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【北キプロス編】Bギルネは、最高のデート・スポット

ギルネのエスキ・リマン

もし僕が、もっともっと若く、そして彼女でもいて、その彼女とデートしてみたいと 思う所NO.1は、それは、北キプロスのギルネ(ギリシア名ではキレニア)である。僕は、 世界中で、ただ一つ選べと言われたら、間違いなくこの町を選ぶ。僕が、「天空に浮か ぶ町」と名付けたアルダハンは、荒涼たる高原であるからして、素敵な女性とデートと いうイメージではない。このイメージなら、トルコのアンタルヤか、ここギルネであろ う。共に共通したイメージを持つが、やはり素朴さで、ギルネに軍配を上げよう。軍事 境界線という不粋なものがあるレフコシャから、ドルムシュで小1時間もかかったろう か、地中海に面して、港町ギルネがある。島の中央部にあるレフコシャから海岸へ抜け る道と、地中海沿いに走る道路の交差点にあることに加え、丁度トルコに向かった位置 にあるという地理的特性のためか、重要な港が、古くから存在していたようである。こ こからは、トルコのタシュジュに渡る高速船が、夏場だと、日に2度出発している。こ の船が出る所は、市の中心部から少し離れた所にあり、「新しい港」と呼ばれており、 旅の情緒に浸るというよりは、機能性を重視した光景を提供してくれるだけであるが、 「古い港(エスキ・リマン)」の方は、なんとも素敵なのである。半円上に弧を描く岩壁 のライン。一方の端には、中世の城が位置している。この城は、かなり立派なものであ り、規模も大きく、城壁は二重になっていたと記憶している。城壁と城壁の間は、今は、 海岸側から入り込むことができ、感じのいい散歩道となっており、道なりに歩くと、一 つは坂を上ると街中に戻ることができ、途中で道を反れると、見上げるような城壁の外 に沿って岩場の海岸線に出る。その岩場を伝って、人の通りが少なくなったあたりで、 地中海を眺めながら、背後には高い城壁がそびえるような所で、デートできれば、いい っすよ一。夕暮れ時なんて、最高。薄暗くなってくると、今度は、エスキ・リマンの方 へ戻ろう。いよいよ、ここのハイライトが、君たちを待っている。半円上に弧を描く港 に沿って、ずらーっと丸テーブルが並んでいる。一つ一つのテーブルには、ランプの淡 い光が、海風にそよぎながら点っている。港沿いのレストランが、一斉に自分たちの店 の前の海岸沿いの道路でも、このようにテーブルを並べ、営業を開始するのである。目 の前の港には、大小様々な色とりどりのヨットが、繋留されている。暗闇が更に迫ると、 小さな点が見事に半円状に連なる光のぺ一ジェントが繰り広げられるのである。僕の泊 まっていたホテルは、城と丁度反対側の端っこに位置していたが、昼間は、そこの屋上 から眺めることのできる城の威容、エスキ・リマンの旅情を誘う風景、夜は夜で、暗闇 に浮かび上がる光の条に、時の経つのも忘れて眺めていた。そのときに思ったのが、僕 がもっともっと若かったら、というものであったのだ。
 朝は朝で、素敵なことがあるのですよ。朝食は、この屋上で、地中海の風に吹かれな がら、取ることができるのですよ。トルコと同じくおいしいパンに、オリーブ、白チー ズ、トマトなどに、何よりもチャイがよく似合う。食事が終わっても、いつまでもいつ までも、去りがたいその場所。そして、僕は、ここでも、ふと思ったのです。これって リゾートしちやらてるんだあ、僕は。さんさんと降り注ぐ夏の陽のもと、僕は、バカン スを楽しんでいるんだと。これを読んでくれているあなた、僕が、トルコや北キプロス に行って、まさか、このようなリゾート・ライフを送っているなどと思う人は、一人も いないのではないでしょうか。それは、僕のイメージが合わないのに加え、トルコや北 キプロスについての君たちのイメージも、そのようなことを考えさせないのではないで しょうか。だけど、僕はしているのです。人の羨やむ生活を、北キプロスで、そしてト ルコで。見直したかい、やい。ギルネって、それができる場所なんですね。ギルネのほ ぼ向かいに位置する、トルコのアンタルヤも、同じようなエスキ・リマンを持ち、よく 似た雰囲気のレストランを持つが、シーズンだと、余りにも外国人の観光客、特にドイ ツ人が多い。それに比べて、ここは安泰。一つには、キプロス紛争のイメージが払われ 切っていないので、少ないのだろう。これが、落ち着きを与えてくれる。だから、余計 にいいのだ。
 若い君たちは、ぜひデート・スポットとして記憶しておいてもらいたい。きっと君自 身が、より素敵に見えること受け合いです。ま、僕は、機会があれば、息子でも連れて 行ってやろうと、今は考えています。
  (注)レフコシャ・ギルネ間は、ドルムシュで、30分もあれば、十分の距離である。
   南の超リゾ−ト地からギルネへ来ると、このギルネといえども、なんとも素朴な
   感じがする。それが、またいい。





【北キプロス編】C北キプロスへの流入者

 北キプロスは、承知のとおり、キプロス島の分断国家の片割れである。しかも、南の ギリシア人居住区と、厳しい対立をし続けている。昨今南のキプロスがAB(EU)の 加盟に向けて、97年2月よりヒアリングが開始されるとの声明が、ABより発表されて から緊張が高まって来つつある。というのも、加盟候補国でもあるトルコが、キプロス とは違って、正式加盟が見送られたこともあり、その傾向は一層強い。北キプロスのデ ンクタシュ大統領などは、場合によっては、北キプロスとトルコの合併も辞さずとの荒 っぽい見解すら、公にするに至っているのである。北キプロス側の主張としては、キプ ロス島には、二つの主権が現存していることを認めた上で、両国の連合国家を造ること が、常に上げられている。しかし、南のキプロスからしては、国際的には全くその存在 すら認められていない、北キプロスの主権を認めるわけがないのである。このようなな か、北キプロスでは、確実にトルコ化が進んでいるのである。
 その一つには、都市の呼称が、トルコ風こ変えられていることが上げられよう。例え ば、僕の好きなギルネといラ都市は、南のギリシア人居住区では、キレニアと呼ばれて いる。そればかりか、北キプロス西部の中心的都市と言っても、言い方は悪いが、田舎 の都市ギュゼルユルトゥや、更にもう少し西に行ったところにあるイェシルユルトゥと いう町の名前を聞いたとき、余りに露骨なネーミングに、少々鼻白む思いがしたことが ある。というのも、ギュゼルユルトゥは、「美しい祖国」を意味するトルコ語だし、イ ェシルユルトゥは、「緑の祖国」を意味するトルコ語なのである。およそ元々からその ように呼ばれていたとは、考えにくい呼び名なのである。
 次に、北キプロスで出会った人から気付いたことを書いてみよう。僕は、レフコシャ からギルネに着いたとき、すぐに銀行に立ち寄り両替を済ませたのだが、その僕を待ち 構えるように、一人の男が僕に近づいて来た。彼は、船に乗りいろいろと外国を渡り歩 いて、船の荷役の仕事をしていたらしく、手に持つ各国の紙幣を見せながら、日本の紙 幣、果てはトルコ・リラをくれと所望する。要するに形を変えた物もらいと見た。彼の 話を聞いていると、今朝、ガジアンテップから、このギルネ港に着いたとのことで、い くらかでも金が欲しいのだと、正直に告白した。朴訥とした話し方や気弱そうな感じに、 嘘はないと思ったが、だからと言って、施しをする程までとは思わなかったので、丁重 に断ったが、やけにガジアンテップ出身という、この男の言葉が耳に残った。そのとき は、この後、僕は、トルコに渡り、そのガジアンテップに行くつもりだからだろうと思 っていた。その明くる日、ゲミーコナーウという小都市の西方にあるローマ時代の劇場 を、訪れたときである。一通り見終わった後、そこの管理人と世間話をしていたとき、 お互いの身の上話に相なった。彼が言うには、自分は、ディヤルバクル出身であるが、 今ディヤルバクルは、戦争状態であると言い出したのである。ディヤルバクルというの は、トルコ東南部の都市で、クルド人が多数を成すと言われている所である。先程記し たガジアンテップからは、バスで約5時間の距離にある。そのディヤルバクルが、その ような状況にあることは、日本で知られているか、更に、この戦争について、どのよう に思うかと、問われたのである。僕はトルコ語の質問に対し、その言葉が、よく聞き取 れなくて、答えることに困ったことはいくらでもあるが、トルコ語が理解できているの に、その質問に答えることをためらったのは、後にも先にも、この時だけである。真正 面から聞かれたとき、僕は、心の中で、「これは、答えられないよ一」と叫んだのであ った。余りにも生々しい政治問題への発言は慎まねばとの思いが、強く働いたことは事 実である。せめてものお返しに、ディヤルバクル出身のあなたが、何故、今、北キプロ スにいるのかと問うだけであった。その男の人は、自分は、結婚して、ここへ来たのだ という主旨のことを答えてくれた。
 この二人の男との出会いは、僕に、一つの確信を浮かばせたのであった。それは、二 人とも、トルコ国内で、特に貧しいとされる東南部の出身であり、二つの都市とも、と もにクルド人の町だったからである。その地域の人たちが、何らの理由で、北キプロス ヘ移住してきているという事実が、この際重要なのである。今、トルコ政府は、北キプ ロスと協同で、いつかはやって来ると信じているキプロスにある事実上の二つの政府の 連合、ないしは合併に向けての作戦を着々と進めているのである。トルコ国内の、しか もトルコ内部ではややこしいと思っている地域の住民を中心として、北キプロスヘの移 住を積極的に勧奨しているのである。即ち、近年の国連仲裁による、地域紛争の解決に 当っては、住民の意思に委ねるとして、最終的に住民投票に移されるということが、常 套手段化している姿を、射程に入れての作戦なのである。だから、クルド問題や、トル コ国内の経済的格差をも、同時に解決できる手法として、正に一石二鳥の政策として、 このようなことが行われているのである。僕の出会った二人も、だから、このような政 策の駒として、北キプロスヘやって来たことが、推測されるというものなのである。そ う言えば、レフコシャのホテルヘ遊びにきていた近所のおっちやんも、随分と訛りのあ るトルコ語を喋っていた。あの人のトルコ語は、まちがいなく黒海地方め訛りと見受け た。彼らは、一体どのような思いで、この北キプロスに住んでいるのだろうか。よく、 ABは、トルコに対し、正式加盟への条件として、三つの問題の解決を要求する。クル ド間題を含めたトルコ国内の人権問題、経済問題、そしてキプロス間題である。これを 見てみると、北キプロスヘの移住問題は、正にこの三つの条件を、全て合わせ持つ、今 のトルコを集約的に表す事象だとは、言えないだろうか。Bへ戻る
  (注)キプロスは、今やABの次期加盟候補国だし、トルコも、ようやく次の次の
   加盟候補国となった。私がキプロスへ行くと言うと、ちょっとでもキプロス問題
   をご存知の方は、心配をしていただくが、このような情勢下、取り返しのつかな
   いことは、予想し得ない段階に入っていると言っていいだろう。が、だからと言
   って、キプロス問題の解決の糸口が掴めているとは、全くもって言えない現況に
   あることも忘れてはいけないのである。







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