忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。


「黄紺のお部屋〜紀行編〜」



2013年 11月 3日(土)午後 11時 32分

 今日は、お遊びはお休みの一日。午後に、法事があり大津まで行き、とって返して京橋へ。夕刻から、息子の結婚相手のご両親を交えての会食。ほろ酔いかげんで、帰りの電車のなか、近くで座っている女性二人が、子どもの名前を考えているらしく、あれやこれやと話していた。別に、聞き耳を立てていたわけではないのだけど、一つの名前が、耳に飛び込んできた。「永遠て書いて、とわって、ええ名前や思わへん」「うわっ、それ、ええやん」、自分のツボにはまるところだけが耳に飛び込んできたようです。思わず、心の中で突っ込みました。「それって、千早太夫やないか!」。「千早ふる」という落語を初めて聴いたのは、先代小さんでした。目黒名人会という寄席でのことでした。その頃、「千早ふる」なんてネタを、上方の噺家さんは誰もやらなかったんじゃないかなぁ。今や、定番ネタになってますが、、、。「とわ」なんて名前を考え出す人がいるということは、あの噺の下げは、まんざらでもないってことですね。




2013年 11月 3日(土)午前 5時 13分

  大阪市内遊歩(179)

 一昨日はいいお天気ながら、ウォーキングができなかったため、昨日は必ずの気持ちで、二度寝するのも控えて、朝から歩く気満々。ただ天気予報では、あまりいい情報が流れてなかっただけに、若干心配はしていたのですが、大丈夫でした。そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「京橋」駅〜いずみホール〜JR環状線「大阪城公園前」駅〜大阪城公園〜JR環状線・地下鉄「森ノ宮」駅〜JR「かんじょう105」橋梁〜「中道4北」交差点〜東成中道郵便局〜中本橋〜中本幼稚園〜大阪市立中本保育所〜今里新道商店街〜大阪市立片江小学校〜聖美幼稚園〜新今里公園・末廣稲荷神社〜今里新地〜大阪市立生野スポーツセンター〜生野カトリック教会〜大阪市立田島小学校〜田島神社〜生野田島神社〜東部中央卸売市場〜JR百済貨物ターミナル駅〜JR関西線「東部市場」駅。今日は、まずいずみホールで、コンサートのチケットを買いがてらのウォーキングです。いずみホールは、主催公演でなければ、夜のコンサートに行ったついでに前売券が買えないのです。ということが、先日のモーツァルトを聴きに行ったときに判ったのです。それと、午後の行き先が天王寺だったもので、距離的に言って、経験的に「東部市場」駅界隈になるだろう、それがあとのことを考えるといいだろうということで歩き出したら、ドンピシャ2時間ジャストで「東部市場」駅到着です。ちょっと東に行ったために、そのようになったのだと思います。おかげで、狙ったわけではないのですが、新今里公園の東側の道を南下したために、今里新地のメーンストリートを歩くことができました。あまりに韓国料理店が多いため、途中から写真を撮るのを止めたほどでした。今日は、流しで歩いてしまったからでしょうか、それとも、時間帯が早かったからでしょうか、「ポシンタン」の看板と出逢うことはありませんでした。
 「東部市場」から一駅で「天王寺」です。「阿倍野橋」駅近くのネットカフェで休憩。直で会に行くことは危険と判断したからです。午後に行ったのは、旧ロクソドンタ・ホワイトだった「オーパルギャラリー」であった「いってん★さくらの浪曲倶楽部」です。骨髄バンクのPRのために、いってんさんとさくらさんが始めた会、今日で2回目となりました。その番組は、次のようなものでした。幸いってん(沢村さくら)「茂兵衞草鞋」、沢村さくら「三味線コーナー」、幸いってん(沢村さくら・藤初雪沢)「玉川お芳」。「茂兵衞草鞋」は、不思議な男茂兵衞は、一心不乱に草鞋を作り続ける。千足だったか、1万足だったかを作り続ける。家のことも何も顧みず、奥さんを離縁しても作り続け、ついに目標数を達成すると、今度は売りに出る。どうやら、その出先で思いがけない福が飛び込んで来るようなのだが、この肝心なところだけ居眠り。気がつくと、出て行った女房を見返していました。なんか日本昔話の世界です。「三味線コーナー」は、さくらさんが、細棹に持ち変えて、「さわぎ」とか「猫じゃ」なんていう落語会でも耳にするものを披露したうえ、洒落た端唄、小唄まで弾きながら唄ってくれました。これだったら、寄席に「粋曲」なんて看板掲げて出れる雰囲気です。「玉川お芳」は、先日の「一心寺」の会で出したが、時間の都合で最後までできなかったのでということで出すことにしたとか。そして興味ある話も。このネタは、広沢駒蔵系統の持ちネタで、著作権的なもので、勝手にはやれないネタのところを、先代の幸枝若が、昨日披露された部分だけを許され、当代の幸枝若も受け継いでいるので、出すことができると言っていました。ただいってんは、他の部分もしてみたいので、然るべき筋を通してみたいと言っていました。確かに、浪曲界は、ネタの総体が少ないでしょうから、こないな制約が生まれるのでしょうね。このネタ、角界がらみの話です。親が行司であったが、その父親が指し違いをしてしまい恨みをかい殺されてしまう。女房もショックから後を追うようになくなってしまったため、一人で生きていけなくなった娘が、吉原に身を沈める。それを知った父親の弟が慌てて身請けをして、子どもがいなかったため、養子縁組をして娘とする。年ごろなので、結婚の世話をしようと、娘の意向を聞くと、吉原にいた頃、起請誓詞を交わした男がいると言う。それが、今をときめく東大関の桜なんとかという関取。西の大関が、父親殺しなので、話が煮詰まってきたようなのだが、桜なんとかという関取の女として肝心の玉川お芳が出てきました。すんなり進みそうな話が混乱しそうです。その玉川お芳が出てきたあたりで、またまたボーッとしてしまい、この高座でも、完全に把握できてない悲しさがあります。
 浪曲が終わると、御堂筋線で「難波」に移動。一昨日に続いて千日前のネットカフェで時間調整。夜は、「トリイホール」であった「柳家喬太郎独演会」に行ってまいりました。プログラムに書いてあったゲストの顔ぶれを見て、この2年は、この会に行ってなかったことに気がつきました。黄紺が東京に行っている間に、よく東京のいい噺家さんが大阪で会を持っていることがありますから、その関係で行ってなかったものと思われます。番組は、次のようなものでした。弥太郎「七度狐」、喬太郎「梅津忠兵衞(小泉八雲作)」、小せん「野ざらし」、(中入り)、喬太郎「稲葉さんの大冒険」。「梅津忠兵衞」は小泉八雲の作品。喬太郎が、小泉八雲ものを落語化しているのは知ってはいましたが、遭遇は初めて。随分と、地方に行ってる話をマクラでふったかと思うと、小泉八雲ものでした。一瞬「幽霊の辻」かと思うような始まり方。幽霊ではなく、神が人間の姿をかりて顕現するという話でした。怪談噺かと思わせることができるおいしさを狙ったのかな。「稲葉さん」は、もちろん新作。これが傑作。サラリーマンの稲葉さん、帰り道、駅前でもらった風俗の宣伝のためのティッシュを処分すると、いろいろと勘ぐられるのではと妄想を膨らませる内、公園に埋めることにして地面を掘っていると、変なおじさんにお節介にもいろいろと助けられ、挙げ句の果てに松の木を背負いながら帰宅するという荒唐無稽なバカバカしさのある噺。意外な展開でおかしさを出す喬太郎テイスト満開ネタです。この高座のマクラで、期待の「あまちゃん」話をしてくれました。鈴本でトリをとったときも、連日、マクラで「あまちゃん」話をしたといいますから、必ず出てくると期待していたのです。毎日、規則正しく「あまちゃん」を録画したというところから、サラリーマンの生活へと持ってきてネタに入りました。喬太郎快心の高座です。ゲスト枠の小せんが、なんと「野ざらし」の下げまでやってくれました。地味だけど、その地味さがいい味出していると思っている小せんだったのですが、よく出る「野ざらし」のお笑い部分はダウン。ふと気がつくと「野ざらし」が続いているではありませんか! いっぺんに覚醒しました。隣の男は、幽霊じゃなくて実の娘を連れてきてたのですね。それを隠すために幽霊の因縁話。それを信じた男が、骨に酒をかけ、その骨に語りかけているところをお商売中の夜鷹が立ち聞きをして幽霊になりすまし男宅を訪れるという寸法。後半部分は夜鷹が噛んでくるというぐらいの知識はあったのですが、幽霊話はでっち上げとは知りませんでした。これは、いい経験をさせてもらいました。




2013年 11月 2日(土)午前 0時 37分

 今日から、自分的には5連休。ホントだったら、プチ旅行に出かけていがところですが、ちょうど中日に当たる3日に所用があるため断念。結果的に、大阪を中心にお遊び計画満載となりました。まずは、今日は芝居三昧の一日。午前中に、いいお天気だったものでウォーキングをしたかったのですが、ちょっとやはねばならないことがあり、お出かけは昼過ぎから。そのため、余った時間で、冬、そして来春のオペラ紀行の準備が、ちょっとだけできました。で、まずは午後の芝居は、「in→dependent theatre 2nd 」であった「南河内万歳一座」の公演「満月」を観てきました。会場に入ってびっくり。びっしりと女子高生が座っていたからです。劇団の方に伺うと、咲くや此花高校の演劇科とかの生徒だったようですが、会場の空気が全然違い、完全に戸惑ってしまいました。日程を発表する前に、学校の方からオファーがあったのでしょうね。平日の昼間に、万歳一座が公演することってないですからね。気がつくべきでした。舞台は、珍しく大道具を崩したり、一部から意外な人物が飛び出すなんてことのないもの。ちょっと、いつもの万歳一座の芝居とは違った雰囲気。電車に乗っている人が、窓の外の風景が、いつもと違うと言って騒ぎ出します。咄嗟に、電車というプロットを使った自分探し的な芝居かと思ったのですが、違いました。夢の話でした。でも単なる夢の見えない世界、社会というメッセージではないのが内藤作品らしいところ。電車に乗っている人の夢らしいという感じで話が進んでいったかと思うと、その電車が水族館を走っており、その水槽の前に座りながら眠りこけている人の夢となったかと思うと、その人が夢の中の世界である電車の中に現れたりと、丸でポストモダンの小説を読んでいるかのように、主体と思ったら客体になりと、軸が一定せずに反転していく構成になっていました。丸で「夢」として語られるものの内実を問いかけているような印象を持ってしまいました。「夢」を持つことって、主体的に生きているということとイコールなのか、「夢」として語られること自体が、借り物として客体化されたものでしかないものなのではないか。そないな問いかけを含んだ物語だったような気がしました。最近、万歳一座は、外部の役者さん、中でも若手の役者さんと共演することで、自分たちの演劇手法を学び、何らかに役立ててもらうと同時に、30年経った劇団のリフレッシュを図ろうとしています。今回は、「空晴」からの3人の役者さんを含めて若手の役者さんと共演したばかりか、今日行くまで、全然知らなかったのですが、春野恵子さんまでもが出ていてびっくり。浪曲や詩吟が入ったりして、異色中の異色な演出となりました。劇団関係では、荒谷清水さんが、久しぶりに出演され、かなり薄くなったおつむを、随分とからかわれていました。鴨鈴女さんとの夫婦ツーショットも、おかげで久しぶりに観ることができました。
 一つ目の芝居が終わると、徒歩で千日前に移動。いつものネットカフェで時間調整。そして夜は、「淀屋橋」経由で「ABCホール」へ。「伊藤えん魔プロデュース」公演「チェス」を観てまいりました。「チェス」になぞらえ、白の「ホワイトリバー国」と「デザートブラック国」の闘争を描いたもの。こういった架空の物語は、いかに辻褄を合わせるようにでっち上げが成功するかどうかだが、そういった面では、そうなのかなぁという感じでなんとか出来上がっていたようには思うのですが、なんか他愛なくて。白の国は氷と雪の国、黒の国は暑い国、この辺の設定からにお子様ランチっぽい。両国が生きていくための「世界樹」なるものの存在が出てくると、おまけに、その樹寿命が来ているという話からが、よく判らなくなっていきます。両者の争いに、チェスの用語とかが出てくると、完全に言われるがまま。観ている者としての判断力が無くなっていきます。その辺の言葉遊びをしたかったんだろうなの気持ちは解らないでもないのですが、元々なじみのないゲームですから、芝居が進むにつれ解らないこと夥しいものがありました。関西小劇場界の著名な役者を揃えたプロデュース公演なのですが、ぼちぼち卒業かなの雰囲気です。




2013年 11月 1日(金)午前 1時 37分

 昨夜は、思いの外眠ってしまい、仕事に出かけるまでには、HPをアップできませんでした。昨夜、アップ直前にダウンしてしまい、朝目が覚めたら、アップする時間もなかったということです。そのわりには、仕事をしていても眠たい一日でした。そして、夜は「いずみホール」へ。今夜は、「モーツァルト〜未来へ飛翔する精神克服/ザルツブルク(1776-1781)vol.1 溢れ出る管弦楽の力」と言って、シリーズとしてモーツァルトの作品ばかりを演奏するコンサートの一つがあった日。通常のコンサートでは聴けない「ポストホルン・セレナード」を聴けるというので行ってまいりました。プログラムの前半は、これも聴く機会が決して多いとは言えない弦楽器の方の「協奏交響曲」でしたので、なかなか魅力的なプログラム。と思うのは、そう多くはないとみえ、入りは8割行ったかなという程度でした。ヴァイオリン(泉原骼u)とヴィオラ(店村眞積)の掛け合いが目玉となり、且つ「交響曲」を名乗るところから、なかなかシンフォニックで、厚い響きの曲に、モーツァルトは仕上げています。ただヴァイオリンを弾いた泉原骼uの演奏が、とっても機能的というか、素っ気ない感じがしてしまい、聴いていてちょっとノリが悪くなりました。ヴィオラが、この楽器でソリストとして知られた店村眞積だったのが影響してしまったのでしょうか。特に第1楽章で強く、そのような印象を持ってしまいました。それに対し、「ポストホルン」の素晴らしかったこと、この上なし。オケの音からして、丸で違いました。なんか、「ポストホルン」はたっぷりと練習したのに対し、「協奏交響曲」の方は、ぶっつけ本番的な感じを持ってしまいました。ですからヴァイオリンも機能的にならざるを得ず、時間が経った第3楽章で、呼吸を掴み出したという感じでした。今日、指揮をした広上淳一は京響の常任ですから、何度か聴いていますが、両者が織り成すイキイキとしたみずみずしいサウンドが、この曲の冒頭から溢れかえったのですから。第2楽章の長閑なメヌエット、でもサウンドは生きています。第3、4楽章は、丸で2本のフルートのための協奏曲風が素敵。途中オーボエも加わり、3本の木管の協奏曲風になり、且つファゴットのオブリガードまで付いちゃいます。第3楽章の終わりには、2本のフルートのためのカデンツァまで付けます。モーツァルト、大サービスをしてくれています。聴く者のハートを掴む術を心得る天才とは、このことでしょう。そして期待の第6楽章を迎えます。ポストホルンが登場するからです。プログラムには、ポストホルンを吹く奏者の名前が載ってなかったものですから、普通のホルンで代用しちゃうのかと思っていたのですが、第5楽章が終わったところで、舞台に入るドアが開き、一人の女性奏者が入ってきて、指揮台に向かい歩き出しました。そして、その手には、ちっちゃなホルンがありました。そう、ポストホルンでした。生ポストホルンでの演奏でした。これはガッツポーズものです。小さいのに音の出る楽器です。アンコールも、再度、この第6楽章をやってくれましたから、おかげで生ポストホルンを2回も聴くことができたのでした。記憶に残さねばならない、とっても素敵なコンサートでしたよ。ウーン、大当りの大満足です。




2013年 10月 31日(木)午前 6時 18分

 10月も終わりかけています。10月は、月日が経つのが、とっても早く感じました。この分だと11月も呆気なく過ぎ、知らない間にオペラ紀行の途についているような、そないに感じるほど、時間の経つのが早いです。で、今夜は動楽亭。「できちゃったらくご」のある日だったのです。その番組は、次のようなものでした。三金「千手観音」、南湖「荒波のダッチワイフ」、あやめ「中島みゆきのオールナイト一本」、たま「豪華客船」、(中入り)、福笑「忍者屋敷」、三風「税金がなくなる日」、遊方「いらちの悩み相談室」。今日のラインナップは、数多く接してきた「できちゃった」の中でも、事の外ハイグレードな出来栄えのものが揃いました。三金は、デブネタの「奥野くん」シリーズを避けて美術館もの。「仏教美術」の特別展を用意する美術館のトンチンカンを描いたという点では新しさがあったのですが、同じするなら、もっともっと仏教美術に関する蘊蓄を入れて欲しいですね。南湖の「荒波のダッチワイフ」が、一皮も二皮も剥けた佳作。まず冒頭部がいいですね。男が橋の上から川に飛び込む1秒もあるかの時間を、思いっきり延ばすという手法は、南湖の非凡なところ。じゃいざ飛び込んだあとは、どのように持っていくのかと思っていると、今度は下ネタに持っていき、ビニール肌の子どもなんてのが出てくるぶっ飛び方に、「今日の南湖さん、おかしくなったのか」とまで言いたくなる斬新な展開に、目をパチクリ。最後も、うまく決まったしと、花◎の出来栄えでした。あやめもぶっ飛び系。中島みゆきがパースナリティをしている「オールナイトニッポン」の完全パロディ落語を作ってみせました。ですから、高座姿も、着物ではなく、胸開きのワンピースにショールをはおるというものでした。たまは、「兵庫船」「矢橋船」の系統の落語を作りました。世界一周の航海に旅立った「豪華客船」で、謎かけっぽいお遊びで遊ぶ人たち。船内のエンターテイメントの紹介もギャグ満載。最近のたまの新作は、高品質のものが続きます。福笑は、年に1回は、こちらの会に出て、新作に対する反応を確かめています。でも、「忍者屋敷」って聴くのは初めてですが、新作発表ではないのじゃないのかと思うのですが、、、。三風の噺がほのぼの系だったものですから、ほっこりしちゃいました。遊方のネタは、一つのパターン化された筋立て。人の話を聞かないひとりよがりのおばちゃん相談員。そして、自分の話ばかり聞かせます。後半は、その聞かされた男が逆に聞かせるばかりの男に変身するというもの。これも、なかなかいけてる作品でした。ということで、大正解の「できちゃった」でした。




2013年 10月 29日(火)午後 9時 43分

  大阪府門真市(43)〜大東市(16)〜東大阪市(40)

   昨日は、まっすぐ帰宅。そしたら、疲れていたのでしょうね、しっかりと睡眠がとれました。わりかし、家に直行する日に爆睡してしまいます。そして、今日は、鬱陶しいお天気。せっかくの非勤務日というのに、ついてない話。今日は、ウォーキングを昼間に予定していたからです。ただ、天気予報によると、近畿地方東部は雨が降るかもしれないけど、西部は大丈夫と言っていたので、大阪でなら雨に遇わないだろうということで、そのようにして正解。降りそうで降りませんでしたそのコースの詳細は、次のようなものとなりました。。京阪「大和田」駅〜野里町西自治会館〜ファースト保育園〜「打越」交叉点〜北打越公園〜門真市立第七中学校〜門真市立砂子小学校〜「御領西」交叉点〜大阪府計量検定所〜「諸福」交叉点〜鴻池橋〜JR学研都市線「鴻池新田」駅〜「トラックターミナル入口」交叉点〜長田北公園〜地下鉄「長田」駅。大和田駅と国道163号線との間は、複雑な道で、かつて迷いに迷ったところ。今日は、新しい地図を用意してあったので、なんとか無事に通り過ぎることができましたが、地図があっても、なかなか難度が高いですね。それと、も一つ迷いやすいのが、第二京阪国道を越えるところ。今日は、こちらも無事にクリア。新しい地図を持っていたからかもしれないのですが。更に厄介なところが、まだあります。近畿自動車道を、東西に横切る道が、なかなかないのです。こちらにも苦い思い出があります。横切れないうえ、ゲリラ豪雨に遭ったという強烈な思いです。同じミスを繰り返すかもしれないと思いながら、あの豪雨のときと同じ道を行ってみました。でも結局、うまく行かず、本来なら「徳庵」駅を目指していたのですが、南の方まで、近畿自動車道を越える術がなく、結果的に、終点を「長田」にするハメになってしまいました。
 「長田」から「関目」経由で「京橋」に移動。今日は、時間調整を、京橋のネットカフェでしました。そして、夜は、京阪で「守口市」に移動。駅前の「エナジー・ホール」であった「とびきり寄席」に行ってまいりました。米朝一門の若手が集う会。佐ん吉とちょうばが常連の会です。今回で、おじゃましたのは3回目となります。会としては、丸6年が終わったところになるそうです。その番組は、次のようなものでした。二乗「阿弥陀池」、雀五郎「ちしゃ医者」、佐ん吉「いらち俥」、ちょうば「まめだ」。この会は、お囃子なしの会のため、どうしてもネタに制限がかかってしまいます。それにつけても、二乗で、また「阿弥陀池」とは。一挙にウォーキングの疲れが出てしまいました。会場の暖かさも、ほっこりとする原因にもなったようです。そのほっこり気分が、次の雀五郎の高座にも影響。ようやく、佐ん吉の高座から回復。佐ん吉の「いらち俥」は、ホント久しぶりです。確か雀三郎からもらったネタだと聞いた記憶があります。ネタ下ろし直後に聴いたはずで、それ以来になるのじゃないかな。5年は経っているのじゃないでしょうか。佐ん吉は、派手な動きは控え目、でも佐ん吉の場合は、喋りが、派手な動きを補って余りあるものがあります。いらちの俥屋は、なんと津軽海峡まで行ってしまいました。ここまでが爆笑ネタ。ちょうばは、一転してしんみり系ネタを選択。「音楽で言えばバラードのようなものです」と言って始めました。ちょうばが「まめだ」を持っているという情報は持っていたのですが、聴くのは初めてでした。この手の噺を好んで手がけるだけあって、婆さんと息子の対話になると実力を発揮します。人物描写に丁寧さを感じました。1ヶ所いじったなと思えるところがありました。まめだが死んでる寺の境内に婆さんを出したことです。毎日「不思議やなぁ」と言い続けてきたのは婆さんですから、まことに筋の通った演出です。開演が6時半で、終わったのが8時に届きかけで、決して届いたわけではない時間に終演というのは、このメンバーでは物足りなさの残るものでした。




2013年 10月 27日(日)午後 10時 29分

 今日は、いつのまにか時間が過ぎていきました。知らない内に昼寝をしてしまい、お昼ご飯を抜いたまま眠りこけていたのです。午後に予定していたことは、呆気なくおじゃん。一日中、お出かけをしないのもかったるく、弟の家に用事があったついでに、一挙に大阪に向かいました。一応チェックは入れてはいたのですが、実際には行くことは難しかろうと思っていたものが役に立ちました。心斎橋シネマートであった韓国映画「殺人漫画」を見に行ったのでした。ウェブ漫画通りに殺人事件が起きるというありそうなプロットを用いた作品。ホラー系サスペンスものと言えばいいかな。推理ものとしては、犯人に一定特徴のあるもので、なかなかよくできてますが、観ている者には、犯人探しを、探偵役の刑事とともにできるという手合いのものではなく、展開を観ていて、そうきたかという風に楽しめる仕上がりになっています。ただ殺人事件には、超常現象がかんでいます。それを認めた上でのサスペンスものとして観ていても、楽しめる出来栄えでした。主役の美形の漫画家にイ・シヨン(「花より男子」など)、探偵役の刑事にオム・ギジュンという組合せでした。なお、この映画、原題の直訳をすると「ザ・ウェブトゥーン 予告殺人」となりますね。おかげで、「ウェブトゥーン」という言葉を覚えました。




2013年 10月 26日(土)午後 11時 4分

 今日は、朝からお仕事。週に5日勤務と、近来なかったことを経験。やっぱ心配していた通り、寝不足が最大の課題でした。ま、過ぎてみれば、どうでもいいことですが、、、。今日は半ドンだったため、午後は梅田に出て、映画を観ることにしました。フランス映画「椿姫ができるまで」があったからです。しかも、ナタリー・デセイ主役の椿姫ですから外すことなどできないものでした。エクサン・プロヴァンス音楽祭での公演での「椿姫」製作過程を追ったもので、実は、DVD化されているものと同じ公演のものだということが、すぐに判りました。前奏曲を使った演出に特徴があるからです。何よりも大事な、ヴィオレッタが病気であるということが判るシーンが、きっちりと盛り込まれているからです。完全ドキュメンタリーで、前奏曲から始まり、終幕まで、ナタリー・デセイに演出をつける演出家ジャン・フランソワ・シヴァディエの意図、それに対するナタリー・デセイの反応が主に収録されており、アルフレードやジョルジュ・ジェルモンも、ヴィオレッタとの絡みでだけ登場してきます。内面的要素を求める抽象的な指示が多いながらも、それは言い換えると、この恋物語に質を解き、それに沿った歌唱面の表現のみならず、目線、身体の触れ方を求める繊細なもの。そこに見えてきたアルフレードは、初な青二才というわけでもなく、でも、とっても生真面目にヴィオレッタを愛するがために、それがヴィオレッタにも伝わっていくというもので、ヴィオレッタも生真面目に警告を発します。父親ジョルジュ・ジェルモンもおもしろい解釈。ある程度、当初からヴィオレッタに、一定の理解を持っているとしてました。アルフレードはアホたんじゃないということでもあるのでしょう。この演出の秀でているのは、2幕と3幕に連続性をもたらしたところ。2幕で、アルフレードに散々罵られたあと、ヴィオレッタは舞台に倒れ込みます。すると幕が閉まり、ヴィオレッタは舞台の先端部に取り残されます。すると途切れることなく、3幕の前奏が始まり、ヴィオレッタの生着替え、生化粧直しへと進み、そういった光景を見せることで、ヴィオレッタが病におちたということを表します。この辺りでは、3つの異なった稽古の風景を場面がかぶることなく変えながら進行させていきます。初期の立ち稽古、衣装を付けた稽古、オケ伴奏での稽古という具合です。でも、決して本番の映像は使わないというポリシーで製作されていました。こんなのを観ると、今度は、本番のDVDを観なければなりません。
 映画が終わると、直ちに阪急で「正雀」に移動。夜は、「正雀市民ルーム」で行われました「ジャッキー・セブン」に行ってきました。雀三郎の筆頭弟子雀喜の会です。この会は、なぜか師匠の雀三郎の会とバッティングすることが多く、今日もそうで、迷った挙げ句、雀喜の「蔵丁稚」が聴いてみたくて、正雀に足が向きました。梅田から正雀って行きにくいですね。行きにくいように行きにくいようになっています。で、番組は、次のようなものでした。石松「まんじゅう怖い」、雀喜「おごろもち盗人」、坊枝「火焔太鼓」、雀喜「蔵丁稚」。石松の大きめのネタって、あんまり聴く機会がなかったのですが、この「まんじゅう怖い」は推奨品と言えると思います。松之助ネタを、教えられた通り、それをきちんとやりきるということをして、伝承芸の素晴らしさを、かつて石松に教えられたことがありましたが、やはり、この「まんじゅう怖い」でも同じことを感じてしまいました。このネタを、石松は誰からもらったのかは定かではないのですが、そのときに教えてもらった注意点を確実に守る大切さ、それをきっちりやりきる力、そういったものが見えてきました。ちょっとした目のつかい、受け答えのタイミングが、とっても心地よいものがありました。雀喜は、「おごろもち盗人」に入る前に、京橋時代の思い出話。なかなかグレートなアパートだったようで、まことにもってネタに困らないところで、この話をするということは、盗人も出たからということだったのです。「おごろもち盗人」は、いつ聴いても、間抜けな盗人が空いばりするところが可笑しくて、、、。今日、この会を捨てようかと思った最大の要因が、坊枝の出番があったこと。彼の辛口のマクラが、自信たっぷりで感覚的に合わないのです。どうも自信に満ちた物言いをする人は苦手です。この人、ネタも多くないこともありますしね。雀喜の二つ目が、お目当ての「蔵丁稚」だったのですが、ついに寝不足の影響が出てしまいました。お目当てでダウンすることが、結構あるんだなぁ。今日も、そうでした。この「ジャッキー・セブン」、次回は12月28日とか。えらい押しつまったところに設定したものです。黄紺は、それを見て、思わず、どの町で、何のオペラを観てるか考えてしまいました。




2013年 10月 26日(土)午前 4時 1分

 台風の直撃は避けられたようですが、夜半から台風がらみの雨が、断続的に降っていました。気温が、だいぶと下がったみたい。昨日も、朝から家の用事や歯医者で、どうもゆっくりと自分の時間が持てないので困っています。ようやく昼もだいぶと過ぎてから解放されたので、夕方から、京都シネマで、スペイン映画「朝食、昼食、そして夕食」を観てきました。舞台が、サンチャゴ・デ・コンポステーラだという一点でのチョイスです。でも、それにつられて行って大正解の映画でした。題名通り、一日の朝食、昼食、夕食で起こる出来事が描かれていきます。様々な人が出てきて、各人が、他の人間関係に絡んでいたりで、人間数珠つなぎ状態になっていますから、単純なオムニバス映画と違います。その絡み具合が、微妙に調整されているので、物語の進行にテンポの良さを与えています。結婚生活に疑問を持っている妻がいます。この日、夫は弟の家を訪ねます。その弟は、兄にゲイだとカミングアウトできないでいます。結婚生活に疑問を感じ出している妻は、夫が朝食を食べて出ていったあと、昔の恋人を昼食に誘います。昔の恋人は、ストリート・ミュージシャンです。彼と顔見知りになるのが、マケドニアからやってきた青年、ともに孤独を感じていた二人は意気投合します。朝からバールでしょうか、そないなところでワインを飲む二人がいます。その二人が訪ねたのが、彼女と朝食を一緒にしようと、朝からおめかしをして料理を作る男です。酔った男たちは、せっかくの料理を食べてしまいます。彼女が来なかったので結果オーライですが、男は諦めずに昼食にも誘います。酔った男二人は、友だちの誕生日祝いに絵を贈ろうと、友人の絵描きを訪ねていきます。昼食にも彼女は現れませんでした。でも、夕食も誘いますが、彼女は現れないので、誕生日パーティーに出かけます。誕生日を祝ってもらう男は、その前の夜、女と過ごしていました。朝食を食べたあと、女がわけありの別れの言葉を言います。その彼女は、夕食を年配の男とともにしています。わけありのわけが、ここで明らかになります。年配の男と愛人関係にあったのです。年配の男は、更なる孤独に耐えられないときが来ると言い、彼女と結婚しようと言えません。この夕食が永久の別離の会食になり、女は、吹っ切れて男のいるパーティ会場に赴きます。レストランで働く姉妹は、1人の女(これがどうやらゲイの弟を持つ男がたまたま寄ったカフェで働いていた女らしい?)が来ないので、昼食に現れた家族の世話でてんてこまい。その内の妹は、歌手になる夢を持っています。キャンピングカーで、地方周りをする一座の歌手のオーディションを受けに行くと、一座を仕切る親子は夕食を食べています。そこで、オーディションを受けている最中に、父親が急病で亡くなってしまいます。落胆する息子、いたたまれなくなる女、でも、歌手になりたいなんてことからではなく、目の前で起こった悲劇に動揺しながら、息子を心底励ます女に感動した息子は、彼女を採用し、父親の一座を率いていく決断をします。その頃、結婚生活に疑問を持つ女は、夫の元を離れる決意を夫に伝えています。その女の元彼は、サンチャゴの大聖堂の前でギターを弾いています。いつにない元気のない音に、マケドニアの青年が声をかけます。そして、女から逃げてきてここにいるという身の上話をします。孤独を選択した二人は、なんとなく気があってしまいます。暗い大聖堂前の広場で、ギターと、ネイのようなマケドニアの笛とのセッションが始まります。とってもいい感じです。夕食を作って彼女を待っていた男は、ついに彼女が現れなかったので、誕生パーティに出かけます。年輩の男と別れてきた女が誕生日を祝いに到着し、男と抱き合います。その頃、、、。ホントのワンカットの、それだけでぐっときちゃう素敵なラストシーンが待っていました。これだけ錯綜した人間関係が、また、こうした多くの人物が出てくると、絶対に音を上げてしまう黄紺が、すらすらと思い出せるということは、それだけ、きれいにキャラ設定ができているのと、各シーンが印象深く演出がされているからだと思います。めっちゃお薦めの映画です。しゃれています、すっごく。そして、サンチャゴは、ガリシアですから、ケルトですね。料理とか、彼らの喋る某かに、そういったケルト・スパイスが効かされているのでしょうね。黄紺には、残念ながら、誕生パーティのバグパイプしか分かりませんでした。




2013年 10月 25日(金)午前 7時 39分

 またしても台風が近づいています。週末に来るようなんですが、直撃でもしてくれれば、土曜日の仕事はぶっ飛ぶのでしょうが。なんか予定は未定の状態です。一昨夜、一つの朗報が届きました。バイエルン州立歌劇場からチケットが送られてきたのです。申込期限を大幅に過ぎ、抽選からは外れてないはずの分が、なかなか来てなかったのですが、ようやく届きました。これで、この冬は、ミュンヘンで2回観ることができます。ただ一番競争が激しいだろうなと思っていたのは外れ。変更先は、まだ決まってない状態。とまあ、チケットの手に入れ方のマニュアルは出来上がっているのだけれど、抽選には勝てません。
 ところで、昨夜は「シンフォニーホール」で「日本センチュリー交響楽団」の定期演奏会に行ってまいりました。ブラームスの「ドイツ・レクイエム」が出たからです。今年2回目となります。昨年、生涯に一度しか出会えないかもと思ったのが、東京で聴いた「新日本フィル」の「ドイツ・レクイエム」。ところが、今年に入り、2回も大阪で聴けるとは、ホント信じられない話。ところが、ずっと以前から、昨日のコンサートを把握しておきながら、チケットを買い忘れていて、気がつくと1週間を切っていました。慌ててネットで購入。なんと舞台真ん前、一番前の席になってしまいました。買わないよりはましと買いました。ですから演奏全体を把握することなど、到底無理。大好きな「ドイツ・レクイエム」を生で聴ける嬉しさ、楽しさを味わうことに専念、それをモットーにしました。すると思いがけない副産物に興奮状態。音がいいというのが常識化しているシンフォニーホールでも、上で聴くのと、間近で聴くのとでは大違い。指揮者は、こないな音を聴きながら指示を出してるんだの実感が第一の収穫。目の前がビオラでしたから、演奏者によっても違う音が出ているのまで、ようく解りました。左前方の第一バイオリンが次いで、よく解りました。すると、弦楽器のオーケストレーションの中での役割、いやオーケストレーションそのものも、ようく見えてくるのです。重厚な「ドイツ・レクイエム」の中に、とっても可愛いメロディを忍び込ませたりしています、あのブラームスが。また、他では、これって、バッハの曲が持つ弦楽器上部の動きじゃないっていうのに気づいたときって、ブラームスに、すごい親近感を感じちゃいました。コーラスのボリュームとか、全体としてのアンサンブル、各パートのバランスとかは、一切解りません。全部、頭ごなしに通り抜けて行ってしまいますから。関西フィルで聴いたときは、上へ抜けてしまい、ましてや残響が抑えられているため、小じんまりとした音に聴こえてしまった記憶があります。昨日のセンチュリー合唱団+びわ湖ホール声楽アンサンブルの人数とは同じようなものだったと記憶していますが、昨日は、頭ごなしに流れていくものですから、抜けてしまい頼りなさが残るということは、全然なし。ま、ありがたいことと思っておきます。ソロは、釡洞祐子と黒田博。黄紺のいた位置からは、釡洞祐子の声に伸びが感じられませんでした。ちょっとお歳かなの雰囲気。ま、この曲では出番は少ないですが。指揮は、間もなく退任する小泉和裕。インテンポを心がける丁寧な演奏。但し、席からして全体像は把握しかねますが。センチュリーは、来年、新しい音楽監督を迎えます。元々、二菅編成でスタートしたオケですが、最近、大きな曲を演奏するようになってきています。大阪府に無茶をやられてから、逆に攻勢に出ようの意欲にも看えます。その新監督を迎えるに当たり、1年先に、マーラーを出すそうです。2番と5番のシンフォニーを予定しているとの情報をキャッチしました。マーラー好きの黄紺にとっては、実に嬉しいこと。2番の「復活」、もう、今からわくわくものです。




2013年 10月 24日(木)午前 5時 38分

 4日連続勤務の3日目に入り、かなり寝不足が深刻になってきています。ゆっくりと朝寝がしてみたい、なんか「三枚起請」の下げのようなことを言っています。そんななか、今夜は繁昌亭、「燃えよパンダ」という会がありました。これは、雀喜が、自作の落語ばかりをかける会です。普段、天満橋近くで「客寄席熊猫」という名の会を開き、自作を発表しているところから、昨日の会にも「パンダ」の名が取られていたのです。その番組は、次のようなものでした。雀喜「ポイントカード」「くまのプータロー」、あやめ「私はおっさんにならない」、雀喜「帰郷」、(中入り)、雀喜「アンドロイドJ」。やばいなと思っていたことが現実に起こりました。うとうとと何度か来てしまいました。落語会の常連さんが後ろに座られていたのにも気づかない始末。声をかけられ、思わず「気づいてませんでした」と言うと、「そら寝たはったからや」と言われてしまいました。冒頭に、会の紹介にだいぶと時間をかけていました。ま、それは致し方ないこと。普段の会場などでは、ようやくつばなれする程度の客の数ですから。それに比べると、2階の入りは定かではないのですが、1階はほぼ埋まっていましたから、繁昌亭での開催は大成功でした。最初のネタの「ポイントカード」は、雀喜が一番かけている自作品ではないかな。黄紺は、なぜかこのネタに遭遇するたびに寝てしまいます。昨日もそうでした。「くまのプータロー」はショート落語集。プータローが仕事の世話をしてもらうのだけれども、失敗を続けるというだけのもの。プータローが歩いて、次なる職場に向かうときには、見台に置いた携帯から、長閑な音楽が流されます。「帰郷」は、お盆のときに、あの世から死者が戻って来るということを、実際に落語化したもの。初ものでしたが、後半にダウン。あの世のやりとりは聴けたのですが、、、。「アンドロイドJ」は、一番の長講。トリネタらしいものでした。「アンドロイド」と言えば、「米朝アンドロイド」ということで、マクラはそこから。「米朝アンドロイド」を作るのに8千万、それを一門の人数で割ったらというマクラは傑作。そんなことを言いながら、「そんな計算すな」と、雀喜自身が自分に突っ込んでいました。「J」は、どうやら雀喜自身のよう。そうなんです。落語会の帰りに事故に遭い「死んだ」と思われた噺家がアンドロイドになったはずが、実は本人は助かりアンドロイドになりすましていたもので急転直下下げへ。前座を使わなかったので、ゲストのあやめとの2人だけの会。ゲストがあやめというのは、新作のリーダー的存在という敬意と、彦八まつりなんかの運営でのつながりを感じさせるもの。雀喜落語特有のほのぼの系は「くまのプータロー」くらいだったのが、ちょっと意外な感じがしました。雀喜の新作を聴きすぎの身からするとです。帰りぎわ繁盛亭の玄関で、元又三郎さんを見かけました。廃業されても、元弟弟子を支援されている関係は、いつ見ても微笑ましいものです。




2013年 10月 22日(火)午後 10時 42分

  大阪府守口市(62)〜大阪市鶴見区〜東大阪市(39)

   今日は、非出勤日なのに出勤しなければならない日。但し午前中だけ。今週の土曜日も、同じように午前中だけの勤務が待ち構えています。今日は、仕事が終わると、雨が心配だったのですが、ウォーキングを敢行。ちょっと際どい時間帯もあったのですが、幸い雨には遭いませんでした。そのウォーキングのコースは、次のようなものとなりました。京阪「土居」駅〜守口市立春日小学校〜守口市立第三中学校〜大枝公園〜守口市立寺方小学校〜守口寺方郵便局〜守口市立第二中学校〜鶴見緑地〜地下鉄「鶴見緑地」駅〜鶴見緑地球技場〜諸口東公園〜東三荘橋〜万代橋〜JR「かたまち069」橋梁〜東大阪楠根郵便局〜「長田」交差点〜長田橋〜近鉄「八戸ノ里」駅。とにかく鶴見緑地を目指そう、次に、球技場の方から鶴見緑地をあとにして、できるだけ頑張って近鉄沿線を目指そうというのが、このコースのプラン。「鶴見緑地」駅の上を通った段階で、まだ1時間を切っているという快調なペース。これで、近鉄沿線まで行ける希望が湧いてきました。「長田」交差点までが、やはりかなり時間がかかります。ここで、1時間47分が経過。「高井戸」に向かうことも考えたのですが、そんなに変わらないだろうということで、「八戸ノ里」の方をチョイス。「長田」交差点から「八戸ノ里」駅までは一本道ですからね。ちょっと昨日あたりから気温が上がっていますので、そこそこ汗なんぞをかいてしまいましたが、僅かでも汗をかくと、ウォーキングをやってんだとの雰囲気がよりしてきます。
 「八戸ノ里」から近鉄電車一本で「日本橋」に移動。電車の中では、ウォーキングの心地よい疲れ、軽く睡眠をとっちゃいました。今日の時間調整も、千日前のネットカフェ。そして、夜は、歩いて谷六の「薬業年金会館」であった「旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。「紀伊國屋文左衛門」の続き読みが続いています。今日は、紀文が材木で大儲けをするところが中心。副題として「紀伊国屋文左衛門(四)〜げに人の一生は夢の如し〜」となっていました。今回は、おかしな男が出てきました。元は侍だけど、今で言えば気象学に知識があるという人物。その能力を認められ、紀文の大番頭に雇われのだが、普段は結界の奥で酒ばかりを呑んでいるのだが、目星をつけると、しっかりとした行動力を発揮する。材木で儲けるきっかけは、この男が異変に気づいたところから。どうやら異常乾燥に気づき、火事が起こると睨んだ件の大番頭は、紀文から1万両を預り、秩父の山に行き、他の商家がキープしている山林を、現金をちらつかせ持ち主から買い集めていく。そこで起こったのが明暦の大火。そこで話は、別の回路へと方向転換。明暦の大火が、別名「振袖火事」と言われる謂れへと入っていきました。一人の商家の娘の恋物語なのですが、火事話につながる前で、今日はダウン。ウォーキングの疲労が、ここに来て出るかという時間帯。材木での儲け話に一段落つくと、あとは紀文の遊びの話だったと言えばいいかな。吉原にくりこんだり、年齢的には合わないんだけどと、南海さんは細かく注釈を入れてくれていましたが、当時の文化人との交流話が読まれました。中でも宝井其角が出てきて、洒落た句を詠んだりしてました。紀文の物語は、今日でおしまいかなと思っていたのですが、まだ続くようです。南海さんは旅に出るとか言ってましたが、ホントなのでしょうか?




2013年 10月 22日(火)午前 0時 25分

 週に5日も働かなければならないと、最近なかった充実した1週間が始まりました。とにかく睡眠をしっかりととれるかが、無難に乗りきれるか否かの別れ道です。その第1日目は、気にしていた不十分な睡眠で出勤。ぼんやりと、集中力が上がらないまま、1日が過ぎてしまいました。そして、夜は繁昌亭。今夜は「月刊笑福亭たま2013スペシャル〜今年の新作ベストアルバム〜」があったため外せない日だったのです。今回は「芸術祭参加」をうたった公演でした。その番組は、次のようなものでした。治門「つる」、たま「菅原くんの祟り」「八五郎娘」、松枝「はてなの茶碗」、(中入り)、たま・入谷和女「SM浄瑠璃」、たま「ショート落語」「永遠に美しく」。治門は、たまの会の前座として、よく見かけます。強烈な個性があるわけではなく、落語がうまく、客との相性がいい治門は、格好の前座であることには違いありません。松枝は、文昇と共に、たまと同窓だとか、初めて知りました。ネタは、笑福亭ものではないものが出てびっくり。笑福亭では、松喬がよく出していたものだったことを思い出しながら聴いていました。主宰者たまは、今年創ったものばかりを並べました。古典の構造を新作に適用したり、古典のパロディ的な新作が、最近の特徴と見えるたま作品のなか、今日の中では、中入り前の二つが、それに相当します。「菅原くんの祟り」は、大阪の名所紹介という視点で言えば、「天王寺詣り」テイストか。また、川に浮かぶ船を描写しているという視点からは、「遊山船」テイストということになります。天神祭に関する蘊蓄が入るので、ちょっとアカデミック落語という雰囲気が漂う作品。こういった噺の常として、笑いは少なめというもの。なお、この噺、以前に聴いたときに比べ、かなり整理された印象を持ちました。ただ「祟り」と入れているのですから、そちらの方での膨らみが出てくれば、完成形なんだろうなとは思いましたが。「八五郎娘」は、江戸落語風作りをめざすというのが、たま的コンセプト。確かに「妾馬」(上方では「八五郎出世」として演じられることあり)テイストたっぷり。町娘が、殿様の妾になる、その兄貴ががさつな兄八五郎というくだりは、完全にパロディ。ひねりは、妾になる女は子だくさんというところ。そして、八五郎は孫の世話に追われているというところか。「永遠に美しく」は、全く初めての遭遇。老人ネタです。おもしろいキャラの老人が出てくる中で異彩を放つのが、注射をして若さを取り戻す婆さんが、若い男を求めるくだり。最近のたまの特徴として、エロっぽいプロットを多用気味だというところがあるのですが、このネタの終盤は、正にそれ。「SM浄瑠璃」と言い、「芸術祭参加」には似つかわしくないネタを揃えたのも、たまらしいと言えばたまらしい。月曜になのに、補助席まで出る満員の客席。いつになく若い女性の姿も混じるというのも、たまの会の特徴です。ちゅうことは、東京でも受けてるのでしょうね。




2013年 10月 20日(日)午後 10時 34分

 今日は、夜半から雨。朝になっても、昼になっても雨。久しぶりのウォーキングは断念。ですから、昼間は家の用事で宇治に出かけた以外はお昼寝。そして、夕刻になってからお出かけ。久しぶりに「京都みなみ会館」に行って来ました。こちらで、韓国映画「悪いやつら」をやっていたのです。韓国映画自体久しぶりです。観る前は、もっとハードタッチの映画かと思っていました。なんか、実際に観てると、ヤクザ映画なんだけどコミカルなんだなぁ。元税関職員の男が主人公(チェ・ミンシク)。リストラにあい職を失うのですが、公務員時代に培った人脈と、汚職のテクニックで裏社会に組み込んでいきます。極道流のやり方と、政界や役人の裏社会に組み込むテクニックで、組んだ極道(ハ・ジョンウ)ともども力を伸ばしていきます。それだけだったら、単線的な話になるということでしょう、極道同士の縄張り争いが、筋立てに放り込まれます。その抗争の中を渡り歩く男、それに、大頭領令での「暴力団一掃」の取締りが絡み、終息に向かいます。ただ一番最後のシーンって、どのように捉えればいいのでしょうかね。終わったと思った途端の台詞だったもので混乱状態です。評価は高い映画だということで行ってみたのですが、韓国の儒教体質をコミカルに味付けにした映画としか映らなかったなぁ。時代的には、1982年からスタートしてましたが、黄紺が初めて韓国に行ったのが、その翌年ですから、その雰囲気は味わい深く懐かしさを感じました。薄っぺらい雰囲気が、どことなくノスタルジックになってしまいました。




2013年 10月 20日(日)午前 3時 54分

 夜半は雨、一段と寒さが進むのかと思ったら、逆でした。一昨日よりは気温上昇です。昨日は、まず午前中は、冬のオペラ紀行の予習に時間を割きました。嬉しい時間です。ただ、旅行の行程が確定してないのが、ちょっと悲しい現実。ま、それは愚痴をこぼしても始まらないので、昨日のお出かけ記録に移ります。昨日は、「民博ゼミナール」へ行ってまいりました。久しぶりです。ま、チェックをするのを逃していただけなのですが。今回のテーマは「心の武装解除〜モザンビーク'武器をアートに'プロジェクトを考える」。ブラック・アフリカが取り上げられるというだけで、この講演会をチョイスしてみました。講師は吉田憲司氏。この博物館教授の肩書きを持っておられる方です。モザンビークは、東南アフリカの国、かつてポルトガルの植民地支配を受けたのだが、独立を達成したあと、社会主義的な政策を執ったため、隣の白人国家であった時代のローデシアと、アパルトヘイト政策を執っていた時代の南アフリカから露骨な介入を受け、内戦に突入。本来的には内戦でなかったため、ローデシアと南アフリカは、子どもを誘拐して兵士に仕立てていたとか。次第に国家内部にも亀裂が入り、内戦は17年に及んだとか。内戦が終わっても武器が市中に溢れている状態だったため、武装解除を進めないと、本当の意味で平和が訪れないということで考え出されたのが、国民の持つ武器と交換に、農具や自転車を渡すという方法。回収された武器の多くは、直ちに爆破されるのだが、その一部を使い、オブジェのようなアート作品を作り、それを街角に置くという試み。市民は、武器を使ったアート作品を見て、平和を実感できるという仕掛けだ。そのアート作品が、今、民博で「企画展」として展示されているということで、この講演会が企画されたということだったのです。このモザンビークの試みに、アフリカやヨーロッパの国々からの評価が高く、アート作品の特別展示や、試み自体を受け継ぐ国も出てきているとか。かつて、内戦で、世界の耳目を集めた国が、今や「平和の輸出国になっている」ということなのでした。
これは、観なくっちゃということで、講演会が終わればすぐに帰るつもりだったのですが、常設展を観ていくことにしました。民博から、一点大きな作品が発注されたのですが、それは、自転車に乗る夫婦。周りには小鳥が飛んでいました。自転車を作ったわけは、自転車と交換されていること、そして、その自転車の一部が、日本のNPOから送られているからだそうです。愛媛県のそのNPOも紹介されていましたが、放置自転車を譲り受け、小学生が洗い、高校の機械科の生徒が修理し、生徒による街頭募金で運搬費用を集めているそうです。なんか、平和を求めるすごい一体感を感じ、感動してしまいました。これは値打ちものです。観に行く値打ち大ですね。あと、もう一つ企画展「台湾平埔族の歴史と文化」がありました。今、注目の台湾の民族に関してのもの。いわゆる大陸から渡ってきた人たちじゃない台湾土着の原住民の中でも、平野部に住む人たちが、今回の展示の対象となっていました。オランダ、清、日本と外からの支配を受けてきた台湾の原住民は、それらの国々により分類され、また同化政策に晒されてきたところです。そういったなか、1980年代になり、各民族の復権が進んできているとか。なかなかおもしろいテーマです。オーストロネシア諸民族のルーツを考えられてきている台湾、その人たちとの連関性とか、とっても気になる台湾。民博では、別途講演会を用意しているようなので、詳細は、そちらで聴くことにしようかと考えています。展示では、リニューアルされたところとして伺った日本の展示のどこが変わったのか、黄紺の目では確認できませんでした。このあと、来年3月には、朝鮮と中国がリニューアルされて公開されるそうです。これ、楽しみです。実は、朝鮮コーナーに行くと、毎度笑っちゃう展示品があるのです。現代韓国の日常を垣間見れる展示なんだけど、シックタン(食堂)に行くとある必ずあるウォータークーラー、プラスチック大好きの韓国の杓子状風呂桶三重ね、豚型香取線香入れ、こんなのが展示されてるのですよ。研究員の方、足繁く韓国に通っていると目に付く、気になる、だから収蔵しておきたいと思うんだろな、そのお気持ち、とっても解りますよ。だから、敢えて突っ込みを入れます。ウォータークーラーにはワンセットになってるものがあるでしょということです。水を入れるコップ、ステンレス製のコップを入れてある殺菌してますよという雰囲気の透明の収納箱、これ、抜けてますよ。インドネシアの屋台、インドのなんとかという噛みものを売るスタンド、いつも、この辺りで立ち止まってにっこりです。黄紺は、韓国ものの値打ち、日常生活の切り取りとしての値打ちは解るつもりです。そのレベルで、インドやインドネシアを知る人が見るとにっこりとしてしまうものなんだろうなと思ってしまうのです。となると、ついついトルコだったら何だろうと妄想が始まります。ドルムシュを収納したいな。でも、キャデラック型のドルムシュって、もう無理かな。そうそう、「トラブゾン〜アクチャバト」間を走っていた少女趣味デコのセルカンくんのドルムシュがいいな、でも、あれって、彼の趣味であって、普遍性には欠けるしな、だったら、何だろ。シミット売り、ケスターネ売りとか、スジュとか、、、。そういったものが展示される日を待ちましょう。そんなことはいいとして、最後の1時間は、映像鑑賞に当てました。民博での定番です。韓国ものの新資料として入った安東での時祭の記録が1つ、あとははまってしまったインド西部のなんちゃら州の映像。なかでも、なんちゃらという女神を祀る宗教儀式。宗教って、やっぱなんでもありです。ここではヒンドゥー教ですが、女神が憑依するなんてことが続いているのです。憑依した女神は、病を治します。いや、治ると言います。血の生贄を求めると、用意された雄山羊の首が切り落とされ、周りの男が山羊の首を持って女神の下に走ります。作物の吉凶を占います。目の前の豆粒を掴むと、その数が偶数か奇数かで吉凶が決まります。その州の食事風景も、村のもの、都市の中産階級のものと見ることができました。ロティという薄いパンを焼いたしりから食べていました。うまいだろうなと、クアラルンプルのインド屋さんでの朝食を思い出していました。閉館時間ぎりぎりまでの鑑賞、全然、もの足りません。民博大好きの黄紺、ゼミナールのある日は朝から民博の映像資料で遊んでみることにしようかな、今度は。




2013年 10月 19日(土)午前 4時 55分

 一昨日の木曜日は、夜遊びなし。ここから、ようやく週末。プチ旅行中は、週末であっても週末という感じがしなかったのです。で、昨日は、朝から家の仕事。最近、家にいると、家の仕事で動かねばならないことが多く、食傷気味。この週末も、1日だけでは済まないのです。ひょっとしたらダメかもと思っていたのですが、家の用事は、昼前に済んだおかげで、予定していた「動楽亭昼席」に行くことができました。昨日は、千朝がトリで、且つ東京に移った雀々が出るというので行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。二乗「阿弥陀池」、ひろば「上燗屋」、小染「浮世床」、雀々「代書屋」、(中入り)、一蝶「昭和仁侠伝」、千朝「鹿政談」。期待の千朝は、こないだと同じ「鹿政談」。これには外されました。おまけに、そこまでは反応の良かった客席が、千朝落語には無反応。時代劇風のくさい悪役が出てきても、そのまんまなために、千朝のパワーも下降気味。ますますがっくりでした。雀々の方は、テンション上げすぎの口演は相変わらずどころか、パワーが増した雰囲気。35分もかかりました、「代書屋」が。さすがに長すぎと考えたのでしょうね、職歴のところまでくると、ちょっとはしょり気味になってました。小染の「浮世床」は、なんかレトロな感じ。やかんに映る顔を眺めたり、火箸を鼻に突っ込む場面なんか、実に久しぶりに聴いたのじゃないかな。あとは、無筆の男の本読みでした。このネタ、最近の若手は取り上げないですね。勿体ないことと思えたのは、小染の口演が良かったからでしょう。一蝶は、久しぶりの遭遇。あまり遭遇したいとは思わないのですが、かなり老けた印象。お家の芸を聴かせてくれました。でも、こればっかの印象。こればっかという突っ込みが入りそうなのが、二乗のマクラ。「阿弥陀池」に入る二乗テイストのくすぐりを聴くたびに、オーソドックスなくすぐりの出来映えの良さに気づきさせられます。ちょっとお下品であってもです。ひろばは、お酒の噺が好きなみたい。最近、よく酒の噺をするひろばと遭遇します。昨日の動楽亭は、こんなで満足感は今ひとつ。でも、いいことあったのです。昔の職場の同僚と動楽亭でばったり。とっても嬉しい再会。その昔、ベトナムへ一緒に行った方。あれから、どれだけ月日が経ったことか。コナックで食事をしましょうと言って、昨日はお別れしました。
 動楽亭を出ると、文楽劇場に寄り、11月公演のチケットを買いました。そして、毎度の如く、千日前のネットカフェで時間調整。夜は、「徳徳亭」であった「第5回『南湖の会』徳徳亭連続講談席〜これが難波戦記〜」に行ってきました。育メンを自称する南湖さん、主宰の会が減っているうえ、開かれると、何かとぶつかってしまい、ホント、おじゃまをするのは久しぶりでした。その番組は、次のようなものでした。「真景累ヶ淵〜宗悦殺し〜」「難波戦記 黒田長政と後藤又兵衛のこと、並びに、後藤退去のこと」。南湖さんは、初代快楽亭ブラックの話なんかをマクラでしていて、いきなり「深見新左衛門」「皆川宗悦」の名前が出てきてびっくり。それって、講談じゃなくて落語じゃないってところです。もちろん、三遊亭円朝作の名作落語です。終わってから、南湖さん曰く、「来週、貞山先生のところへ行くので、お稽古代わりにやらせていただきました」。恐らく、東西交流で貞山さんのところへ行かれているということなのでしょう。貞山と言えば、娘の貞鏡が気になる。と、それを見透かしたように、貞鏡の話をしてくれました。もうピーポッポ状態。今まで知らなかった貞鏡の顔を教えてもらえました。「難波戦記」の方は、副題にもあるように、君臣関係でありながら袂を分かつ黒田長政と後藤又兵衛の経緯が読まれました。南湖さんの口演では、後藤又兵衛の才知に主君長政公が嫉妬したというところでしょうか。黒田藩を出た後藤又兵衛には引く手数多。秀頼の下に走ると知っているのは、これは、あとの話を知っているということ。小倉の細川の下に客分となったり、日本号の槍を肩にして、方々を回るというところへ、片桐且元がやって来ます。どうやら、ここから秀頼の下へ赴くとなるのでしょうが、その前にお時間ということで切られました。




2013年 10月 17日(木)午前 3時 24分

 呆気なく5連休が終わり、仕事に復帰です。でも、今回のプチ旅行で、最も歩く機会の多かった池袋の街が頭をかすめていけません。まだ旅行を続けている気分でのお仕事。お昼ご飯は、今、家の方がチュニジア旅行をされているため、お弁当のない方と近くの回転寿司屋に。チュニジアで回られているところを伺うと、息子がチュニジアに行ったときに行った町の名前が出てきました。トルコ語由来の名前だったので覚えていました。ドゥーズです。きっちり近くに塩湖がありました。そんなで日常が戻ってしまったのですが、夜遊びもしっかりと再開。昨夜は、「動楽亭」であった「生寿成熟の会」に行って来ました。その番組は、次のようなものでした。南斗「秀吉の初陣」、生寿「色事根問」、雀五郎「肝つぶし」、(中入り)、生寿「蛇含草」。生寿も、師匠の生喬もともに、客席は男性客に占められるので有名なのですが、昨日も全くその通りになりました。前座役は、生寿の学校の先輩ではあるのですが、この世界では後輩に当たる南斗くん。時間の関係で、敵方の大将の首を取るところまではいきませんでした。生寿は、一つ目のネタではマクラをふりたおすのが定番。あとから出た雀五郎から、「マクラから師匠そっくりです」「空気感から」と突っ込まれていました。確かにそうで、それがおっさんたちに合ってしまうようで、師弟ともに、男性客ばかりを集めてしまうのでしょう。話題は、松喬師の葬儀前後の様子が、時節柄多くなりました。そして、ネタに入りかけたところで、師匠に「ネタに変化技を持ち込むように」とアドバイスを受けたので、「たま兄さんのの会に通っている」と言って笑いを取り、始めたのが「色事根問」。「一見栄」のところで、「それは三重の男がええということですか」で、客席はヒーヒー、大爆笑。でも、総体はオーソドックスな「色事根問」でした。雀五郎が「肝つぶし」を手がけているということは知っていたのですが、遭遇は初めて。「肝つぶし」自体、ご無沙汰ネタだったので、聴いてみたかったものだっただけにラッキー感がありました。冒頭の夢の話を聴くところで、聞き役の男の驚きようが半端じゃない演出に花◎です。その驚きようだけで、夢を語る男の生活、人となり、そんなのがいっぺんに見えてきました。ピンポイントのグーな演出でした。師匠の雀三郎の演出なのか、それはあり得ますが、、、。生寿の二つ目は、今年覚えたという「蛇含草」。「夏のネタなら5月くらいに覚えないと時期を逸してしまうのに7月末にネタ下ろしをしました」というのは生寿の弁。師匠の生喬からもらったのだろうなと思える骨太の語り口。生寿の小さい身体に、生喬のごっつい口演ってのは合いにくかろうと、以前は思っていましたが、段々、生寿の口演にもなじんでくるからおもしろいところです。ということで、生寿の会らしく、明るくおっさんの笑い声に、僅かの女性の笑い声ががぶってくるという会でした。




2013年 10月 10日(木)午前 0時 48分

 台風直撃かと、直撃シフトを敷いていたのですが、見事にすかされました。暑いですね。今日も職場にはクーラーが入りました。特に10時頃からの気温上昇にはびっくりしました。今日は夜遊びありの日です。繁昌亭での「サムシング寄席」に行ってきました。この会は、遊方とたまの二人が、自作品を並べるというもの。5年ほど前に、3人でやったことのある会だそうです。記憶にはあるのですが、そないに前だったかなぁ。何かとバッティングしてしまい行けなかった記憶だけが残っています。で、今日の番組は、次のようなものでした。八斗「プチ向こう」、遊方「GORO」、ナオユキ「スタンダップ・コメディ」、たま「ペッパーラッパー」、(中入り)、遊方・ナオユキ・たま「トーク」、たま「兄弟船」、遊方「いとしのレイラ〜彼女のロック」。おもしろいラインナップです。噺家さん二人のネタも、普段あまり出さない方のものが出ているのです。たまの方からいくと、「ペッパーラッパー」は、「くっしゃみ講釈」のパロディ。ゴートゥーイッサンというディスクジョッキーをペッパーで懲らしめるというもの。ただ、このネタ、パロディだけを楽しむというだけにはなっていないところが、たまの非凡なところ。レディー・ガガの歌を50枚のフリップに書いて(たま自身の翻訳)、それを1枚ずつめくりながら歌うなんて場面が入ったりします。ピンク・レディーの曲をネタに、胡椒を買いに行ったりと改作の部分も快調でした。「兄弟船」の方は、同性愛や人肉嗜食したりとちょっと不気味なネタ。真ん中あたりでは、仁智の「ハードラック」のパロディっぽい部分が入っています。その辺が、好事家に贔屓にされる要因なのでしょう。遊方の方は「GORO」が傑作。突っ込みとボケという大阪人にとっては日常的な会話が一般的な社会ではないところで苦悩する大阪人物語です。短いですが、めちゃくちゃアホらしいネタです。それに対し「いとしのレイラ」はハートウォーミング系。これも、聴いてみて、随分と昔に聴いたことあるなの記憶が蘇りました。終盤、遊方はギターを手に、ロックンロールではなくほんわかムードのフォークっぽい歌を歌います。遊方ならではの高座です。




2013年 10月 9日(水)午前 3時 57分

 暑い日が続きました。一昨日などは、職場にクーラーが復活しました。もっとも黄紺のいる部屋は関係ありませんが。暑いからということもなかったのですが、一昨日は、予定していた落語会に行くのを、急にやめて帰宅。そないな日もあります。替わりに、昨日は落語会のはしご。午前中に家の用事を済ませたあと動楽亭へ。今月2回目となる「動楽亭昼席」です。ところが、昨日は、とんでもない入り。どうしたのでしょう。南光が出るからというのは理由にならないのは判っているので、わけが判りません。こないに混んだ動楽亭は、「月刊たま」と「秘宝館」ぐらいかな、知っているのは。で、今日の出番は、次のようなものでした。そうば「十徳」、雀太「上燗屋」、南天「動物園」、南光「子は鎹」、(中入り)、塩鯛「八五郎坊主」、米紫「三年目」。好メンバーであることは間違いない番組。南天が「動物園」を出したときに、当の南天が驚くどよめきが上がったほどですから、結構な落語ファンが詰めかけていたことも事実。平日の昼間、しかも台風前という条件で、あれだけ多くの客が集まるというというのはすごいことです。「十徳」は、そうばの前座ネタとして定番ものの一つ。ちょっと「アホウ」という言葉が入り過ぎるのが困ったところですね。雀太の「上燗屋」は初めてではないはずなのですが、とっても新鮮に感じられました。若手の噺家さんの中では、酔っぱらいをやらしたら秀逸だということもあるのですが、そのいい雰囲気の中で、古典的なくすぐりから、雀太オリジナルなくすぐりが決まっていきました。豆を遊んで食べるくすぐりには笑わせられました。雀太ベスト間違いなしです。南天は、大阪のおばちゃんシリーズのマクラをたっぷりとふるものですから、何をするのだろうと思っていたら「動物園」でした。「動物園」でどよめきや拍手をもらえる噺家さんは南天だけです。南光の「子は鎹」は、夫婦別れの場面から入ります。そして、母親が子どもを連れて出ていく型。今日の口演を聴いてみて、やはり出ていく前を入れた方がいいですね。これがないと、噺の結論部分だけ聴いている印象になります。また、3人目の大人が出てこない方がいいなとも思いました。二人でなんとかしようという空気感が出ますからね。三人目は、鎹の倅で十分です。確かに、女が子どもを連れて出て、暮らしていけるのかという問題が残るのですが、この型の方がドラマになるなと思いました。塩鯛は、思いがけない「八五郎坊主」。塩鯛が出しているのを見たことがないので、思いがけないのです。夜に行った八聖亭で会った落語通の方に伺っても「知らんなぁ」と言われていましたので、ひょっとしたら新ネタかもしれません。キャラ的には、塩鯛に合ったネタなんで、不思議な感じがしてしまいました。そういった印象で聴いたからでしょうか、もっとスケールが大きくないと、塩鯛なら満足できないぞというところでした。トリの米紫からすると、やりにくい出番、やりにくいネタの運びだったと思いますが、大健闘。長い間聴いてなかった「三年目」を出してくれたことだけではなく、おはなさんの青白い雰囲気が良かったなぁ。きっちりと、師匠塩鯛の空気から、自分の空気に変えていました。期待に応えるいいトリでした。
 動楽亭を出ると、堺筋線で「扇町」に移動。近くのネットカフェで時間調整。そして、今度は、環状線で「福島」に移動し、久しぶりに「八聖亭」に行ってきました。こちらで、今夜「たけくらべの会」があったのですが、この会に行ったのは、まだ2回目じゃないかな。六代目松鶴の孫弟子・曾孫弟子の会です。その番組は、次のようなものでした。智六「牛ほめ」、呂好「寄合酒」、生寿「蛸芝居」、(中入り)、喬介「三人旅」、松五「宿屋仇」。智六の落語との遭遇機会は少ないです。ちょっと、そのわけのようなものが判りました。「牛ほめ」をするのに、危なっかしいのです。前座に使いにくいのでしょうか。呂好も、そんなに多くない。でも、こちらは語り口がしっかりしていますから、他にわけがあるのでしょう。ただ、この人では「寄合酒」しか聴いたことがない。自分の会を開くそうですが、ネタの方は大丈夫なんだろうか。中トリで、がくんとグレードが上がりました。生寿の「蛸芝居」は二度目になるはずです。かなり安定感が出てきたなの感じがしました。歌舞伎的所作に振り回され度が、かなり下った気がしました。この人、もうちょっと体があるといいですのにね。生寿が演じようとする型というのが、大きくの意識が働いてるのか、生寿の体では持ちかねているという感じがしました。喬介「三人旅」は、おなじみネタ。喬介は、えらく大きな声をはり上げての高座。テノールですから、ちょっときついものがありました。トリは、松五「宿屋仇」。「ネタがついています」「旅ネタが2つ続いてしまってます」「2つとも3人の旅なんで、つなげてもいいかと思った」「でも、大阪の3人連れと兵庫の3人連れと、3人連れは同じでも違う人物です」と、旅ネタを2つ並べたわけを説明。喬介が「三人旅」をやりたいと言ったのが発端だとか。松五は勉強熱心だから、こういった大ネタをいくつも持っています。入門時に、こういった噺家さんになるとは思っていませんでした。それにつれて語り口調もしっかりとし、ついには輝き賞ですからたいしたものです。ただ、昼間から連続落語会、ついにここで疲れが出てしまったようで、何カ所か飛んでしまってます。松五狙い的なところがあっただけに残念なところです。




2013年 10月 6日(日)午後 10時 51分

 今日は秋晴れ、でも気温は、まだ夏でした。ですから、今日も、まだTシャツでお出かけ。まず、今日は、繁昌亭の昼席に行ってまいりました。2〜3月に1度、福笑に出番があるので、そのときには、繁昌亭の昼席に行くようにしてます。おまけに、今日だけたまが出番をもらっているということで、日曜日にも拘わらず、昼席に行くことにしたのでした。同じ時間帯には、「文之助襲名公演」があったのですが、派手な会は、自分的には興味がないもので、端から選択の埒外でした。で、昼席の番組は、次のようなものでした。雅「鉄砲勇助」、たま「崇禅寺馬場」、団四郎「相撲場風景」、豊来家一輝「太神楽」、仁昇「子ほめ」、文喬「研修医山田一郎」、(中入り)、青丸・とん子「漫才」、学光「荒大名の茶の湯」、米平「猫の茶碗」、福笑「便利屋」。そないに期待をかける噺家さんが揃ったわけではない今週の繁昌亭。しかも、ネタ的にも、完全に新鮮味に欠けるというもの。文喬や学光、米平あたりは、完全にお定まりのもの。仁昇には、期待するのも無茶というほど、この人の持ちネタは少ないのじゃないかな。更に団四郎も、人に合わないネタだしと、盛り下がる要素ばっか。むしろ雅の丁寧な語り口の方が、自分的には好印象。となると、やはり福笑一門で持った昼席。ただ、「便利屋」は、前半の健康志向噺はグーなんだけど、後半は全く違った噺になってしまうので、福笑作品では、自分的には当たりとは言えないもの。となると、白眉はたまの「崇禅寺馬場」。ちょっとご無沙汰なんで聴いてみたいなと思っていたら、こないなところで聴けたのは、とってもラッキー。過保護の母親を出すのが、たま的着想の冴えたところ。ということで、全体的には、ちょっとパッとしなかったかなという繁昌亭昼席でした。
 繁昌亭を出ると、南森町のおなじみのネットカフェで時間調整。夜は「中津」に移動。「こまち日和」の公演「ヨイヤミ」に行ってまいりました。場所は、阪急電車のガード下にあるカフェ「Moulin Kitchin」の2階ににあるスペースを使ってのもの。あの辺りはおもしろいお店があります。今夜で、この週末は、3本も芝居を観ることになりました。ま、巡り合わせでしょうが。舞台と客席は同じフロア。大阪でも少人数の客に芝居を提供する公演が増えているようです。客は25人くらいかな。それで客席は満杯というスペースです。下から上がってくる階段や少し奥まった空間、そんなのもうまく取り入れた竜崎だいちの演出が光ります。作品も、その竜崎だいちの書いたもの。竜崎だいちは、ミジンコターボの座付作者でもあるわけなので、そないな関心から、行きたいなと思った次第です。物語は、二人の男が暗闇の中で出会い、そして、二人がお互いを認識して別れるまでの短い時間、そしてコーダとして、一人の男の彼女が、同じ場所に遅れてやってきて、家の大家に会うところまでを描いたものと考えていいのだろうなと、一応把握しています。芝居の大半は、二人の男が、互いに名乗りあったところで、二人の過去がフラッシュバックして、それぞれの生きてきた道、やがて二人の男の接点に至るところまでが語られると考えていいのだろうなと、一応考えています。が、ひょっとして、二人の男は、世代が違うのかなとも思うのです。一人の男が持っているキーホルダーは、子どもの頃にもらったものという種明かし的とも思える台詞が、男の恋人の口から出てきます。世代を越えた二人の男の会話となると、プロレスラーを名乗る男は、もう一人の男(絵本作家)の父親となります。ならば、プロレスラーの男の彼女の姓と絵本作家の男の姓が同じだという説明が成り立ちます。プロレスラーの男は養子に入るのですから。こうやって振り返ってみると、頭の中が整理されてきました。どうやら世代飛ばしの筋立てと看るのが正解と思えてきました。こうした手の込んだ芝居は、誰かと連れだって行かないとダメですね。何人かで合わせてみることができますからね。




2013年 10月 6日(日)午前 5時 58分

 昨日は、午前中半日の出勤日。ゆっくりとした気分になれません、せっかくの週末というのにです。そして、午後からは解放され、まっすぐ伊丹へ。AI-HALLであった桃園会の公演「少女仮面」を観てまいりました。「現代演劇レトロスペクティヴ」の一つとして、この唐十郎作品が取り上げられたのです。この作品は、唐と別れたあとの李麗仙が主宰した公演で観たことがあります。あれから随分と時間が経ったものです。主人公が春日野八千代であること、そして不思議な水飲み男が出てくるのだけは、しっかりと覚えてはいたのですが、筋立てとかテーマのようなものは、すっかりと記憶の彼方に行っていました。一つ、自分的には困った要素があることに、始まってまもなく気づきます。この芝居、「嵐が丘」がモチーフとして使っているのですが、なんせ読んだことがないもので、読み込まれているはずのことを、随分と外してるだろうと思っています。が、春日野八千代で宝塚を表し、そして宝塚というところから「永遠の処女」という言葉が頻繁に使われ、老いと若さという矛盾した概念の同居を引っ張り出しています。でも、その同居も、若さからの乖離が進むにつれ、老いに打ちひしがれていく、人としては誰しもがくぐり抜けねばならない道筋を表しているのでしょう。そのくぐり抜けていく道筋こそが「嵐が丘」と言っているように聞こえました。その「嵐が丘」を、芝居の中では、満州にもなぞらえている。春日野八千代が、満州慰問団に加わり満州に赴いたときに軍人に恋をしたというエピソードを放り込み、うぶな「少女仮面」として生きてきた内実、齢を重ねていく内実を表す。「少女仮面」として若さを売り続けた替わりに、老いを重ねたときに、その取り戻しようもない若さを取り戻そうとしたときに、春日野八千代を満州にまで追いかけてきた少女たちは、与えるべき若さを与えるのではなく、相変わらず「仮面」を追い続ける存在としてだけであり、益々老いの苦しみに追いこむだけという流れになっていました。演出的には、追いかけてきた少女に昭和天皇の仮面を着けさせていました。あらがいようのない権力、老いはファシズムのごとき権力関係で人間に迫ってくると言いたかったのか、満州侵攻から天皇制という連想から、この芝居を政治的メッセージに依拠するものと捉えたのかは判りませんが、ちょっとなじめない気がしてしまいました。舞台は狭く設定し、その床には新聞紙が敷き詰められており、終盤の春日野八千代の独白になると、その新聞紙をかきむしったりさせて、心情的高まりなどをうまく表していました。唐作品を、他の劇団、他の演出家が演出をするということに、若干の躊躇いがあったのですが、正解かな、行ってみて。それだけ、唐作品の強さのようなものを観た思いがしました。
 「伊丹」からはJRで「北新地」駅へ直行。梅田の初めて行くネットカフェで時間調整。そして夜は福島に戻り「ABCホール」へ。夜も芝居で、「スクエア」の公演「誉れ兄弟」を観てまいりました。物語は、一人の男が亡くなったところからスタートします。相次いでやってくる三人の兄弟たち。彼らは30年ぶりの再開です。30年前に、彼らは兄弟解散をして、別々の人の世話になり大人になったという歴史を持っていました。そこへ、一人の女が相続についてと言ってやってきます。最初は弁護士かなと思っていたのですが、流れの中で遺言で何かもらえるらしいからやってきたようです。その遺言の謂われが、最終的に、この芝居の焦点になるのですが、それをなかなか出さないのが、この芝居のミソ。3人兄弟、その幼友達、それぞれのキャラをうまく作っています、その「出さない」ということに。持って回るように持って回るように仕組まれているのです。そして、ようやくその女に発言の機会が回ってきたとき、もう一人の兄弟、いや兄妹の関係が浮かび上がってくるとともに、父親の愛情が浮かび上がってくるという仕掛けでした。個性の強い4人の役者に加え、新加入の若い人たち、客演陣がうまくからみ、いつもながらのほんわかモードを味合わせてもらえました。「少女仮面」とは好対照の癒し系です。




2013年 10月 5日(土)午前 5時 38分

 今週末は、運悪く3連休がつぶれ、今日は出勤となります。そのためだいぶと慌ただしくなっています。昨日も、午前中、歯医者に行ったあと、大阪に出かけたいのに、所用で京都市内に出かけねばなりませんでした。そして、ようやくフリーになり大阪へ。昨日は、まず午後は動楽亭の昼席に行ってまいりました。今月は、この寄席に行こうと思うと、わりかし行きやすいスケジュール。その番組は、次のようなものでした。弥太郎「寿限無」、佐ん吉「道具屋」、わかば「うなぎ屋」、雀松「口入屋」、(中入り)、出丸「寄合酒」、千朝「鹿政談」。今日は、随分と各噺家さんが得意としているネタが並びました。弥太郎の「寿限無」、佐ん吉の「道具屋」、出丸の「寄合酒」、千朝の「鹿政談」というのが、それに相当します。それらは、聴いている頻度のかなり高いものなのですが、それぞれこなしきっている強みが随所に看られ、何度も聴いてみたくなるものです。前座として弥太郎が出す頻度がやたら多いのが「寿限無」ですが、後半が変わりネタになっているという特徴を持っていますが、中でも女子高校生が出てきたりすると、その口調に、どんどんと磨きがかかっていくのが楽しくて。「道具屋」は、お雛さんが落語をするところが楽しみなものです。佐ん吉スペシャルです。全体としても、間といい、口調といい、素晴らしい出来栄えにほれぼれです。「寄合酒」は、さすがにかまないですねと、かむのが売りみたいな出丸です。千朝の「鹿政談」に出てくるヒール役の与力が傑作。時代劇の悪役口調で、オーバーにするものですから、会場は大爆笑でした。それに対し、わかばと雀松のネタは、あまり聴いてないもの。わかばの「うなぎ屋」が、すごく良かったなぁ。思わぬめっけものの雰囲気、たっぷり。自然体の口演で、自分的にはわかばベストに上げたいと思います。こんなにいいネタを持っているのだから、頑張ってもっとネタを増やせばいいにと、ついつい思ってしまいます。雀松は、文之助襲名2日前。ここにきて、「口入屋」を出したということは、このネタを、襲名披露公演のネタに用意している可能性がありますね。冒頭の口入屋の場面はカットされ、お店に丁稚が帰ってくるところからスタート。軽く流れるような口演になじみ過ぎたのでしょうか、ご寮さんの前で得意技を披露する聴かせどころでこっくりきてしまいました。最後の雀松だけで、そうなってしまったのが悲しいですね。
 動楽亭を出ると、堺筋線で「扇町」に移動。駅近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は繁昌亭へ。今夜は、福笑主宰の恒例の「テーマ落語会」、今年は「頭、カリカリ特集」でした。その番組は、次のようなものでした。たま「クレーマー」、福笑「長短」、三喬「近日息子」、(中入り)、生喬「ぞろぞろ」、福笑「釣道入門」。たまの新作は、2度目の口演で、「前日、ネタについて仁智からアドヴァイスをもらったので、仁智テイストになっています」と言って始めたら、いきなり「源太!」に、落語通は大爆笑。じゃない人は目を白黒。仁智の落語のパクリで始めたのでした。ただ、急ごしらえ的になってしまい、短く単線的な展開で、たまの新作ができたて的な雰囲気でした。師匠のいるところでは、あまりしなかったことが出てしまいました。福笑の「長短」は初物。えらく普通の流れだったもので、おかしいなと思っていたら、「長」の男が、最後になって逆ギレするというもの。「カリカリ」が二重になったという仕掛けです。三喬も、どちらかというと逆ギレパターン。文句を言われ、突っ込まれる男の逆襲が入りました。そして、突っ込む男と突っ込まれ男は友だちだったというオチまで付いていました。枚方に一緒に行き、植木屋を一緒に冷やかしたりと、確かにそう言われればそうです。生喬はネタに入ると、途端に常の「ぞろぞろ」を説明。その後日談に入りました。聴かせどころは、変なぞろぞろばかりになってしまったので怒り出した人たちが、赤手拭稲荷に文句を言うと、神さんが出てきて切れてしまうというもの。生喬のごっつい声で切れるものだから大迫力。めっちゃ受けてしまいました。トリの「釣道入門」は好きな噺なんだなぁ。以前は、よく出していたのですが、最近はたまにしか聴けないので、大ラッキー。ビギナーズ・ラックの噺です。カリカリするのは、当然、釣り初心者を連れて行った釣り名人の男。福笑作品の中で、黄紺のお薦めの一品です。




2013年 10月 4日(金)午前 5時 43分

 一昨日の水曜日は、夜遊びなしで家に直行。今週になって早くも2回目。そして、昨夜も食事会だったので、かなり演芸関係に足が遠のいてしまいます。ま、行こうと思ったものがなかっただけというところだけなのですが。昨夜の食事会は、年に3〜4回もっている一番最初の職場の同僚との会食。場所は、いつも「イスタンブール・コナック」。木曜日なのにベリーダンスが入りました。週末に行くと混むので、この食事会は、いつも平日に設定するので、久しぶりのベリーダンス。黄紺の知らないトルコを見ているようで、、、。夏にトルコに行って来たというと、決まって出てくる言葉は「大丈夫?」というもの。そして「オリンピック」。黄紺にとっては、いずれもどうでもいいこと。「オリンピック」なんてのが来てくれたら、物価が上がるだけで迷惑としか思ってないものですから。そないなことを思いながら、オリンピック・スタジアムへ行くメトロが、頭をかすめました。あのメトロ、マッチのときに、これからもちょろっとしか動かないのかと、そないなことを思い浮かべてしまってました。これは、口には出さなかったのですが。「大丈夫?」と聞かれる、例のデモなんかの騒ぎ。それを聞かれても無反応の黄紺ですが、そのとき頭をかすめるのは、カドゥキョイのネットカフェにいるときに、店の前をボーアの方から小さなデモが通ったこと。外に出なかったので、何のデモかは判らないのですが、あれって関係ないのかあるのか、、、。トルコで、1度だけ見たもので、聞かれる度に思い出すのだけど、タキシムじゃないしなと関係を打ち消してしまうのです。あとは、年寄りの会話。それが身の丈に合ってるなの印象、皆さん、お互いに。集まった3人の内の1人が、来月、世界一周に出かけます。2度目になります、そのおばさん。ということで、昨夜の食事会が設定されました。再会は、その方が帰ってくる半年後です。それまでの3人の合い言葉、「死んだらあかんでぇ」。




2013年 10月 2日(水)午前 0時 10分

  大阪府守口市(61)〜大阪市旭区、東淀川区〜摂津市(3)

   月曜日は、家に直行。仕事疲れで早々とダウン。
 そして、今日は非勤務日、だけど、10月の5連休にプチ旅行を考えているため、それを見越しての持ち帰り仕事。まじめに遊ぼうとすると、せわしなくていけません。本来なら動楽亭昼席に行こうかと思っていたのですが、諦めてのお仕事。なかなか仕事熱心です。で、メドが立ったところでお出かけ。午後のちょっと遅めからウォーキングを始めました。そのコースは、次のようになりました。京阪「守口市」駅〜テクノセンター守口〜淀川左岸〜豊里大橋〜大宮神社〜能條公園〜地下鉄「たいどう豊里」駅〜今在家公園〜大桐公園〜松山神社〜大阪市立小松小学校〜神崎川左岸〜西江口橋〜別府公園〜中貢神社〜味府神社〜井高野車庫。久しぶりに、守口から井高野を目指すことにしました。大阪経済大学まで迂回してから相川駅の東側に出るつもりだったのですが、小松小学校の北側には橋がないため、結局西江口橋を渡るはめに。更に東に向かい別府交差点方向に入れば、もうそこは摂津市。ということで、今日採ったコースは、以前行きかけたことはあるのですが、時間が心配になり諦めてしまったことのあるもの。最後にちょっと迷いかけたのですが、大事に至らず、無事目的地に到着できました。井高野車庫を出るバスの関係で、実質ウォーキングに使った時間は1時間52分でした。
 井高野からバスで「扇町」まで移動後、しばしネットカフェで時間調整ののち繁昌亭へ。今日は、繁昌亭主催公演で「繁昌亭夜席(円朝特集)」があったのです。その番組は、次のようなものでした。真「元犬」、文華「女の子別れ」、円笑「牡丹灯篭〜お峰殺し〜」、(中入り)、春雨「にゅう」、文太「よもぎ餅(黄金餅)」。「元犬」は円朝作なのでしょうか。真自身も、「そうなのでしょうか」と、客席に問いかけていました。ところが、この「元犬」が、聴いたことのない部分が付いていました。人間になった元犬が、仕事に就くのだが、犬らしい動きを繰り返すところまでは、通常の型と同じなのですが、そのあと店の主人のお供をして外に出ます。犬嫌いの主人は、犬を嫌がるのを見て、犬の撃退法を伝授すると、どの犬も近寄らなくなるというものが付け加わりました。真は、このネタを誰からもらったのでしょうか、知りたくなりました。「子別れ」に「女の」と付いていました。子どもが父親のもとに残り、母親が出て行った型を、そう呼んだだけで、別段珍しいものではありませんでした。文華に拠ると、母親が子どもを連れて家を出る型が元の型だけど、円朝が作った明治初期の世相として、女が子どもを連れて出て行った場合生きてはいけないということで、文華が演じたような母親だけが出て行く型が生まれたということです。最近、「子別れ」に遭遇する機会が多いのですが、さすが文華は一味違いました。ためというか、遊びというか、筋立てだけを追いかけるだけではない何かがあるのがいいのです。冒頭の知り合いの女の家での物言い、経過説明なんかで、それが出てきます。しかもくさくならない程度というものを心得ていますので、情感がじっくりと伝わってきます。その雰囲気を出したら、あとはしつこくならないことを心掛けます。その意図は解るのですが、父親にも複雑な心境を表現させてやりたいなと思ったのは、黄紺だけでしょうか。円笑は、上方で唯一江戸落語の噺家さん。こういった企画の時は欠かせません。「牡丹灯籠」は4部構成になっている、「お峰殺し」はその第3部だとことわってから、第2部の「お札はがし」のところまでの簡単なあらすじを触れたあと、本題に入りました。「お札はがし」もそうですが、鬼気迫る場面はほんの僅か。「お峰殺し」では、お峰が、亭主の久蔵の浮気情報を得るところに重点が置かれています。円笑は、こういった噺をするときは、言葉に厳しさが欲しいですね。「にゅう」は、茶道具屋のノウハウが解っていると、よりおもしろさが増すものと思われます。円朝の蘊蓄も並外れたものではないことが判ります。「にゅう」とは、その茶道具の傷物のこと。春雨曰く、「円朝の速記本のとおりにすると25分かかります」「それをそぎ落としてみると12分になってしまいました」「おもしろいところを私なりに入れると15分になりました」と言って、客を笑わしながら始めました。茶席に主人の名代として送られる手代のはちゃめちゃぶりって、やっぱ春雨の追加かな? でも、茶道をおもちゃにしながらの噺は、おもしろいですね。「よもぎ餅」は、東京の「黄金餅」。文太が移植したときに「よもぎ餅」としたものです。東京で、このネタを聴くと、やたら陰気で、グロテスクな噺です。金が惜しいといって、その金を餅とともに呑み込んで死んでしまう男もえぐいが、それを求めて骨上げをはちゃめちゃにしてしまう男もえぐいものがあります。文太は、その辺りを心得ているのでしょうね。雰囲気を陽性に変える努力をしてました。陰気な噺を聴き慣れているものですから、かなりの違和感があったことは事実です。




2013年 9月 30日(月)午前 5時 31分

  大阪市内遊歩(178)

 昨日も、朝から家のことでバタバタ。幸い息子が、車を出してくれたので、かなりの時間の節約になりましたが、面倒なことです。帰り道、二人で墓参りもできました。そして、午後には千日前の「トリイホール」へ。昨日は、「旭堂南青講談格闘中」があったのです。その番組は、次のようなものでした。南青「出世の纒」「初代淀屋」「近代建築物語」。だけど息子と、お昼に寿司を食べたとき、ビールの中ビンを1本だけ呑んだのが効いてしまいました。肝心の前二つのネタを聴けてないのです。「出世の纒」は南湖さんが、よく出すものですが、南青くんでは初めてなので聴きたかったなぁ。後ろの二つは、ともに南青くんに、創作が委嘱されたもの。「淀屋」は、淀屋橋の名の由来で有名な大阪の豪商。どうやら、その初代が橋を造ったようなのですが、、、。「近代建築物語」は、船場に残る6つの近代建築、要するに明治以降の煉瓦建築物を取り上げたもの。それらを講談仕立てにして欲しいとの要請に奥の手を使ったということで、6つのビルディングのサミットという形式を使い、実際には、それらのビルのオーナーの思いを語るという構成にしてました。イイ・フィキルです。ただ、本番を前にして、我々が聴くことができたのは、1つのビルについてだけでした。ひょっとしたら、まだ制作中なのかもしれません。
 講談会が終わると、トリイホール前から、直ちにウォーキングをスタート。そのコースは、次のようになりました。トリイホール〜高津神社〜東高津公園〜ソウル書林〜東成鶴橋駅前郵便局〜大阪市立東小橋小学校〜比売許曽神社〜第二明の守たまつ保育園〜入船橋〜南中本公園〜東成中本郵便局〜大阪市立東中本幼稚園〜新開橋〜鴫野東公園〜城東鴫野東郵便局〜大阪市立城東小学校〜極楽橋・大阪市立今福小学校〜南今福橋〜南今福公園〜大阪市バス停「地下鉄今福鶴見」。ウォーキングが済むと、あとは京都に帰るだけだったので、そのときの定番、東成区内に入り、鴫野方向に向かい、あとは京阪の駅のいずれかにダイレクトに入るか、このように、「今福鶴見」まで行き、そこからバスで滝井に出て京都に帰るかです。そして、こちらの方向では「今福鶴見」が限界と分かっていますから、それに合わせてコースを考えるとなっています。昨日の収穫は、つぶれたのではないかと思っていた「ソウル書林」に遭遇できたことです。単に店の位置に変わりがあっただけだったのですね。韓国書籍の専門店として、知る人ぞ知るお店。随分と足を運んだことがあっただけに、前のお店があったところから消えたときは、少なからず衝撃を受けていたのですから。昨日は、ウォーキングの途中でしたから、店内には入らなかったものですから、今度、ぶらりと立ち寄ってみることにします。あとは、さして新鮮味に乏しいコースでした。




2013年 9月 29日(日)午前 6時 10分

 昨日は、午後から芝居と落語会の予約を入れていたため、午前中に息子の協力を得て、一昨日行けなかったお葬式のフライングに行ってまいりました。お顔を拝見すると、お変わりがなかったもので、近親者の方にお聞きすると、2日前の朝は元気になさっていたとか。そないなお話しを伺うと、残念な気持ちが強くなります。
 葬儀場が、職場の近くだったもので、職場で着替えてのお出かけ。午後は、大阪城公園太陽広場での、「新宿梁山泊」の公演「百年〜風の仲間たち〜」に行ってまいりました。久しぶりのテント公演、涼しくなったとはいえ、昼間の公演は暑さとの勝負でもありました。この公演は、単に「新宿梁山泊」の大阪公演と思って、チケットを買ったら、「ワンコリア・フェスティバル」の一貫としての公演で、脚本も、趙博さんの書かれたもので、ご自身も出演されていることを知りました。演出は、劇団の看板金守珍でした。ただ、芝居を観ているというよりか、在日の歴史、運動史のお勉強、在日の人たちの声を聴くと言った構成になっているのは致し方なくもないですね。筋立てというものが特段あるわけではなく、猪飼野の居酒屋の開店20周年の日に、集まってきた常連さんたちの過去、在日を生きてきた思いが、次から次へと語られ、最後に、この日のために作ったという唄が、趙博さんにより歌われました。それに合わせて、賑やかにチャンゴが演奏されたり、チンドン屋が演奏したりと、完全に朝鮮色一色に。もちろん日本的ではなく、また韓国でも、まあ見ることができない光景が現れるのを見るにつけ、独自に進化した在日の文化を見た思いがしました。
 芝居が終わると、大阪城公園駅から鶴橋に移動。夜までの時間調整に、駅前のネットカフェを使いました。そして、再び環状線で新今宮に移動。夜は「動楽亭」であった「月刊笑福亭たま」に行ってまいりました。昨日の番組は、次のようなものでした。治門「普請ほめ」、たま「船徳」「子は鎹」、(中入り)、花丸「うぬぼれ屋」、たま「ショート落語」「チェ・ゲバラ」。たまの古典は、ともに東京ネタ。「船徳」の方は、最近出されるときと基本的に同じ形で進みましたが、「子は鎹」の方は、たまのこだわりを看た思いがしました。先日聴いた南天と同じく、亀ちゃんは、父親と一緒にいる型。たまに拠ると、古い大阪の型だそうだ。母親とかつての近所のおばさんが喋っているところに、亀ちゃんが現れるという型だ。亀ちゃん登場や母親が出ていったあとの様子説明はあっさりと、とってもスリム。元夫婦の情愛描写に手間暇をかけるのが、たまのポリシー。それが功を奏してか、暖かな笑いがもれるという展開。刈り込みが過ぎるのではと、かつて聴いたときは思ったものでしたが、くさくならない程度に焦点が絞れてきていると看ました。この辺の感性の進化を、最近とみにたま落語を聴いていて思います。新作の方は、ちょっと肩肘張ったかなというもの。変形旅ネタです、基本は。ただ、その行き先が、なぜか南米から中米へとシフトしていきます。南米は、根問ものの雰囲気での2人のおしゃべり、その中にダジャレが連発されるというもの。後半に入ると、今度は、実際の旅行編に移行、その行き先がキューバという仕掛け。キューバ、革命、ゲバラ、テロという連想が働いての展開となっていました。そういった政治的、しかも国際政治的ネタを作ろうというのが根本にあったのかなとも思いました。しかも、たま落語の中に、初めて京大が出てきたのじゃないかな。キューバ、社会主義、マルクス主義経済という連想で、京大経済学部が出てきました。こういった意味でも斬新でした。ゲストは、鉄板的と言える花丸。入りは、ほぼ満杯の勢い。完全に、たま人気の定着が看られました。なお、「月刊たま」は今年1年で切り上げ、来年は、どういった形にするかは言ってませんでしたが、繁昌亭で、自分の会を定期的にすることになるそうです。




2013年 9月 28日(土)午前 6時 27分

 昨日は、朝からバタバタと家の用事で動かねばならず、かなり時間を取られてしまいました。しかも、そこへ届いたのが、昔の同僚の訃報。1年余り前にお会いしたのが、最後になりました。歳の順とは言え、まだまだお若いのですが、最後にお会いしたとき、大病を患ったと言われていましたので、その影響があったのかもしれません。これで、同時期に、同じ部屋で働いていた方が、二人もあちらへ行かれてしまいました。これはきつい話です。ご冥福を祈りたいと思います。お通夜に寄せてもらおうと、葬儀場の位置を調べて、昨日はギブアップ。今日の午前中に、焼香させていただこうかと考えています。
 そして今夜は、フェスティバル・ホールでの「大阪フィルハーモニー特別演奏会」のチケットが買ってあったもので、その行きがけに寄せてもらおうとしなのですが、叶わなかったということでした。リニューアルされたフェスティバルホールに、初めて行く日でもあったのでした。プログラムは、前半が、オッフェンバックのバレエ音楽「パリの遊び」、後半がお目当てバルトークの「青ひげ公の城」でした。指揮は、このたび大フィルの常任に就任することが決まった井上道義でした。オッフェンバックは、彼のオペレッタの中からのいいところ取り集というもの。放り込んでしまえってことで、最後には異質な「ホフマンの舟唄」まで入っていました。井上道義らしくムードたとぷりに、ときには指揮台の上で、半分踊りながら振っているのですが、オケの方のノリはイマイチ。しっかりと時間をかけて合わせたのだろうかと勘ぐりたくなるくらいの距離を、指揮者との間に感じてしまいました。それとも、井上道義の即興でのノリに着いていけなかったのでしょうか。「青ひげ公」の方も、オケの押しの弱さのようなものを感じてしまいました。男女の情念をコンパクトに缶詰めにしたような作品は、一方で、扉の謎に挑み、それが一つずつ解き放たれていくというサスペンスでもあります。ですから、もう少しその辺を考えたおもしろい振り方してほしいものがありました。そういった意味で、青ひげ公を唄ったコヴァーチ・イシュトヴァーンも同類。一方のユーディットを歌ったアンドレア・メラースは及第点。謎だらけで、危険な城に入り、扉の中を見せさせることが、愛の証と言い切っていまう意思の強さが、しっかりと伝わってきました。演奏会形式とはいえ、舞台真ん中には縦に通路が設えられ、舞台前の狭いスペースを使い、2人の歌手は芝居をしてくれるという観て楽しむという要素が加わった公演でした。限られたスペースを使った演出ですから、歌手を補完する大きな役割を照明に担わせていました。これも、なかなかヴィジュアル的に楽しめるもの、ただオケが舞台いっぱいに拡がりますから、オケ用の小さな照明が入った上でのもの、その制約のなか、アクセントを付ける試みが行われていました。
 リニューアル後初のフェスティバル・ホールですが、3階席まであります。でも、1階から見上げるホール全体像は、以前のホールを見上げているよう。ホワイエは相変わらず狭い。それを承知で広く見せるために1階から3階まで吹き抜けにしたのでしょうね。比べると狭いことはそうなんですが、なぜかベルリン・ドイツ・オペラのホワイエを思い出していました。インテリアの雰囲気が似ていたからでしょうか。音的には、広い空間に抜けるという感じとは真逆の雰囲気。ま、舞台のスペースがシンフォニーとは違いますからね。金管が、もうちょっと抜けて欲しいなと思ったのと、木管がやけにしょうもなく聞こえたの以外は、わりかし全体としてはいいかなという印象でした。




2013年 9月 26日(木)午後 10時 10分

 昨日に比べ、かなりの気温の低下。でも昼間は、まだまだ気温が上がりそうと、半袖のままお出かけ。夕方からの夜遊びには、ちょっと涼し過ぎました。その夜遊びは「動楽亭」での「上方講談を聞く会」。最近は、ネタにより行ったり行かなかったりとなっています。同じ人による同じネタを避けようとしていると、そのようになってきました。で、今日の番組は、次のようなものでした。南斗「太閤の初陣」、南青「中山安兵衛」、左南陵「隅田川誉乗っ切り」、南北「天王山」。「太閤の初陣」は、わりかし出る方のネタだが、遭遇は久しぶり。敵方の大将伊藤日向守の首を取り出世の階段、秀吉が大きく一歩上る話なのだが、噺の構成は滑稽系。日向守からすれば、相手にもならない雑兵をからかいながら戦っているところ、秀吉の槍が馬の鼻を刺してしまったことから命を奪われるのですから、最期の落馬の寸前まではチャリ噺なのです。それを楽しませる調子を、南斗くんは掴みましたね。大したものです。「中山安兵衛」も人気作品。障害に3度の仇討ちをした安兵衛、その中で最も読まれる機会の少ない最初の仇討ちを取り上げました。仇討ちのあと、新発田を出藩した安兵衛が、上州で剣術を修めたあと、江戸に落ち着くまでを、南青くんは読んでくれました。本日の白眉は、左南陵師の「隅田川誉乗っ切り」。東京にいたことのある左の師匠は、普段上方では出ないネタを、どんどんと出してくれます。ネタ的には、「名月松阪城」の雰囲気。城主(このネタでは3代将軍家光)に、本当の剣術の実力を解らせるため、家光を打ち込んだ侍安部忠明、その意図を見抜き、間を取り持つ大久保彦左衛門。物わかりのいい家光は、即座に了解をするが、なかなか忠明に声掛けができないでいたとき、江戸に大雨が出る。市中の視察に出かけた家光が、激流となっている隅田川を見て、武勇を試さんがため川の乗り切りを求めたところ、忠明が進み出て、見事ちやりきり、両者の対面が実現するというもの。隅田川のくだりが、演出過剰という雰囲気もあるのですが、江戸時代らしいなんて感じさせてもらえるので、まんざら不快な印象は持ちませんでした。むしろ乗り切りの場面が修羅場読みになっており、このネタの旺盛なサービス精神に感服しました。もちろん左の師匠の口演だからこそという点が大きいのですが。それに反して、南北さんの「天王山」は針小棒大ネタ。本能寺の変のあとの山崎合戦の重要さを、しつこく説き、次にそれを取った秀吉側の堀久太郎に、光秀側の軍勢が向かったというだけの噺。戦略や実戦の概要とか、合戦ものに付き物となるような部分がないという、まことにもって不思議な口演でした。




2013年 9月 26日(木)午前 0時 29分

 早速、仕事に復帰。ムンギョンセジェに行ったときの疲れがとれずじまいで、仕事に復帰です。筋肉痛があるわ、眠たいわ、暑いわで、なかなか厳しい一日でした。そして、夜遊びは着実に敢行。今夜の行き先は「道頓堀」にある「ZAZA」、そちらであった「太郎寄席」に行ってまいりました。今日は、南天をメーンに据えた会。その番組は、次のようなものでした。八斗「犬の目」、南天「夢八」、雀五郎「青菜」、南天「子はかすがい」。八斗は、現代的感覚の物言いと古典的な物言いがミックスされてしまってるので、ちょっと聴きにくいところがあります。それと気の毒だったのは、八斗の出番あたりでは、空調がしっかりとは効いていなくて、そこいらじゅうから汗が吹き出ている始末。いくらなんでも見苦しいものがありました。南天の一つ目は、「夢八」をやりたいのだけど、最近心斎橋で出したところだったので、聴いている客がいると申し訳ないということで、一旦は「へっつい盗人」をするべく高座に上がったとか。でも「夢八」がやりたかったみたいで、高座から客席に向かって尋ねました。「こないだの心斎橋の独演会に来られた方おられますか」と。幸い手が上がらなかったので、「へっつい盗人」用に出した見台を降ろして、「夢八」を始めました。南天の「夢八」は、先日初めて聴いたところでしたが、実におもしろい。夢見の八兵衛のキャラを解らせるための前半の夢の話がいい。山羊が駆けてくるというバカバカしい話ですが、これが入ることで、後半の首吊りの番をしながら、夢を見るという破天荒な展開が活きてきます。完全にツボにはまっちゃったなぁという感じです。雀五郎は「青菜」でした。ゲスト枠なんで、もう少し大きなネタを期待していたのですが。今日の雀五郎は、急いでいるわけではないのでしょうが、ちょっと前のめりになりそうな、せかせかとした口演。間が悪いというやつでしょう。そしてネタ出しがされていた「子はかすがい」がトリネタとなりました。子どもの虎ちゃんは、父親と一緒に住んでるヴァージョンでした。母親親の方には、あまり喋らせないパターン。替わりに、夫婦の仲を取り持つ近所の喋りのおばさんが出てきます。父親の現状は、虎ちゃんに喋らせます。ですから、母親の情愛が言葉化されない弱点がありました。いや、そんなの喋らすとくさくなりやないかというのも一つの見識かもしれませんが、南天の口演は喋らなさすぎたと思いました。鰻屋での再会も、躊躇いが欲しいですね。空白期間から出てくる躊躇いが欲しいですね。躊躇いがあってこそ、元の鞘に収まる嬉しさも増すのではないかな。でも、それはくさい演出なのでしょうか? でも、南天は、鰻屋の2階で、父親に喋らせます。喋りのおばさんが仲を取り持つ言葉をかけているときに、それをそっちのけでかみさんに語らせます。ここで急にくさくなりました。てなことで、ちょっと黄紺の感性と合いにくい口演でした。ま、そんなこともありかなというところです。




2013年 9月 25日(水)午前 0時 10分

 午後4時半頃に、関空にランディングしました。昨夜泊まったウォンジュの旅館は、ちょっと値段が高い分、設備もサービスも良く、備え付けのパソコンがあったり、冷蔵庫の中には各種飲み物が用意されていたのですが、旅行中はアルコール類を口にしないため、せっかくのビールも持ちになるかと思ったのですが、ならば持ち出そうということで、旅も終わったかなということで、空港で飲むことにしました。一旦飲み出すと、一つでは物足りないということで、空港内のコンビニで新たなビールを買って飲み出す始末。更に、今回利用した日本航空は、業績が回復したためか、お酒類が注文しやすくなっているため、機内でも一人打ち上げ。おかげで関空に着くと、すっかり酩酊状態。そうだからではないのですが、頃合いの時間だったため、天王寺で谷町線に乗り換え、旅行カバンを持ったまま、「谷町六丁目」の「薬業年金会館」に向かいました。今日は「旭堂南海の何回続く会?」がある日だったのです。今日の演題は「紀伊国屋文左衛門(三)〜紀文の大番頭〜」。前回は、紀文が、荒れた海のなか船を出し、江戸にみかんを持って行き、大儲けをする話でしたが、今日は、その帰り船に、大阪で枯渇していた塩シャケを積み、これまた大儲けする話に入りました。ここで、怒涛の大儲け話は一段落し、江戸に紀文の店を構える話へと進んだのですが、残念ながら、ここで力尽きてしまいました。どうやら、このあと材木で大儲けをする話へと進むようです。江戸に店を出した話と結びつくのか、全く別の回路で、材木の話へと展開するのか、そこいらへんが判らないのです。ま、自業自得ですが。




2013年 9月 19日(木)午前 4時 43分

 昨日は、朝と昼間の寒暖の差が大き過ぎる一日。身体に、とっても堪えます。ボーッとした気分で、夜遊びにお出かけ。今夜は、玉造にある「サンクスホール」であった「猫間川寄席」に行ってまいりました。一昨日に続いて、文我仕切りの会です。その番組は、次のようなものでした。佐ん吉「鷺とり」、雀喜「帰り俥」、文我「流燈会」、(中入り)、宗助「卯の日詣り」、文我「お盆」。この会は、毎回異なったネタを出し続けているというのが、セールスポイント。既に400以上のネタが出ていますが、「鷺とり」が残っていたのには、逆にびっくり。雀とりの話から鷺とりへと入りました。「帰り俥」のところで、ダウン。水曜日は、どうしても疲労が蓄積してしまいます。ほぼ雀喜の口演は、記憶にないほどです。「流燈会」は、文我の口演では珍しい新作もの。でも、何も知らないで聴くと、古典にしか聴こえない作品。常に逆さま対応しかしない男は、いつもケンカばかり。そんな男が、ひょんなことから命を失ってしまったので、精霊流しで弔おうとすると、その男らしいことが起こるというもの。逆さま対応ばかりする男が主人公なのですが、亡くなるところで少しだけ出てきます。でも、その亡くなり方が、あまりにも不自然。聴いているときは、先の展開が判らないものですから流していたことが、あとからあんまりだと思ってしまいました。宗助は久しぶりの遭遇。「卯の日詣り」は、更に久しぶり。「せむし」だの「かったい」なんかが出てくるので、通常は出ない、出せないネタ。昔は米朝や、朝丸時代のざこばでも聴いたことのあるネタだし、代名も「せむし茶屋」で出していたものだが、内容的にも、かなりえぐいものだから、場所を選んでしか出なくなっている。伝え、残しておこうの意識や、こういった噺も伝わっていることの紹介のようなところでしか、なかなか出ないネタです。「猫間川寄席」は、ここまでネタを網羅しつくしてきたからこそ、出す資格ってものがあったのでしょうね。「お盆」も珍品。文我が、こういった題の噺を持っていることは知ってはいたがの程度。狐の出てくる噺です。狐が2ヶ所に出てきます。下男が捕まえてきた狐、狐が憑いた女から追い出される狐。後者の狐を、前者の狐でまかなおうとする発想が落語らしい。昨日は、かなりのお疲れ。なんとか、でも際どく落語を聴くことができました。終わって外に出ると、すっかり昼間の暑さが影を潜め、肌寒くすら感じるほどになっていました。




2013年 9月 18日(水)午前 4時 59分

 昨日は、朝起きてすぐに東京を出てきました。従って、朝の9時過ぎには自宅に戻り、次なるプチ旅行の準備に入りました。GWのときと同じパターンで、この週末から始まる2度目の5連休を活用しようとの魂胆です。その旅行が終わると、今度は、冬のオペラ紀行に向けての準備が中座していますので再開しなければならないという具合に、毎年、夏の終わりは大忙しです。ちょっとアルコールを口にしながら、パソコンに向かっていましたので、軽くお昼寝。夜は、京都府立文化芸術会館であった「桂文我上方落語選」に行ってまいりました。昨夜までの東京落語から一転しての上方落語、違ったものを配置して、黄紺の第一次秋の5連休は、幕を閉じることになります。その番組は、次のようなものでした。二乗「短命」、文我「日和違い」、たま「鴻池の茶碗」、文我「質屋蔵」、(中入り)、文我「癪の合薬」。二乗の「短命」は何度目か。もう10年選手なんですから、ネタを溜め込んで欲しいな。文我は、日曜日、大阪から松阪に帰るときに、雨で電車が立ち往生してしまった逸話を紹介してから、「せっかくのことですから雨の出てくる噺を」ということで、「日和違い」を始めました。珍品です。未だに、このネタをする噺家さんとしては、枝雀と先代文我、それに米之助が思い浮かぶ程度です。たまは、マクラで、文我に強要された話をしたあと、オリンピック漫談をしてから、ネタに迷い出し、一旦は「淀五郎」に傾きかけながら、結局は「鴻池の茶碗」に。「はてなの茶碗」の続編として、たまが創った古典風新作です。これに鳴り物が入ります。事前打合せなしでネタに入ったため、高座から指示を出しました。「質屋蔵」の最後のところに入る鳴り物をリクエストしたのを聴いた文我は、舞台に上がるや、「ということで、これから質屋蔵をします」と言って、ホントに最後まで完璧にやってしまいました。持ちネタが豊富なだけではなく、いつでも引き出しからネタを出すことができる文我ならではのことでした。文我は、栗が出てくるから秋のネタと言ってました。黄紺は、ぼんやりと冬のネタかなぁなんて、いいかげんなことを考えていましたが、、、。そして、最後は軽くと「癪の合薬」。これは、秋の噺ということで取り上げたようですが、確かに、箕面へ紅葉狩りに行ったときに、にわかに癪がという進行でした。しかし、この噺を春の噺としてする人たちもいます。黄紺は、長閑な、アホらしい噺ですので、春の陽気が感じられる設定の方がしっくりとはきているため、どうしても秋の設定には違和感が残ってしまいます。




2013年 9月 11日(水)午後 11時 50分

 あっけなく連休は終わり、日常が戻ってきました。運の悪いことに、今日は、真夏が戻ってきたかのような暑さ。最近、猛暑に懐かしさを感じていたのですが、あえなく間違いであったことを知りました。夜は「南華講談はたちの会」。南華さんが、2ヶ月に1回のペースで、天満橋で続けている会。最近は、ずっと皆勤状態じゃないかな。今日の番組は、次のようなものでした。「薮井玄意〜豪商天王寺屋を治す〜」「野狐三次〜三次島送りになる〜」。ネタに入る前のマクラで、近況報告が聴けるのは、毎回お約束となっているのですが、それは聴く者は、今や楽しみになっています。今日は、8月にあった「南陵忌」と銘打たれた講談会での話。ゲストとして来阪した貞水師の話から始まり、いつしか話の中心は、南湖さんが連れてきた小南湖くんの話へ。3歳になった小南湖くんのやんちゃぶりが、次から次へと出てきました。もう1つの近況報告は、貝塚出身の南華さんが、地元の教育委員会のお仕事で行かれた際に出会った今時の中学生話。ところで、「薮井玄意」は、先日の「トリイ講談席」で、南華さんが出したネタ。運悪く「トリイ講談席」に行けなかったもので、今日聴けて、とってもラッキー。「薮井玄意」の話は、以前南湖さんが続き読みをしていたので、話のとっかかりを聴けば、どういった筋立ては判るというもの。「天王寺屋」の話は、疫癘を治してもらったにもかかわらず、治療代を一方的にねぎった天王寺屋が訴えられ、人情味厚いお奉行さんに懲らしめを受けるというもの。勧善懲悪的作品で、解りやすく痛快な物語。南華さんによると、三代目南陵がよく出していたっか。「野狐三次」は、次回が大団円の予定だそうです。今日は、育ての親を殺した男、それを助けた男2人、計3人を殺した三次が、お裁きの結果、島流しと決まり、江戸を離れるときの別れの風景、そして、三次の生みの親である奉行のはからいで、通常の期日より早く戻ってこれるようにとりはかられる話でした。ここにきて、生みの親が、自らの地位を使い、いろいろと三次に便宜を図ります。で、この会のことですが、今日で50回目だそうです。年2回ですから8年以上続いたことになります。これを機会に、この会を閉められるそうです。今日初めて聞いて、びっくり。「野狐三次」の方は、来年1月に予定されている「独演会」で、全編をコンパクトにまとめて読まれるようで、その中で、大団円の部分を読み上げるつもりのようです。ここまで来たら、その「独演会」に行かないわけにはいきません。




2013年 9月 10日(火)午後 7時 34分

 今日もお休み。午前中は、この間観ていたシュトゥットガルト歌劇場のプロダクションの「ワルキューレ」を観て過ごす。ブリュンヒルデを炎で囲み、そこにジークフリートのモチーフが流れる場面は、プロダクションを超えて感動的である。この冬は、「ワルキューレ」をライプチヒで観ることができるかと思っただけでわくわくしちゃいます。で、今日は、連休の2日目。違った計画もあったのですが、結局は「動楽亭昼席」に落ち着きました。今月2回目となります。その番組は、次のようなものでした。鞠輔「始末の極意」、ちょうば「親子茶屋」、米左「五光」、雀喜「天狗裁き」、(中入り)、ざこば「強情/お玉牛」、雀三郎「天王寺詣り」。なかなかいい番組となりました。鞠輔は、聴くのは「子ほめ」に次いで2つ目。師匠米輔の口ぶりそっくりなのが微笑ましい。ちょうばが、「親子茶屋」を手がけている情報は持っていたので嬉しい遭遇と思ったのですが、半ばでダウン。ネタ的には、一番聴きたかった「親子茶屋」から「五光」にかけて、今日はダウンしてしまいました。なかでも「五光」は、珍品中の珍品で、実際の口演に接するのは初めてのことでした。松、雨、桐とか、マクラで言い出したので、これは「五光」だとは思ったのですが、そこまででした。雀喜の「天狗裁き」は初遭遇。ちょっと節目が明確でないのが気になってしまいました。雀喜の新作を期待していたのですが、中トリ、そしてトリに師匠が控えていると出しにくいのでしょうか。ざこばは、マクラで、朝丸時代の失敗話をしてくれました。千日前劇場に3日連続で遅刻して行った話です。下座の林家トミのお師匠さんにこっぴどく叱られた話なのですが、聴きながら、今、おトミのお師匠さんのことをリアルタイムで知っている人が、どのくらい残っているだろうかなんてことを考えてしまいました。こうした話が聴けるのが、ホントに貴重で、嬉しいことです。で、ネタですが、「強情」の冒頭で、男が金を借りにくるくだりで言い間違ってしまい、止めてしまいました。そして、再度出るところからやり直して「お玉牛」となりました。この「お玉牛」も、少し変形で、お玉の父親が隠れていて、忍んで来た男をとっちめるとなりました。雀三郎が「天王寺詣り」のマクラに入って初めて、もうそういった時期に来ているという認識を持つことができました。どうやら、頭の中は、まだまだ夏のままでいるようです。雀三郎の「天王寺詣り」は、「雀三郎ベストセレクション」に入ると思っているもの。そして、「天王寺詣り」の中では、間違いなくベストでしょう。小ネタの掛け合いが、実に自然体で、ついつい引き込まれてしまいますし、縁日の風景もいいですからね。すごく内容の詰まった番組に嬉しくなるときがしばしばの動楽亭。いい午後をおくることができました。




2013年 9月 9日(月)午後 11時 45分

  大阪市内遊歩(177)

 水曜日から働き詰め。ようやく今日と明日、休むことができます。お天気も、喜紺の休日に合わせて回復。今日は、朝から歯医者へ。ちょっと麻酔が効かず冷や汗をかきました。そして、11時をめどにお出かけ。まず、「一心寺南会所」へ。毎月恒例の「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。春野冨美代(沢村さくら)「樽屋おせん」、真山誠太郎(真山裕子)「刃傷松の廊下」、松浦四郎若(虹友美)「松坂城の月」、京山幸枝若(岡本貞子、京山幸光)「左甚五郎より千人坊主」。今日の番組は、耳慣れたネタが並びました。それを避けようとすると、土曜日に会場まで行き、ネタを確認して、実際に入る日を決めるしかありません。それをするには、今は、まだ時間的に余裕がありません。春野一門の定番ネタと言えるのが「樽屋おせん」でしょうが、毎回書くように、このネタは好きではありません。やはり「狂った」キャラの人間に、ずさんな対応しかしないで、話を盛り上げる持って行き方に我慢がならないのです。皆が、あの人は「変」だと言いながら、その人物の言い分が通る。そんな流れを、まともに聴けるわけないでしょ。冨美代さんは、節がえらく不調。どうなさったのでしょうか。「松の廊下」は、真山一門の定番ながら、誠太郎さんは「久しぶりです」と言われてました。すると、よく出しているのは、当代真山一郎師弟ということです。前半は畳の一件。後半は、畳み掛ける吉良のいじめ。この吉良も「狂った」キャラ。ここまでのヒールを作らないと、話が受け入れられなかったということなのでしょうか。「松坂城」も、講談会、浪曲会で、よく出ます。主君に知行を犠牲にしてまでも意見をする。こちらも、かなり濃〜いキャラ。ここまで、そないなキャラばかりが続きました。さらっとお茶漬けが欲しくなったところで、軽妙な幸枝若節はグッドタイミング。「千人坊主」は、他愛ない大久保彦左衞門と薩摩藩主の意地の張り合いに、左甚五郎が引き合いに出されるというものですが、例の如く、決着は着けない。だけど、このネタの推移では、あまりに不親切。意地の張り合いをしたというだけで、あとはなしでぶち切るという荒っぽさ。前に聴いたときも同じことを感じたなぁと思い出していました。ちょっとトリネタにする筋合いのものではありません。
 浪曲席を出ると、直ちにウォーキングに移行。今日は、南巽方向まで行ったあと、更に加美方向まで進んでから、天王寺方向まで戻ろうとしたのですが、やはり加美方向まで歩を進めると、そないな欲ばったコースは、所詮無理な話で、結局「平野」止まりとなりました。歩きながら気がついたのは、確かトルコに行く前に、似たコースで歩いているということ。今回は、あとのことを考え、地下鉄の「平野」駅をチョイス。ただ、こちらを選ぶと困ったことが起こることを忘れていました。手持ちの地図の限界を越えてしまい、いつも勘で歩いていることを思い出してしまったのですが、地図のあるJRの駅では、あとの移動で困るため、今日も勘でのウォーキング。「平野」駅の上を通る高速道路が目に入ったときはほっとするという、ちょっと淋しい終わり方となりました。そのコースの詳細は、次の通りです。一心寺南会所〜夕陽丘予備校〜大阪市立天王寺中学校〜JR環状線「寺田町」駅〜「源ヶ崎西」交差点〜大阪市立林寺小学校〜昭和橋〜大阪市立田島中学校〜東部市場〜上水時橋〜生野巽郵便局〜巽神社〜加美北特別養護老人ホーム〜大阪市立加美北小学校〜加美正覚寺公園〜大阪市立加美中学校〜JR関西本線「西沢」踏切〜樋之尻橋〜平野公園〜地下鉄「平野」駅。
 「平野」から、地下鉄で「日本橋」に移動。今日は、時間があまりないということで、駅上のネットカフェで時間調整。そして、高津神社に移動。夜は、こちらであった「高津落語研究会」に行ってまいりました。米朝一門の3人の噺家さんにたまが加わった会。始まってから、そないに回を重ねているわけではないのですが、今まで行く機会のなかった会です。その番組は、次のようなものでした。雀五郎「牛ほめ」、ひろば「替り目」、南天「夢八」、たま「淀五郎」、南天・たま・ひろば(司会:雀五郎)「大喜利」。ネタ的には、お目当てとなったのは、たまの「淀五郎」でしょう。他の会でも、たまが「淀五郎」をかけたという記録は見たことがありませんから。たまは、マクラで、「淀五郎」は東京ネタで、円生が人情噺に目覚める契機となった大事なものとの話を披露。円生が40分かけて演じた噺を、「私は15分でします」と言ってからネタに入りましたが、実際には、20分を越える口演となりました。大阪で演じられる形からすれば、さほどスリムになったという印象は受けはしませんでした。省かれた部分というのは、淀五郎が選ばれるところ、淀五郎が悩むところ、この2つです。前者は、単に「選ばれた」と伝えるだけ、後者は「いくら考えても思いつかない」で処理してしまいました。筋立てからすると、それで全く違和感はないのですが、右団治の人となりや、尾上民蔵の人となりは薄くなる点はやむを得ないところです。人情噺であろうが、少しでも笑いをすりこませ、楽しく聴かせようというたまのスタンスからすると、とってもすんなりと入ってきたなの印象で、この扱いはうまくいったのではないでしょうか。南天の「夢八」は聴いているはずなのに、よく思い出せなかったので、楽しみにしていた一つ。山羊が出てくる噺が、これだったのですね。南天のオリジナリティの楽しみの一つは、説明を加えた方がいいという判断が的確なことと、その説明として挿入される内容も的確だということでしょう。それが、「夢八」では山羊の登場なのです。夢をのべつ見ると、ユニークな男が主人公です。その男が、夢を見たためにしでかした失敗を付け加えたのですが、まず、その判断が的を得ているうえ、あり得ない失敗、あり得ない夢を描き、それが傑作なのです。そして、もう一つの特徴は、首吊り死体が出てきても、手拭いを使っての首吊りを見せないという工夫です。なかなか微妙なところですが、黄紺的には初めての経験でした。雀五郎の「牛ほめ」が良かったですね。なんか、自信を持ったアホという感じで、アホやっても悔いてなく、しかも嫌われてない男、そないな憎めない男が出ているのです。年季が入った噺家さんのくりにくったネタっていうのが、こないなものという姿を見た思いがしました。それに比べると、ひろばが気の毒でした。あまり若手の取り上げないというか、びびっているとしか言いようのない酔っぱらいの噺に果敢に挑んだひろば、台詞回しの進歩は著しいのは、他のネタを聴いたときと同じほどの上達を見せるのですが、目が酔ってないのです。ほっぺたが酔ってないのです。酔いというものは、身体の部位で酔っているところ、酔ってないところというのはないはずで、全身で表現が統一されてないと話になりません。一番難しいところなんでしょうが、「替り目」に挑んだ以上は、更なる精進を続けて欲しいものです。




2013年 9月 8日(日)午前 0時 23分

 月曜日に、こちらに書いたまま書かずじまい。夜遊び禁止の日々を送っていました。仕事のことで、何かはいるかもしれないというので、そのように自分で決めていたのですが、存外何もなく、もったいないことをしたと思っても、後の祭り。
 今日は、そういった流れの中でも大丈夫と、芝居行きを予め決めていました。行き先は「ZAZA HOUSE」。落語会では行ったことはあっても、芝居では初めてのところ。落語会に使うスペースの隣に、程よいスペースがあるのですね。こちらで、今夜は、「ステージタイガー」の公演「BUMP!」がありました。パフォーマンスは、とっても肉体を使ったヴィジュアル系だが、じっくり観ると、哲学的なヘビーなテーマを扱うという印象のある劇団、かなりお気に入りの劇団だったのですが、今日は、かなり趣が異なりました。プロレスをモチーフに使うということで、アクション系、従ってヴィジュアル系といった意味では、雰囲気は変わらないのですが、扱った問題が、福島の原発事故を連想させる、ウラン採掘地の苦悩、軋轢という、とっても具象的テーマ。物語は、主人公たちの高校時代と、その15年後の主人公たちという時代設定。作者の軸足というのが、純然たる反原発にあるのか、ずさんな原発推進派に対する嫌悪感に留まるものかが、も一つクリアにならないきらいがあったことはあったのですが、原発に正面から取り組んだ大阪の劇団としては貴重な公演となりました。その一方で、この芝居は、一人の男の自立の物語でもあります。ウラン採掘鉱で母親が働き続けたために、胎内被曝をして、知的に障害を持っているようで、「アホ」と差別を受けてきた男。高校生の頃、プロレス愛好会を作っても、観客役としてしか仲間に加えてもらえなかった男の憧れの存在が、クラスの秀才で、プロレスでも活躍するゴッチこと後藤。ウラン採掘鉱の地主の息子として生まれた後藤は、前半の終わりでは、正義感から家出をして、東京の大学へ進み、核についての研究者になる。ところが、後半に入るや一転して、その男は、原発事業団の社員として、反対派住民を抑圧する存在として登場。理由としては、自らの出世というか、地位保全的欲求からの行動。15年前には、立場が様々に分かれていた村の人たちも、今やウラン発掘にともなう被害の実態に鑑み反対派に結集しているなかで、そないな立場で出てくるために、完全なヒールとして出てきてしまいます。プロレスをモチーフにしているだけあって、ベビーフェイスが、一夜でヒールに変わるという構図そのままである。前半も後半も、人間関係も含めぶれる人物を出すことで、問題の複雑さを解らせようとの試みは判るのですが、最後は、「アホ」と言われてきた男が、社会問題化していくウラン採掘、廃坑後の土砂処理問題のわけを理解することなく、友を救うために攻撃の矢面に立ちます。平穏だった村が、外部からの闖入者により混乱を極めます。その混乱が、15年の時を隔てて繰り返されます。そのとき人々の癒しになったのが、最後に矢面に立った男でした。それにより、村の平穏が戻ったというのでしょうか。残念ながら、そこについては描かれていませんでした。でも、観ていると、その男が「苦難の僕」のように見えます。振り返られもせず、むしろ罵声を浴びせられてきた男が、一身に皆の苦難を背負うイエスのように見えてしまいました。そのように見えるように作り、演出が行われてきたと言っていいのでしょうか。検証の術を持たないため、なんとも言い難いところですが、芝居が終盤にさしかかってきて、頭をかすめるのは、「これって、沈め石じゃないか」ってことでした。うーん、よく解らない。




2013年 9月 2日(月)午後 10時 30分

 また雨です。おまけに生暖かな風が吹いています。ただ熱風とまではいってないのが助かります。今日は非勤務日ということで、午後からお出かけ。今日は、まず「動楽亭昼席」に行ってまいりました。先月はトルコにいた関係で、無沙汰をしました。その番組は、次のようなものでした。優々「子ほめ」、雀五郎「転失気」、出丸「蛇含草」、千朝「骨つり」、(中入り)、米平「天狗裁き」、ざこば「文七元結」。ざこばの出番まで、うとうととしながら聴いてしまってました。どうしても動楽亭の座椅子は心持ちが良すぎます。千朝が、マクラで幇間の話をし出したとき、何をしようとしているのか見当がつきませんでした。川遊びをする風景になり、初めて「骨つり」で納得。ちょっと修行が足りません。本日最大の収穫は、当然、ざこばの「文七元結」。くまざわあかねさんが手入れをした「文七元結」を手がけているというのは、当然知ってはいたのですが、出会ったのは、今日が初めて。一番の興味は、脚本はどうなっているか。冒頭は、博打帰りから始まり、当然そのあとは夫婦喧嘩。そこへ、扇屋という名の廓(ざこばは廓と言ってました)から使いが来て、主人公辰五郎は扇屋に駆けつける。そこで娘(おみつ)と会い、事態の説明を、廓の女将から受ける。女将の説教はあっさりめで、辰五郎への染み込み方が浅いかもとは思ってしまいました。50両を持った辰五郎は、安堂寺橋で文七と遭遇。江戸とは違い、東横堀川の川幅は狭いので、文七を止めに入る直前の科白の長さが、ちょっと気にはなったのですが、辰五郎が、金をやるに至るまでの逡巡も、もうちょっと時間をかけて欲しいし、文七による経過説明と動転した気持ちの表現にも、手をかけて欲しいと思いました。総じて時間の短縮に努めるというコンセプトが貫かれているので、随所に気になるところが出てきてました。文七が店に戻る場面は、全面カット。辰五郎が家に戻り女房と喧嘩を続けているところへ、文七を伴った主人がやって来て、金の紛失の顛末を話し詫びを入れるというもの。詫びの仕方は同じで、酒の肴として身請けしたおみつを連れてくるというものですが、辰五郎はすんなりとは受け入れないというもので、ちょっと最後にゴタゴタしてました。ざこばの口演は怒りの場面ばかりが目立ちました。それだけじっくりと語る場面がカットされていたということだと思います。人情噺的色彩というよりかは、筋立てをクリアに、よりコンパクトに押さえるという点に重点を置いた演出になっていたと言えばいいでしょうか。
 動楽亭を出ると、雨の関係か、気温は下がり目。黄紺は、夜に備えて、堺筋線で「扇町」に移動。駅近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は、そこから20分近く歩いて「提法寺寄席」に行ってまいりました。年に4回開催されている会ですが、わりかし空いている日に行われるからでしょうか、その内の3回は行っているような気がします。番組は、次のようなものでした。ひろば・そうば「トーク」、ひろば「子ほめ」、そうば「強情」、ひろば「皿屋敷」。ひろばとそうばというざこば門下の兄弟弟子のこの会、呼び物は冒頭のトーク。前回から3ヶ月の間に起こったことの中からのおもしろ話なのですが、ひろばは、8月の後半に南天と行った北海道ツーリングの旅報告。南天を、なんとか喜ばせようとの努力がおもしろい話でした。クレーマーであることが趣味化しているそうばは、新しく購入したバリカンが気にくわない。闘いを開始しかけるに至る話が語られました。最後は、ひろばに「小さい男」と突っ込まれてはいました。落語の方は、交代で2席を演じるというシステム。2席を担当したひろばは、「久しぶりにする前座ネタ」と断ってから「子ほめ」。昼間も聴いているのですが、このくらいのキャリアになると、リズムといい、喋っている空間の広がりが違います。年季が入るというのは、こうしたことなのでしょうね。「皿屋敷」の方は、去年、1回も出さなかったので、今年は出しまくったとか。「こちらでは初めてです」と断ってから、ネタに入りました。黄紺も、今年の夏は、例年になく「皿屋敷」に出会ったのじゃないかな。3つの部分からなるこの噺、その描き分けも潤沢で、喋り慣れてるなの雰囲気でした。一方のそうばは、ざこば門下の定番ネタ。マクラは、当然師匠ネタ。そこから完全に雰囲気が出来上がりました。そうばベストかもしれません。似たパターンが繰り返されるネタでもあるのですが、同じ調子で繰り返すことで笑いが取れるということは、それだけハートを掴むものが、そうばの口演にあった証拠だろうと思います。終わって外に出ると、更に気温が下がっていました。




2013年 9月 1日(月)午後 11時 15分

 今、家にいると、3つの旅行の準備に一所懸命。こないだトルコから帰ってきたところというのに、いい気なものです。ところで、今夜は繁昌亭。「第23回彦八まつり・あとの祭り〜宴は終わってからもオモシロイ〜」があったので外せません。毎年、彦八まつりそのものより楽しみにしているくらい。とってもコンパクトに、彦八まつりを知ることができるものですから、頼りにしている会なのです。その番組は、次のようなものでした。出演者は、全員彦八まつりの実行委員の皆さん。疲れがたまってる関係で、噛むのは当たり前というのも楽しもうという趣向があります。遊方・生喬「挨拶」、染雀「軽業」、鶴笑「茨木童子」、遊方・生喬・あやめ・鶴笑・染雀・三四郎「今年のまつりを振り返る、魅惑のスライドショー」、(中入り)、ミックス・ツインズ(MC:遊方)「素人演芸バトル優勝者漫才」、お茶子クィーン準優勝者インタビュー(MC:三風・三金)、仁勇「紀州」、出演者全員「残り福抽選会」。この会の目玉は「スライドショー」、ですから、これが中トリをとるというのがえらい、この番組のポイント。数年前、せっかく用意をしながら、パソコンがうまく機能せず寂しい結果に終わるということがあったため、以後は、とっても慎重な対応。丁寧にカメラに全容を納め、そのチョイス作業を、会場の片付けもしながらやったそうです。その「スライドショー」に添えられるようにしてあったのが、落語3席。繁昌亭の内規に添った運営です。染雀は、まつりつながりで「軽業」。鶴笑は、茨木市のゆるキャラ「茨木童子」にちなんだ物語を披露。仁勇は、コンパクトに「紀州」。あとは、「彦八まつり」関連のおなじみの番組。最後は、まつりの呼び物富くじの当たり籤にも拘わらず、商品を取りに来なかった余り物の抽選会。なかなか豪華な物が残っていましたが、相変わらず当たるわけはありませんでした。




2013年 9月 1日(日)午後 9時 25分

 今日も雨模様。暑さは、昨夜遅くからましになってきています。ウォーキングは、端から無理というお天気。ですから、この週末の3日間は、ウォーキングのために確保していた時間が余ってしまいました。でも、ぐうたらしていただけというところですね。で、今日のお出かけは10時過ぎ。日曜日に、芝居の2回公演をする場合の1回目の公演は、開演時間が早くて困ります。ぐずぐずしていたため、結局、お昼ご飯を食べる時間を確保できないまま、芝居を観るはめになっちゃいました。行き先は「ウイングフィールド」、今日は、こちらで、「空晴」の公演「理想の、あとかたづけ」があったのです。何気ない日常風景の中に潜む人間模様を描く劇団、そないに無茶苦茶好きな劇団というわけではないのですが、外してしまうと居心地が悪くなるというところで、最近は、公演があるたびに観に行くことになっています。今回も、おじさん、おばさんとなった3人の兄妹、及び彼らの子どもたちの夢と現実、また兄妹の子どもの頃の夢の検証が行われます。それに絡んで、隣の家の高校生、リフォームを請け合った工務店の男らも、それぞれの夢の検証に向かいます。夢がそのまま実現するものでなく、そこにかけた思いは、形こそ違え忘れないことの大切さ、また、そういった思いを持つ人を応援する心根に、夢を思い求める大切さがあるということでしょうか。書いていて、ちょっと気恥ずかしくなるようなことを、舞台で見せる劇団、ですから、そんなに追いかけるつもりではないのだけれど、見ないと居心地の悪さを感じさせる、そないな劇団です。今回は、鴨鈴女をゲストに迎え、この劇団の座付作者にして演出家&役者の岡部尚子との共演が実現しました。姉妹役の二人が見せ所の芝居となりました。
 芝居の途中、雷が鳴り、豪雨だった模様。終わると、雨が上がってるかと思うと、また降り出すというやっかいなお天気。そないななか、「彦八まつり」だけは見ておこうと、生魂神社へ。雨にも負けず、まつりは続いていました。奉納落語会は、今回は見るつもりではなかったので、ぐるっと境内を一周して帰るつもりが、舞台で日本舞踊な発表会が始まったため、それだけを一通り観てから帰りました。この舞台のおかげで、顔も知らなかった鯛介、禄遊、寅之輔の顔を覚えることができました。




2013年 8月 31日(土)午後 10時 53分

 今日も蒸し暑い一日、完全に台風が業をなしてます。今日は、午前中に歯医者に行ったり、冬のオペラのチケットの手配をしたりで、慌ただしく時間が過ぎました。お出かけは2時を過ぎてから。雨を気にしながらのウォーキング。最初30分くらいで断念かと思ったのですが、それはクリア。だけど、あと25分というところで降りだした雨にはギブアップ。ちょうど逃げやすいところにいたこともあり、あっさりと、その段階ではギブアップしました。その地点までのコースだけは記しておきたいと思います。京阪「京橋」駅〜大阪市立桜宮小学校〜桜宮〜源八橋〜地下鉄「扇町」駅〜大阪高等・地方裁判所〜水晶橋〜栴檀木橋〜道頓堀〜地下鉄「日本橋」駅。京橋から桜宮橋まで行きま、橋は渡らず大川の左岸を歩き、源八橋を渡ると、そのまままっすぐ扇町を越え、東梅田教会のある通りの一つ西の筋を、ひたすら道なりに南下。道頓堀まで行けます。そこで彦八まつりをちょっとだけ見に行こうと堺筋に出たところで、雨に遭いました。いつも利用しているネットカフェも近く、夜の落語会の会場もトリイホールということで、逃げるならばここしかないという気になったということです。
 千日前のネットカフェで、ぎりぎりまで時間調整。「トリイホール」であったのが「春風亭ぴっかり☆チャレンジ落語会〜ぴっかり☆十番勝負!plus one〜」だったもので、ちょっとタカをくくっていました。急いで行かなくても、そないに混まないだろうと。でも、正直言ってびっくりしました。思いの外入っていたのです。ついこないだ二つ目に上がったばかりの東京の噺家さんに、これだけ入るというのは、ホントに驚きでした。やたらおっさんが多かったということは、やはり会のパンフレットの写真効果というやつでしょうか。ぴっかりを何度か見ている黄紺ですら、我が目を疑うほどの美人に撮られていましたから。ということで、今日は、全くの一人会。中入りを挟み、2時間を超える一人会で飽きさせないのですから、入門6年目ということを考えれば、黄紺もにらんだ通りの逸材であることは否定できない事実でしょう。楽屋には、鞠輔と二葉が勉強に来ていたようですが、同じ女流として、大変な刺激となったことでしょう。その番組は、次のようなものでした。「こうもり」「クッキーフェイスの法師さま」(中入り)「てへべろ★ルージュ」「池田大助」。最初の3席は新作。東京での「十番勝負」では、「クッキーフェイス」と「てへべろ」を、交替でかけたものと思われます。それを両方とも出すという大サービス。「クッキーフェイス」は「夏目雅子物語」、「てへべろ」は「松田聖子物語」となります。「夏目雅子」の方は、完全に生涯を語る地噺。「松田聖子」の方は、一つの趣向で、スピーカーから流れる音声(これもぴっかりの吹き込み)との掛け合いで進めるというもの。「ザ・ベストテン」で、松田聖子が行ったミスの真実を、30年後に語ってもらうという構成になっていました。冒頭の「こうもり」は恩返しもの。吸血をするこうもりの恩返しというもの。「池田大助」は、上方の「佐々木裁き」。今まで東京では聴いたことがなかったので、移植されなかったのではと思っていたところ、思わぬところで遭遇できました。佐々木さんが大岡さんに変わったくらいで、筋立てだけではなく、ディテールまで上方の噺をなぞるものでした。ま、ぴっかりは子どもの出てくる噺は安心して聴けますね。むしろどぎまぎするような「湯屋番」のような噺を聴きたかったな。男男した噺をできるのが、ぴっかりの特徴ですからね。来年も「十番勝負」が企画されているようですので、また大阪でもやって欲しいものです。




2013年 8月 31日(土)午前 0時 37分

 週末になり暑さがぶり返し気味。台風の影響とか。雨も降るということなので、ウォーキングは頃合いを見なければならないと思っていたら、思いの外早い時間帯から、雨降りとなってしまいました。その3連休の初日は、午前中から「大阪ステーションシネマ」へ。「パリ・オペラ座ライブ・ビューイング」を観るためです。今日は、シリーズの最後として「ジョコンダ」を観る日でした。「時の踊り」が知られているにも拘わらず、滅多に上演機会のない演目。貴重な機会に遭遇できたのは良かったのですが、特に前半、眠たくて眠たくて。最近の傾向ですね、午前中がやたら眠たい、それが、こないなところでも起こらなくてもと思ってしまったのですが、起こってしまいました。ま、筋立ては、後半から推測して判ったので、後半は後半で楽しむことができました。このオペラ、ヴェルディの台本なども書いている作曲家のボイートが書いているのですね。今日初めて知りました。舞台はベネチアということで、舟が大切なアイテムになっているというのが、一つの風情を作り出しています。タイトル・ロールのジョコンダの愛する男には、恋敵がいるということで、ジョコンダが悩むというのが、前半のポイントの一つのようです。ただ、その恋敵というのが既婚者というのが、もう一つのミソ。ジョコンダは、どうやら恋敵を退ける算段をしたようで、常に協力者の影がちらついている。ところが、ジョコンダは、恋敵を窮地に追い込んだとき、このままだと、恋敵が夫に殺されてしまうと知ったときに、この恋敵を救います。夫の与えた毒薬と仮死状態にする薬とすり替えるというものです。恋人が死んだと思っている男は、ジョコンダが恋人の死に関わったと思い、ジョコンダの命を狙います。そのとき、ジョコンダの恋敵は仮死状態から回復し、事態が判明します。男と恋敵は、ジョコンダの用意した舟を使い逃げて行きます。残されたジョコンダの執る方法は、もう一つしかないでしょう。それを推進するのが、ジョコンダの協力者の存在でした。頭からきっちり押さえていたら、どんでん返しが2度あると言ってましたから、おもしろかったでしょうに、勿体ないことをしました。お喋りの案内人により、ジョコンダはカラスの持ち役だったと言われ、思い出しました。確かに古いアルバムに入ってますね。カラスの持ち役では、「ルチヤ」や「ノルマ」が受け継がれているのに、「ジョコンダ」はダメなんですね。おもしろい現象です。
 終わって、外を見たら激しい雨。ウォーキングはあえなく中止。夜までの時間つぶしが長すぎるので、夜の落語会行きも中止。すごすごと帰宅。京都は、雨が降っても小降りだったので、今の内にと、冬のオペラ旅行用に押さえた飛行機の代金支払いに出向いてきました。冬はトルコ航空の愛用者になっています。夏は手が出ないのですが、、、。




2013年 8月 29日(木)午後 11時 57分

 朝晩は、そうじゃないのですが、昼間は暑い。少しの間忘れていた暑さがぶり返しています。夜遊びは、暑さ疲れなのか、出かける時間帯になるとボーッとしてしまってました。お出かけ先は繁昌亭。「焼肉繁昌亭」という変わったネーミングの会があったのです。昨年も行われたのですが、そのときは「デブサミット」の別ヴァージョンというものだったのですが、今回は、米朝一門会に、主宰者の三金が紛れ込んだような番組となりました。ただ、それだけではなく、「焼肉クーポン」なるものが付いているということで、表記の会となっているというものでした。その番組は、次のようなものでした。小鯛「看板のピン」、三金「青菜」、塩鯛「試し酒」、(中入り)、吉弥「七段目」、雀三郎「船弁慶」。「看板のピン」の途中から「青菜」までが全滅。体が座席に吸い込まれそうになりました。繁昌亭の心地よいクーラーが、黄紺の体をとろけさせたようです。行き掛けの電車で危ないぞと思っていたことが、開演早々に訪れてしまいました。三金のあとから出た塩鯛のコメントで、三金の「青菜」について判りました。どうやら旦さんが、焼肉に植木屋さんを誘ったようです。塩鯛曰く、「元の青菜で良かったのに」「でも彼の誠意です」。これで、ちょっとは様子が知れました。三金の企画力、サービス精神は、黄紺も認めるところです。塩鯛は、最近遭遇すると、ほぼ「試し酒」。今、上方で一番いいお酒の噺です。吉弥の高座の前に、三金らが「焼肉クーポン」について説明。ようやく「焼肉繁昌亭」に相応しくなりました。吉弥は、三金と同期。三金と繁昌亭で二人会をする間柄。吉弥の「七段目」は久しぶりです。体重の関係でしょうか、見栄を切ったりするときの体の動きが、ちと重いですが、仕方ありませんね。女性の声色なんてのは、さすがに決まります。雀三郎は、夏が終わりに入りかけたこの季節に、猛暑猛暑の夏を思い起こさせてくれましたが、ちょっと雀のお松の勢いが弱く、臭い立つような長屋の暑さまでは出てきませんでした。最近、ほんの僅かですが、雀三郎に忍び寄る加齢を感じ出しています。一方で能がかりになる終盤を、これだけ見事に表現できる人はいないだろうと思わせられる秀逸さ。この部分を省くような演出がある昨今、この突拍子さが、落語の魅力だと改めて感じることができました。焼き豆腐の一件が、聴いたことのない形。焼き豆腐を買いに行き、いかけ屋の仕事ぶりを眺めていて、焼き豆腐だということを忘れたとしてました。更に間違って買うものはねぶかになってました。雀三郎スペシャルかもしれません。




2013年 8月 28日(水)午後 10時 26分

 今日は、わりかしゆるりと時間が流れていったのですが、やたらと眠たい。睡眠はわりかしとれているはずなのにです。眠いときって、夜に落語会に行くときに、それが気になって、、、。今日も、そういった日。夜の落語会は、当初、たまの会に行くつもりだったのですが、季節ものとして「船弁慶」を出すことを知り、あえなく中止。随分と聴いてるもので。替わりにというか、この会があるから、あっさりと止めることができたと言っていい会があったのです。「雀のおやど」であった「第42回お笑いまん我道場〜大阪編〜」です。ワッハ上方の演芸場の閉鎖に伴い、鶴橋にお引っ越しをしてきたのです。その番組は、次のようなものでした。眞「刻うどん」、まん我「宇治の柴舟」、染左「青空散髪」、まん我「寝床」。珍しい組合せの番組が出来上がりました。まん我に染左と眞が絡む人間関係が想像できないのです。眞が前座に呼ばれることは、あまりありませんからね。一門だと人気は紫ということになってしまいますからね。その眞は冬のネタ。バラシのところで心配していた睡魔に襲われてしまいました。睡魔は、次のまん我の途中まで。ですから、今日はまん我のマクラは聴かずじまいでした。「寝床」の方は、いきなりネタに入りましたからね。そんなですから、「宇治の柴舟」かどうかが判るまでに時間がかかりました。時期が時期だけに、最初は、まん我も「千両みかん」をするようになったんだと思ってしまってました。「宇治の柴舟」に、今年は、よく当たります。梅団治で2回、雀松で1回に次ぐ遭遇です。こないに短期間で聴けるネタではなかったのですが。まん我は、前半の若旦那が心を開くまでがこってりめ。でも笑いを誘う場面はここですから妥当性があります。後半、若干芝居がかりになるところで鳴り物と合わず、まん我は、噺を止めお詫びを言いました。夕陽が川面に映える色合いが見えたわりには、宇治川沿いの旅館に佇む若旦那の存在感が乏しかったのが惜しまれます。染左は、まん我と同い年とか。入門は染左の方が早いのですが。「自分の持ってないネタを」という注文があったと染左が言った途端、頭をかすめたのが「青空散髪」。そしたらドンピシャ。天王寺公園を、噺の舞台に使えないということで、場所を大阪城公園に変えてましたが、場所の雰囲気が違うなぁ。でも仕方ないことですね。散髪屋にたどり着いてからは、時代に合ったマイナーチェンジでしたが、おもしろい改変は、冒頭、散髪屋の紹介を頼まれた男が、高級なところを紹介する。それは、阿倍野ハルカス最上階にある床屋。あとから出てくる青空理容所とのコントラストがあり、おもしろい挿入でした。そして最後は「寝床」。かつて聴いた圧巻の「寝床」と言えば、先代歌之助の口演。勢いがもの凄く、ぐいぐいと引っ張られていく凄まじいものでしたが、今日のまん我の口演は、その高座を思い出させるだけの勢いを感じました。かなりの高座回数をこなしてないとできっこない口演です。それを、まん我のキャリアでやってしまうのですから、やはりまん我の実力は半端ではありません。




2013年 8月 27日(火)午後 10時 50分

  大阪市内遊歩(176)

 今日は非勤務日。午前中は、もう冬の旅行の準備。今週中には飛行機の手配にまで進もうかと考えています。そんなで、お出かけは午後になってから。今日は、トルコから帰ってきてから初めてウォーキングを再開した日になりました。なんせ週末が、雨続きだったものですから。そのコースは次のようになりました。京阪「北浜」駅〜北浜郵便局〜韓国料理店「さんさん亭」〜大阪淡路町郵便局〜イタリア料理店「ドン・キショット」〜地下鉄「本町」駅〜座摩神社〜イタリア料理店「ヴィヴァーチェ・エッセ」〜新町南公園〜新町西公園〜松島橋〜松島公園〜国津橋〜九条北公園〜南境川児童遊園地〜JR「かんじょう042」橋梁〜大阪市立南市岡小学校〜南市岡公園〜木津川橋〜大阪市バス「大正橋」停留所。久しぶりだったので、オーソドックスなコース設定をということで、鶴見緑地に行くか、九条・大正のどっちかかなと思ったのですが、後者を選択。予定通り、松島公園までで1時間弱。そのあと、まっすぐに弁天町方向に行けば、大正区内に入ってからもゆとりがあったのでしょうが、トルコに行く前最後のウォーキングで弁天町界隈を丁寧めに歩いた記憶があったので、今日は、何かがあるわけではない九条界隈を丁寧めに。港高校まで来たところで、30分を切っていたにも拘わらず、木津川橋を渡るコースを選択。木津川橋を渡り終わったところで、1時間50分経過では、2時間以内に収めるのは厳しいものがありました。でも、5分の超過で済んだのは上出来ですね。
 「大正橋」から、バスで「難波」に移動。今日も、千日前のネットカフェで時間調整をしたのですが、ほぼウォーキング疲れで寝てしまってました。更に歩いて「谷町六丁目」まで移動。今夜は、「薬業年金会館」で「旭堂南海の何回続く会?」のある日だったのです。先月から「紀伊国屋文左衛門」が始まっています。今回は「幽霊丸、江戸乗込み」という副題が付いていましたが、紀文と言えばみかん船、それで大儲けをした話が思い浮かびます。「かっぽれ」の文句にもなってますしね。江戸のふいご祭に欠かせないみかんが、紀州から届かない。時化のためみかん船が、期日に間に合いそうもない。それを見透かし、時化の中を船を出し大儲けをするというのが紀文のみかん船の一席、その一番有名なところが、今日読まれたのです。古い手持ちの船の修理、みかんの仕入れ、船乗りの確保と話は進み、いよいよ荒れる海に船が出ます。そして、無事に品川到着、江戸のみかん問屋との交渉。それで、何万両という大金を手にした紀文は、帰り船には塩鮭を積んで、今度は、ざこばで大儲けをするというところまで。次回は材木で大儲けをする話との予告がありました。




2013年 8月 27日(火)午前 0時 2分

 まだ少し涼しめの気温が続いています。仕事のあった日だったので、ホント助かりました。そして、夜は繁昌亭。幾つか繁昌亭に行く機会が、このあともあります。今夜は「春蝶・萬橘二人会」のあった日。自分的には、東京から来演の萬橘がお目立て。前名きつつき、ちょっとぞんざいな口ぶりが魅力の噺家さん。7月にも、銀座であった兼好との二人会で聴いたところ、こないに早く再会できるとは嬉しい限りです。その番組は、次のようなものでした。紋四郎「つる」、春蝶「妄想族」、萬橘「二十四孝」、(中入り)、ぴろき「ギタレレ漫談」、萬橘「うなぎや」、春蝶「大阪城の残念石」。紋四郎は春蝶の弟子。器が広いということでか、緊張の面持ちだったが、筋のいい喋りは注目株であることを示していました。逸材の一人であることは間違いありません。主宰者の春蝶には、正直言って関心はありません。自分の方から、客席との距離を縮めようとする喋りに、肌が合わないという感じがしてしまうのですが、一方で熱心な支持者がいることも事実です。「妄想族」は、東京vs大阪というネタ。終盤に入ると、それも越えわけのわからない妄想噺に入っていきます。「残念石」は講談を落語化したと考えられるのですが、落語にもなっているとは言いがたく、一人語りの昔話の風情。ちょっと頭に?が点りました。萬橘が、キャラに似合わず、大変な緊張状態。貪欲に笑いを求めていく大阪タイプの濃〜い噺家さんなんで、そこまで緊張しなくてもと思うほど。ネタは、上方では演じ手が極めて少ないもの。中国の故事の紹介が思いの外入ります。賑やかな喋りに、わーわー感が、よく出ていて期待に違わぬ出来栄えに満足度高しです。2つ目は軽く「うなぎや」。客が店に入っている状態から噺は始まります。うなぎに名前が付いているのが可笑しい。萬橘オリジナルかどうかは判断しかねます。もう一人の出演者ぴろきは変わった雰囲気。姿形で掴みはOKてなところに、自虐的ネタっぽいものが大受けでした。




2013年 8月 26日(月)午前 2時 41分

 雨のおかげで涼しい日が続いています。有難い話です。おかげで再開しようと考えていたウォーキングはできずじまいではありましたが。今日は、年に一度だけ歌舞伎を観る日。どうしても歌舞伎はお値段が高いので自重しているもので、年に一度だけある「上方歌舞伎会」だけが頼りなのです。家の方々が出られない分、お安くなっているのです。ただ開催日が、毎年困った時期に設定されており、トルコから帰っているかどうかが関わってきます。今年は、幸いゆとりを持って観ることができるというわけです。場所は文楽劇場です。今年の番組は、次のようなものでした。「菅原伝授手習鑑〜車引の場〜」「伊勢音頭恋寝刃〜野道追駈けの場、野原地蔵前の場、伊勢二見ヶ浦の場、古市油屋店先の場、奥庭の場〜」。「車引の場」は、3人の兄弟が、運命のいたずらで、敵味方に分かれてしまったことを、視覚的に見せる場と言えばいいでしょうか。「あそこに来たのが時平の車」「道真を飛ばした張本人だから車に邪魔立てしてやろう」というのが梅王丸と桜丸。すると、それに立ちふさがるのが、松王丸という仕掛け。荒事の代表的な演目だそうsです。「伊勢音頭恋寝刃」は、主筋の刀と由緒書を求める福岡貢とそれを奪い取ろうとする一党との攻防戦。その過程で、この演題を有名にしている貢による連続斬りが出てくるというもの。侍なのだが優男の貢が、ふらふらと斬っていく様を初め、独特の美学がありますね、歌舞伎には。「野道追駈けの場、野原地蔵前の場」はチャリ場。由緒書の奪い合いをする下りを滑稽に描きます。可笑しく見せるために、また独特の動きがあり、これにも歌舞伎特有の美学を感じました。そんなのがおもしろいのでしょうね。黄紺も、ちょっと追いかけてみたくなりました。文楽劇場に、歌舞伎の公演チラシが置かれてあったので、思わず手に取ってしまったのですが、やはりお値段を見て、チラシは元のところに戻してしまいました。
 歌舞伎が終わると、夕刻まで千日前のネットカフェで過ごし、夜は、息子夫婦の新居へ行ってまいりました。それが、なんと黄紺の職場の近く。なぜか、そこだけが緑が多く、いい環境で一安心。お酒をのみ、ほろ酔い加減で家路に着きました。




2013年 8月 25日(日)午前 0時 1分

 夜から雨、おかげで暑さが治まっています。ただ雨ということで、ウォーキングはお預け。替わりに持ち帰り仕事をして、お出かけまでは過ごし、午後からは「dependent theatre 2nd」に芝居を観に行って来ました。「悪い芝居」の公演「春よ行くな」が行われていたのです。舞台は、三角形の舞台を、パイプイスが取り囲むというもの。でも、パイプイスは使われることなく、何のために置かれていたのかは、こちらのイマジネーションに任せられるというもの。描かれたのは、一人の女性を巡る男関係。それと類比的に、父親に失踪された男の子の思いなしが描かれました。親子関係を類比的に取り上げるということは、男女関係に特化されるというものではないという声が聞こえてきます。人と人との関係性に敷衍できるものをテーマとしているということでしょう。それを、繰り返し語られる言葉の中に糸口があるように思いました。思いなし、人が主観的に作り上げるイマジネーションと現実のずれによる混乱を、2つの人間関係を見せようとしたような気がしました。女は失踪した男のイマジネーションを追いかけ、その女に心を寄せた男が、そのイマジネーションに翻弄される。終いには、そのイマジネーションはフィクションとまで思いこんでしまうが、フィクションではなかった。自らのイマジネーションに拘束される女、その女のイマジネーションに翻弄される男、人間関係の齟齬が描かれているように思いました。失踪という得意な設定を持ち込み、日常に起こる齟齬を描いたのでしょうか? 難しい、正直言って。一方で、時系列的描くことを意識させる演出。既に、一定、年嵩を重ねた者どもの、青春グラフィティにも看て取れました。こういった意識のやりとりできるのが、青春であるかのような、、、。題名の「春」というのが、そないに読めるような気がします。
 芝居が終わると、歩いて千日前のおなじみのネットカフェに移動。こちらで時間調整をしてから、今度は、堺筋線で南森町に移動。夜は、繁昌亭で行われた「松喬一門会」に行ってまいりました。松喬が亡くなってから、初めて繁昌亭であった一門会からでしょうか、また松喬の代演ということで、鶴瓶が出るからでしょうか、立ち見まで出る大盛況。その番組は、次のようなものとなりました。喬介「牛ほめ」、遊喬「禁酒関所」、三喬「鴻池の犬」、(中入り)、鶴瓶「立ち切り」。喬介の高音は魅力です。それの確認です。変化を出せる技以前のものを持っていると思えるのです。そこへ、阿呆ボンイメージができていますから得な噺家さんです。遊喬が、この会のマネージメント役だそうです。それでか、松喬の噺を結構してくれたのが有り難かったですね。ネタを考えてか、松喬の酒の思い出話を、随分と語ってくれました。鶴瓶に出演依頼をしたのは、松喬の遺体を前にしてだそうです。あとから出た鶴瓶に言わせると、「そないなとこで頼まれると断れますか?」となります。従って、三喬は師匠については控えめ。確かに、三喬にまで語られると湿っぽくなります。ただ、自身の入門話をすることで触れる程度。いい感性です。「鴻池の犬」は、横道に逸れることは最小限に留め、オーソドックスに演じてました。鶴瓶も、松喬話は避け、自身のハワイの休暇での出来事なんかを話すことでマクラとしてました。「立ち切り」は4年ぶりだそうです。かつては、随分と出していたのですが、最近、ネタ出しの中では見ないなと思っていたら、やっぱやってなかったのですね。「お直し」をすることで、再度やってみようの気持ちが起こったと言ってました。実は、自分的には、鶴瓶の「立ち切り」は初めてとなります。若旦那の 若さを印象づける演出が特徴的です。でも、はっとしたのは、「生涯、嫁をとらない」と言われても、それも若気の至りにならないかと思ってしまったこと。ここ、難しいですね。ピュアさを強調すると、表裏の入れ込んだ一時の思いとなってしまいかねないです。鶴瓶の演出は、今まで聴いた中で、最もピュアさを強調したものだっただけに、このネタの課題が浮かび上がってきました。でも、それを解らせてくれた口演とすれば、一つの見識を映した素晴らしい口演と言わざるをえないでしょう。




2013年 8月 23日(金)午後 10時 45分

 昨夜からHP更新作業が、わりかし大変。トルコへ行ってたりすると、なかなか大変なのです。たまってしまってますからね。幸い、今日は暑さがましだったもので助かりました。歯医者にも行かねばならなかったもので、久しぶりの休みにも拘わらず、わりかしせわしなく動いた一日でした。そうそう持ち帰り仕事もやらなくっちゃならなかったのでね。お出かけは、夜の落語会だけ。今日は、「雀のおやど」で「つるっぱし亭」のあった日。「雀のおやど」は、ワッハの演芸場が閉鎖した関係で、会が増えていますが、「つるっぱし亭」は、こちらのベーシックな会。毎月続いているので、ネタを眺めながら行くかどうかを決めています。今日は、やはり「百人坊主」でしょう。それに、千朝師がゲストというのが魅力。その番組は、次のようなものでした。染吉「平林」、雀三郎「百人坊主」、千朝「千両みかん」、雀三郎「皿屋敷」。この前に「つるっぱし亭」に来たときの前座が染吉だったような記憶が。ひょっとしたら、「つるっぱし亭」に無沙汰をしすぎたのかもしれません。雀三郎の一つ目が「百人坊主」、東京に入ると「大山詣り」となり、上方ほど演じ手が少なくありません。雀三郎は、このネタを思うと、自身が生まれ育った鳥飼村を思い出すと、子ども時代の村の生活を、マクラで喋ってくれました。雰囲気作りは抜群です。流れの中であれっと思ったのは、伊勢詣りに出かける前に、着物を揃えるということで、村の住職に絵を描いてもらうくだりってありましたっけ? 問題児のフカの源太が、雀三郎にしては、おとなしめのキャラになっていたのが、ちょっと意外な印象を持った口演でした。千朝は、いつものように極めて丁寧な語り口。このテンポで大丈夫だろうかと思うのはいつものことながら、知らぬ間に引き寄せられてしまっているというのも、いつもと同じでした。番頭が、主筋にあたる人物に使う丁寧語が魔法の粉のように吸引力を持っているのに気づいたのは、噺も後半に入ってからでした。雀三郎は、「百」「千」と来たので「饅頭怖い」を出したかったのだけど、4回ほど出しているので止めたとのこと。替わりに出した「皿屋敷」は、9年前に1度出したきりだそうです。意外なことでしたが、どうやらゲスト枠の噺家さんが出すので、自身で出せなかったようです。「百人坊主」に対し、えらく起伏を大きく執った爆笑編に仕上がっていました。やたら大きな声で怖がる男なんて、雀三郎特有の個性くっきりの男たちが出てきます。お菊の幽霊が客慣れをして、えらくくさい「演技」をするところなんて最高。変化に富んだ大ネタが並ぶ充実の落語会でした。




2013年 8月 23日(金)午前 11時 17分

 日本に帰ってきて、すぐに2日働いて、今日が非勤務日。ようやく体を休めることができています。あまりにも強烈な日本の暑さは、予想されたこととは言え、かなり堪えています。なんせクーラーのない部屋に勤務しているものですから。で、早速、昨日から夜遊びを復活。昨日は、京都で行きたい落語会がバッティング。迷いに迷ったあげく、「京都府立文化芸術会館」であった「桂文我上方落語選」に行ってまいりました。先月も行ってるので、2ヶ月連続となります。その番組は、次のようなものでした。団姫「八五郎坊主」、文我「花色木綿」、三象「シルバーウェディングベル」、文我「二人茂兵衛」、(中入り)、文我「八五郎出世」。団姫は、久しぶりの遭遇。ネタも、随分と様変わりしたものを出すようになったなぁと思っていると、これには見事な仕掛けが用意されていました。八五郎が僧侶になるというので、髪をおろすところで、団姫は鬘を脱ぎ剃り上げた頭になったのでした。僧籍を持ち、普段から剃り上げた頭にしている団姫ならではの演出です。ゲスト枠の三象は、白内障の手術を受け視力が飛躍的に回復した経験を使い、得意の自虐ネタで、たっぶりと笑わせてくれたあと、師匠の作品から三象の得意ネタに入りましたが、年寄り顔の三象に、とっても合ったネタです。文我のネタ三つの内では、「二人茂兵衛」が白眉。こうした題名のネタを発掘して、文我が会でかけているということは知ってはいましたが、遭遇するのは初めて。たいそう大きなネタで、噺の展開も複雑でおもしろいもの。同名の男二人を登場させて、そこから生まれる間違いのおもしろさを巧みに利用した佳作です。こないな噺があったんだという感じで聴きいってしまいました。ただ、二人の茂兵衛が出逢ったところで打ち切られたのは、いかにも残念なことでした。なんでもネタは手がける文我は、珍しくも「花色木綿」を出しました。後半は繰返しになっていくしつこさが気になると言えば気になる。そこで、文我は、繰返しを3回に留め、衣料関係は繰返しませんでした。一つの立派な見識だと思います。残す一つは、トップに出た団姫が、上方落語には珍しい八五郎ものを出したということで、東京の「妾馬」に当たる「八五郎出世」を持ってきました。終演の時間を気にしながらの口演。文我の東京ものでは、一番聴いているネタですね。




2013年 7月 27日(土)午後 10時 9分

 トルコへお出かけ前は、文楽三昧の一日。昨日観てない第一部と第二部を観る日に当てました。第一部は「親子劇場」と銘打たれて、文楽の解説が入り、また子どもが観て楽しい演目を取り上げることになっています。これも、毎年観ているのですが、今日は土曜日ということからでしょうか、例年以上に子どもの姿が目に付きました。中には、通路に寝そべるのもいたりして、限度というものを知らない親がいるのには閉口します。プログラムは、「金太郎の大ぐも退治」「解説 ぶんらくってなあに」「瓜子姫とあまんじゃく」というものでした。いずれも初遭遇のはずです。「金太郎」は欲張った内容。源頼光の酒呑童子退治の話に、土蜘蛛退治の話が加わるのですから、欲張っているというしかありません。頼光の四天王が出ない替わりに、その役を、子どもに親しみのある金太郎がするという感じというか、戦う役割は、全部、金太郎が担い、頼光は、秘剣かざすだけというもの。当然、土蜘蛛の放つ糸があったり、更には、最後には土蜘蛛の化身である鬼童丸が、金太郎と空中で戦いながら消えていくという「宙乗り」まで出てくるというスペクタルものとなっていました。「解説」に相子太夫さんの名前が入ってないのでおかしいなと思っていると、「病気休演」と出ていてびっくり。お若いのに、どうされたことでしょう。「病気休演」と言えば、「瓜子姫」担当だった嶋太夫さんもそう。1年か2年前にも休演されたことがありますから、こちらも気になります。その時に復帰された折に、ぐっとお歳を召された感じがしたものですから、余計に気になります。その「瓜子姫」ですが、途中から寝てしまいました。木下順二作で口語体で語られるという珍しいものだっただけに、ちょっと情けない。ただ、記憶に残るところで書けば、存外気にならないのです。太夫さんの語り、文楽の三味線の雰囲気が勝ってしまい、テキストの変化は気にならないのです。これは、おもしろい発見です。同時に、文楽の可能性を感じました。
 第一部が終わると、近くのネットカフェで、半時間だけ休息。そして、慌しく第二部に向かいました。第二部は「名作劇場」と銘打たれ、「妹背山婦女庭訓〜井戸替の段、杉酒屋の段、道行恋苧環、鱶七上使の段、姫戻りの段、金殿の段〜」が出ました。「妹背山婦女庭訓」は、かなりしんどい話なんで、あまり好きになれません。今回も同様でした。お三輪という女が、あまりに哀れなのです。これでもかこれでもかですからね。筋立ては、鎌足による蘇我入鹿征伐話なのですが、その入鹿をやっつけるためには、鹿の生き血と嫉妬に狂う女の生き血が必要という文楽特有のえぐい設定。ですから、さんざん嫉妬に狂う女を描き、更に弄ばれ哀れさを協調し、挙げ句の果てに生き血を得るためにだけ殺されるというえぐすぎの展開となるのです。引いていくばかりの展開です。「金殿の段」の切りは、咲太夫さんの割りだたのですが、出てこられたのは咲甫太夫。昨日から代演を務められていると伺いました。嶋太夫さんについで咲太夫さんも病休。大丈夫なんでしょうか、このままで。住太夫師、源太夫師に衰えが目立つなか、こんなのでいいのでしょうか? 時代のエースと目される咲甫太夫さんも、これだけの大曲は、さすがに荷が重いと看ました。年齢とともに出てくる味わいというものが義太夫にはあるのだと、咲甫太夫さん観ていても思いましたから、貴重な要因だと思いました。
 これで、トルコです。今回は、クアラルンプル経由のイスタンブル入りです。サッカーの日程も判っていますから日程を組もうとするのですが、難しくって。行きの飛行機で、最後まで迷うのでしょうね。もう、明後日の朝はイスタンブルです。




2013年 7月 26日(金)午後 11時 19分

 昨夜は、息子とその婚約者の買い物にお付き合い。黄紺が、トルコに行っている間に新生活が始まってしまいます。式は来春、黄紺がドイツから早く帰ってこなければなりません。
  そして、今日は、久しぶりの5日連続の勤務の5日目。クーラーなしの真夏の勤務は尋常ではありません。それが終わりました。これで、ようやくトルコに行けます。その前に、夏の文楽公演をひとしきり観ておかねばなりません。毎年、この文楽公演を3つとも観る時間確保に苦労しています。今日は、夜の第3部だけ観ることになりました。演目は、夏ネタの定番「夏祭浪花鑑〜住吉鳥居前の段、釣船三婦内の段、長町裏の段〜」でした。ちょうど天神祭の季節、とってもタイムリーの演目でもありました。自分的には、この演目を初めて目にしたのは、勘三郎のニューヨーク公演のテレビ放送。泥水の中での殺し合いが異様で、最後は、ニューヨーク市警が、団七を追い詰め、ホールドアップとなって終わるというもの。鮮烈な印象が残りました。それを観てから、文楽の同じ演目を観て、今回が2度目となります。ですから、人形がいくらリアルに動いても、あの公演の印象が邪魔してしまいます。話は侠客ものです。主役の団七が恩義を感じている侍の世間知らずの倅を、また、その倅が肩入れしている女琴浦を救うために、兄弟分らと手を合わせるのだが、団七自身の女房の父親義平次というのが、どうしようもない性悪。ついには金儲けのために、団七が匿っていた琴浦をさらってしまう。追い掛ける団七が、ついに追い付き手にかけるという場面になるというわけです。今日は、寝不足のうえ、暑さが身にしみており、ところどころ話が途切れてしまいました。住太夫も、釣船三婦内の段の切りを担当されましたが、病気からの快復という点ではいい感じなのでしょうが、往年の声からすると、かなりしんどいものがあります。簑助さんは、顔にこてを当てる気丈な女お辰を担当。どんどんと舞台に登場される時間が少なくなっておられます。最後は、お約束のだんじり囃子が流れるなか、団七は逃げて行きましたが、舞台の後方には、舟渡御の様子が描かれていました。




2013年 7月 24日(水)午後 11時 57分

 月曜日から同じような生活が続いています。今日は、朝方雨が降った関係で気温が下がったのですが、長続きはしませんでした。相変わらず、クーラーなしの一日。でも朝方に1時間、昼間に1時間だけクーラーの中で働くことができました。ま、これも3日連続ですから、変わりのない日々を過ごしているということでした。そして夜は、「シンフォニーホール」で、「大阪フィルの定期演奏会」へ行ってまいりました。大植英次が振るラベルの「子どもと魔法」の演奏会形式での演奏が出たのです。それを後半に、前半は、シェーンベルクがオケ版に編曲した「ブラームス ピアノ四重奏曲」でした。ところが、このシェーンベルクの編曲というのには、今まで、自分的には関心の埒外の曲でした。シェーンベルク、ブラームスと並ぶと、どうしても後期ロマン派の重厚なメロディラインを期待してしまうのですが、どうも、この曲は、そういった流れでないため、関心が向かなくなっていました。確かに、2楽章までは、固定観念のようなものが頭を捉え、従来同様の印象でいたところ、ふっと開演前に読んだパンフレットの解説文が、頭をよぎりました。この作品は、シェーンベルクが、ナチスから逃れアメリカに渡ってから作ったものとの記述。ということは、十二音技法でなければ、究極の後期ロマン派という決めつけはヤバいんじゃない、だったら、心を直ぐにして聴いてみにきゃ、で、そうして聴いているところに、3楽章、4楽章と聴いている内に気づいたのは、この曲って、カールマンが入ってるじゃないってことでした。ですから、軽く、甘いメロディ探しに精を出すと、えらく遊べるじゃないか、その気持ちで、最初の2つの楽章も聴くんだったと思っても、あとの祭りでしたが、この曲の楽しみ方を見いだしただけでも、大成果だったと言ってもいいでしょう。そないな楽しみ方ができるということを学んだのも、一つには、大植英次の気分を込めた指揮ぶりにあったと思います。最後は、指揮台の上で跳びはねていましたからね。「子どもと魔法」は、「胡桃割り人形」テイストのメルヘンです。チェアが喋ったり、夢の中のお姫様が、目の前に現れたり、猫の鳴き声だけでデュエットがあったりという具合です。中国の陶器が、不思議な中国語を喋るところでは、「マージャン」なんてのが出てきたり、そうかと思うと、当時のジャポニズムを反映して、「早川雪舟」が出てくるのはいいのですが、それは、変な中国語の中に出てくるという、ちょっと笑ける場面もあります。そないな曲ですから、それぞれの音楽は表情たっぷりです。ソリストだけで8人、更に合唱は、子どももの合唱隊まで必要という曲です。簡単には聴けるものではないということが、そないなことからも判りました。気分に乗せて、またオケも乗せて、音楽の楽しみを気分いっぱいの演奏だったというのがシェーンベルク。一方で、まずは一つ一つの音を大事に大事に描こうとしていたというのがラベルだったなとの印象でした。




2013年 7月 23日(火)午後 11時 10分

 今日も、一日、クーラーのない部屋で過ごしていました。体がだる〜い感じがしています。クーラーのある部屋に入るとしゃきっとするので、一種の熱中症状態になっているのでしょうね。この地獄のような世界から早く抜け出したいのですが、仕事が残っているのです。夜遊びに出かけるのも、だる〜い感じで億劫になってしまうのですが、気を取り直して出かけたのは、谷六の「薬業年金会館」であった「旭堂南海の何回続く会?」。今月から「紀伊国屋文左衛門」が始まりました。今日は「みかん船、江戸乗込」という副題が付いていました。文左衛門こと文次郎の家の来歴から始まりました。元は平重盛に仕える下級武士の出。おごれる平家に嫌気がさし武士を捨て、紀州で商人に。湯浅から加太に移り、商家を引き継いでいきます。このあたり、結構、寝不足と昼間の暑気当たりで、ぐったりとなり、展開は把握できてはいませんが、大筋は辛うじて外してない模様。文次郎の代になり、「貧乏業平」と言われるほど商いに行き詰まった様子。一方、神官の某が豪気に地域の顔役として振る舞っていたのだが、花見の際、娘が文次郎を見初めてしまったことから、二人の結婚話が持ち上がる。このあたりは、「木津の勘助」が、淀屋の娘と結婚するときの流れに似ていたのですが、体一つで、風呂敷包み一つで来るならということで、無事、結構が整ったある日、神官の某が、あとからこっそりと届けていた千両箱2つが、文次郎の目にとまり、ならばということで、有名な嵐の中を、江戸までみかん船を出す構想が浮かび、その準備に入っているところで、今日は終わりました。南海さんは、うまい具合にチャリ役を登場させ笑いの多い講談を提供してくれます。今日の講談では、神官の某と文次郎の間を取り持つ道具屋清兵衛がそれ。ところが、このあたりもダウンしていたところに、一部含まれてしまいました。もったいない話とは思う一方で、今日の体調では致し方ないところかもしれません。




2013年 7月 23日(火)午前 4時 25分

 月曜日から5日連続の勤務。睡眠時間を、しっかり確保して行けるかが課題。とりあえず作日はダメな日。寝不足のなか、クーラーもない部屋で、一日中デスクに向かっていました。そして、夜は「京都府立文化芸術会館の駅」の和室であった「桂文我上方落語選〜京都編〜」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。福丸「月並丁稚」、文我「魔風」、福矢「延陽伯」、文我「小咄」、(中入り)、文我「抜け雀」。福丸は、あまり落語会にはかからない噺を出してくれました。春団治一門では、定番の前座ネタにも拘わらず、落語会には出ないのです。尻をひねる場面っておかしいので、もっと遭遇機会があってもいいはずなのですが。ゲスト枠は福矢。最近聴く機会が減っている噺家さん。この人のマクラは、はまるとホントにおかしいのですが、昨日ははまってしまった日となりました。転居しようとして不動産屋に行ったとき、福矢が噺家と判ったときの反応がおかしい。色々と審査があるのだけど、不動産屋自体は金儲けに走るから抜け道を用意してくれる、でも、管理会社の審査はダメ、、、噺家さんて生きていくのが大変です。これに触発された文我が、2席目をすっ飛ばしてしまいました。最近、お喋りの過ぎる癖が出てしまったのですが、話自体はおもしろい思い出話。文我の独身時代、引っ越しの手伝いをしたむ雀の反応がおかしい。そこから、九雀、む雀と過ごした修行時代の話へ。枝雀の生態が判るので、耳はダンボに。一方で、枝雀の弟子の睦まじさも判ります。2席目は、申し訳程度の珍品小咄を最後にして降りました。それに先立つ1席目は、珍品「魔風」。なのに、ここで、やばいと思っていた睡魔に襲われてしまったのです。ただ、言葉遊び的ネタだったことだけは残っています。そして、最後は、文我では初めての「抜け雀」。マクラで学際的な解説。大阪では絶えていたものを、4代目文枝が覚えていたのを、米朝が、それを基に復活。名人2代目三木助の速記本の内容を、文我が加えたと聞いたつもりだったのですが、実際の口演では、現在流布している米朝一門の口演と同じだったものですから、米朝自身が、三木助の速記本を参照したものと思われます。絵師の父親の品格が出ると、噺が締まります。さすが、文我は、その辺りを心得た好演。これが、トルコへ行く前の最後の落語会になる可能性があります。




2013年 7月 22日(月)午前 5時 48分

  大阪市内遊歩(175)

 3連休最終日。ようやくトルコ旅行の計画を練ろうとしています。サッカーの日程が発表され、それを中心にスケジュールを組む身として、組める状態になってきたということです。ラマザンの日程とにらみあわせながらの作業になりますが、結局は、飛行機の中でも迷い続けるのでしょう、いつものように。ところで昨日は、朝からHP更新作業に精を出し、お出かけは12時半をメドにしました。まずトリイホールの下「徳徳亭」であった「第24回なんせいの講談格闘中!」に行ってまいりました。上のホールでは「市馬・喬太郎二人会」をやっていたのに捨てました。たまの会も捨てて、南青くんの会を取りました。講談の希少性重視というところです。その番組は、次のようなものでした。南斗「赤垣の婿入り」、南青「名月松阪城」、(中入り)、南青「高津千両富」。「赤垣の婿入り」「名月松阪城」は定番ネタ。「赤垣の婿入り」は、「赤穂義士外伝」に入るそうな。赤垣源蔵が赤垣姓となる物語。奥さんは「カボチャ娘」と言われた小柄な娘さん。無頼漢に因縁をつけられた「カボチャ娘」を助けたことが縁になって、竜野から赤穂への婿入りとなります。「名月松阪城」は、浪曲でもスタンダードになっている物語。戦場で功を臣下に譲られたにも拘わらず、それを知らず、自分の功だと言い張る蒲生氏郷、あまりの仕打ちに見かねたその臣下がたまりかねて、、、という話。「高津千両富」が、昨日の白眉。題名からして、「高津の富」の原型かと思っていたら、全然別の話。年の暮れ、スリに財布をすられた丁稚さん、それを助けた侍、その二人が、その後、それが縁になり、それぞれ出生をして、17年後に再会するというもの。貧しい生活を支える侍の奥方がしっかり者で、千両の当たり籤を捨てさせる、だけど、それを聞いていた者が美談として報告したところから、侍のサクセスストーリーが始まります。一方の丁稚さん、金を盗まれ死を覚悟していたところを助けられたがため、辛抱の性根が座り、結果的に、それが認められ大店を任されることに。こちらもサクセスストーリー。なかなかいい話。こんないい話を、未だ聴いていなかったは残念なこと。この話を聴けただけでも、この会に行った値打ちがありました。
 講談会が終わると、直ぐに上方ビル前からウォーキングをスタートしました。昨日は、最終的には、またミナミに戻って来なければならないこと、もう一つは、「弁天町」駅付近にある三社神社が、夏祭りのはずだから、そこには立ち寄りたい、この22つのことを頭に入れ、コースを作ってみました。その詳細は、次のようになりました。上方ビル〜難波神社御旅所〜幸橋〜韓国料理店「黄金石」〜赤手拭稲荷神社〜大阪市立立葉小学校〜桜川公園〜JR「かんじょう051」橋梁〜大浪橋〜 大阪市立大正東中学校〜泉尾上公園〜大正泉尾郵便局〜市岡下水処理場〜福栄橋〜大阪市立三先幼稚園〜三先天満宮〜大阪市立磯路小学校〜磯路中央公園〜三社神社〜地下鉄「弁天町」駅〜大阪ドーム〜地下鉄「ドーム前千代崎」駅。時間にゆとりがあると思い、肝心の三社神社に行くのを後回しにしたため、せっかくの祭りをゆっくり見ることができませんでした。3年ほど前に行ったときよりか、遙かに大きな祭りだったのにはびっくりしました。神社の前は歩行者天国になっており、また、そのあとも何やら催しがあるようで、道路には、それを待ちかまえるような感じで人が並んでいました。やはり、まずここに行ってから、あとは時間調整をすれば良かったのでしょう。でも、夏祭りの雰囲気に少しでも触れられたことはラッキー。他の地域でも、この時期には祭りがあるようです。それを眺めながらのウォーキングは、楽しさが倍増します。
 ウォーキングが終わると、地下鉄で「心斎橋」へ。夜は、息子と息子の婚約者と合流して3人で「イスタンブール・コナック」へ。トルコ旅行へ行く前の楽しい会食となりました。




2013年 7月 21日(日)午前 4時 49分

  大阪市内遊歩(174)

 昨日も、真夏のいいお天気。でも、この3日ほどは、朝晩が涼しいので助かっています。昨日は、午前中に旅行の準備。まだ1週間以上も先の出発にも拘わらず、準備に着手。来週は、ゆっくりとした時間がとれないので仕方ありません。そして、午前11時をメドにお出かけ。午後は「繁昌亭昼席」。福笑が出る週は1回は行くことにしているからです。たまも併せて出る日ということで、珍しく土曜日の昼席を選びました。補助席も出るという盛況。その番組は、次のようなものでした。松五「動物園」、たま「ドーベルマン刑事」、新治「ちりとてちん」、伏見龍水「曲独楽」、わかば「片棒」、三風「あ々定年」、(中入り)、三吾・美ユル「漫才」、福車「看板のピン」、遊喬「相撲場風景」、福笑「桃太郎」。松五も、昨日だけの出演。今週のトップは、呂好が務めていました。ボヤーッとした客席の反応に、たまは何を出すのかなぁ、三風、福笑も出るので古典だろうと決めつけていたら、なんと「ドーベルマン刑事」。えらくディープなものを出したものです。客席は、ちょっと呆気に取られた雰囲気でした。それを、柔らかく包み込んだのが新治。うまいものです。ただ、ここから三風まで、ウォーキングもしてないのに半寝状態。程よいクーラーは眠気を誘います。三吾・美ユルは、わりかし気に入っている親子漫才。福車は、今回も「看板のピン」でした。遊喬がいい雰囲気。脱力系のマクラが絶妙。その流れで「相撲場風景」は、ベスト・チョイス。福笑は、またしても「桃太郎」。後半を変えたのかなぁ。えらく聴かせる噺になっていて、いい感じ。講談調というわけではないが、子どもが、急に芝居がかった話をやりだすのが説得力があります。父親も聴き出し、客も聴き出します。「桃太郎」が大きな噺になりました。
 繁昌亭を出ると、直ちにウォーキングに移行。東京に行ってたりしたので、ウォーキングは久しぶりです。そのコースの詳細は、次のようになりました。繁昌亭〜西天満公園〜インド料理店「ディップ・ラスナ」〜野崎公園〜北野病院〜JR「かんじょう131」橋梁〜本庄南公園〜本庄小公園〜大阪天神橋八郵便局〜長柄公園〜毛馬橋〜淀川神社〜都島毛馬郵便局〜東友渕橋〜JR「じょうとう021」橋梁〜大阪市立旭陽中学校〜旭公園〜東中宮橋〜大阪市立大宮西小学校〜大阪市立大宮中学校〜城北公園〜関西医大病院〜京阪「滝井」駅。昨日の狙いは、毛馬橋を渡り東へ進み、最近ご無沙汰の旭公園を経由して、城北公園にも立ち寄ったあと、京阪のいずれかの駅に至ろうというもの。また、毛馬橋に至る道は、単純に天神橋筋を北上するのは興醒めだと言っても、天神橋筋の東側は、最近よく歩いているので、西側の筋を北上することにしました。結果的には、毛馬橋に行くには、迂回するコースを採ったということです。昨日の午後は、ウォーキングをしていると、少し爽やかな風があり、また道路からの照り返しはなくと、コンディション的にはなかなかいいもの。汗はかくことはかいたのですが、額から落ちる汗を拭いながらということもなく、そういった面でも、ウォーキングしているのが壮快でした。いい日にウォーキングをもってきたものです。




2013年 7月 20日(土)午前 6時 37分

 昨日から、トルコ旅行前最後の3連休が始まりました。この3日間の内に、旅行準備をしておかないと、来週は、丸々1週間働かねばならないもので、大変なことになります。が、とりあえず今日は、オペラと宴会の日に当てました。まず、オペラですが、西宮北口にある「兵庫芸術センター」であったロッシーニのオペラ「セビリアの理髪師」です。毎年、この時期に、「佐渡裕プロデュース」と銘打たれた人気オペラ公演があります。今まで、気がついたときには高いチケットしか残ってなくて断念したことがあったオペラ公演でしたが、今年は運良く手頃な値段のチケットをゲットできたのでした。昨冬ドイツ旅行をともにした方のおかげで、安いチケットが残っている段階で気がついたのでした。自分的には、この会場では、シェークスピアの芝居は観たことはあったのですが、オペラは初体験。びわこホールを、一回り大きくしたようなホール、サイドの舞台寄りでしたので、音響的には問題なく鑑賞することができたのですが、観るという点で言うと、アングル的には良くないのは仕方ありません。それ相応のお金しか使ってないのですから。でも、終わるのがもっと先になってくれないかと思うほどの素晴らしい出来栄えだったことは、十分に伝わってきました。一つには、演技もでき歌唱力もあるいい歌手を揃えています。次に、オーソドックスではあるのですが、非常に楽しませる巧みな演出、それに、何がいいと言ったって、佐渡裕のメリハリの効いた指揮に、強く惹かれました。それに、ヨーロッパから喚んだゲスト奏者を加えたレジデンツ・オーケストラが、よく応えていました。舞台装置は、大小の家が3つ。その1つが、ドン・バルトロの家で、この家が、物語がスタートすると中が開く仕掛けになっており、その家の中で、ほぼ物語は動いていきます。そのスペースは、わりかし狭く、しかも左右のサイドは大黒、バックは、半透明の薄い布が掛かっているという状態。ですから、頭の中に思い浮かんだのは、能の「邯鄲」。広い能舞台で、主役は、長い時間、一畳台の上でだけ演技をするという「邯鄲」です。狭い空間に、如何に集中させる演技を見せられるかで、舞台全体の生き死にが決まってしまいます。ですから、そういった意味を込めても、いい演出たったと思うのです。特に第2幕が良かったのです。また、細かな指示にうまく反応していた歌手陣に拍手です。この公演、連日行われるものですから、ダブル・キャスト制を採っています。森麻季というスター歌手がロジーナを歌っていました。スター歌手であるために、コンサートでの遭遇機会も多いのですが、自分的には、あまり評価は高くない人です。ましてや、ロジーナはメゾの担当、ソプラノもありという役柄ですから、低音部分を懸念していたのですが、そちらは無難にこなしていたのですが、絞り出すような高音部分は相変わらずでした。でも、中音部のコロラトゥーラは素敵で、自分の中では、ちょっと評価が上がりました。すると動けて、ルックスがいいというプラス部分が生きてきました。今日の歌手陣では、アルマヴィーヴァ伯爵役の中井亮一が、一のお気に入り。この間、ホント、いいテノールに出会うことができます。3人の男声低音部は、それぞれそつがなかったのですが、バルトロにせよ、ドン・バジーリオにせよ、もう少しバスっぽい声の厚さがあれば、申し分なかったでしょうが、それは、ちょっと贅沢を言いすぎかな。その昔、東京の二期会で「フィガロ」や「こうもり」を観たときの楽しさが彷彿としてきました。平日の昼間というのに、客席は満員。このシリーズが、完全に軌道に乗っている姿を肌で感じることができました。
 オペラが終わると、いそいそと大阪へ逆戻り。昨夜は、以前の職場の同窓会があったのです。1年に1度の再会、現役の人よりか、リタイア組が多くなってきているのに、時の流れを感じざるをえませんでした。




2013年 7月 19日(金)午前 6時 1分

 先週に比べると、暑さはちょっとましかなの1週間。このくらいの変化で、体がもちますね。東京から帰ってきてからはおとなしい生活をしていたのですが、昨日から夜遊び再開。ところが大失敗。昨夜は、繁昌亭に行く予定だったのですが、買ってあったチケットを職場に持って行くのを忘れたものですから大変。一旦は完全に諦めたのですが、思いの外、家に早く帰れたものですから、遅れるのを覚悟で繁昌亭に向かいました。繁昌亭では「雀松・南左衛門 二人会」がありました。文之助襲名が近づいている雀松に南左衛門が付いてくる結構な会、ネタを見ながら行くことにしていますが、雀松の出していたネタに惹かれて行こうとしたのでした。その番組は、次のようなものでした。南舟「?」、南左衛門「甚五郎の蟹」、雀松「腕喰い」、南左衛門「新島襄の妻・八重」、(中入り)、雀松「三枚起請」。繁昌亭に着いたときには、南左衛門のマクラが始まっていました。新しい高座が始まると、繁昌亭は中には入れてくれないのですが、マクラだったからでしょうか中に入ることができました。ちょうど、「あさひ荘」時代の思い出話をしているいいところでした。そういった話が積もってきているので、「あさひ荘」と聞けば「倒れ荘」と、頭の中で変換されてしまいます。「三人よれば文殊の知恵」という会を、吉朝、雀松、南左衛門と3人でやっていた頃の思い出話も良かったですね。この会の客として来ていたのが、三喬、米左だそうです。ネタは「甚五郎の蟹」、甚五郎が、腹を空かした子どもが餅を盗んだのを救い、替わりに餅屋に動く蟹を掘る話です。定番ネタです。もう一つの「新島襄の妻・八重」は、作家さんの付いた新作です。タイムリーな新作なので楽しみにしていたのですが、ここで、いやここだけ見事なダウン。会津戦争から始まったのは記憶があるのですが、それ以後はさっぱりで、、、。面目ない次第。一方の雀松は、いいネタを出してくれました。「腕喰い」は、夏に相応しい怪奇ネタ。元々、林家の噺のなのかな、他門でするのは、あまり記憶がありません。雀松の描く若旦那が軽くていいですね。軽〜い男だから、下げにつながるちょっとしたゆとりがあるのかなと思わせます。意図が一貫していて小気味が良い口演。聴きようによっては、早口に聞こえますが、単なる早口じゃなく、軽いのです、雀松の口演は。その中での緩急、口先喋りを入れたり、全体が軽〜い上に、見事な変化でメリハリが付く、その心地よさにはまると、雀松ワールド全開となります。「三枚起請」も、流れとしては同じです。間髪を入れない切り返しなんて名人技。よほどの稽古の積み上げだけが可能とする技と看ました。仕切役源兵衛の落ち着き、高揚感を押し出す清八、抜けた喜六、軽い口演の中での描き分けも感心するばかり。ボケ役の喜六で引っぱってゆく松枝の技も「三枚起請」ではインパクトのある口演ですが、3人の描き分けの効いた軽い雀松の口演も、「三枚起請」では外せないなという感じです。考えれば、遊女に欺されたがため、それに仕返しに行くという虚けた噺なんですから、こういった軽さがあってこそ聴ける噺なんでしょうね。トラブルがあって、一旦は諦めた会でしたが、遅れながらも行って大正解でした。




2013年 7月 10日(水)午後 9時 55分

 今日もお仕事。猛暑日の中でもひときわ暑い一日、明日までに仕上げねばならない仕事にメドが立ちました。これで、安心して明後日からのプチ旅行に出かけることができるのです。で、今日は、天満橋の「双馬ビル」の一室で行われた「南華はたちの会」に行ってまいりました。隔月で開かれている南華さんの会です。今日の番組は、まず「応挙と花魁の幽霊」、次いで「野狐三次」というものでした。いつも楽しいマクラから始まります。今日は二つの話題がお話しされました。一つ目は、どこかの放送局に、食べ物の入るネタを求められて困った話。食べ物をメーンに扱ったネタっていうのが、探しだしたらないのだそうです。「徂徠豆腐があるじゃないですか」と声をかけると、「他のお兄さんがやはれてました」ということでダメ。結局「弥次喜多」話の中から、富くじが当たったと思った二人が散財をしてしまい、実はハズレ籤だったというオチの付いてる話にして、「弥次喜多の二人に、色々と食べてもらいました」と言われていました。二つ目の話題は、南華さんの出身地貝塚で、小学校の先生に講談を教えたという話。教師も、教えられる側に回ると、教える立場にいたときのことを忘れてしまうというものでした。「太閤の風流」を教えたそうですが、テキストにして渡したら、誰の台詞なのか、どういった意味合いの台詞かが理解されなかったそうです。これは、講談の未来に関わる話です。南華さんの一つ目は「応挙の幽霊」。序盤の、応挙が花魁を介抱し、その姿を絵に描くところ。中盤が、応挙がなじみ居酒屋を助けるために、花魁の絵を基に幽霊の絵を描き居酒屋にプレゼントすると、居酒屋が大繁盛する。この話のいいところは、これで終わらないところ。応挙が再び居酒屋を訪ねると、感謝の気持ちから、応挙に渡したものをきっかけに、花魁の素性が明らかになるというもの。とってつけたようでありながら、ほろりとさせられてしまうということは、決して蛇足ではない証拠です。「野狐三次」の方は、ついに三次の実父が明らかになりました。侍でした。今や奉行職を務めるという要人、また実母の名前も、実父の口から明らかになりました。三次の妹お花に意地の悪いことばかりをしていた婆さんの実妹でした。因果はめぐる糸車、ネタふりが、きれいに仕込まれていますから、終盤に入ってのバラシに心地好さを感じてしまいます。今度こそ、次回で終わることでしょう。牢屋に入っている三次の処し方が決まれば大団円となるはずです。




2013年 7月 10日(水)午前 0時 23分

 今日は、非勤務日ながら仕事が入ってしまい、全く普段通りの一日を過ごすハメに。火曜日は、今は二人だけになってしまった寂しい部屋で、相変わらず暑さとの格闘。でも、昨日の経験を生かし、一旦体を冷やしたあとは、猛暑の部屋に戻って仕事をすると、耐久力がつき、それまでほどは暑さが気になりませんでした。ということで、今日は、勤務時間が過ぎたあとも、職場で仕事をしながら時間調整。そして出かけたのは「大阪ステーションシネマ」。言うまでもなく「パリ・オペラ座ライブビューイング」を観るためです。今日は、ヴェルディの「ファルスタッフ」が出る日だったのです。ところが、めいっぱい働いた一日だったので、体力的に極めてきついことになりました。このプロダクシュンの特徴というのが幾つかあります。ウィンザーの女房たちが美形揃い(アリーチェ:スヴェトラ・ヴァシリエヴァ、メグ:ガエル・アルケス)、。中でもナンネッタを歌った歌手エレーナ・ツァラゴワは、オセチア出身ということで、エキゾティズムな良さも入り、ちょっとびっくり。このあとコベントガーデンでもナンネッタを歌うと言ってましたし、来年にはベルリンでもと。思わず来季のベルリンのスケジュールが、頭の中を駆けめぐりましたが、黄紺が行ける時期のベルリンでは、ファルスタッフの公演はなかったようで、、。次に、ファルスタッフ役のアンブロージョ・マエストリは、立派な体躯に、声もいいのですが、らしいオーバーな演技に欠け、も一つ盛り上がりに欠けちゃいました。舞台装着に特徴がありました。左右に移動する壁を使い、ガーター亭、フォード家、テムズ川沿い街角、最後の森を出していました。イギリスを意識したのでしょうか、常に濃いめのレンガ色で統一されていました。歌手は、ホントに粒よりで、ハイレベルの歌唱が揃っていました。美味しい役柄クイックリー夫人(マリー・ニコル・ルミュー)は、歌唱、演技、体型と、何から何まで理想型。注目のテムズ川への投げ込みは、洗濯カゴを、階段3階上がったところから投げ込むというすごいもの。カゴ自体はすりかわっていましたが、びっくりさせられはしました。ファルスタッフを怖がらせるところに、自分的には不満が残りましたが、見たぞの感じは残りました。ただただ眠たくて仕方ありませんでしたが。なお指揮はダニエル・オーレンでした。




2013年 7月 9日(火)午前 0時 35分

 今日も猛暑日。クーラーのない部屋で仕事をしているので、今日は、クーラーのある部屋に押しかけて行って仕事をしていたら、クーラー地獄を味わいました。他の人はガードなしでも平気な温度なのでしょうが、黄紺には地獄になりました。外に暖を取りに出かけたら、なんかその方が良さげに思えて、クーラーなしのいつもの部屋で仕事をすることにしました。これからは、身体にクーラー地獄を味わわせてから、クーラーなしの部屋で仕事をすればいいのじゃないかと思い始めています。ところで、今夜も芝居の日になりました。今夜は、「in→dependent theatre 1st」であった「石原正一ショー」の公演「筋肉少女」に行ってまいりました。実は、この芝居を観るのは2度目。4年前に上演したと、前説に立った石原正一自身が言ってましたから、それだけの時間が経っていたのですね。話は、キン肉マンとスケバン刑事を足して2で割ったものです。これも、石原正一の言葉です。はっきりと、その意味を捉えているとは思わないのですが、なんとなく雰囲気は了解です。コミックにヒントを得て作られていますから、話の展開も、ちょっとしたひねりは入ってはいますが、悪と善が明瞭で解りやすいもの。それに合わせて、動きもコミカルに、スピーディーに作られているので、一層解りやすくなっています。キン肉マンが入っていますから、プロレスの技なども使われたりで、楽しませる要素も、しっかりと入っています。その辺の記憶が残っているからでしょうね、もう一度、観てみようの気分になったのは。以前観たときの記憶が残っているとは言えないのですが、何となく役者さんが、今回は小つぶになったような気がしてなりませんでした。ですから、最後は、2回までは観る必要がなかったのではと、若干、反省することになりました。




2013年 7月 8日(月)午前 6時 2分

  大阪市内遊歩(173)

 今日も猛暑の一日。そして、芝居三昧の一日。お出かけは、昨日よりは、ほんの少しだけ遅め。まず天下茶屋駅近くのカフェ「Can Tutku」であった「baghdad cafe'」の公演「talk about her life」に行ってきました。35名限定で予約を受け付けていましたので、予想はしていたのですが、広いサロン状のスペースの四方の壁に客席が並び、中央に椅子が円状に8つ並べてあるというのが舞台。そこで始まったのは、コミュニケーション・スキルを高めるための研修でした。その内容は、司会に促され、参加者が自分のことを、第三者のこととして語り、それに、他の参加者がコメントを入れるというものなのですが、まず、そのコミュニケーションから成り立っていかない。冒頭に話した女性は、いきなり「不倫してます」という始末で、場が解ってなかったり、「自分の正統性」ばかりを言い続ける女性がいたり、まるでお話しにならない展開。わけの判らない芝居だなぁと、この芝居の仕掛けが解ってなかったため、序盤は、ちょっときつい芝居という理解。わけが判らないという感じで、司会者が休憩を入れます。ここから2〜3人が、個別に現れてきます。急に切れる女、言い訳人生を送っている女、会社勤めで管理職にあるという男の感情の発露は尋常ではない、引きこもりのようで、こういった場でもスマホばかりをいじっいる男、、、徐々に明らかになってくるのは、各自が持つ病理。これは、各自が平等には描かれてはいません。ま、そういったものでしょう。落語でも人物がたくさん出てくるてきは、3人ほどを丁寧に描けば十分で、同じようなレベルで描くと焦点がぼやけてしまいます。ですから過不足があっても問題はありません。要するに、各自が、なぜ、この場に集っているのかが明らかになってくるように作られていました。意思が見えないと罵倒され続けた女が、ついに自分で行動を起こします。罵倒していた女をしばきます。その高揚感の中で、一人一人が吠え、己を語ります。そこで、我々は気づかせられるのです。穏やかに司会者が言っていた言葉、「コミュニケーション・スキルをアップするために求めていたこと」を。ですから、きれいに最後の台詞が決まります。「これで本日の会を終わります」。落語の下げを聴いているような気分でした。なお、この芝居の会場となったカフェの名前は、どう考えてもトルコ語。劇団の方に伺うと、「カフェのHPに、そのように出てます」ということでした。あとで確かめると、間違いありませんでした。
 芝居は、1時間10分ほどの短いもの。終わると直ちに会場前から、ウォーキングに移行。天下茶屋界隈を歩くということは、さほど多くないので、少し駅を迂回してから、北上を始めました。その詳細なコースは、次のようになりました。南海「天下茶屋」駅〜天下茶屋公園〜三寶院〜大阪市立成南中学校〜西成千本北郵便局〜千本北公園〜大阪市立橘小学校〜鈴成座〜大阪市立長橋小学校〜韓国食材店「ミジョリヤ」〜西四条二号歩道橋〜大阪市立今宮中学校〜南海「新今宮」駅〜戎南公園〜大阪市立木津中学校〜今宮戎神社〜廣田神社〜大阪市立日本橋中学校〜地下鉄・近鉄「日本橋」駅〜地下鉄「長堀橋」駅〜地下鉄「堺筋本町」駅〜京阪「北浜」駅。当初、天下茶屋公園まで行き、そこから西へ。西天下茶屋駅をかすめて北上、木津川橋を渡り、大正区に入り、更に港区、安治川トンネルを抜け、西九条、野田辺りを終点と、まことに甘い見通しを持っていたのですが、西天下茶屋駅の手前で、とんでもないコース設定であることに気づき、あえなく変更。地図を、全く用意してなかったのですが、京阪沿線の駅を目指すことにしました。幸い西成の道路は、わりかし碁盤の目状になっていますので間違いは起こりえないという経験知があります。長橋小学校が見えたところで一安心。当てずっぽうに歩いたのですが、無事に西成区脱出成功のサインですからね。あとはジグザグに北東方向に歩き、旧の高島屋の前で堺筋に出てしまいました。時間的にも「北浜」を終点にするしかなく、通り慣れた道を歩くことになってしまいました。今日は、朝、足に火傷をしてしまい、歩くと痛みがあるのですが、幸い最後まで歩くことができ、火傷も大事には至ってないぞの確認もできほっとした次第です。但し、患部は真っ赤ですが。
 「北浜」から「京橋」へ移動。「京橋」のカフェで時間調整。夜の部は、京阪で「森小路」へ移動し、「芸術創造館」であった「突撃金魚」の公演「富豪タイフーン」を観てきました。この劇団の主宰者・作家・演出家のサリngROCKは、大阪でちょっと哲学的な試合を書ける代表的な人と看ていて、公演は外さないようにしている自分的には評価の高い劇団なのです。今回は、「教育」がテーマでした。富豪のお屋敷が舞台。そこに2人の兄と妹。序盤は、兄の家庭教師として雇われた大学生と兄、そして、その両親の物語。兄は、小学校2年で学校を行くのを止め、豪邸で家庭教師をつけられ知識を学んでいる。それこそ学校に行ってないため、コミュニケーション・スキル、感情コントロール・スキルに欠けている。そうなんです、この芝居、前提として教育を是として、その必要性、教育の目指すものを、芝居の中で見せようとしているのです。突然、妹が登場します。30年間、母親とメイドだけしか知らないで、豪邸に軟禁状態で「培養」されてきたような女が登場します。母親から映像を見せられたり、お話しを読み聞かされたりはしているので、耳学問的知識は持っているのですが、それまでの人物として登場します。この人物にも、家庭教師は教えていきます。「教育」を受けることにより、社会への関心、ファッション、アイドルと関心は拡がっていきます。社会性というキーワードが出てきます。あるとき車で、2人は海を見に行きます。いい場面が出てきます。車の窓から顔を出し風を浴びたときのドキドキ感も、「教育」の成果と言っていると看ました。この感情、そしてその表現の豊かさ、それが成果だと言っています。それは、やがて「夕焼けを美しく感じる情緒性」「美しさを人に見せたくなる社会性」へと昇華します。懐かしいフレーズです、文字を識ることにより、今まで眺めてきて何も感じなかった夕焼けを美しいと感じるようになったという被差別部落の女性が書いた詩を思い出しました。サリngROCKは、あの詩を知って、あの詩にインスパイアされて、この芝居を書いたのだろうか、彼女自身の感性が生み出したフレーズにしろ、忘れていた大切なものを思い出させてくれました。兄の方の顛末もおもしろいものがあります。家庭教師は小説を読むことを勧めます。その中で、兄は自分の面倒を看て、思いを寄せてくれるメイドの気持ちに気付き、結果的に駆け落ちをし、また、そのメイドも捨て女と消えます。これも、立派な「教育」の成果でしょう。「教育」から出てくるイメージを、一つの芝居の中に埋め込む作業、これが、この芝居です。他では観ることのできない芝居を書いてくれます、舞台化してくれます。自分的に、また評価が上がりました。




2013年 7月 7日(日)午前 5時 29分

  大阪市内遊歩(172)

 無茶苦茶蒸し暑くなりました。不快な日本らしい夏になったというところなのでしょう。昨日は、浪曲三昧の一日となりました。まず、11時をメドにお出かけ。「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。毎月定番の会です。その番組は、次のようなものでした。五月一秀(虹友美)「秀吉の報恩」、真山誠太郎(真山裕子)「片割れ月」、春野美恵子(沢村さくら)「田宮坊太郎」、京山幸枝司(岡本貞子)「阿武松」。五月一秀は、五月一郎の弟子。40年前に入門したのだが、長らく浪曲から離れていたが、昨年親友協会に入り復帰を果たしたと言われてましたが、どのくらいリタイアされていたのかは不明です。少なくとも最近の東京の浪曲界では、名前は見てないのです。決して美声ではないのですが、しっかりとした浪曲をされるので、楽しみが広がりました。「秀吉の報恩」は、上方で出るのと大きなな違いがありました。秀吉が呼び寄せる相手が、元妻ではなく元主君でした。お乳母さんは同じなんですが。「片割れ月」は、なんとキリシタンもの。それに、息子の敵討ち話(逆恨み的な展開になりますが)などが絡む、かなりシリアスな内容。昨日の番組を考えると、このネタがトリを取るべきでしょう。真山誠太郎も力が入っていて聴きものでした。次の春野美恵子も迫力満点。この方、聴くたびにグレードアップしていってるように思います。「田宮坊太郎」は、おなじみネタ。仇討ちものです。トリは、京山幸枝司。この人がトリを取るのは、自分的には、一心寺で初めて見るんじゃないかな。ただ「阿武松」は、話が小さい。大飯食らいの田舎者を持て余す親方、見棄てられた男を救い上げ、違う親方に紹介する善意の男、それだけの話です。相撲取り、イコール大飯食らいというだけの発想の貧しさを看る思いがします。谷風シリーズとは、随分と違いがあります。昨日は、隣に座っておられた方が、大変な浪曲界通。色々と講釈を受け、随分と勉強になりました。先月の仙台から来られた浪曲ファンと言い、世間は広いです。
 浪曲席が終わると、会場の前からウォーキングに移行。昨日は、夜も天王寺ということで、大阪市の南部を攻めてみることにしました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。一心寺南会所〜大阪社会体育専門学校〜大阪市立天王寺小学校〜大阪市立聖和小学校〜「国分町」交差点〜JR「かんじょう080」橋梁〜生野幼児園〜大阪市立舎利寺小学校〜生野俊徳橋〜生野大池橋郵便局〜巽公園〜生野朝鮮初級学校〜大阪市立巽南小学校〜上桑原橋〜大阪市立新巽中学校〜高陰寺〜「正覚寺遺蹟」碑〜正覚寺地車庫〜大阪市立加美小学校〜JR「東沢」踏切〜たちばな公園〜市町橋〜大阪市立平野東保育所〜「含翠堂跡」碑〜杭全神社・大阪市立平野小学校〜JR「平野」駅。環状線の下をくぐると生野区に入りますが、途端に雰囲気が変わります。道幅が狭くなり、昔ながらの街並みが続くようになります。食堂なんて看板が目に入ってきます。小さなお店が生きています。そんなだから古い街並みと、一層感じるのでしょうね。でも南巽に近づくにつれ、そういった様子も薄れていくようになっていきます。昨日は、南巽の手前にある巽公園を目安に、東に進むのを止め南へ。「平野」駅が近づいて来たところで、残りは30分余り。終点をどこにするかの判断を迫られました。地下鉄「平野」駅方面を目指すか、JR「加美」を目指すか、まずその判断では、「加美」に行ける機会は、そうは多くないので、「加美」を選択。でも「加美」にダイレクトに行くのだったら、時間が余りそう。そこで選んだのは、「加美」駅間近まで行き、違う道をとって「平野」駅を目指すというもの。最後、地図があったにも拘わらず道に迷ってしまいました。杭全神社が曲者と思っていたら、きっちり迷ってしまいました。
 「平野」から「天王寺」へ移動。駅近くのネットカフェで時間調整をしてから、「ロクソドンタク・ホワイト」へ。今日は、こちらで「いってん★さくらの浪曲倶楽部」があったのです。今朝の毎日新聞は、この会に合わせて、幸いってんさんを「人」欄で紹介しておりました。骨髄移植が成功し、こういった会ができるまでになりました。何はさておき祝いたい気分で、この会をチョイス。「余命3週間」を宣告されたんだそうです。後継者の少ない世界の若手を狙い撃ちをしたような出来事に愕然としたのがウソのような会が実現したということです。その番組は、次のようなものでした。幸いってん(沢村さくら)「雷電と八角」「さくらの三味線コーナー」「左甚五郎伝〜ねむり猫〜」。骨髄バンクのPRを旨に企画された会、昼間の一心寺の熱気が、そのまま天王寺に移りました。一心寺で隣り合わせた方も来られていて、またぞろ貴重なお話を伺いながらの浪曲鑑賞となりました。「雷電と八角」は、講談では「雷電の初相撲」という名前で出ているもの。かつて田舎者としてなぶり者にした八角との遺恨相撲でもあるもの。浪曲はコンパクトにするため、時系列的に話は進まず、初相撲の相手が決まったところで、雷電が昔語りを谷風にするという構成になっています。そして、お約束の立ち上がったところでおしまい。終わったとのいってんの話を聞いていると、浪曲でも結果までいっているように聞けました。「今日は死ぬというのは避けたい」というようなことを言ってましたから。「ねむり猫」も定番ネタ。四天王寺の鳥居建設にまつわるエピゾード。甚五郎がねむり猫創作に至るわけを、滑稽味たっぷりと語る幸枝若節が受け継がれています。「さくらの三味線コーナー」は、浪曲三味線が、楽譜なしで如何に節に合わせて、語りに合わせて弾かれているかを見せるデモンストレーション的コーナー。これも、いってんが仕切りましたから、最初から最後までほぼ出ずっぱり。全部で1時間40分、そんなに体力使って大丈夫かと心配になるほど。いってんがいるかいないかで、関西の浪曲界は、今後を考えると全然違います。春野恵子が、いってんの病気を初めて聞いたとき、体から力が抜け落ちたと言ってたことがありましたが、それ、よく解ります。ですから、こういった元気な姿を見ると、ホントに嬉しいのです。まだまだ医者の世話になる体のようですから、ゆったりとした気分で活動を続けていって欲しいものです。




2013年 7月 5日(金)午後 11時 21分

 今日は、非勤務日なんだけど、仕事が入ったため、午前中だけ出勤。これから、こないなことが続き、トルコに行くまでは働き詰め。昼前に出張まで入り、時間的には職場に戻る必要がなかったので、流れで「動楽亭」に向かいました。もちろん昼席に行ってきたのです。ただ3日連続で働くと、やはりきついものがあります。というわけで、ぼやーっとしたまま時間が過ぎて行ったのですが、その番組は、次のようなものでした。二乗「阿弥陀池」、しん吉「三人旅」、わかば「近日息子」、南光「佐野山」、(中入り)、よね吉「幽霊の辻」、米紫「まめだ」。今日は、南光が出るということででしょうか、最近の昼席ではない結構な入り。南光も、こちらに出たときは、その出番に応じた大きなネタを出してくれます。南光からすると、こちらでの出番を活用して、ネタをくりなおしている、そういった機会になっているのでしょう。「佐野山」は、去年、横浜の南天との二人会で聴いたもの。講談「谷風の人情相撲」の落語版。ただ、南光は、谷風ではなく小野川にして演じています。これは、噺の舞台を大阪に置き換えたからだと思っています。有名な谷風を大阪に持ってくると、さすがに嘘だと思う人が続出するからでしょうからね。南光以外では、後半の二人が儲けもの。最初の二人のネタは聴きたおしていますし、わかばの「近日息子」は、初めてだったのですが、のりが悪くて聴きずらかったもので。よね吉の出した「幽霊の辻」は、最近手がける噺家さんが続出です。米朝一門以外にも拡がっていますから、今や小佐田作品では、人気ナンバーワンじゃないかな。怖がらせるところって、いかにもステレオタイプ的に作ってあるので、笑いが起こるものだと思っていたのですが、今日は、そういった雰囲気にならない。う〜ん、変だぞと思っていたら、演じ方自体に、何やらリアリティが出てきた。佐ん吉なんかは、ステレオタイプの怖い話を、そのまま漫画チックにしているので、演じられている空間が、わりかしフェードアウトしたようで広く見えてきます。九雀もそうです。ところが、よね吉の描く空間は、わりかしと狭い。その辺の違いなんだと判ってくると、これは、本格的な怪談噺に仕立てるのかなと思っていると、当たってしまいました。幽霊の辻で出てきた女は、茶店の婆さんと同じ幽霊としてしまいました。その前ふりとして、婆さんが提灯を貸すときに、思わせぶりな台詞を吐かせたりしていました。どちらがいいのかな。従来の下げよりくどくなった分、怪談的おどろおどろしさが出たのですが、客の方には、下げになったのか解らない人が出ましたね。難しいところですが、いい問題提起じゃないかな。米紫の「まめだ」も初めての遭遇。でも、えらく季節外れの噺をしたものです。外は夏真っ盛り、米紫も汗をたらしながらの秋深い噺というのには面食らいましたが。なかなかの好演。今日は、噺が噺だけに、さすがに肩の力は、普段のようでないので、米紫の実力が浮かび上がります。人物描写が的確です。中でも母親がいい感じだったのが光りました。もうちょっとらしい季節で聴いたら、もっといい図が拡がったかもしれないなと思うと、この蒸し暑い日に聴いたのが惜しまれます。
 動楽亭を出ると、堺筋線で「扇町」に移動。駅近くのネットカフェで時間調整。そして夜は、「天満」から、JRを使い「伊丹」へ移動。夜は、「AI-HALL」であった名古屋の劇団「オイスターズ」の公演「日本語私辞典」を観てきました。この冬、京都で観て以来、大のお気に入りになった劇団です。今、お薦めの劇団ベスト3には、絶対入れたい劇団です。今日の芝居も斬新な試み、しかも、台詞劇というのが、この劇団らしい。冒頭に、舞台正面にベタ一面に貼られた布に五十音(濁音、半濁音を含む)が書かれます。そして、一人の高校生の女の子の一日がスタートします。家族との朝食、学校、放課後のバイトと進行しますが、その道すがら、毎日決まって会う男を、勝手にストーカーと決め付け、会いたくない一心で、関連のある文字を消去します。すると、冒頭に書かれた五十音から、当該の文字が切り取られます。そして、その文字を抜いて、女子高校生の一日が再スタートします。文字が抜けると、表現できなくなってしまったものは、実態もなくしてしまい消えていきます。但し言い換えて、全く同じ実態を表すことができた場合は復活します。でも、女の子がストーカーと思い込んでいる男は現れてきます。ここでは、一つ、実態を表しえていない言葉が呈示されます。この男は、最後まで出てきますから、最後まで、その男を、言葉では言い表せなかったということになります。表せないと、男は出てきますから、また新しく削除する文字を増やしていきます。当然、会話自体が不自然になり、中でも言葉の発し手自身が、自身の感情、意見などというものから乖離していく様を見せていってくれます。終盤に入っていくと、どんどん削除された文字が増えていきますから、会話という性格のものではなくなってしまいます。そして誰もいなくなったじゃありませんが、やがて全ての文字がなくなったところで終わります。登場人物たちは、ただただ虚空を見上げるだけで、意思疎通を図るということを放棄したようでした。言葉というものの持つ意味合いを、2つの角度から見せてくれたということなんだと思いました。実態を表しえない言葉、いや言葉って、実態を、そもそも表しうるのかという視点、一方で、我々の社会は、そういった言葉ではあるが、言葉で成り立っているということを、このような、言葉遊び的舞台を創り出すことにより見せてくれたのだと思います。前回同様、言葉を大事にした平塚直隆の脚本、元気のある若い役者さんに感心させられた公演でした。黄紺の隣には、思い出せないのですが、大阪のどこかの劇団を主宰されている方が観に来られていました。その筋の方々にも注目を受けている劇団ということなのでしょうか、いや、そうなんでしょうね。名古屋の劇団なので、再三観ることが叶うというものではないかと思いますが、追っかけてみたい劇団のベストかもしれまません。




2013年 7月 4日(木)午後 8時 56分

 今日は、パリ・オペラ座のライブ・ビューイングを観に行く予定にしたいたところ、直前にネットで上映時間を調べると変わってる。ありえません。朝に上映したり、夜に上映したりで、とんでもない迷惑。来週は、仕事が詰まっているので、今週中に行きたかったのが丸つぶれ。ひどい話です。




2013年 7月 4日(木)午前 6時 13分

 一昨日は、非勤務日だったのですが、外に出たのは、ごみ出しと歯医者に行っただけ。予定していたこともあったのですが、昼間から眠たくて、外に出るのが嫌になってしまいました。せめて近くをウォーキングと思ったのですが、お昼寝時間が長く、ウォーキングの時間も取れずじまい。そんなで、昨日は、わりかし爽やか。昨日は雨降りの日と思っていたら、夕立のひどいのに遭った程度で済みました。そして、夜は「動楽亭」へ。今夜は、外すわけにはいかない「らくご秘宝館」があったのです。艶笑噺ばかりを集めた超レアな会が開かれたのです。関係者の一人生喬曰く、「さすが、この会だけは、繁昌亭ではできません」。確かにそうでしょう。でも落語の一ジャンルを形成してきた噺を聴く機会が奪われていることは、ある意味では淋しいことのはず。こういった企画の会を考えてくれただけで嬉しいのです。その番組は、次のようなものでした。染雀「鼠の耳」、文三「金玉茶屋」「揚子江」「赤貝猫」、生喬「しつけぼこ」「羽根つき丁稚」「宿屋嬶」、染雀「綿屋火事」、(中入り)、染雀・文三・生喬「皆でわいわい艶笑小噺集」。とにかく内容については、一切書くことが憚れるものばかり。いや、そういった噺ばかりを集めてくれました。この中で聴いたことがあるのは、「宿屋嬶」「綿屋火事」くらい。但し「宿屋嬶」なんて聴いたのは、気が遠くなるくらい前。内容はさっぱり覚えていませんでした。「綿屋火事」は、噺の核心部分を覚えていたのですが、題名は初めて知ることになりました。あと存在は知っていたのは、「揚子江」「赤貝猫」「金玉茶屋」ですが、「揚子江」「赤貝猫」は小咄に近いもの。こういった噺を出してくれた3人の噺家さんが言ってたことで興味を惹いたのは、それぞれの師匠連が、お座敷とかちょっとお酒の入った席に喚ばれたとき、こういった噺をしていたということです。松喬あたりはなんとなく雰囲気は解るのですが、先代文枝もやっていたというのにはびっくりですが、先代の染丸が福々しい顔で、こないな噺をやられると、わりかし絵になるなと納得でした。この会でエロ度ナンバーワンは「鼠の耳」かな。アホらしさナンバーワンは「揚子江」で、地口遊びのおもしろさは「羽根つき丁稚」、題名でネタバレ的なのが「金玉茶屋」というところでした。




2013年 7月 1日(月)午後 11時 10分

 一昨日あたりから、パソコンが変調。半年ほど前にも、同様のことが起こったのですが、知らない間にというか、ちょっとした癖みたいなものを掴んでからは大丈夫だったのですが、またぞろ復活。エクスプローラをいじっただけでフリーズ。仕事関係のファイル操作をしていようなら真っ青です。ということで、昨日などは、ずっと古いパソコンを使っていると、これも動きが悪い。もう四苦八苦。そんなで、こちらの「GUNLUK」も、用意をしていながら、なかなかHTMLにできない始末なのです。と、ひとしきりぼやいてから、今日の夜遊びの記録を書くことにします。今夜は、「動楽亭」であった「生寿成熟の会」に行ってまいりました。生喬の一人だけの弟子、師匠に似て勉強熱心、気さくな人柄ということで、好事家に人気の高い若手噺家さん。今日の番組は、次のようなものでした。弥太郎「寿限無」、生寿「煮売屋」、佐ん吉「堪忍袋」、(中入り)、生寿「蛸芝居」。生寿が、パンフレットに書いていたので知ったことですが、生寿と佐ん吉は同い年、弥太郎は、更に歳上だそうです。噺家としてのキャリアで言えば、佐ん吉、生寿、弥太郎の順で、佐ん吉と生寿の間は、4〜5年あるはずです。最年長の弥太郎が前座役。最近、前座で使われることの多い弥太郎、「寿限無」ばっかり出してきます。生寿の一つ目は「煮売屋」。「野辺」の粋言葉のところから入るのが、最近の定番です。後半はうとうと。疲れが出てきてました。佐ん吉は、トリイホールの吉朝一門会と掛け持ちとか。それで初めて、今日、吉朝一門会があるのを知りました。今日のように優先度が高い落語会があると、あとは全部忘れてしまう傾向にあります。そないななか抜け落ちたのかは判らないのですが、、。佐ん吉が「堪忍袋」を始め出したとき、ちょっと違和感が走りました。こういった直接的な噺って、吉朝一門なのというところでしょうか。ま、それはいいとして、佐ん吉の持って行き方が、ちょっと注目です。この噺をする人は、最大のテンションを冒頭に持ってきますが、佐ん吉は、そこはマックスじゃない。甚兵衛さんが、ケンカのわけを尋ねていく中で、高揚感が出てきて、マックスを持ってきてました。それはそれでおもしろかったのですが、最初は判らないものですから、佐ん吉が本調子じゃないと思ってしまいました。ちょっと久しぶりだったので、顔つきも違って見えたので、余計に、そう思ってしまいました。生寿の本日のネタ下ろしは「蛸芝居」でした。「今日は吉朝一門のお二人に来てもらってるのでやりにくい」と、「煮売屋」のマクラで言ってたところへ、袴をはいて上がってきたものですから、それで、ネタが知れてしまいました。生喬にお願いしたら、「オレのはええかげん」と言って断られたとか。結局、米左からもらったと言っていました。お囃子の入り方が、吉朝の型だと言ってたのですが、半寝状態だったもので、よく判りませんでした。こういった肝心なときに、よく外すのですが、今日は、中入りに入ったところで、トイレにも立たずにぐったりしてたので、致し方なしと思っています。「たけくらべ」の会あたりで出すことがあるでしょうから、それを楽しみにしておきましょう。




2013年 7月 1日(月)午前 6時 25分

 昨日は、午前中は、持ち帰り仕事をするつもりだったのですが、どうもパソコンの状態が不調で、十分な時間がとれないまま時間切れ。明日からが、なかなか大変なことになりそうな予感がしてます。で、お出かけのメドは12時半。昨日の午後は、吹田の「メイシアター」で、関西歌劇団の公演「ヴェルディ<仮面舞踏会>」があったのです。先週に続いて2週間連続で、生オペラを観ることになりました。ちょっと頑張っています。そして、連続ヴェルディです。さすがにヴェルディ・イヤーというところです。ところが、日本のオペラ上演は、演出の冒険をしてくれません。東京の二期会などは、ペーター・コンヴィチュニーなんかを喚び、斬新な演出で上演をしているのでしょうが、大阪は、まず安全、安心が先立つ雰囲気の演出ですね。先週に観た「シモン・ボッカネグラ」と同じ粟国淳が、演出というところに名前が上がっていたので、そうなんだろうと思い客席に座ると、当たりでした。「仮面舞踏会」と言えば、ドレスデンで「?」が点りっぱなしのプロダクションを観たところでしたので、毒消しにはなりましたが。ただ、最後の舞踏会の場面がきれいで。黄色系の照明に、雪風に光る小片を散らし、仮装に仮面という具合に、正に仮面舞踏会を舞台に表してくれましたし、人の動かし方も合理的だしと、こうなれば舞台がしまり、いいラストシーンとなりました。基本的に、舞台には階段が置かれています。舞台の枠となるものは変わらず、背景に壁画が2枚、場面で使い分けられるという構成。一番のポイントは階段。幅が変わったり、二つに分かれたりと、場面の状況により使い分けられます。それがおもしろく、幕が下がるたびに次なる変化を楽しみにしていました。ただ、舞踏会の場面を除いて、人の動きが悪く、いや歌手が、指示された動きをこなしきれていないと言った方がいいかもしれないという具合でした。「仮面舞踏会」の最大の自分的楽しみは、2幕です。リッカルドとアメリアが会い、しかも一方、その密会がバレてしまう緊迫した場面。ここでは、歌唱はもとより、頭の先から足下まで芝居をしなければなりません。暗殺者集団も同様ですが、ダメだったなぁ。アメリアのかぶりものは、自らが取るという演出でしたが、なぜ、そうしたのかが判らないのだなぁ。オスカルなんておいしい役が、このオペラにはありますが、おいしいと言っても、うまく演じての話です。明るく軽く、コロラトゥーラの聴かせどころも、緊張が声に現れるようだと、もう困ったちゃんになります。歌唱面でのピカ一は、リッカルドを歌った藤田卓也。先日の「シモン・ボッカネグラ」に続き、いいテノールに当たりました。レナート役の桝貴志は、内面に入り込んだいい歌唱だと思ったのですが、ヴェルディ・バリトンらしい声に凄味が欲しいですね。声量も、今ひとつでしたし、、。ということで、最終幕の仮面舞踏会の場面がグーだったのはいいとして、どうしても芝居のところです、気になるのは。オケはザ・カレッジオペラハウス、指揮は柴田真郁でした。
 メイシアターを出ると、夜の部までの時間が中途半端だということで、軽いミニウォーキングをすることにしました。もう少し時間があれば、十三のネットカフェに行くつもりだったのですが。で、目標は「相川」駅。先日、「サンクス寄席」のあとにしたウォーキングで土地勘ができてたもので、そうすることにしました。35分余のミニウォーキング。まだまだ早かったので、駅の周辺の探検をしていました。そして、阪急電車で、一つだけ移動して「正雀」へ。「第78回ジャッキー7」に行ってまいりました。雀三郎の筆頭弟子雀喜の勉強会です。その番組は、次のようなものでした。小梅「大安売り」、雀喜「貧乏花見」、梅団治「宇治の柴船」、雀喜「七段目」。小梅が、前座でよく使われるようになってきています。梅団治に付いてくるというところが、まだまだ大きいのですが、でも、物言いが悪そうで、もっちゃりとしすぎていて若さがなさそうで、的を得たおもしろいことが言えるのです。喋り方は梅団治似でありながら、この人独特のテンポがある。ちょっと癒し系なんでしょうか。師匠の梅団治の「宇治の柴船」は、先日繁昌亭昼席で聴いてしまいました。若旦那が夢に入ったあたりの宇治川、船、姉さんかぶりの女、一服の絵を見ているようです。このシーンが、いつも、このネタを聴くときの楽しみになっています。雀喜の「七段目」は、プログラムにもネタ出しがされていませんでした。ネタ下ろしと思われます。雀喜は、「本能寺」「蔵丁稚」と、芝居噺に取り組む姿勢が出てきています。新作を発表し続けていることとのバランスをつけようてしている気がしてなりません。ただ芝居の型に入るのが、ちーと恥ずかしいのでしょうか。ピリッとしない感じがしました。声色も不充分だしと、精彩を欠いていました。これから練り上がっていくのでしょう。もう一つの「貧乏花見」は季節外れもいいところ。共催となっている摂津市にネタを出したのが4月だったので間違いましたというのは雀喜の弁。雀喜曰く、「2ヶ月遅れたと思わず、10ヶ月先取りしたと思って下さい」。こういった能天気なところが、雀喜の魅力。ですから、「貧乏花見」なんか聴いていると、登場人物とシンクロしちゃうんで、聴いていて楽しいのです。




2013年 6月 30日(日)午前 7時 54分

  大阪市内遊歩(171)

 一昨夜は、夜半に雨。これで、昨日の予定が狂ってくると思っていたら、朝になると、明るく、とってもいいお天気。夏の陽射しのさす一日でした。8時半をメドにお出かけ準備。繁昌亭の朝席のチケットを買ってあったのです。珍しく「朝から染丸一門会」が設定されていたのでした。その番組は、次のようなものでした。染吉「平林」、染左「やかん」、花丸「電話の散財」、染二「質屋芝居」。朝から、えらくしっかりとした番組になりました。染吉は、上下をふらない福笑・たま流になってました。前からそうだったっけとは思うのですが。染左は、上方で他に演じ手がいるのかすら判らない「やかん」を出しました。手がけているのは知ってはいたのですが、遭遇は初めてです。基本的には根問ものですが、後半に講談の修羅場読みがあるので、なかなか大変なネタ。東京ではポピュラーなんですが。花丸は、大正期の作品「電話の散財」。程よい長さで珍品なので喜ばれたのじゃないかな。染二は染丸の代演。染丸は、風邪で声が出ないようです。でも、朝から「質屋芝居」とは、重いものを出してくれたものです。やはり、染丸休演効果ってやつでしょうか。染二は、芝居になるところでは、ちょっと漫画チックな振りを挿入したりと、サービス精神旺盛なのですが、身体の収まり方は、いまいちって印象を持ちました。
 繁昌亭を出ると、地下鉄で「日本橋」に移動。午後の部までの間、昨日も、千日前のネットカフェで時間調整。そして、すぐ近くの「徳徳亭」へ。今日の午後は、こちらで「」がありました。その番組は、次のようなものとなりました。南青・南舟・南斗「リレー講談」、(中入り)、南斗「秀吉と易者」、南舟「乃木将軍の墓参」、南青「柳田格之進」。「リレー講談」というのは、事前に受け付けたアンケートの回答を、ランダムに抽出し、それを基に、連続講談を即興で作るというもの。選ばれたカードは、「江戸時代」「城下町」「侠客」「サオリちゃん」。これを、白紙の状態から創るわけですから、しっちゃかめっちゃかになりました。カードにプラス、SF調との制限を付けたから、ますますわけの分からないものに。お遊びの要領を理解できてない人がいたり、SFという言葉から拡がるイメージがなかったり、狭すぎたりでは、お遊びにもなりません。その辺をきっちりしてから、再チャレンジをして欲しいものです。ネタの方は、わりかし手がけ慣れているものが並びました。「秀吉と易者」は、矢作橋で、若かりし藤吉郎時代の秀吉が出会った易者と、お互いに人相を見合い、お互いに驚き合い、要するにとんでもない吉相が出ているというわけです。そこでは別れた二人が、秀吉の中国攻めの際に、お互いに出世しあって再会するというもの。「乃木将軍」は、今の時代にとは思うのですが、かつては、かような軍国ものが流行ったのでしょう。勇ましいヒーローものではなく、心優しい、情の深い指揮官を説くことで、大状況を肯定させるように擦り込んでいくという手法は、古くて新しいものです。南青くんの「柳田格之進」は、久しぶりに遭遇です。とってもノーマルな型でした。以前は、金の在処を早々と言っていたので抵抗があったのですが、ばらしはあとからタイミングを読んでという鉄則通りの展開。あとは、柳田と旦さんとの深い交流を描けば完璧です。
 講談会が終わると、直ちに、上方ビル下からウォーキングを開始。夜は、予定を入れてなかったもので、帰りやすいように、京阪沿線を目指して歩き出しました。そのコースの詳細は、次の通りです。上方ビル(徳徳亭)〜大阪千日前郵便局〜PCバン・韓国料理店「チデロ」〜韓国食材店「アジア・マート」〜瓦屋橋〜大阪市立中央小学校〜南税務署〜空清町公園〜大阪市立高津中学校〜明星高校・心眼寺坂〜「傾城阿波の鳴門」どんどろ大師門の場〜大阪女学院〜JR「かんじょう104」橋梁〜東成中道郵便局〜北中道公園〜森之宮病院〜城見橋〜大阪市立鴫野小学校〜大阪市立城東小学校〜JR「かたまち074」橋梁〜極楽橋・大阪市立今福小学校〜「今福西2西」交差点〜南関目公園〜京阪「関目」駅。気温は、そこそこ上がっていたのでしょうが、なんせ乾燥しているうえに、いい風が吹くものですから、実に心地好いウォーキング。汗の乾きも早いようでベタつかない。梅雨明けしてないはずなのに、こないな気分のいいウォーキングが、この間続いています。歩いたところで印象に残っているのは、昔の島之内の南東隅、完全に異国タウン化しています。韓国関係、満州(中国東北部)関係のお店が並びます。鶴橋とも違った雰囲気、大久保的と言えばいいでしょうか。ニューカマーたちのお店って感じがしてしまいます。大阪で、PCバンを見つけたのは、今里とここだけです。PCバンの看板ほどインパクトのあるものはありません。あとは、随分とウォーキングではおなじみのところ。今福小学校前って、2回連続通りました。あすこの寝屋川の雰囲気が、いかにも大都会を流れる川って感じで、わりかし好きなのです。




2013年 6月 29日(土)午前 0時 11分

  大阪府門真市(42)〜守口市(59)〜大阪市鶴見区、城東区

 一昨日の水曜日は、福井からやって来た高校時代の友人と会食。ベトナム料理をつつきながらのよもやま話。いつかドイツにオペラ紀行に行くことになりました。それまで、お互いに元気でいなければなりません。昨日は、特段夜遊びの当てもなく、まっすぐ帰宅。宵の内に熟睡。明け方から午前中は、持ち帰り仕事に精を出しておりました。そして、午後からは、ようやくお楽しみの時間。まず、暑いなかウォーキングです。今日は、「門真市」駅を起点に、1ヶ月ぶりに「鶴見緑地」を組み込んだコースを考えてみました。その詳細は、次のようなものとなりました。京阪「門真市」駅〜橋波保育園〜守口市立橋波小学校〜守口市現代南画美術館〜守口市立第四中学校〜守口市立錦小学校〜大阪府立守口支援学校〜鶴見緑地〜「横堤4」交差点〜鶴見北中央公園〜鶴見幼稚園〜地下鉄「今福鶴見」駅〜南今福公園〜南今福橋〜大阪市立今福小学校〜極楽橋〜地下鉄「鴫野」駅。「門真市」駅からは、北口に出たため、ほんの少しだけ迂回コース。出発早々に道に迷い、気がつくと、「西三荘」駅から鶴見緑地に向かう遊歩道に出てしまってました。そのまま遊歩道を歩くのは芸がないので違う道に。錦小学校をメドに守口支援学校まで来ると、もう鶴見緑地の緑が目に入っています。1ヶ月前には、咲き乱れていた鶴見緑地のバラは、もう終息気味。でも、少しは残っていました。今日も、西口に出ようとして失敗。でも、結果的には時間の短縮には貢献していました。あとは、前回鶴見緑地に行ったときと似通ったコース。今日も、今福小学校の前の極楽橋を渡り、「鴫野」駅に向かいました。これで、所要時間は2時間と2分。ま、ほぼ想定通りに動くことができました。
 「鴫野」から「日本橋」へ、地下鉄を使い移動。いつものように、千日前のネットカフェで休養兼時間調整。そして、御堂筋線で「動物園前」へ移動。夜は、「動楽亭」であった「月刊笑福亭たま」に行ってまいりました。2ヶ月ほど前の会で、140人入ったというので、自分的には、少し早めに行ってみると、がらがら。ゆっくり出の方が多かったので、いい感じの入りにはなりましたが、最初はびっくりしました。でも、たまの動員力というのは、東京の人気噺家さんのようです。好事家にも支持され、若い女性にも支持される、これはすごいことだと思います。今日は、繁昌亭で、あやめや鶴笑らの会があるので、入りを気にしていたとは、たまの弁。確かに、客は股裂き状態なことは確かです。黄紺は、今日は、わりかし迷わずに、たまの会をチョイスしてしまいましたが。で、今日の番組は、次のようなものでした。八斗「四人癖」、たま「青菜」、たま「死神」、福車「無いもの買い」、(中入り)、たま「ショート落語」「八五郎娘」。前座役の八斗もゲストの福車までもが、ちょっと緊張気味というか、高揚した気分で登場したのが、とっても新鮮で、且つ気の乗ったいい高座。たまの高座、他では経験しない雰囲気の客層が、そのような緊張を生むのでしょう。たまの会は、そういった意味で、たま自身の高座だけではなく、他の噺家さんにも影響を与えています。福車は、こういったとき、何を出すのかと思っていたら、「無いもの買い」。出されてなるほどと納得。ちょっと古くさい感じがするのか、今や演じ手の少ない噺。その中で、花丸版は、もう違う噺と言った方がいいので省くと、このネタをおもしろく聴かせることができるのは、福車だけと言えるもの。言い換えれば、「無いもの買い」は福車の自慢の逸品なので、納得なのです。繰返しネタのうえ、ギャグが古くさいのを、適度に手入れをして、決して元ネタのテイストを失っていないところがいいところです。たまは、短めの古典2つを前半に持ってきました。「青菜」は、たまベスト・セレクションに入ると考えているもの。「植木屋さん」と呼びかける前に、情景描写が入るのが、まず素晴らしい。南天とともに、この着想が、この噺に広がりを作りました。仕込みのところで、余計な話を入れないのも、焦点を絞り、とってもグーなのです。そして、鯉のあらいの替わりに、カエルを使うのは、ちょっとしたご愛嬌です。「死神」の方は初遭遇。待望の初遭遇です。「微笑落語」シリーズでネタ下ろしをしたときから、とにかく遭遇機会を逃してきていたネタ。たま流手入れは、貧乏で死にたいと願う主人公のかみさんを出したことが一つ。ボロクソに言われ、男が死にたいという気持ちになるのを強めるというか、死にたくなる合理性が出てきました。また、お金が入ってくると、今度は手の平を返してくるかみさんで笑いをとることができ、これは一石二鳥。もう一つの大きな手入れはラスト。ろうそくの洞窟に、急に場面が変わるのが気になっていたのでしょうね。死神の呪文でワープするようにしていたのは、ちょっとしたたまのこだわり。大きなのは、ろうそくの火が消えるという終わり方をなくし、全く逆の結末にしていました。どちらがいいのでしょうね。もう好みの問題かと思います。陰気な終わり方が、たまテイストには相応しいとは思わなかったのでしょう。「八五郎娘」は、本日発表の新作。「妾馬(八五郎出世)」に似通った作品。殿さんの目にとまった女は、結婚、離婚を繰返し、父親違いの子どもをたくさん抱えているというのが、この新作のポイント。植木屋の八五郎は、子どもの世話をしながら、仕事をしている始末。また遊び回る子どもが、家来の田中三太夫や殿さんを困らせるというのが、笑いのポイントとなっていました。




2013年 6月 25日(火)午後 10時 28分

  大阪市内遊歩(170)(写真なし)

 今日は、朝から胃カメラ検査を受ける日。年に一度の恒例とはなっていますが、昨日から、この検査を受けるということを考えるだけで鬱陶しい。これも、毎年味わうこと。終わると、一挙に爽快にはなるのですが、それまでが嫌なんだよね。胃カメラ検査を受けたあと、しばらく食事ができないということで、今日は、ウォーキングを、ここに入れることに。ただ、これは、胃カメラ検査が早く終わったので、急遽実行に移したため、カメラの用意はなし、地図の用意もなしということで、迷わないように、川口のレトロな教会まで、違った道を引き返すことにしました。その詳細なコースは、次のようになりました。結核予防会大阪支部〜「江戸堀1」交差点〜大阪市立西船場幼稚園・小学校〜大阪市立花乃井中学校〜インド・ネパール料理店「SIDDARTHA」〜「雑喉場魚市場跡」碑・江之子島公園〜木津川橋〜「川口居留地」碑・大阪市立本田小学校〜日本聖公会川口基督教会〜昭和橋・ぽんぽん船乗り場〜「小説"泥の河"舞台の地」碑〜湊橋〜住友病院〜大阪科学館・国立国際美術館〜中之島ダイビル内郵便局〜中之島郵便局・フェスティバルホール〜京阪「大江橋」駅・日本銀行大阪支店・大阪市役所〜水晶橋〜大阪高等裁判所・地方裁判所・「佐賀藩蔵屋敷跡」碑〜天満警察署〜大阪弁護士会館〜フランス料理店「LE RESTAURANT DE YOSHIMOTO」〜ばかりJR「大阪天満宮」駅〜にじのとり保育園〜与力町公園〜インド料理店「インド・タイガー」〜JR「天満」駅。
 天満駅前のネットカフェで、午後の部まで時間調整。そして、今日は、まず、繁昌亭の昼席へ行ってまいりました。今日は、笑子さんが久しぶりに出られるということが狙いだったのですが、チケットを買ってから知ったことなのですが、笑子さんは、日本に引き上げて来られたのです。だったら、慌てて行くこともなかったかと思ったのですが、後の祭りでした。で、今日の番組は、次のようなものでした。生寿「道具屋」、染左「遊山船」、銀瓶「忘れ物承り所」、笑子「パペット落語」、坊枝「刻うどん」、梅団治「宇治の芝舟」、(中入り)、レッツゴー長作「漫談」、文福「同窓会」、雀喜「桃太郎」、塩鯛「試し酒」。なかなか変化に富んだいい番組。それぞれの噺家さんが、位置を考えたネタを出してくれました。生寿の「道具屋」は、工夫があり、それが的を得ているという感じで、とってもいい出来栄え。出色の前座役です。「偽物」のところでみる掛軸が「鯉の滝登り」であったり、木刀を引き抜こうとするところでは、露骨にやる気のなさを見せたりと、とっても合理的なのです。染左は、難しいと考えている「遊山船」の中で、自分的には評価の高いもの。今日も、それを確認。やかましい二人がいいのです。ただ時間の関係で、稽古屋の船は出てきませんでした。銀瓶は、この位置だったら三枝作品かと思っていたら、ドンピシャ。ただ「忘れ物承り所」を、銀瓶で聴くのは初めて。メガネの爺さんも8年前の蟹を忘れた人も出てきたりと、登場人物が多彩でした。笑子さんは、師匠譲りの「パペット落語」。腹話術込みのところが、笑子テイスト。大きな人形を扱うのは、まだ発展途上というところ。スプリングを使っての大きくなった天使くんには、会場にどよめきが走りました。坊枝は、自分的には好きになれないので割愛。梅団治は、季節ものの「宇治の芝舟」。「珍しい噺」「最近やり手が出てきた」、確かにそうなのです。「この顔に相応しい純愛ものをします」、これ、おかしかったなぁ。この人の、人なつっこいマクラが大好きです。明治期の後半以後の作品と考えられますが、そういった新しい要素を省いた方がいいのではと、かねてから思っている噺です。レッツゴー長作は、三味線を持っての一人喋り。もう70歳だそうです。今日は、唯一、文福のところで居眠り。やかましい高座で眠れるのに、夜中、眠ろうと思っても眠れないときがあるという矛盾は、一体何なのでしょうね? 雀喜は、位置を考え好フォロー。インターネット世代として演じてくれました。そしてトリの塩鯛、ここまでお酒の噺が出てなかったので、ま、「試し酒」だろうと思っていたら、ドンピシャ。ちょっとだけ「一人酒盛」を期待はしたのですが、、。しゃーないです。
 繁昌亭を出ると、今度は「日本橋」に移動。いつもの千日前のネットカフェで、再び時間調整。そして夜は、谷六の「薬業年金会館」であった「旭堂南海の何回続く会? 幕末侠客傳之 会津の小鐡(六)〜完〜」に行ってまいりました。2日連続の講談会となりました。今日は、予告通り、「会津の小鉄」の最終回。時系列的には、鳥羽伏見の戦いが終わり、慶喜が、大坂から江戸に逃げ戻った後が読まれました。会津での戦いになっていく時期ですが、その戦いを描くのではなく、そのときの会津の殿さんが戦わざるをえない背景、また会津の殿さんの出自が読まれることで、高須家の悲運が紹介されたりもしました。また小鉄との結び付きで新撰組のその後、中でも、近藤の処刑が、詳しめに入り、そして、小鉄が、晒された近藤の首を奪い取り、会津に赴く話へと広がって行きました。最後は、明治に入ってから、同志社設立に係わった話、藤田組との関係が入り、終焉へと導かれました。実在の人物は、どうかは別にして、講談として生まれ変わった人物像は、侠客としての小鉄。かねてより、講談の中でおもしろいののは侠客もの。その痛快さはいいですねぇ。来月からは、新しい読み物として「紀伊国屋文左衛門」が登場です。これも、楽しみです。




2013年 6月 25日(火)午前 5時 19分

 朝晩が涼しいって嬉しいですね。一昨夜は、わりかし気温が下がったみたいで、仕事にお出かけのときには、薄い長袖ものを羽織ってとなりました。忙しい一日。お昼ご飯に外に出ていくのも時間が勿体ないというくらいで、ほぼ一日、身体を動かしづめ。おまけに寝不足ということで、かなりの疲労を抱えたままで、夜遊びへと移行。今夜は、「ジョイ船場50」であった「第2回南斗講談拳」に行ってきたのですが、予想通り「ジョイ船場50」は鬼門。以前にも迷い、今回は、更にひどい迷い方をしてしまいました。開演時間に会場に到着。探し回ったため汗びっしょり。余計に疲労を溜めてしまいました。南斗くん個人の会は、初めて行くことになりました。番組は、次のようなものでした。生寿・南斗「奈良トーク」、南斗「結城中納言秀康の毒死」、生寿「花筏」、南斗「藤吉郎と菊の婚礼」。生寿と南斗は、同じ中学校の先輩と後輩、南斗の方が3年先輩だそうですが、入門は、生寿の方が早くお兄さん。冒頭、ローカルな奈良ネタを、二人がしゃべってくれましたが、こないな話は、二人だけが通じあってるとおかしさが出てきます。南斗くんの一つ目は、聴いた記憶のないネタというか、何かのついでには聴いたことはあっても、一本の抜き読みで読まれることは少ないんじゃないかな。秀康は秀忠の兄でありながら、幼い頃、秀吉のもとに人質に出されたために、秀吉びいき。そのため、将軍職を与えられず、そのため、秀忠や家康に、悪意のある言葉を投げかけたため疎んじられ、ついには毒殺されるというもの。確か、この人、毒殺されんだよなという気で聴いていると、あまりいい気にはなれるものではありません。生寿は「花筏」でした。ま、予想通りと言えばいいでしょうか。軽い滑稽ネタは、ゲストとしては出さないだろう。ま、生寿の人柄としては。芝居噺はなじまないし、となると、ストーリー性が高く、講談会向きと考えるだろうからというのが、狙いの根拠。ただ、この高座の途中から、睡魔に襲われ、かなり厳しい状況に。次の「藤吉郎と菊の婚礼」も、南斗くんの声は耳に入ってくるのだけれど、内容がさっぱり理解できない状態に。若い頃、藤吉郎が結婚し、それがうまくいかなかった話のはずです。他のネタで、菊の話は聴いたことがあるので、そないな話だとは分かるのですが、、、。会場には、つばなれをしたお客さんが集まっていました。若手の講釈師さんの会としては上出来でしょう。




2013年 6月 23日(日)午後 7時 28分

 今日は観能の日。いい落語会もあったのですが、かなりの稀曲が出るということで、あとは全てパスをして、奈良まで出向いてきました。ということは、「奈良金春会演能会」に行ってきたということです。記録を見ると、奈良での観能は、ちょうど1年ぶり。奈良自体にも、1年ぶりということでしょう。今日の番組は、次のようなものでした。能「淡路」(金春穂高)、狂言「舟船」(茂山千三郎)、能「弱法師」(高橋忍)。狙いは「淡路」。観能記録を見ると20年ぶりの遭遇です。その20年前というのは、公開はされてはいるのですが、お稽古能の色彩が濃いという会で観ることができたというもので、お金を払って観るというのは初めて。それだけ出ない曲なのです。淡路が国造り神話に出てくる重要な土地だということで訪ねてみると、スサノオの化身が現れ、後場には、本体が現れ神舞を舞うというもので、単純な複式夢幻能。脇能に多く看られる風流能でなし、内容的にも、いかにも今風じゃなし、かからないのは致し方ないなぁの再確認に行ったようなものでした。狂言は、たいがいが茂山家が担当、しかも網谷さんが必ずと言っていいほど出られるというのが、この会。今日は、網谷さんは「弱法師」の間で、狂言は、千三郎さんと松本さん。松本薫師の狂言を観るのは久しぶりです。今日は、客席に高校生の団体さんが座ってましたが、「舟船」の軽いおもしろみ解っただろうかと、余計な心配をしながら、お二人の狂言を観ていました。今日は、「淡路」がメーン・ディッシュで、「弱法師」はサイド・メニュー扱いだったのですが、その「弱法師」が良かった。能は身体表現なんだということを再確認させてもらえたお見事な立ち居振舞い。まず人間らしい有機的な動きが完璧なうえ、そのぶれない軸に、感情表現を重ねるのですから、弱法師の哀しみ、いや哀しみすらとっくに飛び越えた寂しさ、これを見事に体感できました。お囃子陣が、視界から消え、自分の目が弱法師に集中しきってるのに、我ながらびっくりしたほどです。高橋忍師、この奈良の会で、一度ならず遭遇しているのですが、そこまでの巧者という印象ではなかったもので、それも驚きの一つだったと言えます。終演は、4時40分頃だったかな、行きは小雨降るなか、傘なしで、新公会堂に行ったため、帰りの雨が不安だったのですが、外に出ると、すっかり地面も乾いていました。なかなかついてます。




2013年 6月 23日(日)午前 7時 49分

 ようやく雨が上がりました。それで、ようやく肌寒さが解消。雨が降り出す前と降り出してからの気温の違いに戸惑うばかりです。昨日の午前中は、午後に観に行く予定のオペラ「シモン・ボッカネグラ」の予習。この間、間を空けて3度観たのですが、その度に感動が込み上げてきます。そして「いずみホール」へ。珍しく午後4時開演。ドイツ・オペラ紀行をともにした方と現地で合流。この3年ほど、ドイツに通うようになり、ドイツ人の嗜好、もちろんオペラに関するものですが、ちょっとは解ってきたように思うのですが、ヴェルディ中期から後期の名作群に、一定の敬意のようなものを感じますし、それ相応の上演頻度だと思います。小さな歌劇場が、工夫を凝らしながら「アイーダ」「ドン・カルロス」といった群衆ものを取り上げたりとしているにも拘わらず、この「シモン・ボッカネグラ」と「シチリアン・ヴェスパーズ」が出ないのです。来季のラインナップを、既に調べ始めていますが、今のところ見あたりません。不思議の一つです。一番のネックは、主要キャスト5人、しかもその内3人はバス・バリトン、それらの主要キャストの粒が揃っていないと成り立たないオペラです。ですから、昨日も、これが、一番の懸念材料。果たして、男声陣で、しかも大阪上演で揃えられるのか、これが、楽しい時間を過ごせるかのキーだと思って出かけました。ところが、これが及第点だと判ったときは、嬉しかったですね。フィエスコ、この役が3人の中で、正真正銘のバスと言えるのですが、そこに難点は感じましたが、タイトル・ロールの堀内康の貫禄、ドージュとしての風格が出てましたし、プロローグの25年前とそれ以後の声質まで変えての好演に満足、パオロの青山貴の声量は、3人の中では随一。この作品のヒール担当としては、風貌と合わせ、ちょっと似つかわしくないとは思いましたが、一番の拍手を受けたのじゃないでしょうか。こんなこと言っては失礼ですが、アドルノには、そないに期待していませんでした。声質を選べないで起用されるほど、世界的にテノール不足、これは、ドイツの観客もテノールには甘い拍手をしますから。ところが、松本薫平にはびっくりでした。明らかに中低音で高音ほどの艶は出ないのですが、でも、そんなことは言ってられない、満足できたのです。黄紺的には、このアドルノに、この上演で一番の拍手を送ってしまいました。女性陣の看板はアメリア。数奇な運命を辿るアメリアだけが、女声の活躍できる役柄。そのために、初演当時不評をかこった作品、ま、現代でも上演頻度が少ないというのは、これに起因しているかもしれませんが、そのアメリアは尾崎比佐子。夜の女王とか、ベルカントのオペラ中心のキャリアが、パンフレットに書かれていましたから、こういった役柄は、あまり歌ってない模様。後半に、声に艶のある伸びが出てきて、らしいなとは思わせられましたが、基本的に声質が硬い。でも、声量があるというのは、声質以上に満足させてくれるものがあいます。いずみホールの上演ですから、オケピットというものがありません。舞台にオケ(ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団)が並び、舞台後方に、オペラの舞台が設えてありました。簡単な道具、その配置変え、照明の工夫、更に、パイプオルガン前、2階客席の最前方を使い、オペラは進行しました。黄紺らのいたところは、舞台に近く、端っこの方だったので、奥行きはほぼ解らなかったのですが、舞台を、少しでも上から目線で観ることのできた方々は、それなりに楽しめたのではないでしょうか。文化庁などの支援が、この公演にあったよしですが、一緒に行った方とも言っていたのですが、このくらいの規模でのオペラ上演だったら、入場料も抑えられるだろうし、そして、一定、オペラを観たぞの満足感が得られるから、もっと機会を作ればいいのにと、生半可な理解かもしれませんが、そないなことを喋り合っていました。それにつけても、「シモン・ボッカネグラ」は、いいオペラです。やさしい癒し系のメロディが流れるかと思うと、迫力のあるバトルの場面、父子再会の感情の高まりを表す素敵なデュエット、和解と同時に永久の別れとなるシモンとフィエスコという男声低声部2人の幕切れのデュエット、いいです。なお、演出は粟國淳 、指揮並びにプロデュースは河原忠之でした。




2013年 6月 21日(金)午後 11時 58分

 今日も、朝から雨。昼前に、一旦止みかけたので、ウォーキングの準備をしてお出かけ。ところが、所用を済ませる間もなく、雨は降りだした。天気予報通りでした。仕方がないので、所用を済ませたあとは、ネットカフェで夜まで時間調整をすることに。ただ、その所用というやつが、急に増えてしまい、ネットカフェでの時間は、さほど長い時間にはならなりませんでした。で、その時間調整の場所は、夜が繁昌亭であったこともあり、南森町のネットカフェを利用していました。そして、夜の繁昌亭ですが、今夜は「三金・吉弥ふたり会」のあった日でした。その番組は、次のようなものでした。弥太郎「寿限無」、吉弥「お玉牛」、三金「ちしゃ医者」、(中入り)、三金「高津の富」、吉弥「化物使い」。弥太郎の「寿限無」は、雀のおやどでの自身の会以来で2度目の遭遇。今日は、名前を跳ばさずに言うことができました。吉弥は、まず今日のスケジュールを紹介したあと、自身の出囃子「真室川音頭」を唄い、歌詞の説明へ、その流れで男女の噺へと、とってもきれいな流れ。「真室川音頭」のマクラは、どこかで聴いた覚えがあったなと記憶を辿ると思い出しました。新宿での三三との二人会のときでした。あのときは「にょろにょろ」に入りました。吉弥の「お玉牛」は、前に聴いたときにも思ったのですが、土俗的雰囲気に欠け、明るいご陽気な噺に仕上がっています。それも、一つの方向なのでしょう。三金は、中トリネタに「高津の富」を持ってこず、「ちしゃ医者」の方を持ってきました。「高津の富」では、高津神社で群衆が気ままな夢を語るところをカットしたため20分くらいで終わりましたから、「ちしゃ医者」の方が重くなると考えたのでしょうか。でも、「ちしゃ医者」はきちゃたい噺ですから、どう描こうが、噺のスケールとしては、大きくはならないと思うのですが。三金は、二つの内一つは新作だろうと思っていたのですが、二つとも古典できました。これにはびっくりだったのですが、よく考えてみれば、三金の演じる古典自体が久しぶりでした。吉弥のトリネタは「化物使い」。最近、ネタ下ろしをしたと看ていた作品。「奉公の噺をします」と言ってから、吉弥はネタに入り、しかも冒頭が口入屋の場面から入ったものですから、なかなか何のネタか分からないまま。よく出るのは、化物屋敷に入ってからで、省略形しか聴いたことがなかったもので、何のネタかが判らなかったというわけです。前半は、雇い主が、どれだけえげつないこき使い方をする人物かを描くところ。こき使われる権助は、主の家を辞去してからは、もう出てこず、主人と化け物だけとなってしまいます。前半と後半がくっきりと分かれる変わった噺です。後半の化物相手のところは独白的部分。ここは、吉弥の実力を見た思いがしました。いい売りとなるネタを仕入れたものです。




2013年 6月 21日(金)午前 5時 15分

 一昨日は、あまりにも睡眠時間が少なかったため、予定していた落語会は自発的に中止。そして、昨日は雨。空梅雨だったはずだったのに、雨が降りだすと猛烈な勢い、職場への行き帰りだけで、ズボンはグショグショ。夕方になっても、いっこうに雨脚が落ちませんでした。そないななか、夜は、京都で落語会。久しぶりに「養蓮寺寄席」に行ってまいりました。烏丸五条近くのお寺の落語会。仁智が世話役をしているという貴重な会でもあります。その番組は、次のようなものでした。今井克紀「仕舞羽衣クセ」、小鯛「看板のピン」、銀瓶「阿弥陀池」、米左「豊竹屋」、仁智「トクさんトメさん」。今井克紀さんは金剛流の能楽師さん。養蓮寺さんの檀家という縁で、毎回、冒頭に仕舞を舞われています。その今井さんを呼び込むために、仁智が、まず挨拶をするのも恒例のこと。ところが、ここで、客席が気づいてなかったことを、仁智が報告。三味線の花登さんと米左が、まだ着いてないというのです。毎回、梅田花月に5時に集合して、仁智号と智之介号の2台の車で養蓮寺に来ているので、昨日もそうしたら、新御堂から高速に入るところで大渋滞。江坂で事故があったそうなんです。仁智号は、咄嗟の機転で高速に入らなかったので間に合ったが、そのまま高速に入った智之介号は間に合わなかったというわけです。鳴り物も智之介号にのせられていたため、銀瓶の出囃子まではCDを使ってました。結局、出番には、支障なく終わりました。出番の早い者が、仁智号に乗っていたため助かったというわけです。ところが、昨日は、黄紺の体調が優れませんでした。一昨日の睡眠時間が2時間というのが、尾を引いているようです。小鯛がマクラを終わった当たりから、もう記憶がないのです。銀瓶は、ほとんど跳んでいます。米左の大きな声で、一旦目覚めるも、再びダウン。辛うじて仁智だけでした。「トクさんトメさん」は、この会でも、何度も出しているでしょうね、ヒーヒー言わせてくれます。自分的には久しぶりの遭遇でした。




2013年 6月 19日(水)午前 0時 21分

  大阪市内遊歩(169)

 今日は雨の予報、だけど、朝から雨という感じではないということで、午後に用事を済ませたあと、ウォーキングを敢行。年に一度の弁天町を起点としたウォーキング。今回は、西淀川区を目指して、途中、此花区を迂回するコースにしました。その詳細は、次のようなものとなりました。しまいました。JR「弁天町」駅〜安治川大橋〜春日出南公園〜JR「墓地道」踏切〜「春日出西」交差点〜大阪市立梅南中学校〜北港新橋〜スーパー堤防〜西島公園〜大阪市立西島小学校〜伝法水門〜西念寺・勢至学園〜伝法大橋〜福町東公園〜姫島浜公園〜大阪福島朝鮮初級学校〜阪神「姫島」駅〜韓国料理店「鳳仙花」〜大阪市立姫里小学校・保育所〜〜阪神「姫島」駅。「弁天町」からは、まっすぐ迂回をしないで安治川大橋を渡り此花区に。此花区を迂回するのは、当初からの計画。ところが淀川堤防に上がったところで、急に気が変わりました。淀川も、ここまでくれば、水量もかなり多く、大河の風情。しかも、この辺りの堤防は、「スーパー堤防」と名付けられ、新しく幅も広いということで、なんか爽快な気分になり伝法大橋と反対方向に歩いて行ってしまいました。もっと河口近くまで歩こうかとも思ったのですが、夜のこともあり、コース変更を考えるのも手間かと考え、引き返すことにしました。伝法橋を越えるのは、やはり時間を要し、「御幣島」を終点と想定していたのですが無理と判断、行き先を「姫島」に変更。ところが、「姫島」駅には10分前に到着。ちょっと余裕を看すぎたと、改めて「御幣島」に向け歩き出したのですが、到底難しいことが判り、再び「姫島」駅に戻るというバタバタとした終わり方になりました。
 「姫島」駅から阪神本線で「梅田」に移動。夜の部までの時間を、東梅田のネットカフェで時間調整。そして、夜は、ステーションシネマであった「パリ・オペラ座ライブビューイング」に行ってまいりました。朝に上映が行われると思っていたら、夜になっていてびっくり。今朝になってから気づき、そのため夜に行く予定だった落語会に、キャンセルの電話を入れなければならないハメとなってしまいました。今日は、オッフェンバッバの「ホフマン物語」の上映がありました。この前の冬、ドイツに行ったとき、最後まで、オズナブリュックの「天国と地獄」か、ビーレフェルトの「ホフマン物語」か迷い、オズナブリュックを選んだため、まだ実際には観たことのないオペラで、実際に観てみたいオペラの上位に入るのは間違いないオペラなのですが、粒の揃った歌手を多く集めねばならないこともあり、人気曲のわりには、上演頻度の少ない作品。と言いますのも、タイトル・ロールのホフマンの語る3つの恋物語のヒロインが、一人では演じにくいのです。中でも、一つ目のオランピア(自動人形)は、超絶技巧のコロラトゥーラとして知られた厄介な役柄。二つ目のアントニア(声楽家)は、恋に生きるか、愛に生きるかを悩む、3人の中では感情表現の最も難しい役柄、そして三つ目のジュリエッタ(高級娼婦)は、声質的には、アントニアと同質でも、全く役柄が違い、ホフマンを誘惑しなければならないものですから、こちらもなかなか大変なのです。この3人の女性は、ホフマンが愛するステッラという女性の持つ三つの顔と考えれば良いというのは、実際にテキストに現れてきますが、ある意味では、男目線で見た女性と一般化することは可能、そう考えて観るべきものでしょう。そして最後に、ミューズが現れて、「恋をして、また恋に破れて、人は成長していく」と、ホフマンをなだめて、そして全体をまとめて、オペラは終わります。演出は、楽譜をよく読み込んだ細かな動き、タイミングのいい所作の変化、アクセント作りが心地よく、また装置は、劇場をコンセプトに作られるという凝りよう。プロローグは舞台袖、オランピアは舞台そのもの、アントニアはオケピット、終盤には上の舞台も活用、ジュリエッタは客席という具合でした。演出のロバート・カーセンへのインタビューで、ステッラが「ドン・ジョバンニ」に出ているというのがヒントになったとか言ってました。バルコローレのところでは、客席を左右に動かしゴンドラの雰囲気を出していました。歌手では、オランピアを歌ったジェーン・アーチボルドが、最大の歓声に迎えられていました。ま、おいしい役柄であることは間違いないのですが、人形ぶりの動きも良かったところから妥当なところかもしれません。振り返ってみると、オッフェンバッハは、律儀にきれいなメロディーを散りばめてくれています。しかも毛色の違う物語を用意するという懲りよう。あらためていいオペラだということを確認させられました。




2013年 6月 17日(月)午後 11時 33分

 今日も暑い一日だったのですが、朝晩が涼しいので耐えきれています。昨夜も、夕方には家に戻っていましたが、クーラーなしの生活に、何ら支障はありませんでした。今日の夜遊びは京都での落語会。「府立文化芸術会館」の和室であった「桂文我上方落語選〜京都編〜」に行ってまいりました。毎月、こちらで行われてます文我主宰の会です。その番組は、次のようなものでした。吉の丞「強情」、文我「螢の探偵」、歌之助「悋気の独楽」、文我「法然一代記」、(中入り)、文我「ねずみ」。吉の丞は、マクラで修行時代の話を少ししてくれました。その中で初めて聴いたものが、ちょっと出てきました。修行時代に、米朝に6つ、吉朝に5つ教えてもらったそうで、「動物園」も米朝に教えてもらったものだそうです。ちなみに、米朝は直弟子には、修行時代に10のネタを教えるという話を、団朝が言ってたのを聴いた覚えがあります。修行明けで、師匠以外に稽古に行った初めての相手はざこばだったとか。それで「強情」をもらったようです。文我の一つ目は、なんじゃというネタ「螢の探偵」。虫のいない村から大阪に出てきた男二人が、蚊にせめられ逃げ惑っていると、今度は螢に遭遇。明かりを見て、自分たちを探しにきた探偵と思ってしまうという実に長閑な噺でした。歌之助は久しぶりの遭遇。えらい老けたという印象。「悋気の独楽」と判って、ちょっと戸惑い気味。女性二人に子どもの活躍する噺。なんか、その辺りが、しっくりとこなかったのか、一門では、演じ手の少ない噺を、歌之助がする不思議かな、それともおいしい噺をチョイスした歌之助がイメージからずれていた、その辺のどれかでしょう。但し、このネタの後半から、次の「法然一代記」にかけてはダウンでしたが。文我は、中入り明けに出たときに、何かしっかりした噺をしなければと言ってましたから、「法然一代記」は漫談調だったようです。そのしっかりとしたネタが「ねずみ」。口演も、なかなかしっかりとしたもので、演じ慣れてるなぁの印象。文我は、ネタが多い分、時として筋立てだけを押さえていて、細かなところは作りながら演じているというネタがなきにしもあらずという印象があるので、余計にしっかりとした口演と映りました。舞台は岡山ではなく仙台城下となっていました。上方ではマイナーな設定です。分銅屋が生駒屋であったりと、細かな設定で違いはありましたが、筋の運びは変わるものではありませんでした。




2013年 6月 17日(月)午前 3時 32分

  京都市内遊歩(41)

   3連休の最終日、朝からウォーキング。なんせ、土曜日が雨にたたられたため、この週末のウォーキングは、昨日の朝だけとなりました。その狙いは、伏見の名所を巡るというもの。詳細なコースは、次のようになりました。京阪「丹波橋」駅〜京阪踏切(京町5丁目)〜イタリア料理店「アルヴェーレ」〜京料理老舗「魚三楼」〜京都京町郵便局〜願船寺〜京阪「柿ノ木坂北」踏切・京都市立南浜小学校〜月桂冠大倉記念館〜辨天橋〜長建寺〜十石舟乗り場〜蓬莱橋〜伏見であい橋〜角倉了以翁水利紀功碑・旧伏見港〜角倉橋〜阿波橋〜土橋〜玉乃光酒蔵〜神泉苑橋〜伏見竹田口郵便局〜韓国料理店「鳳」〜七瀬川児童公園〜京都市立藤森中学校〜JCL西浦中公園〜砂川東児童公園〜師団橋〜京阪「藤森」駅。「柿ノ木坂北」踏切を越えると、整備をされた観光コースが用意されています。旧月桂冠の酒蔵を活用した記念館を右に見て、左に向くと「十石舟乗り場」の幟。「辨天橋」の上から宇治川派流を眺めると、下には確かに十石舟と銘打った川巡りの舟が。そして、何よりその宇治川派流沿いの緑がいい。長建寺を初めとした中書島の旧遊郭跡を巡ったあと、旧伏見港まで、その緑につられて宇治川派流に沿って歩いてしまいました。中書島の旧遊郭跡を歩くのは、実に久しぶり。以前は、建物的に、その名残を感じさせるものが多数残っていたのですが、現在はほぼ全滅状態。立て替えが進み、僅かに4軒だけ、2階部分にらしき建て付けを見つけただけでした。後半は、旧市電道に沿い北上。途中からは、車が多いので空気を気にして中に入りましたが北上は続け、龍谷大学が目前というところで、時間調整のため「藤森」駅を終点と定めたところ、所要ドンぴしゃの2時間でウォーキングを終えることができました。空梅雨のおかげで、気温は高いのでしょうが、汗の出方が、まだ少ないですね。
 自宅で静養&時間調整後、午後のお出かけ。昨日は、「びわ湖ホール」であった「タリス・スコラーズ」のコンサートに行ってまいりました。「結成40周年記念」と銘打たれたアカペラで歌う古楽。かつて、キングス・シンガーズなどと並び、世界を席巻して以来、はやそれだけの月日が経っていたのです。大ホールでの公演ということで、二の足を踏んだのですが、そこはびわ湖ホールに行けるという付加価値が付いてチケットを買ってしまっていたのです。自分的にも、古楽アンサンブルを聴くというのも久しぶりだったことも後押しをしました。そのプログラムは、次のようなものでした。ヒエロニムス・プレトリウス: 第5旋法のマニフィカト、ジョスカン・デ・プレ:わが子、アブサロン、ウィリアム・バード:4声のミサ曲、グレゴリオ・アレグリ:ミゼレーレ、エリック・ウィテカー:結成40周年記念委嘱作品(日本初演)、アルヴォ・ペルト: トリオディオン、ジョン・タヴァナー:いと聖なるキリストのみ母。ウィリアム・バードまでが前半。比較的短めの曲が続いた前半の中で、このウィリアム・バードの曲だけが、完全なミサの形式を踏んでいる大きめの曲。そして、後半の冒頭のアレグリの曲が、このプログラムの白眉の一曲。まるで教会内でのコンサートというか、実際の典礼に参加している雰囲気を味合わせてくれました。舞台に5人のアンサンブル、1階奥に司式を担当する聖職者役のテノールが一人、そして3階隅に、応唱役の4人のアンサンブルを配置、これには痺れました。これを含めて、黄紺が懸念していた大ホールでのコンサートは、全く気にならない響き。現代のホール自体に、教会のような残響のある響きを期待するのは無理なのでしょうが、先日のドイツ・レクイエムのような大編成の演奏でも、こういった10人のアンサンブルでも、やはり教会で聴いてこそ生きる曲を聴くときは、ないものねだりをしていまします。その渇望のようなものを満たしてくれたのが、このアレグリでの演奏者の配置でした。素晴らしいアンサンブルにまどろんでいると、時間はあっという間に過ぎていきました。2曲のアンコールを含めて、ちょうど2時間のコンサート。素晴らしいレイクビューのホールとともに、贅沢な午後を過ごすことができました。




2013年 6月 16日(日)午前 6時 1分

 昨日は曇り空、そして雨、おかげで気温が下がりました。昨日のお出かけは、9時15分をメドにしていたのですが、ちょっと遅れてスタート。まず「應天院」で「壱劇屋」の芝居「SQUARE AREA」を観てきました。ちょっとした知り合いがかんでいる劇団ですが、最近ぐんぐんとメジャーになってきているということで、久しぶりに覗きに行ってきました。舞台は四方に客席が配置されたスクエア型。それが、そのままに題名に使われており、四隅には、細い柱が立っている。その柱で囲まれた舞台が密閉空間という設定。それを、この劇団得意のパントマイムで見せます。だけど、芝居の進行では、自在に見えない壁を越え、不思議な空間であることを見せてくれます。見えないノブがあって、そのノブをひねって隣の部屋に入ったつもりが、実は、その空間の違う方向から入っきているとして、それを視覚的に見せたり、反対方向に出るかと見せかけて、実は四方いろんな方角から現れたりと、楽しませるアイデアが満載。それをスピードに乗り演じるのですから、呆気にとられるおもしろさがありました。空間の不思議な部分を、ひとしきり見せると、今度は、空間の意味、空間からの脱出につながるプロットが用意されています。うまい構成です。それが、ロールプレイングのゲームをしているように、見えない壁に貼り紙が現れたり、残り時間が掲示されたりしていきます。貼り紙は、各回4枚。貼り紙が出てくると、それは適当に、現代人を悩ます言葉が並んでいるのかと思っていると、それがバラしのところで、大きな意味合いを持ってくるというネタふりになっているというのが、とっても心地よい。してやられたという感覚になれるのです。やがて、密閉空間から外に飛び出したかと思うと、また戻ってくる人物の登場により、その法則性を探求する中で、更に、先ほどの貼り紙と合体することで、この空間の持つ意味が明らかになっていきます。「協力」「共生」「鎮魂」という抽象概念を、ゲーム感覚で見せてくれる素晴らしい芝居に仕上がっていました。パントマイムからくる多様な動きを駆使した見事な身体表現、とにかくおもしろく、楽しめる芝居。ここ数年間で観た芝居の中でもベスト・ワンじゃないでしょうか。
 芝居が終わると、すぐさまウォーキングに移行の予定だったのですが、外に出るとしっかりとした雨が降っていたので、そのまま帰宅。その雨に気をもみながら夜の部まで自宅待機。すると、お出かけ予定時刻の5時半間近になると、かなりの小降りになったので、思いきって傘を持たずに外出。夜は、息子と、西京極競技場でサッカー観戦。「京都vs愛媛」の試合。最近、日本でサッカー観てなかったなぁ、サンガの試合観てなかったなぁと思ってたところ。息子とも、そないな話をしていたので、一緒に行くことになりました。息子とサッカー観戦って、ひょっとしたら、ワールドカップ以来じゃないかな。開始早々、いいフリーキックから、京都が得点。ところが、そのあとはずっと愛媛のペース。「これが下位にいるチームとは思えないなぁ」と2人で喋っていると、右サイドからきれいなセンタリング、またきれいなタイミングで走り込みがあり同点に。納得の同点。後半の後半になって、ようやく京都のチャンスが出てきて、2点が入りました。中央の混戦から2点目、それまで機能してなかった左サイドからで3点目、、ここで席を立ちました。もうロスタイムに入り、試合を決める得点が入ったものですから。ところが、スタジアムを背に歩き出したら大歓声。4点目が入りました。点差ほど違いのある感じではない両チーム。試合としてはおもしろいもので、久しぶりのサッカー観戦を、2人とも楽しんできました。そして、帰りしなに、昔ながらのビアホールで、アルコール補給をして帰宅という楽しい夜となりました。




2013年 6月 15日(土)午前 5時 45分

 一昨日は、先日「イスタンブール・コナック」で食事をした際に決まった「飛田ツアー」の日でした。1時間の時間休をとり、動楽亭前に集合して、3月に歩いたコースをなぞって歩きました。夏の夕方ということで、街には活気があると言っていいのでしょうか。あぶない雰囲気漂う釜ヶ崎散歩のあと、「鯛よし百番」で食事会。再会を秋と約束して別かれました。
 そして昨日は、猛烈な真夏日。クーラーのないところでは、昼に近づくにつれいたたまれなくなります。昨日は、夜に大事なコンサートを控え、昼間も狙いの落語会があり〜ので、楽しみにしていた一日。落語会というのは、円三の出番のある「動楽亭昼席」。橘家円三、どのくらい聴いてないでしょうか、次代のエースと考えていたのですが、噺家生活を頓挫。高座に触れることができなかったのですが、動楽亭の昼席に出るようになった。だけど、自分の都合と合わず、過去2回の出番は涙を飲みました。そして、3度目の正直で遭遇することができたのでした。その番組は、次のようなものでした。優々「道具屋」、三幸「筍」、雀五郎「青菜」、円三「淀川」、(中入り)、文昇「餅屋問答」、慎悟「鹿政談」。待望の円三を聴くことができました。体つきは、昔と変わらないのですが、顔は全く昔の面影はありませんでした。でも声は同じ。歯切れの良さは、円三のイメージにはあるのでしょうが、残念ながら言い淀むところが出ていましたが、これは仕方のないところです。ネタは、何を出すのか楽しみだったのですが、「淀川」でした。寡聞にして、このネタをする噺家さんは、円三以外に知りません。ただ、ワッハの視聴覚ライブラリーに、円三ものでは、この「淀川」だけが収納されています。ですから、これだけは避けて欲しいなと思っていたネタだったのです。第一短いしね。そんなで、久しぶりの円三体験は、アッと言う間に終わってしまいました。この円三が下りたのが3時。4人で1時間しかかからなかったのです。「淀川」に「筍」が加わると、そうなります。客が8人だったからでしょうか、マクラもゆったりとふらないで、ネタに入ったからということもあります。ですから、後半の二人は、ちょっと気をつかってくれたのですが、歳より話をする慎悟には閉口。ま、話す前から判っていることですが。それに対し、瓢逸とした文昇には拍手。坂本龍馬似だということも納得でした。
 動楽亭を出ると、ちょっとだけ時間調整のため飛田界隈をうろちょろ。それから「新今宮」から「大阪」へ移動。2度に渡りドイツなどに一緒に行った方と合流。昨夜は、連れだって「シンフォニーホール」であった「関西フィル定期演奏会」に行ってまいりました。昨夜は、ブラームスの大曲「ドイツ・レクイエム」が出る日だったのです。黄紺の大好きな曲なんだけど、なんせ大合唱団を要する大曲、なかなか遭遇機会がなかったのが、去年、東京で新日フィルのコンサートで聴けたのに次いで、今年は、大阪で2回も聴くことできるのです。その第1回目が昨日だったのです。指揮は飯森泰次郎、コーラスは、昨日がお披露目の関西フィルハーモニー合唱団。ソリストは安井陽子と山下浩司。黄紺は、とにかくこの曲の命はコーラス、中でも第一曲のアインザッツ。コーラスの最初のビアノッシモが、如何に静謐に響き渡り、そのあとに出てくる「Seligkeit」という歌詞のところのクレッシェンドに次ぐディクレッシェンドが決まるか否かで、曲の行方が見えてくると思っています。それが、わりとやってくれるやんというのが、昨日の演奏のスタート。ただ合唱団の男女比が崩れており、女性が全体の6割強。当然バランスが崩れます。おいしいテノール・ソロの部分が、えらく頼りない。ま、数の問題ですから致し方のない話です。幸い、黄紺の座っていたサイドは、男声寄りの位置。男声の補強ということにもなり、バランスなんかは良く聞こえていました。そして、もう一つは残響が抑え気味のホールですから、なかなかホール内へと響き渡るという感じにはなりません。ですから、一曲を通じて小じんまりとしたドイツ・レクイエムとなりました。ソロは、と山下浩司が聴かせてくれましたが、ちょっと陽性な声質に、若干抵抗を感じてしまいました。時間は、80分弱、ドイツ・レクイエムとしては、ちょっと短めだったんじゃないかな。ひょっとしたら、繰り返しなんかでカットがあったかもしれません。




2013年 6月 12日(水)午後 11時 8分

 今日は水曜日で、普段は仕事にへこたれているのですが、今日だけは、ちょっとのんびりモードで暮らせるという自分的にはラッキーな一日。おかげで健やかに、夜の落語会に行くことができました。今夜は「第343回上新庄えきまえ寄席〜梅團治・たま たっぷり二人会〜」。あまり明るい春日神社を見たことがないもので、ちょっと戸惑いました。こちらへは冬ばかり来ていたのですね。その番組は、次のようなものでした。小梅「転失気」、梅団治「馬の田楽」、たま「菅原くんの祟り」、(中入り)、たま「崇禅寺馬場」、梅団治「花筏」。毎月、主宰者の代わるこの会の、今月の主宰者は梅団治。最近は、「普段では考えられない人との二人会」をしているそうで、この2年は、あやめ、遊方ときたそうです。そして、今年はたま。あとから上がったたまは、「できちゃったのメンバーが続いている」。確かにそうですが、それぞれと梅団治という組合せはそそられてしまいます。終わってみて、おもしろい番組になってことに、まずは満足。梅団治の「馬の田楽」は松葉からもらったものとか。とにかくこのネタをする噺家さんが減っているので、何はともあれ遭遇が嬉しい。それに、昔は、遭遇頻度も高かったためか、このネタのありがたみを省みなかったようなところがあったのですが、最近は、前半の子どもの会話がおかしくて仕方ありません。梅団治の子どもの描き分けがおかしくて、おもしろさ倍増でした。梅団治のもう一つは「花筏」。梅団治が「花筏」をするとは知らなかったもので、これは嬉しいものを出してくれたものです。もう少し落ち着いた方がいいかとも思うほど、スピードがありいいテンポ。梅団治の体型を見ていると、想像の世界にいる徳さんとシンクロしてくるとは、梅団治にとってはおいしいネタ。それに対するたまは、古典と新作を一つずつ。「菅原くん」は初遭遇。天神祭実況中継が入り、「天王寺詣り」などと同じ趣向を持ちつつ、菅原道真左遷話という史実を組合せ、それをパロディ化しているという労作。たまは、いろんな引き出しを持っています。古典の方は、演じ手は、福郎一門しかいないかもしれない「崇禅寺馬場」。追い剥ぎに誘われた男がすかたんをする噺なのだが、たま版では、アホの母親を出し、その女にもおちょけたことをさせるというもの。小品ながら爆笑落語に持っていった改作の佳作です。前座は、梅団治の実子でもある小梅。師匠から教わった通りになぞる古くさい喋りが、なんとも不可思議な雰囲気を持ちます。そのねっちょり感に不思議な魅力を感じてしまいました。




2013年 6月 11日(火)午後 10時 51分

 今日は、午前中に家の用事を済ませ、午後に大阪へ移動。まずというか、今日は動楽亭三昧の日だったのです。午後の部の方は「動楽亭昼席」。千朝と雀松が出るというのが魅力の番組。こちらの昼席、ここまでは、今月はじっとがまんだったのです。今月は、10日以後に魅力的な番組が揃う「動楽亭昼席」なのです。その番組は、次のようなものでした。小鯛「看板のピン」、佐ん吉「代書屋」、文昇「書割り盗人」、雀松「近日息子」、(中入り)、福楽「上燗屋」、千朝「蛸芝居」。今日は、完全に失敗の巻きです。お昼ご飯を食べたときに、よせばいいのに、ビールを呑んでしまい、それが完全に業をしてしまいました。文昇なんて、どんなネタをしたのかも判らないほど。出口に、ネタの貼り出しをしてくれるので判った次第。じっくりと聴いてみたかったネタも出ていました。佐ん吉の「代書屋」と雀松の「近日息子」がそうなんですが、完全に外してしまいました。
 「動楽亭昼席」が終わると、時間調整のために、歩いて日本橋に移動。ちょっとしたミニミニウォーキング。そして、駅上のネットカフェで時間調整。夜は、再び「動楽亭」に戻り、「できちゃったらくご」 に行ってまいりました。その番組は、次のようなものとなりました。あやめ「男装エレジー」、遊方「ツーショット」、三金「あと一日あったら」、南湖「日本蹴球事始」、(中入り)、たま「おとぎ噺殺人事件」、三風「んなあほなの使い方」。あやめは、先日あった「噺家宝塚ファンクラブ」で出したばかりのネタを手入れしたものということで、今日は、出番決めのジャンケンから外れ、トップを引き受けました。宝塚の男役が引退したあとの日々を描いたもの。昔ながらの手ぼうき屋に勤めるというのが可笑しい。仕掛けが用意されています。遊方は、漫才師がファンにツーショットを求められるのだが、なかなか写真が撮れないというもので、一種の繰返しネタ。だから噺の枠としては、仁智作品を連想させる。でも、一つの事柄から思い描くイメージの豊富さが素晴らしいものがあります。さすが遊方です。三金も、繰返しネタに分類できる作品。落語の新作を作ろうとするのだけど、ついつい後回しにしてしまう男の口癖は「あと一日あったら」。誰しもが口にしたくなる言葉。この作品は、その言葉が実現したらの噺。でも主人公の男は、実現しても、うまく時間を使えないので、繰返しになるというもの。「もし」が実現するという発想は生まれ易いでしょうが、それが繰返されるというところに、三金の非凡さを感じます。また主人公は噺家でなくてもいいのですが、とってもいい下げを使うためには、噺家でなければなりません。今日発表されたものでは一のお気に入りでした。南湖は、マクラで左南陵話をしてくれました。左南陵一代記は講談になるらしいとは思っていたのですが、今日の話を聴いて納得。南湖は、「南北伝」のようなものであれば作りたいのでしょうが、それに相応しい話が、左南陵にはないようです。黄紺なんかが講談になりそうという話は、やはり今はできないのでしょうね。左南陵自身は「作ってみろ」とは言っているそうなんですが。たまの「おとぎ噺殺人事件」は、出されてみると、今までなかったのが不思議な感じがしたのですが、それは出されて初めて言えることかもしれません。基本的には、明智小五郎が、おとぎ噺の世界に入ると、そこで殺人事件が起こるというもの。登場させるおとぎ噺のキャラクターを精選していったり、殺人事件自体を、更に丁寧に描いていくと、大作になりそうな予感がします。ネタの進化に期待しましょう。また、進化の予感を感じさせる作品です。三風作品は、選り抜かれた言葉、くすぐりなんてものを考えると、完成度の高さを感じる作品でしたが、要は大阪弁講座じゃないかと突っ込みたくなる作品。秋田から大阪に来て就職した男が、大阪弁を覚えていくというもので、難しい言葉が「んなあほな」というわけです。




2013年 6月 10日(月)午後 11時 18分

 今日は、存外と涼しい一日。疲労も、ちょっとましだったかなという具合でした。そして、夜遊びは芝居の日。「in→dependent theatre 1st」であった「スイス銀行」の公演「暮らしとゾンビ」を観に行ってまいりました。この劇団は、二人の女優と作家だけの劇団。公演によって、演出家と客演の役者を喚び、公演を行っており、最初の公演から欠かさずというほどではないのだけれど、わりかし観ている劇団なのです。毎回、質が落ちない芝居を続けてくれているのと、演出家が変わるというのもおもしろいところだと思っています。今回の芝居は、シェルターものでした。ゾンビから逃げてきた男女5人は、お互いに見知らぬ同士。それぞれが、何ら特技を持っているわけではない市井の人たち。シェルターという特異な空間に生活する人たちが、何を考え、時間を過ごし、一方で、その空間から逃げ出す方法を模索するのを描いたもの。そのイマジネーションが、どこまで働くかが脚本の腕の見せどころのはずなのですが、今日の脚本では、あまりに平々凡々でした。閉ざされた空間で、排泄物はどうするかだとか、異性に対する関心を見せて、お仕置きを受けたり、かなり下世話なプロットに終始。それは、一つに、登場人物5人の個性を描くことに、あまり神経を使わなかったからでしょう。中には最後まで得体の知れないままで終わった人物までいたのじゃないかな。閉ざされた空間での個性のぶつかり合いなんてものも、脱出のときの囮を誰にするかとか、トイレの扱いなんてところでしか描かれないものですから上すべり感を大きく感じてしまいました。「スイス銀行」の公演を幾つか観てきましたが、一番頼りない脚本で、且つ役者の動きも、ちょっと洗練されているとは言いがたいものがありました。ちょっと失望っていうとろこかな。




2013年 6月 10日(月)午前 3時 41分

  大阪府吹田市(3)〜大阪市東淀川区、旭区〜守口市(58)

   昨日は、午前中は家でごろごろ。ちょっとだけ持ち帰り仕事をしてました。この1週間を、少しだけ楽に過ごすための予防策です。そして、12時半をメドにお出かけ。昨日は、JR「吹田」駅に直結したビル内で行われた「吹田サンクス寄席」に行ってまいりました。なかなか開催についての情報の入りにくい会ですが、今回は、前回に行ったおかげで把握できておりました。その番組は、次のようなものでした。雀太「天災」、染左「餅屋問答」、文都「粗忽長屋」、雀三郎「三十石」。雀太と染左のところは、ちょっとまどろみながら聴いておりました。無頼漢系の噺が並んだものです。「天災」が出るのでしたら、染左には、違った噺を持ってきて欲しかったな。ネタの幅が広い噺家さんですからね。染左の「餅屋問答」は聴いた記憶があるのですが、雀太の「天災」は初ものでした。問題なのは、文都の「粗忽長屋」。あまりにもうつけた噺です。それを、どうして語尾明瞭に、アナウンサーの喋りのような口演をするのか、理解に苦しみます。余計なくすぐりも不要。噺の存在自体がうつけたものなんですから。そして雀三郎。雀三郎の「三十石」は、狙い撃ちで聴きたいネタ。なんせ歌手ですから、やはり舟唄を聴かせます。その期待のネタが、ネタ出しなしの会で当たったのですから、運があります。寺田屋の浜の場面から始まりました。雀三郎は、鳥飼の出身ということで、子どもの頃の淀川の風景を、マクラで紹介してくれました。今は、水量をコントロールしているので、淀川の雄大さは失われたけれど、「河川敷いっぱいに水をはった淀川は揚子江みたい」と言ってから、「揚子江は見たことありませんが」と言ってました。「長江」と言わず「揚子江」と言ってくれるのが、嬉しいじゃありませんか!
 落語会が終わると、ビルの下から、ウォーキングを開始。初めての起点となる場所でした。目指すは、井高野を通り、謡蹟江口から豊里大橋を渡り、守口市内へと向かうコース。逆コースは、途中からは解るのですが、守口に向かうコース取りは初めて。迷ってはいけないと、昨日はしっかりと地図を用意してありました。そのコースの詳細は、次のようなものでした。JR「吹田」駅〜吹田市立吹田第一幼稚園〜光徳寺〜光明寺〜吹田歴史文化まちづくりセンター〜高濱神社御旅所〜新京阪橋〜阪急「相川」駅〜大阪高校〜大阪成蹊女子短期大学・相川保育園〜井高野橋〜大阪市立井高野小学校〜井高野保育園〜大隅神社御旅所〜江口橋〜光照寺〜江口君堂〜みのり園〜大道公園〜大阪市立大道南小学校〜豊里大橋〜太子橋中公園〜元大阪府立守口高等職業技術専門校〜大阪府立淀川工科高校〜守口市立土居小学校〜京阪「守口市」駅。最短コースを採ると、2時間はかからないと看て、吹田市内を少し迂回。地図を見て旧道と狙いをつけて歩いてみるとドンピシャ。「浜屋敷」が「吹田歴史文化まちづくりセンター」という博物館になっており、入口前に付近の名所地図まで用意されていました。中に入ったり、他の名所は機会をあらためて行くことにして、狙いをつけた旧道をたどり、歩を進めました。井高野でも迂回コース。井高野小学校の北側の道を歩くことにしました。江口地区に入ってからは、淀川寄りの旧江口村の雰囲気を残すところを狙ったのですが、道がよくわからない。南に向かう道が見つからなくて、かなり苦戦。でも、変に迂回はせずに済んでいるはずです。豊里大橋にさしかかったところで、ラスト30分。「守口市」駅だったら、迂回しなければと思ったのですが、ジャスト2時間の行程となりました。




2013年 6月 9日(日)午前 5時 56分

 3連休の2日目。昨日は、ウォーキングをすると、とってもタイトになってしまうので、ウォーキングを組み込まないでスケジュールを調整。お出かけだは11時がメド。まず「一心寺門前浪曲寄席」へ。毎月恒例となっているものです。その番組は、次のようなものでした。幸いってん(沢村さくら)「度々平の住込み」、天光軒満月(紀之本孝子・美勝勝廣)「父帰る」、京山小圓嬢(沢村さくら)「つぼ坂」、松浦四郎若(虹友美)「太閤記〜秀吉の報恩旅行〜」。「度々平の住込み」は、「寛永三馬術」の間垣平九郎もので、講談からのネタ。平九郎の技を盗もうとして、下男となり平九郎方に住み込むのですが、その話は、時間の経過説明で、ちょっとだけ触れられるだけで、前半は横着な物言いの度々平の登場、後半は、酒に酔った度々平のしくじり話なのですが、その話のクライマックス直前で、いつものようにカットとなりました。天光軒満月師は、今回も「父帰る」。勘弁して欲しいと、前回の遭遇時にも書いた記憶が、、、。京山小圓嬢師が、昨日の秀逸。「つぼ坂」と番組表には出ていましたが「壺阪霊験記」のこと。お里と沢市の二人が身投げをして、観世音に救われるハイライト部分が、コンパクトにまとめてある台本が秀逸と、聴くたびに思います。お里が薬を取りに帰り戻ってくるところは、もうラップですね。先日、弟子の菊池まどかで聴いたところですが、リズム感の違いにびっくり。80歳を超えた婆さんのどこに、こないなリズム感があるのか、ただただ圧倒されました。また、そのリズムを支えていた沢村さくらさんの三味線にも大拍手です。トリの松浦四郎若師は、今月は3日ともに「太閤記」。その中から違うネタを用意されているようです。昨日の「秀吉の報恩旅行」は、講談でも聴いたことのないもの。関白にまで上り詰めた秀吉が、小田原からの帰り、浜松で、一時結婚生活を送ったきくという女と、また故郷の中村では、自分を取り上げた婆さんと再会し、昔話をするというもので、ちょっと地味系。あまり聞かないはずです。昨日は、えらく混んでいました。その中に、外国人教員とともに同志社大学の女子大生が数人。隣にいた爺さんが嬉しいのか、えらく世話をやいていました。黄紺は、それをそのすぐ後ろで眺めていました。また、黄紺の隣には、仙台から聴きに来られた方が座っておられました。横を通る浪曲師さんが、挨拶をしていかれたので、この世界では知られた方のようでした。世の中には、上には上がいるものです。
 浪曲が終わると、歩いて文楽劇場へ。7月公演のチケットを買うためです。それから、いつもの千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜は繁昌亭に向かいました。今夜は「第15回笑福亭松喬一門会」がありました。その番組は、次のようなものでした。喬介「つる」、風喬「借金取撃退法」、喬楽「八五郎坊主」、松喬「犬の目」、(中入り)、生喬「猫魔寺」、三喬「近江八景」。事前に発表された番組では、松喬がトリで、三喬が中トリ。松喬は、体力がなくなってきているということで、交替したということです。仕事を断っている状態と言っていました。パンフレットに、三喬が「つる」の謂われを書いていました。先代米団治がまとめたものだったんですね。喬介は、いつもながらの高音での口演。この人の描くアホが、一つの型になってきています。風喬は、季節外れの「借金取撃退法」。「掛取り」の短縮版です。松喬がするときは、狂歌と喧嘩だけだったのに対し、風喬は吉本新喜劇好きの男を出したので、おっとと思ったら掛け声だけでした。存外良かったと言えば失礼になるのが喬楽。でも、こちらも季節外れのネタ。「八五郎坊主」は春のネタ。もうちょっと八五郎に無頼漢ぶりが出てたらいいのにとは思いましたが、笑いのツボは外さない堅調な出来栄え。こんなにそつのない噺家さんだったっけと、思わず思ってしまいました。松喬は、一門で入門時に最初に教えるネタをということで始めました。耳の聞こえが悪くなっているということで、長い噺を避けたということですが、後半は慣れがそうさせたのか、普段と変わらない声質に。たたき上げたものは、さすが違います。生喬で、ようやく夏のネタが出ました。「猫魔寺」の由来を講釈。市楼から、「書割盗人」を教えた見返りにもらったという逸話は、いつ聞いても微笑ましい。このネタは、先々代の染語楼作ですから、市楼家の財産ですから、筋の通った話です。まじめに聴いているとすかされるネタで、要するに「猫と小判」とのダジャレを言いたいだけの噺やないかと、いつ聴いても思ってしまうアホらしさが真情のネタ。ですから、思いっきり気をこめて怪談噺に仕立てるのがいいのでしょうね。そしてすかす。生喬は怖がらして、怖がり男に叫ばして、できるだけアホらしさを隠していました。それが正解なのでしょう。三喬は、生喬ネタから入り、客席をヒーヒー言わせてから本題へ。まず「近江八景」言えますかと問うと、客席から「近江八景」と答えた御仁がいました、マジで。三喬は「8つ全部言えるか」と尋ねたのが解らなかったのです。さすがの三喬も、舞台で笑ってしまいました。そうかと思うと、全部言えた人もいました。この差は何なんでしょうね? 黄紺は、この落語のおかげで幾つかは言えますが、そんな状態だから、このネタは出なくなったのでしょう。それは、三喬も言ってました。確かにそうで、ここ20〜30年は聴いてないネタ。でも、以前は、米朝と遭遇する度に、このネタを聴いていた記憶があります。米朝版は20分ほどですので、大ネタを出さないときなどは出しやすかったのでしょう。ましてや決めの近江八景の折り込みが入りますからね。三喬版は、パーマンや橋下市長が出てきたりと、三喬テイスト満載の仕上がり具合で、めっちゃOK。上から目線の易者もしっかりとしている上に、清やんと喜ぃ公のゴールデンコンビもばっちりで、分かり易く出来上がっていました。これを聴くと、「近江八景」を手がける人が、もっと出てくるかもしれません。ちょっと松喬の具合が心配ですが、一門の隆盛を確認できたいい会でした。




2013年 6月 8日(土)午前 4時 33分

  大阪府守口市(57)〜大阪市旭区、東淀川区、北区

   一昨日は、まっすぐに帰宅。疲労を感じてましたから、夜遊びしないで正解。そして、昨日は、午前中に「パリ・オペラ座」のライブ・ビューイングを観に行く予定をしていたのですが、予定を控えるのをミスっていて、昨日はやっていないことが判明。そのため、急きょ予定変更。午後に予定していたウォーキングを、午前中にすることにしました。コースは、予定していたものとは逆コースで実施。その詳細なコースは、次のようになりました。京阪「土居」駅〜守口市立瀧井小学校・守口市立西部公民館〜インド料理店「ディル・クス」〜関西医科大学病院〜大阪市立大宮小学校〜城北公園〜菅原城北大橋〜菅原天満宮公園〜菅原天満宮〜菅原天満幼稚園〜JR「じょうとう030」橋梁〜クレオ大阪北〜阪急「学童踏切道」〜大阪市水道局柴島浄水場〜阪急「濾過池踏切道」〜柴島神社〜柴島東公園〜大阪市立柴島中学校〜長柄橋〜愛の恵幼稚園〜天神橋筋商店街・地下鉄「天神橋六丁目」駅〜JR「天満」駅。このコース設定の狙いは、菅原城北大橋と長柄橋の二つの橋を渡り、淀川の南側から出発し、また淀川の南側に戻ってこようという試み。初めての試みとなりました。一番心配したのは、時間的に、そないなことができるのか否かでしたが、そないに気にするほどのことはありませんでした。とにかく橋を渡るのに、時間をとられます。でも、菅原城北大橋を渡りきったところで、50分くらいの経過。長柄橋を渡るところで、ラスト30分を若干きったところと、これは、予定通り、JR「天満」駅まで行けるとの確信を、早くも持つことができました。今まで、城北大橋と淡路の間は、完璧な地図を持たずに歩いていたのですが、今回はバッチリ用意。おかげで表示だけで、その存在を知っていた菅原天満宮に行くことができました。最近、ちょっと疲れが腰にきていたので、ウォーキングをすること自体、引っ込み思案になっていたのですが、実際歩いてみると、久しぶりに身体が軽く感じられ、なかなか快適なウォーキングてなりました。汗もたっぷりとかいたしね。
 「天満」駅に着くと、すぐに近くのネットカフェへ。午後の部に備えて、身体を休めるのが目的です。幸い、短い間でしたが睡眠をとることができ、この休息は大正解。そして、「扇町」から「心斎橋」へ移動。午後は、「心斎橋シネマート」で、韓国映画「建築学概論」を観てまいりました。「韓国に初恋ブームが」なんてのが、この映画のキャッチコピー。オム・テウンが出ているというのが、自分的には最大の魅力。ストーリーは、現在と15年前とが往きつ戻りつしながら展開していきます。女が男に、自宅の設計・施工を頼むところからスタート。二人の再会です。但し、この再会に時間制限があります。注文した家が建つまで、いや物語は続くかもしれないのですが、初恋ものですから、初恋に落ちた二人が再会して、二人がどうのこうのと、新たな展開になったらおもしろくない、それは、時間の制約があるから、初恋の属性であるところの「淡さ」「いたいけなさ」なんてものが輝きを発揮するはずですからね。過去の物語は、二人が出会い、お互いを意識しあい、だけどお互いの気持ちを言葉に表すことができない。また、この映画は、男目線で描いていますので、女の方のふるまい、投げかける言葉に、奔放さと看えるものが用意されています。こうして映画を振り返り整理してみると、わりかしステレオタイプ的になってしまうのだけれど、韓国映画らしい台詞の厳選、ばらまかれるプロット、それらがまとまり、ばらしが用意されているものだから、初恋もの特有の胸キュン状態にさせられてしまいました。「建築学概論」というのは、大学で二人が出会う講座の名。その講座で、街探訪に出かけるところで、二人が一緒になるところから、二人の関係が始まる仕掛けになっていたのですが、ソウルの各地区について知識があると、どうやらくすぐり的なものが用意されているようで、より楽しめたのじゃないかな。黄紺は、ごく一部だけは解ったのですが、、、。オム・テウンの相手役はハン・ガイン、オム・テウンの学生時代をイ・ジェフン、ハン・ガインの学生時代をスジが演じました。女性陣はいずれも美形。揃えてきます、さすが韓国映画です。
 そして、夜は職場の宴会。時期遅れの歓送迎会となりました。




2013年 6月 6日(木)午前 4時 22分

 昨日も暑かった。今年もクーラーのない部屋でのお仕事。まだまだこのくらいの暑さでまいっていては、先が思いやられます。でも、お昼ご飯を食べに外に出て、食堂にクーラーがかかっていると、正直ほっとしました。で、夜は、「天満講談席」を聴きに「北区民センター」へ。その番組は、次のようなものでした。南斗「黒田節の由来」、南湖「黒田節由来後日談秀吉と虎」、南左衛門「甚五郎の蟹」、左南陵「宇治川先陣争い」。最近、こちらの会と、動楽亭の会という二つの定席で、おなじみネタが続くことが多く、足が遠のく傾向にあります。どうやら講談の世界では、どなたかが売りにされているネタがあると、他の講釈師さんは、そのネタを避ける傾向があるようです。ですから、同じネタを、違った講釈師さんで聴いて、その違いを楽しむといった落語の世界であるような楽しみ方が、あまりできないという傾向があるのです。それにプラス、ネタが、そんなには多くないのかなぁ。幸い、毎月、番組表を送ってきていただいているため、行きあたりばったりで外されるということもなく、結果的に足が遠のくということになるのです。ですから、「天満講談席」に行くときというのは、狙いの高座があるということなのです。昨日は、南湖さんと左南陵さんのお二人がお目当てだったのですが、完全に失敗。ネタがどうのという以前の問題、身体が言うことを効いてくれなかったのです。暑い水曜日は完全にお手上げです。まともにと言っても、辛うじてなのですが、南斗くんのまことにもってのおなじみネタだけを聴けただけでした。「宇治川先陣争い」は、前に左南陵さんが出されたときもそうだったので、リベンジを喫したかったのですが、見事に返り討ちに遭いました。




2013年 6月 4日(火)午後 11時 41分

 昨日は、昼間の温度が急に上がり、仕事がきつくて、夜に出かける気力もなくしてしまいました。幸い予約も何も入れてなくて助かりました。今日は、昼間は家の用事に拘束され、ウォーキングをするつもりも中途半端な時間になり断念。その中途半端な時間を、天満駅近くのネットカフェで過ごし、夜は「提法寺寄席」へ。20分ほど歩くと、天満から行けました。こちらは、ざこば門下の兄弟弟子二人の会。わりかしと行っている会じゃないかな。その番組は、次のようなものでした。ひろば・そうば「トーク」、そうば「うなぎ屋」、ひろば「仔猫」、そうば「高津の富」。冒頭の二人のトークが、わりかし楽しいというのが、この会の特徴。今日は、サッカーのオーストラリア戦のあった日。無類のサッカー好きのそうばのぼやきからスタート。日本代表の試合日程を調べないで、会の日取りを決めてしまったようです。ひろばもぼやきと喜びをお喋り。ぼやきは、名張に仕事に行ったときの話。喜びの方は、南光から嬉しい電話をもらった話でした。ネタは、夏本番に相応しいものが、頭に二つ並びました。「うなぎ屋」の頼りないおやっさんの「お二階へ」を聴くと、どうしても亡き喜丸を思い出します。喜丸の描くおやっさんは、頼りないんだけど、どこかしら可愛かったですからね。そうばオリジナルというもので、一つおもしろいのがありました。うなぎを掴むと、上へ上へと行こうとする、その様を見て、横の男が「お二階へ」。そうばのもう一つは「高津の富」。最近の傾向ですが、若手の噺家さんは「高津の富」は手がけようとしません。難しいと看てるんでしょうか、有名すぎて手がつけにくいのでしょうか。その辺はよくわかりませんが、若手の勉強会で、このネタが上がってるのを見たことがないう事実があります。ですから、そういったネタを出してくれると嬉しいのです。空っけつのおやっさんの冒頭のホラですが、おおらかに、のんびりモードで、やって欲しかったな。そして、富が当たったことに気づき喜ぶところで、そうばは、「バンバン」という擬音語を多発。聴き慣れない演出。漫画の吹き出しの横に書かれている擬音のノリなんでしょうか。一方のひろばの「仔猫」は、とっても落ち着いた口演に好感が持てました。一番気に入ったのは、おなべの不思議な行動が明らかになっていくところ。一番怪談ぽくなるところに、特にその良さを感じましたから、成功と言っていいのじゃないでしょうか。冒頭の軽い話を聴いていると、こないな大ネタ二つも並ぶとは思えない軽さがあるのですが、なかなかどうして、たっぷり感があっていい会でした。




2013年 6月 3日(月)午前 4時 13分

  大阪市内遊歩(168)

 昨日も梅雨空。でも雨は降ってなかったので、昼前にウォーキング。午後からのことを考え、また最近歩いてないところをということでコース設定。京橋から東大阪市方向を目指すことにしました。その詳細なコースは、次のようになりました。京阪「京橋」駅〜「鴫野西2」交差点〜鴫野公園〜大阪市立鴫野小学校〜南しぎの商店街〜大阪市立城東幼稚園〜大阪市立城東小学校〜天王田楠根公園〜天永橋〜新永橋〜インド料理店「ラクシュミー」〜大阪府立成城高校〜東成深江郵便局〜大阪市立東陽中学校〜東深江公園〜東大阪市立高井田西小学校〜「柳通東」交差点〜長堂東公園〜進修第二幼稚園〜東大阪市立荒川小学校〜東大阪市シルバー人材センター〜永和公園〜大阪樟蔭女子大学〜東大阪市民会館〜「近鉄「河内永和」駅。鴫野から天王田に抜ける道を、地図で見ていると、不思議とくねくねした道を発見。道に迷いやすい天王田ですから、この道なら分かりやすいと思って行くと、南鴫野商店街がある道筋。初めての道のはず。地図では迷うわけない道のはずですが、ダメでしたね。大事には至らなかったのですが、天王田楠根公園前には、自分が考えていたとは違った道から出てしまいました。大阪樟蔭女子大学の周りでも、途方に暮れた思い出が甦りました。もう真っ暗になっていた時間帯に、ぬうっと現れた学舎にほっとした記憶があるのです。予定では、俊徳道から東に行き、八戸ノ里を目指すつもりだったのですが、さすがに、それは無理で、河内小阪にも行かないで引き返すことにしました。
 「河内永和」から近鉄電車で「日本橋」に移動。昨日も、午後の部に入る前に、ネットカフェで休息をとりました。あとのことを考え、いつもの千日前のネットカフェを利用しました。そして、すぐ近くの「トリイホール」へ。こちらで「第43回TORII講談席〜太閤記続き読み〜」があったのです。講談会の入りとしては、驚くほどのもの。企画が良かったのでしょうか、講談会とは思えないほどの入りでした。その番組は、次のようなものでした。南青「本能寺の変」、南華「中国大返し」、南海「山崎合戦」、南湖「大徳寺焼香場」。 この企画は、南湖さんが「大徳寺焼香場」をしたいというか、ネタにしたのでということで組まれたもの。ですから、トリは南海さんではなく南湖さんという仕掛け。「大徳寺焼香場」を特定するために、発端は「本能寺の変」から。何せ明智光秀に焦点を合わせてというのが、今日の企画のメーン。南青くんが、まず本能寺の変に至るまでの経過、及び、本能寺の変そのものを担当。講談会では、わりかしおなじみの話です。次の南華さんは、普段軍談物を読まれないで世話物を読まれている。ご自分の会で、「何年も、軍談物ってやったことがないのに」とぼやかれていたほど。逆に言えば、それだけ貴重な高座なんだけど、ここで大失態。全然、内容を覚えていないのです。ただ、流れからして、また表題からして判るのは、本能寺の変が起こったとき、中国地方の毛利を攻めていた秀吉のところへ、一報が入り、停戦をして、京へ引き返すところと思われます。そして、明智軍とぶつかるところを描いたのが南海さん。南海さんは、「講談毎日亭」でも、たっぷりと経過を読まれているので、お得意のところと言えばいいでしょうか。中でも先陣を務めながら、その任を十分に果たさない高山右近軍の動きを、滑稽味たっぷりに描いてくれました。そしてトリの南湖さんへ。既に他の講談会で聴いていましたから内容は把握できていました。信長の葬儀で、誰が焼香順のトップに来るかで、次の指導者が決まるような雰囲気のなか、秀吉が、信長の長男の息子を連れて登場し、まんまとそのトップの位置を取ってしまうというもの。古風な修羅場読みが入り、とっても難しいとされているもの。上方では、南海さんが、今まで2回出されたくらいと、南湖さんは言ってました。そう言えば、聴いたことがあると思っていたのは、南海さんの口演だったのかと、それで判明です。南湖さんの口演は、45分に近くかかりました。トリに相応しい、大ネタでした。
 トリイホールを出ると、恒例になっている昔の職場の同僚との食事会で、イスタンブール・コナックへ行ってまいりました。4月に会う予定だったのですが、その内の一人が入院をしてしまっていたので、昨日まで延びていたのです。ですから、快気祝い的な食事会となりました。




2013年 6月 2日(日)午前 4時 37分

  京都市内遊歩(40)

   昨日は、また曇天に逆戻り。でもウォーキングには、全く差し支えないので、朝から時間を見計らってウォーキングをスタート。昨日は、午後に高槻での落語会を予定していたので、伏見から阪急京都線に向けてスタート。以前、同様のコースを一度だけ経験しているので、そのときの記憶で、最短コースを採った場合でも2時間はかからないということでしたので、久我橋を渡る前に、迂回コースを採ったことは採ったのですが、いかんせん久我橋以後は不案内のところ、不安が先に立ち、結構早めに渡ってしまったよう。更に渡ったあとも、最短コースを避けようとしたのに、結局は最短コースを歩いてしまったため、最後は、東向日駅周辺の探索に当てていました。最初から最短コースを採っていれば、1時間半を、少し過ぎたあたりで、東向日駅までは行けるということが判りました。これは、大きな収穫。今まで、久我の中心部というのは、久我橋を渡ったあたりかと思っていたのですが、四条方向から来る市バスの終点となっているのは向日市寄り。もうその辺りは、向日市の市街地の続きという感じになっているのですね。ちょっと伏見方向から見ている久我のイメージとは違っていることを知ることになりました。その詳細なコースは、次のようなものでした。近鉄「伏見」駅〜西鍵屋橋〜住吉児童公園〜西丹波橋〜「赤池」交差点〜京川橋〜久我橋〜「久我」交差点〜菱妻神社〜京都市バス「久我石原町」停留所〜東土川橋〜倉掛神社〜「東土川」交差点〜JR「とうかい118」橋梁〜阪急「梅ノ木」踏切道〜野辺坂公園〜阪急「東向日」駅。
 「東向日」から、阪急電車で「高槻市」に移動。身体を休める目的でネットカフェへ。こちらで休息をとる時間を想定しての出発でした。そして、午後は、「高槻現代劇場」であった「レセプション寄席」へ行ってまいりました。ずっと前、新しい建物になる前に、この場所であった落語会に行った記憶があるのですが、最近では、全くなかったのです。高槻は懐かしいところなので、機会があれば行きたいところなんですけどね。今日は「旅特集」ということで組まれた番組。ですが、「小倉舟」と「百人坊主」が並ぶことはないと言える貴重な会、そないなところにそそられてしまいました。その番組は、次のようなものでした。弥太郎「軽業」、梅団治「切符」、千朝「小倉舟」、(中入り)、塩鯛「百人坊主」。前座役の弥太郎と、よく遭遇することになっています。前座として、一応は安定してますしね。ただ間合いの使い分けがまだまだなのは気になりますが。梅団治は、登場するとすぐに、自分の趣味の解説で、笑いを誘います。ま、今日は、ネタ出しをしている関係で、それは義務です。でも、梅団治の、この鉄ちゃんマクラはおもしろいので、楽しみにしていました。鉄の楽しみで、お金もうけができるって、ホントに本人は思ってなかったでしょうから、どんどんと声がかかってくる話が、聞いていてもおかしいし、ちょっと応援したくなります。「切符」は、前半が「住吉駕籠」のパロディ、後半は駅名連呼で呆気にとられるというネタ。久しぶりに聴きました。「小倉舟」は、前半は「兵庫船」なんかと同じで、船中での問答、後半は「竜宮界竜都」となりスペクタクルになると同時に、芝居がかりになる大きなネタ。千朝では初めてのはずです。千朝は、「蛸芝居」なんかも、わりかし頻繁に出すようになってきていて、芝居噺系に力を入れてくれるようになってきているのは、嬉しい限りです。「百人坊主」は、ホント久しぶりの遭遇。東京では「大山詣り」と言い、そんなに珍しい噺ではないのですが、上方では、ホントにたまにしか出ません。ま、やり手自体が少ないからでしょうが、ちょっと寂しい。原因は長いということで、覚えても口演できる機会に恵まれないからということでしょう。でも展開に意外性があるので、おもしろい噺だと思うのですが。実は、この会の番組を見るまでは、塩鯛が、このネタを持っているとは知りませんでした。ですから、もちろん初遭遇でしたが、酒が、噺の重要なポイントになっていますから、塩鯛向きの噺ですから、とっても楽しく聴くことができました。なお、会場のレセプション・ルームは、新しい太融寺に似ており、落語を聴くには、とっても落ち着いたいいところで、いっぺんに気に入ってしまいました。
 「高槻」からは、「淡路」経由で「日本橋」に移動。わりかし大きな移動。いつものように、千日前のネットカフェで時間調整。そして夜は、歩いて一心寺へ移動。なかなか時間のかかる移動。こちらのシアターであった「南河内万歳一座」の公演「宝島」を観てきました。今回の芝居は、軍艦島が、一つのモチーフになっていました。石を掘り出すために造られた人工島、エネルギー転換政策の中で閉山に追い込まれ、長い間放置されていたが、深く長く掘られた坑道を利用してゴミ処理場にされようとしたとき、元住民を中心にして反対運動が起こり、その中から世界遺産への登録を目指す動きが出てきて、その結果、人数限定で上陸が認められるようになったとか。そういった事実を踏まえての作劇となっていました。いつものようにと言っていいでしょう、アパートの一室が舞台です。派遣社員たちが床下を掘る仕事をしています。「掘る」とか「隠す」と言った言葉から沸き上がる言葉遊びが楽しいところです。ところが、話は、何のために「掘る」のかが問われていきます。大家や地主が出てきて、適当に「宝物」がでっち上げられます。一方で、部屋の住人が行方不明になっているため、それを探す水族館の職員、彼らは失踪したイルカの行方を、その男が知っているのではと考え、男を探していたのです。ここのキーワードは「隠す」「埋める」へと変わっていきます。もう一組の登場人物グループがいます。それは、軍艦島ツアーに参加した軍艦島生まれの女とその友人。なんとか、自分たち家族が住んでいた証となるものを探し続けます。やがて、派遣社員たちは、自分たちが「掘る」目的が宝探しではなく、新たに「埋める」ためのスペース作りだったということを知るところとなります。あわよくば一攫千金のおこぼれにでも与れるかと考えていたのでしょうか、衝撃を受けるのですが、それは、宝というものは人の棒を担ぐのではなく、自らの宝となるものは、自らが探さなきゃならないものということになっていくのでしょうか。いや自分たちの思い出、生きてきた道こそが大事な宝だと言いたいような気がしてなりません。今回の芝居は、南河内の役者は引き気味。オーディションで選ばれた役者陣が、前面に出た公演。最近の南河内の採る手法で、若手の役者を育てようという試みですが、観る方からすると、南河内のテイストは残りつつ、でも違和感が残るのが残念。でも、南河内の役者自体の高齢化も事実ですから仕方のないことかなぁとも思いました。




2013年 6月 1日(土)午前 4時 55分

 昨日は、落語三昧の一日。まず、昼は繁昌亭の昼席。この1週間は、「月亭文都襲名披露興行」が行われています。待望久しい「文都」復活です。この慶事を外すわけにはいきません。その番組は、次のようなものでした。八斗「動物園」、春蝶「地獄八景亡者戯」、遊方「クレーマークレーマー」、勢朝「南京玉すだれ」、きん太郎「鯛」、米団治「七段目」、(中入り)、文都・八方・春若・米団治・遊方「口上」、八方「千両みかん」、春若「京の茶漬け」、文都「茶の湯」。八斗の落語を聴くのは久しぶり。その間に、随分と成長しました。噺家口調が定着してきました。春蝶には、びっくり。「地獄八景亡者戯」を出すのですから。後ろに、米団治も控えているのに、すごい度胸です。はしょりながら、六道の辻の賑わいまで行きました。この会では、脇役に徹している遊方は、得意の「クレーマークレーマー」。きん太郎でちょっと休憩。申し訳ないけど、きん太郎かと思うと、急に睡魔に襲われてしまいました。米団治は2度目の登場。春蝶が、マクラで二世落語家の話をしていて、米団治との違いを言ったときに、私服で舞台の後ろを歩いていったのです。米団治の「七段目」は、他の噺家さんがしているのとは、ちょっと違います。定吉が2階へ上がっていったとき、中腰になって目をむいているという場面がないのです。替わりに、若旦那は、2階に上がったあと5段目の芝居をします。猪になって、部屋中を走り回っています。それに、序盤で旦さんがぼやくところで、巡礼の親子の話が出てきません。2階に上がる前も、ちょっと違ったような気がします。銀瓶の「七段目」も、常のものと違った記憶がありますから、「七段目」について調べてみると、インターネットって便利です。また、きっちり調べているサイトがありました。ハメものの入る位置も違ううえ、下げも違います。そないな大切なことを、こちらを見て思い出しました。「口上」は、遊方の司会で進行。大まじめに、八方の挨拶。まじめに聞いていると、きっちりそれをすかすギャグが入ります。うまいもんです。新文都について、異口同音に言われたのが、地味、まじめという言葉。確かに、我々から見ていても、同様のイメージ。ですから、襲名は化けるのにいい機会です。あらためて登場の八方は、なんと「千両みかん」。にわかに信じがたい事態にびっくり。また、この「千両みかん」が良かった。大まじめな「千両みかん」。実直な番頭、主殺しになるという言葉、最後オチにつながる行動も、やっぱキーワードは実直さ。でないと、下げが生きません。それが、納得できる口演でした。あとに出た文都が、「師匠は5年前に落語に目覚めました」の言葉に納得できる口演でした。「千両みかん」が出たあとの春若は、「京の茶漬け」で致し方ありません。そして文都。「茶の湯」と判ると、「そりゃそうだわな」「この手がある日があるわな」で納得。ネタが豊富な新文都ですから、大がかりなネタを期待していたのですが、「茶の湯」が出ると、そんな感じで認めねばなりません。時間、おもしろネタ、そないなことを考えると、1回は「茶の湯」を出したくなる心境が理解できるからです。でも、他のネタを聴きたかったというのが本音なのです。ま、運の問題です。
 繁昌亭を出ると、直ちにウォーキングに移行。ところが、歩き出して間もなく、こないなことをしている場合じゃないということに気づき、あえなく断念。慌ててネットカフェへ。携帯にメモを記してあったのですが、携帯を持って出るのを失念し、ネットで、ある情報を得なければならなくなっていたことを思い出したのです。既に北へ向かい歩き出していましたので、天満駅前のネットカフェへ。もうそのまま、時間調整にも入りました。そして、夜は「常磐漢方薬局ビル」へ。こちらで「第23回客寄席熊猫」があったのです。昨夜は、いい会が集まった日。その中で、この会を狙うというのはちょっとし大胆さが要ります。でも、そうした大胆さを、マニア系の好事家の幾人かが発揮されていました。黄紺も、数日前まで「月刊たま」の方に行くことを考えていたのですが、最近たまと遭遇する機会が多かったので避けようという気が起こってしまったのです。その会の番組は、次のようなものでした。雀喜「動物園(改訂版)」、鯛蔵「プルルル」、雀喜「落語クエスト」。雀喜は2席。「動物園(改訂版)」は、常の「動物園」の構成を生かし、設定をいじったもの。内代小学校に、動物園が出張していくというもの。入園者とのやりとりも、周りに来た小学生とのやりとりになっているだけで、また、猛獣ショーもMCが派手だったりするくらいで、筋書きは変わらないもの。ですから、小枝の「水族館」的改訂ではないというもので、終わってみて、この程度の改訂版って、要るかなぁというのが正直な感想。「落語クエスト」の方は大変。「ドラゴンクエスト」を知っている落語ファンというのが少ないということで、雀喜は冒頭で尋ねました。「ちょっとでもドラクエをやったことのある人」、なんと黄紺ともう一人が手を上げただけでした。雀喜曰く、「ゲームファンと落語ファンというのは結びついているようでダメなんです」。雀喜は判っていたのでしょう、そこで、まずRPGの説明から始め、ドラクエの説明に、随分と時間を割きましたが、それは当然で、実際、ネタに入るとドラクエの画面を知らないと、さっぱりわやというものでした。噺家になる前、素っ裸で服をそろえるところからスタートですから、もう大変。笑ったのは、弟子入りして最初に教えてもらうネタを選択できるところ。「1.子ほめ 2.東の旅発端 3.忘れたけど前座ネタ 4.立ち切り」で、「4」を選ぶとゲームセット。ところが、ここまではバックアップ機能が付いていないため、最初からやり直すハメに。すっごい丁寧な作りになっていっているため、終息をどのようにつけるかが気になってくると、突然、噺が50年後に飛ぶ。それだけ時間がかかってもクリアできないというゲームソフトだったという、かなり無理のある展開へ。ゲームの中では、まだ、主人公が人間国宝を目ざしているという破天荒な展開。最後まで聴いて、やっぱRPG知らない人からすると、さっぱりだろうなという新作でした。鯛蔵の「プルルル」は初遭遇。「プルルル」が電話の音。誘拐事件が起こり、その犯人から入る電話の音のはずが、、、となれば、お約束の間違い電話で混乱、本当の電話が入るとという展開。筋立ては、わりかし単調ですが、鯛蔵の口演が良く、追い立てるような流れを作るものですから、緊迫感が生まれ、それをすかすようだと、一変に緊張の緩和が生まれるようになっていました。ですから、作品の強さというよりは、縁者の巧みさが先行という感じの作品でした。




2013年 5月 30日(木)午後 11時 50分

 梅雨入りしました。どよよんとした鬱陶しい一日。夕方になるにつれ、気温が下がっていきました。明日から嬉しい3連休、その前の花木の夜は繁昌亭。今夜は「雀松向上委員会IN繁昌亭」がありました。その番組は、次のようなものとなりました。雀松「雀松時遊本舗」、優々「道具屋」、雀松「近日息子」、たま「憧れの人間国宝」、雀松「質屋蔵」。この会は、毎回、雀松のフリートークから始まります。今回は、雀松の名前でする最後の会になるかもしれないということで、文之助襲名準備について、少し話が出ました。それに関連して、雀松の名前の由来や、兄弟子の南光の前名についての逸話なんかも披露されました。落語は、やはり「質屋蔵」が聞き物。ゆったりともったいぶらないで、流しに流しかかる口演、持ち味のライトな感覚を増幅していきます。時々、かわいい素振りなんかも挟む雀松落語となりますから、空気が軽〜い。道真公が出てきても、そないな空気が持続されました。下げでは首をかしげる仕種ということで、徹底していました。「近日息子」では、おもしろいフレーズが入りました。冒頭で、作次郎は、猫の毛の数を数えてました。暦を押し売りされた話は出てきませんでした。流れ方は、「質屋蔵」を上回るものがありました。そりゃそうです、テンポとリズムが命なのが、元祖「近日息子」です。助演はたま。ホント、いろんな会にゲストとしてよばれています。そして、サービス精神旺盛ですから、よぶとよんだで満足を得ることになるのでしょう。今日も、冒頭で文之助の由来を話したかと思うと、ショート落語の連発、「ショート落語」と、たまが口走っただけで、会場の空気が変わりました。知ってるのです、知られているのです、すごいわぁ。そして、アヴァンギャルドな新作へというフルコース。そりゃ、よんでもらえます。前座役の優々は、やっぱ繁昌亭はアウェーなんでしょうね、動楽亭でのような余裕は感じられませんでした。




2013年 5月 30日(木)午前 1時 16分

 朝は涼しげ、だけど夕方は蒸し暑いという一日。梅雨入りです。そして夜は、天満橋の「常盤漢方薬局」であった「かつらふくまる研鑽会」へ。時間調整のために、京橋のネットカフェに入ってびっくり。アイクト・コジャマン監督が辞任してました。理由定かならずと書かれていましたが、前にも辞任騒ぎがありましたから、やっぱフェネルの監督は荷が重かったのでしょうか。ま、それはさておき、落語会の番組は次のようなものでした。天使「初天神」、福丸「時うどん」、はやしや香穂・福丸「実験コーナー」、由瓶「転宅」、(中入り)、福丸「餅屋問答」。天使は久しぶりに遭遇しました。とっても噺家口調を身に付けていたのには驚かされました。時間が、噺家を育ててくれます。次の福丸も、続けて冬のネタ。勉強会だから気にしないようにしましょう。福丸の「時うどん」は初めて。二人ヴァージョンのオーソドックスなものでしたが、ちょっと違ったのは、最初のうどん屋の年嵩。今まで聴いた中で、一番高年齢と思えるうどん屋でした。ごまかされ易いという意味合いが込められているなと看たのですが、いいアイデアなのですが、銭を払うときのテンポが落ちてしまいました。難しいところです。「実験コーナー」がおもしろいものでした。細棹の三味線に、太棹の音を出させようという試みです。太棹が弾けて、実際傍らに太棹があれば必要ないのですが、そうじゃないときの必要に迫られての考案だそうです。確かに、落語会で、太棹のようで太棹でない音を聴いたことがありますから、とっても納得できました。ゲストの由瓶は「転宅」。こうした立場で出番のあるときって、「転宅」と決めてるのかな。由瓶自身の会には行かないので、「転宅」ばかりに当たるのでしょうね。福丸は、「餅屋問答」のような無頼漢の出てくる噺が、お気に入りみたい。決して人に合っているとは思わないのですが、やろうとしているんじゃないかと思うネタ選びです。「八五郎坊主」の出来が良く、それから、この会にできるだけ行こうとしたわけですから、「餅屋問答」も嬉しいピックアップ。そして、これも、成功だったんじゃないかなぁ。なかでもクレバーな手法だなと思ったのは、寺男を、いかにもという実直そうな男に描いたこと。主人公の無頼漢ぶりがくっきりとなった気がしました。対比の妙です。




2013年 5月 28日(火)午後 11時 47分

 今日は雨との天気予報。そのため迂闊にウォーキングを始めると、途中でえらいことになってはと、外出を渋っていると、一向に雨がまともに降らない。時々ばらつくのだけれど、すぐに止んでしまう。これだったらウォーキングができそうと、1時半頃にお出かけ。そのウォーキングの詳細なコースは、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜愛媛県大阪事務所〜大阪市立船場西幼稚園・小学校〜大阪市立花乃井中学校〜地下鉄「阿波座」駅〜「立売堀3南」交差点〜大阪市立西高校〜大阪ドーム前歩道橋・大阪ドーム〜大阪市立西中学校〜阪神「ドーム前」駅〜九条公園〜大阪境川郵便局〜ハローワーク大阪西〜JR「かんじょう043」橋梁〜尻無川〜泉尾公園〜大阪市立泉尾工業高校〜泉尾商店街〜三泉商店街〜大阪市立三軒家西小学校〜大阪市バス「大正橋」停留所。家を出たときに比べ、淀屋橋に出ると、確実に雲が出て暗くなっていました。この時点で雨が降っていれば、方針転換をして、他のところに行くことにしていたのですが、ま、1時間くらいはもってくれるかの期待で歩き始めました。そして、やはり雨は降りました。ハローワーク大阪西でトイレを借りて外に出たら降りだしておりました。時間にして、1時間10分経過したところでした。ただ幸いしたのは、雨が降ったり止んだりを繰り返してくれ、また降り方も強いものではなかったので、ウォーキングを続けてみました。久しぶりに雨中のウォーキングをしましたが、幸い雨の降り方はウォーキングができるものでした。風が強くなかったというのもラッキーなことで、尻無川を渡るので心配していたのですが、橋の上でも地図を広げることができる程度で助かりました。コース的には、九条地区にドーム前の橋を渡り入り、港区経由で大正区に入るというもの。九条、港区、大正区のつまみ食いコースでした。一つびっくりしたのは、ドーム前にイオンがオープンしていたこと。周囲の道路が、わりと狭いからでしょうね、かなり広範囲に警備員を配置していました。ドーム前歩道橋を渡りイオンに行く人も多く、人の流れは、今まで見たことのないものでした。
 「大正橋」から、バスで「難波」に移動。いつものように、千日前のネットカフェで時間調整。そして、夜の部の会場「薬業年金会館」まで歩いて移動。毎月恒例の「旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。今日は「幕末侠客傳之五 〜会津の小鉄〜朝敵なんぞクソ喰らえ〜」ということで、「会津小鉄」が読み続けられました。いよいよ来月、小鉄の死をもって、この続き読みも終わるとか。先月の流れを覚えておられる方は、「今日でおしまいかと思っていた」と言われてましたが、幕末史が、全く苦手な黄紺には、見通しが全くききませんから、そのように言われてみると、肝心するばかりです。大詰め近くになり、話を、今回と次回に振り分けられたって感じがしました。と言いますのも、マクラで、いつも話される近況報告が発展して、今日は、一席の講談を聴いたようでしたし、蛤御門の変で、京都から落ちた長州の侍の行く末、特に大阪の対応辺りは、横道に逸れっぱなし。また、それを聴くのも、我々の楽しみでもあるんだけどね。横道に逸れるおもしろい話がいっぱいあるからということで、南海さんが、2回に分割されたのかもしれません。池田屋騒動、蛤御門の変、長州藩士による小鉄襲撃、小鉄の静養(大坂にて)、泰政奉還、慶喜大坂へ、慶喜警備のための中元集め。とまあ、まさに時代が変わろうという時期、短期間で、大きく変動します。そういったなか、小鉄は近藤勇とともに幕府を守るために生き、そして命を狙われます。小鉄は、明治17年まで生きたと言います。幕末を生き抜き、会津とともに生き、明治まで生きることは、ある意味、厳しいものがあるかと思います。近藤勇との別れも待っているようです。来月を心待ちにしましょう。




2013年 5月 28日(火)午前 6時 59分

 昨日は爽やかな一日、時間が経つにつれ曇り空に。今日から3日間は雨だそうです。木曜日は、雨降って欲しくないんだけどなぁ。で、昨夜は、「動楽亭」であった「小鯛の落語漬け〜桂小鯛落語勉強会〜」に行ってまいりました。期待の高い塩鯛門下の若手噺家さんです。初めておじゃまをすることになりました。その番組は、次のようなものでした。小鯛「二人ぐせ」、二乗「天狗さし」、小鯛「参観日(仮題)」、(中入り)、小鯛「竹の水仙」。前回までは、前座を置いて5席していたが、それだと9時を回ってしまい、場所が場所だけに、端から来ようとしない人がいると思い、今回から前座を省いたということです。そういった場合は、普通は、三席するところを二席にするものだろうにと思っていたら、そのわけが判りました。三席の内一つは、毎回新作を出していたのです。それに加えて、古典を二席やりたいということなのでしょう。そう言えば、やめてしまったさろめと、新作を出す二人会をやっていたことを思い出しました。その新作ですが、前半は、試験の解答に書かれたとぼけた答の披露に終始。ところが、保護者参観日では、そのとぼけた生徒が完璧な答ばかりをするのだが、参観に来た母親は喜ぶところか困り顔。そのわけというのが、下げに使われていきます。前半が、個々のギャグはおもしろいのですが、パターン化が過ぎました。教室内のいろんな風景を描いたら、よりおもしろくなるのにとは思いました。古典の部は、「竹の水仙」をやりたかったのでしょう。この噺でもそうでしたが、小鯛って、100%噺の世界につかる語りをしない人です。どこか、外の世界で見ている小鯛自身の顔が見える、そういった語り口の見える噺家さんです。特に、わちゃわちゃしたところでそうです。序盤のかみさんがぼやくところ、侍が慌てるところなんかがそうです。でも、この人の噺には引きつけられるものがあります。噺の持って行き方、間合いとかがうまくできているからでしょうね。そいなると、外で見ていそうな小鯛の顔も笑っているように見えてくるものです。その辺が、楽しみな若手ということになるのでしょうか。助演は二乗。今回初めてよぶ先輩噺家だそうです。二乗も、そういった位置に入るようになったのですね。やり手の少ない「天狗さし」を受け継いでくれていることは嬉しいのですが、ちょっと出し過ぎで遭遇しすぎています。




2013年 5月 27日(月)午前 5時 27分

  大阪市内遊歩(166)

 昨日も真夏のような日照りの一日。でも朝晩が涼しいので、家から逃げ出しいとは、まだ思いません。あと何日もつでしょうか。昨日のお出かけは、12時を回ってから、それまで、9月に考えているプチ旅行の情報集めをしていました。そして、その行き先は高津神社。こちらで「微笑落語会」があったのです。最近では、たまのこうした会が、日曜日に持たれるのは珍しいのではないかな。で、その番組は、次のようなものでした。華紋「道具屋」、たま「つる」、たま「遊山船」、南青「安倍晴明」、(中入り)、たま「死神」。華紋は、最近3年間の年季が開けたとか。期待の星ですから、一層の精進を求めたいところです。南青くんは、以前「講談毎日亭」で続き読みをした「安倍晴明」。父保名と葛葉姫の物語が読まれました。メーンは、保名が狐を助け、その狐が葛葉姫の姿を借りて、保名の女房になるおなじみのところ。その間の子どもが安倍晴明だということで、ようやく最後に安倍晴明の名前が出てきただけでした。たまは、「つる」と「死神」がネタ下ろし。その内の「つる」と「遊山船」でダウンしてしまいました。ウォーキング前なのに、朝5時前に起きたままで行くとダメだということですね。しかも、睡眠時間が4時間ではダメということです。午前中、眠けがあったにも拘わらず、二度寝をしなかった罰です。残りの「死神」は大丈夫。マクラでネタ解題をしてくれました。円朝が、グリムって言ったかな、童話から脚色したのが発端、円朝のあと、現代の円生、小三治に受け継がれているシリアス系と、円右系列の爆笑系の二つの系統があること、そないな話をしてくれました。たまは、当然爆笑系ですが、噺が噺だけに、正に微笑系落語となっていました。主人公は相場師。相場に失敗して、死にたいと思っているところへ、死神が現れ、金儲けの方法を伝授するというもので、あとの流れは通常通り。但し、最後は、寿命の火を継ぎ足すことができたという改作。もちろん、それに伴い下げも変わりました。そこで、主人公が相場師であることを生かしました。
 落語会が終わると、その前からウォーキング開始。これで、週末の3日連続で、ウォーキングをすることになりました。一つには、3日ともに、お天気がとっても良かったこと、しかも夏の雰囲気、汗をいっぱいかいてのウォーキングが、自分的には、とっても爽快なのです。ただ、この週末は、気温は上がったにせよ、乾燥していたため、汗だくという状態には至りませんでした。そのコースの詳細は、次のようになりました。高津神社〜南税務署〜空堀商店街〜桃園公園〜大阪市立南大江小学校〜インド料理店「ラジャ」〜台湾料理店「華庭」〜北大江公園〜京阪「天満橋」駅〜天満橋〜大阪市立滝川小学校〜大阪市立扇町総合高校〜韓国料理店「漫奈無」〜源八橋〜都島中野郵便局〜JR環状線「桜ノ宮」駅〜大阪市立総合医療センター・都島中央公園〜都島桜宮保育園〜大阪市立都島小学校〜都島こども園〜大阪市立都島室内プール〜大阪市立内代小学校・内代公園〜JR「じょうとう017」橋梁〜高殿南公園〜東中宮橋〜旭区民センター〜旭消防署〜旭区役所〜大阪旭郵便局〜京阪「森小路」駅。高津神社からは、ほぼまっすぐに北上。天満橋、源八橋を渡り、旭区方向を目指そうというもの。関目の北方で、京阪線を西から東に越えるコースを考えていたのですが、内代から高殿辺りというのは、今までさほど歩いていないところだということで、歩きながら考えて、京阪線を越えないコースを取ることにしました。城北川を渡るところで誤算が生じ、想定外の橋を渡ることになったのは小さな修正。最後は、ほんの僅かの迂回をして「森小路」に到着。迂回するなら「千林」へ向かう手もあったかなの反省です。




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