忙中閑あるかな? 黄紺の日々


トルコのこと、キプロスのこと、こんなことを主に、日々思うこと。ときどき、韓国のこと、 日本のことも混じるかも? 仕事に忙しくっても、頭のなかは、トルコのこと、キプロスのこと考えてる。 頭のなかは、いたって長閑。それが、、、、、、

黄紺、なのさ。




2014年 10月 24日(金)午後 11時 21分

  大阪府守口市(82)〜大阪市旭区、都島区、北区

 昨日は、久しぶりに家に直行。晩酌にビールを呑むと、呆気なく沈没。今週末は3連休ではなく、土曜出勤が入っています。そのため、週末に体を休めることができない悲しさがあります。そんなで、なんとなく勝手の違う金曜日は芝居三昧の一日。その前にウォーキングです。そのコースは、次のようになりました。京阪「滝井」駅〜「今市1」交差点〜大宮幼稚園〜大阪市立大宮中学校〜城北公園〜「生江3西」交差点〜西浪橋〜JR「じょうとう021」橋梁〜大阪市立高倉小学校〜善源寺公園〜大川左岸〜春風橋〜毛馬橋〜大川右岸〜大阪市立新豊崎中学校〜淀川天神社〜国分寺公園〜地下鉄「天神橋6丁目」駅〜JR環状線「天満」駅。今日は、前後のことは考えないで、城北公園に行こうということだけを考えてのコース設定。毎年、城北公園では、秋のこの時期に「菊花展」をしているもので、ひょっとしたら始まってるのではの思惑を持っていたのです。が、実際には、まだ早かったみたいで、その気配さえありませんでした。11月の末までには、今日と似たコースで、もう一度行ってみなければなりません。今日は、終点を「天満」駅と定めてのコース設定だったもので、大川べりに着いた段階では、まだたっぷりと時期が残っていたため、目の前にあった水晶橋ではなく、毛馬橋まで行ってから大川を渡ることにしたら、ドンピシャ2時間の行程となりました。
 ウォーキングが終わると、「天満」駅近くのネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、午後は、「千林大宮」まで移動して、「大阪芸術創造館」であった「カンセイの法則+10デシリットル 合同公演」の公演「スタンダードな人たち」に行ってまいりました。公開ゲネプロということで、少しお安く、人数限定で行われた公演。金曜日が非出勤日だということを活用させてもらいました。舞台は、原発誘致が囁かれている琴浦海岸。原発問題という具体的な社会問題をテーマとした芝居かと、始まって間もなく判明し、この芝居を選んだのはミスだったかと思ったのですが、進むにつれ、原発問題自体を正面から捉えた芝居ではないことが明らかになってきて、ちょっとホッとしました。より具体的で、観る者を拘束してしまう芝居は避けているもので、そういった感じになったってわけでした。ストーリーの本筋は、優柔不断で、決められなくなると逃げてしまうという頼りない父親のいる家族。その頼りない父親が家出をして帰ってくるところからスタート。能天気な母親(中西邦子が好演)、東京の大学から帰省した姉(キャラが薄くて調整役という感じ)と、若さ溌剌の弟という家族。その家族の中で、頼りない父親が、原発用地の対象になった駄菓子屋の土地を守ることを決意するまでを描いたもの。原発誘致については、裏で暗躍する政治家の存在が、最後にはバラされるという仕掛けも用意されており、最後まで、ストーリー展開でも引っ張ってはくれたのですが、主役の父親のキャラは、余りにも弱すぎます。これで、引っ張っていくというのは、ちょっと反則技じゃないかとすら思ってしまいました。久しぶりに観る「カンセイの法則」の舞台は、以前に観たときと同様、インパクトに欠けるというものでした。今回は、中西邦子をゲストに迎えるということで、何か気になってしまったのですが、家族の物語が好きではない黄紺にとって、ちょっと無理強いしたようなキャラの父親を中心に据えるのは納得がいきませんでした。原発に関わる物語だけでは、ないしは、それを中心に据えることを躊躇ったとしか思えませんでした。原発問題に関わる物語は、それはそれでおもしろかったですのになと思います。
 「大阪芸術創造館」での芝居が終わると、「森小路」から「北浜」経由で「日本橋」に移動。いつもの千日前のネットカフェで、本日2回目の時間調整。そして、買い物をしてから「応天院」に移動。夜は、「ステージタイガー」の公演「MATCH」を観てまいりました。黄紺は、「ステージタイガー」の舞台って、関西の小劇場界では、最もおもしろいものの一つと位置づけていました。サービス精神旺盛で、娯楽的要素が強く、でも、それに加えてメッセージ性が豊かで、しかも、それが哲学的でと、いろんな顔を、一つの芝居の中に含む脚本と演出がいいうえ、役者さんが、その内容に応える人たちで、何よりも活気に満ちているというのがいいと思っていました。ところが、今回の芝居は、娯楽時代劇というだけの要素だけが浮かび上がったという点だけが印象に残りました。相変わらず活気はあるのですが、脚本が、そんなだと空元気のように、黄紺の目には映ってしまいました。特に序盤は、時間稼ぎ的な挿話が続きましたしね。話は、江戸と大坂の話が交替で進みます。接点は一つ。江戸の主役、飛脚のユウジが、侍だった頃通っていた道場の娘が、思いを告げぬまま大坂に嫁いでしまったということ。江戸では、ユウジが飛脚として腕を伸ばしていく中で、仕事が思うようにいかなかったときに連れていかれた吉原の遊女にうつつを抜かすようになるのだが、その関係が潰れたときに、長州藩士に誘われ京都に向かいます。大坂に嫁いだ女の話は、夫婦の関係が、うまく出来上がっていく物語。二人の間には、やがて子どもができるのですが、刀の研師である夫は、人殺しの道具となる刀を作らなくなったため家計が続かず、知り合いから頼まれ、幕府見廻り組から密書の運び屋となり京都に向かいます。ここで、江戸の男と大坂の男が出逢います。そして、更に本来の接点であったはずの男女が出会うのがラストとなります。これだけの話ですから、このストーリー展開に入り込むものは、何もありません。最後は、二人が会うのだろうとは思って観ているところへ、用意されていた会い方は、確かに意外性はあったのですが、おもしろかったのは、そこくらいかな。初めて「ステージタイガー」で、これを観たならば、次回は、ちょっと考えたかもしれません。とりあえずは、もう一度は観ようかなんて判断になるのでしょうか。




2014年 10月 22日(水)午後 11時 26分

 今日は、朝方は気温が高かったのですが、時間が経つにつれて下がったよう。夜は、京都で落語会。昨日今日と、京都で遊ぶ日々です。行ったのは、「京都文化芸術会館」であった「第126回 桂文我上方落語選」。毎月、こちらの和室を使い行われている落語会です。その番組は、次のようなものでした。呂好「寿限無」、文我「コレコレ博打」、伯枝「長短」、文我「藁人形」、(中入り)、文我「佐々木裁き」。文我の会に、呂好の前座というのは初めての経験。呂好の「寿限無」も初めて。誰からもらったのでしょうか。わりかし古くさい言い回しが気になりました。名前の繰り返しは、子どもが誘いに来るのと、こぶができるエピロードでしたから、通常の型でした。「コレコレ博打」は、「東の旅」の帰路での噺。水口が舞台と言ったでしょうか、文我は、往路と帰路の具体的な道筋を、お伊勢さん近辺については説明してくれましたが、三重県の聞いたことのない地名は解りませんでした。「コレコレ博打」は珍品。今、この噺をするのは、文我以外では、九雀くらいでしょう。博打で負けた喜六と清八が、宿屋を脱け出し、たどり着いたお堂では賭場が開かれている。そこに入って行った二人は、化け物と間違えられてしまうというもの。最後のオチを動作で示す代表的な噺です。残念ながら、水曜日は、どうしても集中力が続かず、今日は、このネタの半ばでうとっときてしまいました。ゲスト枠の伯枝は、文我の会に喚ばれる常連組の一人。マクラで、角座話から、往年の歌謡ショーのテーマソングを披露してくれたので、これはないだろうと踏んだ「長短」が出ました。ついこの前も聴いたはずと思うのですが、どの会だったかを思い出せないでいます。文我の2つ目は、未知の噺「藁人形」。暗い噺です。せっせと貯めた30両の金をだまし取られた乞食坊主。家に閉じこもり藁人形を油煮にする。様子を見にきた甥がいぶかしがると、「騙した女は、糠家の娘だから釘は打てない」という下げ。騙した女に復讐するエピロードが続くのかと思っていたら、この下げに向かいました。なんか肩透かしを食らったという感じがしました。中入り明けは軽めかと思っていたら、「佐々木裁き」にびっくり。しかし、この「佐々木裁き」が良かった。文我ベストと言える出来栄え。テンポが自在に動かされ、臨場感が高まります。登場人物の描き方も、過剰にならず適度のデフォルメが心地よいものでした。




2014年 10月 21日(火)午後 11時 24分

 京都市内遊歩(74)〜写真なし〜

 今日は、朝から冬のオペラ紀行に備えて、鉄道の早割切符を購入する日に当てました。ただ、ちょっと早すぎて、途中から買えなくなり、一時は大慌て。なんせ、クレジットカードの情報を入れてから、「払えない」と出たものですから、クレジットカードの支払ができなくなったのかと、残額を調べに行ったほど慌てました。どうやら、早すぎたようです。で、ひと安心。今日のお出かけ予定は、夜の「カフェ・モンタージュ」だけにしていましたので、ウォーキングも、ゆっくりめにスタート。今日は、雨の予報だったのですが、幸い外れてくれましたので、ゆっくりめのスタートでウォーキングを始めることができました。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「七条」駅〜正面橋〜眼科・外科医療器具博物館〜市比売神社〜世継地蔵(上徳寺)〜京都市立有隣小学校〜ジュンク堂書店〜イタリア料理店「フクムラ」〜京都市立生祥幼稚園・みやこ子ども土曜塾〜柳池自治会館〜日本基督教団京都教会〜「京都市立商業実習学校跡」碑〜京都市立御所南小学校〜京都竹屋町高倉郵便局〜京都御所〜京都府計量検定所〜京都中立売新町郵便局〜京都市立新町小学校〜京都府京都林務事務所〜京都府京都児童相談所〜堀川第一橋〜白山湯〜京都こども文化会館〜北町児童公園〜・奥澤家住宅(京都市指定有形文化財)〜安楽寺天満宮〜中保橋〜京都西ノ京上合郵便局〜地下鉄「西大路御池」駅。思いつきのままに歩いたのですが、わりかしいいコース。一つは、富小路を北上したのが良かったですね。京都らしい町家が続き、御所に突き当たるコースは、わりと満足。次に一条通を西に向かい、途中から中立売通に合流。北野天満宮には向かわず、終点と定めたを「西大路御池」駅に向かうというコースでした。終了は5時半ジャスト。かなり暗くなっていました。
 「西大路御池」から「京都市役所前」まで地下鉄で移動。駅近くのネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、今夜も「カフェ・モンタージュ」へ。今夜は、「秋の大音楽会」と題して「浄夜」と「カプリッチオ序曲」が演奏されました。昨夜と合わせて二夜連続公演です。「浄夜」を看板に二夜連続とは、驚異的なことです。昨夜はどうか知りませんが、お互い顔見知り同士という関係の方々が入っておられましたので、業界関係の人たちが来てこられたのかもしれません。演奏は、「ヴァイオリン:谷本華子、佐藤一紀、ヴィオラ:小峰航一、中島悦子、ヴァイオリン: 谷本華子、佐藤一紀、ヴィオラ: 小峰航一、中島悦子、チェロ: 上森祥平、福富祥子チェロ:上森祥平、福富祥子」の6人。「カプリッチオ」はオリジナルが弦楽六重奏ですから、原曲のままの演奏。「浄夜」の方は、原曲は弦楽合奏ですが、今日のような弦楽六重奏版も、演奏頻度の高いもの。で、「カプリッチオ」はともかく、「浄夜」の弦楽六重奏版を聴くたびに思うのは、「やっぱり、この曲は弦楽合奏やぞ」ということ。どうも弦楽合奏版が耳にしっかりと入っていますから、編成が小さいと物足りなく感じてしまうのです。特に、再現部と言っていいのかどうかは解らないのですが、最初のテーマが再び現れ、穏やかに赦しのパートに入るといいのだが、それに至るまでの動揺の部分となると、どうしても頼りなくなってしまいました、今回もという感じです。そして、第一ヴァイオリンが生真面目過ぎるという感じ。「カプリッチオ」のときもそのような印象を持ったのはもちろん、以前、こちらで聴いたブラームスもそうだったななんてことを思い出してしまいました。会場は、演奏者を取り囲むようにセッティングされていました。おもしろかったのは、同じ楽器の演奏者が、向かい合わに座るというもの。間近で見ていて気づいたのは、6つの楽器が、それぞれ主張し合う構造になっているということ。「浄夜」と言えば、どうしても濃密な後期ロマンの熟しきった音楽。そういった意味では、イメージ先行で物足りなさが残りましたが、「浄夜」を、こういった空間で聴けること自体、ついこないだまで考えもしなかったこと。それに対する感謝の気持ちにとらわれました。




2014年 10月 20日(月)午後 11時 35分

 秋晴れの天気が一転して、朝から雨模様のお天気。夕方には強く降る時間帯があったので、長引く雨かと思うと、そうではありませんでした。今夜は繁昌亭での「第24回 桂文三の満腹全席」、文三が年4回のペースで続けている会、つく枝時代から通っていますので、もう随分と時間が経ちました。今日の番組は、次のようなものでした。佐ん吉「桃太郎」、文三「食通夜」、新治「まめだ」、(中入り)、文三「船弁慶」。佐ん吉の「堪忍袋」は、文三からもらったものと、今日初めて知りました。意外と簡単なところに、二人の接点がありました。佐ん吉の「桃太郎」って聴いたことあったかなぁと考えながら聴いていました。程よい頻度で、まことに的を得た、そして質の高いくすぐりが、小気味よく入ります。ただ、その一つの「ダイマル・ラケット」の突っ込みだけは、聴いた記憶があるので、以前にも聴いた記憶があるので、ひょっとしたら聴いたことがあると思ったりしているのですが、他のくすぐりは記憶には全くありません。文三の一つ目は、聴く機会が少ないにも拘わらず、肝心の気持ち悪くなりそうな主人公の食べっぷりのところに来ると、居眠りをしてしまうというジンクスのあるネタです。そないなことを思い出しながら聴いていると、今日も居眠りをしてしまいました。なんてことでしょう。なお「食通夜」は小佐田作品です。「満腹全席」では、初めて喚ぶ先輩噺家だそうです、新治が。ま、これで判りましたね。文三が手がける「井戸の茶碗」の流れが。新治のネタは、意外にも「まめだ」。正直、びっくりしました。米朝系の噺ですから、また、実際にも、新治が「まめだ」を出している落語会なんてのは見たこともなかったものですから。帰り際、新治落語を高く評価されている落語ファンにお尋ねすると、千朝からもらったもので、新治自身、まだ2回目くらいの口演だそうです。それで納得です。今日の口演も、新治にしては、何度か、えらく間が詰まるなぁという印象を持っていたからです。新治が登場した時点で、ちょうど8時になったところでしたので、短めのネタに心がけた恩恵にあずかったことになります。季節的にもいいですからね。逆に季節外れのネタを選んだのが文三。前回7月の会向けに用意しながら、気が進まず、ネタの差し換えをしたと言ってました。やりたいけど、何かに満足がいかなかったのでしょうね。雀のおまつが出てくる辺りで頂点に達するのですが、文三の声が、どんどんと高くなり、ついにはスピンがかかった状態となり、言葉が聞き取れなくなっていきました。ここまできてしまうと、最早考えものと思ってしまいます。ですから、おまつの登場シーンで、それが早速現れました。言葉が、ほんの僅かに跳ぶものですから、笑いのツボを外してしまいます。かなり由々しき問題と看ました。能掛かりになったところ、おまつの登場での台詞の繰り返し、正統派の口演を聴いた思いがする一方、やっぱ言葉が跳ぶのは、御法度です。そうなりそうで、今まではなっていなかったのですが、ついになっちゃったというところです。




2014年 10月 19日(日)午後 8時 29分

 昨夜は眠れない夜。土曜日の夜だというのに、睡眠時間が3時間というのは、あまりに悲し過ぎる。当然、お出かけ予定に出てくるだろうことは必至との覚悟を持つ。一つには、8時半にはお出かけ準備に入らねばならなかったというのも、睡眠時間が不十分な原因。予約を入れていた芝居の開演時間が11時だったために、午前中、ゆっくりできなかったのです。お出かけ先は「十三」の「Black Boxx」。劇団「そとばこまち」のアトリエでもあるのですが、こちらで「スイス銀行」の公演「昨日、未来に行きまして。」があったのです。暗転から照明が当たると事務所らしきところで、男女4人が、1人の男に文句を言っているところ。そのわけは、すぐに判ります。タイムマシーンを事業化するために集められた人たち。まもなくタイムマシーンに試乗してきたという2人の女が加わり、事業化の話が続くが、まずはタイムマシーンの真偽の話からスタート。どうやら本物らしいと判ってくるのですが、他の者たちが試乗しようとしないなか、経営に着手する場合の話が進んでいくのですが、結局回帰していくのは、試乗の話。その過程で、各自のキャリア、課題が明らかになるという仕掛け。それぞれが、変えたい過去を持つ身、それまでの経営の話から、一挙に個人的なレベルで、タイムマシーンの必要性を考え出す。そこへ、予想外の展開が起こります。タイムマシーンが作動し、30年後の世界から、一人の男がやって来ます。その男は、そこに集っている男女がペアになり生まれたという設定。30年後の世界から、会社を立ち上げなかったから立ち上げるようにというメッセージを持ってやってきたのでした。でも、ここで、これまでの筋立てが停滞します。おもしろいプロットが放り込まれたのですが、それまでの進み方とは異なった方向に向かうのです。30年後の世界はどうなってるのか、なんでカップルが生まれるのかなどです。ただ未来を知ることで、今を変えることの是非が、皆の脳裡をかすめさせるような効果を狙ったのかなとは思いますが、判りにくかったですね。やがて、本題に戻り、会社立ち上げの賛否が問われます。結局、個々人の気持ちの大切さ、何かを変えようという自分自身の意気込みに期待をかけてないことに気づいていくということなんだなというところなのですが、ま、それだったら、よくあるメッセージですね。それを、タイムマシーンというものを持ち込むことでの表現となると、ちょっと新味に欠けます。スイス銀行の女性お二人は、相変わらず達者な方。ただ狭い舞台に、ちょっと多めの役者さんが、常に舞台に出ている芝居、もう少しムダな動きがないと、不自然ですね。最後、カップル誕生秘話が用意されているのか期待したのですが、外れでした。これは出して欲しかったな。
 「十三」から「西宮北口」に移動。午後は、「兵庫県立芸術文化センター」でありました「白鳥・三三両極端の会 in 秋のひょうご」に行ってまいりました。こちらの中ホールは初めて、落語会は初めてとなります。この間、こちらの大ホールで、オペラが続くということで、こちらのホールの予定を調べている内に、おもしろい会を見つけたのでした。その番組は、次のようなものでした。白鳥・三三「挨拶」、三三「転宅」、白鳥「トキそば」、(中入り)、三三「殿様と海」、白鳥「ミミちゃん版富Q」。この会は、全く方向性の違う二人が組むことで、他の落語会と差別化を図ろうとするもので、東京では、何度か開かれているようで、内容が徐々にエスカレートし、お互いに次の会に向けて宿題を課すようになっているとか。西宮では初開催なもので、主催者の方から、今までの取っておきのものという注文が入った結果が、中入り後の二つの噺となりました。最近、関西ではちょっと名前を聞かなかった白鳥は、西宮では初めての落語会。一方、三三は、度々、関西で落語会を開いているということで、そういった会に通われている方には、普段見せない顔を見ることができるという差別化された会となるわけです。日曜日の午後ということもあり、中ホールが、ほぼ満席という上々の入り。そんなに追いかけているわけではないのですが、三三の軽めのネタでは、盗人ネタによく当たります。進行では、特段、変化があったわけではありませんでした。白鳥の「トキそば」は鉄板ネタ。繁昌亭初登場のときも、このネタでした。そば粉を練るとき、座布団を使うという変化技が出るほか、バラシの部分で、白鳥特有の毒を吐いたり、あらぬ方向に行きかけたりと、ホント楽しいネタです。そして、後半、三三は白鳥作品を、白鳥は人情噺をという宿題の結婚、生まれた高座だそうです。「殿様と海」は、最初の釣りで、大物を釣ったため、そのときの引きの感触しか、釣れていると思わなくなった殿様、その後は一匹も釣っていない。なんとか釣らしてやろうという三太夫さんが、伝説の釣り棹を見つけた。最後は、伝説の釣り師の魂が仕込まれた釣り棹が、巨大マグロを釣るのですが、そのときの格闘が傑作。今度は、座布団がマグロになりました。仕上がりは擬古典という白鳥作品だったので、三三の口演でも、さしたる違和感はありませんでした。「富Q」は、売れない噺家柳家みみ(三三)の噺。池袋のポロアパートと言えば、「アジアそば」にも出てきますが、白鳥の若い頃の姿を彷彿とさせます。北朝鮮の婆さんや中国人のアンさんが出てきます。日本人で住んでいるのはみみだけというところ。でも、部屋には、真打ちになったとき、師匠の小三治からもらった黒紋付きが掛けてあるという風景。その落語への情熱が切れかけているとき、知り合いの銀行員に買わされた宝くじを買わされ、紋付きのところにかけた提灯に仕舞われます。ちょうど、その頃、火事が起こり、みみのアパート一帯は灰塵に。黒紋付きも宝くじも無くしたみみが、死のうとしているところに現れた北朝鮮の婆さんが、紋付きも提灯も確保してくれていたことが判り、下げに向かいます。噺の流れは、売れない貧しい噺家の哀しい噺家人生を描いてはいるのですが、ただでは済まないのが、白鳥作品。三三も、最後に出てきたときには、「これって人情噺ですか?」というものになっていました。いや〜、おもしろい落語会でした。次回があるなら、行かねばならない会ですね、間違いなく。




2014年 10月 18日(土)午後 11時 12分

 かなり気温が下がってきましたが、今日も、秋晴れのいいお天気。今日は、いい落語会、コンサートがあるなかで、2つをチョイス。まず、午後は「民博ゼミナール」に行ってまいりました。文之助独演会やファジル・サイの出るコンサートを蹴飛ばして行ってまいりました。迷ったときは安いもに行くを実践したことになります。今日のテーマは「はるかなる北の大地、グリーンランドの自然と人びとの暮らし」(講師:岸上伸啓氏)。未知の地ゆえそそられてしまいました。世界で一番大きな島グリーンランド、極北の地ということで、その内実は何も知りません。デンマーク領内で自治政府による管理がなされているというくらいは、かすかに知っていますが、そこに暮らす民族がイヌイットと言われれば、なるほど極北の地だからなと納得する程度。エスキモーという語句がイヌイットに言い換えられた話は知っていても、蔑視的意味合いで、この語句を使っていたのが、カナダ北部のインディアンだったということは、今日初めて知りました。ということは、カナダ北部の人たちはエスキモーと呼ばれていたが、そうじゃない地域に住んでいる人たちは、また別の呼び方が存在していることになります。だから、イヌイットと言い換える必要性のある人たちと必要性のない人たちがいるということになります。グリーンランドに住んでいる人たちの中には、カナダ北部からの移住者もいれば、そうじゃない人たちもいるそうで、グリーンランドでは、カラーヒットと自称しているということです。この人たちがグリーンランド人で、残りの10%はデンマーク人だそうです。このグリーンランドでは、4600年前から、人間が住んでいた跡を確認できるようですが、それが、今のグリーンランド人に繋がるわけではないということは、最近のDNA鑑定で明らかになってきているとか。そういった最新の調査で、グリーンランドでは、今まで人間集団の交替が3回確認できており、その3回目に、アラスカからやって来たチューレ人(イヌイット)が、現在のグリーンランド人の祖先になるそうです。ただ、グリーンランドは寒冷で、とても厚い氷塊に被われているため、島内の移動が難しいところから、地域ごとの特徴が現れてくるとか。どうも、このあたりから居眠りをしてしまい、デンマーク人の到来、それとグリーンランド人との関係、近年の温暖化に伴う社会的な変化などについては跳んでしまってます。温暖化は、氷の下に眠っている資源開発を容易にするため、これはグリーンランド社会に変化をもたらすはず。それが、政局にも大きく影を落としているという話は、講演終了後の質疑応答で聞くことができました。相変わらず中国の触手が伸びているようで、その中国との連携が、一つの大きな政治課題になっているようで、政局を動かす要素になっているそうです。グリーンランドと言えば、今でもカヌーにでも乗り、アザラシ狩りをやっていそうなイメージで見てしまいそうですが、そういったハンター生活を続けている人たちはごく僅か。あとは、世界どことも変わらないような仕事をし〜の、同じような街の風景があり〜ののようです。しかし、どうも午後に何やら聴きに行くと眠り、替わりに夜は大丈夫というのが、最近の傾向です。
 「民博ゼミナール」が終わると、阪急「山田」駅まで歩いて移動。ちょっとしたミニミニ・ウォーキングになります。「扇町」まで移動し、近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は、「繁昌亭」であった「桂三金独演会」に行ってまいりました。三枝作品の逸品「赤トンボ」を、弟子に当たる三金が、どのように演じるのかを聴きたくて行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。喬介「牛ほめ」、三金「ダイエッ闘!」、八方「温泉劇場(?)」、(中入り)、三金「赤とんぼ」、三象「三象踊り」、三金「莨の火」。かなり番組作りに、会主三金の意向が強く入っているなの印象。やはり入門20年記念という色彩が濃く出ています。前座から、その意志を感じます。弟弟子も多数いるなかで、喬介起用ですからね。ゲストに大ものを起用のうえ、色ものに三象まで起用ですから、そういうことなのでしょう。喬介は、時間を考えてか、はしょり気味の「牛ほめ」。「ダイエッ闘!」は、先日の「できちゃった」で披露したデブネタ。三金の内蔵や身体の部位が、旺盛な食欲をぼやくもの。「できちゃった」のときとは、後半を改定。正に題名通りのダイエットへの挑戦を、ボクシングのラウンドに見立てて進めるようになっていました。ゲストの八方は、クライマックス・シリーズに軽く触れ、大衆演劇の話へ。ネタは、そのまま大衆演劇の劇団の解散話へ。解散後、座長がイタリア料理店で奮闘するのですが、その奮闘ぶりが、大衆演劇の演目に絡めてあるという、なかなか凝ったもので、完全に芝居噺化していくという大ネタ。ひょっとしたら、三金が、八方におねだりをしたのかもしれません。「赤トンボ」は、三枝時代の現文枝の初演時に聴いて以来。蘊蓄が多いとは言え、種になっている曲を、客が知っているというのが大きいのでくさくなりません。むしろ次から次へと出てくる省歌や童謡に共感が広がっていくのが解り、このネタの質的な高さを示していました。よくできた噺です。三金の歌が、文枝レベルじゃないのが惜しいところ。三金って、歌が上手いと思っていたのですが、ちょっとハズレでした。三象は、前半は、いつもマクラで使っている話をしてから「二輪草」へ。ただ、この人の咳き込む話し方が気になります。前に遭遇してから、結構な時間が経つのに、治ってないどころか、若干ひどくなってるように思えたのですが、大事にならなければいいのですが。トリは、一転気を変えて「莨の火」。聴くまでは、三金の現代的物言いが出たら、噺を壊してしまうしと、出そうな予感がするものですから、言って悪いのですが、さほど期待していなかったのですが、存外良かったぞの印象。序盤の住吉街道ののんびりとした風情が良く、旦さんの雰囲気も、その中に、心地よく溶け込んでいました。何をするんだろう、何が起こるんだろうの雰囲気が、しっかりと用意されたと思いました。その一方で、大変なお大尽だということが判る小判まきのところ、鰹節で拵えたという山車の場面の華やかさは、明らかに物足りませんでした。序盤の雰囲気から振幅幅が極めて大きくとらねばならない場面です。両方とも出さねばならないということで、このネタは難しいんでしょうね。なかなか高座にかける機会の少ないネタでしょうが、時間をかけて熟成していって欲しいものです。今年20年目を迎えた噺家さんは、逸材が多いというのは、誰が言ってもそうでしょう。そういった節目に、こうした立派な会を披露してくれるのは、ホントに嬉しいことですね。




2014年 10月 17日(金)午後 11時 12分

  大阪市内遊歩(221)

 今週末は、ひょっとしたら今日だけしかできないかもと思うウォーキング優先で組んだ週末第1日目の記録です。お出かけは、午後1時半までにはと準備。秋晴れのなかウォーキングは、大阪市内で行うことに。これは、夜の予定を考えてのこと。その具体的なコースは、次のようになりました。京阪「北浜」駅〜大阪市立開平小学校〜大阪東郵便局〜地下鉄「堺筋本町」駅〜タイ料理店「Bootsarin」〜大阪市立南幼稚園〜ハワイアン・ストア「Hula」〜大阪南船場郵便局〜阿弥陀池公園〜高台橋公園〜大阪市立日吉幼稚園〜日吉橋〜桜川公園〜芦原橋自動車教習所〜浪速中公園〜中北公園〜「出城西」交差点〜大阪市立長橋第五保育所〜天竜湯〜大阪市立今宮中学校〜地下鉄「動物園前」駅〜オーエス劇場〜地下鉄「阿倍野」駅。とにかく地図を用意しないで、芦原橋方向に歩くというのが、半ば過ぎまでの方針。最近まで、わりかしきっちりとコースをメモったりして、大阪市の中心部は歩いてたのですが、それを止めた方がおもしろいコースどりができるということで、今日のようなやり方に変更。あとは、時計を睨みながら天王寺に向かうというもの。最後に来て、「出城西」交差点から、まっすぐ天王寺に向かえば良かったのですが、飛田方向に道を取ったものですから、10分ほど超過してしまいました。ま、これは覚悟の超過なので、目測を誤ったわけではありません。
 「阿倍野」駅近くのネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、夜は、歩いて「動楽亭」に移動。「第16回南湖の会〜これが難波戦記〜」に行ってまいりました。毎月開かれているこの会も、今年は、今日が最後となりました。11月と12月は、ともに黄紺が外国にいるときにありますので。せっかく「難波戦記」が佳境に入っているところなんですが。今日の番組は、「雷電初相撲」「難波戦記」と続きました。南湖さんで、「雷電の初相撲」を聴くのは、恐らく初めてでしょう。聴いていても、忘れるくらい前のことでしょう。その辺は、南湖さんも言われていて、このネタは、入門間なしで習うネタ(南湖さんで3つ目)のため、後輩が入ると、できなくなるネタになってしまったと言われてました。ところが、入門間なしで覚えたネタは、今でも簡単に出てくるそうです。ネタのもっていき方は、小ギャグを除くと、南舟くんや南斗くんで聴いているのと同じです。こうして、旭堂のネタが継承されているのだということを実感されてもらいました。「難波戦記」は、冬の陣のクライマックスといったところ。前回は、真田山の出丸をめぐる攻防戦だったのが、今日は、一挙に大坂城本体での合戦となりました。ただ、幸村の計略が勝り、家康軍を敗走させます。逃げ込むのが、なぜか富田となっているのが不思議な話。南湖さんもそう言ってました。そこから京都に移り、和議が持ち出されるのですが、このあたりで、ちょっとだけうとっときたみたいで、和議が進められる話へとワープしてしまってました。例の外堀を埋める話ですが、その文書を持って家康側使者が来たところまでが読まれ、このあと、木村重成が、文書を持ち家康側に出向く話には、具体的には入られませんでした。重成が大坂城を出て、谷町筋なんかを進むところで切られました。今日の南湖さんは、風邪の影響か、喉の調子が本調子と言えず、南湖さん自身も、それが気になるのか、リズムまで崩されていました。このようなお姿は、初めて見るものでした。




2014年 10月 17日(金)午前 0時 5分

 今週は、祝日があったおかげで、勤務日は2日間。あっという間に花木を迎えました。今日は、「カフェ・モンタージュ」でのコンサートに行ってまいりました。いいところを教えてもらい、足しげく通うようになりました。今日のテーマは「無伴奏」というもの、チェロの無伴奏のコンサートでした。こないだの台風の来た日にも、違った演奏者(金子倫太郎)による無伴奏のチェロのコンサートが、こちらであったようで、偶然なのか必然なのかは知りませんが、相次ぐ無伴奏チェロのコンサートが開かれたということです。本日のチェリストは「エフゲニー・オーソーキン」。そして、プログラムは「プロコフィエフ 無伴奏チェロ・ソナタ」「M.オーソーキン 無伴奏チェロ・ソナタ」「カサド 無伴奏チェロ組曲」となりました。オーナー氏によると、「今日はバッハなしでお願いしました」ということで、「無伴奏」と聞けば、まずバッハを思い浮かぶところを、バッハを外してのプログラム作りのリクエストに対し、演奏者からは、まずカサドが上がったそうです。確かにそうですよね。この3曲が並んだとき、ピンと微かに来るのはカサドくらい。有名度で言えば、プロコフィエフなんですが、プロコフィエフに、無伴奏チェロの曲ってあったっけという感じがしてしまいます。実際に聴いてみて、プロコフィエフと言われて聴くからプロコフィエフと思って聴くのですが、らしくないですね。習作ぽい感じすらしてしまったのは、黄紺の未熟さゆえかもしれません。オーソーキンは、演奏者自身の祖父に当たる作曲家で、ショスタコービッチの2歳下で、かなり著名な方らしいのですが、黄紺は知りませんでした。ショスタコービッチとツーショットの写真も残っているそうです。かなりチェロという楽器に精通した作曲家のようで、ポジショニングを心得つつ、変わり弾きを求める箇所が幾つかあり、少なくともプロコフィエフよりはおもしろいと思いました。カサドの曲は組曲。バッハの無伴奏同様となります。ですから、掴みどころありの、解りやすく、楽しめる曲ですね。オーソーキンというチェリストは若いロシア人でしたが、京都在住なんでしょうか。よく知らないまま聴きに行きました。もっと自在に、テンポを揺らしてもと思いはしましたが、それは欲張りなことかとも思います。次回は、12月に、ブラームスの2番のソナタを弾いてくれるそうです。聴き慣れた曲で判断をしてみたいと思います。




2014年 10月 15日(水)午後 11時 3分

 自分的5連休明けというのは、さすがに身体はしっかりとしています。2日連続の勤務ですが、余裕で夜遊びにお出かけ。今夜は、玉造の「サンクス・ホール」であった「猫間川寄席」に行ってまいりました。文我がお世話する会、珍しいネタを聴けるのが魅力の会でもあります。その番組は、次のようなものでした。真「四人癖」、石松「江戸荒物」、文我「歯抜き茶屋」、(中入り)、福矢「笠碁」、文我「かっぱ芝居」。ずっとネタがかぶらないように番組作りがされてきた会ですが、さすが、文我は続けられても、他の噺家さんは難しいということで、そないな企画はなくなったようですが、文我は、相変わらず珍品を並べてくれました。「歯抜き茶屋」は、お茶屋でいたずらしようと考えた音たち、自分たちを狐や狸と思い込ませる算段をして、お茶屋に乗り込むが、一人が寝過ぎてしまいということで下げになるのですが、歯抜きという変わった仕事を持つ男を登場させたわけは、下げで判明しました。「タヌキ」と「歯抜き」のダジャレでした。「かっぱ芝居」は新作もの。芝居三昧の男が、あまりにも楽しく芝居の声色をするのを見ていた河童が、自分も観たくなり、件の男に頼み込み仮想して連れて行ってもらう。芝居の演目は「番町皿屋敷」。皿がなくて苦悶するお菊さんを見た河童は立ち上がって、自分の頭を隠していた頭巾を取り、「皿ならここにあるがな」。よくできた噺です。広まって欲しいなとさえ思う落語らしい噺です。文我はお喋りですから、マクラで、埋もれた小咄を披露してくれたり、亡くなった噺家さんや米朝から聞いた昔話をいろいろとしてくれます。そういった中で、よく出てくる一人が、先代文我ネタ。河童が出てくるところから、前名我太呂の先代文我となったのですが、今日、我太呂時代に、河童の紋付きを作った話。梅田花月にも出ていたとき、林正之助の目に留まり、「よう判らん紋は止めろ」と言われたそうです。春輔の話もすごい。いやすごい話しか残ってないのが春輔かもしれません。紋つながりでの話で、春輔は、春団治にしか許されていなかった三升の花菱の紋付きを作り、それが春団治にバレた話なんてのもありました。春輔らしい破天荒さです。前座は真。久しぶりの遭遇。「四人癖」を聴きながら、この声で「蛸芝居」するそうだけど、いったいどうなるのかと、余計なことを考えていました。石松の落語は、毎回楽しみ。古風な言い回しが出てくると、ついつい誰にもらったのかを考えてしまいましす。そして、福矢も久しぶり。以前は、もっと遭遇機会の多かった噺家さん。最近は、ぐっと減っています。独特の言葉の調子があるのですが、再び、二人が碁盤を囲むに至るまでのクレッシェンドは楽しめました。マクラは、半年ほど聴いたのと同じだったのが惜しい。だって、福矢のマクラはおもしろいのですから。6時半に始まり、終わったのが9時10分、さすが、水曜日に、2時間半超えの落語会は疲れます。




2014年 10月 15日(水)午前 5時 34分

  大阪府守口市(81)〜門真市(56)〜大阪市鶴見区、城東区

 自分的5連休も最終日となってしまいました。台風は、夜半に通り過ぎ、すっかり普通の日に。そないな日でもあったため、予定に入れていたのは夜だけ。従って、昼間はウォーキング。昨日は、「守口市」駅から城北公園方向に向かい、天六辺りを終点にするつもりだったのですが、「守口市」駅に着いたところで、急に鶴見緑地に行きたくなり、簡単に予定変更してしまいました。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「守口市」駅〜大枝温泉〜大枝公園〜守口市立寺方小学校〜「南寺方東通3」交差点〜守口市立錦中学校〜大阪府立守口支援学校〜鶴見緑地〜鶴見神社〜大阪市立鶴見南小学校〜鶴見公民館〜今福南保育園〜南今福橋〜大阪市立今福小学校・極楽橋〜華厳温泉〜JR学研都市線「鴫野」駅。守口支援学校を出たところで、道に迷ってしまいました。鶴見緑地も目に入る位置まで来ているにも拘らず、歩いても歩いても視界に入ってこないため、道行く人に尋ねると、逆戻りしていました。従って、北から鶴見緑地に入るつもりが、結局、焼野方向から入ることになりました。このため、終点の「鴫野」は妥当なところですね。
 「鴫野」から「天満」に移動。駅前のネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、夜は、「北区民センター」であった「天満講談席」に行ってまいりました。最近、聴き慣れたネタが多くなり、月例の会は、ちょっとご無沙汰傾向なんですが、今日は、南海さんが空海ネタを出されるということで、「たけくらべ」の方を捨てることにしました。その番組は、次のようなものでした。南舟「正直俥夫」、南青「大助初陣」、南鱗「無銘の碑」、南海「弘法大師、決心の入唐」。今日は、人情噺系のちょっといい話が、2本出ることになりました。「正直俥夫」は、以前にも南舟くんで聴いているもの。黒田清隆公が出てくるというもので、市井の俥夫と対極の位置を占めます。別にヒールとして出てくるわけではないのですが、持てる者のうっかりが、俥夫の気分を逆なでします。俥夫を助ける警官も心暖まる存在です。ちょっといい話のもう一つは南鱗さんのネタ。忘れた頃に、南鱗さんは、このネタを出してくれます。お伊勢詣りの途中、盗人に遭った男が、正当防衛ながら、一人の男を殺してしまいます。それを悔いた男は、18年後、自ら討たれに、その現場に戻ります。結末が気になる展開なのですが、うまく知らされていなかった事実が出てきて、最後はハッピーエンドとなります。こうしたネタって、南鱗さんの口調に合ってますね。南青くんの「大助の初陣」は、以前にも聴いているのですが、眠ってしまった苦い思い出のあるネタ。今日は、ばっちりでした。大坂城側は出丸を築き、家康側は天王寺界隈で陣を張り膠着状態が続くなか、しびれを切らした家康側武将が、単独で出丸を攻めようとして、真田大助率いる大坂方に敗れるというもの。大助が、少数の手勢を使い、朝靄のなか立ち込める霧を使い、相手方の大軍を敗走させるというもの。「難波戦記」の中でも、高座にかかる機会の多いネタです。お目当ての南海さんの「空海」は、ネタの運びからして、南海さん自作ものですね。年代記的にまとめられるときの、南海さんの特徴がよく出ていました。地方官吏の家に産まれた空海。聡明であったため、叔父の支援を得て、国学、大学へと進むのですが、そこで、長岡京建設に動員され使役される人々を見て、仏教に関心を持つようになり、密教を修め入唐を志すとなっていました。南海さんは、空海一代記をまとめようとされているのでしょうか。だったら、また一つの楽しみが生まれたことになるのですが。




2014年 10月 14日(火)午前 7時 53分

 昨日は、台風がやって来た日。でも、黄紺は、「兵庫県立芸術文化センター」での「ラ・ヴェネクシアーナ」の公演「ポッペイアの戴冠」のチケットを持っていました。12時に公演の決行が発表されたのですが、躊躇することなく行くことを決めました。一緒に行くことになっていた同僚は、帰りが心配と断念。確かに、この前の台風でも、遅延が続出した沿線にお住まいです。黄紺は、ちょっと早めに会場入り。既に、開演前には、西宮北口駅前は、祝日だというのに閑散としていました。「ラ・ヴェネクシアーナ」は、歌手陣とたもに、7人のアンサンブルと指揮者(兼チェンバロ)という編成。会場が大ホールなため、この編成で大丈夫だろうかの不安もあったのですが、やはり慣れというものは恐ろしいもので、第2幕に入ったあたりでは、そのあたりのことは気にはならなくなっていました。これは、歌手陣にも言えることで、最初は、ポッペイアを歌った「」ぐらいでしか、器に見合ったパワーを出していなかったのですが、これは、こちらの慣れというのではなく、歌手の皆さんの方で、明らかに修正をされていたため、どんどんと時間が経つにつれ、このオペラの筋立てに入って行くことができました。総じて、ラテン的というか、開けっ広げな登場人物という印象。中でも、ポッペイア(ロベルタ・マメリ)とオッターヴィア(セニア・マイヤー)は情熱的な人物と描かれていました。オッターヴィアは、皇后のプライドを深く出すと、あまり嫉妬に狂うとは描きにくいと思うのですが、かなり女を強調したものでした。ポッペイアという人物は微妙なキャラですね。ネロの愛し方、愛情の度合いのようなものを、どう看るか、彼女は策士としてはどうなのか。オットーネ(ラファエレ・ピ)に対する感情を、どう看るか、その辺のブレンドの具合で、彼女の描き方が変わってくるとは思うのです。ロバート・カーセンのプロダクションなどを観ていると、ポッペイアがネロの愛人を演じていると、勝手に動いちゃって皇后になっちゃった、でも、それが、ポッペイアの思う壺という描き方のように看たのですが、昨日のポッペイアは、かなり感情を表に出すことで、引っ張っていってるというところでしょうか。一応、昨日の公演は演奏会形式なもので、芝居がかった動きは少ないうえ、自分の出番であっても、歌うところがなくなると、後ろに下がってしまうというものでしたが、アルナルタ(アルベルト・アレグレッツァ)などは、かなり芝居がかりに動いてくれてました。また、歌唱が、会場の寸法に合ってきたりすると、こちらのイマジネーションが高まっていきます。ですから、第2幕は、かなり聴きごたえってものがありました。時間とかを考えてのことでしょうか、幾つかのカットがされていました。オットーネが、ドラジッルラから服を借りに行ったり、オットーネがポッペイアに会い、罵られるところ、小姓と侍女のじゃれあいなどに気づきました。このオペラの一番最後に、とっても理不尽なデュエットを、モンテヴェルディは用意しました。権力にものを言わせ、好き放題のネロ、念願の皇后の地位を手に入れるポッペイア、その一方では、セネカ(サルヴォ・ヴィターレ)の死、オッターヴィアやオットーネ(ドラジッルラも)の追放があります。そないな中での結末なのに、どうして、あんなに美しいデュエットを書けたのでしょうね。女声のデュエットの中でも特筆すべき美しさです。ところが、最後のピアニッシモが終わったのか(まだ終わってなかったでしょう)と思った途端、ブラボーマンがわめきました。ぶち壊しもいいところ。ブラボーマンは迷惑マンだという認識が定着したと思っていたのに、この様です。極上のモンテヴェルディの音楽が解っているとは、到底思えない「俺、バカ」宣言の「ブラボー」でした。客席は、かなりスカスカ。このコンサートに関しては、主催者が、払い戻しに応じるとしたからでしょうが、わりかし日本的やなと思っていたのですが、午後4時の時点で、JR西日本全線不通じゃ、やむを得ないのかと思う一方、なんか釈然しません。私鉄は、普通に動いてましたし、会場の最寄駅は私鉄ですのにと思ってしまいました。帰りの電車は、台風のおかげでがら空きでした。




2014年 10月 13日(月)午前 8時 26分

  京都市内遊歩(74)

 昨日は、午後から予定が詰まっているということで、午前中にウォーキングを敢行。台風が近づいているので、ウォーキングはできるときにやっておかないとダメですからね。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「丹波橋」駅〜日本基督教団伏見教会〜大手筋〜御菓子司富英堂〜御香宮橘会御旅所〜阿波橋〜縄手橋〜東高瀬川右岸〜「横大路」交差点〜円面田児童公園〜三雲橋〜玉乃光酒造酒蔵〜第二あけぼの保育園〜京都市立住吉小学校〜津和橋〜出雲橋〜京阪「墨染」駅。淀方向に向かうというコース、最近、続いています。ただ、こちら方向に向かうと、工場街となるものですから、カメラに収めるものがないというのが悲しいところ。結局、行き帰りに通る旧伏見市内の中心部中心の記録のようになってしまいます。致し方なしかとは思うのですが、、、。
  音楽三昧の一日は、昼「びわこホール」で「リゴレット」、夜は「カフェ・モンタージュ」で日本人の現代音楽作品。まず「リゴレット」、日本で観るのは、東京にいた頃に観ていますから、随分と久しぶりにになります。ドイツでは、ケルンとデュッセルドルフで観ています。で、今日の「リゴレット」は、歌手の充実、オケの充実、ということは、沼尻竜典の指揮がいいということになろうかと思います。中でも、ピカ一は、ジルダを歌った森谷真理。ジルダは、1幕の後半からの登場。リゴレットとの掛け合いで、既に声質を聴いていて、「慕わしい人の名は」が楽しみだと思っていたら、ドンピシャの大当り。声の輝きとかというときに、きらびやかさを感じさせる声というのには、なかなか出逢えるものではありませんが、それに遭遇し、且つ、そのあとに控えているのが、コロラトゥーラの技法が詰まったアリアが待ち構えていたのですから、そして、それに応えてくれたのですから、大当りもいいところでした。リゴレットを歌った牧野正人は、とにかく声量の豊かな人。となると、リゴレットの屈折した気持ちの表現がうまくいけばいいのですが、そうはいきませんでした。一言で言えば大味。特に、前半は、声量だけが目立っていました。マントーヴァ公爵は、芸文センターの「コジ・ファン・トゥッテ」で失望させられたジョン・健・ヌッツォ。ところが、昨日は、目を見はる出来。それはそれで良かったのですが、体力がないのかなぁ。3幕では、「コジ・ファン・トゥッテ」のときにほぼ逆戻り。昨日の公演を観た同僚から、オケ(日本センチュリー響)がいいと聞いていたのが、正にその通り。生きた音、躍動感のある音に出逢えました。沼尻がいいのでしょうね、あないな音が出るのは。オケとともに、装置がいいと聞いていましたが、こちらは、黄紺的には、それほどのことではなかろうというもの。装置をピースに分け、それを組み合わせると、様々な形ができるというもの。それに、全てではないのですが、回転舞台を回すことにより場面転換を図るというもの。黄紺的には、こないな装置は珍しくはないとだけ書いておきましょう。田尾下哲の演出は、基本的にはオーソドックスなもの。装置以外で気になったのは、最後場面を照明だけで表現したこと、次に、ジルダが扉を叩くと、黒装束の男が取り囲み、そして、その一人がジルダに剣を突き刺します。スパラフチレは、それを眺めるだけというもの。黒装束の男は、誰が使わしたのか。公爵の手のものだと、話を混乱するだけですが、そうだとなると、話は混乱するばかりですが、それ以外では、その可能性を伺わせるものはありませんでしたから、その把握は外れかもしれません。ならば、もっと抽象的なもの? 運命とか、そんなのかもしれません。日本で観たオペラで、こないな変わり演出は、まあないので、それで、ちょっとオペラを観たぞの気分になっています。それにつけても、ジルダが聴かせてくれました。
 「びわこホール」では、新たに3枚のチケットを買いました。いずれも来年の公演となります。そういえば、黄紺も2ヶ月ちょいで、オペラ紀行に出かけています。で、「びわこホール」を出ると、京阪&地下鉄で「京都市役所前」まで移動。近くのネットカフェで時間調整をしてから、夜は、予定通り「カフェ・モンタージュ」へ。今夜は「きのこのつぎの音楽〜ネクスト・マッシュルーム・プロモーション〜」というテーマで、日本人の現代作品が演奏されました。そのプログラムは、次のようなものでした。「細川俊夫:エディ (2009)」「C.ナンカロウ:ソナチネ (1935)」「福井とも子:Schlaglicht (2002)」「細川俊夫:Vertical Time Study (1998)」「徳永崇:陰影のある刺繍の入れ方 (2009)」「J.エストラーダ:“Yuunohui'Ome" (1983)」「川上統:ラナ・ラナンキュラス (2011)」「細川俊夫:時の花 (2008)」。テーマの「きのこ」は、出演者(クラリネット:上田希、ピアノ:大宅さおり、ヴァイオリン:辺見康孝、ヴィオラ:多井千洋、チェロ:大西泰徳の方が組まれているユニット名だそうで、どうやら定期的に、現代音楽を、このメンバーで演奏されているようです。最近、ドイツに行くようになってから、現代美術なるものに関心を持つようになりました。いろんな作品を観ていて、解るとか解らないという視点で観るのではなく、ボーッと眺めていて、感覚的に構成や手法とかで、おもしろいと思えるものを探す楽しみです。自分の発想なんてものは大したものではないというのは分かりきったことなのですが、そういった自分が、およそ思いもつかないものを探すのが楽しくなってきたのです。それと同じようなものを求めて、プログラムに並んだ作曲家の名前は、誰も知らないという中で行ってまいりました。全体で、1時間40分も要したのコンサート、前半4曲と後半4曲という具合に2部構成で行われたのですが、インターバルは5分だけというハードなもの。前半4曲を聴くと、手法に慣れてきてしまい、後半に入ると、音の出し方の変化に、ちょっと飽きが出てしまいました。そういったなか、「ラナ・ラナンキュラス 」が蛙の物真似的な音の並びを志向したとかで、ちょっとした変化に出逢えたのですが、それでどうなんだと言いたくなるものでした。音の出る方法は、何から何まで使うというのはおもしろかったですね。ピアノでは、弦を指で弾いたり、弦を押さえて鍵盤を叩くという手法は、幾つもの曲で採られ、ついには鍵盤の蓋を、バタンと閉じるのが出てきたのにはびっくり。クラリネットでは、音を出さずに、空気を吐く音が使われるかと思うと、声を出しながら、クラリネットを吹くなんてものもありました。バイオリンなどの弦楽器は、ほとんどまともな音を出さずじまいだったでしょう。そういった手法が、逆に続いてしまうため、最初は、新鮮でおもしろがって聴いていたのが、徐々に飽きが出てきてしまいました。音色と大切な要素となるリズムは、もうすごいとしか言いようはありません。アンサンブルとなり、楽器の数が増えるにつれ、その難しさはどんどんと上がっていきます。それが合うのだからすごいと、とっても初歩的な関心の仕方をしていました。まあ、現代音楽初心者ですから、こないなものです。カフェ・モンタージュのおかげとしか言いようがありません、こないなコンサートに出逢えるのは。新しい体験をしてみようかなと思わしてもらえるのですから。それにしても驚いたのは、満席となった客席です。モーツァルトの珍しい曲が入ったコンサートでは、少なかった客席に反し、満席の客席にびっくりするばかり。中でも若い人たちが目立ちました。どういった人たちなんでしょうか。とっても気になってしまいました。




2014年 10月 11日(土)午後 11時 36分

 台風前の静けさというところでしょうか、今日も、気温は高めですが、穏やかな一日。午前中に、息子と一緒に家の用事を済ませ、午後には「一心寺南会所」へ。「一心寺門前浪曲寄席」の日でした。その番組は、次のようなものでした。五月一秀(沢村さくら)「書損の軸」、天光軒満月(美勝勝廣、紀之本孝子)「父帰る」、三原佐知子(虹友美)「は組小町」、京山倖若(沢村さくら)「難波戦記」。今日は、息子と一緒に軽い昼食をとったときに、ちょっとビールを呑んだのがまずく、わりかし居眠りをしてしまいました。ちょっとまずいなと思ったので、満月師のところで眠ろうと思っていたら、一秀師の後半で早くもダウン。ようやく覚醒したのが、三原佐知子師の半ばででした。まあ、満月師は、ホントに持ちネタが少ないので、腹が立つほど、「父帰る」に当たるものですから、これはパスで良かったのですが、惜しいのは一秀師のネタ。まず、題名すら聞いたことのないもの。さすが東京で修行を積まれた方。予想外のネタを披露なさいます。「赤穂浪士」ものでした。山科閑居時代の大石に、骨董屋で、狩野某の掛軸を手に入れた男が、算を書いてもらい、掛軸に箔を着けようとするところまでは大丈夫だったのですが、、、。「赤穂浪士」ものだけに、とっても悔やまれてなりません。「は組小町」の方は、前に聴いたことのあるもので、男のジェラシーから、夫を炙り殺された女が、同じ手法で復讐を果たすというもの。江戸の火消しものでは、わりかし気に入っているネタです。そして、今日のトリは倖若師。幸枝若テイストの浪曲を、しっかりと継承されているので、聴けるのが楽しみな方なのですが、高座に触れる機会が減っているのが気になっていますが、お元気な様子で何よりです。ネタは「後藤又兵衛」でした。黒田長政との反目から、福岡藩を離れ、浪々の身となった又兵衛が、小倉藩中に入り援助をもらう下りでした。これは、南海さんの千日亭の会で聴いた耳新しいところ。確かに、浪曲は、講談のおいしいどころ取りをするものです。
 一心寺南会所を出ると、文楽劇場に移動。文楽11月公演のチケットを買い求めに行ってきました。そして、その流れで千日前のネットカフェで時間調整。夜は、「北浜」経由で「森小路」に移動。「大阪芸術創造館」であった「暇だけどすてき」の公演「トウシンダイ」を観てまいりました。以前からマークはしていたのですが、実際に公演に接するのは、初めてという経験。チラシを見ていて、シリアスものではなう、単純に楽しめるエンターテイメント作品を見せてもらえるということを承知のうえで観に行ってきました。お笑いコント集団が、相次ぐ不審死を遂げるわけを追求するという探偵ものの雰囲気。特に前半がおもしろかったですね。謎が深まっていくからですが、その中に、パネルが人間の形をとり動き出すというプロットを入れたため、それの解決法とかも気になるような感じを持ったので、展開やキャラ作りが、潤沢だったということかと思うのですが、バラシの方が、もたついたり、意味が解らなかったりしたりして、ちょっと風呂敷を広げたかなの印象。ですから、基本的に老若男女が楽しめる芝居を目指す劇団と、黄紺の目には映りました。お笑い集団を出したものですから、それにみあったコントが2本入りました。2つとも楽しめるものだったのですが、なかでも河童ネタのアホらしさにびっくりでした。それに、ダンスの切れがすごいなぁと思って観てました。




2014年 10月 11日(土)午前 3時 14分

  大阪市内遊歩(220)

 自分的5連休がスタート。ただ、台風が来るようなんで、せっかくの5連休が、ラしクなくなってしまう可能性大です。パリ・オペラ座のライブビューイングを、月曜日か火曜日に見に行くつもりだったのを、今日に上げました。動かせるのは、こうやって対応できるのですが、動かせない大物が、このあと控えているのです。ま、それは、運に任せるしかありません。今日のパリ・オペラ座は、ディアナ・ダムラウがヴィオレッタを歌う「椿姫」。これが、ラインナップに入っていることを知ってから、一の楽しみにしていたもの。高校時代の友人から、ディアナ・ダムラウは、ミラノ・スカラ座でネタ下ろしをしたところと聞いていました。黄紺は、パリがネタ下ろしかとも思ったのですが、そうじゃなかったのです。ところが、今日観た中で、3回目と言っていました。回数がもう1回増えたことになります。ネットで調べると、コヴェントガーデンでも歌っていました。配役を調べると、ミラノがすごいですね。アルフレードがピョートル・ベチョワ、パパ・ジェルモンがルチッチです。ロンドンとパリのアルフレードがフランチェスコ・デムーロ、ロンドンのパパ・ジェルモンがフヴォロトフスキー(これも聴きたい!)、そして、パリがリュドヴィク・テジエ(この人のスカルピアを聴きたくなっちゃいました)。と並ぶと、やっぱミラノに軍配です。やっぱ、ディアナ・ダムラウがいいです。すっごい感情がこもっていて、いやこめすぎたのか、2幕のパパ・ジェルモンとのデュエットでは、涙を流しながら歌っていました。もう、かなり巨体となってしまったディアナ・ダムラウですが、死に化粧(このアップがすごい、あの美形の顔立ちが粉が噴いたかのようなカサカサ顔に見えた!)に、感情のこもった動きで、巨体が邪魔にならないほど。歌唱では、相変わらずピアニッシモがきれいで、一方でコロラトゥーラの技巧に頼らない歌い方に好感。もう絶賛したい気分。リュドヴィク・テジエもいいですね。梃子でも動きそうでない堅物の頑固親父です。おまけに世間てなものを、背中に乗せている風情がばっちりで、いい憎まれ役です。アルフレードも、ライブビューイングで観る限りでは、もうちょっと伸びや艶が欲しいとは思うけど、いいんじゃないと思っていたのですが、カーテンコールではいまいち支持を得てませんでしたね。軽くて伸びなかったのかな、この辺が、現場にいない分、判断ができないのですね。演出(ブノワ・ジャコ)はオーソドックス。舞台転換を大きく意識した装置作りが特徴か。それとコーラスを、一つの塊としてだけ動かそうという方針。舞踏会の場面でも、コーラスの人たちはばらつかない。見えない枠にでも囲われたかのように動いていました。そのわけとして言えるのは、舞台を狭く使っているから。1幕の冒頭は、デコレーションを施したベッド(要するにヴィオレッタの仕事場)が設えているのと、ちょっとした机と椅子だけ。後ろの幕が開き、舞踏会となっても、大きなベットと家具は残してあるものだから、舞台の半分ほどで舞踏会の場面が進むという具合。ヴィオレッタとアルフレードの家は軒先だけ出て、その前に大きな木が植わっている状態で、2幕は進む。この場面が舞台の左半分、右半分が、後半の夜会の場面。軒先だった部分から右が夜会の場となる仕掛け。だから、場面転換は早い。照明の操作だけなんだから。だから、場面転換はいいのだが、一つ一つの場が、狭くなるのです。ただ、人の動きはオーソドックス。これで、13-14シーズンのライブビューイングはおしまいです。ま、こうやって上映されるプロダクションは、いずれもオーソドックスですね。有名歌手に遭遇できるのは嬉しいのですが、もうちょっと大胆な演出って、こういった大歌劇場には難しいのかな?
 「椿姫」が終わると、昼食後、直ちにウォーキングに移行。今日は、終点を千日前と定め、それに合わせてコース設定。西は阿弥陀池筋を越えたところ、東は上町筋の一つ東と定めてのもの。その詳細は、次のようになりました。JR「大阪」駅〜「桜橋西」交差点〜田簑橋〜国立国際美術館・大阪市立科学館〜筑前橋〜中沢佐伯記念野球会館〜大阪市立西船場小学校〜西船場公園〜インド・ネパール料理店「シダラタ」〜靭公園〜大阪市立靭幼稚園〜スリランカ料理店「シーギリヤ」〜韓国料理店「ケンちゃん食堂」〜南御堂〜久宝公園〜インド料理店「AKASH」〜久宝寺橋〜大阪市立南大江小学校〜銅座公園〜東堀橋〜道仁公園〜韓国スーパー「プサン」〜下大和橋〜トリイホール。今日は、台風の影響でしょうか、気温が高く、着替えを持っていて正解というもの。でも、汗をかくと、体が動いていることが自覚でき、気分的にはいいものがありますね。
 ウォーキング後は、時間調整がてら休憩に当てるために、千日前のいつものネットカフェへ。今日は、夜が遅くからの予定を入れていたため、たっぷり系の時間調整となりました。そして、夜は「関目」へ。駅近くのカラオケ喫茶「」であった「満月動物園」の公演「空箱」に行ってまいりました。定員20名限定のカフェ公演。内容的には、地味で、且つ生真面目な公演でした。幾つか観てきたこの劇団の公演とは異質な感じがして、ちょっと戸惑いを感じたのは事実。簡単に言ってしまうと、妾の子どもとして産まれた一人の女性が、その内実を知る中で、それまでの生き方を認識し、また、これからの生き方を確かめていく中で、それまでの生き方を相対化していく過程を描いたと言えばいいでしょうか。開演前には、70分ちょいの芝居と聞かされていたため、主人公の環境が短時間で明かされたのは、またれたのは致し方なしかと思っていたのですが、ところが、実際には110分ほどもかかってしまいました。それだけのエピソードは用意されてはいました。本妻母娘と、主人公の母娘、計4人の個々の人間関係まで描く丁寧さ。イマジネーションの豊かさを見るのですが、黄紺的にはあまり好きではない演劇や映画のジャンル。掘り下げの深さ、それを演じる役者さんの達者さは解るのですが、満足感はあまり上がるものではありませんでした。




2014年 10月 9日(木)午後 11時 7分

 今日が終わると、自分的5連休が始まるのですが、ひょっとしたら連休中に出ていかなければならないかと、ひやひやの一日。ちょっと仕事が停滞気味だったのです。ところがセーフでした。うまく間に合いました。これで、立派な5連休が、明日から始まります。ただ台風の動向が気にはなるのですが。今日のお出かけは動楽亭。今夜は、「第11回生寿成熟の会」のあった日だったのです。昨日は、カフェ・モンタージュに行ってしまったので、師匠の生喬の方は蹴飛ばしてしまったのですが、今日は遮るものなしと、動楽亭に向かいました。その番組、次のようなものでした。優々「田楽食い」、生寿「三人旅」、ひろば「天災」、(中入り)、生寿「代書屋」。優々の前座って、あまり見ないのですが、そうなると、生寿との接点はと考えてしまいます。優々にとっては、アウェー感のある場なのか、動楽亭の昼席なんかで聴くときとは、上滑りの印象。「田楽食い」と、優々にとっては手慣れたネタなんですがね。ゲスト枠はひろば。生喬も、自分の会に喚んでいましたから、この師弟との繋がりを感じます。ひろばも、すごくリラックス。自分の会の「提法寺寄席」よりも、口は滑らかだったんじゃないかな。自らの離婚話をするものだから、何のネタをするのかと思ったのですが、なんてことはない「天災」でした。主役の生寿は、いつもに比べて、マクラでのお喋りは控え目。「三人旅」は、生喬ゆずりの口調が、そこかしこに出てくるもの。馬に乗る辺りからいい気持ちになってしまいました。本日のネタ下ろしは、5ヶ月9回かかったと、パンフレットに、生寿自身が書いてたものですから、芝居噺の新しいのを仕入れたなと勝手判断をしたところ、全く予想外のネタが登場しました。しかも、始まりから、口調や台詞が耳慣れないもの。明らかに枝雀系でもなく、春団治系ではないものが流れてきました。この時点で、フルヴァージョンと看ました。もちろん当たりだったのですが、じゃ、誰からもらったのかと考えてみたのですが、一応、米二かなと考えていたのですが、こちらは外れで、文我のところに行ったそうです。フルヴァージョンは長く、問題の「トッコン証明」がありますから、随分とOKをもらうまで時間を要したようです。ひょっとしたら、米朝一門以外でフルヴァージョンをする初めての噺家さんかもしれません。ただ、このネタは、生寿に合うのでしょうか。アブナイ与太郎系アホが、生寿に合うのやろかと思ってしまいました。今日のところは、下ろしたというところでしょう。2人目からは大丈夫でしょうが、1人目は、生寿の声室とか、キャラからは難題と映って仕方ありませんでした。




2014年 10月 8日(水)午後 11時 10分

 今日は、「生喬百席」のあった日なのですが、最近、夜遊びに出かけるのがきついときがあるので、ちょうど「カフェ・モンタージュ」でいいコンサートがあるということで、そちらをチョイスしました。水曜日なもんで、一番きつい日だったもので、帰るのが楽な方を採ったということになります。今日は「古典的な二重奏」と題したコンサートで、田村安祐美さんのバイオリン、小峰航一さんのビオラのデュエットの演奏を聴くことができましたが、そのプログラムは、次のようなものでした。「ハイドン 二重奏曲Hob.6-5」「ホフマイスター 無伴奏ビオラのための練習曲第5番」「ロッラ 協奏的二重奏曲Op.12-1」「モーツァルト 二重奏曲K.424」。バイオリンとビオラの二重奏なんて、正に、こちらのコンサートでしか聴けないもの。ましてや、モーツァルトの二重奏曲って、数多くのモーツァルトの曲を聴いてきましたが、ピンと響かない曲ということで、「生喬百席」を捨てるのもやむなしということでもありましたが、正解でした。曲では、ハイドンのものが、ビオラの役目が、かなり可哀想な役回り。予想されたこととはいえ、やはり伴奏楽器に回されてしまってました。でも、この冒頭の曲で、バイオリンの田村さんの音色を確かめることができたのです。とっても突き抜けるように明確で綺麗なものだったのです。若干ムラはないことはないのですが、むしろどっきりとさせられる生きた音色を確認させてもらいました。可哀想なビオラを考えてか、2番手に、ビオラのソロが入りました。今回のコンサートは、ビオラの小峰さんが、モーツァルトを弾きたくて実現したと、オーナー氏が言われていましたから、当然、プログラムも、ご自身でお考えになったのでしょう。きっちりと、曲の持つ性格を把握してのプログラム構成となりました。そして、本日の白眉は、モーツァルトよりか、一つ前のロッラだったでしょう。バイオリンとビオラのバランスがいい構成ばかりか、ロッラの曲なんて聴いたことないどころか、ロッラの名前すら知りませんでした。だから、お二人の音色が、そのまま、この曲の音色と感じました。それが色濃く残っていたのか、モーツァルトになると、なんか違うなの空気。あれだけ伸びていたバイオリンの音色に違和感を感じてしまったのです。なんか、もっとモーツァルトの音楽に身を委ねて欲しいなという感じかな。大きな場所で聴けば、もっと違った印象をもったかもしれないのですが、、、。お二人は、京響のメンバーです。長岡京と言い、京都に住んでる有り難さを感じてしまいます。京芸もあるしと、恵まれていますね。




2014年 10月 7日(火)午後 11時 4分

  大阪市内遊歩(219)

 台風一過の秋晴という言い方のお手本のようなお天気。秋、真っ只中というところです。今日は、まず映画から。「シネ・ヌーヴォ」で、日本映画「シュトゥルム・ウント・ドゥランク」を観てまいりました。この映画は、「レッドファミリー」を観に行ったとき、手に入れた情報。特別出演に、天野天街やあがた森魚の名前、更に主演の一人が、天野天街の劇団の女優さんということに、えらくそそがれてしまいました。ましてや、舞台が大正年間となると、天野天街の描く芝居の舞台と重なる。というあたりで、観に行く気になったと言えるでしょうか。筋立ては、大杉栄とのつながりを持つギロチン社会活動を描いたもの。その団体に集った男たちの青春グラフィティを描いたと看ました。思想的な話、議論の類いは、ほぼ出てきません。行動についての議論は出てきても、イデオロギーに関わるものは出てこないように描いていました。変わった素材を使ったものだと納得ができてからは、ちょっと襲われていた眠気が跳んで行ってしまいました。関東大震災以後、朝鮮人狩りが始まり、社会主義者への弾圧が始まり、間もなく大杉栄は虐殺されます。そうなると、ギロチン社の動きもヒートアップし、また追及も始まり、先が見えてくるわけですから、鬱屈たる気分になっていくのが常なのですが、この映画は、そうはならないのです。リアルに描きながら、リアリティに滴が垂れるかのように、穴が開いているような印象なのです。最後には、ギロチン社の仇をとるかのような展開になるのも、何か開いた穴を見ているような気がしてしまいました。ですから、青春グラフィティを観てい気にさせられ、それに満足感を、ある程度味わっている自覚があるのです。なんだか不思議なテイストの映画でした。但し、人に勧めるかというと、そうじゃないような気もするのです。
 映画が終わると直ちにウォーキングを開始。今日は、港区、此花区を重点的に歩くコースを選びました。そのコースの詳細は、次の通りです。シネ・ヌーヴォ〜大阪府立市岡高校〜大阪市立市岡東中学校〜三社神社〜磯路中央公園〜韓国食材店「弓月商店」〜三津神社〜「三先2」交差点〜大阪市立港中学校〜大阪市立港近隣センター〜入舟公園〜八幡屋商店街〜大阪市中央体育館〜「石田1」交差点〜安治川大橋〜「八州軒の跡」碑〜春日出公園〜阪神なんば線「千鳥橋」駅〜千鳥橋〜「大阪福島新家」郵便局〜吉野町公園〜JR環状線「野田」駅。久しぶりに港区内の西方に行くことができました。朝潮橋の少し西側までです。最後は、環状線の駅に戻りたかったため、そこでUターン。ちょっと時間が気になったため、表通りを安治川橋へ。その安治川橋を降り、「千鳥橋」駅前で、残り20分。「西九条」に行くには余裕があるということで、頑張って「野田」を目指してみました。結果的に、それで正解。この距離感を、頭にインプットしておきます。いい情報です。
 「野田」から「天満」に移動。駅近くのネットカフェで時間調整がてら休憩。そして、夜は繁昌亭。今夜は、「チームお笑い国際便『アフガン報告会』ー全員無事でした(ホッ)」のあった日でした。数日前まで、他の落語会があると勘違いをしていて、それに気づいてから慌てて買ったら、よくぞ買えたと思うほどの大入り。辛うじて1階に席を確保できました。その番組は、次のようなものでした。出演者全員「挨拶」、西谷文和「アフガン影像報告」、(中入り)、阪野登「手品」、鶴笑「アフガン活動報告」、三金「お話をせがまれて(仮題)」。中入り前は、フリージャーナリスト西谷さんによるアフガンの現状、西谷さんの行われている活動報告、今回のツアーの報告が行われました。中心部は、高層マンションなどの建設ラッシュが起こっているかと思うと、劣悪な環境の中にある難民キャンプ。あとの鶴笑渾身の訴えにありましたが、この落差が、タリバンへの補充を促す可能性は大きなものがあると思えました。鶴笑の訴えのもう一つのポイントは、教育が行き届いてないと、笑いが起きないということ。学校では受けても、学校に行けない子のいる難民キャンプでは受けないという事実、これは大きいですね。学校で知識を得るだけではなく、知識を得ることでイマジネーションを養っているということでしょうか。その辺を、アフガンで認識してきたのでしょう。迫力あったなぁ、あんな鶴笑、観たの初めてです。三金は、アフガンを題材にした落語を用意。これが、なかなかいい。保育園児にお昼寝前に求められるお話を創る先生、いくつか用意する最後に持ってきたのが、アフガンの絵本。この絵本の最後がいい。よくぞ見つけて来ました。そこんとこをついた下げという工夫もナイスでした。




2014年 10月 6日(月)午後 11時 11分

 朝6時頃、台風が通っていったみたい。今朝は、4時過ぎに目が覚めたのですが、まだ、台風の中にいるのまではいっていない雨の降り。それが、次第に激しくなり、6時頃がピークでした。お出かけは、いつものように7時過ぎ。この時点では、まだ大阪も京都も暴風警報が出ていました。が、どんどんと勢いは下り坂に入っていった関係で、仕事には影響なし。結局は、普通の月曜日になりました。夜は、予定通り、動楽亭へ。今夜は、こちらで「できちゃったらくご!」のあった日だったのです。開演前の出番を決めるジャンケンには、一歩遅れてあやめが登場。動楽亭の駐車場が使えず、近所で停められるところを探してたとか。そのあやめが、ジャンケンに負けてトップを引いてしまいました。その番組は、次のようなものとなりました。あやめ「骨折れました」、三金「奥野くんの内蔵」、南湖「自転車に乗って」、たま「香道」、(中入り)、遊方「大人じゃ」、三風「復活、六太夫」。今日は、かなり苦し紛れの作品の多かった日。今まで、開演時に「まだ仕上がってない」と叫んでいても、それなりの形に持ってきていたのですが、今日は、そうじゃなかった。高座にかけられたものの荒さや粗雑さが目についた日でした。あやめ作品は、彦八まつりで、団治郎が骨折した件と、師匠の米団治がコーラ好きということを結びつけたセミ・ドキュメンタリー落語。三金作品は、今回もデブネタだったのですが、趣向を変えて、奥野の内蔵が、その対策を話し合うというもの。仁智の「びっくり解体新書」でしたっけ、プロットとしては目新しいことはないのですが、デブネタということで許容範囲でしょう。南湖も、子どもの話、東京の講釈師の来阪話で時間を取ったかと思うと、その流れで琴梅師ネタでした。「それは、ずっこい」と思ったところまでは記憶があるのですが、、、。本日、唯一のダウンです。たまの作品が、最も完成度が高いもの。雑誌記者が香道の家元を取材するというもの。但し、香道の家では跡目相続問題が起こっていた。前半は、雑誌記者による、マスメディア・ギャグで通し、一転、香道の話へと入っていきました。香道自体が新鮮ですが、香道についての講釈、相続に関する物語をでっち上げれば、大きなネタになりそうです。遊方も苦しかった。大人なんだけど、子どもの風貌をする男と、コンビニ店長との対話が、ほとんどというもの。同じプロットが、延々と繰り返されます。三風は、一番、厳しかったんじゃないかな。構想が単純だし、三風には珍しい、ダジャレの小ギャグが並んだり、古典のパロディを使ったりと、三風テイストからはほど遠いもの。というわけで、全体として低調の「できちゃった」でした。ま、こういうときもあります。




2014年 10月 5日(日)午後 10時 39分

 今日は、台風が来るかもしれない日。午前中は、その気配なしということで、一応、傘だけは持って出かける。お出かけ先は繁昌亭。今のところ、12月の第1週まで、昼席には行くつもりはないので、ひょっとしたら、これが、今年最後の繁昌亭昼席になるかもしれません。今日だけ、福笑がトリをとるというので、チケットを買ってありません。整理番号が遅いので、この日にだけ、福笑が出るというのに気づくのが遅かったものと思われます。その番組は、次のようなものでした。鞠輔「兵庫船」、たま「崇禅寺馬場」、新治「紙入れ」、ミスター・スキン「マジック」、出丸「酒の粕」、米二「はてなの茶碗」、(中入り)、鶴笑「鶴笑ワールド」、坊枝「刻うどん」、伯枝「長短」、福笑「葬儀屋さん」。鞠輔を、繁昌亭で見るのは初めてじゃないかな。船への乗り込みをはしょりながら、問答のところだけで下りました。たまは、冒頭にショート落語をしてからネタへ。マザコンの追い剥ぎは、もう思いついた時点で勝ちですね。新治の艶笑ネタに、急激に客席の空気が変わりました。今日の客席に合ってたみたい。たままでは、何が飛び出すか手探り状態の客席が、一挙に客席が安心して聴けるようになったという感じでした。新治は、しつこくならず、程の良さを心得ています。出丸は、燗の温度による分類を説くものですから長いマクラ。ネタの時間が短くなるぞと思っていたら、心配無用。短い「酒の粕」でした。今日は、米二のところだけ寝てしまいました。昨夜は、3時間しか睡眠を取れてないことを考えると優秀でしょう。鶴笑は、新ネタではなく、おなじみの「西遊記」。坊枝は、一旦「刻うどん」は止めますと言いながら、蓋を開けると、異様にテンションの高い「刻うどん」でした。よく解りません。「長短」は、伯枝では初めてのはずです。内容的には型通りでした。福笑は、久しぶりに「葬儀屋さん」を聴かせてくれました。福笑作品では、最上位に入る逸品と思っているネタです。ポタージュやひろっちゃんのボケを、今か今かと待っていました。「葬儀屋さん」を聴いたついでに、最近聴いてない「入院」を聴いてみたくなりました。
 繁昌亭を出ると、扇町まで行き、ネットカフェで時間調整。そして、夜は梅田に回り、「テアトル梅田」で韓国映画「レッドファミリー」を観てまいりました。心斎橋シヌマートで上映中の韓国映画と迷い、恋愛ものより、今日は、南北ものをチョイス。以前のように、詰めて韓国映画を観ることはなくなりましたが、こうやって時々観たくなるときがあるのです。一つの家族を装った北の工作員4人の家には、工作員組と同じような家族構成の4人が住んでいる。何かとケンカの絶えない家族だけど、ある意味では、一般的な家族を、ちょっとデフォルメしてあると看ていればいいのでしょう。工作員の方は、表向きは平穏な家族を装いつつ、実態は、上下関係がくっきりした軍隊的関係で結ばれている。だが、工作員は、自分たちの家族を人質に取られているため、任務の遂行を怠るわけにはいかない。そういった風に、家族を切り口に、工作員の変化を追っていく。工作員らが、ケンカの絶えない隣の家族を見れば見るほど、家族が偲ばれ、任務との乖離を自覚し、自らの家族を思い出し、家族のために理不尽な任務の遂行をしていくというもの。当然、その乖離が大きくなれば、自ずと彼らの命の問題へと発展していく、終盤へと向かっていく。先に変化など見えない、その先へと突き進む映画にならざるをえないものですから、観ていて鬱屈たる気分になっていきます。館内は、鼻をすする音に満たされていきました。が、この映画は、僅かだけですが、救いのようなものを用意してはくれてはいましたが、やっぱしんどいですね。恋愛映画にしときゃ良かったと思っても、それは後の祭でした。




2014年 10月 4日(土)午後 11時 47分

  大阪府枚方市(15)〜寝屋川市(46)

 今日は、午前中だけだけど勤務日。辛い話だけど、仕方がない。勤務が終わると、早速ウォーキングに。台風の接近が言われているなか、この週末にウォーキングができるのは、今日しかありません。そのコースは、次のようになりました。京阪「枚方市」駅〜岡本町公園〜三矢公園〜旧枚方宿問屋役人(木南喜衛門家)〜市立枚方宿鍵屋資料館〜栄町地区公園〜「伊加賀緑町」交差点〜枚方伊加賀西町郵便局〜枚方市立伊加賀スポーツセンター〜枚方市立伊加賀小学校〜出口ふれあい公園〜枚方市立さだ中学校〜「南中振2丁目」交差点〜木屋地区墓地〜ぴまわり保育園〜田井西公園〜寝屋川市立田井小学校〜「清水橋北」交差点〜八坂公民館〜京阪「寝屋川市」駅。今日は、久しぶりに枚方市内から出発。しかも、ウォーキングで枚方宿跡を歩くのは初めて。枚方市が、かなり整備してはいるようなんですが、古い家屋がかなり減っています。整備に動き出すのが遅かったみたいですね。鍵屋など、古い家屋は、「枚方公園」駅近くの方に、多く残っています。歩いていて、偶然、昔の同僚に会いました。その方のお話によると、枚方市がテコ入れをして、五六市というのが、定期的に開かれているとか。一度行ってみてわとのお話をいただきました。旧枚方宿を離れると無機質な風景が続きます。ま、そういったところだと知っていながら歩くのですから、致し方ありません。「香里園」駅近くで、残り30分になったのですが、頑張って「寝屋川市」駅まで行ってみました。やはりきついですね。今でこそ一駅ですが、かつては二駅目だったのですから。ということで、頑張って歩いたのですが、2時間を若干超えてしまいました。台風の影響でしょうか、結構な風が吹く中のウォーキング。でも、じゃまになるというより、身体を程よく冷やす程度ということで、快適なウォーキングになりました。
 「寝屋川市」から「北浜」経由で「日本橋」へ移動。いつもの千日前のネットカフェで、時間調整がてら休憩。今日は、たっぷり時間があったので、ルネ・フレミングら超豪華キャストの「バラの騎士」を、しっかりと観ることができました。そして、夜は「天下茶屋」に移動。「can tutku」であった「オリゴ党」の公演「プラスティック爆弾とシュレディンガーの猫」を観てまいりました。初のカフェ公演とかで、短編を、無理やり3本並べた作品の上演でしたが、途中1回の休憩込みで、約2時間の上演時間。それだけの時間を使うのなら、新作を1本作れよと言いたくなる長さ。と同時に、1本1本が頼りないうえ、それを無理強い的に繋げる不快さのようなものもあり〜ので、そないなことを思ってしまいました。繋ぎを、2人の男女の会話でするのだけれど、ちょっとこじつけっぽくて、最後には、2人の関係が明らかになって、落ちのようなものも用意をされてはいるのですが、わざとらしくて引いちゃいました。1本目(髪を切った姉妹は無意識のように恐ろしい)は、劇作家の妹と同居する姉との対話劇。だけど、その内容が、台本の精査、それも、劇の中に宇宙人を出すとか出さんとかの議論で、この芝居ってなんなのさっていうところ。2本目(革命の昼と夜と真夜中)は、変な設定。貴族による政治を目指そうと革命を志向する男。同じ革命でも、着想が平易な共産主義革命を志向する男も出てくる。今どき「革命」を連呼する芝居に出逢おうとは思いもかけない椿事。革命の中味はどうあれ、大状況を変えようと意気込む人間の、小状況からのカイリがテーマと見受けました。古くて新しい問題。昨今のイスラーム国なんかを想定した芝居なんでしょうか。それとも、ノスタルジックなだけの芝居なのでしょうか。3本目(おじさんのジャム)は、下世話な不倫がテーマ。パン屋職人の出来のいいパンに群がるかのように群がる女たち。男中心に運ぶ筋立てが、終盤逆転をします。群がった女たちが話し合い、男をシェアするという意思決定をするというところが見せ場か。蜂に喩え、女王蜂か働き蜂かという問いかけで、終息に向かいましたが、あくまでも、それがどうしたのという問いかけが出てしまいます。ということで、3作品ともフラストレーションの溜まるもの。この劇団って、もっとシビアな、奥行きのある芝居をする劇団との認識を持っていたのですが、完全に外されました。




2014年 10月 3日(金)午後 7時 17分

 今日から3連休のはずが、明日が出勤日となり、あえなく崩れてしまいました。週末の3連休は、いいリフレッシュになっているのがつぶれということで、今日は、控えめのお出かけ。昼間の動楽亭昼席に留めておきました。その番組は、次のようなものでした。鯛蔵「二人くせ」、佐ん吉「雑俳」、南光「あくびの稽古」、千朝「鴻池の犬」、(中入り)、南天「兵庫船」、雀三郎「素人浄瑠璃」。今日は、南光が出るからでしょうか、それだけではなく、大変な好メンバーということからでしょうか、金曜日というのに、凄い入りとなりました。久しぶりに見ました、動楽亭の大入りを。この日は外せないと来られている方、この日しか来れない方が入り乱れているのでしょうが、いずれにしても大入りでした。前座、二番手からしていいですものね。鯛蔵はおなじみのネタ。佐ん吉は、最近手がけ出した上方では珍しいネタを出してくれました。南光が出てくると、やはりがらりと、空気が変わります。期待の空気、また、それに自在に応える南光、やはりスターですね。自分の趣味である碁について語るにしても、ざこばを絡めて喋る手法などは、半端じゃない巧みさです。ネタは、この位置だとこれかあれかの範疇内のもの。教え手に位を、ちょっと着けるようになっていました。千朝は、明日の独演会の口慣らしをしないかなと、微かな期待を持っていたのですが外れでした。千朝お得意の「鴻池の犬」は、最近聴いてなかったもの。南天のネタが、唯一新鮮な印象を受けたもの。あとの噺家さんのネタが、あまりに定番ものだった分、南天が光ってしまいました。「らくご道」で聴いた記憶はあるのですが、そんなに出すネタじゃないものですから、そういった印象を持ってしまったのでしょう。南天オリジナルなくすぐりが、最後の方で用意されていました。フカに身入れられた人物探しのところで、旅日記を投げる男がいるのは定番ですが、その旅日記を読むという趣向を入れ、更に、その中身がくだらないので、「捨てろ」と、他の男に言わせるというもの。雀三郎の「寝床」は、最近聴いたところですが、やっぱ凄いとしか言いようがありません。圧巻だったハイテンションの先代歌之助の口演を思い出すほどでした。高座に上がったのが、4時8分だったかな、ちょっと押してるなと思ってたら、途中で切り上げてしまいました。「素人浄瑠璃半ばです」と言って。旦さんが復活して、「絶好調」と叫んだところでのカットでした。




2014年 10月 2日(木)午後 11時 26分

 今日も勤務日ということは、イコール寝不足。この悪循環は、仕事を辞めない限りは治らないみたい。パソコン見ながら、舟を漕いでしまいました。が、夜遊びは健在、なんせ花木ですから。でも、今週の土曜日は、午前中だけですが勤務しなければなりません。中途半端な花木です。お出かけ先は「高津神社」。こちらで、今夜は「笑福亭たまの微笑落語会」がありました。その番組は、次のようなものでした。紋四郎「千早ふる」、たま「うなぎ屋」「紙屑屋」、(中入り)、生寿「幽霊の辻」、たま「芋俵」たまのネタ出しは、「うなぎ屋」と「芋俵」。あともう一つは何をするのかを楽しみにして行ったら、「紙屑屋」にびっくり。大ネタにしても、予想外の大ネタ。しかも、舞台上を動き回らねばならないものですから、高津の富亭の舞台にでは狭すぎるのです。でも、普段とは違い、安定性のある、そして若干広めの舞台を組んでいました。でも、動きはセーブしながら演じねばなりませんでした。久しぶりに稽古に行ったネタということで、行き先は染雀。染丸に行くところを、染雀へということなんでしょう。マクラでは、染丸の持ちネタをするということで、染丸一門の噺家さん紹介をしてくれました。舞台が小さい分、動きは控えめにしなければなりません。そのせいでしょうか、日本舞踊の素養がさほどあるとは聞いたことのないたまですが、えらく躍りの型が決まってたように思います。居候が暴れて、お隣さんが困る様はデフォルメしていたのと、冒頭を簡略化していたのには気がつきました。それに、お囃子が入るまでには、もうちょっとおちょける種になる紙屑を見つけていた記憶があるのですが。なお、たまは、染丸からもらったネタは、「蛸芝居」「質屋芝居」に「愛宕山」も上げていてびっくりしました。「うなぎ屋」は、6代目が手がけていたということで、門下の噺家さんのエピソード満載のマクラ。先日、新宿末広亭で鶴光と話したところということも、モチベーションになったみたいです。「うなぎ屋」は、おかみさんと糠箱が出てきませんでした。それでも筋立てが変わるというものではありませんでした。「芋俵」は東京ネタ。上方で持ちネタにしているのは、文三だけのはず。内側から鍵を開けるために、芋俵に身を潜める盗人。お腹を空かした丁稚が芋を取ろうとすることで、七転八倒する盗人という滑稽噺。しかし、一度に三席もネタ下ろしをするたまのヴァイタリティにびっくりです。生寿に言わせると、「ホントに落語が好きなんですね」となります。その生寿は、たまに言わせると、自分を出す噺家なんで、キャリアは浅いが、今日の位置が相応しいと言ってました。生寿は生寿で、最近、たまとよく出逢う話を、マクラでたっぷりと紹介してくれました。その中で、たまの「うなぎ屋」の稽古のために参考にしたのは、自分の口演の音源だとも。一緒の落語会に出たときに、それとなくおねだりを受けたため、その日は「うなぎ屋」をしなければならなかったとか。相変わらず生寿のマクラは可笑しい。前座の紋四郎は、注目の本格派。前座から、えらく骨格のはっきりした噺を聴かせてもらいました。ということで、えらくグレードの高い会となりました。それが、15年以下の噺家さんだけでできるということが、何よりもすごいところです。




2014年 10月 1日(水)午後 10時 34分

 どうも勤務日は、朝早く起きなければならないということで、毎回寝不足傾向。おまけに最近の朝晩の寒暖の違いは、しっかりと身体に堪えます。今日なんか、正に、その典型例。きついんだなぁ、そういった日に限り、自分的には外したくない夜遊びが待っています。今夜は、天満橋の「双馬ビル」であった「南華はたちの会」に行ってまいりました。マクラを兼ねた近況報告では、東京の講釈師さんのお話をお聞きすることができました。やはり、話の糸口は、9月5日に行われた「東西講談会」。この会で、琴柳さんが「野狐三次」を出されたのが、南華さんにとっては大事件だったようです。南華さんご自身も、「木っ端売りの三次」を昔からネタにされているのですが、そのネタをもらわれた小金井芦洲師の口演しか聴かれたことがなかったところへ、思いがけず、このネタに遭遇ということで、大興奮だったようです。おかげで、南華さんが、芦洲師からもらわれた際のエピソードも伺うこともでき、めっちゃラッキーな気分です。その辺から、他の講釈師さんの話題へと発展。貴重なお話です。それに次いで、ネタを2つ披露。「奴の小萬」と「隅田川・梅若丸」でした。「奴の小萬」は南海作品。先日の「トリイ講談席」で、南華さんがネタ下ろしされたもの。45分くらいかかったんじゃないかなぁ、長講です。「隅田川」の方は、琴柳さんからもらったようなことを言われていたように聞こえたのですが、黄紺の聞き違いかもしれません。筋立て的には、謡曲の「隅田川」をなぞっていくのですが、女が身の上話を終えると、いきなり渡し守が正体を現し、同じ船に乗っている漂泊の商人が、問題の人買いだと迫ります。えーって感じで、ここからアレンジが始まり、未知の展開が待ってるんだと前のめりになったのですが、きれいに肩透かしをかけられてしまいました。渡し守が商人を、川中に放り込み、あとは大念仏を唱えるとなり、えらい拍子抜け。一瞬、期待を抱いただけに、その反動は大きいですね。




2014年 9月 30日(火)午後 10時 36分

  大阪府守口市(80)〜大阪市東淀川区〜吹田(11)

  今日は、お天気がぐずつくと、天気予報で言ってたので、ウォーキングはダメかもと思っていたら、朝から快晴。当然のことのように、お昼過ぎからウォーキング。最初は暑かったのですが、天気予報通り、次第にぐずついてきました。そんなだったからでしょうか、今日は、ごく普通にウォーキングをすることができました。きつかった最近のウォーキングとは、一味違いました。そのコースは、次のようなものでした。京阪「土居」駅〜豊里大橋〜大門公園〜飯原病院〜瑞松寺〜小松公園〜阪急京都線橋梁(小松1丁目)〜神崎川&安威川合流点〜高浜橋〜春日温泉〜たかしろ児童会館〜安威川公園〜新京阪橋〜阪急「相川」駅〜大阪高校〜日本基督教団大阪相川教会〜井高野橋〜大阪市立井高野小学校〜大阪市立井高野中学校〜大阪市立東井高野小学校〜井高野車庫。守口から吹田に入り、最後は井高野車庫を目指すというもの。ときには井高野に行ってみたくなるのです。今でこそ、地下鉄の駅ができましたが、それまでは、全く縁のなかったところ。そんなで、ときには行ってみたくなるのです。今日は、高浜橋から吹田に入り、新京阪橋を渡り、相川・井高野方向に入るというコースを採りました。高浜橋に渡る前、少しだけ神崎川の左岸を歩いたのですが、そこで1時間を越えました。吹田側を30分ちょいの目安で歩き、それから新京阪橋を渡るという時間配分にしたのですが、井高野車庫まで距離感を失念していたために、早めに到着してしまい、且つ始発のバスですから、時間はアバウトに考えることもできず、結局10分早めに切り上げることになってしまいました。
 「井高野車庫」から「天神橋五丁目」へ移動。時間的にゆとりがあるときにしかできない移動です。近くのネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、夜は繁昌亭へ。今夜は「第87回創作落語の会」がありました。毎月30日と日にちを決めて行われている文枝主宰の落語会です。その番組は、次のようなものでした。笑丸「観光案内人」、しん吉「マル子」、福笑「怪談・呪いの瓢箪」、(中入り)、あやめ「夫婦善哉」、文枝「寿司職人ふるかわばし二郎」。笑丸は、オファーを受けて、新作を、この会で発表しなければならないと思ったよう。「動物園」「道具屋」のパターンで始まり、仕事を世話されたのが奈良の観光案内。教える場面がないので、仕込み〜バラシと型ではなく、行き先でボケるというもの。旅ネタの「奈良名所」的パターンになりました。もっと本格的に旅情報を入れて、きっちりと仕上げたら、それなりのものが出来上がるのに、勿体ないことに、ちょっと中途半端でしたね。「マル子」は、以前、「春の祭典」だか「秋の祭典」で発表したもの。阪急宝塚線を走っている電車を擬人化し、運転手との間のほのかな恋物語の仕上げた佳作。今日のしん吉は、自分の会のリラックスモードから離れて、他流試合の気合いが出ていて、とってもいい出来栄えと看ました。福笑は、夏に連続して主宰している「怪談噺の会」で披露したものを出してくれました。これ、ありがたいのです。「怪談噺の会」は、毎年、トルコに行っている間に開かれるため、黄紺にはなじみの薄い会。ですから、まだ聴けていなかった福笑作品を聴けて、とってもお得感がありました。瓢箪の設定がおもしろいのですが、その来歴を噺にしないで、短く説明するのが福笑流。むしろ福笑の真骨頂は、前半のアホげな噺。瓢箪が出てくるまでには、清盛の尿瓶の類いのガラクタで、散々ボケたおすというものでした。福笑作品としては、グレードはまあまあってところかな。文枝は、もちろん新作のネタ下ろし。題名が長かったりこったものの場合は、内容が伴わないものと、新作メーカーのさる噺家さんが言ってましたが、今回の新ネタは、ちょっとその傾向。伝説の寿司職人は、単に年寄りで握っているから話題だというのは、かなりの肩すかし。終盤に入り、違った方向へと噺を持っていき、展開のダイナミズムを見せるのは、三枝作品の常套手段。でも、それは、噺の大枠の中でだから、新鮮、斬新と映るのですが、それも、ちょっと反則気味。ということで、数寄屋橋二郎を文字ったこった題名は、内容と反比例かと思ってしまいました。振り返ってみると、しん吉作品が最も印象的でした、黄紺的には。




2014年 9月 29日(月)午後 10時 59分

 昨夜は、眠りに入るのが遅く、且つ早く目覚めるという最悪のパターン。今日は、仕事が立て込んでいるからと思い、それを気にしていると、その気にしている方向へと呼び込まれてしまいました。よくあることと言いながら、そのときになると、かなりきついものがあります。そういったときに限り、夜遊びも融通の利かないことになっています。今夜のお出かけは繁昌亭。「桂しん吉秋の祭典’14〜もうひとつの顔〜」のあった夜。トルコから帰ってきてから、急いで買ったチケットでした。その番組は、次のようなものでした。あおば「刻うどん」、しん吉「矢橋船」、花丸「レッスン屋」、(中入り)、雀喜「仮面ライダーなにわ」、しん吉「嫁と電車」。会主しん吉が組んだ番組のコンセプトは、噺家の趣味を落語に取り入れた場合ということになろうかと思います。そういった番組を組もうとするのも、しん吉自身が鉄ちゃんだからです。ですから、自分と同じようなこだわりを持つ噺家を集めて、そのこだわりネタを披露してもらおうというもの。花丸は宝塚ファンだから、「稽古屋」の改作で、稽古屋では、宝塚風にバレエや歌、台詞回しを教えるというもの。四芸に入る一から三の段階で、宝塚ネタが出ていました。雀喜は、大の最初期の「仮面ライダー」を愛するということで、大阪を舞台に、コアラ男やショッカーと、仮面ライダーを戦わせました。そして、しん吉は鉄ちゃんですから、鉄ちゃんの夫を持つ妻の怒り、それをかわそうとする夫を描きました。思わぬ猫と人間の、更に人間と鉄道と入れ替わりを描いてくれました。しん吉は、もう一つは「矢橋船」。ここの問答のところで、うとっときてしまいました。ただ、長かったなぁの印象だけ残っています。前座はあおば。久しぶりに聴いたのですが、えらく進歩しています。先輩噺家に指導を受けているのでしょうね、細かく注意を払っているところが透いて見えてきました。でも、それを、しっかりと実践できるレベルへと入ってきているということ。他のネタでもどうなのか、聴いてみたくなりました。




2014年 9月 28日(日)午後 10時 11分

  京都市内遊歩(73)

 今日もいいお天気ということで、この自分的3連休3日とも、ウォーキングを組んじゃいました。そのコースは、次のようなものとなりました。近鉄「伏見」駅〜改進公園〜中央緑地〜松尾神社〜竹田児童公園〜近鉄・地下鉄「竹田」駅〜京都市立竹田小学校〜京都市立竹田幼稚園〜上出橋〜東高瀬川左岸〜京都府自動車学校〜地下鉄「くいな橋」駅〜京都医療福祉専門学校〜深草西公園〜深草東児童公園〜京阪踏切(藤森駅南)〜軍人湯〜京都教育大学〜藤森神社〜西福寺幼稚園〜JR奈良線「藤森」駅〜JR奈良線「大亀谷」踏切〜京阪「墨染」駅。当初は、鴨川の西に向かうつもりで歩いていたのですが、「くいな橋」駅まで来て、急に気が変わり、京阪線の東側に向かうことにしました。このコースで目新しいのは、JR「藤森」駅の東側を歩いたことです。かなりの坂道になり、普段ウォーキングでは使わない筋肉を使え、そういった意味では成功なのですが、わりかしいい住宅の連なる地域には、カメラに納めるものが見つからず、そういった意味では、ちょっと寂しいものとなりました。でも可能性のある地域、近々、また歩いてみようかと考えています。
 ウォーキングが終わると、一旦自宅に戻り、昼食と休憩。そして、午後は、阪急「桂」駅近くの「日本基督教団桂教会」であった「キオスク・コンサート」に行ってまいりました。これは、長岡京アンサンブルがプロデュースする地域コンサート。長岡京の主宰者森さんも見えておられて、受付から挨拶までされるという活躍ぶり。教会に入って行くと、森さんが受付に立っておられて、こちらは逆に緊張してしまいましたが、フランスでプチコンサートをやられていたことを、この京都でも実践されているのに頭が下がります。このコンサートは、カフェ・モンタージュに行くようになって知ったもの。京都で、質の高いコンサートが、こうした形で出会える幸せを噛み締めています。今日のコンサート、ジュネス弦楽四重奏団のコンサート。このカルテットの第一ヴァイオリンに、石上真由子さんが入っておられるのにそそられてしまいました。あとの3人の方は、京都芸大や作陽音大を出られた若手の演奏家。もっとも石上さんご自身も、現役の学生さんですが、受賞歴では群を抜いた存在です。プログラムは、モーツァルトの3番と14番「春」を両脇に、ドホナーニの「弦楽セレナード」を間に挟んだものとなりました。独奏ヴァイオリンかのように弾む第一ヴァイオリン、それに反して、通奏低音のように堅実な音を求められるチェロ、そして内奏部を堅実に固める第二ヴァイオリンとヴィオラという定番の形を採る3番。チェロのアンサンブルとしての安定感が堅実な展開に、まず目が行きました。ただ、通奏低音的役割を離れるときが来ると、途端におもしろくなくなったのは、どうしたことでしょう。総じてアンサンブル重視、それは間違ってはいないはずですが、よく言われる自発性という部分では、石上さんはともかく堅実に過ぎたかもしれません。この3番と14番は、かなり作曲年代は離れているはず。それが、同じような重厚な響きがありました。重厚という言葉は、モーツァルトのカルテットには似合わないなら、初期の作品には、軽さとか快活さとか、こだわりのなさのような素直さみたいなものがあっても良かったのじゃないかな。アンサンブル重視から空気を支配するまでは、かなりの距離があるものなんでしょうね。聴いている者は、勝手なことを言いますが。日本で、教会コンサートなんてものに出会えるとは、このコンサートを知るまでは考えてもいませんでした。そういった機会をまらい、何よりも、それに感謝です。
 教会を出ると、桂駅前のネットカフェで時間調整。そして、夜は、一駅移動して「西京極」へ。今夜も、サッカー観戦に行ってまいりました。これで、1週間に3回目となるサッカー観戦です。今日は、「サンガvs横浜FC」の試合でした。際どい時間に行ったためか、入口は長蛇の列。日本では、未だ経験のないこと。間際に来た団体客が、一挙に並んだからと思います。サンガは、先日のベルマーレ戦の後半のように、どうしてならないのでしょうね。方針も何もない雑な攻撃。個々の力量では。サンガが勝っているようで、ボール支配率では、サンガが勝っているのだが、横浜の方は、個々の力量では劣るものの、とってもよく鍛えられている。素早い、人数をかけた守備、それは、横浜の方が優れている。監督の指示を、しっかりと守っていることが理解ができるものでした。そないな堅実な守備を見せる相手には、速い攻撃なり、変化のある攻撃なんてのをしなくてはならないと思うのだが、攻撃が一本調子なものだから、守る方は守りやすかったでしょうね。横浜のカウンターで、あえなく1点を献上しましたが、前半終了直前の得点は、正に大黒の個人技の世界。ニアに入ったセンタリングに、トリッキーな動きでシュート・コースを変えると、ファインゴールとなりました。そして逆転をした2点目は、速い攻撃が実を結んだもの。あと12分くらいのところで、工藤がレッドカードをもらったため、サンガは10人となってしまったこともあり、黄紺は、後半40分になったのを機に、席を立ちました。結果は変わらずで、サンガの勝ちという結果は、帰ってから知りました。




2014年 9月 27日(土)午後 11時 12分

  大阪市内遊歩(218)

 今日も、気温が上がり、且つ快晴。ウォーキングをしない手はありません。夜のことを考えて、今日は大阪市内でウォーキングをすることにしました。そのコースは、次のようになりました。京阪「京橋」駅〜朝日橋〜全愛幼稚園〜大阪市立城陽中学校〜城東中央病院〜天一橋〜天王田公園〜天王田大橋・大阪府平野川分水路排水機場〜「諏訪3」交差点〜インド料理店「ラクシュミー」〜東大阪市立高井田西小学校〜東大阪市高井田郵便局〜「柳通東」交差点〜長堂東公園〜進修第二幼稚園〜恵果保育園・東大阪市立俊徳中学校〜東大阪市立太平寺中学校〜天平温泉〜俊徳公園〜東大阪市立長瀬青少年運動広場〜近鉄「俊徳道」駅。今日は、最近無沙汰をしていた京橋から城東区を斜めに突ききり、東大阪市内に入るというコースを選択。最短距離を使えば、京橋から布施までは、1時間半はかかりません。むしろ1時間余りということでしょうか。今日は、布施駅と河内永和の間を抜け、長瀬を目指し、最終的には俊徳道に引き返すというコースとしました。
 「俊徳道」から「日本橋」まで移動。いつもの千日前のネットカフェで、時間調整がてら休憩。夜は、更に「長居」に移動して、今週2回目となるサッカー観戦の日としました。今日の試合は、セレッソとレッズの一戦。人気クラブとの一戦ということで、今日は、大きなスタジアムでの試合となりました。やはり、ここでの試合は、応援の声の響きが違います。西京極は、どうしてもエラズーを思い出す長閑さがあります。でも、長居でも、浦和の応援席は埋まり、どっちがホームか解らないほどの迫力ある応援。そんなのを聞くと、もう一度埼玉スタジアムへ観戦に行きたくなりますね。両チームを観ていて、やはり浦和はスター軍団ですね。個々の能力の違いはいかんともし難いものを感じてしまいました。フィードの正確さと判断力の素早さで、明らかな違いに気づいてしまいました。ボールを持つ前に状況を把握している浦和の選手たち、それに反し、セレッソの方は、極端に言えば、ボールが足元に収まってから出所を探すと言えばいいでしょうか。これでは、プレーの速度は落ちますから、速い攻撃なんてのはできない。攻撃に移る前に、既にディフェンスが先んじてるって感じでした。南野とか杉本、長谷川といった名の通った選手で、そうなんですから、これでは降格圏に入っているはずです。でも、試合というのは、そうした能力面での違いとは関係なく動くものだから、サッカーは解らない。それまでボールが集まらず孤立傾向にあり、且つ、ボールが来ても、他の選手とのイメージに差があり、そう言った意味でも噛み合ってなかったカカウが、チームにフィットしだしたかなと思い始めた途端、カカウの見事なゴールが決まりました。ゴール左斜め前、どのくらいあったでしょうか、まさか打つとは思ってなかったのでしょうね、きれいにゴール・コースが空いたのを見逃さなかったのはさすがです。かなり後半の後半、セレッソは攻め立てられていたのですが、試合が途切れた後半41分過ぎに、席を立ちました。家に帰り、結果を確かめると、変化なしでセレッソの勝利というものでした。




2014年 9月 26日(金)午後 10時 43分

  京都市内遊歩(72)

 今日も、気温の高い一日。そして、いいお天気。絶好のウォーキング日和ということで、まず京都でウォーキングをしてから、午後からの予定をこなすことにしました。そのコースは、次のようになりました。京阪「稲荷」駅〜京阪「鳥羽街道」駅〜田中神社〜京都市立月輪小学校〜法性寺(洛陽三十三所観音霊場)東山橋〜京都市立陶化小学校〜明田児童公園〜柳の内公園〜上鳥羽公園〜新道橋〜鴨川・堀川合流地点〜火打形橋〜鳥羽大橋〜近鉄「竹田第二号」踏切道〜清和荘(「近藤勇遭難の地」碑)〜京阪「墨染」駅。稲荷から東福寺まで北上し、今度は、ちょっとジグザグだったのですが、油小路を越えるところまで西に向かい、近鉄「上鳥羽」駅の南方向で鴨川右岸を歩き、堀川との合流地点まで行ったというのが特徴かな。あとは、時計を睨み終点を「墨染」駅に定めたというもの。鴨川と堀川の合流地点を横らも眺めたことがなかったものだから、そういった意味では、値打ちのあるコース。ただ合流地点間際に橋はあるだろうの勝手判断は墓穴を掘ってしまい、逆戻りを余儀なくされたのは、初めて行くところだから致し方ないところか。それが、結果的には2時間を超えることにも繋がったようでした。
 「墨染」から「京橋」乗り換えで「伊丹」に移動。とんでもない大移動です。電車の中で休息をとろうという魂胆です。確かに睡眠までとれたのですが、トルコから帰ってきてから、ウォーキング疲れがかなりひどく、この程度の休息では十分と言えないのが現状。案の定、次の芝居が飛び飛びの記憶になってしまいました。その芝居とは、「AI-HALL」であった「突撃金魚」の公演「漏れて100年」を観てまいりました。が、不十分なのです。舞台は、高くて、前方に傾いており、中央には箱を積み上げたような形で、小型の高台が作られている。設定は、一貫して、鬼が出てきたりする土俗的な世界。主人公は、どうやら東日本大震災で起こった津波の生き残り。最初に出て来たのが5歳と言っていました。子ども一人が、家族を失ない取り残されたという設定。その男の子が仙人と呼ぶ女と歩いているところから始まりました。最初は、この仙人もさることながら、遊び仲間の子どもとの交流が描かれていきます。が、その子どもが、村を出て行こうとするあたりから、飛び飛びになっていきます。気がつくと、その子どもと仙人が消え、主人公の男は、連れだった子どもの父親と一緒に歩いていますが、やがて主人公の男は、その父親とも別れ、但し、この別れが、死別なのか、事故とか何かが原因であるかは飛んでしまっています。そんななか、黄紺の勝手判断かもしれないのですが、相当の時間の経過があるように看ました。一人になった男は、最後、鬼に喰われて亡くなりますが、その直前に印象的な台詞を吐きます。ひょっとしたら、この台詞を、孤児となった男に言わせたいがために、この芝居が創られたのではと思う台詞です。一つは、生きてきた人生への感謝と喜び、もう一つは、失った家族のもとに行ける喜びでした。後者は、痛烈な孤独を表しているのですが、それを制して、まず生きてきた喜び、人生讃歌でした。仙人やら何やらの登場人物との交流で表されていたと思われる男の人生というのが、実像なのでしょうが、被災者を通じての作家のメッセージということになります。最高度の孤独を経験した者の口を通じて、そのメッセージを吐かせることで、そのメッセージに猛烈な重みを与えたということにもなるかと思いました。機会があれば、黄紺の感じたことを検証するために、もう一度観たい雰囲気です。しかし、最近の体力の落ち込みは、気にしなければならないと思うほど、更に一段と進んだように思います。そう考えると、今から冬のオペラ紀行に不安が募ってきてしまっています。
 「伊丹」から「大阪天満宮」へ移動。南森町のネットカフェで時間調整後、「動物園前」へ。夜は、「動楽亭」であった「小鯛の落語漬け」に行ってまいりました。「鶴橋」での「つるっぱし亭」と迷った挙げ句、こちらを選びました。雀三郎か小鯛かという、すごい選択をしてしまいましたが、若手のバリバリを選んだというところです。ご常連さんも、わりかし動楽亭に来られていましたね。その番組は、次のようなものでした。小鯛「十徳」、ちょうば「掛取り」、小鯛「くっしゃみ講釈」、(中入り)、小鯛「メッセージ・ボックス(仮題)」。今日は、小鯛の新作披露は三席目ということで、今日は、古典を三席出すのかと思わせるような番組でした。その内、ネタ出しをしていたのは「くっしゃみ講釈」だけ。冒頭の「十徳」は、小鯛では初めて。このネタを持っていること自体、知らないことでした。こういった根問ものは、今の小鯛にとってはパーフェクトに仕上げてきます。後半の数字が上がっていく、この噺のクライマックスになると、テンポアップを図り、盛り上げを試みます。申し分ない出来栄え。「くっしゃみ講釈」は、ネタ下ろしでした。全体的にライト感覚の仕上がりぶり。そして、わりかし時間の経過を、合理的に追求しようとしていたようで好感が持てました。例えば八百屋に行く時間の確保、八百屋の店先が荒らされるまでの時間、覗きからくりをゆったり目に取ったりと、こだわりが看て取れました。もう一つの特徴は、表情をうまく使い、その場その場の状況を豊かに表現したということが上げられます。それは、決してオーバー・アクションになるものではないのが、更に良かったと思えました。そんなのを観ていると、「くっしゃみ講釈」を持ちネタにしようというモチベーションが看て取れるように思えました。中入り明けの新作は、生寿との「ご近所落語会」で下ろしたもの。生寿から、福笑の「釣道入門」に似てると指摘を受けたネタです。要するにビギナーズ・ラックを扱ったところが似ているというわけです。前に聴いた内容を、そないにきっちりと覚えているわけではありませんが、手入れがあったとは思えませんでした。ベテラン釣り師のキャラは崩壊していますが、その方が得難いということで、そのままで行くのかなというところです。ゲスト枠はちょうば。相撲の話をマクラでしたものですから、「花筏」でも持ちネタにしたのかと思ったところ、年末ネタの「掛取り」にびっくり。ただ、撃退法の一つに、相撲尽くしを入れてた関係で、マクラで相撲ネタを振ったようです。借金取りの得意技は、相撲、ケンカ、芝居の順でした。相撲尽くしとケンカは、ちょうばオリジナル。ケンカは、通常の型ではなく、ちょっとしたケンカ言葉のやり取りで追い返すというもの。最後の芝居道楽相手には驚かせられました。だって、ちょうばは芝居噺をしませんから。ところが、これは正攻法の型を踏襲。普段しないことをする照れが若干出てしまったようで、ちょっと芝居の場面で、台詞が不明確になるところが出たのが惜しまれます。さて、これから芝居噺に手を着けるつもりで、「掛取り」を持ちネタにしたのでしょうか。ちょうばの今までの静かに語って聴かせる噺とは違い、語句にメリハリを着けねばならないでしょうから、もしそうだとしたら家、なかなか大変なことなんでしょうね。




2014年 9月 25日(木)午後 11時 26分

 昨夜は、かなりの雨。天気予報通りで、家を出る頃に止むという、これも天気予報通り。でも、今日の陽射しは、真夏のそれでした。トルコにいる頃から、疲労感を感じるのが顕著になってきています。それが、トルコを出る頃に風邪をひくということにも繋がったのかなと考えています。どこかに不調があるというよりか、単に加齢によるもののような感じがしていて、夜遊びなんてものを、いつまで続けることができるのだろうなんてことすら考え出しています。悲しい現実ですね、こればかりは。でも今日は花木。待望のマーラーの6番のシンフォニーを聴きに行くことになってた日ですから、わりかし気分高揚の一日。めったに聴けないものを聴ける嬉しさですね。大阪フィルハーモニーの定期演奏会が、フェスティバル・ホールであった日なのです。指揮は大植英次。それもあり、自分的関心度も高いコンサートでした。この曲を、大植英次が大フィルで指揮するのは初めてかと思っていたのですが、ロビーで会った知り合いの方から、9年前の定期で演奏したばかりか、東京公演にも持って行ったものだということを聞き、このコンビの自信作だと判り、一層の興味が湧いたのですが、冒頭の行進曲を聴いて、確かに乾いた激しいリズムを刻むのだけれど、単にリズムの激しさなのではの印象。冒頭の行進曲で、今日の演奏の見通しがきくと思っていたのですが、どうやら、それが当たっていきます。この1楽章は、この行進曲が、何度も遮られ、曲想が変わります。そして、また行進曲に戻りを繰り返していきます。それが魅力でもあるのですが、なんか機械的なんだなぁ。いや大植英次は動かそうとするのだけれど、オケがついてきていない、ないしは自在に動いていないという感じ。いつもは、そういった意味では、好印象を持つ木管に、味気ない印象を持ち続けてしまいました。一番ソロで活躍するホルンに至っては、あまりに音が不安定。近来まれな不安定さを見せていました。1楽章の後半から持ち直したかなと2楽章以後に期待が膨らんだのですが、木管のつまらなさは、ここが一番でした。それに反し、いつもは好きになれないヴァイオリンは頑張っているという印象だったのが、3楽章の緩叙楽章のパワーのなさに腰砕け。ヴァイオリンは、単独でメロディラインを弾く箇所になると、急に貧弱になっちゃいました。オケ全体がフル稼働しているときには、決してそないな印象を持たないのにです。ですから、4楽章の冒頭でも、ちょっとこけ、でもあとは気にならないという展開。長大な4楽章に節目を着けるのは大ハンマー。そこに向かっての振幅。もっとくさくやってもいいんじゃないかなぁ。大植英次の指揮で、そう思うなですから、やっぱ、オケの自発性とかの問題じゃないのでしょうか。という具合で、マーラーの6番を聴いたぞに留まるというところかな。この次、いつ聴けるのやら。その前に、黄紺はダウンしているのじゃないかな。それほど関西じゃ出ない曲ですね。




2014年 9月 24日(水)午後 11時 15分

 今日は、台風が通過する日と、天気予報で言ってた日。でも、夜遊びは、予定通り敢行。今日は、3つもいい落語会のあった日。迷った挙げ句に動楽亭の「四尺玉」を選択。同期の噺家さんの定期的な落語会。その番組は、次のようなものでした。二葉「道具屋」、二乗「千早ふる」、石松「高津の富」、(中入り)、鯛蔵「打飼盗人」、松五「足上り」。なかなかおもしろい番組だったという点で、この会をチョイスしたのですが、前半の2席で、途中ダウンをしてしまいました。二乗の「千早ふる」はネタ出しをしてなかった代物。二乗自身の解説では、チラシを作ったときには、まだ新ネタが上がってなかったということ。ということは、「千早ふる」は、まだあまりかけていないネタということ。確かに、黄紺も初遭遇でした。なのになんです。勿体ないことをしました。石松の「高津の富」も、あまりかけていないもの。おまけに、出だしからして聴いたことがない珍しいフレーズが入ったりします。福郎直伝のものかもしれませんが、石松の場合、こういったときは松之助の影がちらついてくるので油断がならないに、ダウンを喫してしまいました。半ばの富くじの場面が吹っ飛んでしまったのですが、からっけつのおやっさんのホラ話の場面では、大幅に違うということはないのですが、そのホラ話が、部屋に通ってからのものであったり、最近、カットする人も多い漬け物石として千両箱を使う話が入ったりしていました。からっけつのおやっさんのキャラ作りも、しっかりとできており、中途半端な形でしか聴けなかったことを、大変後悔しています。後半は大丈夫でした。こちらも、最近の若手が手を出さないネタが続きました。鯛蔵は、序盤の盗人尽くしをするところで、珍しく「アー」とか「ウー」が入りました。ネタをくるのが足りなかったのかもしれません。盗人にわりかし凄みを感じたのが、わりかし意外な印象。挙動不審男的なイメージが、鯛蔵にはあるものですから、居丈高な物言いってありえないと思い込んでるからでしょうね。それに、変に胆の座った男も、居そうな感じで、おもしろいリアリティのある高座となりました。松五が「足上り」をするというのは知っていたのですが、初めての遭遇。だいたい「足上り」を持ちネタにしようかと思ってくれるだけでも嬉しい話。勉強家だと思ってしまいます。後半に出てくる旦さんの威厳ある態度が、なかなか良かったですね。躊躇することなく、トップとしての判断をするのに呼応したキャラ作り。これ拍手です。一方で、番頭が帰ってからは芝居噺となっていきます。他には、芝居噺を持っていないはずの松五が、どのように演じるかに注目していたのですが、ここは不満が残りました。他の芝居噺も稽古してみて、もう一度、「足上り」に戻ってきてもらいたいものです。前座は二葉。不思議な噺家さんです。アフロヘアーでイラストレーターとしてもやっていけそうと書いていいかな、プロかもしれないので、もしそうだっら失礼なことを書いています。彦八まつりのガールズバンドでは、待望なボーカルだそうで、で、なんで落語家なのか、それも、よりによって米二の門を叩いたのか、ホント、不思議な女性です。落語は、自分的には2つ目。「動物園」に続くもの。序盤に言い間違いがあり、ちょっと混乱しましたが、その口演も、おもしろいというか、不思議な雰囲気というか、もっと他のネタも聴いてみたくなる、ちょっと色物的噺家さんです。そないな彼女が、なぜ米二のところに行ったのでしょうね。




2014年 9月 23日(火)午後 9時 8分

  京都市内遊歩(71)

 今日は、気分を変えて、サッカーを観に行くことにしました。なもんで、昼間に時間ができウォーキングに充てることができました。ちょっと蒸し暑い昼間、そのウォーキングのコースは、次のようになりました。京阪「七条」駅〜京都市立貞教幼稚園・一橋小学校〜京料理老舗「道楽」〜京阪「五条」駅〜弁天湯〜五條会館〜市比神社〜蓮光寺(長曽我部盛親の墓)〜大谷保育園〜風俗博物館〜京都市立松原中学校〜たちばな保育園(勝光寺)〜京都産業大学附属中学校・高校〜光徳公園〜京都市立朱雀第三小学校〜京都市衛生研究所〜朱七保育所〜西院保育園〜阪急「松原通」踏切道〜井御料児童公園〜京都西院春日神社〜京都市立西院小学校〜嵐電「西大路三条」駅〜京都両洋高校〜京都西ノ京西月光郵便局〜月かげみどり保育園〜地下鉄「二条」駅。七条から五条に回り、五条通の脇道を、北に行ったり南に行ったりで、西大路通を越えてから、時計を睨みながら北上。当初は、西大路御池が終点かなと思いながら歩いていたのですが、それなら迂回してからの到着か と考えたのですが、西大路三条で、あと15分あったので、「二条」駅を目指し、大正解のどんぴしゃの2時間で到着となりました。
 「二条」から「京都市役所前」まで移動。近くのネットカフェで、時間調整がてらの休憩。今日は、ウォーキングで疲れてしまい、休憩というよりは、軽い睡眠をとったという感じでした。そして、夜は「西京極競技場」へ。今夜は、こちらで、J2の試合ですが、「サンガvsベルマーレ」の試合がありました。J2の試合は、落語会へ行くお値段で観ることができるので、ありがたい限りです。試合の、前半はおもしろくないこと限りなし。サンガがサッカーになってない。後ろからロングボールを放り込むだけ。それも正確じゃないものだから試合になってない。ベルマーレが、その悪いペースにお付き合いしたかのようで、消極的というか、能ある鷹は爪を隠すの類い。でも、きっちりと1点はゲット。後半に入ると、見違えるばかりのサンガ。監督の力が、こういった場合は大きいのでしょうね。攻撃パターンが多彩になりました。特に意識的にロングシュートを放つようになったため、ディフェンスが前に出てくる。その間隙をぬってスリーパスが通るようになる。まるで教科書に載っているかのような変化を見せ、きれいに2点を入れ逆転。得点はともに大黒でした。これで終わるかと思い始めた後半37分だったかなぁ。完全にディフェンスの集中力が途切れたところで、あっさりと同点に追いつかれてしまいました。黄紺は、カドゥキョイ以外では、試合終了まで観ないことにしてますので、後半43分で席を立ち帰路に。家に帰ってから、結果を確かめると変わっていませんでした。




2014年 9月 23日(火)午前 6時 59分

 いい日和が続きます。今年は、早く秋がやってきたので、このいい季節を、たっぷりと楽しめそうです。昨夜は、久しぶりに京都での落語会。「京都府立文化芸術会館」の和室であった「桂文我上方落語選」に行ってまいりました。最近、京都での落語会と言えば、こればっかじゃないかな。その番組は、次のようなものでした。小梅「転失気」、文我、「茗荷宿」、梅団治「鉄道勇助」、文我「三十石難船事始」、(中入り)、文我「目黒のさんま」。文我らしく、「目黒のさんま」を除いて珍品を並べてくれました。ま、「目黒のさんま」も、上方では演じる噺家さんはいませんが。「茗荷宿」は、8月の「生喬百選」で出たのですが、トルコにいたため聴けなかったのが、こないなところで回復できるとは思ってもいませんでした。茗荷は物忘れを誘発するというエピソードを使い、悪巧みを働く宿屋の経営者夫婦。成功するわけもなく、逆に損をするという噺。「三十石難船」は、今日、配られた落語会の案内ちらしの中に、文我のネタ出しの中に、初めて見いだしたネタ。怪談噺です。一瞬、「禁酒関所」を思わせる展開。敵討ちをベースに、迷子を我が子として育てる夫婦の物語。その二つのプロットが交わったところに、人が亡くなります。殺しの場面、三十石が絡んでいるというところです。なかなかしっかりとした枠組みを持っている噺です。いいものを発掘したものです。鳴り物入りとして改良されていくと、いい怪談噺になると思います。「目黒のさんま」は大幅改作。大阪のさる大名が参勤交代江戸に滞在中の噺に仕立ててありましたが、大名の世間知らずを描く時間を、あまりとりません。替わりに、さんまを焼く描写を細かめに入れたりしてました。えらく下世話になったなぁの印象。下げに向かっても、さんまを黒田公に自慢すると、黒田公は、房州よりさんまを取り寄せ、但し料理の仕方がダメなところから、「さんまは目黒に限る」と落とすもの。江戸版の、食事の用意をしてなかったために、苦し紛れに目黒でさんまをあてがい、それを必死に隠そうとするおかしさなんてのは吹っ飛んでいました。ちょっといじりすぎて、おもしろくなくなっていました。珍しい噺は、ゲストの梅団治のリクエストでもあるとか。その梅団治は、鉄道落語の新作もの。これが、アホらしい噺で傑作。「鉄砲勇助」のパロディ。千三と呼ばれる男が、全国鉄道の旅に出かけるというもの。アホらしいくすぐりの連続で、客席はヒーヒー言わせられました。全編、梅団治の楽しいマクラのノリでした。




2014年 9月 21日(日)午後 11時 12分

  京都市内遊歩(70)

 今日は、この週末では、一番いいお天気。気温も高め。夏の終わりの陽射しを感じました。まずはウォーキング。今日は、伏見区内で、初めてじゃないかなぁ。横大路より南方向に足を伸ばしたのは。そのコースは、次のようなものとなりました。近鉄「伏見」駅〜越前橋〜住吉児童公園〜「招徳」酒蔵〜三雲橋〜須釜児童公園〜上三栖児童公園〜フットサルスクエア京都南横大路コート〜「横大路」交差点〜円面田児童公園〜法伝寺〜田中神社御旅所〜柳長児童公園〜渡瀬児童公園〜下鳥羽公園〜高瀬橋〜榎橋〜第二あけぼの保育園〜京阪「丹波橋」駅。京都は、迷う心配がないということで、最近は地図なしで歩いています。方角は、それでも大丈夫なのですが、距離感は、全くの勘です。前半は、そないなことはどうでもいいのですが、制限時間を2時間と、自分でルールを決めていますので、後半は、そうはいきません。今日は、「丹波橋」駅を終点にすると、あとの移動が楽なもので、そこに向けて無理のないコース取りをしようとのコンセプトでスタートしていたのでした。ところが、高瀬橋まで来たところで真っ青。高瀬橋からまっすぐ東に行くと、完全に振り出しに戻るところまで、北に行ってしまってたのです。そこから猛烈にスピードアップ。3分オーバーで終点に到着となりました。
 「丹波橋」から「京橋」経由で「新今宮」への大移動。電車の中を休憩場所と定めたところ、幸い睡眠をとることができました。もちろん「動楽亭」に行ったわけですが、今日の午後は「吉の丞進学塾」があったのです。その番組は、次のようなものでした。弥っこ「子ほめ」、吉の丞「ガマの油」、花丸「電話の散財」、吉の丞「まめだ」。弥っこは初遭遇。なんかひ弱な印象。上下を振らない福笑一門のような落語をします。ゲスト枠は花丸。米朝一門にはないネタをということで、「電話の散財」をチョイス。この二人のところで、今日は、半ばダウン。替わりに、主役の吉の丞のところでは、ばっちり大丈夫でした。吉の丞は、NHKのコンクールで落選したネタをということで、「ガマの油」を出しました。こうしたコンクールでは、今や本命候補の一人だということは認めますが、黄紺は「ガマの油」ではダメだと思います。前に一度聴いていますので、コンクールで「ガマの油」を出したと言った時点で、落選やむなしと思いました。前半のノーマルな口上は完璧ですが、後半がまずい。前半の男の物言いを超えた形まで崩してしまっているからです。先の男が酔っぱらっても、そないな物言いはしないだろうという口調にまでなってしまっているのに、抵抗を感じてしまうのです。ただ、吉の丞式口演もおもしろいことはおもしろいのですが、、、。もう一つの「まめだ」は、本人も「入門したての頃はやるなんて考えもしないねた」と言ってましたが、我々のイメージも、正にその通り。前半の繰り返しは、極めてあっさり。でも、婆さんの応対が感じいい。らしいのです。ただ、後半部分の中で、言葉としては秋を感じさせられますが、総体としてはまだかな? 年齢が嵩むにつれ変化が出てくるのでしょうね。
 動楽亭を出ると、「扇町」へ移動。ネットカフェで時間調整後、繁昌亭へ。今夜は、「第7回銀の花瓶に菊之情?銀瓶・菊之丞ふたり会?」がありました。銀瓶もさりながら、お目当ては菊之丞。その番組は、次のようなものでした。弥太郎「動物園」、銀瓶「阿弥陀池」、菊之丞「死神」、(中入り)、菊之丞「短命」、銀瓶「宿屋仇」。弥太郎の「動物園」は初遭遇。誰にもらったのでしょうか? 南天のようで南天でなしという印象でした。銀瓶は「阿弥陀池」は手慣れたもの。オリジナルなくすぐりは、この「阿弥陀池」でははまる感じがするのですが、「宿屋仇」は崩しがち。3人のはしゃぎ方も、銀瓶なら普通にやればいいのに、テンションを上げる方向にもっていくものだから、収まりが悪いのです。そこへ奇声っぽいのは、ちょっと引きますね。特に、色事師源兵衛のところに来てからの崩れが大きかったように思いました。無理して変化をつけなくても、ネタの持っている強さを信じて欲しいですね。安定感という点では、菊之丞に軍配。「死神」は、死神自身がいいですね。特に、終盤に出てくる方の死神が気に入りました。降格から出るやつれの一方で見せる凄味のようなものは不気味でしたね。この死神のキャラ作りに、本日一番の菊之丞の実力を看た思いがしました。最後は、男がろうそくに火をつけることができたのですが、それを、死神がふっと吹き消してしまうため、男は倒れ込んで終わりました。「短命」は、過去の3人の養子を振り返るところを簡潔にしているのがいいですね。鈍感な男が解るまでのところは引っぱり、下げに連なるところもあっさり系と、緩急自在。しつこくもあり、しつこくもないというバランス感覚。やっぱ、実力者です。




2014年 9月 21日(日)午前 0時 56分

 今日は、芝居三昧の一日。一つ目は、「ABCホール」であった「スクエア」の公演「ひかげの軍団」を観てまいりました。8年前の作品の再演ということで、最近入れた若い役者さんの出ない本来の4人による芝居でした。芝居の舞台は、千早赤阪村にあるとする日本歴史テーマパーク。そこで歴史劇を演じる役者たちの世界。一人が、所用で抜けたため、替わりの役者が登場してくるところから、話はスタート。新しい男と、今までいた3人が、なかなか噛み合わない。でも、もう翌日には本番を迎える。稽古であって稽古にならない稽古。でも本番がやってきた。その本番の場面の頓珍漢さが、この芝居の見せ場。まあ、芸達者な4人ですから、計算しつくした可笑しさを次から次へと見せてくれる。その歴史劇のストーリーは、大坂合戦直前の家康や幸村の動きを追ったものですから、どんどんと崩れていくどころか、サブストーリーが複数現れる可笑しさも出てきててんやわんや。それを、最終的に収束させ、且つ4人が考えたテーマにも持って行くという豪腕さは、これは脚本(森澤匡晴)の威力。また、本番の芝居を演じていく中で、4人の気持ちが通い、好きなことに打ち込む良さを認識していくという芝居としての収束地点も、きっちりと仕掛けられています。アブナイ系の男をやらせたら天下一品の北村守を、替わりの役者にあてがい、彼を軸にした達者な上田一軒の演出も冴えた舞台でした。再演ものだったからでしょうか、土曜日の午後という時間帯にも拘わらず、7割がたの入り。「スクエア」でこないな入りなのかと、ちょっと驚きでした。
 ABCホールを出ると、「淀屋橋」まで歩き「難波」まで移動。今日も、時間調整には、千日前のネットカフェを使いました。そして、夜は、「ウイングフィールド」であった「プラズマみかん」の公演「緩やかなモンブラン」を観てまいりました。公演があれば観に行くことにしている劇団で、その枠の際どいところに位置させている劇団の一つです。舞台は老舗の飴屋。その飴屋では、主人が失踪、あとを、主人の弟、その嫁、主人の若い後妻、アルバイトの大学生が、善後策を考えているところへ、失踪した主人から、店舗譲渡の書類を持った女が現れる。その女は、店舗を改装して、洋菓子屋にすると言う。そこから、飴屋に集う男女の、店に対する気持ちや、中には生き方まで描かれていく人物もいる。エピソード的には、主人の娘がロックにはまっていたり、店を省みないってものが入ったり、主人の弟が、ぼやく相手として、女のもとを頻繁に訪れたりしている。その女の生き方が、なかなか、この芝居のコンセプトを表すに大きな役割を果たしたりします。主人という経営面での軸を失った人たちは、有効な手を打てないまま、方向転換に同意をしていきます。支配されていることに慣れてしまっている人たちは、自由を与えられても、結局落ち着きを取り戻すのは、新たな支配に服従することでであると言いたげな芝居と看ました。なかなか難解な芝居で、仕込みの部分が長く、ちょっときつかったのですが、金太郎探しのプロットが出だしてから、観ていてヒートアップしました。その落差の大きな芝居でした。最後は、ピカレスクものになってましたね。趣向をいろいろと考えるものです。




2014年 9月 19日(金)午後 11時 41分

  大阪府門真市(55)〜大阪市鶴見区〜守口市(79)〜大阪市旭区、城東区

   自分的5連休のあと、2日働いただけで、もう週末がやってきました。この週末も、予定が満載。今日は、まずウォーキングからです。ちょっと間が空いた鶴見緑地に行くことを旨にコースを考えてみました。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「門真市」駅〜韓国料理店「チョアチョア」〜沖縄料理店「しまんちゅう」〜インド・ネパール料理店「デイプ」〜大阪市立焼野小学校〜焼野南さくら公園〜鶴見緑地〜「南寺方東通1北」交差点〜大阪市立光陽特別支援学校〜大阪市立新森小路小学校〜新森小橋〜京阪南森小路架道橋〜京阪「関目」駅。鶴見緑地到着までに、このコースだと40分。南東隅から北西隅に抜けるはずが、気がつくと、かなり東側に出てしまってました。目の前に西三荘に向かう道が出てきて混乱するばかり。その様子を見て、近くを通られた方が声をかけてくださいました。163号線への行き方を教えていただき、あとは地図とにらめっこ。だいたい地図を持っていながら迷うのですから、世話がやけます。このことで、時間をだいぶとロス。結局、「関目」駅に着くと、ちょうど2時間でした。
 「関目」から「京橋」経由で「天王寺」に移動。駅近くのネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、夜は「動楽亭」であった「第15回『南湖の会』〜これが難波戦記〜」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。「長短槍試合」「難波戦記」。今日は、予定されていたネタで、時間が満杯だったためか、マクラは短め。そのマクラも、先日の東京の講釈師さん3人が来られた話。聴きたかった話なんで、もうそっと長めの方がありがたかったのですが。どうやら、ここのところで、南湖さんは、琴調師から「さじ加減」をもらうようになったようです。「槍試合」は、「太閤記」の中でも、秀吉の才覚がよく現れているだけではなく、話の展開がおもしろいので、いろんな講釈師さんが手がけているネタ。ですが、今日、南湖さんの口演を聴いていて、これ初めてだと気づきました。他の方にはないテイストが詰まっていたため、また、それを聴いたことがないことに気づいなのでした。そして、考えたのですが、先代南陵の口演っては、これじゃないかなと思ったのです。普段の南湖さんの口演にもない雰囲気だったもので、師匠からもらったままで出してくれたのじゃないかと思ってしまったのでした。「難波戦記」は、冬合戦で、家康が敗走するところをやられていたはずです。「はず」というのは、「難波戦記」に入って間なしに、記憶が飛んでおり、断続的にしか記憶に残ってないのです。ウォーキングのあと、わりかし疲労感があったので、ネットカフェでの休憩だけでは不十分だったようです。でも、もったいないな。




2014年 9月 19日(金)午前 5時 55分

 昨日は、仕事が終わるや速攻で、職場をあとにして、「兵庫芸術文化センター」に向かいました。昨夜は、こちらで「題名のない音楽会」の公開録画があったのです。職場の同僚が申込んでおいたのが当たり、誘っていただいたのでした。「題名のない音楽会」は、まだ黛敏郎が司会をしていたときに、京都と東京で1回ずつ、公開録画に足を運んだことはあるのですが、それらは、随分と昔の話。今回、このようにお誘いをいただかないと考えもしなかったことです。この番組の録画は、普段は東京で行われているのですが、司会の佐渡裕が、兵庫芸術文化センターの芸術監督をしている関係上、年に1〜2回は、こちらでの録画が行われているそうです。1つ目の録画は「阪神・淡路大震災から20年〜“祈り”から生まれた劇場」と題してのもの。放映日が1月11日ということで、阪神・淡路大震災20周年に合わせた内容となっていました。兵庫芸術文化センターそのものが主役というもの。ゲストは安藤忠雄と、芸文センターの館長さん。自然災害と音楽の果たす役割といったテーマで、兵庫芸術文化センターが、復興のシンボルとして、震災10年目に建てられたことを背景に作られたもの。演奏曲目は、バッハの「G線上のアリア」、オッフェンバッハの「天国と地獄」序曲、シューベルトの「未完成交響曲」でした。2つ目の録画は「日本のオーケストラ文化は兵庫発!?〜ブルックナー交響曲第4番」というテーマ。ブルックナーの4番のシンフォニーの日本初演を行ったのが、宝塚歌劇団のオケ宝塚交響楽団だったという事実を踏まえて、ブルックナーが取り上げられました。演奏曲目は、4番のシンフォニーの第1楽章と第4楽章。間で、宝塚交響楽団による公演背景が、根岸一美氏により語られ、宝塚交響楽団は、宝塚歌劇団の専属オケだということで、元秘宝塚ジェンヌの純名里沙がゲストとして登場し、更に宝塚交響楽団の初演を聴いた音楽家の子どもさんまで登場するという賑やかなトークとなりました。ブルックナーの曲が、「題名のない音楽会」で取り上げられること自体が珍しいことのうえ、更に驚かせたのは、佐渡裕が、今回初めて、ブルックナーを指揮するという事実でした。ベルリンを拠点に活動する指揮者が、ブルックナーの演奏経験がないとは、考えだにしなかったことでした。演奏では、とにかく弦のトレモロの美しさが際立つものがありました。長大な曲を短くまとめた抜粋を演奏するのですが、抜粋の仕方が、第1楽章は、この曲の持ち味を引き出してくれていたのですが、第4楽章の方は考えものでした。
 終わったのが、午後9時5分前。そこから急いで芸文センター近くで呑みました。急がないと帰るのが大変ですからね。黄紺は、西宮から京都、もう一人は西宮から四条畷に帰るのですから。結局、家に帰った途端、日付が替わり、即効でダウンしてしまいました。




2014年 9月 17日(水)午後 10時 52分

 自分的5連休が終わり、今日から仕事再開。なんとなく、身体はお休み気分。だるくて、きびきびとした動きがとれない一日でした。夜は、「船場センタービル」の地下にある「船場寄席」であった「南斗講談拳」に行ってまいりました。この1週間は、かなり講談がウエイトを占めています。5連休は、南海さんに始まり、南海さんで終わりましたし、その翌日に、南斗くんの勉強会続き、明後日の金曜日には、南湖さんの会が控えているという具合です。で、今日の番組は、次のようなものでした。南斗「太閤の生い立ち」、小鯛「書割り盗人」、小鯛・南斗「対談」、「青木民部と千姫」。今日は、やっぱ変調でした。そないに疲れるようなことをしているはずがないのに、えらくぐったりし、やたらと眠たかったのです。それがまた、今日の主役の南斗くんのところでばかり現れてしまいました。1席目は、マクラ以外は完全ダウン。2席目は、肝心の終盤に朦朧としてしまったのでした。その2席目ですが、家康の命を受け、千姫を大坂城から連れ出そうとする青木民部。ちょうど真田大助に横恋慕をされて困っている侍を、その女とともに逃がれさすのを利用して、千姫を連れ出そうとするのですが、、、このあとが判らないのです。ただでは済まない展開のような気がします。というのは、聡明な伜と判で押したようなキャラの真田大助の動きが変だからです。真田大助の背後には、当然、ミスター軍師幸村がいますから、なんか単調な結末じゃないような気がして、ダウンを恨みます。小鯛は、南斗くんの少し先輩。彼の「書割り盗人」は、初遭遇なので、とってもラッキーな話。おおらかなネタの運びを意識したお遊び心に満ちた口演に心憎いものを感じるほどなのですが、絵を描くときに、えらく細かく、丁寧に描こうとしてたのが、バランスが悪くて。もっとマンガチックに描く場面を増やした方が、このネタのコンセプトに合っているように思えました。「対談」が、なかなかスムーズで、お二人の日頃の仲の良さ伺わせるもの。南舟ネタから始まり、対談の中心は彦八まつり。黄紺も、実際に彦八まつりで、南斗くんと言葉を交わしましたが、彼は、南湖さんの代理で、文太師のブースを手伝っていたのですが、その隣にあったのが、小鯛がいた塩鯛ブース。鯛焼き修行の話は初めてではありませんでしたが、今回聴いても笑える話。最後は質問を受けてのトーク。1つ目の質問が良かったですね。ネタの練り上げ方についてのもので、お二人がまともに答えてくれたので、お二人の好感度は、随分と上がりました。9回目を迎え、客足も伸びているとか。確かに、以前行ったときとは、雰囲気が変わっていました。「対談」を入れたにせよ、2時間近くの時間を持たせることができるようになっています。明らかに進歩です。




2014年 9月 16日(火)午後 10時 9分

  大阪市内遊歩(217)

 いよいよ自分的5連休の最終日。今日は、まず、先日の「ミロー寄席」で当たったお食事券を使うため、喫茶「ミロー」へ。場所は、「桜川」駅の近く。お昼をいただくために、とんでもない遠出です。食事が終わると、直ちにウォーキングに移行。こないな地点をスタート場所にできることは、まあないと思うので、今日は、ディープな大正区巡りをすることにしました。そのコースは、次のようなものとなりました。喫茶「ミロー」〜幸西橋〜地下鉄「桜川」駅〜赤手拭稲荷神社〜JR環状線「芦原橋」駅〜浪速中公園〜太鼓屋又兵衛屋敷跡〜浪速神社〜木津川大橋〜泉尾東公園〜三軒屋水門〜落合上渡船場〜小林公園〜落合下渡船場〜平尾亥開公園〜千本松渡船場〜南恩加島天満宮〜大阪市立南恩加島小学校〜沖縄料理店「正」〜大正区ふれあい福祉センター〜大阪市立泉尾幼稚園〜大阪市バス「大正区役所前」停留場。今日のヒットは、木津川にかかる3つの渡船場を、初めて3つとも制覇できたこと。落合下渡船場の方は、表通を通ったことまではあったのですが、千本松渡船場までは、今までのスタート地点では無理な話。千本松渡船場の上を走る道路に歩道が付いていることも発見でき、自分的大きな発見となりました。しかし、この千本松渡船場から、大回りをしたとはいえ、終点の「大正区役所前」まで、30分近くかかりましたから、今度、いつ、このコースを歩けるかは、全く予想はできませんね。そして、一度は、実際に渡船場から船に乗り、川越えのコースを歩いてみたいものです。渡船場の前に行くと、毎回、そのように考えるのですが、未だに実現してないんだなぁ、これが。15分に1本は、船が出るので、そないに待ち時間で困ることはないはずですから、実現したいものです。
 「大正区役所前」からバス一本で「難波」へ移動。いつものように、千日前のネットカフェで、時間調整がてら休憩。そして、夜は、「谷六」の「薬業年金会館」へ。今夜は、毎月恒例の「旭堂南海の何回続く会?」が、いつもより1週間早く開催されました。ちょうど前回に行ったときに、初めて日程変更を知り、かなり慌てたのですが、うまい具合に都合のつく日でした。こういったこともあるのですね。今日は、「天下茶屋の敵討」の2回目で「林兄弟、大坂御難」と題して読まれました。前回は、この仇討ちの背景となる関ヶ原の合戦における宇喜多家の行動がテーマだったのですが、今日は、仇討ちの基になる林兄弟の父親の斬殺に至るところからスタート。宇喜多家の当主が、徳川に背いたということで、姿を隠してしまっているなか、宇喜多家を残すことを画策する動きが進むのだが、その動きを利用して、お家乗っ取りを企む家老。それを咎める林兄弟の父親。これで斬殺された父親、追っ手が来るところから身を隠す林兄弟と母親、そして下僕たち。結局、家老たちの企みは、家康の逆鱗に触れ、宇喜多家は召し上げ、家老は即日切腹となり、仇の黒幕の一人が消え、また主家の召し上げで意気消沈する林兄弟。ここから林家の苦悩が続きます。兄が下半身麻痺となり寝たきりの状態へ、当初は兄の看病をしていた母親の死、下僕の一人の裏切りと続きます。その裏切った下僕は、もう一人の下僕を殺し、蓄えだった金子を持ち去り、大坂へ逐電します。しかし、その逃亡先の大坂で、林兄弟の父親斬殺の実行犯を見てしまうとなるのです。ここで終わりました。切る場面が、とっても心憎い。話の構成から何から何まで行き届いているのが、南海さんの講談です。この分だと、次回で終わりそうです。でも、暗い話です。ま、仇討ちものってやつは、そんなものかもしれませんが。




2014年 9月 15日(月)午後 9時 43分

 自分的5連休も、呆気なく後半に入りました。今日は、移動に気を揉む日です。まず、昨日よりは1時間早くのお出かけ。毎月恒例の「一心寺門前浪曲寄席」に行ってまいりました。9月の連休は、毎年、どこかに行っているため、この浪曲寄席には行けないのですが、今年はばっちし行けました。先月は、トルコに行ってましたから行けてないわけで、東京に行かなかったいい方の産物です。その番組は、次のようなものでした。春野一(虹友美)「梶川大力の粗忽」、春野美恵子(沢村さくら)「高田馬場」、京山幸枝司(岡本貞子)「名張屋新造」、京山小圓嬢(沢村さくら)「東雲座」。今日は、春野百合子師のお弟子さんがお二人が、同時に出られたため、聴き慣れたネタが、冒頭に2つ並んでしまいました。どうしても春野恵子さんの露出度が高いうえ、浪曲のネタっていうのは、数が多くはないものですから、こないなことが起こってしまいます。「梶川大力」は、松の廊下で、浅野内匠頭を止めた男。その行為を、曽我物語を引き合いに出して諌めるというもの。「曽我物語」は、「夜討曽我」から採られ、御所五郎丸とのエピソードに触れ、梶川を諌めるとなるわけですが、その五郎丸が陣営を教える箇所は、恐らく講談の修羅場読みから採られたのではと思わせる調子となっていました。最近、南湖さんの手がけている「夜討曽我」の調子と言えばいいでしょうか。次の「高田馬場」は中途から、「名張屋新造」はほぼ全滅状態。一番前の席で眠ってしまったようです。「名張屋新造」ってネタは、題名すら知らないものなので、惜しいことをしてしまいました。小圓嬢師で覚醒。「東雲座」は、以前聴いているはずなのですが、筋立てはすっかり忘れてしまってました。いきなり、ヤクザの親分を取ったということで、当の二人が殺されかけるところから始まるというダイナミックな展開。もちろん、ここで殺されたら、話は前に進まないので、許され放逐されるのですが、役者である男は、二度と再び、事件発生の地熊本に入ることが叶わなくなります。やがて女が病で亡くなり、死に際に、子どもの父親について知らせ、また子どもを役者として育てて欲しいことを頼んで亡くなります。役者としての後ろ楯を失っている男は、川上音次郎の劇団に入り、子どもとともに役者稼業を続けていくなか、川上音次郎劇団が熊本に入ることに。その劇場が東雲座というわけです。最後は、ちょっといい話に仕上がっています。クライマックスでは、ラップ調の節が入ります。小圓嬢師の迫力が、一段と高まるところです。9月席に行けたことで、小圓嬢師に遭遇できました。小圓嬢師の浪曲を聴けるというのが、黄紺にとっては、関西にいることの美味しい点の一つなのです。
 一心寺南会所を出ると、大急ぎで、「天満橋」経由で「三条」へ移動。なんせ、浪曲寄席が終わったのが、午後3時3分。そして、夕方の5時から始まる「カフェ・モンタージュ」であるコンサートに急いだのでした。幸い、天満橋発午後3時23分の特急に乗れたもので、安心して、この大移動を成功させることができました。今日のプログラムは、「短調のソナタ」というテーマで、シューベルトのピアノ・ソナタが2曲演奏されたのでした。6番(ホ短調)と16番(イ短調)の2曲でした。ピアノは佐藤卓史さんでした。佐藤さんは、東京でも、またカフェ・モンタージュでも、シューベルトのピアノ・ソナタ全曲演奏を進行中のビアニスト。6番の方には、問題のソナタということで、佐藤さんご自身から解説が入りました。断続的に楽譜が発見され、それらを見て、学者が、曲の配置について推測を立てることにより、ソナタの体裁が作られてきた曲だそうで、「今日は、世界初の試みかもしれない」と言い、モデラート〜アレグレッシモ〜トリオという順で演奏すると言われたと思います。結果的に緩叙楽章のない3楽章形式のソナタとして演奏されましたが、早いテンポの音楽が3つ並ぶというのは、聴いていて落ち着きの悪いものですね。もう一つの16番は、「のだれカンタービレ」で使われ有名ですと言われましたが、その映画を観てない黄紺には、どの部分が使われたのかが判らないため、この説明は説明になっていませんでしたが、別に、そないな説明を受けなくても、第1楽章冒頭のメロディを聴けば、納得できる有名なもの。但し、その部分が、映画に使われたかどうかは知るところではありませんが。黄紺は、CDで、この曲を聴くと、やたらとD960のソナタを聴きたくなります。時間さえあれば聴きますね、必ず。それは、自分自身がシューベルトのピアノ・ソナタに求めるものがあるからなのだと思っています。冗長とも言える何でも包み込むようなゆったり感。なんか好きな曲を全てと考えていると言えばそれまでなのですが、それだけ、永遠に続くとまで思わせられるゆったり感は特別なものなのでしょう、黄紺には。ですから、16番だけを聴いているとはがゆくて、仕方ないのでしょう。そう思わせる厳しさが、今日の演奏にあったのでしょうね。また、これから、シューベルトのシリーズは続くようですので、追いかけてみたいなの気持ちです。




2014年 9月 14日(日)午後 9時 8分

  大阪府吹田市(10)〜大阪市東淀川区〜守口市(78)

 自分的5連休、3日目の記録です。今日も、12時過ぎをメドにお出かけ。今日は、JR吹田駅前であった「サンクス寄席」に行ってまいりました。雀三郎がお世話をする会、毎回、充実した顔ぶれが揃うので、わりかし行こうとしている会の一つです。その番組は、次のようなものでした。治門「牛ほめ」、たま「漫談家の幽霊」、文喬「住吉駕籠」、雀三郎「口入屋」。治門は、彦八まつりで骨折した団治郎の代演。プログラムには、「団治郎 初天神」とした上に、治郎のネタが書かれていました。アホが、見えてないものを褒める箇所が2つあり、ちょっと「?」が点ってしまいました。牛を褒める場面はカットした「普請ほめ」ヴァージョンでした。たまの「漫談家の幽霊」って久しぶり。ひょっとしたら、まだ1回しか聴いてなかったかもしれません。いろんな幽霊を出しては、ダジャレで落とすといった繰返しネタ。そんなんだったっけと、すっかり前の記憶がぶっ飛んでいました。文喬は、気を変えるかのように、まあネタでしょうが、自身の父親のおとぼけぶりを披露。そして、半ば強引にネタへ。ですが、覚えているのは暴動部分だけ。どうやら酔っぱらいのところで切り上げたようだくらいの記憶しかありません。せっかくの雀三郎の高座も、その変調が尾を引いてしまいました。番頭が、ドガチャカと語り続ける聴かせどころが、情けないことに吹っ飛んでしまいました。吹田まで出かけて行って、これは情けないこと。なお、この寄席は、毎年9月には抽選会をやってるとか。それを知らなかったということは、9月に行ったのは初めてということになります。残念ながら、今日は、ダメでした。
 落語会が終わると、直ちにウォーキングに移行。目指すのは、淀川を渡り京阪沿線。電車賃の節約にもなるコース設定は、「サンクス寄席」のあとの定番になりつつあります。そのコースは、次のようなものとなりました。吹田サンクスホール〜友の会新温泉〜済生会吹田病院〜高濱神社御旅所〜浜屋敷(吹田歴史文化まちづくりセンター)〜泉殿堂御旅所社〜吹田大橋〜明治東洋医学院専門学校〜保育所豊新聖愛園〜六原公園〜大阪府東淀川警察署〜大阪府立北淀高校〜大阪市立豊里南小学校〜豊里大橋〜京阪「守口市」駅。川を2回渡らねばならないということで、そないに変化のあるコースを作りにくいのが、このウォーキング。敢えて、今日のコースの特徴を上げると、吹田大橋を渡ることを前提にしたものであること、従って東淀川区内では、瑞光4丁目方向には行かなかったということかな。結果的に北淀高校方面を巡ることになりました。




2014年 9月 14日(日)午前 1時 51分

 自分的5連休の2日目は晴天かと思っていたら、お出かけ前ににわかの雨にびっくり。でも、それはほんの一過性のもの。完全に秋の風情でした。今日のお出かけは、まず「南堀江」であった「文太噺の世界in堀江・ミロー寄席」から。文太を中心にした田辺寄席グループの会、初めておじゃましました。幾つか候補の落語会がありながら、こちらをチョイスした大きな要素というのが、この「初めて」というものでした。更にネタ的にもおもしろいものが出てましたしね。その番組は、次のようなものでした。天使「犬の目」、文太「桑名船」、塩鯛「一人酒盛」、文太「高倉狐」。天使は緊張する質なのかなぁ。ちょっと落ち着かないというか、おどおどとした高座。ゲストの塩鯛は「一人酒盛」をネタ出し。これが楽しみの一つ。今、お酒のネタでは、雀三郎と双璧でしょう。マクラはざこばネタ。ネタ提供満載の師匠を持ち、そういった意味では恵まれているのでしょうが、それに付き合ってきた弟子は、忍の一文字だったかもしれませんね。時間を持たせる方法として、燗の出来具合多用は、ときとして冗長になるかもしれませんね。ま、それは、ちょっと注文過多かもしれませんが。文太の二席は、わりと珍しめのネタが並びました。「桑名船」は、他には文我・まん我子弟ぐらいじゃないかな。「東の旅」の傍系的ネタ。威張る侍に恥をかかすというのがいい感じのネタです。「高倉狐」をする噺家って、あとはすずめしか思いつきません。文我はするでしょうが。手頃な時間で、狐が出てくる噺で、黄紺的にはおもしろいのですが、やり手が続きませんね。ということで、ネタ的にそそられる会であり、演じ手も確かだしと、元は十分にいただいた会だったのですが、更に嬉しいことに、最後の抽選会で、多くの当たりが出るにも拘わらず、黄紺は当たらないので諦め気味だったところに、びっくりの当たりが出てしまいました。お食事券なんてのをいただいてしまい、なんか初めて行って、こんなのもらっていいのかなぁの気分です。この5連休中に使わせてもらうことを考えています。
 「桜川」から一駅移動すれば「難波」です。今日も、時間調整は千日前のネットカフェを使いました。そして、夜は、「TOHOシネマなんば」で、「パリ・オペラ座ライブビューイング」に行ってまいりました。大阪では、上映が、2つの時期に分かれていることが幸いして、「フィガロの結婚」を観ることができました。ちょうどトルコに行っている間に、いつも、このライブビューイングを観るために行く「ステーション・シネマ」では、上映が行われてしまっているのです。このずらしは、ホントにありがたいことです。ただ、上映開始時間が、なんと午後7時。まるでヨーロッパで、オペラを観に行く感覚です。モーツァルトを、この時間帯にやられると、あとが大変です。今日、終わったのは午後10時25分。でも、一つだけいいことがありました。お喋りMCのおじさんが、控えめに喋らざるを得なかったことです。このプロダクションは、1973年って言ったかなぁ。ジョルジョ・ストレーレル演出の超ロングランものだそうです。とにかくいいのが装置と衣裳。フラゴナールの絵画を基に、物語の舞台を再現したというのですから。アンサンブルでは、一貫して、そのときに同じ立場にある人間を固め、視覚的に筋立てを押さえようとしていること。特段、大きなな動きを要求したり、奇をてらうような動きを求めるということは確認できないオーソアドックスなものでした。でも、これだけシリアスな印象を持って観た「フィガロ」って、初めてじゃないかなぁ。遊び心なんてものを持ち、登場人物らが動いているというという感じが、全然しないのです。まじで、威信にかけても、スザンナをものにしようと考えている伯爵、それを演じたリュドヴィク・テジエの苦み走った憎らしい顔つきは、芸達者が多いなか特筆もの。それに呼応して、伯爵夫人のバルバラ・フリットリは、今回のプロダクションの中では随一の知名度。冷え切った、いや凍てついたとまで言っていい、夫婦関係を見事に演じていました。総じて芸達者な歌手陣が揃っていましたが、スザンナのエカテリーナ・シウリーナと、フィガロのルカ・ピサローニのナチュラルな演技に共感してしまいました。下世話な雰囲気とともに、フィガロ一途の愛くるしさをもったスザンナは、決して別嬪さんじゃないのが親近感が湧き、共感を覚えました。その一方で、ケルビーノのカリーヌ・デエは、歌唱は完璧すぎるほど、いやそれを通り越して、若干臭さのようなものを感じさせる技を見せてはくれたのですが、体型が女性そのものでは引いてしまいます。相変わらず、おいしい役なため、熱烈歓迎を受けてはいましたが、今では歌唱だけで喜んじゃ、ちょっと寂しいものがあります。これは、永久保存してほしいプロダクションであることは、よく解りました。やっぱ、こういうのを持っているっていうのが、大歌劇場の証ってやつなんでしょうね。




2014年 9月 12日(金)午後 9時 47分

  大阪市内遊歩(216)

 今日から、自分的5連休が始まりました。トルコに行く前には、この時期を利用して、東京に行くつもりをしていたのですが、トルコから帰ってくる直前に体調を崩し、すっかり計画を立てる気にならなくなってしまい、どこにも行かないことにしました。ちょっと自分的には、危険信号かなとも、今となっては感じているのですが、気づいたときには手遅れでした。要するに、こないな風にして、内に閉じこもり出すのかなと思ったからなのです。ということで、大阪・京都でのお出かけ計画を、急ごしらえで作り上げました。今日は、その第1日目ですが、まずウォーキングからスタートです。夜遊びのことを考えてのコース設定、それは、次のようなものでした。京阪「淀屋橋」駅〜西船場公園〜「京町堀2」交差点〜地下鉄「阿波座」駅〜大阪西郵便局〜日生病院・島津公園〜大阪市立西高校〜千代崎橋〜スリランカ料理店「アジアンフード」〜九条モール〜阪神「九条」駅〜南境川児童遊園地〜JR「かんじょう042」橋梁〜大阪市立南市岡小学校〜南市岡公園〜尻無大橋〜尻無川水門〜大阪府立大正高校〜大阪市立中泉尾小学校〜大阪市立泉尾北小学校〜大阪市バス「大正橋」停留所。九条から、ちょっとだけ港区に入り、最後は大正区を歩くという、ウォーキングでは、今や定番となっているコース。水の都とは、よく言ったもので、やはり川のある風景っていいものですね。
 「大正橋」から、バスで「難波」へ移動。明日の映画のチケットを買ってから、いつもの千日前のネットカフェへ。最近、ウォーキングのあと疲労感が出るので、こないな時間を外せなくなってしまいました。そして、夜は「千日亭」であった「千日亭講談会」に行ってまいりました。「千日亭」は、一旦閉鎖された「徳徳亭」が再オープンしたもの。改装の計画などを聞いていたのですが、脇の衝立が取り払われただけでした。で、今日の会は、昨日から2日連夜の会。南海さんが、1時間半も読まれる会とは考えず、昨日は、あっさりと捨ててしまいました。でなかったら、昨夜は「生喬百席」でしたから、かなり悩んだのでしょうね。この2日間の共通したテーマは「難波戦記人物列伝」。昨日が「片桐且元」、そして、今日が「後藤又兵衛」。「後藤又兵衛」は、その親父さんが、秀吉の三木城攻めで苦悩するところからスタート。親父さんが、黒田官兵衛と竹馬の友というところから、自刃する親父さんが、後の又兵衛を、官兵衛に託したため、官兵衛の伜長政の竹馬の友となるのだが、この長政がアホたん。講釈のデフォルメでは、又兵衛の引き立て役ということで、アホな役回りでヒールとして描かれていきます。できのいい又兵衛に対し、ライバル心を燃やし遠ざけようとした挙げ句、放埒してしまうのです。しかも、他の大名には召しかかえることをさせない回状まで出す始末。黄紺は、これで、ようやく解りました。講談を聴いていると、大坂城入城以前の又兵衛が、浪々の身で出てきたり、講釈師として生計を立てていたというわけが。終盤、国家安康の因縁をつけられ、駿府まで出向き、大坂に戻ってきた苦渋の片桐且元との出会いの場面も用意され、そのあとに起こる大坂の陣への道をつけ、読み終わりとなりました。よく講談会でかかる「後藤又兵衛の入城」は、その旨が挟まれただけでしたが、そこに至るわけのようなものが判り、黄紺的には、とってもありがたい会となりました。




2014年 9月 11日(木)午後 11時 51分

 えらく涼しくなりました。秋の雰囲気が、一段と進んだ感じがします。夕方の気温の下がり方は半端ではありませんでした。今日の夜遊びは動楽亭。「生喬百席 第十一夜」があった日ですから、外すわけにはいきません。その番組は、次のようなものでした。生喬「須磨の浦風」、松五「腕喰い」、(中入り)、生喬「天王寺詣り」。まず生喬の話は、当然のことのように、彦八まつりからスタート。松喬一門の店の話から実行委員としての仕事へと展開。なかでも実行委員に入ったきっかけの話が傑作。雀喜を実行委員に引き込んだ話も、なかなか印象的でした。ネタの一つ目「須磨の浦風」は、真夏の噺。鴻池が紀州の殿さんを迎える趣向に、涼しいと評判の須磨の浦風を用意するのだがという噺。とってもレアなネタ。黄紺は、この噺を、六代目の生の口演で聴いているというのが、自慢の一つです。ゲスト枠は松五。生喬との思い出話というのは、意外と生喬の大ボケの話。あまり生喬のイメージからはわき上がらないもの。ネタは、生喬の持ちネタにないものから。但し、昨日会った生寿のアドバイスをもらったとか。生寿は、「腕喰い」と「足上り」を薦めたとか。それを聞いて、「腕喰い」をと念じました。「足上り」は、他の会での口演を聴こうと予定していたためで、ここで聴いてしまうと、予定が狂ってくるからです。そしたらセーフでした。この噺、後半は怪談調になります。前半の若旦那の陽気な噺と、雰囲気がガラッと変わるところに、この噺のダイナミズムがあります。が、やはり松五のキャラは、どうしても陰性なものですから、この変化が乏しいのです。ちょっと無い物ねだり的なことを書いていますが、でも、このネタに取り組むには、前半の雰囲気なんでしょうね。元々、林家で伝わってきたネタで、演じ手が稀というほどではないのですが、なかなか実際の落語会にかからないネタです。もちろん松五の口演では、初めてのものでした。「天王寺詣り」は、師匠松喬直伝のもの。この高座では、生喬のイメージが吹っ飛ぶような穏やかで、古風な雰囲気が漂っていました。ま、噺自体が、天王寺に行ったことのない人たちに、天王寺を紹介するという風情の噺。しかも、噺の構成はウォーキング・ツアー形式を取っているというもの。ですから、今日の生喬の口調が、とってもしっくり来てしまいました。「天王寺詣り」のベストとして、雀三郎の口演と並べて上げてもいいのじゃないかとさえ思いました。行けなかった前回の会が、ゲストに南天が出たこともあって、入場者数の最高を記録したそうだったのですが、今日は、松五がゲストで、1人超えたそうです。もうこの事実を、生喬が報告しただけで、会場は大受けでした。




2014年 9月 10日(水)午後 11時 15分

 今日は、自分の仕事はあまりせずに、パソコン操作のお手伝いに、だいぶと手がとられた一日。でも、さほどたいそうなことではないのにお疲れ。仕事疲れというよりは、一日の寒暖の差が大きく、体がついていってない雰囲気。でも、夜遊びはきっちりとこなしました。今夜は繁昌亭。久しぶりの「第23回長寿の会」に行ってまいりました。歌之助の会で、新ネタを披露するということで始められたはずなのですが、今も、そのコンセプトが続いているのかは、今日のネタでは判断できませんでした。その番組は、次のようなものでした。染吉「お公家女房」、歌之助「蔵丁稚」、寒空はだか「スタンダップコメディ」、歌之助「平家物語10」、(中入り)、歌之助「蛇含草」。新ネタの可能性があるとすれば「蛇含草」じゃないかなとは思うのですが、このネタを、歌之助が出しているのを見たことがないというだけで、全く自信がありません。また、その口演も、およそ初演とは思えない見事なもの。餅の食べ方、腹一杯になり苦しむ姿などを見ていると、そう思えるのです。特に、そういった、このネタのおいしいところを過剰にならず、しかし、決して外すことのない力量を看て取ることができるのです。歌之助ベストに数えられるものかもしれないぞという気がしているほどです。それは、「蔵丁稚」にも言えること。芝居に入ったときの台詞回し、この人、ここまで上手かったかとすら思いました。最近、歌之助を聴く機会が少なくなっているので、またまたその聴けてない時期に、腕を上げたなの印象を持ちました。最近、「長寿の会」に足が向いてなかった理由の一つが、この間、ずっと取り上げていた「平家物語」にあったことは、否定するつもりはありません。講釈師じゃないのだからという気持ちで、今日まで静観していたのです、実際覗いてみると、なかなかこれがいいのです。落語をするときのスタンスというか、かなりフレンドリーな雰囲気で、噺は展開。その一方で、歌之助のことですから、噺の構成に抜かりがないのがいいですね。今日は、木曽義仲が、2/3以上と言ってもいいくらい、噺の主人公。義仲による都の制覇から都落ちに加えて、その最期までと続きました。残りが、勢いを盛り返した平家討ちの噺へとの展開。構成力も素晴らしい。なんか、これだけでも聴きに行こうかの気にさえなりました。寒空はだかをゲストに迎えた理由が傑作。歌之助と似ているのです。大阪ネタで盛り上げ、カヴァー曲ネタですべり、でも、「東京タワー」で盛り返したという高座でした。そして、おもしろかったのは染吉。「延陽伯」のダイジェスト版「お公家女房」なのですが、時代設定を、通常より随分と現代的なものに。言葉遣いで、それを表すことで、そういった演出を試みていました。これは、染吉オリジナルなんだろうか、そうであるようにも看え、じゃないようにも思えて、、、。その判断は、今後の宿題です。各高座が記憶に残るもの。やっぱ外しちゃ行けない会ですね。




2014年 9月 9日(火)午後 10時 56分

 今日も、昨日に続き振替の休日。とってもいいお天気で、夏に戻ったのかと思わせる強い陽射し。お出かけは12時を回ってから。まずは「動楽亭昼席」に行ってまいりました。今月に入り、初めての「動楽亭昼席」となります。その番組は、次のようなものでした。そうば「手水廻し」、佐ん吉「稽古屋」、あさ吉「片棒」、米二「まめだ」、(中入り)、米団治「質屋芝居」、雀喜「天狗裁き」。今日は、前半、かなり半寝の状態。朝早く目が覚めたうえ、二度寝をしようとして呑んだお酒が、家では効かず、こないなところで効いてしまったのです。佐ん吉の「稽古屋」、あさ吉の「片棒」と、初ものだったのですが、中途半端にしか聴くことができませんでした。なお、あさ吉は、「片棒」を文之助からもらったと言っていました。米二は、まだだろうと思っていた「まめだ」。落ち葉が降るという場面が出てきますから、晩秋の噺でしょうが、秋の小口とは言え、今日は、かなり強い陽射しの一日、ちょっと早いかなというところです。米団治は、袴を着けての登場。「まめだ」が、芝居の役者が主人公ですから、何をするのかと思ったのですが、芝居噺でした。どこかで出すための口ならしということで、予定していたのかもしれません。でも、「質屋芝居」が出るとは、ありがたいことです。でも、動きの大きいところもあり、ちょっと動楽亭の高座ではやりにくそうでした。その米団治は、マクラで、あとで出る雀喜の骨折と、彦八まつりでの団治郎の骨折についてのレポートをしてくれました。団治郎の受け入れ探しに、かなり苦労したようです。雀喜は骨折の具合がどないなものか気になっていたのですが、高座を務めるには、ほぼ大丈夫なようでした。そうばの会には代演が立ったため、今日は、動楽亭に入るや、受付の米朝事務所の方に、雀喜の状態を伺ったほどでした。雀喜の「天狗裁き」も初ものでしたので、自分的には結構な番組だったのですが、半寝ではダメですね。
 「動楽亭昼席」が終わると、「北浜」経由で京都への大移動。河原町三条近くのネットカフェで時間調整のあと、ちょっと間が空いた「カフェ・モンタージュ」へ。今夜は、「フランツを探せ」というテーマで、シューベルトの作品が演奏されました。そのプログラムは、次のようなものでした。「君こそわが憩い D776、夜咲すみれ D752、至福 D433 テノールとピアノ:畑儀文」「ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ イ短調 D385 ヴァイオリン:ヤンネ舘野、ピアノ:パブロ・エスカンデ」「菩提樹 D911-5、魔王 D328 バス:篠部信宏、ピアノ:パブロ・エスカンデ」「アルペジョーネソナタ D821より 第1楽章 フルート:森本英希&ギター:藤井敬吾」「美しき水車小屋 D795より抜粋 テノール:畑儀文、ギター:藤井敬吾」。テーマで示されていた「フランツ」は、通常、連想するのはシューベルトなんだけど、そのあとに「探せ」と来ているので、その意図するところを掴めないまま、会場に向かったところ、そのわけはオーナー氏から、冒頭に説明がありました。毎年、秋に篠山市と丹波市で開かれている「シューベルティアーデ」の各年のプロデューサーを「フランツ」と呼び、今日の出演者は、過去の「フランツ」を務めた方々が集まったからということでした。しかも、その「フランツ」たちは、全員が京都在住ということで、「京フランツ」と呼ばれている人たちだそうです。結果的に、客である我々には、実に多彩なプログラムに出逢えたというわけです。ヴァイオリンとピアノのデュエット、リートは、ピアノ伴奏とギター伴奏という2種類の演奏があり、更にギターとフルートのデュエットまでありと、1時間余りの時間にしては、もうてんこ盛りの内容でした。




2014年 9月 8日(月)午後 11時 12分

  大阪市内遊歩(215)

 昨日は、全日勤務の日。かなり疲れてしまっていたため、映画でも行こうかと思っていた夜遊びは中止。まっすぐの帰宅となりました。
 そして、今日は、土日に働いたため代休。明日も同様の代休になっています。そこで、今日は、まず忘れ物の傘を、いずみホールに取りに行きがてらのウォーキング。黄紺は、木曜日のコンサートのあと、京橋駅から取りに戻ったのですが、連れが取りに戻れなかったため、大阪市内に出ることの多い黄紺が、取りに行くことを引き受けたのです。ということでのウォーキングだったのですが、気になる傘を、歩き始めてすぐに取りに行ったものですから、ずっと傘を持ったままのウォーキングになってしまいました。はっきり言って、傘がじゃま。どうしてコースの最後の方で寄るということを考えなかったのでしょうね。我ながら、自分の間抜けさに呆れるしかありませんでした。コースは、以下のようなものだったのですが、大阪城公園を出たあと、「谷町3」の交差点を、ひたすら西に向かったもの。木津川を渡ったところで、あとは時計を見て決めるというもの。大事をとり、安治川トンネル方向には歩くのを止めたというものです。京阪「京橋」駅〜いずみホール〜JR環状線「大阪城公園」駅〜大阪城公園〜NHK大阪〜地下鉄「谷町4丁目」駅〜大阪内本町郵便局〜本町橋〜大阪府東警察署〜地下鉄「堺筋本町」駅〜相愛学園〜地下鉄「本町」駅〜韓国料理店「ヒャン」〜大阪西郵便局〜津波・高潮ステーション〜木津川橋〜端建蔵橋〜船津橋〜大阪市中央卸売市場〜大野東公園〜大阪市立野田保育所〜大阪福島野田郵便局〜大野町公園〜「野田6」交差点〜JR環状線「野田」駅。
 「野田」から「天満」に移動。駅近くのネットカフェで、時間調整がてらの休憩。そして、夜は繁昌亭へ。今夜は「第24回彦八まつり 奉納落語会」がありました。その番組は、次のようなものでした。遊方・生喬「挨拶」、生喬「相撲場風景」、小春団治「日本の奇祭」、文之助・小春団治・三風・三金・遊方・生喬「」、(中入り)、「お茶子クイーン・コンテスト優勝者」「素人演芸バトル優勝者」、文之助「マキシム・ド・ゼンザイ」、遊方・生喬「抽選会」。彦八まつり実行委員の中で、この会の担当者が遊方と生喬ということで、「挨拶」「抽選会」を初めとして、この会の仕切り役。小春団治と三金は、野外ステージのイベントで司会役を担当したということでの登場。文之助は、もちろん今年の実行委員長。三席の落語は、大きなネタは避け、且つ、何らの形で彦八まつりに関連つけたもの。「相撲場風景」は「噺家相撲」から、「日本の奇祭」は祭りネタそのまんま。「ゼンザイ」は屋台の食品販売につなげたもの。この中でのヒットは、「日本の奇祭」を聴けたこと。小春団治の新作ものでは、未だ遭遇経験のなかったものだったのですから。ただ聴いてみて、そないにおもしろいとは思えませんでした。無理矢理っぽい感じで、奇祭を絞り出したなの印象がぬぐえませんでした。創作ものは、はまる場合とそうじゃない場合ってのが、どうしても出てきます。文之助の「ゼンザイ」は、何度聴いても、喉周りに鳥肌が立ちます。これも、でっち上げものですが、「奇祭」に感じる無理矢理というか、あざとさを感じないのは、どの辺りの違いから来るものなのでしょうか。生喬は、時間を考えてでしょうね、帯を掴む男と、トイレをガマンする男だけを出しました。「お茶子クイーン・コンテスト優勝者」は、元ミス・ユニバース大阪代表という女性。一芸では、英語落語を披露してくれました。「素人演芸バトル優勝者」も、なかなかの優れもの。中三の男女コンビで、実に頭の回転の良い2人にびっくりでした。




2014年 9月 6日(土)午後 10時 42分

 今日と明日は、休日出勤。毎年、この土日がつぶれるので、これも恒例の彦八まつりへは、仕事が終わってから駆けつけています。ただ、今年は、夕方から雨。激しくなったり、ときには止んだりを繰り返していました。黄紺が会場に着いたのは6時前。この時点では、まだ屋台は営業していたので、「鶴瓶」ブースで焼きそばを買い、木陰で食べていると、向こうから見馴れた方のお姿が。昨日に続いて、東京からおみえのT氏が居残り中。朝、京都に向かわれるお三方をお見送りをしたあと、彦八まつり入りとか。二つを合わせての来阪とはしゃれています。今年も、お手伝いということで、瀧川鯉朝さんと恩田りえさんが来られているそうです。時間的に、奉納落語会は諦めていますので、狙いは野外ステージ。それを聴くために必要なビールは、南斗くんがお手伝いをしていた「文太・南湖」ブース。文太師に大久保さんのお姿は確認したのですが、南湖さんの姿がありませんでした。替わりに南斗くんが来ていたのかもしれません。野外ステージの方は、「ぐんきち」「文福一座」「満腹ブラザース」「ヒロポンズハイ」を聴くことができました。かつて「文福一座」が超時間オーバーをしてから、お達しが徹底されたのでしょうね。時間厳守が守られているため、それぞれの演奏時間が、かなり制約を受けています。「文福一座」は、完全にぽんぽ娘がお目付け役兼司令塔となっています。お目当ての「満腹ブラザース」は、神社での演奏でありながら、花まつり関連が1つ、クリスマス関連が2つもありました。黄紺の好きな「ああ、青春の上方落語」は出ませんでした。そして、いつものように、「ヒロポンズハイ」の演奏途中に、会場をあとにしました。




2014年 9月 5日(金)午後 11時 48分

  大阪市内遊歩(214)

 今日は、雨の天気予報だったため、ウォーキングは諦めていたのですが、昼前には太陽が顔を出した。これはということで、午後に予定していたことを止め、ウォーキングに変更。地図を持たないで、気のおもむくままに歩いたコースは、次のようになりました。京阪「京橋」駅〜インド料理店「アルナーチャラム」〜京橋〜追手門学院小学校〜大阪城〜大阪国際平和センター〜越中公園〜城星学園〜寺山公園〜「上本町2」交差点〜大阪市立上町中学校〜大阪谷町郵便局〜史跡「近松門左衛門之墓」〜妙光寺(「初秋東西講談会」会場)〜高津公園〜上大和橋〜下大和橋〜文楽劇場〜浪速日本橋郵便局〜日本橋公園〜浪速区役所〜難波中公園〜韓国料理店「宮」〜地下鉄「難波」駅。大阪市内の中心部を地図を持たないで歩くのは、なかなかいいこと。随分と、今まで歩いたことのない狭い道を歩くことができました。これは、そういった地域が碁盤の目のように道路ができているからです。環状線の中は、ほぼこれで行けますね。ということで、ちょっとした収穫と言えることがありました。
 時間調整と休憩は、いつもの千日前のネットカフェ。そして、夜は谷六と谷九の間にある妙心寺であった「初秋東西講談会」に行ってまいりました。東京でも揃わないという3人の講釈師さんが大阪で顔を揃えるということで、東京からも聴きに来られた方がいるという近来稀なる豪華講談会、外すわけにはいきませんでした。その番組は、次のようなものでした。南湖「弁慶と牛若の出会い、五条の橋」、琴調「幡随院長兵衛、芝居の喧嘩」、琴柳「野狐三次、木っ端売りの三次」、(中入り)、橘右楽・紅楽「寄席文字実演」、南鱗「荒大名の茶の湯」、貞山「安兵衛の駆けつけ」。南湖さんは、最近こっている修羅場読みの入るネタ。その次に出てきたのが琴調師だったもので、一挙に、この会の大きさを認識。また、気っ風のいい江戸弁が冴える幡随院長兵衛もの。芝居小屋での、幡随院長兵衛の子分と旗本との小競り合いを描いてくれました。琴柳師は、東京からみえていたT師によると、最近、喉の調子が悪く高座を離れていたのだが、今日が復帰戦だとか。確かに、声の調子が悪そう。でも、琴柳師は独特の味があります。知らないで聴いていると、噺家さんと間違えるかもしれない雰囲気を持たれています。その軽妙さに、この方の評価があると看ました。ネタは、上方では南華さんが手がけておられる「野狐三次」の、ほぼ序の位置に当たるもの。ネタが短めだということからでしょうか、マクラ替わりに、修羅場読みの例を見せて下さいました。その中で最も長く披露したのが「本能寺の変」。黄紺は、琴柳師の高座に遭遇するのは初めてだったのですが、なんか芸風に魅せられてしまいました。軽妙、且つ洒脱という言葉が、これほど似合う方はいないんじゃないかなぁ。中入り明けは寄席文字の実演。黄紺は「鏡」をお願いしました。T師がけしかけてくるものですから、寄席文字は画数が大きいほど、そのらしさが出るので、そういった字で3人の東京の講釈師さん縁のものを考えました。最初は、「柳」「龍」を考えていたのですが、直接すぎておもしろくないと思い考え続けていて、ひらめきました。貞山師の娘さんで、超別嬪さんの貞鏡の一文字を書いていただくことを思いついたのでした。南鱗さんは、この会のお世話役。3人の方とのつながりを作った小金井芦州師の話をして、会場を盛り上げてくれました。更に「荒茶」は、その上がったテンションに相応しいネタ。そしてトリは貞山師。「安兵衛の駆けつけ」は、上方でも演じ手がいるものですが、随分とネタの運びが違うので面食らうほど。前半が、なんと安兵衛が喧嘩の仲裁をする話。こんなの聴いたのは初めてでした。そして、しごきをもらうやりとりはなく、単なるレポートとして入れられただけでした。貞山師は、正に本格派。いいトリでした。




2014年 9月 4日(木)午後 11時 48分

 今週は、土日も勤務のある日。長〜い1週間です。幸い明日は非勤務日ということで、うまく力の配分ができるかと思っていたのですが、気分的には、やはりストレスを感じているのでしょうね、疲労感がありますね。でも、今夜もお出かけ。今日は、「いずみホール」でのコンサート。去年から3年計画で行われている「モーツァルト」の2年目が始まる前のプレイベントとして行われた「レクチャー・コンサート ウィーンを駆け上がるモーツァルト〜シュタインとヴァルターの響き〜」があったのです。無料コンサートということで、黄紺の同僚が応募していたのが、ラッキーなことに2枚当たり、そのおこぼれに与ったというわけです。2年目の今年は、モーツァルトのウィーン時代の前半、1781年〜1786年の間の曲を並べてプログラムが組まれています。今日は、その中でも、充実のピアノ曲を中心に演奏が行われたのですが、今日は、更に趣向が凝らされていました。モーツァルトの時代のフォルテピアノ、バロック・ヴァイオリンのコピー楽器で、それらを演奏しようとの試みがなされたのでした。しかも、磯山雅氏のレクチャー付きというもの。演奏も、古楽器に通じる久元祐子(フォルテピアノ)、須賀麻里江が担当というものでした。また、プログラムは、次のようなものでした。「幻想曲 ニ短調 K.397」「ボーマルシェの《セヴィリアの理髪師》のロマンス"私はランドール"の主題による12つの変奏曲 変ホ長調 K.354」「ピアノ・ソナタ イ長調 K.331《トルコ行進曲付き》」「ロンド ニ長調 K.485」「ヴァイオリン・ソナタ 変ロ長調 K.454」。総じてためになるコンサートというところ。古楽器の演奏を聴くという機会は、なかなか多くはありませんが、あったとしても、バロック期のものがほとんどを占め、古典期のものを聴けるのは稀。しかも、それをレクチャー付きで聴けるのですから、とってもありがたい話。フォルテピアノと呼ばれても、制作が10年異なるだけで、黄紺にもはっきりと判る音の違いが出ていました。ライプチヒの宝「楽器博物館」を訪ねたときに観た鍵盤楽器の細かな進化が、あまりにも細かだったので驚いた経験がありますが、今日、そのわけが判りました。ヴァイオリンでは、弓も進化を音の違いで見せてくれました。これは、目から鱗。長さ、より強い音の出るようにとの工夫、音で出されると、その違いはくっきり。いや〜、おもしろい経験をさせてもらいました。




2014年 9月 3日(水)午後 11時 6分

 昨日に比べたら、かなりの気温上昇。だけど、なんか夏は終わったなの雰囲気。急に、そないになると、働きながら暑さに苦しむってことが、これでなくなるなと思うと、もの寂しさを感じ出しています。今まで感じていなかったことを感じ出しているなの雰囲気です。幸い仕事は、わりとのんびりとマイペースでできているので、結構快適。夜遊びも順調というところです。今夜は、昨日に続いて繁昌亭。今日は、「落語&漫才W親子共演会」という会がありました。こう言っちゃなんなのですが、目当ては梅団治・小梅親子というよりは、三吾・美ユルの親子漫才コンビ。きっと普段よりたっぷりと聴けるはずとの思惑で、この会をチョイスです。その番組は、次のようなものでした。小梅「大安売り」、梅団治「親子茶屋」、三吾・美ユル「漫才」、(中入り)、出演者全員「座談会」、梅団治「禁酒関所」。まだまだ素人くささの残る小梅くんですが、ネタに入ると一転して、師匠の梅団治がゆっくりペースで喋るときの雰囲気を、色濃く出してきます。やはり落語は伝承芸です。「親子茶屋」は、本日の目玉的なネタ。だって、普段、梅団治は、このネタを出しませんから。その辺と関係のある話を、マクラでしてました。当然、このネタは、師匠春団治の得意ネタですから、師匠にもらいに行くと、「なんでや」と言われたそうです。春団治も、梅団治には似合わないと看たようですし、梅団治本人も、これでと自分を指差し、「芸者や舞子は似合いまへんやろ」と言っていました。体型だけではなく、梅団治の口調が、廓噺をするにはもっちゃりしすぎてます。ですから、梅団治の「親子茶屋」がレアになるのです。ですから、期待通りの口演だったと言えばいいでしょうか。もとより春団治のようなしゅっとした「親子茶屋」を期待しているわけではありませんから、当初より想像していたものに遭遇できた満足感で十分でした。もう一つの「禁酒関所」は、かつて三吾にリクエストされたことがあるからということでのチョイスだったようなのですが、これが、梅団治のカラーを破るほどの濃〜いものでした。中でも関所詰めの侍の酔い方が尋常じゃない。3度目のチャレンジとなる小便も、最初ははっきり言わないなど、クサイと言えばクサイのだが、的を射ていると言えば、その通り。際どいところでセーフかなといったところでした。三吾・美ユルのお二人は、コンビ結成20周年だそうです。とにかく、このコンビの継続は、三吾の長生きにかかります。いつまでも、この漫才を聴いていたいものです。




2014年 9月 2日(火)午後 11時 31分

 昨日は、咳止めの薬の副作用で仕事にならなかった一日。苦しんで、且つ疲労困憊。そのために医者に行こうかと、一時は考えたほど。一旦は治まったものの、また今朝になって、再発かの兆候。幸い、今日は、大事に至らず、演芸三昧の一日を送ることになりましたが、明らかに副作用の結果と判っているため、アホらしいやら情けないやらで、単に苦しいだけではなく、大変なストレスが溜まりました。
 で、今日は、まじは繁昌亭昼席へ。姉様キングスの二人が、音曲漫才に加え、落語も披露、それにプラスして、吉弥が、久しぶりに繁昌亭登場ということで行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。華紋「色事根問」、市楼「看板のピン」、三象「読書の時間」、姉様キングス「音曲」、恭瓶「犬の目」、吉弥「七段目」、(中入り)、 ビックリツカサ「マジック」、福郎「狼講釈」、染雀「化物使い」、あやめ「妙齢女子の微妙なところ」。なかなかおもしろい番組になりました。やはり姉キンの二人が出ると、華がありまるうえ、ネタ的にも変化が出ます。あやめのネタは、最近の定番ですが、染雀の「化物使い」は珍しい。吉弥が芝居噺を出したからでしょうか、はたまた夏だからということで用意をしていたからでしょうか。思わぬ噺に出逢いました。染雀の「化物使い」は、鶴瓶からもらったもの。初演時以来の遭遇でした。ネタでおもしろかったのは、その前に出た福郎の「狼講釈」。このネタ自体、演じ手の少ないもの。聴かせどころは、出鱈目の講釈を続けるところ。新治や小染という噺家さんで聴いたのは、かなり以前だったもので、その出鱈目ぶりがどのようなものだったか、残念ながら、どのようなものだったかは覚えてないので、今日の福郎の口演を、どのように捉えていいのか判らないのですが、なんか時代を反映してそうで、とっても気になりました。通常に考えると、このネタの出所は福郎系となるのでしょうが、出鱈目ぶりとネタの系譜の関係ってことも気になりだしました。あと演出的に興味が惹かれたのが、市楼の「看板のピン」でした。おやっさんを江戸っ子にして、終始東京弁を使うというもの。かなり以前にも、誰かで聴いた記憶だけはあるのですが、誰だったかは思い出せません。あとは、通常のネタで、通常の口演だったと言っていいと思いますが、前座の華紋の口演は、やはりただ者ではありませんね。
 繁昌亭を出ると日本橋に移動。千日前のいつものネットカフェで時間調整。そして、夜は、「トリイホール」どの「トリイ講談席」。今日は、「南海五十歳、新作・改作・掘り出し、オール南海作品集」と銘打って行われました。その番組は、次のようなものでした。南舟「熊谷と敦盛」、南青「山内一豊と千代」、南華「浪花女侠客伝・奴の小万」、(中入り)、南湖「怪談・怨みの高座」、南海「水掛け不動は見たっ!〜法善寺落語戦争の段〜」。今日のネタは、全て南海作品。「熊谷と敦盛」はおかしいぞと思っていたら、南舟くんが、南海さんからつけてもらったネタだそうです。「怨みの高座」が南海作品だということは、今日まで知りませんでした。この中で、一番よく高座にかかるのが「山内一豊」であり、かなり講談の枠を越えるかのような、笑いの豊富なネタのため、春蝶などは、南海さんからもらい落語として演じているくらい。特徴は、馬が喋るというもの。今日の南青くんは、その部分は若干抑えめか。でも、南海さんからもらったとなると、抜かすわけにはいかないのがこの部分。きっちりと南海テイストを伝えてくれました。「奴の小万」は、女性の社会進出的話の仕上がりぶり。これも、南海さんが時々出すネタですね。「怨みの高座」は講釈師が主役。妻を奪われた元侍の講釈師が、その妻を奪った講釈師と再会したとき、悔しさのあまり自害。怨みを受け継いだ息子が、講釈師となり、その怨みを晴らそうとしたところから怪談調に。南湖さんは、南海さんからもらった台本をなくしたと言いながら、無難な高座。主役の南海さんは、三友派と桂派の対立が生まれる2代目文枝襲名問題から読み始めました。どうやら、このテーマで作品を創るつもりなんでしょうね。その一部として、今日の読み物が生まれたと看ました。南海さんは、師匠からネタを受け継いだだけではなく、どんどんとネタを創り出していっているのが持ち味。ホントに多くの作品の中から、自身でも繰り返し口演しているネタが披露されただけというのが、今日の会だったのではないでしょうか。




2014年 8月 31日(日)午後 8時 16分

  大阪市内遊歩(213)(写真なし)

 最近、トルコに行ってからかなぁ、わりかしよく眠れます。昨夜などは、久しぶりに外でお酒を呑んできたものですから、余計にしっかりと眠ることができました。しばらくは、この喜びに浸りたいと思います。ただ、睡眠時間が増えると、一日の活動時間に障ってくるというのだけは痛いのですが序盤の。ま、今日も、そういった一日だったというわけですが、お出かけは12時過ぎが目安。今日は、動楽亭に行ってまいりました。今日の午後は、こちらで「兄丸寄席」があったからです。ざこばの弟子そうばの勉強会です。その番組は、次のようなものでした。米輝「青菜」、そうば「天狗刺し」、米紫「三年目」、そうば「抜け雀」。今日は、ダメでした。一番前の席に座りながら、ほぼ寝てしまってました。睡眠時間がたっぷりなわりには、どうしたことでしょうか。一番長く聴けたのは、米輝の高座かな。主役のそうばの高座が、ほとんど記憶にないというのは、あんまりですね。なお、米紫は雀喜の代演。そうばが受付もしていたので聞いてみると、雀喜は、倒れて腕を骨折して入院中ということでした。
 動楽亭を出ると、直ちにウォーキングに移行。空模様が、とってもあやしいので、とにかくいつでも逃げ込めるようにということを考えてのコース取り。そのためか、繁華街を多く歩くことになりました。こうした配慮をすると、雨って降らないものですね。そのコースは、次のようなものとなりました。動楽亭〜飛田新地料理組合〜Q's mall〜アベノ・ハルカス〜JR「天王寺」駅〜大阪市立美術館〜天王寺動物園〜大阪市立日本橋中学校〜水掛け不動〜道頓堀〜松竹座〜アメリカ村〜ベトナム料理店「アンゴン」〜坐摩神社〜大阪化繊ビル内郵便局〜大阪府結核予防会〜地下鉄「肥後橋」駅〜フェスティバル・ホール〜大阪市立科学館〜大阪大学中之島センター〜京阪「淀屋橋」駅。




2014年 8月 30日(土)午後 11時 35分

 今日は、午後から民博の映画会に行く予定にしていたのですが、もっと観たいと思う映画を見つけたので、急遽予定変更。その結果、民博に行くつもりで、トルコで買ってきた本を渡す予定にしていたアイシェ・ハヌムに会いに行くことが、えらい遠回りになってしまいましたが、これは、黄紺の無計画さのゆえ。で、観たいと思った映画というのは、テアトル梅田であったチリ映画「No」。ピノチェト政権時代を扱った映画ということで、レアものとして、えらくそそられてしまいました。こないな映画、そないに入るわけがないと、時間がたっぷりとあったのに、直前に映画館に入って行ってびっくり。土曜日とは言え、場面設定のレアさに、黄紺同様関心を持つ方っておられるのですね。とっても観にくいアングルから映画を観ることになりました。長年、独裁政権を続けてきたピノチェト政権が、国際世論に応じて実施したピノチェト政権の信を問う国民投票で、ピノチェト退陣に導いた反政府陣営の政権放送を担当した人たちの奮闘を描いた作品。暴力的な統治に、国民投票自体を信じない国民を投票に導き、その投票に勝つための論理というのは、正に広告業界の論理。独裁政権にノーを考えていても、国民投票と言えば、所詮出来レースとの思いは、野党指導者の間にも拡がっていたのを説得するところから始まるというしんどいところからスタート。彼らの考え出したのは未来志向。となると、過去にひどい弾圧を受けてきた人たちからすると、極めて生っちょろく映ってしまうのを説得していくのも大切な仕事になっていきました。しかし、企画通りの映像が流れると、それが当たりだすと、暴力に訴える当局側。映画として、捻りがあるとかどうかというものではなく、どちらかというとドキュメンタリー・タッチのもの。こういった映画が出てくること自体に意味があるのだなと思わせる映画でした。立ち見まで出た映画でしたが、客の大半は、アジェンデ政権やピノチェト独裁政権をリアルタイムで知る世代。そんな中に混じる若い世代、彼らは、いったいどういった人たちか、逆に気になってしまいました。
 そして、夜は、年に3回ほど定期的に食事会をしている昔の同僚との邂逅。どうしても、年齢に相応しい話に終始。この集まりは、いつもイスタンブル・コナック。次回は、川口教会のコンサートでを約して別れました。




2014年 8月 29日(金)午後 10時 58分

  大阪府門真市(54)〜大東市(20)〜東大阪市(46)

   ようやく体調が戻り、気分的にも晴れやかになってきました。ただ咳だけは止まっていませんので、週明けには、咳喘息用の薬をもらいに行かねばなりません。ということで、今日からウォーキングを再開。そのコースは、次のようになりました。京阪「古川橋」駅〜「門真大橋西詰」交差点〜北島大橋〜門真市立五月小学校〜門真市立第七中学校〜「三ツ島北」交差点〜三ツ島墓地〜門真市立砂子小学校〜「御領西」交差点〜御領橋・菅原神社〜「御領南」交差点〜「赤井」交差点〜住之井東橋〜大東住道郵便局〜大東市立住道中学校〜大東市立住道南小学校〜韓国料理店「ムグンファ」〜JR学研都市線「住道」駅。とにかく「古川橋」から「住道」を目指そうというもの。直で行くと、1時間半余りで行ってしまうからと言っても、あまり寄り道するようなところもない。今日は、うまく入り込むことができたのですが、昔の水郷跡の位置も、しっかりと把握できてないで歩くということで、方針としては、早く住道に着くようなら、駅の南側を歩こうというもの。結局は、相も変わらず第二京阪で迷うというが起こりました。太陽が出てないものですから、太陽で方角を知ることができないのは痛かった。最後の最後で、結局、雨に遭い、分強短くして切り上げることになりました。
 「住道」から「京橋」経由で「天満」に移動。駅の近くにあるネットカフェで、休憩がてら時間調整。トルコから帰ってから1週間、体調が悪く、ごろごろしていたら、いつものウォーキングをしただけど疲れてしまいました。ですから、夜遊びに備えてのいい休憩になりました。そして、夜は繁昌亭に復帰。今夜は、「焼肉繁昌亭」がありました。三金が、毎年プロデュースをして、地域の焼肉店に協賛してもらって開いている会。なかなかの好メンバーに惹かれて行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。三語「二人癖」、吉弥「お玉牛」、塩鯛「鹿政談」、(中入り)、三金「試し食い(仮題)」、雀三郎「寝床」。三語が、最近、前座によく起用されます。現文枝門下の定番ネタを、序盤をカットしたショートカット版で披露してくれました。吉弥は、出囃子について一くさり。マクラの定番のようになっています。短めのネタということで、「お玉牛」だったのでしょう。何度か、吉弥で聴いていますが、今日の口演は、かなり土の香りが減じたものでした。大阪以外で演じることで、身に付けていったものかと思います。塩鯛の「鹿政談」は初もの。ひょっとしたら、最近のネタ下ろしかもしれません。塩鯛が、どこかで、このネタを出しているのに記憶はありませんから。マクラは、土地の名物という括りから喋り出しました。それを食べ物でやってくれたもので、なかなか「鹿政談」だとは判りませんでした。ネタの進行は通常のものでした。三金の「試し食い」は、「試し酒」の焼肉ヴァージョン。5種類の焼肉の食べ方に、三金の蘊蓄が入るものですから、パロディものとは言え、なかなかおもしろい仕上がりぶり。雀三郎の「寝床」については、もう改めて書く必要はないでしょう。もう絶品です。雀三郎の場合は、ネタ出しされてない会で、こうした得意ネタに当たることが楽しくて楽しくて。焼肉の括りの会ですが、番組的には、かなりグレードの高いもの。繁昌亭復帰戦にいい会に当たりました。




2014年 8月 28日(木)午後 11時 16分

 随分と涼しくなったものです。このまま秋に向かうとは思えませんが、とりあえずは嬉しいことです。今日は、仕事は、のんびりとすることができ、そういった意味でも嬉しかった一日。夜は、道頓堀の「ZAZA」へ。最近、道頓堀を歩いていると、中国語で呼び込みまでやってます。すっかり変わってしまいました。今日は、こちらで定期的に開かれている「太郎寄席」に行ってまいりました。今日の主役は文三ということでしたので、外せないなの気持ちだったということです。その番組は、次のようなものでした。松五「餅屋問答」、文三「浮世根問」「ろくろ首」、(中入り)、文三「壺算」。松五を、どこに入れるのかなぁと思っていたら、トップでした。その松五は、何とトップで「餅屋問答」。あとの文三のネタが短めということを知っての配慮でしょうが、いきなりの「餅屋問答」にびっくり。松五の「餅屋問答」は、以前にも聴いているのですが、ホント、この人、10年の間にうまくなった。噺の枠組みがしっかりしてますもんね。あとは、登場人物のキャラに振幅が、もう少し着いていくと、噺に華が着くと思いますが、なんせ我が道を行くという噺家さんですから、先は判りませんね。それが、この人のキャラになってきているのが、魅力になってきています。文三は、普段、あまりやらない噺をということで、前座噺を2つ並べました。「浮世根問」は、弟子入りしてから2つ目に覚えたネタとか。文三が、よくマクラでする話ですが、とにかく修行時代は、師匠から根問ものを稽古するように言われと言います。所謂基礎の大切さを叩き込まれたということなんですが、キャリアを積んだ今、師匠の話を交えながら、こういったネタを披露してくれるのは、なんか聴いていて微笑ましくもあり、文三を聴くときの楽しみの一つになっています。「ろくろ首」については、文三としては珍しく、中入り後高座に上がったとき、下げについて解説をしてくれました。本来の下げである「蚊帳をつるときに困る」的なものを紹介したあと、もう蚊帳を知る世代が減ってきている時代には則さないということで、現在では、ほぼやらないこと。次に、最近一番多い「娘さんが首を長くして待ったはる」は、朝丸時代のざこばが、小文枝時代の先代文枝にもらったときに考え出したもの。それらに対し、今日、文三が採用した「お母はんが首を長くして待ったはる」「それやったら家にも帰れへん」は、東京の下げだそうです。アホが、母親と二人暮らしであり、倅の結婚に気をもんでるという話が序盤に出てくるのでと、文三は説明していましたが、とっても合理的な説明に首肯できるものと受け止めました。最後は「壺算」。文三で聴いたことがあったかなぁというもの。序盤に布袋さんが落ちる噺が入りました。終盤の番頭の困りもあっさりと運ぶところなどは、明らかに文三の見識。噺の持つ強みに信頼を寄せているからでしょう。やはり、こうしたセンスがいいですね。これは、「ラクゴリラ」4人に当てはまる優れたところです。




2014年 8月 27日(水)午後 10時 48分

 今日は、珍しく大阪市内へ出張。その帰りに扇町に行き、駅近くのネットカフェで時間調整後、「東梅田教会」であった「まるまる出丸の会」に行ってまいりました。実に久しぶりに覗いたのですが、かれこれ3年はおじゃましてなかったのではないでしょうか。その番組は、次のようなものでした。華紋「商売根問」、出丸「蛇含草」、ちょうば「親子茶屋」、出丸「千両みかん」。華紋は、なんとネタ下ろしだそうです。前座として喚ばれた会で、ネタ下ろしをするというのは、やはり珍しいことでしょうね。これは、あとから出た出丸がばらしたのですが、聴いていて、ネタをくってるようなしゃべり方になっていたので、逆にかなりしゃべり込んだネタで、ちょっと緊張感が薄くなってのかなぁと思っていたのですが、逆でした。出丸は、今日は、二つとも夏のネタを並べました。「蛇含草」の方は、トルコに行く前に、「動楽亭昼席」で聴いてしまっていたので、残念ながらかぶってしまいました。今日の出丸は、酒を4日断って、この会に臨んだと言っていたのですが、カミカミが持ち味とも言える出丸なのですが、今日は、言葉が出よう出ようとして、でもすぐに出ないようなもどかしさがありました。なんか、かんでくれた方が、聴きやすかったんじゃないかな。ゲスト枠に、若手を持ってくるのは、この会では珍しいですね。逆に言えば、それだけ同門のちょうばを買っているってことかもしれません。高座では、ちょうばのことを「若手真打」と言って持ち上げてはいました。ちょうばの「親子茶屋」は、確か2回目。静かで丁寧な語りは、ちょうばお得意のところ。ですから、前半の旦さんの説教は、とっても説得力があり、なかなかグー。ところが、花街に場面が移ると、急にちょうばの語り口が地味に映ってしまいました。ここが課題なんでしょうね。親子が遇ったとき、ちょうばは、ちょっと微笑みました。出丸曰く、「米朝師匠は驚きだけだったのですが」「彼なりの工夫が嬉しいところです」と、大まじめに論評してました。この論評は、「千両みかん」のマクラで言ったのですが、それに次いで、「千両みかん」の自身の工夫について語り出しました。この話に入る糸口に、ちょうばの工夫に触れたっていう感じかな。出丸は、高座で、こうした落語論的な話はしない人なんだけど、やはり50歳間近となると、マクラも変わってくるのでしょうか。「千両みかん」についての工夫というのは、序盤の繰り返しを避けるというもの。番頭が、若旦那から聞き出した話を、旦さんにするので、客は、同じことを2度聴くことになってしまうので、それを避けようというもの。ですから、番頭が、旦さんに報告するところから始まりました。なるほど合理的なカットなのですが、一つだけデメリットのあることに気づきました。主役であるはずの若旦那が、最後になって、ようやく登場することになってしまうのです。これ痛いですねぇ。なんとか、その辺を補う工夫というのがあればいいですのにね。
 ところで、体調の方ですが、やはり医者に行ったかいがあり、風邪的症状としては咳だけが残ることになり、いよいよ咳喘息ということが、はっきりしてきました。咳喘息って言葉を、昨日、初めて知って、結局、若い頃から、一旦風邪をひくと、なかなか咳が取れなかったわけがはっきりしました。これって、持病だってことが。自分が、そういった形でのアレルギー体質だったことが、はっきりしました。ちょっとすっきりした気分です。




2014年 8月 26日(火)午後 10時 32分

 ついに医者に行きました。風邪をひき始めてから長いのに、まず驚かれました。それに、肺に聴診器を当てて判ったのでしょうね、「咳喘息を起こしかけています」と言われ、喘息なんてものに無縁な生活をおくってきたため、これにも驚かされました。「咳喘息」って言葉があるのですね。確かに、のべつではないのですが、一旦咳がでだすと、これで亡くなる人もいるということを聞いたことがあるぞということを思い出すほどなのです。かなりやばい話を聞いたようで、やはり何でも早めに手を打つに限ります。そんなですから、今日も、昼間は出歩かず、夜遊びだけに留めました。今夜は、毎月恒例の「旭堂南海の何回続く会?」のあった日。谷六の「薬業年金会館」でです。今日から、新ネタ「天下茶屋の敵討」が始まりました。今日は、「(壱)備前宇喜多家騒動」が読まれました。マクラで、このネタが残っているのは、「太閤記」と「難波戦記」の繋ぎとして必要だったのではとの講釈がありました。秀吉が亡くなって2年後に関ヶ原の合戦、2年という短期間だから、ここは簡単に繋ぐことはできるのだが、そのあと、大坂の陣まで14年という間が空くのを埋めるかのように、この「天下茶屋の仇討ち」が組み込まれたのではと、講釈師の営業面からの説明に納得。主役は、備前の宇喜多家。話は、本能寺の変、それに続く中国大返しからスタート。秀吉軍と毛利軍の狭間に立つ宇喜多家の選択から入りました。当主直家と家老ら家臣団が選択したのは秀吉につくこと。この流れで、関ヶ原では石田三成側に立ち敗北。このときの当主秀家は、薩摩に逃れ、後には八丈に流罪となっていく。ところが、関ヶ原のあと秀家が、身を潜めている間に、宇喜多の筆頭家老が、家康ににじりより、お家を乗っ取ろうとする。既に、悪心を見抜いた他の主だった重臣は消されていたのだが、最後まで抵抗した家老職の侍が討たれたところから、仇討ち劇がスタートしました。いや、今日は、スタート地点に着いたところで、タイムアップとなりました。今日は、薬も変わったこともあり、開演前に薬を飲むということをしなかったものですから、ゆったりと安心して、講談を聴くことができました。最近は、よく眠れるのだけは取り柄になってますしね。




2014年 8月 25日(月)午後 11時 31分

 今日は、仕事のあった一日。だけど咳は止まらないし、体も本調子じゃないままの仕事は、気分的にも疲れます。明日は、必ず医者に行くと決めました。夏風邪はしつこいとは、言い古された言い方ですが、正にその通りです。そんなですが、夜遊びを控えるということをしないのが黄紺です。今夜も動楽亭。今日は、「第6回ご近所落語会」がありました。動楽亭の近くに住む生寿と小鯛の二人会です。主役の二人の落語は一席ずつですが、二人のトークが付いてくるということで、十分満足度の上がる会なのです。その番組は、次のようなものでした。小鯛「参観日」、生寿「高津の富」、小鯛「メッセージボックス(仮題)」、(中入り)、生寿・小鯛「対談」。今日は、楽屋へのお手伝いもなく、全く二人だけの会。高座は、いつもは一席ずつですが、今日は、小鯛が、自作を二つ出し、そのわけを、一つ一つが短いからと説明していました。「参観日」の前半は、勉強のできない男ナベシマの珍回答集。後半は、そのナベシマが、保健体育の授業で豹変する姿が描かれました。中学生あたりには、ひょっとしたらいそうな男です。「メッセージボックス」は、魚釣りのビキナーズラックの噺。「対談」で、生寿も言ってましたが、テイストは、全然違いますが、福笑の「釣道入門」を想起させる作品。生寿に指摘された小鯛ですが、その福笑作品は知らず、3人が出てくる噺を創りたくて、いいシテュエーションとして、釣りという場面設定を考えついたと言っていました。今日がネタ下ろしということです。メッセージボックスと絡めた下げが秀逸で、ならば、もうちょっとメッセージボックスについてのネタふりに、時間を割いた方が、よりおもしろくなるのにとも思いました。小鯛の新作は、これで4つ目かな。彼の語り口のゆえなのかもしれないのですが、発想自体には、さしたる斬新さを感じるわけではないのですが、長閑な、決してあとには残らない薄味の風味を感じます。癒し系新作ってところでしょうか。小鯛に対して、生寿は、大ネタ「高津の富」。昨年、生喬からもらいネタ下ろしをしたとか。まず、本人も自覚をしていましたが、古風な風味に徹しており、31歳の噺家さんの口演とは思えないもの。それを、生寿は守り続けると公言してました。加齢とともに増してくるだろう声質の変化を初めとして、風貌やら醸し出す空気、それらが、今の演出に追い付いてくることを待つというコンセプトで、ときどきの閃きや考えではいじらないつもりのようです。これは、遠大な計画。そういう意味での変化を見続けるのも、また楽しいことでしょうが、黄紺の方が、先につぶれるのは判ってるだけに悔しい話です。「対談」は、主に間近に迫った「彦八まつり」の出店について。若手の噺家さんにとっては、大変な日々が待っているようです。今日は、客席でも囁かれていたのですが、「雀のおやど」(雀五郎の会)と選択を迫られた日。コアな落語ファンが、その2ヶ所に分かれてしまいましたが、今日の入りを見ると、両者痛み分けってところでしょうか。




2014年 8月 24日(日)午後 8時 10分

 体調の方ですが、毎日、ほんの僅かだけ快方へ向かっている実感はあるのですが、なかなかウォーキングを再開しようなどという気分になるには、まだ時間がかかりそうです。熱っぽい感じは抜け出せたかな、でも体はしゃきっとしないという感じです。咳は止まる気配はありませんし、そして、お腹は、まだダメだしということで、力が入らないのです。3週間に渡る旅行疲れも重なっているのでしょうね。てなことで、今しばらく自重の日々を過ごそうかと考えています。 で、今日のお出かけは動楽亭。今日は、こちらで「第15回吉の丞進学塾」がありました。日曜日の昼間、人気の若手にゲスト、かなりの集客力をみせてくれました。その番組は、次のようなものでした。染吉「牛ほめ」、吉の丞「青菜」、(中入り)、生喬「尿瓶の花活け」、吉の丞「借家怪談」。今日も、開演前に咳止めの薬を飲んだため、ずっとうつらうつらした状態。特に動楽亭には、安楽椅子が用意されていますので、余計にいい気分になってしまいますが、それは、端から折り込み済み。まず、トルコ帰り初の落語会の雰囲気に浸れたことだけでも、良しとしましょう。染吉は、冒頭でかんでしまうと、場内は大ウケしたのですが、何食わぬ顔でネタへ。まだ、混ぜ返すものを持っていないようです。吉の丞は、14.5回目で、「ラクゴリラ」のメンバーをゲストに迎えることを、この会を開くようになった当初から考えていたと言い、確かに、今回は生喬で、次回は花丸だから、その通りになっているのですが、それは、中だるみに活を入れるためと説明。確かに、今回の動員力を見せられると納得。また健康診断にいったことも話していました。結果的に酒断ちだそうで、かなり厳しい数字が出たようです。そういった食べ物絡みの話から「青菜」へ。生喬は三重高校出資なため、正に旬の話題として使えるということで学校紹介が、マクラの柱。ある意味では、最早旧き良き時代といった学校風景が垣間見えました。食堂メニューから符牒の話に移行したので「吉野狐」かと思ったのですが、待望久しい「尿瓶の花活け」に。先代歌之助以来じゃないかな? 最後は、ネタ出しの「借家怪談」。吉の丞らしいいいネタを持ちネタにしたなとおもったネタなんですが、くすぐりとして、現代ものを使いすぎです。これは、ちょっと興ざめだったな。ボャーッとした頭で聴いていたので、的外れがあるかもしれません。
 動かないでじっとしていることが多いということで、動楽亭から日本橋まで歩いてから帰ろうとしたところ、大変な雨に遭いギヴアップ。辛うじて電器屋街のアーケードに逃げ込み雨をしのぎ、結局、アーケードのまま地下鉄に入れる恵美須町へ引き返すハメに。なんか、単なる時間の浪費に終わってしまいました。




2014年 8月 23日(土)午後 9時 45分

 体調は、今日も、相変わらずだと書かねばなりません。お腹なんか余計に悪くなってきています。今頃になって、結局、お腹も風邪でやられたのだと納得してきています。徐々に徐々に症状が拡大していってるという感じですから、今になって後悔。昨日、医者に行っておけば良かったと思っても、あとの祭りです。ですから、今日は、かわいいお出かけ。京都の烏丸丸太町の近くにある「嘉祥閣」であった井上家のお稽古能「同研能」に行ってまいりました。「嘉祥閣」の所有権とか管理権とかが、どのようになっているのかは知らないのですが、元来は、井上家の能舞台。ここで、年3〜4回、小規模な能の会が行われており、何が嬉しいかと言えば、無料で入れること、それに、特に狂言方などは、若手の方が起用される傾向にあること。今日などは、井口さんがシテで、増田さんがアド、後見に茂くんが入るという、普段の会では見られないことがあるのです。番組は、狂言「清水」能「玉鬘」というものでした。「清水」の方は、上演頻度トップかもしれないほど、よく出る曲。井口さんなどは、普段、シテを取られることはないでしょうが、シテを経験されることで、やはりアドでのリズムとか、間合いを会得されていくのだろうなと思いました。「玉鬘」は、「源氏物語」を本節とする曲の1つだが、この話は、黄紺的になじみがないものですから、後半部で物狂いとなるわけが解らないまま終わるというパターンが繰り返すと言うほど観てはいないのですが、ま、そないな感じなんですね。ですから、「二本の杉」で、ワキの僧とシテの女が出逢う意味が判らない。それがきっかけとなって、物語が展開するわけですから、正にキーポイント。玉鬘は夕顔の娘、夕顔の死後、九州へ下るが、その美貌ゆえに求婚者が多く、逃れるように上洛する途中、初瀬の二本の杉で、偶然、夕顔の元侍女に再会することで、この玉鬘の運命が変わっていくとなるそうですが、どこへ行っても、美貌ゆえに求婚者が多く、そこで、玉鬘自身が恋の妄執に悩むと、作者は思いついたようです。なるほど、さほどポピュラーな話じゃない分、この曲の上演頻度も少ないということでしょう。後シテでは、十寸髪を使い、唐織脱下にして、髪を左側だけ前に細く垂らした姿は、「浮舟」などでおなじみの物狂いのもの。おシテの浦部幸裕さんは、ちょっと華奢な体格なもので、男に言い寄られて逃れる女の雰囲気が感じられました。やっぱ、能楽師さんは、姿形も能力の重大な要素です。
 もう、午後4時前にはお開き。ぶらりと歩くと近いかなと思い、昼間の「カフェ・モンタージュ」の前を通ってみました。「もうからないカフェ」とオーナー氏が、よく口にされますが、この夷川通って、ぽつりぽつりといい感じのカフェやレストラン、小料理屋さんがあり、総体としていい雰囲気を作り出しています。その1つに入ってはいますが、あまり目立ちませんね、確かに。あとは、三条辺りをぶらっとして、本日はおしまい。




2014年 8月 22日(金)午後 11時 49分

 今日も、まだ体調は戻りません。体の倦怠感は、少しましになったかなという程度。咳が、相変わらずひどくて、今夜のお出かけにも色濃く影響してしまいました。夕刻までは、ひたすらHPを整えるためと、冬のオペラ紀行の準備。だいぶと後者の方に、時間を割かねばなりませんでした。というのも、今年は、ちょっと出足が違うかなの印象を持っているからです。航空券の手配も、トルコに行く前にした方が賢明と判断したために、既に済んでいますし、そのためにはコース設定のおおよそも決めねばなりませんでした。毎年、トルコのネットカフェで、各歌劇場の様子をチェックしているのですが、今年は、チェックしていて異変に気づいたのです。黄紺がよく行く歌劇場のある演目の売り出しは、既に始まっており、中でも黄紺が行くことを考えていた日にちの売れ行きが、この時期にしては常ならざる動きをしていたのです。コース決めの際のキーになる演目だったもので、大変な事態と判断。コースの最終確定に必要なデータ収集、そして最終決断をするためには、かなりの時間を必要とします。どうしても、歌劇場によっては、立ち上がりの悪いところがあるので、夏前にはデータが揃わないのです。一方で、大歌劇場では、チケットの売り出しが始まっているという状態。今年は、さすが超有名歌手の出演予定演目は、トルコに行く直前に、もうチケットを押さえておいたほどです。そんなで、来年からは、トルコに行く時期をずらせるので、この辺との調整を考えています。てなことで、しばらくは、この作業が続きます。
 で、今日のお出かけは動楽亭。「第14回『南湖の会』〜これが難波戦記〜」があったからです。7月は、都合で飛ばしましたから、2ヶ月ぶり。今日の番組は、「伊達の堪忍袋」「難波戦記」でした。「伊達の堪忍袋」も、南湖さんのお話を聴いていると、琴梅師からもらったものと思えました。伊達政宗が、無頼漢の旗本を、曽我物語を引き合いに出し諌めるという筋立て。ちょうど南湖さんは、「夜討曽我」を、これも東京でもらってこられたところでしたので、タイミングのいいこと。「伊達の堪忍袋」でも、ちょうど「夜討ち」の部分がポイントとなるのです。一方の「難波戦記」は、前半は大丈夫だったのですが、中盤から、やはり咳止めが技をしてしまいました。昨夜同様、咳は会が終わるまではもつんだけど、薬が効いている分、睡魔が襲ってくるのだ。大丈夫だった前半は鴫野・今福の戦い。こういった地名が出てくると、難波戦記がやたらと身近に感じてしまいます。豊臣側の軍師として活躍するのが、デビュー間もない木村長門守重成。大阪城防衛の戦いが連続的に読み続けられている途中です。




2014年 8月 22日(金)午前 0時 15分

 まだまだ風邪は治りません。体のだるさはまだしも、咳などはひどくなる一方。なのに、今日から仕事に、本格的に復帰。かなりきつい一日でした。でも、夜遊びは再開。まず「カフェ・モンタージュ」でのコンサートから、夜遊びへの復帰です。今夜は、谷本華子さんのヴァイオリンを聴く夕べ。ピアノは、このカフェで、よく登場されている塩見亮さん。以前に一度聴いて、このカフェのピアノは大丈夫と認識させてくれたお方。こちらのコンサートでは、毎回、オーナー氏が、楽しいキャッチ・コピーを付けてくれるのだけど、今日のそれは、「RainSong」と、そのものずばり、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」を聴くのが、メーンのプログラムだったのです。前半は、アルメニア人作曲家ババジャニアンのヴァイオリン・ソナタ。なかなかヘビーなプログラム。ババジャニアンは聴いたことがあるかなぁと考え込んでしまいますね。ま、名前くらい聞いたことのある作曲家というところでしょうか。幕前のちょっとした解説で、リゲッティとかブーレーズに2〜3年先行する世代だそうです。ヴァイオリン・ソナタ自体も1959年の作品。かなりバルトークが入ってるぞという曲想。かなり野性味溢れるものでした。「雨の歌」は、言うまでもなく冒頭の著名なメロディで知られた名曲。双方とも、かなり実直な演奏というスタイル。遊ぶのが好きなヴァイオリニストだったら、もっとテンポを揺らしたり、フェルマータをかけたりするだろうなというところも、総じてインテンポで推移。音的には、中低音の鳴りが頗る良く、いいものを聴かせてもらったの雰囲気。ただ、黄紺は、やばいと思ったため、開演半時間前には咳止めを服用していたため、目をつむって聴いていると、ふらっとしかける場面がしばしば。でも、薬は最後までもたせてくれました。ちょうど薬が切れかけた頃合いに、ブラームスが終わり胸をなで下ろしました。




2014年 7月 26日(土)午後 11時 6分

 ぽっかりと空いた一日、外に出ても家にいても、どうしようもない暑い一日。旅行準備の確認をして、一方で冬のオペラ紀行の準備。早々と飛行機を押さえ、どうしても観たいオペラのチケットを、早くもゲットしました。エレナ・ガランチャのオクタヴィアンを聴くためにです。2年前には、パトリシア・チョーフィのルチアを取ったつもりが、変更されたので、ぬか喜びになるかもしれないのですが、今のところは、楽しみができました。で、今日のお出かけは、まずは、森小路にある「大阪芸術創造館」であった「衆愚芝居」の公演「ブサイク村」を観てまいりました。「ともにょ企画」という劇団の座付作者さんのプロデュース公演ということだったので、観に行く気になった芝居です。ブサイク村と美し村の対立の中で生まれたブサイク村の美女とわこの物語と言えば、一言でまとまってしまいます。でも、ブサイク村とは、ちょっとアブナイですね。「キチガイ」なんて台詞も出てきましたので、ちょっと言葉に対する感性に引き気味だったところがありますが、芝居の流れ自体は、娯楽作品として、十分に楽しませてもらえました。いつも書きますが、仮講の物語として、ときにはSFチックになったとしても、いかに辻褄が合うようにでっち上げるかが、書き手の腕であり、役者の技というやつだと思っていますから、そういった観点からして、うまくやられたという印象があるのです。土俗的ないい雰囲気で流れている仕込みのパートは、一方でブサイクがブサイクがとくるので、観る者のノリがいいとは言えないのですが、一方で、達者な役者さんに目を奪われていました。それは、長閑な民話調の雰囲気が出ていたからです。2つの村の闘いとなってきたところで、民話調の雰囲気が失せた印象が、ちょっと出てくるのが惜しいでした。それは、強引なでっち上げがあったからかもしれません。人が入れ替わったり、時空間を飛ばしたりなんてのを入れたからでしょうね。というわけで、猛烈な暑さのなか歩いて行って、丸々2時間、ちょっと不思議な時間に浸れて、少なくとも損をしたという感じはしませんでした。
 芝居が終わると、淀屋橋経由で「難波」へ。日本橋の電気屋街を外れた辺りにある「絵本カフェholoholo」であった「春野恵子のカフェde浪曲」に行ってまいりました。恵子さんが、カフェを使って、ご自分の会を、わりかしやってられますが、そういった小規模な会に行くのは、2度目となります。浪曲は、さほどネタが多いわけではないので、思い出したような間隔で行くことにしています。恵子さんの浪曲を聴くのも久しぶりじゃないかな。今日は、前座で、京山幸太くんが「会津の小鉄〜小鉄の少年時代」、そして恵子さんが「両国夫婦花火」でした。「会津の小鉄」は、13歳の少年小鉄が、江戸に行こうとして、岡崎で拾われた親分さんの厄介になるとともに、その親分さんを助けるというものだが、少年が、大人のような口の利き方を、知恵の働かせ方をするところが聴かせどころ。恵子さんもそうだったが、今日は、お二人とも声の調子が本調子じゃありませんでした。恵子さんは、芝居の稽古をしてきたと言ってましたから、かなり声を使ったのでしょうが、幸太くんは、どうしたのでしょうか? 恵子さんは、ネタに入る前に、浪曲ワークショップやNY公演の報告などをしてくれました。ネタは、聴き慣れたものでしたが、昨日、「天神祭で花火が上がったので」と言われれば仕方ありません。会場には、8月の芝居の共演者の方々も来ておられたのですが、会場がらと言えばいいのでしょうか、お若い方の顔も見受けられ、一心寺とは、また異なった雰囲気になっていました。
 これで、しばし日本とお別れです。明日の朝、トルコに向かい出発します。前半の1週間は、うまくバスを押さえられれば、3年ぶりにギリシアに入ろうかと思っています。今年は、W杯イヤーだからでしょうか、トルコ・リーグの開幕が遅く、サッカーを観る機会は少ないかと思っています。今のところ、ベシクタシュが戦うチャンピオンズ・リーグの予備戦を、またしてもオリンピック・スタジアムで観るのが、唯一の公式戦でしょう。あとは、フェネルバフチェが、オリンピアコスと戦うフレンドリーマッチを観るくらいでしょう。ちょっと哀しい気分です。




2014年 7月 25日(金)午後 10時 44分

 今日で、仕事は一段落。あとは、トルコ行きを待つだけ。その前に済ませておかねばならないのが文楽。まだ、第三部を観てなかったのです。ホントは、明日の土曜日に、いずれかの部を入れようとして空けてあったところ、黄紺が文楽のチケットを買いに行ったときには、詰まりに詰まっていたため、土曜日はまる空きになってしまいました。これなら、土曜日出発でトルコに行けば良かったと思っても、あとの祭り。ところで、第三部は、人気の演目「女殺油地獄〜徳庵堤の段、河内屋内の段、豊島屋油店の段、同逮夜の段〜」。つい3年ほど前に出たところなのに、呆気なく再演です。最近の文楽公演、集客第一が過ぎてるとは、文楽ファン誰しもが思っているところでしょう。この演目は、殺しの場面が凄すぎなので、ただただ茫然としてしまうのですが、その殺し方のえげつなさを演出するためか、殺し手の河内屋与兵衛を、どうしようもない人間に描くことに努めます。我が儘で、強欲で、人の痛みも苦しみも歯牙にもかけずという、そういったキャラを描き続け、挙げ句の果てに、何の罪も科もない、いや、それどころか世話にもなっている女を殺すと進んでいきます。これを描き続けるのに加えて描かれるのが、両親(父親徳兵衛は継父)の子どもへの情愛。ここまでの息子に、そないな愛情をかけるから、そないな頭にのる男になるのだと言いたくなることはあるのですが、逆に、ここまでのど阿呆息子に、まだ愛情をかけるからこそ、両親の情愛がクリアになり、観る者のハートを掴んでしまうとも思えました。今回の上演の特徴は、「逮夜の段」が付け加わったこと。随分と久しぶりの上演だそうです。与兵衛が犯人と挙げられ、拘束される場面です。でも、これがおもしろくない。35日のお逮夜が営まれているところへ、与兵衛が出てくるだけで、黄紺はイエテル状態でした。どこまでしつこく、この男のダメさを描き続けば、気が済むのでしょうね、ホント。なんか、文楽らしい濃さとは別物の、どこかしかイタイ感じすらしてしまいました。また、犯人を特定するの証拠、一つの証拠品って、これ以上ないというほど確かなものなのに、与兵衛はシラを切り、あとの者も、ちょっと詰まってしまうと、最後は、とっても神秘的なと言っても、とんでもない仕掛けとは言えない形で、与兵衛は観念してしまいます。これも、突っ込んでしまったなぁ。というわけで、ちょっとストレスのたまる展開。ひょっとしたら、前に観たときも、同じことを書いているかもしれません。でも、殺しの場面は凄すぎです。与兵衛勘十郎さん、お吉を和生さんが遣うというのは、前回と同じ。この場面が終わると、黄紺の隣の男性が、連れの女性に向かい「センセーショナルやなぁ」と言われていました。初めて観たときには、黄紺も、正にそうでした。




2014年 7月 24日(木)午後 11時 53分

 昨日は、息子夫婦と会食。コナックのお世話ななりました。W杯で、オランダ代表に肩入れしたオーナー氏は丸刈りにされていました。そして、今日も、猛烈な暑さ。淀屋橋では37度もあったなんて、話を聞きました。そないな中で、まる一日働いて、もうそれだけで、ぐったりです。でも、残り少ない日本を離れる前の日々、夜遊びを怠るわけにはいきません。今夜のお出かけ先は動楽亭。「上方講談を聞く会」がありました。その番組は、次のようなものでした。南斗「忠僕直助」、南湖「夜討曽我」、南華「黒雲のお辰」、左南陵「地震加藤」。なかなかの好番組。でも、一番のお目当ての左南陵のところでは、力が尽きてしまいました。「地震加藤」の「加藤」が加藤清正だと判ったとき、前にも出されたネタで、そのときは寝てしまったことを思い出したのはいいのですが、今日もまた、眠ってしまい、ほんのサワリだけが判りました。清正が、なぜだか蟄居を命じられて、伏見の屋敷にいたところ、地震が発生。慌てて登城。でも蟄居の身というところから、話が展開という筋道だったように思うのですが、、、。更に、清正蟄居の原因が、朝鮮出兵と関係があるようなことを、左南陵さんは言われてたという記憶が残っています。「忠僕直助」は、南斗くんで聴いたところという印象。天満ででしたっけ、出たところですよね。東西交流で、貞花師からもらったものだそうです。なかなかいい話で、ちょっと大きめのネタをもらえて、交流のいい成果です。南湖さんの「夜討曽我」は初もの。だいたい曽我兄弟が、いよいよ仇討ち本番に出かけていく部分で、同名の能で、黄紺的にはなじみのあるところ。講談での遭遇は初めてとなります。実は、以前、南華さんが、ご自分の会で、「曽我物語」の続き読みをされたときに、この「夜討」の部分を流されてしまい、御所五郎丸なんてのは、出てくることすらなかったのです。ま、そういった意味も含めての初遭遇となります。下男との別れに次いで、兄弟が仇討ちに出向き、警備のための関を越えて行くのが聴かせどころ。中でも御所五郎丸が目立ちます。一つ一つの天幕について読み上げていくという聴かせどころが入ります。この箇所を読み上げたときに、さすがに南湖さん、客席に拍手を要求しました。御所五郎丸を越えると、あとは本懐を遂げましたで終わり、二人が生け捕りにされるという能の展開とは異なりました。南華さんの「黒雲のお辰」は得意ネタ。女白浪が、金をすられて困っている爺さんを助ける話なのですが、それだけで終わらないで、後日談が、ほのぼの系でいいですね。最後の再会譚はあった方がいいんでしょうかね? 蛇足にも看え、風情を盛り上げてるようにも看えますね。




2014年 7月 23日(水)午前 4時 5分

 クーラーのない部屋で、まる一日。人間が萎れていきます。身体だけじゃなく、心も萎れていきます。トルコへ行く前は、毎年、この我慢大会が待っています。あまりにくじけたので、夜遊びに出かけるときは、時間に余裕を持たせて、長い時間、電車に乗れておれるようにしています。で、今夜のお出かけは、2回お休みをした「旭堂南海の何回続く会?」に行ってまいりました。谷六の「薬業年金会館」です。お休みをしている間に、「茶の湯戦国記」というシリーズは終わってるのだろうと思っていたところが、そうではありませんでした。昨日が最終日で、お約束の「利休切腹の謎」が読まれました。ただ今日も、寝不足が著しく、肝心要の切腹を命じられるに至るわけに当たる部分が霞んでしまっています。そういったなかで、記憶に留まっているポイントをメモっておきます。利休の死には、伊達正宗の不服従的態度が絡まっているのが一つ。服従の態度を示すため上洛を求めたられた正宗が、渋々上洛をしたが、秀吉に会えなかったときに、利休と会っていることが問題になったよう。利休が父親の供養のために、大覚寺の門に木像を寄贈し、これが、秀吉の知らないところで行われ、秀吉の逆鱗に触れたのが二つ目。でも、これだけだと、秀吉は、単なるだだっ子ですが、、、。だから、最後に、秀吉は、利休に茶を所望し、利休が茶をふるまっていれば、大事に至らなかったということになるのでしょうなんて書いてしまっていいのかね? このシリーズが始まったとき、当然、今日の話がクライマックスとなるとは、解っていたもの。それが、ラッキーにも聴けたのにも拘わらず、残念な結末に。今週は毎日の勤務。そして、毎日の夜遊び。どうしても寝不足になってしまいます。会場には、東京からのお客様も。9月に凄いメンバーが上方へ。いち早く、おいしい情報をいただき、大感謝です。




2014年 7月 22日(火)午前 0時 17分

 自分的4連休の最終日、今日が、「コジ・ファン・トゥッテ」の本番を観に行く日。朝から完全に真夏の一日。今日も、ウォーキングをしたかったのですが、旅行準備のために断念。あともう一日、準備に当てる日があるので、今日の段階でできることは、一応完了。あとは日程決めが残っています。3日前に、ようやくサッカーの日程が出ましたので、おおよその目論見が立つようになりましたが、最終決断は、いつものように行きの飛行機の中になることでしょう。ところで、今日の「コジ・ファン・トゥッテ」は、アジア人歌手ヴァージョン。もちろん、2度目なわけですが、やはり本番は違いますね。客席が詰まっています。その雰囲気だけでもいいし、また、それにより音も変わってくるのでしょうね。それに加えて、今日は、4階の正面席。ここまでの2回は、2階と3階の正面。いずれも、天井がわりかし迫ってきていた関係でしたか、4階はそうではないからでしょうか、明らかに音は明瞭だし、パワーを感じました。かさつくなんてことはありませんでした。去年座ったサイドの席にも、今日と同じような感じだったもので、問題は、迫る天井のあるところでしょう。これは、今日も、ご一緒した黄紺の同僚も言ってました。「コジ・ファン・トゥッテ」は、典型的なアンサンブル・オペラです。6人の歌手の組合せで、そして時々アリアが挟まるというもの。コーラスが入るのは少ないですから、その6人の組合せで、広い舞台を無駄なく動かねばなりません。そういった意味では、ホントに上手に歌手を動かせます。2種類の中幕を巧みに使い、場面転換もスムーズです。そういった意味では、とっても素晴らしい演出と看ました。プロデューサーでもある佐渡裕から、時間を飛ばすなとか、初めて観る人にも解るようにとの注文が入っていますから、客の創造力に委ねられるということはない、そういった演出です。演出ノートにも、演出のデヴィッド・ニースは、モーツァルトと同時代の「コジ・ファン・トゥッテ」の演出は初めてと書いていました。ですから、こういった古典趣味的な舞台を観ることができるのが、この西宮でのオペラだと割り切って観ることにすればいいのです。「西宮北口」駅からのプロムナードも、すっかり「コジ・ファン・トゥッテ」で出来上がっています。街からして「コジ・ファン・トゥッテ」になってるって雰囲気で、このホ−ルを拠点としたプロダクションの功績は甚大なものがあると思います。一挙に8公演ですもんね。これって、すごいこと。帰り道は、来年の演目を早くも楽しみにしてのものとなりました。黄紺の同僚は、まもなくイギリスへ旅立ちます。既に、別枠でロンドンに行っている同僚から、涼しいぞとのメールをもらい、にこにこ顔。2組の夫婦で、スコットランドから始まる旅の由。黄紺は、クーラーのない職場で、もう少し働いてからトルコへ出発です。イギリスとトルコでメール交換を約して、1ヶ月後の再会を期しました。




2014年 7月 21日(月)午前 5時 49分

  京都市内遊歩(69)

 昨日は、午後には民博に行くということで、午前中には、伏見から向日市に向かってウォーキング。以前にも試みたコースだったもので、おおよその見当はついているはずだったのですが、そこには落とし穴が。そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「丹波橋」駅〜丹波橋〜西丹波橋〜城ノ越公園〜中島河原田児童公園〜京川橋〜久我橋〜「久我」交差点〜旧伏見市役所神川出張所〜森の宮第七公園〜久我神社〜森の宮北児童公園〜神川保育園〜名神高速道路「茨木96」橋梁〜井出橋〜向日町簡易裁判所〜JR「とうかい120」橋梁〜阪急「カイデ」踏切〜「五辻」交差点〜五辻の常夜灯〜「上川原」交差点〜御塔道公園〜阪急「西向日」駅。困ったのは久我地区。今までと違ったコースをとろうと、羽束師方向に向かったのはいいのですが、途中から向日市方向に進もうとするのですが、その出口となる道が、なかなか判らなかったのです。せっかくだからと行った久我神社が、結果として、かなりのロスになってしまいました。ところが、一旦みつけると、所謂田舎の一本道ということで、やたら農道を歩く羽目となり、コース選びとしては、おもしろみに欠けるものに。新幹線を越えようかの辺りで、以前歩いたコースに合流。最終的には15分ほど早く到着してしまい、大回りをして「西向日」駅へ。途中で道が判らなくなるというストレスからでしょうか、かなりの疲労を感じてしまいました。
 「西向日」から「茨木市」まで移動。「茨木市」駅に着いた途端、1時間早く行動をしていたことに気づく。もうサイテーです。おまけに午後、民博へ行くために、アイシェ・ハヌムと待ち合わせをしていたため、茨木から動けない。仕方なく駅周辺をうろうろ、、、。でも、ウォーキング疲れが出て眠いので、日陰のできているベンチで居眠りをして時間を過ごすことになりました。でも、これで、ちょっと疲労が取れたみたい。やばいと思っていた疲労が回復して、ラッキーな展開に。そして、アイシェ・ハヌムと合流して民博へ。昨日、民博で、一般に公開された研究公演「アリラン峠を越えていく―在日コリアン音楽の今」という魅力的なものがあったのです。最近、韓国にいたく造詣が深まっていると看ているアイシェ・ハヌムを誘ったのは、この公演の入場申込みをしたところ、「2名可」となっていたからでした。コリアン音楽であっで、その頭に「在日」と付いているのがミソ。在日としての独自の文化を追いかけてみようとのメッセージが籠もっています。そういった魅力にも憑かれたように、もう大感激のコンサートとなりました。コーディネートは、民博の大学院で、マダン劇で博士号をとられた高正子氏。黄紺は、昔、寝屋川で活動されていた同名の方に、サムルノリについて教えを請うたことがあるのですが、ひょっとしたら同一人物かもしれません。もしそうだったら、ずっと追い求められたことを、こういった形で結実されたのでしょう。感無量です。プログラムは、第1部/安聖民 「四節歌」、「水宮歌」、第2部/李政美 「わたしはうたう」、「遺言」ほか、第3部/金剛山歌劇団 「モランボン」、「出鋼」ほか、第4部/出演者全員 アリランメドレーというものでした。 安聖民さんはパンソリの歌い手。日本でパンソリを、しかも在日の方で聴けるだけで舞い上がってしまいました。自己紹介は韓国・朝鮮語で。お話は大阪弁で。外国人研究者向け(マイノリティ音楽についての国際シンポジウムの一環公演でもあった)には英語でお話しされる安聖民さん。パンソリの中では、日本語も一部混ぜての口演。背後には、日本語と英語での字幕。また「水宮歌」が傑作。スッポンと虎、スッポンとウサギの知恵比べという愛すべき物語。次の李政美さんは、東京葛飾生まれの在日の歌い手。西洋音楽の薫陶も受けられ、とっても透明感のある素敵な声をなさっている歌い手さん。尹東柱や宋秋月の詩に曲を付けたり、また、韓国の軍事独裁政権時代に歌い継がれた歌を歌い人気を博してきた歌い手さんでもあります。尹東柱の詩に、アイシェ・ハヌムは感動してました。黄紺も同様です。5曲歌われましたが、最後が「京成線」という歌。彼女のアイデンティティを歌う歌です。黄紺は東京にも住んでたことがあるので、情景と歌詞、それに込められた思いが重なり、かなり来ちゃいました、この歌には。休憩を挟んで、金剛山歌劇団の公演。北の正調コリアン音楽を伝えている人たちのステージ。ここで目からウロコ的なお話が、高正子さんからもたらされました。北では、伝統楽器の改良が行われ、楽器を西洋音楽の音階へと変え、ボリュームの大きさを図ったということが紹介され、それを体現しているのが金剛山歌劇団だというのです。それで、わけが判りました。北の人たちが演奏するコリアン音楽が、韓国で聴くものと異質な響きだったことのわけがです。確かに、同じ伽耶琴でも、枯れた味わい、繊細な音、弱小音の魅力というよりは、力強く、自己主張のある音になっています。おかげで、溌剌とした、明快な音になっています。ボーカルの宋明花の発声は、まるで中国の京劇の発声を聴くようです。納得です。主張が違うのです、楽器の根本から。しかし、その両方が聴けるというのは、ひょっとしたら、ここ日本でだけかもしれません。そして、最後の「アリランメドレー」が圧巻。ベタな構成だと解っていても、出演者全員での演奏。北の音楽家、南の音楽家揃っての演奏が始まるだけでも震えてしまいました。そして、最後は、会場にも歌うことを求められると、「アリラン」の大合唱。それを聴きながら、外国人研究者にとっては、この姿は驚異のことじゃないかなと思ってしまいました。会場には、明らかにと思える在日同胞の方々が詰めかけていましたが、一方で日本人も多く詰めかけていたでしょう。その中で、マイノリティの音楽である「アリラン」の大合唱が起こるのですから、これは驚いたんじゃないかな。アイシェ・ハヌムと言ってたこと、「ドイツでトルコ人の歌を、ドイツ人、こないに歌えへんやろ」ということです。
 興奮気味に会場をあとにしました。だけど、その熱い気持ちに、程よいとは言い難い夕立に立ち往生。ずぶ濡れになってバス停に着くと雨は上がるというサイテーなパターン。バスのクーラーで身体は冷え上がったのですが、幸い着替えを持っていました。すっきりした気持ちで、最後は、ビールで乾杯。夏のトルコに参考となるいいスポットを、アイシェ・ハヌムから教えていただき、感謝です。




2014年 7月 19日(土)午後 9時 00分

今日は、文楽三昧の一日。トルコに行く前、毎年気づかうのが文楽鑑賞の日。夏公演は、一日3回と決まっていますから、最低限2日を確保しなければならないのです。今日は、その一日。第一部と第二部を観ようという試み。朝から夕方までかかります。まず第一部は、例のごとく「親子劇場」ということで、小学生が多数詰めかけ、また「文楽ってなあに?」というコーナーが用意されています。その解説コーナーを挟み、二つの演目が出されました。「かみなり太鼓」「西遊記〜五行山の段、一つ家の段〜」という二つです。「かみなり太鼓」は、小佐田センセの書かれたもの。小佐田センセは、落語のみならず、狂言も書き、ついには文楽も書いちゃいました。太鼓を打つのが下手な雷が、人間界に落ちてきて、太鼓職人に教えを請うというもの。作曲は鶴澤清介さん、振り付けは桐竹勘十郎さんです。「西遊記」は、この夏休み公演では定番のネタ。幾つか話があるようで、後半は、孫悟空と銀角との一騎討ちになり、最後は、両者が宙吊りで去っていくというもの。大きな動き、派手な動き、変化技を盛り込んだもので、大人もついつい楽しめてしまいます。30分ほどの間をおいて第二部。黄紺は、昼御飯替わりにたこ焼きを食べたらおしまいでした。第二部は「文楽名作劇場」と銘打たれたもので、今年は「平家女護島〜鬼界が島の段〜」と「鑓の権三重帷子〜浜の宮馬場の段、浅香市之進留守宅の段、数寄屋の段、伏見京橋妻敵討の段」が上演されました。「平家女護島」は俊寛もの。ところが、文楽の俊寛は、能の俊寛とは違いました。俊寛も赦免の対象になっているのです。ところが、成経が島の女千鳥と契りを結んだということで、千鳥も連れ帰ろうとする。だが、これが定員オーバー。船には3名だけ乗せることができるという沙汰。そこで、俊寛が島流しにあったあと、妻が自害していたため、島に残るというもの。同じ素材の物語でも、随分と勝手が違います。「鑓の権三重帷子」は、妻敵討ものと分類されるようです。でも、ちょっとよく解らない妻敵もの。茶道の一子相伝の秘事を伝えるということに、鎗の権三の女性関係が絡み、浅香市之進の留守居で、市之進の妻と鎗の権三が、不義密通を犯したことになってしまいます。2つが絡むから、話が成り立ち複雑になってしまいます。最後は、伏見京橋が舞台となっています。なかなか風情のある装置。今の姿と重なってしまいました。




2014年 7月 19日(土)午前 7時 10分

 自分的4連休に入りました。このどこかで、トルコ行きのための荷造りをしておくと楽なのですが、それだけの時間を作れるかが、最大の問題。なんとか頑張ってみます。昨日の午後は繁昌亭昼席。これが、トルコ行き前最後の繁昌亭となります。昨日は、東京の白酒が出るというので、それを目当てに、最近ご無沙汰の都噺も聴けるし、新治の中トリも珍しいしと、ちょっと欲張った気持ちで行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。ちきん「煮売屋」、呂竹「始末の極意」、白酒「浮世床」、二重丸「太神楽」、染弥「癪の合薬」、都「都噺」、(中入り)、笑丸「演芸落語」、福車「船徳」、米紫「秘伝書」、新治「井戸の茶碗」。ちきんはきん枝の弟子、普段、なかなか遭遇機会の稀なる噺家さん。五代目文枝を間延びさせたような口調がおもしろい。呂竹の位置は、今週、ずっと喬若が出ていたところ。呂竹となると、ネタが決まってくるので、ちょっと残念な気持ち。白酒は「浮世床」でした。ウイットの効いたマクラ、ネタに入ると、やはりテンポがいい。短いが、行ったかいがありました。二重丸も東京から参戦。染弥の「癪の合薬」は、花見に出かけた際の出来事ということで、やはり春の噺でした。気になっていたことの確認ができました。「都噺」は、程よい間隔で聴かなきゃの気分にさせられました。やっぱ、繁昌亭名物の一つですもんね。当初の番組発表では、都はトリ。「おいしい話があるので変わってもらった」は都の弁。でも、あとから出た新治のネタを考えると、姉弟子の配慮でしょう。逆の位置だと、新治もやりにくいでしょうからね。この話、中入り時に、コアな落語ファン氏とお話ししていたところでした。都が中トリで出たので、新治の出すネタが、ひょっそしたらというお話を伺っていたら、どんぴしゃだったのです。笑丸の「演芸落語」は、「ほうじの茶」と同じ趣向。紙切りとウクレレ漫談が入りました。福車の「船徳」には、正直びっくり。こないなネタを持っていたんだっていうところです。水辺の噺って、やっぱ、この時期に合います。米紫は、軽めのネタを出すときは、これですね。正に鉄板ネタです。そして、初トリの新治。待ってましたと声をかけたい「井戸の茶碗」。2人の正直な侍、その2人の間を取り持つ正直清兵衛さんは紙屑屋さん。この身分の落差が、余計に情感を高めます。それを語ってきかせるようににこやかな新治の表情が、とっても安心感を増幅し引き込ませていきます。ところが、この大阪のおっさんは、時々、しょうもないくすぐりを入れて、緊張感の中に緩和を入れ、見事、大阪の噺に仕立て上げました。いや〜、いい、しびれました。もう茶碗が出てくるあたりから、目頭が熱くなりました。娘さんの話になるあたりでは、頑張って涙をこらえました。最後は、ここに来るのだとうことで、今まで聴いた「井戸の茶碗」の中では、一番、娘さんを出しました。これは、新治の優れたところでしょう。清兵衛さんが訪ねていく度に、ちょこっと出すのが心憎い配慮です。一時、病の影響で萎れた感じだった新治ですが、肌つやも良く、安心すると同時に、こないな素晴らしい口演をする噺家さんの存在に、とっても嬉しく思いました。




2014年 7月 18日(金)午前 5時 42分

 この2日間、オペラを観て、夜は夜でお出かけと、遊ぶのに忙し過ぎ。こうしたときを狙うかのように、仕事が建て込むというパターン。昨日も、続きました。寝不足のうえ、疲れていても、それを感じる暇もない現実。でも、昨日は、自分的4連休前夜祭でもあるのでした。で、お出かけは動楽亭。昨夜は、こちらで「第十回生寿成熟の会」がありました。その番組は、次のようなものでした。染八「浮世床」、生寿「胴斬り」、生喬「質屋蔵」、(中入り)、生寿「一文笛」。今回が10回目ということで、師匠の生喬がゲスト。願ったり叶ったりの番組になったのですが、昨日は、あまりに睡眠が不足しておりダウンの連続。「胴斬り」「質屋蔵」「一文笛」と、それぞれ聴いてきたネタばかりが並んだからでしょうね、安心して眠ってしまいました。ですから、書けるのはほんのメモ程度のこと。まず、「胴斬り」は修行期間中に、大師匠の松喬に稽古をつけてもらったもの。松喬一門では、修行期間中は、自分の師匠にだけ、稽古をつけてもらうのが習わしなので、異例のことだそうです。ただ、その異例なことが、なぜ起こったのかは、話が長くなると言って、教えてくれませんでした。また、生寿は、修行期間中に、「胴斬り」を含めて、21本のネタをつけてもらったそうです。米朝は10本つけるといった話は聞いたことがあります。その数字からすると、大変な数字です。確か、たまが年季明けまでに、そのくらいの数のネタをもらったとの話を聞いたことがありますが、それ以来の驚異の数です。師匠の生喬の「質屋蔵」は、先日ネタ下ろしをしたばかり。本人も言ってましたが、同じネタを続けて出すことをしない生喬が、続けて出すということは、「質屋蔵」などという大ネタを出せる機会は、そうはないという点、及び、ネタ下ろしのときの口演に不満を持っているということなのかなというところです。「一文笛」をやり終えた生寿は、「米朝師匠の作った作品を」「ざこば師匠の作った小屋で」「笑福亭の者が演じるということになりました」と言って、本日最後の笑いを取っていました。




2014年 7月 16日(水)午後 11時 54分

 今日は、勤務日だったのですが、そないに仕事はないと思い、休暇をとり、昨日同様、兵庫県立芸術文化センターであったオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」を観に行くことにしてました。ところが、そういったときに限り、仕事が出てくるというもの。なんとか調整をつけ、会場に駆けつけました。携帯を持っていない昔の同僚と行く手筈になっていたため、正直、肝を冷やしました。おかげで、こちらは、会場に着くとぐったり。えてして、こうしたことが起こるものです。そのため、1幕は半寝の状態。ようやく2幕に入るにあたり、コーヒーを呑み覚醒。今日は、昨日とは違ったチームでの公演。実は、この歌手陣で、本番も観ることになっています。昨日、スザンナ・フィリップスに関し書いたことを思い出しながら聴いてしまったのですが、このホール、かなり乾いた音がするんじゃないかなということです。オケの音には、もう慣れていたのですが、昨日の弾き始めっていうところで感じた違和感のわけも、それで説明がつくような感じがしました。歌手陣をチームとして看た場合、昨日のチームの方が上ですね。アンサンブルと言い、パワーと言い、昨日の方に軍配が上がると看ました。フェルランドを歌ったジョン・健・ヌッツォの高音の不安定さ、グリエルモのキュウ・ウォン・ハンの若さを感じさせなうもろバスの声質。パワーはあっても、艶やかさに欠ける小川里美のフィオルディリージ。そして、昨日同様、軽めの声質のドン・アルフォンソ。二人とも似た声質だったもので、そういった歌手を選んだともとれました。開演前に、佐渡裕が、簡単な解説をしてくれるのですが、このプロダクションのコンセプトは、「初めてこのオペラを観る人たちにも解ってもらう」ということで、演出を依頼したと言ってました。約10年ほど続き、年を追うごとに隆盛を極めてきたこのプロデュース公演の秘訣は、正にその点にあると看ますから、時代を飛ばしたり、解釈を加えたりということを期待すること自体が無理な公演です。そういった視点を持って、このプロダクションを観ると、誠に持って行き届いたものと言えると思います。場面転換のうまさ、ダ・ヴィンチの「受胎告知」を想起させる戯画的な装置。歌手の動かせ方、更に重要なコーラスの動かせ方、また、それらに応える歌手陣と、いずれをとっとも、十二分に楽しめるもの。そして、昨日、今日と、2日連続で、「コジ・ファン・トゥッテ」を観て、モーツァルトは、やっぱクラリネットを世に出しただけに、クラリネットの使い方が、とってもうまいということの再認識できました。なんか「コジ・ファン・トゥッテ」では、「勝負音」のようにして、クラリネットが登場してくるなと思いながら聴いていました。さ、今度は本番です。
 オペラが終わると、同行者とちょっとだけお茶をして、京都への大移動。元々は、今日の予定としては、京都での予定だけが入っていたところに、「コジ・ファン・トゥッテ」が入ったため、このような予定になってしまったのです。京都での行先は「カフェ・モンタージュ」。そもそも「カフェ・モンタージュ」を知ったのは、今日のコンサートを誘っていただいたのが、きっかけだったのです。今日は、元大フィルのコンサート・マスター長原幸太がアンサンブルで出るということで、お誘いいただいたのでした。長原幸太以外のメンバーは、次の通りです。ヴァイオリン:佐久間聡一、ヴィオラ:中島悦子、チェロ:上森祥平、ピアノ:大井浩明。そのメンバーで演奏されたのは、なんと「フォーレ ピアノ五重奏曲1番&2番」の2曲。フォーレの室内楽を生で聴けるなんて、もっての外という気分で、とにかく飛びつきました。1番と2番では、若干趣は異なるのですが、ドビュッシーを想起させるピアノが流れに流れます。特に1番は、その傾向が強いですね。ときには、弦楽四重奏を背に、コンチェルトの雰囲気すらします。2番になると、和音をアルペジオで奏でるなんて部分が入ったりして、ピアノは控え目傾向。ドビュッシーのピアノと言えば、光が水面に映えるがごとき繊細な音の輝きが特徴ですが、特に1番などは、弦の合奏に、光が撫でるがごとくに煌めく微妙な変化が現れるかと思うと、一転、ドイツ・ロマン派の厚い音が流れてきたりと、ちょっと変化を付けたりと、多彩な音が流れに流れます。音の迫力、迫ってくる圧力は、2番の方が重いですね。てな感じで、普段、フォーレをかけっぱなしにしていると、音の流れに身をおき、えてして流され気味になってしまうのですが、こうやってライブで聴いてみると、いろんな顔が見えてくるような気がするものですね。今日は、アンコール曲まで用意されており、譜面めくり君が第二バイオリンに加わり、ショーソンの六重奏曲(長かったため曲名が聞き取れませんでした)が演奏されました。弦楽の重奏の中に、様々な色彩を、非常に細かく丁寧に付けた好演だと看ました。こないなものが続くと、また、「カフェ・モンタージュ」に足を運ぶことになるのでしょうね。




2014年 7月 15日(火)午後 11時 19分

  京都市内遊歩(68)

 今日は、午後から予定が詰まっているということで、早朝ウォーキングを敢行。ウォーキングの終盤に入ると、登校する生徒に遭遇するという時間帯のウォーキングです。そのコースの詳細は、次のようなものでした。き京阪「丹波橋」駅〜イタリア料理店「アリヴェーレ」〜京料理老舗「魚三楼」〜京都京町郵便局〜京阪「柿ノ木坂」踏切〜弁天橋(十石舟のりば)〜長建寺〜京阪「中書島」駅〜京阪「表町」踏切〜伏見港公園〜伏見港〜三栖閘門〜京阪「三栖」踏切〜宝福寺〜景勝橋〜改進公園〜京都市改進保育所〜松尾神社〜京都市第二児童福祉センター〜朝日湯〜極楽橋〜京阪「藤森」駅。今日は、大きな発見がありました。既に旧伏見港が整備され、一定観光資源化していることは了解済みだったのですが、宇治川との合流点までは行ってなくて、それで全貌を知った気になっていたことがに、今日、初めて気づきました。伏見港公園の背後に、その合流点はありました。更に大きな発見というのは、宇治川と伏見港の間には高低さがあり、昭和4年に閘門が造られ(三栖の閘門)、それが、そのまま残っているのです。こないなものがあるというのは、ホント、初めて知りました。と同時に、この閘門ができるまでは、いったい舟は、例えば三十石舟なんかは、どのようにして、伏見港に入っていたのかが気になりました。宇治川の方が低く、閘門がなければ伏見港には入れないのです。もう今日は、この発見で、気分がよく、ちょっとスピードがアップしたかもしれないウォーキングでした。
 ウォーキングが終わると、今日は、一旦自宅に戻り、休憩及び自宅待機。そして、11時半過ぎにお出かけ。行先は西宮北口。兵庫県立芸術文化センターであったオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」の公開ゲネプロに行ってまいりました。ドイツに一緒にオペラを観に行ったりしている方が、プラチナ・チケットの入場券を、今日、明日とゲットされたため、2日とも、おこぼれにあずかることになりました。本番を前にしたゲネプロを観たのは、あとにも先にも、ワイマールで1度だけ。そのときに比べると、全てを止めることなく、歌手も本番用の衣装を着けてのもの。普段着は、オケの人たちと指揮の佐渡裕だけというもの。客席は、2階と3階だけに入れてた模様。今日のゲネプロは、本番で行くのとは違う歌手陣だったのが、最大のおいしいところ。中でもフィオルディリージ役のスザンナ・フィリップスは、13-14シーズンのメトロポリタンで、同じ役を歌い、それが、ライブ・ビューイングで流されたという歌手。それ以外も、全て外国人歌手で組まれたチームでした。スザンナ・フィリップスの場合は、ライブ・ビューイングのときに比べると、声の伸びや張りというものが乏しく感じられましたから、ゲネプロということで、セーヴしながら歌っていることも考えられますので、そのままの実力をみたと言うのは、早計かもしれません。気になったのは、ドン・アルフォンソ役のロッド・ギルフリー の声質。もう少し重い声が欲しいですね。今日、聴いた限りでは、フェルランドとさほど変わらない声質のようで、物足りなさを感じてしまいました。総じて、「コジ・ファン・トゥッテ」は、典型的なアンサンブル・オペラと言いますが、そういった意味では、十二分に堪能。佐渡の指揮が冴えたところだと思います。演出や装置は、極めてオーソドックス。それらについては、あと2回書く機会がありますから、そのときに譲りましょう。
 オペラが終わると、梅田経由で「動物園前」に移動。同行者とは、梅田でお別れしました。「動物園前」は、もちろん「動楽亭」に行ったわけですが、今夜は「小鯛の落語漬け」がありました。その番組は、團治郎「狸賽」、小鯛「商売根問」、佐ん吉「幽霊の辻」、小鯛「書き割り盗人」。團治郎の前座って、落語会でなかなか見かけないですね。動楽亭昼席で出逢っても、判で押したように「狸賽」が当たります。小鯛の一つ目は「商売根問」。商売ネタは、雀、鶯、ガタロの順でした。午前中に鶯を狙い、午後にはガタロを狙っているなんて工夫が入ったりするだけではなく、この聴き慣れたネタが、小鯛の手にかかると、やたらと可笑しい。うまい間と表情、ホント、これらで見事にネタを転がしてくれます。絶品の「商売根問」です。佐ん吉は、ネタに入るときに、2度、ボケてくれました。1度目は、團治郎の出した「狸賽」をやり始めたので、幕内から鐘が入りストップ。2度目は、あろうことか「地獄八景」をやり始め、お囃子も入ったところで、「ここまでしか知りません」、コアな落語ファンが多数詰めかけていることを見越した上でのお遊びをしてくれました。で、ようやく「幽霊の辻」へ。最近、「幽霊の辻」を手がける人が増えていますが、黄紺的には、佐ん吉が一番と思っているネタ。冒頭をいじったなと、マイナーチェンジが気になりながらも、獄門地蔵のところでダウン。体力切れってところかもしれないのですが、次の「書き割り盗人」も、情けないことに、かなり飛んでいるので、コメントは控えましょう。しかし、有望とは思いつつも、ここまでの力量を発揮できるのかと、とにかく感心するばかりです、小鯛の実力。




2014年 7月 15日(火)午前 0時 16分

 完全に日本の夏に入っています。熱帯夜に苦しみ、クーラーなしの職場に苦しみ、もう何年も続いている日本の夏です。だいたい、こういった暑さというのは、トルコから帰ってきてから味わい、苦しむのですが、今年は、もう始まっちゃいました。台風のおかげです。台風の被害を受けなかった替わりに、猛暑がやってきてしまいました。そして、夜は、今日も繁昌亭。今夜は「第23回満腹全席」がありました。その番組は、次のようなものでした。寅之輔「転失気」、文三「悋気の独楽」、由瓶「蛇含草」、(中入り)、文三「青菜」。繁昌亭の夜席を、他の噺家さんと競合したくないという文三は、この会を月曜日に設定します。でも、行けているのは、年4回開催の内、その半分かなという頻度で、足を運んでいます。もうワッハであった頃から、有力な若手として通い出していますから、随分と文三の落語は聴いたことになります。今日は、そないななか、聴き覚えのある二つを出してくれました。ともに持ち味が出ていていいですね。ネタ自体も、いずれもがポピュラーなものにも拘わらず、進行が楽しくて、次に何が飛び出すかを期待しながら聴くことができました。「悋気の独楽」は、序盤にたくさんの人たちが出てくるところがいいですね。登場人物にいろんな個性を感じてしまいました。やがてお鍋が凶暴になっていくのは、ちょっと過剰すぎやしないかとも思うのですが、おもしろいのには変わりありません。ご寮人までが、最後には凶暴性を見せます。定吉は、手で防御しなければ、いつしばかれるか判らない状態になります。文三なりの演出なわけですが、妥当かどうかは意見が分かれるところでしょうが、そういった演出を思いつくってのが、たいしたものだなと思いました。「青菜」は、昔からのテキストを受け継いでくれているのが嬉しいというだけではなく、気のつくくすぐりに、嬉しいものが詰まってました。湯呑みにハエが死んでるというのにはしびれました。あまりにリアルなんで。ただ植木屋さん、旦さんの前で、はしゃぎ過ぎ、且つ下品な印象を与えてしまったのが惜しいですね。由瓶の「蛇含草」、ちょっと変わった入り方をしました。冒頭の甚兵衛の下りのない構成がそれ。蛇含草をくくりつけるときに、辛うじて甚兵衛が出てきたのですが、これは、どうだったでしょうか。夏の雰囲気を掴んでしまおうという序盤、それが省かれたというのは、ちょっときついなの印象ですが、その前に、随分と夏のマクラをふってましたから、それで相殺されるということでしょうか。餅を食べるところが、なかなか努力の跡が伺えてグーなところ。その一方で、曲喰いのところは、もう少し分かり易くしないと、このネタの華を摘み取ってしまいます。それにしても、今年の夏は「蛇含草」に当たりやすくなってます。その一方で、「更屋敷」なんてものには当たらないのです。寅之輔の高座に遭遇したのは初めてかもしれません。素人っぽい語り口が、客席には存外受けてたぞの雰囲気。ネタに合ってたのかな? でも、5年近いキャリアを持ちながら、あんまり前座では使われてないですね、、、なぜなんでしょうかね。




2014年 7月 14日(月)午前 4時 42分

  京都市内遊歩(67)

 昨日は、早朝且つ雨中ウォーキングで始まりました。雨は降っているとは知らずに、外に出てから知った次第。もう小1時間遅いスタートでしたら、大変なことになっていましたが、幸い霧雨のようななかのウォーキングをできれば楽しむことができました。そのコースは、次のようなものでした。近鉄「伏見」駅〜京都教育大学附属高校〜朝日湯〜中郷橋〜うづら保育園〜京都市立深草小学校〜JR「立町」橋梁〜深草十二帝陵〜JR「坊」踏切〜JR「第二坊」踏切〜真宗院〜「蓮如上人由緒地」碑(善福寺)〜仁明天皇陵〜浄蓮寺院(深草毘沙門天)〜JR「郡山街道」踏切〜JR「第一御陵」踏切〜桓武天皇柏原陵〜京都府立桃山高校〜京都府総合教育センター〜近鉄「丹波橋」駅。狙いというほどのものがあったわけではないのですが、「深草十二帝陵」の東側を歩いてみようとの思惑がありました。昔は、人影もまばらだったのが、随分と変わったものです。仁明天皇陵などは、遠くからでも、容易く見極めがついたのですが、今は、前まで行っても、よくわからない状態。昨日は、仁明天皇陵で、陵が2つ並んだということ、更に時計を見て合理的と考え、3つ目の陵を目指しました。これは、環境的にも素晴らしいので、よく行く桓武天皇陵。雨の方は、降ったり止んだり。雨は降っても、さほど強い降りにはならず、ウォーキングを最後まで続けることができました。
 ウォーキングは、早朝にしたもので、お昼までは自宅待機。すると、秋にドイツに行くという方から電話が入り、ハンブルクでのオペラのチケット購入のお手伝い。そして、午後は、「八聖亭」での落語会へ。今日は、こちらで「第52回生喬まるかじりの会」がありました。その番組は、次のようなものでした。咲之輔「胴斬り」、生喬「笠碁」、まん我「胴乱の幸助」、(中入り)、生喬「質屋蔵」、出演者全員「皆でちょいしゃべり」。咲之輔の「胴斬り」は、生喬からもらったもの。そないな関係で、前座となったものかもしれません。ゲスト枠は、生喬も、その実力を認めているまん我。どうやら、あとの生喬のネタのことを考え、はしょり気味の口演。稽古屋の中に、胴乱の幸助が入らないからおかしいなと思っていたら、時間の問題だったようです。冒頭も、そういった意味ではしょったものと思われます。軽い削りのように見え、そうでもないなといった風情を感じてしまいました。結果論なんでしょうが、胴乱の幸助の変人ぶりが際だたなくなってしまったように見えました。生喬の二席目にびっくり。ネタ出しは「笠碁」だったもので、そんなにも重いものを用意をしてないだろと思っていたところに、「質屋蔵」が出たものですから、最初は半信半疑でした。「質屋蔵」は、師匠の映像で稽古したと言ってました。特段、大きな変化があったわけではない口演。ただ、番頭と熊五郎が監視に入ってから、1度、母屋に戻り、旦さんと言葉を交わす場面が入っていました。熊五郎の威勢の良さからの急なる変化が良かったな。デフォルメすることなく自然体で推移していたもので。今回は、テキストでの工夫をするよりか、受け継ぐという点に重点があった口演だったのでしょう。次なる高座を待ちましょう。一方の「笠碁」の方は、何度か聴いてきたもの。でも、昨日の出来栄えは際だっていたのじゃないかな。東京落語としては、ちょっとくさすぎるというところでしょうが、上方落語としては、このくらいの濃さは許される範囲と看ました。ケンカをするときの濃さ、前を往き来するのを見て腹を立てる濃さ、最後二人が仲直りをするときの濃さ、その辺で濃さを感じてしまいました。ただ濃くなっていくと、下げの笠からの滴が薄味になっていきます。その辺が、ちょっと気にはなりましたが。鼎談は、修行時代の話がされましたが、専ら文我門の修行の大変さが紹介されました。生喬が言った結論、まん我とたまは、生涯一弟子となるだろうというものでした。
 「福島」から「天満」へ移動。買い物をしてから「南森町」に移動。時間調整のために、ちょっとだけネットカフェへ。そして、夜は繁昌亭。今夜は「天満の銀座?25丁目?」」がありました。銀瓶の会なのですが、ネタがいいので、久しぶりに覗いてみたくなったのです。その番組は、次のようなものでした。呂好「動物園」、花丸「たいこ腹」、銀瓶「蔵丁稚」、(中入り)、なるせ女剣劇団「ミニ大衆演劇」、銀瓶「立ち切れ線香」。呂好は、序盤はしょり気味。あっという間に動物園の場面になりました。花丸の「たいこ腹」は、久しぶりの遭遇。花丸の鉄板ネタですから、随分と聴いてきたものです。銀瓶のネタ2つ、この並びが良くて、この会に行こうかと思ってしまいました。「蔵丁稚」をネタ出しする銀瓶って、ほぼ見たことないですからね。2つを比較すると、「蔵丁稚」は大仰に、なかでも前半の定吉と旦さんのやりとりがそれ。ウソをつこうとする定吉に白状させるときの旦さんの応対が、特に大仰。この手法は、銀瓶落語では珍しいでしょう。確かに定吉のウソ自体が見え透いたものですから、漫画チックにまで見える応対もありかとも思いましたが、過剰なまでも口演には、ちょっと引いたかな。その流れで、芝居がかりになっていっても、急激に変えるものではなく、同様のテイストで推移していました。そういった演出意図が露わだった「蔵丁稚」に対し、「立ち切れ線香」は静かさをモットーにしての口演。間での変化をほぼ入れないで、語り口の変化だけで、この大作を口演する語り口の確かさは大変な技。帰り道、横を通ったお二人連れ、「うまいなぁ」と語り合っておられましたが、その言葉に尽きます。今まで、2回、銀瓶の「立ち切れ線香」を聴いていますが、以前の方が、更に静かな語り口が徹底していたとは思いましたが。幾つか工夫に気づきました。酒を呑んで咳き込むというのが、三味線へのきっかけになりますが、それをしなかった。位牌に向かっての独白で、蔵住まいの間での小糸に対する思いをクリアに語ったところ。「ずっと小糸のことを考えていた」「でも、こななことしてたらあかん」とも。かなり熱い言葉が語られました。「生涯、嫁を持たない」とまで言うわけですから、言われてみたら合理性があるなと思いましたが、ここまで熱い言葉が出てくると、静謐さは崩れてしまいます。これが、今までと違うなと感じさせられた原因と思います。最近、「立ち切れ線香」を手がける人が増えてきていますが、やっぱ銀瓶のものが一光っていると、再確認できました。




2014年 7月 13日(日)午前 2時 48分

  大阪市内遊歩(212)

 トルコ行きが近づいてくると、毎度せわしなくなってくるのは定番にせよ、今年は、遊ぶ方で、急に慌ただしくなってきました。来週に、急にいいものが入ってきたために、逆に青息吐息。ま、嬉しい悲鳴ってやつです。それは、来週のお楽しみにして、昨日は、まず「一心寺門前浪曲寄席」へ。毎月定番にしている会です。その番組は、次のようなものでした。泉敏栄(藤初雪)「田宮坊太郎」、五月一秀(沢村さくら)「不破数右衛門の芝居見物」、真山誠太郎(真山裕子)「落城の舞」、三原佐知子(虹友美、鵜川せつ子)「はばたけ千羽鶴」。泉敏栄さんの「田宮坊太郎」は、よく出る仇もの。浪曲で取り上げられるのは、少年坊太郎が、仇の顔を知るくだり。成人してからの仇討ち本番も知りたいのですが、講談にはあるのでしょうか。聞くたびに思うことです。五月一秀さんは、福岡在住だそうで、台風に翻弄された模様。「不破数右衛門の芝居見物」ってネタ、講談でも聴いたことがない。暴漢にいたぶられている女を救った数右衛門、赤穂浪士と名のると、女は芝居に招待。その芝居の内容は、また女の意図は、といういいところで居眠り。ネタ的に最大の関心事のところで、またしてもダウン。昨日も、変なジンクス通りになっちゃいました。「落城の舞」の「落城」とは、柴田勝家の敗戦を意味していました。お市の方でしたっけ、彼女が落ちていくところがクライマックスになっていました。三原佐知子師は、十八番の「はばたけ千羽鶴」。原爆症で亡くなったサダ子さんの物語。過剰なまでの感情移入が、いかにも浪曲らしいところ。もう来年で、終戦70年なんですね。
 浪曲が終わると、直ちにウォーキングに移行。タイトな時間の中に、ウォーキングを設定することになりました。そのコースは、次のようになりました。一心寺南会所〜通天閣〜大阪市立恵美小学校〜大阪市立木津中学校〜韓国料理店「南大門」〜大阪市立大国保育所〜大国町南公園〜JR「かんじょう069」橋梁〜大阪市立長橋小学校〜鈴成座〜大阪市立橘小学校・敷津松之宮御旅所〜阪堺線「松田町」駅〜聖愛幼稚園〜大阪キリスト教学院・大阪市立丸山小学校〜まつむし広場〜阪堺線「松虫」駅〜阿倍野王子商店街〜むつみ幼稚園〜大阪市立阪南保育所〜大阪市立阿倍野中学校〜文の里商店街〜地下鉄「文の里」駅〜地下鉄「阿倍野」駅。少し前にも似たコース設定をしたことがありました。新世界から西に向かい、そして南下をして、西成区内の住宅の建て込んだところを歩き、天下茶屋界隈で、今度は東に向かうというもの。どうも、そのときは、西に行きすぎて、最後がかなり窮屈になってしまった記憶があったため、昨日は、長橋小学校と鈴成座のある通りを南下することにしました。よく解らなくなってしまうキリ短と「松虫」駅の位置関係も、昨日はバッチリ。もう迷うことはないのじゃないかな。最後は、桃ヶ池まで行き「文の里」を終点にするか、行かないで「阿倍野」を終点にするかで迷ったのですが、僅かな時間でも節約ができるかと、「阿倍野」をチョイスでした。
 「阿倍野」駅近くのネットカフェで、休憩がてら時間調整。そして、夜は「動物園前」経由で「長堀橋」まで移動。「ウイングフィールド」であった「虚空旅団」の公演「誰故草」を観てまいりました。ところが、この芝居、枠組みがなかなか見えてこず、それが仕掛けかと思っていたら、最後まで見えてこない部分が残り消化不良の作品。5人の女性が共同生活をしています。それが、どうやら強いられているという印象があります。強いているのは国家かと思われる台詞が出てはくるのですが、結局判らず終い。5人の1人が悩む場面があります。放射線治療を受けなくてはならない病に冒されているというのですが、それにより子どもが産めなくなるかもしれないと悩むのですが、それが、その女性個人の問題としてではなく、自分が産めないと、もう産める者はいなくなり、5人がチームを組んでる意味がなくなると悩みます。それが、どうやら5人の共同生活と関係があるらしいと思わせておいて、最後まで種明かしがありませでした。5人の女性の1人の妹が訪ねてきます。彼女の話から、周囲は放射能に侵されているようです。彼女は、姉に国外脱出をすることを伝えに、姉の元を訪れたことが最後に判りますが、そういった危惧を抱くきっかけになった事象として、1度だけ、発電所が攻撃を受けたという言説が出てきます。登場人物同士では自明のことのように扱われるものですから、客にはどのような理解がいいのか判りません。他の事象との連関性は、更に判りません。いや、判らないを前提に、この芝居は書かれ進んでいるようにすら思うほど、いやそうなのでしょう、大枠を見せきらないで芝居が進行します。福島を連想をしていいものか、もっとSFチックな物語として考えだしていいものか、難しい芝居です。そんなですから、語り尽くさないでプロットだけを投げかけられても困るというものです。それとも、こちらのイマジネーションが少ないのでしょうか?




2014年 7月 11日(金)午後 11時 48分

  大阪市内遊歩(211)

 今日は、朝から結核予防会で胃カメラ検査。一年で一番嫌な朝です。でも、胃にポリープがあるので仕方ありません。今年は、ソフトにファイバースコープを挿入される先生。えずきはひどくはないのですが、その時間が長いという嫌な点がありました。食道を通ると、平常心でおれたということは、ソフトな操作の方が助かるということですね。検査が終わると、直ちににウォーキングに移行。そのコースは、次のようになりました。大阪結核予防会〜「京町堀1年」交差点〜インド&ネパール料理店「シダラタ」〜土佐堀橋〜堂島大橋〜下福島公園〜阪神「野田」駅〜JR東西線「海老江」駅〜淀川大橋〜「野里」交差点〜姫之里公園〜大阪市立姫里小学校〜大野川歩行者専用道〜のぞみ保育園〜千舟公園〜千舟大橋〜西淀川千舟郵便局・阪神「千船」駅〜「佃4」交差点〜千北橋〜阪神なんば線「出来島」駅。今日は、時間があるということで、ご無沙汰している西淀川区を目指すのと、阪神なんば線に乗ることをポイントに、コースを組んでみました。でも、西淀川区を目指すなら目指すで、ちゃっちゃと目的地に行かねばなりませんね。今日のコースで言えば、ちゃっちゃと福島区内に入り、淀川を渡ってしまうことにしなければなりませんでした。淀川大橋を渡る前に、最短距離を歩いてないものですから、西淀川区内に入ってから、時間的に窮屈になります。でも、そないななか、「千船」駅側に入り、佃地区を歩けたのは、なかなかの収穫。当初は、「出来島」から「福」まで行き、「福」駅を終点に想定していたのですが、てなわけで無理でした。
 「出来島」から、用事もないのに「なんば」に移動。せっかくだからというので、千日前のネットカフェで休憩。ウォーキングのあと、ネットカフェに入るとありがたいのが、フリードリンク。冷房の効いた部屋でクールダウンもでき、一石二鳥です。ゆっくり休んでから、京都に引き揚げ自宅へ。今日は、夜、またしても「カフェ・モンタージュ」でのコンサートに出かけることにしていたのです。なんか落語会に出かける感覚で、「カフェ・モンタージュ」に出かけています。ホント、いいところを教えてもらったものです。今夜は「比較の探究」というタイトルでのコンサートがありました。演奏されたのは、ミヨーの「三重奏曲Op.157b」、メノッティの「三重奏曲」、バルトークの「コントラスツSz.111」でした。今日のコンサートは、バルトークの「コントラスツ」をするために企画されたもの。それに合わせて、選ばれたのがミヨーとメノッティの曲。クラリネット、ヴァイオリンにピアノという組合せのアンサンブルは、そないに多くはないそうで、いずれもが20世紀に入ってからの産物とか。メノッティなんか、1996年の作品って言われたと思います。それを聞いて、思わずメノッティって、そないに長生きしたっけとは思いましたか、考えてみれば、このコンサートのプログラムを見るまでは、メノッティが室内楽を作っていることすら知りませんでした。ですから、メノッティらしいメロディなりなんなりが、全く思い浮かばないなか、聴くことになりました。それこそ、メノッティが名を馳せているオペラに出てきそうな滑稽で軽快なメロディが出てくるかと思えば、ロマン派的な厚い音が出てきたりするのですが、いずれがらしさの出たものかは判らずじまい。ミヨーも、20世紀フランス音楽とも違い、伝統的なドイツ音楽の風情すら感じさせるもの。1936年の作品と言われたのが、不思議な感じすらしました。そういった中で、最もらしさを発揮したのが、今日の主役のバルトーク。野性味たっぷりのバルトーク音楽の生に、ホントに久しぶりに遭遇できました。今日は、もうそれだけで満足。満腹状態。そのように考えると、ミヨーもメノッティも、なかなか大した前菜になってくれました。でも、バルトークを中心に据えるわけが判りました。3人の奏者は、クラリネット:上田希、ヴァイオリン:石上真由子、ピアノ:宮本聖子のお三方でした。




2014年 7月 11日(金)午前 5時 2分

 水曜日は、まっすぐ帰宅。そして、昨日は台風で、大変な一日と思っていたら、完全にあてが外れてしまいました。朝方に、僅かだけらしき風が吹いた程度。本番となるはずの夕刻には、ほぼ雨すら上がっていました。ですから、夜遊びも問題なく楽しむことができました。昨夜は、繁昌亭であった「繁昌亭で復活!ラクゴレンジャー!」に行ってまいりました。今年20年目を迎える同期の噺家さんの会。その昔、太融寺で行われていた会の、一日だけの復活です。発起人は三金だそうで、こまめな企画が光ります。その番組は、次のようなものでした。弥太郎「刻うどん」、文鹿「淀川」、吉弥「ホース演芸場」、米紫「厩火事」、(中入り)、かい枝「初天神」、三金「奥野くんの選挙」。最初、ゴレンジャーのマスクを着けた三金と米紫が登場。あとの3人は、マスクを捨ててしまったとか。軽い前説を、2人がやったあと本番へ。マクラで思い出話が語られる程度で、中身は普通の落語会。文鹿は、演じ手がいないと言ってもいいかという「淀川」。坊主が守ろうとする殺生戒を皮肉った噺。吉弥の「ホース演芸場」は、ようやく出逢えました。大須演芸場をもじり、且つ、場所を園田競馬の横に移し「ホ−ス」としたもの。ほぼ繰り返しネタ。若手の噺家桂小骨が、ホース演芸場で失敗を繰り返していくといのがうものと、昔の芸人さんのつかみの歌を歌っていくというものだが、最後にいい工夫があります。枝雀夫人に持ってくるのがいいですね。ジョーサンズが出てきたときに、そのくすぐりが入らないのでおかしいなと思っていたら、もっと大きな扱いでした。米紫は、力の入った、だいぶと肩のこる、だけどおかしい「厩火事」。かい枝は、かなりアレンジを施した「初天神」。時間の関係か、序盤をカットして、親子はもう天神さんに向かいだしたところから始めました。そして、三金。「奥野くんの選挙」は、何度も聴きましたが、今回初めて選挙に出で演説をするのが、奥野くんではなく三金となっていました。デブネタ・オンパレードというか、マクラ集のようなネタですね。終わって、外に出ても台風の欠片もありませんでした。一番、接近していた頃合いだったのですが、、、。




2014年 7月 8日(火)午後 10時 47分

  大阪市内遊歩(210)

 昨日に比べ、気温に湿度、ともに日本の夏に突入です。今日は、非勤務日、最近は、朝からウォーキングに出かけ、あまりにせわしないので、今日は、午後の予定をカット。午前中は、オペラのDVDを観て過ごしました。そして、午後にウォーキング。そのコースは、次のようなものとなりました。京阪「北浜」駅〜葭屋橋〜天神橋〜滝川公園〜大阪市立滝川小学校〜源八橋〜大阪市立中野小学校〜大阪市立都島中学校〜JR「かんじょう118」橋梁〜三福湯〜野江まつのはや保育園〜銭湯「ニュー朝日」〜城東野江郵便局〜JR「かんじょう008」橋梁〜大阪市立蒲生中学校〜蒲生公園〜城東区役所〜地下鉄鉄「蒲生4丁目」駅〜蒲生幼稚園〜新喜多大橋〜JR学研都市線「鴫野」駅〜上城見橋〜森之宮病院〜J環状線R「森ノ宮」駅。「北浜」から「源八橋」を通り「野江」までで、ほぼ1時間。内環辺りまで足を伸ばしてから、環状線方向に戻る計画は、無惨にも破綻。計画自体がなってなかったってこと。「鴫野」から「京橋」に向かってもおもしろくないと、また時間的にも、ダイレクトに「森ノ宮」まで行けると読んでのコース取り。でも、考えたら、このコースは、よく歩きます。その上、存外時間がかかりません。20分あれば大丈夫じゃないかな。今日は、そのため、最後は、「森ノ宮」駅に迂回して入ることになりました。
 「森ノ宮」から「天王寺」に移動。最近、よく使うネットカフェで、休憩がてら時間調整。そして、夜は「動楽亭」であった「生喬百席」へ。その番組は、次のようなものでした。生喬「日和違い」、鉄瓶「三年目」、(中入り)、生喬「雑穀八」。生喬は、まず近況報告から、というか、最近あったおもしろい話と言えばいいでしょうか。「日和違い」は珍しい噺。枝雀が持ちネタにしていたわりには、一門の噺家さんでも、滅多に出ないネタ。雨が降ると困る男が天気予報を聞き回るのだが、うまくいくわけがない。ならば傘を持って出ろと言いたくなる噺。最近では、生喬と文我以外では聴いた覚えはありませんね。鉄瓶の高座は久しぶり。と言うか、避けているから遭遇しないというのが、正しいところ。今日も、マクラを聴いていたときに、そないな感じになってしまってたのですが、なかなか共感を生みにくいなという話が多いかなと思ってしまうのです。でも、ネタに入ると、今日は、以前と違い、自分だけで楽しんでいるという風情が抜けていたので、これなら聴けると思えるようになりました。ただ、下げは、いわゆる蛇足ってやつじゃないかな。「雑穀八」は、いつ聴いても、終盤がつまらないですね。雑穀八がつぶれ、また再興する重い話を、うまく鶴さんという一人の男にスポットを当て展開していた噺を、わやくちゃにしてしまう終盤だと思ってしまってます。生喬のごっつめの声が、効果的に進んだのですが、この終盤に入ると、急にどうでもいいやの気分になってしまい、急に集中力が落ちてしまいました。これも、演じ手の少ない噺。出ないネタは、おもしろくなくて、難しい、正に、その典型的なネタですね。でも、珍しいから、出ると聴きに行っちゃいます。




2014年 7月 7日(月)午後 10時 40分

 今日も、詰めて働いた一日でした。根気と集中力が、どんどんとなくなってきていますから、ストレスが必要以上にたまります。そういったときに限り、突拍子もない仕事が入ったりして、余計にストレスがたまると、相場が決まってます。で、目一杯働いて、夜は、京都の「カフェ・モンタージュ」で、音楽を聴いて帰りました。教えてもらってから、はや2度目となります。いつも行く落語会の感覚で、室内楽が聴けるなんて、なんと恵まれた話でしょう。今夜は、クラリネットのソロというレアなメニュー。今まで、自分の人生で、クラリネットのリサイタルに行ったのは、たったの2回。いつというところまでは覚えてないのですが、2回とも、ジャック・ランスロのリサイタルだったことだけは、しっかりと覚えています。恐らく、そのときにも聴いたと思うレーガーの曲ばかりが並びました。最後に「クラリネット・ソナタ第3番」が演奏されましたが、それに先立ち、レーガーの3つの小品「2つの小品 作品87」「タランテラ」が演奏されました。レーガーって、43歳で亡くなっているのですね。今日、初めて知りました。道理で、知られた曲が少ないのですね。ドイツ・ロマン派と、黄紺の頭には刷り込まれていますが、クラリネット・ソナタでは、ドイツ・ロマンのエリアを微妙にさ迷っているかと思うと、突如として異質な音が出てきます。ドイツ・ロマン派の曲には、ついぞお目にかからない、ちょっと異質な音の輝き、煌めきを感じました。クラリネットですら、そういった印象を持つ音に遭遇です。簡単な解説をされたカフェのオーナー氏(この方は何者なのだ!)は、フランス6人組の音楽のようですと表現されていました。長生きしていたら、どんな音楽が、彼から湧いてきたのでしょうか? そないなことを考えさせられたコンサートでもありました。クラリネットは河野泰幸、ピアノは塩見亮。前回、チェロのコンサートを聴いたとき、ピアノの音の悪さを、すっかりピアノ自体のせいに考えていたのですが、とんでもありません。弾き手の問題ですね。塩見さんは、9月に自身のリサイタルをされるそうなんで、行ってみようかなと思ってしまいました。




2014年 7月 6日(日)午後 10時 22分

  大阪市内遊歩(209)

 自分的3連休の最終的日。トルコ行きが近づいてくると、なんとなくせわしなくなってきます。今の間に日本を楽しんでおきたいの気持ちです。トルコに行ったからといって、1ヶ月もしない内に帰ってくるのにです。結果的に仕事に追われ、睡眠時間を節約します。今日も、9時までには家を出ようとの計画。まずは、京橋を起点としたウォーキングを実施。そのコースは、次のようになりました。京阪「京橋」駅〜大阪市立桜宮小学校〜桜宮橋〜大阪市立北稜中学校〜イタリア料理店「堂島グラッチェ」〜天神橋筋商店街〜地下鉄「南森町」駅〜西天満公園〜タイ料理店「タイーヤータイ」〜露天神社(お初天神)〜大阪曽根崎新地郵便局〜出入橋〜朝日放送〜福島天満宮〜沖縄料理店「ねぎ吉」〜堂島大橋〜土佐堀橋〜大阪市立花乃井中学校〜靭公園〜地下鉄「阿波座」駅〜「新町3南」交差点〜心斎橋筋〜済州島特産品展示館〜韓国料理店「コッテジ」〜タイ料理店「ブッサリン」〜安堂寺橋〜地下鉄「谷町六丁目」駅。3日連続の大阪市内ウォーキングとなったため、コースに変化を持たせようと、今日は、3日間で、一番北を歩いてみました。東から西へ、そして、西から東へと戻ろうというものでした。最初は、大阪中央市場をぐるりと回るようなことまで考えていたのですが、時間的には、とんでもない思い違いをしたコース。堂島大橋の北東部で、あみだ池筋に出たところで、素直に堂島大橋に向かうコースを採りました。それが正解だったようで、「新町3南」交差点を曲がってからは、あまり進めないのではと思っていたところ、思いの外進むことができ、あとの移動には好都合の谷町線の駅に着くことができました。所要時間は、2時間を1分上回っただけでした。
 「谷六」から「阿倍野」へ移動。近くのネットカフェで、休憩がてら時間調整。ダニエラ・デ・ニースの魅力全開の「ポッペイアの戴冠」(グラインドボーン版)を、たっぷりと楽しんでいました。そして、今日も、「動楽亭昼席」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。あおば「七度狐」、吉の丞「ガマの油」、あさ吉「鯛」、千朝「鹿政談」、(中入り)、米左「豊竹屋」、南天「花筏」。南天がトリというのを最大の狙いとして、行ってまいりました。おまけに中トリが千朝ですしね。まず、前座のあおばの口演にびっくり。完全に落語になっているどころか、ちょっとした手の動き一つにしても、有機的に動き、噺の理に叶っているのです。いつの間に、こないな技を身に付けたものか、なんか、混じりけのない方が大きく育つとは、昔から言い古されたことを思い出してしまいました。吉の丞は、まずは「あおば物語」から。要するに、数々のあおばの迷言集を披露してくれました。客席のボルテージが最高レベルまで上、吉の丞が出したネタは「ガマの油」。時間を考えて、ちょっと後半部分をはしょりながら進めたのですが、これは、なかなかイケるもので、こちらでも、客席をキャーキャー言わしてくれました。あさ吉は、あおばの高座が終わったところで、客席を通っての楽屋入り。楽屋口が閉まっていたようです。まずは文枝襲名披露に付いて回った話から。彼は笛の名手ですから、その仕事が入っていることは、以前から知られた話。今日は、その話に特別な意味がありました。それを機に、三枝作品をもらったというのです。それで判りました。最近、あさ吉が「鯛」をネタ出ししているわけがです。上方落語協会会長室で、1時間という限られた時間だったけれど、文枝から直に稽古をつけてもらったと言ってました。これが、あさ吉の明後日の方角を向いたような口演ではなく、リアリティを感じさせる好演。いいマクラといい、ちょっといい噺を聴けたぞの雰囲気がありました。千朝は、動楽亭では、3回連続となる「鹿政談」。さすがに、自分のアンラッキーさを恨みました。米左は、位置を考えてのネタ。ただ、やたらと大きな声に、ちょっと引いてしまいましたが。そして、南天。今日は、マクラなしで、いきなりネタ入り。また、この「花筏」が良かった。南天テイストのスパイスが効いた進行を堪能です。徳さんが、調子に乗って色紙を書き、そこに言葉を残します。これが、うまいタイミングで、また進行に見合った言葉だけに大受け。「花筏」って、こないに笑いが詰まった噺だったっけと思ってしまいました。更に、下げに入る前に、エラリー・クイーンばりの「挑戦」をします。「結末は3通りあります」「結末を知っているには、コアな落語ファンと私だけ」と言って、ラストに入りました。徳さんが負けるパターンでした。実に楽しい「花筏」。南天の着想に脱帽です。




2014年 7月 5日(土)午後 8時 58分

  大阪市内遊歩(208)

 今日は、予定していたことが、数日前に取り止めになってしまったために、急遽お出かけ先を考案。一つだけ気になる落語会があったのですが、近々行くことにしている会と、ネタがかぶってはと思い、結果的に回避。替わりに選んだのが香港映画「浮城」。心斎橋シネマートで観てきました。水上生活者を描いているというので、黄紺の琴線に触れてしまいました。水上生活者出身にしてハーフ、しかも売られてきたという過去を持つ一人の男のサクセス・ストーリーと言えば、そういった言葉で括れるのでしょうが、それは、あくまでも血のつながらない親、父親が早く亡くなるので、ここでは母親とすればいいでしょうか、その母親の愛情を受け、家族を必死に養おうとした結果として、キャリアをどんどんと積み上げていったと言えばいいでしょう。各年代でのエピソードを深追いすることなく、当人がナレーターを務め進んでいきます。落語の地噺を聴いてる雰囲気で時間が経っていきます。それに、香港を取り巻く国際状況が絡んでいきます。主人公が、イギリスの企業で働くことになるので、直で大状況が絡んでくるのです。実話に基づく脚本だそうです。植民地時代を生きる香港の人たちを正面から扱った映画って初めてだったもので、えらく新鮮な印象を持てた映画でした。
 映画が終わると、直ちにウォーキングに移行。久しぶりに生野区を歩いてみようという心意気で臨んだウォーキング、そのコースは次のようになりました。心斎橋シネマート〜トルコ料理店「Nazar」〜ウイングフィールド〜韓国料理店「オンマソン」〜韓国料理店「ヘウンデ」〜瓦屋橋〜大阪市立中央小学校〜東平北公園〜東高津宮〜ソウル書林〜鶴橋商店街〜大阪市立北鶴橋小学校〜千歳温泉〜千歳橋〜新今里公園〜錦湯〜東橋〜神路本通商店街〜大阪市立相生中学校〜「深江南2北」交差点〜東成消防署深江派出所〜大阪府立成城高校〜大阪市立東陽中学校〜大阪市バス「諏訪3丁目」停留所。一旦は鶴橋を目指し歩き、鶴橋で千日前通を越え、すぐに東へ。あまり東に行きすぎると、あとが困るということで、今度は、内環状線に出る前に北へ。神路地区を抜けかてから内環状線へ。内環状線には「上新庄〜布施」間の大阪市バスが走っていることを確認したあと、時間調整の意味合いを込め、成城高校まで歩いたあと、再び内環状線に戻ったというものです。今日は、2〜3回、ごく弱い霧雨状の雨が降り、ひやりとさせられましたが、大事には至りませんでした。今日は、一日を通じてもそうでしたが、気温が上がらなかったため、真夏のウォーキング気分というのとは、ちょっと違ったのですが、終わったあと、今日も簡単に居眠りに襲われてしまいました。それだけ疲れたってことなのかもしれません。




2014年 7月 5日(土)午前 0時 1分

  大阪市内遊歩(207)

   この2日間は、仕事がたて込むのが判っていたので、夜遊びは自粛。今日から、お出かけが復活しました。この週末は、動楽亭昼席を中心にしてのスケジュール。来月は行けないということで、今月は、いつもより多めにという計画。今日は、動楽亭に行く前にウォーキングを組みました。空模様を気にしながらのウォーキング、そのコースは、次のようになりました。京阪「淀屋橋」駅〜肥後橋商店街〜韓国料理店「紅紅」〜靭公園〜サムハラ神社〜立売堀公園〜大阪市立堀江小学校〜阿弥陀池公園〜高台橋公園〜韓国料理店「桜」〜大阪市立堀江中学校〜幸橋〜赤手拭稲荷〜JR「かんじょう059」橋梁〜阪堺電車「芦原町」駅〜大阪府立芦原高等職業技術専門校〜大阪市立栄小学校〜阪堺電車「木津川」駅〜木津川大橋〜大阪市立泉尾東小学校〜大阪市立北恩加島小学校・大阪府立泉尾工業高校〜泉尾公園〜イズオ商店街〜大正湯〜泉尾上公園〜JR環状線「大正」駅。空模様の方は、出発時の不安は一掃。途中から太陽が顔を出してくれました。淀屋橋から、少しジグザグに南下。最終的には木津川大橋を渡り、大正区に入るというもの。栄小学校の西側に回り込み、そちらから「木津川」駅に入るコースを採ったため、ちょっと大正区内を歩く時間が削られてしまいました。最後は、泉尾公園から「大正」駅までは20分を、頭に入れてのコース取り。どんぴしゃ2時間の行程となりました。
 「大正」から「天王寺」に移動。駅近くのネットカフェで、休憩がてら時間調整。そして、今日の午後は、「動楽亭昼席」に行ってまいりました。その番組は、次のようなものでした。鯛蔵「二人癖」、雀五郎「八五郎坊主」、歌之助「七段目」、文之助、「蛇含草」、(中入り)、わかば「つる」、雀三郎「船弁慶」。終わってみると、なかなかの好番組。動楽亭昼席のいいところじゃないかなぁ。中トリ、トリの兄弟弟子が、期待の夏ネタを、ばっちり披露してくれました。この季節には、これらを聴かないと始まらないなんて気持ちで聴くことができ、大満足。「蛇含草」では、序盤の夏の描写が抜群で、いっぺんに甚兵衛姿で汗を流している男の姿が見えてきました。「船弁慶」では、雀三郎お得意の人物描写が冴え渡り、中でもびびってびびっての喜六が可笑しくて、、、。この狙いのネタだけではなく、歌之助の「七段目」を、実に久しぶりに聴けたのもヒット。彼の「七段目」は、ちょっとテンポを、ゆったりめに取るのが特徴だったなと、随分と前に聴いた口演を思い出していました。更に、先日、守口で聴いたばかりの雀五郎の「八五郎坊主」を、再び聴けたのもありがたい遭遇でした。鯛蔵の「二人癖」も、前座ネタとして、鉄板的存在。そうくると、わかばよ、しっかりと叱咤したくなります。まず、7月の動楽亭昼席第一弾は大成功じゃなかったでしょうか。
 動楽亭を出ると「難波」に移動。千日前のネットカフェで、本日2回目の時間調整。夜は、そこから歩いて10分ほどのところにある「ウイング・フィールド」であった名古屋の劇団「ジャブジャブサーキット」の公演「ディラックの花嫁」を観てきました。「ジャブジャブサーキット」は、結成30年とかで、名前だけは、以前から知っていたのですが、その公演を観るのは、今回が初めてのこととなります。パンフレットを読むと、座付作者はせひろいちの作風が、今回の芝居のような作風とは限らないようですが、今日の作品は、SFものでした。山奥の秘密に満ちた研究所が物語の舞台。相次いで2人の闖入者、それに加えて、もう一人の新参者が、その研究所に現れたことから話がスタート。その新参者の謎が解明されていく過程が明らかになっていくとともに、研究所で働く者たち、出入りする者たちの実態も明らかになっていきます。明らかになっていくという点では、後者の方がおもしろかったかな。ただ展開が、ちょっと設定に対して、淡白でした。政府、同盟国なんて言い方もされたのですが、それは、さしたる問題ではない取扱いで、過ぎたる研究が潰されて終わります。研究所で創られた様々な発明品が、人間を切り刻んだ特徴を表しているようで興味を引かれたのですが、それまでだったみたいです。そのため、芝居の途中に感じた緊張感が、見終わるとぷつっと切れた感じでしたが、途中は、結構楽しませてもらえたので、次回も行こうかなの気分でいます。役者さんは、老若男女混合という感じで、ちょっとつかみ所がないですね。でも、雑然とした魅力がありますね。




2014年 7月 2日(水)午前 0時 27分

  大阪府寝屋川市(45)〜門真市(53)〜大東市(19)〜東大阪市(45)

今日は、午前中は持ち帰り仕事に没頭。日にちがないので仕方ありません。そして、1時あたりをお出かけ時間に設定。「萱島」からウォーキングをスタートするつもりで出かけたのですが、電車の中で爆睡。気がつくと京橋。もう京橋スタートのウォーキングも考えたのですが、時間的に余裕もありということで、わざわざ「萱島」に戻りウォーキングをスタート。地図を、せっかく用意していたものですから、ちょっと意固地になりました。そのウォーキングのコースは、次のようなものでした。京阪「萱島」駅〜白菊温泉〜「二階堂」交差点〜門真市立四宮小学校〜めぐみ保育園〜弁天池公園〜菅原神社〜大東市立三箇小学校〜会所橋〜鍋田側道橋〜住道大橋〜大東市立南郷中学校〜太子田大神社・聖徳太子堂〜聖心保育園〜戎大黒橋〜JR学研都市線「鴻池新田」駅。今日は、久しぶりに弁天池に寄りたくて、このようなコースを考えました。先日、「寝屋川市」駅からコースを組んだときも、頭に入っていたのですが、時間の関係で無理しなかったため、行けなかったもの。そして、もう一つ、弁天池方向から学研都市線に抜けるというものも久しぶり。ダイレクトに行けば、「萱島」から「住道」は、1時間半を見ておけば大丈夫でしょう。従って、今日は「鴻池新田」を目ざすことにしました。「住道」から「鴻池新田」は、JRの線路沿いに歩いても30分くらいかかるということが入っていますので、ほぼどんぴしゃで終点を迎えることができました。
 「鴻池新田」から「京橋」経由で「天満」に移動。駅近くのネットカフェで、休憩がてら時間調整。今日は、ウォーキングでかなり疲れてしまい、TRT3を聴きながら寝てしまいました。時々、これがありますね。そして、夜は繁昌亭に移動。今夜は「サンキンとキチボー 三金・吉坊ふたり会」がありました。その番組は、次のようなものでした。三金・吉坊「挨拶」、呂好「平林」、吉坊「一文笛」、三金「船弁慶」、(中入り)、三金「千手観音(仮)」、吉坊「冬の遊び」。今日のネタ出しは、「船弁慶」と「冬の遊び」とくれば、どうしても「冬の遊び」に目がいってしまいます。黄紺も、このネタばかりは、随分と以前に、米左で、一度遭遇経験があるだけという超レアもの。夏に冬装束を着て遊ぼうという噺なのですが、なかなか難しい噺ですね。久しぶりに聴いてみて、まずそのように思いました。前半が、新町の行事に、金を出しているにも拘わらず、挨拶をもらえなかったとごねる堂島の旦那衆と、それに応対する女将とのシリアスな場面が展開し、後半は、一転して冬の遊びに興じる旦那衆に取り入ろうとする幇間と、かなり大きな変化があります。噺の展開はおもしろいのですが、さほど笑いが入る噺ではないということで、手がける人が稀なんでしょうね。途中、たっぷりと冬装束を着込んでの踊りも入りますから、吉坊のような噺家さんだからこそ対応ができるというものでしょう。吉坊は「冬の遊び」をネタ出ししているので、もう一つは軽めのものと決めつけていたら、「一文笛」にびっくり。吉坊の「一文笛」は2度目となります。最後まで緊張感が持続するいい感じの口演でした。一方の三金は、大まじめに「船弁慶」を演じてくれました。新作の語り口が染みついているのでしょうね、ちょっと序盤の語り口に違和感を持ってしまったのですが、古典もこなす両刀遣いの冴えが、徐々に際だっていきました。それは、スズメのおまつが帰ってきたときに言う長台詞(繰り返しがありました)よりは、焼き豆腐のことを言う喜六の方が冴えていたということになります。ラストのおまつが通い船で乗り込むところで、若干、三金が飛ばしたのでしょうね、お囃子との呼吸が乱れたのは残念。膝も負担が大きくなかったようで、長講のわりには、終わってからも、すたすたと引き上げて行きました。ということで、なんか、吉坊の本格的な古典に触発された感じのいい高座でした。「千手観音」の手が足りないという新作は、「できちゃった」で下ろしたんでしたっけ? 前に聴いたとき、三金の作風らしくないぞと思ったのですが、その違和感、正解でした。新妻が美術館勤務の女性で触発された結果、生まれた作品と判明しました。ちょっと異種格闘技戦のような会、取り合わせの妙を見せてくれた会だったと言えるんじゃないでしょうか。




2014年 6月 30日(月)午後 11時 51分

 今日は、丸一日たっぷり過ぎるお仕事。持ち帰り仕事までしてても、気が入っていないと、逆に後始末が大変だということが、よく判りました。なんとかメドを立てて、あたふたと職場をあとにして、なんとアトリエ劇研まで急いだのですが、到着したのは、開演10分前。さすがに松ヶ崎近くまでの移動は尋常ではありません。今夜は、こちらで、この劇場のプロデュース公演「舟歌は遠く離れて」があったのです。脚本は、劇団「下鴨車窓」の主宰者にして、現在、この劇場のプロデューサーを務める田辺剛の作品。それを山口茜が演出したものでした。「下鴨車窓」の舞台が、不思議な仮想空間を創る芝居を続けているので観に行ったというわけですが、演出が難解で、特に今日の黄紺には、酷しすぎました。難しいからボーッとする。ついには意識も吹っ飛んだところも出てきてしまいました。どうやら生者と死者が混交してる作品らしく、また、空間的にも2層になった船内に設定しているなど、これはアフタートークで判ったこと、かなり手遅れ。そこで聴いても、なんとなく解ったのはごく一部。ですから、かなりの抜け落ちがあったことが、自ずと判明してしまいました。ので、今日は、アトリエ劇研まで足を運んだぞとだけ書くに留めておきたいと思います。




2014年 6月 30日(月)午前 4時 22分

  京都市内遊歩(66)

 昨日は、久しぶりの観能の日。京都観世会館であった「林定期能」に行ってまいりました。今年の前半は、奈良の金春を観たのと、昨日でおしまいの予定。ちょっと淋しいです。やはり関西は、稀少性の高い曲が、なかなか出ないですね。昨日は、「碇潜」が出るということで行ってまいりました。「碇潜」は珍しいだけで、観るたびに「出ないわなぉ」の感想を持ってしまうのですが、出ると観に行ってしまってます。で、昨日の番組は、次のようなものでした。能「藤戸」(林喜右衛門)、狂言「魚説教」(茂山良暢)、能「碇潜」(河村和貴)。「藤戸」は、無惨な話です。いわゆる斬り捨てごめん的なひどい話。浅瀬の位置を教えて、教えた方が、下郎は口が軽いものと決めつけられ斬られてしまうのですから、親の気持ちはたまりません。能の世界では、なぜか、これが重い扱いを受けているものですから、キャリアを積んだ方が、更なるステップアップを図り挑む曲となっています。林家の当主の演能ということで名手が並びました。ワキは、福王流の若宗家、笛方には、音色が超魅力的な杉市和師、アイは本格派茂山茂くんと、充実していました。狂言は、茂山忠三郎家のお二人。アドの山口さんの頭は真っ白。はつらつとした青年だった頃から、いかほどの時が経ったのでしょうか。そして、お目当ての「碇潜」。修羅物ではなく5番目扱いの曲。平知盛の最後を描いたもの。開演前の解説で、味方健氏は、観世流では、長い間廃絶扱いだったものを、15世宗家元章が再興、でも、また途絶え、幕末から明治にかけ、本格的に復興した曲だということ、演出面で、能らしい省略が行われていること、また、それを補う「船出之習」という小書があることを、手短に話されていました。まことにもって適切な解説は、さすが味方氏。この曲の頼りなさは、その辺から来ています。「碇潜」と名を打ちながら、碇は出てこないわ、壇ノ浦の合戦を戦っているのは、知盛だけではないはずなのに、1人以外は誰も出てこないわで、省略が過ぎるという点があるのです。ここまでやっちゃうと、看板に偽りありと思ってしまい、頼りなげに映ってしまうのです。身体に巻き付ける碇を引き上げる仕種が入るのが、唯一「碇潜」の名にふさわしい所作です。飛び込むのも、三の松で、くるっと1回転して沈み込むという、よくある型での表現。同じ知盛もの「船弁慶」だと、風流が進み、いわゆるショーアップされるのですが、「碇潜」はそうではありません。この辺で、上演頻度が落ちるのでしょうね。シテの河村和貴さんは若いので、無茶苦茶切れがありました。その切れ味を観ただけで、この曲は5番目物と思ってしまいました。鬼神が如き恨み、憎しみを観た気がしたのです。味方氏は、和貴さんは初めて「碇潜」を舞われるので、常の型で演じられますと解説なさっていました。そないな言葉を聴くと、いつの日か「船出之習」を出されることを期待してしまいますね。
 能が終わると、直ちにウォーキングに移行。京都市街地の北の方を歩くチャンスと、自ずと足は高野方向に向かいました。そのコースの詳細は、次のようなものでした。京都観世会館〜徳成橋〜ペルシア・インド料理店「アラシのキッチン」〜京都聖護院郵便局〜聖護院門跡〜京都大学〜日本イタリア会館〜村上天皇皇后安子火葬塚〜朱い実保育園〜飛鳥井児童公園〜叡山電車「出町柳8号」踏切〜叡山電車「元田中」駅〜東開児童公園〜高野保育園〜「高野」交差点〜叡山電車「茶山4号」踏切〜京都市立修学院中学校〜叡山電車「一乗寺」駅〜ネパール料理店「Namaste Kitchen」〜子どものその保育園〜玉岡児童公園〜高野橋〜松ヶ崎浄水場〜アトリエ劇研〜京都市立下鴨中学校〜下鴨神社〜京阪「出町柳」駅。観世会館から高野の交差点まで55分かかりました。そこで終点の候補地としては、「出町柳」駅か、洛北高校から南のバス停かのいずれかを選ぶということで、高野の交差点より東北部を歩いてみました。すると、以前歩いたときに出逢った修学院中学校に遭遇。偶然が過ぎます。アトリエ劇研に出てきたのも偶然。松ヶ崎界隈は、さすが高級だと眺めていると、目の前に見慣れた建物が、という具合。今夜、ここへ芝居に観に行くのに、わざわざ通らなくってもと思っても、仕方ありません。偶然でお得だったのは、「安子火葬塚」を見つけたこと。今出川通には、「中宮」と出ていたのですが、前には「皇后」となっていました。「?」です。「中宮」が正解のはずですね。次に、下鴨神社に沿った東側の道を歩けたことです。アトリエ劇研の前の道を、まっすぐ南下すると自然と入っていけます。糺の森の真横に民家が連なっています。静かでしょうね、あの辺り。羨ましくなりました。日曜日の夕刻、「出町柳」駅は、叡山電車、京阪ともに、えらく混んでしました。久しぶりに、叡山電車の方の「出町柳」駅を覗くと、インド料理店の宣伝のためにチラシを配るインド人の方がいました。やっぱ、この界隈は京大が近いからでしょうか、国際的で、カパルの女性が自転車で走ってたりしますからね。所要2時間、巡検としてもいいウォーキングでした。




2014年 6月 29日(日)午前 6時 00分

  京都市内遊歩(65)

 昨日は、朝っぱらからウォーキング。夜半からの雨が上がり、でも、いつ降りだすか分からない空模様に、とにかく雨が降ってない間にウォーキングをと思い立ったのでした。そのコースは、次のようになりました。京阪「丹波橋」駅〜JR「第二御陵」踏切〜桓武天皇柏原陵〜伏見桃山城〜明治天皇伏見桃山陵〜乃木神社・京都市立桃山小学校〜光明天皇大光明寺陵〜ももやま児童館〜睦美幼稚園〜近鉄「桃山御陵前」駅〜大正湯〜京都府看護専修学校〜京都教育大学付属高校〜京阪「藤森」駅。昨日のコースは、桓武陵から桃山御陵まで行き、桃山南口に向かい階段を降り、そのコースを途中からショートカットする自動車道を通り、京阪線、近鉄線に戻ってこようとするもの。あとはお時間に合わせて、程よい終点を設定しようというものでした。やはり桓武陵から桃山南口に抜ける道は、緑一色ですから気持ちがいいですね。昨日は、それに加えて、脇道にそれ、伏見桃山城の廃墟まで行ってきました。芒漠たる廃墟という雰囲気はなくなっていましたね。周辺の整備をしたようで、かなり見てくれは良くなっていました。その辺りも含めて、雨が上がるのを待っていた人たちが、ジョギングにウォーキングに励んでいる姿を数多く見ることとなりました。黄紺も、その一人でしたが。
 ウォーキングが終わると、一旦家に戻り、所用を済ませ、大阪に大移動。午後は、動楽亭であった「講談まつり」に行ってまいりました。上方講談協会が開いている3つの定席の内、この「講談まつり」は、なかなかスケジュールが合わず、かなりの久しぶり。休日の午後開催ということで、バッティングが多いのが原因です。で、番組は次のようなものでした。南斗「有馬御難」、南湖「いざ鎌倉」、出演者全員「対談;旅の思い出」、(中入り)、左南陵「難波戦記」、南北「大谷刑部」。この会は、ネタ出しのうえ、かけられるネタが、近い講談会で出たネタがかかってしまうという傾向があります。その辺で、バッティングをすると、こちらを外すってことが多いような気がします。昨日も、その傾向が看られました。最近聴いた記憶がなかったのは「有馬御難」くらいじゃないかなぁ。わりかしユニークなネタを、講談会に出してくれる傾向がある左南陵さんや南北さんまでが、どんぴしゃで最近聴いたもの。左南陵さんの「難波戦記」は、秀吉の誕生から大坂合戦の超ダイジェスト版。南湖さんのネタは、実に3度目。ま、南湖さんの場合には、ご自分で会を持たれていることもあり、こないなことが起こります。もちろん「いざ鎌倉」は、能「鉢木」でおなじみの最明寺時頼もの。それにつけても、この南湖さんの高座を除いて、あとの3つが「難波戦記」もの。特集じゃないのですから、この辺は考えて欲しいものです。そうなると、注目は「対談」。トリの人がテーマを選ぶというのがルールになっているようなんですが、チラシを作る段階で、南北さんがパスした模様で、司会の南斗くんが、いきなり「どうしましょう?」と発言したものですから、打ち合わせなしが露呈。インド経験を、南北さんが積んでいるものですから、自然とそちらへ。南北さんは、パンパースを持って行ったことを話したものですから、自ずとそちらの話へ。インドと言えば下痢、だからパンパースの用意と、手回しのいい話です。またお世話になった話をするものですから、どんどんと泥沼化していきました。でも、旅の話は楽しいものがあります。南湖さんに話を振ってくれれば、彼の豊富な旅話を聴けたのでしょうが、それはありませんでした。
 動楽亭から天王寺に移動。最近よく利用するネットカフェで時間調整。そして、夜は「長堀橋」まで移動。「ウイングフィールド」であった「桃園会」の公演「覚めてる間は夢を見ない〜ある漁師の話・覚めてる間は夢を見ない・ぶらんこ〜」を観てきました。桃園会は、関西の老舗劇団。最近になって、各公演を観るようになってきています。今回は、3本の短編を3つ並べたもの。それぞれが30分ほどの長さ。深津作品なのですが、演出は、順に空ノ驛舎(空の驛舎)・深津篤史・筒井潤(dracom)が担当しました。1つ目と3つ目が、阪神大震災に対するオマージュ、2本目が人生の終わりにさしかかった人たちを描くというものでした。正直言って、30分という短い時間で、且つ作家さんのイメージから出てくる抽象的な言葉と、こちらの言葉との乖離があったようで、漠然とした画像・映像といったものに、黄紺の頭の中ではなりえまえんでした。なんか、言葉が難しくってとか、構成が複雑だったからとかとは違う感触を持ってしまった次第です。黄紺のイマジネーションの拙さに由来するものと思われますが、その得体の知れなさのような芝居って、ほぼ遭遇機会ってのがない時代に入っていますので、また観に行くことになるのでしょうね。




2014年 6月 27日(金)午後 10時 24分

  大阪府門真市(52)〜守口市(77)〜大阪市鶴見区、城東区

   今日は曇り空。早めにウォーキングを済ませたかったのですが、持ち帰り仕事があり、そういうわけにはいかず、昼すぎにお出かけ。曇り空のもとのウォーキング、そのコースの詳細は、次のようなものでした。京阪「門真市」駅〜菊水北公園〜菊水公園〜大阪府立守口支援学校〜鶴見緑地〜つるみ保育園〜大阪市立鶴見小学校〜今福北橋〜鯰江公園〜大阪市立蒲生中学校〜京阪「野江」駅。とにかく、今日は、鶴見緑地に行くことが目的。最近、全然行ってなかったのです。そして、行くと決めてから思い出したのが、バラ園に間に合うかどうかでした。5月と6月は、バラ園に咲き乱れる様々なバラが楽しみなため、それを目当てに、この時期に足をよく運ぶのですが、すっかり今年は失念していたのです。最近、ウォーキングの頻度を、意図して上げているにも拘わらず、鶴見緑地を組み込むコースを作っていませんでした。だいふとくたびれてはいましたが、まだ間には合いました。ただ天気が悪かったものだから、きれいな色が映えなかったので、くたびれたように見えたのかもしれません。あとは、休憩時間に余裕をもたせるため、JR線や地下鉄に向かうのではなく、京阪に向かいました。ゆっくり鶴見緑地を回るコースとしては、なかなかなものではなかったかと、ちょっと自画自賛です。
 「野江」から「京橋」に移動。駅近くのネットカフェで、休憩がてら時間調整。そして、夜は「守口市」に移動。「エナジー・ホール」であった「第41回とびっきり寄席」に行ってまいりました。FMはなこの収録も兼ねた会、会主は佐ん吉とちょうば、それに、たいがいは二人の先輩に当たる雀五郎も出ているという会。その番組は、次のようなものでした。佐ん吉・ちょうば「前説」、弥太郎「寿限無」、雀五郎「八五郎坊主」、佐ん吉「雑俳」、ちょうば「天狗裁き」。弥太郎が前座となれば、「寿限無」が定番のはず。なのに、ネタに入った途端に間違い、やり直してしまいました。ま、収録ということもあるのでしょうが。雀五郎の「八五郎坊主」に出逢えたのが、今日の一のヒット。毎月、自身の会を開き、確実にネタを増やしているのは解ってはいたのですが、「八五郎坊主」を手がけていたとは知りませんでした。ま、枝雀から雀三郎へと続く流れでは、もっともらしい噺であることは間違いありません。だけど雀五郎は、なんでもこなしてしまいますね、器用なものだとつくづく思いました。無頼漢の典型的なキャラの八五郎は、度を越さず、きっちりと描けますし、呆れながらも温かな眼差しを向ける老僧も、しっかりと描いていました。なかなかいいものを聴かせてもらったという印象。佐ん吉の「雑俳」は、2度目の遭遇。このネタに手を出してくれたこと自体に、まずは感謝の気持ちが起こります。だって、上方ではやり手が、ほぼゼロですからね。形は根問ものですが、繰返しが結局は続くものですから、アクセントを程よく入れなきゃならないのでしょうが、なかなか入れようがないという困ったネタですね。年齢が重なるにつれ、柳昇のような味わいが出てくるのでしょうか。今の爽やかな語り口での「雑俳」も魅力的なのですが。ちょうばの「天狗裁き」も初もの。ホント、「天狗裁き」は、噺家さんに人気がありますね。手がける噺家って、とっても増えたんじゃないかなぁ。繰返しネタなんで、出てくる人物のキャラをくっきりさせようと頑張りすぎの口演が多いなか、ちょうばはきばりませんね。先日の独演会で感じたことと同じようなことを、今日の「天狗裁き」でも感じてしまいました。そのスタンスが、徐々に判ってくると、先に進むにつれ引き込まれていきました。自分の背丈を信じた好演。総じて、中身の詰まったいい会だったなの印象を持って帰れました。




2014年 6月 27日(金)午前 4時 30分

 一昨日、11時を回ってから帰宅。それからHPの更進。ただでも睡眠不足になりそうなところへ、夜中にお目覚め。二度寝をして、辛うじて3時間の睡眠を確保してから出勤。そして、まともに働いただけで、完全にお疲れ。ちょっとだけ、夜遊びに行くことに躊躇はあったのですが、行っちゃいました。動楽亭であった「上方講談を聞く会」に行ったのですが、成果は5割。半分は、完全にダウン。しかもジンクス通り、狙いの高座でダウンしてしまいました。その番組は、次のようなものでした。南舟「長屋の出世」、南青「船場近代建築物語」、南鱗「雷電の初相撲」、南北「桂小五郎」。狙いは、南北さんと南青くん。南北さんの幕末ものってレアな印象。最後の拍手で目が覚めた始末。最悪のコンディションがまざまざでした。南青くんのネタは、どこかで聴いた記憶があったものの、始まるまでは、すっかり失念していたところ、すぐさま思い出しました。頼まれたのでしょう、近代建築群で講談をと。南青くんの工夫で、構成自体はユニークでおもしろいのですが、南青くん自身が取材したエピソード自体が淋しいのです。ちょっと聴き始めてすぐに、そのことを思い出したのがきっかけで、ぐったりでした。南北さんの高座のときには、体力の限界を過ぎていたのでしょう。講談が終わっても、まだ眠り続けているってことが起こる予感がするほどのダウンだったということです。南鱗さんは、あまりにベタなネタで、完全に引きながら登場を待ったのですが、相撲ネタをするからと、お得意の相撲エピソード全開のマクラが実に愉快。そうなると、ネタに入ってからも、愉快な気分が続くということです。南舟くんのネタは、落語の「妾馬」を思い出させるもの。こちらは、水戸の殿さんの手がつきます。南舟くんは、「長い長い水戸黄門漫遊記の発端でした」と言って下りました。光圀の腹違いの兄に当たる男の出世に関わる話でした。




2014年 6月 26日(木)午前 0時 57分

 今日は、週の半ばの、しかも仕事のある日なのに、コヴェントガーデンのライブ・ビューイングを観てきました。メトロポリタンやパリ・オペラ座のライブ・ビューイングと違い、今日一日だけ、ロンドンから映像がリアルタイムで送られてくるというものですから、このように日を選べないというわけです。先日パリ・オペラ座のライブ・ビューイングを観に行って会った高校時代の友人と、今日は、待ち合わせをして観に行ってまいりました。このために、昨日は、他の友人も含めての呑み会、そして、今日はオペラとしたために、結果として、南海さんの会が吹っ飛んでしまいました。で、今日の演目は、プッチーニの出世作「マノン・レスコー」。コヴェントガーデンでは、1983年以来の上演とかで、しかも、デ・グリューをヨナス・カウフマンが歌うということで、楽しみの一番。コヴェントガーデンは、見事なスターシステムを取っていますので、このような優れものの歌手に出逢えます。実は、コヴェントガーデンのライブ・ビューイングがあると知ったのは偶然のこと。早くに気づいておれば、今シーズンでは、クヴィチェティンがタイトルロールを歌う「ドン・ジョヴァンニ」を観ることができました。「マノン・レスコー」のタイトルロールの方は、エストニア出身のクリスティーネ・オポライス。黄紺は、初めて遭遇する歌手だったのですが、マノンは初役だそうですが、ちょっとだけ声にムラがあったというか、カウフマンを聴いていると、どうしても気になってしまっただけなんですが、そのカウフマンと息の合った動き、歌唱を聴かせてくれていました。黄紺がいいなと思ったのは、レスコー役のクリストファー・モルトマン。ちょっとスナイデル似のチンピラ的雰囲気が似合います。もちろん歌唱が堅実だからこそ、楽しめたというわけです。舞台は、現代風パブといったところの隣に、小さめの部屋のあるアパルトマンが並ぶというもの。回転舞台を使っているようで、2幕はクラシックな部屋。ジェロンテの屋敷なんでしょうか、ジェロンテにあてがわれたマノンの家でしょうか、そのあたりが判らず終いでした。途中から、カメラマンが現れカメラを回しだし、マノンも、妖しげなショーを見せるという設定になってました。そのショーの客に紛れて、デ・グリューが現れるというもの。流れ的には滞りはないのですが、設定が不明確なまま推移。黄紺だけではなく、友人も把握に困惑していました。3幕は、薄暗いので、よくは判らないのですが、1幕の装置にはしけを付けたしのではと思える装置。4幕のアメリカの荒野は、1幕の建物が少し下がってきて、一番上に荒野らしきセットが用意されていました。パケットゥリの客は首が大変です。黄紺ならギヴアップです。という感じで推移しますが、セットの違和感は全くありませんでした。物語が、どろどろとした人間関係を扱った、いわゆるヴェリスモものですから、時代設定を現代に飛ばしても支障はないのでしょう。このプロダクションの最大の気になるところは、娼婦性を消すことを努めるプッチーニ作品の逆手を取る手法。2幕のマノンがエロイこと。マスネーの方の「マノン」かと見まごうばかりの演出。金持ちの持ち物的な衣裳、そして、エロいショーと、これでもかとばかり出てきます。デ・グリューとの絡みも、その辺を意識した演出は言うまでもありませんでした。ですから、2人の主役は大変。体当たり的演技で、演出に応えていました。演出はジョナサン・ケント。指揮はアントニオ・パパーノ。彼が、開幕前やインターヴァル期間中に、ピアノを弾きながら楽曲解説をしてくれていました。この解説はなかなかいい方法ですね。




2014年 6月 24日(火)午後 10時 35分

 今日は、持ち帰り仕事があったため、泣く泣くウォーキングは休止。1週間、黄紺が予定を間違っていたために、急に慌ただしくなりました。今週は、米二の弟子二乗が、繁昌亭大賞の耀き賞をもらった記念ウィーク。所縁の噺家さんも出番に並ぶ番組。そのラインナップは、次のようなものでした。雅「初天神」、風喬「千早ふる」、よね吉「七段目」、米二・塩鯛・文都・二乗・よね吉「口上」、二乗「短命」、塩鯛「阿弥陀池」、(中入り)、朝太郎「マジカル落語」、文都「替り目」、珍念「七度狐」、米二「くっしゃみ講釈」。雅がだいふと進化。前には見られなかった手の動きなどが入り、口先ではない身体表現になっています。風喬の「千早ふる」がおもしろいですね。ちょっとぞんざいな口調が、とぼけた雰囲気を出すのに、とってもフィット。だから、相撲を止めて豆腐屋になったくだりなんか、変に納得させられてしまうおかしさがありました。よね吉は鉄板ネタ。定吉と若旦那二人の芝居を省くショートカット版。従って表に貼り出されたネタ表には「芝居道楽」と出ていました。口上は、朝太郎が出るかと思ってたのですが、文都でした。いずれにせよ米朝一門には変わりありませんが。司会は、二乗入門に口をきいたというよね吉。これは予想通り。プレッシャーを受けての二乗は「短命」。昨日が「癪の合薬」だったもので、何かなと思っていたら手頃な長さの噺を持っていました。元々くどいフレーズが続きますから、二乗のあっさり系がいいところですね。マクラは、いつもの串カツネタ。こちらは、くどいほど聴いています。この辺りが崩れると、好事家の間でも、もっと人気が上がると思うのですが。それにつけても、「癪の合薬」「短命」とくると、何やしらてっとり早い笑いを追求しているという印象が出てしまいますね。塩鯛は、控え目なつもりの「阿弥陀池」。今日は、団体さんも入ってはいましたが、軽快な、いい感じの反応を示すに支えられて、塩鯛の魅力が全開。客と塩鯛の口演の相乗作用で、えらく盛り上がりました。後半が、今日は、ダメだったのです。朝太郎の高座までは良かったのですが、次の文都のところで息切れ。久しぶりの珍念、繁昌亭のトリが久しぶりイになった米二の高座までも、その流れに呑み込まれてしまいました。なお、珍念の「七度狐」は、「野辺」「煮売屋」も、ちょっとだけかじったあとに「七度狐」に入るという贅沢なものでした。
 繁昌亭のあと、南海さんの会に行くつもりだったのですが、高校時代の友人が京都に帰ってくるということで、急遽、取りやめ。そのため、京都に大移動し、夜は、久しぶりに「イスタンブル・サライ」で食事会。久しぶりなのに、オーナー氏は黄紺を覚えていて下さいました。更に、ひょっとしたらと思い伺ったら、予想がどんぴしゃ。息子さんが、ギャルソンとしてお店で働いておられました。こういった時の経過って嬉しいですね。こちらへ行くと楽しみなのは、メネメンやイチリ・キョフテがあること。そんなで、もっとおじゃましなくってはと思ってしまいました。




2014年 6月 23日(月)午後 10時 44分

 今日は、ちょっと気温が上がってないということで、職場では、元から電源を切られ、クーラーなしの一日。行き帰りの電車のなか、そして落語会の会場だけで、涼を味わうことができました。その落語会は、「雀のおやど」であった「雀五郎体力強化の会 その56」。雀三郎の二番弟子雀五郎の勉強会です。何度か覗いたことはあるのですが、今日は、ちょっと久しぶりになりました。その番組は、次のようなものでした。鯛介「兵庫船」、雀五郎「牛ほめ」、三金「奥野くんの幽霊」、雀五郎「千両みかん」。今日は、昼休みどころではない働き方をしたもので、まずいかなと思いながら、鶴橋に向かったのですが、まずすぎました。先日は、同様の状態でギブアップをして、家に直行して爆睡でき、勇気ある行動と評価していたのに、今日は、その勇気ある行動を取れなかった報いを得てしまいました。もう鯛介の途中から、コントロール不能状態。「牛ほめ」も「奥野くんの幽霊」も、めっちゃ受けていたのだけは解ってはいるのですが、なぜだかが、全く解らないのです。不思議なのは、「牛ほめ」がなぜにあれだけ受けたのかは、黄紺の想像を超えています。三金は、ネタよりはマクラで、ヒートアップさせていたような感じはするのですが。冒頭で、「噺家宝塚ファン倶楽部」の話を始めたのだけは、記憶に残っているのですが。トリネタの「千両みかん」だけは大丈夫でした。雀五郎は、どんどんと大ネタを手がけるようになっています。台詞の中に、「今日は、6月の21日やでぇ」「土用やでぇ」と出てきますから、僅かに2日だけずれた絶妙ーのタイミングでの口演。主人公の番頭って、どういった人物と考えればいいのでしょうかね。生真面目すぎる男こなんでしょうか。そんなにも仕事がばりばりできる方ではないのでしょうね。ある程度は、自分でも判っている。ただ実直に勤めあげただけで得る暖簾分けなのかなぁって思ってしまいます。だから自分の能力からしては、向き合えない金額にはじき出されたときに、魔が指したってことでしょうか。大丈夫と言っても、後半で飛んでしまったところがあるので、雀五郎の口演はこうだ的な書き方は控えておきましょう。




2014年 6月 22日(日)午後 11時 26分

  大阪市内遊歩(206)(写真なし)

 今日は、朝から雨。雨のときのウォーキングについて、先日行った繁昌亭の昼席に出ていた竹林が、おもしろいことを言ってたのを思い出しました。雨の日は地下道ウォーキングだと。竹林は、毎日2万歩を心がけており、それを即座に3時間と言い換えたので、作り話ではないと判断。早速真似をしてみました。まず強い雨ではなかったので、「北浜」から「日本橋」まで、傘をさして移動。これで30分余。あとは、何度もなんばウォークを往き来して1時間半。最後の20分というところで、1度だけ地上に出てみたら雨は止んでいました。ちょうど止みかけというところでしたので、諦めはつきましたが、やはり地下道ウォーキングは退屈。巡検的要素がないものですからね。ですから、時々は雨の具合を知るために、地上の様子を確かめる必要がありますね。「なんばウォーク」から、そのまま千日前のおなじみのネットカフェへ。今日は、あまり疲労感がなく、単なる時間調整に使いました。先日から観ていた「エルナーニ」(パヴァロッティ、レヴァイン版)が終わり、「パルジファル」(バーデンバーデン版)に移行です。そして、午後は、「天王寺」の「オーバル・ギャラリー」へ。今日は、こちらで「浪花亭友歌勉強会」があったのです。その番組は、次のようなものでした。浪花亭友歌「ねぎぼうずのあさたろう〜峠の待ち伏せ〜」、天中軒雲月「忠僕直助」、(中入り)、浪花亭友歌「男の花道」。浪花亭友歌は、東京の東家浦太郎の弟子。東京から福井に戻ったのを契機に、大阪の浪曲親友協会に籍を置くようになった人。そのときの推薦人が雲月師と幸枝若師とのこと。そんな縁で、雲月師が、本日のゲスト。「ねぎぼうず」は、童話を浪曲化したもの。登場するのが、全て野菜というのがミソ。悪役がやつがしら、その子分が小芋、殺し屋が胡瓜、悪役に狙われる若い女が栗だったかな。ゲスト枠の雲月師の「忠僕直助」が聴かせました。「赤穂浪士」の外伝ものですね、これ。もちろん講談の抜き読みで有名なもの。だけど、旭堂で聴くものとは、構成が全然違います。講談では、直助が、主君が貧乏侍とかなまくら刀と揶揄されたのに対し、主君にいい刀を持ってもらおうと刀鍛冶になり、腕を上げていく過程が描かれます。それに対し、今日聴いた「忠僕直助」は、立派な刀鍛冶になり主君のもとに、直助が帰って来るところから始まりました。そして、主君を小バカにした侍に仕返しをするまでが描かれました。その最後の場面では、一切を看て取った大石内蔵助や武林唯七までが、直助を支援する側に立ちます。そんなですから、かなり重厚で大きめな話に仕上がっていました。一途な直助の行動を描く講談とは、随分と趣の異なるものでした。雲月さんは、更に、そういった展開を大仰に演じるものですから、やたら大きな話になっていました。「男の花道」もたっぷり感のある話と思っていたのですが、友歌さんの口演では、ずしりとくる手応えが吹っ飛んだものとなっていました。歌舞伎役者歌右衛門と、その歌右衛門の目を治療した医者玄白との、熱き交流を描いたもの。後半、歌右衛門が、約束を守るべく舞台を放置して駆け付ける動機となる篤い感謝の気持ちを伝えるところが薄くて、歌右衛門の熱き行動の基になるものが、ちょっと頼りなかったですね。更に、元々冷静な男だと思える玄白が、後半、突っかかられること自体が不自然なんだけど、そのあと歌右衛門の名前を出すに至る設定も、同様に不自然なんだけど、それを否定すると、話にならないので、入れないわけにはいかないとなると、ここの持って行き方がムズいところ。そのデリカシーがなかったですね。いや、これは友歌さんの問題以前のテキストの問題でしょうが、先の問題と同様に、テキストの問題なら問題で、テキストいじりもして欲しいところです。東西の講談ともに、今日の口演のような薄いものではありませんから、そんなの見ながら再考して欲しいものです。この会の2回目が、また秋に開かれるそうです。とにかくいい声をされていることは間違いありませんから、楽しみにすることになるでしょう。ところで、帰り道、よく落語会でもご一緒することの多い方から、衝撃の事実を教えていただきました。幸いってんさんが、浪曲をお辞めになったそうです。どうやら体調が思わしくないみたいで、僧籍に入られる予定とか。京山福太郎襲名を見たかったですね、無念でしょうね。悔しいです、ホントに残念なことです。
 浪曲が終わると、京都へ大移動。しばらく河原町三条近くのネットカフェで時間調整。そして、夜は、夷川柳馬場の「カフェ・モンタージュ」であった室内楽のコンサートへ。こちらでのコンサートは、講談会でよくご一緒になるご夫婦より教えていただいたもの。一緒に行きましょうということで、ネットで予約を入れたところ、今日のコンサートが、目についたというわけで、ご一緒するコンサートに先駆けて、黄紺一人で行ってまいりました。今日は、「フランス近代の音楽」と銘打たれたチェロ・ソナタの夕べ。トビュッシーとプーランクのチェロ・ソナタの間に、プーランクの「フランス組曲」が演奏されるというプログラム。チェロが金子鈴太郎、ピアノが稲生亜沙子でした。トビュッシーは聴いても、プーランクのチェロ・ソナタを聴いたことはあるのかもしれないのですが、自分的には、全く記憶のないところ。カフェのオーナー氏の挨拶でも、なかなか出ないところへ、今日のプログラムが送って来られて大歓迎とおっしゃっていました。金子氏のおしゃべりを交えたコンサート。京都で、こないなコンサートが開かれていること自体を知りませんでした。ご自身で、ピアノの調律もされていたオーナー氏は、何者なんでしょうか? プーランクって、おかしな作曲家です。金子氏も言われていましたが、いいメロディだなと思うと、もう次の瞬間、違うメロディに変えてしまっています。一方のドビュッシーは、月を見上げるピエロというテーマで、このチェロ・ソナタを書いたとか。月のメロディを教えていただいたので、それに対置するのがピエロだと思い聴いていると、映像を観るような音楽ですね。チェロの音は、ビブラートを付けない音に、ちょっと物足りなさが残りました。素の音の物足りなさでしょうか。ガット弦を使われているということでしたので、余計に気になったところでもあったのですが。ま、それとて小さなことと写りましたから、間近で、そうは聴けない生チェロの楽しさを味合わせてもらえて満足して帰ってきました。なんか、これからも足を運びそうな新スポット発見です。




2014年 6月 22日(日)午前 1時 33分

  京都市内遊歩(64)

今日から雨という天気予報。ウォーキングができるだろうか不安だったのですが、しばらくは大丈夫ということで、予定通りウォーキングを敢行。今日は、雨の気配もなく、無事にウォーキングを終了。今日は、午後からのことを考え、伏見から西へ一途に進み、阪急線にたどり着こうというもの。そのコースの詳細は、次のようになりました。近鉄「伏見」駅〜黒茶屋橋〜悟真寺(「伏見鳥羽戦役東軍戦死者埋骨所」碑)〜住吉西保育園〜西丹波橋〜下鳥羽公園〜城ノ越公園〜京川橋〜久我橋〜「久我」交差点〜菱妻神社〜南浦橋〜JR「とうかい120」橋梁〜阪急「カイデ」踏切〜日本キリスト教団向日町教会・まこと幼稚園〜向日市立勝山中学校〜向日市立向陽小学校〜向日神社〜向日市天文館〜北大極殿公園〜史跡長岡京大極殿・小安殿跡〜史跡長岡京閤門跡〜史跡長岡京跡朝堂院公園〜阪急「西向日」駅。このコースを、直で歩くと1時間半程度だという認識があるので、京川橋を渡るまでは、迂回コースを採り時間稼ぎ。久我に入ってからは、久我の集落には入らず、向日町へ抜ける幹線道路を歩くことに。但し、前回とは変えようということを考え、終点を、「東向日」ではなく「西向日」と定めたことから、新幹線を越えたところで、バスの操車場方向には歩かず、新幹線に沿った道を採ることにしました。とにかく距離感の乏しい地域のため、とりあえずは、「西向日」駅の位置を確認してから、周辺を歩くことに。目をつけていた向日神社の参道にびっくり。大きな神社です。そしていいことがありました。長岡京関連の遺跡の位置を知らせてくれる簡単なマップが掲示してあったのです。おかげで、貴重な遺跡を、初めて見ることになりました。インフォメーションまで見つけ、「乙訓」と表記されたマップもいただけたので、別途時間をとり、この辺りの巡検を試みなければなりません。
 「西向日」から「茨木市」経由で「民族学博物館」へ。今日の午後は、こちらでの講演会「民博ゼミナール」に行ってまいりました。チェックするのを忘れていたため、4〜8月のシリーズの内、今日だけしか行くことができません。今日のテーマは「現在進行形の海外移民〜韓国を去りゆく人びとの胸のうち〜」。願ってもない、黄紺の関心をそそるもの。講師は、同館の准教授太田心平氏。まず、数字的に驚かされます。現在、海外コリアンとして、公式統計資料は750万人を超える数字。これは、朝鮮半島居住者が7200万人くらいと推定できるので、驚くべく数字。韓流映画を観ていると、確かに外国への移住話が、挿話としてわりかし入ってくるので、日本とは違うなの予感はあったのですが、数字で示されると圧倒されるばかり。それを、移住年度で分けると、2つに大きく分けることができるということが、これまた数字で明確。1990年代初めあたりから2000年にかけて、くびれができている。前をオールドタイマー、後をニューカマーと喚ぶという言い方をするそうですが、また、増えていき、毎年人口の0.3%が移住しているという現実があろうそうです。オールドタイマーは、経済的理由での移住で「生存モデル」と表すことができ、ま、まだ先進国の仲間入りをしてなかった時代の話です。それとおもしろかったのは、韓国人らしいなと共感できた「人生の質を求めての移民モデル」というやつ。「うまく生きる」ための移住、「良く生きる」と言い換えた方がいいかなと思って聴いていたのですが、「勝ち組」になるための競争を促す韓国社会から逃れ、自らの生き方を求めるとともに、子女を競争社会から開放し、同時に一定ステータスを確保できる、そういった価値観の異なる社会を求める人たち。ユートピア志向と言われていましたが、程よく折り合いをつけて、でも悶々としながら暮らす日本人とは異なる価値観を持つ人たちと、黄紺の目にも映っていることを考えると、至極、納得できる解説。かっこよさを求める感じの良さ、潔さなんてものを持っている人たちかなと看ている黄紺にも納得できるものでした。そういった意味では、ニューカマーの人たちも、同じディメンジョンに立ってるかなと、黄紺は思ったのですが、彼らは1960年代に生まれた「絶望移民」と言われる人たちで、それがニューカマーだそうです。1980年代の民主化運動に、学生時代に係わるような世代が、その後の政治に絶望していく中で韓国を捨てる決意をしていくのだそうです。確かに、民主化で、それまでのことを考えると、ありえない金大中が大統領になり、更に、より左派的傾向の強かった盧武鉉が大統領になっても、何も変わらなかったという絶望です。そこからくる、「この国に未来はない」思考が、移民へと向かわせたというのです。でも、講師氏は、これも、一種のユートピア志向と整理されていました。今までの「わたしではない、誰か」になる契機を、移民という行動で表現するユートピア志向というのです。同じ流れを持ったとしても、日本人的思考であれば、こういった行動に移るとは思えないのですが、そこに韓国人特有の規範のようなものがあるように思えるのですが、それも「うまく生きる」という韓国人らしさで説明できるのかまでは、お話はありませんでしたが、総体として、黄紺的薄っぺらな韓国との関わりでも納得できるものをお聴きすることができ、とっても満足度の高い講演となりました。こんなのを聴くと、韓国へ行きたいと禁断症状が出てきかねません。11月まで我慢です。
 夜は、所用があり、息子と会い、呑むことになりました。息子は、仕事が忙しいようで、お疲れ気味。黄紺がトルコに行く前に、もう一度、呑む約束がまとまりました。




2014年 6月 20日(金)午後 11時 34分

  大阪府寝屋川市(44)〜四条畷市(8)〜門真市(51)

 昨日は、仕事が立て込んでいたため、「できちゃった」があったのですがスルー。アブナイと思っていたので、予約も入れてなくて、それで正解でした。
 今朝は、ギリシア戦を観ました。途中からゲカスが出てきたので、ギリシアにも負けさせたくないと思ったら、スコアレス・ドローでした。それから一眠りをして、オペラのDVDを観て、寝屋川で家の用事を済ませ、ようやく日常に戻りました。まず、ウォーキングですが、そのコースの詳細は、次のようになりました。京阪「寝屋川市」駅〜昭栄町公民館〜昭栄町公園〜しらゆり保育園〜新家橋〜「寝屋川村役場跡」碑〜寝屋川市立第七中学校〜南寝屋川公園〜なわて水みらいセンター〜四條畷四條畷西中学校〜サン・アリーナ(市民総合体育館)〜住吉平田神社跡〜四條畷二丁通郵便局〜四條畷市立くすのき小学校〜寝屋川市立堀溝小学校〜堀溝2丁目ふるさとほほえみ通り〜猪鼻橋〜門真巣本郵便局〜門真市立北巣本小学校〜すずらん幼稚園〜京阪「大和田」駅〜京阪「古川橋」駅。久しぶりに寝屋川起点、四條畷方向のウォーキング。でも、また第二京阪のおかげで道に迷いました。いつまで経っても、外環状線に行かないので、おかしいなと思い始めた頃に、南寝屋川公園のネットが見えてきました。そこから堀溝方向には、何度か歩いているので、今日は、四條畷方向に歩き、一挙に外環状線を越えてみました。そこから弁天池公園に回ろうかと予定していたのですが、最近、きわきわのウォーキングが多いものですから、無理をしないで、「萱島」方面に歩くことにすると、今度は時間に余裕ができてしまい、結局、「古川橋」駅まで行くことができました。
 「古川橋」から京橋経由で「天王寺」に移動。駅の近くのネットカフェで、休憩がてら時間調整。今日は、ウォーキングで随分と疲れてしまい、ネットカフェでは、TRT3をかけっぱなしにして、ほぼ眠っていました。時々、こないなことが起こります。そして、夜は「動楽亭」であった「第13回南湖の会〜これが難波戦記〜」に行ってまいりました。徳徳亭が閉鎖されたことに伴い、今月から場所が変わりました。すると、お寺に転用するつもりだったトリイの社長が、その計画を取り止め、新たにリニューアルした寄席小屋を、近々オープンするとか。で、今日の番組は、「大谷刑部の最後」「難波戦記」の2つでした。「大谷刑部」は、関ヶ原の合戦で、石田三成側に与した大谷刑部の物語。中でも大谷刑部は、ハンセン氏病を患い、この話が話題の中核を成します。発病後も、秀吉に厚遇はされたのだが、登城する度に疎遠にされるなか、そんな素振りを見せなかった三成に恩義を感じ、三成側に与した大谷刑部。もちろん関ヶ原の合戦は、三成側に利あらず負け戰。それを受けた自害。ところが、発症した首が晒されるのを嫌った主君の意を汲んだ家来の穴山小助の、その後の奮闘が痛々しく、心に残る話となります。このパートは、かつて南海さんの口演で聴き、強く印象に残っていたところでした。お二人の流れは、同じテキストという印象。やはり旭堂が受け継ぐ、大事な話なんでしょう。連続して「難波戦記」に入られました。ですから、1時間半弱、それぞれにマクラをふりながら、喋りっぱなし。南海さんと同じペースです。この体力はすごいものがあります。既に家康は、住吉神社に陣を張っています。でも、話の展開が、きっちりとは思い出せないのです。今日は、ウォーキング疲れが、まだ残っていました。完全にはダウンしたわけではなかったようなのですが、南湖さんの言っていることは耳に入っているのだけれども、何を言っているのか解らないのです。「大助の駿府への使者」の復習をされているのは解っているのだけれど、なぜ、復習する必要があるのかが理解ができないのです。大久保彦左衛門に抱えられ逃げる家康。船底に隠れて逃亡する話のようなのだけれど、その場面が、その情景が浮かばず、誰がどこで何をしているのかイメージを作ることができないという具合で、白旗です。最後は鴫野の戦いにまで、話は進んでいました。




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