かだけの部分が大きいと思うのですが、このネタの着想って、単純な奇想としか思えないですね。「動く目印」という奇想は、してやったりだった三幸ですが、これを、価値ある奇想と思う人は、いないんじゃないかな? ですから、当たり外れが大きいということなのでしょうね。相変わらず、語り口は、不思議なリズムがありますし、それも、一定じゃありませんから、居心地は良くないのですが、また、一人ツッコミの間も、独特のものを感じます。こういった個性が、何かあるかもしれないと思わせられ、そして、大概は、何もないのですが、何かあるときがあるので、三幸の会となるとチョイスしてしまいます。三風のこのネタは、よく出ているネタのわりには当たりが少なく、確か2度目です。パターン化した繰り返し部分で笑わせたかと思うと、しんみりとさせ、急にすとーんと落とす。お見事です。ネタが短いということで、マクラでは、悪ガキの揃う学校での公演体験や、東京のルミネ吉本に出たときの掴みについての話とか、たっぷりめにしてくれました。さん都は、三幸と違い、口舌爽やかに流れる口演が持ち味ですが、今日は、ちょっと喉をつめるような語り口になっていたのが気になります。喉を使い過ぎてるのでしょうか? 結果的には、三風でほっとした会だと言うと、ちょっと三幸が気の毒ですが、3席並べるのが、まだ、きついのじゃないかな? 中規模ネタを、一つくらい入れて欲しかったなというところですね。




2009年 2月 3日(火)午前 4時 41分

  一昨日、お出かけ前後に、韓国映画をDVDで、一つ観ました。「Sダイアリー」という映画で、「私の名前はキム・サムスン」で主演を務めたキム・ソナが出ているというので、観てみようかと思ったのですが、黄紺は、まだ「私の名前はキム・サムスン」を観ていないのです。どうも、TVドラマの方は、時間の関係で、観続けることができるか、不安になってしまうのです。間があいてしまい、ストーリーを忘れてしまいそうで。でも、ぼちぼちTVドラマにも、手を着けようかと思い始めています。なんせ、映画は、随分と観てしまいましたから。で、「Sダイアリー」ですが、これは、一人の女性の4つの恋物語、失恋物語、そして、それぞれへの復讐物語です。いきなり、別れの場面から始まります。そのとき、男から、今までの男に聞いてみろ、おまえが、どんな女だったかと言われ、3つの恋を、自分のダイアリーを見ながら振り返ります。神学生、大学の先輩、漫画家志望の青年との物語が展開されたあと、各人を訪ねても、全く話しにも乗ってもらえない女は、復讐を考えます。自分の中に、大事にしまってあった思い出そのものを壊されたと感じるからです。この復讐劇がおもしろいものかは別にして、ここが、この映画の見せところ。彼女は、克明にダイアリーをつけていますので、付き合いのあった時期の経費まで算出できるのです。そして、それを、それぞれに請求をしていき、それに応じられなければ、嫌がらせをしていくのですが、これが、ちょっと悪ふざけの悪のり。神父となった元神学生に、バイアグラ入りのワインを飲ませたり、警察官になってる大学の先輩の車に落書きをしたり、犬を、母親から預かってる漫画家志望の青年には、犬をポシンタンにして、その鍋を冷蔵庫に入れておいたりと、ちょっとやりすぎで、笑えません。そいで、その復讐劇を全うして、じゃ、女は、どう感じたのかで、映画は終わります。神父に対する行為、犬を復讐劇に登場させるというのは、韓国テイストのブラックな点なのでしょうね。「私の名前はキム・サムスン」の大ヒットの前の作品のようです。
 さて、夜遊びの記録ですが、昨日は、ちょっと疲れから、腰にきかけているという自覚があるなかのお出かけです。行き先は、ワッハの4階、「第20回お笑いまん我道場〜大阪編〜」があったのです。最近、なぜだか講談会と、よくバッティングしていたために、この会におじゃまをするのは、1年ほど、間が開いているかもしれません。今回は、まん我自身が、「咲くやこの花賞」をもらって初めての会であるとともに、この会自体が、ちょうど20回という切りのいい会でもありました。そないな関係で、昨夜のゲストは、師匠の文我であり、また、全てが終わったあと、入門後、続々と亡くなった噺家さんの思い出話をしてくれました。
 で、番組ですが、二乗「ろくろ首」、まん我「饅頭怖い」、文我「住吉駕篭」、まん我「子ほめ」でした。二乗と、最近出会える機会が少なく、何か新しい噺を仕入れてるかなとは思っていたのですが、手持ちの中から、あまり前座役でかけない方のネタを出してくれました。質は、確実に上昇。無理のない細かなくすぐりも、少し入ってました。二乗は、何がいいのかなと思い聴いていますと、ハタっと思い当たり前ました。この人、主役のボケたおす男に味があるというよりは、ツッコミに当たる人物の呆れ方、諭し方、注意喚起の言葉かけがいいのだと思うのです。そないなことですので、ボケたおす男のおかしさ、たわいなさが際立ってくれるのだと。まん我は、「井戸の茶碗」や「しじみ売り」で成功を見せています。語り口の説得性が高いと思うのです、この人。一方で、声が、普通の喋りで、テヌートがかかりますので、うつけたことをたたみかける、連続的なわーわー感というものが出やすいと思っています。「子ほめ」で、これが生きます。赤ちゃんを褒めることに一所懸命になれば、竹が、何を言おうが言おまいが、お構いなしにたたみかけていく、その辺のアホさが冴えます。「饅頭怖い」では、序盤の、好きなものの言い合いのところも、そうですね。ところが、この人、自分の声質を理解していて、見事にコントロールする術も持ち合わせてます。昨日のネタで、それが最大に生きたのが、「じたじた」の部分、怪談調で進行するところです。この語りは、最高じゃないかなぁ。文我は、意外なことに、えらい正攻法なネタ選び。このネタを聞くよりは、マクラで、弟子のことを語り、更に、自分の師匠枝雀について語ったところが、良かったです。枝雀の弟子の指導の仕方なんて、こういった機会でしか聞けない貴重な話です。なお、「住吉駕篭」は、久しぶりにフルヴァージョンでした。「子ほめ」が終わったあと、まん我が語った中で、ネタの受け渡しに関することだけを記しておきます。文紅から「浮世床」をつけてもらっている途中で、文紅は亡くなったそうです。喜丸からは、「おごろもち盗人」をもらったそうです。




2009年 2月 1日(日)午後 11時 17分

 一昨日、昨日と、何か出かけると、ダウンというのを続けていましたが、やはり体が悲鳴を上げていたようで、昨夜は、めったにない6時間以上の連続睡眠の記録を達成しました。で、今日は、まず繁昌亭の昼席に行ってまいりました。繁昌亭の昼席は、米団治襲名披露のときに次いで、今年になって、2度目となります。今日は、福笑の出番があるということで行ってまいったということであります。チケット番号は、なんと「4」でした。となると、勝手に「マイシート」と決めています「おー16」のシートで聴いておりました。番組は、三幸「十徳」、三弥「真田小僧」、純瓶「いらち俥」、智之介「マジック」、福車「平の陰」、文華「八五郎坊主」、(中入り)、藤本健太郎「津軽三味線」、文福「半分垢」、仁勇「鹿政談」、福笑「葬儀屋さん」というものでした。三枝門下の12番弟子、11番弟子が連続で出るという珍しい出番。そして、この二人の出来が、すこぶるいい。「十徳」では、仕事に出かける男に、なんとか十徳の言われを聞かせようとする掛け合いが、普段の二人の関係を彷彿とさせるほど、やり取りの描き方がうまい。こんなのを見ると、やはり三幸には、何か他にはないものを見てしまいます。三弥のこまっしゃくれた子ども、とっても楽しい雰囲気を作ってくれます。三弥でのこのネタは、2度目かな、前回と同じところで笑ってたんじゃないかな? 純瓶は、ネタに入る前は、何かなじめないのかなという感じだったのですが、ネタに入って、俄然おもしろくなりました。巨体を駆使して飛び跳ねる姿に拍手です。ついには、舞台裏を回って1周して、反対側から、舞台に登場するという演出。いろいろなことをする噺家さんが出てきたものです。福車が、いかにも笑福亭というネタを持っているとは知りませんでした。このネタは、繰り返しネタです。その上、そないに長いことごまかせないやろというネタですから、しつこくやるとおもしろくなくなります。それを、福車はやっちゃいました。ですから、途中から、自分的には休憩時間にしておきました。文華は、繁昌亭大賞爆笑賞ということで、中トリ。今、この人のがベストと思っている「八五郎坊主」が出ました。八五郎の横着さ、可愛らしさ、そんなのが、程よくブレンドされていて、魅力的なキャラになっています。髪を剃る坊さんのお茶目さもいいしと、やっぱり、ベストやなぁの再確認を致しました。客席も、八五郎が寺方に行ってからは、文華落語の楽しみ方が解ったようで、どんどんと盛り上がっていくのが、手にとるようにわかりました。藤本健太郎は、自分的には初物。高橋竹山系と言っていましたが、三味線を持った姿勢は、竹山そのままでした。竹山は、目が不自由だったので、吉田兄弟のように、ギターを弾くような姿勢は取れなかっただけと言いながら、吉田兄弟風三味線の構え方で弾いてくれたりしました。元演歌歌手ということで、歌いながら沖縄のサンシン風三味線も弾いてみせてくれ、十分に楽しませてもらえました。智之介ともども、色物は満点です。文福は、相撲甚句だけで降りるのかと思ったら、ちゃんと落語をしてくれました。文福と福笑の間に仁勇が入ると、いい色変わりになります。あっさりした空気を入れてもらえ、聴く方も、福笑でヒートアップできるというものです。福笑は、ネタを、何にしてくれるか、毎回楽しみ。最近聴いてない「はははぁ家族」を、ちょっと期待していたのですが、昨日か一昨日、出てしまいました。と言って、出ないわけではないのですが、でも、前回同様、「葬儀屋さん」で、大満足。今日は、「ひろっちゃん」のところで、一番笑ったかな。総体的に、今日の昼席の満点度、なかなかのものでした。
 南森町から東梅田に出て、最初は、ネットカフェで時間調整をしたあと、7時台に上映開始の映画を観にいくつもりをしていたのですが、十分、5時台に始まるものに間に合うと思い、晩ご飯を後回しにして、梅田ガーデンシネマへ行きました。観た映画は、ベルギー映画「ロルナの祈り」。国境を越えた人たちが、テーマになっているということで、前々からチェックの入っていた映画です。ロルナは、麻薬中毒の男と偽装結婚をしてベルギーの国籍を取ろうとしてるアルバニア人女性です。国籍が取れたならば、イタリアに入っている同じアルバニア人の男性を呼び、ベルギーで店を開くことを夢見ています。ロルナの背後には、偽装結婚などを世話するブローカーがおり、ロルナに、今の結婚を解消させ、次の偽装結婚相手として、ロシア人を用意しています。ロルナも、金が要るため、その話に乗っています。そのためには、今の偽装結婚の相手と、警察に疑いをかけられない仕方で別れなければなりません。ブローカー組織の男らは、麻薬を大量に打って死んでも、誰も疑わないから、場合によると、ロルナに、その殺害すら求めますが、ロルナは、その男が、麻薬を止めたいにも拘わらず止められないでいるのを知っていますから、そないなことが、できるわけはありません。それどころか、何かと、自分に助けを求めてくる男に愛情を感じ出しています。麻薬さえなければ、ひ弱な男ですが、優しくて、気のおける男なのです。男も、ロルナあってこそ、麻薬を止められると思ったとき、男は、ロルナの組織に、麻薬を打たれて殺されてしまいます。これが中ほどで、どのような展開をすれのかと、予測がつかなくなってしまいます。ロシア人との話も進み、お金も入り、アルバニア人の恋人との生活設計も進む中で、ロルナの体に異常が確認されます。ここから、話が終息に向かっていきますが、ネタ晴れになりますので、ここまでにしておきます。これは、愛の物語です。対立項として、解りやすい話なのですが、「お金」が置かれています。自分一人の胸に残る愛の思い出だけで、ロルナは、恐らく長年計画を立て、夢見てきた生活を、全て捨てます。愛の思い出を留めようとすると、ロシア人との偽装結婚は不成立、お金は入らないので、アルバニア人の恋人と生活をするため購入した店は手放さなければならない、それにより、男も逃げるのが見えている、組織は、無用な、いや生きていてもらうと組織自体がアブナイと命まで狙われる、という具合に、「お金」と言ってしまえば通俗的なのですが、連鎖的に話が大きくなっていくように構成されているところがいいところ。それに対し、お金のルールがきれいに保たれている関係があります。ロルナが、勤務場所の庭にお金を埋め、また、そのお金を出す、その行為で、ロルナの心情までが透けて見えるように作っています。自転車を買うときの割り勘もいいし、お互いにお金を出そうとするのもいいですね。とまあ、断片的に、「お金」が、上手に使われています。「お金」と「愛」という、とってもクラシックなプロットが、上手に使われているのです。終わり方も、いいです。まさか、ここで終わるなんてことは、、、」「いや、ここで終わりってありかもよ」と、頭の中を駆け抜けた途端、終わりました。そして、この終わり方が気に入っています。あのあと、どうなるのでしょうね? ロルナの体調の真実は、どのような展開が待っているのでしょうか? ロルナは、組織に命を狙われていたと断定していいのだろうか? その辺のところを、アルバニア人の恋人は、どこまで認識しているのでしょうか? 余韻が残ります。こういった映画、黄紺的には、いい映画と思ってしまうのです。




2009年 2月 1日(日)午前 0時 6分

 今日は、朝から半日の通常勤務。3時間、ほぼ立ちっぱなしという仕事が終わった途端、天満橋経由で、梅田に駆けつけました。とにかく先に梅田に行こうっていうことで、お昼ご飯を我慢。我慢したためか、おもしろい味のカレー屋さんを見つけました。で、行き先は、太融寺。「第50回千朝落語を聴く会」があったのです。この会は、大変な人気。大広間が、今回も満杯でした。番組は、まん我「子ほめ」、千朝「軒づけ」、都丸「試し酒」、千朝「景清」というものでしたが、トップに、まん我を置き、都丸をゲストに迎えるというぜいたくなものでした。そんないい番組、いい演者にもかかわらず、昨夜の文楽に続いて、完オチの落語会。まんべんなく寝てしまいました。狙いは、千朝の「軒付け」と都丸の「試し酒」だったのですが、千朝で印象に残ってるのは、撮影に入ってたカメラに向かって、千朝がピースしたことと、都丸が、声を壊していたことくらい。情けない、です。「景清」は、3度目なのですが、最後は、目が見えて、おめでたい噺ですと言って終わりました。
 太融寺からは、地下鉄扇町駅から日本橋に移動。夜の部に備えました。いつものように、時間調整のために、千日前のネットカフェで、1時間余り。トリイホール近くの、お気に入りのラーメン屋で晩ご飯。夜の部は、トリイホールでの「旭堂南華独演会」があったのです。南華さん初めての独演会ですから行かざるをえません。番組も、なかなか考えられたものでした。南青「難波戦記〜霧隠才蔵〜」、南華「源平盛衰記〜那須余一〜」、米八「曲独楽」、南華「真景累ヶ淵〜豊志賀の死〜」、(中入り)、南華「夢の浮橋、黒雲のお辰」というのが、その優れものの番組です。南青くんは、簡単に、霧隠才蔵の由来話。霧隠才蔵っていう人は、真田十勇士の一人だということも知らなかった黄紺ですが、元は、幸村を付け狙う刺客だったのが寝返ったということを、今回知ることとなりました。「那須余市」は、南華さんにとって、初舞台のときの演目だったということで、本日の一つ目の演目になったそうです。良かったのが、というか思わぬ収穫と言っていいかなと思うのが、「豊志賀の死」。どんどんとひらめいたことを、話の本筋に放り込んでいくちゃちゃが、とっても斬新で心地よいのです。女性的世間話のノリで、ちゃちゃが入っていきます。ましてや、筋立ては、年増の女と若い弟子との関係という感じで、それに悋気が入ったりで続いていきますから、ちゃちゃを入れるには格好の素材。それをおもしろがって聴いていると、これは怪談話だったんだと、客は知る場面が出てきます。そのとき、客席から、ひゃ〜という悲鳴にも似た声が上がりました。これは、今日の南華的手法が成功だったことのいい証でしょう。「黒雲のお辰」は、人情話系の読み切り講談。女白波お辰に助けられた田舎の親父の祈りが通じ、お辰も命を助けられるというもの。またもや、涙腺を刺激されてしまいました。やはり、番組の妙が冴えた、そして、南華の人柄が冴えた、とってもいい感じの講談会だったと言えます。ぜひ第2回以降も計画を立てて欲しいものです。




2009年 1月 31日(土)午前 0時 53分

 今夜は、1年ぶりに、NHK大阪ホールに行ってまいりました。毎年、この時期に、NHKが、文楽の著名な演目を、格安で紹介してくれます。黄紺は、今年で、まだ2年目の、文楽初心者であります。去年は、「帯屋の段」というチャリ場を見て、文楽に圧倒された記念の場所です。今年も、「義経千本桜〜道行初音旅〜」と「傾城恋飛脚〜新口村の段〜」という演目が並びました。文楽の実演に入る前に、恒例の解説がありました。今回も、新たな発見があり、勉強になりました。足使いの人は、主使いの腰に、ずっと肘を当てておいて、タイミングをとってるっていう話、へぇ〜と感嘆の言葉を上げそうになってしまいました。「義経千本桜」は、この4月に通し公演がありますから、プレ公演のようなもの。解説では、アクロバティックな動きがあるということでしたが、それは、扇投げのことだったのだろうか。なんせ、中途でダウンしてしまいましたので、見過ごしているかもしれません。狐が忠信になる早変わりは、人形ですから、あっけないものでした。「狐火の段」でも見ましたが、文楽では、狐は、足でわかるんですね。あんなけ、こちょこちょ走りをすると、ばれるやろと思うのですが。「新口村の段」の方は、梅川忠兵衛ですが、黄紺は、これは、最初から起きている自信のない演目なのです。せつせつと、親子の情愛が語られちゃうと、ダウンしてしまいます。住大夫でダウンでは、どうしようもありませんでした。「新口村の段」と謳ってますが、実際は、人の行き来がある序の部分は削られ、切から始まりましたから、住大夫さん一人で、段を一つ語りきるという形になりました。結局、終わってみると、不調でしたね。せっかく、前から3列目だというのに、もったいない話です。




2009年 1月 29日(木)午後 11時 55分

 今夜のお出かけは、繁昌亭です。繁昌亭は行き出すと、わりかし頻繁に通います。また、近々行きますしね。で、今夜の繁昌亭は、「きん枝のがっぷり寄席 三番勝負」があったのです。きん枝「挨拶」、染弥「刻うどん」、染丸「三十石」、きん枝「不動坊」、(中入り)、きん枝・染丸「対談」というのが、本日の番組でした。今日は、残念ながら、きん枝は、ネタおろしはしませんでした。「挨拶」では、次回のゲスト喬太郎について、いろいろのコメントをしていました。最近出した本についても紹介がありました。染弥の口演で、一ヶ所おもしろいところがありました。二人連れヴァージョンなんですが、一人でチャレンジするとき、嬉しくなった男は、うどん屋を見つけると、いきなりお金を払おうとします。これは、初めて見たグッド・ヴァージョン。そんなユニークなところを見せるなら、全体的に、もう少しテンポを上げればいいのにと思ってしまいました。「三十石」は、伏見街道から入りましたが、ちょっと短縮系。妄想を働かす部分も、あっさり型であったような。最近、「三十石」を聴くと、いつも、このあたりで、いい気持ちになってしまいます。そして、船の船頭と女郎の掛け合いがあったあと、2回船唄を歌ったあと切り上げました。幕内との掛け合いもなしで終わったので、ちょっと物足りなさが残りました。きん枝は、ちょうど1時間の口演。丁寧に丁寧に、原型を辿ろうという姿勢は、今回も踏襲されました。通常省く、夜半に再集合して、段取りを決め、酒を酌み交わす場面も、きっちり描いてくれましたが、さすがに、いよいよ出かけるぞというまでが長すぎて、冗長な印象を持ってしまいました。きん枝も、長すぎると感じたのでしょうか、肝心の雪の降る中を出かけてからあとを、ちょっとはしょり気味でした。この辺のバランスを、もう少し考えてくれたらと思いました。これで、きん枝の「不動坊」は、確か3回目となるはずですが、こないに長いのは、初めてです。
 中入り明けは、対談というよりも、弟子のきん太郎を、司会に据えて、仲の良い楽しいおしゃべりという感じのものでした。記録という感じで書きますと、きん枝が、三味線の稽古を始めたこと。一つ、マイ三味線を使って、披露してくれました。松之助の記念の会では、きん枝の三味線で、八方が長唄を唄ったということです。八方の娘婿は、かなり著名な長唄のお師匠さんだとか。襲名問題についても話題となり、きん枝自体は、「そういう話がないわけではない」「一門の総意があった上での話」「三枝が文枝を嗣いで、その三枝がなくなったら」「まあ、ないですな」と、最後は、否定の口ぶりとなりました。おもしろい話としては、文枝存命中に、一門の前で、小枝が、「自分が、小文枝の名に一番近い名前やから、小文枝を下さい」と、文枝に言うと、「よしやろう」「そやけど、真ん中に文の字を付けたらあかん」、要するに「文小枝」だったらいいという意味だったそうです。そないな話を聞いたりしてますと、早晩、三枝は、文枝を襲名するのだと思います。一門の意志も、固まってるんじゃないかな。ただ、文三襲名のじゃまにはならないように、タイミングを計っているのでしょう。そして、文枝襲名のあとに、小文枝襲名を持ってきたら、それは、あまりに影が薄くなってしまいます。小文枝を先に襲名させて、文枝襲名を、そのあとにするということはありえませんから、あるなら同時襲名でしょうね。




2009年 1月 29日(木)午前 6時 45分

 昨日は、落語会や講談会が、自分的には枯れてしまった日。そないななか、毎度欠かさない新作映画チェック。と言っても、たいがいの映画は、映画館などでの情報として知ってるのが普通なのですが、今日、観に行った映画というのは、全く情報を持っていませんでした。評判というものを知らないで、国共内戦を、今の時代に、中国映画として、どのように扱うのかという関心からだけで、そそられてしまったのです。京都でも上映されてはいるのですが、なぜだか夜には上映しない。仕方なく難波まで行ってまいりました。
 映画館は、敷島シネポップ、映画の題名は、「戦場のレクィエム」です。気になっていた「国共内戦」という部分については、特に思想性があるとは思いません。ただ、現代中国の建設に戦った人たちという意味だけで、「国共内戦」というものに意味はあります。主人公は、「国共内戦」を戦った連帯長です。この連帯長は、「国共内戦」で、部下47人全員を死なせて、自分だけ生き残ってしまいます。その生き残った者が持ち続ける悔恨が、この映画の根っこの部分です。生き残って帰ってくると、今度は、亡くなった部下たちが、全員、失踪者として処理されているために、悔恨は、一層つのります。そのために、その扱いに対して、解消を求めて動くというのが、後半部分です。ここで、この映画のおもしろさは、急に退いていきます。官僚主義的とか、それに対する批判を含めて、ここいら辺に出てくる人物は、前半、戦場に出てくる兵士と比べると、鼻を木でくくったような没個性的な人物になっていきます。最終的には、工事の関係で、遺骨が出てくるのですが、そうなると、今度は、人民解放軍のお偉方が出てきて、亡くなった人たちは、英雄となっていきます。主人公は、それに安堵感を示すのですが、ちょっと待って、そないな収束の仕方をするのだったら、映画を作る理由ってあるのかなぁって思ってしまいました。ただ、行政批判や、捨て石にした軍批判があったりと、「違う中国」というものを見せてることも確かです。結局、実在の人物の体験に基づいた映画っていう雰囲気のする映画作りがされていましたから、この映画っていうのは、現代中国に貢献した人たちが、対応のまずさなんかにより、こないなご苦労をされた方がいたんだよと、ちょうど、日本の小野田さんや横井さんを見る目線で作ってるなの感じがしました。中国の戦争映画の、今のところの地平が奈辺にあるのかということが理解できたことが、昨日の最大の収穫でした。




2009年 1月 27日(火)午後 10時 39分

 ちょっとお疲れの火曜日、昨夜、しっかりと寝れなかったことが原因なのでしょう、でも、東欧で動き回った効果は、まだ残っております。もっと弱っていても不思議ではないのに、この程度で収まっているのはありがたいと思わねばなりません。そないな夜、今日 は、谷六にあります薬業年金会館5階でありました「第138回旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。今夜は、「戦国武将列伝4」として、「続・真田昌幸〜第一次上田籠城戦〜」が読まれました。「真田三代記」に踏み込んだ内容がスタートしたようなんですが、大変残念なことに、うとうととしてしまいました。途中で、真田の誰が、誰と戦ってるのか、果ては、さっきは敵対していたはずなのに、今度は組んでしまってるとか、さしで戦っていたはずなのに、気が付くと、三すくみになってしまってるといった状態で、今夜は、完全に失敗の巻でした。やはり、自分で感じている以上に、体が悲鳴を上げているのでしょうね。一つには、昨夜の繁昌亭が、とっても長かったことに加え、落ち着かない睡眠、今日のハードな仕事、そういったものが重なり、体が、自分の感じている以上にまいっていたということなのでしょう。悔しいですね。




2009年 1月 27日(火)午前 0時 34分

 先週ののんびりした時間が、いつもの時間に戻りました。そうなると、携帯に付いている万歩計の数字が急上昇です。そないななか、今夜のお出かけは、ちょっと間の開いた繁昌亭でした。今日は、繁昌亭にとって記念すべき日。「繁昌亭夜席〜第1回上方落語台本大賞発表落語会〜」があったのです。出場者も凄いメンバーが揃いました。その番組は、表彰式(春之輔・三風)、遊方「天狗の恩返し(優秀賞)」、仁智「僕、FAします!(特別賞)」、染丸「御迎人形の恋(特別賞)」、(中入り)、あやめ「土曜の昼(選外)」、福笑「最後の勝負(優秀賞)」、三枝「天神祭(大賞)」というもので、3時間10分になる公演でした。擬古典という作品が二つ。大賞の「天神祭」と「御迎人形」です。ともに「天神祭」という課題に応えた作品。「天神祭」は、吉良と大石が、天神祭の夜、お互いに身分を隠して会い、一緒に船渡御を楽しみ、次なる遭遇が討ち入りのときという架空の物語。確かに、噂通り、天神祭について、かなり調べ上げ、その雰囲気が出ている作品かと思いますが、二人の出逢いに、もう少し物語を作らないと、着想の奇抜さでのみ成り立つ噺になってしまいそうです。「御迎人形の恋」は、天神祭を使ったロミオとジュリエット。構想は使えるネタなのですが、構造を変え、ミステリアスな噺に仕上げればと思いました。細かなボケと突っ込みを、口演では多用されていましたが、それはカット、天神さんが出てくるところも、シリアスに演じる。そないなことをしておいて、種明かししていく手法をとると、立派な擬古典になるのじゃないかな? 今日の高座で、一番湧いたのが、選外の作品。このバカバカしさには、まいりました。音曲漫才のイントロ当てクイズが、最初から最後まで続くというウルトラなマニアックネタ。また、解答者が四天王というパロディ。あまりのバカバカしさに、キャーキャー言って、喜んでいた黄紺なのです。自分的に、一番気に入ったネタは、遊方の口演で聴けたネタ。1日で1億円使わなければ、それまでの思い出を消されるからと、必死に使おうとすると、お金が増えてしまったりというドタバタなのですが、そのドタバタが、いろいろと工夫があり楽しめました。仁智のネタは、子どもが、10歳になると、自分で親を選べるという噺。それを、野球用語を、存分にはめ込み、最後は、ちょっとくささが先行してしまわないかと思える人情噺風になります。仁智のネタには登場することがない子どものネタでした。福笑のネタは、金に困った男が強盗を働くのですが、強盗に入った先が、映画監督が、昼ご飯を食べているところで、強盗の演技指導されてしまうというお話。ということで、意外性に、お口あんぐりというのは、選外になった作品だけで、全体的に、噺の世界が小さいなと感じてしまいました。




2009年 1月 25日(日)午後 11時 46分

 今日は、午後から振替なしの出勤。お出かけ前に、前日から見始めていた韓国映画、更に新しい韓国映画を観ました。またぞろ、この土日は、睡眠時間を十分にはとれなくなってしまっています。そのときにヘルプを出すのが、韓国映画のDVDというのが、今や定番化しています。まず、1本目は、「トンケの蒼い空」「 私の頭の中の消しゴム」「デイジー」のチョン・ウソン主演ということが観る動機となりました「ボーン・トゥ・キル」です。そしたら、相手役の女優さんが、「八月のクリスマス」「美術館の隣の動物園」に出ていたシム・ウナでした。びっくりです。チョン・ウソンは、映画デビュー2作目ということで、この二人の接点があったのですね。1996年の作品ですから、「美術館の隣の動物園」より古い作品となります。私は、韓国映画を観るとき、「美術館の隣の動物園」以後か以前かで、ごく大まかに判断します。エンターテイメントを考えて作られた作品で、自分的に、おもしろいかどうかの判断です。ですから、自分的には、「八月のクリスマス」はダメで、「ペパーミント・キャンディ」は良しとなっちゃうんです。となると、あまり期待をしないで見始めて、途中でも、随分と突っ込みを入れながら観ていました。「部屋に貼ってあるポスター、それ、ダサいやろ」「ハーレー乗り回してるから、カッコいいちゅうの、あかんやろ」などなど、です。筋立ても、陳腐。母親が鉄道自殺をはかったとき道連れにされるのから逃げた男、それが、チョン・ウソン扮する殺し屋キル。ところが、この男、根は優しい男。そんな男に近づいてくるのが、シム・ウナ扮するクラブで働く女。最初は、からかい半分だった女ですが、男の純なところ、優しさに惚れていきます。となることも見えてますし、そのことが、殺し屋稼業と絡み合ってくるのも見えてきますし、こういった映画は、お約束の悲しい結末でないと、観た者は居心地が悪くなるというもので、その予想通りに進んでいきました。そんななか、正直、途中まで文句をたれながら観ていた黄紺が、意外な楽しみ方があるのに気づき出したからです。90年代半ばの韓国が見れるのです。韓国に足繁く通った黄紺は、98年が境目じゃないかと思うところがあるのです。中央の消費文化が地方を征服してしまう時期がです。要するに、ソウルにしかなかったようなお店が、地方都市のいずれに行っても見かけるようになるのです。そして、韓国の豊かさが確立していく最終コーナーだと思っています。その最終コーナー手前を見ることができるのです、この映画では。ま、この映画でなくてもいいのですが、なかなかこの時期の映画は、手に入りにくいですから、その時期の映画の作り方ともども、楽しませてもらいました。
 もう一つの韓国映画は、「英語完全征服」という映画です。これは、「僕の彼女を紹介します」のチャン・ヒョクが出ているというのが、チョイスの理由です。相手役というか、主役は、こちらの方ですが、イ・ナヨンです。自分的には、初物の女優さんだと思っていましたら、「私たちの幸せな時間」で、カン・ドンウォンの相手役を務めた女優さんなんですね。何をしてもドジで、恋もままならない公務員の女の子が、英語教室に通わなければならなくなり、そこで出会った靴屋の店員さんと、恋が芽生えるというお話。女の子の方が熱を上げ、アタックを繰り返すのですが、なかなか思い通りにはいきません。でも、次第に。何かとどんくさくておもしろい女の子に、男の方も関心を持ってくるのですが、そこで困ったことが。男が、なんで英語教室に通っているかということ。実は、男には生き別れた妹がアメリカにおり、英語しかしゃべれない妹が韓国に来るからということだったのですが、女の子の方が、それを、男の彼女だと思いこんだところから、ドタバタの中で終息に向かいます。映画の画像にアニメを重ねて、コミカルな映像を作ったりして、映画のタッチの盛り上げをしたりで、軽いノリで楽しめる映画です。「僕かの」を意識してか、愛の告白は、地下鉄の中でです。そして、シンデレラのガラスの靴ならず、赤い靴を、女の子の足に履かせて、愛の告白をします。いかにも、韓国映画らしい名場面好きです。ここまでやられると、そのくささに吹き出してしまいます。
 昼間は、職場にいましたので、今日のお出かけは、平日同様、夜だけ。ほとんど乗らない中之島線に乗り、終点の中之島駅で降りて、徒歩で約5分のところにあります本遇寺というお寺で続けられています「第44回名探偵ナンコ〜よみがえれ!探偵講談〜」という講談会に行ってまいりました。中之島線が開通し、行きやすくなったと喜んでいたのですが、なんと、この会は、今日で終わってしまうのです。探偵講談という、上方の講談師さんでは、誰も手がけないことに手を着け、講談に、そういったジャンルがあるということを知らしめた功績は、とても大きなものがあると思います。で、今日の番組は、南湖「蠅男」、駿之介「村越茂助、誉の使者」、南湖「魔術師」、(中入り)、南湖「双子の犯罪」、南湖・芦辺拓「対談」というもので、最終回ということで、今まで手がけた探偵講談で、何度も高座にかけてきた二つと、この2月に1週間の続き読みに予定している初代快楽亭ブラック作品の冒頭部分を披露してくれました。最終回にふさわしい番組だったと言えるでしょう。探偵講談は、ミステリーを取り扱いますが、精緻を極めるものではありません。殺人プロットの斬新さ、殺人の動機の合理性など、推理小説が成立する要件を期待すると、失望する場合も出てくるというものです。一時代も二時代も前の古風な雰囲気、それは、描かれる世界ばかりか、捜査法や犯人追求の合理性にまで敷衍させて古風な雰囲気を楽しむものと思っています。我々が、よく知る世界で言えば、明智小五郎に怪人20面相の世界です。正に、今日取り上げたものは、全て、こういった楽しみ方をして、おもしろいと思えてくるんじゃないかな? 「蠅男」なんてのは、この了解がないと、腹が立ってくるかもしれません。「魔術師」での、明智の脱出も、そうでしょう。「魔術師」は、話半ばで終わったので、ぜひ続きを聴きたくなりますね。「双子の犯罪」は、フランス革命時のイギリスへの亡命貴族が主人公みたいです。2月の続き読みが楽しみです。今日は、盛りだくさんな日で、堺に余興の仕事に来ていた田辺駿之介が特別出演。一鶴門下ということですが、扇をたたくときのタイミングの取り方、一段と高い声に上げる手法が、あまりに一鶴テイスト満載で、びっくりでした。




2009年 1月 24日(土)午後 10時 35分

 今日は、「だんだん」の1週間総集編を観終わった途端、お出かけ。でも、それは、黄紺のミステイク。いろんな都合のいい時間を、朝から調べておきながら、10分遅れてしまいました。「だんだん」を最後まで観ていては、あまりにもせわしなくなるので、ダメだったのです。今日は、まず12時半から上映開始の映画を観ることにしていたのです。場所は、中崎町の「Planet+1」。観たのは、中国のインディー系のドキュメンタリー映画「鳳凰橋を離れて」でした。地方から北京に出てきて、僅かな時給で働く若い女の子たちを追いかけたものです。監督も、女性ということもあり、打ち解けるまでに、時間は要したようなのですが、取材の対象となった女の子たちが、自分たちの考え、生き方を率直に表現したものになっています。故郷では、貧困や、地縁・血縁の者たちのしばりのような中で生きにくいのに対し、北京では、劣悪な住居に住みながら、しかもきつい仕事をしながらも、田舎では味わえない自由闊達な生活を体験しています。自由と言っても、地縁・血縁の者の監視から離れているという程度のものなのですが、それなりの青春を送っています。と同時に、いつまでも、そ のような生活を続けられるものでもないということも承知しています。田舎から町に出る居住証明書を手に入れらるならば帰郷をしたいと思っていますし、好条件の結婚話があると、心が動きます。報道とかでは聞いたことのある都市への出稼ぎ、都市への移動証明ないしは居住証明書、農村の貧しさ、カメラを回す監督自身も、北京に、このようなところがあったのかと驚嘆しています。問題意識が明確で、真摯に生きる登場人物たちに対する優しい目を感じる映像。一番追いかけた女の子の、自らの置かれている位置を、的確に捉える利発さに驚くばかりです。昨夜、寝不足であったため、途中、居眠りをしてしまったのが惜しまれる佳作です。
 映画が終わりますと、中崎町から日本橋に移動。今日も、時間調整のために、地下鉄日本橋駅上のネットカフェで、45分ほど。今日は、文楽を観る日だったのです。今日の夜の部の番組は、「花競四季寿〜万才・海女・関寺小町・鷺娘〜」「増補忠臣蔵〜本蔵下屋敷の段〜」「夕霧 伊左衛門曲輪文章〜吉田屋の段〜」というものでした。「花競四季寿」は、新春を寿ぐ祝言曲。春夏秋冬の四部に分かれています。本調子のテンポのいい音楽は、どうもなじめない黄紺なのですが、調子が変わって、三下がりになるとついていけるのです。ということで、春夏秋冬の中では、秋の卒塔婆小町が、一のお気に入りです。春の万才や冬の鷺娘は、そういった意味で自分的にはダメですね。「増補忠臣蔵」は、松の廊下で判官を、後ろから抱き止めた加古川本蔵の苦悩がテーマの物語。賄賂を渡し、主君の刃傷を事前に止めたという苦悩も合わせ持つ本蔵は、本来なら、自分が刃傷に及んでいたはずという主君からも嫌われているはずという思い込みで、ストーリーは展開するのですが、どんでん返しが待っています。忠義を追求すると、ここまでに至るものかという物語ですが、文楽にある突飛な忠義物語に比べると、この物語は、我々にも分かりやすいですね。そして、本蔵への主君の惜別の言葉がいいですね。「自分は忠義の家来を失うのがつらいが、その忠義は、今度会うときに果たしてくれ」と言います。つまり、あの世でも会おう。そして、あの世でも、おまえに会いたいというメッセージです。本日一番の名台詞でした。ただ、最後になって、急に冗長になる作品です。「曲輪文章」は、伊左衛門と夕霧が会ってからの、素直じゃないじゃらつきの感性に、全くついていけませんでした。この間、文楽をわりかし観てきましたが、こういったしょーもないじゃらつきっていうのなかったです。ちょっと閉口してしまいました。序盤の正月の風景なんか、この段の序として楽しませてもらえたのに、残念です。とまあ、昼間の映画、夕方からの文楽と、ちょっと風変わりな二本立てになりましたが、今日は、残念ながら、昨夜の寝不足に悩まされた1日でもありました。映画でも文楽でも、ふっ、ふっと、途中に、短時間ずつ、但し数回ずつ飛んでしまっ てるところがあるのです。悔しいですね。




2009年 1月 24日(土)午前 0時 37分

 いよいよ、のんびりとした1週間が過ぎ去ろうとしています。でも、今日は、1日パソコンと格闘の日でした。とっても大切なパソコンの仕事をしなければならなくなったために、今まで使ってきたソフトが、このあとも使えるかどうかなどという点検作業をしておりました。普段やりなれないことは、あまりやるべきではありません。要領が悪いのを自覚できますから、ストレスはたまるわ、目はちらつくわで、決していいことはありません。
 そんなで、普段通り職場を出ますと、夜遊びには、若干早め。日本橋のネットカフェで、30分ほど時間調整。そこから歩いて10分ほどのところにあります「in→dependent theatre 2nd」が、今夜の行き先でした。今夜は、芝居を観る夜だったのです。今日、見に行きましたのは、「化石オートバイ」という劇団なのですが、この劇団についての予備知識は、全く持っていません。大阪の劇団でおもしろい劇団を探そうというコンセプトで、この劇団を選びました。その選ぶときの目安にしていますのは、小劇団に属する役者さんで、知られた役者さんが出ているかどうかです。人気の役者さんは、いろんな劇団から客演の要請が来ます。その人たちが出る劇団、今日の場合など、そういった役者さんが複数出るというのですから、一定の評価を、仲間内でも得ているんだろうということでチョイスをしたというわけです。そして、今日は、その考え方が、大当たりの日だったと言えます。最近、再び芝居を見始めて、要マークのトップに置いてもいいなと思えるのは、この「化石オートバイ」と「デス電所」だと思います。「Sunnday」なんかよりはおもしろいと思いました。で、今日の芝居は、「さらば双子の金星の人よ」というもの。芝居が始まっても、何がなんだかわかりません。金星探査機の中が出てくるかと思うと、怪しげなイリュージョンを売り物にする見せ物師が出てきます。弱々しい相撲とりやガンマンも出てきます。もっと出てくるのですが、芝居を進めていく上で登場してくるプロットが、次から次へとばらまかれていきます。客は、目を白黒させながら、なんとかついていこうとするのですが、かなりハード。黄紺などは、理解しようとしたって、どだい無理だと、風を浴びるように、壁となって浴びていました。すると、探査機の中のお馬鹿な会話、一方で、わりかしレトロな風景が続いたり、これが心地よいのです。無論、レトロな雰囲気を出そうとしているのは、最後の方でわけが判る仕掛けにもなっていますから、設定的に必要なのですが、それが、浴びていますと、仮構の世界へと、どんどんと引き込んでいってくれます。そして、やがて、それらが徐々に収束していくのが、時間が経つにつれ判ってきます。金星という存在を、地球的生き方を相対化する存在として位置づけ、そういった金星と地球人という対比を、地球上での戦いとして類比的に描いていっていたのです。最後、それを判らせるために、二つの場面を重ねるかのような表現をとったのは、ちょっとくさいやないかとは思いましたが、全体を損なうなんていう筋合いのものではありませんでした。そんなで、いい劇団見っけの気分で、要マークです。




2009年 1月 23日(金)午前 6時 38分

 昨日も、一昨日同様、時間休を取って、2時頃に職場を離れ、梅田へ映画を観に行ってまいりました。昨日の映画は、ファーティフ・アクン監督の映画ですから、絶対に観なければならない映画です。前後の時間を考えて、一昨日は、がっくりの香港映画を観たというわけです。「そして、私たちは愛に帰る」というのが、その映画の題名です。映画館は、テアトル梅田です。なかなか味わいのある映画です。ファーティフ・アクンは、自分のアイデンティティを、映画で追求していく監督ですから、今回も、同様のテーマ、しかも、親と子、その間に行き交うトルコとドイツというのが、この映画の主軸をなしていました。登場人物は、二つのユニットに、大きく分かれ、そして、その二つのユニットが、微妙に触れ合い、しかし、決して本質的なところでというか、映画を観ている者が期待させられるところでは、最後まで交わらないで終わる映画ですが、早晩、交わるのでしょうね。この先、交わらない方が、不自然ですものね。一つのユニットは、ブレーメンに住む爺さん組です。息子は、大学教授、その息子は、爺さんが、過って殺した娼婦の娘探しに、イスタンブルに飛び、そこで、本屋を始めます。一方、探されている娘は、クルド人の運動に関わり、身を潜めるために、ブレーメンにやって来て、先ほどの息子が教鞭をとっている大学に行ったとき、ドイツ人の大学生と知り合い、家に泊めてもらうことになります。そして、その母親とも知り合うようになるのですが、こちらは、こちらで動きますので、これを、もう一つのユニットに数えました。この映画では、それぞれのユニットから、一人ずつ死者が出ます。そのたびに、誰かが、トルコとドイツの間を移動します。前者方では、息子がイスタンブルに渡り、また、父親も、ラスト間近で、強制送還という形でですが、トルコに渡ります。後者では、亡くなったドイツ人の母親が、娘にやろうとしていたことは、実は、30年前の自分を見ているようだと、その娘の足跡を訪ね、且つ、今や強制送還後収監されているクルド人の女、即ち、亡くなった娘がかくまっていた女であり、最初に亡くなった娼婦の娘を救出するのに奔走します。幾つかの親子が出てきます。娼婦を家に入れる爺さんと大学教授の息子、亡くなった娼婦と活動家の娘というクルド人親子、そして、ドイツ人の母親と亡くなってしまう娘。娼婦は、娘に教育を受けさせるために売春をしています。娘はドイツに来て懸命に母親を探します。ドイツ人の母親は、得体の知れない女をかくまうことに否定的ですが、実は、そこに自分の若き姿を投影してました。それが、イスタンブル行きとなり、激しい慟哭となります。そして、最後には、救出したクルド人の娘との間に、疑似親子関係を想起させるような余韻を残します。本屋になっていた男は、イスタンブル入りしていたドイツ人の母親から犠牲祭の話をしていたなかから、昔、父親が語った子どもにかける深い愛の言葉を思い出し、トラブゾンまで、車で、訪ねていきます。日本語の題名の如き収束に向かっていくのですが、そういった言葉では表しにくい深い心持ちが、この映画にはあるっていう感じです。原題は「向こう側で」という意味合いのドイツ語でしたが、どちらから見た言葉なんでしょうか、いやお互いなのでしょうか。
 映画を観たあと、大急ぎで、難波に移動。夜の講談会の開演時間まで、50分でした。ワッハの4階で、「第364回上方講談を聞く会」があったのです。昨日の番組は、南舟「左甚五郎委旅日記〜猫餅の由来〜」、南湖「赤穂義士銘々伝〜大高源吾〜」、南北「柳田格之進」、南鱗「太閤記〜太閤と易者〜」でした。南舟は、この会で、初めて番組に、名前を入れてもらえた記念の会。「頑張れよ」の声までもらっていましたが、緊張したのでしょう、珍しく途中で詰まりかけたり、内容で粗語をきたすような感じになっていました。南湖は、自分の会で披露した「大高源吾」の後半部分。討ち入り前夜に、宝井其角と合い、句を交換したあと、其角が、その句の意味に奔走するというもの。なかなか味わいの深いものです。昨日の白眉は、南北さん。40分にわたる口演、しみじみと生真面目な侍が、疑いをかけられ、それに悩み、苦しむ姿を表してくれました。こういった話は、南北さんの語りに尽きますね。南鱗は、相変わらず有名ネタの口演。秀吉と易者が、お互いの人相を見て、将来を予想しあい、後年、再会するという話。明智光秀討ちの直前の話です。そんなで、昨日の山は、南湖・南北と続いた半ばでした。いい話です、この二つ。




2009年 1月 21日(水)午後 11時 22分

 今日は、仕事が少なかったもので、時間休をとり、2時には、職場を離れていました。夜は、落語会に行くことを考えていましたから、昼間に、目を付けていた映画を観に行きました。行き先は、十三の七芸。香港映画「エグザイル」を観に行ったのでした。予告編なんかを観て、その気になったのですが、内容的には、先日、DVDで観た韓国映画「友よ、チング」のようなものを想像していました。それに、香港ギャングの抗争がからみ、エンタメ・テイスト満開なんて図を、一人で描いていました。が、なんです。しょーもないのです。序盤、軽く寝てしまったのですが、筋立て把握には困らない映画だったのです。同郷の者たちの絆が、まず大前提で、その者たちは、それぞれ異なった思惑を持っているのですが、絆を大切にして、大きな組織と戦っていきます。単に、それの繰り返しです。ドンパチ拳銃をぶっ放す場面が、従って多いのですが、それに、監督の独特の美学を感じることは感じます。パンフレットに、まるでバレエのシーンのようという表現が用いられていましたが、宣伝文句に留めておくには、もったいない形容法です。坂の上のビルでの抗争シーンも、同様の美学を感じます。また、街並みが、香港にはちょっとなじまないと思っていましたら、マカオなんですね。それで納得ですし、ポルトガル的雰囲気を味わえ、これにも、監督の美意識が作用しているのでしょうね。そういったところを見る映画なら、そういう映画だって言っておいて欲しいなぁ、ったくっていうところです。
 十三から梅田へ逆戻りをして、夜は、東梅田での落語会に向かいました。今日は、東梅田教会で、「第109回 まるまる出丸の会」があったのです。最近、ちょっとご無沙汰の会。半年ぶりくらいになるでしょうか。今日は、前の二つのネタが狙いなのです。小ぶりだけど、なかなか出ない方のネタ。と言いましても、「正月丁稚」は、先日聴いたところなんですが。米朝系で、このネタを聴いておきたかったのです。で、本日の番組、ちょうば「明石飛脚」、出丸「正月丁稚」、文華「打飼盗人」、出丸「住吉駕籠」というものでした。「明石飛脚」は、小拙に毛が生えた程度の小品。こうやって、一つの噺としてネタ出しをして演じられることは、めったにないですね。黄紺も、米朝が、何やら他の噺に入るマクラとしてしゃべったのは聴いたことはありましたが、別立てで、ネタ出しをされたのは、未経験じゃないかなぁ。「正月丁稚」、やはり、田辺寄席で聴いた小つるのものと、微妙に違います。くすぐりが多めで、タイミングが、うまく図られていると思いました。小つるの口演が金春流なら、出丸のそれは、洗練された観世流の味わいです。文華は、「繁昌亭大賞爆笑賞受賞」に関して、「爆笑」にひっかけからかわれることが多くなったと、ひとくさりぼやきトークをマクラに。人のいい盗人と店の主とのやりとり、薄暗いローソクの明かりの中でやってるかと思うと、余計におかしくなっちゃいます。「住吉駕籠」では、早々とダウンをしてしまい、もったいない話です。ただ、最後までは行かず、酔っ払いが、ゲロゲロしたところで切り上げました。出丸なら、「住吉駕籠」を出したら、最近、なかなかやってくれない最後の部分まで入ってくれるのではの期待は、あえなく崩れました。




2009年 1月 21日(水)午前 0時 43分

 今朝は、早く目が覚めてしまい、出勤までに、韓国映画を1本観てしまいました。今回も、ペ・ドゥナもので、共演者が、「デイジー」「氷雨」「美術館の隣の動物園」「風の伝説」のイ・ソンジェです。監督は、ポン・ジュノ。この作品のあとに、「殺人の追憶」「グエムル 漢江の怪物」という作品を世に出している監督です。これは、2000年の作品ですから、ペ・ドゥナは20歳丁度のときの作品となります。ペ・ドゥナは、主役というより、準主役という感じ。主役は、大学教授になりたいのですが、世渡りが下手で、未だなれない男を演じるイ・ソンジェの方です。この男が住んでいるマンションでは犬を飼ってはいけないのに飼っている人が多い。また、その男は、犬の鳴き声が嫌いで、犬を物置に閉じ込めたり、また、マンションの屋上から放り投げたりする。かなりブラックなところであります。また、マンションの地下では、管理人が、犬をさばいて鍋にしていたりと、ブラックな場面が続いていきます。そのマンションの管理人事務所で働いているのが、ペ・ドゥナ。彼女は、いなくなった犬を飼い主と一緒に探したり、犯人、即ち、イ・ソンジェの演じる男なのですが、その男を捕まえる寸前までいったりしています。話の雰囲気が、ゴロッと変わり出すのが、男の妻が、犬を飼いだしたところから。世話を頼まれた夫が、散歩をさせているとき見失ってしまい、そのことを妻に伝えたとき、初めて妻が犬を飼いだしたわけを知り、かつては、犬殺しをしてまでも犬を嫌っていた男が、犬探しを求めるチラシを張り出したりと、大変貌を見せていきます。その犬探しを手伝い、ついには、犬鍋にされる直前の犬を探し出してしまうのが、ペ・ドゥナ扮する女の子。二人は、かつては追いかけた方、また、追いかけられた方。ラストで、そのことを、男は伝えるのですが、ペ・ドゥナ扮する女の子はわかっているのか、わかっていないのか、判然としたものを、映画は示さないで終わります。犬鍋は、ブラックであって、韓国では、そうじゃないのかもしれません、映画を観る人にとっては。人の飼い犬までもさばいて食べる男は、食い意地のはった下卑た、いやいや、滑稽な存在なのかもしれません。そういった犬に、特別な思い入れを見せる人間の悲喜こもごもを笑い飛ばそうというものなのかもしれません。また、妻のちょっとした告白でもって、容易く嗜好を変えてしまえる人間のおかしさ、愚かさのようなものを描きたかったのかと、そないなことも想像できます。そのように不確かな人間が出てくる中で、ペ・ドゥナ扮する女の子は、分かりやすい考え方、感じ方では、一番です。ネイチャー・ガールっていうところで、最も、人間の純で素直な感情を代弁してくれているようです。そういった意味で、魅力的な、そして印象に残るキャラです。この役も、この人に合ってるなと思えました。そういった、自らの個性を、うまい具合に引き出してもらえる映画に、ペ・ドゥナという女優さんは、出続けることができてるなという印象です。どれをとっても、大きな過不足がありません。
 そして、本日のお楽しみは、講談会です。これから月末にかけて、わりかしいい講談の会が待ち受けてくれています。落語会に比べて、希少性は高いものですから、最近では、講談の会を優先して、足を運ぶようになっています。今晩は、「北区民センター」でありました月例の「第174回天満講談席」です。こちらで会がありますと、環状線天満駅近くにあります「すき家」で、晩ご飯を食べるのが恒例になっています。黄紺は、牛丼専門店では、この店でしか食べません。お味が、自分の舌に、一番合っているのです。それは、ま、いいとして、本日の番組は、南舟「谷風の七善行〜三河屋幸吉〜」、南青「太閤記〜大助駿府の使者〜」、南湖「赤穂義士銘々伝大高源吾〜水沼久大夫の腹切魚〜」、南華「復讐奇譚安積沼」、南北「力士と行司の娘」というものでした。南舟は、今回も、前講扱い。黄紺が、開演15分前に着くと、もう、佳境に入っていました。乱暴者幸吉を、谷風が戒め、親孝行をするようにするという解りやすい話です。以前、南青くんが出したとき、単調な話と書いてしまった記憶があります。確かにそうですが、ここは一つ、南舟の出来を評価するべきでしょう。どんどんメリハリがついていきますね。素晴らしいことです。南青のネタが、わりかしずしりとくる中味。時間は、マクラを入れても32分だったのですが、ほとんど、切られて死ぬることが解っているにも拘わらず、幸村の息子が、使者として家康のもとを訪れるというもの。駿府城に入ってからの緊張、そして、一旦刀を抜いたときからの迫力、もう言うことなしです。「すげぇ〜」と、南青くんが降りた途端、声を出さないで叫んでいました。南湖のネタは、先日、南湖の会で聴いたもの。前も泣き、今回も、解っているのですが、涙が滲んでしまいました。義兄が手を離そうとしない場面になると、降参です。南華のネタも、自身の会で、続き読みをしているものからの、いいところ取りなんでしょうね、殺人容疑をかけられた男が、なんとか疑いが晴れるまでを描いたもの。最近、南華の会には行けていませんので、丁度いいタイミングで、こうやって聴けています。南北の話は、不知火型土俵入りの基を作った不知火が、大阪出身だということで、東京だけではなく、大阪でも相撲をとっていたときのお話。その不知火が、1度だけ負けるのですが、そのときの相手は、格下の大阪相撲の大関だったのですが、その力士は、元は江戸相撲から逐電してきた男。それは、行司の娘とできてしまったためだったのですが、その行司の娘、今は女房から、不知火の弱点を教えてもらい、不知火に勝てたという話。そないにおもしろい話ではありませんでした。ネタ的には、前の二つで、胸キュンにさせられたあと、徐々にゆる〜いネタに入っていったっていうところでした。それが、番組の妙というところなのでしょう。




2009年 1月 19日(月)午後 11時 3分

 今朝から、熱っぽい状態は変わらず。体のふしぶしも痛く、辛いものがありますから、お昼ご飯を食べに外出した際に、風邪薬を買ってまいりました。おかげで、午後は、だいぶと楽になりました。今夜も、繁昌亭です。今日は、「繁昌亭夜席〜第3回繁昌亭大賞発表会〜」。ここまで、この発表会皆勤です。本日の番組は、まず表彰式が、司会(三風)挨拶(三枝)で行われたあと、受賞者の高座に移りました。輝き賞の吉坊「寄合酒」、創作賞の三金「デブのお肉に恋してる」、前回大賞の染二「替り目」、(中入り)、爆笑受の文華「池田の猪飼い」、奨励賞の銀瓶「胴乱の幸助」というものでした。今回大賞の吉弥は、前回に続いて高座はなし。今回は、表彰式には顔を出しました。ネットで調べてみますと、吉弥は、大阪の南の方での小ぶりの会に出演が決まってました。吉坊のこのネタ、まだ入門間もない頃、東山の金毘羅さんで聴いたような、、、。もっちゃり言葉と、いい間合いが心地良いものがあります。デフォルメ一切なし、いやむしろくすぐりも抑え気味の正統派です。吉坊曰く、「コンクールは嫌いなもんで、周りから表彰されるのはありがたいです」、確かにコンクール系の催しで、吉坊の名前は見ませんね。三金は、このときばかりに、デブキャラを売り込んでいましたし、ネタも、当然奥野くんシリーズ。このネタの達者なところは、付き合っている二人の会話を、最後で、ようやく登場させるところ。そこまでは、全て付き合ってる二人の内の一人と、その友だちの会話としてあるところ。奥野くんシリーズは、いずれも、水準を保ってるネタと思っていますが、なかでもいいネタの一つじゃないかな。染二は、吉弥の代演という立場。意外なネタが出たものです。一つには、既に「寄合酒」が出ているから、もう一つは、染二だからです。今日の染二の立場からすると、何を出すのだろうと思っていたのですが、こういったネタできたかっていう感じで、出されてみると、存外納得なのです。そして、出来のいい「替り目」でしたので、ちょっと得した感じにもなりました。最初からテンションの高い酔い方をしますので、また、その酔っ払いの言葉に、常には出ないオリジナルな言葉が入ったりするものですから、結構楽しませてもらえるのですが、中ほどになってきますと、聴いている方が息切れ状態。婚礼に参列した話をするくだりなどは、逆に食傷気味になってしまいました。文華も、意外なと思ってしまったネタ選びでした。割り当てられた時間が迫ってきていたからでしょうか、池田に入ったあたりから、ちょっとはしょり気味になりました。「爆笑賞」なんてのをもらったので、「近日息子」あたりを出すものと、勝手に思っていました。出来は申し分ないもの。テンポがいいですね。リズム感があります。そして、本日の秀逸は、お見事な「胴乱の幸助」。銀瓶のネタは、なぜだか、これか、「崇徳院」と決めていました。部分的には、体のバランスや、台詞回しに疑問な部分もあることはあるのですが、何がいいかといいますと、噺の展開に、見事に乗っかっていることです。特別なくすぐりを多発するわけではなく、演者の眼差しのようなものを、ふしぶしの表現に感じるのです。稽古屋で、幸助が、もめ事を止めに行こうと言い出すと、客と同様、演者も、「これ、京都に行ってもらったらおもろなるでぇ」という眼差しを感じるのです。変化が大きなネタ、そういった箇所が、いくつかあるなかで、そういった眼差しを感じながら聴いていました。見事に、聴く者を、落語の世界に引き込んだものでした。銀瓶の「胴乱の幸助」は、2度目かな? 以前聴いた印象と、全然違いました。見事な「胴乱の幸助」でした。




2009年 1月 18日(日)午後 10時 58分

 週末の夜中というか、もう明け方、眠れなくて、借りてきてありました韓国映画を、1本観ました。今回も、ペ・ドゥナものです。「春の日のクマは好きですか」という、いかにも韓国映画らしい名前が付いています。今回のペ・ドゥナは、スーパーの店員さん。ごく普通の女の子で、素敵な恋を夢見てはいるのですが、不器用というか、子どもが、そのまま大きくなったようなところがあるため、恋愛の対象には見てはもらえません。ある日、売れない小説家の父親に頼まれ、図書館に本を借りに行って、美術全集に、誰かへのメッセージが書き込まれていたり、挟み込まれているのに気づきますが、自分のアイテムや行動を押さえた上で書いてあると思い込んだペ・ドゥナ扮する女の子は、その誰か判らない男こそが、自分が待ち望んでいた男だと思い込みます。一方、幼なじみの男が、ペ・ドゥナを追いかけてソウルまでやってくるのですが、ペ・ドゥナは、子どもの部分がありますから、男の気持ちを理解できません。やがて、美術書の一つに日時が書かれてあるのを見つけ、その時刻に行っても、ペ・ドゥナの元には、誰も現れません。メッセージを書いた男は、ペ・ドゥナを目指してくるわけではありませんから、現れるわがないのです。落ち込むペ・ドゥナ、そういったときに、ペ・ドゥナを追いかけてきた幼なじみが、ソウルを離れると知ったペ・ドゥナは、、、。映画を観ている者には、別に誰でもいいけど、ペ・ドゥナを求めてのメッセージじゃないことは分かりますので、関心は、幼なじみとの関係です。それも、そんなに大きな変化がありそうじゃありませんから、この映画は、やっぱりペ・ドゥナを観る映画です。こんなん、周りに一匹いたらおもろいやろなと、ペ・ドゥナの映画を観るたびに思ってしまいます。
 どうやら、風邪をひいたようで、熱があるようです。韓国映画を観ている頃から、ちょっと感じだしていたことです。そんななか、今日は、午前中振り替えなしの出勤。その時間が終わりましたら、速攻で、職場を離れました。今日は、繁昌亭の昼席です。繁昌亭では、昨日から、米団治襲名披露興行が始まっております。地下鉄天満橋駅の階段を降りて行くと、上から、私を呼ぶ声。前の職場の同僚でした。「繁昌亭、行かはるんでしょ」と、この拙文を覗いてくださってるので、行き先は、ズバリと当てられてしまいました。時間がないかもと、慌てながら、南森町の松屋で、カレーライス、これが、一番短時間で、食事をとれます。おかげで、時間は、十分間に合いました。今日の番組は、吉の丞「刻うどん」、あさ吉「犬の目」、米左「桃太郎」、米平「立体紙芝居:西遊記」、春之輔「お玉牛」、八方「稽古屋」、(中入り)、米団治・米朝・八方・春之輔・都丸・米左「口上」、翁家勝丸「太神楽」、都丸「読者の時間」、米団治「地獄八景亡者戯」というものになりました。ほとんど米朝一門で出番が組まれた今日の番組、前半は、各自小さめ、ないしは定番ネタが続きましたが、お得感があったのが、八方の「稽古屋」。最近、よく出しているという情報を持っていたのですが、稽古屋の場面を、どのようにしているのか、気になっていたのです。色事根問の四芸から入り、子どものお稽古が終わったところにやってきたという設定で、前半の踊りの場面はなしにしましたので、なんもなしにするのかと、一瞬思ったのですが、替わりに、黒田節を膝立ち状態で舞い、その後、長唄を一節披露しました。二つ新たなものを入れ、稽古屋の芸を見せてくれました。それから、下げに至る本を渡し、常の流れに戻りました。稽古屋の、ちょっと色っぽい雰囲気はありませんでしたが、なんとか体裁を保ち、あとは、八方の話芸で楽しませてくれました。翁家勝丸は、東京からの来演。五段茶碗の芸を見せてくれる方です。都丸も、色替わりに程よい三枝作品。主役は、米団治であることを心得ています。で、米団治は、まさかの「地獄」。始まったのが、3時42分。それから、ほぼ40分の口演。ところどころを省きながら、うまく流れていますから、初めての試みっていう感じではないのでしょうね、このショートカット版。省かれたのは、渡船場、念仏屋、地獄通りは適当にはしょり、閻魔の庁前の群集たちのざわめき、一芸、そんなものかな? 軽く発熱をしているもので、暖房で、頭がぼーっとしながら聴いておりました。口舌爽やかすぎて、まったり感がなく、いつも満足感の足りない米団治の口演は、今日の黄紺には良かったみたいです。ぼーっとしながらも、展開を把握できていました。今日は、ひょっとしたらの気分だったのですが、米朝が、向上に並びました。昨日、かみなり亭で、仁扇が、米朝が向上に並んだという情報をもらっていましたので、ひょっとしたらの気持ちと、初日だけかもという気持ちで揺れていましたが、出てくれました。自分的には、繁昌亭米朝初体験です。昨日だったら、春団治とのツーショットが見れたのですね。
 南森町から日本橋へ移動。30分ほど、時間的余裕があったので、トリイホール近くのネットカフェで、時間調整。そして、これも、おなじみトリイホール前の天丼屋さんで、晩ご飯。今日は、昼と夜の二部構成で、「柳亭市馬・柳家喬太郎 二人会〜二人のビッグショーin大阪vol.7〜」が、トリイホールであったのです。吉坊「軽業」、市馬「一目上がり」、喬太郎「牡丹灯籠〜発端・本郷刀屋〜」、(中入り)、喬太郎「初天神」、市馬「富久」という番組でした。どうも、ぼーっとしているというのが続いていていけません。特に、今日は、市馬のペースが、今日の黄紺の体調に合わなかったみたいです。喬太郎は、何を言い出すか分からないという緊張感があるのでしょうか、こちらは、ぼーっとしているのが解けるのですが。「牡丹灯籠」も、刀屋の前で、酔っ払いの侍に因縁をつけられ、我慢の限界を越えたところで、切り刻むというだけの噺でした。「初天神」は、喬太郎の口演では初めてですが、こないな風に料理するんだということが分かれば、それで十分という料理の仕方でした。子どもが、要するに、何かを買って欲しいんだけど、そのふりや内面とかを、多方面から切り込んでいきます。喬太郎らしいと言えば喬太郎らしいんだけど、これでもかこれでもかっていう感じなので、一度で十分なのです。今日、市馬の口演で、ぼーっととしていたのは、自分の体調のためだけだろうかと思っている部分があります。ぼーっとしていたから、無責任なことは書けないのですが、「富久」でも、久兵衛のかしこまり方や、自分の家の火事への頓着の度合いとか、あのくらいでいいのかなと、ぼーっとしているなか考えていたことは事実なのです。他の方は、どのように把握されていたのかな? ネット上で、今日の口演を、どのように受け取ってるのか、ちょっと探検したい気分です。




2009年 1月 17日(土)午後 10時 45分

 この週末は、完全落語三昧の予定を立てました。まず、今日の昼の部は、ぜんざいに「立ち切れ」が付いてるっていう感じで、田辺寄席をチョイス。地域寄席の代表格田辺寄席は、12月には、名代の大根汁、そして、この1月席には、ぜんざいが、中入りに振る舞われるのです。本日昼席の番組は、智之介「三人旅」、喬楽「天災」、文太「立ち切れ線香、」、(中入り)、岐代松「初天神」、小つる「正月丁稚」でした。中トリに、大ネタを持ってきて、トリには、小ぶりの季節ネタという組み合わせの番組。ところが、冒頭の二つでダウン。会場の温もりが心地よく、「三人旅」の半ばから、意識喪失です。ですが、「立ち切れ線香」では、しっかりと再生。しかし、基本的に、文太の「立ち切れ」には乗れないのですが、今日も、以前聴いたときと同じ感想を持ってしまいました。要するに、若旦那に若さが感じられないのです。冒頭で、丁稚から聞きだす部分、親戚ご一同の前で怒る部分、最後にお茶屋を訪ねて行く部分、どこと言わず、若さがないものですから、噺が流れてしまうのです。ですから、自分的には、ぜんざいに「立ち切れ」が付いてきたとなるのです。岐代松は、マクラで骨折報告。新たに、右腕を骨折だとか。これも、大腿骨骨折の後遺症とか。大変です。高座を務める回数は、自ずと減っているからでしょうね、決して口舌爽やかとは言えませんでした。ネタは、みたらし屋の冷やかしまででしたが、高座が終わってから立ち上がるのが、まだ造作がかかっていました。骨がくっつくまでに、1年2ヶ月かかったと言ってましたから。今日の口演で、一番気にいったのが、トリの小つる。なかなか季節限定ネタであり、且つ、民俗学的資料にもなりそうなネタだけに、最近の若手は手がけないため、最近では遭遇する機会の減っているネタ。季節的には、ホント、ビンポイント・ネタなので、久しぶりかな? 定吉が、もうちょっと小まっしゃくれた方が、また、旦さんの位が、もう少し上がった方が、おもしろさは上がったかもと思いますが、ちょっとしたくすぐりが入るときの間合いがいいのでしょうね、とっても聴いていて楽しい口演でした。
 田辺寄席がはねると、地下鉄谷町線の田辺駅から日本橋駅へ移動。時間調整のために、ネットカフェに行ったのです。田辺界隈や、夜の部の会場がある谷六には、ネットカフェがありそうじゃありませんから。田辺寄席で、餅入りぜんざいをいただいたため、晩ご飯は、コンビニのパンとおむすびで済ませました。夜の部は、久しぶりに薬業年金会館でありました「第124回なにわばなし かみなり亭〜笑福亭仁鶴一門勉強会〜」に行ってまいりました。番組は、智之介「初天神」、仁勇「牛の丸薬」、仁智「ヘイ!タクシー」、仁扇「池田の猪飼い」というもので、目玉なのは、仁智であることは言うまでもないことなんですが、最近出ない「牛の丸薬」が聴けるのが魅力の番組でした。「初天神」は、季節柄、昼の田辺寄席と連続して聴くことになりました。口舌爽やかでなかった岐代松に比べて、かなり明瞭、そして溌剌とした口演に、聴く立場としても、落ち着いて聴くことができました。マジックのときのすっとぼけた物言いで、客の掴み方なども学習したのでしょうか、智之介の口演は、最近の楽しみの一つになっています。この口演も、みたらし屋まで。但し、女郎屋さんのくだりはカットされていました。「牛の丸薬」は聴きながら、内容を思い出していました。明確な語り口調で、とっても分かりやすい口演。ただ、このネタに欲しい田舎くさい雰囲気を意識して欲しかったなと思いました。仁勇自身も言ってましたが、詐欺の噺ですから後味のいいものではありません。騙す二人というか、主犯格の勢八は、カモのターゲットを、田舎の金持ちに絞っているのですから、その辺の工夫が、口演の中に欲しかったということです。仁智は、やっぱりさすがです。マクラは、のらりくらりと上海旅行の話を、わりかし時間をとってしたり、日向キャンプ巡りで知った宮崎の観光タクシーのエピソードを、たっぷりめにするものですから、てっきりネタは短めのものかと考えていましたら、もしろ長め。大阪駅横で客待ちしているタクシーに変な客が、次から次へと現れるのが、前半。後半は、流しのタクシーに変わり、それに乗ってくる変な客。最後には、横山やすし風の客が乗ってきて、ついにはパトカーと、カーチェイスまで繰り広げてしまいます。仁智落語全開で、少なくとも、これを聴けただけでも、この会に行った値打ちというものがあります。トリの「猪飼い」が、こないな言い方をして申し訳ないのですが、期待以上の出来に、得をした気分です。体の芯まで染み付いたもっちゃりとした大阪弁が、随分と心地良かったのです。これは、儲けものでした。体のバランスはいいとは言い難いものがありましたが、オーソドックスに、もっちゃりと演じたら、このネタ、こないになるのだというお手本のような感じがしました。




2009年 1月 17日(土)午前 4時 44分

 一昨日の夜は、珍しく普通に寝ることができた夜でしたので、今週の疲れは、だいぶと洗い落としたはずだったのですが、なぜだか昨日の午後から、ぼーっとしています。風邪でもひいたのかなと思いつつ、あの冷えたヨーロッパで大丈夫だったのですから、こんなのに負けるわけはないと、自身で否定しております。で、昨夜は、繁昌亭。「可朝・福団治二人会」が、昨日の繁昌亭です。可朝復帰記念という会だと言っていいかなと思います。そういったときには、福団治が介添えをしている、そないな印象を持ってしまいます。番組は、都んぼ「子ほめ」、福若「居酒屋」、福団治「蜆売り」、(中入り)、朝太郎「マジカル落語」、可朝「餅屋問答」というものでした。都んぼの前座は久しぶり。伊勢屋の番頭は、ちらっと出てくるショートカット版。このクラスの噺家さんの「子ほめ」を聴くと、やっぱり違います。台詞に有機的な繋がりがありますし、都んぼの場合には、それに躍動感が加わります。福若は、福団治の実子。基本的には、噺家活動をしてはる人ではないと思っています。自分的には、初遭遇でしたが、ルックスは裏の世界の人のよう、顔のパーツの一部や声は、福団治に似ています。ネタは、「上燗屋」かと思って聴いていたら、小里んだったかなぁ、去年、松喬らとの三人会で出したネタ風でした。ただ、話しっぷりが、ちょっと横着風を装おい、その同じトーンで終始推移。後半は、睡魔に負けてしまいました。福団治は、予想通りのネタ。「蜆売り」は、この間、まん我の口演を聴いてきており、福団治のものは、久しぶり。ただ、昨日、福団治の口演を聴いていて、親方や、その子分の人となりの描き分けの違いが、気になりました。親方の優しさや、子分の単純だけど、根はいい奴という部分、まん我は、そのあたりの案分が、クリアになりすぎて、ちょっと引くというところがあるのですが、いたって合理的な人物把握。福団治は、その辺には、残念ながら、意識が向いてないなという印象。おまけに、女将さんの描き方が、何やらすれすぎた感じで、心温まる、ちょっといい噺を壊してるような印象を持ってしまいました。それに、常に、親方が、蜆売りの少年を、「坊や」と呼ぶのに抵抗を感じてしまいました。まん我は、どのような表現を使っていたのかな、知りたくなりました。可朝は、まず、「楽屋に入ろうとしたら、ライブですかと声かけられました」「この頃は、なんでも英単語ですな」「わからへんこと言われたら、家に帰って辞書で調べますねん」「こないだも、一つ調べましてん、ストーカーちゅうのん」、ドカーンという大受け。横山ノックのセクハラ事件にまで言及し、慰謝料の額の算定話をする悪のり風になってきて、危ないなと思っていましたら、程よいところで切り上げ、最後は、「やったら、どうなるか、よう分かりました」「これからは、落語を一生懸命にやります」と、神妙に頭を下げていました。ネタに入ると、最近聴いた中では、最も快調。問答を申し入れる僧が現れるあたりから、バタバタしたのか、これが可朝風なのかは分かりかねますが、常に聴くのとは異なった型。僧の話を3人で聞きに出向いたり、僧が、まだ表にいる間に、餅屋の親っさんが裏口から現れたりと、なんか、ちょっと前のめりになるような展開。ですから、普段聴くのよりは、口演時間が、少し短いものでした。でも、これだけ、口舌滑らかになれば、そもそも落語に首ったけになる契機となった落語会で、小米朝時代に聴いた「算段の平兵衛」を、もう一度聴きたいなと思ってしまいます。




2009年 1月 15日(木)午後 11時 35分

 昨夜は、夜遊びをせず、家に直行しましたので、そういったときの定番、夜半にダウンしてしまい、夜中に目が覚めてしまうパターンを、きっちりとなぞってしまいました。そこで、そういったこともありなんと思い、帰り道に借りてきておきました韓国映画のDVDを観ておりましたが、ついつい観てしまい、結局、エンディングが流れ出したところで、目覚ましが鳴るという絶好のタイミング。要するに、夜中に起きたまま、そのまま出勤という恐ろしい事態になってしまいました。映画を見続けなければよかったのですから、自己責任です、これは。で、観ていた韓国映画というのは、「頑張れ!グムスン」というペ・ドゥナ主演の映画です。最近、「復讐者に憐れみを」「子猫をお願い」で、ペ・ドゥナにはまってしまい、昨日などは、ペ・ドゥナものを2本も借りてしまったのです。ちょっと尖った感じで、頑張って生きてる女の子という役柄が、やたらと似合ってるペ・ドゥナが気に入ってしまったのです。「頑張れ!グムスン」のグムスンというのが、ペ・ドゥナ演じる元バレーボールのスター選手にして、今は、子持ちの主婦の名前。グムスンの夫は、新入社員として出勤したその日、歓迎会と称して、呑めない酒を呑まされ、泥酔。歓楽街を、その状態で歩いていて、暴力パーに連れ込まれ、その結果、グムスンの待つ家に、法外な金を持ってこいとの電話が、ヤクザらしき男から電話が入る。そのため、夜中に、子どもを背負い、歓楽街に出かけるグムスン。だけど、店の場所がわからないので、歓楽街の中をさまよってると、ヤクザの抗争に巻き込まれたり、また、グムスン自身も、ヤクザにケンカを仕掛けたようにとられてしまったりと、夜中の街をさまよい、逃げまくる。そんな一晩のドタバタ劇が、この映画の見どころでした。最初、ペ・ドゥナが、夜の歓楽街をさまよい出したとき、なんてしょーもないことで、夫を探し出して、どないに展開するのかと、半ば諦めかけで、斜めから見出していたのですが、ヤクザに追いかけられたペ・ドゥナが簡単に捕まらない姿を見て、初めて、この映画の楽しみ方が認識できました。すると途端に、目が離せなくなってしまい、一気に最後まで観てしまいました。結局、いつもの元気な、ちょっと気負ったペ・ドゥナのキャラに合った作品だったということになるでしょう。
 明け方に韓国映画を、一所懸命に観ていたため、午後になると、かなり息切れ状態。そうなると、途端に夜遊びが不調に終わらないかと心配になります。今夜は、恵比寿町駅上にあります「in→dependent theatre 1st」でありました「美津乃あわ一人舞台“笑う女優”」を観に行ってきました。関西で怪女優と言われる美津乃あわを知ったのは、南河内万歳一座の鴨鈴女の主宰した芝居ででした。こないな女優が、しかも関西にいたのかと、正直、驚くと同時に嬉しかったのです。片桐はいり以来の「怪女優」という形容詞に遭遇しました。もちろん、そう呼ばれてもよい女優さんです。開演時間が、7時半と、ちょっと遅めの設定だったため、職場でお喋りをしていましたら、危うい時間に。職場近くの吉野家で、晩ご飯をかき込んで、慌ただしく会場に駆けつけました。芝居ですが、台本がおもしろくなかったですね。わかぎえふの作品です。今まで、彼女の作品は観たことがなかったのですが、これでは、新たに観に行こうかという気は起こらないでしょう。物語は、四部構成になっています。宝塚のパロディ劇団泥組芝居の初代座長が新興宗教に走ったというのがメーンのプロット。第1部が、元その劇団に所属していた女優、第2部が、教祖の妹で風水師、第3部が、泥組芝居の現座長、そして最後の第4部が、教祖その人が登場という具合。第1部の新興宗教、及び教祖の紹介の部分から始まり、徐々に新興宗教や教祖の姿を描いていこうとしていますが、だからどうなのという流れ。最後、教祖本人が出てきても、なんなのという内容。美津乃あわも、なんで、こないなものを選んだのでしょうか? 第1部は、鴨リンピックのときのノリっていうところ。第2部は、松浦亜弥喋りなんだけれど、美津乃あわが、それをすると、おかま言葉に聞こえるのが、ミソ。第3部は、宝塚の男役風で、これは、美津乃あわの低音域で、一本取ったっていう感じ。ここまでは、美津乃あわ定番と言えるキャラで了解なんだけど、第4部だけは、一番普通なだけに、虚を突かれた感じでした。ということで、美津乃あわは、いろんなことするでぇというプロモーション・ビデオを観ているような気分ですね。しかも、そのおもしろさを十分には引き出せていないというもどかしさをも残しました。期待してただけに、なんで、こないな台本を選んだのか、どうしても、ここに戻ってしまいます。




2009年 1月 13日(火)午後 11時 59分

 連休明けの仕事は、なかなかきついものですが、今日も、夜遊びはばっちりと実行。今夜は、雀のおやどでの会だったものですから、鶴橋駅近くで、韓国料理を晩ご飯といたしました。雀のおやども韓国料理も、ともに今年の初物であります。韓国料理は、最近、お味が気に入っている「大長今」というお店。行く度に、この店のネーミング、いいんだろうかと思ってしまう黄紺なのであります。こちらでは、ユッケジャンしか食べたことはありません。ユッケジャン以外を注文しようという気が起こらないほど、ここのユッケジャンが気に入っているのです。今日は、今まで、付いてもキムチが一皿しか付かなかったのが、四皿も小皿が付き、思わずにっこりでした。そして、やっぱうまかったです、ここのユッケジャン。
 で、雀のおやどでの落語会は、「第26回つるはしを飛ぶ都んぼ」。米朝の曾孫弟子の桂都んぼの会でした。生寿「花色木綿」、都んぼ「池田の猪飼い」、智之助「野ざらし」、都んぼ「ねずみ」というのが、今日の番組でした。生寿は、ちょっと自己流を取り入れ出しました。盗人がタンスを漁るとき、何やら意味のないメロディーを口ずさんだり、刀を盗られたという部分をカットしたりという具合です。きっちりと演じ続けることの良さ、いずれオリジナルなくすぐりを入れるのだから、早い内から稽古をしておいた方がいい、どちらがいいのでしょうか? 生寿は、落研的達者さのある噺家さんだから、もうちょっと崩さないで続けて欲しいなとは思いますが、自分的には。都んぼの、「猪飼い」の前半は、完全にダウン。お腹がいっぱいになったあとの心地よさが、ここで出てしまいましたが、えらく騒がしい「猪飼い」だなという記憶だけは残っています。山あいにさしかかった寒々しい場面になってから気がつきましたが、こちらでも、基本的には騒がしい男がいちびり倒すというスタンス。それを、自分でタイミングを計り、切り返しの連続なものなので、ぐいっと引き寄せるパワーは相当なもの。ま、これが都んぼ落語の特徴であり、魅力に他ならないのです。手垢がつくほど聴いてきた「猪飼い」が、今日は、えらく新鮮に聞こえてきました。あまり騒がしい男に、六大夫さんが、「撃ったろか」と鉄砲を向けるポーズは、自分のスタイルに対する自己突っ込みですね。智之助は、挨拶代わりにマジックを披露。これが、なかなかで、掴みはバッチグー。そして、ネタの方も軽快に、このネタは、智之助もやるやんと、かつて思わせられた記憶のあるネタ。端歌を歌いながら竿を掻き回す有名な場面がありますが、あの歌、もうちょっと決めて欲しいな。あの場面を、いちびり出すところの前の方で使うなら尚更です。今日、初めて下げを聴きました。「野ざらし」で、下げが使われたのは、自分的初体験でもあります。そして、お楽しみの「ねずみ」。良い「ねずみ」でした。何が良かったかと言えば、分銅屋の語り。説得力があるのです。語りの内容自体が、とてもリアリティ溢れる内容。それ信じないねずみ屋の主人、でも、なんとか解らせてやろうという分銅屋の友情、心意気、胸に迫り、思わず涙腺に衝撃が走りました。都んぼは、芝居なんかを経験して、一人芝居的雰囲気を感じさせるほど、身体表現的色合いが入ってきています。台詞が、口からでなく、腹から、いやハートから湧いてきているという印象すら持ちました。とても素晴らしい会だったと思います。




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