忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。



2014年 6月 19日(木)午前 4時 35分

  京都市内遊歩(63)

 昨日は、午前中の仕事に余裕があったこと、そして、雨がいつ降るか判らないお天気だったこと、この二つの理由で早朝ウォーキング。そのコースは、次のようになりました。京阪「丹波橋」駅〜日本基督教団伏見教会〜大手筋〜イタリア料理店「トスカーナの食卓」〜鳥せい本店〜「伏見土佐藩邸跡」碑〜黄桜〜阿波橋〜鞍馬湯〜円波橋〜キンシ正宗〜常盤橋〜京都市立伏見住吉幼稚園〜住吉児童公園〜西鍵屋橋〜黒茶屋橋〜朝日湯〜第三軍道〜伏見区深草総合庁舎〜京都医療センター〜JR「なら27」橋梁〜仁明天皇深草陵〜JR「なら503」橋梁〜京都市立深草中学校〜京阪「藤森」駅。朝5時半より前にスタート。気温も低く、これで、お天気さえ良ければ、申し分ない環境。前半は旧伏見市内の市街地。古風な佇まい、そこに酒蔵が加わりますから独特の雰囲気。絶好の観光スポットです。その地域をコの字形に歩き、後半は、奈良線の東側にある仁明天皇深草陵を目ざしたもの。昔は、田んぼの中にありましたから、遠目からも、その位置は簡単に判ったのですが、今は住宅に埋もれていますから、その中にある木立を見つけねばなりません。ただ、住宅街になったおかげで、奈良線を越える道がいろんなところにできているのですね。深草中学校へぶつかる東からの道があるなんて、初めて知りました。
 そして、夜は、ついに睡眠不足の限界を超えたようで、落語会に行く予定を自らキャンセル。午後からの仕事がきつかったことも影響したのでしょうね。こういったときは家に直行。軽く晩酌をして爆睡です。




2014年 6月 17日(火)午後 11時 36分

  京都市内遊歩(62)

 今日は、午後、夜と、連続して予定を入れていたため、朝方からウォーキング。まず京都でウォーキングをして、大阪への大移動をする電車の中で、身体を休めて、次に備えようとの魂胆。そのウォーキングのコースは、次のようになりました。京阪「深草」駅〜勧進橋東公園〜勧進橋〜地下鉄「十条」駅〜韓国料理店「韓日館」〜西九条児童公園〜京都府立鳥羽高校〜東寺〜京都府瓦工事協同組合〜上調子児童公園〜火打形公園〜鳥羽大橋〜城南宮〜近鉄「竹田第二号」踏切〜京都市伏見北部地域体育館〜七瀬川〜京料理老舗「清和荘」〜京阪「墨染」駅。まず前半、東寺まで行ってしまったのは間違い。ましてや、そこから南へ向かうのに、鳥羽高校の広い敷地があるのが判っているのに、その西側回りコースを採ってしまい、あっという間に、京阪のいずれかの駅に着くのが厳しくなりました。更に判断ミス。大宮大橋を渡らず、鳥羽大橋を渡ることを選んでしまったために、余分な迂回をしなければならなくなってしまいました。ますます苦しくなり、国道1号線から城南宮に入った時点で、残り20分。でも、そこから20分弱で「墨染」駅に着くことができ、大事には至らずホットしました。やはり、あとに予定があるときは、無理や無茶をしてはいけません。
 「墨染」駅から、一挙に大移動で繁昌亭へ。電車の中で居眠りができ、今日のスケシュール立ては大成功。久しぶりに文枝の出る昼席を覗こうというものでした。その番組は、次のようなものでした。智六「普請ほめ」、三ノ助「お忘れ物承り所」、竹林「相撲場風景」、伏見龍水「曲独楽」、一蝶「ぜんざい公社」、鶴二「竹の水仙」、(中入り)、虹友美「七色三味線」、文福「夫婦あれこれ」、吉次「天狗裁き」、文枝「友よ」。全体のメンバーは、えらく地味系。でも、持ち時間という凝縮時間に、それぞれの持ち味を出してくれていました。智六を、繁昌亭の前座で観るのは初めて。冒頭はちょっと緊張気味。昨日も、「普請ほめ」を出していましたから、ひょっとしたら、これで通すのかもしれません。三ノ助は三枝作品。三ノ助は、いつも思うのですが、喋りに抑揚が少なく、なんか頭の上を通り過ぎるという印象。ちょっと高めのテンションで、ずっと通したのを看て取ったのでしょうね、竹林は、逆テンションで始めました。機を看て敏なるとはこのことで、ベテランの味です。そして、マクラで、スキー場でのインストラクターの仕事の紹介をしてくれました。以前から、その仕事をしていることを言ってはいましたが、具体的に話してくれたのは初めて。ネタは鉄板ネタ。今日は、一蝶のところでボヤーっとしてしまいました。ま、いつものネタなので、いいかの気分。鶴二には、ちょっとびっくり。かなり的を得たデフォルメが、小気味良くヒットしていくのです。この人、こんなにセンス良かったっけと言えば、失礼な言い方ですが、人が違ったような印象を受けてしまいました。言葉の使い方から、梅団治からもらったのではと想像しています。虹友美は、民謡から始めて、ベンチャーズ、浪曲などを並べ、最後に津軽三味線へというコース。文福は相変わらず、でも、繁昌亭では、文福に、よく当たります。吉次が以外なネタ。「夢の噺を聴いてもらいます」と言ったので、てっきり「夢八」かと思ってしまいました。繰返しネタなわけですが、とってもコンパクトにまとめていました。時間も15分かかってないでしょう。そして、文枝のネタには驚かされました。とってもたっぷり感のある大ネタです。前半は、70代半ばの男二人が、お互いの体力の衰えを嘆きます。その嘆きを、あもしろおかしく聴かせる作品かと思っていると、半ばから急にシリアスになります。実は5人いたバンド仲間の内、あとの3人は、既に亡くなっており、この二人だけが残されていたのです。前半部分では、そないなことには、一切触れずに、半ばから、隠されていた部分が出てくることにより、この作品に、一挙に深みが増します。それに膨らみをもたらすのが、二人による若かりし頃の回想部分。更に、そこへ衝撃が走ります。今までたわいなく喋っていた二人の一人が倒れます。ここからが終盤です。倒れた男が、茫々寂々たる中を歩いていると、既に亡くなった仲間が迎えに来ています。そして仲良く、昔を思い出し、雀卓を囲みます。そこからが下げに繋がるラストです。シリアスな部分に入ると、噺にはぐんぐんと惹き付けられていく一方、黄紺は笑えなくなっていきました。特に、男が倒れると、笑い声が続く会場に対し不快にすらなっていきました。ラストは、正に緊張と緩和で見事に終わるのですが、いずれ自分にも、この噺の世界と同じことが起こるはずだと思うと、決して笑えず、真剣に聴いている自分がありました。あまりに文枝の口演にリアリティを感じてしまっていたからでした。今日もお逢いしたディープな落語ファン氏と、終演後、同じ思いで聴いていたことを確認しあうとともに、かなり高齢の方が笑えるのかなという話をしました。となると、ますます、この作品の深さを感じます。黄紺が、今まで聴いた三枝作品では、一番の衝撃作だったと言ってもいいでしょう。
 繁昌亭を出ると、谷町線で「阿倍野」へ移動。近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は「動楽亭」へ移動。今夜は「生喬百席第八夜」がありました。その番組は、次のようなものでした。生喬「虱茶屋」、雀五郎「くやみ」、(中入り)、生喬「へっつい幽霊」。この会は前座なし。替わりに、生喬の近況報告が、一席目のマクラとして付きます。今日は、九州であった落語会での話。松喬が、毎年行っていた会を、今年は門下のビッグ3で行ったときのエピソード、被害者はトップの三喬。そのあとは、今後の予定。ミュージカルに出る話などが報告されました。「虱茶屋」は、染丸からもらったもの。染丸は助六からだそうで、昔、黄紺が東京で観たもの。助六が出ると、いつもこれをやってた記憶。今日の生喬と比べると、動きがもっと大きかったような印象があります。でも、古いことですから確かではありませんが、、、。雀五郎は、「噺家宝塚ファン倶楽部」に出演したときの裏話で大爆発。「くやみ」では、墨屋の親父の宣伝、使いのおなごしの流暢なくやみ、あんまり聴いたことありませんね。のろけ話ばかりが大きく取り上げられますからね。そして、メーンの「へっつい幽霊」、これって、生喬ベストじゃないかなぁ。それほど、繊細で行き届いた口演でした。勢いがつくとごっつい声になってしまうのですが、今日は、熊はんとて抑制されている。そして、効果的にごっつくなる。この加減が素晴らしい。それを引き立たせているのが作ぼんの華奢さ。これが、頗る付きにいいものだから、頑張ってごっつくしなくっていいのです。絶妙のさじ加減です。おどおどした幽霊まで引き立ってしまいました。このネタは、松之助、松喬と渡り、生喬へと伝わったということです。




2014年 6月 17日(火)午前 4時 46分

 また、新たな1週間が始まりました。時間が経つのが、実に早い。もう1ヶ月半もしない内にトルコにいます。もう1年が経ったのです。冬のオペラ紀行のスケシュールも、かなり煮詰まってますしね。一方で、また寝不足傾向になっています。昨日も、目が痛い一日でした。仕事も詰まっていたので、かなり辛い一日でした。でも、夜遊はお出かけ。今夜は、「京都芸術文化会館」であった「第122回 桂文我上方落語選」に行ってまいりました。毎月行われている会です。その番組は、次のようなものでした。石松「江戸荒物」、文我「蝋燭喰い」、宗助「稲荷俥」、文我「鬼薊」、(中入り)、文我「武助芝居」。ところが、「蝋燭喰い」と「稲荷俥」で、どうしようもありませんでした。もう目が開けてられないほど、目が痛かったですね。2つとも貴重な噺。「蝋燭喰い」は、文我しかしない噺だし、「稲荷俥」は、演者の少ない噺という具合。そういったネタが出ると、寝てしまうというジンクスが、また昨日も出てしまったのです。前座は石松。最近、石松を聴くのが、ホントに楽しみなんです。あとから出た文我が、「旧い、なつかしくなる」と言ってましたが、正にその通り。石松の「江戸荒物」は、聴いたのは初めてのはずですが、元の形はこうであって、世間に流布している「江戸荒物」が、これを刈り込み出来上がっていったのではと思わせられるというもので、もうわくわくものです。松之助からでしょうか、師匠の福郎からでしょうか。出所を知りたくなる口演。この味わいを持ち続けて欲しいものです。「鬼薊」は、吉の丞で聴いて以来。こないな間隔で聴ける話じゃないだけに、ちょっと感激。吉の丞の口演と、若干違うぞと気づいたのは、清吉の奉公先での悪事が、10年前の話のところで入ってなかったこと。夫婦が、大家から話を聞いて、大家の世話になることを決意したところで、一旦切れました。そして、後日談として、奉公先での悪事、即ち、店の金を使い込み、それで「店がつぶれた」と、文我の口演ではなっていました。南光から吉の丞へと流れた噺は、香川登志緒、小佐田定雄の手が入ったものと、吉の丞は言ってましたから、この辺かもしれません。10年の時が、あっさりと飛んでしまいすぎる文我版(これが元祖文団治版か?)よりか、噺のふくらみ、たっぷり感が、吉の丞版にはあったと思いました。中入り時点で、時計は8時45分を少し過ぎていた。9時半明け渡しのはずの会場で大丈夫かと思ったら、中入り明けは、あっさりと「武助芝居」。初期の江戸噺だと講釈が入りました。ネットで調べると、確かにそうであり、かなり文我の肉付けがあるようですね。本体は、馬の足で出てきた知り合いの役者を、やんやの喝采で持ち上げる噺のようです。ということで、文我色のかなり濃〜い会で、満足度の高い会であったのですが、いずれにせよ体調が良いにこしたことはないですね。




2014年 6月 15日(日)午後 7時 37分

  大阪市内遊歩(205)

 今日は、梅雨の合間の晴れの一日。いわゆる五月晴れの一日。朝からコートジボワール戦があったのですが、今日の午前中にしか行けないということで、「パリ・オペラ座ライブ・ビューイング」を観てきました。今日の演目は「西部の娘」。プッチーニが、「ボエーム」「蝶々夫人」の成功を受け、三匹目のどじょうを狙った異国趣味もの。世間的には駄作とされているのですが、黄紺は、プッチーニの撫でるようなメロディが心地好く、そないに忌避することはなかろうと思っています。来春には、ベルリンで観れるかなとも思い、楽しみにすらしています。装置に、まず目がいきます。開拓時代のアメリカ西部という雰囲気は、各幕ともにありません。1幕は、ちょっとメタリックなインテリアの施されたショットバーというところでしょうか。22幕のミニーの家は、なんとコンテナカー。ディック・ジョンソンが身を隠すのは、コンテナカーの屋根の上。コンテナカーに、仕込みの梯子が用意されていました。3幕は廃車場。ボンコツとなった車が積み上げられているというもの。ミニーの声が聴こえてくると、廃車が真ん中から分かれ、中から宝塚のような電飾の階段が現れ、廃車の上には、MGM映画のライオンが現れます。ミニーの衣装は、20世紀ファックスの自由の女神を思わせる衣装です。ですから、こてこてのアメリカに仕上げてあるというのが、このプロダクションの特徴。でも、本来の姿の西部劇というタッチは微塵も出さない、そういったこだわりの一品です。で、このオペラの筋立て自体が、そういったタッチに合っているのでしょうか。ピュアなプロテスタントを揶揄せんばかりの、ステレオタイプの宥しの思想の実践。それを、アメリカの映画会社のロゴやキャラクターで飾ることで、このオペラの嘘っぽさを露わにしているような気がしました。カトリックの多いフランスで、どのように受け取られたのでしょうか? 演出は、ドイツ人のニコラウス・レーンホフ。歌手陣で知っていたのは、保安官ジャック・ランス役のクラウディオ・スグーラ。どのプロダクションで観たのかは忘れたのですが、スパラフチレを歌っているのを観たことがあります。ミニー役のニーナ・ステンメは、バイロイトでも歌うワグナー歌手。ミニーにワグナー歌手を持ってこなければならないのが、上演頻度を落としてる可能性があります。ただ、今日のニーナ・ステンメは、どう見ても結婚前の女、やさくれ男のアイドルとは見えませんね。ワーグナー歌手を持ってくればいいという問題ではありません。ディック・ジョンソンのマルコ・ベルティは、とってもいい声。余裕の高音に満足。でも、悪人面を見せられません。ベビーフェイス過ぎます。それが声質にも反映し、陰りとか、そないなものが出ず終い。でも、いい声してる。今まで観てきた「パリ・オペラ座」のプロダクションの影響下だからでしょうか、かなり異質の演出に驚くと同時に安心もしました。ここまでの「ライブ・ビューイング」では、演出的にはおとなしいものばかりだったような気がしますが、ちょっと一皮むけた感じのプロダクションに、満更でもないいい気分。このあと、まだ2作の公開が待っています。
 オペラが終わると、小1時間ほど、映画館で会った高校時代の友人とオペラ談義。1年後ぐらいには、一緒にドイツでオペラを観ていることでしょう。しかし、びっくりしました。福井にいるはずの男が、黄紺の前を歩いていたのですから。北陸は、オペラのライブ・ビューイングが不毛の土地とかで、京都や大阪に仕事や私用で来たときには、せっせと足を運んでいる様子。足早に福井に帰らねばならないということで、月末での再会を約束して、大阪駅で別れました。黄紺は、もうその足で、直ちにウォーキングに移行。そのコースの詳細は、次のようになりました。「大阪」駅〜創造社デザイン専門学校〜梅田シティ〜中津南公園〜長尾谷高校梅田校〜大阪市立中津小学校〜富島神社〜大阪府立中津支援学校〜中津東公園〜JR「うめだ004」橋梁〜JR東海道線「とうかい210」橋梁〜大阪本庄郵便局〜大阪淀川リバーサイド郵便局〜長柄東公園〜飛翔橋〜櫻宮〜善源寺楠公園〜大阪市立高倉中学校〜高倉中央公園〜大阪市立御幸保育所〜JR「じょうとう018」橋梁〜旭公園・大阪市立旭陽中学校〜東中宮橋〜京かいどう商店街〜京阪「千林」駅。思わぬ遭遇があったため、今日は、十分に遊んだの気分になり、今日も、京都方面に向かい歩き出しました。一旦、梅田シティ側に回り込み、淀川から一筋ほど中に入った道を、東方向に。そして、徐々にじくざぐコースを採りなから飛翔橋を渡れる道をたどりました。あとは、時計をにらみながら、そして、トイレ休憩のために旭公園を通り、京阪線に近づいていったというもの。適当に地図を眺めながら、道を選ぶのですが、最近、なぜか高倉中学校にぶち当たってしまいます。これで、所要時間は、2時間を1分だけ超過しました。ま、見通しのつく地域ですからね。




2014年 6月 14日(土)午後 11時 27分

  大阪市内遊歩(204)

 今日は、昼前に息子と所用があって会ったあと、大阪へ。紫の主宰する落語会「紫雲の会」に行ってまいりました(谷九の大倫寺)。上方落語界始まって以来の上手い女流噺家と言ってもいいのではと思っている露の紫の勉強会です。このキャリアで、女流噺家の草分けである都もあやめも、こうは聴かせなかったよなと思うのです。その番組は、次のようなものでした。三語「ちりとてちん」、紫「宿替え」、喬介「饅頭怖い」、(中入り)、紫「遊山船」。息子と食事をしたとき、ちょっとだけビールを呑んだら、眠たいわ、トイレは行きたいわで大変。トイレの方は、中入りが入ったので、大事には至らなかったのですが、眠気は、三語の高座でもろに出てしまいました。一番前に座っていたので、三語に悪くて。でも、最近、三語の前座に、よく遭遇します。紫が、そのわけを教えてくれました。同じ時期に、修行時代を過ごしていたので、よく判るとかで、とにかくよく動くそうです。体育会系の三語からすると、当たり前のことかもしれないのですが、すんなり受け入れられている模様。これからも遭遇機会が増えることでしょう。ゲスト枠に、喬介が出るようになったのですね。相変わらず笛はうまいわ、噺は爽やかにまとめるわで、いいゲスト。光ぁんをいじめようとするときのはしゃぎぶりは、喬介そのものですし、かといって、じたじたの部分も、たっぷりと聴かせるわで、大したものです。あとは、三喬テイストが濃すぎるところから、どれだけ自身のカラーを出すかなんでしょうね。肝心の紫ですが、今日は、想定外の試みをしてくれました。「遊山船」で、登場人物を女性中心に修正したのです。2人の女性が、夕涼みに出かけるのだ。そないなことってありうるのかという疑問が、まずあります。そして、「遊山船」のやりとりが、女性に移し替えて似合っているのか、そんなことを考えながら聴いていました。そして、大事なことがあります。紫は、従来の形でできる女性の噺家だと思うのです。「宿替え」でできて、「遊山船」でできないことはないと思うのですが。「遊山船」で、一つおもしろいことがありました。このネタの、一番気になる背後の賑わい。それの処理として、2人のやりとりに周りの人間が入ってきました。2回です。ひょっとしたら、2回目が、どうしても必要だからと1回目を入れた可能性があります。1回目は、巻き寿司の食べ方を教えるとき、「お姉ちゃんを見ぃ〜」と言うと、後ろの男が「おばはん、ちゃうんか」。2回目は、碇の模様の船に声をかけたのは、後ろから割り込んで来た男でした。という具合で、問題作でもありました。とりあえずは、男ヴァージョンでも聴かせて欲しいなと思いました。てな感じで、「宿替え」の方が、すっかりとかすんでしまいました。こちらの方は、何ら違和感を感じないで聴くことができました。その旨さを聴きに行ったつもりだったのですが、思わぬ展開になり、それはそれで楽しむことができた貴重な会となりました。
 落語会が終わると、直ちにウォーキングに移行。今日は、夜遊びの予定を入れていなかったため、京都方面に向かい歩き出しました。そのコースの詳細は、次のようになりました。大倫寺〜東平北公園〜東高津公園〜真田山公園〜第二明けの守たまつ保育園〜平戸橋〜平戸公園〜大阪市建設局今里抽水所〜八王子神社〜「中本2」交差点〜大阪市立中浜小学校〜大阪市建設局中浜下水処理場〜鴫野橋〜JR学研都市線「鴫野」駅〜城東新喜多東郵便局〜大阪市立城東図書館〜新喜多橋〜大阪市立鯰江保育所・城東商店街〜インド料理店「RANI」〜つばさ保育園〜南関目公園〜関目中央公園〜北関目公園〜大阪市立関目小学校〜新森小路橋〜京阪「森小路」駅。谷町8丁目の交差点を真っ直ぐに東に向かうと、やがて「鶴橋」駅の少し北で、環状線にぶつかるので、一つ北の信号を、また東に。今里筋に近づくと、道が複雑になってくるが、「緑橋」交差点にターゲットを合わせ歩き続けたが、結局、今里筋に出たのは、鴫野大橋のすぐ南側。そこからは、橋を2つ渡らねばならないので、今里筋を、そのまま北上。新喜多橋を渡ったところで、大通りは空気が悪いと東にそれたら、最近通ったばかりの城東商店街に入ってしまい、びっくり。そこで、「蒲生4丁目」駅の東で、信号2つ東にそれて北上。あとは、ほぼ道なりに北上すれば、「森小路」駅にドンピシャ。所要時間も、ジャスト2時間のウォーキングでした。




2014年 6月 14日(土)午前 5時 37分

 3日連続勤務が終わりました。気分的には、のんびりとしながらも、寝不足に悩まされた3日間でした。週末の休みが、1日減るというのが、一番許せないことです。で、昨夜はシンフォニーホールへ。「関西フィルハーモニー定期演奏会」があったのです。特に昨日は、年に1回、飯森泰次郎が、ドイツ・オペラを演奏会形式で振る日、今年は、「ジークフリート第3幕」が出るということで、プログラムが発表されたときから目を着けていたもの。開演約20分前から、飯森泰次郎から、直に「ジークフリート」の解説が入ります。ドイツの歌劇場では、ホワイエで、同様の解説が行われていますが、シンフォニーホールには、そのようなスペースはありませんから、演奏会場そのものが、解説の場にもなります。でも、こうしたことが定番化していますね。観能に行ってもそうですしね。「ジークフリート」のあらすじを、きっちりとおさらいしてくれました。飯森泰次郎が言うように、「指環」4部作の中では、最も明るい話題が詰まるところです。ヴォータンが意図したように、英雄ジークフリートが、指環を奪還し、父ヴォータンに逆らったばかりに、眠りにつかされているブリュンヒルデが、ジークフリートにより目覚め、二人が結ばれるという明るい話題のところ。最後はハ長調だそうです。なのに、「指環」の中で、上演頻度は、一番低いんじゃないかな。人気では落ちると言っていいかもしれません。ワーグナー自身も、ここが一番受けるとも考えていたようです。黄紺は、その理由を、くどい解説的場面の多さだと考えています。4部作を連続上演する以外に、一つずつ上演されることを想定して、「ジークフリート」だったら、「ワルキューレ」までに、何があったかが判るようにしてあるのが、ときとしてくどいとなるのです。昨日、上演された「第3幕」でも、さすらい人(ヴォータン)と智の神エルダとの掛け合いの場面がなくても、何ら筋立てには支障はありません。ブリュンヒルデは、目覚めたときに横にいる男はジークフリートだと判っているはずなのに、気づくまでに時間がかかったり、そこで、ブリュンヒルデが、ジークフリートの両親の話をして、二人の運命を告知すれば済むはずなのに、なかなか前に進まない二人がいます。「二人が出会ってからがワーグナー流の理屈があるので、長いですがお付き合いください」、これは、飯森泰次郎の弁。でも、これは、考えようで、それだけ長くワーグナーの音楽を聴いていることができるので、逆にありがたいこと。ただ、その演奏が退屈だと、ホントに冗長にしか聞こえなくなってしまいます。昨日の演奏では、正に序盤がそう。さすらい人(片桐 直樹)とエルダ(竹本 節子)の掛け合いの部分がそれです。単純に、ワーグナーの大編成のオケ(ホルンなんぞは8菅)を越える声量が、ここではなかったのです。いよいよ、ジークフリートがブリュンヒルデのいるところに向かう、そういったわくわく感溢れる序奏で始まるのですが、ぼやけたエルダ、ま、眠っているからぼやけていて当然ですが、声までぼやけちゃダメです。さすらい人は、ジークフリートとの掛け合いでは、若干ましになったかと思えたのですが、神々の長としての威厳より前に、声量やろと突っ込んでしまいました。いくら贔屓目に聴いても、威厳とかなんか、ヴォータンらしきところを探すのに苦労でした。それに対し、救いはジークフリート。予定されていた竹田 昌弘が降板し、急遽、招請されたジャンルカ・ザンピエーリ(なんとイタリア人!)が、声はきれいとは言い難かったのですが、まずは声量がある、そこへさして、歌心がある。天衣無縫、恐れを知らないジークフリートがたじろいだりと、流れをきっちり把握した歌唱に大安心。それにともないオケも活性化。相乗作用でいい展開に。ブリュンヒルデ(畑田弘美)も、決してきれいな声とは言い難いものでしたが、ジークフリートに応対できる声量で、まずは安心。だけど、基本的にはワーグナー歌いではないのでしょうね。気張って出しているという印象を与えると、ちょっとイエテルになります。終盤に近づくにつれオケの活性化は進みます。明るく、2人の未来を祝福するようなエネルギーを感じさせてもらいました。




2014年 6月 12日(木)午後 11時 22分

 昨夜、家に着いたが11時半。それからHPの更新をしようとしても、眠くてしようがない。一旦ダウンして、夜中に起き上がっても、座ったまま眠りこむ始末。そのままの姿勢で、1時間ほど眠ったでしょうか、ようやく明け方になり、目が覚め、HPの更新完了。完了したら、ほどなく出勤時間でした。だから、今日は、とんでもない寝不足の一日。一日中、目が痛いという最悪の状態。でも、夜遊びありの日。既に予約を入れていたものがあったのです。久しぶりの中崎町の「コモンカフェ」であった「鴨リンピック」に、春野恵子が出演するというので、行ってきました。要するに、南河内万歳一座の鴨鈴女と春野恵子のトークショーを観に行ったというところです。鴨鈴女は、この会場でトークショーをやっているようで、今まで知らなかったのですが、今回、春野恵子が出るということで、黄紺の網に引っ掛かってきたというわけです。会場には、南河内の仲間の方々が受付をされていたり、カメラを回されたり、どこかで観た記憶の残る芝居仲間の方々も詰めていました。どのような客層が集まるのか、興味があるとともに不安だったのですが、どちらかというと、その様子を見て、勝手が違い、かなり戸惑っていました。トークの中心は、ほぼゲストの春野恵子の来歴話。出発は、当然「電波少年」に出演に至る話から。それまでは、芸能界での経験はなかったそうです。芸能界に入ろうとして、精選したプロダクションに書類を送っていたところ、「電波少年」の企画が浮上し、経歴を覚えていたプロダクション側が、番組と連絡をとったところから生まれたもので、番組中に拉致されるまでは、番組に出ることすら知らされていなかったということで、8ヶ月間の監禁期間も、やらせというものとは、程遠い生活を強いられたと言ってました。あれから13年経ちました。浪曲師になって10年経ったわけですから、その間の3年が彷徨の時代。「暴れん坊将軍」に出たばかりか、希望した役柄に合わせた台本が用意されたほど、売れに売れた時代。意に沿わぬ仕事もあったようで、でも、考えてみれば、プロダクション側からすると、儲ける千載一遇の機会ですから乖離が起こったということなのでしょう。この辺からは、黄紺も知る話になっていきます。寄席通いをして、噺家さんらと仲良くなり、また浪曲に衝撃を受けたときのようです。この辺では、談志、志之輔、談春という著名な噺家さんとの交流に触れられ、師に入門するのにいい契機をもらったようです。ちょっとした浪曲のワークショップぽいこともサービス、鴨鈴女は、専ら聞き役に徹し、春野恵子の軌跡を引き出してくれた会でした。




2014年 6月 12日(木)午前 5時 25分

 昨日から、3日連続の勤務日。ちょっと寝不足が続いている関係で厳しい話ですが、致し方ありません。でも、夜遊びは健在。で、行ったのは、「上新庄駅前寄席」です。「梅団治・生喬二人会」ということで、外すわけにはいきませんでした。その番組は、次のようなものでした。生寿「四人癖」、梅団治「天災」、生喬「遊山船」、(中入り)、生喬「怪談猫魔寺」、梅団治「もう半分」。全てネタ出しなし。終わってみれば、素敵な番組に、苦労して上新庄へ行ってみて、大満足の気分。この会の会主の梅団治は、楽しいマクラを、たっぷりとふってくれました。撮り鉄ネタはお約束のもの。そのマクラを聴けるだけで、満足感に浸れます。北海道で、消えゆく特急を撮ってきたそうです。マクラの後半は、交通違反キップを切られた話。で、ネタは、聴いてみたかった梅団治の「天災」。関口の旦那が出てきたりで、ざこばからもらったという感じ。殴り方も、なんかざこばテイスト。暴れ者の雰囲気が、感じ出てました。「もう半分」の方は、「猫魔寺」が出たあとだったので、ちょっと驚き。もう、そのつもりで来ていたのかなというところ。同じ一門では、春之輔がやってますから、こちらからもらったものかと思っています。でも陰気なです。同じ怪談ものでも、「猫魔寺」の漫画チックな雰囲気とは違います。一方の生喬は、やはり梅団治が会主ということで、お喋りは控えめ。そういった心配りも、生喬人気の一つかと思います。まずは、中トリで季節ものの「遊山船」を出してくれました。喜ぃ公のあほげな語り口調はいいとして、清ぇやんの口調が、ちょっと賢こい感じ。あほげな話の応対としては、落ち着き過ぎている、そないな感想を持ってしまいました。週末にも、「遊山船」を聴く予定。ますます夏に向かっているという印象を持ってしまいますが、一方で、それだけ噺家さんにとっては、魅力的なネタなんでしょう。でも、生喬の口演を聴いていても、難しいネタだなとつくづく関心。あまりにもたわいない話を懸命に喋り続ける2人にズームインするか、ピンスポットがあたったかのように、周りの賑わいを忘れさせねばならないのですから、、、。前回、この会でお会いした元同僚が、この会にもみえられていたので、終わってから軽く呑んでからの帰宅。落語やドイツ、ラオスの話など、話題は多岐に渡り、酒量のわりに酔いが回ってしまいました。




2014年 6月 10日(火)午後 10時 55分

  大阪市内遊歩(203)

 今週は、都合で4日勤務。明日から3日連続勤務が待ち受けています。そないなこともあり、昨日は夜遊びを自粛。今日は、朝から映画。梅田シネリーブルで、インド映画「スチューデンツ・オブ・ザ・イヤー」が上映されているということで、休みの日にも拘わらず、目覚ましをかけてのお出かけ。ぽつりぽつりと、インド映画の上映があります。気がつくと必ず観るようにしています。ストーリーが解りやすく、娯楽性に富み、且つインドに浸れるというのが魅力。今日の映画も、そのインド映画らしさを、十二分に備えていました。社会人になっている8人の男女が、10年前の学生時代を振り返る青春グラフィティもの。インドの格差社会の縮図のような大学構内で開かれた「年間最優秀学生」を選ぶコンテストで、それぞれの将来が掛かったり、男女関係がもつれたりで、仲の良かった友人たちがバラバラになってしまってから、初めての再会。コンテストをリードしてきた学長の死が迫ってきているという知らせを受けて、8人が集まってきて、そこで初めて、10年前の真実が明かされ、友情を取り戻していくという、それこそ典型的と言ってもいい青春グラフィティものでした。昨夜の寝不足で、途中アブナイ時間帯もあったのですが、そこは、インド映画のいいところ、筋を飛ばすまでには至らず、十二分に楽しむことができました。
 映画が終わると、直ちにウォーキングに移行。そのコースの詳細は、次のようになりました。梅田シティ〜大阪大淀中郵便局〜八坂神社〜浦江公園〜金蘭会中学校・高校〜「福島7」交差点〜八聖亭〜阪神「野田」駅〜イタリア料理店「アンティ・ヴィーノ」〜江成公園〜福島消防署〜大阪市立吉野小学校〜「野田4丁目西」交差点〜安治川トンネル〜抱月小公園〜波除公園〜安治川大橋〜JR「さくらじま005」トンネル〜大阪市立四貫島小学校〜森巣橋〜鴉宮〜千鳥橋〜阪神「千鳥橋」駅〜朝日橋〜JR環状線「西九条」駅。今日は、あとのことを考えて、終点を「西九条」か「野田」という環状線の駅に設定。更に、安治川トンネルを通り、九条に入り、こちらで時間調整をして、安治川大橋から此花区内に入り、西九条へというコースを、最終的には採りました。西九条駅辺りで、コースがグロスすることを避ける目的で、安治川トンネルに入るまでは、中央卸売市場に向かい、安治川沿いに歩くようにしたコース設定です。今日は、雲が出ていた関係でしょうか、気温は若干低め。でも、多湿で無風、あまりいい環境ではなかったですね。
 「西九条」から「天満」へ移動。駅近くのネットカフェで、今日も、休息がてら時間待ち。そして、夜は繁昌亭です。今夜は、「無糖(6.10)の日にデブサミット!」がありました。この会は、歌武蔵が出るときは、欠かさず行ってんじゃないかな。その番組は、次のようなものでした。華紋「牛ほめ」、石松「軽業」、歌武蔵「宗論」、出演者全員「デブ大喜利」、(中入り)、三金「デブ専バーガーショップ(仮題)」、米平「佐々木裁き」。石松が、37キロの減量に成功したため、このデブサミットからはクビ。その代役として指名を受けたのが華紋。今日は、二人が出演をして、交替が、主宰者の三金から告げられました。この会の呼び物は、東京から来演の歌武蔵。今日は、しっかりとネタをやってくれました。全編マクラという歌武蔵のぐだぐだも楽しみなのですが、ネタを聴けるのもありがたいこと。「宗論」は、染雀や喬楽がやっているのと、型は同じ。そこに、歌武蔵テイストのくすぐりが入るというもの。あと興味を惹いたのは、石松の「軽業」。村に入る前に、狂句の言い合いが入りました。恐らく松之助からもらったのかと思われます。石松の場合は、これが楽しみです。三金の新作は初遭遇。デブネタを、食事から押さえるという手法が新鮮でした。トリの米平のところでダウン。映画といい、落語会といい、今日は完璧じゃなかったですね。




2014年 6月 8日(日)午後 8時 32分

  大阪府吹田市(9)〜大阪市東淀川区〜守口(76)

  梅雨の合間の思いっきり暑い一日。真夏の勢いです。頃加減のお天気ってなくなったのでしょうか。今日は、ちょっとゆっくりのお出かけ。ですから、軽く呑みながら、午前中はオペラのDVDを楽しんでいました。最近、バロック・オペラにはまっています。今日は、ヘンデルの「セルセ」を観ていました。そして、12時20分をメドにお出かけ。午後は、「吹田サンクス寄席」に行ってまいりました。その番組は、次のような番組でした。天使「煮売屋」、雀喜「帰り俥」、米二「二十四孝」、雀三郎「船弁慶」。天使の前座って、あまり見かけませんね。歳がいっているので、若い噺家さんは使いにくいのでしょうか。逆さ言葉のところだけを入れて「煮売屋」へ。「帰り俥」と「二十四孝」は、あまり出ない噺。となると、ダウンする機会が多いというジンクスが、今日も生きていました。やなジンクスです。「帰り俥」は、繰返しネタなんで、糸口になってしまったのでしょうか。はっと、我に返った途端、下げとなりました。「二十四孝」の方は飛び飛び。米二は、このネタを、どこからもらったのか、以前から気になっているところ。そして、雀三郎、季節がいいし、「船弁慶」だったらいいなという希望がドンピシャ。雀のおまつはもちろんのこと、喜ぃ公の意気地なさが、いいですね。人物描写では、さすがに天下一品です。
 落語会が終わると、直ちにウォーキングに移行。「吹田サンクス寄席」の会場は、JR「吹田」駅の駅ビル内で行われていますので、スタートは「吹田」駅ということになります。そのコースの詳細は、次のようになりました。JR「吹田」駅〜吹田市立目俵市民体育館〜済生会吹田病院〜阪急安威川鉄橋〜新京阪橋〜阪急「相川」駅〜大阪成蹊学園〜井高野橋〜大阪市営江口第2住宅〜瑞光第二幼稚園〜西江口橋〜瑞光幼稚園〜大阪市立大隅西小学校〜逆巻の地蔵〜大阪市立大桐中学校〜大阪市立大桐小学校〜大道公園〜大阪市立大道南小学校〜豊里大橋〜大阪府立淀川工科高校〜京阪「守口市」駅。直で淀川を渡り、守口方向に向かうと、2時間という制限には届かず、時間をもて余すということで、安威川を渡る前に、少し寄り道。それが目俵体育館。でも、吹田市内は慣れていないため、ちょっと余裕がなく、早々に切り上げてしまい、井高野方向。いずれかの江口橋を渡る前に、こちらでも迂回。でも、あまりに北に行きすぎると、あとが困ると、距離感が崩れない程度の迂回。西江口橋を渡ってからは、今までに通ったことのない道をということで探してみたのですが、気がつくと逆巻の地蔵に出ていました。大桐小学校を迂回するコースを採ったのも、同じ思惑だったのですが、こちらも、途中から知った道に合流。結局、あまり行かないところのウォーキングにも拘わらず、変化の少ないコースとなりました。




2014年 6月 8日(日)午前 0時 14分

  京都市内遊歩(61)

 朝から完全に梅雨空。雨の降らない内に、そして、午後からの予定に障りがないようにと、午前中にウォーキングです。でも、あと少しというところで、スコールのような激しい降りに遭い、最後の10分弱は断念です。そのコースは、次のようになりました。京阪「稲荷」駅〜稲荷幼稚園〜陶化橋〜別府湯〜京都札ノ辻郵便局〜韓国料理店「韓日館」〜塔南保育園〜京都市立九条塔南小学校〜NTT西日本京都病院〜上調子児童公園〜京都上鳥羽郵便局〜京都市立上鳥羽小学校〜大宮大橋〜近鉄「竹田」駅〜竹田出橋〜京都教育大学附属高校〜京阪「墨染」駅。十条通一つ北の通りを西に向かったのが前半。出発から40分をメドに南に方向を切り換えたまでは良かったのですが、上鳥羽小学校を過ぎる辺りから、空模様があやしくなってきた。空を見ると、東の方が明るかったので、とりあえずは方向転換。すると、ドンピシャで雨が上がったので、ウォーキングは継続。近鉄線を過ぎ、今度は、緊急避難先を京阪線に据えたまでは良かったのですが、「竹田」駅から、まっすぐ「藤森」駅に向かえば良かったのが、ちょっと欲を出し、「墨染」ないしは「丹波橋」駅を終点に定めたのが、失敗のもと。「墨染」駅まであと5分ちょいのところで、雨が本格的に降り出し、あっ言う間にスコール状態。「丹波橋」まで行ける時間はあったのですが、断念せざるをえませんでした。
 「墨染」から大阪へ大移動。電車の中で休息をとろうの思惑でしたが、今日は、不成功かな。「京橋」経由で「天王寺」に移動。午後は、「一心寺門前浪曲席」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。京山幸太(一風亭初月)「小田原相撲」、浪花亭友歌(沢村さくら)「太閤記〜日吉と小六」、真山一郎(真山幸美)「ああ広島」、天中軒雲月(沢村さくら)「安兵衛婿入り」。今日の目玉は、言うまでもなく京山幸太くん。本席初登場です。黄紺は、先日の「浪曲錬成会」はパスをしたので、舞台は、ホントに初めて。山田より子さんの新聞評には好意的な文が認められていたので、期待はしていたのですが、その期待に十二分に応えてくれたと思います。けれん味たっぷりの幸枝若節を継承するには十分な素材と看ました。台詞に比べると、節の方が若干落ちるかと思いましたが、それは時間が解決してくれるものと思えました。まだまだ幸いってんのような個性を出すには至ってはいないのは当然としながらも、なぞるという点では、及第点どころではない出来栄えでした。今のうちに声を作っておいて欲しいものです。ネタは、おなじみの谷風ものです。浪花亭友歌は東家浦太郎の弟子。福井在住のため、名古屋の雲月さんに預けられ、その縁で、大阪の親友協会に籍を置いたと、これは、トリで出た雲月師から説明がありました。ただ、今日は、この高座だけダウンをしてしまったのです。いい声だなと思った瞬間にはダウンしていたようです。真山一郎の「ああ広島」は初もののはず。被爆2世が白血病を発症し亡くなることを通じて、被爆体験の風化に警鐘を鳴らすもの。しかし、ウエット過ぎるネタにたじたじ。天中軒雲月は、歴代の雲月が受け継いだきたものと断り「安兵衛婿入り」へ。おなじみネタです。ということで、幸太くんの高座を聴けた段階で、今日の元を取った会と言えば、あまりに下世話でしょうか。
 一心寺を出ると、文楽劇場で、7月公演のチケットを購入。その流れで、久しぶりに千日前のネットカフェに行き時間調整。そして、夜は、「南森町」へ移動して「繁昌亭」へ。今夜は「桂ちょうば独演会2014 ちょうばらくご」がありました。その番組は、次のようなものでした。小鯛「やかん」、ちょうば「ハンカチ」、わんだふる佳恵「マジック」、ちょうば「肝つぶし」、(中入り)、ちょうば「植木屋娘」。小鯛は緩急自在、最早、前座の枠を通り越えています。ちょうばは、今、一番やりたいネタ3つを選んだとか、そしたら、全てが愛という言葉で括れるネタだったと述懐。まずは、夫婦愛からだと「ハンカチ」。手がける人が増えてきていますが、ちょうばもその一人。序盤の夫婦ケンカが度が過ぎないのがいいですね。理に適うとともに、笑いを無理強いしない姿勢が徹底しています。「肝つぶし」は、噺の持っている力を信じての絶妙の口演。ですから、夢の話だと判ったときの会場のどよめきが凄い。しかも、それが三段構えで用意されているものだから、尚更、ヴォルテージが上がります。それを信じての、無理しない抑制した語りを徹底させるちょうばの姿勢は花○もの。妹の可憐さが、もっと出ると、一層盛り上がるのではないかな。これらに対し、ちょうばは、「植木屋娘」だけ、過剰になってしまったのでしょうか。幸右衛門の挙動、いずれをとっても、個性たっぷり。「きょとで慌てもん」的キャラを強調しなくても、言動だけとっても、それが言えるのですから、無理はしない方が賢明だと思うのですが。中入り明けで、ちーとは雰囲気を変えたかったのでしょうか。でも、自在にネタを、自らのポリシーで動かせることができる力量は見上げたもの。最後は、「一対のめでたい夫婦ができあがりました」という、下げなしパターンで終わりました。




2014年 6月 6日(金)午後 11時 55分

  京都市内遊歩(60)

 昨日から続く不安定な天気、及び天気予報。思いがけず、お出かけ時間に雨に遭いました。従って、一日中、傘を持ったままうろちょろ。今日は、まず「メト・ライブビューイング」へ。今シーズン最後となりましたが、今日は、その目玉の一つ、「ラ・チェネレントラ」が出ました。ジョイス・ディドナートとホアン・ディエゴ・フローレスの共演ですから、盛り上がらないわけはありません。それに加えて、ロッシーニのブッフォの大物アレッサンドロ・コルベッリ、指揮はファビオ・ルイジという豪華版。ただ、ファビオ・ルイジは、このオペラを、初めて指揮するとか。そして、インタビューで、衝撃的なことが伝えられました。ジョイス・ディドナートは、このプロダクションを最後に、「ラ・チェネレントラ」から足を洗うということです。声質的な問題より、単に年齢的な問題でしょうね。超絶技巧のベルカント唱法が操れる歌手だからこそ歌える「ラ・チェネレントラ」のタイトル・ロール。時間というものは残酷なものですね。技巧では、どうしようもないことだけに残念な話です。ホアン・ディエゴ・フローレスとは、12年前から様々なプロダクションで歌ってきたそうです。その技巧が一番炸裂するのが、大団円を迎える一番最後の長大なアリア。もう凄いのは判っていながら、圧巻の技巧に、呆然とするしかありませんでした。ホアン・ディエゴ・フローレスは、シンデレラを探さねばというときに歌う高音が頻発するアリアを、楽々と歌っちゃうものだから、大歓声。最近、看られない再登場なんてやってました。アレッサンドロ・コルベッリは、ダンディーニではなくドン・マニフィコ。加齢とともに、こちらが持ち役になったのでしょう。彼の演技は、もう楽しくってというのは言うまでもないこと。これに加えて、シンデレラの姉妹役の2人が、またすっごい演技者。演出のチェーザレ・リエーヴィの指示だけではなく、アドリブがたくさん入っていたのではないでしょうか。難を言えば、装置でしょうか。部屋が広い。芸達者な歌手陣を揃えながら、それを消しかねないサポートといった印象を持ってしまいました。部屋を広くするのならば、調度品を多くして欲しいなということになります。とまあ、敢えて書けばの調子で書きましたが、総体としては、メトロポリタンの客の総立ち的歓声を後押ししたい気分でした。
 オペラが終わると、直ちにウォーキングに移行。ちょっと贅沢な計画を立ててみました。時計を睨みながら、白梅町方向から、太秦を目指し、終点を、予め「太秦天神川」駅と定めてのスタートとなりました。そのコースの詳細は、次のようなものでした。MOVIX京都〜京都医健専門学校〜韓国料理店「内房」〜夷川児童公園〜竹屋町橋・ひまわり幼稚園〜「堀川丸太町」交差点〜京都市立待賢小学校・幼稚園〜西陣児童公園〜「池大雅の墓所」立札(浄光寺)〜「千本寺之内」交差点〜下柏野児童公園〜寺之内橋〜金攫八幡宮〜洛星中学校・高校〜嵐電北野線踏切(「白梅町」駅西)〜一條町児童公園・大将軍八神社御旅所・京都市立大将軍小学校〜島津アリーナ京都(京都府立体育館)〜花園大学〜西小路橋〜寿湯〜西本願寺保育園〜地下鉄「太秦天神川」駅。ちょっと「西大路御池」と「太秦天神川」との距離感がずれていました。ですから、「白梅町」からは、そないにかからないとたかを括っていました。やっぱり普段通らないところは、余裕を持って行かねばなりません。コース的には、西陣のど真ん中を歩いた値打ちのあるもの。3軒ほど、家の中から機を織る音が聞こえたのには、ちょっと感激。最初から終点を決めつけてなければ、西陣の細かな通りを、しらみつぶしに歩いてみたい衝動に駆られました。一度、試みてみたいものです。そこを抜けて千本寺之内から西に入ると、そこは紫野になります。もう北野神社の北側になり、上七軒からの流れから、古い家屋に遭遇できるかと期待したのですが、これは外れ。西大路から西に入ると、ひたすら終点に向かっただけというのは、ちょっと悲しい話。また、しっかりと計画を立て歩くことにしましょう。
 「太秦天神川」から「京都市役所前」まで移動。近くのネットカフェで、休憩がてら時間待ち。そして、夜は「京都観世会館」へ。今夜は、「市民狂言会」があった日だったのです。その番組は、次の通りでした。「入間川」(網谷正美)「酢薑」(茂山良暢 )「通圓」(茂山逸平)「茶壷」(松本薫)。「入間川」は、逆さ言葉のおもしろさを描くもの。最後は、逆さ言葉の逆さをとります。この曲の嬉しいところは道行き。富士山と武蔵野が出てきます。網谷正美の大名に、千五郎の入間某でしたが、ちょっとお二人とも加齢が進みましたね。「酢薑」は、茂山忠三郎家のお二人。アドは山口耕道。秀句(ダジャレ)の連発が、実に楽しい雰囲気を作り出します。「通圓」は能掛かり狂言。かつての「市民狂言会」では出なかったもの。コストの加減でしょうか。最近は、お囃子の入るもの、こういった重いものが出ています。「通圓」は能「頼政」のパロディ、それが唯一狂言らしいところ。能との境界が解らなくなる曲です。逸平のシテで、童司のアド、アイ(狂言にアイが入る!)が島田洋海。「茶壷」は、「酢薑」ほどではないが、能の会でも出る曲。小悪党のスッパもの。茶壺を担ぐ男が酔っぱらっている間に、自分のものにいてしまおうというひどい話。松本薫と丸石やすしの両ジテ的曲。2人のケンカを仲介する目代を千三郎。現役の第一世代は、千五郎だけが出演。七五三家は、親子で後見を務め、弟くんの逸平をサポート。あきらの姿は見かけませんでした。正邦、茂兄弟は、地謡と物販販売に回っていました。茂山家ほぼ総出。だから京都を離れられないのです。




2014年 6月 4日(水)午後 11時 13分

 だいぶと涼しくなりました。でも疲れがたまっているようで、昼間は簡単に眠たくなってしまいます。若干、寝不足もあるのですが。そして、夜は「天満橋」の「双馬ビル」へ。「南華講談の会」があったからです。今日は、「怪談奇譚安積の沼」が読まれました。このネタは、以前、この会で、南華さんが続き読みをされていたもの。今日は、その中から怪奇的な部分の抜き読みをされたというわけです。幽霊っぽい話があったり、猟奇的な殺人があったりと、夏に相応しい読み物でした。今日は、実は、先日の「トリイ講談席」で出された「淀君」ものを、再度出されることを期待しながら出向いて行きました。なんせ寝てしまい、全然聴けてなかったもので、聴けるチャンスと期待していたのでした。こういったときに限って、出してくれないのだから、ったくもうの気持ちです。でも「安積の沼」は大長講で、マクラも入れて、1時間10分の口演で、且つ内容も濃いものですから、これで、不満を言っちゃダメですね。後先が逆になりますが、マクラでは貴重な情報がもたらされました。今年の東西交流についてです。南華さんは、琴星師から、謡曲「隅田川」由来の「梅若丸なんちゃら」をもらうとのこと。講談としてのネタは聴いたことがないので、今から楽しみなものをもらわれます。終盤は、ミステリー・タッチになるとか。南湖さんが、今年、琴調師から「さじ加減」をもらわれるとか。落語にもなっている大岡政談もの。黄紺も、琴調師の口演で、2度ばかり聴いたことのある琴調師お得意のもの。それを、南湖さんが、どのようにして自分のものにされるか、こちらも興味が尽きません。びっくりしたのは、南北さんクラスが、琴調師からもらわれているそうです。南北さん相手じゃ、いくら琴調師でも大変だろうなと思ってしまいましたが、余計な心配なのでしょう。終演時間が少し早かったので、講談会のご常連さんご夫婦とお茶をしてから帰りました。7月に一緒に室内楽のコンサートに行く話がまとまりました。




2014年 6月 3日(火)午後 11時 13分

  大阪府守口市(76)〜大阪市旭区、城東区、東成区、天王寺区

   ぼちぼちお天気は下り坂になり、気温も下がるはずと思って、朝、外を見ると、強い陽射しにうんざり。でも、午前中にウォーキングを敢行。幸い、天気予報通り、ウォーキングをしている間に、雲が出てきて、強い陽射しは隠れてくれました。午後からの行動を考えてのコース取りは、次のようになりました。京阪「滝井」駅〜今市公園〜今市商店街〜千林商店街〜東洋学園高等専修学校〜森小路東公園〜古市橋〜地下鉄「関目高殿」駅〜国道1号線京阪架橋(関目5丁目)〜城東関目郵便局〜西関目公園〜城東関目二郵便局〜鯰江北公園〜大阪市立鯰江小学校〜大阪市立鯰江幼稚園〜城東商店街〜大阪市立鯰江保育所〜城東今福郵便局〜大阪市立今福小学校〜極楽橋〜JR「かたまち074」架橋〜大阪市立城東小学校〜大阪市立城東幼稚園〜南鴫野商店街〜上城見橋〜中浜公園〜衛門橋〜大阪市立北中道幼稚園〜大阪市立北中道小学校〜東成中道郵便局〜雀のおやど〜JR環状線「鶴橋」駅。よく歩くコースですが、最近は、ちょっとのご無沙汰。最初は、京阪の北側を歩き、「関目高殿」駅で、1号線を東に向かい、ここで京阪線の南側に。あとは寝屋川近くまで南下。今福小学校界隈の風景が好きなので、ちょっと迂回してみました。今里筋を西に越えたあとは、お時間を睨みながら終点探し。あとの移動を考え、環状線のいずれかの駅にしたかったため、最初は、森之宮駅、ついで玉造駅と、どんどんと目標が遠くなっていきました。玉造駅へ入れば、9分余りになるということで、2時間を超えることを承知で「鶴橋」駅を終点に最終決定。超過は、僅か3分にしかなりませんでした。
 「鶴橋」から「天王寺」に移動。休息がてら時間待ちのためにネットカフェへ。そして、午後は「動楽亭昼席」へ。今日の番組は、次のようなものでした。小鯛「商売根問」、ちょうば「看板のピン」、紅雀「向う付け」、千朝「抜け雀」、(中入り)、塩鯛「遊山船」、出丸「花筏」。小鯛の「商売根問」がいいですね。緩急自在でテンポがよく、すごくいい流れ。聴いていて、わくわくしてしまいました。内容的には、雀、鴬、がたろという流れでした。ちょうばは、この位置で出ては、「看板のピン」をよく出しているのではないでしょうか。基本的な流れは崩さず、テキストを自分流にいじったものです。「向う付け」は、紅雀の鉄板ネタ。但し、喜ぃさんが、かなりアブナイ人物になっていますが。千朝の「抜け雀」は、先日、「つるっぱし亭」をパスしたとき逃したものでしたから、ラッキーなことと喜んでいたら、このところだけダウン。親父さんが出てくるところだけ、すっぽりと抜け落ちです。塩鯛の「遊山船」って、今まで聴いたことあったっけというのが、始まった途端に考え出したこと。ネタ出しに「遊山船」と出ていたことも思い出せないので、ひょっとしたら新ネタかもと思っています。喜ぃ公のボケ方が天然で、しかも、清やんとの仲の良さというのが出ていて、聴き慣れたくすぐりが、おかしくておかしくて。仲が良いから、喜ぃ公は、脊髄反射的に、思いついたことを、全部口にしているという雰囲気。いや〜、いいもの聴けたということで大満足。出丸は登場して、いきなり兄弟子塩鯛に苦情。30分を超える長講を、モタレの位置でやってしまったためでした。でも、出丸もくじけず、30分を超える長講。見台を、弥っこが引っ込めた段階で、ひょっとしたらと思った「花筏」を出してくれました。かなりアップテンポの口演。以前には聴かなかったようなくすぐりが入ったりで、出丸も進化中です。
 動楽亭を出ると、雨が降り始めていました。朝の天気からは想像もできない変化。でも、天気予報通りです。堺筋線で「扇町」まで移動。駅近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は、歩いて「提法寺寄席」へ。この寄席がある日は、わりかしバッティングが少なく、行ける機会の多い会です。その番組は、次のようなものでした。ひろば・そうば「トーク」、そうば「寄合酒」、ひろば「真田小僧」、そうば「花筏」。「トーク」では、2人の近況報告が売りになっています。正直言って、落語よりか、こちらを楽しみに行っている傾向がありましす。今日は、2人とも情けない話として括れるものが報告されました。ひろばは、8月があまりに暇なので、「高津落語研究会」を、14回も開くことになった話。メンバー4人全員が空いている日が17日もあったそうで、会場の都合で14回公演となったそうです。南天、たまという人気者2人が含まれていますから、そうばもびっくり。二八は厳しいと、昔から言われますが、聞きしに勝る厳しさです。そうばは、NHKの会に出て、すべりまくった話。唯一笑いが取れたところだけが、予定時間内に収めたのにカットされていたというのには、会場大爆笑。「手水廻し」という爆笑ネタを出しながら、大すべりだったようで、それに対するひろばの言葉「それて、単に腕の問題ちゃうん」が大受け。落語の方は、そうばが2席の番でした。ちょっと変形「寄合酒」を、まず聴かせてくれました。遊びに夢中になっている丁稚の籠から、ネギと味噌を盗るという悪趣味なプロットが入っていたり、酒を勝手に全部呑んでしまう男が出てきました。そうば自身による挿入だと、1つ目はちょっと困ったちゃんです。「花筏」の方が、全体的には支持したい出来。親方や千鳥ヶ浜の親父さんの落ち着いた話し方が、今まで聴いたそうばにはなかった渋さのようなものが出ていて、興味が惹かれたというのが大きいと思います。それに反し、角力をとることになる徳さんの慌てぶりからくる悪口と、説教を受けた千鳥ヶ浜の口答え風言い方はいただけないと思います。2人とも、もっと朴訥としたキャラで通して欲しいですね。でないと、噺全体にヒビが入るように思うのです。一部だけ突出したキャラにすると、バランスが崩れ、噺全体に障ります。この噺は、じっくり聴かせる噺ですから、どうでもいいくすぐりも入れないで欲しいですね。ひろばは、こまっしゃくれた子どもネタ。ちょっとデフォルメ系の口演。ひろばらしくないので、もらった噺家さんの演出を受け継いだものと思われますが、誰かは、黄紺には判りませんでした。最近、聴いてなかった「花筏」を、1日に2本も聴くという日になってしまいました。しかも、兄弟弟子で。こないなこともあるのですね。




2014年 6月 2日(月)午後 11時 39分

 昨日に比べると、ちょっとはましだったかなとは思うのですが、酷暑の一日だったことには変わりありません。この夏も、そないななかでの仕事をしなければなりません。勘弁して欲しいのですが、ダメなんですね。そして、夜は、「トリイホール」へ。今夜は、こちらで「トリイ講談席」がありました。NHK大河ドラマで「真田丸」が決まり、意気の上がる上方講談界。早速、「大坂の陣四百年記念特集(その一)〜大坂冬の陣勃発から和睦まで〜」という企画の登場です。その番組は、次のようなものでした。南斗「難波戦記・発端」、南湖「大助駿府の使者」、南青「豪傑・荒川熊蔵」、(中入り)、南華「淀殿の働き」、南海「重成血判見届け」。前半は、いろんな講談会で、よく並ぶ方のネタが並びました。でも、今日は、黄紺の体調は最悪。かなり疲労を溜めてるとの実感があったのですが、その実感がドンピシャ。もう自分では、コントロール不可なと言っていいほどの、パーフェクトに近いダウン。南斗くんの高座までは、全然大丈夫だったもので、取り越し苦労かと思っていたら、とんでもない誤算でした。南華さんの口演は、恐らく明後日、南華さん自身の会で聴けるのじゃないかというのだけが、唯一の救いです。




2014年 6月 1日(日)午後 8時 56分

  大阪市内遊歩(202)

 今日も、まだ真夏の一日。朝晩が冷え込むので助かっていますが、昼間は真夏と変わりません。今日は芝居の日。最近、ご無沙汰をしていたのですが、黄紺の手元に、いい芝居の情報がなかっただけです。「ウイング・フィールド」であった「A級missingLink」の公演「あの町から遠く離れて」を観てきました。最近の劇団には看られない哲学的な思考を可視化しようとしている劇団として、要マークの劇団と思っています。そして、その期待は、今日も裏切られませんでした。テーマは東北大震災の今と言えばいいでしょうか。「ゴドーを待ちながら」をモチーフにしながら、社会を変えるだけの強烈なインパクトのある要素、それをゴドーとしていると言えばいいでしょうか。そして、最後にはゴドーは来てしまったと断定します。しかし、3年経っても何も変わらない、もう変わるわけはないと断定していきます。傍線のようにして、三宅島から東京へ向かう船の中の様子が描かれます。離婚間近の夫婦、突如として動かなくなった船、それらも、結局、何も変わらず日常が続いていきます。ゴドーを、ゴジラでも表そうとしていました。ゴドージラなんて言って。先ほどの夫婦の妻の方が住んでいる家の近くにいる老人が、かつて特撮の技術者だったという設定でした。水爆実験の副産物として生まれたゴジラは、大震災に匹敵する存在だということでゴドージラとしたのでしょうか。このゴドージラの破壊も、ゴドージラが意図するものではないという点では、津波などの災害との相似形として取り上げられているのでしょう。このようにパロディに満ちあふれた芝居、でも、言いたいことが明確に収斂していきました。何かが起こる、色んな場面で、、、。でも起こらなかった。それが終盤です。価値観を問いかけているのか、ちょっぴりは政治的な発信なのか、ただ、変わっていないことの告発になる素敵な芝居と思いつつ、じゃ、価値観、パラダイムの問題と看るならば、取り込んだのか、斬って捨てたのかとか、その辺は、どのように捉えるのかを聞いてみたくなりました。でも、それはともかくも、佳作です。期待を裏切らない脚本、それを表現する役者さんでした。やっぱ、黄紺的目が離せない劇団のランク最上位を形成する1つであることを、今日も確認しました。
 芝居がはねると、直ちにウォーキングに移行。そのコースの詳細は、次のようになりました。ウイング・フィールド〜韓国料理店「ドラム缶」〜トルコ料理店「Nazar」〜OrangeStreet〜「南堀江3西」交差点〜日吉公園〜大阪市立日吉小学校〜千鳥橋〜茨住吉神社〜地下鉄「九条」駅〜大阪南安治川郵便局〜安治川トンネル〜JR&阪神「西九条」駅〜沖縄料理店「はなはな」〜大阪市立新家保育所〜新家公園〜JR「野田」駅〜「野田城趾」碑(野田御坊極楽寺)〜下福島公園〜堂島大橋・大阪府立国際会議場〜土佐堀橋〜地下鉄「肥後橋」駅〜京阪「淀屋橋」駅。ウイング・フィールドの前の道を、まっすぐ西に行くと、三角公園の斜辺の南東端に出るので、一つ南にずれ、更にまっすぐ西へ行くと、少しはずれるのですが、千鳥橋を越え、九条モールに突っ込みます。そのまま道なりにまっすぐに行くと、安治川トンネル、更に「西九条」駅まで行けるのですが、九条地域に入ってからは、よくウォーキングで利用するということで、少しずつずれながら歩くことにしています。写真は撮らなかったのですが、松島なんかも早足で歩いたりしながらのコース。安治川トンネルに入る前には、まだ1時間は経っていなかったはずです。ですので、少し大回り気味に歩いてJR「野田」駅へ。あとは、最近、同じようなコースを歩いた道をたどり、堂島大橋へ。あまりに同じだとつまらないということで、今日は、一挙に土佐堀川まで渡ってから「淀屋橋」に向かいました。5分弱早く着きそうだったので、最後は、迂回しての終点到着としました。今日は、歩いていて、一番暑かったのではないかな。もちろん今年に入ってからですが。気温が高い上に、やはり風がないと、きついわ、これだけ気温が上がると。




2014年 5月 31日(土)午後 8時 26分

  京都市内遊歩(59)

 今日も真夏の一日。だからというわけではないのだけれど、あとの行動を考え、朝方にウォーキングを実施。そのコースは、次のようなものでした。近鉄「伏見」駅〜野田橋〜堀端児童公園〜城南宮〜「鳥羽伏見戦跡」碑〜小枝橋〜上河原橋〜京都市障害者教養文化体育館〜久我橋〜「久我」交差点〜久我橋〜天神側道橋〜京川側道橋〜インド・ネパール料理店「Saino」都〜鴨川左岸自然堤防〜伏見下鳥羽郵便局〜三雲橋〜鞍馬湯〜阿波橋〜世界鷹酒蔵〜京橋〜宇治川派流〜蓬莱橋〜京都市南浜児童館〜京阪「中書島」駅。3回続けて、城南宮の西側を通ってしまいましたが、今日の目玉は久しぶりに久我まで行ったことです。桂川を越えなければなりませんし、また戻ってこなければなりません。向日市に出た方が近いかというところですから、結構な距離なのです。また逃げるところがない。本数の少ないバスを待たねばならないので、せめて近鉄線まで戻ってこなければならないのです。今日は、まっすぐに久我に行ったわけではなかったので、久我橋を渡っている段階で、スタートから1時間を経過してしまっていましたから、ほとんどデンをして帰ってきたという感じでした。戻りは、先日見つけたところのインド・ネパール料理店の前を通ってしまったので、今日は、そのまま鴨川の自然堤防上を歩いてみることにしました。理論通りに並ぶ家屋、それに沿った街路という具合です。かつての氾濫原は、現在では工場街の倉庫群といったところでしょう。三雲橋を渡ったあと、いつもなら丹波橋駅を目指すのですが、距離的には変わらないはずと、今日は中書島駅を目指してみました。予想通りの時間で京橋に到着。少しだけ早く戻ってこれたので、最後は、中書島の旧遊郭街を回ってみましたが、もう時間が経ちすぎましたね。面影は、もう見つけられないですね。唯一、狭い空間に、やたら呑み屋が多いことだけでしょうか。
 ウォーキングが終わると、一旦自宅に引き上げ休息。午前中にウォーキングをすると、軽く睡眠をとってしまう傾向にありますが、今日も、そうでした。そして、午後は「びわこホール」へ。今日は、こちらで、このホールのレジデンツの声楽アンサンブルの定期演奏会がありました。今日のテーマは「ベルカンティッシモ」。ベルカント・オペラの作曲家と分類される3人の作曲家、ロッシーニ、ドニゼッティ、ベルリーニのオペラから取ったアリアだけではなく、重唱、歌曲が披露されました。この声楽アンサンブルは、声楽家の集団というのが、コンセプトとされているので、合唱曲のみならず、こうしたコンサートも提供できるのです。選曲は、今日の指揮とピアノを担当した園田隆一郎が、歌手の顔を思い浮かべながら行ったと言っていました。ベルカントと言っても、ルチアの狂乱の場などというものは省かれているのが特徴。リートはともかくも、オペラ関係で、唯一重いと言えるのは、「ルチア」の六重唱。更に、園田隆一郎が、各曲の説明をしてから曲に入るというサービスぶり。この3人のリートは、さすが珍しいものですから、これは大助かり。そんなで、実に楽しいコンサートとなりました。アンサンブルの歌手の方が、一人ずつコンサートを開いても、これだけの集客力はないでしょうし、ですから、気合いは入ってるはで、そういった意味でもいいコンサートだしと、大満足でした。曲目も、上に書いた制限を設けつつ、凝ったものだったという点も大きかったのではないかな。「ルチア」の六重唱の次には、巻き舌と破裂音で楽しませてくれる「ラ・チェネレントラ」の六重唱を持ってきたり、早口の技を、これでもかと見せる「ドン・パスクワーレ」の男声低音2人によるデュエットを入れてありました。傑作だったのは、「散髪屋」のロジーナの登場アリアを、「ロッシーニはメゾと指定しています」「有名なアリアなのでソプラノも歌いたがります」「うちにも一人いて乱入してくるかもしれません」と解説。結局、ロジーナを、メゾとソプラノ2人で歌うという趣向を見せてくれました。趣向と言えば、「愛の妙薬」のネモリーノのアリア「人知れず涙」を、ドニゼッティ自身が、同じメロディーで、フランス語のリートを出すという凝ったものがありました。こちらはメゾによる歌唱。そして、休息明けには、よく知られたテノールの独唱を聴かせてくれました。そして、ラストは、多人数が集うオペラと言えば「ランスの旅」、これの「14声の大コンチェルタート」で締めくくってくれました。いや〜、楽しかった。満腹状態。終わってから、大阪まで大移動して落語会に行くつもりでしたが、もうイエテル状態。迷わず家路に着くことにしました。




2014年 5月 30日(金)午後 11時 14分

  大阪府門真市(50)〜守口市(75)

   今日は「メト・ライブビューイング」を観る日。水曜日、木曜日と夜遊びを控え、家に直行していたので、お出かけ自体が3日ぶりとなりました。今日は「コジ・ファントゥッテ」の出た日。この1年半ほど、この「コジ・ファントゥッテ」によく当たります。日本で2回、ドイツでは、ドレスデンで1回観ています。今日のメトロポリタンのプロダクションには、この夏、兵庫である公演でも、フィオルディリージを歌うスザンナ・フィリップスが出ているというのも、今日の一つの狙い目。そして、映画館でパンフレットを見てから判ったのは、デスピーナをダニエル・ドゥ・ニースが、またグリエルモをマシュー・ポレンザーニが歌っているという好メンバー。アンサンブルを形成するあとの3人も外れがなく、ドラベッラを歌ったイザベル・レナードとスザンナ・フィリップスとのデュエットがきれいな響きで、動きもよく、気に入ってしまいました。キャラ的には、スザンナ・フィリップの方が、にこにこキャピキャピでドラベッラのタイプ。イザベル・レナードの方が落ち着いた感じで姉さんタイプです。実年齢がそうかもしれません。それに加えて、今季復帰したジェームズ・レヴァインが振っていました。ジェームズ・レヴァインは、復帰に当たり、選んだのが、これと「ファルスタッフ」で、今季は、これらの2作品だけだったそうですが、来季は6作品を振り、その中から「フィガロ」と「マイスタージンガー」が「ライブビューイング」として公開されるそうです。演出的には、特段、目を引くコンセプトの持ち込みや、場所や時代を飛ばすというものではなく、オーソドックスなものと言えばいいでしょう。装置で印象的なのは、許嫁二人が出征していきショック受けた二人の姉妹が倒れ込んで行くのが、デスピーナの仕事場という設定は新しいものでした。ちょうどデスピーナの登場シーンともなりますから、なかなかいいアイデアでした。そして、総じて、6人のやり取りは、無理のない限りは屋外という設定。これは、一つの考え方ですね。映像や実際の舞台で幾つかのプロダクションを観てきましたが、一番浮き浮き気分で観ることができたのが、このプロダクションじゃないかなぁ。一番の功績は、スザンナ・フィリップスの笑顔とダニエル・ドゥ・ニースの存在感でしょう。
 オペラが終わると、京都でちょっと用事を済ませ、大阪への大移動。その途中で下車してのウォーキングに入りました。そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「古川橋」駅〜大一温泉〜大日南公園〜モノレール「大日」駅〜「佐太東」交差点〜大阪市水道局庭窪浄水場〜13八雲公園・守口市立八雲小学校〜守口市立八雲中学校〜松下記念病院〜外島公園〜守口市立外島保育所〜大阪府立芦間高校〜「八雲」交差点〜「守口宿本陣跡」立札〜大阪法務局守口出張所〜京阪「守口市」駅。今日は、久しぶりに門真市内の北側部分を歩くことにしました。かなり古い集合住宅が密集するところで、道もスプロールを起こし、とっても迷い易い地域。わりかし細かな地図を持っていながら、1箇所迷ってしまいました。幸い、そういった迷い易いところを貫通した道の傍だったもので、大事には至らなかったのですが、大事に至らったのは、大日の交差点で、地下道で反対側に出るはずが、出たことは出たのですが、完全に方角を見失い、結果的に真逆に歩いてしまってました。庭窪浄水場があってもいいはずなのにと、周りを気にしながら歩いていると、なんと「佐太」の文字が、目に飛び込んできました。守口方向ではなく、寝屋川方向に歩いていたのでした。大日で地下道を抜けたとき、イオン・モールの位置を見れば判るはずなのですが、間違うときっていうのは、全然目にも入ってないのですね。結局、これでロスが大きく、「守口市」駅を終点にせざるをえませんでした。最後は、少し余裕が生まれたので、少し迂回をして、ジャスト2時間の行程に仕上げました。
 「守口市」から「天満橋」へ移動。「南森町」まで歩き、近くのネットカフェで時間待ち。ウォーキングで、かなりの汗をかいたため、このネットカフェで、十分に水分補給。ジュース類を制限なく飲めるのは、こういったときにはありがたいことです。夜は、繁昌亭であった「第83回創作落語の会」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。三語「ウチのオカン」、遊方「憧れの一人暮らし」、仁智「説得」、(中入り)、三風「あっ」、文枝「夜の訪問者」。三語によく遭遇します。今日は自作を出しました。コンセプトは、よく出るオカンネタ。恐らく私落語なんでしょうね。遊方は鉄板ネタ。遊方が、この会に出たという記憶がないので、喚ばれて一安心。仁智の「説得」は、存在すら知らなかったもの。これが大受け。仁智テイスト満載ですから当然のことでしょう。前後半通してのコンセプトは、頼りない警官奮闘記となるのでしょうが、前半は、パトロールに行った警官が、ボケた情報を持って帰ってきたりする繰返しネタ。後半は、その情報の中に、ビルから飛び降りようとする男がいるので、説得に行くのだが、それがわけのわからないことを、ここでも繰返すというもの。結構、怒号飛び交う仕立てになっているので、体力的にかなりきついネタでした。文枝は、百田尚樹の作品を落語化したものをネタ下ろし。内容が、不倫の噺になるということで、ネタに入る前に、「これから出てくる噺は、私の経験ではありませんからね」と断り、笑いを誘っていました。内容は、前半、大学時代の友人同士の対話。一人は人生一度の不倫がバレ、離婚された男。もう一人は、不倫を何度も繰り返しながらうまくやっていると思っている男。後半は、うまくやっていると思っている男に逆転が起こる噺というところか。ちょっと前半が冗長という印象。後半の逆転に、会場はわくわくさせられたんじゃないかな。くすぐりでなく、噺の展開で会場から反応があるのは、そうはないことですもんね。




2014年 5月 27日(火)午後 11時 39分

 今日は、昨日と振り替え出勤日。ところが、普通は休みだということで、繁昌亭の昼席のチケットを買ってあったため、最低限の仕事だけを済ませ、あとは休暇を出して、職場を飛び出しました。今日は、昼席に一之輔が出るということで、狙いを定めていたのでした。その番組は、次のようなものでした。鯛介「つる」、雀五郎「黄金の大黒」、仁勇「茶の湯」、ぽんぽ娘「メイド漫談」、岐代松「刻うどん」、鶴志「代書屋」、(中入り)、暁照夫・光男「漫才」、一之輔「初天神」、そめすけ「通天閣に灯が灯る」、小春団治「大名将棋」。職場を出てから、やたら眠たくて眠たくて。さほど寝不足でもなく、さほど体力を使う仕事をしたわけではなくなのにです。それが、見事に開演後、業をしました。鯛介の途中からダウン。雀五郎なんか、何を出したのかすら判らない事態に。仁勇は、「茶の湯」を、この位置で出すなんてと思ったところでダメ。下りる直前に覚醒。やっぱ、ぽんぽ娘が、完全に起こす役割。「メイド漫談」はインパクト強いわぁ。鯛介のキャリアで、繁昌亭の前座というのは、早い出演じゃないかな。それだけの力を認められたのでしょう。仁勇は、なぜ「茶の湯」なんか出したのでしょうね。あとから出たそめすけもそうだったのですが、時間的に最後まで行くのが無理なネタを出す場合、そこはそれ、いい切れ目があるかどうかを考えて、ネタ選びをして欲しいものです。ぽんぽ娘の言葉遊びネタが傑作。今日の出演者いじりをしてくれたのです。そめすけや岐代松どころか、鶴志までもがいじりの対象となるというもの。大胆ないじりで大笑いをさせてもらいました。おかげで、お目めはぱちくりです。岐代松は「刻うどん」、「手水廻し」じゃない分、許しましょう。鶴志の「代書屋」は初遭遇。ベースは春団治版。それに、鶴志テイストを、たっぷりと煮詰めてくれました。暁照夫・光男の漫才は、贅沢過ぎる色物。10分程度で終わるのが、ホントもったいない。そして、お目あて一之輔。繁昌亭昼席は初登場とか。そう言われてみりゃそうだなと確認。ガラにもなく緊張が、はっきりと看て取れましたが、それも最初の内。おもしろい「初天神」でした。父親と駆引きをしたり、ときには脅したりまでする、メチャメチャ策士の伜。「いい腕してる」とか、「グッジョブ」と褒める屋台の店主。とってもとっても一之輔テイストに満ち溢れていました。トリの小春団治は久しぶり。レアなネタ「大名将棋」を出してくれました。釈ネタで、講談会ではポピュラーなネタですが、噺家さんでは、生で聴いたのは、この小春団治と文我しかありません。このネタを持っているのは、あと仁鶴しか思い浮かばない珍品です。終盤、将棋に次いで、小話に凝る大名というのは、小春団治の創作でしょう。
 繁昌亭を出ると、扇町まで時間調整のためにネットカフェへ。そして、夜は、天満橋まで移動し「常盤漢方薬局」へ。今夜は、こちらで「第16回かつらふくまる研鑽会」がありました。その番組は、次のようなものでした。愛染「うなぎ屋」、福丸「しの字丁稚」、はやしや香穂・福丸「三味線コーナー」、シンデレラエクスプレス「漫才」、(中入り)、福丸「悋気の独楽」。この会では、福丸はネタ下ろしをするものだと決めつけていたのですが、今日は、きれいにすかされました。いずれもが、この会で、以前聴いたもの。2つを比べると、圧倒的に「しの字丁稚」乗り。普段の喋り方、声が丹精過ぎるからでしょうか、多人数が出てくる噺が苦しそう。ご寮さんやお妾さんはともかくも、おたけのような汚れ役っぽい人物が苦しい。婆さんじゃないかと思うときもありました。丁稚も、「しの字」の方がしっくりとくるんだなぁ。奈辺が違うのでしょうか。より知的というか、こまっしゃくれた丁稚の方が、福丸に合っていました。ゲスト枠は、落語会に珍しく漫才さん。しっかりとネタをしてくれたのには感謝。「三味線コーナー」が、この会の一つのお楽しみ。今日は、首を傷めているとかで、長嶺さん(はやしや香穂)は顔出しなしで幕内からの演奏。長唄の「あやめ」を演奏してくれました。また、顔出しなしのお詫びとして、リクエストに応えて出囃子を演奏してくれました。前座は愛染。この人、喋りが若々しくないんだなぁ。愛染の「うなぎ屋」は初もの。でも、もう「うなぎ屋」が出る季節になったのですね。時が経つのが早すぎます。この「うなぎ屋」、誰にもらったのでしょうか。聴き慣れない箇所が2つありました。1つは、生け簀を叩いてうなぎを追い込むのが入り、もう1つは、うなぎが焼かれるまでを妄想する場面が入りました。




2014年 5月 27日(火)午前 2時 4分

  京都市内遊歩(58)

 昨日は、珍しく一日中家に閉じこもったまま。仕事の関係で、振替の休日だったのですが、外出をしたのは、雨が降る前にと思い、午前中の早い内にウォーキングをしただけ。そのコースは、次のようなものでした。京阪「丹波橋」駅〜御香宮神社〜松平筑前公園〜伏見桃山郵便局〜JR奈良線「桃山」駅〜光明天皇大光明寺陵・崇光天皇大光明寺陵・後伏見天皇皇玄孫治仁王墓〜京阪「観月橋」駅〜平戸橋〜八千代大明神〜京阪「平戸橋」踏切〜京阪「葭島」踏切〜京阪「柿ノ木坂南」踏切〜辨天橋〜長建寺〜蓬莱橋〜竜馬通り商店街〜インド・ネパール料理店「ドゥムダラカ」〜大手筋〜南部児童公園〜伏見区役所〜京都市立伏見板橋幼稚園〜京都市立伏見板橋小学校〜京阪「丹波橋」駅〜近鉄「伏見第一号」踏切〜京阪「山崎街道」踏切〜京都市立藤ノ森小学校〜藤森神社〜京阪「藤森」駅。雨が降る前にと思っていたのですが、歩き出してものの10分ほどで、細かな雨が降り出しました。そのために、いつでも逃げられるように、京阪沿線から余り離れないように心がけてのコース取り。でも、寺田屋の近くにさしかかったときに本格的な降りに。一旦は、アーケードになっている納屋町から大手筋に逃げ込んだのですが、そこから伏見区役所方向に出た当初は、まだ小降りだったのですが、北へ上げれば雨脚が強くなった。「桃山」駅方向に戻るか、「丹波橋」駅に逃げ込むか逡巡するようなポイントでギヴアップ状態の降り。結局、振り出しの「丹波橋」に着いたのですが、そこで急に、ホント急に雨が上がり加減に。そこで、また歩き続けたですが、ラッキーなことに、それ以後は雨に悩まされずでした。「丹波橋」駅に着いたのが、開始から1時間半に達しようかという時間だったもので、ここまでもったのにという思いが通じたのかといった心持ちでした。コースの中でおもしろかったのは、JR「桃山」駅から外環に抜ける道。JR線沿いに歩くのですが、ここに陵があるとは全く知りませんでした。そう言えば、外環沿いから見ると、こんもりとした緑がかなり続きますね。これはヒット。もう一つは、「観月橋」駅から外環が高架になったところの脇道。一旦、京阪宇治線を山科川まで出て(「平戸橋」踏切)、道なりに「葭島」踏切で、再度宇治線を越え、今度は、本線の「柿ノ木坂南」踏切を越えると、十石舟の乗り場に出ました。伏見の風情が漂うところです。ここで、中書島の旧遊郭地帯に入るので、長建寺はもう目の前。川の対岸には大倉酒造の酒蔵が見える情緒たっぷりの地域です。蓬莱橋を渡り。旧遊郭街に別れを告げ、納屋町のアーケードに入るまでの間が、なんと「竜馬通り商店街」と名付けて、えらい観光地風になっていたのにはビックリ。竜馬のキャラが描かれてるわ、古い家屋風の土産物屋、カフェなんかが並び、嵐山状態になっていました。雨がひどくなった時間帯ですから、細かな探訪ができなかったもので、もうそっと周辺の探検用時間を作らねばと思っています。その辺、そこまでではなかったのですが、ホント、呆気にとられる変身ぶりです。




2014年 5月 25日(日)午後 9時 33分

  大阪市内遊歩(201)

 この4連休中は、あまり睡眠がとれているわけではなく、また予定が詰まっているわけではないのに、慌ただしい印象。それだけ、自分の中にある体内時計がずれてきているのかもしれません。昨日は、朝のウォーキングで疲れたのか、尼崎まで出かけたのが疲れたのか判らないのですが、わりかし簡単にダウン。夜中に起き上がりパソコン遊び。今日は今日で、これまた、朝からウォーキングということで、今日も慌ただしい一日。そのウォーキングは、午後からのことを考えて、大阪市内で実施。そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「天満橋」駅〜中大江公園〜中大江幼稚園〜生国魂神社行宮〜安堂寺橋〜大阪市立南幼稚園〜元新町橋柱〜「新町3南」交差点〜松島橋〜松島公園〜スリランカ料理店「アジアンフード」〜ナインモール九条〜岩崎橋〜岩崎橋公園〜沖縄居酒屋「なんくるないさ」〜「尻無左15号」防潮鉄扉〜三泉市場〜大阪市立大正東中学校〜大正郵便局〜三光湯〜大正橋公園〜JR「大正」駅。大阪のど真ん中を横に少しでも歩きたいということで、今日は、「天満橋」を始発にしました。松屋町筋で、予定していた交差点の標示がなく、仕方なく当てずっぽうに西へ。だが、うまい具合に松島橋のたもと近くに。今日は、あとの移動を考えて、「大正」駅を終点と定めていたのが、結局は災いして、岩崎橋を渡った時点で40分も残り時間があったにも拘わらず、「芦原橋」に変更するなどの融通を効かせることができず、「大正」駅のぐるりを大回りをするというコース取りをしてしまいました。気温は高いのですが、乾燥しているうえ、微風があり、歩いている分には、頗るとまでには言えないまでにも、わりかし快適なウォーキングでした。でも終わったあとが暑い。
 「大正」から「天王寺」に移動。最近、よく利用するネットカフェで、休息がてら時間待ち。そして、午後は「動楽亭」へ。今日は「第14回吉の丞進学塾」がありました。前回、吉の丞が「次回は鬼薊のネタ下ろし」と言ってから、楽しみにしていた会。その番組は、次のようなものでした。石松「寄合酒」、吉の丞「遊山船」「地獄八景亡者戯」、(中入り)、文都「粗忽長屋」、吉の丞「鬼薊」。石松が出てくると、どよめきが起こる。黄紺の目にも、えらく格好良く見える。そないな言葉とは無縁だったはずの石松がである。この半年で、37キロ絞ったというのです。そりゃ顔かたちが変わります。角座の舞台がらみの企画だそうなんですが、水泳となんとかいうお茶の効果だそうです。110キロあったわけですから、スリムになって正解。替わりに、彼は「デブサミット」からは追放でしょうね。「寄合酒」も、ひょっとしたら松之助伝来かなと思わせる口調が入りました。吉の丞の当初の予定は、2つのネタをお喋りのはずだったのが、「地獄八景亡者戯」の方は、吉朝一門会でのリレー落語用に「お稽古をさせて下さい」と、地獄の裁きから人呑鬼登場前だけを喋りました。受持ちがそこだそうです。「遊山船」は、ゲストが文都ということでのチョイスのよう。そのわけを解説してくれました。このネタの流れは、「雀三郎・吉朝混合版を文都が口演」→「吉弥」→「吉の丞」となるそうで、ある落語会で、吉の丞が「遊山船」をかけたところ、出番が一緒だった文都が、「僕のに似てる」と言ってきた思い出を踏まえてのことだろうです。吉弥の「遊山船」を聴いたときには感じなかったのですが、そう言われてから聴いてみると、確かに文都テイストのくすぐりが入ってますね。でも、おかしな話で、吉弥も吉の丞も、師匠の吉朝が「遊山船」をするのに、師匠から直にもらってないのですね。中入りにゲストを持ってきました。文都は「粗忽長屋」と、東京では定番のボケた噺。ボーッとした二人のわけのわからない話に、落語世界の住人らしさを感じるのですが、文都の出す登場人物は、そういった意味では物足りないでしたね。仁福や雀太的噺家さんの方が向いている のでしょうね。そして、おまちかね「鬼薊」。「遊山船」で出たときに、こちらの方もネタ解題をしてくれました。演じ手が3人と言いました。自分以外では、南光、南天の名前を上げました。もう一人は文我ということでしょうか。やり手が少ないわけとして、文団治系だということ、それとおもしろくない、この二点を上げました。妥当なところでしょうね。最初、南天につけてもらおうとしたが、口演回数が少なすぎるということで断れ、次に南光にも、一度断れたのだが、吉の丞に言われたのを機に、ネタをくってみた南光が、自分も再びやりたくなり、オッケーをもらったそうです。ただ、南光版は、文団治系の型に、香川登枝緒が手を入れたのに、更に小佐田センセが手を入れたものだそうですが、どこをどうしたのかまでは話はありませんでした。今まで、生では南光と先代の歌之助で聴いたのと、文団治の音源で聴いたことがあったのですが、ずっと陰鬱で暗い噺としてしかインプットされていなかったのですが、今日、吉の丞の口演で、初めてそういった印象が、少しは払拭されたかなと思えました。吉の丞の語り口が、総体として陽であって、決して軽い感じを与えないものだからと、自分なりに分析してみました。そういった印象を持つということは、清吉を性悪という描き方、これは避けては通れないでしょうが、それの度合いでしょうね。最後に、清吉は義賊だったと、とってつけたような解説が入り終わりますが、そこまでは、そないな印象とは別人物なのですから、その度合いが薄いと、写実性に欠けるでしょうし、逆に濃いと、陰惨、陰湿なんて言葉しか出てこない、、、この辺が難しいところなんでしょうね。人物描写的には、おまさの真摯な態度が共感を生んだんじゃないかな。そうなると性悪ばかりが目立つはずなのですが、そうではなかったのです。齢を重ねるとともに、吉の丞の「鬼薊」が、どのようになっていくか、追いかけてみたいですね。でも、追いかけきる時間は、黄紺にはないはずですが、、、。




2014年 5月 25日(日)午前 5時 13分

  京都市内遊歩(57)

 昨日は、午後から予定が入っているということで、早朝ウォーキング。そのコースは、次のようなものとなりました。近鉄「伏見」駅〜「大石良雄遊興の地よろづや」碑〜「橦木町廓入口」石柱〜墨染保育園〜京阪「藤森橋」踏切〜藤森橋〜京都市立深草小学校〜京阪「藤森」駅〜深草東児童公園〜近鉄「竹田」駅〜京都市交通局竹田車両基地〜鴨川左岸〜近鉄鴨川架橋〜水鶏橋歩道橋〜近鉄「上鳥羽口第三号」踏切〜流池橋〜火打形公園〜鳥羽大橋〜城南宮〜高瀬橋〜伏見竹田口郵便局〜神泉苑橋〜「伏見鳥羽戦没東軍戦死者埋骨所」碑(悟真寺)〜伏見庚申堂(明壽院)〜京都市住吉児童館〜上板橋〜京阪「丹波橋」駅。近鉄の駅からスタートしながら、一旦は東に向かい、京阪線も越えてから、再び西に向かうというコース取りをすることで、スタート地点から、さほど北に行っていないのに、時間が進んでしまった印象。大宮大橋を通らないで鴨川を渡れないかと、「竹田」駅を越えたところで、鴨川左岸を北へ行ってみました。いい橋を見つけたと思ったら、なぜか閉鎖。結局「上鳥羽口」駅に通じる橋まで行ってしまいました。駅の方は、勝手知ったところだということで、今度は、鴨川右岸に沿いながら鳥羽大橋まで歩いてみましたが、このコースは初もの。この鳥羽大橋っていうのは、自分の頭にある距離感よりは、ちょっと西にあったようで、最後は、ちょっとあっぷあっぷ状態。「丹波橋」を終点と定めてしまったことがまずく、2時間5分かかってしまいました。
 ウォーキングを終えると、一旦家に帰り、休息。小1時間ほど眠ってしまいました。そして、午後2時を目安にお出かけ。今日は、「尼崎アルカイックホール」で、「関西二期会」の公演「こうもり」を観てきました。このホールで、且つ「関西二期会」の「こうもり」を観るのは2度目。もう随分と前のことになります。あのときは、その数年前に東京で観たプロダクションと同じものだったことは、よく覚えています。あのプロダクションは楽しかったぁ。そないな記憶があるものですから、今回の「こうもり」も楽しみにしていたのですが、きれいに外されました。昔のプロダクションから、明らかに後退しています。演出も歌手も。会場に、タイムスケジュールが貼り出されていたのですが、それによると、各幕間ごとに休憩が入っていたので、こちらとしては、当然、装置の転換というものを期待してしまいます。特に「こうもり」の場合は、2幕が舞踏会の場面なものですから、それなりの装置が出てくるのではとの期待が高まったのですが、外されました。外されていながら、3幕は監獄だから、変えてくるだろうという期待も外されてしまいました。舞台には、常に板を重ねて、その重ねられた板が、全体としては「つ」の字型に組まれていて、舞台前方を開け、且つ「つ」の字ですから、舞台に向かい左側に、広めのスペースができるように造られていました。背景はなく、上からねじれ型に見えるような板がぶら下がり、それに、画像が照射できるようにしてあるらしく、1幕だと木立、2幕は不明、3幕は、なぜだかシャンデリア、ホリゾンドは常に照明を絞っていて暗くしてあったので、大黒かと思っていたら、スクリーンになっており、時たま映像を流すというもの。壁がないのが、一つ、ぼやけさせた原因かなと思うのですが、一番まずいのは、ゆったり過ぎる台詞の言い回し。間延びはするうえ、とってもわざとらしい台詞に聞こえました。そうそう、今日の公演は、全てが日本語上演だったのです。これだったら原語上演の方が、意味が聞き取れない分、良かったのではと思ったほど。でも、歌手全員が、凸凹はあっても、その傾向にあったということは、指示が出ていたとも考えられます。あの台詞回しでは、今日初めてオペラを観るような人なら、オペラを敬遠するようになると思いました。2幕に入ったバレエも間の抜けたもの。ダンサーさんを批難するのでもなく、振り付け師の方を批難するのではなく、バレエのコンセプト指示したであろう演出家に、ここでも問題を感じます。この2幕で、典型的な「白鳥の湖」的な振り付けを求めて、何がしたいのでしょうか。そんなですから、楽しくないのです。3幕も、フロッシュのみせどころを、大きくカット。冒頭に、看守長が出てきたため、フロッシュ独演会は、看守長が眠っている間だけになってしまいました。歌手陣では、アデーレを歌った西田真由子が、一番安定していたかな。ま、おいしい役でもあるのですが、替わりに要求水準の上がる役ですが、動きもよく、ちょっと抜けてたかな。解らないことが一つ、アイゼンシュタインにテノールの歌手(八百川敏幸)を起用したこと。前例があるのか、寡聞にして知りませんが、最後までなじめませんでした。そんなで、せっかく尼崎まで行ったのにというのが、正直なところ。なお、オケは大阪交響楽団、指揮は北原幸男でした。




2014年 5月 24日(土)午前 1時 17分

  京都市内遊歩(56)

 今日から、わけありの4連休。でも、わりと予定が埋っていないのです。単なる巡り合わせと思いますが、ちょっとアンラッキー。 まずは、お天気がいいときはウォーキング。今日は、途中から思いがけないコースができあがりました。そのコースは、次のようになりました。京阪「四条」駅〜団栗橋〜京都市立洛央小学校〜京都東洞院仏光寺郵便局〜燈篭町会所(保昌山)〜因幡堂〜俊成社〜修徳公園〜京都市立醒泉小学校・同楊梅幼稚園〜京都市立淳風小学校〜小坂公園〜島原大門〜京都中央市場〜名倉公園〜東大丸児童公園〜光華女子学園〜「五条天神川」交差点〜西京極総合運動公園〜阪急「西京極」駅。五条通の少し南側の道を進み、西大路を越えると、ロームの社屋が続きます。それは、前にも歩いたので了解済み。ところが、今日は、ロームを抜け、西の突き当たりに阪急電車らしきものが走っているので、その近くまで歩いてみると、道に沿ってあるマンションの名前に「西京極」の文字が目に入り出したため、東大丸児童公園で、子どもさんを遊ばされている若いお父さんがおられたので尋ねてみました。この方も親切な方で、丁寧に「西京極」駅までの道を教えていただき、その公園から6分で行けるとのこと。まだ30分以上、時間があったため、西京極界隈をぐるりと歩くことにしました。あとの行動を考えても、「西京極」駅を終点にするのがベストだったもので。おかげで西京極総合運動公園の阪急電車と反対側を、初めて歩くことができました。
 「西京極」からは「高槻市」まで移動。駅近くのネットカフェで休息がてら時間調整。そして、夜は「上新庄」に移動。「第354回上新庄えきまえ寄席」に行ってまいりました。今日は「えきまえから百二十三歩の会」と称して桂三歩の会。普段は、三歩の会には行かないのですが、三歩ファンの元同僚が来られるかと思い覗いてみました。その番組は、次のようなものでした。三語「二人癖」、三象「動物園」、一蝶「崇徳院」、(中入り)、三歩「ないしょ話(?)」。三語は歯切れがいいですね。文華の会に続いての遭遇ですが、今日も同じことを確認しました。前座ネタを超えるときに、どのような口演をみせてくれるか、楽しみな存在が、一人増えた気がします。三象は、咳が止まらず苦しそう。そのあせりが出たのでしょうか。マクラから前のめり気味。ネタに入ると、なんと「動物園」にびっくり。古典やんかと、貴重な時間を大切にしなきゃと、今度は、こちらが前のめり気味。59歳になった三象は、虎の動きなんかは、バツが悪いのか、ちょっと流し気味。あとから出た三歩が、「虎やのうて亀やった」と毒舌。でも、当たらずも遠からずでした。今日は、一蝶に驚ろかされました。軽い軽いキャラを、常に心がけているように看え、また高座も、そうとしか見えないものばかり見てきた黄紺には驚きの高座。兄弟子のさなぎ(現昇蝶)の好演を聴いたのは、もう随分と前だったと、そないなことを思い出させる好演。軽さ抜き、極めてまともに「崇徳院」を聴かせてくれました。オーソドックスな型を守りながら、且ついいカットを施しながらの好演。こないな一蝶を聴いたのは、初めてじゃないかなぁ。何が惹き付けたのでしょうか。真摯な語り口、程よいカットが、噺を流れるように作用したということでしょうか。そして、今日の会主三歩。その三歩が、一番短い高座時間。頑張ってマクラで、小道具も使いながら引っ張ろうとしてましたが、結果は変わりませんでした。ネタは三枝作品でしょうが、黄紺の知らないもの。大声で、ところ構わず喋りちらす男にもたらされたのは、親しい先輩の余命。そこで釘をさされたのは、見舞に行くなのお願い。それが、逆に先輩に、病気の真実を知らしめるという、可笑しくもあり、悲しくもありの噺。三枝テイストを、いっぱい感じさせるものでした。三歩にとっては、前半の大声で喋り倒す男というのが魅力的なんでしょうね。ここを、こってりと描き、下げに向かっては急スピードになります。この辺が、三枝作品のうまいところであり、また三歩に合ってるのでしょうね。三歩の高座が終わると、ミニ抽選会。黄紺は、ラッキーなことに、三歩の手拭いが当たりました。落語会が終わると、予想通り来られていた元同僚と、上新庄駅前で呑みました。落語の話、外国の話で、1時間半余り。いい時間を持つことができました。




2014年 5月 23日(金)午前 7時 29分

 昨日は、やっつけ仕事を、根を詰めてやり過ぎました。かなり目の前がボーッとしての帰り道、まっすぐ家に帰りひっくり返ったら楽だのにと思っても、こういった日に限り、落語会に予約を入れているものだから、それはできない話。で、行ったのが「京都府立文化芸術会館」であった「第228回上方落語勉強会」。もう40年ほどの歴史を持つ長寿落語会です。黄紺も、ホント久しぶりで、かれこれ10年ほど行ってなかったかもしれません。その番組は、次のようなものでした。二葉「動物園」、米二「向う付け」、瓶太「居酒屋ポン太」、(中入り)、文都「茶屋迎い」、雀太「猿後家」。なかなかありがたい番組です。実は、黄紺にとっては初もの尽くしなのです。まず、二葉に、ようやく遭遇できました。既に3月に年季が明けたそうです。年季明け前から、いろんな会に出ていたにも拘わらず、高座に接する機会のなかった噺家さん。アフロヘアーがポイントの噺家さんの口から、もっちゃりとした口調が聞けるというミスマッチが、どないな噺になるのか、やたらと客をそそってました。わりかし爽やかな、時々不安にさせるような口調になるときもありーので、聴いてしまいます。なんか短い前座ネタだと、そのキャラでもちそう、引き込まれそうな噺家さん。ちょっと新鮮な印象を持ってしまいました。もちろん風貌だけではなく。米二が「向う付け」をネタ出しをしていたのですが、黄紺の頭の中に怪しげなランプが点っていたのですが、それが正解だったのです。ネタ下ろしなのです。黄紺にとっては、「聴いたことのないはず」のランプが点っていたのです。しかも、驚きの話が米二から出てきました。米朝が「向う付け」をやった音源が出てきたそうで、だったら、それを基に自分もやろうとなったと言っていました。それは、「米朝全集」のリメイクに関わった副産物だと、ちょっと誇らしげでした。後半の「くやみ」の部分はカットしたショートカット版。ところどころ細かな違いがありました。喜ぃ公のキャラが、危なさが控えめだったり、斎場に行くときに手みやげを買って行ったり、斎場に来る弔問客の名前が違ったり、、、。で、肝心の米朝の音源は公開されるのでしょうか? 気になるところですね。「お題の名づけ親はあなたです-その92」の「犠牲者(米二の呼び方)」となったのが瓶太。昨日は、くまざわ作品。狸が居酒屋で呑みたくて仕方がない、狐に止められるのも聞かずに行き、失敗するわけではなく、とんちんかんな言動をするのがポイント。そこで、うどんを注文する客がいて、当のたぬきが驚いて下げへという展開。うーん、アイデアに困ったら狸を出せという感じがしてしまいました。おもいろいことはおもしろいのですが、新味には欠けますね。文都の「茶屋迎い」も、ようやくの遭遇。だいたい「茶屋迎い」をする人がいない(ですよね)。元来、上方ネタのはずなんだけど、いないのです。たまは三三からもらったものですからね。おもしろいネタなんですけどね。一番の関心は、どこまでやってるのかというところだったのです。「木乃伊取り」までなのか、フルヴァージョンなのかです。文都は、最後の親旦さんのところまできっちりカヴァーしてました。ですから、たっぷり感がありました。親旦さんのやりとりまえやってこそ、前半の「木乃伊取り」が生きてきますね。文都のわざとらしいくすぐりはイエテル状態なんですが、それをそぎ落とすと、心底楽しめるのになぁと、いつもながらのことを思いながら聴いていました。雀太の「猿後家」も初もの。勉強熱心で、工夫にひと味違ったものを感じさせる雀太ということで、また、雀三郎一門では珍しいネタということでそそられました。サル顔のお家はんをいじらなくてテキストだけでおもしろく描くという雀太のスタンスに好感。その辺の感性は見上げたもの。ただ、いかんせん、このネタの聴かせどころ、お家はんを誉めるところの立て弁、そのテンポが物足りないのです。終始インテンポなのが物足りないと言い換えればいいでしょうか。立て弁だからこそ、失敗までに気が回らない、「あれっ? 言っちゃった?」となって可笑しいのじゃないかなぁ。そないなことを考えながら聴いていました。てな感じで、初もの尽くしの満足の会、これだけの初ものが並ぶのは、そうはありません。だから、突っ込む贅が生まれてきます。それを楽しんでいる黄紺なのです。




2014年 5月 21日(水)午後 11時 37分

 雨のせいか、ちょっと涼しめの一日。こないな日が、ずっと続けばいいのですが。仕事帰りの身には、上着が必要でした。今日は、昨日に続いて繁昌亭。今夜は、「第6回まるかじり〜第8回繁昌亭大賞受賞記念〜」がありました。外せない会というのは、相変わらず続くものです。その番組は、次のようなものでした。生寿「二人癖」、生喬「禁酒関所」、松喬(映像)「はてなの茶碗」、(中入り)、生喬「帯久」。繁昌亭大賞受賞記念ということもあり、生喬が企画したのは、師匠松喬との二人会。松喬は、昨年亡くなっていますから、もちろん映像での出演。いや師匠が亡くなった年と、自身が大賞を受賞した年が重なったということで、こういった企画を考え出したものと思われます。その松喬の映像は、繁昌亭昼席でトリをとったときのもの。確か、生喬は平成22年9月の繁昌亭と言ったと思いました。ということは、まだ癌だと判る前のもの。わりかし毒のあるマクラをふりつつ、京都人の特徴にも言及しつつということで、なかなかマクラが聴かせていました。松喬の「はてなの茶碗」を、初めて聴いたときのことを、なぜか鮮明に覚えています。一心寺シアターが今のようになる前の古い小屋で行われた落語会でした。確か「島之内寄席」だったという記憶があるのですが、果して問題は、「島之内寄席」を、一心寺でやってたことがありましたっけ? 今と違い、「米朝一門以外の噺家さんも、こんなのやるんだ」と思った記憶が残っています。生喬と違い、力を入れないで、人物描写をくっきり出すすご技に、やはり年期とともに、話術の巧みさが浮かび上がってきました。主人公生喬は、師匠の、このネタに魅せられて入門を決めたという「禁酒関所」が一つ目。酒が回ってくると、野放図になっていく番屋の侍、テンションが上がるところですが、生喬のごっつい声が幅を効かせていきます。許容範囲内のごっつさに、こちらでは留まっていたかな。筋立ての変化や、オリジナルくすぐりはなく、松喬に捧ぐオマージュというところかもしれません。「帯久」の方は、松喬没後覚えたもの。松喬が手がけていたネタだからという解説がつきました。人情噺に気が入りすぎてしまうと、生喬の場合、ごっつい声が幅をきかしてしまいます。それが、いい感じを与えるときと、そうじゃないときがあります。今日は後者だったかな。帯久の変化が激しすぎたかな。ただでもえぐいことをやってる男に気合いはいっちゃうと、ちょっと引いちゃいます。クサイのを越えてしまうからです。ただ、生喬の「帯久」は、年嵩を増していってから、じっくりと聴きたいものです。ま、こちらの方が、早々とくたばってしまうでしょうが。前座は生寿。大師匠の松喬からもらったネタ2つの内1つを出してくれました。もう一つは「胴斬り」だそうです。ただ、今日の口演は、いつもと違い、かなりの早口。どうしたのでしょうか、そんなに制約の強い会だったとは思えないのですが。




2014年 5月 21日(水)午前 0時 4分

  大阪府守口市(74)〜大阪市旭区、東淀川区〜吹田市(8)

   天気予報では、今日は雨。朝からという予報ではなかったので、のんびりと構えていると、昼あたりから、急にぐずついてきた。冷や汗ものでのウォーキングをスタートすることになりました。幸い、ウォーキングを終えるまでには降らず、胸を撫でおろしました。そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「土居」駅〜豊里大橋〜大阪市立豊里南小学校〜大阪市立東淀川中学校〜東淀川消防署豊里出張所〜瑞光寺公園〜小松商店街〜東淀川小松二郵便局〜阪急京都線橋梁(小松1丁目)〜高浜橋〜泪之池遊園〜吹田市有川面墓地〜泉殿宮御旅所(吹田殿址)〜阪急「瓦斯」踏切道〜阪急「吹田」駅〜吹田市役所〜JR「とうかい170」橋梁〜吹田市立吹六保育園〜川岸公園〜緑風橋〜下新庄北公園〜阪急「下新庄」駅。豊里大橋を渡り、「上新庄」駅はすかし気味に歩き、「相川」駅近くまで行ってから、吹田市内に入るつもりが、神崎川をうまく渡れず、結局、前にも渡った高浜橋を渡ることに。ここでも西よりの道をとったがため、最後、時間があまり加減に。阪急「吹田」駅の西側は、ウォーキングでは、全く初めて。実は、ここからが困ったところで、終点を、この時点で、「下新庄」駅が妥当と判断したのはいいが、ちょっと大雑把な地図しかなく、東海道線と神崎川を越えるのが大変。結局、お二人の方に道を尋ねましたが、また、運のよいことに、お二人ともとっても親切なお方。ホント助かりました。ありがとうございました。ウォーキングの間は、かなりリズムもよく、忘れていた弾むような感覚で歩くことができたのは、とっても良かったのですが、今日は、終わってから猛烈に疲れが出てしまいました。
 「下新庄」から「扇町」に移動。ネットカフェで、休息がてら時間待ち。しばらく寝 込んでしまったほど、今日は疲れてしまいました。そして、夜は、繁昌亭であった「米澤彦八没後300年記念落語会?繁昌亭大賞受賞者の会?」に行ってまいりました。できちゃったグループの公演です。その番組は、次のようなものでした。出演者全員「彦八作品の再現」、あやめ「生国魂詣彦八祭」、たま「兄弟船」、南湖「透視メガネ」、遊方「あほーりーらぶ」、(中入り)、三金「天の岩戸」、三風「ああ定年」。タイトルで「彦八」を謳ったということもあり、冒頭で彦八作品の披露。彦八作と言えるものが判っているだけで、すごいことです。寡聞にして知りませんでした。たまが紹介したものなどは、「有馬小便」の原形。それが終わると、いつもの「育っちゃた落語」。最初のあやめ作品だけは聴いたことがないのですが、あとは何らの記憶のあるネタが並びました。あやめ作品は、彦八祭の前夜祭的に開かれる落語会ように創ったもの。この会は、いつも黄紺がトルコにいるときに開かれるということで、初めての遭遇となりました。祭当日の境内の様子を紹介するというもので、「天王寺詣り」と同じ趣向。「兄弟船」は、まぐろ漁船での異常な体験を描いたもの。落ちがポーズになるものですが、その格好が、あまり誉められたものではないというのが、ちょっとイタイところ。仁智作品に出てくる展開法を途中に挿入しますが、船を漕ぐところから生まれた思いつきなんでしょうね。南湖作品は、私講談的な作品を、これまで幾つか披露してきましたが、これも、その匂いがしますね。透視メガネが見えないことを知っている女の子が、スカートを上げるのがいいですね。10代の男女の違いが現れているように思えるからです。遊方作品は、確か「できちゃった」で出したときに、呆れたというか、アブナクてかなり引いてしまった作品。アホアホ星人の動きは、やっぱアブナいですね。噺は、アホアホ星人に征服されかかった地球を、若い男女が救うというもの。三金作品は演芸落語と言えばいいでしょうか。天の岩戸に隠れた天照を、色々な演芸で、外に連れ出そうとするというのが、このネタの大枠。実際は、小咄とバルーンショー。ちょっとずるい作品です。三風作品は、定年を迎えた男が、何をする宛てもなく、カラオケ教室に行き発散するものと言えばいいでしょうか。三風作品の特性が、よく出たもので、意外性に乏しい替わりに、そつなくまとめることができているというもの。今日の番組は、彦八作品の紹介、それにあやめのネタが売りということでしょうが、あとの5人の作品も、各自の特徴が出ていて、なかなかグレードの高い会でした。




2014年 5月 19日(月)午後 11時 25分

 気温が上がったわりには、乾燥しているからでしょうね、わりかし過ごしやすい一日。かなり根を詰めたお仕事に、目が、たっぶりと疲れてしまいました。夜は、ちょっとおじゃまをする機会が減っている「雀のおやど」へ。以前なら、鶴橋に行く機会があると、韓国料理を食べに行っていたのですが、それが、徐々に減り出し、今や頭の隅にも浮かばないようになってきました。それほど食が細くなってきたというところです。それに反し、ちょっと食べると太ってしまいます。そういった意味では体調が芳しくないということなのですが、原因は加齢以外の何ものではないこっが解っているものですから、どうしようもありませんね。で、今夜は、こちらで「文華茶論」がありました。文華が、普段やらないネタの虫干しをしたり、新たにネタ下ろしをする会なのですが、キャリアを積んでも、ネタに取り組む旺盛な姿勢に共感し、好事家を集める会になっています。今日の番組は、次のようなものでした。三語「青い瞳をした会長さん」、文華「次のご用日」、吉の丞・三語・文華「茶論トーク」、(中入り)、吉の丞「化物つかい」、文華「首提灯」。三語は、ここまで遭遇機会の少なかった噺家さん。文華、同じ一門ということでなじみがあるのでしょう。歯切れのいい口調が、なかなか好感を持てます。文華の一つ目は、パンフレットにも記載なし。ただパンフレットには、その関係の地図まで用意されていたのですが、しかも「ネタ下ろし」をにおわせるコメントまで。もったいぶったわけではなく、一挙にネタ下ろし二発に、不安感が先だったものと思われます。確かに、そういったナイーブさを持った噺家さんであるとの印象はあります。でも、「次のご用日」とは意外性がありました。出されてみて、まず、文華の声質からして、奇声を連発するところは大丈夫だろうかと思ったのですが、それなりの対応をしていたようには思いました。夏の風情が出ていて、また古い大阪の街を伺い知れ、且つ、落語らしい奇想天外な着想が光る佳作と、かねてから看ているネタです。ただ難しいでしょうね、丁稚のこまっしゃくるた描写がいるかと思うと、お奉行さんの品格を要求されるところへさして、やっぱ夏のうだるような暑さ、昼下がりの静ひつさも出さなきゃならない。切りネタに数えられるに相応しい難しさがあると看ています。なかなか若い噺家さんがやらないのもうなずけます。文華ならできる、それはその通りだったと思います。なかでも丁稚は可愛くもあり、小生意気でもあるなんてところは、文華にはお手のもの。それに対置するお奉行さんの品格はあったのですが、しゅっとしたかっこよさとなると、声質がじゃまをしてしまいます。夏の風情では、夏の強い太陽の眩しさのようなものが、ちょっと足りなかったかな。奇声をあげる天王寺屋のおっさんとの距離感と関係があるように看たのですが、いかがでしょうか。なお、文華は、このネタを、師匠の音源から覚えたと言っていました。中入り前に「トーク」。吉の丞がゲストということで、文華が、だいぶと吉朝の思い出話をしてくれました。もちろん吉の丞も、少しは。吉朝一門について話されたあと、米団治襲名披露に同行した吉の丞、文枝襲名に同行した三語が、披露興行にまつわるエピソードを紹介してくれました。吉の丞の「化物つかい」は、これで3回目になるはずです。間が良くなったのかなぁ、今日の口演の満足度が一番高いですね。そして、トリの「首提灯」フルヴァージョン。こうした下世話な噺の方が、文華には合ってるなの印象を持ちました。まず、「上燗屋」のところがいいですね。酔っぱらいの言動を安心して聴いてられます、観ていられます。道具屋を冷やかしながら両替するを酔っぱらいの粗っぽさもいいですね。上燗屋を出てからが、あまりにあっさりと終わったと感じたのは、黄紺だけなんでしょうか。蛇足と看る考え方があるなら、あまりに勿体無いところ。猟奇的な展開になるので、ここまでは二度とやらないでしょうと、終わった直後に文華は言ってましたが、前半との落差が大きく、思わず引きずり込まれる展開がたまらない魅力のネタなんで、そんなことを言わずに、捨てないで欲しいですね。終わると抽選会に。それが、欲しくないもののオンパレード。とこるどころにいいものがある。黄紺は、幸い冬の旅行用になるかと思い帽子をいただくことができました。かなりお役立ちっぽいです。




2014年 5月 18日(日)午後 8時 39分

  京都市内遊歩(55)

 自分的3連休の最終日は、もう真夏の暑さ。最近、週末になると、わりかし睡眠時間が確保できていたのですが、昨夜は逆戻り。でも、休みの日だから二度寝をすればいいと考えていたのですが、よくやる過ち。二度寝をしないで出かけ、大失敗をやらかしてしまうことがあるのですが、今日が、正にそれ。午後、「アトリエ劇研」であった「OFT」の公演「わたしの焦げた眼球/遠視」を観に行ったのですが、もう行くバスの中で、目がくしゃくしゃしてどうしようもないと思っていたら、大当たりでダメでした。ちょっと久しぶりの観劇だったのに、特に前半でダウンしてしまったものだから、何がないやら解らない始末でした。なお、OFTは、下鴨車窓がプロデュースするユニット名だとのことです。ま、それだからこそ観に行って、この始末です。
 芝居がはねると、直ちにウォーキングに移行。せっかく普段はなじみのない地域ということで、松ヶ崎界隈を、ゆっくりめにコースどり。そして、白川通北山まで行ってから、今度は、京阪沿線をめざし、ジグザグに南下というのが、大ざっぱなコース。その詳細は、次の通りです。アトリエ劇研〜地下鉄「松ヶ崎」駅〜宝が池公園スポーツ広場〜新宮神社〜林山山間園路〜湧泉寺〜京都市立松ヶ崎小学校〜松ヶ崎大黒天〜松ヶ崎橋〜ネパール料理店「サムジャナ」〜叡山電車「修学院」駅〜修学院消防出張所〜京都市立修学院中学校〜ふたば幼稚園〜日本キリスト教団鴨東教会・同幼稚園〜京都大学〜韓国料理店「一実」〜京都市立養正小学校〜飛鳥井児童公園〜駿台百万遍学生ハイツ〜朱い実保育園〜京都市立第四錦林小学校〜京都吉田牛ノ宮郵便局〜京都大学大学文書館(旧京大会館)〜京阪「丸太町」駅。新宮神社のよこに、地道で山中に入る道があったので入ってみました。上に何かありそうかなと思ったからです。ちょうど宝ヶ池の南に位置する小高い丘程度の山です。尾根まで上がったところ、ちょっと広めの遊歩道があったのですが、近くにあった案内板だと、取り立てて何かがあるわけではないので、また逆方向に下りてしまいました。あとの方で見た案内板には、その山肌に「妙法」の点火が、大文字のときにされる由。ひょっとしたらの可能性は頭にあったのですが、ならば、木を刈り込んだ上での、もう少し幅広の道があってもと思いながら歩いていたのですが、黄紺の歩いたところには、そのような道はありませんでした。下に下りてきてからも、探してはみてみたのですが見つけられませんでした。その昔、京都工繊大から見た記憶はあるので、近くに行ってるはずだったのですがダメでした。大黒天も、なかなか雰囲気のいいところ。松ヶ崎って、普段は、まあ行かないところですので、よくは知らなかったのですが、あまりにも瀟洒な家が並ぶものですから、ちょっとした目の保養にもなりました。




2014年 5月 17日(土)午後 11時 30分

  京都市内遊歩(54)

 今日は、早朝からウォーキング。土曜日の朝ですから、世間はとっても静か。その中をもくもくとウォーキング。歩いてなければ肌寒さも感じましたが、ウォーキングをしていると、空虚が実に心地よく感じられました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。京阪「丹波橋」駅〜大正湯〜上板橋〜「天明義民仮屋市右衛門墓所」碑(顕正寺)〜「薩摩島津伏見屋敷跡」碑・「坂本龍馬寺田屋脱出後遭難之地」碑〜角倉橋〜縄手橋〜一切神社〜月桂冠大手蔵〜伏見警察署〜須釜児童公園〜下鳥羽保育園〜柳長児童公園〜三栖神社〜三栖橋〜肥後橋〜京阪「表町」踏切〜伏見港公園〜京阪「中書島」駅。行き当たりばったりのコースながら、決めていたことがあります。ウォーキングでなくとも、行ったことのない伏見港公園に、足を踏み入れようとしたこと。途中から阪神高速を越え、西側にシフトしたコース取りをしたため、一番最後に持ってくることになりました。入口からは、そうとは見えない広い公園でした。あとは、旧伏見市の中心街の西部を歩くというコース。この辺りは、なかなかいいところです。疎水が作る独特の風景もありますしね。
 ウォーキングが終わると、一旦家に戻り、休息がてら時間待ち。そして、午後は大移動で大阪へ。「シンフォニー・ホール」であった「関西フィルハーモニー定期演奏会」に行ってまいりました。今日は、藤岡幸夫の指揮で、ドボルザークの「レクイエム」が出るということで、これは外せないということで行ってきました。昨年、「関西フィルハーモニー合唱団」が発足し、「ドイツ・レクイエム」を出しましたが、今日は、その第二弾となるわけです。黄紺だけではなく、今日、会場に足を運んだ多くの人は、この曲を生で聴いたことのある人は少ないのじゃないかな? 聴いたことのある人すら、かなり少数派でしょう。指揮の藤岡幸夫は、「ドボルザークの最高傑作」と持ち上げていましたが、なかなかいい曲なのです。せっかくの機会だからと、手持ちのCDで予習をしてこようとしたら、見つけることができず、結局は、ぶっつけ本番とほぼ同じ状態で臨むことになりましたが、久しぶりに聴いてみても、やっぱりいい曲でした。なんか民話風調べとか思っていると、どことなく「ルサルカ」のメロディ・ラインに近い雰囲気がしてきましたが、「ルサルカ」の方が、オケの響きが、だいぶと厚い感じ。今日の演奏会では、第8曲目の「ラクリモサ」までで休憩が入りました。ここで曲想が、随分と変わります。パンフレットを読むと、ここまでが「死の曲想」だそうで、同じような雰囲気の繰返しのように聴こえました。似たモチーフの繰返しが行われたようです。それに反し、後半に入ると、くつろぎとか安らぎとか、そういった雰囲気へと変わり、耽美的ですらあります。純朴な美しさとでも言えばいいでしょうか、ホント、「ルサルカ」とこれだけがと言ってもいいようなドボルザークの示してくれた顔のような気がしました。合唱は、根本的に、数的に男女バランスの悪いということは、いかんともし難く、特に、この曲には、男声パートだけが、しかもアカペラで歌うという箇所が幾つかあり、いくらきれいに響きを出したとしても、数が示す音の厚さが出る由もないことは、悲しい現実です。ここまでバランスが崩れていると、合唱指揮によるコントロールの埒外でしょう。が、そういった中で、男声陣(T.畑儀文、Bs.小玉晃)の健闘は光っていたのじゃないかな。ソリストは、男声陣の質の高さが目立ちました。女声陣(S.朴 瑛実、Ms.谷地畝晶子)も、アンサンブルとなると、いい響きを見せてくれるのですが、ソロ部分になると、パワーが足りなかったり、強いはずのソプラノの高音に艶がなくなったり、メゾの低温が頼りなかったりという具合でした。ですが、オケが、こうやって専属の合唱団を持つと、それこそ、演奏曲の幅が広がります。来年は、待望のメンデルスゾーンです。今日のドボルザークを、1年前より楽しみにしていたように、もう来年のメンデルスゾーンを考えると、わくわく感が高まります。
 「福島」から、環状線で「天王寺」に移動。最近、お世話になっているネットカフェで時間調整。そして、今夜も、「動楽亭」であった「笑福亭たま・旭堂南湖連続二人会」へ。今日が最終日ということになりました。その番組は、次のようなものでした。喬介「三人旅」、たま「みかん屋」、南湖「円山応挙の幽霊画」、たま「図説・真景塁ヶ淵<解>前編」、(中入り)、たま「図説・真景塁ヶ淵<解>後編」、南湖「難波戦記・下」。喬介の「みかん屋」は、「真景塁ヶ淵」で馬が出てくる場面があるため、たまがリクエストしたもの。サービス精神旺盛です。たまの「みかん屋」は、以前書いたことがありますが、自分的たまベスト・コレクションに入れたいもの。刈り込みがきれいに決まり、ギャグ挿入も決まってると思うからです。たま「図説・真景塁ヶ淵」の方は、中入り前で大団円に導き、中入り後は、大図面を使い、相関図を一まとめにして、再度振り返るというものでした。こないな企画なんてのは、たましか思いつかないでしょうし、たとえ思いついても、たまにしかできないでしょう。南湖さんの説明で思い出したことがあります。5年前に、この公演を持ったときには、たまはたま「真景塁ヶ淵」に基づいて、新作を創った、そうそう、そうでした。ならば、フリップを見た記憶があるのはと思ったのですが、それについても、南湖さんは解答を出してくれました。もう一度、今から10年程前にも、同じ試みを、茶臼山舞台でしていたのです。それも観ていたということになります。だけど、南湖さんの出しものが思い出せないのです。その南湖さん、「応挙の幽霊」は、最近、よく高座にかけるネタ。2日目までが東京でもらってこられたものですが、これは旭堂のネタ。「難波戦記」は、家康が逃げ回るという、みじめなみじめな部分の抜き読み。そして、最後には家康が亡くなり、大団円という、上方寄り「難波戦記」らしい終わり方をしました。




2014年 5月 17日(土)午前 0時 2分

  大阪府枚方市(14)〜寝屋川市(43)

 昨日の曇り空から一転して、今日は、見事な快晴。気温も上昇。黄紺にとっては、ありがたいウォーキング日和です。今日は、気温の高い午後にウォーキングをすることになりましたが、そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「枚方市」駅〜枚方市立枚方小学校〜菊ヶ丘東公園〜菊丘南公園〜東中振南公園〜枚方市妙見山配水池〜末広公園〜さだ山山公園〜枚方市立第二中学校〜香里ヶ丘保育園〜成田町第1ちびっこ老人憩いの広場〜成田山不動尊〜寝屋川市立第五小学校〜成田西公園〜成田公園〜輝きステーション(隆光学園)〜春日神社〜伝秦河勝の墓〜下観音橋・小松病院〜寝屋川警察署〜八坂神社〜京阪「寝屋川市」駅。久しぶりに、枚方市内でのウォーキング。地図を持ちながらのウォーキングですが、見事に、ウォーキング開始10分もしない内に、道がわからなくなってしまいました。枚方小学校界隈は、道が複雑で、地図にうまく反映されていないのです。ですから、ほぼ終盤に至るまで、正確に自分がどこを歩いているのかを把握しないでのウォーキングとなりましたが、幸い方向感覚は、この地域では大丈夫なもので、複雑な道も歩き通すことができました。そういった中でヒットと言えるのは、秦河勝の墓を見つけることができたことでしょう。寝屋川市は、道端に、文化財マップを立ててくれています。それがあるために、寝屋川市内に入って以後は、安心して歩けたばかりか、このような文化財に遭遇できたのですが、この墓だけは判りにくかった。最後は、角に立っていた方に聞いて、ようやく見つけることができました。判らないままに歩いたのですが、所要時間は、2時間を3分だけ超えただけでした。
 「寝屋川市」から「京橋」経由で「天王寺」に移動。ネットカフェで、ほとんど休息どころか眠って時間待ち。今日は、ウォーキングをしながらも、また終わってからも、すごく疲労感を感じてしまいました。あまり体調が良くなかったのかもしれません。今夜も、「笑福亭たま・旭堂南湖連続二人会」の2日目ですから、夜は動楽亭へ。今夜の番組は、次のようなものとなりました。喬介「刻うどん」、たま「松山鏡」、南湖「いざ鎌倉」、たま「図説・真景塁ヶ淵<忠>前編」、(中入り)、南湖「難波戦記・中」、たま「図説・真景塁ヶ淵<忠>後編」。今日は、昨日の長時間公演を反省したのか、今日は、昨日よりは30分早く終わったのはいいのですが、替わりにマクラが短くなってしまいました。たまの「松山鏡」は初めて。自分のネタでは一番難しいと、たまは言ってましたが、それは、全編大阪弁じゃないから。言い間違ったときの修正も、大阪弁を使えないのが困ると言ってました。ネタ自体は、民話調の短いもの。たまは、気になるのか、鏡を知らないってことを、ちょっとしつこめに言っていました。「真景塁ヶ淵」の方は、宗悦殺しから始まった因縁話が、一旦置いてけぼりにされ、深見新三郎の伜新吉が逃げ込もうとした惣右衛門家に起こる殺人物語へと入っていきました。明日は、今日の噺と、置いてけぼりにされている噺とが結び付くそうです。かなり盛り上がってきましたが、円朝作品は、よく人が死にます。一方の南湖さんの「いざ鎌倉」は、能「鉢木」でおなじみの物語。最明寺時頼が、水戸黄門よろしく諸国行脚の旅に出かけているときに出会ったまことの武士の物語です。構成も、ほぼ能をなぞったもの。前に一度聴いたときには、褒賞についてはなかったように思うのですが、今日は、しっかりと入っていました。ないのは、ひょっとしたら、たまたま南湖さんがすっ飛ばしただけかもしれませんね。「難波戦記」は、昨日のダイジェスト版ではなく、読み切りでよく出されるものを2つ並べました。1つ目は、幸村を揺さぶるために、親族を大阪に派遣。それを利用して、家康暗殺を考える幸村。「大助、駿府への使者」という有名なくだりに入るという仕掛けです。でも、クライマックスで切り上げました。ということで、方針が不透明に。昨日の勢いだったら、薩摩へ行く話まで行っちゃうかなと思っていたのですが、、、。




2014年 5月 16日(金)午前 0時 29分

 なんかお疲れの木曜日。気温が下がってくれて、職場を出る時間くらいになると、肌寒さを感じるほど。これで、天気が良ければ言うことはないのですが。そして、夜は、今日も動楽亭、いや今日からは、「笑福亭たま・旭堂南湖連続二人会」3日連続公演が始まりましたから、計4日連続で、動楽亭通いをすることになります。今公演の副題には「真景塁ヶ淵と難波戦記の続き読み」と付いていました。たまは「真景塁ヶ淵」を3日連続で、一方の南湖さんは「難波戦記」を3日連続で口演することになっている会なのです。今日の番組は、次のようになりました。喬介「つる」、たま「貧乏花見」、南湖「昔の話(五条大橋、弁慶と牛若の出会い)」、たま「図説・真景塁ヶ淵<情>前編」、(中入り)、南湖「難波戦記・上」、たま「図説・真景塁ヶ淵<情>後編」。長い会になりました。たまの言うには、5日分の内容を3日に縮めたために、1回ずつが長くなってしまったと言っていました。実は、「図説・真景塁ヶ淵」の試みは、5年、いやもっと前だったでしょうか、あのときも南湖さんと組んで、同じ動楽亭で行われています。あのとき、南湖さんは何をやったのかは思い出せません。今回の「難波戦記」のような正統的講談ではなかったような記憶だけは残っています。「難波戦記」は、これはこれで、なかなか無理な試みです。始まるまでは、抜き読みを連ねるのだろうと思っていたところ、そうではなく、本能寺の変以後を、ダイジェストで流そうとの試みなのです。ですから、山崎合戦、関ヶ原の合戦を通りこえ、真田の大坂城への入城まで進んでしまいました。こちらも口演時間は、ほぼ50分。それに加え、もう一席ずつあるので、ずっと時計とにらめっこしながら聴くということになってしまいました。「図説・真景塁ヶ淵」の進め方は、基本的に前回と同じ。フリップを使っての説明となります。登場人物を噺家に置き換える趣向は、前回と同じですが、今回は、全員を置き換えるつもりのようです。また、わりかし近いキャラの噺家を使うという工夫が、よく受けていました。図も分かりやすくなり、この分だと、複雑な筋立てを追いかけるのが苦手な黄紺にも、最後までついていけそうです。それぞれの2つ目のネタでは、「五条大橋」の方は、先日の南湖さんの会で聴いたばかり。それに対して、たまの「貧乏花見」は初遭遇。たまは、この3日間に用意しているネタは、「普段、あまり聞かれてないはず、自分的には2軍のネタ」なんて言ってましたが、「みかん屋」を出していることからも判るように、そないなことはありません。この「貧乏花見」も、とってもいい編集の仕方を見せてくれました。「気で気を養う」を強調する序盤、服装については出てきません。桜宮への道行のところに移していました。全編通しで口演する場合、序盤が重たくなる過ぎることを、きれいに防ぎ過ぎています。序盤というのは、長屋から出るまでを指して書いています。道行のところに持ってきただけで、各場面が平等におもしろさを主張しだしたと感じました。これは、すごいヒットじゃないかと思いました。前座は喬介ということで、申し分なし。問題は時間だけですね。




2014年 5月 15日(木)午前 6時 6分

 昨日、初めて半袖を着て仕事に。そのせいか、天気予報で言われていたほどの暑さを感じないで済んだのですが、5月から、これでは先が思いやられます。なんせ、今年も、クーラーなしの部屋で、仕事をしなければならないのですから。そして、夜は、昨日から4日連続で動楽亭です。昨夜は「生喬百席」です。「百席」なんてのをうたうような会は、だいたいはしょりながら足を運ぶと決めているのですが、生喬がするとなると、話はちょっと別という感じで、都合がつくようだと、ネタに拘わらず、行こうかなの雰囲気です。その番組は、次のようなものでした。生喬「浮かれの尼買い」、紅雀「宿替え」、(中入り)、生喬「崇徳院」。まず冒頭から、当然のことのように、こないだの日曜日に繁昌亭であった「噺家宝塚ファン倶楽部」の報告。黄紺は、奈良での観能があったため、今年はバスをしたものですから、とってもありがたい話。ちょっとでも、あの会の話に触れたかったものですから。ただ実際には観てないものですから、雀五郎の話などは、想像だにできませんでした。「尼買い」は、「三人旅」の後半部分で、やり手は生喬以外にいるのかなぁという具合です。田舎のちょっと下卑た女郎買いの噺ですから、切り捨てられてきたのでしょう。でも一つの風俗を伝える噺として残していって欲しいものです。生喬は、先月のこの会で、「三人旅」を口演しましたから、一つのネタを2回に分けてということになりました。また場所柄、飛田新地の解説が入ったのも、生喬ならではの高座です。ゲスト枠は紅雀。紅雀の会には、最近行こうとしていませんから、久しぶりの遭遇となります。マクラで、恐い奥さんの話から引越し業者との交渉話へ。てっきり夫婦を取り扱うネタかと思っていたのですが、確かに夫婦も出てきますが、引越しネタでした。ただ、ネタがベタ過ぎます。こういったところがあるので、紅雀の会からは足が遠のいてしまいます。ハイテンポで、そのテンポにうまくのせてくれるので、聴いていて心地良いし、実際、上手やなぁとは思うのですが。生喬の「崇徳院」って聴いていたと思っていたのですが、生喬が配ったネタ解題的なメモを見て、初遭遇だということを知りました。生喬の「崇徳院」には、若旦那が出てこないのです。生喬が書いているところによると、繰返しを避けたいということで、親旦那が、既に聞き出したことを、熊五郎に伝え調査を頼むとなります。繰返しを避けるということでは、1日目が終わったあと、母屋に戻る場面はカットとなります。これは大賛成。でも、若旦那が親旦那に言えないというプロットが消えたのは、ちょっと寂しいところ。繰返しを避けて、且つ親旦那に言えない若旦那を出す工夫ってできそうなのですが。よく割愛される下げは、しっかりと残してくれていました。黄紺は、残す派なんで、ホッとしました。「割れる」が縁起が悪いというポイント、きれいな下げのいずれを取るかの問題でしょうが、せっかく終盤盛り上げながら、下げなしは卑怯な気がしてしまうのです。なお、若旦那を出さないヴァージョンは、6代目の口演の速記にあり、それを基に、生喬が再構成したようなのですが、後日、その速記は、収録ように縮めたものを速記に落としたものだと、鶴志に言われたと、生喬はメモに認めていました。




2014年 5月 14日(水)午前 4時 00分

  京都市内遊歩(53)

 月曜日は、まっすぐに帰宅。夜半からの雨は、朝には止み、一転して快晴。気温も、かなり上昇。初夏を通り越して夏の雰囲気。昨日は、朝から「メト・ライブビューイング」へ。今シーズンの上映は、早くも残すところ3回となってしまいました。今日の上映は「ボエーム」。ネトレプコのミミでDVDが出ているものと同じプロダクションだとは思ったのですが、歌手が違えば、また雰囲気も変わるだろうということで観に行ってまいりました。ゼッフレリの演出ですから、ミラノのプロダクションとも同じものと思われます。MCを務めたジョイス・ディドナートによりますと、このプロタクションは、1981年以来、メトロポリタンで、上演が繰り返されているそうです。まず入口でもらったメモによると、ミミ役のアニータ・ハーディングが急遽降板とのこと。代役はクリスティーヌ・オポライス。黄紺は、寡聞にして二人とも知らなかったのでダメージはありませんでしたが、その交代劇の詳細は大変なこと。クリスティーヌ・オポライス(ROHのライブ・ビューイングでは「マノン・レスコー」のタイトルロールを歌うそう)は、前日「蝶々夫人」のタイトル・ロールを歌い、眠ったのが午前5時。そして、代役の依頼の電話が入ったのが午前7時半だったとか。しかも、収録された上演はマチネー。彼女は、役の上で、「18時間の内に2回死ぬ」とからかわれていました。ですから上演までの間に、指揮者との打ち合わせに加え、動きを覚え、衣装合わせやメイクをして舞台に立ったことになります。いくらレパートリーにしているっはいえ、テキストが完璧に入っているというのはすごいことです。カーテンコールでは、事情を告知されていたため、客席からは、リスペクトの意味も込めた最大級の拍手を受けていました。中低音域がかすれ気味だったのは、さすがに疲労を感じさせましたが、高音の伸びは素晴らしいものがあったばかりか、このプロダクションに溶け込んだ動きに感心しきりでした。ロドルフォは、人気のヴィットーリオ・グリゴーロ。非常に声が前に出る感じのする素晴らしいテノール。更に、気の乗るタイプと見え、大喝采を浴びていました。ムゼッタはスザンナ・フィリップス。今シーズンの「コジ・ファン・トウッテ」のフィオルディリージを歌うばかりか、7月の西宮での佐渡オペラの同役も歌うという方。メトの「コジ・ファン・トウッテ」の予告編は、既に観ていたのですが、その面影とかなり違った印象。かなりコルセットかなんかで締め付けたボディでフィオルディリージは歌うようですが、にこやかな表情が愛くるしく、ただ、ムゼッタにはにこやか過ぎるとは思ってしまいましたが。歌唱は十分、フィオルディリージが楽しみです。マッシモ・カヴァレッティ(マルチェッロ)、パトリック・カルフィッツィ(ショナール)、オレン・グラドゥス(コルリーネ)、ドナルド・マックスウェル(ブノア)も、それぞれそつがなく、仲の良い雰囲気が出ていましたが、出れば出るほど胸きゅんものです。贅沢を言えば、か弱そうなミミのイメージからして、クリスティーヌ・オポライスが、もうそっと小柄だったらと思うのですが、これは贅沢すぎます。3幕の雪の場面で幕が上がると、拍手が起こっていました。DVDで観たときがそうだったのか、実演でそうだったのか、記憶が曖昧ですが、同様の拍手を聞いた記憶があります。そんなだったら、ブダペストのプロダクション、もっと凄いぞと突っ込みを入れてみたくなりました。
 オペラが終わると、直ちにウォーキングに移行。一軒だけ買い物があったので、その場所をコースに組み込んでのウォーキングとなりました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。MOVIX京都〜六角堂〜京都芸術センター〜京都新町蛸薬師郵便局〜紫織庵(川崎家住宅)〜「堀川御池」交差点〜神泉苑〜JR山陰線「二条」駅〜二条自動車教習所〜京都市立朱雀第二小学校〜京都御前下立売郵便局〜文子天満宮〜安楽寺天満宮〜選仏寺南橋〜嵐電北野線踏切(「白梅町」駅西)〜聖ヴィクトール修道会〜洛星中学校・高校〜わら天神〜金閣寺〜カトリック衣笠教会〜後冷泉天皇火葬陵〜大徳寺。買い物の場所は京都芸術センター。市民狂言会のチケットを買いに行きました。ですから、少し南下をしてから北に向かったというコースとなりました。最初は、新町通を北上していたのですが、このままだと、京都府庁にぶつかるということで、丸太町通に出る前に西に向かい、あとはジグザグに北西方向に向かったというもの。適当にジグザグだったのですが、選んだのは、ウォーキングでは久しぶりになる神泉苑。ただ、今日は工事中で、池の水は、すっかり干上がっていました。西大路に出たのは大将軍で。少し裏道を抜けて、わら天神と金閣寺に向かいました。この2つは、ホント、ウォーキングでは初登場です。あとは、北大路通をまっすぐ歩いただけでした。でも暑い。完全に夏のウォーキングの雰囲気が出てきました。




2014年 5月 11日(日)午後 7時 36分

 今日は、週間天気予報では雨だったのが、真逆の快晴。いろいろといい落語会やらがあるなか、それらを振り切って奈良へ。奈良金春演能会で、超レアな「佐保山」が出るということで、なりふり構わず奈良公会堂へと向かいました。その番組は、次のようなものでした。能(金春穂高)「佐保山」、狂言(茂山千三郎)「飛越」、能(高橋忍)「田村-白式-」。「佐保山」が出ないわけがよく解りました。脇能ということもあるのですが、他の出ない脇能とは違い、どこかの神社の由来なんてものではなく、ちゃんとしたコンセプトのある曲です。テーマは「春の誕生」、正にプリマベーラなのですが、その華やかさや明るさ、そないなものを、なかなか感じさせない問題作です。なぜ残ったのかが不思議な気がしてしまいました。春を表す桜なりなんなりで、雰囲気を言葉で飾り立てるということに欠けているからなのでしょうね。もとより舞や特有の型というヴィジュアル的に、春を表したり、作り物で表したりしていない曲なもので、せめて言葉ででもと思っても、ダメということなのです。少なくとも黄紺の理解力では無理でした。シテの金春穂高師は、わりかし稀曲を手がけられることがあるので取り上げられたのかもしれないなと思っています。もう一つは、これまた春の能「田村」。奈良で観ることができる一番の達人と看ている高橋忍師の演能。記録を見てみると、9年前にも、同じ奈良で、同じ小書(白式)付きで、「田村」を観ていました。恐らく「田村」を目当てに、奈良までは行ってないでしょうから、記憶には留まっていないのでしょう。今日の「白式」は、前場から小書を意識したもの。白地の紅入り唐織を脱ぎ下げにして、上半身は縫箔。童子とまではいかなくとも、若い青年が諸肌を脱いだ、いやそれに近いといった風情。面は童子ではなく喝食。こちらの方が遊興性が高くなります。なんか総体として世離れした雰囲気。ちょっと超越的な雰囲気すら漂う装束。かなりインパクトがありました。小書が付いたときの常、次第を謡い終わると、サシ、上歌、下歌が省かれ、ワキの問いかけへと直行。この曲のワキは、名古屋の高安流の飯富雅介師。この会で、よくお目にかかります。後シテは、法被ではなく側次で登場。この側次と半切が白地で、「白式」のノルマを果たしました。「船弁慶」の後シテよろしく鍬形を付け黒垂で登場。が、面が見たことのないような代物。平太を、かなり年寄くさくし、口に切れが入っているというか、細く切れ上がりかげん。なんか魔界から出てきた印象すら持つ不気味な面。まつろわぬ者を退治した所作を見せる場面が、まるで自らが化外の民のよう。その心は、黄紺には解りかねます。「白式」と言えば、老いを表すという思い込みがあるのですが、今日のシテは、ホント動きっぱなし。ますます「白式」の心が読めなくなってしまいました。狂言は、久しぶりに丸石さんを観れ、安心、満足です。三笑会のあとのお二人に比べて、急にお歳をとられた感じ。それだけ久しぶりだったということでしょう。「飛越」は、千三郎さんが、よく出される曲。昔、千三郎さんで、これを観ると、青二才の新発意という風情が似合ったのですが、今や、千三郎さんも結構な年齢。役柄とのかいりはやむを得ないことですね。




2014年 5月 10日(土)午後 11時 6分

  大阪市内遊歩(200)

 昨夜は、宴会のおかげで、呆気なく爆睡。最近、休みだとよく眠れます。ただ早く寝ると、朝が早いというのが問題点。少しお酒を呑みながら、オペラのDVDを観ていると、あえなくダウンです。今日のお出かけは11時がメド。お出かけ先は「一心寺南会所」。今日から3日間は「一心寺門前浪曲寄席」が開かれるのです。今日の番組は、次のようなものでした。春野美恵子(沢村さくら)「暗闇の丑松」、京山幸枝司(岡本貞子)「源太恋しぐれ」、天中軒涼月(沢村さくら)「発明王豊田佐吉」、松浦四郎若(虹友美)「伊達騒動」。「暗闇の丑松」は、春野百合子ものでは、まだ聴いたことのなかったネタのはず。はずというのも、聴いてないとも断定する自信もないからです。人を殺したため、江戸から離れたが、江戸に残してきた恋女房が忘れられず、江戸に戻ってくる途中に立ち寄った板橋宿で、女郎となっていた女房と再会。そこから動き出すというところからダウン。女郎となったわけというのは、世話になるはずの男が裏切ったからなのですから、復讐劇へと行くはずなのですが、そないなことで判らず終い。次の幸枝司さんは、ほぼ全滅。涼月さんは、2回目の遭遇。一段と、恰幅がよろしくなられていましたが、「発明王豊田佐吉」は芦川淳平氏の作品とか。学生の佐吉が、機械の本を読もうとすると、職人気質の父親が、それに棹を差すというお定まりの展開までは大丈夫だったのですが、ここでもダウン。最近、大音響の最前列で聴いていながらダウンが目立ちます。一つには大音響に慣れてしまったのかもしれません。松浦四郎若師は、先月、小圓嬢師の代演で出たときに出した「伊達騒動」を、この初日に持ってきてしまった。そりゃ、ないでしょと突っ込みたくなりました。でも、このネタをされるときの四郎若師の気合いは、全開となります。師匠仕込みの中でも、特に思い入れの強いものなのでしょうね。
 浪曲が終わると、直ちにウォーキングに移行。夜のことを考え組んだコースは、次のようなものとなりました。一心寺南会所〜「恵美須東」交差点〜地下鉄・阪堺線「恵美須町」駅〜南海「今宮戎」駅〜地下鉄「大国町」駅〜大国町北公園〜大国町南公園〜JR「かんじょう069」橋梁〜極楽寺〜長橋3公園〜大阪市立鶴見橋中学校〜大阪市立松之宮小学校〜大阪市立梅南小学校〜大阪市立松通保育所〜大阪市立橘保育所〜大阪市立橘小学校〜敷津松之宮御旅所〜阪堺線「松田町」駅〜大谷学園〜聖愛幼稚園〜阪堺線「松虫」駅〜松虫幼稚園〜大阪市立阿倍野小学校〜桃山学院中学校・高校〜大阪市立阿倍野中学校〜長池昭和幼稚園〜桃ヶ池公園市民活動センター〜大阪市立昭和中学校〜大阪市立田辺小学校〜地下鉄「田辺」駅。最後に、「天王寺」に出やすくするために、まずは西成の西方まで行き、それから南下。西天下茶屋辺りから、今度は東に行きだしたのですが、「橘」交差点を抜ける道は、わりかし最近通ったことに気づき、とりあえずは阪堺線を越えた辺りから修正。大谷学園の周囲を通り、キリ短には回らないようにしたり、「松虫」駅から南下し、桃ヶ池方向に向かうなんて方法を採ってはみたものの、もう少し前に気づくべきだったとの反省。でも西成区内から阿倍野区にかけては、本当に学校が多い。それほど人口密度が高いということなのかなぁなんて考えながら歩いていました。最後は、谷町線に乗るのが、天王寺で、最もロスが少ないということで「田辺」駅を選択することになりました。
 「田辺」から「阿倍野」に移動。休息がてら時間調整のためにネットカフェへ。そして、夜は、歩いて「動楽亭」へ。今夜は、こちらで「鯛安吉日」がありました。その番組は、次のようなものでした。あおば「七度狐」、鯛蔵「青菜」、佐ん吉「雑俳」、鯛蔵「打飼盗人」。一見挙動不振男に見えながら、とみに落語に関しては安定感を見せている鯛蔵の会。ネタ出しは、なんと「青菜」ということだったのですが、逆に大ネタを隠しているのではとの勘ぐりが、一層、この会に足を向けさせることになったのですが、なんと、新ネタとおぼしきものは「打飼盗人」でした。あまり演じ手の少ないネタを選んだのでしょうか。でも、鯛蔵のような若い噺家さんが手がけてくれるのは嬉しいこと。マクラで、盗人の種類から入るのが、文華の入り方と同じだったもので、ひょっとしたら文華からもらったのかもしれません。終盤が繰返しになってしまうのが、おもしろいところであり、難しいところと看ているのですが、そこまで、盗人の空威張りと、人の良さげなところとか、住人の野放図さとか、雰囲気出てると思っていたのですが、さすがの鯛蔵も手を焼きました。単調な繰返しになってしまってたのが惜しまれますね。一方な「青菜」は、むしろ古風な雰囲気が漂いながら、しっかりと自分のテンポで、笑わせる術に感心するばかり。安定感抜群なところを見せつけてくれました。前座はあおば。あおばの長めの噺を聴くのは初めて。それが、なかなか捨てがたいものを感じました。喜ぃ公のはしゃぎぶりが、口調は噺家のそれなんだけど、なんかノリが現代風。あおばが乗り移ったような雰囲気。それを見ていると、昔のアホの軽さ、いいかげんさ、長閑さなんてのも、こないなノリだったのだろなと思えてきて、あおばの演じるアホが、やたら可愛いげがあり、いとおしくなっていきました。聴き慣れた「七度狐」が、次にどないなノリで展開するのかと楽しめたのです。噺家の地が出ることで、噺に臨場感が生まれる典型例じゃないかなぁ。ゲスト枠の佐ん吉のネタも、意外性抜群。米朝の作った俳句の紹介をマクラでやりだしたときも、「口合小町」あたりにでももっていく伏線かなぁと思っていたくらい。このネタも、上方ではやり手の少ないネタ。おもしろいのだが、基本的に根問ものですから、年期のたった噺家さんは敬遠するのかもしれませんし、第一、似たような句を山ほど覚えねばならないのも嫌われるところかもしれません。基本は単調な根問ものですから、連続的に出てくる句が命。ネタ繰りの稽古が大変だなと、聴くだけでも思ってしまいました。とにかく、佐ん吉に感謝です。




2014年 5月 10日(土)午前 6時 49分

  大阪市内遊歩(199)

 GWが終わってからの2日間も、予定は真っ白。珍しいことが続きます。そして、昨日から自分的3連休というこことで、朝早くからのお出かけ。休みの日に目覚ましをかけてのお出かけです。行き先は、「大阪ステーションシネマ」。「パリ・オペラ座ライブビューイング」があったからです。年輩の人が多く来るので、こないな時間設定なのでしょうか。かなりの迷惑です。昨日から、ベルリーニの「清教徒」が始まったので外すわけにはいきません。このプロタクションの最大の売りと看たのは舞台装置。鉄骨だけで組み立てられた城。素通しの状態になってしまっているので、コーラスの人も、身を隠す場所がなく、常に演技を求められるという、舞台に立つ人からすると、かなり過酷なシテュエーション。ですから、演出家には、それらの多人数を動かす力量の求められるもの。当然のことながら、演出家との打ち合わせの上の装置でしょうから、演出家のロラン・ペリの意志が色濃く反映されたものということなのでしょう。そして、その要請に、かなりの部分、応えた立派な演出だったと思います。次に大切なのは、全体を規定する物語の枠組みに斬新な試みが成されたのも大きな特徴かなと思っています。この物語を、エルヴィーラの夢の中の話としてしまったことです。ですから、第一幕などは、エルヴィーラは出ずっぱり。歌う場面がなくても、自室に横たわっている場面が続きました。2幕に入ると、鉄骨は、エルヴィーラの部屋だけとなりました。まるで鳥かごのような部屋だけが残り、そこに狂乱状態のエルヴィーラがうろうろ、これはかなりインパクトがあります。歌う場面でなくとも、エルヴィーラは、ここでも出ずっぱり。鉄骨の城や部屋が、回転舞台に乗せられており、頻繁に回転させます。3Dの設計図を見ているようで、様々な姿に城が変化するのもおもしろい。3幕が、中でも秀逸。城の外で再会を果たすエルヴィーラとアルトゥーロ、その背後にそびえる鉄骨の城のシルエットが、かなりの威容。角度によって、城の重みまでが違って見えました。歌手では、エルヴィーラを歌ったマリア・アグレスタが素晴らしい。とっても歌心を感じる歌い方。そして、出ずっぱりの難しい演出に応えることのできる演技力、いずれにもハートを鷲掴みにされてしまいました。一方のアルトゥーロのドミトリ・コルチャクですが、結構なキャリアを踏んでいるようですが、特に序盤の不安定な歌い方で引いてしまいました。「ハイF」なんてのが、おしゃべりのMC氏が言ってましたが、出たかなぁ? ハイFという高音は夜の女王の最高音、それと同じ高さとは思えなかったのですが、、、。マリウシュ・クヴィエチェンがリッカルドで出ていました。最初、音声さんの音の拾い方が悪いんじゃないのと思うほど、声に艶がない、伸びも欠ける。でも、マリア・アグレスタの声はしっかりとしたもの。ということは、不調としか言いようがありません。これは、ちょっとショックでした。昨日が、「清教徒」の上映開始日だったということもあるのでしょうが、会場は結構な入り。「清教徒」人気ってあるのでしょうね。総体として、それに応えるに十分なプロダクションだったと思いました。
 オペラが終わると、直ちにウォーキングに移行。今日は、久しぶりに西淀川区を目指すことにしました。そのコースは、次のようになりました。JR「大阪」駅〜デイサービスセンター「おとなの学校」〜大淀中公園〜大阪市立大淀幼稚園・同小学校〜大淀中5公園〜JR「とうかい228」橋梁〜大阪市立八坂中学校〜八坂神社〜淀川大橋〜鼻川神社〜中津川(右岸)堤防跡地〜柏里本通商店街〜JR東海道線「塚本」駅〜淀川塚本郵便局〜「野里1」交差点〜中津川(左岸)堤防跡地〜住吉神社〜野里本町商店街〜大野川歩行者専用道路〜JR東西線「御幣島」駅。今日は、天気予報は晴れだったはずだったのですが、歩き始めた途端にポツリときたときにはびっくり。確かに怪しい雲が拡がっていたのですが、お構い無しに歩き続けて正解。この間のようなことにはなりませんでした。今日のコースの秀逸は、西淀川区内に入ってから、中津川の自然堤防の跡を見つけたこと。きっかけは、手持ちの地図を見ていて、区画が、わりと整っているにも拘わらず、斜めに突ききっている道を見つけたので歩いていると、説明板があったのです。近くに淀川があるので、ちょっと考えつかなかったのですが、古地図まで、その説明板には載せられていたので、よく解りました。淀川の付け替えということを考えると、そのような思いもよらない川筋もあるうるとなるのです。黄紺が、説明板を見つけたのは、古地図から中津川左岸と考えられるので、だったら右岸も残ってないか探すと、あっさりと狙いがついたのですが、その道は、ウォーキングをしていて、何度か通った道。こちらには、説明板はなかったのですが、形状だけではなく、住吉神社まであるではありませんか。この住吉神社も、幾度か来てはカメラに納め、また道が斜めに入っていったところにあるとの認識を持ちながら、今日まで全く気づいておりませんでした。海から、更に川を遡り、着岸したところに、海の神を祀る神社がある。全く教科書的な位置取りです。ひょっとしたら、住吉神社の位置が潮汐点ではなかったのかと、勝手なイメージが膨らんでしまいました。淀川を渡るまでの道は、相変わらず時間のかかる道。でも、淀川大橋を渡ったから見つけた中津川堤防。巡検的な意味合いでは、大ヒットのウォーキングとなりました。
 そして、夜は職場の宴会だったものですが、朝が早かったものですから、東西線で「大阪天満宮」まで移動し、繁昌亭でチケットを買いがてら、南森町のネットカフェで時間調整。夜は、自分的には久しぶりの沖縄料理で、普段は呑まない泡盛なんてのを呑んでほろ酔い気分で帰宅となりました。




2014年 5月 6日(火)午後 11時 19分

  大阪市内遊歩(198)

 いよいよGW最終日。明日から仕事なのに、今日が、一番ハードな日にしてしまいました。午後と夜の二部制にしてしまったため、ウォーキングは午前中に持ってこざるをえず、朝9時前にお出かけ。午後からの予定を考えてのコース設定。その詳細は、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜地下鉄「肥後橋」駅〜韓国料理店「紅紅」〜「京町堀1」交差点〜御霊神社〜イタリア料理店「Quatro」〜坐摩神社〜難波神社〜イタリア料理店「L'orma」〜久宝寳橋〜南大江公園〜榎木大明神・イタリア料理店「来鈴亭」〜空堀商店街〜清水谷公園〜宰相山西公園〜「真田幸村出丸城跡」碑(心眼寺)〜明星中学校・高校〜大阪市立真田山小学校〜真田山プール・天王寺スポーツセンター〜真田山公園〜日の出通商店街〜「玉津1」交差点〜さんくすホール〜大阪府立公衆衛生研究所〜JR環状線「森ノ宮」駅。あまり船場や島之内を、東西に歩くことは少ないということで、今日は、その試み。一旦、肥後橋より西まで行ってからの横断。思いのほか時間のかかるもの。当初は、鴫野や緑橋あたりが終点になるかと思っていたのですが、とんでもありません。それも、中川辺りまで南下してから、そないなところを終点に考えるとは、見通しが甘過ぎました。ちょっとわけがあり、真田山辺りで、思いついたことがあり、迂回コースを歩いてしまったとは言え、甘過ぎました。でも、あとの移動を考えたら、「森ノ宮」駅終点は申し分ないところとはなりましたが。ま、結果オーライです。
 「森ノ宮」から「天満」まで移動。駅前のネットカフェで、時間調整がてら休息。午後は、「天六」まで移動して「音太小屋寄席」に行ってまいりました。米二のお世話する落語会、初めてのおじゃまとなりました。その番組は、次のようなものでした。鯛介「兵庫船」、米二「貧乏花見」、二乗「天狗刺し」、米二「牛の丸薬」。米二の主宰する落語会は、各所で随分と行きましたが、いや行きすぎて、最近は、とんとご無沙汰気味。このGWは、なかなか行きたいなと思う落語会を見つけられなかったなか、唯一目をつけた会。一つには、この落語会に行ってみたかったことがあります。も一つは、やはり演じ手が極端に少ない「牛の丸薬」が出るということです。助演者も良く、いい響きの客層といい、なかなかいい雰囲気に満足度の高い会でした。鯛介は、これで2度目の遭遇。元教師だそうで、いろんなキャリアの噺家さんがいるものです。なんか良さげな雰囲気を醸し出しています。インテンポの口演ですから、変化が出てくると、より一層磨きがかかりそうな印象を持ちました。以前聴いたときよりは、好印象です。米二は、一席目のマクラで米朝ネタをひとしきりしてくれましたが、喋ったあとに、思い出話をすると「師匠が亡くなったみたいになりますな」に、会場は大受け。米二は入門38年になるとか。そりゃ、師匠の話になると、昔話が出てきます。マクラを喋り過ぎて、ネタへの繋ぎができなくなり、改めて「貧乏花見」用のマクラを喋ってくれました。黄紺は、米二というよりは、「貧乏花見」っていう噺が好きなのです。だって、長屋の連中ったら、めっちゃバイタリティーがありますもの。風呂敷落ちたらどないすんねんは傑作です。宴会でのやり取りの場面で、今日は打ち切りました。二乗の「天狗刺し」は初もの。こないなやり手の少ない噺をする人もいるのですね。若手では、松五、雀太に次いでとなります。しかし、けったいな噺です。天狗と坊主を間違うのですから。そして、お目当ての「牛の丸薬」。今、これをするのは、米二以外には、宗助と生喬ぐらいじゃないかなぁ。古くさくて、小悪党の出てくる噺なので、敬遠されるのでしょう。それとも、春先と季節限定ネタだからでしょうか。いずれにせよ、今日、米二が選んだネタは、春のネタばかり。5月に入ってしまうと、何だか季節がずれた感じがしてしまいます。米二の口演は、この噺って、こないに長かったかなと思わせる長講となりました。40分弱もかかりました。丸薬を売るところで、ちょっとくさめに引っ張ったことも、原因の一つでしょうが。聴き直してみて、やはり「牛の丸薬」ベストは、これだと再確認。それができただけでも、値打ちのある落語会だったと思います。
 落語会が終わると、再び「天満」駅前のネットカフェで時間調整。そして、夜は、「天満」から「天王寺」経由で「鶴ヶ丘」に移動。今夜は、長居スタジアムで、「セレッソ大阪vs広州恒大」戦を観てきました。アジア・チャンピオンズリーグの一戦ですが、これで、GW期間中、2度目のサッカー観戦となります。長居スタジアムも久しぶりだし、アジア・チャンピオンズリーグの試合を観るのも久しぶりです。ところが、セレッソは、ホームというのに、全くもって守備的布陣。ホームで、5バックはないでしょう。相手の強力3トップを警戒したのでしょうか。それでも、広州は、手をかけないで攻めがうまくいくものですから、ちょっと試合にならない雰囲気。一発のスルーパスで点が入ったかと思うと、同点に追い付いたのも束の間、また手数をかけない攻撃に無理な防御で、あえなくPK。前半に、更に1点が入ったものだから、フォルラン、柿谷といったところが、中盤に下がってしまうもので、全然おもしろくない試合展開。アジアのチームと、ここまで違うかと思うと、早々と帰りたくなったのを、じっと我慢。ちょっと、後半に入り、相手が攻めるのを止めたこともあり、またセレッソが引かなくなったので、試合らしくなったので、後半25分過ぎまで引っ張りましたが、もう我慢ならずとばかりに席を立ちました。日本のスタジアムは長閑です。こないな試合をしても、「イスティファ」の声も聞こえなければ、席を立つ人がいないのですから。帰ってから結果を見てみたら「1:5」でした。あんまりです。




2014年 5月 6日(火)午前 5時 26分

  大阪市内遊歩(197)

 昨日は雨模様。一番、予定を入れにくかった日だったのですが、いいものを見つけました。「シネヌーヴォ」で、インド映画を上映していたのです。それを目当てにお出かけ。目安は11時半に設定しました。映画は「デリーに行こう」というもの。主役は、美人の超エリートの起業家。世界をまたにかけるような活動をしている女性。その分と言っていいのか、その反面と言っていいのか難しいところだが、貧しくて、汚ない、下品な、そういったものを見下すような態度を持っている。その女が、ムンバイからデリーに行こうとすると、トラブル続き。ついには、デリーにではなくジャイプール空港に降りてまった。そこからが本番で、陸路デリーに向かうことにしたのはいいのだが、やむを得ず同行することになった男というのが、貧しくて、、、という一番避けたい人種。ところが、陸路デリーに向かうのもスムーズではない。どうしても、下品で、、、という男の助けがないと、前に進めない。男の口癖にしている「大丈夫、大したことないよ! くよくよするな」という言葉の意味が、次第に解ってくるのだが、本当に、その生き方に共感を覚えるのは、デリーに着いてから。家に電話したはずの男が、実際には電話を入れていなかったことが判ったとき、何か感じるものがあった女は、それこそ人生で、足すら踏み入れたこともなかろうオールド・デリーの雑踏に分け入り、男から聞いていた住所を訪ね、初めて男の言葉の秘密、重さを知ります。なかなかハートウォーミングないい映画。歌と踊りは、流れの中に収まっていました。
 映画が終わると、直ちにウォーキングに移行。お天気が心配だったのですが、霧雨程度ならばいいかと始めたのですが、霧雨も降り続ければ、傘なしで歩くと、上着に水が溜まり、このまま続ければえらいことになると、開始30分過ぎに、一旦は断念し、避難場所を探し歩いていると、雨はあがった雰囲気。ならばと続行を決意。でも、また、ちょうど1時間半が経ったところで、今日一番の降りに。具合よく「千鳥橋」駅のすぐ近くを歩いていたものですから、暫し雨宿り。10分待ちました。もうダメかと思っていたところ、急に止みました。気をよくして、本来ならJR環状線「野田」駅で切り上げるところを、京阪「中之島」駅まで伸ばしてみました。下福島公園を抜けると、えらく近いはずとの思惑があったからです。ということで、最終的には2時間10分となった行程、その詳細は、以下のようになりました。シネヌーヴォ〜九条北公園〜波除公園〜安治川大橋〜春日出南公園〜JR「墓地道」踏切〜春日出商店街〜此花公園〜恩貴島橋〜大阪市立西島小学校〜海龍寺〜西島宮〜「伝法川跡」碑〜阪神なんば線橋梁(伝法4丁目)〜鴉宮〜森巣橋〜大阪市立此花区民ホール〜阪神なんば線「千鳥橋」駅〜台湾料理店「味軒」〜嬉ヶ崎橋〜新家公園〜JR環状線「野田」駅〜下福島公園〜堂島大橋・大阪国際会議場〜京阪「中之島」駅。




2014年 5月 4日(日)午後 7時 42分

  大阪市内遊歩(196)

 GW2日目、今日は快晴の一日。雨さえ降らなければ、GW期間中はウォーキングを続けようとしているため、今日は、朝の9時前にはお出かけ。午後からの予定に合わせて、コースを組みました。その詳細は、次のようになりました。京阪「北浜」駅〜大阪伏見町郵便局〜地下鉄「淀屋橋」駅〜大阪肥後橋郵便局〜靭公園〜大阪市立靭幼稚園〜韓国料理店「ヒャン」〜大阪市立明治小学校〜阿波座南公園〜新町南公園〜地下鉄「西大橋」駅〜南堀江公園〜幸橋〜大正橋〜「かんじょう046」橋梁〜「尻無左17号」防潮鉄扉〜三軒家中央商店街〜大正消防署泉尾出張所〜三軒家公園〜木津川大橋〜大阪市立北津守小学校〜北津守中央公園〜大阪市立北津守保育所〜大阪市立長橋第一保育所〜大阪市立浪速第一保育所〜JR環状線「今宮」駅。今日の狙いは、九条を通らないで大正区に入り、最後は環状線のいずれかの駅に入ろうというもの。九条は、明日、晴れたらウォーキングのコースに入るのが間違いないので、今日は省いたというわけです。また、あとのことを考えて、環状線の駅に入りたかったため、「芦原橋」ないしは「今宮」を終点に想定してのコース取りです。「北浜」を起点にしたため、「大正橋」で、既に1時間を超過。当初は、「大浪橋」を渡り、大正区を離れるつもりだったのですが、「大正橋」から大正区内に入っているため、元に戻る印象が強く、「津守」に抜ける道を選択。そこから「芦原橋」との距離感を、多少見誤ったため、迂回してしまいました。存外「芦原橋」は遠く、でも「今宮」駅に逃げ込め、ジャスト2時間に納めることができました。昨日と違い、見事に人混みを避けたコース。快晴なので、川のある風景は、一段と冴えました。
 「今宮」から「天王寺」に移動。午後からの予定に備えての休息と時間調整にあてるためにネットカフェへ。そして、午後は「動楽亭」へ歩いて移動。今日の午後は、こちらの昼席に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。優々「延陽伯」、ひろば「真田小僧」、南光「あくびの稽古」、よね吉「七段目」、(中入り)、歌之助「看板のピン」、雀喜「野崎詣り」。混雑が予想されたので、GW期間中で、最も客足が遠そうな日をチョイス。もちろん自分で行ってみたいと思う日の中からの話ですが。その判断の最大の要素は、雀喜がトリという点。入りなさそう、でも行ってみたい、聴いてみたいという観点からです。一つだけ問題点があったため、開場前に動楽亭に到着することにしました。それは、出番が早いにも拘わらず、南光が出るということ。やみくもに動楽亭に来る人は、南光の名前だけで来ますからね。確かに、そういった人もいたり、よね吉目当てで、地方から来たなんて好事家の方もおられましたが、普通の土日程度の混み具合に一安心。人混みの中の落語会という様相は避けることができ、それだけで満足だったのですが、ちょっとネタが平板でしたね。GW版ネタ選びという印象。ちょっとメモる必要のあることだけを記しておきます。優々は、時間を考えつつ風呂場の場面を入れました。替わりに長い名前で遊ぶ部分に、ぼて振りの八百屋は出てきませんでした。いろんな場面を、日により出すのを変えている可能性があります。ひろばの「真田小僧」は初もの。そういったものになると、途中が飛んでしまってます。今日は、このひろばと南光のところで、うとうとときてしまいました。よね吉と歌之助は、比較的時間のかからないネタをするつもりだったためか、マクラがたっぶりめ。よね吉は、自身が太った話、歌之助は、双子の弟と一緒に、井の頭公園の池にはまった話をしてくれました。よね吉は、「七段目」を出しすぎ、歌之助の「看板のピン」は、表情たっぶりで、なかなかの聴きもの。そして、期待の雀喜は、まあ自作を持ってくることはなかろうとは思っていたのですが、「野崎詣り」を出されると、正に季節ものということで納得。また、その口演は、フルヴァージョンをしてくれたのじゃないかと思えるもの。通常省かれる屋形船と土手とのケンカが入りました。実は、そこに「小粒」のネタ振りがされていたのですね。「野崎詣り」という噺の構造が、よく判り、この口演には大拍手です。道行く人の描写は、雀三郎のそれですから、雀三郎も、このフルヴァージョンをやってたかなぁと思い出そうとしたのですが、無理でした。




2014年 5月 3日(土)午後 10時 9分

  京都市内遊歩(52)

 GWに入ったのですが、30日を最後に、予定表は真っ白だったのを、頑張って埋めてみました。2日に、仕事が入ってしまったのが誤算の始まりで、それまでに予定していたことがチャラに。それ以後も、取り立てて何も入らなかったのです。とりあえず、今日はサッカーを観に行くこととして、それまではウォーキングとしました。そのコースは、次のようなものになりました。京阪「五条」駅〜松原橋公園〜京都市立新道小学校〜恵美須神社〜建仁寺〜安井神社〜八坂神社〜円山公園〜知恩院〜青蓮院〜粟田神社〜仏光寺本廟〜無鄰菴〜京都市動物園〜聖マリア保育園〜京都岡崎郵便局〜京都市福ノ川保育所〜京都市立白河総合支援学校〜宗忠神社〜陽成天皇神楽岡東陵〜真如堂〜後一条天皇菩提樹院陵〜後二条北白河陵〜京都大学〜京阪「出町柳」駅。あとのことも考え、少し市内の北方向に向かおうとたのですが、世の中はGW。人混みに呑まれつつ、それが嫌で、そこからは離れつつのコースとなりました。しかし、この時期に、祇園界隈なんて、ましてや八坂神社から円山公園を抜けるなんて、どだいムチャなコースです。四条通や三条通を通るなら、もっと西を通らないと、人混みに呑み込まれるだけです。岡崎からは、以前、黒谷に抜けたので、今日は、その西側を行くことに。初めて通る道だったのですが、これが、なかなかのシックな道。ちょうど吉田山の東側になったようで、かなりの高級な地域。しかも昔からのと言える地域。こないなところに、ハイソな地域があったのですね。京都に住んでいながら、今まで知りませんでした。最後は、あとのことを考えて、今出川通をひたすら西へ。それが正解で、出町柳駅の改札口でジャスト2時間の行程でした。
 「出町柳」から「三条」に移動。「イスタンブル・サライ」近くのネットカフェで、時間調整がてら休息。そして、阪急電車で「西京極」へ。夜は、「サンガvsカマタマーレ」の試合を観てきました。去年だったかなぁ、息子と一緒に観に行って以来の西京極でした。ちょっとトルコのローカルなサッカー場を想起されてくれます。エスキシェヒルのスタジアムは、これだけのキャパはないよなと、勝手なことを考えていました。試合は、ここまでの成績が示すもの。カマタマーレには、ときとしてチャンスは訪れはするのですが、試合は、サンガのペース。サンガが点を入れると、観る楽しみが減るぞと思ってた通りの展開に。オフサイドまがいの飛び出しから、大黒のきれいなループシュートが決まると、も一人のフォワード三平が、流れからファインゴールを決め、前半20分過ぎに、早くも2点差。もう、これだけで、黄紺は帰る時間を考え出していました。後半にも、二人のフォワードが1点ずつ。もうイエテル状態を、遥かに通過してしまっていましたが、ビールを買ってしまったもので、じっと我慢。サンガは、大黒に頼り過ぎって感じ。観ていて、それも仕方ないと見えるほどの違いを、大黒は見せます。常にオフサイドぎりぎりのラインをつく動きは、さすが元日本代表です。で、それに頼り過ぎていて、サンガの未来はあるのって思ってしまいました。最終結果を、帰ってきてみたら「4:1」でした。1点入れられたのですね。詰めが甘いです。




2014年 5月 1日(木)午前 5時 46分

 GWの谷間に入っていますが、黄紺は通常の勤務。今年ばかりは、GWだからと言って、おいしいことは、ほとんどなし。今週などは、勤務日ではない金曜日まで、通常の出勤です。そう考えるだけで、気が重いですね。GW4連休の内、ようやく1日だけ、予定を入れた程度。ホントに真っ白。というわけで、真っ白に入る前、最後の夜遊びが昨日。昨夜は、繁昌亭の「第82回創作落語の会」に行ってまいりました。好メンバーということで、チケットの売れ行きは上々。黄紺はドイツに行っていたために買うのが遅れ、購入したときは、最後に残っていた2枚の内の1枚でした。そないにして手に入れたチケットにも拘わらず、体調はよろしくなかった。かなりの寝不足のまま繁昌亭に行くことになりました。その番組は、次のようなものでした。三度「瀬戸ワンタン」、遊方「クレーマー・クレーマー」、あやめ「すみれの花咲く?」、(中入り)、福笑「狂言強盗」、文枝「屋上の使い方」。予想は的中。遊方とあやめの高座でダウン。たまたま耳になじみのあるネタなので、ちょっと胸を撫で下ろしたところです。三度は初遭遇。世界のナベアツとして、マスコミの寵児となった方。その人が、石段で上がってくると、ちょっと居心地が悪いのですが、噺家としてのキャリアでは石段はやむを得ません。ネタは、やっぱ独特の感性が出たもので、非凡なものを感じさせてくれました。「瀬戸の花嫁」の替歌が、人により違い、それがもとになりケンカにまで発展、警察沙汰になったら、警官も、替歌にのってくるというもの。福笑の作品も初遭遇もの。夫婦仲の再確認のために、友人に狂言強盗を依頼するのだが、依頼された方が、不安から、打ち合わせなしの男を一人連れてくるものだから、混乱に陥るというもの。狂言強盗に至る点が、どこかで聞いたことのあるもの。福笑作品としては、ちょっとパワーが落ちます。そうだからでしょうか、着物に仕掛けを施して、首が落ちる所作を見せてくれました。文枝は、個人商店の衰退を描いてくれました。家具屋と仕立屋の愚痴りあいが前半。後半は、仕立屋の持つビルの扱いに話が移ります。徐々に個人商店の衰退話が、ビルの屋上の扱いに焦点化していきます。筋の運びが、実に旨いものと感心するばかり。序盤の愚痴りあいの場面と、屋上の使い方を社員からアイデアを募集する場面が、もう少しスリム化されれば、現代社会の一面を切り取った名作に数えていいのじゃないかなぁ、さすがです。文枝は、毎月、この会を開き、新たに新作の発表を続ける由。時間的に可能ならば、追いかけてみるつもりをしています。




2014年 4月 29日(火)午後 10時 43分

 昨日は、まっすぐ帰り、そして熟睡。3日連続のウォーキングって、睡眠を促してくれています。結構なことです。
 今日は、朝から雨。天気予報が、きっちりと当たりました。ところが、お昼前に雨があがり明るくなってきたので、慌ててお出かけ準備。ウォーキングをしようとしたのですが、枚方まで来たところで、外は雨。あっさりと諦めて、そのまま京阪特急に乗り大阪へ向かいました。たまたま「大阪歴史博物館」の招待券を持っていたので、急遽行ってみることにしました。おかげで、GWの予定が一つ消えてしまいました。「大阪歴史博物館」では、4月半ばより「大阪の浮世絵」という特別展示をしています。それが目当てだったのです。「大阪の」と付けられて、浮世絵に、そういった切り口があることに気がつきました。そう言えば、黄紺が聞いたことのある浮世絵師というのは、江戸で活躍した人ばかり。今のような通信手段があるわけではありませんから、それの拡がり具合ということを考えること自体がおかしな話になってしまいます。逆に、そういった切り口があるということは、江戸から広まった、いや独自のスタイルを生んだのか、全然考えもしなかったテーマが、目の前に提示されたようで、この特別展の正体が、とっても気になってしまったのです。そしたら、やはり浮世絵は都市文化、江戸にあって、京都、大坂にないわけがありませんでした。デザインや作画、刷りにも、江戸のそれとは違うものを確認できるとか。絵の種類では、圧倒的に役者絵が多く、今回展示されているものの多くを占めていました。市井に出回ったものの中でも、多数を占めたのでしょうか。美人画や風俗画の占める割合が少なかったということです。製作の割合がそうだったのでしょうか。滑稽画的なものの展示はなく、そういった意味では、デザインの変化は、江戸のものに比べると少なかったのですが、これも、今回の展示に限ったことかもしれません。役者絵の中に、なんと尾上民蔵があったのが嬉しかったなぁ。ホントにいたんだの嬉しさです。
 「大阪歴史博物館」から出ると、うまい具合に雨が止んでいたので、歩いて扇町まで移動。ネットカフェで時間調整をしたあと、夜は繁昌亭へ。今夜は「桂しん吉春の祭典'14」がありました。その番組は、次のようなものでした。鯛蔵「牛ほめ」、しん吉「西行の鼓ヶ滝」「マル子」、ぐんきち「元祖お囃子カントリー」、(中入り)、しん吉「ふみきり物語」。春と秋に繁昌亭で会を持ってきたしん吉、春の方は、古典は置いておいて、自分のやりたいことを並べるというもの。客には、決して歩み寄らないというのをポリシーにした会を持ってきました。しん吉は、その歩み寄らないものを持っています。ですから、知らないで来た人はともかく、知って来ている人たちは、それを楽しみに来ているというわけです。そのしん吉オリジナル噺というのが鉄ちゃんネタ。今日も、各所で出てきました。「鼓ヶ滝」を、しん吉が出すというのは、全く想定外。釈ネタも釈ネタ、あまりに講談ぽいネタであり、地噺、そんなネタを、吉朝一門の噺家がするというのは、あまりにイメージに合わないのです。実際の口演は軽く扱うのが方針のようで、ちょっと勝手が違ったな。井戸端会議的に話すには、和歌は似合わないなの感覚です。「マル子」は、鉄ちゃんの面目躍如の新作。運転手と電車との恋物語という、奇想天外な想定。しかもしん吉の愛して止まない阪急電車を相手にしたもの。終盤、能勢電が出てきて下げへと持っていきます。今日の秀逸は、問題なくこれと言っていいと思います。「元祖お囃子カントリー」は、この会ではお約束の登場。今日は、阪急尽くしの色彩が濃いということで、曲の方も阪急電車の京都線と宝塚線の恋物語からスタートしました。最後の「ふみきり物語」は小佐田作品。老踏切監視人の定年前の最終勤務の日を描いたもの。狸を出したりするなんてところに、小佐田作品らしいところが滲んでいますが、も一つ下げが理解できませんでした。幻の狸のSLを受けての下げが解らなかったのです。ま、それもいいかと思い、外に出たら雨は本降り。止むんじゃないかと思い出かけたため、傘はなし。「トルコ人は傘ささない」と言いながら、でも、ずぶ濡れで風邪ひきそうです。




2014年 4月 27日(日)午後 10時 29分

  京都市内遊歩(51)

 今日も初夏の陽気で快晴。従って、朝からウォーキング。お出かけは、昨日と同じ9時が目安。今日は、まず京都でウォーキングをしてから、大阪へ移動するという方法を採りました。すると電車の中で、うまくいけば眠ることができます。従って、終点は京阪特急停車駅ということで、「七条」駅を選びました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。近鉄「伏見」駅〜二口屋〜近衛天皇安楽寿院南陵〜内畑児童公園〜光照寺〜田中殿公園〜大宮大橋〜「十条大宮」交差点〜塔南保育園〜比永城公園〜韓国食材店「キムチのはんめ」〜京都みなみ会館〜JR「とうかい104」橋梁〜京都タワー・京都中央郵便局・JR「京都」駅〜京都市立崇仁小学校〜塩小路橋〜三十三間堂〜京阪「七条」駅。序盤は、先日「光照寺」で落語会があったもので、再度行ってみようと思っただけ。近衛陵の近くだったことに、今頃気づきました。あとは、変わりばえがのしない工場街、倉庫街。ホント、写真に撮り、記録したいという気持ちが起こりません。そして、気がつくとみなみ会館の横に出ていました。京都駅近くは観光客でいっぱい。先日の稲荷界隈といい、京都駅界隈といい、ホント、観光客が増えました。少し余裕があったので、三十三間堂回りで「七条」駅へ。当然の如く、三十三間堂も観光客が詰めかけていました。
 「七条」から「北浜」経由で「日本橋」へ。昨日同様、千日前のいつもは行かないネットカフェで、休息がてら時間待ち。今日も、二部体制で「徳徳亭」であった「旭堂南海の講談読みきり、獨リヨガリ」へ行ってまいりました。午後の部の番組は、次のようなものでした。「高山と中川(天王山の戦い)」「藤十郎の恋(菊池寛作)」「鍔屋宗伴(赤穂義士伝)」。「高山と中川」は、本能寺の変のあと、中国攻めから引き返してきた秀吉軍の先陣争いの物語。長岡まで出ばってきた光秀軍に対し、高槻の城主高山右近と茨木の城主中川清秀によるものだが、南海さんの手にかかると、子どもの争いのようになり傑作。これは、以前にも聴いた記憶のある、わりかしポピュラーなネタ。「藤十郎の恋」は、菊池寛が最初は「新思潮」という東大の雑誌に発表したもの。戯曲が小説になり、人気が出たところで、再戯曲化したものという解説が入りました。芸術至上主義的な話。素人女を口説く芝居をするのに、実際に見知った素人女を口説いてみて、それを芝居に生かそうとする藤十郎。女は自害をして結末を迎えます。「鍔屋宗伴」はいい話です。目利き以外は、大した能力のない赤穂藩士服部右内。骨董品の値の話を浅野の殿さんにしてしまい顰蹙を買い、それをきっかけに脱藩して、江戸で目利きを生かし商売を始める(屋号が鍔屋)。それが、刃傷の7年前。そして、7年後、たまたま入ったそば屋が、吉良邸を探る赤穂浪士が営むところ。吉良邸の近くだったことから、討ち入りを察知した鍔屋は、家財を処分して、超貴重な茶道具を手に入れ、吉良の誘いを待つ。それで、うまく茶道具をさばくという立場で吉良邸に入った鍔屋の思惑は、吉良邸の図面を作り、件のそば屋に置いてくること。見事、その思惑を成し遂げ、討ち入りに貢献するという話なのですが、こないにいい話が、世に出ていないのでしょうね。南海さんは、確か、このネタを、トリイ講談会での「赤穂義士伝」のレアもの特集で出されたことがあったように思うのですが、レア扱いになっていること自体が不思議です。単に長いだけかもしれないのですが。
 夜の部までの時間待ちは、今日もなじみのネットカフェで、オペラのDVDを観て過ごしました。「ホヴァンシチーナ」が終わり「アグリッピーナ」に入っています。最近、お気に入りのロシアものに、ヘンデルものです。そして、再び「徳徳亭」へ。開口一番、ここで南海さんから、呆気にとられる情報が。「徳徳亭」の閉鎖自体が取り止めになり、「千日亭」として、名前を変えて存続するそうです。南海さん自身も、一昨日知ったと言っておられました。そもそも、この会は、「徳徳亭」閉鎖に伴うもの。南湖さんなどは、場所を変えてのスケジュールを発表されているのに、びっくりです。トリイの社長も見通しのない方です。最後の会の番組は、次のようなものでした。「七本槍の出陣(賤ヶ岳の戦い)」「三十三間堂通し矢の由来(名人譚)」「怪談・吉備津の釜(上田秋成作)」。「七本槍の出陣」は、賤ヶ岳の戦いが始まったときには、秀吉は、弟に総大将を任せ、秀吉自身は岐阜にいた。ところが、賤ヶ岳の戦いが始まると、茨木城主の中川清秀が討ち死にをしたりで、秀吉軍は不利な戦いに。そこで、岐阜に援軍を求めたものだから、秀吉配下の武士が先陣争いをしたという話。だから、賤ヶ岳の戦いの全くの入口の読み物でした。「三十三間堂通し矢の由来」は、今で言うと、アスリートはアスリートで通じ合うものがあり、スポーツマン精神の気高さを謳った話となるのでしょうか。三十三間堂の通し矢で競う尾張家と紀州家。紀州家が出したのは、16歳の元服を無理やり済ませた若侍。けしかける応援の武士たち。緊張と体力がもたなくなった若侍を救ったのが、通し矢の記録を持っていた尾張藩お抱えの弓の名手。いい話です。「怪談・吉備津の釜」、これも、南海さんが、どこかで出されていたのに記憶があるのですが、今回の12席は、ネタ下ろしはなし、でも口演回数が、1〜2回のものばかりを集めたとか。この話は、特段、吉備津でなければならぬという筋立てではありましたでした。放蕩三昧の若旦那に、嫁でも宛がえば落ち着くかと、結婚させてもダメ。親旦那は、怒って倅を座敷牢に入れてしまう。嫁をだまし金を用意させ、女と逃げる若旦那。床に臥せり、痩せほそっていく嫁。やがて亡くなります。ここに、恨み、祟りが出てきます。相次いで起こる二つの不幸。二つ目が、ちょっとユニークな感じがしました。かなりわくわく気分で待っていた会が終わりました。そして、その楽しみに応えてくれる内容。申し分のないものでした。幸い、黄紺も体調が良く、たっぷりと聴くことができました。




2014年 4月 26日(土)午後 10時 46分

  大阪府門真市(49)〜守口市(73)〜大阪市鶴見区、城東区

   今日から、世間ではGWに入った人たちがいるのでしょうが、それに叶う絶好の日和。最近、お天気が良ければ、ウォーキングを最優先にと思い直したものですから、まことにもってありがたいお天気。朝9時を目安にお出かけ。午後からのことを考えてのコース選び。その詳細は、次のようになりました。京阪「古川橋」駅〜門真市立速見小学校〜門真市立第三中学校〜大阪府立門真西高校〜門真市グリーンセンター〜鶴見緑地〜大阪市立鶴見商業高校〜大阪市立菫中学校〜済生会野江病院〜南菫橋〜大阪市立蒲生中学校〜大阪市立成育小学校〜京阪「野江」駅。春真っ盛りの鶴見緑地に行くのが目的にして組んだコース。さすがに週末の鶴見緑地、バーベキュー客はもちろんのこと、子ども連れにウォーキングに精を出す人でにぎわっていました。そして、関目自動車学校へと出るつもりが失敗。この出口へ出ようとしては失敗続き。ようやく今日、間違って出てから陸橋が視界に入りました。わりかし北の方にあることを確認しました。だいたい西側に出ると、鴫野を目指すのですが、今日は、京阪沿線に向かうことに。最後は、少々早く着きそうだったので、南に迂回してから「野江」駅到着。所要ジャスト2時間の行程でした。
 「野江」から「北浜」経由で「日本橋」に移動。休息がてら時間調整に、いつもとは違う千日前のネットカフェを利用。そして、いよいよ、この週末のお楽しみ「旭堂南海の講談読みきり、獨リヨガリ」という会。「徳徳亭」でありました。今日、明日の2日に渡り4回開かれますが、通し券を買い求め、全部聴くつもり。発表が遅かったため、涙をのんだディープな講談ファンの方を複数知っています。黄紺はラッキーなことに、この週末が真っ白だったもので、運良く全部聴けるというわけです。番組は、次のようなものでした。「信長と秀吉(桶狭間の戦い)」「土方長十郎の妻(難波戦記異聞)」「腰元彫・昆観(名人譚)」。各回冒頭には戦記ものを置いたという南海さん。「信長と秀吉」は、今川義元が天下盗りを宣言すべく上洛をする際、その途中、信長領内を通過するのに対し、扱いに苦慮する家臣団。大軍を前に戦は無理と考えるのに対し、黙して通過させると、義元の天下盗りを認めたことになるため、戦に討って出たい信長の意を汲み、戦を主張する秀吉。そして、桶狭間で溜池を崩し、義元の首をとるという秀吉の出世話にもなっています。「土方長十郎の妻」は、夫に対する讒言に抗議したために、逆に陥れられた夫が悔しい切腹をしたあと、剣の修業を積んだ妻が仇を討つというもの。また、その修業を助け、実際にも助太刀をしたのが、かつて夫が戦場で剣をまみえそうになりながら、武士としてのしきたりを重んじたという侍。武士道の美徳と仇討ちという2つの要素が絡むいい話です。「腰元彫・昆観」は、気難しい名人が、ちょっとしたきっかけで、のめり込むように創り上げた新感覚の刀の鍔が出来上がるまでを描きます。気が向かないと創作意欲が涌かないという名人気質がベースにされているというのは、名人譚の定番。それに頭を抱える問屋の主人、家計のやりくりに苦労する出来すぎ女房という具合に、名人譚には欠かせない要素が、全て詰まっていました。3つのネタが、いい色変わりを見せ、いい講談会です。こんなのを、4つも続けることができるのは、ホント南海さんだけじゃないかなぁ。
 夜の部までは、いつもの千日前のネットカフェで時間待ち。そして、再び「徳徳亭」へ。4回通しを買っているのが、黄紺を入れて5名。いずれもディープな講談ファンの方々です。夜の部は、南湖さんがお手伝いに来て、受付をされていましたので、ちょっと修羅場読みについて、お話を伺うことができました。夜の部の番組は、次のようなものでした。「鳥居と成瀬(三方ヶ原の戦い)」「維納の辻音楽師(異国噺)」「怪談・怨みの高座」。「鳥居と成瀬」は、上方では、あまり出ない家康陣内の物語。仲の悪い2人の武士、鳥居と成瀬、ある日、意地の張り合いからアホらしいケンカ。本多平八郎に、命は家康様のものとたしなめられた2人が、実際の三方ヶ原の合戦で、家康を守るために命を投げうち、またお互いを支えに戦うというもの。田辺南鶴の作品だそうです。「維納の辻音楽師」は、てっきり南海さんのウィーン公演の顛末記かと思っていたら、とんでもありません。宝井馬州作品だそうです。ナポレオン戦争明けのウィーンで、1匹の犬を連れ、街角でバイオリンを弾く辻音楽師。そのバイオリンを借り、街角でバイオリンを弾いたのは、フランスから演奏旅行に来たプロのバイオリニスト。ナポレオン戦争明けだったもので、オーストリアで受け入れられるか不安だった当のバイオリニストは、市民に囲まれ演奏したことで感触を掴み、リサイタルに臨む。そして、感謝の意味を込めて、辻音楽師と犬をリサイタルに招待するというもの。とってもまともな講談にびっくりでした。「怪談・怨みの高座」は、なかなか重い作品。新作と言っても、南海さんの作品ではありません。鳴海四郎三郎という人の作品だそうです。世話をした講釈師に、妻を奪われ、藩の金を盗んだ疑いをかけ、切腹直前の侍を救ったのは、恩義を感じる講釈師。でも、その侍は、再会した悪人どもにコケにされ自害。その怨念が息子に受け継がれ、父とともに養い育ててくれた講釈師の助力を得て仇を討つというもの。最後は、怪談仕立てにはなりますが、単なる仇討ちものとしても十分楽しめるもの。12のネタを、一挙に口演するというだけでも生半可なものでもないのに、この高座の南海さんは鬼気迫るもの。完全に、話に吸い込まれてしまいました。あと2回が楽しみです。




2014年 4月 25日(金)午後 10時 23分

  京都市内遊歩(50)

 完全に初夏の陽気、しかも、朝晩の寒暖の差が大きい。身体が慣れるのに大変です。今日は、まず稲荷界隈で所用を済ませてから、大阪に移動してウォーキングという計画を立てたのですが、稲荷で所用を済ませて、京阪電車に乗ろうとすると、人身事故で完全ストップ。気の毒なのは、猛烈に増えている外国人観光客。そないな人たちを尻目に、予定を急遽変更。京都でウォーキングをすることにしました。ウォーキングが終わる2時間後には、電車は動いているだろうの読みでした。そのコースは、次のようになりました。京阪「伏見稲荷」駅〜陶化橋〜「西洞院札辻」交差点〜西九条児童公園〜京都府立鳥羽高校〜東寺〜洛南高校〜「八条壬生」交差点・六孫王神社〜見水不動明・八条児童公園〜JR「とうかい106」橋梁〜諏訪開公園〜小坂児童公園〜京都島原郵便局〜下京ひかり保育園〜福神社〜松原幼稚園〜京都市立松原中学校〜天道神社〜京都市立堀川高校〜御射山公園〜京阪「三条」駅。もし電車が通常通り動いてないことも考え、終点を「三条」駅以北の駅にしておかないと、大阪に移動するときに困るということで、さすが京都は土地勘があるので、時計を睨みながらのコース取り。あまり東側の道を北上すると、変わりばえがしないということで、今日は壬生川通をチョイス。大宮通の2つ西側の通り。思惑があったというより、時間的に適切と判断したもの。ただ東海道本線を抜けるのは難しく、結局は梅小路の東側まで移動してからしか東海道本線を抜けることはできませんでした。となると、後半は、歩き慣れたコース。できるだけ重複しないようにと選んだのが錦小路。河原町通と烏丸通の間は、さすがに通るわけにはいかないものですから、普段コースに入れてなかったものですから。最後は、ちょっとだけ三条通から北にふくれてから「三条」駅へ。見事、ジャスト2時間のコースとなりました。しかし、心配していた京阪電車ですが、通常ダイヤには戻ってはいませんでしたが、下校ラッシュに差し掛かっていたわりには、問題なく乗ることができました。
 京阪電車で、無事に京橋に移動。車内で寝ることもでき、休息の場にも使うことができました。更に「鶴橋」まで移動して、駅前のネットカフェで時間調整。夜は「雀のおやど」であった「つるっぱし亭」に行ってまいりました。「徳徳亭」では、南湖さんの会があるにも拘わらず、こちらを選んだのは、雀三郎が、恐らくネタ下ろしと思える「土橋萬歳」を出すからという一点で。上方落語屈指の大ネタ、演じ手も少ないということで、自分的には、生で聴くのは5回目にしかならないネタです。米朝で2回、染二(染二襲名前だったような記憶です)で1回、八天時代の文都で1回だけしか聴いていないものです。その番組は、次のようなものでした。生寿「四人癖」、雀三郎「ぼっかぶり」、染二「幽霊の辻」、雀三郎「土橋萬歳」。生寿の前座ネタとしては「四人癖」は定番。ただ慣れてきた分、気になってきている点が一つ。目をこするのは、常に両手を使って欲しいものです。両手を使いながら、お茶を飲むから忙しくなるのだと思うのですが。「ぼっかぶり」は、繁昌亭台本コンクールの受賞作。今年度受賞作では一番だと思うものです。これが最後のつもりのようですが、だったら、誰かに、この機会に受け継いで欲しいネタです。聴きそこ間違いだけの噺ですが、そのアイデアがバカバカしいのが気に入っているのです。染二は、ひょっとしたら「土橋萬歳」関連で、ゲスト枠に入ったのかもしれません。「幽霊の辻」の方は、2回目の遭遇。染二の口調がやかましいというものなので、こけおどし的なプロットが、怖い話の連打からくる可笑しさ、バカバカしさを、逆に消しているように思えてなりません。それを考えると、佐ん吉の口演が引き立って見えてきました。肝心の「土橋萬歳」。真面目な番頭、野放図な若旦那、中でも終盤に入るまでは、決して可愛いげを見せない若旦那、こうした構図は、さすがに雀三郎は心得たもの。その緊張が、一挙に高まる場面が土橋の場面。ところが、今日は、なぜか、ここでこけてしまった。なんかタイミングを外してしまったみたい、雀三郎自身が。お囃子と、瞬間的にずれたのかもしれません。とにかく変だったのです。緊張が高まるはずのところで、ずっこけた感じでした。そのわけを押さえて、再度聴かせて欲しいものです。




2014年 4月 24日(木)午後 11時 1分

 昨日は、夜遊びなしで真っ直ぐに帰宅。おまけに、睡眠時間たっぷり。久しぶりに健康的な生活。そして、今日はかなり暖かな一日。いずれ夏になるのだという気にさせられる暖かさでした。こう暖かだと、睡眠を十分にとっていても眠たくなります。夜は、今日も講談。今週は、見事に講談ばやりの1週間です。今夜は「動楽亭」であった「上方講談を聞く会」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。南舟「正直車夫」、南湖「五条の橋」、南北「東玉と白圓」、南華「浜野矩随」。「正直車夫」が、なかなか大きな話で、話の内容からして、交流の中で東京でつけてもらったのではという印象を持ちました。正に正直な車夫が、助けてくれた警官への感謝の気持ちを忘れず、後に再会し、逆にその警官の役に立つ話と、車夫が、人力に乗った黒田清隆の忘れた財布を届ける話を中に置き、トータルとして、話が繋がり車夫の人柄を表すというもの。長屋の住人の車夫夫婦と、親切な警官、それも職に就いているときと、職を失った警官と二種類が出てくるうえ、黒田清隆などという華族に、その書生と、あまり講談には出てこないキャラが出てくるという難しいネタ。それを考えると、南舟くん大健闘の高座だったと思います。南湖さんは、マクラで息子さんのぼやき。いつもと違い、かなり真剣。その後を知りたい話です。ネタは、初ものの「五条の橋」。もちろん牛若丸と弁慶の出逢うところ。南湖さんは、最近修羅場にこっていますが、このネタも、二人がやり合う場面は修羅場読み、しかも文語調。「さんぞうろう」なんて言葉が、普通に出てきていました。「東玉と白圓」は、やはり南北さんで聴いたことのあるネタ。講釈師列伝なんてものがあるのでしょうか、神田伯海(?)の成功、転落、再生を描いたもの。白圓というのが、再生を期して名乗った名前。東玉は、それを助けた同時代の名人講釈師です。しんみりとした、なかなかいい話です。あとから上がった南華さんが、「南北先生の高座で終わっていいんじゃないですか」と言ったほど、重みのあるネタですし、また南北さんの口演だったと思います。でも南華さんのネタもとっておきのもの。「東玉と白圓」にひけをとらないトリネタでした。これは、南華さんが、交流で琴調師からもらったネタ。彫物師矩随が、名人と化けるところを描いたもの。久しぶりに聴いてみて、いい話だし、いい口演だしと、大満足。中でもひ弱そうな矩随が、南華さんの手にかかると、なんか応援したくなりますね。小さく「ファイティン」と、最後の「グ」の声が聞こえない程度の声かけがしたくなりました。振り返ってみると、いいネタの並びです。実は、そないな予感がしたので、今日は、この会をピックアップした次第。思惑が当たると、嬉しさが増すものです。




2014年 4月 22日(火)午後 10時 36分

 今日は、朝からシュトゥットガルト歌劇場のプロダクション「夢遊病の女」を観ながら居眠り。だったら二度寝をすれはいいのですが、あとのことを考えると難しい。そんなで、ちょっとだけ家の仕事を済ませてから大阪へ。今日は、まず繁昌亭の昼席に向かいました。今週1週間は、福笑がトリをとるということで、定番の昼席に向かったということです。その番組は、次のようなものでした。治門「つる」、佐ん吉「犬の目」、文三「堪忍袋」、坂本頼光「無声映画」、ひろば「動物園」、小染「くっしゃみ講釈」、(中入り)、ひろば・佐ん吉「戸板返し」、新治「権兵衛狸」、三金「奥野くんの選挙」、福笑「アイスクリーム殺人事件」。今日は、高校生の修学旅行の一団でしょうか、無茶苦茶な数というわけではありませんが、一定数塊で入っていたからだと思うのですが、それを意識したのか、解りやすいネタが並んだ番組となりました。また、全体としても軽くて素早い反応があり、噺家さんは逆に気持ち悪いくらいの反応と看ていたふしを感じました。特に前半、軽めのネタ、解りやすいネタが並んだのは、そないな雰囲気を反映したからだと思えます。そないななか、佐ん吉の「犬の目」は久しぶりだった気がします。トップに出ると、よく出したネタですが、二つ目に出るようなキャリアになると、逆に聴けなくなっていましたから、ま、ラッキーだったかなというところです。ただ、今日も眠ってしまう時間が、この前半に出てきてしまいました。文三から小染の間で、そないな状態でした。その中で、ちょっと狙いにしていた坂本頼光のところでは覚醒できていたのはラッキーなところ。狙いにしていたところで眠くなるというジンクスが崩れました。坂本頼光の名前は、トリイホールで公演があるので知ってはいたのですが、遭遇は初めて。想像していたのよりは若い方でした。今日は、ロシアの無声映画「昆虫カメラマンの復讐」を見せてくれましたが、映画自体の出来栄えにも驚かされました。作り物の虫を動かしてコマ撮りをしたもののようで、大変な労作でした。一度、活弁の会に行ってみたくなりました。戸板返しは、繁昌亭では2度目。運良く2回とも観るチャンスに恵まれています。前回に比べ、ボケ役のひろばの動きが大きくなり、より見栄えがしました。新治は、顔のツヤも良く、体調がいいようで、何はさておき喜ばしい限り。お得意のネタですが、序盤、権兵衛が、若い頃を回想する場面が入り、進化の跡を観ることができました。三金はデブネタのオンパレード。それを受ければ受けるほどに、三金の健康が心配になってしまいます。そして福笑。最近の新作を披露。2度目の遭遇ですが、前回は眠ってしまい、断片的にしか聴けてなかったのですが、今日はバッチリ。ただ、この作品は、福笑作品の中では、中の下から、下の上ってところかと、自分的には思っていたのですが、フルヴァージョンを間違いなく聴けた今も、やはり変わらなかったなと思いました。単純なダジャレに終始したかなと思いましたので。ただ、特異な下げは、1度使うと、2度とは使えないものですね。
 繁昌亭を出ると、その足で「日本橋」へ移動。今日も、千日前のネットカフェで時間調整をしてから「谷町六丁目」へ移動。夜は、「薬業年金会館」であった「旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。先月からでしたか、新たに始まったシリーズで、今日は「茶の湯戦国記(二)『豊臣秀吉』」と題して読まれましたが、これがなかなかのもので、本能寺の変、天王山の合戦といった権力の交替の姿を、「茶の湯」という観点からの切り口を見せた、とってもおもしろいものとなりました。信長、秀吉、そういった戦国のヒーローたちは、一方で、茶の湯の定式化が進む中で、茶器の名器を、権力を使い集めまくるということが進行していくという時代だったようで、特に「天下三肩衝」と言われる「楢柴肩衝」「新田肩衝」「初花肩衝」の運命を中心に追いかけると、信長の死、それに伴う秀吉の権力掌握が対応していくという観点で、南海さんが組み立てられたもの。これだけの仕事は、南海さんだからできること。その豪腕ぶりに、ただただ酔いしれる会でした。その狂言回し的に動くのが博多商人。その値打ちを知るからこそ、時には盗人の如き振る舞いをしながら、本能寺の変に伴う激変のなか、名器を確保するのに動き回る。信長の集めたというか、奪ったと言える天下の名器が、信長の死とともに、どのようになるか、またなったかを追いかけて、安土城に忍び込むのは、博多商人だけではなく茶器の値打ちを知る武士もそうだったようで、蒲生氏郷なんていう名前も登場してました。そういった中で、名器を使った外交もあったようで、光秀は、名器を家康に送り支援を求め、状況を見極めたい家康は、その贈呈を無視したとか、政治的にも動いていました。実におもしろい展開。次回は、千利休登場となり、その切腹に至る過程が読まれるようですが、なんとしたことか、開催日が変更され行けなくなってしまいました。残念!




2014年 4月 21日(月)午後 10時 43分

 また新しい週が始まりましたが、GWがもう目の前です。今年は、全く予定が入ってない哀しいGW。これから、その行動を考えようかというところです。今週は、わりかし講談会が集中している1週間。今日は、その手始めに「泰聖寺」であった師匠だけが出ない「南左衛門一門会」に行ってまいりました。南青プロデュースを謳ったこの会の番組は、次のようなものでした。南斗「名月松阪城」、南青「怪傑 自来也(1)」、南舟「〜善悪二葉の松〜名刀捨丸」、南鷹「龍馬翔る〜武市との別れ」、南青「怪傑 自来也(2)」。今日は、そないに疲労がたまっているとは思わなかったのですが、かなり眠ってしまいました。冒頭の「名月松阪城」がいけなかったかな。別に南斗くんに責任があるわけではないのですが、あまりにも聴き過ぎている上に、さほど好きになれないネタなのです。我が儘、傲慢という言葉が当たる主君に、一旦腹を立てたのに、忠義の一言で、気持ちを変える。一方の殿さんは、忠義の対象に相応しいおおらかさを見せる。一貫性がないのです。それが武家社会と片付ければいいのかもしれないのでしょうが、同じ忠義でも、「赤穂義士伝」のそれとはだいぶと違うような気がします。一番眠ってしまったのが、南青くんの高座。今日は、これがメーンだし、黄紺も、これが出るからと、狙いをつけて行ったのに、、、。やはりジンクスは生きていました。一番の狙いのところでダウンすると。「」は、南舟くんが、確か東京の琴梅師につけてもらったはず。旭堂では「善悪二元論」と言い、扱いがかなり重いネタ。時間の関係ということで、半ばで切ってしまいました。南鷹さんは自作のネタ。1年かけて、「竜馬、駆ける」という連作ものを創ったと言っていました。今日読まれたのは、竜馬が、土佐で武市半平太に脱藩を持ち掛けるところ。ただどこまで読まれたのかが判らないのが辛いところ。てな具合だったもので、やはり帰り道の足どりは、かなり重いものがありました。今週、あと2回、講談会に行く予定をしていますから、ちょっと気を取り直します。




2014年 4月 20日(日)午後 11時 24分

 今日は日曜日なのに、目覚ましをかけてのお出かけ。朝9時半上映開始の「パリ・オペラ座ライブビューイング」を観るためにです。スケジュールがたて込んでいるためのこと。難波まで行かねばならなかったため、そないなことになってしまいました。今日は、オクサナ・ディカが歌う「アイーダ」。黄紺が、ドレスデンで聴いた「トスカ」で目をつけたオクサナ・ディカが、メト・ライブビューイングに次いで、こちらでも登場なものですから、行かないわけにはいきませんでした。今シーズンの「パリ・オペラ座ライブビューイング」の幕開けの演目です。パリ・オペラ座では、驚いたことに、「アイーダ」の上演は、1968年以来45年ぶりとか。「バスチーユ」に移ってからは、初めてとか。こないなことってあるのですね。ですから、新しいプロダクションとしての上演。オリヴィエ・ピの演出ということで、お喋りのMCのインタビューを受けていました。装置がびっくり。金ピカでした。縦に三重になった構造で、回転することで、牢獄に見えたり、インタビューではヴィットリオ・エマヌエル2世記念堂なんてのに見えると、MCより声が上がっていました。金は権力の象徴と、演出家の回答。ヴィットリオ・エマヌエルの名前が上がるように、リソルジメントを意識した演出、装置になっているとのことでした。ですから、舞台は古代エジプトではなく、場所は様々、時代は、リソルジメントの時代と現代の混在したものとなっていました。権力の象徴の最たるものとしては、教会でした。確かにリソルジメントで、それを妨げた勢力は、オーストリアとローマでしたから。うまい具合に、「アイーダ」は、ファラオと祭司はくっついてますから。殊に、リソルジメントのシンボル的な存在だったヴェルディは、リソルジメントに竿さす教会に抵抗した人物だったことを考慮に入れたと、演出家は言ってました。それで、どのようなコンセプトを持ち込みたかったのかというと、リソルジメントのような政治的な状況に翻弄される個人的な事情だということでした。確かに「アイーダ」では、エジプトとエチオピアの戦いに翻弄されるアイーダとラダメスの恋ということですから、通じるものがあります。でも、オペラの設定って、そないな状況を選び出して悲劇を創り出してるのと違ったっけと突っ込んでしまいました。ローマとケルトの戦いに咲いた恋が「ノルマ」であり、ピューリタンとアングリカンの間に咲くと「清教徒」、ヘブライとバビロニアの間だと「ナブッコ」と言った具合ですから。ですから、そないに斬新なものとは、黄紺には思えませんでした。ですから、ちょっと装置の金ピカが、こけおどしに見えてしまいました。お喋りのMCの興奮が、イマイチ黄紺には伝わらなかったな。歌手は揃えました。タイトル・ロールのオクサナ・ディカは、「イーゴリ公」に比べ、ちょっと年嵩を感じさせる化粧。「イーゴリ公」のちょっと童顔の残る若奥様の雰囲気はありませんでした。声はかさつき気味。生でもそうじゃなかったし、「イーゴリ公」でもそうじゃなかったので、ちょっと調子が落ちてたのかもしれません。ラダメスは、世界のトップ・テノールの一人マルセロ・アルバレス。「清きアイーダ」では、この人で聴いたことのないような軽い声だったので、ちょっとドキッとしたのですが、あとは通常の声質に戻っていました。ただ、高音のビアニッシモにファルセットを多用していたのぎ気になったなぁ。アムネリスはルチアーナ・ディンティーノ。オクサナ・ディカに対抗するには、歳が行きすぎ。歌唱は安定していて良かったのですが、良ければ肌の様子が気になってしまいました。
 オペラが終わると、軽く食事をしてからミニウォーキングのつもりが、雨で断念。仕方なくお昼ご飯を買い込んで、千日前のネットカフェで時間調整。夜は文楽劇場でした。「菅原伝授手習鑑」の第二部です。辛うじて取れた日曜日の夜公演。最前列の床前の席でした。見えないかと思っていた字幕も見え、人形を操作する音聞こえたりと、この位置ならではこともあり、ときにはいいかもの気持ちになりました。この第二部は、住太夫さんの引退を銘打った興行。だから満員というわけです。第二部は「車曳の段、茶筅酒の段、喧嘩の段、訴訟の段、桜丸切腹の段、天拝山の段、寺入りの段、寺子屋の段」が出ましたが、前半に比べて、よく出るのがこちら。梅太夫、松太夫、桜丸という3つ子が主役となったのが後半。松太夫が、道真の敵対者に付き、桜丸が道真の失脚のきっかけと作り、梅太夫が道真に仕えるという、この3兄弟の運命が描かれます。当然、違う主人に仕えるわけですから、兄弟ケンカとなります。そして、よく考えたら主人の我が儘で腹を切らなければならなくなった桜丸の悲劇、そして、松王丸の逆転が起こる「寺子屋の段」と、色彩豊かな物語です。名作といわれる所以でしょう。そういった中でおもしろいのが「天拝山の段」。ここだけ道真が出てきますが、ここでは、最早前半に出てきた道真ではありませんでした。怨念の固まりとなった道真は、火を噴いたり、空中を飛んだりと、今や超越的存在となっていました。最終的には、この物語が本線でしょうが、終末部分はカットされているので、そのような場面は、ここだけですから、ちょっとした色物場面となっていました。住太夫さんは「桜丸切腹の段」の担当。「南無阿弥陀仏」が繰り返されるところで思い出しました、これって、住太夫さんで初めてでないことを。黄紺は、3mくらいの距離で聴けました。まだやれる、でも余韻を残して去っていった潔さも印象的です。住太夫さんが引退、源太夫さんもお休み、嶋太夫さんは、今回「寺子屋」が予定されていながら病気休演と、急に切り語りが寂しくなりました。黄紺の好きな千歳太夫さんが、嶋太夫さんの代演を務められましたが、切りは長い。千歳太夫さん、最後の方は声が出なくなっていました。じゃ、誰が、後釜になるの? あまりにも、今は、咲太夫さんが抜けすぎていますから、切り語りの補充は油断を許しません。




2014年 4月 19日(土)午後 11時 2分

 今日は、とってもいいお天気。絶好のウォーキング日和だったのですが、二度寝が利いて、時間的に難しくなってしまいました。で、お出かけは、12時を回ってから。まず「トリイホール」に向かいました。今日の午後は、こちらで「島之内寄席」がありました。「島之内寄席」は、ちょうど1年ぶりになります。というのも、今日もそうなんだけど、「繁昌亭大賞授賞者の会」に行き、また今日も行ったから、きっちり1年ぶりと言えるのです。その番組は、次のようなものでした。ちきん「狸賽」、二乗「短命」、右喬「平の陰」、染二「軽業講釈」、(中入り)、三扇「じいちゃんホスト」、生喬「藪入り」。ちきんは、賞とは関係のない前座。初めての遭遇。線は細いですが、わりかし達者な喋り。二乗と右喬は、自身のおなじみネタ。染二は、奨励賞をもらった染弥の代役。染二自身も、第2回の大賞授賞者。「春にでもなると、、」「お囃子の入る噺」と言われてピンと来るのは、当然「愛宕山」、まさかと思ったら「軽業」か「軽業講釈」に行く道筋が見え、ホッとしました。「軽業」でなく「軽業講釈」だったので、もう一つホッとしました。講釈師がやかましいと言って文句を言うネタですから、お囃子に、もう少しハデにやって欲しかったですね。三扇は、授賞式後の高座でもそうでしたが、まず言い訳っぽい話から。ちょっと変わった創作賞だということです。三象なんかがやると、じいちゃんにスポットが当たりますが、三扇がすると、ホストクラブに行く女性たちに焦点が当たります。なるほど、この辺りが受賞対象かというところです。生喬のネタ選びには、びっくりさせられました。自分的には、生喬の「藪入り」は初もの。口演が始まっても、黄紺の頭は混乱。しばらくして、「まるかじりの会」という生喬の主宰する会で、以前ネタ出しをしていたことを思い出したほど。また、こういった受賞記念の会に出すようなネタだとは、考えてもいないもので、この手のネタは、候補ネタには考えていなかったのです。今日こそ「三十石」かなと思っていたのですが、あえなく外されました。また、この「藪入り」が、ちょっとした変化種。まず、夜中に伜を待つところを軽めに扱ったことは大拍手。ここがしつこい人が多いですから、当然の措置。生喬も気になってたんだなと思えました。あっさり系は、風呂に出したあとも、そうでした。ただ、ここもあっさりとしたい気持ちは解るのですが、一定、時間の経過が要るわけですから、それに納得できるくらいの幅を持たせて欲しかったなとは思いました。もう一つ大きな特徴は、父親を偏屈な人物像にしていたこと。これは、大阪の噺家にしろ、東京の噺家にせよ、聴いたことのない型。生喬オリジナルなのか、誰かのを継承しているのかは判りかねています。いずれにせよ、そないな性格付けをする必要性が解らないのですが。もっともそないに愛想のいい男とは思いませんが。ということで、ちょっと問題作となりましたが、静かな口調のときの生喬は、ますます聞き物になってきています。
 トリイホールを出ると、近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は、北浜、森小路経由で「大阪市立芸術創造館」へ。今夜は、こちらで「妄想プロデュース」の公演「新緑の少女〜ざわつくからやめて〜」があったのです。初めて観に行く劇団だったのですが、客演陣を見て、それなりの人材を揃えていたということで、黄紺が押さえきれてなかった劇団ではと思い、観に行ったのですが、それが大正解。いい芝居に出逢うことができました。台詞のテンポ、うまい具合に台詞を重ねたり、場面転換のスムーズさ、そういった巧みな演出に加え、脚本の扱うテーマが、今の社会を投影しつつ、かなり唐作品っぽい匂いがあったりということで、いろんな楽しみが兼ね備わっているという感じがして、かなり満足度の高い作品となりました。テーマは、IT万能社会が持っている危うさ、それが根付いた社会を描いています。具体的な舞台は、小学校5年生のクラス。そこで横行するいじめが、ラインで、瞬く間に、発信者の意図を容易く越えて、一人歩きをして、加速度的に、いじめが蔓延していく姿が描かれます。その嫌な、哀しい思いを抱いた生徒は、その思いを胸に、家の押し入れに閉じ籠ってしまいます。そして、その生徒は、その押し入れの中で、自分の空想の世界の中での生活を余儀なくされていきます。芝居では、その根源を断つために活躍する追求者に、人の押し込んだ想念の中に入り込ませ、悪玉退治をさせていきます。奥深く押し込んだということからの連想なのでしょう、「オペラ座の怪人」のプロットを使ったりしての工夫が施されていたり、唐作品よろしく、2枚の襖を巧みに使ったり、音楽も似た感じがしたりと、そちら的にもパロディ・ムードがあったりと、なかなかのお遊びも入っていたりと、おもしろい仕上がりになっていました。結局、悪玉とされたのは、自分での判断力の喪失現象を指していたと看たのですが、いかがなものでしょうか。




2014年 4月 19日(土)午前 5時 20分

  大阪市内遊歩(195)

 この週末は文楽中心に予定を組んでいます。週末の夜は、通常、文楽劇場は空席が目立つのですが、今回は、そういうわけにはいきません。なんせ住太夫さんの引退興行になっているわけですから、地方からも来られるのでしょうね、週末がブラチナ・チケット化してしまったのです。昨日は第一部ですから、まだ衝撃は少ないのですが、第二部は大変です。黄紺がチケットを買った日は、残り4席の1つでした。お前ら、普段から来いよと突っ込みたくなります。迷惑もいいところ、つまみ食い組にです。その引退興行に拍車をかけているのが、「菅原伝授手習鑑」の通しが出たということ。第2部で予定されている部分というのは、よく出るところですが、昨日の第1部は、そうじゃない。道真が流されるわけの物語が出てきたり、それに、有名な「寺子屋の段」を前に「桜丸切腹の段」が置かれていますが、その直接の原因となる部分が描かれていたり、桜丸、松王丸、梅王丸三兄弟の関係のネタふりがされていたりと、やっぱ、通しの魅力は計りしれません。ところが、観たい時って不調に陥ることは、落語でもよく起こること。昨日が、正にそれ。筋立ては外してないのですが、やたらと眠ってしまい、飛び飛びしか記憶に残ってない情けなさ。なんか病気みたい、眠りたいときに眠れず、眠りたくないときに眠ってしまう。しかも、眠たいという意識の前に眠ってしまうのですから、、、。なお、第一部は、「菅原伝授手習鑑」の内、「大内の段、加茂堤の段、筆法伝授の段、築地の段、杖折檻の段、東天紅の段、丞相名残の段」が出ました。
 文楽が終わると、直ちにウォーキングに移行。昨日は、夜の部も似た界隈に行くことにしていたので、時間の節約を第一に、ボックス型のコース設定を考えました。新世界から少し西にふり、西成区内の建て込んだ住宅街を、「天下茶屋」駅まで南下。そこから北東方向にジグザグに歩いて行きました。よく迷うところです。ちょっとスプロールを起こしているので、うまく方向を捉えながら歩かないと、似た間違いを起こすところですから、真っ直ぐに伸びる道があると、そこに進路をとるという方法。これまでの苦い経験が生き、昨日はばっちりでした。終点を、当初、「天王寺」駅と考えていたのですが、「阿倍野」交差点の少し南に出てきたときの時間を見て、一挙に振り出しに戻ることを画策。大阪市立美術館から一心寺の西側を通り、バイク通を北に向かうことで、変更案を現実のものとしました。文楽劇場の東にあるスーパー玉出のところで、ジャスト2時間になりましたから、5分余の超過コースとなりましたが、その詳細は、次のようなものとなりました。文楽劇場〜大阪市立日東小学校・同幼稚園〜新世界〜JR橋梁(花園歩道橋北)〜大阪市立今宮中学校〜大阪市立弘治小学校〜橘東児童遊園地〜南海&地下鉄「天下茶屋」駅〜天下茶屋駅前商店街〜阪堺線「北天下茶屋」駅〜聖天坂公園〜大阪市立松虫中学校〜大阪市立丸山小学校・大阪キリスト教短期大学〜「阿倍野」交差点〜地下鉄「阿倍野」駅〜アベノハルカス・JR「天王寺」駅〜大阪市立美術館〜安居神社〜文楽劇場〜地下鉄「日本橋」駅。
 しばらく、日本橋駅上のネットカフェで、休憩がてら時間調整。そして、夜は、歩いて「in→dependent theatre 2nd」に移動。こちらでの「baghdad cafe」の公演「リターン☆プラネット」を観てまいりました。歌が入ったり、ダンスが入ったりと、今まで観てきた「baghdad cafe」とは、全然異なった芝居。そこにおちゃらけが入ったりという具合で、昔々の新感線の芝居みたいって書いたら書きすぎかもしれませんが、なんかノリが似ていました。オープニングの仕方など、なんか違う劇団を観ているみたい。客が中へ入っていくと、既に役者が出ていて、何やら準備をしているというか、たむろしているというか、そないな具合。装置もなく、舞台裏を、そのまま広げてしまったという感じかな。そのわけは、すぐに判ります。映画撮影所という設定で、映画出演の役者が待機しているという状態を表していたのです。筋立ては、潰されてしまう撮影所で、役者たちが、公開されないことを承知で、自分たちで映画作りをするところからスタート。ところが、主役の女のところへ、母親の急を知らす手紙が来る。慌てて家に戻る女。ところが、その家というのが星の彼方。とある惑星での物語が大半を占めます、この芝居。ここの物語がおちゃらけ満載というわけ。いかにも作り物ですよということを全面に出すのが目的かもしれません。ここでの物語は、母親介護で戻ったが、妹もよくわからない病気だったりして、女は金のために働く。なかなかそれがうまくいかない。そんなところへ、女は革命運動に誘われ戦っていくことになり、その戦いのクライマックスのところで、「お疲れ様〜」となる。それで、そこまでが、役者だけで作っていた映画の世界だったことが判るが、観ている者には、どこからが映画なのかが不明確、いや、黄紺などは、勝手に惑星に帰るのが荒唐無稽なものだから、そこからだと決めつけてみていました。撮影所の場面になると、主役の女(惑星に帰った女)が、この撮影期間の間、病気を抱えた母親の介護をしながら務めていたことが語られる。ですから、そこまでは、その女の想念の世界を描いていたという感じとなります。ということで、母親が登場してきて、娘(主役の女)との間で、永久の別れの場面へと入っていきます。そして、そのシーンが終わり暗転となると、再度、撮影所の場面に戻り、役者たちがたむろしています。ん? なんだ、これ、どのようにケリをつけるのだと思っていたら、そこへ、主役の女が入ってきて、、、最後の決めの言葉となり終わります。どこまでが現実で、どこまでが仮構なのかが判らず終いになりました。いや、全て仮構なのかもしれません。所詮芝居ってのはとも言いたげ。まるで、メタ芝居を観せたとでも言いたげ。だったら、寺山修司です。黄紺は、惑星での芝居(大半はこれ)が、おもしろくないと心の中で呟きながら観ていました。それが、最後のひっくり返しで相殺されたかというと、そうでもないんだなぁ。現実か、仮構か、曖昧にすることのみで、芝居が作られたようで。あざといという言葉が、頭をかすめてしまうのです。1つの芝居で、この劇団を見限りはしませんが、ちょっと暗礁に乗り上げているもやもやが残る芝居でした。




2014年 4月 17日(木)午後 11時 59分

 今年1年間の仕事のペースが判る1週間、ま、こんなのかなという感触を味わいました。そして、午後の遅くから、今日も出張。そのあと、先日、ベルリンでお会いした方と連れだって、シンフォニーホールへ。今夜は、日本センチュリー交響楽団の定期演奏会があったのですが、特に今日のコンサートは、「飯森範親首席指揮者就任記念演奏会」と銘打たれたもの。そのプログラムが魅力的だったのです。今日と明後日の2日に分けて、ブラームスのシンフォニー全4曲を演奏するというもの。都合で、今日だけしか行けないのですが、できれば2日とも行きたかったところ。今日は、3番と1番が出ました。二菅編成規模のこのオケにとって、エキストラを入れないと、ちょっと苦しいかと思っていたのですが、基本的には、通常のメンバーで演奏しようというもの。コントラバスにエキストラが入ってたくらかいな、詳しいことは判りませんが。前任の小泉和裕とも、ブルックナーに挑戦するなど魅力的なプログラムを組んでいたのですが、新たな首席指揮者迎えるということで、オケに気合いみなぎるという雰囲気が、その演奏から伝わってくるという希有な体験をさせてもらいました。正に、ライブでしかなかなか味わえない感覚。気合いとかいう言葉で表せるものって、あれば、客席で感じられるものです。演奏が拙くても、感じられるものです。そして、そういったオケが人気を持っていくものだと、黄紺は信じて疑っていません。思い起こせば、創世期の東京都交響楽団で、それを体感しました。東京は、そないな噂は瞬く間に拡がりますから、同楽団に客が詰めかけるまでには、さほど時間がかからなかった記憶があります。そのときに味わった雰囲気、熱気、それを演奏から感じることができました。行政の勝手に翻弄されたオケが見せた気合いが、いい指揮者を得て、客席に伝えられたと看ました。3番の1楽章あたりでは、やっぱちょっと薄いかと思わせる部分もありはしましたが、3楽章以後の音の一体感、なんか音の固まりが迫ってくる凄さを感じていました。只ならぬ感覚です。それが、1番にそのまま持ち越されました。この編成でと思うほど、音が出ていました。個々の木管の音などに突っ込みを入れたくなることも、また、2楽章のソロ・ヴァイオリンの、余りにも甘美な音色は、ブラームスだぞとイエローカードを出したくもなりましたが、そんなのは小さいこと。バランスがいいのでしょうね、一体感を感じさせられるのは。これは、指揮者の指示のもと入念な練習の成果でしょう。帰り道で、2人で、「もう一つのコンサートも聴きたかったな」で一致、いや、「この感じだったら、もう一つの方が更にいいかもね」と、2番と4番の組合せが、より深い感動を呼びそうだとの予感をお互いに持っておりました。秋には、大編成を求められるマーラーのシンフォニー2連発を、飯森の指揮で予定されています。もう、今からわくわくものです。




2014年 4月 16日(水)午後 11時 9分

 昼間は、かなりの気温の上昇がみられた一日。夜は、早くも今週2回目となる動楽亭。今夜は「生喬百席」がありました。ちょうど、繁昌亭での「繁昌亭大賞授賞記念ウィーク」が終わったところですので、その裏話も聴けるのではとの期待を込めて行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。生喬「三人旅」、ひろば「狸の化け寺」、(中入り)、生喬「愛宕山」。会場の後方に、繁昌亭の番組表が、落語会の案内チラシとともに置かれてあるので眺めてみると、繁昌亭1週間の通しの出番表でした。こういった配慮が、また、そういった出番をメモっておくというのが、生喬の人気のあるところだなぁと、あらためて思いました。いろいろと出番のあった噺家さんからの配慮の中での1週間だったようです。それは、先程の出番表を見たときに、黄紺も感じたところでした。奥さまのお話によりますと、「最終日は植木屋娘をやりたかったようですよ」とのこと。それだけの思い入れを持ったネタだということを知った気がします。黄紺的には意外な感じもしないわけではなかったのですが、特に前半の出来栄えからは、ただならね空気が漂っていましたから、奥さまのお話を伺って納得できました。生喬の出し物は、精選しただけあって定番もの。案内文に、「愛宕山」は染丸師からもらったものとなっていました。更に、松鶴の「愛宕山」についても触れ、序盤の花畑はなかったということです。染丸師からもらったものにも、その部分がなく、笑福亭として符号しているので良かったという主旨のことを認めていました。ちなみに生喬の師松喬は、松鶴の「愛宕山」は聴いたこともなく、持ちネタに入っていたのも知らなかったそうです。黄紺は、松鶴の「愛宕山」は聴いてはいませんが、どこかの落語会の番組表かなんかに、松鶴の「愛宕山」は見た記憶はあるのですが。ゲスト枠は後輩のひろば。ひろばは、以前から「仔猫」を出すつもりでいたところ、「百席」に入れてないネタをやってくれと言われ、「仔猫」は断念したとか。まあ、生喬の申し出は理解できること。先ぐり機転を効かすところです。生喬は、ひろばの一門の先輩九雀から、「仔猫」はもらっているはずです。そこで、ひろばは、米朝一門以外ではやり手がいないのではと思える「狸の化け寺」をチョイス。珍しい噺ですが、黄紺は、やたらと、このひろばで聴いているネタでもあります。




2014年 4月 15日(火)午後 8時 25分

  京都市内遊歩(49)

 今週の火曜日の朝も、「メト・ライブビューイング」から始まりました。今シーズンの自分的目玉の一つ「ウェルテル」があった日です。今、最高の組み合わせと言っていいヨナス・カウフマンとソフィー・コシュの二人ですから、こないにわくわくした公演はありません。「ウェルテル」は、言うまでもなくゲーテの作品、それを、フランスの作曲家マスネがオペラ化したもの。あまりにも美しいメロディに彩られた哀しい恋の物語。今季の新しいプロダクション。演出は、演劇畑からの起用でリチャード・エアー。オペラの演出は4本目だとか。子どもたちが出てくる場面を除くと、少人数で推移していくことを意識して、メトロポリタンの広い舞台を狭く見せる工夫。これは、、黄紺が観たエッセンのプロダクションも、そうでした。ただ、エッセンのプロダクションは、狭く見せる、イコール屋内に設定しようというコンセプトでしたが、それは、冒頭の場面や、二人が夜帰ってくる場面に無理があります。そこで、狭く見せるための左右の壁に自由度があり、等間隔に、間が抜けるような工夫、後ろの壁全体を昇降して、取り外すこともありで、更に背後にスクリーンを用意しておくというもの。エッセンも、似た工夫をしていました。クリスマスの夜、ウェルテルが訪ねて来る部屋は、この二人が出て、DVDになっているパリのプロダクションとそっくり。これは、ちょっと驚きました。ただ、最後の場面に入るにあたり、後ろの壁が上がり、新たにウェルテルの小部屋が、前にせり出してくるというもの。動きを見ていると、ソフィー・コシュに、大きな動きを求めているのが、えらく気になりました。女優まがいの演技ができる人なのに、自然じゃないのです。やたら動きが大きくて、わざとらしさを感じるほど。いいように考えると、広い劇場での大きな動き、メリハリの効いた動きを求めたとうことになろうかと思います。そういった中で、気になる演出がありました。一番最後、ウェルテルが亡くなったあと、シャルロッテは立ち上がり、ウェルテルが使った拳銃を手に取ります。その瞬間、暗転となり終わりますから、想像の世界となりますが、まるで後追い自殺を仕掛けているように見えてしまいました。前の方に戻ると、おもしろかったのは、2幕の冒頭に、舞踏会の場面が入りました。2人が連れ立って帰ってくる前にです。わりかしフォーマルな舞踏会で、ちょっと違うんだけどなぁとは思いましたが、そのような場面が入ったこと自体に意外性を感じました。これが関係してくるのですが、シャルロッテの衣裳が、なんかお姫様っぽい衣裳で、だからフォーマルな舞踏会とは結びつくのですが、なんか楚々としたイメージなもんで、本格的に着飾ったシャルロッテって、黄紺のイメージに合わないのです。閉幕後、とにかくパルケットの客は総立ち。そりゃそうだろうな、この2人ですもの。生で観てみたいものです。
 オペラが終わると、直ちにウォーキングに移行。久しぶりに、北方向に向かってみました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。MOVIX京都〜タイ料理店「バクチー」〜白山神社〜能小鼓方林家・大江能楽堂〜京都東洞院押小路郵便局〜「東三条院址」碑〜「豊臣秀吉妙願寺城跡」碑(西福寺)〜京都二条油小路郵便局〜こぐま保育園〜楽美術館〜白峯神社〜百々橋の礎石〜不審菴〜今日庵〜本法寺〜扇町児童公園〜北区総合庁舎西庁舎〜京都教育大学付属京都小学校〜京都小山初音郵便局〜洛北幼児園〜北山大橋〜植物園〜地下鉄「北山」駅〜京都府立陶板名画の庭〜京都府立総合資料館〜京都コンサートホール〜京都府立大学。押小路を西に、そして、油小路を一気に北上。道がなくなると、近くの道を、更に北上と続け、最後は、懐かしい北大路新町から新町通を北に行き、北山通を東に、最後は植物園の東側を南に向かえば終点です。油小路などは、今まであまり歩いたことのない道。知らないまに茶道具屋が並ぶ珍しい通りに入ったと思ったら、目の前に今日庵があってびっくり。こないなところにあったんだと、京都に住みながら、変な感慨に耽りました。今日歩いた北大路通までは、わりかし町屋の残っている道でした。それこそ鰻の寝床などと言われそうな家屋も、幾つか見ることができました。朝に比べ、かなり気温の上昇が著しかった昼間。かなり暑い思いをしながらのウォーキングとなりました。




2014年 4月 14日(月)午後 11時 59分

 今日から、新年度が本格的に始動。ちょっと身体がなまっている感じでスタート。寝不足もあり、疲労が思いの外たまっているのかもしれません。そして、夜は動楽亭。今夜は、こちらで「旭堂南舟 我武者ら講談会」がありました。南舟くん主宰の会に行くのは初めてのことでした。年季明けのときに、南舟くん中心に設定された会には行ったことはあったのですが。南斗くんの場合もそうですが、どうしてもネタの数が限られていますから、他の会で聴いたものが用意されていると避けてしまうのです。今日の番組は、次のようなものでした。南舟「杉野はいずこへ行った」「太閤記〜秀吉の足軽時代〜」、南青「裸の角左衛門」、(中入り)、南青・南舟「対談」、南舟「赤穂義士外伝〜松浦壱岐守〜」。今日のネタ的に狙ったのは「杉野は〜」。題名からして、日露戦争ものを想像させられるもの。他の講釈師さんは、あまり手を着けないジャンル。今どき日露戦争関係のエピソードを聞いても、何やしら古くさい印象を与えるだけ、そないななかでは、あまり出ないですわね。なのに南舟くんはやりたがる傾向にあります。この辺が、独自の感覚と言えるところです。ま、あまり聴けないということで、自分的には楽しみにしていたのですが、今日は、冒頭の2つでダメでした。一番肝心なところでです。南青くんで覚醒。南青くんの「裸の角左衛門」は初めてのはずです。どこだかの殿さんが、纏持ちに格好のいい、中でもいい刺青をしている男をかき集めて、それを自慢したがる。その殿さんに目をつけられた角左衛門が、妬みから粗相を起こしてしまう。そこで手討ちということになり、、、という話ですが、このネタ、他の講釈師さんでも聴けるのですが、聴く度に、男色系のネタと感じてしまいます。それが表に出されないで読まれている感じがしてしまって、、、。そんな勝手な印象で、好きになれないネタの一つです。でも、今日の南青くんの口演は、気合いが入ってました。すごいわ。問題は「対談」。この会の10回記念ということで、兄弟子との「対談」を設定したのですが、わけの解らない質問を投げかける続ける南舟くんに、おもしろいと受ける人たちと、どん引きになった人たちとに分かれたんじゃないかな。最後は、軽くという感じで短めのネタ。「松浦壱岐守」は、うちいり当夜、その隣に住む屋敷の中の出来事を扱ったものです。もちろん赤穂藩士寄りのスタンスを見せてくれます。これも、おなじみのネタです。ということで、変な推移になった会、つくづく、南舟って人は、自分の世界に浸っている人という印象を持ちました。それを端から見ていて、おもしろいと思えるか、アブナイと思えるか、ホント紙一重のところにいます。




2014年 4月 13日(日)午後 10時 10分

  大阪市内遊歩(194)

 自分的3連休の最終日は、お楽しみの繁昌亭昼席。特に、今週は、笑福亭生喬が、繁昌亭大賞を受賞記念ウィーク。今、最も勢いのある噺家さん。開場を待っていると、日曜日ということもあるでしょうが、随分と、コアな落語ファンが集まりました。それだけでも、生喬の勢いが判ります。中には1週間、通われた方もおられました。今日の番組は、次のようなものでした。出番をもらった人は、生喬自身のチョイスとか。黄紺も、納得の顔ぶれです。呂好「動物園」、たま「鉄砲勇助」、春雨「短命」、染雀「踊り“どうぞ叶えて”、うしろ面」、米左「豊竹屋」、福笑「偽装」、(中入り)、福笑・九雀・春雨・たま・生喬「記念口上」、九雀「蚤のかっぽれ」、雀喜「大阪環状線双六ゲーム」、生喬「植木屋娘」。呂好、今日は、落ち着いて口演。たまは、この位置では「鉄砲勇助」で仕方ありません。春雨は楽茶会仲間。染雀は、毎日、違った寄席の踊りをリクエストされたとか。若い女性ヴァージョンと婆さんヴァージョンを見せてくれました。米左は義太夫もの。オチを言って下りると、周りから「浄瑠璃、上手やね」の声が。福笑は、マクラ集という「偽装」。マクラとネタの境目がないという感じです。そして口上。司会はたま。1週間、暴露話が聞けたみたいです。その辺は、「たけくらべの会」で、生寿がレポートしてくれました。九雀は、生喬夫妻が喜んでくれたネタということで珍品を出してくれました。染雀の踊りをかぶるとことわっての口演。途中、かっぽれが入りました。雀喜は、この1週間、自作を毎日変えて出してくれとの注文を受けての高座。この位置で、雀喜が出番をもらっているということは、そうだろうとの予想通りでした。そして、トリの生喬、「三十石」が出るのではとの予想に反して「植木屋娘」。これが良かった。特に前半はパーフェクトとも言える出来栄え。後半、エキサイト気味の幸右衛門が、ちょっとボルテージが上がりすぎました。「上げる」ことを意識したとき、生喬の意識は、我々の意識より高いものがあるようで、上がりすぎてしまうのです。なんせ、ごっつい声質なものですから、ちょっと抑えてもらって、黄紺には程よいものとなります。と、ちょっと突っ込みを書きましたが、生喬ベストと言ってもいいくらい、それぞれの人物くっきりのスーパーな出来栄えに大満足。
 繁昌亭を出ると、直ちにウォーキングに移行。そのコースは、次のようなものとなりました。繁昌亭〜関西テレビ〜タイ料理店「ヌンディアウ」〜「天神橋5」交差点〜地下鉄「天神橋6丁目」駅〜大阪行岡医療専門学校長柄校〜長柄西公園〜長柄公園〜大阪天神橋八郵便局〜本庄小公園〜本庄公園〜JR「とうかい209」トンネル〜豊崎北公園〜中津東公園〜大阪府立中津支援学校〜冨島神社〜大阪市立中津小学校〜長尾谷高校埋田校〜大阪中津六郵便局〜大淀中公園〜大淀南公園〜JR環状線「福島」駅〜阪神「福島」駅〜田簑橋〜京阪「渡辺橋」駅〜京阪「淀屋橋」駅。長柄橋近くまで行き、長柄橋は渡らずに、左岸を川から一路入ったような道を歩き続けようとしたコーズ。この道って、結構、時間がかかるのは経験知として解っているので、頃合いを見て離れることも考えながらのウォーキング。終点を「淀屋橋」駅と決めてましたので、梅田シティから福島周りで「淀屋橋」に向かいました。勝手知ったる道ですので、どんぴしゃの2時間で、京阪特急に乗車でした。




2014年 4月 12日(土)午後 10時 00分

 昼夜の寒暖の差が激しい日々、お出かけに着ていくものに困っています。今日は、月一の楽しみ「一心寺門前浪曲寄席」の日。毎回、天王寺から歩いて、会場に向かいます。その番組は、次のようなものでした。真山隼人(真山幸美)「日本の妻」、松浦四郎若(沢村さくら)「相馬大作、手紙読み」、春野ココ(沢村さくら)「一休さん」、京山倖若(一風亭初月)「奥州奴、谷風の少年時代」。まず、到着してショッキングなことがありました。今月の出番に入っていた小圓嬢師が、体調不良のため休演の知らせ。明日は大丈夫だろうとのこと。先日の独演会に次いで、短期間に相次いで聴けるというので、楽しみにしていたので、かなりショックは大きなものがありました。代演は松浦四郎若師。ま、ベストの代演でしょうが、でも、休演にはまいりました。そのため番組も、少しいじられた模様。四郎若師は、二番手で出ることになりました。真山隼人くんの「日本の妻」は2度目。インドネシアで終戦を迎えた日本兵が、戦後独立戦争に加わり帰ってこない話です。それを、19歳の隼人くんがするものですから、何となく違和感があるのでしょうか、前に聴いたときには感じなかった会場が引いている印象を持ちました。なお、新しく入った京山幸太くんも、同じ19歳だそうです。四郎若師の「手紙読み」は、わりかし最近、この席で聴いたもの。題名通り、「手紙読み」の場面が聞かせどころ。何らの事情で、勘当扱いになっている倅から、藩の大事を知らせる手紙を読む、読まないが前半、そして、「手紙読み」となります。前に出されたときは、師匠の大事なネタとして、かなり重いネタのように言われていた記憶があるので、こうした代演のときに出されたので、ちょっと驚きました。ココさんは、色物的ネタを出すばかりか、高座も色物的になってきました。冒頭に、小咄っぽい「なぜだぁ〜」を入れるようになりました。三味線のさくらさんと打ち合わせもできており、一つが終わると、つなぎに三味線が入りました。さすが、元漫才さんの発想です。ネタは、狂言「付子」の浪曲版です。最近、あまり遭遇機会の多くないのが、倖若師。幸枝若流の滑稽な味わいが気に入っている浪曲師さんです。少年時代の谷風が、逗留させてもらっているお屋敷のお嬢さんのお伴しているときに出逢う危難を助けるというもののはずです。はずというのは、肝心な真ん中の部分が吹っ飛んでいるのです。どうも不調が続いています。
 一心寺をあとにすると、そのまま京都へ大移動。自宅で、軽く夕食を済ませ、再びお出かけ。近鉄「竹田」駅近くにある「光照寺」であった「第14回花まつり落語会」に行ってまいりました。こちらのお寺では、数年前に一度、歌之助を中心にした落語会を聴きに行ったことがあります。今回は、米朝一門の若手の噺家さん4人が出演しました。その番組は、次のようなものでした。紋四郎「延陽伯」、吉の丞「胴斬り」、米紫「宗論」、(中入り)、ひろば「禁酒関所」、米紫「三年目」。この会は、米紫が世話役だということが、まず判りました。いつもは、4席だそうですが、今回は、米紫が2席喋って、計5席と、なかなかたっぷり感のする会となりました。紋四郎は、これで、2度目の遭遇。とってもしっかりとした喋りのできる人という印象を、今回も確認できました。流れがあって、自然な運びを感じます。吉の丞は、客席に、結構子どもが多いのを見てか、たっぷりと落語解説の時間を取りました。そして、ネタは、予想通り、「胴斬り」。最近、随分と、これをかけていますからね。米紫の「宗論」は初めて聴きました。最近、やられているパターンです。「イエース」というところでのオリジナルの工夫など、くささを追求した口演。あんまし、こないなネタをする人じゃないと思っていたのですが、、、。ひろばが「禁酒関所」を出したので、たっぷり感が一層増しました。なかなかしっかりとポイントを収め、且つ、独自のダジャレなんかを入れて、仕上がり具合は上出来。そして、米紫のもう一席は「三年目」。まだ、この会で出してなかったのかと思ったネタ。長くもなく、おもしろく、珍しくといったネタ。米紫しか、聴いたことがないので、ほどよい期間をあけて聴きたいとは思うのですが、ちょっと肩すかし気味。米紫が世話役だと知ったとき、これはないだろうと思ったものですから。総じて、反応のいい客席、それに乗せられたかのように、明るくはじけた高座、とってもいい落語会でした。




2014年 4月 11日(金)午後 11時 30分

  大阪市内遊歩(193)

 久しぶりに、まともな睡眠がとれると爽やかなもの。でも、その睡眠が、まだ不十分となると、大きな間違いをしでかしてしまいます。今日は、そないな一日になってしまいました。まず、お出かけは12時半までにということで準備。文楽劇場で定期的に行われている「公演記録観賞会」に行ってまいりました。文楽劇場前で、海舟氏にお会いしました。文楽劇場で、ガイドのボランティアに来られたところでした。一緒に歩いていると、後ろから海舟氏に声をかけた人がいたので、黄紺も振り返ると、なんと昔の職場の同僚。三すくみの知り合いだったのです。で、今日の観賞演目は、歌舞伎で「義経千本桜」の「渡海屋の場」と「大物浦の場」。義経一行が吉野に逃れる前に立ち寄る場面。平知盛の亡霊が現れたという故事を基に作られた場面。碇潜の場面があるところです。銀平(知盛)が二代目松緑、女房お柳(典侍の局)が七代目梅幸、義経が初代辰之助、弁慶が三代目権十郎、相模五郎が九代目三津五郎の簑助というのが、主な配役。1976年の公演の記録でした。が、寝てしまったのです。豪快な松緑の出演ということで、配役を見たときは喜んだのですが、ダメだったですね。前回も、確か同じような状態だったので、ちょっと情けないですね。
 観賞会が終わると、直ちにウォーキングに移行。夜の部までのタイトな時間を利用してのもの。大正区巡りを目指して歩き始めました。そのコースの詳細は、次のようなものでした。文楽劇場〜地下鉄「なんば」駅〜大阪市立難波元町小学校〜元町中公園〜鴎町公園〜大国町北公園〜JR「かんさい080」橋梁〜浪速玉姫公園〜大阪市立浪速第二保育所〜リバティ大阪〜木津川大橋〜泉尾東公園〜千島公園〜大阪市立小林小学校〜大阪市立小林斎場〜大阪市立大正中央中学校〜大正警察署〜大阪市立泉尾幼稚園〜千林橋公園〜沖縄そば屋「あ〜ちゃん」〜泉尾商店街〜泉尾上公園〜大阪市バス「大正橋」停留所。大正区に入るまでに、既に1時間弱かかっていましたので、大正区巡りは、大体1時間。タイトな時間設定日をとっているため、「大正」駅前くらいには戻っておきたいため、千島公園からは、あまり離れることはできませんでした。でも、この辺りまで行ったのは久しぶり。もう少し前に行けば、桜も残っていたでしょうから、また違った風景を見ながら歩けたことでしょう。長く続いた桜も、さすがに終わってました。
 「大正橋」からバスで難波に移動。今日は、休憩なしに「徳徳亭」へ。今夜は、こちらで「第11回『南湖の会』徳徳亭連続講談席〜これが難波戦記〜」がありました。この会は、徳徳亭が、4月いっぱいで閉鎖になるということで、月末にもう1回公演を行って、動楽亭に移るそうです。今日は、まず「荒波のダッチワイフ」から。南湖さんが、「できちゃった」で発表してきた新作ものでは、自分的には最優秀作品だと思っている代物。川を女の人が流されていると思い、飛び込んだら、それはダッチワイフだったというナンセンスさ、川に飛び込んでから着水するまでが、メチャクチャ長いという奇抜さ、そして、そのダッチワイフが孕むというアバンギャルドさ、いずれをとっても、脱帽の発想なんだなぁ、ということで、最優秀作品だと思っているのです。今度、新宿2丁目にある「道楽亭」で公演をするので、こないなものもと考えていると、南湖さんは言ってましたが、あすこは色変わり的な席じゃないと思うのですが。二席目からは「難波戦記」。連続して、南湖さんは読みましたが、「大助の初陣」と「くらわんか舟の由来」をつなげたもの。抜き読みものとしては、わりかしポピュラーなもの。ところがなんです、「大助の初陣」の後半あたりから記憶が飛んでしまってます。また、ここでも眠ってしまったみたい。これだけ寝たから、もう大丈夫と思い、ウォーキングから直に講談会に行ったのは、やっぱ間違いでした。




2014年 4月 10日(木)午後 11時 40分

 昨日は、まっすぐに帰宅。そうなると判で押したように、晩酌でダウン。そして、夜中に目が覚め、結局、二度寝が、なかなか叶わず、結果的に睡眠不足。そんなで思い身体をひきずり仕事へ。今日は、午後から天満橋に出張。その流れで落語会へ。但し、少し時間があったので、扇町のネットカフェで時間調整。そして、福島へ移動。夜は、「八聖亭」であった「たけくらべの会」へ行ってまいりました。いくつかいい落語会が目白押しのなか、この会を選んだのは、ちょっと偏屈かもしれません。簡単に言えば、消去法でいくと、この会が残ったというところです。その番組は、次のようなものでした。松五「犬の目」、智六「相撲場風景」、喬介「たいこ腹」、(中入り)、生寿「胴斬り」、呂好「天王寺詣り」。「天王寺詣り」を除いて、短めのネタが並んだのですが、一人の持ち時間は25分平均。これも「天王寺詣り」を除いて、それだけ皆さんが、申し合わせての長めのマクラをふったため。うまくネタと結んだのは生寿ぐらいでしたが、各自のキャラが出ていて、それなりにおもしろいものでした。松五は、智之介の結婚式の模様。奥さんが、クラウンとして慰問活動をされているので、その仲間が集まった不思議な光景を紹介してくれました。智六の話は、かなり深刻。会の主宰者や共演者(演芸の方ではありません)とのトラブル話。智六の話が100%事実なら、気の毒としか言えない出来事です。喬介は、やはりいちびりです。キラキラネームの紹介をしてくれました。生寿は、本日のネタについて話し出したのですが、それは、つまり大師匠松喬の思い出話にもなりました。生寿は、松喬から、この「胴斬り」と「二人癖」をつけてもらったそうです。「胴斬り」は、やめた喬治郎と一緒につけてもらったとか。こうやってマクラを振り返ってみても、生寿が、ディープな落語ファンの支持を集める秘訣が判ります。ネタ的には、喬介の「たいこ腹」が狙いの一つだったのですが、ちょっと茂八がはしゃぎすぎというのは予想されたこと。なんか、こないな風にして、時代とともに、噺は変わっていくものなのかなぁなんてことを、漠然と思いながら聴いていました。喬介というはしゃぎのキャラと出逢うと、べんちゃら一つにしても、異様に明るくなります。それにはまりそうになった一世代若い噺家が受け継いでいく、そないなことが起こるかもしれない予感がしたのですが、、、。も一つの狙いは、当然、トリの「天王寺詣り」。呂好で、初めて聴く大ネタです。呂好は、「笑福亭の大ネタです」と、気合いは十分。ただ気合いが緊張にも繋がったようで、前半の、根問的部分で混乱してしまいました。一瞬、立往生かと心配したのですが、あぶないところは、自主的にカットという荒技で乗りきりました。この人、もとよりもっちゃり系言葉が似合い、とても自然な印象を持てるので、こうした噺は合ってるなの印象でしたが、カットは、やはり呂好自身を萎縮させたかなの印象。捲土重来を期待しましょう。




2014年 4月 8日(火)午後 10時 44分

 ようやく暖かくなりました。春の雰囲気、満開です。おまけに、今日は非勤務日。でも、まだ寝不足。目が痛い。特に、今日は、「メト・ライブ・ビューイング」を観る日にしていましたので、休みの日といえ、ゆるりと眠っているわけにはいかなかったのです。ですから、晴れたいい日のわりには、気分は優れない一日。で、その「メト・ライブ・ビューイング」は、なんと「イーゴリ公」。一部の曲では知られたオペラながら、全曲となると観たことなんてない代物。ロシアは別として、上演機会の少ない演目でしょう。その分、期待は頗る大なものがありました。今回の公演が発表されたとき、オクサナ・ディカの名前を見つけたこともあり、とっても楽しみにしていたのですが、その後、この公演の紹介があるたびに、彼女の名前が消えていたので失望していたら、間違いなく出ていました。黄紺が、ドレスデンで「トスカ」を観たとき、とっても印象に残ったウクライナ人歌手です。今回が、メトロポリタン初登場。来季は、「青ひげ公」を歌うそうで、この分だと、メトロポリタンの常連になりそうです。黄紺の目に狂いはありませんでした。このオクサナ・ディカを初め、歌手は旧ソ連系歌手で固めていました。やはりロシア語を大事にしたかったからでしょう。歌手は喚んでこれますが、大変なのはコーラス。合唱指揮者がインタビューに応じていましたが、このオペラの合唱部分は、歌詞のリフレインがないから、覚えるのが大変なことだったとか。やはりロシア・オペラは、独特の響きを出しますから、コーラスに頑張ってもらわねばなりませんから、仕方ないとはいえ大変なことだったでしょう。筋立ても、全く知らないオペラです。第1幕は威勢のいい出陣の場面、そして敗戦後のイーゴリ公(イルダール・アブドラザコフ)の彷徨の場面。むしろイーゴリ公が幻想を見ているようでした。この場面のセットがすごい。1万2千本のポピー畑、そこをさまようイーゴリ公、それに「ダッタン人の踊り」がかぶります。ポピー畑の間を激しく動き回るバレー陣。オペラの中で、「ダッタン人の踊り」を聴くと、まことにもって幻想的。第2幕は、一転してイーゴリ公の帰りを待つ側を描きます。イーゴリ公は一切出てこず、その妻(オクサナ・ディカ)が主役となり、狼藉三昧、且つ、公の地位を狙う実弟(ミハイル・ペトレコフ)とのやり取りが続けていきますが、そないな内紛の内に、ポロヴェツ(ダッタン)人が近づき、ついに元の城さえも廃墟となりそうというところで終わります。悪さ三昧の実弟は、ここで亡くなります。第3幕は、その廃墟の中に、イーゴリ公が帰ってきて、妻と再会。と同時に、単独でポロヴェツ人に挑み、惨敗したことを反省、ロシア貴族に団結して戦うことを訴え、城の再建に着手するところで終わっていきます。指揮者(ジョナンドレア・ノセダ)や演出家(ディミトリ・チェルニアコフ)へのインタビューなどで明らかになってきたのは、ボロディンは、このオペラを完成させることなくなくなったため、リムスキー・コルサコフを初めとして、後発の作曲家が、いろいろと加筆させたため、その数だけの変化があるようです。ですから、今回のプロダクションは、演出家と指揮者で話し合って、方向性を固めていったということです。ですから、あとで、「イーゴリ公」について、ちょっと調べてみる必要があります。英雄物語と仕立てたらバージョンもあるようですからね。歌手は、とっても充実させる。オクサナ・ディカは期待通り。その実弟ガリツキー役のミハイル・ペトレコフは、来季の「青ひげ公」のオクサナ・ディカの相手役を務めるそうです。イーゴリ公の幻の中に出てくる女コンチャーコブナを歌ったアニータ・ラチヴェリシュヴィリは、来季の「カルメン」のタイトルロールを歌うとか。妖しいカルメンが出来上がりそうです。特典映像の中に、なんと次回の「ウェルテル」の主役二人が登場。ヨナス・カウフマンとソフィー・コシュです。二人の共演は、パリ、ウィーンに次いで3度目だそうです。今季の目玉的なプロダクション。簡単なインタビューだったのですが、ヨナス・カウフマンが喋り過ぎて、ソフィー・コシュの話は一言だけと淋しいものでしたが、ソフィー・コシュは、なんとメトロポリタン初出演だそうです。
 オペラが終わると、大阪に大移動。「イーゴリ公」が長かったため、ウォーキングをすると、夜の部へ直行となるため中止。替わりに京橋駅から扇町まで歩いて移動。ミニウォーキングにもならない時間でした。ただウォーキングを止めたので、少し多めの時間調整。そして、夜は「北区民センター」であった「天満講談席」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。南斗「忠僕直助」、南青「一休禅師」、左南陵「墨田川誉れの乗っ切り」、南海「女侠客 奴の小萬」。南斗くんは「トップとしては長いのですが」と前置きをしてネタに入りました。口調が、いつもと違いましたから、東西交流でもらったネタだと思われます。「赤穂義士外伝」からのネタ。奥方の病のため、刀を売り払った赤穂藩士の下男直助が、自ら刀鍛冶になり、主人に刀を献上するというもの。師匠の相槌を務める直助の描写が、なかなか迫力満点。南青くんの「一休禅師」は、以前の続き読みのときに取り上げたもの。その中からのエピソード集と言えばいいかな。南青くんは、あのときに取り上げたネタが、確実に財産となっています。多くの引き出しを、ホントにいい時期に作れたなと思います。左南陵さんのネタは、家光に遠慮して、手加減をして剣術の試合は良くないと、それを懲らしめる旗本だが、一方で家光の意見をするような行為は不忠かと悩むという「名月松阪城」と同じパターンのネタ。確か、東京の講釈師さんで、以前聴いたような気がしたので、東京時代のネタかと思ったら、左南陵師、最後に「二代目南陵の速記本から手短にまとめました」するはすと言って降りました。おなじみの東京のアマ講釈師さんが来られていたので、ちょっと言葉を交わしたのですが、東京の浪曲師藤田元春師の持ちネタの1つとか。それを伺って、ひょっとしたら浪曲で聴いたネタかと思い始めています。「奴の小萬」は、南海さんで以前に聴いてました。侠客ものは好きなネタで、南海さんがわりかし取り上げてくれます。南青くんのネタいじりを入れたりと、めっちゃ余裕の高座でした。




2014年 4月 7日(月)午後 11時 24分

 今日から暖かくなるはずが、そうはなりませんでした。寒いのも暑いのも嫌ですね。今日は仕事のある日。そういった日に限り、判で押したように寝不足。一日中、目が痛いほどの寝不足。辛い話です。また、そういった日に限り、チケットを持っていたり、予約を入れていたりします。今日は、繁昌亭の夜席。「第22回満腹全席」がありました。都合が悪くなければ、まず足を運ぶ会の一つに数えられるのではないでしょうか。年に4回のペースで続いています。その番組は、次のようなものでした。優々「子ほめ」、文三「鹿政談」、福矢「野崎詣り」、(中入り)、文三「貧乏花見」。冒頭は、毎回の如く文三の挨拶。思いっきり客に気遣いを見せるのが、文三の毎度の定番。そのモードに入ると、自ずと笑いが起こるということだけで、会の常連さんが詰めかけていることの証拠。前座は、繁昌亭では聴ける機会の少ない優々の高座。いや機会の少ない優々に気遣いを見せて、文三が出番を与えたのかもしれません。文三なら、そないなことをするかもなと思わせるあたりが、彼の人気の秘密でしょう。また、優々も、心得たもので、伊勢屋の番頭を出さないショートカット版の「子ほめ」で応じました。なかなか阿吽の呼吸が清々しいところ。文三は、マクラで、先代文枝のことを必ずと言っていいくらい触れてくれます。ほぼしくじって叱られた話ばかりで、文三の語る師匠は、我が儘で、でもとっても愛らしく見えます。桜の思い出として、今日は話してくれました。演目は「鹿政談」。文三では、初めてだと思います。序の部分から型通りの進行でた。ゲスト枠は福矢。まず久しぶりの遭遇のうえ、これだけたっぷりと福矢を聴くのは、ホントに久しぶり。以前は、わりかし遭遇機会が多く、またマクラがおもしろいというので、遭遇できるのが楽しみだった噺家さんだったのですが、こう遭遇しないと、その楽しみすら忘れてしまってました。でもおもしろいマクラは顕在でした。不動産屋体験という、初めて聴くマクラ。ネタは、福矢ベストと思っている「野崎詣り」。ケンカの場面の喜ぃ公の生たれた言い様が最高。うまく言えないに、頑張って言おうとすればするほど、野ツボに入っていくところなんて、随分といいテンポ。で、なお且つ、生たれたままなのがいいですね。文三の「貧乏花見」も良かった。これも、文三ベストかもしれないなぁなんて思いながら聴いておりました。ありえないバカバカしさ、それがありそうな感じになっちゃうんですから、楽しくって。これぞ、落語の世界です。わけの分からないものを持ってくる人たち、凄まじい格好で出てくる人たち、それだけでおかしいのですが、連中、風流なんです。貧乏を楽しんでるし、花を愛でる心があり、わけのわからないゆとりを感じさせます。文三の口演って、そないな感じにさせてくれます。相対ケンカも、「胴乱の幸助」よろしく、本気のケンカになるのも、笑わせてくれます。そうなんです、珍しいことに後半まできっちりとやってくれたのです。思いっきりの酔い方が、それまでの憂さ晴らしって感じで、めっちゃグー。やっぱ、文三ベストに入れたくなります。




2014年 4月 6日(日)午後 11時 10分

  京都市内遊歩(48)

 今日も、朝からウォーキング。日曜日に、目覚ましまでかけて、ウォーキングをするって、ちょっとやりすぎかもと思いながら、やってしまうこだわりです。一つには、昨夜、早々とダウンをしてしまい、既に日が変わる前に目が覚めていたものですから、ほとんど朝まで眠られず、午前中にウォーキングをするならば、目覚ましに頼らざるをえなかったのです。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。京阪「丹波橋」駅〜伏見京町北郵便局〜津知橋〜近鉄「伏見」駅〜七瀬川児童公園〜京都市立藤森中学校〜西浦中公園〜龍谷大学〜京都市立伏見工業高校〜高瀬稲荷人道橋〜わかくさ児童公園〜東山橋〜鴨川右岸〜JR「なら30」橋梁〜京都市立崇仁小学校〜渉成園(枳殻邸)〜正面児童公園〜正面橋〜京阪「七条」駅。歩き出して10分ほどしたところで、わりかし強い雨が降ってきてびっくり。空を見ると、北の方角が明るいので、とにかくそっち方向に歩き、様子見をしながら歩くことにしました。結果的には、それが正解だったのですが、それまでは止めようかと思うほどの強い降りが、何度かありました。そのため、いつでたも止めることができるようにと、できるだけ、京阪線からは離れないようにとのコース取りをした結果が、上のようになりました。従って最短距離に近いコースですので、最終的には時間に余裕ができ、渉成園周囲を一周してから「七条」駅に向かうことになりました。今日も寒く、おかげで桜がもっています。このコースでの絶品は、鴨川右岸の桜並木。いわゆる東九条と言われる地域の桜は、ホント見事。地元の人たちが、マンガルをやっていましたが、地元だからといって自分たちだけの道と思っているような人たちがいたのには、呆気にとられました。でも、もう桜は終わりでしょう。この2日間、うまい具合にウォーキングを組めたのが、ラッキーでしたね。
 ウォーキングが終わると、大阪へ大移動。ところが、JRの京橋駅を通ると、何やら様子がおかしい。鶴橋辺りで沿線火災があり、環状線が止まっていて、ようやく動き始めたところとか。天王寺まで乗るつもりだったので、念のため京橋駅近くのネットカフェで時間調整することをやめ、天満橋から谷町線で、先に天王寺に行くことにしました。少し時間があったので、あべのハルカス見学がてら、本屋で立ち読み。ペーター・コンヴィチュニーについて書いた本を見つけ、これは不幸中の幸い。そして、午後は復活した「近鉄アート館」であった「吉坊ノ会」へ。「近鉄アート館」は、他の用途に転用されていただけで、昔のまま。そうだとは知らなかったため、逆に面食らいました。番組は、次のようなものでした。愛染「子ほめ」、吉坊「柏木」、(中入り)、松尾貴史「家族内宗教戦争(仮題)」、吉坊「愛宕山」。チラシにもプログラムにも、前座についての記載はなし。大阪では珍しいこと。出さないのかと思っていたら、愛染が出てきました。高座返しは華紋ということで、米朝一門は、誰も出ず。複雑な事情なのか、単なる偶然か、黄紺には判断できません。吉坊の一つ目は新作もの。但し「柏木」とは、「源氏物語」の柏木のこと。「源氏物語」の中のストーリーを、落語の世界に移し替えたもの。本田久作作となっていました。立川談春用に書いたもののようです。柏木が、女三の宮と関係を持ち、女三の宮は、源氏の子どもではない子どもは孕むというもの。講談を聴くような作品でした。松尾貴史と吉坊の交流は、黄紺も知るほど知られたもの。でも本格的に落語をするとは思ってはいませんでした。かつて、吉朝と名前が似ている(キッチュが似ている)ということで、二人会をしたそうで、そのときの企画として、中島らもに新作を依頼。結局、吉朝用の新作は、公演直前に仕上がったため間に合わず、松尾貴史用の新作だけが高座にかかったとか。そのときの作品を口演してくれました。中島らもらしい奇想天外な発想は、死後10年経っても、斬新なものでした。この高座で、雰囲気ががらりと変わり、中入り前の陰から陽に。次の「愛宕山」に対しても、いい膝がわりになりました。吉坊は、当然、米朝系の野の描写が入るもの。この序盤の描写が、このネタの真骨頂と思っている黄紺にとって、吉坊の繊細な描写は願って叶ったりのもの。山歩きも頑張りすぎず、ほどを心得たもの。ということで、期待を裏切らないもの。「柏木」が長かったこともあり、終わったら午後5時40分になっていました。
 「天王寺」から、寄り道することなく、直で「梅田」に移動。夜は、「梅田シネ・リーブル」であったドイツ映画「コーヒーをめぐる冒険」を観てまいりました。ドイツ・アカデミー賞で、数々の受賞に輝いた作品という触れ込みが、一番の動機付けになって行ってみたというところ。ドイツ映画で、秀作と言われるものに外れはないという思い込みが、なんせあるものですから。ただ、「コーヒーをめぐる冒険」って、日本での公開用に作られた題名でしょうが、何か変。確かに、主人公は、丸一日、朝、彼女の家で、コーヒーを断った以外は、何回か、その日の内に、コーヒーを飲もうとしては飲めずじまいで、その日を送り、翌日の朝。一人でゆっくりとコーヒーを飲むところで終わりますから、確かに、ようやく飲めるまでの、主人公の行動(それを冒険と呼ぶのは勝手ですが)を追ったものであることは確かであり、且つ、コーヒーをゆっくりと飲める行為に、彼の成長を表していると、象徴的に捉えることもできなくはないのですが、コーヒーが焦点化されている映画では、全くありません。主人公は、大学を中退をして、あてもなくブラブラしているニートの男。親には大学へ行っていることになっているので、送金されているため、ここのところまでは、金には困ってなかったみたい。その主人公が、朝、彼女の家を出るあたりから始まります。その彼女にも、さほど執着してなさそう。そうしたスタートからして、頼りなげで、気ままに、だらーんと、その日を暮らそうとしている雰囲気が見えてきます。この日、主人公は引っ越しをします。片付けるのも放り出して駆け込んだのが、免停解除の申請。だが、そこで理不尽とも見える扱いで、解除されないで終わります。どうやら、この男、自己点検の前に、世の中に、その責任を押しつけるタイプのよう。それを象徴的に表そうとしたのでしょうね。引っ越し先に戻ってきます。そこで会うのが、上の階の男。妻が乳ガンを発生させてから、夫婦関係が崩れ、同じ集合住宅に居るにも拘わらず、夫は地下室でサッカー三昧、妻は料理を作り続けている。自分たちで問題解決能力を持ち合わせない人たちを、尋常ではないと見る目は持っているようです。幾つかのエピソードが、こういったものが始め連なり合わさり、1日が終わるとともに、主人公の中の変化らしきものが想像されるという構造になっています。なかでも鮮烈な印象を残す人物が、2人います。1人は、友人の役者の友人の婆さん。気持ちが暖かくて、主人公がほっこりさせられるだけではなく、こちらもほっこりさせられたのですが、主人公は、それを受け取る力を持っていました。この嬉しさは大切です。もう一人は、昔、でぶとからかわられ、もちろん主人公にもからかわられ、そこの痛みから立ち直ったかに見えた女の子、この女性の頑張りに、主人公は、一つ、大切なことを学びます。「周りが悪いんじゃないんだ、自分に問題があるのだ」と。なんとなく判っていたこと、観ている者には、それを、彼は口にします。でも、彼女は、立ち直っているとは言えないことも、彼は気づきます。この辺の繊細さは、この主人公に希望を持たせます。この男、非常に微妙なところで、捨てがたいものを見せてくれます。フリードリヒ・シュトラーセ駅前のパブで、老いた男にからまれます。だが、その話を聞いていきます。単なるからみではないと感じたのでしょう。正解です。老人に何があるのか、またあったのかは具体的には明かされませんが、この場所で、この老人にとっては、人生を変える何かがあったらしいのです。ナチと関係があるかもしれません。それを語りかけて、部分だけを語り、出た途端に倒れます。救急車に乗り、行方を病院で待つ主人公。その姿に希望があります。そういった男の姿にです。ベルリンで見つけた若い男が、頼りなげで、ほんと線が細いのですが、それなりに真面目に生きている男の1日の姿です。それなりの深い経験をし、なによりも、まともに目の前にあることに反応する真面目な姿勢に、見終わったあと、ほっこりきます。原題は、「Oh! Boy」です。納得ですし、日本語題名の、なんともはやみすぼらしいことったら、ありえません。




2014年 4月 6日(日)午前 2時 33分

  京都市内遊歩(47)

 一昨日は、ウォーキングをし損ねたため、昨日は、朝からウォーキング。でも、寝つきが悪く、スタートは10時近くになってから。伏見を地図を持たずに、行き当たりばったりで歩こうというもの。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。京阪「稲荷」駅〜疎水右岸〜京阪「深草」駅〜砂川東児童公園〜砂川西公園〜近鉄・地下鉄「竹田」駅〜白河天皇陵〜城南宮〜「赤池」交差点〜インド・ネパール料理店「Saino」〜城ノ越公園〜京都市立下鳥羽小学校〜下鳥羽保育園〜柳長児童公園〜須釜児童公園〜伏見警察署〜大信寺橋〜毛利橋〜伏見中央図書館〜羽柴長吉中公園〜京都教育大学付属桃山小学校〜京阪「丹波橋」駅。最初は、北の方に行ってから、伏見へ戻ろうとの考えだったのが、疎水沿いの桜に惹かれて、あえなく方針転換。このコースで、最も西に行っているのが、「赤池」交差点辺りを歩いているところ。西にある千本通というのは、この辺りでは、鴨川右岸の自然堤防上を走っていますね。きれいに微高地となっているのが判り、その上に集落が並ぶという具合で、地理で勉強したことを思い出してしまいました。いわゆる下鳥羽と言われるところで、鳥羽伏見の戦いの現場ですね。東高瀬川を渡る(大信寺橋)と旧伏見市の中心街です。ここも帯屋町、革屋町と、伝統の名称が並び、京阪と近鉄を越えると、羽柴長吉なんて地名が出てきたり、付属桃山小学校の地番となると井伊掃部ですから、もう大河ドラマの世界です。夕方からは雨が降ったりしましたが、午前中は、絶好のウォーキング日和で、大満足です。
 ウォーキングが終わると、一旦家に戻り、食事がてら休憩&時間調整。いつもネットカフェでしていることを、昨日は、自宅で実行。というのも、昨日は、着替えという普段にはないことをしなければならなかったのです。そして、午後は、一挙に大阪へ。「フェスティバル・ホール」であった「大阪フィルハーモニー定期演奏会」があったのです。今年度から、大フィルの定期は、フェスティバル・ホールに復帰。今まで通り、定期を2日にわたり行うのですが、動員力が気になるところ。昨日は土曜日、ましてやマチネーということで、年配の皆さんが多く詰めかけ、とりあえずは上げ潮モード。なおかつ今月は、井上道義が首席指揮者就任のお披露目とあり、記念のコンサート。そのため、ショスタコービッチの4番のシンフォニーを出すという頑張りよう。大フィル事務局は、大入りで大成功、つまりフェスティバル・ホールに移ったこと、井上道義を迎えたこと、この二つを指して、大成功と看ているらしいとの噂が入ってきていますが、先日も、この筋に通じている方と話していたのですが、今回の大入りの要因は神尾真由子、井上道義でもなく、黄紺のようにショスタコービッチ狙いでもないと、その方は断定されていました。ま、その真偽は、今後の展開を見れば、自ずと明らかになるでしょう。ですから、プログラムは、前半が、神尾のソロで、チャイコフスキーのコンチェルト。チャイコフスキーのコンクールを制覇した神尾にとっては、正に看板の曲目です。また、これが良かった。なんか聴いていて楽器が鳴っているというよりは、バイオリンという道具から、音を抜き出している、引き出しているという感じ。音が浮いて聞こえました。音が出ているということでしょうか、完全に奏者がコントロールしているということを、このように感じたのかなと思います。経験のしたことのない音の響きに、かなり思い入れが強くなってしまいました。休憩を挟んでショスタコービッチ。ショスタコービッチの4番は、まあ出ません。編成が大きすぎます。N響が出したときに、パート練習からやったとというほど、出ない。また聴いてみて、弦が大変。スーパーなテクニックを求められ、且つ大編成ですから、こりゃパート練習が要ります。合わせるという最も基本のところの練習が要る曲です。第1バイオリンで12人いたかなぁ。ホルンなんて9人、8人というのは、マーラーやブルックナーで当たり前ですが、もう1人多い。パーカッションに至っては、ティンパニー2人を除いて7人もいました。これは凄い。マリンバ大活躍ですから、そのプロパーが入っていたかもしれません。変わった音が入っているなと思って聴いていたら、奏者を立たせるのが習慣化した現在のコンサートの恩恵で判りました、チェレスタが入っていたようです。フルートが7本でしたから、それに応じた菅が入っていたということです。休憩時間にお会いした方によると、130人ほどが舞台に上がり、3/5ぐらいが団員と言われたか、エキストラと言われたか忘れましたが、そのくらいの規模だということです。全般を通じて、思いっきり無機質な音が流れます。その厳しさに社会主義リアリズムの現実を看る思いがして、逆にその背後に隠れるショスタコービッチの人間性に思いを馳せてしまいます。そういった意味で冷徹な音に徹しきれない、第3楽章の弦の響きに不満を感じてしまいました。ま、大フィルを聴いたとき、だいたいバイオリンを中心とした弦に満足しないのは定番ですが。恐らく2度目はないだろうという気で聴いていました。ショスタコービッチの4番で、この大入りって、やっぱおかしいよなとも思いながら帰途に着きました。




2014年 4月 4日(金)午後 10時 45分

 昨夜は、昔の同僚との食事会。毎回、イスタンブール・コナックを使っています。この食事会、約半年ぶりでした。幸い三人とも、変わりなく再会できました。だいたい外で呑んで帰ると、簡単にダウンしてしまうのですが、昨夜は、なかなか眠れずに夜ふかし。おかげで、午前中のウォーキングを取り止め、お出かけ12時過ぎ。今日は、まず動楽亭の昼席に行ってまいりました。今月は、今のところ今日の一回だけの予定にしています。その番組は、次のようなものでした。鯛蔵「強情灸」、しん吉「鶴満寺」、出丸「二人癖」、歌之助「壷算」、(中入り)、団朝「金釣り」、雀三郎「帰り俥」。たっぷりと睡眠をとったつもりが、そうではなかったようです。そう言えば、それを予感させることが、家を出る前に起こっていました。家で、DVDを観ているだけで居眠りをしてしまっていましたから、おかしいなとは思ったのですが、やはり変だったのです。せっかくの「鶴満寺」の途中から記憶があいまいになり、「二人癖」は全滅に近い状態。今日のお目当て、中トリをとる歌之助も、半分も聴けてないですね。この歌之助にしても、トリの雀三郎も、ネタ的には、ちょっと小ぶり。ま、歌之助は、襲名披露の繁昌亭のトリでも、「壷算」は出していましたが。ただ、雀三郎の出した「帰り俥」は、自分的には初遭遇。小佐田作品なのですが、巡り合わせの悪かったネタ。ただただ、家に引き上げようとした途端、乗せた客から数珠つなぎ的に、客を乗せることになり、家からどんどんと遠ざかって行くというだけの、バカバカしい噺。そんなですから、あまりトリネタとは言えませんね。最初、マクラで旅の話を始めたので、「三十石」「住吉籠」なんてのを思い浮かべたのですが外されました。団朝は、マクラでお馴染みの西成ネタでわかせたあと、小咄規模のネタで降りました。ただ「金釣り」なんてのを、一本のネタとしては聴いたことはなく、何かのついでに、米朝が触れたのを聴いたような記憶のあるものでした。
 動楽亭を出ると、「天王寺」まで歩き、環状線で「天満」に移動。駅前のネットカフェで時間調整。それから「大阪」経由で「塚口」に移動。今夜は、ピッコロ中ホールであったレジデンツ劇団の公演「車窓から、世界の」に行ってまいりました。ピッコロ劇団の何らの公演を観るのは、これで3度目となるはずです。そして、その3回が、それぞれ異なった形での公演となります。今回の公演は、「オフシアター」と銘打たれたもので、横山拓也の作・演出での公演でした。ピッコロは、充実した役者さんに加え、色々な試みもされており、常に関心を持っては看ているのですが、なんせ自分的には行きにくいということもあり、ちょっと控え気味。今回は、やはり横山拓也作品ということで、モチベーションが高まった次第です。舞台は、地方のある田舎駅、そこに集ってくる喪服の人たちを中心に展開する物語。お別れ会という名のお葬式に参列する人たちのよう。駅での遅れた列車を待つ間の会話に、亡くなった人たちの死の原因を作った人が、途中から現れたり、また死の直前を見たという人たちが現れて、芝居は終息に向かっていきます。亡くなったのは中学生。駅に来ていたのは、その亡くなった生徒の副担任とその恋人らしき男、PTA副会長、ガールスカウトの世話役。後から現れたのが、自殺を試みた中学生が気に入っていたマンガの作者と、列車の運転士。徐々に自殺のわけが明らかになっていきます。マンガの主人公にあこがれた中学生の女の子らが、マンガの展開(普通のラブストーリーが一転して猟奇的な絵で鉄道自殺を描くというもの)に絶望して、マンガと同じ仕方で自殺を試みるというもの。それが、自称マンガ家を名乗る男が現れたところから、急に討論芝居になっていきます。PTA副会長は、有害図書の取締りを叫び、それに対して、表現の自由をぶつけたりと、ちょっとステレオ・タイプ的な議論が展開されたりします。抽象的な言葉を使い、議論を描く芝居は、あまり好きではない黄紺は、完全に引き気味。保護者と教師、校外(地域)の教育力を代弁するようなガールスカウト、そういった人たちを出すことからして、ステレオ・タイプ的になっているのですが、マンガ家を名乗る男に対する迫り方へと移っていくと、黄紺の求める芝居らしくなっていきます。抽象的な言葉のやり取りから抜け出し、目の前にいる男を、いかに捕らえ、どういった言葉を投げかければいいのか、また男は、次に何をするのか、抽象的な言葉のやり取りでは済まされない状況となっているからです。ちょっと芝居らしくなりました。その男の始末というか、把握の仕方は議論とせずに、教師役の女性に託する手法は、それはそれで性急に過ぎたか。こちらで意見のやり取りをして欲しかったなぁ。こうした社会派的テーマが、最近取り上げられる傾向にあるような気がしますし、評価も高まってきている気がしています。だから、また現れる。この台本もそうかなと思いながら観ていました。あまり討論芝居にならないようにとの細心の心配りも、実は施されてはいたのも事実です。登場人物の中に、一人だけ関係者でない人が用意されていました。即ち、教師の恋人らしき男です。彼が、討論風になると、常にチャチャ入れ役に回っており、その言葉の豊富さには、確かに看るべきものがあったとは思いますが、その印象の方が薄くなるほどの、討論先行になってしまっていたのは、残念なところでした。




2014年 4月 2日(水)午後 11時 14分

  大阪市内遊歩(192)

 今日は、えらく気温が上昇。太陽が、雲の間から顔を出しただけで、初夏を思わせる勢いがありました。そのようななか、ドイツから帰ってきてから初めてとなるウォーキングを敢行。歩き出して10分ほどで、着ていた上着を手に持ってのウォーキングとなりました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。京阪「京橋」駅〜JR「かんじょう114」架橋〜都島南通郵便局〜都島公園〜都島北通郵便局〜高倉幼稚園〜子ロバ保育園〜西浪橋〜城北公園〜大阪市立大宮中学校〜カフェ「Yukai」(伝楽亭)〜今市公園〜大阪国際滝井高校〜高瀬神社〜守口市立三郷小学校〜守口市立とうこう幼稚園〜京阪「守口市」駅。今日は、京橋駅から外に、それも京阪沿線に、最終的には向かおうというもの。この逆コースは、しばしば歩いているのですが、こうしたコース設定は、とっても稀なこととなります。ま、時間に余裕があったのでできたこと。ちょっとした趣向です。当初は、城北公園には行かないコースを考えていたのですが、近くを通るとなると、覗きたくなるもの。そして、行ってみて、大正解。今を盛りと咲き乱れる桜がいっぱい。この季節に城北公園には行ったことがなかったもので、桜があれほど多いと、自分の頭にインプットされていませんでした。桜は、正に今がピークでしょう。ですから、各所で咲き誇る桜に接することができました。三郷小学校の前で、桜にみとれ写真を撮り、振り返ると、その姿をご覧になっていたのでしょうね、にこにこしながら、黄紺を待ち構えていた方がおられました。前の職場の同僚でした。久しぶりの再会、そう言えば、一昨日もそうでした。なんか気持ち悪いくらいに嬉しい再会が続きます。このあと困ったことが起こらねばいいのにと思うほどの、運を呼び込んでしまっている黄紺です。
 「守口市」駅から、呆気なく「京橋」に帰還。駅前のネットカフェで、休憩を兼ねて時間調整。そして、「天満橋」に移動して、「双馬ビル」へ。今夜は、こちらであった「南華はたちの会」に行ってまいりました。最近は、会の表示も出されない秘密倶楽部化してしまっている講談会です。いつものように、マクラを兼ねて、最近あった出来事報告。その中で、黄紺がずっと気になっていたことが一つ解決しました。大阪港に突き出るようにある高〜い橋を、なみはや大橋と言い、その橋が歩いて渡れるという情報です。ウォーキングをしていて、歩けるかどうかが判らず、近づけなかった橋、南華さんは、自転車で渡ったそうです。下りのときは、決して自転車には乗れないほどの勾配だそうです。その他は、南華さんの地元にある水間鉄道のこと。わりかし黄紺が気にしている話ばかりが並びました。本番の講談は「黒田官兵衛の妻光姫」一席だけ。このネタだけで、小1時間かかるため、2つ目はありませんでした。「官兵衛」は、信長の中国の際、信長は播磨の大名の説得に、同じ播磨出身の官兵衛を遣わし、一旦成功するが、裏切りにあったがため、官兵衛を指揮官に任じ、播磨攻めを命ずる信長の采配。それに成功したあと、まだ信長になびかない伊丹の有岡城主。ここにも遣わされるのが官兵衛。ところが、ここで捕らわれてしまう。寝返ったと看られてしまい、人質に捕られている倅は、信長に処刑を言い渡されてしまう。でも、そこで踏んばるのが光姫。家臣にすら裏切ったのでは疑心暗鬼だったのを引き締め、ついには信長による有岡城攻めの際に、官兵衛は救い出され、誤解だったことが判明。倅も、竹中半兵衛の機転で命を取り留めているというもの。気丈夫で、官兵衛への思いの詰まった光姫の毅然たる態度が聴きどころ。今日は、昼間、桜を堪能し、夜は、桜色の南華さんの着物に目を奪われ(化粧もそれに合わせられていた、さすが芸人さん)、そして、なかなか緊迫感溢れる講談に満喫と、いい一日でした。




2014年 4月 1日(火)午後 11時 10分

 今日から仕事に復帰。自分的には、最後の1年になるはずです。その4月の初っぱなから、睡眠不足での出勤。相も変わらず、この睡眠障害に悩み続けねばならない1年が始まることとなりました。そして、夜は、ドイツから帰ってきて以来、初めてとなる繁昌亭。おかげで、新しいチケットを、だいぶと購入することになりました。あるビッグな会などは、最後の2枚の内の1枚を、辛うじてゲット。今夜は、その繁昌亭で「」がありました。今日から3日間の予定で、メンバーを変えて開催される会。3日間の中では、今日が、一番そそられる顔ぶれ。おまけに、トリは吉坊とおいしいのですが、客の入りは、かなり淋しいもの。その番組は、次のようなものでした。福丸「しの字嫌い」、喬介「牛ほめ」、鯛蔵「向う付け」、雀太「替り目」、智之介「ちはやふる」、(中入り)、ちょうば「京の茶漬け」、まめだ「ちりとてちん」、吉坊「蛸芝居」。黄紺は、問題の寝不足で、福丸のあとの、中入り前までが苦悩の時間。ですから、喬介から智之介までのメモは割愛。もう少し聴ける機会が増えればいいのにと思っている噺家の一人、智之介が、中途半端にしか聴けなかったのが、最も悔しいところ。「しの字嫌い」は珍品。福丸は、自身の会で披露していましたから、自分的には、2度目の遭遇となりました。中入り以後は覚醒。ちょうばの「京の茶漬」はヒット。過剰に茶漬け求めていくのが好きではないのですが、ちょうばはバカバカしいくすぐりを2つ入れました。「お、ジャズけ?」から「お茶請」、「中田に2円(貸している)」から「永谷園」を引っ張り出していました。ちょうどと吉坊の間に出ると、まめだは色物。頭髪を指して言ったのでしょうが、後から出た吉坊は、「ナパーム弾みたいなのが出ました」と言っていました。その吉坊は、さすがの「蛸芝居」。身体の動きがきれいだし、自然な声出しで流れに必然を感じました。いい締めになった会だったと思います。




2014年 4月 1日(火)午前 0時 3分

 今日は、新年度に向けて、職場の様子を見に行くつもりが、昼前まで寝てしまい、断念。これは、夜中に目が覚めてしまい、二度寝の結果でした。で、昼過ぎに、弟の家に行き土産を渡し、長々とおしゃべり。夜の予定の時間設定を間違っていて、予定していたウォーキングは断念。予定通りに、全然に動けてない黄紺です。結局、まともなお出かけは、夜の「心斎橋劇場」だけ。今夜は、こちらで「京山小圓嬢独演会」がありました。これは、小圓嬢師が、芸術祭大賞を受賞した記念の会。関西の浪曲界のメンバーのほとんどが集われていたのではないでしょうか。天中軒雲月さんなどは、名古屋から駆けつけました。その番組は、次のようなものでした。京山小圓嬢(沢村さくら)「亀甲縞」、京山小圓嬢・菊地まどか(沢村さくら)「阿波の踊り子」、(中入り)、京山小圓嬢・菊地まどか・京山幸枝若・松浦四郎若・三原佐知子・天中軒雲月・平良一声「歌謡ショー」、虹友美「七色三味線」。小圓嬢師は、「亀甲縞」の口演で大賞を受賞ということで、まず、それから。大トリになるべきネタが、いきなり冒頭から。この感覚は落語界にはありません。飢饉で、財政が逼迫した津藩を救うべく立ち上がった男たちの活躍を描きます。歌舞伎役者と芸者を巻き込んだ、亀甲縞の売り出し作戦、見事に成功します。二つ目は、弟子の菊地まどかとの掛け合い浪曲。小圓嬢師の功績の一つに、やはり菊地まどかを世に出したことを数えねばならないはずですから、納得の番組。阿波おどりのリズムの部分、生の三味線を、そのまま使って欲しかったな。浪曲の音程と、流されたお囃子の音程との間にずれがありましたからね。ちらちらと菊地まどかに目をやりながら口演を続ける小圓嬢師が楽しそうで、何よりの企画でした。中入り後は「歌謡ショー」、浪曲親友協会の重鎮の出演。平良一声という人は、小圓嬢師の師匠の小圓の息子さんで、歌手と紹介されていました。また、虹友美さんは、元来民謡三味線の人で、河内音頭の会で、菊地まどかと知り合い、浪曲三味線を藤信師に習うようになったようで、その関係で、菊地まどかや小圓嬢師の三味線を務めるようになった模様。今日は、津軽三味線の曲弾きを披露してくれました。
 ところで、今日、この会場で、びっくりのハプニング。中入り時間、携帯にスイッチを入れると、いきなり前の職場の同僚から電話。「同じとこに、おんでぇ」「えーっ」と言って、座席を見渡すと、こちらを向いて手を振るおばさんが二人。驚きました、ホントに。ちょうど、その内の一人が、一つの節目をつけられたということを、昨日の呑み会で聞き、それを教えてくれた人に、「それじゃ、近い内に電話、入れてみます」と言ってたところなもので、驚きも格別でした。結局、それから心斎橋の喫茶店で、2時間しゃべり倒すことにあいなりました。




2014年 3月 30日(日)午後 11時 14分

 夜半からかなり強い雨。一日ずれていれば、屋外での結婚式がお流れになっていたところ。運よく一日ずれたことに感謝。今日は、少し息子に会ってから動楽亭へ。「吉の丞進学塾」が行われたからです。よく考えてみれば、この会におじゃまをするのは、初めてのこととなります。その番組は、次のようなものでした。慶治朗「狸賽」、吉の丞「崇徳院」、(中入り)、文華「打飼盗人」、吉の丞「蛇含草」。慶治朗は米団治の三番弟子、自分的には初遭遇。顔立ちも整い、とっても口舌爽やか。米団治一門の三人は、とっても粒揃い。ホントに揃いも揃たりの感があります。当然、後ろで上がった吉の丞も、マクラで、それをネタにしました。ただ、それは、話せば話すほど野壺に入っていくために、客席のボルテージも上がるというもの。吉の丞の一つ目の「崇徳院」はリベンジだったとか。前々回に、このネタを演じている最中に、外からジャズが聞こえてきて、気が入らなくなり、途中で他のネタに変えてしまったとか。そのときの出来具合とかは判らないのですが、今日の出来は最高度のものと看ました。吉の丞は、気合いが入りすぎるのか、調子の高い声で一本調子になってしまうことが、まま看られるのですが、今日は、それとは真逆。緩急といい、絶好の間といい、正に本格派そのものの出来。それに、気合いが乗り移るという具合だったものですから、一期一会的な口演に遭遇できたのかもしれません。何よりも、登場人物に対するいとおしさのようなものを感じさせてくれました。吉朝テイストのくすぐりも上滑りすることなく、自らの口演の尺の中に取り込んでいたように看まし。逆に「蛇含草」は、そうじゃなかったのです。一本調子気味、間合いの微妙なすべり方、そのため、登場人物が何か作品られている感じ。特に「蛇含草」という噺は、落語の世界でしか成立しない展開ですから、余計にそらぞらしく聴こえてしまいました。ゲストの文華は得意ネタ。最近は、このネタ、文華以外で聴くのは三喬くらいでしょうか。最後に、吉の丞から次回のお知らせ。なんと「鬼薊」の準備をしているとか。会場から「オーっ」という声が、一斉に上がりました。大変な大ネタであると同時に、吉の丞には、異質なネタという感じですので、まずは、そのチャレンジ精神に敬意を表するとともに、口演を楽しみにしたいと思います。
 動楽亭を出ると、、天王寺まで歩き、ネットカフェで時間調整。その後、京橋に移動。今晩は、こちらでかつての職場の同僚が定年を迎えるということで、そのお祝いの会があったのです。3月に、こういったお祝いの会があると、年3度だけ、集まることになっています。この間は、時計の針を少し戻すことができます。黄紺にとって、ありがたい時間です。




2014年 3月 29日(土)午後 10時 28分

 今日は、午前中から、息子の結婚披露宴。結婚式ってものは、親戚のおじさんとか、友人の一人として参加するに限ります。新郎の父なんてのは、えらく緊張が進むものです。終わって、ホントにほっとしました。ようやく気持ちが軽くなり、少しミニミニウォーキングをして、その爽快感にひたりました。そして、夜は、谷六の「薬業年金会館」であった「笑いのタニマチvol.112〜仁智の新作落語道場〜」に行ってまいりました。ちょっと最近のぞいてなかったなという感じの会ですが、新作だけの老舗落語会、その番組は、次のようなものでした。染太「今どきのおばあちゃん」、仁智「兄貴の顔」、遊方「コンビニ・ストアの人々」、仁智「小ネタ集」。ところが、今日はダメだったですね。時差が戻ってないため、明け方まで起きていて、小1時間寝ただけで結婚披露宴へ。かなりの緊張から解き放たれた弛緩した身体は、確実に睡眠を求めてしまいました。全てが初遭遇ネタばかりで、期待の会だったのですが、入口だけとか、望洋としたなかで記憶に残る概略、そないなことでしか、参加してなかったような気がします。染太のネタは、老人ホームのお婆さんたちの頓珍漢な言動が柱になっていました。染太の新作は、幾つか聴いていますが、進歩の跡が看られた感じがしました。遊方の着想は、やはり新作テラーとしては、やはり貴重な存在と思わせるもの。コンビニの店員が、愛想よく客に話かけだすと、逆に不気味で、混乱が起こるというもの。師匠の八方が、コンビニをよく利用しているらしいというマクラは、説得力があります。仁智の一つ目は、完全無欠のハゲネタ。ハゲに通ずる言葉尽くしは鮮やかと言えるもの。マクラで語った、ちょっと前の芸人さんの失敗談はお宝もの。そないな裏話をしていく中で収斂していったのは、カツラを使っていた芸人さんの失敗談。そこからネタに入るという鮮やかさ。二つ目は、カンニングペーパーが仕込まれていると考えられる新聞紙を広げながらの口演。このスタイルは、この会での定番。マクラや、新ネタを作る際のプロット集ってところでしょうか。




2014年 3月 29日(土)午前 0時 27分

 昨日の夜、イスタンブル経由でライプチヒから帰ってまいりました。さすがに明け方まで眠れず、来シーズンのオペラの上演予定を調べていました。と言いますのも、ライプチヒ歌劇場に、来季の分厚いパンフレットが置かれていたため、他の歌劇場はどうかと探してみたのでした。ベルリンやドレスデン、ミュンヘンにワイマールなんてところで、既にHP上でのアップを見ることができました。さすがに、2014年は、リヒャルト・シュトラウス・イヤーです。もう今からワクワクしています。で、今日は暑い一日。強い陽射しのもと、気温が急上昇。明日のために、早めに帰ってきたので、ちょっとだけ、その準備。ドイツに行っていたために、できていなかった家の用事もちょろっと。その関係で、寝屋川に行かねばならなかったのですが、そのあとミニミニウォーキングを敢行。でも、今日は、汗をかいてしまいました。夜は、大阪市内で芝居を観る予定だったのですが、まだ開演までは余裕があったので、久しぶりに千日前のネットカフェへ。こちらで時間調整をすると、普段の生活に戻ったなとなります。そして、「in→dependent theatre 2nd」へ移動。「TOKYO PLAYERS COLLECTION & ライトアイプロデュース」の公演「IN HER THIRTIES」を観てきました。この劇団が、どういったものかは知らなかったのですが、出ている役者さんに、関西では知られた人たちが出ているという点、また脚本担当が、東京のわりかし知られた劇団「競泳水着」の上野友之が書いていたというところから、着目した公演でした。役者は、全て女性ばかり。その役者が、2人を除き、弧状に椅子を並べ腰かけています。あとの2人は、舞台前方両端に座ります。向かって右側の女性が、「明日30歳の誕生日を迎える」と名乗ります。左側の女性が、「明日40歳の誕生日を迎える」と名乗ります。しかし、さほど時間の経たない内に、この二人は同一人物だということが判ります。更に芝居が進むと、弧状に座っている女性たちも、全て同一人物を、1歳刻みにして並べていることが判ってきます。即ち、30台の一人の女性の変化を、このような形で、その心象風景を振り返ってみようというものでした。未来の自分に尋ねたり、また尋ねられたり、そういったキャッチボールなどを折り込みながら、ストーリーが展開していきます。ストーリー展開と言っても、仕事をしていたが、出産を考えて、転勤を断ったり、いざ出産で退職し、家計のためとパートを始め、やがて母親の介護も入ってきーのと、特段珍しい人生を、主人公が歩いたわけではない、ありきたりな人生です。そういった中で、30歳を迎えようとしている女性と、40歳を迎えようとしている女性の違いを際出させていきます。30歳を迎えようとしている女性が40歳を迎えようとしている自分に問いかけます。「子どもはいますか」「仕事はどうしていますか」「何点をつけますか」、それに対する答と、逆の位置から忠告が入ります。「点数なんてつけようとしないこと」「後悔することもある」「でも、それも含めて自分なんだと、、、」、忠告は、「化粧を落としなさい」「首と呼ばれるところを冷やさないこと」「旬のものを食べなさい」「体力をつけなさい」、そして最後に、「迷ったら自分で決めなさい」と。10歳の差を、このラストのやりとりが、見事に表しているように思えました。生活にリアリティが出てくる頃合い、夢とか理想とか、生活に持っていたものがリアリティを持ってきて、悔いだのなんだのが出てくる頃合い、それを迷い、自分で判断して生きていく、そういったもの全部をひっくるめて自分であり、そういった自分を見つめていく、それが、この10年間を生きていくということなんでしょう。聴いていて、明日の息子の結婚式でのスピーチのネタをもらった気がしました。いい芝居です。構造自体もおもしろいですしね、お薦めの逸品と看ました。




2014年 3月 14日(金)午前 5時 4分

 いよいよ旅立ちが迫っているのですが、気温が読めなくて困っています。今日なんか、思いっきり寒くて、また冬装束を考えてしまっています。その寒いなか、お出かけ前最後の落語会に行ってまいりました。高津神社で「たまの微笑落語会」があったのです。その番組は、次のようなものでした。智六「牛ほめ」、たま「鉄砲勇助」「立ち切れ」、(中入り)、三幸「結構です」、たま「寿限無」。目当ては、当然、たまによる「立ち切れ」のネタおろし。たまからは、「立ち切れ」についていろいろと説明がありました。テキストは「上方ばなし」から、要するに五代目松鶴から。この松鶴版を見て、米朝版を聴くと、米朝の手の入れ方が判り、すごいと思ったと言ってる一方で、米朝が「難しい」と書いているところは、ハサミを入れることにしていると言ってました。が、米朝の型でする人がほとんどなので、違うものをと考えたようで、こういう噺は、噺家の感じ方やこだわりが出るものといい、米朝版の感性と合わないっころは、番頭の扱いとのこと。「番頭の扱いが大きすぎる」「番頭さえいなかったら小糸は死ななくても良かった」、確かに米朝版の番頭の位は高い。親戚ご一同を集めて主人家族の大問題を仕切ってますからね。それを薄める努力を、たまは大きな柱にしたということでした。ですから、番頭の出番をかなり削っていました。親族会議の場面もはあっさり系に、小糸からの手紙、座敷牢から解かれる場面なんかがそうです。特に後者の場面そのものが削られていました。また、小糸が亡くなったことに対する恨み辛みは薄味、むしろ、2人をほのぼの系カップルにしようとの努力があり、その思い出に残る場面なんかが挿入されていました。思いっきり泣かすというコンセプトでは仕上がっていないと、予めたまから告知があったのは、こういった仕上げにしたからだなと了解できました。確かに、一つの持っていき方です。「立ち切れ」については、聴く者それぞれが思い入れを持っている噺です。「泣ける」噺、そのイメージには必ずしも合致しない方向を目ざし、その方向性でもありかなと思わせる力を感じました。おそらくたまのことですから、どんどんと進化していくことでしょう。これを見ていくのも楽しみなんだなぁ。「鉄砲勇助」は、修行時代にもらったネタとか、10年以上やってなかったみたい。たまオリジナルのスパイスが入ってたりしました。北海道の話へと展開するところが、なかでも傑作。「寿限無」もネタ下ろし。長い名前によるエピソ−ドは、たまオリジナル。全てが終わったところで、フリップを使った余興的付け足しがありました。これは、場内に大受け、たま的趣向が炸裂しました。前座役の智六の「牛ほめ」は、今、このネタをする人のものでは、一番古風じゃないかな? 硯に痰を吐くくすぐりなんか、この人しかやらないんじゃないかな? この場面で、前に聴いたことを思い出しました。三幸は久しぶり。顔の様子が変わって見えるほどの久しぶり。ネタは、三幸ベストじゃないかなぁ。そんなで楽しめた会。決して「立ち切れ」だけを聴く会ではありませんでした。やはりたまの会は、いろいろと楽しませてくれます。




2014年 3月 12日(水)午後 10時 23分

 今日から、年度末の最後の仕事。それが終わった途端、オペラを観に旅立ちます。それまで、夜遊びもばっちり。今夜は、なんと「はたちの会」が復活。1週間ほど前に、南華さんから連絡が入りびっくり。幸い変更可能な予定だったもので、こちらに駆けつけることに。今日からが、新たな出発ということで、会の名称も「なんかの会」に変えるとか。今後は、偶数月に、同じ場所で、ということは、ほとんどリニューアルにもなっていませんが、再開されるのは嬉しいこと。今日は、「野狐三次」を終えるということで、マクラの近況報告も短め。ただ、そないななか、知り合いの小学生を、「フランスと思い込ませた」話は傑作。サラダをクレープで包んで食べながら、そないなことを言ったら信じてしまったそうです。「野狐三次」は、大団円を語るには、三次の出生秘話が判ってないと困るだろうということで、その辺りのくだりを読んでから、一挙に大団円に向かう二つの仇討ち話へ。実は、途切れる直前には、一つ目の仇討ちには成功はしたのだが、願い状を出した正式な仇討ちではなかったため、三次は八丈島への島流しになってしまったところまででした。新しいところはここからで、実父の力で、八丈の役人に手が回り、また妻のいとが商人となり八丈に入ることで、三次は江戸に戻りと、名前も身分も変え、面倒を見てくれた頭の仇討ちに向かい、これに成功し大団円となりました。既に3年ほど経っていますから、幾つか抜き読みとして、ご自分のネタにされているものもあるようです。実際、他の会で、その抜き読みに接したこともあります。南華さん自身には、少なくとも、そういったおいしい部分も残りました。我々にとっては、小出しに出てくる話の全体像を知ることができました。変化に富んでいる、とってもおもしろい物語でした。「祐天吉松」なんとのも、この手の話なんでしょうね。次々回から、また一つの長編を読まれることになるはずです。ホント、楽しみなことです。




2014年 3月 11日(火)午後 11時 1分

  大阪府守口市(71)〜大阪市旭区、都島区、北区

   今日は、勤務日となってしまった日。ただ仕事が早く終わったので、時間休をとってウォーキングをすることにしました。空いた時間の有効活用です。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「守口市」駅〜寺内さくら保育園〜高瀬神社〜守口高瀬郵便局〜清水五北会館〜大阪市立清水小学校〜インド料理店「ザイカ」〜清水南公園〜清水小公園〜新森小橋〜京阪電車橋梁(新森1丁目)〜「高殿7」交差点〜大阪市立城北市民学習センター〜東高殿幼稚園〜大阪市立高殿小学校・大阪府立旭高校〜JR「じょうとう017」橋梁〜内代公園・大阪市立内代小学校〜大阪市立友渕中学校〜飛翔橋〜鶴満寺〜地下鉄「天神橋6丁目」駅〜北区民センター。今日も、夜の予定を考えてのコース設定。「守口市」駅から清水を目刺し歩き、次に「森小路」駅界隈で京阪線を越え西にどんどんと向かうというもの。旭公園や旭高校辺りを、こういった流れで歩くのは久しぶりのこと。最近では、この逆コースを歩いた記憶がありますが。それの真逆にならないようにと、友渕中学校方向に向かってみました。飛翔橋を渡ったのも久しぶり。そう考えると、コースが固まらないように歩いているのが解ります。真冬への逆戻りと言われていた気温だったのですが、歩いているとぽかぽかしてきます。陽射しの強さも、春のそれを感じました。あとちょっとの辛抱ですね。
 「北区民センター」近くのネットカフェで、時間調整がてらの休憩。今日も、軽く眠ってしまいましたから、ウォーキングの疲れは結構なものだったようです。そして、夜は「北区民センター」であった「天満講談席」へ。その番組は、次のようなものでした。南舟「わらしべ長者」、南湖「いざ鎌倉」、南北「柳田格之進」、南左衛門「赤垣の婿入り」。南舟くんが「わらしべ長者」をやっているのは押さえいたのですが、なかなか遭遇できなかったのですが、ようやくの遭遇です。聴きながら、こういった民話系の講談が珍しいことはいかんなということ。講談のいいジャンルになるはずだと思うのですが。南湖さんは、「鉢木」を「いざ鎌倉」なんて題でやりました。これを、講談で聴くのは初めて。文語調で一部が読まれました。ちょっと修羅場を聴いているときに味わう小ぎみ良さがありました。こないな調子は、上方には少ないものですから、これも、ひょっとしたら、東京からもらったものがもしれません。能「鉢木」と比べ、微妙に違います。時頼は伴の者を連れて歩いてます。一旦、追い返されるくだりがない、恩賞に関する下りがない、いざ鎌倉と言って武者が集まってくる描写もない、、、ということで、骨格だけが読まれたっていうところですね。機会があれば、南湖さんに、このネタについて尋ねてみたいと思っています。南北さんの「柳田格之進」が、ようやく出ました。南湖さんは、南北さんの口演を基に改変をしていったものということを伺っていたので聴いてみたかったもの。ところが、大事なところでダウンしちゃうんですね。番頭が動き出す嫌なところで、そうなんです嫌だなぁ、この展開と思ったときにダウンしていました。娘さんは、どうしたのでしょう? やはり、碁盤を斬ったのでしょうか、、、など、南北さんの型を知りたかったのですが、情けないったらありゃしません。南左衛門の「赤垣の婿入り」は、最近では、弟子がよくかけるネタになっているため、師匠がトリでするネタじゃないよの気分。でも、南左衛門は、よく言われるように芸風がくさい、くさすぎます。それだけ、豊かな人物描写のできる技の持ち主ということなんでしょうが、くさいという表現が一番的を得ています。上方講談のイメージは、どうしても、ここから出てしまいます。




2014年 3月 10日(月)午後 11時 53分

  大阪市内遊歩(191)

 今日は、普段は勤務日なのですが、非勤務日に働いた振替で休日となりました。ですから、午前中は、最後の荷造り用の時間として活用し、お出かけは2時をメドにしていたのですが、少し後ろへとずれ込みましたが、大したことではありませんでした。そして、まずはウォーキング。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「京橋」駅〜JR学研都市線「馬の口」踏切〜朝日橋〜全愛幼稚園〜大阪市立城陽中学校〜鴫野大橋〜東中浜公園〜大阪市立東中浜公園〜大阪市立東中浜保育所〜おとしよりすこやかセンター大阪市立東成スポーツセンター〜神路公園〜大阪市立本庄中学校〜大阪市立片江小学校〜新今里公園〜韓国ビデオセンター〜韓国料理店「麦」〜韓国料理店「新豊年」〜大阪市立中川小学校〜生野スポーツセンター〜生野カトリック教会〜劇団如月舎〜大阪市立田島小学校〜生中橋〜大阪市立林寺小学校〜JR「かんさい007」橋梁〜阿倍野松前郵便局〜地下鉄谷町線「阿倍野」駅。環状線の一駅ほど外側を南に向かって歩くコース。今まで幾度となく歩いてきたところです。が、今日は、あとのことも考え、終点を「天王寺」に想定していました。これは、実は設定経験がないもの。大概が、近鉄沿線に入るか、東部市場駅に入るかとしていました。今日も、その調子で歩いてしまったために、大幅に時間超過。2時間17分もかかってしまいました。南へ行けば行くほど、まっすぐに南下していると、環状線からどんどんと離れて行くため、距離感が解らなくなってしまっていたのです。田島地区まで行ってしまうと、東部市場駅に入りJRで「天王寺」に向かった方が賢かったでしょうね。ということで、わりかし疲労がたまってしまったウォーキングとなりました。
 「阿倍野」駅近くのネットカフェに入り、いつものように時間調整のつもりだったのですが、今日は、椅子に深く身を沈め、ぐったりとしている時間で過ぎていきました。ウォーキングのときって、かなりの早足で歩くため、わりかし疲労が残るのです。そして、夜は、歩いて「動楽亭」に移動。今夜は、こちらで「小鯛の落語漬け」がありました。塩鯛門下の楽しみな噺家さんの勉強会です。その番組は、次のようなものでした。鯛介「みかん屋」、小鯛「口入屋」、喬介「饅頭怖い」、小鯛「俺たちのヒーロー」。鯛介は、この2月に年季が明けたということで、まずは客席から大きな拍手。ざこば一門の前座の定番となっている「みかん屋」を披露。師匠に「落語は下手」と言われたそうですが、弱気の男なんかやらしたら、なかなかいい味が出るんじゃないかな。喬介は、自分で「ゲスト」と言って、大喜びの大はしゃぎ。「たけくらべ」の会で、このネタを出したときに、行きそびれたため聴き逃してしまったもの。そんなのを想定外のところで聴けると、嬉しいものですね。三喬テイストに、喬介の大はしゃぎがかみ合った「饅頭怖い」はおかしな味。喬介は、大はしゃぎをする一方、語り口がしっかりしているため、「じたじた」の場面なんか聴けるのです。その一方で、甲高い声ではしゃいでくれるため、特有の奮起が生まれます。主役の小鯛の「口入屋」が、期待にそぐわぬいい出来。顔の表情が豊かだし、台詞のタメも心得ています。50分にもなる大長講を、飽きさせぬのですからすごいです。聴きながら、これだったら、次、どないなネタがいいかななんて考えてしまってました。船場ネタを聴いてみたいなと思いながら考えてしまってました。もう一つの「ヒーロー」は、前回だったかに出したところ。手入れをしたと言ってましたが、分かりませんでした。ま、この新作ものはいいとして、「口入屋」の好演は、可能性をどんどんと拡げたと思えます。期待度の高い噺家さんへの評価が、一段と上がったのではないでしょうか。




2014年 3月 10日(月)午前 7時 31分

 昨日はいいお天気。午前中は、今度のオペラ紀行で観る「サロメ」の事前学習。ちょっとお酒を呑みながらの極上の時間。お出かけは、11時20分をメドに。まず「一寸寺門前浪曲席」に行ってまいりました。日本にいれば、月一で通う浪曲席です。番組は、次のようなものでした。真山誠太郎(真山裕子)「片割月」、春野冨美代(一風亭初月)「田宮坊太郎」、京山幸枝若(岡本貞子・藤信初子、京山幸光)「河内十人斬り(後編)」、三原佐知子(岡本貞子)「三味線ヤクザ」。3日間の内、一番いい番組に当たったかなと思っていたのですが、昨日もダメだったのです。前の3番を眠ってしまいました。お昼ご飯のあと、やたらと眠くなります。なんが、身体に変調がきているのでしょうか。「田宮坊太郎」は、定番のネタだからいいとして、「片割月」はキリシタンものということで、期待したにも拘わらずダメだったし、幸枝若の「河内十人斬り」は、以前に前編を聴いていたので、絶妙のタイミングと喜んでいたのにダメとなりました。辛うじて三原佐知子で「三味線ヤクザ」を聴けたのが救いでした。あまりやらないネタということで、「ネタ繰りを随分とやりました」と言ってたほどのネタです。杵屋を名乗る三味線弾きが、人を殺めてしまったため、それを続けられずにヤクザになる。そして、仇討ちを挑まれるのだが、急場しのぎで頼まれた三味線を弾いているのを、仇とつけ狙う男が聴いて、こいつは殺す人間ではないと悟り和解していくという、ちょっとした芸術至上主義的な筋立て。三原佐知子にとっては、メルボルン公演で出した思い出のあるネタだそうです。
 浪曲が終わると、歩いて「日本橋」に移動。駅上のネットカフェで時間調整をして応天院へ。午後5時開演の「オリゴ党」の公演「ほにゃらら殺人事件」に行ってまいりました。わりかし言葉にこだわったりと、ちょっと哲学的思考を芝居化してくれる、今や数少ない劇団の一つと、自分の中にインプットされているので、行くようにしている劇団です。久しぶりに、ウチとソト、そして、その境界を、強烈に意識した芝居を観ました。最近、こないな芝居を観てなかったので、逆にとっても新鮮な気分になれました。ウチなる世界とは、鬼頭一座という劇団。単なる劇団というだけではなく、四国の田舎の因習の残る村出身の一族で構成されているため、えもいわれね生態なども持ち合わせているという設定。その設定は、当然作家の腕のみせどころで、でっち上げが、どれほど賛同を持って受け入れられる、それが腕のみせどころというわけです。芝居は、やりたいこと、言いたいことを、具体的に形あるものとして見せねばなりませんから、このでっち上げが腕のみせどころとなるのです。筋立ての縦糸は、芝居の進行中に殺人事件が2回起こり、その謎解きとともに、でっち上げが明らかになってくるというもの。芝居の中の芝居を初めてとして、境界を意識させるものが頻繁に出てきますし、生と死との境界をも越える人物まで登場させていました。そして、境界の侵入者、これが、ウチに取り込まれるか、マレビトとしてウチなる世界を崩すかという流れが想定されると思ってたところ、フェイントが用意されていたりで、なかなかおもしろい展開。但し、そのフェイント男(名探偵と称するおバカな男)が、単なるおバカだとばれるのが早すぎましたね。ただ、その助手と称する女の恋人役が、マレビトとして、探偵役を見事に演じてくれました。前半の劇中芝居と現実が交差しながら進む展開、そして混沌、最後の探偵役のバラシと、とっても楽しく観ることができました。最近観た芝居では、最優秀作品です。




2014年 3月 9日(日)午前 0時 40分

  大阪市内遊歩(190)

 今日は、まず、文楽劇場であった「公演記録鑑賞会」へ。「今頃は半七さん、、、」でおなじみの「艶容女舞衣」がありました。そうなんです、かつての日本では、こういった浄瑠璃の文句が、日常会話の端々に使われていたのですね。でも、今日は、最近の昼公演でよく経験する居眠りを、またしてもしてしまったようで、筋立てが思い出せません。相も変わらぬもったいないことをしていますが、切場担当の現綱太夫師の力強い声が印象的でした。
 文楽が終わると、時間が大丈夫だったので、直ちにウォーキングに移行。夜の予定を考えると、かなりタイトな中でのウォーキング。休憩時間も確保したいということもあり、終点を決めてのスタートとなりました。そのコースの詳細は、次のようなものとなりました。文楽劇場〜下大和橋〜韓国料理店「オニャン」〜韓国食材店「亜細亜」〜道仁公園〜韓国料理店「じゅんちゃん」〜韓国料理店「安東チムダン」〜韓国食材店「アジアマート」〜韓国料理店「オンマソン」・韓国カラオケ「ソウル」〜御津八幡宮〜堀江公園〜高台橋公園〜日吉会館〜松島橋〜松島公園〜大阪本田郵便局〜梅本保育所〜大阪市立本田小学校〜「川口居留地跡」碑〜端建蔵橋〜船津橋〜大阪中央市場〜恵美須神社〜藤之棚児童遊園地〜大阪市立玉川小学校〜「吉野1」交差点〜福島年金事務所〜福島聖天了徳院〜「福島8交差点」・JR「とうかい224」橋梁〜金蘭会高校・中学校〜梅田シティ〜JR「大阪」駅〜地下鉄谷町線「東梅田」駅。昔流の言い方をすれば、島之内の南東隅はコリアタウン化しています。いきなり、その中を歩くことになったのですが、あまりに韓国系の店舗が多いので、写真を撮るのは途中で中止。それほど多いですね。近くには、旧満州地域の人たちも多いことを伺わせる店も多いですから、完全に新大久保化した地域になってしまってます。別に、それから逃げようとしたわけではではないのですが、今日は、九条方向に歩き、野田から福島、梅田シティを越えて、北から梅田に入ることにしました。時計を睨みながら、福島からだと、ショートカットすることができますからね。ただ、週末の梅田の雑踏は半端ではないですね。ウォーキングには、決していいコースなわけはなかったですね。
 「東梅田」駅近くのネットカフェで、45分ほど休憩時間をとることができました。これは大正解。但し、うとっときて、出かける時間を失念しそうにはなりましたが。そして、谷町線で「千林大宮」に移動。夜は、「大阪市芸術創造館」であった東京の劇団「水素74%」の公演「荒野の家」を観てまいりました。この劇団、確か三鷹の劇団セレクトにひっかかっていたはずで記憶に残っていたので行ってみることにしました。劇団員は、作家一人で、作品に応じて、役者を集めるプロデュース公演を行っているようで、その作家さん自身は、平田オリザの主宰する「青年団」の劇団員だそうで、今日の公演にも「青年団」の役者さんが、何人か出ていました。芝居は、手垢にまみれたとも言える家族の崩壊を描いたもので、最後に「家族ってなんですか」と、役者に叫ばせて終わるものでした。黄紺は、芝居や映画、なかでも芝居には、そないなことを描くことを期待してないものですから、なかなかしんどい時間とはなりました。ちまちました一つの家族に目を向けるような芝居ではなく、現代社会を読みとくヒントのような、そないなものが、一番詰まっているのが、芝居じゃないかなと思っているものですから、芝居を追いかけるのです。一つの家族がどう転ぼうが、現代社会の構図が変わるわけではないので、あまり好きにはなれないのです。この芝居に出てくる家族の人たちは、それぞれが変な人たち。溺愛型の母親。子育て放棄型の父親。30歳になっても家にこもったままの長男。屈折した夫婦関係を持つ長女。長男の扱いについて、夫婦でもめます。いや、父親は無関心、放棄型ですから、考えのすれ違いと言えばいいでしょうか。息子が30歳になってから、今までの育て方を反省し、接し方を変えると宣言する母親。でも、端から見ると変わってるとはなかなか思えないもの。思い通りにならないと、いきなり刃物を持ち出し対話を切ってしまう長男。父親は、戸塚ヨットスクールを思わせる登山スクールに息子を入れて矯正を試みます。体のいい排除の思考です。いすれも変な行動です。その異様さを際だたせるのが、当のスクールの指導教官。彼らの変さが判れば、家族の人たちの変さも際だちます。そういった変さを描きに描いたあとに、「家族って何よ」と叫ばせます。もちろん、答えはなしです。変さを出せば出すほど、変じゃない姿を夢想していると見えてくるのですが、その姿を見せません。でも、それでいいのかもしれないですね。語られすぎるのは嫌ですからね。ちょっと陳腐な芝居だなの印象を与えた芝居、家族回帰が進みます。




2014年 3月 7日(金)午後 11時 24分

 今日は、朝から家の用事で寝屋川へ。わりかし時間がかかり、もう時間つぶしをすることもなく繁昌亭へ向かいました。染弥の繁昌亭大賞奨励賞受賞記念と銘打たれた週でしたので覗いてきました。その番組は、次のようなものでした。愛染「みかん屋」、笑丸「秘伝書」、文華「替り目」、由瓶「阿弥陀池」、染丸・仁智・染二・文華・かい枝・染弥「口上」、染弥「胴乱の幸助」、(中入り)、染丸・笑丸・愛染「人形噺」、仁智「スタディ・ベースボール」、かい枝「明石飛脚」、染二「幽霊の辻」。染弥に合わせて、林家が多く出た番組。病み明けの総師染丸も出演ということで、そそられた番組作り。ても、染丸の状況が不安一杯です。繁昌亭に出ることができるということは、健康的に不安はないということでしょうが、高座が務められるかというと、今後も難しいのではないでしょうか。やはり頭は恐いですね。言語中枢に軽い障害が残ってしまってます。ですが、彼の場合は、ネタに関する情報が詰まっていますから、それを、できるだけ長く、後進に伝えてもらわねばなりませんから、それはできる状態であることを、まずは喜ばねばならないと思いました。そして、更なる再発を起こらないよう摂生に努めてもらわねばと思いました。今日の高座では、愛染と染吉の補助を得た三人で一人りの踊りを披露してくれました。染丸は両腕を懐にしまい、弟子の二人が、染丸の両腕を務めるというものでした。目玉の方の染弥は、連日、菊丸襲名も視野に入れ、大ネタを出しているようで、今日は「胴乱の幸助」。まず、染弥が、このネタを持っていること自体知りませんでした。出来は、自分的には好きになれませんでした。とっても落語的世界の人物は、その存在自体がおかしいのですから、演じ手が中に割りいって行き、いじってしまうと、急に下世話な変な人になってしまいます。あまり現実感を持たせないのが、この噺のコツかなと思うのですが、それを壊してしまったなの印象です。冒頭の二人のアホげな行動に手加減を加えたり、料理屋を離れて歩いている胴乱の幸助をいじってしまいました。ちょっと、この辺りでついていきづらくなちゃいました。となると、うとうと。今日は、このうとうとが多くて。どうしたのでしょうか、この2日間の睡眠時間はばっちりだったのですが。そんなですから、前半は、あまり聴けていません。トップの愛染の高座から、そういった状態だったもので。せっかく文華が「替り目」を出したにも拘わらずにです。仁智の「スタディ・ベースボール」は繁昌亭の定番。かい枝は、染弥の同期ということで、この1週間、「口上」の司会役を兼ねての高座。出番に合った「明石飛脚」。こちらは、彦いちとの二人会で遭遇経験が、既にありました。染二は、なんと小佐田作品。染二が、このネタを持っていることは把握してましたが、遭遇は初めて。最後がユニークで、茶店の婆さんが、再度現れてくるパターン。前半で説明をしているときに使うフレーズ「ちょっとご案内まで」を下げに使ってましたが、なんで婆さんが出てきたかは伝わってないのじゃないかな。ということで、春のオペラ紀行前最後の繁昌亭は終わりました。
 繁昌亭を出ると、時間調整のために南森町のネットカフェへ。それからが大移動。今日は、大阪から京都への大移動。夜は、京都観世会館であった「市民狂言会」に行ってまいりました。かつては、千之丞師の解説が冒頭であったのですが、師亡きあとは、解説が抜けて、替わりに狂言が一番増え、計4番もの狂言を観ることができるようになっています。おまけに、来年度の予定を観ると、お囃子入りの曲が入っていて、かなりディープな番組になっています。今日も、実は、その範疇に入る番組で、かなり濃〜いもの。その番組とは、次のようなものでいた。「牛馬」(網谷正美、松本薫、茂山千三郎)、「法師ヶ母」(茂山正邦、茂山童司)、「文山立」(茂山あきら、茂山宗彦)、「音曲聟」(茂山逸平、茂山七五三、島田洋海、茂山正邦)。「牛馬」は脇狂言に分類されるもの。なかなか遭遇できないもの、特に関西では。そのわけが判りました。おもしろくないという、よくある理由です。脇狂言に入るのも解りにくい。牛馬それぞれの良さを言う中に、宗教的に語られる部分が挿入されているからなんでしょうか、、、。そないな判りにくさもあるから出ないのでしょうか。次の「法師ヶ母」が大曲。ちろん初遭遇です。完全に能掛かり狂言で、後場は、完全に能です。しかも、物狂い能、しかも男の物狂いです。酒を呑んだ勢いで女房を離縁した男が、女房恋しさで物狂いとなる、ま、その展開が狂言的なんでしょうね。前後二場に分かれていますが、複式夢幻能のパロディではありません。泥酔のときと、酔いが覚め後悔しているときという二場です。間狂言は入らないパターンです。お囃子と地謡が入りました。後場では、物狂いのアイテム笹を持って現れ、翔に相当する舞も入っていましたが、男の物狂い能であるものの内、いずれのパロディかは判りませんでした。いずれかの能のパロディではなく、物狂い能の様式を使っての狂言と言えばいいのかもしれません。「文山立」は、能の会でも遭遇できるもの。狂言オンリーの会だと反応がいいですね。こういった定番の曲をみると、それが良く判ります。「音曲聟」は、大蔵流の現行曲には入ってないもの。逸平くんが、鷺流の台本から復曲したものとか。現代的感覚から出てきたのではと思える言葉が有効で、古典の範囲内でうまく調和しています。筋立てが傑作。婿入りする男が、その作法を無茶苦茶に教えられてしまうおかしさの追求です。しかし、おもしろいものを発掘してくれたものです。




2014年 3月 7日(金)午前 4時 10分

 水曜日は、午後から休暇を取り旅行準備。なかなか眠れない夜が続いているのが、ウソのように爆睡の1日。昼寝はするはで、そんな日もあるのですね。
 そして、昨日は、冬に逆戻り。真冬の格好でお出かけです。仕事をこなし、夜は繁昌亭。今夜は、「生喬・右喬兄弟会」があったのですが、これは、生喬は別途受賞記念の会を開きますので、右喬のための会。師匠夫人の発案で、この会が生まれたと、パンフレットに右喬は書いていましたが、恐らく一人会を持つことに躊躇する右喬に、師匠夫人が助け船を出したのだろうと思われます。その番組は、次のようなものとなりました。生寿「道具屋」、右喬「右喬修業日記」、生喬「寄席の踊り」、三喬「鷺とり」、三喬・生喬・右喬「受賞トーク」、(中入り)、生喬「愛宕山」、右喬「まめだ」。生寿は、相変わらず立派な前座役。前座が、こんなにも次に何をしてくれるかというワクワク感を持たしてはいけません。今日も、本屋の善さんのところで、スーパーヒットがありました。生寿のあとが、右喬のマクラ集めが組まれていたので、大丈夫と思っていましたが、あとに出てくる人がたじろぐほどの出来栄えでした。「右喬修業日記」はマクラ集め。これがおもしろいので、爆笑賞に輝いたとも言えるもの。師匠夫婦のおかしなケンカから始まり、入門に至る過程(米朝に入門できなかった話はかなり有名)、それに、今回の中心的な話として取り上げられたのは、四国へ放逐され、一人旅をした話。どのエピソードも、ホントにおもしろい。なんか一つの型が生まれそうな気配すらしました。生喬の「寄席の踊り」は二つ。「ずぼら」と「五段返し」。「ずぼら」では、二代目春団治のエピソードに触れ、「五段返し」では、三遊亭小円の型を受け継いでいるとの解説が入りました。三喬は、「鷺とり」を自分流に演じてるかと思うと、鷺とりに入ったところで切り上げ、この鷺とりの男が右喬という話へと、強引に持っていってしまいました。「受賞トーク」は、当然のように、右喬の失敗談から松喬の話となりました。そして、中入りを挟んでからが、主役二人の落語、でも、ホントの主役である右喬がトリという出番となっていました。だが、ここになってスタミナが尽きたのか、2人の噺の中程がごそっと抜けてしまいました。寒い、寒いと言いながらも、「愛宕山」の出る季節になったのですね。春を前にした春の噺。生喬は、2人の幇間が大阪をしくじったわけを入れていました。これは、初めての経験。それは入っても、トンボを獲ったりする野の描写のない型でした。黄紺の好まない型です。右喬は、この日がネタ下ろし。春なのに思いっきり秋のネタでした。




2014年 3月 4日(火)午後 10時 36分

  大阪市内遊歩(189)(写真なし)

 昨夜は、所用ついでに息子と、京都で呑んでいました。ドイツでも、最近、あまり見かけないレーヴェンブロイを呑むことができました。そして、今日は、朝からお出かけ。久しぶりの「メト・ライブビューイング」です。今日は、まだ実際には観たことのないドボルザークの「ルサルカ」を観ることができました。オットー・シェンク演出ものが、メトでも立派に残っています。初めての「ルサルカ」体験ですから、こういったプロダクションの方がいいかもしれないですね。確かに幕が上がるとオットー・シェンクの世界、丸で17世紀のオランダの風景画の世界がありました。第2幕の王子の館も森の中に邸宅、螺旋状の石階段、見事に想定範囲にすっぽりと納まるらしい舞台装置でした。そこで、タイトル・ロールを歌うのは、メトの華にして、この役を得意にしているルネ・フレミング。彼女は、25年前に、「ルサルカ」の中の名アリア「お月様、お願い、、」で、メトのオーディションをパスして、今日の名声を築く礎ができた記念碑的な演目だそうです。水の精ルサルカには、やはり澄んだ美しい声が求められますが、25年経っても、その素晴らしい歌声は健在。ましてや彼女の容姿は、まだまだ当分は、ルサルカがいけるというものですから、この上ない映像に出逢うことができました。客の入りも、平日の昼間にも拘わらず、事の外良かったのではないでしょうか。相手役の王子は、今、大人気のピョートル・ベチョワ。毎年、「ライブビューイング」で、今年は、何を歌ってくれるのかが楽しみなポーランド人テノールです。ポーランド人にとっては、チェコ語が解るそうで、そういった意味でも、ベスト・チョイスだったかもしれません。彼は、2幕のつれない動きや歌唱よりか、誠実さを示したり、後悔から死を求める正直なキャラを演じる方が似合っています。でも、ドボルザークは、最後に、かなり過酷な要求を、テノールに求めます。音の跳ぶハイCとおぼしき高音を持ってきたり、死にかけているので、ファルセットでしか対応できない高音を持ってきています。筋立ては、メルヘンなんだけど、メルヘンでしか表せない残酷さも合わせ持つ、観ていてそそられるものになっています。指揮者のヤニック・ネゼ・セガンが言っていたのですが、シンフォニーを3本連続演奏するほどのヘビーさです。3幕もので、各幕が、それぞれ1時間内外で、しかもワーグナーが入ったドボルザークっていうところですから、その表現は的を得ていると言えます。民族音楽が入り、感情の起伏を大きく表す音楽を聴いていると、「ルサルカ」観ずしてドボルザークを語るなかれだと思いました。大曲であることには間違いありません。ルネ・フレミングの歌うDVDがありますので、どこかで復習をしましょう。
 オペラが終わると、大阪への大移動。夜の落語会に備えたのですが、その前に、ウォーキングをする時間を取れました。ただ、今日は、そのつもりでいて用意までしていたカメラを、カバンに入れて出るのを忘れたため、写真を残すことが叶いませんでした。コースだけを記し、記録に留めておきます。京阪「京橋」駅〜大阪ビジネスパーク〜大阪城ホール〜大阪城〜NHK大阪〜「谷町4丁目」交差点〜大阪司法書士会館〜大阪市立南大江小学校〜久宝寺橋〜イタリア料理店「ロルマ」〜難波神社〜「阿波座1」交差点〜靭公園〜イタリア料理店「イル・クアドリフォーリオ」〜中南米料理店「ベルガマクス」〜肥後橋・フェスティバルホール〜アメリカ総領事館〜ポルトガル料理店〜「ポルトガリア〜きたの旭ヶ丘学園」〜東梅田教会〜大阪市立天満中学校〜扇町公園・関西TV〜JR環状線「天満」駅。オペラが終わったのが、ほとんど2時。ウォーキングをすると身体を休めたいので、できるだけ早くウォーキングに入れるようにと、「京橋」駅発にしました。手元に地図がないということで、迷わないようにと、解りやすい道をとろうと、船場を東から西へ横切る道を選択。南北にはしきりに通るのですが、東西は最近歩いてないとの自覚があったもので、このコースだったら間違いなかろうということでの選択でした。その結果、南久宝寺を西へ、なにわ筋まで行き、東方向に向かうことにしたら、「天満」駅前に、ジャスト2時間で着くことができました。途中通過した靭公園の周辺で、中南米料理の店を見つけることができるという副産物がありました。
 「天満」に着くと、とりあえずは休憩と時間調整のために、近くのネットカフェへ。そして、夜は、歩いて「提法寺寄席」の会場へ。歩いて15分ちょっとかかりますが、最近、毎度、このコースを採りますね。こちらの落語会は、ざこば門下のひろばとそうばという兄弟弟子が、年4回開いている会。わりかし他の落語会と鉢合わせすることが少ないため、覗く機会の多い会となっています。その番組は、次のようなものでした。ひろば・そうは「トーク」、ひろば「尻餅」、そうば「牛ほめ」、ひろば「仔猫」。冒頭の「トーク」が狙いで行くというのが、正直なところ。落語も、「トーク」ほどにおもしろければいいのですが、なかなか難しいところ。今日の話の中心は、二人がケンカを見た話から、そうばが、つい最近の、その同じ日に、更にも一つ、ケンカを見た話へと発展。ケンカの原因まで判ると、笑える場合がありますね。今日の「トーク」は、満点をつけてもいいくらいの盛り上がり。但し、客は10人だったのですが。今日の落語は、ちょっと沈滞気味。落語が一つの番に当たったそうばの「牛ほめ」は論外。一方のひろばは、大きめのネタを二つ並べました。「尻餅」は、やはりネタ下ろし直後のよう。季節はお構いなしで、口演の機会を持ちたかったようでした。今までに3回しかチャンスがなかったと言ってましたから、これで、ひろばの「尻餅」は、2/4聴いたことになりました。前回も同じことを思ったのですが、そつなく喋ってはいるのですが、冬の寒さや水の冷たさを感じさせないどころか、夫婦の存在感が、イマイチ薄いのです。気の乗せかたから来る間合いなんてものが不十分なのでしょうね。「仔猫」の方が、やはり時間がかかってる分、支持をしたいなの気分です。でも、クライマックスにお囃子が入らないのが痛いネタですね。




2014年 3月 2日(日)午後 7時 29分

 今日から寒さが戻ると、天気予報では言っていたはずですが、幸い昨日同様という暖かさ。嬉しい限りです。お出かけ時の服装も、一挙に手軽になりました。さすが3月です。今日のお出かけは、12時半がメド。向かったのは「トリイホール」。今日は、こちらで「トリイ講談席」がありました。毎回、テーマのある会ですが、今日は「講談で聴く戦国軍師特集」というものでした。なお番組ですが、チラシに公表されていた南斗くんがインフルエンザということで、予定よりは一人少ないものとなりました。その番組は、次のようなものでした。南青「竹中半兵衛」、南華「光姫」、(中入り)、南湖「後藤又兵衛・真田幸村」、南海「黒田官兵衛」。今日もまた、昨日同様、眠りこけてしまいました。今日は、昨日の疲れもあり、しっかりと睡眠がとれていたのですが、朝から休みだということで、調子にのりお酒を呑みながら、オペラのDVDを観てしまいました。観ている間はいい気分だったのですが、大阪に向かう電車では眠りこけ、もう大丈夫かと思っていたら、講談が始まるとともに、知らない間に居眠りをしてしまってました。一番ひどかったのは南華さんのところ。「竹中半兵衛」は、軍師としての横顔ではない話を、南青くんがしていたなぁ程度の記憶。南湖さんは、この間、随分と聴いているもの。「後藤又兵衛」のところは、当初、南斗くんが予定していたところ。ともに、大阪城入城部分が読まれたはずです。なんせ後藤又兵衛のところはダウンしていたもので判らないのです。なんか南湖さんの「後藤又兵衛」は、毎回居眠りしている気がしています。「黒田官兵衛」も、最近聴いた記憶があります。本能寺の変から始まり、毛利と和睦をして、明智を討つために引き返してくる下りです。わりかし聴いている読み物が続いたとなると、「光姫」が惜しまれます。また、どこかで出逢えることを祈っておきましょう。




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